小説ーとある魔法禁書目録15

とある魔術の禁書目録15

鎌池和馬

   c o n t e n t s  

とある魔術の禁書目録15

 アビニョン侵攻作戦で治安部隊が不在の学園都市。無法地帯となったそこでは、闇の組織らが暗躍していた。
 ――己のために動く者。
 ――闇を好み、殺しを楽しむ者。
 ――他者の希望を打ち砕こうとする者。
 ――大切な人のために立ち向かう者。
 ――上層部へ戦いを挑む者。
 ――反乱分子を仕留める者。
 ――暴走を暴力によって食い止める者。
 科学が全てを支配するこの街で、生き残るのは……。
 『グループ』の超能力者レベル5一方通行アクセラレータが謎の組織『スクール』と邂逅したとき、物語は始まる――!

鎌池和馬かまちかずま

悪党大活躍の15巻です! バトルが多いので、学園都市のいろんな所を舞台にできて楽しかったです。それでも、まだまだ一度も登場していない学区も結構あるんですよね。今度はどこにしようか悩んでいます。

イラスト:灰村はいむらキヨタカ

最近コーヒーを飲む量が右肩上がりです。コーヒーメーカーに飽き足らず、そろそろロースターでも買って自力で生豆を煎ってみようかなどと無茶を考え中。

序 章 愛しい貴方へ極上の鉛弾を Management.

 死角というものがある。
 例えば大手デパートの清掃室。
 デパートの従業員は『外部の清掃業者が使っているんだろう』と思っているし、清掃業者は『あそこはデパートの従業員が使っているんだろう』と考えている。客が入るようなスペースではないから、内部に防犯カメラなども設置されず、だれの目にも留まらない。結果として、誰もが知っているのに誰も入った事のない、カギの置き場所も分からない部屋が出来上がる訳だ。
 普段ふだん施錠せじようされっ放しの鉄のドア。
 だが、今だけは違う。
 土御門元春つちみかどもとはるはあらかじめ受け取っていたカギを使い、デパートの隅にあるドアを開ける。そこは小酒落こじやれたバーのような内装だった。
 手前には一〇人以上が座れる大きなソファに、その近くにはやたら小さなテーブルがある。向かって奥にはバーカウンターのようなものまであった。明らかに扉の外と中で世界が変わってしまっている。
「いらっしゃーい」
 入ってきた土御門を見つけたのか、奥から陽気な男の声が飛んできた。
 カウンターのそばに立っているのば、土御門より背の低い、大学生ぐらいの男だった。軽薄けいはくそうな顔立ちに、衣服はどこかのブランドが出しているスーツ。ネクタイはしておらず、シャツばボタンが三つぐらい外してあって、胸板が見えていた。
 首に携帯電話を四つも五つもぶら下げている男の通り名は、人材派遣マネジメント
 彼はカウンターにひじをつきながら、こう言った。
「ああ、悪い悪い。軽そうに見せてんのは接客業だからでさ。話しかけやすい雰囲気ふんいきってのを作ってる訳。気に入らないならやめるけど、どうするよ?」
「いや、そのままで良い」
 土御門が言うと、人材派遣マネジメントはニヤリと笑った。
 持っていたカギを土御門は投げ、人材派遣マネジメントは片手で受け取る。とばいえ、この仕事が終われば人材派遣マネジメントは家具をすべて運び出し、ほかへ移るだろう。
「さてと、お探しの商品はどんなかな。今は開錠系の『センサー漬つぶし』が結構粒ぞろいのお買い得だ。ヤバいのはマネーロンダリングの札束洗浄係。例の『〇九三〇事件』以降に新しい条例ができたから品薄しなうすになってるよ。あとは普通かな」
 強盗や窃盗せつとうは複数の人間で行う事もある。
 そうした場合は運転手、鍵開かぎあけ、突入係、資金洗浄など役割分担をするものだが、中には『強盗をしたいけど人手が足りない』といった問題も出てくる。
 人材派遣マネジメントはそうした不足した人材を補充し、紹介料でかせいでいる人物だ。
「にしても、近頃ちかごろはネットやメールが多いからさ。アンタみたいに直接訪ねてくるヤツは珍しいよ」
「まずかったか」
「いや。この程度じゃリスクにはならねえよ。そうだ。なんか飲んでいくかい?」
 土御門つちみかどはカウンターにいる人材派遣マネジメントの奥にある棚に目をやり、そこに並んでいる分厚い缶を見て、わずかにまゆをひそめた。
「シンナーを飲む趣味しゆみはないな」
「勘違いするな。そこにある溶剤は油性インクを消すためのもんだ。こういう商売をしてると必要なんだよ。アルコールならそっちの冷蔵庫の中だ。結構良いのがそろってるよ」
「どちらにしても、遠慮しておこう」
 土御門が断っても、人材派遣マネジメントは特に顔色を変えなかった。
緊張きんちようして酔ってる暇もねえか。ま、『仕事』の前なんてそんなもんだ。それじゃビジネスの統きと行こう。お求めの品は?」
「悪い。オレはそっちじゃないんだ」
「?」
怪訝けげんそうな顔をする人材派遣マネジメント、土御門はあっさりと言った。

「オレは客じゃない。捕まえる方だ」

 入材派遣マネジメント一瞬いつしゆんだけ、ポカンとした表情になった。
 しかし土御門がズボンのべルトから拳銃けんじゆうを抜くところを見ると、慌ててカウンターの陰へ身を隠す。
 土御門は構わず引き金を引く。
 ダンゴンガン!!と立て続けに銃声がひびいた。カウンターの奥の棚にあったシンナーの缶に穴が空き、嫌なにおいがすぐさま充満していく。
(野郎……ッ!?)
 入材派遣マネジメントは身を隠したまま、カウンターの裏手に置いてあった防弾ジャケットやサブマシン
ガンに手を伸ばす。
 銃器にマガジンを差し込み、スライドを引いて初弾を装填そうてんした所で、ふと土御門の方からの銃声がやんだ。人材派遺マネジメントはカウンターの奥から顔だけ出して様子をうかがおうとする。
(弾切れか?)
シンナーまみれになった人材派遣マネジメントはそう思ったが、直後に違う答えが来た。

それはオイルライターをこする音だ。

「ッ!?」
 人材派遣マネジメントのどが干上がった。
 何か言う前に、土御門つちみかどは火のいたオイルライターをカウンターの奥に投げてくる。
 人材派遣マネジメントに何かを考えている余裕はない。防弾ジャケットもサブマシンガンもかなぐり捨て、とにかくシンナーの充満しているカウンターの奥から、床へ跳ぶように遠ざかる。
 オイルライターがシンナーの水溜みずたまりに落ち、ボン!! と爆発的に炎が巻き上がった。
 かろうじてその範囲外へ逃げた人材派遣マネジメントは、丸越し状態の自分が拳銃けんじゆうを突きつけられている事に気づく。
 彼は両手を上げて大声で言った。
「待てよ、待て待て! 分かった、分かったよ。抵抗はしねえから―――」
 土御門は構わず引き金を引いた。
 パン!! という発砲音と共に、人材派遣マネジメントおどろいたように自分の脇腹わきばらを見る。
 そこに赤黒い穴が空いていた。
「テ、メ……。抵抗しねえって、言ってん……」
 何か言いかけて、そのまま人材派遣マネジメントは床に倒れた。
 土御門は特に表情を変えず、とりあえず人材派遣マネジメントが息をしている事だけを確かめると、携帯電話を取り出した。
 登録されている番号へ掛けると、応答した相手に短く告げる。
「回収だ」
 電話が何かを言う。
 土御門は統けてこう答えた。
「これからこいつのアドレスを探って、色々と調べ物だ。下部組織に連絡しろ。いや、救急車じゃなくて護送車で良い。こっちは登録住所を元に情報を探すが、一方通行アクセラレータは―――いない?」
 チッ、と土御門は舌打ちして、
「そうか。アイツは今、あっちに行ってるんだったな。仕方がない、海原うなばら、お前が出ろ。バックアップは結標むすじめに交代だ。それじゃあな」
 土御門は通話を切る。
 土御門元春もとはる一方通行アクセラレータ、海原光貴みつき、結標淡希あわき
 彼ら四人を総称して『グループ』と呼ぶ。
 社会の裏にいながら、表舞台を守るために活動している小組織だ。

第一章 誰にも聞こえぬ確かな号砲 Compass.

     1

 一〇月九日。
 学園都市の独立記念日である今日は、その内部に限り祝日となる。
 第七学区の病院も、朝からのんびりした雰囲気ふんいきに包まれていた。カエル顔の医者は正面玄関から外に出て、柔らかい朝の陽射しを受けていた。
 医者のかたわらには、一〇歳ぐらいの小さな少女が立っている。
 打ち止めラストオーダーと呼ばれる少女だ。
 彼女は九月三〇日に木原数多きはらあまた率いる『猟犬部隊ハウンドドツグ』に連れ去られ、『学習装置テスタメント』という機材を使って脳内に特殊なデータを入力されていた。今まではそのデータの除去を行っていたのだが、その作業が終わったので退院する事になったのだ。
「せっかくの退院だというのに、だれも迎えに来ないとはね?」
 医者は呆れたように言ったが、打ち止めラストオーダーは大して気にしていないようで、
「ミサカは一人でもタクシーに乗れるもん、ってミサカはミサカは胸を張って宣言してみる」
「ま、頭の中のウィルスも完璧かんペきに駆除できたし、もう心配はないんだけどね。タクシー代は黄泉川よみかわさんの貸しにしておくから、ひとまずまっすぐ彼女のマンションへ向かうんだよ?」
 その時、ちょうど病院前のロータリーにタクシーがやってきた。
 カエル顔の医者が手を上げてタクシーを止め、荷物を抱えている打ち止めラストオーダーを後部座席へ乗せる。
 それを見守りながら、運転手は言った。
「お客さん、どちらまで?」
「第六学区の遊園地! ってミサカばミサ―――」
「第七学区のマンション『ファミリーサイド』の二号棟。忘れずにね?」
 打ち止めラストオーダーが言いかけた寝言を封じ、結局カエル顔の医者が面倒を見る羽目になった。
 運転手は苦笑しながら、
「了解しました」
「詳しい住所を教える必要はあるかい?」
「いいえ。この街は学生りようばかりでマンションは少ないですから。名前が分かればカーナビで検索もできますし」
 カエル顔の医者が車内から首を引っ込めると、後部ドアが自動で閉まった。窓に両手をつけて外を眺めている打ち止めラストオーダーを乗せて、タクシーば丁寧ていねいな挙動で病院の敷地しきちから出ていく。
 タクシーが消えると、彼ば仕事揚である病院へ戻った。清潔な通路を歩いていき、簡単なソファとテーブルだけが置かれた談話スペースに入ると、壁際かペぎわにあった自動販売機でコーヒーを買う。
 自販機は紙コップを使う方式のものだ。四角い金属製のボックスの中に『コーヒー』という液体が入っているのではなく、あらかじめ焙煎ばいせんされた豆を機材がすりつぶす所から自動で行われていく。そのため多少時間はかかるが、味と気分転換の効率はそこそこ良い。
 ふう、と医者ば息をいて、
(さて、と。次ば妹達シスターズの方の調整を終わらせて、一刻も早くここから出してあげないと―――)
 そう考えたカエル顔の医者の思考が、唐突に途切れた。

 ガキリ、と。
 彼の背中に、何者かが拳銃けんじゆうを押し付けたからだ。

 カエル顔の医者の動きが止まる。
 自分の真後ろから聞こえる浅い呼吸を耳にし、しばらく考えてから、医者は言った。
「アビニョンからはもう帰って来たのかい?」
「チッ。どこからそンな情報を仕入れてきやがった」
 声は聞き覚えのあるものだった。一方通行アクセラレータだ。
 右手で現代的なデザインのつえをついている一方通行アクセラレータだが、ここが病院の建物内であるためか、特に目立っている様子はない。そして左手の拳銃も、彼自身の体を使って他人の目に触れないように調整がされている。
 医者は両手を挙げたりはしない。
 後ろにいる患者のために、そういう目立つ行動はしないで、ささやくように言う。
「……また、随分ずいぶんなご挨拶あいきつだね?」
「情報が欲しい。電極の設計図だ」
 一方通行アクセラレータが言っているのは、彼の首にあるチョーカーの事だ。見た目はアクセサリだが、実は裏側には電極が仕込んであり、一方通行アクセラレータの脳波を別の電気信号に変換し、ミサカネットワークと呼ばれる特殊な電子通信もうへ限走的に接続させる機能を持つ。
 その電極を作った張本人であるカエル顔の医者は、表情を変えずに答えた。
「何で設計図が必要なんだい? チョーカーの調子が悪いなら僕が直してあげようか?」
「イイから設計図を出せ」
打ち止めラストオーダーが会いたがっていたよ。もう少し早く出て来てくれれば良かったのに」
だまれ。オマエの知った事じゃねェだろ」
「そうでもないさ。患者あのこが会いたがっていたからね。そいつをそろえるのが僕の仕事だ」
「チッ。……それが分かってるから、このタイミングまで待ってたンだよ。クソッたれが」
 本当に忌々いまいましそうに一方通行アクセラレータは言った。
 カエル顔の医者は白衣のポケットに手を入れ、そこからシャーペンのしんのケースのようなものを取り出した。USBメモリだ。医者はそれを握ったまま、片手を後ろへ回す。
「用意がイイな」
「だから言っただろう? 患者に必要なものを用意するのが僕の仕事だ」
 医者は稼働かどうを続ける自販機を眺めながら言った。
「とはいえ、そいつの中身を活用するのは難しいよ? 僕は必要な機材は全部自分で作ってしまうからね? 同じ電極を作るとなると、工作機械の作製から始めないといけない」
「……、」
 一方通行アクセラレータはそれを受け取ると、カエル顔の医者の背中から静かにはなれた。
 カエル顔の医者は振り返る。
 すでに、そこにはだれもいなかった。ベクトル変換能力を使って、すぐ近くにある階段へ飛び込んだのか、影すらも見当たらない。
「……、」
 医者はしばらく、誰もいない空間を眺めていた。
 ピー、という電子音が聞こえる。カエル顔の医者は自販機の取り出し口からコーヒーを取り出すと、苦い液体を一ロ含んだ。

     2

 海原光貴うなばらみつきは第七学区にあるマンションの一室にいた。
『ファミリーサイド』と呼ばれる集合住宅の二号棟だ。
 家庭用を想定しているのか、4LDKとかなり広い作りだ。しかし内装を見れば分かる通り、ここで生活していたのは一人だけだろう。誰もいなくなった室内を眺めているだけでも、それがうかがえる。ほかの住人も似たような感じだろうか。
 海原は携帯電話を使って土御門つちみかどと話をしながら、調ぺ物をする。
「……とりあえず、『人材派遣マネジメント』の部屋へ到着しました。今から捜索を始めます。情報を収めていそうなものは……パソコン、録画用のHDレコーダ、後はゲーム機なども記憶媒体きおくばいたいを内蔵していそうですね」
『わずかでも可能性があるものなら、片っ端から回収しろ。炊飯器とか洗濯機せんたくきのAI設定用メモリだって、分解すりゃ細かい情報を保存しておけるからな』
 面倒臭い事になりそうです、と海原うなばらつぶやいた。
「それにしても、『人材派遣マネジメント』はどんな『仕事』の手助けをしたんでしょうね?」
『それを今調べてる』
 土御門つちみかどはつまらなさそうに答えた。
『今から十数時間前に、「人材派遣マネジメント」の手で、何らかの犯罪集団が組織されちまった。元々面子メンツが足りない所を穴埋めする形でな。わざわざ金を払って外部から即戦力を手に入れた達中だ。近い内に必ず事件を起こす。そいつを調ぺて事前に止めるのがオレたちの仕事だ』
「わざわざ『グループ』が出張るほどの?」
『良いから手を動かせよ。愚痴ぐちりたくなるのは分かるが、「グループ」に回ってくる仕事なんざどれも同じだ。クソッたれ以外の何物でもない』
 了解、と海原は答えた。
 広い室内を歩き、パソコンや録画用のレコーダなどに、小さな付箋ふせんを張り付けていく。冷蔵庫や洗濯機せんたくきなどまで持ち運ぶつもりはない。とりあえず目印だけをつけておいて、後で『下部組織』にでも運ばせるのだ。
(まぁ、こんな所ですか)
 と、あらかたチェックを終えた海原は、そこで気になるものを見つけた。
 紙幣しへいだ。
「……、」
 腰ぐらいの高さの棚の上に、数枚の紙幣が置いてある。
 それ白体に不自然さはないが、財布などとは切りはなされているような印象を感じた。海原は少し部屋を調ぺて、クレジットカードや通帳などを見つけていく。
 部屋の中にある物の配置は、その人物の生活サイクルが密接にかかわってくる。しかし海原の見立てだと、この棚へ紙幣を置いておくのは不自然に思えた。財布から遠ざける事で、ほかの紙幣と混ざらないようにしている風にも受け取れるほどだ。
 海原は改めて紙幣を眺め、それから裏返して、電話越しの土御門に言った。
「土御門さん。ICチップの情報を読み取る装置はありますか?」
「何だって?」
「紙幣を五枚ほど発見しました。確か、学園都市の造幣局から発行されている日本円にはICチップが付随ふずいされていましたよね。こいつも調べてみた方が良さそうです」
『分かった、用意させる。……こっちはめぼしい情報はなかったな。デパートの清掃室は切り上げて、オレもそっちに向か―――』
 土御門の声は、最後まで聞こえなかった。

ボッ!! と。

 唐突に窓を突き破って飛んできたロケット弾が、部屋の真ん中で爆発したからだ。

 バタバタバタ! という複数の足音が玄関の方からひぴいてきた。
 濃いグレーの装甲服をまとった男たちは、トラップの有無を警戒しながらも迅速じんそくに室内へみ込んでいく。数は五人。一様に覆面ふくめんで顔を隠し、同じ装備で身を固める彼らに個性はない。
 言葉は交わさず、指先の合図で意志の疎通そつうを行い、彼らは二手に分かれて黒焦くろこげになった室内のチェックを行っていく。壁から外れて床に落ちたエアコンをまたぎ、うすい内壁が崩れて広々となった元4LDKの中を。
 白律消火機能が働かないどころか、一般的な火災報知機すらも作動していない。彼らが事前にセキュリティを切っていたのだ。
 彼らは言葉を交わさないため、カチャカチャという小さな金属音だけが妙に響く。
 銃器を構えて移動しているため、硬い装甲服とぶつかり合っているせいだ。
(まったく……)
 海原光貴うなばらみつきはそれらの様子を眺めてため息をく。彼はキッチンスペースの壁に背中を張り付け、爆破の衝撃しようげきで斜めになったドアの隙間すきまから観察していた。
 ロケット砲が窓を突き破ったのと同時に、海原はこの部屋へ飛び込んでいたのだ。
 彼はふところから黒曜石こくようせきでできたナイフを取り出しつつ、
(部屋ごと爆破して情報をつぶそうとするとは。『人材派遣マネジメント』の情報を手に入れられると困る人達が出迎えに来てくれたようです)
 ここは三階。
 音を立てないようゆっくり移動して、砕けた窓のそばへ寄る。そこから見ただけでも。地上にはざっと一五人ほど黒ずくめの男達がいた。おそらく見えない所にも大勢いるだろう。完璧かんぺきに囲まれてしまっている。
「……、」
 彼の使う分解魔術まじゆつ『トラウィスカルパンテクウトリのやり』は、金星の光を反射させ、その光を浴びせた物体を片っ端から分解していく、という極めて強力なものだ。
 しかしその反面、標的は一体ずつ設定していかなくてはならない。
 つまり、『どんな強力な敵でも一撃でほうむる』代わりに、『どんな弱い敵でも一人ずつ順番に攻撃しなくてはならない』のだ。
(向こうの装備は九ミリのサブマシンガンをメインに、同口径の軍用拳銃けんじゆう。この狭いスペースで乱射されれば。技術うんぬんとは関係なくはちの巣になりますね)
 そして何より、と海原は前置きして、
(まずいですね。こういう時に雑魚ざこがいっぱい出てくるというのは、とてもまずい)
 手段を選ばずに大勢の人間を一気に突っ込ませても、マンションの通路や扉などのスペースには限りがあるため、意味がない。渋滞を起こすように詰まってしまうのだ。
 突入班はできるだけ少なくし、むしろマンションの周囲に大量の人員をく事で、ターゲットが逃げる可能性をつぶしていく。仮に突入班が全滅した時は、次の突入班を再編成して突っ込ませるか、『とりあえず敵がロケット砲で死ななかった事は分かった』と判断し、今度はマンションごと爆破、倒壊とうかいさせる。
(……手慣れていますね。仮にここを出し抜いたとしても、包囲綱ほういもうを抜けられる訳ではない。まさに手詰まりですが……)
 海原光貴うなばらみつき黒曜石こくようせきのナイフを握り直す。
 いつの間にか、てのひらには汗がびっしょりとついていた。
(さて、どうしましよう?)

     3

「第七学区で火災発生。都合五件の通報から確認。該当する建物の自律消火機能を含むセキュリティが起動していないため、至急消火活動に当たってください」
 一般の通報から警備員アンチスキル風紀委員ジヤツジメントに連絡を繋ぐための緊急きんきゆう通信センターで、オペレーターの女性はモニタに表示された情報を関係機関に伝達していく。
「加えて、消防隊の現場検証に立ち会うため、警備員アンチスキルによる鑑識かんしきの出動も要請します。それから―――」
 オペレーターは通信ブースの壁に掛けてある火災時用のマニュアルシートを取ろうと、ほんの数秒だけモニタから目をばなした。
 その時、具体的な指示を待っている現場チームの方から、
『了解』
 という声が聞こえ、そのまま通信が終了してしまった。
「……あれ?」
 女性オペレーターは首をかしげる。
 モニタ上では、すでに必要な伝達はすべ完遂かんすいした事になっていた。

     4

 マンションの一室にロケット砲がち込まれてから一五分後。
 土御門元春つちみかどもとはる結標淡希むずじめあわきは、『ファミリーナイド一二号棟の一室にいた。
 消防隊や警備員アンチスキルはいない。建物の周囲には野次馬やじうまがちらほら見えたが、中に入ってくる者はいなかった。何しろ爆発だ。火災や倒壊に巻き込まれる危険を考慮こうりよしてまでやるような事ではないだろう。
 家庭用に作られたマンションだが、その部屋のほとんどが一人暮らしらしい。おまけに、マンションを利用するのは学生よりも教職員の方が圧倒的に多い。学園都市は『戦争』の準備で警傭員アンチスキルを駆り出し、そのしわ寄せでほかの教職員まで教材作りなどを手伝わされているため、祝日でも家を空けているようだった。
「ここか」
 元々は4LDKの高級マンションだったのだろうが、部屋の真ん中で爆発物でも吹き飛んだ
のか、家具も内壁も崩れて散らばっていた。おかげで今では部屋数が二つぐらいしかない。玄関のドアを入った所で、すでにバスルームが見えていた。
丁寧ていねいに証拠を消しているわね。読心系の能力者を運れて来ても駄目かもしれないわ」
 結標むすじめは黒ずんだ床を見ながらつぶやく。
 そこへ遅れて一方通行アクセラレータつえをついてやってきた。
「チッ。呼び出しがあったと思えば、また『上』からの残飯処理たのしいおしごとかよ」
 土御門つちみかど一方通行アクセラレータを見ないで言う。
「そっちの用事は済んだのか?」
「うるせエよ」
 一方通行アクセラレータは適当に一蹴いつしゆうして、周囲を見回した。
「ここか、海原うなばら馬鹿なかが消えたって場所は」
「そうだ。一応『人材派遣マネジメント』は生け捕りにして、下部組織の連中に護送車で運ばせているが、ヤツの口先だけの情報では信用度は低い。『情報はおれの頭の中だけだ』とか言って妙な駄々をこねられるのもアレだしな。裏付けのためのデータが欲しくて、海原をここへ回したんだが」
 土御門はつまらなさそうな口調で、
「その途中で第三者から襲撃しゆうげきを受けたらしい。この状況、『海原個人がねらわれた』のか『人材派遣マネジメントの情報が狙われた』のかはまだ分からないが、見た目の印象じゃ後者だな。海原からの事前の報告じゃパソコンやHDレコーダなんかがあったって話だが、ものの見事に消えてるし。AI搭載の家電製品も片っ端から奪われてる」
「一応、家電の中でも残っているものもあるみたいだけどね」
 結標が足で差しているのは、黒焦くろこげになった電子レンジだ。床の上に直接転がっている。
「おそらくAIを搭載していない製品なんでしょうね。情報を追加入力できないタイプのものは、そのまま捨て置いてあるのよ」
 部屋を調べてみると、他にも画面の砕けたテレビやアイロンなどもあった。しかし、やはりめぼしい物は片っ端から強奪されているらしい。
 一方通行アクセラレータは綿の飛び出したベッドに腰かけた。
 つまらなさそうに息をく。
「チッ、面倒臭エな。『人材派遣マネジメント』のクソ野郎の情報は分かンねエ。海原うなばらがどォなったかもつかめねェ。ったく、テメェの仕事ぐらいばテメェで処分してほしいモンだけどな」
 近くに転がっていた、こわれた電子レンジを軽く蹴飛けとばす。
 その拍子に合成樹脂製のドアが開き、中身が出てきた。
「……、あン?」
 紙幣しへいだ。
 黒いすすで汚れた五枚ほどの紙幣が、何故なぜか電子レンジの中に入っていたのだ。
「報告では、海原が気にしていたという話だけれど」
 腰をかがめて紙幣を拾い上げた結標むすじめが、小さく笑ってこう言った。
「紙幣の中には偽造防止用のICチップがあったはずだわ。何か書いてあるかもしれないわね。電子レンジの中に入れておけば、電波なんかをシャットアウトできる。仮に襲撃者しゆうげきしや側がそういうセンサーを持っていたとしても、これならごまかせたかもしれないわ」
「……あのクソ野郎が隠しておいたってのか?」
 一方通行アクセラレータが尋ねた時、はなれた所にいる土御門つちみかどが『ん?』と声を上げた。
 見ると、土御門の開けたクローゼットの中に、男の死体が詰め込まれていた。改めて確認してみると、男の右足のふくらはぎの辺りの皮膚ひふがごっそりとぎ取られている。
 土御門はポツリと言った。

「梅原の仕業しわざだな」
「足のそれは? 野郎の趣味しゆみか」
 その言葉に、結標は嫌そうな顔をした。彼女はかつて授業中の事故で足を負傷した事がある
のだ。その時のトラウマは今も消えていない。おかげで、能力を使う際はストレスを軽減させ
るため、低周波振動治療器ちりようきを利用しなければならないほどだ。
 土御門は首を横に振る。
「アイツは人間の皮膚を使って、一種の札を作る。お前たち魔術まじゆつを知らないから理屈の説明は省くが……ようは、他人とすり替わる事ができるスキルを持ってんだ」
 死体の足の傷を見ながら土御門は言う。
「海原の野郎は、こいつとそっくり入れ替わってる。今はここを襲撃したヤツらの中に混じって、機をうかがっているんだろう」
 つまり、と土御門は一拍置いて、
「あの変装野郎はまだ生きている。どこで笑っているかは知らないがな」

     5

 何やっているんだろう、と初春飾利ういはるかざりは首をかしげていた。
 前方では信号待ちっぽいタクシーがまっていて、そこでは一〇歳ぐらいの女の子が運転手と口論になっている。……というより、女の子の方が一方的にみついているように見える。
 近づくまでもなく、大きな声ば初春ういはるの耳まで届いていた。
「ここで降ろして降ろしてって言ってるのにどうしてミサカを放してくれないの!? ってミサカはミサカは腰に両手を当てほっぺたをふくらませて抗議してみる!!」
「いやでも、あのですね、目的地までの料金をすでにもらっている以上、途中下車は―――」
「その言い訳のすきにミサカは逃亡を図ってみる!! ってミサカはミサカは高速で車を降りて路地裏に駆け込んでみたり!!」
 小さな女の子は叫びながら、自転車も通れなさそうな細い路地へ入ってしまった。
 まいったな、と頭をいている運転手に、初春は近づいて行った。
「ん? おや、風紀委員ジヤツジメントの方ですか」
 運転手は初春の腕章を見てそう言った。
 風紀委員ジヤツジメントは学園都市の治安を守るための学生組織だ。その活動圏ば主に校内だが、一般の人にはあんまり区別はつかないらしい。
 初春はキョトンとした顔で、
「ええと、何かトラブルですか。あの子、お金を払わずに出て行っちゃったとか」
「逆ですよ逆」
 運転手は困り切った顔で、
「あの子の保護者のような方から事前に料金はいただいて、マンションまで送る事になっていたんですがね。ああして途中で降りちゃって、お釣りも返していませんし」
「はぁ。こういうのは乗り手の自由ですし、チップとして受け取っちゃって良いんじゃないですか?」
「タクシー料金は一二〇〇円。事前にお預かりした額は五〇〇〇円。チップで処理するには良心の痛む額ですよ」
 なんて心の優しい人だろう、と初春は心の中だけで思った。
 運転手は明らかに車の入って行けない路地に目をやり、
「……とはいえ、流石さすがに車を降りて追って行くのもね」
「私が捜してきましょうか?」
「はいはい、そうしてもらえると助かります。ちょっと待ってくださいね」
 運転手は車内の機材を使ってレシートを出力すると、それにお釣りを乗せて初春に手渡した。彼女が風紀委員ジヤツジメントの腕章をつけているので、特に金銭関係で警戒している様子はない。
「そいつを返してあげてください」
「分かりました」
 初春はスカートのポケットにそれらを収めると、一応タクシーの運転手と連絡先を交換してから、狭い路地に向かって歩き出した。
 陽の光の入らない、薄暗うすぐらい空間に向かって声をかける。
「ええと、名前なんだっけ? うーん、アホ毛ちゃーん!?」
「ミサカの識別名は打ち止めラストオーダーだもん!! ってミサカはミサ―――はっ!?」
とりあえず返事が来たので、初春ういはるはそちらに歩いて少女を捕獲した。

     6

 黒い煙が上がっていた。
 ガードレールに突っ込む形で、四角い護送車が停止している。ただし、前半分だけだ。車体
は強引に引き千切ちぎられていて、後ろ半分は道路の真ん中に転がっている。
 警備員アンチスキルのものと同型だが、所属が連う。『グループ』の下部組織が使っている護送車だった。
土御門つちみかどの命令で、とある重要参考人を秘密裏に運んでいたのだ。
「痛ぇ、くそ……」
 その断面から出てきたのは、大学生ぐらいの男。人材派遣マネジメントだ。手錠てじようを掛けられた両手を揺すりながらアスファルトへ降り立った彼は、自分の腹を見て顔をしかめた。銃弾をち込まれた所の傷が開き、乾き始めた赤黒いみに重なるように、再び赤い液体が広がり出しているのだ。
 それでも、彼は近くにいる少年を見つけると、柔和にゆうわな笑みを浮かべる。
「すまないな。ヘマしちまった」
「いや、こちらこそ」
 少年の顔には金属製のゴーグルがあった。いや、違う。目をおおうのではなく、土星の輪のように頭全体を覆っている。三六〇度にプラグがしてあり、無数のケーブルが腰の機械につなげてある。
 その異様なで立ちの少年に、人材派遣マネジメントは両手を差し出して、
「悪いが、こいつも切ってくんないか。これじゃ手当てもできないんだけど、カギを捜すのは手間だ。早くここから立ち去った方が良いだろうしな」
 分かった、と少年は言い、カードを通すように指をスッと移動さぜる。

 その途端に、人材派遣マネジメントの両手首がたたつぶされた。

「ア、ああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!?」
 のたうち回る人材派遺マネジメントは、激痛とおどろきに満ちた目で少年を見上げていた。それを見た少年は、さらに人材派遣マネジメントの急所をねらいながら、ろくに声色も変えないで簡単に告げた。
「残念だ」

     7

『グループ』は薄情はくじような組織だ。
 居場所のヒントのない海原うなばらについて、残る三人の結諭はひとまず『保留』だった。しかし、仮にヒントがあったとしても助けに行ったかどうかは分からない。自分の不始末ぐらいは自分で何とかしろ、というのが『グループ』の基本的な考え方なのだ。
 なので、
「『グループ』の下部組織から連絡だ。人材派遣マネジメントを乗せた護送車が襲撃しゆうげきされたらしい」
「皆殺しか?」
「いや。ご丁寧ていねいにターゲットの人材派遺マネジメント以外は気絶で済ませてやがる。どっちにしても、あいつから直接話を聞く線はなくなっちまったな」
だれがやったか、ヒントぐらい残されていないものかしら」
「だから、そいつがこの紙幣しへいだろうな」
 そんな訳で、ひとまずは五枚の紙幣だ。
 マンション『ファミリーサイド』の二号棟からはなれた『グループ』の三人は、ひとまず隠れ家の一つに戻って紙幣のICチップに収められた電子情報を調べる事にした。
「にしても、隠れ家っつーのが地下街の空き店舖だとはなァ。希望を持った脱サラ組がのぞきに来たらどうすンだよ」
「その時は出ていくさ。隠れ家などそこらじゅうにあるし、本来は彼らのための施設だからな」
 土御門つちみかどは適当に言って、紙幣を読み取るための機材を床に置いた。
 ノートパソコンにケーブルで接続されているのは、
「……何よそれ?」
 結標むずじめあきれたように言うと、土御門は小さく笑う。
 そこにあるのは、コンビニのレジの横にあるお財布ケータイ用のセンサーだった。
「だー……。面倒臭いから業者にたのんで読み取り機をそのまま持ってきた」
「別に何でも構わねェ」
 一方通行アクセラレータはバイプ椅子いすに座り、拳銃けんじゆうの手入れをしながら言った。
「さっさと始めろ」
「了解」
 土御門は簡単に言って、五枚の紙幣の中から一枚を選んで装置に通した。
 表示されたのはどこの国の言葉でもない。乱雑な数字だ。土御門がさらに画面を操作すると。ようやく意味のありそうな文章に変換されていく。
「いきなりヒットしたな」
 画面に表示された文字列を、土御門つちみかどは眼で追い掛ける。
「……『人材派遣マネジメント』の商品リストみたいだ。取り引きされたのはプロのスナイパーが一人。ついでにスナイパーの武器についても面倒を見ているらしい」
 二枚目の紙幣しへいを装置に通す。
「スナイパーの名前は砂皿級密すなざらちみつ。……偽名かどうかは不明。経歴や実力についても、書いてはあるが信用はできない。ただ、紹介料だけで七〇万って事は、結構な『目玉商品』なんだろう」
 三枚目の紙幣を装置に通す。
「こっちはスナイパーの武器だな。用意したのは……MSR-001。磁力狙撃砲そげきうほうか」
 土御門は苦い口調で言った。
「磁力ですって?」
「その名の通り、電磁石を使ってスチール製の弾丸を飛ばすスナイパーライフルだ。当然ながら学園都市製。レールガンよりも仕組みは簡単だな。弾丸の初速は秒速二九〇メートル。音速にやや届かない程度だ」  、
「……それって、意昧あるのかしら。普通の狙撃銃の方が性能良さそうに聞こえるけれど」
 しかし土御門は笑ってこう言った。
「単純な威力ならな。ただ、火薬を使わないから反動がない。スナイパーライフルにありがちな『プレ』がないし、超精密で繊細せんさいな照準装置を取り付ける事もできる。火薬を使うものの場合、発射時の反動に耐えられるように、ある程度の強度が必要だからな。それに……」
「それに?」
「火薬を使わないから音がない。こっそりやるには最適って訳だ」
 言いながら、土御門は四枚目の紙幣を装置に通す。
 しかし画面にはエラー表示しか出なかった。
 肝心のデータを読み取れない。
「チッ。ICチップが熱か衝撃しようげきにやられたか……。断片的なヘッダを見る限り、こいつにスナイパーを雇った、具体的な取り引き相手が書かれていそうなんだが」
 何度か装置を通したが、やはり紙幣の内容が表示される事はなかった。
 土御門はひとまずあきらめ、最後の五枚目を装置に通す。
 表示されたのはどこかの見取り図だった。
 重要な物以外は省かれた、簡略的な地図。中央には赤い点が表示されていて、その周囲にある建物のそはには数字が書き込まれていた。何階建てか、全長は何メートルか。そんな『上から見た地図』だけでは分からない情報だ。
 それを見て、土御門は笑った。
「狙撃の計画書だな。人材派遣マネジメントってのはこんなもんまで取り扱ってんのか」
「ハッ。大した雑貨屋じゃねエか」
「場所は、第七学区コンサートホール前広場……」
 結標むすじめ天井てんじようを見上げて、
「ちょうど、この上ね」
「コンサートホール前広場は、統括理事会の一人が講演をするために貸し切っている。おそらくそのVIPが狙撃そげき対象だろう。名前は親船最中おやふねもなか。向こうがどういうつもりで頭をぶち抜こうとしているかは知らないが、どうやら達中は大それた計画をくわわだてて親船を暗殺しようとしているらしい。こいつを止めりゃお仕事完了だな。……海原うなばらの方は、まぁ、あれだ。この仕事で一番『得点』の低かったヤツが罰ゲームで助けるって事にしとくか」
「はン。これから駆けつけてスナイパーと追いかけっこかよ? そンな面倒臭ェ事やってねェで、つまンねェ講演の方を中止させりゃイイじゃねェかよ」
 一方通行アクセラレータが本当に鬱陶うつとうしそうに言ったが、土御門つちみかどは首を横に振った。
「それは無理だろうな」
「あァ?」
「簡単だ。講漬はもう始まっちまってんだよ」

     8

 一方通行アクセラレータと土御門元春もとはるの二人は地下街を出て、真上にあるコンサートホール前広場の近くへやってきた。
 階段やエレベーターといったまっとうな移動方法ではなく、結標の能力である『座標移動ムーブポイント』を使ったものだ。あの能力、便利は便利なのだが、結標本人の移動が難しいという欠点がある。なので、当の結標だけが隠れ家に残り、紙幣しへいのICチップの解析を続ける事となった。
 祝日という事もあってか、広場には多くの学生がいた。統括理事会の野外講演など面白いものでもないはずなのに、ざっと見回しただけでも二、三〇〇人は集まっている。
 一方通行アクセラレータの位置から、VIPの親船最中までの距離きよりは一〇〇メートル前後。
 広場の中央には文化祭に使うような簡単な舞台が作られていて、その壇上だんしように初老の女性が立っている。その周囲には黒服の護衛が四人ほど控えていたが、
「やる気がねェな」
 一方通行アクセラレータは一言で切り捨てた。
「お好きな内臓をぶち抜いてくださいって全身でシャウトしてやがる。あのVIP様、服の厚みを見りゃ防弾装備がねェの丸分かりじゃねェか」
「言うなよ。そのためにオレたちが働いているんだ」
「同じ統括理事会でも、潮岸しおぎしの野郎は四六時中駆動鎧パワードスーツを着込ンでンのによ。襲撃しゆうげきが怖いンじゃなくて、備えてねェと不安になるらしい」
「それは極端すぎる例だな」
 横で言う土御門つちみかどの言葉に、一方通行アクセラレータはジロリととなりを見た。
 壇上だんじよう親船最中おやふねもなかあごで差して尋ねる。
「オマエ、アレの盾になる気はあンのか?」
「どういう意味だ」
おれにはねェっつってンだ。統括理事会だと。そンなモンはクソ野郎の集まりだ。わざわざ体ァ張って守るよォな対象かよ」
 一方通行アクセラレータはトマス=プラチナバーグという人物を知っている。親船と同じ統括理事会の一人だ。ろくに会話などした事もないが、家具のセンスを見るだけで、悪意もなく自然に他人を見下しているような人物なのはずぐに分かった。
「学園都市の上層部っていうのは、二種類ある」
 土御門はコンサートホール前広場の人混みに紛れながら、小さな声で言った。
「真っ先に死ぬぺきクソ野郎と、真面目まじめに働いているのにクソ野郎と同列視されている善人だ。大抵の場合、そういうヤツは世渡りが下手で貧乏くじばかり引かされるんだがな」
「……、」
 一方通行アクセラレータだまって土御門をにらみつけた。
 わあ、という拍手や歓声が辺ウを包み込んでいる。
「親船最中は学園都市の子供達に選挙権を与えようと訴えているらしい。この街の住民の大半は未成年で、選挙権はないからな。オトナが上から決めた政策に文句を言えない。明日から消費税を三〇%に増税しますと言われても、反論する場が用意されてない。だからそいつを与えてやりたいんだと。ハハッ、分かりやすい『目の上のたんこぶ』だろう?」
 土御門の口調は軽い。
「仮に子供達の選挙権が認められたら、『戦争』だって止められるかもな」
馬鹿ばかじゃねェのか、そンなにあっさり進むかよ。平和的だが現実的じゃねェな。暴力って言葉をまるで理解してねェ」
「人種や男女の壁も、最初はそうだった。そういう間題が解決したのは、特別な有力者が一人で全部片付けたっていうだけじゃない。もちろん多くの人間を導いたヤツの功績は大きいが、何より『自分には力がない』と勝手に思い込んでるヤツらの意識が変わって、大勢が動いたからこそ、歴史はきちんと変わったんだ」
 土御門の言葉に、一方通行アクセラレータは改めて広場を見た。
 休日にもかかわらず、多くの子供達が集まっている広場を。
 土御門つちみかどは小さく笑ってこう言った。
「お前がどう思っているかは知らないが、オレは親船最中おやふねもなかには守るだけの価値があると考えている。だから命をける。ついて来いとは言わないが、止められる覚えもないな」
 チッ、と一方通行アクセラレータは舌打ちした。
 つえをついて、一歩先へ進みながら、
「面倒臭エ。さっさと狙撃手そげきしゆのクソ野郎をたたつぶすぞ」

     9

 一方通行アクセラレータと土御門が立っているのは親船最中のいる壇上だんじようから一〇〇メートルほどはなれた場所だ。本来はもっと近寄るべきだろうが、人混みで身動きが取れなくなる可能性を考慮こうりよすると、それは良い策とは言目えない。
 携帯電話のGPS地図を使って、位置情報を確かめる。
「狙撃可能地点はおよそ三二ヶ所。だが、壇上の舞台のバックにはステンレス製のボードがあるから、実際には後方一八〇度は死角になっちまってる。つまり」
「正面一八〇度に属する一五ヶ所だな。一つ一つ潰しちまえぱスナイパーを押さえられンだろォけどよ」
「……すでに狙撃態勢に入った砂皿緻密すなざらちみつがのんびり待っているとは限らない」
 言いながら、土御門は周囲を見回した。
 彼が見ているのは、壇上で柔和にゆうわな笑みを浮かべる親船や、その声を聞いて拍手をしている子供たちではない。広場から少し離れた所に、特殊車両がまっているのを確認する。クレーン車のような台車の上に、巨大な扇風機に似た機材が取り付けられたものだ。
「一応、スナイパー除けに『妨害気流ウインドデイフエンス』を張ってあるみたいだな」
「あン?」
「狙撃は風の影響えいきようを受けやすいってのは知ってるだろ。あれはVIPの周囲にわざと突風を発生させて、ねらいをらさせる装置だ。坊そらく四台ぐらい使って、会場を取り囲むように風の渦を作ってんだろう。第三世代だから、乱数を利用してランダムな気流を生んでるはずだぞ」
 土御門はそう言ったが、一方通行アクセラレータは別のものに気を取られていたらしい。
 彼は顔を横に向け、混雑の端の方へ目をやると、いきなり、バッ! と群衆の陰に隠れた。
 土御門がそちらを見ると少し離れた場所で、一〇歳ぐらいの少女と頭にたくさんの花飾りをつけた女子中学生が、手をつないで歩いている。
「だからミサカは迷子を捜しているの、ってミサカはミサカは行動指針を発表してみたり」
「はぁ、あの、ええと、迷子?」
「良く分かんないけどこの辺にいると思うの、ってミサカはミサカは予測を述べてみる。なんか頭の辺りがビビッとくるの、ってミサカはミサカは感覚的な補足情報も加えてみたり」
「はー……やっぱりとんでもないアホ毛ですねー」
 これはアホ毛じゃないもん!! という叫び声を聞いて、一方通行アクセラレータは思わず額に手をやった。
「(……何でこの局面であのガキが出てくるンだ!! 神様って野郎はふざけてンのか!!)」
「(……ハハッ、人生なんてそんなもんだ)」
 土御門つちみかどは適当に言ったが。群衆の中にメイド服の少女が混ざっている事に気づくと、こちらも一緒いつしよに頭を抱える。
 流れ弾が変な所へ飛ばないように気をつけようぜ、と珍しく二人は意見を一致させつつ、
「本命からねらいを外すための『妨害気流ウインドデイフエンス』があるってのが複雑だよな……」
「あの車体。側面には空気清浄車って書いてあるけどよ」
「別に聞違いじゃない。学校の職員室にある喫煙者用の空気清浄機と使っている理諭は同じだからな。ナイズは全く別物だが」
 土御門は得意そうに言ったが、一方通行アクセラレータの目は冷めていた。
 彼は言う。
「……そりゃ結構な話だが、ありゃ動いてねェぞ」
「はあ!?」
 ギョッとした土御門が慌てて確認すると、確かに大型の台車に乗った巨大扇風機のファンは

ピタリと停止している。
「さっきまでは稼働かどうしていたはずだぞ……」
 まさか重要なVIP警護で動作不良なのだろうか。
 そう思った土御門つちみかどの耳に、ベコンという妙な音が、周囲の雑音に紛れるようにひびいてきた。
 金属製のなべがへこむような音だ。
「―――、」
 一方通行アクセラレータと土御門は、同時に音のした方を見る。
 別の場所に停車していた『妨害気流ウインドデイフエンス』の特殊車両があった。やはりそちらの巨大扇風機も作動していない。そして、扇風機を取り囲む筒状の外壁に、親指ほどの穴が空いていた。
「やりやがったな。―――砂皿緻密すなざらちみつだ」
 一方通行アクセラレータが言った。
「野郎……。邪魔じやまな『妨害気流ウインドデイフエンス』をつぶしてから、ガードの消えた親船おやふねねらちしよォとしてやがる!!」
「くそっ!!」
 土御門は舌打ちすると、人混みの中を突っ込んで親船へ近づこラとした。しかし人が多すぎるせいか、思ったようには進めないらしい。その間にもベコン、ベコン、と金属を打つような音が連続した。一方通行アクセラレータからでは見えないが、おそらくほかの位置にある『妨害気流ウインドデイフエンス』の装置を片っ端から潰しているのだろう。
(チッ。磁力狙撃砲そげきほうはなまじ火薬を使わねェから、装置が狙撃されてる事すらだれも気づいてねェってのか!)
 もう人工的な突風のガードは存在しない。
 土御門は親船最中もなかに危機を伝えようとしているらしいが、間に合うとは思えない。
「ったく」
 壇上だんじようの親船最中の演説は続く。周囲にいる護衛たちも危機を知らずに突っ立っている。
 このままではチェックメイトだ。
「面倒臭ェ!!」

     10

 スナイパー、砂皿緻密は磁力狙撃砲を構えていた。
 彼がいるのはホテルの一室だ。チェックインはしておらず、電子ロックを勝手に解除して侵入した。窓ガラスはセキュリティを潰した上で四角く切り抜いてあり、そこから磁力狙撃砲の銃口を伸はしている。
 磁力狙撃砲―――と言うが、そのフォルムは既存の銃とは大きく異なり、人間の足首ぐらいの太さの金属筒に、はがねの箱をゴチャゴチャと取り付けたようなものだった。三脚に支えられたこの銃身が強力なソレノイドコイルになっている。
 砂皿すなざらかたわらにはスーツケースがあった。一つは分解した磁力狙撃砲そげきほうを収めておくためのもので、もう一つは磁力狙撃砲のための巨大バッテリーだ。
「……、」
 距離きよりはおよそ七〇〇メートル。
 障害となる『妨害気流ウインドデイフエンス』の装置もすべ破壊はかいした。
 遠くはなれた壇上だんじようにいる親船最中おやふねもなかは、スコープを通して見ると、抱きめられそうなほど間近に感じられる。
 当たる。
 砂皿緻密ちみつは自然にそう思い、そしてリラックスした様子で引き金を引いた。
 その時だった。

 ゴバッ!! と。
 唐突に、コンナートホール前広場の一角が爆発し、火の手と黒い煙が上がってきた。

 爆風のあおりを受けたターゲットが、思わず身をかがめる。彼女のイレギュラーな動作のせいで、砂皿の弾丸は親船最中に当たらなかった。
「何だ……?」
 あまりのタイミングの良さに、砂皿はまゆをひそめた。そうこうしている間にも、親船の周りにいた護衛の大男たちは、ターゲットを取り囲むようにしながら壇上を下りていく。
 彼には仕事がある。
 続けて引き金を引いたが、スチール製の弾丸は親船に寄り添う護衛の一人に着弾した。派手に体がぎ倒されたが、出血がない所を見ると『盾』となるために防弾装備をほどこしているらしい。
 護衛の配置が変更される。親船の体が、屈強な男達の陰へ完全に隠れてしまう。
「ひとまずは、潮時か」
 長距離狙撃は繊細せんさいだ。仮に音速で進む弾丸を使って七〇〇メートルから狙撃を行った場合、弾が出てから標的に当たるまで、実に二秒近い時間がかかる。無警戒で立ち止まっている人物ならともかく、複数の護衛に守られながら現在進行形で逃げ続ける標的の急所を的確にち抜くのは難しい。
 砂皿緻密は少し考え、今回は素直に退く事にした。
「それにしても、何が爆発した」
 スコープを使って確認してみると、黒煙をあげているのは『妨害気流ウインドデイフエンス』用の特殊軍両だった。砂皿すなざらの表情がますます怪訝けげんなものになる。確かに機能を停止させるために銃弾を浴びせたが、爆発するような場所に当てたつもりはない。
「……、」
 その時、砂皿はわずかに息を止めた。
 炎上する特殊車両のすぐ近く。現場にいながらさりげなく風景に溶け込んでいる白い髪の人物が、こちらをぐ見据えていた。つえをつき、炎と煙を背にして。
「なるほど」
 砂皿はスコープから目をはなすと、速やかに磁力狙撃砲そげきほうの分解に入る。部品の一つ一つをスーツケースに収めながら、彼はポツリとつぶやいた。
「その顔は覚えておこう」

     11

 土御門元春つちみかどもとはるがホテルの一室にみ込むと、すでにそこにはだれもいなかった。
 ただ、窓の一角が不自然に四角く切り取られているだけだった。
「チッ」
 土御門は携帯電話を取り出し、一方通行アクセラレータと連絡を取る。
「回収には失敗した。ただ、砂皿がここで逃げたって事は、続けて狙撃が行われる可能性は低いな。一応親船おやふねの講演は中止にさせて、警備態勢を組み直した上で移送させてくれ」
『こっちは結標むすじめから伝言だ』
 電話の向こうで一方通行アクセラレータは言った。
『読み取れなくなっていた四枚目の紙幣しへいのICチップが読めたらしい。中身は予想通り、スナイパー、砂皿緻密ちみつを雇った達中の名簿めいぼだとさ』
「誰だそいつは?」
 土御門が尋ねると、一方通行アクセラレータ鬱陶うつとうしそうな声で答える。
『―――「スクール」』
「何だと?」
俺達おれたちの「グループ」と同じ……学園都市の裏にひそンでる組織だとよ』

   行間 一

 昼時のオープンカフェに、その男はたたずんでいた。
 客で埋め尽くされたテーブルには様々な料理が並んでいるが、その男のテーブルだけは何もない。大量のコピー用紙が乱雑に置いてあるだけで、コーヒーの一杯すら見当たらなかった。
 男は羽織っている白衣のポケットに両手を突っ込んだまま、テーブルに広げられたコピー用
紙を眺めていた。何十枚という紙束に印刷されているのは、『書庫バンク』にある、能力者たちのAIM拡散力場のデータだ。
 男の向かいの席に座っている赤いセーラー服の少女は、怪訝けげんな目をしていた。
「それを見て何が分かるというの?」
「色々だ」
 男は顔を上げずに答えた。
「魔術師である君は知らないかもしれないが、こいつには色んな情報が記されている。単に能力者から微弱にれるカというだけではない。この現実に対する無意識の干渉……その千差万別なカの種類や強さを調ぺる事で、能力者の心を探る事もできる」
「無意識の、千渉……?」
 少女は実感が持てない感じでつぶやいた。
「AIM拡散力場は解析を進めれば、その人物の持つ『自分だけの現実パーソナルリアリテイ』の輪郭を浮き彫りにさせ、その人格や行動傾向を調査する上での資料となる。心理学のプロファイルなどより、よほど即物的で分かりやすいパラメータだと思うがね」
 男の座っている椅子いすかたわらには、銀色のけものが控えている。
 チタン合金と合成樹脂で作られた四足歩行の獣だ。基本フォルムはネコ科の肉食獣にくしよくじゆうに近いが、象のように不自然に鼻が長い。金属製の獣は盲導犬ロボット用の歩行プログラムを導入しているため、おどろくほど柔軟に入間社会へ溶け込んでいる。
 その獣の口が開いた。
『博士』
 合成とは思えない、抑揚に富んだ少年の声だった。
『「グループ」と「スクール」に動きがあったようです』
 博士と呼はれた男はギョロリと眼球を動かして、機械製の獣を見る。
 この会話機能はロボットのAIによるものではない。無線ネットワークを介して、別の場所にいる人物が話をしているだけだ。要は、電話を少し複雑にしたものと思えは良い。
「接触したか」
『いいえ。「グループ」側は捕捉ほそくに失敗した模様です。現状では「スクール」の影をつかみ切れるかどうか』
 ふむ、と博士は一度だけ息をくと、
「いずれにしても、他の連中も動き出すだろう」
 彼らは学園都市統括理事長、アレイスターの直轄ちよつかつ部隊。
 善悪関係なく、あの『人間』の手足として動く。それだけを期待された小組織だ。
「元々、私達のような組織は複雑な行動理由を持っているが、様々な力によって上から押さえつけられ、制御されていた。ところが『〇九三〇』事件を契機に発生した暴動のために、駆動鎧パワードスーツの大半がアビニョンの後始末に駆り出されてしまった。あの部隊は『電話』の人間にとって使い勝手の良い手足だ。そいつを自由に使えないのだから、これは大きなチャンスというヤツだ」
 博士はゆっくりとした調子で言う。
「そろそろ頃合ころあい、ですかね」
 ふと、赤いセーラー服の少女の真後ろからそんな声が聞こえた。
 今までだれもいなかったはずなのに、そこには何者かが立っている。全体的に大きくふくらんだダウンジャケットを羽織った少年だ。
 まるで、何もない空間から直接出てきたような感じだった。
「そうだな」
 けものの頭に手をやり、軽くでながら博士は気だるそうに言った。少年の出現におどろいている様子もない。向かいの席にいる少女はそんなやり取りを興味なさそうに眺めている。
 少女は不審そうな表情で尋ねた。
何故なぜ『連中』の動きが正確に分かる? 上からの情報が間違っているかもしれないのに」
「それを可能とする枝術を、上層部は握っているという訳だ」
 と、獣を撫でる博士の手が止まる。
 博士が眺めているのは、このオープンカフエとは車道を挟んだ向かいの歩道だ。そこを、俗に言うメイド服と呼はれるものを着込んだ少女が通行していた。しかし博士が見ているのは少女ではない。メイド服を着た少女は、ドラム缶型の清掃用ロボットに正座していた。そのロボットが、実にスムーズに進んでいくのを眺めていたのだ。
 博士は素直にうなずいた。
 彼は真剣に感心していた。
「そのアイディアは浮かはなかった」
『博士。妙な事を考えるのはやめてください』

第二章 ゆっくりと動き出した者達 Hikoboshi_Ⅱ.

     1

 部下の運転手が回してきたキャンビングカーの中に、一方通行アクセラレータ土御門元春つちむかどもとはる結標淡希むすじめあわきの三人は乗り込んでいた。
 時間は昼時。
 ボルトで床に固定された小さなテーブルには、ファーストフード系の食ぺ物が並んでいた。
 一方通行アクセラレータ辛口からくちのフライドチキンを、土御門は巨大なハンバーガーを、それぞれ勝手に買ってきて食べている。昼飯一つにしても意気投合しない面子メンツだった。
 一方、地中海にある産地直送プランドの高級サラダを口にしていた結標淡希はそれらを眺めながら、
「……早死にするわね、貴方達あなたたち
「にゃー。緑黄色野莱だけってのもヘルシーすぎねーかにゃー。肉も野菜も適度に食ぺてこそ健康体を維持できるのですよ? 肉も野菜もかたより過ぎは良くないぜい」
「ハッ。つか肉を食って死ぬってのは幸せじゃねェの? 最期さいごまで好きな事やって死ねるっつーンだからよ」
 一方通行アクセラレータは親指についた油を舌でめ取りながら、結標に言う。
「で、『スクール』って連中について何か分かったのかよ」
「『書庫バンク』にアクセスしてはみたけど、名前以外は何も。機密レベルは私達と同じようね。『グループ』『スクール』それしか記載されていないわ」
 ただ、と結標は言葉を切って、
「……調べてみると、ほかにもそれらしい組織名が複数出てきたわ」
「二つだけじゃないのか」
 土御門はハンバーガーにかぶりつき、反対側から肉がはみ出るのを慌てて押さえる。
「『グループ』『スクール』『アイテム』『メンバー』『ブロック』……分かっているだけでも五つはあるわね。実態は不明だけれど、おそらく私達と同じ―――少数の人員を寄せ集めて作られた非公式部隊って感じじゃないかしら」
 結標は指折り数えながら、
親船最中おやふねもなか狙撃そげぎくわだてたのは『スクール』。なら、人材派遣マネジメントのマンションを爆破したり、護送車を襲撃しゆうげきしたのもこいつらなのかしら? 海原光貴うなばらみつきもそこにもぐり込んでいるとか」
「さあな。ただ、『スクール』でスバイ活動をしているならサインぐらいは出してほしいもんだ。敵だと思ってうっかりつぶしてしまうかもしれないし」
 一方通行アクセラレータは缶コーヒーに口をつけながら、土御門つちみかど結標むすじめの話を聞いていた。
 ……それにしても、その『スクール』とやらは、どうして親船最中おやふねもなかを暗殺しようとしたのだろうか?

     2

 やりたい放題だな、と浜面仕上はまづらしあげは思った。
 今は昼時、ここは第七学区のファミレスだ。しかしテーブル席を陣取っている麦野沈利むぎのしずりという女は外で買ってきたコンビニ弁当を正々堂々と食べている。端でビクビクしている小柄なウェイトレスが、あまりにも不憫ふびんだ。
「あれ? 今日のシャケ弁と昨日のシャケ弁はなんか違う気がするけど。あれー?」
 店内なのに、秋物らしい明るい色の半袖はんそでコートを着込んだこの女は、ストッキングにおおわれた足を組み直しながら、窓際まどぎわでそんな事をつぶやいては首をかしげている。変わんねえよ、と浜面は心の中だけで突っ込んだ。
 同じテーブルに座っている達中はどいつもこいつも変人はかりだ。
「結局さ、サバの缶詰がキてる訳よ。カレーね、カレーが最高」
 麦野の隣にいるフレンダという金髪碧眼へきがんの女子高生はそんな事を言って缶詰をいじり回していたが、缶切りが上手に使えないのか、何かビニールテープのようなものを缶詰にぐるりと貼り付けると、電気信管を取りつけて爆薬で焼き切った。本来はドアをこじ開けるためのツールだったと思う。
 一方、フレンダの向かいに座っている絹旗最愛きぬはたさいあいという、ふわふわしたニットのワンピースを着た、一二歳ぐらいの大人しそうな少女は、そうした変人たちの行動を一切気に留めず(良識があるとか心が広いとかではなく、そういう種類の変入なのだ)、映画のパンフレットに目を通しながら、
「香港赤龍電影カンパニーが送るC級ウルトラ問題作……様々な意味で手に汗握りそうで、逆に超気になります。要チェック、と。滝壺たきつぼさんはどう思いますか」
 話を振られたのは、絹旗の隣にいる滝壺理后りこうという脱力系の少女。彼女は食事に手を着けず、ソファ状の席にだらっと手足を投げ出したまま、どことも取れない所へ視線をさまよわせ、
「……南南西から信号がきてる……」
 ―――彼女達は『アイテム』。
 学園都市の非公式組織で、主な業務は統括理事会を含む『上層部』暴走の阻止。たった四人でこの街を、ひいては科学サイドを左右させる面子メンツでもある。『グループ』や『スクール』などと同等の機密レベルで扱われる集団だ。
 浜面仕上はまずらしあげは『アイテム』の正規メンバーではない。
 その下部組織の所属で、雑用や運転手などを任されている。
 以前は路地裏の無能力者レベル0が作る武装組織『スキルアウト』のリーダーを一時的に任されていたのだが、そこでの作戦が失敗し、組織が壊滅的かいめつてきなダメージをこうむった事で、人の上に立つ生活は終止符を打たれた。今では学園都市の暗部で下働きをする毎日である。
(……にしても)
 浜面には、ここに配属されてから常々悩んでいる事がある。
(女ばっかりの中に一人だけ男がいるってのは、何とも居心地が悪いな)
 テーブルは六人掛けで、浜面は一番通路に近い所に座らされていた。彼にあてがわれた役目はドリンクバーを往復する係である。
「んでね」
 一通リシャケ弁当を食べ終えた麦野沈利むぎのしずりはそんな風に話を切り出した。
「昼前に統括理事会の一人、親船最中おやふねもなか狙撃そげきされかけた事件があったよね。あれについて、そろそろこっちも動きたい訳なんだけど」
「つか、結局その情報、私は持ってないよ」
 フレンダが簡単に言うと、麦野は『む?』と少し動きを止める。
 そして半袖はんそでコートの女は浜面に目をやった。
「浜面。全員のケータイに事件の詳細を転送」
 へいへい、と浜面は適当に答える。
 指図される事に文句は言わない。それが今の彼の仕事なのだ。浜面は自分の携帯電話を取り出すと、そこに保存されていたデータを、麦野を除く残り三人にまとめて送信する。
「ふむふむ」
『アイテム』の全員が自分の携帯電話で情報を確認する。

 すると、画面に出てきたのはネットで落としたエロ動画だった。

 その瞬間しゆんかん、『アイテム』の四人はバシンと携帯電話を畳んだ。彼女たち軽蔑けいべつ眼差まなざしと共に心の扉をガシャンと閉めると、しっかりと心の戸締とじまりをし、さらには心の地下エレベーターを下って、心の核シェルターへの退灘たいひを完了させた。
「違っ、待て!! やり直させろ! これは何かの間違いなんだッッッ!!」
 かつては一〇〇人以上のスキルアウトを束ねた不良のりーダー、浜面仕上は腹に力を込めて大声で弁解する。
 しかし『アイテム』の四人は、

浜面はまづら……」
「結局、浜面ってキモいんだけど」
「浜面的にはバニーさんが超ヒットだったんですか」
大丈夫だいじようぶだよ、はまづら。私はそんなはまづらを応援してる」
 温かい言葉を受けて小刻みにふるえる浜面は、今度こそ親船最中狙撃未遂おやふねもなかそげきみすい事件の情報を全員に転送する。
 すると、絹旗きぬはたあきれたような声を出した。
「ああ、『スクール』の違中が超計画していたあれですね。確か、あそこに所属していた暗殺用のスナイパーは三日ほど前にこちらで超始末したはずですけど」
「新しく雇ったんだろね。ま、つまりこっちの『警告』は無視されたって訳かな」
「緒局、あの時も『何で親船最中なのか』って事で論議してなかった?」
 フレンダはサバの缶詰の中身をフォークで刺しながら言った。
「親船って統括理事会の一人だけど、結局役立たずじゃん。影響力えいきようりよくほとんどないし、殺すだけの価値がない。なのに……」
「『スクール』は、わざわざ失ったスナイパーを補充、私たちの『警告』を無視してまで、親船の暗殺に取り掛かった」
 滝壺たきつぼがぼんやりした声でフレンダの言葉に続いた。
 麦野むぎのは軽い調子でうなずく。
親船最中おやふねもなかには殺すだけの価値はない。そして目をつけられるリスクを負ってでも、『スクール』は予定を無理に合わせて狙撃そげきを決行した。それは何故なぜでしょ。―――ハイ浜面ぼまづら君!」
 言われた浜面はビクゥ!! と肩を震わせる。
(はぁ!? 何だその『今から面白い事言って』的な話の振り方は!? こっ、この局面でおれに注目するんじゃねえ!!)
「え、ええとだな!! ちょっと待てのどまで出かかってるからあと少しで分かるんだ!!」
 と、勢いだけは良いのだが結局何も言えない浜面。
 それに村して『アイテム』の四入は、
「いやー、浜面……」
「結局、そのうろたえ方がキモいんだって」
「キモいと言っても超種類があるんですけど、浜面のは最悪のキモさですね」
「大丈夫だよ、はまづら。私はそんなキモいと呼はれ続けるはまづらを応援してる」
 失望したため息をつく少女たち無能力者レペル0の浜面は床にかがみ込んで動かなくなった。
 無視して麦野は三目った。
「ま、さっきも言ったけど、親船最中ってのは暗殺するだけの価値がない。それぐらい表裏が
ないんだよね。にもかかわらず『スクール』は親船をターゲットに選んだ。これってさ。親船に価値がないからこそ、親船が選ばれたって事じゃないのかな」
「価値がないからこそ? 超意味が分かりませんが」
「だからあれよ。『スクール』はだれでも良かったんじゃないかな。とにかくさわぎを起こせれば構わないから、とりあえずできるだけ『死んでも影響えいきようの少なそーなVIP』……つまり『最も警備の手薄てうすなVIP』が選ばれたって訳」
 麦野は楽しそうな声で、
ほかのVIP……まぁ統括理事会だけで考えても、ここ数日内に野外で講演をするような人間
は他にいなかった訳だし。潮岸しおきしの野郎なんて四六時中駆動鎧パワードスーツを着込んでいるんでしょ。そんな相手に狙撃が成功する訳ないんだから、『もっとねらいやすい相手』が選択されたんだって思うんだけど。正直、親船最中はかなり手薄だしねー」
「……緒局、かわいそうな親船」
「それが仮に正しいとするなら、『スクール』は何を求めてたのか。私はここで『VIP用安全保障体制』を提唱したい」
 麦野は半袖はんそでコートの上からでも分かる胸を張って言った。
「一二人の統括理事会を始めとして、学園都市にはいくつかVIP認定された人員・組織が存在する。こいつらは普通とは違う警備で守られてるし、命の危機に見舞われれは様々な部署から召集がかけられる。救急車の移動用に道路が封鎖ふうさされたり、手術のために各業界の大物が病院に集められたりってね」
 つまり、と麦野むぎのは言葉を切って、
「VIPが暗殺されかけたら、どうなると思う?」
「治療先の施設を守るために、よその人員が呼ばれますし、特殊な研究者や機材なんかも、必要なものは片っ端からかき集められます。ははん、その混乱に乗じて『スクール』は何かをしでかそうって訳ですか」
 つまんない手ですね、と絹旗きぬはたは付け足す。
 確かに『すき』を作るぐらいはできるが、決定力に欠ける方法だ。警備の厳重な第二三学区や『窓のないビル』などには大した効果はないだろう。元々『襲撃しゆうげきを仕掛けられる可能性のある施設』から、『その可能性をり上げる』程度の成果が限界だ。
「保険、かもしれないね。『スクール』の違中なら、本気になれは力技で大抵の施設は突破できるだろうし」
 ただし、と麦野は付け加えて、
「連中はその保険を実行するために、つぶされたスナイパーを急渡きゆうきよ補充したり、親船最中おやふねもなかの暗殺をくわだてたりした。かなり神経質に調整しているみたいだね」
「となると、結局親船は単なる『保険の一つ』で、『スクール』はこれから本命の『どこか』または『だれか』をおそう予定だと?」
「だね」
 麦野はあっさりうなずいた。
 ここで浜面はまづらが恐る恐る声をかける。
「……あれ? って事は、親船暗殺は『未遂みすい』で終わって正解なのか?」
「どっちでも良いんじゃない? 仮に親船が死んでいたとしても、今度は心肺蘇生そせいだ検視だ解剖だってので多くの人員がかれるんだし。曲がりなりにも統括理事会、一二人しかいない最高のVIPだからね。学園都市の得体えたいの知れない技術を総動員して対処するはずだよ」
 うえ、と浜面は嫌そうな顔をした。
 麦野は構わず、しれっとした表情で続ける。
「親船最中暗殺未遂によって、警備が手薄てうすになった施設をチェックする。……いや、これだけじゃ甘いかな。親船暗殺が『成功』した場合の変更点もチェック。『スクール』はスナイパーの狙撃そげきが『成功』しても『失敗』しても、そのどちらでも動ける状況を作っていたはずだから、その両方のパターンで合致する『警備の手薄になる施設』があるはず。おそらく次に『スクール』が現れるのはそこって訳」
 勢い良く席を立つ麦野沈利しずり
 彼女は浜面の方など見もしないで、口だけで伝達する。
「浜面、車を探して来てちょうだい。すぐに出る事になりそだし」
 その偉そうな物言いに、浜面はまづらはイラッとしたが、反論などできるはずがない。
 ここではただの下働きなのだ。
「くそっ。おれは一〇〇人以上のスキルアウトを束ねていた組織のリーダーなんだぞ……」
 それでも、思わず独り言のように言葉がれたが、
「そうね。だから何?」
(……ちくしょう)
 今度は心の中だけでき捨て、浜面は先にファミレスを出て車を探す事にした。

     3

 海原光貴うなばらみつきは第一〇学区の雑居ビルにいた。
 空きテナントの多いビルで、ここもそんなもらい手のいない部屋の一つだった。窓のすぐ向こうに学園都市唯一の少年院があるのも関係しているかもしれない。
 狭い部屋には武装した男たちが十数人と―――それらとは一線を画したボスクラスの面子メンツが四人ほどたたずんでいる。下手に放置されたビジネスデスクの上には、彼らが持ち込んだ銃器やノートパソコン、変装用の小道具、ハンドクリームなどが乱雑に置かれている。
(……しかし、参りましたね)
 今現在の彼は、『海原光貴』ではない。
 襲撃看しゆうげきしやの一人を撃退し、その人物の顔を新たに『借りている』状態なのだが、
(あんなに弱いのが、組織の中枢をになっていたとは……)
 適当に雑魚ざこの一人に変装して、頃合ころあいを見計らってパシリでも買って出て、集団の輪からこっそり外れ、そのまま逃走してしまおう……そんな風に考えていたのだが、どうやら海原が倒してしまったのは組織の中でもボスクラスの人物だったらしい。
 こうなると、こっそり輪から外れるのは難しい。何をやっても目立つ、というか、どこへ移動しても組織の輪の方が自分を囲むように、一緒いつしよに移動してきてしまうのだ。
 そんなこんなで、タイミングを失ったまま第七学区から第一〇学区まで移動してしまった海原なのだが……。
「どうした、山手やまて
 ふと横から声をかけられた。
 そちらには長身の女性が立っている。細身ではあるが、全身を硬い筋肉でおおわれた女性だ。引きまっている、というより、もはや彫刻のように見える。一目で裏稼業うらかぎようの人間と分かるが、話を聞くとどうも表向きは警備員アンチスキルとしての顔もあるらしく、本部の中にもぐり込んでいるようだ。
 そんな事を考えながら、海原は筋肉質の女性が放った言葉について思い返す。
 山手。
 それが今の自分の名前らしい。
「何でもねえよ」
「しっかりしろよ。君の力が、計画の成否を、握っているんだから」
 彼女の話し方は一言二言を丁寧ていねいに区切るものだった。優しく話しかけているようにも聞こえるし、あるいは上から見下されているようにも感じられる。
「『スクール』の連中が動き出しちまったな」
 くまのような大男がそんな事を言った。
「ヤツらに人材派遣マネジメントの情報を送ったのはこっちだが……チッ。もう少しアクションを遅くしてくれりゃあ良かったものを」
「結局、マンションをおそって、情報をつぶしたのも、無意味だったわ」
 その近くでつぶやいたのは、海原うなばらとなりにいる筋肉質の女性だった。
「『スクール』の行動によって、学園都市全域の、警戒レベルが、上がったはず。私たちの行動にも、影響えいきようが出なけれは、良いんだけど」
「やっぱり楽には進まねえな。学園都市を出し抜くっつーのは難しい。ま、だからと言ってここでやめる訳にもいかねえんだが」
(……、)
 女の言葉を聞きながら、海原は情報を整理する。
 ―――どうやら、この組織は『ブロック』と呼はれるものらしい。
 ―――この組織は『グループ』と同等の機密と権限を持っているらしい。
 ―――彼らは彼らで何かをくわだてているようだが、同日、別の組織である『スクール』が先に動いてしまったため、そのとばっちりを受けてしまったらしい。
 ―――その影響を可能な限り修正するため、先ほど『ブロック』は『スクール』の尻拭しりぬぐいという名の爆破を行った。海原が巻き込まれたのはそのためだった。
(そして)
 ―――『ブロック』は『スクール』による影響をあきらめ、現状のまま『計画』を実行に移そうとしているらしい。
(『スクール』に『ブロック』と。まったく、色々とややこしい事になりそうです……)
 と、筋肉質の女性が熊のような大男に向かってこう言った。
「向こうの方は、大丈夫だいじようぶなの」
「……ああ、例の『電話相手』か。問題ねえよ。手足として動かしてる駆動鎧パワードスーツの連中はアビニョンの後始末で身動きが取れねえんだしな。今なら『電話相手』ができる事もたかが知れてる。あいつも難儀なんぎだよなあ。普段ふだんは上から命令を飛ばしちゃあいるが、いざ俺たちが暴走を始めりゃあ責任取らされて処刑されるんじゃあねえのか。『猟犬部隊ハウンドドツグ』の方も、『〇九三〇』事件でリーダーの木原数多きはらまたごと壊滅かいめつしちまってるから邪魔じやまにゃあならねえし」
 どうやらこの組織にも『グループ』と同じ指示役がいるらしい、と海原うなばらは思う。しかし『電話の声』は一人なのか複数なのか、複数の人間が一つの組織に指示を出しているのか、一人に一組織の担当があるのか、見た目は複数でも実は機械音声を使っているだけなのか、その辺りは不明だ。
(ま、個人にしても複数にしても、それほど大きな組織ではないでしょう。それにしては、妙に小回りがいている気がしますし)
『電話の声』については後回しだ。海原は『ブロック』の会話に集中し、彼らの組織構造図などへと思考内容を変更していく。
(少なくとも、現状は学園都市上層部の意向を受けて動いている訳ではないようですが。駆動鎧パワードスーツがいない内に、一体何をやろうとしているんだか)
 海原はチラリと横に目をやった。『ブロック』の下部組織の男たちがいる。彼らは明らかな反逆行為に手を貸している訳だが……。
(いや、それに気づいている人間は何人いるか)
 仮に上層部が『緊急きんきゆう事態だ。地点Aに集合しろ』と命令を出した所で、その情報がうそである、という事も裏世界では珍しくない。常に影の思惑が錯綜さくそうするこの世界では、『命令』を表面通りに受け取る者などいない。結局、最後の最後では自分の見てきたものを信じて行動するしかない。嘘かもしれない情報と、とりあえず背を向けれは確実に銃殺される『ブロック』。どちらを信じるかと言われれば後者しかない。それが生き抜くためのすぺというものだ。
(ま、天罰ですかね。日頃ひごろから部下をだまし続けているから、いざという時に情報の信憑性しんぴようせいが下がってしまうんです)
「ようし」
 くまのような大男は、何かを吹っ切るように声を出した。
「これ以上の遅延は認められない。おれ達もそろそろ始めるとするか。何が『ブロック』だ。このまま一生ヤツらの下働きで終わるつもりはねえからな」
 彼はそう言ったが、即座に動く事はなく、ぐるりと周囲を見回した。
 海原は質間する。
「どうしたんだ」
「いいや、その前にいつもの『安全確認』をやっておきたい」
 熊のような大男はそう言うと、大きな両手をパンパンとたたいた。すると、その合図に合わせて陰気な少女がゆったりとした動作で前へ出てくる。
鉄綱てつもう。……お前の『意見解析スキルポリグラフ』を借りるぞ。念のため、裏切り者がいないか確かめてくれ」
「了解した。私の価値は、人の心を読む事しかないから」
(……ッ!?)
 海原光貴みつきおどろきが表情に出るかと思った。
 彼は何気ない仕草でビジネスデスクの上に置かれていたハンドクリームのボトルを取るふりをしながら、軽く周囲を見回す。『プロック』の四人(海原うなばら含む)と下部組織の人間が十数人。ここでバレるのはまずい。
「おっと。一応伝えておくが、『読み取り』を拒んだ時点で裏切り者って事にする。おれは不透明なのは好きじゃないからな」
 大男がそう宣言した後、鉄網てつもうと呼はれた少女は『ブロック』の同僚どうりよう一人一人と握手をしていく。彼女の口から、機械のような声だけが無機質に放たれる。
佐久辰彦さくたつひこ。年齢二八歳、『ブロック』のリーダー。学園都市の外部協力機関との連携の監視を主任務とする」
 くまのような大男の次は、筋肉質の女性だ。
手塩恵未てしおめぐみ。年齢二五歳。『ブロック』の正規要員。警備員アンチスキルとしての……、―――ッ!?」
 ビクッ、と鉄網の表情がゆがんだ。一瞬いつしゆん、場が殺気立つが、当の手塩は特に慌てずに、
「……そう熱心に、読まなくても、いい。あの子に両親がいない理由や、声を出せなくなった原因など、のぞいて楽しい過去では、ないだろうしね」
 軽く頭を振った鉄網は、今痩は海原の方へ目を向けた。
 ここで海原は持っていたハンドクリームのボトルをすべらせてしまった。
「……ッ、すまねえ」
 ボトルは下部組織の一人の方へ転がった。海原が手を伸はそうとすると、下部組織の青年が近づいてきて、ボトルを渡してくれた。
「ついでだ。先にやっとけよ」
 海原が促す。ちょうど青年が鉄網の前へ出る構図になったため、順番に割り込む形で彼はそのまま鉄綱に手を差し出す。さっさと『チェック』を終わらせたいらしい。
 二人が握手した時だった。
「―――がァあああああああああああああああああッ!?」
 青年と鉄綱の手が、いきなり赤い炎を噴いた。ボン! という爆発音と共に血が飛び散る。何本もの指が飛んだ。鉄網は右手を押さえたが、痛みと出血に耐えられず、そのまま床に倒れて動かなくなる。
 青年の方は慌てて応急処置キットに手を伸はそうとしたが、熊のような大男がそれをさえぎった。
「今、何をしやがった?」
「知らない。俺だって分かるか!」
「何をしたかって聞いているんだ!!」
「俺だって被害者だ!!」
 佐久はそれ以上何も言わなかった。ホルスターから拳銃けんじゆうを抜くと。青年の眉間みけんへ銃口を押し付けて、そのまま引き金を引く。
「待、おれは何も……ッ!?」
 下部組織の青年は呆然ぼうぜんとしていたが……発砲音が炸裂さくれつした。
 バンバンガン!! という轟音ごうおんと共に、血まみれになった青年が床に転がる。
 くまのような佐久きくは真っ赤になった死体を軽くにらみつけてから、
「……ま、始める前に見つかって良かったわな。ったく、どんな手を使ったんだか」
「どうする。統けるか?」
 海原うなばらが質問すると、佐久は首を横に振った。こわれた鉄網てつもうが元に戻らないようだ。
「補充している暇はねえからな。『確認装置』は後で用意する」
 彼は鉄網に興味はないようで、そのまま下部組織の人間に死体の処分を指示していく。
(……、)
 海原は床の上で動かない青年の死体をチラリと見た。
 あの青年は鉄網と握手する寸前、ハンドクリームのボトルを海原に手渡していた。その時、青年の手には海原の掌にあるクリームがぺっとりとこびりついていたのだ。そしてクリームの中には、少量の液化爆薬も混ぜてあった。
 海原はハンドクリームをてのひら馴染なじませていく。今度は液化爆薬を取り除くための薬品を混ぜたものだ。
(敵とはいえ……いや、今は考えている余裕はありませんね)
 海原が表情には出さずにそう思っていると、気を取り直したように佐久は言った。
「さて、と。それじゃあ改めて―――動くとするか」
 彼の前にあるのは、一台のノートパソコンだ。

     4

 ビーッ!! という警告の電子音がキャンピングカーにひぴき渡った。
『グルーブ』の各々おのおのはバラバラに昼食を食べ終え、今後の調査の方針などを話し合っていたのだが。それは即座に断ち切られた。
 車内スビーカーから、オペレーターを兼ねた運転手の慌てた声が飛んでくる。
『きっ、緊急きんきゆうです! 今。データをそちらへ送ります!!」
 一方通行達アクセラレータたちは音源のスピーカーの方へ目をやる。
 運転席と後部の居住区をへだてる壁に設置されたスクリーンに学園都市の地図が表示される。
「第五学区・ウィルス保管センターだと?」
「学園都市製のコンピュータウィルスを解析してワクチンソフトを作る施設だな。……そいつがクラッキングを受けているらしい」
 連統的に表示される文字列を目で追いながら、土御門つちみかどが言う。
 事件を知っても、彼らは警備員アンチスキルに通報したり協力を仰ぐ、という考えを持たない。一般人に解決できるレベルの仕事は『グループ』に回されてこないし、彼らがすべての案件を解決できるというのなら、そもそも『グループ』は生み出されていない。
 一方通行アクセラレータは面倒臭そうな調子で、
「にしても、俺達おれたちが動かなくちゃならねェのかよ。さっき『グループ』と似たような組織はいくつかあるっつってたろ。そいつらに任せちまえよ」
「部署が違うんだろう。連中が必ず動く保証はないし、その上、複数ある組織の一つは学園都市を裏切っている可能性が高い。ここはオレ達が行くしかないな」
 土御門つちみかどはさらに言った。
「そのウィルス保管センターだが……施設には未解析のウィルスのほかに、学園都市の研究機関が意図的に作り上げた実験用ウィルスも多数存在する。こいつが外に流れれは……まぁ、パニックにおちいるな」
「その『外』はどこまでの『外』かしら?」
 結標むすじめが意味ありげに笑みを作る。
 学園都市の『中』と「外』では科学技術に、二、三〇年分のへだたりがあり、それはウィルスに関しても同様だ。学園都市の機械にとっては型遅れのウィルスであっても、『外』の機械からすれは完全に未知の脅威きよういとなる。まして、学園都市でもワクチンソフトの開発が遅れているような最新式のウィルスが『外』にれれば……。
「確か、学園都市のセキュリティってのは『外から中へ』よりも『中から外へ』を優先的にガードするって話だったよなァ。なら、そのための設備があるはずだ」
「……外部接続ターミナルか」
 学園都市は一般的なインターネットからは切りはなされており、学園都市独白のネットワークを形成している。インターネットへつながる外部ラインは、全て一度『外部接続ターミナル』という施設を通してから接続する事になっている。
「ターミナルって、東西南北に四つあったわよね」
 その時、ザザッ、という音が車内スピーカーから聞こえてきた。オペレーターを兼ねる運転手の切羽詰せつぱつまった声が飛んでくる。
『外部接続ターミナルの緊急遮断きんきゆうしやだんを開始。第三学区・北部ターミナル遮断、第一二学区・東部ターミナル遮断、第二学区・南部ターミナル遮断、……ッ!? 第一三学区・西部ターミナルが応答しません! 遮断確認できず!!』
「ハハッ! まァた分かりやすい構図だな!!」
 一方通行アクセラレータはその報告を受けて大笑いした。
 土御門も不敵に笑って。
「十中八九オレ達をさそってるだろうな。どこのだれだか知らないが、スクラップになりたいらしい」

 キャンピングカーは間題の第一二学区に向かって発進する。
 運転手の不安そうな声が車内スピーカーを通して伝わってくる。
『お、親船最中おやふねもなかさんの暗殺未遂みすいの方はどうしましよう?』
「今は後回しだ」
「というか、これも『スクール』がやっているのかもしれないのだけれどね」
『ええと……海原うなばらさんの方は?』
「ハナから助ける気はねェよ」

     5

 浜面仕上はまづらしあげは、路地裏でピーピー鳴る電子音にうろたえていた。
 音源は麦野沈利むぎのしずりのポケットにある携帯端末だ。
「おい、それ放っておいて良いのか?」
「良いって良いって。私らがやらなくたって別のだれかが対処してるよ」
 とは言ったものの、端末はその後もピリピリピリピリ音を出し続けた。あまりのしつこさに麦野はブルブルとふるえると、勢い良く端末をつかみ取ってみつくように大声を出す。
「やっかましいなクソ馬鹿ばか!! 応答する気がない事ぐらい分かんないの!?」
『こいつときたら! こっちだって連絡したくて連絡してる訳じゃないんだっつーの!!』
 特にスピーカーフォンではないのだが、そばで聞いている浜面の耳にもばっちり届く大音量だった。声の主は女性のもので、いつも『アイテム』に指示を出してくるなぞの人物だ。
『第五学区のウィルス保管センターで緊急きんきゆう事態が発生してるから、アンタらも出動して問題を解決しなさい!」
「えー」
『えーじゃないわよこいつときたらーっ! ったく駆動鎧パワードスーツの連中はアビニョンの後始未とか「左方のテッラ」とかいうヤツの死体の捜索とかで忙しいんだからさ。そっちもきちんと動きなさいよね!!』
「私ら今忙しいから後にしてくんない?」
 麦野はものすごく嫌そうな声で言ったが、電話の相手は『こいつときたらーっ!』と叫ぶと、
『言っておくけど、アンタら『アイテム」の仕事は学園都市内の不穏ふおん分子の削除・抹消まつしようなんだっつの。ちゃんと仕事しろーっ!』
「そんな事言われてもねー」
『それとアンタ、この前「スクール」の正規スナイパーをぶっ殺したっつったよね? だから親船最中の狙撃そげきはないっつったよね? こいつときたら! じゃー何でこんな事になってんのよーっ!! あれでもう終わったと思ったから「危険度は下がった」って報告したのに……。ホント怒られんのこっちなんだからしっかりしてよねーっ!!』
 オーダーを開違えたウェイトレスをしかるような口調だった。
『ちくしょう、やってくれちゃって……。ウィルス保管センターはほかの部署にたのんでおくから、とにかく狙撃未遂そげきみすいに関して報告書ちょうだい。せめてそっちは大至急ね』
「悪いそれ無理だわ」
『何よそれどーなってんのよーっ!?』
何故なぜならこれからその『スクール』のクソ野郎どもを皆殺しにするからです」
 ぎゃあぎゃあ言っていた女性の声がピタリと止まった。
『ええと、追加で良い? 最低でも一人に一〇発は鉛弾をブチ込んであげて?』
「……あのー、つかぬ事をお聞きしますが、管理者のお前は止めるべき場面ですよ?」
さわぐなした。「スクール」の連中は前から嫌いだったのよ。この私の頭を悩ませるものはすぺて地球から消えてしまえは良いのだーっ!!』
 がははははーっ!! と巨大な武将みたいな笑い声と共に通話が切れる。
 ホントにあれが組織のまとめ役で良いのか、という表情で麦野むぎのは携帯端末をポケットに戻すと、軽くあちこち見回した。
「ところで浜面はまづら。本当にアシは手に入るの?」
「軽く流しやがった……。ま、その辺は何とかするけどよ」
 と言いながら、浜面は路上駐車してある乗用車に近づいた。携帯電話の下部コネクタにファイバースコープ装置を取り付け、鍵穴かぎあなにそうめんより細い光ケープルを通してピンの配置を調ぺていく。浜面は携帯電話の画面に表示される鍵穴内部の情報を元に、数本の針金を使ってあっさりとドアのロックを外してしまった。
 浜面は運転席に乗り込むと、ハンドル下にあるエンジンキーの鍵穴を調ぺる。
「はー、便利なスキルだね」
 本当に感心している声で、助手席に乗り込む麦野。
 後部座席にも、絹旗きぬはた、フレンダ、滝壺たきつぼの三人が入ってきた。その辺のタクシーと同じファミ
リー用の44ドアだが、五入乗ると流石さすが窮屈きゆうくつに感じてしまう。
「行き先は?」
「第一八学区・きりおか女学院。近くに素粒子工学研究所があるの。親船の騒ぎに乗って私設警備の人間が緊急きんきゆう召集されたり機材が運はれたりって混乱があったのはあそこだけ。それに合わせてガードもかなり手薄てうすになってる。分かりやすい計画犯罪だよね」
「一ヶ所だけって、随分ずいぶんと簡単な構図だな」
「失札、言い忘れた。数ある中で有益なポイントは一ヶ所でしたって話」
 そーかい、と浜面は適当に返して、
「それにしても、素粒子工学? 仮にそこが本当にターゲットだったとして、『スクール』は何をねらっているんだ」
「さあね。親船最中おやふねもなかの命よりは重要な用件なんじゃない? という訳で、クソ野郎どもの尻拭しりぬぐいツアーにしゅっぱーつ」
 ふうん、と言いながら、あっさりエンジンを始動させる浜面はまづら
 ふと後部座席から滝壺たきつぼが声をかけた。
「はまづら。免許持ってたの?」
「必要なのはカードじゃない。技術だ」
 遣当に答えて、浜面はオートマ車をなめらかに発進させた。

     6

 一方通行達アクセラレータたちを乗せるキャンビングカーが第七学区を突き進む。
 土御門つちみかどは時計を気にしながら、
「……第一三学区に入るまでざっと一〇分って所か」
 西部ターミナルの遮断しやだんができないという話だったが、それなら現場へ行って大容量ケーブルを直接的に切断してしまえは、とりあえずアクセスを封鎖ふうさする事はできる。予算の関係上お堅い役人はそういう解決策を嫌うが、もはやそんな事を言っていられる事態ではない。
 しかしそこで、またもや警告の電子音が鳴りひぴいた。
 土御門が応じるように大声で言う。
「今度は何だ!?」
『第二三学区でもクラッキングを確認! 航空宇宙工学研究所付属の衛星管制センターが電子攻撃こうげきを受けています!!」
 衛星だと? と一方通行アクセラレータまゆをひそめる。
 学園都市が打ち上げたものといえは、気象衛星という建前のスパイ衛星だ。これを使って学園都市や周辺地鐡を逐一ちくいち監視しているのだが、
「ますます面白くなってきたじゃねェか。確か衛星ひこぼしⅡ号にゃ地上攻撃用大口径レーザーが搭載されていたはずだよなァ」
「まずいわね。ウィルス保管センターへのクラッキングも継続中なんでしょう?」
「対策チームは右往左往しているだろうな。いつもの実力を出させないためのおとりって訳だが、ウィルス保管センターの方を放っておいて良いという事にもならない。囮だったとしても、被害の程度が変わる訳ではないからな」
「これも『スクール』だと思う?」
「さあな。別の組織かもしれない」
『どっ、どうしますか? 我々はどちらへ向かいましょう!!』
「ハハッ、そンなモン決まってンだろ」
 言いながら、一方通行アクセラレータはキャンビングカーの側面ドアを足の裏でりつけた。
 すでに電極のスイッチを入れていたのか、ベクトル変換された力の束は、金属製のドアを容赦ようしやなく道路へはじき飛ばす。
 土御門つちみかどは思わず叫んだ。
一方通行アクセラレータ!!」
「クソ野郎どものおとりに付き合わされンのはしように合わねェ。おれは第二三学区へ行く。衛星通信用の大規模地上アンテナをぶちこわしゃクラッキングも止まるだろ。その間、オマエたちは雑用でもこなしてンだな」
 言うだけ言うと、一方通行アクセラレータはためらう事なく車から飛び降りた。
 不自然な軌道を描いて跳んだ一方通行アクセラレータは、中央分離帯ぶんりたいを越えて反対車線を走るオープンカーの助手席にズドンと収まる。普通の人閥なら相対速度の関係でたたつぶされそうなものだが、あらゆるベクトルを味方につけた彼なら何の問題もない。
 むしろ、うろたえたのはオープンカーの運転手の方だ。
「わっわっ!? な、なに。何だ?」
「ガソリン代と入件費は払ってやる」
 ガチリという小さな音が聞こえた。
 ほおに何か押し付けられている感覚があるのだが、運転手は首を動かせない。しかしルームミラーには、何やら拳銃けんじゆうらしき黒っぽい金属が見える。
「第二三学区だ。よそ見はするなよ」

     7

 暇だ。
 浜面仕上ほまづらしあげは路上駐車した盗難車の運転席で、のんびりとそう思っていた。
 ここは第一八学区・きりおか女学院の近くだ。一〇〇メートルほど先には素粒子工学研究所の四角い建物があり、そちらでは研究所を強襲きようしゆうする『スクール』とその迎撃迎撃を行う『アイテム』、二つの組織が激闘げきとうり広げているはずだった。
 そちらヘ目をやりながら、浜面は思わずうめき声をらしていた。
「うわスゲェな……建物が半分ぐらい崩れてやがるし、なんかビーム砲みたいなのまで飛んでるぞ。麦野沈利むぎのしずりだっけか。相変わらず超能力レベル5全開って感じだな」
 もくもくという灰色の粉塵ふんじんと共に傾いていく鉄筋コンクリートの建物。その地響じひびきのような振動が、浜面の乗っている盗難車まで届いてくる。
超能力レベル5、ね)
 かつての武装無能力者集団スキルアウトりーダー、駒場利徳こまばりとくは本当にアレと戦って勝てると信じていたんだろうか。
 そのリーダーを失った今のスキルアウトは、まだ戦おうと思っているんだろうか。
「……チッ」
 浜面はまづらはつまらなさそうにハンドルを軽くたたく。
 どのみち、そのスキルアウトから逃げて能力者の軍門に下った今の自分に、何かを語るだけの資格はない。
 苛立いらだった彼は、運転席のドアを開けて外へ出た。
『アイテム』のためにいつでも発進できる準備をしておく事、そして駐車禁止の取りまりが強化された事を考えると、車から降りるのはあまり得策ではない。しかし、浜面はどうしても気分を変えたかった。
 今日は祝日なのできりおか女学院の近くには人が少ない。そして路上駐車したまま放って置かれているスポーツカーが三台ぐらい縦列駐車してあった。
 そこで浜面の目が点になる。
(おおおおッ!? ブースタの八九年モデルがあるじゃねえかー! 4ドアの帝王って呼ばれてるヤツだぞ!! い、いや、あんま目立つ車を無理に盗んでもリスクが高くなるだけなんだが……いいやちくしょう帰りはブースタだ!!)
 と、セレプの心を揺さぶる名車の低いエグゾーストを想像し、微妙に鼻息を荒げながらポケットから開錠用かいじようようのツールを取り出す浜面。そんな感じでグレードの高い、違いの分かる大人なスポーツカーに近づいた時だった。
「浜面ぁ!!」
「はひぃ!?」
 突然真後ろから飛んできた女性の大声に、浜面は慌ててツールをポケットにしまい直して振り返る。
 緑色のジャージを着た女教師がいた。
 ジャージを着ていてもスタイルの良さが分かる……というか、何でジャージなのか意味不明だ押し倒すぞコラと叫びたくなるほどの美人だが、浜面にとって重要なのはそちらではない。
 こいつはスキルアウトの天敵、警備員アンチスキルだ。
 名前は確か黄泉川愛穂よみかわあいほ
「あれー? お前どうしたじゃんよ。確か断崖だんがい大学データベースセンターの件で補導されたって聞いてたんだけど。結局、お前じゃなかったの? それなら良かった良かった」
 何やら気さくに話しかけてくるが、別に仲良しでも何でもなく、この好意は一方的なものだ。……そもそも、過去一四回も夜の街で自分を捕まえて留置湯にぶち込んだ女に好感など持てるはずがない。
「何でテメェがここにいるんだクソババァ」
「そんなの、アレ見りゃ分かるじゃんか」
 言いながら黄泉川よみかわが親指で示しているのは、くだんの素粒子工学研究所だ。
 浜面はまづらは思わず額に手を当てた。
『アイテム』の下部組織が色々と隠蔽いんぺいしているのだろうが、流石さすがに現在進行形で半壊はんかいしている研究所を完壁かんぺきに隠しおおせる事はできなかったらしい。
 と、黄泉川は両手を腰に当て、にこにこと微笑ほほえみながら、
「で、先生はいつでもお前の更生を願っているじゃんけど」
「は? あァ、お前ナニ言って―――」
「何で車のカギ穴をのぞき込むみたいな中腰じゃんよ。まさかと思うが、こんな所で私に手錠てじようを使わせるつもりじゃないじゃんな?」
 ギクゥ!! と浜面の肩が大きく動いた。
 ここでパクられる訳にはいかないので、首をプンプンと横に振りつつ、
「ちっ、違うんだ! 赤ちゃんが!! 車内に赤ちゃんが取り残されて!!」
 なにっ!? と黄泉川が慌てて近づいてきて、ぺたっと車のガラスに両手を押し付けて中を覗き込もうとする。
 途端に鑑動する警報装置。
 ピリピリピリピリーッ!! というけたたましい音に黄泉川があたふたとし、浜面が口笛を吹いて他人のふりをしていると、今まさに崩壊しつつある素粒子工学研究所の方から一台のステーションワゴンが猛スピードで走ってきた。
 浜面たちの横をステーションワゴンが通り過ぎると、今度は研究所から麦野沈利むぎのしずりが走ってきた。その片手は同じ『アイテム』のメンバー、天然系の滝壺理后たきつぼりこうの首根っこをつかんでいる。
 彼女達は先ほどまで浜面が乗っていた4ドアの後部座席に飛び込みつつ、
「浜面!! 下手なナンパしてないでこっち来い! あのステーションワゴンを追うの、早く!!」
「ナンパじゃねえよふざけんな!!」
 浜面は適当に叫び返して車に引き返した。本当はブースタの八九年モデルが惜しいのだが、まさか黄泉川の前で堂々と盗難する訳にもいかない。
 運転席に乗ってエンジンを鳴らすと、ようやく黄泉川が声を張り上げた。
「ちょっと待った浜面!! その車はどうしたじゃんよ!?」
「見りゃ分かんだろ免許取ったんだよ!!」
 超適当にうそをつくと。一刻も早く黄泉川の前から消えるために必要以上にアクセルをみつける。急発進にエンジンとタイヤが不気味な悲鳴を発し、ジャージ女教師を残してファミリーカーが爆走した。
 と、発進してから浜面はまづらは気づく。
「お、おい。絹旗きぬはたとフレンダの二人はどうしたんだよ!?」
「あいつらはあれぐらいじゃ死なない。今はあのステーションワゴンが先!!」
 苛立いらだった声で麦野むぎのが答えた。
 彼女の半袖はんそでコートの端は黒くげていて、ほおなぐられたようにれていた。ルームミラーでそれを確認しながら、浜面は研究所で起きた事を想像する。
「何でこんな事になってんだよ、お前。第四位のくせに」
「向こうにも超能力者レペル5がいたの。垣根帝督かきねていとく、第二位のクソッたれがね」
 ふてくされたように麦野は答えた。
「でもこっちもやられっ放しじゃない。『スクール』のメンバーを一人つぶしてきたし。ま、あの中じゃ大したカはなさそうだったけどね」
 戦利品なのか、ゴツい機械製のヘッドギアを軽く振った。土星の輪のように三六〇度ぐるりと頭をおおうもので、無数のプラグらしきものがある。そこから伸びるコードは、雑草を刈り取るように途中で千切ちぎれていた。何に使う装置かは知らないが、べっとりと血がついているのが怖い。
「で、あのステーションワゴンを追ってどうするんだ?」
「乗ってるヤツをたたつぶして積み荷は回収」
「積み荷って?」
「『ピンセット』。超微粒物体千渉用吸着式マニピュレータだね」
「……説明する気ねえだろ」
「とにかくそいつが『スクール』の目的だったんだっつの!! 分からなくてもステーションワゴンは追えんでしよ!! っつかこの車で追い着けるんだうね!?」
大丈夫だいじようぶ
 言ったのは、浜面ではなく滝壺たきつぼだった。
 彼女は後部座席で、だらっと手足を投げ出しつつ、
「私の『能力追跡AIMストーカー』は、一度記録したAIM拡散力場の持ち主を徹底的てつていてきに追い続ける。たとえ彼らが太陽系の外へ出たって私はいつでも検索・捕捉ほそくできる」
「だとさ」
 浜面は適当に言葉を引き継いで、
「優秀なナビがいてくれりゃ見逃す事はねえさ。それより、あの車の動きを封じた後はどうするん―――」
 浜面の言葉が途切れる。
 すぐ横の道から、いきなり大型のクレーン車が飛び出してきたからだ。
「ッ!?」
 ハンドル操作をする余裕もなかった。
 浜面達はまづらたちの乗る4ドアの腹に、怪物のよラなサイズのクレーン車が思い切り激突した。グシャア!! というすさまじい音が脳にひびく。センサーが反応してハンドルのエアバッグが作動したが、横からの衝撃しようげきなのであんまり意味があるとは思えなかった。
 まっすぐに走っていたはずの浜面の車が、クレーン車に押されるように真横へ進む。
 そのままガードレールを突き破り、歩道に乗り上げ、ビルの壁に激突した。
 黄色いクレーン車とコンクリートの壁に挟まれ、4ドアは完壁かんペきに動けなくなった。
 周囲へのさわぎや被害は考慮こうりよせず。
 どうやっても浜面達をここで殺す気だ。
「……痛っ……」
「くそ……。『スクール』ね。どうしてもあのステーションワゴンを逃がしたいらしい。私らの足止めに出てきたんだ!!」
 麦野が噛みつくように言うと、クレーン車は一〇メートルほど後退する。保護ガラスにおおわれた運転席には、一四歳ぐらいの少女が座っていた。小柄で華奢きやしやな体つきにもかかわらず、まるでホステスみたいな背中の開いた丈の短いドレスを着込んでいる。
 もう一度ぶつける気か、と浜面は痛む体で思ったが、そうではなかった。
 少女が何かレバーを操作すると、クレーンのアームが伸びた。その先端に取り付けられているのは、荷物をり上げるための金属製フックではない。
 建物をこわすための、直径数メートルものサイズの巨大鉄球だ。
「ちくしょう!!」
 麦野が叫び、後部ドアを開けようとしたが、車体がゆがんでいるせいか開く様子はない。
 浜面はレバーを動かして助手席を倒しながら、
「フロントガラスから出るんだ!! 早く!!」
 浜面は細かい亀裂きれつの入った前面のフロントガラスをたたき割り、ボンネットの上へ飛び出す。麦野と滝壺たきつぼが倒した助手席の上を通って前の席へと回ってくる。
 その時、振り子のように鉄球が放たれた。
 ゴォッ!! といううなる音と共に巨大な塊が向かってくる。先に麦野がフロントガラスからボンネットへ脱出し、浜面は慌てて滝壺の手をつかんで引っ張り出したが、そこへ思い切り鉄球が車の横へ突っ込んだ。
 轟音ごうおん炸裂さくれつする。
 ボンネット上にいた三人が横からの衝撃で地面に振り落とされる。顔を上げようとした浜面の後頭部を麦野が掴んだ。彼が地面に伏せる格好になった時、一拍遅れて乗用車が炎をき散らして爆発した。全員生きているのが不思議なぐらいの状況だ。
 ゴゥン、というクレーン車の不気味なエンジン音がひびく。
 爆発音を聞いて集まり始めた野次馬やじうまなど、お構いなしの反応だった。
 麦野沈利むぎのしずりは舌打ちして、
「三手に分かれよう」
「戦わないのかよ、超能力者レベル5
「私の目的はあのステーションワゴンと積み荷の『ピンセット』。雑魚ぎこに構って時間かせぎに付き合うつもりはないからね。……あのクレーン女のチカラは鬱陶しいし」
 言うなり、麦野は車道を横断して細い道に入った。
 取り残された滝壺たきつぼは別の方向へ走る。
 浜面はまづらもビルとビルの間の路地へ突っ込み、そのままがむしゃらに走る。しかし、彼の背後から湿った足音が聞こえてきた。
(ヤバいそオイ、おれを追ってきやがった!!)
 走る浜面ののどが干上がる。クレーン車に乗っていたのは小柄な少女だったが、あの『アイテム』の四人と互角以上に戦った『スクール』の一人だ。どんな極悪な能力を持っているか分かったものではない。何しろ、超能力者レベル5の麦野が『鬱陶うつとうしい』と表現するぐらいなのだから。
 さらに逃げ続け、浜面はビル横に設置された金属製の非常階段を駆け上がり、適当な階で建物に入る。
 どうやら学生りようらしい。
 直線的な通路を駆け抜けると、背後でガチャリと扉の開く音が聞こえた。
(追い着かれた……ッ!?)
 浜面は反射的に振り返る。
 自分が入ってきたドアから、やはり小柄な少女がやってきた。派手なドレスを着た少女の手にはレディース用の、やたらグリップの小さい拳銃けんじゆうが握られている。
(死ぬ!?)
 浜面はてのひらを壁にたたきつけた。
 手近にあるボタンを押すと、鋼鉄でできた暴走能力用のシャッターがギロチンのように下りてきた。少女の目がわずかに見開き、素早く拳銃を構えて浜面に向かって発砲する。
 パンパン!! という高い音が連続した。
 思わず目をつぶった浜面だが、改めて目を開けてみると、鋼鉄のシャッターに穴は空いていない。壁のボタン近くにあるモニタを見ると、少女は舌打ちして自分の拳銃に目を落としている。
 どうやら相手の火力では、このシャッターは破れないらしい。
(……つまり何をやろうが、あの女はこの壁を越えられない訳だ)
 全身を安署あんどが包む。
 そこで浜面は世界で一番人を馬鹿にしたオモシロイ表情を作ると、両手を上に挙げ、友右にしりを振りながら『いっひいっひいっひいっひ!!」と叫んだ。
「―――、」
 同じく向こう側のモニタを見ていたドレスの少女は拳銃けんじゆう太股ふとももに仕舞うと、今度は後ろへ手を回す。
 腰の辺りから取り出されたのは、コーヒーの缶ぐらいの太い銃身を持った拳銃。
 というか、四〇ミリの小型グレネード砲だ。
「や、やべえ。―――これ絶対死んだんじゃね!?」
 浜面はまづらが慌てて通路の奥へ走ろうとしたが、少女は容赦ようしやなくグレネードの引き金を引く。
 シャッターが爆発し、こちら側にふくらんで吹き飛び、浜面は破片のあおりを受けて五メートル以上ノーバウンドで通路を飛んだ。
「ぐ、がああっ!?」
 転がった浜面は何とか起き上がり、壁に手をつきながらよろよろと通路の奥へ走る。
 その先はテラスになっていて、つまり行き止まりだった。
 どうやらこちら側の通路には階段やエレベーターはないようだ。
 手すりの向こうは、およそ三階分の高さ。
 しかし背後には正体不明の『スクール』の少女。
 どちらを選ぶかなど聞くまでもなかった。
(もちろん三階ダイブに即決定!! あんなあからさまに強そうなのに立ち向かうぐらいなら気合と根性で飛んだ方が一〇〇倍マシだ! 小物には小物の生きる道があるのでっす!!)
「ハハッ!! 負け犬上等オおおおおおおおおおおおおォォう!!」
 走りながら大声で笑い、手すりに足を乗せてそのまま三階から飛ぶ浜面。
 彼は飛ぶ前に下を見ていなかった。
 追っ手の事を考えるといちいち確認している余裕もなかったし、何より一度確かめたら怖くなって飛び降りられなくなると思ったからだ。
 しかし三階という高さは馬鹿ばかにならない。
(くそっ、なんか下にクッションになるものは―――ッ!!)
 と、空中で浜面が初めて地面へ目をやると、そこには乳母車うぱぐるきを押す幸せそうな若奥様が。
 青空を舞ラ浜面仕上しあげの脳が全力でノーと叫んだ。
「ぐオオおおおおおおおおおおおおッッッ!?」
 手足をわたわた振って距離きよりかせごうとするエアウォーク浜面。その甲斐かいあってか、彼の大柄な体は乳母車の横一五センチの位置に着地した。
 ビキィィィン!! とかかとから足首にかけて鋭い痛みが走る。
 若奥様はお上品にロへ片手を当てておどろき、乳母車の赤ちゃんは泣く事も忘れて目をまん丸に見開いている。
 若奥様は言った。
「え、ええと……どちらさまでしょう?」
「空から落ちてくる系のヒロインです。ここは危ない、早くお逃げなさいおじようさん」
 浜面はまづらはさわやかな笑みと共に適当な事を言って、すぐ近くにある路地へ飛び込んでいく。

     8

「チッ!!」
 派手なドレスを着た一四歳ぐらいの少女はグレネード砲と拳銃けんじゆうをそれぞれ仕舞うと、テラスの手すりに両手を当てて、三階下の路上へ目をやった。
 今まで追っていたはずの、馬鹿ばかそうな面構えをしたターゲットはどこにもいない。
 乳母車と若奥様がいるぐらいだ。
 少女は携帯電話を取り出すと、『スクール』の仲間へ連絡を取る。
「標的を見失ったわ。近くにいるのは幼な妻とベビーカーだけ。……ターゲットの男が幼な妻またはベビーカーに偽装しているという可能性はあると思う?」
 ばーか死ね、という言葉が返ってきたので。少女は携帯電話の通話を切ってふところへ戻す。
雑魚ざこだと思って油断してた。最初から能力を使っていれは良かったな……)
 もう一度忌々いまいましそうに路上へ目をやると、彼女はあきらめたようにそこから背を向けて、学生りようのエレベーターを探し始めた。

     9

 一方通行アクセラレータを乗せたオープンカーは第二三学区へ向かっていく。
 彼はとなりの運転席でビクビクしている若い男を横目で見ながら、ポケットから携帯電話を取り出す。
 少し考え、警備員アンチスキルへの通報ナンバーである三ケタの番号をブッシュした。
 電話に耳を当てると、出たのは警備員アンチスキルの通信センターのオペレーターではない。別の人間―――『グループ』に上から指示を出している『電話の男』が割り込んだのだ。
『何のつもりですか』
「あそこに電話を掛けりゃ、割り込まざるを得ないと思っただけだ。操られンのが嫌なら、テメェの言動を改める事だな」
 一方通行アケセラレータは遣当に言う。
「っつっても、今回はそのタガが外れちまってるけどな。『スクール』だ何だでそっちも忙しいみてェじゃねェか。どォやら、電話でお話しするだけじゃ人間は操り切れねエらしいな。今まで俺達おれたちに口出ししてこなかったのも、そンな暇がねェほど切羽詰せつぱつまってるからか?」
『本当にそう思いますか?』
「取りつくろってるつもりか、みっともねェ」
 一方通行アクセラレータと『電話の声』はわずかな間、だまっていた。
 やがて、一方通行アケセラレータは本題に入る。
「乗っ取られかけている衛星……特に「ひごぽしⅡ号』のデータを出せ。あれに搭載されている軍用レーザーの出力は?」
『おや、そんな事で良いんですか。もっと核心的な質問をしてもよろしいのですが』
「命を預けられるほど、オマエの言葉は信用しちゃいねェからな」
 これは手厳しい、とゆったりした男の声が返り、
『クラックを受けているひごぽしⅡ号に搭載されているのは、厳密には白色光波を利用した光学爆撃ばくげき兵器です。それと、あの段階では軍用ではなく実験用ですね。対象を四〇〇〇度程度の高温で焼くものですが、白色光波は紫外線同様に細胞核を破壊はかいするカも有しますので、急速なガン化を促す事にもなります』
 ナメたオモチャだ、と一方通行アクセラレータは思ったが口には出さない。
「……照射範囲は?」
『最小で半径五メートル、最大では半径三キロほどです。連射性能は大した事はありません。一時間に一発てるかどうか、という所ですよ。それと、大気圏によって白色光波はランダムに屈折しますから、精度の方も若干じやつかんの誤差があります』
 実験用の域を出ませんからね、と電話の男は軽い調子で言った。
 一方通行アクセラレータはそれ以上何も言わず、だまって通話を切った。
 携帯電話を眺め、もう片方の手で拳銃けんじゆうを運転手に突きつけつつ、オープンカーの助手席で一方通行アクセラレータは考える。
(半径三キロを焼き払うだと。ヤツら、一体何をするつもりだ……?)
 と、携帯電話の着信音が鳴った。
 またあの電話の男か、と思ったのだが、相手は違った。
一方通行アクセラレータさん……で、合っていますよね。海原うなばらです』
 声を殺している、というか、マイクに手を当てているような聞き取りにくい声だった。
『今は変装中なので、「この声」で話しているだけで危険なんです。ですから、手短に行きたいと思います』
「なンだ。『スクール』の連中の目を盗ンでコソコソ内緒話ないしよばなしか? りィが助けに来いってンなら聞かねェよ。今は衛星へのクラッキングを止める必要があるからな。オマエが『スクール』を止めるっつーなら聞いてやっても良いが」
『「スクール」じゃないんです』
「あ?」
「今、自分がいるのは、そして衛星へのクラッキングを仕掛けているのは、「スクール」ではなく「ブロック」です」
「……、」
 海原うなばらが言うには、『スクール』のほかに、『ブロック』という組織もこの日に合わせて犯罪計画を練っていたらしい。
「面倒臭ェ。じゃあ『スクール』が起こした親船最中おやふねもなか狙撃そげきはどォなってンだ」
『自分に当たらないでください。……というか、狙撃?』
 海原は怪訝けげんな声を出したが、とりあえず話の軌道を戻していく。
『事前にウィルス保管センターや外部接続ターミナルへの「攻撃」が行われていますから、学園都市のネット対策チームも右往左往しているでしょう。現状だと……あと二〇分程度でクラッキングが完了し、「ひごぽしⅡ号」は「ブロック」の手に落ちてしまいます』
 くそったれが、と一方通行アクセラレータき捨てる。
「……何で第二三学区は衛星の管制を一時凍結させねェンだよ」
『理由は色々あるんでしょうけど、おそらく通常のマニュアルに従って一時凍結させようとすると、それだけで一時間以上は必要でしょうね』
 宇宙関連は扱う金のケタが違うだろうし、一時的でも衛星とのリンクを断つと膨大ぼうだいな損害を受けるのは分かるが、クラッキングが判明した時点で回線を切断してしまえば良いものを、と彼は苛立いらだち混じりに考える。
「その『ブロック』の連中は『ひごぽしⅡ号』で何をしよォとしている」
『おそらく予想してはいると思いますが……衛星に搭載されている光学兵器です』
「取り引きか」
『いいえ。直接的な攻撃でしよう』
 一方通行アクセラレータは舌打ちする。
「ターゲットは」
『……第一三学区ですよ』
 第一三学区? と一方通行アクセラレータまゆをひそめた。
 あそこには今、外部接続ターミナルの関係で土御門つちみかど結標むすじめが向かっているはずだ。
(あるいは、『グループ』を潰すために……?)
 少し考えたが、それはないと思った。衛星を乗っ取るという大規模な行動の割に、確実性に欠ける。事件が起きたからといって、必ず『グループ』がその対処を行うとは限らないのだ。
「あンな所をねらったって、外部接統ターミナル以外にロクな施設はなかっただろォが。幼稚園やら小学校ばかりが集まってるだけだぞ」
『ですから、それが狙いなんです』
 海原うなばらは説明するのも嫌だという感じで、忌々いまいましそうに低い声で答える。
『第一三学区は学園都市でも最も幼稚園や小学校が集中している学区です。そこを攻撃こうげきすれば最年少の住入の大半が虐殺ぎやくさつされる。するとどうなるか。……ぶっちゃけた話、そんな所へ自分の子供を預けたいと思う親がいると思いますか?』
「……、」
『学園都市はあくまでも学生の街です。どれだけの住人がいても、いつかは卒業していきます。新入生がいなくなってしまえは、都市の人口は減るばかりで、最後には機能もできなくなるでしょう』
「……一〇年単位で、この街をゆっくりと殺していくつもりか」
 実際には学園都市は様々な科学技術を掌握しようあくしているため、財政面ではそれほど簡単には倒れないだろう。しかし、それにしても『子供のいなくなった学園都市』はその存在意義を奪われるにも等しい事に変わりはない。
 一方通行アクセラレータは少し考え、
「オマエの方からそれを止められるか」
『それができれは相談していません』
「第一三学区の住人を避難ひなんさせる手は?」
『パニックを起こした子供たちが学区のあちこちで将棋倒しを起こす危険があります。しかも今日は祝日ですよ。りように残っている子供達は教師の手でまとめられるかもしれませんが、第一三学区で遊んでいる方まで管理しきれているとは思えません』
「役立たずが。結局、おれが衛星通信用の地上アンテナをぶちこわすしかなさそォだな」
『お願いします。こちらは引き統き情轍を収集して、可能な限りそちらへお伝えしたいと思います』
 言って、海原は通話を切った。
 一方通行アクセラレータは携帯電話をポケットに仕舞うと、オープンカーの進行方向へ目をやる。
(あと二〇分程度で『ひごぽしⅡ号』が乗っ取られる、か)
 オープンカーが第二三学区に到着するのは扮よそ一〇分後。
 のんびりやっている暇はなさそうだ。
「急げよ。こっちも予定が詰まってる」
 もう一度、分かりやすく銃口を押し付けると、律儀りちぎにオーブンカーの速度が上がった。

     10

 初春飾利ういはるかざリ打ち止めラストオーダーは第七学区の駅のホームにいた。打ち止めラストオーダーは電車は初めてらしく、辺りをウロチョロして危なっかしいので初春は手をつないでいる。
(まったく……何で私がこんな事を)
 元々はタクシーのお釣りを渡して警備員アンチスキルに預けたのだが、一体どういうスキルを使ったのか、気がつけは打ち止めラストオーダーは詰め所を抜け出して再び街の雑踏ざつとうをウロウロしていた。このままでは何度預けても同じ結果になるとんだ初春ういはるは、こうして迷子捜しを手伝っている訳である。
(それにしても、打ち止めラストオーダーってどんな能力なんだろう?)
 ちょっと聞いたぐらいでは中身の想像できない呼び名だった。能力名は学校側が決める『念動カテレキネシス』や『発電能力エレクトロマスター』といったシンプルなものと、学生自身が決める『超電磁砲レールガン』などに分けられる。おそらくこの子の能力名も自分で決定したものだろう、と初春は適当に想像した。
「何で電車が来ないの? ってミサカはミサカは首をかしげてみたり」
「貨物列車が通過するみたいですね。というか、迷子は一体どの辺にいると考えているんですか?」
「ううん、どうもあっちの方から近づいてくるような気がするの、ってミサカはミサカは眉間みけんにしわを寄せながら答えてみる」
 どうやら打ち止めラストオーダーは何らかの能力を使って迷子を捜しているようなのだが、いまいちその精度は正確でなさそうだ。
「こんなので本当に迷子を見つけられるのかな、ってミサカはミサカはしょんぼりしてみたり」
大丈夫だいじようぶですよ」
「超アバウトな応援ありがとう、ってミサカはミサカは一応お礼は言ってみる」
「そんなあなたのアホ毛に元気が出るように、プレゼントを差し上げます」
「ええっ!? 頭のお花って自由白在に取り外せるの、ってミサカはミサカは驚愕きようがくあらわにしてみたり!!」
「はいこれ。ハイビスカスの花言葉は『まぁやってみたまえ』です」
「しかも間違った花言葉を堂々と宣言しているし、ってミサカはミサカは混乱してみる!!」
 打ち止めラストオーダーはぐだぐだ言っているが、初春は笑顔で無視した。
 その時、バォオオオ!! という爆音が初春の耳に入ってきた。そちらを見ても何も分からなかったが、どうもスポーツカーがものすごい勢いで走っているらしいのが、排気音のひびきで伝わってくる。
「一体どこを走ってるんでしょうね。警備員アンチスキルもしっかり取りまってくれないと」
 初春はあきれたように言ったが、打ち止めラストオーダーは何やら眉間みけんしわを寄せてうんうんと考え事を始めていた。

     11

 浜面仕上はまづらしあげは路地から大きな通リへ飛び出した。
 そこで立ち止まり、荒い息をいて、それから周囲を見回す。
 休日を楽しんでいる少年たち怪訝けげんな目を向けてくるが、とりあえず襲撃者しゆうげきしやの影はなかった。浜面はまづらは額の汗をぬぐって、近くにあった自動販売機で冷たい鳥龍茶ウーロンちやを買って、それに口をつけながらようやく安堵あんどする。
(と、とりあえず生き延びたか……。上の『アイテム』の連中は大丈夫だいじようぶだったのか? だーちくしょう。もう全部丸投げにして、どこか旅に出たい)
 しかし無情にも携帯電話が鳴りひびいた。
 画面を見て浜面はうめき声をあげる。
『アイテム』の麦野沈利むぎのしずりだった。
「よー。電話に出たって事は、とりあえず生きてるみたいだね。……手錠てじようをかけられて電話を耳に押し付けられてる、なんてヘマはしてないでしょね?」
「一応生きてるぜ……。おれが『当たり』を引いたんだから、そっちは無事なんだろうけど」
「そりゃご苦労さん。おかげで私は楽ができた。んで、悪いんだけどすぐに戻ってくれないかな。したの雑用係に仕事ができたの』
 仕事? と嫌そうな顔をする浜面に、麦野は続けて言う。
 あっさりと。
『死人が出たの。こいつの処分を頼みたいんだけど』

     12

 一方通行アクセラレータを乗せたオープンカーが第二三学区のターミナル駅の近くでまった。
 彼は呆然ぼうぜんとしている運転席の若い男に紙幣しへいを何枚か投げ渡し、オープンカーを降りる。
 ここは第二三学区唯一の駅だ。
 たくさんの路線がここへつながっているのだが、その駅の中で貨物用のホームは一番端にある。終点であるにもかかわらず、線路はさらに奥へ奥へと続いていた。列車を整備するための操車場に繋がっていて、コンテナが大量にある場合はそちらでも荷を下ろす事ができるのだ。
 一方通行アクセラレータ邪魔じやまつえを気にしつつ、駅の施設の外周をなぞるように移動しながら、地上アンテナを目指す。彼が歩いているのは関係者以外の立ち入りが禁止されたコンテナ置き場だ。
(時間はおよそ一〇分弱。大物アーティスト並のスケジュールだな)
 彼は首の電極へ意識を向ける。
(衛星用の地上アンテナはここから数キロって所だが、そこまで一般車で行くのは無理だな)
 バッテリーの残量は三〇分程度。可能な限り消費は抑えたいが、ここは使うしかないだろう。今から車を探すのは面倒だし、ベクトル変換能力を使って『走った』方が速そうだ。
 そう思い、一方通行アクセラレータは首筋にあるスイッチへ手をやろうとしたが、

「おやおや。これはいけませんね」

 真後ろから、いきなり柔らかい男の声が聞こえた。
 今までだれかがいるとは思えなかった。
「ッ!!」
 バッ!! と一方通行アクセラレータはズボンのベルトに挟んだ拳銃けんじゆうを引き抜きつつ振り返ったが、そこには誰もいない。
 現代的なデザインのつえをつく体が、わずかに揺れる。
 彼は左手にある拳銃の先端で、首の電極のスイッチを押そうとしたが。
「それがあなたの弱点ですね」
 その手を後ろからつかまれた。
「どんなに強い能力でも、スイッチさえ押さえてしまえは発動できないんですよね」
 一方通行アケセラレータがその手を振りほどく前に、ガギン!! と側頭部に重たい衝撃しようげきが走り抜けた。こぶしなぐる感じではない。まるで鉄パイプや鉄槌てつついで殴ったような鈍いものだった。
 彼の顔の横に、どろっとした液体が垂れる感触がした。
「っ! オマエ……『ブロック』か!?」
「いえいえ。私は『ブロック』ではなく『メンバー』ですね」
 背後からの声。
 メンバー。
『グループ』や『スクール』と同じ、五つの組織の一つ。
(クソッたれが。次から次へと―――ッ!!)
「連中とは利害が一致している訳ではないんですけどね。とりあえず、衛星の地上アンテナ破壊はかいめさせていただきますからね」
 ぐらぐらに揺らぐ頭で後ろを見たが、やはりそこには誰もいない。
 だが、一方通行アクセラレータは迷わなかった。
 そちらに目をやったまま、真後ろへ自分の足を振り、襲撃者しゆうげきしやの足をつぶす。その衝撃しようげきで左手の拘束が解けると、一方通行アクセラレータは振り返りもしないで拳銃だけを後ろへ向けて二、三発立て統けに発砲する。
「―――ッ?! チッ!!」
 当たりの感触を掴んでから、一方通行アクセラレータは首の電極のスイッチを素早く切り替える。
 通常モードから能力使用モードへ。
 それから勢い良く振り返る。
 やはりそこには誰もいなかった。
 しかし軽くあちこちへ目をやると、発砲音におどろいて近づいてきた鉄道員の背後に、だれかが立っていた。
 その男は、わき腹と太股ふとももかするような浅い傷を作り、血を流していた。ダウンジャケットが裂け、羽毛が赤く染まっていた。としは高校生ぐらいで、そいつは後ろから鉄道員の首に洋風のノコギリを押し付けている。
 一方通行アクセラレータは鼻で笑った。
「他人の背後に回る事しかできねェ空間移動系能力者、か。つまンねェ能力の持ち主だ。レベルは4まで届いてねェだろ。普通、自分の重量を動かせる空間移動系なら、その時点で大能力レペル4扱いされるのにな」
「っ」
「負け犬が。自分の力で一一次元上の理論値を計算できねェから、他人の位置情報を元に補強してもらわねェと能力の発動もできねェ。身に余ってンぜ、そのチカラ」
「……電極にたよるあなたには言われたくありませんがね。それと、おしゃべりは終わりですね。『博士』からもたのまれていますので、ここで足止めさせていただきますかね」
「人質か? 盾にもならねェよ。そもそもおれねらいはオマエじゃなくて衛星の地上アンテナだ」
「あなたは人質を捨て置けない」
 死角移動キルポイントとでも呼ぶべきか、とにかく襲撃者しゆうげきしやの男は鼻で笑った。
「そうでないなら、そもそもここまで来て『ひごぽしⅡ号』を止めようとも思わないはずですしね。他人こいつの命を使えば、あなたは必ず止まってくれますよね? まぁ足りないと言うのなら、もっとたくさんの血の海を作ってあげても良いんですけどね」
 ノコギリを首に押し付けると、若い鉄道員が『ひっ』と声を上げた。
「……美学が足りねェな」
 それを見た一方通行アクセラレータは、ゆっくりと拳銃けんじゆう構える。
「悪党の美学ってヤツが全く足りてねェよ、オマエ」
「私をつつもりなら、やめておいた方が良いですね。その銃の照準は、左右方向へかなりの誤差があると思いますからね」
 言われてみれは、確かにいつもと手応てごたえが違う。
 おそらく一方通行アクセラレータが背後に密着した死角移動キルポイントを撃った時に、死角移動キルポイントの手が照準装置を乱雑に動かしたのだろう。その気になれは再調節は可能だが、この緊迫きんぱくした状態でのんびりとメンテナンスを行っている暇はない。
 多少の照準がずれていたとしても、一方通行アクセラレータの腕ならターゲットに当てるのは難しくない。
 しかし、人質が盾に使われている場合は別だ。
 世の中には、勘で対処して良い問題といけない問題がある。
「なるほど。確かにこいつは面白い状況じゃねェな」
「で、どうします?」
「こォしてやる」
 言いながら一方通行アクセラレータは、拳銃けんじゆうを自分のこめかみに向けた。
 死角移動キルポイントが何か思う前に、一方通行アクセラレータは迷わず引き金を引く。
 パン!! という発砲音と共に、
「ぐッ、ああああああああああああああああッ!?」
 死角移動キルポイントの体が大きくけ反った。
 その肩に赤黒い風穴が空いている。死角移動キルポイントは何とかん張ろうとしたが、そのまま地面へ倒れ込んだ。
 一方通行アクセラレータが自分の頭に当てた弾丸を、ベクトル操作して死角移動キルポイントへ向けたのだ。
 拳銃を軽く横へ振り、一方通行アクセラレータは鉄道員に『どけ』と示す。
 慌てて転ぶように横へ逃げる鉄道員を見ながら、一方通行アクセラレータは改めて銃口を前へ。
「確かに銃の照準はズレてるみてェだが」
 引き金に指を掛ける。
「一度おれの体を介して、ベクトルを『操作』しちまえはそいつは修正できる。俺のカの精度は拳銃の照準なンかとは比べ物にもならねェンだよ」
「くっ……」
 死角移動キルポイント一方通行アタセラレータへ顔を向けたまま、眼球だけを動かして周囲の様子を観察する。
 それを見た一方通行アクセラレータの口にあざけりが浮かぶ。
「イイぜ。だれの後ろへ回ろォが知った事じゃねェが、俺はオマエをぶち抜く。どこへ逃げよォが必ず次の一手でオマエを粉砕する。逃げろよ豚。そいつを肝に銘じて恐怖しろ」
「……ッ!!」
 死角移動キルポイントのどが干上がる。
 その表情を一方通行アクセラレータは無視した。
「さてと。美学が足りねェオマエに一つ教えてやる」
 一方通行アクセラレータは口元に笑みを浮かぺ、静かに言った。

「これが超一流の悪党だ、クソ野郎」

 パンパン!! と銃声が連続した。
 死角移動キルポイントは多少抵抗したが、すぐに動かなくなった。

     13

 浜面仕上はまづらしあげは広大な空間にいた。
『スクール』の追っ手から逃げきった後に待っていた仕事は、得体えたいの知れない焼却処分だ。
 ここは今はだれも使っていない。廃墟はいきよとなったビルだ。その建物の半端はんぱな階の真ん中に、何故なぜか巨大な装置が鎮座ちんざしている。分厚い金属でできたコンテナほどの大きさの塊の正体は、実験動物廃棄用の電子炉だ。三五〇〇度近い膨大ぽうだいな熱を使って、動物の死骸しがいと各種細菌をまとめて殺菌処分してしまう。
「……どうやって電力を引っ張ってんだか。コンセントぐらいじゃ足りないだろうに」
 浜面は揚違いな大型装置を見てポツリとつぶやいた。
 彼の仕事は簡単だ。
 大金庫の扉のように巨大なハンドルのついた金属ふたを開け、その中に黒い寝袋を放り込み、再び金属蓋を閉めて、今度は電子炉を操作する。操作と言っても事前の調節は済ませてあるので、後は赤くて目立つ着火ボタンを押せば良いだけだ。
 寝袋の中身については考えない方が良い。
『アイテム』の麦野沈利むぎのしずりにはそう忠告されていた。
 浜面としてもそうしたい。
『アイテム』だの『スクール』だの、そういった極秘集団の思惑など、実の所したの浜面はあまり深く考えていない。この街で生き残るために必要だからここにいるだけなのだ。
(……、)
 しかし、黒い寝袋の妙に生々しい重さを感じるたび、分厚い合成布を通して伝わるぶよぶよした感触をてのひらとらえるたび、脳裏に見た事もない誰かの顔が想像された。浜面はそれを無理に振り切って。寝袋を電子炉の中へ放り込み、分厚い金属蓋を閉めてロックを掛ける。
 後は赤いボタンを押すだけだ。
 電気的に作られた三五〇〇度の熱は、あっという間に死体を処分し、DNA情報すら破壊はかいして、人間を単なる灰へと変えていくだろう。
 浜面は寝袋の中に入っている人間の事を少しだけ考えたが、それでも親指をボタンに掛けた。
 できるだけ何も考えないようにしていたら、本当に顔から表情が消えた。
 その事に少しだけ恐怖を覚え、指先がふるえた途端に、自分の意志とは関係なしに指の腹が赤いボタンを押してしまっていた。
 ゴゥン、という低い音と共に『処分』が始まる。
 浜面はしばらく何も言わずにそれを眺めていたが、やがて一歩、二歩と後ろへ下がると、そのままほこりだらけの床に座り込んでしまった。
「……、」
 あの寝袋には一体だれが入っていたんだろう。
 そいつは浜面はまづらと同じした無能力者レベル0かもしれないし、大物の能力者の可能性もある。子供とは限らないが、大人であるとも断言できない。敵だったのか、いや味方でもヘマをすれは麦野むぎのは殺すかもしれない。どんな事情を抱えていたかは知らないし、あるいは何の事情もなく巻き込まれただけという事もありえる。
 それら全すべてが焼かれて消える。
 あの分厚い金属の装置の中で、人間がまったく別の何かへ変わっていく。
 法的に『人間』と認められなくなった『灰』は、どこへともなく消えていくだろう。その辺にある生ゴミの自動処理オートメーシヨンの中にでも放り込まれ、グチャグチャにかき回されて肥料として出荷されるかもしれない。仮にゴミの中から『灰』が見つかったとしても、もうそれは人間として扱われない。DNA情報を紛失した肉体は、物的な証拠として認められないのだから。

「はまづら」

 後ろから声をかけられても、浜面仕上しあげはしばらく動けなかった。
 電子炉からはピーピーという甲高い音が鳴っていて、焼却処分が完了したというむねの文章がモニタに表示されている。
「はまづら。どうしたの?」
 彼の背後から話しかけているのは、『アイテム』の滝壺理后たきつぼりこうだろう。
 別名は能力追跡AIMストーカー
 浜面と違って、大能力レベル4という高いチカラを持つ少女。
 そのカゆえに道を誤ったのだろうが、浜面にとってはうらやましい限りだ。
「……人の命って、何なんだろうな」
 ぐったりと力を抜き、ただ視線を電子炉に向けたまま、浜面は言った。
 別に死体を見るのは初めてではないくせに、胸にかかる重圧は相当なものだった。
「ちくしょう。無能力者おれたちの命って、一体いつからこんなに安くなっちまったんだよ……」
 はまづら、と名前を呼ぶ声が聞こえた。
 彼はその声を無視して起き上がると、電子炉のふたを開けて中身の灰をかき集めた。
 浜面仕上の仕事は、まだ終わっていない。

     14

 海原光貴うなばらみつきは第一〇学区の雑居ビルにいた。
 ここは『ブロック』の隠れ家の一つとして機能している。
 今は『ブロック』の正規メンバー三人と、その下部組織の戦闘員せんとういんが十数人集まっていた。もっとも、その正規メンバーの一人に海原光貴うなばらみつきはすり替わっている訳だが。
「……そろそろだな」
 佐久辰彦さくたつひこくまのような巨体を揺らして言った。
 彼の前には一台のノートバソコンがあった。見た目はコンパクトだが、本体からコードが伸びていて、その先には積み過ぎたサンドイッチのようなものがある。どうやら市販のCPUを一五枚近く平積みし、その隙間すきま隙間に液冷チューブを通しているらしい。
 筋肉質の女性、手塩てしおは画面を見ながら、佐久に話しかける。
「成功したのか」
おおむねな。ウィルス保管センターをダミーに使ったおかげで、第二三学区も手薄てうすになった」
 佐久は手塩の方を見ないで口を動かす。
「これで、隅から隅までアレイスターのにおいがみ渡った、クソみたいな世界からおさらはできる。こいつはそのための第一歩って所だな」
 特にく者を意識した演説という訳ではない。佐久の口調は独り言に近い。
 にもかかわらず、彼の言葉には力を感じさせるものがあった。
「ここはまだ第一歩。ゴールまでにゃ距離きよりがあるが、それでも第一歩、だ」
「……、」
 海原は、さりげなく壁に掛けられた時計へ目をやる。
 衛星が乗っ取られるまで、あと数分しかない。
 一方通行アクセラレータからの連絡はない。地上アンテナの破壊はかいに成功したかどうかも分からない。海原は、自分のふところへ注意を向けた。そこにあるトラウィスカルパンテクウトリのやりについて考える。
(……あのパソコンを破壊すれば済む話ですが、そうなったら自分の命はないでしょうね)
 じっとりとてのひらに汗が浮かぶ。
 決断までの猶予ゆうよはない。
 しかしそこで、手塩恵未めぐみがこう言った。
「第二三学区で、動きが、あったようだ。現地の警備員アンチスキルが、数名倒されている。通信を、傍受した限り、救急隊が、首をかしげるほど、命に別条は、ないらしいがな」
 その場の全員が女の方を見た。
警備員アンチスキルが、倒れた点と点を、結べば分かるが、そいつは、ターミナル駅から、地上アンテナへ、ぐ進んでいる。すざまじい速度だな。とても、徒歩とは、思えない」
「どこの所属だ」
 佐久は尋ねた。
「どうせまともなヤツじゃあないだろう。アレイスターの犬となると、『メンバー』の連中か」
「いや」
 手塩てしおはあっさりと言う。
「『グループ』だろう。あの白髪には、見覚えがある。確か、最近こっちへ来た、超能力者レペル5だ」
(……見覚えがある?)
 海原うなばらは疑問に思ったが、それはすぐに解決した。
 手塩の手には携帯電話よりやや機能が充実した、ビジネス用の小型端末があった。そしてその画面には、超望遠で映したらしき粗い映像がある。
 画面端の数字によると、倍率は四〇〇〇倍。おそらく第二三学区の外に『ブロック』の下部組織の人間を置いて、そいつに撮影させているのだろう。
 モニタには、地上アンテナへ向かう一方通行アクセラレータが映っていた。
 彼の能力を使えは、直径二五メートルのパラボラを破壊はかいするなど造作もないだろう。
 そして、それをこの『ブロック』がだまって見ているとは思えない。
(まずい、いや、大丈夫だいじようぶか……? たとえ捕捉ほそくされていたとしても、あの距離きよりから正確に狙撃そげきするのは不可能でしょうし)
「どうするんだ」
 手塩恵未めぐみは端的に指示を仰いだ。
 くまのような巨体の佐久さくへ、全員の視線が移る。
「そりゃあ決まってる」
 特にあせりのない声を聞いて、海原の全身に緊張きんちようが走る。
 何か対策があるのだ。
 地上アンテナの近くに無線起爆式の爆弾か何か仕掛けてあるのだろうか、とも考えたが、熊のような大男の答えは別のものだった。

「あいつの成功を祈るだけだ」

 海原光貴みつき一瞬いつしゆん、訳が分からなくなった。
 しかしすぐに思考は回復する。
(しまった……。こいつらの狙いは!?)
「俺おれたちの能力じゃあ、第二三学区の正面突破は難しかったからな。しかしまあ、地上アンテナを破壊しない事には始まらない。だから、もっと有能な馬鹿ばかに手伝ってもらう必要があったって訳だ」
「意外に、考えすぎだったのかも、しれない。超能力者レペル5は、もうアンテナに、到着している」
「この状況をどっかで観察してる『上』が道を開けたんだろ。あそこには空軍関係の兵器がゴロゴロある。本来なら攻撃ヘリHsAFH-11を主力とした無人兵器が迎撃に当たってるはずだ。ま、あの超能力者レペル5ならそれでもぎ倒せそうだけどな」
(搭載されていた光学兵器に気を取られていましたが、ひこぼしⅡ号の主な使用目的は学園都
市と周辺地域の監視……。地上アンテナを奪うという事は、その攻撃こうげき能力だけでなく、監視機
能までも麻痺まひさせてしまうという事になる!!)
 海原うなばらはポケットの中の携帯電話の事を考えたが、いくら何でもこのタイミングで場所をはなれて連絡を取るのは難しい。
 手塩てしお佐久さくの顔をジロリと見る。
「第一一学区、外壁の『外』で、待機している連中……本当に、使えるんだろうな」
「今回の『計画』に限れば、ああいう連中の方が適任だ。何だ、まさか無関係な人間を巻き込むのをためらってんじゃあねえよな」
 大男は必要のなくなったノートパソコンのクラッキングプログラムを停止させると、機材の電源を切って下部組織の連中ヘパソコンを軽く投げた。

「行くぞ。壁の外じゃあ五〇〇〇人の傭兵達ようへいたちが待っている」

 一〇月九日午後一時二九分。
 衛星通信用の地上アンテナは破壊はかいされ、各衛星の機能は封じられた。
 これによって、上空からの監視もうを失った学園都市の防衛機能は大幅に低下した事になる。

   行間 二

『スクール』所属の超能力者レベル5垣根帝督かきねていとくは第四学区にいた。
 ここは学園都市でも数多くの料理店が並ぶ場所で、食品に関する施設も多い。それらの一つである食肉用の冷凍倉庫の中ヘステーションワゴンを隠しているのだ。
「『アイテム』の気配はないし、どうやらひとまず逃げきったみたいだな」
 垣根はステーションワゴンの後部扉を開け、その中身を確認する。
 中にあるのは冷凍肉ではない。小型のクローゼットほどの大きさの、金属製の巨大な箱だ。
「……これが、『ピンセット』……」
『スクール』の下部組織の一員である運転手が、うめくようにつぶやいた。
 垣根は口元に笑みを浮かべ、
「超微粒物体干渉用吸着式マニピュレータ。ま、平たく言えは原子よりも小さな素粒子をつかむ機械の指だな。だから『ピンセット』なんだ」
 世界中の物質は複数の素粒子の組み合わせで成立している。素粒子工学研究所では物質から意図的に素粒子を抜き取り、不安定な物質を作って色々な実験を行っていたらしい。
 原子よりも小さい物質を、一般的なアームで掴み取る事は難しい。『ピンセット』では磁力、光波、電子などを利用して『吸い取る』方法を樺築しているようだ。
「一歩間違えば、原子崩壊ほうかいが起きてたかもしれねえんだがな」
「は?」
 何でもねえよ、と坦根は告げた。
「『アイテム』にぶっ殺されたスナイパーを補充したり親船おやふねったり、色々と下準備が面倒だったが、まぁ、それなりの価値はありそうで一安心だ」
 運転手はしばらく大型装置を眺めていたが、
「しかし、こんなものを強奪して、一体何をするつもりなんですか?」
「何ってそりゃお前、そのまんまだよ。細かいものを掴みたいんだ。そいつがアレイスターへの突破口にも繋がっている」
「???」
 運転手は訳の分からなそうな顔をしていたが、垣根は特に説明を追加しなかった。ステーションワゴンの荷台にあった工具箱を開けると、中からドライバーを取り出して、大型装置『ピンセット』のネジをゆるめていく。
「こ、こわしてしまうんですか?」
「組み直すんだ」垣根かきねはつまらなさそうな声で、「こいつがどうしてこんなデカいか知ってるか。盗難防止のためだ。本来、必要最低限のパーツだけを集めりゃ、もっと小さくできるはずだ」
 ガチャガチャという音がしばらく続いた。
『ピンセット』はすぐに組み直され、本来の最適化された形に変化する。
 垣根が手にしているのは金属製のグローブのようなものだった。人差し指と中指の二本にはガラスでできた長いつめのようなものがついていて、そのガラスの爪の中に、さらに細い金属のくいのようなパーツが収まっている。手の甲の部分には携帯電話のような小さなモニタがあった。
 ガラスの爪から素粒子を抽出し、その中の金属杭が各種測定を行うらしい。
「そ、そんなに小さくなってしまうんですか」
「ま、それが学園都市の先端技術ってヤツだ。発展し過ぎても間題なんだよな」
 垣根はグローブを右手にはめて調子を確かめながら答えた。
「よし、良い感じだ。……ほかの連中と運絡つけろ。次の行動に移るぞ」
 はい、と運較手がうなずいた時だった。
 バギン!! という鋭い金属音が冷凍倉庫にひびき渡る。
 垣根と運転手がそちらを見ると、冷凍倉庫の分厚い壁が、ドアのように四角く切り取られて
いた。内側に倒れた壁の向こうから、真昼のまぶしい光が差し込んでくる。
 外にはだれもいない。
 しかし襲撃しゆうげきの手は確かにこちらへ向かってきた。
「ぎやっ。ぐあああああああああッ!?」
 運転手がいきなり絶叫する。
 垣根が目を向けると、運転手の顔の皮膚ひふが消失した所だった。さらに脂肪や筋肉が順番に消えていき、最後には脳みそもなくなり、服と骨だけになって地面に崩れていく。
 カラカラという音は、プラスチックのように軽かった。
 垣根はわずかにまゆをひそめる。
「垣根帝督ていとくか。超能力者レペル5をここで失うのは惜しい事だ」
 方向のつかめない声が垣根の耳に届く。
 彼は全方位に注意を向けながら、組み直したはかりの『ピンセット』を起動させる。
(まさかここで使うとはな)
「……『グループ』か、それとも『アイテム』か」
「残念だが、私は『メンバー』だ。時に垣根少年、君は煙草タバコを吸った事はあるかね?」
 音源不明な中年男性の声は、ゆったりとしていた。
「箱から煙草を取り出す時、指で箱をトントンとたたくだろう? 私は子供のころ、あの動作の意味が分からなかった。しかしとにかく見栄え良く思えたんだな。だから私は、菓子箱をトントンと叩いたものだ」
「ああ?」
「今の君がしているのは、そういう事だと言っているのだよ」
「ナメてやがるな。よほど愉快な死体になりてえと見える」
 その時、右手に装着した『ピンセット』からピッという電子音が聞こえた。
 モニタを見ると、採取した空気中の粒子の中に、機械の粒のようなものが見えた。電子顕微鏡サイズの世界の中に、明らかな人工物が混じっている。
「ナノデバイスか。人間の細胞を一つ一つむしり取っていやがったんだな」
「いや、私のはそんなに大層なものではないよ。回路も動力もない。特定の周波数に応じて侍定の反応を示すだけの、単なる反射合金の粒だ。私は『オジギソウ』と呼んでいるがね」
 どこにいるか分からない中年男性は退屈そうな声を出した。
「しかし、複数の周波数を利用すれは、テレビのリモコンを使ってラジコンを操るような感覚で制御できる。普段ふだんはこれを空気中の雑菌に付着させ、相乗りさせて散布している訳なのだよ」
 ザァ!! という音が垣根帝督かきねていとくの周囲を取り囲んだ。
 彼は辺りへ目を走らせたが、逃げ道を見つける前に『オジギソウ』がおそいかかる。

 機械製の獣を引き連れた『メンバー』の博士は、冷凍倉庫の外にのんびりとたたずんでいた。そ

の手にある小型端末には『オジギソウ』操作プログラムの稼働かどラ状況が表示されている。
 博士がいるのは、道路の歩道に沿うように築かれたバザーだ。この区画は業務用に限り路上駐車が認められていて、色とりどりの果物を積んだ、クレープの屋台のような商業用バンがズラリと展開されている。
 かたわらにいる機械のけものはこう言った。
『上からの情報通り、第四学区の冷凍倉庫でしたね』
「それが上層部の力なのだよ。学園都市は彼らの領土だ。この街には得体えたいの知れない技術があふれている。逃げ切る事などできんさ。どうあがいてもな」
 毒々しいほど真っ赤な南国の果物に口をつけながら、博士は静かに言う。
「私が芸術に絶望したのは、一二歳の冬だった」
 機械の獣は博士の言葉をだまって聞いている。
「ヨーロッパの建築にあこがれていた。たった一つの美を完成させるために、膨大ぼうだいな時間と人員を使って『作品』を築くスケールの大きさにれたのだ。だが、同時に理解するのは難しかった。ただ建物の外観を眺めて『美しい』と言うのは簡単だ。しかし細かな意匠の一つ一つまで丁寧ていねいに理解していこうとすると、建築はそのスケールゆえ莫大ばくだいな時間を必要とする。ていに言えば、見所が多すぎて疲れてしまうのだな」
『だから博士は数式に執着を抱いたのですか』
 うむ、と博士はうなずいた。
「数式は良い。無駄むだがなく、機能的で、最小のスペースに色とりどりの美が込められている。数式はそれ自体が芸術的な美しさを持ち、同時に俳句のような詩的な美をも兼ね備えているのだ。その上、それら数多くの美は、たった一行を紐解ひもとくだけで余す所なく堪能たんのうできるときた。……私は世界の隅に隠れた美を見つけ、この素晴らしい美をそっとでたいのだよ。そのためならは、だれの足元にでも平伏ひれふそう。アレイスターの犬と呼ばれても構わんよ」
 博士は腕時計に目をやった。
 そろそろ『オジギソウ』が敵性の排除を終えているころだ。
 第二位の超能力者レベル5を仕留めた事にアレイスターは良い顔をしないだろうが、それなら新しい超能力者レベル5を作ってしまえはそれで問題ないだろう。
「さて行くか。『ピンセット』を回収し、反乱分子である『スクール』のほかの正規要員をつぶせば仕事は終わりだ」
『我々「メンバー」の一人、査楽さらくが第二三学区のターミナル駅近辺でダウンした件は?』
「確か、一方通行アクセラレータからは『死角移動キルポイント』などと呼ばれていたな。まぁ死んでいないなら放っておいても大丈夫だいじようぶだろう。暇があるなら君が回収しておきたまえ」
 博士は言った。
 しかし機械製の獣は答えなかった。

 ゴッ!! という爆音と共に。
 冷凍倉庫が内側から粉々に吹き飛ばされたからだ。

 あまりの爆発力に、周囲のビルのガラスがまとめてたたき割られた。人々が悲鳴をあげて逃げ惑い、歩道に面したバザーの商業用バンでも軽いさわぎが起こる。
 もうもうと立ち込める粉塵ふんじん
 それを突き破って、垣根帝督かきねていとくがゆっくりと歩いてくる。
 彼の体に傷はない。
 傷一つない。
「よお。確か絶望したのは、一二歳の冬っつったよな」
 博士は慌てて『オジギソウ』へ指示を出すが、応答はない。空気中の微粒子が爆発によってまとめてぎ払われたせいで、近くを滞空する『オジギソウ』も遠くへ追いやられてしまったのだ。
 博士の切羽詰せつぱつまった様子を見て、垣根は小さく笑った。
 笑いながら、彼はこう言った。
「もう一度ここで絶望しろコラ」

第三章 超能力を封じられた土地で Reformatory.

     1

 馬場芳郎ばばよしおの全身から冷や汗が吹き出した。
 彼は博士と同じ『メンバー』の人間だ。遠隔操作で四足歩行のロボットを操って博士のサポートを行っていたのだが、
「あの野郎……真っ先に死んでんじゃねえよ!!」
 思わず悪態をついたが、死人は自分を助けてくれない。
 馬場は舌打ちすると、撤収てつしゆうの準備に取り掛かった。ここは第二二学区―――地下数百メートルまで開発の進んだ地下市街にある、『避暑地ひしよち』と呼はれるVIP用の核シェルターだ。本来は統括理事会の一人の私物なのだが、『避暑地』など減多めつたに使わないので、馬場はセキュリテイを勝手に解除して利用していた。別荘のように豪奢ごうしやな作りの内装に、ネット会議用の特殊回線まで備えた『避暑地』は、ハッカーの馬場にとっては素晴らしい環境だった。以前から目星はつけていたのだが、今日実際に居心地を確かめると、それは格別なものだった。
 しかしここも絶対安全な場所ではない。
 敵の能力は不明だが、空間移動系の能力なら、壁の分厚さは当てにならない。博士をあっさり殺したのは、学園都市でも七人しかいない超能力者レベル5だ。ああいう連中は、シェルターの扉を力技でこじ開けかねない。おまけに対隔壁用ショットガンなどの暴新装備を持ち込んでくる可能桂もある。
(じきにここも勘付かれる。その前にここをはなれるしかねえ!!)
 ノートパソコンを中心とした機材のいくつかをバッグへ詰め込み、ついでに『避暑地』内に保管されていた札束をつかんでから出口のエレベーターへ向かう。
 だが、ボタンを押しても反応はなかった。
「……?」
 別の所にある階段へのドアに向かったが、やはリロックは解除されない。
 その時、シェルター内の照明が真っ赤に切り替わった。ギョッとする馬場がシェルター保全用の管理モニタへ目をやると、『安全保障上の理由によりすペてのロックが閉鎖へいさされました』と表示されている。
 馬場が目をいた時、彼の耳に妙な音が聞こえてきた。
 ドドドドドドド、というのは……まるで滝のような音だった。
 相当な音だった。何しろ、シェルターの分厚い壁を通して聞こえるぐらいなのだから。
「水だと……ッ!?」
 馬場芳郎ばばよしおの脳裏に嫌な想像が駆け巡る。
 もしも、何者かがエレベーターシャフトや地下への階段に、消火ホースなどを使って何トンもの水を投入しているとしたら……。
 もう人間の手はおろか、モーターを使った自動制御であっても、あらゆるドアは莫大ばくだいな水圧を受けてまともに動かなくなっている。そして仮にドアが開いたとしても、その先に待っているのは恐ろしい量の水による圧倒的な蹂躙じゆうりんだ。
『メンバー』には空間移動系の能力者―――一方通行アクセラレータから『死角移動キルポイント』と呼はれていた査楽さらくがいたが、そちらも第二三学区で撃破げきはされてしまっている。この状況での救いにはならない。
「チッ!!」
 馬場は急いでバッグからノートパソコンを取り出して起動させると、ネット会議用の通信回線に接続し、同じ『メンバー』の仲間に連絡を取る。博士も『死角移動キルポイント』もいなくなった今、もう仲間はただ一人―――博士が魔術師まじゆつしと呼んでいた少女しかいない。
 しかし、事情をメールで知った仲間からの返答は簡潔なものだった。
『確か貴様が集めていた各組織の情報は、別サーバに保管されていたな。それさえあればお前に用はない。私は私の敵を追う。貴様の尻拭しりぬぐいに付き合うだけの時間はない』
「くそったれが!!」
 馬場は思わず叫んだ。もう恥も外聞も捨て、下部組織の連中や『電話の声』などに助けを求めようかとも思ったのだが、その時、パソコンの画面が急に止まった。嫌な予感がして色々操作してみると、どうも回線のケーブルを直接切断されたらしい。そのために情報の更新が止まってしまったのだ。
 ノートパソコンからコードを外し、馬場はうめき声を出す。無理にでも楽観的な事を考えようとしたが、どう頭を使っても出てくる答えは一つだけだった。
 閉じ込められた。
 馬場がその事実を認めた時。今までたのもしかった分厚い壁が、全方位から暗い重圧をぶつけてきた。食糧はどれだけあったか。酸素は足りるのか。救助が来るのはいつなのか。本当に救助はやってくるのか。
 ぐるぐると想像の中だけであせりを加速させていく馬場は、やがて抱えていたバッグを床にたたきつけ、髪の毛を両手でむしり、動物のように絶叫した。
 世界で一番安全な空間の中、実際には今後一年間は不自由なく生活できるほどの酸素と食糧
に囲まれておきながら、馬場芳郎の精神は想像という名の怪物にわれて消減していく。

     2

 第一一学区。
 海に面していない学園都市は物資のやり取りを陸路と空路の二種類でしか行えない。そして外壁に面した第一一学区は、陸路最大の玄関口として機能していた。
 海原光貴うなばらみつきを含む『ブロック』のメンバーはそこにいた。
 辺りには四角い建物が並んでいた。普通のビルとは違って壁のない建物で、立体駐車場にも似ている。学園都市製の電気自動車が、出荷を待って待機しているのだ。
 一日に七〇〇〇トン以上の物資をやり取りする第一一学区の倉庫街は広大だ。
 出入りを直接管理するゲート周辺の管理は厳重だが、それに反して倉庫街の方は、隅から隅まで監視をつける事はできない。この学区は、 一般的な港の埠頭ふとうとも似通っているだろう。昔なつかしいマフィア映画よろしく、夜な夜な怪しげな取り引きの場に使われる事も珍しくない。
 そして、
(あれが『外壁』……)
 海原は視線をそちらへ向ける。
 軽く五〇〇メートル以上はなれているにもかかわらず、その威眷をまざまざと見せつける巨大な壁。万里の長城のように壁の上には通路があり、双眼鏡で確認すれは今もドラム缶型の警備ロボットが行き来しているのが分かる。
 魔術師まじゆつしの中には外壁を乗り越える者もいる。しかしそれは、外壁の警備が『科学的』なセンサーに守られているからであり、『魔術的』な策に弱いという側面があるからだ(……と海原は信じたい。そこまでアレイスターに計算されて遊ばれているとは思いたくない)。
 しかし現在は衛星による監視が消えたため、警備強度は極端に下がっている。魔術的な手を使わない普通の人間にもチャンスは訪れる。
 あの向こうに、佐久さくが呼び寄せた五〇〇〇人の傭兵ようへいが待機しているはずだ。
 近くの建物や車内に散らばって身をひそめ、学園都市製の衛星のセキュリティが切れるのをじっと待っていたのだろう。
 それが分かっていても、海原には情報を確実に伝達する機会に恵まれなかった。『グループ』の人間はこれを知らない。学園都市の上層部もつかんでいるかどうか。『衛星による攻撃の阻止』というとりあえずの危機を自分たちの手で解決した彼らは、その事で安堵あんどしてしまっている可能性が高い。
(その傭兵達を招いて、何かを実行するのが『ブロック』の目的……。ですが、それは何でしょう。連中は一体どこをおそおうとしているのか……)
山手やまて。心配でも、しているの」
 ふと、近くにいた手塩恵未てしおめぐみがそんな事を言った。
 山手やまてというのは、海原うなばらが変装している男の名前だ。
「別に……」
 海原は短く答えた。
 本来、変装は元となる人物を最低一週間は追跡調査してから行う。モデルの人物像をつかめない内は、迂闇うかつな発言は控えた方が良い。
 手塩の方も、海原の態度を特に気にしなかった。
 大きな計画の最中で、緊張きんちようしていると判断したのだろう。
「衛星をつぶしたのは良いが、まあだ警備ロボットの方は動いてやがるな」
 佐久辰彦さくたつひこはそう言った。
 手塩はくまのような大男の方へ顔を向ける。
「間題が、あるのか」
「いいや。あの手のロボットには火器は搭載されちゃあいないし、障害にはならないだろう。タイミングさえ誤らなけれは外壁は越えられる」
「何で武装していねえんだ?」
 海原はとりあえず会話に混ざった。
 佐久は海原の目をチラリと見て、
「理由は色々だよ。あそこにあるロボットは、常に外周部を守ってるからな。万に一つでも誤作動して、へいの『外』を歩いている人間に弾が当たっちまったら問題だ。後は装弾数の都合もある。あの機種のロボットはマガジンの交換なんてできやしねえから、弾層が空になったらそれまでだし」
「では、仮に発見されたとしても、警報を鳴らして、終わりなの」
 手塩恵未は拍子抜けしたように言った。
「それなら、手間をかけなくても、強行突破で。良かったんじゃないの?」
「いいや。外壁警備のロボットは特殊回線を持っててな。警報が入ると第二三学区の管制へ直通で連絡を送って、そっちの無人攻撃こうげぎヘリを呼び寄せる仕組みになってる。今の主力は『六枚羽』っていう、迎撃兵器ショーにも登場した最新型だ。見つかったら苦労するぞ」
 佐久は太い腕に巻かれた腕時計に目をやった。
「あと一〇分で、外壁上の警備ロボットのローテーションが切り替わる」
「……、」
「ヤツらの動力は電気だからな。二四時間駆動させる訳にはいかない。どこかで充電しなくちゃあならないって訳だ。だから、駆動組と充電組に自然と分かれちまう」
 この交代作業のために、一日の内ロボットを使った外壁警備は、二〇分から三〇分ぐらいのすきが生まれるらしい。
 普段ふだんならそれでも問題はないのだろう。
 学園都市製の人工衛星は、絶えず学園都市とその周辺を監視しているのだから。
 しかし今は違う。
 その二〇分間は、正真正銘の『空白』となってしまう。
「可能な限り、車を用意しておけ。ナンバープレートを付け替えるのも忘れるな」
 佐久辰彦さくたつひこは、『プロック』の下部組織の連中へ指示を出した。
「その辺の立体駐車場にめてある、出荷予定の電気自動車だ。そいつを使って五〇〇〇人ほど運搬うんぱんしなくちゃあいけないからな」

     3

 空白の二〇分が始まった。
 第一一学区の倉厚街で、立体駐車場の四角い建物に取り囲まれたまま、海原光貴うなばらみつきふところにある黒曜石こくようせきのナイフに意識を集中する。
 一方通行達アクセラレータたち『グループ』に連絡するタイミングはない《ポ》。
 仮に今から連絡できたとしても、すぐさまここへ駆けつけてくる保証もない。
 無線でどこかと連絡を取り合っている佐久辰彦の言葉を盗み聞く限り、傭兵ようへい達は外壁の向こうからロープを投げて進路を確保しているらしい。また、『仲間』から渡された双眼鏡をのぞくと、すでに複数の人間が外壁の上によじ登っているのも確認できる。
(……やるしかない)
 海原は思う。
 トラウィスカルパンテクウトリのやりは金星の光を反射し、その反射光を浴びた者をバラバラに分解する、飛び道具的な術式だ。光さえ直撃ちよくげきさせれはどんな物質でも分解できる反面、一度に複数のターゲットをねらう事はできない。
(問題は、そのたった一度の攻撃をどこへ向けるか)
 傭兵の総数は五〇〇〇人。
 あそこへ槍を向けても無意味だろう。単に実行犯が四九九九人になるだけだ。
『ブロック』の正規メンバーを狙う。
 ……指揮を執っている佐久が倒れれは多少の効果はあるだろうが、すでにここまで計画が進行してしまっている以上、リーダーを失った程度で完全に制止できるとは思えない。
(もっと効果的なポイントを……)
 海原は顔から双眼鏡を外し、
(一撃でこの流れを断ち切れるような、そんな攻撃対象は……)
 彼は外壁をよじ登る傭兵達から、一気に視線を別に向ける。
 猛烈な緊張感きんちようかんおそいかかるが、ためらうだけの余裕もない。
(―――そこだ!!)
 そのまま一気に黒曜石こくようせきのナイフを抜いた。
 金星の光が向けられた先は、

 すぐ近くにある、立体駐車場。

 佐久辰彦さくたつひこ手塩恵未てしおめぐみは、海原うなばらが黒曜石のナイフを取り出してもポカンとしているだけだった。魔術まじゆつについての知識がないため、何をやっているか理解できなかったのだろう。
 しかし、海原が突然ビルに向かって走り出した事と、そしてその立体駐車場が何の前触れもなく崩れ始めた事を関連付けるぐらいの想像力は備えていたようだ。
 バキン、という鈍い音がひぴく。
 海原の進行方向にある鉄筋コンクリート製の立体駐寧場が、まるでビルを支える柱を一本一
本引き抜いていくように、バラバラと分解し始めた。それらの建材が地面に激突するたびにア
スファルトが粉々に砕け散り、粉塵ふんじんが舞った。
「なっ……。山手やまてエェえええええッ!!」
 佐久の叫び声が、海原の背後から飛んでくる。
 複数の銃器が向けられる金属音がその後に続く。
 海原は無視して走る。
 ガラガラという音と共に、落盤のように巨大なコンクリートが降ってくる。それが逆に銃弾の雨から海原の背中を守った。空中で押しつぶされた電気自動車が、鋭い破断面を向けて地面に突き刺さる。ガソリンを使っていないから爆発しないのは不幸申の幸いか。
 海原はさらに黒曜石のナイフを下へ向ける。
 金星の光で地面をはかいし、下水道の中へと飛び込み、上から降ってくるコンクリートから身を守ろうとした。
 しかし、あまりにも多くの建材は、下水道そのものを押し潰して海原へ迫る。
「おおおおおおおおおッ!!」
 転がるように走り、本当につまずいて地面に倒れ、それでもいずるように前へ進む。
 ようやく立体駐車場の崩落が終わった。
 衝撃しようげきは下水道の至る所にダメージを与えたのか、後ろはもちろん、前方の道までも崩れて進めなくなってしまっている。
 天井てんじようは破れていて、そこから明るい光が差し込んでいた。
 海原は崩れた壁に手を掛けて昇りながら、粉塵にまみれた青空を見上げた。
 そこには、

     4

 第二三学区・制空権保全管制センターは第一一学区・外壁近辺からの緊急きんきゆう信号を受信した。
 しかし、ここから即座に無人ヘリが飛び立つ事はない。信号は誤情報である可能性もある。最終的な判断はオペレーターの手にゆだねられ、人の手によって回線のプラグを接続し、出動命令を入力して、初めて無人ヘリによる防御行動が取られる事になる。
 普段ふだんなら、煩雑はんざつなマニュアルが数十ページも待っているはずだった。
 だが、衛星の制御を一時的に失った管制は特殊な警備態勢をいていた。オペレーターはそれらのマニュアルを一切確認せず、いきなりプラグを差し込み、出動命令を出す。
 広大なアスファルトの地面には、三機の無人攻撃こうげきヘリが待機していた。
 最新鋭のHsAFH-11、通称は『六枚羽』。
 それらは命令を受けると、ローターの回転数を上げ、ゆっくりと地面からはなれていく。

     5

 無人攻撃ヘリ『六枚羽』が第一一学区の空を舞う。
 AH-64アパッチにも似た、機体の左右に機銃やミサイルなどを搭載するための『羽』を備えたものだ。
 ヘリコプターの定義は、縦軸に取り付けられた回転翼ローターによって揚力を生み出し、そのつばさの角度によって移動する航空機の事だ。
 その難囲で判断するなら、『六枚羽』も確かにヘリコプターと言えるだろう。
 ただし、補助動力として二基のロケットエンジンを搭載し、最大速度マッハニ・五に達する『六枚羽』を、果たしてまともなヘリコプターと呼べるかどうかはなぞだ。
 無人攻撃ヘリの演算機能は最初に崩れた立体駐車場を確認し、そこからほんの数百メートルの位置にある学園都市の外壁に、不審人物の集団がよじ登っているのを確認した。
 数は五〇〇〇程度。
 敵性を確認した演算機能は即座に自動攻撃に入る。

「くそ、山手やまての野郎……ッ!!」
 佐久辰彦さくたつひこが憎しみの声を上げると同時に、『六枚羽』が動いた。
 ガショッ!! という金属音と共に、機体左右にある翼がそれそれ三対に分かれる。まさしく『六枚羽』。関節すら持つ細い羽は、まるで人間の腕のような動きでそれぞれ六方向へ武装の矛先を向けていく。
「来る!!」
 手塩恵未てしおめぐみが叫んだその時、『六枚羽』の機銃がうなりを上げた。
 掃射というより、ほとんど爆破だった。
 手塩恵未は移動用に使っていたステーションワゴンの陰に飛び込むが、遮蔽物しやへいぶつに使っていたステーションワゴンの方が銃撃じゆうげきを受けてボコボコと膨張ぼうちようした。オレンジ色のかがやきに侵食される車体が一気に爆発する。何メートルも吹き飛ばされて地面を転がる手塩は、それでも次の遮蔽物を求めて走り出す。
「ッ!? 摩擦弾頭フレイムクラツシユか!!」
 弾丸に特殊な溝を刻み、空気摩擦まさつを利用して二五〇〇度まで熱した超耐熱金属弾だ。弾丸は装甲に突き刺さると、その内部から電子回路や燃料タンクを焼き尽くしていく。
 数百メートル先では、外壁によじ登っている傭兵達ようへいたちへの攻撃も始まっていた。
 傭兵が一集団ごと風船のように飛び散った。この距離きよりからでも赤い飛沫しぶきが分かるほどの光景だった。その勢いにあおられたのか、無事だった他の傭兵達も外壁から転がり落ちていく。反撃をする者から順番に掃射されていった。
 このままでは皆殺しだ。
 手塩恵未は、はなれた所にいる佐久辰彦さくたつひこへ叫ぶ。
「傭兵は、あきらめた方が、いい!! 大人数で移動しても、上から見れは、ただの巨大な的にしか、ならないわ!!」
「五〇〇〇人だぞ! 今日この瞬間しゆんかんのために、どれだけ努力してきたと思ってる!! それを棒に振れっていうのか!?」
「どうせ、向こうも、裏切られたと、勘連いしているわ。今、壁の『外』にいる連中は、もうやってこない。『中』に落ちたヤツらを、回収して、下がるのよ!!」
山手やまての野郎……絶対にぶち殺してやる!!」
 佐久が太いのどから低い声を放つ。

「はは、流石さすがは一機二五〇億円の殺人兵器……」
 下水道からい出た海原うなばらは、瓦礫がれきの陰に隠れながらつぶやいた。自分でやっておいて何だが、背筋に寒気を覚える光景だ。
 遠くを観察すると、いくつかの集団が対空ミサイルを肩に担いでっている。
 しかし『六枚羽』はミサイルに向けて、ソフトボールのようなものを発射した。ボールから砂鉄が噴き出し、さらに高圧電流が流される。二〇メートル四方の『面』そのものが電流エリアと化すと、そこに飛び込んだミサイルが勝手に爆発してしまった。
 返す刀で『六枚羽』から大量の地上攻撃用ミサイルが放たれ、辺り一帯が紅蓮の炎に包まれていく。
(とりあえず、傭兵ようへいの侵入は可能な限り防げたようですが……)
 海原うなばらは巨大なコンクリートに背を押しつけ、自分の顔を両手でおおった。
山手やまて』という仮の顔を作っていた皮膚ひふの護符をベリベリとがし、そこへ『海原光貴みつき』の顔を張り直す。その途端に、顔だけでなく体格や声色までもが別人に切り替わっていった。
 もう『プロック』の顔は必要ない。
(問題は、ここからどうやって生き延びるか。あの『六枚羽』の演算機能は、自分の事も容赦ようしやなく敵と認識するでしょうしね)
 一応、『六枚羽』の目的は外壁をよじ登る傭兵の排除だ。
 彼らが下がるまで身を隠していれは、ヘリは勝手に飛び去るはずだが、
 バララララ!! と大気をく音が海原の心臓をめ付けた。
 瓦礫がれきの陰から目をやれば、一機の『六枚羽』がこちらに照準を合わせている。
「そう甘くは……ありませんか!!」
 叫ぶなり、海原は飛び出して黒曜石こくようせきのナイフを振るう。
 金星の光を反射させ、トラウィスカルパンテクウトリのやりを発動し、奇襲攻撃きしゆうニうげきで『六枚羽』をバラバラに分解させた。
 その報告を受けた別の『六枚羽』が海原へ機銃のついた羽の一つを向ける。
 機体は真横を向いていたが、そんな事は問題にもならない。関節のついた六枚の羽は、人間の腕のような動きで海原をねらっている。
 トラウィスカルパンテクウトリの槍は、あらゆる物体をバラバラに分解する。
 しかし、複数の標的を同時に狙う事はできない。
「くっ!!」
 慌てて遮蔽物しやへいぶつの陰へ飛び込もうとするが、ヘリの方が圧倒的に速い。
 自分が呼んだ攻撃ヘリが、自分の体を粉々に破壊はかいしようとする。
(ここまでか……ッ!!)
 海原は無理を承知で黒曜石のナイフを構えたが、それより先に動きがあった。
 ガン!! という音。
 無人攻撃ヘリの真上に、白い髪の超能力者レベル5が勢い良く降り立った。高速で回転するローターを強引に両手でつかみ、その動きを止めてしまう。あまりにも無茶むちやな行動に『六枚羽』も対処できず、そのまま地面に落下して爆炎をき散らした。
 炎の中から、『彼』はゆっくりと歩いてくる。
 海原光貴の全身から、ようやく力が抜けた。
一方通行アクセラレータさん、ですか……」
「外壁周辺で動きがあったっつー話を聞いて、やってきたらこのザマだ」
 一方通行アクセラレータは退屈そうに言いながら、電極のスイッチを通常に戻し、現代的なデザインのつえをつく。
土御門達つちみかどたちも外部接続ターミナルの仕事を片付けたようだし、衛星通信用のアンテナをぶっこわしゃ終わりだと思ったンだがな。今度は外周部で侵入者さわぎが起きてるって管制がわめきやがる」
「はは。利用されていた、ぐらいはそちらでもつかんでいましたか」
「目的もなく『六枚羽』を呼ンだって訳じゃねェンだろ。『ブロック』の違中は?」
「逃げられました」
 海原うなばらは汗をぬぐいながら、そう言った。
「『外』から来た傭兵ようへい達を、一〇〇人ほど引き連れていると思います」
「外から……。チッ、衛星の件はそのためだったのか。『ブロック』だの『メンバー』だの傭兵ようへいだの、クソみてェな人間が動き回ってやがる」
 ただ働きさせられた事に、一方通行アクセラレータは舌打ちしつつ、
「にしても、侵入を許すとはな。つくづく使えねェ野郎だ」
「一応、当初は五〇〇〇人ほどいたって話なんですけどね」
「オマェにイイ言葉を贈ってやる。五十歩百歩だ」
 彼の言葉をさえぎるように、『六枚羽』が大空を切り裂いた。
 ただし。今度は照準をこちらに向けてこない。
 一通り周囲を走査すると、残る最後の無人ヘリは第二三学区へと帰っていく。
「『掃除』は終わったみてェだな」
「同じ仲間に壊されるのが嫌だったんでしょう」
 海原は肩をすくめて言った。
「あれ、一機二五〇億円するらしいですよ」

     6

 第一一学区の倉庫街に、土御門元春もとはる一方通行アクセラレータ結標淡希むすじめあわき、海原光貴みつきの四人は集合していた。今まで蚊帳かやの外にいた海原は、土御門に尋ねる。
「外部接統ターミナルというのは?」
「ちょっとした施設だよ。色々と手続きが面倒で応答しないから、結標と一緒いつしよに中枢を爆破した。ま、ターミナルはあと三つあるから、アクセス状況に問題は出ないだろ」
 土御門と一緒に動いていた結標は、海原に尋ねた。
「この『ブロック』というのが、事件を起こした首謀者しゆぼうしやって事で良いのかしら。確か親船最中おやふねもまか狙撃そげきは『スクール』が行っていたという話だったと思うのだけれど」
「『ブロック』と『スクール』は直接的に協力し合っている訳ではないようですね。二つの組織は各々おのおのの思惑に従って、それぞれ勝手に事件を起こしていた。人材派遺マネジメントの紹介などで、多少の接点はあったようですけど」
「チッ。『メンバー』の野郎もコソコソ動いていやがったし、面倒臭ェ事になってンな」
 海原うなばら一方通行アクセラレータの言葉を聞きながら、土御門つちみかどは視線を移す。
 外壁の近くは血と肉が飛び散っていたが、それでも生存者は残っていた。死ぬ事もできず、逃げる事もできず、『ブロック』の運中からも回収され損ねた傭兵ようへいだ。
「さて質問だ」
 土御門は端的に言った。
「五〇〇〇人の傭兵を集めて、お前たちは一体どこを襲撃しゆうげきしようとしていた?」
「な、何の話だ」
「五〇〇〇人って言うと大した数に聞こえるが、別にそれで学園都市をつぶせるって物量でもない。『商売』の内容を言えよ、傭兵。それだけの人数を使ってどんな計画を立てていた?」
「……、」
 傭兵は、『グループ』の四人の顔を、それぞれ順番に見た。
 心の中で葛藤かつとうしているらしい。
 何か迷ったようだが、この惨状を見て仲間の『ブロック』は失敗したか、最初から自分達を裏切るつもりだったのかと思っているのだろう。やがて彼はゆっくりとロを開いた。
「……第一〇学区だ」
「第一〇学区?」
 最も土地の値段が安く、実験動物の廃棄場はいきじようや原子力関遵の研究所など、ろくな施設のない場所だ。
 傭兵は、統けてこう言った。
「第一〇学区にある、少年院を襲撃する予定だった」
「ッ!!」
 その言葉に過敏な反応を示したのは、結標淡希むすじめあわきだった。
 彼女は傭兵の胸倉をつかみ上げると、
「何でそんな所を襲撃するのよ……。VIPの犯罪者でも助け出すっていうの!?」
 焦燥しようそうに駆られる結標を眺めながら、一方通行アクセラレータは考える。
 学園都市の少年院は能力を使った犯罪者を収容する施設だ。詳しい事は不明だが、能力者用の対策がほどこされているという話は闘いている。となると、銃器を使った一般的な戦力をかき集めた方が、襲撃の成功率も上がるだろラ。
 結標に胸倉を掴まれている傭兵は、やがてポツリと呟いた。
おれ達の、標的は……座標移動ムーブポイントだ」
 ピクリ、と結標淡希のまゆが動く。
 目の前にいる女がだれなのか分かっていないのか、傭兵はそんな事を言った。
「あそこには、座標移動ムーブポイントの『仲間』が入っているという情報を、聞いた。だから『仲間』を捕まえて、座標移動ムーブポイントとの交渉に使う」
 わざわざ彼女を名指しで指走する理由は何か。
 結標むすじめは自分でその事を考えて、そしてすぐに答えを思いついた。
「アレイスターのいる、『窓のないビル』の……『案内人』……」
「そう。『案内人』の素性すじようは機密事項だ。アレイスターに直結しているからな。だが、『プロック』は座標移動ムーブポイントが『案内人』であるという情報をつかんだ。だから彼女を徹底的てつていてきに調ぺ上げ、交渉に使える材料を集める事にした」
「案内人と、何を交渉するつもりだ?」
 土御門つちみかどが尋ねると、傭兵ようへいはこう答えた。
「物資搬入路はんにゆうろのルート情報だ。窓のないビルに関するな。外からでは核兵器でも破壊はかいできないが、中からなら違う。入口も出口もないと言われているが、必ず何らかの物資のやり取りを行っているはずだ。そいつを利用して、『窓のないビル』を内側から吹き飛ばす」
「吹き飛ばす、だと?」
「多層同期爆弾の用意があると、『ブロック』は言っていた。お前たち、学園都市の作った戦術兵器だろ」
 多層同期爆弾は、複数の高性能爆薬を規則的に配置した大型爆弾の事だ。通常の戦術兵器が『ひたすら莫大ばくだいな爆風を広範囲へき散らす』ものであるのに対し、多層同期爆弾は『極めて小さな標的へ、高威力の爆風を一点集中させて徹底的に破壊する』事を目的とする。都市部に紛れた敵要塞ようさいを、民間への犠牲ぎせいを出さずに爆破するために編み出されたものだ。
「世界の混乱を収める必要があった。おれは傭兵をやっているから分かる。世界はもう限界なんだ。じきにあちこちで内紛が起こる。戦争ってのは、起きる前に止めなくちゃならないんだ」
 傭兵は『グループ』の顔を交互に見ながら言う。
座標移動ムーブポイント本人を、仲間として組み込む事は難しい。信用できないヤツは、いつまでっても信用できないままだからな。だから深追いはしない。座標移動ムーブポイントの力が情報通りなら、そいつの協力があれは物事は簡単に進むんだが、それはかりは仕方がない。こっちは協力を得られない事を前提に―――」
「そう」
 さえぎるように、結標は言った。
「ところで貴方あなた、目の前にいるのがだれだか分かってる?」
 は? と一瞬眉いつしゆんまゆをひそめた傭兵だが、直後に顔を真っ青にした。
「う、うそだろ、そんな……ッ!!」
 傭兵が言い終わる前に、彼の全身に鉄のくいのような物が一〇本近く突き刺さった。
 痛みのショックで気を失うが、それでも彼は生きているらしい。結標はボロボロになった傭兵から手をはなすと、ただうつむいたまま、奥歯をめる。
 最も守りたいものを、それこそ何を失ってでも絶対に守りたいものを、今まさに奪われつつあるという状況。それを前に、結標むすじめを除く三人は沈黙ちんもくしていた。同じようなものを抱いているからこそ、彼らは何も言わなかった。
 おそらくアレイスターは得体えたいの知れない技術を使って、この状況すら高みから見物しているだろう。そして見物していながら、手を貸すつもりはないだろう。自分の作った箱庭の中で、人々がもがく様を見て笑っているに違いない。
「行くぞ」
 やがて、土御門つちみかどは全員を促すように告げた。
 ここから先は『グループ』の事情ではなく、結標淡希あわきの事情だ。しかし、それについていちいち口に出す者はいなかった。海原うなばらが『ブロック』の中に紛れた時のように、『グループ』の人間が己に割り振られた仕事として窮地きゆうちを乗り越えるのとは、状況が違うからだ。
「第一〇学区だ。『ブロック』はまだ一〇〇人近い傭兵ようへいを抱えてやがる。連中の装備は分からないが、楽観できる状況じゃないのは間違いないからな」

     7

 一方通行達アクセラレータたち『グループ』の四人は、移動用の救急車に乗って第一一学区から移動する。目的地は第一〇学区にある少年院だ。
 「学園都市にある少年院はこれだけだ。敷地しきを半分に区切って、男子房と女子房に分けているみたいだな」
 土御門はノートパソコンを操りながら言った。
 「今の学園都市には反逆罪って罪状はない。となると、結標の『仲間』達は法的には裁けない状態にある。そんなヤツらを普通の房に入れる訳にはいかないんだよな」
「となると……隠し部屋があるという事ですか?」
 海原は結標の方を見たが、彼女は何も知らないようだった。
 「面倒臭ェな。少年院の見取り図はねェのか。施設の方から隠し通路込みのデータをハッキングできねェなら、建築会社のコンピュータからってくりゃ良いだろォが」
「普通のビルではないんだ。この手のデーダが会社に残っているとは思えない」
 土御門は画面に目をやる。
 少年院のデータがいくつか表示されているが、見取り図そのものは機密扱いになっていて、ここからでは手が出せないのだろう。
 同じように画面をのぞいていた一方通行アクセラレータは、ある事に気づいた。
「この少年院、消火部門がねェぞ」
 一方通行アクセラレータは改めて表示された情報に目を通しながら、
「施設内で火災が起こる頻度ひんどが低いから、経費を削るために除外してンだな。だが、だとするなら火事が起きりゃ消防署が動く。連中は迷路みてェな施設の中で的確に動けるよォに、事前に見取り図を受け取っているはずだ」
 その言葉を受けて、土御門つちみかどはクラックの矛先を変える。
 結果はすぐに出た。
「あった。一部の機密区画は塗りつぶされているが、隠し階段があるとすれは、構造的にはここしかない。この先が反逆者用の地下房だ」
 予測できる隠し階段が一ヶ所しかない所を見ると。反逆者用の房は男子女子の区別もされていないらしい。すぺて独房になっていて、共同空間が一切存在しないのだ。
「一応、隠されてはいるのね。それなら、少年院をおそっている『ブロック』の運中だって」
「ハッ。『グループ』と「ブロック』の権限は同等だぜ。俺達おれたちに調ぺられるよォな事は、向こォだって手に入れられンじゃねェの。『書庫バンク』内の機密レベルが同じっつったのは結標むすじめだろォがよ」
 結標は一方通行アクセラレータにらみつけたが、彼は動じない。
「土御門。少年院の警備はどォなってる?」
「看守が使っているのはMPS-79―――旧型の駆動鎧パワードスーツだ。対能力者装備って事だが、あまり期待はできないな。看守が持っているのはあくまで暴走能力者を止めるための護身具で、『ブロック』が使っているのは本物の殺人兵器。第一一学区に残っていた傭兵ようへいは刃物から拳銃けんじゆう、ライフル、爆薬まで『外』の武器を一式そろえていたが、今は『ブロック』の手で最新式の装備に切り替えているだろう。海原うなばらの話じゃ、その傭兵だけでも一〇〇人以上がまだ行動している。『ブロック』に関しては人数・能力ともに未知数。殺す力を持っているか持っていないかっていうのは重要だ。駆動鎧パワードスーツなんてただデカくて頑丈な的って所だな」
「そっちじゃねェよ」
 一方通行アケセラレータは適当に言葉をさえぎって、
「凶悪な能力者はかりを集めた少年院だろ。対能力用の設備はどォなってンだ」
「AIMジャマーを始めとして、ざっと二五ほど」
「って事は、施設の中では能力は使えねェのか?」
「いや。集中力を散らせるとか、読心能力サイコメトラーに追跡させやすい思念を意図的に残させるとか、そんな感じだ。ある程度の弱体化はするだろうが、打ち消すって所まではいかない。あそこの看守は保険会社に嫌われる職業のワースト3に入るらしい。それだけ大規模な施設を用意しても、完壁かんぺきに無効化させるのは不可能って訳だ」
 ただし、と土御門つちみかどは前置きして、
「下手に能力を使うと暴走が起こる可能性がある。特に複雑な演算を必要とする力はまずいな。並の能力者なら怪我けがぐらいで済むだろうが、お前や給標むすじめなんかの揚合は危険すぎる。つまらない自殺をしたくなけりゃ気をつける事だ」

     8

 第一〇学区・少年院前に救急車がまると、その中から一方通行アクセラレータ、土御門元春もとはる海原光貴うなばらみつき、結標淡希あわきの四人は後部ドアから勢い良く降りた。
 ここからでは少年院の内部はうかがえない。高さ一五メートル近い壁にはばまれているせいだ。ただし、今立っている場所からでも、体に悪そうな煙のにおいが鼻につく。
「……ッ!!」
 結標は歯軋はぎしりし、すでに破壊はかいされているゲートから敷地内しきちないへ飛びもうとしたが、一方通行アクセラレータが現代的なデザインのつえをつきながらまゆをひそめた。
「なンか様子がおかしくねェか?」
「気づいたか」
 土御門はふところから軍用拳銃けんじゆうを抜きながら、ゆっくりと言った。
「音がない。『ブロック』と少年院の看守たちが交戦状態にあるなら、銃声ぐらい聞こえても良さそうなものなんだけどな」
 四人が検問も兼ねたゲートをくぐって敷地に入ると、そこは囚人護送車用のロータリーだった。二〇メートル四方のアスファルトの平原にみ込んだ途端に、一方通行アクセラレータはこめかみの辺りに小さな痛みを覚えた。
「……AIMジャマーってヤツか」
 頭上を見上げると、一五メートル近い壁から壁へ、敷地全体をおおうように無数の細いワイヤーが張り巡らせてある。あそこから特殊な電磁波でも出ているのだろうか。
 能力者のAIM拡散力場を乱反射させて、自分で自分の能力に干渉させるように仕向けているのだろう。警備員アンチスキルの装備などに採用されているという話は聞いた事がないから、おそらく設備には膨大ぼうだいな電力や演算機器が必要で、こういう限られたスペースでしか使えないのだ。
(一応、歩行に支障はねェみてェだが……代理演算を使った能力使用モードは控えた方が良さそォだな)
 それでも、一方通行アクセラレータはこの敷地内で能力が使えなくなった、とは思えなかった。逆に暴走を促されているようで下手に扱えない。自分の能力に巻き込まれて手足が飛ぶかもしれない訳だ。
ほかにもいくつかの装置を使ってンな。わざと競合させてやがンのか)
 どんな機材を使っているかが分かれば打開策も見つかるかもしれないが、一方通行アクセラレータはそこで思考を中断した。少年院全体を包んでいる違和感の正体を見つけたからだ。
 死体。
 おそらく『ブロック』が外部から招き寄せた傭兵達ようへいたちだろう。実に五〇人近い大の男達が、各々おのおの血を流して倒れていた。こめかみを拳銃けんじゆうち抜かれた者、至近距離きよりからショットガンを受けて頭部を失った者、首筋をナイフで切り裂かれた者……死因は様々だが、それらの死体には共通する項目が一つある。
「こいつら……全員、自分の武器で自分の命を絶ってやがる……」
 土御門つちみかどがポツリとつぶやいた。
「自殺……? いや、これは」
 海原うなばらが呟きかけた時だった。

「見つけたぞ」

 四人の背後から声が聞こえた。
 一方通行アクセラレータが振り返れは、破壊はかいされたゲートをふさぐように、一人の少女が立っていた。どこか
の学校の制服らしき、赤いセーラー服を着た小柄な少女。しかしその眼光には暴様な光があっ
た。単なる殺人者のそれではない。
「ここにいるって事は、『ブロック』のクソ野郎か?」
「いいえ、私は『メンバー』。利用していただけだから、別に所属に興味はないけど」
 少女はこともなげに答えた。おそらく、周囲に倒れている傭兵達は彼女におそわれたのだろう。傷一つ負わずに五〇人近い傭兵を撃破げきはした事になるが、彼女はそれを誇示しなかった。本当に傭兵や『ブロック』には興味がなさそうだった。
(しかし……また『メンバー』か)
 少し前にも、一方通行アクセラレータは第二三学区で『メンバー』の人間と遣遇している。『ブロック』と仲間意識を持って動いている訳ではなさそうだ。いまいちどういう目的でどこの組織と敵対しているのか、良く分からない連中だ。いずれにしても、敵対するなら対応は変わらないが。
 しかし、少女の顔を見て過敏に反応する者がいた。
「……まさか、あなたは……」
 海原光貴みつき―――その名も顔も、だれも知らないエージェント。
「今さら私に素性すじようを尋ねるのか、エツァリ」
 少女は海原光貴を見て、全く別の名を呼んだ。
 あるいは、それこそが『彼』の本来の名前なのか。
 おどろいて固まっている海原の前で、少女は片手で自分の顔をぬぐった。そこに少女の顔はなかった。東洋人らしき風貌ふうぼうは消えていて、後には浅黒い肌の、彫りの深い顔立ちをした少女がたたずんでいるだけだった。
「『ブロック』には感謝しないと。ここでは能力者の力は半減される。貴様の『仲間』とやらに邪魔じやまをされる心配も多少は減るだろうし」
 その顔を見て、その声を聞いて、海原うなばらの表情がゆがむ。
「ショチトルだと。何故なぜあなたがこんな所まで……。あなたはこういった事をする術式を持たないはずだし、そもそも『組織』の中でも、あなたは汚れ仕事とは無縁のポジションに就いていたはずだ!!」
「理由は一つしかない」
 ショチトルと呼ばれた褐色かつしよくの少女は、表情も変えずにただ告げた。
「学園都市へ寝返った裏切り者め。貴様を処分するために、私はすべてを捨ててここへ来た」
「そういう事か」
 土御門つちみかどはポツリとつぶやき、視線を海原の方へ向けた。
 海原は静かに言った。
「……ここは自分が食い止めます。あなたたちは先へ行ってください」
 絞り出すような声で、
「彼女はショチトル。自分がここへ来る前、かつて同じ『組織』に所属していたアステカの魔術師まじゅつしです」

 ショチトルと呼はれた少女は、海原うなばらの言葉を聞いても顔色を変えなかった。
「用があるのはエツァリ一人だ。勝手に消えるのは構わないけど、彼らが行かせるかな」
 銃声が聞こえた。
 一方通行アクセラレータ土御門つちみかどはロータリーにめてある囚人護送車の陰へ隠れる。そうしている間にも、少年院の建物からバタバタという大量の足音が聞こえてくる。
「様子見していた『ブロック』の傭兵ようへいか……。あいつらの相手はしなくていいのか」
 土御門がショチトルに話しかける。少女はそれを無視した。ショチトルは本当に邪魔者じやまものを排除しただけであって、『ブロック』にも、その傭兵にも興味がないのだろう。
 しかし、あの傭兵たちに足止めされている間にも、『ブロック』の連中は少年院の奥深くにもぐり込んでいく。そこにいる、結標淡希むすじめあわきの仲間を人質として扱うために。
 チッ、と一方通行アクセラレータは舌打ちして、
「クソッたれが。さっさと行って来い」
貴方あなた……」
おれつえをつかなきゃ歩けねェ。下手に能力も使えねェンじゃ、オマエの『座標移動ムーブポイント』も期待できねェ。なら、一番足の遅いヤツが足止めに対処する」
 一方通行アクセラレータは早口で言った。
「土御門、オマエは結標のサポートだ。『ブロック』の連中が何人中にいるか分かンねェからな。最悪、大勢とで戦う事も考慮こうりよしろ」
 海原については、わざわざ指示を飛ばすまでもない。
 一方通行アクセラレータは建物から出てくる傭兵の迎撃げいげき、海原は『メンバー』のショチトルとの決着、そして土御門と結標は特別房にいる少年達の救出。
 各々おのおのの目的を考え『グループ』の四人は一度だけ、わずかに顔を合わせて小さくうなずくと、
「行くぞ!!」
 四人それぞれが行動を開始した。

     9

 土御門と緒標は『設計図の矛盾』から見つけた隠し階段を下りて、書類上存在しないとされる反逆者用の特殊房へと向かっていた。
 途中に傭兵らしき男が二、三人いたが、土御門が拳銃けんじゆうを使ってだまらせた。傭兵の大半はショチトルと呼ばれる少女にやられたか、一方通行アクセラレータが引き受けているおかげで、ほとんど出払っているらしい。
 と、結標は頭にチリチリとしたうすい痛みを感じた。
「……AIMジャマー。さらに強くなっているわね」
「屋外、建物、室内、それぞれにいくつもの装置、機材の効果を重ねているんだろう。ここは学園都市で唯一の少年院で、世界で唯一の対能力者収容施設だ。まともな警備じゃやっていられないはずだ」
 似たような感覚を、土御門つちみかども感じているのだろう。
 能力を食い止める、制限する、というよりは照準を狂わせる、という感覚に近い。迂闇うかつに力を使うと自分まで巻き込まれそうな気がする。
結標むすじめ。お前の能力はデカい反面、一回の暴発が命取りになる。ここじゃ力は使わない方が良いな」
「まるで能力以外にがないみたいな言い方ね」
「しっ」
 土御門が人差し指を立てて結標をだまらせる。
 階段と通路の関係はL字になっていて、その角の向こうからガタンという大きな音が聞こえた。ボルトで留めた鉄板の隙間すきまに鉄のくいでも差し込んで、強引にこじ開けているような音だ。土御門は無言で拳銃けんじゆうを構え直す。普段ふだん、能力にたよりきりの結標は飛び道具を持っていないのか、警棒にも使える懐中かいちゆう電灯を腰から抜く。
 土御門と結標が通路へ飛び出す。
 狭い通路だった。左右には独房用の鉄の扉がズラリと並んでいて、その内の一つに、くまのような大男が粘土みたいなものを張り付けていた。かたわらには筋肉質の女性がその様子を眺めている。
 彼らは土御門たちを見て、
「このタイミング……やっぱ『グループ』か」
 熊のような大男の方が言う。結標が即座に動かなかったのは、AIMジャマーを始めとする少年院の対能力者設備のせいだろう。土御門は銃口を大男の眉間みけんに照準する。しかし発砲するより先に、男はドアに張り付けた粘土に針金のようなものを突き刺した。
「プラスチック爆弾と、こいつは電気信管だ」
 筋肉質の女性の目つきが厳しくなる。
佐久さく!!」
駄目だめ手塩てしお。ここは人質を使う場面だ」
 佐久と呼はれた巨体の男は、信管を突き刺した爆弾から、ゆっくりと手をはなす。
 その手には無線機が握られている。爆弾を吹き飛ばすためのスイッチだ。
「……ここでそいつを使えは、真っ先にお前達が粉々になるぞ」
「火薬の量と指向性は調整済みだ。爆風は、ドアの中にしか行かない」
 佐久は人差し指でドアにられた爆弾を指差し、
「ただし、衝撃波しようげきはは房の中で吹き荒れる。バラバラになった金属扉の破片の雨と一緒いつしよにな。扉をこわすのは簡単だが、中の人間への配慮はいりよとなると難しいんだ。お前たち邪魔じやましてくれたおかげで、詰めの作業ができていないからな」
「……ッ!!」
 ブォ!! という轟音ごうおんが突如ひびいた。
 歯をき出しにした結標むすじめの能力が暴発したのだ。天井てんじようにあった蛍光灯のいくつかが消減し、壁や床へと乱雑に突き刺さる。
 それでも佐久さく手塩てしおの表情に動揺はなかった。
「……結標淡希あわき。例の『座標移動ムーブポイント』だな」
 佐久は爆弾を吹き飛ばすための無線機を握り直し、ニヤリと笑う。
「良いね、手間が省けた。人質も、取り引き相手も、全部整った。ここで直接交渉をしようか。『窓のないビル』の『案内人』だったお前にな」
「断ったら?」
「断れない。能力を暴走させても良いのか」
 その言葉に、結標はだまり込んだ。アンチ能力者用の設傭さえなけれは、佐久はとっくに串刺くしざしにされていただろう。
「にしても、『グループ』か。『〇九三〇事件』を体感して、何を学んだんだ」
「何ですって」
おれ達は学んだぞ。このふざけた世界は端から端までアレイスターに支配されてるもんだと思っていたが、実はそうじゃない。支配を逃れる方法があり、支配を逃れた場所がある。楽しい話じゃないか。今まで学園都市にしはられていたのが馬鹿馬鹿ばかばかしくなってくるぐらいに。そして『〇九三〇』事件からアビニョンの暴動に続いて、このチャンスだ。動くなっていう方が無理なんじゃあねえのか」
「他人をみ台にした新天地。偉そうに語るようなものではないわね。大航海時代の虐殺ぎやくさつしか連想できないわ」
「そうかい。今ここにない天国や楽園を願うのは人類共通の心理だろ」
 やり取りを聞きつつ、土御門つちみかどは佐久の持つ無線機を見る。
 彼の腕ならち落とせる。が、失敗する可能性も否定はできないし、撃ち落とした後、床に落ちた無線機のボタンが偶然押されてしまえは扉は粉々に吹き飛ぶ。そんな事になれば、狭い房のどこに隠れていようが、破片の雨が結標の仲間におそいかかってしまう。
 結標は、自分の歯を全部み砕いてしまいそうなほど、あごに力を入れている。
 それを見ていた筋肉質の女性、手塩が、となりにいる佐久へ話かける。
「……人質は、使っても好転しない」
「何を言っているんだ、手塩。ここからが本番だ。今、人質の価値は最高に跳ね上がっているんだぜ」
「それは、どこにいるか分からない座標移動ムーブポイントを、交渉の場につかせるまでに、必要なものだ。結標むすじめは、すでに手中にある。人質は、役割を終えた。ここで爆弾を使えは、逆に強情になる」
 手塩てしおはジロリとドアの爆弾を見る。
「思えば、最初から私は嫌だった。計画を遂行すいこうする上で、どうしても必要だというから、人質を便う案にも応じた。不要と分かれば、人質を維持しなくても構わない」
駄目だめだ手塩。俺達おれたちの前には、今、三八人の人質がそろっているんだ! 分かってんのか!? これは俺達の財産だ。ちょっとぐらい無駄遣むだづかいしても痛くもかゆくもないほど莫大ばくだいな財産なんだよ!! ……警備員アンチスキルの仕事が長くて、ガキに感情移入でもしてんのか!?」
「……、佐久さく
邪魔じやまするんじゃあねえ!! アレイスターのクソ野郎をぶち殺すんだろうが!! こいつはそのための第一歩だ。ここで終わりってえ訳じゃあねえんだよ!! こんな所で時間なんかかけてられるか。足い引っ張るならテメェからぶち殺すそ手塩!! そうされたくなけりゃ」
 佐久の言葉は最後まで続かなかった。

ゴドン!! と。
かたわらにいた手塩が、佐久の巨体を思い切りなぐり飛ばしたからだ。
 音を聞くだけですさまじい威力だと推測できた。おそらく、『ブロック』の男は自分の身に何が起きたか分からなかっただろう。一気に壁まで飛んで激突し、そのままズルズルと床に崩れ落ちてしまう。緒標淡希あわきは、本当に人間が口から泡を噴く瞬間しゆんかんというのを初めて見た。それほどまでに《なぐ》容赦ようしやがなかった。
「……、くだらん事に、時間をかけるな」
 手塩と呼ばれた女は、金属のドアへ手を伸ばした。張り付けられたプラスチック爆弾から信管を引き抜き、ドアから爆弾を外し、適当に床へ投げる。
「これで、良いか」
 彼女はゆっくりと告げる。
 結標は険しい表情のまま、静かに尋ねた。
「……何の真似まねよ」
「非礼については、びよう。気が済むまで、殴ってくれても、構わないわ」
 手塩の目は、土御門つちみかどから銃を向けられても揺らがない。
「しかし、勝ちまで。ゆずってやるつもりは、ない。私にも、アレイスターを、殺すべき理由が、
ある。人質は、使わない。ただし、お前を直接痛めつけて、情報を聞き出してやる」

     10

 海原光貴うなばらみつきとショチトルは少年院の運動場にたたずんでいた。
 褐色かつしよくの少女はポケットから取り出した羽飾りを耳の横に取り付けながら、
「私にいつわりの顔を向けるのが貴様の礼儀れいぎなのか、エツァリ」
「……生憎あいにく、自分はこの顔を気に入っているものでしてね。何より、『組織』を抜けた自分にあの顔を使う権利はないでしょう」
「それは違うな」
 ショチトルは静かに、断ち切るように言った。
「今の貴様には、生きる権利すらもない」
「ッ!!」
 異様な殺気を受けて。海原は思わずふところから黒曜石こくようせきのナイフを抜いていた。元の仲間に、トラウィスカルパンテクウトリのやリを即座に使うつもりはなかったのだが、
「ここに来るまでの間、今まで何を見ていたのか」
 あきれたように、ショチトルは言った。
 途端に、海原の右手首からひじにかけてが硬直した。彼がおどろきに声を上げるより前に、握りめた黒曜石のナイフが、自分の意志とは関係なしに自分の顔へ向かってくる。
「な、にっ!?」
 とっさに左手で自分の右手首をつかむ。
 ギリギリと少しずつ、ナイフの切っ先が眼球へ迫ってくる。き手の関係か、このままでは抑えきれない。
 ショチトルの表情は変わらない。
 優勢な状況に対する愉悦すらもない。むしろ退屈な劇を見ているようにも感じられた。
(く……ッ! こ、のまま、では―――ッ!!)
「おおおおおおおおおおおおおおッ!!」」
 海原は叫ぶと、左手を強引に動かして、右手首の関節を外した。骨と骨をこするような激痛がひびき、右手の感覚が消える。握力のなくなった手から、ようやく黒曜石のナイフが外れて地面に落ちた。
 彼は自分の手首を押さえながら、大きく後ろへ下がる。
 ショチトルは地面を指差しながら、特に表情を変えずに言った。
「落とし物だ。拾わないのか」
 彼女の術式は、おそらく他人の持つ『武器』に干渉するものだ。『武器』を乗っ取り、その破壊力はかいりよくを借りて、自分の手を汚さずに敵をほうむる自殺術式。その攻撃こうげきから逃れるためには、一切の武器や霊装れいそうなどを捨て、素手か肉体一つで発動できる術式だけで戦うしかない。対して、ショチトルはありったけの得物えものを使って攻撃こうげきり出す事ができる。
 人間の文明を否定するかのような、圧倒的なハンデ。
 しかし、と海原うなばらは思う。
 彼の知るショチトルはこんな術式を使わなかったはずだ。『死体職人』という異名を持ち、そのひびきだけ聞くと不気味に思えるかもしれないが、本来のショチトルの仕事は死体から残留情報を入手し、その人物の遺言が正しいかどうかを確認したり、葬儀そうぎの方法をまとめたりといった、死者のアフターケアにほかならない。
 世界中のありとあらゆる死者の魔術まじゆつを学んでいたものの、それはあくまでも平和利用のためだ。ショチトルという褐色かつしよくの少女は、人を傷つける事にも慣れていない人間のはずなのに。
「……何があったのですか。いや、『組織』では今、何が起きているのですか!?」
 海原は思わず問いただしたが、ショチトルは答えもしなかった。
 彼女は片手を振るうと、どう考えても手の中に収まらないほど巨大な剣が出現した。海原のものとは違う、白い玉髄ぎよくずいで作られた刀剣。一応は両刃だが、左右のどちら側にも、まるでサバイバルナイフの背にあるような鋭い凹凸が刻みつけられている。
(マクアフティルか……ッ!?)
 アステカの戦士が扱う剣だ。金属を武器として使わないアステカ文明では、日本刀のように『たたき切る』のではなく、木製の刀身の側面に綱かい石の刃をいくつも並べ、ノコギリのように『引き切る』剣が使われていたのだ。
「貴様の言葉は後で聞いてやる。運良く脳の損傷が軽微だったらね」
 マクアフティルを構え、ショチトルは勢い良くこちらへ駆けてくる。
 素手で戦うしかない海原としては、あまりに不利な状況だが、
「くそっ!!」
 ここで負ける訳にはいかない。
 海原はバックステップで距離きよりを取る。タイミングを外されたショチトルがさらにみ込もうとした所で、海原は地面の土を靴で堀り、前方へ飛ばす。目潰めつぶしをらったショチトルの動きが止まった所で、その脇腹わきばらへさらにりを叩き込もうとするが、
 ビュオ!! とショチトルのマクアフティルが横薙よこなぎに振るわれた。
 慌てて足を戻す海原の革靴に、剃刀かみそリで切られたような傷が走る。
流石さすがは裏切り者。姑息こそくな手が良く似合う」
 ショチトルの声は冷静だ。その声色にも海原には違和感があった。以前の彼女は、人殺しの武器を持つ事に躊躇ちゆうちよしていた。死者の残留情報を読み取る仕事をしているからこそ、彼女は凶器の秘める恐ろしさを常人以上に理解しすぎてしまっていたからだ。
 なのに、
「だけど、どれだけあがいた所で、貴様は素手で戦うしかない。防御する権利ぐらいは与えてやるが、その都度つど体がズタズタになっていく」
「……、あなたにそういう武器は似合いませんよ」
「なら、そこにいる貴様は貴様らしいのか。『組織』を抜げ出し、顔を隠して学園都市で安寧あんねいむさぽっている貴様は」
「ショチトル……」
「イエスというなら、やはり貴様は裏切り者だ。ノーだというなら、自分をいつわる貴様にとやかく言われる筋合いはない。どちらにせよ、貴様はここで死んだ方が良いという事だ!!」
 アステカ式の剣、マクアフティルを両手でつかみ、ショチトルは一気にこちらのふところみ込んでくる。その目にも、その顔にも、その手にも、その動きにも、一切の容赦ようしやは感じられない。
 彼女は本気で殺す気だ。
 一撃いちげき二撃は|避ける事ができるかもしれない。しかしそれをずっと続けるのは不可能だ。そして一発でもクリーンヒットをもらえば、大量の出血が海原うなばらの命を奪うだろう。一旦いつたん引くというのも難しい。逃げるためにも余裕は必要だ。背中を見せてもられないと判断できた場合に初めて取れる選択肢なのだ。
 かと言って、ショチトルの武器つぶしの魔術まじゆつが有効である以上、何らかの道具を使って防ぐ事もできない。それをやろうとすれは、自分の武器で自分の体を攻撃する羽目になる。
 絶体絶命だ。
「くそっ!!」
 海原は舌打ちし、とにかく後ろへ下がろうとした。振り回されるマクアフティルの切っ先は海原のジャケットを切り裂き、髪の毛を数本切り飛ばし、
「終わりだ」
 ダン!! とショチトルは勢い良く地面を踏みつけ、今度こそ必殺の間合いでマクアフティルを振り上げる。海原が絶対にけられないタイミングをもつて。
 元の仲間だとか、同じ組織の『人間』だとか、そういう感傷は一切なかった。
 ごう!! とそのまま一気に剣が振り下ろされる。
(―――ッ!?)
 海原は手首の関節もつなげていない右腕を、自分の頭上へ差し出した。ショチトルはそれを見て笑った。防御にならないと踏んだのだろう。ノコギリ状の刃を持つマクアフティルを、全体重を乗せてそのまま猛烈な速度でたたきつける。
 ベギン!! という音と共に、海原のジャケットを引き裂き、さらに腕の肉ヘギザギザの刀身が食い込んでいく。ゴリゴリという何かを削るような音は、骨にまで達していた。海原の顔が苦痛にゆがむ。
 しかし、
 それだけだった。
 海原光貴うなばらみつきの腕は切断されない。
 逆に彼は、自分の腕にマクアフティルを食い込ませたまま、一気に力を込めて、ぐいっと押し返そうとする。
「な……ッ!?」
 あまりの事態におどろくショチトルの腹へ、海原は思い切りりをたたき込んだ。彼女の小さな体が、勢いに負けて地面へ突き倒される。
「……金属を武器として加工する手段を持たないアステカの剣は、それほどの切れ味を持っていません。一本の鉄塊を刃にするのではなく、木製の棒の側面に細かい石のカミソリを並べて一本の刃にするものですからね。熟練者であっても、骨ごとるのではなく、刀身全体で動脈をで切るように振るうもの。言ってしまえば、骨を使って受け止められるんですよ、あなたの剣は」
 右腕にアステカの剣を食い込ませたまま、荒い息をいて、海原は言う。
何故なぜけるのをやめて腕で待ち構えたと思っているんですか。腕ごと体を切断されると思っていたら、それで防御をしようなんて考えないでしょう。半端はんぱに避け続けるだけじゃ、いつか失血で追い詰められると判断したからですよ」
 ショチトルが小柄な少女であり、剣術についてもうとかったからこそ、可能な戦術だった。本物の戦士であれは、骨を斬る事はできなくても叩き折るぐらいはできるだろう。
「だから言ったでしょう。あなたに武器は似合わないって」
 海原は、呼吸困難になって動けないショチトルを見下ろした。
 今も海原は武器を使えない。しかしショチトルもマクアフティルから手を放している。この状態なら、首を絞めるなり折るなりすれば勝つ事もできる。互いの体格差を孝えれは、彼女が次の武器を手に取る前に、馬乗りになって動きを封じてしまうのも難しくはないだろう。
(ショチトル……)
 だが。梅原にはそれができなかった。
 どうしても。
「命まで奪おうとは思いません。どこへでも消えてください」
 外れたままの手首の関節をつなぎ、右腕を振って食い込んだ剣を地面へ落としながら、海原は苦い調子でそう言った。
 それを聞いて、ショチトルの口元がわずかな笑みの形を作った。

 その途端に、褐色かつしよくの少女の体が崩れ始めた。

     11

 地下通路は狭い直線だ。
 そして、AIMジャマーを始め様々な対能力者手段が講じられた施設内では、結標むずじめの能力もあてにはならない。下手をすれば彼女の暴走で全員が即死する危険性もある。
 だからこそ土御門つちみかどは結標にはたよらず、どんな攻撃こうげきを行うかも分からない手塩てしおには近づこうとしなかった。ただ拳銃けんじゆうを構え、逃げ場のないように均等に弾丸をばらこうとする。
 対して、手塩は足元にあった物をり上げた。
 それは地面に倒れている佐久さくが持ち込んだらしき、弾薬の詰まった布袋だ。下手に当てれば無数の跳弾が狭い通路をピンボールのように跳ね回る。土御門がギョッとして引き金を引く指を止めた時には、手塩は通路を走っている。彼女のこぷしは固く握られていた。
「ッ!!」
 かろうじて、拳の射程圏内にもぐられる前に土御門は引き金を引く。
 しかし、手塩はボクサーのような体勢で、まるで土御門のひざにキスをするほど身を低くかがめて彼の弾丸をやり過ごす。
 土御門が照準を修正する前に、手塩は低い位置から伸び上がるような動きで、一気に彼の腹の真ん中ヘタックルを仕掛ける。ドアどころかうすい壁ぐらいなら破壊はかいできそうな一撃を受け、土御門の体が数メートルも飛んだ。
 すさまじい音がひびき、彼の呼吸が止まりかける。
「その動き……警備員アンチスキルの逮捕術か……?」
「これは、私のアレンジよ。こんなものを、使っては、子供を、死なせてしまう」
 会話をしている間も土御門は拳銃をっているのだが、手塩は上半身を振っただけで簡単にけた。弾切れになった瞬間しゆんかんねらって蹴りが放たれ、彼の手から銃がもぎ取られる。
 さらに、もう一度タックルが来た。
 グシャア!! という鈍い音が響き、土御門が手塩の肩と壁に挟まれる。手塩が彼の体から静かにはなれると、力の抜けた土御門がずるずると床に崩れていく。
「ッ!!」
 そこへ結標淡希あわきが、手塩の背後から懐中かいちゆう電灯を振り下ろした。
 手塩は頭上に手を上げただけで鈍器を軽々と受け止め、
「プロの行動に、奇抜な能力や、一発芸は、必要ない」
 返す刀で、もう片方の手が裏拳うらけん気味に結標の顔面をとらえた。ゴッ!! という鈍い音と共に結標の体が真横に吹き飛び、壁に並ぶ独房のドアの一つに激突する。
「ただ、基本的な戦術の、積み重ねが、合理的に、敵をたたつぶす」
 そこへ、手塩てしおはさらにりをたたき込んだ。
 バガン!! とすさまじい音が聞こえ、頑丈に作られているはずのドアごと結標むすじめの体が独房の中へと転がり込む。あまりの衝撃しようげきに、結標は内臓の調子が狂ったと思った。異様なき気に見舞われているくせに、まるでのどに栓をされたように何も出ない。
 この房にも結標の『仲間』がいたのか、しきりに自分の名前を呼ぶ声が近くから聞こえた。それだけで、全身から力の抜けかけた体に、わずかな活力が戻る。
 カツン、と。独房のこわれた出ロの前に、手塩は立ちふさがる。
 結標は懐中かいちゆう電灯を構えながら、壁に手をついてふらふらと起き上がった。すぐ近くにいる『仲間』に、自分の後ろへ下がるように促しながら、
「……確か、核攻撃でも壊れない『窓のないビル』への物資搬入はんにゆうルートを聞き出して、そこを突いて内側から多層同期爆弾で破壊はかいを試みるっていう話だったけど」
「話す気に、なった?」
「そんな方法で、アレイスターを倒せるはずがないでしょう。その程度で何とかなるなら、空間移動系の能力を持っている人間ならだれでも寝首をかく事ができてしまう。本当に、あのアレイスターが対策を講じていないとでも思っているの」
「確かに、アレイスターは、殺せないかもしれない。あれは、正真正銘の、怪物だ」
 だが、と手塩は言う。
「ヤツを支えている、生命維持装置なら、違う」
「……、」
「あれは、ただの、機械だ。アレイスターのような、怪物が、核シェルターより、硬い要塞ようさいに、こもっている理由は、明快だ。あの装置には、代わりがないと、聞いている。吹き飛ばされては、困るんだろう」
「無理よ」
 結標は少しでも息を整えるように努力しながら、
「そもそも、あれは『窓のないビル』なんかじゃないのよ。それすら分かっていないあなたは、まともな情報なんて握っていない。そんな状態で練った計画が成功するはずがないわ」
「なに?」
「気がつかなかった? ドアも窓もない建物なんて、普通はありえないでしょ。逆に、正解につながるヒントはいくらでもあるのよ。例えば、酸素を含む生活に必要なものをすぺて内部で生産できるとか。核攻撃に耐えられるって事は、放射線も遮断しやだんできる訳よね。恒星から放たれる各種宇宙線を」
「字宙線? ……まさか」
 いいえ、と緒標は一度言葉を切って、

「あれは、そんなものではないわ」

 自身の無力感を自覚しながら、小さく笑った。
 その答えには、流石さすが手塩てしおも虚を突かれたようだった。
「ここまでヒントが出れは、ある程度の推測はできる。私も仮説の一つや二つは用意してる。でも、アレイスターの答えはそこにない。今ここにある仮説は、今ここで提示された情報を元に組み上げられたものに過ぎないのよ。そしてあのアレイスターが、すぺての情報を私に提示しているとは思えない」
「……、」
「ただ言えるのは、ヤツが進行している『プラン』は私たちの想像をはるかに超えたものである、という事。おそらくアレイスターにとっては、この惑星だって使い捨ての道具にすぎないのよ。そんな巨大な『プラン』が、あなたの言う陳腐な方法ごときで倒れると思っているの?」
 結標むすじめとしては、少しでも時間かせぎをするつもりだった。
 その間に体に蓄積されたダメージが抜けれは、と思っていたのだが、
「大した話だが、やはり、私の意志は、変わらないね」
「……何故なぜ、そうまでしてアレイスターの首をねらっているの?」
「私も、この街で、それなりの、悲劇を経験していてね。それに、アレイスターが、関与しているのか、全く何も知らなかったのか。その真偽を、尋ねてみたかった。それだけよ」
 手塩の口調はそっけなかった。煮えたぎるような復讐心ふくしゆうしんがある訳ではない。しかし、それゆえに言葉には真実味だけが残っていた。感情のたかぶりによる、余計な自己演出が一切ない。
「陳腐な願いね」
「かもしれない」
「私もかつては『真実』ってヤツに取りかれた事があったわ。でも、そんなものを追った所で心の平静が取り戻せる訳じゃない」
 結標の声は、静かだった。
「アレイスターが悲劇に関与したと認めて、あなたはそれで納得できる? アレイスターが悲劇には関与しなかったと認めて、あなたはそれで納得できる? どちらの回答を得た所で、あなたはきっとその答えを偽物にせものだと思う。まだ裏があるんじゃないかって。尋ねる事に意味のない質問なんて、するだけ無駄むだよ」
「……、そう」
 手塩は、それ以上何も言わなかった。
 すでに答えが決まっているからだろう。だから手塩は一切揺らがない。
「それで、どうするの?」
 質問に、結標は答えなかった。
 ここは罪を犯した能力者を収める少年院の中でも、トップシークレットとされる区画だ。AIMジャマーを始め、そうした能カへの対策も最も強固にほどこされているだろう。従って、彼女が得意とする『座標移動ムーブポイント』を使った攻撃こうげきは行えない。
 しかし、それが奪われてしまえは結標淡希むすじめあわきはただの少女に過ぎない。一方通行アクセラレータのような射撃技術がある訳でもないし、土御門つちみかどのように白兵戦にすぐれている訳でもない。
 そこまで考えて、結標は小さく笑った。
 彼女は笑ってこう言った。
「……そんな風に考えているから、私はいつまでってもだれも守れないのよ」
 唇を動かしながら、結標は自分の手を背中に回した。そして、そこにあるコードの束をつかんで、強引に引っ張る。低周波振動治療器ちりようき。結標の脳波の乱れを測定し、それに合った刺激を与える事でストレス軽滅効果を与える器具の電極を、一気にまとめて引きがした。ついでに懐中かいちゆう電灯もまとめて横合いへ放り捨てる。
 すぺてを失った結標は、それでも笑みを崩さなかった。
 それを見た『ブロック』の手塩てしおは、興味深そうな目をして言った。
「使う気ね」
「ええ」
 結標は少しの間も置かず、きっぱりと答える。

「悪いけど、全力で行かせてもらうわ」

 何も握っていなかったはずの結標の手に、突然鉄のくいが出現した。独房の頑丈な錠前じようまえに使われていた部品の一つだろう。ただし『座標移動ムーブポイント』の精度が甘い。握り込んだ結標のてのひら皮膚ひふが、ガリガリと削れていくのが分かる。
 自分の心の奥底に巣食うトラウマが、一気に顔をのぞかせる。
 それを無理矢理にねじ伏せて、緒標はさらに『座標移動ムーブポイント』を発動させる。
 今度は彼女自身の体が消えた。
 一一次元上の諭理ベクトルを利用し、三次元的な制約を超えて、結標の体が筋肉質の女性のふところへともぐり込んだ。転移と同時に猛烈な重圧が胃袋をおそうが、それを無視して結標は鉄の杭を手塩の腹へと思い切り突き出そうとする。
 これに反応し、手塩は後ろへ下がった。
 ここを逃せばもう勝てないと、結標は本能で知っていた。
 しかし一歩み出そうとした所で、右足が動かない事に気づく。まるで強力な瞬間しゆんかん接着剤がべっとりとついているような感じだが、結標の記憶きおくはこの感覚を克明に覚えている。
 このおぞましい感触の原因は、転移の位置を間違えた結果、ふくらはぎの半分ぐらいから下が、まとめて床の中へ埋まってしまっているからだ。
 苦痛。
 恐怖。
 驚愕きようがく
 かつて経験した、それら爆発的な感情が一気に腹の底から噴き出しかけるが、
(超える……)
 ミシィ!! と結標むすじめは鉄のくいを勢い良く握りめ、唇をんですべてを封じ込める。彼女の背後には、守るべき『仲間』がいる。今ここで守らなくてはならないその命のために、結標淡希あわきい出る過去をつぶす!!

(私は超えてみせる!! このクソ忌々いまいましい傷の全てを!!)

 歯を食いしばり、結標淡希は泥から足を抜くように、一気に足を動かした。
 その途端にベリベリという音が聞こえた。
 結標淡希はその全てから目をらさなかった。
 そして前へ。
 仲間の命をおびやかす『ブロック』の刺客しかくふところへ、ボロボロになった足も気にせず、ただ鉄の杭を握り締めて、結標は一気に弾丸のように突っ込んでいく。

 ドン! と。
 一際ひときわ鈍い音が、独房の中にひぴき渡った。

 手塩てしおの全身から、力が抜けていく。まるで結標に向かって寄りかかるような体勢になりながら、手塩は結標の耳に口を寄せ、小さく唇を動かした。
「……余裕、だね」
 結標の手には、鉄の杭があった。しかしインパクトの直前、彼女は手の中の杭をクルリと回し、その鋭い先端ではなく、平坦へいたんな後部の方を腹の真ん中へ突っ込んだのだ。
生憎あいにくだけど」
 結標はつまらなさそうに答える。
「これが、私に求められているリーダー性なのよ」

     12

 海原光貴うなばらみつきは、目の前の光景が信じられなかった。
 少年院の運動場で倒れていたはずのショチトルの右腕が、いきなりポロッと崩れたのだ。それは、生物学的な腐敗のようなものではない。
 まるで透明人間の包帯を外していくような感じだった。
 皮膚ひふの外側の質感は限りなく人間のそれなのに、その包帯が外れた後にはただの空洞しかない。指先から始まった変化が、あっという間にひじの辺りまで侵食していく。
「ショチトル……? これは、一体―――ッ!!」
「私の体が、限界を迎えただけだ」
 手や足の先から少しずつ『ほどけていく』褐色かつしよくの少女は、うっすらと笑って言った。
「勉強になったか。足りない実力を、魔道書まどうしよで埋めようとすると、こういう結果を招く訳だ」
「まさか……読んだのですか」
「いいや、それ以上だ。貴様もアステカの魔術師まじゆつしなら分かるはず。儀式ぎしきでは、人の肉を食う事で天国へ届ける。つまり私と切りはなされた肉には術的なラインがつながっているのだ」
 その一言を聞いて、海原うなばらはギョッとした。他人の武器を操って自殺させる術式の『意味』が分かったからだ。自分の肉を乾燥させて粉末状にしたものを周囲に散布する。その粉未は魔術的には『ショチトルの体の一部』なのだから、脳で思っただけで手足のように扱える。同様に、それがびっしりとこびりついた物品についてもだ。
 他人の武器を、自分の肉体の一部とする。それがショチトルの持つ術式の正体だ。
 だが、
「そんな風に自分の体を削る術式なんて、すぐに破綻はたんする! これはもう霊装れいそうなどで補助できる領分を越えています! それぐらいあなたにも分かっていたはずでしょラ、ショチトル!!」
「構わない。『組織』は裏切り者の処分を求め、私はこれに応じた。私の消費期限の内に貴様を殺せれば、それで『組織』の目的は達せられる」
「くそ!! 自分の知っている『組織』もひどいものでしたが、何もここまでじゃなかった! 自分のいなくなっている間に、一体何があったと言うんですか!?」
 海原はそう叫んだが、不思議とショチトルは小さく笑っただけだった。
 バラバラバラ!! と、あっという間に褐色の少女の体がほどけていく。海原の目測では、おそらく残っている生身の体は、よくても三分の一程度。当然ながら、それだけを残されても生命を維持できるはずがない。肉や内蔵の塊を空気中に放置されるだけだ。
(……これだけの異常事態を、ただの術式や霊装だけで引き起こせるとは思えない)
 手足はおろか腹にまで及ぶ崩壊ほうかいを眺めながら、海原は必死に状況を観察する。
(それ以上の奥義おうぎと言えば―――思いつくのは『原典』ぐらいか!!)
 何人なんぴとたりとも破壊できず、完全自律起動している魔道書まどうしよの『原典』との融合ゆうごう……いや逆にそのパーツとなる事で、ショチトルはカを手に入れた。そう考えると辻褸つじつまが合う。『武器を持つ者をその武器で自殺させる』というのは、いかにも魔道書の『原典』らしい防御機能だ。そして、アステカには動物の皮に文字を記す『絵文書』という書物が存在する。
(動物の皮……まさか!!)
 海原うなばらは今まさにほどけていく、褐色の少女の皮膚ひふ呆然ぼうぜんと眺めていた。
 その内側に記されているのは―――

「ぐ、う、アァああああああああああああああああああああああああああああッ!!」

 迂闇うかつのぞき込もうとして、海原光貴みつきは直後に絶叫した。
 ほんの数文字。それも凝視ぎようししたのではなく、チラッと視界に入っただけで脳が割れそうになった。常人向けに解釈を改め、純度をうすくした『写本』とは違う。正真正銘の『原典』だ。
 ガンガンに痛むこめかみを押さえ、よろめきながらも海原は思考を統ける。
(くっ……。描かれているのは『暦石こよみいし』の派生系か)
 暦石とは円形に配置されたアステカ式のカレンダーのようなものだ。ただしアステカではニつの方式の暦を同時に扱い、また太陽の死や蘇生そせいなどが信じられている事から、その作りはとてつもなく複雑なものと化している。ショチトルの皮膚の内側に記述されているのは、そこから生と死に関する時間の内容だけを抽出し、宗教的な論説にまで発展させたものだろう。
 こんなものは手に負えない。対抗しようという考えそのものが間違っている。あの禁書目録ですら破壊はかいは不可能と言われている邪本悪書を、一介の魔術師まじゆつしにどうこうできるはずがない。
 しかし、
 それでも、
(死なせて、たまるか……)
 非戦闘ひせんとう要員だったショチトルが何故なぜこんな所まで潜入せんにゆうしてきたのか。『組織』は今どうなっているのか。聞きたい事なら山ほどある。だからここで彼女を死なせる訳にはいかない。
 魔道書まどうしよの『原典』は破壊できない。
 仮にできたとしても、『原典』に依存するショチトルの命はたない。
 海原光貴一人の力で、この状況を打破する事など不可能。
 ならば、
(人間のカで実現不能なら、この『原典』のカを借りるまで!!)
 あらゆる攻撃こうげきを防御し、何人なんぴとにも傷をつけられない『原典』だが、唯一の例外が存在する。それは『「原典」の知識を欲する者に、その知識を開示する』事だ。本当にあらゆる意味で『すべての干渉を防ぐ』機能があったらだれもぺージをめくる事はできず、それでは魔道書が存在する理由すらも失われてしまう。どういう理屈かは知らないが、『原典』は『読者』と『そうでない者』を識別し、『自らの知識を広める者』に協力する傾向があるのだ。
 だからこそ海原は、
(この魔道書まどうしよを自分が引き継ぐ)
『原典』の所有権を手にする事ができれは、『原典』からの自動迎撃術式は働かなくなるし、『引き継ぐ』事でショチトルの体から『原典』を自然に引きがす事もできる。『原典』は別にショチトルの人格をしたって協力している訳ではない。単に自らの知識の伝道者を求めているだけなのだから。
 その上で、
(『原典』の判断能力をだましてみせる。ショチトルが死亡したら引き継ぎが行えなくなると思い込ませる! そうすれは、『原典』の方が勝手にショチトルの命を助けるはずだ!!)
 海原光貴うなばらみつきにはショチトルを助ける事はできない。それならば、もっと強大な力を持つ『原典』に直接動いてもらえば良い。もちろん前例はない。ケタ外れの『原典』を騙しきれなけれは、その時のむくいは死という形で跳ね返ってくる。
 しかし、海原光貴は迷わなかった。
 褐色かつしよくの少女を助けるために、海原光貴は全てを受け入れる。

     13

 血まみれの足を引きずって、結標淡希むすじめあわきは独房からゆっくりと出てきた。
 ほかの房にはかぎがかかっている。そこから『仲間』たちが出てくる事はない。また、仮に強硬手段に出たとしたら、学園都市の上層部は『仲間』達を消しにかかるかもしれない。
 いくら『ブロック』を退けたと言っても、根本的な問題は解決していなかった。何者かに命を握られているという状況そのものがくつがえる訳ではなかった。
 しかし結標は、信じていた、という言葉を聞いた。
 独房の鉄扉に備え付けられた、食事を入れるための小窓。まるで郵便ポストの切り込みのようなそこから、『仲間』の声は確かに聞こえた。信じていた、と。やっぱりアンタを信じていて正解だった、と。その声には安堵あんどの感情が含まれていた。自分の命が守られた事はもちろん、ここへ結標が駆けつけて来てくれた事に対しても。
 結標淡希はしばらくの間、少しも身動きが取れなかった。
 やがて、彼女はゆっくりと口を開いた。しかし言葉が出ない。自分で思っている以上に唇がふるえていた。それでも、結標は少しずつ言葉をつむいでいく。
 長い時間をかけて、ようやく出たのは、たった二、三言。
 だが、彼らの間ではそれだけで十分だった。
「もう良いのか」
 土御門つちみかどが言うと、結標は片手で彼を押しのけ、出口の階段へ向かった。
 建物の外に出ると、一方通行アクセラレータ、海原光貴の二人もいた。それぞれがそれぞれの戦場で戦ってきたせいか、無傷の者は一人もいない。それでも、『グループ』の四人は再び合流した。
 結標むすじめは何も言わない。
 そんな彼女を見て、土御門つちみかどはつまらなさそうに言った。
「それじゃ戻るか、やみの中へ」

   行間 三

 彼女はゆっくりと街を歩く。
 就いている役職からすれは考えられない場所だ。だれもが自由に通行できる路上であり、護衛も用意せず、ただ一般人のように雑踏ざつとうに紛れている。彼女の片手にはヘリウムガスの詰まった風船が五個あり、通り過ぎる小さな子供が物欲しそうな視線を送ってきていた。
 彼女のもう片方の手には、携帯電話がある。
「あのさー。一応私が管理してんのは『アイテム』なんだけど。こいつときたら……。なーんでこんな残業代も出ない電話を掛けなきゃならないんだか」
『何言ってんだ。確かに「ブロック」については、おれも出し抜かれたのは認める。でもな、俺の力ならいくらでも巻き返せる。だから「プロック」の位置や情報に関する遮断しやだんを解けよ! 俺が彼らを再び掌握しようあくすれば、学園都市に被害が及ぶ事はないんだ―――』
「被害については、大丈夫だいじようぶ。ついさっき、『グルーブ』の連中が少年院で『ブロック』を行動不能にしたみたいだから。これ以上、ヤツらがトラブルを起こす事はないよ」
『そ、そうか』
電話の相手はそれなりに安堵あんどしたようだった。
『それなら、俺は』
「ええ」
彼女も安心して続きを言った。

『「ブロック」の脅威は消えたんだから、それを制御するアンタも必要ないわよね』

 電話の向こうで息をむ音が聞こえた。
 慌てて何かをまくし立てられたが、彼女はもう聞いていなかった。これは彼女たちの協議で決まった確定事項だ。彼女は携帯電話の通話を切って、再び人混みの中を歩いていく。
 彼女の手にある五つの風船の一つが手放され、空高くへと飛んでいった。
「さて、と」
 消えた風船には目も向けず、彼女は残る風船のひもを指先でもてあそぶ。
「『スクール』の制御役はなんて言うのかな」

第四章 自嘲と誇りの紙一重の違い Enemy_Level5.

     1

 結局、灰は川に流した。
 浜面仕上はまづらしあげには、どうしても生ゴミの自動処理オートメーションの中へ放り込む事ができなかったのだ。ただの自己満足にすぎないのは分かっているし、環境汚染でもあるのだが、それでも、元は人間だったものを生ゴミの中に混ぜて捨てる事には抵抗があった。
(……最低だな)
 滝壺たきつぼとも別れ、一人きりで川沿いの道を歩きながら、ぼんやりと思う。
(別におれは、あの寝袋の中身に同情した訳じゃねえ。単に、次は自分かもしれないって思うのが怖かっただけだ。俺が死んだ時にそういう風に処分されるのが気持ち悪かったからってだけなんだ)
「ちくしょう……」
 またあいつらの所に戻らなきゃならないのかよ、ときそうになるのをこらえ、『アイテム』の連中が待っている場所へ戻ろうとする浜面。
 おい、とそこで声を掛けられた。
 浜面は無視して先を進もうとしたが、後ろから肩をつかまれる。
 振り返る前に衝撃しようげきが来た。
 ゴッ!! という後頭部へのダメージを受けて、浜面の体が汚い地面へ転がる。
 笑い声が聞こえ、そちらへ目をやると、見た事もない少年たちが三人ほどいた。その中の一人がゴルフクラプを握っている。浜面をなぐったのはそいつだろう。
(……ッ!? 空き巣稼業かぎようか)
 学園都市の人口の八割は学生だ。時間帯によっては学生りようからほとんど人がいなくなる。そこをねらって組織的・集団的に空き巣を働く武装した不良グループもいるのだ。
「やっはそうだぜ。こいつ、見た顔だ。第七学区のスキルアウトじゃねえの?」
「あそこはつぶれたんじゃなかったっけか」
「事情なんてどうでも良いだろ。ここで漬すんだしさ」
 そこで一通りの笑いが来た。浜面が何か言う前に四方八方からりが飛んだ。そこには笑いしかなかった。
「知ってるかい、スキルアウト。俺達はついこの前まで生活に苦労してたんだぜ」
「お前らのアタマ……駒場こまばっつったっけか。あいつがなかなか鬱陶うつとうしくてさ。ろくに『仕事』もできない状態だったんだ」
「そんなこんなで、テメェの顔をつぶして少年Aにするぐらいにはムシャクシャしてんだわ。分かってもらえたかなー?」
 それはおれのせいじゃない、と浜面はまづらは言おうとしたが、その前に脇腹わきばらりが食い込んだ。呼吸困難になった浜面は声を出す事もできなくなってしまう。
(ち、くしょう……)
 顔も知らない寝袋の中身が頭に浮かんだ。電子炉の中で焼かれ、灰になって川へ流される光景が脳からはなれない。自分もそうやって消されていくのだという事が、無能力者レベル0の命の軽さが、何もかもが頭にきた。
 そして、汚い路上には親指ほどの太さの、プロパンガス用の鉄パイプが転がっていた。
 浜面仕上しあげは迷わなかった。
「ッ!!」
 L字に曲がった鉄パイプをつかみ、勢い良く横へ振る。
 ゴルフクラブを持っていたクソの足首に直撃ちよくげきし、ゴキリと骨を砕く感触が浜面の手に返った。絶叫して転がるバカと入れ替わるように、血まみれの浜面が起き上がる。そのまま鉄パイプを振り下ろし、さらに打撃を加えていく。
 残る二人の不良が何かを叫んだが、浜面は無視した。
 さらに倒れているヤツに鉄パイプを振り下ろすと、心地良い絶叫が耳にひびいた。
 それを聞いた少年の一人が、カバンの中から金槌かなづちを取り出した。
 これは死ぬかな、と浜面は思った。鉄パイプの破壊力はかいりよくは結構なものだが、かと言って一撃で相手を気絶させるのは難しい。泥沼の『なぐり合い』になれは、相打ちも十分考えられる。
 しかし、もう攻撃の手を止める気は起きなかった。
 黒い寝袋の合成布の感触が、おどろくほど鮮明にてのひらに浮かぶ。
 そこへ、
「こっちだ、浜面!!」
 叫び声が聞こえるのと同時に、金槌を握る少年の首が、ゴキン! と真横へ跳ねた。煉瓦れんがのようなものを投げつけられたのだと気づく前に、浜面はだれかに腕を掴まれた。
「来い、この馬鹿ばか! さっさと逃げるんだよ!!」
 不思議なほど無気力に、浜面は腕を引かれるままに走り出す。
 しばらく付き添ってから、ようやく声の主に思い当たった。
「お前……半蔵はんぞうか?」
 以前は同じスキルアウトのメンバーとして、行動を共にしていた少年だ。この辺りをウロウロしていたという事は、またATMの強奪でも考えていたのだろうか、と浜面はかつてのスキルアウトの習性を少しだけ思い出した。
 半蔵はんぞうあきれ返った声で、
「路地裏のルールをすっかり忘れやがって、この馬鹿ばか。勝ち負けにこだわったら行き着く先は死だ。生き死ににこだわりたかったら勝敗なんか捨てちまえ!」
 背後に目をやり、追っ手が来ないのを確認してから、二人は立ち止まる。
 浜面はまづらは不思議そうな表情で半蔵の顔を見ていた。
「何でおれを助けたんだ。スキルアウトをダメにして、その罰からも逃げたこの俺を」
「そういうのは、お前の台詞せりふじゃねえよ」
 半蔵はつまらなさそうな調子で答えた。
「つか、もう気づいてんだろ。別に俺たちはお前を恨んじゃいねえし、お前のせいだと思っちゃいねえさ。あのタイミングなら、だれがリーダーになってもスキルアウトはつぶれてた」
「……、」
「過去にすがるほど綺麗きれいな道は歩んじゃいねえさ。ま、俺が計画を練って、お前がアシを確保して、駒場こまば襲撃しゆうげきの指揮を執って……ってやってたころが楽しかったのは認めるがね」
「そうだな」
 浜面は感情のない声で言った。
「認めるよ。クソみてえな生活だったが、まだあの頃は楽しかった」
「……お前、これからどうする気だ」
「知るかよ。どこへ転がり込んでも同じ気がする。たとえスキルアウトに戻ったって、それは『あの頃』じゃねえんだ。そこに価値があるとも思えねえ」
 き捨てるように言って、浜面は半蔵に背を向けようとした。
 半蔵はポケットから何かを取り出すと、それを浜面に向かって軽く投げた。
「持ってけよ。あの調子じゃ、大した武器モノもないんだろ」
 グリップがてのひらの半分ぐらいしかない、小型の拳銃けんじゆうだった。
「……レディースだぞ、これ」
「良いだろ、別に。武器なんて使いづらいぐらいがちょうど良いんだ。手に馴染なじみ過ぎると、余計な血を流しちまう」
 浜面は手の中の拳銃を軽く回し、それからそでの中へ仕舞った。
 今度こそ半蔵へ目を向けず、彼は一人で路地を出る。
『アイテム』では、おそらく次の仕事が待っている。

     2

 浜面仕上しあげは『アイテム』の隠れ家の一つに帰ってきた。
「遅いよー浜面はまづら
 麦野沈利むぎのしずりがのんびりした調子で言った。
 ここは第三学区にある高層ビルの一角だ。スポーツジムやプールなど、屋内レジャーだけを集めた施設で、利用者のグレードはかなり高い。建物に入るだけで会員証の提示を求められ、そこからさらに各施設を利用する際に、会員証のランクを調べられる。いわゆる上流階級と呼ばれる人々が、ステータスとしてまず手に入れたいものが、ここの会員証らしかった。
 浜面たちがいるのは。VIP用のサロン。
 年間契約の貸し切り個室で、『二つ星』以上の会員証ランクがなけれぱ借りる資格すら与えられないという、まさに最高級な感じの部屋だ。
 個室と言っても軽く3LDKを超える広さの空間で、麦野はソファに身を沈めていた。
 浜面はそこに集まった面子メンツを見て、怪訪けげんそうに尋ねる。
「フレンダはどうしたんだ?」
「消えた」
 麦野はあっさりと答えた。
「死んだか捕まったか。補充している暇はなさそうだし、いずれにしても『アイテム』は三人でやってくしかないね。ま、『スクール』も一人減って三人だから、数はぴったり合ってる。巻き返すのは難しくないよ。ウチら『アイテム』には滝壺たきつぼもいるしね」
 三人と麦野は言った。
 数に入れられていない浜面はわずかにまゆをひそめたが、言及しても仕方がない。
「はまづら。怪我けがしてる」
 滝壺が浜面の顔を見てそう言った。
 何でもねえよ、と浜面は適当に答えて、
「これからどうするんだ。『スクール』の連中には『ピンセット』を奪われちまったんだろ」
「そだね」
 麦野はあっさりと認めて、
「だから、今度はこっちが反撃はんげきする番よ。滝壺の『能力追跡AIMストーカー』は、一度記憶きおくしたAIM拡散力場を元に、特定の能力者の位置情報を『検索』できる。素粒子工学研究所では連中と一戦やり合ってるからね。これでいつでも連中を追えるって訳。『アイテム』の存在意義は上層部や極秘集団の暴走を防ぐ事。そいつをまっとうしてやろうじゃない」
 浜面は滝壺の方を見た。
 相変わらずだらっと手足を投げ出している少女。いつも言動が不安定なのは、絶えず他者からのAIM拡散力場の影響えいきようを受けているせいなのだろうか。
「検索対象は、『未元物質ダークマター』でいい?」
だれだそりゃ」
「第二位の超能力者レベル5。『スクール』を指揮してるクソ野郎だよ」
 麦野むぎのがそう言っている間に、滝壺たきつぼはポケットから白い粉末の入った小さなケースを出した。
 絹旗きぬはたは不思議そうな目で透明なケースを見ている。
「滝壺さんも超難儀なんぎしていますよね。『体晶たいしよう』がないと能力を発動できないなんて」
「別に。私にとっては、こっちの方が普通だったから」
 滝壺は言いながら、白い粉末をほんの少しだけめた。
 彼女の目に光が戻る。
 まるでそちらの方が正常であるかのように、背筋を伸ばして滝壺理后りこうたたずんでいる。
「AIM拡散力場による検索を開始。近似・類似するAIM拡散力場のピックアップは停止。該当する単一のAIM拡散力場のみを結果報告するものとする。検索終了まで残り五秒」
 機械のように放たれる声。
 そして、正確な答えはやってきた。

「結論。『未元物質ダークマター』は、この建物の中にいる」

 なに!? とその場の全員が愕然がくぜんとする前に、次の動きがあった。
 個室サロンの扉が、向こうから思い切りり破られる。
 その奥から、一人の男が歩いてくる。
 その男を見て、麦野沈利しずり忌々いまいましそうな声を出した。
「『未元物質ダークマター』……ッ!!」
「名前で呼んで欲しいもんだな。おれには垣根帝督かきねていとくって名前があるんだからよ」
 男の手には、機械でできた奇妙な『つめ』があった。
「『ピンセット』か……」
「カッコイーだろ。勝利宣言をしに来たぜ」
「ハッ。アレイスターに選はれなかった『第二候補スペアプラン』に、はしゃがれてもさ。ついさっきまでさんざん逃げ回ってたくせに、態度がガラリと変わってくれたね」
「いやいや。素粒子工学研究所では世話になったし。おかげで四人しかいない『スクール』の正規要員を一人失っちまった」
「忘れてない? 数日前にはスナイパーも殺してるはずだけど。交換したんだ?」
 超能力者レペルー5二人の会話はいきなり途切れた。
 原因は絹旗最愛さいあい。彼女はソファから立ち上がりもせず、近くにあったテーブルを片手で持ち
上げた。ゴテゴテと装飾だらけで、数十キロはありそうな重さのテーブルを、一二歳ぐらいに
しか見えない少女は、ものすごい勢いで垣根帝督へ投げつける。
 バガン!! という轟音ごうおんひぴいた。
 テーブルは粉々に砕け散ったが、垣根かきねの表情に変化はなかった。
「痛ってえな」
 本当にそうなのかも分からないほど自然に、彼は言う。
「そしてムカついた。まずはテメェから粉々にしてやる」
 絹旗きぬはたはやはり応じなかった。
 彼女は壁際かべぎわまで走ると、その小さなこぶしでサロンの壁を容赦ようしやなく破壊はかいした。そして浜面はまづら滝壺たきつぼの手をつかむと、麦野むぎのに軽く目配せをしてから、こわれた壁の奥へと飛び込んでいく。
 その先は似たような構造の豪奢ごうしやなサロンだ。中には客がいたが、絹旗は拳でなぐって気絶させる。通路に出ると『スクール』の下部組織らしき男がいたが、これもやはり拳でぎ払う。
 絹旗最愛さいあいは怪力なのではない。彼女は空気中の窒素ちつそを自由に操る能力者なのだ。その力は極めて強大で、圧縮した窒素の塊を制御する事で、自動車を持ちあげ、弾丸を受け止める事すらできるものの、その効果範囲はとても狭く、てのひらから数センチの位置が限界。だから、見た目では『手で持ち上げているように』見えてしまうのだ。
「浜面。超急いで車の確保をお願いします」
 絹旗はそう言った。
「『スクール』のねらいの一つは滝壺さんでしょう。私たちの隠れ家がバレている以上、ほかの憶報も知られていると考えた方が超無難です。おそらく彼らは滝壺さんの厄介やつかいな能力を知って、追跡を振り切るためにまとめてつぶしに来たんです」
「こいっのサーチ能力が?」
 浜面は言った。
 見た目の破壊力で言うなら、麦野や絹旗の方が派手そうだが……。
「『アイテム』全員を確実に殺さなくても、滝壺さんさえ潰してしまえば、『アイテム』の活動はかなり制限できます。彼女がいるかいないかで、『追跡する側』と『追跡される側』がひっくり返るんです。私なら、真っ先に滝壺さんを狙います」
「……、」
「逆に言えば、私達は滝壺さんさえ無事なら状況を巻き返せるんです。だから、とにかく彼女を車に乗せてここから超はなれてください。『アイテム』の隠れ家を使わずに潜伏せんぷくすれば、多少は時間をかせげるはずです」
 絹旗は言いながら、ポケットからスタンガンを取り出した。
 それを滝壺の手に掴ませる。
「あなたはいつもボーっとしていて超危なっかしいですから、これぐらいの武器がちょうど良いでしょう。これなら暴発しても死にませんし」
 バガン!! という爆発音が聞こえた。
 麦野と垣根のいるサロンの方からだ。
「行ってください。超早く」
 絹旗きぬはたはそう言うと、浜面達はまづらたちから背を向けた。
 彼が何か言う前に、その小さな少女は戦場へと走って行った。

     3

 爆発の衝撃しようげきに、ビル全体がたよりなく揺れていた。
 上客が逃げ惑う屋内レジャー施設のロビーを、絹旗最愛さいあいは歩いている。
 床には『スクール』の下部組織の男達が倒れていた。絹旗がたたき伏せた者達だ。彼女は男達のそばへ行くと、その近くに転がっている拳銃けんじゆうやライフルなどを足で蹴飛けとばして遠ざける。
 と、不意に彼女の顔が、横方向にゴン!! とブレた。
 銃弾を浴びた、と分かった時にはさらに二回、三回と衝撃が走り、絹旗の小柄な体が床へ吹き飛ばされていく。彼女は衝撃に身を任せ、床をすぺって手近な柱の陰へ隠れつつ、
(……狙撃そげき。どこから?)
 衝撃のあった箇所は、頭と胸と腹の下。いずれも急所だった。能力によるシールドがなければ確実に死んでいた。絹旗は床に転がっていた、つぶれた弾丸をてのひらに載せる。
(スチール弾……例の磁力狙撃砲ですか。初速が音速以下だとすると、この潰れ具合から察するに、距離きよりは五〇〇から七〇〇)
 考えながら、絹旗は衣服のふところへ手を伸ばす。五本の指の間に挟んでいるのは、三〇センチぐらいの金属棒の先端に、缶ジュースぐらいの金属の塊がくっついたものだった。マラカスのようにも見えるし、古臭い柄付えつきの手榴弾しゆりゆうだんのようにも見えるのだが、どちらも正解ではない。

 それは携行型対戦車ミサイルの弾頭だ。

 逃げ惑っていた上客達がギョッとした顔をしたが、絹旗は無視した。
 彼女は五本の指で挟んだ複数の弾頭をそちらに向け、弾頭のしりについていた短いひもを、もう片方の手でつかむ。パーティのクラッカーを鳴らすような仕草にも、弓を構えるような仕草にも思える。彼女は一息に柱の陰から飛び出すと、砕けたウィンドウの先にある景色に目を向けた。その途端に眉間みけんの真ん中へ弾丸をもらったが、絹旗は無視してねらいを定める。
 彼女は迷わず紐を引いた。
 シュポン、という気の抜けた音と共に、圧縮空気の力を受けて、柄から弾頭が飛んだ。一〇メートルほど前方に進むとそこで着火し、爆炎をき散らしながら五〇〇メートルの距離をあっという間に詰めていく。
 複数のミサイルはビルの側面に激突すると、ミルフィーユを漬すように爆破した。優れた耐震たいしん構造の賜物たまものか、かろうじてビル全体が倒壊とうかいするのだけは免れたようだ。
「おーおースゲェな。砂皿すなざらの野郎、磁力狙撃砲そげきほう一緒いつしよにグチャグチャになってんじゃねえか? ま、急いで補充した人員だからあの程度が限界って感じかもな」
 陽気な声が飛んできた。
 絹旗きぬはたがそちらへ振り返ると、『未元物質ダークマター』の垣根帝督かきねていとくが通路から出てきた所だった。
「はん、『暗闇くらやみの五月計画』の残骸ざんがいか。難儀なんぎだよな。一方通行アクセラレータの演算パターンを参考に、各能力者の『自分だけの現実パーソナルリアリテイ』を最適化しようとかって内容だっけか」
「……、」
「結果、テメェが得たのは自動防御能力。元は大気制御系の能力っぽいけどな。一方通行アクセラレータの『反射』と同じく、自分の周囲に能力で作った防御フィールドを自動展開させるのが限界、か。自分でみじめと思った事はねえのか」
「別に」
 絹旗はあっさりと答えた。
「『プロデュース』の被験者に比べれは超幸せですよ。彼ら、『自分だけの現実パーソナルリアリテイ』は脳のどこに宿るのかを調ぺるために、クリスマスケーキみたいに脳みそを切り分けられたそうですし」
 そうかい、と垣根は興味なさそうに相槌あいづちを打った。
 絹旗は目の前の男を警戒しながらも、口を開く。
麦野むぎのはどうしたんですか」
「ああ。大した事はなかったな」
 そっけない言葉だった。それだけで、絹旗は知った。学園都市でも四番目に強力な超能力者レベル5をそんな風に扱える人間に、大能力者レペル4の自分では太刀打たちうちできない。素粒子工学研究所で戦った時に、すでに薄々うすうす気づいていた事が裏付けされてしまった。
「で、『能力追跡AIMストーカー』はどこにいる? こっちが知りたいのはそれだけだ。場所を教えりゃ見逃してやっても良いんだぜ」
「そんな交渉に応じる馬鹿ばかがいるとでも思うんですか」
「いるんじゃねえの? 例えば『アイテム』のフレンダとか」
「……、」
「そういう選択肢もあるって訳だ。言っておくが、大能力レベル4の『窒素装甲オフエンスアーマー』じゃ、おれの『未元物質ダークマター』にゃ勝てねえよ。工夫次第でどうにかなるレベルを超えちまってる」
 絹旗は何も言わなかった。
 だまってこちらをにらみつけてくる少女を見て、垣根は告げる。
「『能力追跡AIMストーカー』はどこだ」
「どうやら、拒否する権利はなさそうですね……」
 絹旗は小さく笑ってそう言った。

 言いながら、近くにあったベンチをつかみ、それを強引に投げ飛ばす。
 しかし、

 ゴァ!! と垣根かきねを中心に正体不明の爆発が巻き起こる。
 それは飛んできたベンチを粉々に破壊はかいし、さらに絹旗きぬはたの体までもぎ払った。

 彼女の小柄な体が一〇メートル以上ノーバウンドで空中を飛び、うすい壁を突き破ってどこかの部屋へと突っ込んで行った。
 それを眺めながら、垣根はうっすらと笑う。
「誇りと死を天秤てんびんにかけたか。感傷的だが、現実的じゃねえな」
 垣根は近くにいた下部組織の男へ、回収しろ、と小さく告げた。
「回収って……まだ生きているんですか、あれ」
「そういう能力者なんだよ、あいつ」

     4

 浜面仕上はまづらしあげ滝壺理后たきつぼりこうはエレベーターホールまで走ってきた。
 壁のスイッチを押すと、四八階にまっていた表示が、高速でこの二五階へと下がってくる。その間に、浜面はポケットの中から開錠用かいじようようのツールを取り出す。
(……駐車場は地下か。ここら辺のはみんな派手な車だろうけど、迷ってる暇はねえ。エレベーターから一番近い揚所にある軍をねらって―――)
 エレベーターが二五階に停まった。
 軽い電子音と共に、金属製の自動ドアが左右に開いていく。
「いたいた」
 そこで、浜面は絶望的な声を聞いた。
 通路の向こうから、『スクール』の人間が歩いてくる。麦野沈利むぎのしずりしのぐ、第二位の超能力者レベル5。右手に奇妙な『つめ』を装着したその男が、ゆっくりと近づいてくる。
「捜した捜した、捜したよん。テメェがサーチ能力者で良いんだよな?」
 言いながら、男は左手一本で引きずっていた『もの』を、こちらに向けて軽く投げる。数メートルの距離きよりを飛び、浜面の足元に転がったのは、先ほど別れたばかりの絹旗最愛さいあいだった。
「……ッ!!」
「そいつの判断は良かったな。テメェら『アイテム』の核は超能力者レペル5じゃなくて、そっちのアンタなんだろ。いやあ、ここで逃げられてたら厄介やつかいだったぜえ?」
 逆に言えば、ここまで来ればもう逃げられないと、垣根帝督ていとくは断言していた。
 あの一歩一歩が、浜面達ほまづらたちの寿命を削り取るカウントダウンだ。
 浜面は、そでの中にある拳銃けんじゆうの存在を意識した。そして、かたわらにある扉の開いたエレベーターを横目で見て、できるだけ小さな声で滝壺たきつぼに話しかける。
「(……お前はエレベーターに乗って下に降りろ)」
「(……でも、はまづら)」
「(……どっちみち、ここでテメェを見捨てて『スクール』から逃げたって、そんな事をすれば今度は『アイテム』につぶされんだ! 板挟みなんだよ、ちくしょう!!)」
 垣根帝督かきねていとくの足が止まった。
 逡巡しゆんじゆんしたのでも、見逃そうとしているのでもない。そこがもう、超能力者レペル5にとっての有効射程圏内なのだ。
「で、どうするよ。別れのあいさつってどれぐらい時間かかるものなんだ?」
「―――ッ!! 行け!!」
 浜面は滝壺の小さな体をエレベーターへ突き飛ばそうとした。
 しかし、滝壺は逆に浜面の方へ手を伸ばした。
 まるで社交ダンスのようにくるりと体の位置を変えると。滝壺は浜面の体をエレベーターの方へ押し出す。突然の行動に戸惑った浜面は、そのまま床に尻餅しりもちをついてしまった。
 滝壺の手だけが、エレベーターの中に入る。
 地下駐車場のあるB1のボタンが押されてしまう。
「テメェ、何してん―――」
「ごめん、はまづら」、
 左右から閉じていく自動ドアの向こうで、滝壺はこちらを見ていた。
「電子炉の話、みんなに聞いた。はまづらには、あんな『灰』にはなってほしくない」
 彼女の目は、うっすらと笑っていた。
大丈夫だいじようぶ。私は大能力者レペル4だから。無能力者レベル0のはまづらを、きっと守ってみせる」
「……ッ!!」
 何か言う前に、完全に扉は閉じて、高速エレベーターが下へ降りていく。何かとんでもない事が起きたが、一方で、直接的な危機を脱した事で、肉体の方が妙な安堵あんどに包まれていた。
 床に座り込んだまま、壁に背中を押しつけ、浜面は天井てんじようを見上げた。
(能力者の連中は、おれ達の命なんかどうでも良いって思ってんじゃなかったのかよ……)
 高速エレベーター特有の、浮遊感にも似た感覚を全身で受けながら、浜面は思う。
 天井を見上げたまま、片手で顔をおおう。
(一山いくらでさ、使い捨てのコンビニ傘みたいなもんでさ。俺達が死んだって、焼却炉で灰になるまで焼かれて生ゴミと一緒いつしよに捨てられんじゃなかったのかよ)
 ちくしょう、と浜面は小さくつぶやいた。
 おそらく、あの電子炉で黒い寝袋を焼いた時、ショックを受けていたのは浜面はまづらだけではなかったのだ。それを後ろから見ていた少女もまた、同じようにショックを受けていたのだ。滝壺理后たきつぼりこうが、これまでもずっと無能力者レベル0擁護ようごしようと考えていたのか、それともあの電子炉の一件で心変わりしたのかは分からない。
 とにかく言えるのは一つ。

 滝壺理后は、無能力者レベル0の浜面を助けるために、たった一人で学園都市第二位の男に立ち向かったという事だ。

「……ふざけやがって」
 浜面仕上しあげはボソリとつぶやき、壁に手をついて、ゆっくりと起き上がった。
「ふざけやがって  ッロ」
 てのひらたたきつけるように、壁際かぺぎわのボタンを勢い良く押してエレベーターを停止させる。
 ギリギリと奥歯をめ、浜面はゆっくりと深呼吸する。
 正直に言えば、勝てる見込みはほとんどない。あの垣根かきねとかいうヤツは超能力者レベル5で、しかも敵はヤツ一人ではない。少なくとも、下部組織らしき黒ずくめの男たちもいた。
 しかし、
無能力者レペル0に居場所はあるのかだと。あるに決まってんだろ。他人を食い物にする以外に道はあるのかだと。あるに決まってんだろ!!』
 かつて。断崖だんがい大学データベースセンターで遭遇した、自分とは全く違う無能力者レベル0の言葉が、ここに来て自然と頭に浮かんできた。
『もしもスキルアウトを結成するだけのカを使って、もっと弱い立場の人を助けていたら、それだけでテメエらの立場は変わったんだ!! 強大な能力考に反撃はんげきするだけの力を使って、困っている人に手を差し伸ぺていれは、テメェらは学園都市中の人達から認められていたはずなんだよ!!』
「……ああ」
 浜面仕上は、滝壺と別れた二五階のボタンを再び押して、エレベーターのドアを閉める。
「その通りだ、クソッたれ」
 彼は自ら退路を断ち、再び超能力者レペル5の待つ戦場へと帰っていく。

     5

 エレベーターが二五階で停止した。
 左右に開く自動ドアからフロアに出た浜面は、そこで予想通りの光景を目にした。
「何だ。戻ってきちまったのか」
 あっさりと言ったのは、『スクール』の超能力者レベル5垣根帝督かきねていとく
 その近くには、先ほど投げられたのと同じ格好で、絹旗最愛きぬはたさいあいが転がっている。
 さらに傷一つない男の足元には、うつ伏せで表情も見えない滝壺理后たきつぼりこうが、ぐったりと転がっていた。生きているのか死んでいるのか。それさえも、ここからでは判断できない。
 垣根は首の関節をコキコキ鳴らしながら、
「でもまぁ、直接的な戦闘力せんとうりよくはない割に、結構頑張ったんじゃねえの、こいつ。サーチ能力の応用なのか、おれの放つAIM拡散力場に干渉して、そこから『逆流』して俺の能力を乗っ取ろうとしやがった。ったく、順当に成長すれば『八人目』になれるかもしれねーぞ」
 称賛しようさんの一つ一つが人を馬鹿ばかにしているとしか思えなかった。
 浜面はまづらは一言も発さなかった。何も告げないま、そでの中に隠していた拳銃けんじゆうを、ガシャッ!! と一気に突き付ける。
「あら。まだ終わっていなかったの?」
 不意に声がかかった。
 垣根の後ろにあった曲がり角から、派手なドレスの少女がゆっくりと歩いてきた。
(あの時の……クレーン女!?)
 浜面はどちらに照準を合わせるか、一瞬逡巡いつしゆんしゆんじゆんしたが、
「やめといた方が良いよ」
 その途端に、浜面仕上しあげの体は指一本動かせなくなった。
「以前は殺す必要性があったけど、『ピンセット』が手に入った今、下部組織のあなたまで殺す事もないんだしね」
 何らかの理由で体が麻痺まひしているのではない。肉体的には何の問題もない。ただ、ちたくても撃てないという『意識』が、不自然なほどに浜面の中でふくらんだのだ。
 例えば、昼寝をしている子猫をつぶす事はできないように。
 例えば、病気の子供を殺して金品を奪えないように。
 例えば、滝壺理后に拳銃を向けてしまっているように。
面構つらがまえの割に、中身は結構優しいのね。やっぱり、最初から力を使っていれば良かったわ」
 ドレスの女は口元をほころばせた。
 「私の『心理定規メジヤーハート』は、人の心の距離を自在に調節できる。あなたが知り合いの一人一人に対して設定しているのと同じ距離を保ったらどうなると思う?」
「く……っ!!」
 (何だこれ。念話能力テレパスの応用か!?)
「やめておいたら? 今の私は距離単位二〇……つまり『浜面仕上ー滝壺理后』と同じ心の距離を維持している。あなたには滝壺たきつぼてないように、あなたには私を撃てない。わざわざ彼女のためにここまで戻ってくるぐらいだし、傷一つつけられないんじゃない?」
 ガチガチと拳銃けんじゆうを握る手がふるえる。
 撃てない。滝壺とドレスの女が別人だというのは分かるのに、どうしても撃てない。
 すると、垣根かきね興醒きようざめしたように言った。
「つまんねえな。これじゃまるで俺達おれたちが悪者だ」
「お互いをかばい合う男女なんて、美談よ。何だかレアすぎてこわすのが惜しくなってきた」
「そうだな、残念だ。俺達がどうこうするまでもなく、女の方は勝手に死んじまうってのがな」
 その言葉に、浜面はまづらの肩がビクンと大きく震えた。
「何だよ……それ。テメェら何言ってんだ?」
 垣根は滝壺の近くに転がっていた透明なケースを浜面の方に蹴飛けとばし、
「『体晶たいしよう』ってヤツだ。その女が使ってるのは知ってたか?」
「……能力を、発動させるための……」
「厳密には意図的に拒絶反応を起こし、能力を暴走させるものだ。ま、ちょっと詳しく言うと『暴走能力の法則解析用誘爆ゆうばく実験』ってので使われてたヤツだな。大抵の場合はデメリットしかないはずなんだが、ごくまれに『暴走状態の方が良い結果を出せる』ヤツもいる。この女もそういう能力者だったんだろ」
 垣根はいちいち説明するのが退屈だと言わんばかりの声で、
「こんな状態なら長くはたねえよ。今日から一生能力を使わないっつーなら大丈夫だいじようぶだろうが、あと一回か二回チカラを使えば、この女は『崩壊ほうかい』する」
 崩壊。その不穏ふおんな単語に、浜面の顔が強張こわばる。垣根は無視して続けた。
「これなら俺達がトドメを刺すまでもねぇわな。サーチ能力さえなければ、こいつの命なんざ興味ねえし」
「言っておくけど、その子が倒れているのは、その子自身の意志によるもの。この建物で私達『スクール』と戦うために、『体晶』を無理に使い続けたせいよ。……私達が本気でつぶしにかかっていたら、肉片も残らないだろうし」
 ドレスの女は淡々と告げた。浜面はろくに体を動かせないまま彼らをにらみつけるが、『スクール』の二人は無視してエレベーターのボタンを押した。
「さて、どうするかね」
 エレベーターを待ちながら、垣根は簡単に言った。
「殺すか、見逃すか」
「別に放っておいても問題ないんじゃない。全滅寸前の『アイテム』には私達を止められない訳だし」
 全滅寸前というドレスの女の言葉に浜面は歯軋はぎしりするが、どうしても引き金を引けない。『心理定規メジヤーハート』の能力に、完璧かんべきとらわれてしまっている。
「殺した方が簡単だがな」
「あなた、ナーチ能力者からAIM方面を経由して、『自分だけの現実パーソナルリアリテイ』を乱されかけたんでしょう。チェックしなくていいの? つぶれかけた『アイテム』より、あなたの暴走の方がよっぽど危険だわ。私、味方の暴走に巻き込まれて死ぬなんてごめんだからね」
 指摘を受け、垣根帝督かきねていとくはくだらなさそうに首を鳴らす。
 垣根は銃を持っていない。自分の能力にそれだけ自信があるのだろう。だが、万が一にもその能力が暴走すれは、真っ先に巻き込まれるのは垣根本人だ。
「しょうがねぇ、帰るか。チェックは簡単だが、ここには機材がねえし」
 タイミングを計ったように、エレベーターがこの階に到着した。
 くそっ!! と浜面はまづら拳銃けんじゆうのハンマーを親指で押し上げる。
 しかし、ドレスの女は顔色一つ変えなかった。
「今の距離きより単位は二〇。『浜面仕上しげ滝壺理后たきつぼりこう』と同じ心の距離。でも、私はもっと距離を縮める事もできるんだよ?」
「ッ!!」
「本物の感情が、いつわりに塗り潰されるほどかなしい事はないよね。あなたは生き残った喜びを、死にかけのその子と一緒いついよに分かち合いなさい」
 二人はまったエレベーターへ勝手に乗り込み、そして自動ドアは閉まった。
 浜面は足元に転がっている『体晶たいしよう』のケースと、倒れたまま動かない滝壺理后を見て、それからゆっくりと座り込んだ。
(あと一回か二回、能力を使えば滝壺は『崩壊ほうかい』する……)
 その『崩壊』が具体的にどのようなものか、馬鹿ばかで不良の浜面には分からない。しかし、ろくでもない事なのは予測がつく。
(どうする)
 浜面は滝壺の顔をのぞき込む。その体はピクリとも動かない。目を覚ますような様子もない。よほど自分の体に無茶むちやな負荷をかけたのか、彼女の体は気味の悪い汗でれていた。
 滝壺理后は、こうなるまで垣根と戦っていた。
 おそらくは、浜面仕上を助けるために。
『体晶』などという、訳の分からないものの力まで借りて。
(……、)
 浜面は、静かに奥歯をめた。
 覚悟というには足りないし、決意というほど高尚なものではない。それでも彼は、自分の手足を動かすための原動力ぐらいにはなるものを手に入れていた。
「くそ……」
 滝壺理后たきつぼりこうを『アイテム』へ帰す訳にはいかない。あの組織は、正規要員が消えても平気で入れ替える制度を持っている。滝壺が危険な状態であっても、容赦なく能力を使わせるはずだ。
 浜面はまづらふるえる手でレディース用の拳銃けんじゆうそでから取り出した。マガジンを抜き、弾数を確かめる。元々グリップが短く作られているせいか、装弾数も少ない。いや、仮に何万発もの弾丸を携行していたとして、そんな程度でこれからの危機を乗り越えられるだろうか。学園都市の暗部は滝壺を追い掛けるし、『アイテム』の敵対者だって存在する。彼らと戦えるのか。
「くそったれが!!」
 それでも、やるしかない。
 これ以上滝壺に能力を使わせたら、本当にもう終わりなのだ。
 と、滝壺と一緒いつしよに倒れていた絹旗きぬはたが、指一本動かさないで、眼球だけでこちらをジロリと見た。彼女は浜面の焦燥しようそうした様子から、大体の事情を察したらしく、
「……ま、それが妥当でしょう。滝壺さんを連れてどこへでも消えてください」
「すまねえ」
「別に感謝されるいわれはありません。これはただの悪口です。あなたや滝壺さんみたいな超使えない人間を我々『アイテム』の中にとどめていても、足手まといになるだけと言っているんですからね」
 言いながらも、絹旗の口元はわずがに笑っていた。
 彼女も無傷ではない。現に唇からは血をこぼしている。しかし絹旗は、滝壺のために動こうとする浜面を見て、笑ってくれた。
「何か、最後にできる事はあるか」
「……、そうですね。コード五二を使って下部組織に連絡、情報隠蔽いんぺい部隊と救急車を手配してください。見ての通り、私は超動けませんから」
 分かった、と浜面は言った。
 絹旗を置き去りにするのは心苦しいが、今は滝壺を連れて逃げなくてはならない。
(とにかく、能力さえ使わなければそれで良いんだ。『アイテム』からはリタイヤしちまうが、それでも『崩壊ほうかい』とやらが起こるよりはマシだろ)
 浜面はそう思ったが、しかしその時、彼の携帯電話が突然着信音を鳴らした。
 通話の相手は、麦野沈利むぎのしずりだった。
『はーまづらあ。そっちに滝壺理后はいるかな?』
(……お前、大丈夫だいじようぶなのか!? 確か、垣根かきねと戦って、それで……ッ!!」
『ゴチャゴチャとさわぐなよ。これから「スクール」に逆襲ぎやくしゆう開始。滝壺のチカラを使って追跡
させるの。そっちにいるならさっさと連れて来て。死んでも結果を出してもらうからね』

     6

 浜面はまづらは、死体のように動かない滝壺たきつぼを背負ったまま、ビルの外に出ていた。麦野沈利むぎのしずりの指示に従って、滝壺に力を使わせようとしているのではない。逆だ。もう『アイテム』に滝壺をかかわらせないように、少しでも遠くへ逃げようとしているのだ。
 ここは短い橋の上だ。下に流れているのは川ではなく、線路。地下鉄の路線が部分的に地上へ出ている所だった。そして、橋の向こうには一台のスポーツカーがまっている。
「で、何だか知らないけど、私にその子を預けようって訳じゃん?」
 車から降りて、あきれたように腰へ手を当てているのは、警備員アンチスキル黄泉川愛穂よみかわあいほだ。
 浜面や滝壺の使っている逃走ルートや潜伏先せんぷくさきは『アイテム』共通のもので、つまり麦野にも知られやすい。となると、全く別の『ルート』を持った人間に預けた方が良いだろうと思ったのだ。
「浜面ってさ、私の職業知ってる? 警備員アンチスキルじゃんよ。こんないかにも怪しげなシチュエーシ
ョンで気を失った女の子まで抱えて、このまま浜面一人だけを逃がすとでも思ってんの?」
「……だまれよ」
 浜面は奥歯をめて、そう言った。
 いつもと違う焦燥しようそうとした声色に、黄泉川は少しまゆをひそめたところで、
「事情なら、後でいくらでも話してやるよ。どこにだって出頭してやるよ! だから今はこいつを連れて、早くどこか安全な場所まで運んでやってくれ!! こいつ、まともな状態じゃねえんだ。『体晶たいしよう』っていう訳の分からないものを使ってて、もういつ『崩壊ほうかい』が来るか分からないって話なんだよ!!」
「「体晶』……? おい浜面。今『体晶』って言ったじゃんか!?」
 たった一つの単語で黄泉川の顔色がガラリと変わったが、浜面は説明をしなかった。
 それどころではなかった。
「……はーまづらあ」
 突然、後ろから聞こえた声。
 彼が振り返ると、短い橋の向こうに、血まみれの麦野沈利が立っていた。自分の血もあるし、他人の返り血もある。右手に引きずっているポロ布のようなものに、見覚えがあった。
「フレンダ……」
 より正確には、その上半身だけ。
 一体どこへ行ったのか、下半身はなく、断面からボトボトと赤黒いものが垂れている。
「そうそう。なんか『スクール』にビビって、ウチら『アイテム』を裏切って潜伏しようとしてたみたいだったからね。さっくり粛清しゆくせいしておいた。……で、これは何? お前も粛清が必要って訳じゃないよね」
 麦野むぎのが手をはなすと、ボトリという音と共にフレンダが落ちた。
 彼女はもうフレンダの方には目も向けない。
 結局、麦野にとってフレンダとは、仲間とは、その程度のものなのだろう。
 滝壺たきつぼとは様子が違う、明らかに死体のそれに、浜面はまづらの顔が強張ごわばった。それでいて、彼は迷わなかった。浜面は背負っていた少女を黄泉川よみかわに押し付けると、静かに言う。
「……行ってくれ」
「浜面。さっきも言ったけど、私は警備員アンチスキルだ。この状況で子供を盾にできる訳が―――」
「行けよ!!」
 言葉をさえぎるように、浜面は叫ぶ。
「殺人事件を放っておけないってのは分かる。でも、あいつはそんな次元にはいないんだ! 詳しい事は言えないけど、フレンダだって相当の使い手のはずなんだ。それを一発で殺せるようなヤツなんだよ、あそこにいる女は! だから滝壺を連れて行けって言ってるんだ!!」
 そこまで一気に言うと、浜面は崩れそうな表情で、気を失った滝壺を見る。
たのむよ……。おれ、そいつを死なせたくねえんだ。グダグダと迷ってばっかだったけど、やっとそれがやりたい事なんだって分かったんだ。だから、行ってくれよ。俺だけじゃ守れねえんだ。アンタの力がなくちゃ、ここで全部なくなっちまうんだ!!」
「浜面……」
「どのみち、アンタ一人で何とかなるか! あいつは超能力者レペル5だ。学園都市でも四番目に恐ろしい怪物なんだ! 俺が時間をかせぐから、お前は滝壺を逃がしてくれよ!!」
 自分ののどを引き裂くような叫びだった。その必苑さに、黄泉川は息をむ。彼女は逡巡しゆんじゆんしたが、それでも浜面の眼光に押されるように、やがて小さくうなずいた。
「この子を安全な所まで運んだら、すぐに完全装備の警備員アンチスキルを連れて戻ってくるじゃんよ。だからそれまで死ぬな」
「……、ああ」
 浜面が応じると、黄泉川は迷いを振り切るように運転席に乗り込んでアクセルをむ。滝壺理后りこうを乗せ、黄泉川のスポーツカーが高速で走り去っていく。
 口笛を吹く音が聞こえた。
 浜面がそちらを見ると、超能力者レベル5の麦野沈利しずりが短い橋を渡って近づいてくる所だった。
「死をした戦い、か。しぴれるねー、浜面」
「俺は―――」
 浜面が何かを言おうとした時だった。
 間近に迫った麦野が無造作に手を横に振った。それを受けた浜面の体が、一気に真横へ跳んだ。ガギン!! という鈍い音と共に、金属製の欄干らんかんに腹が食い込んだ。あまりの衝撃しようげきに、き気が込み上がる。手足から力が抜けそうになり、浜面はまづらの体は布団ふとんを干すような格好になった。橋の真下を地下鉄の線路が通っているのが見える。
だまってて。別に意見を求めてる訳じゃないし」
 うめく浜面を無視して、麦野むぎのは完全に橋を渡り切った。
 今のは超能力者レベル5としてのカではない。ただの腕力だ。無能力レベル0とか超能力レベル5とか、そういう言い訳をさせないように、彼女はわざと腕力で浜面をねじ伏せたのだ。
 麦野はまだあきらめていない。たとえ滝壺たきつぼが『崩壊ほうかい』してでも、「スクール』の唇場所を突き止めようとしている。
 ハハッ、と。ぐったりと欄干らんかんに身を預けたまま、浜面はそれでも笑う。
「良いのかよ。このままおれにとどめを刺さないで」
「あ?」
 欝陶うつとうしそうにジロリと眼球だけでこちらを見る麦野。
 そこで彼女の目が大きく見開いた。
 浜面仕上しあげの手には、滝壺理后りこうが使っていた『体晶たいしよう』のケースがあった。
「『能力退跡AIMストーカー』を使うには、絶対必要なものなんだよな?」
「テメエ、それは……ッ!!」
 麦野のひとみに明確な怒りが宿る前に、浜面は金属製の欄干を越え、橋から飛ぶ。
 そこへ、ちょうど地下鉄の列車が通過した。
 浜面の体が列車の屋根に激突する。イメージでは平べったい印象があったのだが、実際にはエアコンの室外機などが取り付けてあり、かなり起伏に富んでいる。着地と同時に何度も体が転がり、まるでヤスリに削り取られるように皮膚ひふが裂け、体の勢いを殺せずに車両から落ちそうになる。それでも何とかん張って体を支えた。
 列車の屋根の上で大の字になりながら、浜面は笑っていた。
(何とか振り切ったか。この『体晶』がなけりゃ、滝壺に能力を使わせる事はできねえ。無理
に戦う必要はねえんだ。麦野にこいつを渡さなければ……)
 その時、ガグン!! と列車が急停止した。
 浜面の体が列車の屋根をすべる。自分の体を支えた彼がギョッとして辺りを確認すると、はるか後方のレールに、麦野が立っていた。浜面と同じく、橋から飛んだのだろう。彼女の手は地面に深々と刺さっていた。学園都市の地下鉄の電線は、地面を走っている。麦野は能力を使ってその電線を強引に切断し、列車の動きをめてしまったのだ。
 数百メートル先で、麦野沈利しずりが何かを言っていた。
 声は聞こえなかったが、口の動きだけで浜面には理解できた。

 プ・チ・コ・ロ・シ・か・く・て・い・ね。

     7

 列車の屋根にいる浜面はまづらは、麦野むぎのからのサインを受け取った。
 強引に列単を停車させた超能力者レペル5は、ブチブチと引き裂くように笑っている。
「―――ッ!!」
 浜面の全身の毛が逆立った。彼は急いで列車の屋根から飛び降りると、砂利じやりの上を走る。左右は人工の川のようにコンクリー}の壁にはばまれていたが、途中で金属製の階段を見つけた。その階段を駆け上がり、地上部分の街並みへ飛び込んでいく。
 後ろを振り返る。
 少し遅れて麦野も階段を上ってきた。二、三〇メートルほど距離きよりはなれているものの、彼女は人混みの中で、ぐこちらを見ていた。すでに浜面仕上しあげを獲物として捕捉ほそくしている。
(くそっ!! 人混みに紛れても逃げ切れねえ!!)
 休日を満喫する人々の間をすり抜け、浜面は走り続ける。しかしすぐに限界が来た。彼は辺りを見回し、手近なビルへ向かう。ロックの有無など確認せず、ほとんど体当たりするように、入口のドアを押し開けて中へ転がり込んだ。
「……くそ。何だ、ここ……?」
 一般的な企業のビルとは違う。フロア一面に、浜面はまづらの背丈より少し高い木が植えてある。頭上には針金が張り巡らされており、そこに枝がからまっていた。ブドウだ。足元に目をやると、水栽培用の容器が並べられているのが分かる。青紫色っぽい照明は、光合成を促すための紫外線ライトだろうか。
(植物性エタノール燃料の自動精製工場か……)
 ガソリンの代替燃料として開発が進められているものだ。普通はサトウキビやトウモロコシを使うはずだが、えてアルコール精製率の低いブドウを選んでいる所を見ると、おそらくプランド重視の最高級品なのだろう。どうやら第三学区のセレプたちは、自分の車に入れる燃料も一般人とは区別させておきたいらしい。エンジンにワインでもませる気か。
「良い場所ね」
 真後ろから聞こえた声に、浜面の全身が強張ごわばった。
「無人の施設を選ぶとは良いセンスだよ、浜面。死ぬ時は一人の方が良い」
 慌てて振り返る前に、背中に衝撃しようげきが来た。
 ドバッ!! という嫌な轟音ごうおんと共に、浜面の体がノーバウンドで数メートルも飛んだ。水栽培の容器を盛大にひっくり返し、いくつものブドウの木をベキベキと折って、浜面の体がさらに転がっていく。
 一撃で死にそうな激痛が全身をおそう。
 どこの骨も折れていないのが逆に不思議なぐらいだった。
「くそ……ッ!!」
 痛む体を引きずるように、浜面はそのフロアを出る。階段があったので、とにかく上に昇った。浜面の背丈の二倍以上はある銀色の機材が大量に並んでいて、それらを金属製のパイプが縦横に結んでいた。たまにCMで見かける、ビールの製造工場のようだった。事実、ブドウを発酵はつこうさせてアルコールを採るのだから、仕組み的には大して変わらないのだろう。ほかにも、アルコール成分を高濃縮させて。自動車用の燃料に変換する機材もあるはずだ。
 先ほどに比べれは、死角は多い。
超能力者レベル5って言っても、別に無敵って訳じゃねえ)
 浜面は入り組んだパイプの隙間すきまくぐり、小部屋のようなサイズの機材の壁に背中を押しつけながら、必死に自分にとってのメリットを探していく。
(素粒子工学研究所の近くでクレーン車に襲われた時、あいつは自分の力を使って鉄球を破壊はかいしようとしなかった。さっきの列車だって、高速で移動する列車本体じゃなくて、地面に埋まった電線をねらってた)
 浜面は全身の痛みに歯を食いしはり、活路を見出みいだす。
(多分、麦野沈利むぎのしずりの力は強大である代わりに、照準を定めるのにある程度の時間がかかるんだ。つまり、奇襲きしゆうに弱い。物影からの突然の攻撃には対処できねえって事になる)
 それは麦野むぎののカが陳腐なのではなく、逆に強力すぎるがゆえの欠点だろう。細心の注意を払って能力の使用圏内を決めなくては、今度は自分自身をも巻き込んでしまいかねないのだ。
 ともあれ、どんな理由であっても、デメリットがあれば構わない。
 この遮蔽物しやへいぶつの多い状況ならは、浜面仕上はまづらしあげにも多少の勝機はあるはずだ。
 だが、
「はーまづらあ」
 一言。その声が聞こえただけで、浜面の全身が危機感を訴えた。
 理屈を無視してとにかく床に伏せると、次の瞬間しゆんかんに『それ』は来た。

 ズバァ!! という光線の雨。

 麦野沈利しずりという女を中心に、真っ白で不健康的な光の筋が、四方八方へおそいかかった。その正体は雷撃らいげきのような勢いで放たれる特殊な電子線だ。電子は光と同じく状況に応じて『粒子』と『波形』の双方の性質を示すものだが、麦野はこの二つの中間にある『曖味あいまいなままの電子』を強制的に操る能力を持っている。
 このように『曖昧なまま固定された電子』は物体にぶつかっても、『粒子』と『波形』のどちらの反応を示すかを決定できず、その場に『とどまる』性質を持ってしまう。本来、限りなくゼロに近い質量しか持たないはずの電子だが、この『留まる』効力によって擬似的ぎじてきな壁となり、その壁は放たれた速度のままに恐るべき威力で標的へたたきつけられる事になる。
 それが『原子崩しメルトダウナー』。
 正式な分類は粒機波形りゆうきはけい高速砲。
 第三位の超電磁砲レールガンとは違い、波も粒子も使わずに電子を操る超能力者レベル5
 光線の一本一本は金属を紙くずのように吹き飛ばし、分厚い壁を溶解させ、何もかもをオレンジ色に染め上げた。精製されたアルコールに熱が回ったのか、さらにそこかしこで小規模の爆発が巻き起こる。何とか直撃をけた浜面だが、その左肩にギターピックほどの金属片が突き刺さっていた。一つではない。四つも五つも刺さっている。
「ぐ、ああああッ!!」
 血まみれの肩を押さえながら、浜面は思わず叫んでいた。
 遮蔽物が邪魔じやまだというのなら、それらを片っ端から破壊はかいする。すべてを瓦礫がれきで狸め尽くされ、平坦へいたんとなったフロアで、浜面と麦野が絶望的に向かい合う。
「この辺にある機材なんて、金魚すくいのあれだよね。ええと、名前忘れた。とにかくこんなもんは『原子崩しメルトダウナー』の前じゃ遮蔽物にもならないよ」
 学園都市第四位。
 先ほどまでフロアを占めていた機械の群れは、たった一撃で瓦礫と化していた。あらゆる遮蔽物しやへいぶつを突き崩し、外壁にまで大規模なダメージを与え、ビルそのものが崩れかねない状況で、破壊はかいの中心に立つ麦野むぎのはゆっくりとゆっくりと笑みを広げていく。
「くそったれな学者が言うには、生存本能がセーブをかけてるからこの程度の威力しか出ないらしいんだけど、本来なら超電磁砲レールガンぐらいは瞬殺しゆんさつできるらしいよ。ま、泣き言ってのはオーバーに語られるもんだし、実際にそれをやると反動で私の体も粉々に吹き飛ぶって話だけど」
 浜面仕上はまづらしあげの全身に恐怖がみ渡る。
 超能力者レペル5の怪物が、ただ静かに近づいてくる。

     8

 圧倒的な威力で放たれた、麦野沈利しずりの『原子崩しメルトダウナー』。
 浜面は瓦礫がれきを背に、少しでも彼女から距離きよりを取るために必死で走る。
 そのまま植物性エタノール工場の別のフロアへと逃げていく浜面に、麦野は声を掛ける。
「浜面ぁ。人様の邪魔じやましてないで、さっさと『体晶たいしよう』と滝壺たきつぼを渡してくれないかな。私は『スクール』の連中を皆殺しにしなくちゃ気が済まないんだよ」
 足では逃げながら、浜面は麦野の言葉を拒絶した。
「断る。もう滝壺には『体晶』は使わせない。あいつは限界なんだ」
「だからどうしたの。滝壺がつぶれたらほかの能力者を補充すれは良い。AIM拡散力場からサーチをかけられるのはあいつだけだろうけど、別に他の方式の能力者でも構わないの。とにかく『スクール』のクソ野郎どもの居場所さえ分かれば問題ないんだからね」
 浜面は、アルコールを絞り終えたブドウの残骸ざんがいを一時的にまとめておくフロアまでやってきた。しかしそこも、麦野の『原子崩しメルトダウナー』によって数秒もたずに瓦礫の山へと変えられる。
 熱を帯びた金属の山に体を隠しながら、浜面は言う。
「……悪りぃけど。アンタには付き合えねえよ」
「あ?」
垣根かきねって野郎には勝てない。実際、素粒子工学研究所とさっきの戦いで、アンタは二回も逃げ出したんだからな」
 その言葉に、麦野が奥歯をむ音がここまで聞こえた気がした。
 それでも浜面は続ける。
「実際に対時たいじして分かった。第四位とか第二位とかの間題じゃねえ。多分、アンタはもっと違う部分でも垣根帝督ていとくに負けてやがる。今さら居場所が分かったって、それが何になるんだよ」
『スクール』の連中も外道げどうは外道だったが、それでも格下の人間を見逃すぐらいの人間性はあった。敵である滝壺が目の前で力尽きても、そこでとどめを刺す事はしなかった。
 気に入らないという理由だけで仲間にすらきばく麦野沈利が、彼らよりも『強い』とは思えなかった。どれだけ圧倒的な力を見せつけられても、その印象が揺らぐ事はなかった。
「勝てる勝てないの問題じゃねえ。命がけで戦って、それで勝ったとしても、得られるものはテメエ一人の自己満足だけじゃねえか。そんなもんに滝壺たきつぼを付き合わせる訳にはいかねえ。そんな無駄遣むだづかいであいつの命を終わらせてたまるか」
「は。ハハッ!!」
 浜面仕上はまづらしあげが手に入れた答えを聞いても、麦野むぎのは鼻で笑い飛ばすだけだった。
 瓦礫がれきから瓦礫へと遮蔽物しやへいぶつを変えて距離きよりを取る浜面を、麦野はゆっくりと追う。
「どういう風に餌付えづけされたの、浜面。滝壺のカワイー顔つきにやられたとか? それとも無能力者レベル0の自分にも優しい声をかけてくれたとか?」
 何も言わないでいる浜面に、麦野の笑みがさらに強くなる。
馬鹿ばかの一言ね。自分に優しい言葉をかけてくれるヤツは全部善人で、自分に厳しい言葉をかけてくるヤツは全部悪人か!! まるで世界の中心に立ってるような物言いよねえ!!」
「……、分かってる」
 浜面はそれを否定しなかった。
 もしも滝壺理后りこうが自分に優しい声をかけてこなかったら、浜面の心は動かなかっただろう。
「でも、あいつはこんな打算だらけのクソ野郎に、死んで欲しくないって言ったんだ。そういう事を言えるヤツなんだよ、滝壺理后は! ああいうヤツは幸せにならなくちゃいけないんだ。人の上に立つのはおれでもテメェでもねえ。優しい馬鹿が頂点に立って、みんなを導くような社会を作らなくちゃ、このクソッたれな世界はいつまでっても救われねえんだ!!」
 返事はなかった。
 ゴッ!! と核爆発を思わせる白すぎるほど白い光線が、浜面の隠れていた金属の山をまとめて吹き飛ばす。あおりを受けてけ反った浜面は、ふと自分の背中にピタリと何者かが寄り添っている事を気配で察知する。
 振り返る前に、右耳に違和感があった。
 麦野沈利しずりは、浜面の耳にドライバーを差し込んでいた。
「ちょーっと、頭のネジがゆるんでいるみたいだね」
 ずずっ……と、ドライバーの先端がゆっくりと耳の奥へ追ってくる。
「締め直して欲しい?」
 動けない。少しでも顔を動かせば、それだけで耳の内側が傷ついて血まみれになる。その状
態を作りながら、麦野は空いた左手を浜面の体の前に出し、てのひらを上に向けた。『体晶たいしよう』を出
せと、暗に告げているのだ。
 浜面はポケットの中に手を入れた。
 そこには『体晶』の透明なケースがあった。
(ちくしょう……)
 奥歯をめ、両目を閉じて、浜面仕上はまづらしあげは覚悟を決めた。

 ぐるん!! と。
 ドライバーを無視して、彼は勢い良く娠り返る。

     9

 浜面仕上は、自分の耳に入ったドライバーを無視して、勢い良く振り返った。
「な……」
 流石さすが麦野むぎのもわずかにおどろいた様子だった。
 ドライバーがガリガリと耳の中を削り取る。すさまじい激痛が頭の中で爆発し、耳栓をしたように右側からの音がくぐもった。その上、何故なぜだか視界の半分ほどが薄赤うすあかく染まって見えた。
 それらすぺてを無視して、浜面はポケットから『体晶たいしよう』のケースを抜き取った。
 シャーペンのしんのケースのように、四角く小さな透明のケース。
 それを握り締め、ケースの角を使って、ごく近くに密着している麦野の顔を縦に裂く。
 まるで海賊の船長のように、麦野の右目が一気につぶれた。
「ぐっ、ォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
 赤く濡れる顔を両手で押さえ、よろよろと後ろへ下がる麦野。
 それを見て、浜面は静かに笑った。
無能力者レベル0の耳一つで、超能力者レペル5の眼球一つ、か。……安い買い物だろ?」
 その言葉に、麦野の顔が怒りに染まる。
「浜面ァあああッ!!」
 ボッ!! と閃光せんこうほとぱしった。
 麦野沈利しずりの左腕が、手首からひじの辺りにかけて溶けるように吹き飛ばされた。そこから生じた純白の光が、浜面仕上の顔面をねらう。細かい照準を無視して『原子崩しメルトダウナー』を放とうとする。
「―――ッ!!」
 寸前で首を横に振る浜面。
 圧倒的な攻撃こうげきけられたのは、ただの偶然だった。
 麦野は血まみれの右手を伸ばし、バランスを崩して不安定になっている浜面の体を強引に押し倒し、その上に馬乗りになった。その拍子に浜面の手から『体晶』のケースがはなれ、カラカラと音を立てて床をすベったが、もう麦野はそちらに目も向けなかった。
 一つだけ残った左目で浜面の顔を凝視ぎようししながら、怒りで埋め尽くされた麦野は叫ぶ。
「関係ねえよ!! カァンケイねェェんだよオォォ!! 何が耳一つだ、何が眼球一つだ!! 手足がもげようが内臓が潰れようが、戦力差はひっくり返らねえ! これが超能力者レペル5だ。これが第四位の『原子崩しメルトダウナー』だ!! つけ上がってんじゃねえぞクソ野郎。テメェら無能力者レペル0なんざ、指一本動かさなくても一〇〇回ブチ殺せんだよォおおおおおッ!!」
 口から泡を飛ばしながら、麦野むぎの浜面はまづらの首を右手だけでつかんだ。この状態で能力を発動させれば、確かに浜面の頭部など丸ごと消滅するだろう。
 浜面仕上しあげは、缶ジュースのように首を掴まれながら笑っていた。
 何かをあきらめたように、力を抜く。
「……ま、おれだって馬鹿ばかじゃねえ。こうなるとは思ってたんだぜ」
 麦野のフーフーという荒い息を聞きながら、浜面は言う。
「アンタはテレビゲームをノーミスクリアできないと気が済まないような人間だ。少しでもミスがあったら怒り狂って、たとえエンディングを見ても納得しないような人間だ」
「あ?」
「そういう人間は、少しでもミスをすりゃ、そいつを帳消しにするために、別の目的を見出みいだす。ノーミスクリアができなかった代わりに、ハイスコアを更新して満足するようにな。……こんなつまんねえ無能力者レペル0相手にこだわる必要なんてなかった。アンタは白慢の超能力レベル5を使って、遠距離えんきよりからさっさとねらちしてりゃ良かったんだ」
 つまり、と浜面は笑った。

「その無駄むだ勝利宣言こだわりが、決定的なすきになるっつってんだよ」

 ジャカッ!! という金属音がひぴいた。
 浜面仕上の腕が伸び、その服のそでからレディース用の拳銃けんじゆうが飛び出した音だった。
「なっ」
 麦野が何か言う前に、浜面は引き金を引いていた。
 タンタンガン!! という乾いた音と共に、彼女の上半身に複数の風穴が空く。浜面は弾がなくなるまで引き金を引き続け、弾がなくなってもしばらく人差し指を動かし統けた。
「……、」
 おどろいたように、麦野は血まみれの体に目をやっていた。
 やがて、彼女は横方向にぐらりと揺れると、そのまま倒れて動かなくなった。
「楽勝だ、超能力者レペル5
 浜面は適当に言って、ボロボロの体を引きずるように起き上がった。床に落ちていた『体晶たいしよう』のケースを拾い上げ、もう一度ポケットにしまう。
 浜面仕上が最初から拳銃を取り出していたとしても、麦野沈利しずりには勝てなかっただろう。彼女の能力を使って、あっさりと防がれていたはずだ。だからこそ、限界まで出し惜しみをする必要があった。耳にドライバーを入れられても拳銃を出さなかったのは、『浜面はまともな武器を持っていない』と油断をさそうためだった。
 以前、駒場利徳こまばりとくというスキルアウトのりーダーは、学園都市最強の超能力者レベル5の能力を封じる事で、命を奪う一歩手前まで追い詰めた事がある。浜面はまづらがやったのもそれと同じだ。
 彼は傷ついた右耳に小指を突っ込んだ。
 鼓膜は傷ついていないらしい。詰まっていた血の塊を抜き取ると、聴覚ちようかくはいくらか回復した。
「……ったく、本当に安い買い物だな」
 あきれたように言って、そこから立ち去ろうとした時だった。
「―――ま、づら」
 地獄の底からひびくような声に、浜面の背筋にゾクリとした感覚が走り抜ける。
 彼がゆっくりと振り返ると、そこには、
「浜面ァァあああああああああああああああああああああああああああッ!!」
 体中に赤黒い穴を空けて、左手をひじから失い、右目がグチャグチャにつぶれた女が勢い良く立ち上がる所だった。その右手には不健康すぎる白い光がまっている。おそらく膨大ぼうだいな電子線を使った粒機波形りゆうきはけい高速砲を手の中でループさせているのだろう。あれ一発で確実に浜面を消し飛ばせる攻撃こうげきだ。
 右手にあるレディース用の拳銃けんじゆうに、弾丸は残っていない。
 だから浜面は、拳銃になどたよらなかった。
「お。ォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」」
 拳銃を投げ捨てると、浜面は迷わず麦野むぎのふところへと飛び込んでいく。
 二人の腕が交差する。
 わずかでも逡巡しゆんじゆんすれば、それがすきとなっただろう。
 わずかでも隙があれは、それが死を呼んだだろう。
 しかし、浜面仕上しあげの覚悟は決まっていた。ただ力強くみ込み、そのこぶしを岩のように握りめ、ち倒すべき敵の顔を正面から見据え、自分の出せる最大級の一撃をたたきつける。

 ゴン!! というすさまじい音が炸裂さくれつした。

 麦野沈利しずりの体から力が抜け、ひざからストンと落ちるように床へ崩れていった。彼女の手の中にあった禍々まがまがしい白い光が空気に溶けるように消えていく。そこに危機感はなかった。
 自分で投げ捨てたレディース用の拳銃をもう一度拾い上げた浜面は、動かなくなった麦野を見下ろすと、ポケットから携帯電話を取り出した。以前、補導された際に相談相手になるとか何とか言われて教えられた黄泉川よみかわの番号に掛ける。
「浜面だ。警備員アンチスキルの応援はいらなくなった」
 メチャクチャになったフロアを歩き、出口に向かいながら、彼は言う。
「そうだ。全部終わらせた」

     10

 浜面仕上はまづらしあげは、第三学区の植物性エタノール工場から外へ出た。『アイテム』の下部組織の人間が証拠隠滅のために数名待機していたが、浜面を止めようとする者はいない。形だけ見れば、学園都市第四位の超能力者レベル5たたつぶしたのだ。迂闇うかつに手を出そうとは考えないだろう。
「おう」
 建物から少しはなれた所に立っていた人影が、こちらを見て声をかけてくる。
半蔵はんぞうか?」
 第七学区を根城とする不良メンバーは、セレブ御用達ごようたしな第三学区には縁がない。ただの偶然でここにいるとは思えなかった。無線でも傍受していたのだろうか。
「聞いたぜ浜面」
「何をどこまで」
「たった一人で超能力者レベル5を倒したんだろ」
 大した情報源だ、と浜面はあきれたが、そこで思い出したようにこう言った。
「役に立ったぞ、あれ」
「あれって?」
「レディース用の拳銃けんじゆうだよ。お前が渡してくれなかったら死んでたな」
「ハッ。あんなもんで超能力者レベル5を倒した時点で、お前はもう怪物だっての」
 半蔵は煙草タバコを取り出し、自分のほかにもう一本、浜面に手渡しながら言ってきた。
「ま、良い手土産てみやげじゃねえか。そんだけの功績があれは、だれだってお前を拒みはしねえだろ。ま、実際にお前の事を嫌ってるヤツなんてほとんどいないとおれは思うけどね」
「……、」
「返り咲けよ、浜面。お前を待ってるヤツだっているんだぜ」
「悪りぃ」
 浜面は煙草に火をけながら、小さく笑った。
「やる事ができたんだ、俺」
「チッ。うらやましい限りだ」
 半蔵はそう言ったが、食い下がらなかった。あの浜面が、麦野沈利むぎのしずりという怪物にたった一人で立ち向かった事。その心境の変化をどこかで感じ取っていたんだろう。
「まぁいいや。スキルアウトは当分こっちでまとめておくよ」
「済まねえな」
「ただ忘れんなよ。お前の席は取っておく。用事が済んだら戻って来い」
 言って、笑って、軽くこぶしを合わせると、二人はそれぞれの場所へと去っていく。

   行間 四

 ドレスの少女は一時間ぐらいホテルの一室にこもった後、再び『スクール』の隠れ家に戻ってきた。そこには超能力者レペル5垣根帝督かきねていとくがいる。
「あれ、お前どこ行ってた訳?」
「ちょっとお小遣いをかせぎに。やっぱり学者はダメね。基本料金をきっちり計算していて、ちっともチップを弾んでくれない」
「ふーん。一時間って時間が生々しいな」
「別にやましい事はしていないんだけど。ホテルの一室に入ったって言っても、雑誌をめくりながら少し話をしたぐらいだし」
「……エロい事しないの?」
「しないわよ。する必要もないし。場合にもよると思うけど、私の『客』はそういうのを求めてこないかな。金持ちがお店に通って、女に金を渡す理由って知ってる? 別に性欲を満たしたいんじゃなくてね、単に仕事以外の人間関係を自力で構築したいだけなのよ」
 よくわからん世界だ、と垣根は言う。
 ドレスの少女も半分あきれながら、
「仕事人間っているじゃない。仕事が楽しくて楽しくて仕方がなくて、家庭をこわしちゃうダメな人。そういう人たちにとって、お金で構築できる関係ってのは一種の救いなのよ。お金ってのは仕事の結果。そのお金で友情や愛情を買う事で、『自分は自分の力で人間関係を作れている』とか『自分は社会に適合できないヤツじゃないんだ』って自己満足したい訳。私はお金をもらってコンプレックスを緩和かんわさせてあげているだけよ」
 はー、と垣根は完壁かんペきに興味のない声で返事した。
 それを聞いて、ドレスの少女の方も説明をする気がうせる。
「そうそう。私達を追っていた『アイテム』が行動不能になったそうよ。原因は仲間割れ。第四位の麦野沈利むぎのしずりがダウンした事で、組織を維持する力は失われたって」
「あん? 仲間割れって事は、麦野は一応、おれ攻撃こうげきからは逃げ切ってたのか……。でも、だれが麦野を沈めたんだ。フレンダはウチと取り引きして逃げたし、絹旗最愛きぬはたさいあいは俺達でつぶした。滝壷理后たきつぼリこうには直接的な戦闘力せんとうりよくはねえし……」
 言いかけて、垣根は言葉を切った。
「まさか……;」
「ええ。正規メンバーにできないなら、下部組織の人間が怪しいね」
 二人が思い浮かべているのは、サーチ能力者の滝壺理后たきつぼりこうを守るためにエレベーターホールヘ戻ってきた無能力者レベル0だ。垣根かきねは軽く口笛を吹いて、浜面仕上はまづらしあげ称賛しようさんする。
 ドレスの少女はジロリと垣根を見た。
「で、『ピンセット』を使った『解析』は進んでるの?」
 垣根帝督ていとくの右手には機械製のグローブがつけられていて、人差し指と中指の二本には透明なつめが装着されている。さらに肉眼では確認できないが、爪の中には大気中から採取されたシリコンの塊が収まっているはずだった。もっとも、塊と言っても七〇ナノメートル、電子顕微鏡を使わないと確認できないようなものだが。
「いつも疑問に思ってた」
 垣根は爪をカキカキ鳴らしながらつぶやいた。
「アレイスターのクソ野郎は、俺達の動向を知りすぎてるってな。防犯カメラや警備ロボット、衛星なんかの監視だけじゃねえ。一体どうやって情報を集めてるのか不思議なもんだったが」
「……、」
「正体はなんて事はない。街中に見えない機械を五〇〇〇万ほどばらいて情報収集してたんだ。そりゃあ隅々まで知り尽くしてても当然だな」
 それが『滞空回線アンダーライン』。
 その形状は球体状のボディの側面から、針金状の繊毛せんもうが左右に三対、六本飛び出しているものだ。移動方法も地上を歩くのではなく、空気中を漂うといった感覚に近い。
 この極小の機械は空気の対流を受けて自家発電を行い、半永久的に情報を収集し、体内で生産した量子信号を直進型電子ビームを使って『滞空回線アンダーライン』間でやり取りし、一種のネットワークを形成している。『滞空回線アンダーライン』は『窓のないビル』と直結する唯一の情報玄関口であり、当然ながら、その小さな体内には世界を揺るがすほどの『最暗部』の情報がいくつも隠されているはずだ。
「ただ、『滞空回線アリダーライン』の存在を知った所で、電子顕微鏡サイズの機械を見つける事は困難だし、仮に捕まえられたとしても、情報を取り出す手段がないんだよな。何しろナノサイズの機体をこじ開けて、端子にコードを接統しなくちゃならない。その上、体内に収められた量子信号は、外部から不用意に『観察』されるとその情報を変質させちまうって話なんだからな」
 そこで必要とされたのが『ピンセット』という訳だ。
 ナノデバイスがどれだけ小さかろうが、素粒子そのものをつかむために開発された『ピンセット』なら問題はない。これなら『滞空回線アンダーライン』から情報を抜き取る事も十分に可能となる。
 ドレスの少女は垣根を見ながらこう言った。
「解析結果の方は?」
 予想通りだよ、と坦根は答え、
「ダメだな。確かに『滞空回線アンダーライン』には結構なデータが収められてるが、これだけでアレイスターと対等にやり合える立場に立てるとは思えねえ。このデータにプラスして、もう一押しする必要がある」
「なら、やっぱりやるのね」
「……ああ。学園都市の第一位を殺す。それしか道はねえな。アレイスターと交渉を優位に進めるためには、やっぱり『第二候補スペアプラン』じゃダメだ。代わりのかない『第一候補メインプラン』の核にならなくっちゃな」
「そう」
 ドレスの少女は特に感慨かんがいもなく返事をして、
「何でも良いけど、私は一方通行アクセラレータ戦にはかかわらないから」
「あ?」
「私の『心理定規メジヤーハート』は人の心の距離きよりを調節する能力よ。だから、一方通行アクセラレータの最も近しい人と同じ距離を保てば、一方通行アクセラレータ攻撃こうげき躊躇ちゆうちよさせる事もできるかもしれない」
「だから?」
「でもね、『最も近しい人』と敵対した時の反応は、必ずやいばめてくれるっていうものでもないの。中には逆上してより一層激しい攻撃を仕掛けてくるヤツもいる。何で裏切ったんだこの野郎ってね。……一方通行アクセラレータって、その辺を信用できる? 私、悪いんだけど、あいつにはどんな距離に調節しても攻撃されるような気がするのよ。ドロドロしていて全く読めない」
 ふうん、と垣根かきねはつまらなさそうに答えた。
 声に失望感はない。ドレスの少女の戦力をそれほど期待していないのだろう。
 ドレスの少女は、垣根の右手にはめられた『つめ』を見て、
「結果が分かったら教えてね。アレイスターとの『直接交渉権』をつかめたら」
 おう、と垣根が言うと、ドレスの少女は『スクール』の隠れ家から立ち去った。
 垣根帝督ていとくは『ピンセット』を眺めながら、ゆったりと笑った。
「―――一方通行アクセラレータ』か」

第五章 最強の黒い翼に打ち勝つ者 Drk_Matter.

     1

『ブロック』が壊減かいめつした事で、ひとまず事件は終了した。
 土御門つちみかどは事件の後始末、結標むすじめ怪我けが治療ちりよう海原うなばらはどこで何をやっているか知らないが、まぁおそらく無事だろう。特にやる事のない(そしてやる気もない)一方通行アクセラレータは、電車を使って第七学区へ戻ってくると、適当なコンビニに入って缶コーヒーを手に入れていた。
 と、そこで電話が鳴った。
 携帯電話の画面には土御門の番号を示す『登録3』が表示されていたが、実際に通話に応じると別人が出た。
『お疲れ様です、一方通行アクセラレータ。ひとまず「ブロック」による統括理事長暗殺未遂みすい事件は終結しました。これもすぺてあなた方「グループ」のおかげですよ』
「オマエか」
 電話の声に対して、あからさまに不機嫌な声で答える一方通行アクセラレータ
『有能な部下を持てた私は幸せです』
「……よっぽど殺して欲しいみてェだな」
「いえいえ。今回は本当に感謝をしているんです。ですから通常業務に対する規定報酬ほうしゆうほかにもう一つ、個人的な謝礼として有益な情報をお持ちいたしました』
「有益な情報だと?」
『ええ。検体番号シリアルナンバー二〇〇〇一号「最終信号ラストオーダー」の命の危機に関する情報です」

     2

 初春飾利ういはるかざり打ち止めラストオーダーはオープンカフェにいた。
 迷子を捜す、と息巻いている打ち止めラストオーダーだったが、どうも長時間歩いている内に足が痛くなってしまったらしく、今はテーブルに突っ伏してグターッとしている。初春は初春で、店の名物である大型甘味パフェに挑戦中だ。
「ところで、迷子はどうなったんですか。アホ毛のビビッと反応はもうなくなっちゃったんですか?」
「……ミサカはアホ毛じゃないもん、ってミサカはミサカはしおれながら答えてみたり」
 しかしそうは言っても、一〇歳前後の少女の頭頂部から一部だけ飛び出した髪の毛が、秋の風を受けてそよそよと左右に揺れている。どこに出しても恥ずかしくない天下無敵のアホ毛だ。
「うーん……さっきまで確かにこの辺りをウロウロしていると感じたんだけど、何だかいつの間にかどっかに行っちゃったみたい、ってミサカはミサカはあまりの徒労っぶりにげんなりしてみる」
 と、グニャグニャしていた打ち止めラストオーダーがいきなり顔を上げた。
 迷子が見つかったのかな、と初春ういはるは思ったのだが、どうも違うらしい。
 打ち止めラストオーダーめは通りすがりの少女たちが持っていた、チェーン系の喫茶店のセットについてくるキーホルダーを凝視ぎようししている。
「み、ミサカもあれが欲しい、ってミサカはミサカはお財布を持ってないので初春のお姉ちゃんの方にキラキラしたひとみを向けてみたり!!」
「あーもう、迷子を捜すんじゃなかったんですか」
「むむっ! あっちの喫茶店から迷子の反応をミサカは感じ―――ッ!!」
「真顔でうそいちゃダメですよ。大体、私の大型甘味パフェはまだ序章の生クリームゾーンを終えたばかりであって、ここで席を立つ事なんてありえないんです」
「何でそんなのんびりしてるのーっ! ってミサカはミサカはテーブルをバンバンたたいて駄々だだをこねてみたり!!」
「っていうか、タクシーのお釣りをいっぱいもらってませんでしたっけ?」
「ハッ!! 言われてみれば、ってミサカはミサカはポケットに突っ込んだサツを握りめて手近な喫茶店にダッシュしてみたり!!」
 言い終える前に走り出す打ち止めラストオーダー。初春はハンカチを振りながら『ちゃんと戻ってくるんですよー』とひとまず忠告だけはしておく。
 そんなこんなで大型甘味パフェのアイスクリームゾーンへ突入した初春だったが、
「失礼、おじようさん」
 不意に横からそんな事を言われた。
 やたらと小さいスプーンの動きを止めてそちらを見ると、何だかガラの悪そうな少年が立っていた。右手には、機械でできた怪しげなつめのような装飾をつけている。
 少年は風貌ふうぼうに似合わない、柔和にゆうわな笑みを浮かべていた。
「はぁ。どちら様ですか」
垣根帝督かきねていとく。人を捜しているんだけど」
 言いながら、垣根と名乗った少年は一枚の写真を取り出す。
「こういう子がどこへ行ったか、知らないかな。最終信号ラストオーダーって呼はれているんだけど」
「……、」
 初春は数秒間、じっと写真の中の少女に注目した。
 垣根と写真を何度か交互に見比べ、それから首を横に振った。
「いいえ。残念ですけど、見ていないですね」
「そうか」
「どうしても見つけられないなら、『警備員アンチスキル』の詰め所に届け出を出した方が良いと思いますけど」
「そうだね。その前にもう少し自分で捜してみる。ありがとう」
 にっこりと垣根は言って、そこから立ち去った。
 初春ういはるは細いスプーンを大型甘味パフェに突き刺して、再びアイスクリームゾーンへ突入しようとしかけたが、
「ああそうだ、おじようさん。言い忘れていた事があるけど」
「?」
 初春が顔を上げようとする前に、次の言葉が来た。

「テメェが最終信号ラストオーダー一緒いつしよにいた事は分かってんだよ、クソボケ」

 ゴン!! という衝撃しようげぎがこめかみの辺りに走り抜けた。
 なぐられた、と気づく前にすでに椅子いすから転げ落ちていた。乱暴に振り回された初春の足が、椅子やテープルを倒してしまう。ろくに食べてもいない大型甘味パフェが、つぶした果物のように路面に散らばった。
 周囲から、通行人の悲鳴がひびく。
 何が起きたか判断しきれないまま、とにかく初春は起き上がろうとした。
 しかし仰向けに倒れた初春の右肩へ、垣根は靴底を思い切りみつけ、地面へい止めた。
「だからおれはこう尋ねたんだぜ。『こういう子を知りませんか』じゃなくて、『こういう子がどこへ行ったか分かりませんか』ってな」
 垣根は足に体重を掛ける。
 グゴギッ!! という鈍い感触と共に、骨と骨をこすり合わせるような激痛が走り抜けた。関節が外れたのだ。あまりの痛みにのたうち回りたくなる初春だが、垣根の足は鉄柱みたいに動かない。
 悲鳴というより絶叫が響いたが、垣根の表情は少しも変わらなかった。
「テメェが俺の動きに気づいて最終信号ラストオーダーを『逃がした』って訳じゃねえのは予想できる。俺は外道げどうのクソ野郎だが、それでも極力一般人を巻き込むつもりはねえんだ。だから協力さえしてくれりゃ、暴力を振るおうとは思わない」
 オープンカフェは大きな通りに面していて、今は休日の午後だ。周囲にはたくさんの人々が往来していたが、彼らは一斉に現場から距離きよりを取っただけで、初春の所へ駆けつけてくれる人は一人もいなかった。
 無理もない。
 初春ういはるの腕には風紀委員ジヤツジメントの腕章がつけられている。実際には風紀委員ジヤツジメントは校内のめ事に対処するための組織だし、その風紀委員ジヤツジメントの中でもエリートや落ちこぼれというものが存在するのだが、詳しい事情を知らない普通の学生からすれば、『腕章をつけている人は治安維持組織の人聞だ』ぐらいにしか思えない。警察や自衛隊にも等しい人悶が、いとも簡単にねじ伏ぜられている状況を見て、それを助けるために飛び出そうとは考えられないだろう。
 孤立無援の中、さらに垣根かきねの靴底が関節の外れた肩に食い込んでくる。
「……ただな、おはは自分の敵には容赦ようしやをしない。何も知らずに最終信号ラストオーダーに付き合わされてたのならともかく、テメェの意思で最終信号ラストオーダーかばうって言うなら話は別だ。たのむぜーおじようさん。この俺にお前を殺させるんじゃねえ」
 グギギガリガリ!! と、外れた骨が無理に動かされ、強烈な痛みが連統する。
 こらえようと思った時には、すでに初春のひとみから涙があふれた後だった。何故なぜこうなったのか分からない理不尽りふじんさ、手も足も出ないほど圧倒的な暴力に対する恐怖、そして状況を打破できない悔しさ。負の感情のすべてがグチャグチャに混ざり合い、巨大な重圧となって初春の人格を内側から圧迫していく。
 そして、その中で意図的に提示された、一つの逃げ道。
最終信号ヲストオーダーはどこだ」
 激痛に明滅する意識の中、垣根帝督ていとくの声だけがひぴく。
「それだけを教えれば良い。それでテメェを解放してやる」
 どこを見回しても出口のない迷路に、たった一点だけ設けられたゴール。暴力という暗闇くらやみに押し込まれた初春は、その存在を意識せずにはいられなかった。風紀委員ジヤツジメントとしての矜持きようじ、初春飾利かざりとしての人格、それら全てが『痛みから解放される』という言葉に塗りつぶされていく。
 初巻の唇が、ゆっくりと動く。
 涙をボロボロと流しながら、その口が動く。
 だまっている事など、できなかった。
 自分の無様ぶざまさに歯噛はがみしながら、初春は最後の言葉を告げる。

「……、なに……?」

 垣根帝督のまゆが、理解できないようにひそめられた。
 初春飾利は、もう一度ふるえる唇を動かして、言う。
「聞こえ、なかったんですか……」
 ありったけのカを込めて。
「あの子は、あなたが絶対に見つけられない場所にいる、って言ったんですよ。うそを言った覚えは……ありません」
 できるだけ人を馬鹿ばかにしたように、舌まで出して彼女は言った。
 垣根帝督かきねていとくはしばし無言だった。
「……良いだろう」
 言って、確かに彼は初春ういはるの肩から足をどけた。
 ただしその足は地面に下ろさず、今度は初春飾利かざりの頭をねらってピタリと止まる。
おれは一般人にゃ手を出さないが、自分の敵には容赦ようしやをしないって言ったはずだぜ。それを理解した上で、まだ協力を拒むって判断したのなら、それはもう仕方がねえ」
 垣根帝督は振り上げた足に力を込めた。
 まるで空き缶でもつぶすような気軽さで足を動かし、

「だからここでお別れだ」

 ブォ!! という風圧に初春は思わず涙をめた目をつぶった。今の彼女には、それぐらいの事しかできなかった。
 しかし、垣根の足が初春の頭部をみ潰す事はなかった。
 新たな轟音ごうおんが、ガゴォン!! と学園都市中にひびき渡る。
 吹き荒れたのは膨大ぽうだいな烈風だった。それは衝撃波しようげきはに近い。初春が目を開けると、ATMを無人設置所の壁やガラスごと粉々に砕き、その破片の渦がものすごい速度で垣根帝督に激突する所だった。その一撃を|喰らった事で、バランスを崩す垣根。初春の顔を潰す予定だった足は、彼女のわずか数センチ横の地面に激突するにとどまる。
 徹底的てつていてき破壊はかいされたATMの中から、天使の羽のように紙幣しへいが舞う。
 そんな中で、初春飾利は確かに聞いた。
「……ったく、シケた遊びでハシャいでンじゃねェよ。三下さんした
 白熱し白濁はくだくし白狂した、
 学園都市最強の、悪魔あくまのような超能力者レペル5の声を。
「もっと面白い事して盛り上がろォぜ。悪党の立ち振る舞いってのを教えてやるからよォ」

     3

「痛ってえな」
 垣根帝督は視線を初春から一方通行アケセラレータへ向けると、静かに言った。
「そしてムカついた。流石さすがは第一位、大したムカつきぶりだ。やっぱテメェからぶち殺さなくちゃダメみてえだ」
「ハッ。俺と戦うのが怖くてハンデを求めたチキン野郎が何をすごンでンだ。あのガキをねらうなンつー手を選ンだ時点で、もォ戦力差は決まっちまってンだよ」
「バッカじゃねえの。そいつは保険だよ。だれがテメェみてえなクソ野郎相手に五分五分の勝負なんか仕掛けるか。面倒臭いっつってんだ。テメェにそれだけの価値があると思ってんのか」
 学園都市第一位と第二位。
 一方通行アクセラレータ垣根帝督かきねていとくも、コソコソとした隠蔽いんぺいなど気を配っていなかった。
 そういった後始末は、どこかの誰かに任せれば良い。
「ブタが。丸焼きの下拵したごしらえは終わってンだろォな」
「にしても、流石さすがは『滞空回線アンダーライン』。まったく予想以上に早く登場してくれたもんだ」
「あァ?」
「笑えるな、犬野郎。そうやって、弱者を守るために戦ってりゃ善人になれるとでも?」
「ハッ。分かってねェな」
 一方通行アクセラレータは現代的なデザインのつえを横に放り捨てながら、静かに告げた。
「ちょうどイイ。悪党にも種類があるって事を教えてやる」
 バォ!! という爆音が鳴りひびいた。
 一方通行アクセラレータと垣根帝督が真正面から激突する。その余波としての衝撃波しようげきはが周囲一帯へ均等に
炸裂さくれつし、人々はぎ倒され、ガラスが木端微塵こつぱみじんに砕け散った。方々でさわぎが起こるが、二人はそちらに目も向けない。
 激突の結果は明らかだった。
 一方通行アクセラレータの攻撃を受けた垣根帝督が後方へ吹き飛ばされる。道に面したカフェの中へと突っ込み、バキバキと内装を破る音が連続した。しかし一方通行アクセラレータの顔には不快しかない。手応てごたえを意図的に外された感触がてのひらに残っている。
「テメェは、今この場にあるベクトルを制御する能力者だ」
 爆弾テロにでもったような店内から、そんな声が聞こえてきた。
「なら、すぺてのベクトルを集めても動かせないほど巨大な質量をぶつけれは何とかなるかもと思ったんだが、やっはダメだな。おれ自身のベクトルも操作されるんじゃどうしようもない」
 無傷。
 店から出てきた垣根の全身を、白いまゆのようなものが包んでいた。いや違う。ひとりでに広がったそれらは、つばさだ。天使のような六枚の翼が、彼の背でゆったりと羽ばたく。
 一方通行アクセラレータはわずかにまゆをびそめた。
「似合わねェな、メルヘン野郎」
「心配するな。白覚はある」
 言葉と共に、二人は再び動いた。
 脚力のベクトルを操作してぐ突っ込む一方通行アクセラレータに対し、つばさで空気をたたいた垣根かきねは真横へ飛んだ。一息に数十メートルも突き進んで大通りの中央分離帯ぶんりたいの上に着地した垣根に対し、一方通行アクセラレータは腕を振って空気を引き裂き、その大気の流れのベクトルを文字通り掌握しようあくする。
 ごう!! という烈風が後ろから前へ突き抜けた。風速一二〇メートルに達する空気の塊が、砲弾となって中央分離帯上の垣根をち落とそうとする。
「ッ!!」
 器用に翼を動かして、これを坦根がけた所で、
 カツッという音を彼は聞いた。見れば、坦根の立つ中央分離帯のすぐ横の路面へ、一方通行アクセラレータが足を乗せた所だった。一体どうやって接近したのか、いつの間にそれを実行したのか。その疑問が解ける前に、一方通行アクセラレータは勢い良く垣根帝督ていとくふところへ飛び込んで右手を突き出す。
 垣根は言う。
「知ってるか。この世界はすべて素粒子によって作られている」
 そうしながら、彼は翼を使って身を守った。一方通行アクセラレータの右手が翼に突き刺さると同時、自ら翼の一枚を無数の羽に変換しばらく事で、衝撃しようげきが自分自身の体へ伝わるのを阻害する。
「素粒子ってのは、分子や原子よりもさらに小さい物体だな。ゲージ粒子、レプトン、クォーク……。さらに反粒子やクォークが集まって作られるハドロンなんてのもあるんだが、まぁ、大概たいがいはいくつかの種類に分けられる。この世界はそういう素粒子で構成されてる訳だな」
 だが、と垣根はつぶやいて、

おれの『未元物質ダークマター』に、その常識は通用しねえ」

 轟!! という風のうなりと共に、垣根帝督の背中から再び六枚の翼が生えた。
「俺の生み出す『未元物質ダークマター』は、この世界には存在しない物質だ。『まだ見つかっていない』だの『理論上は存在するはず』だのってチャチな話じゃない。本当に、存在しないんだよ」
 学問上の分類に当てはまらない、超能力レベル5によって生み出された新物質。
 物理法則を無視し、まるで異世界から直接引きずり出してきたような白い翼に、しかし一方通行アクセラレータは少しも動じない。
 素材が何だろうが、ベクトル変換能力は全てを粉砕するのだ。
「オーケー。クソと一緒いつしよに埋めてやる」
 さらにみ込み、垣根帝督の心臓を握りつぶそうとする一方通行アクセラレータ
 しかし、
「分かってねえな、テメェ」
 垣根が言った途端に、彼の白い翼が、ゴバッ!! とすさまじい光を発した。
「ッ!?」
 ジリジリと焼けるような痛みを感じた一方通行アクセラレータは思わず垣根かきねから距離きよりを取り、それから事態の異変さに気づいた。
 あらゆるベクトルを『反射』するはずの一方通行アクセラレータが、外部からの影響を受けた。
「今のは『回折かいせつ』だ。光波や電子の波は、狭い隙間スリツトを通ると波の向きを変えて拡散する。高校の教科書にも載っている現象だ。複数の隙間スリツトを使えば波同士を干渉させられる」
 ようは、白いつばさには目に見えないほど細かい隙間があり、その隙間を通った太陽光が性質を変えて一方通行アクセラレータおそった…-という事なのだろう。白い翼が光を放ったのではなく、白い翼を通過した光が質を変えたのだ。
「ま、何にしても応用次第というヤツだ。日焼けで死ぬ気分はどうだ」
 だが、
「……物理の勉強が足りてねェようだなボケ。いくら『回折』を利用したって、太陽光を殺人光線に変えられるはずがねェだろォが」
「それがこの世界にある普通の物理ならな」
 垣根は六枚の翼へ、弓をしならせるように力を加えていく。
「だが、おれの『未元物質ダークマター』ってのはこの世界に存在しない新物質だ。そいつに既存の物理法則は通じない。そして『未元物質ダークマター』に触れて反射した太陽光も独白の法則に従って動き出す。異物ってのはそういうもんだ。たった一つ混じっただけで、世界をガラリと変えちまうんだよ」
 ズァ!! と六枚の翼が勢い良く羽ばたいた。巻き起こる烈風を『反射』で押さえつけた一方通行アクセラレータは、そこで相手の意図をつかむ。正面をにらみつけると、垣根はうすく笑っていた。
「―――逆算、終わるぞ」
「ッ!!」
 その声を聞いた一方通行アクセラレータが初めて回避かいひに移ろうとした時、すでに六枚の翼は放たれていた。これまでと違う、単なる撲殺用ぼくさつようの鈍器として。
 ゴキゴリゴリ!! という鈍い音が一方通行アクセラレータの体内で炸裂さくれつする。
 あらゆるベクトルを『反射』する彼の体が勢い良く吹き飛ばされ、一〇メートル以上先にある街路樹に激突し、太い幹を一発でへし折った。
「ごっ、ぱあ……ッ!?」
(今の、太陽光と、烈風の意味は―――ッ!!)
一方通行アクセラレータ。テメェはすペてを『反射』するって言ってるが、そいつは正確じゃないな」
 坦根の翼が音もなく伸びる。
 ニ〇メートル以上に達した翼は巨大な剣のように見えた。ビルの屋上へ飛ぶ一方通行アクセラレータだが、垂直に構えられた垣根の翼は、まるで塔が崩れるように一方通行アクセラレータへ直撃する。
「音を反射すれば何も聞こえない。物体を反射すれば何も掴めない。テメェは無意識の内に有害と無害のフィルタを組み上げ、必要のないモノだけを選んで『反射』してる」
 口から血を一方通行アクセラレータは、貯水タンクの残骸ざんがいを突き破って横へ跳ぶ。        、
 振り下ろされた白いつばさは、ビルの屋上から中腹までを一気に引き裂いて粉塵ふんじんき散らす。
「『未元物質ダークマター』の影響えいきようを受けた今の太陽光と烈風には、それぞれ二万五〇〇〇のベクトルを注入しておいた。後はテメェの『反射』の具合から有害と無害のフィルタを識別し、テメェが『無意識の内に受け入れている』ベクトル方面から攻撃こうげきを加えれば良い」
 一方通行アクセラレータが仮に『反射』の組み立てを変更したとしても、垣根かきねはすぐにそれを再サーチするだろう。このままでは堂々巡り。攻防をり返している間にダメージが蓄積していくだけだ。
「これが『未元物質ダークマター』」
 垣根帝督ていとくは笑いながら六枚の翼を構え、
「異物の混ざった空間。ここはテメェの知る場所じゃねえんだよ」
 対する一方通行アクセラレータは大気を操って自分の周囲に四本の竜巻を巻き起こす。
 そして激突。
 一方通行アクセラレータの竜巻が垣根の白い翼をもぎ取り、垣根の白い翼が烈風を伴って一方通行アクセラレータの竜巻を吹き消した。その余波を受けて鉄筋コンクリート製の構造物がギシギシとたよりなく揺れるころには、すでに二人はそこから消えている。平行するように移動しながら互いの能力を激突させる両者は、時に風力発電のプロペラに飛び移り、時に信号機の側面を蹴飛けとばしながら、恐ろしい速度で街並みを駆け抜けていく。

「『ピンセット』を強奪したり『滞空回線アンダーライン』の中身を調べたり、おれも色々策を巡らせたが、どれも成功しなかった。やっぱ第一位のテメェをブチ殺すのが手っ取り早いみたいだな!!」
 垣根かきねは数十メートルにも伸びた白いつばさを振り回しながら叫ぶ。
「何だァウジ虫野郎。このに及ンで数字の順番がそこまでコンプレックスか!!」
「そんなんじゃねえよ。ただ俺は、アレイスターとの直接交渉権が欲しかっただけだ!!」
 一方通行アクセラレータはその言葉を無視し、足元のアスファルトをわざとみ砕いた。衝撃しようげきで浮かび上がる小石を、二段りの要領で一方通行アクセラレータは思い切り蹴りつける。
 ゴバッ!! というすさまじい音が炸裂さくれつする。
 ベクトル操作を受け、『超電磁砲レールガン』以上の速度で飛んだ小石は、ほんの四・五センチ進んで消滅した。ただし衝撃波は生きている。その爆音は、もはや音を破裂させていた。しかし垣根も白い翼にありったけのカを込めて衝撃波をき散らした。両者の中間で波と波が激突し、空気の津波が看板や信号などをもぎ取っていく。
「アレイスターのクソ野郎は複数のプランを同時並行で進めてやがる。ヤツにとっては最優先事項みたいだが、仮にそのご大層な計画が詰まったとしても、並列する別ラインに一度軌道を乗せ換えて、後で再び元のプランに戻すから性質たちが悪い。あみだくじで、一度別の線へ行った後、最終的に元のラインに戻ってくるようなもんだ」
 平行に走っていた一方通行アタセラレータと垣根帝督ていとくは。突如その軌道を直角に曲げ、お互いが最短距離きよりでぶつかるように駆け抜けた。そこは片側四車線の道路が縦横にぶつかる巨大なスクランブル交差点だ。彼らの激突によって交通の流れは完全に遮断しやだんされるが、文句を言う者はいない。いるはずがない。隠蔽いんぺいなど考えるまでもなく、しゃぺれば死ぬと本能が語っている。
 二人の体が交差する。
 空気が爆発し、数秒遅れて、ズバァ!! という爆音が鳴りひびく。
「なら話は簡単だ。予備のプランを全部ぶっ潰しちまえは、アレイスターは『別のラインに逃げる』って妥協ができなくなる。その上で、この俺自身が『第二候補スペアプラン』ではなく本命の核に居座っちまえば、アレイスターも俺を無視できねえ。別に学園都市を潰すつもりはねえ。この街は利用できる。だからそいつの中心に食い込み、手中に収めてやるっつってんだよ!!」
 一方通行アクセラレータと垣根帝督の双方から血が舞った。
「だから今現在『本命の核』にいる俺を殺せば、オマエが計画の柱に君臨する、か」
 二人は立ち止まり、それから互いにゆっくりと振り返る。
 そこまで豪語する以上、垣根帝督はアレイスダーがどれだけの数のプランを並行的に展開させているか、その正確な情報を集められるという自信があるのだろう。
 そして、垣根帝督にはそこまでさせるだけの、何らかの理由があるのだろう。それについて一方通行アクセラレータは深く考えない。学園都市の暗部に沈んでいれば、悲劇の数など山や星のようにある事が分かる。おそらく垣根帝督はそれらの一つに触れてこわれた。一方通行アクセラレータが『実験』で一万人以上の人間を殺したように。一方通行アクセラレータがたった一人の人間のために命を捨てたように。
だな」
 それらを予測した上で、彼は言う。
「オマエは聖人君子の正論を並ぺているつもりかもしンねェが。実際に汚ねェ口からプープーれてンのは屁だ」
「ハッ。アレイスターとの直接交渉権に最も近い場所にいながら、その価値すら分かっていなかったテメェにどうこう言われる筋合いはねえな」
「その一言が、すでに安い悪党なンだよ。オマエは」
 ボロボロになったスクランブル交差点で、一方通行アタセラレータはくだらなさそうに言った。
「悲劇の使い道は色々だ。胸に抱えるもよし、語って聞かせるもよし、人生の指針にするもよし。だがな、そいつを抱えた所で無関係なガキどもをねらってイイ理由にはならねェンだよ。ご大層な理由があれは一般人を殺してもイイなンて考えた時点で、オマエの悪はチープすぎる」
「説得力に欠ける説教だな」
 垣根帝督かきねていとくも興味のなさそうな調子で答えた。
 彼は統ける。
おれだって好き好んで一般人を狙うつもりはねえよ。気分が良けりゃ、悪党であっても格下なら見逃してやる。だが、そいつは命張ってまでやるような事じゃねえ。テメェにしても、今の戦闘せんとうでさんざん野次馬やじうまや通行人をたたつぶしただろうが。コンクリートやアスファルトの破片は音速を超えて飛んでいた。衝撃波しようげきはすぺてをぎ払った。俺たちの戦いでな」
「……、」
最終信号ラストオーダーを狙ったのも、その保護者らしきガキを狙ったのも、そういう事だ。上から説教たれてんじゃねえよ、人殺し。俺を殺すために野次馬を見殺しにしたテメェにどうこう言われる筋合いなんざねえ。自分だけは例外、なんて理屈が通ると思ってんのか」
「ハッ。オマエを殺すために野次馬を見殺しにした、ね」
 しかし、糾弾きゆうだんされた一方通行アクセラレータは笑う。
三下さんしただな。美学が足りねェからそンな台詞せりふしか出てこねェンだよ、オマエは」
「あ?」
「そもそも、何で俺とオマエが第一位と第二位に分けられてるか知ってるか」
 一方通行アクセラレータは笑いながら、ゆるやかに両手を広げてこう言った。

「その間に、絶対的な壁があるからだ」

 垣根帝督の頭が沸騰ふつとうしかけたが、そこで彼は気づいた。
 周囲の状況に。
 確かに一方通行アクセラレータ未元物質ダークマターの激突で街並みはメチャクチャになっていた。高層ビルの窓ガラスが砕け、信号機はへし折れて歩道に倒れかかり、街路樹が吹き飛んでコンクリートの壁に突き刺さっていたぐらいだ。
 だが、そこには足りないものがある。
 悲劇だ。
 雨のようにガラスの破片が降り注いだにもかかわらず、怪我人けがにんはいなかった。吹き荒れる強風がガラスの破片の軌道をらし、逃げ遅れた人をかぱうように看板が飛び、奇跡のように行き交う人々を守っていた。ほかも同じだ。怪我人が一人もいない。詳しく確かめた訳ではないが、おそらく自分たちが来た道を戻れば、見えざる手に守られた『一般人』がたくさんいるはずだ。
(ま、さか……)
 垣根かきねのどが干上がった。
「守ったって、言うのか……?」
 思えば、最初の一発目。一方通行アクセラレータは垣根帝督ていとくに烈風を使った一撃いちげきを放ったが、あそこではもっと威力の高い奇襲きしゆうを行う事もできた。ただし、それを実行していれは、余波を受けた最終信号ラストオーダーの知り合いは吹き飛ばされていたはずだが……。
 つまりは、それが彼の生き様。
 たとえ学園都市の超能力者レベル5同士の、それも第一位と第二位の本気の殺し合いの最中であっても、わずかでも気をらせはそれが致命的なすきとなる戦場の申であっても、一方通行アクセラレータは何の縁もない一般人を守り統けていたのだ。
「ふ、ざけんなよ。テメェ、どこまで掌握しようあくしていやがった?」
 一方通行アクセラレータは退屈そうだ。その程度は当然の所業だとはかりに、むしろそんな事もできなかった垣根帝督をさげずむように嘲笑あざわらっているだけだった。
「ムカついたかよ、チンピラ」
 驚愕きようがくに染まる坦根帝督に、一方通行アクセラレータはくだらなさそうに言う。
「これが悪党だ」
 ここまでやって、まだ悪党。ならば一方通行アケセラレータが思い描く善人とは、一体どこまでのレベルを要求されているのか。
「ッッッ!! テメェに酔ってんじゃねえぞ、一方通行アクセラレータァァあああああああッ!!」
 叫びと共に、ブォ!! と垣根帝督の六枚のつばさが一気に力を蓄えた。長さを変え、質量を変え、殺人兵器と化した白い翼が広がった。まるで引き絞られた弓のようにしなり、その照準が一方通行アクセラレータの急所六ヶ所へ正確に定められる。
 それを見ても、一方通行アクセラレータは笑っていた。笑いながら彼はこう言った。
「来いよ」
「余裕だな。テメェの『反射』の有害と無害のフィルタはすでに解析済みだ。インチキ臭せえその防御能力も、こいつにゃ通用しねえぞ」
「確かに、この世界にゃオマエの操る『未元物質ダークマター』なんてものは存在しねえ」
 一方通行アクセラレータは人差し指を動かしてさそいながら告げる。
「そいつに教科書の法則は通じねェし、素粒子ダークマターに触れた光波や電波が普通ならありえねェベクトル方向に曲がっちまう事もあンだろォよ。だからまァ、この世界のことわりに従ってベクトル演算式を組み立ててたンじゃ『隙間すきま』ができちまうのも無理はねェが」
 二人の間で殺意が膨張ぼうちようする。
 スクランブル交差点の中心点が死で埋め尽くされる。
「だったらそいつも含めて演算し直せばイイ。この世界は『未元物質デークマター』を含む素粒子で構成されていると再定義して、新世界オマエの公式を暴けばチェックメイトだ」
おれの『未元物質ダークマター』をも……テメェのベクトル変換で操るだと……?」
「できねェと思うか?」
「ハッ。俺の底までつかみ取るつもりか」
「浅い底だ」
「……ッ!!」
「悪リィが、いちいち掴むまでもねェよ」
 ドバン!! という爆音が炸裂さくれつする。
 お互いの交差は一瞬いつしゆん
 それで、第一位と第二位の勝負は決した。

     4

 一方通行アクセラレータは地面へ目をやった。松葉杖まつばづえが転がっている。おそらく戦闘せんとうの余波であおりを受けて野次馬やじうまの方から飛んできたものの一つだろう。彼はそれを拾い上げると、チョーカー型電極のスイッチを通常モードへ戻した。その途端に、スクランブル交差点を中心とした、周辺からの雑音が近づいてきた気がした。目撃者もくげきしやの数は一〇〇人から五〇〇人程度か。しかし隠蔽いんぺいに気を配るつもりはなかった。それは雑用係の仕事だ。そんな填末事きまつじで困るのは自分ではない。
「……、」
 振り返る。
 複雑に描かれたスクランブル交差点の中心に、垣根帝督かきねていとくがうつ伏せに倒れていた。自らの生み出した白いつばさのベクトルを読まれ、制御を奪われ、体を刺し貫かれて。まるで得体えたいの知れない魔法陣まほうじんのように、交差点のど真ん中に赤い血が広がっていた。
 しかし、まだ未元物質ダークマターは死んでいない。
 そして一方通行アクセラレータは善人ではなく、悪党だった。
 こんな時、あの忌々いまいましい『善人』ならとどめは刺さないだろう。そのまま立ち去るだろう。下手をすれば悪党相手に世話を焼いて、更生への足掛かりを残してくれるかもしれない。だが、一方通行アクセラレータはここでズボンのベルトから拳銃けんじゆうを抜いた。一方通行アクセラレータを倒すための弱点として打ち止めラストオーダーや一般人を選択した垣根帝督かきねていとくを見逃すという選択肢は頭になかった。それが善人と悪党の違いなのだなと、彼はぼんやり考えていた。
「あばよ、三下さんした
 一方通行アクセラレータは親指で拳銃のハンマーを押し上げ、気絶した垣根につぶやいた。
「ま、善人にやられるよりかはみじめじゃねェだろ」
 引き金に人差し指がかかる。これで終わり。人の善意や神の奇跡にたよらず、ただ行動の結果によって未来を作る悪の道。一方通行アクセラレータは自らの生き様をまっとうすべく、己の敵の頭に銃口をピタリと合わせ、その右手に最後の力を加えていく。
 全てが完遂し、死によって平和を築く一歩手前で、

「待つじゃんよ、一方通行アクセラレータ!!」

 彼の視界の外から、割って入るような大声がひびいてきた。そちらに目を向けると、野次馬やじうまの壁から見知った顔が飛び出してきた。信じられないほどセンスのない緑色のジャージに、化粧っけのない顔。学校の教師であると同時に治安維持組織である警備員アンチスキルの一員である女。
 黄泉川愛穂よみかわあいほ
 彼女はまっすぐこちらへ走ってくる。
「今までどこへ行ってたかは知らない。今この状況が何を示しているかも多分理解できてない。ただ、私にもこれだけは言えるじゃんよ。……その銃を、こっちに渡せ。そいつはお前には必要ないものじゃんか!!」
 黄泉川は銃を持っていない。特殊警棒やスタンガンといった最低限の護身具すらない。周りの野次馬たちは、馬鹿ばかだと思っただろう。あれだけの事をやってのけた暴走能力者を相手に、ただ素手で近づいていくなど自殺行為だと。
 おそらくは、黄泉川自身もその危険性を十分に理解している。
 むしろ警備員アンチスキルとして最前線に立つ彼女は、ただの野次馬よりも格段に理解している。
おれは悪党だ」
「それなら私が止める」
「本気で言ってンのか」
「止める以外の選択を私は知らないじゃんよ」
 倒すではなく、止めると言った。それが彼女のやり方だった。一方通行アクセラレータが悪党の生き様を選んだように、黄泉川愛穂よみかわあいほは守るべき子供に武器を向ける事を肯定しない。一方通行アクセラレータは、黄泉川愛穂のひとみを正面から見据えた。その目には意志の光があった。一方通行アクセラレータからすれば、馬鹿馬鹿ばかばかしく思える行動指針。おそらくそこに、彼女は自分の命をささげるだけの価値を見出みいだしている。
一方通行アクセラレータ。お前が善人か悪人かなんて関係ない。お前がどんな世界に浸っているかも関係ない。重要なのは、そこから連れ戻す事じゃんよ。どれだけ暗い世界にいようが、どれだけ深い世界にいようが、私は絶対にお前をあきらめない。そこから必ずお前を引きずり上げてやる」
 その瞬間しゆんかん、二人は同じフィールドにいた。学園都市最強の超能力者レベル5とか、何のカも持たないただの大人だとか、そんなものとは別の次元で、黄泉川愛穂は一方通行アクセラレータの前に立ちふさがった。
「だから私は立ち塞がる。守るぺき子供のために、愛すぺき平穏へいおんのために。それはお前がいて、打ち止めラストオーダーがいて、みんなが笑って暮らしている風景だ。その未来のためには、お前が今持っている拳銃けんじゆうは必要ないものじゃんか」
「……、」
 一方通行アクセラレータは、しばらくだまってその言葉を聞いていた。
 そして結論を出した。
 垣根かきねに向けていた銃口を、黄泉川へと突き付ける。
(だから)
 黄泉川愛穂は敵だ。たとえ善人であったとしても、その行動理由が一方通行アクセラレータ自身の幸福だったとしても、彼女は一方通行アクセラレータが君臨するべき悪の道を阻害してしまう。ゆえに排除する。殺しはしない。手加減をできる程度には、銃の扱いにも慣れていた。
(ここで)
 一方通行アクセラレータには、守るべき者がいる。それは打ち止めラストオーダーであり、妹達シスターズであり、芳川桔梗よしかわききようであり、そして黄泉川愛穂だ。だからこそ、冷酷れいこくてつする。たとえ世界のすべてを、それこそ守るぺき者を敵に回してでも、その守るべき者をやみから救うと決意したのだから。
つ!!)
「無理だ」
 気がつけば、黄泉川愛穂が間近にいて、一方通行アクセラレータの手を拳銃ごと優しく包み込んでいた。
「お前は、その程度の悪党なんかじゃないじゃんよ」
 それで勝負は決していた。拳銃をつか一方通行アクセラレータの手の指を、黄泉川は一本一本外していく。彼女はグリップの下からマガジンを抜くと、スライドを引いて銃身に収まっていた弾丸も取リ外した。一方通行アクセラレータはこの結末について、しばらく呆然ぼうぜんと考えていた。
 そこへ、

 ドバァ!! と
 垣根帝督ていとくの『未元物質ダークマター』がおそいかかり、一方通行アクセラレータの思考を遮断しやだんした。
 ねらわれたのは、彼ではない。
 黄泉川愛穂よみかわあいほの目が、おどろいたように見開かれていた。彼女はそれからゆっくりと、自分の目を下へ向ける。その脇腹わきばらから、正体不明の白いつばさの先端が、まるで刃物のように飛び出していた。緑色のジャージが、真っ赤に染まっていた。ただでさえ染まっている部分が、さらに時間の経過と共に恐ろしいほど広がっていく。
 黄泉川は、何かを言おうとした。しかしグラリとその体がよろめいて、抵抗なくアスファルトの上に倒れてしまった。一方通行アクセラレータは、それを眺めていた。黄泉川愛穂が倒れた向こう側に、一人の影があった。今まで気絶していたはずの、垣根帝督かきねていとくだった。
 彼の背にあるのは、六枚の翼。
 何が起きたかなど、改めて説明するまでもなかった。
 ズルリ、と。黄泉川の脇腹に突き刺さっていた鋭い羽が、静かに抜き取られる。
「……どれだけ暗い世界にいようが、どれだけ深い世界にいようが、必ずそこから連れ戻す、だと……」
 垣根帝督が、血まみれの顔で何かを言っていた。
 彼が黄泉川をねらったのは、黄泉川が邪魔じやまだったからではない。垣根は最初から一方通行アクセラレータしか見ていない。黄泉川の前で『悪』を中断しようとした、そのわずかなたゆらい。垣根帝督を殺す理由そのものを取り下げようという行為。それこそが『邪魔』だったのだ。
 これでは、何のせいで負けたのかも暖味あいまいだ。
 だからこそ、坦根帝督はいきどおる。
「できる訳ねえだろうが。そんな簡単な訳ねえだろうが! これが俺達おれたちの世界だ。これがやみと絶望の広がる果てだ!! さんざん上から偉そうな事を言っておきながら、最後の最後ですがりやがって。これがテメェの語る美学かよ!!」
 支離滅裂しりめつれつな言葉。怒りと悪意が先行し、緒果として論理と整合性が失われた言葉の数々が、ただ衝撃波となって一方通行アクセラレータの体をたたく。
「結局テメェは俺と同じだ。だれも守れやしない。これからもたくさんの人が死ぬ。俺みてえな人間に殺される。なぁ、そうだろ一方通行アクセラレータ!! 今までだってこんな風に大勢の人間を死なせて来たんだろうが!!」
 のろのろと、垣根帝督は血まみれの体を引きずって起き上がる。
 一方通行アクセラレータきぱくためではない。悪意というものを肌で知る彼には分かる。垣根の悪意は、もっと別の所に向いている。
 すなわち、地面に崩れている黄泉川愛穂へ。
「や、めろ」
「聞っこえねえよ」
 ゴリリ!! という音が聞こえた。何が起きたか分からなかった。垣根かきね黄泉川よみかわには触れていないのに、彼女の体が見えない何かにみにじられる。黄泉川の体がビクンとふるえた。赤黒いみが、圧迫を受けてあっという間に広がっていく。
「やめろ!!」
「聞っこえねえっつってんだろおがよおおおおおッ!!」
 一方通行アクセラレータの言葉は、垣根の怒声にかき消された。
「あてられてんじゃねえよバーカ! 何を会話で解決しようとしてんだぁ悪党!! 違うだろうが。そんなのは俺達おれたちのやり方じゃねえだろうがよ!!」
 さらに垣根の能力が重圧を増す。
 脇腹わきばらどころか、黄泉川の口からも粘着質の赤い液体があふれてくる。
「動きを止めたきゃ殺せば良い。気に食わないものがあるならこわせば良い。悪ってのはそういう事なんだよ! 救いなんか求めてんじゃねえ!! へらへら笑って流されようとしてんじゃねえよ!! テメェみてえなクソ野郎にそんなもんが与えられる訳ねえだろうが!! んだよ、見せてみろよ。さんざん偉そうに語ってやがった、テメェの悪ってヤツをよォおおおおお!!」
 ―――馬鹿ばかだ、とき捨てた。
 一般人や通行人を戦闘せんとうに巻き込まないと言っておきながら、結果はこれだ。光の道を捨てたのに、やみの頂点に君臨すると決めたのに、温かい言葉に惑わされて伸ばされた手をつかもうとしてしまった。自分のいる闇の世界から一瞬いつしゆんでも目をらし、もう届かない光の世界ヘ一瞬でも触れようとしてしまった。その行動の結果が、一刻も早く垣根帝督ていとくという障害を排除するという優先事項を見失わせ、生まれなくても良かったはずの悲劇を生み出した。
 だからこそ、

 一方通行アクセラレータは、今度こそ徹底てつていした『悪』となる。
 たとえ何を失ってでも、垣根帝督を粉砕するとここに誓う。

 右脳と左脳が割れた気がした。切り開かれたその隙間すきまから、何か鋭くとがったものが頭蓋骨ずがいこつの内側へ突き出してくる錯覚さつかくが確かにあった。脳に割り込んだ何かはあっという間に一方通行アクセラレータすべてをみ込んでいく。ぶじゅっ、という果物をつぶすような音が聞こえた。両目から涙のようなものが溢れた。それは涙ではなかった。もっと赤黒くて薄汚うすぎたなくて不快感をもよおす、鉄臭い液体でしかなかった。涙腺るいせんからこぼれるものすらも、すでに嫌悪感けんおかんしかなかった。
 そして訪れるのは、
 一つの暴走。
「ォ」

 自身を檬成する柱が砕ける音を聞いた。中心から末端までがドロドロした感情に染まった。歯を食いしはり、眼球を赤く染め、一方通行アクセラレータは世界の果てまで咆哮ほうこうひびかせる。
「ォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
 背中がはじけ飛んだ。そこからどす黒いつばさが飛び出した。噴射にも近い黒の翼。彼の意識すら飛ばし、自我すらもたたつぶすほどの怒りを受げて爆発的に展開される一対の翼は、あっという間に数十メートルも伸びてアスファルトを薙ぎ払い、ビルの外壁を削り取った。
「は」
 垣根帝督かきねていとくは、それを見て、知った。
 この世界に存在しないはずの素粒子、『未元物質ダークマター』。それは一体何だったのか、どこから引きずり出してきたものなのか、何を意味していたのか。
「スゲェな……。スゲェ悪だ。やりゃあできんじゃねえか、悪党。確かにこれなら『未元物質ダークマター』は『第二候補スペアプラン』だよ。ただし、そいつが勝敗まで決定するとは限らねえんだよなあ!!」
 叫びに呼応するように、垣根帝督の六枚の翼が爆発的に展開された。数十メートルにも達するそれらの翼は神秘的な光をたたえ、しかし同時に機械のような無機質さを秘めていた。まるで神や天使の手になじむ莫大ばくだいな兵器のように。
 バォ!! と六枚の翼に触れた空気が悲鳴を上げた。
 一方通行アクセラレータ未元物質ダークマターがそれぞれ抱えるのは、有機と無機。それも、こことは違う世界においての有機と無機だ。神にも等しい力の片鱗へんりんを振るう者と、神が住む天界の片鱗を振るう者。この条件ならは勝負は互角。そして垣根帝督は、一方通行アクセラレータと違って我を忘れてはいない。
 今まで感じた事もないほどのカが、体の中で暴れている。
 それでいて、その隅々までも完壁かんぺき掌握しようあくしているという自覚がある。
 これで学園都市の第一位と第二位の順位は逆転された、と垣根は思った。それは無理な虚勢や負け惜しみなどではない。感情による脚色はなかった。ただ単純な感想だった。今ならは、世界中の軍隊を相手にしても、学園都市にいるすぺての能力者と同時に敵対しても、傷一つなく打ち勝つ事ができる。彼は素直にそう思っていた。
「ははははは!! はははははははははははッ!!」
 笑いに笑いながら、垣根は真の覚醒かくせいを遂げた六枚の翼を一方通行アクセラレータたたきつける。
 もはや一方通行アクセラレータなど眼中にない。とりあえず近くにあるもので実験をしてみたい。垣根の心にはその程度の考えしかなかったが、

 ぐしゃり、と。
 直後に、垣根帝督の体が莫大なカを受けてアスファルトにめり込んだ。

「ご……ッ!?」
 何が起きたか分からなかった。
 一方通行アクセラレータは黒いつばさを動かしていない。ただこちらを見て、ゆるやかに手を動かしただけ。それだけで、絶対の位置に君臨していたはずの垣根かきねは敗北し、地面の奥の奥まで押しつぶされていた。
 ブチブチという音が聞こえる。
『ピンセット』を装着した右手が、ひじの辺りから一気に千切ちぎれた音だった。
(が……ば、ア!! な、何が、一体何が―――ッ!!)
 一方通行アクセラレータは何らかのベクトルを拾い、その向きを変換し、一点に集中して垣根帝督ていとく攻撃こうげきしている。それは分かるのだが、たとえ世界中にあるすぺてのベクトルをかき集めてでも、これだけの現象を起こせるとは思えなかった。今の垣根帝督がこの世界に負けるとは思えなかった。
 理屈がない。
 理解ができない。
 ただ圧倒的に君臨する一方通行アクセラレータは、押し潰された垣根帝督の元へと、一歩一歩ゆっくりと近づいてくる。その歩幅が垣根の寿命なのだと彼は知った。距離きよりがゼロに達した時に命が尽きる。そしてすでに、一方通行アクセラレータは最後の一歩をみ込んでいた。
「は、は」
「―――yjrp悪qw」
「ちくしょう。……テメェ、そういう事か!! テメェの役割は―――ッ!?」
 返事はなく、殺意のこぶしが振り下ろされる。
 圧倒的な虐殺ぎやくさつが始まった。

     5

 肉を打つ音だけが学園都市にひびき渡っていた。そのたびにアスファルトに亀裂きれつが走り、余震よしんのように大地がふるえ、建物が不気味に揺れる。野次馬やじうまは、声も出せなかった。目をらす事さえも、勇気を必要とした。多くの者は何もできず、ただ圧倒的な光景を眺めるしかなかった。
「くっ……」
 そんな中で、黄泉川愛穂よみかわあいほは目を覚ました。
 朦朧もうろうとする意識の中、彼女は咆哮ほうこうを聞いた。けものよりも恐ろしく、悪魔あくまよりもおぞましい叫び。しかし、黄泉川にはそれが子供の泣き声のようにも聞こえていた。
 止めなくてはならない。
 自然と、黄泉川はそう思った。
「黄泉川さん!!」
 しかし、倒れている黄泉川が動く前に、だれかが彼女の腕を取った。そのままかつぎ上げられ、急速に事件の現場から遠ざけられる。その手際てぎわの良さは、同じ警備員アンチスキルの手によるものだった。ただしジャージの黄泉川よみかわと違い、銃器と装甲服ボデイアーマーで完全武装している。
「……っ、才郷さいごう、か。放せ、私はまだ―――ッ!!」
駄目だめです、黄泉川さん!!」
 黄泉川は振りほどこうとするが、普段ふだんの力が出ない。そうこうしている内に、バダバタバタバタ!! という空気をたたく音が聞こえてきた。黄泉川が見上げると、青空を引き裂くように黒い戦闘せんとうヘリが頭上を舞った。最新鋭の『六枚羽』だ。
「先ほど一時的に回復した衛星が、異変をキャッチしました。相対性理論でも説明のつかないゆがみが、周囲一〇〇メートルにわたって広がっています。分析班の話では、おそらくAIM拡散力場が異様な干渉をしていると」
「だから自減覚悟で歪みの原因を攻撃こうげきする、か。ふざけるな!!」
 叫んだ途端に血をいたが、黄泉川は今度こそ警備員アンチスキル・才郷の腕を振りほどいた。改めて周囲を見回してみれは、ほかにも完全武装の警備員アンチスキルが大勢いて、駆動鎧バワードスーツや装甲車などの部隊まで展開されている。悪夢のような光景だった。一方通行アクセラレータの生い立ちを多少なりとも調ぺた事のある黄泉川には、デジャビュすら感じさせる場面だ。かつて幼かった彼は、こうやって包囲され、生きる希望を失って投降し、暗い研究所へと放り込まれたのだ。
 り返させる訳にはいかない。
 黄泉川は脇腹わきばらに受けた傷も気にしないで、血まみれのまま警備員アンチスキルに立ちふさがる。
「銃を下ろせ!! 一方通行アクセラレータを『説得』するのに、そんなものは必要ない!!」
「しかし、黄泉川さん!!」
「あそこにいるのがだれだか分かるか。私たちが守るべき子供じゃんよ! だからその子供に銃を向ける事を、私は認めない。そんなものを認めてたまるか!!」
 その時、一方通行アクセラレータが天を仰いだ。
 黒いつばさの噴射の勢いがさらに増す。
「ォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
 ズドン!! という衝撃しようげきがその場の全員に走り抜けた。
 それは物理的なものではない。ただ単なる命の危機だ。動物としての本能が、ギリギリと心をめ付けた。油断するとそのまま地面につぶれそうなほどの重圧だった。一方通行アクセラレータの怒りは、野次馬やじうま警傭員アンチスキル達に向いていない。彼はそんなものを見ていない。にもかかわらず、その感情の切れ端だけで彼は世界を支配し、ねじ伏せ、叩き潰しかけていた。
 一方通行アクセラレータねらいは、垣根帝督かきねていとくのはずだ。
 しかし、今の一方通行アクセラレータを見て、その一人だけで終わると信じられるか。標的が消えた後、行き場を失った怒りが別の場所へ向けられる可能性は? その可能性、いや危険性を考慮こうりよしない者などいないだろう。彼の事を良く知る黄泉川ですら、一方通行アクセラレータの動きを予測するのは難しい。
(くそ。何か……ないのか……)
 黄泉川よみかわ一方通行アクセラレータの方へ近づこうとして、そこで血をいた。才郷さいごうが慌てて羽交い紋めにし、黄泉川の動きを阻害する。身動きを封じられ、それでもかすむ目で一方通行アクセラレータを見て、彼女は思う。
(あいつを止める方法はないのか。こんな……こんなつまらない事で、あの子の未来を終わらせてしまうのか!!)
 さらに咆哮ほうこうが放たれ、世界が黒一色に染め上げられた。彼の背にある黒いつばさが与えるのは、人の領域を越えた絶望。指示がなくとも、反射的に銃を構えてしまう警備員アンチスキルも見えた。しかしその引き金が引かれたら、すべてが終わる。行動によって社会から拒絶された一方通行アクセラレータの心は再び砕け、そしてもう一度取り戻せるとは限らない。
 圧倒的なカを前に、だれもが希望を失った。
 その力の暴走に巻き込まれないよう、体を縮こませてふるえている事しかできなかった。
 そんな彼らの前に、

 ―――最後の希望ラストオーダーが舞い降りる。

 それは、一〇歳前後の少女の形をしていた。肩まである茶色い髪に、活発そうな顔立ち。空色のキャミソールの上から男物のぶかぶかワイシャツを羽織った服装の『希望』は、恐怖におそわれた野次馬やじうま一生懸命いつしようけんめい押しのけて、スクランブル交差点にやってきた。
 迷子を捜している、と彼女は言っていた。
 ようやく見つけたその迷子を前に、彼女はおくしなかった。圧倒的な光景が広がっていても、彼女はまっすぐに一方通行アクセラレータの元へと近づいた。それを見た者は、誰もが終わったと思った。そう感じながら、手を伸ばして彼女を止める事もできなかった。もうそれぐらいに、彼女は破滅の中心点へ接近しすぎていた。
「見つけたよ、ってミサカはミサカはゆっくりと話しかけてみる」
 彼女は咆哮を続ける一方通行アクセラレータの背中へ近づいていく。
 一方通行アクセラレータがゆっくりと振り返る。
 ブォ!! と風のうな轟音ごうおん炸裂さくれつした。
 学園都布最強の超能力者レベル5が取った行動は実に簡潔だった。その噴射のような黒い翼が空気を引き裂く。振り向きざまに圧倒的な威力を秘める翼を使い、無造作に莫大ばくだい攻撃こうげきを放っていた。
 その場の全員が悲劇を思い描いた。
 彼女の幼い体がグシャグシャにひしゃげて路面に散らばる光景を思い描いた。
 だが、

 ガキィィ!! というすさまじい音と共に、黒い翼は打ち止めラストオーダーの手前で停止する。

 一方通行アクセラレータの放った攻撃こうげきは、見えない壁に阻まれていた。彼女の顔からほんの数センチの位置で、ギリギリとふるえながら、しかしそれ以上は近づかない。ただ、彼女には一方通行アクセラレータの黒いつぱさを受け止めるような能力など持っていないはずだ。そもそも、世界中を捜してもそれをできる人間がいるかも分からない。
 彼女にできないというのなら、世界中のだれにも止められないというのなら、一体どこの誰がどうやって黒い翼を止めたのか。
 呆然ぼうぜんと眺めていた黄泉川よみかわは、やがて一つの答えを思いついた。
「一方通行だ……」
 学園都市最強の超能力者レペル5。誰にも届かないほど圧倒的な力を止められる者がいるとすれば、それは力を生み出している本人だけだ。最後の最後の土壇場どたんばで、一方通行アクセラレータは翼を止めたのだ。
 ギチギチと、黒い翼は震えている。
 怪物の鳴咽おえつのように、震えている。
 その時、バァン!! という火薬のはじける音がひびいた。
 ギョッとした黄泉川がそちらを見ると、警備員アンチスキルの一人が発砲した所だった。
 まずい、と黄泉川は思う。
 打ち止めラストオーダーが近くにいるという状況で、一方通行アクセラレータに向けての発砲だ。彼の黒い翼が裂け、複数の鋭い羽へと変貌へんぼうする。矛先は周囲の警備員アンチスキル打ち止めラストオーダーが攻撃されたと認識しているのだ。
 一方通行アクセラレータを中心に、ゴバッ!! と一斉に攻撃が放たれる。しかし、
「ストップ、ってミサカはミサカは忠告してみる」
 打ち止めラストオーダーの一言。
 それを合図に、警備員アンチスキル達の喉元のどもとまで迫っていた羽の先端が、ピタリと動きを止める。
大丈夫だいじようぶだよ、ってミサカはミサカは手を伸ばしてみる」
 小さな少女は、状況を理解していないのではない。一方通行アクセラレータがどれほど危険な存在かを知りながら、それでも華奢きやしやな手を差し伸べる。
「もうこんな事をしなくても大丈夫だよ、ってミサカはミサカは正しい事を伝えてみる」
 その言葉を振り払うように、一方通行アクセラレータはさらに黒い翼を彼女にたたきつける。
 しかし、やはり黒い翼は彼女の一歩手前で止まる。ガキィィン!! という鈍い音だけが炸裂さくれつした。それは一方通行アクセラレータ葛藤かつとうだった。彼の心は、捨ててしまえと言っていた。こんなおもいをするぐらいなら、悲劇をり返すぐらいなら、もう全部捨ててしまえと。だが、どうしても捨てられない。指先を少し動かせぱ殺せるくせに、彼女の小さな体を吹き飛ばす事など造作もないくせに、何をどうやっても一方通行アクセラレータにはこの希望を捨てられない。
「あァあああああああああああッ!! がァァあああああああああああああああッ!!」
 咆哮ほうこうが炸裂した。
 ひたすらに黒い翼を振るう音だけが連続した。
 しかし、そこにはもう圧倒的な重圧は感じられなかった。小さな子供が駄々だだをこねているようなものだった。彼女はそれを眺めていた。次々に振りかざされる攻撃こうげきに対し、目をつぶる事すらしなかった。信頼しんらいがあった。だから彼女はおどろかなかった。
 一際ひときわ大きくつばさが振り回され、渾身こんしんの一撃が彼女へ振り下ろされる。
 それが彼女の顔の手前でピタリと止まった時、一方通行アクセラレータの動きも止まった。
 うつむく彼の表情は、だれにも見えない。
 その背中にある一対の翼が、音もなく空気に溶けるように消えていた。それと同時に、一方通行アクセラレータの体からすベての力が抜けた。彼女は両手を広げて一方通行アクセラレータを迎え入れた。ぐらりと揺れた彼は、ゆっくりと彼女に向かって倒れかかる。
 一方通行アクセラレータの体重に押しつぶされそうになりながら、それでも彼女は抱き留めた。
 彼女は一方通行アクセラレータの耳元に口を寄せて、小さな声でこう言った。
「良かった、ってミサカはミサカは言ってみる」

終 章 生き残った者が得る戦利品 Nano_Size_Data.

 気がつけば、一方通行アクセラレータは救急車に乗せられていた。
 しかし、その内部にある機材は本物の救急車とは連う。おそらく、この救急車は病院には向かわない。そういう所とは違う場所へと運ばれていく事だろう。
 運転席にはだれかがいるのだろうが、ここからでは見えない。ほかに同乗している人物もいない。そして一方通行アクセラレータの近くの床には、携帯電話が置いてあった。彼がそれに気づくと、まるでどこかから監祝されているかのようなタイミングで、電話が着信音を鳴らした。
 一方通行アクセラレータが取ると、ある意味で聞き慣れた声が耳に届いた。
『今回はやりすぎましたね』
「……またオマエか。何もできずに高みの見物決めてたオマエらに、いちいち説教されるいわれはねェな。ふンぞり返る資格があるのは、実際に体を張って止めよォとしたヤツだけだ」
『分かっていますよね』
「チッ」
 人の話を聞かない電話の声に、一方通行アクセラレータ忌々いまいま々しそうに舌打ちする。
「分かってる」
『ま、垣根帝督かきねていとくに関する情報をお渡ししたのは私なので、あまりきつくも言えないんですがね。もう少し有効に私の情報を活用していただきたいものです』
「ペナルティは」
『さて、どうしましょうか。単に借金の量を増やしても、あなたには実感がないでしょうし。処分をするには惜しい人材でもあります。さてさて、本当にどうしましょうか』
 含みのある言葉だった。
 それが一方通行アクセラレータ苛立いらだたせたが、ふと電話の声はこんな事を言った。
『ところで、あなたは本当に戻る気があるのですか』
「あ?」
『単純な興味ですよ。そこまでちておいて、やみの頂点に立つと宣言しておいて、それでもあなたはあのぬくもりをあきらめられないのですか』
「そンなモンは、決まってる」
『そうですか』
「止めねェのか」
「あがく権利ぐらいは与えましょう。かなえる権利があるとは限りませんが』
 上等だ、と言って一方通行アクセラレータは通話を切った。
 しばらく画面を眺めていたが、やがて携帯電話をポケットにしまうと、カーテンによってさえぎられた窓を開放し、外の景色に目をやった。
(……、あァ)
 腕の中には、まだあの小さな少女のぬくもりが残っている。
 こぶしを握り、その感触を振り払うようにしながら、一方通行アクセラレータは静かに思う。
(必ず出し抜いてみせる。学園都市も、上層部のクソ野郎も、何もかも)
 ふところには、チョーカー型電極の設計図が収まったUSBメモリがある。
 作戦の合間に確認してみたのだが、仕組みは容易たやすいものではなかった。部品1を作るには材料2や機材3が必要になり、それらを作るためにはさらに設備4や5が必要で、さらにすべてカエル顔の医者の独自技術によるものだ。まるでかぐや姫の無理難題を見ているような気分だった。電極を解析して無駄むだな部品を取り除いたり、電極のコピーを作ったりするのは相当手間がかかるらしい。
 それでも、一方通行アクセラレータは誓う。
 ようやく手に入れた、小さなヒントを懐に隠しながら。

 海原光貴うなばらみつきは、病院の正面玄関から外に出た。
『組織』の刺客しかくとしてやってきたショチトルは、この結末を恨むだろう。目的を達成する事もできず、死という幕引きすらも許さず、最大の武器たる魔道書まどうしよの『原典』を奪われてただ生かされるなど、今の彼女にとっては苦痛にしかならないはずだ。
 それでもショチトルは生きている。
 本物の肉体は全体の三分の一にも満たず、残りは単なる皮膚ひふを巻いただけの擬似的ぎじてき身体からだであっても、それでも彼女の命はそこにある。それが海原にはうれしかった。自己満足的なものにすぎなくても、海原光貴にとっては一つの救いだった。
「ぐっ……」
 ぐらり、と意識が揺れる。
『原典』を受け入れた事で、膨大ぼうだいな知識が彼の頭にあった。しかしそれは人間の体には馴染なじまなかった。まるで脳みそのしわに砂鉄でもすり込んでいるように、気をゆるめれば頭の先から足の裏まで一気に激痛が走り抜ける。
(少々、血を流しすぎましたか……)
 海原光貴は、懐へ手を伸ばす。
 そこから取り出されたのは、ショチトルから分離ぶんりされた本来の『原典』だった。動物の皮を使って作られた、長い長い巻物状の魔道書。数メートルにも及ぶ知識の帯を広げ、その内容に目を通す。
 少しずつ、痛みは引いている。
 この痛みがすべて失われた時、海原光貴うなばらみつきは『原典』とやらを理解するのだろう。
(はは。イギリス清教に見つかったら、問答無用で始未されますね。これは)
 だが、この『原典』は力になる。
 そして今の海原光貴には、どうしても力が必要なのだ。
(……自分は、学園都市の暗部にもぐる事で必死だった)
 海原は広げた巻き物を丁寧ていねいに巻き直してから、再びふところの中へしまっていく。
(あの『組織』が今どうなっているのか。ショチトルのような優しい子が何故刺客なぜしかくへと変貌へんぼうしてしまったのか。―――自分には、もう一度あの『組織』と向かい合う必要がある)
 新たなカをたずさえて、海原光貴は先を見る。
 やみの奥はのぞけず、しかしアステカの魔術師まじゆつしおくしない。

 結標淡希むすじめあわきは黒い煙を上げる少年院を、はなれた所からじっと眺めていた。
 血まみれの足には包帯のようなものが巻いてあった。トウモロコシの繊維せんいを利用した、有機性人工皮膚ひふだ。今はまだ違和感があるが、やがては肉体の再生能力によって融合ゆうごうし、自然な形で傷跡が残らないように『人間の皮膚』を形作っていくらしい。
「……、」
 それら痛々しい傷口に目をやらず、彼女はただ少年院に視線を向けている。
 学園都市の暗部の手駒てごまとなる代わりに、身の安全を保障されたはずの『仲間』たち。しかし実際にふたを開けてみれば、少年院が襲撃しゆうげきされた時に学園都市側は警備員アンチスキルの増援すら寄越してこなかった。傭兵ようへい達が学園都市の外壁を越えた時には、最新鋭の攻撃ヘリHsAFH-11を展開させたというのに。
(やはり、連中の言葉を信用するには限界がある)
 だからといって、即座に反旗をひるがえせるはずがない。学園都市の実権はヤツらに掌握しようあくされている。例えば少年院の特殊房から『仲間』達を解放した所で、逃げ場がない。結標淡希は、ついこの前に路地裏で暗躍あんやくするスキルアウトを討伐したはかりだった。おそらく『仲間』達を闇雲に逃がしても、似たような末路が待っているだけだ。あるいはそれを連想させるために、上層部はあの作戦を結標に依頼いらいした可能性もある。
 だが、
(この借りは、絶対に返してもらう)
 結標は、そう誓った。今日ここであった事実と、そこで芽生えた感情を強く胸に刻みつける事を決めた。見も知らないだれかや何かにたよって『仲間』達を守ってもらうような段階は、ここで終わった。これから先は、自分の目で確かめ、自分の手で触れたものだけを信じて防壁を築き上げていく。
 結標淡希むすじめあわきはもう一度だけ少年院のある方角を眺め、それから背を向けた。
 音もなく立ち去る彼女は、静かに思う。
(必ず、あそこから救い出してみせる)

 そうして、いつとも知れぬ時聞、どことも知れぬ場所で、一方通行アクセラレータ土御門元春つちみかどもとはる海原光貴うなばらみつき、結標淡希の四人は再び集合した。
 土御門の手には、機械でできたグローブのようなものがあった。人差し指と中指の二本にはそれぞれ、ガラス製の長いつめが装着されている。血まみれの道具は、確か垣根帝督かきねていとくが持っていたはずのものだ。
 名前は『ピンセット』。
 一方通行アケセラレータはそれを眺め、あきれたようにつぶやいた。
「どさくさに紛れて回収しやがったのか。よくもまァ野次馬やじうまの中に隠れてたモンだ」
「こいつの中には『滞空回線アンダーライン』っていうナノデバイスが格納されているらしい。『スクール』の連中は、どうも大気中から『滞空回線アンダーライン』を採取して中身を調べるために動いていたみたいだな」
 何でそこまで分かってるんだ、と一方通行アクセラレータは不審に思ったが、どうせ自分の知らない所でまた暗躍あんやくしたんだろうと結論付ける。
 と、どうにも顔色が悪くなっている海原が、普段ふだんよりゆっくりした口調で尋ねた。
「中身のデータとやらは?」
「『滞空回線アンダーライン』は学園都市におけるアレイスターの直通情報もうを形成する中核だ。その体内に収められている内容も、一般の『書庫バンク』に収められているものとはレベルが違う」
 そういえば、以前一方通行アケセラレータはトマス=プラチナバーグという統括理事会の一人の邸宅を襲撃しゆうげきして、そこから情報を盗もうとした事がある。その時は一定以上の情報が得られなかったが、それは一股的なネットワークと『滞空回線アンダーライン』の作る特殊ネットワークとで情報の機密度を分けているからかもしれない。
 結標は退屈そうな表情で、
「面倒ね。結局そのナノデバイスの中にはどんな情執が隠されているというの?」
「待て、今出る所だ」
 ピッ、と『ピンセット』の手の甲に当たる部分にある小型モニタから電子音が鳴った。文字化けのような解析結果が高速でスクロールし、それに続いて文章が正しい形式に変換されていく。
「学園都市暗部にある機密扱いのコード類、だな」
「そいつが打開へのヒントになるっつーのか」
「名前は……『グループ』『スクール』『アイテム』『メンバー』『ブロック』……こっちのは『ピンセット』……これは『ひこぽしⅡ号』のデータ、後は『少年院の見取り図』と……」
「何が機密のコードよ。ご大層な事を言っておいて、ようは上層部が今回の『グループ』の動きを監視するために、情報を集めていただけじゃない。今さらそんなデータを見せられても」
「それと、もう一つ」
 土御門つちみかどがそう言うと、『グループ』の全員が『ピンセット』の画面に注目した。わざわざ土御門がほかと区別したという事は、それまでの情報とは違うという意味と受け取ったのだ。
 新たに得た情報。
 そこに表示された文字を、土御門元春もとはるはゆっくりとつぶやいた。

「最後に出てきたのは―――『ドラゴン』」

 戦いの果てに得たのは、小さな小さな突破口。
 確かなカギを手に入れた『グループ』の四人が、これより再び動き出す。

   あとがき

 一冊ずつご購入いただいたあなたはお久しぶり。
 全巻まとめてご購入いただいたあなたは初めまして。
 鎌池和馬かまちかずまです。
 とにかく科学全開の一五巻です。七人の超能力者レペル5、農業ビル、ナノデバイス、無人攻撃こうげきヘリ、人工衛星、コンピュータウィルス、スキルアウト……。今までシリーズの中でちょこちょこ出てきた科学サイドのキーワードを、ここらで大放出な感じでお届けしております。
 今回のテーマは『学園都市の暗部』と『乾いた物語』です。それに加えて、悪の道を突っ走る一方通行アクセラレータの凶悪ぶりがポイントとなります。悪と言っても後味の悪いものではなく、最後までページをめくっていただいた後に『あーすっきりした』と思っていただけるようなものを目指していたのですが、きちんと成功していますでしょうか。
 シリーズ中で一冊あたりに登場する新キャラの数は(妹達シスターズなどを除けば)今回が一番多かったかな、と思います。ただしこの輪は決して広がる事はなく、そこが上条当麻かみじようとうま一方通行アクセラレータの違いという所でしようか。

 イラストの灰村はいむらさんと担当の三木みきさんには感謝を。何だかゴチャゴチャとした話になってしまいましたが、最後までお付き合いいただいてありがとうございます。
 そして読者の皆様にも感謝を。相変わらず脇道わきみちを突っ走るような話でしたが、ここまでページをめくっていただいて、本当にありがとうございます。

 それでは、今回はこの辺りでページを閉じていただいて、
 次回もページをめくっていただける事を祈りつつ、
 本日は、ここで筆を置かせていただきます。

 ……あの白いの。その内、義賊ぎぞくとか名乗りそう鎌池和馬

とある魔術の禁書目録15
鎌池和馬

発 行 2008年1月25日 初版発行
著 者 鎌池和馬
発行者 久木敏行
発行所 株式会社メディアワークス

小説ーとある魔法禁書目録14

とある魔術まじゅつ禁書目録インデックス14
鎌池和馬 / イラスト・灰村キヨタカ

 contents

序章 あまりに暗い聖堂 Bread_and_Wine.
第一章 早すぎる変化の速度 In_a_Long_Distance_Country.
第二章 決定打となる引き金 Muzzle_of_a_Gun.
第三章 魔術師から遠いもの Power_Instigation.
第四章 空を覆う鋼鉄の群れ Cruel_Troopers.
終 章 その解は次の謎へと Question.

序 章 あまりにも暗い聖堂 Bread_and_Wine.

 左方のテッラ。
 彼はバチカンの聖ピエトロ広場にいた。広場は幅二四〇メートルぐらいの楕円形だえんけいで、中心からやや外れた所には噴水がある。テッラはその噴水の縁に腰を掛け、頭上の星空を静かに見上けている。
 人工的なあかりの乏しい広場では、彼の顔は見えない。そのシルエットだけが優しいやみに包まれ、一種のヴェールとして機能していた。
 ちゃぽん、という小さな水音がひびく。
 噴水のものではない。
 テッラの右手には、安物の赤ワインが収まったガラスのボトルがあった。グラスも使わず、直接ボトルの口へ唇を寄せるたびに、ちゃぽんという音と共にれ物の中のアルコールが波を作る。
 ただし、テッラの体からは飲酒によるうわついた雰囲気ふんいきは感じられない。
 今が昼間でテッラの顔がはっきりと見えたなら、なんて不味まずそうに酒を飲む男だろうとだれもが思ったはずだ。まるで残業でもしているような顔だった。
「また飲んでいるのか、テッラ」
 低い男の声が聞こえた。
 テッラは噴水の縁に腰を下ろしたまま、首だけをそちらへ向ける。
 そちらにいるのは、テッラと同じ『神の右席』の一人、後方のアックア。青系のゴルフウェアのような衣装をまとった男だ。
 彼のとなりには豪奢ごうしゃな礼服に包まれた老人もいる。
 ローマ教皇。
 このバチカンにおいて最も力のある人物は彼のはずだが、『神の右席』が二人もそろうとなると、不思議なぐらい存在感がかげってしまっている。
 テッラは唇の端から垂れた赤い液体を腕でぬぐいながら、
「これでも一応、補充しているんですがねー。『神の血』ってヤツを」
「パンに葡萄酒ぶどうしゅか。ミサの仕組みだな」
「私の『神の薬ラファエル』は土を示しますから、力を補充するためには、大地の『実り』や『恵み』を利用するのが手っ取り早いのですよ」
 真面目まじめに返したつもりだが、アックアと教皇の両方からため息がれた。彼らはそれぞれ、テッラの足元へ視線を落とす。
 そこには、中身のなくなったボトルがゴロゴロと転がっている。
 ガラスの側面に張られたラベルを見て、アックアは首を横に振りながら言う。
「安酒だな。こんなものは観光客向けのぼったくり店でもお目にかかれないであろう。『神の右席』の名を使えば、もう少しマシな銘柄を集められたはずである」
「よしてくださいよ。酒の味など分かりません。ただの儀式ぎしきに使ってる道具ですからねー、贅沢ぜいたくな事を言っては本当の酒飲みに失礼です」
 アックアとテッラのやり取りを聞いて、教皇が横から口を挟む。
「……信徒の指導者としては、派手な飲酒は控えていただきたい所だがな」
「おっと、私が責められるのは心外です」
 テッラは低い声で笑いながら、
「私の場合は儀式として必要に迫られているだけですが、アックアの方はそうでもないのに酒の味や銘柄に詳しいようですがねー?」
 教皇にジロリとにらまれて、アックアはやや身を退いた。
 ほかのメンバーとは違い、何故なぜか彼だけは教皇をないがしろにはしないのだ。
傭兵ようへい崩れのたしなみだ。戦場ではそういう物も必要でな」
「ハハッ、アックアはごろつきですからねー。我々、敬虔けいけんな信徒と違って悪い子なんですよ」
 軽い調子で口添えするテッラに、教皇は顔をしかめた。
 一緒いっしょにしないで欲しかったのかもしれない。
 それから教皇は、三〇万人もの人員を収容できる大きな広場を見渡し、
「しかし……ろくな護衛もつけず、『神の右席』の二人に、ローマ教皇わたしまで野外に集まるとはな。やはり会合は屋内で行うべきではないのか。この状況を警備の者が見たら泡を噴きかねんぞ」
大丈夫だいじょうぶじゃないですかねー。『使徒十字クローチェデイピエトロ』の霊装れいそう効果はまだ有効ですし」
 テッラはワインを口にしながら、夜空を見上げて、
「気持ちの悪い空が広がっているじゃないですか。無数の結界が衝突しょうとつ・競合しすぎてオーロラみたいに揺らいでいます。あの壁をぶち抜いて呪術狙撃じゅじゅつそげきするのは難ですよ」
 元々、結界に限らず、あらゆる魔術まじゅつはその方式を解けば、対処法や対抗策の逆算も可能となる。その集大成がイギリス清教の誇る魔道書まどうしょ図書館・禁書目録だろう。
 しかし、この国全体を守る多重結界は、バチカンにある建造物の九割以上が持つ十字教的な『意味』が複雑にからみ合った結果、禁書目録による解析はもちろん、もはやその最高管理者であるローマ教皇ですら全容を把握はあくしきれなくなっていた。
 長い時間をかけて複雑な暗号を解いた所で、パスワードのパターンが一秒ごとに変化していけば、古い『解答』には何の意味もなくなってしまう。鍵穴かぎあなの形どころか数すら変動するのでは合鍵など作りようがない。
 教皇を始めローマ正教徒のだれにも明確な制御は行えなーなっているものの、バチカンを包む多重結界はそうやって、あらゆる解析術式をけてきたのだ。
「さて、と」
 テッラは言う。
 空になったワインのボトルを噴水の縁に置く。
 彼が聖域に持ち込んできた安酒は、今ので最後だった。
 テッラはゆっくりした動作で立ち上がると、軽く背筋を伸ばしながら、
「『神の血』の補充も終わりましたし、そろそろ私は行きましょうかねー」
 その言葉を受けて、アックアのまゆがわずかに動いた。
「あれを使うのか」
 テッラは唇を薄く開いて笑う。
 口調からつかみ取ったのだろう。アックアの中に、苦渋の感情がある事を。
「民間人を使う事が不服ですかねー、アックア」
「……殺し合いなら、それで糊口ここうしのぐ兵隊に任せれば良いであろう」
「ハハッ、貴族様らしい意見です。しかし」
 テッラは愉快そうに笑みを広げて、
「我々ローマ正教の最大の武器は、数です。二〇億人という数字は大きな強みです。わざわざこれを出し惜しみする方が不自然なんですよ。学園都市の総数はたった二三〇万。まさに文字通りの桁違けたちがいというヤツです」
「戦争の勝敗は人員と物資の量で決まる、か。野蛮やばんだな。旧時代の戦争をのぞいているような気分である」
「本当に単純な解答というものは、昔から何一つ変わらないという事ですねー」
 テッラは結界におおわれた夜空を見上げてそう言った。
 浴びるように酒を飲んでいたはずだが、彼の足取りは少しも揺らがない。
「我ら『神の右席』は不完全なれど、その神秘性をもって民を導くもの」
 両手を水平に広げ、片足で立ち、くるりと回るようにアックアの方へ振り返って、
「ならばおびえる子羊たちには勝手に導かれてもらいましょうよ。この羊飼いである私の手によって……笛に合わせて消えていった子供達のように」

第一章 早すぎる変化の速度 In_a_Long_DistanCe_Country.

 学園都市の第三学区には、国際展示場がいくつもある。
 海外からの玄関である第二学区から直通の鉄道で結ばれているこの学区は、対外的な施設が数多く並んでいる学区で、ホテルなどのグレードも学園都市随一ずいいちとなっていた。空港の集中する第二三学区からわざわざはなれた場所にゲスト用施設が並んでいるのは、飛行場の騒音そうおんを宿泊施設に持ち込まないための配慮はいりょでもある。
 そんな第三学区では、いくつものイベントが開催される。
 自動車技術のすいを集めたモーターショーや機械工学の結晶であるロボットショーなどだ。これらの展示会は単なる娯楽の企画であるというより、学園都市の最先端技術のプロモーションという意味合いが強い。統括理事会が『この水準なら街の外で転用してもよし』と認めた技術を発表し、無数の外部企業の中から最も好条件の取引相手を選び(『探す』ではなく、学園都市側はあくまでも『選ぶ』だけだ)、莫大ばくだいな資金を得ていく訳である。
 そして今日も、そういったショーの一つが開催されていた。
 展示される品々は無人制御の攻撃こうげきヘリや、最新鋭の駆動鎧パワードスーツ装置、果ては空爆にも使える大出力光学兵器など。
 イベントの名称そのものが『迎撃兵器ショー』というのだから、物騒にもほどがある。
「ぷはー」
 重たい息をく音が聞こえる。
 ドーム状の国際展示場の片隅で、アタッチメントで胴体と接続された駆動鎧パワードスーツに包まれていると、その格好は妙にユーモラスに見える。
「暑っついー……。なーんで駆動鎧パワードスーツのデモンストレーションってこんなに疲れるじゃんよー」
 ヘルメットを抱えたままウンザリした調子でつぶやく黄泉川に、かたわらにいた作業服の女性がジロリとした視線を投げた。駆動鎧パワードスーツ開発チームの一員で、普段は白衣の方が慣れているのか、作業服が七五三並に似合っていない。
「安心して、貴女あなただけじゃないわ。展示場全体が妙な熱気に包まれているから」
 エンジニアの女性のひざにはノートパソコンがあり、パソコンの側面には携帯電話をうすくしたようなカードをしていて、画面には駆動鎧パワードスーツの詳細なデータが表示されている。
「そう言われてもうれしくないじゃんよー」
「喜ばせるための発言じゃないもの」
「にしても、平日昼間に開催されてる迎撃げいげき兵器ショーなんてコアなイベントに、なーんでこんな大量の人、人、人が集まってるじゃんよー。これって国際展示場の収容人数オーバーしているんじゃないじゃんかー?」
「今日は記者ビジネスデーだから人数少ないわよ。明日は一般開放だから地獄絵図」
「そう言われても嬉しくないじゃんよー」
「喜ばせるための発言じゃないもの」
 エンジニアの言葉にゲッソリしながら、黄泉川よみかわは今まで抱えていたヘルメットをゴトンと床に下ろす。
 このヘルメット、全幅五〇センチ近くある。学園都市を徘徊はいかいしているドラム缶型のロボットを被せているように見えるのだ。そのくせ、駆動鎧パワードスーツの他のパーツは西洋のよろいを少し着膨きぶくれさせた租度のサイズなので、かなり頭でっかちなシルエットをしていた。
「あつー。つか、もう全部脱いじゃうじゃんよ……」
 言いながら、黄泉川はヘルメットのなくなった首の部分からズルズルと外にい出た。駆動鎧パワードスーツの下に着込んでいるのは、特殊部隊が装着するような黒系の衣装だ。
 黄泉川は動きを止めた駆動鎧パワードスーツに背中を預けるように座り込み、片手を振って自分の顔になけなしの風を送りつつ、
「ったく、駆動鎧パワードスーツっていうのは装甲服を着て乗り込むもんじゃないね。もっと通気性の良い、駆動鎧パワードスーツ専用の作業服とかないじゃんよー」
「じゃあ企画部長の出した案に乗っていれば良かったじゃない。駆動鎧パワードスーツを脱いだら大胆なビキニがご登場。報道陣も拍手喝采かっさいで大喜びって寸法よ」
 抑揚のない声を聞く限り、思いきり他人事ひとごととして処理されているらしい。
 黄泉川は顔中にベタベタとくっついた汗のたまをタオルでぬぐいつつ、
「つか、あの企画部長は何でコンパニオン談義になるとああも机から身を乗り出してくるのかね」
趣味しゅみなんでしょう、可哀想かわいそうに」
「そもそも、この全日本ガサツ女代表黄泉川愛穂あいほにコンパニオンのおねーさんみたいな真似まねができる訳ないじゃんよ。どこをどう間違ったらこんな人選になるんだか」
警備員アンチスキルってのも大変ね。自衛隊並に雑用を押し付けられて」
「雑用を押し付けられるって事は、それだけやる事がないじゃんって話であって、つまり世界は今日も平和だなーって事なんだけど」
 黄泉川は言葉を切って、周囲を見回した。
 あちこちのブースで展示されているのは、色とりどりの人殺しの道具だ。
 これまであった、『暴走能力者を最小限のダメージだけで捕獲する』といった色合いは影をひそめていた。その代わりとして登場したのは、戦車の陰に隠れたら、その戦車ごと標的を貫通するような、大威力・高殺傷力の兵器ばかりだ。
 ここまで急激に方向転換を遂げた理由と言えば、
(やっぱ、これしか思いつかないじゃんか……)
 黄泉川よみかわがチラリと見たのは、エンジニアが扱っているノートパソコンだ。画面には今まで黄泉川がデモンストレーションで搭乗していた駆動鎧パワードスーツに、小さなウィンドウでテレビ画像を表示している。
 映っているのはニュース番組で、アナウンサーが原稿を読み上げている。
『現地時間で昨夜未明、フランス南部の工業都市トゥールーズで宗教団体による大規模な抗議運動が発生しました。街の中心を走るガロンヌ川に沿って数キロの道のりが人で埋め尽くされ、現在も交通を始めインフラもうに深刻な影響えいきょうが出ています』
 録画された映像では、真っ暗な街を松明たいまつの炎で明るく染めて練り歩く集団が大挙している。フランス語で罵詈雑言ばりぞうごんの書かれた横断幕を手にした男女や、学園都市の看板に火を点けて大きく掲げている若者などもいる。
 一応彼らは『抗議活動』をしているだけであって、統制を失った暴徒ではない。それでも、数万もの数の人間が怒りをあらわにして街を練り歩く様子は、見ていて寒気を覚えるほどの威圧感を与えてくる。
『自動車関連の日本企業が点在する地域周辺などで特に活動が盛んである事から、これも学園都市に対するアンチ行動デモンストレージョンの一環だと推測されています。フランスは国民の八割以上がカトリック系ローマ正教徒であると言われており、同様の活動が複数の都市でも見られる事から──』
 それでも、まだこの場合はマシな方だったかもしれない。
 しばらく画面を眺めていると、次は黄泉川が今朝見たニュースが再び流された。
『ドイツ中央部のドルトムントでは、盗難されたとおぼしきブルドーザーがカトリック系の教会へ突っ込み、中にいた神職者九名が重軽傷を負うという事件が発生しています。これは一連の抗議行動に対する報復であると推測されていますが、現在までに犯行声明のようなものは出されていません。今後ローマ正教派と学園都市派の間で争いが激化するとの懸念けねんが広がっていて』
 一度見たものだが、それでも忌々いまいましさはぬぐい切れない。
 まるで小さな火種が乾燥したわらの山へ燃え移るように、ここ数日で世界の動きは大きく変わった。ローマ正教側が世界中で同時に起こすデモ活動と、それに対する一部の過敏な反応が、次々と争いを加速させてしまっている。
 そして、この動きに呼応するように学園都市で開催された、今回の迎撃げいげき兵器ショー。
 一見すれば、統括理事会側からの正式な『デモには屈しないという意思表示』とも受け取れるが、
(それにしては……あまりにも手際てぎわが良すぎるじゃんよ)
 兵器開発というのはプラモデルを作るのとは訳が違う。開発の申請を行い、予算の計算を繰り返し、審議を通して、試作機の設計を行い、組み立てた機材で何千回も何万回もシミュレートを行い、満足する数値をたたき出して、初めて『商品』として表に出てくる。
 一連のデモが激化したのはここ数日の話だ。
 年単位の開発期間を必要とする兵器開発では、どうやっても追い着かない。
 となると、
(学園都市はすでに準備を終えていた。世界がこんな風になるのを見越して、それを事前に止めるのではなく事後に制するために策を練ってたって訳じゃんか)
 くそ、と黄泉川よみかわき捨てそうになった。
 戦争の引き金を引いたのは学園都市ではないのかもしれない。しかし、その話に乗って都合良く利益を得ようとしているのは間違いない。
 と、ノートパソコンの持ち主であるエンジニアの女性が、作業服のそでで額の汗をぬぐいながら、
 つまらなさそうにニュースの画面へ目をやった。
「どこにチャンネルを合わせても似たような感じなのよね。こういう時、バラエティの専用チャンネルとかに契約しておけば良かったなって思うわ」
「……どう思うじゃんよ、この状況」
「そうね」
 兵器開発研究者のエンジニアは一呼吸置いて、
「仕事が増えるのは良くない事ね。サービス残業はもっと良くない事よ」
「今回の展示、いつもとは全く毛色が違うじゃんか」
「企画部長が張り切っていたからね。軍需産業=むさ苦しいという固定概念がいねんくつがえせば、そこに新たな市場マーケットひらけるのだーとか何とか、兵器開発の現場ですごい事言っていたわね。熱に浮かされているようだから氷の塊でなぐっておいたけど」
「ここで公開されてる技術は、明らかに外部企業への『売りセールス』を目的としていない。となると、これはもう軍事演習と同じ……ただ詳細不明の兵器群の破壊力はかいりょくだけを『敵』に突きつけ、その威圧感をもって外交力ードを切ろうとしているだけじゃんよ」
「まあね。破壊力は抜群だったわ。おかげで企画部長のネジが二、三本やられたらしくて、さらにフザけた事を口走るようになってしまったけど」
「取り引きされている商品にしても、展示されてるものがそのまま出荷される訳じゃない。ライフルからフルオート機能を排除して店頭に並べるように、実際には三世代も四世代もグレードを落としたものを売ってるだけ。……それって、もう学園都市の『外』の技術でもギリギリ再現できるレベルの劣化品でしかないじゃんよ」
 黄泉川よみかわは少しはなれた壇上だんじょうのすぐ近くで話し合いをしている背広の男たちを見ながら、
「その上、ライセンス売買と言いながら兵器のコアとなる部分の製造は、各国にある学園都市協力派の機関が完全に掌握しょうあくしている。製造数や配備状況を逐一把握ちくいちはあくできるって寸法じゃんか。ったく、学園都市はどうしてそこまでして金を集めてるんだか」
「豊富な資金があればおバカ兵器を量産できるものね。あの企画部長、今度は超巨大人型ロボを宇宙へ飛ばそうとしているらしいわよ。きっとパイロット候補は一〇代の少年ね」
「……、やる気ないじゃんね?」
「あらゆる意味でね」

  2

 そんな黄泉川愛穂あいほは知るよしもないのだが、今回の大きな『争い』の中心には、とある一人の少年の存在がある。
 上条当麻かみじょうとうま
 幻想殺しイマジンブレイカーという力を持つ以外には、ごく普通の高校生であるはずの彼。しかしこの少年は、『神の右席』の言う事が正しければ、現在二〇億もの人間を敵に回している状態なのだ。この数ヶ月で彼が巻き込まれ、そしてなし崩し的に解決してきた事を思い返せば、まあ無理もない話ではあるのだが。
 そういう感じで、割と争いの中心っぽい少年、上条当麻は、

「──で、何でこんな事をしたのか、先生に話してみなさい」

 職員室で長身の女教師から思いっきり説教を受けていた。
 より厳密に言うならば、説教を受けているのは上条だけではない。青髪ピアス、土御門元春つちみかどもとはる一緒いっしょに三人並んでうな垂れている。
 その後ろには、何であたしがこんな所に呼び出されているんだというムカムカ顔の吹寄制理ふきよせせいりも立っていた。
 乱雑に物の置かれたスチール製の事務机がたくさん並んでいる職員室は、お昼休みという事もあってか教師の数も多い。弁当を食べたりテストの採点をしたり電気で動く木馬に乗って体重を落としたりとやっている事も様々だ。
 そんな中、親船素甘おやふねすあまという女教師は弁当も食べずテストの採点もせず電気で動く木馬に乗って体重をコントロールしたりもせず、安っぽい回転椅子いすに腰掛け、ベージュのストッキングに包まれた足を組んで、針金みたいに硬そうな黒髪を片手でかき上げつつ、おそらく高価なブランド商品であろう逆三角形の眼鏡越しにジロリと鋭い眼光を上条達へ浴びせてくる。
「もう一度尋ねるわ。このまなで好き勝手に大乱闘だいらんとうし、コブシを武器にアツいソウルをぶつけ合っちゃった理由をこの私に説明しなさい」
 沈黙ちんもくが生まれた。
 職員室の壁際かべぎわに置かれたテレビからは『イタリアのサッカーリーグでは度重たびかさなるデモ行進や抗議行動の結果、試合会場の安全性を保てなくなったとして、今期の試合を中止する事を決定した』とかいうニュースが流れている。
「説明できないの?」
 このブランド品で身を固めた不機嫌数学女教師は、上条かみじょうの学校の中でも特に『しつけ』に厳しい人物という事で有名だった。上条達とは受け持つクラスが違うため、今まではあまり接点がなかったのだが、今日に限って彼女に捕まってしまった。
 ちなみに上条達のクラスの担任は月詠小萌つくよみこもえだが、いくら彼女でも昼休み中の教室の様子までは把握はあくしきれない。なので、ケンカ中にたまたま居合わせた親船素甘おやふねすあまが上条達を取り押さえ、職員室まで連行してきたという訳だ。
 そんなこんなで、素甘の前でうな垂れている三馬鹿さんばかの一人、上条当麻かみじょうとうまはゆっくりと唇を開き、
「だって……」
 意を決し、キッ!と正面を強く見据えると、
「だって! おれと青髪ピアスで『バニーガールは赤と黒のどちらが最強か』を論じていたのに、そこに土御門つちみかどが横から『バニーと言ったら白ウサギに決まってんだろボケが』とか訳の分からない事を口走るから!?」
 ガタガタン! という大きな音と共に素甘が椅子いすごと後ろへひっくり返った。
 上条の大音量もさる事ながら、逆三角形の教育者メガネをかけた女教師には少々刺激の強すぎる意見だったらしい。
 数学教師・親船素甘は三馬鹿から目をはなし、その背後に立っていた吹寄制理ふきよせせいりに目を向けると、
「……ま、まさか、あなたもそんなくだらない論議に参加して……?」
「あたしはこの馬鹿どもを黙らせようとしただけです!! 何であたしまで引っ張られなくちゃならないんですか?」
 こめかみから血管を浮かばせて吹寄は叫び返す。
 とはいうものの、親船が上条達のクラスに踏み込んだ時、吹寄は土御門にヘッドロックをかけつつ青髪ピアスをり倒し、上条当麻に硬いおでこをたたきつけている所だったのだ、ガキ大将度で言えば間違いなく彼女がナンバーワンである。
 一方、青いサングラスをかけた土御門は体を左右に振りながら、
「にゃー。ひんにゅー白ウサギばんざーい」
 その言葉に黙っていなかったのは青髪ピアスだ。
「こっ、この野郎は何でもペタペタにしやがって!! っつかお前はバニーさんには興味なくて、とにかくロリなら何でもええんやろうが!!」
「それが真実なんだにゃー、青髪ピアス。この偉大なるロリの前には、バニーガールだの新体操のレオタードだのスクール水着だの、そういった小さな小さな衣服の属性など消し飛ばされてしまうんだぜい。つまり結論を言うとだな、ロリは何を着せても似合うのだからバニーガールだってロリが最強という事だにゃーっ!!」
「テメェ!! やっぱりバニーガールの話じゃなくなってんじゃねえか!!」
 腕まくりをして第二ラウンドを開始する三馬鹿さんばかを見て、逆三角限鏡で堅いスーツの女教師・親船素甘おやふねすあま椅子いすごと後ろにひっくり返ったままふところから取り出したホイッスルを吹く。
 ピピーッ!! という甲高い号令と共に、職員室の翼から生活指導のゴリラ教師、災誤さいごセンセイがのしのしと接近してきた。

 3

 結局、上条達かみじょうたちは放課後に体育館裏の草むしりをしろと命じられた。
 日当たりの悪いジメジメとした空間なのに、雑草は妙に元気に育ちまくっていた。一面の緑色は、その膨大ぼうだいな量を見ただけで作業をする気がせるし、普段誰ふだんだれも通らないような場所だから綺麗きれいにしても意味ないんじゃね? という空気で辺り一帯が満たされてしまっている。
 だが、それにも増して上条当麻かみじょうとうまのやる気をコリゴリと削っていくのは、
「つっ、土御門つちみかどと青髪ピアスめ……雲隠れしやがったな……」
 現場に立っているのは、草むしりを命令された四人の内、上条と吹寄ふきよせの二人しかいない。
 ポツンと残された上条は体育館裏に広がる空間を眺めて肩を落とした。うすっぺらな壁の向こうからは、バレー部やバスケ部などの放課後を満喫しています的な威勢の良い声がこちらの耳に届いてきて、不毛な草むしり作業への心理的な重いかせがドサドサと増えていく。
 とはいえ、消えた土御門や青髪ピアスにブチブチ文句を言った所で雑草はなくならない。
 上条は草をゴミ捨て場へ運搬うんぱんするための一輪車の上に乗せてきた軍手を手に取ると、
「どうせ全部抜く前に完全下校時刻になって追い出されちまうだろ。とりあえず時間までまったりと草むしりやってようぜ」
 ったく発火能力者パイロキネシストでも引っ張ってくればすぐ終わるのに、と上条はブチブチ文句を言う。吹寄は『何であたしが……』と不満たらたらだったが、なんだかんだ言って上条よりも効率的に雑草を刈り取っていく。
 始めて五分ぐらいで飽きてきた上条は、少しはなれた所でかがみ込んで作業している吹寄に話しかけた。
「そういえば、吹寄さ」
「何よ?」
 吹寄ふきよせも吹寄で退屈していたのか、あっさり会話に乗ってくる。
 上条かみじょうは手を動かしながら、
「一〇月の中間テストが中止になったって話があったじゃん。にもかかわらず吹寄さんたら休み時間も一人でテスト勉強に励みまくってるみたいだったけど、あれは一体?」
 何だ、あれ、と吹寄はそっけない調子で答え、
「中闘テストがないって事は、二学期の成績は期末テスト一発で判断されるって事でしょ。テスト範囲も二倍以上に膨れ上がるでしょうし、むしろそっちの方が気が抜けないじゃない」
「……、」
「ちなみにノートは見せないわよ」
 中間テストがなくなったぜイエーイ! と有頂天になっていた上条に、吹寄は淡々とした調子でとどめを刺していく。
 思わぬダメージを受けた上条はいじけ虫モードになり、
「ふ、ふん。学校の勉強だけがすべてじゃないやい」
「まるであたしが勉強しかできないみたいな言い方ね」
「……、ほかに何かできんの?」
 できるわよ!! と吹寄は腹の底から大声で叫び、
「こう見えてもフォークボールが投げられるわ。野球とか特に興味はないけど!!」
「えー?」
 上条は間延びした声を出した後、
「また通信講座とかフォークボール健康法とかじゃないだろうな」
「ま、学び方とかはどうでも良いのよ。ようは投げられるか投げられないかが問題でしょ! そんなに胡散臭うさんくさい目で見るなら実践してあげてもいいわ!!」
「そんな事言われたって、ボールがないだろ」
 上条はあきれたように言ったが、吹寄制理せいりはスカートのポケットから握りこぶし大のボールを取り出すと、
「備えあればうれいなしッ!!」
「……いや、ボールの表面に『一日一〇〇回ニギニギするとα波が促進される健康ボール』とかって書かれてるぞ」
 ポカンとしている上条だが、吹寄制理の方は気にしていない。彼女はかなりやる気まんまんらしく、片足でザシザシと地面をならしている。
 ボールに対してキャッチャーミットがないのだが、上条は軍手を何重にもはめて厚々にすると、いかにも仕方がない感じである程度距離きょりを取ってからかがみ込み、吹寄のボールを受けるべく見よう見まねでキャッチャーっぽく構えてみる。
 上条の目から、ため息みたいな棒読みの声が出た。
「さーどーぞー吹寄ふきよせ
「ようし上条かみじょう。時速一五〇キロの剛速球を見て腰を抜かすんじゃないわよ!!」
「フォークで一五〇キロ!? そのハッタリに腰を抜かしそうだよ!!」
 うろたえる上条。
 吹寄の方は多少ノッてきたのか、白球を握りめ、ゆったりと体を動かして振りかぶる。
 力の『め』の段階だが、ここで上条は思わず声を張り上げた。
「すっ、すとっ、ストーップ吹寄!!」
「何よ!!」
 投球フォームを途中でさえぎられ、吹寄はふらふらしながら叫ぶ。
 しかし上条はストレートに発言する事がためらわれたため、核心を除いて告げた。
「スカート!!」
「……?」
 その言葉に吹寄はまゆをひそめ、上条の視線の意味を探り、自分の腰の辺りを眺めて、短いスカートのまま振りかぶってひざを上げたため大きくめくれあがったソレと、その中身というか可愛らしい柄の下着を発見して、
 ──吹寄制理せいりの剛速球が飛んだ。
 タイミングを誤った上条のどてっ腹にゴム製の柔らかいボールが直撃ちょくげきし、ズパーン!! というハードな音が炸裂さくれつする。

 のたうち回って悶絶もんぜつする上条かみじょうは、ぶるぶるとふるえながらもこう言った。
「……な、何がフォークだ。思い切り真っ直ぐ飛んできたじゃねーか……上
「今のはナシッ!!」
 男気のありすぎるごまかしを言い放ち、吹寄ふきよせは上条からボールを受け取る。
「ったく、今度こそフォークボールで行くわよ。ガクンと落ちるからミットは下の方に構えて
おきなさい」
 とか何とか言いながら吹寄は投球フォームに入るが、上条にスカートの事を指摘された直後だからか、片足の動かし方が若干じゃっかん抑え気味になっている。
 そのせいか体のバランスがややふらふらしていたものの、吹寄の放った一球には恐ろしい力が加わっていた。軍手を何重にも重ねた上条の乎の中で、ドパァン!! というとんでもない音が聞こえる。硬式とは違うオモチャのボールのくせに、上条のてのひらにビリビリとした痛みが走った。しかも吹寄はソフトボール選手のようなアンダースローではなく、プロ野球選手のようなオーバースローで、それがメチャクチャ決まっていた。
 上条は受け止めたボールを軽くニギニギしながら、
「今の……落ちたか?」
「落ちたわよ!! 貴様は一体どこを見ているの。ちゃんとバッターの手前でカクッと落ちてたのが分からなかったの!?」
「ええー? なんか普通に投げてるようにしか見えなかったぞ」
「かっ、上条は!! バッターの視線から見ないから分からないのよ!! 実際にバットを振ってみればフォークボールのキレっぷりを味わえるはずなんだから!!」
「ほう。言ったな、吹寄」
 上条はニヤリと笑うと、念のために用意しておいた数本のホウキとチリトリセットから、五〇センチ程度の長さの、プラスチックのがついた小型ホウキをつかみ取り、
「その言葉、この俺に対する挑戦と受け取った」
 何となく野球のバットっぽく両手で握ると、手首のスナップだけでホウキを動かし、まるでタイミングを計るように小刻みにホウキの先端を回す。
 一方、吹寄は吹寄で、上条から軽く投げられたボールを受け取ると、口元に不敵な笑みを浮かべる。
「このメジャー吹寄の勝負球を打ち返そうとは、なかなか面白い事を言うサルね」
「かっとばしますよー」
「ならば見せてあげるわ。本物のフォークの落ちっぷりと、敗北の屈辱くつじょくをォおおおお!!」
「場外までズバンとなァあああああああああああああ!!」
 放たれる自球。
 風を切る音。
 本当にボールが落ちるか確認してからでは、完全に振り遅れる。
 上条かみじょう吹寄制理ふきよせせいりの真意と実力を測りかねたまま、勝負に応じるために動き始める。
 全身を駆け巡る力と緊張きんちょう
 上条はタイミングを計り、小さく息をき、両足に力を込め、腕の動きに合わせて腰を回し、両手で握ったホウキを横方向へ思い切りスイングして、
 そして、

 4

 スーツや逆三角形の眼鏡、おまけにストッキングまでブランドもので身を固めている親船素甘おやふねすあまは、美人は得をする生き物だという事を理解している女性である。
 もっとも、それを知っているのは昔の彼女が常々損をする役回りだったからなのだが。
 どんな人間でも努力をすればある程度の美人にはなれるものだ。『上の上』とか『上の中』などを目指すのが高望みであっても、『中の上』ぐらいなら何とかなる、というのが素甘の持論だった。そして、『中の上』までいければ、美人としての恩恵がチラホラと見えてくる。
 美人はお得だ。
 授業中に生徒たちは話を聞いてくれるし、同僚の教師からはナメられないし、学食では席を譲ってくれたりもする。それらはすべて、一日何時間もお風呂ふろに入り、寝る前には顔中に化粧水を塗り、毎日きちんと朝食を食べて、肌に影響えいきょうを与えないように気を配って体重を絞り、出かける前の化粧に一時間以上も時問をき、雑誌やインターネットを駆使して洋服を買いあさり、外と中の両方から体をみがきまくった賜物たまものなのだ。
 と、そんな親船素甘としては、放課後にもなると顔から化粧が落ち始めていないか、特に描いたまゆが汗などでにじんだりしていないかがものすごく心配になってくるのだが、『美人』というのは態度や雰囲気ふんいきも込みで与えられる評価なのだ。やたら化粧を気にしている様子を表に出すと『美人の恩恵』が減ったりするので、ここで何度も何度も手鏡を眺めたり化粧室との間を往復したりするのはかんばしくない。
(……、)
 素甘はあちこちをゆっくりと見回す。
 ここは職員室だ。この時間になると大抵の教師は部活の顧問こもんとして出かけてしまうため、ほとんど人気はなくなる。だれもいないならこっそり眉を確認しようかな、と素甘は考えていたのだが、
「ふひ~。 教材作りが大変なのですよー」
 割とすぐ近くの席で、見た目小学生ぐらいの女教師が目を回していた。
 月詠小萌つくよみこもえだ。
 山積みになっている資料の山は、どう考えても一人分の教師が担当する量を超えている。元々この小さな教師は生徒一人一人の正確なデータを基に最も有効な教材を作る事で知られているのだが、今はさらにほかの教師の分も請け負っているのだろう。
 現在、街の治安を守る警備員アンチスキルが『戦争準備』によって大量に駆り出されている状態で、いちいち教材など作っている時間がないのだ。なので、警備員アンチスキル以外の教師がそこを手助けする必要が出てきている訳である。
 かくいう素甘すあまも他の教師から教材作りを押し付けられているのだが、逆三角形眼鏡教師としては、そんな事よりも月詠小萌のミニマム度合いが気になって仕方がない。
「……どんな健康法を取り入れたら、そんな瑞々みずみずしい肌を保っていられるのよ。というかそもそも数学的に言ってありえない数値だわ」
「???何がですか。先生は数字に強い方なので相談に乗るのですよー」
 困り果てた声を聞きつけ、早速さっそくトテトテと近づいてくる身長一二五センチ。教育者として見習うべき所が多々あるのは認めるものの、そもそもこの先輩教師は本当に小学生じゃないのか。
 月詠小萌は素甘の机にあった資料を勝手に手に取ると、一枚一枚チェックしながらフンフンとうなずきつつ、
「ところで親船おやふね先生。今日はウチの生徒たちがご迷惑をおかけしたようで、申し訳なかったのですよー」
「いえいえ」
「そうそう。先生としても上条かみじょうちゃん達をとっちめたいのですが、あの子達って今どこにいるか分かります? ホームルームの後さっさとどこかに行ってしまったみたいなのですよ。もう帰ってしまったんでしょうか」
 しまった、と素甘は声をあげた。
 思わず壁に掛かった時計の方へ顔を向けてしまう。
 時間はそろそろ午後六時。
 草むしりを命令してから数時間も経過している。
「やばっ……。すみません月詠先生、ちょっとあの子達を回収してきます!!」
「はぁ。結局上条ちゃん達はどこにいるのですかー?」
 のんびりした先輩教師の言葉を背に受けて、親船素甘は職員室から飛び出した。部活もそろそろ終わりが見えてきた時間帯で、帰宅部の生徒などどこにもいない。薄暗くなってきた廊下はほとんど無人で、そこを歩いて職員用玄関に向かっていく内に、素甘はどんどん時間の経過を実感していく。
(いや、そもそも学校でケンカを起こすような不良生徒達にはそんなに忍耐はないはず。草むしりなんてしてないで、サボって帰っているんじゃないかしら)
 とは思うのだが、そもそもは三〇分ぐらいで様子を見に行って、適当に小言を言って帰す予定であったため、どうしても気が重い、なまじ罰則であるため、ここで安易に生徒へ頭を下げる訳にはいかないというのもポイントだ。
 そんなこんなで、親船素甘おやふねすあまは職員玄関で割と高級なパンプスにき替えると、早足で体育館裏へ向かう。
 そこで逆三角形眼鏡の数学女教師が見たものは、

 5

「へいへいへーい!! 一三勝九敗、テメェのフォークボールも大した事ねーなーっ!!」
 上条かみじょうは短めのホウキを両手でつかみ、小刻みにヒュンヒュン鳴らしながら吹寄ふきよせを挑発する。
だまれッ!! 九敗もしておいて減らず口を……。っていうかそもそもちゃんとした硬式を使っていればもっとキレが出ているはずなのよ!!」
 一対戦ごとに負けた方が五分間全力で草むしりをする、という新ルールが導入されてからの上条と吹寄のヒートアップぶりは半端はんぱではなく、『素直に二人一緒いっしょにまったり作業した方が楽だったんじゃね?』という事を忘れさせるぐらいに高校生たちの心は燃え上がっていた。
 バットを振り回して上機嫌な上条とは対照的に、白球を握りめた吹寄は肩を大きく動かしてぜーぜーと息をきながら、携帯電話の画面で時間を確認して、
「大体、完全下校時刻までまだ三〇分あるわ……。ここから逆転する事も十分可能ッ!!」
「つか、お前のボールちゃんと落ちてるか?」
「落ちてるって言ってるでしょうが! すごいフォーク!! バッターの手前でガクッと急降下しているのが何で分からない訳!?」
「ええー? 単に失速して放物線を描いてるだけなんじゃ……」
「ちゃんと見ろォォおおおおおおおおおおおッ!!」
 吹寄が全力でえながらボールを投げ放つ。
 ギュオオ!! と迫り来る白球に反応するように、上条の体はフルスイングのための前動作を開始し、
(フォークボール……)
 ついつい吹寄の言葉に体が反応し、短めのホウキの軌道をやや下へ修正してしまう。
 しかし今回もボールは特に曲がらなかった。
 普通にストレートが飛んでくる。
「テメッ……やっぱ失敗じゃねえか!!」
 慌ててバットの軌道を戻そうとしても、もう遅い。
 若干じゃっかんバットが上方向ヘズレたものの、白球の通る道まで届かない。
 それでも、ホウキのがボールの端にガチッと接触するのが分かった。
「ぐォォおおおおおおおッ!!」
 上条かみじょうは叫んだが、ヒットの感触が逃げていくのが手首に伝わる。
 ホウキの柄にかすってチップした白球は、やや斜め上に軌道をズラし、そのまま上条の後ろへとかっ飛んでいく。
(おのれ、ミスったか!?)
 この勝負にはファールの概念がいねんはない。バットに当たったボールが前に飛んだら上条の勝ち、それ以外なら吹寄ふきよせの勝ちとなる。ストライクとボールに関しては何となく見た目で決めるだけだ。
 しかもここで面倒なのが、負けた方はボールを拾ってこなければならない、という点である。ただでさえ『敗北者は全力で五分間草むしりの刑』があるのに、遠くまで飛んでいったボールを追いかけるのはかなりしんどいのだ。
 なので、バット代わりのホウキを振り抜いたポーズのまま、『だー。今、一三勝九敗だろ。あ、今ので一〇敗か。牛歩戦術でわざとのろのろボールを拾いに行って勝ちをねらってみるかなー』などと瞬間的しゅんかんてきに打算を始めた上条だったが、
 ぱしっ、と。
 なんか、変な音が上条のすぐ後ろから聞こえた。
「……、?」
 上条は訳が分からなかったが、対面している吹寄の顔がギョッとしたまま固まっていて、そこから音もなく血の気が引いていく様子がここまで伝わってくる。
(??? 後ろに何が?)
 上条が振り向いたそこには、

 逆三角形の眼鏡に草と土をこびりつかせた、
 明らかに顔面へ白球を食らったらしい女教師・親船素甘おやふねすあまが立っていた。

 本来なら白球は素甘のおなかの辺りに直撃ちょくげきするはずだったが、上条のバットがボールを掠めたせいで軌道が曲がり、思い切り顔面にぶち当たったらしい。
「……、」
 親船素甘はゆっくりと深呼吸しているが、その体はどう見ても小刻みに震動しんどうしている。
 あわわわわわわわわわ、と上条がふるえ始めた時にはもう遅く。
 上条のふところへ飛び込んだ親船素甘がゲンコツを振り下ろし、そうとは知らず全力で土下座どげざした上条は奇しくも素甘のゲンコツをくぐり抜け、ボールの怒りとゲンコツ空振りの怒りが相乗されて、数学教師は上条の背中をパンプスのとがったかかとで思い切りつぶした。

 6

 親船素甘おやふねすあまは急いで職員室に戻ってきた。
 どこかへ行ったのか、小萌こもえ先生はいない。
 一応、すでにハンカチを使って顔についた草や土は落としてあるのだが、
(わああっ!! 土、つち、ツチーッ!! 顔についた、絶対ついた! しかも思わずハンカチでぬぐったから描いた眉毛まゆげが落ちてるかも!! どうするのどうするのよだぁーもう!!)
 だれから見ても分かるぐらいパニックになっていて、職員室内に誰もいないのを確認すると、化粧室に行くのも忘れてその場で手鏡を取り出して自分の顔を確認した。
 とりあえず眉は大丈夫だいじょうぶだ。
 しかしそれだけで安心する親船素甘ではない。
 美人は得をする生き物だ。
 逆に言えば、美人じゃないと損をするのが人生である。
(ええと服の方は、ついてる。こっちにも土ついてる。ああここにも!? 髪も乱れてるし汗だらけだし早足で歩いたせいでストッキングも伝線してるし一体どこから手をつけたら良いのよッ!?)
 とりあえずスーツの上着を脱いで、白いブラウスにまで侵入した細かい土を振り落とし、それでもしつこく残ったものを落とすため、ブラウスのボタンを外してさらにバタバタとあおぐ。
 それから破れ始めたベージュ色のストッキングを脱ぎ、カバンの中に入っていた予備のものと穿き替えようとする。動作の関係上、途中でどうしてもタイトスカートが大きくめくれ上がってしまうのだが、今は気にしている余裕はない。一刻も早く、親船素甘は完壁かんぺきな美人女教師に復帰しなくてはならないのだ。
 が、
 いきなり職員室のドアがガタガタと動いた。
 素甘はストッキングを足に通すため、片足をあげた状態でビクッと固まり、
「だっ、ちょっ、待って!!」
 とっさに止めたのだが、
「え、何がですか?」
 言葉は届いていたに違いないのに、そのままガラッとドアが開けられてしまった。
 そこにいたのは上条当麻かみじょうとうま
 そして親船素甘は、ブラウスの前をはだけて黒い下着が見えた状態で、ストッキングを穿くためにタイトスカートをまくりあげた状態で立ち尽くしている。
「きっ───」
 きゃあ、と叫ぼうとして寸前でとどまる。
 絶叫の代わりに近くにあっ、た自分の机へ手を伸ばすと、黒板で使うための、マグネットのついた五〇センチクラスの超大型三角定規をつかみ上げて、そのまま職員室の出入り口に向けて全力で投げつける。
 上条かみじょうが高速でドアをピシャーン!! と閉めると、ドア板に三角定規の先端が手裏剣しゅりけんのように突き刺さった。
 ドスリと刺さった三角定規の端が、ビヨンビヨンとしなっている。
 廊下の方から叫び声がひびき渡ってきた。
「おおォわァああああああッ!! 死ぬかと思ったーっ!!」
「待てと言ったのに何故なぜそのまま入ってきたのか説明しなさい!!」
 とりあえず穿きかけのストッキングを完全に装着し、ブラウスの前を閉じ、椅子いすの背にかけておいたスーツの上着にそでを通して、急いで廊下に出ようとしたが、
 ビッ、と。
今度は、太股ふとももの辺りから変な音が聞こえてきた。
「……、」
 もしや封を切って二分後のストッキングがもう伝線したのか、と素甘すあまは思わず自分の太股の辺りを確認してしまうのだが、
「あ、あのー、すみません……」
 まるでそのタイミングを計ったように上条当麻かみじょうとうまが再び恐る恐る職員室のドアを開けてきた。
 そこには両足をOの字に開いてタイトスカートをめくり、身をかがめて自分の股間こかんの辺りに目をやっている親船おやふね素甘が。
 美人どころかオンナとしても駄目になった決定的な光景だったりする。
「ッッッ!!」
 今度は無言で黒板で使うための超巨大分度器を職員室の出入り口へ投げつける数学教師。もう一度閉じられたドアへ、さらに教材が突き刺さった。
 廊下の向こうから震える声が飛んでくる。
「何故そのまま入ってきたのか説明するつもりだったのですがーっ!!」
「これだけ事態をこじらせるに足る重要な埋由なのでしょうね? 論理的な事実を簡潔に述べなさい!!」
「ええと、もうすぐ完全下校時刻なんですけど、草むしりはもう終わりで良いですか?」
「それだけかーっ!!」
 親船素甘はこめかみの血管をふくらませ、机の上にあった黒板で使うための超大型コンパスを掴み、それで劣等生をなぐり飛ばそうと職員室から飛び出した。
 しかし上条当麻はいなかった。
 廊下をドダダダ!! と曲がり、階段に向かって消えていく人影がチラリと見えただけだ。
「何なのよ、一体……」
 素甘すあまは思い切り脱力してつぶやいたが、その声はどこにも届かなかった。

 7

「ちくしょう……ホントに死ぬかと思った」
 上条かみじょうは学校を出て、暗くなってきた帰り道をトボトボと歩きながら独り言を放った。
 一〇月に入ってくると、この時間帯は少しずつ肌寒くなってくる。気温の変化に応じているのか、夏場に比べると若干じゃっかん人の数が減っているようにも感じられた。薄暗うすぐらい空に浮かぶ飛行船の大画面エキシビジョンからは、『空気が乾燥しているので火の元に注意してください』というアナウンサーの声が飛んできている。
 上条は歩道をゆっくりと進んでいる清掃ロボットをけつつ、今日の晩ご飯は何にするかな、と考えて、駅前にあるデパートへ足を向ける事にした。冷蔵庫の中身が少し心配だ。ちょっとはなれた所に行けばもっと安いスーパーもあるのだが、今からそちらへ行くと帰宅時間が遅れてしまう。するとりょうの部屋で待っているインデックスが空腹で暴れ出すという寸法だ。
 そんなこんなで駅前の辺りに行ってみると、常盤台ときわだい中学の制服を着た茶色い髪の少女、御坂美琴みさかみことの背中を発見してしまった。
 しかもジュースの自販機にハイキックをぶち当てては、『ここの自販機は駄目だめなのか。あれー……?』などと首をかしげている。
 その様子を見た上条は、そのまま無言でくるりと一八〇度回転すると、急いでその場を離れる事にした。
「……君子危うきに近寄らず。または触らぬ神にたたりなしとも言う」
「何がよ?」
 さりげなく放った独り言にすぐ後ろから返事が聞こえて、ビクゥ!! と上条の背がぐになった。
 上条が恐る恐る、もう一度一八O度回転してみると、そこにはキョトンとした顔の御坂美琴が。
 うう……と上条は思わず悲嘆めいた吐息といきらし、
「許してください……」
「だから何がよ?」
「上条さんは放課後の草むしりとかその他色々で本当にヘトヘトなのです! だからこれ以上のトラブルは本当に許してくださいッ!!」
「だから何だっつってんのよッ!?」
 美琴みことはマッハで逃げようとする上条かみじょうの首根っこをつかんで、その耳元でみ付くように叫ぶ。
「っつーかことあるごとに会話を切り上げようとすんじゃないわよ! この前送ったメールの返信も放ったらかしだし、あれどうなってんのよちょっとアンタのケータイ見せてみなさい
よ!!」
「メール……? そんなのあったっけ?」
「あったわよ!?」
 上条はちょっと考え、自分の携帯電話を取り出し、美琴に見せるようにメールボックスを開いて、それから小首をかしげると、
「……あったっけ?」
「あったっつってんでしょ!! ぎえ、受信ボックスに何にもない!? もしかして私のアドレスをスパム扱いしてんじゃないでしょうね!?」
 メールの件で愕然がくぜんとする美琴だったが、そこで彼女はさらなる真相に辿たどり着く。
 ボタンを操る上条の手をガシッと掴んで差し止め、受信メールフォルダにある名前を凝視ぎょうしすると、
「……アンタ。何でウチの母のアドレスが登録されてる訳?」
「は?」
 言われてみれば、確かこの前酔っ払いの御坂美鈴みさかみすずと学園都市で遭遇したが……とか上条が思っていると、美琴は眉間みけんしわを寄せたまま親指で上条の携帯電話を操作し、くだんの美鈴へ通話してしまう。
「待てって、おい?」
 特にスピーカーフォンのモードにはしていないが、元々の音量が大きかった事と美琴までの距離きょりが近かった事もあって、上条の耳までコール音が聞こえてくる。
「ちょっと偲。聞きたい事があるんだけど」
『あれ!? 表示ミスってるのかな。ディスプレイに美琴ちゃんの番号が出てこないんだけど』
 キョトンとしている美鈴の声、
 美琴と美鈴の会話に耳を向けている限り、何で上条の電話に美鈴の番号があるのか、その経緯を尋ねているようだが、
『うーん』
 間延びした声と共に出た結論は、
『あの少年とは夜の学園都市で会ったとは思うんだけど……ママ酔っ払ってる時は記憶きおくなくしちゃうからなあ。一体いつの間にこんな事になってたかはママ、にも分かんないよ、はっはっは』
 うん、うん、と美琴は小さくうなずいて、通話を切った。
 彼女はにっこりと微笑ほほえみ、携帯電話を両手で包んでお上品に上条へ返しながら、
「ア・ン・タ・は、人ん家の母を酔わせて何をするつもりだったァああああ!?」
「はあーっ!? 何だそのエキセントリックな推理は!? あとお前の母は絶対に覚えてるよ! 何故なぜなら最後の笑いが超胡散臭うさんくさかったからッ!!」
 ちょっと考えれば簡単に分かるはずの事なのだが、プチ家庭崩壊ほうかいの危機に見舞われていると思い込んでいるせいか、何やら美琴みことは顔を真っ赤にして冷静さに欠けている。
 もうここは話題を変更するしか!! と上条かみじょうは強引な舵取かじとりを決行し、
「ほっ、ほらっ。上条さんはりょうに帰ってお米をがなきゃいけないし……。っつーかお前の寮も門限とかあるだろ! もう日没なんですよ!?」
「はあ、門限? そんなんちょろっと工夫すればどうとでもなるんだけど」
 サラリと言う美琴に、上条は少し頭を抱えたくなった。
 美琴の方は上条の心境には全く気づいていないようだが、一応話題はれたようだ。
「でも確かにちょっとチェックは厳しくなってるように感じるわね。ここ最近慌ただしくなってきたからかもしれないけど。前は新聞も読まなかった連中も、携帯電話のテレビ機能でニュースをチェックしたりネットで情報サイトを検索したりと忙しいみたいだし」
「……、」
「ま、流石さすがだれでも気になるわよね……。あんな風になったらさに傍点」
 美琴が言っているのは、おそらく九月三〇日の事だろう。
 今の『見えない戦争』の引き金となった、直接的な一件。
 学園都市のゲートが破壊され、街の全域の住人が学生と言わず教職員と言わず片っ端から『攻撃こうげき』され、治安維持組織である警備員アンチスキル風紀委員ジャッジメントの機能を完全に停止され、半径一〇〇メートル近くにわたって街並みがクレーター状に破壊された、あの事件。
 そのすべてが一人の人物によって行われたものではないし、複数の組織や思惑が交錯こうさくしたおかげで、当事者である上条さえ事件の全貌ぜんぼうつかめていない。……いや、本当にそれを完壁かんぺき把握はあくできた人物はいるのだろうか、とさえ思ってしまう。
 中心人物ですらそんな感じなのだから、ただ巻き込まれただけの人々に分かる事は限られているだろう。
 なまじ事件の中心から外れているからこそ、『安全な位置から調べ物をする余裕』ができてしまっているのかもしれない。
 そして、美琴としても学園都市が発表した『国外の宗教団体が秘密裏に科学的な超能力開発を行っていて、そこで開発された能力者たちおそってきた』という話を鵜呑うのみにはしていないだろう。
 美琴は上条の顔から視線を外し、やや遠くを見た。
 ここから五〇〇メートルほど先には、とある『大天使』の出現と共に切り崩された街並みがある。九月三〇日の事件について思いをせているのかもしれない、と上条は思ったのだが、どうも美琴が眺めているのは薄暗い空に浮かぶ飛行船のようだ。
 飛行船の側面には大画面エキシビジョンが取り付けられており、今はニュース番組が流れている。
『今までヨーロッパ圏内で活発に行われていた、ローマ正教派による大規模なデモ行進や抗議行動ですが、今度はアメリカ国内です』
 原稿を読んでいるアナウンサーは冷静だ。
『今回はサンフランシスコ、ロサンゼルスなど西海岸の沿岸都市ですが、今後これらの活動はアメリカ全体に広まっていくものと推測されています』
 映像が切り替わる。
 おそらくロスのものだろう。
 向こうの現地時闇は深夜のはずだが、録画なのか映像は昼間だった。
(ちくしょう。また一気に拡大したな……)
 上条かみじょうは思わずひどい傷口を見るような顔になった。
 マラソンのスタート直後のように、片側三車線の大きな道路が人の波で埋め尽くされていた。自分で用意したらしき学園都市の看板に火をけて頭上に掲げたり、横断幕をズタズタに引き裂いたりしている。
 彼らは基本的に決められた順路を数時間にわたって練り歩き、『自分たちは怒っているぞ』という事を強くアピールするのが目的だ。ただ怒りに任せて街にあるものを片っ端からこわしていく無秩序なものとは違う。
 しかし、だからと言って安全ではない。
 映像では、どこかで乱闘らんとうがあったのか、頭から血を流す男が救急車の壁に寄り掛かっていた。
 顔に青黒いあざを作ったシスターが、ぐったりとした神父に肩を貸しながら助けを叫んでいる。
 だれも彼も、普通の人達だった。
 超能力や魔術まじゅつなんてものには縁のなさそうな人達にしか見えなかった。
 確かにデモに参加している人達は、広い意味ではローマ正教の信徒なのかもしれない。首には十字架をげているし、聖書の内容を口ずさむ事もできるだろう。
 だが、彼らが『前方のヴェント』のように、ローマ正教の暗部にまでかかわっているとは考えにくい。普通に学校へ行ったり会社に行ったりしているだけで、休日には家でゴロゴロしたり広い庭でバーベキューをしたり、それだけの人達のはずだ。
「……どうなってんのよ」
 飛行船の大画面エキシビジョンを眺めていた美琴みことが、ポツリとつぶやいた。
「九月三〇日に何が起きたかなんて知らないけど、別にこんなの望んでなかったじゃない。あの一件が引き金になったなんて言われても、当の学園都市は全然静かなモンじゃない。何でこいつら、勝手になぐり合って勝手に傷つけ合ってんのよ。黒幕は顔も出さないくせに、こいつらだけが苦しめられるなんておかしいじゃない」
「……、」
 上条かみじょうは、美琴みことの言葉をだまって聞いていた。
 黒幕。
 美琴は無意識の内に、その言葉を使っていた。おそらくそこに、彼女の望みがある。だれかが話をこじらせていて、たった一個の原因を取り除けば、それですべてが元通り……。なまじ美琴には『超電磁砲レールガン』という強大な能力があるため、そちらの方が分かりやすくてやりやすいのだろう。
 しかし、そんな『黒幕』なんてどこにもいない。
 確かに、全ての原因となった九月三〇日の事件を起こした者はいる。前方のヴェント、風斬氷華かざきりひょうか。さらには彼女たちの裏側にいる『何者か』それを九月三〇日の時点で綺麗きれいに止める事ができていれば、『黒幕を倒す』方法で丸く収められたかもしれない。
 ただ、火事で言うなら、これは被害の発端ほったんとなるような火種ではない。
 結果として生じてしまった、莫大ばくだいな山火事そのものだ。
 もはや黒幕を捕まえた所で何かを止められる段階は過ぎているのだ。
 デモを起こしているのは、あくまでその辺にいる普通の人達だ。別に誰かに指示をされたから無理矢理やらされているのではなく、新聞やニュースを見ていきどおり、それだけでデモに参加しているだけ───個々の信条で動いているだけなのだ。
『黒幕を倒す』方法を使って世界中で起きているデモを止めるには、それこそ、世界中でデモに参加している人達を一人一人なぐっていくしかない。
 そんな方法では駄目だめなのだ。
 だが、それならどんな方法なら万事解決するのか。
「……どうなってんのよ」
 もう一度、繰り返すように言った美琴の言葉が、上条の胸に突き刺さった。
 子供が考えたところで、答えは出ない。

 行間 一

 処刑ロンドン塔はイギリスの観光名所としても知られている。
 かつては囚人達しゅうじんたちの末路として知られ、この門をくぐった者は生きて出る事はできないとまで言われた血と拷問ごうもんと断頭刑の施設だったのだが、現在では一般に開放され、わずか一四ポンド足らずで……ちょっとしたお店に入ってアフタヌーンティーを楽しむよりも安い値段で、だれでも簡単に見学できるようになっている。展示されているものも、処刑設備としての歴史だけでなく、英国王室が所有する宝石類も並べられているぐらいだ、
 しかし一方で、この施設には現在も稼動かどうし続ける莫大ばくだいな『死角』が存在する。
 まるで強い光によって浮かび上がる黒い影のように、観光地としての処刑ロンドン塔に寄り添っているが、決して表からでは見る事も入る事もできない迷路状の『死角』。現在も囚人達を捕らえ、必要とあらば拷問でも処刑でもためらいなく実行する、処刑ロンドン塔が処刑ロンドン塔という通り名をつけられた、昔ながらの役割を持った暗黒の施設群だ。
 表の人口から入っても、影の部分には触れられない。
 裏の入口から入ったら、影の部分から抜けられない。
「……、相変わらず、重苦しい空気だ」
 ステイル=マグヌスは煙草タバコの煙をきながら、思わずつぶやいた。
 観光施設とは異なり、実用重視の通路は狭くて暗い。乱雑に石を組んだ壁にはランプのすすが黒くこびりついていて、炎が揺らめくたびに人型のみがうごめいているように見える。湿気を逃がす機構が乏しいのか、床の表面は冷たいつゆでうっすらとおおわれていた。
 と、ステイルのとなりを歩いている少女が声をかけてきた。
 元ローマ正教のシスター・アニェーゼ=サンクティスのものだ。
「尋問対象はリドヴィア=ロレンツェッティとビアージォ=ブゾーニという事ですけど」
「彼らには『神の右席』について聞きたい事がある。一部隊を率いる君でも知らないとなると、VIPに尋ねた方が早そうだしね」
「……、しゃべると思ってんですか? あの神職貴族達が」
「ま、その辺も含めてイギリス流のやり方を見学させてあげようという訳だ。君の部隊一人一人にレクチャーするのも面倒だし、後の事はそちらに任せるけどさ」
 軽口をたたくステイルは、一つの扉の前で立ち止まった。
 水分を吸って黒く重たくなった、分厚い木の扉だ。
 ノックもせずに開けると、その先にあるのは三メートル四方の、とても狭い小部屋だ。ここはまだ『尋問』室なので、宗教裁判にありがちな拷問ごうもん器具はない。ある物と言えば、せいぜい床に直接ボルトで固定されたテーブルを挟んで、同じく床にじかめしてある椅子いすが二つずつ設置されているぐらいだ。
 向かって右側の椅子には、最低限のクッションがついている。
 対して、左側の椅子はき出しの粗雑な板だけだ。おまけに肘掛ひじかけの部分にベルトや金具があり、人間の腕を固定できるように作られている。
 そして、左側の二脚には、それぞれ二人の人間が拘束されていた。
 リドヴィア=ロレンツェッティ。
 ビアージォ=ブゾーニ。
 どちらもローマ正教の中では特殊なポジションにいる『重役』である。
「こちらが聞きたい事は分かっているな?」
 ステイルは右側の椅子に座りつつ、面倒臭そうな調子で声を放った。アニェーゼは椅子に座るかどうか迷っているらしく、多少手持ち無沙汰ぶさたな感じで彼のかたわらに立っていた。
 椅子にベルトや金具で固定された中年の司教、ビアージォはジロリとステイルをにらみつける。
 その視線を直接受けてはいない、元ローマ正教のアニェーゼの方がひるんでいたが、当のステイルは気にも留めない。
 健康を害さない程度に、かつ精神を削る程度に睡眠をさまたげられているせいか、ビアージォの顔色は悪い。髪や肌からもつやが消え、パサパサとした質感に変化しつつあった。
「……聞きたい事か。聖書をレクチャーして欲しいなら日曜にしろ」
「『神の右席』。知っている事を全部話せ」
「イギリス清教自慢の拷問道具でも持って来い。私の信仰心がどの程度のものか、未熟な貴様に見せてくれる」
 ビアージォは不遜ふそんな態度を崩さない。
 一方で、リトヴィアの方はそもそも会話の応酬おうしゅうにも興味がなさそうだ。努力して感情を消しているのではなく、本当に自然な調子で顔に変化がない。表面上に苛立いらだちを示すビアージォより、あるいはリドヴィアの方が忍耐力は強いのかもしれない。
 あまりにも予想通りな対応に、アニェーゼは時間がかかりそうだ、と心の中で思ったが、
「僕たち『必要悪の教会ネセサリウス』を見くびるなよ」
 不遜なのは、彼らだけではなかった。
 ステイル=マグヌスは煙草タバコの煙をうっすらときながら、笑う。
 ゾッとするほど酷薄こくはくに。
「別に拷問の過程で君達が死のうが、知った事じゃない。『必要悪の教会ネセサリウス』には、死体の脳から情報を引きずり出す技術も存在する。まあ、防御や損傷の度合いにもよるけどね」
 横で聞いていたアニェーゼすら背筋が寒くなるような言葉だった。
 スティルの台詞せりふがハッタリでない事をつかんだのだろう、ビアージォは忌々いまいましそうに表情をゆがめる。リドヴィアもようやく興味を持ったように、眼球だけを動かしてジロリとステイルを見る。
 ステイルの方は特に気負いもせず、面倒な作業を前にしているような、億劫おっくうそうな声を出す。
「君たちの言う『拷問ごうもん』と、僕達の言う『拷問』は、種類が違うという訳だ。死ねば楽になれるなんてナメた台詞は、通用しない。抵抗するのは構わないけど、犬死いぬじにだと言っておこうかな」
 数秒聞、沈黙ちんもくが続いた。
 ステイルをにらみ続けるビアージォに代わり、リトヴィアの方があっさりと口を開く。
「こちらとしては、そんな些細な事などどうでも良いのですが」
 彼女はステイルの顔を見て、言う。
「それよりも、一つ教えていただきたいのですが。現在、『外』はどうなっているので?」
 その言葉を聞いてステイルはまゆをひそめたが、すぐに思い出した。
(……言われてみれば、そんな報告も受けていたかな)
 リドヴィア=ロレンツエッテイは社会に認められなかった人ばかりに手を差し伸べる、ローマ正教の中でも変わり種の存在だったらしい。
 そんな彼女からすれば、処刑ロンドン塔に幽閉され、満足に『外』の情報を得られない状況は『保護対象』への心配ばかりを生んでいたのだろう。なまじ、断片的には『世界中の混乱』の話を耳にしているだけに。
 そこまで思い出して、ステイルは口元に笑みを浮かべた。
 彼は言う。
「どうせ予測はついているだろう?」
「……、」
 ピクリ、とリドヴィアの表情がわずかに動いた。
 当然ながら、暴動や混乱などで真っ先に犠牲ぎせいとなったのは、そういった弱い人々だ。
「……、ふん」
 反対に、ビアージォ=ブゾーニはエリート志向の強いへ神職者至上主義の人問だ。従って、混乱の被害よりも、混乱による成果や結果に興味があるらしい。
 リドヴィアはステイルの顔を見据えて言う。
「私の協力の代償だいしょうに、この処刑ロンドン塔にとらわれている『仲間』達の解放を要求します。この混乱を少しでも収め、弱き人々の屋根となれる人材の解放を」
 その言葉に反応したのは、ステイルではなくビアージォだった。リドヴィアのあっさりした妥協にビアージォは苛立いらだたしげな態度を隠しもせず、つばでもくように舌打ちした、
 一方、ステイルの顔には余裕しかない。
「応じると思うかい」
「応じさせてみせますが」
「どうやって」
 ステイルが言うと、リドヴィアはわずかに呼吸を止めた。
 固定用の椅子いすひじかけに両手を拘束されたリドヴィアの唇が、なめらかに動く。
「───聖ピエトロは皇帝と魔術師の魔手をかいくぐるSan Pietro elude le trappole dell’ imperatore e del mago
 その言葉を聞いて、ステイルはまゆをひそめた。
 リドヴィアからは霊装れいそう呪符じゅふとなるものは没収している。この状態で呪文を唱えた所でろくな魔術まじゅつは発動しないはずだが、
 光が発生した。
 リドヴィア=ロレンツェッテイからではない。
 ステイルのかたわらに控えていた、アニェーゼの胸 元にあるローマ正教式の十字架からだ。
「チッ!?」
 ステイルが反応する前に、十字架から閃光せんこうが吹き荒れた。くいのような光は一直線にリドヴィアへ伸びると、彼女の右腕を固定しているベルトや金具を外側から強引に破壊はかいする。
 リドヴィアは千切ちぎれた拘束具の鋭い金属片をつかみ、ステイルはふところへ手を伸ばす。
 ズバン!! と、二人の手が弾丸のように交差する。
「……、」
「……、」
 ステイルとリドヴィアが沈黙ちんもくする。
 ステイルの喉元のどもとには金属片のとがった先端が、リドヴィアの喉元にはルーンのカードの角が、それぞれ押し当てられている。
「──ッ! リドヴィア!!」
 一瞬いっしゅん驚愕きょうがくから立ち直ったアニェーゼが、慌てて壁に立て掛けてあった『蓮のロータスワンド』を手に取る。
 しかしステイルはリドヴィアをにらみつけたまま、片手でアニェーゼを制する。
 魔術師は明らかに楽しんでいた。これでこその『尋問』だとでも告げているように。
「この程度で、僕の命を奪えるとでも思っているのかな?」
「適切な人材の解放がかなわなければ、そうするしかありませんが」
 リドヴィアの声は淡々としている。
「オリアナ=トムソン。彼女を解放し、暴動にまれる人々を先導させる事を要求します」
「そんな事が言える立場かどうか、もう一度考えてみろ」
 ステイルの声も、ふるえていなかった。
 オリアナとは、リトヴィアと紺んでいた有能な『運び屋』の事だ。
「あの『運び屋』も世界中で起きている『事態』については承知している。その上で、『指導者リドヴィア=ロレンツェッティの手による弱者たちの保護』という取引を持ち出して、イギリス清教との一時協力の契約を結んでいるからね。それから解放しろと言われた所で、オリアナ自身が承諾しょうだくしないだろう」
「───、」
 リドヴィアもオリアナも、同じ事を考えていたという訳だ。
 そして、オリアナの方が行動は早かった。
 わずかに沈黙ちんもくしたリドヴィアに、ステイルはさらに言う。
「……彼女の覚悟を無駄むだにはしない事だ。この状況をローマ正教、いや『神の右席』が作り上げているとすれば、その打倒にこそ解決の糸口がある、違うかな?」
 リドヴィアはしばらく答えなかった。
 ビアージォは茶番だとでも言いたげに舌打ちして顔をらす。
 重い重い沈黙の後で、彼女はゆっくりと目を開いた。
「……あなた達の望みは何なので?」
「『必要悪の教会ネセサリウス』の目的は明快だ」
 ステイルは退屈そうに言った、
魔術まじゅつという圧倒的な力にまれた迷える子羊を救い出す事。今も昔もそれは変わらない」
 ジロリ、とリドヴィアはステイルの目を見た。
 彼はひるまなかった。
 リドヴィアはステイルの何を観察しているのか、やがてゆっくりと息をいて力を抜いた。
「……私は直に会った事はありませんが。その断片的な情報を耳にする機会はありましたので」
 暗い尋問室に、リドヴィア=ロレンツェッティの言葉がひびく。
 ステイルのかたわらにいるアニェーゼは、ようやく椅子いすに座って記録用の羊皮紙ようひしを広げた。
「それによると、『神の右席』とは───」

第二章 決定打となる引き金 Muzzle_of_a_Gun.

  1

 上条かみじょうと別れた後、当初の予定通り駅前のデパートに足を運んでいた。地下一階の生鮮食品コーナーをのぞくと、今日は野菜が安いらしいので四日分ほどの食材を買い込んでいく。
(……しっかし、完成品の惣菜そうざいコーナーとかは人気だけど、野菜とかお肉とか食材系には人が集まってなかったな)
 自炊派の数って減ってるのかな、と上条は首をひねりつつデパートから出る。
 空を見上げると、そこにはやはり飛行船が飛んでいて、おなか大画面エキシビジョンがニュースを流していた。先ほどと同じくアメリカの抗議デモ……と思いきや、今度はロシアらしい。抗議運動のニュースばかり続いているせいで、新しいものと古いものの区別がつかなくなってきていた。
「……、」
 上条は両手に買い物袋をげたまま、立ち止まって考える。
 ついさっき聞いた、御坂みさか美琴の言葉が耳にこびりついていた。
 世界中で起きているデモや抗議行動。原因がないのではなく、原因が多すぎるゆえに解決の糸口が存在しない、あまりにも大きな『事件』。
 おそらく、美琴が一番いきどおっていたのは、九月三〇日のあの一件を利用された事だろう。自分たちが精一杯努力して、元の平和な時間を取り戻すために頑張ってきた事を逆手に取られ、新たな混乱を生み出す手伝いをしてしまったのだ。
 上条だって、何とかしたい。
 混乱を生み出した『前方のヴェント』にも、事情はあった。科学と魔術まじゅつの中間点に立つ風斬氷華かざきりひょうかだって、こんな混乱を望んでいるはずがない。彼女達の顔も知らない「外野』の連中が勝手にさわいで世界をメチャクチャにしていくなんて、どう考えても間違っている。
 だが、
(どうする……)
 上条は空に浮かんでいる飛行船を眺めながら、歯を食いしばった。
(問題を止めなくてはならない。そういう一番デカい目標なら簡単に分かる。でも、具体的にはどう動けば良いんだよ)
 学園都市の暗部を知っている土御門つちみかどや、イギリス清教の神裂かんざきらと連絡を取るのも一つの手かもしれない。
 しかし、いずれの人物にしても、ここまで肥大化した問題を丸く収める場面を、上条かみじょうは想像てきなかった。どちらかというと、問題がここまで大きくなる前に、先手を打って片づけてしまうのが、彼ら舞台裏の専売特許のような気がするのだ。
(とにかくここに突っ立ってても仕方がねえ。でも、イギリス清教の連絡先って分かんねえんだよな。そっちも含めて、まずはりょうに帰って土御門つちみかどの部屋でも訪ねてみるか)
 ついでに草むしりをサボった事についても問い詰めないと、と上条は考える。
 土御門のようなエージェントとの接点を持っているだけでも、普通の学生よりはマシなのかも……と上条は無理にポジティブ思考をしながら、薄暗うすぐらい街を歩く事にした。
 ぐるぐると考え事をしながら歩いているせいか、両手の買い物袋が妙に重たく感じられた。
 帰宅ラッシュで人が多い事もあるが、それにしてもよく人とぶつかるような気もする。これから部屋に帰って晩ご飯の準備をしたりお風呂ふろの用意をするのが面倒臭いな、と思った。電子レンジだの炊飯器だのを使って面倒な手順をパスする近道的な料理レシピとかないかな、と彼は少々真剣に考える。普通にのんびりご飯を作っているとインデックスが空腹に耐えきれずにみついてきそうだ。
 そうこうしていると、また歩いている最中に人とぶつかった。
 今度は五、六〇歳ぐらいの初老の女性だ。
「っと、すみません」
「いえいえ」
 初老の女性は上品に微笑ほほえむと、逆に頭を下げてきた。
 腰は曲がっていないが、ただ立っているだけでも上条よりも二回りは小さい人だった。折り曲げた腕に、畳んだコートを引っ掛けている。首にはマフラーもしているし、一〇月の初めにしては随分ずいぶんと着込んでいる。もしかしたら冷え性なのかも、と上条は適当に予想した。
初老の女性は下げた頭を上げると、ゆったりとした口調でこう言った。
「謝るのは私の方ですから」
「あ、そんな、ぶつかったのはこっちなんだし」
「いえいえ、そうではなく」
 にこにこと微笑む初老の女性に、上条はまゆをひそめようとした。
 しかし、その前に次の一言が来た。

「これからご迷惑をかける分について、ですよ」

 ガチリ、という小さな金属音が聞こえた。
 上条は音のした方───自分の腹の辺りに視線を落とした。
 そこには初老の女性の腕があった。ただし、畳んだコートを引っ掛けてあるため、ひじから手首の先辺りまでが薄手うすでの布におおい隠されていて、全く見えない。
 分かるのは、腹に当たる感触のみ。
 硬い棒の先端のような感触に、上条かみじょうわずかに身体を強張こわばらせた。
「すみませんね、本当に」
 初老の女性はゆるやかに言って、もう一度頭を下げた。

  2

 御坂美琴みさかみことはふと立ち止まった。
(うーん……)
 あの馬鹿ばかに会った時にはすっかり忘れていたのだが、そういえば話しておく事があったのだ。
(……一端覧祭いちはならんさい
 美琴が考えているのは、学園都市全域で行われる文化祭のような行事についてだ。今年の開催日はまだ一ヶ月以上先なのだが、九月に行われた体育祭の集合体である大覇星祭だいはせいさいが散々な結果であったため(実際には良い事も悪い事も悲喜こもごもだったのだが、もはや彼女にはそん
な感想しかない)、一端覧祭の方は早めに手を打っておこうかな、などと考えていたのだ。
(つか、七日あった大覇星祭の内の半分以上はあの馬鹿がらみのトラブルの連続だったのよね。あんな風になるぐらいなら最初から手綱たづなを握っておいた方がまだマシだわ……)
 手を打っておく、とはもちろん『一緒いっしょに回る』約束を取り付ける事だ。
(何でこんな事になっているんだか。……まあ、別に電話でも良いか)
 美琴は適当に考えながら、携帯電話を取り出す。
 九月三〇日に上条と一緒にペアの契約を結んだため、美琴の携帯電話には自然と彼の電話番号が登録された。まったく面倒な仕組みだが、どうせなら使ってやらない事もない、とばかりに美琴はアドレス帳に記録されている番号にカーソルを合わせようとした所で、画面の端にあるアンテナのマークに目が留まる。
 圏外だった。
「……ッ!!」
 美琴はあちこちを見回し、ただでさえそんなに狭くもない通りから、本格的なメインストリートまで一気に走り、画面の端っこにあるアンテナの表示に気を配り、電波状況に問題がない事を確認してから、改めて登録番号にカーソルを合わせて通話ボタンを押す。
 しかし、ただいま相手は電波の届かない場所にいるか電源が人っていないためかからない、というむねのアナウンスが無情にも流れてきた。
 今度は向こうが圏外のようだ。
「つっ、使いづらい……。話したい時に話せない携帯電話なんぞに価値なんかあるかーっ!!」
 美琴みこと苛立いらだった顔で携帯電話をしまうと、あちこちを見回して、直接上条かみじょうを探すために走り出した。
 別れてからそんなに時間はっていない。
 どうせあの馬鹿ばかはその辺を歩いているだろう。

  3

 上条と初老の女性は、並んで街を歩いていた。
 周りは多くの人であふれていたが、上条たちいぶかしむ者はいなかった。はたから見れば、両手に買い物袋をげた高校生と、コートを腕に引っかけた初老の女性なのだから、人畜無害な事この上ないだろう。
 首を曲げず、横目で女性を見ている上条に、相手の方が失笑した。
「そんなに緊張きんちょうしなくても大丈夫だいじょうぶですよ」
 とは言うものの、携帯電話の電源は切るように命令されているし、歩幅についても細かく指示を出されている。極めつけはコートの中に隠した物品。詳細は不明だが、油断ならない状況なのは間違いない。
 すきを見て飛びかかれば形勢を逆転できるかも、とも思うが、
(『中身』が分からないのがネックだよな……。下手に動いて、余計に話をこじらせたらシャレにならないし)
 上条があれこれ悩んでいると、初老の女性は静かに言う。
「自然にしていてください。別に指一本動かすな、と言っている訳ではないんですから」
「……いや、そんな事言われても……。だったらそのコートの中身をどかし───」
「へっくし」
「危なぁ!!」
 いきなり初老の女性がくしゃみをしたので、上条は思わず叫んでいた。
 その辺を歩いている学生達が変な目でこちらを見ては通り過ぎていく。
「ですから大丈夫ですって。先ほどから何をそんなに恐れているんですか?」
おもにコートを使って周囲の目から隠さなくてはいけないナニかだよっ!! っつーかおれは具体的に何を突き付けられてるんだ!?」
「あらあら。大丈夫大丈夫、くしゃみをした程度の動きでは出ませんから」
「でっ、出る? 飛び出す系っていうとやっぱりアレか!?」
「あと派手な音がします。音を消す小道具もありますけどね」
「結構デカいヒントだよそれ!!」
 などと、上条は一人で戦々恐々としていたが、初老の女性は意に介さない。

 他人にエスコートされながら歩く上条かみじょうは、自分が大きな繁華街を抜け、横道に入り、学生りょうが建ち並ぶ一角へ向かっている事に気づいた、と言っても、上条の寮がある区画とはまた別だ。学園都市の住人の八割は学生であるため、『学生寮の並ぶ一角』など、そこらじゅうにあるのだ。
(一体どこに向かっているんだ……?)
 得体えたいの知れない工場の跡地とかだったら危険度マックスなのだが、そういう雰囲気ではない。辺りの寮からは、夕食のものなのかホワイトシチューっぽいにおいが漂ってきているし、ペットNGの寮生なのか小学生ぐらいの女の子たちが建物の前に集まっている野良猫のらねこ達にこっそり缶詰を与えていたりもする。
 そうこうしていると、初老の女性は不意に立ち止まった。
「ここですよ、ここ」
「?」
 言われても、上条はピンとこなかった。
 やってきたのは児童公園だった。
 公園としてきちんと区画整理されたというよりは、土地開発をしたら余ってしまったスペースを消費、するために作られました、という感じだった。狭い土地に規定の数の遊具をワンセット無理矢理詰め込んだせいか、どうもぎゅうぎゅうなイメージがある。
(何で???)
 だれもいない公園の入り口を見て、上条は首をひねってしまった。
 少なくとも、道端で人に何かを突き付けて、顔を見られる事を覚悟しながら案内するような
『特別な場所』ではない。
「すいませんね。入ってください」
 相変わらず『コートの中身』をさりげなく突き付けた状態で、初老の女性は言う。とりあえず上条は従うしかないのだが、やはりそうまでして従わせるメリットは何なのか、さっぱり想像できなかった。
 初老の女性に指示されて、公園の端っこにあるベンチに並んで腰を掛ける。
 この公園に上条達以外の誰かが待っているのか、またはこれからその何者かがやってくるのかとも思ったが、そういう雰囲気でもない。
 上条は少し身をかがめ、二つの買い物袋を地面に下ろした。初老の女性は特に制止を促したりはしなかった。靴の中に武器でもあれば反撃はんげきできそうだが、上条はそんな忍者みたいな装備で身を岡めたりはしていない。
 石でも拾っておくか、とも考えたが、明確なチャンスでもないのに下手に動いて警戒を高めてしまっては元も子もない。
 ひとまずあきらめるとして、上条はそのまま身を起こした。
 初老の女性に尋ねる。
「で、ここで一体何が始まるっていうんだ」
「いえいえ。そんな大層な事ではありませんよ」
 畳んだコートの中に臆すように『大層な物』を突き付けてくる初老の女性は、にっこりと微笑ほほえみながらこう言った。
「お話をしましょう」
「話?」
「ええ。現在、世界中で起きている大きな混乱について」

  4

 あの馬鹿ばかが見つからない。
「おかしいわねー……」
 美琴みことはさっきも一度入ったはずの細い道へもう一回入り、あちこちを見回しながら首をひねる。
 まだ別れてからそれほどっていないと思ったのだが、最後に会った駅前へ戻っても上条はいないし、その地点から延びるいくつかの道を調べてみても、やっぱりどこにもいない。
 どこかの店にでも入っているのだろうか。
 あるいは、電車やバスに乗って移動してしまったのかもしれない。
(……、そもそもあの馬鹿のりょうってどの辺にあるのかしら? ストーカーじゃあるまいし、どこに行けば会えるかなんて分かんないのよね)
 特に意識しなくてもたびたび顔を合わせたりするのでそんなにはなれた所にあるとは思えないのだが、よくよく考えてみると、どこに住んでいるのか想像がつかない。
 美琴は腕を組む。
(まあ、一端覧祭いちはならんさいの事はそんなに急いでる訳じゃないし、今日は素直に帰るか)
 と、気軽に考えようとしたが、視界の端に脇道わきみちが見つかると途端に体をそわそわさせる。
(……い、いや、最後にもうちょっとだけ)
 そんな風に思いつつ、まだ調べてない道とかあったかな、と美琴は携帯電話の画面にGPS地図を呼び出したが、その時、美琴は帰宅ラッシュの人混みの中に白井黒子しらいくろこの顔を発見した。
 ズバッ!! とすさまじい音を立てて美琴は建物の陰に隠れる。
(あ、あれ? ……何で隠れてんのよ私?)
 自分でも疑問だが、何となく今ここにいる事をあのツインテールの後輩に見つかってはいけないような気がした。彼女は空問移動テレポート能力者なので、一度見つかると足で振り切るのはとても難しかったりするのだ。
 大能力者レベル4の白井は、となりにいる少女と何かを話しながら大通りを歩いていく。
 頭に大量の造花を取り付けているので、あれは多分風紀委員ジャッジメント初春飾利ういはるかざりだろう。
(……、)
 何となく彼女たちがこっちに近づいてきているような気がするので、美琴みことは建物の陰から、そのまま細い道へと入った。とりあえず奥へ奥へと進んでいく。
 と、そこで気づいた。
(ん? こんな道ってあったっけ???)
 改めてあちこちを観察してみると、そこは見慣れない景色だった。
 第七学区の事なら大抵知っていると思ったのだが、ここに来るのは初めてだ。
 場所は典型的な学園都市の住宅街だ。住宅街、と言ってもこの街の場合はマンションや一戸建てではなく、学生りょうのビルが乱立するブロックを指す。五階から一〇階建てぐらいの、とは呼べない程度の四角い建物ばかりが並んでいる。風力発電のプロペラの真下にゴミ捨て場が設置されていた。あのプロペラの動きをハトやカラス対策としても利用しているのかもしれない。
 常盤台ときわだい中学だと食事はすべて学校側が用意してしまうので、辺りから漂ってくる夕食のにおいは、美琴にとっては少し新鮮だったりする。
「……ま、ちょうど良いか。ここを見ていなかったら、今日はもう切り上げよう」
 適当に言いながら、美琴はその住宅街を歩いていく。

  5

 上条かみじょうは初老の女性を不審そうな目で見た。
 世界中で起きている混乱……というと、やはりここで上がる話題は一つしかない。学園都市派とローマ正教派に分かれて実行される、大規模なデモや抗議行動などだ。
  しかし、
「……話し合うって言われても、そもそもこっちには話せるような事なんて何もないぞ」
「そんな事はありませんよ。この問題を解決するには、あなたの意見が必要です」
「国連の偉い人とか、どっかの国の大統領とかじゃなくてか」
「国家を主軸に置いた組織は、宗教的・思想的な混乱には弱いという側面があります」
 初老の女性はすらすらと言った。
 予想外の反応だった。
「俗に近代国家と言われる組織が、それらの問題を解決できた例はまれです。『解決した』と声高に叫ぶ組織は多々ありますが、その大半は武力の行使によって無理矢埋だまらせた、というものです。むしろ、問題を大きくこじらせてしまう事の方が多かったりもします」
 だれもいない公園で、初老の女性は続ける。
 知的……と言っても色々あるが、彼女のそれは教育者のものに近かった。
「現在、世界中で起きている混乱は深刻ですが、それは簡単に止められない問題であると同時に『第二の火種』でもあるのですよ。この消し方に失敗すると、国家としての機能を麻痺まひさせるほどの大きな内乱につながる危険もある。デモや抗議行動に軍事介入が行われないのは、その辺りの事情があります。正直、今回の難しい問題に対して諸国家は解決マニュアルを欲している、というのが本音でしょう。とりあえず他国が動き、一定の効果・成果を得られるまで
様子見したい……とすべての国家が考えているはずです」
「……アンタ、一体何者なんだ?」
 上条かみじょうは慎重に尋ねた。
 となりに座っている女性は、土御門元春つちみかどもとはるやステイル=マグヌスのような戦闘・暗殺を含む武闘派のエージェントとは少し違う気がする。
 口調からは教育者のようなにおいも受け取れるが、ただの先生がコートの中に武器を隠して接触してきたりはしないだろう。
 ……これまで会ってきた人物とは、何かが違う気がする。
 そう思って、上条は警戒しながら聞いてみたのだが、
親船最中おやふねもなか
 いきなりフルネームが来た。
「学園都市の統括理事会の一人……と言えば、分かるでしょうか」
 さらに強烈な爆弾発言が立て続けに落ちてきた。
「……、何だって?」
 上条は思わず聞き返していた、
 統括理事会と言えば、この広い学園都市をたった一二人で集中管理する、いわば最高機関のようなものだ。実際には彼らの上に『統括理事長』というトップが存在するらしいのだが、そうであっても統括理事会の特権ぶりは並大抵のものではない。
 しかし司侍に、
(……コイツ、ホントにそんな大物なのか?)
 学園都市で一二人しかいない統括理事会のメンバーなら、命令一つで警備員アンチスキルや私設のSPたちを自由自在に操れるだろう。彼女白身が武器を持って上条に接触してくるのは変だし、呼び出された場所が小さな児童公園というのもスケールが小さすぎる。
 などといぶかしむ上条に、親船最中と名乗った女性はにこにこと微笑ほほえんで、
「信じられませんか」
「ああ、ええと、変だな。首に巻いてるマフラーなんか、妙に縮んでるというか統括理事会ならもっと良い物を使ってるような気がするし」
 混乱して訳の分からない事を言った上条だが、予想以上に親船の精神を揺さぶったらしい。
 彼女は急に片手で首元のマフラーに触れると、
「こ、これは娘に作ってもらった手製の一品です。侮辱ぶじょくする事は許しません」
「そ、そうなんだ」
 と、ぎこちなくうなずきかけた上条かみじょうだったが、そこで疑問が生じた。
「待てよ。……アンタの娘って事は年齢的には立派な大人だよな。なのにその腕前は……って分かった分かった!! もう触れない!! もう触れないからコートの中身をカチカチふるわせるな!!」
 無駄むだな所で牽制けんせいされた上条は、意味のない事で刺激するのはやめようと思った。
親船最中おやふねもなか。統括理事会)
 この二つの情報は正しくないかもしれない、と上条は結論付ける。
(ただ、偽名のままおれに接触して、何らかの正しい情報を与えようとしているのかもしれない。
 何者かに踊らされるのは面白くねえけど、踊るかどうか、その踊り方はこっちで決めさせてもらうとするか)
「……そもそも話し合うって、一体何を話すんだ」
 上条が切り出すと、親船の方もうれしそうに頷いた。
「現在、世界中では大きな問題が起きています。デモや抗議行動に代表される、一連の混乱ですね」
「それは分かってるけど」
「その解決を、あなたにお願いしたいのです」
「どうやって」
 いきなりな言葉に、上条はまゆをひそめた。
「自分の手で解決できるっていうなら、俺だってそうしたい。そんなの、世界中の人達がそう思ってんじゃないのか? でも、現実には何も変わってない。何も解けてない。解くべき問題はだれでも分かるのに、誰もそいつを解こうとしない。それは何故なぜか」
 上条は親船の答えを待たずに続ける。
「手っ取り早い『理由』や『原因』なんてものが存在しないからだろ。答えのない問題なんて誰にも解けない。だから、これみよがしに問題を突き付けられても、誰も動けない。そんなの解決なんてできるのか? まさか世界中を回って、デモや抗議をやってる連中を一人一人説得していけ、なんて言うんじゃないだろうな」
「ところが」
 親船最中はおくする様子もなく、答えた。
 最初からその問題を予測していたように。
「その、手っ取り早い『理由』や『原因』が、存在するとしたらどうしますか?」
「何だって?」
「ですから、私はあなたにこの話をしているのですよ。国連だの国家の代表だのといった人物でも持っていない、あなただけが持っているものに期待して」
「何の事だよ」
「右手の事ですよ」
「……、」
 上条当麻かみじょうとうまだけが持っているもの。
 彼は思わず、自分の右手に目をやってしまう。
 幻想殺しイマジンブレイカー
 この場合、そう考えるのが妥当だろう。魔術まじゅつだろうが超能力だろうが、『異能の力』がかかわっているものなら何でも打ち消す事のできる特殊能力。しかしこの力は、『異能の力』が関わっていない、デモや抗議活動といった『普通の現象』に対しては何の効果も持たない。という事は……、
「まさか……そういう事なのか」
「ええ」
「この混乱の裏にはその手の『異能の力』があって、そいつがすべての元凶で、そのたった一つの原因をぶちこわせば全てが元通りになるっていう事なのか。九月三〇日の『結果』じゃなくて、今もまだ『続いている』問題だからこそ今ならまだ解決できるって」
「そういう事です」
 親船おやふねは簡単にうなずいた。
「ちなみに、この混乱を生み出しているのは学園都市ではありません。何でも統括理事長の話によると、科学的超能力開発機関は世界最大の宗教集団・ローマ正教の中にも存在するらしいですね」
「……?」
 親船の言葉に上条はまゆをひそめそうになったが、そこで気づいた。
 世間一般では……というか、学園都市側の発表では、そういう事になっているのだ。
 魔術など存在しない、
『魔術』と呼ばれる現象の正体は、かつてそういう名前で呼ばれていた、科学的な『超能力』の事なのだと。
 これについては、今ここで触れても仕方がないだろう。下手に口を挟んでも余計に話をこじらせてしまうだけだ。
 親船はあくまでも『科学的立場』を崩さないまま、話を進めていく。
「まぁ当然ですけど、我々学園都市側に混乱を起こすメリットはありませんからね。問題を起こすとなれば、おのずとローマ正教側になるでしょう」
「そうなのか……」
 上条は頷きかけたが、冷静になると気になる点が出てくる。
「いや、待てよ。冗談だろ、あいつらだってメリットなんてねえよ。デモや抗議ってのは、ローマ正教の生活圏で起きてるんだぞ。つまり、あの混乱の只中ただなかで苦しんでるのは、当のローマ正教徒じゃないか。自分たちの仲聞を苦しめても、良い事なんて何もないだろ」
「ところが、メリットならあるのですよ」
「……、なに?」
「簡単な事です」
 親船はスラスラと言う、
「例えば、公式発表ではローマ正教徒は二〇億人もいるそうですよ。これは恐ろしい数ですね。学園都市は子供からお年寄りまで合わせても二三〇万人しかいません。いざ正面から全面戦争となれば単純な数の勝負で我々に勝ち目なし、ですね。地形の問題を考慮こうりょしたとしても、この人数差をくつがえせるとは考えにくいでしょう」
「それがどうしたんだ?」
「おや。ここでおかしいと思いませんか」
 上条かみじょうの疑問に、親船も質問で返した。
「現在ローマ正教は本気で学園都市をつぶそうとしています。しかし、世界中のあちこちでデモや暴動を起こすというやり方を何故なぜ選んだのでしょうか? 彼らは何故、『学園都市を数で潰す』という分かりやすい手段を・取らないのでしょうか。世界中でバラバラに暴れさせるより、学園都市へ一極集中させた方が効果的なはずです。回りくどいとは思いませんか。本当に二〇億人もの人間を自由に操れるなら、さっさとやってしまえば良いのに」
「……、まさか」
「ええ」
 親船はにっこりと笑った。
「二〇億人を操れるなんて情報はね、嘘なんですよ。それができるものなら、とっくにやっているはずです。確かにローマ正教の十字架を身につけ、聖書をたずさえ、日曜日には教会に出かける。この世界にはそんな人達が二〇億人いるかもしれません」
 しかし、と親船最中もなかは唇を動かし、
「現実問題として、十字教のために殺人を犯せるか……というと、話はまた変わってくるのです。それはまぁ、中にはそういう人もいるんでしょうけどね。現状、この世界は二つに分かれていると考えられています。学園都市と巨大宗教団体ですね。ですが……真実はどうなんでしょう? 本当にそこまで厳密に線引きは行われているのでしょうか」
「……、」
「日曜日に礼拝へ出かける人だって、テレビは見るし携帯電話も使うでしょう。科学的なスポーツ医学にのっとって体をきたえる運動選手だって、ここ一番の大勝負では神様にお祈りするかもしれません。……学園都市の『外』、いわゆる『普通の世界』なんていうのは、そういうものなんですよ。線引きはあやふやで、両方の世界の美味おいしい所をそれぞれ引っ張ってきて、自分なりの信じるもので固めた自分なりの世界というものを築いているんです」
「科学サイドと、魔術まじゅつサイドが……重なってる……」
 上条かみじょうをひそめる。
 そうしながらも、彼女は会話を続けていく、
「ええ。世界の大多数……『多数決の勝者』とは、そういうものなんです。何事も浅く広く───学園都市の関連機関が経営する銀行でローンを組んで人生設計しつつ、ローマ正教の教会で結婚式を挙げる……そういう、『科学と宗教のどちらの恩恵も得ている』人たちが世界を覆い尽くしている訳です」
 じゃあ、と上条は言った。
 のどの奥が、少しずつ渇いてくるのが自分で分かる。
「ローマ正教側のねらいってのは……まさか、その『どちらの恩恵も得ている人達』を……」
「でしょうね。『どちらの恩恵も得ている』では困るんでしょう。二〇億人の人材は、すべて自分達が確保したい。味方はできるだけ多く抱えておきたい。だからこそ、『何か』を実行した。その結果としてどこかの歯車がこじれてしまい、デモが誘発されてしまった、という所でしょうね」
『何か』と親船は言った。
 それこそが、今回の件のカギという事か。
「デモの誘発ゆうはつが目的なのではありません、『混乱』というブースターを得て、彼らは学園都市によって基盤を固められてしまった世界を攻撃こうげきしようとしているのでしょう」
 親船の言葉は、やはり科学サイドよりのものだ。
 上条はそれが少し引っ掛かったが、ここで言い争っても仕方がない。
「学園都市は、ローマ正教のこの動きを特に警戒しています」
「本当に……このデモによって世界中の人達が、ローマ正教側に集まるって恐れてるからか?」
 それもありますが、と親船は答え、
「たとえその通りに行かなかったとしても、別の展開が浮上する可能性もあるんです.。我々は『経済爆撃』と呼んで対策を練っている最中ですが」
「……経済、爆撃……?」
「この混乱が長引けばそれだけ経済に悪影響あくえいきょうを及ぼし、それが世界レベルの恐慌を起こす引き金となる危険がある訳ですね。すると、ローマ正教側が大きくならなくても、学園都市側が引き裂かれてしまうという事にもなりかねません」
 経済や恐慌と言われると、高校生の上条にはいまいちピンとこなくなってくる。
 ベンチのとなりに座る親船に質問する。
「……そんな簡単にこわれちまうもんなのか、近代国家って。今までだって全然揺らいだりしなかっただろ。経済とか何とか、国家レベルのお金の話とかは知らないけど、商売が原因でデカい軍隊が崩れたりするなんて想像もできないぞ」
「学園都市以外の分かりやすい科学世界の代表や象徴と言うと……いわゆる軍事大国というヤツですね。しかし、そういった国こそ経済に弱いという側面があるんですよ」
 親船はゆっくりと答える。
「兵力の維持には莫大な資金が必要です。そして世界的な混乱はその軍隊を維持する資金源を絞ってしまいます。さらに、どれだけ収入が少なくなっても、軍隊は常に一定の支出をき出してしまいます。つまり、経済恐慌が起こると真っ先にダメージをこうむるのは、そういう軍事大国なんです。軍隊が大きければ大きいほど、その崩れ方も激しくなってしまうんですよ」
 そんなまさか、と上条かみじょうは思った。
 そういう国はいくつか頭に浮かぶが、簡単に揺らぐとは思えない。
「でも、大きな軍隊を抱えてる国って、いざって時のためにものすごい量の石油を備蓄してたり、たくさんの弾薬のストックを抱えていたりするんだろ。それだけでも数年間は維持できるもんじゃないのか?」
「はは。戦争というのは実際に備蓄を失ってから起こるものではありません。それでは戦う事もできませんからね。今ある状況を眺め『このままではいずれ備蓄がなくなる』と思わせる事ができれば、それで暴走の引き金を引かせる事もできるんです。大国の暴走───それは、学園都市を中心とした科学世界を引き裂くには、十分な材料だと思いますけど」
 妙にきっぱりした言い方に、上条は絶句した。
 おそらく親船の頭には、その意見を裏付けるだけの数字があるのだろう。
「そういう流れが関係しているかどうかは分かりませんが……学園都市は現在、戦争のための資金を手に入れようと躍起やっきになっています」
 親船は言う。
「足りない人数差を最新鋭の装備や無人兵器などで補おうとしているのか……それともほかの理由があるのか。兵器の展示会を開き、量産化に応じて商品用にグレードを落とすという名目で、実質的には大したテクノロジーを使わなくても製造できる『つまらない兵器』を学園都市製の新兵器として高値で売りさばいているんです」
「……、」
「一方で、ローマ正教の方も戦争資金を集めています。『信徒からの寄付』という形でね。名目上は『混乱を収めるための平和基金』という事になっていますし、募金している側に深い意図はないのでしょうが……彼らの上層部がどういう意味を込めて『平和のために使う』と言っているかは明白ですね」
 混乱が大きくなればなるほど、『基金』に集まる額は増える。
 ローマ正教は二〇憶人の信徒を抱える一大宗派であり、一人一円の募金をしても二〇億円が集まってしまう。もちろん義務ではないから募金に参加しない人物も少なくないだろうが、裕福な層の中には『寄付の額の多さがステータスになる』という風習もあるそうで、実際に集まっている額は二〇億など軽く超えているらしい。
「免罪符の制度が形を変えて残っているんでしょうね」
 親船おやふねは良く分からない事を言う。
 免罪符というのは歴史か何かに出てくる単語だろうか?
「よほど熱心な人でもない限り、科学と信仰を天秤てんびんにかければ、普通は科学を選ぶでしょう。この世界には天国があると言われた所で、『天国があるから死んでも大丈夫だいじょうぶだよ』とはいかないでしょう。科学は即物的であるがゆえに、軽蔑けいべつするほど簡単に理解できます。そして、簡単に理解できるものにこそ人は集まっていく。しかし、それでは困る人たちがいる。そう思った人達は何らかの小細工を行った。その『小細工』は正常に動いていた人の心の歯車に何らかの影響えいきょうを及ぼして、結果として大きな混乱を招いてしまった私はそうにらんでいます」
「……、」
 この話は本当だろうか。
 例えば、この聞題をローマ正教ではなく学園都市側が起こしたという考えはないだろうか。
 学園都市は二二〇万人という数で、二〇億人の信徒を抱えるローマ正教と戦わなくてはならない。だから、少しでも敵の戦力をぐためにローマ正教側に混乱を起こした。そういう風には考えられないだろうか。
(……、難しいな)
 今回のデモや抗議活動の中心人物は確かにローマ正教徒だが、親船最中もなかの言う通り『浅く広く』な彼らは直接的な戦力ではないし、ローマ正教の魔術的まじゅつてきな側面を正しく理解していないはずだ。まさか、あのデモ活動にアニェーゼ=サンクティスやビアージォ=ブゾーニみたいな大物が参加して好き勝手に暴れ回っているとは考えにくい。
 学園都市が策を巡らせたとして、『本当の戦力』にダメージが加わるとは考えにくい。
 むしろ、デモに参加する人達が『科学と魔術の中間地点』にいる人達なら、彼らだって資本主義を支える大事な人材のはずだ、本来働くべき人達がデモ活動に夢中になって働かなくなれば、それだけで経済的な打撃だげきつながる。それが二〇億人になれば、経済損失は洒落しゃれにならないだろう。戦争中でとにかーお金が欲しいのなら、わざわざ自分の資金源を絞るような真似まねはしないはずだ。
 もしも裏で何らかの陰謀いんぼうが行われていたとしたら、この混乱はローマ正教が起こしたものだと考えた方が妥当だ、と上条かみじょうは思う。どちらにでも転ぶ人達を取り込むために。
 そしてローマ正教の暗部がかかわってくると、やはり幻想殺しイマジンブレイカーの価値も高くなってくる。
「でも、だ」
 そこまで考えてから、上条は口を開いた、
「仮にローマ正教が動いてたとして、そこに何らかの『トリック』がかかわっていたとして。そいつは一体どんなものなんだ? おれの力なんてちっぽけなものだ。どこにいるかも分からない、何を使っているかも分からない。そんな相手に手が出せるような便利な力は持ってない。何かをやらかすなら、最低限その舞台まで案内して欲しいもんだけどな」
「ええ。それはですね───」
 言いかけた親船最中おやふねもなかの言葉が、途中で切れた。
 小さな児童公園に、新たな人影が現れたからだ。
土御門つちみかど?」
 サングラスをかけたその顔を見て、上条かみじょうは思わずつぶやいた。
 上条のクラスメイトの、土御門元春もとはるだ。放課後までは学校にいたはずだが、草むしりの時間になるといつの間にかどこかへ消えていた人物。上条はその事について尋ねようかとも思ったが、あまりにも場違いなのでやめておいた。
 言えるような雰囲気ふんいきではない。
 上御門のまとう、雰囲気は、いつものものとは全く違う。
「───話は終わったか」
 土御門は、上条に話しかけてはいなかった。
 青いレンズの入ったサングラス越しのひとみは、親船最中しか見ていない。
 対して、親船の方も驚いていなかった。
 エージェントとしての土御門元春と、面識があるのかもしれない。
「まだ終わってはいませんが、もう良いでしょう。……あなたになら、任せられます」
「そうか」
 土御門は短く言った。
 そこで小さく息をく。まるで面倒な仕事の前にうんざりしているようにも見えた。
「気持ちの整理は済んでいるんだな」
「咋日の内に」
「始めてしまうが、構わないな」
「あなたがためらう事ではありません」
 親船最中がにこりと微笑ほほえんで答えると、土御門はわずかに顔をらした。
 そのまま彼は背中に手を回すと、ズボンのベルトから何かを抜き取った。
「つ、ちみかど?」
 自分を抜きにして進められる会話に戸惑っていた上条は、そこで信じられないものを見た。
 上御門の右手にある、黒光りする金属の塊。
 全長、わずか一五センチほどの物体。
 その正体は、
(……、拳銃けんじゅう?)
 そこまで考えても、上条かみじょう土御門元春つちみかどもとはるを止められなかった。
 次の行動が読めなかったから、ではない。
 読めていたとしても、そんなひどい予想の通りに彼が動くとは思わなかったからだ。
 
 バン!! という乾いた銃声が小さな児童公園にひびき渡った。
 親船最中おやふねもなかは、それでも笑っていた。
 彼女の体が揺らぎ、そのままベンチから土の地面へと崩れ落ちた。

  6

 突然聞こえた大きな音に、美琴みことの肩がビクリとふるえた。
 火薬のはじけるような音だった。
 甲高い音は彼女の耳を突き抜け、さらに山彦やまびこのように空へと響いていく。
(なっ? 何よ今の???)
 花火だろうか、とも思ったが、一〇月では流石さすがに季節外れだ。
 ほかの可能性というと、発火系の能力者が何かをやったのかもしれない。
 周囲にある学生りょうのビルからは、いくつかの窓が開く音がした、やはり、あれだけ大きな音だと気になるのだろう。 しかし、わざわざ建物の外まで出てくる学生はいなかった。夕食の準備を中断してでも野次馬やじうまになろうと言うほど興味を引いている訳でもないのだろう。
(能力者が暴れてる、か)
 面倒臭い事になってきたな、と思いながらも、美琴はそちらへ足を向ける。
 彼女は超能力レベル5クラスの発電能力者エレクトロマスター超電磁砲レールガンだ。大抵の能力者なら自分一人でどうとでもできるし、事件に巻き込まれたって逆に返り討ちにする自信がある。仮に暴走能力者と警備員アンチスキル、がぶつかっていて、そのど真ん中に放り込まれたとしても、美琴なら無傷で帰還できるだろう。
 そんな彼女も、かつては自分一人ではどうにもならない問題に直面した事もあるのだが……。
「……ッッッ!! そ、そもそもあれは中心人物の二人がイレギュラー過ぎたのよ! しかも今は全然関係ない! とっ、とにかく音のした方へ行ってみよう。 ええと、あっちだっけ?)
 美琴はぶんぶんと首を横に振って気を引き締めると、大きな音のした方へと歩いていく。
 一見すると、この住宅地はどこもかしこも学生寮しか見えない。

  7

 親船最中が腹を撃たれた。
 上条かみじょうがその事実に気づくまで、数秒の時間が必要だった。
 土御門元春つちみかどもとはるった。
 そう気づくまで、さらに数秒の時間が必要だった。
 親船は抵抗をしなかった。コート越しに上条へ何かを突き付けていたが、それを土御門へ向けようという気配もなかった。あらかじめすべてを理解した上で弾丸を受けた。そんな感じの光景だった。
(つ、ち、みか、ど?)
 上条は、倒れ込んだ親船から、ゆっくりと規線を移していく。
 上御門元春の顔に、変化はない。
 右手に持った拳銃けんじゅうからは、今も白い煙がうっすらと漂っている。土御門はその銃を背中に回し、ズボンのベルトに挟んで詰襟つめえりすそで隠すと、地面に落ちた空の薬莢やっきょうを拾い上げ、それをポケットの中へ収めていく。
 何もかもが淡々としていて、単なる作業のようだった。
 それが、上条の感情を爆発させた。
「土御門ォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
 上条は勢い良くベンチから立ちあがると、上御門のシャツをつかみ上げた。それでもサングラス越しのひとみに変化がない事を知ると、上条はほとんど反射的にこぶしを握りめ、彼の顔面を思い切りなぐり飛ばした。指や手首の関節に、人を殴った時特有の鈍い感触が跳ね返る。土御門つちみかどの上半身はけ反り、そのまま地面に崩れた。しかし、尻餅しりもちをついた彼の表情は、やはり何も変化していなかった。ダメージなど、微塵みじんも感じていないに違いなかった。

(この野郎ッッッ!!)
 上条かみじょうは歯を食いしばって、さらに一歩前へ進む。
 しかしそこで、上条は妨害を受けた。
 弱々しく、上条の足首をつかむ小さな手。
 その正体は、土御門にたれたはずの親船最中おやふねもなかのものだった。
「……彼、を……」
 土に触れたままの唇を動かして、彼女は言う。
「彼を……責めないで、ください……」
 その台詞せりふは、上条を混乱させるには十分なものだった。
 親船最中は、さらに続ける。
 微笑ほほえみながら。
 ここで怒ってくれた上条に、感謝をするような顔で。
「私の、行動は……学園都市の代表である、統括理事会全体の思惑とは、異なる、ものなんです……」
「なに?」
「彼らは、戦争の激化と……ローマ正教を代表とする、もう一つの宗教という名の科学サイドの徹底的てっていてき破壊はかいを、望んでいます……。この混乱に、乗じたいのですよ。ですから、これが、簡単に収まってしまっては、困るのだそうで……」
 上条はもう一度土御門の顔を見た。
 相変わらず、彼の顔に変化はない。
 まるで最初からすべてを知っていたかのような顔だった。
「戦争の激化など……そんな馬鹿ばかげた事は、止めなければ、なりません」
 親船は、ゆっくりと言う。
 その言葉の中に、痛みが混じっている。
「しかし、統括理事会の一人と言っても、使える力は、限られています。私には、できないのですよ。この状況をくつがえす事……など、……『上』の意志に反した事で、力を奪われた者に、できる事など、たかが、知れています。ですから、接触する、必要があった。本当に、状況を打破できる、人物に……」
 彼女は上条を見ていた。
 上条の目を見て言っていた。
「……いずれ、この接触は、必ずバレます。ですから、私には、反逆に対する……『制裁』が、加えられる手はずに、なっていたんです。私、一人ならば、回避かいひする事もできましたけど……その場合は、『制裁』の矛先が、変わってしまう」
 矛先。
 そこまで考えて、上条かみじょうの背筋に寒いものが走り抜けた。
「本人が逃げるなら家族を狙うって、そういう話か……?」
「───、」
 親船おやふねは答えなかった。
 人を心配させたくないとでも言っている沈黙ちんもくだった。
「……彼には、私から……たのみました」
 代わりに、親船はそう言った。
「一応、補足しておきますと……彼は、嫌だと言っていましたよ。ですから、彼を、責めないでください……。急所を的確に外して『制裁』する……そういう無理な注文をお願いしたのは、私自身なんですから……」
「しゃべるな」
 そこまできて、土御門元春つちみかどもとはるは口を挟んだ。
 地面からゆっくりと立ち上がると、彼は親船最中もなかの顔をのぞき込んだ。
 上条の位置からでは、土御門の表情は見えない。
 彼にも、見せる気はないだろう。
「後はこっちでやる。お前はお前の役割を完壁かんぺきに果たした。お前にも色々言いたい事があるんだろうが、こっちから答えられる事は一つだけだ。安心しろ。お前はそれだけ覚えていれば、それで良い」
 土御門の言葉に、親船は倒れたまま、ゆっくりと笑みを深くした。
 その首には、手製のものらしい、あまり出来の良くないマフラーがある。
 親船最中の戦う理由は、おそらくそれだ。
 学園都市とローマ正教が起こすいさかいを止めるのも、そのための『制裁』をほかに回さないように手を打ったのも、すべてはそこに収束される。土御門は身をかがめて親船の持ち物をあさると、そこから携帯電話を取り出して、救急車を呼んだ。指紋を拭き取ってから地面に置く。
 親船最中のコートから、土御門は何かを取り出した。
 護身用の小さな拳銃けんじゅうに見えた。
 土御門はそれをズボンのベルトに挟みながら、こちらに目をやった。
「今すぐ動けるか、カミやん」
「分かってるよ」
 歯を食いしばり、地画に倒れている馬鹿ばかな女をにらみながらおれぜんだ
「……俺を動かすために、それだけのために、わざわざこんな大それたお膳立てをしたんだろ。ふざけやがって。回りくどいにもほどがあるだろ、こんなの」
 上条当麻かみじょうとうまは、別にご高名な人物ではない。
 彼を動かしたいなら、頭ごなしに上から物を言えばそれで済むだけの話だ。
 なのに、そんな小さな事をたのむだけでも、命をかけなくてはならない状況もある。
 それを思って、上条は右手に力を込めた。
「説明は後だ。時間がない」
 土御門つちみかどはそう言った。
「第二三学区へ向かうぞ。航空機の用意がある。今回限り、親船最中おやふねもなかの力を使って準備させたものだ。そいつを無駄むだにさせるつもりはない」
「クソッたれが……」
 上条は土御門の後に続いて児童公園の外に出ながら、小さくつぶやいた。
 児童公園には、血まみれの親船最中だけが取り残される。
 遠くから聞こえる救急車のサイレンを聞きながら、上条は歯を食いしばった。

  8

 御坂美みさかみ.ことが見つけたのは、小さな児童公園だった。
 元々公園を作るために区画整理したというよりは、周りの学生りょうなどを建てていく上で、どうしても余った土地を埋めるために公園にした……という感じの場所だ。
 入口の前には、何台かの車がまっていた。
 警備員アンチスキルのものだ。
 美琴がそちらへ近づいていこうとすると、黒ずくめの格好をした男が壁になるように立ちふさがった。入口の所も黄色いテープのようなものが何重にも渡してあって、立入禁止の状態にされている。
 公園の奥が、チラリと見えた。
 中には、今美琴の前に立ち塞がっているのと同じ警備員アンチスキルの男たちが何人か固まっていて、それ以外の『普通の人』はだれもいなかった。彼らは児童公園の端の方にあるベンチの近くに集中していて、何かを調べているように見える。
 何が起きたか分からなかった。
 何が起きたか分からなかったが、それはもう終わってしまったらしかった。

 行間 二

「───『神の右席』とは、『原罪』を克服するための集団だそうで」
 リトヴィア=ロレンツェッティの声が、処刑ロンドン塔の小さな尋問室にひびく。
 話を聞いているステイルとアニェーゼのまゆが、わずかに動いた。原罪と言えば、十字教徒にとってこれほど馴染なじみ深い言葉もほかにない。
「アダムとイヴが知恵の実を食べた事によって得た『罪』か。その子供である我々人類すべてにも同じ『罪』があるという話だったね」
「そこまでが旧約聖書の話ですが」
 リトヴィアは言葉を引き継いで、先を続ける。
「新約聖書では、『神の子』が『罪』の抹消まっしょうに一役買っていますので。『神の子』が十字架に架けられて処刑されたのは、全人類に与えられた『罪』を一手に引き受け、たった一人で抹消するためでして。これにより、十字架に祈りを捧げ、ミサで神の血と肉を食し、最後の最後のその瞬間しゅんかんまで信仰を貫き通した者は、『最後の審判』で『罪』を洗い流され、『神聖の国』へと導かれる……そういう事になっていますが」
 ところが、とリドヴィアは言った。
「……この話には、例外があるので」
「例外?」
 羊皮紙ようひしに記録をまとめていたアニェーゼが、思わずといった調子で尋ねていた。
 ステイルはジロリとアニェーゼを見たが、とりあえず話を先に進める。
「本来、世界全人類に与えられているはずの『罪』に、例外があるという話ですが」
「聖母マリアだな」
 それだけ聞いて、ステイルは答えを看破した。
 リドヴィアのとなり椅子いすしばり付けられているビアージォが、わずかに舌打ちする。
 ステイルは構わず続けた。
「『神の子』を産む媒体ばいたいとして、聖霊せいれいと深く接触した聖母からは罪が消えた。『無原罪の宿り』というヤツだな。つまり聖母マリアには『原罪』が存在しない。世界全人類はアダムとイヴの子であり、彼らが『原罪』を背負う以上、その性質は子にも受け継がれているというのに、だ」
「つまり、そこに例外がある訳で」
 リドヴィアは簡単に答えた。
「そもそも、新約では『神の子』が背負う以外に『原罪』を洗い流す方法はないからこそ、『神の子』は処刑の道を辿たどったのですから。そこをまえた上で、聖母から『罪』が消えたという事実を考えれば、答えは自然と浮かび上がってくると思いますが」
「……『神の子』への信仰を貫く以外に『原罪』を打ち消す別の方法が存在すると、そういう訳かい」
「いわゆる裏技的な術式ですので。『神の右席』は、それらの『罪』を可能な限りうすめる事に成功した、という話ですが、完全な形で『罪』を抹消まっしょうさせたという事ではないそうで」
 リドヴィアは椅子いすに固定されたまま、それを微塵みじんにも感じさせないほど冷静な言葉を放つ。
「ですが、不完全といえど『罪』を消した彼らは、並の人間を凌駕りょうがする術的素養を手に入れているようで。通常、『人間』には行使不能と呼ばれる天使や・王の扱う術式すら利用できる……と言われていますから」
「……まぁ、『原罪』の抹消は人間の最終目標だからね。それを可能とすれば、人間としての『質』全体が、天使に近いものへと変化していくだろう。しかし……」
「ええ。『罪』は知恵の実と同義ですので、それを失うという事は、通常の魔術師まじゅつしが行使している『人間』用の魔術を使えなくなってしまう……という特性もあるようですが」
 ふむ、とステイルはわずかに息をいた。
『原罪』の抹消。
 確かに、十字教最大宗派ローマ正教の最深部が抱える爆弾としては、極めて妥当とも思える。
 十字教では信仰を貫く事で「原罪』を打ち消し、『最後の審判』の後に神の手によって作られた『神聖の国』へ導かれる事が真の幸福とされる。『原罪』を打ち消す秘儀ひぎを日々研究しているというのは、ローマ正教らしいと言えばローマ正教らしい。
 ステイルはそこまで考えをまとめて、改めてリドヴィアに質問した。
「となると、『神の右席』の最終的なねらいは、自分たちの体に残った、わずかな『原罪』の完全消去……そんな所なのかな」
 もしもそれに成功すれば、『神の右席』は本当の意味で『天使の術式』を自在に行使するようになるだろう。そうなれば、たとえ『聖人』でも彼らを止められなくなってしまう。
「ふふ」
「違うのか」
「ええ。『神の右席』にとって、『罪』の抹消は手段の一つにすぎないので。彼らの最終的な目標は、もっとほかにあるようですが」
「……『原罪』の抹消だって相当なものだぞ。それがただの手段だと?」
 それなら本当の目的は一体何なんだ、と思うステイルに、リドヴィアは含み笑いしたまま、続けてこう言った。
「彼らの目的は、最初から大きく掲げられていますが」
「何だと」
「───『神の右席』。それが、彼らの目指す所ですよ」

第三章 魔術師から遠いもの Power_Instigation.

  1

 学園都市・第二一二学区。
 航空・宇宙産業だけに特化した学区で、学園都市の・王要な空港もすべてこの第二三学区に集中している。
 滑走路やロケットの発射場ばかりが並んでいるこの学区は、ほかとは違って背の高いビルが乱立しているイメージはない。見渡す限り平面のアスファルトが続いていて、その所々に管制塔や試験場などの建物がポツポツと建っている感じだ。
「石と鉄でできた牧場みたいだな……」
 電車を降りた上条かみじょうは、ホームの向こうに広がる景色を眺めながらそう言った。
 大覇星祭だいはせいさいの時にオリアナ陛トムソンと戦った場所でもあるが、あの時よりもさらに警備が厳重になっているような印象があった。
 両手に抱ていた買い物袋は、駅にあったコインロッカーに入れていく。研究者が多いためか、この街のコインロッカーは完全密閉で、冷蔵や冷凍の機能までオプションで備わっている。
 ただし、
「……高っ。一時間でこの値段は普通じゃねえぞ!?」
「にゃー。素直に買い物袋は捨てて、後日改めて安いスーパーで買い直した方が結果的に安上がりっぽいぜい」
 土御門つちみかどの指摘にも一理あるが、何となく食べ物を粗末にしたくない上条である。荷物をロッカーに入れ、指紋登録を済ませてカギをかけると、とりあえず冷蔵オプションをつけておく。
 上条は駅の構内を歩いて出口に向かいながら、土御門に話しかける。
「第二三学区って事は、飛行機に乗るのか」
「ま、国外に出るからな」
「マジでか!? ……っつか、パスポートとかは?」
「ない」
 一言で即答され、上条はわずかにだまり込んだ。
 土御門は退屈そうな調子で続ける。
「別に海外旅行に出かける訳じゃないからにゃー。オレたちがやるのは非公式活動。その存在がバレた時点で国際的非難間違いなしだっつの。今更いまさら、出入国スタンプの一つ二つでガタガタ言ってたら始まらないぜい」
「な、なるほど」
 色々と言いたい事はあるのだが、土御門つちみかどがあまりにも正々堂々と言い切ってしまったため、何となく『あれ? むしろそっちの方が良いのか』と首をひねってしまう上条かみじょうだった。
 駅を出ると、大規模なバスターミナルがある。第二三学区は基本的に徒歩の移動はなく、規定のバスを利用する事になる。
 土御門はたくさんあるバスの中から、国際空港行きのものを選んで乗り込んだ。上条もそれに従う。
 滑走路だらけで建物のない第二三学区は、とにかく道がまっすぐだ。速度制限もかなり甘いらしく、道路標識を見ると時速一〇〇キロまでオーケーとか書かれている。
 窓の外にはアスファルトでできた平原があって、灰色の地平線すら構築されていた。
 その地平線の向こうから、入道雲のような白い水蒸気が噴き上がるのが見えた。
 地響じひびきに似た低い音が、震動しんどうとなってガラスをビリビリとふるわせる。
「ロケットか。無事に発射されたみたいだにゃー」
 そちらを眺めていた土御門がポツリと言った。
 上条は携帯電話を取り出して、テレビ機能をけた。ニュースでは様々な角度から陸地をはなれていくロケットの映像を流している。
「学園都市製の四基目の衛星って話だったけど、真実はどうなんだろうな」
「このタイミングでロケットを発射する事によって、色々と憶測おくそくを飛ばさせるのも目的の一つなのさ。軍事衛星の打ち上げから大陸間弾道ミサイルの発射実験まで……可能性をあれこれ並べさせれば、それだけ牽制けんせいの効果が増すだろうしにゃー」
 これが情報戦ってヤツか……と上条は考えていたが、そこで彼の動きがピタリと止まった。
「……あれ。そういやインデックスはどうしよう」
 彼女を危険な場所へ連れていくのは反対だが、かと言ってご飯のない部屋に放ったらかしというのもまずそうな気がする。
舞夏まいかがカミやんの部屋に行ってるから大丈夫だいじょうぶだよ。多分いつもの食いしん坊より三割近くツヤツヤしてるはずだにゃー」
 その言葉を聞いてホッとする反面、自分の存在意義はもう『ご飯を作ってくれる人』でしかないのか、と上条はややあきれる。
 そうこうしている内に、バスは国際空港の前へ着いた。
 アスファルトへ降りつつ、上条は携帯電話で今の時間を確認した。
「土御門。ところで俺達おれたちはこれからどこへ行くんだ」
「フランス」
 土御門は適当な調子で答えていく。
「うげっ!? ヨーロッパかよ。また遠いな……。っつーと、往復で何泊くらいになるんだよ。飛行機に乗ってる時間も結構長そうだな。大体一〇時間ぐらいか?」
「いや、一時間ちょっとで着くにゃー」
「は?」
 いきなりのなぞ発言に、上条かみじょうは思わず聞き返した。
 土御門つちみかどは説明するのも億劫おっくうそうな調子で、空港のターミナルビルからやや外れた所にある、滑走路の方を指差した。
 そこには全長数十メートルクラスの大型旅客機がいくつか並んでめられている。
「ほら、あれに乗るからにゃー」
「……おい、うそだろ」
 上条は半分絶句しながら、土御門に確認する。
 あの飛行機には、一回だけ乗った事がある。
「あれ、だよな。おれ記憶きおくが正しければ、あれは確かヴェネツィアから日本に帰ってくる時に利用したヤツだよな───」
「ああ、何だかそうらしいにゃー。オレは『アドリア海の女王』事件にはあんまりかかわってないから詳しくは知らないけど」
「───時速七〇〇〇キロぐらい出るヤツ」
 はっはっは、と土御門は笑いながら、
「何事も速い方が良いだろ」
「速すぎなんだよ!! あれ知ってるか、乗ってる問は分厚い鉄板でゆっくりと体を押しつぶされてるみたいな感覚がするんだぞ! インデックスなんかせっかく少しずつ科学の方にも心を開きかけてたのに、あのせいでしばらく心のシャッターを閉じっ放しだったんだからな!!」
 なお、インデックスはあの状況で無理に機内食を注文し、後ろ方向へ盛大にき散らしたという逸話もある。
「もー。カミやんたら、これから非公式国外活動をするっていうのに、まさか機内食をゆったり食べて映画を観ながらフランスへ向かおうとか思ってたんじゃないだろうにゃー?」
「い、いや、確かにそれはそれで緊迫感きんぱくかんがないような気がするけど……え、マジであれ乗るの? かっ上条さんはあんまりオススメできないかな!!」
大丈夫だいじょうぶ大丈夫。マッハ3を超えちまえば素人しろうとの感覚的にはもう違いなんて分かんないにゃー」
「どの辺がどう大丈夫なのか説明してみろ!!」
 上条はグダグダと文句をつけたが、土御門は『はいはい機内でな』と言うだけで取り合ってくれない。ほかに飛行機がないというのならどうにもならないだろう。土御門の案内で業務用の扉や通路を潜り抜けると、一般的なゲートを使わずに超音速旅客機へ向かった。

  2

「C文書。───それが今回のカギとなる霊装れいそうの名前だにゃー」
 広い機内に、土御門つちみかどの言葉がひびく。
 超音速旅客機のサイズは、一般的な大型旅客機より一回り大きい。乗務員を除けばそれをたった二人で利用しているのだから、『寂しい』というニュアンスが入るほど広々と感じてしまう。
 どうせ二人でしか使わないのだからと、上条かみじょうと土御門は一番高級なファーストクラスのど真ん中を陣取っていた。箱詰めのようなエコノミーとは違い、足を伸ばしてもスペースが余るぐらいの余裕があった。
 そんな中、土御門はとなりの席にいる上条の方へ顔を向けて、
「正式にはDoCument of Constantine。初期の十字教はローマ帝国から迫害を受けてた訳だが、この十宇教を初めて公認したローマ皇帝が、コンスタンティヌス大帝。で、このコンスタンティヌス大帝がローマ正教のために記したのがC文書って事になるぜい」
 その言葉の内容は、見慣れたクラスメイトのものではない。
 土御門元春もとはるは、すでに魔術師まじゅつしになっていた。
「C文書には、十字教の最大トップはローマ教皇であるという事と、コンスタンティヌス大帝が治めていたヨーロッパ広域の土地権利などはすべてローマ教皇に与える、ってな事が記されてる。つまりヨーロッパの大半はコンスタンティヌス大帝の持ち物であり、その持ち物はローマ教皇に与えるから、ここに住む連中はみんなローマ正教に従うんだぞ……っていう、何だかローマ正教にとって胡散臭うさんくさいぐらい有利な証明書って事だぜい」
 土御門は座席横にあるタッチ式の液晶モニタをいじりながら言った。
「霊装としてのC文書の力は……そうだな、コンパスみたいなもんだって言われてる。約一七〇〇年前コンスタンティヌス大帝が治めた土地の中なら、C文書を使えば『ここはかの皇帝の遺産たる土地だ』という事を示す印が現在も浮かび上がる。大帝の遺産はローマ正教のものって構図が出来上がってるから、『C文書の印が反応した土地・物品は全てローマ正教に開発・使用の決定権がゆだねられる』って事にもなっちまうんだにゃー」
 そこまで言って、土御門は言葉を切った。
 彼は隣の席に座っている上条の顔をのぞき込みながら、
「カミやーん、人の話をちゃんと聞いてんのかにゃー?」
「おごこごこごこごこごこごこごこごぶぶっ!!」
 上条は土御門の言葉に答えられない。
 時速七〇〇〇キロ。
 それが生み出す強大なGで、上条当麻かみじょうとうまの内臓は思い切り圧迫され、まともに言葉を出せるような状況ではないのだ。たとえるなら、バスケットボールをおなかに押し付けられた挙句、上から思い切り踏み潰されているような感じだろうか。
 むしろ、この状況下でケロッとしている土御門つちみかどの方が異常なのだが、
「まあいいや。とにかく話を続けるぜい」
「うげごっ!!」
 土御門は返事なのかうめきなのか良く分からない上条の言葉を聞きつつ、
「このC文書だが、さっきも言った通り、その真偽はものすごく胡散臭うさんくさい。実際、一五世紀の学者はうそだって公言してるにゃー。そして、実際問題、C文書は嘘だった。C文書の真の効力───霊装としての力は、その程度のものじゃなかったんだよ」
「ぎぎぎぎぐぐっ!!」
「C文書の真の効果はもっとスケールがデカいんだ。そいつは『ローマ教皇の発言がすべて「正しい情報」になる』というものだった」
 土御門は静かに言う。
 彼は唇をなめらかに動かし、
「例えば、ローマ教皇が『〇〇教は治安を乱す人類の敵だ』と宣言すれば、その瞬間しゅんかんからそれが絶対に正しい事になってしまう。『祈りをささげれば焼けた鉄板に手をつけても火傷やけどしない』と宣言すれば、何の根拠もなくたって、本当にそうなんだと信じられてしまう」
「おおおおおぇぇぇぇっ!!」
「ちょっとカミやん、こっちの目を見てほしいにゃー?」
 びくんびくん、と上条の上半身が大きく揺れる。
 それでも、聞かれた上条は何とか口を開こうとした。
「その、C文書ってのは、それを使って、教皇が話した事が、全部、正しく、なるって事、だよな」
 会話についていけるという事は、あれだけの状況でも一応話を聞いていたらしい。
 上条本人としては、だまっているより会話していた方が気分は楽になるかも、と思っての苦肉の策だ。
「じゃあ、つまり、何でも願いがかなう、錬金術れんきんじゅつの、『黄金練成アルス=マグナ』みたいな、ものか……おえっ!!」
「いや、そうじゃないにゃー」
 土御門は鼻歌でも歌いそうなぐらい気軽な表情でそう言った。
「C文書の効果は、あくまでも『正しいと人に信じさせる』効果でしかない。どんなにくだらないものであっても、『教皇様の言う事だから間違いない」って思わせるだけのものだにゃー。だから、実際に物理法則がねじ曲がっちまうとか、そういう話じゃないぜい」
 彼は椅子いす肘掛ひじかけの辺りにある備え付けの小さなモニタをいじりながら、
「しかも、この霊装れいそうは『ローマ正教にとって「正しい」』と信じさせるものだ。だから、『ローマ正教にとっての「正しさ」なんてどうでも良い』と思ってる人間や、『たとえ「間違って」いてもおれは構わない』と思ってる連中までは操れない。まあ、良くも悪くも『ローマ正教のための霊装』でしかないんだにゃー」
「いいい、言ってる事を…-正しいと、思わせる霊装……? で、でもそれって、うぶ」
「ハハッ。何となく卑怯ひきょうに聞こえるかにゃー。でも、権力者の発言=絶対の法律だった時代じゃ、威厳を保つための小細工なんかいくらでもやったにゃー。何しろ権力者の威厳っていうのは、絶対の法律に対する信用度でもあったんだからにゃー。それが揺らぐと国全体が危険な状況になる。……日本だって江戸時代にゃ切り捨て御免って制度があったろ。庶民は武士の悪口を言っただけで一刀両断。こんな分かりやすい言論統制がほかにあるかにゃー?」
「じ、じやじやじゃじゃ、C文書が作られたのも……」
「怖かったんだろうさ。自分達が作ってきた世界がぐらぐら揺れるのが。……実際、ローマ正教は何度も『危機』におちいってる。十字教じゃ神は絶対であり、神はどんな危機からも人間を助けてくれるはずの存在だ。だが、実際にはペストの流行でヨーロッパの人口はかなり減ったし、十字軍の遠征にはことごとく失敗したし、オスマントルコの大勢力はいつヨーロッパに攻め込んでくるかも分からなかった」
 土御門つちみかどはあまり感情のない声で言う。
 しかしその顔には、同情のような色があった。
「……『神は絶対』なんて言葉はさ、何度も何度も揺らいだんだ。それでもローマ正教としては、『神は絶対』を貫かなくちゃいけなかった。だから必要だったんだよ。あまりにも大きな危機の前に、人々の心がはなれちまわないように。C文書っていう霊装が」
 いわば、理想と現実の隙間すきまを埋めるための霊装、といった所か。
 強制的に『信じさせる』事で、人々の希望を守るための道具。
 それはとてもみにくく思えるし、同時に優しい意図もあったように思える。
(つ、つ、つまり、今のローマ正教はそのC文書っていうのを使って)
 ゆっくりと深呼吸しながら、上条かみじょうは考える。
(学園都市は悪い連中だ、っていう情報を『正しい』ものだと信じさせてるって訳か。……無理にそんな情報を刷り込んだから、ゆがんだ形で『デモ』として表に現れてる、と)
 上条はGの効果で真っ青になった唇を動かし、疑問を話す。
「でっ、ででででも、そんなすさまじい、霊装があるなら、何で、今まで使って、こなかったんだ……」
「C文書の効果は絶大だぜい。一度『正しい』と設定した事柄は、同じC文書を使っても取り消すのは難しい、だから下手に『正しい』という設定を乱立させる訳にもいかないんだにゃー」
 土御門はすらすらと答えていく。
「それに、C文書は簡単に扱えるものじゃない。さっきも言ったろ、あれは『ローマ教皇の発言を「正しい」と思わせる』ものだってにゃー。だれでも扱えるものじゃないし、場所だって特定されてる。本来ならバチカンの中心部に据え置かないと使えないはずだぜい。そこから地脈を通じて、一気に世界中へ命令を飛ばすって訳だ」
「え、ぅえ? だっ、だけど、俺達おれたちは、これからその、C文書って、いうのを、妨害しに行く、んだろ」
「そうだな」
「なっ、何故なぜ、フランス? C文書は、バチカンじゃ、ないと、使えない、んじゃ……」
「ん? そうそう、それはだな」
「あ、あと、C文書って、使ったら、もう解除、できないんだろ? だったら、今から俺達が動いて、この流れを、止められるのか?」
「ええとだにゃー。それを説明するにはどっから話せば良いんだっけ……?」
 土御門つちみかどが言いかけた時、機内のスピーカーからポーンと柔らかい電子音が聞こえてきた。
 さらに続けて、まるで合成音声のように整えられた女性のアナウンスが流れる。外国語なのだが、単純に英語とも思えない。土御門はそれを聞くと、やや渋い顔になり、
「……っと、そろそろ時間がなくなってきたみたいだにゃー。カミやん、本当に大丈夫だいじょうぶか。つらかったら深呼吸してみろ。ほら吸ってー」
「すー」
「吐いてー」
「はー」
「もう一度吸ってー」
「すー」
「また吐いてー」
「はー」
 とやっている内に、何やら上条かみじょうは本当に気分が良くなってきた……気がした。
 しかし上条の顔をのぞき込む土御門の顔はますますくもっていき、
「だーこりゃしんどそうだにゃー。こりゃ一度吐いちまった方が楽になるんじゃねーの? ほらほらカミやん、案内するからこっち来いこっち。シートベルトの着用ボタンとか外しちゃって。フライトアテンダントとかいねーから気にする必要はないにゃー」
 土御門は何の気なしに席から立つと、上条ものろのろとそれに従う。自分の意志で動いているというより、ほとんど朦朧もうろうとなった頭が勝手に動いてしまっているような感じだった。
 土御門は通路を歩き、扉を開け、さらに細い通路を歩き、頭がぶつかりそうなほど低いハッチをくぐり抜け、金属がき出しで何やら周囲から轟々ごうごうと音のする所まで歩いて行った。
 というか、どこだここは?
 呆然ぼうぜんとしている上条かみじょうはリュックサックのようなものを押し付けてくる。
「はいこれ着けてこれ」
「??? つちみかど? あの、いた方が楽になるってのは?」
大丈夫だいじょうぶ大丈夫。すぐ開くから。ほら早く着けて」
 言いながら、土御門はすでにリュックサックのベルトを体に巻いている。両肩のほかにおなかや胸にもベルトを固定させる方式の、何やらやたらゴツい仕組みだ。
 何だか良く分からないが、上条も見よう見まねでベルトの固定器具を留めていく。
「よし、カミやんもオッケーだにゃー」
 土御門は壁についている缶詰のふたぐらい大きなボタンにてのひらたたきつけると、
「じゃ、思う存分吐いちゃおうぜーいー!!」
 ごうん、という何やら妙な音が聞こえてきた。
 何らかの太いポンプが動いているのだ、と上条が気づいた直後、

 ガバッ、と。
 唐突に機体の壁が大きく開き、その向こうに背空が見えた。

 はい? と上条は思わず目が点になった。
 そして、目を点にしている場合じゃないほどの烈風が機内を吹き荒れ、あっという間にすべてが機体の外へ放り出されそうになる。
「つっ、つつつつつつつ土御門ォーッ!?」
 上条は慌てて機内の壁の突起に両手をかけたが、何秒つかも分からない。
 轟々ごうごうと風が流れる中、土御門はニヤニヤと笑いながら、
「さあカミやん、準備は終わったから思う存分吐いちゃうにゃー」
「吐いちゃうにゃーじゃねえよどうなってんだ!! おっ、お前。さては荷物搬入用はんにゅうようの後部ハッチを思いっきり開放しやがったのかーっ?」
「だってー、馬鹿ばか正直にフランスの空港に着陸しちゃったらローマ正教のクソ野郎どもにバレちゃうにゃー、この飛行機はロンドン行きですよ? オレたちはここで途中下車」
「アホかテメェは!! 機体の速度とか考えろ! 時速七〇〇〇キロオーバーでハッチなんか開放したら、この飛行機が中からバラバラになっちまうぞ!!」
「悪いもう開き済み」
「死!!」
馬鹿ばかだにゃーカミやん。ホントにそんな事やったらこんなのんびりしてられないぜい」
 ……まさかと思うが、この緊急きんきゅう降下用に飛行機の速度も落としてあるのだろうか。それなら確かに、今の上条はGの影響えいきょうを受けていないのだから気分の悪さも取れているはずなのだが……。
「おっ、お前……じゃあさっきの深呼吸とか何だったんだッ!! 何の意味もねえじゃねえかー!?」
「ほらほらカミやん。いつまでも悪あがきしてないでさっさと壁から手を放しなさい」
「感謝してたんだぞ。おれは気を遣ってくれた土御門つちみかどには本当に感謝してたんだッ!!それなのにお前ってヤツはーっ!!」
だまれもう行くぞ」
 壁の突起をつかんでいる上条かみじょうの手が土御門の足にガッと蹴飛けとばされ、ツンツン頭の少年が全ての支えを失う。
 機内を吹きすさぶ強烈な風はあっという間に上条当麻かみじょうとうまの体を拾い上げ、そのままノーバウンドで荷物搬入用はんにゅうようハッチをくぐり抜け、大空へと飛ばしていく。
 現地時問はお昼すぎ。
 清々すがすがしいほど青い空の下、男子高校生の絶叫が炸裂さくれつする。
「うぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
 三六〇度で青空展開中。
 手足をバタバタと振り回すと空気抵抗が変な風に働いたのか、彼の体が訳の分からない方向に回転していく。
(どっ、どうなってんだ。ほんの数時間前まで吹寄ふきよせとフォークボール対決とかやってたのに、何でおれはフランス上空からポイ捨てされてんだーっ!?)

 ぐるぐる回りすぎて何が何やらなの中、土御門つちみかどがいかにもスカイスポーツ満喫しています的な笑顔で飛行機から飛び出してくるのが見える。
(殺してやる……。あのクソ野郎、地上に着いたらグチャグチャになるまでなぐりまくってやる!!)
 ……というか、そもそもどうやって安全に着地するんだろう、と上条かみじょうの顔が真っ青になった直後、ドバン!! という音と共に背中のリュックサックが爆発した。
 その中から巨大なパラシュートが開いていく。どうやら一定の高度に達すると自動的に作動するように作られていたらしい。
 ただし、上条にとっては完壁かんぺきに不意打ちだったので、
「ごぇぇッ!? くっ、首が、絞ま───ッ」
 文句を最後まで言う事もできなかった。
 ぶらーん……と手足をだらしなく下げながら、極めてナチュラルな体勢で少年の体が降下していく。
 ちなみに彼は、風に流されたパラシュートが本来の降下予定地点を大きく外れ、一〇〇メートル以上の川幅を誇るローヌ川のど真ん中に落ちる事をまだ知らない。

  3

 がぼっ、という水っぽい音が聞こえた。
 それが自分の口かられる音だというのに気づいて、上条は面食らう。
 パラシュートが風に流されたせいで川の真ん中に落ちてしまったのだ。上条の足が底に着く様子はない。元々、泳ぎは得意でもなければ苦手でもない程度だが、衣服を着たまま水に入った事、そしてパラシュートの大きな布地が体にからまってきた事もあって、面白いぐらい体は水に浮かばなかった。
 辺りに土御門が降下してくるような気配はない。彼ともはぐれてしまったのかもしれないが、水の中に沈んでしまった今の上条としてはそれどころではない。
 実際の水深は分からない。
 案外それほど深くはない可能性もあるが、混乱している上条にとっては十分溺死できしできるレベルだった。とにかく水というものが恐怖しか与えてこない。
 自分が考えているよりも二倍も三倍も遅く、上条は両手を使って水をかこうとする。
 その腕にふるえが走る。
 筋肉の疲労、水に体温を奪われた事による震え、そして一向に水面へ顔を出せない恐怖……。
 それらがグチャグチャに混ざり合って、見えないナニかに拘束されていくような錯覚さっかくを感じる。
 やばい、と思った。
 口の中にめていた空気が、内側からこじ開けられていくようにこぼれていく。
 頭上を見上げると、太陽の光を浴びた水面がキラキラとかがやいている。
 距離きょりの感覚を鈍らせるような光の乱舞。
 そう言えば、イタリアのキオッジアでも氷の船から振り落とされた事があったな、と上条かみじょうは水面を見上げながら妙な走馬灯におそわれる。
 ───その水面が、大量の気泡と共にいきなり破られた。
(……ッ!!)
 上条がおどろく前に、白い空気のカーテンの中から細い手が紳びてくる。
 だれかが飛び込んできたのだ、と思った時には、その白い手は上条の腕をつかんでいた。
 ぐいっと。
 強い力で上方向へ引きずられていく。
 妙に力が抜けた状態で、まるでロープで釣り上げられるように上条の体が水面へ向かう。
 上条の顔が水を割って空気に触れるまで、一〇秒とかからなかった。
 バシャ!! という水の音が耳に届く。
 あれだけ恋しかったはずの酸素だが、上手うまく吸い込めない。
 のどか肺を動かす筋肉がおかしくなっている。
「だ、大丈夫だいじょうぶですか!?」
 すぐ近くで、少女の声が聞こえた。
 おもりのようなパラシュートは、いまだに上条の体を下へ下へと引きずり続けている。その二人分の重量を支えながら、少女はなおも声を張り上げる。
「岸に向かいます。そのまま力を抜いていてください!!」

 川岸……というか、底の浅い河原の方まで近づくと、上条はそこで尻餅しりもちをついた。衣服はもとより、パラシュートの布地が水を吸ったせいで、やたらと体が重たく感じられる。しかも、水中でもがいている内にパラシュートのひもからまってしまい、ただの足枷あしかせになっていた。
「こっ、こうやるん……でしょうか?」
 少女が横から細い手を伸ばしてくる。
 バチン、という大きな音と共に、ようやく固定具から解放されていく。
 絡みつくようなパラシュートから逃れると、上条は水溜みずたまり程度の水深の河原から、ようやくゆっくりと立ち上がった。
 頭上を見上げると陽は高いので今はお昼すぎぐらいなのだろうが、上条たちほかに人はいなかった。もしかするとデモや暴動を恐れて外出を控えているのかもしれない。
 辺りを見回す。
 すぐ近くに、アーチ状の石橋があった。ただし、その石橋は半壊はんかいしていて、川の途中でブツリと崩れている。
 もしかすると、少女はあそこから川に飛び込んできたのかもしれない。
 そう思った上条かみじょうは、自分を助けてくれた少女の方へ顔を向けた。
 ここはフランスのはずだが、そこにいるのは日本人の少女だ。
 としは上条と同い年ぐらいだろう。
 肩まである黒い髪に、二重まぶたが特徴的な顔立ち・服装はピンク色のタンクトップに、膝上ひざうえぐらいまでの長さの白系のパンツ。全体的にほっそりとしたシルエットの女の子だった。
「水とか飲んでいませんか……?」
 気遣わしげにこちらをのぞき込んでくる少女の顔は、見覚えのあるものだった。
 確か、
「げほっ、天草式あまくさしきの……五和いつわ、だっけ?」
「あ、はい。ご無沙汰ぶさたしています」
 ぺこりと可愛かわいらしく頭を下げる五和。
 しかし彼女はほかの天草式のメンバーと同様、現在はロンドンで生活しているはずである。特に何の用もなくフランスにいる訳がない。
 何で五和がここにいるんだろう、と上条は少し疑問に思ったが、
(いや、この場合は理由なんて一つしかないか……)
「なぁ五和。もしかして、土御門つちみかどに呼ばれてここに来たのか?」
「はぁ。ツチミカド、さんですか?」
 予想に反して、五和はキョトンとした顔で首をかしげた。
 げほっ、ありゃ、外したか? と上条は上条で意外そうな顔になり、
「ほら、あれだよ。世界中のデモとか抗議行動に、ローマ正教のC文書ってのがかかわってるとかっていう話で……」
「どっ、どうしてその事を知ってるんですか?」
 五和はおどろいて口元に手を当てながらそう叫んだ。
「た、確かに私たちはC文書について調査を行っていますけど。私達天草式がようやく探り当てた糸ロをそんな簡単に!? 流石さすが元女教皇プリエステス様をこぶし一つ。てなぐり倒した御方おかたですっ!!」
 何やらひとみをキラキラさせている五利だが、記憶喪失きおくそうしつの上条にはそんな思い出など存在しない。
 というか、知らない間に自分は神裂かんざきに一体何をしでかしたんだろう? とややビビるばかりである。
「あの、その、ええと。というか、そもそもあなたは何でいきなりパラシュートで降りてきたんですか。日本の学校は大丈夫だいじょうぶなんですか?」
 そうこうしている内にさらに常識的なクエスチョンをぶつけられた。
 上条かみじょうは微妙に泥臭い川の水にれた髪をガリガリ掻きながら、
「こっちはこっちで土御門つちみかど一緒いっしょにC文書を止めるためにここまでやってきたんだけど……。土御門の動向とか、五和いつわの方にはイギリス清教から連絡行ってなかったのか」
「私たちはそのイギリス清教からの要請を受けて、フランス国内の地脈や地形の魔術的まじゅつてき価値などの調査を行っていたんですが」
 ふうん、と適当に聞き流しかけて、上条はまばたきした。
「私『達』?」
 ええ、と五和は小さくうなずいて、
天草式十字凄教あまくさしきじゅうじせいきょう戦闘せんとうメンバー五二名。総員でフランス国内の主要都市を洗っています。私はこのアビニョンを担当しているんですけど……そうしたら、何だか良く分からない内にあなたが空から降って来て……」
「……そうか。ここ、アビニョンっていうのか」
 上条の口から何とも間の抜けた声が出た。
 土御門に連れて行かれるまま連れて行かれ、飛行機から落とされるまま落とされた上条は、自分が現在どこにいるのかも分かっていなかったのだ。そう考えると、顔見知りの日本人と遭遇できた事はかなりのラッキーだったかもしれない。
 ともあれ、土御門が最初からアビニョンへ来るつもりなら、ローマ正教はここでC文書を使っている可能性が高い。
 つまりは敵地。
 上条はその真ん中へ降りてきたという訳だ。
「なぁ五和。そう言えば、土御門の話だとC文書ってバチカンじゃなきゃ使えないって話じゃなかったっけ」
「は、はい」
「だとしたら、何でイタリアじゃなくてフランスを調べてるんだ? あいつにも尋ねたんだけど、答えを聞く前に飛行機からたたき落とされたんだよな」
 話の後半部分は得体えたいの知れないジョークだと思われたのか、五和の表情は何とも微妙な苦笑いだった。
 と、そこでハッと何かを思い出した五和は、
「あっ、あの、そのお話の前に荷物を取って来ても良いですか?」
「荷物?」
「橋の上に置いてきちゃったままなので。い、一応、られる心配もありますので」
 橋というのは、やはりすぐ近くにある、半分ぐらいで崩れてしまっているアーチ状の石橋の事だろう。
 どうやら五和いつわは本当にあそこから川へ飛び込んで来てくれたらしい。
「そっか。今さらだけどありがとう。お前が助けてくれなかったら本当にやばかった」
「いっ、いえいえ! 私はそんな!!」
 ブンブン!! とものすごい速度で首を横に振って顔の前で手をパタパタ振る五和。指先から細かい水しぶきが飛んだ。
 それを見た上条かみじょうはついでに質問してみる。
「そうそう、五和。その荷物の中にお前の着替えって入ってるのか?」
「え? ま、まあ、天草式あまくさしき隠密おんみつ行動に特化した宗派ですから」
 いきなりな質問にややキョトンとしながらも、そう説明する五和の表情はどこか誇らしげだ。
「滞在用の荷物のほとんどはホテルに置いていますけど、尾行や逃走のために、手荷物の中にもそういったものを一式用意しています。今の所、使う機会はありませんけどね」
「そっか。それは良かった」
「?」
 キョトンとした顔の五和は、まだ上条の真意に気づいていないようだ。
 しかし彼としても、直接口に出すのははばかられる。
 なので、上条は五和から青空へ視線を移動しながら、人差し指で指し示す事にした。
「……、」
 五和は上条の指先の向きに目をやって、その行き先に視線をやる、
 自分の胸元。
 川の水にれたため、色々と透けた挙げ句に布地が張り付いて全体のシルエットまで浮かび上がってしまっている、ピンク色のタンクトップを。

  4

 ところで五和という少女はとても平和的かつ良心的な人格をしているらしい。
 上条に真正面から指摘を受けても、彼女は平手打ちをする、頭にみつく、一〇億ボルトの高圧電流で黒焦くろこげにしようとする、などなどといったエキセントリックな行動には出ず、顔を真っ赤にしながらも苦笑いを浮かべ、『あ、あはは。お見苦しいものを見せてしまいましたね。あははははは』とか何とか言いながら、両手を交差して胸元を隠しつつ、着替えの入った荷物のある石橋の方へ小走りで向かってしまった。
 顔は笑っているが微妙に目が泣きそうなのがとても良識ある大人な感じである。
「うーん……」
 何となく上条の方が超気まずい。
 せめてキャーとか叫んでくれれば良かったものを、とちょっと遠い目をしてしまう。
 それから一〇分ぐらい経つと、一体どこで着替えてきたのか、さっきまでとは違う衣装をまとった五和いつわが帰ってきた。もうどこもれていないが、川の水のにおいが気になるのか、うっすらと香水をかけているのが分かる。
「お、お待たせしました」
 そう言った五和の肩には、大きめのバッグがあった。
 彼女の服装は、アイスクリームのようなうすい緑色のブラウスに、ふくらはぎが見える程度の長さの、げ茶色のパンツ。ブラウスの生地は太陽にかざすと透けてしまいそうなほど薄い。
 五和はそれを、ボタンで留めるのではなく、おへその上辺りで布地を強引にしばっていた。
 裸の上半身の上から、直接。
 下に何にも着ていないためか、胸の谷間が妙に強調されているような気がする。
 上条かみじょうはギョッとした顔つきで、
「……、五和さん?」
「しっ、仕方がないんですっ! 元々、タンクトップの上から羽織る事で服装の印象を変えるためのアイテムだったんですから! 何も言わないでください何も言わないでください!!」
 確かに羽織る用なのか、よくよく見てみると五和のブラウスにはボタンがない。前で縛る以外に留める方法がないのだ。
 彼女自身、今ある手持ちだけでは無理がある事は承知していたのだろう。上条の何とも言えない視線を受けて身を縮ませてしまった。
 しかし元はと言えば五和は上条を助けるために川へ飛び込んだのだ。
 ここはフォローをせねばなるまい、と上条は足りない頭を総動員させて、
「でも、神裂かんざきだってそんな感じだからオッケーじゃね?」
女教皇様プリエステスはこんなふしだらな格好はしていませんっ!!」
 全身全霊ぜんれいで否定してから、『こんなふしだらな格好』をしている五和はその事実を再確認して、顔を全部真っ赤にしてしまった。
 だがまぁ、神裂のように堂々としていれば『夜通し遊んで踊っていそうな子』で通りそうだ。
 五和が恥ずかしがって縮こまったりモジモジしたりするから、何だか妙に目立ってしまうのだ。
「その、ツチミカドさんの事は良く分かりませんけど、あなたもC文書を回収しに来たのなら、その方と合流するまで行動を共にしませんか」
 もう自分の格好の事は早く意識から追い出したいのか、五和は少々強引に『仕事』の話を持ち出してきた。
 上条としても、フランス語はさっぱりだし、パスポートも持っていないから一人ぼっちになったら日本に帰る手段もないし、五和の提案は願ったりかなったりだったりする。
「ま、まぁ、こっちとしてはありがたいけど」
「じゃあ、とりあえずどこか座れる場所へ行きましょうか。色々とお話しする事もありますし」
 五和おいわにそう提案されたが、上条は自分の格好を見下ろしつつ、
「思いっきりずぶれなんだけど……。せめて泥ぐらいはぬぐっておきたいかな」
 その何気ない言葉に、五和の背筋がピンと伸びた。
 彼女は慌てた様子で自分のバッグをあさりながら、
「そっ、それならですね。わ、わたっ、私おしぼり持ってますから」
 五和が言い終わる前に、上条の頭にバサッとタオルがかぶせられた。
 びっくりして上条が振り返ると、大きな犬と一緒いっしょに河原を散歩していた白人のおじいさんが、振り向きもしないで、『返さなくて良いよ』とでも言いたげに面倒臭そうに片手を振っている。
 上条は頭に乗っかったタオルを手で取りながら、
「……はぁ。親切な人っているんだなあ。フランス人って何であんな挙動がいちいち格好良いんだろう。ん? 五和、なに固まってんだ?」
『い、いえ、なんでもないです……』と肩を落としている五和。上条は首を働げながらも、顔や服についた汚れをタオルで拭っていく。
「そういや、ここもデモとか暴動とか起きてんだよな。検問とかってあるのか? おれ、パスポートとか持ってないんだけど」
「検問はいくつかありましたけど、せいぜい手荷物検査程度ですし、いちいちパスポートの提示を求められるほどではなかったと思いますよ。魔術まじゅつ使つかって手荷物検査もごまかせますし」
 五和はそう言うと、『タオルという手もあるのか。い、いや、おしぼりだって……』と小さな声でブツブツつぶやきながら、バッグの肩紐を再調節した。

 アビニョン。
 フランス南部に位置する街だ。その中心部となる旧市街は全長四キロ程度の城壁に囲まれていて、限られた土地の中にたくさんの建物を詰め込んであった。最盛期にはヨーロッパ全体の文化に大きな影響えいきょうを与えたらしい。その事もあってか、現在でもフランス屈指の観光名所として機能している。
「……ふうん。で、勝前はそのアビニョンでC文書について調べていた、と。それは分かったんだけどさ、五和」
 そういう説明を受けた上条は、五和と一緒に巨大な石の城壁に備え付けられたアーチ状の城門をくぐり抜け、壁に囲まれたアビニョンの旧市街に入る。
 広場らしき所に出ると、オープンカフェのようなものが見えた。一道路のわきに置いてあるお店の看板は、フランス語(っぽいもの、としか上条には分からない)と英語が並べて表記されている。観光客向けというか、初めて来た人のために色々配慮はいりょされているらしい。
 五和いつわ上条かみじょうれるように、細い道へ入っていく。穴場でもあるんだろうかと思っていた上条だったが、
「とりあえず座れる場所へ行こうって話だったと思うんだけど」
「は、はい」
何故なぜそこでドローリコーヒー? いや、元々海外の企業なんだからフランスにあってもおかしくはないんだけど、思いっきり日本のチェーン店と同じだぞ。なんていうか、もっと、こう……あれだよ。老夫婦が趣味しゅみで始めました的な隠れた名店とかってないのか?」
「そ、そういうお店もあるにはあるんです、けど」
 五和は申し訳なさそうに言う。
「ええと、その手のお店は地元の人たちばかりが通う事が多くて……私達みたいな、よそ者の日本人が入ると、とても目立ってしまうんです。日本の観光客がたくさん出入りしている、こういうチェーン店の方が安全というか、何というか……」
 むむ、と上条はうなった。
 五和の意見にちょっと賛同しかけたが、そこでふと疑問に感じる。
「……待った五和。それを言ったら、おれなんか結構汚れてるぞ」
 さっき河原でタオルをもらった上条だったが、それだけで汚れが全部落ちる訳がない。水分はかなりなくなったが、服についた泥の方はどうにもならない。
「こんな状態でお店に入ったら、目立つどころかそのまま追い出されちまうんじゃ……」
「それなら、大丈夫だいじょうぶですよ」
 五和は自然な調子でそう答えた。
「今なら大丈夫なんです」
 彼女の言葉の意味は、実際にお店に入るとすぐに分かった。
 店内の内装は日本にあるものと全く変わらなかった。
 道路に面した壁はすべてガラス張りになっていて、そこには一人用の椅子いすと長テーブルがズラリと並んでいた。フロアの中央部は四人掛けのボックス席になっていて、店の奥が注文受け付け用のカウンターとなっている。上条はフランス語が読めないが、所々に煙草タバコの禁止マークが描かれたプラカードが張り付けてある所を見ると、どうやら全席禁煙らしい。違いと言えば、店内にいる客ぐらいか。当然ながらここはフランスなので日本人は見当たらない。
 パラシュートで降下した辺りには人がいなかったが、この店内はそこそこ混んでいる。デモや暴動を恐れているとはいえ、生活していくためにはずっと閉じこもっている訳にはいかない。
 ようは、必要最低限の所だけ行き来しているため、人の流れが一極集中しているのだろう。
 それともう一つ。
 客の大半が、髪や服が乱れていたり、泥がついていたり、手足に包帯を巻いていた。屈強な大人から小さな子供まで、最低でも顔に青あざがあり、無傷である人間の方が珍しいぐらいだ。
「デモや抗議行動、か……」
 上条かみじょう思わずポツリつぶやいてしまった。
 今の所、学園都市とローマ正教は全面対立の意志は見せているものの、本格的な軍事行動にまでは発展していない。しかし、それでもやはり『変化』は着実に世界をむしばみ始めているのだ。
 だれにとっても望まれていない、まわしい『変化』が。
「早く、何とかしなくちゃいけませんよね」
 五和いつわが小さな声でそう言った。
「……そうだな。そのための作戦会議だ」
 上条も短く答えた。
 のんびりと物を食べている場合ではないのだが、何もたのまないで居座ると目立ってしまうと五和から指摘された。まぁ、上条としても店員さんににらまれながら世間話を続けるのは何となく居心地が悪いので、とりあえずカウンターへ向かってみる。
 当然ながら、レジの前に立っている店員のお姉さんはフランス人だ。
 さて、と上条は思う。
「い、五和さん。フランスに着いたらフランス語で話さなければ駄目だめだろうか?」
「はい?」
「例えばフランス人だけど英語もできますよ的な、そんな展開は待ってないかなという話です」
「ええと、EU圏内なら大抵英語は通じると思いますよ。海に囲まれている日本と違って、こちらは国境の感覚が希薄きはくですから。ほら、あっちにいるお客さんはドイツ人ですし、向こうの方はイタリア人のようですし。いろんな国の人と話す必要がありますから、チェーン店の客商売の場合はフランス語しかできない、という事はないと思いますけど」
 そっ、そうかーっ!!と上条は俄然がぜんやる気になった。
 携帯電話の学習アプリ『かんたん英語トレーニング』の成果を見せる時がやってきたのだ。
 実はあの携帯アプリは練習レベル4で行き詰まって挫折ざせつしたのだが、それを気にしても仕方がない。上条はガチガチの足でカウンターへ行くと、店員が『ご注文は?』と尋ねる前に、
「コーヒーアンドサンドウィッチ、プリーズ!!」
 正直かなり危ういカタカナ語だったが、お姉さんはコクンとうなずいた。
(つ、通じたーっ!!)
 ……ここで喜んでしまう辺りで実用的な英語力などたかが知れている感じなのだが、そこへ店員のお姉さんは『じゃあ料金は七ユーロ』みたいなニュアンスの外国語を放ってきた。
 上条はそこでうろたえた。
 円じゃ駄目なのだ。
「どっ、どうしよう……ッ!!」
 びしゃーん、と雷に打たれたような顔をする上条かみじょうが横からユーロ紙幣を出した。後でちゃんとお金は返そう、でも一ユーロって何円だっけ? と上条が首をかしげていると、五和は店員に向かって、
「え、ええと、私はエスプレッソと黒豚のサンドイッチ、後はヘルシー野菜スティックでお願いします」
 再びコクンとうなずいてオーダーを受け付けるフランス人の店員さんを見て、上条は思わず叫んでいた。
「ええー日本語!? 日本語で大丈夫だいじょうぶだったの!?」
 よくよく店員さんを観察してみると、制服の肩の辺りに国旗を模した小さなバッジがいっぱいくっついている。多分、あれは『この国の言葉なら大丈夫ですよ』サインだ。
 そうなると上条の英語力はますます怪しくなるばかりで、この店員さんはカタカナ日本語を読み取ってオーダーを受け付けていただけの可能性も出てくる。
 かなり意気消沈な感じで商品の乗ったトレイを受け取ると、上条は先にテーブルを確保しておく。少し遅れて五和がやってきた。
 五和は最初にテーブルの上に自分のトレイを置いて、次に肩に引っかけていたバッグを自分の足元へ置いた。
 その途端、バッグの中からゴトリという重たい金属音が聞こえてくる。
「……、?」
 上条は何となく気になってそちらを見る。
 すると、何やら五和は顔を赤くして、両手を顔の前でパタパタと振った。
「きっ、気にしないでください」
「いや、でも」
 言いかけた上条に、五和はほとんど唇を動かさないで言った。
「(……そのう、武器が入っているんです)」
「は?」
「(……つかの部分を五つぐらいに分けて。使用峙には接続部アタッチメントで固定して一本のやりにするようにしています。『関節』を用意すると槍の強度が落ちるのは承知しているんですけど、こうでもしないと携帯できないんですよね……)」
 言われてみれば、五和はキオッジアでもデカい槍を振り回していた気がする。
「それより、その、ツチミカドさんとは連絡がついたんですか?」
「いや」
 上条はズボンから携帯電話を取り出して、
「……降下中にはなばなれになってそれっきり。どうも連絡がつかないんだよな。一応、通話はできる状態だから、土御門つちみかどの方が電源を切ってるか、地上のアンテナから離れたトコにいるかって感じなんだろうけど……まぁ、あいつなら何が起きても大丈夫だいじょうぶな気がするけど」
 試しにもう一度かけてみるが、圏外なのかコールする気配もない。
 しかし川に落ちても大丈夫とは相変わらず頑丈なケータイだな、と思いながら上条かみじょうは電話をポケットに戻した。
 とりあえずサンドイッチでも食べながら五和いつわと作戦会議だ、と考える上条だったが、その時、トレイの上に紙ナプキンが載っていない事に気づく。
「うわ、どうしよう、食べる前に手をいておきたかったんだけど」
 その愚痴ぐちを五和に言うと、何故なぜか彼女は両目をかがやかせた。
「そっ、そそそそそれならですね、私が───」
 五和が顔を赤くして足元に置いたバッグをあさり始めたが、唐突に上条たちのテーブルの横を通り過ぎた女の店員さんがソーリーのフランス語的な言葉を短く告げると、とてもぞんざいな手つきで紙ナプキンをドンと置いた。
 上条の正面では、何故か自前のおしぼりを取り出しかけた五和が、ガーンという感じで動きを止めている。
 ようやくやってきた紙ナプキンで適当にてのひらを拭きながら、上条は本題に入る。
「そういやさっきの続きだけど、五和はアビニョンの事を調べてたって話だったじゃん……あれ? 五和、どうかしたのか?」
「い、いえ……な、なんでもないです……」
 そう言う五和は、夏場の窓際まどぎわに置きっ放しの観葉植物みたいに元気がなくなっている。
 気を取り直して、上条はもう一度言った。
「確か、前からアビニョンについて色々調べてたんだろ。何でバチカンじゃなくてフランスの方なんだ。なんか怪しいトコとか見つかったのか?」
「え、ええ」
 五和はコクンとうなずいて、
「本当ならもう少し情報を集めてから、フランス各地を当たっている天草式あまくさしきの仲間へ連絡するつもりだったんですけど」
「って言う事は、やっぱり目星はついてるって訳か」
 上条が確認を取ると、五和も否定しなかった。
「教皇庁宮殿、という建物はご存知ですか」
「?」
「このアビニョンにある中では、ローマ正教最大の施設です。というより、アビニョンという街はこの施設を中心に発展していったという方が正しいんでしょうけど」
「教皇庁、ねぇ……」
 上条はつぶやいた。
 教皇というのは、やっぱりあの教皇だろうか?
「ん? でも、教皇の宮殿って、バチカンにあるものなんじゃないのか? いかにも最重要っぽい名前なんだけど」
 ええとですね、と五和いつわは言う。
 ちょっと言いづらそうな調子だった。
「アビニョンという街には、少し複雑な事情がありまして」
「複雑な事情?」
「一二世紀末に、ローマ正教の教皇とフランス国王の間でいさかいがあったんです。そして、そのいさかいで最終的に勝利したのは、フランス側でした。フランス国王は、当時のローマ教皇に色々と指示を出す権利を得たようで……その中の一つに、『本拠地から出てフランスにやってこい』というものがあったんです」
 アビニョン捕囚ほしゅうと言うんですよ、と五利は付け加えた。
「その本拠地って言うと、やっぱりバチカンか?」
「い、いえ。当時はローマ教皇領と呼ばれていたはずですけど
 とにかく、フランス側としては、ローマ教皇を手中に収める事で、ローマ正教が持っていた様々な特権や恩恵を自分たちの都合の良いように利用したかったらしい。
「その幽閉場所に選ばれたのが、このアビニョン。ですから、幽閉用の宮殿には『教皇庁宮殿』という名がつけられたという事なんです」
「幽閉、ね」
「このアビニョン捕囚は、六八年間にわたって数代のローマ教皇をしばり続けました。当然ですけど、その間はこの街で教皇としての職務を果たさなければならない訳で」
 五和は野菜スティックを一口かじって、
「ですけど、教皇としてのお仕事は、本拠地であるローマ教皇領でないとできないものもありました。枢機卿すうききょうの任命式や様々な公会議などが代表的でしょうか。ローマ教皇領という場所、ローマ教皇領にある建物、ローマ教皇領にある各種霊装れいそう……こうした物と同じ条件をアビニョンで再現する事はできません」
 それはローマ教皇領を丸ごともう一つ作るのと同じですからね、と五和は言う。
「ですから、彼らローマ正教は『小細工』をする必要があったんです」
「小細工?」
「アビニョンの街にローマ教皇領と同じ設備を作る事はできません。ですからアビニョンとの間に術的なパイプラインを築いて、ローマ教皇領の設備を遠隔操作できるようにしたんです」
「……大型サーバーにアクセス用のコンピュータを接続するようなものか」
「アビニョン捕囚が終わって、ローマ教皇がフランスから本拠地へ戻る際に、こうしたパイプラインは何重にもわたって切断されたはずなんですけど……。周辺の土地の脈動のパターンから考えても、アビニョンでC文書を使えそうな施設といったらアレぐらいしかありませんし、もしかするとローマ正教側は切断したパイプラインを再びつなぎ合わせたのかもしれません」
 ふうん、と上条かみじょううなずいた。
 今までの話を少し考え、そして言う。
「……その、教皇庁宮殿の中は調べたのか?」
「い、いえ」
 五和いつわは身を縮ませて首を横に振った。
「私はあくまでも調査係ですから……。本来なら必要な情報を集めた上で、教皇代理に連絡を取って、大人数の部隊を招いてから一気に踏み込む予定だったんですけど」
 一応、教皇代理の建宮斎字たてみやさいじからは天草式あまくさしきに伝わる『特別な霊装れいそう』を受け取っているらしいが、やはりC文書という世界中を巻き込む事態に関するとなると、一人で動くのは得策ではないと五和は思っているらしい。
 ……そう考えると、土御門つちみかどや上条は随分ずいぶんとイレギュラーな存在と言えるだろう。
「土御門もここを目指してたとしたら、別の情報筋からでも『アビニョンが怪しい』って推測は立ってたみたいだな。となると、やっぱり五和がにらんだ通り、ローマ正教の連中は教皇庁宮殿の中でC文書を使ってる可能性が高いって事か」
 しかし、と上条は思う。
「C文書ってのは、元々ローマ正教の持ち物なんだろ?」
「え、ええ」
「じゃあ、何でローマ教皇領……今はバチカンか? とにかくそこで使わないんだ。本拠地の外に持ち出す理由って、特にないよな。アビニョンは『バチカンの施設を遠隔操作できる』だけで、『アビニョンでなければ発動できない魔術まじゅつがある』って訳じゃないんだろうし」
「それについては、色々な仮説がありますけど……」
 五和は少し考えてから、ゆっくりと口を開いた。
「C文書の使用の承認を得るには莫大ばくだいな時間がかかるんじゃないでしょうか。ローマ正教上層部である一四一人の枢機卿すうききょうの意見もまとめないといけませんし。バチカンではローマ教皇が大きな権力を持っているんですけど、それでも彼一人の独断ではC文書を使えないと思います。だからこそ、今まで無暗むやみに使われなかったんだと思いますし」
 ローマ正教上層部にも派閥はばつ争いがあって、そういった事にC文書を使われるのをけるためでしょうね、と五和は言った。
「ところが、アビニョン経由の操作はイレギュラーで、枢機卿の意見をまとめる必要はない……という情報もあるんです。その代わり、バチカンで直接発動する訳ではないので、C文書の発動は一瞬いっしゅんで終わる訳ではなく、アビニョンでの『準備』があるようですけど。ていに言えば、今ならまだC文書の行使を止め、世界中の混乱を収められるかもしれないんです」
「どっちみち、あの教皇庁宮殿を調べない事にはどうにもならないか……」
「も、もう少しで天草式あまくさしきを動かすための情報が集まりますから。おそらく、数日後には教皇庁宮殿への突入が始まると思います」
 科学と魔術まじゅつの対立……という構図の『戦争』だが、五和達いつわたちはローマ正教を止めるために戦ってくれるらしい。
 おそらくイギリス側は、ローマ正教が魔術サイドの舵取かじとりをするのが気に食わないのだろう。かと言って、真正面から対立して波風を立てるのも好ましくない。彼女は『天草式』という言葉は使っても『イギリス清教』という言葉は使わなかった。つまり傘下にいる天草式を使ってC文書の妨害に入り、仮に天草式が失敗した場合は『小宗派が暴走しただけで、イギリス清教全体の意向とは関係がない』と言い張るつもりなのだ。
「……、」
 上条かみじょう土御門つちみかどと別れた状態である。
 このまま一人で怪しいと目される教皇庁宮殿に向かって状況をかき乱すより、五和と一緒いっしょに動いて天草式の突入作戦に協力した方が確実な気がする。
 それなら、上条としては五和と共に、突入するための情報を集めた方が効率的だ。
「五和、おれになんか手伝える事はないか?」
「え?」
「数日後には突入するって話だったけど、少しでも早い方が良いだろ」
「は、はい。それなら───」
 五和は戸惑いながらも、上条の問いかけに答えようとした。
 しかし、彼女の答えを聞く事はなかった。

 ドバン!! という轟音ごうおんと共に。
 いきなり道路に面したウィンドウが一斉に砕け散ったからだ。

 石を投げたのではない。バットや鉄パイプでなぐったのとも違う。
 手だ。
 何十何百もの人の手が一斉にガラスを押し、その圧力によってガラスが内側に砕け散ったのだ。店内にいくつもの悲嶋が聞こえたが、それすらも押しつぶすように大量の人の渦が店内へ殺到した。まるでゾンビ映画の恐怖シーンのようだ。
 明らかに異常な事態だが、上条はすぐに原因を知った。
「暴動か!?」
「こっ、こっちです!!」
 足元の荷物を手に取った五和は、もう片方の手で上条の腕をつかむと急いで走り出した。行き先は正面の出口ではなく、非常口だ。その間にも何百人という大入数が一斉に店内へ入り、あっという問に満員電車のような身動きの取れない空間へ変貌へんぼうしていく。
『日本人だ!』
『学園都市か!?』
つぶせ。ためらうな。あれは敵だ!!』
 上条かみじょうにはフランス語は分からないが、感情のニュアンスだけが異様に生々しく伝わってくる。
 いくつもの手が上条たちの背中を追いかける。その手に追いつかれる直前で、上条は鉄のドアを開け放ち、そこから転がるように外へ出た。
 上条は後ろを振り返る。
 いくつもの悲嶋が重なっていた。店内には小さな子供や女性もいた。しかし上条がそちらへ戻る前に、五和いつわが足を使って蹴飛けとばすように非常口のドアを閉めた。
「五和!!」
「あの動きなら、人は死にません。何せ数が多すぎますから。暴動を起こしてる側は自分で自分の動きを封じてるんです。将棋倒しにでもならない限りは重傷者も出ないと思います」
「そういう問題じゃない!!せめて子供だけでもッ!!」
「あれぐらいなら!!」
 五和は上条の言葉をさえぎるように叫んだ。
「……あれぐらいなら、世界中で起きています。それに私達があの人の波に戻った所で、何ができるというんですか。あの災いの根っこを一秒でも早くたたき切るために、私達はこんな所まで来たんでしょう……?」
「……、くそ「
「ローマ正教が使ってるC文書さえどうにかすれば、このさわぎは収まるんです。暴動の波に巻き込まれたら身動きが取れなくなります。そうなったら、騒ぎを止める人がいなくなってしまうんです」
「───ちくしょう!!」
(ローマ正教は好き勝手に暴動を誘発ゆうはつするし、学園都市はそいつを利用するために少しも止めようとしない)
 き捨てた上条は、ギリギリと奥歯をむ。
(結局、苦しんでるのはその板挟みになってる人達だけじゃねえか! こんな流れを無視していられるか。ここで止めてやる。こんな馬鹿ばかげた事は、一刻も早く終わらせてやる!!)
 上条と五和は左右に高い壁がそびえる裏通りを走る。
 どこかで野太い男の叫び声が聞こえた。ガラスの割れる音が耳にこびりつく。甲高い泣き声はだれのものだろうか。ガスかガソリンにでも引火したらしく、爆発音までひびいてきた。
 暴動の大雑把おおざっぱな標的は分からない。
 アビニョンにある日本企業のチェーン店でもねらっているのか、日本人観光客の多いホテルをおそいたいのか。いずれにしても、当初の目的などすぐに忘れ去られ、『ただ暴れていたいだけの人間』が街にあふれ返るだろう。
五和いつわ、どこまで逃げる気なんだ?」
「とりあえず、人混みに巻き込まれない所ならどこでも良いんですけど……」
 言いかけた五和の言葉が、いきなり途切れた。
 狭い道の向こうから、新たな暴動の人混みが見えてきたからだ。
(……なんてタイミングの良い……)
 そう思いかけて、上条かみじょうはギクリと肩をふるわせた。
「なあ。五和はここでしばらく調べ物をしてたんだよな。その間、今みたいに暴動に巻き込まれた事ってあったか?」
「え? い、いえ。天草式あまくさしきは環境に溶け込む事を得意とする宗派ですから。普段ふだんは暴動の気配みたいなものをつかんで、それが起きる前にはなれるようにしていたんですけど……」
「……、やっぱり」
 五和の言葉に、上条は嫌な確信を得た。
「向こうのタイミングが良すぎるんだ」
「それって……」
「C文書を操っている『敵』が俺達おれたちと同じくアビニョンにひそんでいるとしたら、俺がパラシュートで降りてくる所を見ていたかもしれない。明確に俺の事をとらえたんじゃなくても、学園都市製の超音速旅客機が減速して何かを投下したぐらいなら察知できたはずだ。C文書を使ってる連中がそれを警戒してんなら、こういう反応があるのもうなずける」
「まさか」
「この暴動は……連中からの『迎撃げいげき』って訳だ!!」
 上条が叫ぶのと、道をふさぐ人混みがこちらへ近づいてくるのは同時だった。
 教皇庁宮殿のあるアビニョン旧市街は、この古い城壁に囲まれた狭い都市らしい。元々限りのあるスペースの中へ次々と建物を建てていったせいか、自動車が通り過ぎるのも難しいような小道が多い。そんな状況で一〇メートル以上もの高さの建物がそびえ立っているため、異様な圧迫感ばかりを与えてくる。
 その細い道のあちこちが、人の波によって塞がれていた。
 暴動に参加している連中は、自分で自分の体を傷つけているようにも見えた。
 上条は少し考え、それから覚悟を決めた。
 目の前の人の山の流れに逆らって突破しない限り、教皇庁宮殿へは辿たどり着けない。そして、どのみちそこへ行かなければ問題は解決しない。時間が長引けば長引くだけ、みんなが傷ついていく。
「行くぞ、五和いつわ
「え……?」
土御門つちみかどからの連絡を待っている時間はなさそうだ。天草式あまくさしきだって今すぐやってくるって訳じゃねえんだろ? だったらここをくぐり抜けて、教皇庁宮殿に向かう。『敵』が俺達おれたちの事を知った以上、連中だって長居はしないかもしれない」
 そして、
「最悪、連中はバチカンに帰ってもC文書を扱える。C文書を本拠地に持ち帰られたら厄介やっかいな事になるってぐらいは、素人しろうとの俺にでも分かる。あれはここでぶっこわしておかなくちゃいけない物なんだ!!」
 五和はわずかに逡巡しゅんじゅんしたが、やがて上条かみじょうに向かってうなずいた。
 フランス中に散らばった天草式の仲間をのんびりと集めている時間はないと判断したのだろう。
 そうこうしている間にも、細い道の向こうから何百人という暴徒達が近づいてくる。
 満員電車の車内のようにも見えるそれは、人を素材にした分厚い壁だ。
「……突っ込む時は中腰になってください」
 暴徒達を見ながら、五和は静かに言った。
「集団の中から顔が出ていると、ターゲットにされる恐れがあります。逆に言えば、人の波の中に体を隠してしまえば、ねらわれる可能性は低くなります。この暴動が仮に敵からの迎撃げいげきであったとしても、その精度はそれほどではないみたいですからね」

「よし」
 異様な緊張きんちょうを感じながら、上条かみじょうは言う。
「走るぞ」
 その言葉と同時に、上条と五和いつわは自ら暴徒たちの中へと突き進んで行った。
 まるで壁のような密度となった暴徒達の中へ、自分の体をねじ入れるように進んでいく。人が多すぎて、走る事ができない。歩くのがやっとだったし、それも最初の数メートルが限界だった。
 叫び声と共に、いきなり頭をだれかになぐられた。
 前へ進もうとした所で、太い指にシャツをつかまれる。
 そこから先は、上条もがむしゃらだった。掴んでくる腕にみつき、邪魔じゃまをする壁を肩で押しのけ、それでもしがみつくやからをそのまま引きずるように歩を進める。つめが突き刺さって脇腹わきばらから血がにじみ、興奮こうふんした男達の体臭が鼻についた。耳元で爆発する絶叫に頭を揺さぶられるし、四方八方から押しつぶすような人の圧力が加わってきて、徐々に意識が削られていく。
(くそ……)
 少しずつ、上条の足が鈍っていく。
(くそ……ッ!!)
 気持ちの悪い塊にみ込まれそうになった所で、不意に人の壁が途切れた。
 人の吐息といきの混じっていない、新鮮な酸素が一気に流れてくる。
「だ、大丈夫だいじょうぶですか!?」
 五和の声が間近で聞こえた。
 彼女のこめかみにも、一筋の血が垂れている。五和の方も、この波の中を無傷で進む事はできなかったらしい。彼女のバッグの中にはやりがあるという話だったが、それを振り回す気にはなれなかったのだろう。
 上条は肩で息をしながら、人混みからはなれるように走る。心なしか、足元はふらふらとおぼつかない感じがした。注意しないと細い道の石壁に肩がぶつかりそうだ。
「……い、五和。教皇庁宮殿は?」
「まだ先です。向こうの方に屋根が見えているのが宮殿ですから……つ、次はあれを越えなくちゃいけません」
 五和が指差した方向を、上条はゆっくりと見た。
 そちらには、たった今潜り抜けたものとは比べ物にならないほど大規模な暴動の渦があった。

  5

 教皇庁宮殿までの道のりは険しすぎた。
 上条達かみじょうたちのいるアビニョン旧市街は全長四キロ程度の城壁に囲まれた小さな街であるにもかかわらず、一向に日的地に辿たどり着けない。周辺の旧市街はとにかく道が狭いのだ。幅はたった三メートル前後しかないし、その道の左右にはまるで城壁のような石造りの集合住宅がそびえ立っている。高さ「五メートル以上の壁にはばまれているため迂回うかいするのは難しく……正面を突破しようとすれば、何百人、何千人という暴徒の群れが待っている。狭い場所に多くの人が集まると、それは分厚い壁になる。満員電車の車両を端から端まで歩いていくようなものだ。
 このままでは教皇庁宮殿まで辿り着けない。
 C文書とやらを破壊はかいする前に、こちらがやられてしまいそうだった。
「またです……」
 五和いつわは前方に広がっている新たな暴動をにらみながら、息をむ。
 上条にはフランス語は分からないが、向こうにいる男達の何人かが血走った目でこちらを指差しながら何かを叫んでいる。日本人だ、学園都市だ、そんな事を言っているのかもしれない。
 彼らが動く前に、五和は上条の腕をつかんで走り出した。
「駄目、ですね。こっちに来てください、このままじゃ手詰まりになります!」
「おい、教皇庁宮殿はどうするんだよ?」
 五和が来た道を引き返し始めたので、上条は思わず叫んでいた。
 先ほどこちらを睨んでいた男達も上条達を追いかけようとしたみたいだが、すぐに彼らは暴動の渦の中に巻き込まれてしまった。
 五和も五和でこの状況に歯噛はがみしながら、
「……あそこの暴動は絶対数を超えています。走った程度じゃ潜り抜けられません!」
ほかのルートを使う気か。でも」
 上条が言いかけた時、今度は引き返した道の方から別の暴動に参加している若者達が顔を出してきた。ただでさえ細い道が、完壁かんぺきに人の壁で埋め尽くされている。
 無理もない。上条や五和は、つい先ほどその暴動を抜けてきたばかりなのだから。
「こっちも!!」
 珍しく五和は苛立いらだった声を上げ、上条の手を引いて壁となっている集合住宅の方へと走った。
 石造り……というより、ほとんどがけに見える建物の中へ、上条達は飛び込んでいく。
 分厚い木でできた扉を、背中で押すように閉める。
 その向こうから、ガンガンという暴力的な音や衝撃しょうげきが跳ね返ってきた。ただ、それはだれかが扉を破ろうとしているのではなく、道いっぱいに広がった暴徒たちの肩や腕がこすれているような感じだ。
 上条かみじょうは扉に背中を預けたまま、ずるずると床に腰を下ろした。
「……こんなのどうするんだよ。これじゃ教皇庁宮殿なんて行けないぞ」
「確かに、この暴動の中を進んでいくのは難しそうですね……」
 五和いつわは弱々しい口調で言った。
 彼女は肩にかけていたバッグを床に下ろすと、その中から七〇センチぐらいの棒を数本取り出した。ガスの元栓のようなソケットをカチリとはめると、それは一本の長い棒になる。五和は最後にその先端へ、はがねの刃を取り付けた。
 西洋風の十字やりの出来上がりだ。
 確か名前は、海軍用船上槍フリウリスピアだったと思う。
(はぁー……。なんつーか、隠密おんみつ行動ってのも色々考えてんだなー……、ッ!?)
 考え事をしている最中に上条ののどが詰まりかける。
 ブラウスの前だけを適当にしばった五和の谷間が見えかけたせいだ。その服は色々反則だろうと上条は思ったのだが、当の本人は全く気づいた様子もなく、
「どうしましょう。暴動はける事を前提に行動していたので、実際にそこへ巻き込まれた時の策や術式は持っていないんです」
「ま、まあな。暴動を治めるためには教皇庁宮殿へ行く必要があって、教皇庁宮殿へ行くためには暴動を治める必要がある……か。くそ、堂々巡りだな」
 おまけに敵が危機感を抱けば、こうして足止めされている問に連中はC文書を持ってバチカンへ帰ってしまうかもしれない。そこでC文書を使われたら奪取は困難だ。後は永遠にこの作為的な暴動が続いてしまう危険もある。
 迅速じんそくな行動をしなくてはいけないのに、身動きの取れないジレンマ。
 無駄むだに消費される一秒一秒が、一〇倍にも一〇〇倍にも感じられる。
 その時だった。
 唐突に、上条のポケットにあった携帯電話が着儒音を鳴らした。
 上御門つらみかどからだ。
『カミやん、そっちは大丈夫だいじょうぶか!?』
「お前は今どこにいるんだよ!? つか、そっちも暴動に巻き込まれてんのか? 怪我けがとかしてねぇだろうな!」
『今は教皇庁宮殿って建物に向かってる最中。このフランスでC文書を扱える場所っつったらあそこぐらいしかないだろうしにゃー』
「教皇庁宮殿……? お前もやっぱりそこをねらってたのか」
『?』
 土御門つちみかどが何か言う前に、上条かみじょうはさらに言う。
「って事は、おれのパラシュートが変な所に落ちたんじゃなくて、元々アビニョンに用があったってのは間違いないんだな」
『そりゃそうだが……カミやん、どうして教皇庁宮殿の事を知ってる? 確か説明する前に飛行機から飛び降りたはずなんだがにゃー』
「こっちは天草式あまくさしき五和いつわってヤツと合流して、似たような事を話してたんだ。ただ、暴動がひどくなって教皇庁宮殿に近づけない。お前の方はどうなんだ」
『こっちも似たようなモンだにゃー。ま、色々あ.た。アビニョンの細い道と人の波を使った暴動ってのは、相性が良すぎる。真っ向から突っ込むだけじゃ本命には近づけもしない』
 それだけで、お互いは大体の事情をつかんでいた。
 やはり、土御門も暴動に巻き込まれ、どこかに退避たいひしているのだろう。
「おい土御門。とりあえず合流したいんだけど、落ち合えるような場所って知ってるか」
『街のあちこちで暴動が起きてるんだぜい。長時間、一ヶ所にとどまってるような事はけたいな』
「じゃあどうする。暴動が収まるのを待つか?」
『自然に起きている騒ぎならそれでも良いんだろうが、こいつはC文書によって意図的に引き起こされたモンだ。ローマ正教の連中にとって都合の良いようにさわぎはいくらでも引き伸ばせる以上、ただ待つだけで事態が好転する事はまずありえないにゃー』
「じゃあ.ほかに手はあるのか!?」
『ある』
 土御門はあっさりと答えた。
『逆転の発想ってヤツだな。教皇庁宮殿へ行けないなら、教皇庁宮殿に行かずに問題を解決できる方法を使えば良い』
「……?」
『その天草式のヤツから少しは話を聞かなかったか? って事で問題です。アビニョンの教皇庁宮殿が重要視されている理由は何でしょう?』
 土御門に言われて、上条は少しだけ考えた。
「それは、まあ、バチカンにある施設を遠隔操作できるからなんだろ。だからC文書もここで扱う事ができるって」
『そうだ。それなら、アビニョンとローマ教皇領……今のバチカンを結んでいる術的なパイプラインを切断しちまえば良い。それで連中はC文書を扱えなくなるはずだ。教皇庁宮殿まで行くのは難しくても、その途中にあるパイプラインまでなら何とか近づけるかもな』
 あ、と上条は思わず声を出していた。
 確かに、言われてみればその通りだが……。
「でも、C文書が使えなくなれば、教皇庁宮殿でそれを扱ってる連中も気づくはずだぞ。そうなったら逃げられちまうかもしれない」
『そうだな。それは否定できない。だからスケジュールがすべてだ。パイプラインを遮断しゃだんしてから教皇庁宮殿に向かうまでが勝負になる』
 土御門つちみかどの意見は、それなりに筋が通っているようにも思える。
 彼は旅客機に乗る前からこういう情報を集めていたのだろうか。それとも、上条かみじょうはなばなれになった後、アビニョンで暴徒に迫われながらも調査を続けていたのか。
 しかし、素人しろうとの上条にも問題を見つけられた。
「教皇庁宮殿にC文書があるとして、誰がそれを使っているか分からないだろ。連中は、その気になれば暴動に紛れて隠れちまう事もできる。そうなったら、俺達おれたちだけで見つけるのは難しいぞ」
『……、』
 土御門はわずかにだまり込んだ。
 彼はポツリと言う。
『ま、そこは何とかする。とにかくまずはC文書を止めるのが先だ』
 土御門の言葉に、上条は嫌な感覚を得ていた。
(……まさか、また魔術まじゅつを使って敵の居場所を突き止めるとか、そういう話じゃないだろうな)
 土御門元春もとはるは、魔術を使うと体が傷ついていくハンデを負っている。
 だが、彼は必要ならそのハンデを無視して魔術を使う事を、上条は知っている。『大覇星祭だいはせいさい』では血まみれになりながら、学園都市に紛れたオリアナ=トムソンを追い詰めていた。
 上条の不安を知ってか知らずか、土御門は明るい声でこう言った。
『ようやく活路が見えてきたな、カミやん』

  6

 集合住宅の中を通り抜け、上条と五和いつわは裏口から外へ出る。
「五和の仲間……天草式あまくさしきの連中ってまだ来れないのか?」
「す、すみません。元々、こんな展開になるとは考えていませんでしたから。先程緊急きんきゅう連絡はしておいたのですが、明日の朝に合流できるかどうか。日本国内なら移動術式『縮図巡礼』の『渦』が使えたんですけど……」
 こちらの道には暴徒達はおらず、教皇庁宮殿まで何事もなく向かえそうな気もしてくる。
 しかし、いつまた大量の人混みに道をふさがれてしまうか分からない状況では、安易に長距離ちょうきょりを歩こうとしない方が良いだろう。やはりここは土御門の示した通り、手近にあるパイプラインを目指すべきだ。
「こ、こっちです」
 やりを手にした五和が前に立って上条を導いていく。
 今までよりもやけに左右の『壁』が高いな……と思ったら、この辺りはがけの上にさらに石造りの建物を建てているらしい。要塞ようさいのような建造物は黒ずんだ汚れまで防壁の一種のように思えて、パッと見た感じでは何のための建物なのか分からなかった。住宅街も店舗も教会も、何もかもがとりでのような外観をしているのだ。
「その、ツチミカドさんに指定された場所は分かりますけど……本当に、そこに教皇庁宮殿からバチカンへつながるパイプラインがあるんですか?」
おれに聞かれてもな……」
 上条かみじょうつぶやきながら、携帯電話に目をやる。
 土御門つちみかどの声は気軽なものだ。
『ま、地脈の読み方は文明によって大分違うモンだが、これに関しちゃほぼ間違いないぜい』
 その『ポイント』は上条たちの居場所のすぐ近くにあるらしい。土御門の位置からは結構はなれているため、上条と五和いつわでパイプラインを断つ事になったのだ。
「その、パイプラインってのはどんな形をしてるものなんだ? 地上に飛び出してる……訳はねぇよな……」
『脈ってのは土の中にある力の流れみたいなもんだ。流れてる力の種類や方向はバラバラ。ある宗派にとっては重要な力であっても、別の宗派にとっては意味がない、なんてのもザラだ。だからこそ、文明によって読み方が違う、なんていう話になるんだけど』
 上条が首をかしげていると、スピーカーかられる音を聞き取っていたのか、五和が横から『食材の使い方みたいなものですよ』ど言った。
 洋食では高級食材になる黒豚などは、(最近の創作料理はともかく)和食では見向きもしない。そういう風に、『たくさんある力の中から、必要だと感じた所だけを引っ張ってくる』のが地脈の使い方の基本らしい。
 五和の口調はすらすらと滑らかだ。天草式あまくさしきは地脈を使った術式が得意なんだろうか、と上条は適当に考える。
『ま、この大地に貴賎きせんはないからな、勝手に価値を付けて使ってるのはオレ達人間の方だって訳だにゃー』
「じゃあ、やっぱり素人しろうとが見ただけじゃ分からないんだな」
『ってな訳で、ローマ正教にとって重要な地脈が、このアビニョンとバチカンを結んでいる。厳密には人の手で地形を崩して生み出されたいびつなラインだけどな』
 土御門はサラリと言う。
『こいつは風水の概念がいねんだが、地脈ってのは結構簡単に揺らぐ』
「はぁ。でも地脈って、良く分かんないけど大地に直接刻まれてるラインなんだろ?」
『だから、その大地そのものを削っちまえば地脈もゆがむ。風水的に良い土地悪い土地を読む基準ってのは、ここに山があるとか、この方角に川が流れてるとかって感じなんだけど……今時、川を埋め立てたり山を削ったりなんてのは珍しくもないだろ』
 土地を利用する魔術師まじゅつしは、そういう大事なポイントを開発されないように努力する必要があるんですよ、と五和いつわは付け加えた。
 ……色々大変なんだな、と上条かみじょうはややあきれる。
「でもって、逆に魔術的な計算を行い地形を変えたりもする。厳密には一地域にある独立した多数の脈から『どんな味の脈を強く出すか』っつー再選択に近い。ただ下手するとバランスが崩れて大惨事だいさんじになったりするから、国家単位の大プロジェクトになるんだけどにゃー』
「それが、ローマ正教のパイプライン……」
『さっきも言った通り、大地には無数の方向に様々な種類の力の脈が流れてる。だからまあ、何のヒントもない状態で必要な一本のラインを見つけるのは極めて難しい』
 土御門つちみかどはスラスラと言う。
『だが、教皇庁宮殿とバチカンを結ぶ線……っつー検索条件が分かれば話は別。目的地を指定したカーナビみたいにスラスラ見つかるにゃー。ともあれ、カミやんたちはそのパイプラインをさっさとこわしてくれると助かるぜい。ええと、イツワっつったっけか?』
「はっ、はい!!」
『確認しておくけど、パイプラインの破壊はかい方法・術式は分かるかにゃー』
「え、ええと。天草式あまくさしき流儀りゅうぎのっとったものでしたら。神道・仏教・十字教なら、スタンダードなものはほぼ網羅ももうらしていると思います……」
『それだけできれば十分だ。そっちでパイプラインを発見した場合はお前がやれ』
 ? と上条は二人のやり取りを聞きながら首をかしげ、
「ってか、おれの右手を使えば地脈だろうがパイプラインだろうが一発じゃねえの?」
 彼には幻想殺しイマジンブレイカーという力がある。
 魔術だろうが超能力だろうが、異能の力に関するものなら一撃いちげきで粉砕する力だ。
 しかし、上条の意見に土御門は難色を示した。
『カミやんの幻想殺しイマジンブレイカーで、本当に地脈が消せるのかは分からないな』
「え?」
 その言葉に、上条はキョトンとした顔になった。
「でも、地脈って……ええと、魔術的なもの……なんだよな。だったら」
『それなんだが』
 土御門はさえぎるように言う。
『どうも、カミやんの右手は正体がつかみ切れてないんだよな。魔術でも超能力でも何でも打ち消す……とは言うが、例えば……そうだな。人間の「生命力」だってオカルト的な力だが、カミやんは握手をしただけで人を殺せるって訳ではないだろう?』
「それは……まあ……」
『何だか、妙な「例外」がある気がする。そして多分、地脈はその「例外」に引っ掛かるな。カミやんが地面に触れただけで、地球が粉々になるって事は考えにくいし』
 しかしそれでいて、ミーシャ=クロイツェフは上条かみじょうの右手に触れようともしなかったし、風斬氷華かざきりひょうかは無意識の内に上条の右手を恐れていた。
「……、」
 上条は思わずだまり込んで、自分の右手に目をやってしまった。
(───例外、だって?)
 そこにはどんな仕組みがあるのか。
 仕組みがある事に、何らかの意味があるのか。
 冷静になってみれば、上条は『幻想殺し《イマジンブレイカー》』という自分の力について、詳しい事を知らない。記憶きおくを失っているせいでもあるし……もしかしたら、記憶を失っていなくても分からなかったかもしれない。少なくとも記憶を失った後に残った「知識』の中には、答えどころかヒントもなかった。
 ともあれ、今はとにかくパイプラインを切断するのが先決だ。
 気を取り直して、上条は前を見る。

  7

 上条と五和いつわがやってきたのは、アビニョンにある小さな博物館だった。
『博物館』という独立した大きな建物があるのではない。ほかの集合住宅や店舗と同じく、道ので左右にそびえるとりでのような建物の一角を利用しているだけだ。元々城壁で囲まれた小さなアビニョンの旧市街では、そんなスペースがないのだろうし、統一感のある景観を整える意図もあるのだろう。
 正面の入口にはフランス語の看板があったが、木のドアの手前には金属格子のシャッターが下りていた、おそらくノブに引っかけたプレートには『閉館』という単語が並んでいるはずだ。
 今は平日の昼間なのだが、
「暴動を恐れて早めに店じまいしたみたいですね」
 五和は建物を見上げながらそう言った。
 上条は頑丈なシャッターに目をやりながら、
「でも、土御門つちみかどが言うには、この博物館の中を見えないパイプラインが通ってるんだろ? どうやって入るんだ。天草式あまくさしきって鍵開かぎあけのスキルとか───」
「えいや」
 上条かみじょうの言葉は、可愛かわいらしい掛け声にさえぎれれた。
 直後、五和いつわやりの先端をシャッターと地面の隙間すきまに差し込むと、てこの原理っぼく槍を動かした。シャッターを動かす歯車そのものが、ベキリという音と共に砕けてこわれる。
 防犯ベルが甲高い音を鳴らすのも構わず、五和はさらにシャッターを押し上げ、その奥にあった木のドアに関しても同じようにてこの原理でこじ開けた。
 五和はサラリとした顔で中へ入っていく。
「さ、早く早く」
「ええと……五和さん?」
 上条はギョッとした顔で小柄な少女の顔を眺める。
 あなたはフツーのオンナノコのはずだよね……? とすがるようなひとみを向けるが、五和はキョトンとしたままだ、さわぎを聞きつけて博物館の人が来たらなぐり倒す気なのだろうか。
 防犯ベルの甲高い音にビビりながら、上条も博物館の中へ入る。
 薄暗うすぐらい……というよりほとんど真っ暗だった。展示品を直接日光に当てないようにするため、窓をすべふさいでいるのだろう。普段ふだんは蛍光灯の光があるから問題ないのだろうが、現在は非常口を示す淡い明かりしかないので、足元がかなり心許こころもとない状態になっていた。
土御門つちみかどが言ってたのは……」
「ここまでくれば私でも分かります。こっちみたいですよ」
 槍を片手に五和は奥へ進んでいく。
 上条がその後をついていくと、あったのは何の変哲もない床だった。ただし、展示用のガラスのショーケースの配置を見ると、何故なぜかここだけ規則性が無視され、不自然に何もなかった。
 五和はその不自然な床の周りをゆっくりと回る。彼女はしばらく観察すると、 やがて何か満足げにうなずいた。
「やっぱりここみたいです。ローマ正教式に加工された力……他宗教の術式に対する一種の浄化作用のようなものが感じられます。西洋十字教社会特有の『脈』ですね。かなり近づかないと感知できないぐらい、巧妙に隠蔽いんぺいされていますけど」
 彼女はこちらの顔を見てこう言った。
「……ツチミカドさんはまだ来ていませんが、敵に気づかれる前にやってしまいましょう。これからパイプラインの切断に入りますから、ちょっと下がっていてくださいね」
「何もないように見えるけどな」
 上条は五和の近くにある床をジロジロと見ながら、
「……ていうか、パイプラインの切断ってそんな簡単にできるモンなのか?」
「地脈を丸ごと一本切断するとなると、莫大な人員が必要になりますけど」
 あはは、と五和は笑って、
「あくまで、教皇庁宮殿とバチカンを結ぶラインが使えなくなれば、それで済むだけですから。意図的にちょっと傷をつけて、ラインの方向をズラすだけですので、私一人でも何とかなりますよ」
 なるほど、と大して分かっていないのに上条かみじょういた。
 とにかく幻想殺しイマジンブレイカーのせいで邪魔じゃまになるのはけなきゃな、と彼は五和いつわから少しはなれた。
 天草式あまくきしきの少女はバッグを置くと、その中をゴソゴソとあさる。どうやら術式に使うための日用品を選んでいるらしい。
 上条はそれを見ながら、
「天草式って、そういうのを使って術式を作るんだっけか?」
「え、ええ。今必要なのは……カメラに、スリッパに、パンフレットに、ミネラルウォーターに、白いパンツ───」
 取り出してから、五和は『ひゃあっ!?』と叫んで、おそらくさっき着替えた時に脱いだものであろう下着を慌ててバッグへ戻した。
 顔を真っ赤にしたまま、しかし五和の動きがピタリと止まる。
「ど、どうしたんだ五和?」
「……なんです」
 ポツリと、五和は動きを止めたままつぶやいた。
「この術式の構成に、どうしても必要なんです……」

 彼女は希望を失った顔で、ゆっくりした動作で下着をバッグから取り出した。泣きそうな五和いつわを見て上条かみじょうは後ろを向こうかとも思ったが、彼女の方から『い、いえ。気にしないでください』と言われてしまったので何とも身動きがとれない。
 五和は五和で、バッグから取り出したものを床の上へ並べていく。一見すると円形……のようだが、おそらく細かい規定みたいなものがあるのだろう。
 それらの配置を終えると、少女は手の中のやりをくるりと回して、その穂先ほさきを下に向ける。
「行きます」
 一言告げると、五和はその槍を両手で床へ突き刺した。
 円形のちょうど真ん中辺りだ。
 石に刃物がぶつかるような音はしない。
 泥の中に沈むように、槍の先端がズブリと床へ消えていく。
(五和がパイプラインを切ったら、それでC文書の効力もなくなる。つまり、この旧市街で起こっている暴動も治まるはずだ)
 天草式あまくさしきの少女は床に槍を突き刺したまま、口の中で何かをつぶやく。
 彼女の突き刺した槍が、ゆっくりと、ゆっくりと、さらに深く沈んでいく。
(でも、そうなったら教皇庁宮殿でC文書を使ってる連中も、自分たちの失敗に勘付く。形勢が不利だと判断されたら、C文書を持ってバチカンへ逃げ帰られる危険もある)
 彼女の足が動き、そのかかとが床をる。
 槍をつかんでいる手の中で、人差し指だけが槍のつかを小さくたたいてリズムを取る。
(だから時間が勝負だ。暴動が治まったら速攻で教皇庁宮殿へ走る。別動の土御門つちみかどと連携を取りながら、連中が建物から消える前に押さえるんだ)
 槍は半分以上床の中へもぐり、その柄尻つかじりは五和の胸の高さまで落ちていた。
 彼女は一度手を放し、改めて槍を掴み直す。
 そして手首をひねり、槍をねじった。
 まるで、巨大なかぎを回すように。
 次に来たのは音だ。
 ただし。
 それは五和の槍が生み出したものではない。

 ゴッ!! と。
 唐突に博物館の外壁を引き裂いた何らかの攻撃こうげきが、床に埋まった槍ごと五和の休をねらっておそいかかったのだ。

 感覚としては、巨人の振るう刃。

 色は白。
 攻撃こうげき五和いつわに向かって一直線に進む。
 それに気づいた彼女は床へやりを突き刺したまま、体の位置をズラす事で槍の後ろへ回る。放たれた攻撃は五和のすぐ横を突き抜けたが、破壊はかいされた外壁の欠片かけら───と言っても一抱えもある岩の塊が五和の槍の真ん中に直撃した。
「五和!!」
 攻撃を受けた五和の槍が、真ん中から容赦ようしゃなくへし折られる。
 その余波を受けた五和は、折れた槍をつかんだまま大きく後ろへけ反った。
 一定の破壊を巻き起こすと、白い攻撃は煙のように揺らいで消える。
「この……ッ!!」
 五和は真ん中から折られた槍の上下パーツを両手で持つ。棒の折れた部分を接続部アタッチメントから外して切り捨てると、床に置いていたバッグをり上げ、空中にあったバッグの中から替えの棒を取り出し、再び取り付けて一本の槍を作り上げる。
 第二撃は直後に来た。
 外壁を次々と引き裂いて、建物の外から『白い刃』がおそいかかってくる。
 壁から壁までを一気に突き抜けた『白い刃』の動きは、まるで子供が乱暴に木の枝を振るうような雑なものだ。しかし、そこへ圧倒的な破壊力が加わると状況は変わってくる。石の壁や床が崩れ、ガラスのショーケースが砕け散り、その破片が四方八方へ飛び交っていく。
 ゴンガンバギン!! という轟音ごうおんが連続する。
 身をかがめる上条かみじょうからパラパラと細かい粉末が落ちてくるのを見た。
(まずい……建物自体がたない……ッ!!)
「五和!!」
 上条は叫びながら、手の動きで出口へ走るように促す。
 五和もそれに応じ、上条たちは急いで博物館の正面出口へ向かう。
 その間にも『白い刃』は壁を引き裂き、獲物に追いすがるように振り回される。
 一撃一撃ごとに、少しずつねらいが正確になってきているような気がした。
 相手がこちらの逃げ方に慣れてきているのか。
 あるいは、
 遠距離えんきょりから攻撃している襲撃者しゅうげきしゃが、少しずつこちらへ近づいてきているのか。
 ギロチンのように落ちてくる刃の下をかろうじて潜り抜け、上条達はほとんど転がるように博物館の外へと飛び出した。
 そこへ、

「おやおや。やはり近距離から放たなければ精度が落ちるみたいですねー」
 声は間近から聞こえた。
 鼻先数十センチの位置。
 まるで最初からそこで待ち構えていたような人物に、上条かみじょうの方が面食らう。
 眼前の人物は、上条の返事を待たずに右腕を振るった。
 その腕には、白い何かがまとわりついていた。
 ゆるやかな動きに反して、それはすべり落ちるギロチンのような速度で上条の首をねらう。
 ドッ!!という空気を裂く轟音ごうおん炸裂さくれつする。
「おおおおおおおおッ!?」
 とっさにかざした右手に、放たれた『白い刃』が激突する。
『白い刃』はその拍子に粉々に砕け散った。比喩ひゆではない。本当に白い粉末となって周囲一面へ飛び散ったのだ。
 きりのように揺らぐ粉末のカーテンは、襲撃者しゅうげきしゃの指の動きに合わせて再び集束していく。
「下がってください!!」
 後ろから五和いつわに叫ばれ、上条は慌てて襲撃者から距離きょりを取る。
 ようやく上条の焦点が、襲撃者の全貌ぜんぼうへ合わせられる。
 それは、緑色の礼服を着た男だった。
 頭の先から足の裏まで、すべてが緑色の礼服。
 白人にしては背が低いかもしれず、上条と同じかそれより下ぐらいだ。一方で、年齢は上条の二倍はあるかもしれない。体はせぎすで、礼服の中も随分ずいぶんとゆったりしているように見える。ほおのこけた顔には妙な活力を感じさせた。
 上条は右拳みぎこぶしを構えたまま、礼服の襲撃者へ尋ねる。
「……ローマ正教か」
「間違いではありませんが、どうせなら『神の右席』と呼んで欲しかったものですねー」
 気軽な調子で言われて、上条は絶句した。
『神の右席』。
 そこに所属する『前方のヴェント』は、九月三〇日にたった一人で学園都市の機能をほぼ完全に麻痺まひさせた事があるのだ。
 彼女と肩を並べるとなると……。
「私の名前は、『左方のテッラ』」
 男の手の中に集まった白い粉末が、形を成す。
 それはやはりギロチンだ。
 七〇センチ四方の正方形の下端を強引に斜めに断ち切ったような、板状の刃。本来ならロープを結んでり上げる部分の輪っかを、男は片手でつかんでいる。
「やっと私の出番がきたようです.、何せ、『神の右席わたしたち』は人間が使うような普通の魔術まじゅつは扱えませんからねー。C文書の行使はほかの術者に任せなくてはなりませんし」
 テッラは処刑用の刃を無造作にぶら下げ、楽しそうに笑った。
 にっこりと。
「そんな訳で、暇潰ひまつぶしにでも付き合っていただきましょうかねー。対地脈用の探査に引っ掛かったのはあなたたちが初めてですし、少しは楽しませていただけるとありがたいのですが」

  8

 外壁の崩れた博物館の手前に、上条かみじょうで視界が悪くなった中、それらを引き裂くように彼らは動く。
 左方のテッラが右手を振るった。
 左から右へ。
 その動きに合わせて『白いギロチン』が動いた。つかんでいる、というより空中を漂っているものが腕と連動しているような感じだった。つい先ほどまで一メートル前後の大きさだったギロチンは、いきなり形を崩すと、白い津波となって横一線にすべてをぎ払っていく。
 ドッ!! という轟音ごうおん炸裂さくれつする。
「おおおおっ!?」
 上条はとっさに右手を構える。
 そこを境に、破壊はかいの渦が後から追いかける。アビニョン旧市街の街並みは狭い。その左右に建つがけのような建造物をまとめてえぐり取り、路上駐車してある自動車を吹き飛ばし、建物そのものを斜めにかしがせる。
 上条の立ち位置の右か左か。
 たったそれだけで、古い街並みと瓦礫がれきの山とが綺麗きれいに分かれていく。
 確かに威力は高く、あの攻撃こうげきをまともに食らえばひとたまりもないが……、
(あいつの白い刃は俺の右手で何とかできる!!)
「五和!!」
 上条は叫び、披女の返事を待たずにテッラの元へと走り出した。
 テッラの攻撃をこちらで引き付け、その間に五利がテッラのふところもぐり込む。それが最も効率的なパターンというヤツだ。
 一方、テッラの方も上条の右手に注目したらしい。
 不健康そうな目を細めながら、感心したように言う。
「本来なら今の一撃で死んでいたはずですけど。なるほど、それが幻想殺しイマジンブレイカー。……前方のヴェントを追い詰めたと聞いていますがねー」
 ニヤリと笑いながら、テッラはギロチンを振るう。
 後ろから前へ。
 その動きに合わせ、白い刃はネジのようにとがり、その鋭い一撃いちげき上条かみじょうの胸へと一直線におそいかかる。
「……ッ!!」
 上条はどうにかそれを右手ではじき飛ばすが、どうしても防御に集中してしまい足が鈍ってしまう。
 ヒュッ、と。
 そんな上条の横を、やりたずさえた五和いつわがやや身をかがめた状態で走り抜けていく。
「ふん」
 テッラのギロチンが五和へ向けられる。
 ドッ!! という膨大ぼうだいな音が耳を打つ。 一直線に放たれた白い刃を、しかし五和は上半身を振るようにしてけた。それでいて、彼女の足は止まらなかった。二度、三度と放たれる必殺の刃物を的確に回避かいひしながら、海軍用船上槍フリウリスピアを構え直し、テッラのふところへと飛び込んでいく。
 一度後ろへ引かれた槍が、勢い良く前方へ突き出される。
 テッラはその槍を、横薙よこなぎのギロチンで弾く。
 さらに逆方向ヘギロチンを動かし、今度はテッラの攻撃が横から五和をねらう。
 カウンターのように放たれる巨大な刃。
「ッ!!」
 五和はそれを無理に受け止めようとせず、斜め前へ跳ぶように、前へ進みながらも攻撃を避ける。そうしながら槍を後ろへ引き、力のめを作ってから一気に突き出そうとする。しかし余計な回避行動を取ったせいか、五和の体のバランスは崩れていて、そのせいで攻撃までにわずかなラグが生じてしまっていた。
 その間に、テシラは次のギロチンを放とうとする。
 このままでは五和の槍よりも速く、テッラの白い刃の方が貫くが、
 チカッ、と。
 テッラの顔の横で、小さな光がまたたいた。
 そう思った時には、すでにテッラの眼前で光の筋が交差し、さらに彼の周囲には直線的な複数の光が、蜘蛛くもの糸のように張り巡らされている。
「すみません、と謝っておきます……」
 五和の口から声がれると同時に、ギリギリという不穏ふおんな音がひびく。
 限界まで力を溜めているその正体は、

「───七教七刃しちきょうしちじん!!」

 鋼糸ワイヤー

 ゴバッ!!と空気を裂きながら、テッラを囲むワイヤーがすさまじい速度でおそいかかる。七方向から同時に攻める極細の刃は、足首から心臓までありとあらゆる箇所を切断しようとねらいを定める。
 テッラにけるだけの余裕はなかった。
 もしかしたら、拳銃けんじゅうの弾丸よりも素早かったのでは、と上条かみじょうは思う。
 しかし、

「───優先する」

 テッラの表情は変わらなかった。
 ただ口元でそうつぶやいただけだった。テッラの体を狙う七本のワイヤーは、その体を切断するどころか、まるでタコ糸のようにからみつくだけで、皮膚ひふに傷一つ与える事もなかった。
 五和いつわの表情が驚愕きょうがくに染まる。
 テッラは右腕を軽く振るい、それこそ蜘蛛くもの巣を裂くように、皮膚に接触している七本のワイヤーをブチブチと切り取っていく。
「ッ!!」
 五和は息をき、後ろへ引いていたやりを一気に前へ突き出す。
 雷のような速度で、鋭い穂先ほさきがテッラの肩を貫こうとするが、
「優先する。───外壁を下位に、人体を上位に」
 テッラが一言を呟いた途端だった。
 彼の体が見えない入り口をくぐるように、背後の壁の中へと消えて行った。
「ッ!?」
 五和の槍が、何もない壁に激突して甲高い音を立てる。
 その衝撃しょうげきが手首に返ったのか、五和は歯を食いしばるような表情になった。
 そこへ、
「優先する。───外壁を下位に、刃の動きを上位に」
 ゴッ!!と、壁を突き抜けて、白いギロチンが五和の胴体目がけて横薙よこなぎに襲いかかってきた。
 五和は防ぐ事をあきらめ、地面へ転がるようにして水平攻撃を避けていく。
 千切ちぎれた髪の毛が数本宙を舞う。
 その間に、テッラは自ら破壊はかいした外壁の裂け目から再び外へと飛び出してくる。
 回避かいひ行動を取った直後の五和を見つけ、再び無造作にギロチンを振るう。
 地面に腹を密着させている今の五和いつわでは、これをける事はできない。
 だから上条かみじょうは、五和とテッラの問に割り込むように飛び込んだ。
「おおおおおァあああッ!?」
 五和の首に振り下ろされかけた巨大な刃を、ギリギリの所で右手を使って吹き飛ばす。
 ギロチンが爆発し、周釧に白い粉末が飛び散っていく。
 テッラの表情は崩れない。
 あるのは余裕だけだ。
「優先する。───外壁を下位に、刃の動きを上位に」
 テッラは再び告げると、再集結させた白い刃を横合いの壁へ無造作に突き刺した。
 そのまま棚を倒すように、外壁ごとギロチンを振るう。
 外壁が崩れ、メロンほどの大きさの岩の塊が数十も飛んでくる。
「ッ!!」
 上条は起き上がりかけた五和の腕をつかんで強引に後ろへ下がる。ついさっきまで自分たちのいた場所が、あっという間に建材につぶされていく。
 テッラはすぐさま追いすがらず、ゆっくりとした動作で瓦礫がれきんでこちらへ近づいてくる。
幻想殺しイマジンブレイカーの話は以前から耳にしていましたから、多少は期待もしていたんですがねー」
 その右手に材質不明の白い刃をぶら下げて、テッラはうっすらと笑う。
「こうして見る限り、それほどでもないようで。正直に言って、実際にの当たりにしてがっかりしましたよ。こんなのなら見なければ良かったなーと。ヴェント戦に勝利したらしいですが、あれは彼女の『天罰てんばつ』が消去された上、学園都市側が『堕天使だてんし』や『界の圧迫』などを使ってヴェントを内側からめ上げていたからこその結果だったようですねー。仮に彼女の攻撃こうげきが万全なら、あなたごときで苦戦する事もなかったでしょう」
 テッラの動きとは対照的に、上条は五和をかばうようにしながら、後ろへ下がっていく。
(これが……)
 上条は背筋に寒いものを感じながらも、心のどこかで納得していた。
 あのヴェントと肩を並べる男が、ただ刃物を使って攻撃してくるだけで終わるはずがないのだ。
(これが、『神の右席』……ツ!!)
 思わず歯噛はがみする上条だったが、テッラはこちらの動揺が収まるまで大人しくしてくれるはずがない。
「おやおや。どうしたのですか」
 テッラは笑う。
 禍々まがまがしいギロチンを手にして。
「まさか、後ろへ下がっているだけで私に勝てるとは思っていませんよねー? もっと私を楽しませてください。これでは『調整』の参考にもならないんですが」
「くっ!!」
 上条かみじょう五和いつわは重たい体を引きずり、二人同時にテッラへ向かって突っ込む。
 テッラはギロチンを手にした右手を前へかざし、
「優先する。───やりの動きを下位に、空気を上位に」
 それだけで、五和の動きがガクンと落ちた。
 テッラののどに向かって放たれたはずの槍の穂先ほさきが、空気の壁にはばまれるように止まっていたのだ。
 上条はそれを横目で見ながら、右拳みぎこぶしを握りめてテッラのふところへと飛び込む。
 しかしテッラの方が早い。
 無造作に手を横に振っただけで、白い刃が放たれた。その巨大な刃は上条の右手をすり抜けて胴体に突き刺さる。
(しま……!?)
 思考は途中で切断された。
 親指以上の厚さの刃が皮膚ひふを押して体に食い込む嫌な感触が伝わる。 激痛が爆発する。
 ギロチンはそのまま上条の体をくの字に折り曲げ、横合いの壁へと思い切りたたきつけた。
 ズン!! という鈍い音が走る。
 その後に、ブチブチという嫌な音が体の中からひびいてきた。
(……ッ!?)
 あまりの事態に、言語機能が吹き飛ぶ。
 腹と背中の両方に圧迫が襲いかかり、上条の肺から空気が絞り出された。
「ご、は……ッ!?」
 しかしそれだけだ。
 土条の胴体は外壁のように両断されてなかった。
 自分の体を押さえつけるギロチンを、上条はふるえる手でなぐりつける。巨大な刃が粉末状に飛び散ると、上条は地面にひざをついて、乱れた息を少しでも整えようとした。
「……、」
 テッラは、自分のギロチンが破壊はかいされた事を興味深そうに眺めていた。彼が一歩後ろに下がり、手先を軽く動かすと、それだけで粉末はテッラの元へと戻っていく。
(生きて、る……?)
 鈍い痛みの残る腹をさすりながら、上条は思う。
(刃の直撃ちょくげきを受けたのに、まだ生きてる……?)
 一番最初のテッラの奇襲きしゅうは、博物館の外壁を軽々と引き裂くようなものだった。それと同じ攻撃こうげきが放たれたら、上条かみじょうの体がただで済むはずがない。
 となると、
(さっきと今の刃は、違う種類の攻撃なのか……?)
 上条は自分の腹から、テッラの方に視線を移す。
 崩れた博物館の前に立つテッラの表情は、余裕の一言だ。
(何かが威力を増幅してるのか。あの刃物にも何らかのトリックがあるって訳か)
 一番怪しいのは、一つしかない。
 一度破壊はかいされたギロチンの調子を確かめているテッラを、上条はにらみつける。
「『優先する』……」
 いつまでっても届かないやりを手元に引き、上条をかばうように位直取りを変更した五和いつわがポツリとつぶやいた、そして彼女は槍の先に付着している粉末に気づき、
「……小麦粉?」
 少し考え、それから五和の顔がギョッと強張こわばる。
「まさか、その武器……『神の肉』に対応しているんじゃ……」
「へえ。東洋人でも分かりますか」
 絶句する五和に、テッラは挑発するように告げる。
「ミサでは葡萄酒ぶどうしゅは『神の血』、パンは『神の肉』として扱われます。そしてミサのモデルとなったイベントは、言うまでもなく『十字架を使った「神の子」の処刑』ですよねー?」
 テッラの言葉に、五和は唇をむ。
 上条には分からないが、魔術まじゅつを知る者にとってテッラの言葉には破壊力があるらしい。
「『「神の子」は十字架に架けられた』……冷静に考えれば、ただの人問に『神の子』を殺せた、というのは普通ではありません。私でも難しいでしょうねー。しかし、神話は時として『優先順位』を変更します。例えば『神の子』が世界人類の『原罪』を背負うために、本来の順位を無視して『ただの人間』にあっさりと殺されてしまったように」
 そのギロチンが、ザラリと音を立てて崩れていく。
 警戒する上条をよそに、テッラの顔はどんどん楽しげになっていく。
「『神の子』の神話を完成させるための秘儀ひぎ……優先順位の変更。それこそが私の扱う唯一の術式『光の処刑』です。小麦粉を媒体ばいたいとした刃物への任意変形はその副産物のようなものです。お分かりいただけましたでしょうかねぇ?」
 つまりこういう事だ。
『ワイヤー』より『テッラの身体』が優先されたから、彼の体は傷一つつかなかった。
『外壁』より『小麦粉で作った刃』が優先されたから、あれだけの破壊力が生まれた。
『槍』より『空気』が優先されたから、五和の攻撃は途中で止まってしまった。
「この私の前では強さ弱さなど関係ありません。そもそも、その『順番』を制御できるのですからねー」
 これが『神の右席』の力。
 前方のヴェントは、神の扱う『天罰てんばつ』を振りかざして学園都市の機能を奪っていった。
 今度は『神の子』の処刑。
 魔術師まじゅつしというのはどいつもこいつも上条かみじょうの知らない理論や法則を扱う連中だが、その中でも特に『神の右席』の使うものは特殊な気がする。
「しかし、さて、どうしましょうか。私はタネを明かしましたけど、そこから先はありますか。まさかと思いますけど、謎解なぞときが終わったらそれでおしまいなんて考えてはいませんよねー?」
 テッラの言葉に、上条は思わず右拳みぎこぶしを強く握りめた。
 彼の言う通りだ。
 仕組みを理解できた所で打開の策が見つからない。
 だからこそ、テッラは余裕の表情で自分の隠し玉を上条たちへと見せつけた。
「時間を与えましようか」
 いたぶるような口調で、テッラは言う。
「こちらとしても戦闘せんとうの延長自体は悪い事ではありませんし。今から一〇秒与えます。その間に、私を倒すなり私から逃げ出すなりするための策を練ってください。……もっとも、本当にそんなものがあるのなら、ねぇ?」
 楽しそうに、あるいは探るように、テッラはこちらに話しかけてくる。
 くそ、と上条は思わずき捨てた。
 左方のテッラとの問には、それほどの差が開いているのか。
 歯噛はがみする上条に、テッラはその反応一つ一つを楽しむように眺めていたが、

「大サービスだな。一〇秒もあれば三つは策を思いつくぞ」

 いきなり、上条の視界の外から聞き慣れた男の声が飛んできた。
 上条がそちらを見る前に、赤い弾丸が空を切った。その正体はオレンジ色の炎をまとった折り紙だ。複雑に折られた正方形の紙切れは、コンクリートを削り取るほどの勢いでテッラの顔面目がけておそいかかる。
 テッラはジロリと眼球を動かしただけだった。
「優先する。───魔術を下位に、人肌を上位に」
 直撃ちょくげきはした。しかし折り紙はテッラの皮膚に触れた途端、急激に角度を変えて五和のすぐ横の壁へと激突する。金属の壁に弾丸を当てたような反応だった。
 上条はようやく乱入者の顔を見る。
 そこに立っていたのは、青いサングラスの少年。
 無理に魔術まじゅつを使った副作用か、その唇からは一筋の血が垂れていた。
土御門つちみかど……ッ!?」
 そう言った上条かみじょうの言葉に、土御門は小さくうなずいて答えた。
 視線はテッラに向けたままだ。
「まさか」
 テッラはギロチンを持った右手をだらりと下げたまま、小さく笑う。
「今のが打開策という訳ではありませんよねー?」
「残念だが」
 土御門も笑っていた。
 攻撃こうげきは不発に終わったはずなのに、その表情には余裕しかなかった。
「今のでお前は追い詰められた」
「……?」
「そして、次でチェックメイトだ。推論が確証へと変わっていっていると言っているんだよ」
 言いながら彼が取り出したのは、魔術に関する物品ではない。
 黒光りする拳銃けんじゅうだ。
 親船最中おやふねもなかの腹をったあの拳銃だった。
「そんなオモチャで私をたたけるとでも?」
 土御門は答えなかった。
 引き金にかけた人差し指に力を込める。
 特に遮蔽物しゃへいぶつへ身を隠す事もなく、路土に突っ立っていたテッラはゆっくりとロを動かした。
「「優先する。───弾丸を下位に、人肌を上位に」」
 テッラが発したその言葉に、土御門の声が重なっていた。
 ガンゴンドン!! と銃声が立て続けに鳴りひびいた。
 しかし放たれた鉛の弾は、テッラの顔と心臓に当たってはじかれる。
 圧倒的な結果。
 にもかかわらず、それを眺めている上御門の口元から笑みは消えない。「言ったよな。左方のテッラ」
 土御門は片手で拳銃を構えながら、もう片方の手をポケットに突っ込んだ。
 取り出されたのは、黒い色の折り紙だ。
「次でチェックメイトだって」
「───、」
 左方のテッラは、土御門元春もとはるの言葉を受けて短くだまった。
 それから、ゆっくりと土御門に向けてギロチンを構え直す。

 暴動に巻き込まれているはずの街並みに、妙な静けさが漂っていた。
(動く……)
 上条かみじょうはそう思った。
 良くも悪くも、次で戦況は大きく動く。
 二人の対峙たいじまれそうになっていた上条だったが、その時、いつの間にか近づいていた五和いつわが、上条にそっと耳打ちしてきた。
「(……あの、ツチミカドさんが動いたら、そのすきに乗じて走りますよ)」
「え?」
「(……あの人からの伝言なんです。重要なのは敵の打破ではなく、教皇庁宮殿にあるC文書を止める事だって)」
 そう告げる五和の手には、折り紙があった。
 そこに土御門つちみかどからの指示が書かれているのだろう。いつの間に受け渡ししたのかは分からないが、おそらく土御門はテッラとの会話中に伝言の折り紙を五和に投げ飛ばしていたのだ、
 土御門とテッラが、じり……と、互いに一歩ずつ前へ進む。
 二人がぶつかる。
 そう思った上条の耳に、鼓膜を破るほどの轟音ごうおんが鳴りひびいた。
(───ッ!?)
 それは魔術まじゅつによるものではない。

 爆薬がアビニョンの街並みを突き崩す音だ。

 当然ながら、それは土御門やテッラが巻き起こしたものではない。
 第三者が横槍よこやりを入れたのだ。
 その証拠に、二人は忌々いまいましげに舌打ちするとお互いに後ろへ下がって距離きょりを取る。
 突然の出来事におどろく上条の前で、路上の脇に崖のようにそびえていた集合住宅の外壁がガラガラと崩れていく。灰色の粉塵ふんじんが巻き起こり、それが上条たちの視界を奪っていく。
 その向こうに爆音の元凶であるシルエットが見えた。
 ただし、それは人間のものとは大きくかけはなれている。
「……何だよこれ。何がどうなってるんだ」
 思わずポツリと眩く上条。
 その視線の先、灰色のカーテンに隠された向こうで、いびつなシルエットがうごめいていた。

  9

 学園都市の非公式編成機甲部隊は街の外周からアビニョン旧市街へ侵攻を開始した。
 彼らの主要兵装はHsPS-15、通称は『ラージウェポン』。学園都市の技術のすいを集めて作られた駆動鎧パワードスーツだ。
 駆動鎧パワードスーツとは西洋の金属よろいのように全身を特殊な装甲でおおい、なおかつ関節を電力駆動で動かす事によって、生身の人間の数倍から数十倍もの運動能力を叩き出す学園都市の新兵器だ。
 規格によってサイズや戦力は様々だが、そこにいたのは全長一丁五メートルほどの大きさの金属のかたまりだった。
 青と灰色の特殊な迷彩をほどこされた機体は、それぞれ二本の手足を持ったロボットのような『装甲』で、指も五本ついている。しかし、その駆動鎧パワードスーツが『人間らしい』かと言われれば、答えはノーだろう。『頭』にあたる部分が巨大で、膨らんだ胸部装甲もあるせいか、まるでドラム缶型の警備ロボットをかぶっているようにも見えた。首はなく、胸に直接固定された『頭部』が回転している。
 バギバギバギバギ!!という硬い物がつぶれる音がひびく。
 機械の脚が瓦礫がれきの破片をんで前へ進む音だ。
 数百年以上の時を過ごしてきた石畳や煉瓦れんが残骸ざんがいが、いとも簡単に踏みにじられていく。
 駆動鎧パワードスーツの手には、不格好なほど銃身の太い特殊な銃器が握られている。
 戦車の砲身を強引に短く切り詰めたような銃は大型のライフルにも見えるが、厳密には違う。
 それはリボルバー方式の対隔壁用ショットガンだ。
 この銃器に使われる弾丸は特殊なもので、たった一つの外殻ショットシェルの中へ、俗にアンチマテリアルと分類される弾丸を数十発詰め込んでいる。一発一発が戦車をち抜くほどの破壊力はかいりょくを秘め、近距離きんきょりから数発撃ち込めば核シェルターの扉であってもこじ開ける。普通なら火薬の爆発力に銃身の方が耐えられないのだが、火薬の種類と詰め込む配置を繊細せんさいに調節する事によって爆発力の方向を操り、必要最低限の銃身負荷で最大の破壊力を発揮させているのだ。
 敵が籠城ろうじょうするシェルターの分厚い出入り口を真正面から打ち破って蹂躙じゅうりんするために開発された大型銃器を、数十の駆動鎧パワードスーツは一斉にアビニョンの城壁へと向けていく。
『侵攻開始』
 たった一言。
 その声と同時に、対隔壁用ショットガンが火を噴いた。ポンプアクションのようなスライドを引くごとに、リボルバーのシリンダーが回転する。
 数百年と人の出入りを制限していた石の壁が、ものの一瞬いっしゅんで紙くずのように吹き飛ばされていく。
 瓦礫がれきんで駆動鎧パワードスーツはアビニョンの旧市街へ入る。
 人工物の二本足は、本物の人間よりもなめらかな動作で進んでいく。
 彼らの前には、今までアビニョンで暴れていた若者たちがいた。
 そこには単一の恐怖や怒りはない。突然の出来事に、そういった感情に分類される以前の、もっとごちゃごちゃした感情の渦に翻弄ほんろうされて、がくがくとふるえている。
 対して、駆動鎧パワードスーツの対応は極めて単調だった。
 彼らは一発で城壁を突き崩した対隔壁用ショットガンの太い銃口を、生身の人間へと直接突き付ける
 短い声が、無線を介して仲間達へと伝わった。
『敵勢力を発見』

  10

 アビニョンの狭く入り組んだ道路など無視して、好き勝手に壁を崩して進みたい場所へと歩いていく大量の駆動鎧パワードスーツ耳えていた建物の外壁は突き崩され、その瓦礫の向こうに『彼ら』がいる。
 あんなものが、普通の世界にあるはずがない。
 駆動鎧パワードスーツを実用レベルで開発できる機関など、学園都市以外に存在しないだろう。
 彼らの手にあるのは、リボルバー方式の対隔壁用ショットガン。
 駆動鎧パワードスーツになる建物や自動車などを次々と吹き飛ばしながら、それに嘆いてがむしゃらに反撃はんげきしてくるアビニョンの暴徒達へも容赦ようしゃなくその銃口を向けていく。
 人間のこぶしが簡単に入るほど太い銃身が火を噴く。
 ゴン!! バン!! という轟音ごうおんと共に、人間が簡単にぎ倒された。
 しかし、おそらくそれは実弾ではない。どういう機構か分からないが、あの対隔壁用ショットガンは複数の弾丸を使い分けられるようにできているのだろう。リボルバーの回転シリンダー内で偶数発と奇数発で扱う弾の種類を分けていて、二発ずつ回転させたりしているのかもしれない。この方式なら、偶数と奇数でモードチェンジさせれば、一応は説明がつく。
 放たれているのは空砲だ。
 しかし莫大ばくだい炸薬さくやくを使って放たれる衝撃波しょうげきはは、それだけで人間の肺から酸素をき出させ、その体を地面へ突き飛ばす。血気盛んな暴徒達の第一陣が沈黙ちんもくすると、第二陣、第三陣として控えていた暴徒達は、顔を青ざめて右往左往している。
 駆動鎧パワードスーツは彼らを見逃さない。
 道路の隅で身をかがめてガタガタと震える市民の横をすり抜けると、一度でも抵抗の素振りを見せた者へは容赦なく空砲をち、音の弾頭をたたき込んでいく。そうして暴徒達を無力化しながら、駆動鎧パワードスーツはショットガンを背中にある金属製リュックのようなパーツに固定し、機械任せで自動リロードさせていく。
(……どうなってんだよ)
 あまりの状況に、上条かみじょうはその様子をただ傍観するしかなかった。
土御門つちみかどの話じゃ、学園都市は動かないって話じゃなかったのかよ。動くにしても、どうしてこんなメチャクチャなやり方になっちまってんだ!?)
 学園都市の上層部はアビニョンの問題にえて手を出さない事で、今の混乱を激化させようとしているらしい、というのが親船最中おやふねもなかの話だった。
 機は熟した、という事だろうか。
 混乱による必要分の損害額を達成したから、ここでスイッチを切るようにすべてを終わらせようというのか。
 上条は唇をめる。
 学園都市上層部。
 統括理事会。
 さらにそれを束ねる、実質上の科学サイドのトップ。
「なるほど。そうきましたか」
 テッラは面白そうにつぶやく。
 その一言で、驚愕きょうがくいろどられた空気が再びテッラに支配される。
 銃口から煙の出ている拳銃けんじゅうを構える土御門からも、突き刺すような敵意が放出される。
「確かに、教皇庁宮殿でC文書を操っているのは『普通の術者』ですし、これは少々厄介やっかいな事になりそうですねー。もう少し、私の優先術式『光の処刑』の実戦データを取得しておきたかったのですが、まあ良いでしよう」
 テッラはそう言いながら、上条たちになど目も向けず、駆動鎧パワードスーツが集合住宅の外壁に空けた大穴を通ってふらりとどこかへ行ってしまった。
「待て!!」
 土御門は叫ぶが、彼は直後に真横へ跳んだ。
 上条がその真意をつかむ前に、駆動鎧パワードスーツが何らかの攻撃こうげきを行ったのか、集合住宅の中から派手な爆風が吹き荒れた。
 ボッ!!という轟音ごうおんと共に、上条のちっぽけな体が真後ろへぎ倒される。
 テッラが入って行った大穴は、あっという間に炎に包まれてしまった。
「痛つ……ッ!?」
「だっ、大丈夫だいじょうぶですか!?」
 五和いつわが慌てて上条の手を取った。
 彼女の手を掴んで起き上がる上条に、土御門は大声で言う。
「カミやん、動けるか。オレたちも教皇庁宮殿に行くぞ!!」
「あの駆動鎧パワードスーツ、どう考えたって学園都市製だろ!? 連中は動かないんじゃなかったのか!? 問題をややこしくしやがって。あいつらを止めなくて良いのかよ!!」
「今はテッラを追うのが先だ!!それに連中の目的もC文書だしな。あの霊装れいそう破壊はかいする事でこの混乱を収められるかもしれない!!」
「ちくしょう。本当にあいつらは混乱を収めるつもりがあるんだろうな」
 上条かみじょう忌々いまいましげにつぶやいた。
 アビニョンの人達はC文書の暴動と駆動鎧パワードスーツ。果たしてどちらを憎んでいるだろうか、
「行くぞ、カミやん。今までは『神の右席』もオレ達をあなどってたかもしれない。だが、こんな風になっちまったら、ヤツらも本格的に逃走に入る。C文書をつぶすのは今しかないんだ!!」
 くそ、と上条は思わず吐き捨てた。
 その時、テッラの入って行った、そして今は炎に包まれている大穴の向こうから、数体の駆動鎧パワードスーツみ込んできた。
 同じ学園都市の人間のはずなのに、こちらに駆動鎧パワードスーツの銃口をピタリと向けている。
 どこの所属か、いちいち確かめる気はないようだ。このアビニョンにいる者全員が攻撃こうげき対象として設定されているのだ。
「……カミやん、ここで二手に分かれよう。イツワだったか。お前もカミやんと一緒いっしょに教皇庁宮殿へ向かえ」
土御門つちみかど?」
「どうやらこのアビニョンには二つの問題があるらしい。駆動鎧パワードスーツの方は放っておこうかと思ったが、それも難しいようだしな。カミやんはテッラを追ってC文書を何とかしろ。オレは後からやってきた学園都市の馬鹿者ばかものどもを止めてやる」
「そんなの……」
 できる訳がないだろ、と言いかけた上条を、土御門の言葉が封じる。
「連中は完璧かんぺきな敵って訳じゃない。一時的には戦うだろうが、基本的には会話できるチャンスをうかがってみる。こういう駆け引きはカミやんよりオレの方が得意だろうが」
「……ちくしょう」
「行け、カミやん!!」
「ちくしょうッ!!」
 上条は叫び、五和いつわと一緒に細い道路を走った。後ろからは駆動鎧パワードスーツの出す機械の作動音と、土御門が何かやったのだろう、氷の砕けるような音が連続した。魔術まじゅつを一回使うだけで血まみれになる事を知っている上条は歯噛はがみするが、かと言ってできる事は何もない。
 狭い道を走り、アビニョンの旧市街を進む。
 火薬と煙のにおいが鼻についた。
 逃げ惑う人々と、それを的確に追う駆動鎧パワードスーツが街のあちこちに見える。
(どうなってやがる!!)
 デモや暴動とは比べ物にならない、軍事行動という圧倒的な暴力を見て、上条かみじょうは頭の血管が切れるかと思った。
 目的地となる教皇庁宮殿の位置は、以前からアビニョンを調べていた五和いつわが覚えている。彼女に先導される形でそちらに目をやると、遠くの方にそれらしいシルエットがうかがえた。

 行間 三

 ステイル=マグヌスは一度処刑ロンドン塔から外に出た。
 今日のロンドンはそこそこの陽気だったが、観光客の数はまばらだ。イギリスは他国と違って大規模な暴動などは起こっていないが、それでも緊張きんちょうした雰囲気ふんいきは街中に広がっている。
「『神の右席』か……」
 新しい煙草タバコを口にくわえながら、ステイルはポツリとつぶやいた。
 リドヴィア=ロレンツェッティの話によると、正式なメンバーはわずか四人。それぞれが四大天仙の属性を秘めているらしい。
「どう思いますかね、今の話」
 一緒いっしょに建物の外へ出たアニェーゼロサンクティスが退屈そうな声を出した。
「連中の話、どこまで本当なんですかね。少なくとも私はローマ正教時代にああいう話を聞いた事はありません。こちらを撹乱かくらんさせるためにうそを言っているかもしれませんよ」
「そいつは否定できないが、尋間室での会話は魔術的まじゅつてきに記録されている。君が羊皮紙ようひしに書いていたあれだ。それを再分析すれば、ある程度の真偽はつかめるよ」
 もちろん完壁かんぺきとは断言できないけどね、とステイルは付け加えた。
 言いながら、ステイルは考える。
 リトヴィアの話が真実なら、『神の右席』とはローマ正教暗部の組織名であると同時に、彼らの最終的な目標の名前でもあるという。
(……右側の、座席ね。ヒントのような、そうでないような。これだけでは絞り込みきれていないな。とりあえずは引き続きヤツらの話を聞いてみるか)
 ステイルはアニェーゼの顔を見た。
「もう少し休憩した方が良いかな」
「いえ、さっさと終わらせちまいましょう」
 そうか、とステイルは短く言った。
 それから、彼らは再び暗い処刑ロンドン塔へと戻っていく。

第四章 空を覆う鋼鉄の群れ Cruel_Troopers.

  1

 上条かみじょうはアビニョンの街を走っていた。
 あれだけ恐ろしかった暴徒たちはもういない。
 その大半が、駆逐くちくされてしまっているのだ。
 道路はあちこちがめくれ上がり、建物の壁は切り崩され、道はまともに進めない状態だった。
 立ち往生している車も多い。上条は煙や火薬のにおいのする空気を引き裂き、時には瓦礫がれきを乗り越え、穴の空いた壁を潜り抜けながら教皇庁宮殿に向かって走る。
 街のあちこちに駆動鎧パワードスーツがいた。
 あるいは路上に、あるいは建物の屋根に。ちょっと観察しただけでこれだけ見つけられるのなら、アビニョン全体で数百、数千はいるかもしれない、と上条は思う。
(くそ、どうなってるんだ……)
 水道管が破れて水浸しになった道路を走り抜け、へし折れて横倒しになった街灯を飛び越えながら、上条は歯噛はがみする。
(戦争を仕掛けてきたのはローマ正教の方なんだろ。学園都市はそれを止めるために動いているはずなんだろ。なのに、何でこんな事になってんだよ!!)
 この戦場には決定的に足りないものがある。
 血の匂いだ。
 駆動鎧パワードスーツの持っているリボルバー方式の対隔壁用ショットガンは複数の弾丸を使い分けられるようで、生身の人間に当てているのはあくまでも空砲だ。しかし莫大ばくだい炸薬さくやくによって生み出される銃声はもはや衝撃波しょうげきはと化していて、音の砲弾は容赦ようしゃなくアビニョンの暴徒達をぎ倒していく。
 気を失った暴徒達は、あちこちで山のように積み上げられていた。そのすぐそばで、駆動鎧パワードスーツが防弾繊維せんいを織り交ぜた巨大なバルーンをふくらませている。
(偵察用の……?)
 学園都市製のドラマでそんなものを見た。
 小型カメラを搭載したバルーンで、気球のように空気を暖めて空中を移動する。空気を温めるのに電子炉を使うためバッテリーの消費が激しいのが弱点だが、プロペラ式のものより無音だし、何より単価が安くて携帯性にもすぐれているらしい。
 現在駆動鎧パワードスーツふくらませているのは、ドラマで見るのよりも何倍も大きく、バルーン下部には同じく防弾繊維せんいのゴンドラまでついていた。
 おそらく用途は本来の気球に近いのだろう。気を失った人問を放り込み、機械任せで作戦行動領域の外へ迫い出してしまう訳だ。
 改めて周囲に口をやれば、タンポポの綿毛が風に流されるように、あちこちに黒いバルーンが浮かんでいるのが分かる。
 つまり、それだけ多くの人々が駆動鎧パワードスーツぎ倒されていったのだ。
「……、」
 彼らの考えは、土御門つちみかどと同じかもしれない。
 狭いアビニョンの中を闊歩かっぽする暴徒たちは作戦に支障をきたす。C文書を持った敵は暴徒に紛れて逃げ出す可能性もある。よって、まずは暴徒をだまらせた上で本命をたたこう、と。
 しかし、
「土御門は、こんな手は使わない……」
 え? と首をこちらに向けた五和いつわに、上条かみじょうは答えない。
 上条は走りながら、爆発した自動車を見てこぶしを強く握りめた。
(自分達の行動を優先したいってだけで、暴力を使って街の人々を屈服しようとするなんて、こんな方法が認められてたまるか!!)
 統括理事会の一人、親船最中おやふねもなかが何を止めようとしたかったのか、上条はようやくそれを知った。彼女は単にローマ正教を憎んでいたのではない。学園都市の敵を倒してほしかったのでもない。すべてはこの状況───何もかもを破壊はかいしていく『争い』そのものを阻止してほしかったのだ。
(止めてやる)
 上条は歯を食いしばって、戦場となった街を走る。
(こんな崩壊の渦を放っておいて良いはずがない。この状況を少しでも正当化するヤツが出てくるなら、そんな幻想は全部ぶちこわしてやる!!)
「つ、着きました、あそこです……!!」
 そうこうしている内に、上条と五和は教皇庁宮殿までやってきた。
 言葉のイメージから荘厳そうごんな教会やきらびやかな宮殿を思い浮かべていた上条だったが、実際にそこにあったのは、中世の要塞ようさいだった。城というよりはとりで。切り出した岩を積み重ねて作り上げられた巨大な建造物は、見る者を拒絶するような感覚すら与えてくる。
 一〇メートル以上の高さを誇る外壁に見下ろされている上条だが、彼は教皇庁宮殿を見た途端に思わず顔をしかめた。
「風穴が……」
 やりたずさえた五和が、ポツリとつぶやいた。
 両開きの巨大な正面入り口は内側に吹き飛ばされ、高い階にある窓は周囲の壁ごと粉砕されていた。中にだれかいるのか、断続的な銃声や爆発音が聞こえてくる。
「もう始まってやがる。行くぞ、五和いつわ!!」
「は、はいっ!!」
 銃声の聞こえる建物の中に入るなどまともな考えではないが、行くしかない。

  2

 土御門元春つちみかどもとはるは血まみれになっていた。
 駆動鎧パワードスーツから銃弾を受けたのではない。彼らの目をらす為に折り紙の魔術まじゅつを使った副作用だ。
 なけなしのチャンスを得た土御門は、狭い道路を走る。そのまま転がるような格好で、路上駐車してあった自動車の陰へ隠れる。
 いくつもの銃声が空気を引き裂いておそいかかってきた。
 ただの空砲であるにもかかわらず、その空気のかたまりには暴徒鎮圧ちんあつ効果まで備わっていた。一撃いちげきで車のガラスが砕け散り、音の塊によって金属製のドアがあっという間にベコベコとへこんでいく。
(ふざけやがって……)
 土御門は白動車の側面に張り付いたまま舌打ちした。
 当たっても簡単には死なないが、気絶するのは必至だ。盾の陰に固められてしまった土御門は、そこでダン!!という鈍い別の音を耳にした。
 ギョッとしてそちらを見ると、複数いる駆動鎧パワードスーツの一体が驚異的きょういてき跳躍力ちょうやくりょくで一〇メートル以上も空中を進み、土御門の真上へ迫っていた所だった。
「くそっ!!」
 土御門がとっさに後ろへ下がるのと、駆動鎧パワードスーツの巨体が自動車をつぶしたしたのはほぼ同時だった。重量に耐えきれずに大きくひしゃげた車体が一気に爆発する。そのあおりを受けた土御門の体が、自分の跳躍以上の距離きょりを無理矢理に飛ばされていく。
 ゴロゴロと路上を転がっていく土御門に、炎の中の駆動鎧パワードスーツは平然と対隔壁用ショットガンの銃口を向けてくる。
 辺りは細い道の左右にがけのような建物が並んでいる区画だ。土御門は曲がり角を抜ける事で建物を盾にしようとしたが、それより先に駆動鎧パワードスーツが動いた。銃声と共に放たれた空気の塊が土御門の足に直撃する。
 足払いを受けたように土御門の体が転がる。
 地面に伏したまま、彼は何とか角を曲がる。
(ぐっ……あああああ!?)
 足首の辺りを見ると、青黒く変色していた。何とか骨は折れていないようだが、動きが制限されるのは間違いない。
駆動鎧パワードスーツの数は……ザッと見ただけでも十四。装甲はうすそうだが、ありゃ対戦車ミサイルぐらいなら真正面から受け止められるはずだ。おまけに……)
 角の向こうから聞こえてくる機械の作動音を耳にしながら、土御門つちみかどはポケットから応急処置用のテーピングを取り出し、それで強引に足首を固めていく。
(……新型の駆動補正装置を使ってやがるな。戦場の条件をその場で学習し、最も効率的なパフォーマンスをたたき出すように自動調節するドライバだ)
 熱帯雨林や南極大陸など、同じ兵器を使う場合であっても環境によって性能は上下する。砂漠では砂が入るのに注意しなくてはならないし、湿地では泥にはまらないように気を配る必要がある。
 通常は地域ごとに『使いやすい整備』を行ったり、地域ごとに自然と兵器の特色が変わったりするのだが、この駆動鎧パワードスーツは別。機械が周辺環境を走査して自動的に調整を行うため、デフォルト状態のまま世界中の戦場で活躍かつやくできるのだ。
(自動調節情報は作戦行動中の全機へ送受信されているはずだ。ハハッ、多分このアビニョンの歩き方を一番知っているのはヤツらだな)
 足のある兵器の場合はそのバランスの維持がネックとなるのだが、彼らにその弱点は通用しない。崩れかけた足場であっても、生身の人間よりも上手に歩いて乗り越えてくるはずだ。
(くそ、どう攻める……)
 土御門元春もとはるはテーピングで固めた足首の調子を確かめながら、思う。
 そうしている間にも、ヤツらは近づいてくる。

  3

 教皇庁宮殿の中は広かった。
 しかしそこには寂しさも含まれている、と上条かみじょうは思う。とにかく物がないのだ。壁紙すらないき出しの石の壁に囲まれた空間には、天井てんじょうを支える柱が等聞隔に立っているほかには、何も置かれていない。すっかり財宝を持ち出された後のピラミッドのようだった。
(やっぱり……ローマ正教の大部隊がアビニョンに展開されてるって訳じゃなさそうだ。少数精鋭って事は、C文書ってのは同じローマ正教の目にも触れさせたくないとかいう話なのか。もしかすると、テッラが個人的に部隊を組んで動いてるだけなのかも)
だれも……いないみたいですね」
 五和いつわやりを構えながら、そんな事を言った。
 平日は観光地としても開放されているのだが、それどころではないのだろう。今までアビニョンは暴徒の影におびえていたし、現在は駆動鎧達パワードスーツたちが暴れている中心点なのだから。
 銃声や爆発音は今も続いていた。
 続いているという事は、一方的な制圧ではなく交戦状態になっているのだろうか。
 このアビニョンにはテッラのほかにも、C文書を扱うための魔術師まじゅつしもいるらしい。学園都市の駆動鎧パワードスーツだが、そんな連中とまともに戦っているローマ正教も普通ではない。
 今この場で両方の勢力から攻撃こうげきを受ける訳にはいかない。自然と歩調がゆっくりになる上条かみじょうだったが、
「……そもそも、あの駆動鎧パワードスーツ。一体どこから出てきたんだ」
「え?」
 こちらを見る五和いつわに、上条は言う。
「乗っているのは学園都市の人間なのか。それとも協力派の機関に装備を貸しているのか。大体、ここまで派手に動いたら隠蔽いんぺいも何もないだろ。学園都市は一体どうするつもりなんだ……?」
 携帯電話にはテレビ機能がある。
 この状況で下手に音を出すのは危険だが、それでもやはり情報は欲しい。
 上条は周りにだれもいない事を確認すると、携帯電話を取り出してテレビ機能をつけてみたが、海外のチャンネルには対応していないのか、何も映らない。上条は少し考えてから、やがて携帯電話の登録メモリを呼び出した。そこにある番号の一つに電話をかける。
御坂みさか!!」
『なっ、何よ』
 電話の相手は御坂美琴みことだ。
「ちょっと聞きたい事があるんだけど、今大丈夫だいじょうぶか?」
『へ、へえ。それって私じゃないとダメな訳? 他の人でも別に良いんじゃないの。例えばウチの母とか』
「ん?……そうか、そうだよな。別に御坂じゃなくても、美鈴みすずさんとかに尋ねても」
『ノンノンノンノン!! ちょ、アンタ私に何か聞きたい事があったから掛けてきたんじゃなかったっけ?』
「??? まあ、美鈴さんよりも、学園都市内のヤツの方が良いか」
 上条は首をかしげ、とりあえず本題に入った。
「御坂、ニュース見れるか。ネットでも良い。海外のニュースで、アビニョンって街でなんか起きてないか調べてほしいんだけど」
『はあ?』
 あまりにも唐突な質問だったせいか、美琴はそんな声を出した。
 ……と思っていたのだが、どうも事情は違うらしい。
『アンタ何を言ってる訳? テレビなんてどこをけても臨時ニュースしかやってないじゃない。アビニョンってフランスの街でしょ。なんかそこで、どっかの宗教団体が国際法に抵触する特別破壊はかい兵器を作ってて、その制圧掃討作戦が開始されたって大騒おおさわぎになってるでしょ』
「……、何だって?」
 ギョッとする上条かみじょうはさらに言う。
『何でも本来ならフランス政府が始末する所を、特殊技術関連のエキスパートが必要だからって、学園都市がかなり深く食い込んでるとかって話だけど。……つか、アンタ今どこにいる訳? むしろこの情報が入ってこない場所を探す方が難しいんじゃないかしら』
「え、ええとだな……」
 上条はどうごまかそうか考えたが、その途中で思考が切れた。
 轟音が消えたからだ。
 銃声を中心とした戦闘せんとうの物音が、いつの間にかピタリとんでいた。教皇庁宮殿が本来持っていたであろう、耳が痛くなるような静寂がゆっくりと戻ってくる。
(……、)
 電話で美琴が何かを言っていたが、上条は答えない。
 息を殺して耳に意識を集中するが、やはり何の音もとらえられない。
 かたわらにいる五和いつわと顔を見合せ、ゆっくりと前へ進む。
(何だ……?)
 通路の奥から、壁の隙間すきまから、ドアの向こうから、得体えたいの知れない緊張感きんちょうかんみ出してくるような気がした。雰囲気ふんいきそのものが、それまであったものから別のものへと塗り替えられていく感じだ。
 上条はその原因を看破する事はできなかった。
 看破する前に、答えは向こうからやってきてしまったからだ。

 ゴバッ!! と。
 轟音ごうおんと共に、上条の真横にあった分厚い壁が唐突に破られた。

 壁を突き崩したモノの正体は駆動鎧パワードスーツだ。
 上条の体に駆動鎧パワードスーツがぶつかった。上条はそのまま床に押し倒される。手にしていた携帯電話が床に落ち、液晶画面が粉々に砕け散った。
「っ!?」
 五和が慌ててやり穂先ほさき駆動鎧パワードスーツへ突き付けるが、その手が途中で止まる。
 手足をだらりと下げた駆動鎧パワードスーツに機能停止状態に迫い込まれていたからだ。何者かに投げ飛ばされた───そう表現するのが最も的確だろう。
 駆動鎧パワードスーツが投げ捨てられた周りに、ばらばらと筒状の物体が転がっていく。三五〇ミリの缶ジュースほどの筒の正体は、駆動鎧パワードスーツが使っていた対隔壁用ショットガンの弾丸か。別の場所には、それらしき巨人なリボルバー方式の銃器も落ちている。
「くっ……」
 頭を振りながら起き上がった上条かみじょうは、そこでカツンという足音を聞いた。
 顔を上げる。
 五和いつわが上条をかばうようにやりを構えていた。
 さらにその先。
 力によって強引に崩された壁の向こうに、白く巨大な刃物をたずさえた魔術師まじゅつしが立っていた。
 左方のテッラだ。
『優先』の魔術を使って駆動鎧パワードスーツつぶした男は、汗一つかいていなかった。
「やられましたねー」
 間延びした中に、わずかな苛立ちの混じった声が飛んでくる。
「暴動という混乱を収めるために、さらに大きな混乱を生んでみ込んでしまうとは。学園都市もそれだけ本気という訳ですか。ある程度の国際的非難を受けてでも、こいつをどうにかしたいようですねー」
 白いギロチンを持つ手とは反対の左手。
 そこには丸められた羊皮紙ようひしが握られていた。長さは一五センチ程度、、直径は三センチ程度の小さな紙切れ。ろうで封をされたそれこそが……。
「C文書……」
 五和が呆然ぼうぜんとした調子でつぶやいた。
 発言者の言葉をすべて『ローマ正教にとって完壁かんぺきに正しいもの』と思い込ませてしまう強大な霊装れいそうだ。それを使用していた本来の術者ではなく、テッラがそれを握っているという事は……。
「まったく、面倒な連中です。私一人で蹴散けちらすのは簡単ですが、こいつを扱う術者へ集中的に攻撃こうげきされてしまうと、やはり術式の行使に影響えいきょうが出る。まったく、人間の術式を扱えないっていう私の『体質』も問題ですね。おかげで凡人の術者に足を引っ張られる始末ですし……今回はこの辺りで切り上げておくのが得策というヤツでしょうねー」
だまって行かせると思うか」
 上条はゆっくりと右手を構えながら、言う。
「C文書はバチカンに帰っても扱える。それを知っていて、おれが行かせると思ってんのか?」
「だから何だと言うのです。このアビニョンを制圧している学園都市の部隊では、私を止める事はできないんですがねー。それとも、あなたの右手は彼ら全員よりもすぐれていると? そう断言できる根拠があるんですか」
「……ッ」
 この教皇庁宮殿から銃声がなくなった時点で、ここに突入した駆動鎧パワードスーツの連中は全て彼に撃破されてしまったと考えるべきだ。
 そこまでの実力を誇るテッラは、さらにあざけるように上条達かみじょうたちへ笑いかける。
「とはいえ、何もしないで納得しろというのも難しいでしょうし」
 彼は左手に持ったC文書をふところへ収め、右手の白いギロチンをゆったりと構えながら、
「存分に挑戦し、存分にあきらめてください。こちらとしても、そういう展開の方が面白くて大好きなんでね」

  4

 アビニョンの街並みが次々と崩されていく。
 衝撃波しょうげきはのような空砲で意識を奪い取られた暴徒達は.頑丈な駆動鎧パワードスーツに引きずられ、山のように積み上げられ、防弾繊維せんいを織り込んだバルーンに乗せられてどこかへ運ばれていく。
 そんな中を、土御門元春つちみかどもとはるは走っていた。
 彼は瓦礫がれきや車の陰へ次々と位置を変えていき、細かい移動をり返す事で追っ手の駆動鎧パワードスーツから逃げていく。可能な限り遮蔽物しゃへいぶつによって射線から逃れる動きを取っているものの、それでも断続的に発砲音が炸裂さくれつする。できるだけ平坦へいたんな地面はけ、街灯が倒れて横倒しになっていたり、道路が崩れていたりする所を選んで進んでいくが、
(チッ。やはりこの程度では転倒はしない。駆動補助装置が効いてやがるか……ッ!!)
 バランスの悪い二足歩行型であるにもかかわらず、相当な重量を誇る駆動鎧パワードスーツだが、連中の挙動には少しも危なげがない。平地の時に見られた、一歩一歩つぶすような歩行ではなく、ゴキブリのようになめらかに動くのだ。
 あらゆる環境を走査し、その状況に最も的確な調整を自動で行っていく駆動鎧パワードスーツ。彼らは自動車のような速度で進みながら、人間よりも柔軟に地面を踏みしめて土御門を追う。
 チェックメイトは時間の問題だった。
 土御門は道路の真ん中で立ち止まる。左右にある背の高い建物が大きく崩れ、土砂崩れのように道をふさいでいた。瓦礫はかなり大きなものなので、破片の突起をつかみながらよじ登れば乗り越えられない事もないが、駆動鎧パワードスーツ達はそんな時間を与えないだろう。壁に張り付いている。間に背中をたれるのがオチだ。
 背後から、ガチン、という金属音がひびいた。
 歯車が回るような鈍い音。
 土御門の背筋に寒いものが走る。これまで聞いた事のなかった、何かを切り替えるような音。その正体を想像するのは簡単だ。
(……対隔壁用ショットガン)
 暴徒鎮圧用ちんあつようの空砲から、核シェルターのゲートをこじ開けるための実弾へ変換する音。
(───来る!!)
 土御門つちみかどは振り返らず、真横へ全力で跳ぶ。直後、体をたたくような爆音が炸裂さくれつした。今まで行き先を封じていた土砂崩れのような瓦礫がれきの山が、ゴバッ!!と一気に虚空こくうへ消える。たった一発で、直径数メートルの円形の風穴が開いた。
「……ッ!!」
 耳を押さえながら、土御門は背後を見る。
 こぶしが丸ごと入りそうな銃口をこちらに向ける駆動鎧パワードスーツが、さらに引き金に指をかける。
 アビニョンの道は狭い。
 これ以上横へ跳んでける事は不可能だ。
「ッ!? 青キ木ノ札ヲ用イ我ガ身ヲ守レデクのボウどもせめてタテとしてヤクにタて!!」
 土御門が折り紙を取り出して叫ぶのと同時に、銃声の爆音が真正面から来た。
 ドォン!!という轟音ごうおんと共に発射された十数発の対物弾は、土御門のわずか手前で盾にはじかれるように周囲へ散って建物の壁を破壊はかいしていく。
 土御門の唇から、ごぷっ、と血のかたまりれた。
 魔術まじゅつによる副作用。
 それを受けても、土御門はさらに黒い折り紙を取り出して叫ぶ。
黒キ色ハ水ノ象徴さあおきろクソッたれども其ノ暴力ヲ以テ道ヲ開ケぜんぶこわしてゲラゲラわらうぞ!!」
 何もない空間から唐突に直径一メートルほどの水の球体が生まれ、それが勢い良く駆動鎧パワードスーツへ突き刺さり、その巨体を一気に後ろへ吹き飛ばした。
 しかしそこが限界。
 立て続けに魔術を使った事で、土御門の脇腹わきばらからジワリと血がにじんだ。古い建物の外壁に手をつこうとしたが、その手が届く前に片足がガクッと落ちる。
「くそ……」
 軽く周囲を観察するだけで、数体の駆動鎧パワードスーツが見えた。さらに建物の屋根からこちらを狙っている者もいる。
(……、)
 土御門は敵の位置を確かめながら、ゆっくりと両手を上げた。
 唇を動かし、言葉をつむぐ。
「降参だ。……煮るなり焼くなり好きにしろ」
 ただし、と彼は付け加えて、

「お前たちにやれるものならな」

 土御門元春もとはるがそう言った途端、彼に銃口を突き付けていた駆動鎧パワードスーツに変化が起きた。
 ガクン、と。
 生身の人間よりもなめらかに動いていた駆動鎧パワードスーツが、唐突に固まったのだ。彼らは慌てて挙動のチェックに移るが、まるで歯車が詰まったようにギチギチと音を立てるだけだ。指先も動かないようで、銃声が聞こえる事もない。
「知りたいか」
 土御門つちみかどがゆっくりと近づいていくと、駆動鎧パワードスーツが伝わってきた。
 強力な兵器であっても、それを操っているのは同じ人間なのだ。
「そいつには新型の駆動補助装置が搭載されてる。砂漠だろうが南極だろうが、機械の方が勝手に環境を調べて自動的にメンテナンスを行ってくれるものだ」
 だがな、と彼はつぶやいて、
「場合によってはそいつが足枷あしかせになる事もあるんだよ。例えば特定の条件がそろったルートを順番に辿たどっていくと、自動装置がエラーを起こしちまうようなヤツだ。簡単に言えば、『右へ曲がる』と『左へ曲がる』、相反する条件を一気に入力すると判断能力が鈍っちまうってセキュリティホールだな。HsPS-15はようやく迎撃げいげき兵器ショーに出せる程度の試作機だって事を忘れていないか?」
 おまけに、このバージョンの駆動鎧パワードスーツの機体と共有するように作られている。逆に言えば、一機の故障が全体に影響えいきょうを与える恐れもあるのだ。
 土御門は動きを止めた駆動鎧パワードスーツのすぐ近くまで接近し、その機械の腕から強引に対隔壁用ショットガンを奪い取ると、
「……駆動補助装置のエラーは全体にわたる。そこから出たければ脱出装置を手動設定に変えてから実行するしかないぞ。色々面倒な作業が必要だから、最低でも一〇分はかかるな」
 戦車の砲身を切り詰めたような大型ショットガンを肩でかつぎながら、言う。
 駆動鎧パワードスーツの中に人っている連中は、土御門の言葉を呆然ぼうぜんと聞いているようだった。自分達ですら知らなかった機体の問題を、何故なぜ目の前の男が知っているのか、想像もつかないらしい。
 対して、土御門は手近な駆動鎧パワードスーツの装甲をこぶしたたき、くだらなさそうに言った。
「出るなら急げよ。攻撃こうげきしてこないって分かったら、アビニョンの暴徒達が一斉に飛びかかってくるぞ」
 その言葉と共に駆動鎧パワードスーツっているらしい。それを目にしながら、土御門は思案する。
(さて……)
 駆動鎧パワードスーツの機能を一時的に奪う事に成功したが、兵隊そのものは死んでいない。
 ここからが本番だな、と土御門は思った。
 とりあえず、彼らが脱出装置を復旧させて外へ出てくるまでは動きを封じられる。 戦闘せんとう状態を脱したのだから、話し合いも可能となるだろう。
(まずはオレが学園都市のエージェントとして動いている事から説明するか。いや、今回は上層部の意図とは外れて動いていたな。まったく、こじらせずに話を進められると良いんだが)
 どういう風に『交渉』を行っていくか思案していた土御門つちみかどだったが、彼は途中で考えを切って、唐突に顔を上げた。
 爆音が聞こえる。
 土御門の目には、青い大空を悠々と舞う漆黒しっこく爆撃機ばくげききがあった。
 一〇〇メートルクラスの機体は一つだけではない。一〇機以上の爆撃機が大ぎく弧を描く形でアビニョンの上空をぐるりと回っている。
 その特徴的なシルエットを見て、土御門は思わず歯噛はがみした。
(学園都市製のHsB-02。……超音速ステルス爆撃機か!?)
 土御門や上条かみじょうがアビニョンへやってくる際に利用した、時速七〇〇〇キロオーバーをたたき出す超音速旅客機。あれと同じ技術を使った爆撃機だ。その圧倒的な速度は、ただぐ飛ぶだけで追尾ミサイルを振り切れるとまで言われている。
 冷静になれば、一つだけ疑問があったのだ。
 このアビニョンにいる大量の駆動鎧達パワードスーツたちは、一体どこからやってきたのか、という疑問が。
 その答えがこれだ。
 学園都市から爆撃機に積み込まれた駆動鎧パワードスーツを一時間程度でフランスまで運び、上空からパラシュートを使ってアビニョン近郊へと一斉投下する。あまりにも強引な力技が、学園都市の精巧なテクノロジーによって実現されてしまったのだ。
 当然、HsB-02が積んでいるのはそれだけではない。本来の『爆撃』のためのものもあるはずだ。
(くそ……)
 土御門は上空をにらみつけながら、思う。
(先に駆動鎧パワードスーツを投下したのは、このアビニョンにC文書がある事を確認するため。それを行ったら、後は爆撃機を使って一気に教皇庁宮殿ごと吹き飛ばすつもりだったのか!?)
 大雑把おおざっぱで分かりやすい作戦ではあるが、『神の右席』の左方のテッラが持っていた特殊な術式の効力を考えると、確実な成果を生むとは考えにくい。
 ガン! と土御門は手近な駆動鎧パワードスーツの装甲を叩いた。
「おい! アビニョンの住民の避難ひなん状況はどうなっている!? 爆撃はいつ決行される!? 最新型のHsB-02って事は、まさかここで『あれ』を使う気か!!」
 叫びながら、彼は自分の思考にあせりが混ざるのを感じる。
(何を考えている、アレイスター。ほかの連中ならともかく、お前は魔術まじゅつの世界についても知っているだろうに。普通の軍事行動ですべて丸く収まるなら、『必要悪の教会ネセサリウス』のような組織は生まれない。C文書を確実に抹消まっしょうするには、この程度じゃ足りないって事をつかみ切れていなかったのか)
 それとも、と土御門つちみかどは考え直す。
(……まさか、まだ隠し玉があるのか)

  5

 アビニョン上空九〇〇〇メートル。
 一一機の超音速ステルス爆撃機ばくげききHsB-02の一つに、つえをついた『超能力者レベル5』は乗り込んでいた。本来なら大量の爆弾を積み込んでいるはずの広大なスペースには、『超能力者レベル5』と、数名のメンテナンス要員しか存在しない。
 機内に取り付けられたスピーカーから甲高い警告ベルと、雑音混じりの連絡が飛んだ。それを聞いたメンテナンス要員の一人が、『超能力者レベル5』に顔を向ける。
「作戦行動Aの目標を達成! このまま作戦行動Bへ移行します。作戦行動Cが始まればこの隔壁が開きます。パラシュートの準備を!!」
「必要ねェよ」
 メンテナンス要員の言葉に、その『超能力者レベル5』は億劫おっくうそうに答えた。
超能力者レベル5』はゆったりと杖をついたまま、機体の壁に取り付けられた薄型のモニタを眺めて
(それにしても、面倒臭ェな。こっちはこっちで忙しいっつーのに、学園都市の外でも勝手にドンパチ始めやがって。ったく、つまンねェ事はさっさと済ませて『本題』に戻るとしますかねェ)
 上空からとらえたアビニョンは、古い外壁にぐるりと囲まれた小さな街だった。壁によって敷地しきちが限られているためか、その内部は背の高い建物がごちゃごちゃと詰め込まれているような印象がある。
 それを見て、『超能力者レベル5』は笑った。
「ハハッ、まるで学園都市のミニチュアだな」
「は?」
「何でもねェよ、しかし便利な世の印になったモンだ。学園都市からフランスまで一時間程度で飛ンでいけるとはなァ」
「ふ、不便な所もありますが」
 メンテナンス要員は頭の中で言葉を選びながら、「超能力者レベル5』との会話に応じる。
「超音速飛行時には空気摩擦まさつによって、機体の表面温度が跳ね上がります、最高速度を出した場合一〇〇〇度近くにまでなりますから、機体全域に液状冷却剤を通すパイプを巡らせる必要があるんです」
「液体酸素に液体水素か」
「ええ。低凝固点冷却剤のパイプをこれらのタンク内に通して冷却作用を増強させています。この液体酸素や水素はスペースシャトルの推進剤としても使われ、本機の燃料の一つに採用されているのですが……つまり、燃料を消費すればするほど冷却効果も失われてしまう訳です」
「それでUターンはしねェで帰りはロンドンへ寄るって話になってンのか。よくもまァ爆撃機ばくげききの補給を受けさせる事に許可を出したモンだ。そもそも日本国は爆撃機の所有を許可されてねェってのによ」
超能力者レベル5』があきれたように言った時、再び機内のスピーカーが警告ベルを鳴らした。
 アナウンスを聞いて、メンテナンス要員が声を張り上げる。
「作戦行動B、始まります!!」
 声と共に、辺りを飛んでいた爆撃機の内の四機が、周回コースから外れた。
 ゆっくりと円の半径を広げていくように、旋回しながら一五キロほど遠ざかる。
 そこから機首を曲げ、今度は一気に加速する。
 四機で正方形を描くような軌道だ。
 爆撃機の下部には、『超能力者レベル5』が乗っているものとは異なるパーツがついていた。
 機体の全長の半分ほどの長さの、漆黒しっこくのブレードだ。
 警棒のように御長展開したブレードの表面は電気収縮できるように作られており、一〇〇分の一ミリ単位で凹凸や模様を制御する事も可能だった。
 その長大かつ繊細せんさいな大型ブレードは超音速爆撃機の加速力に振り回され、七〇〇〇キロオーバーで切り裂いていく。
 これだけでも、下向きに発生する大気の刃は絶大な破壊力はかいりょくを秘める。
 さらに、ここで少量の砂鉄を大気の刃に混ぜた場合どうなるか。
 その答えは、すぐに提示される。

 ゴバッ!! と。
 四機の爆撃機によって、大地がアビニョンの街を取り囲むように正方形に切り裂かれた。

 ブレード側面から散布された砂.鉄は、わずか数グラム。
 その金属粉末は時速一万キロオーバーという絶大な速度を得た結果、液体を通り越して気体となった。摂氏せっし八〇〇〇度を超す気体状のブレードは、上空数千メートルという距離きょりも構わず、オレンジ色のかがやきと共に地球を切断する。
 ガグン!! と『超能力者レベル5』の乗る爆撃機が揺らいだ。
 友軍の超音速爆撃機が通過した事で大気がかき乱されたのだ。
「……ッ」
 手近な壁に手をつきながらも、『超能力者レベル5』はモニタから目をはなさない。
 まず最初にあったのは、幅二〇メートル、深さ一〇メートル以上の溝だった。
 直後に、その溝はオレンジ色に溶けて崩れていく。地質そのものがマグマのように煮えたぎっているのだ。あっという間に、アビニョンの旧市街が溶岩の川によって隔離かくりされてしまう。電気や水道はもちろん、街の近くを通っているローヌ川の流れすら強引に断ち切られ、街の外周部では早くも氾濫はんらんが起こり始めている。
 これで、アビニョン旧市街にいる人間は完全に閉じ込められた事になった。
 アビニョンの外壁の外にも街並みはある。溶岩の川となった地域は事前に駆動鎧パワードスーツを強制退去させたという話だったが、それで感謝をする者など一人もいないだろう。
(ハッ。わずか三キログラムの砂鉄があれば、ものの一時間でユーラシア大陸をぶったれる『地殻破断アースブレード』か。学園都市も面白ェモンを作りやがる)
 本来、爆撃機ばくげききは複数の戦闘機せんとうきに護衛してもらうものである。
 大型の爆撃機は小柄な戦闘機と違って、急旋回などを行う事はできない。そんな事をすれば即座に失速するし、下手をすれば慣、性の力に負けて機体が空中分解してしまう。つまり敵側にロックされた場合、ミサイルをけるすベがないのだ。チャフやフレアなどである程度ロックをごまかす事もできるが、それも完壁かんぺきではない。従って、爆撃機の周囲に戦闘機を配置し、敵側にロックされないように協力してもらうしかないのだ。
 ところが、この超音速爆撃機Hs-B02にその法則は通じない。
 直進しかできないのなら、直進するだけでミサイルを振り切れる機体を作る。
 時速七〇〇〇キロ超という圧倒的な速度がそれを実現する。戦闘機から放たれる空対空ミサイルはもちろん、事前に爆撃ポイントで待ち構えている地対空ミサイルにしても、ロックオンされた直後にはすでに爆撃を完遂かんすいし、ミサイルの射程外へと逃げ切っている寸法だ。
 従来の空中戦の法則を力技でねじ伏せる、強攻高速爆撃戦術。
 これに学園都市製の高性能ステルス機能が加われば、HsB-02の攻撃を未然に防ぐ事はほぼ不可能になる。
「作戦行動領域の隔離を確認!!」
 機内でメンテナンス要員が大声を出す。
地殻破断アースブレード』を放った爆撃機は、たっぷり二〇キロ以上の距離を取って減速していく。その間にブレード表面の『模様』を制御したのか、『下向きの烈風』は全く吹いていない。
「続いて、作戦目標を含む作戦領域全域の空爆に移ります!!」
 極めて大雑把おおざっぱな攻撃に思える『地殻破断アースブレード』だが、ブレード表面の『模様』を電気的に操る事によって、その爆撃は直線のみならず、曲線、点攻撃なども可能で、ジグソーパズルのピースを切り取るように繊細せんさい破壊はかいを可能とする。その気になれば、一機の爆撃機で複数のラインを同時に描く事もできるらしい。
「当爆撃ばくげきに使う八機の飛行ルートを確保するため、本機のコースも変更します。不意の衝撃しょうげきに備えてください!」
 次の攻撃対象はアビニョン旧市街内部。
 標的は『教皇庁宮殿』という建物一つではなく、旧市街という一区画すべてだ。あの街には先に降下した駆動鎧パワードスーツの発信機を装備していて、爆撃機はその信号のみをける形で徹底的てっていてきにアビニョンを焼き払い、溶岩の海へ変える予定だ。
 作戦では駆動鎧パワードスーツ』を使って焼き払い、パイロットは地元の人間のふりをしてすぐ近くの地中海沿岸へ移動し、そこに待機している潜水艦せんすいかんを使ってフランスからはなれる事になっている。駆動鎧パワードスーツを着たままの長距離ちょうきょり移動に流石さすがに目立ちすぎるので、回収できない装備は現地で焼き捨ててしまうのだ。
 ただ、この作戦通りに進むと地上に降りた部隊は溶岩の海を自力で越えなければならない。その辺りも、おそらく何らかの装備を持たされているのだろう。ちょうど都合良く街は溶岩だらけになる事だし、そのせいで多少は上昇気流が生まれるだろうから、タンポポの綿毛の理論を応用した携帯装備でも使って遊覧飛行をするつもりかもしれない。
「……、」
 モニタで確認する限り、アビニョンの旧市街には今も逃げ遅れた人がかなりいる。運良く部隊の人間のそばにいる者は助かるだろうが、その大部分は摂氏せっし八〇〇〇度のブレードで焼き払われるはずだ。
「変更だ」
「は?」
ねらいは教県庁宮殿だろ。先にそっちを集中攻撃しろ。それでも成果が出ねェよォならおれが落ちる。その後に俺からも連絡がなくなったら、その時は予定通り旧市街金体を爆撃しろ」
「いえ、しかし……超能力者レベル5投下作戦は、作戦行動Cに分類されます。通常なら作戦行動Bで敵勢力の掃討は終わるという計算ですので───」
「変更だ」
 一言だけ、『超能力者レベル5』はり返した。
 メンテナンス要員の背筋が強張こわばる。『超能力者レベル5』が何故なぜ爆撃機に搭載されているのか、その理由を思い出したのだろう。
 この『超能力者レベル5』は爆弾だ。
 原爆や水爆と同じ、大型爆撃機に積み込んで作戦行動領域に投下する爆弾なのだ。
 メンテナンス要員は手元にあった無線機をつかむと、どこかと連絡を取り始めた。作戦を仕切っている上層部と掛け合っているようで、何度も何度も会話の応酬おうしゅうを繰り返したのち、メンテナンス要員は無線機を綴いて静かに『超能力者レベル5』を見た。
「……し、申請は受理されました。作戦行動Bの予定を変更し、教皇庁宮殿への攻撃に集中します」
 堅物の上層部が何故なぜこんな柔軟な対応をしたのか不思議でならないという顔だった。
 対して、『超能力者レベル5』は唇をり上げて笑う。
「それで良い」
「し、しかし、一体どうして……?」
 メンテナンス要員が尋ねると、『超能力者レベル5』はつまらなさそうに舌打ちした。
 モニタに移っているのは隔離かくりされたアビニョンの街と、米粒のように見える逃げ惑う人々だ。
「オマエにゃみンな同じに見えるかもしれねェが、一口に悪っつっても種類や強弱ってのが存在する」
 隔壁を開くための手順をんでいるのか、機内のあちこちから電子音が鳴りひびく。
 その音を聞きながら、『超能力者レベル5』はメンテナンス要員に向かってこう言った。
「一流の悪党ってのはな、カタギの命はねらわねェンだよ」

  6

 焼けた鉄板に冷たい水を振りかけるような音を何百倍にも増幅させたような轟音ごうおんが、教皇庁宮殿に響き渡った。
 どうやら建物の外で何かが起きたらしいが、上条かみじょうもテッラも、外へ視線を向ける事はない。
 上条は右拳みぎこぶしを構えながら、テッラの顔をにらみつける。
 お互いの距離きょりは七メートル前後。
 そこはすでに、テッラの持つ小麦粉のギロチンの射程圏内だ。加えて、彼には『優先』の特殊効果がある。
 床の状態は悪い。テッラが崩した石壁の破片が散乱しているし、倒された駆動鎧パワードスーツが持っていたらしき、円筒状の弾丸がいくつも転がっている。
「最後に尋ねるけどよ、大人しくC文書を渡すつもりはねえんだな」
「ええ。遠慮えんりょなさらず、存分に玉砕してください」
 その言葉を聞いて、上条は前へ駆けた。
 テッラはその動きに合わせて、右手の小麦粉の刃物を振るった。
 上条は右手を前に突き出し、防御手段を取りながらさらに走るが、
「優先する。───大気を下位に、小麦粉を上位に」
 ドァ!! という轟音と共に小麦粉のギロチンが一気にふくらんだ。
 幅三メートルほどの巨大な団扇うちわとなったギロチンが、莫大ばくだいな空気を巻き込んで上条の方へと突き飛ばされてくる。
「ッ!?」
 上条かみじょうは反応できなかった。
 彼と同時にテッラへ走っていた五和いつわが、上条の腕を強引につかむ。五和が上条を引きずるように横へ跳んでけた途端、硬さや鋭さを持たないはずの『ただの空気』が教皇庁宮殿の床や壁をメチャクチャに破壊はかいした。床に散らばっていた弾丸のいくつかが花火のように破裂する。衝撃波しょうげきはのような爆音に、上条ののどが詰まりそうになった。
 五和は上条の腕から、そっと手をはなす。
 その仕草からは想像もつかない素早い動きで、五和は手にしたやりを構え直し、テッラの喉元へ鉄杭てつくいのように勢い良く突き刺す。
 ドッ!! という空気を引き裂く音がひびく。
「優先する。───刃を下位に、人肌を上位に」
 テッラの一言で、五和の攻撃は皮膚ひふはじかれる。
 金属のふるえる、ギィン!! という音だけが教皇庁宮殿にこだました。
 岩の塊を槍で突いたように、五和の手がビリビリとした痛みに包まれる。
 しかし五和の動きは止まらない。
 彼女は槍を突き崩した体勢のまま、足元にあった小石をり上げ、テッラの目をねらって鋭く放つ。
 テッラは首を振るどころか、まぶたも閉じなかった。
 無造作に右腕を振るう。
 横薙よこなぎの一撃が、小石と五和、そしてさらに別の角度から突っ込もうとしていた上条をも巻き込んで、一気に遠くへと押し返す。
 ゴッ!! という鈍い音と共に、上条と五和が床の上へ投げ出された。
「痛……ッ!?」
 起き上がろうとした五和が、顔をしかめた。
 倒れた所には、テッラが崩した石の壁の残骸ざんがいがたくさん転がっていた。その上へ倒れ込んでしまったため、足首にダメージを負ってしまったのだ。
 そしてそれを、左方のテッラは見逃さなかった。
「優先する。───人肉を下位に、小麦粉を上位に」
 ギロチンが飛んだ。
 足をやられて動けない五和は、とっさに槍を構える。
 そこへ上条が横から割り込んだ。
 右手をかざし、テッラの攻撃を四方八方へと吹き飛ばす。
 ごう!! という音が響く。
 さらにテッラが右腕を振る溢うとすると、五和は上条の体を横へ突き飛ばし、痛む足を押して自分も反対側へと跳んでいく。
 その中央を、テッラのギロチンが突き抜けた。
「おや勇ましい」
 テッラは苦痛に耐える五和いつわを眺め、小さく笑っていた。
「しかしもう限界でしょう。足を引っ張る……とはまさに言葉通りですねー」
 その言葉に上条かみじょうはカッとしかけたが、
「……確かに」
 五和は小さくつぶやいた。
 しかし、その口元には笑みがある。
「でも、ようやくあなたはボロを出してくれました。決定的なボロを」
「何の事でしょう?」
「あの、ツチミカドさんが言いかけていた事。あなたが得意とする優先術式『光の処刑』の弱点。今のあなたの動きには、確かに不自然な所がありましたから……」
 へえ、とテッラは面白そうに相槌あいづちを打った。
 五和はゆっくりとやり穂先ほさきをテッラの方へ突き付けながら、
天草式十字凄教あまくさしきじゅうじせいきょう呪文じゅもん魔法陣まほうじんなどを用いず、生活用品や習慣の中に残る魔術的まじゅつてき記号を組み合わせて術式を形成しますから。そういった記号探しは得意なんですよ」
「なるほど。それは困りました」
 感情のこもっていない声でテッラは言った。
「しかし、気づいた所であなたにはそれを活用する時間はありませんけどねー?」
 言いながら、テッラは右手を頭上へ上げる。
 そこにあるギロチンがネジのようにとがり、高い天井てんじょうへと突き刺さる。
「優先する。───天井を下位に、小麦粉を上位に」
 テッラの手が蛍光灯のひもを引くように動いた途端に、それはきた。
 ぐいっと。
 古いお城のわなのように、突然フロアの天井が落ちてきたのだ。
 天井を支える柱は、不自然なほどなめらかに床の中へ沈んでいく。
「ッ!!」
 五和は慌てて槍を垂直に構える。
 落ちてきた天井と床の間に槍が挟まり、かろうじて圧殺を免れる。
 しかし、そのせいで五和の武器は奪われた。
 そこへ、

 テッラのギロチンが容赦ようしゃなくおそいかかる。

 ドウ!! という轟音ごうおん炸裂さくれつした。
 横薙よこなぎに飛んだギロチンは丸腰の五和いつわの胴体へ直撃ちょくげきした。彼女の体がくの字に折れ山がり、鈍い音を立て、衝撃しょうげきを抑えきれずにその小さな体が後方へ跳ぶ。二回、三回と床の上をバウンドし、数メートルもその体が転がっていくと、ようやく勢いを失って動きを止めた。
 ぐったりとした五和は、起き上がらない。
 手足を投げ出したままだ。その胸がゆっくりと上下している事からまだ死んではいないようだが、意識が目覚めそうな様子もない。
(くそ……)
 上条かみじょうは奥歯をめて、
「五和ッ!!」
「ま、こんな所でしょうかねー。ただの魔術師まじゅつしが『神の右席』に太刀打たちうちできると思っている事が、すでに間違いという訳です」
 テッラがうそぶいている間に、落ちてきた天井てんじょうは再びゆっくりと元の高さへ戻っていく。圧縮されていた柱も、今まで通りの長さになっていく。
 圧迫から免れた五和のやりが、カランと音を立てて床に転がった。
「テメェ……」
 上条は右拳みぎこぶしへ、ゆっくりと、ゆっくりと、力を加えていく。
 しかし、彼の表情を見ても、テッラの余裕は崩れない。
「おやおや。勝手に怒ってもらっても悶りますねー。今は戦闘中せんとうちゅうですよ。まさか私には一発も反撃しないでなぐられ続けろとか言うつもりじゃありませんよねえ?」
「……、」
「というか、こちらとしてもがっかりですよ。幻想殺しイマジンブレイカーと言うからには多少は苦戦すると思っていたのですが、まさかここまで未完成とはねー。あれが本来の性能が回復していれば、少なくとも今の攻撃からそちらの魔術師をかばうぐらいの事はできたはずなのに」
 何だと? と上条は眉をひそめた。
 幻想殺しイマジンブレイカー───その本来の性能。
 思わず自分の右手に視線をやってしまう上条を見て、テッラはうっすらとした笑みを浮かべた。
「おや。もしかして、知らない?」
「ッ」
「くくっ、そんな訳がありませんよねー? 普通ならば知っていなければならない。だとすると……んン? もしかして知っていたはずの事を覚えていないとか?」
「テメエ!!」
「まさか図星ですか。おやおや、これは楽しみな研究材料を一つ見つけてしまいましたかねぇ!!」
「……ッ!!」
 ここで怒るのは筋違いかもしれない。
 しかし、その言葉は記憶喪失きおくそうしつになった上条かみじょうにとって、心の奥をえぐり取る一言だ。
「ハハッ!!」
 ぐらぐらとした足取りで何とか立ち上がる上条を見て、テッラは大声で笑い飛ばした。
「そうかそうかそうですか! 確かそういう報告を受けた覚えはなかったんですが……もしかしてー、隠していたとか? 何のために? そちらでのびている魔術師まじゅつしにはちゃんと話したんですか? どうして記憶を失ったのか、そこから調査をしてみるのも面白いかもしれませんねー?」
(ちくしょうッ!!)
 怒りが上条を支配する。
 上条は自分が記憶を失った事を、だれにも明かさないと決めていた。記憶を失って以後、初めて出会った白い少女のために。それが彼なりのルールだった。守らなくてはならないものなのだ。そのルールがこんな形で破られようとされている事実に、頭がおかしくなりそうだった。
「良いんじゃないですか」
 左方のテッラが笑いながら、訳の分からない事を言う。
「どうせここで死ぬんですし、心配はすべて捨てましょうよ。何をうれいでいるかは知りませんが、パーっと散らせてあげますから」
 ゆったりとした動作で小麦粉のギロチンを構えるテッラに、上条はあごが砕けるほどの力で奥歯をめる。
(……あの刃物の破壊力はかいりょくそのものは致命的なものじゃない)
 上条はテッラの周囲に渦巻く白い粉末をにらみつけながら、思う。
(問題なのは例の『優先』……。攻撃にも防御にも使えるあの力の弱点を見つけられれば、本当にそんなものがあれば、それでテッラを追い詰められる!!)
 土御門つちみかど五和いつわも、それが『ある』と断言していた。
 あるいは左方のテッラに対する言葉の応酬おうしゅう、もっと言えば単なるハッタリだった可能性もあるが、
(何かある)
 上条はテッラとの間合いを測りながら、
(考えてみれば、確かにテッラの攻撃は何かがおかしかった。うれしい誤算だったからそのまま深く考えないで捨てておいた事。そう、あれは)
「おや、そちらからは来ないんですか」
 テッラは小麦粉のギロチンを軽く振りながら、あざけるように言った。
「それなら待つのも面倒ですし、こちらから行きましょうか、ね!!」
 言葉と共に、白い刃物が放たれた。
 それをの当たりにした上条当麻かみじょうとうまは───。

  7

 ごう!! と勢い良くおそいかかってきた小麦粉の刃物に、上条は右手を合わせなかった。
 顔面に迫る一撃いちげきを、首を振ってける。
 そうしながら、床に倒れ込むような格好で、崩れた外壁の破片───弁当箱ぐらいの大きさの石の塊を手に取った。
 上条は起き上がりざまに、カウンターのようにテッラに向けて投げつける。
「優先する。───石材を下位に、人肌を上位に」
 テッラは歌うようにつぶやいた。
 石の塊はテッラの額に激突したが、テッラの表情は少しも変わらない。
 そのタイミングに合わせ、上条はズボンのポケットに手を突っ込んだ。テッラの目が険しくなる。上条は無視してポケットの中にある物をテッラ目がけてさらに投擲とうてきした。
 小麦粉のギロチンがうなる。
 しかし、その先端が引き裂いた物を見て、テッラはまゆをひそめた。
 それはシンプルな財布だった。
 武器としての効果が一切ない合成革を投げつけた上条は、テッラの反応を見て告げる。
「どうしてだろうな」
 切り裂くような一言だった。
五和いつわやり土御門つちみかど魔術まじゅつでも簡単にはじけたくせに、どうしてただの財布を『優先』で防がなかったんだろうな」
「……ッ!?」
 テッラは上条の口をだまらせようとするように、小麦粉のギロチンを放った。
 それを右手で吹き飛ばしながら、上条はさらに告げる。
「考えてみりゃおかしかったんだ」
 ギロチンの残滓ざんしである粉末を引き裂くように、上条は前へ出る。
「あの白い刃の直撃をくらって、おれや五和が生きているっていう事がな。テメェに手加減する義理はねぇし、敗者を見逃してくれるような性格をしてるとも思えない。となれば話は簡単だ。あの刃で俺たちを切りつけた時、テメェはえて俺達を殺さなかったんじゃない。どうやっても殺せなかったんだ」

 小麦粉の刃物そのものの威力だけでは人間一人も殺せない。その威力を増幅させているのは、やはり『優先』の術式をギロチンに使っているからだ。
 だとすると、
「テメェの『優先』は融通ゆうずうかないんだろ。刃の威力が軽減されたのは、決まってテメェが俺達おれたち攻撃こうげきを受け止めた直後の一撃だった。つまりテメェの『優先』は一度に複数の対象に向かっては扱えない。一つの『優先』から別の『優先』に切り替えるには、いちいち一つ一つ再設定していく必要がある。そんな所じゃねえのか」
「ふ」
 テッラは笑った。
 口元をゆるめながら、彼は改めて巨大な刃を構える。
「……あなたの連れが言っていた『光の処刑』の『弱点』とは、そういう事ですか」
 ともすればなぞが氷解した事に安堵あんどしているようにも聞こえる声だった。
何分なにぶん、こいつは未調整でしてね。そちらの言葉には多少興味があったのですが」
 微笑ほほえむ聖職者。
「しかし」
 そこから一転して、テッラの言葉にあざけりが戻る。
「そんな事が分かったから何なのでしょうか。その程度で敗北するほど、左方のテッラは甘くはないんですがねえ!!」
 ゴッ!! と風斬かぜきり音を立てて白い刃が飛んだ。
 上条かみじょうを取ろうとするテッラを追いかける。
「テッラ!!」
 叫ぶが、しかしテッラの方が早い。さらに小麦粉のギロチンを振るうと、真下に突き刺して一言。
「優先する。───床を下位に、小麦粉を上位に」
 分厚い石の床が吹き飛び、その細かい破片が上条へとおそいかかってくる。少年はそれを横っ飛びでけながら、
「テメェがここまでやる理由は何だ! 俺達どころかアビニョンの人達まで巻き込みやがって!そうまでして実行する価値があんのかよ!?」
「ハッ、さわぎの半分以上はあなた達学園都市のせいだと思いますけどねーっ!?」
 トントンと短く跳ぶように後ろへ下がるテッラは、手元に小麦粉の粉末を集めながら答える。
「十字教徒すべての最終目的『神聖の国』ですよ」
「なに?」
「おやまぁ、十字教文化圏の人間なら、信号の色よりポピュラーな情報なんですけどねー。まぁ、宗教色のうすい極東の島国出身らしいですし、仕方がありませんか」
 軽い退屈や失望を込めてテッラは告げる。
「最後の審判ののちに神がその手で築いてくれるという王国ですよ。深い信仰によって研鑽けんさんした者のみが滞在を許される、永遠の救いという居場所。まことに素晴らしいとは思いませんか。私はそこを目指し、また同じように目指す方々のお手伝いをさせていただいていたんですがねー」
 テッラが小麦粉のギロチンを放ち、上条かみじょうの右手がそれを吹き飛ばす。
 床にあった筒状の弾丸のいくつかが風圧に負けて転がっていく。
 粉末状に散っていく武器を眺めながら、テッラは言う。
「しかし、ふと思った訳です」
 風も吹いていないのに、粉末は不気味なほど規則正しくテッラの手の中へと帰っていく。
「人はこの神聖の国で争いをしてしまわないのか、とね。たとえ神が完壁かんぺきな王国を築き上げ、そこに正しい信仰を積んだ世界中の人々を呼び集めたところで、人々という『集団』は神の期待にこたえられるものなんでしようかねー」
 上条はその言葉を聞きながら、前へ走る。
 テッラはそれを止めようと、ギロチンを放つ。
「神は十字教を信じ抜いた者を『神聖の国』へ導くとあります。しかし、ローマ正教の中だけでも無数の派閥に分かれてしまっているんですよ。仮に神が『敬虔けいけんなローマ正教徒のみを選ぶ』という検索条件で救いを与えてしまった場合、この『神聖の国』へはローマ正教内にある派閥の問題がそのまま受け継がれてしまう事になってしまうんですねー」
 テッラの右手に呼応し、小麦粉がうごめいて巨大な刃と化す。
 白いギロチンと上条のこぶしが激突する。
「……神がどれだけ完壁な王国を築いた所で、その内部で人間がみにくく分裂してしまえば意味がありませんよねー。完壁なはずの王国に、今まで通りの争いが入り込んでしまっては元も子もないんですよ。それは『永遠の救い』とは言えません」
 小麦粉のギロチンを右手で打ち消しながら、上条は聞く。
 テッラの方も、これ以上下がっても意昧はないと知ったのか、前へ出る。
「救いが欲しいのですよ。そして救いを与えたい。神のプランが完壁であっても、我々人間が神の期待以下ならばすべてはご破算だ! だから私は知りたいのですよ!! 現状の人類は『神聖の国』で争いをしてしまわないのか。そしてもしもしてしまうのならば、審判の日までに皆をどのような方向に導き直せば良いのかをねぇ!!」
 だからこその『神の右席』だ、とテッラはえた。
 同じメンバーである前方のヴェントとは違い、ローマ正教のために自らが選んだ道。そこまでやるからには、テッラはローマ正教を信じる人たちを本気で守ろうとしているのかもしれない。
 だが、
「……救いって、その程度なのかよ」
 思わず上条かみじょうは奥歯をめていた。
 上条を動かすために自ら銃弾を受けた親船最中おやふねもなかの顔が浮かぶ。
 共に戦ってくれた土御門つちみかど五和いつわの事を考える。
「ローマ正教が悪いって訳じゃねえ、オルソラとかアニェーゼを育てたローマ正教って教えがここまでズレてるとは思わない。テメェはそれ以前の問題だ。救いって言葉の意味が企く分かってねえんだよ、テメェは!」
 アビニョンの街で暴れ回っていた暴徒たち
 それを制圧するためにやってきて、テッラにつぶされた駆動鎧パワードスーツ
「テメェらの神様だって、こんな争いを生むために教えを広めていったって訳ねぇだろうが! ふざけやがって。勝手に救いの定義を決めつけて一人で満足するって言うなら」
 ただ前を見据え、眼前にいる男をにらみつける。
 そこに彼の敵がいた。
「そのふざけた幻想は、今すぐここでぶちこわす!!」
 上条は叫び、テッラのふところへと飛び込む。
 テッラはさらに後ろへ下がりながら、右腕のギロチンを構える。このままではいつまで経っても追い着けない。
 それでも上条は前へ進む。
 床にあった駆動鎧パワードスーツみつける。
 そして、足元にあった物を前方へ思い切り蹴飛けとばした。
 五和が取り落とした海軍用船上槍フリウリスピアだ。
 やりは簡単に蹴り上げられず、床の上をすべって行った。駆動鎧パワードスーツが落とした対隔壁用ショットガンの銃身に激突し、若干じゃっかんの軌道を曲げながらテッラの足首へおそいかかった。
「ッ!!」
 テッラはギロチンを振り下ろし、五和の槍を強引に床へたたきつける。
 軽く足を上げればけられたであろう攻撃を、わざわざギロチンを使って防いだ。
(やっぱり)
 上条はその間に、テッラの元へとさらに踏み込む。
 今まで近づけなかった懐の深くへと、鋭くもぐっていく。
(テッラ自身に元から強大な力があれば、「優先順位を入れ替える』なんて魔術まじゅつは必要ない。入れ替えるまでもなく、トップに君臨しているヤツは最初から頂点にいるんだから。身体能力が高いって訳じゃねぇ)
 つまり、と上条は結論付ける。
 その右拳みぎこぶしに、ありったけの力を込めて。
(───左方のテッラは強くなんかない。安全地帯に隠れて強いように見えてるだけの野郎が、実際にこの足で戦場に立ってるおれ五和いつわより強いはずがねぇだろうが!!)
 五和のやりを床へたたきつけたテッラは、返す刀で『優先する』とつぶやいて小麦粉のギロチンを放ったが、上条かみじょうの右拳はその攻撃こうげき破壊はかいした。
「遅っせぇんだよ!!」
 彼の拳が、そのままテッラの顔面へと突き刺さる。
 ゴン!! という鈍い音が炸裂さくれつした。
 固く握った拳から手首へ、直撃の鈍い反動が返ってくる。
 全体重を右腕に掛けたため、上条の体が前のめりになる。
とらえた!!)
 という確信があった。
 しかしテッラはまだ倒れない。
「キ、サマ……異教のクソ猿がァァああああああああああああああああああああッ!!」
 怒声と共に『神の右席』に力が戻る。
 靴底が床をすべる、ザザッという音がひびいた。テッラは倒れている駆動鎧パワードスーツの体に足を引っ掛けて転びそうになる。バランスを崩し、テッラの体は大きくけ反ったが、それでも彼の戦意は砕かれていない。テッラはその不安定な体勢のまま右手を振るうと、上条の腹に目がけて思い切り小麦粉のギロチンを突き出す。
「優先する。───人体を下位に、小麦粉を上位に!!」
 放たれる刃は人間を切断できるように設定されたもの。
 対する上条は、たった今テッラの顔面をなぐり飛ばしたばかりだった。
 その状態では右手を使ってギロチンをはじくのは難しい。体をひねってけるのも同様だ。
(───ッ!!)
 上条はとっさに、足元にあった物を思い切り踏みつけた。
 それは極端に銃身の太い対隔壁用ショットガン───テッラにつぶされた駆動鎧パワードスーツが持っていたものだ。
 瓦礫がれき欠片かけらによって斜めに傾いていたショットガンは、上条の足に踏まれる事によってシーソーのように大きく動き、反動をつけた金属の塊が彼の前で直立する。
「甘いん。てすがねぇ!!」
 だがテッラの表情は変わらない。
 対隔壁用ショットガンは重たく、簡単には構えられない。仮に上条が巨大な銃器をつかんだとしても、この状態から両手で構え直してテッラをねらって引き金を引くまでには、数秒の時間差が生じるのだ。起死回生の手は通じなかった。上条が必死で掴み取ろうとした対隔壁用ショットガンごと、テッラのギロチンは勢い良く上条かみじょうの腹へと突き刺さった。

 ズドッ!! というすさまじい音が教皇庁宮殿に嶋りひびく。

 赤い血が舞った。
 くの字に折れ曲がった上条の口から、ぬめった液体がボタボタと垂れた。右手で防ぐ事もできず、体をひねってける事もできず、一直線に腹へ一撃いちげきらった彼の体から、静かに力が抜けていく。
「な……」
 息をむ音。
 ただし、それを発したのは上条ではなく、左方のテッラの口だ。
 無理もない。
『優先』の魔術まじゅつを使ってギロチンの威力を増強したのに、上条の胴体は真っ二つにならなかったのだから。
「……、」
 上条はニヤリと笑って、腹に突き刺さったギロチンを右手で握りめた。
 それだけで、小麦粉の刃物は粉々に砕け散る。
 左方のテッラは後ろへ下がろうとしたが、それより先に上条かみじょうみ込んだ。
 そこはもう、上条のこぶしの射程圏内だ。
「何だ、このふざけた結果は……。幻想殺しイマジンブレイカーは右手にしか適用されないはず。何が起きた。異教のサルが、まさかすでにその力には───ッ!!」
「そんなもんじゃねえよ」
 上条は右拳を固く握りめ、
「今のは幻想殺しイマジンブレイカーとは関係ねぇ」
「なら……ッ!?」
 テッラは叫ぼうとするが、その前に上条が動いた。
 驚愕きょうがくいろどられた左方のテッラの顔面へ、まっすぐねらいを定める。

「答えると思うか」

 ゴッ!! という鈍い音がひびいた。
 今度こそ、テッラの体は床に投げ出された。

  8

「ぐっ……」
 上条はズキズキと痛む腹を押さえ、ふらつく足に力を入れて、かろうじてその場に踏みとどまる。
 ギロチンをたたきつけられた腹は破れたりはしていないが、それでも青黒いあざがかなり広範囲に広がっている。
(どうにか……助かった、か)
 上条は衝撃しょうげきゆがんだ対隔壁用ショットガンや五和いつわやりなどを眺めながらようやく安堵あんどの息をく。
 テッラが最後に放った小麦粉のギロチン……上条を狙って放たれたあの一撃は、当然ながら『上条の体よりもギロチンの威力を優先する』という魔術まじゅつが込められていたはずだ。そのまま直撃すれば、上条の腹など簡単に突き破られていただろう。
 それでも上条が生きているのは、直撃の寸前に上条がり上げた『駆動鎧パワードスーツの対隔壁用ショットガン』のおかげだ。
 確かにテッラの『優先』は強力だが、その優先条件は一種類の項目にしか適用されない。ある項目から別の項目へ『優先』を変更するには、その都度条件を設定し直す必要がある。
 つまり、『上条かみじょうの体よりギロチンの威力を優先する』状況では、逆に言えば『上条の体以外の物には特に影響えいきょうしない』という事を意味してしまう。だから、『上条の体』と『ギロチン』の間に『別の物体』を挟んでしまえばギロチンは止まる。空気や財布など元々柔らかい物なら効果はないだろうが、ショットガンは金属製だ。
 ギロチンの元々の威力は、直撃ちょくげきしても内臓をつぶさないぐらいのものだ。ある程度の強度の物体を盾に使えば、あの一撃を防ぐ事は難しくなかったのだ。
 ネックだったのはどこまでが『上条の体』として優先魔術まじゅつに適用されるか分からなかったという所だが……『上条の衣服』や『上条の荷物』はともかく、少なくとも他人の持ち物だった『駆動鎧パワードスーツの対隔壁用ショットガン』は上条の体の一部として扱われなかったようだった。
 その直前に上条が蹴飛けとばした五和いつわやりにしても、ショットガンと同じで『他人の持ち物』だ。だからこそ、テッラは『槍ごと上条の胴体を真っ二つにする』という事はできなかったんだろう。もしも上条が普段ふだんから槍を持ち歩いていたら、そういう風に対処されていたはずだ。
 あの槍があったから、上条はテッラの弱点に気づく事ができた。それがなければ、今頃いまごろ上条の体は切断されていただろう。
「───、」
 上条は床に転がっているテッラを見た。
 大量の小麦粉は刃の形状を保っていられず、彼の周辺に散らばっている。
(どうにか、これで終わったな……。五和は大丈夫だいじょうぶか。土御門つちみかどの方は……まだ駆動鎧パワードスーツと戦ってるかもしれない……)
 上条は魔術としての効力を失い、風に流されていく小麦粉の粉末に目をやる。
 痛みをこらえながら、それでも安堵あんどの息をいた。
 改めて、テッラの顔を見る。
 床に転がったテッラのふところから、筒状の物が転がり出ていた。古い羊皮紙ようひしを丸めてまとめられたそれはDocument of Constantine───通称『C文書』と呼ばれる強大な霊装れいそうだ。
 上条はかがみ込み、それを右手でつかんだ。
 いや、掴む前に崩れた。
 上条の指先がC文書に触れた途端、まるで灰の伸びた煙草タバコを灰皿の縁へたたいたように、ポロッと羊皮紙が千切ちぎれた。それは粉末状に形を失っていくと、ゆるやかな風に乗ってどこかへ飛ばされていく。
 あまりにもあっけなかった。
 今までのさわぎが逆にむなしくなってくるぐらいに。
 上条は失われたC文書から意識をらし、今度は今まで戦っていた敵について考える。
(……テッラ、か)
 上条かみじょうは気を失って倒れている男を見下ろす。
 ここは学園都市ではない。勝負がついた後は警備員アンチスキルに任せるという訳にはいかない。再びテッラが目を覚ます前に確実に拘束し、しかるべき所へ預けるまでは油断できない。
(そういえば、土御門つちみかどのヤツは大丈夫だいじょうぶなのか。あいつに連絡して、とりあえずイギリス清教の方と掛け合うかな。何となく、ここだと学園都市の影響えいきょうって少ないような気もするし……)
 一応アビニョンへ強襲きょうしゅうしてきた駆動鎧パワードスーツも学園都市製なのだが、不思議と上条は彼らに相談しようとは考えなかった。第一印象が最悪すぎたからかもしれない。
 上条は辺りを見回した。
 少しはなれた所に、五和いつわが倒れていた。
 近づいて、その華奢きゃしゃな肩をつかんで揺さぶってみたが、起きる気配はなかった。ただ、その唇からは規則的な呼吸音が出ているし、胸はわずかに上下している。
「そうだ。こいつのやり……」
 上条は自分が蹴飛けとばした槍を拾いに行き、再び五和の元へ帰ってくる。
 その物騒ぶっそうな刃物を、五和のすぐ横にそっと置いた。
「ありがとう五和。お前がここにいなかったら、多分おれは勝てなかったと思う」
 目をつぶっている少女に向けて、上条は静かに言う。
 彼女がテッラにやられたおかげで、上条とテッラの間で交わされた、記憶喪失きおくそうしつ関連の話は聞かれなかった……だろう。しかし、それを『良かった』とは喜べなかった。五和はそれを知らないまま、上条に協力して戦ってくれたのだから。
「───、」
 心の中には、苦いものしかない。
 しかし今は、それを振り切って上条は考える。
(とにかく土御門と話をしよう……)
 携帯電話で土御門と連絡を取ろうと思ったが、ポケットを探っても携帯電話がない。辺りを見回すと、少しはなれた所にそれらしき物が転がっていた。
 しかし拾ってみると、液晶は砕けて何も見えなくなっているし、何かのパーツが引っ掛かっているのか折り畳む事もできない。
 くそ、とき捨てた上条は、背後からゴソリという物音を聞いた。
「ッ!!」
 上条は慌てて振り返ったが、テッラは相変わらず床に倒れたままだ。ただ、腕の位置が若干じゃっかん変わっている。起き上がろうとして、力が出なかったらしい。
「はは。なるほど。確かに幻想殺しイマジンブレイカーは我々とは相性が悪い。何でもかんでも無効化してくれて、まったく自分たちの努力を否定されているような気分ですよ」
 床に転がったテッラは、忌々いまいましげに上条をにらみつけながら、ふるえる唇をゆっくりと動かした。
「……尋ねないのですか」
「何を」
幻想殺しイマジンブレイカーについて」
 不意に出てきた言葉に、上条かみじょうの動きがわずかに止まった。
 幻想殺しイマジンブレイカ 
 これまで当たり前のように使ってきて、大した疑問も持たなかったこの力。テッラはその力について何かを知っているという。となると、この力は科学サイドのものではなく、魔術まじゅつサイドのものになるのだろうか。しかし、一〇万三〇〇〇冊の魔道書まどうしょを暗記しているインデックスは、幻想殺しイマジンブレイカーの正体を知っている感じではない。
 上条は少しだけ考えて、
「知ってるのか」
「くっくっ」
 左方のテッラは、上条の言葉を聞いて酷薄こくはくに笑った。
「そこで私に確認を取るという事は、どうやら本当に記憶きおくを失っているらしいですねー」
「……、」
「ふふ。その幻想殺しイマジンブレイカーが、何故なぜあなたの『右手』に備わっているのかを考えてみる事です。そこには大きな答えが隠されている。あらゆる魔術を問答無用で打ち消してしまうというその効力にも、意味があるんですがねー……」
 テッラは悩む上条を見て楽しげに笑う。
 彼は言う。
「簡単な事ですよ」
 テッラのうすく息をく音が、上条の耳にやけに大きくひびいた。
 ゆっくりと、テッラの唇が動く。
幻想殺しイマジンブレイカーの正体は───」
 上条はその言葉の続きを聞き取る事ができなかった。

 ゴッ!! という莫大ばくだい轟音ごうおんと共に。

 左方のテッラの体がいきなり爆発したからだ。
 いや、厳密にはテッラが吹き飛ばされる瞬間しゅんかんを上条は見ていなかった。
 天井てんじょうを突き破っておそいかかってきたオレンジ色の閃光せんこうが、テッラの真上に降り注いだ。直径三メートル程度の光の柱が床を貫いた途端、恐るべき爆風が教皇庁宮殿の室内に吹き荒れた。
 上条の両足は一瞬で床から引きがされ、そのまま綿埃わたぼこりのように何メートルも後方へ飛ばされていく。別の場所に倒れていた五和いつわ駆動鎧パワードスーツも、同じように爆風のあおりを受けてこちらへ転がってきた。
「ぐああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!?」
 床にたたきつけられ、上条かみじょうは絶叫する。
 その激痛とは別に、腕の辺りからジリジリと刺すようなうすい痛みが走っていた。まるで火傷やけどした翌日のような感覚だった。そちらに目をやると、肌がわずかに赤く変色している。火傷しているのだ。
(な、何が……?)
 朦朧もうろうとする頭を振って、上条は爆破地点に目をやった。
 そこで彼の体は硬直した。
 ついさっきまでテッラが倒れていた場所は、すでに溶岩の渦と化していた。石でできた床は何メートルにもわたってオレンジ色にかがやくドロドロした沼に変わっていて、大穴の空いた天井てんじょうの縁からも、やはり同じような物がドロッと垂れている。シュウシュウという水が蒸発するような音が耳についた。近づこうとするだけで、見えない壁のような熱風が肌に張り付いてくる。
 窓の外に、何かが見えた。
 青空に黒いみを作るようにゆっくりと旋回しているのは───複数の爆撃機ばくげききだ。
 爆弾を投下するための隔壁の代わりにあるのは、漆黒しっこくの金属製ブレード。何が起きたか分からないが、あれが何らかの攻撃を行ったのは明白だった。
「テッラ……」
 あまりの熱気に近づく事もできないまま、上条は敵だった男の名前を呼んだ。
 大空を舞う鋼鉄のつばさが、再びこちらにねらいを定めてくる。
 十分な助走距離きょりを使って加速した爆撃機が、すさまじい速度で青空を突き抜ける。
「テッラァァァああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
 叫び声はかき消された。
 複数の閃光せんこうの柱が天井を引き裂き、再度テッラの倒れていたポイントへ正確に突き刺さった。
 その精度は爆撃というより狙撃そげきに近いかもしれない。オレンジ色の光が上条の視界をすべて奪っていく。何らかの余波を受けて上条の体が何度も何度も床を跳ねて転がっていった。
 上条はそこで気絶した。
 しかし、仮に気を失わなかったとしても、彼がテッラを見つける事はできなかっただろう。
 倒れる上条の前方の一角からは壁も天井も消えていて、全て溶岩の海に変わっていた。同様に教皇庁宮殿の三分の一が失われていた。

 ───そして、左方のテッラは死体すらも残さず消えた。

終 章 その解は次の謎へと Question.

 その衝撃しょうげき五和いつわは目を覚ました。
 ここは教皇庁宮殿だ。前に意識を失う直前は床の中央辺りで倒れた……と思っていたのだが、気がつけば壁の近くまで転がされていた。自分の持っていたやりも近くにある。
 ダメージが残っているのか、全身が気だるく動かしづらい。
 のろのろとした動きで槍を取る。
 体が火照ほてっている。
 そう思った五和だが、直後にその正体に気づいた。
 前方。
 十数メートル先にある石の壁や床、天井てんじょうなどが高熱に溶かされ、ドロドロとしたオレンジ色の粘液に変わっていた。鉄板に水を垂らすようなシュウシュウという音が聞こえ、視界の大半が白っぽい蒸気に隠されてしまっている。
「な……に、が……?」
 周囲を観察する。
 少しはなれた所に、動きを止めた駆動鎧パワードスーツが倒れていた。その近くに、幻想殺しイマジンブレイカーの少年が仰向けに倒れている。意識があるように思えなかった。近づいてみると、少年の肌には赤みが差していた。火照っているのではなく、軽度の火傷やけどを負っているらしい。
 この程度ならあとは残らないだろう。
 氷でもあれば良いのだが、手持ちにそういう持ち物はないし、氷に関する魔術まじゅつも得意ではない。五和はポケットの中を探ると、そこからおしぼりを取り出して、上条の腕へと優しく押し当てた。傷は浅そうで、五和はホッと息をく。
(左方のテッラは……?)
 応急手当をしながら、五和はぼんやりと思う。
(C文書も……。この惨事は、テッラが行ったもの? それにしては、これまでとは随分ずいぶんと毛色の違う現象のような……)
 自分たちは勝ったのか、負けたのか。
 それすらも判別できない。
 少し看た限りでは、幻想殺しイマジンブレイカーの少年の傷は浅い。とりあえずは彼が目を覚ますのを待って、状況を説明してもらった方が良いだろう。そして必要なら、今からでもテッラの追撃に移らなくてはならない。
「……、」
 テッラとの決着に最後までかかわれなかった自分。
 途中で気を失ってしまい、後の事を素人しろうとの少年に押し付けてしまった自分。
 その無力さを、五和いつわはそっとめる。
(どうにかしないと……)
 彼女はそう思う。
 しかし、危機はそれだけの暇をいちいち用意してくれない。

「チッ。何だか面倒臭ェ事になってンなァ」

 突然聞こえた声に、五和の全身へ緊張きんちょうが走る。
 その声質そのものも禍々まがまがしかったが、何よりも彼女がおどろいたのは、声が飛んできた方向だ。
 五和はやりを構えつつも、信じられないものを見るような目でそちらへ振り返る。
 前方。
 高熱のせいでドロドロの溶岩と化している通路。
 確かに、声はその真ん中から聞こえてきた。
 立ち込める蒸気のせいで、人影の詳細は見えない。
 ただ、そのシルエットを見るだけでも、人影はごく普通に、自然な挙動で立っているのが分かる。
 おそらく数干度の溶岩の中にたたずんでいるにもかかわらず。
 立ち込める蒸気だけでも一〇〇度を超えているだろう、その中心部で。
「威力が高すぎるってのも考えモンだよなァ。っつか、大陸切断用のブレードを生身の人間に向けンのが間違ってンじゃねェのか。死体を確認する方の身にもなれっつーの。まァ、切断前後で暴動がプッツリ収まったンだから、少なくとも最低限の目標は達成できたンだろォけどよ」
 相手はこちらの事など気にしていない。
 顔を向けてもいない。
 彼の言葉は、五和に向けられたものではない。おそらく無線か携帯電話でも使って、遠く離れた相手と会話しているのだろう。
 それで良い、と五和は思う。
 やりを持つ手から、異様な汗が噴き出ているのが分かる。
 理由は分からない。しかしあの溶岩の真ん中に立っている人影は、別格だ。どう立ち向かうかとか、奇跡が起きれば勝てるかもしれないとか、そういう段階を軽く超えているのだ。たとえるなら、どうしようもなく巨大な鉄の塊に向かって細い槍を振るうような、そんな感覚しか得られない。
 彼は言う。
 刃物を持つ五和いつわなど視界にも入れないで。
「一応この辺を洗って死体を捜してはみるけどよ。 一○分って何も見つからなけりゃおれは帰る。後はここら一帯が冷めてから髪の毛でも血痕けっこんでも見つけてDNA鑑定かんていでもやってンだな。あァ? 機能停止した駆動鎧パワードスーツの回収だァ? そンなモンは雑用係に押し付けちまえよ。フランスにも学園都市協力派の組織や機関ぐらいあるだろォがよ」
 そこで会話は途切れた。
 はなれた相手との会話は終わったのだろうか。
「……、」
 茂みに隠れて猛獣もうじゅうをやり過ごす草食動物のように、五和は息を止めていた。
 相手は一度もこちらを見ていない。
 それでも五和の全身を恐怖が包み込んでいた。
 計り知れない。
 やりを持つ手がふるえてきた五和を無視して、人影は背中を見せる。どうやら教皇庁宮殿の奥へ向かうつもりらしい。溶岩の広がる通路の先へと消えていく。
 五和は追えなかった。
 声をかける事もできなかった。

 正体不明の人影が消えた後も、五和いつわはしばらく緊張きんちょうで動けなかった。

 処刑ロンドン塔の尋問室で、ステイル=マグヌスとアニェーゼ=サンクティスはリドヴィア=ロレンツェッティから話を聞いていた。同席しているビアージオ=ブゾーニは最後まで非協力的な態度を貫き通すつもりらしく、一言も口を動かそうとしなかった。
「十字教では、『神の子』の死後に『神』は人の前には現れませんが」
 リドヴィアの声が、狭い尋問室にひびく。
「代わりに、その手足として動いている『天使』はかなりの頻度ひんどで人の前に出現します。かつては天使と悪魔あくまで大戦争を起こしたという話ですし、とある神学者は九つのグループに分ける必要性に迫られたぐらいですから、彼らの総数は結構なものかもしれませんが」
「それがどうかしたのかい」
 ステイルが先を促すと、リドヴィアはうなずきもせずに先へ進める。
「『神の右席』は即物的な集団という訳ですから。人の前に現れない神は本当にいるのか。あるいは、神は天使のふりをしてこっそり人間と接触しているのではないか。そういう風に考え、『天使の中に紛れ込んだ何者か』の影を追っているのが、『神の右席』となります」
 十字教以外の神話では、神が別のもの……人間と同等か、あるいはえて人間より下位のものに変化して地上へやってくる話は珍しくない。
 その辺りの思想が混ざっているのか、とステイルは頭の片隅に留めておきつつ、
「……それが『神の右席』という名前とどうつながる? 確か君の話だと、『神の右席』とは組織名であると同時に最終目標であるという事だけど」
「人間は神にはなれません」
 リドヴィアは直接的には質問に答えず、話の続きを口に出した。
「そういう術があるらしい、という仮説ならばいくらかありますが、それが実践されたという報告は聞きませんので。ですが、その下位段階───つまり『天使』までなら、錬金術れんきんじゅつなど一部の学問で進化の実例が報告されています。……もちろん、こちらにしても極めてまれですが」
 つまり、とリドヴィアは告げる。
「彼らは人間をしばり付ける『原罪』を消去した上で、『天使』となるための法を求めています。しかも、それはただの『天使』ではありませんので。『天使』という形を借りて地上へ顕現している者───すなわち『天使』の中に紛れ込んだ、真の『神』たる個体を見本として」
 神の力を認めるものの、そこで終わるのではなく、その力をもぎ取ろうとする傲慢ごうまんな意志。
 おまけに、『天使』に紛れ込んで『神』が降りてくるという話には、そもそもの根拠がない。
 ステイルは唇をゆがめて笑いながら、
「……立派な異端宗派だな」
「今の所、彼らは天使の中でも最大級の力を持ち、『光を掲げる者ルシフェル』のついとして生み出された個体『神の如き者ミカエル』にねらいを定めています」
 リドヴィアの声は一定だ。
「『光を掲げる者ルシフェル』は神の右側に座る事を認められた唯一の個体ですし。その『光を掲げる者ルシフェル』を打ち破り、すべての天使を束ねるトップとなった『神の如き者ミカエル』も、かつての『光を掲げる者ルシフェル』と同レベル以上の存在である───『神の右席』はそう考えているようですが」
 右側。
 十字教では、その位置は『対等』を意味する。実際に十字教初期の殉教者じゅんきょうしゃである信者ステファノは『神の子』を敬う表現として、唯一神に対する『右』という言葉を使い、『神の子』が神と『対等』な存在であると示しているのだ。
『神の子』の場合は、三位一体さんみいったいの思想によって、『神』と「神の子』は対等に敬うべき存在である、という事から『右』という表現を使っているのだろう。
 しかし、天使の場合はどうか?
光を掲げる者ルシフェル』は何故なぜ『右側』に座る事ができ、『神の如き者ミカエル』はその『右側』に座った大天使を打ち破るほどの力を持っていたのか。本来、神が唯一無二の存在であり、世界で最も偉い頂点であるのならば、『対等』を意味する右側にはだれも座らせない。まして、神の道具や下僕という目的で作り出された天使などにその座を与える事など、普通なら考えにくい。
 にもかかわらず、その席に下位存在であるはずの『天使』を置くという事は、そこに何か特別な意味がある───とでも考えているのだろう。
「彼らは『神の右席』に座る事を目的とした集団です。そして『右席』を得た彼らは、その力をもって天使からさらに別の存在へと進化できる……そう信じているようです」
 その名は、
「La persona superiore a Dio」
 流れるようにつむがれた言葉を聞いて、ステイルとアニェーゼはそれぞれまゆをひそめた。
 すなわち、
「───神上かみじょう、と。そう呼ぶらしいです」

 バチカン、聖ピエトロ大聖堂に足音がひびく。
 歩幅はあくまでも一定だった。ゆっくりと、ゆったりと。足音の主の精神を表しているように、そのリズムにはゆとりがある。
 その足音が、不意にピタリと止まった。
 足音の主の前に、人影が現れたからだ。
「テッラ」
「ああ。アックアですか……」
 足音の主───左方のテッラは、目の前に現れた後方のアックアをジロリとにらみつけて短く言った。頭の中で考え事をしていて、会話のために中断するのが億劫おっくうだ、という感じだ。
 教皇庁宮殿でテッラをおそった超音速爆撃ばくげきの威力は強大だったが、テッラにとって『一種類の同じ攻撃』は『優先』を使えばまとめて防ぐ事ができる。彼にとって恐ろしいのは、複数の攻撃が同時に襲いかかってくる事なのだ。
「その様子だと、C文書は失ったようだな」
「ええ」
 アックアの言葉を、テッラは簡単に認めた。
「例の幻想殺しイマジンブレイカーを使われましたので、回収は難しいでしょうねー」
「それにしては、随分ずいぶんと上機嫌に見えるのだが」
「はは。アックア、そちらにも話は行っているんじゃないですか」
 テッラはうっすらと微笑ほほえみながら言う。

「ロシア成教が、正式に我々と手を組む事に決定したと」
 アックアは少しだけだまっていた。
 やがて、彼は口を開く。
「我々はローマ正教徒である。本来ならば他宗派からの協力にそれほどすがるのは感心しないのだがな」
「ふふ。あくまで利用するだけですよ。向こうもそう思っているでしょうし」
 テッラの顔からは、余裕は消えていない。
 彼はまだ、折れていない。
「今回のC文書の一件で、学園都市とイギリス清教は秘密裏に手を組んで行動しました。まあ、もちろん、双方ともにそれを認めようとはしないでしょうけど」
「しかし重要なのは、その事実を知ったロシア成教がどう思うか、か」
「すでに学園都市とイギリス清教との間にはある種のパイプが築かれています。そこへ新参者のロシア成教が協力を申し出た所で、甘いみつを吸えるとは限りません。この『戦争』において勝利者の利益を求めるロシア成教としては、科学サイドが勝ったところで自分たちは面白くない……そう思ってしまったんでしょうねぇ?」
 現在の学園都市とローマ正教の戦力は拮抗きっこうしている。
 そこで重要なのはイギリス清教やロシア成教のような、第三勢力の動向だ。
 可能ならばイギリス清教もロシア成教も『魔術まじゅつサイド』の協力者として招き入れるのが望ましい。しかしイギリス清教は、すでに学園都市との間につながりを設けてしまっている。
 そして、ローマ正教とイギリス清教は『法の書』やオルソラの件、大覇星祭だいはせいさいや『使徒十字クローチェディピエトロ』の件をかんがみれば分かる通り、両陣営には深刻な溝が刻まれてしまっている。
 従って、ここはえてイギリス清教の事はあきらめる。
 最悪の展開───イギリス清教とロシア成教の両方が科学サイドについてしまう事をけるためには、何としてでもロシア成教の目をこちらへ引きつける必要があった。
 そのためのC文書だ。
 あの霊装れいそうを失ったのはマイナスだが、当初の目的は達成できた、という事になる。
「さて、これで『ローマ正教・ロシア成教』組と『学園都市・イギリス清教』組という構図が出来上がりましたねー。ま、学園都市とイギリス清教はそれぞれ違う世界サイドの組織ですし、必ずそこにほころびが生じると思いますけどねー。ロシアとの協力を得られれば、日本へ侵攻するための足掛かりは強固なものになります。喉元のどもとに刃を突き付けた状態……という所でしょうかねー。右方のフィアンマとも相談して、今後の兵の動かし方についても決めておいた方が良いかもしれません。本当はもう少し学園都市側の対応パターンを調べたり、幻想殺しイマジンブレイカーの様子を見てみたかったのですが、まぁ良しとしましょう」
「そうか。しかしその前に、貴様に話がある」
 アックアの声は厳しい。
 テッラは気軽に言った。
「何ですか」
「なに、簡単な事だ。貴様にしか扱えない特殊術式『光の処刑』……その照準調整のために、ローマ近郊の子供たちや観光客を使っているという報告は真実か?」
「ええ、はい」
 おどろくほど簡単に、テッラはそれを認めた。
 ただし、

「取り立ててさわぐような事なんですか、それ?」

 左方のテッラは、一言で言い切った。
 アックアの目が細くなる。
「……確か貴様は、世界全人類を平等に救うために行動しているのではなかったのか。人々を信仰によって『神聖の国』へ導いた後、人はそこで派閥の問題を継続しないかを知りたかったから動いているのではなかったのか」
「ええ、ですから」
 何を馬鹿ばかな質問をしているんだという顔で、テッラは答える。
「確かに私は世界全人類を平等に救う気でいますが、そもそも異教徒は人間ではありません。アックア、あなたは書類をきちんとチェックしているのですか。私は対象がローマ正教徒でない事を入念に確認してから、照準調整用の『的』として採用していたつもりなのですが」
「……、」
「ああ、もしかしてスペイン経由で『死刑にできなかった凶悪犯罪者』を回してくるという話を気にしているのですか? 一応報告しておきますが、私はそちらへは手をつけていませんよ。彼らは十字教ローマ正教派の信徒であり、この私が救うべき対象ですからねー。私の部下は人材確保と言うとすぐに犯罪者を持ち出してくるくせがあるようですが、それはいけません。的として消費するならローマ正教徒以外の者でなければ」
 これが左方のテッラにとっての『平等』。
 世界全人類を救うと言っておきながら、そもそも『人間』として扱う区分がとても狭い。
『人間』としての条件に当てはまらない者は家畜として扱っても構わないという考え。この聖職者の根底には、そんな考えがみついてしまっている。
 後方のアックアがだまっていると、テッラは億劫おっくうそうに続けた。
「ヤツらは一度煉獄れんごくに落ちた上で、そのたましいに付着した罪を洗い流す事で『神聖の国』への道を得るのです。その第一歩は我ら聖職者に命を明け渡す事にあるでしょう。それすら行えない者は、もはや煉獄へ落ちる資格もなく、永劫えいごうの地獄で苦しめられるだけなのです」
「……そうか」
 アックアは短く告げる。
「その術式をたずさえたころより定期的にメンテナンスを行っていた、という事だな」
「さあ、そこをどいてくださいアックア。私にはやるべき事が山積みなのですよ。科学サイドに対する次の攻撃こうげきを考えなくてはいけませんし、私の優先魔術まじゅつ『光の処刑』も色々と改善点というか、癖のようなものが見つかってしまいましたからねー。また、照準の微調整が必要になりそうです」
「いや、その前に一つだけやっておく事がある」
 は? という言葉をテッラは口に出せなかった。

 ごう!! というすさまじい音と共に。
 左方のテッラの体が、今度こそ本当に粉々に砕け散ったからだ。

 後方のアックアが実行した事は、極めて単純だった。
 聖ピエトロ大聖堂の天井てんじょうを支える柱の一本をへし折り、それを片手で振り回してテッラの体をたたつぶす。ただそれだけの動作が、圧倒的な力と速度によって怒濤どとうの暴風のように見えたのだ。
 左方のテッラの誇る『優先』の魔術まじゅつ───『光の処刑』。
 学園都市の大規模超音速爆撃ばくげきすらしのいだ驚異きょういの術式だが、後方のアックアはそれを使わせる事すらも許さない。
 ぼとり、という音が聞こえた。
 肉体のほとんどを失い、胸から上と右腕と頭部だけを残した左方のテッラだった。
「お……あ……?」
 何が起きたか分からない、という表情でこちらを見上げてくるテッラ。
 どうやら『光の処刑』を使って傷をふさごうとしているようだが、頭の方が術式を組む事に失敗しているらしく、何も起こる気配はない。
 それを、後方のアックアはさげすみの目で見下ろしていた。
 テッラの思考はまだ生きている。
 しかし、この状態はテッラが作り出したものではない。アックアがあまりにも素早く殺したため、肉体の生命反応が消えていないのだ。
「ふ、は」
 声とも息とも判別できない音が聞こえた。
 アックアはまゆをひそめる。
 粉々に砕かれたはずのテッラは、死におびえていない。
 その表情には、余裕が残っている。
「……どうかしたのか、左方のテッラ」
 尋ねてから、答えを聞く前に、アックアは答えを知った。
 神聖の国。
 テッラにとって死は真の救いへの過程でしかない。ここで死んだとしても、最終的に『最後の審判』で神に選ばれて『神聖の国』へ迎え入れられれば、それでテッラは救われてしまう。
(これはこれで、大した男である)
 このに及んで、まだ自分はローマ正教の教えを守り続ける敬虔けいけんな子羊であるつもりか。
 そう考えて、アックアは思わずため息をついた。
「一つ断っておくが、貴様が神に選ばれる事は絶対にないのである。まさか、この段階から勘違いをしているとはな。地獄以外に貴様の居場所があるとでも思っているのか」
 アックアの侮蔑ぶべつにまみれた表情を見て、テッラの余裕が消えた。
 そこにあるのは怒り。
 しかし、もうアックアはまともに相手をしようとせず、極めて事務的に告げた。

「神はすべてを知っている。詳しくは、最後の審判で直接聞くが良い」
 肉の塊から鮮度が落ちるように生命反応が消え、正真正銘単なる床の汚れとなったテッラからアックアは目をはなす。
 すると、列になって並んでいる柱の一本の陰から、新たな人影が現れた。
 腰の曲がった老人───ローマ教皇だ。
 彼はその辺に転がっている人肉と、アックアが床に置いた柱を交互に眺めながら、
「ここは聖ピエトロ大聖堂だぞ。そう簡単に破壊はかいしないで欲しいものだな」
「すまない」
 非難の言葉に、アックアは素直に頭を下げた。
「歴史的、学術的な価値を考えるとここでの戦闘せんとうは控えるべきであった。立派な建物に傷をつけてしまったな」
「……ここは同時に、ローマ正教最大の要塞ようさいでもあるんだがな。そんなにあっさりこわされると防護機能に疑問を抱いてしまう」
 ふむ、とアックアは少し考えた。
 やがて、彼は言う。
「それは聖ピエトロ大聖堂だけでなく、すべてにおいて当てはまる問題である。例えば『神の右席』。いかにすぐれた組織であり、有能な人材が集まったとしても、ひとたび暴走すればどこまでも破壊をまき散らしていく。ちょうど、今回のテッラのようにな」
「……、」
貴方あなたは『神の右席』を目指し、神上かみじょうとなる事でさらに多くの信徒を直接的に救おうと考えている。その意見には感服するばかりだが、しかしそれでは足りないのである」
 アックアはローマ教皇の顔を正面から見据えた。
「『神の右席』が『神の右席』としての機能を維持していくためには、それを外部から監視し、導いていく者の存在が必須なのである。そして私は、その役目に最も相応ふさわしいのは貴方だと考えている」
 その言葉を聞いて、ローマ教皇はうすく笑った。
「『神の右席』の話を聞いた時は、これほど手っ取り早く信徒を導ける方法はないと喜んだものだがな……」
 彼は笑いながら、こう言った。
「しかし神は安易な救いを望まない。どうやら私を見守る父は、よほど試練がお好きらしい」
 断言する教皇に、アックアはうなずいた。
 今度はローマ教皇の方が尋ねる。
「次はどう動くつもりだ」
「ヴェントは動けん。テッラも粛清しゅくせいした。ならば手は一つだけである」
「テッラの言う通り、ロシア経由で日本を襲撃しゅうげきする気か」
「今回の件で思い知った。やはり民間人は戦場に立つべきではない。刃を交えるのは兵隊だけであれば良いのである」
 それは、暗に自分が打って出ると宣言しているようなものだ。
 後方のアックア。
 彼の持つ特性を思い返し、ローマ教皇は思わずつぶやいた。
「……『神の右席』にして、聖人としての資質をも兼ね備えた貴様が出るか」

 御坂美琴みさかみことは携帯電話を手にしたまま硬直していた。
 スピーカーの向こうから聞こえてきた、雑音混じりの言葉を聞いて身動きが取れなくなっていた。
 冷や汗が全身から噴き出しているのが分かる。
 上条かみじょうの知るよしもない事だが、彼の携帯電話は液晶画面が砕け、関節部分がこわれて折り曲げられなくなっていても、通話機能そのものが失われた訳ではなかったのだ。つまり、教皇庁宮殿で行われた上条とテッラの会話は、電話を通じて美琴の耳にも届いていた。
 美琴は二人が交わした会話の大半を理解していない。
 いや、たとえ理解していたとしても、その大半を忘れていただろう。
 彼女の胸をめ付けているのは、たったの一言だ。
「……、」
 口に出そうとして、美琴は声が出ない事に気づいた。
 ふるえる手を動かし、何とか携帯電話の電源を切って、つながりの絶たれた電話をしばらく眺める。体の震えが収まるまでじっとしていようと思ったのだが、いつまでっても収まる様子はなかった。
 それでも少しずつショック状態から脱してきた美琴は、今度こそ唇を動かす。意図していないのに、不気味なぐらいかすれた声が自分の口から放たれるのが分かる。
 彼女が放ったのは、小さな声だ。
「……忘れて、いる……?」
 言葉に出してから、御坂美琴はその意味についてもう一度考えてみる。
 記憶喪失きおくそうしつですって?

 あとがき

 一巻ずつ手に取っていただいたあなたはお久しぶり。
 全部まとめて買っていただいたあなたは初めまして。
 鎌池和馬かまちかずまです。
 さて、色々と動き出した一四巻です。今までシリーズ中ではあまり触れてこなかった、いわゆる保留にしてきた問題をこの辺りで一気に出してみました。
 全体的なテーマは『集団』。オカルトキーワードは『最後の審判』といった所でしょうか。直接的なものはもちろん、その『最後の審判』に関する間接的なものもいくつか組み込んでいます(分かりやすい所だと、『原罪』や『ミサ』など)。
 ……というか、十字教関連の話ならどれを取っても『最後の審判』にかかわっている気もしますけど、ようは『いつもより意識した』という感じでしょうか。
 どちらかというと魔術まじゅつサイドっぽい話になりましたが、学園都市の新兵器がどっさり山ほど出てくるため、科学サイドなあなたも安心な作りになったかな、と思います。
 イラストの灰村はいむらさんと担当の三木みきさんには感謝を。色々とごちゃごちゃした話ですが、お付き合いいただいて本当にありがとうございます。そして今回は真中純一まなかじゅんいちさんにも感謝を。ステルス機の仕組みなど軍事方面のレクチャーはとても役に立ちました。さらに福島由布子ふくしまゆうこさんにも感謝を。イタリア語の監修はとても助かりました。
 読者の皆様へ。このシリーズもSSを含めればもう一五冊目となります。ここまでやってこれたのはすべてあなたたちのおかげです。これからもよろしくお願いします。

 では、この辺りでページを閉じていただいて、
 次回もページを開いていただける事を祈りつつ、
 今回は、この辺りで筆を置かせていただきます。

 さて、『神上』と『神浄』の違いとは……?鎌池和馬

底本:「とある魔術の禁書目録14」電撃文庫、メディアワークス
二OO七年十一月二十五日 初版発行

小説ーとある魔法禁書目録13

とある魔術の禁書目録13

鎌池和馬

   c o n t e n t s
 
   第六章 冷たい雨に打たれた街 Battle_Preparation.
   第七章 雨粒を血の色に変える Revival_of_Destruction.
   第八章 神の右席と虚数学区と Fuse=KAZAKIRI.
   第九章 立ち塞がる障害の違い Two_Kinds_of_Enemies.
   第十章 彼らのそれぞれの戦場 The_Way_of_Light_and_Darkness.
   終 章 正と負の進むべき道へ The_branch_Road.

とある魔術の禁書目録13

 学園都市に、ローマ正教『神の右席』の一人、『前方のヴェント』が侵入した。彼女が操る謎の魔術により都市機能は完全麻痺、大部分の人間は意識を奪われ倒れていった。
 彼女の狙いは、上条当麻かみじょうとうま
 ローマ正教が公式に認めた敵。
 同時刻。
 最強の超能力者レベル5一方通行アクセラレータが彼を支える少女『打ち止めラストオーダー』を護るため、科学者・木原数多きはらあまた率いる武装集団『猟犬部隊ハウンドドツグ』と激突した。
 魔術と科学、二つの惨事が同時に学園都市を襲う。
 上条当麻、インデックス、一方通行アクセラレータ打ち止めラストオーダー。四者四様の想いが交差するとき、物語はは始まる―――!

鎌池和馬

今年も四月に出す事ができました。しかし作中の時間経過はようやく二ヶ月半ぐらいです。そう考えると、我ながら不幸な主人公を書いているなあとしみじみしてしまいます。

イラスト:灰村はいむらキヨタカ

1973年生まれ。新居へ引っ越して数ヶ月、布団もベッドも無いまま寝袋で眠る生活にすっかり馴染んでしまいました。慣れって怖いもんですね……。

   

chap1

第六章 冷たい雨に打たれた街 Battle_Preparation.

     1

 九月三〇日、午後六時三三分。
 学園都市の第三ゲートを『神の右席』の一人、『前方のヴェント』が物理的に突破。
 同時刻より正体不明の攻撃こうげきが発動、治安維持を務める警備員アンチスキル、及び風紀委員ジヤツジメント甚大じんだいな被害を及ぼす。
 警備が手薄てうすになった結果、ヴェントの手によって統括理事会の内の三名が殺害される。
 同日、午後七時二分。
 学園都市統揺理事長アレイスターはヴェントを止めるために、米完成の虚数学区・五行機関の使用を決定。
 雨の降り注ぐ夜の街で、木原数多なはらあまた率いる『猟犬部隊ハウンドドッグ』が行動開始。
 彼らの目的は検体番号シリアルナンパー二〇〇〇一号『打ち止めラストオーダー』の回収。
 その障害になると判断された一方通行アクセラレータへの強襲きようしゆうを木原数多自身が行い、これに成功。
 学園都市最強の超能力者レペル5と言われる彼をほぼ完壁かんぺきな形で無力化させるに至る。
 ただ、彼ら『猟犬部隊ハウンドドツグ』はここで一つの小さなミスを犯した。

「助けて……」

 それは、一人の少女を取り逃がしてしまった事。
 そして、

「あの人を助けて! ってミサカはミサカはたのみ込んでみる!!」

 その声が、とある少年の耳に届いたという事だった。

     2

「そこで何をしているの?」
 雨の強さは増していた。
 ざーざーと降りしきる雨滴の中、暗い夜の街にひびかせるように、少女の声は地面をって『猟犬部隊ハウンドドツグ』や木原数多きはらあまた、そしてれた路上に倒れる一方通行アクセラレータの耳へとみ込んだ。
 黒い夜の中に、白い修道服が浮かび上がっている。
 インデックス。
 華奢きやしゃな少女だった。シルエットが大きくふくらんだ修道服をまとっていても、小柄であるのは隠せない。腰まである銀色の髪、緑色にかがやく興大きな瞳それら一つ一つのパーツは触れればこわれる精巧な細工を思わせた。おまけに両手で小さな三毛猫みけねこまで抱えている。
(最悪だ……)
 一方通行アクセラレータは崩れ落ちたまま、ぼんやりと思った。
 場違いにもほどがある。チャンスどころか、これでは厄介事やつかいごとが増えただけだ。銃器を手にした『猟犬部隊ハウンドドツグ』はおろか、そこらの裏路地で程ている不良にすら太刀打たちうちできなさそうだ。
 事実、木原もまゆをひそめていた。
 新たな戦力に対する分析や思考などは一切行っていない。例えば野球の試合中に、突然マウンド上にヒヨコが歩いてきた事に気づいた、という感じの表情でしかない。
 この白衣の男が指示を出せば、あの修道女は数秒で挽肉ひきにくになる。
 自動車のドアを穴だらけにするほどの威力を持つサブマシンガンを使えば、あの柔らかそうな人間の肌と肉がどういう風に変化するかはだれでも分かるだろう。
(取るべき道は何だ。見捨てるか。助けるか。それとも利用するか……)
 一方通行アクセラレータは自分の首につけられた、チョーカー型の電極に注意を向ける。
 まだ能力は使えるはずだ。
 だが、全身のあちこちに刻まれた傷が、体を動かす事を拒んでいる。
「どうしますか」
 周囲を固めている黒ずくめの一人が、木原に耳打ちした。
 木原数多はつまらなそうに息をくと、
「どうするって、お前」
 一言。
「消すしかねぇだろ」
(チッ!!)
 一方通行アクセラレータは舌打ちする。
 このインデックスは『猟犬部隊ハウンドドツグ』の活動を目撃もくげきしている。そもそも存在自体が隠されているであろう非公式工作組織を、だ。それが示すのは当然口封じという言葉だった。彼女はもう、ここから逃げた所で延々と追跡される立場にある。おそらく三日とたないはずだ。
(どのみちだまっていたっておれが殺される事に変わりはねェ。ならやってやろォじゃねェか!!) インデックスを助けるというより、むしろ木原数多にづらをかかせる事を目的として一方通行アクセラレータの意思に爆発力が戻る。
(こンなシスターなンざどォでも良いが、やられっ放しってンじゃ収まらねェ。今度はオマエが歯噛はがみする番だぜエ、はらァ!!)
 首筋にあるチョーカー型電極のスイッチは、さっきから入りっ放しだ。
 後は命じるだけで能力は発動する。
 そのために、彼はすべての位置を確認する。
 一方通行アクセラレータを中心として、半径一〇メートル以内に、三台の黒いワンボックスが取り囲むように停車している。黒ずくめの『猟犬部隊ハウンドドツグ』の数は二〇人前後。一番の問題である木原数多あまた一方通行アクセラレータのすぐ近くに立っているが、彼を攻撃こうげきするのはほぼ不可能と言って良い。一方通行アクセラレータの防御『反射』は木原の攻撃を防げないし、風のベクトルを操って暴風を生み出しても、特殊な音波を使ってベクトルを乱され、無力化されてしまう。
 そして。
 インデックスは、ワンボックスの輪の外、およそ一五メートル先に立っている。
(コイツらの職滅せんめつァ後回しだ)
 一方通行アクセラレータはうつ伏せに倒れたまま、指先でれたアスファルトに触れる。
 感触を、指の腹で確かめる。
(今ここでやるべき事は一つ。安全な場所まで逃げ切る事。あのシスターも連れてなァ!!)

 その赤い瞳孔どうこうが拡縮する。
 能力が発動する。
「おおおおおァああッ!!」
 一方通行アクセラレータは絶叫すると、片足の爪先つまさきを地面に押し付け、倒れたまま思い切りる。その拍子にベクトルを制御する。ロケット並の爆発力を得た彼の体がアスファルトから浮き、恐るべき速度で黒いワンボックスの後部スライドドアへと激突した。
 鉄球でも喰らったように、金属のドアがレールから外れて車内へと押し込まれる。
 一方通行アクセラレータの体が、ワンボックスの後部座席へと収まった。
「ッ!?」
 運転席で待機していた黒ずくめの男が反応する前に、一方通行アクセラレータつぶれて押し込まれたドアに手を伸ばしスライド部分の金具をむしり取る。ギザギザにとがった、幅五センチ、長さ二〇センチほどの棒状の鉄片を握りめると、それを勢い良く運転席の背もたれの真ん中に突き刺す。
 ずぶり、と。
 音というより感触のようなものを得た。
「ぃ―――ぁっ!!」
 悲鳴すら上げる事もできず、運転席にい止められた男に、一方通行アクセラレータは語る。
「進め」
 一切の容赦ようしやなく。
 静かに、ただ事実のみを。
「オマエは三〇分で死ぬ。さっさと病院に行かねェと手遅れになるぞ」
 応急キットでどうにかなるレベルでないのは、男も痛みの程度で分かるだろう。それにそもそも、あの木原数多きはらあまたが負傷し足手まといになった部下をどのように扱うかは、だれよりも理解できているはずだ。
「ひっ!?」
 決断は速かった。
 ガォン!! という甲高いエンジン音と共に、一方通行アクセラレータを乗せた黒いワンボックスがヒステリックな挙動で発進した。
 進路上にいた黒ずくめたちがバラバラと左右へ飛び退く。
 木原が木原が|忌々いまいましげな表情で何事かを怒鳴った。
 その間に包囲網ほういもうを抜ける。
 自分の後方で男達が次々と銃口を向けてくるのが分かる。
 運転席越しにフロントガラスの先をにらみ、一方通行アクセラレータはインデックスのいる場所を把握した。
「左へ寄せろォ!!」
 一方通行アクセラレータは絶叫し、ぽっかりと空いた出入口から邪魔じやまなスライドドアを投げ捨て、さらに
 そこから身を乗り出す。
 車の向かう先、車道の真ん中に、白いシスターは突っ立っていた。
「チッ!!」
 彼は車外へ腕を伸ばす。
 インデックスは両手で三毛猫みけねこを抱えている。つかむなら二の腕の辺りしかないが、限界まで腕を伸ばしても届くかどうかの保障はない。
 それでも腕を伸ばす。
 パン!! という銃声がひびいた。
 顔のすぐ横を弾丸がかすめたが、一方通行アクセラレータは無視してインデックスの腕を掴んだ。そのままベクトルを操作し、強引に車内へと釣り上げる。
「わ、わああ!!」
 インデックスが場違いな悲鳴をらした。
 一方通行アクセラレータは運転席の背もたれを隠すように、自分の体の位置を調整する。ついでに背もたれを貫通している鋭い金属の凶器を、指先で軽く触れた。
「い、がっ!?」
 ビグン!!と運転席の男が大きくふるえる。
 一方通行アクセラレータはインデックスに聞こえないよう、小さな声でささやいた。
「……さわぐンじゃねェぞ。イイから直進しろ。時間がねェのはお互い様だろ?」
「お、お客さん、どちらまで……?」
「イイ医者を知っている」一方通行アクセラレータはあまり興味がなさそうな声で答えた。「普通の医者じゃダメだろォな。そこまで案内して欲しけりゃしっかり働けよ、運転手」

     3

「あーあーあーあー」
 木原数多きはらあまたは小さくなっていく黒いワンボックスを眺めながら、気の抜けた声を出した。
 右手を差し出す。
「あーあーあーあーっ! アレだアレぇ、アレェ持って来い!!」
 ムチャクチャ過ぎる注文の出し方だが、部下は従順に応じた。残るワンボックスの中から迅速な動きで携行型対戦車ミサイルを木原へ受け渡す。
 それでも木原はさっさとしろ間抜けと怒鳴って部下をなぐり飛ばすと、プロのオペレーターがキーボードをたたくような正確さと素早さで、一気に砲を組み立て安全装置を解除していく。
 その動きには一切の迷いがない。
 むしろ、うろたえたのは『猟犬部隊ハウンドドッグ』の部下の方だった。

「う、運転手は!?」
「関係あるかよヤッハーッ! 脱走兵は即刻死刑! さようなら子犬ちゃん、あなたの事ァニ秒ぐらいは忘れませんってなぁ!!」
 ガコッ! と木原は全長一メートル、太さ三〇センチほどの砲を肩にかついで側面のスコープに目を通す。
 照準を合わせる。
 追尾ミサイルの引き金に指をかける。
 数十メートル進んだワンボックスは通りの角を曲がろうとしている所だった。木原は笑った。
間に合う。たとえ自動車が完全に曲がりきっても、ミサイルが車を追って斜めに進み、角のビルの壁にぶつかれば、コンクリート片のあらしらってワンボックスはひっくり返るはずだ。
 一方通行アクセラレータは死なないだろうが、とりあえず確実に足をなくす。後は傷を負ったその他二名ともども、一方通行アクセラレータをじっくり料理すれば良い。
(甘々だぜェ、一方通行アクセラレータ! 車なンか使っちまったら、もう繊細せんさいな風の操作は使えねェってのをアピールしてるようなモンじゃねェかよォ!!)
「あばよクソ野郎! その白い体ァ黒焦げにしてやらぁ!!」
 ハイな笑みと共に引き金を絞ろうとする木原数多。
 が、
「?」
 スコープ型の照準が黄色一色に染まった。
 縮尺のズレた何かがさえぎっているのだ、と思った木原きはらがスコープから目をはなすと、わずか一〇メートル前後の位置に奇妙な女が立っていた。
 冷たい雨粒が路面をたたく。大きな通りには、ほかに自動車も歩行者もいない。ビルの窓から投げられた白々しい照明や信号機の光がれた路面を照り返す中、その女はただ一人、ポツンと現れた。
 今まで全く気づけなかった。
 顔面に無数のピアスをつけているため、左右の対称が崩れている女だった。目元には強調するようなキツい化粧がほどこされている。他人からどう思われるかを全く考えていない顔つきだった。黄色を主体としたワンピースみたいなものを着ているが、どうにも古いというか、時代がかっている。まるで中世ヨーロッパの人間みたいだ。
 が、木原にとって、そんな事はどうでも良い。
 今重要なのは、この馬鹿女ばかおんなに気を取られたせいで、ワンボックスが通りの角を曲がって消えてしまった事だ。
「……、」
 木原の顔から、一気に表情が消えた。
 ともすればポカンとしているようにも見える顔のまま、無造作に引き金を引く。
 対戦車ミサイルが発射された。
 噴射煙が一直線に走り、障害物となっていた女の胸のど真ん中にミサイルが突き刺さった。
彼女が顔色を変えたかどうかも分からない内に、砲弾は中から爆発し、衝撃波しようげきはと爆炎を周囲にき散らす。
 ゴン!! というアスファルトを揺らす轟音ごうおん炸裂さくれつした。
 幅広の路面に膜のように張っていた雨水がまとめて吹き飛ばされ、周囲のビルの看板がビリビリとふるえた。街路樹からは大量の葉が叩き落とされて宙を舞う。
 至近距離きよりで爆発したためか、木原の周囲にいた黒ずくめたちあおりを受けて吹っ飛ばされる。
 赤い炎と黒い煙が、綿飴わたあめのように木原の視界を遮っていた。
 ただし。
 時間にして、わずか五秒ほどだったが。

 ビュオ!! という烈風がすペてを吹き飛ばす。

 炎も煙も、爆心地で巻き起こった新たなあらしによって跡形もなく消え去った。
 焼け、砕け、飛び散ったアスファルトの中心点に、女は変わらぬ様子でそこにいた。
 衣服も、髪の一本にも傷や焼けたあとはない。
「良い街ね」
 黄色い女は唐突に言った。
 木原数多きはらあまたなど見ていなかった。
「もっと早く『侵食』が進むものだとばかり思っていたけど、そんなコトはなかった。構成員の大半が教員や生徒だってのは反則じゃない? そういうのが相手だと、私の侵食速度も遅れて当然、か」
 もっとも、とあちこちにピアスを貫いた顔で女は木原を見て、
「……アンタらは例外的に真っ黒みたいだけど」
 ここにきて、木原はようやく口を開く。
「何者だ」
「殺しの商売がたき
 女はワンボックスが消えた曲がり角を振り返って、
「あの中には私のターゲットも含まれているってコトよ。別にだれが殺してもイイんだけど、横から取られるのはしように合わない」
 付き合いきれん、とばかりに木原はため息をついて、
「殺せ」

 指示を出した途端、周囲にいた黒ずくめの一班が一斉に銃を構えた。
 が、
「やめとくコトね」
 引き金は一度も引かれない。
 その直前で、うめき声と共に男たちはバタバタと倒れていく。一切抵抗はなかった。むしろそちらの方が違和感を覚えてしまうような、あっさりしすぎる攻撃こうげきだった。
 雨にれた路面はもちろん、中には一方通行アクセラレータ破壊はかいされたワンボックスの残骸ざんがいの上に直接倒れ込んだ者もいる。にもかかわらず、身じろぎ一つなかった。完壁かんぺきに無力化されているのだ。
 一体どんな現象が起きたのか。
 木原きはらは、ミサイルの砲身をコツコツと軽くたたいた。
 その場のだれも理解できなかったが、少なくとも女の方はその力を信用していたらしい。一歩間違えばはちの巣にされていたかもしれない状況でも、顔色が変わる様子はなかった。
 女は退屈そうな顔で、
「にしても、顔色一つ変えずに『殺せ』ときたか。殺意はあっても敵意がない。敵を敵とも思っていないから、そもそも罪悪感すら抱いていない。雑草を引っこ抜くのと変わらないのかしら。最初の一発目といい今回といい、アンタ本当に性根が腐ってるわね。少なくとも、私と同じぐらいには」
 木原は取り合わない、
 自分の周りにいた黒ずくめの一人に向かって、億劫そうに手を振った、
「班を二つに分けろ」
 弾を失った対戦車ミサイル砲を適当にその辺へ投げると、
「今いるメンバーの中から使えないヤツを順番に一〇人集めて足止めさせろ。その間に俺ともう一班は『別荘ほんぶ』に移動する。分かったか?」
 あまりにもザックリした命令だが、従わなければ体中に銃弾を浴びせられるのは目に見えている。それに、木原でなければ一方通行アクセラレータつぶせないのもまた事実だ。
 目の前の不審な女と木原数多あまた一方通行アクセラレータ
 どれが一番『恐ろしくない相手』か判断すると、不気味ではあるがやはり目の前の女が一番難易度は低そうではある。
 命令を出すだけ出して、木原はさっさとワンボックスに乗り込む。
 その背中に女は声をかけた。
「アンタ、敵意がないのね」
「向けて欲しけりゃ、もうちょっと有能になる事だ」
 木原はそれだけ言うと、運転手の後頭部をなぐってワンボックスを発進させる。
 後に残されたのは女とおとりだけだ。
「……まぁ、そっちが何者かも知っときたいトコだけど、尋ねる前にくたばりそうよね。ったく、私は情報収集にゃ向いてないんだよ。つぶしすぎても面倒ってコトか」
 女は首をコキコキ鳴らすと、舌を出した。
 じゃらり、と口の中からくさりが落ちる。
「さて、と。随分ナメられたモンだけど、アンタらはお役に立てんのかしら」

     4

 上条当麻かみじようとうま打ち止めラストオーダーは立ち尽くしていた。
 二人とも傘も差していない。黒い詰襟つめえりの下に赤系のシャツを着ている上条も、青系のワンピースの上に男物のワイシャツを着ている打ち止めラストオーダーもずぶれだ。彼女のおでこにくっついている電子ゴーグルもびっしよりだったが、軍用なので案外問題はないのかもしれない。
 小さな少女に案内されたのは、地下街の出入り口からさしてはなれてもいない、大きな通りの一角だった。最終下校時刻と共に電車やバスもなくなったせいか、真っ暗になった道路に人影は一切ない。
 少なくとも、二本の足で立って歩いている、普通の人影は。
「―――、」
 地面には複数の人間が倒れていた。
 雨脚の強くなった夜空の下、水溜みずたまりに体を沈めるように、黒一色で統一された男たちが転がっている。街灯の光を照り返しているのは合成素材の装甲服であり、うすい水膜に浸されているのは禍々まがまがしいサブマシンガンだった。ヘルメットや伸縮性の高いマスクで顔面をおおったその格好は、どう考えても一般人ではないにおいを漂わせていた。
 ぱちぱち、という音が聞こえる。
 火のぜる音だ。
 男達が倒れている所からほんの数メートルの位置に、グシャグシャにひしゃげたワンボックスがある。それがまきだった。自動車はガードレールを突き破って、歩道の真ん中にまっている……と表現して良いのだろうか。飛び散っているという方が正しいのでは、と思ってしまうほど、ワンボックスは原型を失っている。辺りには、ほかに車はなかった。となると、あれは倒れている男達の車なのだろうか。
 打ち止めラストオーダーは倒れている男の一人を指差した。
 顔を真っ青にしたまま、彼女は言う。
「この人達におそわれたの、ってミサカはミサカは本当の事を言ってみる」
 本当だよ? と彼女は繰り返した。
 上条は改めて、倒れている男達に目を向ける。
警備員アンチスキルじゃ、ない?)
 全身黒ずくめという戦闘せんとう装備にごまかされそうだったが、よくよく観察してみると、普通の警備員アンチスキルの装備とは規格が違う……気がする。もっとも、どこぞの軍事関係者ではあるまいし、パッと見ただけで型番まで分かるほど詳しい知識もないので断言はできないのだが。
(でも、警備員アンチスキルじゃないとしたら、こいつら一体だれなんだ? 下手すると警備員アンチスキルより高そうな装備を使って、複数でおそってくるなんて……)
 しかも、当の襲撃者達しゆうげきしやたちの方がバタバタと倒れている。
 状況がつかめない。
 上条かみじよう打ち止めラストオーダーの方を見て、
「ここで襲われてたのって、お前の知り合いなんだろ?」
「そうだよ、ってミサカはミサカは答えてみたり」
「これって、そいつが返り討ちにしたって事なのか……?」
「それはないかも、ってミサカはミサカは首を横に振ってみる。あの人は気が短くてケンカっ早いから、あれだけやられたのに仕返しがこれっぽっちだなんて考えられないもん、ってミサカはミサカは簡単に推測してみたり」
 一体どんなヤツなんだそいつは、と上条は心の中でツッコミを入れる。
 しかし、
「……、」
 能力者は無敵ではない。
 打ち止めラストオーダーの知り合いがどんな能力を使うか知らないが、超能力者レペル5超電磁砲レールガンなどというイレギュラーでない限り、訓練された集団に銃器で襲われたら、返り討ちにはできないだろう。
無能力者レペル0の上条に言えた義理ではないが、能力者というのは基本的に学生なのだ。その力も『学校の中では通用する』程度のものだと思って差し支えない。
 こんな戦場にポンと投げ出されても、何もできない。機転をかせれば……というのも、そもそも『機転を利かせる』だけの心の余裕がなければどうにもならない。そんな風に覚悟を決めて戦うなど、ただの学生にはできないだろう。
 普通なら死ぬ。
(とにかく通報しないと……)
 打ち止めラストオーダーの知り合いが捕まったのか逃げている最中なのかは判然としないが、いずれにしても急を要する事態なのは変わりない。ここは素直に警備員アンチスキルに協力を仰いだ方が良さそうだ、と上条はズボンのポケットから携帯電話を取り出した。
 が。
「……?」
 しかし、ボタンを押す直前で、上条は携帯電話から顔を上げた。
(……何で……だれも通報してないんだ……?)
 目の前を見る。グシャグシャにひしゃげたワンボックス。発火から少し時間はっているようだが、それでも大きな光が衰えない炎。これだけの事が起きれば、誰の耳にも届ずだ。遠くから見たって火事が発生しているのは分かるだろう。上条かみじようが携帯電話を使うまでもなく、すでに誰かが通報しているのが普通だと思うし、野次馬やじうまだって集まっていない。
「……、」
 上条は周囲を見回す。
 明かりの消えた街。さわぎの起きない、徹底てつていして静寂に包まれた景色。
 もしも。
 騒がないのではなく、騒げないのだとしたら。
 建物の中では、あの警備員達アンチスキルたちのようにたくさんの人間が倒れているとしたら。
(何が……)
 人為的な攻撃こうげきなのか、意図のない現象なのか。
 それすらも明らかにされない、完壁かんぺきなまでに自己主張のない非常事態。 一番怖いのは、その静けさではない。 上条が問題に気づいた時には、すでにシロアリが木の柱を食いつぶすように学園都》っているようだが、それでも大きな光が衰えない炎。これだけの事が起きれば、誰の耳にも届いているはずだ。遠くから見たって火事が発生しているのは分かるだろう。上条かみじようが携帯電話を使うまでもなく、すでに誰かが通報しているのが普通だと思うし、野次馬やじうまだって集まっていないとおかしい。
「……、」
 上条は周囲を見回す。
 明かりの消えた街。さわぎの起きない、徹底てつていして静寂に包まれた景色。
 もしも。
 騒がないのではなく、騒げないのだとしたら。
 建物の中では、あの警備員達アンチスキルたちのようにたくさんの人間が倒れているとしたら。
(何が……)
 人為的な攻撃こうげきなのか、意図のない現象なのか。
 それすらも明らかにされない、完壁かんぺきなまでに自己主張のない非常事態。
 一番怖いのは、その静けさではない。
 上条が問題に気づいた時には、すでにシロアリが木の柱を食いつぶすように学園都市の機能が停止に追い込まれつつあったという事実だ。
 それは期末試験の最中に居眠りしてしまって、『あと一〇分』という試験官の声で目を覚ました状況にも近い。
 白紙ちんもく答案まちを前に、少年の全身から脂汗が噴き出る。
(この街では今、何が起きてんだ?)
 そこで、身動きの取れない上条の視界に、動きがあった。
 打ち止めラストオーダーは倒れた男達のそばかがみ込んで、装備品をいじくっていた。その彼女が、突然何かに気づいたように顔をあげると、慌てて上条のいる方へ走ってきたのだ。
 と、彼女は雨水で冷たくぬれた手で彼の手をつかむと、ぐいぐいと引っ張り始めた。まるでデパートのオモチャ売り場へ親を連れて行こうとするようにも見えるが、
「早く、ってミサカはミサカは警戒を促してみる」
 それにしては、異様に切迫した声だった。
「ヤツらがきた、ってミサカはミサカは路地裏へ体を隠しながら報告してみたり!」
 打ち止めラストオーダーに引っ張られるまま、上条はすぐ近くにめてあった路上駐車の自動車の陰に隠れた。『ヤツら?』とまゆをひそめながら。
 この辺りの排水溝が落ち葉などで詰まっているのか、車の周囲は池みたいに巨大な水溜みずたまりができていた。一歩み込んだだけで、靴下まで水分がみ込んでいく。
 しかし文句を言っている暇はなかった。
 ガロロロ、と低いエンジン音がひびいてきたからだ。
 やってきたのは、ヘッドライトをけていない、奇妙な黒いワンボックスだった。
 忍び足みたいに低い排気音を出しながら、車は黒ずくめの男たちが倒れている場所で停車した。後部のスライドドアが開き、そこから全く同じ装備の人間がぞろぞろと出てくる。ザッと見ただけで一〇人近く。仮に相手が素手だったとしても、絶対に勝てない数だ。
 その上、
「……くそ。あんだけの銃をどこから手に入れて来るんだ」
 思わずうめいた。
 黒ずくめの男達は、全員そろえたように同じサブマシンガンを肩紐かたひもで掛けていた。おそらくほかにも拳銃けんじゆうやら手榴弾しゆりゆうだんやらで身を固めている事だろう。
 学園都市の治安を守る警備員アンチスキルには見えない。
 友好的にも見えない。
 むしろ上条かみじよう達がこうしている事を発見すれば、即座に銃弾をち込んできそうな緊張感きんちようかんがここまで伝わってくる。
 彼は自分の右手に視線を投げる。
 そこに宿る幻想殺しイマジンブレイカーは、超能力レペル5超電磁砲レールガンすら軽々と受け止められる。が、一方で異能の力が一切からまない銃弾には何の効力もない。
 黒ずくめ達は路上に倒れている(おそらく)同僚どうりようかつぐと、乱暴にワンボックスの中へ放り込んでいく。そういった作業のかたわらで、別の動きをする人間がいた。ファミリーサイズのペットボトルを三本ぐらい縦につなげた程度の、透明の円筒容器を背中に担いだ男だ。容器のしりにはノズルが取り付けてあり、男は火炎放射器を構えるようにそれをつかんでいる。
「アシッドだよ、ってミサカはミサカは通称を呼んでみる」
「何だそれ?」
酸性浄化アシツドスプレー……特殊な弱い酸をばらいて、指紋とか血痕けつこんのDNA情報とかをつぶしていくの、ってミサカはミサカは証拠隠滅マニュアルから情報を引き出してみたり」
「……、」
 まずいな、と上条は思う。
 あの集団はそこまで大掛かり練穣備を用意してでも、証拠を隠滅する必要を感じているようだ。そういう連中が万が一にも目撃者などを発見すれば、どのような行動に出るかは想像するまてもない。
 結論としては、
(―――そんな事態になったら、逃げ切れる自信が全くない)
 ごくり、とのどが鳴る。
 ちゃぷ、という水音が。耳についた。
「―――、」
 上条は自分の足元に目をやる。
 排水溝が詰まっているのか、池のような水溜みずたまりがあった。そして、そこに浸る自分の足が小刻みにふるえている。その震えが、水面に小さな波紋を作っていた。盾にしている車の下をくぐって、その向こう側にまで。
 しかし、これぐらいで気づかれるはずがない。
 降り注ぐ雨粒だって水溜りをたたいている。この暗さなら目をらしても水溜りの様子など観察できない。だから大丈夫だいじようぶだ、と上条は祈るように考えていたが、

 グルリ、と。
 少しはなれた所にいる黒ずくめ達が、一斉にこちらを見た。

     5

 あれから一〇分ほど走った。
 車で一〇分、と言えば『そこそこ』の距離きよりだと一方通行アクセラレータは思う。しかし、逆に言えば『そこそこ』程度でしかない。可能性は低いが、連中が大っぴらに衛星などを使ってこちらの逃走ルートを追跡していれば、あっという間に追いつかれるぐらいのものだ。
 運転席のシート越しに一方通行アクセラレータに背中を刺されている男は、ガタガタと震えながら、かすれるように小さな声でこう言ってきた。
「(……ま、まだ走るのかよ。はは、冗談じゃねえ。このままじゃ本当に死んじま―――)」
「(……だまれ。おれまれっつーまで停まる訳ねェだろ)」
 ささやき返すと、一方通行アクセラレータは運転席を貫通している鋼鉄の凶器を軽く動かした。ビグン!! と男の体が大きく震えて、うめき声が車内にひびく。
 それを聞いたインデックスが、わずかに顔を上げた。
「どうしたの?」
「何でもねェよ。なァ?」
 一方通行アクセラレータは前方の運転席のシートに体を頂けるようにして、インデックスから凶器を握っている事は隠している。
 運転席の男は脂汗をだらだら流したまま、こくこくとうなずいた。インデックスはまゆをひそめていたが、今の状況には気づかなかったようだ。
「しっかし……」
 一方通行アクセラレータは思わず声を出した。
 後部ドアのない、いかにも盗難車ですゴメンナサイみたいな不審ワンボックスが街を走っていれば警備員アンチスキルにぶつかるかと思ったのだが、どうもそういった気配が全くない。あわよくば黄泉川よみかわとコンタクトを取る手間が省けるかも、とんでいた一方通行アクセラレータとしては何だか拍子抜けだ。
(まさか、この静けさも木原もきはらのクソ野郎が手間暇かけた演出の一つってェワケじゃねェだろォな……)
 今、一方通行アクセラレータはチョーカー型の電極を通常モードに戻している。
 これは単純に節約のためだ。元々バッテリーは能力使用モード下では一五分とたない。木原との戦闘せんとうで随分と削ってしまったし、それ以前にも普段ふだんの生活で少しずつ消費していた。
 バッテリーの残量を考えると、フル戦闘はあと七分もできない。
 当然、今は最低限の『反射』も使っていない。木原たちと戦うためには、節約が必要だった。しかし現在、例えば一方通行アクセラレータ襲撃しゆうげきに気づく前に、いきなりこのワンボックスにミサイルでもち込まれたらそれでアウトである。
 そういう事情があるからこそ、一方通行アクセラレータはドアの消えた出入り口から、流れるような夜の街並みに目をやっている訳だが、
「あっ、『みにくいアヒルの子』発見!」
 すぐとなりでは、何だか世界観が合致しない真っ白なシスターが、盗難車の後部座席をゴソゴソあさっている。
 おそらくこの車の本来の持ち主が子持ちなのだろう、硬い厚紙で作られた幼児向けの絵本をインデックスは引っ張り出していた。彼女のひざに乗っている三毛猫みけねこは、表紙に描いてあるデフォルメされたアヒルに狩猟本能を刺激されるのか、何やらジリジリと距離きよりを測り始めている。
(何だよこの本好き。目のかがやき方がハンパじゃねェぞ……)
呑気のんきなヤツ。っつか、オマェは何であンなトコにいやがったンだ」
「ん?借りてた物を返しに来たんだよ」
 インデックスは修道服のそでの中にごそごそと手を突っ込むと、
「ほらこの最新鋭日用品! こんな大事な物を預けっ放しにしちゃ駄目だめなんだよ! 困ってたでしよ、でもこれでもう大丈夫だいじようぶなんだから!!」
馬鹿ばかじゃねェのかオマエは!? こンな使い捨てでなおかつグシャグシャに丸まったポケットティッシュなンざ返してもらっても迷惑だ闘〝」
 え、そうなの? とインデックスはビニール袋に包まれていたポケットティッシュを、小さな手でぐに伸ばし直し始めた。
 これはもう受け取るまで終わらないようだ、と一方通行アクセラレータはうんざりした顔でインデックスの手からポケットティッシュを奪い取った。適当な仕草でズボンのポケットにねじ込む。
「そういえば、怪我けが大丈夫だいじようぶなの?」
「あン?」
「だって、ほら。さっき倒れ―――」
「何でもねェよ。あと、その話題をもう一度出したら、まァた暴れるかもなァ」
 運転手がガタガタとふるえ始めている事に、インデックスは全く気づいていない。
 一方通行アクセラレータの減らず口を聞いて、とりあえずは安心したのか、インデックスは手元にあった絵本へ目を移す。
「ふんふん。日本語だとこういう訳し方なんだね」
 インデックスは童話の内容を知っているのか、パラパラと高速でページをめくっていき、最後のページだけを声に出して読んだ。
「ダメ子ダメ子とののしられていたみにくいアヒルは、実は超エロカッコイイ白鳥さんだったのでした。おしまーい。……エロカッコイイってなに?」
「オマエの正反対に位置する生き物だ」
「ふうん」
 インデックスはパタンと絵本を閉じると、
「……結局、生まれた時から白鳥の勝ちは決まっていたよって話だったね」
「『醜いアヒルの子』はそォいう話じゃねェよ」
「じゃあどんな話なの? 童話は解釈の仕方が多数分岐してて解読が難しいかも」
「はァ? つか、何だっけか。確かあのガキが言うには『アヒルさんたちと仲良くなりたかった白鳥は、自分が絶対に彼らの輪には加われない事実を突きつけられて本当に幸せだったのかな』だっけ」
 チッ、と一方通行アクセラレータき捨てた。
 ガキというのは時々こういう可愛かわいげのない意見を言うから手に負えない。
 運転席の方からまた鬱陶うつとうしいうめき声が聞こえてきたので、適当に座席シートに突き刺してある鋼鉄の凶器を前後に揺らしてだまらせる。
 やはりインデックスは気づいていないらしい。
 絵本から顔を上げて、インデックスはこう尋ねてきたのだ。
「あのガキっていうのは、あなたが捜していた迷子の人の事?」
「そォだよ。だが、正しくは今も捜してるって状態だがなァ」
「またはぐれちゃったの?」
「……、あァ。そォだ」
 少し間を空けてから、一方通行アクセラレータは肯定した。
おれはこれからあのガキを捜さなくちゃならねェ。手のかかる事に、アイツは自分の足で家まで戻って来れねェみてェだしな。だから、オマエとはここでお別れだ」
「私も捜すよ?」
 インデックスは即座に返答した。
 一方通行アクセラレータの赤いひとみから、一瞬いつしゆんたりとも目をらさないで。
「だって、あなたが困ってるの分かるもん。ここにいるのがとうまだったら、おんなじ事を言ってると思うし」
「ふン」
 彼はつまらなそうに視線を外すと、運転手の男に声をかけた。
「この辺りでめろ」
 文字通り命を握っている一方通行アクセラレータの指示を受けて、男は路肩に車を停めた。
 一方通行アクセラレータはインデックスを見る。
「協力しろ」
「うん。何をしたら良い?」
「この近くにデカい病院がある。徒歩五分から一〇分って所だな。そこに行って、いかにもカエルに良く似た顔の医者を見つけて来い。医者に会ったら……」
 一方通行アクセラレータはそこで言葉を切り、自分の首筋をトントンとたたいて、
「ミサカネットワーク接続用電極のバッテリーを用意しろと伝えろ。それで通じる。バッテリーってなァ大事なモンだ。ソイツがねェと人捜しができねェ。だからバッテリーを受け取ったら、オマエはダッシュでここに戻って来い。分かったな」
「分かった。〝ミサカネットワーク接続用電極のバッテリー〟だね」
 完壁かんぺきに復唱された。
 もちろん自分の口で言ったミサカネットワークだの接続用電極だのの意味は分かっていないだろうが、意外に頭の回転は早いのかもな、と一方通行アクセラレータが思う間もなく、インデックスは三毛猫みけねこを抱えると雨の道路へ躊躇ちゆうちよなく出て行った。
「待っててね」
「あァ?」
「私が戻ってくるまで、ちゃんと待ってなきゃやだよ?」
「……、分かってる。良いからさっさと行け」
 一方通行アクセラレータは答える。
 インデックスは二回、三回とこちらを振り返ったが、やがてパシャパシャと水溜みずたまりをみながら走って行った。その小さな背中が、やみの奥へと消えていく。
「クソッたれが」
 思わずき捨てて、彼は座席の背もたれに体を預けた。
 病院に替えなどない。電極自体が試作品なのだ。それに対応したバッテリーも特殊なもので、量産化などされていない。もしそうなら、一方通行アクセラレータは最初から大量のバッテリーをポケットにでも突っ込んでいる。
 簡単なうそだった。
 カエル顔の医者の所へ行けという部分以外は、すベて。
 どこへ行っても危険なのは変わりないが、一番まずいのはあのシスターが一人になってしまう事だ。少しでも生存率を上げたいなら、人の多い場所へやった方が良い。あのカエル顔の医者の所ではかなり不安だが、何もしないよりはマシだろう。
 これから始まるのは、簡単に言えば木原数多ほはらあまたや『猟犬部隊ハウンドドツグ』との、打ち止めラストオーダー争奪戦だ。ただでさえフル戦闘せんとうでは七分間もたないほど戦力が不足している中、あれだけの敵を相手に、インデックスというお荷物を背負ったまま戦うなど馬鹿ばかげている。だから彼女はあそこで切った。
邪魔者じやぽものは、邪魔にならない場所へと戻した。
 それだけだ。
 それだけで良い。
「―――、」
 一方通行アクセラレータうすく息をいて思考を切り替える。
「車ァ出せ」
「ま……まだ解放してくんねえのかよ―――ぁがっ!?」
「死ぬか生きるか、オマエが選べよ」
 後部座席に突き刺さった鋼鉄の凶器を軽く揺すると、自動車は静かに発進した。
 一方通行アクセラレータはさらに五分ほど走らせると、小さな公園の前でまらせた。
 ここは第七学区の端らしい。
 すぐそこに、となりの第五学区への交通表示板が立っている。
 彼は後部座席の足元に転がっていた大きなバッグをつかみ、自分の横の座席へと置いた。おそらくは『猟犬部隊ハウンドドツグ」の装備品の予備だろう。合成革の死体袋みたいなバッグは、一メートル以上もの長さがある。
 ファスナーを開けて中をのぞくと、殺人兵器がゴロゴロ入っていた。
 てのひらに収まるほど小さな拳銃けんじゆう、百科事典のケースに隠れてしまいそうなサブマシンガン、そしてモップのような長さを誇っているのは、室内制圧用のショットガンか。ほかにも粘土みたいな爆薬とか信管とか、無線機やら顔をおおうマスクやらがパンパンに詰め込まれていた。
 とりあえず真っ先に、彼が求めているのは、
つえの代わり、だな)
 いつも使っているト字型の杖は、木原と一緒いつしよに暴れた時にすっぽ抜けていた。能力使用モード時以外では、体を支えるつえが必要になる。どう動くにしても、まずはそれが必要だった。
 一方通行アクセラレータはザッとバッグの中身を見回して、
「やっぱこのショットガンだなァ」
 その中から適当に一丁を引き抜いた。
 黒光りする金属で作られた、セミオート式のショットガンだ。銃口下面から引き金の一〇センチ手前までの部分がすベて横倒しのマガジンとなっているらしい。三〇発ぐらい入っていそうだ。どこかのサブマシンガンでも同じような構造の装弾方式を採用していたと思う。
 ショットガンは本体だけで一メートル近い長さを持ち、さらに後部のストックは好みに合わせて伸縮できるように作られている。上部にはスコープのようなものが付けられていたが、のぞいてみると倍率に変化はなく、スイッチを入れると中心に赤い光点が見えた。どうやらダットサイトらしい。好みにもよるが、普通の照準より正確に狙いをつけるためのものだったと思う。
(派手に弾ァばらくショットガンに、この手の精密照準器って意味あンのか?)
 一方通行アクセラレータあきれたようにダットサイトをたたいたが、そちらは問題ではない。
 ショットガンのグリップをつかみ、ストックをわきで挟むようにすれば、かろうじて松葉杖まつばづえに見えなくもない。
(体重で銃身が曲がっちまうかもしンねェが、まァコイツはつためのモンじゃねェ。あくまで歩く補助になりゃアそれで良い)
 などと考えていた一方通行アクセラレータの耳に、運転席から声がかかった。
無駄むだだ……」
 かすれた声だった。
 まるで何日間も水を飲んでいないほどに、男の体力は干上がっていた。
「……あの人にじかに会ったなら、分かるだろ。木原きはらさんは、『絶対』だ。平和ボケしてヤキが回ったお前の付け焼刃でどうこうできる相手じゃねえ」
「―――オマエ、弾いて欲しいのか?」
「そ、それも良いかもな」
 男の声は、一方通行アクセラレータの予想に反したものだった。
「死にたくはない。け、けどな、おれは木原さんの怖さも知ってんだ。知らなきゃ良かったよ。
お、俺は、もう、次の朝日を見る事はできねえ。あの人には、容赦ようしやがない。加減じゃなくて容赦がない。俺は助からない。下手すると、こっ、殺してもらえないかもしれない。き、木原さんは、ギネス記録を更新するとか、世界の三大事件を四大事件に増やしちまうとか、そ、そういう事を平気でやってのける人なんだよ……」
「ごッちゃごちゃ、やかましい野郎だなァ」
 一方通行アクセラレータき捨てるような声でさえぎった。
 運転席を貫いている鋼鉄の凶器を五本の指で握りめて、
「っつーか面倒臭ェ。殺す、なんて曖昧あいまいな事ァ言わねェわ。コイツかき回して内臓メチャクチャにすンぞコラ! 口から血の塊と今日の昼飯を噴き出せェクソ野郎がァ!!」
「ひっ、ひぃいいッ!!」
 耳元で大声を出しただけで、男の虚勢は容易たやすく破られた。
『死』を実感していないヤツの寝言など、この程度の価値しかない。
 運転手は眼球をグラグラ揺らしながら叫ぶ。
「くそ、ちくしょう!! いい加減にしろ! ここで死ぬのは嫌だ!! テメェらは二人ともそろって化け物だ! もうかかわりたくもねえ!! おれは家に帰ってシャワー浴びて酒でも飲みながら撮りめした番組に目を通すんだ!」
 そこに残されていたのはみにくい希望だけだった。
 自分の立場もわきまえず、大物同士のいさかいに首を突っ込むとこういう事になる。
 ガタガタとふるえる『猟犬部隊ハウンドドツグ』の男に、運転席のシートを挟んで後ろにいる一方通行アクセラレータが静かに声を投げかける。
「死ぬのは嫌か」
「あ、ああ」
「このまま生きてェか」
「ああ!! だから何だっつーんだよおおおおッ!! 俺だって生きてえよ! 死んだ方が良いなんて生き方じゃねえ! ちゃんと大手を振って生きてみてえよ!!馬鹿ばかじゃねえのか!? 一番馬鹿なのは俺じゃねえのか!? なに語ってんだよ、できる訳ねえだろそんなの!!」
 この男は土壇場どたんばまで追い詰められているのだろう。
 そうでもなければ、ここまで飛躍ひやくした話は出てこない。
「よォーっく分かってンじゃねェか」
 一方通行アクセラレータは、口元を引き裂くような笑みを浮かべた。
 ルームミラーでそれを確認した運転席の男が、ひっ、と空気をみ込む。
「今のオマエに救いの道が残されてると思ってンのか。こンな世界に生きて、さンざン人ォみつけにして、おまけに木原きはらのクソ野郎やこの俺を敵に回して、まだ幸せに生きてみたいだと? ふざけた事言ってンじゃねェよボケ」
「ぅ、うああ……」
「クズ野郎。オマエは今まで何人殺してきた?」
「……じ、一四人」
 絞り出すような声だった。
 しかし、それを聞いた一方通行アクセラレータは、思わず拍子抜けしてしまいそうになる。
 何だ、その程度か。
 そんなものなら、全然自分よりも平和な人間ではないか。
 それを『平和な人間』と思っている自分の方が、よほど怪物ではないか。
「選べよ。ここで出血多量で死ぬか、木原数多きはらあまたの手で爆笑必至の死体になるか」
「い、嫌だ。おれは死にたくない。俺だって死にたくない」
「はン。なら病院だな」
 超能力者レペル5は笑いながら続けた。
「オマエは死ねねェよ。簡単には死ねない。そンな真似まねは俺が許さねェ。一〇〇回殺しても飽き足らねェクソ野郎を、こンなあっさり解放するとでも思ってンのか。苦しみを引き延ばしてやる。永遠に救いのねェ道を、この俺のストレスを解消するためだけに生き続けろヨ」
「ちくしょう……」
 手当てを受けろと言われているのに、男は奥歯をめてつぶやいた。
「殺される。木原さんは地球の裏側まで俺を追ってくる。絶対に助からない……」
「俺の知り合いのクソ医者は、アレでも一応自分の患者を見捨てるよォな人間じゃねェらしい。
涙が出る話だな?ま、一日ぐれエなら生きられンじゃねェのか」
「な、何の保障にもなってねえ」
「そーかァ。その間に木原の心臓がえぐり出されてるかもしンねェぞ」
 男はしばらく 男はしばらく|黙だまった。もしも本当に一方通行アクセラレータに木原がやられたら、自分は助かるかもしれないとでも考えたのだろう。
 それから言った。
「どうせ木原さんにはかなわない」
「だろォな、俺はともかくオマエじゃ無理だ」
 ショットガンのほかに使える物がないか、死体袋のような合成革のバッグをごそごそとあさっている一方通行アクセラレータは、そこである機材を見つけた。
 形はサイレンサーを取り付けた拳銃けんじゆうのように見えるが、先端についているのはマイクのような、スポンジ状のセンサーが取り付けられている。そして、グリップより少し上の辺り拳銃で言うならハンマーのある部分に、三インチぐらいの小型液晶モニタがついていた。
「……そりゃあ、嗅覚きゆうかくセンサーだ」
 ルームミラーで確認したのか、『猟犬部隊ハウンドドツグ』の男はそう答えた。
「香水や消臭剤の企業が使ってるヤツを、軍事に転用した……」
「よォは、警察犬の機械化か」
 犬よりは利口だろう。五感情報をデータ化できるなら、複数混じったにおいの中から必要なものだけを取り出したり、メモリに登録したりもできる訳だ。
 匂いとはいくつかの種類に分類され、各ジャンルはそれぞれ似たような分子構造を持つ。おそらくその辺りからもアプローチしているはずだ。
「俺たちは、いつもそいつを使って標的の足跡を追う。迅速かつ確実にな。木原さんににらまれて逃げ切れたヤツを、おれは→度も見た事がねえ……」
「―――、」
 一方通行アクセラレータは、つまらなそうな顔になった。
猟犬部隊ハウンドドッグ』をたたつぶすのに異存はないが、常に『相手から奇襲きしゆうされる』というパターンは好ましくない。こちらから『相手に奇襲する』構図を作った方が良い。
「車を使っても無駄むだだ。タイヤのにおいを追って、このワンボックスを見つけて、そこからお前の匂いを追えば終わりだ。俺たちは、その背中を突き刺すまで標的をねらい続ける。こっちだってすぐ発見されちまうよ」
 一方通行アクセラレータは男の声を聞きながら、嗅覚きゆうかくセンサーをいじり回した。
「コイツの使い方は? あのガキを捜すのに役立つかもしンねェ」
「……無理だ」
 男はわずかに笑った。青白い、乾いた笑みだった。
「『猟犬部隊ハウンドドツグ』は、嗅覚センサーを打ち消す洗浄剤を持ってる。匂いの分子構造そのものに干渉するヤツだ。襲撃しゆうげき地点でそいつを使っても何もつかめねえ……」
 男の話によると、洗浄剤にはメンバーの衣服にかけるものと、後から現場に散布するものの二種類があるようだ。
「オマエはその洗浄剤を持ってンのか」
「あればとっくに使ってる。所属が違う。足跡を追う係と足跡を消す係は分業だ……」
 チッ、と一方通行アクセラレータは舌打ちした。
 だが、嗅覚センサーをごまかせる物質が存在する、という事が分かっただけでも収穫だ。
 嗅覚センサーをその辺に投げると、一方通行アクセラレータは言った。
「……聞きてェ事はもオねェな。オマエ、そこを動くンじゃねェぞ」
「ひっ?こ
 もぞり、と後部座席でうごめ雰囲気ふんいきを感じて、運転席の男が引きつった声を出した。
 やはり殺される。
 そう思った男だが、予想に反して一方通行アクセラレータはドアのない出入り口の方へ動いていた。外へ出ようとしているのだ。
「どっ、どこへ行くんだ?」
「あン? 木原きはらを潰してガキを助けにだよ」
 億劫おつくうそうな返事に、男は唖然あぜんとした。
「何で、
あきらめないんだよ。どこまで逃げたって、木原さんは笑顔で潰しに来る。戦闘せんとう準備なんてやってる暇もねえ。主導権は全部向こうに握られてる。それでもやるのかよ」
「当たり前だ」
「……そこで即答できる根拠は何だよ。こんな世界に浸ってんだ、自分がどれだけ分の悪い状況にいるかぐらい分かってんだろ」
「知るかよ」
 一方通行アクセラレータき捨てた。
 カエル顔の医者に連絡するため、ドアのなくなった後部座席の出入り口に手をかけて、
「平和ボケしてヤキでも回ったンだろ」

     6

 判断は一瞬いつしゆんだった。
 隠れても無駄むだだと思った上条かみじようは、打ち止めラストオーダーの小さな体を抱えるように持ち上げると、上半身をかがめるような格好で車の陰から飛び出した。
 自動車は歩道わきに違法駐車してあった。
 一番近い路地の入口までは、およそ五メートル程度しかない。
 だが、

 ボッ!! と。
 鉄パイプで薄絹うすぎぬを突き破るような破壊音はかいおんひびいた。
 複数のサブマシンガンが即座に火を噴く。
 一秒間に何発放っているかも分からないような高速連射だ。今まで盾にしていた自動車のガラスが砕け、ボンネットがつぶされたようにたわみ、鉄板のドアに無数の風穴が空いてボロリと落ちた。座席シートがはじけ、車内が綿だらけになっている。
 破壊は一瞬いつしゆんで起こり、それらすべての音が重なって一つの炸裂音さくれつおんとなる。
 それでも上条は路地の入口へ向かう。
 弾丸の尾が上条の逃走ルートを追い駆ける。
 寸前で、ちようど目の前の、顔の高さにあるコンクリート壁に弾丸が飛んだ。進行方向に一発って、上条がひるんで足を止めた所ではちの巣にするつもりだったのだろう。思わず反射的に首がすくむが、かろうじて体は動いてくれた。砕けた小さなコンクリート片が、上条の髪を
かすめていく。
 ほとんど転ぶような格好で、れた地面に突っ伏すように路地裏へと飛び込んだ。
「生きてるか、打ち止めラストオーダー!」
 上条が尋ねると、腕の中にいる小さな少女は無言で何度かうなずいた。
 ガチャガチャという金属を撚るような音が聞こえてくる。黒ずくめたちの装備がぶつかる音だ。上条は舌打ちすると、打ち止めラストオーダーの体を抱え直し、路地裏の奥へと走り出した。
 隠れる場所が欲しい。
 右手に宿る幻想殺しイマジンブレイカーでは、あまりに相性が悪すぎる。魔術まじゆつだの超能力だのという、トリッキーでイレギュラーな相手なら活路はあるが、連中の銃器にはそういった付け入るすきが全くない。下手になぐりかかっても、ズタズタのボロきれみたいにされるのがオチだ。
打ち止めラストオーダー妹達シスターズを束ねてるって事は、お前も電気の力って操れるのか?」
「うん、強能力レペル3程度のものしか使えないけど、ってミサカはミサカは答えてみたり」
「じゃあ電子ロックは外せるか。どっかの裏口から建物の中に入りたい。多分、この路地はそれほど長くないからな。そっちの出口で待ち伏せされてる可能性もある」
 分かった、という返事があった。
 上条かみじようは路地裏にある、手近なドアの前で立ち止まり、打ち止めラストオーダーかたわらに下ろす。
「んっ」
 打ち止めラストオーダーはワイシャツの胸ポケットから携帯電話を取り出すと、電源を切った。どうも電気系の能力を使う時、集中の邪魔じゃまになるようだ。彼女はその小さなてのひらを、ドアの横に取り付けられたカードスリットに向けて、目を閉じる。
 ガチャガチャガチャ、という黒ずくめたちの金属音が聞こえる。
 遠いのか近いのか、距離感きよりかんつかめなかった。路地は直線的ではなく折れ曲がっていたため、いきなり出入り口から掃射される事はなかったが、それにしてもいつ追い着かれるか分からない状況で、じっと何かを待ち続けるのは想像以上にプレッシャーを与えてくる。
(まだか……?)
 上条は暗闇くらやみの中で、重なるような足音だけに耳を傾けながら、待つ。
(くそ、まだなのか)
 打ち止めラストオーダーに変化はない。
 まさか幻想殺しイマジンブレイカーのせいで変な影響えいきようが出てるんじゃないだろうな、と上条が心配になってきた所で、
「きた! ってミサカはミサカは目を開けてみたり!」
 ピーッ、という高い音階の電子音が鳴った。
 上条は鉄の扉のノブに手をかけ、回す。
 かぎは外れていた。そのまま打ち止めラストオーダーを抱えて建物の中へとみ込む。
 室内に光はなかった。
 どうやらファミレスの厨房ちゆうぼうのようだった。火を扱う場所だから、非常口でも用意してあったのだろう。まだ営業時間だと思うのだが、明かりが落ちているのが少し不気味ではある。非常口を示す緑色のランプが、ぼんやりと調理器具のシルエットだけを浮かばせている。
「これからどうするの? ってミサカはミサカは尋ねてみる」
「そうだな」
 上条かみじようは、打ち止めラストオーダーを床に下ろすと、とりあえず目の前の扉へ向かう。とにかく光のある場所へ、人のいる場所へ行きたい。
「連中は車を持ってる。おそらく足で走っても追い着かれちまう。この時間じゃ電車やバスもないし、素人のタクシーを捕まえても逃げ切れないと思う」
 打ち止めラストオーダーが不安そうな目でこちらを見上げてきた。
 全部投げ出したくなるが、そういった醜態しゆうたいは見せられないな、と上条は思った。
「とにかく人の多い所へ行こう。連中はさわぎを起こしたくない。だから俺達おれたちを追ってる。大量虐殺をしちまったら本末転倒のはずだ」
「こんなので、本当にあの人を助ける事なんてできるのかな、ってミサカはミサカは自分の力のなさを嘆いてみたり」
「さあな。でも、ここを生き延びない限り絶対に助けられない。ソイツを助けたかったらまずは自分が死なない事だ。ソイツだってお前が死んで喜ぶような事はないんだろ」
「……うん、ってミサカはミサカは首を縦に振ってみる」
「よし、じゃあ生きるぞ」
 我ながらとんでもない台詞せりふだ、と上条は苦笑しながら目の前の扉を開けた。
 そちらが、客が料理を食べるメインフロアらしい。白々しい蛍光灯の光に満ち、有線放送が場違いに明るい音楽を流していた。壁に埋め込まれた大型テレビにはCMが映っている。レトルト食品特有の、脂っぽいにおいが鼻についた。
 だが、
「……ここもかよ」
 上条当麻とうまは思わずうめき声をあげた。
 店内には複数の客がいた。カップルのような男女もいるし、仕事が終わった教職員らしき男性もいる。テーブルとテーブルの間にある細い通路には可愛かわいらしい制服を着たウェイトレスがいた。レジの所にいるのは少しとしを食った男の店員だ。
 その全員が倒れていた。
 ぐったりと力を抜いて、傷一つないまま。
 店内にパニックが起きた様子はない。多少、フォークやスプーンが床に落ちているが、それはおそらく客がテーブルに突っ伏した時のものだろう。だれも彼もが、自分でも良く分からない内に倒れていた……という感じの光景だった。
 地下街の出入り口付近で倒れていた警備員アンチスキルのように、ただ眠るように倒れている者もいる。一方で、まるで石像のように固まったまま床に転がっている者もいた。全体を見ると、いくつかのグループに分けられる。
 厨房ちゆうぽうの様子も変だったが、向こうでも問題が起きていたのかもしれない。
 ともあれ、これでは『人の多い場所』の条件には適応しない。
 その全員が気を失っているのでは、だれ目撃もくげきしていないのと全く同じだ。
(どうなってる?)
 上条かみじようは思わず呆然ぽうぜんとしかかった。
(あの黒ずくめの何人かも、似たように倒れてた。つまり、これは連中がやってるって訳じゃないんだよな。ちくしょう、問題は一つだけじゃないって事か!)
打ち止めラストオーダー、とにかく外に―――ッ」
 言いかけた上条は、打ち止めラストオーダーに引っ張られて床を転がった。
 ドッ!! と。
 表通りにズラリと面したウインドウが粉々に砕け散った。誰かが道路から店内へ弾丸をち込んだのだと気づくのに数秒かかった。外れた弾丸は有線放送のチューナーにでも当たったのか、スピーカーが一斉に沈黙ちんもくする。テレビが割れて火花を散らした。
 床やテーブルに倒れている客たちの上にも細かいガラスが降り注いだのを見て、上条の頭に血が上った。幸い、弾丸そのものは当たっていないようだが、そういう問題ではない。
(くそ、周りに普通の人達がいてもお構いなしか!!)
 砕けたガラスの破片をんで、誰かがゆっくりとメインフロアに入ってくる。
 上条は近くの床に落ちていたフォークを手に取った。
 貧弱すぎて笑えてくる。
 その上、今度は不意にフロアの電気が落ちる。上条達が入ってきたドアが、きい、と小さな音を立てて開いた。そこからゴキブリみたいに気配のない動きで、三人ほど黒ずくめが追加される。
 上条と打ち止めラストオーダーを守るのは、フロアの中央にある大きな四角い柱だけだった。
 二方向からゆっくりと標的を捜す黒ずくめ達に対して、こちらの死角はほとんどない。
 上条は鈍く光るフォークを手に、柱に背中を預けた。
 ふと上を見る。
 ウインドウに撃ち込まれた初弾が当たっていたのか、自分のすぐ上に風穴が空いていた。
(貫、通? 盾になってない……ッ!!)
 ギョッとする上条の筋肉が、必要以上に強張こわばる。
 ゆったりとした、極力振動を殺そうとしている足音が、少しずつ包囲網ほういもうせばめていく。

     7

 一方通行アクセラレータは携帯電話を使おうとも思ったが、やはり少し歩いて公衆電話から掛ける事にした。もしかすると、木原きはら達は電話回線上から番号を探知する機材を使っているかもしれない。
 すっかり使われなくなって久しいのだろう、やや汚れた感じのする公衆電話のボックスに入ると、まずは照蕊。剛の赤いボタンを押してから、救急車を呼んだ。この辺りの管轄かんかつなら、おそらく指定しなくてもカエル顔の医者の所へ行くはずだ。
 次に残り少ない硬貨を入れて、もう一度受話器を取る。わざわざ携帯電話のアドレスを確認しながら、公衆電話に一つ一つ番号をプッシュしていく。
 番号は打ち止めラストオーダーの携帯電話だ。
「……、」
 しかし、相手が出る気配はなかった。だまって受話器をつかんでいる一方通行アクセラレータ

の元に、携帯電話の電源が入っていないか電波の届かない場所にいるかもしれない、というむねのアナウンスが返ってくる。
 彼は受話器を置いた。
(……まァ、予想通りってトコか)
 狭い所に逃げ込んでいれば電波が届かなくなる事もあるし、着信音や振動音が辺りにひびくのを危惧きぐしているかもしれない。
 最悪の可能性も頭をよぎったが、一方通行アクセラレータは自分のやるべき事を実行していく。
 もう一度電話に小銭を入れて、今度は別の番号にかける。
 コール音がしばらく続いた。
 その後に年配の女性看護師が応対した。一方通行アクセラレータはカエル顔の医者に取り次ぐよう命令する。
 すぐに医者に換わった。
『こんな時間にどんな用件かな?』
「トラブルが起きた。デカいトラブルだ」
『一応、御坂みさか妹さんとやらから大体の事情は聞いているよ? 彼女たちの電気的ネットワークを介して情報の交換が行われているらしいね』
 なるほど、電話以外にもそういう手があるのか、と一方通行アクセラレータは感心した。
 代理演算を間借りしているだけの彼には、そのネットワークの利用はできない訳だが。
「だったら話は早ェ。ソッチが知ってる情報を渡せ。あのガキはどォなってる?」
『今は「猟犬部隊ハウンドドツグ」の別働隊に追われているようだね。たまたま居合わせた一般人と一緒いつしよに逃げている。まだ捕まってはいないようだが……正直に言おう。時間の問題みたいだ』
 どうやら打ち止めラストオーダー木原きはらの元からはなれた後、周りに助けを求めたらしい。難点は、求められた方に期待していただけの力量がなかったという事か。
 一方通行アクセラレータは舌打ちした。
「場所は?」
『彼女自身も掴めていないようだ。どこかのファミリーレストランのようだけどね?』
 少し考えたが、流石さすがにそれだけで場所を特定するのは不可能だ。
 妹達シスターズの方も、そのせいで打ち止めラストオーダーの捜索には出せないと、カエル顔の医者は言った。もちろん、学園都市にいる一〇人前後の妹達シスターズも体を調整している最中なので、長時間、彼女たちを雨の中で歩かせるのも問題だろうが。
 忌々いまいましいが、今は本来の仕事を果たす事にする。
「そっちに白い修道服を着たガキは来たか?」
『今、応対に困っていた所だよ。彼女、何で君の代理演算の事を知っているんだ』
「オマェにゃ関係ねェ」
『……もしかして、本当に新しいバッテリーが必要な状況なのかい?』
「そンなモンねェンだろ」
 一方通行アクセラレータは、き捨てるように続けた。
「あと、そのバッテリーについてわめいてるガキは保護しろ。おそらくこれから二四時間程度は命をねらわれるはずだ。目をはなすなよ」
『やれやれ。警備員アンチスキルには任せられない問題なのかい』
「平和主義の教師どもに何ができる。敵のレベルが違うンだよ。死人を増やしたくなけりゃ、イイ加減に意識を切り替える事だな」
「……そりゃまあ。まさか、患者以外の命を守る羽目になるとはね?』
「なら患者も追加だ。もォ少ししたら背中を刺された男がソッチに届く。ソイツを適当に処置したら、襲撃しゆうげきに備えろ。ソッチにどンだけの戦力がある?」
『戦力とは、また随分と物騒ぷつそうな話だね?』
 カエル顔の医者は流石さすがに面食らったようだったが、一方通行アクセラレータはいちいち付き合わない。
 時間が惜しい。
「……あのクローンどものネットワークを介して、状況はつかンでるっつったよなァ? なら、甘い事を言ってらンねェのも分かってるはずだ。さっさと教えろ。うろたえればうろたえた分だけ死亡率が跳ね上がンぞ」
『まったく……君もあの少年と同じぐらい、怪我けがと入院がお好みらしいね?』
 受話器の向こうからため息が聞こえた。
 沈黙ちんもくがあった後、カエル顔の医者は答える。
『調整中の量産軍用妹達シスターズが一〇人ほど。あとは「実験」当時使われていた、対戦車ライフルのメタルイーターMXとF2000R「オモチャの兵隊トイソルジヤー」が人数分あったと思うけど?』
 一方通行アクセラレータは少し考える。
 それから首を横に振った。
「その程度じゃ食いつぶされる。そもそも現状のクローンどもは戦力にならねェ。万全でも無理だろォがな。病院にいる職員と患者を全員退避たいひさせられるか?」
『僕に持ち場を離れうって? 一体、この病院にどれだけのベッドがあるか知っているかな』
「三〇〇ぐらいか」
『七〇〇だ』カエル顔の医者はあっさりと答えた。『新生児や重症者など、迂闊うかつに動かすのが危険な患者が五二名ほどいるね? 手術中の患者がいないのが救いと言えば救いだけど、この大移動がどれだけ無茶むちやな事かは分かっているかな』
「……、」
『ここをはなれれば、急患が出た時はどうする? そちらの問題もあるんだけどね』
 カエル顔の医者の言葉に、一方通行アクセラレータは下手な言い訳やねぎらいはかけない。
 そんな暇はない。
「できるか?」
『やろう』
 質問には即答が返ってきた。
 カエル顔の口調が、いつもの瓢々ひようひよとしたものから、く別のものへと切り替わっていく。
「発煙筒でも使って、火事が起きた事にする。何らかのテロ行為に結びつければ、全員を退避たいひさせる大義名分ぐらいにはなるだろうね。動かすのが危険な患者もいるが、彼らの命を守るのが僕の仕事だ。何とかしてやるよ』
「自分から要求しといて何だけどよォ、本当にできンだろォな?」
『だからやると言った。自分でもこんなに話が上手く転がるとは思ってなかったのかい? 急患の件にっいても、いくつか代案がある。よその病院に割り振るとか色々ね? なければ首を縦には振らないよ』
「……、悪りイな」
『まぁ君たちの争いに利用されるのは正直しやくだが、僕はどんな患者であっても平等に扱うからね。運ばれてくる患者を守れと言われたら全力を尽くすだけさ』
 救急車のサイレンが通り過ぎた。
 おそらく『猟犬部隊ハウンドドツグ』のあの男は、すでに救急車に乗って病院へ向かっているだろう。
 一方通行アクセラレータがサイレンに耳を傾けていると、不意にカエル顔の医者が言った。
『それで、君はどこまでやるつもりだい?』
木原きはらは殺す。「猟犬部隊ハウンドドツグ』もつぶす。そしてあのガキを無傷で助け出す」
『不可能だよ』
 これも即答だった。
 カエル顔の医者には似合わない、あまりにも端的で冷徹れいてつな声に、一方通行アクセラレータまゆをひそめる。
『この限られた状況の中で、君はあまりに多くの行動目標を抱えすぎている。それでは絶対に達成できない。君の住んでいる世界は、あちこち寄り道しながらゴールを目指しても何とかなる程度のものなのかな?』
「……、いつから医者ってなァフザけたリップサービスまで始めるよォになったンだ? ソッチの世界の住人が、知ったよォなクチでやみを語るなよ」
『誤解があるようなら言っておくけどね?』
 カエル顔の医者は、おくしない。
 一方通行アクセラレータに向かって、ただ事実を言う。
『僕は君以上の地獄を見てきているよ。医者という職業を甘く見てはいけない。多分君よりたくさんの血と涙を見てきていると思うよ。悲劇にはならなかったけどね。僕は「冥土帰しヘヴンキヤンセラー」とも呼ばれている。つまりそういう事さ。僕と君の違いは簡単だ。そこに留まっているか、きちんと帰ってくるか。それだけでしかない』
 医者は少し間を空けた。
 それから続ける。
『君と同様、やみってヤツを知ってる先輩からアドバイスをしようと言っている訳だ。目標は一つに絞れ。木原ぽはらを殺す? 「猟犬部隊ハウンドドツグ」をつぶす? そんなつまらない事は後でもできるだろう。
君が今ここでしなければならない事はたった一つのはずだ。それも分からないのかい?』
流石さすがは人命優先のお医者様だな。だが、あのガキを無傷で助ける事と、木原たちを潰す事は同じなンだよ。どちらかを切り捨て――― 」
『そうじゃない』
「あ?」
打ち止めラストオーダーを無傷で助ける? まだそんな、できもしない事を言っているのかい』
「―――、」
 一方通行アクセラレータの血が凍った。
 受話器の向こうにいるのは、だれだ?
『さっきも言っただろう。僕は、ミサカネットワーク経由で情報をやり取りしている妹達シスターズから直接話を聞いている。君の事情もある程度は理解しているつもりだ。その上で言うよ?』
 カエル顔の医者は、ゆっくりと、なおかつ力のある声で言った。
 まるで、説教でもするように。
『いい加減に現実を見るんだ。そんな事ができないのは、無様にいつくばった時点で分かっているだろう? いいかい、君はただでさえ負けている。勝つ事すら難しい相手に対して、さらにそんな夢のある希望を並べた所で何になる。妥協をしろよ、一方通行アクセラレータ打ち止めラストオーダーはもう、無傷では助けられない。どんなに最高峰の手を打ったとしても、絶対に傷を負う』
 心理的な死角から一撃いちげきたたき込まれたような気分になった。
 知らず知らずの内に、それだけこの医者に寄りかかっていたという事か。
「……クソッたれが。それを認めたくねェから、泥の中を這い回ってでも木原を殺すっつってンのが分かンねェのか」
「分からないね。望んだ程度で何でも上手くいくなら、僕は最初から医者になどなっていない。山にこもって三六五日瞑想めいそうしているだろうさ。そんな事じゃ物理的に人は救えないから僕は医者になった。はっきり言ってやろう。君の主張はすぺて、実現性を無視した子供のワガママだ』
「ならどうしろってンだ? 木原きはらみてェなクソ野郎のせいで、あのガキがボロボロにされるのを見て、にっこり笑顔で良かった良かったって言えばハッピーエンドかァ?」
『そうだ。そのために医者がいる』
 激昂げつこうにもカエル顔は動じない。
 すらすらと、流れるように言葉が続く。
『腕が折れようが皮膚ひふがれようが内臓がつぶれようが、生きて僕の元まで連れて来れば必ず治す。命を守り傷跡も残さず精神的なケアまで含めて完壁かんぺきな形で君の大切な人を救ってみせる。
その期待にこたえるのが医者ってものだ。だから一方通行アクセラレータ、君は余計で無駄むだな高望みなどせず、ただただ打ち止めラストオーダーの「命」を助ける事だけを優先しろ。それが一番大切なものだ。僕みたいな未熟者の腕では取り返せない唯一のものだ、違うかい? もしも違うというのなら、あの子の命よりも大切なものを今ここで言ってみろ』
 いや、何も思っていないはずがない。
 大人の都合で子供の命が奪われようとしている、この事態に対して。
 そして。
 彼は自分の立場を完壁に理解している。慌てふためき、わめき散らしても何も解決しないと分かっているからこそ、ひたすら『医者』として戦おうとしているのだ。
『木原? 「猟犬部隊ハウンドドッグ」? そんな退屈な前哨戦ぜんしようせんはさっさと終わらせろ。打ち止めラストオーダーを早く僕の元へ回して決勝戦を始めさせてくれ』
 その後、一方通行アクセラレータは、カエル顔の医者が病院を一時放棄したらどこへ身を隠すのかを教えてもらった。打ち止めラストオーダーを回収した場合はそちらへ回すように、との事だった。
 彼は受話器を置く。
 公衆電話のガラスの扉に背中を預ける。
(……、無傷では助けられない。どんな最高峰の手を打ってでも、必ずあのガキは傷を負う、か〉
 一方通行アクセラレータは一度息を吸って、いた。
猟犬部隊ハウンドドツグ』は嗅覚ほゆうかくセンサーを使っている。自分はもちろん、打ち止めラストオーダーの探索にも利用しているだろう。ただでさえ彼女は窮地きゆうちにいるのに、さらにの手が伸びる速度は増している。
 余裕はない。
 だから覚悟を決める。
「上等じゃねェか……」
 全てを受け入れた後に残ったのは、笑みだった。
 ブチリと裂けた、この世のものとは思えないほどに恐ろしい笑み。
「―――あのガキを救い出すためなら、善人でも悪人でもぶっ殺してやる」
猟犬部隊ハウンドドツグ』は嗅覚きゆうかくセンサーを持っている。
 この位置も、すぐに木原数多きはらあまたや『猟犬部隊ハウンドドツグ』は突き止め、襲撃しゆうげきをかけてーるだろう。
 まずはこれを迎撃する。
 そのための戦場が欲しい。こんな所でのんびりしている暇は、ない。

   行間 六

 土御門元春つちみかどもとはるは学園都市外部へつながるゲート目指して走っていた。
 降りしきる雨脚は弱まる気配を一向に見せず、月の光はさえぎられ、雨音が集音作業に悪影響あくえいきようを及ぼし、周囲のにおいまでも消し去っていた。ずぶれの景色は、それだけで夜戦の死亡率を格段に引き上げている。
(都市機能の大半が死んでやがる。暴動だの略奪だのが起きていないのは幸運だな)
 走る勢いを落とさず、それでいて周囲をくまなく観察しながら、土御門は心の中でそうつぶやいた。
 街の治安をつかさど警備員アンチスキル風紀委員ジヤツジメントはほぼ壊滅かいめつ状態と言っても良い。一部のメンバーはまだ動けるようだが、たったそれだけの人数で学園都市全域をカバーできるはずがない。もしもこの都市機能が麻痺まひした状態にだれかが気づけば、店のレジや商品棚などはあっという間に襲撃しゆうげき強奪ごうだつされるだろう。
 今の所そうなっていない理由としては、学園都市は基本的に終電終バスが最終下校時刻に設定されているため、大半の人間が『外の異変』に気づいていない事、そして『外の異変』に気づく前に、やはり学生の多くも正体不明の攻撃にさらされ、意識を奪われた事などが挙げられる。
 攻撃。
 より正確には、魔術まじゆつサイドからの攻撃だ。
 その言葉に、土御門元春は奥歯をむ。
 もっとも、戦闘下せんとうかにおいて、彼の思考は極限まで均一化されているため、それは分かりやすい感情の波としては表れないが。
(『神の右席』か。話に聞いた事ぐらいはあったが、まさかここまでやるとはな)
 静まり返った街を走りながら、土御門はむしろ感心していた。
 彼は優れた魔術師だ。
 にもかかわらず、これだけ大規模な魔術攻撃にさらされてなお、自分たちがどういう種類の術式を受けているのかが全く分析できない。完璧かんぺきけむに巻かれていた。
(しかし、アレイスターの言う一人だけで済むはずがない。必ずほかにも集団がいる。都市機能が麻痺しかかっているこの状況で、そんな連中にまで踏み込まれればこの街は終わりだ)
『神の右席』のメンバーと同時に戦闘部隊が踏み込んで来なかったのは、奇妙と言えば奇妙だった。だが、それは単に人数の問題かもしれない。例えば一万人ほどのメンバーが外で待機しているのだとすれば、彼らが最初から学園都市にみ込んでも、二三〇万人全員と戦う羽目になる。しかし『神の右席』が手始めに学園都市の戦力をぎ落としてしまえば、侵攻部隊の損耗率は格段に低くなるはずだ。
 敵戦力の数は不明。
 学園都市外周に、どのように配置されているかも不明。
(……だが、今すぐ踏み込んでくるほどでもない、か)
 学園都市の総員は二三〇万人。これに対し、例えばローマ正教側が一〇〇〇万人を投入してきた場合、わざわざ外周で待機する必要はない。ヴェントの先攻もいらない。力押しで制圧しようと考えるはずだ(もちろん、学園都市の超能力や兵器群は単なる人員だけで計算できない部分もあるが、ローマ正教が適切にそれを認識しているとは思えない)。
 現時点では、意外に待機組の人数も少ないのかもしれない。
 ヴェントを先攻させ、沈黙ちんもくした街の『後始末』をするぐらいの数しか。
(それでも、一人でやり合える人数じゃあなさそうだがな)
 土御門元春つちみかどもとはるに求められているのは、敵の繊滅せんめつではない。
 学園都市の都市機能が回復するまで、街の外で待機している侵攻部隊を絶対に敷地内しきちないに入れない事。それが彼の勝利条件だ。アレイスターの、ではなく、土御門元春が自分で決めた勝利の。ヴェントの方はほかの人間に任せるしかない。
 しかし、どれだけいるかも分からない敵を、いつ都市機能が復旧するかも分からない状況で足止めし続けるなど、ほとんど自殺行為にも等しい。
(普通の警備員も使えない。オレと似たような連中も別口の用件がある)
 他に協力してくれる仲間はいない。
 状況を打破できるスペシャルな兵器や魔術まじゆつにも当てはない。
 だが、
(この街には舞夏まいかがいる)
 魔術の世界になど何の縁もなく、ただ家政婦を目指している妹の事を、彼は思う。
 それだけで戦う覚悟は決まった。
(その他すべてを裏切っても良いが、オレはアイツだけは絶対に裏切らない)

 警備機能が完全に失われた第三ゲートをくぐり、土御門元春は学園都市の外へ出る。
 陰陽道おんみようどうを極めた魔術師として。
 役にも立たない能力者として。
 目的は一つ。
 大切な者のいる世界を守るために。

   

chap2

第七章 雨粒を血の色に変える Revival_of_Destruction.

     1

 黄泉川愛穂よみかわあいほは車のハンドルを握っていた。
 見た目は国産の安っぽいスポーツカーだが、エンジン音が妙に低い。逃走者を追うために、見えない所をガチガチにチューンしているのだ。ギアが七速まで入るという辺りで、どれぐらい無茶むちやをしているのかを想像して欲しい。
 今日の午後にマンションからいなくなった打ち止めラストオーダーを捜して、適当に車を走らせている訳だが、
(……?どうにも、道がいているような……)
 元々、学園都市は学生の街だ。
 教員や業者、大学生ぐらいしか車を使えないため、普通の大都市圏に比べると交通量はそれほどでもない。
 しかし、それにしても今日は車がない。
 定期的にワイパーの動いているフロントガラスの向こうに広がっている道は、それこそただの滑走路のように見える。
「どうなってんだか……」
 黄泉川はついつぶやいた。
 その時、カーオーディオの代わりに突っ込んである車内無線のランプが光った。彼女はウィンカーをつけると、速度を落として路側帯へ車を寄せて停車する。
 無線機の方を見ると、ガーッ、という低い音と共に葉書サイズの紙切れがき出されてきた所だった。
 デジカメ用の小型プリンターと原理は同じだ。警備員アンチスキルの司令本部から各端末へ、指名手配者の顔写真などを送る時に使われるものだ。
 写真は粗かった。遠距離えんきよりから撮ったものだろうか。カメラが揺れていたらしく、輪郭もぼやけている。それでも、大勢の警備員アンチスキルが倒れている中、黄色い服を着た女が突っ立っているのが分かる。
「?」
 黄泉川は戸惑った。
 普通なら、写真のほかにも現場の情報などの文字情報もプリントされているはずだが、それがない。これでは、そもそも写真の女が何をやったかも不明だ。何らかの事件の容疑者なのか、それとも保護対象なのかも判断がつかない。
 迷子になっている打ち止めラストオーダーも気になるが、やはり優先順位は「迷子』より『事件』だ。
 黄泉川よみかわは無線機のスイッチを押して、それから言った。
「こちら黄泉川から本部へ。コール334についての詳細を求める」
 連絡ミスかな、と思って確認を取ろうとしたのだが、返事がない。
 サーッ、という低いノイズだけが彼女の耳に届く。
 その後も何度か無線機に向かって話しかけたが、応答が返ってくる事はなかった。
「……、」
 黄泉川は無線機のスイッチを切る。
 路側帯にめた車の中で、黄泉川は葉書サイズの紙切れを改めてつかんだ。そこには、雨の中で倒れている警備員達アンチスキルたちと、その真ん中に突っ立っている黄色い服の女が写っている。
(この女……)
 もう片方の手の指で、写真の中の女をはじく。
(一体これは何なんだ。見た感じじゃ、保護対象ってツラじゃないじゃんよ。まるで、ウチの同僚どうりようたたつぶした後みたいな……)
 不気味な感触が、黄泉川の背筋を駆け抜ける。
 それと同時に、自分の同僚が地面に伏している事に怒りを覚え、
(ま、ツラを見かけたら丁重にお話をうかがうとしますか―――)
 適当に考えたが、黄泉川が再びスポーツカーを走らせる事はなかった。

 ゾン!! と。
 黄泉川愛穂あいほの脳に、唐突に衝撃しようげきが走ったからだ。

「あ……ッ!?」
 悲鳴すら上げられなかった。
 そのまま全身から力が抜け、彼女の上半身がハンドルにのしかかった。胸が圧迫されて苦しかったが、どうする事もできない。体のしんから指先まで、すべての力が奪われている。
 急速に視界がせままっていく。
(な、にが……)
 訳の分からないまま、黄泉川の意識が落ちていく。
 だらりと下がった腕から、ほんの数十センチの所に車内無線のスイッチがあった。しかし、手が動かない。助けを求められない。呼吸すらもままならなくなってきた。
(……この、写真)
 気をつけろ、という同僚どうりようからのサインだったのかもしれない。もしかしたら、自分と同じ状況におちいった警備員アンチスキルが、最後の力を振り絞って送信してきた可能性もある。
 だが、それが生かされる事はなかった。
(……くそ……)
 親指と人差し指の間に挟まっていた写真が、ひらりと落ちた。
 それと同時に、黄泉川愛穂よみかわあいほの意識も完全に失われる。
 車のない道路。
 やけに静かな街。
 応じない車内無線。
 ……もしかすると、とてつもない規模で事態は進行しているのかもしれない……。

     2

「第三資源再生処理施設、か」
 黒ずくめの一人は、第五学区の一角にそびえる建物群を見て唇を動かした。
 ここは第七学区のすぐとなりにある施設だ。一方通行アクセラレータや『猟犬部隊ハウンドドツグ』の逃亡者たちが使っていたワンボックスは、第七学区側の公園近くに乗り捨ててあった。
厄介やつかいな所に逃げ込まれたな、ナンシー」
 同僚の言葉に、言われた本人は思わず笑っていた。
 何がナンシーか、と本人でもつぶやいてしまうが、そういうコードで呼び合ってい乃のだから仕方がない。
 ナンシーはいかにも普通の日本人ですという黄色人種だ。髪も目も黒いし、その事に全くコンプレックスを抱いていない。コードもできれば漢字にして欲しかったものだ。きっとが尉箋はネット上で派手なハンドルネームをつける人間なのだろう。
 漆黒しつこくの装甲服やマスクで全身をおおっているが、それでも成熟した女性らしいラインは隠せない。『猟犬部隊ハウンドドツグ』は男女間わず、とにかくクズばかりを集めた組織なので、ナンシーのほかも何人か女性がいた。もっとも、同性だからと言って妙な連帯感が生まれる事はない。この組織の人間は、事件の容疑者を追い詰める快感にのめり込んだ元警備員アンチスキルや、取調べに『傷のつかない拷問』を持ち込んだ分析技術者など、基本的に全員が全員軽蔑すべきクソ野郎どもなのだから。
 彼女は、手の中の道具をゆっくりと揺らしていた。
 オモチャの銃にも似た機材―――嗅覚きゆうかくセンサーだ。
 さらにグリップのすぐ上、拳銃けんじゆうで言うならハンマーのある辺りに、三インチぐらいの小さな液晶モニタが取り付けられていた。そこにはたくさんの棒グラフが絶えず上下している。コンポの画面に表示される音階のバーのようだ。
「標的の『におい』はあっちへ続いているわ。まず間違いないでしょうね」
 ナンシーは後方に控えている同僚どうりようへそう言った。
 匂い。
 警察犬などは、今日のような雨で匂いを追尾できなくなるが、その問題もこちらでは、かなりの割合で解決できる。匂いが流されるのは、『匂いが消える』ではなく『匂いが混ざる』方が多いためだ。センサーなら混ざった匂いにも対処できる。
 彼らは『匂い』の先へ視線を移す。
「でかい施設だな」
 ナンシーのとなりに立った黒ずくめの一人がそう言った。
 無駄口むだぐちだが、その通りではある。
 彼女の目の前に広がるのは、およそニキロ四方にわたる巨大施設だ。用途はゴミの再利用。元々資源の乏しい学園都市では、基本的な紙資源から、鉄やアルミといった金属ゴムやプラスチックなどの石油製品、」その他にも多くの物品を再利用している。ここは第五学区を中心に周辺四つの学区から出た『資源』を回収し、使える形に加工していくための施設という訳だ。
 その広大な敷地しきちは、どこか海岸の石油化学コンビナートを連想させた。直径が一〇〇メートルを超す円筒形の燃料タンクがズラリと並ぶ一角もあれば、無数の煙突が突き立った工場区画もある。
 それにしても、再利用施設ときた。
 クズみたいな人間が戦う場所としては、あまりにもうってつけだ。
「ナンシー。ヤツの目的は何だと思う?」
 ロッドがそんな事を尋ねてきた。
「この施設が戦略上、重要になるとは感じられない。しかし、単に物陰に隠れるなら、わざわざセキュリティをかいくぐって、こんな所へ来るのは手間だ」
「ふん。案外、それぐらい簡単かもしれないわ」
 ナンシーが投げやりに答えると、ロッドは不満そうな顔になった。そんな彼の目前で、ナンシーは嗅覚きゆうかくセンサーを軽く振る。
「こいつから逃れるために、ゴミ処理場を経由して匂いを消す気でいるのかも」
「……ヤツもこちらの装備品を知っている訳か」
「オーソンの馬鹿ばかが標的と一緒いつしよに逃げたからね。車内には装備品のスペアもあった」
 ゴミの匂いをつけただけで嗅覚センサーをごまかすのは難しいが、匂いの分子構造を変える、ある種の洗浄剤を使えば話は変わる。『猟犬部隊ハウンドドツグ』の隠蔽班いんぺいはんが専用のものを開発しているが、この手の資源処理施設なら、同種の薬品があってもおかしくはない。
 苦肉の策だな、とナンシーはうすく笑ってから、同僚に尋ねる。
「ロッド、施設の見取り図は」
書庫パンクから入手済み」
「全員に転送。それから作業員の数や巡回ルートは」
「巡回ルートは気にしなくて良いな」ロッドと呼ばれた男はアッサリ告げた。「内部のほとんどは自動化されている。作業員は一四人ほどいるが、全員コントロールセンターでキーボードをたたくのが仕事だ。機械系のメンテナンスを外部組織から派遣で招くほどだそうだ」
「よし。後始末の手間も省けるわね」
 ナンシーは適当に言って、嗅覚きゆうかくセンサーを同僚どうりように渡した。肩紐かたひもげていたサブマシンガンのチェックに移る。
 ロッドは見取り図を表示した小型端末を軽く振って、
「出入り口が二四ヶ所もある。これをすべてカバーした上で、内部の施設を一つ一つくまなく探索するのは人数的に不可能だ」
 今の『猟犬部隊ハウンドドツグ』は正体不明の敵に対する陽動、打ち止めラストオーダーを追っている別働隊、木原数多きはらあまたの周囲を固めるガード係など、あちこちに戦力を分散している。そのため、今ここに集まっているのは一〇人程度のものだった。
「標的の動きをこちらで誘導ゆうどうすれば良いわ。敵はこちらを大人数だと思い込んでいるはず。地図上のA地点から攻撃こうげきし、意識を誘導した上で非常口Cから奇襲きしゆうをかける。爆弾をいくつか投げ込めば簡単に揺さぶれるはずよ。分かった?」
「ヤツがチカラを使って突破してきたらどうする。誘導にならないぞ」
大丈夫だいじようぶ
 ロッドの声に、ナンシーはもう一度施設を見た。
 分厚いコンクリートに金属製のパイプが何重にもからみ付いているような、重工業施設を連想させる建物群を。
「木原さんの言葉が本当なら、標的はそれほど万能でもないわ」

     3

「これだな……」
 一方通行アクセラレータは第三資源再生処理施設のコントロールルームで小さく笑った。
 窓のない小さな部屋の四方の壁に、何十ものモニタが据えられた部屋だ。工場の作業状況からセキュリティモードまで、その全てがここで制御されている。
 一四人の作業員は、ショットガンを手にした侵入者になすすべもなく、あちこちで体を縮めてふるえていたが、一方通行アクセラレータはそちらを見ない。彼がにらんでいるのは、モニタの一つ。そこには工場に備えられている洗浄剤のリストがあった。
 一方通行アクセラレータが求めているのは、においの粒子そのものを化学反応で『別の物質』に変えてしまう洗浄剤だ。
(見つけた。何種類かあるな。コイツで連中の『嗅覚きゆうかく』を振り切れる)
 木原数多きはらあまたを含む『猟犬部隊ハウンドドツグ』と徹底てつてい抗戦する覚悟は決めたが、かと言って『常に襲撃しゅうげきを受ける側』であるのは好ましくない。能力をフルに使って戦えるのは、あと七分もないのだ。木原本人ならともかく、部下の『猟犬部隊ハウンドドツグ』で無駄遣むだづかいするのはけたい。そう考えると、戦闘せんとうの主導権はこちらがつかんでおいた方が良いに決まっていた。
 もちろん、最も重要なのは木原たちとの戦いではなく、打ち止めラストオーダーを無事に助け出す事だが、
打ち止めラストオーダーを捜すにしても、今の時点で『猟犬部隊ハウンドドッグ』の追撃は切っておくべきだ。むしろあのガキを回収してからの方が、流れ弾の危険性は増してくるンだからなァ!)
 助け出した後の方が難易度は跳ね上がるのだ。一方通行アクセラレータの能力は元々彼一人だけを守るものだし、『猟犬部隊ハウンドドツグ』が現れるたびにその力を使っていてはバッテリーがたない。
 そういった意味でも『いつ戦っていつ避けるのか』は、こちらで掴まなくてはならない。
(さっさと洗浄剤で自分のにおいを消して、ここから立ち去るとするか。木原の手があのガキに届くまで時間はねェ。こンな所でチンタラ寄り道してねェで、一刻も早く本命に戻ンねェとな。洗浄剤は施設のどこに置いてあるンだ……?)
 その時、ザザッ!! とモニタが揺れた。
 コントロールルームにある数十のモニタの映像が、次々と灰色のノイズにき消されていく。それらが全滅する直前、この施設の北側第二出入り口のセキュリティ映像に、チラリと黒ずくめの男が映った。
 第三資源再生処理施設全域の警報装置を完壁かんぺきつぶす腕があれば、カメラの位置も分かっていたはずだ。となると、あの黒ずくめは自分の居場所をわざと知らせ、こちらをさそっている事になる。
(クソッたれが! 予想よりも早いじゃねェか!!)
 この施設はもう囲まれている。
 一方通行アクセラレータつえをつかなくては移動できない。つまり速度を出せない。洗浄剤で嗅覚センサーから逃れたとしても、施設に入ってくるこの一団だけは相手をしなければならないだろう。
 連中からは逃げられない。そして、
(逃げるつもりもねェ。あのストーカーども、ここでたたき潰してやる)
 一方通行アクセラレータは杖の代わりにしているショットガンに体重を預けつつ、周囲を見回した。
 正真正銘、ただ巻き込まれただけの作業員達に警告する。
「これからここで銃撃戦が起こる。戦闘が終わっても後続の連中が押し寄せてくるかもしンねェ。オマエ達は銃声がンだら二〇分ぐらい待って、作業服から私服に着替えて施設を出ろ」
 うなずいているんだかふるえているんだか分からない返事だけが返ってくる。
(面白ェ。こっちのこまは何だ……)
 状況を確認する。
 能力は使えそうにない。工場内は分厚いコンクリートに阻まれ、外部との電波通信の精度は落ちる。その上、ここには資源再利用のために、ベルトコンベアやプレス機など、かなり大型のモーターが大量に設置され、強力な電磁波をき散らしていた。妹達シスターズの脳波を電磁波に変えて電子情報網じようほうもうを作るミサカネットワークが、完全な形で使えないのだ。
 とにかく雑音がひどい。
 調子の良い時と悪い時の落差が激しかった。通常の会話なら『ちよっと乱れる』で済むが、派手に能力を使っている最中にそれが起これば、そのまま暴発事故につながってしまう。
(どォせ、ここで力を使っちまうよォじゃ木原きはらには届かねェが)
 丸裸での戦闘せんとうは、今まで経験がない。
 能力が使えないと、彼はつえをついて歩く程度の運動能力しかない人間となる。
 武器となるのは、杖の代わりに使っているショットガンが一丁。
 マガジンの中に詰まっている弾丸は、およそ三〇発前後か。
「どォする……?」
 これだけの装備で、組織的な戦闘を得意とする『猟犬部隊ハウンドドツグ』を迎鷺げいげきする方法を模索する。
 わざとカメラに映った黒ずくめの存在を気にかけつつ、
(どォする?)
 一方通行アクセラレータはモニタから目をはなし、紙の見取り図を探し出して、それを大きく広げた。
さそいに乗るか。誘いをるか。すでにそこから攻防は始まっている。

     4

御坂美琴みさかみことはコンビニにいた。
 雨具の置いてあるコーナーに彼女は突っ立っている。
「うーん……小さい」
 安物のビニール傘を眺めながら、彼女はポツリとつぶやいた。この手の傘は、かさばらない方が人気なのだろうが、ここまでサイズが小さいと結局れてしまいそうだ。
 広々としたウィンドウから外を見ると、すっかり真っ暗になっていた。ガラスには割と大きな雨粒がぶつかっている。
 御坂美琴は、大覇星祭だいはせいさいでの勝負で、上条当麻かみじようとうまばつゲームを受けさせる権利を得ている。が、その罰ゲームが途中でぶつ切りになってしまったため、彼女は今、上条をもう一度捜している訳だが……。
「何で雨が降ってくんのよ」
 彼女は学生かばん一緒いつしよつかんでいる携帯電話会社の紙袋に目を落とした。
ゲコ太とピヨン子ストラツプらしたくないのよね)
 そんな感じでうんうんうなっている美琴みことの携帯電話が不意に着信音を鳴らした。面倒臭そうな感じで電話を取り出す。
 表示されているのは後輩、白井黒子しらいくろこの番号だった。
『おっねえさまーん』
「何よ黒子」
風紀委員ジヤツジメントのお仕事でりように帰れないので、あのやかましい寮監に一言連絡しておいて欲しいですの。ほら、もう門限も過ぎているでしょう?』
「ええと、私も今コンビニだから」
『ぎゃあっ!?』
 白井はあまり淑女っぽくないレスポンスを返してきた。
 そんな白井より少し遠い位置から、別の声がスピーカーに入る。
『あれー? 白井さん、御坂みさかさんに連絡つかなかったんですか』
 白井の風紀委員ジヤツジメント同僚どうりよう初春飾利ういはるかざりのものだろう。
 となると今、白井は支部にいるのだろうか。
『やかましいですの。お姉様はお外にいるから寮監に連絡はつけられないとの事ですのよ。しかし、参りましたわね。門限延長の手続きには書類の提出が必要で、あの寮監は電話には応じませんし。これでは問答無用で二人とも減点を喰らいそうですの』
『へぇー。ところで、御坂さんて今日は何で門限ぶっちぎっているんでしょうね?』
『ッ!?』
 ハッと息をむ音が聞こえ、続いて、ミシイッ!! という鈍い音が聞こえた。おそらく携帯電話に猛烈な握力が加わっているのだろう。
 白井黒子は尋ねてくる。
『まっ、まさか……あのままお姉様は腐れ類人猿とついに夜のデートを!? おのれあの野郎、雨の夜景を楽しむなんてまた随分と渋いチョイスを!!』
「違うわよクソ馬鹿ばか!!」
 美琴は思わず叫び返していた。
 しかし白井は聞いていないようで、
『くっ、こうしてはいられませんわ。お姉様の貞操を守るのはわたくし白井黒子の務め!!』
「てっ、貞操とか大声で言うな!」
『ならばより具体的に言うと』
「言うなッ!!」
 美琴は顔を真っ赤にして叫んだが、もう白井は完壁かんぺきに人の話を聞いていないらしい。スピーカーからマシンガンみたいに言葉が飛んでくる。
『ともあれそっちに行きます必ず行きますお姉様は今どこにいるんですのGPSサービス使うので認証用のコードメールを送ってくださ―――』
駄目だめですよー』
 初春ういはるの一言で白井しろいマシンガンが弾詰まりを起こした。
 さらに初春は続けてこう言った。
『ほらー、こっちの事務書類の束と会計書類の山と指示書類の山脈が全然終わってないでしょ。白井さん、今日は徹夜てつやと言ったら徹夜なんです。晩御飯のお弁当は買ってあるんで一歩も外に出ないでくださいお風呂ふろも駄目です』
『うがあああああああああああああああああああああああああああああああーっ!!』
『ひっ、ひぎゃあ? 白井さん、白井さん!!』
 電話の向こうでバタバタという音が聞こえる。
 携帯電話を若干じやつかん耳から遠ざけつつ、美琴みことあきれたように言った。
「ええと、じゃあ切るわよ?」
 錯乱さくらんしている白井に代わって、初春の方が返事をしてきた。
「あ、はい。白井さんはこっちで押さえておくので、その、がんばってくださいっ!!』
「だからデートじゃないわよ!!」
 美琴は全力で叫び返したが、向こうまで届いていないらしい。ドタバタという暴れる音が続いたと思ったら、そのままブツッと通話が切れてしまった。

     5

 上条当麻かみじようとうま打ち止めラストオーダーは柱の陰に隠れていた。
 明かりの消えたファミレス店内に、恐ろしいほどの沈黙ちんもくが満たされる。
 絶望的な三〇秒間だった。
 あまりのストレスに脳の構造が崩れるかと思った。
 しかし、柱の陰に隠れて息を殺している上条は、そこで異変に気づいた。
 いつまでっても男たちがやって来ない。
 ファミレスにみ込んできた黒ずくめの連中は、上条や

打ち止めラストオーダー

大雑把おおざつぱな位置を確認しているはずだ。ろくな武器も持っていない事だって分かっているだろう。銃器と装甲服で身を固めた集団が、わざわざ丸腰の高校生や女の子に警戒して、じっとしている訳がない。
(どういう状況だ?)
 安易に動くのは危険だという心と、
 早く動かないとチャンスを失うかもしれないという心が交錯する。
「……、」
 密着するほど近くにいる打ち止めラストオーダーが、心細そうにこちらのシャツを、ぎゅっとつかんできた。
 彼女の小さな手の存在が、かろうじて上条かみじようの平常心を守る手助けとなる。
 さらにそのまま三〇秒が経過した。
 目立った物音はない。
 割れた窓から雨が吹き込む音だけが、妙に上条の耳につく。
 息を殺す。
 目をつぶる。
 時を待つ。
 そして、動きがあった。

「ハッアァーイ♪ びっくりしちゃったカナ。怖がってないで出ておいでー?」

 聞こえてきたのは甲高い女の声だった。
 上条からでは、自分が盾にしている柱のせいで顔を確認できない。
 どこにいるかも分からない。
 ただ、
(何だ? これまでのヤツらと明らかに違う動きだ)
 さっきまで上条たちを追い詰めていた黒ずくめ達は、できるだけ自己主張をけ、音も声も出さずに最速でこちらを殺そうとしていた。言ってしまえば、可能な限り無駄むだを省いた、最低限の行動しか取っていない。
 それに対して、女の声は正反対だった。
 そもそも声を出して自分の存在をアピールする時点で、黒ずくめの行動パターンとは『合わない』。男女の区別どころか人間かどうかも分からない、影のような存在からは最も遠いコマンドのような気がする。
(となると、黒ずくめの仲間って訳じゃ、ないのか?)
 かと言って、安易に出て行くのも危険な気がした。そもそも声の主はだれなのだ。
「ハハッ。怖がってるなあ。ま、あんだけピンチってたら仕方がないでしょうけどね。でもさー、こっちにも事情があるからさー、あんまり言うコト聞いてくれないとー」
 女の声は笑いながら続ける。
 こちらの動揺や警戒などお構いなしといった調子で、あっけらかんとした声で、

「グッチャグチャの塊にすんぞコラ」

「ッ!!」
 上条かみじよう打ち止めラストオーダーの体を抱いて、とっさに柱の陰から飛び出すように床の上へ伏せた。
 ドッ!! という轟音ごうおんひびく。
 見えない一撃いちげきが、ついさっきまで盾にしていた柱を横にいだ。攻撃が当たったのは柱の中央らしく、くの字にへし折れた柱は、そのまま二つになって壁まで飛んでいった。あまりの速度に、砲弾のように壁を食い破ってバラバラに散らばる。
 建物全体がふるえた。
 骨組みそのものが崩れたのか、ガッシャアア!! と鋭い音を立て、黒ずくめの難を逃れていた店内のガラスがすべて砕け散る。
 上条は打ち止めラストオーダーかばったまま、視線を走らせる。
 明かりの落ちたメインフロアの中央に、女が一人立っていた。
 外からの街灯の光が、わずかにそのシルエットを照らしている。
 妙な女だった。
 服装は、中世ヨーロッパの女性が着ていたようなワンピースにも見える。髪は全て頭で束ねた布でおおわれ、毛の一本も見えなかった。顔は、口も鼻もまぶたにもピアスが取り付けられていて、バランスが崩れているほどだった。目元には強調するようなキツい化粧が欄ざれていて、威圧感が余計に増していた。
 そして、女の手。
 そこには、全長一メートルを超す巨大なハンマーが握られていた。グリップの中ほどから先端にかけては、鋭い有刺鉄線がグルグル巻きにしてあった。つかまれないための防御策か、それとも儀礼的ぎれいてきな装飾なのか。
(……、)
 確かになぐられれば痛いでは済まないだろうが、かと言ってサブマシンガンを手にして、装甲服で身を固めている集団に、あれだけで勝てるとも思えない。にもかかわらず、一体何をどうしたのか、黒ずくめの男たちは女の周囲に転がっていた。
 意識のある者は一人もいないようだ。
(これは……)
 サブマシンガンや装甲服で武装し、訓練を積んでいたであろう黒ずくめ達を、物音一つ立てずにどうやって無力化させたのだろう。
(似ている……)
 情報の不足が、不気味さをより強調させる。
(地下街を出た所で、バタバタ倒れていった警備員アンチスキル達とか……)
 分かるのは一つ、彼女もまた、上条達の味方ではないという事だけだ。
(さっき、ぶっこわれた車のそばで倒れてた黒ずくめの連中とか……ッ!!)
「お前は……」
 上条かみじようは低い声で尋ねながら、打ち止めラストオーダーの上から起きて、立ち上がった。
 対して、女は正体不明のハンマーを軽く揺らしながら、静かに告げた。
「『神の右席』の一人、前方のヴェント」
 ヴェントと名乗った女は、イタズラのように舌を出す。
「目標発見。まあそんなワケで、さっさとぶっ殺されろ上条当麻とうま
 舌に取り付けられた細いくさりがじゃらじゃらと落ちた。

 ―――その先端にあったのは、唾液だえきれた小さな十字架。

     6

 一方通行アクセラレータひそむ第三資源再生処理施設に、『猟犬部隊ハウンドドッグ』は音もなく侵入する。
 コンクリートの工場内に入ると、機械の音は想像以上に騒がしかった。
 こちらも切るべきだったか、とナンシーは少し考えたが、余計に作業量を増やしても時間の無駄むだだ。おそちく今の一方通行アクセラレータはろくに能力を使えない状態だろうが、心理的な余裕を取り戻させるような事態はけるべきである。
 ナンシーの周囲には五人ほどの同僚どうりようがいる。
 彼女たち誘導ゆうどう係であるため、できるだけ『大人数』である事を誇示しなくてはならない。ナンシー達がやたらめったら銃弾をち込む事で、標的が通路の奥へ逃げ込んだ所を別働隊が待ち伏せる―――そういう作戦だった。
 標的の通った大雑把おおざつぱな道は、先ほど同僚に預けた嗅覚きゆうかくセンサーで追尾できる。その上で室内を索敵していけば、まあ行き違いになるような事もないだろう。
(あと懸念けねんするべきは、銃か)
 嗅覚センサーでは、標的のにおいは路上にめられていたワンボックスを経由してから、この施設へ向かっていた。車内にはだれもおらず、予備の装備品を詰め込んだバッグがあった。ファスナーは開いていたから、もしかすると銃器を持っているかもしれない。
(いや、一方通行アクセラレータ射撃しやげき能力はそれほどじゃない。能力にたよりきりの生活を送っていたヤツが、訓練を積んでいる訳がない。こちらの方がずっと有利と考えるのが妥当ね)
 ナンシーはそう考えた。
(それにしても……)
 生産作業の大半を自動化しているためか、コンクリートの建物の中はエアコンなどもなく、蒸し暑かった。外は冷たい雨が降っているはずなのだが、絶えず動く巨大モーターの熱などが充満しているのだ。
 じりじりと少しずつ神経をあぶられながら、彼らは鋼鉄の通路をゆっくりと歩く。白々しい蛍光灯の明かりすら、熱を持っているように感じられた。
 緊張ビんちようしている。
 だから錯覚さつかくする。ナンシーはそう判断した。
 チラリと同僚どうりようの顔をうかがえば、黒いマスクでおおわれた彼らの動きも、若干じやつかんながらぎこちないというか、強張こわばっている。
 この施設は様々な要因で電波障害が起こる。
 一方通行アクセラレータの能力は通信設備の補助を受けているらしく、『暴発の危険があるため、一方通行アクセラレータはほぼ確実にこの施設内で能力を使わない』というのが木原数多きはらあまたの意見だった。
 ナンシーを初め、ここにいる『猟犬部隊ハウンドドツグ』のメンバーも、それは妥当だと考えている。これだけ制限が多い中では、滅多な事では能力は使わないだろう。強力な力であればあるほど、暴発のリスクは跳ね上がるのだし。
 しかし、逆に言えば『追い詰められれば暴発覚悟で使ってくるかもしれない』という鮒叙は消せない。
 本気になった一方通行アクセラレータを倒せるのは木原数多だけだ。
 ナンシーが扱う銃弾や爆弾では、文字通り歯が立たない。
(だから『向こうが追い詰められたと感じる前に殺す』のが鉄則)
 そのための誘導作戦だ。
 標的はこちらに警戒するが、奥へ逃げ込んだ事で気をゆるめる。その瞬間しゆんかんねらって別働隊が射殺する。それを成功させるためには、多少のリスクを負ってでも前に出て一方通行アクセラレータの注意を引きつける必要がある。相手は強大な能力を使えないとはいえ、銃を持っている可能性は高い。下手に陽動を演じる事だけに気を取られていては、頭をち抜かれる危険もある。
(それはまぁ、緊張はするだろう。ここにいる連中は、私を含めて『さっさと殺す』事にしか慣れてない。こんな事態を念頭に置いた訓練など受けていないのだから)
 兵隊にも種類がある。
 ジャングルでの活動に人質を巡る交渉術は必要ないし、都市型のスナイパーは無人島での生き方を覚えなくても問題はない。無駄むだを省き、その時間を別に回し、一つ一つの分野に特化した訓練法を採用するからこそ、とがった実力の特殊な部隊が数多く作られる。
 つまりナンシーたちの置かれている立場は、砂漠戦のために訓練を積んだ兵隊達が北極圏の雪山を歩かされるようなものに等しい。
(できるのか……)
 ナンシーは黒いマスクの下で、ごくりとつばを飲み込んで、
(……できなければ死ぬ)

 カキン、と。
 その時、小さな金属音が、ナンシーの思考をさえぎった。

「!?」
 ナンシーたちは一斉にそちらへ銃口を向ける。
 しかしそこにはだれもいない。隠れるようなスペースもない。ナンシーは体勢を保ったまま、すぐ近くにいる同僚どうりように、目と指を使ってコンタクトを取る。
「(……機材の出すものとは独立した音だったわね)」
「(……おれも同感だ。だが人がいるにしては、隠れる場所がない。何より有利なポイントとは思えない)」
「(……何か音の出るものを投げたという可能性は?)」
「(……だとすると、標的はすぐ近くにひそんでいる事になる)」
 全員に緊張きんちようが走る。
「(……ロッド。嗅覚きゆうかくセンサーは)」
「(……待て。今、分析が終わる)」
 鼓動が速くなる。引き金にかかる人差し指が小刻みにふるえた。皮膚ひふと手袋の間に、うっすらと汗が湿る。
 直後、

 ガチン、と。
 今度はすべての照明が一斉に落ちた。

 まるでタイミングを計ったような暗闇くらやみ
 光や音を使って緊張を促し、こちらを心理面からいたぶるための作戦。
 まずい、とナンシーは今さらながらに気づいた。
 ここでいたずらに引き金を引けば、密集している味方に被害が出る。銃口を上に向けようが、周囲は壁も天井てんじようも金属の塊だ。ばらかれた弾丸は辺りを跳ね返ってこちらにきばくだろう。
 銃の安全装置の事まで意識が向かない。
 このガチガチの指先を下手に動かせば、それだけで引き金を引いてしまうのでは、という考えにしばられる。一方通行アクセラレータはこちらが暗視装備を持っていない事にも気づいているようだ。
「(……待て!!)」
 とっさに目でコンタクトを取ったが、暗闇であるために相手に届かない。
 声で伝えるのが一番だが、それでは『敵』にこちらの居場所を伝える羽目になる。
 ドッドッドッドッ!! と心臓の鼓動が不気味にひびく。
 引き金の指が震える。
 引き金……銃声……暴発……とナンシーの頭にイメージが巡っていく。
 そこへ、バァン!! という巨大な音が炸裂さくれつした。
 心臓が止まるかと思った。
(くっ……あ……ッ!! あ、れは、スチームの排気音! ただの音だ!!)
 人差し指が動くのを何とかこらえ、これを起こしている標的を捜すために、さらに五感に神経を集中させ始めた所で、
「がっ!?」
 突然真横で低い声がひびいた。
 ゴトン、と人間の倒れるような震動しんどうが、床に接地した足から伝わってくる。
 つん、と鼻につく鉄のにおいが感じられた。
(ま―――ず)
 冷静になれば、単に暗闇くらやみの奥からスパナなどを投げられただけだというのが分かっただろう。トリックをトリックだと見破れれば、逆にそれだけ心の余裕を取り戻せたかもしれない。
 だが、
 その『冷静さ』を段階的に奪っていく事こそが、敵のねらいだった。
(あの野郎……能力だけじゃなく、人の恐怖すらも利用して―――ッ!?)
 ナンシーがそう気づいた時にはもう遅く。
 闇の中、全身に神経を集中させ始めた、まさにその時に。
 がつん、と。自分の肩に工具がもう一本、それほど強くもない勢いで飛んできて。
 自分でも自覚がない内に、思っていた以上に冷静さを奪われていた体は勝手に反応し。
 引き金にかかる指の震えが、一定値を超えて、

 複数の銃声が響き、さらに多くの鉄の匂いが充満した。

     7

 真っ暗闇のファミレス店内は、異様な緊張きんちように包まれていた。
 上条当麻かみじようとうまは、ヴェントと名乗った女と対峙たいじしている。
(ちくしよう。次から次へと……)
 この女が魔術まじゆつ勢力の人間なら、先ほどと違って幻想殺しイマジンブレイカーの出番となる。しかし、だからと言って安心できる訳がなかった。ヴェントの実力が本物なら、彼女はサブマシンガンで武装した四人を声もらさず一瞬いつしゆん繊滅せんめつできる腕前を持っているのだ。幻想殺しイマジンブレイカーうんぬんの前に、瞬殺される危険すらある。
 それに。
 倒れている黒ずくめたらの様子をじっくり見た訳ではないが、怪我けがも出血もない状態は、今までさんざん見てきた『意識のない人達』とあまりに酷似している。もしもこの二つが同一のものだとすれば、学園都市全域の都市機能を麻痺まひさせているのはまさに目の前のヴェントなのだ。
 たった一人で科学サイドの頂点をつぶしにかかる女。
 そう考えると、目の前の人物の危険度は黒ずくめ達の比ではない。
緊張きんちようしなくても大丈夫だいじようぶダヨ?」
 じゃらじゃらとくさりを揺らしながら、ヴェントは告げた。
「痛みなんて感じるヒマもないんだから」
 ヴェントは、右手に持っている有刺鉄線つきのハンマーを無造作に振った。
 横殴よこなぐりの一撃いちげき
 上条かみじようまでの距離きよりは、軽く五メートル以上もはなれているはずだったが、
「!!」
 悪寒おかんおそわれ、今までかばっていた打ち止めラストオーダーを突き飛ばし、とっさに身をかがめた上条の真上を、何かが突き抜けた。その正体は細かい破片をみ込んだ風の塊だ。空気を食い、壁を破り、細かい残骸ざんがいを中心部に呑み込み、透明から鈍い色に変わり、空気の鈍器が右から左へ、広範囲にわたって突き抜ける。
 ガゴン!! と建物全体が斜めに傾いた。
(ハンマーを振り回して、飛び道具をち出す魔術まじゆつか……?)
 血の気が引いた上条の耳に、パラパラという欠片かけらが降る音が聞こえる。
 周りには一般客も倒れているという事を、全く気に留めていない動きだった。
「隠れてろ、打ち止めラストオーダー!!」
 突き飛ばされた状態から起き上がろうとした打ち止めラストオーダーに、上条は叫ぶ。彼女が四角い柱の陰へ移動するのを確認しつつ、
(何なんだよ、黒ずくめといい、この女といい……ッ!!)
 上条は歯噛はがみしたが、当然それでヴェントが止まる訳がない。
 ヴェントはさらに、後ろに下がりながら二度、三度とハンマーを縦に横にと適当に振っていく。じやらんじゃらん、と舌につながる鎖が振り回されるように揺れていく。ハンマーの軌道は、いずれも舌の鎖をかすめるような危うい軌道だった。現に数回、オレンジ色の火花が散っている。ほんの数ミリねらいがズレれば舌と鎖とを繋ぐピアスを引き千切ちぎるはずだが、ヴェントの表情には余裕さえある。
 ヴェントのハンマーが、空気を引き裂いていく。
 ゴッ!! という爆音が耳を打った。
 破壊はかいあらしが巻き起こる。
 ハンマーは、重たい鉄球を飛ばすバットのようなものだった。テーブルが吹き飛び、床がめくれ上がり、倒れている黒ずくめたちの手足が飛んで、ぐったりしている客の上にボトリと落ちた、上条かみじようの頭はカッとなったが、自分の方へ飛んでくる風の鈍器に対処するのが精一杯だった。
 ドン!! と、上条の右手に触れた途端、空気の鈍器ははじけて消える。
 幻想殺しイマジンブレイカー
 あらゆる異能の力を打ち消すこの能力がなければ、彼の体はとっくに砕けているだろう。
 風の塊は、ただぐ飛ぶだけではない。右や左からカーブを描いて上条の進路をふさぐ事もあれば、足を止めた彼の頭上から真下へ突き落とす一撃いちげきもある。
「ハハッ、流石さすがはウワサの右手。よく頑張ってついてくるねぇ!!」
 ヴェントは笑いながら、ハンマーを上から下へと思い切り振り下ろした。それに伴って、破壊はかいの風が巻き起こる。
(縦か!!)
 上条は慌てて右手を頭上に掲げたが、
 風の塊は、右から左へと横へ一気に突き抜けてきた。
「……ッ!!」
 上条の全身から冷や汗が噴き出す。とっさに背中を反らし、上半身だけを後ろへ下げる。ゴオッ!! という嫌な音が顔の前を突き抜け、鼻先の皮膚ひふがわずかに削り取られた。
 真横の壁が、ベゴン!! と音を立てて砕け散る。
 ただでさえ斜めにズレていた天井てんじようが、さらに危うい震動しんどうを発した。
(何だ? ハンマーと攻撃の軌道がズレてる……ッ!?)
 上条の頭に疑問がくが、ヴェントがいちいち答えるはずがない。
「ぎゃははははははっ!! たっのしぃーい!!」
 動きに合わせてヴェントの舌についた長いくさりが左右に揺れる。
 その先端に取り付けられた十字架が、ギラリと不自然な光を放った。
 チカチカと、二度三度にわたって点滅が続く。
 そこでヴェントは、あてが外れたといった顔でまゆをひそめた。
「なるほどなるほど」
 ゴンガンバギン!! と轟音ごうおんを立て、次々と荒い風の攻撃を打ちながらヴェントは興味深そうにうなずいた。完全にあしらわれている。五メートルの距離きよりが詰められない。
「幻想殺し、って言ったっけ? その右手、報告にあった通り効き目バツグンみたいねぇ。所々に織り交ぜてる私の『本命』が全く効いてないわー」
 本命? と右手を振り回しながら上条は相手の言葉について考える。
 幻想殺しイマジンブレイカーの報告があった、というのも気になる。ローマ正教の中で、上条当麻とうまの重要度が変わってきているのかもしれない。
「しっかし、こんだけじゃ良く分からないし……よし、試してみるか」
「?」
「こうすんだよっ!!
 ヴェントは腹の底から叫ぶと、手にあったハンマーを手前から横方向に振るった。
 ボッ!! という轟音ごうおんと共に、空気の鈍器が生み出される。
 上条かみじようからねらいを大きくらし、テーブルに突っ伏したまま気を失っている一般客へと。
「テメェ!!」
 とっさに、飛び込むように右手を突き出した。客の頭のわずか手前で空気の鈍器が右手の先に触れ、四方八方へ吹き飛ばされる。その一撃いちげきには、ゾッとするほどの威力が含まれていた。
 頭のしんまで通る怒りが上条をおそう。
 それを眺めて、ヴェントは興味深そうに目を細めた。
「……へぇ、そうなってんのねえ。意外に使い勝手は悪そうに見えるけど?」
 戦力調査か、と上条は思った。
 ヴェントは幻想殺しイマジンブレイカーの具体的な効果範囲でも調べているのかもしれない。
「すみませーん」
 今の所、攻撃は防ぎ続けているが、ヴェントの顔にあせりはない。
「なーんか痛みを感じる間もなくってのは無理みたい。コイツは直接ぶっ殺さなくっちゃあ、ね。意識が残ってると無茶むちやイタイっつーか、こりゃショックで死ぬでしょうね。だから幸せに

なりたかったらマゾにでも目覚めてね?」
 じゃらん、というくさりこすれる音が聞こえた。
 ヴェントの舌についた鎖が、彼女の動きに流されて、右から左へ弧を描いていた。ヴェントはその鎖にかすめるようにして、ハンマーを縦方向に思い切り振り回す。
 バヂッ! とオレンジ色の火花が散った。
(ッ!? さっきっから)
 それを吹き飛ばすように、右から左へ戻るカーブの軌道で空気の鈍器がおそいかかってくる。
(ハンマーの動きと攻撃こうげきの動きがズレてやが―――)
 舌に取り付けられた鎖の軌道をなぞるように。
(このパターン!?)
 そちらに誘導ゆうどうされるように。
「まさか……その鎖の十字架!!」
 上条かみじょうは右手で風の武器を握りつぶしながら叫ぶ。
 応じるようにヴェントは笑った。
「やーん、バレちゃったーっ!?」
 さらに十字架のアクセサリをつけた長い鎖が縦横無尽に軌道を描いていく。ヴェントが鎖に掠めるようにハンマーを振るたびに、鎖のラインをなぞるようなルートを辿たどって空気の鈍器が飛んでくる。
(ちくしょう! 分かっていても防ぎづらい!!)
 衝撃波しようげきはを生み出す大振りなハンマーの軌道に、ついつい反応しかけてしまう。しかし実際には、ハンマーと鎖の動きはそれぞれ違っていた。上から振り下ろされたと思えば鎖はカーブのラインを描いているし、真横にハンマーが振るわれたと思えば鎖は下から上へ向かっている。
『攻撃のモーション』と『実際に飛んでくる攻撃の方向』がそれぞれズレているのだ。少しでも視覚をだまされれば、反応が遅れて体を切断されてしまう。
「くそっ!!」
「あらん。何だか面倒臭くなってきちゃったなオイ」
 ゴッ!! と、一層強く風の鈍器が襲いかかってきた。
 その上、鈍器は直接上条をねらわず、わずか手前の床に落としてきた。床材がめくれあがり、大量の木片へと変貌へんぼうし、鋭い破片となって上条の体に襲いかかる。
「ぎっ、ァァああああああッ!?」
 一ヶ所を刺されるというより、全身をたたかれた。
 上条は後ろへ飛ばされる。そのままゴロゴロと転がっていく。
 痛みに朦朧もうろうとする頭を振って、必死に意識を回復させる。
 いつの間にか、打ち止めラストオーダーのすぐ後方まで押しやられていた。
 ハッと、上条かみじようは床から顔を上げる。
 柱の陰に隠れていたはずの打ち止めラストオーダーが、立ち上がってこちらへ駆け寄ろうとしている。
「逃げろ!!」
「んふ」
 上条の絶叫に、ヴェントは楽しそうに楽しそうに笑った。
 彼女の攻撃こうげきなら、柱ごと打ち止めラストオーダーたたつぶすのも難しくはない。
 打ち止めラストオーダーは動かない。動けないのか、自分の意思で動かないのか、上条には分からない。
 このままでは、彼女の小さな体はグチャグチャの肉に変わってしまう。
「くそっ!!」
 上条は床から走り出すと、突っ立っている打ち止めラストオーダーを床へ突き飛ばした。彼女が倒れるのと、ヴェントの攻撃が放たれるのは同時だった。生み出された空気の鈍器は容赦ようしやなく柱をへし折り、。そこで上条の右手に打ち消される。それでも大量の破片がき散らされた。
 ここはもう危険だ。
 打ち止めラストオーダーを一刻も早くここから避難ひなんさせなければ。
「行け!! 早く!!」
 上条は叫んだが、打ち止めラストオーダー呆然ぽうぜんとしながらも、首を横に振った。
 見捨てたくはないのだろう。
「早く!! 助けを呼んできてくれ!!」
 だから上条は、かなうはずもないいつわりの目的を与えた。
そこまで言われて、彼女はようやくふらふらと立ち上がった。しかし、転んだ拍子にボケットの中身が散らばったらしい。床に、オモチャのように見える甘い味のグロスや可愛かわいらしい子供用の携帯電話が落ちているのを見て、打ち止めラストオーダーはもう一度かがみそうになり、
「拾うな!!」
 上条の絶叫に、彼女はビクッと肩をふるわせて、小さな足で走っていった。割れた窓から道路へ出て行く。その背中は焦燥しようそうに駆られ、ほとんど自失しているようにも見えた。
 ヴェントが有刺鉄線を巻いた巨大なハンマーを小柄な少女へ向けた。
 しかし上条は回り込むように、打ち止めラストオーダーとの直線をふさいだ。その間に、建物が鈍く震動しんどうする。
あちこちの柱を砕かれたせいか、天井てんじようが一気に斜めに崩れかける。打ち止めラストオーダーが出て行った一面のウインドウが、落ちてきた天井に潰され、塞がれた。
 標的を一人逃したヴェントだが、その顔に苛立いらだちはない。
 むしろ愉快そうに笑いながら、上条に話しかける。
「アンタって残酷ねぇ。あーんな小さな子供にとって、暗闇くらやみの中をあてもなく逃げ続けるって相当の重荷だと思うけど。恐怖でガチガチになってこわれ始めてるかもね」
 巨大なハンマーを揺らし、
「そんな目にわせるぐらいなら、一緒いつしよに殺してあげた方が幸せなんじゃなーい?」
 その声に、上条かみじようは思わず床につばいた。
 コイツは最悪だ。
「……重荷なんか背負わせねえよ」
 改めて右手のこぶしを握りめ、彼は告げる。
 楽しそうに笑っているヴェントに向けて。
おれが迎えに行けば何の問題もねえ。だから俺は死なない」
「アラ楽しい♪ でもでも、五臓六蔚こぞうろつぶをシェイクして人肉ジュースにしてもおんなじセリフを言えるかしらーん?」
 ハンマーを振り回す鈍い音がひびく。舌のくさりがじゃりりと揺れる。
「まぁ、こっちの標的はアンタなワケだし、異教の猿にわずらわされんのもムカつくし。素直に逃げないってんならねらいやすくて大助かりなんだけどさぁ!!」
 さらに複数の風の鈍器が吹き荒れ、ファミレス店内が無造作に破壊はかいされていく。

     8

 照明のない工場の中、一方通行アクセラレータは息をひそめている。
 こちらの作戦は、最初の手さえ整えてしまえば、後はこちらのものだった。
 一方通行アクセラレータはワンボックスの中からいくつかの装備を奪っている。その内の一つがつえ代わりのショットガンであり、もう一つが小さな無線機だった。
 これも作戦に使える。
 現在敵の集団は暗闇くらやみの中での同士討ちを恐れ、それぞれバラバラに散らばりながら無線で連絡を取り合っていた。一方通行アクセラレータはその中に紛れ、雑音混じりの声で『味方』を演じ、さらにデタラメな情報交換を行って敵の連携を切り崩していった。向こうもすぐに一方通行アクセラレータが割り込んでいる事には気づいたようだが、飛んでくる声のどれが仲間のもので、どれがダミーなのか、区別する方法がない。結果として、連中は『すべての声』に対して疑惑を深めていく。
 無線が使えなければ、味方の現在位置も分からなくなる。
 敵は人影を発見しても、『同士討ちを恐れる(または同士討ちされる事を恐れる)』ため、標的を狙う速度は鈍り、味方間での連携は途切れていく。これに対し、一方通行アクセラレータはただ『人影は全て敵』として行動すれば良い。これが彼にとって大きな利点となる。
猟犬部隊ハウンドドッグ』の脅威は『銃器』と『集団』にある。
 今の手で、すでに相手はその両方をほとんど失ったと言っても問題はない。
 能力を使わない、この手の恐怖をあおる戦術は一方通行アクセラレータにとって今日が初めてだったが、相手は面白いほど引っかかった。やはり、恐怖というのは人類共通のものなのか。路地裏では、
一方通行アクセラレータは何もしなくても恐怖の象徴として君臨していた。そのやり取りを少し真剣に煮詰めて利用しただけで、これだけの大成果だ。
 やつらはもう敵ではない。
 ただの動く的だ。
(さて)
 無線と恐怖によって、奴らはバラバラに寸断され、各々おのおのが孤立している。ここで暴れても、援軍が駆けつけるまで数分間の余裕があるだろう。周りを気にする必要は、ない。
 一方通行アクセラレータ暗闇くらやみひそみながら、口元に笑みを張り付かせた。
 その視線の先には、仲間とはぐれて一人きりでビクビクと索敵している獲物がいる。

(腹ァいっぱい喰わせてもらおうか、丸々太ったケモノども)

 標的との距離きよりはおよそ一五メートル。
 ショットガンは近距離なら近距離なほど威力が増す。そういう点では、この距離はまだ最上とは言えないが、一方通行アクセラレータは壁に背を預け、つえを床からはなすと、適当にねらいを定めて発砲した。
 ゴン!! と。
 耳を破裂させるような轟音ごうおんと共に、衝撃しようげきが肩をつぶしにかかる。予想通り散弾は標的にぶつかる前にあちこちへ散らばった。しかし周囲にあるのは。硬いコンクリートや金属プレート。複数の弾はピンボールのように跳ねると、様々な角度から黒ずくめに激突した。
 絶叫がひびく。
 暗闇の中、液体を|撒き散らして、人聞のシルエットがアクション映画のように回転した。一方通行アクセラレータはそれを確認してから、ショットガンを杖代わりに黒ずくめへ近づいていく。
 そいつは腕をやられたようだった。
 右腕をショットガンの弾丸にやられ、回転しながら床に落ちたため、もう片方の手もひねったらしい。
 手にしていたサブマシンガンが遠くへ滑っている。予備のハンドガンを抜こうとしているようだが、両腕が潰されているため、思うように武器を取れない。
 無様な芋虫いもむしだった。
 一方通行アクセラレータは近くの壁に手を掛け、黒ずくめのほおに横からショットガンの銃口を押し付ける。
「じょ、冗談でしょ……?」
 意外にも、声は甲高い。よくよく見れば、黒ずくめの格好でも女性的なラインが分かる。
「冗談? そーォだなァ」
 どうでも良いか、と一方通行アクセラレータは適当に切り捨てて、
「新ネタだ」

 引き金を引いた。
 ドバン!!という鈍い発射の衝撃しようげきに、一方通行アクセラレータの体が耐え切れずに後ろへ転がった。片手でコつつよォな銃じゃねェな、と思った。頭を振りながら起き上がると、目の前で黒ずくめの女がのた打ち回っていた。
「おっ、おふっ、ぼぅぅああああああああああッ!?」
 つぶれかけた両手で口を押さえているのだが、その両手が妙に顔の奥まで澱っていた。誕から下をショットガンで横に吹き飛ばされたからだ。その手をどければ、上の歯だけがズラリと並んでいるのが分かるはずだった。
 一方通行アクセラレータは、自分のほおに温かいものが付着しているのに気づいた。
 舌を動かして口に含み、唾液だえきと共に咀嚼そしやくする。 肉の味がした。
「あは」
 思わず笑みがこぼれる。
 戦闘せんとう不能の女にいっぽでも時間を箭く必要はない。一方通行アクセラレータとしては、早くここを立ち去るべきだ。銃声を聞けばほかの『猟犬部隊ハウンドドツグ』がやってくる。彼らに見つかり、正面から弾丸を撃た

れる展開は望ましくない。あくまで暗闇くらやみひそみ、獲物を一人ずつつぶしていくのが最善だ。だから立ち去った方が良い、と一方通行アクセラレータは思う。一刻も早く。
 だが。
 ショットガンをつえの代わりにして、彼はふらふらと立ち上がった。
 何だかタノシクなってきた。
 駄目だめだと思っているのに、はじけるようなカイホウカンを抑えられない。
 彼はくちゃくちゃぺちゃぺちゃと口を動かしながら、あごを吹っ飛ばされた女の前に立つ。
「……おーおー、おしゃぶり上手なツラになりやがって」
 ビクッと、顔の下半分が消えた女がこちらを見る。
 今、自分がどんな顔をしているか、一方通行アクセラレータには想像もつかない。
「どのツラ下げて生きてンだァ! ふざけンじゃねェぞコラ!!」
 ともあれ、床をっている女の腹を蹴飛けとばす事にした。
 ドンゴンガギッ!! という鈍い音が連続する。五回蹴って一〇回蹴って一五回蹴って二〇回蹴って、としている内に、不意に女の体が暗闇にフッと消えた。
 見ると、そこは金属加工用のプレス機のようだった。
 がけのようになっていて、ここからベルトコンベアを通じて鉄製品などを落としていき、プレスして固めるらしい、深さは三メートル程度、広さは一〇メートル四方といった所だった。すでに空き缶やスチール製の棒などが山積みにされている事を考えると、実際にはもっと深さがあるのかもしれない。
 女は三メートル下でもがいていた。
 両腕を傷つけられ、顔の下半分を吹っ飛ばされた無様な人間。
 それを見ても、一方通行アクセラレータは哀れみを感じなかった。
 チラリとプレス機投入口の隅へと視線を投げる。ほとんどの設備はコントロールルームで制御しているはずだが、一応手動の設備もあるらしい。壁際かべぎわには、いかにもそれらしい大きなボタンがあった。
 女も、一方通行アクセラレータが何を観察しているのかを理解したらしい。
 頭上の投入口を見上げながら、何かを懇願こんがんしている。
「あふぇ、あふへ、ふぁらはへ……」
「悪りィなァ」
 一方通行アクセラレータさえごるように一言謝って、

だれェ敵に回したか分かってンのかオマエ」

 ダン!! と。
 てのひらを壁にたたきつけるように、大きなスイッチを押した。
 そこには一切の容赦ようしやがない。
 こうん、という鈍い鈍いモーターの作動音が、施設中にひびき渡っていく。
「さアって……」
 一方通行アクセラレータは、もはやそちらを眺めずに、熱い吐息をらしながら排徊はいかいを再開する。
「次のエモノは、どこで迷子になってンのかなァ……」
 口元には、ぱっくりと左右に引き裂かれた笑みだけがあった。

     9

 ヴェントの攻撃こうげきで、ファミレスの店内が次々と破壊はかいされていく。
 上条かみじようが追い詰められるまでに時間はかからなかった。
彼は血まみれになって、崩れた壁に背中を預けている。いかに幻想殺しイマジンブレイカーで直接的な攻撃はすべて防げるとしても、彼はこわれた床やテーブルの破片ははじけない。
 結局、狭い店内では上条の取る道も少なくなってしまう。
 一点に追い詰められれば、もう右手で防ぎ続けるしかない。ヴェントの攻撃回数はそれほど多くもないが一発一発の軌道が複雑で、そちらを読んで行動しなければならないため、どうしても上条の手は遅れ気味になってしまう。
 単純な破壊力なら超電磁砲レールガン御坂美琴みさかみことに劣るだろう。上条が美琴をあしらってこれたのは、地形的な問題もある。彼女とやり合う場合、上条は絶対に狭い場所は選びたくない。好き勝手に動き回り、自由自在に逃げ回れる広い場所でないと向き合おうともしない。
 そうでないと、あっという間に追い詰められてしまうからだ。
 しかし、このつぶれかけたファミレスには、
(……ほかにも、倒れてる人たちが……)
 正体不明の攻撃を受けて、あちこちに客やウェイター達が意識を失ったまま転がっているのだ。ヴェントの攻撃を直接受けるのはもちろん、建物ヘダメージを与えすぎても、天井てんじようが落ちて全員を潰してしまう恐れがある。
 上条は必要以上に周りへ気を配りすぎていた。
 そしてヴェントの目にも、それが明らかに見えすぎていた。
「やっさしいわねー」
 くすくすと笑いながら、ヴェントは巨大なハンマーを水平に構える。
「自分の心配しなくて良いのかしら。ほら♪」
 ビュッ!! と軽々しい仕草で武器が振るわれる。
 ヴェントの舌についたくさりは、上条の顔から横にれる軌道を描いていた。
 風の鈍器は上条かみじようから照準をわずかに横に曲げていた。上条が手を伸ばしてもギリギリ届かない辺りへ、わざわざ調節して。
「ッ!!」
 上条が全力で跳び、客の一人にぶつかる直前で右手ではじく。
 今度はヴェントが反対方向へ風の鈍器を放つ。
 バレーボールのレシーブ練習のように、上条の体は翻弄ほんろうされる。周囲の客へと次々と弾を飛ばし、それでいて時折フエイントで上条自身に目がけて一発がおそいかかる。ムチャクチャな動きを要求され、息が上がる。彼の体に残されていたスタミナが、あっという間に奪われていく。
「テメェ!!」
「んーふふー? 今さら熱くなってどうすんのよ。学園都市が今どうなってっか分かってんでしょ。私が他人を気にするような性格なら、最初っからあんなマネはしないわよん」
「くそっ!!」
 まさかと思うが、これだけ派手な事すべてが、上条当麻とうま一人を殺すために起こされたとでも言うつもりなのだろうか。
 いくら何でもそれはないと思った。
 たかが一介の高校生を一人殺すのに、これでは大規模すぎる。
「自分の価値に気づきなさいなー」
 ヴェントは気軽に言いながら、さらに巨大なハンマーで空気をぐ。
「私の目的は上条当麻。それ以外は全部おまけ。あの禁書目録ですら、アンタに比べりゃ軽いってコトよ」
 あっさりと、彼女はそう告げた。
「今のアンタは間違いなくローマ正教の敵。そして我々はどんな手を使ってでも敵を殺す。極端な発言をしてあげよう。我々は、日本という一国家を消滅させてでもアンタを殺すわよ。……と言っても、その右手の事を考えると、私のいつものパターンは使えなさそうだけど。何せ、直接殺さなくちゃならないみたいだしね」
 言いながら、ヴェントは手品のように取り出した書類をヒラヒラと振った。
 何らかの命令書かもしれないが、暗がりでは読めない。そもそも日本語で書かれているのかも怪しい。
「この通り、ローマ教皇じきじきのサインつき。アンタは二〇億人からねらわれる身なのよ」
 何だそれは、と上条は相手の台詞せりふ愕然がくぜんとした。
 ここでローマ正教という言葉が出てきた事に対しても、自分一人のために国家を一つ歴史から消すという、あまりにもスケールの違う話についても。
 これまでは、上条当麻は『何らかの事件の中心に自分が巻き込まれていく』事が多かった。彼自身を中心として事件が起こるのは、八月三一日のアステカの魔術師まじゆつしの時以来か。
 慄然りつぜんとする上条かみじように、ヴェントは書類を再び手品のように隠し、
「冗談に聞こえるカナ? そんじゃ、冗談じゃ済まないコトをやって目を覚ましてあげよう」
 ヒュン、とハンマーを構え直し、ヴェントは微笑ほほえむ。
 舌の先につけられたくさりが動き、十字架が左右に小さく揺れていた。
「何を……ッ」
「これから店内にいる人間全員を殺す」
 上条の息が詰まった。
 ヴェントはニコニコと微笑みながら続ける。
「そっちの方がアンタが苦しみそうだから。そんなつまんない理由だけで皆殺しにしてやる。そこまでやれば、いい加減にアンタだって事情をみ込めるでしょ」
「やめろッ!!」
 上条は状況を無視して、思わずヴェントの立つ方へ走り出した。彼女は笑いながら後ろへ下がる。下がりながら、首を大きく振った。じゃりり、という金属がこすれる音と共に、舌に取り付けられた鎖が、ヴェントを取り囲むように螺旋らせんを描いた。
 この状態でハンマーを振るえば、ヴェントを中心に破壊はかいの渦が巻き起こる。
「吹っ飛べコラ!!」
 咆哮ほうこうと共に、ヴェントの右手が動いた。
 ゴッ!! という轟音ごうおんひびく。
 明かりのない廃嘘はいきよのようなファミレス店内に、鉄のようなにおいが充満した。

     10

 暑苦しい工場の暗闇くらやみの中に、短い呼吸音が鳴る。
 物陰に隠れている『猟犬部隊ハウンドドツゲ』のヴェーラは、ぜれからも『何でこんな所へちたのか想像がつかない』と言われるような女性だった。明るく、人懐ひとなつっこく、それでいて他人との距離ヨよりの測り方にも失敗しない。頭脳労働、肉体労働ともにそつなくこなす。そういう人間だ。
 彼女にも彼女なりの事情があるのだが、そういった事を他人が興味を持っても、上手くかわすだけの話術があった。
 ともかく『猟犬部隊ハウンドドツグ』というクズみたいな集団の中で、それなりの良識を持っていたヴェーラは他人との協調を求めていた。互いが互いをさげすみ合うあの集団の中で、そういった行為は浮いていたのだが、ヴェーラは少しでも『仲間』と信頼しんらいを築きたかった。
 だが、
(……無線がやかましい)
 悲鳴や救援を求める声がひっきりなしに聞こえてくるが、ヴェーラの反応は億劫おつくうそうなものだった。その内のどれが本物でどれがわなかも分からない。仲聞を助けると言って単独行動を取ったケインズとは、あれから連絡が取れない。迂闊うかつに答えるのは危険だという事だ。
 もうだれも信じられない。
 ゆっくりと築いていこうと思っていたものは、すべて今この場で崩れ去った。
「う……」
 思わずヴェーラの口から鳴咽おえつれる。
 とにかく一度この施設から出て仕切り直した方が良い。出口にも罠がある、とロッドが無線で言っていたが、逆にその手の警戒報告は怪しい。あれは本当にロッドだったのか。多少のりスクを負ってでもここを出るべきだ。ここにいる『仲間』を置いてでも。全滅をけるために。
(最悪だ……。最悪の一日よ……)
 ふらふらとおぼつかない足取りで、ヴェーラは出口を探し始めた。もう戦意はない。必要以上の緊張ぽんちようが、かえって彼女の集中や思考をぶっ切りにしていく。
 と、そこで気づいた。
(無線が……)
 あれだけさわがしかった無線から、いつの間にかサァーッという一定のノイズしか返ってこなくなっていた。余計に場を混乱させると思って今まで無線で発言はしなかったのだが、ここにきて急に心細くなってきた。ヴェーラはスイッチを押して、唇を寄せる。
「こちらヴェーラ、ヴェーラ。状況の報告を。オーバー」
 尋ねても返事はなかった。
 ドッと汗が噴き出る。自分の無線も偽物にせものだと一蹴いつしゆうされてしまったのか、それどころか、まさかすでに全員が一方通行アクセラレータ餌食えじきになったのでは、などと最悪の連想が頭をよぎる。
(いや、それとも)
 思考の逃げ道を探していたヴェーラは、別の可能性を思いつく。
(私と同じで、すでに生き残った全員は一度外へ退避たいひしたのかも。施設の壁は分厚いから、中と外での電波の遮断率しやだんりつが大きい。みんなが外に出てしまえば、こちらの電波は届きにくいはず)
 その場合、ヴェーラは『仲間』から見捨てられた事になってしまうのだが、そちらの方がまだマシだと思った。こんなゴミ処理施設で「仲間』が全滅したのに比べれば。
(そうよ。『猟犬部隊ハウンドドツグ』がこんな簡単にやられるはずがない。一方通行アクセラレータが取った暗闇くらやみ戦術は、完壁かんぺきな闇の中でなければ効果がない。月明かりの下なら、私たちは無線がなくても敵味方を区別できる。なら、施設の外に出て応対した方が効率的だわ)
 そうと分かれば自分も安全な外へ出た方が良い。
 ヴェーラは自分の中で結論付けると、今までよりも若干じやつかん力強い足取りで出口を探す。
 自分にはまだ希望がある。
 みんながもう一度集まれば一方通行アクセラレータだって怖くない。 そう思っていたからこそ、

 プレス機につぶされている自分の同僚どうりようを見た瞬間しゆんかん
 ヴェーラの思考はグルリと回って、一気に恐慌状態におちいった。

 厳密には、ヴェーラからでは『潰れている同僚』はダイレクトに見られない。彼女の目に映っているのは、ただのスチール用品をプレスして塊にするための設備だった。床から三メートルぐらい掘り下げてある区画がある。左右の長さは大体一〇メートルぐらいか。
 プレス用の分厚い鉄板が落ちていた。
 にもかかわらず、その鉄板の向こうから呻き声が聞こえるのだ。
(……ナンシーっ!!)
 なまじ仲間思いであるが なまじ仲間思いであるが|故ゆえの間にもギチギチミシミシと音を立てて、分厚い鉄板はゆっくりと下に向かい続けている。
「う、うああ。うああ、ああ、あッ!!」
 ほとんど錯乱さくらん状態で、壁にあったボタンにてのひらたたきつけた。ガグン、という音と共にプレス機の動きがようやく止まる。
 うめき声はまだ続いていた。
 この鉄板からの圧迫に、生身の人間が耐えられる訳がない。おそらくナンシーが生きているのは、床一面にプレスを待っていた金属パーツがき詰められていたからだろう。ナンシーの体は、金属パーツの山というクッションに沈んでいる状態なのだ。
 それでも死にそうなのは間違いない。
 いっそ、簡単に死ねなかった分だけこちらの方がつらいのかもしれない。
 壁にある別のボタンを押せば、鉄板は上に戻る。
 それでナンシーを助けられるかもしれない。
 だが。
 そのボタンの表面に、何かがべったりとこびりついていた。自動販売機の横にあるゴミ箱のような、黒っぽい粘液だ。ボタンを押すには、その汚れに触れなくてはならない。
 汚れの正体が人聞の血と肉であっても。
 グチャグチャに潰れた骨と皮膚のついた細かい肉がそのままこびりついていたとしても。

「―――ぁ、は?」
 意識の細い糸が切れた。
 ぶちん、という小さな膏が聞こえた気がした。
「うがぁ!? ぎゃあ!! ぎゃああああああああああっ!!」
 ヴェーラはのどが裂けるほどの勢いで叫ぶと、全力で後ろへ下がった。もうこれ以上は耐えられなかった。今までの自分を作っていたものがボロボロに崩れる感覚を確かに得ていた。水滴の一粒でも肌に落ちたら、そのショックで絶対に死ぬと思った。
 そんな状況で何かに足を取られ、ぬめった感触と共にヴェーラは尻餅しりもちをついた。
 足元を見ると、そこにはぶよぶよした一掴ひとつかみほどの肉がへばりついていた。
 グチャグチャになっているが、どう考えてもそれは人間の下顎したあごだ。
「うわあぁああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
 振り払って逃げようとした。
 しかし闇雲やみくもに視線を動かそうとした所で、別の同僚どうりようと出会った。いや、出会った、と表現して良いかは分からない。体を太い針金で固定された上、切断された蒸気パイプから噴き出した高温のスチームを浴びせられて高温のスチームを浴びせられて|茄かはなぞだ。
 吐潟物としやぶつが噴き出した。
 顔をおおうマスクが邪魔じやまになってを漏らしながら、しかしヴェーラは不快感を気にしている様子もない。それどころではない。
「ひっ、うあ、ああああああああああ……」
 うすく薄く伸ばしたような声が、自分の口から延々と漏れる。
 ヴェーラは沈黙ちんもくした無線機を見る。
 こういう事だったのだ。
 沈黙が示す意味は単純だ。作戦も何もない。巻き返しも逆転の策もない。おそらく施設の外に出た同僚など一人もいない。『猟犬部隊ハウンドドツグ』の面々は全員が全員、こういう風に第三資源再生処理施設の不気味なァトラクションに巻き込まれて全滅したのだ。おそらく今の自分のように、精神面からボロボロに追い詰められ、まともな判断能力すら奪われ、呆然ぽうぜんと立ち尽くしている所をもてあそぶように料理された。
 ヴェーラの手から握力が消えた。
 無線機とサブマシンガンがゴトンと床に落ちる。ヴェーラ自身も、ひざから崩れ落ちた。
 自分は一体だれと戦っている?
 これまでの一方通行アクセラレータは、わざわざ武器など使わなかった。地形なども考慮こうりよしない。すべての障害を自分の超能力だけでぎ払って前進するだけだった。ゆえに、能力を制限されている今なら戦略次第でいくらでも倒せる相手だとばかり思っていた。
 しかし、今はもう違う。
 武器を使う。建物も利用する。こちらの心理を先読みし、最も効率的に掩乱かくらんする方法を編み出して実行する。単純に怒りに任せてたたき殺すだけでなく、相手に最大の精神ダメージを与えられるなら、殺さないという選択肢まで採り始める。
 恐るべきはその精神的な成長速度だ。ただ能力にたより切っただけの子供ではなくなった。持てる物をすベて利用して人を殺すようになった。今の時点でも十分な脅威である一方通行アクセラレータは、おそらくこれからさらに加速していく。だれの手にも負えないほどに、世界をたたつぶすほどに。
 あまりの驚愕きようがくに、ヴェーラの神経は麻痺まひしていた。
 もはや恐怖を得る資格すら奪われていた。
 怪物だ。
 愚かにも、『猟犬部隊ハウンドドッグ』はその卵の殻を破る手伝いをしてしまったのだ。
 カツン、と。
 小さな足音が、ヴェーラの真後ろで鳴った。
 彼女は振り返らず、うな垂れたまま小さく笑っていた。

     11

 ごぽっ、という水っぽい音が、暗いファミレス店内にひびいた,
 血の塊が、ぽたぽたと床にこぼれていく。
 上条当麻かみじようとうまは、目の前の光景を前に、なぐりかかろうとする体勢で思わず立ち止まっていた。
 間違いなく鮮血だった。
 彼は、赤色の噴き出した一点を、呆然ぽうぜんと見る。
 今まで勝ち誇っていた、ヴェントの口元を。

「ごっ……」
 彼女は体をくの字に折り曲げ、口に両手を当てて、ごぽごぽと短くき込んだ。そのたびに、指の隙間すきまからぬめぬめとした重たい液体がこぼれていく。
「が、は。ああ」
 ふらふらとした動きで、一歩、二歩と後ろへ下がる。その仕草に、これまでの余裕はなかった。演技をしているようには見えない。本当に苦しんでいるように思える。
(何が……)
 突然の出血に、上条は冷水を浴びせられたように思考が遮断しやだんされかけたが、
魔術まじゆつの副作用とかか? コイツには悪いけど、チャンスかもしれない)
 意識が戻った。
 苦しんでいる人間にこぶしを振るうのは若干じやつかん抵抗があるが、ハッキリ言えば綺麗事きれいごとを並べているだけの余裕がない。倒せる時に倒さなければ、こいつはさらに多くの犠牲ぎせいを遊び半分で巻き起こすだろう。
 上条は歯を食いしばり、覚悟を決めると、右拳を握りめた。
「ぐ、ァァあああッ!!」
 だが、その前にヴェントはぐるりと方向転換すると、見当違いの方へ有刺鉄線を巻いたハンマーを振り回した。
 舌のくさりかすめる軌道を取り、鎖とハンマーが火花を散らす。
 今までの軽々しい雰囲気ふんいきはない。酔っ払いがなぐりかかるような乱雑で暴力的な動きだった。
 ごばっ!! という重たい破壊音はかいおんと共に、壁に大穴が空く。
 ヴェントはそちらへと走る。
 追いすがる上条かみじよう牽制けんせい攻撃こうげきを二発、三発と放ちながら、彼女は建物の外へと飛び出して行った。
「……、」
 正直、追うべきなのか、逃げてもらって助かったのか、良く分からない状況だ。
(なん、だったんだ?)
 ヴェントは建物の外から、この店ごと上条をつぶすような事はしなかった。ほかの客に気を遣うような性格をしているとは思えない。おそらく身に起きた異変に対処するのが精一杯で、他の事まで頭が回っていないのだろう。
 上条は、降りかかってきた新たな問題を、少しずつ整理していく。
『神の右席』。
 前方のヴェント。
 そして、ローマ正教。

     12

 白井黒子しらいくろこ初春飾利ういはるかざリ風紀委員ジヤツジメント第一七七支部にいた。
 仰々ごようぎよしい名前だが、ようは初春の中学校の校舎にある一室だ。
 いくつかの机が並んでいるが、教室にあるような合板と鉄パイプのものではない。どちらかというとオフィスの一室のようだった。作業用のパソコンが各机に並んでいる訳だが、そういった精密機器を無視してポテトチップスの袋がドカンと置いてあった。
 初春飾利はごそごそとビニール袋の中に両手を突っ込みながら、
「白井さーん。中華丼ちりうかどんとお魚弁当、晩ご飯はどっちにします?」
「そんなもんどうでも良いですの!!」
「え? じゃあ私が中華井もらっちゃいますね」
「中華丼は食べるですの! うう、今この瞬間しゆんかんもお姉様と腐れ類人猿は一緒いつしよに夜の街を歩いて……うぐああああああああああッ!!」
 ツインテールの少女、白井黒子は両手で机をバンバンたたく。
 室内には二人の声しかない。部屋には大型の無線機もあるが、そちらは沈黙ちんもくしていた。基本的に、風紀委員ジヤツジメントの仕事は完全下校時刻で終了する。それは彼女たちが校内でのめ事を制圧するのが主要任務だからだ。本来なら、この時間に生徒が詰め所に残っている方がイレギュラーだろう。
 と、そんな残業少女、初春飾利ういはるかざりは自分の携帯電話を取り出して、
「おっ、いっもてるバラエティ番組の始まる時間ですっ!」
「仕事しろ初春ーッ!!」
「人の事を言えた義理なんですか、白井しらいさん。ちなみに私はテレビを観ながら仕事ができる子なんですー」
 携帯電話にもテレビ機能ぐらいはついているだろうが、初春はよほどそのバラエティ番組が好きなのだろう。わざわざ室内にある大型テレビの電源をけた。
「ふんっ!!」
 が、ムカっいている白井がリモコンを奪い取ると、適当にチャンネルを替えてしまった。面白くも何ともないニュース番組が映る。『だーっ! ナニしてくれますか白井さん皿』と初春が叫び、二人の少女がリモコン争奪戦を開始した。
 テレビの中では、アナウンサーと芸能人の中問ぐらいの女性が原稿を読み上げている。
『続いては、ええと……がっ、学園都市のニュースです』
 ん? とつかみ合いをやめて白井と初春はテレビを見る。
 この放送局は、学園都市の外部にある全国放送のものだ。そして、そういった『外部』放送局に学園都市の情報が流れる事は滅多にない。アナウンサーが戸惑っているのも、その辺の事情があるからだろう。
『現在、学園都市で侵入者騒動そうどうが起きているそうです。それに伴って、都市の内部で被害が拡大しているとの事です。映像が入ります。現場の石砂さん?』
 画面が切り替わった。
 超望遠の粗い映像だった。おそらくカメラは学園都市の外にあるのだろう。雨に打たれる道路を、黄色い服を着た女が歩いているのがぼんやりと見える。
 女はふらふらと歩き、その辺に倒れている人々を足でどかしながら、雨の街を歩いていた。
口から舌を出し、そこに接続された長いくさりを左右に揺らしている。
 と、現場のリポーターに移る前に、カメラはぐらりと揺れた。ガチャン、という音がひびいたと思った途端に、灰色のノイズに画面がおおわれる。スタジオのアナウンサーが、何度か名前を呼びかけるが応じない。リポーターがいるのかどうかも判然としなかった。
 すぐにスタジオに画面が戻った。
 ギリギリで放送事故にならない、絶妙のタイミングだった。
「い、今のが侵入者でしょうか』
 アナウンサーのとなりに座っていたコメンテーターが、落ち着き払った声で答えた。
『学園都市の警備状況を籔がるに、よその学校とは違って、単に子供避を撒った変質的犯行という可能性はほぼ低いでしょうな』
『はぁ』
『科学崇拝に対するテロ行為か、あるいは先端技術の強奪ごうだつか。そんな所かもしれません』
『となると、視聴者しちようや
皆様が一番気にかけている、お子様達の安全面にも影響えいきようがあると?』
『もちろんです』
 コメンテーターは、もはや芝居がかった仕草で首を横に振った。
『大人の事情に子供が巻き込まれているのですから。むしろ、ただの通りよりもたちが悪い。まったく、映像にあった、何ですかあの女は。往々にして子供の命というのは軽視されがちですが、ああいうくだらない社会不適合者を野放しにしておく事が―――』
 ゴトン、という音が続いた。
 唐突にコメンテーターがテーブルに突っ伏して、額をぶつけたのだ。
「?」
 白井しらいまゆをひそめた。
 またパフォーマンスかと思いきや、コメンテーターはそのままぐらりと体を揺らして、テーブルの下まで倒れてしまった。きゃあ、というアナウンサーの悲鳴が聞こえる。カメラがぐらぐらと揺れ、ADらしき軽装の若者達が、ダッとスタジオに走ってきた。
 カメラの外から指示を飛ばす太い声が連続して、すぐにCMへ切り替わった。トラブルが起きたのは明白だった。
 小顔で知られる若い女性タレントが洗顔フォームの素晴らしさに感動している画面から目をはなし、初春ういはるは白井の方へ向き直った。
「……さっきの映像、こちらに報告来てましたっけ? 今日はずっと手書きの書類作業ばかりしてましたから全然気づきませんでしたけど。でも、本当にたった一人で警備員アンチスキルを圧倒しているとしたら、あの侵入者、危険度は半端はんぱじゃないですよ。どうしてあんな不気味なのが侵入してこれるんですか……」
風紀委員ジヤツジメントは校外の……それも夜間の活動で召集される事は滅多にありませんものね。本当にまずければ警備員アンチスキルから応援要請が来ますわよ。それまでに書類をできるだけ―――」
「……、」
 初春飾利かざりは、白井の言葉に答えなかった。
 ふらり、とその体が後ろへ揺らいだと思ったら、そのまま何の抵抗もなく床に転がってしまった。バタン、という結構大きな音が聞こえたが、それきり初春が動く気配がない。
 白井はギョッとして、それから初春の元へ駆け寄った。
「初春ッ!!」
 耳元で名前を呼んでも、倒れている初春ういはるほおたたいても、全く反応はない。
 訳が分からない白井しらいの耳に、テレビの音声が届く。
 CMを終えてもニュース番組は再開されない。そのまま『しばらくお待ちください』というテロップへ移ってしまっていた。

     13

 あらかた『猟犬部隊ハウンドドッグ』の連中は片付けた。
 正確な人数が把握できていないため、伏兵の存在に気をつけなくてはならないのだが、一方通行アクセラレータの直感はすでに戦闘せんとう状態は終わったと告げていた。
猟犬部隊ハウンドドツグ』の生き残りが、この空気を『演出』しているとすれば見上げたものだが、そこまでの余裕は絶対にない。」ク瑳報が仕掛けたのは、僅撹膨の飛び出すタイミングから激煕のインターバルまで、その銀てを大脳生理学的に計算し尽くし、必ず恐慌状態へ朧段せるプログラムである。
 根性論でどうにかできる恐怖ではなく、脳の信号的な面から感情を叩きつけたのだ。まともに戦える者などいないだろう。人間が人間でいる限り―――よほどぶっ飛んでいない限り、この攻撃こうげきから逃れる事はできない。泣きわめく、手足を振り回す、その辺りが関の山だ。
 一方通行アクセラレータは施設内で見つけた洗浄剤のボトルのふたを開ける。彼は透明な液体を頭からかぶり、中身の消えた容器をその辺へ投げ捨てながら、
(ここまでやりゃあ木原きはらは絶対に動く。おれにとっちゃ怪我けがの功名だが、せいぜいうろたえろよクソ野郎。報告は何分ぐれエでヤツの耳に届く。それまでに俺は何をしておくべきだ)
 一方通行アクセラレータの目的は、打ち止めラストオーダーの救出。
 しかし彼には、今も逃げ続けている(かどうかも定かではない)少女の現在位置がつかめていない。携帯電話が通じれば話も変わってくるのだろうが、あまり当てにはできそうもない。ならば、打ち止めラストオーダーを助けるためには木原たちの妨害に力を注いだ方が良い。
 ヤツらの注意を全てこちらへ集中させる。
『目的の打ち止めラストオーダーを奪う前に、とにかく目の前の一方通行アクセラレータを何とかしなくてはならない』と思わせなければ勝機はない。
 その思惑がかなえば叶うほど、一方通行アクセラレータ窮地きゆうちに追い詰められていく訳だが……。
(どうとでもしてやる)
 ショットガンをつえ代わりに、彼は施設の出口を目指す。
猟犬部隊ハウンドドツグ』を拷問ごうもんして情報を引き出すのも一つの手だが、一方通行アクセラレータはそれをけた。この施設では能力を使えないし、杖をつく彼には大人など外まで運べない。これまで勝ってきたのも、策があってこその結果だ。たとえ相手が負傷していても油断できない。今の彼は一発の銃弾で死ぬのだ。ここで下手を打って逆転されたら、打ち止めラストオーダーを助ける者がいなくなってしまう。
 一方通行アクセラレータは次の行動目的を考える。
(『猟犬部隊ハウンドドツグ』の連中のワンボックスをもう一度調べるか。馬鹿ばか正直にアジトの場所が見つかるとも思えねェが、別働隊をつぶすにしても、大雑把おおざつぱな位置情報ぐれエはつかンでおかねェとな) と、そこで彼は思考を切った。
 床に血の跡がある。
 点々と続いている赤いみを見て、一方通行アクセラレータはわずかにまゆをひそめた。敵兵はすべて計算通りに動かし、恐怖をあおり、一人一人潰していったが、このルートを使って追い詰めた覚えはない。
 まだ生き残りがいる。
「……、」
 血のルートを辿たどる限り、敵の足はおぽつかず、集中もあちらこちらへ飛んでいる。極度の恐怖によって、何に対してもおびえている状態だ。こちらの心理操作は効いているらしい。
(あるいは、そう見せかけてこちらを誘導ゆうどうしているか)
 つえをつきながら、一方通行アクセラレータはゆっくりと血の跡を追う。
 その先にあるのは小さな非常口だった。鉄の扉の上に、緑色のランプが取り付けられている。ドアの横には強化ガラスで守られたボックスが取り付けられていた。ガラスは割れ、中のレバーが動かされている。
 だれかがロックを外して外へ出たのだ。
 一方通行アクセラレータはドア横の壁に体を預け、手の先を伸ばすようにノブに触れる。杖の存在がもどかしかった。両手が使えれば、もう片方の手はチョーカー型電極のスイッチに触れているはずだ。暴発の危険があるが、いざとなれば能力を使うしかないだろう。
 ゆっくりとノブを回す。
 音を立てずにドアを押す。
「―――、」
 不審な点はなかった。
 少なくとも、爆弾が仕掛けられているような事はない。一方通行アクセラレータはそれを確認すると、鉄の扉を一気に開け放った。
 いつの間にか土砂降りになっていた雨粒が全身をたたく。
 蒸し暑い施設内で息をひそめていた一方通行アクセラレータには、それが心地良い刺激となる。
 だが、
「アレか……」
 彼の顔に笑顔はない。
 一方通行アクセラレータの立っている場所は、二階だった。そこからスチール製の非常階段を下りると、およそ二〇メートルほどアスファルトが続いて、その先に敷地しきちを区切る金網かなあみのフェンスがある。
 そのフェンスをよじ登っている人影が見えた。
 黒ずくめの背中は、紛れもなく『猟犬部隊ハウンドドツグ』のものだ。
 そして、フェンスのすぐ近くには自動車がまっていた。黒ずくめの行き先は簡単に想像がついた。
猟犬部隊ハゥンドドツグ』の新手かとも思ったが、違う。
 あの車は正規の警備員アンチスキルが巡回に使っているものだ。
 何でだよ、と一方通行アクセラレータは思う。
 ここでそいつらが出てくるのは間違っているだろう。
 これは、やみと闇との戦いであって、一般人が出てくるべきじゃないだろう?
「………………………………………………………………………………………………………、」
 一方通行の唇から、うすく薄く息がれた。
 言葉もなかった。
 沈黙ちんもくする彼の耳に、黒ずくめのわめき声が届いてくる。
 この土砂降りの中、二〇メートルも距離のよりが開いているのに、それでも鮮明に聞こえるほどの大声が。
「おい! 中にだれかいるか!? たっ、助けろっ、助けろよ! お前ら街の人間を守る警備員アンチスキルなんだろ! だったらおれを保護しろよ! アイツだ、アイツが全部やったんだ! はは、ざまーみろ! 俺は助かった。お前のの手はもう届かねえよ!!」
 雑音が聞こえる。
 アレダケナガイアイダウラセカイニイテ、ソレデモキイタコトモナカッタレツアクナコトバガツギツギトアビセカケラレル。
「いいか、テメェはどうあがいてももう終わりなんだ! こっちには警備員アンチスキルがついてんだ。やれるもんならやってみろ!! もっとも警備員アンチスキルに手え出しゃ正式に指名手配決定だけどな!! これでさんざん守りたがってたクソガキとの日々も終わりだぜぇ! テメェは冷たい研究所に逆戻りだ、一生モルモットでもやってやがれ!! ぎゃはははははッ!!」
 ショットガンを握る手に、強烈な力がこもる。
 頭が破裂する。
 電極のバッテリーとか、七分間しかたないから温存しようとか、ここで使い切ったら木原数多きはらあまたと戦えないとか、そういった事が全部綺麗きれいはじけ跳ぶ。
 一方通行アクセラレータは首筋に手をやった。
 そこには電極のスイッチがあった。
 彼は迷わなかった。

 あのクソ野郎だけは、この手で血祭りにあげる。
 頭の中には、それだけしかなかった。

     14

 警備員アンチスキル才郷良太さいこうりようた杉山枝雄すぎやまえだおは幸運だった。
 街の治安維持機関の大多数が機能を止めている中、彼らはうっかり寝坊したために、ほかのメンバーのような昏睡こんすいの被害にはわなかったのだ。車内からの無線連絡にだれも応じないのも、機械のトラブルかな、ぐらいにしか感じていない。良くも悪くも、彼らは蚊帳かやの外なのだった。
 そして今も、彼らは幸運だっただろう。
 少なくとも、フェンスをよじ登っている血まみれの男を保護するために、才郷は運転席から、杉山は助手席から、それぞれ車から降りてそちらに歩いていたのだから。
 その瞬間しゆんかん、彼らの耳へ最初に入ったのはたけびだった。
 けもののような、人間の叫び声。
 才郷と杉山の両名がその怒号の正体を探る前に、第二波がやってきた。
 それは分厚い鉄の扉だった。
 縦に回転しながら恐るべき速度で飛んできた鉄のドアは、西郷と杉山の肌を危うくかすめかけ、まるで巨大な丸鋸まるのこの刃のように二人の警備員アンチスキルめた巡回車の真ん中へ突っ込んだ。
 ドガァ!! と。
 火花を散らして、自動車がL字に折れ曲がる。

 何の変哲もない普通の自動車に、いきなり横から砲弾をたたき込んだようなものだ。自動車の後ろ半分はそのまま縦、それに対して前半分はグシャグシャにひしゃげて真横に折れ曲がっている。あまりの威力に、自動車は横滑りすらせず、砲弾を浴びた部分は破れた金属が花のように開いていた。自動車を破壊した鉄扉は勢いを止めず、そのままアスファルトを粉々に砕いてようやく停止した。一気に引き千切ちぎられたガソリンパイプに、同じく断線した電気ケーブルが接触する。小さな火花が起こる。
 それだけで十分だった。
 横から叩きつぶされた自動車は一撃いちげきで爆発し、周囲に炎と煙をき散らした。
「な、何だあ!?」
 才郷は煙で視界がゼロになった状況で、それだけ叫ぶ。
 鉄のドアがあまりにも高速で飛んできたため、才郷は何が車を爆発させたかも分かっていなかった。ただ、何も見えないという状況は余計に彼のあせりを助長させていく。
 すぐ近くにいるはずの同僚どうりようの顔も見えない。
 その状況で、
「ぎゃああ? や、やめろっ!!」
 聞き覚えのない男の声が、才郷さいごうの耳にひびいた。
 保護しようと思っていた黒ずくめの男のものだ、と才郷が気づく前に、
「待て、待ってくれ、一方通行アクセラレータ! 嫌だ、違う、そうじゃない!! 警備員アンチスキル! どっ、どどどどこにいるんだ!助け、いびゃっ、びゃあ、ごォァああああああああああああッ!?」
 ごりりっ!! という、張りのあるウィンナーを千切ちぎるような音が聞こえた。身の危険を感じた才郷は思わず腰の拳銃けんじゆうを抜いたが、そこから動けなかった。煙がひどくて視界が確保できない。闇雲やみくもてば同僚どうりよう杉山すぎやぼや保護対象に当たる危険がある。そもそも煙の向こうで何が起きているのか、それを引き起こしている『モノ』が人間なのか猛獣もうじゆうなのかも判別できない。どこをねらって何に発砲すればどんな事態が収束するのかも想像がつかないのだ。
「と、止まれ! 動くな! その人からはなれろ!!」
 何も見えない状況で、それでも才郷は当てずっぽうに銃を向けて叫ぶ。
 近距離きんきよりから、笑い声が返ってきた気がした。
 決して声高なものではなく、口をふさいでいたが思わずれてしまったという感じの笑みが。
 鈍い音はその後も連続した。
 時間にして一〇秒程度で、絶叫が途切れた。
 才郷は結局、身動きは取れなかった。
 この世には、見てはいけないものがある。
 それが幸運にも煙でさえぎられていたのだと、直感で悟った。
 土砂降りの雨が、爆発した車両の火を消していく。それに伴って、視界を塞いでいた煙も、ようやく収まってきた。
 同僚の杉山が、すぐ近くで尻餅しりもちをついていた。
 彼はパクパクと口を動かしていたが、声は全く出ていない。
 ただ、顔を真っ青にしたまま、ふらふらと人差し指で地面を指差していた。
 才郷はそちらを見る。
 そこには保護しようと思っていた男性はいなかった。どこを見回してもいなかった。

 杉山の指差した場所。
 あったのは、少量の血痕けつこんと、もぎ取られた人間の足の親指が二本だけ。

   行間 七

 学園都市外周部、と一口に言っても様々な顔がある。
 街は東京都の三分の一もの面積を誇るのだ。東部東京方面、神奈川方面、埼玉方面、山梨方面、それぞれ面している地域によって、風景や特色もがらりと変わる。
 土御門元春つちみかどもとはるが走っているのは、都市部と森林部の中間のような所だ。針葉樹で形成された深い森に埋もれるように、巨大な廃工場がいくつも並んでいる。繁殖力旺盛はんしよくりよくおうせいな雑草やつた系の植物はコンクリートの壁にからみつき、容赦ようしやなく自然の一部へ組み込んでいる。
 土御門元春は、そんな建物の一つの中で、ザザガリ!! と急ブレーキをかける。
 元々は交通会社の、バスの整備場だったのだろうか。
 学校の体育館よりも、やや小さいぐらいのコンクリートの空間だ。高価な機材は撤去てつきよされ、残るのは役に立たないびた金属の塊ばかりだ。そのためガランとした印象があるが、二階部分や三階部分にはいまだに鋼鉄の足場のような通路が取り残されている。上部通路の床は金網かなあみ状で、所々が錆びてボコボコに穴が空いていた。
 屋根は半分ほど崩れており、土砂降りの雨は容赦なく降り注いでいる。壁の一面はすべて金属製のシャッターになっていたが、そちらも錆びて落ちていた。
(……これか)
 彼の眼前には、一本の木の杭が床から飛び出している。
 巨大な物だ。直径一五センチ、長さ三メートル以上。鉛筆のように荒々しくとがった先端が、真上を向いていた。無数の雨粒を受け、血を流すように液体を杭の表面に伝わせている。
 魔術まじゆつによる一品だった。
 素材は椋欄しゆろか。
「シュールな光景だ」
 土御門が唇の端を曲げて笑った途端、杭の側面から三六〇度全方位に、全く同じ三メートルの杭が、ズドッ!! と勢い良く飛び出した。木の杭ではなく、杭の木が出来上がる。土御門がそれらの先端をバックステップで回避かいひすると、今度は周囲の床や二階部分の通路、錆びた機材の山からも次々と杭が生み出され、土御門の全身をねらって突き出される。
 うねる生き物のような軌道でバックステップを続ける彼に、追い着かないと感じたのか、杭の何本かが内側から爆発した。ドッ! という轟音ごうおんと共に、数百もの破片が土御門へおそいかかる。
 あるいはかがみ、あるいは機材の陰へ身を隠し、土御門はそれら全てをやり過ごす。

 ものの数秒で、周囲は数千本ものくいおおわれた処刑場と化した。
 巨大な鉛筆が、一面にびっしりと生えている。
(なるほど。学園都市もこうやって攻撃こうげきしていくつもりだったのか。動けない連中を一人一人くしざ刺しにしていく、と)
 なめやがって、とき捨てつつ、土御門つちみかどはあちこち細かく移動しながら頭を動かす。
 おそらく『杭』は、整備場の外にも生えているだろう。
(わざとオレをここへさそい込んでわなにはめるってのは―――ないな。それにしては大掛かりすぎる。本命のど真ん中に突っ込んじまったと見た方が妥当だ)
 棕櫚しゆろは本来『恵み』を示す木である。その特性を利用すれば、『食い止める』や『はじき返す』などの防御をすり抜ける性質を与える事も可能だ。土御門が迂闊うかつに防御魔術まじゆつを使っていれば、その攻撃は『恵み』と認識され、軽々と防御を通過した杭に全身を貫かれただろう。
 そういった杭を、本当に数千本も用意したのならおどろきだが、
「ふん。数をごまかしているな」
 土御門が告げると、爆発的な杭の出現がピタリと止まった。
 ぬるり、と。
 何もなかったはずの暗がりから、白い人影が現れる。
 トンネルの出口でも見ている気分だった。やみの中で、その術者の男だけがジグソーパズルのピースのように削られている。自身がかがやいているせいか、足元には一二の影が円形かつ均等に配置されていた。アナログ時計みたいだ。
 影自体が魔術を発動するかぎなのか、何らかの指示に従って各々おのおのは伸縮を連続させる。
「―――、」
 土御門は一歩前に出たが、距離きよりは変わらない。
 相手が移動した様子はないが、いつの間にか距離は保たれる。
 まるで、永遠にその距離が縮まる事はないと告げられたように。
(まずいな……)
 おまけに、気配は一つではない。
 この建物の中と外に、複数ある。総数は数十に及ぶだろうし、この調子だと学園都市外周部のほかの地点にも同様の連中が展開されている可能性もある。
 無言の敵に、土御門は静かに語る。
「三は天界、四は地上、そして一二で世界を示す。すべての杭を用意する必要はない。特定の『数』に意味を付加する事で、『莫大ばくだい』という単位を得られるという所か」
 ようは、核となる七本の杭を見つけ出し、それを一本でも砕けば敵の術式は封じられる。
 これだけの杭の中から。
 今でも数千本あり、さらにこれからも数を増していくであろう杭の山から。
 土御門つちみかどはニヤリと笑って言った。
「上手い術式だが……こいつは十字教ではない。紀元前の、ギリシア系ピュタゴラス教団の理論だぞ。貴様たちはいつの間に『神の子』が生まれる以前の世界を肯定したんだ?」
 言葉に、相手は激怒したのだろう。
 曖昧あいまいな人影が、える。
 ドッ!! という轟音ごうおん炸裂さくれつした。木のくいが爆発し、整備場全体を揺らしたのだ。二階や三階の通路や、半分崩れた屋根からさびが落ち、そこに『力』が加わり、びた破片の表面から新たな杭が生まれ、あらゆる角度から土御門へおそいかかる。
 様々な方向から突き出された木の杭は、存在するすべての空間をふさぎ、杭と杭とをぶつけあって、バキバキ!! と共食いするようにつぶれていく。
 しかし、すでに土御門はそこにいなかった。
 彼は整備場上部、鋼鉄を組んだような三階通路に立っている。
 はるか下から、無機質なひとみがこちらを捕捉ほそくする。
 コンクリートの床を埋め尽くす無数の杭が、次々と内側から爆発し、その破片の対空砲火を向けてきた。土御門は錆びてあちこちに穴の空いた通路を飛ぶように移動する。そのすぐ後ろで自分の通ってきた通路が次々と砕けて、折れて、倒壊とうかいしていく。
 土御門の唇の端から、赤い血がゆっくりと伝う。
 魔術まじゆつの攻撃を受けたからではない。自分が魔術を使って、三階通路まで飛んだからだ。
 彼は能力者でもあり、魔術師でもある。
 そして、能力者が魔術を使うと、拒絶反応が起きて体を傷つける羽目になるのだ。
(チッ。長期戦でこちらに得はないな)
 血をぬぐいながら、彼は考える。
 あの人影には距離感さよりかんがない。まるで瞳に映った残像を追いかけるようなものだ。こちらが進めば進んだだけ下がり、こちらが退けば退いただけ近づいてくる。そういうヌルヌルした習性の存在。ゆえに、あれを直接たたくのは不可能……とまで言わなくても、かなり手間取るだろう。
 そこに拘泥こうでいするなら、先に杭の山の機能を止めた方が良い。
 相手の武器を奪ってから、じっくり料理するべきだ。
「残念だな」
 ドガバギミシミシッ!! と錆びた通路がへし折られていく中、土御門は通路に空いた穴を飛び越し、一点を目指して突き進む。
繊細せんさいな術式を見ると、こわすのが惜しくなってくる!!」
 その先にあるのは、無数の杭に埋もれるように立つ、一本の木の杭。
 七本の内の一本で、全ての杭を統括する弱点だった。

   

chap3

第八章 神の右席と虚数学区と Fuse=KAZAKIRI.

     1

愛穂あいほ!!」
 土砂降りの雨の中、芳川桔梗よしかわききようはようやく旧友を発見した。
 夜の街は、周囲一帯が不気味なほどに静まり返っている。
 黄泉川よみかわは路側帯にめてある国産のスポーツカーの中で、ぐったりとハンドルに身を預けていた。胸を圧迫するような、見るからに苦しい体勢だった。それでも彼女は身じろぎ一つしていない。意識がないのだ。
 運転席のドアに手をかけると、カギはかかっていなかった。
 芳川が鉄のドアを開けた途端に、黄泉川の上半身がぐらりと揺れた。そのまま外へ飛び出すように、横滑りする。
「ッ!」
 芳川はそれをどうにか抱え、運転席へ押し戻す。
(……何が起きたのよ)
 口元にてのひらを当てて呼吸の有無を調べ、首筋に手を当てて脈を測った。とりあえず生きているようだが、そういった事をしても、やはり一向に目が覚める様子はない。単に眠っているのとは違うらしい。
「……、」
 芳川は雨も気にせず、車から周囲へ視線を移す。
 車が停まっているのは大きな通りだが、少しはなれただけで不良少年たちまっている路地につながっている。
 彼らに襲撃しゆうげきされたか、とも思ったが、それにしては黄泉川に傷がない。黄泉川愛穂は同性の自分から見ても美人だ。まして、彼女は警備員アンチスキルである。襲撃されたとなれば、想像を絶するようなひどい事態になっていたはずだ。自動車もパーツ単位で分解されて不良少年達の小遣いに変換されているだろう。
(となると、別口……?)
 芳川はそこで、まゆをひそめた。
 不良少年でないのなら、一体どこのだれが黄泉川に危害を加えたのだ。
(とにかく、病院に……。そこに診療所しんりようじよがあるから、救急車を呼ぶよりも早い!)
 そんな、考えがまとまらない芳川よしかわの耳に、ガーッという低い音が聞こえた。
 見ると、車内無線に取り付けられている小型プリンターが作動しているようだった。葉書サイズの紙切れが吐き出されている。
「んっ……」
 運転席でのびている黄泉川よみかわの上から腕を通すようにして、芳川はその紙切れを取った。
 そして、そこで固まった。
 紙切れにはこうあった。

警備員アンチスキル第八四支部、鈴山高等学校所属、才郷良太さいこうりようたから報告あり。
 第五学区内、事件現場での証言を元に、「書庫バンク」より照合。
 一方通行アクセラレータ、この者を殺人未遂みすい事件の重要参考人として手配する』

 一緒いつしよに吐き出された別の用紙には、見慣れた人物の顔写真があった。
 人違いという可能性は、なかった。

     2

 一方通行アクセラレータ薄汚うすよごれた路地裏にいた。
 彼は再び第七学区に戻ってきたが、気持ちが安らぐ事はありえなかった。
 雨音だけが続いている暗闇くらやみに、ガン、という重たい金属音がひびく。
 ポロきれになった『猟犬部隊ハウンドドツグ』のメンバーを、巨大なダストボックスに放り込んでふたを閉めた音だった。ダストボックスの蓋と箱の隙間すきまからは、だらだらと赤い液体が垂れている。食いしん坊のよだれみたいに見えた。
 一方通行アクセラレータは腰ぐらいの高さのダストボックスに両手を預け、体を預け、足の力を抜いて、ずるずると地面に腰を落とす。油のみ込んだ水溜みずたまりが服や肌に染み込んでくるような気がした。
「はは」
 笑う。
 久しぶりに肉をつぶした。
 随分飲んでなかったコーヒーを、ひたすらがぶ飲みしたような気分だった。気持ち良いはずなのに、虚脱感がある。気分は高揚しているはずなのに、どこかにあきらめがあってノリきれない。あれだけ美味うまい美味いと飲み続けていたのに、いつの間にか『この程度だったっけ?』と首をかしげているような、不思議な精神状態だった。
 何となく、思い知らされた。
 今の一方通行アクセラレータは、この手でだれかを殺す事をよしとしない。というよりも、八月三一日にその事に気づいたと言った方が正しいのかもしれない。とにかく、それぐらいに打ち止めラストオーダーとの出会いは大きな転機となった。
 一方通行アクセラレータ打ち止めラストオーダーのような人間を殺したくはない。そして、彼女と同じ世界に住んでいる黄泉川よみかわ芳川よしかわといった他人にも同じ感情を向けるのは可能だ。光の道を歩いている甘ったるい人間たちが、一方通行アクセラレータのような暗闇くらやみひそむ者達の餌食えじヨになるのは間違っている。だから、それを食い止めるためなら一方通行アクセラレータはたった一人で戦う事も辞さない。
 一見、まっとうな人間の考え方だと思えるかもしれない。
 しかしこの理論には穴がある。
 例えば、打ち止めラストオーダーとは似ても似つかないほど腐ったクソ野郎が目の前に出現した場合。その救いようのない人間が救いようのある人間を奪おうとした場合。この時、一方通行アクセラレータの『誰かを殺すのはいけない事だ』というかせが外れてしまう。彼が恐れているのは『光の世界の住人が、闇の世界の住人の食い物にされる事』だ。一方通行アクセラレータが闇の世界に属する自分を嫌っている以上、同じ世界の人間を受け入れるはずがない。
 従って、特定の条件がそろった場合に限り、彼は迷わず人肉を引き裂く。
 腹の中に抱えていたものが全部キレイにはじけて、真っ白になるまで飛んでしまう。
 ちょうど、今のように。
「―――、」
 土砂降りの雨に打たれ、一方通行アクセラレータはうな垂れていた。
 結局、あの程度では駄目ぜめだったのだ。八月三一日の転機ぐらいでは、み付いた闇の属性は払拭ふつしよくしきれていなかったのだ。あれでは足りない。それでは何が足りない。人間に戻るためには、後いくつのパーツが必要だ。
 そこまで考えて、彼は笑った。
 何かをあきらめたような、吹っ切れた笑みを。
 孤独が彼を支配する。
 打ち止めラストオーダーと出会う前に戻ったのだ。
「はは……」
 一方通行アクセラレータはダストボックスに背中を預けたまま、夜空を見上げた。
 雨粒が体をたたく。
 雲は分厚い。見ていると心が暗くなるほど真っ黒だった。
(能力使用モードは、もう四分も残ってねェな……)
 うんざりしたように、現状を確認する。
警備員アンチスキルにも目ェつけられた。今頃いまごろは街中に顔写真がばらかれてンだろォなァ。これで、木原きはらつぶしてあのガキを助け出した所で、おれはもォあの世界へは戻れねェ)
 打ち止めラストオーダーとの接点は、もう断ち切られている。たとえ彼女を無傷で救ったとしても、同じ道は歩めない。ならば、今必要なのは打ち止めラストオーダーと同じ道に進むための努力ではない。目の前の事実を受け入れる強さだ。それでも構わないと、ただ彼女を助けるためだけに動ける強さだ。
 チッ、と舌打ちする。
 短い間だったが、失ってみると、それはそれで喪失感が胸に風穴を空ける。
 だが、この程度で彼の赤いひとみが揺らぐ事はない。
(認めてやる。だから何だってンだ)
 水溜みずたまりの中に沈んでいるショットガンを、片手でつかむ。
(あのガキだけでも彫の中から連れ戻す。それだけが目的だったはずだっだからそれ以外の贅肉ぜいにくすべぎ落とす。こっちの事はこっちでやる。今必要なのは、クソガキの身の安全だけだ)
 その武器を、つえの代わりにしてよろよろと立ち上がる。
 木原数多あまたも、『猟犬部隊ハウンドドツグ』も、警備員アンチスキルも、この先の事も、もうどうでも良い。
 目的は一つあれば良い。
 そう考えると気が楽になった。背負っていた重みが全て取り払われた気がした。今ならどんな目標であっても必ずかなえられると勝手に思う事ができた。
 最後のくさりは断ち切られた。
 大切なものと引き換えに「最強』を取り戻した一方通行アクセラレータは、杖をついて雨の街を歩く。
 次の標的を潰すために。
 全てを血の色に染めてでも、問題を解決するために。
 獲物の肉には、心当たりがある。

     3

「全施設をクリア。だれもいませんね」
猟犬部隊ハウンドドッグ』のメンバー、デニスは無線機から集めた情報を、待機組に伝えた。
 そうか、という短い声が同僚どうりようから返ってくる。
 ここは病院だった。デニスたちがいるのは一階の大きな受付ロビーだ。壁際かぺぎわをガラス張りにして、光を多く取り込む作りにされているが、今は夜であり、その上照明は全て落とされている。
真っ暗な病院は不気味の一語に尽きた。
 彼ら一四名に渡された命令は、敵前逃亡した『猟犬部隊ハウンドドツグ』の元メンバー、オーソンの処分。
並びに目撃者もくげきしやとなった白いシスターの口封じだ。最悪、施設に爆薬を仕掛けて病院ごと吹き飛ばしても構わないとまで言われていた。
 デニスはさらに続けて報告する。
「三階の廊下に使用済みの発煙筒を発見。それほど時間はっていないそうです」
コ応、報告ではテロ活動の危険があり、いまだ施設内に不審物が隠されている可能性があるため、一時的に建物内から全職員と患者を退避たいひさせた、とあるな」
 携帯型のコンピュータを操作しつつ、報告を受けた同僚どうりよう、マイクも答える。
 デニスは無線機から耳をはなし、
「……気づかれましたね」
「だろうな」
 マイクはつまらなそうに言った。
「個人的には、そちらの方が良かったような気もする」
「しかし、病院には大型の医療いりよう設備を必要とする患者もいたはずでは?」
「病院車でも使ったのだろう」マイクは適当に言った。「全長三〇メートル弱、観光バスぐらいの大きさの特殊な救急車だ。現場に急行し、その場で簡単な手術も行えるそうだ」
「聞いた事がありません」
「だろうな。実際にはその車体のサイズが問題となり、小回りがかなくて現場へ到着できなかったという失敗作だ。日本でなければ成功したかもしれない。あるいは艦隊かんたいのように、小型の救急車と連携を取るとかすればな」
「それがこの病院にはあったと?」
「地下駐車場にでもあったんだろう。この病院なら不思議ぞはない。一〇台ぐらい並べてあったと言われてもうなずける。絶対安静の患者をそちらに移し、歩ける者はおのおの々退避させた訳だ」
 マイクは適当に言って、携帯型のコンピュータの電源を落とした。
一方通行アクセラレータ討伐組からの連絡が途絶えてかなり経つ」
「やられました、ね」
「追撃に人員をく必要がある。だからこちらも休んでいる時間はない。引き上げるぞ。病院関係者が組織的に逃走したのなら、どうせ行き先を示すものはすべて処分されているはずだ」
木原きはらさんは納得しません」
「時間をかけたにもかかわらず、何のヒントも得られませんでしたと言っても納得しない。優先順位の違いだ。まず一方通行アクセラレータを仕留め、それから病院関係者の洗い出しに戻れば良い。ミス一つを手柄一つでおおい隠せば、あの人の怒りもやわらげられる。全員が処分される事もないだろう」
 召集をかけろ、とマイクは抑揚のない声で言った。
 デニスがそれに応じて無線機のスイッチを入れようとした時、変化が起きた。
 プルルルル、という電話の呼び出し音が鳴ったのだ。
「……。」
「―――、」
 デニスとマイクは同時に首を巡らせる。
 音源は、受付カウンターの向こう側だ。まるでこちらの位置を測った上で、特定の電話機にねらいをつけてコールしてきたような正確さだった。
「トラップの可能性は?」
「ワイヤー、赤外線ともに確認できません」
 デニスの言葉を受けて、マイクは周囲を警戒しながら、カウンターを飛び越えた。呼び出しを示す赤いランプの点滅を眺めてから、受話器を取る。
『遅かったじゃないか』
 声は瓢々ひようひようとしていた。
 マイクはまゆをひそめた。黒いマスクがなければ、嫌そうな顔、と受け取れたかもしれない。電話越しの台詞せりふは聞き慣れた医者のものだった。彼は、この医者に命を助けられた事があった。
「『冥土帰しヘヴンキヤンセラー』……」
『退院した患者さんと話すっていうのは医者の楽しみの一つなんだけど、ちょっと時間がないから手短にいきたい。構わないかな?』
 医者もこちらの素性すじようを看破しているようだ。
 おそらく自分が受け持った患者の顔や声は忘れない人間なのだろう。
(……どこからこちらをうかがっている?)
 この施設のセキュリティは突入前にすべつぶしたつもりだった。しかし、カエル顔がピンポイントでマイクへ連絡を入れてきた所を見ると、別系統のセキュリティが稼動かどうしているものと見た方が良い。
「余裕だな。潜伏中せんぷくちゆうには、こういう挑発的な行動は取らずに沈黙ちんもくしているのがセオリーだ。逆探知されたいのか」
『そんな基本的な事で失敗するほど子供ではないさ?それに、多少のリスクを負ってでもやっておくべき事があるのでね』
「やっておくべき事だと?」
『僕は患者の味方だ。君がベッドから動けない病人たち戦闘せんとうに巻き込むような人間であっても、命が奪われようとしているのなら救わないとね。医者の言葉は重要だよ? たのむから聞いて欲しい』
 医者はスラスラと言った。
 しかしそこには、やはり若干じやつかんながらのとげがある。
木原むはらの下をはなれ、逃走しろ。そうしないと君達の命が危ない』
「本気で言っているのか」
『君は一方通行アクセラレータに潰される』
「あの腰抜けにか?」
『勘違いをしているようだけどね』医者は動じない。「一方通行アクセラレータは、決して善じゃないんだ。白じゃない。小さな光を得て、多少の白い善を手に入れたようだが、彼は基本的には黒い悪なんだよ。今までは……そう、限りなく黒に近い灰色、といった所かな。どちらにでも転ぶ、不安定な状態の危険な存在だね?』
「……、」
『分かっているだろう? ようやくわずかな白を手に入れた彼を、再び真っ黒に染め直したのは君たちだ。ゆえに、彼は一切の加減をしないだろうね。容赦ようしやではなく、加減をしない。その小さな光がやみに埋もれるのを防ぐためなら、すペてを血に染めてでも行動を続ける。君は一方通行アクセラレータに会ってはならない。僕が患者に言えるのはそれだけさ。り返す、君は一方通行アクセラレータに会ってはならない。今の彼は、君が見てきた彼じゃないんだ』
世迷言よまいごとを」
『そうか。意図が伝わらなかったのは残念だ』
 医者はそこで言葉を切った。
 それから、言う。
『ところで、僕達に危険を伝えてくれたのはだれだと思う?』
「なに?」
 マイクはまゆをひそめ、それから嫌な感覚が胸に落ちた。
(まさか……ヤツが……?)
 そこまで考えて、ハッとした。危機を伝えたのがヤツなら、当然ここに『猟犬部隊ハウンドドツグ』がみ込んでくる事も推測できているはずだ。
 警戒をき直そうと、マイクは近くにいる同僚どうりようのデニスに身振りで伝達しようとしたが、その前に医者がポツリと言った。

『死ぬなよ。死なない限りは助けてやる』

 ぎゃああああ!! と。
 建物全体をふるわせるような絶叫が、天井てんじようから炸裂さくれつした。
 敷地しきち内のあちこちで、銃声が連続でひびいていく。しかしそれらは、一つ一つを摘み取るように、確実に沈黙ちんもくしていく。
 何かが近づいてくる。
 マイクは受話器を投げ捨て、デニスと共にサブマシンガンを取る。物陰に隠れ、暗闇の向こうへ目をらし、少しでも多くの情報を先んじて入手しようと努める。
 そして、
『恐怖』が目の前に現れた。
 デニスやマイクを含む『猟犬部隊ハウンドドツグ』の一班は、およそ一〇分間で消滅した。

     4

 ヴェントは雨の街にいた。
(くそ……)
 その動きは遅い。口元に当てた手の指の隙間すきまから、どろりとした血液がこぼれていた。時折、背中が大きくビクリと動いたと思ったら、赤い塊を地面に背中が大きくビクリと動いたと思ったら、赤い塊を地面にき出している。

(……何だこれは。だれかからの、攻撃こうげき……? おのれ。あと少しで、標的を殺害できたのに)
 そんな彼女を、人工の光が照らしていた。
 光は動いている。
 デパートの側面には、広々とした大画面が取いた。アナウンサーの切羽詰まった声がヴェントの耳をたたく。
 どうやち国営放送のものらしい。
『ええ、現在、突発的に意識を失う人が出ている、という報告が全国のあちこちから届いています。警察では原因の特定を急いでいますが―――』
「が、ぁ……」
 体の内側からの痛みと寒気で、そちらへ注意を向けられない。
 それでも、彼女は血まみれの唇を動かす。
「……そっちの方にも広がった、ってコトね。私の攻撃はねらいを決めるのが難しいから、なぁ。学園都市さえ……制圧できれば、良かったんだけど」
『日本のみならず、海外の一部でも被害の報告が見られているようです。なお、これに伴って空港や鉄道、船舶など交通機関のダイヤに影響えいきようが出始めており―――』
「はぁ……」
 ヴェントは大きく息を吐いてから、告げた。
「バチカンの方に被害が出ていないと良いなぁ」
 大して気にしてなさそうな声だった。
 ニュースの方も混乱が続いているようだが、番組の方にも尺があるらしい。別のレポーターに代わり、次の原稿が読み上げられていく。
『続いては経済です。東京都内にある、世界のお菓子を集めたパラレルスウィーツパークで、秋の甘味フェアが開催されました。営業開始に合わせて―――』
「……、」
 ヴェントはジロリと大画面へ眼球を向けた。
『来客の予定人数は、開園一週間で二〇万人を超すと言われており、グッズ関連の製造で中小企業との連携も期待されている事から、アトラクション業界のみならず地域経済全体に』
 ボン!! という轟音ごうおんと共に、火花を散らして大画面が吹き飛んだ。
 ヴェントは、ハンマーを肩でかつぐ。
 彼女は雨の街を再び歩き始めた。

     5

 上条かみじようは今にも崩れそうなファミレスの建物から、意識を失っている客や店員たちを雨の下に引きずり出した。下敷したじきになるのを防ぐためだ。次に怪我人けがにんの手当てに移る。手足を飛ばされたのは、黒ずくめの連中だけだ。ロープで傷口断面を強引にしばって血を止める。感覚が追い着いていないのか、傷口を見てもパニックにならないのが逆に怖かった。
 それから救急車を呼んだが、街の現状をかんがみると病院に着けるどうかは五分五分か。
(そうだ。打ち止めラストオーダーのヤツは……)
 周囲を見回しても、もちろんいるはずがない。上条は雨の中を走り、近くにあった警備員アンチスキルの詰め所へ入った。彼女が助けを求めるなら、そこが一番可能性は高いと思ったからだ。しかし中はしんと静まり返っていて、テーブルに突っ伏すように警備員アンチスキルの男が倒れているだけだ。
 状況的にはレストランと同じ。上条はさらに遠くの詰め所を二、三件回ったが、どれも似た感じだ。ここにいても安全ではない。となると、打ち止めラストオーダーは一体どこへ逃げ込んだのだろう。
 あれこれ捜し回っている内に、時間だけが経過していく。
 と、そこで上条は自分のポケットの中にある物に気づいた。
 それは子供用にデザインされた、可愛かわいらしい携帯電話だった。打ち止めラストオーダーがファミレスから逃げる際に落としていったものだ。これで彼女は、だれとも連絡が取れなくなった事になる。
(あの黒ずくめと、ヴェントって名乗ったローマ正教の女……。どっちにもねらわれてる事を考えると、これ以上モタモタしていられない)
 ヴェントが狙っているのは上条らしいが、かと言ってあの女が打ち止めラストオーダーと遭遇した場合、にっこり笑顔で仲良しになるはずがない。本命ではないからと言って、その他の人間に気を配るような人間には見えなかった。
「……、」
 上条はもう一度、打ち止めラストオーダーの携帯電話を見た。
 悪いと思いながらも、電源を入れて登録アドレスを表示した。
 打ち止めラストオーダーが単独で逃げるか、知り合いに助けを求めるかは上条には分からない。が、知り合いに助けを求めるなら、このアドレスを辿たどって行けば打ち止めラストオーダーに会えるかもしれない。そうでないとしても、彼女の知人にも危険を知らせておいた方が良いだろう。打ち止めラストオーダーが行きそうな場所を教えてもらうのも良い。
 登録件数は極端に少なかった。
 画面をスクロールさせる必要もない。四件ぐらいしかないからだ。本当にただ電話番号が記 録してあるだけで、名前も書いてなかった。『登録1』『登録2』という、そっけないデフォルトの表示が並んでいる。もしかすると、保護者の人に持たされているだけで、自分では全然 使っていないのかもしれない。
 一件ずつ登録番号に電話をかけていく。
 しかし呼び出し音が続くだけで、一向に相手が応じる様子はなかった。正体不明のヴェントの攻撃こうげきは、予想以上に広範囲に及んでいるのかもしれない。
 三件は沈黙ちんもくだった。
 残る最後の一件も同様なら、これで手は終わりだ。
 祈るような気持ちでボタンを押す。
 携帯電話を耳に当てる。
 土砂降りの雨の中、単調な呼び出し音が鳴り始めた。

     6

 一方通行アクセラレータは暗い病院の中で、軽く周囲を見回した。
 グチャグチャになって息をいている敵は、その辺に転がしてある。つえ代わりにしているショットガンと同じ形式の銃はなく、弾丸の補充はできなかった。ほかの銃を拾っておくという選択肢もあるにはあるが、彼はそれをけた。あまり銃器にたよっていると敵に認識させたくない。
(さて、これで分班を二つほどつぶした訳だ)
 大粒の雨が当たる窓を眺めながら、一方通行アクセラレータは唇の中でつぶやく。
木原きはらのクソ野郎も、これで多少はプランを変更せざるを得なくなる。おれを潰す事の優先順位が跳ね上がる。その分だけあのクソガキの危険度は引き下げられるって寸法だ)
 一見何もかもこちらが優位に見えるが、実際には一方通行アクセラレータの劣位は変わらない。普通の『猟犬部隊ハウンドドツグ』をいくら潰した所で、木原はあせりはしても恐怖は覚えない。何故なぜなら木原には一方通行アクセラレータを素手でたたき伏せる特殊な体術があ。るからだ。
 さらに、木原数多あまた打ち止めラストオーダーがそれぞれ街のどこにいるのか、ヒントもない。今の一方通行アクセラレータには決定的なアクションを起こす事ができない。相手がポロを出すのを待つしかない。
 打ち止めラストオーダーがまだ捕まっていなければ、一方通行アクセラレータがこれまで行ってきた戦術は有効になる。木原はプランを変更し、こちらにさらなる刺客しかくが回され、その分だけ招鱈塀を追う人数は削られていくはずだ。
 しかし、すでに打ち止めラストオーダー木原きはらに捕まってるのなら、一方通行アクセラレータの努力は無駄むだに終わる。木原の位置が分からない以上、即座に助けに行く事もできないし、木原がボロを出すような機会も完全になくなる。彼らの目的は打ち止めラストオーダーであって、一方通行アクセラレータではない。下手に手を出し続ける必要もないのだ。
(二つに一つ。妥協点ナシ、か。ったく笑えねェ状況だ)
 一方通行アクセラレータは舌打ちしてから、足元を見た。『猟犬部隊ハウンドドツグが使っていた無線機がある。苛立いらだち紛れに、彼はそれをつぶした。一方通行アクセラレータが無線を入手した事は木原も知っているらしい。先ほどから重要な会話はなくなっていた。もう無線は利用できない。
(にしても、何でこのタイミングでヤツらがあのガキをねらう?)
 壁に背を預け、思う。
(研究からみで打ち止めラストオーダーが欲しいってンなら、やっぱ妹達シスターズの方面か。っつっても、木原の野郎の言う通り、妹達ってのは戦力的には大した事ァねェ。木原はこのおれを開発した馬鹿ばかだ。本気で能力者を軍事利用してェなら、俺のDNAマップを使うか、俺以上のDNAマップを作るかの二択の方が性に合ってるはずだ)
 地下街の出入り口付近で木原に潰されかけた時、彼は妙な事を言っていた。量産能力者レデイオノイズ計画は軍事利用が目的ではないとか、もしも本気で軍用能力者を作りたいなら、超電磁砲レールガンではなく。一方通行アクセラレータのDNAマップを利用していたはずだとか、そういう話だ。
量産能力者レデイオノイズ計画と、それに続く絶対能力進化レペル6シフト実験)
 彼はぼんやりと視線をさまよわせ、
(……俺やあのガキは、今まで一体ナニにかかわっていたンだ?)
 何かをつかみかけたような気もするが、一方通行アクセラレータの思考は長く続かなかった。
 突然、携帯電話が小刻みに震動しんどうしたからだ。
「―――、」
 一方通行アクセラレータは息を殺す。ポケットの中から小さな通信機械を取り出す。
 画面に表示されているのは、打ち止めラストオーダーの番号だった。
 思う。
(あのガキ本人か、木原のクソ野郎か。まさに両極端の二択だな)
 通話ボタンを押す。
 携帯電話を耳に押し当てる。

『良かった、ようやくつながったな!』
 声は打ち止めラストオーダーのものではなかった。かと言って、木原数多きはらあまたのものでもなかった。
 木原の部下が電話を使っているのか、とも思ったが、
(……、この声?)
 どこかで聞いた事があるような気もするが、はっきりとしない。電波の状況も良くないし、相手は外にいるのか、スピーカーからは豪雨の音まで入ってきている。
『今、打ち止めラストオーダーの携帯電話に残った登録番号に片っ端からかけてんだ。応答したのはアンタだけ。状況がつかめないかもしれないが、協力して欲しい。あの子が危ないんだ!』
 わなの可能性は十分にあった。
 しかし、その罠に乗らない事には一方通行アクセラレータに活路はない。
「どォいう状況だ?」
 一方通行アクセラレータは少しでも多くの情報を得るため、意識を集中しながら尋ねる。
 電話の声はベラベラとしゃべった。
 完全下校時刻を過ぎた辺りで、街中で打ち止めラストオーダーと会った事。彼女の「知り合い』が正体不明の一団におそわれているから助けてほしいとたのまれた事。現場に行ってみると、そこには黒ずくめの男たちが倒れているだけで『知り合い』はいなかった事。その後、黒ずくめの仲間らしき連中に追われ、打ち止めラストオーダーだけ先に逃がした事。今の打ち止めラストオーダーの安否は分からず、連絡もつかない。彼女をねらう危機が去ったかどうかも判断できないため、早めに保護しておいた方が良さそうだ、

という事。
 黒ずくめの動きや打ち止めラストオーダーの位置などは、『猟犬部隊ハウンドドツグ』なら簡単につかめる。
 ますますわなの可能性が高くなってきたが、
 しかし同時に、
(……いかにもあのガキらしい動き方じゃねェか)
「なぁ。もしかして、アンタが……あの子の言ってた「知り合い」って事で良いのか?』
「多分な」
『良かった。そっちは無事か。打ち止めラストオーダーの事もあるし、もし合流したら一緒いつしよに隠れててくれ』
 話がれそうだったので、一方通行アクセラレータは軌道を戻す。
「あのガキとはどこで別れた」
『第七学区のケンカ通り……じゃ、分かんねえか。ありゃウチらの間だけで使ってる名前だからな。っと、この道路って正式名称とかあんのかな?』
 しばらく沈黙ちんもくが続いた。もしかすると表示板でも探しているのかもしれない。
『あった。三九号線の木の葉通りって書いてある。そこにあるオリャ・ポドリーダって名前のスペイン料理系ファミレスだ』
 場所には心当たりがある。
 あの辺りは基本的にはにぎやかだが、大きな通りを少し外れると、いつの間にか人の目が届かない裏路地にいるという場所だ。表と裏の接点が多く、引きずり込まれる人間も多い。
「逃げた方向は?」
『分かんねえ。建物から外へ逃がすのに精一杯だったからな。多分、通りに沿って」るとは思うけど。別れてからかなりってる。正直、今どこにいるかは予測がつかない』
 そうでもない、と一方通行アクセラレータは思った。
 完全下校時刻を過ぎて、バスも電車もなくなった学園都市では、乗り物がない。タクシーを拾うにしても、あんなあからさまに金を持ってなさそうなずぶ濡れのガキが手を上げた所で、律儀りちぎめるようなヤツはいないだろう。
 打ち止めラストオーダーは歩くしかない。
 その上、自分でやっておいて何だが、今の彼女は木原きはらの手から逃れる際に高所から水面にたたき付けられて体力をがれている。それがなくてもこの土砂降り。かなり経ったと言ったが、おそらく打ち止めラストオーダーはほとんど移動せず、どこかの建物で体力の回復に努めているはずだ。
 電話の声が本当なら、今なら何とかなるかもしれない。
 罠だとしても、そこから進展する可能性はある。
「分かった。後はコッチで回収しておく。オマエはそのケータイを捨てて、サッサと一般人に戻れ」
『何言ってんだ! おれも手伝うに決まってんだろ!!』
 実は一人の方が動きやすいというか、下手に素人しろうとに状況を乱されたくなかったのだが、意外に相手は食いついてくる。わなにしろ、そうでないにしろ、馬鹿ばかな野郎だ、と一方通行アクセラレータはウンザリした調子で、
「そォだな。オマエは第七学区のデカイ鉄橋に行け。あそこがいざという時の合流地点って事になってる。アイツが今も逃げてンならそこだ」
 分かった、と何やら気合の入った返事がきた。
 もちろん全部うそなのだが。
『気をつけろよ。なんか今日の学園都市は少しおかしい。変なヤツが街の外から侵入してきてるし、警備員アンチスキルとか街中の人たちがバタバタ倒れてるし』
「なに?」
 一方通行アクセラレータまゆをひそめた。
 学園都市への侵入者や、大勢の人間がバタバタ倒れているという話はどちらも初耳だ。
『侵入者の方はともかく、街の異変の方も知らなかったのか? 警備員アンチスキルとか、ええと、黒ずくめの連中も被害にってたみたいだったな。レストランの客も倒れてた。だれかが腹とかなぐって、物理的に直接気絶させてんじゃないんだよ。その辺を歩いてる人間が、いきなりバタリと倒れるっていう雰囲気ふんいきだな。いちいち確認してねーけど、周りが妙に静かだと思わねーか』
「……、」
 どういう事だ、と一方通行アクセラレータは少し考える。
 木原数多なはらあまたはそこまでやるだろうか。ヤツの部下である『猟犬部隊ハウンドドツグ』まで倒れているというのが気になるが、しかし木原なら部下を切り捨てる事にもためらわないかもしれない。
 嫌な感じがするが、今は後回しだ。
 とにかく打ち止めラストオーダーを回収するのが最優先である。
『かなり無差別的な攻撃こうげきみたいだから、お前も気をつけろよ』
「面倒臭ェ……」
 二人はそれぞれ言い合って、少しだけだまった。
 やがて、電話の向こうで彼は言う。
『悪いな。本当なら、あの子は一人にするべきじゃなかった』
「……、お互い様だ。おれもあのガキを一人にしちまったからな」
 通話を切った。
 少しだけ手の中の携帯電話に目をやってから、ズボンのポケットにねじ込んだ。
 つえの代わりに使っているショットガンをついて、彼は病院の出口に向かう。
 ここが正念場だ。

     7

 木原数多きはらあまたは暗い一室にいた。
 今は使われていないオフィスだ。仕事に使われる機材の大半は消えていて、大量の事務机と椅子いすだけが取り残されている。木原は椅子の一つに腰をかけ、両足をほこりっぽい机に乗せてくつろいでいた。
 周囲には装甲服に身を固めた男たちが控えている。
 最初に比べれば数は少ない。せいぜい五、六人程度だ。
 それでも木原の顔から余裕が消える事はなかった。
猟犬部隊ハウンドドツグ』はいくらでも上から回されてくる。それはつまり、クズな人間はどこにでも転がっているという事だ。人は木原を見れば悪い人間のお手本とでも表現するだろう。しかし、そういう非難を平気で浴びせている時点で、そいつも人の痛みを知らないクズに過ぎない。
 消しても消してもなくならない。
 だから彼は困らない。
「複数の班から連絡が途絶えました。おそらくは」
 神経質な部下の声が聞こえる。
 木原はゆったりとした調子で、適当に言葉を投げ返した。
「逃げたか死んだか。どっちにしても、後で心臓を集めねーとなぁ」
 失態に対しては、死んだ程度では許さない。死体からパーツをもぎ取ってでもケジメをつけさせるのが木原のやり方だ。
「しかし、どちらにやられたのでしよう」
「どっちでも良いんだがなぁ。一方通行アクセラレータの方はどうにでもなる。貧弱すぎてなぐってるこっちの胸が痛みそうなぐらいだし。……問題は、あっちの女の方だな」
 学園都市の都市機能が麻痺まひしかかっているという情報は木原もつかんでいる。
 そして、それと全く同じ攻撃こうげきを自分の部下達も受けている。
 となると、『あの女』が街に攻撃を仕掛けている事になるのだが、
(……面白い現象だったな、あれ)
 ナノテクや電磁波など、『目に見えない物理現象』とも違う気がする。普通、その手の兵器を使う場合は、使用者は専用のマスクやスーツなどを装着するものだが、あの女にはそういった防護策が一切なかった。
 木原はすぐ近くにいた、別の部下に話しかける。
一方通行アクセラレータの乗ったワンボックスにミサイルぶち込もうとした時に、女が邪魔じやまに入ったろ。あの時おとりに使った連中は回収できたか」
「ええ」
 それだけで、黒ずくめは木原きはらが何を尋ねようとしているのか理解したらしい。
「今、手持ちの機材で負傷者を調べている所です」
「状態は全員同じか」
「いえ。確認しただけで三種類あります。眠るように気を失っている者から、石のように硬直している者までいるようです」
「種類を分ける基準は。倒れた場所か?」
「同じ場所で倒れた者たちでも、振り分けられるグループはバラバラですね。この辺りは、まだ分かっていません」
 一番多いグループは、と黒ずくめは前置きして、
「研究機関に回した訳ではないので正確な数値までは分かりませんが、どうも倒れたおとり達は体内の酸素が極端に減じているようです。目に見えるほどの体組織の壊死えしなどは起こっていませんし、おそらく脳や内臓の機能に必要最低限な分は確保できているのでしょうが」
「……、人工的な仮死の誘発ゆうはつか」
 人間に限らずほとんどの動物には、生命活動に必要なものが不足すると、それに合わせて体機能のレベルを低下させる防衛本能を持っている。動物の冬眠などを思い浮かべると分かりやすいだろう。
 部下は続けてこう言った。
「ただ、酸素ボンベなどで一定値を供給しても変化はありませんので、何らかの『力』。が働いているものと考えた方が良さそうです。……あの女、何者なのでしょう。くそ、あんなヤツのせいで作戦達成率に影響えいきようが出始めていますし、オラフやルルも―――」
 声がぶつ切りになったと思ったら、黒ずくめはそのまま床に倒れてしまった。ごとん、という重たい音が、やけに生々しく耳に残る。
「―――、」
 木原数多あまた椅子いすに腰掛け、テーブルに足を乗せたまま、ジロリと辺りを見回した。
 それ以上の変化は起きない。
 しばらく息をひそめていたが、二発目が来る気配はなかった。
 何らかの能力を使った狙撃そげきかとも思ったが、相手にそんな力があれば木原もはちの巣にされているだろう。一番初めに木原がねらわれなかった点や、部下が倒れたタイミングも気になった。
(野郎……どうやって狙いをつけてやがる……)
 この廃オフィスには一面に窓があるが、単純にそちらから照準をつけているとしたら、やはり木原の方が優先的に狙われているはずだ。目視以外の、特殊な狙い方があるのか。木原ではなく、となりにいた部下の方に狙いがれてしまうような。
 木原は思考を巡らせる。今『猟犬部隊ハウンドドツグ』をおそっている特殊な現象。その一連の攻撃を、超能力だけで実現できるだろうか。
(難しいな)
 一人二人をねらうなら可能だろう。しかし、先ほどの報告を聞く限り、倒れた部下の数はもっと多い。人間個人の体内の酸素を常に一定に保つだけでも大変なのに、バラバラの位置にいる複数人の体を完壁かんぺきに制御下に置くとなると、技量的に無理が生じる。
 まして、部下の話では違う症状で倒れている者もいるらしい。
犠牲者ざせいしやの数だけ襲撃しゆうげき用の能力者をそろえりゃ、できねえ事はねえが……いくら何でもコストが高すぎる。ザコ一匹に兵隊一人しばり付けたんじゃ割に合わねえ)
 あの一方通行アクセラレータを直接開発した、超能力開発のエキスパートがそう判断するのだから、これについてはほぼ間違いない。となると、目の前で起きた怪奇現象は一体どんな法則で起こされたものだ。
 超能力以外の力となると、ナノテクや電磁波など複数の科学技術が挙げられる。が、この場合も木原きはらが無事だった理由が説明つかない。そもそも、そういった技術は人を気絶させる事ならまだしも、血中の酸素を制御するのは可能だっただろうか。
 学園都市製の能力でも、先端技術でもない。
 しかしだとすると、それこそオカルトの世界に話が進んでしまう。
 まさか木原の前に立ったあの女は、本当に超能力以外の『力』を行使する人物なのだろうか。
(非科学、か)
 木原の目が細くなる。彼はその言葉を否定はしない。
 科学の最先端の場にいるからこそ、逆にその言葉は輪郭を鮮明にする。何千何万と実験を行っていると、理論だけでは演算できない妙な数値がチラリと出てきたりもする。木原数多あまたは、一方通行アクセラレータを開発した辺りから、漠然と何かにとらわれていた。自分の信じている完壁な世界の理論のどこかに、見えない穴が空いているような感覚を。
 彼は舌打ちすると、事務机から両足を下ろした。
「まぁ良い。こっちはこっちの事をやるだけだ。アレイスターの野郎もやかましいし、さっさと動いてさっさと終わらせるか」
 アレイスターが何を最終的な目的として打ち止めラストオーダーを捕獲しようとしているのか、木原は説明を受けていない。しかしやるべき事の手順は伝えられている。それを実行すれば良い。
学習装置テスタメントの用意は?」
「こちらに」
 倒れたのとは違う部下が、銀色のアタッシュケースを事務机の上に置いた。本来、電気的な洗脳機械である学習装置テスタメントはかなり大きな物のはずだが、必要最低限の部分だけを抜き取ればこの程度にまで収められる。
 もちろん、『余計な所』を省けば省くほど、被験者の安全は損なわれる訳だが。
一方通行アクセラレータ……)
 アタッシュケースのロックを外し、ガチャガチャと機材を組み立てていく部下を眺めながら、ふと木原ほはらはポツリとつぶやいた。
「あらゆるベクトルを操る、か。じゃあ、ああいうイレギュラーはどうなんだろうな」
「は?」
何でもねえよ、と木原は言った。

     8

 一方通行アクセラレータは第七学区三九号線、木の葉通りに来ていた。
「電話の男』の言っていたファミレスはすぐに見つかった。まるで内戦国の建物のように、鉄筋コンクリートがき出しになるレベルで破壊はかいされているのだ。木原の『猟犬部隊ハウンドドツグ』の連中も乱暴な手当てを受けたまま倒れている。最低限の隠蔽いんぺいすらされていない。
「……、」
 もしかしたら、『電話の男』はわなではなかったのかもしれない。
 だとすれば、こんな惨状に巻き込まれたにもかかわらず、打ち止めラストオーダーだけでも逃がしたというあの男は、本物だ。
(チッ、早いところあのガキを見つけねェとな。アイツは一体どこへ行った?)
 目印となるものでも残してあれば良いのだが、そんな気のいたサインを記しておくだけの余裕はなかっただろう。仮にあったとしても、この雨では流されている可能性も高い。
(あのガキは妹達シスターズのネットワークを介して、『実験』当時使われていた証拠隠蔽マニュアルに従って逃亡してるはずだ。八月三一日の天井亜雄あまいあおと同じパターンだな)
『実験』の事は思い返すだけで胸クソ悪くなるが、そこに活路があるのでは仕方がない。
(……衛星の目を盗み、なおかつ警備ロボットの巡回ルートを外れるような道だ)
 電話の男は表通りにある警備員アンチスキルの詰め所などを捜したそうだが、おそらくそちらは外れ。証拠隠蔽マニュアルを元に動いているなら、むしろ裏通りの方が怪しい。
 一方通行アクセラレータはショットガンをつえの代わりにして、路地に入っていく。土砂降りの雨に打たれ、動きづらい体を引きずるようにして、ひたすら歩く。途中、ビルの裏口などがあると、一つ一つをチェックしていった。電撃でんげき能力を使い、強引にロックを外した痕跡こんせきがないかを調べていく。
 収穫はなかった。
 道は一本ではないし、どこかの建物に隠れているかもしれない。
 いくら何でもヒントが少なすぎる。
 敵から逃げるためなのだから仕方がないのだが、これでは捜しようがない。
「クソッたれが……」
 打ち止めラストオーダーはこの近くにいるはずだ。それは間違いない。
 あるいは、一方通行アクセラレータの方からサインを出せば、打ち止めラストオーダーは出てくるだろうか。そのサインとは何だ? 打ち止めラストオーダーは携帯電話を手放している。そういった連絡方法が取れないなら、後は電極のスイッチを解放して派手に暴れ回るのも一つの手かもしれない。
 と、ここまで考えて、一方通行アクセラレータは別の方法を思いついた。
 あまりにも馬鹿馬鹿ぱかぱかしくて、今まで考えもしなかった方法だ。
 大声で名前を呼べば良い。
 一方通行アクセラレータの声だと分かれば、打ち止めラストオーダーは出てくるはずだ。
 しかし、見つからない子供の名前を呼んで歩き回るだなんて、まるで迷子を捜す父親のようだ。普段ふだん一方通行アクセラレータの価値観からして、最も遠い行動のような気がする。
 笑ってしまうが、それしか手はない。
 いかにも忌々いまいましそうに舌打ちしてから、彼は大きく息を吸い込んだ。
 だが、声は出なかった。

 声を出す直前で、『それ』を見つけたからだ。

 土砂降りの雨が地面に落ちて作られた、汚い水溜みずたまりの上に、何かが浮いていた。
 それは破り取られた布切れだった。大きさはハンカチぐらいのものだ。近づいて観察してみると、男物のワイシャツのそでのようにも見える。一方通行アクセラレータは袖口のデザインに心当たりがあった。打ち止めラストオーダーが空色のキャミソールの上から羽織はおっていたものだ。
 一方通行アクセラレータの思考に空白が生まれた。それから、少しずつ顔色が青ざめていく。
 これは、
 まさか、
 そんな、
 タイミングを計ったように、携帯電話が振動した。一方通行アクセラレータは、ノロノロとポケットから電話を取り出す。画面には見知らぬ番号があった。
 違う、と思う。
 これがヤツなら、わざわざ通知する理由がない。こんな分かりやすい手をヤツは使わない。
だから大丈夫だいじょうぶだ。これはそういうものじゃない、と一方通行アクセラレータは自分に言い聞かせていく。
 通話ボタンを押す。
 耳に当てるまでもなく、大きな大きな声が彼の耳を打った。

「元気かなーん、一方通行アクセラレータ。ぎやははははっ!!』
 みしり、と手の中の携帯電話がきしんだ音を立てた。
 あまりにも予想通りすぎて、頭の血管が切れるかと思った。
 一方通行アクセラレータ瞳孔どうこうが大きく動く。ざわざわとした感情の渦が、彼を中心に周囲一帯へばらかれていく。
「なァンの用かなァ、木原きはらくゥゥン?」
遊び心ユーモアだよ。将棋にしてもチェスにしても、勝負ってなあ宣言して幕を下ろすモンだろうが。
昔の人間ってなヤルよなあ。散々ムカつきっ放しだったクソ野郎が、目の前で敗北に打ちひしがれる瞬間しゆんかんを存分に味わえるんだぜ。これ以上の勝利の醍醐味だいごみがあるかよ、なぁ?』
「宣言だと? マジで言ってンのかオマエ」
『信じねぇんならそれでもいーけどよ。っつか、そこにガキのシャツの切れ端とか落ちてねえ? まだだったら探してみうって、わーざわざ残しておいてやったんだからよぉ』
「―――、」
『「学習装置テスタメント」ってのはすげーよな。人間の頭にウィルスぶち込めるなんて普通じゃねえよ。ハハッ! このガキ身体からだあガクガクにふるわせてやがるぜ!!おいテメェのアドレス教えろよ、動画メールで送ってやる!!』
 血の気が引いた。
(コイツら、あのガキをさらったのはこのためか……ッ!?)
 木原が行っているのは、八月三一日に天井亜雄あまいあおが行ったのとほぼ同じだ。洗脳機械を使って打ち止めラストオーダーの脳を直接書き換えているのだ。どんな内容の命令文を追加しているかは知らないが、まともな神経で行える事ではない。彼女の脳みその中にありったけの精液をり込むよりも冒漬的ぼうとくてきだ。
『にしてもテメェ、分かってねえな。敵を殺さねえってやり方は、確かに有効だ。世の中には生き地獄って言葉がある。死ぬ事が世界一の恐怖だと勘違いしてる連中は、そういうプレッシャーに耐えられずにパンクすんだろうさ。例えばウチの部下とかな。だがなぁ……』
 木原は乾いた息をいた。
 教え子の無能ぶりに失望した教師のように。
『そいつを知ってる俺には通用しねえんだよ。安い演出だってのが丸分かりだボケ。いーかー、テメェみてぇなクソガキに復習タイムだ、死体オブジエってのは、殺してナンボなんだよ。息の根を止めるってなあ、彫刻の顔を仕上げるようなモンだ。テメェのオブジェはギャラリーに飾る段階じゃねえ。適当に石を削ってその辺に投げっ放したあどういう了見だコラ。そんじゃ肉塊に対して失礼じゃねーかよー?」
 一方通行アクセラレータは取り合わない。
 今自分が置かれている状況を分析していく。
『そんな訳で、一回テメェにお手本ってのを見せてやる。キレーなお肉の作り方ってのを教えてやるよ。ガキの残骸ざんがい眺めて思わずトンじまわないように覚悟しておけよぉ!!』
 スピーカーを割るような笑い声が続いた。
 一方通行アクセラレータはしばらくそれを聞いていた。
 やがて、彼は携帯電話に向かってこう言った。
「で、おれはなンてリアクションすりゃ良いンだ?」
『あ?』
「腹ァ抱えて笑ってやンのが正解かなァ、マゾ太クン?」
『おいおい。テメェ、状況判断能力がこわれちまってんのか』
「そっちこそマジメにやってンのかよォ。今回の件が単に俺を悔しがらせるためなら、オマエはあのガキを回収なンかしねェ。さっさと死体に変えて送りつけてくンだろォが。学習装置テスタメント? 馬鹿ばかじゃねェのかオマエ。ンなパッと見で分かりづれェ方法じゃ演出にならねェよ」
 一方通行は笑いながら続けて言った。
「その辺をウロついてるチンピラどもは、世界のやみかれば自由を手に入れられるとかって勘違いしてるモンだが、実際には全くの逆だ。もぐれば潜るほど上下関係のしばりは強くなる。なァ、そォだろ犬コロ奴隷の木原クン」
『分かった。テメェのマイブームはガキの悲鳴だな』
「むしろ聞かせてくンねェかな。展開が単調なンで飽きてンだよ。ここらで生存確認ってのをしてみてェ。何なら鼻でも削って送ってくれても構わねェぜ?」
『ご注文の品はそれで良いンだな。今ならセットで耳も届けてやるけどよ』
怖気おじけついてンじゃねェよ若造が。オマエだってだれかに雇われてンだろ。木原数多あまた個人の研究に、あのガキを利用する意味はなさそォだし。どォせオマエみてェなのを好んで使ってる野郎だ。トップは『無傷で回収しろ』なンて涙あふれる台詞せりふいてはいねェよなァ? 脳と心臓が無事なら後は問題ねェとか言われてンだろ。にもかかわらずブルッちゃって指一本触れられねェオマエは何なのよ」
「りよーかいりよーかい」
みじめだねェ、木原クーン。オマエはどこのデリバリーよ。あンだけあせってたのは届けンのに三〇分っちまうとしかられるからだったンかァ?」
『殺す』
 ブツッ、と唐突に通話が切れた。
 土砂降りの雨音が、急に近づいてきた気がした。
 一方通行アクセラレータはくるくると携帯電話を手の中で回転させ、今の会話を分析する。
(あの野郎の人格なら、ここまで言われりゃ電話の前であのガキの目玉の一つぐれェは絶対はじく。それがなかったって事ァ、おやおや。コイツは本格的にパシリ確定かよ)
 危険な駆け引きだったが、これぐらいのリスクを負わなくては木原とは渡り合えない。
「―――って事は、だ」
 樋漣悟凱ば、木原きはらをそれだ魍偲いとどまらせるほどのバックが存在するはずだ。
『猟犬部隊』の整った装備を鑑みるに、一番大きな可能性は、
(まさか……学園都市そのものか)
 おそらくは、それらを直接束ねている統括理事会か。妹達シスターズを使ったあの『実験』当時と全く変わらない。いや、もしかすると、すべては地続きの出来事なのかもしれない。
(木原の居場所は分かンねェ。だが統括理事会の連中なら話は別だ。そっちを調べりゃ、木原が持ってる以上の『プラン』もつかめるかもしンねェ。ンん? ……おいおい、すげェな。あっという間に進展しやがったよ。こンなに順調でオッケーなのか)
 ばんばん、と一方通行アクセラレータは壁をたたいて笑う。
 彼はパチンと携帯電話を二つに折ってポケットに仕舞いながら、

「ふざっけンじゃねェぞ!!ナメやがってェえええええええええええええええッ!!」

 絶叫した。
 首筋のチョーカー型電極のスイッチを指ではじく。
 莫大ばくだいな演算能力が復帰する。
 一方通行アクセラレータの立っている場所は狭い裏路地で、四方を見回してもコンクリートの壁しかない。
 それでも関係なかった。
 彼は絶対座標から標的の位置情報を確実に手に入れる。ギョロリと眼球を動かす。一方通行アクセラレータは知っている。やみに身を浸していたからこそ。その方角に建っている事を。
(敵は学園都市! ソイツを束ねてンのは統括理事長!!)
 窓のないビルが。
 学園都市の統括理事長がいるシェルターが。
「がっ、ァァああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
 一方通行アクセラレータは手近なコンクリート壁に手を突っ込んだ。ベクトル操作によって、まるで豆腐のように腕が埋没する。一方通行アクセラレータのどから血が出るほど叫びながら、壁の中にある腕を乱雑に振り回した。
 全てのベクトルを統括制御する。
 ゴン!! という轟音ごうおんが鳴りひびいた。
 その瞬間しゆんかん、九月三〇日の地球の自転は五分ほど遅れる事となった。
 惑星の回転エネルギーという莫大な力を奪い取った彼の腕が、ベクトル操作によって悪魔あくま一撃いちげき変貌へんぼうする。
 強引にえぐり出したコンクリート壁が、恐るべき速度で投げ放たれた。一方通行アクセラレータが立っているのはビルに囲まれた路地の一角だが、『標的』との間を邪魔じやまする複数のビルが紙屑かみくずのように倒壊とうかいしていく。
 周りへの配慮はいりよとか、一般人を巻き込む事とか、そういったよゆうえは一瞬いつしゆんすべて蒸発していた。
 気がつけば、すでに放っていた。
『標的』までの距離きよりはおよそニキロ超。
 窓のないビル。
 学園都市の統括理事長・アレイスターの居城と言われる世界最硬のシェルター。
 その核兵器の衝撃波しようげタはを受けてもびくともしないと言われている巨大建造物に、

 恐るべき速度で直撃する。

 莫大ばくだいな音の渦が炸裂さくれつした。二キロ以上はなれていても全く関係なかった。すぐそこにあった無人の銀行や役所の建物などを二軒、三軒と次々に吹き飛ばし、通りの向こうにあるビルとビルの間を突き抜け、高層ビルの側面に取り付けられていた電光掲示板をむしり取り、そのまま標的まで一気に突っ込んだのだ。途中で人的被害が出なかったのは奇跡でしかなかった。彼は、全く考慮していなかった。
 灰色の粉塵ふんじんき散らされる。彼の視界が一時的に奪われた。
 もうもうと立ち込める粉塵は、しばらくそのままだった。
 やがて、ゆっくりと視界は回復していく。
 一方通行アクセラレータの前に、広がっていく。
「……、」
 世界は、何も変わっていなかった。
 学園都市最強の超能力を全力で振るい、地球そのものの自転エネルギーまで奪い取って放った一撃。それだけのものをぶつけても、窓のないビルはびくともしなかった。
 結果は明白だった。
 壁は、あまりにも大きかった。
「くっ、ァァああああああああああああああッ!!」
 崩れ落ち、一方通行アクセラレータは汚い水溜みずたまりにこぶしたたきつけた。どれだけやってもアレイスターには届かない。得体えたいの知れない技術で衝撃は分散されているし、そもそも本当にあそこにいる保障もない。全てはダミーかもしれない。どうでも良い。そんなのはもう、本当にどうでも良い。
 打ち止めラストオーダーを奪われた。
 状況は考えられる限りで最悪のものだ。
 彼が守りたかったものは、一つも残さずズタズタに引き裂かれていく。
(殺そう)
 バチン、と電極のスイッチを元に戻して、彼は静かに思った。
 黄泉川よみかわ芳川よしかわとどうにか連絡を取ろうとかいう考えは、完壁かんぺきに消え去っていた。
木原数多きはらあまたを殺そう。絶対に殺そう。一〇〇回殺しても飽き足らねェあのクソ野郎を、この一回に凝縮ぎようしゆくしてぶち殺そう。そォしないと何もかもが話にならねェ)
 ふらふらと、彼はショットガンをつえの代わりにして、立ち上がる。
 ポケットの中にある携帯電話に意識を向ける。
 そこには木原の番号が記録されている。ダミーにしても、調べる価値はあった。普通の手段で調べられないなら、普通でない手段を取れば良い。一方通行アクセラレータに未来はなく、打ち止めラストオーダーの未来も奪われつつあるのなら、何に遠慮えんりよする必要があるのか。警備員アンチスキル風紀委員ジヤツジメントの詰め所程度のデータベースで話にならないなら、統括理事会の隠れ家を一つ一つつぶしてでも『書庫パンク』に完全アクセスする、一二人のお偉いさんなど関係ない。必要なら顔でも心臓でも潰してやる。
 街中に火をけてでもあぶり出して、細胞一つ残さず殺してやる。
 うたうようにつぶやき、彼はゆっくりと路地裏を歩き始めた。
 彼の背中が、さらに深い深いやみへ消えていく。

     9

 アレイスターは窓のないビルにいた。
 あれほどの衝撃しようげセを受けて、それでも建物の内装に変化はない。彼は広い部屋の中央にある、赤い液体に満たされた円筒容器の中で逆さに浮かんでいる訳だが、その液体が若干じやつかん揺れた程度でしかなかった。
(何やら表がさわがしいようだが)
 彼の意識は、その原因には向かない。
 それぐらいなら、目を向けるまでもないと言うように。
 アレイスターの視線は空中にあった。
 どんな技術を使っているのか、何もないはずの虚空こくうには、いくつもの四角い映像ウインドウが浮かんでいた。それらはアレイスターの眼球の動きに合わせて次々と表示を切り替え、彼の指先に合わせてコマンドが入力されていく。
 これらのコマンドは、別に体を動かさずとも、脳波を検出する事でも補えるのだが、
(ふふ。たまには運動もしないとな)
 体機能の大半を生命維持装置に預けているアレイスターは、極論を言えばまばたきすらしなくても良い状態にある。常に調整された液体の中にいるため、眼球をうるおす必要がないからだ。指先を動かす事でさえも、『イベント』として認識される。その微細な動きに価値を貯跡し、神経を伝って脳に送られる信号を解析し、たったそれだけの仕草で神業かみわざ級のインスピレーションを誘発ゆうはつさせる訳だ。
 彼には、体をきたえるという概念がいなんはない。
 筋肉の電気的収縮活動も、内臓の管理も、それらはすべて機械が勝手にやってくれる雑事でしかない。かれこれ何十年も歩いていない、と聞けばさぞかし不健康と思うかもしれないが、アレイスターはこの世界のだれよりも理想的な健康状態を維持していた。
 それは知的活動においても同じ。
 アレイスターにとって、脳とは部品の一つに過ぎない。たましいや生命とは切りはなされた存在であり、代用はいくらでもく。彼のインスピレーションはケーブルによって外部へ吸い出され、そこに鎮座ちんざするコンピュータの中で醸成じようせいされ、個人の意見としてアレイスターの脳内へかえる。生命維持装置は彼の皮膚ひふであり、内臓であり、脳である。もしかすると、この大型機械の群れは、今この瞬間は生きているのかもしれなかった。移植した臓器が患者の体に定着するように、あまりにも人間に接近しすぎた金属の群れは、もはや機械と呼ぶべきか人間と呼ぶべきか判断に迷うほどである。
 触れれば鼓動すら聞こえそうな硬い塊に囲まれ、アレイスターはゆったりと微笑ほほむ。
 彼が眺めている画像には、いくつかのデータがある。
 一つ目は、世界中にいる妹達シスターズの配布図と、彼女たちの脳波パターンのグラフ。
 二つ目は、この街で生まれつつある『モノ』の生体データ。
 三つ目は、超望遠で捕らえた、ヴェントが手すりに寄りかかってき込んでいる映像だ。
木原きはらの方も、最終信号ラストオーダーの回収には成功したらしい。対象コード注入後の予備段階で、早くも学園都市の『場』に変化が生じている)
 アレイスターの思考には余裕が生まれていた。急場しのぎで、予想していた出力を大きく下回る結果だが、これだけあれば十分だ。
(AIM拡散力場を利用した虚数学区・五行機関は展開完了した。この学園都市の内部で魔術まじゆつを行使すれば、あらゆる魔術師は暴走・自爆する。前方のヴェント、だったか。それは貴様の体とて例外ではない)
 インスピレーションは思考を生み、思考がインスピレーションを生み、後はその繰り返しで歴史を動かす大きな知的奔流が築かれていく。
(現在の出力では、世界をおおう事などとてもできない。術的な圧力にしても、かろうじて耐えられるレベルだろうが……。まだまだだぞ。例のコードはまだ本起動もしていない。ヒューズ=カザキリの出番と共に、形勢はそのまま逆転する)
 空中に新たなウィンドウが表示される。
 そこには、この街の変化に戸惑い、雨の中を不安そうに歩く、風斬氷華かざのりひようかが表示されていた。

     10

ヴェントは鉄橋にいた。
 大きな川にかかる橋だ。鉄とアスファルトで作られた構造物はひたすらに寒々しい。土砂降りの雨が影響えいきようしているのか、眼下の暗い川は増水していて、にごった水が鈍い音を立てていた。
「ぐっ、げほっ、げほっ……」
 水っぽい、き込む音が連続する。
 口を押さえる手の|
 口を押さえる手の隙間すきまから、重たい血がこぽれていく。ヴェントは自分の血まみれの手を眺めた。その手はガタガタとふるえていた。
(これは……一体、何だ……?)
 無理もない、彼女自身にも原因が分からないのだ。自分の体に何が起こったのか、それはどの程度のダメージなのか、この体は大丈夫だいじようぶなのか、駄目だめなのか。
(……私の、カラダは、特殊な作りをしているとは、いえ……。今までは、こんなコトは、なかった。コレは、そっちのせいじゃない……)
 げほげほと、汚い音が続く。
 雨にれる路面に、新たな赤い色が散っていく。
 土砂降りの雨に打たれて、目元の化粧が若干滲じやつかんにじんでいた。髪をおおっている布地、ギンプも乱れ、額の辺りからほつれ毛がこぼれていた。
(となると、新たな……魔術的まじゆつてき攻撃こうげき……? いや、それも、違う。ここは、学園都市。魔術的攻撃は、ありえない。術式を組まれた形跡も、ない。何より、私はそうしたモノを残らず迎撃、する……)
「―――ッ!!」
 ずぐん、という震えが走る。
 ヴェントの体から一斉に痛みが引いていく。
 体調が回復したのではない。
 逆だ。それ以上に優先すべき現象が起こったからだ。
 圧迫感があった。体のどこが、というレベルではない。皮膚ひふの上から内臓の奥まで、血管一本残さずすべてを絞られているような、そんな感覚だ。
 その正体は『気配』だった。
 あまりにも巨大な気配が、この学園都市そのものを揺さぶっていた。気配に、敵意はない。
ヴェントなど見ていない。たとえるなら、ひようやライオンといった猛獣もうじゆうが、自分の鼻先であくびをしているようなものだ。相手に敵意がなくても、貧弱な人間は冷や汗を流して震えるしかない。
 気配の方角は分からなかった。
 縮尺の単位が違いすぎる。まるでこの街銀てを灘い尽くしているようだ・獄獣げ腹に浄み込まれた人間が、その体内で湘手の気配を探ろうとする行為には何の意味もないという事か。強烈すぎるのに、輪郭すらもつかませない。敵対するには最悪のパターンだ。
 その上……、
(この正体不明の気配、まだふくらみ続けている……ツー7開)
 一番驚愕タようがくすべきはそこだった。世界をふるわせ、いくつもの重なった一層』をたわませ、空間に横たわっている魔術的まじゆつてき法則すら吹き消そうという巨大な何者かは、まだまだ序の口だと言わんばかりに圧力を増していく。十字教の『聖人』であってもここまでは行かない。ならばどう解釈する。
(コレが、学園都市の、私達オカルトに対する、最終ライン)
 アレイスターの余裕の正体はここにあったのか。
 確かに、これは良くない。ヴェントは学園都市の都市機能の九割近くを騨畢させているが、その戦況がくつがえされかねない隠し玉だ。しかし「方で、今まで簡単すぎると思っていた節もあった。こうでなくては、魔術サイドと肩を並べる一大勢力とは言えないだろう。
「……関係、ない。何が出てこようが、私は目的を果たすだけってコトよ」
 ヴェントは、口の中で短い言葉を棚いだ。
 彼女の弟の名前だった。
 それだけで、ヴェントの体をさいなむ震えが、いくらか引いた。血をいている原因も分からないという恐怖もやわらいだ。思考に冷静さが戻る。おどろきに揺さぶられた心が、しんを得る。
(都市機能の九割を奪ったコトは事実。こちらの優勢に変わりはない。アレイスターは、隠し玉を出さなきゃなんないほどに追い詰められてるってコト)
 だから勝てると、ヴェントは口元の血をぬぐって結論を出した。
(陰ながらの応援も、もう使えない。あの上条当麻かみじようとうまが学園都市にとって、どの程度のポジションかは知らないが、アレイスターもヤツの死を止められない……)
 街を防衛している警備員アンチスキル風紀委員ジヤツジメントといった連中は壊滅かいめつしている。そういった人間こそ、彼女の攻撃こうげきを真っ先に受けやすいのだから。巨大な新手が現れた事で忘れかけていたが、ヴェントが着実に手を進めているのは確かなのだ。
 殺すだけだ。
 標的である上条当麻を。
(科学は、キライ)
 ヴェントは手すりに両手を置きながら、思う。
(科学は、ニクイ)
 自分をこんな風にした科学が嫌い。弟の命を助けなかった科学が憎い。
 腕で口元をぬぐって、ヴェントはゆっくりと深呼吸した。
 ダメージを受けた自分の体に活を入れる。
 さっさと標的の上条当麻かみじようとうまを殺そう、とヴェントが鉄橋からはなれようとした所で、

 唐突に、すさまじい轟音ごうおんが鳴りひびいた。

 何らかの遠距離攻撃えんきよりこをげきが放たれたらしい。発射地点近くのビルがまとめて崩され、そこから斜め上方へ一〇キロ近い距離を駆け抜け、どこかのビルへ突撃したようだ。
(何だ、今の……?)
『神の右席』やローマ正教とは関係のない動きだ。侵攻部隊はまだ街の外周部にいると思う。
 自分以外にも学園都市はトラブルを抱えているという事か。
ヴェントはまゆをひそめていたが、そちらを深く追求している余裕はなかった。
「……、」
 彼女は虚空こくうから有刺鉄線を巻いたハンマーを生み出し、つかむ。
 ヴェントの顔中に取り付けられたピアスは『肉体に金属を突き刺す』という関連性から、『神の子』を十字架にい止めた『釘』の属性を持つ。対して、ハンマーは説明するまでもなく、『神の子』を処刑道具に打ちつけた鉄槌てつついだ。
 彼女を戦闘せんとう態勢へ促すのは、一つの音。
 足音だ。

     11

 上条当麻は『電話の声』のアドバイス通り、夜の鉄橋に走ってきた。
 しかしそこにいたのは打ち止めラストオーダーではなかった。
『神の右席』。
 前方のヴェント。
「なっ……テメェ!!」
 上条がえると、ヴェントは振り返りざまに巨大なハンマーを振るった。
 風の鈍器が雨を食い破り、上条はそれを右手ではじき飛ばす。
 両者の間に、見えない緊張きんちようが支配する。
「何でテメェがここにいる! 打ち止めラストオーダーをどこにやった?」
 上条の叫びに、ヴェントはわずかにまゆをひそめた。
 それから答える。
「わざわざ殺されに来たってコト?」
「あの子はどうしたって聞いてんだ!!」
「ラストオーダーだぁ? 知らねえんダヨそんなモンは!!」
 互いの叫びがぶつかり合う。
 しかし、二人がぶつかり合う事はなかった。

 ドッ!! と。
 すさまじい閃光せんこうが二人の目におそいかかったからだ。

 視界が塗りつぶされる。上条かみじようはこれもヴェントの策の一つかと思って警戒したが、ヴェントの方からも歯噛はがみする音が聞こえた。
 状況がつかめない彼らへ、落雷のように一歩遅れて音と衝撃しようげきが襲いかかる。
 体中の関節が悲鳴をあげた。
「ぐああっ!!」
 上条はそのまま路面へ転がった。鉄でできているはずの大きな橋が、り橋のように揺れる。その動きに耐えられないように、いくつものボルトがはじける音が耳についた。
(……っつ。何が……)
 かがみ込んだまま、上条は頭を振った。
 光と音がはなれてやってきたという事は、今のは遠距離えんきよりでの出来事だったのだろうか。
(ヴェントは……ッ!?)
 閃光は長時間にわたって目を潰すほどではない。上条は慌てて起き上がり、周囲を見回す。
(……何だ?)
 と、彼女は上条など見ていなかった。
 鉄橋の手すりに両手をつき、ハンマーをわきに置いて、ヴェントは遠くにある物を食い入るようににらみ付けていた。
「あの野郎……アレイスターッ!!」
 怒りに満ちた絶叫がひびく。
 上条に向けられたものより、数倍も数十倍も色の強い、明確なる怒気だ。
 ヴェントはこちらを振り返った。
「テメェみたいな小物は後回しだ。……殺してやる。そうか。これが虚数学区・五行機関の
全貌ぜんぼうってコトか! ナメやがって。そうまでして私たちおとしめたいかぁああああああああああああああッ!!」
 ハンマーを掴むと、それを思い切り足元へたたきつけた。
 ガァン!! という轟音ごうおんと共に、アスファルトの破片が飛び散る。
「ッ!!」
 上条かみじようが両手で顔を守った時には、すでにヴェントはどこにもいなかった。
(……消えた? って、まさか!!)
 慌てて彼は手すりに駆け寄る。しかしその先をのぞき込んでも、はるか下にはごうごうと音を立てて流れる黒い川しかなかった。雨のせいでかなり増水している。まさか、あそこに落ちたのだろうか。それとも何らかの魔術まじゆつを使ったのか。
(一体、何が……。アイツは何を見ていたんだ?)
 ヴェントは、上条当麻とうまを殺すために、わざわざ学園都市を襲撃しゆうげのしたはずだ。
 にもかかわらず、最大の標的である上条を、完壁かんぺきに捨て置いていた。
 上条は視線を、手すりの下から正面へと移した。
 ヴェントの眺めていたものを確かめるために。
「……うそだろ」

     12

 ―――虚数学区・五行機関が部分的な展開を開始。
 ―――該当座標は学園都市、第七学区のほぼ中央地点。
 ―――理論モデル『風斬氷華かざきりひようか』をベースに、追加モジュールを上書き。
 ―――理論モデル、内外ともに変貌へんぼうを確認。
 ―――妹達シスターズを統御する上位個体『最終信号ラストオーダー』は追加命令文コードを認証。
 ―――ミサカネットワークを強制操作する事により、学園都市の全AIM拡散力場の方向性を人為的に誘導ゆうどうする事に成功。
 ―――第一段階は完了。
 ―――物理ルールの変更を確認。
 ―――これより、学園都市に『ヒューズ=カザキリ』が出現します。
 ―――関係各位は不意の衝撃しようげきに備えてください。

     13

 夜の学園都市は、雨に包まれていた。
 普段ふだんと比べても極端に交通量の少ない道路には光も乏しい。それは建物も同じだった。まるで街の住人がみんな出かけてしまったように、あるいは照明はなく、あるいはけっ放しのまま忘れられている風に、どこか夜景は取り残され、統一性を失った感じが出ていた。
 そんな街の一角で、莫大ばくだい閃光せんこうあふれる。


 ごう!! と。光の中心点から、無数のつばさのようなものが吹き荒れた。まるで刃のように鋭い、 数十もの羽。一本一本は一〇メートルから一〇〇メートルにも及び、天へ逆らうように高く高 く広げられていく。
 周囲にはビルがあるが、そんなものを気にしている様子はない。
 れた紙を引き裂くように、次々とビルが倒壊とうかいしていった。人間の作り上げた貧弱な構造物 を食い破りながら、翼は悠々と羽ばたく。世界のあるじは人間ではないと、言外に語っているかの ごとく。
 まるで、巨大な水晶でできた孔雀くじゃくの羽のようだった。
「まさか……」
 上条当麻かみじようとうまは橋の上から、呆然ぱくぜんとそれを眺めていた。
 彼は知っている。
 はるか前方に見える、非科学極まりないものの正体を。
 ミーシャ=クロイツェフと名乗った、あれが現れた時と全く同じ戦傑せんりつの気配。
 指先一つ動かさずに人類を滅亡させる術式を操り、その片手間で聖人を半殺しにした存在。
 その名は、

「―――天使!?」

 自分の口で言っておきながら、あまりの希薄きはくさに頭が追い着かなかった。
(いっ、いい加減にしろよ! ただでさえ、あちこちで問題がいてんのに!! 一体この街じゃさっきから何が起こってんだよ!?)
 ヴェントが顔色を変えたという事は、あれはローマ正教が用意したものではないという事か。
 では、それ以外にどう説明できる?
 何故なぜ、学園都市で天使なんて言葉が出てくる?
 学園都市の中には、ローマ正教や『神の右席』よりも危険な魔術まじゆつ組織がひそんでいるのか。
 それとも、
 科学サイドであるはずの学園都市が、あの天使を降臨させたというのか。
 状況を理解できない上条など放っておいて、遠くにある天使の翼はゆっくりと動く。
 一際ひときわ大きな翼と翼の間で、得体えたいの知れない放電のような光がまたたく。
 直後。

ゴツ!! と。
破壊の一撃いちげきが放たれた。

 生み出された壮絶な雷光は、蛇のように生物的な動きで学園都市の外へと飛んでいく。上条かみじよう はその残像を目で追う。強烈な光が突き刺さった地点は、まるで土地の地下にまんべんなく爆 薬が仕掛けてあったように、森と土と木々と人が上空まで舞い上げられた。学園都市の出口は 地平線の前後にあるはずなのに、上条の目でも『何らかのウェーブのようなもの』が上下した のが確かに見えた。それほどまでに、膨大ぽうだいな量の物質が噴き上げられたのだ。
 数秒遅れて、爆音が全身を打つ。
 それはもはや衝撃波しようげきはだった。あまりの威力に上条は転びそうになる。鉄橋全体が、天使の出 現時と同様、またもやギシギシと不気味な音を立てていた。ここにいる事に身の危険を感じる。
「……ッ!!」
 打ち止めラストオーダーだのヴェントだの黒ずくめの男たちだの、今日一日で様々な問題が起こっているが、 あれは格別だ。あんなものが好き勝手に動き回ったら、それだけで学園都市は崩壊ほうかいしてしまう。
 被害が学園都市の中だけで済むとも限らない。
(でも、打ち止めラストオーダーの方はどうする!?)
 彼女を保護しないといけないのも事実だ。『電話の声』は、この鉄橋が待ち合わせ場所だと言ったが、打ち止めラストオーダーはどこにもいない。本当に現れたのか。それともヴェントを見て逃げたのか。
(ちくしょう!!)
 上条は打ち止めラストオーダーの持っていた子供用の携帯電話を取り出して、登録番号にかけた。
 電話はすぐにつながった。
「なぁ! 鉄橋まで来たけど、打ち止めラストオーダーはどこにもいなかった! そっちは見つかっ―――」
馬鹿ばかじゃねェのか? 本当に信じてンじゃねェよ!!』
 言い終える前に、向こうから怒鳴られた。
 面食らった上条に、電話はさらに苛立いらだった調子で続ける。
『あのガキの居場所は、もオすぐ突き止められそォだ。少なくとも、闇雲やみくもに街を走り回って見つかるトコにはいねェよ。後はこっちでやる。オマエはさっさと帰れ!!』
「……、」
 くそ、と上条は心の中でつぶやいた。
 これに協力できない事が、胸に刺さる。
「悪い。お前、さっきのヤツ見たか? 街の一角に、すげえ光と一緒いつしよに、何十本ってつばさき出てる場所があると思うんだけど」
『……学園都市の外周に向けて、何かをってやがったヤツだな』
おれは、あの『天使』を止めなくちゃならない。だから本当に、アンタと協力するのは難しくなる」
 構わねェ、と声は気軽に返ってきた。
 悪い、と上条は謝ってから、
「死ぬなよ」
『互いにな』
 電話を切って、それをポケットにしまって、上条かみじようは顔を前に上げる。
 多くのビルを切り崩した『天使』は、その偉容をまざまざと見せつけていた。

   行間 八

 鼓膜が吹っ飛ぶかと思った。
 土御門元春つちみかどもとはるは血まみれになって、水を含んだ泥土の上を転がっていた。彼は森の中にある、放棄されたバスの整備場にいたはずだが、今ではその影もない。すべては掘り返され、吹き飛ばされ、端微塵ぱみじんとなって再びこの地に降り注ぐ。まるで大規模な地滑りが起きた後のように、ドロドロに崩れた土の中に、大量の樹木が埋もれているだけだった。
 敵の人影もない。泥の中に埋もれているか、あるいは木っ端微塵に吹き飛んだか。
 土御門にとっては、今日が雨なのが救いだった。
 彼の最も得意とする術式は「黒ノ式』、すなわち水にある。
 陰陽おんみよう博士として最高峰の実力を誇る土御門元春が、とっさとはいえ自分の全身全霊ぜんれいをかけて張り巡らせた防御用の術式。それをもってして、彼はようやく生き延びられたのだ。
「ごっ、ぽ!?」
 しかし、それでも血の塊が口からこぼれた。
 彼は元々魔術まじゆつが使えない体なのだが、その反動だけではない。明らかに防御用の術式を食い破って、外からの衝撃しようげのを受けて体が引き裂かれていた。
 木の杭も何もない。
 本命の術式をこわすどころか、周囲一帯の地形ごと、まとめて破壊はかいされた。
(な、にが……)
 土御門は泥に体を埋めるような格好で、思考を巡らせる。
(一体、何が、起きた……?)
 遠距離えんきよりから一撃を受けたようだが、それが具体的にどんな術式かは全く想像がつかない。その上、攻撃は学園都市の方向からやってきた。安易に魔術攻撃=ローマ正教と決め付けるには、あまりに不自然な状況だ。
 土御門は起き上がる事もできず、そちらへ首を巡らせて、
うそだ、ろ……)
 はるか遠く、学園都市の内部で展開されている無数のつばさを見た。
 ここからでは小さな影しか見えない。外周の壁や背の高い建物の陰に隠れて根元も良く分からないが、それらの翼が目に入っただけで、呼吸が止まった。
 天使。
 ミーシャ=クロイツェフのものと外観は似ているが、中身は全く違う。大天使『神の力』が突き刺す冷気のような雰囲気ふんいきをまとっていたのに対し、今展開されているのは、蒸し暑い部屋に充満した接着剤のにおいをいでいるような、そんな不快感が強い。
 そう、あれは人工的に形作られた天使。
 学園都市と敵対する魔術師まじゆつしに向かって正確に放たれた攻撃こうげき
(ア、 レイ、スター……)
 土御門元春つちみかどもとはるは、思わず唇を動かしていた。
 虚数学区・五行機関。学園都市を中心に集束し、さらには世界中にばらかれた妹達シスターズによって拡散されたAIM拡散力場を統御する事によって生み出される、人工の『界』。
「あれを使っちまったのか、あの野郎……」
 天使の出現と同時に、学園都市内部も大騒動おおそうどうになっているだろう。
 しかし、土御門の予想では、『界』の完成と共にあらゆるオカルトは消滅し、魔術師も死に絶え、魔術施設は倒壊とうかいするはずである。いまだに土御門の命は保たれているし、術式の構成に違和感もない。
 おそらく、あの虚数学区は未完成だ。
 そうでなくては、今頃いまごろ土御門も『あらゆる魔術の排除』に巻き込まれている。
 そんな不完全なものをアレイスターが引きずり出してきたという事は、
(『神の右席』……。学園都市も、本格的に手詰まりか……)
 あるいは、これすらもヤツの『プラン』の一つに過ぎないのか。
 思うが、今はそれどころではない。
 一刻も早く立ち上がり、ここを去らなければ、次の攻撃が来る。あんな物まで持ち出してきた以上、アレイスターは本気で敵を殲滅せんめつする腹だ。抵抗ではなく反撃。ローマ正教からの刺客しかくを残さずたたつぶすために。このままでは土御門も巻き込まれる。
「ぐっ……」
 土御門は両足に力を込めたが、まともに動かなかった。
 先ほどの衝撃波しようげきはで、体のしんまでダメージが蓄積しているのだ。
「ぜぇ、はぁ……」
 のろのろとした動きで、何とか立ち上がろうとする。
 体は動かない。
 学園都市に出現した天使が、またもや不穏ふおんな光を放ち始めた。
 二発目が来る。
 分かっていても、足が思うように動かない。
 歯を食いしばる。
 前を見る。
 ここで死ぬ訳にはいかない。だから、彼はそれでもあきらめない。

   

chap4

第九章 立ち塞がる障害の違い Two_Kinds_of_Enemies.

     1

 第七学区の立体駐車場には、巨大な自動車がまっていた。
 白い車体は観光バスほどの大きさだが、窓がない。そしてこれはバスではなく、世界最大の救急車だった。一〇人の人間を収めるための生命維持装置つきのベッドが完備されている儲、簡単な手術を行うための設備も整っている、病院車と呼ばれるものだ。
 駐車場には一〇台ほどの病院車が停めてある。フルで使えば、一〇〇人の患者を収容できる計算だ。
 その病院車の陰に隠れるように、複数の小さな人影があった。
 妹達シスターズだ。
 少女たち常盤台ときわだい中学の制服であるブレザーとはあまりに似合わない、アサルトライフルや対戦車ライフルなどで武装していた。数はおよそ一〇。彼女達は木原数多きはらあまたなる人物が放つ『猟犬部隊ハウンドドツグ』という敵対組織を警戒している。
 そんな中に、少女の声がひびく。
はなして! 〟ミサカネットワーク接続用バッテリー〟がないなら、ここにいても意味がないかも! 街の様子もおかしいし、私は確かめに行かなきゃいけないんだよ!!」
 白い修道服を着た少女が、看護師達に押さえられている。三毛猫みけねこも毛を逆立てていたが、両手で女医に抱えられているので、脚をパタパタ振っても抜け出せそうになかった。
 さわぎ声は御坂みさか妹の耳にも届いているが、首を巡らせるだけの余裕はない。
 体をまともに動かせない。
『(―――上位個体二〇〇〇一号より信号を確認ご
『(―――危険度5と推定、ミサカ一〇〇三二号は拒ぜご
『(―――拒絶を認めず。R、V、Y経路で信号を受諾じゆだく)』
「(――― ミサっ、思考き能に重ううう大ナ負荷)』
『(―――拒絶を認めず)』
 ザァッ!! とミサカネットワーク内に巨大な波のように、ある種の信号が広がっていた。それはあっという間に世界をおおい尽した。
 最終信号ラストオーダーからの緊急きんきゆうコードだ。
 その内容がどんなものであれ、下位個体である妹達シスターズにはあらがえない。
 脳の稼動かどう領域の大半を奪われた彼女たちは、ただ呼吸するだけの生物として、おのおの々がその場で固まっていた。
 どうする、と全員が思っていた。
 最終信号ラストオーダーが何者かの手に落ちたのは間違いない。そして、そこからくる命令は、どんな悪意的なものであってもあらがえない。かと言って、このまま指をくわえて状況を眺めているなど論外だ。
(命令に、抗わない範囲での、行動を……)
 一〇〇三二号、御坂みさか妹は、ミサカネットワーク上へ情報を送信する。
(……それが、結果的に、この危機的状況の、打破につながれば……)
 全員がそれに応じた。
 ウィルス(と、妹達シスターズ最終信号ラストオーダーからの緊急きんきゆうコードを再定義した)に対し、無駄むだに抗う事をやめる。そうする事で、これまで抵抗用にいていた演算領域を確保し直す。得られたのは、ほんのわずかな思考能力であり、御坂妹は指一本動かす事ができない。
 それでも、一万もの数が集まれば一つの力になる。
 妹達シスターズは、その力を自分達でめ込むような事はしなかった。
 もっと有効に使える人物を、彼女達は知っている。

     2

 順風満帆まんぱん
 それがトマス=プラチナバーグの人生を示す言葉だった。
 裕福な家に生まれ、何不自由ない暮らしを送り、高い教養を身につけ、大胆なビジネに勝利し、結果として莫大ばくだいな富と権威を手に入れてきた。統括理事長アレイスターを除けば一二人しかいない学園都市統括理事会に、三〇代後半という異例の若さで抜擢ばつてきされたのも、そういった彼の遍歴を象徴するトロフィーだ。
 今まで一度も失敗して来なかったし、これからも成功以外の道は歩まない。
 一点のくもりなく、そう信じてきた。
 だれにも話していないが、いずれは統括理事長として学園都市のすぺてを掌握しようあくする事も難しくないと思っている。それは野心でも何でもなく、ただ自然な流れとして、今あるベストを尽くせば、後は勝手に決まっていくものだろうとしか考えていなかった。
 まさか、だ。
 そんな彼は夢にも思わなかっただろう。玄関のドアを開けた瞬間しゆんかんにショットガンの銃口を胸板に押し付けられ、そのまま引き金を引かれて、五メートルも後ろへ吹っ飛ばされるなどとは。
「……、」
 バゴン!! という轟音ごうおんと共にノーバウンドで空を飛んだ成金小僧を、一方通行アクセラレータは冷めた目で眺めていた。日頃ひごろから命をねらわれる可能性がある事ぐらいは自覚していたらしく、どうやら衣服の下に防弾ジャケットを着ていたようだ。おかげで上半身と下半身が真っ二つになる事はなかったようだが、どう考えても肋骨うつこつすべて粉々になっている。体がビクビクとふるえているのも痙攣けいれんであって、意識は完壁かんペきに飛んでいるはずだ。
 一方通行アクセラレータは、何かが吹っ切れていた。
 窓のないビルへ 窓のないビルへ|一撃いちげきあのクソ医者が言っての通りだ。彼は、たとキすら敵に回すのに、 どうして最初の時点 知らず知らずの内に味に笑ってしまう。「くっだらねェ」 ずぶれの格好も与は邸内を歩いていく。》を放った辺りからだろう。だれを敵に回す事も禁忌きんきではなくなっていた。あのクソ医者が言っていた台詞せりふの意味が、今になって理解できた。目的は一つに絞れ。全くその通りだ。彼は、たとえ打ち止めを敵に回してでも打ち止めを助けるべきだったのだ。あのガキすら敵に回すのに、何故他なぜほかの人間に踏躇ちゆうちよしなくてはならない?
 どうして最初の時点で、こういう手を考えなかったのか。
 知らず知らずの内に、心理的な死角などというものを作っていた事実に、一方通行アクセラレータ自嘲じちよう気味に笑ってしまう。
「くっだらねェ」
 ずぶれの格好も気にせず、豪奢ごうしや絨毯じゆうたんに黒々としたみをこすり付けるように、一方通行アクセラレータは邸内を歩いていく。一品一品に気を配っている割に、屋敷やしきの規模はひどく小さい。そのせいか、洋館というよりコテージのように見えた。
 家具の一つ一つで家が買える箱庭だ。
 あちこちの部屋をのぞくと、使用人らしき複数の男女が、ベッドやソファ、床などで寝ているのが見えた。呼び出しに成金野郎が直接応じたのはこれが原因かもしれない。
 一方通行アクセラレータは執務室を発見し、そこにあった大きな黒檀こくたんの机に向かう。アンティークな一品……に見えるが、スイッチを操作するとみがき上げられた板の一部が持ち上がり、液晶モニタとキーボードが出現した。作動音はない。使い勝手は黒塗りの高級車に似ている。
 いくつかのキーロックがあったが、一方通行アクセラレータは少しだけ時間をかけて、全て解除した。指紋や網膜もうまくなどの生体認証は使われていなかった。おそらく、それをやると手首や生首をえぐり取られる危険があるとんでいたからだろう。実際、一方通行アクセラレータもそうするつもりだった。
 三〇インチの大きなモニタに表示されたのは、一般人ならまず触れられないようなデータばかりだ。
 学園都市での政策をまとめた書類がいくつも出てくる。分野に偏りがあるのは、ここのあるじの専攻に関係があるのかもしれない。データの山は無意味に見えるが、飛ばし読みすると大事な資料を見逃しそうだ。かと言って、一つ一つのデータをじっくり調べていては、それだけで何日もかかるかもしれない。
 そうやって、だんだんとれてきた一方通行アクセラレータは、ようやく目的のデータに行き着いた。
「……コイツか」
猟犬部隊ハウンドドツグ』についての情報だ。
現崔正体不明の脅威が学園都市を弊ていて、それを取り塗ために欝塀を速やかに回収する、という事が記されている。お笑い種だが、ヤツらはあれで街を守るヒーローごっこをしているようだ。
(ふざけやがって……)
 思わずつばでもきそうになった。
 そんなにご立派な思想があるなら、まずは自分を盾にすれば良い。あんな小さなガキを散々に苦しめて、私たちをほめてくださいなんて調子が良すぎる。
「これは―――」
 さらにデータを調べた所で、一方通行アクセラレータは息を止めた。
 どうやら統括理事会の連中は、『ウィルスを上書きさせた打ち止めラストオーダー』を使って脅威に対抗しようとしているらしい。となると、少なくともその『脅威』がなくなるまでは、打ち止めラストオーダーに死なれては困るという訳だ。
 まだ終わっていないのかもしれない。
 取り戻せるものはあるかもしれない。
 一方通行アクセラレータかすかな希望にふるえる手でキーをたたいていく。
 しかし、具体的に打ち止めラストオーダーを使って、どう『脅威を取り除く』のかは書かれていない。当然、脅威の内容やウィルスの詳細についても触れられていなかった。明らかに情報が足りない。会議での作戦申請書(という名の、実質的には命令書)があるだけで、『何を申請したのか』という肝心の情報が一切ない。ここから先のデータは、統括理事長アレイスターの頭の中にしかないのかもしれない。
 ただ、作戦指示書にあるコードの名は、
(ANGELだと?)
 天使。その単語に、一方通行アクセラレータ何故なぜか学園都市の一角に出現した巨大な羽を思い浮かべた。
 そして、それを止めると言った、あの男。
 やみの中で戦っているのは、自分だけではないのか。
(……、)
 ともあれ、今はそちらへ気を配る暇はない。最優先は打ち止めラストオーダーだ。
 以前、八月三[日に一方通行アクセラレータ打ち止めラストオーダーの頭に書き込まれたウィルスを駆除している。
 しかし、それは事前にウィルス情報を入手していた上、一方通行アクセラレータの力が万全だからこそ実行できた事だ。今のこの状況で、それが行えるとは思えない。
 何より、バッテリーが足りない。
 能力使用モードは、もうあと二分間も使えない。これで治療ちりようをするのは無理だ。
(いや、おれのチカラを使って治療ちりようする必要はねェ。木原きはらはあのガキの頭をいじくるためにプロの学習装置テスタメントを使ってるはずだ。それを利用すれば良い。ウィルス情報だって、ヤツの手にはオリジナルスクリプトがそのままあるはずだ)
 ウィルス書き込み後に木原が学習装置テスタメント破壊はかいしている可能性もあるが……確率は低いと一方通行アクセラレータんだ。それでは、万が一上手くいかなかった場合に軌道を戻せない。木原はそのために何らかの保険を用意しておくはずだ。
(となると、結局ヤル事ァ変わンねェって訳か)
 ガタガタと連続でキーを打つ。
(ハッ、ヒットォ!!)
猟犬部隊ハウンドドツグ』の待機ポイントはすぐに見つかった。
(木原を殺してあのガキをもぎ取りゃイイ。ははっ、ヤル事分かるとヤル気が出るねェ!!)
 邸内には狩猟用のライフルがいくつかあった。
 何種類かの弾丸の形式の中から、自分のショットガンと 致している物を探す。一方通行アクセラレータは弾を込めて外に出る。

     3

 インデックスは立体駐車場から土砂降りの外へ飛び出した。
 今までは病院みたいな大きな車に揺られていたのだが、こそこそと隠れているだけの余裕はなくなっていた。
 背後から制止を求める声が追ってきたが、彼女は振り返らない。
(まったく、結局あの〝ミサカネットワーク接続用バッテリー〟って何だったんだよ! もしかしてだまされてたのかも? しかも迷子だけでも大変なのに、学園都市にあんなのが出てくるなんて!)
 やたらと羽だけが巨大で、肝心の本体はビルの陰に隠れて見えなかった。何十枚という羽の塊が、ゆっくりと移動しているのが分かる。人間が歩いているのと同じぐらいの速度だ。
 天使。
 何であん女ものが学園都市に出現したのか、インデックスには全く理解できなかった。その上、あの天使の情報は一〇万三〇〇〇冊の中に存在しない。こんな事態は、アウレオルスの『黄金練成アルスロマグナ』以来だった。つまり、目の前の現象はそれに匹敵する大事なのだ。
(止めないと……)
 インデックスははるか向こうに見える、最大で一〇〇メートルクラスのつばさにらみ付ける。
(あれを止めないと大変な事になる)
 先の一撃いちげきだけでも壮絶な破壊力はかいりよくを秘めていたが、あれがインデックスの知る『天使』と同等の存在だとしたら、その真価はそんなものではない。指先一つで地球上の生物を根絶やしにし、宇宙の星々にまで深い影響えいきようを及ぼすほどの力を持っているはずだ。
 禁書目録。
 必要悪の教会ネセサリウス
すべてこうした事態に備えて作られたものだが、これほど心許こころもとないと感じた事はなかった。プロの魔術師まじゆつしですら、これだけの恐怖を受けるのだ。それを無関係な人々に与える訳にはいかないとインデックスは思う。
 不気味なほどに静まり返った街を、インデックスは走る。土砂降りの雨のせいか、すれ違う人は人は|誰だれもいなかった。
 その時、ずっとずっと遠くにいる『天使』が、夜空を引き裂くように咆哮ほうこうを始めた。まるで有刺鉄線で作られた首輪を引っ張られているけもののような音だった。
 何十枚という巨大な羽が、ビリビリとふるえる。不気味にうごめいているようにも見えるし、痛みに耐えて身じろぎしているようにも見える。
 そうしながら、あの『天使』は鳴いている。
 インデックスは少しでも多くの情報を手に入れるため、そちらへ注意を向けていたが、
「……、え?」
 彼女は、ふと疑問の声を放った。
 とても人間には理解できないような、ただ空気を震わせているだけの音。
 なのに、インデックスはその声を聞いて、何故か懐かしさを感じていた。
「―――、」
 彼女の視線の先には、『天使』の巨大な翼がある。
 本来この世界にいてはいけないはずの、|

神々こうごうしいのに背筋を凍らせるような光の翼。その翼は、時々風に流されるように輪郭が曖昧あいまいになり、また元へ戻っていく。海の波のように、風できりが揺らぐように。
 その動きは乱雑に見えて、実は一定のパターンがある。
 完全記憶きおく能力を持つインデックスだからこそ、情報を照合できたのかもしれない。
 彼女はこれと同じ動きを、以前にも目撃していた。
 九月一日。
 地下街で魔術師シェリー=クロムウェルを撃退した後、上条当麻かみじようとうま一緒いつしよにカエルみたいな顔の医者がいる病院へ行った時に。
 それは、
 この引っ込み思案で、何に対してもオドオドしているような雰囲気ふんいセの持ち主は、

「……ひょうか?」

     4

「どうなってんのよ、あれ」
 御坂美琴みさかみこと呆然ぽうぜんつぶやいた。
 コンビニで買った傘を差し、彼女は雨に打たれた街の真ん中に立ち尽くしている。完全下校時刻をとっくに過ぎているせいか、天気のせいか、それともほかに理由があるのか、だれもいない大通りで。
 上条当麻かみじようとうまを捜していたのだが、時間も遅くなったし、雨脚も洒落しやれにならなくなってきたし、もう引き上げようと思っていた矢先だった。突然、街の一角のビル群が粉塵ふんじんを上げて崩れていき、鋭くとがったつばさのようなものが数十本も飛び出したのだ。
 超能力にしても、随分とスケールが大きい。
 というより、一体どんな能力を使えばあんな事ができるのだろう。
 しかも、その直後に翼は放電に似た現象を起こし、学園都市外周部を破壊はかいし尽くした。
『放電に似た現象』であり、それは『放電』ではない。美琴は学園都市で最も優秀な発電能力者エレクトロマスターだ。その彼女から見ても、あれは電気を使った力ではなかった。
 では何だ?
 その力が電気に似ていれば似ているほど、その正体をつかめなかった美琴は、自分がこれまで信じてきた科学的なルールが通用しないのだという事を理解していく。
 携帯電話を使って白井黒子しらいくろこに連絡を入れても、応じる気配はない。
 風紀委員ジヤツジメントの詰め所にかけても、警備員アンチスキルに電話をしても、結果は同じだ。
 とんでもない所に一人で置き去りにされた気分だった。そして、何故なぜだか知らないが、学園都市の治安維持機能は完壁かんペきに停止している。その上であの怪物の出現だ。あまりにも突発的に現実味のうすい状況に追い込まれ、美琴は傘を差したまま立ち尽くしていた。
 と。
 ばしゃばしゃと水溜みずたまりをむ音を鳴らし、誰かが美琴を追い抜いた。遠くに見える怪物へ向かって行くルートだ。雨具も持たず、ずぶれのまま走る少女の背中に、美琴は見覚えがあった。真っ白な修道服を着た、いつも上条と一緒いつしよにいるシスターだ。
「ちょ、ちよっと! アンタこんなトコで何やってんのよ!? 危険だって分かんないの!」
 美琴は思わず彼女を追いかけ、その腕を掴んでいた。
はなして!!」
 インデックスは振り返りもしないで叫んだ。
「行かないと。あそこにはひょうかがいるの。どうしているのか知らないけど、止めないと。あそこにいるのは私の友達なんだよ!!」
 よほど切羽詰まっているのか、ほとんど説明になっていない。あまりの事態に錯乱さくらんしているんじゃないだろうか、と美琴みことが思い始めた時、視界に新たな人影が現れた。
「とうま!!」
 そう、上条当麻かみじようとうまだ。
 一〇〇メートルぐらい先の曲がり角から、彼は大通りに出てきた。少年はこちらに気づいていないらしい。やはりインデックスと同じく、巨大なつばさの群れにしか目を向けていない。
 捜し人を見つけ、美琴は思わず口を開いたが、言葉は出なかった。
 知り合いを見つけたはずなのに、インデックスの抵抗が爆発的に強くなったからだ。
 彼女は美琴の腕を振りほどき、土砂降りの中で叫ぶ。。
駄目だめだよ、とうま! ひようかを殺さないでッ!!」

     5

 上条当麻は追われていた。
 鉄橋でヴェントを見失ってから、最優先で『天使』を止めるために都市部へ戻ってきた矢先だった。打ち止めラストオーダーを追っていたのと同じ、黒ずくめの連中と鉢合わせしてしまったのだ。
 とっさに車も入って来れないような細い裏路地に逃げ込み、入り組んだ道を通って追跡をこうとしていた。が、多少の地の利はあっても、訓練された人間を手玉に取れるはずがない。
今まで体をち抜かれなかったのがうそのようだった。
「駄目だよ、とうま! ひょうかを殺さないでッ!!」
 だから、その大声を聞いた瞬間しゆんかん、上条は心臓が止まるかと思った。
 声の内容よりも、単に『大きな音』を銃声と勘違いして、撃たれたかと錯覚さつかくしたのだ。
「ッ!!」
 その場で硬直して、二秒ぐらいかけてゆっくりと振り返り、ようやくインデックスや美琴がこちらへ走ってくるのを見て、上条はわずかに力を抜いた。すぐに力を抜いている場合ではないと思い返し、二人の腕をつかんで別の路地へと飛び込んだ。
 バタバタという複数の足音が、表通りに鳴る。
 黒ずくめの連中だった。
あちこちに目を走らせているが、やがて上条たちひそんでいる場所にも気づくだろう。しかし、美琴はともかく、インデックスは黒ずくめの連中など気にも留めていなかった。何やらおびえたひとみでこちらの顔を見上げてくる。
 これまで何があったとか、何故なぜ今追われているのかとか、そういう事は尋ねない。インデックスは、それより重要な事だけを告げる。
「お願い、とうま。あそこには行かないで。どういう理屈かは私にも分からないけど、でもあそこにいる『天使』はきっとひょうかなんだよ。あれは絶対に止めなくちゃいけない現象なんだけど、でもとうまだけはかかわっちゃ駄目だめ! とうまが触ったら、善悪なんて関係なくひょうかが消えちゃうんだよ!!」
 雨水を吸い込んだ上条かみじようのシャツをつかんで、インデックスは切実に訴えてくる。
 よほど興奮こうふんしているのか、言葉はほとんどぶっ切りだ。
 しかし、『ひょうか』という名前には心当たりがある。
 風斬氷華かざきりひようか
 AIM拡散力場の集合体。人間の心を持つが、人間の体は持たない者。
(まさか……)
 上条の知る彼女は、ああいった破壊はかい活動とは全く縁のない人間だ。しかし、AIM拡散力場の組成を外部から干渉できる者がいれば、ああいう『変化』も起きるかもしれない。AIM拡散力場を完壁かんペきに操れれば、形状から言動まで、すべてを統御できる可能性もある。
 現象であるがゆえの不完全性。
 だとすれば、彼女をあんな風にしてしまったのは、だれだ?
(ヴェントが街の学生たちをバタバタと倒したから……いや、違う……?)
 必死に考える上条に、インデックスは切実な声で言う。
「とうま、ひょうかは私が何とかするから。だから、ひょうかに手を出さないで!」
 インデックスにとって、風斬氷華は初めて作った友達だ。
 禁書目録としての立場の間に揺れながらも、彼女は風斬を敵に回したくないのだろう。
 上条は考える。
 風斬氷華は善人だ。しかし、その彼女が暴走状態だとすれば、何の保障にもならない。泥酔した人間に、普段ふだんの人格が当てはまらないのと同じだ。
 だから言った。
「駄目だ」
「とうま!!」
「アイツはおれが止める。それに、問題はアイツだけじゃない。お前だけには任せられない」
「でも、とうまの右手を使ったらひょうかが死んじやうよ!!」
「死なせねえよッ!!」
 黒ずくめの男達から身を隠している事も忘れ、上条は思わず叫んだ。泣き言を言うインデックスの襟首えりくびを掴み、強引に引き寄せる。おどろきで硬直した彼女に、上条は言う。
「殺すためじゃねえ! 風斬を助けるために立ち上がるっつってんだ! あんなのが普段の風斬かざきりに見えんのかよ!? そんな訳ねえだろ。何かが起きちまったからあんな風になっちまってんだよ! だったら助けないと駄目だめだろうが!! 手を出すなだって? ふざけんな。アイツを助けるのに、いちいちお前の許可なんか必要ねえんだよ!!」
 インデックスは、ぱくぱくと口を開閉した。
 上条かみじようは構わず言う。
おれには『天使』がどうだの、魔術的まじゆつてきな詳しい仕組みだのは分からない。だからお前の知識が必要だ。でも今風斬に起きてる現象にはAIM拡散力場もからんでるから、お前にも分からない事があるかもしれない。だったらそっちは俺も手伝える。俺たちなら風斬氷華ひようかを助けられる!」
 土砂降りの雨の音が遠ざかっていく。
 周囲を支配するものは、少年の言葉だけになる。
「今日一日、街じゃいろんな事が起きた。正直、俺にはいまだに全貌ぜんぽうつかめない事ばかりだし、解決の糸口だって分かんねぇ。でもやらなきゃならねえ事は分かってる! 風斬を助けるのは俺達だ! 違うか!?」
 確認を取るために、彼は質問する。
 友達に対して、殺すだの殺さないだの見当違いな事を言っていたインデックスの目を覚まさせるために。

「行くぞ、インデックス。風斬氷華を助けるためにお前の力を貸してくれ!!」

 インデックスは、その声を聞いて、こくんとうなずいた。
 上条は彼女の襟首えりくびから手をはなす。
 それから、改めて路地の出口に視線を走らせた。まずは表通りにいる黒ずくめの連中をどうにかかないといけない。魔術も超能力もかかわらない、本当にただの銃弾は、上条にとって最も相性の悪い相手だ。彼の右手は異能の力にしか通用しないのだ。
 と、
「はぁー……」
 一緒いつしよに路地に連れ込まれた美琴みことが、大きな息をいて傘を捨てた。何やら疲れたような顔で、上条とインデックスを見る。
「何だか訳が分からないけど、またアンタはデカい問題に巻き込まれてるって事なのね」
「ま、まぁそうだけど」
「で、その中心点にはアンタの知り合いがいる、と」
「知り合いじゃないよ。友達」
 インデックスが訂正した。
 美琴はますますつまらなそうな顔で、路地の方を眺めて、
「一つだけ確認するけど、そいつは悪人じゃないのよね」
「絶対違う」
 上条かみじようは即答した。迷いもしなかった。
「インデックスも言っただろ。あそこにいるのは、おれの友達だ」
「友達、って……」
 美琴みことは、今も遠くで移動しながら、羽と羽の間で放電に似た現象をき散らしている『天使』 を眺め、それから上条やインデックスの顔をもう一度見直した。
「その、ええと、あの友達、で合ってんのよね?」
 質問に、インデックスと上条はほぼ同時に答えた。
「そうだよ、決まってるよ」
「当たり前の事を確認させんじゃねえよ」
 ははは、と美琴は笑った。
「で、さっきの黒服たちが悪者って訳ね」
「何をねらってるかいまいちつかめねえけどな。少なくとも、良いヤツじゃないはずだ」
 その時、複数の足音が路地の中まで入ってきた。
 入口付近で情報をうかがっていた黒ずくめの連中が突撃とつげのしてきたのだ。
 侵入ではなく突撃。時間的な猶予ゆうよはない。
 それでも美琴は笑っていた。
「しゃーない。何だか知らないけど、あれは大切な友達なんでしょ。アンタ達は一度言ったら聞かないし。さっさと助けてきなさいよ。こっちは何とかするから」
馬鹿ばか、お前……ッ!!」
 上条は思わず美琴の肩を掴もうとしたが、

「ごめんごめん。止める間もなく始めちゃうわよ」

 美琴はすでに路地の出口に向けてゲームセンターのコインを発射していた。
 超電磁砲レールガン
 音速の三倍で放たれた一撃は、路地の左右の壁をえぐり取り、轟音ごうおん閃光せんこうを撒き散らして表通りへ突っ込んだ。黒ずくめ達には命中しないような軌道を選んだのだろうが、撒き散らされる衝撃波しようげきはだけで何人かがひっくり返っている。
 灰色の粉塵ふんじんが舞う。
 それが雨粒にち落とされる前に、美琴は路地の地面に倒れていた黒ずくめ達の腹を躍みつけて意識を奪いつつ、自ら遮蔽物しやへいぶつのない表通りへ飛び出していた。
御坂みさかッ!!」
 上条かみじようは叫ぶが、表通りに控えていた黒ずくめたちの応射が路地の入口近くまで来たため、彼はそれ以上進めない。一方、まさに『普通の戦力』に対して絶大な力を誇る美琴みことは、銃弾飛び交う戦場から上条へ声をかける。
ばつゲームよ!!」
「何だって!?」
「何でも言う事聞くって話! 今日一日はまだ有効だからね、アンタは『必ず友達助けて戻ってくる』事!! 分かった!?」
 上条は叫び返しそうとしたが、バチバチという放電や銃弾が放たれる音がそれをさえぎる。くそ、と彼は小さくき捨て、
「必ず守る! だからテメェも死ぬんじゃねえぞ!!」
 インデックスの手を引っ張って、何かを振り切るように上条は路地の奥へ奥へと走り出す。目的地は一つ。インデックスの言葉が正しいなら、風斬氷華かざぽりひようかが待っているその場所へと。

 ばしゃばしゃという水っぽい足音を聞いて、美琴は戦場でため息をいた。
 全く損な役回りだ。
(罰ゲーム、か。結局、こんなモンに使っちゃうなんてなぁ……)
 でもまぁ、仕方がないか、とも思う。
 友達を助けるために命を張るとか言っているのだ。水を差せるはずがない。しかし、そもそもこの黒ずくめ達(で、合っているのか?)が問題を起こさなければ、ちょっとはマシな罰ゲームが続けられたかもしれない。
 そう思うと、若干じやつかんながらカチンと来た。
「今、私はとってもムシャクシャしている」
 複数の銃口が丸腰の美琴に向けられる。
 だが、引き金が絞られる直前で、彼女の前面にマンホールのふたや水道管や看板などが次々と集まって盾が作られた。磁力によるものだ。射出された弾丸はすべて鋼鉄の盾にはじかれる。
「逃げないってんなら、それなりに死ぬ気で来なさいよ」
 返す刀で、雷撃らいげきやりが乱射された。
 負ける気はしなかった。

     6

 上条とインデックスは土砂降りの街を走っていた。
 背後の美琴が気になるが、おそらく上条では足手まといにしかならない。
 気持ちを切り替えて、上条は前を見る。
 と、となりを駆けているインデックスがこう尋ねてきた。
「ねえとうま。さっきから街が静かなんだけど、これって何なの? ひょうか以外にも、何だか別の魔力まりよくの流れを感じるんだよ!」
「ああ。静かなのは多分みんな気を失ってるからだ。この街に入ってきた魔術師まじゆつしのせいでな!あいつの攻撃こうげきの仕組みも知りたい。治せる方法があるならそいつもだ!!」
 彼が学園都市で起こっている事をかいつまんで説明する。
 それを聞いたインデックスは無言になり、考え事をするようにうつむいた。
 土砂降りの雨に打たれる地面をりながら、彼女は顔を上げる。
「多分……それは『天罰てんばつ』だよ」
「何だって?」
「ある感情をかぎにしているの。その感情を抱いた者を、距離きよりや場所を問わずにたたつぶす! だから神様の『天罰』。どこだろうがだれだろうが、神様につばく者を許さないって理屈だね!」
 インデックスは続けて言う。
「とうま、その魔術師はそういう素振りを見せなかった? 必要以上に、自分から特定の感情を誘導ゆうどうするような!!」
 特定の感情。
 そう言われて、上条かみじようは前方のヴェントの事を思い出した。
 ―――わざと挑発するような言動。
 ―――わざと反発心を持たせるような化粧やピアス。
 ―――わざと何の関係もない民間人をねらって放たれた攻撃の数々。
 ヴェントなりの行動理由や、もっと言えば魔術的に必要な事でもあるのかもしれないが、もしかすると、それ以外にも『ある感情を向けさせる』役割を持っていた可能性もある。だとすれば、その感情とは……。
嫌悪感けんおかん……いや、敵意や悪意? まさか、そいつが天罰術式の発動キーなのか!?」
 確かにそんな攻撃が実在するなら、ヴェントはほぽ無敵だろう。
 誰も彼女の前に立ちふさがる事などできないだろう。
 立ち塞がろうと思った時点で、魔術は発動してしまうのだから。
 街の治安を守る警備員アンチスキルは、ゲートを無断で通ろうとしたヴェントを止めようとした。彼らが倒れたという報告を、ほか警備員達アンチスキルたちは無線で受けた。さらにその情報を、街の人々はニュースで知った。
「多分、その天罰術式には敵意に応じた段階があるんだよ! 意識を奪い、肉体をしばり、外部からの干渉すら封じるとか。でも、どの段階であっても喰らえば終わり。魔術師が『天罰は必要ない』と判断するまで、絶対に治らないと思う!!」
 だからみんな倒れた。
 もう学園都市内部だけではない。下手をすると、街の外―――日本や世界のあちこちでニュースを経由して、被害は拡大し続けているのかもしれない。ほかにも、学園都市協力派の組織や機関には、自動で連絡が入り、それが犠牲ぎせいを生んでいる可能性もある。
 だが、
「そんなのできんのか。魔術まじゆつってのは、そこまで便利なものなのかよ!?」
「普通ならできないよ! 私の一〇万三〇〇〇冊にもそんな記述はない。だけどその現象を説明するにはこれしかないの! ……自分でもおかしいのは分かってる。『天罰てんばつ』っていうのは、文字通り天が与える罰だもの。ただの人の力で何とかできるはずがないんだよ!!」
 しかし、ヴェントはそれを実現している。
 それこそが『神の右席』の力だとでもいうのか。
「あの野郎、そんな方法で学園都市を―――ッ!!」
「待って、とうま! 今の話が本当なら、私にその魔術師の素性すじようを話さないで! 今の私の『歩く教会』は、法王級の防御機能が失われているの。とうまと違って、私だって天罰術式に触れちゃう危険があるんだよ!!」
 そうか、と上条かみじようは慌てて口をつぐんだ。
 ヴェントの天罰術式は、インデックスにすら防げないものなのだ。上条の幻想殺しイマジンブレイカーのような例外でない限り、条件さえ合致すればだれでもたたつぶす。そしてインデックスは、他人を傷つける魔術師と戦う存在なのだ。
 ともあれ、治しようがないなら、ここに拘泥こうでいしても仕方がない。
 今は風斬かざきりの方だ。
 ヴェントの天罰術式すら暴いたインデックスなら、そちらも分かるかもしれない。
「あの風斬の……『天使』の仕組みはどうなってる。あいつは大丈夫だいじようぶなんだよな! まだ助けられるんだよな!?」
「それは……」
「くそ、何でこのタイミングであんなのが出てくるんだ! 街で起きてる『天罰』と関係あんのか!? 単なる現象の暴走じゃなくて、『天使』なんて明確な形になってる理由は!?」
「分かんないよッ!!」
 一〇万三〇〇〇冊もの魔道書まどうしよを丸暗記しているインデックスだが、珍しくそう叫んだ。
 遠くに広がっているのは、間違いなく『天使』という魔術サイドの代物しろもののはずなのに。
「……私の頭の中にある魔道書と、外観や仕組みだけなら良く似てるの。でも、使われてるパーツが全然メチャクチャ、見た事もないようなものばかりなんだよ!! 未知の文字で描かれた壁画を見ているようなの。絵面から大体何をやっているかは分かるんだけど、その文化性や精神性っていう『奥』までみ込めないんだ!!」
「―――、」
 一番悔しいのは、おそらくインデックス本人だろう。
 まさにこういう問題を解決するための、『禁書目録』なのだから。
 「少なくとも、あそこにいる『天使』と、それを統率している『核』が別々の場所にあるのは分かるんだけど……」
 「インデックスでも、解けない、か」
 風斬氷華かざほりひようかは、AIM拡散力場によって作られている存在だ。
 その根幹に、超能力研究や最先端科学技術が含まれている。となると、そちらの処理をインデックスが行えないために、『天使』という現象の対策が練れないという訳か。
 上条かみじようとインデックスは走りながら、会話を続ける。
 土砂降りの雨が気にならないほどの焦燥しようそうに駆られて。
 「とうまは? とうまは、今のひようかの『仕組み』について何か分からない?」
 「難しいな」
 AIM拡散力場を使っているとか、言葉で言うのは簡単だ。しかし仕組みの解説まではできない。『車はガソリンで動いている』のはだれでも分かるが、『じゃあ設計図を描いてみろ』と言われて実行できるのはごく少数だろう。
 (……おれよりもっと詳しいヤツはいないか。それこそ、鼻歌交じりで『設計図』を描けるような、どっかの大学の教授ぐらいのレベルのヤツ……)
 しかし、上条にはそういった大人や研究者とのつながりはない。
 くそ、とき捨てようと思った時、彼の頭に一人の人物が浮かび上がった。
小萌こもえ先生だ!!」
 確か、九月の初めに地下街でシェリーにおそわれた時も、彼女は話を聞いただけで風斬の正体を看破していた。小萌先生ならAIM拡散力場についても詳しく知っているはずだ。
 電話番号そのものは、あの時にかかってきた番号を登録してある。
 上条は雨の街を走りながら、早速小萌先生の携帯電話に連絡を取る。
 が、
「どうしたの、とうま」
「くそつ!!」
 出ない。
 ヴェントの攻撃こうげきにやられたのか、それとも何らかの理由で携帯電話が使えない状況にあるのか、いつまでっても小萌先生と繋がらない。
(手詰まりか……ッ!!)
 上条は奥歯をめ、登録番号のリストを上下させていく。しかしほかはみんな学生ばかりだ。小萌先生以上に知識を持った人物がいるとは―――、
「ッ!!」
 上条かみじようはリストの一番下にあった番号に、とっさに連絡をつけた。
 一番新しく登録した電話番号。
 そいつの名前は、
御坂みさかッ!!」
『だぁ!! な、何よ。このクソ忙しい中、人様の作業量増やしてんじゃないわよ!!』
 ガガガッ!! という連続する銃声にまみれて、美琴みことの声が雑音混じりで返ってくる。通信状況が極端に悪いのは、彼女自身が雷撃らいげきを使っているからか。
 こちらもそれどころではない。
 苦情は聞かずに本題に入る。
「確か常盤台ときわだい中学ってのは、普通の中学とは授業内容の出来が違うって話だったよな! 卒業と共に第一線に立つために教育しているって事は、大学レベルの講義も受けてんだろ!?」
『はぁ!? 何言って―――危なッ!? 何言ってんのよアンタ!!』
「あの『天使』を止めるために、知識が必要だ! AIM拡散力場関連の詳しいアドバイザーが欲しい!! お前だけがたよりだ! 任せられるか!?」
 ぶっ!? という変な声が携帯電話から聞こえてきた。
 上条はいったん電話から耳をはなし、それから慌てて叫ぶ。
「お、おい御坂! たれたのか!? おい!!」
『違うわよ!!』
 バンバンバチン!! と続けざまに雷撃の音が聞こえる。
 美琴の声がその後に続いた。
『や、やるしかないんでしょ!! 別の事に頭使いながら戦えって、本当に容赦ようしやないわねアンタ!!』
「よし、じゃあインデックス。おれの電話はお前に預けておく。なんか分からない事があったら全部コイツに聞け!」
 え? と拍子抜けした顔のインデックスに、上条は携帯電話を渡そうとする。
 一方、美琴は美琴で、
『ええっ!?』
「??? 何だ、どうしたんだ御坂?」
「いや、えと、その、別に良いけど。でも、ええーっ!?」
「任せたぞ!!」
 なんか意味の分からない事を言ってきたが、そちらに頭をわずらわせている暇はない。
 上条は白いシスターに携帯電話を押し付ける。
「俺は右手の事もあるし、おそらく魔術まじゆつ関連でお前を手伝える事はねーと思う。悪いインデックス、お前、一人で何とかなるか」
「とうまはどうするの?」
「さっき、『天使』とそれを統率している『核』は別々の場所にあるっつったな。だったらお前は『核』の方に行って、問題を解いて来い。おれはその間、『天使』の方で一仕事しなくちゃならない」
 続けて上条かみじようはこう言った。

「前に話に出た、例の天罰てんばつ術式を使ってる魔術師まじゆつしがいる。『神の右席』って組織の、ヴェントって魔術師が『天使』になった風斬かざきりの命をねらってんだ。風斬を解放するにしても、まずはそっちを食い止めないといけない。だからお前は問題を引き起こしている『核』をたのむ。俺はその間、ヴェントの攻撃こうげきから風斬を守ってやる!!」
 それを聞いて、インデックスはわずかに心配そうにまゆを動かした。
 上条の口から出た、魔術について色々考えているのだろう。
 しかしそれは言葉に出さず、彼女は上条に別の台詞せりふを放つ。
「分かった。とうま、ひょうかをお願い!!」
「お互い様だ! たよりにしてるぞ、インデックス!!」
 二人は別れてそれぞれの道を走る。
 共に同じ、風斬氷華ひようかを助けるという目的をもって。

     7

「ははっ、スゲーなオイ! ありゃあ一体何なんだ!?」
 今は使われなくなったオフィスで、木原数多きはらあまたは歓声をあげた。
 数百メートル先で、あちこちのビルを切り崩しながら大量の『羽』が飛び出した。この窓からは『羽』しか見えないが、木原は何故なぜか一目で『天使』という言葉が浮かんだ。
 事務机の上に寝かせている最終信号ラストオーダーの頭にウィルスを流し込み、再起動させた途端に、あの『天使』が出現した。上層部から渡されたウィルスの名前は、ひねりもなく『ANGE」』。どう考えても無関係とは思えない。科学とは無縁の存在が、科学によって顕現していた。その非科学的な事態を、木原は頭から否定しなかった。逆に、ついに科学はこの領域にまで足をふみみ入れたのかとあきれていた。
 学園都市統括理事長アレイスター。
 自分も大概たいがいイカれた科学者だと思っていたが、あの野郎はそれ以上だ。
「ちくしよう、悔しい! 飛んでやがるなぁアレイスターッ!! 理論のりの字も分かんねーぞ!? 科学者のくせに科学を否定するたぁ、何たる科学者だよオイ!!」
 周囲にいる五人の部下たちは、木原と違って戸惑っているようだ。目の前の光景を現実に存在するものとして処理して良いのかいけないのか、その段階ですでに迷っている風に見える。
「アイツを使って学園都市の敵をぶっつぶすのが目的かよ! 確かにあんなモン用意すりゃあ、大抵の野郎ァどうにでもなっちまうだろうな。外周部にだれがへばりついてたか知らねえが残念でした! 見ろよテメェら! 天使なんざ持ち出しやがって、非核三原則どころのさわぎじやねえぞ!! 聖書ってのはいつから飛び出す絵本になっちまったんだぁオイ!?」
 脳が情報を処理しきれないまま、『猟犬部隊ハウンドドツグ』の部下たちはノロノロと木原きはらの言葉に従って、ほこりかぶったガラス窓から外を見た。
 しかしその誰もが、遠くに見える『天使』をとらえていなかった。

 今まさに、空を飛んだ一方通行アクセラレータが窓をり破る直前だったからだ。

 ガッシャァァ!! というガラスの悲鳴が炸裂さくれつした。
 すでに能力使用モードは解放されている。
 窓の一番近くにいた黒ずくめの一人が、一方通行アクセラレータの飛び蹴りを受けて反対側の壁まで吹っ飛ばされた。ノーバウンドでうすい内壁に激突した『猟犬部隊ハウンドドツグ』の一人は、装甲服をバラバラに粉砕しながら床に崩れ落ちる。
 一方通行アクセラレータは生死など確認しない。
 真っ赤に染まったひとみはグラグラと揺らぎ、それでもターゲットを正確に捉える。
「木ィィィ原くゥゥゥゥゥゥゥゥン!!」
 絶叫しながらショットガンの銃口を向け、迷わず引き金に指をかける。
 ねらいは胸から腹にかけての全部。
 完全確実に殺す気だ。
 と、木原は近くにいた自分の部下を前方へ突き飛ばした。『うわっ』と間抜けな声を出した男が、ちようど木原の盾になる形でおどり出る。
 そこへ無数の散弾が突っ込み、『猟犬部隊ハウンドドツグ』の一人が血をき散らして転がった。木原は気にも留めない。顔面のパーツがこわれそうなほど爆笑している。
「ちゃーんと狙っててよぉ! じゃねーとみんなの迷惑だぜぇ!!」
 あからさまな挑発を一方通行アクセラレータは無視する。
 うろたえ、慌てて武器を構える黒ずくめ達ヘザッと視線を走らせ、
邪魔じやまくせェ盾だな……)
 ガギリ、と奥歯を思い切りめ、
(イイぜェ! オマエ達も、まさか『自分は命令されただけだから許してください』とかってェ台詞せりふく気はねェンだよなァ!!)
 脚力のベクトルを操作し、木原から『猟犬部隊ハウンドドツグ』へ狙いを変更し、その内の一人のふところへと突っ込む。ショットガンは使わず、そのまま五本指を伸ばした。男の装甲服にはナイフや拳銃けんじゆうなどが留めてあり、肩の近くには手榴弾しゆりゆうだんが四っも備え付けられていた。
 ねらいはそこだ。
 人差し指から小指まで使って、四本のピンをすべて抜く。
 間髪入れずに腹へりをぶち込み、ボーリングのようにほかの『猟犬部隊ハウンドドツグ』のメンバーを巻き込んでぎ倒した。一番上にいる男が、慌てて装甲服についたままの手榴弾へと手を伸ばし、 人間爆弾が起爆した。
 破片をき散らすタイプの手榴弾が、血と肉を飛び散らせた。
 これで、木原きはらを除く『猟犬部隊ハウンドドツグ』は残り一人。
「ひっ!?」
 一方通行アクセラレータにギロリと目を向けられた最後の男は、とっさに事務机の上に転がっている物をつかみ起こす。学習装置テスタメントで無理な処理を加えられたのか、意識を失い、ぐったりしている打ち止めラストオーダーだ。
 一方通行アクセラレータが手にしているのは、細かい狙いの効かないショットガンだ。
 人質を盾にすれば攻撃こうげきできないと思ったのだろう。
 だが、
「―――、」
 一方通行アクセラレータの目の色が変わった。ゴガン!! という爆音が生じた。脚力のベクトルを操作した彼は、一瞬いつしゆんで『猟犬部隊ハウンドドツグ』の真横まで距離きよりを詰めていた。
 確かに一方通行アクセラレータはショットガンをたなかった。
 代わりに彼は、一メートルを超す金属製の銃身をフルスイングし、「猟犬部隊ハウンドドツグ』の顔面をたたつぶした。あまりの衝撃しようげきにショットガンの方がバラバラに砕け散り、細かいスプリングやマガジンに収まっていた筒状の弾丸が空中を舞う。鈍い音を立てて男の体は空中で竹とんぼのように四回転もし、それから床に激突して動かなくなった。
 手放され、空中にあった打ち止めラストオーダーの体を片手で支え、テーブルの上へと優しく置き直す。
 それからすべての元凶、木原数多あまたに視線を投げる。
 これでヤツを守る護衛部隊は全滅した。
 しかし、そちらの方がかえって身軽になったとばかりに、木原はグラゲラと笑う。
「カッコイーッ!! 一皮けやがって、れちゃいそーだぜ一方通行アクセラレータ!!」
「スクラップの時間だぜェ! クッソ野郎がァあああッ!!」
 悪党二人の叫びが空間をふるわせる。
 その細い両手を一度開いて再び握り、舌なめずりしながら木原は一方通行アクセラレータの元へと走り込む。
 木原には『反射』が通じないが、一方通行アクセラレータはもはやおくしない。
 こちらも一〇本の指を開いて走り出す。
 能力使用モード、残り時間は六〇秒。

     8

 上条当麻かみじようとうまは爆心地にいた。
 見慣れた第七学区の一角だった。背の高いビルは学生向けというにはややグレードの高いデパートや有名な企業の建物ばかりで、デパートに入っているレストランなども雑誌に良く紹介されている。通学路から外れているため毎日訪れるような事はないが、上条もインデックスを連れて(全くムードのない)食事に出かけたりもした。
学舎まなびやの園』のような高級感と、上条の学生りようのような庶民的なにおいが同居する第七学区で、その一角はどちらかというと高級感エリアに収まる。実際、日中には常盤台ときわだい中学や霧ヶ丘きりがおか女学院の制服を着た少女たちもたくさん歩いていたはずだ。
 子供だけでは作れない、一種独特の整えられた大人の空問。
 そこが、
 まるで砂場に作ったお城をこわしたような、瓦礫がれき廃嘘はいきよに変わり果てていた。
「……、」
 爆心地から半径一〇〇メートル前後の建物が残さず破壊はかいされ、ぎ倒されていた。欠片かけらも残さないような、徹底てつていしたクレーターという訳ではない。まるで巨人の腕で一棟一棟ビルをもぎ取って行ったような、乱雑な惨状だった。しかし逆に、斜めに傾いている建物や、根元の一階部分だけが取り残されたデパートなどは、妙に生々しい爪痕つめあととなって上条の心を揺さぶる。
 前方のヴェント。
 彼女の特殊な攻撃を喰らって動けなくなった人達はたくさんいたはずだ。
 そんな中で、さらにこんな大規模な倒壊が起きたのだ。あの瓦礫の山の中に、一体どれだけの人達が埋まっているのか、上条にはもう想像がつかない。レスキューの到着が遅れているが、もしやってきたとして、どれだけの人間を救出できるのだろう。
 神経が麻痺まひする。
 上条はふらふらとした動きで、爆心地のさらに中心点へ目をやった。

 そこにいるのは、一人の天使。

 本体は普通の人間と同じサイズだ。
 それに対してつばさの方の縮尺があまりに巨大すぎて、まるで翼の塊に人間がみ込まれそうになっているように見えた。
 灰色の粉塵ふんじんも、土砂降りの雨も、そのすべてを吹き飛ばすように、彼女の翼はつぶやい光を放っていた。全長は一〇メートルから一〇〇メートル。乱雑に伸びる雑草のように統一性のない、鋭くとがった巨大なつばさが、何本も何十本も小柄な少女の背中に接続されている。
 上条かみじようから一〇〇メートル近くはなれた所にいる『天使』は、彼に対して横へとゆっくり移動していた。か細い二本の足で歩いているだけのはずだが、少女が一歩一歩をみ出すごとに、ズン……という低い震動しんどうが伝わってくる。
 少女。
 風斬氷華かざきりひようか
 長い髪の少女だった。黒の中に、わずかな茶色の混じった綺麗きれいな髪。基本は腰まで伸ばしているのだが、一房だけ頭の横でしばって垂らしていた。気弱そうなスカートの長さもいじっていない学校指定の青いブレザー。その中で、赤いネクタイがアクセントとなっている。
 上条当麻とうまが知っているはずの少女だった。
 気弱で泣き虫で、悪党をなぐる事にさえためらうような、そんな女の子のはずだった。
 しかし、
 今、上条が見ているものは、そうした風斬氷華の像から明らかにかけはなれていた。頭はグラりと垂れ、半開きの唇からは半端はんぱに舌が飛び出ていた。見開かれた眼球は、機械のレンズが細かい文字を追うようにフラフラと不規則に揺れている。顔をらす雨水とよだれが混ざり合い、彼女の制服の胸元をべっとりと濡らしていた。しかし、そのぬめった光と感触を得ても、風斬は

ピクリとも動かない。
 何十もの巨大なつばさ。人間ばなれした雰囲気ふんいユ。壁のような存在感。
 それらはミーシャ=クロイツェフにも似ていた。
 しかし、目の前にいる大天使は彼女よりもさらに不自然で、ゆがんでいた。
 彼女の顔に感情はなかった。
 不気味にふらつく目玉は、涙の一滴も流していなかった。
 流す事すら、許されていなかった。
 何らかの制約によって。
 彼女の頭の上には、直径五〇センチほどの輪が浮かんでいた。
 輪は風斬かざきりの手足の動きに合わせて回転速度を変動したり、輪の直径を広げたりせばめたりをり返している。輪の外側には鉛筆のような棒が無数に出っ張っていて、ガシャガシャガチャガチャ!! と高速で出し入れされていた。
 上条当麻かみじようとうまは覚えている。
 風斬氷華ひようかの頭の中には、三角柱のようなパーツが入っている。彼女の手足は、その三角柱に合わせて動いているのだ。
 それを見ているような気がした。
 頭蓋骨ずがいこついっぱいに電極を刺して人間を操るのより、寒気を感じさせる光景だった。
(かざ、きり……)
 あまりの光景に、上条はとっさに風斬の顔から目をらしていた。
 これでは死体を見ている方がまだマシかもしれない。
 止めなければならないと、上条は心の底からそう思った。理由など、いらなかった。
「風斬ィィいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッ!!」
 上条は思わず叫んでいた。
 どこかを目指して歩いていた風斬の足が、ピタリと止まる。その首が、ゆっくりと上条の方へ向こうとする。
 しかし。
 ガガガリッ!! という金属をこするような音と共に、風斬の頭上にあった天使の輪が高速回転した。輪の外側にびっしりとついている鉛筆ぐらいの棒が、ジャガッ!! と一斉に輪へ突き刺さる。
 悲鳴のような音が聞こえた。
 風斬の首の動きが強制的に止められ、ぎぎぎ、とふるえた。歯車の目が詰まったように、彼女の首が元の向きへと戻されていく。不自然に首をねじったまま、風斬は再びゆっくり歩き出す。
 バヂッ!! と電気のような音がひびいた。
 見れば、はるか頭上で、巨大な羽と羽の距離きよりが近づくたびに、青白い光がまたたいている。まるで発射前に調子を確かめている風にも見えた。
 チカチカッ、と風斬かざきりの周囲で妙な光がまたたいた。天使の輪と同調しているようなタイミングだった。そして、その光に誘導ゆうどうされるように、風斬の体が強引に動かされる。
 本当は何もしたくないのに、そちらが気になって気になって仕方なくて、どうしてもそちらへ動いてしまわないと気が済まないとおびえているように見えた。
 ガスの元栓がどうしても気になるように。
 何度手を洗っても汚れが落ちないと思ってしまうように。
(……、重度の強迫神経症みたいなもんか)
 漠然と思う。規則で決まっている訳でもないのに、どうしても確かめないとならない。あの光はそれと同じだ。次々と『注意点』を飛ばす事で、風斬の動きを精神的に誘導しているのだ。
 しかし。
 そんな状態を延々と続けていたら、神経がり減っていくのはけられない。目隠しした人間の背中に焼けた鉄板を押し付けて、逃げ惑う人間を迷路のゴールへ導いていくようなものなのだから。
 それは、人としての風斬の心を完全に無視した行いだった。
 無様に転がる人間の背中に嘲笑ちようしようを浴びせるようなものでしかなかった。
(くそ……ふざけんじゃねえぞ!!)
 思わず上条かみじようは駆け寄ろうとしたが、その足が止まる。
 近づいてどうする?
 彼は風斬の体には触れられない。
 幻想殺しイマジンブレイカーは、風斬氷華ひようかという幻想をも問答無用で砕いてしまうのだから。 、
「ちくしょう……ッ!!」
 上条は歯を食いしばり、役立たずの右手を瓦礫がれきの壁へたたきつけた。
 ここに埋まっている人たちも助けられない。ああして異変におそわれた風斬も救えない。あまりにも自分が小さすぎて、どうしようもなくみじめだった。
 そんな彼の耳へ、新たな足音が聞こえてきた。
 目の前にある不幸が、さらに別の不幸を招き寄せるように。

「おやおや。大罪人同士、キズのめ合いでもやってるトコだったかしら」

 上条は振り返る。
 そこにいるのは、大昔のワンピースの原型みたいな衣装を身にまとった、顔中ピアスだらけの女。学園都市の都市機能のほとんどを奪い、その中を悠々と歩いて上条を殺しにやってきた、『神の右席』という組織の一員。
 前方のヴェント。
 彼女の手には、有刺鉄線を巻いた巨大なハンマーが握られている。
 病気なのか、それ以外に何らかの理由があるのか、ヴェントの口元からは赤い血が垂れ、雨に打たれた衣服のあちこちにもみを作っていた。それでも、ヴェントの表情は変わらない。
 無数のピアスによって顔のバランスが崩れ始めているヴェントは、その武器を片手にニヤニヤと笑う。侮蔑ぷぺつあざけりに満ちた、同じ人間に向けているとは思えないような笑みを。
「せっかく後回しにしてやろうって考えてたのに、自分から殺されに来ちゃったの。コレ以上悲惨ひさんなモンを見たくないから先にぶっ潰して欲しいってコトかな」
風斬かざきりはやらせない」
「へぇ。あんなモンに対しても情がくんだ。とんだ博愛主義者よねぇ。黙示録もくしろくに登場する

『特大の淫婦』よりもみにくく汚れた冒涜ぼうとくの象徴だってのに。そこらの変態でも流石さすがにアレは受け入れられないと思うわよ」
「テメェ!! 撤回てつかいしろ!!」
「ナニについて? もしかしー、普段ふだんはああじゃないとかって言うつもり? 馬鹿馬鹿ばかばかしい、私はソイツを見るのは今日が初めてだけど、あの学園都市のおさが街の全部を使って無害で役に立たないものを作るとでも思ってんの。莫大ばくだいな価値や戦力があるんだよ。むしろアンタが今まで見てきたモノの方が未完成不完全のイレギュラーだったんでしょ」
 学園都市の長。
 科学サイドとして、世界の半分を丸々支配下に置いている者。
 風斬氷華ひようかが学園都市全体のAIM拡散力場を用いて作られた存在なら、その管理を行っている(かもしれない)人物の筆頭は、確かにそいつだ。ただ偶発的に生まれてきたのではなく、そこに何らかの目的があったとしたら、確かに『未完成』『不完全』という言葉にも信愚性しんぴようせいが生まれてくる。
「私は『神の右席』の一員として、ソコの怪物を見過ごすワケにはいかない。ま、こっちだってロクな集団じゃないケド、そっちの怪物は、その私たちですら認められない。ソイツは、十字架を掲げるすべての人々を嘲笑あざわらう、冒涜の塊―――消滅すべき者なのよ」
 バチン!! という轟音ごうおんが上条の耳を打った。
(……ッ!? またか!!)
 振り返れば、風斬の背中に接続されている巨大な羽から、雷に似た光がまたたいている所だった。羽と羽の間で火花がブリッジを描いていて、音階はどんどん甲高いものへ変わっていく。今にもあふれて外部へ飛び出しそうだ。
 上条かみじようは少しだけだまってすべてについてを考えた。
 それから言った。
「もう一度だけ、り返しても良いか」
「ナニを?」

「撤回しろ、クソ野郎」

 へぇ、とヴェントは楽しそうに笑う。
「意外にカワイイ所があるじゃない。イイでしょう、気持ちぐらいはんでやるわ。どのみち、アンタたちは順番に殺していく予定だし、仲良く一緒いつしよに殺してアゲル」
 彼女にとってはそれが最大の譲歩じようほなのだろう。
 上条かみじように言わせれば、つばき捨てたいほどの低条件だが。
「もしかして、その怪物に救援でも求めてる? だったら無騨よ。二人がかりであっても、私には勝てない」
 ヴェントは楽しげな調子でそう告げた。
「知ってる? 『天使』ってのは、元々自分の意思がない。完全なる神様の道具なのよ」
 ヴェントは嘲笑あざわらうように告げた。
「ソイツが誤作動を起こしたり、別の命令系が混線したりすると、堕天使とかって呼ばれる存在になる。一番有名なのは『光を掲げる者ルシフエル』の造反よね。この一機の『不具合』に引きずられて、天界に配備されていた全天使の三分の一が混線を起こし、戦争と化してしまった」
 さて、と彼女はハンマーでゴリゴリとアスファルトをこすりながら言う。
 上条の目を見て、言う。
「そこの怪物は、神聖かな? ソレとも堕落かしらん?」
「ッ」
「言うまでもないわよねぇ! そこにいるのはタダの堕天使野郎だ!! ソレも神様がつくった天使が暴走したダケじゃあない、人間の作った不恰好ぷかつこうな羽つき人形がさらに混線した、罪を罪で重ねた真っ黒な罪人野郎だ!!」
 ヴェントは地面につけていたハンマーを片手で持ち上げ、上条に突きつける。
「学園都市にどんな意図があるかは知らない! 完壁かんぺきな天使を作ろうとして失敗したのか、ソレとも最初っから堕落を作ろうとしやがったのか! いずれにしても貴様達のやってるコトを、私達は認めない!!」
 その言葉は、感情だけで人間を打ちのめせるものだった。
 風斬氷華かざなりひようかという存在を、完壁かんぺきに否定する声だった。
「今のソイツに、私の『本命』が通用するとは思えない。そもそも人間と同じ精神性を保っているかどうかも分からないしね。でも私は殺す! 私の力が足りずとも、今の不完全な『堕天使』なら、空中分解しそうな内燃制御系に介入する術式を組んで、自滅を誘発ゆうはつさせてやるわ!! 怪物を怪物の力で吹っ飛ばしてやるって言ってんのよ!!」
 上条かみじようはその言葉を受けていた。
 奥歯をめ、彼女を正面からにらみつけ、口を動かす。
「……、やらせるかよ」
 戦闘せんとう条件は、無理難題にもほどがあった。
 そもそも上条はヴェントに勝てるかどうかも分からないのに、そこへさらに風斬かざきりかばいながら戦えと言われているのだ。おまけに、その風斬だって無害であるとは限らない。あのつばさからり出される壮絶な火花で、背中をたれれば一発でおしまいだ。
 それでも、上条当麻とうまは右手のこぶしを強く握り締めた。
 彼は言う。
「……ただでさえ学園都市の上の連中からこんな目にわされて、無理矢理に誘導ゆうどうさせられた手足を血に染めさせて、助けを求める事も涙を流す事も全部封じられて……。その上、今度は勝手に外からやってきたテメェみたいな人間に、化け物扱いされたまま殺されうだと?」
 今の『あの子』に伝わっているかどうかなど関係ない。上条は風斬氷華ひようかを守ると決めた。それを果たすため、彼はヴェントの前に立つ。土砂降りの雨に打たれて、巨大な天使を背にして、自分にとって不利な条件をめるだけ呑み続けて。

「ふざけんじゃねえよ。人の友達を何だと思ってやがる!!」

   

chap5

第十章 彼らのそれぞれの戦場 The_Way_of_Light_and_Darkness.

     1

 制限時間は六〇秒、
 とにかく木原きはらを殺すしかない。戦闘せんとう終了後にたとえ一〇秒でも時間が残っていれば問題はなかった。能力使用モードと通常モードでは消費電力の量が棚違いなのだ。戦闘時には数秒の時間でも、通常時に切り替えれば数十分間の行動が可能となる。
 廃棄オフィスの片隅には、携行型に改造された『学習装置テスタメント』が転がっていた。
 あの分なら、最低限だが打ち止めラストオーダーの頭を治療ちりようする環境は整っていると言える。
 本当にここでウィルスをぶち込んだのなら、おそらくオリジナルスクリプトはまだ木原が持っている。ならばワクチンプログラムを作る事はそれほど難しくはないはずだ。
(だから殺せ。とにを殺せ!! アイツを殺せばすべてが終わる! ほかの事ァ何にも考えンな。どの道、おれァもォ光の道には帰れねェ。なら木原と一緒いつしよに地獄へ落ちる事だけ考えろ!!)
 広い廃棄オフィスの一室で、一方通行アクセラレータはそれだけを考え木原のふところへと弾丸のように突っ込む。右手の五本指を開いた。ベクトル反射能力を利用し、皮膚ひふに触れただけで全身の血を逆流させ、結果として血管や内臓をズタズタに爆破させる悪魔あくまの手。同じフロアに打ち止めラストオーダーがいる事を考えると、あまり派手な手は使えなかった。それでも十分人間は殺せる。
 下から顔をねらうように、鋭く放つ。
 対し、木原は首を振っただけで軽々とけた。そこに『少しでも触れたら死ぬ』という恐怖や緊張きんちようはない。『絶対に当たらないから問題ない』とでも言いたげな顔だ。
 空振りの一方通行アクセラレータに、木原のクロスカウンターが飛ぶ。
 ボクシングのジャブを何十倍も精密にした、放った直後に手元へ引き戻す拳。
 それは一方通行アクセラレータの『反射』の壁をすり抜けて、鼻っ柱に容赦ようしやなく激突する。
「ァ……ッ!!」
 ガシュッ! という、すりつぶすような鈍い音がひびく。
 決してハンマーのように、派手で重たい一撃ではない。流石さすがに鼻にもらえば視界が揺れるが、かと言ってこれだけで意識が奪われるようなものでもない。
 だが、
 痛みによってわずかに動きを止めた一方通行アクセラレータへ、さらに軽い連撃がおそった。顔、胸、肩、腹、そしてまた顔、顔、顔。木原は一方通行アクセラレータが腕を振れば後ろへ下がり、それを追おうとすれば逆に距離きよりを詰めて攻撃こうげきしてくる。。
「ぎゃはは!! このクソ野郎が! どのつら下げておれの前に立ってんだあ?」
 木原きはらの叫び声と共に、ゴン罫 という衝撃しようげき一方通行アクセラレータの頭を揺らした。
 やはり『反射』が通じない。
 核兵器の爆風を直接受けても髪の毛一本揺らがないはずの、絶対の壁が。
 一方通行アクセラレータはひとまず後ろへ下がろうとする。
 木原はさらに大きく前に躍み込み、続けて顔面にもう一発靱硲放った。
「ッ!!」
 一方通行アクセラレータの『反射』は、分厚い防弾板を体の前に展開している訳ではない。
 あくまでも、『向かってきた力を逆方向に向け直す』ものでしかない。前から向かってくる力を逆向きへ変更する事で、あらゆる攻撃から身を守っている。
 つまり、
(後ろへ向かう力に『反射』をかければ、そのまま前へ向かってくる!!)
 なぐられ、口の端を切って血をこぼしながら、一方通行アクセラレータは確信を得る。
 木原数多あまたは自分が放った嘩を一方通行アクセラレータに当てる直前で逆向きにさせているのだ。『反射』のわずかな保護膜に触れるか乱かのラインに差し掛かっ瓦畷隙に。そうする事で『後ろへ向かう拳を自ら前へ向け直す』羽目になっているのだ。
 ならば体を守るベクトル制御能力を変更すれば良いのだが、まるでそれを先読みしていたように木原の拳のターン方向も微細に再調節される。一方通行という能力を直接開発した頭脳は半端はんぱではないらしい。
「どうした小憎ォ!! あのガキ助けに来たんじゃねえのかよお?」
 タイミングを奪われ、リズムを掌握しようあくされ、手玉に取られる。軽い軽いと思っていた木原からのダメージは、アルコールのように徐々に体に蓄積していく。一方通行アクセラレータの体の動きが鈍くなるたびに、木原はより大胆な行動に切り替え、一方通行アクセラレータの『酔い』の速度を加速させていく。
「ぐ……ああァ……ッ!!」
 さらに時間は無情に過ぎていく。
 学園都市最強の能力をフルに使ってもこれだけの差があるのに、電極の加護がなければ彼は自分の足で立つ事すら難しくなる。そうなれば逆転の機会は絶対に訪れない。
 あせりが時間を削り、その時間がさらに焦りを誘発ゆうはつしていく。
(……、クソッたれが!! 木原ごときで止まっている余裕もねえってのに、これじゃあのガキの治療ちりようのために『学習装置テスタメント』を使う時間もなくなっちま―――ッ!!)
「余裕だなぁ、スクラップの殺人野郎!! もう勝った後の算段かぁ!?」
 ゴン!! という轟音ごうおんひびく。
 考え事をしていた一方通行アクセラレータの意識が、今度は確実に揺さぶられた。
 木原数多きはらあまたの動きがかなり大振りになっていた。ダメージを重ねた一方通行アクセラレータは、もうこちらの速度を処理できないと判断したのだろう。
 一撃いちげき一撃の間隔は長くなり、その代わりにこぶしの一つ一つに重みが増す。
「テメェさあ、もしかして自分で自分をすげー格好良いとか思ってんのか?」
 顔面をつぶされるような一撃に、一方通行アクセラレータの二本の足がふらついた。注意しないとからまって転びそうになる。
「たった一人で巨大な悪の組織に立ち向かって、あわれなとらわれのガキい助けるために奔走して、そういった行動で自分の人生すべてチャラにできるとでも考えてんのかよ?」
 そちらへ注意を向けている間にも、さらに木原の拳は飛んでくる。両腕で急所を守ろうとしても、常に防御の隙間すきまをすり抜けるように着弾した。ダメージは極まり、引き結んだ唇の隙間からドロリとした血の塊が噴き出す。
「ぎゃはは! ふざけんじゃねえよ! テメェは一生泥ん中だ! いずっても這い上がっても泥まみれなんだよ!! だったらそのまま沈んでろ! テメェみてえなのがベタベタ歩くと周りが汚れちまうんだよお!!」
 ドゴン!! という一際ひときわ大きな衝撃しようげきと共に、一方通行アクセラレータの体がついに床に崩れた。両膝りようひざを折り、綿埃わたぼこりと毛先が同化したカーペットの上に額がぶつかりそうになる。
(……ちく、しょう。クソッたれが……)
 それでも、一方通行アクセラレータはスチール製の事務机に手を置いて、完全に倒れる事だけは防ぐ。体の中にあったスタミナは、木原からのダメージでえぐり取られていた。マラソンを終えた後のように、全身が休息を求めて悲鳴をあげている。
(……分かってンだよ。一生泥ン中だって事ぐれェ。オマエたちが思い出させたンだろォが。だからおれはもォそこに未練なンかねェ。俺が求めてンのはそこじゃねェ……)
 歯を食いしばり、痛みの感覚を強引にこらえて、一方通行アクセラレータは支えとしている事務机へ力を込める。その腕の力を使い、彼はふらふらと体を起こしていく。
(……いい加減にしろよ。ドイツもコイツも、よってたかってあのガキをねらいやがって。地獄へ行くのは、俺とオマエだけで良い。そこにあのガキを巻き込むンじゃねェよ、このクソ野郎……)
 しかし、彼のそういった覚悟は無駄骨むだぼねに終わった。
 ピピッ、という小さな電子音。
 首元のチョーカー型電極から発せられた、小さな小さな最後通牒つうちよう
 一分間、六〇秒が経過したという機械的な合図。
 示された意味は、バッテリー切れ。

 ガクン、と。

すべての力を失った一方通行アクセラレータは、木原数多きはらあまたの前でほこりだらけの床に崩れ落ちた。

     2

 バヂィ!! という轟音ごうおんひびく。
『天使』の羽と羽の間を、今にもあふれ出しそうな火花がブリッジを描いていく。
「ハハッ!!」
 前方のヴェントが巨大なハンマーを片手に上条かみじようの元へと正面から突っ込んできた。
 上条は向かってくるヴェントに合わせ、握った右拳みぎこぶしを全力でたたきつけようとする。
 ビュン!! という風を切る音が響いた。
 それはヴェントがハンマーを振り回した音ではない。

 ヴェントの体が真上に三メートルも飛び上がった音だった。

 下や左右ではなく、上へける。
 おそらく空気を使った魔術ぽじゆつの一種なのだろう。
 拳を空振りした上条の顔面へ、容赦ようしやなく飛びりのカウンターがおそいかかった。ゴン! という鈍い音と共に彼の体がれたアスファルトの上を転がっていく。
(がっ、ぁ!? こいつ……ッ!!)
 鼻を押さえて上条かみじようは慌てて起き上がる。
 ヴェントは目と鼻の先にいた。
 振り上げられたハンマーは、そのまま路上の上条目がけて勢い良く振り下ろされる。
 じゃりり! とくさりこすれる音が聞こえた。
 見れば、血に濡れて赤く染まった舌のチェーンは上条の顔を目がけて、螺旋らせんやりを描いている。
 その形をなぞるように、風の凶器が発生した。
「ぐああッ!!」
 上条は叫びながら右手を突き出す。ヴェントの攻撃こうげきはじけ、周囲に空気のあらしき散らされる。雨粒の方向が、ほんの数秒だけ大きく乱れた。
 それを二人は見ていない。
「ふっ!!」
 ヴェントが息を吸い込み、さらにハンマーをがむしゃらに振り回した。舌の鎖は生き物のようにうごめく。上条は右手で受け止めるのをあきらめ、後ろへ転がるように回避かいひする。幻想殺しイマジンブレイカーたより続けては永遠に不利な体勢を直せない。そう思った彼は、転がる勢いを利用して後方へ下がりつつ、一気に地面から立ち上がる。
 外れた空気の鈍器がアスファルトに突き刺さる。その破片が空中に舞う。
 両腕を使って石の嵐から顔面を守る上条に、ヴェントの耳障みみざわりな声が飛んできた。
「げほっ……。クソ、やっぱり出力が落ちてやがる……」
 口から血の塊をき、上条の背後にいる天使をにらみ付ける。
 血の伝う鎖を揺らし、ヴェントは声を張り上げた。
「はは、さっきっから面倒臭いわねえ!! 気持ち悪い右腕ぶら下げて、吐き気がするような『天使』をかばって、どこまで私を笑わせりゃあ気が済むのかしらぁ!?」
「ふざけんじゃねえよテメェ!! 世の中にはテメェの持ってる視点しかねえとでも思ってんのか!? 何で自分以外の他人を受け入れようとしねえんだテメェらは!!」
 石の嵐の中を突っ切って、ヴェントはもう一度上条のふところへと走り込んで来る。
 不思議とアスファルトは彼女の体に当たらない。まるで向こうがけているような錯覚さつかくを得る。これもまた空気を使った魔術まじゆつの一種なのかもしれないと上条は予測する。
 ハンマーを振り回し、彼女は叫ぶ。
 歯の間から、赤い血をらしながら。
「私は科学が嫌い! 科学が憎い!!」
 上条がそのハンマーを右手でたたき落そうとした所で、唐突にハンマーが虚空こくうへ消えた。上条のこぶしが空を切った所で、見計らったようにもう一度ヴェントの手からハンマーが出現する。
 トン、とヴェントは無防備な上条かみじようの腹にハンマーの先を押し付ける。
 そのハンマーのに、舌のくさりをぐるぐると巻きつけて。
「私をこんな風にした科学が嫌い!」
 直後、空気の鈍器がハンマーの先端から吹き荒れた。
 上条はとっさに身をひねったが、それでも脇腹わきばらを鈍器がかすめる。たったそれだけで、グルン! と彼の体が竹とんぼのように回転した。着地などできるはずもなく、そのまま崩れかけた壁に激突する。
「私の弟を見殺しにした科学が憎い!!」
 訳の分からない一方的な罵声ばせいを浴びせ、ヴェントはさらにハンマーをぎ払う。あれだけからまっていた鎖はいつの間にか外れていた。空気の鈍器が生まれ、上条の元へとおそいかかった。壁に体を押し付けていた上条は、そのまま勢い良く横へ飛んで回避かいひする。
 ビルの壁がオモチャのように砕けて割れた。
 その威力にゾッとした上条だったが、ふと彼の動きが止まった。
 砕けた壁の向こうに、大学生ぐらいの男の人が倒れていたのだ。
「待―――ッ!!」
 上条が止めようとしたが、
 ゴォン!! という轟音ごうおんが、上条の言葉に重なった。
『天使』の羽の火花だ。
 それは轟音を通り越して、もはや衝撃波しようげのはに近かった。
「ッ!!」
 あまりの震動しんどうに、上条は思わず両手で耳を押さえて苦痛の表情を浮かべた。ヴェントから目をはなし、背後を振り返れば、ついに風斬かざきりの羽と羽の間でブリッジを描いていた火花が、許容量を超えて解き放たれていた。
 ドッ!! という音の領域を超えた何かが突き抜けた。
 それは蛇のように生物的なラインを描き、一瞬いつしゆんで学園都市の外まで突き抜けた。ともすれば地平線の向こうに隠れるほどの
距離きよりが離れているにもかかわらず、爆風で巻き上げられた土壌どじようがウェーブを描くのが確かに見えた。
 おそらく『敵』を討つため、天使の攻撃が再び放たれたのだ。
(くそ……)
 頭がガンガンに痛む。
 早くヴェントを止めないと倒れている人たちを巻き込むと分かっていても、体が上手く動かせない。
 一方、ヴェントの方は痛みも気にしていないような顔で、
「科学なんてこんなモンだ!! アンタもその一員なのよ! 気持ち悪いとか思わないワケ!?」
 口から血を流し続けるヴェントは、力の限りにハンマーを振り回し、舌のピアスが照準を決定し、特大の空気の鈍器がコンクリートを粉々に打ち砕いた。
 そこにいた一般人を、わざと巻き込むように。

     3

 前後左右のバランスがつかめない。どちらに向けて力を入れれば起き上がれるのか、それすら『計算』できない。投げ出された手は見えるが、指が何本あるか、目で追いながらカウントしていくと数が分からなくなる。
 バッテリー切れによって、一方通行アクセラレータの首筋にある電極は効力を失っていた。
 今の彼は、もう能力を使用する事もできないし、言葉を理解する事もできないし、一〇本指を折れば答えが分かる程度の計算もできない。こぷしを握って木原きはららいつくどころか、そもそも自分の体重や重心の管理すら行えないため、まともに立ち上がるのも難しい。
 廃棄オフィスの床はほこりまみれで、カーペットの毛先と綿埃がからみ合っている。それをほおに押し当てて倒れている一方通行アクセラレータは、この状況を『不快』と感じてはいるのだが、
(……どう、すれば、この、『不快』を、取り除け、たっけ?)
 受動的に情報を得る事はできても、能動的な反応を示す事ができない。間にあるべき『計算』が封じられているからだ。
 そんな一方通行アクセラレータの頭上から、声が降り注ぐ。
 木原数多あまたのものだ。
「次第に、寝ちまっては来たっつのそれは良くてそれほどたくさんの問題で遠いですかぁ!?」
 何を言われているのかサッパリ理解できない。
 そもそも、自分はここで何をやりたかったのか。自問はしても自答ができない。確か打ち止めラストオーダーがここにいるはずだ。彼女をここから連れ出さなくてはいけないはずだ。それは分かる。『計算』しなくても良い、あらかじめインプットされている情報を意識面に出力するだけなら一方通行アクセラレータにも行える。
 しかし、
 具体的にはどうやって?
(…………………………………………………………………………………………………、)
 一方通行アクセラレータの動きはそこで止まった。
 もっとも、そもそも彼の思考能力が万全の状態であっても、この答えを導くのは不可能だっただろう。学園都市最強の能力をフルに使っても、木原数多はそれらを先読みし、けむに巻き、一方通行アクセラレータの力を制限した上で、逆に痛烈なカウンターを仕掛けてくる。世界を滅ぼすほどの力をたたきつけてもケロリとしている木原きはらに対し、今の一方通行アクセラレータはチョーカー型電極の恩恵をなくし、つえにすがってようやく立ち上がれる程度の運動能力しか持たない。これで勝算を導き出せというのは厳しすぎる。たとえ『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』を使ったとしても、出力される解答は〇%の一語に尽きるだろう。
 だが。
「―――?」
 その瞬間しゆんかん、さんざん侮蔑ぶぺつの言葉をぶつけていた木原の口が止まった。
 あざけりに満ちた表情に、若干じやつかんの困惑が加わった。
 無理もないだろう。一方通行アクセラレータの首筋にあった機器を見て、その機能と弱点をほぼ正確に予測していた者ならなおさらに。

 ミシリ、と。
 事務机をきしませ、それにすがるように、一方通行アクセラレータが再び立ち上がったからだ。

 とても戦えるような状態ではなかった。
 彼は自分自身の体重すらも支えられない。今は事務机に両手をついているが、それをはなせばすぐにでも床に崩れ落ちるはずだ。眼球の焦点も合っておらず、不規則にグラグラと揺れる黒目が何を映しているのかは、もう本人にしか分からないレベルだ。
 強大な敵に立ち向かうどころか、地球の重力にも負けている一方通行アクセラレータ
 しかし、それでも彼は木原数多あまた対峙たいじする。
 その無様な様子を眺め、木原が馬鹿ばかのように笑った。

「同じく砲撃中隊を退けた事にあなたは何を与えてます!?」
 決して届かない罵声ばせいを浴びせかけられる。
 バッテリーも切れたのにお前は何をやってんだよ、というニュアンスの言葉なのだが、今の一方通行アクセラレータに届くはずがない。そして、仮に届いたとしても彼の行動は決して変わらない。
 現状の一方通行アクセラレータはあらゆる計算ができない。
 この絶望的な状況を理解できても、それを打破するための勝算が浮かばない。
 けれども。
 逆に言えば、今の一方通行アクセラレータはあらゆる敗因が計算できない。
 ゆえに、彼は決しておくしない。
 たとえどんな状況に追い込まれても、次の一撃いちげきで殺されると分かっていても。

 最後の最後のその瞬間しゆんかんまで。
 彼はただひたすらに、計算もしないで戦う事を選択し続ける。

     4

 上条かみじようの両目が見開かれた。
 幻想殺しイマジンブレイカーを秘めた右手は届かなかった。
 土砂降りの雨の中、ヴェントの放った一撃いちげきがコンクリートの壁を爆弾みたいに打ち砕く。そこに気絶していた人間を含めて、すべてが灰色の粉塵ふんじんの中へ消えていった。
 それは戦場の野戦病院をおそい、治療ちりようを待っている重傷者一人一人の頭に銃口を押し付けて引き金を絞るような行為だ。
 どう考えても巻き込まれた人が生きているはずがなかった。
 灰色の粉塵が晴れた後には、グチャグチャに引き裂かれた人肉が散らばっているだけのはずだった。
 一方では、ガァン!! ゴォン!! と、立て続けに風斬かざきりが放電に似た攻撃を発射していく。
 上条の心を余計に押しつぷしていくように。
「テ、メェえええええええええぇッ!!」
 叫びは、かなり遅れて上条の口から放たれた。
 頭の処理が遅れるぐらい、目の前の光景は凄惨せいさんだった。
 ビュオ!!と、あらしに吹かれるように、突如として粉塵が取り除かれる。
 だが。
 その奥にいたのは、気を失ったまま、しかし傷一つ作っていない民間人だった。
「な……?」
「あ……?」
 上条とヴェントは、倒れている大学生を見る。
 攻撃は、確かに直撃したはずだったのに。
(どういうコト……。くそ。目の前で一般人を潰せば、感情面からちょっとは揺さぶりをかけられたはずなんだけど)
 ヴェントは、そう思案していたが。
 ふわり、と。
 淡い光を放っ綿のようなものが、ゆっくりと夜空から降ってきていた。
 首を巡らせ、上条とヴェントの二人は確認する。
 無傷だった大学生の周囲に、何か光る鱗粉りんぷんのようなものが、うっすらと漂っていた。目をらさなくては分からないほど薄弱はくじやくな異能力のあかし。しかし、それらは衝撃しようげきはばむように、大学生の周囲を漂い、おおっている。それこそが、この民間人をヴェントの攻撃から守ったものの正体のようだ。
 どこから……? と上条かみじようは周囲へ視線を飛ばす。
 光りかがや鱗粉りんぷんは、土砂降りの雨も気にせずにふわふわと周囲に漂っている。
 上条やヴェントは、生存者の様子と同じぐらいに、全く別のものに気を取られていた。
 それは鱗粉の光。
 その輝きを、上条当麻とうまは知っている。

 彼は後ろを振り返る。
 そこには無数のつばさから鱗粉をいている、風斬氷華かざむりひようかがいた。

「はは……」
 笑った。
 上条は、その光景を前に思わず笑ってしまった。
 周囲の瓦礫がれきが音を立てた。ガラガラと崩れていく残骸ざんがいの中から現れたのは、大学生と同じく生き埋めにされた一般人たちだ。男も女も、子供も大人も、大勢いる。
 鱗粉は一〇〇人でも一〇〇〇人でも包み込み、ひたすらに守り続けている。
 彼らに傷は、ない。
 たったの一つも。
 ザァ!! と。周囲一帯が輝く鱗粉に照らされていく。
 彼女のおもいが、やみぬぐう!!
「ははは」
 だれだか知らないが、風斬をあんな風にした人間が、生存者の安否など気にしているとは思えない。だとすると、破壊はかい活動の方はともかく、生存者達を救ったこの輝く鱗粉については、裏側にひそむ何者かの命令によるものではないはずだ。
 となると、これはあの子の意思によって引き起こされた現象だ。
 あんな体にされて、自由も全部奪われて、それでも必死に抵抗した結果、彼女は身を削って最後の一線を守り抜いたのだ。
 風斬の頭上にある天使の輪に取り付けられた鉛筆ぐらいの棒が、ガシャガシャガチャガチヤ!! と高速で動く。彼女の体を誘導ゆうどうするための光がチカチカと連続でまたたく。
 おそらく、風斬の勝手な行動を停止させるためのコマンドなのだろう。
 ゴキリ! と風斬の右腕から妙な音が聞こえた。
 あまりの束縛力そくばくりよくに、彼女の腕がメキメキとシルエットを崩していく。
 それでも、周囲に漂う鱗粉は決してなくならない。
 絶対に、彼女は守る事をやめない。
 ドガァッ!! という轟音ごうおんと共に、立て続けに風斬の羽から放電に似た攻撃こうげきが学園都市の外周部へ放たれる。しかし、その軌道をふさぐように無数の鱗粉りんぷんらいついた。あまりの破壊力はかいりよくに鱗粉は軽々と吹き飛ばされるが、風斬かざきりは抵抗をやめない。どれだけ体を痛め付けられても。
 破壊と守護、相反する二つの行動。
 それが、今の風斬氷華ひようかを示していた。
 たとえ何者からの支配を逃れられなくても、他人に対する攻撃こうげきを止められなくても、風斬はそこであきらめなかった。
 彼女は自分の体をきしませるほど抵抗し、
 少しでも不幸になる人間を減らすために、
 血のにじむような覚悟で力を振り絞り、
 一緒に戦ってくれているのだ。
「こ、の、偽善者が!! ナニやってんのよ!?」
 ヴェントが顔を真っ赤にして叫んでいたが、上条かみじようの耳には届いていなかった。
「はは」
 良かった、と彼は思った。
 上条当麻とうまは、風斬氷華を守るために立ち上がって正解だったのだと、
 たったそれだけの事が、はっきりとした。
「はははははっ!!たまんねーな! たまんねーよ!! 日頃ひごろから不幸不幸って言ってるけど、これだけあれば十分に幸せじゃねぇか なぁ!?」
「な、ナニを……何のコトを言ってんのよ、アンタ!!」
 常軌を逸した上条の笑いに、これまで主導権を握り続けてきたヴェントの方が思わず後ろへ下がった。赤く染まった舌のくさりが尾を引いていく。それに対して、上条の方は質問に答える気が全くない。彼はすでに満足してしまっていた。これ以上の答えを求めないがゆえに、ヴェントの言葉に応じる事もない。答えが出てしまっている以上、ヴェントに何を言われて何をやられた所で、上条の心は絶対に折れない。
「待ってろよ、風斬」
 今度こそ、『届いている』という確信を得て、上条当麻は話しかける。
 破壊のための攻撃をき散らし、守護のための鱗粉でそこから抵抗し続ける少女へと。
「今、インデックスがお前を助けるために動いてくれてる。この手の厄介事やつかいごとは、あいつに任せておけば問題ねぇよ。なんて言っても、お前の友達だからな。期待にこたえてくれんだろ」
 だから、と告げて、上条は右手に力を込めた。
 先ほどまでとは比べ物にならないほど、固く、強いこぶしが形成される。
「安心しろ。それまでの間、ここは俺が絶対に食い止めてやる」

     5

「ふざ、っけんじゃねえそこの廃人野郎ぉ!!」
 木原数多きはらあまたは叫び、事務机に寄りかかって体をふらつかせている一方通行アクセラレータを本気でなぐり飛ばした。もう一方通行アクセラレータは能力を使えない。これまでの「こぶしを返す』特殊な殴り方をせず、全力で体重をかけて殴っても問題ないのだ。
 結果、一方通行アクセラレータの体は紙屑かみくずのように舞う事になる。
 ただし、その直前で彼は木原の手首をつかんでいた。想像以上に強い、そして『飛んできたものを掴む』という犬や猫並みに単純な本能の動きによって、ガクンと一方通行アクセラレータの体がい止められる。
「チッ!」
 木原は拳にらいついた一方通行アクセラレータの手を振り払おうとしたが、思うようにいかない。その間に、一方通行アクセラレータはもう片方の手でゆるく拳を握って、それを木原の顔面へ
たたき込む。
 ぱしん、という間の抜けた音がしただけで、痛みはほとんどなかった。
 一方通行アクセラレータが木原の耳のすぐ上―――側頭部の髪の毛を掴んで、思い切り引き剥がさなければ。
「ごァああああああああああああああッ!?」
 木原の絶叫と共に、血が飛沫しぶきをあげた。
 雑草のようにまとめて引き抜いたため、髪の毛と一緒いつしよに地肌までベリベリとがしていた。ちょうど草の根にからむ土のように、一方通行アクセラレータの持っている『髪束』には肌色の皮膚ひふやピンク色の肉がうすく張り付いている。
 情けなどない。
 容赦ようしやなどない。
 一方通行アクセラレータは、表情を崩す木原のすぐ目の前で、口を引き裂いて笑っていた。
 本能だけで戦っているに近い彼は、極めて原始的な『爽快感そうかいかん』を顔に表した。
「こんの、クソガ、キ……ッ!!」
 木原は片手で頭の横を押さえながら、後ろへ大きく下がろうとした。
 しかし一方通行アクセラレータは、まるでゾンビのように木原に抱きつき、そのまま床へ押し倒す。『テメぇ!!』と木原が叫んだが、言語機能のない一方通行アクセラレータには完壁かんぺきに届いていなかった。
(なめやが……ッ!!)
 木原は叫ぽうとしたが、その時、一方通行アクセラレータは木原の耳をつかみ、そのまま引き千切ちぎろうとした。
「おおおっ!?」
 慌てて首を振ってその指をけ、木原は一方通行アクセラレータの顔を殴って、その下から脱出する。体を転がすように、床の上を移動する。
(ふざけやがって、ここで殺してやる!!)
 木原きはらは倒れたまま、床に転がっている拳銃けんじゆうを見た。一方通行アクセラレータつぶされた『猟犬部隊ハウンドドツグ』の武器の一つだ。
 それを使ってはちの巣にしようと思った木原だが、
「―――、」
 一方通行アクセラレータがその手をつかむ。
 自分の手をさらに拳銃へ近づけようとする木原に、一方通行アクセラレータはもう片方の手を木原のみぞおちにねじ込んだ。それを二回、三回とり返すと、木原は一度拳銃をあきらめ、のしかかってくる一方通行アクセラレータの顔へ肩をたたき込み、距離きよりを取ろうとする。
 ほとんど本能的な行動か、それでも一方通行アクセラレータは木原と拳銃の間を割るように倒れ込んだ。
(このクソガキ……行動力を失った分、一つ一つの動きがキレ始めてやがる!?)
 もぞもぞと床でうごめ一方通行アクセラレータにらみながら、木原は荒い息をく。
 もしも一方通行アクセラレータにまともな思考能力が残っていたら、違和感に気づいていたかもしれない。
 学園都市最強の超能力者レベル5を軽くあしらうような化け物が、この程度でここまで緊張きんちようするのはおかしい、と。
 トリックがあったのだ。
 結局の所、木原数多あまた一方通行アクセラレータを圧倒していたのは、彼が『一方通行アクセラレータを直接開発したから』に過ぎない。だから性格面、能力面、運動面など、あらゆるデータがそろっていた木原は、『一方通行アクセラレータにのみ有効な』必殺戦術を身につけていただけだったのだ。
 もちろんそれを成功させるには、普通の人間よりはるかに優れた体術のセンスと、膨大ぽうだいな研究データを戦術に組み込むための天才的な頭脳が必要になる。しかし、それを実現したとしても、学園都市でも七人しかいない超能力者レペル5を正面から打倒するほどのものではない。
 本当に小細工なしで超能力者レベル5を叩き潰せるのなら、木原はそもそも『猟犬部隊ハウンドドツグ』の部下など使わないだろう。ピアスだらけの女が出現した時にも自分でさっさと対処したはずだ。実際、今回の作戦で木原は一方通行アクセラレータ以外の人間を潰す時には絶対に部下を差し向け、自分は表に出ないように徹底てつていしていた。
 しかし、その化けの皮はここでがされた。
 一方通行アクセラレータが、超能力者レペル5から何の力も使えない無能力者レペル0へ切り替わった事で。
 これまでの戦術すぺてを捨てたために、木原の『対抗策』も意味をなくしてしまった。
馬鹿ばかにしやがって。殺してやる、絶対ぶっ殺してやる。くそ、何でこんな事になってんだ。おれはずっとこいつを圧倒していたはずだ。床をいずる理由が全く浮かばねぇ……)
 口の中でブツブツと悪態をっく木原だったが、ふと窓の外に異変を感じた。
『天使』の様子がおかしい。
 具体的に、一体どこに『異変』が生じているのか、木原には掴めない。だが、とにかく違和感があった。曖昧あいまいな言い方をすれば、突き刺すような禍々まがまがしさが消えている。
(異、変……?)
 呆然ぽうぜんと、木原きはらは思う。
(ま、さか、アレイスターも、考えていなかったような、問題でも……)
 額の汗をぬぐい、立ち上がろうとした木原は、そこで一方通行アクセラレータの顔を見た。
 彼の口は、言葉を発するように動いていた。
 しかし、それは木原数多あまたの耳まで届いていなかった。届いていたとしても、今の一方通行アクセラレータはまともに人の言葉を話せる状態ではない。何を伝えたいのか、木原に理解するのは不可能のはずだった。 それでも、木原はこめかみの血管が不気味に脈動するのを感じた。
 馬鹿ばかにされていると、表情や雰囲気ふんいきだけで思い知らされたからだ。
(なめ、やがって……)
 木原数多の眼球が、一気に血走る。
(殺すだけじゃ足りねぇ。ただ心臓を止めても、こいつは余裕をもって死んでいく。もっと奪え。こいつが死の意味すら奪え。そのためには何をすれば良いんだよ)
 彼の思考が一気に回る。一方通行アクセラレータにとって何がが弱点で、何が急所で、何をやられるのが最もつらい事なのか。演出、脚本、効果、それらすべてをひっくるめ、最悪のシナリオを構成していく。
 あはっ、と木原は笑った。
彼は自分の手を素早く白衣の内側へ突っ込んだ。取り出されたのは一枚のチップだ。中身は打ち止めラストオーダーの脳に打ち込まれた、ウィルスのオリジナルスクリプトだった。
 学習装置テスタメントを使って彼女の頭を治療ちりようするにしても、このデータは絶対に必要なものだった。
 これがなければ打ち止めラストオーダーは絶対に助からない。
 そのチップを、

 木原数多は、一方通行アクセラレータの目の前で、てのひらで包んでグシャリと握りつぶした。

「ぎゃははははははははははははッ!!」
 あざけりに包まれた爆笑が廃棄オフィスを揺るがした。
 バラバラと、プラスチックの破片が床に落ちていく。一方通行アクセラレータは、動かなかった。計算のできない彼は、そのチップの破壊はかいが何をもたらすのか、答えを導けない。それでも木原は満足だった。眼前で全てを破壊した事がこの上なく楽しかった。
「ざまあみろ! ざまぁぁぁみろ!! 勝利条件は一つじゃねえ! 悔しがれよこのクソガキ!! おれはテメェの一番大切にしているものを全部ぶっこわしてやったんだ! テメェはもう何にも取り戻す事あできねえんだよ!! あははあはぎゃはは!!」
 これが一方通行アクセラレータ木原数多きはらあまたの住んでいた世界だった。
 加減も容赦ようしやも情けも救いもない。
 善も悪も死ぬ。ただ弱いヤツから順番に食い物にされていく。だからこの世界に迷い込んだら、打ち止めラストオーダーのような人間は絶対に生き残れない。当たり前すぎていちいち口に出す事もなかった、根本的な裏社会の法則。それに巻き込まれて、また一人の人間が命を落とした。
 それだけの事だ。
 たったそれだけのはずだ。
 木原はゲラゲラと笑いながら、一方通行アクセラレータ脇腹わきばらりつけた。希望を奪うだけでは許さず、その上でたたき殺す。木原の顔には、略奪者の愉悦が深々と刻まれていた。
「ほぉーら、次はテメェの番だ。天国ってのがあるかどうか、今からくだらねえ事でも考えてやがれ!!」
 もはや、望みなどない。
 しかし、救いは一方通行アクセラレータ打ち止めラストオーダーを見捨てなかった。

「いた!! あの子だ!!」

 廃棄オフィスにみ込んでくる足音。
 つい数時間ほど前に聞いていたにもかかわらず、随分となつかしさを感じさせる少女の声。
 蹴飛けとばされ、床を転がっていた一方通行アクセラレータの首が、声のした方へ向く。
 そこに、
 ずぶ濡れの白い修道服を引きずった、インデックスが立っていた。

     6

 バチバチと放電に似た轟音ごうおんき散らす巨大な天使を背に、上条当麻かみじようとうまはヴェントの元へと突っ込む。
 矢のような速度だった。先ほどまでの動きがうそのようだ。いや、おそらく逆だろう。生き埋めにされた人々の生存が確認され、さらにあの風斬かざきりの心はそのままだ。彼女がそうそう簡単に他人へ『敵意』を向けないのも分かりきっている。そしてもうヴェントの乱雑な攻撃こうげきが周囲へ被害を拡大させていく事もない。すべての不安や懸念けねんから解放された上条はそのかせを外し、全力で戦う事ができる訳だ。
 守れば良い。
 彼はただ自分の大切な友達を守れば良い。
 シンプルだ。
 それゆえに、上条当麻かみじようとうまは何もかもから解放された。
「クソッ!!」
 ヴェントは悪態をつきながらハンマーを振り回したが、すでにその時には、上条は彼女のふところ深くへともぐり込んでいる。ドバン!! と一撃いちげきで空気の鈍器を吹き飛ばすと、さらにそのままヴェントのハンマーの有刺鉄線を巻かれていない所をつかむべく、右手を前へ前へと突き出す。
「ッ!!」
 触れる寸前で、ヴェントの右手からハンマーが消えた。即座に左手にハンマーが移り、上条のてのひらが空を切る。
 がら空きの胴をねらって、ヴェントのハンマーが横殴よこなぐりに上条へおそいかかる。
 上条はこれを身をかがめてける。ブォ!! という轟音ごうおんを頭上にやり過ごし、そのままヴェントの腹の真ん中へ鋭角に突き立てたひじたたき込んだ。
 ドン!! という鈍い音が炸裂さくれつする。
「げうっ!?」
 ヴェントの体がくの字に折れ曲がり、さらに足の裏が滑って地面を転がった。上条は、さらに彼女の腹へ杭のようにカカトを沈めようとしたが、それより先に、ヴェントは倒れたままハンマーを思い切り振り回した。
 空気の鈍器が、上条の顔面目がけて射出される。
「ッ!!」
 慌てて後ろへ下がる上条のすぐ近くを、ビュオ!!と風の凶器が突き抜けた。土砂降りの雨を食い破り、粒子のような残像を引いていく。
 仕切り直しだが、上条の顔には笑みがあった。
 いける。
(ヴェントは、おれの右手にハンマーを掴まれる事を避けた)
 上条は、右手の五本指を開き、もう一度握って、
(つまりこいつで打ち消せるって訳だ。しかも、すぐさまこわれたハンマーが元通りになるって事もなさそうだな。一度ぶっ壊しちまえば、ハンマーの方は封じられる!!)
「やっぱ近づかれて、こっちが得するコトはなさそうね……」
 ヒュン、と長いハンマーを手の中で回し、肩でかつぐ。
 唇の間からこぼれた赤い血が、細いくさりを伝って先端の十字架をらしていく。
 上条はこぶしを構え直し、口元に獰猛どうもうな笑みを浮かべて言う。
「周りを気にしなくて良いってんなら、こっちも存分にやり合える」
「ハッ。まるで後ろの化け物に協力してもらってるみたいね」
「みたいじゃねえ。本当に協力してもらってんだよッ!」
「言ってろ!!」
 ヴェントがハンマーを肩にかついだ状態から一気に振り下ろし、上条かみじようが勢い良く前へ駆けた。
 正面から飛んでくる空気の鈍器を右手ではじき飛ばし、続いて生み出された二発目は上条の足元へ落ちた。アスファルトが粉々に吹き飛び、大量の破片が上条をおそう。
 彼は身をかがめ、できる限り当たる数を減らし、その上で両手をクロスして顔面へ向かってくる破片を防ぎながら、さらに前へと突き進む。
 そうしながら、叫ぶ。
「これがテメェの限界だ!! 人の盾を使えなけりゃこの程度じゃねぇか!!」
「「神の右席』を……ナメてんじゃねぇぞおおおお!!」
 ヴェントは絶叫し、さらにハンマーを振り回して空気の鈍器を生み出そうとする。
 その攻撃こうげきはもう読めている。
 ハンマーを使って『武器』を生み出し、舌のくさりの軌道に合わせて発射する。ようはそのワンパターンだ。上条の右手があれば対処できる。
(いや、おそらく、本来のヴェントはこんなもんじゃないはずだ)
 彼女には『自分に敵意を向けた者をすべたたつぶす』術式がある。それとこの空気を操る攻撃を組み合わせれば、ほとんどの人間はかなわないだろう。たとえ当たらなくても、凶器を向けられただけで相手の『敵意』は生まれるのだから。
 しかし、上条の幻想殺しイマジンブレイカーはヴェントの大本命『天罰てんばっ術式』を寄せ付けない。
 今の彼女は、牽制けんせいのための『鈍器』しか使えない。
(だから勝てる!! ここで終わらせてやる!!)
 上条は右手が一つの塊になるほど固く握りめ、ヴェントのふところへと飛び込もうとする。
 彼の手が届く前に、ヴェントが水平にハンマーを振るった。
 空気の鈍器が生まれる。
 が、それが射出される前に、ヴェントは手首を返すと、さらにハンマーを下から上へ振り上げる。ドッ!! という轟音ごうおんと共に、二発目の鈍器が生み出された。
 二つの鈍器は、バラバラに飛んでくる事はなかった。
 お互いを食い破って一つの塊になると、まるでシャワーのように扇形に炸裂さくれつした。数百ものとがった空気のきりが、上条目がけて一気に襲いかかってきた。
 これは右手だけでは防ぎ切れない。
「ああああっ!!」

 前へみ込む足を強引に曲げ、上条は全力で横へ転がる。ズドッ!! という鈍い音と共に、背後数十メートルのアスファルトがまとめてめくれ上がった。学生服の腕の辺りが弾け飛び、皮膚ひふが引きつれてピピッ、と切れる。
 転がった直後で身を屈めている上条へ、ヴェントはさらにハンマーを振り上げる。
 縦横に連続で振り回すと、今度は勢い良く三つの鈍器が生み出された。
 上条かみじようはギョッと体を強張こわばらせる。
(まずっ!?)
 きちんと起き上がっていない今の上条は、機敏には動けない。ここへ先ほどのシャワーが難いかかれば、今度はけられる保障がない。
「くそ、当たっちまう……っ!!」
 とっさに右手を構えた上条だったが、
 ごぽっ!! と。
 ヴェントが不意に体を折り曲げたと思ったら、その口元から血の塊が爆発した。
 制御を失った三つの鈍器が、その場で爆発する。ドン!! という轟音ごうおんと共に、ヴェントの体が真後ろへはじかれる。
「ヴェント!!」
 思わず上条は敵に叫んでいた。
 確か、以前にもヴェントは口から血を確か、以前にもヴェントは口から血を|吐いていた事があったはずだ。
「……ナニを、馬鹿ばかみたいな声を出しているんだか」
 口の中にまった血を吐き捨てながら、ヴェントはよろよろとハンマーを構え直した。
 今の爆発で、黄色い衣装のあちこちが破れ、血がにじみ始めていた。
「アンタら科学サイドが、仕掛けたコトでしょう? あの『天使』の出現に合わせ、『界』全体へ強制的に術的圧迫を加える。いわば、魔力まりよく循環じゆんかん不全を引き起こすってトコか。アレイスターも、いやらしい手を考える……」
 ヴェントの口調は朦朧もうろうとしていて、何を言っているのか詳しく理解できない。
 が、どうやら今のヴェントは魔術まじゆつを使うと血を吐くような状況にあるらしい。
 空気の鈍器を続けて何度も生み出すやり方も、余計に負担を増しているのかもしれない。
 それでも。
 彼女は血を吐きながら、さらにハンマーを続けて振り回す。
 上条の顔色が変わった。
馬鹿ばか野郎!! そうまでして戦う理由なんかあるのか!?」
「ヒトをなぐり殺そうとしているクソ野郎が! 白々しい台詞せりふを吐いてんじゃないわよ!!」
 縦から横へと続けざまにハンマーがおどり、三つの鈍器が生み出され、ギュルリと渦を巻いて、一本の鋭い杭と化して上条へ襲いかかる。
 ズォ!! という轟音と共に、彼の耳のすぐ横を杭が突き抜けた。
 上条がとっさに避けたのではない。
 反応できなかった。当たらなかったのは、ヴェントの照準が勝手に揺らいだからだ。
 彼女の体力は、もう長くはたない。
(複数の空気をぶつけ、そのベクトルを掛け合わせ、全く別の方向や強さで風をち出す……)
「今の攻撃こうげき……流体力学の応用か!?」
「ムカつく野郎だわ。人の魔術まじゆつを知ったような顔で勝手に分類しやがって……ッ! 科学的な言葉を使われるだけで虫唾むしずが走んのよ!!」
 叫んだが、その意思に体力が追い着いていない。
 振り上げていたハンマーが、腕ごとゴトンと地面に落ちる。両手はだらりと下がっているが、しかしヴェントのひとみからはギラギラした敵意が消える事はない。
「おおおアっ!!」
 彼女は血まみれの歯を食いしばり、ハンマーを下から上へと振るう。
 体力の限界を感じさせるような、ふらふらした軌道だった。
 発射された風の鈍器は上条かみじように当たらず、すぐ横の路上へ直撃した。
 それを見た上条は言う。
「ハッ、レスキューが必要なんじゃねぇのか?」
「ふざけんじゃ、ないわよ……」
「悪りぃがこっちも立て込んでんだ。さっさと病院送りにしてやるよ!!」
だまれ!! 私はもう二度と、科学なんぞに身を預けない!!」
 ヴェントはえるように叫んだ。
 今の台詞せりあに、上条はわずかにまゆをひそめる。
「もう二度と、だって?」
 思わずつぶやくと、ヴェントの顔により一層深い怒りが刻まれる。
 口の中にまった血の塊をかたわらにき、手の甲で唇をぬぐいながら、彼女は言った。
「……私の弟は、科学によって殺された」
「なに?」
 赤く染まった歯を食いしばり、全力でハンマーを振り上げ、彼女は続ける。
「遊園地のアトラクションの試運転モニターで誤作動を起こしたおかげでね。幼い私は弟と一緒いつしよに、二人そろってグチャグチャの塊になった。科学的には絶対に問題ないって言われてたのよ! 何重もの安全装置、最新の軽量強化素材、全自動の速度管理プログラム! そんなたのもしい単語ばかりがズラズラ並んでいたのに!! 実際には何の役にも立たなかった!!」
「お前……」
「だから私は科学が人を救うなんて信じない。そこの天使も同じってコトよ。何が人を守ってるだ。その陰でしっかり破壊はかいしてんじゃない!!」
 上条は、言葉もなかった。
 そんな彼に、ヴェントは舌を出して言う。
おどろいたぁ? 世界をべる『神の右席』の一人が、こんな理由で戦ってるだなんて。でもね、私は『神の右席』を利用してでも科学をつぶしたいほど憎んでんのよ!!」
 激昂げつこうはしても、すぐさま攻撃こうげきは来ない。
 ヴェント自身、体力の限界を肌で感じているのだろう。
 必殺のタイミングを計っているのか、じりじりと足を動かし、ゆっくりと横方向へ動く。
 赤く色づいた舌をベロリと出して、彼女は言う。
「B型のRh-。今、いてるこの血は、病理学的にはとっても珍しいモノだって医者は言ってたわ。輸血のストックもそうそう簡単には見つからない。じゃあ病院に運ばれた私たち姉弟はどうなったと思う?」
「……、」
「二人分の輸血なんて用意できなかった。方々に連絡しても一人分しか集まらなかった。ソレまで死にかけのまま待ち続けた私達は、医者達から絶望の話し声を聞いたわ。どちらか片方しか救えないって。そして私だけが生き残った! お姉ちゃんを助けてくださいって、そう言ったあの子はそのまま見殺しにされたんだ!!」
 歯と歯の間から血をこぼしつつ、それでもヴェントは攻撃しない。
 絶対に殺すと、その時を待つと、言外に宣言しているように。
「科学は私達の道を奪い、その上、救いの術だと思っていた聖書さえ、こうして冒涜ぼうとくで塗りつぶそうとしてる! 所詮しよせん、科学の本質なんてこんなモノよ。人の邪魔じやましかしない!!」
 肩で息を吐き、自らの力を倍加させるように、ビリビリと空気をふるわせて、叫ぶ。
「だから私は科学が嫌いで科学が憎い! 科学ってのがそんなに冷たいものなら、全部ぶち騰して、もっと温かい法則で世界を満たしてやる。ソレが弟の未来を食いつぶした私の義務だ!!」
「―――、」
 なんていう事だろう、と上条かみじようは思った。
 結局、ヴェントは自分のせいで弟を死なせてしまった事を、ずっと悔いているのだろう。彼女にとって一番の敵は、おそらく科学ではなく自分自身だ。その手で守ろうとした者を死なせて今を生きている、ヴェント自身のはずだ。
 天罰てんばつ術式。
 自分に敵意を向けた者を、問答無用で打ち倒す魔術まじゆつ
 初めて聞いた時は、さぞかし便利な力だと感じた。しかし、その術式は逆に言えば、多くの人達から常に敵意を浴び続けるような環境でなければ、全く役に立たないのだ。
 全世界の人間から恨まれる人生を選んだヴェント。
他人から敵意を受けなければ価値も結果も作れない。それを抑えるためには世界のやみに身をひそめているしかない。まるで好意を受ける可能性すら廃しているような生き方だ。
 それが相応ふさわしいと信じて、死んだ弟のためだけに、破壊はかいに走る彼女。
 とても、上条では真似まねできないと考えた。
 その上で、彼は言う。

「ふざけんじゃねえよ」

 なに? とヴェントはまゆをひそめる。
 上条かみじようは続ける。
「何が、科学が弟を殺した、だ。その医者だって初めから死なせたくなかったに決まってんだろ。お前たちを二人とも助けたかったに決まってんだろ!! 事故が起きたアトラクションの方だってそうだ。人を傷つけるために動かしてた訳じゃない。笑顔を作りたかったんだよ!!」
だまれ……」
「死に掛けてたお前の弟は、お姉ちゃんを助けてくださいって、どんな気持ちで言ったんだよ!! 自分がどんな状況にいるのか全部知った上で、それでもそいつはお前を助けたいって願ったんじゃねぇえのか!! そんな人間が、科学に対して復讐ふくしゆうして欲しいなんて言うと思ってんのかよ! お前の幸せをだれよりも願っていた人間がッ!!」
「黙れっつってんだよおおおおッ!!」
 激昂げつこうのあまり、ヴェントはがむしやらにハンマーを振り回した。
 これまでのような計算はない。ただ乱雑に飛ばされた空気の鈍器は、上条の右手によって軽々と吹き飛ばされる。
「たった一〇歳にも満たない子供が、死に掛けて意識を朦朧もうろうとしている状態で、目の前に傷ついた肉親がいて! ソンナ状態で決断しろと言われたら、誰でも首を縦に振ってしまうわ!! 小さな子供の意見ってコトなのよ。そこに価値なんてあるものか!! 血が足りなければ弟の方に回せば良かったのよ! 何なら私の血も使ってしまって良かったんだ!!」
 上条の顔色はピクリとも変わらない。
 土砂降りの雨の中、彼はヴェントの顔を正面から見据えて、告げる。
「価値ならあっただろ」
 つばを吐き捨て、彼は言う。
「たとえ小さな子供の意見だったとしても、そいつの決断があったから、お前は今もこうして生きてるんだろ! だったら価値はあったんだ!! その価値は、お前が一番分かってなくちゃいけないんじゃないのか!?」
馬鹿馬鹿ばかばかしい!!そんな言葉がなぐさめになるか!? 私は他人の未来をったのよ!!」
「全く同じ境遇の人間に、今の一言を叫べるのかよ!」
「ッ!!」
 ヴェントの息が詰まった。
 上条は、そこへ畳み掛けるように言葉を突きつける。
おれにはできない。だからお前に反論する!! そんな生き方は間違ってんだよ! お前の弟がどんな人間かは知らない。でも、そいつはおれにもできない事をやった。あの時、お前の弟は世界で一番すごい事をしたんだ!! そこに泥を塗るのか!? ずっと科学を憎みながら死んでいったって、そんな言葉で台無しにしちまうのかよ!!」
「―――、笑わせる」
 前方のヴェントは、ほとんど唇を動かさずに、言った。
「その程度の言葉で、私の道が変わると思うワケ? この道は、私が決めた。たった今、ココで話を聞いただけのテメェに、そうそう簡単に捻じ曲げられるはずがないのよ!!」
 一歩だけ後ろへ下がると、体に残ったわずかな力を振り絞って、重たいハンマーを持ち上げて、構える。口からこぽれた血が舌の細いくさりを伝い、先端の十字架をらしていく。
 応じるように、上条かみじよう右拳みぎこぷしを固め、正面からヴェントを見据える。
 互いの距離きよりは、わずか五メートル。
 上条なら二歩で拳の射程距離に入る。あれだけ弱っているヴェントなら、一撃いちげきが入ればそれで意識を奪えるだろう。

 しかし、その間にヴェントも一撃を放てるはずだ。複数の空気の鈍器を重ね合わせた結果、まるで科学の流体力学のように形状やベクトルを変化させる、彼女の必殺技を。
 一発ずつの、小細工なしの勝負。
 周囲の瓦礫がれきがガラリと崩れる音と共に、火蓋ひぶたは切って落とされた。
「「!!」」

 上条の体が前へ突き進む。
 ヴェントはハンマーを連続で勢い良く振り回し、血をきながら一度に七つもの風の鈍器を生み出す。それらは互いに食い合い、ベクトルを変え、ギュルリと渦を巻いて、一本の巨大なくいと化した。
 三本の鈍器を束ねた杭ですら、上条は反応できなかった。
 二倍以上の数となれば、どれほどの威力が出るのか想像もつかない。
 それでも上条はおくしない。
 けるための動作へ移らない。真っ向から拳で迎えつため、拳にさらなる力を加える。ほんの数センチ、拳と杭の照準がずれれば上条の頭は確実に爆発するはずだ。その事実を理解して、なお上条のひとみは全く揺らがない。
(学園都市や風斬氷華かざきりひようかが抱えている危機的状況も)
 あるいは、ヴェントの目の動きや呼吸のタイミングで、攻撃を予測できるかもしれない。土砂降りの雨粒を使えば、風の攻撃を読める可能性もある。
(ヴェントがとらわれている、科学への憎しみも)
 しかし、上条かみじようはそういった打算はすべて捨てた。
 この勝負の決着は、そういう小手先で決まるのではない。
 胸の中の全てをぶつけ、最大の一撃いちげきを放とうとしている彼女を見て、そう思った。
(そんな幻想は、ここでまとめてぶちこわす!!)
「おおおおおおおおおおおおおおおおおお治おおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
 上条とヴェントは叫ぶ。
 こぶしくいは、ほぼ同時に飛んだ。
 ゴォッ!! という轟音ごうおんと共に、ヴェントと上条の間を杭が突き抜け、雨粒が砕け散り、粒子状に吹き飛ばされた。細かい霧状きりじようになって爆発した雨粒が、瞬間的しゆんかんてきに視界をふさぐ。まるで蒸気のように周囲へき散らされる。
 音が消えた。
 その直後。
 ドガッ!! と原始的な音が炸裂さくれつし、上条の拳が空気の杭の先端をとらえ、その一撃をまとめて打ち砕いた。
「……ッ!!」
 ヴェントはさらにハンマーを振り上げようとしたが、もう体力が残っていないようだ。
 そして、上条はそこへ深々ともぐり込む。
「お前の弟に比べれば、全然大した事はないだろうが……」
 その拳を限界まで固く握りめ。
 ヴェントの顔をにらみ付けて、

「少しだけお前を救ってやる。もう一度やり直して来い、この大馬鹿おおばか野郎!!」

 ゴン!! と上条の拳がヴェントの鼻っ柱に突き刺さった。
 彼女の体が数メートルも飛んで、雨にれたアスファルトの上を転がった。

     7

 インデックスは、ボロボロになって床に倒れている一方通行アクセラレータと、彼を蹴飛けとばしている白衣の男を発見した。それは奇しくも、地下街の出入り口近辺で目撃した時と似た構図だった。
(あの時の……ッ!! この人たちもあれと関係があるの!?)
 とはいえ、今は彼らの方へ向かう余裕はない。
 彼女にとって、一番重要なのは『大天使』を抑えるためのカギだ。
 だが、
(ッ!?)
 インデックスの目が見開く。白衣の男は一方通行アクセラレータの正面に立つと、倒れたままの彼の頭を思い切りり飛ばした。一方通行アクセラレータの体が、抵抗なく床を転がる。
 インデックスは思わずそちらへ駆け寄ろうとしたが、
「おおおゥゥあッ!!」
 のどから叫び声とも鳴き声とも言えない音を出し、一方通行アクセラレータは事務机に、バン! と手をついて起き上がった。ちようどインデックスの盾になる位置だった。
 インデックスはやや逡巡しゆんじゆんしたが、やるべき事は山積みだ。
 彼女は机の上に置いてある、電話線の抜かれた電話機をつかむと、それを白衣の男に向かって投げた。その動きに合わせて一方通行アクセラレータが飛び掛かっていくのを尻目しりめに、インデックスは事務机に寝かされている、一〇歳前後の少女へ目を向ける。
 携帯電話の写真で一度だけ眺めた事のある、一方通行アクセラレータの捜し人。
 この少女が、すべてのカギだ。
(ここじゃ駄目だめだ。『作業』するにしても、もっと安全な所へ……ッ!)
 インデックスはぐったりしている少女の体を抱えて、廃棄オフィスを出ようとしたが、打ち止めラストオーダー衰弱すいじやくした様子を見て、下手に動かすのは危険だと判断した。戦闘せんとうに巻き込まれないよう、机の上から、陰になる位置にゆっくりと床へ下ろす。
「テメェ!! 勝手な事してんじゃねえぞボケがぁ!!」
 白衣の男がわめいたが、そこへ、一方通行アクセラレータが強引にしがみつく。
 インデックスは改めて少女の体を頭の先から足の先まで観察する。
 魔術的ぽじゆつてきな視点で。
(やっぱりこの子が全ての『核』だ。基本は天使の構築。形のない『天使の力テレズマ』を人のイメージという『袋』に押し込め、風船人形のようにシルエットを作っていく。クロウリーも所属していた『黄金』の魔術結社でも行われていた術式)
 ザァッ!! と、一〇万三〇〇〇冊の知識があっという間に魔術のなぞを解き明かす。
 しかし、
(……ここから先が分からない)
 ギリッ、とインデックスの奥歯から音が鳴った。
(おおまかな全体図は分かっても、それがどんな部品で作られてるのかが理解できない!!)
 たとえるなら、木を削ってバイオリンを作っている職人に、電子部品を使ってエレキギターを作ってくれとたのむようなものだ。同じ楽器であっても扱う分野が違いすぎるため、『何となく』でしか状況をつかめないのだ。
 そして、精密な作業を行うのに『何となく』では話にならない。
 インデックス一人ではここが限界だった。
 だからこそ、彼女は迷わず救いを求める。
「短髪、質問!!」
 インデックスが言葉をぶつけたのは、彼女の手にある携帯電話だ。
 その先につながっているのは、一人の少女である。
美琴みことサマと呼べ!!で、質問って―――ザザザ! ガリガリガリ!! っ何なのよ?』
 バンバンガン! と電話の向こうから頻繁ひんぱんに爆発音が聞こえた。しかし、美琴はそちらには触れない。そっちが背負う必要はないと言わんばかりに。
 インデックスはその好意に甘える事にする。
「〝脳波を応用した電子的ネットワーク〟って何!?」
 インデックスの質問に、美琴は常盤台ときわだい中学で得た知識をフルに使って回答していく。
 その答えを聞いて、さらに次の質問が飛ぶ。
「〝学園都市に蔓延まんえんしているAIM拡散力場〟っていうのはどういう意味!?」
 二人の少女は、それぞれ科学と魔術ぽじゆつ、片方ずつの知識が欠如している。
 だから、お互いに導き出そうとしている答えをだから、お互いに導き出そうとしている答えを|完壁かんペきには理解できていない。
「〝脳波を基盤とした電気的ネットワークにおける安全装置〟っていうのは?」
 それでも、構わず二人の少女は突き進む。
 問題を解くために。途中の解法を理解できなくとも、正答していれば構わないと。ある意味でプライドを捨て、蚊帳かやの外にいる事すらも自覚して、ひたすらに状況の回復だけを願って行動を続けていく。
(ようは、街中に特殊な力が満ちていて、それを束ねるのがこの女の子で、この女の子の精神をしばる事で特殊な力をじ曲げ、『天使』を作っているだけ! それなら!!)
「この子の頭の中にある『結び目』をほどけば良いんだ!!」
 科学サイドの人間なら、それは『ウィルス』と呼んでいたかもしれない。
(でも、この考えを具体的な手段にするにはどうすれば……)
 インデックスに魔術は使えない。
 そして、打ち止めラストオーダーを助けるのに魔術を使う必要はない。
 インデックスはその『結び目』をほどくために、『言葉』を使う事にした。人間の精神をいじくるというと、さぞかし特殊に聞こえるかもしれないが、本を読んで勉強するのだって同じ事だ。人間は元々そのための『窓口』を解放しているのである。
『結び目』に適合した言葉を選び、それを聞かせる事で『ほどけば』良いのだ。
 そのための具体的な方法は、
「……歌」
 インデックスはそう思う。
「単純な言葉よりも伝わりやすい。一時間の説教を受けたって泣かない人も、一分間の歌で涙を流す事もある。リズムや音程を使って、多重的に感情をやり取りできるから。だから」
 しかし、それを聞いた美琴みことはやや慌てた調子で反論した。
『ちょ、ちょ、大丈夫だいじぎぷな訳!? 人間の頭の上書きは反復学習が基本だし、そもそも脳の記憶きおくや適応がそんなに優れているとは限らないのよ!! その上、電気的ネットワークに介入するなら、「学習装置テスタメント」みたいに専用の機器を使ったデジタルな数値入力は必須でしょ? そんな声とか歌とか、原始的なアナログ方式でどうにかなる訳!?』
 美琴の台詞せりふに出てくる科学的な単語の意味は理解できないし、インデックスだって確証はない。彼女は「魔滅の声シエオールフイア』や『強制詠唱スペルインターセプト』など、いくつか人の精神に干渉する攻撃こうげき方法を覚えているが、こういう使い方は初めてなのだ。
「できるよ……」
 それでも、インデックスはそう答える。
「祈りは届く。人はそれで救われる。私みたいな修道女は、そうやって教えを広めたんだから!」
 迷わずに、ただ前だけを見て。
「私たちの祈りで救ってみせる。この子も、ひょうかも、学園都市も!!」

     8

 木原きはらなぐられ、たたかれ、つぶされ、一方通行アクセラレータの体が床を滑る。
 今の彼は、戦える状態ではなかった。
 そもそも脳の損傷のせいで、二本の足で立ち上がる事もできないのだ。半ば倒れ込むような動きで木原の体にまとわりつくというこれまでの戦い方も、木原の方がそれを警戒し、距離きよりを取って戦うようになれば封じられてしまう。
「あははぎゃははあはははッ!!」
 のどを裂くような木原の笑い声が続く。
 とても頭の皮膚ひふを思い切りがされた人間の顔とは思えない。
 一方通行アクセラレータは胸倉をつかまれ、床から引きずり起こされ、事務机の上に背中を叩きつけられ、そこへさらに木原のこぶしが放たれる。ミシミシと頭蓋骨ずがいこつから嫌な音が聞こえ、顔の皮膚が引きつったように切れていく。脳が揺さぶられたせいか、指先から力が抜けるのが分かった。
 しかし、意識だけは切れない。
 そこだけは、絶対に揺らがない。
「―――、」
 一方通行アクセラレータの耳には、少女のなめらかなメロディが聞こえていた。
 言語機能を失った一方通行アクセラレータには『声が聞こえる』というだけで、『どんな言葉か』は分からない。だが、少女の詠唱には感情があった。言語の壁を越えた所にある、打ち止めラストオーダーを思いやる気持ちを、一方通行アクセラレータは確かに感じていた。
 声にどんな意味があるかなど、知らない。
 あるいは、単に打ち止めラストオーダーの手を取って痛みをやわらげようとしているだけかもしれない。
 だが、それは立派な救いだった。
 打ち止めラストオーダーは、今までそんな事もしてもらえなかったのだから。
「おおおおおおぉぉあああああああッ!!」
 木原の絶叫と共に一際ひときわ重たい拳が放たれ、一方通行アクセラレータは事務机を蹴散けちらして汚い床を転がった。体のあちこちが激痛を発した。起き上がるのが億劫おつくうなほどに。
 それでも、一方通行アクセラレータはうっすらと笑っていた。
 少女の滑らかな歌は続いていた。
 温かい光の中にあるような詠唱だった。おそらくは、本来、打ち止めラストオーダーがいるべき世界の人間にしか出せない声だった。一方通行アクセラレータは、ただそれを聞いていた。ろくな演算能力もない頭で。自分には絶対出せない声を。
 打ち止めラストオーダーみたいなガキは、木原数多あまただの、一方通行アクセラレータだの、そういったクソ野郎どもの手を行ったり来たりするべきではない。光の世界の住人は、同じ世界の温かい人々に助けてもらうのが、[番まっとうなのだ。
 しかし、
 それがどうした。
 何故なぜ一方通行アクセラレータがそこで引け目を感じなくてはならない。何故、その光をまぶしいものだと、自分のようなやみが触れてはいけないな老と結論付けなくてはならない。
 正しい事は正しい人間だけがやるべきか? 善行は善人だけがやるべきか? なるほど確かにその通り、それこそがすじを通すというものだろう。
 だが、
 そもそも、そんな風に筋を通さなければならない理由は何だ。
 一方通行アクセラレータは、打ち止めラストオーダーを助けたい。
 理不尽な暴力にしいたげられ続ける彼女を、助けてやりたい。
 そう思う事の、どこが悪い。
 光とか闇とか、そんな立ち位置などどうでも良い。
一方通行アクセラレータが光の世界にいるから、彼女を守りたいのではない。たとえ彼女がどんな世界にいても、一方通行アクセラレータはこの手で少女を守りたい。
 世界の区別など、関係ないのだ。
 悪人が善人に手を差し伸べたって、問題はあるか。
 闇の人間が光の世界を守ったって、文句はあるか。
 今の今まで傍若無人ぽうじやくぷじんに振る舞ってきた学園都市最強の悪党が、
 この段階にきて、そこだけを律儀りちぎに守る必要がどこにあるというのだ。
「……、」
 ガン! と、一方通行アクセラレータは、座ったまま事務机へ手を伸ばした。
 そのままギリギリと音を立て、彼はゆっくりと立ち上がる。
 結論は出た。
 悪にしても胸を張れ。闇の世界を突き進んだとして、それでも光を救ってみせろ。進むべき道が周りと違うからといって、それを恥じるな。闇の奥にいる事を誇りに思えるような、それほどの黒となれ。
 既存のルールは全て捨てろ。
 可能と不可能をもう一度再設定しろ。
 目の前にある条件をリスト化し、その壁を取り払え。
「き、はら」
 言語機能を失ったはずの口から、声がこぼれた。
 ぎちぎちぎちぎちぎち、と彼の足が、ゆっくりと体を支え、
ィィはらァァあああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
 その瞬間しゆんかん一方通行アクセラレータは動かせないはずの足を使って走り出した。
 天敵である木原数多きはらあまたの元へと一直線に。
 たとえ、あらゆる現実と戦い、傷つき、多くのものを失ってでも、
 たった一つの幻想を守り抜くために。

     9

 木原数多の笑みが、より一層深く、獰猛どうもうに刻まれていく。
 あの一方通行アクセラレータが、立ち上がった。
 あれだけ痛めつけても、さんざんになぐり飛ばしても、それでも自分の名を叫びながら、こちらへ走ってきた。
 まるで、背後にある空間を守ろうとしているように。
 事務机の陰に隠れている、二人の少女を助けようとしているように。
「……面白れェ」
 敵が倒れない事に対し、木原はそう言った。
 その顔は獰猛な喜びで満ちていた。
「そおーだよなぁ!! そんな簡単に倒れちまったらつまんねーもんなぁ! サービス精神旺盛おうせいで助かるぜぇ一方通行アクセラレータ! こっちも今までテメェにゃムカつきっ放しだったんだ。銃なんか使わねえよ。殺す前にこぶしでたぁっぷりと沈めてやるぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
 木原の頭の中が飛んだ。
 けもののようにえる。その叫びを聞いても、一方通行アクセラレータはもちろん、変な女の歌も揺らがない。極限の集中で、もはや周りの何も見えていない―――あの女は瞑想状態に入っているのだろう。何もかもが輝いているテキだらけ。最高の舞台だ。
(後は死体があれば完壁かんぺきだが―――何でテメェは生きてんだぁコラ!!)
 木原は向かってくる一方通行アクセラレータをそのまま迎えった。
 両手の拳を握り、ゴキリと関節を嶋らす。
 鋼鉄のように拳を握りめると、一方通行アクセラレータの顔の真ん中へと容赦ようしやなくたたき込む。
 ズドン!! という轟音ごうおんひびいた。
 ミシミシペキペキと細かい感触が木原の腕に伝わってくる。
 なのに、
 一方通行アクセラレータの動きは、全く止まらない。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおああああああああああああああああああッ!!」
 顔をつぶされるのも気にせず、カウンターの拳が木原の顔面をとらえた。木原の鼻が砕けて痛みが爆発した。全力の一撃いちげきだった。説明されるまでもなく、それが分かった。
(……ご、ぽッ!!)
 ギリギリと、飛んできた拳を押し返すように、木原きはらは首を元に戻す。
 彼は握っていた五本指をさらに固くして、
「おおぁ、ひびかねえぞ小僧ォああああッ!!」
 拳を一方通行アクセラレータの細い顔面へたたきつけた。彼の体がグルンと回転し、そのまま床へ倒れ込む。何やら床でモゾモゾとうごめいていたが、木原はそこへ全体重を乗せた足を突き込んだ。
 太いくいを、金槌かなづちで打ち込むように。
 ゴン!! という轟音ごうおん炸裂さくれつする。木原は意味不明の絶叫をり返しながら、一方通行アクセラレータのあちこちを次々とつぶす。何かが砕ける音が聞こえ、赤い液体が飛び散った。
「よぉーし調子が出てきた! おれぁエンジンようやく温まってきたけどテメェはどうだよ!? すげーなぁお前、もしかしたら本気であのガキ助けられんじゃねえの?」
 楽しげな言葉に、一方通行アクセラレータは一切応じない。
 床の上で潰されながらも、その眼光だけは決して衰えない。
 助けるために。少女の命を守るために。
 彼の心は砕けない。
「はぁーっ!!ぜぇーっ!!」
 踏み潰している木原の方が、息切れするほどの執念だった。
 ははは、と彼は笑って周囲を見回す。
 あちこちの床には、一方通行アクセラレータに倒された無能な『猟犬部隊ハウンドドツグ』の部下たちが転がっている。そして、彼らの持っていた銃器なども同様だ。色々と面倒臭くなってきた木原は、そちらに近づいて、床にかがみ込んだ。
「……ちょっと面白くしてやるからさぁ、もっとやる気出してくれよ」
 その中から一つを選んで拾い上げ、彼はうすく笑った。マラソンを終えた後のランナーのような表情だった。
 木原数多あまたは、手の中にあった物を、今も倒れている一方通行アクセラレータへ軽く放り投げた。

 ピンを抜いた、対人殺傷用の手榴弾しゆりゆうだんを。

 ただでさえ脳の機能の一部を失われ、木原に打ちのめされて床に転がっている一方通行アクセラレータに、その手榴弾をけたりはじき飛ばしたりするだけの余裕はなかった。
 ゴッ、という小さな音と共に、手榴弾は一方通行アクセラレータの額にぶつかって、わずかに跳ねた。
 小さな塊が、ふわりと浮くだけの時間もなかった。
 バガッ!! という爆発音と共に、手榴弾が炸裂した。衝撃波しようげきはと共に大量の破片がき散らされ、灰色の煙が吹き荒れた。近距離きんきよりで爆発したため、木原きはらほおにも破片の一つがかすめた。それだけでも彫刻刀で切りつけたように、ざっくりと肌が切れる。しかし木原は笑っていた。爽快感そうかいかんしかなかった。
 沈黙ちんもくが訪れる。
 瞑想めいモう状態に入ったままのシスターだけが、細く長く詠唱をひびかせている。
「ひゃ」
 勝った。
「ぎゃははははははははははははははははははははははははははははははははははッ!!」
 木原は腹の底からえた。
 死んだ。あれは死んだ。何しろ頭から数センチの位置で爆発したのだ。何をどうやったって生身の人間に耐えられるはずがない。今は煙のような粉塵ふんじんおおわれているが、それが晴れた後にはグチャグチャに引き裂かれた、元の体格が分からなくなっているぐらい
破壊はかいされた死体が、木原の前にさらけ出されるはずだ。
 手榴弾しゆりゆうだんの生んだ灰色の粉塵が、密度をうすめつつ周囲へ広まった。まるで大波のように、木原の前から後ろへ流れ、彼の視界を覆っていく。
 この煙が晴れた時、一方通行アクセラレータの死体が現れる。
 その無様な終わりを見て、木原数多あまたの戦いは終了する。
(アレイスターは、量産品のガキは殺すなっつったが、それ以外なら何やってもイイんだよなぁ。ならあの変な歌を続けてるシスターともども、とりあえず手土産てみやげにコイツの死体でも押しつけて、自我をぶっこわしてやるか)
「はは、」
 そんな風に思っていた、木原の顔を、

 ガシィッ!! と。
 何者かの手が、正面から鷲欄わしづかみにした。

「……ッ!!」
 木原数多の目の前に、だれかが立っている。
 粉塵の中では、それが誰かはハッキリと見えない。
(が、ぁ―――ッ!?)
 普通に考えれば、一方通行アクセラレータである可能性が一番高い。しかし、木原には納得できなかった。能力さえ使えなければ、一方通行アクセラレータはその辺の高校生よりも体は弱い。何のトリックもなく、手榴弾の爆風をしのぎ切れるはずがない。
 彼の『反射』が何らかの理由で復活したとも考えにくい。彼を掴む腕には、すすがついていた。『反射』が機能しているのなら、小さな汚れすらもはじき返すはずだ。
「どうしてだよ……」
 しかし、そこにいたのは確かに一方通行アクセラレータだ。
 白い髪、赤いひとみ、整った顔立ち、張りのある肌、細いライン、首元のチョーカー、灰色を基調にした衣服、筋肉の少なめな手足、ギラギラと光る黒い靴、
 それら全てを無視して、木原数多は絶叫する。

「どうなってんだよ、その背中から生えてる真っ黒なつばさはァあああ!?」

 翼というよりも、噴射に近かった。
 墨よりも黒く、光をもみ込む、正体不明の噴射の羽。
 彼は『天使』というものを目撃もくげきしている。その出現の片棒をかついだ事も理解している。にもかかわらず、目の前で展開された現象を、正しく認識する事ができなかった。
(こ、この野郎……)
 一方通行アクセラレータの力は、『種類を問わず、あらゆるベクトルを制御下に置く』事にある。彼の言語機能や歩行機能、そして『新たな力』の補給も、それらすべてはこの空間内に存在する、何らかの力を利用しているのだろう。
 科学的に考えて、今の一方通行アクセラレータには物理法則の演算ができないため、それらの力を制御するのは不可能だ。
 しかし、それ以外の法則ならば。
 そもそも、非科学的な理論をとらえるのに、既存の演算能力など関係があるのか。
 オカルト。
 木原きはらクラスの研究者でなければ逆に分からない、数千数万と科学実験を重ねた中で、ほんのわずかに顔をのぞかせる、イレギュラーな法則のようなもの。
(新たな制御領域の拡大クリアランスの取得だと。こいつ、『自分だけの現実パーソナルリアリテイ』に何の数値を入力した……。一体どことの通信手段を確立しやがったんだ!?」
 思い当たる節と言えば。
 この学園都市に満ちている力の代表格と言えば。
(AIM……おい。まさか……天使だの何だの、あの力の正体は!?)
 しかし、相手はそんな事など気にも留めない。
 メキィ!! と、一方通行アクセラレータはさらに腕に力を込め、木原の頭蓋骨ずがいこつを圧迫すると、
「―――、」
 彼は笑う。静かに笑う。
「は、はは」
 木原数多きはらあまたも手足をダラリと下げて、思わず笑い返していた。
 質問する。
「うっ、後ろ……気づいてんのかよ、化け物」
「ihbf殺wq」

 ドォッ!! と、黒色のつばさが爆発的に噴射する。
 てのひらから噴き出した、説明不能の不可視の力が木原数多へおそいかかった。
 彼の体が一方通行アクセラレータの手をはなれ、恐るべき速度で廃棄オフィスを突っ切り、砕けた窓の外へと放り出され、そのまま音速の数十倍の速度で夜空をっ切った。あまりの速度に、プラズマ化したオレンジ色の残像が尾を引いていく。
 生死など、わざわざ確認するまでもない。

     10

 土砂降りの雨の中、甥鷲脚道路に座り込んでいた。元々全身はびしょれなので、もう雨水だらけの路面など気にならない。ようやく体を休ませる事ができて、ホッと息をいた。
 天使の羽は沈黙ちんもくしていた。
 先ほどまで散々ち続けていた膨大ぽうだいな火花が、すっかりなりをひそめている。
(……インデックスの方は……)
 向こうも順調なのだろう。まだ風斬かざきりの羽や天使の輪が完全に消える事はないが、そちらの輪郭も徐々に揺らぎつつある。
(本当にヤバかったら、それどころじゃないだろうしな。打ち止めラストオーダー……あの電話の野郎、ちゃんと助けてると良いんだけど)
 電話、で思い出した。
 上条はポケットから打ち止めラストオーダーの携帯電話を取り出す。学園都市はこんな状態だが、一応救急車を呼んだ方が良いだろう。他人の電話を使うのは気が引けるが、今はそんな場合ではない。
 案の定、電話に応対した人間はいつも通りの対処はできないかもしれないと言ってきた。それでも、何もしないよりかははるかにマシだ。
 携帯電話をポケットに戻し、上条は周囲を見回した。風斬の出現と同時に辺り一面は瓦礫がれきと化した訳だが……それと共に、彼女の力によって、そこにいた住人たちはかろうじて助かった しい。今も暗闇くらやみのあちこちに、光る鱗粉りんぷんのようなものが漂っているのが見える。

 救助した方が良いのだろうか、と思う反面、上条の幻想殺しイマジンブレイカーであの鱗粉の効果が失われるかもしれない。ひとまずそちらは放っておくしかなさそうだった。
「にしても……」
 上条かみじようはその辺に転がっているヴェントを見た。
 どう考えても意識はない。
天罰てんばつ術式』を受けて、学園都市で倒れている人々を起こす方法でも尋ねてみたかったが、何度ほおたたいても、目を覚ます気配はなかった。
 これからヴェントはどうなるんだろう、と上条は思う。学園都市の都市機能をほぼ完全に停止へ追い込んだ存在を、学園都市が野放しにするとは思えない。科学と魔術ぽじゆつのパワーバランスうんぬんの話も通じないだろう。そもそも、先にそれを破ったのは魔術サイドなのだ。
 一線を越えてしまったかもしれない。
 学園都市としては、たとえ彼女を殺してでも危険な技術をこの世から消そうとする。一方、『神の右席』やローマ正教は、それほど高威力の術式を、そうそう簡単に手放そうとはしないはずだ。これまで何度かあった『科学と魔術の話し合い』とやらで何とかなるとは思えなかった。最悪、これがすべての崩壊ほうかいの引き金となる危険性すら考えられる。
 (クソツ……)
 確かにヴェントのやった事は歴史的に見ても大事おおごとだろう。しかし彼女の事情を知る上条としては、ここで安易に処刑したり戦争の道具にしたりというやり方に賛同できない。つぐなうにしても、その方法は最悪だ。
(科学と魔術の両方全部を敵に回して、この狭い地球を永遠に逃げ続けるなんてできねぇよな。でも、何とかしねえと。せめて事態を収めるまで、一時的にでも隠れてもらわないと。土御門つちみかどのヤツに相談するのが妥当かも。それでも上手くいくかどうか……)
 単純にイギリス清教に預かってもらうという選択肢はない。それをやるにはヴェントの存在は重すぎる。何より、一介の高校生が世界レベルの問題を『収める』なんて、できるとは思えない。それでも、何かしなければ気が済まなかった。このままヴェントを捨てておくのは、あまりにも後味が悪すぎる。
「とりあえずは、目を覚ますのを待つか。派手になぐっちまったし……」
 風斬かざきりの方……と上条はヴェントから視線を移したが、相変わらず反応はなかった。彼女の様子に変化はない。何だかうつろな目で、背中に巨大なつばさをいっぱい生やしている。翼の輪郭は時間がつにつれて少しずつ曖昧あいまいになっていく。比較的短い翼は、ほとんど形状を失いつつある。おそらく、インデックスが何らかの干渉を行っているからだろう。
 しかし、完壁かんぺきに翼が消えるには、まだ時間がかかりそうだ。
 上条は自分の右手を見た。そこに宿る力を使えば、あんな翼の一〇本二〇本は触れただけで打ち消せる……かもしれない。だが、それと一緒いつしよに風斬本体まで巻き込まれてしまっては元も子もない。こういった時に役に立たない自分の力が少し恨めしかった。
(それにしても……)
 ヴェントが風斬を憎んでいた以上、やはりあれは学園都市が起こした現象なのだろう。上層部、という事だったが、彼らのねらいは何なのだろう。ヴェントが突発的にやってきた以上、単にその防衛・迎撃げいげきのために風斬かざきりが生み出されたとは思えない。何かほかに目的があるのだ。
 問題は山積みだ、と上条かみじようつぶやく。
 その時、

 ゴン!! と。
 突然目の前のコンクリートの山が砕け、上条の視界が灰色の粉塵ふんじんおおわれた。

「!?」
 上条は目をかばうように手を当てて、思わず後ろへ下がった。
 バランスを失った瓦礫がれきに、残骸ざんがいの山の一つが丸ごと吹き飛ばされていた。
 空気中の粉塵は、土砂降りの雨に流される。
 爆心地に突き立っていたのは、風力発電のプロペラだった。無造作に引き抜いて投げつけてきたのか、瓦礫を吹き飛ばしたクレーターのど真ん中に、柱の半分ほどが埋まっていた。電柱のように巨大な柱が、だ。
 一体どんな腕力があればこんな事ができるのか、上条は愕然がくぜんとしていたが、
(!! ……ヴェントは!?)
 慌てて周囲を見回す。
 先ほどまで、すぐ近くで気を失って倒れていたはずのヴェントがどこにもいない。
 しかし代わりに、上条は別のものを発見した。
 少しはなれた所に、一人の男が立っている。
だれだ!!」
 上条がいきなり攻撃的に叫んだのは、男がぐったりしたヴェントを片手で抱えていたからだ。
 青系の長袖ながそでシャツの上に、さらに白い半袖シャツを着重ねている。ズボンは通気性の良さそうな、薄手うすでのスラックスだった。スポーティな格好ではあるが、元気さはない。壮年の男性が好むゴルフウェアを連想させた。シックな黒い傘と合わせて、上条のような高校生には出せない静かで揺るぎない気配で満たされている。
 が、これだけの惨状をの当たりにして、少しの緊張感きんちようかんもない方が逆に恐ろしかった。白い肌も茶系の髪も、すぺてが鋭い刃に見える。
「失礼」
 男は言った。流暢りゆうちような日本語だった。
「この子に用があったものでな。手荒な真似まねけるために目をくらませてもらったが、気にさわったかね」
だれだっつってんだよ」
「後方のアックア。ヴェントと同じく、『神の右席』の一人である」
 あっさりと出てきた名前に、上条かみじようはより一層の警戒を抱いた。『神の右席』という組織内の上下関係は全く分からないが、単純にヴェントと同等の力を持っていると仮定すると、これはかなりまずい。疲弊ひへいしきった今の学園都市にさらに第二波がおそいかかれば、もうこの街は立ち直れない。
 と、ガチガチに体を強張こわばらせている上条に、アックアは小さく笑った。屈強そうに見えるこの男には、あまり似合わない表情だ。
「心配しなくても良い。兵の無駄死むだじにはけるべきだ。今日の所はこれで引き返す。流石さすがに貴様の後ろに控えている『堕天使』と戦うのは無謀むぽうだろう。少なくとも、準備を整えるまではな」
 逆に言えば、準備さえできればいつでも戦える、とアックアは言っている。
 上条の目がより一層厳しくなるが、それを受けても彼はこたえない。
「今までヴェントを苦しめていた、魔術ほじゆつつぶす効果はすでに失われているようだが、こちらにも事情がある」
 彼は息をきながら、はなれた所にたたず風斬氷華かざほりひようかへ視線を投げた。
 天使と言えば、あの神裂火織かんざきかおりですら互角に持ち込むのが精一杯だった存在だ。『神の右席』という訳の分からない集団でも、それは駆け引きの材料になるらしい。
 ともあれ、だまって帰ってくれるなら一向に構わない。
 ただし、
「ヴェントを離せ」
 上条は、アックアに対してその一言を突きつけた。
「……学園都市の負傷者を助ける方法でも聞き出す気かね」
「それもある」
 彼は答えた。それ以外もある、という意味で。
「そいつの科学への敵対心はただの勘違いだ。そいつだって本当はその事に気づいてる。『神の右席』なんて場所にいたら、いつまでってもその感情から抜けられない!」
「ヴェントのやみが、そう簡単に打ち消せるものか」
 アックアはつまらなそうに答えた。
「我々『神の右席』は、単なる不幸な小娘に、同情心で手を差し伸べる事はしない。我々は世界を動かすために存在する。そしてヴェントは、その力を使ってでも個人の事情を貫こうと決意していた。今まで、彼女がどれだけのものを支払ってきたか、知っているか。その力がどれほどのものか、貴様に想像がつくのか」
 言われてみれば、ヴェントの行動理由には、組織としての成果などは含まれていなかった。逆に考えれば、組織にいるためには、そのメリットを自分で作り続けなくてはならない。
 上条かみじようは、少しだけその事を考えた。
 考えた所で、そんな簡単に彼女の気持ちが理解できる訳がない。
「……だったら、何だよ」
「なに?」
「言葉を聞いてもらえないからって、そこで何も言わねえんじゃ、どうにもならねぇんだよ」
 上条とアックアは正面から視線をぶつける。
 もっとも、上条とは違って、アックアの方には随分と余裕があった。
 ふん、とアックアは息をいた。
「ここでヴェントをはなしたとして、科学サイドに捕縛ほばくされれば間違いなく処刑だな」
「ッ!!」
 アックアの言葉に、上条は身を固くした。
 そんな彼の様子に、アックアは笑みを深くする。まるで七夕の短冊に記された願い事を読んでいる大人のような目だ。
「これをくれてやる」
 ピッ、とアックアは指先の動きだけで、上条に向けて何かをはじいた。
 受け取ると、それはヴェントの舌についていたくさりと十字架のアクセサリだった。
「どの道、貴様の右手で破壊はかいされているから必要ない。ただのガラクタだ。それがこわれたから、ヴェントはもう『天罰てんばつ』を使えん。制圧された人間もすぐに回復するだろう。今はそれで学園都市の平穏へいおんを守れたという事で安心しておけ」
「待てよ!! そんなので納得できるか!!」
 上条はこぶしを握るが、アックアは一向に取り合わない。
「一つだけ、貴様に教えてやる」
 彼は堂々と背中を向け、それから言った。

「私は聖人だ。無闇むやみ喧嘩けんかを売ると寿命を縮めるぞ」

 ダン!! という地面をすさまじい音が聞こえた。
 上条がまばたきした時には、もうアックアとヴェントはどこにもいなかった。前後左右のどちらへ走ったかも分からない。あるいは上に飛んだのかもしれない。ともかく、上条に分かるのは桁違けたちがいの速さだという事だけだ。
 戦いが終わっても問題は解決しない。
 それどころか、もっと大きな戦いを招いているだけの気がする。
(……止めるんだ)
 ローマ正教。
 学園都市。
(ちくしょう。この流れを、必ず止めるんだ……)
 土砂降りの雨の中、上条かみじようは夜空を見上げて口の中でつぶやいた。
 黒い雲が晴れる気配は、ない。

   

chap6

終 章 正と負の進むべき道へ The_branch_Road.

 アックアはヴェントをわきに抱えて学園都市の外へ出た。
 ヴェントの霊装れいそう破壊はかいされた事によって、街の住人は順次目を覚ましていくだろう。あの術式は後遣症もなく、ただ敵対者を無力化していくという、ある意味において理想的な大規模制圧術式だった訳だが、それもここでなくなった。
 これからは、そういう甘い事も言っていられなくなる。
 今度ぶつかる時は、確実に大量の血が流れるだろう。
「嫌な世の中だ」
 本当に鬱屈うつくつそうな声を出して、アックアは気を失っている同僚どうりようを抱え直す。
 今度は携帯電話が鳴った。
 傘とヴェントにそれぞれ手をふさがれているアックアは、面倒臭そうに両手を見て、それから傘を横へ放り捨てた。水属性アツクアの名を冠するくせに、土砂降りの雨に打たれた途端に彼は顔をくもらせる。
 携帯電話の画面には、見慣れた番号が表示されていた。
「テッラか」
『ええそうですよ。左方のテッラです。そちらは終わりましたか、アックア』
 金属をこするような、耳にさわる声だった。
 アックアは片手で抱えているヴェントへ視線を投げかけ、
「ヴェントがやられた。今、回収して学園都市外周部の別働部隊を下げさせた所である。我々の被害が七割を超えたため、上条当麻かみじようとうまへの追撃ついげき、及び学園都市の攻略は一時中断とする。事前に貴様から提示された状況対処方法一覧にある通りだ。……不完全とはいえ、『天使』が出てきてここまでやられるとは流石さすがに予測もつかなかったがな」
『ご苦労様です』
叱責しつせきはなしか」
『あなたや……まして、あのヴェントに対して悪意を向けてどうするのです。もっとも、やられたというのなら、霊装の方もつぶされた可能性が高そうですがねー』
「未練もなさそうだな」
『元々、ヴェントの性質「神の火ウリエル」があっての「天罰てんばつ」ですからねー。ぶっちゃけ、霊装単品に未練はありませんよ。そもそも我々は一般的な魔術師まじゆつしからはかけはなれた存在ですからねー、各々おのおのに調整されたもの以外は一切使えません。「神の薬ラフアエル」の私が持っても意味のない道具に、一体何の価値があるのです? 「神の力ガブリエル」たるあなたも分かっていますよねー』
 アックアは思わず息をいた。
『神の右席』というのは、どいつもこいつも自分本位の連中ばかりだ。
「ヴェントはこちらで回収したが、連絡の取れないほかの『別働部隊』の方はどうなった?」
『例の「堕天使」の一撃いちげき壊滅かいめつしましたねー』
「我らとまでは言わずとも、ヤツらにも力はあったはずだ、人数も相当のものだ。本当に―――」
『まとめてつぶされました』
 さらりと答えは返ってきた。
『学園都市側から局地迎撃展開していた者たちは、科学サイドに回収されたようですけどねー』
 アックアはわずかにだまった。
「では、我らの手駒てごまは死んだのか」
『物理的な面はもちろん、精神的な傷が半端はんぱではありません。かろうじて生きていますが、あれをつなぎ合わせるなら新しい人材を補充した方が簡単ですねー』
 その辺りは、二〇億の信徒を抱えるローマ正教独特の考え方か。
 アックアはわきのヴェントを抱え直し、それから言った。
「ならば、残骸ざんがいは私が拾っておこう」
『あなたが? 「神の右席」が、死体回収の雑務を負うと?』
「今も敗北者ヴェントを運んでいる。ものはついでだ。残骸の数が多少増えても許容できる。それに生き残る見込みがあれば、それに越した事はない」
『お優しい事です』
「生きていようが死んでいようが回収はするのだ。自分の足で歩ける者には歩かせた方が手間は省けるというだけである」
 ふん、とアックアはつまらなそうに息をいた。
 雨に打たれながら、彼は続けてこう言った。
「次はどう出る? 何なら私が今から引き返して標的の首を切り落としてきても構わんが」
『やめておきましょう。アックアも見たんですよねー? ちまたでは面白い情報が飛び交っていますよ。そちらの詳しい話を聞いた上で、あの学園都市をどう落とすかを考え直した方がよさそうです』
「……学園都市を落とす、か」
『気に入りませんか?』
「貴様の意見に合わせて退いたが、やはり私一人でも学園都市に戻って、今すぐ上条当麻かみじようとうまとアレイスターをり捨てた方が早い気がする。小細工は苦手だ。倒すべき敵は、真正面から倒した方が楽に決まっている。今なら民間人の犠牲ぎせいも最小限で済むだろう」
『いやいや。どうなんでしょうねー。確かに潰すだけなら簡単ですけどねー、どうにも利用価値があるとは思えませんか。例えば、あの「堕天使」とか。実に我々「神の右席」向けの素材じゃないですか?』
「……、」
『倒すべき敵と、残しておきたいものの仕分けをしておきたいのですよ。今やってしまうのは、博物館で戦闘せんとうを始めるようなモンですか』
「戦場での略奪行為には賛同しかねるぞ」
『ははぁ。元騎士きしらしい発想ですねー。貴族様の口はお上品だ。出てくる言葉が違います』
「騎士ではない。私は傭兵ようへい崩れのごろつきである」
『戦場でのモラルを重視するごろつきねー。ま、ともあれヴェントを連れてさっさと引き返してくださいねー。こいつは「右方のフィアンマ」からの指示でもあります』
「了解した」
 アックアは携帯電話を切って、それから学園都市の方を一度だけ振り返った。
 ―――つぶすだけなら簡単。
 ―――倒すべき敵と、残しておきたいものの仕分けをしておきたい。
 それらテッラの言葉を反芻はんすうしてから、今度は別の人間の台詞せりふを思い出していた。
『ヴェントをはなせ』
 つい先ほど出会った少年のものだ。
『そいつの科学への敵対心はただの勘違いだ。そいつだって本当はその事に気づいてる。「神の右席」なんて場所にいたら、いつまでってもその感情から抜けられない!』
 そして、今後間違いなくやいばを向ける敵のものだ。
「果たして……」
 アックアは放り捨てた傘を拾い上げ、口の中でつぶやいた。
 敵の事情にさえ胸を痛めた、あの標的の顔を思い出しながら。
「……学園都市は、貴様が思っているほど貧弱な存在なのかね。左方のテッラ」

「!!」
 上条当麻かみじようとうまは大天使の方を見た。
 インデックスの処置が終わったのか、風斬かざきりの背中に接続されていた何十本ものつばさが、一つ一つ空気に消えていく。一〇メートル級でも、一〇〇メートル級でも、消える速度に変化はない。カウントダウンのように均等な間隔を空けて翼が失われていき―――最後の一本も消えた。
「やった……。インデックスのヤツ、ちゃんとやりやがった!!」
 とん、と。
 風斬氷華ひようかは力なくひざから地面へ崩れ、そのまま横に倒れた。ゆっくりとした彼女の動きを追うように、長い髪が尾を引いていく。
風斬かざきりッ!!」
 上条かみじようは思わず叫んで駆け寄ったが、右手の幻想殺しイマジンブレイカーを考えると抱き抱えるのは危険だ。そんなもどかしさにとらわれている彼をよそに、風斬はれた地面に手をついて、のろのろと上半身を起こした。
「良かった……無事だったか……」
 力を貸せないせいも手伝って、上条は余計にホッとした。立ち上がれないような状態だったらどうしようと思っていたのだ。
「どっか痛む所とかないか? お前も大変だったな。インデックスがやったんだから、多分大丈夫だいじようぶだと思うけど、一応確認してみろ。あいつも心配してたし、問題ないなら早くやるべき事を終わらせて、みんなの状態を確認して、それからインデックスに顔見せに行こうぜ」
 ようやく一息ついた上条に、風斬は不思議そうな顔をした。
 それから、彼女は言う。
「だめ、ですよ」
「あ?」
「良かったなんて、思えないです……」
 ガタガタとふるえながら、風斬の唇が動く。
 その視線は、上条に向いていなかった。、そして、上条はその先を知った。風斬氷華ひようかは、メチャクチャに破壊はかいされた街並みを、ただ呆然ぼうぜんと眺めていた。自分の身が暴走した事も、『天使』という、だれにも説明のできない事柄に巻き込まれた事も、すべわきに置いて。
「……何で、こんな事になっているんですか……」
 おそらく、風斬がずっとあこがれていた街並み。
 それらが片っ端から粉々になったのだ。彼女の目の前で。
「全部、私のせいなのに。私がここにいなければ、少なくとも周りに被害は出なかったのに。どうして、私一人だけが無傷なんですか。おかしいでしょう、こんなのって」
「……、」
「結局、私って何なんですか!? みんなと一緒いつしよにはいられない、少しでも近づけばこんな風にこわしてしまう! なら、何で私は生まれたんですか!! AIM拡散力場に支えられているだけのくせに! 能力者の人たちの力でやっと存在している化け物なのに!!」
 おそらく、彼女自身、自分が何を言っているのか、何を言おうとしているのか、心の整理がっいていないのだろう。
 それぐらい、風斬氷華は目の前で起きた惨状に心を痛めている。
 痛めてくれている。
「せっかくあの子に『友達』って言ってもらって、それで少しは人間らしくなれたと思ったのに。あんな羽が生えて、凶暴な火花を散らして、みんなたたこわして! これじゃ本当にただの化け物じゃないですか!! もう嫌なんです。私をなぐって全部終わりにしてください!!」
 AIM拡散力場の集合体である彼女が、上条かみじようの右手に触れればどうなるか、それぐらい風斬かざきりなら分かっているだろう。分かっている上で、そう言っているのだろう。
 何が化け物だ、と上条は思った。
 こんなにガチガチにふるえて、それでも命乞いのちごいの一つもしないで、みんなの心配をしている少女の、一体どこが化け物だ。こぶしを握って殴り合う事しかできない上条よりも、よっぽど『人間』らしいじゃないか。
 そう考えたら、上条はつい口元をゆるめてしまった。
「……な、何で、そこで、そんな顔を浮かべるんですか?」
「安心したからだ」
 ポツリと、彼はつぶやいた。
「お前の申し出は受けられない。おれは、自分の体にどうしてこんな力が宿ってんのかは知らない。だけど、少なくとも、そんな事をするためのものじゃねぇ。自分の『友達』を消しちまうぐらいなら、役立たずの右手なんて、ここでぶち切った方がまだマシだ」
 その言葉に、風斬の目が見開かれた。
 友達と、そう言われた事に。
「どう、して」
「こっちこそ、分かんねえな。あの光の鱗粉りんぷんみたいなのは、お前が作ったんだろ。お前は、みんなを守ってくれたじゃないか。自分の身に何が起きてるかも分からなくて、これからどうなっちまうのかも読めなくて、そんな中でもみんなを守るために努力したんだろ。それは、お前の思い浮かべてる『人間』とは違うのか。お前の中の『人間』は、それでもまだ足りないのか」
 風斬は、もう何も言えなかった。
 雨の中で、上条の言葉だけが続いた。

「お前はきっと、俺みたいに駄目だめな高校生なんかよりも、ずっと立派な『人間』なんだ。お前はそれを誇って良い。胸を張れよ。前を見ろ、顔も知らない人たちのために戦い続けて、ちゃんとみんなを守り抜いたお前に、うつむいて下を見る理由なんか一つもねえんだ」
 それでも、風斬氷華ひようかは顔を上げなかった。
 ぐすっ、と。鼻をすする音が聞こえた。
 上条は小さく笑って、視線を風斬から遠くへと移した。問題が解決したのなら、さっさとインデックスと合流したいが、携帯電話は彼女に預けたままだったので連絡の取りようがない。さっきは打ち止めラストオーダーの携帯電話を使ってしまったが、レスキューと私信では話が違う。
「さて、と。多分お前の鱗粉のおかげで大丈夫だいじようぶだと思うけど、一応手当てが必要な人がいないか確かめてみよう。聞いた話じゃ街の機能はすぐに復活するって言うし、そしたらレスキューも動くだろうからそんなに心配いらないだろうけどな」
 上条かみじようは楽観的に告げた。
「終わったら帰ろう。インデックスもその内、りように戻ってくるだろ。お前もいつ消えちまうか分からないし、それまでにインデックスと合流しとかないと、あいつは本当に怒りそうだからな。……っと、お前はおれの部屋に来るの初めてだっけか。ま、汚ねえ所だけど我慢がまんしてくれよ」
「うう、あ……?」
 風斬かざきりは何かを尋ねたが、それは鳴咽おえつとしゃっくりにはばまれ、上手く出てこなかった。
 だが、上条は笑ってこう答えた。
「何で、とか言ってんじゃねえよ。友達だからに決まってんだろ」

 一方通行アクセラレータは廃棄オフィスの事務机に寄りかかっていた。
「だっ、大丈夫だいじようぶなの!?」
 歌のための瞑想めいそう状態を解除し、パタパタと走ってきたのはインデックスだ。もっとも、今の一方通行アクセラレータには他人の言葉が理解できない。何となく、表情や声の大きさなどで『心配されているらしい』事がつかめるぐらいだ。
 インデックスは傷の具合を確かめつつ、一方通行アクセラレータの背中をじろじろ眺めて、その白い手でペタペタと触っていく。
「??? ……何にもない……?」
 確かに悪魔あくまのようなつばさが生えていたはずなのだが、痕跡こんせきらしいものは残っていなかった。衣服が破れている様子もない。
「(……力場は『天使の力テレズマ』に酷似こくじしていたけど、実質的には全然違った。そもそも、悪魔学の実用は普通の『天使の力テレズマ』とは扱いが違うものだし……あんな大量の力、聖人だってまとめきれるかどうか……)」
 口の中でブツブツ言っていたインデックスだが、
『こら! 結局何がどうなったのよ!? 歌の時からこっちが何言っても全く反応しないし! あのでっかい羽もなくなったみたいだけど、本当にもう大丈夫な訳!? 黒ずくめどもは全部片付けたから、なんか手伝う事あればそっちに行くけど!?」
 携帯電話からの声を聞くと、ハッとしたように顔を上げた。インデックスはとにかく一方通行アクセラレータ打ち止めラストオーダーの体の具合が悪い事を優先するようにしたらしい。
「まっ、待っててね。今お医者さんを呼んでくるから!! あの子はもう大丈夫だから、あなたも倒れちゃ駄目だめだよ!!」
『ち、ちょっと聞いてんのアンタ!?』
 インデックスは廃棄オフィスから飛び出して行った。一方通行アクセラレータはそれをぼんやりと眺めながら、
(……ああう、ぐ……)
 言葉はサッパリ理解できなかったが、今はそちらよりも気になる事がある。
 一方通行アクセラレータは首を動かした。
 汚れた事務机の下に、打ち止めラストオーダーの小さな体がぐったりと横たわっていた。本当に助かっているのかどうかも分からない状態だ。一応、窓の外に広がっていた天使騒動そうどうは収まっているのだが、計算のできない彼は『天使の消失』と『打ち止めラストオーダーの状況の変化』を結び付けられない。
 彼女は大丈夫だいじようぶなのか。ウィルスなどはどうなった。医者に連絡は。普通ならあれこれ考えるべき事はあるはずなのに、電極のバッテリーが切れた事で、少しも意見がまとまらない。体の方も、先ほどの戦いでボロボロになり、もうまともに動かせなかった。
 そこへ、新しい足音が聞こえてきた。
 インデックスのものではない。足音は複数ある。

一方通行アクセラレータ。お話がありますが、よろしいですか』

 飛んできた声は、こんな状態の一方通行アクセラレータでも理解ができた。
 声は、耳を介して届いているものではない。どうも脳に直接干渉する、何らかの能力でも使っているらしい。
 一方通行アクセラレータが目を向けると、廃棄オフィスに数人の人間が入ってきた所だった。シルエットは一般的な男性よりも二回り以上ふくらんでいる。表面は非金属の素材を利用しているようで、頭の先から足の裏まで全部おおわれていた。各関節に曲げるための亀裂きれつが走っている。頭と首と肩のラインがなめらかにつながり、一体化していた。背中にあるうすっぺらいリュックのような物は、バッテリーだろう。手足が動くたびに、小さなモーター音がひびいてくる。
 駆動鎧パワードスーツだ。
 ずんぐりした装甲を揺らす彼らは、ドーム状の頭部を回転させ、無数のカメラで一方通行アクセラレータを観察している。オートフォーカスのせいか、キュイキュイという音が耳についた。
 と、そこまで『考え』た一方通行アクセラレータは、ふとまゆをひそめた。
(……計算、能力が……?)
 ある程度、戻っている。能力使用には程遠いが、少なくとも普通の生活の思考ぐらいなら問題なさそうなレベルまで。
 久方ぶりに『疑問』の処理を行えるようになった一方通行アクセラレータに、連中の一人が告げた。
 その人物だけは、周囲の駆動鎧パワードスーツとは違う。
 スマートな黒の装束しようぞくで身を包んだ、線の細いシルエットだった。
 やはり顔まで隠されていて、性別も分からない。
『複数の方式の精神感応テレパス系能力者を用意しています。我々の言語、演算能力をあなたとリンクさせる事で、極めて短い時間ですが対話の可能な状態を維持しています。あなたからの言葉も、我々には通じるはずですよ。おっと、超能力は範囲外です。「自分だけの現実パーソナルリアリテイ」までは補えませんからね』
『……能力者か』
 一方通行アクセラレータ鬱屈うつくつな表情で告げた。
『こちらも「外」での仕事がありまして。今も回収部隊が土御門元春つちみかどもとはるなどを救出していますが、我々は一足早く「中」へ帰還した訳です』
 チッ、と一方通行アクセラレータは舌打ちする。
 妹達シスターズという例外を除けば、銃器と能力の両方を使う特殊部隊の存在は聞いた試しがない。風紀委員ジヤツジメントなどは『訓練で触れてみる』程度のものだったはずだ。危険度で言えば、木原きはらの操っていた『猟犬部隊ハウンドドッグ』以上だろう。その上、この連中は一方通行アクセラレータや木原数多あまたの動きを正確に追っている。そうでなければ、戦闘せんとう終了のタイミングを見計らってみ込んでこれない。
 おそらくは、彼らこそ学園都市の最も暗いやみの闇。
 一方通行アクセラレータは、ついにその連中と接触してしまった訳だ。
『何の用だ』
『ええ。大切なお話があります』
『聞いてやっても構わねェが、その前にこっちの質問に答えろ』
 何でしょう、と男は気軽に返してきた。
 一方通行アクセラレータは告げる。
打ち止めラストオーダーはどォなった。ウィルスは』
『一応停止していますが、ずさんですね。言ってしまえば、歯車を一つ取って、空回りさせている状態に過ぎません。所詮しよせん、あれが連中うもの限界でしょうね。ウィルスの進行速度はストップしていますので、「学習装置テスタメント」を使えば再調整可能ですが』
『余計な真似まねすンじゃねェ! 医者と研究者には心当たりがあるンだよ!!』
『そうですか。まぁ、彼らに任せても問題はありません』
 一方通行アクセラレータは、つばき捨てた。
 こちらの戦力や手駒てごま、人聞関係もすべて把握済みのようだ。
『……本題は何だ?』
『協力的で助かります』丁寧ていねいな言葉が返ってきた。『今回、貴方あなたが引き起こした一連の騒動そうどう、並びに学園都市がこうむった損害についてのご相談をと思いまして』
『……、』
『続けさせてもらいますね。まずは金銭的な問題を。建物や施設に対する物理的損害、「猟犬部隊ハウンドドッグ」の欠損人員の治療ちりよう補償ほしよう、民間人に対する情報操作の費用、それらすぺてを合わせますと、ざっと八兆円ほど請求させていただく事になります。次に統括理事会の一人、トマス=プラチナバーグ襲撃しゆうげきについてですが―――』
 男は延々と説明しているが、その口調は軽い。一方通行アクセラレータはうんざりした目で彼の顔を見返す。
『その代償だいしようとして、おれを滅多切りにして研究素材にでもすンのか?』
『それも道の一つですが、我々は別の道も提示したい』
 男は人差し指を立てた。
『我々と行動を共にする気はありませんか?』
『何だと』
『あなたの力はそのまま軍事方面に使えますし、現実的な話だと思いますよ、軍需産業は値がインフレを起こしていますからね。戦闘機せんとうき一機、艦船かんせん一隻せきでいくらすると思います? まぁ、ざっと一艦隊級の働きをしていただければ、八兆円程度なら払い切れるでしょう。多少、時間はかかりますがね』
 チッ、と一方通行アクセラレータは舌打ちした。
『学園都市は何をそンなに急いでやがる。ここまでやらかした俺みてェな人間を使い回そォなンざ、まともな思考じゃねェ。どっかと戦争でも始めるつもりか』
『お答えできません』
『そォかい。まァオマエの答えが何であれ、俺が言うべき事は一つだけだ』
 一方通行アクセラレータは男をにらみつけ、そして言った。
『―――ふざけンじゃねェよ』
『へえ』
『ナニが損失の補填ほてんだ。ナニが学園都市が
こうむった損害だ。元はと言えば、全部オマエたちみてェなクソ野郎が群がってきたのが原因だろォが!!』
 事務机に背中を預けるように座ったまま、一方通行アクセラレータえる。
『どォしてここまでやられた俺達が、これ以上オマエなンぞの言いなりにならなくちゃならねェ!? たたき殺されてェのかオマエは!! ここはオマエ達の方が頭を下げる場面なンだよ! 裏でコソコソ何してっか知らねェが、ソイツに俺やあのガキを巻き込むンじゃねェ!!』
 正論だった。
 正論を言わないはずの彼の口から、正論が出た。
『学園都市は、ここが正念場です』
『……人の話を聞いてやがンのか?」
『下手をすると、落ちると言っているのですよ。我々はこれにあらがいたいし、あなたにも協力して欲しい。まぁ、強制はしませんが、一度良く考えてみる事です。仮に学園都市が完金に消えた場合、我々能力者に居場所はあるのか。また、その他の技術に関しても同様です』
『―――、』
 学園都市内でも許されない、国際法で禁じられた軍用量産能力者一万体。彼女たちは『外』に居場所がない。下手をすると、今までよりひどい軍事研究所へ送られる羽目にもなりかねない。何しろ、打ち止めラストオーダー達は何らかの大きな計画をになうぐらい、重要な価値のある存在なのだから。
 一方通行アクセラレータが守るべき少女、そして彼女が愛した風景のためには、今の学園都市は必要だ。敵が何であるかは分からないが、みすみすここを破壊はかいさせる訳にはいかない。どれだけみにくかろうが、やはり学園都市は小さな小さな子供達の世界だった。
 統括理事会という『教師』は汚いが、彼らがいなければ学園都市という「学校』は機能しなくなる。こればかりは『生徒』の方がいくら暴れても解決はしないだろう。
 結局の所、進むべき道は一つだ。
 彼は舌打ちすると、覚悟を決めた。
 目の前の男に言う。
『一つだけ教えろ』
『何でしょう』
『今回の件の首謀者しゆぼうしやの名前だ。予想はついてるンだが確証がねェ。だから教えろよ。あのガキをこンな風に扱った人間の首を切り落とす。そいつを契約条件にしてやっても良い』
『回答するのは構いませんが、どうせスケープゴートですよ?』
 一方通行アクセラレータはわずかにだまった。
『……なるほど。回答を控える程度には価値がある人物って訳か』
『で、どうしますか』
『好きにしろ』
『良い返事です』
 男は腰に差していた拳銃けんじゆうを抜いた。
 その銃口を、座り込んでいる一方通行アクセラレータの胸板に突きつけて、

『どうぞよろしく、新入りさん』

 ガンゴン!! と立て続けに銃声がひびいた。
 暴徒鎮圧用のゴム弾を受けた一方通行アクセラレータの体が、床に転がる。男は拳銃をホルスターに戻しながら、周囲の同僚どうりようへ指示を出した。
撤収てつしゆうする。戦闘せんとう痕跡こんせきを削除しろ。負傷者は経路B、一方通行アクセラレータは経路Gを使って運び出せ」
 気を失った一方通行アクセラレータの両手を、二人の男がそれぞれつかんで引きずっていく。
 ようやく小さな光を知った彼は、再びやみの奥へと落ちていく。
 今度こそ、二度と這い上がれないほど深くへ。

 カエル顔の医者は病院へ戻ってきた。
 もっとも、その下準備にかなりの手間をかけていた。建物内に妹達シスターズを先行させ、敵兵の待ち伏せや爆弾などの置き土塵みやげがない事を確認するだけで一時間以上も経過している。
(まさか、患者さんに仕事を手伝わせるとはね)
 少々本気で嫌気が差したように、カエル顔の医者は息をく。今後は自分の手足となる人間をきちんと雇っておいた方が良いかもしれない。
 主立った負傷者たちは、観光バスクラスの特殊な大型救急車両『病院車』の中で処置を終えていた。ベッドの空き状況を確認し、それぞれの患者達を病室に戻し、ようやく一段落ついた……といった所である。
 診察室の椅子いすに座り、彼はしばらくぼんやりと天井てんじようを眺めた。
 それから、机にあった電話機に手を伸ばす。
 外線のボタンを押してから、シャープを数回たたいた。乱雑なようでいて、一定のリズムがあった。その後に、特殊な番号を次々と打ち込んでいく。
 受話器に耳を当てると、普通の呼び出し音は聞こえなかった。
 ワンコールもなく、即座に相手へつながったのだ。
「おはよう、アレイスター。さんざん好き勝手に暴れた気分はどうかな?」
『とてもとても。ようやく第二段階ヘシフトできた、という所だ。この程度で好き勝手などと呼ぶのはまだ早い』
 音質はおどろくほどクリアで、同じ電話回線を使っているのかと疑問を抱くほどだった。電話機に全く別のケーブルが繋がっていると言われた方がまだ説得力がある。
 しかし、カエル顔の医者にとっては慣れたものだ。
 彼は一方通行アクセラレータにも述べている。自分は世界のやみを知る先輩だと。
「まだ早い、か。君は一体いつまで一方通行アクセラレータ打ち止めラストオーダーを使い回すつもりなんだい?」
『さあな。それよりも、最後までってくれるかどうかの方が懸念けねんされている。ベクトル制御装置に、AIM拡散力場の数値設定を入力する作業はようやく終えた所だが……もう片方の完成度が今一つでな。
一方通行アクセラレータ
最終信号ラストオーダー
風斬氷華ヒューズカザキリ
三位一体さんみいったいとする方法もあるのだが、それでは甘い。私はその先へ行かねばならない』
絶対能力レペル6の、さらに先にあるもの……か」
『そうでなければ、わざわざ外部から幻想殺しイマジンブレイカーを招き寄せた意味がない』
「アレイスター。一つ君に言っておくべき事があるんだけどね?」
『何だ』
「僕の患者をオモチャにするのはやめてもらいたいんだ」
『ふ』
 笑みが返ってきた。
 沈黙ちんもくする医者に、統括理事長は語る。
『聞かなかったらどうする。いや、何ができると言うんだ』
「分かっているさ」
 カエル顔の医者は、照明もけずに真っ暗なままの診察室で、静かに言った。
 彼の表情は、だれにも見えない。
「僕だって、ここまで力をつけた君に何ができるのか、本当は分かっているんだよ?」
 でもね、と医者は語る。
「それでも、あの子たちは僕の患者なんだ」
『……、』
「そして僕は医者なんだ。アレイスター、君が何者であれ、ここを曲げる事はできない。アレイスター、分かるだろう? 僕の覚悟がどんなものか」
 カエル顔の医者は、受話器を握る手に力を込める。
 低く、静かな声で、彼は続けてこう言った。

「かつて僕に命を救われた、君ならば」

 真っ暗な診察室に、沈黙が満たされる。
 カエル顔の医者も、アレイスターも、しばらく何も言わなかった。
 やがて、アレイスターはポツリとつぶやいた。
『……あの時の私は、本当に死にかけていた』
 医者は、その言葉に顔をしかめた。
 恩を売るようなこの状況そのものに、胸を痛めているように。
『イギリスの片田舎かたいなかだ。国家宗教の魔術師まじゆつし討伐組織に追われていた私は、裂けた袋のようになって転がっていたな。それをつなぎ合わせ、英国という国家からかくまい、生命維持装置を与え、日本という場所を紹介し、学園都市という仕組みを作る手伝いをしてくれたのは、すべて貴方だった』
「……、」
『後悔しているか』
「本気で尋ねているのかい?」
『遠隔操作で生命維持装置を止めるなら今しかないぞ』
「僕を馬鹿ばかにするならいい加減にして欲しい」
 そうか、とアレイスターは小さく笑ったようだった。
『私は、そう言ってくれた貴方あなたをも敵に回さねばならないのだな』
「……、」
『十字教の中でも厳格と言われた一派、世界最高と言われた黄金の魔術まじゆつ結社、ほかにも国家から家族まで、私は今まで様々なものを敵に回してきたが……まさか、ここに来てまだ失うものがあったとはな』
「意思は、変わらないのかい?」
『貴方は私の理由を知っているはずだ』
「……、そうだね」
『私は止まれない。もうその段階は過ぎている』
 きっぱりとした決別だった。
 それはかなしい。なまじ、最初から敵ではなかったがゆえに。
 アレイスターは最後にこう言った。

『お別れだ。優しい優しい私の敵』

 それで、通話は切れた。
 最後のつながりであった細い線が消失し、後には単調な電子音しか残らなかった。
 カエル顔の医者は、たっぷり一〇秒は固まっていた。
 ゆっくりと、受話器を置く。
 照明もない真っ暗な診察室で、彼は小さく息をいた。
(忘れていないかい、アレイスター)
 カエル顔の医者は、窓の外に目をやった。ここからでは見えないが、そちらの方角には窓のないビルが建っているはずだ。
 彼の背中は小さかった。
 貫禄かんろくも何もない、ちっぽけな背中の男は、静かに思う。
(君だって、僕の患者の一人だっていう事を)

 この日、学園都市は正式に魔術集団の存在を肯定した。
 学園都市の外―――ローマ正教には『魔術』というコードネームを冠する科学的超能力開発機関があり、そこから攻撃こうげきを受けたのだという報告書をまとめ、その日の内に世界各国のニュース番組で取り上げられた。
 一方、ローマ正教は学園都市の内部で『天使』の存在を確認。十字教の宗教的教義に反する冒漬的ぼうとくてきな研究が行われているとして、ローマ教皇自らが学園都市を非難した。
 互いは互いの主張を『馬鹿馬鹿ばかばかしい』と一切認めず、そして自らの主張のみを相手にたたきつける。そこには一切の譲歩じようほや妥協といった色は見られず、むしろ争いが激化するのを望んでいるような動きさえ受け取れた。

 争いが、始まろうとしていた。
 学園都市とローマ正教の正面対立。
 世界で三度目になるかもしれない、大きな大きな戦争が。

   あとがき

 一冊ずつ読んでいただいている貴方あなたへ、ありがとうございます。
 一気にまとめて一二冊も読破した貴方へ、本当にありがとうございます。
 鎌池和馬かまちかずまです。
 これにて衣替え終了です! それにしても、今回はバトルばかりでしたね。ほのぼのシーン一切なし。あっちを兇てもこっちを見てもケンカだらけですが、たまにはこういう殺伐とした雰囲気ふんいきもアリかな、と思います。
 それぞれ二組存在する主人公と敵キャラは、お互いが完壁かんぺきに正反対の道へ向かうように書いてみました。しかし今回の主人公が入れ替わっていたら、敵キャラの対応もまた変わっていたかもしれないな、と思います。もちろん、それ以前に勝負にならなかった可能性もありますが。
 今回のオカルトキーワードは『天使』。ですが、これまでのように明確な『魔術まじゆつの話』『科学の話』という訳でもありません。単に視点が二つ、事件が二つに分かれていたのではなく、そもそもお互いの領域を区切る壁を曖昧あいまいにしてみました。
 機会とお暇がありましたら、 体どこにどれだけの壁があったのか、そしてその壁の内のいくつが曖味化してしまったのか、などを調べてみるのも面白いかもしれません。壁の数は組織間の防壁の数とも表現できますので、実はあまり触れていない『当作品世界全体の大きな動き』がつかめると思います。

 イラストの灰村はいむらさんと担当の三木みきさんには感謝を。当シリーズにおいてコメディ一辺倒、バトル一辺倒という構成は結構冒険だったかなと思いますが、お付き合いいただき、ありがとうございました。
 そして読者の皆様にも感謝を。コメディを期待していた方には頭が上がりませんが、今回の冒険にここまでお付き合いいただいて、本当にありがとうございました。

 では、今回はここでページを閉じていただいて、
 できるだけ早く次のページを提供できれば良いなと思いつつ、
 本日は、この辺りで筆を置かせていただきます。
 彼らの道が再び交差するのはいつの日か鎌池和馬

とある魔術の禁書目録12
鎌池和馬

発 行 2007年4月25日 初版発行
著 者 鎌池和馬
発行者 久木敏行
発行所 株式会礼メディアワークス

平成19年4月28日 入力・校正 にゃ?

小説ーとある魔法禁書目録12

とある魔術の禁書目録12

鎌池和馬

   c o n t e n t s
 
   序 章 白井黒子と枕とベッド Suffering_of_a_Negligee.
   第一章 午前中授業のひだまり Winter_Clothes.
   第ニ章 罰ゲームはどんな味? Pair_Contract.
   第三章 ミサカとミサカの妹と Sister_and_Sisters.
   第四章 緩やかに交差する二組 Boy_Meets_Girl (×2).
   第五章 曖昧に過ぎていく日没 Hard_Way,Hard_Luck.

とある魔術の禁書目録12

 九月三〇日――衣替えの季節がやってきた学園都市。
 周囲の慌ただしさを余所よそに、エリートお嬢様学校・常盤台中学の超能力者レベル5御坂美琴みさかみことはコンサートホール前の広場にいた。
 待ち合わせである。
 けれど、
 「……、来ない」
 罰ゲームを受けるはずの“あの少年”は一向に姿を見せない。美琴はため息混じりに、薄っぺらい学生鞄とバイオリンのケースを抱えてアイツをずっと待っていたのだが――。
 上条当麻かみじょうとうまと御坂美琴が交差するとき、罰ゲームを巡る学園ラブコメディは始まる!?

鎌池和馬

ようやく作中の季節が秋になりそうです。秋と言えば食欲の秋、読書の秋という訳で今後はインデックスの出番がさらに増えるのかも?

イラスト:灰村はいむらキヨタカ

1973年生まれ。4年ちょいの間生活したアパートを引き払って転居を決意。この巻が出ている頃にはぢょうど引越しであわあわしている最中かも……?

  とある魔術の禁書目録12

   c o n t e n t s
 
   序 章 白井黒子と枕とベッド Suffering_of_a_Negligee.
   第一章 午前中授業のひだまり Winter_Clothes.
   第ニ章 罰ゲームはどんな味? Pair_Contract.
   第三章 ミサカとミサカの妹と Sister_and_Sisters.
   第四章 緩やかに交差する二組 Boy_Meets_Girl (×2).
   第五章 曖昧に過ぎていく日没 Hard_Way,Hard_Luck.

   

chap1

序 章白井黒子と枕とベッド Suffering_of_a_Negligee.

 常盤台ときわだい中学の朝は早い。
 とは言っても、流石さすがに午前五時二〇分では早すぎる。小鳥の鳴き声もようやく聞こえ始めるような時間帯では、女子りようもまだ静まり返っているのが普通だ。寮生活、と一口に言っても、ここは二三〇万の住人の内の八割が学生という学園都市であって―――まぁ、色々と質や種類というものが存在する。その中でも常盤台中学は消灯と就寝にうるさい規則があるのだ(が、一部超能力者レベル5風紀委員ジヤツジメントなどは抜け出す事もある)。
 そんな、だれもが眠りこけている常盤台中学『学外』学生寮の中。
 おそらくただ一人であろう、白井黒子しらいくろこだけが目を覚ましていた。
 彼女は自分のベッドの中で左右にゴロゴロと転がっている。
 正確に言うと、起きているのではなく眠れないのだろう。
 いつもは細いリボンを使って茶色い髪を頭の左右で束ねているのだが、今は外してあるため髪がそのままベッドの上に広がっていた。格好は、近づいて観察しないと分からないぐらいうすくて透明度の高いネグリジェに、レース満載のショーツだけ。これだと上半身は平たい胸の上からくぼんだヘソの下まで全部見えてしまうのだが、当人は気にしている様子はない。それはここが女子寮だから、だけではなく、ルームメイトが特別な人間だから、という意味合いの方が強い。
「……、」
 いつまでもゴロゴロ転がっていた白井黒子だが、ふと動きをピタリと止める。
 となりのベッドを見る。
 ベッドとベッドの間隔は五〇センチもない。その近距離きんきよりで、白井と違ってぐっすりと眠っている少女がいた。肩まである茶色い髪にはわずかに汗が吸い付き、その細くて白い指は淡い青系のぶかぶかしたパジャマからチョコンと出ている。最近心境の変化があったのか、少女は飾りっぽい感じのするヘアピンを頭の横につけているのだが、今はサイドテーブルに並べて置いてあった。
 いとしのお姉様、御坂美琴みさかみことである。
 学園都市でも七人、名門常盤台中学でも二入しかいない超能力者レベル5であり、同校のエースとも称され、羨望せんぼうの的であるエリート校でもさらに羨望を集めているトンデモ女子中学生は、横向きに崩れる感じでベッドに沈み込んだまま、
「……んふふ……。ばつゲームなんだから、何でも言う事聞かなくちゃいけないんだからねー……」
 何だかとんでもなく幸せそうな笑顔と共に、可愛かわいらしい唇からそんな寝言が飛び出した。 白井しらいはベッドの上で、両手を使って自分の髪をグシャグシャグシャーッ!! と勢い良くきながら、
(ぐあー気になる! 先ほどからお姉様ってば何なんですのよ!? 大覇星祭だいはせいさいが終わってからずっとこの調子!! 一体夢の中ではどちら様に向かって宣言しているつもりですの!!)
 ぜーぜーはーはーと息を吐く白井。名前の通り白井黒子くろこは女の子であり御坂美琴みさかみことも女の子であるのだが、そこはあれがこうなってこれこれこういう女の子特有の事情らしきものがあるのだ。
 じかに言うとかなり生々しいので遠回りに攻めていきたい後輩少女である。
 この寝言の相手が白井本人に向けられたものであるなら何の問題もないのだが、少なくとも彼女はばつゲームをけて争うような真似まねをした覚えはここ数日ない。となると相手が男だろうが女だろうが大問題だというのが白井の超個人的な感想であった。
 と、そういうモヤモヤを一切感じ取っていない御坂美琴は、本来ならば自分の頭を乗せるべき大きめのまくらを両手でギュッと抱き寄せると、
「……まずは何をしてもらおうかなー……むにゃ」
(おのれぇぇぇぇぇぇぇッ!! おっ、おねぇ、お姉様ったら何故なぜそこで枕に向かってほおずりなんですのよーっ!! そのふかふか枕は一体何の代用ですの!!)
 ゴロンゴロンとベッドの上で左右に転がる白井黒子だが、幸せそうな少女が目を覚ます様子はない。
 時刻は午前五時二五分。
 今日も寝不足の朝が始まる。

   

chap2

第一章 午前中授業のひだまり Winter_Clothes.

     1

 九月三〇日。
 九月末日であるこの日は、学園都市の全学校が午前中授業となる。理由は単純で、明日から衣替えだからだ。
 東京西部を再開発し、都の三分の一もの面積を誇るようになった学園都市は、一八〇万人前後の学生を抱える。となれば衣替え一つを取り上げても服飾業界は大忙しだ。
 実質的な採寸や注文は大覇星祭だいはせいさい前後に済ませているので、今日行うのは新調した冬服の受け渡しだけとなる。しかし、そうであっても大混雑が起こる辺りにスケールの特殊性が見出みいだせるだろう。また、新しい服を『慣らす』意味も含めて、この日から冬服を身にまとうのも風習の一つとなっている。
 だが、それも衣替えに縁のない学生にとってはただの午前中授業である。
 例えば上条当麻かみじようとうまという少年がいる。今年とある高校に入学した彼は、入学時に購入した冬服をそのまま着てもサイズ的に全く問題がない。よって、今日の混雑に身を投じる必要はないという訳だ。
 それは彼だけでなく、学年単位でそういった傾向があるらしい。バタバタと慌てているのは主に二年生と三年生で、一年生は全体的にのんびりしたものだった。
 さて、今は三時間目と四時間目の間にある、一〇分程度の休み時聞である。
 先にも名前が出てきた平凡なる高校生、上条当麻は廊下の窓を開けて、ぼけーっと外を眺めていた。前の数学の授業が死ぬほど退屈で、休み時間が始まると同時に水飲み場で目覚ましついでに顔を洗ってきた所だった。
 平均的な身長と体重に、やや筋肉だけはついているかもしれない体型。これは別に彼が運動部に所属している訳ではなく、もっと不健全に路地裏でケンカしたり逃げたりしている内についたものだ。黒くてツンツンした髪には一応ファッション誌を参考にしているらしき様子が垣問見かいまみえ、そこら辺に男子高校生としての『ちょっとは見栄みばえを気にしてみよう』という心のとりでうかがえる。もっとも、眠たそうな目つきで周囲を見回し、大口を開けてあくびを連発している所を見ると、砦の防備はうすそうな気もするが。
 上条当麻は窓枠にひじを突き、残暑の厳しさも引いた秋の初めのゆるやかな風を浴びつつ、ボツリとつぶやいた。
「はあー……出会いが欲しい」
 告げた瞬間しゆんかんに、こめかみは右と左の両サイドから正拳突せいけんづきを受けて万力まんりきっぽく押しつぶされた。
 グシャア!! という壮絶な音がひびく。
 右に立っているのが土御門元春つちみかどもとはる、左に立っているのが青髪ピアス。
 共に上条当麻とうまのクラスメイトだ。
「ばっ、にゃにすんれすかーっ!?」
 くわんくわん、と頭を振りながら質問を放つ上条だったが、それに対して土御門は、サングラスの奥にあるひとみをギラリとかがやかせると、
「……にゃー。カミやんが言うと嫌味にしか聞こえねんダヨ」
「その言葉を引き金にして、そこらの教室のドアからケッタイなオナゴが転がり出てきそうやもんな。ああそうや、お前はいつもそうや! カミやんなら超電脳ロボット少女から泉の精霊せいれい風お姉様まで豊富な品揃しなぞろえで何でもどうにかなっちまいそうやし!!」
 相変わらず訳の分からない事ばかり言う連中だが、とりあえず悪気はない、
 上条たちは三人とも、黒い詰襟つめえりに同色のスラックスだった。上条は上着のボタンを留めずに、中にある赤系のTシャツを出している。もちろん本来ならワイシャツ着用なのだが、金髪にネックレスだらけの土御門や青髪ピアスの例からも分かる通り、そういう事にはあんまり気にしない校風なのだ。
「で、お前達は二人して何しに来たんだよ?」
「そやそや。ちょっとこれ見てみ」
 と言ったのは青髪ピアスだ。
 彼は日本で一番売れている週刊の漫画雑誌をこちらに寄越してきた。これを使ってなぐられなかった程度には友情というものは存在したらしい。
 青髪ピアスは漫画雑誌の裏表紙をぺらりとめくる。、
 そこには通信販売のカラー広告が載っている。、
「ほらこの欄にある『肩揉かたもみホルダー君』ってのがあるやろ」
「あん?」
「気になるねんこれ。ここんトコ右肩の辺りが妙に痛いし、自分で自分の肩をグニグニしとると今度は左の肩が痛くなってくるんや」
 ものすごく小さな商品見本の写真には、プラスチック製のU字の器具が写っていた。おそらくサイズ的には一五センチから二〇センチぐらいだろう。U字の部分を直接肩にはめて使うものらしい。二個セットで買うとさらにお徳になるようだ。
「そういや、これ深夜の通販番組でも宣伝されてたな」
「そやろ! こんだけ派手派手に紹介されてるって事は、きっとこの肩揉みマシンはものすごく気持ちええんよ!!」
「えー」
 と胡散臭うさんくさそうな声を出したのは土御門つちみかどだ。
「こりゃ多分ブラフだぜい。特に『気持ち良かったか良くなかったか』なんてのは明確な数字で示せるものじゃないし、『テストメンバーは全員気持ち良いと答えました。あなたは知りませんけど』ってオチじゃねーのかにゃー?」
「けっ!義妹ぎまいに毎日んでもらっとるお前には分からんわい!!」
「毎日じゃねーぜい三日に一回ぐらいだにゃーっ!!」
 話の軌道や主題がワンフレーズで切り替わっていく辺りが何とも世間話な感じだが、この二人は自分に何をやって欲しいんだろう、と上条かみじようは首をかしげる。
 それに対し、二人は言う。
「で、カミやんとしてはどうなん? ボクは絶対効果があると思うねん」
「いやこれは喜びの声は聞かせらんねーと思うけどにゃー」
 ようは二人じゃ多数決にならないから三人目の意見が欲しいだけか、と上条はあきれた。
 そもそも何でこの二人はこんなに肩操みマシンに夢中なのだろう?
「っつか、別に俺は肩揉みのスペシャリストじゃないんだし、何を言っても説得力なんかないだろ。それだと多数決の意味そのものがなくなっちまうぞ」
「んな使えねえ指摘はどうでもええねんヘタレ!!」
「使えねえとか言うな!!」
 反射的に言い返して、なるほど、これが青髪ピアスと土御門が白熱している原動力か、と上条は遅まきながらに気づかされる。
 そして、気づいていても乗ってしまうのが口ゲンカというものである。
「……俺としちゃ効果なんかねえと思うけどな。肩こりって一言で言っても痛む箇所かしよやレベルは人それぞれだろうし、男女でも効果が違ったりすんじゃねえの? それら全部をみんなまとめて『肩こりなら何でも解消!!』って言ってる時点でちょっと怪しいかな」
「ほら見うにゃー。やっぱり肩こりには義妹が一番ですよ?」
「そんなの実験してみんと分からんやないかい!」
 そもそも肩を揉んでくれる女の子がいねえから困ってんだよ!! と青髪ピアスが絶叫し、土御門とポカポカなぐり合う。目の前の不毛な争いに対し、上条は第三者視点で、
「そうだな」
 青髪ピアスと土御門を引きがしつつ言う。
「だったらこれから実際に試してみようじゃねえか。しょっちゅう肩こりに悩まされていて、なおかつこういう通販グッズに目がない人間を、俺は一人知っているぞ」

     2

 上条当麻かみじようとうよのクラスには吹寄制理ふきよせせいりがいる。
 つい先日まで大覇星祭だいはせいさい実行委員を務めていた責任感の強そうな少女で、黒い髪を耳に引っ掛けるように分けた髪型に、学生にしては大きめな胸を持っている。規則にうるさそうな雰囲気ふんいきかもし出していて、今も休み時間なのに早くも次の時間の教科書やノート類などを机の上に出している。服装は長袖ながそやのセーラー服で、スカートが若干じやつかん短い事を除けばスカーフから上履うわばきまで何もかもが定規で測ったように机格統一されていた、
 ちなみに彼女は健康系の通販グッズ集めが趣味しゆみである。
 何らかの引け目があるのか、とある少年以外にその事実を知っている者はいない。
 特にこの段階から慌てて宿題のノートを見せ合ったりする事もなく、席に座ったまま近くのクラスメイト、姫神秋沙ひめがみあいさと世間話をしていた吹寄制理だったが、
「吹寄はいるかーっ!?」
 ズパン!! と教室のドアが開け放たれた途端、同方角から飛んできた叫び声に彼女はわずかに身を退かせた。相手は上条、青髪、土御門つちみかどというクラスの三バカデルタフオースである。これまでも数々のトラブルを起こしてきたこの三人に、吹寄はこれから何があっても平常心を保とうと強く誓ったのだが、上条はそこへ開口一番、

「一生のお。願いだからませて吹寄!!」

 ビキリ、と一発で巨乳少女の頭の中から変な音が聞こえた。
 へーじょーしん、という言葉が脳裏をかすめる前に、飛び掛かってきた土御門元春もとはると青髪ピアスを正拳せいけん迎撃げいげきし、その二人のぎ倒されっぷりを見て顔を引きつらせる上条当麻に硬いおでこをたたきつけて吹き飛ばす。ゴロンゴロンと転がっていく悪党たちを見下ろして勝者吹寄が両手のてのひらをパンパン叩いてほこりを落としていると、そこへ身長一三五センチの女教師、月詠小萌つくよみこもえが教室へ入ってきた。
「さーて皆さん、本日最後の授業は先生のバケガクなのですよー……って。ぎゃああ!? ほのぼのクラスが一転してルール無用の不良バトル空間っぽくなってますーッ?」
 いきなりの惨事にうろたえる小萌先生に、吹寄は極めてクールな顔で、
「平和のためです」
「一体何があったのですか? 吹寄ちゃんが平和維持部隊みたいになってるのです!!」
 小萌先生の泣く寸前の声が届いたのか、うう、と上条がうめき声をあげる。
 上条は床に倒れたまま、
「せ、先生……別にだれが悪かったという訳では……」
「じやあ何でこんな事にーっ!?」
 暎く小萌こもえ先生に、上条かみじよう吹寄制理ふきよせせいりの顔から少し下の辺り。をふら。小らと指差すと、
「……ただ、吹寄さんはすごく気持ち良さそうなのを持ってるのにちっともませてくれないんですッ!!」
 その一言で小萌先生は顔を真っ赤にするとバタンと真後ろに倒れ、それを確認するまでもなく吹寄制理が追撃ついげきこぶしを握りめてゆらりと迫ってきた。

     3

 病院には四人の少女がいた。
 出入り口から病室までつながるルート上から大きく外れているため、特に立入禁止でもないのに自然と誰もやって来ないような場所である。臨床研究エリアと院内では呼ばれているその区画は、仰々ぎようぎようしい通称に反して。ポカポカと暖かい陽射ひざしを窓から取り込んでいる。
 少女たちがいるのは廊下だ。
 四人全員が肩まである茶色い髪に、透き通ったような白い肌をしていた。目の形から色、虹彩こうさい網膜もうまくに至るまですべてが同一という違いのないシルエット。服装は灰色のプリーツスカート

半袖はんそでの白ブラウス、袖なしのサマーセーターと、やや季節遅れな常盤台ときわだい中学の夏服で統一されていた。
 彼女たちを示す名は複数ある。
 妹達シスターズ
 欠陥電気レデイオノイズ
 超能力者レベル5の軍用量産モデル。
 遺伝子操作や薬物を用いた成長促進技術などの影響えいきようによって寿命が削られた者達である。それを打開するために病院で様々な処置を受けていたのだが、それも今日で第二殺階へと移る。
 今までは病院暮らしだったが、これからは少しずつリハビリのために外へ出ていくのだ。
 そんな妹達シスターズに、顔がカエルに似ている医者が話しかける。
 彼が手にしているのは、ウェイターが持っていそうな小型のクリップボードだ。
「で、外出着は全員常盤台中学の冬服で良かったのかな?」
「問題ありません、とミサカ一〇〇三二号は返答します」
 告げたのは四人の内の一人だ。
 彼女達は名前ではなく検体番号シリアルナンバーによって個体識別がなされている。これはカエル顔の医者が決めたのではなく、もっと以前の製造段階から定められていた事らしい。
「サイズの方は四人一緒いつしよで良いのかな?」
 医者はクリップボードに『注文』を書き込みつつ言う。
 質問に対して、四人の妹達シスターズは顔を見合わせる事もなく、何を当然な事をと言った顔で、
「いちいち計測するまでもなく全員一致です、とミサカ一〇〇三二号は答えます」
すべてのミサカは同一の遺伝子から製造された量産モデルですから、とミサカ一三五七七号は補足します」
「そのように作られている以上、サイズの差異など考える必要はありません、とミサカ一〇〇三九号は結論を出します」
「み、ミサカは……」
 最後の一人だけ言い淀んだ。
「「「……?」」」
 三人の妹達シスターズが歯切れの悪い台詞せりふに振り返ると、検体番号シリアルナンバー一九〇九〇号が目をらして身を縮めていた。両手を使って、特に上半身を隠そうとしている意図が受け取れる。
 一〇〇三二号―――とある少年からは『御坂みさか妹』と呼ばれている少女は、ほんのわずかに諸な目をすると、ふと思いついたように一九〇九〇号の元へと近づいていく。
 そして両手のこぶしを握ると親指だけを立てて、その拳をひっくり返すと、左右の親指を一九〇九〇号のスカートと身体からだの間に、ズボッと突っ込んだ。
「むっ!? スペックシートではピッタリのはずなのに親指が二本も入るほど余裕があります、とミサカ一〇〇三二号は緊急報告きんきゆうほうこくします!!」
すべてのミサカは同一のミサカであるはずなのに、とミサカ一三五七七号は驚愕きようがくあらわにします!」
「ウェストもそうですがその他はどうなのですか、とミサカ一〇〇三九号はあくまで冷静な態度で精密検査を提案します」
 言葉に従って一〇〇三二号がスカートに突っ込んだ指を抜いて上へ持って行こうとすると、一九〇九〇号は両手を使ってこれを迎撃げいげきした。ほかの個体と違い、顔がちょっぴり赤くなっていたりと感情表現も多彩な気がする。
 カエル顔の医者は呆れたような顔で、
「一卵性双生児だって食事や運動の差異によって顔や体格に個性は出るからね? クローン人間の閥でスタイルにメリハリが出ても不思議じゃないんだよ」
 余計な事を言ってしまったか、と医者は内心で後悔していた。
 女性というのはせている方が優秀であり、優秀な女性を男性は選択する傾向が強い、といった知識を教えたらこんな調子だ。これらはカエル顔の医者の偏見込みの趣味嗜好しゆみしこうなのだが、そもそも妹達シスターズは男性の知り合いが極端に少なく、彼女たちにとってはカエル医者ほ一般男性であり『この男がそう言うならあの高校生もそう思っているのでは? とミサカはゴニョゴニョ考え事をしてみます』とかいう結論をはじき出したらしい。
 そしてどこから仕入れてきたのか『世の中には薬指にはめる特別な指輪というものがあって、それを手に入れるには何事も優秀な方が良いらしい』という正解なんだか問違っているんだか判断に困る知識を元に行動しているため、妹達シスターズの問でも少しずつ個性というものが現れ始めているようだ(もっとも、彼女達自身はあまり自覚していないようだが)。
「つまりコイツは他のミサカに内緒ないしよでコソコソと汚い真似ダイエットをしていたのですか、とミサカ一〇〇三二号は迫及を続けます」
「全てのミサカ達を束ねる二〇〇〇一号『最終信号ラストオーダー』は何をしていたのでしょうか、とミサカ一三五七七号は使命や役割という言葉を仙ってみます」
「あのっこいのにはその行為が何のための努力か分から。なかったのかもしれません、とミサカ一〇〇三九号は心を乱さずに推測してみます」
 それぞれが好き勝手に言い合っている最中、カエル顔の医者はさらに言う、
「しかしそれほど色めき立つ事はないだろうね? 君達は全て同一の個体なんだから、その一九〇九〇号さんと同じ事をすれば同じ分だけ変化が訪れるだろうさ」
「「「……、ッ!!」」」
 グリン!! と三人の妹達シスターズが残る一人へ高速で振り返る。
 一足お先に痩身そうしんテクを身につけた一九〇九〇号はじりじりと後退しつつ、
「ミサカは自身の危機管理能力に従い逃亡します! とミサカは―――ッ!!」
 叫び終わる前に少女達が飛び掛かってきた。

     4

 妹達シスターズが暴れ回っているのと同じ病院内に、芳川桔梗よしかわきさなうという女性がいる。
 学園都市に存在する無能力者レベル0低能力者レベル1異能力者レベル2強能力者レベル3大能力者レベル4超能力者レベル5の区分の上に、新たに絶対能力者レベル6という分類を築き上げようとした『実験』を立案、実行に移した研究者グループの元]員だ。
『優しいのではなく甘い人格』を自認している彼女は、総数二万強ものクローン人間を作り出し、その内の半分以上を『実験』の過租で殺害している。実際に手を下したのは絶対能力者レペル6候補と呼ばれていた、とある超能力者レベル5の学生なのだが、それが言い訳になるはずがない。
 現在では『実験』は致命的欠陥があるとされ、凍結ではなく中止となっている。
 だが、それは『実験』に関するすべての事柄が、その時点でスッパリと消えてなくなった訳ではない。殺されるためだけに作られた少女たちと、彼女達を殺す事だけを命じられ続けた超能力者……特殊な環境や体質を得ているとはいえ、やはり彼らは人間の子供達だ。その上にのしかかる精神的な重圧は想像を絶するものだろう。個人の間題はもちろん、彼らの間には絶対的に深い溝があり、その人間関係など壊滅的かいめつてきの一言に尽きる。普通に考えれば構築などできっこない。
 が。
「やだーっ! ってミサカはミサカは拒絶してみたり! 降りない絶対降りないこのスポーツバッグの上はミサカの敷地しきちだ! ってミサカはミサカはあなたの抱えるバッグの上で正座しながら強気の抗議をしてみる!!」
「オマ……ッ!! 人が肩でかついでるバッグの上ではしゃいでンじゃねえぞクソッたれがァ!! 人がみ上がりだっつー事実を忘れてねェか?」
 当の被害者たる彼らは今日も元気だ、と芳川は思う。
 一方通行アクセラレータと呼ばれる『殺してきた方』はトンファーのように現代的なつえを右手につき、左の肩にスポーツバッグの厭纐をかけてフラフラと立っている。色の抜けた白い髪に赤い曜が特徴的で、今は灰色を基調とした衣服をまとっている
 打ち止めラストオーダーと呼ばれる『殺されてきた方』はそんな彼のスポーツバッグの上にチョコンと正座して、ブランコ風に肩紐に左右の千をそれぞれ添えている 一〇歳前後という見た目だからこそ可能な技だが、それでも杖をつくような人間にはつらいかもしれない。肩まである茶色い髪に、同色の瞳、空色のキャミソールの上から男物のワイシャツに腕を通して羽織っている。
 八月三一日に額に弾丸を受けて入院していた一方通行アクセラレータだが、一ヶ月を経てようやく退院の許可が下りたのだった。厳密に言えば体が治ったのではなく、やるべき処贋は全部ほどこした、というのが正確である。砕けた頭蓋骨ずがいこつの破片によって傷つけられた脳の後遺症は抜け切れておらず、今も首に巻いたチョーカー型の電極によって機能の一部を補っている状態である。それがなければ言葉を交わす事もできないし、自分の足で立つ事もできないほどなのだ。まあ、あれだけの傷を負って、日常生活に戻ってこれただけでも奇跡的ではあるのだが。
 そんな事情もあり、彼らは現在病院の正面玄関に立っている。
 本来なら芳川よしかわ自身も先月末日に心臓をかすめる形で銃弾を受けている身であり、子供の面倒を見ていられるような体調ではないのだが、それでも彼女はこの役を引き受けた。
 やらなければならないのではない。
 これは自分でやりたいのだ。
「はいはい。ここは出入り口だから遊んでいるとほかの人の迷惑よ。そういうのは荷物を世いて一段落ついてからにしましよう」
「ミサカは遊んでないもん! って重心を下へ下へと押し付けながら真剣な顔で抗議してみたり!!」
「このしたたり落ちるほどのレジャー感覚が遊びじゃなけりゃ何なンだよオマエ!!」
 今にもスポーツバッグに押しつぶされそうになりながら、一方通行アクセラレータが叫ぶ。芳川はそういったやり取りを聞かずに玄関から少しはなれると、待たせてあったタクシーの運転手に軽く手を振る。
ゆったりと手慣れた動きで乗用車がこちらへやってきた。
 一方通行アクセラレータ打ち止めラストオーダーの乗っかった荷物を運転手に掲げ、
「丸ごとトランクに押し込ンでやるから今すぐ開けろ」
「ミサカお荷物扱い!? ってミサカはミサカは戦傑せんりつと共に後部座席に逃げ込んでみる!!」
 一方通行アクセラレータは後部座席にスポーツバッグを投げ込んで打ち止めラストオーダーをムギューと押し潰すと、空いたスペースに腰掛ける。
 後部座席は人数的にまだ余裕があったが、あのドタバタに巻き込まれるつもりはないので芳川は助手席の方に回る。
 念のために運転手に言っておいた。
「彼らは退院直後のシャバの空気でハイになっています」
「あはは。子供さんの場合はそれぐらい元気があった方が良いんじゃないですか」
「あと小さい方は車に慣れていないので吐くかも」
「ッ!?」
 運転手がビクゥ!! と体をふるわせた。新人かな、と芳川は適当な評価を下した。一方通行アクセラレータがスポーツバッグを確保して打ち止めラストオーダーから離れていくのがドタバタした音で分かる。実は芳川のバッタリで、この文句を言っておくと運転がより丁寧ていねいになるというだけだったのだが、あんまりメジャーな裏技ではなかったようだ。
 生卵の運搬業者のようにタクシーはなめらかに発進する。
 芳川よしかわは運転手に行き先を告げ、メーターの上にあるデジタル時計を確認すると、時刻はもうすぐお昼の一二時といった所だった。
 さきの吐くかも宣言を本気で信じた一方通行アクセラレータは、近づいてくる打ち止めラストオーダーの顔をつかんで遠ざけながら、怪誹けげんそうな顔で芳川の後頭部を見た。
「どこ向かってンだ」
「わたしの知り合いが働いている学校。待ち合わせみたいなものよ。キミ、今の学校を辞めてしまうのでしょう? それが何を意味しているかは分かっているわよね」
 学園都市に住むほとんどの学生はりようを利用している。中には街のパン屋などに居候いそうろうしているケースもあるが、それは極めてまれだ。
 この街で学校(正確には学校含む能力開発機関)の枠から抜けるというのは、同時に寮という住所を失う事でもある。常に学園都市の不良たちからねらわれ、寮の部屋も荒らされている一方通行アクセラレータには住処すみかに対する未練はない。家具だって一つ残さずこわされているだろうから仙値もない。だが、屋根のある空間を奪われるというのは結構大きな出来事であった。
 そういったリスクを負ってでも、一方通行アクセラレータが学校を捨てるという選択を採ったのは、
「……絶対能力レベル6だなンだっつーのにかかわンのはもうゴメンだからな」
 一応、直接的にその「実験』を行ってきた機関はもうつぶれている。しかし、妹達シスターズを使った研究施設が消えたとしても呪縛じゆばくすべて解ける訳ではない。彼の通ってきた学校にも、規模の違いこそあっても『特殊開発研究室とくべつクラス』というものが存在する。教室の生徒は彼一人だけという、実質的には実験動物を隔離カくリする飼育小屋のような四角い空間が。
 あらゆる意味で血まみれの世界と決別するなら、これまであった全てを捨てるしかない。研究所も、学校も、学生寮も、その企てを、だ。
 今度はそういった『強い意志』を持たない学校を選ぶしかない。一方通行アクセラレータという魅力的みりよくてきすぎる研究。対象を前に、本当に目の色を変えない研究者など存在す。るかどうかは分からないが、探すしかない。
 あまりにも特殊すぎる一方通行アクセラレータ打ち止めラストオーダーは、学園都市の外には居場所がない
 そして、学園都市内部で学校を利川しなければ、後は路地裏の武装無能力集団スキルアウトのように生きていかなければならない。学園都市最強の超能力者レベル5がそんな選択を採れば、待っているのは全ての破滅だ。
 一方通行アクセラレータは唇をゆがめて、
「で、今後はオマエの管理下に収まるっつーのが統括理事会の決定か? まァ、オマエだったら研究分野的にもおあつらえ向きだとア思うけどよォ」
 芳川はかつて『実験』に参加していた研究メンバーで、打ち止めラストオーダーなどのクローン製造のほか一方通行アクセラレータのメンテナンスも行っていた、
 絶対能力レベル6関連の研究が中止になったとしても、彼は相変わらず学園都市最強の超能力者レベル5であり、優れた研究素材でもある。芳川よしかわに色々と調べさせて、新たな能力開発技術に応用できれば莫大ばくだいな利益を得られるはずだ。
 どこまで行っても何者かの思惑や影響えいきようを感じ続ける。
 まあ、一方通行アクセラレータがこれまで出会ってきた人間の大半は外道げどうの一言に尽きるような連中ばかりだ。そういった大人たち呪縛じゆばくから逃れられると思えば、まだ芳川に行動の決定権を貸しておいた方がいくらか気が楽かもしれない。無論、彼女のやり方に納得いかない場合はさっさとたたつぶしてほかを当たるが。
 しかし、
「違うわよ」
 芳川桔梗ききようは、振り返りもせずに一言で告げた。
「あン?」
「わたしはキミの次の管理者ではないと言っているの。冷静に考えてご覧なさいな。今の芳川桔梗は研究職を終われて無職に近い状態なのよ。しかも『実験』当時と八月三一日の二回もキミが中心となる事件に関与した。これで保護者役が務まると判断したなら統括理事会は全員今すぐ首を切るべきだわ」
「……って事はナニか? オマエはただの使いっパシリってトコか。これから俺達を見知らぬ研究者に引き渡すっつー訳だな」
猜疑的さいぎてきね。キミの生活環境を見れば当然でしょうけれど。ただ、その意見には二つの間違いがあると指摘しておくわ。一つ目はキミも知ってる人に引き渡すつもりだし、二つ目はその人は研究職の人閥でもない」
「―――、」
 一方通行アクセラレータは目を細めて芳川の言葉を頭の中で吟味する。
 信用ならない。
 となりに座っているこのガキの存在が気にわないが、この程度のハンデを抱えていても敵対者は叩き潰せる。これから長期間にわたって見えない襲撃者しゆうげきしやを警戒し続けるよりも、ここで顔を見てから丁寧ていねいに潰していった方が手っ取り早そうでもある。
(……退屈な事になりそォだな)
 と。
 そこへ、完壁かんぺきに無邪気な打ち止めラストオーダー呑気のんきに言った。
「研究者じゃない人なんてヨミカワぐらいしか知らないかも、ってミサカはミサカは手を挙げてから発言してみたり」
「正解」
 芳川は楽しそうに答える。
 ヨミカワというのは、芳川桔梗としても数少ない『表世界の友人』であり、学園都市の警備員アンチスキルを務める女性の事だ。芳川よしかわが銃弾に倒れてからは、暫定的ざんていてきに病室の一方通行アクセラレータ打ち止めラストオーダーの面倒を見ていたジャージ女である。
 言われるまでその可能性に気づかなかった一方通行アクセラレータは小さく舌打ちした。
 それを聞いた芳川が尋ねてくる。
「あら。答え合わせは終わったのにまだ緊張きんちようしているようね」
「……何なら今から丁寧に聞き出しても良いンだけどな」
「まあ、うそかどうかは着けば分かるのだし、キミの場合、今後こんごも他人からの甘い言葉に警戒するくせはそのままの方が良いかもしれないわね。守るべきものの価値を知っているのなら、特に」
 芳川はちっともこたえていない。一方通行アクセラレータは助手席から視線をらすように、いまいま々しげに車窓の外へ目を向けた。打ち止めラストオーダーだけはやり取りに気づいていないようで、『え? ヨミカワじゃないの? ってミサカはミサカはあなたの肩をぐいぐい引っ張ってみる』とか言っていた。

     5

 お昼になったので学校は終わった。
 特に部活などに参加していない上条かみじようは、後はりように帰るだけである。
 彼は下駄箱げたばこで革靴をいて、テクテクと学校の敷地しきちの外へと歩きつつ、
「何が悪かったんだろうなあ」
 とつぶやいた。
 脳裏にあるのは、もちろんマッサージ機と吹寄制理ふきよせせいりの頭突きの関連性についてだ。
(うーん。やっぱり『ませて吹寄』では少々れ馴れしかったか? でもあの後に『揉ませてください吹寄サマ』でも殴られたし『拝啓、秋の色も深くなり~~』から始めたら頭突きで吹っ飛ばされたしなあ何が気にさわったんだろ?)
 基本的にこの少年は身に降りかかる不幸にとにかく慣れていて直接的な打撃だげきに関してもやたら打たれ強い体質を誇っているため絆創膏ばんひこつこうなどは特にない。常日頃つねひごろから空腹少女に頭をみ付かれている上条当麻とうまの耐久力は半珊はんぼ噸てはないのだ。
 そんな風に、根本的な所に気づかないまま『もっとさりげなく季語を取り込むべきだったか』などと延々と考え事をしながら、上条は学園都市の整えられた街並みを歩いていく。
 残暑の名残なごりも、九月三〇日となれば完金に払拭ふっしょくされていた。風力発電のプロペラを回すゆうやかな風は、もうエアコンの冷房が不要になった事を示していたデパートの壁に取り付けられた大画面に映っている天気予報も、『熱中症に注意してください』から『季節の変わり目なので体調管理にお気をつけて』へと一言メッセージが変更されている。
 そうした中、
「いたいたいたクソいやがったわねアンタ!!」
 昨今の日本語は乱れつつあるのです、という言語評論家の意見を丸ごと証明してしまうような少女の台詞せりふ上条かみじようの元へと飛び掛かってきた、。
 上条がそちらへ振り返ると、お嬢様じようさま学校で知られる名門常盤台ときわだい中学の見目麗みめうるわしい(はずの)女の子が、どだだだだだーっ!! と高速で接近してくる所だった。
 御坂美琴みさかみこと
 肩まである茶色い髪に、上条よりも七センチほど低い背丈の少女。今までの夏服と違い、今はベージュ色のブレザーに紺系チェック柄のプリーツスカートを穿いている。昨日の今日でピカピカの冬服を受け取ったはずなのに、すでにスカートは短くなっていた。何ともお嬢様な事に、うすっぺら。い学生かばんほかに今日はバイオリンらしき楽器のケースまでたずさえている。
 上条はその顔を見るなりうんざりした顔で、
「これは、まぁ、あれだな。―――不幸だー」
「人の顔を見るなりその反応は何なのよ!!」
 ぎゃああ! とさわぐ美琴。ちなみに上条は午前中に吹寄制理ふきよせせいりから正拳せいけん及び頭、突きを受けている訳だが、不幸的インパクトはこち。らの方が強かったらしい。この超電磁砲レ ルガンと名のつく少女から雷撃らいげきやりだの何だの受け続けているのだから当然かもしれないが。
 上条はただでさえ薄っぺらい学生鞄を、いかにも重たそうに持ち直しながら、
「で、なんか用事でもあんのかお前? 手短にな。できれば歩きながらな。いっそもう帰って良いか?」
「ただでさえムカつく対応により一層の拍車がかかってるわね……」美琴はわずかに首を横に傾け、唇を邪悪にゆがめつつ、「っつか、今のアンタにそんな大それたクチを聞くだけの権利があるとでも思ってんのかしらー?」
「あん?」
 平べったい美琴の言葉に何やら邪悪な意思らしきものを感じ取った上条は、ゆっくりと彼女から距離ヱさトホリを取ろうとする。
 そこへ常盤台中学のエース、品行方正(でないと困る)なるお嬢様は腕を組んで一言、

ばつゲームよん♪」

 上条当麻とうままゆがピクリと動く。
 罰ゲーム、というのは九月一九日から七日間にわたって繰り広げられた、学園都市総出の大組模体育祭『大覇星祭だいはせいさい』で上条と美琴の間で取り決めを行った『け』にまつわるものだ。簡単に言って、順位の低かった方が相手の言う事を聞く、という内容である。
 能力開発の街である学園都市では、体育祭でそういった能力を使用する事も許可されていた。
そして常盤台中学の面々は数億ボルトもの高圧電流の槍や風速八〇メートルもの突風の壁などを用いて対戦校の生徒たちぎ払っていく、という自然災害みたいな戦法を取ってきたのだ。
 上条かみじようは高校生で美琴みことは中学生なのだが、そんな年齢差など大自然の脅威の前にはどうにでもなってしまい、三日目の直接対決などでボコボコにされてしまった訳である。その上、上条、土御門つちみかど姫紳ひめがみ吹寄ふきよせなどのメンバーは大覇星祭だいはせいさい初日のゴタゴタで怪我けがを負っていた。色々な事が重なって敗北した訳だ。総合的な順位も散々で、こんな状態で名門常盤台ときわだい中学をどうにかできるはずがなかった、
 しかし負けは負け。
 そんなこんなで、御坂みさか美琴の『ばつゲーム』発言は正統なる手順に従って放たれたものだったのだが、
「あれ? それってまだ有効だったっけっ?」
「一人で勝手に水に流してんじゃないわよアンタ!! とにかく本当に何でも聞いてもらうんだから! はん、今の今まで利子とかつけずに待ってただけでも美琴さんに感謝しなさいってのよ!!」
 やたら勝ち誇って胸を張る美琴。
 表通りの学生達が『何だ何だ?』という目を向けてくる。
 どうもこの過剰な反応には、『もっと早くにやっておきたかったけど上条が病院とかイタリアとかに行ってて放ったらかしにされていた分』の鬱憤うつぶんが良い感じに爆発しているのもあるようだ。利子あるじゃん、と彼はつぶやきかけたが、大人なのでだまっておく。
 上条はため息をいて、
「別にそういう話なら良いんだけどさ。おれにできる事なんてたかが知れてるぞ?」
「ふーん。そういう風に言ってごまかしちやうんだー?」
「いやそういう訳じゃなくてだな」
「そーよねー。アンタみたいな凡人じゃできる事なんて、た・か・が、知れてるもんねぇ? あら大丈夫だいじようぶよ、アンタと違ってとっても素晴らしい美琴さんはその辺もしっかり考慮こうりよしてるから。馬鹿ばかにできない事をたのむつもりはないし、凡人は凡人らしくヒーヒー頑張ったらー?」
「―――、」
 ビキィ!! と上条のこめかみから変な音が聞こえる。
 大体こんな調子になるとロクな結果を招かないのだが、それを冷静に確認できるほど上条当麻とうまは聡明なる優等生ではない。
「分かったよ」
 うつむき気味の上条の投げやりっぽい返事に、美琴は何故なぜかホッと安堵あんどの息をく。
 しかし。
 彼は突然、傭いた顔をグバァ!! と勢い良く上げて美琴の顔を正面から見据えると、腹の底に思い切り力を込めて一言、

「よろしい!! ならばこの愛玩奴隷上条当麻あいがんどれいかみじようとうまに何なりとお申し付けるがよい!!」

 人混みの動きがピタリと止まった。
 彼らは言った上条と言われた美琴みことを交互に見ながら、ヒソヒソと何か言葉を交わす。数秒ほど問を挟んで、ザザザザァァァ!! と上条と美琴の周辺から人垣が波のように引いていく。
「は……? なに、ドレ、ええッ!? 何言ってんのアンタ!!」
 それに負けず劣らず美琴の顔から血が引いていくのが分かったが、その程度で許しを与えるような甘い人間に育ったつもりはなかった。
 上条はうやうやしくその場にひざまずくと、うすっぺらい学生かばんの中からペラペラの下敷したじきを取り出し、全く茶化ちやかしたりせず、真剣そのものといった顔つきでゆるやかにあおぎ、
「基本はやっぱり快適な環境を整える事からですよねお嬢様じようさま。わたくし上条当麻はこういう事に不慣れですので色々手間をかけると思いますがどうぞひらにご容赦ようしやを」
「ちょ、馬鹿ばか!! アンタ色々とノリが良すぎるしスカートの下から思い切り扇ぐな!!」
 美琴は青くなっていた顔を早くも赤く染め直し、ただでさえ短いスカートを両手で押さえながら叫び返した。下はどうせ短パンだろうが気分的な問題があるらしい。
 と、その時、
「お姉様ぁーっ!!」
 若干じやつかん引き気味な人垣を突き崩すように、ツインテールのブレザー少女、白井黒子しらいくろこが勢い良く飛び込んできた。
「こ、これは……ッ!?」
 普段ふだんならそのまま美琴に抱き着くor両手を握るぐらいの事はしそうだが、今日に限っては美琴に接近する前にまるで見えない壁にぶつかったようにその上半身を大きくけ反らせる。目の前に広がる壮絶な光景にかなりの衝撃しようげきを受けているらしい。
「く、黒子?」
 公衆の面前で年上の男を足元にひれ伏させ、扇で風を送らせている(ように見えている)美琴は、引きつった顔で首だけ動かして自分の後輩を見る。
 しかし白井黒子はもとしのお姉様の声が聞こえていないようで、その小さな体をわなわなとふるわせていた。
 その視線は、ただ忠義ちゆうぎと化している(ように見えている)上条当麻にのみ注がれている。
 彼女は語る。
「な、なんといういさぎよい直球従属姿勢……。しかしその役目は本来わたくしだけのものだッ!!」
 白井のひとみの中にあるのは、羨望せんぼう嫉妬しつと、そしてわずかな尊敬の念だ。
「やめなさい馬鹿ども!! ふっ、二人して低頭してんじゃないわよ何の儀式ぎしきだこれ私はどこぞのカルト教団の教祖様かーっ!!」
 御坂美琴みさかみことは絶叫したが、上条当麻かみじようとうなは無心で下からあおぐ行為に余念がなく白井黒子しらいくろこは強敵の存在を改めて確認し、戦懐せんりつふるえを止められずにいた。

     6

 月詠小萌つくよみこもえは職員室でやつれた息をいた。
 身長一三五センチ、見た目は一二歳程度という外見からはあまりに不釣合いな疲労感だったが、それも無理はない。午前中に起きた生徒間の暴力沙汰ざた(そう、上条当麻の周辺では目立たないかもしれないが、普通の学校生活で考えれば結構大きなトラブルなのだ)もそうだが、そのほかにも原因はある。
 それはスチール製の机の上に散らばっていた。
 そこにあるのは安物の印刷物で、進路希望調査票、と書かれている。もっとも、一年の段階での調査は結構暖昧あいまいなもので、『将来どんな仕事に就きたいか』ぐらいのものでしかない。具体的な進学や就職、そして進学するならどこの学校のどんな学部を狙うのか、就職するならどこの企業へどんな手順でアタックするのか、といった話はもう少し先。の事だった。
 が、
「はぁぁぁー……」
 小萌先生は思わず頭を抱える。
 土御門元春つちみかどもとはるは『メイドの国へ行きたい。そしてクーデターを起こし、このオレが軍師になって薄幸はつこうメイドを女帝にする』とこの上なく真面目まじめな筆跡で書いていたし、青髪。ピアスは『モテたい』と調査票の枠からはみ出るぐらい大きな文字を、上条当麻などは『しあわせになれればなんでもいいです』と何だか涙をさそうような切実な願いを記していた。
(最近の若者は具体的な仕事への意欲が欠如しつつある傾向にある、って偉い人が言ってましたけど、これは何だかちょっぴり違う気がするのですー……)
 おそらく彼らは調査票を書く気がないから適当にシャーペンを走らせた訳ではなく、極めて本気で取り掛かっているのだろう、だからこそ色々と困る。
 そこヘジャージ姿の女教師、黄泉川愛穂よみかわあいほがやってきた。
「おっすー。センセ、気分転換は煙草タバコとお酒のどっちがいいじゃんよー?」
「勤務中のアルコールは禁止なのですよー……」
 いつもなら大声で反応して教師とは何かを説き始めるだろう月詠小萌だが、流石さすがに今日は少し疲れがまっているらしく、返事の起伏もうすい。
 黄泉川は小萌先生の机の上にザッと目を走らせつつ、
「じゃー煙草じゃんねー」
 小萌こもえ先生は黄泉川よみかわの差し出した煙草タバコの箱から一本引き抜くと、それを口にくわえ、
「あれ? 何やら高級感が漂ってくる口触りなのですよ?」
「そりゃあれだ、最近できた喫煙バーで手に入れたモンだから。一本七〇円の高級品ってヤツじゃんよ」
 禁煙エリアが拡大しつつある昨今、逆に喫煙専門の店舗を作る風潮も広まりつつあった。カクテルの代わりに世界各国の煙草をそろえたバーも珍しくない。一本七〇円どころか、南米産の葉巻などになると三〇〇〇円ぐらいのものまで揃っている。
 学校など大抵は全面禁煙がかれていそうなものだが、学園都市では意外に校内の喫煙が認められている場合が多い。これは学校の教師が様々な分野の研究者を兼ねているパターンが多。く、彼らの集中力をごっそり欠く事が学園都市全体の損益にかかわる、という統括理事会からの配慮はいりよだ。
 そんな訳で、喫煙申請を出した教師には小型の高性能空気清浄機が支給される。小萌先生はスチール机の引き出しを開けると、その中から煙草の箱を二つ積んだぐらいの機械を四つ取り出した。机の四隅にそれぞれ配置する。
 各々おのおのは一方向からの空気しか吸い込まない。しかし四つそれぞれが作動すると、まるで洗濯機せんたくき撹絆かくはんされるように机の上の空気が円状に動く。うすっぺらな紙切れ一枚動かない憾どの空気の流れだが、それが確実に煙草の煙を捕らえて吸い込み、フィルタを通して清潔な空気を吐き出すのだ。空気力学を応用した最新モデルであり、同時に無料支給できるほどコストを抑える事にも成功した、正真正銘しようしんしようめいの実用品だ。
「よっと」
 小萌先生は机の端に置いた空気清浄機のスイッチを入れる。
 緑色のジャージを身にまとった信じられないほどの巨乳教師、黄泉川愛穂あいほは自分も一本口に唖えると、小萌先生の机にあった小さなライターで火をけて、
「ベルギー産のレア物らしいけど……うえ。こりゃ失敗じゃん。駄目だめだ、私には細かい味は分かんないじゃんよ」
「黄泉川先生は一本一本を味わわないでバカ吸いしてるから鈍ってるんですー」
「一日に私の優に五倍は吸ってる『山盛り灰皿ホワイトスモーカー月詠つくよみセンセには言われたかないじゃーん」
 ぶはー、と二人して机の板の表面に吹きつけるように煙を吐く。
 机の上に当たった白っぽい煙はそのままあちこちに散らばるが、ちょうど机の縁の辺りで見えない壁にぶつかったように動きを止めると、ぐるぐると渦を巻いて机の四隅へ吸い込まれていく。
 空気清浄機の恩恵は『机の上』しかないため、椅子いすに座っている小萌先生はともかく、黄泉川の方はやや前屈まえかがみになって顔の位置を机の上に調節しなくてはならない。この辺がまだまだ改良の余地ありなのだった。
「また煙草タバコが値上がりするみたいなのですよー。先生はがっくりなのです」
「お菓子や漫画に比べりゃまだマシじゃんよ」
 学園都市の人口の八割は学生だ。大学生は除外されるにしても、喫煙、飲酒が許可されている人間はおどろくほど少ない。そういったものに税をかけても大した予算増にはならないのが現状だ。よって、子供が好きそうなものに課税されるのが学園都市の暗黙あんもくの了解だった。
 基本的にこの街は勉強をするための所であり、それに必要のない物品や嗜好品しこうひんについては税をかけても問題なし、という風潮がある。代わりに学園都市では一般的にりようの家賃や学食などが(学園都市の『試作品』という事もあるのだが)激安になるので結局プラマイゼロなのだった。まあ、学バスや教材などでもうけようとする学校もあるにはあるのだが。
「でも生徒さんたちの生活費は学園都市からの奨学金とか補助金。がほとんどじゃんよ。何だか回りくどいやり口な気もするけどねぇ」
「直接奨学金を減らすと言うとクレームが殺到するのですー。『煙草に課税する』のと『お給料を減らす』のでは、お金の行き先は一いつしよでも反応が全く違うのとおんなじですよー」
 そんなもんかね、と黄泉川よみかわはジャージのポケットから取り出した携帯灰皿の中に、煙草の先。端にまった灰をトントンと収める。
 と、黄泉川はそこで気づいた。
 小萌こもえ先生が唇の端に煙草をくわえてゆっくりと上下に振っている。
 今までなかったくせだ。
「ははあそれが例の喫煙神父効果ですか、月詠つくよみセンセ」
 ビクゥ!! と小萌先生の肩が大きく動いた。
 彼女は慌てて煙草を口の端から中央へと戻し、
「ちっ、違うのですよ? 黄泉川先生たら一体いきなり何を日走ってるのですか? 癖が移るとかそんな馬鹿ばかな事がある訳がないのですーっ!!」
「違うなら良いけど」
 完金ガードの姿勢を固める小萌先生に対し、黄泉川はあっさりと退いた。拍子抜け状態の小萌先生は、しかし逆にその表情が真笑を語ってしまっている。
 むぐぐ、と未だに警戒を続ける小萌先生に対し、黄泉川はもう一度煙を吐いてから、
「さて、と。それじゃそろそろ行くとしますか」
「あ、黄泉川先生の言っていた例の子達がそろそろ来るのですかー~」
「そういう事。ちょいと厄介やつかいな事情を抱えてんだけど、まあ、それぐらい馬鹿な方が私好みだし。私のクラスはそろいも揃って優等生ばっかだからつまんねーじゃんよ」
「っとっと! まだ煙草は長いのです、もうちょっとだけ吸わせてくださいなのですよーっ!」
 基本的に職員室以外は禁煙という現状をかんがみて、小萌先生は黄泉川の手をつかむ。
 数分後、フィルターのすぐ手前まできっちり吸いきった小萌先生はジャージ体育教師に連れて行かれる形で職員室を出た。

     7

 背後でタクシーが走り去っていくエンジン音が聞こえた。
 一方通行アクセラレータはそちらを見ない。
 横で打ち止めラストオーダーが何か言っているがそちらに視線も向けない。
 ただ、目の前に広がる不可思議な光景に目を奪われている。
 より詳しく言うと、ここはとある高校の校門近くだ。遠目に見てもごくごく普通の平均的な、突出した所は何もないだろうという感じがうかがえる鉄筋コンクリートの校舎があるのが分かる。
 しかし、それは問題ではない、
 一方通行アクセラレータが見ているのもそういった校舎ではない。
 彼の前に立っているのは、その高校で教師をやっているという二人の女性。
 一人は顔を知っている。
 長い髪を後ろで束ねた、緑のジャージを着た女だ。黄泉川愛穂よみかわあいほとかいう名前で、学園都市の警備員アンチスキルも務めている。子供に武器を向ける趣味しゆみはないとの事で、強能力者レベル3程度なら盾一つでたたきのめすというトンデモ体育系教師だった。
 彼女も問題ではない。
 一方通行アクセラレータ凝視ぎようししているのは、もう一人である、
「な、何なのですかー……?」
 月詠小萌つくよみこもえと名乗ったその女性だが……下手すると、またもやスポーツバッグの上で正座を始めている打ち止めラストオーダーよりも小柄だ。
 一方通行アクセラレータは少し考え、やたら背の低い女をチラリと一瞥いらべつして、
「何だこの説明不能な生き物は? どっから入り込ンできた」
「違うのですよ。先生は普通に大学を卒業して学園都市へやってきたのですー」
 ますます状況を混乱させる一言に、一方通行アクセラレータは思わず目を細める。
 それから、
「細胞の老化現象を抑える研究はもォ完成してたって訳かァ。クソッたれが、これが『実験』当時ささやかれていた『二五〇年法』の実態ってトコだな。世界の裏の裏まで知ったつもりでいたが、学園都市ってなァどこまで科学技術を先に進めちまってやがる……ッ!」
「え、ええと、そうでなくてですねー」
「あるいは研究は未完成で、この人はそれらを解析するために捕獲された生体サンプルなのかも、ってミサカはミサカは少々真剣な顔でお伝えしてみる。……可哀想かわいそうに、きっと実験だらけでもうこのままずーっと自由時間とかないんだ、ってミサカはミサカはハンカチ片手に語ってみたり」
「あのう! 何で先生は自己紹介しただけでそこまでシリアスな言葉を投げかけられなくてはならないのですか!? 黄泉川よみかわ先生も笑っていないで何とかしてくださいですよーっ!!」
 おろおろとするミニ教師に、ジャージ女は腹を抱えて笑っていた。ここまで一方通行達アクセラレータたちを連れてきた芳川桔梗よしかわききようも、まさかこんな同行者がついてくるとは思っていなかったのだろう。彼女も笑顔を浮かべているが、それはどちらかというと研究者だましいに火がき始めた少々危うい感じの表情だ。
 笑い続ける黄泉川は一方通行アクセラレータへと視線を移し、
「ってー訳で、これからはこの黄泉川先生が君達のお世話をするじゃんか。ま、部屋は余ってるしこっちは居候いそうろうができても問題なしじゃんよ」
「……あくまで暫定的ざんていてきだがな」
 一方通行アクセラレータのつまらなそうな声に対しても、『ごっ、誤解は解けたのですかー?』とか何とか言っている小萌こもえ先生の頭をぺしぺしたたきながら、黄泉川は笑っている。
「っつか、オマエはそれで良いのかよ?」一方通行アクセラレータは極めて普通の口調で言った。「おれを。取り巻く環境がどンなモンかは分かってンだよな。深夜に火炎瓶を放り込まれる程度だと思ってンなら考えが甘ェぞ。俺をかくまうってなァ、学園都市のみにくいクソ暗部を丸ごと相手にするよォなモンなンだからな」
「だからこそじゃんよ」
 黄泉川も、これに当たり前のように対応する。
「私の職業を忘れたか。警備員アンチスキルとしちゃそっちの方がやりやすいじゃんか。つっても、警備員アンチスキルの自宅へ馬鹿ばか正直に襲撃しゆうげきを仕掛ける連中は少ないと思うけどね。この街のやみは、私達から見えない位置で活動するのが基本じゃん。下手に宣戦布告すれば、どっちがつぶされるかなんて目に見えてんだし」
「……、」
 一方通行アクセラレータはわずかにだまって、黄泉川の言葉を吟味する。小萌先生だけが、『あれ? いつの闘にか切り替わったこの空気は何なのですか2』と周囲を見回していた。
「死ンでから文句を言うンじゃねェぞ」
大丈夫だいじようぶだよん」
「オマエの名前が『連中』のリストに登録される事だってあるかもしンねエ」
「その不良グループってのを更生させんのが私の仕事でね。助けるべきガキを怖がってたら最初の歩み寄りもできないじゃんよ」
 一方通行アクセラレータは舌打ちした、。
 打ち止めラストオーダーといいコイツといい、いつの問にか自分の周りにはこの手の馬鹿が増え始めている。
こういう場所にいると、彼は自分がすごく場違いな位置に一人で立たされているような気分にさせられる。
 苦いものをめている一方通行アクセラレータに、黄泉川よみかわはあまり大人の女性らしくない笑みを浮かべて、
「にしても、良かったよ。アンタは聞いてたより助けるのは簡単そうじゃん」
「本気で言ってンのか?」
 黄泉川が告げているのは、更生できるかどうかの話だろう。
 彼女が知っているよしもないが、一方通行アクセラレータはすでに一万人以上の人問をこの手で直接殺している。その事実を踏まえると、黄泉川の言葉がどれだけ噛み合わないかが分かるだろう。
 しかし。
 そんな事など気づかないまま、黄泉川愛穂あいほは続けて言葉を放った。
「だってそうじゃんよ。なんだかんだ言いながら、私と住む事になったって聞くと、チェックリストに一つ一つ印つけていって死角をつぶそうとしてんじゃん。どんな小さな穴でもふさいで、万に一っも実際に襲撃しゆうげきされないようにって。つまりそれって私たちを守る気まんまんなんでしょ?」
「―――、」
 一方通行アクセラレータ眉間みけんにしわを寄せた。
 だからこォいう現状を確かめらンねェ馬鹿ばかは手に負えねェンだ、と口の中でつぶやく。

     8

 御坂美琴みさかみこととは一回別れる事になった。
 理由は単純で、上条かみじようはおなかが減っているからであり、汗を吸った制服から私服に藩替えたかったからであり、自炊しないと余りに余ってしまった膨大ぼうだいな量のそうめんを処分できなかったからだ。
 乾燥状態のそうめんの賞味期限がどんなものかは知らないが、何となく気分的に今年のそうめんを来年までり越すのはけていきたい上条である。
 美琴は『たかがそうめんが何なのよーっ!』と叫んでいたが、上条の「じゃあ朝昼晩とそうめん漬けになってサラダ風パスタ風うどん風など創意工夫に明け暮れる日々を送ってみるか? 段ボールいっぱいのそうめん送り付けんぞコラ!!』というあまりの気迫にたじろぐ形で彼女からオッケーを得た。
 待ち合わせの時間までそんなに余裕がないため、上条は心なし早足で自分の学生りように向かう。
「くそう。この前のスーパーのセールでやけにそうめんが安かった時点でわなの可能性に気づいていれば良かった。値段の割にだれも手に取ってなかったのはこれが原因か……」
 溢まけにタイミング悪く、それだけのそうめんを仕入れた直後に、学園都市の外で生活している上条かみじよう夫妻からも『いやー福引きで当たっちゃってさー。当麻とうまも好きだうそうめん?』と膨大ぼうだいな童の乾燥麺類めんるいが送られてきている。この辺は毎度の事ながら、不幸の一言に尽きた。
 そんなこんなでりようの前まで帰ってくると、ちょうど土御門舞夏つちみかどまいかが出てきた所だった。ここは基本的には男子寮なのだが、彼女のようにメイド見習い少女が義理の兄の部屋を片付けに来たり上条の部屋に空腹少女が転がっていたりなど、近頃ちかごろは風紀の乱れが目立っている。
 この舞夏という少女、普段ふだんはドラム缶型の自律清掃ロボットの上にチョコンと正座している事が多いのだが、今日は普通に地面を歩いていた。
 前髪がメイド特有のフリルのついたカチューシャみたいなのに持ち上げられているため、おでこが大きく見えている。服装は紺色っぽい長袖ながそでのメイド服というとんでもない代物しろものだったが、これで一応学校の指定制服(冬服)という事らしい。
 彼女は家政学校に通っているのだ。
 上条はチョコチョコと小さな歩幅で歩いてくる舞夏を見て、
「ありゃ。お前、いつもの清掃ロボットはどうした訳?」
「うふー、あのゆったり速度を待っていられないほど今の私は機嫌が良いのだぞー」
 この女の子も姫神秋沙ひめがみあいさに負けず劣らず表情がつかみにくいのだが、今日に限っては顔を見るだけで喜怒哀楽の喜がズバァーッ!! と閃光せんこうを放っているのが分かる。何だ何だ何が起きたんだ? と上条が首をひねっていると、舞夏は自分の右手の甲を左のほおに当て、おっほっほー、とメイドらしからぬ高飛車たかびしやっぽい仕草をして、
「これだよこれこれー。カフスが上手りつよくいってだなー」
「かふす?」
「袖口って事だぞー」舞夏はニコニコと微笑ほはえみながら、「メイドってのは基本的に目立っちゃ駄目だめだからなー、あんまり派手派手な髪とかアクセサリーとかはまずいの。だから袖口とか襟元えりもととか、小さな所にこだわる事でこっそり個性を出してるんだぞー」
 ああそうなんだ、と上条は舞夏の手の辺りを改めて見る。
 袖の布地を手首の所で折り返したようなものだ。いつもとどう違うのか、上条には良さが理解できないが、ようは女の子が初めて支給された制服のスカートの丈を短くして喜んでいるようなものだろうか?
 舞夏はうっとりした顔で、柔らかそうなほっぺたに自分の袖をスリスリこずり付けると、
「はぁぁー……、。今期の『ガントリット』は本当に大成功なのだぞー。私は今とーっても気分が良いからちょっとしたお悩みぐらいは聞いてやってもよろしいー」
「そうか? なら莫大ばくだいに余ったそうめんの処分法が知りたい」
「茄でたそうめんを細かく切って、春巻きの具などに混ぜてしまうと意外に味は変わらないモンだー。手軽にボリュームアップできるしなー」
 舞夏は答えると、てててー、と小走りでどこかへ去ってしまう。その背中を見るだけで喜び光線があちこちに放出されていくのがうかがえた。
 上条かみじようはしばらくそちらを眺めていたが、
「……そりゃ味の濃いものにぶち込みゃどんなモンでも味は分からなくなっちまうだろうよ」
 結構投げやりな舞夏まいかの回答をボソッと寸評しつつ、ここにいても仕方がないので学生りようへ入る事にした。
 オンボロのエレベーターに乗って七階に着くと、後はぐの通路を歩けば、ズラリと並ぶドアに混じって上条の部屋がある。
 かぎを開けて中に入ると、空腹少女インデックスが床の真ん中でバタリと仰向けに倒れていた。どうせまたおなかが減っているのだろう。上条はうすっぺらいかばんをその辺に投げると、
「今日もそうめん」
「やだぁ!!」
 ズバン!! と真っ白な修道服を着た銀髪の少女は勢い良く起き上がった。彼女は緑色にかがやひとみに不満いっぱいの感情を乗せると、
「何でとうまはここの所ずっと日本製の麺類めんるいばっかりなの!? これ何の儀式ぎしき! 食という文化を応川した体内調節魔術まじゆつの一種なの!?」
 ぶーぶー文句を言っているインデックスだが、実際にそうめんが食卓に並ぶと結構美味しそうに平らげてしまうので大きな問題はない。ようはそうめん倦怠期けんたいきなのだ。倦怠と言ってもあくまで一時的なものであって、根本的な所では大好きだからこそ起こりえる心の動きなのである。
 上条はコクリとうなずくと、
「……恋愛って難しいな」
「とうま?」
 インデックスが不審人物を見るような目でこちらを窺っていたが上条は気にしない。
 ちなみにこの部屋にはもう一匹の居候いそうろうがいて、その三毛猫みけねこはベランダ近くの日向ひなたでポカポカした陽射ひざしを受けていた。ついこの間まで風通しの良い場所を選んで丸まっていたのだが、この辺りが季節の移り変わりといった所か。コイツはそうめんとか関係ないので呑気のんきなものだ。
近頃ちかごろは冬毛に変わりつつあるのか、あちこちに猫の毛が散らばっている。あと体のサイズが少しずつ大きくなってきている気がする。
 上条はユニットバスで着替えるための私服に手を伸ばしつつ、
「とにかく今日は舞夏から秘策を伝授したので早速実行です。目指せ春巻き風そうめん1」
「なら普通に春巻きで良いかも!?」
 インデックスが嘆きの声を放ったその時、不意にインターフォンが鳴った。
だれだろ?」
 上条がドアを開けると、そこにいたのは土御門元春つちみかどしとはるだ。
「おー、いたいたにゃー。カミやーん、悪いんだけどちょっと手伝ってくんねーかにゃー」
 その言葉に上条かみじようは警戒。し、
「な、何の手伝いだ? まさかまた国際規模魔術艦隊まじゆつかんたいを沈めて来いとかそういうヤツか?」
「カミやん……もうスムーズにそんな言葉が出てくるなんて……同情して良い?」土御門つちみかどは哀れむようにこち。らを見た後、「そーいうんじゃなくて、舞夏まいかがちょいと料理を作りすぎちまってにゃー。なんか一〇時間ぐらい煮込んだシチューをさっきなべごと持ってきたんだけど、そんなの食べきれないぜい。かと言って捨てちまうのももったいねーし、良かったら一緒いつしよに―――」
「―――喰らうーっ!!」
 叫んだのは上条ではなくインデックスで、その上一応の家主さんである少年を背後からはじき飛ばす形で急接近してきた。土御門の衣類に食べ物の匂いがわずかに残っているのか、今まで部屋でくつろいでいた三毛猫みけねこも小走りで近づいてくる。
 上条は文句の一つも言いたかったが、インデックスの尋常ではないノリを前に口は閉ざしておく事にした。賢明、の二文字が脳裏に浮かぶ。
 そんなこんなで一行いつこうはすぐとなりの土御門の部屋へ。
 全体的な間取りは、もちろん上条のものと全く同じだ。しかしジムにあるようなトレーニング機材があちこちに置いてあるだけで、随分と印象は変わってくるものだ。あと壁際かべぎわに本棚がニつあってその内の片方がメイドの出てくる漫画等で埋め尽くされた特殊空間コレクターフイールドと化しているが、そっちには触れないでおくのが友人の務めだと上条は思う。
「これだぜい」
 と言って、土御門が指差したのはテーブルの上。舞夏が今まさに持ってきた所なのか、料理人が使っていそうな銀色の寸胴すんどう鍋がそのままズドンと置いてある。もちろんあんな巨大な鍋を受け入れる鍋敷なべしきなど普通の寮生りようせいが持っている訳がないので、古新聞がテーブルに敷かれていた。
 土御門が鍋に近づき、カパッとふたを開けると、中にあったのはオレンジ色のシチューだ。
「ベースはニンジンらしいんだけど完壁かんぺきに煮崩してあるにゃー。その上から改めて具材になる野菜とかを放り込んだっつーとんでもないシチューだぜい」
「ニンジンっていうと結構甘いんじゃねーの?」
 匂いをいでみる限りではそんな感じだ。砂糖をそれほど使わず、野菜から出てくる甘みだけで味をつけているのかもしれない。
 とりあえず、底の浅い大川におたまでシチューを盛っていく。ジャガイモや豚肉などは大きめに切ってあった。野菜は結構な種類取り込まれていて、何だか健康飲料みたいに普通のご飯じゃ摂取しにくいような栄養までそろってしまいそうな充実っぷりだ。ちなみにタマネギが使われているため三毛猫には分けられなかった。『何だよそれ食べたい食べたいこれ食べたーい!!』とゴロゴロ転がる小動物に目を合わせられない。
 そんなこんなでお食事開始である。
 思いがけず食事が豪華になったのだが、そうめんどうしようと思わなくもない。
 上条かみじようは『いただきます』と言ってから、スプーン片手に土御門つちみかどの方を見て、
「でもお前も太っ腹だよなー。なんつーか、見習いっつっても舞夏まいかのレベルってそこらの料理店に匹敵するぐらいなんだろ?」
「にゃー。だからこそなんだぜい。そんだけ価値のあるものを食わずに駄目だめにしちまいましたなんつったらどうなんだよ。こんなに大量にあると流石さすがに一人ではきついにゃー」
「そんなモンか。でもこのシチューって保存がきそうだけどな」
 ピク、と土御門の動きがわずかに止まった。
 この男、基本的に外食だったり義理の妹に料理を作ってもらったりと、一人暮らしにあるまじき自炊ができない学生だったりする。だからこそその可能性を思いつかなかったのだろう。
 自炊派少年上条当麻とうまはさらに指摘する。
「あと、こんだけの量を舞夏が作ってくるって事は、アイッこれからしばらくお前の部屋には来れなくなっちまうんじゃねーの? だからお前が飢え死にしないように、栄養があって保存の利くものをいっぱい用意しておいたんじゃ―――」
 三毛猫みけねこが前脚を使って箱のようなものをペシペシとたたいていた。
 見ると、そこにあるのは保存用の密閉容器だ。メチャクチャ大きい。
「……、」
「……、」
「……、」
 上条当麻とインデックスと土御門元春もとはるはそれぞれ顔を見合わせる。
 土御門舞夏の大いなる優しさと、土御門元春の駄目っぷりを比較し、なおかつこの長期戦用シチューが奪われるとサングラス少年の未来にどれだけの影が差すかなども推測してみる。
 沈黙ちんもくする事およそ数秒。
 三毛猫が、みゃーと鳴いた。
 それを合図に、上条とインデックスはほぼ同時に、ガツガツガツガソバクバクバクムシャムシャーッ!! と勢い良くシチューを食べ始める。
 顔が青くなったのは土御門だ。
「ちょ!? カミやんストップストップ!! オレの思い違いだったこれはお前らには分けられないってか入の話を聞けよ義妹の料理はオレのものーっ!!」
「アッハー残念だがお預けなんて納得できるか!! っつか止めるんなら俺じゃなくてインデックスの方にするんだな!! 早くもアイツはおかわりタイムに突入だッ!!」
 にゃーっ!? と土御門が絶叫するがインデックスはもはや止まらない。ともすればなべごとがっついてしまいそうな勢いでスプーンが動く。
 なんというか、今日も平和だった。

   行間 一

 ロンドンのランベス宮とは、元々イギリス清教の最大主教アークビシヨツプの官邸として用意された建造物だ。現在は敷地しきち内が観光地として開放されているものの、いまだに建物の内部へ}般人が入るのは禁止されていて、一切の情報も封じられている。
 簡単に言えば、誰もその内部がどんなものかを知らない。
 歴史を感じさせる外観から想像するのが精一杯というなぞ魅惑みわくに包まれた空間であり、多少なりとも地位や権力といったものを意識するイギリス清教徒ならばゴール地点としてねらうに値する、玉座そのものと言っても過言ではない確かな『場所』だ。
 一般人にはあまり縁のない、それゆえ徹底てつていした非公開を不審がられないこの建物は、女王のいるバッキンガム宮殿以上の魔術的よじゆつてき防御もうが張り巡らせてある。要人警護に当たる者はおろか庭師や清掃係までもが極限の対侵入者用近接魔術を修得し、柱の配握から壁紙の模様、西洋ランプの光量に至るまでそのすベてが魔術的意味を持った単一のトラップとして機能する。やかたそのものが巨大な一つの装置である以上、『わなけて進む』といった通常の侵入方法が一切通用しないという、屁理屈へりくつをそのまま実現させたような設計思想を持っているのだ。聖職者、そしてアイアンメイデンからの皮肉として処女の寝室ネイルベツドルームとも呼ばれている。
 そのランベス宮も、現在は深夜の静寂に包まれていた。
 日本と英国ではおよそ九時間の時薙があるのだ。
 昼間に比べれば人員は減ったものの、実質的な警備レベルは格段に跳ね上がり、なおかつそれを誰にも勘付かせないという『見えざる厳戒態勢』の中、
 最大主教アークビシヨツプローラ=スチュアートはバスルームにいた。
「ふんふんふふんふんふんふーん♪」
 鼻歌だけが反響はんきようする、光に満ちたその空闇を見れば、ランベス宮にあこがれを抱き高貴なイメージを巡らせている連中は腰を抜かすかもしれない。
 バスルームと言っても、そこは二〇メートル四方ものサイズを誇る広大な空間だ。しかしそれに反して大浴場という形式ではなく、小型のユニットバスが何十にもわたってギッシリと配置されていた。
 しかもそれぞれの浴槽よくそうには『電気風呂ぶる』とか『マイナスイオン風呂』とか『ジェット水流マッサージ風呂』とか、とにもかくにも科学サイドの匂いがぷんぷん漂う機能ばかりがついている。
 それもそのはず、これらのお風呂は学園都市がお近づきの印として、割とお中元やお歳暮っぽくローラの元へ贈っている品々だったからだ。
 現在、ローラはベージュ色の修道服のスカートを両手で大きくめくって、ジェット水流風呂ぶろの縁に腰掛けて、足だけを浴槽よくそうに突っ込んでいる。
 足湯専用の洗面器みたいなお風呂もあるのだが、ローラはこのジェット水流を足に当てるのが気に入っているようだ。
 身長の二倍以上もある金髪は湯気を浴びて雨滴を受けた蜘蛛くもの糸のようになっているが、こちらは後で整え直すので問題はない。何はともあれまず足湯なのだった。
(んっんー……幸福に満たされたるのよー。さてさて、足をほぐしたら今度はあちらのビリビリ電気風呂で全身を温めて―――)
 そんな一日の体の疲れをほぐしていたローラ=スチュアートの元へ、
 いきなりノックもなく、ドアを蹴破けやぶるようにステイル=マグヌスが飛び込んできた。
最大主教アークビシヨツプ!!」
 赤く染めた髪を伸ばし、口には煙草タバコ、両手の一〇本指には銀の指輪、右目の下にはバーコードの刺青いれずみ、体からは香水とニコチンの混ざったにおいを発散させるトンデモ神父の叫びに、ローラはビクッ!! と全身をふるわせた。
 たかが足湯と言っても、彼女はスカートを大きくめくって生足を露出うしゆつしている所である。ローラは慌ててスカートを下ろそうとしたが、その急な動きのせいで腰が滑って、座っていた浴槽の縁から中へ盛大に転がった。
 ざっぱーん、と波がぶつかるような音が広がっていく。
 報告書を手にしているステイルは少しも気に留めない。
「この報告書に書かれている項目は本当なんですか!?また貴方あなたの間抜けスキルでも発揮したとかじゃないでしょうね。最大主教アークビシヨツプの一言は世界を動かす事もあるんですからしっかりし……水面下でぶくぶく言ってないで答えてください! これは貴方が書いたものなんでしょう!!」
 実はぶくぶく言っているのはジェット水流を顔に受けて苦しんでいるだけなのだが、ステイルから見ると浴槽へ落ちて足をM字に大きく広げたパンツ丸出しの女がハシャいでいるようにしか見えない。
 ローラはザバァ!! と勢い良く水面から顔を出すと、
「な、なななな何をいきなりレディの浴室に土足で足をみ入れたるのよステイル? あのその聖職者といえどもイヤ聖職者だからこそこういった場面を見られたるは―――」
「い・い・か・ら・答・え・ろ・よ!!」
「駄目よーステイル!! 炎剣を水面に刺すればお風呂が煮えちゃう!!」
 ローラは転がるように浴槽から脱出する。直後、煮えるどころか軽度の水蒸気爆発が起きた。
れた床の上でパクパクと口を開けて呼吸している最大主教アークビシヨツプは、長い長い髪がまゆのように全身にからみついて何ともモンスターっぽい。

 ステイルはこめかみに血管を浮かび上がらせ、
「良いからさっさと報告書の文面を再読し、詳細を説明してください。こっちは早く仕事を終わらせて就寝したいというのに、何でこう寂しい女の面倒見なくちゃならないんですか……?」
 しかしローラは人の話を聞いていない。
「ハッ!! 先ほどのお湯で修道服が肌に張り付きて淫靡いんびなる肢体があらわになりて? いけなし、あちらを向きてステイル! 私の肌着は何人なんぴとにも見せたるつもりはなしにつきのだから!!」
「……、」
 ブチリ、という小さな音が聞こえた。
 ステイルが煙草タバコのフィルターを千切ちぎった音だった。
「ま、待ていなのよステイル!? 炎剣をコかに刺すれば私が燃えちゃうーっ!!」
 逃げるローラを炎剣片手にステイルが追う。
 今日も眠れぬ夜となりそうだった。

   

chap3

第二章 罰ゲームはどんな味? Pair_Contract.

     1

 御坂美琴みさかみことはコンサートホール前の広場にいた。
 待ち合わせ場所である。
「……、来ない」
 あちこちで友人なり恋人なりが合流しては広場からはなれていく景色の中、一人だけポツンと待ち続けているのは結構しんどい。
 美琴の服装は常盤台ときわだい中学の制服のままだった。うすっぺらい学生かばんとバイオリンのケースを抱えている。遊びに行くのに邪魔じやまだが、りようまで持って掃るのはそれはそれで面倒なのだ。普段ふだんなら自由に出入りできるのだが、運悪く寮監とかに捕まるとしつこく外出目的を尋ねられる場合もある。
 なので、待ち合わせの時間に遅れないよう、えて寮に帰るのをやめて先に待ち合わせ場所へやってきたのだ。今ある荷物は近くにいるらしい白井黒子しらいくろこに取りに来てもらおうかなと考えて電話で連絡を入れておいたのだが、
「どっちも来ないってどういう事よ……?」
 美琴は呆然ぼうぜんつぶやく。
 本来は白井にさっさと荷物を押し付けたら時間までカフェでひまつぶしていようと考えていたのだが、そもそも大前提の白井すらやって来ないので、結果としてずっと立ちっ放しだ。
 遅刻しないようにあれこれ努力したのに、上条かみじようの方が遠慮えんりよなく遅れて来るのでは何のための配慮だったのだろう、とため息をく。
 かと言って、今から荷物を寮へ戻そうとしても、すでに待ち合わせの時間は過ぎているのだ。
ここを出た途端にすれ違いになるかもしれない。
 はぁ、と美琴は疲れたように肩を落として、
「よくよく考えたらあの馬鹿の番号知らないのよね。……でも、こっちから尋ねるのはしやくだわ」
 立っているのも疲れたので、その場でしゃがみこんで薄っぺらい学生鞄とバイオリンのケースを地面に置いた。鞄はもちろんケースの方はそれだけで骨董的こつとうてき価値がありそうだが、美琴はあまり気に留めていない。ケースはあくまでケースとして機能させるだけである。
 と、そんな疲労感漂うお嬢様じようさまに、
「いたいたいました! 御坂美琴さんですよね!」
 明るい少女の声が飛んできた。自分の名前を呼ばれた美琴みことは『おや?』という感じで顔を上げる。
 そこには美琴よりも小さな中学生が立っていた。黒くて短い髪の上に造花をいっぱい取り付けた、セーラー服の少女。確か、白井黒子しらいくろこと同じ風紀委員ジヤツジメントに所属していたと思う。美琴に直接話しかけてくるより、主に白井の周りをウロウロしている方が多いようだが。
「確か……初春飾利ういはるかざりさん、だっけ?」
「わあ、覚えててくれたんですね!」
 ひとみをキラキラさせる初春。
 それはまさに羨望せんぼう眼差まなざしそのものだ。が、彼女は実は美琴ではなく『あこがれの常盤台ときわだい中学の先輩さん』というおじ撫。櫨世界に憧れているだけなので、キラキラ具合は白井と少し方向性が違う。こちらはあくまで健全な尊敬である。
 初春は恐る恐るという感じで尋ねてくる。
「あのー、確か、白井さんが荷物を受け取りに来るという話だったと思うんですけど……」
 ん? と美琴はまゆをひそめる。
 初春は地面に置かれた学生かばんやバイオリンのケースを眺めて、
「ええとですね。白井さん巌襲尽の仕事を押し付け……いや一生懸命いつしようけんめい頑張っているので、ちょっと遅れそうなんです。本人はここへ来る気まんまんなんですけど、ちょっと時間的に無理っぽいので代わりに私がやってきましたー」
 そうなんだ、と美琴はうなずきかけたが、そこで固まった。
 白井は(誤解のない方向で)近しい人間だから遠慮えんりよなくたのみ事をできるのだが、こんないたいけな女の子に荷物運びなど任せられない。まして、初春は常盤台中学の人間ではない。りようの中には入れないのだから、必然的に荷物は『寮のだれかに受け渡し、部屋に運んでもらう』事になるだろう。
 それが寮監だったりしたら最悪だ。
 オトナの女性である寮監サマはおそらく初春にはニコニコの笑顔を向けて快く引き受けるだろうが、美琴が寮に帰ってきた時に待っているのは憤怒ふんぬ魔王まおうである。
 なので、美琴は気軽にパタパタと手を振って、
「黒子が来れないんだったら良いわよ。そこらのホテルのクロークにでも預けておくから。部屋さえ取っちゃえばそういう風に利用する事もできるし」
「はー、コインロッカーに預けない辺りは流石さすがですね」
初春はびくびくとした瞳でバイオリンのケースを眺めている。確かにそんなに高価なものなら自分みたいな一般人が触れるのは遠慮した方がいいのかも、と全身で訴えている。
 美琴はさらに手を振って、
「いやいやいや! 別に貴女あなた丁寧ていねいに運ぶか疑っているって訳じゃないから落ち込まなくても良いわよ!!」
「でも……」
 初春ういはるは冒葉をにごす。
 が、それ以上は続けず、彼女は話題を変えた。
「それにしても、常盤台ときわだい中学って本当にすごいんですねー。学校の授業でバイオリンを使うなんて普通じゃないですよ」
「そんなモンかしらね。使ってみるとそんなに難しいものでもないけど」
 美琴みこヒはバイオリンを眺める初春のひとみに、微妙に羨望せんぽうの光がある事に気づいて、
「ええと、もしかして……ウチの。中学にあこがれてるクチ?」
「いっ、いいえそんな! 滅相もないです!!」分かりやすいぐらいのうろたえ方だった。「私みたいな平々凡々な一般市民があんなお嬢様じよヒつみごまだらけの空間にみ込めるはずないですってば!!」
「いや、実力さえあれば金銭面はいくらでも補助が効くわよ。ウチの学校はうわつらより中身を優先する感じだからね。逆にどっかの王族の娘とかあっさり不合格にしたって話もあるし」
「そ、そんな王家も切っちゃうような超難関エリアじゃますます駄目だめですよー……。バイオリンとか触れた事もないですし。上手にけたら格好良いとは思いますけど」
「そりゃあ食わず嫌いだと思うんだけどなぁ」
 美琴は地両に置いたバイオリンのケースをつかむと、
「よし。何ならちょっとやってみるか」
「え!? かせてくれるんですか?」
貴女あなたが弾くのよ」
「ぶぇぇ!?」
 初春はギョッとした目で美琴の顔を見たが、常盤台中学のお嬢様は早くもケースの留め具を外し、骨董品こつとうひん特有の古びたかがやきを見せるバイオリン本体と、それを弾く弓を取り出している。
「ほい楽器」
「ぶっ!? な、投げないでくださいっ!!」
 値段が全く想像つかない一品を初春はおっかなびっくり受け取る。こわれるどころか汗がついただけで価値が下がるんじゃないだろうか、と固まっている初春。
 美琴は初春のとなりに立つと、適当な仕草でバイオリン各部を指差していく。
「じゃあ言った通りにやってみて。左手で本体を握って、そっちの棒みたいなのを右手に持ってくの。楽器のしりあご鎖骨きこつの辺りで挟んで固定してみ。安物だから力加減とかあんまり気にしなくて良いわよ」
 そうは言っても安物というのはお嬢様の価値感における安物なのだ。もうさっさとこの爆弾を美琴に押し返してここから逃げたい初春だったが、その拍子にボキッと楽器が折れたら色々と一生モノな気がして大胆な行動に移れない。 と、カチコチに固まって指一本動かせない初春ういはるに、美琴みこと怪誘けげんそうな目で、
「ごめんごめん。やっぱり口だけじゃ分からなかったかしら」
「え、ええ」
「じゃあ手を使って教えてあげよう。こうすんのよ」
「うええ!?」
 初春が叫び声を上げたのは、美琴がそっと初春の後ろから両腕を回して、バイオリンをつかんだからだ。まるで幼い子供に偉親が優しく教えるような格好である。
 不意の急接近にビキバキに凍りついた初春だが、彼女の背中に密箔している美琴は全く気づいていない。これは単なる偶然なのだが、まるで初春の耳元に息を吹きかけるような姿勢でレクチャーが始まる。
「左手の弦を押さえんのも大切だけど、まずは右手の弓の使い方よね。難しそうに見えるかもしれないけど、弦に対して正しい角度。でく事だけ覚えりゃ普通に音が出るから」
 初春の手に重ねるように合わせられた美琴のしっとりした手が動く。楽器を調律するような、細い一音だけが長く伸びた。
 ちなみに顔を赤くして目をくるくる回している初春は美琴の話などほとんど耳に入っていないが、美琴は美琴で完壁かんぺきに意識していない。白井しらいのような相手ではない限り、基本的に美琴は女の子に優しいのだ。

「左手の使い方によって奏法は変わっていくの。ピッチカート、グリッサンド、フラジョレット。まぁ色々あるんだけど、どれも難しくないし一つずつやってみましょうか。なに、こんなのすぐに慣れちゃうから大丈夫だいじようぶよ」
 初春ういはるの背中に人肌のぬくもりが伝わり、耳元には甘い息、両手の指はゆるやかに初春のそれを包み込んでいる。
(こっ、これが白井しらいさんがのめり込んでいるお嬢様じょうさま上下関係の全貌ぜんぼうだったのですね!!)
 と、ようやく美琴みことは初春がガチガチになっている事に気づいた。
 緊張きんちようをほぐすように彼女は言う。
「大丈夫よ。ここは大きな広場でパフォーマンスの規制も特にないから、楽器を使っても人から注意される心配はないし」
「い、いえ、そういう事では……って見せる行為パフオーマンス!? ひゃあ、いつの間にやら周りに人だかりができてるし、何だか注目の的になって―――」
 初春のギョッとした声は、途中で途切れた。

 何故なぜならば。
 その人混みの中に、壮絶な表情を浮かべている白井黒子くろこの顔を発見したからだ。
「ぎゃああああああああああああーっ!!」
 初春の肩がビクッとふるえる。
 腕に不自然な力が入り、ぎぎぎーっ! と楽器から嫌な音を出してしまう。
 それらを眺めていた白井は、人だかりの中心に立っている同僚に向かって念を放つ。
「(……ああそういう事ですの珍しく白井さんの荷物運びの用事を手伝ってあげますよとか殊勝しゆしような事を需っていると思ったらこんな裏がありましたのね油断もすきもないとはこの事ですわそもそもわたくしだってそんな美味おいしい目にった事はないというのにお姉様ったらー)」
 テレビの放送コードに引っかかりそうな顔だった。
 冷や汗をダラダラかいている初春飾利かざりだったが、やっぱり御坂みさか美琴は気づいていない。
「どうしたの?」
「いっ、いえ何でも!!」
「不審者がじっと見てるとか?」
「不審とか言っちゃ駄目ですっ!!」
 初春はほとんど涙目で語ったが、美琴は最後まで白井の存在を考えもしなかった。

     2

 待ち合わせの時間は午後一時だった。
「すでに一時三〇分ってどういう事なのよーっ!!」
 第七学区ではそこそこ目立つコンサートホール前の広場で、ポツンと一人で立っていた御坂美琴みさかみことの絶叫がひびき渡る。上条かみじようは両手を合わせて頭を下げながら全力で駆け寄った。
「やーすみませんでしたーっ!!」
 実を言うと土御門元春つらみかどもとはると食糧問題を巡って軽いなぐり合いになっていたから遅れたのだが、こういう時は下手な言い訳はしないで素直に謝った方が吉である。
 美琴は美琴で腕を組み、右足の爪先つまさきでトントンと小さく地面をたたきつつ、前髪からパチパチと青白い火花を散らせていた。
「私はばつゲームをけた戦いの勝者なのに、どうしてアンタの事情に振り回されなくちゃならないのかしら。かれこれ一時間もボケーッと突っ立たされたさらし者の気持ちがアンタに分かる? 待ってる途中で変な男どもに声かけられるし、いちいち雷撃でんげきやり丁寧ていねいに追い払うのもとっても面倒臭かったのよー?」
「やーやーっ! 本当にごめんですよ!」
 実質的には内容ゼロな会話を続けてやり過ごそうとしていた上条だったが、その時ふと彼は美琴の台詞せりふに違和感を覚えた。
「って、あれ? 待ち合わせの時間って一時だったよな」
「……アンタ、まさかそれすらスルーしてたとかっていう話じゃないでしょうね」
「そうじゃなくて。一時間前から待ってたって事は、お前って待ち合わせの三〇分も前からここにいたの? そりゃ、まあ、悪かったな」
 ビクッ!! と美琴は肩をふるわせて目を丸くする。
 彼女は組んでいた両手を解いて、わたわたとてのひらを振ると、
「違っ……ば、馬鹿ばかね。大雑把おおざつぼに言ってるだけで、別にきっちり六〇分前からここにいた訳じゃないわよ。な、何で勝負に勝った私がアンタを待つ側に回ら。なくちゃならないの? 勝手に変な想像膨らましてニヤニヤしないで欲しいわね」
「お前……」
 上条は思わずという感じで言葉を出す。
 おろおろとしている中学生の女の子の顔を正面から見据えて、
「……そんなに罰ゲームで俺が苦しむ顔を見るのが楽しみだったのか。前々から思ってたけど、お前って実は結構陰険いんけんなんじゃ―――」
 言い終わる前に美琴の前髪から雷撃の槍が飛んだ。
 上条かみじようはとっさにかざした右手でその一撃いちげきはじき飛ばす。ズバチィッ!! という強烈な炸裂音さくれつおんを聞く限り、おそらく電圧は億の単位に達しているものと思われる。
 彼の右手には幻想殺しイマジンブレイカーという力があり、魔術まじゆつだろうが超能力だろうがどんな異能の力であっても触れただけで打ち消す効果を持つ。
 それでも怖いものは陥いのだ。
 上条はぶるぶるとふろえながら、一言。
「……、図星?」
 もう一度雷撃のやりが飛んできた。
 ドバン!! という大音響だいおんきように、コンサートホール前広場に集まっていたカップルたちが『おわあ!!』と叫んで逃げ出した。ましてそれをギリギリで受け止めた上条はちょっと涙目である。「何ですか!? 御坂みさかさんは一体どのような言葉をご所望なのですか!!」
「良いからさっさと行くわよ」美琴みことはひくひくと唇の端を震わせ、首をわずかに横に傾けつつボソッと、「……あの時負けた分際で人間様に楯突たてついてんじゃないわよクソッたれが」
「この常盤台ときわだい中学のお嬢様じようさまがなんか変ですよ!!」
 上条は絶叫したが、何だかとっても不機嫌な美琴はあんまりリアクションをしてくれない、コイツは先が思いやられそうだ、と彼はボリボリと頭をいて、
「で、御坂。具体的にばつゲームって何やんの。さっさと行くって言ってたけど、これからどっかに場所を移すのか?」
 それを聞いた途端。
 う? と美琴はややキョトンとした顔になった。
 彼女はこちらを見る。
 上条はあきれたように、
「……お前、まさか何にも考えてなかったんじゃ」
「かっ、考えてるわよ!! ええと、あの、その、アレよ! 大覇星祭だいはせいさいで勝つために使った労力分は返してもらうんだから!!」
「つまり実質的には何にも考えてなかったんだな」
「人の話を聞きなさいよ!!」
「自分から言い出したんだからプランはそっちで考えておけって。っつか、自分が受ける罰ゲームの予定をおれが練る訳ないってのは最初から分かってんだろ。ったく馬鹿ばかだなー」
「……、」
 美琴はややだまった、それから改めて上条の顔を見直す。
「えと、御坂―――ううっ!?」
 いつまでも沈黙ちんもくしている彼女に話しかけた上条は、そこで思わず後ろへ下がりかけた。
 理由は単純。
 お嬢様じようさまの目が据わっていたからだ。
 上条かみじようはとても嫌な予感がした。
「アンタはばつゲームで何でも言う事を聞くのよね?」
「いやその! 何でもと言ってもできる範囲というものがありましてね!!」
「聞・く・の・よ・ね?」
「―――、」
「ついて来なさい」
「どこへ!?」
 上条は絶叫したが、美琴みことは彼の手をガシィ!! とつかんではなさない。そのままズルズルとコンサートホール前広場から遠ざかっていく。
 彼女は言う。
だまってついて来なさいっつってんのよ! それが最初の罰ゲーム!!」
「最初!? 罰ゲームって一つじゃねーの!?」
 何やら顔が真っ青になっている上条当麻とうまと、お怒りで顔を真っ赤にしている御坂みさか美琴。
 ひそかに手と手をつないで街を歩いている状態なのだが、幸か不幸か二人とも全く自覚がなかった。

     3

 一方通行アクセラレータが見上げているのは、教職員向けに建てられたマンションだ。
 学園都市の住居は基本的に学生りようばかりで、こういったマンションなりアパートなりといった施設は生徒にあまり縁がない。
 建物の外観だけを見れば学生寮もマンションもそう大した違いはないのだが、サービス面に細かな違いがあり、それらが積み重なって個性となっていた。なんだかんだ言っても学生寮は『子供を管理する建物』である。寮はセキュリティという大義名分の下、防犯カメラの位置などに遠慮えんりよがないのが特徴的だが、このマンションにはある程度の配慮がされていた。
「何階だ?」
 一方通行アクセラレータが尋ねると、ここまで案内してきた黄泉川愛穂よみかわあいほが笑いながら答えた。
「一三階。停電になると階段使うの苦しいじゃんよー」
 おー、と背の高い建物を見上げて声を出しているのは打ち止めラストオーダーだ。彼女はくだんの一三階を眺めようとしたらしいが、途中で太陽を直接見てしまってくらくらと頭を振った。
 その小さな肩を背後から支えたのが芳川桔梗よしかわききようだ。
「まぁ、一階や二階に比べれば襲撃しゆうげきの機会は減るんじゃないかしら」
「……建物ごと吹っ飛ばされる場合は上の階の方が被害はデケェンだけどな」
 一方通行アクセラレータりよう生活をしていたころ流石さすがにそこまでやられなかったが、別にこれからもそうだと保障された訳ではない。
 黄泉川よみかわは出入り口のオートロックで使うのだろう、ラミネート加工のカードを取り出しつつ言った。
「さてさて。ちょっと遅めになるけどお昼も食べなくちゃいけないし、とっとと部屋に入るとしようじゃん」
 マンションの出入り口は一見開放的なガラスの自動ドアだが、耐爆仕様になっているのがうかがえる。カードを通すだけのロック機構も、実質的にはカードを握る指先から指紋や生体電気信号パターンなどのデータもやり取りしているようだ。
 いわゆる高級マンションなのかもしれない、と思った一方通行アクセラレータ胡散臭うさんくさい目で黄泉川を見て、「公務員の給料ってのは削減する方向じゃなかったンかよ?」
「結構安月給でも何とかなるものじゃん。これも建築方面の実地試験を兼ねた『施設』だから、家賃のいくらかは大学側が出してるじゃんよ。代わりに、セキュリティの方式なんかがいきなり変更されたりもするんだけどね」
 それに、と黄泉川は付け加えて、
警備員アンチスキルって基禾的にボランティアだから無給なんだけどさ、あっちこっちで案外善意のサービスしてくれたりするじゃんよ。スーパーのお肉が安くなったりとかね」
「……マンションの家賃と特売日が同じ扱いなのかよ」
 そんなこんなで、一方通行アクセラレータ打ち止めラストオーダー、黄泉川、芳川よしかわの四人はマンションの中へと入る。ちなみに小萌こもえ先生は別の用事があるとかで今はここにいない。
 おそらくこれも試作品の一つなのだろう、低振動エレベーターに乗って浮遊感も覚えずに一三階まで辿たどり着くと、すぐそこのドアが黄泉川の部屋だった。
「どうぞー」
 と黄泉川が玄関のドアを開けると、そこに待っているのは4LDK。どう考えても家族向けで、なおかつ一生をかけてローンを払い続ける規模の部屋だ。実験協力として大学側がある程度の額を免除しているとはいえ、本当に公務員の安月給で何とかなるのだろうか?
 ピカピカにみがかれたフローリングのリビングは、一人暮らしというイメージに反して小綺麗こぎれいに整えられていた。お酒のビンやグラスなどが棚の中に飾られていて、雑誌や新聞なども専川のラックに収められている、テレビ、エアコン、コンポ、録画デッキなどのリモコンはテープルの角に並べて置いてあった。ソファの上のクッション一つ一つまで丁寧ていねいに位置取りしてある。 打ち止めラストオーダーは目を丸くして、
「すごいすごい、ホコリもほとんどないかも、ってミサカはミサカはソファの上に飛び込みながらめてみたり」
 柔らかいソファに沈む打ち止めラストオーダーの明るい声に反して、芳川よしかわあきれたように息をいて、
「……貴女あなた、また勤め先で始末書を書かされたのね」
 ギクリ、と黄泉川よみかわのジャージ姿が大きく揺れた。
「あ、あはは。何の事じゃーん?」
「どういう意味? ってミサカはミサカはゴロゴロしながら首をかしげてみる」
「彼女は昔っから問題が起きると部屋の整理整頓せいとんを始めるような人間だったというだけよ。しかも後先考えずにとりあえず片付けまくるから、後になって部屋のかぎが見つからないとかいう事態にもなるの、気をつけておきなさい」
「それが次の仕事先を一緒いつしよに探してやっている恩人に対する言葉じゃんかよー?」
 黄菓川と芳川は、どうも二人で話す時だけは若干じやつかんながら言動がガキっぽくなるような気がする、と一方通行アクセラレータは思った。あるいは、それぐらい昔からの付き合いがあるのかもしれない。芳川が面倒見の良い委員長役なら、黄泉川はいつも遅刻ばかりする問題児役だろう。
 芳川は、さらにリビングからつながっているキッチンの方へ目をやると、
「そのくせが抜けてないって事は、台所の方の癖も相変わらずみたいね」
「おいおーい! 整理整頓の悪癖あくへきは認めるけどそっちを指摘されるのはしやくじゃんよーっ! 桔梗ききようだって私が出した料理は美味うまそうにバクバク食ってたじゃんか」
「作り方さえ知らなければね」
『?』と顔を見合わせる一方通行アクセラレータ打ち止めラストオーダー。黄泉川が『私の腕は日々進歩してるんだ。だったらその目で確かめてみーっ!』と芳川を連れてキッチンへ行ってしまったため、彼らもその後に続く。
『実験の協力』という名目の通り、黄泉川宅のキッチンには様々な調理器具が並んでいた。水蒸気を利用したスチーム電子レンジや、AI搭載の高周波式全自動食器洗い機などなど、何だかメカメカしいものばかり集結している。
 が、黄泉川はそういったものをあまり使わないらしい。
 そのまま放って置かれていますと宣言しているような未使用感あふれる調理器具よりも一際ひときわ目立つのは、四台五台とゴロゴロ置いてある電子炊飯器だ。シューシューと湯気が出ている所を見ると、すべ稼動かどう状態にあるらしい、、
 一方通行アクセラレータはうんざりした顔で、
「……一人一台か。フザけてンのか白米マニア」
「いやいや違う違うそうじゃないじゃんよ」黄泉川は炊飯器を一つずつ指差して、「炊飯器ってのは炊く、煮る、蒸す、焼くと何でもありじゃんか。だから、こっちのがパンを焼いてて、そっちのがシチューを煮込んでて、あっちのが白身魚を蒸してんの」
「……、」
 何となく、芳川の言いたい事が分かっていた。
 すでにそんな状態を知っている芳川よしかわは、相変わらずの光景にため息をついて、
「ナマケモノ」
「変な動物みたいな寸評はやめて欲しいじゃんよ。そんなに悪いものかなあ。これ準備さえしておけばボタン一つで勝手に料理してくれるし、火を使わないから昼寝してても全然問題ないっていう優れものなのに……」
貴女あなたは昔から小麦粉があればどんな残り物でもお好み焼きにできるとか言って大型ホットプレートを買ってきたり、圧力なべさえあれば一生分の献立を作れるからもうほかには何もいらないとか寝言をわめいたり……何にしても極端過ぎるのよ。足して二で割ったら反物質、反応が起きるぐらいにね 
「ちやんと味と栄養と満腹感は得ているんだから問題ないじゃんよー。寸胴鍋ずんどうなべとかフライパンとかあれこれそろえるのは面倒だし。何でもできる万能の一品が欲しいじゃんか」
「はぁ。貴女は一度、苦労して作る楽しみを覚えた方が良いわね」
 と芳川はさとすのだが、かく言う彼女の専攻は遺伝子分野であって、作っていたものは二万強ものクローン人間だったりする事を考えると、あんまり笑えないコメントなのだった。

     4

 美琴みことはバイオリンをクロークに預けると、上条を地下街へ引きずってきた。
 九月一日にイギリスからやってきた魔術師まじゆつしシェリー=クロムウェルと、彼女の操るゴーレム『エリス』によって結構な被害が出た場所だが、今ではもう破壊はかい爪痕つめあとは見当たらない。砕かれた床や柱は補修され、喫茶店のウィンドウなども新しいものと取り替えられていた。よほど顔を近づけてじっくりと見ない限り、違いは分からないだろう。
 こんな急ピッチで工事が行われたのは、その後に控えていた大覇星祭だいはせいさい影響えいきようもあったのだろう、開催目的の半分近くが学園都市のイメージアップを図った誘導宣伝プロパガンダというぐらいなのだから、街がこわれていては話にならないのだ(とは言っても、結局当日に壊されまくったが)。
 地下とはいうが暗いイメージはなく、ピカピカにみがき上げられた床や壁を、蛍光灯や発光ダイオードを束ねたLED電球が真昼のように照らし出している、。通路に面した喫茶店や洋服店などはガラスをふんだんに利用していて、実際の而積以上の開放感を演出していた。
 上条かみじようは周囲を見回して、
「おー。そろそろ冷房も弱くなってきてんなー」
「あと二週間もしたら暖房に切り替わるでしょうよ」美琴はてくてくと前を歩きながら、「あったあった。こっちよ」
 彼女は細い指で店舗の一つを指差す。
 ここは地下という特性を生かして、ゲームセンターやカラオケボックス、ライブハウスなど騒音そうおん問題の出てきそうな娯楽施設が多。い。なので上条かみじようは『超難解なゲームをワンコインでクリアせよ。さもなくば土下座どげざ』とかとんでもない要求が出てくるかと思っていたのだが……そういった上条の予測は大きく外れた。
 携帯電話のサービス店である。
 サイズとしてはコンビニの半分ぐらいしかなく、大きなガラスウィンドウ越しには横一線に並べられたカウンターと椅子いす、後はマガジンラックに収まったうすっぺらい機種カタログぐらいしかない。入口の前に置いてある宣伝用の縦長ののぼりには大手メーカーの物と学園都市オリジナルの物が分けてあった。
 学園都市は、外に比べると科学技術が二、三〇年進んでいるとされている。外と中、互いの機種も一長一短ではあるのだが、緊急時きんきゆうじにはどちらのサービスが先に復帰するか分からなかったりするので、何を選ぶかで一週間以上悩みまくる学生もいるそうだ。
 美琴みことはサービス店へと足を向けながら、
「アンタ、『ハンディアンテナサービス』って知ってる?」
「ん? あれだっけ。個人個人の携帯電話がアンテナ基地代わりになるってサービスだよな。近くにアンテナ基地がなくても通話できるようになるとかってヤツ」
 ようは、街中で携帯電話を持ち歩いている人全員が中継アンテナになるのだ。例えば上条の近くにアンテナ基地がなくても、人物一、人物二、人物三……と中継アンテナをつないでいき、最終的に人物Xの近くに本来の設概型アンテナ基地があればそのまま通話ができる。実際には複数の人問を伝い、あみの目のように通信ルートを構築するので、そうそう簡単に断線する事もないそうだ。元々は震災下しんさいかで地上の通信基地が全滅した際、数の少ない飛行船に設罵型アンテナを付けて飛ばし、臨峙の空中通信ざり つを整備するために開発されたものらしい。そのため、音質などにあまり気を配っていない節もあるのだそうだ。
 プラスの話題としては、大学側がテスト運用として補助金を出すため、サービス料金がメチャクチャ安くなるとかいう話も出ている。
「私さ、あれに登録してみようかと思ってんのよ」
「えー。でもあの激マイナーな制度って、利用者みんなが携帯電話の電源を常にオンにして持ち歩いてないと中継アンテナ効果は期待できないんだよな。そのせいでバッテリーの減りがメチャクチャ早いんじゃなかったっけ? それ以前にサービス加入人数が少ないと何の意味もないって話じゃ……」
「だからそのサービスを普及するためにも加入するっつってんでしょうが。ペア契約にしちやえば『ハンディアンテナ』だけじゃなくて、その他の通話料金も随分安くなるみたいだしね」
「ペア契約って……あれだよな。確かあらかじめ登録しておいた二人の間だけ、通話料とかパケット代がかからないとかっていうヤツ?」
「そうそう。で、さらに今『ハンディアンテナサービス』とペア契約をセットで受けるとラヴリーミトンのゲコ太ストラップがもらえるのね。カエルのマスコット」
「……、オイ」
「即ゲット。だから一緒いつしよに契約しなさい」
「ようはストラップ目当てかよ!? 機種変するとかって言うなら絶対にアウトだぞ! こっちはボロボロケータイをあと半年は使い続けるつもりでいるんだ!!」
 そして上条かみじようはブレザー姿の美琴みことが持っている学生かばんを指差す。そこにぶら下がった緑色のカエルのマスコットをにらみつつ、
「大体カエルならもう持ってんだろ!」
「ゲコ太とこの子を一緒にすんなッ!!」ぎゃーっ!! と美琴は叫び、「ゲコ太はこの子のとなりに住んでるおじさんで乗り物に弱くてゲコゲコしちゃうからゲコ太って呼ばれてんのよ! こんな簡単な違いが分からないほどアンタおっさんだった訳!?」
「……そのゲコ太おじさんのキャラ付けは本当にラヴリーなのか?」
 上条はげっそりした口調でつぶやいたが、美琴は旬の話題についてこれない年輩者をさげすんだ目で見ているだけだ。どうも少し幻滅しているらしい。
「ふん。機種変の心配ならしなくても良いわ。『ハンディアンテナ』は元々本体を換えるんじゃなくて追加拡張チップを差し込むだけでオッケーって話だし、ペア契約の方もあそこの会社のサービスなら全部対応してるから、機種変が必要なんて事はないと思うわ。アンタのケータイは別にいじらなくても構わないはずだけど」
「何だ。ようはこっちの番号とアドレスを書類に書き込めば良いだけじゃんか」
「そりゃそうなんだけど」美琴は学生鞄についている小さなカエルを指先でムミムミ押しながら、「一緒にお店に行ったりいっぱい書類を書いたり何時間も待たされたりするからさー、その辺の融通ゆうずうく人じゃないと協力してもらうのは難しいのよね。ま、半日はかからないだろうし、ちょっと我慢してもらうわよ」
 んー、と上条はお店ののぼりを見ながら少し考え事をする。
 男女のペアじゃないと駄目だめだからここまで呼ばれたのか、と思う一方、
「? どうしたのよ」
「いや登録に付き合うだけなら良いんだけどな。このペア契約ってさ、そもそも普通は恋人とかで交わすものなんじゃねーの? 男女限定とか書いてあるし」
「……ッ!?」
 ビクゥ!! と美琴の肩が大きく動いた。
 彼女は鞄についているカエルマスコットをムミューッ!! と握りつつ、
「い、いいいいや馬鹿ばか違うわよナニ口走ってんのアンタ! べっ、別に男女って書いてあるだけで恋人同士じゃなきゃいけないとかって決まりはないじゃないそうよ例えば夫婦だって問題ないでしょうが!!」
「もしもし。恋人よりも重たくなってますよ御坂みさかさん」
 冷静に突っ込んだつもりだったが直後に雷撃らいげきやりが飛んできた。上条かみじよう美琴みことの前髪から飛んできた一撃を慌てて右手ではじき飛ばす。
「さっきから何なんだお前!!」
「あ、アンタの方が訳分かんないじゃない! ほら、良いからさっさと済ませるわよ!!」
「ええっ、本当に行くのかよ!?」
「良いから、ばつゲームだっつってんだから文句を言わずについて来なさいッ!!」
 美琴は上条の腕をつかんでズルズルとサービス店の中に入る。
 地下街通路に比べると、店内はもう少し冷房が丁寧ていねいだった。意味不明な表現だなと上条は思うが、何というか送風ルートなどを十分に計算してあるため、肌寒さは感じないのに汗は引いていくという絶妙な加減なのだ。
 カウンターの前に座っていた店員のお姉さんは、引きずられる上条と引きずってきた美琴の形相にやや笑みが崩れかけていたが、それでも対応マニュアルは忘れなかった。
 この馬鹿とペア契約を登録したい、ゲコ太のストラップはまだ余っているかなどのやり取りを行った後に、店員さんはたくさんの書類をカウンターの上にそろえつつこう言った。
「書類の作成にあたって写真が必要なんですが、お持ちでしようか」
 ん? と美琴は目を丸くして、さらに尋ねる。
「そこらの証明写真用のボックスで大丈夫だいじようぶですか? あと、写真の枚数とかサイズの指定とかってあるんですか」
「いえいえ。そんなにお堅いものではなくてですね」店員さんはニコニコ笑って、「これはペア契約でして、登録に当たって『このお二方はペアである』事を証明して欲しいだけなんです。なので、お二人がツーショットで写っているものであれば、携帯電話のカメラでも大丈夫です。今ならペアの写真立て型の充電器クレイドルを用意するのでそちらにも使用させていただきます。四社共通の規格のものですので、形式番号は気にせずにご利用できますよ」
 ぶっ!? と美琴は危うく噴き出しかけた。
「……つ、つーしょっと?」
「あら。そういうのはあまりやられませんか? なら、この機会にぜひいかがでしよう。登録完了の二〇分前に写真をお渡ししていただければ結構ですので、待ち時間などを利用して撮影していただけると助かります」
 そんなこんなでいっぱいある書類にボールペンを走らせると、上条と美琴は一度サービス店の外へ出た。問題の写真撮影である。
 上条かみじよう魔術師まじゆつしとの戦いで傷ついたりアドリア海に落ちたりした、割と頑丈な携帯電話を取り出すと、
「証明写真のボックス探すの面倒だし、携帯のカメラでさっさと済ますか。御坂みさか、お前ってほかにデジカメとか持ってないよな」
「え? ええ、まぁ、私の携帯電話はカウンターに預けちゃったし」
 どこか上の空な感じの美琴みことだったが、上条は気づかない。画面を見ながら親指でボタンを操作してカメラのモードに切り替えると、腕を伸ばしてできるだけ遠くに携帯電話を押しやる。
 彼は画面を見ながら、
「じゃあ撮るぞー……って」
「な、何よ?」
 うろたえた声を出す美琴に、上条は嫌そうな顔をした。
 いつの間にか、美琴が若干じやつかん遠くにいる。さっさとパノラマモードにでもして写したら? 私つまらないんだけど、とでも言いたげな感じである。
 美琴の逃げ腰な様子に、上条は肩を落として、
「……一応確認するけどさ、これってお前から言い出した事だよな」
「わっ、分かってるわよ!!」
 実は美琴の顔はちょっと赤くなって学生かばんを握る両手がそわそわと動いていたのだが、上条にはあんまり好意的に映らなかったようだ。
 美琴は上条に近づくかはなれるかを逡巡しゆんじゆんした後、やがてヤケクソ気味に、
「~~ッ! 待ってなさいよゲコ太!!」
 ぐいっと上条の肩にぶつかるように、彼女は一息で急接近した。肩と肩をこすり、美琴は首をわずかにかしげて、上条の肩に頭を置いた。携帯電話の。画面の中にキチンと二人の顔が収まる。
 一方、何もそこまで近づかなくても良いのでは、と患い始めた上条は、こちらもこちらで美琴の髪のにおいなどに少し体を強張こわばらせつつ、
「と、撮るぞー」
「オッケー、いつでもきやがれ!!」
 ばちーん、とわざとらしい電子音と共にシャッターが切られる。
 上条は遠ざけていた携帯電話を近くへ戻し、今撮った写真を表示してみた。
 ……。
「顔が引きつってんぞ御坂」
「何でアンタは私から遠ざかるように目をらしてんのよ」
 上条と美琴は顔を見合わせて、
「これはペアではないと思う」
「も、もう一回撮ってみましょうか」
 ばちーん、という電子音が再び鳴る。
 上条かみじよう美琴みことは山面をのぞき込んで、
「だから何で表情が固まってんだよ御坂みさか!!」
「アンタはどうして重心を私から遠ざける訳!?」
 ふーっ!! と上条と美琴はおでことおでこがぶつかるぐらいの距離きよりにらみ合っていたが、このままではいつまでっても終わらない、最悪、『申し訳ありません。写真がないと登録はキヤンセルされちゃうんですよー』とかいう展開になったら今までの時間と労力がすべ無駄むだになる。上条たちも困るが店員さんだっていい迷惑だろう。
 なので、上条はややヤケクソになって、
「とにかくツーショットってな恋人っぽい感じで撮りゃ良いんだろ! 御坂こっち来い! こうしてやるーっ!!」
「え、なに? きゃあ!!」
 ガシイッ!! と細い肩に腕を回された美琴の顔が急激に真っ赤に染まっていく。
 自暴自棄ハイな上条はそういう変化に気づかずに、
「笑え御坂! これ以上いちいち撮り直すのは面倒だ! ようは書類を作れりゃ何でも良いんだろ! 割り切っちまえば問題ねえよこんなの!!」
「え? ま、まぁ、そうよね。あはは! 別にそれっぽく写真を撮るだけじゃない。そうよね

そうそう写真を撮るだけ! ようし行っくわよーっ!!」
 割り切る、という言葉をちょっと気にしつつ、美琴みことはヤケクソというより顔の赤さを悟られるのが嫌で無理矢理に気分をハイに変えている。美琴の肩に腕を回す上条かみじように合わせるように、自分の腕を上条の腰に回して距離きよりを縮めていく。二人……というより美琴とほか一名を眺める通行人が、『おおっ』と少しうらやましそうな目で見ているがハイになっている彼女たちには見えていない。
 上条は手の中の携帯電話を遠ざけて、
「撮るぞーっ!」
「イエス!!」
 ばちーん、という白々しい電子音が鳴る前に、

 空間移動テレポートで急速接近した白井黒子しらいくろこ上条当麻とうまの後頭部にドロップキックをらわせた。

 ゴキイ!! という轟音ごうおんと共に上条の手から携帯電話がはなれ、彼の体が前方へ吹き飛び、宙に浮いている携帯電話が一足遅れてシャッターを切る。
 床に転がる携帯電話の画面に映っているのは、ツーショットのつもりが高速でブレる上条の頭とびっくりした美琴と白井のパンツという極限のスリーショットになっていた。
 ごろんごろんと転がった上条は、床に突っ伏したまま、
「い、 一体何が!?」
「ひ、人がちよっと目を離したすきにナニをやっているんですのー……?」
 ドロップキック状態から着地して、平べったい声を出しているツインテールの少女、白井黒子はちょうど美琴のとなりを陣取っていた。ここがわたくしの居場所である、と言外に語っている感じだった。
「こっちが半日授業の後も風紀委員ジヤツジメントとして初春ういはるから雑用を押し付けられて、それをようやく終えてお姉様の元へ行ったら初春のバイオリンアタックが待っていて、その後も迫加の仕事を押し付けられて色々頑張ってここまでやってきたっていうのに。……ったく、新参者しんざんもの奴隷どれいと思って甘く見ていたのが間違いでしたの。それにしても、さっきからお姉様はあちこちで大盤おおばんいなさって……」
「ばっ、勘違いしてんじゃないわよ黒子!」美琴はわたわたと手を動かし、「私だって好きでやってんじゃないんだってば! ただ私はゲコ太ストラップが欲しいからペア契約をたのんで、そこで必要って言われた写真を撮ってただけなのよ!!」
 その弁解は白井に対するというより自分に言い聞かせているようにも受け取れる、どっちみち上条はられ損の頼まれ損なのだった、
 まぁ、ばつゲームなんてこんなものだ。
 白井しらいは白井で、美琴みことの告げた一言にショックを隠しきれない様子で、
「だっ! だったらこんな殿方に頭を下げずとも、わたくしとお姉様が二人でペアになれば何の問題もありませんの! さぁ撮りますわよバシバシいきますわよここらで一生の思い出作っちゃいますわよーっ!!」
 一瞬いつしゆん沸騰ふつとうするほどのハイにおちいった自井に美琴はちょっと引きつった表情になったが、床に伏した上条かみじようはふと顔を上げて、
「え? それでオッケーならおれはもう帰っちゃって良い?」
「男女のペアじゃなきゃ駄目だめだっつってんでしょ!!」
 素の疑問に対して、美琴は精一杯の雷撃らいげきやりたたきつけた。

     5

 一方通行アクセラレータは寝転がっていたソファの上でうっすらと目を開けた。
 小さく舌打ちする。
「……寝ちまったか」
 時計を見ると、ほんの一五分ぐらいのものだ。
 テレビがけっ放しになっていたため、おそらくそちらからの音で目が覚めたのだろう。ここ最近、眠りが浅いというかふとした刺激で簡単に起きるくせがついた気がする。
 だれもいない広いリビングで、一方通行アクセラレータはわずかに首を横に振った。
(気が抜け過ぎだ、クソ馬鹿ばか
 頭の中ににじむのは、いまいま々しげな自分の声だ。
 元々、一方通行アクセラレータは自分のペースで睡眠を取る人間だ。耳元で目覚まし時計が鳴ろうが、クソガキがわめき散らそうが、腹の上で爆弾が爆発しようが、大変すこやかに眠り続けるぐらいである。
 それは彼の能力が『あらゆるベクトルを変更する』ものだからで、通常は酸索や重力など必要最低限のものを除くすべてを『反射』させているからだ。
 この状態の一方通行アクセラレータは、たとえ核爆弾の直撃を受けても傷一つつかない。
 だからこそ『極めて敵が多い』一方通行アクセラレータは、最も無防備と言える睡眠状態に入る事にこれまで躊躇ちゆうちよはしなかった、
 しかしそれも、彼の能力が。力全だった時の話だ。
 一方通行アクセラレータは首筋に手を当てる。
 そこにあるのは黒っぽいチョーカー……に見えるが、内側には電極が取り付けられている。世界中に散らばっている一万人弱もの妹達シスターズの脳とリンクして、莫大ばくだいな並列演算機能を彼に貸し与えるデバイスだ。
 一方通行アクセラレータの脳は八月三一日に傷つけられている。
 この演算補助デバイスがあって、彼は能力者として初めて人並みに生活できる。通常モード―――歩行、会話、数を数える事などなら四八時間程度。らりつ。しかし、能力使用モード―――ベクトル制御能力をフルで発動させると、膨大ぽうだいな計算量を瞬時しゆんじにこなす必要があるため一五分程度でバッテリーが切れてしまう、かなり制限のきついアイテムだ。
 つまり、今の彼の安全時間は、実質的に一五分間しかない。
 その一五分間を除くと、四八時間に一度充電しなければまともに歩く事もできない弱者なのだ。
 そんな状態なので、能力というシェルターの中で惰眠だみんむさぼ贅沢ぜいたくなどもうできないのだ。
「……、」
一方通行アクセラレータ胡乱うろんひとみで、薄型うすがたの巨大テレビに目をやった。
 馬鹿ばか高い契約料を誇るケーブルチャンネルでは、午後一番のトーク番組が流れていた。テレビの下に置かれたデッキが録画モードになっている所を見ると、家主の黄泉川よみかわは今回のゲストで出演している芸能人のファンなのかもしれない。
『という訳で一一一ひとついはじめさんはこのたび主演として映画の方にも参加されましたが、いかがですか。
かいがこうの品で口本人が主演という事自体もかなり珍しいと思うのですが、その辺りには特別な心境などは?』
 小さいテーブルを挟んで司会者とゲストが向き合っている。
 一方通行アクセラレータは画面を眺めながら、チョーカー型電極の横についているスイッチを、
 切る。

『まぁ。プロットの横の最も特有の指示が日本人として適切に作用しています。彼はEVENを持っていませんか、そして他の人達が今日日本人として非常に適切に理解しましたか?』

 言葉がグチャグチャになった。
 実際にはゲストが『そうですね。監督からの一番持徴的な指示は日本人らしく振る舞ってくれというものです。日本人らしくなんて今日きようび僕たちだって分からないじゃないですか』と言っているのだが、一方通行アクセラレータの頭は耳に入った会話内容を処理できなくなっている。
 彼の体のバランスが、ふらりと崩れる。
 倒れる、と感じる間もなくソファに体が沈んだ。録画デッキにあるデジタルの数字を見ても何を指しているのか判断できない。頭の歯車が抜け落ちていた。まるで一〇〇時間ぐらい不眠不休を続けさせられた後に国家試験の問題を眺めているような感じだ。
(っつ……)
 一方通行アクセラレータは首筋に手をやる。
 やたらと全身がふらふら揺れ、小さなスイッチを切り替える事すら何秒もかかってしまう。何度もガチガチと失敗し、ようやく親指の腹がスイッチの突起に触れる。
 カチン、という小さな音。
 通常モードに切り替わり、一方通行アクセラレータはようやく一般の世界へ戻ってくる。
『言葉自体はネイティブな米国語を使わなくてはならないので、その他の仕草や作法、態度だけで「これが日本人だ」と示せと言われて、今回は改めて考えさせられましたよ』
 横倒しになった視界の中、芸能人が白々しい自慢話を続けている。
 かつては学園都市最強の能力者と言われても、今となってはこのザマだ。
 打ち止めラストオーダーを始めとする妹達シスターズの代理演算を借りなければ能力の使用どころか、普通の会話や歩行、数を数える事すらできなくなる。その代理演算には首のチョーカー型電極が必須で、バッテリーは最大で四八峙間ほど使用可能だ。
 さらに電力が底を尽きたり、地下深くへ行ったり妨轡電波を撒き散らされたりすると代理演算の利用もできなくなる。
 通常モードだけでこれだ。
 これが能力使用モードになると莫大ばくだいな情報を処理する必要があるため、制限時間が一気に一五分弱にまで引き下がる。医療いりよう機器としての使用が大前提のため、超能力戦という軍事レベルの使用環境に耐えられるように作られていないのだ。バッテリーもカエル顔の医者が作った特殊なものであり、替えはかないし市販の電池などでも代用できない。大量のバッテリーを用意して制限時間ごとに交換していく……という方法も取れない。
 つまり、正真正銘しようしんしようめい一五分がタイムリミットなのだ。
 ただ、このモードになるとつえをつく必要もなくなるのだが。
(こんなクソルールをいちいち一つずつ覚えていくのも画倒臭せェ。ったくシンデレラじゃあるまいし、時間制限つきの最強なンざ笑い話にもならねェぞ)
「……、」
 シャワーでも浴びるか、と一方通行アクセラレータはソファから立ち上がる。
 気分を変えたい。
 万年ノーガードの打ち止めラストオーダーは当然として、黄泉川よみかわ芳川よしかわも甘すぎだと一方通行アクセラレータは思う。どいつもこいつも学園都市最強の能力者というものを信用しすぎている。そういったおもいに必ずこたえられるなどだれが言った。黄泉川や芳川はその恐ろしさの方が理解できていない、一方通行アクセラレータは何かを破壊はかいする事に手慣れていても、何かを守る事には全く慣れていない。、防御のために振るった一撃いちげきが、周囲のすべてを巻き込む大惨事へと発展する危険性だって十分に考えられる。
(そォいや、部屋には誰もいねェが。あの馬鹿ばかどもは買い物か?)
 一方通行アクセラレータは適当に考えながら脱衣所へつながるドアを開ける。

 そこに。
 バスタオルで茶色い髪をグシャグシャとかれている全裸の打ち止めラストオーダーと、
 左右からグチャグチャに拭いている裸の黄泉川よみかわ芳川よしかわがいた。

 ビクゥ!! と一番初めに反応したのは打ち止めラストオーダーだ。
「どっ、どうして前触れもなく突発的に出現してるのあなたはーっ! ってミサカはミサカはバスタオルに手を伸ばすけど届いてくれなかったり!!」
 ぎやーぎゃーさわ打ち止めラストオーダーを無視して、一方通行アクセラレータはキョトンとしている黄泉川や芳川へ目を向ける。
「……何でカギかけねンだよオマエら」
「あー悪い悪い。今まで一人暮らしだったからその機能をすっかり忘れてたじゃんよ。めんごめんごー」
愛穂あいほ。とりあえずで良いから体に巻いておきなさい」
 先にタオルで身体を隠していた芳川がため息混じりでバスタオルを渡して、黄泉川が面倒臭そうにそれを体に巻いていく。隠れるには隠れているが、太股ふとももはミニスカートどころの露出度ろしゆつどではないし、水分をぬぐっていなかったせいか体のラインもやたらくっきりと浮かび上がっていた。
(……どォなってンだこりゃ)
 こんなのは一方通行アクセラレータの生活パターンではない。というか、ドアを開けるたびに女の着替えだの何だのに遭遇するような人間がいたら腹を抱えて笑っているだろう。
 と、自分の分のタオルが足りない事に気づいた打ち止めラストオーダーは慌てて芳川の体の陰に隠れつつ、ちょっと涙日で、
「……二人とも騒ぎもしないで億劫おつくうそうにバスタオルの受け渡しをしているだけなのはどうして? って、ミサカはミサカは素朴な疑問を投げかけてみる」
 あん? と黄泉川は怪詩けげんな目を打ち止めラストオーダーへ向けて、
「理由とか聞かれてもなあ……あの子は子供で、私たちは大人だからじゃんよ」
「そこを全く気にしないのはオトナというよりオバハンっぽいかも、ってミサカはミサ痛たたたたたッ!! いきなり二人してミサカの頭をグリグリしないで! ってミサカはミサカは毅然きぜんな態度で抗議してみたり!!」
 芳川は打ち止めラストオーダーを頭上から攻撃こうげきしつつ、
「オバハンじゃなくて、オトナだからよ?」
「そうやって子供相手にすぐムキになる所のどこが大人なんだとミサカは痛ぁぁいーっ!! そこのあなたヘルプそしてバスタオルもちょうだい! ってミサカはミサカは上目遣いで保護欲をあおってみる!!」
 小さなクソガキが何かわめいていたが一方通行アクセラレータは無視して脱衣所のドアを閉めた。
 ため息を一つ。
「……だからちっとは警戒しろっつってンだろォが」

     6

「という事があったの、ってミサカはミサカは事後報告してみたり」
 打ち止めラストオーダーがいるのは、黄泉川よみかわのマンションを出たすぐそこの通りだ。彼女は空色のキャミソールの上から男物のワイシャツに腕を通して羽織っている。
 そんな小さな少女が話しかけているのは、打ち止めラストオーダーをそのまま大きくしたような少女、検体番号シリアルナンバー一〇〇三二号、御坂みさか妹だ。
 御坂妹は常盤台ときわだい中学の冬服である、ベージュ系のブレザーと紺系チェック柄のプリーツスカートを穿いている。彼女たちのオリジナルである御坂美琴みことと同じ格好をしているのは『実験』の都合上の問題だったのだが、それが終わった後も風習だけは残っている状態だ。
 オリジナルと異なる点は、御坂妹のおでこに引っかかっている大型の電子ゴーグルだ。暗視装置のようなフォルムだが、こちらは肉眼では見えない磁力線や電子線などの情報を視覚化するためのものである。
 御坂妹は、感情の読めないひとみ打ち止めラストオーダーをじーっと眺める。
「その報告ならばすでにネットワークを介して全ミサカへ配信されているためわざわざ口頭で言い直す必要もないのでは? とミサカは当然の疑問に対して確認作業を行います」
「たまには通常五感を介したコミュニケーションを取って時計の誤差みたいなのを補正する必要があるの! ってミサカはミサカはもっともらしい理屈をつけてみたり!」
上位個体あなたが語るのなら納得しましょう、とミサカはあきれ顔で上司の愚痴ぐちを聞き流します。ミサカのリハビリの役にも立つかもしれませんし、とミサカは無理矢理に自分を納得させる材料を探してみます」
 本人は呆れ顔と言っているが実質的に顔の表情は全く動いていない。打ち止めラストオーダーはバタバタと手足を振っているが、そのペースに呑まれる事もない。
 御坂妹は極めてマイペースに目の前のマンションを見上げて、
「しかしこの辺りをフラフラ歩いていたらオートロックのめ出しを食らって呆然ぼうぜんと立っていたなどとは間抜けな状況ですね、とミサカはこれまでの状況を語ってみます、ミサカが偶然この通りを散歩していなかったらあなたはずっと一人ぼっちだったのでしょうか、とミサカは上位個体の個人的スペックに疑問を抱きつつ腹の内でこっそり笑ってみせます」
「悪いのはミサカじゃなくてあの融通ゆうずうかないオートロックなんだもん! ってミサカはミサカは憤慨ふんがいしてみる! 電子じようのくせにミサカの力が効かなくてピーピーおとが鳴るから轡陶うつとうしい! ってミサカはミサカは両手をバタバタ振ってストレスを発散してみたり!!」
発電系能力者エレクトロマスターの力を受けてもびくともしないというのはめるべき事柄ではないでしようか、とミサカは客観的評価を下してみます」
 ううー、と打ち止めラストオーダーは食い下がる犬っぽいうめき声を出す。
 しかしこの小さな上位個体は、世の中に対する経験が浅いからか、割と簡単にコロコロ興味が変わっていくらしく、
「ところで前から気になってたんだけど、ってミサカはミサカはあなたのおでこを指差してみる」
「? ミサカのおでこは一般的なサイズでありミサカはおでこキャラではありませんが、とミサカは自分の額に手を当てて確かめてみます」
「そうじゃなくてね、そのゴーグル、ってミサカはミサカは再指摘してみたり」
 打ち止めラストオーダーが注目しているのは、御坂みさか妹が装備している電子ゴーグルだった。
 小さな少女は怪誹けげんな顔で、
「あのね、ほかのミサカはみんなそれを持ってるのに、ミサカだけはそのゴーグルを持ってないの、ってミサカはミサカは羨望せんぼう眼差まなざしを送ってみたり」
 おや、と御坂妹は改めて自分のおでこに引っかかったゴーグルを指先で触り、それから自分を見上げてくる打ち止めラストオーダーの顔を見て、彼女のおでこにはゴーグルが存在しない事を確認すると、「あのミサカはあのミサカ、このミサカはこのミサカです、とミサカは暗にあきらめうと告げてみます」
「そんな『他の家と我が家は勝手が違うのよ』的な台詞せりふでは納得がいかない! ってミサカはミサカは即座に抗議してみる1 大体その理論だとミサカだけがよその家の子になってるし、ってミサカはミサカはさらに重大な問題を取り上げてみたり!!」
 ミサカだらけの会話の中、ぶーぶーっ! とわめきながら打ち止めラストオーダーは御坂妹のスカートをつかむと、それをバッサバッサと激しくめくってあおぎながら、
「欲ーしーいーミサカもそれが欲しいのーっ! ってミサカはミサカは小さな外見を最大限に利用しただだ々っ交渉術を行使してみたり!!」
可愛かわいらしい仕草をねらっているのでしょうが同性がそれを見ても腹が立つだけなので逆効果です、とミサカは懇切丁寧こんせつていねいに解説してみます」
 それ以前にさっきから御坂妹のスカートが全開となって今日の気分で穿いてみた両サイドをリボンでしばって留める方式の下着が金部見えてしまっているのだが、そちらの方は全く気に留めていないようだった。
 変わらぬ表情に打ち止めラストオーダーはムムッとうなってから、
「ねえ一〇〇三二号、ちょっとお辞儀じぎしてみて、ってミサカはミサカはお願いしてみたり」
「?」
 御坂妹は怪誹に思いながらも、とりあえず上位個体の指示に従ってみたが、
「ハハハすきありーっ! ってミサカはミサカは強奪作戦に成功してみたり!!」
 下げた頭から勢い良くゴーグルが奪われた。
 御坂みさか妹が何か言う前に、打ち止めラストオーダーはやたらハイになった笑顔のまま背を向けて、
「こんな初歩的な手に引っかかるとは個休全体のルーチンをチェックし直す必要があるかも、ってミサカはミサカは捨て台詞ぜりふを吐いてみたり! やーい、悔しかったら取り返してみろー、ってミサカはミサカは猛ダッシュしつつ勝利の余韻よいんに浸ってみる!!」
 ドダダダダーッ!! と。
 外見に似合わずパワフルな走りでどこかへ消えてしまった。
「……、」
 御坂妹はしばらく呆然ぼうぜん打ち止めラストオーダーの消えた方角を眺めていたが、
「上位個体からの直接ストレートオーダーとなれば仕方がありません、とミサカは大変不本意ではありますが学生かばんの中からサブマシンガンとゴム弾を取り出しつつ状況を確認します」
 ジャギッ!! と不穏ふおんな金属音が平穏な街中にひびき渡り、
「演習とはいえ相手は上位個体、下位個体であるミサカが本気で挑んだとしても大人げない行動ではありません、とミサカは当然の見解を述べてみます。これは決してミサカがキレているのではなく、論理に基づく適正な判断を行っているに過ぎないのです、とミサカは実銃片手に全力疾走しながら己の思考能力の冷静沈着ぶりを自画自賛してみます」

 無表情っぽくはあるが良く見ると目元がピクピクとふるえている御坂みさか妹は追跡を開始。
 一方、その心の動きも正確につかんでいる打ち止めラストオーダー打ち止めラストオーダーで、妹達シスターズの脳波と微弱な電磁波が形作るミサカネットワーク内で挑発の言葉を吐きながら路地裏を走り回っていた。
『ハッハーッ! ただのミサカがこのミサカに勝てる訳がないだろー、ってミサカはミサカは平民どもに勝利の高笑いをしてみたり!』
『革命の時は来ました、とミサカ一〇〇三二号はここに宣言します』

   行間 ニ

 ロンドンのランベス区には『必要悪の教会ネセサリウス』の女子りようのようなものがある。
 見た目で言うなら通りに面した石造りの良くあるアパートメントとそれほど差異はない。木造と違って石造の建築物は見た目で年代を測るのが難しく、この建物に一世紀単位の歴史があると言われても想像はつかないだろう、それほど綺麗きれいみがかれて、丁寧ていねいに使われている施設だ。 最大主教アークビシヨツプの邸宅であるランベス宮のような要塞化ようさいかは進んでおらず、逆に『いつこわされてもスペアのく』建物として用意されたものだが、今日まで全壊ぜんかいした記録はない。こちらの素性すじようつかんだ敵対する魔術まじゆつ結社などから攻撃こうげきを受けてもおかしくなさそうなのだが……実はここをねらう危険分子はすぺて計画が実行に移される前にほうむられてきただけだ。それが『必要悪の教会ネセサリウス』の戦績を暗に示していた。つまり分かりやすいエサなのである。
 さて。
 日本では昼下がりだが、ロンドンは深夜のとばりが下りている。
 英国の首都とは言ってもメインストリートからはなれたこの区画もまた夜の揺りかごに包まれていたのだが、夜更かしを象徴するように一つの窓に明かりがいていた。
 換衣所である。
 大型の浴場に面したものであるので結構な広さがある。その片隅に、勉強机が収まるほど巨大な段ボールの空き箱が置いてあった。床には取り扱い説明書や保証書などが並べられている。
 何の説明書かと言われると、それは洗濯機せんたくきだ。
 学園都市製とも書かれている。
 古びた寮にはあまりにも不釣り合いな電子機器だ。
最大主教アークビシヨツプは……何でこんな複雑で面倒臭い物をいただいてくるのでしょうか」
 難しい顔でアース線を接続しているのは神裂火織かんざきかおりだ。
 ポニーテールにしても腰まで屈くほどの長く黒い髪の女性で、普段ふだん半袖はんそでのTシャツをおへそが見えるようにサイドで絞ったり太股ふとももの所で切ったジーンズを穿いたりとアクティブな格好を好んでいるのだが、今は質素な浴衣ゆかたを身にまとっている。ただ、馬鹿ばか長い日本刀だけはすぐ近くの壁に立てかけてあった。
 一応これまでは、いつ煙が出るかも分からないほどハードに振動する洗濯機を使っていたのだが、この前それがついに壊れてしまったのだった。最大主教アークビシヨツプはあれでも部下の陳情を受け付けてくれる人物らしい。
 後続となる洗濯機が届いたのは夕方ぐらいで、それは最新鋭のAI搭載型全自動洗濯機だったのだが、機械にあんまり縁のない神裂達かんざきたちにとってはなぞの超文明との遭遇に近い。首をひねりながら説明書に目を通してあれこれやっている内に、気がつけば夜も更けていた。
 ちなみに神裂がこんなにも作業に没頭していたのには、今日の昼間に日本の土御門つちみかどから送られてきた段ボール箱の中に入っていたメイド服+α(天使の輪っかとか羽とかの堕天使だてんしセット)を発見してしまい、それを何とか忘れてしまいたかったからだ。
「ローラ様のお話では『このさいしんえいナントカどらむがあればわずらわしき水仕事などへっちゃらにつきなのよ!』との事でございましたけど」
 そう言ってニコニコ微笑ほほえんでいるのはオルソラ=アクィナス。つい先日までローマ正教に所属していたシスターで、真っ黒な修道服で髪の毛から足の先まですべおおっている女性だ。スタイルは神裂と同等だが、引きまった感のある神裂に対してオルソラはどこか丸みが強調されているようにも見える、
 同様の元ローマ正教派として、小生意気なアニェーゼ=サンクティスや規律に厳しいルチア、甘い物と寝起きに弱いアンジエレネらもいる。
 彼女達は単純にイギリス清教に改宗するつもりはないらしく、『どうせ二五〇人もいるならロンドンにローマ正教の新しい分派を作っちまいましょう』とか言っている。これを処刑ロンドン塔に幽閉ゆうへい中のリドヴィア=ロレンツェッティなどが聞きつけたら大変な事になりそうだが、ローラ=スチュアートが割とのんびりしている所を見ると、どうも天草式あまくさしきと同じく小宗派ごと傘下さんかに収める方向で話はまとまりそうだ。
 そんな彼女達五人のほかには、生粋きつすいのイギリス清教徒としてシェリー=クロムウェルが換衣所にいた。いたみに傷んだ金髪に小麦色の肌を持つ彼女は日頃ひごろからゴスロリをたしなんでいるのだが、今は薄手うすでの、ネグリジェをまとっていた。ただ二重に寝間着ねまきを着込んでいるため、体のラインは透けているのに詳細は見えないというちょっと卑怯ひきような状況になっていた。レベルで言うと湯気で隠れている級である。
 王立芸術院の管理者でもあるシェリーはそんなやり取りをよそに、彫刻刀を使って手の中の小さな大理石をゴリゴリ削ってチェスのこまの輪郭を整えている。細かい粉塵ふんじんは彼女の肩の辺りへと集中し、小さなボールを作っていた。彼女の使うゴーレム=エリスの応用らしい。
 シェリーは作りかけのチェスの駒に視線を落としたまま言う。
洗濯せんたくなん溶、川でやりゃ良いじゃねえかよ」
「私も洗濯板があれば問題ないと思いますが、流石さすがに川では環境に問題が生じるでしょう」
 アースの接続を終えた神裂は、ゴソゴソと洗濯機を壁際かべぎわに押し付けつつ答える。
 シェリーはゴーレムのエリス任せ、神裂は世界で二〇人といない聖人という豪腕の持ち主なので気にしないのだが、他の面子メンツはみんな顔がちょっと引きつっていた。
「この……耐震たいしん補強具や落雷対策装置などの設定に手間取りましたが、ひとまずこれで電源を入れても大丈夫だいじようぶそうです」 ピッ、と神裂かんざきは大きなボタンを押したが、次に待っていたのは防水加工をほどこした小さな液晶画面に映る無数の数字や記号である。
 神裂はしばし無表情でそれらを眺めた後、
「……素直に手で洗いませんか?」
「いっ、いいえ! もう少しだけ頑張ってみましょうよっ!!」
 半分涙目で反論しているのはメンバーの中でも特に非力なアンジェレネだ。
「あとちょっとなんです! ぜ、全自動洗濯機せんたくきはすぐそこなんですからっ! これが届くまでの間、暫定的ざんていてきに大量の衣類を別棟の洗濯機まで運んでいくだけでも両腕がパンパンになっていたんですよ!! てっ、手で洗おうとか言われても絶対無理ですっ!!」
 アンジェレネの小さな手を見る限り、その制度では今度洗濯当番が回ってきた途端に死を迎える羽目になる。
 と、オルソラが説明書に目を落として、
「神裂さん神裂さん。でも説明書を見る限り洗濯ボタンを押せば後は機械が勝手にやってくれるそうでございますよ」
「?」
「こちらの小さなボックスに洗剤を入れておくと、機械が成分分析して、洗濯量の重さに応じて自動で水や洗剤の量を調節してくれるとか書かれているのでございます。注水、すすぎ、排水、脱水から乾燥まで全部勝手にやってくれるみたいでございますけど」
「まったく面倒な仕組みです。洗剤などこちらで量るからもっと簡単な操作にしてくれればよいものを」
 だからボタンを一回押すだけなんだってば、とアニェーぜ、ルチア、アンジェレネの三人はほぼ同時に思ったが、一応こちらでは新参者しんざんものなのでだまっておいた。
 オルソラは新品の洗濯機をポンポンとたたいて、
「そんなに便利な一品なら、動いている所を見てみたいのでございますよ」
「……オルソラ。もう深夜ですよ。洗濯機を動かすような時間帯ですか?」
 神裂はあきれたように言うが、やはりオルソラは説明書を指差して、
「消音設計だから夜でもオッケーって書いてあるのでございますよ」
「フォンとかデシベルとか書かれていますが本当に意味は分かっていますか? そもそも、それ以前に今日の洗濯物はすべて保管庫へ収納済みでしょう」
 ここは『必要悪の教会ネセサリウス』のメンバーがつどう女子りよう。その服装の模様やい目の一つにも魔術まじゆつ的記号が盛り込まれている事もあり、そういった『武器にも防具にもなる衣服』を脱衣かごにポンと置いておくと、衣服の防護機能が勝手にケンカを始めてしまう事もある。その辺りについては術式の宗派や学派によって相性もあるのだが、洗濯の時にもそういった相性を考慮こうりよするのが基本となっていた。
 相変わらずゴリゴリとチェスのこまを削っているシェリーが面倒臭そうな声で、
「確か保管庫は三重の魔術錠まじゆつじようで守られてんだよな。今から解くのもかったるいし錠を掛け直すのはもっとやってられないわよ」
 やった、とばかりに神裂かんざきは顔をかがやかせ、それから背筋を伸ばす。
「ほら、洗濯物せんたくものがないのですから洗濯機は使えません。明日も早いのでもうさっさと消灯して就寝するとしましょう」
「あら、洗濯物ならここにあるのでございますよ」
 言うか早いか、オルソラはガバッと自分の着ていた修道服をあっさり脱ぎ始めてしまう。神裂はギョッとした顔で、
「わっ、わざわざ洗濯物を増やす必要はないでしょう! そういった行動は新入りの方々にも悪い影響えいきようを及ぼします。アニェーゼたちも『そんな風習なのかな』的な顔でオルソラの言動に従わないでください!!」
「まぁまぁ、日本のユカタとはとても脱がしやすい構造をしているのでございますね。帯の染め方もとても綺麗きれいでございますし」
「人の話を聞いていない挙げ句、勝手に帯をつかまないでください!!」
 神裂が止めに入ろうとした時にはすでに腰に巻かれた藍染あいぞめの帯は解け、ストンと床に落ちていた。コートのボタンが全部外れるように浴衣の前が開放される。

 おや、とオルソラは目を丸くして、
神裂かんざきさんは下着を穿かない派でございますか?」
浴衣ゆかたとはそういうものなのですっ!!」
 聖人的爆発筋力のこもった両手で体を隠したため、流石さすがのオルソラでも浴衣本体を強奪する事はできなかった。
 仕方がないので、オルソラは自分の衣類や『そういや寝間着ねまきはどうすんですか……』『シスター・アニェーゼ。どうせあなたは眠たくなったら勝手に下着姿になってしまうでしょう』などと言い合っているアニェーゼやルチアたちの修道服、神裂の浴衣の帯などを洗濯機せんたくきの中ヘポイポイと投げ込み、透明なフタを閉めて大きな『洗濯ボタン』を押す。
 宣伝通り音もなく洗濯そうの中に水がまっていくと、振動も感じさせない動きで中の洗濯物がクルクル回り始めた。どうも洗濯槽は従来のドラム式ではなく球状になっているらしく、三六〇度全方向に回転している。何だか見ているだけですごそうな洗濯機だ。
「おおっ、本当に静かなのでございますよ!」
 オルソラがジェットコースターを前にした子供のような声を上げた。アニェーゼやアンジェレネなども彼女の肩越しに洗濯機の稼働かどう状況を観察している。大昔のカラーテレビみたいな扱いだ。みんな下着姿なのが極めて不気味だが。
「……これを見たいがためだけに私は帯を奪われたのですか……」
 神裂は一人でげっそりとうつむいていたが、その時、ふとシェリーが彼女に話しかけた。
「おい極東宗派」
「今は抜けにん状態ですが、何でしよう?」
「説明書。お前ちゃんと読んだのか」
『?』と神裂は改めてシェリーの顔を見る。二重ネグリジェを着た小麦色の女はあきれたような顔で彫刻刀を動かし、その刃先で床に置かれた説明書を指し示して、
「色落ちするモノは個別設定して、普通の洗濯物とは分けてくださいって書いてあんだけどよ。アンタの染物のオビは大丈夫だいじようぶなのかしら?」
 ぎゃああっ!! と神裂は絶叫して洗濯機に飛び掛かった。
 ともすれば洗濯機に正拳突せいけんづきでも打ち込みかねない形相の聖人に、下着だらけの元ローマ正教シスター四人組が全力で取り押さえようとしたが、神裂火織かおりは絶大な運動能力を行使し、彼女達の間をすり抜けて洗濯機の操作パネルにしがみつく。
「ちゅっ、中止! 洗濯中止のボタンは!?」
 慌ててあれこれ探す神裂だったが、元々それほど機械に強くない挙げ句に混乱している事も手伝って、すぐ近くにあるはずのボタンが一向に見つからない。
 その間にも洗濯物はグルグル回る。
 透明なフタの向こうに広がる洗濯槽を眺めたオルソラは、『まぁ!』と感嘆の声を放ち、
神裂かんざきさんの帯の汚れがみるみる取れていくのでございますよ!!」
「それは単に脱色しているだけです! おのれ科学文明の尖兵せんぺいめ!!」
 ついに耐えられなくなった神裂は、洗濯機せんたくきが動いているにもかかわらず半ば強制的に透明なブタをこじ凋けた。
 しかしそこは最新鋭の球状三六〇度の大回転洗濯そう
 まばたきする間もなく、神裂火織かおりは遠心力で速度を得た大量の水を浴びてびしょれの透け透けと化した。
「わ、わぁ。本当に穿いていないんですね……」
 アンジェレネが不用意な一言を放った直後、元女教皇プリエステスが珍しく罵声ばせいと共に泣き崩れた。

   

chap4

第三章 ミサカとミサカの妹と Sister_and_Sisters.

     1

 上条当麻かみじようとうまは地下街の待ち合わせ用小広場(禁煙)のベンチに腰掛け、売店で買った二〇〇ミリリットルの小さなペットボトルの鳥龍茶ウーロンちやを飲んでいた。
 今は一人きりである。
 ついさっきまでその辺にいた白井黒子しらいくろこ御坂美琴みさかみことにどつき倒されると『わたくしはお姉様のためを思って行動したまでですのに、この優しさが諸刃もろはつるぎとなるとは……ッ!!』と叫びながら空間移動テレポートでどこかへ消え去ってしまい、その美琴にしても携帯電話の登録完了手続きとかでサービス店に引き返していた。実は最初は上条も一緒いつしよに付いて行ったのだが、手続きの途中で外に出たのだ。ちなみに現在そちらのお店では『ゲコ太と一緒にピョン子までもらえるなんてーっ!!』とひとみをキラキラさせている奇態な常盤台ときわだい中学のエースがいる訳だが、面倒臭いのでああいう状態の人間は相手にしないのが吉だ。
「……早く冷静になって欲しい」
 上条はため息をつきつつ、携帯電話の画面に目をやった。ここは地下街なので分かりにくいが、今はもう午後四時過ぎ。書類だの申請だのと色々あった訳だが、やっぱり時間がかかったなー、というのが素直な感想である。
 と、のんびりしている上条の元へ御坂美琴が帰ってきた。
「ありゃ、もう終わったのか?」
 上条は話しかけたが、それに反して美琴は何やら無言で小さく顔をらすだけだ。わずかに逡巡しゆんじゆんしているようにも受け取れるが、そもそも返事の一つで悩まれるような事をした覚えはない。
『?』と上条は首をひねって、
「何だよ、何かあったのか。そういや新しい携帯電話の紙袋とか持ってないけど、トラブルでもあったのか」
「い、いえ、ミサカは……」
 美琴は何やら音の出ないなめらかな動きで両手をわたわた振ると、やがて自分のおでこに片手を当てて、
「……このミサカはいつもゴーグルをつけている方のミサカです、とミサカは一〇〇三二号と検体番号シリアルナンバーを告げつつ認識を改めさせてみます」
「もしかして、御坂みさか妹の方か?」
 言うと、御坂妹。はコクンと小さくうなずいた。
 御坂美琴みことと髪の毛一本レベルで同じ体格を持つ少女なので、見間違えるのも仕方がないのかもしれない。いつもは暗視ゴーグルのようなゴツイ装備をおでこにつけているのだが、何故なぜか今日は何にもなかった。
 御坂妹の方でも、何やら特殊な事情があるらしく、
「……これぐらいのサイズのミサカを転、」覧にならなかったでしょうか、とミサカは自分の胸のちょっと下辺りにてのひらを水平に差し出します」
 御坂妹が示しているのは、小萌こもえ先生と同じかちょっと低いぐらいの高さだ。上条かみじようは彼女の仕草を見ながら、やや怪誹けげんとした表情で、
「お前ら、サイズ変更とかできたのか?」
「その反応からして知らないようですね、とミサカは役立たずっぷりに幻滅しながらあのクソ野郎の逃走ルートの割り出しを続けます」
 御坂妹はわずかに息をいた。学生かばんを持ち直すと、中から何やらガチャっと重々しい金属音が聞こえてくる。
 また不機嫌だなあコイツ、と上条が思っていると、彼女は続けてこう言った。
「平たく言えばゴーグルをられてしまったのです、とミサカは険しい顔つきで現状の報告をします。あのゴーグルがないとミサカはお姉様オリジナルとの区別がつきにくいので早急に回収しなくてはならないのですが、状況はこちらがとても不利と言えます、とミサカは暗に手伝えと上目遣いで訴えてみます」
「……、」
 この強引さは姉も妹も似たようなものなのかもしれない、と上条は思う。
 彼はあきれながら、
「確かに、その格好だと美琴と間違われるかもしれないな」
「はい、とミサカは肯定の返事をします。先ほどもサブマシンガン片手に路地を走っていたらツインテールの女学生に突然絶叫されて難儀なんぎしました、とミサカは苦労話をしみじみと語ってみます」
「いや……そのツインテールは……」
 心当たりがあるのだが、美琴の日常生活に支障をきたさない事を祈るばかりだ。それ以前にサブマシンガンという不穏な単語が混じっていた気がしないでもないが、もう聞き間違えであって欲しいの一手に尽きる。
「ともあれ、ゴーグルを取り返す前に暫定ざんていで良いから美琴と区別するためのワンポイントが欲しいトコだな」
「それはミサカにおでこキャラになれと言っているのでしょうか、とミサカは首をかしげます」
「その単語は今すぐ削除しろ」だれだろう教えたのは、と上条かみじようは真剣に疑問に思う。「おでこじゃなくても、そうだな。格好までおんなじ冬服だし……お前はブレザーを脱げば良いんじゃねえの?」
「あなたには公衆の面前で脱げと強要する趣味しゆみがあるのですか、とミサカはいまいち良さを理解しないままとりあえず従ってみます」
「ぶっ!? 何でいきなりスカートに手をかけてんだ! 分かったよ分かった脱ぐのはなしなしそうだ逆にアクセサリーとかつけてりゃ見分けはつくだろ!!」
「そういった装飾品は今手元にありませんし、購入となると値が張りそうです、とミサカは現実的な受け答えによって家庭的な雰囲気ふんいきをアピールしてみます」
 あのカエル顔の医者には一度御坂みさか妹の生活環境を問いただした方が良いな、と上条は心の中で誓いつつも、
「いや、アクセサリーっつってもピンキリだからな。区別がつけば良いんだし、そこらの露店ろてんで売ってるようなモンなら一〇〇〇円ぐらいでどうにかなるよ。その程度ならおれが買っても良いし」
「買って……?」
「何だろな。女の子でアクセサリーって言ったら指輪とかが良いか」
「―――、ゆびわ」
 御坂妹は何故なぜだかだまってしまう。
 上条はそんな様子に一切気づかずに、
「いや指輪じゃ駄目だめだな目立たないし。もっとパッと見で分かるようなモンだと、濁腰どくろのマスクとかの方が良いかって痛ァ!?」
 思い直した瞬間しゆんかんに無表情の御坂妹からグーをもらった。

     2

「クソガキが消えただァ?」
 一方通行アクセラレータの声が広いリビングにひびく。
 てっきり打ち止めラストオーダーは自分用に割り当てられた部屋で昼寝でもしていると思っていたのだが、黄泉川よみかわの話によるとどうもマンションの中にはいないらしい。
 ジャージ姿の黄泉川は軽く首を振って、
「ウチはホテルと同じくオートロックだから、外へ出るだけならかぎはいらないじゃんよ。だからもしかすると勝手に遊びに行っちゃったのかもしれないじゃん」
「マンションは広いから、もしかすると外ではなくエレベーターや階段、通路などで遊んでいる可能性もあるわね」
 芳川よしかわも続けて言ったが、一方通行アクセラレータにはどうしても悪い予想ばかりが頭に浮かぶ。
 楽観的に世界の性善説を信じられない。彼はその程度には悪意に触れすぎていた。
(……最後にあのガキを見たのはいつだっけか?)
 一方通行アクセラレータは壁に掛かった時計を見る。
 今の時間は午後四時三〇分。昼食を食べて]眠りしてシャワーを浴びようとしたのは午後一時だったか二時だったか。
(少なく見積もっても二峙間以上。それだけの時間がありゃあ、プロなら殺して死体を埋めて立ち去る事もできンだろオな)
 一方通行アクセラレータ打ち止めラストオーダーには、莫大ばくだいな利益を生む研究材料という共通点がある。今でこそ彼らを巻き込んだ『実験』は中止されているが、別の研究に利用して富を得ようとする人間が現れても何の不思議もない。
 いや、そういった損益や計算など必要ないのだ。『あの一方通行アクセラレータの顔見知りである』というだけで、すでに何らかの攻撃こうげき対象に指定されてもおかしくはない。学園都市最強の名を失った今の彼は、ターゲットの一つに過ぎないのだから。
 一方通行アクセラレータは吐き捨てるように舌打ちすると、自分の体を支える現代的なつえに力を入れ直して、
「出かけてくる」
「いや、別にその辺に遊びに行ってるだけだと思うじゃんよ」
 やけにのんびりした口調の黄泉川よみかわに、一方通行アクセラレータはイライラした目を向けたが、
「だって、留守電入ってるじゃんか」
「……、」
 一方通行アクセラレータはわずかにだまると、電話とファックスとコピー機が一緒いつしよになった、かなり大型の家電製品の留守電再生ボタンを押す。
 ピーッ、という甲高い電子音の後に、
『あのねー、今ミサカはミサカの下位個体と追いかけっこしているの、ってミサカはミサカは現状報告してみたり。今すぐは帰れないけど晩ご飯は作っておいて欲しいかも、ってミサカはミサカは注文も出してみる』
 杖で電話をなぐろうとした所で一方通行アクセラレータは黄泉川と芳川に取り押さえられた。能力がなければ今の彼はバタバタ暴れる程度の力しかないのである。
 髪も服もグチャグチャにされた一方通行アクセラレータは、ぜーぜーはーはーと荒い息を吐きながら、
「……心の底から鬱陶うつとうしいガキだ」
「あはは。人間関係なんてそんなものじゃんよ」
 黄泉川は笑いながらも、電話をこわされるのが怖いのか一方通行アクセラレータの胴にガッチリ両手を回したままだ。その体勢だと大きな胸が押し当たる訳だが、そちらは全く気にしていないらしい。
「自分にとって都合が良い事ばっかしてくれる人間関係なんてのは存在しないんじゃん。本当の意味で自由でだれにも邪魔じやまされないってのは、言い換えれば何をやっても誰にも気づいてもらえないって事を意味してるからなー」
 黄泉川よみかわ一方通行アクセラレータの腰から手をはなし、
「根を張るってのはそういう事じゃんよ。互いが互いをからめ合うほど動きづらくなる。けど、その分だけ雨風には強くなってくれるもんだ」
「―――、」
 大人の意見は聞くだけで面倒臭い。
 図星を突いていようがいまいがどうとでも受け取れる教訓だけはどうにかして欲しい。
 ともあれ、打ち止めラストオーダーを捜して目の届く場所にでも置いておいた方が良さそうだ、と一方通行アクセラレータは思った。彼の行動の自由は首の電極が送受信する微弱な電磁波によって成り立っているが、それら妹達シスターズの活動の中心となっているのがあの打ち止めラストオーダーだ。一方通行アクセラレータいまだにミサカ、不ットワークというものが『理屈ではなく感覚的に』どういうものかを理解していないが、あの個体の活動に支障が出れば自分の方にも影響えいきようが出てくるかもしれない、などと考えていた。そう、これはあくまで自分のためなのだ。
 一方、黄泉川は黄泉川で自分は良い事を言ったと思っているのか、ちょっと得意げな顔で、「そんじゃ、私と桔梗ききようも手伝ってやりますか」
「わたしも?」
「嫌なら桔梗って名前を今日から捨てなさいじゃんよー」
 見るからに運動が苦手そうな芳川よしかわは窓の外を眺めながら『一日に一時間以上外を歩いたら倒れる……』とぼやいていた。
 一方通行アクセラレータまゆをひそめて、
「何のマネだオマエら?」
「だって、捜すんでしょあの子」
 黄泉川が当たり前のように言ったので、一方通行アクセラレータは少しだまる。
 その間に、ジャージの女は留守録のUSBメモリを引き抜きつつ、
「どうも屋外みたいだったし、あの子の後ろから聞こえてる物音を解析できりゃ場所を探る事もできるじゃんよ。ま、この辺は警備員アンチスキルの黄泉川お姉さんに任せて熔きなさいじゃーん」
愛穂あいほ、職権乱用じゃないかしら」
「迷子の捜索と発見も治安維持のお仕事の一つ。問題なしじゃんよ」
 何でコイッら楽しそうな顔してンだ、と一方通行アクセラレータは思う。
 そんな彼に、黄泉川はUSBメモリ片手にニヤニヤと笑って、
「こういう相互関係をなんて言うか知ってるじゃんよ?」
「アシの引っ張り合いか」
「持ちつ持たれつよ」
 芳川よしかわあきれた声と共に、打ち止めラストオーダー捜索もうが展開された。

     3

 御坂みきか妹が怒りんぼうになっている。
 上条当麻かみじようとうまは地下街の端っこで戦々恐々としている。
 結局買ってあげたのは消費税込み一〇〇〇円ジャストの安いネックレスだったのだが、どうもそれ以降御坂妹がずっとずっとムスッとしているような気がする。時々唇がモゴモゴ動いて『指輪……』『ミサカは左手の薬指の……』などとブツブツ言っている。一体どんなお悩みを抱えているのだろうか?
「あのー、御坂妹?」
「……、」
「ネックレスがそんなに気に入らないんだったら返してこようかー?」
「―――これ以上ミサカから何も奪わないでください、とミサカは小さな声で切に語ってみます」
 ……ネックレス自体は気に入ってるんだよな? と上条は首をかしげる。御坂妹は何に苦悩しているのか本当に想像がつかない。まだお店の方から戻ってこない美琴みことも少し気になるし、御坂妹までこんな感じだし、何だかとても踏んだり蹴ったりなのだった。
 とにかく機嫌を取ろう、と上条はオタオタと周囲を見回し、
「ん? お菓子売ってる。あれ食べよう御坂妹」
 とっさに食べ物の方向に話を振ってしまったのはおそらく純白シスターインデックスの影響えいきようみ付いているからだろう。我ながら嫌な反射だ、と上条は白己嫌悪けんおする。
 一方、御坂妹は上条の顔を無表情に眺めて、
「もので釣ろうとしてますか、とミサカは単刀直入に告げてみます」
「ううっ!?」
「しかしミサカのためを思っての言動を実行したその意思は尊重しましょう、とミサカは好意に甘えてみる事にします」
 とりあえず肯定のサインが出たので上条はお店に向かう。
 アイスクリームショップのように、地下街の通路に直接レジカウンターが隣接りんせつした小さなお店だ。売っているのは、ヒョコや子犬などの動物を模した小さなお菓子である。見た目はたこ焼きっぽいが、おそらくホットケーキ系の生地でカスタードクリームなどを包んでいるのだうう。洋菓子風にチーズやカスタードを入れた鯛焼たいやきみたいなものだ。
 黒い鉄板には直接動物の型が作られている。
 カウンターの向こうにいる大学生ぐらいのお姉さんはニコニコ微笑ほほえんで、
「ご注文の品はお決まりですかー?」
「これ、動物によって味が変わってたりすんですか。中身が違うとか」
「いえいえ。同じにしないとデータが取れないんでー」
「……?」
「えっと、人間って理屈じゃなくて感覚で無条件に好きになっちゃうデザインってあるじゃないですか。それを突き詰めると洋服とかお化粧とかの分野に応用できるんですよ。これはアンケートみたいなものでー、どの動物を選ぶかの統計を取ってるんです」
 上条かみじようは一歩退いて、改めてお店の看板を眺めてみる。
 明らかに貸し店舗っぽい看板には大学の名前もしっかり記されている。
「まあ害がないなら良いけど……どれにすっかな。やっぱりヒヨコが良い気がする」
「はーい。ヒヨコは五四票目です。まいどー」
 一品だけで五四っていうのは売れてるのか売れてないのか、と上条は最後まで首をひねりながら商品をもらった。
 透明なパックにはヒヨコが縦二列、横五っの合計一〇個が収まっている。ホットケーキっぽい黄色い生地の上には溶けたカラメルがかけてあった。爪楊枝つまようじの代わりに、プラスチックの小さなフォークが二本添えてある。
「ほい御坂みさか妹、お食べー」
「……、」
 上条はパックとずずいと勧めてみたが、御坂妹はヒヨコをじーっと眺めたままピタリと動きを止めていた。
 というより、何やらヒヨコと目を合わせているようにも見える。
「あの、御坂妹……?」
「……、」
 上条が言っても御坂妹は無反応だ。
 彼女は顔色を変えずに、『ちちちちち……』と小さく舌を鳴らし始めている。
(そういや御坂妹は記憶喪失きおくそうしつおれよりも世の中の経験が浅いんだよな。もしかすると食べ方が分からないのかも)
 御坂妹は何やらヒョコのくちばしを細い指先でチョンチョンとつついては『む、みつかないとは利口なヒヨコたちです、とミサカは感嘆のため息をつきます』とか何とか言っている。
 上条はおもむろに、プラスチックのフォークを取る。
 それから、御坂妹にレクチャーするために、試しにヒョコの背中にフォークの先端を突き刺した。
 御坂妹はビクゥ!! と肩を大きくふるわせて、
「ひっ、ヒヨコの丸っこいボディが!? とミサカは戦々恐々としてみます……。この子は何故なぜそこまで従順なのですか、とミサカは疑問を抱きますがヒヨコはピーとも鳴きません」
「ん? さっきからどうしたんだ御坂みさか妹。お前が食べないならおれが食っちまうそ」
「た、食べ……ッ!?」
 御坂妹が何やら。ソワソワとしている中、上条かみじよう怪誹けげんな顔でヒヨコを口に入れる。もにゅもにゆとんでみると、やっぱり洋菓子っぽい甘みが広がっていく。
「お、実験品のくせに結構美味うまいなこれ」
 一方そのころ、国の前の少年の口に放り込まれたヒヨコのつぶらなひとみ(チョコレート製)が御坂妹の目をぐと見つめている事に彼女は大変ショックを受けていた。
「………………………………………………………………………………、た」
 もぐもぐという音と共に、その何か言いたそうな可愛かわいらしい顔が噛みつぶされていく。
 御坂妹は、ぶるぶると体をふるわせると、
「たとえ実験品であってもォ! ミサカはこのヒヨコの命をおォォおおおおおォォおおおおおおおおおおおおおおおおおォォおおッ!!」
「もごオっ!? な、何で突然暴走気味にバチバチいってんだお前―――ッ!?」
 上条が叫び終わる前に御坂妹の全身から青白い火花が飛び散った。
 彼女は欠陥電気レデイオノイズ
 二万人集まっても超電磁砲レールガンかなわない程度の実力しかない。
 しかし馬鹿ばかにしてはならない。
 一〇億ボルトの二万分の一でも五万ボルトである。
「ぶわーっ!?」
 不幸にもその時、上条の左手にはフォークが、右手にはヒヨコの入ったパックが握られていた。つまり両手が完壁かんぺきふさがれていて―――そこへ五万ボルトが直撃ちよくげきした。
 いかに幻想殺しイマジンブレイカーがあってもこれは駄日だめだ。
 不意の一撃に上条はゴロゴロと地下街の床を転がっていく。
 通路を行き来していた学生たちが『おわっ』『バチッつったぞ今!?』とか恐々とささやき合っている、
「ハッ!? とミサカは散らばっていくヒョコを見て我に返ります!!」
 上条ではなくヒョコで正気に戻った辺り、よほどそちらに釘付けのようだ。
 御坂妹は裏返しになった透明のパックを拾い上げ、せっせとヒョコを元に戻していく。
 顔つきは真剣そのものだった。
 一方、そこら辺に転がされたままの上条はふらふらと起き上がると、
「う、うう。ごめん御坂妹……」
 謝ってきたので御坂妹は両手でヒヨコのパックを抱えつつも耳を傾ける。
 上条当麻とうまは言う。
「……食べ物を粗末にしちまった。でも三秒ルールがあるので地面に落ちても食べますおれ
 言い終わると同時に御坂みさか妹のりが放たれ上条かみじようが吹っ飛ばされた。
 ふーふーと珍しく荒い息をいている御坂妹の心境を上条はいまいちつかみきれない。よほどおなかが減っているんだろうか、と推測してみる。
 と、
 そんな『?』がいっぱいな上条の元に、さらに見知った顔が近づいてきた。
「ちょ……アンタたち何やってんのよ!?」
 上条というより、御坂妹の顔を見て慌てて小走りになったのは、御坂美琴みことだ。学生かばんほかに、電話会社のロゴが入った小さな紙袋をげていた。携帯電話そのものは換えていないはずだが、書類とか追加拡張チップのケースとかマスコットのストラップとかが入っているのだろう。コンビニやスーパー等では、ちょっとした荷物のためにいちいち袋を消費するのは白粛しようという動きもあるのだが、あのサービス店ではそういった運動はまだ行われていないらしい。
「しっかし……」
 御坂美琴と御坂妹。
 この二人が並ぶと本当に見分けがつかなくなる。と言っても、別に双子なんてそれほど珍しくもないので、地下街を行き交う人々に注目されているのは常盤台ときわだい中学というブランドの方にあるかもしれない。美琴と御坂妹はそっくりなのだが、御坂妹の首にネックレスがあるのでもう迷わない。良かった良かった。
 御坂妹は美琴の質問に、
「ミサカは奪われてしまった。ゴーグルを取り戻すために遠路はるばる地下街までやってきたのです、とミサカはお姉様オリジナルのカエルのマスコットに視線を奪われつつ答えます。検体番号シリアルナンパ 二〇〇〇一号の予想逃走ルートや迎撃げいげき用火器リストなどもありますがもうカエルに夢中なのでどうでもいいや、とミサカは適当に投げときます」
「コラちゃんと説明しなさいよアンタ!!」
 ムッとした美琴がゲコ太とピョン子を学生鞄の中に仕舞ってしまうと、御坂妹は表情を動かさず、しかしひとみの中にかなしそうな色を浮かべた。それから両手の中のヒヨコパックに視線を落とすと、
「……ミサカは浮気はしません、とミサカは手の中のヒヨコを再確認します」
「ミサカ『は』ってどういう意味よ……」
 あきれたように言ったが、美琴も美琴で御坂妹の持っているヒヨコのデザインにやや興味があるようだ。だが御坂妹は両手を使って胸の位置でヒヨコ達をがっちりと抱き、
お姉様オリジナルはそっちのカエルにでもうつつを抜かしていれば良いのです、とミサカは墓まで持っていくつもりの鉄壁ガードをきます」
「む。良いじゃないそのヒヨコ達をちょっとぐらい見せてくれても」
駄目だめなものは駄目です、とミサカは自己の意思を貫きます。そんなに欲しければミサカと同じくそっちの人に買ってもらえば良いでしょう、とミサカはあごを使って指名します」
 美琴みことがくるりと上条かみじようの方を振り返る。
「―――、」
 しばし無言だった彼女は、やがてゆっくりと深呼吸すると、
「……確か、アンタは勝負に負けてばつゲームで何でも言う事を聞くって話になってたわよね?」
「は? なに?」
「……アンタはそのために今日一日私に付き合ってる美琴さん専用機状態なのよね。私のためだけに一生懸命いつしようけんめい汗水垂らして頑張ってくれるのよね?」
「何で!? 何で御坂みさかの周辺の空気が不穏ふおんな感じに帯電してんの!?」
「それはアンタがこんな時までいつも通りだからよッ!! 人様の罰ゲームの最中だってのにあっちこっちで声かけやがって。そんなに妹ってひびきが大好きな人だったのかこのボンクラがァァあああああああああ!!」
 彼女の前髪から一〇億ボルトが炸裂さくれつしたが、上条は右拳みぎこぶしを振り回してこれをはじき飛ばす。そんな事を二回、三回とり返すにつれて、
「だぁームカつく!! 何なのその耐久性!? こういう時は適当にぶっ飛ばされてそっちの方にでも転がってりゃ良いのよ!!」
「だから何でキレてんだよテメェ! あとそのリクエスト受けたら死にますけどねおれ!!」
 さらに一〇回、二〇回と重ねていくと、ようやく不毛だと思い知らされたのか、美琴はぜーぜーはーはーと肩で息をしながら雷撃らいげきめる。ちなみに上条は腰が抜ける寸前であり、地下街は『警備員アンチスキル呼ぶ?』『いや巻き込まれたくねーなー』という空気に満ちており、御坂妹はお菓子のヒヨコのくちばしを人差し指でチョンチョンとつついている。
 ふと御坂妹はヒョコから顔を上げて、
「ところでお姉様オリジナルはここで何をしているのですか、とミサカは情報収集を開始します」
「ううっ!?」
 ビクッ! と美琴の肩が大きく震えた。
 別に特別な事をしている訳でもないのに、美琴は何やら御坂妹から目をらすと、
「い、いや、大覇星祭だいはせいさいで罰ゲームを巡ってちょっとした勝負をして、そんで私が勝ったから勝者としてこの馬鹿ばかを引きずり回しているだけよそれだけよ。えーとそのそもそも大覇星祭の事から説明した方が良いのかしらつまりね」
「つまりお姉様オリジナルは素直になれないのですか、とミサカは情報分析を開始します」
「ぶっ!? どこで集めた情報をどう分析したらそんな結論に達するのよ!! わっ、私は別に裏表なんてないわ。素直になれないだなんて言葉には全く縁はないわね! 大体こんなの相手に索直になった所で何をしろってのよ? こんなボンクラにッ!」
 ビッ! と上条かみじようの顔を指差す美琴みことに、御坂みさか妹は顔色を変えずに、
「む、こんなのというぞんざいな扱いは理解できません、とミサカは反論してみます。この人はミサカの命の恩人でありこんなの程度ではないのです、とミサカはスラスラと訂正を求めます」
「うっ……。で、でもそれは今のこの状況とは何の関係もないじゃない。このボンクラをボンクラと呼ぶ事の何が悪いってのよ」
「そうですか、どこまでも素査にならないのですね、とミサカは最終確認を取ります」
 御坂妹は、スッ……と一度だけ美琴のひとみのぞき込むと、

「ではミサカは素直になってみます、とミサカはお姉様オリジナルとは違う道を歩んでみます」

 言った途端に。
 御坂妹は上条のとなりに立つと、いきなり彼の右腕にギュッと抱きついた。
 彼女のうすい胸がひじの辺りにぶつかり、
「どァあっ!?」
 上条の心臓がバコーン!! と跳ねる。
 一瞬いつしゆんショックで呼吸困難におちいりかける純情少年だったが、パニックゆえに目の前で美琴がパク

パクと口を開閉させている事にまで目がいっていない。辺りの男子学生たちが時折チラチラとこちらを見ているのだが、そんな事にも全く気がついていない。
「な、な、なぁ……」
 愕然がくぜんとする美琴みことの目の前で、上条かみじようの右腕にしがみついたままの御坂みさか妹は体をすり寄せるように身をよじると、
「チラリ、とミサカはさりげなく買っていただいたアクセサリーをお姉様オリジナルに見せつけてみます」
「!?」
 ビキリ、と美琴の頭から変な音が聞こえる。
 御坂妹はさらに畳み掛けようとしたが、
 トテトテ、ガシイ!! と。
「ミサカも反対側から抱きついてみる、ってミサカはミサカは面自そうな事に混ぜてもらってみたり!! わーい!!」
 今度は上条の左腕に一〇歳ぐらいの少女がぶら下がってきた。
 ギョッとした上条がそちらを見ると、体は幼いのに顔つきは美琴そっくりだった。御坂妹と同じゴーグルを身につけているのだが、ゴムバンドがゆるゆるなのでおでこを通り越して首に引っかかってしまっている。
だれだコイツ!? 妹の妹!?」
 もううすいのを通り越してなんかコツコツした硬さが伝わるだけの感触に上条は困惑しつつも素性すじようを尋ねる。
 しかし答えが返ってくる前に、
検体番号シリアルナンバー二〇〇〇一号、ミサカの前にノコノコと顔を出すとは良い度胸ですね、とミサカは本気モードに移行します」
「ふふふミサカはもうそのゲームには飽きてしまったのだ、ってミサカはミサカは次なるエンターテイメントの発掘に出かけてみたり」
のがすとお思いですか! とミサカはかばんの中からサブマシンガンを取り出します!」
 ジャゴッ!! という鈍い金属音に美琴が『ぶっ!?』と吹き出し、やたら小さい女の子はその間に高速で人混みの中へと消えてしまった。
 御坂妹は『ぞんざいに扱ったらたたき殺します、とミサカは忠告しておきます』とこっそり上条に耳打ちしつつヒヨコをそっと押し付けると、どう考えてもオモチャに見えない銃器類を片手に人の山へと突撃とつげきしていく。
 壁の向こうから声が聞こえる。
「その租度で本気とは片腹痛いなーっ! ってミサカはミサカは小馬鹿こばかにしてみたり」
「まだまだ本番はこれからです、とミサカはミサカ完全武装フルブーストへと最終展開しますッ!!」
 ガシャガシャガチャチャ!! と人混みの先から何かを組み立てるような異様な金属音が連続する。ちょっとのぞいてみたいがやっぱり怖いので近づかないでおこう、と上条かみじようは心に誓ってみた。

     4

 午後五時。
 一方通行アクセラレータは冷房の効いたマンションから外へ出ると、アスファルトの上につえをつく。もう片方の手には連絡用の携帯電話が握られていた。
 結局、いつまでっても帰って来ない打ち止めラストオーダーを捜す事になった。
 今日は学園都市全体が半日授業だったらしいが、この時間帯になると平日とも区別はない。新調した冬服を馴染なじませるためなのか、そこらを歩いている連中の身なりは大抵がセーラー服だったり詰襟つめえりだったりする。えて違いを語るとすれば、新品特有のにおいのようなものがそこらじゅうでうっすら漂っているぐらいか。
「ウザってェ天気だ……」
 一方通行アクセラレータは適当に空を見上げてつぶやいた。 今まで建物の中にいたから気づかなかったが、青かった空がいつの間にか灰色……というより、ほとんど黒に近い雲におおわれていた。もういつ降り始めてもおかしくない感じだ。気象情報の整理にも使われていた学園都市のスーパーコンピュータ『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』はすでに破壊はかいされているため、最近は夕立など突発的な天気の移り変わりを予測できなくなっている。
『あちゃー。こりゃ降り出す前に見つけて帰りたいじゃんか』
 同じく頭上を見上げているのか、電話の向こうから黄泉川よみかわの声が聞こえる。ちなみに芳川よしかわは留守番だ。捜索中に打ち止めラストオーダーがマンションに帰ってくる可能性があり、その場合、かぎも暗証番号もない打ち止めラストオーダーは正面玄関前でポツンと立ち尽くす羽目になるからだ。
 彼は舌打ちする。
 立ち尽くすだけなら良いが、暇さえあればどこまでも突っ走っていくあの子供がその場にとどまる可能性は極めて低い。飽きたらどこかに行ってしまい、それが余計に捜索を困難にする恐れもある。
 一方通行アクセラレータは携帯電話をつかみ直し、
「オマエは車だろオがよ」
『ドア開けて傘を差すまででもれるのは嫌じゃんか』
 このモヤシ人間が、と一方通行アクセラレータは毒づこうとしたがやめておいた。太陽光の紫外線をけて休の色が白くなっているのは彼の方だからだ。
「で、あのガキがどの辺にいるのかは大雑把おおざつぱに掴めたンかよ」
『あの子の後ろで流れてたのは近くの地下街で使われている室内音楽っぽいじゃんか』
「あァ? 事件でもねエ迷子捜しに解析機材でも使ったのか」
『だから迷子捜索もウチらのお仕事じゃんか。えーっとね。あの子がかけてきた電話の、音声の後ろで流れている音楽を解析して場所を確認してるじゃんよ』
「はン。そりゃ街中に流れてる『耳に入らない音』の事か」
『へー。気づいてる人がいるなんて。厳密には可聴域かちよういき外の低周波だけどね』
 馬鹿ばかが、と一方通行アクセラレータは吐き捨てた。彼は世界のあらゆるベクトルを観測、計算、制御する能力者だ。口に見えない、耳に聞こえない程度で見逃していたら、放射線などを防ぐ事はできない。
「ありゃ店内BGMとかのスピーカーから、音楽に混ぜてこっそり流してるモンだよな「
『そ、あの低周波だけじゃ意味がないんだけど、私達警備員たちのノンチスかガルが持ってる特別な周波数をぶつけると、きちんとした音になるって訳じゃん。スピーカー一つ一つが違う音を検出するようにできててね、その音を調べると「どこから電話を使っているか」が大休分かる。ま、今じゃ逆探知をあざむく機械なんて簡単に手に入るから、こういった努力が必要じゃんよ』
 つってもこれも探索法の一つで、普通は何種類かの方法を使って多角的に情報を整理するんだけどね、とか何とか黄泉川よみかわは言っている。
 面倒な仕組みだ、と一方通行アクセラレータは息を吐いた。
 この手の大雑把おおざつぱな仕掛けを難なく実行していくのが学園都市の特徴だろう。実際には制度の改定や装置の配備など様々な問題があっただろうが、それらをすべて『実験だから』の一言で押し通せるのである。
「で、おれはこっから地下街に向かやァ良いのか」
『ひとまずは、ね。あのすばしっこいのが一ヶ所にとどまってるとは思えないから、そこから聞き込み開始じゃんよ』
「……、この一方通行おれが? この格好シロづくめでか?」
『はーいスマイルスマイル笑顔の練習ー』
 アホか、と一方通行アクセラレータは舌打ちする。
 とにかく彼は悪い意味であまりにも有名すぎる。この超能力者レベル5が笑顔なんぞ作って接近したら、相手はショックで死ぬかもしれない。『殺人犯に狙われてるかと思ってとっさに撃っちゃいました』という事態になっても彼は納得する。はっきり言えば、それは仕方がないだろう。仕方がないから返り討ちにするしかない。
 だが、何にしても打ち止めラストオーダーを捜すには情報を集める必要がある。
 ウザったい事になりそォだ、と一方通行アクセラレータは思わずつぶやいた。
 と、黄泉川は不意に言った。
『ねぇ一方通行アクセラレータ
「何だ」
『そんなに他人に好意を向ける事が怖いの?』
「……また随分と楽しげな話題だなァオイ。放課後の散歩にはピッタリだ」
『暴君ってのは楽じゃんか』
 黄泉川よみかわは話を聞いていない。
 というよりも、聞いた上で受け流している。
『そりゃ人それぞれで苦悩もあんでしょうけど、でもやっぱり気楽な部分もあるはずじゃん。
だって、暴君は裏切られない。仲が冷める心配もない。自分の見せた好意を跳ねけられる恐れもない。何故なぜなら恐怖と憎悪ぞうおの対象でしかないから』
 すらすらと言葉は出た。
 一方通行アクセラレータはそれを聞く。
『人間関係ってのが好意と悪意のみで成立している、なんて単純な事は言わないじゃん。でも、今までの君は目の前のすべてを拒絶と悪意で跳ね返せば良かったのは事実じゃん。楽だよね。これからは違うけど。だから尋ねてるんじゃんか。好意と悪意、どちらを見せるか選ぶのはそんなに怖いのかって』
「くっだらねェな。おれが―――」
『事実』
 黄泉川は一方通行アクセラレータの言葉を封じる。
『君は打ち止めラストオーダーからの好意は受け入れているものの、自分から打ち止めラストオーダーへ好意を向ける事を恐れている。君たちの関係一見良好に見えるけど、実際には打ち止めラストオーダーから好意の供給が絶たれればつなぎ止める事のできない、とっても危ういモノじゃんか』
 その声は平たく。
 無理に力説しないがゆえに、余裕という名の真実味がある。
『怖いのかな、一方通行アクセラレータ距離きよりを縮める方法が分からないから、これ以上それをはなされるかもしれない行為に出るのは。自分の行いが裏目に出てさらに距離が遠ざかれば、もう自分から元に戻す事ができなくなるのが。でもね、それをしない事には始まらないじゃんよ』
「説教か」
『柄じゃないのは理解してるけど、私も一応は教師だからじゃん。ま、私ごときした警備員アンチスキルに、君の闇を知る機会なんてないとは思ってるけど』
 ああ、と一方通行アクセラレータは理解する。
 コイツはすでに彼の素性すじようについて、書庫パンクへ探りを入れてみたのだろう。
 そこで行き詰まったから、こうして本人に尋ねているのだ。
「回りくどい野郎だ」
『君が昔いた所なんだけど……。出てきた名前が名前だけに、ね』
「特力研だろ」
 黄泉川よみかわが口に出すのをためらった名前を、一方通行アクセラレータはあっさりと出した。
 それは書庫バンクの中でも特に厳重な領域に記録……というより封印された施設の名だ。、
「正式名称は特例能力者多重調整技術研究所。おれが九歳まで放り込まれてた『学校ホーム』で、敷地しきち内に死体処分場があるってウワサされてた地獄だな」
 学校と死体処分場という、あまりにもみ合わないワードが並んでいるのは、学園都市特有のものだ。この街では学校とは同時に能力開発の研究所や試験場も兼ねている。そこからウワサが派生していくと『非入道的な研究を行う殺人施設』という話が構築される。
「実際にゃあウワサ以上の施設だった。死体処分場なンてモンじゃねェよ。逆だ、生きた人間を処分するための掃き溜めさ。オマエも話ぐれエは聞いた事があンじゃねエのか」
『……、そりゃあね』
 特力研は多重能力者デユアルスキルの研究・実験を主体とした施設だ。今でこそ学生は一つの能力しか使えない、二つ以上の力を同時に発現させるのは不可能だという結論が出ているが、そのデータは主にここで採取された。
 つまり、法則を発見するまで延々と『失敗』をり返していたのだ。
 能力開発は暗示や薬物すら用い、脳の構造に直接影響えいきようを及ぼす、その『失敗』という二文字がどれほどの惨事を生んだかは想像しない方が良い。死んだ方がマシ、というふざけた言葉の意味を知る事になるからだ。 黄泉川は告げる、。
『あそこを制圧、解体したのは私の部隊だったから』
「そりやどォも」
『末期の特力研はきっと法則に気づいていた。能力者には一つの力しか宿らないってね。それでも自らの名声のために、完成された多重能力者ゆアユアルスキルを欲し、多くの子供たち犠牲ぎせいにしたんじゃん。
特に「置き去りチヤイルドエラー」を使って』
置き去りチヤイルドエラー』というのは学園都市の社会現象の一つだ。
 学園都市は基本的に全寮制ぜんりようせいで、それ以外のケースにしても同じ街のパン屋に居候いそうろうするなど、学園都市内に住居を持つ事が原則となる。しかし、まれに最初から子供を捨てるために学園都市に入学費川だけを払って、子供が寮に入ったのを確認してから蒸発する者がいる、コインロッカーに幼子を詰め込むよりはマシだろうが、やっている事のレベルは同じである。
 そうなった子供達を保護する制度が学園都市には存在する、、
 だが、それを逆手に取った寄生虫のような研究チームなども存在する。『プロデュース』『暗闇の五月計画『暴走能力の法則解析用誘爆ゆうばく実験』……。先進的な学園都市の内部でも認められない研究は、こうして実行されていく。
『……私も見たよ。重たい扉の向こうに横たわっている「それ」を』
 黄泉川の声は重たい。
 それを聞いて一方通行アクセラレータは笑った。
 あの程度が地獄の底だと思っている、この一般人の良識に。
 その貧困な想像力は、きっと黄泉川愛穂よみかわあいほが健全な世界に住む人問だという証拠になる。
 すペてを知って笑っている一方通行アクセラレータと違って。
「だが残念な事におれはオマエの活躍かつやくを見てねエな。さっきも言ったが、俺が特力研にいたのは九歳までだ。そこからほかに移された。何故なぜだか分かるか」
 一方通行アクセラレータは口の端をゆがめて、
「手に負えなくなったからさ。あの地獄の特力研でも、俺の力はがたかった。あの悪魔あくまみてェな白衣の連中でさえ、この俺に恐怖した。つまり俺はそオいう種類の怪物なンだよ」白い学生は携帯電話に向かって語る。「その後も同じだよ。くだらねエ。虚数研きよすうけん叡智研えいちけん霧ヶ丘きりがおか付属……まァ、オマエじゃ端っこもつかめねェぐれェの『深部』だが、反応は全部同じだった。知ってるか、悲劇ってのは意外と柔らかいンだよ。だから俺の体はすり抜けちまう。そこで受け止め切れずに、さらにずぶずぶ沈ンでいっちまう。深く深くにな」
 一方通行アクセラレータつえをつく。
 まるで路上につばくように、ガツッと杖の下端がアスファルトに激突する。
「同じ場所に二ヶ月った事はなかったぜ。そのたびに俺は自分の怪物性を再確認していったってワケだ。連中が悪魔的であれば悪魔的であるほど、ソイツらにすら恐怖される自分は一体何なンだろオなってなァ」
 その手に負えずに受け取り先も少なくなってきた怪物を、芳川よしかわの所属する『絶対能力レペル6』の研究所が引き取った訳だ。あそこの待遇は格別だったし、そのおかげもあって二ヶ月以上は保った。しかしそれは一方通行アクセラレータに対する恐怖の裏返しだろう。怒らせたくない、と顔に表れていた。違ったのは、あの『甘い』芳川ぐらいか。
 最終的に一万人以上の人間を虐殺した研究者たちにしても同じ対応。
 決して溶け込む事のない距離感きよりかん
 恐怖。
 暗闇くらやみからも拒絶された白色。
 結局は、それが一方通行アクセラレータを示す言葉なのだ。
「好意を向けるなンざ不可能だ。むなしいンだよ。一億の負債に対して一円を返済した所で何になる。利子だけで食いつぶされる好意なンざ払う気も起きねエ。、考えるだけで馬鹿馬鹿ばかばかしい。寒気がする。すべてを払い終えて日差しの中で笑ってる光景なンてよォ」
 無様な声だった。
 借金の自慢なんかしてどうする、と一方通行アクセラレータは自分に毒づく。
 黄泉川はしばらくだまっていた。
 それから、彼女は告げる。
綺麗事きれいごとかもしれないけど、それでも君は払う事を忘れた自分に嫌悪けんおしているじゃん。その一億を支払う方法があるとすれば今すぐ食いつきたい。違う?』
「……、フン」
 一方通行アクセラレータはろくに返事もしない。
 対して、黄泉川よみかわの口調は変わらない。彼女は最初から真剣だった。
『例えばさ。私は子供に対しては武器を向けない。相手が能力者だろうが何だろうが、絶対に武器を向けない。これは私が自分に定めたルールなんだけど』
「あァ?」
『何で私がそんな事をしてると思う?』
「……、」
『どうして子供に武器を突きつける事にためらってるか分かる?』
 コイツ……、と一方通行アクセラレータは心の中でつぶやく。
 声かられる暗い感情のにおいに、彼は思わず裏路地の光景を思い浮かべてしまう。
『そういう事よ。確かに君の「量」は私なんかと比べ物にならないかもしれない。けど、「質」の方は大して変わらない。ならやるべき事の規模は違っていても種類は同じじゃんか』黄泉川の声が一方通行アクセラレータを突き刺す。『……どんなに無様だろうが、 一円でも一銭でも払い続けるしかないじゃんよ。その積み重ねは必ず君の道を開く。なに、君は私と違って力がある。一気に返済する手はいくらでもあるじゃんか』
「笑える意見だな。あまりにも微笑ほほえましくって顔がゆがンじまう」
『最も安直な方法は風紀委員ジヤツジメントとして参加する事かな。君の名があるだけで学園都市の治安が今より三割ほど安定するんじゃん? 必要なら書類はそろえておくけど』
馬鹿ばかげてやがる」
 一方通行アクセラレータ一蹴いつしゆうした。
 これはそういう種類の力ではない。両腕を振れば返り血を浴びるような、そんな力でしかない。種類としては原子力以下、平和利用の糸口が一切見えない絶大なる負の力。挑戦する事はできても、決して結果にはつながらない。彼の行為はただ破壊はかいしか生み出さない。
 それでも。
 もしも、と思った事はあるかもしれない。
 もしも、この力を使って『実験』を止めていれば。
 もしも、死の道へと突き進む妹達シスターズを押さえつける事ができていれば。
 そして。
 もしも、今からでも遅くはないのなら。
 彼の前で振りかれてきた、そしてこれから振り撒かれるかもしれない死の数は、一体どれぐらい軽減されるのか。
 絶対に実現のしない机上の空論だ。
 できる訳がない。
 分かっている。
 いちいちだれに言われるまでもなく、その力を行使し続けた彼自身が何者よりも。
 それでも、
「くっだらねェ」
『そのくだらないものの積み重ねが負債を返済していくじゃんよ』
 黄泉川愛穂よみかわあいほはそう告げた。
 陽射ひざしを浴びている者の声で。

   行間 三

 風斬氷華かざきりひようかは学園都市を歩いていた。
 地味な少女である。腰まである長い髪の色は自然のまま……と言ってしまえば聞こえは良いが、ようは手を加えていない。せいぜい頭の横で一房の髪をゴムで束ねて分けているぐらいか。整った顔立ち。も野暮やぼったい大きな眼鏡に隠され、化粧っけが全くない。おまけに制服のスカートは膝下ひざしたまで伸びていた。どう考えても繁華街はんかがいを歩くような格好ではない。
 しかし彼女の姿は人の目を引く。
 スタイルの優れた美人である事より、もっと不自然な現象が注目を浴びている。
 ノイズだ。
 ひっそりと咲く小さな花のような雰囲気ふんいきの少女は、その輪郭が時々ゆがむ。風に流されるきりのように、受信状況の悪いテレビのように、ザザザザと耳障みみざわりな音を立てて、グニャグニャとシルエットが崩れ、また元へと戻っていく。夏のワイシャツが揺れたと思った時には、青い色のブレザーに包まれていた。
 彼女はそれでも街を歩く。
 通常なら大騒おおさわぎになりそうな光景だが、周囲の反応は『注目を浴びる』程度でしかない。
 ここは超能力と科学技術の街だから。
 大抵の不自然な状況は、拒絶される事もなく受け入れてもらえる。
 しカし
「おーい、だれだぁ?」
 そう言って風斬の近くへ走ってきたのは警備員アンチスキルの男だった。事件が起きれば銃器すら扱って制圧に乗り出すエキスパートだが、彼らの本職は教師である。なので、その男もエージェントというほどの鋭さはない。
 この警備員アンチスキルも、風斬の存在をいつもの街の一風景として受け入れている。
 だから風斬氷華を排除しようという訳ではない。
 だが、
「まったく、こんな立体映像なんか出しやがって。どこに能力者はいるんだ。随分と手の込んだイタズラだな」
 彼の目は風斬を見ていない。
 街の光景として受け入れてはいても、それは単なる現象としての話。
 超能力と科学技術。
 この街では大抵のおかしな現象はすべて、それらの言葉で自己解決される。『あれは自分の知らない技術によって作られた現象または実験なのだ』で全てを納得できるのが学園都市だ。
 だから風斬氷華かざきりひようかはこうして街を歩く事ができる。
 だれがどう見ても人間ではない、本人いわく『怪物』も、排斥はいせきされずに受け入れられる。
 それは幸運なのか。
 または不幸なのか。
 風斬氷華は能力者の手で作られた立体映像ノイズであり、一人の心を持った人間だと認めている訳ではない。
 彼女は小さく笑う。
 わずかに苦い、寂しさを交えた笑み。
 それは人間らしいとしか表現のできない、あまりにも淡い表情だった。
「……また精密な幻像じゃないか。先生が照れるとでも思ってんのか?」
 これも受け入れられた。
 一番大切な部分だけを除いて。

   

chap5

第四章 緩やかに交差する二組 Boy_Meets_Girl (×2).

     1

 御坂美琴みさかみことはどこかへ行ってしまった。
 何だか良く分からないが御坂妹や彼女と一緒いつしよにいたっこいのを見た途端に機嫌が悪くなったのだ。
『ねえちょっと、今日はだればつゲームとしてここにいると思ってんのよ!! 私のために一日働くんじゃなかった訳!?』
 とか顔を其っ赤にして確認を求めてきたので、上条かみじようとしては素直に、
『え? お前の目的はゲコ太だけなんだろ?』
 と答えた所、何故なぜか美琴は自分の唇を小さくんで、
『……ッ!! な、あ、う、そうよ! ゲコ太とピヨン子が手に入ればアンタなんかもう用済みよ! 何が罰ゲームよ、この馬鹿ばか!!』
 そんな叫びと共に㍑蜷の榔が飛んできたため、現在上条は地下街の隅の方を転がっている訳である。上条は一応一〇億ボルトを右手ではじき飛ばす事に成功していたのだが、ビビッてそのまま後ろにコケていた。
(な、何が悪かったんだろう……?)
『もう良いわ!!』と美琴は叫んで猛ダッシュでどこかへ走り去ってしまうし、置いてきぼりにされた上条はこれで罰ゲームから解放されたのかも判然としないし、何だかグダグダなのだった。
(しっかし今日は御坂妹だの白井黒子しらいくろこだの何なんだ?)
 上条は首をひねる。
 一番の不審人物は御坂妹の近くにいた、一〇歳ぐらいの少女だろう。顔立ちは美琴……というか御坂妹とそっくりだったのだが、彼女は本気で誰だったのだろう? ミサカ後続シリーズとかでさらに二万人追加とかだったらやだなぁ、と上条はちょっと冷や汗を流す。この街ならそれぐらいありそうだから本当に嫌だ。
 彼はため息混じりで、
「だぁー。一応後で御坂妹に尋ねてみよう。これを放ったらかしにしておいたら後でひどいツケが回ってきそうな気がするし」
「何を莫大ばくだいな疲労感に肩を落としているの? ってミサカはミサカはいやし系マスコットとしてあなたの背中に張り付いてみたり」
 思わずこぼした独り言に妙な返事があったと思ったら、背中に、のしっ、という重みが加わった。背中に伝わる丸っこい感触に、上条かみじようはゾゾワァ!! と全身の毛を逆立たせ、
「な、なに!? だれだ、子泣きジジィか!!」
「ミサカの性別はメスだし学園都市でオカルトを語るのはナンセンスかも、ってミサカはミサカは安定感を得るためさらに身をすり寄せてみる。ここミサカの定位置にしたい、ってミサカはミサカはついでに要求してみたり」
 のしーっ、と生温かい体温の塊がちょっとだけ重みを増す。
 背中のゾワゾワ感がクライマックスに達した上条は、
「うおおわっ!! 何ですかこれーっ!?」
 叫びつつ自分の両手を頭方向から後ろへ回し、背中にくっついているものをがっちりホールドするとダンクシュート状に顔の前へ引きずり出す。と、逆さまにぶら下がっているのは御坂みさか妹をっこくした例のなぞ少女だった。
 誰だろうこの子? と上条は首をかしげる。
 上下反対になっている女の子も仕草を真似まねて首を傾げていた。

     2

 一体何でこンな事になってンだ? と一方通行アクセラレータは肩を落としていた。
 ここは地下街の入口を入ってすぐそこ……といった場所である。ファストフード店のオープンスペースとして、店の外にもいくつかテーブルが並べてある。が、地下街なので店内と外の区別は限りなく怪しい。
 そのテーブルの一つに、真っ白な修道服を着た銀髪で緑色のひとみの少女がグベチャーと突っ伏していて、彼女は大量のハンバーガーやフライドポテトやサラダその他に埋もれていた。一応念のために言っておくがこれは一方通行アクセラレータが買い与えたものだ。この少女は一銭たりともお金を持っていなかったのだ。
 そもそもこんな事になったきっかけは、一方通行アクセラレータ打ち止めラストオーダーを捜すために現代的なデザインのつえをついて地下街に入った所、いきなり横からこの謎少女が激突してきた事にある。
 彼女はいかにもふらふらですといった足取りと口調で一方通行アクセラレータに向かって、
「あれえとうまじゃないとうまじゃないよとうまだと思っていたのに何でとうまじゃないのこの人とうまはどこに行ったの何でも良いけどおなかが減って動けないんだよあの塩と胡椒こしようとお肉のにおいがジュージューと漂っててとにかくあれ食べたいあれ食べたいどうすれば良いのあれ食べるにはどうすれば良いの?」
「……、」
 普段ふだんならこの時点でこの女の全身を粉々にしてその辺に捨てておこうと考える一方通行アクセラレータだが、何とも間が悪い事につい数分前に黄泉川よみかわから『たまには良い事でもしてみたら?』的な発言をされたばかりである。いやはや慣れないトークなどするべきではないものだ。別に黄泉川との会話など律儀りちぎに心の隅にとどめておく必要などどこにもないのだが、ここで真っ白シスターをなぐり倒して先に進んでしまうと、何となく『お前の煙草タバコやめます宣言は三〇分しかたなかったなあっはっはー』に似たニュアンスの台詞せりふを言われる気がするのでそれはそれでしやくだ。
 人の話を聞かずにしゃべり続ける所が少しあのガキと似ているなとも思ったが、それが気にかかったと認めるのは死んでも嫌だった。
 よって、近くにあったファストフード店に空腹シスターをり入れて財布を投げつけた所、『あれもこれも全部食べてみたい』という馬鹿ばかげた台詞をきやがったため、現在に至るという訳だ。
 一方通行アクセラレータは過去に様々な研究プロジエクトに体を貸している。金は使っていない口座にいくらでも放り込んであるのだから金銭面の問題はないのだが……しかしまぁ、これだけの数のハンバーガーをガツガツ消費していくこの修道女の許容量はどんなものなんだろう?
 ちなみにこの修道女、両手で小さな三毛猫みけねこを抱えていたのだが、こちらはおなかが減っていないのかハンバーガーに興味を示していなかった(どのみち、細かく刻んだタマネギが使われているので駄目だめなのだが)。コイツは地下街に迷い込んできた野良猫のらねこ相手にミニャーミニャーと鳴き合っている。おそらく『今年の秋はしなやかな筋肉がくるらしいぜ』『ウソだろーっ!? オレずっと爪研つめといでたわーっ!!』みたいな事を話し込んでいるのだろう。この猫たち縄張なわばり意識とかはないのだろうか。
 一方通行アクセラレータは、目の前に広がる暴食の光景を眺め、
「馬鹿げてやがる……。あのクソガキ相手にしたってここまで疲れたりしねェぞ」
「もが?}
「いちいち動き止めてねェで一気に食え。そして俺に何か言う事があンじゃねエのか?」
「ごきゅ。うん、ありがとうね」
「―――一言かよオイ」
 これは大変な人間と遭遇してしまった、と一方通行アクセラレータは首をゆるく振った。日頃ひごろからこんなのの相手をさせられている彼女の知人様にはご冥福めいふくをお祈りする。
 修道女は並べられたLサイズのジュースのボトルに口をつけ、ちょっとした小型ペットボトルほどの大きさの飲料をそれぞれ五秒で飲み干していくと、
「えとね、私の名前はインデックスって言うんだよ?」
「味分かンのかそれ?」
「とうまを捜してたんだけど途中でおなかが減っちゃってね。というか、そもそもお腹が減ったからとうまを捜そうって思ったんだけど」
 インデックスはジュースのボトルの中にあった細かい氷を口の中に放り込み、わずかに肩をふるふるとふるわせる。無邪気というか食欲旺盛おうせいというか、口の周りにソースがついている事にも気づいていないようだ。こういうデメリットばかりが打ち止めラストオーダーに似ている。
「……チッ」
 一方通行アクセラレータは舌打ちすると、ポケットティッシュを取り出して、無言でインデックスの顔に投げつけた。さらに彼女がビニール包装からティッシュを取り出すのに悪戦苦闘くとうしているのを見て、ため息をく。何だこの現代知識の欠如っぷりは。
(それにしても、コイツの目的も人捜し、ね……)
 一方通行アクセラレータはついこの間まで毛布一枚でその辺をウロウロしていた不審人物の顔を思い浮かべた。、携帯電話のスイッチを入れ、小さな画面に打ち止めラストオーダーの顔写真のデータを表示して(カメラ機能があると言ったら奪い取られて勝手に使われた。フォーカスも何もなく、ただ画面いっぱいに顔があるだけ)、それをインデックスの方へ向けつつ、
「オマエ、こォいうガキを見た事あるか?」
「ないよ」
 一撃いちげき即答だった。

 が、興味がなくて適当に言っているのではないようで、妙に自信にあふれている。
「私は一度見た人の顔は忘れないから、間違いないと思うけど」
「あン?」
 一方通行アクセラレータまゆをひそめたが、インデックスの方は大量のハンバーガーを食べたせいですっかり満足なのか、あんまり説明する気はないようだ。幸せそうな顔でテーブルにべちゃーと突っ伏す。
「いやー、でも良かった。もう一度言うけど本当にありがとうね。これでおなかの事を気にせずとうまを捜しに行けるし。お腹がいっぱいになっちゃったからとうまを捜す理由もうすくなっちゃった気がするけど、ここまで来たら見つけないと何となく気が済まないし」
「あァそォかよ俺は手伝わねェぞ」
「こっちに来てちょっとつんだけどいまだに街の様子とか良く分からないし。私の頭なら道が分からなくなるなんて事はないんだけどなあ。もしかしたら単に覚えるだけじゃ駄目だめなのかも。でもどっちみちこうして学園都市の人と会えたんなら」
「そォかいヨソ当たれ」
「……、あなた、何やってる人? 忙しいの?」
生憎あいにくと大忙しだ」
 一方通行アクセラレータつえに力を込めて、椅子いすから立ち上がる。
 残念ながら、奇遇にも彼も人捜しなのだが。

     3

「つまりお前は御坂みさか妹とかを全部束ねてるホストコンピュータみたいなモンなのか?」
 上条かみじようは目を丸くして尋ねた。
 一通りの説明を終えた打ち止めラストオーダー(また偽名っぽいなあ……と上条は思ったがだまっておく)は、その小さな両手をぶんぶんと振り回して、
「ホストというよりコンソールに近いかも、ってミサカはミサカは訂正してみたり。ミサカの中心点はどこにもなくて、ネットワークの中で特定の個休が『核』として存在する事にはあんまり意味がないの、ってミサカはミサカは偉そうに胸を張って講釈してみる」
 何でも、大量の妹達シスターズが暴走を起こした時に、それを人間側の手で食い止めるために作られたのが彼女らしい。妹達シスタアズが作るある種のネットワークにそれ以外の者の手で介入するという、最終信号ラストオ ゲ との事だった。
 その、話を聞くだけで何だかスゴそうなヤツ(正直、上条はあんまり具体的な実感が湧いていなかった)が、何でまたこんな所で油を売っているんだろう? と上条は疑問を抱く。
「あのねー、ミサカは『実験』の時にあなたに助けてもらったからそのお礼を言いに来たの、ってミサカはミサカはつるの恩返し的展開を提示してみたり」
「という建前で本音は何なんだよ?」
一瞬いつしゆんたりとも信用してないし! ってミサカはミサカは地団駄じだんだんでみたり!! それはまぁあなたにお礼を言いに来たっていうのは偶然によるこじつけだけど、ってミサカはミサカは本心を明かしてみるけど!」
「じゃあおれの不信感は正解じゃねえか」
「そのデリカシーのなさがミサカは頭にくるのーっ! ってミサカはミサカは両手を振り回してポカポカやってみる!!」
 どうも怒らせてしまったらしい。
 仕方がないので上条かみじようはあちこちを見回して、
「悪い悪い悪かったあそこでポップコーン売ってるからそれでお許しくだせぇ」
「女の子の繊細せんさいな心理を食べ物ごときで誘導ゆうどうできると思っているの!? ってミサカはミサカは愕然がくぜんとしてみる!!」
 ありゃ? と上条は思う。
 どうもインデックスを相手にした対処法が身にみてしまったらしい。これはいけない、と上条は素直に反省したのち、
「ごめん。じゃあ断食な」
「食べるけど! ポップコーン大歓迎だけど! ってミサカはミサカはポップコーンはもらうけど怒るのはやめないという新技を披露ひろうしてみたり!!」
 どっちなんだよもう、と上条はややウンザリしたが、打ち止めラストオーダーがぐいぐいと上条のズボンを引っ張っている所を見ると、やはり最終的には食べ物系で話は収まりそうだ。
 上条はキャラメル系の甘ったるい味付けがされたポップコーンの円筒ボックスを買ってくると、それを打ち止めラストオーダーの小さな体にぐいーっと押し付ける。
「おお、ミサカの頭と同じぐらいの大きさがあるかも、ってミサカはミサカは徳用サイズに感心してみたり」
「……しまったな。どう考えてもお前の胃袋よりもビッグサイズな気がするんだけど」
 まあ、知り合いの修道女はシャチでも難なくたいらげてしまいそうなぐらいだし、問題にするほどでもないかな、と上条は考えていた。
 二分後。
 ポップコーンの巨大な容器を片手で抱え、もう片方の手で口元を押さえ、思い切りうずくまってプルプルとふるえている幼女が一人発見された。
 いたたまれなくなった上条は、打ち止めラストオーダーの細い肩へと手を置いて、
「……残してもオツケーだぞ?」
「みゅ、ミサカはいただいた物を粗末に扱うようなお馬鹿ばかさんではないゲブ」
 ついさっきまでの事務的っぽい口調が完壁かんべきに崩れている。そもそも、あの骨ったるいポップコーンを飲み物なしで完食しようというのが間違っているような気がしないでもないが。
(うーん。御坂みさかのヤツもこれぐらい簡単に機嫌が直ると楽なんだが……)
 やっぱり迫い駆けるべきだったかな? と思っていると打ち止めラストオーダーが飲み物を求めてきた。
 仕方がないので上条かみじようは小さなペットボトルのミネラルウォーターを買ってくる、それでのどうるおす事によって、ようやく打ち止めラストオーダーは本来の調子を取り戻した。
 彼女は言う。
「ミサカはこれをかっぱらってきたの、ってミサカはミサカは戦利品を自慢してみたり」
「いきなり山賊宣言かよ。やるな御坂上位個体……って、ありゃ。何だこれ、ゴーグル? これ御坂妹とかがいつも着けてるヤツだよな……」
 打ち止めラストオーダーがぐいぐいと指差しているのは、彼女の首にぶら下がったゴツいゴーグルだ。暗視装置のようにいかにも重たそうな軍用電子機器だ。御坂妹が奪われたとか何とか言っていたのはこれの事かもしれない。
「どうもこれはミサカのために作られたものじゃないから上手うまく装着できないの、ってミサカはミサカはちょっとしょんぼりしてみる」
「はぁ? ようはゴーグルを固定するバンドの長さを調節すりゃ良いんじゃねーの?」
「?」
「貸してみ」
 上条が言うと、打ち止めラストオーダーは彼の正面に立って、心持ちあごを上げて爪先つまさきで立った。これは単に首に下がっているゴーグルを取りやすいようにしただけである。この仕草に何らかの深い意味を感じ取ろうとしてはいけない。
 指で触ってみると、バンドはゴム製だった。水中ゴーグルを思い浮かべれば分かりやすいかもしれない。ゴーグルの根元辺りに、長さを調節するための金具が備え付けてあった。
「ちょっとごめんなー」
 言いながら、上条はゴーグル本体をつかんだ。そちらの方が金具を引き寄せるのが簡単だったからである。分厚いゴムのバンドは上条に引っ張られて、みょーんと伸びた。
 打ち止めラストオーダーはバタバタと暴れ、
「痛っ、いたたたた、ってミサカはミサ」
「わっ!?」
 おどろいた上条はゴーグルから手をはなしてしまう。
 みょーんと伸びていたゴムバンドが元のサイズに戻っていき、
 ばちーん!! と打ち止めラストオーダーの顔から良い音が聞こえた。
「……、」
 ごろんごろんとその辺を転がっている打ち止めラストオーダーに、何となく話しかけづらい上条である。どうしたものかとオロオロしている彼に、やや涙目の幼女はそれでももう一度ゴーグルの下がった首を誇示するように、爪先つまさきで立つ。
(いやぁ、今度。ばっかりは失敗できないなあ)
 そういう事を考えている時に限って連続するものである、
 ばちーん!! と詳細は省くが似たような音がひびいた。
 ここで上条かみじよう打ち止めラストオーダーり倒されてボコボコにまれまくったのだが、それで一応の気が晴れると、さらに彼女はゴーグルを上条へ差し出してくる。
 健気だ。
 その心意気にこたえるべく細心の注意を払う上条は、ようやく。ゴムバンドの長さを整える事に成功すると、それを打ち止めラストオーダーのおでこに引っ掛けてやる、そもそもゴーグル本体の大きさが彼女のサイズに合っていない感じだったが、何とかおでこからずり落ちずに済んでいた。
 おおーっ!! と打ち止めラストオーダーうれしそうな顔で両手をおでこのゴーグルに当てて、くるくるとその場で回っている。
 そう言えば、と上条は首をかしげる。
(……コイツ、一人でこの辺をぶらぶらしてるのか? さっきまで一緒いつしよだった御坂みきか妹もいなくなってるし、はなれ離れになっちまったのかも)
 地下街だから実感は湧かないが、時刻はもう午後六時前で、そろそろ日も暮れる、こんな危なっかしい子供はさっさと保護者の下に届けてしまうべきだと思うのだが、さてその保護者は近くにいるのだろうか?
(うーん、何だろう。もし保護者さんが近くにいるとして、その人から見た俺っていうのはどういう風に映るんだろう? やだなぁ、ウチの子に何するザマス的発言が飛んできそうな気がするなぁ)
 と。
 そこで上条は視線を感じた。
 嫌な予感がする。
「どうしたの? ってミサカはミサカは素朴な疑問を投げかけてみる」
 打ち止めラストオーダーの無邪気な声にも答えず、上条は己の背後を振り返る。
 ゆっくりと、恐る恐る。
うそだろ……」
 そこにいた人物を見て、上条は思わずうめき声をあげた。

     4

「でね。とうまはいつもいつもいっつも私を置いてきぼりにしてどこかに行っちゃうんだよ。あれはもう放浪癖ほうろうへきの一種なのかも。気がついたら旅に出ている人なんだよ」
「……、」
 一方通行アクセラレータは現代的なデザインのつえをつきながら、昼と夜の区別がいまいちつきづらい地下街を歩く。電車やバスの終電が最終下校時刻に設定されているせいか、通路を行き来する学生たちの足取りは心なしか忙しい気がする。
「あれは何なんだろうね。別に今立ってる場所が嫌いって訳でも、これから向かう場所が特別好きって訳でもないのにさ。ふらふらふらふらふらふらふらふらーってどこかに行っちゃうの」
「……、」
 とりあえず分かったのは、その『とうま』という人物が何者かは知らないが、話を聞く限りソイツはとんでもなく嫌なヤツだという事だけだ。なんというか、名前が出てくるたびにイライラする。
 インデックスはその辺をウロウロしていた三毛猫みけねこを捕まえつつ、
「ところであなたはここで何してるの?」
「人捜しだ」
「さっきのケータイデンワーの子?」
「だったら何だよ」
 一方通行アクセラレータは投げやりに答えた。
 別に隠しておく必要はないし、この手のガキは下手に隠すと何度も何度も何度も聞き返してきそうで鬱陶うつとうしい。少し似ている人間を知っているから分かる。
 と、インデックスは三毛猫を抱き上げると小首をかしげて、
「ねえねえ、そういえばまだお礼をしていなかったね」
だまって帰れクソガキ。オマエみてエな面倒臭いガキがかかわると余計に手間取りそォな気がするしよォ」
「まだお礼をしていなかったね」
「……、」
 なかった事にされた。
 一方通行アクセラレータがうんざりした目を向けていると、インデックスはお構いなしに、
「さっきの子なんだよね? とうまが見つかるまでだったら一緒いつしよに捜してあげても良いよ」
 にっこりと笑ってそう言った。
 自分が話しかけているのが一体どんな人間なのかも知らずに。
「……クソッたれが」
完壁かんぺきなまでに無邪気な言葉に、彼は思わず吐き捨てた。
 これは今日初めて知った事だが、他人の善意に付き合うのは思ったよりも疲れる。

     5

 そこにいたのは青髪ピアスと土御門元春つちみかどもとはるだった。
 彼ら二人は、一度上条かみじようの顔を見て、それから打ち止めラストオーダーの顔を見て、さらにもう一度上条の顔を見た。
 それから彼らは言う。
「「この子ったらーっ!!」」
 何だよその分かりづらいリアクションは!? と上条は叫び返す。すぐそばでは、早くも警戒し始めた打ち止めラストオーダーが上条の背中に隠れつつある。
 土御門と青髪ピアスはお構いなしだ。
「にゃーっ! いや小萌こもえ先生とかならまだ実年齢とか色々あるから分かるけどこれってどうなんだにゃー申し開きはできるのかにゃーっ!!」
「てっ、テメェ!! 節操なしにもほどがあるやろォォがァァ!! カミやんはどこまで全方位死角なしの体勢築いてやがんねん! もう縁側で背中を丸めてひざに猫を乗せとる可愛かわいらしいおばあちゃんとかにも声かけてそうやし!」
 だが! と青髪ピアスと土御門は同時に上条の顔をにらみつける。
 彼らは最高の笑みを浮かべ、
「「友人として! 成功を祈る!!」」
 この見るからに有害発言者な二人を撤去てつきよすべく上条はこぶしを握る。
「お前ら……」
 幻想殺しイマジンブレイカーという名前は良い。まさにこういう時に振るうべきだと教えてくれる。
 ボカボカポカポカーッ!! と大乱闘だいらんとうり広げる上条たちに、打ち止めラストオーダーは恐る恐る話しかけてくる。
「あ、あの、お友達? ってミサカはミサカは確認を取ってみたり」
「子供は見ちゃいけません! コイッらの生き様及び馬鹿ばかトークはまだ刺激が強すぎます!!」
 馬鹿どものおでこにR指定のスタンプを押すつもりで上条は拳を振るう。安息の日々はまだまだ遠そうだった。

     6

 美琴みことは腕を組み、ムカムカしながら早足で地下街を歩いていた。
 こんな時でも常盤台ときわだい中学の制服というのはとても目立つらしく、道行く学生達がチラチラとこちらに視線を投げてくる。いつもは全く気にならないのだが、今日に限って妙に神経を浅く浅くつついてくる。
ばつゲーム、ちゃんと約束したってのに、あの野郎……)
 頭の中だけでブツブツとつぶやく。
 こんな内容でイライラしている事自体が美琴みことにとっては不快だった。どんな感情であれ、思考のウェイトの大半をあんなのに占められる事が納得いかない。
 あの場(というかあの少年)からはなれる際にも、美琴はチラリとだけ後ろを振り返っていた。そんな中で、何よりも冷静に処理できなかったのは、
(……、ホッとしてやがった)
 がつん、と思わず地下街の床を軽く蹴飛けとばしてしまう。
 ため息が出た。
(そりゃそうよね、単なる罰ゲームなんだもん。自分で言ったくせにそれを忘れてるだなんて。まぁ、あっちだって嫌々あちこち引きずり回されて、一刻も早く解放されたいって一冒い分は当然なんだけどさ)
 こうなると一人ではしゃいでいた自分が完壁かんぺきに間抜けだ。
 美琴は電話会社の小さな紙袋へ目を落とした。そこから顔をのぞかせている、小さなカエルのマスコットを見ながら、
(……当然なんだけど、さ……)
 何だかものすごく置いてきぼりにされた気分だった。
 ピカピカにみがかれた地下街の柱に、口をとがらせている自分の顔が映った。それだけで美琴は己の顔に平手打ちをたたきつけたくなる。
(あの馬鹿ばかの行動は別に罰ゲームのルール違反って訳じゃない。あの子がそばにくっついてたって問題ない。なのに、私は一体何をやってんのかしら)
 冷静になるとかなり大人気なかったかもしれない、と美琴は思った。
 何が罰ゲームだクソッたれ。
 こんな気分になるぐらいなら最初から大覇星祭だいはせいさいで勝負などしなければ良かった。結局なんだかんだで損をしているような気がする。美琴本人はもちろん、周りの連中にまで。
 ちょっと部屋の隅でひざを抱えたくなってきた。
 なんというか、今すぐここでやり場のないストレスをどうにかしたい。
 なんかないのか。
(……、)
 辺りを軽く見回すと、娯楽系のお店はゲームセンターが一軒あるだけだった。そのお店の前には難易度激高で知られるスキルアタックというゲームが置いてある。ようは能力測定機械を応用したもので、耐ショック機構を備えたミット型の『標的』に能力を叩きつけて、その力の強さを数字で出力するというだけのストレス解消マシンだ。
 美琴みことはふらふらとそちらへ近づいた。ここでゲームセンターのとなりにある洋菓子店が完壁かんべきに見えなくなっている時点で、彼女の神経がどれだけささくれているかがうかがえるだろう。
 今の彼女に乙女おとめらしさとかはない。
 一〇〇円玉を何枚か投入する。
 肝心の『標的』部分は看板みたいなデザインだった。鉄パイプ製の柱にウレタンっぽい素材の四角い打撃だげきミットがくっついている。マシン全体に比べて標的部分だけが妙にピカピカしている所を見ると、おそらく使い捨てなのだろう。一日おきに交換しているのかもしれない。
(どうせ超能力レベルらには対応してないんでしょうね)
 はー、とため息をつく美琴。
 この手のマシンは大体、大能力レペル4までが限界で、そういう売り文句であっても一般的には強能力レベル3ぐらいに抑えるのがマナーである。
(ったく、ストレス解消にまで手加減しなくちゃいけないだなんて……)
 口の中でブチブチ文句を垂れている美琴は、ふと小さな注意書きを見つけた。
 そこにはこうある。
『最新バージョンは能力の使用を前提としています。超能力レベル5使用解禁を目標に実地データを収集していますので是非ぜひご協力を!』
「……、」
 美琴はピタリと動きを止める。
 それから、体中のストレスが内側から測き出てくるように、彼女はニヤリと微笑ほほえんだ。
 彼女のサラサラした前髪から、バチン、と不気味な火花の音が散る。
 御坂みさか美琴は深く深く、だまって息を吸い込んでいく。
 ご協力する事にした。
 割と全力で。
「あんのクソ馬鹿ばか!! 人の! 交わした! 約束をッ! 何だと思ってんのよ!! わ・た・し・が、大覇星祭だいはせいさいの時にはいちいち得点表を細かくチェックしてまで頑張ってたってのにーっ!!」
 バチィドゴンバギンバリバリ!! という轟音ごうおんと共に能力測定機械を応用したゲームマシンが前後左右上下に揺れまくる。ある程度の耐ショック機構ぐらいは備わっていたのだろうが、本体と床をつないでいた耐震たいしん補強具を引き千切ちぎるほどの勢いに負けて、プープーと間の抜けた警告音を周囲に鳴らし始める。ほのぼのした地下街の空気は一転し、周囲を歩いていた学生選が『うぎゃあ!?』『な、何だありゃーっ!』『待ってちよっと待っでーっ!!』と逃げ惑う。
 ぜーぜーはーはー、と思いの丈をぶつけてみた美琴が肩で大きく息をする。
 ピロリン♪ と小さな電子音が鳴った。
 見ると、どうやらハイスコアを更新したらしい。
「……、むなしい」
 美琴みことはポツリとつぶやく。
「……、」
 結局、大型機体からはなれて、来た道を戻る事にした。
 一人で怒っていても仕方がない。大人気がなかったのは認めて謝る事にしよう。別に妹達シスターズがプレゼントをもらう事には何のミスもないのだ。あの馬鹿ばかに対して素直に頭を下げられるかどうかははなはだ疑問だが、ここはちょっと大人になってみよう……とか何とか考えながら彼女は一度深呼吸する。
 ただ、ばつゲームは罰ゲーム。
 せっかくもぎ取った大覇星祭だいはせいさいの戦利品を、あれで終わりだと思われるのも心外だ。
 いずれにしても、もう一度会って話してみないと、と美琴は歩調を速めた。

     7

 何とか青髪ピアスと土御門元春つちみかどもとはるに反省を促す事に成功すると、上条かみじようは携帯電話の時計機能を確認した。すでに午後六時を過ぎている。地下街の外、地上はもうが落ちて夜になっているだろう。
「ううむ、個性的なむ知り合いだったかも、ってミサカはミサカは腕を組んで首をひねってみたり。そしていまだにやや消化不良な部分があるのはどうしてなんだろう、ってミサカはミサカは放たれた言語を一つ一つ再チェックしてみる」
 打ち止めラストオーダーはこのような事を言っていたが大した問題にはならないだろうと上条はんでいた。意味が分からないのであればそれでよいのだ。
「む、もうこんな時間だ、ってミサカはミサカは少々あせってみたり」
 唐突に彼女はそう言った。
 見た所、壁掛け時計のようなものは存在しないし、地下街では空の様子も見えない。だとすると、ウワサのミサカネットワーク経由で何らかの情報を得ているのだろうか。
 打ち止めラストオーダーはこちらをくるりと振り返ると、
「あのねー、ミサカはそろそろ帰らないといけないの、ってミサカはミサカは残念なお知らせをしてみたり」
「ま、時間が時間だからなぁ」
 上条としては、こういう子供はもう帰るべきだろうと考えていたのでちょっと安心だ。
 うん、と彼女は小さくうなずいて、
「本当はもっと一緒いつしよにいたかったんだけど、ってミサカはミサカはしょんぼりしてみたり、ここで会ったのはたまたまだったんだけど、お礼をしたかったって気持ちは本当だし、ってミサカはミサカは心中を吐露とろしてみる」
 打ち止めラストオーダーはおでこのゴーグルに両手をやった。
 これもやってもらったしね、と彼女は言う。
「でも、あの人は心配すると思うんだ、ってミサカはミサカは思い出しながら先を続けてみたり。あんまり遅いと今度はミサカの事を捜すために街に出てくるかもしれないし、ミサカも迷惑とかはかけたくないから、ってミサカはミサカは笑いながら言ってみる」
 ふうん、と上条かみじようは適当に相槌あいつちを打った。
 だれだか知らないけどその相手は良いヤツっぽそうだな、と漠然と感想を抱く。
「弱いんだよ」
 打ち止めラストオーダーは続けた。
「あの人はいっぱい傷ついて、手の中の物を守れなかったばかりか、それをすくっていた両手もボロボロになっちゃってるの、ってミサカはミサカは断片的に情報を伝えてみたり。だからこれ以上は負担をかけたくないし、今度はミサカが守ってあげるんだ、ってミサカはミサカは打ち明けてみる」
「そっか」
 言っている事の意味の半分も理解できていないだろうが、上条はうなずいた。
 打ち止めラストオーダーの口調にいつわりはない。
 良いヤツっぽいんじゃない。きっとソイツは、間違いなく良いヤツだ。
「格好良い所もあるんだよ、ってミサカはミサカは補足してみたり。だって血まみれになってもボロボロになってもミサカのために戦ってくれたんだ、ってミサカはミサカは自慢してみる」
 何だろう。ソイツの行動パターンにはものすごく親近感を覚えるのだが、根拠のない事は口には出さないようにしておく。
 ばいばーい、と手を振って駆け去っていく打ち止めラストオーダーを、上条はしばらく見送っていた。最終下校時刻、つまり終電の時間が迫っているせいか、にわかにあわただしくなり始めた地下街の人混みの中をすり抜けていく小さな体は、あっという間に見えなくなった。
 さて帰ろうか、と上条はきびすを返そうとした所で、ふと視界に見覚えのある人物をとらえた。
「ん?」
『彼女』はこちらへ近づいてくる。

     8

「あ、とうまだ……」
 かたわらにいたインデックスがピタリと動きを止めた。
 彼女は通路の先を見ている。
「オマエが捜してたヤツか」
「うん」
 一方通行アクセラレータはそちらへ漫然とした視線を向けたが、人混みのせいでそれらしい影は見当たらなかった、そもそもこの状況で、だれを指して『捜し人』だと言っているのかも分からない。
 インデックスは一方通行アクセラレータの顔を見上げてくる。
 彼は言った。
「行けよ」
「でも、あなたの知り合いの方は?」
「心配すンな」 一方通行アクセラレータき捨てるように一言。「こっちも今見つけた」
 彼がそう言葉を投げかけた方向も、インデックスと同じく前方だった。中高生メインの人混みを捌き分けるように、小さな女の子がこちらに向かって走ってくるのが見える。
 一方通行アクセラレータは彼女の名前を知っている。
 それが本名であるかどうかなど知らないし、研究者が書類を作成するためだけに作り上げた便宜上の名前にどれほどの価値があるかも分からない。しかし、それを言っては一方通行アクセラレータも同じだ。彼の本当の名前を知っている者などどこにもいないだろう。
 どんなものであっても、呼び名が一つしかないのなら、やはりそれが彼女を示す名前だ。
 だから一方通行アクセラレータは声に出す。
「ラストオーダーッ!」
 呼ばれた事に気づいて、小さな少女はより一層足を動かす勢いをつけていく。馬鹿ばかみたいにうれしそうな表情がその顔に張り付いている。
 それを見ていた一方通行アクセラレータの横で、とん、と小さな足音が聞こえた。
「じゃあ行くね。ありがとう」
 インデックスはそれだけ言うと、
「とうま!!」
 軽い足音に力がこもる。ほんの数十分の問だけ行動を共にした少女は、彼の元をはなれて人混みの向こうへと走っていく。
 彼女は振り返らない。
 打ち止めラストオーダーが振り返らないように。
 二人の少女は地下街の一点で交差し、すれ違い、お互いに気づかないまま、距離きよりを離す。
 それぞれの行くべき場所へと走っていく。
 打ち止めラストオーダー一方通行アクセラレータの元へ飛び込んでくるまで、一〇秒もかからなかった。
「ただいまー、ってミサカはミサカは定番のあいさつをしてみたり……って痛ッ! 何で無言かつ連続でチョップするの!? ってミサカはミサカは頭を押さえて嘘泣うそなきしてみる!!」
 ビシビシと少女の頭をたたき続ける彼は、不満のすベてをぶちまける。
「っつか、オマエは今さっきまでナニしてたワケ?」
「遊んでもらってたの、ってミサカはミサカは正直に答えてみたり」
 ふン、と一方通行アクセラレータは息をく。
 あのはた迷惑なシスターの方はどうなったのか、ともう一度だけ人混みの向こうを見た。
 しかしそこから得られるものは何もなかった。
 ただ、漠然とした『人混み』があるだけだった。
 いつも通りに。

   行間 四

 現象管理縮小再現施設。
 サーシャ=クロイツェフが席に着いている建物の名前がそれだった。
 より厳密には、ロシア成教が作り上げた建造物の集合体だ。ロシア成教は主に心霊しんれい現象の解析や解決を目的とする団体だが、彼らは事件が起きると、その現場と全く同じ施設を原寸大で作り上げる。
 その徹底的てつていてき緻密ちみつぶりは『容赦ようしやがない』と表現するのが一番だろう。
 十字教においては、死んだ人間のたましいは天国、煉獄れんごく、地獄のいずれかに向かう。従って、この世にとどまる魂など存在しない。……事になっている。なので、地上で『生前をかたる何者か』はすべて『死のかなしみに付け入る偽物にせもの』である、と考えるのがロシア成教の考え方だった。ジグソーパズルの欠けたピースのように『消失する事で出現する作用』などと定義する訳だ。
 ただ、ジヤック・オー・ランタンのように、ごくまれに(本物の)さまよえる魂が出現する事もある。が、そういったものは『天国へ行く資格もなく、地獄からもめ出された』罪人の魂であると十字教では判断される。
 生前を騙る者はすべからく死すべき者。
 結論はその一点だ。
 本物だろうが偽物だろうが、いずれにしても敵なのだ。その手の面倒臭い連中は『一緒いつしよにまとめて処分する』というのがロシア成教のやり方だ。幽霊ゆうれいの未練とか思い出話とか恨めしやーとかはどうでも良いのだ。地上をさまよった時点で悪。そういう細かい事情は騨で笑ってたたつぶすのが流儀りゆうぎである。
 もちろん例外として『神の子』や一二使徒などの手によって生き返った人間の話はある。が、それは『神の子』や聖人の中でも歴史上トップクラスの者だからこそせるわざであり、そこらの罪人だの恨み持つ死者だのに、そんな事ができる訳がない。
 そういった『問答無川で敵を倒す』ための捜査情報を手に入れる施設。
 それがここだ。
 ハリウッド映画の撮影で砂漠の真ん中に街を作ってしまうような感じだが、その精密さは裏側がハリボテの撮影大道具の比ではない。
 また、当初は一件二件の物件だったものが、その周りに次々と新たな『参考物件』を築き続けたせいで、現在では街の二つ三つが丸々収まるほどの広さに膨らんでいた。この辺りが、ユーラシア大陸を丸々横断するほどの莫大ばくだいな国土を持つ、ロシアならではのやり方と言える。
 サーシャが紅茶にブランデーを垂らし、書物を片手にカップを傾けているのは、とある宮殿を完壁かんぺきに模した建物だった。現象管理縮小再現施設という、この長ったらしい名前の映画村みたいな施設の中でも一番の古株とも言える『参考物件』だ。
 様々な文化の入り混じった宮殿は、オカルト的には十字教圏の下地を持つものの、屋根のてっぺんにはタマネギのようにふくらんだオブジェが乗っかっている。
「……、」
 サーシャは小柄な体型に似合わず、まるで甘党が砂糖をドバドバ入れるようにブランデーを紅茶に何度も振る。香りづけではなく、これでは単なる紅茶味のアルコール飲料である。
 彼女が手にしている分厚い本には、『異形としての天使の実像』とタイトルが箔押はくおしされている。『原典』は『宮殿』にあるはずだが、その本はこの施設の小道具として、一文字に至るまで完壁に再現されている。魔道書まどうしよ図書館でもないのに『写本』の数が多い事でも有名な施設なのだ。
(―――天使を人体に降ろした場合の注意事項)
 サーシャの手が、目的のページでピタリと止まる。
 その小さな指先が、まだ印刷技術の確立されていなかったころの手書きの文字をなぞる。普段ふだんあまり慣れていない暗号解読技術に時折まゆをひそめているが、それでも彼女は休まない。慣れない作業をするだけの理由があるのだ。
 彼女の体には異変が起きている。
 目に見えて分かる部分では不定期な指先の細かなふるえ。そして目に見えて分からない部分では魔力まりよくの異常感知体質……というより、一種の拒絶反応に近い。度合いにもよるが、大きな魔力を間近で使われると胸に圧迫感のようなものを受けるのだ。
 それは八月下旬から感じていたのだが、サーシャ自身には全く心当たりはない。大掛かりな施設で体を調べさせた所、どうも高密度の『天使の力テレズマ』を長期間にわたって身に宿し続けた状態に似ているとの事だったが、そういった魔術実験を行った節もない。
 自分の体に何が起こったのか。
 それを調べるのは、サーシャ個人ではなく、すでにロシア成教全体で秘密裏に承認されている懸案けんあん事項と化していた。『天使の力テレズマ』自体は十字教徒ならだれでも借りているものだし、それを人の身に直接宿す事も珍しくない。サーシャだって戦闘時せんとうじには使っている。だが、今回のような特殊な『症状』が出るのはこれが初めてだった。
 彼女の所属する『殲滅白書Annihilatusはおろか、その枠を超えたロシア成教全域がサーシャの件に注目しているのも気になる。何かあるな、とサーシャは勘繰かんぐっているものの、今はとにかく自分の体が先決なのだった。
『この世で最も大規模な「天使の力テレズマ」が人に宿ったのは言うまでもなく受胎告知その時である。「神の子」の総量、つまりこの世界を支え導くほどの絶大な「天使の力テレズマ」をはらに収めた場合、通常なら間違いなく爆死する。しかし聖母は神たる父性のついとなる己の特性を最大限に―――』
 ふむふむ、と文字を追ってうなずいているサーシャは気づかなかった。
 すぐ背後から迫るの手に。
「サーシャちゃぁん♪」
 恐るべき猫なで声に、彼女の無表情な顔全体がビクゥ!! とふるえる。
 しかしもう遅い。
 サーシャの両脇の下から二本の手がニュッと飛び出てくると、彼女が警戒態勢を取る前に小さな胸を、ぎゅむーっとホールドしてしまった。
 背後の声は語る。
「いやー読み物に夢中で周りが見えていない勤勉家なサーシャちゃんに息抜きタイムだよー? って、ぬぅおおおあ!?」
 後半部分が絶叫になっていたのは、サーシャが腰に差していた金槌かなづちとL字の釘抜きバールを取り出し臨戦状態へと突入したからだ。何らかの魔術的まじゆつてきな処置がほどこされているのか、金槌の打撃面だげきめんに触れただけでテーブルが、ベコォ!! とクレーター状に大きくへこんで爆発する。
 サーシャ=クロイツェフは凶器ごと振り返る。
 今まで背後にひそんでいた人物は顔を真っ青にして、
「さ、サーシャちゃん? ここは事件現場を霊的れいてきに完全再現させている施設であってここの備品をそう簡単にポンポンこわされちゃうと施設としての役割とかがね―――ッ!!」
「第一の解答ですが、始末書ならニコライ=トルストイ司教様へどうぞ」
「いやそれを書くのはサーシャちゃんなんですよ! ちくしょうでもそんなトボけたサーシャちゃんがとってもラヴリーに見えるのはどうしてーっ!!」
 わたわたわたわたわたーっ!! と両手を振りまくるその人物に、サーシャはため息をつく。
 彼女は、サーシャの直接の上司だ。
 名前はワシリーサ。その自い肌に若干じやつかんの衰えが見え始めている女性で、何だか紫外線とかお肌のみとかを極端に気にしていたりもした。『あらざる者』との戦いは夜間が基本だというのに、ここ最近は『徹夜てつやはお肌に悪いよねー』とか言って一人で勝手に帰宅しようとする悪癖あくへきが浮上してきたため、サーシャが投げなわをワシリーサの胴体に引っ掛けて『標的の群れ』のど真ん中へ放り込む事も多い。
 それにしても『ワシリーサ』だ。
 何でロシア民話におけるヒロインの名前を引っ張ってきたかは知らないが、当然のように偽名だった。歳は二〇代の後半ギリギリらしいが、正確な数字は講も知らない。女は識が多い方が! とか言っていたが、ようは誕生日に誰も祝ってくれないんでしょうと返したら半日はうな垂れていた。
 この上なく大人気ない上司に、サーシャはさんざん迷惑をかけられている。過去形ではなく現在進行形な辺りがポイントだ。
 ワシリーサはサーシャの読んでいた本のページを追い駆けると、
「またカビ臭いの読んでるわねー。あれかな、結局サーシャちゃんの体の異変の正体はまだつかめてないのかな? それならこの私の身体検盗でえへへあは」
 サーシャは手の中でくるくる回していた金槌かなづちをワシリーサの頭頂部に振り下ろした。
 ゴン!! という鈍い音と感触を確かめつつ、
「第一の質間ですが、金槌とドライバーはどちらがお好みですか?」
「すでに振り下ろしてから尋ねるような質問じゃないわねぇ。サーシャちゃんたら相変わらず常識知らずな破壊力はかいりよくを誇ってるんだからー」
 対人拷問ごうもん用の魔術まじゆつ効果を持つ金槌を受けても顔色一つ変えない上司には言われたくない。おちゃらけているが、実力は確実にサーシャ以上だ。
「そう言えば、サーシャちゃんに宿っていた『天使の力テレズマ』って後方の青色ガブリエルなんでしょ?」
「第二の質問ですが、だから何なのですか」
「それも普通では考えられない、下手すると一二使徒以上の総量だって話なんでしょ?」
「第三の質問ですが、それが」
「ぶぷー。『神の力』って受胎告知を引き受けた天使だったのよねぇ。しかも一二使徒以上の力を女性の体内へ押し込めたって事はー、あら? あらあら? サーシャちゃん。あなたもしかしてー、おなかがふっくらしちやってブゴゥーッ!?」
 サーシャがノコギリを振り回し、ワシリーサは笑顔で直撃ちよくげきした。
 傷一つない。
「やーごめんごめん。そうよね、日頃ひごろからそんなヘビーな拘束服を装着しているサーシャちやんは快楽ナシの子作りなんて耐えられないよねー?」
「第四の質問ですが、神聖なる新約の一ページをけがすなクソ野郎。付け加えて解説しますと、そもそもこの拘束服は貴様が職権乱用させて強引に着せたもののはずです」
 サーシャの着ているものは、赤いマントの下にインナーそのもののようなすけすけのスーツと黒いベルトで構成された拘束服という、その辺の夜道に出てくる変質者オツサンみたいなものだった、。ワシリーサは『「あらざる者」に体を乗っ取られそうになった際、最後の手段として自分で自分をしばるんだよー』とか言っていたが、どう考えてもこれは上司の趣味しゆみだ。
 サーシャとしてはこんなふしだらな拘束服など触れたくもない訳だが、残念ながらワシリーサは彼女直属の上司であり、彼女の書類上の誓約は守らなくてはならない。こんなしょうもない事に反発して修道院(という名の営倉)送りにされるのも馬鹿馬鹿ばかばかしい。
 当然ながら、ロシア成教のシスターが全員こんな格好をしている訳ではない。ロシア成教とはそんな変態の集まりではない。
 サーシャは赤いマントで改めて自分の体を隠しつつ、己の上司をにらみつける。
 至極しごくまっとうな、赤色の修道服に身を包んでいるワシリーサはケラケラと笑い、
「えー、そんなに気に入らない?」
「第二の解答ですが、その質問自体が私の人格を侮辱ぶじよくしていますね」
「じゃあ衣装を変更しよう」
 あっさり言われた。
「……?」
 ちょっとだけ面食らったサーシャは、邪魔じやまっけな自分の前髪越しに上司を見る。ワシリーサは自分の足元に置いてあった古臭いかばんの中をごそごそあさると、
「いやぁー。今ねー、所用で学園都市の事とか島国のオカルト事情とかを調べてるんだけどねー」
「……、」
 嫌な予感がする。
 あの鞄の中身を見てはいけない気がする。
 占星施設の助けを借りてもいないのに何故なぜうすら寒い『予感』がビシバシ伝わってくる。
「あのねー、学園都市の中には特有の文化があるのよ。ここでいう文化っていうのはもちろんアレよ。日本って国は本当に参考になるわ。もー、ちょっと本格的な資料を手に入れて、気合込めて一針一針っちゃいました。あは♪」
 サーシャは扉の方を見る。
 厚さや材質はどんなものだったのかを計算し始めた所で、

「ねえサーシャちゃあん。超機動少女マジカルパワードカナミンって知ってる?」

 L字の釘抜バールきで重たい扉をぶち破って逃げた。
 ワシリーサが満面の笑みを浮かべてベロンと広げている『衣装』を見て、迂闊うかつにもサーシャは涙が出るかと思った。フランス経由で日本の怪しげなOTAKU文化を収集しているのは知っていたが、いくら何でもあそこまでセンスが飛んでいるとは思いもしなかった。
 あんなテカテカでピカピカの格好だけは駄目だめだ。
 サーシャ=クロイツェフはロシア成教の特殊部隊『繊滅白書Annihilatus』に属する戦闘せんとう修道女だ。この世の『あらざる者』の絶滅を望む彼女たちの戦いは過酷かこくなものであり、あんなヒラヒラのペラペラで戦場を走り回って良い道理はない。
 部署を変えた方が良いかもしれない。
 だれだって、あんなハードな衣装をまとって戦死したくはない。

   

chap6

第五章 曖昧に過ぎていく日没 Hard_Way,Hard_Luck.

     1

「おおー、雨が降ってる、ってミサカはミサカは夜空を見上げてみたり。ミサカはお月様を見たかったのに、ってちょっとしょんぼりしてみる」
 打ち止めラストオーダーは真っ暗になった街の中で、てのひらで雨滴を受けている。
 学園都市は最終下校時刻を過ぎると電車もバスもなくなるため、ほとんどの住人は表からいなくなる。後に残っているのは、今日は帰らなくても良いやと考えているようなガッツの入った夜遊び派だけだ。近くに見えるトタン屋根の簡素なバス停にも、今はだれもいない。
 パラパラと雨が降っている。
 傘を差すほどではないが、それでも表通りからは、そういった夜遊び派の学生たちも消えていた。路上でダベらずに、どこかの店に入ってさわいでいる事だろう、
 一方通行アクセラレータは、落ち着きなくあっちこっちをうろうろしている打ち止めラストオーダーをうんざりした目で眺めて、
鬱陶うつとうしいからその辺で固まってろ」
「あ、あそこのバス停で雨宿りしているのは最近この辺りをウロチョロしている子犬ちゃん!? ってミサカはミサカは猛ダッシュで追跡を開始してみた―――ッ!!」
「首輪とリードが必要かなァクソガキ!?」
 むんずー、と小さな少女の首の後ろをつかんでおく。ここでもう一度逃げられたら再び追い駆ける気力は出ない。八つ当たりでその辺のビルが倒れるかもしれない。
 打ち止めラストオーダーは両手をパタパタ振って、
「ミサカはここまで過保護にされなくても大丈夫だいじようぶかも、ってミサカはミサカは自由と解放を求めてみたり」
「ナニをフロンティア精神にあふれた寝言いてンだコラ。そもそも保護してねェしこれ以上手間ァ取らせると腹ァなぐってブッツリ意識切っちまうぞ。そっちの方が楽そうだし」
「またまたー、そんなに照れなくっても、ってミサカはミサカは人差し指でつんつんしてみた―――何故なぜそこで力強くこぶしが握られるの? ってミサカはミサカは激情緩和かんわ用にこやかスマイルを浮かべて尋ねてみたり」
 面倒臭ェ、と心の中でつぶやきつつ、彼はため息をいた。
 小綺麗こぎれいな日常のすべてが光りかがやいている訳ではない。不満なんてどんな世界にも必ず存在する。
すべての面で自分にとって都合の良い究極の世界とは、突き詰めれば他人の事情を全く無視した独善の空闘を指すだけなのだから。
 この気だるげな面倒臭さは、この世界に住むために払う契約料のようなものだ。
 分かっている。
 一方通行アクセラレータは自分の内面に、皮肉げな笑みをさらす。
 慣れというのは恐ろしい。
 今ここにある環境を当然のように受け入れて、あまつさえ不満すららしている自分自身というのは、一体何様のつもりなのだろう。
 あれだけの事をしたのに。
 ここに立っていられるだけでも雲の上にいるらしい神様とやらに感謝すべきなのに。
 と、歩きながらつらつら考え事をしている一方通行アクセラレータの耳に声が届く。
「痛っ!! ……転んだー、ってミサカはミサカは地べたで状況報告してみたり」
「単なる泣き言だろォがよ」
「すりむいた、ってミサカはミサカはてのひらをじっと眺めてみる」
 雨でれた道路から起き上がった打ち止めラストオーダーはちよっと泥で汚れていて、路上の水分で濡れた両手には小さな傷ができていた。赤い色が、じんわりとみ出てきている。
「消毒が必要かも、ってミサカはミサカはちょっと涙目になってみたり」
「ツバでも付けとけよ」
「消毒が必要かもーっ!! ってミサカはミサカは全く同じ台詞せりふを号泣気味に絶叫してみたりーっ!!」
「……どこまでも鬱陶うつとうしいヤツ。イイからさっさと黄泉川よみかわントコ帰るぞ」
「―――、」
 打ち止めラストオーダーが無言になった。
 一方通行アクセラレータがそちらを見ると、彼女は小さな唇をんでポツリと言った。
「分かった、ってミサカはミサカは納得してみたり。ここは痛いけど我慢がまんしてみる、ってミサカはミサカはテクテク歩いてあなたの後ろをついていってみる」
 彼の言う事を守ろうとしているのか、打ち止めラストオーダーは正面を向いて、もう掌の傷の方へは視線を投げたりもしない。
 しかしそれは、無理に傷口から目をらそうとしているようにも見えた。
 打ち止めラストオーダーは小さな口を引き結んで、何も言わずに一方通行アクセラレータの後に続く。言葉がないのがかえって妙なプレッシャーを与えてきた。今にも泣きそうな空気というヤツである。
「……クソッたれが」
 チッ、と一方通行アクセラレータは舌打ちする。
 さわがれても鬱陶しい。彼は現代的なつえをついていない方の手で打ち止めラストオーダーのおでこに指を当てると、そのまま後ろへ押した。大した力ではないのだが、意表を突かれた彼女の体がそのまま倒れていく。
「わっ! ってミサカはミサ―――ッ!?」
 バタバタ両手を振った打ち止めラストオーダーだが、バランスは取り戻せずにそのまま尻餅しりもちをつく。
 そこは硬いアスファルトではない。
 屋根のついたバス停のベンチだ。
 打ち止めラストオーダーはキョトンとした顔で、トタンの簡単な屋根に守られたバス停のあちこちを見回している。
 一方通行アクセラレータはそちらを見ないで言った。
「そこで待ってろ。勝手に動いたらたたつぶすぞ」
 路上につばを吐く。
 忌々いまいましげに舌打ちすると、彼は現代的なデザインのつえをついて薬局へと向かった。二〇〇メートルほどの距離きよりしかなかったが、それだけを歩くのがすごく面倒臭い。
 店内に入る。
 だだっ広い薬局は、様々な棚が縦横無尽に置いてあり、それだけ見ると圧迫感がある。が、天井てんじようまでの高さが棚の五倍ぐらいあるので、そのためにいくらか感覚が軽減されていた。
 最終下校時刻を過ぎているせいか、店内にはほとんど客がいない。
 薬局という特性上ずっと店を開けていないといけないのだろうが、正直店員を見るとさっさと閉めてテレビがたいと顔に書いてあるようだった。
 消毒液と包帯……と思い、それから考え直して絆創膏ばんそうこうにした。本当に小さな傷だ。包帯を用意するまでもない。
(過保護)
 生意気な台詞せりふを思い出して一方通行アクセラレータは苦い顔になった。
 買い物カゴを腕に下げ、気遣わしげな顔で絆創膏の箱とにらめっこをしているなんて、尋常ではない。一体一方通行アクセラレータはどこのネジが外れてしまったのか。苛立いらだった顔で絆創膏のパッケージをカゴへ投げ込み、杖をついてレジへ向かう。
 財布を開けると小銭しか残っていなかった。
 インデックスと名乗る変な修道女の食費に消えたと思い出したのは少しってからだ。
「……、クソッたれが」
 ポソッとつぶやくと、レジの奥に立っていた店員がビクッ!! と肩をふるわせた。一方通行アクセラレータの正体までは勘付いていないだろう。だが、体から発散されているオーラが危険すぎた。
 と、レジカウンターのすぐ近くに備え付けられた棚に、カラフルな絆創膏が並べてあるのを発見した。どうやら子供向けのものらしい。大覇星祭だいはせいさいに合わせてフェアを組んでいたものの余りらしく、簡単な怪我けがのためのキットがあれこれ並んでいる。
「これは何だ。普通のヤツとどォ違う?」
 尋ねると、店員は口から心臓が飛び出しそうな顔で必死に答えた。どうも傷口にみない消毒液や、傷口にくっつかない絆創膏ばんそうこう、薬臭さを消すために甘いにおいのついた包帯など、まさしくガキ向けの工夫。がらされたものらしい。
 子供向け、と一方通行アクセラレータがわずかに考え込んだ所で、
(過保護)
 ゴン!! と片足でレジを蹴っていた。
 店員が失神しそうな顔で笑みを浮かべている。ただ、一方通行アクセラレータが子供向けと書かれた消毒液と絆創膏をカゴへ投げ込むと、店員の表情がわずかにゆるんだ。見た目によらずカサブタが嫌いな子とでも思われたのかもしれない。
 代金は何とか小銭だけで済んだ。
 どうせ電車もまっている時間帯なので、財布の中に金を残しておかないと困るような事態にもならない。
 一方通行アクセラレータは店から出ると、小雨の降り始めた街の中、街灯に照らされた薬局の袋を持ち上げた。そこにはデフォルメされたマスコットキャラクターの笑顔が描かれている。
「……、馬鹿ばかげてやがる」
 思わず吐き捨てた。
 黄泉川よみかわはこういった行いに慣れないのか、と尋ねていたが、決まっている。慣れるはずがない。大体、これは何だ。一方通行アクセラレータとは、こういったものから最も遠い位置にいたはずだ。一万人以上の人間をたたき殺しておきながら、ちっぽけな傷をいやすための絆創膏を後生ごしよう大事に抱えて夜の街を急ぐなんてどうかしている。常軌を逸しているのだ。こんな光景を見。せられた側だって困るだろう、鼻で笑う以外にどんなリアクションを取るというのか。
 慣れても良いのか?
 些細ささいなすり傷の]つぐらいで、心配しても良いのか?
 軽く一万リットル以上の血を流してきた、こんな怪物に。
「クソッたれが」
 一方通行アクセラレータは舌打ちした。
 それに対する答えは、八月三一日に一応下した。たとえ自分がどれほどのクズであっても、そばにいるあのガキには関係がない。だからあのガキが傷つけられようとしている時だけは、どれだけ場違いでもまっとうに動いてみせる。
 良い意見だ。
 だが、それだけでは足りない。
 結局は、あのガキに自分の負担を押し付けているようにも受け取れる。
 原動力に責任を転嫁てんかしているのではないか。
(ナニを求めてやがる……?)
 一方通行アクセラレータは奥歯を軽くみ、
(イラっちまってる理由は何だ。おれはナニが足りねエと感じてンだ。ハッ、そこから分かンねェなンてな。自分探しなンてガラじゃねェのはテメェが一番分かってンだろオがよォ)
 そこで彼の意識は途切れた。

 ゴン!! と。
 猛スピードで突っ込んできた黒いワンボックスカーが、一方通行アクセラレータの体に激突したからだ。

 背後からの一撃いちげきだった。
 彼の立っている場所は車道から区別された歩道だった。
 車道と歩道の問は分厚いガードレールにさえぎられていた。
 しかし、
 そんなものを軽々と引き千切ちぎって漆黒しっこくのワンボックスは一方通行アクセラレータのいる歩道へ突っ込んでいた。ブレーキをかけた様子もない。自動車のライトやバンパーなどの破片が周囲にき散らされ、細かく砕けたフロントガラスが小豆あずきをぶつけるような音を立てる。千切られたガードレールの鉄板が宙を舞い、歩道に面した雑居ビルのシヤッターへと激突した。轟音ごうおんがさらに癒音を招く。
 まるで爆心地のような一角。
 その中で、
 一方通行は、三秒前と同じ格好で平然と突っ立っていた。
 彼の手は、首の横に当てられている。
 ゴキリと骨を鳴らす。
 細い指が触れているのは、チョーカー型の電極―――その制御スイッチだ。
『反射』が起動している。
 核兵器の直撃を受けても傷一つつかない学園都市旧収強の超能力者レベル5が君臨している。
(何だァ……?)
 一方通行アクセラレータは振り返る。
 突っ込んできた黒いワンボックスを眺める。
 砲弾でも受けたように、前面中央の鉄板にクレーターを作り、そこを中心としてグシャグシャにひしゃげてしまった、車と呼ぶか残骸ざんがいと呼ぶか迷いそうな障書物を。
 すでにも落ちているのに、フロントライトは消えていた。ぶつかった拍子にライトがこわれたのではない。最初からけられていなかった。
(……まるで背後から近づいてくるのを勘付かれたくねェみてェなやり口だよなァ)
 おまけにナンバープレートには強引に付け替えたらしき跡があるし、フロントガラスが砕けるほどの衝撃しようげきを受けてもエアバッグが起動した様子はないし、そもそもこの黒いワンボックスそのものが盗難車らしく、ドアの鍵穴かぎあなにこじ開けた形跡がある。
(つまり、まァ、あれか)
 極めつけに、ひしゃげた運転席でうめいているのは黒ずくめの男だった。
 特殊部隊のような装甲服に、頭をスッポリとおおう同色のマスク。スキーヤーのような分厚いゴーグルで目元まで完壁かんべきに隠した徹底てつていぶりを見せている。
(……おれに恨みがあるかァ、俺を利用しようと躍起やつきンなってる。研究機関かァ、そのどっちかっつー訳だ)
 一方通行アクセラレータの笑みが横に裂ける。
 運転席の男の胸元に差してある軍用拳銃けんじゆうのグリップを見て、楽しそうに楽しそうに。
(来やがったな。来ると思ってたンだ。こオいう馬鹿ばかが。俺を連れ戻そォとするクソみてェな馬鹿が。空気も気配も雰囲気ふんいきもルールも何にも読めねェクズ野郎が)
 一方通行アクセラレータは顔を上げる。
 自分よりもわずかに高い位置にある運転席の男の顔を見上げて、にっこりと微笑ほほえむ。

「―――ブチ、殺す」
 ゴン!! という轟音ごうおんが暗い街にひびき渡る。
 一瞬いつしゆんだった。
 一方通行アクセラレータの腕がフロントガラスのなくなった窓から運転席へと突っ込んだ。細い腕はそのまま黒ずくめの男の顔面へと吸い込まれる。より正確には口に。人差し指から小指までの四本が、そのまま男の口の中へと飛び込んだ。黒い防刃ぼうじんマスクをぶち破って、その白い手をのどの奥まで侵入させる。残る親指で、あごを下から押さえつける。
 腕を手前に引く。
 ゴキリ、という音が鳴る。がく関節が外れる音だ。
「あははぎゃはあはははひひひぎゃははあはアハあははははッ!!」
 一方通行アクセラレータは爆発的な笑みと共に、まるでマグロの一本釣りのように男の体を運転席から引きずり出し、そのまま自分の後方へと投げ捨てた。歩道を飛び越えた黒ずくめの背中が、ノーバウンドで雑屠ビルのシャッターへと激突した。
 ズパァン!! という落雷のような轟音が炸裂さくれつする。
 黒いワンボックスの奥の後部座席から、『ひい』という息をむような音が聞こえた。
 まだいる。
 一方通行アクセラレータの赤いひとみうごめく。
「ンンーう? 楽しい。あはは。やベェよオイ最高にトンじまったぞクソ野郎ォ!!」
 フロントガラスのなくなった所から、彼はけもののように車内へ突撃とつげきする。
 助手席のシートを雑草のように引き千切ちざり、そのまま後部座席へとみ込んでいく。ベキベゴベギン!! と車体全体が不気味に。震動しんどうした。まるで金属や内装の方が勝手に一方通行アクセラレータけていくように見える。フレーム全体がゆがんだせいか、あちこちでボルトのはじける音や窓ガラスの砕ける音が連続する。さながら、鋼鉄の風船を強引にふくらませるように。
 後部座席にはもう一人の男が乗っていた。
 彼が慌てて銃を抜く前に、一方通行アクセラレータは黒ずくめの頭をつかんで真下にたたきつける。ズボン!! という間の抜けた音と共に後部座席が弾け、男の頭が綿の中へと沈み込んだ。
 ひゅうひゅうというのどが鳴る音だけがひびく。
「ははは。……だー、飽きたなちくしょう。興が冷めた。俺も鬼じゃねェ」
 一方通行アクセラレータは笑う。
「クソ、殺しゃしねェよ、面倒臭せェしな。今ならお買い得の五割引きで許してやる」
「あ、ぅえ……」
座席の綿が口の中まで入り込んでいるのか、男の声は不明瞭ふめいりよ うだ。
 それでも黒ずくめは必死になって言葉をつむぐ。
「……、ぁが。五、割。か、金……?」

「いいやァ」
 一方通行アクセラレータはゆるゆると首を横に振って、

「オマエの皮膚ひふの五割をいでやる。それでもまだ生きてたら許してやるっつってンだよ」

 ぎぃぃ!! と虫のような悲嶋がひびいた。
 一方通行アクセラレータは笑う。
 楽しそうに、嬉しそうに、幸せそうに、面自そうに、ダイエット明けにアイスクリームでもめているような顔で。
 と。
 ガリガリガリ!! と路面を削る音が響き、一方通行アクセラレータを囲むように三台の黒いワンボックスが急停止した。彼は砕けた窓から外の車を眺める。あれも盗難車だろうか。同じ車種を探してくるのも大変だったろうに、と彼は心の中で息をく。
「退屈だ」
 ともあれ、特別サービス五割引きは中止だ。
 一方通行アクセラレータは昆虫みたいな男の顔を、バスケットボールのように五指でつかみ取る。
 プン! と金属バットを振るうような音が鳴った。ガラスのない窓から無造作に黒ずくめの男を適当に投げ捨てる。
 敗者がアスファルトの上を横滑りする。その滑稽こつけいな様子を確かめるまでもなく、こわれたワンボックスを取り囲む三台の自動車の後部スライドドアがガラリと開けられる。
 しかし人間は降りてこない。
 そこからのぞくのは無数の銃口だ。
 それを見た一方通行アクセラレータはため息をくと同時に、その鬱憤うつぷんを晴らすように真下へこぶしを突っ込んだ。ベクトル制御された]いちげきはただでさえゆがんでいた車体フレームに致命的なダメージを与え、各種配管に亀裂きれつを生み、そこへ火花をき散らす。
 ドッ!! という爆風と熱波が四方八方へ撒き散らされ、辺り一帯をみ込んだ。
 三台の車からくぐもった悲鳴が連続した。車内にいるとはいえ、マスクで顔面を覆っていたとはいえ、至近距離きよりで高温の風の塊を受けたのだ。のどの奥まで火傷やけどにさらされた何人かがのた打ち回り、さらには自分で開けたスライドドアから路上へ転がり落ちる者まで現れる始末だ。
「演出ゴクロー。―――華々しく散らせてやるから感謝しろ」
 炎の中から声がした。
 一方通行アクセラレータはザクロのように赤く開いた火炎と残骸ざんがいの中から悠々と歩を進めてくる。『反射』の制限時間は一五分だが、これなら何の問題もなさそうだった。というより、ここまで足並みを乱せば後は一〇秒で始末できる。
 と
「だーから言ってんじゃねえかよお」
 自分を取り囲んでいる自動車の一台から、男の声が聞こえた。
「あのガキつぶすにゃこんなもんじゃ駄目だめなんだよ。ガキイ相手だからって甘い事ばっかしやがって。だから最初からおれが出るっつってんじゃねえか」
 開きっ放しの後部スライドドアから、黒ずくめの男がり落とされた。その後からのっそりと現れたのは、白衣を羽織った長身の男だ。その表情にダメージらしきものはない。研究者のくせに顔面に刺青いれずみが彫ってある。その両手には、細いフォルムの機械製グローブがはめられていた。マイクロマニピユレータとかいう馬鹿ばか長い名前で、確か文字通り一〇〇万分の一メートルクラスの繊細せんさいな作業を可能とする精密技術川品だったはずだ。
「……、」
 一方通行アクセラレータはわずかにまゆをひそめた。
 その研究者の顔を知っている。
「ぶっ」
 そして、見た瞬間しゆんかんに吹き出した。
「ギャハハハハ!! キハラくんよォ、ンだァその思わせぶりな登場はァ!? ヒトのツラァ見ンのにビビッて目ェ背けてたインテリちゃんとは思えねェよなァ!!」
 木原数多きはらあまた
 かつて、学園都市最強の超能力者レベル5の能力開発を行っていた男だ。
 それはつまり、学園都市でも最も優秀な能力開発研究者である事をも意味している。
「いやぁ、俺としてもテメェと会うのはお断りだったんだけどな。上の連中が言うから仕方ねえじゃねえかよ。何でも緊急きんきゆう事態だとかで手段を選んでる余裕はねえんだと、だから、まぁ、悪りいんだけどここで潰されてくんねーか」
 白衣の男は虚勢を張っているが一方通行アクセラレータは無視した。
 一方通行アクセラレータの研究にたずさわった者は皆、例外なく彼の高すぎる才能に恐怖していた、はっきり言えば、同じ研究施設に二ヶ月といた試しはない。研究者がどれだけの野望を抱いた所で、それをはるかに凌駕りようがする資質を持つ者を見た途端に部屋の隅でふるえ上がる。
 木原数多もそういった。研究者の一人でしかない。
 というより、一方通行アクセラレータはそれ以外の研究者像を知らない。
 唯一、芳川桔梗よしかわききようを除けば。
 木原は白衣の肩を軽くすくませ、
「そう言うなよ。だれがテメェのチカラを発現してやったと思ってんだ?」
「あ? ナニ? 何ですかその義理と人情にあふれた台詞せりふ。もしかしてこの一方通行アクセラレータに恩返しとか期待しちゃってるヒトとか? いやァ駄目だわ。っつかよォ」
 一方通行アクセラレータは左手の人差し指をこめかみの辺りに当てる。
 その指をくるくると回すと、
「イカれンなら一人でやれや、おれの体アいじくった研究者の数なンざ両手の指じゃ足ンねエンだよ。いち。いちオマエ一人の思い出なンぞとどめておくと思ってンのか通行人A。眼中ねエからさっさと消えてくンないかな?」
「つーか本気でムカつくガキだよなぁ、テメェは」
 木原きはらは冷え性に悩むように自分の両肩を抱く。
 くすくすと、うかがうような笑みを浮かべ、
「いやぁ殺したいわ。メチャクチャ殺したいわー。実を言うと前からその顔つぶしたくってたまらなかった訳よ。そりゃ昔は研究素材だったし、何よりガキのガキのクソガキだったから踏みとどまってたけどよお。こりゃー駄目だめだ、やっぱあの時きちんと殺しておくべきだったんだよなぁ。あー失敗だ。あっはっは、何やってんだかなぁ俺」
 電気収縮する人工筋肉や小型のモーターで補強された、超精密作業用のグローブをはめた両腕を目一杯に広げ、まるで恋人でも迎えるような仕草を取る。
 そのまま木原数多あまた一方通行アクセラレータへと近づいていく。
 無謀むぼうにも。
 研究者は唇の端をゆがめ、
 一言。
「そんな訳で、殺すわクソガキ」
 金属製の細いグローブに包まれたこぶし一方通行アクセラレータの顔面に飛来する。
 それでも一方通行アクセラレータは笑みを崩さなかった。
 ナニ考えてンだこの馬鹿ばか、とつぶやく。
 ガードなど考えず、むしろ両手を広げて木原数多の拳を迎え入れて、さあこの馬鹿の腕を徹底的てつていてきにへし折って片結びにでもしてやろうかと考えた所で、

 ゴン!! と。
 機械製の拳が、一方通行アクセラレータ皮膚ひふを削り取り、頭蓋骨ずがいこつを揺さぶった。

「が……ぃ……ッ!?」
 予想外の一撃いちげきに、彼の脳が余計にショックを受ける。
 チョーカー型電極のスイッチはつけていた。
『反射』は効いていた。
 今の状態なら、核爆弾を抱えて自爆しても傷一つつかないはずだった。
 なのに、
 何故か、ベクトル反射が全く通用しない。
「っつかよお」
 ぐらぐらと揺れる意識に、木原数多きはらあまたの声が届く。
 いかにも失望したような、人を見下した声。
「テメェごとき眼中ねぇのはこっちも同じなんだよクソガキ。多少チカラァあるからって付け上がってんじゃねえのか。もういっぺん言ってやるけどよ、そのつまんねーチカラは一体どこのだれが与えてやったモンだと思ってんのよ。ほーれ、思い出したかー?」
「ぁ……」
 一方通行アクセラレータが何か言う前に、さらに木原のこぶしが飛んだ。
 ガシュン!! とグローブが妙な音を放つ。
 上から下へと金槌かなづちを振り下ろすような一撃いちげき。またしても『反射』は意味をさなかった。頭を強打された一方通行アクセラレータは、そのままれた路上へと倒れ込む。現代的なデザインのつえが手からはなれる。薬局のビニール袋が地面に落ち、その中身がバラバラと散らばった。
「さっさとひしゃげちまえよ。こっちにも目的がある。テメェごときと遊んでる時間もねえしな?」
 木原の靴底が、絆創膏ばんそうこうの箱をつぶした。
 子供向けに調整された、打ち止めラストオーダーのために買っておいた絆創膏だ。
 可愛かわいらしいパッケージが、雨水と泥にまみれて汚れていく。
「似合わないねぇ」
 木原はニヤニヤと笑う。
 腕の調子を確かめるように、機械製のグローブを軽くさすりながら、
「まぁ、アレはこっちで回収しといてやるからよ。テメェは安心してここで潰れて壁のみにでもなっててくれ。そっちの方がテメェらしいだろうしな?」
「……ッ!!」
 一方通行アクセラレータの頭が、カッと熱を上げた。
 木原数多は、目的は一方通行アクセラレータではないと告げた。そして、いつも一方通行アクセラレータそぼにいるらしい『アレ』を回収すると言った。
 つまり目的はそちら。
『アレ』と呼ばれた人物を、一方通行アクセラレータや木原数多のいる血まみれの世界へ引きずり落とすと言っているのだ。
「ナメ、てンじゃ……」
 一方通行アクセラレータは、いつくばったまま声を出す。
 自分の間近で―――言い換えれば無防備に接近し、こちらを見下ろしている木原や黒ずくめの男たちを、彼は地面に体を押し付けた状態でにらみ付ける。
 わずかに泥を含む雨水を唇に含み、
「……ねェぞ三下さんしたがァああああああああああああッ!!」
 ごう!! と風が渦を巻く。
 彼の能力はベクトル操作。わずかでも力を持っものなら、その方向性を例外なく操るものだ。そしてそれは風―――地球上に存在する大気の流れであっても例外ではない。
 局地的なあらしが起こる。
 制御された風速一二〇メートルの暴風は、竜巻ハリケーンとしても最大級のM7クラス。自動車や家屋の屋根すら引きがす大気の暴力は、もはや並のミサイルを越している。
 殺せ、と一方通行アクセラレータは絶叫した、
 だが、
駄目だめなんだよなあ」
 ピーッ、と。
 妙に乾いた音が周囲へひびいたと思った途端に、一方通行アクセラレータが制御していた暴風の塊が吹き消された。風船の口が開いたように、集められた風が四方八方へと散っていく。
「ッ!?」
 必殺と思っていた攻撃こうげきが、あまりにもあっけなく打ち消されていく。
 愕然がくぜんを通り越し、もはや呆然ぽうぜんとする一方通行アクセラレータに、
「だから死んどけって、な?」
 木原きはらはその辺にあった鉄。パイプを拾い、ゴン!! と一方通行アクセラレータの顔面をなぐりつける。
 メキメキと顔の表面が嫌な音を立てる。痛みのせいでとっさに出た声が、出口を失ってくぐもった響きをかなでる。木原はそれを耳にしてから、鉄パイプを適当に放り捨てた。
「お、ご……」
 朦朧もうろうとする意識の中、一方通行アクセラレータは思う。
 これと同じような現象を、知っている。
 自分が絶対だと思っていた超能力レベル5の力を、てのひらで触れただけであっさりと打ち消してしまう、あの男。『反射』という不可侵の能力すらも打ち砕き、この華奢きやしやな体に重たいダメージを次々とたたき込んできた、あの男。
 まさか、
「オマエ……自分の体に、超能力の、開発……」
「ギャハハ! あーあー違う違う、そうじゃねえよ。何でおれが実験動物の真似事まねごとなんかしなくちゃならねえんだ。そういうのはモルモットの仕事だろうがよ。これはそんなに大それたモンじゃねえ。あんな馬鹿ばかげた力ァ使わなくても、テメェ一人潰す事に苦労なんかしねえんだよ。っつかよ、テメェみてえな馬鹿一匹潰すのに何でそこまで体を張らなくちゃならねえんだ? あ?」
「……、」
「いや、気分が良いなあ、害虫駆除は気分が良い。今日はコイツの調子も優れてっし」
 言いながら、木原きはらはマイクロマニピュレータの指を開閉させる。
 ピクリ、と一方通行アクセラレータの肩が。ふるえた。
 まだ終わらない。
 ここで簡単につぶれる訳にはいかない。
「おおォ!!」
 一方通行アクセラレータはベクトルを制御し、バネのように地面から飛び上がった。そのままがむしゃらに腕を振るう。右腕に固定されていた、現代的なデザインのつえがすっぽ抜けるが、気にしてなどいられない。
 木原数多あまたへ五本の指をたたきつける。
 一度目は失敗した。
 だが、二度目のつめが木原に触れる。一方通行アクセラレータは『力』を注ぎ込む。彼のはめるグローブへと。ベクトルを一点に集中させ、機械で作られたグローブを粉々に砕く。
 破片がばらかれた。
「!?」
 木原のおどろいた顔が、宙に浮かぶ残骸ざんがいの向こうに見える。
 そこへ一方通行アクセラレータは開いた五本の指を突き入れた。
(とりあえず死体決定だクソ野郎!!)
 機械破片の膜を突き破り、必殺の腕は木原数多の顔面へ叩き込む。
 だが、
「そっかそっか。力の秘密はグローブだと思ったのか?」
 平然とした声。
 首を振っただけで一方通行アクセラレータ一撃いちげきを軽々とけた木原の顔に浮かぶのは、
 相変わらずの笑み。
「そうじゃねえんだわ! ぎゃはは! ごっめんねえ、期待させちゃったかなぁ!!」
 ドッ!! と一方通行アクセラレータ脇腹わきばらこぶしが突き刺さった。
 吐き気が胃袋で爆発し、しかしそれすらも強引に押しとどめられる。
 木原の笑い声が鼓膜にひびく。
「ははっ! いつまで最強気取ってやがんだぁ? このスクラップ野郎が!!」
 思わず体がくの字に折れ曲がった所で、ちょうど前へ突き出す形になった頭へさらに拳が飛ぶ。オモチャのように、彼の体が路面を転がっていく。
「テメェの『反射』は絶対の壁じゃねえだろうが」
 木原はゆっくりと歩いてくる。
 一方通行アクセラレータは、動けない。
「ただ向かってくる力のベクトルを『反対に』変えてるだけだ。なら話は簡単でよぉ、テメェをボコボコにするためには直撃ちよくげきの寸前にこぶしを引き戻せば良いんだよ。言っちまえば寸止めの要領だな」
 楽しげな声。
 新しく思いついた手品の仕組みを語るような笑み。
「テメェは、自分から遠ざかっていく拳を『反射』させてる訳だ。って事はよお、テメェはわざわざ自分からなぐられに行ってるって話なんだわ。分かってくれたかなぁマゾ太君!? いやぁガキの頭にゃ難しすぎたかなぁ!!」
「!!」
 一方通行アクセラレータは起き上がろうとするが、その前に木原きはらの足が飛んだ。
 上からつぶすように、何度も靴底がおそいかかる。体の色々な部分が踏み潰され、引きつった皮膚ひふが切れ、血が雨水と混ざり合ってにじんでいく。
(なン……だと?)
 木原はこちらの能力を逆手に取っているらしいのは何となく分かる。が、それが実感としてどういうものなのか、机上の空論ではなく現実の問題として実行可能なのかどうか、一方通行アクセラレータにはサッパリ分からない。ともあれ、『反射』は使い物にならないと判断した彼は、
「がァァァ!!」
 今度は空気の流れのベクトルを制御して暴風を起こそうとするが、そちらもピーッと乾いた音が聞こえただけで吹き消される。
「同じ事だよ」
 木原は言う。
「テメェの能力はベクトルの計算式によって成立する。なら、ソイツを乱しちまえば良い、だから風を操んのも無駄むだなんだわ。ただの『反射』に比べて『制御』はより複雑な計算式を必要とする。プログラムコードと同じだな。記述が多ければ多いほどバグが生じる可能性も高くなる。―――もちろん、人為的な介入もな。ようはちよっとした『音波』を空気に通せば、『風の攻撃』はすベ妨害ジヤミングできんだよ。テメェの計算式の死角にもぐり込むような波と方向性を持った『音波』を放ちゃあ、な?」
 取り出されたのは携帯電話……いや、それに付けられたストラップか。柔らかい素材でできていて、押すと音が出る仕組みらしい。たったそれだけで、彼の力は封じられていた。
「く、そ」
「どーよ。泥の中で踏みにじられる気分ってのは。テメェの特徴、計算式、『自分だけの現実パーソナルリアリテイ』、全て把握済みだ。こっちも伊達だてにそのチカラあ開発してねーぞ」
 ゴン!! ゴギッ!! ベゴ!! と、鈍い音が連続する。
 木原きはらの顔に血が数滴跳ねる。
 息が切れるまでり続けると、木原は赤色に汚れた靴を雨でれた路面へこすり付けた。それが、この上なくみにくい汚れであるかのように。
「んー? 害虫ってのはなかなか死なねーモンだなぁ。おい、車ん中にあったヤツを持って来い。あれだよあれ、後ろの方に押し込んであった、ほこりかぶってるヤツ」
 木原が軽く手を伸ばすと、その動きに応じた装甲服の一人がダメージを引きずるような動きで車の後部座席へ入って行った。その中から取り出し、木原が受け取ったのは、金槌かなづちやノコギリなどが丸々収まった、ズシリと重たい工具箱だ。
「武器ってなあ雑っつーか大雑把おおざつぱな方が効き目が高い、暗殺用の非金属ナイフより材木用のチェーンソーの方がエグいみてえにな」
 一方通行アクセラレータは倒れたまま、ろくにしゃべらない。
 雨水に打たれながら、彼はただ木原の顔を見上げる。
「なぁ一方通行アクセラレータ。テメェは『アレ』の意味を理解してねえんだよ」
 木原は笑う。
 アレというのは、あの小さな少女以外に考えられない。
「大体よー、そもそも絶対能力進化レペル6シフト計画の前の、量産能力者レディオノイズ開発計画だっけか。軍用量産モデルとしてゴーサインが出たっつー時点で怪しいじゃねえか。だったら第三位の超電磁砲レールガンじゃなくてよ、第一位のテメェのクローンを作るべきだろうがよ」
「―――、」
「何でテメェのクローンは作られなかった? 何で第三位のアイツで計画はスタートした? ナニかがあるんだよ、そこにはな、テメェがちっとも理解していねェ何かが、だ」
 ハッ、と一方通行アクセラレータは笑う。
「クソッたれが……」
 呟く。
 唇が切れるどころか、もう歯の間からのどの奥まで血の味で満たされていた。
「……おれ以上にあのガキを分かってねェオマエが、テキトーなコト言ってハシャいでンじゃねェよ」
「んー?」
 木原はニコニコと笑って、重たい工具箱の角を両手でつかみ、握り心地を確かめる。
 彼は笑って言う。
「感動的だねぇ。本人だって大喜びだ」
 一方通行アクセラレータの心臓が止まるかと思った。
 彼の体は動かない。
 それでも、倒れたまま、いつくばった姿勢で顔だけを動かす。
 一〇〇メートルほどはなれた場所。
 そこに、
 その先に。

 黒ずくめの男に二の腕をつかまれ、
 だらりと残る手足を揺らしている、小さな少女がいた。

「回収完了、って所だな」
 木原数多きはらあまたの声が、一方通行アクセラレータの耳から遠ざかっていく。
 地面に倒れた彼の視界の先に、三人の人間がいた。二人は、並んで歩く黒ずくめの男。あとの一人は荷物のように掴まれている打ち止めラストオーダーだ。まるで重たい物を入れたビニール袋のようだった。足の裏が地面に接触していない。垂らしたひものように、ただただ足の甲の方が力なく地面とぶつかっていた。
 ここからでは、彼女の表情は見えない。
 手足と同様、枝のように揺れる首はうな垂れていて、前髪と影によって表情が隠れてしまっている。ただ、相当苦しそうな姿勢であるにもかかわらず、身じろぎの一つもなかった。おそらく意識はない。近くに寄れば、その幼い体のあちこちに生傷がある事も分かると思う。
 片手で持っのが疲れたのか、男はとなりにいるもう一人の仲間へ、乱暴に打ち止めラストオーダーを押し付けた。それでも手足がたよりなくふらつくだけで、彼女は全く反応をしない。
 木原は笑って言った。
「あーあー、ありゃあもう聞こえてねえかもな。一応本命は生け捕りってハナシになってんだがよ、アレは本当に生きてんのか? こんなんで始末書なんて真っ平だぞ」
 ふざけンな、と一方通行アクセラレータは口の中でつぶやいた。
 彼女はまだ生きている。死んでいるはずがない。もしも打ち止めラストオーダーが死んでいるとしたら、妹達シスターズの代理演算に頼っている一方通行アクセラレータの方にも影響えいきようが出るはずだ。……と、思う。
(クソ、確証なンかねェよ……)
 一方通行アクセラレータは冷たい地面に転がったまま、歯を食いしばった。
(あのガキが死ンだら、具体的に影響が出ンのか出ねェのかなンざ知らねェよ! そンなモン試そォと思った事もねェから分かる訳ねェだろオがよォォ!!)
 打ちひしがれる一方通行アクセラレータなどお構いなしに、ぐったりした打ち止めラストオーダーを抱える男たちはこちらに近づいてくる。より正確にはワンボックスに向かって、か。
 木原は自分達の目的は打ち止めラストオーダーだと言った。
 どこへ連れて行くつもりかは知らないが、そこらにまっている自動車に押し込まれたら、もう終わりだ。
 あの少女はもう一度、血とやみにまみれた世界へ引きずり戻される羽目になる。
 そして。
 次にそこから帰って来られる可能性は、おそらくゼロだ。
(やら、せるか)
 一方通行アクセラレータは、雨にれた地面に指をわせる。
 ボロボロになった体に、わずかに残された力を注ぎ込む。
打ち止めラストオーダーァァああああああああああああああああッ!!」
 顔を上げて叫んだ。
 ピクン、と呼ばれた少女の肩がわずかに動いた気がした。
 倒れたまま、腕を振り上げる。
 ベクトル操作で、木原数多きはらあまたはじけない。空気を操った暴風を使っても、即座に打ち消ジヤミングされてしまう。これらの攻撃こうげき方法を使ってもこの白衣の男は倒せない。そもそもこの状態でたたつぶす事は考えるべきではない。もっと優先すべき事があるのだから。
 ならば、
「―――ッ!!」
 一方通行アクセラレータは歯を食いしばり、己の手を濡れたアスファルトへ叩きつける。
 ゴッ!! という破壊音はかいおん
 膨大ぼうだいな力に吹き飛ばされたアスファルトの破片が四方八方へ飛び散り、それによって木原がわずかに後ろへ下がる。
 猶予ゆうよは一秒もない。
 その限られた時間の中、一方通行アクセラレータは今度こそその手に『風』をつかむ。
 暴風がうねる。ベクトルを制御する。
「チッ!!」
 木原の舌打ちが聞こえた。暴風のやりはそんな木原の真横を突き抜け、黒ずくめの男につかまれている打ち止めラストオーダーの元へと突っ込んだ。
 風速一二〇メートル。
 自動車や家屋の屋根すら引きがす烈風が、少女の小さな体を黒ずくめの太い腕からもぎ取り、地面から飛ばした。一〇メートル以上の高さのビルをいくつも飛び越え、打ち止めラストオーダーが風景の陰へと消えていく。
 ごぼっ、と一方通行アクセラレータのどが変な音を出した。
 押さえつけようと思う前に血の塊が吐き出され、彼の顔は。再び雨にれる路面へと落ちる。バッテリーの残量はあっても、もう『反射』に意識を割けない。血と泥の混ざった雨水が、唇の端から舌の上へと入り込んでくる。
「あーあーあーあー」
 木原きはらがのんびりした声をあげた。
「ゴルフボールじゃねーんだからよー。ヤード単位で人間を飛ばすんじゃねーよなーもう。飛距離ひきより抜群じゃねーかよ。一体だれが回収すると思ってんだ。おれはやんねーけどな」
「どうしますか」
 黒い装甲服に身を包んだ男たちの一人が、ぽそぼそと指示を仰ぐ。
 木原はグローブの残骸ざんがいのついた右手でボリボリと頭をかいて、
「だぁー……あれよ、班を三つに分けろ。本命を追うのは一班だ。二班は俺の元に残れ。後始末だのそっちでつぶれてる部下の回収だの色々あるしな」
「しかし、最優先命令は最終信号ラストオーダーの捕獲にあるため、班の構成は―――」
「おや」
 木原数多あまたはキョトンとした顔で部下を見た。
 何気なく尋ねる。
「お前さ。この『猟犬部隊ハウンドドツグ』に最近補充されたヤツだろ」
「え、いや」
「良いって良いって。別に素性すじようを探ろうって訳じゃねえ。汗臭い男の末路なんざ聞いてもつまんねーしな。ただ、ルールが分かってないようなら教えてやる」
 んン、と木原は退屈そうに咳払せきばらいして、
「テメェらはクズの集まりだ。人権なんてものはねえ。クズの補充なんざいくらでも効く。大事な大事な作戦を邪魔じやまァすんならぶっ殺しちまっても構わねえんだよ。分っかるかなぁお前、今、一度死んだぞ? 確認するぞ、分かってんのか」
 ぬめるように体を伝う雨粒の感覚が、消える。
 声をかけられた黒ずくめの男から、不快感すら消失する。
「こっちは自分の手でスケジュール組んでんだよ。あんなクソみてえなクソガキどものためにわざわざ頭悩ませてよぉ。馬鹿ばかみてえだよな。ここまできてさらにテメェっつークソ野郎の事で頭ぁ悩ませなくちゃならねえのか。あ?」
 ザザザリザリ!! と、木原の体から周囲へ肌寒い感情が駆け抜けていく。
 思わず部下が無言で一歩退いたのを見て、木原は簡単にうなずいた。
「よし、分かりゃあ良いんだ。今ァそれほど切羽詰せつぱつまってねーし、質問も受け付けてやる」
「……え、ええ。最終信号ラストオーダーは生け捕りとの事でしたが、ああなってしまうと」
「その辺はこのガキだって考えてんだろ。どっかの川に落としてるとかな」
「水面の場合、最終信号ラストオーダーが気を失っていた事を考えると、溺死できしの危険性もありますが……」
「馬鹿だな、着水のショックで目ェ覚ますだろ。それ以前に意識ぐらいはあったと思うがな。とにかくクッションになりそうなものをピックアップして、その周辺を調べりゃあ良い。多少の逃走スキルを持ってたとしても、基本的なスペックはガキの足だ。これで標的見失ったら腹ァ抱えて笑ってやるよ」
 了解、という声がいくつか重なった。
 ほとんど相談する事もなく、口や指の合図だけで彼らの一班は散り散りに路地へ消えていく。
 木原きはら水溜みずたまりの上に転がっている一方通行アクセラレータの成れ果てを見下ろして、
「さて、と」
「そちらは回収ですか?」
「いやぁ、殺すよ。この手の努力しちゃってるヒト見てるとイライラすっからさー。捕らえておく理由もねーし。コイツ鬱陶うつとうしいだろ。こういう思い詰めちゃう派の根暗な自己満足野郎はここで殺しておいた方が無難だよなぁ」
 木についた毛虫を眺めているような口調だ。
 装甲服の一人が拳銃けんじゆうを差し出したが、木原は首を横に振った。一方通行アクセラレータの反射対策は、微妙な手足の『返し』の動作によって成立する。弾丸では再現できない。
 もちろんこれは、一方通行アクセラレータの能力を直接開発した彼だからこそ可能な攻撃こうげき方法だ。仕組みを説明された所で、そのコンマ何秒というデリケートなタイミングを実戦レベルで扱えるのは木原だけだろう。
 木原はかがみ込んで、持っていた工具箱を振り上げる。
 金槌かなづちよりもはるかに重たい、原始的な鈍器を。
 地面に署いた空き缶をっぶすような動作で、一方通行アクセラレータのボロボロになった顔をねらう。
「せっかく不意をついたんならおれを殺さなくっちゃーなぁ。起死回生の一手のつもりか知んねーけど、アレは一〇分もしねー内にカゴの中だぜえ?」
「……、だまれ」
 吐き捨てるように、一方通行アクセラレータは言う。
 おや? と木原は目を丸くした。本当に起きているとは思っていなかったのだろう。
「クソッたれが。オマエにゃ……一生、分かンねェよ」
「そーかい。じゃあ殺すけど、今のが遺言でイイんだよな?」
 汚ねェみになっちまいな、と木原は嘲笑あざわらう。
 くそ、と一方通行アクセラレータは顔には出さずに眩く。
 木原の言う通り、このままでは打ち止めラストオーダーは捕まってしまう。彼女にもある程度の逃走能力はあるが、それでも圧倒的に不利だ。
 黄泉川よみかわは何をやっているのか、芳川よしかわは拳銃を持ってやってこないのか、と一方通行アクセラレータは思う答えは分かっている。もちろん来ない。そんなに都合良く来てくれるはずがない。自分の力で何とかできない状況に遭遇した所に、パズルのピースのようにその解決方法をたずさえた人間がポンと現れるようなら誰だって道を踏み外さない。人類皆兄弟。みんなで笑ってみんなが幸せ、極めて優しい幻想だが実際にそんな事が起きるはずがない。
(……、だれか)
 それでも、一方通行アクセラレータは思う。
(起きろよ幻想ラツキー……。手柄ならくれてやる。おれみにじって馬鹿ばか笑いしても構わねェ)
 雨にれた地面に転がり、頭蓋骨ずがいこつたたつぶされる直前で、どこまでも無様に。
(誰か、誰でも良いから、あのガキを……)
 願いが届くはずがない。
 工具箱ハンマー容赦ようしやなく振り下ろされる。
 その直前で、

「―――そこで何してるの?」

 あ? と木原きはらは振り上げた腕を止める。
 装甲服を着込んだ連中が声のした方へ振り返る。
 距離きよりは二〇メートルもない。そこらの細い脇道わきみちから、不意に出てきたのだろう。小雨の降り注ぐ夜の街の中、傘も差さずに立っているその人影は、街灯の光を照り返してぼんやりとかがやいている。
 その影は腰まである銀の長い髪を持ち、色白の肌に緑色のひとみを備えていた。格好は紅茶のカップのような、白地に金刺繍きんししゆうほどこした豪奢ごうしやな修道服。だが、その所々を安全ピンで留めている、とてもアンバランスな服を着込んでいた。その両手には、こんなギスギスした世界とは縁のなさそうな三毛猫みけねこが抱えられている。
 一方通行アクセラレータは、倒れたまま思い出す。
 彼女は。
 彼女の名前は。

     2

「くっそー。インデックスの野郎、出会ったと思ったらすぐに消えちまいやがって。一体どこまで行っちまったんだ?」
 上条当麻かみじようとうまはあちこちをキョロキョロ見回しながらつぶやいた。
 地下街は最終下校時刻が過ぎると人が少なくなっていった。相変わらず昼も夜も、今の天気も読めないような白々しい蛍光灯の世界なのだが、こういった人の流れとか店内放送の音楽の種類の違いなどで、少しずつ時間の流れが感じられる。
 上条としては、そもそもインデックスが何で学生りようを飛び出して地下街までやってきたのか、そこから理解できなかったりする。
 ちなみにインデックスと出会った時の会話はこんな感じである。
『学園都市って複雑で面倒で良く分からない構造をしているよね。おかげでとうまを捜すのにすごく手間取ったんだよ。まあいいや、早く帰ろう?』
『っつか、何でそこまでしておれを捜しに来た訳?……まぁ大体、おなかが滅ったからだって相場は決まってんだけどさ』
『もう、とうまのばか!!』
『ごぁぁ!! 唐突にみ付かれましたよ今!?』
『私がいっつもお腹がすいただけで動くと思ったら大間違いかも!!』
『むしろお前はそれ以外の理由で動く方が珍しいじゃねえかッ!!』
『とうまは配慮はいりよが足りないよね。ここに来る前に出会った白い髪の人は、事情も聞かずにハンバーガーを食べさせてくれたぐらいなのに。とうまもああいう優しい人にならなくちゃ』
『へーへー。どうぜ俺はそういうヤツとは縁がないっすよ。そうそう、ちゃんとその人にありがとうって言ったか。ほかにもなんかもらってないだろうな?』
『む、私はちゃんとお礼は言える人だよ。でも、言われてみればこんなの借りたかも』
『何だ、ただのポケットティッシュか』
『ハッ! あの人がこの最新鋭日用品がなくて今頃いまごろ困ってたらどうしよう! と、とうま、私はちょっとこれから返してくるんだよ!!』
『え? でも、ただのティッシュだぞ。しかも丸まってグショグショになったのなんて返されても困るんじゃ―――って、全力疾走してないで聞けよインデックスーっ!!』
 携帯電話で連絡を取るのが手っ取り早いのだろうが、どうせあのシスターはいつも通り電源を切りっ放しにしているだろう。そう思った上条かみじようは地下街をウロウロして近辺のファストフード店などをのぞいてみたがインデックスは見つからない。人捜しをしているようだし、地下にいないとんで地上の方に出たのかな、と上条は思う。と言っても、あのシスターは完全記憶きおく能力を持っているくせに学園都市では素で迷子になったりするので理由とかはないかもしれない。
 上条は階段を上がり、地下街から外に出た。
「ありや!? 雨かぁー……」
 上条は夜空を見上げて思わずつぶやいた。パラパラと小粒の雨滴が路面を黒くらしている。、流石さすがに九月末日となると、辺りの空気も一気に冷え込んできていた。
(……確か布団ふとんは干してなかったよなぁ。インデックス、窓はちゃんと閉めて出てきたんだろうか。まぁ、まずはインデックスを捜すトコから始めよう)
 と、分厚い雲におおわれた夜空に目をやったまま、上条は何となしに歩き続ける。雨は降っているのだが、傘を差すほどではないかもしれない。学生りようが近くにある事、雨天のたびにコンビニ傘を買って帰るので寮の傘立てがいっぱいになっている事などを考えると、地下街に戻って雨具を手に入れようという気もげるのだった。
(……にしても、なんか警備員アンチスキルの数が多いような……?)
 時聞帯のせいか、天気のせいか。真っ暗になった通りには、珍しく学生たちがいない。あちこちを歩いているのは警備員アンチスキルばかりだ。
 積層プラスチックや耐衝撃たいしようげきウレタンなどでゴテゴテと固められた防具満載の警備員達アンチスキルたちがウロウロしている。元々防水性のある装備なのだろうが、やや冷え込んできた雨の中、傘も差さずに巡回している様子を見ているとちょっと可哀想かわいそうだ。
(うーん。あんまり遅い時間まで外を出歩いてるとあっちに補導されるかもなんだよな。おれみたいなのならすり抜ける方法も知ってるけど……インデックスは駄目だめそうだ。話をこじらせて詰め所までご案内されそうだ)
 面倒事になる前にさっさと連れ帰ろう、と上条かみじよう警備員アンチスキルから視線を戻そうとした。
 その直前で。

 ゴトリ、と妙な音が聞こえた。

「……、?」
 上条の動きが固まる。
 すぐそこに立っていた、防具満載の警備員アンチスキルが、何の前触れもなくいきなり地面へ崩れ落ちたのだ。うつ伏せに転がったその体が、路面をらす水溜みずたまりに浸されていく。それでも身じろぎ一つなかった。いかに防水機能があるとしても普通の反応ではない。例えば、雨合羽あまがつぱを着たまま水溜りに飛び込む馬鹿ばかがいるだろうか。
(……まさか、意識が?)
 上条は彼らの着ている正式装備の着心地きごこちがどんなものか知らない。
 だが、着ぐるみのようなものだったら、脱水症状や熱中症に近い状態になるものなのかもしれない。上条にとっては少し肌寒いが、あんな分厚い装備で固めた人にとっては関係がない可能性もある。
(まずいな)
 上条は周囲へ視線を走らせる。
 普通の学生達はいないが、警備員アンチスキルならたくさんいる。
 それでも、上条は一応倒れた警備員アンチスキルの方へ向かった。
 その時、
 今度はあちこちから。
 バタリ、という音が上条の耳を打つ。人間が倒れるひびきだ。しかもそれは一つではない。バタバタと何度も何度も重なって一つの長い雑音を作り上げていた。
「な……」
 上条かみじよう怪誘けげんな顔で周囲を見回して、そこで凍りついた。
 夜道を巡回していた警備員達アンチスキルたちが全員倒れていた。何かの衝撃しようげきを受けた訳でもなく、ただ漠然と地面に転がっているだけ。それでいて、指先一本動かすどころか体をふるわせる事もない。遠目に見ただけで分かる。彼らの意識は完壁かんぺきがれている。
「ちょ、何だよこれ。おい!!」
 今度は慌てて走る。
 最初に倒れた警備員アンチスキルの下へ向かった。水溜みずたまりの中でうつ伏せに倒れているのは、どうやら男らしい。この状態であっても窒息するかもしれない、と考えた上条は、とりあえず水溜りから男の体をどけて、仰向けに体勢を変えた。
 男の体はズシリと重たい。
 それが装備品によるものか、人間の体重本来の重さなのかは区別がつかない。
ほかの人達は……)
 あちこちを走ったが、窒息しつつあるような人はいなかった。できれば全員を地下街に運び込みたかったが、それだけの体力がない。人間の重さは、まるでサンドバッグのようだった、
 人を呼ぶのも大変そうだ。
 この辺りは結構大きな通りだが、基本的に学生街の集合体である学園都市は、一部教員用の歓楽街を除くと、ほとんどが日没と共に機能を停止する。今も明かりのある店は深夜営業の許可が下りたコンビニやレストラン程度のものだ。電車やバスの最終便も過ぎた後で、片側三車線の道路には一台の車もない、心細い事この上、なかった。現にこれだけ多くの人達が倒れているのにさわぎが起きる気配はない。周りの人が何とかしてくれる、という考えは捨てた方が良さそうだ。
(本来、こういう事態のために警備員アンチスキルがいるはずなんだけど……)
 上条は警備員アンチスキルの顔をのぞき込む。
 体のほとんどを非金属パーツで固めているため、脱がさない事には怪我けがの様子は分からない。が、少なくとも衣服が真っ赤に染まっているような事はなかった。映画やドラマであった動作の見よう見まねで首筋に手を当てて、脈を測る。命の鼓動を伝える脈拍は、力強いサインを上条の指先に返す。口元にてのひらをかざしてみると、安定した吐息が感じられた。
 命に別状はない……ように見える。
 しかし、怪我でないとしたら、原因は何なのだろうか?
(麻酔ガス……? いや)
 だとしたら、上条だけが無事だった理由が説明できない。
 ともあれ、素人しろうと判断で放っておくのもまずいだろう。
 救急車を呼ぶしかない。
 上条は携帯電話を取り出し、三けたのナンバーをプッシュしてコールセンターに接続した。こういった緊急用きんきゆうようの番号は通話ボタンを押すだけで緊張するが、通報はこれが初めてではない。頭は混乱気味だったが、それでも何とか状況を説明できた。
 二つ折りの携帯電話をパチンと閉じる。
 ズボンのポケットに収めるために一度立ち上がってから、電話をしまう。
 その時、
『……ざ、ザ……』
 足元から雑音が聞こえた。上条かみじようは視線を下に送る。倒れている警備員アンチスキルは相変わらず、指先一つ動かさない。彼の肩の辺りから、ラジオの雑音のようなものが飛んでくる。
『ザ、ざざザザざ……、に、侵入。繰り返す……ゾゾザザゾザ!! ……、ゲートの破壊はかいを確認! 侵入者は市街地へ―――だれか聞いていないのか? こちらの部隊も正体不明の攻撃こうげきをゴァ!?』
 ブツッ!! と、テレビを切るような音がひびく。
 音の正体は無線機だった。相手はほかの場所にいた警備員アンチスキルだったのだろうか。切羽詰せつぱつまった台詞せりふが気になるが、四角い機械はサーッという均等な雑音を流しているだけだ。パッと見だと飾り気のない携帯電話にも見えるが、仕組みは全く違うのだろう。触れてみる気も起きなかった。
 何だ今の……と、上条は視線を外した。
 上条は無線機から流れてきた雑音混じりの言葉を思い出す。
(……侵入者)
 と言うからには、何者かが学園都市の外からやってきた事になる。それが目の前で警備員アンチスキルが倒れている状況と関係しているかははっきりしない。が、そうであろうがなかろうが、上条の頭に浮かぶのは、
(インデックスの方は大丈夫だいじようぶなんだろうな……)
 学園都市の敵対者だからと言って、そのすべてが魔術まじゆつ側の人間であるとは限らないし、たとえ魔術師だったとしてもその全員がインデックスをねらってくるという法則もない。しかし、やはり真っ先に考えてしまうのは彼女の事だった。
 まずいな、と上条は思考を切り替える。
 念のため、安全を確認するという意味でもここは早く合流しておいた方が良さそうだ。
 そこへ、
「?」
 ドン、と上条の腹に小さな衝撃しようげきが走った。
 だれかがぶつかったらしい。……と思うには、やけに衝撃の当たった場所が低い。胸の辺りではなく、おなかの下辺りに衝撃がきた。
 目を下にやる。
 ぶつかってきたのは、小さな子供だった。上条よりも頭一つ以上も身長が低い。せいぜい一〇歳ぐらいだろう。茶色い髪は肩に届くかどうかといった所だ。
 確か名前は……、
打ち止めラストオーダーだっけか?」
 うう、といううめき声が答えた。
 その返事がくぐもっているのは、その小さな顔を上条かみじようのシャツに押し付けているからだ。ぶつかってきたというよりも、ほとんど抱きついているような状態に近い。ぶるぶると小刻みに。ふるえる振動が、雨に打たれてすっかり冷たくなったその体温が、シャツ越しにも伝わってくる。その体は、ちょっとした小雨の下にいただけとは思えないほどずぶれになっていた。
 どうしたんだろう? と上条は首をかしげる。
「助けて……」
 打ち止めラストオーダーは、上条のシャツのおなかつかんだまま、顔を上げた。
 その大きなひとみは真っ赤に充血していて、透明な液体がほおを伝っていた。
 冷たい雨に打たれていても、頬を伝う一滴だけはすぐに見分けられた。
 彼女は。
 彼女は叫ぶ。

「お願いだから、あの人を助けて……ッ! ってミサカはミサカはたのみ込んでみる!!」
 二人の少女は交差し、二人の能力者への道がつながる。、
 本来ならば決して交わる事のない、完全に平行した二つの道。
 彼らの道が一点へと集束する時、
 学園都市を舞台にした、本当の物語が始まる。

   行間 五

 バタバタと人間が倒れていく。
 冷たい雨の降りしきる中、抵抗もなく、雑音もなく、鮮血もなく、悲鳴もなく、ただひたすらに人間の倒れるひびきだけが暗い暗い夜の街を伝っていく。彼らは一様に耐ショック機構を備えた装甲服を着込んだ大人ばかりだ。街灯の白々しい光が、水溜みずたまりに沈む銃器をギラリと照らし出している。
 学園都市の治安をつかさど警備員達アンチスキルたちだ。
 倒れた彼らは動かない。
 指先一つ。
 それとは別に、カツン、コツンという細々とした足音が嶋る。
 れた路面へと静かに横たわる犠牲者ぎせいしや達の間をって進むように、ゆらりゆらりと細い女のシルエットが雨天の街を歩いていた。
 街灯の下に出た女は傘を差していなかった。糸のような細い雨に、少女のような痩身そうしんが打たれている。服装はワンピースの原型となったカートルという女性衣類に、腰には細い革のベルト、手首から二の腕にかけてはスリーヴと呼ばれる着脱可能なそでが取り付けられていた。銀行員や郵便局員などが腕につけているものを、より華美にしたものと思えば良い。頭には一枚布のかぶり物があり、髪の毛は全部隠されていた。
 多少、歴史や考古学などに興味のある者なら、一五世紀前後のフランス市民の格好だという事が分かったかもしれない。
 しかし、基調となっている色が派手な黄色であるため、あまり原型をとどめているとも言えなかった。
 ジャリジャリと、金属が触れ合う細かい音が聞こえる。
 女の顔に取り付けられたピアスのものだ。耳はもちろん、鼻、唇、まぶたにまで穴が空けられている。唇を割って舌を出すと、くさりが落ちた。ネックレスのように細い鎖は舌先につけられたピアスに連結し、腰の辺りまで伸びている。そこには十字架を模したアクセサリーがぶら下がっていた。
 それらすべては顔が崩れるのを承知で実行されたものだ。
 十字教では『金属の貫通』という言葉には深い意味がある。そもそも『神の子』は釘とやりを刺されて殉教したからだ。突き刺す箇所を吟味すれば自由に術式を組み立てる事も可能となる。
「ふむ」
 顔面に風穴を空けた女は周囲をぐるりと見回して、それから足元に転がっていた無線機の一つをり上げた。空中を舞う四角い機械を片手でキャッチする。泥水にれたその感触に、彼女はわずかにまゆをひそめた。
 拳銃けんじゆうのように手の中でくるくる回すと、女は無線機のマイクへ口を近づける。
 耳元にささやくように告げる。
「ハッアァーイ、アレイスター」
 ザザッ、という雑音と共に耳に返ってきたのは、困惑する聞き手の警備員アンチスキルの声だった。しかし女は無視して続ける。聞こえていないはずのだれかに向かって話しかけるように。
「どうせアンタはこーいう普通の回線にもこっそり割り込んでるってコトでしょう。さっさとお相手してくれるとうれしいんだけどな」
 ブツッ、というスイッチの切り替わる音が聞こえる。
 明らかに音質がクリアになる。
『何の用だ』
「聞く気があるなら話してやっても良いってコトなんだけど?」
『一応確認するが、その程度の挑発に私が乗るとでも思うか』
「そう。統括理事会の顔を三つほどつぶしてきたトコだけど、『その程度』ではこたえない、か」
 女は手の中で無線機をくるくる回す。
 顔には少しだけ落胆の色があった。
「確か統括理事会って一二人しかいないってコトなのよね」
『補充ならくさ。いくらでもな』
「問題発言よね、ソレ」
『ねじ伏せるだけの力もある』
「私はねぇ、アレイスター。アンタは実は存在しない人間なんじゃないかってコトを考えてたのよ。立体映像か、もしくは死体の中に得体えたいの知れない機械でも詰め込んで動かしているだけなんじゃないかってワケ」
『夢のある意見だな。君は学者ではなく発明家向きだ』
「アンタの意見。の裏にゃ統括理事会の総意が隠れている……って踏んでたんだけど、こりゃ当てが外れちゃったかなぁ。全然あせってる様子もないコトだし」
 もう少し統括理事会の顔を潰してみるか、と女は小さく眩いた。
 無線機はやめうと言わない。
 その程度ではひびかないとでも宣言するように。
「まぁいいや。私の名は分かっている?」
『さあな。賊については取り調べで聞く事にしているので』
「神の右席」
 サラリと。
 女は魔術まじゆつサイド最大の深部の名前を口に出した。
 世界最大宗派ローマ正教のやみの闇の闇の闇の闇の闇の闇の闇の闇の果てに沈んでいる一つの名前。二〇億の信徒の中でも知っている者は一握りであり、たとえ知っていたとしても『知るに相応ふさわしくない人物』だと判断された場合は即刻処刑されるほどの隠密性おんみつせいに満たされた単語だ。
 しかしアレイスターもスラスラと答える。
 感情に起伏は、ない。
『おや。テロ行為指定グループにそのような名前はあったかな』
「ふうん」
『名を売るための行為だとすれば、少々無謀むぼうが過ぎたようだが』
しらを切るってコトならそれでも良いけど、今ココで命乞いをしなかったコトを最後の最後で後悔しないようにね」
『この街を甘く見ていないか』
「アラ。自分の街の現状すらつかめていないだなんて、すでに報告機能にも支障が出てんの? 失敬失敬、私は自分のつぶした敵兵の量を数えられないからなぁ。はは、オペレーターまでぶっ倒れてるか」
『……、』
「六割。七割。八割は流石さすがに行き過ぎかな。まぁジキに一〇割全部倒れるコトになるだろうけど。警備員アンチスキル風紀委員ジヤツジメントだっけ? そんなチャチなモンで身を守ろうとかしてるからあっさりクビを取られんのよ。自分がもう終わりだってコトぐらいは分かってんのよね?」
『ふ』
「?」
『その程度で学園都市の防衛もうを砕けたと思っているのなら、本当におめでたいな。君はこの街の本当の形をまるで理解していない』
「ヘェ」
『隠し玉を持っているのは君だけではないという事だ。もっとも、君はそれを知る前に倒れるかもしれんがな}
「何であれ、私は敵対する者をすべたたいて潰す。コレは私が生まれた時からの決定事項だ」
 互いは会話を交わしているように見えて、両者共に一方的な言葉を浴びせているだけだ。
 女は泥水のまみれた無線機に目を寄せる。
「私は『前方のヴェント』。二〇億の中の最終兵器」
 最後に告げる。
「この一晩で全てを潰してあげる。アンタも、学園都市も、幻想殺しも、禁書目録も、その全てをね」
 言葉と共に、ヴェントと名乗る女は握力だけで無線機を押しつぶした。

『人間』アレイスターは、窓のないビルの一室にいた。
 その四角いスペースの真ん中には円筒形の生命維持装置が鎮座ちんざしていて、彼はそこで逆さまに浮かんでいる。満たされた赤い液体は彼の口や鼻から体内へと浸透していき、細胞の一つ一つに干渉していく。
 普段ふだんは照明らしい照明は何もなく、ただ広い部屋の四方の壁を埋め尽くす機械類のパイロットランプなどが星空のように細かい光を放っているだけなのだが、現在は断続的にまたたく赤い警告色が莫大ばくだいな空間を照らし出していた。
 前述の通り、この部屋に照明機器はない。
 赤い光の正体は、モニタ一つ一つから表示される無数のエラーの集合体だ。つまり現在はそれだけの異常事態が学園都市企域をむしばんでいるのだ。
 ただ一人の魔術師まじゆつしによって。
『神の右席』の一名のみによって。
 あの『使徒十字クローチエデイピエトロ』ですら揺らがなかったこの学園都市が。
「―――、」
 ほんの数十分で、すでに学園都市の治安をつかさど警備員アンチスキルの七割弱が犠牲ぎせいとなっている。生体信号を探る限り死者はないようだが、彼らが国を覚ます前にここが陥落すればもう立て直しは図れない。街のあちこちから被害報告や増援要求などの通信が入るが、いちいちそれらに答えるのも億劫おつくうだ。
 街は死に掛けている。
 しかし、
 それでも、
『人間』アレイスターの口元に浮かぶのは、ただひたすらに笑み。
 喜怒哀楽のすべてに当てはまり、同時にどれもに当てはまらない説明不能の笑み。
「面白い」
 彼はささやく。
「最高に面白い。これだから人生はやめられない。こちらもようやくアレを使う機会が現れたか。時期は早すぎるが……プランにしばられた現状では、イレギュラーこそ最大の娯楽だな」
 口の中で転がすようにその感情をもてあそびながら、同時にアレイスターは生命維持装置の内部から計器類に無数の操作命令を飛ばす。無線装置の一つに干渉し、周波数や暗証番号などを飛ばして学園都市のやみうごめく者たちへと接続する。
猟犬部隊ハウンドドツグ―――木原数多きはらあまた
 アレイスターは告げる。
 相手の短い返事を受けて、彼は追加の注文を行う。
「虚数学区・五行機関……AIM拡散力場だ。少し早いが、ヒューズ=カザキリを使って『やつら』をつぶす。手足ははじいても構わん。現在逃走中の検体番号シリアルナンバー二〇〇〇一号を捕獲次第、指定のポイントへ運んでくれ。―――早急かつ、丁重にな」
 笑みと共に、彼は言った。

「さあ。久方ぶりの楽しい楽しい潰し合いショータイムだ」

   あとがき

 一冊ずつご購入していただいている貴方あなたはお久しぶり。
 一二冊もの物量をまとめ買いにしていただいた貴方は初めまして。
 鎌池和馬かまちかずまです。
 コメディとバトルが交差する(らしい)本シリーズですが、今回はコメディに特化しています。あっちもこっちもほのぼのしていると思います。一一巻では触れられなかった御坂美琴みさかみことばつゲームなども取り上げていたり。たまにはこういう争いのない雰囲気ふんいきも良いものですね。
 テーマは衣替えです。
 どいつもこいつも制服が夏物から冬物になっていたりといったストレートなものから、あるキャラクター(というか組織名)の登場による作品全体の流れまで、いろんな所に衣替えという意味を込めていたりします。
 全体的に学園都市の中での出来事なので、どちらかというと科学サイドっぽいお話になりました。なので、まあ……例の白い子はいつもの通りな感じです。次ではもっともっと活躍かつやくの場が出てくると思います。

 イラストの灰村はいむらさんと担当の三木みきさんにはいつもながら感謝を。今回、キャラクターたちの衣替えなんていう面倒臭い催しにお付き合いいただき本当にありがとうございました。
 そして読者の皆様にもいつもながら感謝を。鎌池がこうしてあとがきを書いていられるのもすべて皆様のおかげです。

 それでは、今回はこの辺りでページを閉じていただき、
 次の巻も開いていただける事を願って、
 本日は、ここで筆を置かせていただきます。

 ば、罰ゲームはまだ終わっていません!鎌池和馬

とある魔術の禁書目録12
鎌池和馬

発 行 2007年1月25日 初版発行
著 者 鎌池和馬
発行者 久木敏行
発行所 株式会礼メディアワークス

平成十九年一月十ニ日 入力・校正 にゃ?

小説ーとある魔法禁書目録11

とある魔術の禁書目録11

鎌池和馬

   c o n t e n t s
 
   序 章 北イタリアの旅行 Un_Viaggio_in_Italia.
   第一章 キオッジアの街並 Il_Vento_di_Chioggia.
   第二章 ロンドンへの準備 Un_Frammento_di_un_Piano.
   第三章 水の都の船の上で Il_Mare_e_la_Sconfitta.
   第四章 火船と砲火の戦い Lotte_di_Liberazione.
   第五章 アドリア海の女王 La_Regina_del_Mar_Adriatico.
   終 章 学園都市への帰還 L’inizio_Nuovo…….

とある魔術の禁書目録11

「えー、“来場者数ナンバーズ”の結果、あなたの指定数字は一等賞、見事ドンピシャです! 商品は『北イタリア五泊七日のペア旅行』、おめでとうございます!!」
 大覇星祭だいはせいさい最終日。“不幸”であることしか自慢できない男・上条当麻かみじょうとうまが、なんと海外旅行のペアチケットを引き当てた。
 思いがけずやってきた幸運に、上条とインデックスのテンションは最高潮。そして舞台はアドリア海に浮かぶ『水の都』、ヴェネツィア本島へ! 憧れのイタリアンバカンスには、ドキドキ★ラブイベントもあったりして!?
 上条当麻と幸運の女神が交差するとき、物語は始まる――!

鎌池和馬かまちかずま

今回は海外のお話です。普段、上条がインデックスに学園都市の知識を教えているこの関係が大ぎく変わったら面白いかな、などと考えていたのですが、いかがでしたでしょうか。

イラスト:灰村はいむらキヨタカ

1973年生まれ。フードプロセッサーを買って自炊の効率UP……と思ってたら忙しさのあまり、ロクに便う時間も無いです。最近ファミしス利用率が高いなあ。

   

chap1

序 章 北イタリアの旅行 Un_Viaggio_in_Italia.

 上条当麻かみじようとうまは不幸な人間だ。
 この大覇星祭だいはせいさいの七日間を振り返ってみるだけでもそれは分かる。だれでも分かる。大覇星祭とは能力者同士がぶつかり合う体育祭のようなものなのだが、何故なぜか初日から上条は魔術師まじゆつしとの戦いに巻き込まれたり、学園都市が制圧されるかされないかの大勝負に出たりと、何だかとんでもない状況に追われている有様だった。
 その問題が片付いた後の二日目以降にしたって不幸だった事には変わりはない。うっかり小萌こもえ先生の着替えを目撃もくげきしたり、さっさと完全回復した運営委員の吹寄制理ふきよせせいりに硬いおでこで頭突きされたり、インデックスにみ付かれたり、車椅子くるまいずに乗っていた姫神秋沙ひめがみあいさにゴムボールをぶつけられたり、御坂美琴みさかみことに手を引っ張られて強引にフォークダンスを踊らされている最中に空間移動テレポートで背後に出現した白井黒子しらいぐろこに後頭部をドロップキックされたりと、何だかもう色々とボロボロなのだった。
 たとえどれだけの不幸をの当たりにしても決してへこたれず、むしろ笑顔でい上がってくる辺りがこの少年の特殊な体質だったりするのだが、とりあえず『不幸』である事に変わりはない。
 もう一度繰り返すが、上条当麻は不幸な人間だ。
 スーパーの特売の時間をほんの数分の差で逃したり、コンビニで買った漫画雑誌の真ん中辺りのページがグニョッと曲がっていたりというのは当たり前、スクラッチカードをこすれば出てくるのはすべてハズレ、アイスの棒やジュースの自販機についてる液晶画面でも当たりが表示されるなど絶対にありえない。
 さらに繰り返すが、上条当麻は不幸な人間だ。

「えー、来場者数ナンバーズの結果、あなたの指定数字は一等賞、見事ドンピシャです! 賞品は北イタリア五泊七日のペア旅行、おめでとうございます!!」

 何だそりゃ、と平ぇな高校生・上条当麻はガランガラン鳴りひびくハンドベルの音を聞きながら、むしろ肩を落とし呆然ぼうぜんとした様子でその声を聞いた。彼の黒くてツンツンした髪が風を受けて間抜けに揺れる。
 ここは東京西部を占める学園都市、時期は超巨大規模の体育祭・大覇星祭最終日。どこにでもあるような大通りに面した歩道の一角に彼は立っていて、その目の前にはベニヤ板と角材とくぎで作った、いかにもお手製な屋台がある。店番をしているのは霧ヶ丘きりがおか女学院とかいうお嬢様じようさま学校の女子高生だ。ここは学生主導で行われる『来場者数ナンバーズ』の会場なのである。
 やり方は簡単だ。
 お金を払って紙でできた専用力ードを買う。それに大覇星祭だいはせいさいの総来場者数を予想して書き込み、受付に渡す。後は実際の記録に近い者から順位が決まる、というものだ。
 当然、テレビなどでは『ついに一千万人突破!』とか大雑把おおざつばな情報が出るため、期間後半の方が当てやすい。しかし同数の場合は早く提出した方が優先されるというメリットもある。
 半袖はんそでのTシャツに赤いスパッツというスポーツ少女な店番は、屋台のカウンターの下にある物置スペースから設計図でも収まりそうな馬鹿ばかでかい封筒をごそごそ取り出すと、
「本来は学生向けではないんですけど、大覇星祭終了後の振り替え休日期間を利用して参加するプランでして」少女は営業モードのにっこり笑顔で、「旅行に関しての詳しい日程、観光予定、必要書類などはすべてこちらにありますので、後で目を通して転いてください。なお質問がある場合は当女学院ではなく旅行代理店の方にお願いします。ささ、どうぞどうぞ」
 ずずい、と巨大封筒を向けられたが、このに及んで上条当麻かみじようとうまはこの降っていた事態に、とんでもない落とし穴がないかと勘繰かんぐっていた。
 上条は両手を組むと、うーんと首を斜めに傾けて、
「あのー、ちょっと聞いても良いですか?」
「旅行に関する詳しいご質問にはお答えできない場合があります。それでもよろしいなら」
「一等賞って、あの一等賞ですよね」
「ご質問の意味が分かりかねますが」
「一番運の良い人が当たるあの賞なんですよねッ!?」
「ええと、もう行っても良いですか」
「いや待った! これは北イタリアの旅なんですよね?」
「これぐらいなら答えられるので答えますけど、書面にそう書いてあると思うのですが」
「気がついたら飛行機が得体えたいの知れない科学宗教の私設空港に向かっていたりとかっていう壮絶展開はありませんよね?」
「……あ、分かった。もしかして海外旅行はこれが初めてですか?」
 あきれたというより、むしろ何だか優しげな目で見られてしまった。どうも霧ヶ丘お嬢様視点では、上条がまだ見ぬ外国の光景に恐れをなしている困ったちゃんに見えているらしい。
「とにかく二等賞以下の発表がありますので、質問は旅行代理店の方にお願いします」
「あっ、ちょっと! いやおれも分かってるよ、十中八九そんなイレギュラーは起きないって事ぐらい! でもなんかありそうじゃね? 飛行機がいきなりハイジャック犯に乗っ取られたり、目を覚ましたらそこは南極のど真ん中だったりとか! 分かってるよ考えすぎだって事ぐらいでもなんか落とし穴がありそうな気がするけどこれ本当にペアで北イタリアに行けるんだよな!? ねえってば!!」

 一等賞なんて取れる方がおかしいのだ。
 だからどうせなんか見落としがあるんだ、と上条かみじようは思っていた。
 そしてその見落としがあるせいで旅行になんていけないんだ、と考えていた。
「そうだ、パスポートがないじゃん!」
 上条は学生りようの自室で叫んだ。
 それを聞いたインデックスが床の上をゴロゴロしながら上条を見た。腰まである長い銀髪に緑のひとみをした一四、五歳ぐらいの色白の少女だが、大覇星祭だいはせいさい期間中はずっと炎天下にいたせいか今はちょっと日に焼けている。といっても、彼女は色素のうすい白人さんなので肌が小麦色になる事はなく、ほんのりと赤みが差している状態だった。ちなみに服装は紅茶のカップのような白地に金刺繍きんししゆうの修道服に安全ピンがいっぱいという、かなり得体えたいの知れないものだった。
「とうま、とうま。『ぱすぽーと』ってなーに?」
 いつもに比べて口調がゆっくりなのは、珍しくインデックスが満腹だからだ。閉会式後のクラスの打ち上げに乱人し、即座に皆に受け人れられたインデックスは、もうそういう職業のプロなんじゃないかと疑うぐらいの大食い早食いを実行してきたのである。
 上条はインデックスの方を見ず、封を開けた巨大封筒から色とりどりの書類やらパンフレットやらを取り出しつつ、
「パスポートってのは海外旅行に必要な物。確か申請してから発行されるまで一ヶ月ぐらいかからなかったっけか?」
 というか、イギリスから日本にやってきたはずのインデックスが何故なぜパスポートの存在を知らないのだろう、と上条は少し疑問に思ったが、彼女はそもそも日本国憲法どころか国際法すら通用しない魔術まじゆつ世界の住人である。空飛ぶ絨毯じゆうたんにでも乗って超低空飛行で制空レーダーのあみの目でもかいくぐったのかもしれない。大丈夫だいじようぶか自衛隊の防空性能、などと上条は適当につらつら考えつつ、巨大封筒に人っていた各種資料をガラステーブルの上に広げていった。
 どうもツアープランを見る限り集団でのコース旅行の一種らしく、北イタリアの空港で旅行者が集合して、そこから団体行動が始まるらしい。つまり日程が最初からキッカリ決められていた。
 現地集合予定日は、九月二七日。
 あと二日しかない。
 大覇星祭の後には、業者による設備の撤収てつしゆうや警備状態の移行などのため、学生たちには数日間臨時の休日ができる。おそらくそれに合った旅行プランを無理矢理探してきたため、こんな急な日程になったのだろうが―――この状態でパスポートを申請したところで、万に一つも間に合う訳がなかった。
「……、ほーらな。そうくると思ったんだ。本当に思ってたんだぞ? だから悔しくなんかないやい! 最初っから分かってたんだから、覚悟は決めてたんだからーっ!!」
 上条かみじようは巨大封筒を投げ出し、床の上にバタンと倒れると、ゴロゴロゴロゴロゴロゴローッ!! と超高速で左右に転がり始めた。悔しさを紛らわせるための行為だったのだが、彼の右足のくるぶしが、ゴン! とガラステーブルの脚に思い切り激突した。ぐぬおおっ!! と格闘家かくとうかみたいな悲鳴を出す上条に、近くで丸まっていた三毛猫みけねこがビクッとふるえて逃げるようにベッドに飛び乗り、さらにそこから壁に掛けた服につめを立てる形でクローぜットの上へと飛び移る。
 その時、三毛猫の後ろ足が蹴飛けとばしたのか、パサパサしたほこりの玉と一緒いつしよにクローゼット上部から何かが仰向けの上条の顔面ヘストレートに落ちてきた。
「うわっ! 猫にまで軽くあしらわれたっ!! っつか何だこれ!?」
 上条は自分のおでこの辺りに直撃ちよくげきした物体を見極めるべく右手でそれをつかみ取る。倒れたまま顔の前に持っていく。ドラマで見る警察手帳をちょっと大きくした程度の、赤い合成革の表紙を持つ小さなノートみたいなものだ。表紙には金文字で『日本国旅券』と箔押はくおしされている。
 パスポートだった。
 上条当麻とうまは思わず、ガバッ!! と起き上がる。
「な、何で? 何でおれのパスポートがこんな所に!?」
 教科書英語がすでに赤点というぐらい海外文化に縁のない上条である。気になって中をペラペラめくってみると、どうも数回サイパンやグアムへ行った過去があるらしい事が押されたスタンプで分かった。もしかしたら家族で旅行にでも出かけたのだろうか?
「とりあえずパスポートは何とかなったが……なんか不気味ぶきみだ」
 この辺り、上条当麻は記憶喪失きおくそうしつなので詳しい話が分からない。しかもそれをみんなに隠しているため下手な相談もできない。上条はチラリとインデックスの方を見たが、彼女は上条が自分のパスポートの存在におどろいている事にあんまり興味を示していないらしい。そもそも、パスポートという物品そのものがどんな役割を果たしているのかも分かっていないから、判断のしようがないのだろう、と上条は適当に考える。
「あっ。って事はインデックス、やっぱりお前はパスポート持ってないのか?」
「『ぱすぽーと』って、とうまの持ってるそれ? だったら私は持ってないかも」
「じゃあ結局旅行は無理じゃん。お前、一人でここに残ったら三日で動かなくなりそうだし」
「む、何なのかなその言い草は。でも、持ってないものは持ってないよ」
「……ってか、インデックスさん。さっきからやたら冷静なのですが、イタリアですよ? 海外旅行なんですよ!? 意地でも行きたくなるのが普通の反応ではないのか!!」
「とうま、とうま」
 インデックスは何を今さら、という目でこちらを見た後に、
「そもそも私にとっては学園都市だって外国だよ?」
「ううっ!? さりげなく歩み寄りすら拒絶された!!」上条かみじよう愕然がくぜんとした顔で白い少女を見て、「……、あれ? って事は、お前にとっては毎日がおれと二人で海外生活みたいなモンなの?」
 ガタガタン!! とインデックスが寝転んだまま唐突に床に頭を打ち付けた。
 彼女は勢い良く顔を上げると、
「な、なな何を唐突に意味深な事を言ってるの、とうま!? わ、私は敬慶けいけんなるシスターさんであってそんな誤解を招くようなコメントされても困るかも!!」
「え、だって」
「と、とにかく、とうまが持ってるみたいな『ぱすぽーと』なんて持ってないの! 似たようなのならあるけど」
「似たようなもの?」
「うん。こんなの」
 言いながら、修道服のそでをゴソゴソあさって出てきたのは英国式パスポートだった。上条はデザインがちょっと違う海外のパスポートに感心する。
「ま、まぁそうだよな。いくら『必要悪の教会ネセサリウス』だって、旅行に行く時には飛行機ぐらい使うもんな! 良かった良かった、お前が実はラクダを現地調達してシルクロードを渡ってきたんじゃないかと上条さんはほんのり得体えたいの知れない想像を働かせていました!」
「……さっきから、そこはかとなく馬鹿ばかにされてるような気がするんだけど。でもとうま、その『ぱすぼ?と』ってどうやって使うの?」
「ち、ちょっと待てインデックス。お前のパスポートを見せ―――って何だこりゃ!? 何でお前のは中身が全部新品なんだ!? 最低でもイギリスから出てくる時にスタンプが一個ぐらいつくもんだろ!!」
 しかも名義はそのまんまIndex=Librorum=Prohibitorumだった。
 恐るべし国家宗教、と戦懐せんりつする上条をよそに、少女はつまらなそうなあくびと共に、
「とうま、とうま。これにはそんな自動書記効果なんて付随している訳がないかも」
「コイツ、せっかく『必要悪の教会ネセサリウス』に発行してもらっただろうパスポートを全無視か? やっぱりお前シルクロード経由でやってきたんじゃねーのか!!」
「とうま。さっきから意味不明に盛り上がっているみたいだけど。結局それがあれば、私もとうまと一緒いつしよに旅行に出かけても……大丈夫だいじようぶ、なの?」
 インデックスは多少そわそわした調子でそんな事を尋ねてきた。
 ……、あれ? と上条はそこで目を点にする。
 今の所、大丈夫な気がする。
 このまま北イタリア五泊七日の旅に出かけられそうな気がする。
 上条当麻とうまは不幸な人間のはずなのに。
 こういった事から世界で一番縁がなかったはずなのに。

 そんなこんなで翌日の朝。
 上条かみじようとインデックスは体内に旅行用の発信機ナノデバイスを入れると、学園都市の第二三学区―――一学区すべてが航空・宇宙開発のために用意された特別学区に到着した。彼らが今いるのは、学会などの際に学園都市の外からやってくる客のために作られた国際空港だ。
 いっそ無駄むだだと感じるぐらい広々とした空港ロビーは、壁が全面ガラス張りになっており滑走路側から入る日差しでピカピカにかがやいている。大覇星祭だいはせいさい期間中はそれこそラッシュアワーのように混雑していたとニュースでささやかれたロビーだが、今はその帰宅のためにそこそこの人だかりができている程度だ。もっとも、これを効率良く帰すために休日期間を数日用意しているらしいのだが。さわがしい雑踏ざつとうと化したロビーに、上条がガラゴロと引きずり回しているスーツケースの車輪の音が吸い込まれていく。
 上条の格好はいつも通りの半袖はんそでTシャツにカーキ色のズボンだったが、む財布用のチェーンがポケットからズボンのベルトに伸びていたり、ふくらはぎにバンドを巻いてズボンの内側に予備お財布を隠していたりと、話にだけは聞いているそこはかとない海外への不安が思いっきり現れていた。しかも半端はんぱに細いチェーンはお財布の場所を他人に示しているだけで今にも簡単に切れそうだったし、ふくらはぎの予備お財布に関してはズボンのすそを上げるにしても取り出しにくい位置のくせに歩いているとすっぽ抜けそうだった。一方で、お財布をこれだけ警戒しているのにパスポートはズボンの反対側のポケットへ無造作に突っ込んでいる辺り、いかにも海外旅行に慣れていない感じがにじみ出ていた。
 ちなみにスーツケースは上条の手にある一。つだけで、インデックスは手ぶらだった。下着や寝間着ねまきは数種類持っているものの、基本的に修道服一着しか私服のない彼女の荷物は全部上条のスーツケースに収まってしまったのだ。なお、出発前にインデックスは顔を赤くして『これも荷物に人れて』と小さなとサつのケースを差し出してきた。中身は何だろうと思ったが口に出すと物理的にみ付かれそうなのでそっとしておく上条当麻とうまである。
 あと荷物と言えば、彼女はいつも両手で三毛猫みけねこを抱えているが、あの猫は現在小萌こもえ先生のアパートに貸し出し中である。彼女は『か、上条ちゃんが海外旅行? 本当に大丈夫だいじようぶなのですか!? いえその、イロイロな意味で!! 外国に先生はいないのですよ!?』などと失礼な事を言っていたが余計なお世話である。
 上条はロビーから、その奥にある出人国管理ゲートを眺めつつ、
「あれ? ……、忘れ物とかってねーよな。お財布あり、パスポートあり、飛行機のチケットあり、旅行に必要な書類あり、着替えあり、ドライヤーあり、携帯電話あり、いざという時のお金も銀行から下ろしてきたし……うん。大丈夫、だよな? ここから『不幸だー』につながるド忘れ展開はないはず」
「とうま、とうま。さっきから何をそんなに心配性になってるの?」
 そわそわしながら尋ねてくるインデックスは胸の内の楽しさがそのまま表にれ出ているようだ。彼女の様子を眺めている内に、弦鷲脚自分のモヤモヤが即膨即庸しく思えてきた。
「……そうだよ、な。ああ、楽しんでも良いんだよな! いつも不幸だ不幸だ言ってるから調子がおかしくなってたけど、おれだってたまには幸福であっても良いはずなんだッ! こんな有意義なお休みなんて滅多にないんだ! よおし、北イタリア五泊七日の旅、久しぶりの久しぶりに幸せ気分を満喫するぞお!!」
 ここにきてようやく上条は吹っ切れた清々すがすがしい笑みを浮かべる。それを見たインデックスもにっこりと微笑ほほえんで、
「その調子だよ、とうま。うん、前向きな気持ちでコミュニケーションを取れば多少言葉が分からなくても意思は通じるかも」
「だああ!! 外国語!? それを忘れてた!!」
 いきなりとどめを刺された上条は思わずその場に突っ伏してしまいそうになる。何分なにぶん、彼は英語の小テストが二二点という一人鎖国さこく制度実施中。そういった身の上を思い出した上条は、恐る恐るインデックスに尋ねてみる。
「あの、インデックスさん」
「なに、とうま?」
「あなた様はイタリア語が話せるのでございましょうか?」
「話せるけど。とうま、オルソラみたいな口調になってるんだけど、どうしたの」
「イタリア語というのは、イタリアで使われているあのイタリア語の事でしょうか?」
「とうま、何を唐突に当たり前すぎる事を言っているの? 伊文法で不安な所があるなら教えてあげても良いけど」
「……、ではお手数ですが、まずはイタリア語の『はい』と『いいえ』から」
「とうま、とうま。失礼を承知で言うけどイタリアまで何しに行くつもりなの?」
 だって分かんねえモンは分かんねえんだよ! と今度こそ完全に空港ロビーの床に突っ伏す上条を見て、インデックスはいかにもガッカリといった感じのため息をつく。
「あのね、とうま。今時の国際社会できちんと生きていくなら、せめて三ヶ国語ぐらいは使えるようにしておいた方が良いかも」
「こんな不思議シスターに今時とかせめてとか言われたッ!! でもとりあえず向こうに着いたらとにかくお前にたよりまくる事をここに誓っておく! 何故なぜなら『はい』と『いいえ』がすでに分かんないから!!」
「まぁ、別に通訳になっても良いんだけどね。でもとうま、良い機会なんだしどうせなら現地で直接言葉を覚えちゃった方が早いんじゃ……」
「それは物覚えの良い人の理論だっ! おれみたいなのが付け焼き刃で挑戦しても絶対とんでもない事になるに決まってんだ!!」
「また大袈裟おおげさな……」
「そのあきれ顔も常識的に複数の外国語が使える人間が初めて得られるものなんです! ってかインデックスは何気なく日本語もペラペラだしな。ならイタリア語もそんな感じなのか……」
「一応、私はこれでも世界中に散らばる一〇万三〇〇〇冊を読めなくちゃいけない身なんだよ? イタリア語なんて簡単簡単。難しいのは体系化されてない語圏ぐらいかも。歌みたいな感覚で記述されてるのが一番手強てごわいかな。あの手のヤツは、実際のリズムや音階が削られたまま半端はんぱな詞だけが石板に記されちゃう場合が多いから、歌い方を別に学ばなくちゃいけないし。でもそういうのは一部の島国や密林の文化圏特有のものだからね」
「……何だか話はサッパリなのですが、ようはたよりにしてもオッケーなのですか?」
「うん。いつもはとうまに引っ張ってもらってるけど、今度は私が引っ張ってあげる番なんだから。こっちがいくらでもフォローするから、とうまはトラブルを恐れずに好きなように楽しめば良いんだよ」
 そう言って堂々とうすい胸を張ったシスター様は、上条当麻かみじようとうま視点では光りかがやく聖女様のように見えた。救いってのは本当にあったんだ、あのインデックスがここまで断言しているからにはもう大丈夫だいじようぶだ、ようし思い切り楽しむぞ北イタリア五泊七日の旅! とばかりに上条はスーツケースの車輪を勢い良く転がして出人国管理グートに向かう。
「それではよろしくお願いしますガイド様!!」
「任せておいてよ。とうま、向こうのお店でははいったら最初に店員さんに挨拶あいさつするんだよ」
「ガイド様。向こうから話しかけてくるんじゃないのですか」
「どっちかと言うと『客と店員が一緒いつしよになって品物を探す』って感じだからね。垣根は低いんだよ。ふふん、これぐらいは知っておかないと海外では生活できな―――」

 ビーッ! と。
 その時、ゲートの金属探知機が変な音を立てて、インデックスがいきなり両サイドから屈強な係員たちに取り押さえられた。

 む? とインデックスは怪誹けげんそうにまゆをひそめる。
 ガイド様に向かって何しやがる、という目つきだ。
「えっと……何ですか。その体中についている無数の安全ピンは?」
 一方、不審者を拘束した彼らはこめかみをふるわせ、とても低い声で尋ねてきた。
「わあっ! 言われてみれば見るからに凶器満載!! でも違うんです、これ取っちゃうと修道服はボロボロのバラバラになってしまうのです!!」
 国を出る前からすでにインデックスのトラブルに対するフォローに人っている上条当麻かみじようとうま
一方、インデックスの方は何故なぜ安全ピンが駄目だめなのか、そもそもゲートから変な音が出たのは何なのかすら理解していない。
 やっぱりコイツにフォローをお願いするのは不安っぽくねーか? と上条は背筋に寒いものを感じながら、係員にお伺いを立ててみる。
「いやこの服がヤバイのは分かります! でもそれならどうしましょう? 飛行機が出るまでもう一二〇分ない訳ですが……」
「そうですね……。一応、当空港内にショッピングモールがあるので、そちらでまっとうな衣類を購人していただくしか」
 どこモールどこどこ!? と上条はゲート近くの壁にり付けてあった案内パネルへ目を走らせる。すると、
『お買い物エリア―――ここから一・五キロ』
「遠ォい!! 第二三学区の空港って絶対敷地しきち無駄遣むだづかいしてる気がする!でもそれ以外には飛行機をのがすかラクダでシルクロードを行くしかないっ! くそ、走るぞインデックス! もっとまともな服じゃねえと飛行機乗れねえってよ!!」
「え、何とうま。……もしかしてお洋服買ってくれるの!?」
「ちくしょう、そのキラキラとかがやいた両目が果てしなくムカつく! こんな所で無駄出費なんて、やっぱり今回も不幸な事になりそうだーっ!!」
 嘆きながらも少女の手を取って上条はバタバタと空港の長い長い連絡通路を走る。
 離陸りりくまであと二八分。
 そろそろ旅客機のエンジンも良い感じに温まってきている頃合ころあいだった。

   

chap2

第一章 キオッジアの街並 Il_Vento_di_Chioggia.

     1

 北イタリア、特にヴェネツィア玄関口と言えばマルコポーロ国際空港が有名だ。
 アドリア海に浮かび『水の都』と呼ばれるヴェネツィアからは対岸に当たるイタリア本土沿岸にある空港で、用途も観光客の輸送が大半だ。ここからバスや鉄道を使って唯「の陸路である全長四キロ前後のりベルタ橋を通り本島に入るか、後は対岸からボートを使った海路で入るかで観光客の流れが大きく分けられる。
 ヴェネツィア本島以外にも、ヴィツェンチア、パドヴァ、バッサーノ・デル・グラッパ、ベッルーノなどの観光街へのルートもある。とにかく海外から北東イタリアへ観光客が降り立つならまずはこの空港であり、上条かみじようとインデックスを乗せた旅客機もここに着陸した。本来、この空港は日本からの直通便は受け付けていないが、学園都市は例外らしい。
 出人国管理ゲートの外国人係員からの質問をアドリブイタリア語で乗り切ったり、ベルトコンベアの前でじーっと待っていてもなかなかやって来ないスーツケースに冷や汗をかいたりと様々なドラマが展開されたが、それでも一応空港から外へ出る事に成功した。
 ちなみに現在のインデックスは学園都市の空港で買った簡素なブラウスとスカートから、再び元の白い修道服に戻っていた。機内では安全ピンを持ち込めないため分解されていた布切れを、マルコポーロ国際空港に着くなり安全ピンを現地調達して再び組み直したのだ。イタリアまで来て一番初めに女の子からおねだりされるのが数十本の安全ピンというのは一人の青少年としてどうなのだろうか、と上条は少々真剣に悩む。
 とはいえ、無事に空港を出て、外国の地をんだのは事実。
 後は別便で来るコース旅行のメンバーと落ち合って、現地ガイドに引っ張ってもらう形でツアー開始である。北イタリアの目玉と言えば、もちろん世界遺産にも指定されているヴェネツィア本島だろうが、それ以外にも見所はたくさんある。実は夜も眠れずにパンフレットに目を通しまくったから上条でも何となく分かる。
(ヴェネツィアと言えばサン・マルコ広場にドゥカーレ宮殿に鐘楼しようろうにアカデミア橋に自然史博物館に海洋歴史博物館に世界一のフェニーチェ歌劇場! お土産みやげにはガラス細工に仮面工芸ーヴェネツィアからはなれてもガリレオが教鞭きようぺんを取った街とか見所満載! 全部ガイドブックの受け売りだけどな! でもこれから全部本当の経験と思い出になるんだ!わははははーっ!! すげー、すげー旅行楽しみ!!)
 とか色々と思っていたのだが。
「来ないねー………とうま」
「ああ、っつーかガイドどころかだれ一人として集まってねーぞ……」
 集合時間からもう二時聞も経過している。
 行きたい場所は色々あってもガイドによって観光できる所に偏りがあるとは聞いていたが、まさか一番最初の時点でコケるとは。
 彼らが今いるのは、空港の前にあるバスターミナルだ。と言っても、ほとんど屋内のようなもので、空港の一部となっている天井てんじようと柱が整然と並んでいるこの一角は、太陽光ではなく天井の四角い蛍光灯に照らされている。地面から天井からすべてが平面で構成されており、少しも『外』という感じはしなかった。どちらかと言うと、光の取り込み方を工夫した立体駐車場のように見える。
 先ほどから目の前を素通りしていくバスには車体がブルーやオレンジなど何パターンかに色分けされていて、どうも運行ルートか制度に違いがあるらしい、と上条かみじようは何となくつかんでいた。
とはいえ、流石さすがに運行表を軽々と読めるほどではないが。
(なるほど。オルソラがバスの乗り方で迷ってたのって、こんな感覚だったのか……)
 上条は少々スローテンポな元ローマ正教のシスターの笑顔を思い出しつつ妙に納得した。一方、インデックスは暑さにやられたのか、早くもぐったりし始めている。

 ヨーロッパは平均的な緯度で言えば北海道と同程度であり、日本よりも湿度が低い事から快適に過ごせる……とかいう話がガイドブックにあったのだが、どうも例外は付き物らしい。
 空港のすぐわきはアドリア海だ。そちらから潮のにおいを含んだ温かい風が流れ込み、それがひっきりなしに行き来するバスの排気と混ざって渦を巻いている。気温そのものは快適かもしれないが、顔や体にぶつかってくる局地的な風がとにかく生暖かい。長時間いると、波で岩が削られるように心が参りそうだ。周囲を行き来する西欧系の観光客やビジネスマンらしき人々も、空を見上げてはハンカチで顔の汗をぬぐったりしている。
「とうまー、もしかして私たちは置いてきぼりを食らってるの?」
「くっそー、時間通りに来たんだけどな……。ったく、電話の方もつながらねえし、こりゃおれ達だけでひとまず動くしかねえかもな」
 学園都市製だからか電話会社の努力の成果か、上条かみじようの携帯電話そのものはイタリアでも使えるようだ。が、事前に教えられた番号にかけても日本語の録音アナウンスしか返ってこなかった。向こうが出ないのだ。
 メンバーは集まらない、ガイドも来ないとなっては話にならないと上条は思ラ。しかし、話にならないからと言ってこのまま飛行機に逆戻りするのではギャグにもならない。一応、旅行の日程やホテルの部屋などは確保してあるので、
「こっちには海外に強そうなシスターが一人いるから大丈夫だいじようぶか。とにかく突っ立ってても仕方ないし、荷物だけでもホテルに置きに行くか。泊まるトコは同じなんだから、そっちでガイドと合流できるかもしれないし」
「あ、あうう……。とうま、まだ休めないの? 私はここに来て五歩で、もうクタクタかも」
「心配するな、俺も八歩でグダグダだ。でも、とにかくホテルまで行けばベッドもエアコンもあるだろうし、ちょっと体を休ませたら勝手に観光しちまおうぜ」
「うう。それぐらいじゃ気分は晴れないんだよ。私はイタリア名物のジェラートがないと復活できないかも。食べた事ないけど名前が広まっているからきっと美味おいしいはず」
「そんなもんかね。ま、観光なら有名どころを攻めるのは基本か」
「うん。ちなみにヴェネツィア名物はイカスミジェラート」
「……一つ聞くけど、本当に有名か?」
 微妙にキワモノ臭を感じるリクエストを受けつつ、上条は柱に取り付けられた、四角い看板状の運行表に目をやった。差し当たって、最初の関門はどのバスに乗るかだ。
「―――、悩んでも仕方なし、自力で読むのはスッパリあきらめまして……インデックス! 悪いけどホテルまで行くにはどのバスに乗れば良いか読んでくんない?」
「え、うん。良いけど―――」
 柱の看板へとトテトテ近づいていくインデックスを見て、本当にコイツと。一緒で良かったと上条はそっと息を吐いた。正直、英語なら多少の取っ掛かりはあるものの、イタリア語では理解の接点がない。もしも一人きりで放り出されていたらどうなってた事か、などと上条かみじよう日頃ひごろ忘れがちなシスターさんへの感謝の気持ちを新たにしていた所で彼女は=言、
「―――でもとうま。バスの運行表ってどうやって読めば良いの?」
「ぎゃああっ!! 乙女おとめチックに小首をかしげられたっ!!」
 結局。
 逃げ腰の二人がバスに乗ったのは、それから一五分もってからだった。

     2

 北イタリア五泊七日の旅の目玉はヴェネツィア本島だ。
 が、上条たちの泊まるホテルはそこから直線距離きよりで二〇キロほど南下した所にある(実際は弧を描く海岸線を行くのでそれ以上)、キオッジアという小さな街にある。
 これは宿泊費をケチっているのではなく、ヴェネツィアは全体的にお店の閉まる時間が早く、ナイトレジャーに乏しいかららしい。二四時間遊び尽くすなら、えてヴェネツィアから少しはなれた所にホテルを取る方法は珍しくない、というのがパンフレットの説明だった。……高校生の上条からすると、あんまり縁のない情報のような気もするが。
「しっかし、また海が近いなぁー」
 上条はバスから降りるなり思わずつぶやいた。スーツケースをゴロゴロ引っ張る手が早くも重くなってきている。
 空港も海のそばだったが、キオッジアも全体的に潮風のにおいの強い街だ。
 しかし、砂浜はない。海岸線はすべて石造りの運河となっていた。まるでノコギリで陸地を切断したように直線的な海水の川が続いている。
 と、彼のとなりに立っているインデックスが、
「海が近いというより、海に囲まれているっていうのが正しいかも」
「どういう事?」
 上条は行き交う人々の中で立ち止まって、インデックスに尋ねた。スーツケースを持っているのは彼だけなので、周りにいるのは近辺から仕事や遊びに来た人達だろうか。
「私達が今いるキオッジアの中心部は、三つの運河に分断されたアドリア海に浮かぶ島街なんだよ。横切るだけならわずか四〇〇メートルしかない小さな街。どうあっても土地は大きくならないから、その分ぎっしり建物が並んでいるの。パッと見回せば分かると思うけど、家と家の隙間すきまなんてすごく狭いんだよ」
 ふうん、と上条は改めて周囲を見回す。
 彼の目の前に、くだんの運河がある。青の中にわずかな緑の混ざった海水が、定規で線を引いたように街を分断していた。幅は二、三〇メートルといった所だ。その両岸に沿って平行に二本の道路が走っていたが、その途中でいきなり家にふさがれていた。ベージュや白の平べったい家の壁々は、まるでそれ自体が堤防であるかのように運河のギリギリまでせり出している。一軒一軒の間隔も極めて狭く、サッカーボールも通らないように見えた。どうやって掃除するんだろう、と上条かみじようは首をひねる。
 と、そんな上条の視界を横切るように、運河を小型のモーターボートが流れていく。
 運河の両岸には、隙間すきまもないほど大量のボートが接岸してあった。運河の幅の半分ほどが占拠されてしまっている。つまりそれぐらいの数が生活に必要で、交通の基盤そのものに海が組み込まれているのだ。ボートはレジャー用のようにみがかれておらず、どれも使い古した色合いのものが多い。ちょっとのぞいてみると、ポロ布やバケツなどが無造作に放り込んであるのが分かる。
 そういったものに慣れていない上条は、素直に面倒臭そうだ、とつぶやいた。
「実際、面倒臭いはずだよ」
 あきれられると思いきや、インデックスはあっさりと賛同した。
「たくさんの運河で分断されてるって事は、歩いて進むなら橋のある所まで迂回うかいしなくちゃいけないんだから。船を使ったら使ったで、今度は運河に沿ってしか進めない。はっきり言えば、全部道路になってる方が楽ちんなのは当たり前だよ」彼女は苦笑いして、「この辺はヴェネツィアと似ているかもね。キオッジアは一六世紀以降に観光地化する以前の、ヴェネツィア本来の風景を今も残している街、って言われているぐらいだから。つまり、欠点もそのまま残しちゃってるって訳」
「……、」
 すらすらと出てくる言葉に、上条は思わずちょっとだまり込む。
 と、そんな彼の様子にインデックスはまゆをひそめて、
「どうしたの、とうま?」
「インデックスが……インデックスが、魔術まじゆつ以外の側面で人の役に立つなんて……」
「とうまにそこはかとなく馬鹿にされた! 何で親切に説明してあげただけでこんな悔しい想いをしなくちゃいけないの!? とうまがそういうつもりなら、私だって容赦ようしやなくガブッといくかも!!」
「いくかもじゃねえよ!! 大体だな! 容赦なくって宣言するというのはこれまでとどっか違うのか―――っていいよ試すな分かるって試さなくても痛いのは想像つくってぇ!!」
 上と下の歯をカッチンカッチン鳴らすインデックスに上条は思わず後ろに下がる。いざとなったらスーツケースを盾にするつもりだが、しかしこの程度の防御力ではやすやすとみ破られるのでは、と少々真剣に身の危険を感じてしまう。
 しかしビクビクふるえている上条の予測に反して、意外にもインデックスは飛び掛かってくる事なく、肩の力を抜いてため息をついた。
「ま、楽しむために旅行に来たんだから、あんまりカリカリしても仕方がないのかも。ほらとうま、旅行カバンの陰にかがんでいないで出ておいで」
「……殊勝な台詞せりふカウンターで、出て行った瞬間しゆんかんにアギトがおそってきたりはしませんか?」
「しないよ」
「という二重カウンターで、ホッとした所を襲撃しゅうげきする魂胆こんたんではありませぬか?」
「しないしない」
「え、最後の確認なんですけど……マジで?」
「だからしないってば」
「ラっそだあ! お前絶対怒ってるし! 男の子より成長早めな大人びた少女の演技で人をだまそうったって上条かみじようさんはそう簡単に引っかかりませんの事よ!!はっはっは、臼頃ひごろから不幸なおれがそんな期待を抱くとでも思ったか! どうせいつも通り最後には思い切りガブッとやられるに決まってんだ! 警戒せよ、檸猛どうもうシスターインデックスはこうしている今も虎視眈こしたんたん々と俺の頭頂部をねらってるに違いないのだから!!」
「……、」
「ほうら怒ってますよー? だんだん胡散臭うさんくさい演技が崩れ始めてますよー……って、あれ。お前、もしかして、本気で怒って、ます? ぎゃああ! 心優しいシスターさんのお口が音もなく左右に裂けて!? くそう、やっぱりこうなると思ってたんだ! 俺の言った通りじゃねえか!! ちっともうれしくないけどォええァあああああああああ―――ッ!!」
 お肉をむ音がひびいた。
 同時に、インデックスを無駄むだに怒らせた少年の断末魔だんまつまの叫びが放たれた。

     3

 北イタリアに着いて、最初におねだりされたのは安全ピン。
 キオッジアに着いて、最初に作った思い出は頭に噛み付き。
「……、一言で言うそ。どうなってやがる」
「とうま、血の涙でも流しそうな顔で何言っているの?」
 キョトンとした顔のインデックスは、先ほどに比べればイライラが緩和かんわされているように見える。
 ここはホテルに向かう道すがらの、ちょっとした通りだった。実際に少し歩いてみて分かったのだが、どうもこの街、極端に道が細いか太いか、ほとんど二択に近い状態となっている。車が行き交うのも難しそうな小道を出たと思ったら、今度。は道幅だけで広場のようになっている大通りが待っている。
 上条とインデックスが今歩いているのは大きな通りの方だ。三車線ぐらいありそうな道幅だが、道路に白線はない。車道と歩道の区別もなく、道いっぱいに人が歩いていた。どちらかと言うと歩行者天国に近いのかもしれない。当然いつも学園都市で見る東洋系の人はほとんどおらず、映画で見る西洋系の人たちばかりだ。
 道の左右には赤茶や黄色い建物が並んでいた。三階から五階ぐらいの高さの建物は喫茶店や料理店らしく、お店の二階部分から張られたテント状の陽射ひざけが、建物の幅そのまま伸びて、オープンカフェのスペースを完壁かんぺきおおっていた。通りに面したお店がすべてパラソルなり陽射し除けなりを使っているため、通りの両サイドは布でできたアーケードかトンネルのようになっている。
 ここは飲食店が集中する一角だ。
 インデックスの機嫌が直りつつある理由は単純で、つまり自分の周りに食べ物がいっぱいあるからだった。単純と言えばそれ以外に表現のしようがない感じの少女の反応に、上条かみじようはため息をついて、
「食べるのはホテルに荷物を置いてからな」
「くっ、くぎを刺さなくても分かってるかもッ!!」
 慌てたように顔を赤くしたインデックスは叫んだが、本当に分かっていたかどうか上条には判断できない。何しろ言っているそばから視線があちこちの店先に向いているのだから。
「はぁー。あのさ、食べ物も良いんだけど、こっちに来なくちゃ見れない所の事を考えようぜ。ほら具体的にはこの何だっけナントカ寺院とか行きてえんだよ! パンフレット見てみ、全然さっぱり由来は分からないけどとにかく格好良いじゃんこれ!」
「とうま。それは聖マルコ寺院って言って、ヴェネツィアの守護者、聖マルコの遺骸いがいを保管するために建てられた水の都の魔術的まじゆつてき中心核だよ」
「そんな鬱陶うつとうしい説明なんてどうでも良くなるぐらい行ってみてえんだっつの!!」
「ううっ!? とうまに人の親切をはじかれた!?」
「ホテルのチェックイン済ませたらガイドの馬鹿ばかをとっ捕まえてヴェネツィア行くそヴェネツィア! ゴンドラばんざーい!!」
「聞いてよとうま! 私だって食べ物の事ばっかりなんて考えてないんだから!! ……うわあ駄目だめだ、とうまってば実はイタリアの空気に浮かれて人の話を聞いていないかも!?」
 両腕をぶんぶん振り回して語るインデックスだったが、上条は取り合わない。こちとらイタリアと言ったらピザとサッカーど戦闘せんとうシスターぐらいしか思いつかない日本産高校生。いきなり映画みたいな街にポンとやって来れば興奮こうふんするというものだ。
「Quanto costa?」
 だの、
「Posso fare lo sconto del 10%」
 とかいう意味の分からないイタリア語の呼びかけっぽいワイワイガヤガヤに包まれているだけで遠足気分が爆発しそうになる。
「Desidera?」
「うわっ! あ、あれはまさか本場のイカスミジエラートかも……?」
「Sto solo guardando.Grazie」
 おや、今なんか日本語混じってなかったか? と上条かみじようは首をひねったが、まぁ空耳かなと思い直す。スーツケースを、ゴロゴロ引きずって先頭を歩く上条は、ふと後ろに振り返って、
「そうだインデックス。お昼食べてからなんだけどさ―――」
 言いかけた言葉が止まる。
 上条当麻とうまはイタリアまで来て『絶句』という日本語を思い出す。
 理由は簡単。
 三秒前までそこにいたはずのインデックスがどこにもいなかったからだ。
「早速イタリア式迷子!? さっきの空耳ジェラートはインデックスだったのか!」
 ギョッとした上条は周囲を見回したが、あれだけ派手な修道服の少女がどこにもいない。
「くそ。人混みのせいか、小道に人ったせいか、どこにいるか食欲シスターの行方が全くつかめない! ちくしょう、やっぱりお前の頭の中は食べ物だけじゃねえか!!」
 嘆く上条に答える声はなく、どこを見回してもインデックスの姿は完壁かんぺきに見つからない。一応お財布を持っているのは上条なので、彼女が一人でどこかに行ってもできる事は限られている。だから追わなくても自然と帰ってくるはずなのだが……何故なぜだか上条は今すぐインデックスの首根っこを欄まないと、さらなるトラブルが舞い込むような気がしてならない。
「おーいインデックス!」
 上条は始めに周囲を見回し、それから大通りから外れた小道へと恐る恐る入る。あちこちに目を走らせながら歩いていくと、今度は自分の現在位置が分からなくなった。慌てて小道の奥へと走って行ったら、奥へ進んでいたと思っていたのに先ほどの大通りに戻っていた。
 訳が分からない内に、時間だけが経過している。
「うわ、おれの方が迷子になりそう……ッ!?」
 やや冷や汗が出てきた上条は、そこで一度立ち止まった。
(た、たのみのつなは携帯電話か!)
 が。
 いつもと言えばいつも通り、インデックスの〇円携帯電話は電源が切りっ放しだった(おそらく飛行機に乗る前に、上条が彼女の携帯電話の電源を切ってそのままなのだ)。規則的な合成音声(イタリア語ではなく、やはり日本語だった)の案内に、上条は通話を切ると携帯電話をポケットに仕舞うのも忘れて、掴みっ放しのままスーツケースに向かって比喩ひゆ抜きで崩れ落ちた。
 上条当麻とうまは、今の心境を一言で語る。
「どうすんだよォォおッ!!」
 叫びに周りを歩く人々が振り返ったが、上条かみじようにはそれを確認するだけの余裕もない。すると、スーツケースの上におでこを押し付けるように崩れている彼の元へ、地元の人らしいおばさんが近づいてきた。
 彼女は力仕事でもしているような、どこか豪快さを感じさせる笑みを浮かべつつ、
「Ci sono delle preoccupazioni?」
「は?」
 何か悩み事でも? と言われているだけなのだが、上条に分かるはずもない。一方、おばさんの方は特に気を悪くするでもなく、今度はゆっくりと、単語を一つずつ区切るような発音で、
「Non puoi parlare I’itliano? La ce un ristorante dove un giapponese fa ilcapo」
 イタリア語はできないの? それなら日本人が店長を務める日本料理店があっちにあるわよ、と懇切丁寧こんせつていねいに教えていただいているのだが、上条にはもはや理解の取っ掛かりがない。ただ、声の調子や顔の表情から何となく友好的である事だけは感じるので、
(い、イタリア語は分かんないけど、このチャンスを逃したら本当に天涯孤独になる気がする! よし、このおばさんに日本語……は駄目だめかもしんないけど、せめて英語で話してもらおう。でも、そもそも『英語でしゃべって』っていうイタリア語の注文がすでに想像もつかない! それが分かればイタリア語で悩む事もねえんだよ!!)
 壮絶なジレンマにレ らわれる上条。実は相手が英語の通じる相手なら、片言の単語を並べてプリーズイングリッシュと言うだけでも何とかなりそうなものだが、やっぱり外国語に慣れていない上条はその辺の回り道に頭が追い着いていない。上条はついに知恵熱ちえねつを出して頭の中をぐるぐるさせ始めたが、
「Senta」
 そんな彼の元へ、不意に横合いから女性の声がかかった。
「Lui e un mio amico>la ringrazia per la Sua gentilezza」
 スラスラと流れてくるような言葉に、おばさんは『おや』という感じで顔を上げ、
「Prego」
 気楽な調子で言うと、上条からあっさり背を向けて人混みに消えてしまった。
 一方、置いてきぼりの彼としては何が起きたか理解できないので、
「だあ! おばさんから唐突にあきらめられた? おのれ、本来ならここから心の交友を果たしたおれとおばさんがインデックスと再会するために汗と涙の二時間ドラマを展開する予定だったのに!! っつーかいきなり割り込んできたのはだれだ? もう日本語で良い、たとえ言葉が通じなくてもツッコんでやる!!」
 思わず叫んだ。
 この広い世界では、どうせこんな叫びだってだれも聞き取れないんだ、と上条かみじようは半分以上いじけ虫思考に頭を乗っ取られそうになっていたが、
「あら。それは申し訳ない事をしてしまいました。私はてっきりあなた様が言語の事で困っていらっしやるように見えたのでございますから」
 ふと、聞き慣れた言葉が耳に入った。
 日本語という部分もあったが、それ以上に女性の声そのものに聞き覚えがある。
「お前……」
 上条は振り返る。
 学園都市から時差八時間、遠いキオッジアの地で再会したのは、
「ちなみに先ほどは、彼は私の友人です、ご親切に感謝いたします、と言ったのでございますが……友人などとは、少々厚かましかったかもしれないのでございますね」
「オルソラ! 何でここに!?」
 上条が叫ぶと、こんな時にも真っ黒な修道服を着たほのぼのシスターさんはにっこりと微笑ほほえんだ。

     4

 オルソラ=アクィナス。
 元ローマ正教のシスターで、今はイギリス清教に鞍替くらがえしている身だ。原因は『法の書』という魔道書まどうしよの解読にあたって、それを阻止しようとしたローマ正教と対立したからである。その 件はもう決着がついており、現在はロンドンでのんびり暮らしているはずだった。
 シスターさんは最後に会った時と同じく、頭の上から足の裏までぴっちりと修道服で肌を隠していた。手にも白い手袋があり、髪もウィンプルによって完壁かんぺきおおってある。唯一素肌が見えているのは顔ぐらいのものだ。肌の露出ろしゆつの少なさに反比例して体つきは豊満というか女性的というか、地味な修道服が逆に体のラインを際立きわだたせているお色気シスターさんだった。
 彼女は言う。
「かく言うあなた様は何故なぜこんな所に? 確か、日本にある学園都市にお住まいでございましたよね?」
「っつか、こっちは単に旅行のチケットが当たっただけ。そっちは?」
「実はつい先日までこちらに居を構えていたのでございますよ」
「待った。オルソラ、お前は確かロンドン在住のはず。大覇星祭だいはせいさいの時は英国図書館から電話でアドバイスしてもらったんだし」
「ですから、そのローマ正教からイギリス清教へ移る時に少々バタバタしてしまいまして、まだ荷物がこちらに残っているのでございます。なので、今日は家財道具をロンドンへ送るために戻ってきたのでございますね」
「ここ、お前の地元なの?」
 上条かみじようが質問すると、オルソラは『ええ』と簡単に答えた。何気ないやり取りだが、安心して会話できるというこの状況に、実を言うと上条はちょっと涙腺るいせんゆるみそうになっている。とにかく偶然だろうが何だろうが助かったぁ! と心の中では胸の前で両手を組んでいた。
「ふ、ふうん。にしても、お前イギリス清教に移ったっていうのに相変わらず修道服はそのまんまなんだな。『必要悪の教会ネセサリウス』の連中って怒らないのか?」
「はぁ。でも家財道具を運ぶと言いましても天草式あまくさしきの皆様がお引っ越し屋さんのようにお手伝いしてくださるとかで」
「うえ!? あ、なに。さっきの会話に戻ったのか!? でも、天草式って、あの天草式か。確か建宮たてみやとかがいる所だっけ。あいつ今どうしてんの」
「衣服に関しては大丈夫だいじようぶでございますよ。イギリス清教は魔術まじゆつ対策の一環として様々な術式・文化を取り込む事に積極的でございますから。差し詰め、今の私はイギリス清教ローマ派といった所でございますので。天草式の皆様が天草式という枠組みを残しているのと同じでございますね」
「今度は修道服の方に話が!!しかも話を完全に無視してるんじゃなくて一応天草式にも触れてるし! なんていうかすごく会話のリズムがつかみにくい!!」
 この会話パターンは適当ではなく、どうも彼女の頭の中では独特のルールに従って順番通りに話しているだけらしいのだが、受け手としては相当会話しづらい。
 一方、当の本人は全く気にせず、可愛かわいらしく首をかしげると、
「ところで、あなた様はお買い物ですか?」
「いやそれが……インデックスと二人でここまで来たのは良いんだけど、あいつイタリアンジエラートに夢中でどっかに消えちまったんだよ! どうしようオルソラ。釣り糸の先にアイスをしばってぶら下げたら引っかかるかな!? おれ的にオッズは五対五の好勝負だと思うんだけど!」
「まぁまぁ、お気をしずめてください。ようはあなた様とインデックスさんのお二人はご旅行でやってきただけなのでございましょうか? 特に学園都市のお使いなどではなく」
「また会話が戻って! ……ない? でもお使いにしては、ほぼ地球の反対側っていうのは遠すぎると思うそ」
「ともあれ、少々お時間に余裕があるのでございますね? ここで会ったのも何かの縁、ちようど良かったのでございますよ。実は引っ越しの荷物整理のための人手が不足していまして。暇で暇でやる事がないのでしたらお昼を作ってあげますからぜひ手伝ってください」
「いや戻ってる! 旅行を楽しむために来た所が都合良くキャンセルされてる!? だ、大体、俺達おれたちはこれから観光地を回るんだし、飲食店なんて結構いっぱいあるからわざわざご飯を作ってもらわなくても」
 普通に返したつもりなのだが、オルソラは怪誹けげんそうに改めてこちらを見直した。上条かみじようの顔というより服装を、じろじろーっと眺めている。彼女はお財布チェーンや手荷物などを確認すると、
「あら。一応お尋ねしますが、その格好で、でございますか?」
「服装に関してお前にどうこう言われる筋合いはない!!」
 残暑も熱波も引いたとはいえ、まだ半袖はんそでか長袖か迷うぐらいの暑さの中、上から下まで真っ黒な修道服で身を包んだシスターさんに上条はえる。
 が、オルソラは何をつまらない事を、という目でこちらを見て、
「日本と違ってこちらには修道女なんていくらでもいるのでございますけど」
「あれ、オルソラなのに普通の答え!?」
「それよりも」
 オルソラは上条のおどろきなど気にせず、ピッと人差し指で一つ一つ指を差して、
「新品同様のスーツケースを転がし、旅行用のパンフレットを片手に、カメラ付きの携帯電話などまで持ち合わせて……はぁ。それでは詐欺師さぎしやスリ師の皆様に『いらっしゃいませ。ご希望の品はお財布ですか、パスポートですか?』と言っているようなものなのでございますよ」
「ううっ!?」
 上条は慌てて携帯電話とパンフレットを仕舞う。
「で、でもオルソラの口から、詐欺師とかスリ師とかって言葉が出てくるのはちょっと意外かもしんない」
 オルソラはあきれたようにため息をついて、
「ここはまだ小都市でございますから、大した事はないのでございますけど。世界的に見て、イタリアの大都市は旅行者に対してシビアな環境なのでございますよ。料理店にしても同様。
ぼったくり系のむ店なんて観光街ならいくらでもあるのでございます。支払いが表示価格の一〇倍なんて当たり前。大きな通りに面しているからとか、日本語の紹介文の看板が立っているからとか、その程度の情報で判断するととんでもない目にうので…、」ざいますからね?」
「うわあ! 本場の言葉ってスゲェひびく!! じゃあ俺はこれからどうすれば!?」
「ですから、私が食事を振る舞えばその手のお店に引っかかる事もないという結論はどうでございましようか? そういうお店かどうか見極めるためのコツも、食べながらお教えできますし。ほらほら、こんな所で立ち話というのも何ですし、禁書目録の修道女様と合流するにしても集合場所は必要でございましょう? と言ってもキオッジアの中心部は縦が一三〇〇メートル、横は四〇〇メートル程度の小さな場所でございますから、そんな大真面目おおまじめに考えなくても問題ありませんけどね」
 すらすらと迷いなく出てくる言葉に、上条かみじようは思わずちょっと感動した。当然だけどイタリアの事はイタリア人にたよるのが一番なんだよな、というかなり基本中の基本な教訓を得た訳だが、そこでふと思う。
「でも一応、観光に専念したいんだけどなぁ……」
「いえいえ、そこのジェラート専門店ではインデックスさんもあんなに楽しそうでしたし」
 ………………………………………………………………………………………………………………、ん?
「待てオルソラ。今、どこに話が飛んだ?」
「そうです。観光ならキオッジアの一般住宅をご覧になるというのはいかがでございましょう。お綺麗きれいな観光名所ならお金を払えば好きなだけ見て回れますけど、反面そこに住む人たちの自然な雰囲気ふんいきというのは、ガイドの後ろについていくだけで得られるものではございませんよ」
「ちょ、戻すな! その意見は一理あると思ったけど、その前に今インデックスって……ッ!」
「もー。いちいち確認しなくても分かっているくせに。この幸せ者さんめーでございましょう」
「うわーっ!? もう進んでいるのか戻っているのかどっちなんだ!!」
 上条は思わず叫んだが、オルソラはほのぼのと微笑ほほえみ続けるだけ。
「インデックスさんならそちらのジェラート専門店のウィンドウに張り付いている所を先程さきほど見つけたのでございますよ」
「できればそれを最初に言っておいて欲しかった!! ……でも、それならインデックスは今どこに?」
「ですからバス停の読み方は」
「速攻で話の軌道を戻すけどインデックスはどこに!?」
 あら? とオルソラは首をかしげて、
「そうそう、そうでした。私の友人にお願いして、先に自宅の方へご招待しているはずでございますよ」
「あの野郎、おれを置いてか!?」
「これからお昼だと言ったらきき々としてついて行っていたように見えましたけど」
「くっそおおおおッ!!」
 だれだよイタリアでは私を頼っても良いとか言っていた修道女は、と上条は心の中でグチグチ言いながら崩れ落ちていく。
「うっ、ひっく……。ねえオルソラ、俺どうしたら良いと思う? いつもいつもみ付かれてばかりの俺だけど―――今日という今日はこっちの番だ。待ってろよインデックスーっ!!」
 がじーっ!! と、スーツケースの取っ手に歯を立てる上条に、オルソラは『まぁ』とにこやかに笑いかけると、
「返り討ちにはわないのでございましようか?」
「ううっ!?」
 一撃いちげきで我に返る上条かみじよう
 にこにこにこにこー、とオルソラは喜色いっぱいの顔で、
「ともあれ、インデックスさんと会うなら私の家に行くのが手っ取り早いのでございますよ。もう色々と面倒臭いので結論言いますけどついてこいでございます」
 そう言われてしまうと確かにオルソラの家に行くのが最短コースの気もするし、何より断ったら。再び無意味に一人ぼっちだ。
「……また不幸な事になってる気がする」
「まぁまぁ。海外旅行なんて予定通りには行かないものでございますよ」
 人生の教訓なんだか投げやりなんだか良く分からない事をオルソラに言われて、上条はこくりとうなずいた。
 改めて考えると、旅行なんてそれがあるから楽しいような気もする。
 旅行と言っても、記憶喪失きおくそうしつなので学園都市の外に出た経験はそんなにないけど。

   行間 一

 二頭立ての馬車が石畳の街にまっていた、
 と言っても馬車を引いているのは腫馬ろば。昔は愚者の乗り物と呼ばれた可哀想かわいそうな動物だ。
 馬車は赤を基調として金細工をほどこされたものだ。ナンバープレートを取り付けたり、サイズなど細部の調整などで公道も走れるように工夫がらされている。観光用としてなら、さして珍しくない馬車だ。ヴェネツィアのゴンドラと同じく、客からの需要さえあれば何百年前の乗り物であっても商売として成り立つのである。
 しかし。
 馬車は道の流れに反して真横に停まっていた。横滑りしたようにも見えるが、違う。馬車にある四つの車輪の内、前方右側の車輪が外れて転がっているのだ。明らかに不自然な、だれかの意図によって分解されたものだった。
 ゴン!! という打撃音だげきおんが聞こえた。
 若い男の悲鳴も後を追ったが、まるで声を断ち切るように、もう一度暴力的な音がひびく。
「っく……。往生際おうじようぎわの、悪いッ!!」
 叫びながら馬車の陰から出てきたのは、背の高い修道女だ。シスター・ルチア。聖カテリナの『車輪伝説』に基づき、馬車の車輪を武器とする戦闘せんとうシスターである。女性的な丸みよりも、引きまった印象を与える彼女の手は真っ赤に染まっていた。
 返り血だ。
 ルチアの修道服は黒を基調として、そでやスカートをファスナーで着脱できるように作られているが、今はそこに黄色の袖とスカートが取り付けてあった。黄色は修道服として認められない色であり、これは修道服を拘束服へと変じる『禁色きんじきくさび』という霊装れいそうだ。
『禁色の襖』は装着者が生命力から魔力まりよくを練ると、それを霊装が勝手に使ってしまう仕組みを持?霊装自体は『布を発光させる』程度の効力しか持たないが(下手に特別で強大な効力を持たせると、それを逆手に取られる危険があるためだ)、そこで魔力を無駄遣むだつかいされてしまうため、どれだけ練っても魔術まじゆつが使えなくなる、という結果を招く。
 しかし現在、その『禁色の懊』の要所要所に赤いみがあり、それが霊装として必要な機構を一時的にき止めていた。無論、それを遂げたのは彼女自身の血である。
「シスター・アンジェレネ! そちらは終わりましたか!?」
「な、何とか終わりそうですけど……」
 幼い少女そのものの声が聞こえた。ルチアが中をのぞくと、表の豪奢ごうしやな作りから想像もつかないほど薄汚うすよごれた―――壁や天井てんじようにまで得体えたいの知れないみの跡が残る陰気な車内で、声の印象そのままな感じの背の低い修道女が四苦八苦といった様子で作業をしている。
 ルチアの修道服はややそでが短めなのに対し、アンジェレネの方は指先がわずかに見えているぐらいだ。あれで作業はしやすいのだろうか、とルチアは少しだけ心の中でつぶやく。
「……できましたっ! せ、施術せじゆつキーを解放、中身を取り出せます!」
 ガチン、と小さな音が鳴る。
 アンジェレネと呼ばれた小さな少女は、馬車の内壁に直接。固定されていた四角い金属の箱を取り外した。中に人っているのは脱走者対策の魔術まじゆつ武器だ。通常、指定された護送人以外は使用できないように封がされているが、アンジェレネはそのかぎを強引に外していた。
 よし、とルチアはうなずく。
 馬車の外に目をやれば近くに観光街があるらしく、威勢の良い掛け声の残澤ざんし山彦やまびこのようにうっすらと聞こえてくる。潮風に乗ってやってくる声には発音に特徴的なひびきがあった。本来イタリア語にないはずのthの発音が混じっていたり、逆に標準語に使われるgliやsciといった響きがない。それとzがsに聞こえる言葉がある。
「この言葉遣い……やはり『ラグーナ』近辺……しかし本島とは若干じやつかん違うようですね……」
 細長い金属の箱を両手で抱えたアンジェレネはポツリと言った。
「となると、や、やっぱり私たちはもう一度『女王』に連れ戻される所だったんでしょうか、シスター・ルチア。『女王』……そもそも、一体何のためにあんな大袈裟おおげさな……」
「それを確かめるために抜け出したのです、シスター・アンジェレネ。シスター・アニェーゼの身も心配です。その護身具だけでは心許こころもとないですし、まずは身をひそめて霊装れいそうの準備を固めましょう」
 はい、とアンジェレネは小さく頷いた。
 小さなシスターが馬車から降りるのを確認して、ルチアは馬車から外れた車輪を両手でつかんで持ち上げた。彼女の武器は聖カテリナの伝承に基づいた、車輪の爆破と再生の術式だ。
 二人のシスターはそれぞれの武器を手に取って、音もなく道を走る。漆黒しつこくの修道服に似合わない、まばゆい黄色の袖やスカートのついた異質な衣装が風に舞う。まるではちの腹のような警戒色はそれだけで周囲の注目を浴びそうだが、そんなハンデなど無視してそのまま風景に溶け込むように。
(私は、認めません)
 走りながらルチアが思うのは、
(シスター・アニェーゼは、見ている私が寒気を覚えるほど純粋に祈りを捧げる修道女です。それを主が罪人として裁き、教会が道具として使い捨てるなど……。私はローマ正教を信じているからこそ、そのような振る舞いは決して認められません)
 足元を見そうになる視線に力を込め、顔を前に上げて彼女は走る。手の中にある、間に合わせだけのあまりにもたよりない武器を握りめ。
覚悟は固く、
 しかしだからこそ、内面に意識をいていた彼女たちは、外面に遅れを取った。

 ゴキン!! という轟音ごうおん

「ご……ッ!?」
 いきなり胸を強打されたように肺の中の酸素がすべてルチアの体の外へ吐き出された。み出そうとした足から力が抜ける。車輪を握っていた両手の指の感覚がなくなり、手がはなれた。唯一の武器であるはずの馬車の車輪が、ふらふらと転がった後に、バタンと倒れた。
(この圧迫感……何か霊装れいそうが!?)
 ルチアは思うが、言葉を出すだけの酸素が吸い込めない。
 ほこりの多い石畳の上に、彼女の体が倒れ込む。受身を取る事もできず、その柔らかいほおに砂粒がこびりついた。となりを見れば、ルチアと同じ攻撃こうげきを受けたのかアンジェレネはすでに気を失っている。酸欠ではなく、最初の衝撃しようげきそのものにやられたのだろう。
 朦朧もうろうとするルチアの視界に、何かがキラリとかがやいた。
 必死に首を動かせば、馬車の屋根から赤い光が飛び出している。
(馬車と、修道服の『禁色きんじきくさび』を連動させた……逃走防止の術式、ですか。おそらくは、馬車から一定以上の距離きよりが離れるか、馬車が運行不能になってから、一定時間が経過すると……) げほっ、と息の塊が口から飛び出る。
 もはや酸素ではない。用をさない二酸化炭素の塊だ。
(……こんな、所で)
 横倒しになった視界の中、新しい馬車がこちらに近づいてくるのが見えた。この霊装が機能してからでは流石さすがに対応が早すぎる。おそらく馬車の御者や護送人を倒す前に、緊急きんきゆう事態のシグナルが別の所に伝わっていたのだ。
 反撃しようにも、指先がすでに動かない。
 魔術まじゆつを扱うだけの頭が働こうとしない。
 すぐ手を伸ばせばそこに武器となる車輪が転がっているのに、もはや打つ手を失ったルチアは、意識が遮断しやだんされる寸前に思った。
 浮かんだのは、ただ一つの人名だ。
(し、スター・アニェーゼ……)
 直後、彼女の意識は完全に途切れた。
 修道服の襟首えりくびを片手でつかまれて、布袋のように馬車の荷台へ放り込まれていった。

   

chap3

第二章 ロンドンへの準備 Un_Frammento_di_un_Piano.

     1

 オルソラの住んでいた家は、大きな通りから一本小さな道へ人った所にあった。すぐそこに海水の運河が流れていて、潮のにおいがした。石畳の道路に、小さな員がへばりついている。
 どうやらアパートメントの=至を借りていたらしく、彼女が立ち止まったのは五階建ての四角い建物の前だ。と言ってもオートロックに床暖房完備の現代的な建物ではなく、壁の表面は藩いベージュ色に塗られた蹴躍作りで、何だか歴史的建造物のような風格がある。屋上から伸びたテレビのアンテナだけが妙に浮いていた。
「ここらの建物ってみんなこんな感じだよなあ。古めかしいっつーかなんつーか」
「古めかしいのではなく、実際に古いだけなのでございますけどね。私の場合、逆にピカピカな建物だらけの日本の風景に圧倒されましたけど。たかだか築二〇年でオンボロ扱いなんて、あの国は少々時の流れの感覚が早すぎる気がするのでございますよ」
「オルソラのご先祖様って、ずっと昔からこの街にいたの?」
「いえいえ。単純にこの近くに配属していましたので、部屋を借りていただけでございますよ」
「その辺はおれりようと変わんねーのか。じゃあ、後さ。建物ごとに壁が青とか黄色とか派手に色分けされてるのは何でなんだ?」
「ここは海の街ですので。遠い船の上からでも自分の家が見分けられるように、というのが由来のようでございます。もっとも、今では海に面しているかどうかはあまり関係ないのでございますけどね」
 特定の大きな港に船が集まるのではなく、自分の家から直接小船を出すからそういう見分け方が必要だった、という事らしい。
 オルソラの案内で上条かみじようはアパートメントの中に入る。彼女の部屋は四階との事だったが、当然のようにエレベーターはなかった。重たいスーツケースを持ったままの上条としては、延々と続く金属の階段が少々つらい。
「さあ、こちらでございますよー?」
 オルソラに言われて上条が視線を向けると、彼女はずらりと並ぶドアの一枚の前に立っていた。これまた古めかしい木のドアだが、一応じようの所だけは取り替えているのか、そこだけ不自然にピカピカとかがやいている。
 オルソラは修道服のそでの中に手を人れて、ゴソゴソとかぎを取り出した。
 しかし、かぎを差し込む前にドアが勝手に開いた。
 中から東洋系の……というか、上条かみじようにとっては見慣れた日本人の少年少女が四人出てきた。
服も似たようなものだが、どうも色の組み合わせというか着こなし方というか、そういったものに微細な違いを感じる。というより、不自然なお財布チェーンをベルトからポケットへ伸ばしたり、ふくらはぎに予備お財布を隠し持っている上条の方が浮いているのであって、彼らの衣服はこの街の人たちとピッタリ合致していた。オルソラは元々買い出しでもたのまれていたらしく、たくさんの日用品が人った、フランスパンみたいな色の紙袋を笑顔で彼らに手渡している。
 彼らが会釈えしやくをしてきたので、上条も慌ててそれにならおうとした所で、
「あっ! とうまだとうまとうまーっ!」
 部屋の奥から聞き慣れた少女の声が飛んでくると、室内にはあんまり相応ふさわしくない大覇星祭だいはせいさいみたいな足音がこちらへ近づいてきた。
 少年少女達の人垣を割って玄関から出てきたのはインデックスだった。
 彼女はアイスクリームの容器を抱えていた。抱えていたというのは、そのアイスの四角いケースが漫画雑誌を四、五冊山積みしたようなサイズだったからだ。
 インデックスは、アイスを丸くえぐってコーンの上に載せるために使う業務用のスプーンをザクリとバニラの壁に突き刺すと、
「とうま、こっちのジェラートってこんなに美味おいしいのに、これでまだ安売りのお徳用なんだって! んまーっ!!」
「お前……人が心配してたのに、口の周りをベッタベタにするほど幸せな顔でアイス食いやがってーっ! いや、おれを置いてきぼりにした事は後だインデックス。そんな人の家のデザートを遠慮えんりよなく豪快に食ってんじゃねーよ!!」
「え? でもお引っ越しするから冷凍庫の中を片付けるの手伝ってって言われたよ?」
 ニッコニコの笑顔なインデックスを見て、上条の顔が泣き出す直前みたいに崩れていく。
「くそ、理にはかなっている……。しかしこれでお前が一方的に感謝されるのはどっか納得がいかないっ!!」
 もはや地団駄じだんだむしかない上条の前で、インデックスは業務用のスプーンでアイスを掘り返す。
 それを見たオルソラがまぁまぁと笑い、東洋系の四人の少年少女達は特に言葉も交わさずこちらをじーっと見ている。
 彼らがインデックスをここまで連れてきてくれたのだろうか、と上条は考える。この辺りって日本人街でもあるのかなとも考えたが、
「そうか、手伝いで来てる友人って天草式あまくさしきって言ってたっけ」
 天草式十字凄教せいきよう。元々は日本に伝わる十字教宗派の一つだが、現在ではオルソラと同じくイギリス清教の庇護下ひごかに収まっている組織である。『時代時代に合わせて溶け込んでいく事』に特化しているらしいが……なるほど、と上条かみじようは感心した。衣服一つ見てもそういった色がうかがえる。
 と、思っていたのだが。
 ふと耳を立ててみると、彼らは風景に不釣り合いなひそひそ話をしていた。
「……あれが教皇代理が一目置いていた御仁ごじん……。しかし実力はいかほどのものか……」
「そこに疑問を抱くのは、あなたがオルソラ様救出戦に参加していなかったから……」
「……かの御仁は、ローマ正教が誇る二五〇名の戦闘せんとうシスター相手に武器も持たず、たった一人で宣戦布告をした殿方なのですよ……」
「あとこれは近頃ちかごろになって教皇代理が得た情報だが、学園都市では七天七刀しちてんしちとうを手にしたあの女教皇様プリエステスこぶし一つで立ち向かい、顔面をなぐり飛ばして地に手をつかせたとか……」
 天草式あまくさしきの面々の会話が、ピタリと止まる。
 最初に話を始めた少年が音もなく首だけをこちらに向けて、
「……、怪物?」
「おいテメェら人の顔を見るなりその曲がりに曲がった評価は何なんだよ?」
 上条は唇の端をひくひくふるわせながら尋ねた。それを見た天草式の面々は顔色を真っ青にすると慌てて部屋の中へと逃げ帰る。
 というか、実は記憶喪失きおくそうしつなので神裂かんざきをうんぬんのくだりは心当たりがないのだが、下手に尋ねると記憶を失っている事がバレそうなので怖い。女の子の顔を殴るなんて何をやってるのよ上条当麻とうま! と心の中では戦々恐々せんせんきようきようである。
 オルソラはため息をつくと、そんな上条に振り返って、
「……あまり怖がらせては駄目だめなのでございますよ?」
 そうは言うが、ドアの向こうからは『その他にも、夏の終わりには女教皇様プリエステスの裸体を目撃もくげきして七天七刀しちてんしちとうさやで強打されたらしいですが、絆創膏ばんそうこうすら必要なかったとか!』『なんと、相手は主に認められた聖人だぞ! あの御仁はどれほどの鍛錬たんれんを積んでいるのだ!?』などと、割と好奇心旺盛おうせいな声が飛んできている。あれは本当に怖がられているのだろうか?
「今は何もしないで床にかがみ込みたい……」
「唐突に脱力していないで、早く人って欲しいのでございますよ」
 オルソラがドアを開けて勧めてきたので、上条とインデックスはそこをくぐって部屋の中へお邪魔じやまする。
 彼女の借りている所は上条の学生りようのようなワンルームではなく、家族も住めるような複数の部屋がまとまっている形式を取っていた。学園都市の場合、住宅のほとんどが一人または相部屋の学生寮しかないため、こういった部屋は上条にとって新鮮だ。
「うわ、良いなあ広い部屋……。って、アパートなのに上に続く階段がある!?」
「ふふ。そちらは屋根裏みたいなものでございます。差し詰め、四・五階といった所でございましょうか。チーズを置いておくためだけの場所でございますので、立つと頭をぶつける程度のスペースしかございませんけど」
 いちいちおどろ上条かみじようにオルソラは軽く笑って、
「さて、と。それでは最初にご飯の用意をしてしまうのでございますね」
 いくつかある部屋の内の一つ、リビングで彼女はそう言った。インデックスの目がキラリンとかがやいたが、それに対して上条はわずかにまゆをひそめて、
「あれ? でもお昼ご飯って引っ越しの手伝いのお礼みたいなもんだろ。俺達おれたちまだ何もやってないけど」
「まーまーでございますよ」
「何に対する返事だそれ!?」
 上条は思わず叫んだが、オルソラはすぐに話の軌道を修正してくる。
「まずはあなた方をもてなすのが先でございますよ。それに、作業を全部終わらせるとお夕飯の時間になってしまいますし、お引っ越しのために荷物を全部箱に詰めたら調理道具を取り出せないのでございます。流し台なども再び洗わなくてはなりませんし」
 ああそっか、と上条は納得した。
 改めて周囲を見回してみれば、リビングの端には畳まれた段ボール箱が積んである。天草式あまくさしきのお手伝いさん達は、ここで捨てる物とロンドンまで持っていく物の采配さいはいはオルソラにゆだねているのだろう。確かに、今を逃すと家財道旦ハを自由に使う機会はなくなりそうだ。

     2

 上条が形の違うイタリアのコンセントをじーっと眺めたり、インデックスがテレビのリモコンのボタンを一つずつ順番に押していったりしていると、オルソラが食器皿をたくさん載せたトレイを両手で持ってキッチンから出てきた。
 メインとなるのがアサリの人ったパスタで、その他にはほぐしたカニの身が人った冷たいスープや、なんかお皿に真っ黒なイカスミがベチョッと載っているだけのものもあった。オルソラに聞くと、どうもポレンタというトウモロコシの粉をスープで練って作ったものにつけて直接食べるらしい。
 上条が席に着こうとすると、オルソラと一緒いつしよに料理の乗った食器を運んでいた天草式の女の子が、
「使います?」
 と白い熔しぼりをこちらに差し出してきた。
「あ、どーも」
 上条が頭を下げて受け取ると、『いえいえ』と言いながら女の子はそそくさと部屋の外へ出て行く。二重まぶたが印象的な子だな、と上条は思った。向こうから『五和いつわ、おしぼり作戦の感触はどうでしたか!』『馬鹿ばか、結果を求めるのはまだ早い。まずは外堀を埋めていーのが重要なのだ』『これは少々遠回り過ぎませんか』などという声が飛んでくる。何なのだろう? 一緒いつしよに食べていかないのだろうか。
「えっと、天草式あまくさしきの連中は?」
 上条かみじようはテーブルにやって来ない四人の少年少女の事を尋ねると、
「現在は鍛錬中たんれんちゆうだとかで、決まった食料を決まった食事作法で採らなくては体が鈍るのだとかおつしやっていて……」
「天草式は食事や睡眠、人浴や散歩とか、とにかく日常生活の中にあるわずかな宗教様式を利用する宗派だからね。場合によっては食べられる物も限られてくるのかも」
「はぁ。好き嫌いの多い方たちなのでございますね」
 ほんのりとズレた結論に至ったオルソラに料理を勧められて、上条とインデックスはそろって『いただきます』と声を出した。
「うまっ!? 何これ、パスタってこんなに美味うまくなるモンなのか?」
「うん、なんかとうまがいつも作ってるご飯の五〇〇倍ぐらい美味おいしいかも!」
「いつも手伝いもしねえテメェに言われる筋合いはねえけど、でも本当に美味いからもう良いや! うまーっ!!」
 微妙に悪意が交錯こうさくする料理評価に、オルソラは苦笑いしつつ、
「有り合わせの物で、手早く作っただけでございますけど」
「手早く作ってこの出来かよ……。ガイドブック片手にお店の方も色々回ろうと思ってたけど、もう目的は達成しちまったんじゃねーのか」
「……とうま、私は早くもこの旅行で最大の思い出を作っちゃったっぽいかも」
 直線距離きよりで二〇キロの所にある海上の世界遺産など目もくれず、すでにこの場で満足してしまった観光客二人。本来ならめられているはずのオルソラの方が、逆にフォローに回らなければならないほどの状況である。
「と、ところで……やはりこちらに来たという事は、目的はヴェネツィアの方でございますか?」
「一応さー、旅行のプランじゃそうなってだんだけど、なんか現地のガイドと連絡つかねーんだよな。ホテルのチェックイン済ませたら本格的にどうにかしなくちゃなんねーんだろうけど。やっぱりこの辺じゃヴェネツィアが一番の見所なのか?」
「見るならヴェネツィア、住むならキオッジアでございますけどね。ヴェネツィアは車の利用ができませんし、湿気やカビ、底冷えなどの問題もありますから。……何より月々の家賃がよその数倍もかかるのでございます」
 オルソラは特に迷わずに、スラスラと答える。
「でも、その不利をんででも見るべき価値はあるのでございますよ。何しろあそこは『水の都』『アドリア海の女王』『アドリア海の花嫁』……とまぁ、様々な言葉で絶賛されるぐらい綺麗きれいな街でございますから」
「なんか、アドリア海シリーズが多いんだな」
 上条かみじようはチーズの塊みたいな色のポレンタに真っ黒なイカスミをつけて口に運ぶ。イカスミの見た目はそのまんま墨汁ぼくじゆうっぽいのだが、実際に食べてみると意外にあっさりした味だ。
「まぁ、元々ヴェネツィアはアドリア海の支配者たる海洋軍事国家という経緯がございますので、ワンセットとして扱うのが妥当だったのでございますよ。ヴェネツィアには『海との結婚』という年に一度の国家的儀式ぎしきがありました。当時の総督ド ジエ……国を束ねる者が、アドリア海に金の指輪を投げてヴェネツィアとアドリア海を結び付ける婚礼の儀でございますよ。それぐらい海は身近にあったのでございましょうね」
「ありゃ? ヴェネツィアって、元々国だったの?」
 上条が尋ねると、ほぐしたカニの人った冷たいスープをスプーンですくっていたインデックスが答える。
「とうま。『イタリア』っていう国家の枠組みは近世に人ってからできたものなんだよ。それまではイタリア半島って大きな領土の中に小さな都市国家が集まっていた感じなの。戦国時代の日本みたいなイメージかも」
「……、」
「なに、いきなりだまって?」
「―――いや。物知りだな、お前」
「む。な、何を今さらそんな事を言うの?」
 インデックスはわずかにスープの皿に視線を落とした。ほっぺたがわずかに赤くなっているような気もする。
 オルソラはフォークをくるくる回してパスタをからめ捕りながら先を続けた。
「ヴェネツィアはその中でも強い力を持った都市国家で、他者からの支配を嫌ってローマ教皇様と対立、破門状までたたきつけられた経緯を持っています。特筆すべきは破門状ではなく、それによって『ローマ正教の敵』と認識されても構わず繁栄はんえいが続いた事でございますね。そういった事のほかにも一四世紀の全盛期にはパドヴァ、メストレ、ヴィツェンチアなど、イタリア北東部の主要都市国家を次々と制圧した強国としての歴史も持っているぐらいでございますよ」
「ってーと、ここも?」
「ええ。キオッジアはヴェネツィアのライバル的な海洋都市国家でございましたが、数度の争いののちに、といった感じでございます。実際、ヴェネツィアのように塩や外来品の交易で力をつける海洋国家は当時のイタリア半島にはたくさんありましたが、戦争、政治、災害、その他の様々な要因によって数を減らしていき、残ったのがヴェネツィアでございますよ」
 ふうん、と上条は相槌あいづちを打った。
 となると、歴史にちょっとした偶然が起きていれば、世界的に名を残していたのはキオッジアの方だったかもしれないという訳だ。そういう話を聞くと、歴史にうと上条かみじようも少し感心する。
なんか三国志や戦国時代のテレビゲームをやっているみたいな感じだ。
「ともあれ、ここまで足を運んだのならヴェネツィアは見ておくべきだと思います。私のような十字教徒にとっては非常に興味深い様式を学ぶ場所でもありますが、そうでなくとも単純に綺麗きれいな街でございますし。キオッジアにはモーターボートはございますけど、ゴンドラはございません。あちらの街では、ここでは見られない光景があるのでございますよ。このイタリアで、車がなくても都市機能を維持している街なんてヴェネツィアぐらいしかありませんし」
「へー、なんか面白そうだな。ありがとうオルソラ。そんじゃインデックス、荷物整理をやったらヴェネツィアの方に行ってみるか」
「うーん……。私はこのご飯があれば良い。もうずっとここにいても良いかも」
「お前、引っ越し一日前の人に向かってなんて無理な注文突きつけてんだ?」

     3

「んじゃ、さっさと荷物整理を手伝いますか」
 という訳で、上条とインデックスは家財道具に向かった。
 オルソラの家には部屋がいくつかある。なので、オルソラと同じ部屋にみんなが集まって、家財道具を『捨てるか持っていくか』一品一品尋ねながら段ボール箱に詰めていく事になる。
それが終わると棚やベッドなど大型の家具を運び出して、最後に床や壁を掃除したら、次の部屋へ……といった感じで作業が進む。すでに一部屋二部屋ぐらいは、オルソラと天草式あまくさしきで済ませていたらしい。
 とりあえず上条たちは、お昼ご飯を食べたこのリビングから片付ける事にした。上条は食器を新聞紙で包んで段ボール箱に人れたり、テーブルや椅子いすを建物の外へ運んだりした。アパートメントの外にまっているほろのついたトラックの荷台にそれらを詰め込んでいく。どうも、この運転手のおばさんも天草式の人らしい。
 そんなこんなで一時間ほど作業を続けていたころだった。
「うあー。とうま、何だか修道服のあちこちが汚れてきたかも」
 どかした本棚の裏にまっていたほこり格闘かくとうしていたインデックスがそんな事を言った。それを聞いた上条はあきれたように、
「あのな。引っ越しの作業をしてんだから少しぐらい汚れるのは当然だろうが」
「まぁまぁ。確かにそれはその通りではございますけど」
 オルソラが横から仲裁に入る。
 横からの声にふと上条がそちらを見ると、オルソラが自分の修道服の胸の辺りについていたほこりをぽすぽすと手で払い落としていた所だった。当然ながらその拍子に彼女の色々な物が色々揺れて、ギュバ!! と上条かみじようは高速で顔をらした。そういう事をしている最中には話しかけてこないで欲しい。インデックスのムッスーとした視線が突き刺さる。
 当のオルソラ本人は全く気にしていない様子で、
「あなたたちは飛行機に何時間も乗ってこちらへ来たのでございましょう? まだホテルにも行っていないのなら気になるのも当然でございますよ。何ならシャワーなどいかがでしょうか」
 得意げに言った彼女の頭の上に、蛍光灯のランプシェードにまっていた巨大な埃の塊が落っこちた。もさっとした塊が黒いフードにへばりつく。
 オルソラはにっこりと微笑ほほえんで、
「さあさあインデックスさん。お風呂ふろはこちらでございますよ?」
「いやお前は!? この場で最も埃をかぶっているのはあなた様だと思うのですが!!」
 そうでございましょうか? とオルソラに可愛かわいらしく首をかしげられた。頭にふわふわした巨大な埃を乗っけたままのオルソラはインデックスの両肩を後ろからつかむと、
「とにかくまずはインデックスさんでございますよ。ええと、ドライヤーはこっちにあるのでございますよー」
「『どらいや』ってなに?」
 部屋の外へ出て行く彼女達の声に、上条は脱力したように肩を落とし、
「あ、そうだ。オルソラー、新聞紙のストックってどこにあったっけ?」
「こっちにあるのでございますよー?」
 向こうからオルソラの声が聞こえる。それから、バタンとドアが開閉する音が聞こえた。
(……汗とか埃とかいちいち気にするってのは、やっぱり女の子って事なのか?)
 いちいち再確認を取っている事を知られたらインデックスにみ付かれそうな感じだが、上条は適当な感想を抱くと部屋の掃除や整理に戻った、荷物の詰まった段ボール箱にガムテープで封をしたり、その箱を部屋から玄関の方へ運んだりしていく。手近な床に高そうな大きい絵皿が置いてあったので、緩衝材かんしようざい代わりの新聞で包んで箱の中へ入れようとする。
 と、
「ありゃ?」
 そこで上条は、ふと声を出した。新聞紙のストックがちょうど切れていた。
(この絵皿、値段は分かんねーけど、割と高そうだし……。床に置いておいてうっかり踏んづけました、なんて事になるのはマズそうだよな)
 上条は床掃除用のモップを壁に立てかけると、あちこちを見回した。確か、オルソラは新聞紙の補充はあっちのドアだと言っていた気がする。
 ところが、実際にそちらのドアをくぐると、そこは部屋ではなく短い廊下だった。壁の片側にのみ、同じデザインの白いドアが二つ並んでいる。
(どの部屋だ? でもまぁ、片っ端から人ってみれば良いだけなんだけど)
 と、上条かみじようが大して考えもせずにドアノブをつかもうとした時、ドアの向こうから、
『ふんふんふふんふんふんふーん♪』
 気持ち良さそうな鼻歌と共に、何やら雨が降っているような水音が聞こえてきた。
(こ、この声と水のワンセットは……)
 上条はギクリと動きを止めると、
(まさかシャワー……って、あっぶな!? これはお風呂場ふろばという名のトラツプか! あ、危うく引っかかる所だった。そしてそこらじゅうからボコボコにされる所だった!!)
 上条はそっと安堵あんどの息を吐き、そしてドアノブから手をはなす。消去法で考えれば、もう片方のドアの方にオルソラの言っていた新聞紙が保管されているはずだ。
 だが。
『ふふんふんふーんふふんふーん♪』
(こっちからも声が聞こえる? 何だこれ、一体何がどうなってやがる!! ば、バスルームってプレートはどっちにもついてないし……。ん? イタリア語でバスルームって?)
 なぞが謎を呼ぶ状況の中、女の子の無防備な鼻歌に実はちょっと心拍数が上がりつつある上条だが、ここは冷静に考えてみる。大前提としてお風呂場は二つもない。オルソラが『こっちに新聞紙がある』と言っていたのだから、どちらか片方は普通の部屋だろう。まさか二つのドアが同じ部屋につながっている訳でもあるまい。
 となると、
(壁がうすいとかで、どっちのドアからもお風呂場の声が聞こえてきてるのか……? 片方は当たり、片方は外れ。くそ、何なんだこの究極の二択は!?)
 上条は慎重にドアの向こうから聞こえてくる音を吟味して、
(右、いや左? 違う、これは……左だ。左はシャワーの音と鼻歌がセットに聞こえるけど、右は鼻歌だけ! それはつまり本当の音源は左のドアで、遠回りルートな右のドアからは小さいシャワー音は届いていないって理屈だー従って大きめな鼻歌しか右からは聞こえないという訳である!! もう大丈夫だいじようぶ、上条さんはそう何回も肌色イベントに遭遇したりはしませんの事よ!!)
「見切ったぁ!!」
 上条は己の耳をたよりに、絶対の自信をもって右のドアを開け放つ。

 目の前に広がるのは湯気のあふれるユニットバスだった。

「あら?」
 と、むしろキョトンとした声を出したのは、オルソラ=アクィナスだ。彼女はユニットバスのカーテンを開け、棚からシャンプーのボトルに手を伸ばしている。ジャージャーと音を立てるシャワーの温水が、普段ふだんは分厚い修道服に隠されている彼女の大きな胸を伝っておへその方に流れているのが良く見えた。見えてしまった。
「う、うぎゃああ!! こっちが風呂ふろ!? しっかりシャワーも出てるし!! ごめんオルソラ、でも確かにおれの耳では危険なのは左のはずだったのに……ッ!!」
 気が動転するあまり、ドアを閉めるのも忘れて思わず左のドアへ逃げ込もうとする上条かみじよう
 そこへ。
 今度は左のドアから、ドライヤーらしきモーター音が聞こえた。
 同時に、
「きゃあああっ!? な、なんかブオーンって、変な形のステッキから暑苦しい風がおそい掛かってきたんだよ……ッ!!」
 ズバーン!! と勢い良く左のドアが内側から開け放たれ、裸のインデックスが転がり出てきた。片手にバスタオルをつかんでいるが何の意味もない。ほんのりと赤みを増した肌はタオルでいてもいないらしく、手足をバタバタ振るたびに丸いお湯の玉が張りのある肌からはじかれていく。長い髪にも水気が多く、それが彼女のうすい胸にべったりとへばりついていた。
 そちらを見ると左のドアの先もユニットバスだった。
 上条は目の前の光景に唖然あぜんとして、

「右も風呂ふろなら左も風呂!? ふざけんな、これじゃどっちにしたって待っているのは地獄だけじゃねーか!! 理不尽りふじんだこんなの、大体何でこの家にはお風呂が二つもあるんだよ!!」
 もはや逃げ場のなくなった上条かみじようはその場に崩れ落ちる。オルソラも流石さすがに少しは照れているのか、半透明のビニールカーテンを引っ張って体を隠して、少し身を縮めつつ、
「は、はぁ。聖バルバラは浴室を改造して洗礼場を築いた伝承がありますので、それに基づいて一つは生活用、もう一つは宗教用に用意していたのでございますけど。今は引っ越しのために洗礼場としての機能を解除していますので、普通のお風呂として使っただけでございますよ」
「また魔術的まじゆつてき非科学ワールドの話か! もううんざりだ!!」
 上条は人の家の床にちょっとこぶしたたきつけながら絶叫する。
 と、
「……そもそも、何でとうまはここにいるの?」
 うつむいて床にへたり込むインデックスは、むしろゆっくりとした丁寧ていねいな動きで体にバスタオルを巻いていく。
「は?」
「……そして何故なぜ、人の裸を見てもごめんなさいがないの?」
「い、いや、違うんですよインデックスさん? わたくし上条当麻とうまはさっきの部屋で取り残された絵皿を発見しましてね、衝撃しようげき吸収用の新聞紙はこちらにあると伺いましたから……って、あれ? そういやオルソラ、新聞紙ってどこだ!? まさか浴室に保管されてるなんて事はねーだろ普通!!」
「ええと。部屋ではなく、廊下に置いてあるのでございますけど」
「が……ッ!? ちくしょう、本当に廊下の隅っこに束になって置いてある! くそ、どうしてこの存在にもっと早く気づけなかった上条当麻! そしたらこんなトラブルには―――」
 一人で泣き言を始めた上条に、ついに全裸のインデックスのこめかみが不自然に動き、
「だ・か・ら、何でとうまの中では人の裸の優先順位が低いのかなァあああああああああああああああああああああああああッ!!」
「ぎゃああああああああああああああッ! 今日のインデックスは何だか二倍増しィいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」
 上条当麻、異国の地にて二度目のみ付きスキンシップを体験。オルソラがこれを日本の変な伝統文化だと勘違いしない事を切に願うばかりであった。

     4

 頭をガブリとやられた上条が床を転げ回ったりオルソラが食器皿の整理を行ったりしている内に、すっかり空は夜の色になっていた。
「では、よろしくお願いいたしますね」
 オルソラがペコリと頭を下げると、ほろのついたトラックはゴトゴト揺れながら走り去っていった。ちょっと割れやすい食器が心配になる揺れ方だ。
 ともあれ、これで引っ越し作業はおしまいである。
 キオッジアの街全体がこうなのか、単にこの一角だけなのか、周囲に人はいなかった。少し遠くから夕飯を採る家庭的な音や談笑が聞こえてくる。
 オルソラは最低限の荷物だけ人った四角いかばんを手に。取ると、
「お二人とも、お疲れ様でございました。長い間引き止めてしまって申し訳ありません」
「いや別に良いんだけど、オルソラはこれからどうするんだ。こっちはホテル戻ってから色々行くつもりだけど、俺達おれたち一緒いつしよて回るか?」
「いえいえ、そんな」
 軽く聞いただけなのに、何故なぜかオルソラは片手をほおに当てると顔を赤くしてわずかに目をらした。彼女はそのまま言う。
「これからホテルに向かうお二人の後をついていけとおつしやるのでしょうか。……そんな、大人数だなんて」
「こぼっ!?」
 上条かみじようは思わず吹き出したが、インデックスはまゆをひそめて、
「??? なに、おおにんずう?」
「聞かなくて良い! そして知らなくても良いんだインデックス!!」
 オルソラが懇切丁密こんせつていねい丁に説明する寸前で上条が絶叫した。インデックスは『?』とまだ理解できていない顔をしている。
「こちらもロンドンでのお仕事を休ませていただいて来ている身ですから、あまり長居はできないのでございますよ。それに」
「それに?」
 上条が聞くと、オルソラは唇のわずかな動きで笑みの形を作って、
「これからキオッジアにお別れを告げに回りたいと思っていますし……。それはあんまりあなた様にはお見せしたくないのでございますよ。少々みっともない顔をするかもしれませんしね」
 あ、と上条は今さら気づいた。
 ここはオルソラがずっと住んでいた場所で、そしてこれからは住まなくなる場所だ。それも彼女が自分から望んだ引っ越しではない。ローマ正教という大きな組織とのいざこざがなければ、場所を移す必要はなかったはずだ。
 アニェーゼの件で、上条はオルソラを助けたと思い込んでいた。
 それは厳密には間違っていないだろうが、決して無傷という訳ではなかったのだ。
 いつもの日々を失った上での、やっと果たされた救出劇。
 そんなものは、中途半端ちゆうとはんぱの妥協点も良い所だ。
「……悪いオルソラ、気がかなくて」
「いえいえ。別に針轍際ここへやって来れなくなるという訳ではございませんから。ほらほら、そんな顔はしないでください。私はキオッジアと同じぐらいロンドンという街も気に人っているのでございますよ」
 月と星の光に照らされたアパートメントの前で、オルソラの方に笑って気を遣われた。となりにいたインデックスが無言で上条かみじよう脇腹わきばらを軽くひじでつつく。それ以上はみ込むな、というサインだろう。上条にも、それぐらいは分かる。分からなくてはいけない。
「では私はこれで。機会がありましたら、ロンドンのお部屋にも招待するのでございますよ」
「ああ。お前も、また日本に来る事があったら」
「その前に、とうまもお部屋を掃除しなくちゃいけないかも」
 言って、三人とも笑いながらの落ちた暗い道のそれぞれ反対へと歩き出そうとした、
 まさに一歩前で、
 ピクン、とインデックスが顔を上げて、
「まさか……これって」
 突然彼女が叫んだ。
「みんな伏せて!!」
 上条とオルソラは、キョトンとした顔でインデックスを見る。
(伏せるって……何で?)
 ガチンと、どこか遠くから金属のような音が聞こえた。
 インデックスの顔に緊張きんちようが走る。
狙いを右へAATR!!」
 ほとんど頭上に向かって放つように声を放ち、

 ばん、と。
 不自然な音を立てて、突然オルソラの四角いかばんが横に飛んだ。

「あら?」
 その時、オルソラは鞄をもぎ取られた自分の手を、不思議そうに眺めていた。ふわりと浮かんだ鞄が、地面に落ちる。金属の留め具が外れて、二枚員のように鞄が開く。その中から、くしや口紅などがバラバラと道路に散っていく。替えのものであるらしいアイロンをかけられた黒いフードが、道路に沿って流れる運河の縁ギリギリに引っかかる。
 上条は、大きく開いたまま路上を滑っていく鞄を見た。
 その表面に、一辺一センチぐらいの四角い穴が不自然に穿うがたれている。
「とうま、そこからはなれて!!」
 緊迫きんぱくしたインデックスの大声。
(コイツがさわぐって事は……今のは魔術まじゆつ、なのか?)
 疑問と共に彼女の方を振り返ろうとしたが、上条かみじようは途中でギクリと動きを止めた。オルソラの修道服。その表面が、判子を押したようにわずかにくぼんでいた。衣服の上の点は、そのまま音もなくオルソラの肩から胸へ向かう。
 まるで、照準を補佐するレーザーポインターのように。
(飛び道具の……)
狙撃そげき!? オルソラ!!」
 上条はスーツケースから手を離し、となりで突っ立ったままのインデックスの胸を突き飛ばして地面に転ばせ、そのままオルソラのおなかへと突っ込んだ。
 路上に押し倒す。
 ガチン、と小さな音がした。
 上条の背中に、右から左へ線を引くような痛みが走る。
 何かが皮膚ひふの上をかすっていったのだ。
(どこから!? だれが!! どうやって!?)
 ジクリとにじむ痛みに耐えて周囲を見回す。周囲は五階建てぐらいの四角い建物か、直線的な運河があるだけ。素人しろうとの上条にはこれが狙撃に適した環境なのかどうかも判断がつかない。ぐるりと見回した範囲で、馬鹿ばかデカいライァルを構えた人間が見える訳でもない。鞄そらくかばんはじかれた方向の逆から何かが飛んできたのだろうが、そちらを見てもあるのは建物の壁だけだ。ただ、インデックスは攻撃の予兆のようなものをつかんでいたようだが、
「とうま!!」
 インデックスの叫び声が聞こえる。
 思考が遮断しやだんされた。
 上条が注意を内側から外側へ向け直す前に、冷たくれた手が上条の首根っこを掴んだ。ギヨッとして振り返ると、道路に沿って流れる運河から一本の手が伸びていた。黒い長袖ながそでの手だ。誰かが運河の海面からい上がり、上条の首の後ろを掴んでいるのだ。
「ッ!!」
 何か思う前に一気に引っ張られた。
 バランスを崩した上条はオルソラの上から引きがされ、そのまま運河へと落ちた。にごった海水がのどを焼く。背中の傷が爆発したように痛みを増していく。光の乱反射によってゆがんだ視界の中、人れ替わるように誰かが路上へ上ろうとしているのが見えた。その右手には、ギラリと光る金属質のかがやきがある。
 ナイフ、あるいは剣。
(ちっくしょ……だれなんだテメェは!)
 上条かみじようし襲撃者ゆうげきしやの足に手を伸ばしたが、すんでの所ですり抜けられた。上条は手足をバタバタ振って上方向への力を得ると、「気に水面に顔を出す。
 満潮のせいかもしれないが、水面から道路までの高さは数十センチしかない。しかしそのわずかな高さが上条の視界をふさいでいる。
「っく!」
 運河の縁に両手をかけて勢い良くい上がる。
 と、視界の先にオルソラがいた。不思議と片膝かたひざをついてかがんでいるような姿勢に見える。上条が押し倒した状態から、何とか立ち上がろうとしている途中なのだろう。その顔には、恐怖というよりおどろきが張り付いていた。
 そして。
 そんな彼女のすぐ前に、襲撃者はいた。上から下まで真っ黒な修道服を着た小柄な男だ。オルソラ同様、肩の所にそでを着脱させるためのファスナーがついている。上条に背を向けているため顔は見えないが、紫色に染めた髪が特徴的だ。
 そのびしょびしよにれた手が握っていたのは、予想に反してナイフでも剣でもなかった。やりだ。強引に短く切ったようなイメージを与える七〇センチぐらいの黒塗りの木の柄の先端に、刃渡り一〇センチ程度の鋭い刃がついた武器。
 突き刺せば間違いなく人が死ぬ。
 そんな物を襲撃者の男は両手いっぱいに振り上げている。
 まるで地面に杭でも打ち込むような動きで。
 すぐさま止めなくてはならないが、運河から這い上がったばかりの上条はちょうど路上にへばりつくような格好で、距離きより数メートルのオルソラたちの元へ飛び込むには数秒かかる。そうこうしている内に、襲撃者は振り上げた槍を思い切り振り下ろし、
「死ねクソ馬鹿ばか!!」
 上条は散らばっていたオルソラの荷物の中からドライヤーをつかんで思い切り投げつけた。
 無防備な襲撃者の後頭部に直撃する。
 槍の軌道が外れた。
 オルソラの顔のすぐ手前をかすめ、地面に槍の先端が勢い良くぶつかる。
「!!」
 襲撃者が勢い良く振り返る。標的の前に邪魔者じやまものを消すとばかりに、そのまま上条のふところへ突っ込んできた。その刃が、この夜の中で夕日のように不自然なオレンジ色にかがやく。やはり魔術まじゆつか。
上条は地面にへばりついたまま、右手のこぶしを握りめ、
刃の切れ味は己へ向かうISICBI!」
 インデックスが妙な言葉を叫んだ瞬間しゆんかん、男の持っている槍が、スパン! とひとりでに輪切りにされた。突然バラバラになった自分の武器に、思わず修道服の男がギョッと身を固め、
「!!」
 起き上がった上条かみじようが、低い姿勢から突き上げるように男のふところへ突っ込んだ。そのまま右のこぶしを男の顔面へち放つ。下から斜め上に衝撃しようげきが走り、男の頭が揺さぶられる。
「あ、ぎっ!」
 うめき声をあげ、後ろへ下がろうとする男の顔へ、上条はさらに拳をたたき込む。
 ゴン!! という音と共に。
 全体重を乗せた一撃は容赦ようしやなく男の鼻の真ん中に食い込み、今度こそそのまま地面に叩きつけた。背中から落ちた男はそのまま動かなくなる。
 ホッとする間もなく、
「ッ! 狙撃そげきの方は!?」
大丈夫だいじようぶ。……こっちはもう済ませたよ」
「済ませたって、何を!?」
 インデックスの軽やかな言葉に、上条は逆に混乱しかけた。
 直後。
「あがががががががァッ!!」
 どこか遠くから、太い男の叫び声が飛んできた。ギクリとする上条の耳に、落ち着いたインデックスの声が滑り込んでくる。
「遠くからこちらをねらっているって事は、こちらの様子は逐一敵ちくいちに伝わっているって事。なら、相手がどこにいようが私が放つ『強制詠唱スペルインターセプト』を受け取るはずだよ」
 どうやらインデックスが何かやったようだが、具体的にどうしたのか上条にはつかみ切れない。
 ダッ、という靴底が地面をる音が聞こえた。
 上条が通りの角へ目を向けると、そこから男らしき人影が飛び出してきた。側頭部を片手で押さえ、ふらふらした足取りだった。耳元で爆発音でも聞いたような動きだった。暗いので細部は分からない。その男は上条たちにではなく、海水の運河に向かって一直線に走ると、
前衛は見捨てるAbbandoniamo la vanguardia! 今すぐここで撤退の船を出せOra si ritira di qua! あの女は船の上で殺してやるQuella donna la uccidero sulla nave!!」
 イタリア語らしき言葉で何かわめいて、そのままためらわずに道路と堤防を兼ねた縁から海水へと飛び込もうとする。
(あの逃げようとしてるヤツ、さっきの狙撃手そげきしゆか!? くそ、追うか、深追いはけるか!?)
 上条が迷っている間に、水を破る音が聞こえた。
 ただし。
 人が一人海水に飛び込むだけにしては、あまりにも巨大すぎる轟音ごうおんが。

 ドパァ!! と運河の水面が破られる。
 まるで滝を逆さにしたように海水が舞い上がり、男は飛び出した物体の上に着地する。

「な……ッ!」
 上条かみじようの息が止まりかける。
 運河の底から飛び出したのは、一隻の帆船はんせんだった。大航海時代に海原うなばらでも渡っていたと想像させる、四本のマストのついた古めかしい作りの船だ。ただの船と違う点は、その素材か。新大陸を求めて海を渡っていた船が木で作られていたのに対し、今ここで飛び出した船は半透明の冷たい印象を与える物質で作られていた。あたかも水晶でできているようだ。マストの帆やロープまで同じで、本当に帆船として機能するか疑問に思えるほどだった。街や月の明かりを浴びているせいか、うっすらと白っぽい電球色の光を帯びている。
 しかし。
 それ以上におかしいのは、この船のサイズだった。
「うわっ!!」
「とうま!!」
 運河の幅は二、三〇メートルはあったはずだが、飛び出した船は横幅だけで運河の壁となる左右の道路を砕き、強引に本体を膨らませていた。
「こんなもん、今までどうやって隠れてたんだ!?」
 まるで駅前の自転車の列のようにめてあったたくさんのモーターボートがみ砕かれて海水の底へ沈み、あるいは半透明の船体にぶつかって宙を舞った。上条はインデックスの頭をおそうボートの破片をこぶしたたき落としたが、直後にまるで鉄砲水のようにあふれ返った海水が彼の足元を思い切りすくった。お風呂ふろの湯船に子供が飛び込んだのと同じだ。上条は流される洗面器のように転ばされ、地面を滑る。
「痛っつ! 何だっつーんだよ!?」
 水浸しの地面に倒れたまま頭上を見上げれば、すでに三角形のマストの頂点は四〇メートルに届いている。しかも、なお船体は海中から海上へ飛び出し続けていた。
 おかしい、と上条は思った。実際に運河に引き落とされたから分かるが、底までの深さはせいぜい三メートル程度しかなかった。これだけ巨大な船を隠せるほどのスペースはないはずだ。
 ドパン!! とさらに船体が跳ねる。
 今までかろうじて船体の甲板は道路の高さに維持されていた。それが 気に真上へ突き上げられる。その拍子に、
「きゃ……ッ!!」
 オルソラが船の縁に引っかかる形で、そのまま地面から飛び出してきた船体へ持ち上げられた。それを見る間もなく、上条の体に下からの衝撃しようげきが加わる。まるでアッパーカットのように、淡くかがやく半透明の船体の縁が食い込んできた。
 ごう!! と風がうなりを上げる。
 一瞬いつしゆんだけ浮遊感を得たと思ったら、すでに足元に地面がなかった。ずるりと体が滑ったと思った途端に、上条かみじようの体が船体の手すり、、」と二〇メートルほど真上へ押し上げられた。そのまま船体の縁から落ちそうになる。
 この高さから墜落ついらくしたらひとたまりもない。
「っつ!!」
 上条は両手で慌てて手すりの代わりにもなっている縁をつかむ。
 ついさっきまで海中に沈んでいた船体の壁は、二〇メートル強のがけとなってそびえていた。
ざっと七階建てぐらいはある。周囲のアパートメントより視点は高くなっていた。その縁にぶら下がった上条が横を見。ると、同じように縁に引っかかっているオルソラと、前後に一〇〇メートル以上の長さにわたって船体の壁が続いているのが分かった。
「オルソラ! とにかく船に上がれ!!」
(そりゃあ、できればこんな得体えたいの知れないモノになんか乗りたくもねえけどな!!)
 上条は心の中で吐き捨てると、妙に滑る自に近い電球色の構成素材を掴んでどうにか船体の甲板へ乗り上げる。
 巨大な船だった。
 全長一〇〇メートル超、甲板から船底まで二〇メートル弱。甲板からマストの先まですべて半透明の素材で作られていて、白っぽい電球色に淡くかがやいている。上条たちがいるのは船の中央近くだったが、船の前後には階段状に、船室が階を重ねていた。ちょうど彼らの現在地はすり鉢の中心みたいな所だ。
 上に三階、下はおそらく五階から七階はある。上条の学生りよむつよりも大きな船なのだ。運河の両岸はべキベキと砕かれ、押し上げられた海水が細かく伸びる道の奥へ奥へと流れ込んでいる。
馬鹿ばかげてる……。そんなモンが突然運河から飛び出してくるなんて……」
 船体も半透明の奇妙な物質で作られていて、内部で月明かりでも乱反射させているのか白っぽい電球色に淡くぼんやりと輝いている。
(これ……ガラスや水晶だと思ってたけど、違う。むしろ氷に近いんじゃねえか)
 氷を利用した実用的な建造物と言えば、カナダのイヌイットの住居であるドーム状の『冬の家』が有名だが、こちらとは規模が全く違う。
 上条は試しに甲板へ指をわせてみる。確かに氷と似ているものの、皮膚ひふが張り付くような冷たさはない。まるでプラスチックのような生温なまぬるさだが……水は〇度で凍るもの、というのは一気圧下での常識でしかない。一定の条件を整えれば沸点や凝固点ぎようこてんを上下させる事ができるため、世の中には二〇度の氷や八〇度で沸騰ふつとうするお湯なども存在するのだ。
 やはり、魔術まじゆつで作られたものなのだろうか。
 氷という割に、足元はツルツルと滑ったりはしない。氷が滑るのは、溶けた水分の膜が摩擦まさつを減らすからという話を聞いた事がある。融点ゆうてんの変動した氷は人肌に触れても溶けないから、水分の膜ができないのかもしれない。魔術的まじゆつてきな物だとしても上条かみじようの右手で触れた程度ではこわれないようだが、ステイルの『魔女狩りの王イノケンテイウス』のように何か仕掛けがあるのだろうか。
 と、さらにもう一度、船体が大きく上へ跳ねた。下から衝撃しようげきおそい掛かる。モタモタしていたオルソラの片手が、船の縁から外れた。
「きゃあ!?」
つかまれ!!」
 とっさに甲板から手を伸ばした。もう片方の手がはなれる寸前でどうにか握りめる。所詮しよせんは女の子の体重に過ぎないが、不安定な姿勢で支えると感覚的に数倍の重量を感じる。上条は冷や汗をかきながらも、それでも何とかオルソラの体を甲板へ引きずり上げた。
 そのままの勢いで上条とオルソラは氷の上を転がる。
「とうま!! 大丈夫だいじようぶ、とうまってば!?」
 はるか絶壁の下からインデックスの心配そうな叫び声が聞こえてきた。
 しかし上条にはそれに答える余裕がない。
 ガゴン! と船が大きく震動しんどうしたと思ったら、今度は前から後ろへ慣性がかかった。ぐぐっ、と上におおかぶさっているオルソラの体が上条の胸板に食い込んでくる。
 上条は周囲を見回す。二人以外に人はいなかった。無言のままの巨大な氷の船は、しかし上条に一つの答えを突きつける。
(まさか、進んでる? 普通ここまで大きなサイズじゃ、運河に挟まって身動き取れなくなるだろ。こんなの砂浜に打ち上げられたクジラと同じじゃねえのかよ!?)
 おどろく上条の予想に反して、巨大帆船はんせんはスムーズに進んでいく。まるで氷の上を滑るカーリングの石のようだ……と思って、気づいた。この淡い光を放っている船体は融点の変動した氷で作られているとすれば、船底の方だけ一時的に水の膜を生んで摩擦まさつを減らしているのかもしれない。
「オルソラ、大丈夫か?」
「え、ええ……」
 上条の言葉にオルソラは不安げに答えてから、ふと自分が覆い被さっている事に気づいたらしい。いつものんびりしている彼女にしては珍しく、パパッと離れようとして―――そのままバランスを崩して真後ろへ転んだ。
 上条としても海水で肌に張り付くシャツに女の子のにおいがこびりつくのに少しドギマギしたが、今はそれどころではない。
 船体の縁、手すりの代わりにもなっている一段高い壁から手をついて下を耀く。灯台の上から身を乗り出すような高度に上条はゾッとする。氷の帆船は相変わらず運河を強引に押し広げ、めてあったボートを次々と食いつぶしながら水路の流れに従ってひたすら直進していた。
「一体、何がどうなってんだよ!」
 嘆くが、それでも目の前の状況は何も変わらない。
 さらに目をらし、彼は少しでも抜け道となるヒントを得ようとする。
「ここから下まで、高さは二〇メートル以上……。下は水面っつっても、飛び込んだら骨が折れるかもな。いや、船体が運河の幅より大きいって事は、あの川底は本当は石畳か? くそ、下が水面に見えるのは船が海水を道路に押し上げてるせいか!」
 海水は玄関下部の隙間すきまなどから建物の中にまで入り込んだらしい。あちこちの屋内でバタバタと慌てたような物音が聞こえ―――その『原因』をの当たりにして唖然あぜんと動きを止める。
「ッ!? ちょっとお待ちください!!」
 と、オルソラが不意に手すりに身を乗り上げた。
 そのまま目を見開いて、前方へ視線を投げる。
「なんて事でございましよう……」
「な、何だよオルソラ?」
「この船は運河を強引に進んで、キオッジア中心部を北上してアドリア海へ抜けようとしているようでございますけど」
 それがどうしたんだろう、と上条かみじようが疑問に思う前に、
「伏せてください。この先には運河をまたぐヴィーゴ橋がございます! この船は強引に石橋を砕いて外へ出るつもりでございますよ!!」
うそだろ!?」
 上条が慌てて手すりから身を乗り出しているオルソラの背中を鷹んだ直後、

 ゴガァ!! という重たい震動しんどう炸裂さくれつした。
 一いちげきで橋が破壊はかいされたのだ。

「げうっ!?」
 掴んでいたはずのオルソラの衣服から上条の手がはなれる。受けた衝撃しようげきに、彼はほとんど呼吸困難に近い状態となって甲板の上を転がる。
(が……ぁ! オル、ソラは……ッ!?)
 甲板に手をやってふらふらと起き上がると、幸いオルソラは船の内側へ吹き飛ばされたらしく、上条と同じように床に倒れていた。正直、ホッと胸をで下ろす。外側に向かっていたら二〇メートル下まで落ちていた。
(くそ……)
 上条は途方もない状況を前に、それでも何とか頭を動かして、
(変な連中に突然おそわれるわ、氷でできた妙な船に乗せられるわ、インデックスとは離れ離れになっちまうわ……。どうなってんだ、本当に)
 オルソラは手すりの代わりにもなっている船体の縁の向こうを眺め、ぼんやりとつぶやいた。
「陸から……はなれていくようでございますね」
「ああ。一体どこに向かう気なんだ、この船は」
 ゲホゲホと呼吸を整えつつ、上条かみじようは小さくなっていく陸地を眺める。
 しかしその静寂も長くは続かない。
 今度は遠く―――と言っても同じ船の内部から、バタバタと複数の足音が聞こえてきた。
捜せCerca奴らはこの中に乗っているはずだLoro devono essere a bordo!」
 太い男の怒声に上条はギョッとした。
 言葉の意味は分からなかったが、そこに込められた敵意だけは汲み取れた。
 オルソラが声の大きさを抑えて、
「どうしましょう。私たちの事を捜しているようでございます……」
「分かってる! 飛び込んで逃げるのは……駄目だめか。こう暗いと東西南北が分かんねえし」
 ゾッとするほど周囲の海には何もない。もうそんなに進んだのか、と上条はむしろあきれてしまった。沖へ向かうにつれて、船の高さが下がっていく気がする。今まで船が運河の底に乗り上げていたのに対し、きちんと海に浮かんでいる状態に移行しつつあるのだ。基本的に船は高さの半分ぐらいは水の中に沈むように作られている。となると、実質的な海面までの距離きよりは一〇メートルか。
 しかしそれ以前に、波のある海で衣服を着たまま遠泳するには特殊な技術が必要だ。無理に挑戦しても、十中八九陸地に着く前に沈んでしまう。
 見た所、この氷の船は古い軍艦ぐんかんを模しているらしー、側面の壁には半透明の大砲が何十門も飛び出していた。酸素ボンベやシュノーケルがなければ海面に顔を出して泳ぐ事になる。船の上から見れば、不自然に波の立っている場所などすぐに判明してしまうだろう。もしもあの砲台から本当に弾が出るとしたら、水面にいるのを見つかった時点で即死する。
 どんどん小さくなっていく陸地を眺めながらも、上条達は船から下りる事ができなかった。
「くそ……ッ!!」
 船のあちこちからガツガツという足音が近づいてくる。
 対してこちらには安全な逃げ場はどこにもない。
 船の光源自体はそれほど強くはない。
 氷の表面がうっすらと光っている程度で、中空には暗がりがわだかまっている。
 しかし淡いとはいえ、床も壁もすぺてから光が出ているのだ。上条やオルソラの姿はシルエットとして明確に浮かび上がってしまう。やみに紛れるのは難しいだろう。
不幸中の幸いか、全長一〇〇メートル強もの大きな船は、大きいゆえに様々な遮蔽物しやへいぶつや船室がめるようだ。
「オルソラ、船の中に行くそ。このままここにいても間違いなく見つかっちまう。とにかく一度隠れてチャンスをうかがおう」
「は、はい! 分かったのでございますよ」
 上条かみじようはオルソラの手をつかんで、身をかがめたまま氷の船の上を走る。
 楽しく始まったはずのイタリア旅行は、思わぬ形で別の側面を見せ始めていた。

   行間 二

 時間は数週間ほどさかのぼる。

 道路のわずかな起伏を敏感に受け取り、馬車の車輪がゴトゴトと小さな振動を生む。ゆったりとした速度で進む馬車は、しかしそのわずかに鋭角的な印象を与える揺れによって、眠気をさそうまでの安らぎは与えなかった。
 アニェーゼ=サンクティスはそんな馬車の荷台に腰掛けていた。布を骨組みで整えたほろではなく、オーク材を使った本格的な車室を作っている。
 彼女のとしは十代前半から中盤に届くぐらいか。同世代の少女よりもやや背は低いだろう。色の白い肌に、レモンティーのような色のひとみ。茶色から金髪へ移りつつある、いわゆる赤毛の髪は鉛筆ぐらいの太さの三つ編みを何本も作っていた。
 服装は漆黒しつこくの修道服に、足には高さ三〇センチもの厚底サンダルをいている。機能性の高い生地で作られた衣服だが、不自然なぐらい綺麗きれいだった。普通は洗濯せんたくなどで少しずついたんでいくものだが、それすらない。そこだけが、浮いていると言えば浮いているか。
 小さな修道女は窓の外を見る。
 四角い窓はトレイほどの大きさもない。そしてフェンスのように交差する角材が窓のすぐ外に組んであった。窓は閉じたままだったが、それでもうっすらとした潮のにおいが鼻についた。
ガラスを挟んだ先にあるのは、世界的観光地の恩恵を受けている衛星都市の光景だった。スーツケースを引きずる親子連れや、店の前で彼らに話しかける喫茶店の店員などが見える。
「こっちの地方は初めてかい?」
 馬車の前方―――それを操っている御者の席から声が聞こえた。と言っても、オーク材の壁にさえぎられているため、アニェーゼからでは見えないが。
 やや太い中年男性の声は特徴的で、イタリア語の中にフランス的な単語が混ざっている。ミラノ出身か、とアニェーゼは適当に考えた。
「ええ。あまり縁はないですね。北と言っても私はミラノの方なので」
 日本語は覚え方の問題からかやや粗暴な彼女だが、イタリア語は丁密ていねい丁なものだ。
 同じイントネーションで言葉を返すと、御者の雰囲気ふんいきから一気に角が取れた。
「いいね。おれもどっちかっていうと、内陸側の方が好きだ。なんつーか、あっちって空気がパキッと整ってる感じでさ、身が引きまるんだ。ま、こっちもこっちで見所はたくさんあるけどね。こんな職ではあるんだけど、あちこちを見て回れるのは魅力的みりよくてきなんだよな。本当に職場がイタリアで良かったよ、どこも特徴的でさ。ほかの国なら景色に飽きてる」
 その言葉に、アニェーゼはうっすらと笑う。
 彼女は窓の外を眺めながら、
「国の外にも、良い場所はたくさんありますよ」
「本当に?」
「ええ。ミーハーですけどね、世界遺産って言葉があるでしょ。実際に行ってみると、ああ、確かに選ばれるだけの価値はあるなって分かるんですよ。フォンテーヌブローの庭園はルネッサンスの生んだ水と緑と平面の芸術ですし、ケルン大聖堂は青空に向かって鋭角に刺さる建築の集大成です。東洋は、美醜びしゆうの前に不思議って感じが先立ちましたけどね」
 そんなもんかな、と御者は興味なさそうに答えた。
 馬車はゆっくりと進む。速度が遅いのは御者の操作の他にも、引いているのが馬ではなく実は臆馬ろばである事もあるだろう。文字通り、馬力がないのだ。
「世界中を飛び回っていた人の言葉はやっぱり違うなあ」
「いえ、私もどちらかというと、ほぼ欧州に集中していたという感じでしたけど」
「おれはほとんどどころか、出た事はないなあ。ほら、仕事が仕事だから。馬車で移動できる範囲でしか回れない訳で」
「外周の場合は飛行機を使うんですか」
「らしいね。でも確実性を考えるとやっぱり陸路かなあと思うよ。科学側あつちかかわると逃亡防止の術式を組めなくなるって話だし。……おっと、今の君にはつらい話か。悪かったな」
「いえいえ。でも、確かに飛行機は窮屈きゆうくつな感じがしましたね」
「そうかい、やっぱりなぁ。飛行機って、無理を通して強引に飛んでるって感じがするからなあ。だって、穴が空いたら気圧差で空中分解するっていうんだぜ。高空特有のルールなんだろうけど怖いよな。気球ぐらいならのんびり乗ってみたいって思うんだが」
「ちなみに気球も飛行機の一種ですよ」
「あ、そうなの? まぁどっちにしても科学側あつちの分野だから、この先もおれには縁がないかな。っと、着いた着いた」
 慣性の力がかかり、ぐぐっとアニェーゼの体がわずかに傾く。縢馬の引く馬車がまったようだ。彼女は窓から目をはなし、代わりに後方の両開きの扉を見た。
 まだ閉じたままの出口を眺め、彼女はポツリと告げる。
「行き先はやっぱり……『アドリア海の女王』に、『女王艦隊かんたい』ですか」
 それが合言葉のように、扉のかぎが外された。

   

chap4

第三章 水の都の船の上で Il_Mare_e_la_Sconfitta.

     1

 外も氷なら、中も氷だった。
 通路や壁、天井てんじようなどが半透明の氷で作られている。ドア板、ノブから蝶番ちようつがいのネジ一本に至るまで、その全部が同じ素材だった。中には本当に機能しているのか怪しいものまである。徹底てつていされた氷の船内は、やはり外側と同じく壁や床が白っぽい電球色に淡くかがやいていた。月明かりでも取り込んで、乱反射させているのだろうか?
 照明は蛍光灯のように強くなく、壁や天井といった全体の輪郭はハッキリと浮かぶくせに空間そのものは薄暗うすぐらかった。スクリーンに弱い光を当てた映画館に近いかもしれない。
 上条かみじようとオルソラは、甲板から船内につながるハッチを開けた後、一番近くにあった部屋に駆け込んだ。実際に見張りが邪魔じやまをしていた訳ではないし、そもそも発見されていたらその時点でおしまいだ。しかしだれもいなくても、何か見えない重圧のようなものが通路の奥から吹いている気がした。一刻も早く安全な場所に隠れたいという心理もあったのだろう。
 二人が部屋の中に入り、ドアを閉めて内側に張り付いた途端、外のハッチが開閉する音が聞こえた。バタバタという複数の足音と共に、聞き取れない言葉で怒鳴り合う声が耳に入る。男のものだという事ぐらいしか分からない。言葉が通じないからこそ、その声から戦況が読めない。それが余計に心をあぶる。
「くそ、何がどうなってんだ?」
 上条当麻とうまはポツリとつぶやいた。
 せっかくイタリア旅行のチケットを当ててここまでやってきたのに、変な連中にはおそわれるわ馬鹿ばかデカイ船に乗せられるわと散々だ。
 オルソラと一緒いつしよに隠れた場所は、砲台を扱う部屋らしい。船体の壁から飛び出すようにズラリと並んでいたアレだ。どうやら一つ一つが小さな部屋に区切ってあるようだった。
 こちらからは砲台の底部が見える。砲の手前にはいくつかの椅子いすがあり、壁際かべぎわには棚が、部屋の隅には大きなたるが置かれている。そのすべてが半透明の、白っぽい氷でできていたが―――逆に言えば、それしかない。本来樽の中に人っているだろう砲台用の火薬も、バレーボールのような砲弾もない。あくまでも砲台はイミテーションなのか、それとも物理法則を無視した魔術まじゆつ砲台なのか、上条には判断がつかなかった。
 内壁から調度品まで、船内は全てが淡い光を放っている。質感が均一であるため、全体的につるりとしたなめらかな印象を与えてくる。どこを見ても光はあるくせに文字を読むのには苦労しそうな、不思議な空間だった。
「この船も気になりますけど、どうしてこんな大それたものを使ってまで私をおそってきたのでございましょう……?」
 オルソラは不安そうに言った。それはまぁそうだろう。自分の命がねらわれているのだ。理由が分からない事には対策の立てようがない。
 上条かみじようは突然運河の中から短いやりを持って現れた男の事を思い出して、
「襲ってきた馬鹿ばかって……オルソラの修道服を男物に変えたって感じの格好だったよな」
「ええ。確かに男子修道者の装束でございました。となると、あの方はローマ正教の手の者ととらえるのが妥当でございましょうか?」
「って事はやっぱり『法の書』事件がらみなのか? それ以外にトラブルの種は思いつかないし」
「ですが、あの一件は私がイギリス清教へ移った事で決着したはずでございますけど……。今の状態で私をやみほうむれば、不利になるのはローマ正教の皆様のはず。……わざわざ氷の軍艦ぐんかんなどを用意してキオッジアの運河を破壊はかいし、ヴィーゴ橋を崩してまで実行する事でございましょうか」
「ってか、派手だよなぁ……」
 上条は頭を抱えた。
 学園都市や日本の中での魔術的まじゅつてきさわぎは、魔術師の方も表に出ないように工夫していた気がする。しかし、今回の氷の軍艦にはそれがなかった。堂々と現れ、堂々と破壊し、堂々と去る。今頃いまごろキオッジアはパニックになっていないだろうか? もっとも確かに、氷の巨大帆船はんせんが狭い運河から飛び出して街をこわしていった、などと言ってもだれも信じないだろうし、信じた所で魔術師の存在が明るみに出る事はないのだろうが……。
「この船、どこに向かってんだろう?」
「キオッジアから北土しているという事は、熔そらくヴェネツィア方面でございましょうか。南下しない限り地中海には出られませんけど……。あっ、そちらに窓があるのでございますよ」
 オルソラが指差したのは、室内から砲の照準を合わせるためののぞき窓だ。だが、そちらに目をやっても見えるのは暗い海面だけだ。水平線まで平べったい海が続いていて、その先は同じく暗い空。現在地を示す手がかりは何一つない。
 と。
 ドパァ!! と海面が爆発した。水を割る轟音ごうおんと共にシャチのように飛び出したのは、上条たちが乗っているのと同じ規模の氷の帆船だった。そうしている間にも五隻、一〇隻と次々に海面を砕いて半透明の軍艦が現れる。こちらからでは一方向しか見えないが、カそらく四方で同じ事が起きているだろう。
 水平線まで何もなかったアドリア海が、無数の船で埋まっていく。


 暗い色彩でしかなかった海面が、白っぽい電球色の淡い光に染まっていく。この船の光そのものは強くもないが、数が集まってしまえば話は別だ。
「……この船は敵の本拠地ではなく、その一部に過ぎなかった、という事でございますか」
「元々本隊がこっちにあったのか、キオッジアじゃ狭すぎて展開できなかっただけなのか」
 上条かみじよう歯噛はがみした。
 この一隻だけでも手に余るのに、さらに規模が増した。ますます逃げ場がなくなった感じだ。もはや海上での途中下船はあきらめて、どこかの港に着くまで隠れていた方が良いのだろうか。
「ったく、インデックスの方は大丈夫だいじようぶなんだろうな。携帯電話は……駄目だめか。流石さすがは学園都市製、海水に落ちても大丈夫だったってのは素直にめたいんだけど……。アイツの〇円携帯電話は飛行機に乗る前に電源を切ったままか。っつか、そもそも海の上って電波届くのか?」
「はぁ。私の手荷物は完壁かんぺきに流されたと思うのでございますよ。かばんが開いて中身を道にばらかれた状態のまま、この船が運河の水を押し上げてしまいましたので……」
 女性として色々な物を鞄に詰め込んでいたのか、オルソラはちょっぴり気恥ずかしげに言った。上条は少しあきれたような、それでいて感心したような声で、
「……この問題が終わった後の事も考えているお前は本当にたくましいよな」
「あら。イカスミはキオッジアではなくヴェネツィア名物でございますけどね」
 またもや人の話を聞かずにおかしな方向に話題を振り回したオルソラに上条は本格的に脱力しかけたが、それも長くは続かなかった。

 がちゃり、と。
 突然船室のドアノブが回ったからだ。

「!?」
 ドアの間近にいた上条とオルソラはギョッとした。
 二人はとっさにドアの方へ振り返る。
 ノブの音は一つではない。
 がちゃちゃちゃちゃちゃちゃ!! と数十もの音が一気に重なった。この階層、もしくは船内すべてのドアが自動で開いたのか、右から近づいてきた音の大群が左の方へと駆け抜けていく。
 部屋の中に隠れるスペースはない。
 そしてドアの外―――融点ゆうてんの変動した氷で作られた通路には、早足で部屋を見て回ろうとしていた人物が、ちょうど上条の前で動きを止めていた。
 甲板で聞いたような、野太い声を出しそうな人間ではない。
 開いたドアの先にいたのは、一人のシスターだった。特徴的なのは鉛筆ぐらいの太さの三つ編みをたくさん作った赤毛の髪か。どこか悪戯いなずら好きな子供を思わせる目つきの、インデックスよりも背の低い少女。オルソラと同じ黒い修道服を着ているが、ドレスのように肌が大きく露出ろしゆつしている。極めつけに、足元の三〇センチもの厚底サンダルを見て、
「アニェーゼ!?」
 上条かみじようは思わず叫んでいた。
 アニェーゼ=サンクティス。
 ローマ正教の一部隊を率いていた戦闘せんとうシスターで、かつて『法の書』を巡る事件でオルソラロアクィナスを暗殺しようとした修道女だ。
(おいおい、冗談じゃねえぞ! 何でこんなトコに乗ってんだよ? オルソラがおそわれた事といい、コイツもかかわってんのか!!)
 あまりにも不意打ち過ぎて、上条は次の言葉が出ない。
「―――、」
 彼女の方も、まさかすぐそこのドアの向こうに上条たちがいるとは思っていなかったのだろう。自分のすぐ近くに立っている少年の顔を、わずかに目を見開かせて凝視ぎようしすると、
 ドバン!! と。
 迷わず、真横から上条のほおに握ったこぶしたたきつけた。
「が……ッ!?」
 上条の視界が揺らぐ。オルソラの小さな悲鳴が聞こえた。痛みそのものより、いきなりの事に反応できず彼は眩暈めまいに似た状態におちいる。その間にアニェーゼはさらに一歩み出し、腰を回すように腕を振るう。顔に防御を集中させようとした上条の意識の隙間すきまをすり抜けるように、彼女の小さな拳は少年の脇腹わきばらへ、下から上へと斜めに突き上げるように食い込んだ。
 ズドン!! という、革のかばん金槌かなづちたたいたような鈍い音が鳴る。
 メシミシという嫌な残響ざんきようが上条の体内できしむ。くの字に折れ曲がった上条の背中に、アニェーゼは上から拳を振り下ろす。何もできずに氷の床に伏した上条から距離きよりを取るように彼女は一歩横へれると、今度はオルソラの方へ目を向けた。
「ちょっ、少々待ってほしいのでございますよ……ッ!?」
 オルソラが慌てたように両手を前に広げた。アニェーゼはわずかにまゆをひそめたが、両手の拳を開く事はない。と、そんな警戒を続ける彼女の耳に、
「……ずみまぜんんごべんなざいいや実を言うと少しドキッとしましただってほらお前の修道服って背中が大きく開いているしおしりの方までちょっと見えそうだしおなかの方だって後ろから両手で抱きついたみたいな形で切り込みが人ってて肌色がいっぱいで……」
 床の上で相変わらずくの字な少年の、念仏みたいな声が届いてきた。
 アニェーゼは狭い部屋の中で、上条とオルソラから等距離を保つ位置に移動すると、
「ッ!! そこ!!」
 声をあららげ、ダン! と彼女は厚底サンダルの底で上条のふくらはぎを踏みつけた。そのままズボンのすそを足で引き上げる。
貴方あなたは! やはり武器を隠し持って、この『アドリア海の女王』の中に……ッ!!」
 アニェーゼの警戒した声は、言い終える前に途切れる。
 ふくらはぎにバンドで固定されていたのは、海外に不慣れですと宣言しているような、予備のお財布だったからだ。
「……、」
 予測が外れた気まずさより、むしろ相手の意図が読めない警戒感からアニェーゼはだまり、さらにジリジリと上条かみじようやオルソラとの間合いを計り直す。
 アニェーゼのガードは解けないが、逆に一定の膠着こうちやくは『手を出さずに会話を行える』状態とも言える。オルソラは軽く息を吐くと、彼女にしてはやや口数多く、
「はぁ。お引っ越しの準備が終わったと思ったらいきなりローマ正教の方々におそわれて、後は成り行き任せで船に乗る事になったのですけど。『アドリア海の女王』……というのは、この氷の艦隊かんたいの名称でございましょうか?」
 オルソラがキョトンとした顔でつぶやくと、アニェーゼはようやく肩の力を抜いた。まだ油断は見せない視線の動きで床の上条を見る。
「彼女のあれは……相変わらず、性格的な問題なんですか?」
 ややうんざりした声に、しかし人の話を聞いていない上条は倒れたまま、
「―――なのであってごめんアニェーゼ謝っている最中に告白するけど実は初めて会った時からぴったりしたミニスカ修道服ってすごくエロく見えると思ぐおっ!?」
 三〇センチの厚底を脇腹わきばらに食い込まされて上条が跳ね起きた。アニェーゼがもう一度全く同じ質問をすると、上条は上半身だけ起こして、グホゲホとき込みつつ、
「いや……え、なに、何で怒ってんの? オルソラまた変な事言ったのか。アドリア海の女王? 何だっけ、どっかで聞いた事がある気がするけど」
「まぁ。私はちゃんと人の話を聞いているのでございますよ?」
 それはいつの台詞せりふに対する返事なのか不明なので、二人ともオルソラには取り合わない。アニェーゼは、今度こそうっかり警戒を解いてしまったという感じで脱力すると、
「……艦隊名は『女王艦隊』です。この船はその護衛艦の一隻。どうやら、本当に何も知らねえみたいですね。駆け引きが下手というか、顔に全部出ているので丸分かりです。それが演技なら素直に感心しますが」
「こんなトコでお前は一体何やってんだ……」
「貴方にだけは言われる筋合いはねえんですがね。こっちは侵人者捜索の手伝いですよ」
 アニェーゼが続けてとんでもない事を言った。
「ですけど、まぁ、侵人者が貴方たちだったとはね。これは少し利用できそうです。私が一人で行くと厄介な閾題が解決できねえと思って難儀なんぎしていましたが、貴方達を使えるなら話は早いです」
 ちょっと待った、と上条かみじようは思わず口に出す。
 厄介、問題、難儀なんぎ、使える、話は早い―――どれもこれも不穏ふおんな言葉ばかりだ。
「なんか嫌な予感がするぞ。オルソラが難われたり変な船に乗せられたりって、鷹選だって巻き込まれたばかりなんだ。お前がここで何してんのか知らないけど―――」
「グダグダ言ってるようなら大声出しちまいますよ。ここから逃げたいなら私の機嫌は損ねない方が良いと思いますけどね。この「女王艦隊かんたい』からの脱出方法を知りてえなら」
 上条とオルソラは、ギョッとした顔でアニェーゼを見た。
 アニェーゼは大して気にせず、
「ま、嫌なら良いですけど、こっちは素直に人を呼びますから後はご自由に。勝手に海にでも飛び込んで陸まで泳いでみたらどうです? 何キロあるか知りませんし、海面でバチャバチャ音を立てれば即座に砲をぶち込まれると思いますけど」
 改めて言われると上条には反論のしようがない。
 そう、ここは海の上であって、普通に考えれば逃げ場はないのだ。素で泳ぐのはもちろん、救命ボートのようなものを奪っても、やはり簡単に沈められるだろう。
 上条がそう考えている内に、オルソラが言った。
「……それを私達に教える事で、あなたに何のメリットがございましょう?」「報酬ほうしゆう、と。そう受け取ってもらえりゃ結構です」
 アニェーゼはきっぱりと答えた。
 ただでさえ困惑している状況で、さらにややこしくなってきた気がする。アニェーゼは野太い声の男達と同じ捜索隊のはずだが、彼らとは別の目的でもあるのか。オルソラはため息をつくと、上条の方を改めて見た。
「ひとまず、従うしかないのでございますよ。どの道、ここで協力しなくては脱出方法は分からないと思いますし、何よりアニェーゼさんを怒らせると、よその方々までこちらへやってくるのでございますよ」
「へぇ。分かってんじゃないですか」
 好戦的なアニェーゼの笑みに、上条は舌打ちした。
 状況がどんどん混迷していくと感じながらも、彼はほとんど投げやりに尋ねる。
「あんまり気乗りはしねえけど、話を聞こうか」

     2

「そもそも『女王艦隊』ってのは一体何なんだ?」
 狭い砲室の中で上条は最初にそう質問した。
「ま、アドリア海の監視のために作られた艦隊かんたいなんですけどね」
 アニェーゼはようやく緊張きんちようが解けてきたのか、必要以上にはこちらへ近寄らないものの、手足の先から少しずつ力は抜けてきている。
「星空や風、海面などからデータを採取して、それらからアドリア海のどこでどれぐらいの魔力まりよくが使われているかを調べんのが目的です。陸地と違って海ってのは見張りを立たせられませんからね。洋上で妙な魔術まじゆつ実験をされても困りますし」
「……、アドリア海の監視」
 オルソラは、やや怪諺けげんそうな顔で氷の部屋を見回し、
「これほど巨大な施設を作る必要があるのでございましょうか?」
「今ならもっとコンパクトにできたかもしんないですけど、ええと、『女王艦隊』が作られたのは数百年前……それこそ常に監視し続けなくちゃなんないほどアドリア海の治安が危ぶまれてた時代の事ですから」
 退屈そうな声でアニェーゼは告げた。
「それに、他宗派への牽制けんせいっつー意味合いもあんでしょうね。近頃ちかごろは魔術サイドの組織図にも揺らぎが出てきてますし、ソイツを整えるためにもデカいぞベントが欲しかったんでしょ」
 となるとイギリス清教やロシア成教は、この『アドリア海の女王』の動きを知っていたはずだ。そうでなければ『見せびらかす』目的が果たされないのだから。
 上条がそれを言うと、
「はぁ。どーせトップの連中は知っててだまってたんでしょ。牽制ごっこなんていちいち波風立てるようなモンでもないし、下手に部下の連中が先走っちまって過剰反応示したら、それこそデカい問題になんでしょうが。ほら、ちょうど今みてえに」
「……、ちょっと待った。まだ状況が読めないそ。俺達おれたちは別に『アドリア海の女王』なんて知らなかったし、こんなヤバい状況だって分かってたらみすみす……」
「相手がそっちの事情なんて考えると思ってんですか。つまりですね―――」
 アニェーゼの言葉が途中で切れた。
 ドアの向こうからバタバタという足音が聞こえる。アニェーゼは氷のドア板に耳を当て、音が静まるのを待った。この船には一体どれぐらいの人数が乗っているんだろう? 上条かみじよう達をおそった修道服の男や、氷の甲板で指示を出していた野太い声の男などは、アニェーゼ部隊の人間とは思えない。
「でも、私がローマ正教にいた頃には話を聞いた事もございませんでしたけど」
「私もここへ来るまでは知りませんでした。ローマ正教ってな二〇億もの信徒を抱えてますからね、部署の数もヶタが違うんでしょ。私達が知ってるトコなんて、自分が普段ふだん利用してる場所か、すっごく有名でお偉いトップぐらいのモンだと思いますがね」
「……言われてみれば、確かに部隊の全体数すら分かりませんが」
 アニェーゼに言われて、オルソラは改めて部署や組織の事を思い返しているようだ。
 しかし、
「なぁ。本当に監視のためだけの施設なのか、この艦隊かんたい
 上条かみじよう怪認けげんそうな顔でアニェーゼに尋ねた。
「現に俺達おれたちはこの船の乗組員っぽい野郎にいきなりおそわれるわ、運河ぶっこわして馬鹿ばかデカい船は現れるわ、気がつけば大艦隊のど真ん中だぜ。っつか、何で俺達がこんな目にわなくちゃならないんだ」
「ふん」
 何故なぜかアニェーゼは鼻を鳴らして、
「一応もう一度確認しますけど、貴方あなた達は『アドリア海の女王』とは無関係なんですよね」
「ですから、お引っ越しの途中だったのでございますよ。そういえば、天草式あまくさしきの皆様は大丈夫だいじようぶでございましょうか」
 オルソラがやや心配そうに言うと、アニェーゼは疲れたように息を吐いた。
「文字通り監視に引っかかったんじゃないですか。貴方達は過去にローマ正教のプロジェクトを破壊はかいした人物なんですから、ブラックリストに載ってて当然ですし。しかも片方は遠路はるばる日本から、もう片方は天草式って戦闘せんとう集団を引き連れてロンドンからやって来てんです。
『法の書』を巡って争った連中がそろみってな状況で、『また何かやらかすんじゃ……』と思われた所で何の不思議があんですか」
 そんなモンか、と上条は首をひねる。
 正直、魔術まじゆつサイドの『普段ふだんの対応』というのがどういうものかが想像つかない。
 と、アニェーゼはそこでニヤリと笑って、
「ま、でも『監視だけの施設』ってトコに引っ掛かりを覚えたのは鋭いですけどね」
「あん?」
 上条が不審な声を出すと、アニェーゼは続けて言う。
「『監視だけの施設』ってのは建前ですね」
「どういう事でございましょうか」
「本当の理由ってのは、あれです。ここは一種の労働施設なんですよ」アニェーゼの笑みに、暗い色がよぎる。「私みてえな罪人、失敗者などを集め、ローマ正教が受けた損失分を支払うための、ね。だから船にいるのは私の部隊……いえ、元部隊のシスター達がほとんどです。残りは労働者を束ねる職制者とかですか」
 となると、アニェーゼもここで働いているという事なのだろうか。侵人者の捜索も仕事の一環だったのかもしれない。しかし、突然襲ってきた連中といい存在が隠されている事といい、妙に不穏ふおんな空気が漂っている気がする。
 具体的に何やってんだ? と上条が尋ねると、
「作業内容自体は単純なんですけどね。何分なにぶん、労働時閲が多くて。平均で一日一八時問ぐらい働かされてます。環境に慣れないシスターにとっては地獄に見えるみたいですよ」
 ギョッとした。
(それって、似たような刑罰があったような……)
 徒労系、と呼ばれる今は禁じられた刑罰がある。
 とにかく単純で無駄むだな作業を延々と続けさせる事で人間の精神をり減らすというものだ。作業は意味がなければないほど心にひびく。『ここまでやっても何の役にも立たない』という感覚は、マラソンでようやくゴールだと思った所でタイムを計り直すと言われた時と同じ苦痛を何度も何度も与えるような感じだろうか。
「で、こっからが本題です。ここで貴方達あなたたちを見逃す代わりとして……シスター・ルチアとアンジェレネ。私の部下の名前ですが、とりあえずこの二名をここから助けうってなトコです」
 ルチア、アンジエレネ。
 一瞬いつしゆんピンと来なかったが、よくよく思い直してみると、『法の書』とオルソラを巡って戦ったあの一件で顔を合わせたシスター達の事だ。確か、パラレルスウィーツパークで思い切りどつかれた気がする。
「でも、助けるというのはどういう事でございましょう」
「はぁ……。それについちゃ因果応報なんですけどね」アニェーゼはあきれたようなため息をついて、「あの二人、この『女王艦隊かんたい』から脱獄しちまったんです。私やほかのシスター達を解放するとかってつもりらしいですが。私から言えるのはご苦労様ってだけですけどね。彼女達はとりあえず外に逃げて、準備を整えてから私達を助け出そうとしてたみたいですが」
 アニェーゼの答えは退屈そうというか、冷めていた。
「方法は、何でしたっけ。確か『女王艦隊』の索敵の特性の裏をかいた術式だったと思いますけど……まぁ、実際に脱獄には成功してんです。その辺りの信頼性しんらいせいは高いでしょう」
 脱獄したヤツを助け出して欲しいというのはどういう事だろう、と上条は質問しかけたが口を開く前に答えを思いついた。
 一度逃げ。た後に、再び捕まって連れ戻されたのだ。
「で、その二人は連れ戻されて、お説教の最中だってのか?」
「お説教っつーか」アニェーゼは退屈そうな声で、「……ここは牢獄ろうごくなんで。私も含めて、ここにいる修道女は全員ローマ正教の囚人ですよ。最優先すべきは『脱獄の穴をふさぐ事』なんですよ。だから、脱獄術式の防止が先でしょうね。っつっても、ここは処刑場じゃないんで、いきなり口封じで殺されるってな事はないです。せいぜい、二度とその術式を使えなくなるように加工される程度でしょう」
「加工だって?」
 上条が何気なく聞いたが、アニェーゼはわずかにだまった。代わりに、オルソラが珍しく嫌そうにまゆをひそめて、確認を取るように告げる。
「……魔術まじゆつの使用を禁ずるという事は、思考力そのものを奪うという事で一、〕ざいますか。つまり、脳の構造を砕くと?」
 その言葉に、上条かみじようは氷の床に座ったままギョッとした。具体的な方法を述べられた訳ではないが、逆にそれが嫌な想像力を働かせてくる。
 アニェーゼもため息をついて、
「ヴェータラ術式の死体じゃあるまいし、頭の足りない労働力なんざ見ているだけでみじめです。ですから、そうなる前に彼女たちを助けて欲しい、というのがこちらの願いです」面倒臭そうに頭を樹きつつ、「……当面はこの二人、ですね。鵬のシスター達は最低限の衣食住は保障されてますし、下手に反抗する気力も残ってねえでしょうから。シスター・ルチア、アンジェレネ。彼女達の脳がぶっこわされる前に回収すりゃあ、脱獄術式も手に入るでしょ」
「ですけど、その脱獄術式はすでにローマ正教側にもバレているのでございましょう?」
「『女王艦隊かんたい』では、これから大仕事があります。詳しい事は上の人間にしか分かりやしませんがね。そちらに人員をく以上、一人二人の脱獄など気にしていられないのですよ。些事さじに目を奪われて大事を逃すほどローマ正教は馬鹿ばかでもありませんので」
 アニェーゼはわずかに気を引きめて、
「だから、逃げるなら今しかねえでしょう。貴方あなた達が動いてくれるなら話は早い。私は陽動のため、『女王艦隊』の旗艦の方へ行っちまいますが、その間に何とかしてください」
 旗艦へ行く、という事は、この護衛艦から旗艦へ渡る方法でもあるのか。魔術の施設なんだし、得体えたいの知れないワープ装置でもあるのかもしれない。
「……お前が助けてくれるってのか?」
「助けるのではなく利用するんですが。嫌なら旗艦へは行きません。代わりに通報します」
 アニェーゼは意地悪そうに唇を曲げて笑ったが、それに対してオルソラは『まぁ』と一言つぶやくと、にっこりと微笑ほほえんで、
「まぁまぁ。そんな事を言って、照れ隠しなどしなくてもよろしいのに。協力する気がないなら話を持ちかける事もございませんしねー」
「むがっ!? ちょ、何で抱き着いてくんですか!?」
 アニェーゼは善意たっぷりのオルソラに両手で抱かれて大きな胸に顔をうずめてしまったので、上条は瞬間的しゆんかんてきに首を回して視界から外した。グキリと嫌な音が聞こえる。
 今はそれよりも、
「その間にって……お前も捕まってんだろ? だったら一緒いつしよに逃げようぜ」
 上条は床の上からアニェーゼを見上げて言った。
 対して、彼女はオルソラの拘束から逃れると、
「私は象徴的役割なので」
「あの、ものすごく曖昧あいまいな言葉で良く分からないんだけど」
「もう一度簡単に説明すると、この艦隊かんたいに乗っている大部分は捕まった私の部隊の人問です。
それを管理する側が恐れているのは、労働者の反乱です。言っちまえば、私はそれを防ぐ精神的な安全装置みてえなモンなんです。例えると、何でしょうね。牢名主ろうなぬしみてえに、すべての囚人を束ねるボスってトコですか」
 皮肉げに彼女はうすく笑ってから、
「元アニェーゼ部隊の中で一番影響力えいきようりよくのある私が「女王艦隊』には絶対反抗しないと従っちまう事で、その下にいるメンバーも『あの人で駄目だめなら私たちでも駄目だ』と思わせる。……ま、実際にはほぼ錯覚さつかくなんですけどね」
 アニェーゼは薄い息を吐いた。
 彼女がグループ単位でなく一人で動いていたのにも、それが許されるだけの権限があったから、という事らしい。どうもアニェーゼは捜索がてらにルチア達の様子も見に来たようだが。
「私はとらわれているものの艦隊の中を自由に歩く権限もありますし、労働も免除されています。
一日三食のメニューと、食後にカッフェかスプレムータを選ぶ程度の贅沢ぜいたくが許されてんです。結構良い環境でしょ? ソイツを整えるために皆には働いてもらってんですけどね」
「……、」
「そんなゲスト扱いの私からすれば、シスター・ルチア、アンジェレネの両名は空回りなんですよ。馬鹿ばかみたいですよね。ほかのシスター達は実に素直に従ってるってのに。逆らうならさっさと自分達だけで逃げれば良いものを、わざわざ警備の厳重な私の部屋の前まで来て、『いずれ必ずお助けします』とか言っちゃって」
 アニェーゼの声には、あまり真剣味が感じられなかった。
 ただ口からついて出ただけの言葉が続いていく。
「そもそも、脱獄なんてしなくても私に労役の義務はありません。ソファに身を沈めていれば、いずれ現場に復帰できるのに。ね、可哀想かわいそうでしょう?」
 アニェーゼの物言いに、上条かみじようはわずかにイラついた。当の本人にとっては迷惑だったかもしれないが、それでもそんな言い方はないだろうと思う。
「貴方達の意思はどうあれ、どの道この洋上の艦隊から無事に逃げるためには彼女達の協力が重要です。多少の荒事もあるでしょうが、まぁせいぜい頑張ってください」
「せいぜいって」
「率直な意見ですがね。ついでに言わせてもらえば、運良くこっから出られたら、もう二度とローマ正教にはかかわらない事ですね」
 その決定口調も気に入らないが、確かにアニェーゼの言う通りでもある。いつまでも一ヶ所に隠れていられない。逃げるなら早い方が良い。そして手段は目の前にある。
 上条は座り込んだまま、しむれた息を盛大に吐くと、
「……分かったよ。でも、多勢に無勢ってなったら助ける余裕なんかなくなっちまうそ」
「それが以前二五〇人のシスター相手に一人でケンカを売った男の台詞せりふですか?」
 一応、敵として上条かみじようの実力は認めているらしい。アニェーゼは皮肉げに口の端をり上げて笑うと、握手を求めるように腰を曲げて手を差し伸べてきた。
 立て、というサインらしい。
「っと、ありがとう」
 上条は素直に右手でアニェーゼの手をつかみ、
 その細い指と一緒いつしよに、修道服のぶかぶかの布地を握りめた途端、

 ストン、と。
 アニェーゼの修道服のい日がこわれて真下に落ちた。

 あら、とオルソラがほおに手を当てる。
「まぁ。どうも変わったデザインだと思ったら、その露出ろしゆつの多い修道服は全体が魔術的まじゆつてきな拘束効果を与えるための特殊な装飾でございましたか」
 そんな事はどうでも良い。
 今ここで最も重要なのは、上条の目の前で腰を折っているアニェーゼが下着だけになってし

まった事であり、相変わらずレース満載なのにどこか可愛かわいらしい白いショーツだったという事。であって、背中が大きく開いた衣服だからブラすら着けていなかった事でもあり、腰を折った事でそのささやかな胸が微笑ほほえましげにちょっぴり自己主張している事なのであった。
 アニェーゼは、最初何が何だかという顔をして、次に下を向いて……つまり己の格好を再確認するように視線を投げると、
「き、―――」
 ようやく、のどがひくっと動いて、
「―――ッ!!!???」
大騒ぎぎになる前に上条かみじようとオルソラが全力で羽交い絞はがいじめにして口をふさいだ。

     3

 インデックスは、暗いキオッジアの街に立っていた。
 その小さな海の街は、混乱の渦の中にあった。歴史的な運河や石橋が破壊はかいされた事もあるが、それ以上に『どうやって?』という声が大きい。惨状を眺める者は疑問をぶつけ、切れ切れの言葉でそれに答える声を聞いてはさらに疑問をふくらませ、後は延々とり返されていく。
 海水は運河から一〇〇メートル以上はなれた道路まで水浸しにして、平行する別の運河にこぼれ落ちるほどだった。今は船がないためあふれた水も運河に戻ろうとしているが、それでもドアの隙間すきまから屋内に入り込んだ家屋もあるらしい。特にレストランや喫茶店など、客商売の建物からパパッと明かりがいて、慌てた感じで掃除をする音が聞こえてくる。
 そんな中。
 インデックスはポツリと立って、氷の帆船はんせんが消えた方角をじっと眺めていた。
「イタリア北東部の歴史に深くかかわったとされる……『アドリア海の女王』」
 口に出された言葉には、膨大ぼうだいな知識の裏づけが存在する。
「ううん、それを補佐する『女王艦隊かんたい』の一隻かな」
 彼女の頭の中で一〇万三〇〇〇冊分もの魔道書まどうしよの知識が目まぐるしく整理されていく。必要な知識を引き上げ、不要な知識をはじき、出てきた推測が実際に正しいかどうかの検証が始まり、それを頭の中で立証すると、
(だとすると、やっぱり動いていたのはローマ正教。でも何で『女王艦隊』がおそってきたの? ……、オルソラ=アクィナスと天草式あまくさしき。この二つが一いつしよにいたのが原因かな。『アドリア海の女王』を動かすのに、とうまたちは絶対の障害というほどでもないもん)
 今度は、その対策の方に頭が動く。
(『女王艦隊』相手に魔術まじゆつを使えない私が一人で行っても駄目だめ。違う、そもそも魔術師が一人で立ち向かうべきスケールの敵じゃない。かと言ってこのままじゃ、とうま達が……。なら)
 インデックスは顔を上げる。
 それからあちこちを見回すと、やがて一点に向けて走り出した。

     4

 上条かみじようとオルソラは砲室からたたき出されていた。
 アニェーゼはオルソラがそでから出した裁縫さいほうセットを借りると『……とにかく体裁だけでも整えないと即バレしますから。良いからさっさと出てってください』と、とても低い声と共に特注の修道服をチクチクい始めていた。おそらくそれが終わってから旗艦きかんに向かうはずだ。
 そちらに意識をみじいても仕方がない。
 上条は通路の角から顔だけ出して、先を見た。
 月の光を乱反射させ、白っぽい電球色にかがや融点ゆうてんの変動した氷で作られた直線通路は、その船のスケールに反して極端に狭く、細い。軍艦という特性なのだろうか。ちょっと人が集まったら、もう詰まって移動できなくなるような気がする。
 艦内は四方がスクリーンとなった映画館のようなもので、床や壁がクッキリしているのに対して通路の中空が極端に見づらい。上条は奥をのぞくために思わず両目を細めて、
「……だれも、いないな」
「アニェーゼさんのおつしやる通りでございますね」
 上条とオルソラは互いに言い合ってから、そろそろと角から先へ出た。
 それだけを確かめるのに、随分と時間がっていた。最初の一歩をみ出すまでに、無茶苦茶むちやくちや勇気がいる。
 アニェーゼの話によると、
『艦隊の制御は、操船、砲撃ほうげきともにほとんど魔術頼まじゆつだのみです。乗組員の大半が元私の部隊の人間なので、彼女たちたよると造反の危険があるんで。部隊は二五〇人ほどいますが、艦の数も一〇〇隻近くありますからね。一隻辺りで換算すると、ほとんど無人って感じです。少ない職制者で多くの労働者を束ねるにはそれなりの工夫があるって訳です。だからこその弱点もあるってモンですが』
 という事らしい。
(でも、船を操るのが自動制御なら、彼女達は何の仕事をしてるんだろ?)
 徒労系の単純作業だとは聞いていたが、具体的な内容は聞いていなかった気がする。ともあれ、そちらを聞くのはルチアやアンジェレネ達と船を出てからだろう。
 実際に人がいない事を確かめても、相変わらず襲撃しゆうげきの不安は完全にはぬぐえない。ズラリと並ぶドアの奥、直角に曲がる通路の死角、そういう所にだれかが息をひそめているような錯覚さつかくがする。
 これもアニェーゼの話だが、ルチアやアンジェレネは現在、甲板より上、三階部分に連れて行かれたらしい。本来、落伍らまし労働者を収容するのは船底近くの船倉らしいのだが、例の『脱獄術式を二度と使えなくする』ための心理制御設備は上層にあるようだ。
 がけのように急な階段を使って上に向かう。
 三階部分の通路は、一面に窓が並んでいた。甲板より下の場合は砲室がズラリと用意してあったが、上部構造には必要ないため、通路が「番外側に配置されているのだろう。
「あら」
 と、オルソラが何気なく窓の外へ視線を投げた。
 上条かみじようもつられるように目を向けて、それから息をんだ。
「……確かにこりゃ、一筋縄ひとすじなわじゃいかねえな」
 三階と言っても、甲板から数えた階層だ。実際には甲板から海面まで、さらに一〇メートルほどの高さがある。五階建て以上の眺めだった。
 塔の上から街を見下ろすような感じだが、眼下に広がっているのは大艦隊だいかんたいだった。この船と同じ、氷で作られた全長一〇〇メートルサイズの巨大な帆船はんせん軍艦が、まるで魚群のように所狭しとき詰められている。数は、窓の一つから見ただけでもざっと五〇以上か。白っぽい電球色にぼんやりとかがやく船体が、暗い海一面を光の膜で包み込んでいた。
「ん? ……アニェーゼの方も動いてくれてんのか」
 上条は辺りを警戒しながらも、窓の外を注視する。
 船と船の問を、パキパキとアーチ状の氷の橋が作られていく。その上をポツンとした人影が歩いていた。人影が通り過ぎると、再び氷の橋がパキパキと消えていく。向こうも陽動で動き始めてくれているようだ。
 目指す先、アニェーゼの言っていた『旗艦』はあれだろうか。ざっと数百メートル先、すべての中心点に、多くの船に囲まれるように一際ひときわ巨大な帆船が浮かんでいた。縦横共にこの護衛艦の二倍ぐらいの大きさがある気がする。さながら城下町から背の高いお城を眺めているようだ。
 上条は窓の外から視線を戻して、
「数を数えたくもねえ……。世界最大宗派ってのはスケールのデカさもハンパじゃねーな」
「……というか、艦隊全体でちょっとした都市ぐらいのサイズがあるのでございますよ」
 再び通路を歩きながら上条は考える。やはり、最優先で考えるべきは『立ち向かう事』ではなく、『上手に逃げ出す事』のようだ。そのカギとなるらしい術式を持っている、ルチアとアンジェレネは、
「―――っと!?」
 通路の角に差し掛かった所で上条は思考を断ち切り、オルソラの手を引っ張って、慌てて壁に張り付いた。それから、恐る恐る顔だけ出してみる。
 アニェーゼに教えられた目的の部屋が、一〇メートルぐらい先に見えた。
 そのすぐ前に、だれかがいた。
 いや、本当にあれは人なのだろうか。ドアをふさぐ巨岩のような『それ』は、氷で作られた三メートル強のよろいだった。電球色にかがやいているため、透明度は低い。頭の上から足の下までがすベて重兵器のように見える。手に握られているのはメイス……つえ棍棒こんぼうの一種だろうか? が、どちらかと言うと輪切りにした四角い鉄骨をつかんでいるように見える。
 上条かみじようは顔を戻し、うっすらと光る壁の角に背中を預け、
(ちくしょう。一撃いちげきだまらせるにはゴツ過ぎるし……モタモタやり合ってる内に仲間を呼ばれたらその峙点で完壁かんペきにアウトだ)
 通路は狭く、逃げ道も少ない。一〇人ぐらいの人間が通路の前後から来たら、もうすれ違う事もできない。後は数の理論で消耗戦に敗北するのを待つだけだ。
 くそ、と上条は口の中で吐き捨て、改めて通路の狭さを確認するように視線を走らせ、

 ドッ!! と。
 その直後、彼の視界が轟音ごうおんと共に電球色の氷で埋め尽くされた。

 最初、上条は目の前のそれが何であるか、本当に理解できなかった。
 角の向こうでドアの前を見張っていた氷の鎧が、一瞬いつしゆんで通路を走り抜け、角を曲がって上条の眼前に立った……そう気づくまでに時間が必要だった。
 鎧の足は、キリキリとわずかに横滑りしている。
 融点ゆうてんの変動した氷は溶けないから滑らない。しかし、良く見ると鎧の足の先は溶けて床と接合していた。まるで氷の上を泳いでいるように見える。
 しかし、上条はそれを冷静に確かめていられない。
(な……ッ!?)
 おどろいて目を見開く上条の前で、すでに氷の鎧はその腕を思い切り振るっていた。下から上へと一撃。鉄骨のような棍棒は分厚い床を軽々とえぐり、その威力を落とさずに上条の胴へと吸い込まれていく。
 貨物コンテナぐらいなら空き缶のようにつぶせる重さと速さだ。
「ッ! ―――ァがあああっ!!」
 けようとする上条のほおに風圧が当たる。前髪が揺れると同時、回避かいひは無理だと本能が知った。ほとんど反射的に右手が動く。下からの攻撃に対し、上からたたきつけるようにがむしゃらな動きでてのひらを押し付ける。
 ビキィン!! と、甲高い音が船内にひびく。
 上条の掌からひじ、そこから肩にかけて、嫌な汗がびっしょりと浮かぶ。
「……っつ」
 上条は、思わずうめき声をあげた。
 目の前のよろいは、動かない。
 バギン! と氷の鎧の棍俸こんぼうが、真ん中から二つに折れた。続いて棍棒を握っていた肩口が砕け、胸から下腹部へ縦に亀裂きれつが走り、太股ふとももひざが割れて、最後には横倒しに倒れてしまう。
 ガラン、という音がひびく。
 氷が砕けた事で光の屈折度合いも変わったせいか、鎧から身にまとうような淡い光が消えた。
 すぐ近くで息を詰めていたオルソラが、ようやく声を出す。
「だ、大丈夫だいじようぶでございますか……?」
「一応な」
 気のせいかもしれないが、少しだけ手首が痛い。
こわれちまったけど……これって、魔術まじゆつで動くロボットみたいなヤツなのか?」
「ええと……、明確に術者が指示を飛ばすゴーレムなどではないようですけど。ゴーレムよりは船の一部が形を変えた、というのが正確でございましょうね。軍艦ぐんかん攻撃的こうげきてき側面だとすると、内側に向いた砲台のようなもの……かもしれません」
 オルソラは動きを止めて転がった氷像に手をわせて、ゆっくりとむように告げた。
「船の一部……?」
 上条かみじようは右手でペタペタと近くの壁に触る。が、分厚い氷は壊れない。
(……常に魔術で動き続ける鎧と、完壁かんペきに変化が終わってる船壁の違いってヤツか)
 適当に考えるが、今は細かく検証しているだけの時間はない。
(それにしても……)
 魔術が使われていて良かった、と上条は素直に胸をで下ろす。あれが下手に純粋な白兵戦だったら、現代戦の戦車を使っても勝てたかどうか。上条など秒殺だろう。
 ともあれ、実力ではなく相性で関門は潜り抜けた。
 上条は今度こそ、だれもいない通路の角に出て、
「それじゃ、ルチアやアンジェレネを助けに行くか。面倒だけどな」
「それについてでございますけど」オルソラは、やや心配そうに、「あの部屋の中にルチアさんたらしかいない、なんて事があるでしょうか。少なくとも、彼女達に魔術的な処置をほどこす術者が何名かいるはずですし、ドアを開ければ荒事になると思います」
 言いながら、オルソラは床に落ちていた氷の塊を拾い上げた。氷の鎧が持っていた、半分に折れた棍棒だ。まるで両手で楽器のケースでも抱えているような仕草だ。
「私の武器でございますよ」
 にっこり笑顔がすでに場違いだった。
 しかも「これもこれも、こっちの方が強そうでございます』とか言いながら追加で拾っているのは、氷の鎧の脚部だった。、攻撃力は漬物石と同じぐらいだろうか?
「……、そうだな」あんまり役に立たなそうだけど、という言葉はみ込んでおく。「流石さすがにこればっかりは出たトコ勝負か。コイツみたいなのがワラワラ出てこない事を祈るしかねえな」
「ええ。では」
碁?オルソラ翫ぎ。うと、通路を走った。進んで戦いたいというより、もう・れ以上通路でだれかに見つかるのは嫌だという後ろ向きの気持ちの方が強い。
 ドアの前まで一気に辿たどり着く。
 ノブをつかむ。かぎはかかっていないようだ。
 正直、怖いがためらっても仕方がない。迷わず開け放つ。
 バン!!という大きな音が鳴りひびいた。
「ッ!」
 清潔な部屋だった。医務室のようなものかもしれない。とはいえ、ベッドも氷で作られているため、どこまで機能するかは分かったものではないが。
 狭い部屋にいるのは七人前後の男女。二人は黄色いそでやスカートをつけた修道服を着たシスター。ルチアとアンジェレネだ。布の額当ての上から金色のサークレットのようなものをはめているが、布地に強引に食い込ませているようにも見える。残り五人は、針金のように細い不健康そうな男たちだった。研究者のように見えるが、着ているのは外套がいとうのついた深い黒の修道服だ。彼らの近くにある氷のサイドテーブルには、それだけは氷とは違う、何に使うか分からない金属の棒がたくさん並べてあった。ペンのように先がとがっていて、どこか不気味さが漂っている。映画館のスクリーンのように特殊な照明もそれを手伝っていた。
 先ほどのような、氷のよろいはいない。
 が、それにしても一人で五人を相乎にするのは単純な人数で分が悪い。
(チ……ッ!!)
 まともに相手をしては負ける。相手がおどろきで硬直している間にいかに先手を取れるかだ、と上条は考えて部屋の中へ大きく一歩踏み出そうとする。
 しかし。
 それより先に、割り込んできた影があった。
「動くな」
 オルソラ=アクィナスだ。彼女は両手で抱えていた氷の塊を、無造作にアンダースローで部屋に放った。ガンゴン、と鈍い音を立てて棍棒こんぼう残骸ざんがいが床を滑っていく。投げたというより、すっぽ抜けたという感じだったが、
 ギクリ、と。
 数の上で勝っているローマ正教の男達が、一斉に動きを止めた。
「それ、どうやって壊したと思います?」
 オルソラは袖の中に手を人れて、自信ありげに告げた。
 上条は己の右手に視線を投げたが、彼女が何をしようとしているか、ようやく掴めた。
 彼らは幻想殺しなど知らないのだ。
「あら、思わず日本語のまま言ってしまいましたけど、分かりますよね。分からないならそれでも良いのでございますけど。警告を聞かないのでしたら、これを使うだけですし」
 言いながら、オルソラはそでの中に自分の手を差し込む。
「待て……」
 男の中の一人が、日本語で言った。
 言葉を合わせてきた時点で、相手はすでに譲歩じようほを始めていた。
「……貴様。そこにどんな霊装れいそうを隠している」
 オルソラが答える前に、別の男が口を開いた。
「氷の塊だけならいくらでもある。適当に砕いて持ってきただけかもしれん」
「あら。この船にはこういう物が生えているのでございましようか?」
 ゴン、とオルソラは次の塊を投げる。
 今度は氷のよろいの足の部分だ。棍棒こんぽうの破片よりも、より精緻せいちで生々しい造型が、ひざの辺りで強引に砕かれている。
「―――、」
 男たちが、一歩後ろへ下がる。
 対して、オルソラは強気に一歩前へ進んだ。
「先ほどの質問ですけど、どうやったか知りたいのなら、実際にお見せしてもよろしいのでございますよ。ただ、目にする前に消し炭にならないように注意してください。あらあら、ガードに頼る程度の腕でこれを凌げるのでございましょうか?」
 手を突っ込んだままの袖を軽く揺らすと、男達は面白いぐらい身を強張こわばらせる。関係のないルチアやアンジエレネまで顔にうすく恐怖の色を浮かび上がらせた。
 上条かみじようは内心で舌を巻く。
 バッタリというのは、事前に相手の戦力を正確に予測できて初めて使える技術だ。
「では、すみませんが、彼らの手足を拘束してください」
 当のオルソラは、にっこりと微笑ほほえんで上条に告げた。

     5

 ローマ正教の男達は、簡単に両手を挙げた。
 オルソラは『秘密兵器を持っている』バッタリをしているため、男達に不用意には近づかない。代わりに上条が彼らの手足をしばった。船が全部氷でできているので、ロープの代わりとなる物はない。仕方がないので男達のズボンのベルトなどを外して使った。男のベルトをゆるめるなどという気持ちの悪い経験は、本当にこれで最後にして欲しい。
 上条かみじようしばった男たちの結び目を確かめると、オルソラはようやく力を抜いてそでの中から手を抜いた。ホッと息を吐いているのは、おそらく表面以上に緊張きんちようしていたからだろう。彼女はアンジェレネやルチアの方を振り返ると、
「さて、助けに来たのでございますよ」
 声に、二人は逆に後ろへ半歩下がった、
 シスター達は、突然上条達がここへやってきた事にギョッとしているようだ。
 極端な二人組だ、と上条は思う。背が低い方がアンジェレネ、背の高い方がルチア……だったと思う。アンジェレネは顔を青くし、ほとんど涙を浮かべそうなひとみをこちらに向けて、かたわらにいるルチアの腰をつかんでいる。対してルチアは白い顔を敵意でわずかに赤くして、すきねらう鋭い眼光を突きつけ、くっついてくるアンジェレネの肩に片手を竃いていた。
 二人とも、着ているのはオルソラと同じ黒の修道服をベースに、袖やスカートに長い黄色のパーツを取り付けている。船で働く労働者としての制服だろうか。ルチアは袖が短めなのかなめらかな白い腕が少しのぞいていて、対してアンジェレネはぶかぶかで指先が出ている程度だ。
「……助けに来た。そんな言葉を私達が信じると思うのですか。そもそも、貴女あなた達に敗北したからこのような場所に放り込まれたというのに」
 警戒の低い声を放ったのは、やはりルチアだ。アンジェレネの方は歯の根が合っていない。上条は自分に向けられた敵意より、アンジェレネの様子の方が気にかかった。
「えーっとだな、 おれ達もこの船に乗りたくて乗ったんじゃない。こっちだって何か訳が分からない内にローマ正教の連中に追われる羽目になっちまってる。だから、とにかくここから出たいってのが第一目標だ」隠しても仕方がないので、上条は目的を明かす。「アニェーゼに話を聞いた限りじゃ、お前達がそのカギとなる魔術まじゆつを使えるって事だった。逃げるならお前達の協力は重要だし、だったら変な処置を受けそうになってるお前達を助けて欲しいって言われたんだけど」
「し、シスター・アニェーゼに……ですか?」
 聞き覚えのある名前に、アンジェレネはわずかにおびえの色を解いた。それだけで、パッと顔が明るくなったように見える。元々は活発な子なのかもしれない。
 が、ルチアは短めの袖を振るうと、アンジェレネの頭を上からグイと押して、
「シスター・アンジェレネ。異教徒の言葉です。わなの可能性も少しは考慮こうりよなさい」
「す、すみませんっ! でも、あの、この人達がシスター・アニェーゼに会ってるって事は、もしかすると、あっちの方も……」
「ですからそれも希望の話でしょうっ! 彼らはシスター・アニェーゼと私達の関係を知っています。その上でこちらの食いつきそうなうそをついているだけかもしれないのですよ!」
 グイグイと頭を上から押し続けるルチアに、アンジェレネは身を縮ませながらも、時々チラチラと上条の顔に視線を投げてくる。
(くそっ、手っ取り早くアニェーゼに手紙でも書いてもらえば良かったな)
 どう説明したもんか、と上条かみじようはため息をつく。実際問題、彼女たち懸念けねんする通り、上条とアニェーゼはそれほど仲良くもない。なし崩じ的、という言葉をきちんと論理だけで説明する事ほど難しいものはないだろう。
 と、悩む上条のとなりで、オルソラが口を開いた。
「では逆に、あなた達は何故なぜ私達がここまで来たとお考えでございましょう?」
「え?」
「ご懸念の通り、ここは敵の本拠地。私達は見張りを倒してまでここへやってきました。あなた方を助ける以外に、そんなリスクを負うメリットがこの部屋にあるのでございましょうか?」
 オルソラは、部屋の隅でしばられてまとめられている男達に一度だけ視線を投げて言った。
「………、それは」
 ルチアはやや撫然ぶぜんとした調子で、何とか口を開いた。
 しかし考えがまとまらないのか、言葉は途中で消えてしまった。
「まさか、あなた方と敵対するためにここまでやってきたと? 放っておいてもダメージはございましたよね。そんな中、わざわざ危険な道のりを経て、アニェーゼさんの名前を使ってまであなた達を助ける理由は、なかなか想像がつかないのでございますけど」
 オルソラはチラリと部屋の隅へ目をやる。
 そこにはリスクをおかしてでも拘束した男達が集められていた。
「―――、」
 オルソラの言葉に、ルチアは今度こそだまり込んでしまう。
 答えの出ない問題に対し、無理に説得するのではなく逆に相手に答えられない状況を作る。
上手うまい駆け引きだ、と上条は内心でおどろいた。。実はこちらは一言も譲歩じようほや言い訳をしていないのに相手を黙らせたのだ。何だかこれはいつものオルソラのやり取りではない気がする。
 と、彼女はコソッと耳打ちする感じで、
「……(異教の地で、主を知らない方々を説得するのが私の仕事でございますから)」
 言われてみれば、と上条は素直に感心した。
 実は命懸いのちがけの言葉の応酬おうしゆうは彼女の得意分野なのかもしれない。
 ルチアは探るように上条とオルソラを交互に見た後に言った。
「助ける価値がないなら素直に見捨てている、という訳ですか。……余裕ですね」
「シスター・ルチアっ!」
 ぶかぶかのそでを動かし、ぐいぐいとルチアの腰の布を引っ張るアンジェレネに、背の高いシスターは疲れたようなため息をついて、
「分かりました、そちらの言い分にも一理ぐらいはあるでしょう。あとシスター・アンジエレネ。太股ふとももれるのでそれはやめなさいといつも言っているはずです」
 さらりと言われて、何だか上条かみじようの方が顔をらしたくなった。
 女の子同士だとあんまり気にしないんだろうか?
 思わず顔を赤くして顔を逸らす上条に、ルチアはピクリとまゆを動かすと、
「何を想像しましたか?」
「い、いえ! 何でもあ。りませんの事よ!?」
 上条は全力で取りつくろって、強引に話題を元に戻していく。
「いやあの、こっちとしてはさっさとこんなヤバイ船から逃げたいんだけど、具体的にどうやって脱出するんだ? っつか、必要な道具が没収されてたりとかって話はねーだろうな」
「だ、大丈夫だいじようぶですよ。そもそも道具の没収で防げるような術式なら、彼らも同じローマ正教徒の私たちにこんな手荒な真似まねはしなかったと思います……、」
「シスター・アンジエレネ。本気で言っているのなら頭をでてあげます」
 ルチアはムクれるアンジェレネを極めて適当にあしらいつつ、
「結論を言えば、海を泳いだり救命艇きゆうめいていを奪ったりという海上移動では『女王艦隊かんたい』の警備の目をかいくぐるのは不可能です。そして一度でも気づかれれば無数の砲の餌食えじきとなるでしょう」
「……ちょっと待った。お前達はそれでも一度、ここから脱出してんだよな。まさか、空でも飛んだっていうのか?」
「その方法を取っても対空砲火が待っていますが……説明するのも面倒です。手っ取り早く見てもらいましょう。シスター・アンジエレネ」
「はいっ、シスター・ルチア。あっ、えっと。意図はどうあれ、あ、ありがとうございました。
もう少しで、この術式も心と一緒いつしよ破壊はかいされる所でしたし」
 アンジェレネはペコリと頭を下げようとしたが、ルチアに名前を呼ばれて慌てて作業に戻る。
 ルチアとアンジエレ、不はお互いのてのひらを合わせた。ピタリとではなく、良く見ると触れている指と触れていない指を細かく考えているようだ。
「通常、魔術まじゆつに使う道具というのは、術者が自分に合った専用の一品を用意するものでございますけど……」オルソラはちょっと感心した声で、「彼女達は間に合わせとして、自分をしまる拘束服を逆手に取って利用しているのでございますね。二人分の拘束術式に、本来とは違うルートで魔力まりよくを通す事で、全く別の魔術的成果を得る。これだけ制限の多い環境で、良く思いついたのでございますよ……」
スプーンとか靴紐くつひもとか、しょうもない物を最大限に利用して難攻不落の牢獄ろうごくから脱獄するようなものだろうか。
 と、そんな事を考えていた上条の目の前で、それは起きた。
 ルチアとアンジェレネが、一つに合わせた掌を水平に上げた。社交ダンスのようだ。そして手の先には、白っぽい電球色にかがやく氷で作られた戸棚が置いてあった。
 ギュルリ、と。
 まるで瞳孔どうこうが開くような動きで、半透明の戸棚に直径一・五メートルほどの大穴が空いた。
「氷を使った造船術式の亜種で、このように空洞を空けられるのです。これを応用し、海水を固めて自由に海底コースターを作り上げる事ができます。そこから脱出しましよう」
「こ、氷の壁をちょっとずつ削って仕組みを必死で調べたんですよ。『女王艦隊かんたい』は海上防衛は得意なのですが、海中に苦手な側面があるんですけど……痛つっ!」
 アンジェレネが顔をしかめた途端、戸棚の大穴が拡縮するように一気に閉じた。合わされたてのひらが、ふらりとはなれる。彼女のこめかみに、嫌な汗が一滴伝った。
 彼女はゆっくりと首を横に振って、
「や、やっぱり、拘束衣服の方にも迎撃げいげき術式を追加されたようですね」
 痛たた、とアンジェレネはこめかみの辺りを押さえてつぶやいた。そこにはフードの額当ての上からはめられた、金色のサークレットがちょうど食い込んでいる。
「拘束機能の一部を破壊はかいすれば済む話です。布地の織り方やい目を魔術的まじゆつてちに利用しているのですから、手順にのつとって縫い口をこわせば、どうとでもなります」
 ルチアはテーブルの上から氷で作られた機能性のないペンを拾い上げる。
 壊す? と上条かみじようは自分の右手に視線を投げて、
「なぁ。だったら手っ取り早くおれのごぁっ!?」
 言いかけて、後頭部にゆるし衝撃ようげきを受けた。
 振り返ると、オルソラが片手をほおに、もう片方の手でグーを作り、
「まぁまぁ。まさかあなた様はここで彼女たちまで素っ裸にするつもりでございましようか?」
「痛っ!? ごめんオルソラ、確かに俺が悪かった! でも何でお前がそんな怒って―――痛てぇ痛いってば!!」
 意外に的確なグーを笑顔で連発するオルソラを見て、ルチアとアンジェレネはわずかに首をかしげた。彼女達は氷のペンを狗束服の黄色いそでにザクザク刺して穴を空けていく。壁や天井てんじようだけがかがやいて中空が見えづらい状況では細かい作業は難しそうに思えたが、ルチア達の手の動きには迷いがない。
「海底コースターって、つまり滑り台って事か? ちんたら滑ってて「女王艦隊』の方に追いつかれたりしないのか」
「いえ、け、結構な速度が出るんですよ。最大で……じ、時速三〇〇キロぐらい」
「平均では時速九〇キロ程度ですね。摩擦まさつを削れますから」
 二人の言葉に上条は顔を青くした。時速三〇〇キロと言えば新幹線と同じぐらいだと思うのだが、呼吸とか大丈夫だいじようぶなのだろうか。どうやって速度を落とすのかも気になる。現に一度それを試したルチアやアンジェレネがピンピンしているのだから問題ないとは思うが、魔術を使ったトンデモ理論のオカルトブレーキとかだったらヤダなあ、と自分の右手をチラリと見る。それ以前にコースターそのものが壊れなければ良いが……。
 上条かみじようは彼女たちの手の動きを目で追い駆けながら、
「ともあれ、ソイツがあれば今すぐここから出られるって訳か」
「……、実際には、もうちょっと複雑なんです」アンジェレネがポツリと答えた。「この海底コースターは海水を使って作ります。なので、まずは船底まで下りないと」
「船体の床に穴を空け、海水でコースターを作ります。私達がもぐった後、船側につながっている出入り口を封じ、切りはなせば『女王艦隊かんたい』の方から追撃ついげきするのは難しくなる、という訳です」
 まだ安心できないのか、とため息をつく上条に対し、ルチアとアンジェレネの二人はどちらかと言うと楽観的な心の動きがあるらしい。
「シスター・ルチア。今度こそシスター・アニェーゼと一緒いつしよにここから脱出できるんですね!」
「可能ならそれで終わりにしたくありませんが、まずはシスター・アニェーゼの保護が最優先でしょう。彼女が動かなければ、ほかの皆も動く気を起こしませんし。ちょっ、シスター・アンジェレネ! そこに穴を空けては駄目だめです!」
 慌ててルチアはアンジェレネの手をつかむ。
 おそらく警戒が少しずつ解けているのだろう。その仕草はどこか大雑把おおざつぱというか、感情が表に出てきている気がする。小さな変化だが隠れた期待感のようなものが伝わってきた。
「し、シスター・アニェーゼとはいつ合流できるんでしょうね」
「そう簡単にはいかないでしょう。おそらく、彼女も極秘で動いてくれているのですよ」
 だからこそ、上条は言うべきか迷った。
 アニェーゼの言葉を思い出す。
『私は象微的役割なので』
 確かに彼女はルチアやアンジェレネを助けてくれと言っていた。だが、その言葉はどこか冷めているというか、離れた所から人を見。ているようなニュアンスだった。
『それほど悪い環境じゃないでしょう? ま、ソイツを整えるために皆には働いてもらってんですけどね』
 仲間として人を思いやるというよりも、憐憫れんびんや同情心からの言葉だ。それは一緒に同じ場所に立っていたいと願うルチアやアンジェレネにとっては、とげにしかならない。のではないか。
『そんなゲスト扱いの私からすれば、シスター・ルチア、アンジェレネの両名は空回りなんですよ』
 何でこんな事になっているんだろう、と上条は思う。
 目の前のルチア達が少しずつ笑みを見せ始めているからこそ、その光景はどこまでも痛々しかった。人が笑うのは良い事のはずなのに。彼女達は悪意からではなく、心からの善意で表情を作っているはずなのに。
「……、悪い。アニェーゼは、多分来ない」
 上条が言うと、ルチアとアンジェレネの動きがピタリと止まった。
 それまであった表情が、死ぬ。
 ようやく土の上に出始めた小さな芽が、思い切りつぶされたように。
「何で、ですか?」
 最初に口を開いたのは、アンジェレネだ。
「だって、シスター・アニェーゼと会ったんでしょう? 私たちを助けて欲しいって、お願いされたんでしょう? そ、そうです。そもそもシスター・アニェーゼはどこにいるんですか?」
 ルチアは何も言わないものの、探るようなひとみ上条かみじように向けた。
「アニェーゼは……」
 上条は間を省いて、事実だけを告げる。
「……お前達を助けるために、陽動に出るって言ってた。今一番危険なのはお前達だから、助けるならそっちを優先して欲しいって。この、『女王艦隊かんたい』……だっけ? その旗艦に行ってるらしいけど」
「そんな……旗艦ですって!?」
 ギョッとした声を放ったのは、意外にもルチアの方だった。
 怒りなのかあせりなのか、元々白い顔からさらに色が抜けていく。
「冗談ではありません! 私達がどうして自分の身を危険にさらしてまで、脱獄なんて方法を考えたと思っているんですか!? それを防ぐためなのですよ! 一番危険なのはだれかって、そんなのシスター・アニェーゼに決まっているじゃないですか!!」
 ちょっと待て、と上条は思う。
 何か、上条と彼女達の間に温度差を感じる。お互いが大前提として考えている事に、違いのようなものを受け取れる。
 アンジェレネは、再び泣きそうな顔に戻ると、
「そもそも、こ、この『女王艦隊』が何をする施設だか、分かっていなかったんですか?」
「確か……アドリア海周辺を監視するための艦隊なんだっけ?」
「そちらは建前だとアニェーゼさんは言っていたではございませんか」オルソラはまゆをひそめて、「……ローマ正教にとって不利益を働いた方々に対する、労働施設のような場所だとお聞きしたのでございましたが……」
「まさか」
 ルチアは、ほとんど息を詰まらせて、
「……『女王艦隊』は旗艦『アドリア海の女王』に収められた、同名の大規模魔術まじゆつ及び儀式場ぎしきじようを守るための護衛艦隊です。私達に課せられた『労働』とは、その下準備なのですよ。たかが監視や労働の目的だけで、これほどの大施設が必要となるはずがないでしょう!」
「アドリア海の……?」
 上条は繰り返す。
 確か、アニェーゼとここで再会した時も、ポツリと口かられていた気がする。
「何だ……そりゃ。これだけの大艦隊だいかんたいが、全部そのアドリア海のナントカってヤツの前座だってのか。そもそも、その船がやろうとしてんのは一体どんな魔術まじゆつなんだ?」
「さぁ……詳細を知るのは労働者を束ねる職制者―――『女王艦隊』に配属されたローマ正教の上官たちだけでしょう」
「わ、私達に分かっているのは、大規模魔術『アドリア海の女王』は旗艦で行われる事。その発動キーとして、『刻限のロザリオ』という別の術式がかかわっている事」
 アンジェレネは、一つ一つ指折りするように告げていく。

「そ、そして、『刻限のロザリオ』にシスター・アニェーゼが使われるって事です」

 その言葉に、上条かみじようはギョッとした。
 アンジェレネが慣れない日本語の使い方を間違っているのかとも思った。
 しかし、
「詳細は私達にも分かりません。ですが彼女を使用するのは絶対で、少なくとも確実に脳を破壊はかいされると。私達がほどこされそうになっていた『加工』とは比べ物にならない規模と手間をかけるそうです。シスター・アニェーゼは……心臓を動かす『だけ』の存在になるかもしれません」
 後から並べられていくルチアの言葉は、あまりにも的確で冷たい。
 上条の背骨を伝い、頭のしんまで一気にしびれがおそう。
 自分はただの象徴的役割でしかなく、ここはある程度の自由が保障された良い環境だ……そう言っていたアニェーゼの言葉は何だったのか。
『ですけど、まぁ、侵人者が貴方あなた達だったとはね。これは少し利用できそうです』
 アニェーゼの言葉が脳裏に浮かぶ。
 独り言のようにつむがれた言葉の意味が、今ようやく理解できる。
『私が一人で行くとややこしい問題が解決できねえと思って難儀なんぎしていましたが、貴方達を使えるなら話は早いです』
 ややこしい問題とは、警備状況ではなかったのだ。アニェーゼがルチアやアンジェレネを助けて、二人は先に逃げうと言った所で、彼女達が納得するはずがない。
 もっと早く気づくべきだった。
『法の書』を巡ってアニェーゼ=サンクティスが上条やオルソラに行った事は、確かに善意的とは言いがたい。だけど、彼女にだってだれかをおもって行動する権利はあるのだと。
『女王艦隊』は、すべて『アドリア海の女王』のための前座だとルチア達は言った。
 ここまで大規模に展開される一大術式のカギとなるのがアニェーゼだ。彼女がルチアやアンジエレネと一緒いつしよに逃げれば、追っ手は死にもの狂いで追い駆けてくるだろう。
『「女王艦隊かんたい」では、これから大仕事があります』
 しかし、アニェーゼはこうも言っていた。
『詳しい事は上の人問にしか分かりやしませんがね。そちらに人員をく以上、一人二人の脱獄など気にしていられないのですよ』
 それが本当だとすれば、旗艦へ行くと言っていた彼女は、まさしく本当の意味で陽動を行うという事だったのだ。すべてを切り捨てて、自分を助けようとしてくれた仲間のために。
 どんな気持ちだったのだろう、と上条かみじようは思う。
『その間にって……お前も捕まってんだろ? だったら一緒いつしよに逃げようぜ』
 このギリギリの土壇場どたんばで、そんな言葉を告げられた時の気持ちは。
 そして。
 それでもなお、全てを偽ってルチアやアンジェレネの方へ上条たち誘導ゆうどうした時の気持ちは。

『それが以前二五〇人のシスター相手に一人でケンカを売った男の台詞せりふですか?』

 軽口の中に込められた感情。
 アニェーゼが口に出せなかった願いを知り、上条は呆然ぼうぜんと立ち尽くす。
 そんな、役立たずの少年の耳に、

 ゴガッ!! と。突然、氷の壁を打ち破る爆発音が炸裂さくれつした。

 その爆発音と衝撃波しようげきはだけで、上条達は床に投げ出された。
 氷の壁は外からの衝撃でこわされたらしい。上条達からはなれた=面が、まるでガラスのような破片の雨となる。倒れた彼らのすぐ上を、散弾と化した残骸ざんがいが恐ろしい速度で通過していく。
「……痛つっ!?」
 上条が思わず声を上げたのは、倒れた事ではなく耳の中からにじむような痛みに対してだ。
「何だよ、今の……ッ!?」
 ヘッドホンを挟んで人の声を聞いているように、音という音が遠ざかっていく錯覚さつかくを得る。「こ、攻撃!? でもどこからですか……ッ!!」
 アンジェレネがふるえる声で言った。彼女はとっさに伏せたルチアの下に保護されている。そのルチアの顔にも困惑があった。無理もない。この護衛艦にしても、同じような船に囲まれているのだ。外部からの攻撃など可能なのだろうか。
 と、同じく床に倒れていたオルソラが、ハッと顔を上げる。
「まさか……」
 彼女が見ているのは、破壊はかいされた氷の壁の向こう―――地上五階分の夜景だ。
「……これは、同じ味方艦から撃たれているのでございますよ!!」
 冗談だろ、と上条かみじようは叫びたかった。
「だって、自分たちの船なんだろ!?」
「いえ」ルチアは苦痛をめるように、「護衛艦ごえいかんの素材は海水です。アドリア海が干上がらない限りはいくらこわれた。所で修復も造船も問題ありません!!」
 壊れた壁の向こうから、チカチカと光がまたたいた。
 大量の砲口が火を噴く光だ。
 ただの砲撃ほうげきとは違うらしく、砲火は細かく砕ける波のように風に流される。
「―――ッ!?」
 発射音のあらしは、雷撃のように一瞬いつしゆん遅れてやってきた。
 上条が何か行動に移る前に、無数の砲弾が部屋のみならず、船体一面を破壊はかいした。砕かれた方だけの壁から淡い光が消えた。壁の近くにいた、しばったままの男達が夜空を落ちていく。手を伸ばそう、と思う前に砲弾に壊された氷の破片がこめかみに激突した。一撃で手足から力が奪われていく。密集した艦隊の中で砲撃が行われたためか、上条達の周りの艦にまで容赦ようしやなく後続の砲弾が当たる。マストが折れ、船室がつぶれ、それを必死で海水を凍らせて補修している様子が、壊れた壁の向こうに見える。
 しかし、この船だけは違う。
 自動再生機能を切られているのか、船は大きく傾いた。
 氷の床にしがみついていたオルソラが、
「痛ッ……砲の仕組みは、聖バルバラの伝承にのつとったもののようでございますけど……」
「っ!! ようは魔術まじゆつなんだよな。だったらおれの右手で!!」
「これだけ大きな船全体をねらう砲弾をすべて防ぐなど不可能でございますよ!!」
 叫び声をかき消すように、さらにたくさんの爆発音が炸裂さくれつした。重なり合った砲撃の音は、一つにまとまって稲妻のような衝撃波しようげきはたたきつけてくる。上条は床に伏せていたのに、下からの震動しんどうでわずかに体が浮かび上がった。立て続けにたれる砲撃に、床全体がガクンと斜めにかしぐ。部屋全体を支えている、柱のような物が砕かれたのかもしれない。ぐるりと視界ごと壁や床が回ったと思ったら、ザァ!! という砂をぶつけるような音が間近に聞こえた。水面を割る音だ。
 沈む。
 上条がそう実感を得た時には、小さな模型に金槌かなづちを振り下ろすように、氷の船は容赦なく打ち砕かれていた。

   行間 三

 両親を殺された。
 その後に紆余曲折うよきよくせつがあったとはいえ、やはりアニェーゼ=サンクティスが路上生活を始めるきっかけはそんなものだった。
 食料は、質さえ選ばなければ手に人れるのはそれほど難しくもなかった。料理店裏手のゴミ箱の中に突っ込んである物を食べ物だと認識できるようになるまでがつらかったぐらいだ。それより恐ろしかったのは冬の寒さか。ヨーロッパをおおい尽くすような寒波におそわれると、寒空は人を殺す凶器に変貌へんぼうする。
 幼い彼女のいたミラノはビジネス街だ。完壁かんぺきに整いすぎた街並みには、新聞紙やポロ布などといった防寒具の代わりとなるような物も落ちていない。何百年も前からある石造りの建物やアスファルトに固められた地面は昼間のぬくもりを夜まで残さず、ひたすらに硬く鋭利な冷凍庫の世界を演出する。
 下手に眠れば翌朝には指や耳が取れているかもしれない状況なのだ。
 ゴミ箱をあさっても『食べ物』はくぎが打てるほど固まっている事もあるのだ。
 そんな状況からアニェーゼを拾ったのがローマ正教だった。
 アニェーゼのほかにも、大人も子供も男性も女性もいろんな人たちが拾われていたと思う。理由はそれぞれだったが、アニェーゼのように事件に巻き込まれたり命懸いのちがけの路上生活を送っていた人間はいなかったようだ』どちらかと言うと普通の生活を送っていて、選ばれた事を幸運だと感じている人の方が多かったように思える。
 当時のアニェーゼに知るよしなどなかったが、ローマ正教は二〇億人もの信徒を抱える一大宗派だ。才能のないぇ人をプロに仕立てるより、元から才能のある人間だけを拾ってきた方が色々と『手っ取り早い』のである。一千万人に一人の才能であっても、二〇〇人は確保できる計算になる。この辺りは数の勝利という所か。
 選ばれるにはいくつかの条件が必要のようだったが、それは判然としなかった。
「こ、これから、どうなっちゃうんでしょうか、私達」
と言っていたのは、アンジェレネと呼ばれた少女だ。、彼女は元々フランスに住んでいたようだが、両親にミラノまで連れてこられてそこで捨てられたと言っていた。その気になれば帰る事もできるようだったが、帰ってどうなるのかと苦く笑うだけ。アニェーゼに比べればマシだろうが、彼女もこの集団の中では比較的シビアな理由を持っていた。
「疑問を抱く必要はありません。主が必要とおつしやるならそれにこたえるのが信徒の務めでしょう」
 そういう硬い言葉を放ったのはルチアと呼ばれた少女だ。アニェーゼやアンジェレネよりは一回り年上で、こちらは自分からローマ正教に選ばれるよう意識的に働きかけていたようだった。アニェーゼはほかにもアガターやカテリナといった少女たちとも知り合いになっている。
「どうなんでしょうね」
 アニェーゼは言う。
 神様というのは確かにいると思う。が、呼べばすぐさまやってくるようなものではないはずだ。現に神父だった親は祈りながら死んだ。アニェーゼは犯人に向かって名前を尋ねる前にぶち殺して捨てた。神様が身近にいたらこんな事にはならなかった。
「それよりも、私は今日の晩ご飯の方が気になっているんですけど」
 今でこそ、日本語は学び方が特殊だったせいか粗雑なにおいがするアニェーゼだが、元々のイタリア語は丁寧ていねいなものだ。
 一方、それを聞いたルチアは、
「それよりも、というのはどういう事ですか。この世界に主より重要なものなど―――」
「わ、私も気になります。もう一二日連続で隠し味がオリーブばかりでウンザリです。おる、オル、何でしたっけ、あのほのぼの見習いシスター。絶対にレパートリーを途中で忘れていると思います。あとお風呂ふろも変です。ちょっと熱すぎますよね。ルチアさんもそう思うでしょう?」
「隠し味などどうでも良いのですッ! それにあの浴場は少しぬるいぐらいでしょう!!」
「そ、そうでしょうか。言われてみれば、大人の方達はあんまり気にしてないように見えましたけど……えと、そうすると、あなたのとしって……。あっちにいる見るからに年上のアガターさんとかカテリナさんも熱い熱いって言っていましたし。ま、まさか……それ以上に」
 キッ! とルチアが指差された方をにらむ。と、少しはなれた所にいた少女達が慌てて目をらす。
 ぎゃあぎゃあというさわぎ声を耳にして、アニェーゼはわずかに目を細めた。
 神様が身近にいるとは思えない。
 呼べばすぐさま何でも助けに来てくれるような便利屋でもないのだろう。
 だが。
 ルチア、アンジェレネ、アガター、カテリナ―――こういった人達と巡り合えたのがローマ正教のおかげだというのなら、アニェーゼは素直に神様に感謝しようと思う。感謝と共に十字教の教えを信じてみたいとも思う。
 そして。
 巡り合わせてもらえただけで幸運なら、与えられた幸運はこの手で守る。
 何があっても。
 神様が渡してくれたチャンスをかし実らせる事を、自分なりの信仰のあかしにしてみせる。
「どうかしましたか。いつになく真剣な顔つきで」
「る、ルチアさん。アニェーゼさんもお風呂の熱さには我慢がまんできないという意思を表しているんですよ。じ、直談判じかだんばんなら私もご一緒いっしょします! ほら、アガターさんやカテリナさんも立ち上がりました!!」
 そうですね、とアニェーゼは見当違いな憶測おくそくに対してあっさりうなずいた。
 これからはここが自分の居場所になるのなら。
 まずは快適と呼べる環境を整えてみるのも良いかもしれない。

   

chap5

第四章 火船と砲火の戦い Lotte_di_Liberazione.

     1

 アニェーゼ=サンクティスは、『女王艦隊かんたい』の旗艦『アドリア海の女王』の一室にいた。ただでさえほかの護衛艦とは何もかもが違う旗艦の中でも、ここは一際ひときわ異彩を放っている。
 四角い部屋だった。
 一辺が二〇メートルに近い、完壁かんペきな正方形の部屋に見える。が、良く見ると四方の壁は、ほんのわずかに内側へ傾いていた。立方体ではなく、四角錐しかくすいの部屋なのだ。うっすらと白い電球色にかがやく壁をなぞるように視線を上げれば、はるか頭上にその頂点があるのが分かる。
 しかし、その頂点にはおかしな所がある。
 ここからの高さは、ざっと一〇〇メートル以上あるように見えるのだ。当然、この帆船はんせんはそれほどの高さを持っていない。船のサイズに納まらない空間を魔術的まじゆつてきに収めているのか、はたまたトリックアートの一種なのか。
 妙な点はそれだけではない。白っぽい電球色に輝く四角錐の部屋は、すべて正三角形の氷のパネルで組まれていた。実際には底が正方形の四角錐を正三角形だけで作る事はできないはずで、どこかにそれ以外の妥協点となるパネルがあるはずなのだ。
 だが、どこを見てもそんな物は発見できない。
 論理的に存在できない机上の空論のような図形が、そのまま無理を通して作られていた。それは端的に、ここが通常の物理法則では説明できない神聖な空間だと示している。
 装飾品は一切ない。
 白い電球色の光を跳ね返す氷で作られた完全な平面は、他者への拒絶を示すようだった。絶対という言葉はどこまでも冷たく、外周から中心部にかけて見えない重圧が放たれている。
 アニェーゼは部屋の中心を見た。
 どうやって床に固定されているのか、そこにあるのは透明な直径七メートルほどの氷の球体だ。シャボン玉のように中の空いた不可思議なオブジェは、アニェーゼが本来いるべき『牢獄ろうごく』でもある。
 ズン……、という低い震動しんどうがアニェーゼの耳に届く。
 彼女はまゆをひそめて、
「『聖バルバラの神砲』……? 一体、何に向けてっているんですか」
 声は、広々とした四角錐の中に反響はんきようする。
 ややあって、
「分からないのか、シスター・アニェーゼ」
 ぼんやりとかがやく部屋の中、氷の球体に背中を預けた人間はそう答えた。
 人影は男だ。
 重たく引きずりそうな法衣ほういに、首には四本のネックレスがある。切り株の年輪のようにも見える。そこには数十の十字架が取り付けてあった。メノラーだ、とアニェーゼは思う。セフィロトのの別表現、七本のロウソクによって例えられる四界の象徴だ。
『ビショップ・ビアージオ』
 突然、二人とは別の声が割り込んだ。その男の持つ十字架の一つからだ。
『三七番艦は沈みました。もう砲撃ほうげきめた方が良いのでは……。これ以上は陸からの干渉も懸念けねんされます。ただでさえ艦隊の展開にはヴェネト州の―――』
「人目の処理はよその部署に回しておけ。わたしの管轄かんかつではない」
 一方的に言って、ビアージオと呼ばれた男は首元の十字架を指でなぞった。それが通信術式のスイッチなのか、付き人らしき声は寸断される。
 彼はアニェーゼの顔を見て笑い、
「わたしも色々な部署を回ったが、能のある部下というのはなかなかいないものだな」
「能がない部下がいるようなら、それを引き出すように面倒を見るのが上官の務めだと思いますけど」
「理想論だな。そして、それが君の人生の敗因だ。シスター・アニェーゼ。部下の選定に手間をかけないから、君はそうしてそこにいる」
 でしょうね、とアニェーゼは適当に流した。
 ビアージオは忌々いまいましげに舌を打って、
「……本来、ネズミが見つかるまで三七番艦は本隊に近づけるなと言ったのに。挙げ句、『接続橋』までつないでしまうとはな。ネズミがよその艦に移っていたらどうするつもりだったのか。君の身に何かあったら取り返しがつかないだろう」
 彼の言葉に、アニェーゼは自分の体を抱くように両腕を回した。
 とはいえ、すでに修道服の機能が破壊ぽかいされている事は隠せないだろう。
 彼女の修道服は特別製で、その大きく肌をさらすデザインには十字教の刑罰の文化・術式が―――、織り込まれている。さらし刑―――生き恥を利用したこの刑罰は、自殺・他殺を問わずあらゆる死に対する防止策を付加されている。思いやりから命を守るのではなく、より一層苦痛を伸ばすために死を防ぐという訳だ。莫大ばくだいな『負荷』がおそうため、長時間の使用はできないが。
「しかし皮肉なものですね」
「言うなよ、シスター・アニェーゼ」
 ビアージオはくつくつと笑いながら答える。
「ローマ正教が古くからアドリア海を守ってきた大規模術式の適性を、まさか背信者の君だけが持っているとはな」
『アドリア海の女王』のカギとなる『刻限のロザリオ』。アニェーゼには詳しい仕組みや効果は分からないが、それはアニェーゼの精神をこわす事で機能するものらしい。
「人間は、その頭を使って体内で魔力まりよくを練る。しかし『刻限のロザリオ』は普通の人間が作る魔力では上手うまく機能しない。そこでシスター・アニェーゼ、君の出番という訳だ。その才能を存分に発揮すると良い」
 大仰な言葉だが、ようは『普通とは違う魔力』を作るために、人間を『普通とは違う頭』に改造する―――つまり廃人にする―――だけの話だ。アニェーゼの素質とは、その頭の『壊れ方』の方向性が『刻限のロザリオ』に向いているという訳である。
 忌々いまいましいが、それを口に出した所で何も変わらないのは分かっている。
 そんなものは、ここへ足をみ人れた時点で覚悟を決めていた。
「それよりも、三七番かんは沈みました、というのは?」
「言葉以上の意味が欲しいか?」
「……、職制者という、貴方あなたの部下もいたはずですが」
「人間の使い方はこちらで決めるものだ。違うのか?」
 アニェーゼはわずかにだまる。それから、撃沈げきちん前にあの少年たちが船から出られた可能性を考えてみたが、
「彼女達の脱獄術式にすがるのは楽観的が過ぎないか」
「……何の話でしょう?」
「死体を見せるのが手っ取り早いが、アドリア海にばらかれた破片を拾い集めるのも骨が折れるのでな。あの状態では身元を確かめるのにも時間がかかるだろう。さてどうしたものか」
 ギリッ、とアニェーゼは奥歯をんだ。
 そのわずかな音に、ビアージオは満足そうな笑みを浮かべる。
 と、
『ビシヨップ・ビアージオ! 緊急きんきゆうです!!』
 彼の首にある数十もの十字架の一つから、切羽詰せつばつまった声が割り込んできた。
 ビアージオはまゆをひそめ、
「何だ?」
『三七番艦撃沈跡の下部に巨大構造物の反応あり! 船の残骸ざんがいを回収しているようですが……』
 チッ、と彼は吐き捨てる。
潜水せんすい術式……以前のシスター・ルチア達と同じ、また海の底からか、『女王艦隊』の制海機能を組み直す必要があるな。大体、巨大構造物だと。そんなものを個人が用意できるとは思えないが……となると、やはりキオッジアには『集団』がいたか。だから早めにつぶしておけと言ったのだ。指示は出したのに、これも部下の失敗だったな。まったく、『集団』を仕留め損なうわ、船の侵人者たちにも逃げられるわ……」
 ビアージオはアニェーゼの顔を見る。
 今度は笑みではなく、ひとみにイラついた色を帯びつつ、
「……本当に、ドイツもコイツも使い物にならない連中ばっかりだ」

     2

 のどを焼く海水の味で、上条かみじようはぼんやりと意識を外側に向けた。
 水の中にいる。
 ゆらりと漂う手足が見えた。水深は何メートルか分からない。暗い夜の海はやみのカーテンにさえぎられているようで、頭上を見ても海面は黒一色に包まれている。周囲には例の氷の艦隊かんたいがあるはずだが、分厚い膜にでもおおわれたように光は全く見えない。
 ぼごん、と口の中から外へ白い泡がれる。空気の塊は細かく砕けながら上へ上へと流れていく。
(お、ルソラ、達は……?)

 意識の端に引っかかるように、人の名前が浮かぶ。
 氷の船は、もう残骸ざんがいもない。おそらく融点ゆうてんの変動した氷を元の海水に戻したのだろう。新しい船を別の場所で生み出しているのかもしれない。
(ル、ちアに、アン、ジェレネ。アイツらは……)
 とにかく海面を目指すべきだろうが、心が動作まで追い着かない。
 極限に達した眠気に屈するように、目的から行動、そして結果までの思考がつながらない。
 ごぼっ、と。
 空気の泡が口かられ、上へ上へと流れていく。
(ま、ずい……。……これは、本当に、死ぬかも……)
 海面までが遠い。
 崖下がいかから頭上の出口を眺めているような錯覚さつかくすら感じる。
(……、あれは)
 上条かみじようの視界の先、正面に広がっていた暗い海の色が、不意に割れた。
 シャチかサメでも近づいてきたのかと思ったが、縮尺を間違えていると遅れて気づいた。遠く遠くからやってくる『それ』は、ざっと三〇メートル近い全長を誇っている。
(まさか、―――)
 上条が思う前に。
 グバァ、と。細長い構造物の前面が、四つに分かれて花のように開いた。
まるで、浮かぶ少年を飲み込む巨大な口のように。

     3

 木でできた床の上に、全身びしょれの上条当麻とうまは仰向けに倒れていた。
 それを見下ろしているのはインデックスだ。彼女の両サイドには、四角い旅行かばんとスーツケースがそれぞれ置いてある。キオッジアの街で運河の海水に流されそうになっていたのをしっかり拾っておいたのだ。
 ここは縦長の薄暗うすぐらい空間だった。高さと幅は八メートル前後、長さは三〇メートルぐらいか。壁や天井てんじようは四角くなく、トンネルのように曲線を描いている。黒っぽい、年代物の木を組んで作られているようだ。木製ジェットコースターの柱みたいにしっかり計算されたものだ。
「そんなに心配そうなツラしなくても、もうすぐ自分で目を覚ますだろうよ」
 横合いから男の声がかかった。
敵艦てきかんごと容赦ようしゃなく沈められた時は流石さすがにビビっちまったけどよ。まぁ、結果だけ見りゃ不幸中の幸いってヤツなのよな」
 そういう問題じゃないとインデックスは思う。
 そして声の主もそれぐらいは分かっているだろう。だから彼は端的に言う。
「ほら、目を覚ました」
 インデックスは、バッ! と勢い良く倒れている上条かみじようの方へ改めて振り返った。
 れた前髪に若干塞じやつかんふさがれたまぶたが、うっすらと開く。
「インデックス……」
 上条当麻とうまは彼女の名前を呼んでから、ゆっくりと床から起き上がった。
「体は平気なの、とうま?」
 言ったのは真っ白な修道服を着た銀髪碧眼へきがんの少女だ。上条の顔を見てホッとしたようだが、またすぐにムッと表情が戻ってしまった。
 そのかたわらにいるのは、
「た、建宮たてみや斎字さいじか?」
「おう、お久しぶりよな。天草式あまくさしき十字凄教せいきようの教皇代理さんだ。今は手前にイギリス清教所属ってつくけどよ一
 元々黒い髪をさらに真っ黒に染め直した、クワガタみたいな光沢のあるとがった髪に、ぶかぶかのシャツやジーンズ。長身だが、服のサイズに反して極端に体は細い。首には小型扇風機を四つほどひもを通して引っ掛けてあり、足の靴紐は何故なぜか一メートル以上もある。
 上条は安堵あんどの息を吐いた。
 彼もまた、アニェーゼやオルソラと同じく『法の書』事件で知り合った人間だ。
「となると……天草式、か」
 確か、オルソラの引っ越しの手伝いにキオッジアへ来ていたはずだ。インデックスは上条たちと別れた後、天草式の連中を捜すために街を走ってくれたのだろうか。
 上条は額の汗をぬぐおうとしたが、千も服もポケットの中も海水でベタベタしていた,彼が閉口すると、ふと横からにゅっと白いおしぼりが差し出されてきた。見ると、二重まぶたの女の子がすぐ近くにいる。
「どうぞ」
「あ、どうも」
 上条が受け取ると、『いえいえ』とその子は立ち去っていく。
「っつか、何で……お前達はこんなトコに……? 大体、ここはどこなんだ……?」
 やや困惑気味に上条は言う。
 改めて周囲を見回すと、薄暗うすぐらい空間の奥に、数十人もの人の気配や視線を感じた。どうも、この木製トンネルみたいな場所には天草式の本隊がそろっているらしい。彼らは『五和いつわ、どうでしたか?』『もう少し一緒いつしよにいれば良かったのに』などと言っている。何なのだろうか?
「そうだ……ッ! オルソラ達は!?」
「ま、一応全員拾っておいたのよ。身元が分かっているのはオルソラ、ルチア、アンジェレネ、だったか。後は拘束されてる男とかローマ正教の修道女とか、色々だな。今、そっちの方は別で話を聞いてるトコなのよ」
 具体的にあの船に何人の人たちが乗っていたか分からないのが難点だが、上条かみじようはとりあえず建宮たてみやの言葉に安心した。上条は辺りを見回して、
「ここって天草式あまくきしきの秘密基地みたいなモンなのか? っつか、あの状況でどうやって海の中に落ちたおれ達を拾ったんだ?」
 はっはっは、と建宮は笑う。
「確かにちょっと想像しづらいかもしれんなあ。最初に言っておくけどな、こりゃ建物じゃねえ。乗り物だ」
「あ?」
 上条が疑問の声を返す前に、ぐぐっと慣性の力がかかった。彼の体が、やや背中の方へと流れそうになる。このトンネルみたいな施設そのものが動いているのだ。ギョッとする上条は、思わず身を強張こわばらせて、
「ってこれ、まさか―――ッ!?」
潜水艦せんすいかん、と言いたいトコだが、そこまで高性能じゃねえ。せいぜい潜行機能のついた木舟きぶねってのに近いのよ」
 つまり、と建宮は口ずさむように答えた。

「上下艦ってヤツよ」

 ドパァ!! とトンネルの外で水の膜を破る轟音ごうおんが聞こえた。ぐわん、と視界が大きく縦に揺れる。まだ信じられない上条の眼前で、トンネル状の屋根が中心から縦に大きく裂けた。まるで両開きの扉のように、ミシミシと木のきしんだ音と共に開放されていく。
 見えたのは電球色にかがやく夜空の月だ。
 潮のにおいが轟につく。まるで船に乗っているように、足元がふらふらと揺れた。
「まだまだ分かりづらいかもな。っと、こうすりゃ流石さすがに信じられるか」
 建宮が何の変哲もない木の壁をなぞった。
 ガゴンー という音と共に長さ三〇メートル前後もの床がすベて上へ上がっていく。ゴトガコと歯車のみ合うような振動がひびき、四〇秒ぐらいかけて床の高さが開かれた天井てんじようにまで達した。ちょうど、トンネルの屋根に登ったのと同じ構図となる。
 見えたのは夜の海だった。
 上条が立っているのは全長三〇メートル、全幅八メートルほどの、ラグビーボールのような構造物だった。開かれた天井は、まるでつばさのように両サイドに広がっている。海から顔をのぞかせるそれは、大量の木材を組んで作られた小さな人工島だ。
馬鹿ばかげてやがる……」
 上条かみじようは思わずつぶやいた。
 確かにこれは上下かんのようだが、機関室も司令室も船槽せんそうも通信室も、何にもない。ただ漠然と『上下艦』という中にトンネル状の空間がぽっかりとあるだけ。そもそも材料が木という時点で常識がズレている。ハリボテがそのまま動いているような感じだ。
「……なぁ。溢前らって、引っ越しの手伝いするのにこんなモノなんか持ってくるのか?」
「あん? 我らの母体は隠れキリシタンなのよ。武器をふところに隠し持つのは当たり前。そして我らが最も得意とするのは島原にもある通り、海戦よ」建宮たてみやはニヤリと笑って、「紙は木で作られ、木は船をも作る。そのつながりを上手に使えば、こんなに小さくも収めておけるって寸法よ」
 言いながら、建宮はぶかぶかジーンズのポケットから札束のようなものを取り出した。輪ゴムで無造作に束ねてあるのは和紙の束だ。まさか、あれが全部船に変わるとか言うのだろうか? 得体えたいの知れない呪文じゆもんでも書いてあるかと思いきや、それ自体はただの白紙だ。
魔術まじゆつって……とんでもねえ話だ)
 上条は首を振って息を吐くと、足元の上下艦から周囲へ視線を移す。
 水平線の近くに、かろうじて陸地が見えた。キオッジアの街……ではないかもしれない。もっと光の数が多いような気がする。
 一方、反対を見ると暗い洋上に白っぽい電球色の光の帯が見えた。下手すると街の明かりよりも強い光を放っているのは……おそらく、例の『女王艦隊』か。一歩はなれて眺めてみると、改めてそのスケールの違いが浮き彫りとなる。魔術業界どころか海戦の基本も分からない上条には、この位置が安全なのかどうかも分からなかった。
 これまでも敵の本拠地自体なら正面からみ込んだ事はある。が、どんなものであれ、施設の概要がいようは一つの敷地しきちに指を折って足りる程度の建物の数でしかなかった。しかし今回は違う。
軍事構造物そのものが一〇〇近く集結しているのだ。
(……、アニェーゼ)
 あんな所へ一人で残ると言外に語った少女の顔を思い出し、上条はわずかに顔をしかめた。
 と、それを見たインデックスが、
「これからどうするにしても、まずは詳しい話を聞かないとね。安全な場所までは、どれぐらい下がれば良いのかも知っておきたいし。……何より、とうまはものすごく何か言いたそうな顔をしているし」
「いや……」上条はわずかに言葉を詰まらせ、「実はおれもあのポロ船については良く分からなかったんだ。多分、俺よりもルチアとかアンジェレネの方が説明には向いてると思うけど」
「……、」
「な、何だよ?」
「別に。敵地のど真ん中であっても、とうまはとうまなんだなぁと思っただけかも」
「だから何だよそれ!?」
 上条かみじようはもう一度叫んだが、インデックスは不機嫌ムカムカ顔をするだけで答えてくれない。
らちが明かないので、さっさと話を進めようと彼は辺りを見回す。そうだった。問題の二人はどこにいるのだろう?
 と、少。しはなれた所に立っていた天草式あまくさしきの少年少女たちの人垣が割れた。
 奥から前へ出てきたのは、ルチアとアンジェレネだ。何故なぜかやや逃げ腰なのだが、彼女達の後ろからオルソラがニコニコの笑顔で背中を押していた。
「おっ。そっちも無事だった……みたいだな。っつか、お互い良く生きてたよな。砲弾が直撃ちよくげきしなかったとはいえ、五階とか七階ぐらいの高さから海に落ちたっつーのに」
 上条は気軽に話しかけたのだが、ルチアとアンジェレネは顔を赤くすると、だまって顔を横に向けた、あれ? と会話の空回り感に上条の表情が固まる。
 ふふ、とオルソラは小さく笑うとローマ正教のシスター達に向かって、
「もう、そんなに恥ずかしがらなくてもよろしいのに」
「む、無茶むちやな事をサラリと言わないでくださいよっ!!」
 半分涙目のアンジェレネはぶかぶかのそでを振り回し、ほとんどみ付くように叫んだ。ルチアは声を荒らげなかったものの、目を閉じて口の中でブツブツつぶやくと小さく十字を切っていた。気をしずめているのかもしれない。
「???」
 上条は訳が分からず、思わずまゆをひそめてしまった。
 はっはっは、とそれを見ていた建宮たてみやが笑う。
「いや、暗幕で四方を囲んで、その中で行われたからおれは詳しい事は分からないけどな」
「……、何その超不気味コメント?」
「つまりあれなのよ。ルチアとアンジェレネの修道服って、オルソラのモンとどっか違うのよな。ほら、そでとスカートが黄色いヤツに変わっているのよ。ありゃローマ正教が用意した拘束装飾でな、取り付ける事で『ある一点から一定距離きより以上離れられなーなる』くさりと首輪の効果があるんだと。脱獄経験があるお二人さんだけに後から追加されたヤツみてえだ」
「それの何がつまりなんだよ?」
「だーかーらー。察しの悪いヤツよの。ソイツをぶっこわさない事には二人とも拘束効果で倒れてたのよ。そんじゃ困るからって訳で、まぁ、申し訳ないけどお前さんが気絶している間に勝手に右手を使わせてもらったって訳」
 は? と上条は目を点にする。
「もっと簡単に言うとあれよ。あの修道服がー」
 建宮斎字さいじは、口の端をグンニャリ曲げて下品な笑みを浮かべると、ルチアの顔を指差した。キョトンとしている背の高いシスターに対して、教皇代理はおごそかに一言。
「すっとーん」
 ばばっ!! とルチアは顔を真っ赤にしてそでの短めな両手でアンジェレネを抱いて背中を向けた。まるで子供を守る母親が自分の体を盾にするような仕草だ。
 よくよく見れば、彼女たちの修道服はインデックスと同じく、たくさんの安全ピンが取り付けてあるのが分かる。おでこを硬く戒めていた金色のサークレットもなくなっていた。
 上条かみじようは大体の事に想像がついて、それからギョッとした。
「ちょっ……人がグッタリしてる間にそんなステキ……いやトンデモイベントが!? そしてかたわらで思い出しムカムカを始めたインデックスにどう対処すれば良いんだ! だっておれは何も見てないしそもそもお前達が始めた事じゃない!! これで怒られるのは理不尽りふじんだーっ!!」
 口では反抗しつつも上条はすでに土下座どげざの前段階に移行しつつある。わめく上条に対してインデックスは静かなもので、しかし音もなくゆっくりと唇が動いて歯がギラリとかがやく様子は余計に恐怖をあおる。ゴゴゴガガ!! という殺気が彼女を中心に渦を巻いていた。割と百戦錬磨ひやくせんれんま天草式あまくさしきの人々が慌ててうわあと逃げ出す。上下かん全体が混乱に包まれる。
 一方、ルチアのおなかから顔をはなし、彼女の両腕から逃れたアンジェレネは、ふと思い出したように、
「そ、そうでした! こんな事をしてる場合では……シスター・アニェーゼがまだ……ッ! あの、皆様には助けていただいた恩もありますので、現状の説明だけでも……ッ!」
 だが、ポツポツと告げる小さな言葉など、命懸いのちがけで口論している上条と彼を取り巻く周辺の人達の耳には届いていない。
「とうまはいっつもそんな感じだよね!」
「インデックスもいつもそんな感じじゃん! 人間なら怒る時もある、そしてお説教だってありだと思う。しかしそこでスルメを千切ちぎるトーンの一撃いちげきが来るのはどうなんだっつの!!」「あの、あの……」
 人の話を聞いてくれないギャラリーにアンジェレネが困った顔でそわそわと手を動かした。ノリとしては駄目だめな学級会議のようなものかもしれない。
「え、ええとですね。私達にはまだ目的があって、できればシスター・アニェーゼの事を説明……うぁー」
「変だって絶対変だよ! 大体そんな強烈な噛み付き攻撃があるなら魔術師まじゆつしにもそれで戦えば良いじゃん! 一〇万三〇〇〇冊? それよりよっぽど脅威だよ!!」
「とうま、とうま。開き直り作戦が通用するほど私は甘くはないかも!!」
 珍しく噛み付こうとするインデックスに背を向けて逃げる上条。白いシスターはそんな彼の背中に飛びついて、二人一緒いつしよにゴロゴロと床を転がる。それに巻き込まれた二重まぶたの女の子が『わっ、わああっ!!』と甲板の上で倒れた。持っていた白いおしぼりがばらかれる。周りの天草式の連中から『五和いつわチャンスだ、行けってーっ!』『耳たぶにチュっとやってしまいましょうよ!』『せめて胸ぐらい押し付けてみては!?』『うるせえまずは強敵、禁書目録を遠ざけるのが先だ! 五和いつわ、女なら思い切って蹴飛けとばせ!!』とかいう声が飛んでくる。それを見た建宮たてみやが笑い、オルソラがまぁまぁとほっぺたに片手を当てる。ルチアはうんざりしたように息を吐いた。
 ハッキリ言えば、だれもアンジュレネの話を聞いていない。
「えーっと、ええーっと、そのうー……ッ!!」
 アンジェレネのそわそわのペースが次第に速くなっていく。
 そのピークが最高潮に達した途端に彼女は両目を、くわっ!! と見開いた。
 意を決したアンジェレネは、となりにいたルチアのスカートを両手でグッとつかむと、

「ほ、ほらーっ! ちゅうもーく!!」
 ルチアの修道服のスカートを、ブワサァ!! と勢い良く持ち上げた。

 ピタリと。
 会話が止まった。
 ルチアは始め、耳が痛くなるほどの沈黙ちんもくにキョトンとして、その場の全員がこちらを見ている事にまゆをひそめ、宮殿の窓から教皇様が手を振った時のような高揚に包まれた静寂に不審感

を得て、足元が妙にスースーする事に気づき、それから不思議そうな顔で下に視線を向けて、
「!?」
 およそ二秒半で顔を爆発的に真っ赤にすると、空気をまとって夜空を泳いでいるスカートの布地を両手でたたき落とした。
 ルチアは音もなく首を回してかたわらの小さなシスターを見ると、
「……し、シスター・アンジェレネ?」
「い、いえ! 私たちの部隊内ではいつもこんな感じだったじゃないですか! ですからその、あの、いつものクセで!!」
 アンジェレネは弁解のつもりで言っているのだろうが、建宮たてみや天草式あまくさしきの少年達はルチアと同じぐらい顔を赤くすると、余計に気まずそうに目をらした。そして硬直した上条かみじようはインデックスに拘束されて頭をかじられた。

     4

 流石さすがに巨大な上下かんのまま陸地に接岸するほど、天草式は常識知らずではないらしい。まず上下艦で陸の近くまで向かうと、建宮がポケットから取り出した紙束を海に向かって投げる。それらが二〇隻近い小型の木のボートに変化した。上条達はそれぞれ人員を分けてボートに乗ると、建宮が最後に上下艦を元の紙切れに戻す。和紙は回収するまでもなく、海水に溶けて消えてしまった。
 手漕てこぎのボートは、すぐ近くにあったあかりの下へ向かった。島かな、と上条は思ったが、どうもよくよく夜のやみに目をらしてみるときちんとした陸地だった。海に向かって鋭角に突き出した場所らしい。
「ま、キオッジアに逆戻りってヤツよ。っつっても、オルソラじようの住んでた中心部とは、海を隔てたとなりの地区だけどな」
 ソット・マリーナと言うらしい。
 岸まで着くと、天草式の面々は再び手漕ぎボートを紙切れに戻していた。さらに、今度は紙束をばらいて木の椅子いすやテーブルを作り出す。木製のスプーンやフォーク、食器皿やグラスまで用意されている所を見ると、どうも詳しい話は食事を採りながらするつもりのようだ。
 と、背の高いルチアは少し落ち着きのない様子で周囲を見回すと、
「ご一緒いつしよしたいのは山々ですが、私達はこれからシスター・アニェーゼの所へもう一度戻らないといけないので」
「今すぐ行っても無駄むだなのよ」建宮はあっさりと切り捨てた。「我らがさんざんかき回した後なのよな。連中だって警戒態勢を解いちゃいねえのよ。まずは時問を置かなくちゃならねえ」
 との事で、暗い海をバックに遅めの夕食の準備が始まった。
 流石さすがに紙束をばらいて料理が出てくる事はなく、こちらは金属製のキャンプ用の調理道具を取り出すと、天草式あまくさしきの少年少女たちは手早く作り始めた。それを見ていた上条かみじようは、どこか手順に無駄むだがあると思えた。もしかすると、天草式の様式にのつとった儀式ぎしきみたいなものかもしれない。
 と、料理を作る人達を同じように眺めていたアンジェレネが、
「私はコーヒーとか紅茶よりも、チョコラータ・コン・パンナが良いです」
 何それ、と上条がアンジェレネの方を見ると、
「あ、知らないんですか。チョコレートドリンクの上に生クリームがたっぷり乗った飲み物なんですよ。基本はエスプレッソを使うんですけど、私はチョコの方がアギュッ!?」
 得意げに激甘ドリンクの説明を始めたアンジェレネの頭を、となりにいるルチアが上から押さえつけた。
「シスター・アンジェレネ……。貴女あなたは先ほどから少し警戒心がうすすぎますよ。彼らとは一時的に協力しているだけです。それと甘い物への執着も断てとさんざん注意してきたはずですが」
 ルチアの怒り方に、むしろ上条は戸惑った。
「そこまで言わなくても。大体シスターさんってみんなそんな感じよくぼうまるだしじゃねえの?」
「何を基準にそんな台詞せりふを言っているのですか!? 修行中のシスター・アンジェレネを十字教徒すべての見本にしないでください!!」
 信じられないものでも見るような顔で叫ばれたが、それに対してインデックスが気まずそうに目をらした。ちなみに横ではオルソラが、まな板の上からもらってきたのか薄い生ハムを『あら。美味でございますよ』とか何とか言いながらモクモク食べている。……、やっぱりみんなそんな感じかもしれない。
 そうこうしている内に料理はできた。
 建宮たてみやに勧められる形で、上条達はテーブルに着く。
 すると突然、にゅっと目の前に白いおしぼりが差し出された。見ると、二重まぶたの女の子がいる。彼女はもう片方の手でほっぺたを押さえ、どこか顔を赤くして目を泳がせていた。
「あ、どーもー」
 何気なく受け取ると天草式の女の子は、
「いっ、いえいえ!」
 と慌てて立ち去っていく。『まだおしぼり作戦なのか五和いつわ!?』『次のステップです! どさくさに紛れて手ぐらい握っちまいましょうよ!』『ええいまどろっこしい!』『いやこうなかなか進展しないのが五和の魅力みりよくなのでは?』『ゆくゆくは女教皇様プリエステスともぶつかるのでしょうが、こればっかりは我々一同、五和を応援します!!』などという声に身を縮めているようだ。さっきから一体何なのだろうか? 上条にしかおしぼりを渡してこないのもちょっと気になる。
 当然、天草式の全員が同じテーブルに着けるはずがないので、残りの人達はほかのテーブルで固まりつつ、体をこちらへ向けている状態だ。

 そんなこんなで、情報整理と作戦会議が始まる。
「まずは、アニェーゼって人がとらわれているっていう、あの艦隊かんたいからだね」
 最初に言ったのはインデックスだ。
「多分『アドリア海の女王』を守る『女王艦隊』だと思うけど、間違ってないかな?」
 一発で言い当てられた。
 ルチアとアンジェレネがギョッとした顔でインデックスを見る。上条かみじようもある程度慣れたとはいえ、こういう場面を見ると改めて彼女の特殊性を思い知らされる。
「守る……? ってーと、何よ。あれだけの大艦隊が全部オマケだっていうのよ?」
 建宮たてみやが不審そうというより、あきれた声で言った。成金趣味しゆみの過剰な装飾を見たような顔だったが、無理もないと上条も思う。あんな戦力があれば、すでにそれで十分な脅威なのだ。
「は、はい、具体的には、私たちも『アドリア海の女王』がどんなものかは分からないんですけど……。こちらには理解もできないぐらい凄い施設だったんだって、思います」
「私達は、『法の書』の一件で貴方あなた達に敗北した後、その叱責しつせきを受けて前線から外されました。
ローマ正教が受けた負債を返すという名目で、あの『女王艦隊』で働かされていたのです。……と言っても、与えられるのは端的な命令ばかりで、具体的に自分が何に貢献しているのかもつかめないという状況でしたが」
 ルチアが続けて言う。アンジェレネの取り皿に野菜ばかりを人れて差し出すと、小さな修道女は泣きそうな顔でルチアを見返した。当然、背の高いシスターは気にも留めない。
「働かされていたって、何やってたんだ?」
 上条かみじようが首をひねりながら尋ねると、ルチアとアンジェレネは顔を見合わせた後に、
「わ、私たちは海水から風を抜く作業を割り当てられていましたけど……」
「は? 風って???」
「あ、いえ、その。風と言っても、魔術的まじゆつてきな意味での風です」
 ……、マジュツ的なイミでのカゼ? と上条は目を点にした。何がどう違うのかサッパリ分からない。なので、オイオイそりゃどういう事なんだよと改めて聞こうと思ったが、
「ふうん。風っていう事は初期の錬金れんきん方面だね。作業って言っても精神的なもの、か」
「この場合は四属性の内の一つ、でございますか。それを抜き取るという事は」
えて不安定な状態のものを作る事に意味があるかもしれんのよな」
 立て続けに魔術サイドの連中がコメントを飛ばし、周りの天草式あまくさしきの皆様が『うんうん』という感じでうなずいてしまった。上条は何だか質問のタイミングを失ってしまう。『動いている空気はすべて風って言うのだ』という豆知識が一瞬いつしゆん頭に浮かんだが、その程度の事しか考えつかない自分の脳に上条はぐったりする。
護衛艦ごえいかんの船体は通常の海水を使っているようですから、おそらくそれ以外の術式に使われるものだと推測できるのですが」
「だ、だとすると、『アドリア海の女王』ぐらいしか思い浮かぶものはないですし」
 会話の輪の外にポツンと迫いやられた上条は、もう一度、輪に向かって突っ込んでみる。
「でも、その、アドリア海の女王、だっけ? 何かそれ、ローマ正教以外でもどっかで聞いた事があるような気がするんだけど」
 上条は首をひねりつつ、細いタコの足がたくさん人ったサラダを取り皿に載せる。そんな上条にインデックスが言った。
「アドリア海の女王っていうのは、ヴェネツィアの別名だね」
「む? って事は、やっぱりヴェネツィアに深くかかわってる魔術だってのか。例えば、ローマ正教ヴェネツィア支部で開発された海の術式だとか」
「それなのでございますけど……」
 オルソラはアンジェレネの取り皿に生ハムを載せてあげようとしたが、ルチアに甘やかすのは駄目だめだと丁重に拒否された。
「……元々、ヴェネツィアとローマ正教は同じイタリア半島にありながら、極端に仲が悪かった歴史を持っているのでございますよ」
 あん? と上条はまゆをひそめる。オルソラは続けて、
「そもそも、ヴェ、不ツィアは他者からの侵略・支配を嫌う人々がアドリア海に逃げた結果、生まれた街でございます。そして、その後も独立心が極端に強い風潮が残り、ローマ正教やビザンチン帝国などから傘下に加われと突きつけられた勧告をすべて跳ねけるという事までやってのけたのでございますよ」
 インデックスはバターでいためたアサリを食べながら、
「歴史的には八二九年に商人が一二使徒の一人、聖マルコの遺骸いがいをヴェネツィア島内に持ち込んだ事で、『その眠りを守るために独立する』という姿勢を表しているの。これは同じ一二使徒の『聖ペテロの眠りを守るために』と主張するバチカンと対等に見て欲しかったのかもしれないね」
 彼女の声に、ルチアもうなずく。
「ヴェネツィアは塩や交易品で莫大ばくだいな富を得て、一方でフランクやジェノバといった大国からの侵攻を幾度となく防ぎ、パドヴァやキオッジアなど周辺都市国家を次々と制圧していくだけの軍事力を誇っていました。……ローマ正教の本拠地、教皇領からそう遠くもなく、なおかつその支配を受けない海洋の強国として君臨していた訳です」
 ルチアのとなりで、アンジェレネは切り取った黒鯛くろだいの身を取り皿に載せて、
「ヴェネツィアは、その横暴ぶりを見た当時の教皇様から直々の破門状を幾度となく受けていたらしいんですよ。普通ならこれはもう死刑宣告にも等しいんですけど、それでもヴェネツィアは意にも介さず発展し続けていきました。……こんな、いつ自分たちきばくか分からない都市国家に、ローマ正教があれほど巨大な艦隊かんたい術式を贈るとは思えないんです。むしろ逆に―――」
「―――あれは対ヴェネツィア用に作られた、特殊な巨大艦隊って訳か」
 上条かみじようはフォークの手を止めて、静かに告げた。
 インデックスは、『うん』と答えた。
「当時のローマ正教が危機を抱き、そして大事となれば一撃いちげきでヴェネツィアをほうむれるように整えたのが、『アドリア海の女王』。対都市専用の大規模術式を艦隊の迎撃には回せないから、ヴェネツィア海軍用の防衛網として用意されたのが、『女王艦隊』だよ」
 国家を丸々一つたたつぶすための大規模術式。
 その事実におどろいたのは、上条や建宮たてみやよりも、ルチアやアンジェレネの方だった。自分達が今までどこで何をしていたのか、それを改めて確認させられたからだろう。
「……また随分と古めかしい設備を持ち出してきたモンよな。連中はそんな大それたモンを用意して、 一体何を始めるつもりなのよ?」
 建宮は首を振って、遠くはなれた海に浮かぶ電球色の光を眺めた。
 インデックスも難しそうな顔で、
「大規模術式『アドリア海の女王』はヴェネツィアに対してしか発動できないの。理由は簡単で、だれかに奪われた時に、自分達に向けられる事をローマ正教が恐れたからなんだけど……」
「じゃ、じゃあ、彼らは本気でヴェネツィアを破壊はかいするつもりで!?」
 アンジュレネが顔を青くしたが、今度はオルソラがまゆをひそめる。
「ですけど、ローマ正教とヴェネツィアがいがみ合っていたのは、もう何百年も前の話でございますよ? 今ではむしろ世界的観光地として、ローマ正教が得る恩恵も少なくないはず。こ。こにきて急にこわす理由が想像もつかないのでございますが」
「……ヴェネツィアを攻撃こうげきする事に、何かそれだけの意味があるのかも」
 インデックスがポツリとつぶやくと、場をシンとした静寂がおおった。
 上条かみじようは、ゴクリとのどを鳴らして、
「『アドリア海の女王』って魔術まじゆつ自体は、何百年も前からあったんだよな……。オルソラの言葉じゃないけど、何でこのタイミングなんだ?」
「うーん……普通だったら権力を外部へ示すって意味合いが強そうだけどね」
「でも、ローマ正教って元々最大勢力なんだろ? わざわざそんな事をやらなくちゃならないなんて、ここ最近で連中の間で何かが起きたの―――」
 言いかけて、上条は少しだまった。
 それから告げる。
「……まさか、『使徒十字クローチエデイピエトロ』か?」
 ルチアとアンジェレネは思わぬ言葉にキョトンとして、事情を知っているインデックスやオルソラは上条と同じ表情になった。建宮たてみやだけが、完全に何の事か分からないようだ。
「ありゃローマ正教が誇る、最大クラスの霊装れいそうだったよな。それで大覇星祭だいはせいさい期間申の学園都市を攻撃して、実際に少しも通じなかったんだ。ローマ正教があせりを覚えるのも無理はねえよ」
 それだけで魔術サイドが科学サイドに屈した事にはならないだろうが、ローマ正教が受けた衝撃しようげきは並のものではなかっただろう。ローマ正教最大のカードが全く効かなかったのなら、その他のカードはどうなるんだ、という感じか。
「でも、焦りを覚えた連中が動きを見せるにしても、何でヴェネツィアがねらわれる事になっちまうんだ? そもそも、コイツを計画してる馬鹿ばかは一体どこのだれで何を考えてんだか……。インデックス、『アドリア海の女王』って使うと得があるモンなのか? 『使徒十字クロ チエデイピエトロ』みたいに街を支配できるとか」
「そういうのはないよ。『アドリア海の女王』には破壊はかい以上の価値は存在しないもの。基本はソドムとゴモラに振るわれた天罰で、『あらゆる物から価値を奪う』効果を持つんだから。価値ある物を作る、という風にはいかないかも」
「ソドムとゴモラ……っつーとあれよな。大天使『神の力』が火の矢の雨を降らしたっていう」
 建宮がぶどう酒の人った木のグラスを傾けながら言う。
 彼は古い本でもめくるような声で、
「背徳の都を罰する命令を受けた天使だが、街の中には敬虔けいけんな一家がいた。なので破壊の前に一家に対してだけ逃げるようにと伝えた。その折、天使は一つの規則を付け加えた。しかし破壊の当日、一家の妻だけはその規則を破ったため、街と一緒いつしよ破壊はかいされた……か」
「うん。『アドリア海の女王』は、まずヴェネツィアを背徳の都に対応させ、火の矢の術式を打ち込むの。それによって、ヴェネツィアは街の中心から外周まで、そのすべてが完壁かんぺきに破壊される。これが第一段階」インデックスは平たい声で、「第二段階では、それだけでなくさらにヴェネツィアをはなれていた人や物品をもねらう。旅行に出かけていた人、美術館に寄贈された芸術品、ヴェネツィアを土台として広まった文化、そういったものが全部奪われていくの。ヴェネツィア派という学問や歴史すらも一瞬いつしゆんで消えてなくなっちゃうかもしれないんだよ……」
 ゾッとする言葉だった。
 一口では想像もつかないからこそ、そのスケールの違いが浮き彫りとなる。
 普通にイメージできる範囲など、とっくに超えてしまっているのだ。
「シスター・アニェーゼは……」
 アンジェレネが、ポツリとつぶやいた。
「……きっと、何も知らないと思います。『アドリア海の女王』がどんなものか知っていれば、絶対に購っているはずがありません。私酸は前に罰属環達を難…ったのだから、偉そうな事は言えないです。でもシスター・アニェーゼが、プロの人間ならともかく魔術まじゆつについて何も知らない普通のローマ正教徒を殺す事まで良しとするとは、考えにくいんです」
「私はそこまで美化しませんが」ルチアは続けて言った。「……詳細を知らないというのは、おそらく本当でしょう。状況的に考えて、ローマ正教からすれば使いつぶすだけの彼女に説明を行う必要はありません。カギはあくまでカギ、ただの道具なのですから」
 忌々いまいましそうな声だった。
 上条かみじようは何となく二人どちらの意見も分かる気がしたが、ふと横を見るとインデックスがわずかにまゆを寄せていた。今の言葉に引っかかりを感じる、という風にだ。
 建宮たてみやはわずかに息を吐いて、
「ま、ようはその魔術が発動するタイムリミットまでにアニェーゼ=サンクティスをあそこから連れ戻せってんだろうけど、口に出すまでもなく難関よな。ヴェネツィアが潰されるってんなら、黙ってる訳にはいかねえのよってのが心情的なモンだろうが」
 現実的な言葉を前に、ルチアとアンジェレネは思わず口をつぐんでいた。
「具体的なリミットがいつかは分かってんのよ?」
「……いえ。しかし艦隊かんたいがああして本格的に集結した以上、おそらくもう猶予ゆうよはないでしょう。あれを維持し続けるのにも莫大ばくだいな資源を使いますし、何よりが昇れば流石さすがに目立ち過ぎます。人払いなどを使うにしても、あの規模となると……」
「い、今までは、それぞれの艦がバラバラに準備を進めていたんです。船の数自体も、今の何分の一ぐらいしかなくて……。でも、ここに来て大きな動きが出てきた事を考えると、やっぱり彼らがわざわざ長期間『待つ』とは考えにくいと思います」
「……つまり、チンタラやってる場合じゃねえのよな」
 建宮たてみやはわずかに緊張きんちようした声でそう った。
「なぁ。これって魔術的まじゅつてきな問題なんだろ。だったらイギリス清教にたのめば良いんじゃねえのか?」
 上条かみじようは言う。詳しくは知らないが、確かインデックスたちの所属する 『必要悪の教会ネセサリウス』はまさにこういう事件を解決するための部署だったはずだ。
 しかし建宮は首を横に振った。
「もう呼んでるのよ。ただ、ロンドンからここまでは距離きよりがある。しかもあれは、そこらの魔術結社の施設じゃない。れっきとしたローマ正教正規のヤツよ。下手にイギリス清教が全力を挙げてつぶしにかかれば、それが世界に亀裂きれつを入れる問題に発展しかねんのよ。ここはただでさえローマ正教のお膝元ひざもと―――他宗派の大規模部隊を召集・展開するだけで難癖なんくせつけられる」
 彼の話では、上条達を助けた事ですら相当の綱渡つなわたりだったらしい。
 不利な条件ばかりが山積みになる状況に上条は歯噛はがみするが、逆に言えば、
(まだ終わってない。少なくとも、俺達なら綱渡りはできるって訳だ)
 例えば大規模な増援は呼べなくても、今ここにある戦力だけを使って正当防衛を行う分にはギリギリの所で言い訳がくのだと思う。
 だからこそ、建宮も天草式あまくさしきを使って上条達を助けに来てくれたのだろうし、頭ごなしにルチア達とのかかわりを断とうとはしないのかもしれない。
 教皇代理はテーブルの上から、自分の取り皿やグラスを横にどけ、さらに近くにあったサラダの載った大皿をオルソラの方へと寄せた。
「現状を確認すんのよ」
 建宮は塩の人った木の器を空いたスペースの真ん中に、コツンと置く。
「これが『女王艦隊かんたい』。今はヴェネツィア本島から南へ一〇キロの位置にいるのよ。本島からは艦れてるし、ちょうど周りの細々とした島からもそれなりに距離がある。人払い的な術式を使わなくても、何とか見つからない死角だろうよな」
 次に、彼はソースの人った器を、それより奥へ、三〇センチぐらい離れた場所に置く。
「で、こっちが我らの現在地。さらに南へ一〇キロってトコよな。こっからじゃ『女王艦隊』の光は見えねえな。あっちに見えるのはリド島の夜景だ。ここキオッジアからヴェネツィア本島まで伸びる、細長ーい島よの」
 カジノが有名なんですよ、とアンジェレネがシスターらしからぬ豆知識を披露ひろうしてルチアに頭を上から押さえつけられる。
「そして」
 建宮は木でできたフォークをつかむと、
「『女王艦隊』から半径五・五キロ。砲の大きさや取り付け角度から考えて、これがおそらくヤツらの索敵圏内よ。この円の中に入ると、ヤツらの砲台に絶えずねらわれる事になる」
 ガーッ! と、建宮たてみゃは木のテーブルに直接円を描く。塩の容器を中心に描かれた円の縁は、ちょうどソースの容器との等距離とうきよりに引かれていく。互いの陣地を分けるように。
「実際には、射程距離ギリギリからってくる事はないだろう。となると、大雑把おおざつばに見てデッドは周囲四から五キロって所よな」
 さらにその内側に、建宮は年輪のように円を描いた。
 コン、とフォークの先端で五キロのラインの縁を軽くたたいて、
「簡単に言えば、『女王艦隊かんたい』に乗り込むにはこの距離を詰めなくちゃならん。この艦なら一発もらえば沈むのよ。船の数は一〇〇弱、砲は一隻辺り片側だけで三〇から四〇。あれだけ密集しているならすべての艦が同時に撃つ事はできんだろうが……にしても、はっきり言えば雨のように飛んでくるだろうよな」
 ザッ! と、建宮は塩の容器からソースの容器まで、テーブルに直線のラインを引くと、射程距離の円の内側を、カツカツとフォークで叩いた。
「さて問題、どうけながら突っ込むよ?」
 突っ込んだとしても、さらに大量の敵と船の上で戦わなくちゃならんがな、と建宮は続ける。
 ごくり、とだれもがつばを飲んだ。
 弾幕という言葉がある。砲弾で作る壁だ。彼が言っているのは、隙間すきまのない分厚い壁をどう

すり抜けるのかという、机上の空論のような問いかけだった。
「五キロ……ってーと、電車で三分ぐらいか?」
「……お前さんの例えはどうにも家庭的よの」建宮は少しあきれた顔で説明する。「陸の五キロと海の五キロは全く違うのよ。軍艦のエンジンを車に積んでみろ、そのまま空を飛ぶかもしれんのよ。いや、エンジンの重さだけで車体がこわれるか」
 船というと、車や飛行機に比べて遅いイメージがあるが、それは水の抵抗力が邪魔じやましているからというだけだ。直線距離なら五キロだが、体感的にはその数倍。その引き延ばされた距離を、ひたすら砲弾を避けながら突き進まなくてはならない。
 聞けば聞くほど気が滅入る。
 食欲が消えるような話だ。
「あの、先ほどのように海の中にもぐってこっそり進むというのはどうでございましようか?」
 オルソラはおずおずと告げたが、
「……そ、その、私たちが脱獄した時も、海底コースターを作って逃げたんです。でも、だからこそ」
 アンジェレネの言葉に、ルチアがとどめを刺す。
「三度目を見逃すほど、『女王艦隊』の指揮官も間抜けではないでしょう。艦隊の指揮者、ビアージオ=ブゾー二。階級は司教ですが、狡猜こうかつさにかけては枢機卿すうききようを越えると呼ばれる男です。そろそろ、対潜水戦せんすいせん用に制海装備を整え直していると思います」
 ビアージオ=ブゾーニ。
「単体での戦闘力せんとうりよくよりも、複数を動かす事に特化した司教と聞いています。しかし、単に護衛に守られているだけの人間ではないでしょう。完壁かんペきな防衛ラインを築けるという事は、その肌で敵の動きを覚えてきたあかしでもありますから。司教という地位も、そう簡単になれるものではないでしょうし」
「??? 司教って、どれぐらい偉いんだ?」
「わ、私たち修道女を一〇〇〇人ぐらい軽く動かせるのが司教様の位です」
 アンジェレネが自嘲じちようでも何でもなく、ごく普通の声でそう言った。
 建宮たてみやは舌打ちして、
「それだけの人員が来なかっただけでも不幸中の幸い、なのか? にしても、話を戻すと問題なのは『女王艦隊かんたい』の戦力の応用性かもしれんよな。氷で作られているから装備を替えるのに軍港へ寄る必要もなし、か。厄介な敵よ」
 紙切れを上下艦に変える宗派に言えた義理はないと思うが、事実は事実だ。
 あれはそもそもヴェネツィア海軍全体を退けるために用意された大艦隊だ。船や上下艦の一隻二隻で立ち向かおうという考えが間違っているのかもしれない。
 ルチアとアンジェレネは、悔しそうに奥歯をんだ。
 一歩はなれた所から部外者の声で戦力を分析された事で、改めて自分の立ち位置がどんなものなのかを確認してしまったからだろう。
「それでも……行かなくてはなりません」
 ルチアは思い詰めたような顔で言った。
 建宮は頭をガリガリといて、
「おいおい」
貴方あなた達について来い、とは言いません。船を貸せ、というのも図々しいでしょう。私達には海底コースターを築く術式があります。やはり、あれを使って侵人するしかありません」
「し、勝算は、ゼロではないんです……」
 アンジエレネもおずおずと言う。
 ひとみおびえの色がはっきり出ているし、肩もふるえている。それでも、彼女はだまらない。
「私達の作る海底コースターを、海の中で木の根のように張り巡らせれば……艦隊の動きを止められるかも。あるいは、座礁ざしようねらって船底に穴を空ける事だって……」
「あの砲弾は一発でウチの艦を沈めるってのに、氷の船は自軍の砲撃ほうげきを数十発と受けたってピンピン回復してやがるのよ。こわれた程度で動きが止まる相手と思えんのよな?」
 さえぎるように、建宮は言った。
 ルチアとアンジェレネは、思わず黙る。
 シンと静まり返る中、彼女たちの押し殺した息だけが、波の音に混じって上条かみじようの耳に届く。
「……なら、どうしろと言うのですか」
 やがて、ルチアは言った。
 ギリギリと、奥歯をめながら。
「ヴェネツィアの破壊はかいなど、だれも望んでいないでしょう。このままでは、ビアージオの訳の分からない指揮の下に、シスター・アニェーゼは『アドリア海の女王』などという訳の分からないもののために使いつぶされ、言葉も仕草も分からない廃人となります。それをだまって見ていうというのですか」
 両目をつぶって、彼女は言葉をつむぐ。
何故なぜ、私が彼女の下についていたと思っているのですか。シスター・アニェーゼは礼拝で私に寒気を感じさせたほどの信仰心を持つ、唯一の修道女です。教会が持つべき宝とは金品でも財宝でもなく、彼女のような者を指すのです。私は私が認めた者がこのような末路を迎える事を、良しと思いたくはありません。……何があっても」
「私は……きっとシスター・ルチアほど行動指針に信仰は深くかかわっていません」
 アンジェレネは、小さく笑って続けた。
 賛同を得ようというのではなく、ただ自分の意見を言うためだけに。
「理由なんて極めて個人的なもので、今までシスター・アニェーゼに助けてもらったからです。人生で一度とか二度とか、そんな大きな事件があった訳じゃなくて、いつもいつも助けてもらっていたから。だからこそ、何も返せないままシスター・アニェーゼとお別れなんて、絶対に嫌です。返すとしたら、きっと今しかないんです」
「……、」
 上条はわずかに黙った。
 いや、黙らされたのかもしれない。ルチアやアンジェレネの言葉には強制力はない。むしろ、人を遠ざけるような拒絶の色がある。
 でも、
 だからこそ、
「なぁ建宮たてみや。もう良いんじゃねえのか?」
 あ? と建宮は上条の言葉にまゆをひそめる。
 上条は続けて、
「勝算とか戦略とか現実的な問題とか五キロの距離きよりを詰めるとか砲弾を一発受けたら終わりとかさ、そういう話はもう良いんじゃねえのか。そうじゃねえだろ。今ここでおれ達が議論するべきなのはさ、アニェーゼを助けたいか助けたくないかっていう、それだけなんじゃねえのか?」
 ルチアとアンジェレネが、おどろいた顔でこちらを見た。
 上条の言葉を聞いたインデックスが、肩を落として心の底から疲れた息を吐いた。オルソラはなぐさめるように彼女の背中を軽くさする。彼女たちは、上条かみじようのそういった側面を知っているからだろう。実際に、その目で見てきたのだから。
建宮たてみや
 その名を呼んだのは、天草式あまくさしきというこの場の代表に向かっての意味だ。
 それを知ったのか、彼だけでなく天草式の少年少女達が皆、上条を見た。
「確かにアニェーゼ=サンクティスは完壁かんぺきな善人って訳じゃねえ。でも、そんなアイツだって自分の仲間達を逃がすために自分が助かるチャンスをわざわざ棒に振った。そして自分がこれから組み込まれる『アドリア海の女王』の正体がどんなものかも分かってない。アイツのおもいは、きっと最期さいごまでだれかに利用されたまま破壊はかいされる。廃人っていう、本当に救いようのない末路で幕を下ろされてな。ようは、アイツを助けりゃ良いんだろ。ヴェネツィアの破壊だってそれで全部防げるんだろ。だったらやる事は一つじゃねえか」
 上条は周りなど見ない。
 ただ、建宮斎字さいじの目を見て告げる。

「お前はアイツを助けたくねえのかよ。だったら、おれは一人でもあそこに行くぞ」

 ハッ、と建宮は笑った。
 ドスッ!! と木でできたフォークをテーブルの上に突き刺して、
「ったく、これじゃまるで俺が悪者みてえじゃねえのよ……」建宮は本当に悔しそうに舌打ちすると、「ちくしょう、傷つくなぁ。そういう事が言いてえ訳じゃねえのに。こっちとしちゃ、そこは最初からクリアしてんだ。だから次にどうしようって聞いていたのよ。無茶むちやが通らないなら、無茶を通す方法を考えようってな」
 建宮は、うんざりした調子で首を横に振った。
「策なら始めっから用意してあるのよ」
 彼の言葉に、上条を含むその場の全員が絶句した。
「策を提案してソイツに乗ってもらうってのは、つまり皆が俺に成否のかなめを預けるって事よ。失敗しても文句なし。というか、言った所でもう手遅れって訳よ。だから、それだけの覚悟があるか聞きたかったのよな。っつーのに、よりにもよって横から持っていかれるとはなぁ!!」
 建宮は心の底からガッカリした顔で上条から視線を外し、周囲を見回す。
 彼の仲間であり、おそらく宝物である少年少女達がそこにいる。
 教皇代理は、彼らに告げた。
「ま、こっちとしちゃそんな訳よ。全員、必ず生きてここへ戻って来るぞ。ここで死にたくないとか、ここで死んでも主義を貫くとか、そういう風に考えているヤツは素直に降りて良い。一切の妥協はなしだ、我らが戦場に向かうからには全員で帰る。分かったか?」
 異論は一つもない。
 その沈黙ちんもくの肯定こそが、皆の共通の意志だった。
 建宮たてみやは、まるで馬鹿ばかな教え子に質問をする教師のように、静かに尋ねる。
「我らが女教皇様プリエステスから得た教えは?」
 天草式あまくさしき十字凄教せいきようは意をそろえて大声で答えた。

「救われぬ者に救いの手を!!」

     5

 天草式と上条達かみじようたちを乗せた上下かんが、アドリア海をゆっくりと北上していく。
『女王艦隊』に向けてだ。
 水面に浮かぶ上下艦の甲板に、彼らは立っている。
 建宮の武器はフランベルジェと呼ばれる、一八〇センチを超える巨大な剣だ。両刃の刀身は波状に作られていて、傷ロを広げる役割を持つらしい。一般的な武器と違い、金属ではない。
どんな素材かも分からない、真っ白なものだった。
「本来コイツは泥臭い野戦向きなんだが……ま、臨機応変に行くしかねえのよな」
 建宮はその辺に大剣をドカリと刺して一人でぼやいていた。やっぱり場所や状況に合わせて武器も変わるものなのだろうか? どこでもこぶし一つな上条にはその辺の事情は想像がつかない。
 ルチアは馬車に使う巨大な木の車輪を手にしていた。ズシリと重たいそれは、天草式の紙の札によって得たものだ。
「多少、独特の『におい』のようなものを感じますが……」
 彼女は車輪を握り、ゆっくりと振り、体全体でその感触を確かめながら、
「……行けます。聖カテリナの『車輪伝説』を模した攻撃こうげき術式も、これなら十分に扱えるでしょう」
 確か上条の記憶きおくでは、彼女は大きな車輪を爆破して、その破片の雨で攻撃するのが得意だった気がする。
 一方、アンジェレネの方は小さな布袋に金や銀のコインを詰め込んでいた。あちらはあの鈍器を自由に飛び回らせ、その打撃力を武器に戦っていたはずだ。
「あ……まだ入ります。でも、こんなに詰めたら痛いだろうし……も、もうちょっと、少なくても……」
 細々と硬貨を詰めては、首をひねって再び袋から戻している彼女に、ルチアはイライラした顔で近づくと、
「シスター・アンジエレネ! 武器を作るのにケチケチしてどうするのですか!? これぐらいドバーッと入れなさいドバーッと!!」
「わわあっ! そんなの当たったら痛いじゃ済みませんよ!?」
「話し合うにしても、まずは話し合うべき環境を整えなければ始まりません。丸腰で両手を挙げて会話ができるなら最初からだれも苦労はしないでしょう!」
 ぎゃあぎゃあとさわぐ二人のシスターを遠くから見ていた上条かみじようは、ややあきれたように、
「なんか……ローマ正教を誤解してた気がする」
「一口にローマ正教と言っても十人十色……とは、違うのでございましょう」
 となりに立っていたオルソラは静かに言う。
「誰かが悪いから、その人だけを排除すれば良いのではございません。皆はそれぞれ、色々なものを持っているのです。あなた様がローマ正教に抱いていた負の側面は、私も持っているものでございますしね。……私もかつては、天草式あまくさしきの皆様を信じきれずにご迷惑をおかけしましたから」
 そんなモンか、と上条は思う。
「……どうもお前と悪人ってのは結びつかないんだけどな」
「まぁまぁ。女には色々あるのでございますよ?」
 何やら不穏ふおんにもエロくも聞こえる言葉を言って微笑ほほえむオルソラ。服装といい言動といい、やっぱり無自覚なのが余計にあれこれ強調してくるシスターさんだ。
 と、そんな二人の前に、ずいっとインデックスが割り込んできた。
 彼女の手には一本のつえがある。
「はいこれ。天草式の人が貸してくれたけど、私は魔力まりよくを練らなきゃいけない方式の霊装れいそうなんて扱えないから、あなたが持っていた方が良いかも」
「まぁ」
 オルソラが受け取った杖は、銀で作られていた。
 先端部分に、うずくまる天使の小さな像がある。背中の六枚の羽は、自分で自分を包む鳥籠とりかごのようになっていた。
 アニェーゼが以前使っていた武器だ。『法の書』を巡る戦いで降伏したアニェーゼ部隊を一時的に拘束したのは天草式だったが、その折に回収しておいたのだろうか。
 と、インデックスがこちらをじーっと見ている事に上条は気づいた。
「な、何だよインデックス」
「……、」インデックスはしばらくだまった後に、「別に、何でもないもん」
「ええっ!? 何で不機嫌な感じで顔をらすの!! いつものみ付き過剰反応も困るけど完全クール反応もそれはそれでキツイですってばーっ!?」
 上条は叫ぶがインデックスは気にせずスタスタと立ち去ってしまった。それを見ていたオルソラが『……ちゃんと面倒を見てあげないからでございますよ』とため息をつく。
 言われてみれば、本当だったら今頃いまごろインデックスと本場のパスタを食べたり色んな名所を巡ったり、楽しい思い出を作っていたはずなのだ。それが気がつけばこんな調子である。実は今回の旅行を一番楽しみにしていたのはインデックスだったのかもしれない。
「不幸だー、とか言いながらとどまる気は全くないのでございましょう?」
「……仕事に没頭する駄目だめお父さんみたいだ」
 上下かんはさらに前へ前へと進む。
 先ほどより、『女王艦隊』の白っぽい電球色のかがやきが少し強くなってきた気がする。
「この辺で良いか。では、始めんのよ」
 建宮たてみやはズボンのポケットから輪ゴムで束ねた紙束を取り出した。
 上条かみじようまゆをひそめて、
「始めるって?」
流石さすがにこれ一隻で『女王艦隊』とやらに攻め込むのは無理があんのよ。だからまぁ、こっちも戦力を適当に増強する訳だ。こんな風に、よ」
 建宮は言いながら輪ゴムを外すと、バサッ、と紙束を上下艦の縁から海へ投げた。クス玉の中身みたいにばらかれた大量の和紙はヒラヒラと舞って暗い水面に落ちる。うすい紙は音もなく海水を吸い込むと、
 ドン!! と。
 水分によって膨張ぼうちようした紙切れが、大量の木材を生んで、それが帆船はんせんを作り出した。『女王艦隊』と違って、細部の作りに和風のにおいが感じられる。作られた船は長さが三〇メートル、幅は七メートル、高さはを人れても二〇メートル弱と、一〇〇メートル級の『女王艦隊』に比べればやや貧弱にも見える。
 作り出された船は一隻二隻ではない。数十もの帆船が一気に海面から飛び出した。膨張する船は互いが互いを押しのけあい、半ば。強引に出現していく、上条の乗っている上下艦にもぶつかり、船体が大きく横に揺れた。
 上条はその光景をギョッとした顔で眺めながら、
「……こっちも大艦隊かよ。これなら最初から作戦も何もねえじゃねえか。『女王艦隊』にだって、正面からぶつかれんじゃねえのか?」
「そこまでいくと流石に買いかぶり過ぎってヤツよ。それに、良く見てみるのよ。コイッは『女上艦隊』と違って軍艦じゃない。どこを見ても砲はついていないだろ」
「……?」
 確かに、言われてみれば砲台らしきものはない。船体の壁や装飾も、どこか細いというか衝撃しようげきに弱そうに見えた。となると、これは本当にただの帆船なのだろうか?
「そんなモンを用意してどうするんだ?」
「海で戦うのは軍艦だけじゃねえのよって話なんだけどな。我ら天草式あまくさしきはその土地その風土に溶け込む事で発展していく隠密おんみつ型の宗派よ。当然ながら、イギリスの歴史も学んでいる訳だが」
 建宮たてみやはニヤリと笑って言った。
「なぁ。かつてイギリス海軍が、無敵艦隊かんたいと恐れられたスペイン海軍をどうやって沈めたか知ってるか?」

     6

『女王艦隊』四三番艦は索敵に特化した情報艦だ。
 そこに常駐するシスター・アガターは甲板の最先端部にある巨大なかじの前で息をんだ。舵の両脇りようわきには小さなテーブルがあり、そこには氷でできた書類がいくつも張り付いている。古い羊皮紙ようひしを模したうすい氷の板の上には、地図や海図から船の状態まで、様々な情報がリアルタイムで表示されている。
 その内の一つ。
 アドリア海近辺の海図を表示した氷の書類が、鈴を鳴らすような警告音を発した。『女王艦隊』を示すチェスのようなこまの群れの下方から、新たな駒がいくつも生まれ、こちらへ急速に近づいてくる。
「ビショップ・ビアージオ!!」
『見えている。詳細の説明を』
 叫ぶと、空気が直接振動したような声が返ってきた。
「アドリア海ヴェネツィア湾南部より近づく船影、およそ三〇から四〇! 速度は……かなりあります! 本艦の座標まで五〇秒強で到達します!!」
 出現した船影までの距離きよりはおよそ五キロ弱。時速換算で約三六〇キロだ。しかし陸と海では根本的に速さの基準が違う。空気と水中では抵抗力が大きく変わるからだ。
 本来なら絶対に不可能な速度。
 科学サイドの高速艇こうそくていでも時速九〇キロ前後が限界なのだ。
 水上で時速三六〇キロをたたき出すには相当のパワーが必要だし、下手に力でごり押しすれば船体が海水に押しつぶされる危険もある。『敵』はその無理を通したのだ。
『沈められるか』
「『アドリア海の女王』南部に展開する第二五から三八番艦までは砲撃ほうげき可能位置にいます。それらの艦が迎撃している間にほかの艦が配置を変えれば、ち逃しを防げるかもしれません」
『手早くやれ。ねらいは「アドリア海の女王」だろう。接触は許さん』
「了解です!」
 アガターは告げながら、同時に全艦へ状況と照準を伝令する。彼女の両脇にあるテーブルの上に新たな氷の書類が浮かび上がり、『女王艦隊』の配置図や砲の射線などが表示される。
 船影までの距離きよりは四・五キロ。
「およそ五〇秒で船影群は本艦隊ほんかんたいに接触します! それまでに撃沈げきちんを!!」
 叫ぶと同時、爆発音が彼女の鼓膜を連続でたたく。
『女王艦隊』から無数の砲弾が射出されたのだ。アガターが別の氷の書類を呼び出すと、紙面の中に映る夜の海に太い水柱が何本も立ち上り、敵の帆船はんせんが二隻、三隻と次々と沈んでいく。
 しかし、船影はそこで止まらない。沈みつつある味方の船をジャンプ台にして、水面を跳ね飛びながらさらに近づいてくる。
(前衛の船を盾にして……?)
 アガターは疑問に感じる。それにしては、特殊な装甲や防御術式で固められているようにも見えない。あっさりと沈んでいく敵の船は、砲弾をけずにさらに近づいてくる。一〇隻以上の船が撃破されても、回避かいひ挙動も取らずに。
 あっという問に距離が縮まる。
 もう数百メートルもないのに、まだ敵艦は一発も砲をってこない。
(……待てよ)
 アガターは改めて氷の書類に映る敵艦を見る。
 そこでギョッと体を強張こわばらせた。表示された船体には、砲がついていない。
「となると……総員防御姿勢! 敵のねらいは―――ッ!!」
 アガターが全艦に向かって伝達する前に。
 猛スピードで突っ込んできた木製の船はそのまま勢いを止めず、容赦ようしやなく『女王艦隊』の外周護衛艦の腹を貫いた。それだけではとどまらず、木で作られた船は内側から閃光せんこうらすと、突如として大爆発を巻き起こす。まるで、船全体が一つの巨大な爆弾になっていたように。
 ゴドン!! という轟音ごうおんが耳を叩く。
 海面が大きく揺れ、アガターは思わずかじに体を預けて叫ぶ。
「あれは火船―――自爆を前提とした無人軍艦です!!」

 爆発音を聞いた建宮たてみやは、静かに目を閉じる。
「火船ってのは魚雷ができる前に使われていた、初の海上走行型の兵器よな。普通はボートぐらいの小船を使うもんだが、無敵艦隊に対してイギリス海軍は本物の大型船に火薬を満載して無人で突っ込ませたそうだ」
 上条かみじようあきれたように言う。
「で、海の上が大騒おおさわぎしてる最中に、そのすきをついていくってのかよ。大雑把おおざつぱな計画だな」

『シスター・アガター』
「痛っつ……は、はいっ!」
 次々と爆発する火船に耳を打たれながら、アガターはビアージオの声に応じる。
『連中の目的が「アドリア海の女王」発動の阻止ならば、外周を攻めるだけで終わりとは思えん。何かある。それを索敵しろ』
 ザッとアガターはテーブル上の氷の書類に視線を走らせる。海図や地図といった情報は、爆破の衝撃しようげきに呼応するように時折大きくプレてしまい、とても読みづらい。
(火船が本命ではないのなら……彼らの旗艦きかんは別にある。しかし……)
 縮尺を変更し、五キロ、一〇キロ、二〇キロと調べてみても、周囲にそれらしい船は見当たらない。海上に民間のクルーザーが三隻ほどあるが、これは違うだろう。
 アガターはさらに縮尺を広げようかと思ったが、ふとその手が止まった。
(……、海『上』には?)
 複数の氷の板が消える。その代わりに一つ、海図を表示していた氷の書類が垂直に盛り上がった。テーブルの上に、書類の幅と奥行きを持つ氷のブロックが出現する。そこに表示されているのは海に対して横への広がりではなく、縦への広がりの図だ。
 すなわち、海の底に向けての索敵。
「ありました! 『女王艦隊』南部八〇メートル、深度四〇メートルの位置に巨大構造物確認。―――例の上下艦です!!」
「気づかれたか……」
 建宮たてみやはピクンと顔を上げた。
 呼応するように、船を操る天草式あまくさしきの面々が声を返す。
「敵艦の砲を確認! 推定発射角マイナス三〇度、明らかに海中にねらいを定めています!」
「敵艦隊の南方側に動きあり。対突撃とつげき用の陣形を形成しつつあるようです!」
 砲撃戦というのは目に見えないというか、目に見えた時にはもう遅い。元より、空中戦のように素早い動きのできない海での戦いでは、敵の攻撃を速度でけたり振り切ったりする事はほぼ不可能と言っても良い。
 よって、敵に砲撃されず、こちらが一方的に攻撃を加えられる位置を探し出す事こそが海戦の基本となる。
 その机上の戦いは、実際に砲撃が始まる前に行われる。
 反応の返って来ない状態が当然であり、反応があればそれがすでに敗北を意味するという、重たい沈黙ちんもくに満ちた頭脳戦闘せんとうだ。
 そして、
「複数の射線軸が上下艦を狙っています!」
「縦軸、横軸ともに対応! 予想よりも早いです! このままでは!!」
「最悪よな……」
 建宮たてみや忌々いまいましそうにつぶやいた。
「総員耐衝撃しようげき姿勢!! 敵の砲弾に注意しろ! 一発でももらったらこの船は―――」
 彼の声が終わる前に、爆発音がすべての音を吹き飛ばした。

「上下かんへの着弾を確認! 相手の移動速度が激減しました!!」
『よし』
 アガターの言葉に、ビアージオの緊張きんちようがわずかにゆるんだ。
『同じ手が三度も通じるものか。こちらとて、対潜水せんすい用の砲弾を用意していた』
 彼が用意したのは、周辺の海水をまとめて凍らせる砲弾だ。これによって分厚い氷に包まれた上下艦は身動きが取れなくなる。そして氷には浮力があるので、だまっていても上下艦は人工の氷山と一緒いつしよに海上へ頭を出す。後は通常の砲弾をち込めば、確実に破壊はかいできる。
「敵艦の完全浮上までおよそ六〇秒。その間に火船の残党処分を優先し―――」
『シスター・アガターッ! 緊急です!!』
 と、通信にビアージオ以外の声が割り込んだ。同僚のシスターからだ。
「第二九番艦に敵戦力が乗船! 装備品や使用術式から考えて、例のアマクサ式です!!』
 なっ!? とアガターは思わず耳を疑った。
 それからテーブル上の氷の書類を見る。くだんの二九番艦は先ほど無人の火船が激突したはずだが……見れば、ダメージはない。自爆が起きればこちらの船は大破するのが普通なのに……。
 となると、
「始めから爆発する予定のない船を一隻用意して、そこに本隊を乗せた上で火船に紛れて突撃とつげきさせた……。あの上下艦は二重のおとりだったというのですか……ッ!?」

 上条当麻かみじようとうまは、横付けされた木の船から氷の船へと飛び移った。それを皮切りに、インデックスやオルソラ、ルチアやアンジェレネ、建宮や天草式あまくさしきの面々が次々と乗り込んでいく、
「各艦の制圧は考えるな! どの道、数では圧倒的に負けているのよ! こちらは相手の核だけつぶす事を考えれば良いのよな!!」
「旗艦……『アドリア海の女王』は!?」
 上条が周囲を見回すと、数百メートル先にほかの船よりさらに巨大な艦が見えた。しかし、その闇だけでも一〇隻以上の氷の船が立ちふさがっている。
「艦から艦への橋はこちらで作ってやる! とにかくお前さんたちは旗艦へ―――」
 建宮の叫びに、別の声が重なった。
 まるで艦内放送のように広がっていく、女性の声だった。
『第二九、三二、三四番艦の乗組員は至急退避たいひを、間に合わないなら海へ! これより本艦隊は前述の三隻を一度沈めたのちに再構築し直します!!』
 くそ、と建宮たてみやは吐き捨て、
「また船ごとつぶす気よな! 急げ!!」
 建宮は紙束を辺りにばらいた。それは勢い良く膨張ぼうちようすると、氷の船から船へと伸びるアーチ状の木の橋へと形を変えていく。 しかしそれを渡る前に周囲から砲撃が来た。砲弾そのもの以前に、発射音の衝撃波だけで上条かみじようは甲板の上を転びそうになる。
「くっ!?」
 舌打ちするだけの時間も惜しい。巨大な船のあちこちが土のように崩されていく。ボロリとがれた船壁が海に落ちて、太い水柱が上がった。
 甲板の上まで水飛沫みずしぶきが飛んでくる。
 砲撃によって両手で抱えられないほど太いマストの柱が一撃でへし折られた。
「インデックス!!」
 上条は近くで身をすくめていたインデックスの手を引っ張って倒れつつあるマストの下をくぐるように走る。ゴドン!! と柱が横倒しに倒れた。それはしくも、となりの船へと続く橋のように伸びている。
 上条は迷わず飛び乗った。
 建宮を始めとした天草式あまくさしきの連中は自分たちで用意した木の橋に乗ってほかの船へ散り散りに移っていく。
 インデックスの手をつかんで海を渡り、隣の船へと転がるように移る。後ろを見ると、同じように天使のつえを抱えたオルソラがマストを伝ってこちらの船へ到着した所だった。直後、さらに第二波の砲撃を受けた氷の船が斜めに傾いていく。アーチを作っていた折れたマストが、引きずられるように海へと落ちていった。
「とうま、他のみんなは……?」
 ほとんどは天草式の用意した木の橋を使ったようだが、何人かは海へ飛び込むのを見た。思わず奥歯をむ上条に、横にいたオルソラは言う。
「彼らは橋やハシゴを作る札の術式を持っているのでございます。勝算があるからこそ、一度海へ向かおうと判断できたのでございましよう」
 やや希望的とも言える意見だが、今はそれを信じるしかない。どの道、甲板から海面までの高さは一〇メートル以上ある。上条が手を伸ばした所で届くはずがないのだ。
「ちくしょう! さっさと『アドリア海の女王』を潰すぞ!!」
 上条は改めて『女王艦隊かんたい』の旗艦へ向かおうとしたが、
 ザン! 上、新たな足音が彼の歩みをき止めた。
 演劇舞台のように大きな甲板に立っているのは、数十人のシスター達だった。ルチアやアンジェレネと同じく、黒を基調とした修道服に黄色のそでやスカートを取り付けた、この艦隊の労働者たち。そして、アニェーゼ部隊の人達のはずだ。
 おそらく上条かみじよう達が何のためにここへ戻ってきたのかを知っていながら、シスター達は一言も言葉を交わさずに武器を突きつけた。剣、おのつえから聖書や松明たいまつまで、武器に見える物も武器に見えない物も全部合わせて。
 ここにいるのはシスター達だけだ。
 ほかに職制者と呼ばれる連中が乗っているはずだが、彼らの姿はない。戦闘せんとうは労働者に任せて、自分達だけ安全な場所へ退避たいひしようという魂胆こんたんか。船ごと敵を沈める戦術を取っている辺り、それが上手うまく機能するとは思えないが。
「……、アニェーゼがどうなるか分かってんだろ。それでも協力する気はねえのか!!」
 上条は叫ぶが、シスターの一人は首を横に振った。
「残念ですが、仕事に情を入れる余裕はありません」
 彼女は、その場を代表して告げる。
「あれは、きっと裏返しでございますよ」
 オルソラは、むしろ痛々しそうな口調で言った。
「ご本人達も気づいていないのでしょうね。ですけど、彼女達は確かにアニェーゼさんを認め、その下についていた方々です。リーダーならこれぐらい乗り越えてくれると信じているからこそ、つらく当たっているのでございましょう。打ち破ってくれる事を、どこかで願いながら」
「………、」
 言葉に表す事が許されなかったからこそ、言葉とは違う方法で放。たれたSOS信号。おもいとは裏腹に、互いを傷つけ合わなくてはならない状況。それを思って、上条は思わずこぶしを強く握りめた。
 呼応するように、数十のシスター達は一歩距離きよりを詰めてくる。
 敵の壁までの距離は、ほんの七メートルもない。
 そんな中、
 ヒュン!! と上条やシスター達の頭上に小さな影が走った。
 見上げれば、一〇メートルぐらいの高さを飛んでいるのは、投げられた馬車の車輪だ。
「シスター・ルチ―――ッ!?」
 敵の修道女の一人が名を呼ぶ前に。
 バン!! と車輪が勢い良く爆発した。それは上条やインデックス、オルソラだけをける奇妙な軌道を描いて、大量の木の破片を真下へ突っ込ませた。文字通り破壊はかいの雨だ。シスター達は武器や術式を使ってこれを防ごうとしたが、それでも全体の隊列が大きく揺らぐ。
「こちらへ!!」
 叫び声に振り向けば、別のルートからこの船に渡ってきたルチアとアンジェレネがいた。彼女達のすぐ後ろは甲板の縁で、そちらには木で作られた橋がとなりの船へ接続されている。
 その直後、
『第四一番かんの乗組員は至急退避たいひ、不可能なら海へ! 本艦隊はこれより前述の船を沈めたのち、再構成し直します!!』
 周囲に緊張きんちようが走った。船の詳しい番号は知らないが、おそらくねらいはここだ。
「早く!!」
 ルチアが橋へ誘導ゆうどうするように叫んだが、その時ひるんでいたシスターたちが一斉に動いた。
 逃げるためではない。上条かみじようらを逃がさないためにだ。
 ザァッ!! と、複数のシスター達が一つの生き物のように上条達を包囲する。
「この……馬鹿者ばかものどもが! それだけの度胸があるなら、何故なぜシスター・アニェーゼを助けるために動けないのですか!!」
 ルチアが手をかざすと、周囲に散らばっていた木の破片が集まって再び車輪の形を取り戻した。彼女はそれを手に、シスター達の元へと突っ込んでいく。
 しかし、彼女らが戦闘せんとう状態に入る前に、砲撃音ほうげきおん炸裂さくれつした。
「ぐああ!?」
 鼓膜を打たれて上条は声を上げた。稲妻のような轟音ごうおんと共に、すぐ近くにいた護衛艦が砲弾をち込んできた。船の腹に直撃したのか、甲板全体が横へ大きく揺れる。
 第二波はすぐにおそう。
 今度は甲板の上のターゲットを直接つぶす気か、ギチギチと音を立てて砲が上を向く。
 砲口が上条達にピタリと合わせられる。黒い穴が怪物の眼光のようにこちらをのぞく。
 その時、
きたれViene! 一二使徒のひとつUna persona dodici aposill徴税吏にして魔術師を撃ち滅ぼす卑賤なるしもべよLo schiavo che rovina un mago mentre e quelll che recolgono!!」
 叫んだのはアンジェレネだ。
 彼女の持っていた四つの金貨袋がこれに応じた。
 赤、青、黄、緑。四色のつばさを生やした重たい小袋が、それぞれ鉄拳てつけんのように手近なマストへ突っ込んだ。それは一点集中攻撃で氷の柱を根元からたたき砕く。グラリ、と巨大なマストが大きく斜めにかしいだ。
 直後。
 倒れつつあるマストに大量の砲弾が突き刺さった。上条らをぐ狙っていた氷の爆撃は、アンジェレネの一手によってかろうじて防がれる。
 盾となったマストが、甲板に倒れる前に砲の衝撃しようげきで砕けた。
 バラバラに散らばった破片が降り注ぐ。破片と言っても、一つ一つが冷蔵庫より大きな物だ。
「ッ!!」
 ルチアが巨大な車輪を頭上に掲げ、一気に爆破した。大量の木片が破片にぶち当たるが、それでもすべての氷の塊をはじける訳ではない。
 らした氷の塊が、ローマ正教のシスターたちへ向かった。
 かつてアニェーゼ部隊と呼ばれた修道女の集団へ。
 それを見たアンジェレネは、敵であるはずのシスター達の元へ走っていた。
「ちょ、どこに行くのです!?」
 ルチアのおどろいた叫び声が炸裂さくれつした。
 ギョッとする修道女を無視して、アンジェレネは四つの金貨袋を呼び集める。それで降り注ぐ巨大な氷をはじこうとしたようだが、
 バラバラと、金貨袋の布地が破けてコインが飛び散った。
 マストを砕いた衝撃しようげきに、すでに金貨袋の方が限界を迎えていたのだ。
「退きなさい、シスター・アンジェレネ!!」
 手を失ったアンジェレネに、ルチアが叫ぶ。彼女が周囲を見れば、上条当麻かみじようとうまと呼ばれた少年がこちらに走ってくるのが見えた。おそらく、アンジェレネを突き飛ばすために。
 しかし。
 アンジェレネは、下がらなかった。
 下がれなかったのではなく、さらに一歩前へ踏み込む。歯を食いしばって、一番近くにいたシスターの胸を突き飛ばした。身動きもできず、呆然ぼうぜんどしていた彼女が後ろへ弾かれ、甲板の上へと倒れていく。
 アンジェレネは、それを確認してから身を伏せようとして、
その一歩手前で、冷蔵庫のような塊が彼女のすぐ横へ墜落ついらくし、
 甲板に激突した氷が、さらに岩のような破片の雨をき散らし、

 ゴン!! と。
 彼女の小さな体が、鈍い音と共に宙を舞った。

「し、」
 ルチアが、信じられないものでも見るような叫びを上げた。
「シスター・アンジェレネ!!」
 倒れた背の低いシスターへ駆け寄ろうとしたルチアを見て、周りのシスター達の動きがわずかに揺らいだ。それでも任務。と立場を思い出したのか、それぞれが武器を構え直そうとする、
 そこへ、
「ったく。心の底からつっまんねえモンをこのおれに見せんじゃねえのよ!!」
 よその船から木の橋を作って飛び乗ってきた建宮たてみや天草式あまくさしきの面々が、アンジェレネとシスター達の問に壁となってふさいだ。
 彼はポケットの中から紙束を取り出すと、それをまとめてルチアへ投げ渡し、
「脱出用の上下かんってヤツよ。まともな設備もないが敵地の真ん中よりゃマシだろ。一隻だけで使うな。火船を周囲にばらいて探査をごまかすだけで撃沈率げきちんりつは格段に下がんのよ!!」
 駆け寄ったルチアは紙束をそでへ仕舞う。建宮たてみやはそう言ったが、簡単にこの札を使わせてくれるほどアニェーゼ部隊の戦力・思考は共に甘くない。気をあせって上下艦を出しても、集中攻撃によって沈められてしまう危険もある。
 しかし、今はそれどころではない。
 数字の上の勝算よりも、もっと重視しなくてはならない事がある。
 ルチアはアンジェレネの前でかがみ込む。ぐったりとした彼女の手を取るルチアに、アンジェレネはうすく笑った。
「……シスター・ルチア。手が、ふるえてますよ」
「当たり前でしょう!!」
「や、だな。こんな所で、死ぬはずがないのに……」アンジェレネは一言一言をみ砕くように、「……みんなで、帰るんです、よね。シスター・アニェーゼも、私たちも、そして、あそこで戦っている人達も、本当の意味で、みんな一緒いつしよに」
 ギチギチと、隣接りんせつする船の砲がきしんだ音を立てて照準を合わせる。
 第三波の準備が整えられていく。
 それでも、ルチアはアンジェレネの目から視線を外さない。
「だったら、私は、死にません。それを約束してくれるなら、絶対に、私も、貫きます。だから、お願いします、シスター・ルチア。敵とか味方とか、そういうんじゃ、ないんです。もっと単純に、みんなを守るために、一緒に戦ってくれませんか……?」
「―――、」
 ルチアは、奥歯をめる。
 ドゴン!! ととなりの護衛艦から轟音ごうおんを立てて、そんな彼女をねらって砲が発射された。
 しかし、その一撃はルチア達の肉体を砕かない。
 絶大な威力を秘める砲撃をさえぎるのは一本の右手。
 横から邪魔者じやまものを遮るように伸ばされた、何の変哲もない少年の右手が、魔術まじゆつを使って放たれた氷の砲弾をつかみ取って、五指の力で砕いて割った。
「断言しろよ、ルチア」
 彼は告げる。
「その手伝いができるなら、おれはこんなクソつまらねえ幻想なんていくらでもぶちこわしてやる。だから断言しろよ! コイツが今ここにいて良かったなって思える一言を! 歯を食いしばるだけの価値はあったんだって信じられる一言を!!」
 はい、とルチアは答えた。
 アンジェレネの顔を見て、彼女は静かに告げる。
「必ず、皆を守ってみせます。だから貴女あなたも、自分自身と戦ってください」
 声に、小さな修道女はわずかに笑った。
 さらなる砲撃ほうげきを受けて氷の船体が揺さぶられた。大量の砲弾をすべ上条かみじようの右手一つで防げる訳もないのだ。ここも安全ではない。そんな場所などどこにもない。だからルチアは倒れたアンジェレネを両手で抱き抱えると、そのまま立ち上がった。それでは車輪も使えないが、気に留める様子もない。不利を負ってでも共に戦うのだ、という意志しかない。
 下がるルチアを追うために、シスターたちが前へ出ようとする。
 そこへ天草式あまくさしきや上条達が壁となって立ちふさがる。
 彼らは全員で同じ方角を見据えた。
 旗艦きかん『アドリア海の女王』は、船をいくつか渡ればそこにある。

   行間 四

(私は、まだ)
 意識が朦朧もうろうとしたまま、ルチアに抱えられながら、それでもアンジェレネは思う。
あきらめたく、ない……です)
 爆発音を聞き、剣とおのがぶつかり合う音を聞きながら、それでもアンジェレネは思う。
(シスター・アニェーゼは、教会のために、尽力して。危険な仕事で得た報酬ほうしゆうで、聖書を刷ってもらって。古びて人の来なくなった、教会を一軒一軒回って、少しでも足しになるようにって、笑いながら、神父さんたちに、手渡して……)
 氷の塊にたたかれた全身からズキズキと鈍い痛みがにじみ出る。
 き散らされたマストの破片は彼女のこめかみにぶつかり、脳を揺さぶっていた。
(シスター・ルチアは、仕事のない時でも、教会の鐘楼しようろうに登って。少しでも異変があれば、すぐに駆けつけられるように準備するためで。今ではそこがすっかり彼女の居場所になってるぐらい、ずっとずっと待機してて……)
 ボロボロと、涙がこぼれる。
 痛いのではない。ひたすらに、悔しい。
ほかのみんなだって、絶対、絶対に、良い所はあって。本当に、悪い人なんて、きっと私達の中には、だれもいないのに。何で、こんな事になっちゃうんですか。悪者は、嫌です。善とか悪とか、そんな天秤てんびんの上で線引きされて戦わされるのなんて、もう嫌なんです)
 ぐったりと手足を揺らしたまま、彼女は思う。
 シスター・アンジエレネは、ただ願う。
(助けて……)
 歯を食いしばって。
 ひとみに涙を浮かべ。
(誰か、助けてください。私の、大切な仲間達を。こんな、くだらない、やみの中から……)

   

chap6

第五章 アドリア海の女王 La_Regina_del_Mar_Adriatico.

     1

「もうすぐだ」
 ビアージオ=ブゾーニは船底から頭上を見上げる。
「ようやくこの仕事も終わりだな。まったく、たかだか街を一つつぶすのにここまで手閻がかかるとはな。『アドリア海の女王』……最後に実用としてだけではなく、骨董的こつとうてきな視点からも一度ゆっくりと眺めて回りたかったものだが」
 一辺が二〇メートルに近い、完壁かんぺきな正方形の部屋に見える。が、良く見ると四方の壁は、ほんのわずかに内側へ傾いていた。立方体ではなく、四角錐しかくすいの部屋なのだ。うっすらと白に近い電球色にかがやく壁をなぞるように視線を上げれば、はるか頭上にその頂点があるのが分かる。船底から甲板まで二〇メートル程度の高さしかないこの船の中、その天井てんじようは軽く一〇〇メートルを超しているように見えた。
「……ふむ、まだ静まらないか」
 声に応じるように、旗艦きかん『アドリア海の女王』全体が低く震動しんどうした。一度ではない。数回にわたって揺さぶりが来る。旗艦を取り囲む護衛艦が、共食いのように昧方の艦を次々とっているのだ。それでも砲撃ほうげきまないという事は、敵は次々と船を渡ってこちらへ近づいているという事だ。分厚い氷の壁に阻まれた、この旗艦最深部まで轟音ごうおん容赦ようしやなくひびいてくる。
 問題はこちらにもある。
『女王艦隊』を束ねる男の職制者たちは、元アニェーゼ部隊のシスター達と違って戦闘せんとうには不向きだ。これは質の悪さではなく、単に種類の問題だ。最前線で武器を持って戦う軍師などいないだろう。数十人と数が少ない事もそういう経緯がある。
 そこまでなら許容の範囲内だが、難点は手足となって動くシスター達が船上での戦いに慣れていなかった、という所だ。彼女達はあくまで労働者として船に乗せられただけで、艦での訓練を受けていないのだから、当然と言えばその通りなのだが……。
(だから、職制者のほかにも船上専門の部隊を配備しろと申告したのだ。……それを)
 上の連中は『女王艦隊』の性能だけを見て、『迫加の兵士を呼ぶまでもなく、この大艦隊は安泰あんたいだ』と判断してしまった。戦いの形式によって万全のポジションも変わる事を考慮こうりよせずに。
(……上も下も役立たずばかり、か。グズどもが)
 ビアージオは、ジロリと眼球だけを横に向けて、
「なかなかに刺激的だな。君を取り囲む環境というのは、こうも生温なまぬるいのか」
「……、」
 尋ねられたのは、同じ部屋の中にいる一人の少女。
 部屋の中央には直径七メートルの、完全な氷の球体がある。中はシャボン玉のような空洞だが、『アドリア海の女王』起動のカギとなる『刻限のロザリオ』発動時には、中は氷で満たされる。適性のある修道女を凍結し、その球体ごと魔術的まじゆつてきに砕くために使われる。その彼女は現在、球体の外側から、丸みを帯びた壁面にすがりつくように身を預けていた。
 名前はアニェーゼ=サンクティス。
 切り裂かれたように露出ろしゆつの多い修道服を着せられた少女だ。
 アニェーゼは、ビアージオの言葉に答えない。
 あるいは、答えられないのか。何故なぜ戦いが起きているのか、一体だれが何のためにここまでやってきたのか。それを考えるあまり、注意が自分の外側まで向かっていない表情だった。
「その顔だ」
 ビアージオは、続けて言った。
 胸元に下がる四本のネックレス、そこにある数十もの十字架が、ジャラジャラと音を立てる。
「たまらんな。このに及んでまだ図々しく誰かに期待している表情。自分がの当たる場所に立っているなどと語る心。そうでなくてはいけない。たかが罪人の分際で、悟ったような顔をされるのが一番気に食わん。動物はいずれば良い。自分を取りつくろうのは人間の特権だ」
 にやにやと、うすっぺらな言葉と共に放たれる悪意。
 アニェーゼはジロリとビアージオの顔を見る。
「……私が、何にすがるですって?」
「言わずとも分かっている。だから改めて尋ねたりはせんよ。ふん、ヤツにこの場を押し付けられた時は落胆したものだが、こういう場面を見るならそれも抑えてみせよう」
 アニェーゼは嫌悪感けんおかんから顔を背けた。
 ビアージオはそれを満足げに眺めて、
「君の希望をここで打ち砕く。部品に感情は必要ない」

     2

 天草式あまくさしきのメンバーは五〇人程度しかいない。
 対して、ローマ正教側はシスターだけで二五〇人もいる。普通に考えれば数で負けるはずだが、ここは船の上。すべての人間が一ヶ所に集まる事はないし、陸地と船上では戦い方の基本が違うらしい。とにかく間合いを詰め、超近接攻撃に集中する天草式は混戦状態の中でもスムーズに動き回る。それに対して人数の多いローマ正教側は、逆に仲間たちや自分の武器に体の動きを阻害されているようだ。多勢に無勢という状況をどうひっくり返すか、それを熟知した動きだった。天草式あまくさしきという少数勢力が多くの敵と戦う問に覚えたものなのだろう。
 しくも、『法の書』がかかわったあの一件と同じような状況だった。
 違うのは一点。
 アニェーゼ=サンクティスが、倒すべき者か守るべき者かという所だけだ。
「行け! 何が何でもあの子を連れ出して来い!主戦力はこっちで引き付けてやんのよ!!」
 建宮たてみやの言葉に背中を押されるように上条かみじようは走る。
 すでに旗艦きかんまでは、およそ三隻ほどの護衛艦を渡るぐらいに迫っていた。
 天草式がシスターたちの足止めをしている問に、上条とインデックスとオルソラの三人は船から船へと飛び移った。彼らの使っていた木の橋の術式は、上条達の中ではオルソラにしか使えない。彼女は普通の魔術師まじゅつしよりも丁寧ていねいかつ慎重な動きで呪文じゆもんつむぐと、束ねてあった和紙を次々と放っていく。
 旗艦『アドリア海の女王』が目の前に迫る。
 多くの護衛艦に守られたすべての元凶。アニェーゼ=サンクティスを拘束し、ヴェネツィアを一撃いちげき破壊はかいする大規模魔術装置。ここが全ての司令塔なら、まだ見ぬビア!ジオロブゾー二もここにいるのだろうか。
「行くそ! インデックス、オルソラ!!」
 上条は叫び、木の橋を駆けて旗艦へみ込んだ。
 巨大な甲板だ。
 ただでさえ一〇〇メートル級の船が並ぶ『女王艦隊』の中で、その二倍はある巨大な船体だった。さらに氷の壁はほかよりさらにかがやいている。まるで艦全体が月明かりを浴びた白金のようだった。装飾も他の船が軍艦としての機能性を追及したものなら、こちらはウならびやかな宮殿に近い。手すりやドアノブにまで芸術家の意志を感じるし、船の縁には等間隔で天使や聖母などの像がある。船首側まで回る気はないが、おそらー先端に取り付けられた船首像は美術史に名を残す一品だろう。
だれも、いないようでございますね……」
 オルソラが、天使のつえを抱えながら周囲を見回し、
「ヴェネツィアの権力者、総督ドージエの乗っていた御座船ござぶねに似た作りを感じるのでございますよ。国家的行事である『海との結婚』に使っていた船でございます」
「いわゆる魔術的船体って感じかな。この船が『女王艦隊』全部の船を統括制御する機能を兼ねているの。氷の船の装飾、配置などを絶えず変更する事で、それぞれ対応した船を直接操って集中管理しているんだよ」
 インデックスの台詞せりふに、上条も注意深く周囲を見回し、
「だからシスター達もここまで来ないし、砲も不用意にち込まれねえって訳か。多分この旗艦だけは簡単に海水で直せねえんだな。じゃねーと護衛艦ごえいかんで周囲を固める必要もねえだろうし」
 船内に入るために、インデックスは一番手近にあったドアへ手を伸ばしたが、それぐらいでは開かなかった。見れば、ドアと壁の隙間すきまがピッチリと氷でふさがれている。これでは壁の一部に近い。
「待ってて。今、扉の魔術的まじゆつてきじようを解いてみるから……」
 彼女の言葉は、しかし途中でさえぎられた。
 上条かみじようが一歩前へ出たからだ。
「……そんなお上品にやらなくても良い。いい加減、こっちも色々考えるのが面倒臭くなってきた所だっつの!!」
 本当にうんざりしたように叫ぶと、上条は握ったこぶしを思い切り氷の扉の真ん中にたたきつけた。
 バン!! と。
 ドア板どころか周囲の壁まで一気に吹き飛ばされた。なぐった一点を中心に、一辺が三メートル四方の正方形に切り取られる。
「随分派手にいったな」
「護衛艦と違って、壁や床全体に魔術的な意味があるのでしょうから」
 ドアの錠前だけでなく、ほかの仕組みまでまとめて破壊はかいした、といった所か。
 砕けた出入りロの先にあるのは旗艦『アドリア海の女王』の外観と同じく、豪華客船のような内装の通路だっただろう。が、その奥の空間もやはり三メートルにわたって綺麗きれいに切断・消滅していた。四角形ではなく、立方体としてえぐり取られたらしい。天使の像や壁掛けランプなどが中途半端ちゅうとはんぱに取り残されている。
「ブロック構造だね」インデックスが簡潔に答えた。「必要最低限な部分だけを切り取り、ダメージをできるだけ抑えるように作られているの。だから、とうまの右手を使っても一度じゃ全部こわれないんだよ」
 護衛艦。の時は船体に触れてもこんな風にはならなかった。となると、やはり旗艦全体が絶えず形を変えて、それによって艦隊全体を操っているという彼女たちの説は正しかったのだろうか、と上条は思う。
 しかし、質問を放つだけの余裕はなかった。
 ズアッ!! と。
 甲板の下から上へと、氷が山のように盛り上がった。左右と後方から、それぞれ取り囲むように。それはパキパキと細部を整え、削っていくと、氷でできた全長三メートルほどの西洋よろいへと形を変えていく。
 一体二体ではない。
 二〇から三〇に及ぶ氷の鎧が、一気に上条達を取り囲む。
「中へ!」オルソラが叫んだ。「それらは船を守るための存在でございましょう。ならば自身の攻撃こうげきで内部を破壊はかいする事にはためらうはずです!!」
 オルソラの言葉が終わるまでもなく、すでにインデックスは上条かみじようの手をつかんで走り出していた。右手で応戦しようとしていた彼は不意を突かれ、バランスを崩すように引っ張られていく。無数の西洋よろいが同じ材質の剣やおのを手に、動いた。
 旋風がうなり、空気が切断される。
 ごう!! というすさまじい音と共に、複数の斬撃ざんげきが交差した。インデックスのなびく髪をかすめ、上条の顔のすぐ横を突き、身をかがめて走るオルソラの頭上を抜ける。上条の呼吸が止まりかけた。それでも足を動かさない訳にはいかない。
 次撃が来る前に三人は立方体に破壊された人口から船内へ転がり込む。
 外装に劣らず、内部も嫌味なぐらいっていた。通路の左右には天使の像が並び、壁にかかったランプは一つ一つ、少しずつ形を変えていく。ドアノブどころかネジ一本にまで職人や芸術家の意地のようなものを感じた。そもそも、氷だけの船にネジなど必要ないのにだ。
「これで……」
 床に座り込んだままのオルソラが何か言う前に、大量の氷の鎧が人口に殺到してきた。
「くそっ!!」
 上条は氷の床から起き上がると、へたり込んだままのインデックスやオルソラの手を掴んで、引きずるというよりは振り回すように船内の奥へ下がる。
 ゴギッ!! という鈍い音が聞こえた。
 複数の巨大な鎧が人口に飛び込んできたため、そこでつっかえたのだ。身動きの止まった鎧の胸や腹から複数の剣先が突き出し、粉砕した。完全に砕かれた氷像をめるように、新たな鎧たちが通路に踏み込んできた。ついさっきまで上条達のいた場所を爆風がぐように巨大な鎧の塊が突き進む。
「まだ、追ってくる……ッ!?」
 インデックスは叫んだが、上条には何となく氷の鎧の優先順位が予想できた。
(……何が何でも、この右手をつぶしたいって訳か)
 すでに一度、人口と壁を同時に破壊している。詳しい理屈は分からなくても、とにかく幻想殺しイマジンブレイカーは危険なものであると判断されたらしい。
(となると……ッ!)
 上条は通路の交差点に差し掛かった所で、己の右毛を握り締め、
「インデックス、オルソラ! お前達は先に行け!!」
 二人の少女を横の通路へ突き飛ばし、自分は通路の奥へと走った。
「とうま!」
 インデックスが次の行動に移る前に、無数の鎧達が上条を追い駆ける。中にはオルソラ達に向かおうとする鎧もいたが、
「おおお!!」
 上条かみじようが壁を右手でなぞって破壊はかいしていくと、よろいの視線が少年一人に集中する。武器を構え直し、すべての氷の自律ガードが殺到した。

     3

「シスター・アンジェレネ! 無事ですか!?」
 爆破した木製の車輪の破片を手元に集めながら、ルチアは背後に向かって言葉を放つ。
「……、ええ」
 アンジェレネは氷でできたマストの柱に、体を預けて何とか座っている。彼女の金貨袋は破れてしまったため、今は頭のフードを外し、その中に重石おもしとなる硬貨を詰めて戦っていた。
 本来、アンジェレネは戦えるような状態ではない。本物の戦場であっても、一度前線から後方へ下げておくのが正しいのだ。そのための上下かんの札を天草式あまくさしきの現トップからもらったが、シスターたちの方がそれを許さない。彼女達を振り払うために、ルチアは傷ついたアンジェレネを抱える事すらできなくなっていた。
 ルチアは、威嚇いかくするように巨大な車輪を自分の前に立てる。
 それに合わせて周囲のシスター達の輪が少しだけ退く。ここにいるのは三〇人程度だが、敵一人に対する密度を考えると、ここが 番の激戦区かもしれない。まず弱い所から力を人れて確実につぶしていく、という彼女達の戦術だ。ルチアもアンジェレネもそれを良く分かっている。
(どう切り抜ければ……)
 このシスター達はルチアの攻撃こうげきの威力を知るがゆえに、迂闊うかつには近づいてこない。しかし同時に攻撃の仕組みを知るが故に、バッタリで恐怖をあおられて下がる事もない。
『一二、一七、一九番艦の乗員は至急退避たいひ、不可能なら海へ! 本艦隊はこれより前述の船を沈めたのち、再構成し直します!!』
 聞き慣れた艦内放送。
 それと同時に、
「つっまんねえな! 怪我人けがにん相手に遊んでんじゃねえのよ!!」
 となりの船から木の橋がかけられ、建宮たてみやを始めとした天草式の面々が雪崩なだれ込んでくる。状況が大きく動き、ルチア達を囲んでいた人の輪の形が崩れていく。仲間から五和いつわと呼ばれていた少女がルチアに並び、海軍用船上槍プリウリスピアを構える。
 立て直すなら今しかない。
「シスター・アンジエレネ!」
「は、はい!!」
 よろよろとアンジェレネがマストの柱からはなれ、ルチアはその前に立ち、道を切り開くよう

にシスターたちに向けて車輪を爆破した。

     4

 上条当麻かみじようとうまは決して優等生ではない。
 夜の街のケンカにも多少慣れているからこそ、彼は自分の実力を大雑把おおざつぱつかんでいる。きちんと勝てる見込みがあるのは一対一まで、一対二なら危ないし、一対三なら迷わず逃げる。これは彼が特別弱いのではなく、ルールのない戦いでは力の前に数が重要になるというだけだ、 当然一対二〇や一対三〇もの戦力差を、こぶし一つで埋められるはずがない。
 戦いが始まれば五秒で沈むはずだ。
 ただし。
 それはまともな人問と人間がぶつかった時のルールだ。
「おおおォあ―――ッ!!」
 上条の空気が風を引き裂く。
 相手がきちんとした人間で、意識がなくなるまで戦いが続くならともかく、ただ触れるだけで潰せるというのなら、まだ上条にも勝算はある。
 狭い通路を複数のよろいが体を削り合うように突っ込んでくる。上条の右手は、直進してくる敵に対してほぼ真横に振るわれていた。威力を無視して、どんなに軽くても良いからとにかく広範囲に当てるためのものだ。
 鎧達よろいたちの動きがガチンと歯車が外れたように停止する。
 上条かみじようがそれを確認する前に、後続の鎧達が、単なる氷の塊と化した障害物に次々とやりやハンマーをたたきつけて進路を確保していく。
「っつ!!」
 上条は慌てて後ろへ下がる。鎧の動きは止められても、塊の残骸ざんがいは残る。一ヶ所で戦っていては生き埋めとなってしまうのだ。
 先ほどからこの繰り返しだった。
 が、
「行き止まり!?」
 後ろ向きのまま下がり続けた上条は、ふと行く先を確かめようと振り返った所で、そこに壁がある事にようやく気づいた。
 視線を戻す。
 まるで何人もの人間を丸めたような鎧達が、通路いっぱいにひしめきながら突っ込んでくる。
 これは防げない。
 この一撃いちげきは防げるが、後続に迫い詰められる。
「うおお!!」
 上条はとっさに横へ飛んだ。通路の左右の幅は狭く向かう先もただの氷の壁だったが、
 右手を突き出した。
 氷の壁は立方体の形に砕け散る。
 やはりインデックス達の読み通り、旗艦きかんの壁は護衛艦と違うようだ。
 上条がその中へ飛び込むのと、複数の鎧達が行き止まりに激突したのはほぼ同時だった。麗まじい勢いと重さをつけて壁に向かった鎧達は、その衝撃しようげきで体をバラバラに飛び散らせる。
煙に似た氷の粒が大量に舞った。
 だが、上条にそれを確認している暇はない。
 壁の奥にある部屋を見回し、地形を把握しようとした彼は、そこで動きを止めてしまう。
 劇場の二階席のような場所だった、左右へ数十メートル単位で半透明のかがやく座席が長く続いているのに対し、奥行きは数メートル程度。意匠をらした手すりの近くまで行くと、階下がのぞける。まるで華美なオペラハウスだが、はるか下にあったのは舞台や観覧席ではなく、扇状に並んだ多くの椅子いすと机だった。テレビで見る議会に近い。
 軍艦には明らかに不釣合いで、上下の命令系統がはっきりしている戦場には必要ないものだった。魔術まじゆつサイドでは勝手が違うのか、あるいはこれ自体が魔術的に意味のある記号であって議会場としては使わないのか。いずれにしても上条には判断がつかない。
 そして暇も余裕もない。
ゴッ!! という蒜音こうおんと共に、上条かみじようが空けた大穴から氷のよろいが突っ込んできた。
「……ッ!!」
 これ以上は逃げられない。上条は背後の手すりを意識し、それからこぶしを握る。逆に上条の方から氷の鎧のふところへと跳ぶ。
 氷の鎧は、同じ材質の大剣を水平に振るった。
 上条から見て右側から、長さだけで三メートルを超す分厚い塊が腹を裂くためにおそいかかる。
「おおっ!!」
 これに応じるように上条が右乎で大剣をたたこうとした所で、
 氷の鎧の両足がひとりでに砕けた。
 太股ふとももにあたる部分から鎧の軸線が大きく斜めに、後ろ方向ヘズレていく。
 横にがれていた大剣の軌跡が、呼応するように変化した。
 水平に腹をねらう姿勢から、斜め下から上条の首を目掛けて突き上げるものに。
 腹を守ろうとした右手から逃れるように。
(しま……ッ!!)
 上条のほおに浮かんだ冷や汗を、大剣の風圧が吹き飛ばす。
「うおおおおッ!!」
 全力で身をかがめた。髪のいくらかが大剣に接触する。抵抗なく切断されたというより、頭皮を丸ごと引っ張られるような激痛が走った。ブチブチと嫌な音が聞こえる。
 それでもけた。
 痛みをえ、上条は身を屈める動きを殺さず、そのまま身を倒すように体重を乗せて右拳を振るう。自ら足を折って後ろへ倒れつつある氷の鎧の胸板へ、床にぶつかる前に一撃いちげきを叩き込む。動きを止めた鎧は、落下と同時に砕けて散った。
「……、終わった、か?」
 後続を警戒して上条は呼吸を整えたが、どうやらこれが最後の一体だったようだ。待ち伏せの可能性も考えてジリジリと出口へ向かったが、結局それは無駄骨むだぼねだった。
 上条は自分が空けた大穴から通路へ戻る。
(くそ、インデックスたちの方は無事だろうな。さっさと合流するなら、壁や床をぶっこわして進むのが手っ取り早そうだけど)
 一方で、そういった破壊はかい行為は敵側に伝わる危険がある。先ほどの氷の鎧のタイミングがまさにそんな感じだった。インデックス達の話では、この旗艦きかんは再生速度が遅いし、艦隊全体の制御設備や儀式ぎしきに使う施設などもあるため、下手に砲やシスター達を使って内部の上条達を排除できないらしい。が、それも今だけの話。本格的に旗艦が沈みそうになれば、リスクに目をつぶってでもこちらへ人員をくだろう。
 上条かみじようは少し考え、
(どの道、話題の中心……アニェーゼの近くへ行けば敵の親玉はこっちを最優先でたたこうとする。なら、早いか遅いかだけの違いだ。右手で遠慮えんりよする理由にはならねえな!!)
 手っ取り早く結論を出し、手近な壁を右手でなぐり飛ばそうとした時、不意に彼のズボンのポケットから軽い電子音が聞こえてきた。携帯電話の着信音だ。
(……ケータイだって?)
 上条は軽く辺りを見回し、追っ手がいないのを確かめてから取り出す。こんな海の上でも使えるのか、と少しおどろいた。陸地までの距離きよりはどの程度なのだろう?
 画面に目をやると、なんと信じられない事にインデックスからだった。
 通話ボタンを押して、携帯電話を耳に当てる。右手はふさげないので携帯電話は左手だ。普段ふだんから使い慣れている機種なのだが、指の動きに壮絶な違和感を覚える。
 と、
『あっ、つながったのでございますよ』
「……、オルソラか。お前、インデックスの携帯電話借りて何やってんだ?」
『手っ取り早く連絡を取る方法はこれしかないと思いましたので。そちらは今どこにいらっしゃるのでございましよう?』
「どこって言われてもな……」
 グルリと周囲を見回すが、目印になりそうなものはない。というより、逆だ。そこかしこに豪奢ごうしやな芸術品があふれているため、多少の目印は簡単に埋もれてしまうのだ。
「こっちはチョコチョコ逃げながら氷のよろいを二、三〇ほどぶっこわすのに夢中だったんで、ちょっとどの辺にいるかは分かんねーな」
『……相変わらずサラリと恐ろしい事を言う方でございますね。こちらは……インデックスさんと一緒いつしよに逃げている途中です。例の守護氷像はほかにもいるようでして……』
「―――、」
 インデックスやオルソラには、上条の幻想殺しイマジンブレイカーのような力はない。魔術まじゅっを使った戦いが得意という風にも見えないし、正攻法で叩くだけなら、あの氷の鎧は相当苦戦するはずだ。
「オルソラ。おれは今、お前たちと別れた交差点だ。お前達はそこからどつちの方角にいる?」
『方角、でございますか?』
「ああ。大雑把おおざつぱで良いから教えてくれ」
『ええと……細そらく、北の方だと思いますけど』
 分かった、と上条は答え、
「すぐに行く」
 携帯電話を左手でつかんだまま、残る右手を手近な壁に叩きつけた。バギン!! という音と共に、壁や内装が立方体にえぐれて消える。上条は自分が壊した壁から中に入ると、さらに豪奢な船室の壁を次々と破っていく。通路や壁の流れなど完壁かんペきに無視していた。
『それと、インデックスさんから話があるそうなのでございますけど……』
『貸して貸して! とうま、聞いてる!?』
 横から割り込むように、聞き慣れた声が携帯電話から聞こえてきた。
『とうま、オルソラからちょっと話を聞いたんだけど。「アドリア海の女王」の発動条件に「刻限のロザリオ」って別の術式が必要っていうのは本当?』
「そうらしいけど……待った。作戦会議の時に言わなかったか、それ」
『詳しい話は聞いてないかも。私の記憶力きおくりよくを疑っているの?』
 そう言われてしまうと返す言葉はない。一〇万三〇〇〇冊もの魔道書まどうしよを一字一句残さず正確に記憶している少女に間違いはないだろう。
 上条かみじようはさらに氷の壁を砕き、別の通路へ飛び出しながら、
「何だっけ。おれも聞いてないんだよな。当のルチアたちにも、あんまり情報は回っていなかったみたいだし」
 言うと、オルソラの声が返ってきた。
『「刻限のロザリオ」を動かすために、アニェーゼさんの精神を意図的に破壊はかいする、というのが彼女達に聞いた話ですけど』
 すると、電話の向こうでインデックスが悩むような声をあげた。
 魔術まじゆつの事でそんな声を出すのは極めて珍しい。
『……とうま、「アドリア海の女王」の発動にそんな追加術式は必要ないんだよ』
「なに?」
 上条は思わず立ち止まった。
 周囲を警戒しながらも、やはり注意は携帯電話へ向いてしまう。
『「アドリア海の女王」っていうのは骨董品こつとうひんクラスの魔術で、元々海洋国家ヴェネツィアが暴走した時に、これを一撃いちげき鎮圧ちんあつするために作られた大規模術式だっていうのは、前に説明したよね』
「それがどうしたんだよ?」
『良く考えてみて。それってつまり、いつでも時間を待たずに発動できなきゃ駄目だめなんだよ。
適性の合った人間を選んでくるとか、準備にえらく手間がかかるとか、そんなモタモタしていたらヴェネツィアの侵攻は止められないんだから』
 あ、と上条は思わず声を上げた、
言われてみればその誉だ。灘の大きさに撃れていたが・これは基本的にカウンター獄いの術式なのだ。相手の攻撃に合わせていつでも使える瞬発力しゆんぽつりよくがなければ何の意味もない。
『「アドリア海の女王」はそれ単品で発動可能だよ。なら、その「刻限のロザリオ」っていう面倒な術式は本当に存在するの? 少なくとも、私の一〇万三〇〇〇冊にはそれが必要だなんて記述は一つもないし、そもそも今のローマ正教がヴェネツィアを攻撃こうげきする理由も思い浮かばないよ』
 インデックスは一度だけ言葉を切って、
『完成当時から、「アドリア海の女王」はあまりにも威力が高すぎて使い所がないって言われていた大規模術式なの。世界的な交易の玄関口だったヴェネツィアの影響えいきようは絶大で、下手をすると同士討ちになりかねないほどでもあったから。最も必要とされた時代でもそんな扱いだった術式が、まして今になってだれかに求められるなんて、とても考えられないんだよ』
『でも、ルチアさんたちうそをついているようには見えなかったのでございますよ』
 そうだ。
 現にローマ正教の連中は計画のカギにアニェーゼを据えているし、『アドリア海の女王』がいつでも使えるものなら、彼らがそれを躊躇ちゆうちよしているのは『刻限のロザリオ』の準備が整っていないから、という事になる。
『刻限のロザリオ』。
 ルチア達は発動キーに違いないと言っていたが、彼女達にしても『アドリア海の女王』の詳細は知らなかった。
「ソイッが『アドリア海の女王』と併用される事が何を意味しているか、だな。インデックス、『刻限のロザリオ』ってのがどんな術式なのかは分からないのか?」
『うーん……。術式の正式名というより、ローマ正教内部だけに伝わる計画名みたいなものだと思う。それだけでは難しいかも。でも、「刻限」と「ロザリオ」なら、単純に時間を計るって意味があるね』
 上条かみじようは細かい氷の破片をみつけ、次の壁を右手でこわす。
「ロザリオっていうと、シスターさんが首に下げてる十字架の事だよな」
『実は十字架のほかにも首紐くびひもも重要でございますよ。紐に小さな玉を五九個通したものが、旧教カトリツク正式のものです。各地の聖地を回る巡礼の方がこの玉を使って、自分が何度祈りを捧げたのかと数えておくための道具でございますので』
「……だとすると刻限に対するロザリオは、カウンターって訳か。いかにもって感じだな」
 上条のそのつぷやきが、本当にインデックス達に届いたかどうかは分からない,
 何故なぜならば、

 ゴン!! と。
 突然鋭い轟音ごうおんと共に天井てんじようが崩れ落ちてきたからだ。

「ッ!!」
 上条はとっさに後ろへ下がる。
 が、それだけでは降り注ぐ氷の建材から逃げられない。インパクトの一点を中心に周囲の建材まで巻き込まれ、広範囲の天井てんじようが逆ピラミッドのような形の巨大な鈍器に変わる。
「くそ!!」
 とっさに右手を脇腹わきばらの横から真上へと射出した。
 彼を押しつみそうとしていた天井が、立方体に大きくえぐれる。そこをくぐり抜けるように、上条かみじようの体だけをれて天井が床へ激突した。衝撃波しようげきはが耳を打ち、細かい破片が背中をたたく。力加減を誤って、左手の携帯電話がミシリと音を立てた。
 いちいちボタンを押しているだけの余裕もない。
 上条は乱暴に本体を折り畳むと、それをポケットに押し込みながら、さらに後ろへ二歩、三歩と下がっていく。
 前方には、砂煙の代わりにしものような微細な氷の粒が舞っていた。
 その中心点、つい先ほどまで上条が立っていた場所に大槌おおつちを叩きつけるように、一人の男がたたずんでいる。
 豪奢ごうしや法衣ほうえに身を包んだ、四〇代の白人だった。
 豪奢な衣服と言っても、インデックスのような清潔感は一切ない。ひたすらべったりとこびりっく成金趣味しゆみの塊だった。首には四本のネックレスが年輪のように重なっていて、それぞれに数十の十字架が取り付けてある。ギラギラとかがやくそれらは、みがかれた金や銀で作られていた。まるで肉の脂でもみ込ませたみたいに、執着心がヌラヌラと光を照り返しているようだ。
 男は神経質そうな仕草で、首元に下がった十字架の一つを指でなぞる。
 視線は上条に向いているのだが、絶えず黒目が細かく動いていた。
「……、その右手」
 放たれたのは、意外にも日本語だ。
「ハッ、うらやましいか?」
 上条が適当に吐き捨てると、男は顔の表面にしわを生んだ。音もなく表現されたのは、うっすらとした嫌悪けんお苛立いらだちだ。
「承服できないな。主の恵みを拒絶するその性質もさる事ながら、それを武器として振り回すというのが何よりも。一度でも御言葉を耳にしたのなら、即座に腕を引き千切ちぎってでも恵みを得ようと努力するのが筋だというのに」
 ゾッとする言葉だった。
 言葉の内容に、ではない。言葉に乗せられた、引きつぶした黄色い脂肪のような感情の濃度に対してだ。
所詮しよせんは異教の猿に、人の言葉は通じないか。せっかくそちらの言語に合わせたのに、返ってきた台詞せりふがその程度の品性とはな。ならばこのビアージオ=ブゾーニが主の敵に引導を渡そう。猿が人のふりをするのは、見るに耐えないんでね」
「テメェがビアージオ、か。なら、アニェーゼの居場所も知ってんだな」
「知っているのと教えるのとは全く別物だがね」
 ビアージオと名乗った男の両腕が左右へ交差する。
 キン、と小さな金属音が聞こえた。
 それぞれのてのひらには、首にあった十字架が一つずつ握られていた。
 ヒュン、とそれらは上条かみじようの腹の前へ軽く放り投げられる。

「―――十字架は悪性の拒絶を示す」

 ゴッ!! と二つの十字架が膨張ぼうちようした。
 膨張速度は砲弾に等しい。一瞬いつしゆんで長さ三メートル、太さ四〇センチにまで巨大化した十字架がおそい掛かる。まるで金属で構成された、鉄骨の爆風だ。
「おおァ!!」
 上条は右手で壁と化した十字架をなぐり飛ばす。しかしつぶせたのは片方だけだ。その間に、もう片方の十字架の先端が、岩石のように彼の身をたたいて真後ろへ吹き飛ばした。
 ドン!! という鈍い激突音がひびく。
 一気に床へ叩きつけられ、そのまま二、三メートルは滑った。とっさに床へ手をつこうとしたら、その右手の動きに氷の床が反応した。バカン!! という音と共に立方体にえぐられ、上条は下階の通路へ落下する。
 すべてが氷で作られた船体に、クッションとなる物はない。上条は痛む全身に対して歯を食いしばり、今度は慎重に左手で床をついて起き上がる、
 頭上の大穴から、ビアージオの声が飛んでくる。
「聖マルガリタは悪竜に飲み込まれた時も、十字架を巨大化させる事でその腹を内側から破ったそうだ。教会の屋根に立つ十字架もまた、外敵を廃し内部に安全地帯を作るための役割を持つ。―――このようにな」
 天井てんじようの穴から、手榴弾しゆりゆうだんでも投げ込むように二、三の十字架が落ちてきた。
 ゴバッ!! と、それらは空中で一気に膨張する。
 十字架というより、四方向へ飛び掛かるレーザー兵器のように見えた。上条が慌てて床を転がると、その鼻先をかすめる形で壁や床へ鉄骨と化した十字架の四端が突き刺さっていく。並びは乱雑でそれゆえに読みづらく、直線的な通路をランダムに分断していく。
(まず……ッ。身動きを封じられる前に、早く退路を―――ッ!!)
 とっさに右手を振るおうとする上条へ、さらに頭上から声が響く。
「一方で、十字架はその重きにおいて人のおごりを直す性質を持つ。光の乙女たる聖ルキアは一〇〇〇人の男と二頭の牛になわで引かれても一歩も動かず、怪力で知られた若き聖クリストフォルスは背負った『神の子』の重さに屈服しかけた。―――それもまた、このように」
 キュガッ!! と、天井てんじようはじけた。
 破れた天井から降り注いだのは、わずか数センチの小さな十字架だった。しかし、その速度は砲弾にも等しい。……のではない。重たいのだ。重力加速度が数千倍に増したように。
 上条かみじようは通路をふさぐ巨大な十字架へ、ほとんど体当たりするように右手を押し付けた。障害物が砕け散るのも確認せずに前方へ転がったが、巨重の十字架がわずかに上条の肩をかすめる。ゴスン!! と。それだけで関節が外れそうな痛みが炸裂さくれつした。
「……ッ! ぐああッ!!」
 それでも手近な壁を右手で破壊はかいし、通路から船室へと飛び込む。とにかくランダムに動く事で、少しでもビアージオのねらいから逃れようとしたのだが、
「あまりこわしてくれるなよ。直すのにも手間はかかるんだ」
 さらに天井を砕き、無数の十字架が上条の頭上へ降り注いだ。その小ささに反して絶大な重さを持つ十字架は、鉄杭てつくいと化して船室を粉々に砕いていく。上条は飛ぶというより、壁に背中を押し付ける形で何とかそれを回避かいひする。
 開いた大穴から、ビアージオが飛び降りてきた。
 ドン!! と。みつけられ、砕かれた床からしものような氷の粒が舞い上がる。
 上条は氷の壁に背を押し付けたまま、
「壊すなっつっておきながら、テメェが派手にやる分には構わねえって感じだな」
「壊すべき物と壊すべきでない物の区別はついているつもりなのでね。君のそれはあまりにも乱雑だ。そうだな、知識のない素人しろうと骨董品こつとうひんの整理をさせているのと同じか。真面目まじめにやっているのは分かるが、まずは学べ」
 ビアージオの顔にあるのは、余裕の中にわずかににじ苛立いらだちだ。
 インデックスの話では、この旗艦きかんすベての護衛艦を制御しているらしい。氷の装飾は絶えず形を細かく変動させていて、それをサインに連動させているようだが……となると、やはり少しでも上条の右手は艦隊制御にダメージを与えているのだろうか。
「ふん。このポロ船の回復速度がほかに劣ってるってのはマジだったみてえだな。せっかく親玉の所までもぐってこれたと思ったのに、他より貧弱ってのはガッカリだよ」
「本来『アドリア海の女王』のポテンシャルは他の護衛艦の優に二〇〇倍を超す。しかし、艦の回復に力をいては向こうの完成度に影響えいきようが出るのでな」
「向こうだと?」
「『刻限のロザリオ』だ。このに及んで知らないとは言わせない」
「……、」
 また『刻限のロザリオ』だ。
 インデックスの話では、対ヴェネツィア専用の鎮圧ちんあつ術式『アドリア海の女王』発動とは関係ないと言われている追加術式。ビアージオの話がすべて真実とも限らないが、わざわざ不利を被ってまで執着するという事は、それだけの重要な意味があるのだろうか?
「ともあれ、テメェをつぶしてアニェーゼを引っ張ってくりゃそれで終わりだ。おれは深くは考えねえよ、だから単純に終わらせてもらうぜ」
「主の意向に反する意思を示すとは、悪い言葉だ」
 ビアージオは首元の十字架を七つ外した。
 それを饅別せんべつのように宙へ放り投げ、

「―――ならば、その悪性は我が十字架が拒絶する」

     5

 同じかんに一分間といられない。
 建宮斎字たてみやさいじは沈みかけている氷の護衛艦から、自分で作り出した木の橋を渡ってとなりの艦へと飛び移った。視界の先では、ついさっき沈められた艦の代わりに、新たな護衛艦が海面を突き破って出現してくる。
「ああちくしよう! やってもやってもキリがねえってのよ!!」
 おそってくる元アニェーゼ部隊のシスターたちをフランベルジェの異様に長い剣の腹を使って二人、三人とたたき倒しつつ彼は叫ぶ。同時にポケットから和紙を取り出した。紙束を使って虚空こくうから出したのはサーフボードのような板だ。人数分のボードは気を失ったシスター達のおなかや背中にガッチリと張り付いていく。
 艦はすぐに砲撃ほうげきで沈められる。かと言って倒したシスター全てを抱えて移動するのは人数的な問題から考えて不可能だ。従って天草式あまくさしきはこういう『浮き輪』を用意して、意識のない修道女達がおぼれるのを防ぐ事しかできなかった。下手に巨大な木造船を呼び出すと、逆に砲撃の餌食えじきとなる。
(後で必ず拾うとはいえ、沈みつつある船に置き去りってのは良い気分じゃねえのよな)
 舌打ちしつつ、建宮はやはりこの船にも砲撃が来るむねの艦内放送に耳を傾ける。
 艦隊の制御のほとんどは自動操船らしい。
 従って、どれだけの人員を倒した所で艦隊そのものの動きには全く影響えいきようが出ない。二〇〇人超のシスター達も純粋な戦力として恐ろしくはあるが、やはり何よりの脅威は大量の砲撃だ。
それをどうにかしない限り、大きな意味において戦局をくつがえした事にならない。
 彼ら天草式は、全てが終わるまでひたすら耐え続けるしかない。
(チッ。できればさっさと旗艦の方を、部分的でも良いから潰しちまいてえんだが……)
 建宮はそれをしない。
 天草式あまくさしきの主力が旗艦きかんに向かえば、シスターたちの大軍も同じく移動する。主戦場が変われば、それに巻き込まれるのは上条かみじよう達だ。
「ま、縁の下ってのは土台の土台って事よな」
 建宮たてみやは波型の刃を持つ大剣を軽く振るって、
「仕方がねえ。ここを固めてやりやすくしてやるか!!」
 叫びと共に、彼はシスター達の固まる一角へと飛び込んだ。

     6

「―――ならば、その悪性は我が十字架が拒絶する」
 ゴッ!! と七つの十字架がそれぞれ爆発的に膨張ぼうちようする。
 感覚的にはクロス方向に咲き乱れる金属製の爆炎が縦横無尽じゆうおうむじんに舞う。
 上条は背中を預けていた壁へ、右手を強く押し付けた。一瞬いつしゆんで立方体に破壊はかいされる壁の向こうへとそのまま一気に倒れ込む。
 ドスゴスビスドスッ!! と床や壁や天井てんじようへ次々と太い鉄骨のような十字架の先端が突き刺さっていく。上条は続けて床を転がりながら、
「勝手な真似まねばかりしやがって、くそったれが!! テメェにヴェネツィアをどうこうするだけの特権があるとでも思ってんのか?」
「残念だが、その憶測おくそくには間違いがあるぞ。わたしの狙いはそこではない」
 ビアージオは弾幕の向こうで静かに笑った。
「何だと!?」
「ただでは教えんよ。そうする事でわたしに何の得があるというんだ? だが、まぁ……。少なくとも、君が考えているよりはずっと面白い」
「ッ!!」
 上条は歯を食いしばり、転がる勢いを利用して跳ねるように起き上がる。
 右拳みぎこぶしを固め、自分が逃げた道を引き返すように、一気にビアージオのふところへ飛び込もうと走る。
 しかし、その前に、
「さて、十字架には様々な意味があるが、その多くは『神の子』が処刑された後に付加されたものだ。十字架自体はそれ以前からあったが、そういった前時代における役割のほとんどは十字教によって抹消された。しき異教の文化であるからだ」
 ビアージオの講義が続く。
 彼は胸元にある無数の十字架から好みの物を選ぶと、神経質に指先でなぞり、
「そういった中、ただ一つだけ前時代から残った意味がある。十字教にとって最も重要であり『神の子』が直接かかわった、教史の中では最古の使用方法だ。それはな―――」
 上条かみじようが両者をふさぐ巨大な十字架を右手で破壊はかいし、ビアージオのふところへ飛び込む一歩手前で、豪奢こうしゃ法衣ほういを着た男はシャツをむしるように十字架を取り外し、それを頭上に掲げると、

「―――処刑の道具という意味だよ」

 ビアージオの、低いがおごそかさに欠ける、あざけりの声。
「―――シモンは『神の子』の十字架を背負う」
 ガクン、と。
 その言葉を聞いた瞬間しゆんかん、上条の視界が大きく回った|。
「……、あ?」
 右肩の辺りに衝撃しようげきを受ける。痛みが走る。首を振ると、尾を引く残像のように視界全体が大きく崩れた。頬に硬い床の感触を得てようやく上条は自分の体が横倒しになっている……という事に気づかされた。現象が起きてから認識が追いつくまでに数秒もの時間が必要だった。
(な、にが……)
 何らかの攻撃をされた、のだろうか?
 しかし、そもそも何をされたのかが理解できない。
 これまでは、まだ『攻撃されていた事』ぐらいは分かっていたから、防御も回避かいひもできた。だが、今のは例外だ。一体どのタイミングで攻撃が来たのかすら把握できなかった。
 必殺。
 その言葉が、上条のぐらつく脳裏に張り付く。
 起き上がろうとしても、両腕にまともな力が人らない。腕立て伏せのような動きで身を起こそうとしても、ベシャンとつぶれてしまう。
 思考に空白が生まれる。
 そんな上条の意識を外側に向けるように、小さな金属音がひびき渡った。
 鳴っているのは、空中でぶつかり合う無数の十字架。
「―――十字架は悪性の拒絶を示す」
 低い声と共に、肉を打つ音と氷の床をたたこわす音が連続した。

     7

 インデックスとオルソラの二人は旗艦きかん『アドリア海の女王』の通路を走っていた。
 外から見た時はほかの護衛艦の二倍近い大きさがあったように見えたが、通路の幅はそれほど変わらない。……のではない。普通の柱の代わりに彫り出された天使の像が通路の両脇りようわきにズラリと並び、ドア板一枚にも神話のワンシーンが精緻せいちに彫り込んである。それら多くの芸術品

が、元々広いはずの通路を圧迫しているのだ。
 その光景は、もう豪奢ごうしやな宮殿とか荘厳そうごんなお城とか、そんな言葉では生温なまぬるい。黄金で作られた神殿とか、ダイヤモンドだけで築かれたピラミッドとか、伝承の中だけのオーバーな比喩表現がそのまま似合う。そして、それを実際に見せられると胸焼けを起こしそうだ。
 オルソラは銀で作られた天使のつえを両手で抱えて直線的な通路を走りながら、周囲を見回してかたわらのインデックスに話しかける。
「……不気味なぐらい静まり返っているのでございますよ」
「役割が決まっているんだよ」インデックスは小さな声で答える。「元々、旗艦きかんの中まで敵が入ってくる事を想定していないのかも。その前の段階で―――護衛艦がすべての敵を排除する、旗艦はそのためにスムーズに護衛艦を動かす事に特化している……って感じかな」
「となると」
 オルソラは足音をひびかせながら、
ほかの修道女たちが追ってこないのは、味方である彼女達もこの『アドリア海の女王』の乗船許可をもらっていないのでございましょうか。彼女達が寝返る事への対策として」
 さらに走っていくと、彼女達は階段に差し掛かった。
 上りと下りがあったが、インデックスは迷わず下りへ駆け込んだ。オルソラは少し慌てたように彼女の後を追う。
「ちょ、アニェーゼさんの居場所は分かっているのでございますか!?」
「当然!」
 インデックスは即答した。
「『アドリア海の女王』って船の機能は大体分かってる。『刻限のロザリオ』っていうのがどういうものかは分からないけど、『アドリア海の女王』に介人するなら最適な場所は決まっているもの! だからあそこしかないの!!」
 巨大な鉄塔にでも巻きついているように、階段は長い。
 延々と下っていくと、二人はやがて最下層に辿りたどいた。
「これは……」
 オルソラはつぶやく。
 そこはホールのような場所だった。広大な空間があり、その正面にオルソラの背丈の二倍は
ある両開きの扉があった。厚さは分からないが、これもオルソラの幅より大きいように思える。
 ホールへの出入り口はインデックスたちが来た階段だけではない。このホールに集中するように、無数の通路が接続されていた。
 妙な構造だった。
 造船技術の基本を忘れている。こんなデザインを無理に通せば、船体全体の柱やはりなどを歪めていく必要がある。それを強引に実行しているという事は、
「船の中に一室を用意したというより……」
「この部屋の周囲を飾って船の形を作ったみたいに見えるね」
 インデックスは正面の大扉へ近づいた。
 顔を近づけ、てのひらで触れようとして、その寸前で思いとどまる。
「目の前の扉……防御術式が仕込まれているね。おそらくは聖ブラシウスの伝承にのつとってるよ。池を渡った聖人を追い駆けた異教の兵隊が、水の上を歩けなくて沈んで行っちゃうヤツ」
「となると……入室許可のない方がドアに触れると氷の中に引きずり込まれる、という事なのでございましょうか?」
 旗艦きかんの中でさえ、インデックス達はだれにも会っていない。
 その徹底てつていぶりを見ると、このドアを開けられるのはアニェーゼとビアージオの二人だけか。
 インデックスはチラリと横目でオルソラを見て、
「うん。正攻法ならね」
「と、いう事になるのでございましょうね」
 インデックスは一〇万三〇〇〇冊の魔道書まどうしよの管理者、オルソラは魔道書や術式解析のエキスパートである。難攻不落という言葉を前に、最初に思い浮かんだものは同じだった。
 インデックスが扉のギリギリまで鼻先を近づけて、改めて観察する。表面上の模様から扉を構成する分厚い氷の内部の作りまでも解析していく。オルソラは万が一インデックスが扉の防御機構にみ込まれそうになった時のために、天使のつえゆるく構えていた。
 が。
 ゾァ!! と、彼女たちの周囲の床から、人間より大きな逆さの氷柱つららが飛び出してきた。一つ二つではなく、一〇から二〇。それらは見えない刃に刻まれるように、次第に形を整えていく。
「これが」
「修道女達の代わり、でございますか!?」
 作られたのは氷のよろいほかにも、二輪の台車に乗った大砲などもある。鎧どころか大砲までもが、車輪をひとりでに動かしてギチギチと照準を合わせてくる。
「ッ!」
 オルソラは思わず天使の杖を構えた。
 戦闘せんとうは得意ではないが、そもそもインデックスは武器もないし、魔術まじゆつも使えないとの事だった。だから必然的に、オルソラがこれらと戦う事になるとんでいたが、
狙いをこちらへ集中C A H!!」
 その前に、インデックスが何かを叫んで横合いへ転がった。
 鎧や砲台が、一斉に彼女の方へ向き直る。防御機能が働いたというより、強い磁石で強引に引き寄せられたといった感じだ。
 インデックスはそのまま手近な通路の一つへ飛び込みながら、
「あなたはアニェーゼを! こっちは私が引き付けるから!! 大丈夫だいじさつぶ。このガードの思考には人の意思を感じられる。だから私の『強制詠唱スペルインターセプト』で割り込めるもん!!」
 インデックスの推測では、これらの氷像は『女王艦隊かんたい』を束ねる『職制者』によって作られたものだ。それでいて、完壁かんぺきに彼らが手綱たづなを放している訳ではない。おそらく数分に一度、軌道を修正するかいなかの『情報報告』と『介入地点』が用意されている。
 シェリー=クロムウェルが操っていたゴーレム=エリスを思い出せば良い。
 完全自律でなければ、付け入るすきはある。
 どれほど高度な魔術であっても、それを操るのは人間なのだから。
「ですけど!!」
 オルソラが反論する前に、突風が吹き荒れた。
 小道の奥へ消えたインデックスを追うように、すべてのガードが一斉にオルソラの横を突き抜けたのだ。猛スピードのダンプカーが通過した時と同じく、空気が押されて風となる。
 ごう!! といううなりと共に、オルソラは反射的に目をつぶった。
 再び目を開けた時には、もうインデックスも鎧や砲台の姿もない。
「インデックスさん!」
 オルソラは天使の杖を片手に叫んだ。
 返事はいつまでってもやってこなかった。

     8

 アニェーゼ=サンクティスは氷の球体に寄り添うような形で、外の音を聞いていた。
「……、」
 砲撃ほうげきの音、剣を切り結ぶ音、火船の爆発する音、人と人の怒号―――そしてつい先ほど聞こえた、その部屋の扉のすぐ向こうでのなぐり合う音。
 すべては、彼女を中心として起こっていた。
 アニェーゼを奪うか、アニェーゼを守るか、それだけのために戦いは続いていた。
 何だこれは、と彼女は思う。
 これではまるで、みんなが自分を心配しているみたいだ。そんなはずがある訳ないのに、そういう風な誤解を抱いてしまう。
 ここが自分の最高点だと思っていた。
 ここの外に向かっても、後は下がっていくだけだと思っていた。
 だけど。
 自分は、まだだれかにすがっても良いのだろうか。
 自分は、まだ希望を抱いても良いのだろうか。
(……、)
アニェーゼ=サンクティスはぼんやりとした頭で考える。
 それから、
 首を横に振った。

 がちゃん、という音が聞こえる。

 それは、この不自然なまでに完壁かんぺき四角錐しかくすいの部屋を閉ざしていた、両開きの氷の扉が開け放たれる音だった。アニェーゼはそちらを見る。前に一度、護衛艦こえいかんの中で出会った少年ではなかった。しかし一方で、一度もこの『女王艦隊』で見た事のない人間でもなかった。
「オルソラ……アクィナス?」
 漆黒しつこくの修道服を着たシスターだった。ローマ正教を追い出されたのにいまだに修道服はそのままで、何の冗談か没収されたはずのアニェーゼのつえを両手に握りめていた。両開きの扉に掛けられた術的防御を解くのは並大抵の事ではない。実際、極度の集中を果たしたせいか、オルソラの呼吸はわずかに熱く乱れていた。
 それでも、彼女は疲れの表情を少しも見せない。
 あまつさえ、球体に寄り添っているアニェーゼの顔を見て、その表情をかすかにかがやかせた。
「よく……」
 オルソラは、告げる。
 アニェーゼの耳には、それは聖女そのものの声に聞こえた。
「よく、ご無事でございましたね……」
 そんな言葉が出てきたという事は、オルソラはアニェーゼを取り囲む状況を知っているのか。アニェーゼと同じか、あるいはそれ以上に。だからこそ、まだ無事だったアニェーゼの顔を見て、こんなにもホッとした表情を浮かべたのかもしれない。
 自分はあれだけの事をしたのに。
 自分はあれだけの事をしたのだから。
「……、何で、ですか?」
 ポツリと、呆然ぼうぜんとした調子でアニェーゼがつぶやいた。
「今がどんな状況か、全部分かってんでしょう? あれだけ、『女王艦隊かんたい』から逃げたがっていたじゃないですか。こんな危険な所にはいたくないって、ここがどれだけ不条理な施設か知ってて、だから私の策に乗ったんでしょう? なのに何で、よりにもよって貴女あなたがそんな顔で戻ってきちまうんですか」
「それは買いかぶりすぎですよ」
 オルソラは苦い調子で笑った。
「パッと見た程度ですべてが分かるはずがございません。『アドリア海の女王』の仕組みだって、インデックスさんに教えてもらって何とか理解が追いついている所ですし、『刻限のロザリオ』についてはいまだに何が何やらといった感じでございます」オルソラは、両手で銀のつえを握りめて、「……分かっていれば、だれだってここから逃げようなどとは言いませんでした。皆を助けるために口をつぐんだあなたを置いて、自分たちだけ立ち去ろうなどと」
「だから……」
 アニェーゼは、小さく言葉を返す。
 目の前にいるオルソラが、どれだけ自分の基準から外れた人間かと考えながら。
「そこが、変だって言ってるでしょう?確かに私はシスター・ルチア達を助けるために、自分をえさにしちまいました。でも、
それだけなんですよ。終わり良ければ全てし、なんて話になるはずがないでしょう。貴女はそれで満足できんですか」
 その口で一つ一つ言うたびに、自分がみじめになる。
 それでもアニェーゼは続ける。
「『法の書』巡って何をやったか覚えてんでしょ! わざわざ貴女を日本まで追いかけて捕まえてグチャグチャにり飛ばしたのは私なんですよ! 普通は見捨てるでしょうが、そんな人間なんて!! 水になんか流せんですか、あそこまでやられておいて!?」
「その答えを、口で言う必要があるのでしょうか」
 オルソラは静かに告げる。
すべて分かっていたからこそ、あなたはその全てをだまって、私たちの意識をルチアさん達の方にだけ向けさせたのではございませんか。知れば、私達は必ずあなたを止めるために動くと。それでも明確に言葉として聞きたいのでしたら、私の答えを、この口を使って答えましょう」
 彼女は、アニェーゼの顔を見て、
「結論を言えば、答えなんて分かりません。私は所詮しよせん、修行中の身でございますからね。何が正しいか、何が間違っているか。そんなものを一人で決めて、他人の人生を左右するほどの博識と良識を兼ね備えている自信など、とてもございませんよ」
 ですが、と彼女は続ける。
「少なくとも、ルチアさんとアンジェレネさんはあなたを助けたいと断言しました」
「……、」
 アニェーゼは、黙り込んだ。
「ルチアさんは一度安全な場所まで避難ひなんしても、それでもあなたを助けるためにまた戻ると言いました。アンジェレネさんは同じ仲間を傷つけるのが怖いと言って、武器を作る事にもためらっていました。……彼女達の言葉に偽りがあるとは思えないのでございますよ。あの場においてだれよりも完壁かんぺきなのは彼女達でした。私などは、とても足元に及ばないのでございましょう」
 ゆっくりとした言葉には、強制力など少しもない。
 にもかかわらず、アニェーゼは呼吸を止めていた。
「あなたは、ルチアさんやアンジェレネさんの言葉に文句がありますか?」
 そんな小さな修道女に、オルソラは告げる。
「たとえ絶望的な状況をの当たりにしても、無数の刃を突きつけられても、それでももう一度皆と笑いたいと告げた彼女達の言葉に、まだ足りないと思っているのでございますか」
「―――、」
 アニェーゼは、わずかにオルソラの目を見返した。
 彼女のふるえる唇は、何かをつむぎ出そうとしたが、
「不可能だな。それをローマ正教が黙っていると無邪気に信じられるか?」
 男の声が割り込んできた、
「こちらとしても困るんだ。シスター・アニェーゼ、己の役割から簡単に逃げるなよ。確かに、ローマ正教の総数は二〇億だ。例えば君がここで死んでも計画は途切れん。ほかの適性者を捜すだけだろう。しかし、その二〇億の中から人員を振り分けていくのが一体どれほど難しいか分かっているのか。面倒臭いだろう? わたしは面倒臭いのは大嫌いなんだ」
 全てを台無しにする軽薄けいはくな言葉だった。
 オルソラは声の飛んできた後方へ振り返る。
 豪奢ごうしや法衣ほうえに包まれた四〇代の男。首には四本のネックレスがあり、ジャラジャラとたくさんの十字架が下げられ、顔には左右非対称のゆがんだ笑みが張り付いている。
 ビアージオ=ブゾーニ。
 そして、
 その右手に、血が跳ねていた。
 ビアージオのものではないだろう。目立った傷はないし、顔色に痛がる素振そぶりがない。
「……となると、その血は一体どういう事でございましょうか」
「冷たいな、わたしに対する心配はなしか。そしてその質問にはもう答えた。面倒臭いのは嫌いなんだ、とな。だから、まぁ、手っ取り早く潰してきたよ

「……、」
 オルソラは、自分が持っている天使のつえつかむ手に、力を込める。
 しかし、傍目はためで見ているアニェーゼからしても、オルソラが戦闘せんとうに慣れていないのは良く分かった。彼女は机の上で戦う種類の修道女だ。アニェーゼやビアージオとでは、根本的な部分が違う。強弱や優劣の問題以前に、まず大前提が間違っている。砂漠を歩く格好で南極を渡ろうとしているようなものだ。
 ビアージオも一目で看破したのか、余裕の表情を崩さない。
 構えすらも取らない。
「できればここではけて欲しいな、そういう行いは。色々とデリケートなんだよ。何で『女王艦隊かんたい』なんてものを用意して周囲を固めていると思っている? そりゃ、安易に傷つけられちゃ困るからだろう」
「……対ヴェネツィア用大規模術式。時代遅れの骨董品こつとうひんかがやきを取り戻す事が、そんなに意欲のある行いでございましょうか」
「ふうん、そこら辺は共通の見解なのか。しかしそれは問違いだ。わたし達が行おうとしているのは対海洋国家用の攻撃こうげき術式ではない。その先にあるものだ」
「随分と、余裕でございますね」
 オルソラは告げる。
 それは上手うまくない、とアニェーゼは思った。ビアージオに気づかれぬよう会話を続け、その間に距離きよりを測るのが常套じようとう手段なのに、
「まぁな、話した所でどうにもならん。その程度については余裕もける。それに、散りゆく者には礼を尽くすのがわたしの流儀りゆうぎだ。できる範囲でだがな。そうそう、さっきの少年にも同じ事を言ったよ。いや、説明した、というのが正しいかな。抵抗が強くなって難儀したが、まぁそれぐらいがわたしの許容範囲だな。君にもそういう程度のわがままをお願いしたい」
「―――、」
 オルソラは反射的に一歩前に進んでいた。
 対して、ビアージオは動かない。
 相手の動きに注視する必要もないと言っているように。
「さて、何の話だったか。そう、『アドリア海の女王』だな。君たちも知っているとは思うが、あれは本来、対ヴェネツィア専用に作られた術式だ。ヴェネツィアを一撃いちげき破壊はかいするが、それ以外の用途では使えない。理由は簡単だな、敵側の手に渡ってしまった際、自分達に向けられるのが怖かったからだ」ビアージオは首の十字架の一つを指でなぞりつつ、「『アドリア海の女王』ができたのは九世紀……ヴェネツィアに一二使徒の一人、聖マルコの遺骸いがいが持ち込まれた時だったか。聖ペテロの遺骸を守るバチカン―――当時のローマ教皇領と同じ宗教的環境を整えようとしたヴェネツィアの動きに警戒したローマ正教の手によって作られたのだ」
 言われたオルソラは、ふとまゆをひそめた。
 こんな事を言い合っている場合ではないと知りつつ、思わず尋ねてしまう。
うそをついているのでございますか? ヴェネツィアの発展も、当の九世紀辺りから始まっています。その時から『アドリア海の女王』が機能していたとすれば……」
「そうだ。これ以後に訪れる最盛期のヴェネツィアは、パドヴア、ヴィツェンチア、メストレ、キオッジアなど、周辺の都市国家を次々と侵略していった歴史を持つ。知っているよな」
「……その程度の知識で私の思考を誘導ゆうどうできるとでも?」
「理由は実に様々だろうが、その内の一つに『アドリア海の女王』があるそうだ。どこに大規模術式の専用施設があったか、当時のヴェネツィア政府はつかみきれていなかった。従って、怪しい所をつぶしていくしかなかったという訳だ。そこまでやられたのなら当時のローマ正教も『アドリア海の女王』を使えば良かったものを……結局、恐ろしかったのだろうな。ヴェネツィアの力は絶大だ。失えば特に経済方面での打撃は図り知れん」
「……、」
「しかし結局ヴェネツィアはそれら侵略行為によって軍費がかさみ、最終的に経済難に見舞われて国家が滅亡に向かったというのだから笑えない。もちろん、これらは単純に『アドリア海の女王』のためだけではないだろうが……結果的に、目的は果たされていたのだよ」
「使わずして、その畏怖いふだけで国を滅ぼした大規模破壊魔術まじゆつ……。しかし」
 オルソラがつぶやくと、ビアージオは笑う。
「そう、しかし、だ。『アドリア海の女王』はヴェネツィアに対してしか使えない。どれだけ魅力的みりよくてきな威力を誇っていても、照準制限を解けない限りは意味はない。現在のヴェネツィアは健全な観光地だ。今のローマ正教にあの水の都をうとんじる理由もないからな」
 ならば何故なぜ、と言いかけて、オルソラの動きが凍った。
 今のビアージオの台詞せりふは、ある一部分に希望的なもしもの話が含まれている。
「そうだ。気づいたな」
 ビアージオ=ブゾーニは断言する。

「『アドリア海の女王』の照準制限を解く。そのための『刻限のロザリオ』だ」

 オルソラの呼吸が止まる。
 今まで聞かされていなかったのか、アニェーゼの目がわずかに見開かれた。
 司教は構わずに続ける。その顔に、少しずつ笑みがにじんでいく。
「長かった。いや、実際に『刻限のロザリオ』を組んだのはわたしではなく、ヤツなんだがな。まったく、つらかったぞ? 『アドリア海の女王』という素晴らしい兵器が目の前にありながら、それを上手りつまく応用するためにここまで手間がかかるとはな! おかげで今の今まで、それこそ何百年も放置されたままだったのだ!!」
「まさか……ッ!!」
 オルソラは思わず叫び声をあげた。
「それでは、あなたたちは『アドリア海の女王』を使って邪魔じやまと感じた街を破壊はかいするとおつしやるのでございますか! 海洋の強国にして様々な文化が交差する魔術まじゆつ列強の国で知られた、あのヴェネツィアをも一撃いちげきで破壊するような規模の術式を振りかざして!!」
「都市というのは誤解だな。より正しくは世界と呼ぶべきだ」
 ビアージオは楽しそうに言う。
 あたかも、王様の耳は驢馬ろばの耳という童話のように。
「ハハッ、『アドリア海の女王』は都市だけではない。その都市にかかわったすべてを破壊する。例えばヴェネツィアという街を破壊すれば、どこぞの美術館に収められた絵画や彫刻なども全て破棄されるという寸法だ! ヴェネツィア派という学問も消えるかもしれないな。んん? それと同じ事を、敵対する世界を束ねる都市に向かって放ったらどうなると思う?」
 敵対する世界。
 束ねる都市。
 オルソラはそれら二つから、ビアージオの言おうとしている事をつかむ。
「まさか、学園都市を!?」
「その通りだよ、シスター・オルソラ! 『アドリア海の女王』は街が与えた影響えいきよう全てを取り除く。あらゆる科学技術は学園都市の影響を受けている。些細ささいな事であってもな! それを全て破壊するとなれば、科学という忌々いまいましくも世界の半分を包み込んでいるサイド全体を、一夜にして駆逐くちくする事ができるのだよ!!」
 ゾッとした。
 ビアージオの言葉は自分の見ている場所にしか人間がいないと信じている口ぶりだった。自分のいない場所で生活している者は人の形をした背景にしか見えていないのだ。科学サイドの破壊はかい。それは単純に世界地図を半分に切り取るのとは訳が違う。実際に人が死ぬはずなのに。
「学園都市をこわせば、それで皆が幸せになるとでも……?」
「思わんよ。害なす者は魔術まじゆつサイドの中にもいる。イギリス清教、ロシア成教、その枠から外れれば仏教や北欧神話なども加わるか。しかし続ければ良い。邪魔者じやまものすべて消せば良い! いずれ不純物は取り除かれる。ローマ正教だけになる!!」
「あなたは……ッ!!」
 ヴェネツィアの暴走を止める『アドリア海の女王』には、二発目を装填そうてんする機能は必要ない。しかしビアージオの言い方を考えるに、それすら克服されている可能性がある。
(あるいは、ルチアさんたちがこの艦隊かんたいでさせられていた奇妙な作業……。それこそが、装順の問題を取り除くための下準備だったのかも……)
 オルソラは思ったが、口には出さない。
 一方で、ビアージオは彼女の戦標せんりつに対して、あきれたように語り続ける。
 興ががれたように、口調の速度が少しだけ減じる。
生温なまぬるいな。いつから宗教というのは便利な道具に成り下がった? ソドムやゴモラが焼かれた事に間違いはあるか。科学サイドは宗教裁判を十字教の誤りだと指摘するが、それこそが誤解も良い所だ。何故なぜ、神が人のために我慢がまんしなくてはならない。神にとって不利益を生む者がいるのなら、それを排除する事に不備などない。雑草を焼くのと同じだよ。その過程で周りの草が焼けた所で文句を言っては始まらない」
 そんな思想であれだけの術式が振るわれれば、どれほどの被害が出るか。一人の敵をあぶるために街が全て焼かれるなどという事態に発展しかねない。それこそ十字教史上最悪の惨事となってしまう。
 ビアージオはジロリとオルソラを見た。
 戦標する修道女に、司教は歓喜でふるえて上擦うわずった声を放つ。
「ローマ正教の悲願なのだよ。だからここで暴れてもらっても困るんだ。まして、シスター・アニェーゼをここから連れ出すなどとは、とても承服できたものではない」
「承服できないのは、こちらの台詞せりふでございます!」
 オルソラは天使のつえを勢い良く振る。
 ビアージオはくだらなそうに息を吐いて、

「だから、暴れるなと言ったはずだが」

 言葉が出た時には、すでに勝負は決していた。
 オルソラは天使の杖を発動するためにじゆつむぐ。だが遅い。いや丁寧ていねい過ぎるのだ。意味だけを通せばそれで良い戦闘せんとう時に、まるで彫刻の顔でも仕上げるような集中力で術式を構成し始めてしまっている。あれでは間に合わない。
 対して、ビアージオは首元の十字架に触れるだけだ。
「―――十字架は悪性の拒絶を示す」
 口の中でつぶやくと同時に、くさりから外された三つの十字架が軽い調子でオルソラの元へ投げ飛ばされた。オルソラは警戒し、その十字架をつえたたき落とそうとしたようだが、
 ゴッ!! と。
 その直前で小さなアクセサリーが爆発的に膨張ぼうちようした。まさに爆発だ。その膨張速度は金属て表現された爆風に近い。まるでドア板を破る鉄杭てつくいのような攻撃こうげきに、一発でオルソラの手から天使の杖がはじかれた。
 オルソラの背後にいるアニェーゼが息をむ。
 丸腰となった彼女に、さらに二つの十字架がおそう。
 二発目はオルソラの肩の上で爆発膨張し、その関節を外すように上から下へ打撃した。彼女の上半身が衝撃しようげきでくの字に折れると同時、さらに丸まった背中へ三発目が爆発する。大槌おおつちで壁をなぐるような音がひびき、オルソラの両足から力が抜けた。そのまま勢い良く氷の床へと叩きつけられる。
 彼女はそれでも、のろのろと立ち上がろうとするが、
「ハハッ! やめておけ、シスター・オルソラ!!」
 ビアージオは一歩も動いていない。
 長い長い計画の成就じようじゆが間近に迫っているせいか、表情は笑顔でしかない。
 さらに首元の四つのネックレスから、十字架を一つ取り外し、投梛とうてきされる。まるで海に花束でも投げるように、十字架は大きな弧を描いてオルソラの頭上へ流れていく。
「―――十字架はその重きをもっておごりを正す」
 ギン、と空中の十字架が振動するような音を立てた。
 瞬間的しゆんかんてきに数千倍の重力加速度を得た十字架が、オルソラの首のすぐ横を流れた。氷の床が衝撃に負けて爆発し、めくれ上がる。間近でそれを受けた彼女の体がうつ伏せの状態から、さらに横滑りして転がっていく。
 それでも。
 武器を失い、全身を叩かれても、オルソラはピクリと指を動かす。
 あらがうために。
「くっくっ。やめうと言ったはずだがな。わたしも伊達だてに司教など務めていない。こちらは十字架が持つ複数の意味を解放する事で様々な力を振るえるのだ。わたしを殺す気なら大聖堂を爆破するつもりで来い! イギリス清教には『歩く教会』があるが、あんな物がなくともわたしは一人で聖域に匹敵するのだからな!!」
 それから、ビアージオはオルソラから目をはなした。
 その奥に立っているアニェーゼに告げる。
「少し早いが、そろそろ始めるか。シスター・アニェーゼ」
「え……?」
 聞かれたアニェーゼは、キョトンとした顔でビアージオを見返した。
 司教は特に嫌悪けんおを示す事もなく、
「甲板の天草式あまくさしきや、そこのシスター・オルソラは多少目障めざわりだが、『刻限のロザリオ』を使って『アドリア海の女王』の制限を解く事に絶対的な影響えいきようを与えるほどではないからな。ふふっ、焦がれるのはもうたくさんだ。わたしを我慢がまんで殺す気か。さっさと始めて歴史に名を残すぞシスター・アニェーゼ!」
 ビアージオの言葉と共に、アニェーゼが身を預けていた氷の球体に変化が生じた。
「さぁ調整に入るぞ。『刻限のロザリオ』と『アドリア海の女王』の双方と君の魔力まりよくをそれぞれ同調させればそれで終わりだ。すぐに済ませてバチカンに吉報を送るぞ!!」
 ギュルリと瞳孔どうこうが拡縮するような動きで大きな穴が空いたのだ。
 中に人れと、さそうように。
「……ッ! させる、ものでございますか!!」
「その体で抵抗する気か? それとも、さらに自由を奪って欲しいか」
 ビアージオはオルソラの顔を見もしなかった。
 彼は胸元の十字架を指でで、
「始めるぞ。喜べシスター・アニェーゼ。君は十字教の歴史上、最も多くの敵をほうむった名誉を得る。君がずっと望んでいた事だ! その天使のつえを振りかざしていた時代からのな!!」
「……、」
 アニェーゼはビアージオの言葉を受けて、ぎこちなくうなずいた。
 うつむくように下げた視界に、近くに転がっている天使の杖が映る。
 彼の言葉は間違っていないはずだ。
 実際、『法の書』を巡る一件でオルソラを追い詰めた行動理由はそういったものだった。ローマ正教の敵を葬る。それだけの事だ。あの少年たちが止めに人らなければ、きっとアニェーゼは楽しんでオルソラを殺していた。
 自分をおびやかす敵の排除は、アニェーゼが望んでいた事だ。
 しかし、
「その、あなたの語る『敵』の中には、アニェーゼさんも含まれているのではございませんか……ッ!」
 かつて殺されかけたオルソラは、アニェーゼの盾になるように移動した。
 全身のダメージによって、体もまともに動かない状況で。
 それでも自分の体を引きずって、ろくに立てもしないのに。
 アニェーゼはそんなオルソラの様子を見て、体を強張こわばらせる。
 ビアージオは、オルソラの言葉を受けて笑う。
「今の君は、本当にローマ正教ではなくイギリス清教なのだな。だからあせる。ローマ正教の人間なら『アドリア海の女王』を突きつけられる危惧きぐを感じる必要はないのだから」
「かく言うあなたは、本当に猜疑さいぎでしか動けないのでございますね。私たちローマ正教徒の典型でございますよ。利害のはかりしか持たないから、人がおもいで動くという事を理解できない。いや、理解はできても信じられない」
 アニェーゼは、前にもその言葉を聞いた。
 オルソラ=アクィナスという修道女が、あの時から変わっていない事を知った。
「私は、そんなつまらない事を実現するために、アニェーゼさんが使いつぶされるのが納得できないと言っているのでございます! それによって多くの人が傷つくのが耐えられないのだという事が、何故なぜ信じられないのでございますか!!」
「……、そうか」
 ビアージオの頻から、浮かんでいた笑みが静かに消えた。
 首元にあるいくつかの十字架をもてあそんだ。その内の一つを指ではじく。
「意思を変更しよう。やはり、障害は小さくとも潰しておくべきだ」
 言葉に、オルソラは身を固めた。
 実質的な危機だけではない。そもそも、おそらくこの修道女はだれかに殺意をぶつけられる事そのものに慣れていない。そういった世界とはほとんど無縁の所で生きてきたのだろうから。
 アニェーゼは、思う。
 そこまでする理由は何なのか。学園都市の人間なら分かる。科学サイドの住人なら理解できる。何故なら、自分自身の危機なのだから。ビアージオを止めなくては、自分の生活どころか直接的に命を奪われる羽目になるのだから。
 しかし、オルソラぽ違う。
 学園都市がこわれても彼女は死なない。ビアージオがイギリス清教をねらうなら、ローマ正教を捨てた時のようにほかの組織・宗派に鞍替くらがえすれば良い。少なくとも、ビアージオは『刻限のロザリオ』の邪魔じやまさえしなければ今すぐここでは殺さないと言っているのだ。
 それを、何故立ちふさがるのか。
 一秒でも長く生きていたいとは思わないのか。
「十字教はすべての隣人りんじんを愛するが、一方であまりにも遠い敵に対しては一切の容赦ようしやをしない。カレンダーをいうどる聖人達の伝承を見れば明らかだろう」
 ビアージオは首の十字架に触れながら告げる。
 指に加わる力は蛇のようになめらかで的確。これまでとは違う、本気の色が受け取れた。
 死ぬ、と思う。
 だからアニェーゼは、オルソラの後ろから告げた。
「……横にどいて、ください。どの道、貴女あなたにビアージオは止められません。抵抗さえしなければ、きっと貴女は死なずに済みます」
 嫌な言葉だ、とアニェーゼは思う。
 伝承にある聖人が死ぬ前に、大抵異教の神官はこう言って十字教を捨てるように誘惑ゆうわくする。
 しかし、
「そんな事が、できる訳がないでしょう……ッ!!」
 まるで神話に登場する聖女そのままに、オルソラ=アクィナスは突っぱねた。
 即答だった。
 声はふるえていた。痛みのせいでもあるし、緊張きんちようや不安、それに恐怖だって混じっているだろう。しかし、オルソラはアニェーゼの言葉に即答していた。頭の中で深く考えて答えた訳ではないはずだ。考えるまでもないと信じているからこそ、すぐさま言葉が口から出たのだ。
「終わりだ、シスター・オルソラ」
 ビアージオは告げる。
 おそらく、オルソラとは全く別種の理論ではじかれた、迷わぬ声。ビアージオ=ブゾーニはそのままオルソラを殺すだろう。自分の中にあるものにただ従って、それが絶対に正しいと信じて、それ以外のすべては聞くべきではないと拒絶して。
 オルソラは死ぬ。
『あの場において、だれよりも完壁かんぺきなのは彼女たちでした。私などは、とても足元に及ばないのでございましょう』
 おそらく抵抗らしい抵抗もなく、彼女は死ぬ。
『あなたは、ルチアさんやアンジェレネさんの言葉に文句がありますか?』
 何の力も持たないアニェーゼに告げたオルソラが、
『たとえ絶望的な状況をの当たりにしても、無数の刃を突きつけられても、それでももう一度皆と笑いたいと告げた彼女達の言葉に、まだ足りないと思っているのでございますか』
 アニェーゼどころか、ルチアやアンジェレネまで心配したオルソラが、
 そう言ってくれた人間が、アニェーゼの目の前で

「ハハッ! 笑えシスター・アニェーゼ。君の夢が砕ける様を眺めて!」

 ビアージオの言葉を聞いた瞬間しゆんかん、アニェーゼの意識が爆発した。
 ガッギィ!! という金属がぶつかる轟音ごうおんひびいた。
「……、何の真似まねだ」
 ビアージオの質問に、しかしアニェーゼは答えない。
 彼女の手の中に、床に落ちていたはずの天使のつえがあった。オルソラの背後から腕を前に伸ばし、彼女の鼻先をかすめるように杖の下端を床に突き立てた姿勢で動きを止めていた。
 爆発的に膨張ぼうちようした十字架の鉄骨のような先端は、天使の杖に激突していた。ねらわれたのはオルソラのちょうど眉間みけんの辺りだ。直撃ちよくげきすれば首が丸ごと消えていたかもしれない。杖を握るアニェーゼは、その衝撃しようげきの強さに思わず歯を食いしばっていた。
 アニェーゼは床につばを吐く。
 彼女はオルソラの前に立つと、天使の杖を乱暴に振るって水平に構える。その仕草に、オルソラのような丁寧ていねいさはない。
万物照応Tutto il paragone五大の素の第五Il quinto dei cinque elementi平和と秩序の象徴『司教杖』を展開Ordina lacanna che mostra pace ed ordine
 その乱暴な扱いこそが、逆に杖に対する信頼しんらいであるように。
 この程度ではこわれない事を信じているのだと言外に語るように。
偶像の一Prima! 神の子と十字架の法則に従いsegua la legge di Dio ed una croce異なる物と異なる者を接続せよDue cose diverse sons connesse!!」
 対して、ビアージオは武器を向けられた事になど注目していない。
 それ以前の問題として、質問を無視された時点ですでに頭に血が上っていた。
「シスター・アニェーゼェ!! 何の真似まねだと聞いているのだ!!」
「ハッ、貴方あなたの疑問通りですよ」
 アニェーゼは激昂げつこうするビアージオを見て、うすく薄く、吐き捨てるように告げた。
 それこそ、まるで悪党のような笑みを浮かべ。
「間違ってんでしょうね。こんな私が、まだシスター・ルチアやアンジェレネ、それにほかのシスターたちの面倒を見たいなんて思っちまうのは! 貴方のクソみてえな命令で戦わされている彼女達をおもっていきどおったりすんのも!!」
 断言しながらも、しかしアニェーゼは一歩も退こうとしない。
 その態度に、ビアージオのこめかみが不自然にうねった。
めた、口を……」
 彼は奥歯を食いしばり、胸元にある無数の十字架の一つをむしり取ると、それを握る手を頭上に突き出し、
いてんじゃねえぞ罪人がァああッ!!」
 バギン、と妙な音が鳴りひびいた。
 直後、
「あ、ぐ!?」
 アニェーゼの背後で悲鳴が聞こえた。彼女が慌てて振り返ると、オルソラが崩れ落ちていた。脂汗の浮いた顔で座り込んでいたが、ふるふると首を横に振った途端、その動きに負けたように体が横倒しに転がっていく。
「サルどもが、ドイツもコイツも人の言葉でわめきやがって……」
 司教の口が真横に裂ける。
「―――シモンは『神の子』の十字架を背負うッ!!」
 爆撃ばくげきのようなビアージオの叫び声。
 何が、と思う前にアニェーゼの視界がグルリと回った。
「な、に!?」
 壮絶な吐き気を抑えようとした時には、すでに体のバランスは失われていて思わず片膝かたひざをついていた。下手に立ち上がろうとすると、オルソラのように床へ崩れそうになる。
 そこへ、
 近づいてきたビアージオが、片膝をついたアニェーゼのあごを思い切りり上げた。硬い靴の爪先つまさき頬骨ほおぼねに食い込んでくる嫌な感触が爆発した。彼女の小さな体がけ反り、そのまま後ろへ倒れていく。
「が、ぁ……ッ!!」
 つえを握ったまま床に手をつくが、力が人らない。腕立て伏せでパテた時のように、体が持ち上がらない。手垢てあかがつくほど使い続けた天使の杖すら、ここでは役に立たない。
(術、式。今の、攻撃)
 それでも、アニェーゼはあきらめない。
 頭を動かし自分の置かれた状況を推測していく。
(お、そらく、は……)
 呪文じゆもんの内容から察するに、今ビアージオが使ったのは『神の子』が十字架を使って処刑された時の伝承を元にした魔術まじゆつだ。しかし、『神の子』が手足を釘で打たれて殺されたのに対し、アニェーゼたちにそのような傷はない。
 となると、
(『神の子』と十字架の伝承は処刑前にもある。処刑場の丘まで、『神の子』が自分をはりつけにする重たい木の十字架を背負って歩かされた時のものが……)
「……確か、『神の子』は……十字架を背負うだけの、体力は残されていなかった……はず。彼に代わって……シモンという男が、十字架を背負って、処刑場の丘まで運んだ。違いますか」
 ビアージオのまゆが、ピクリと動く。
 それから、彼はニヤリと笑った。
「気づいたか」
「『装備品の重量を肩代わりさせる』……それが、私達を……おそっている攻撃の正体です。貴方あなた一人の重量とは、思えませんね……。大方、今……『女王艦隊かんたい』で動いてる人間、すべての……装備品の重量を……一ヶ所に集めて攻撃力に……変換している、といった所ですか……」
 最低でも二五〇人強もの重量をまとめてらえば人間などつぶれてしまいそうだが、あくまで押し付けられているのは『重量』だけで、『速度』は存在しない。
 拷問ごうもんの一種に『おもりを腹の上に乗せていく』手法があるが、これの記録上の限界はおどろくべき事に四〇〇キロ超である。速度なくゆっくりと乗せる分には人間は重量に強い耐性を持つのだ。
「オルソラじようが私より先に倒れたのは、おそらく攻撃こうげきは上から下へ向かうタイプのものだから。意識が刈り取られんのも同じく、身体からだの一番上にあるのは通常、頭だからです」
「素晴らしい。流石さすがにどこぞの異教のサルとは違うか」
 ビアージオは、奥の手の正体を看破されたにしてはあまりに軽い言葉を放ち、
「しかし、分かった所で君には防げんがな!!」
 彼の胸元にある無数の十字架の一つが引き千切ちざられ、頭上に掲げられた瞬聞しゆんかん、アニェーゼの身体に凝縮ぎようしゆくされた『重量』がおそい掛かった。
 意識が砕かれそうになる。
 気絶すれば終わりだ。
 アニェーゼは計画のかなめなので簡単には殺されないだろう。しかしオルソラは違う。ここでアニェーゼが抵抗をめれば、不要なオルソラにとどめを刺されてしまう。
 分かっているのに。
 分かっていても。
 身体の一番上にある所から狙われる―――なので、を頭上に掲げたが、一撃で指に骨が押しつぶされそうな激痛が走った。天使の杖がガランと落ちる。たまらず手を引っ込めた所で、再び頭に衝撃しようげきが突き刺さった。
 そのわずかな抵抗を見たビアージオが嘲笑あざわらった。
「ハハッ! 何のつもりだシスター・アニェーゼ!! そんな軟弱な手でわたしの一撃を防げるとでも? やるならもっと頑丈な腕を用意しろ!」
「く……ッ!!」
 もう力はそれほど残されていないはずなのに、アニェーゼは奥歯をんだ。何もできない自分を恥じるように。そんなアニェーゼの頭にさらなる圧迫を押し付けようと、ビアージオは胸元の十字架をはじき、アニェーゼがそれでも床に落ちた天使の杖へ腕を伸ばした所で、

「そうかよ。じゃあ、こんな右手イマジンブレイカーとかなら良いのか?」

 バギン!! という破壊音はかいおんひびいた。
 音はビアージオの背後。この巨大な四角錐しかくすいの部屋の出入り口たる両開きの扉から。それを四角形、あるいは立方体に大きく吹き飛ばし、何者かが部屋へみ込んできた。
 その右手を頭上に掲げ、
 上から下へ襲い掛かる重量攻撃を弾き飛ばして。
 ビアージオは振り返り、そして侵人者に向かって叫ぶ。
「キ、サマ。異教のサルが―――ッ!!」
「死体ぐらいは確認しとけよ間抜け。テメェが思ってるより、おれの右手は甘くなんかねえんだよ!!」
 その少年はアニェーゼについて一言も言及しなかった。どうしてオルソラの盾になっているのか、その場違いな行動は一体どういうつもりなのか。
 そういった事は、一切聞かずにいてくれた。
 おそらくビアージオを前にして、それどころではないからだろう。
 今の一撃いちげきだってアニェーゼよりもオルソラを助けるために振るわれたと考えるのが自然だ。
 なのに、

 アニェーゼは、助けてもらった気がした。
 視界の先にいる上条当麻かみじようとうまが、助けに来てくれた気がした。

「おおっ!!」
 上条が叫び、ビアージオの元へと突っ走る。
 ビアージオは胸元の十字架をはじき、ややあせった顔で舌打ちして一歩後ろへ下がると、
 もう一度重量攻撃を放つ。
 それは切り札に対する信頼しんらいと、い上がってきた上条に対するおどろきから、とっさに判断したものだろう。危機のレベルに応じて即座に攻撃方法を選ぶ思考力は極めて実戦的と言える。
 しかし、何事にも例外はある。
「遅っせえんだよ! 同じ手を食うか!!」
 少年は即座に右手を掲げて一撃で重量攻撃を弾き飛ばすと、一気にビアージオのふところへ飛び込んだ。
「しまっ……!?」
 ビアージオは慌てて次の十字架へ手を伸ばそうとしたが、
 その前に、上条のこぶしがビアージオの顔面の中央に突き刺さった。

 ゴギン!! と。
 肉と肉、骨と骨を打つ音が大きくひびき渡った。

     9

上条はビアージオの意識がない事を確認してから、ようやく肩の力を抜いた。オルソラやアニェーゼの方を振り返る。
「よし、ビアージオが気を失ってる問に、適当にしばって十字架は没収するぞ。甲板の方でまだ戦いが続いてるなら、そっちも心配だしな。っと、アニェーゼ」
「は、はいっ」
 まるでこれからしかられると思っているようにぎこちない返事をする小さなシスターに、上条かみじようは笑って言う。
「ありがとうな。お前がオルソラを守ってくれなかったら、きっと大変な事になってた」
「……、」
 礼を言ったというのに、アニェーゼは面食らったような顔をした後、ぷいっとそっぽを向いてだまってしまった。
 上条は、ちょっと面白くなさそうな顔になり、
「(……ちくしょう、何だかめ損だ)」
「(……マジでそう思っているのなら、あなた様は本当に可愛かわいらしいお子様でございますよ)」
「(……あ、何?痛っ、ちょ、何でたたくんだよ!)」
 オルソラはほおに片手を当てたまま、もう片方の手でボコボコなぐってくる。上条はそれを必死で振り払いつつ、
「そういや、『女王艦隊かんたい』……じゃねえ、もっと大きく『アドリア海の女王』全体をぶっこわすにはどうすれば良いんだ? アニェーゼは『刻限のロザリオ』に使う大事な人間なんだろ。なら、その価値も殺しておきたい。『刻限のロザリオ』も『アドリア海の女王』も、もう二度と使えなくなるぐらい完壁かんペきにぶっ壊したいんだけど、中心核みたいなものはないのか」
「えっと……」
 アニェーゼは少し考えて、それから倒れたままのビアージオを見た。
「旗艦『アドリア海の女王』……っつーか、厳密には私たちがいるこの四角錐しかくすいの部屋だけは、替えがかねえそうです。現在の技術ではもう作れないそうなので、ソイツの機能を完壁に破壊できれば、もう二度と『アドリア海の女王』が直される事もねえと思うんですけど」
「しかし、『刻限のロザリオ』は元々『アドリア海の女王』にはなかった追加術式でございましょう? この巨大四角錐は『アドリア海の女王』の方であって、『刻限のロザリオ』はまた別だと思いますが」
 ようはこの右手の出番か、と上条は自分のこぶしに軽く視線を落とす。魔術まじゆつについてあ。れこれ考えたりするのは自分の仕事ではない。
「ま、『アドリア海の女王』か『刻限のロザリオ』、片っ端から全部ぶっ壊しちまえば問題ねえんだろ。替えが利かねえってんなら、とりあえずこの部屋からやっちまおうぜ」
 それから上条はアニェーゼやオルソラの方に向き直って、
「ひとまず、この『アドリア海の女王』をつぶせば終わりだな。船は沈む……っつーか、氷が元の海水に戻るんだろうけど、そうなったら天草式あまくさしきの連中に引き上げてもらうしかないか」
「ううっ……。やっぱり天草式あまくさしきの皆さんもいるんですか……」
 アニェーゼはわずかに身を縮めた。
 それを横目に、オルソラはさらに続けた。
「しかし、一番の問題は船から下りてからでございましょうね。私には皆様の道を示す事はできないのでございますよ。これからの事はご自分でお考えにならないと―――」
 オルソラの言葉は、最後まで進まなかった。
 ガクン、と。不意にアニェーゼのひざが崩れたからだ。
「アニェーゼ?」
 上条かみじようが慌てて手を伸ばすが、一歩遅かった。彼女は上条の手をすり抜けるように、そのまま床に倒れ伏す。持っていた天使のつえが、ガランと妙にひびく音を鳴らした。
「がっ……」
 横倒しになったアニェーゼは、まるで赤ん坊のように手足を丸め、
「……ぃ、ぎ。がァァああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアあああああああああああああああああああああああああああああ!!」
 ガチガチと歯を鳴らしながら叫んだ。
 何が起きたか分からない。
 が、冗談ではないのは、その苦痛に満ちた表情から簡単に理解できる。痛みのほどは想像もつかないが、アニェーゼの顔から一気に泥のような汗が噴き出した。
「アニェーゼ!! どうし―――」
 言いかけた上条は、ふと視界の隅におかしなものをとらえた。

 ビアージオ=ブゾーニ。

 ついさっきまで気絶していたはずの司教が、よろよろと片膝をついて、こちらをにらんでいた。血走った目はギロギロとせわしなく動き、本当に焦点が合っているのかも分からない状態だった。口の端から、だらだらと粘性の強いよだれがあふれている。
 そして。
 ビアージオの右手はまるで胸をむしるように、首にある四本のネックレスにつなげられた十字架を全部まとめて握りつぶしていた。その手は不自然にふるえている。
 倒れたオルソラを抱えようと、かがみ込んだオルソラが叫ぶ。
「『刻限のロザリオ』……。まさか、それが? 霊装れいそうを介してアニェーゼさんに何かしたのでございますか!!」
『刻限のロザリオ』の準備はすでに整っていたのだろうか。しかし、それができるなら何故なぜ今までアニェーゼは放って置かれたのだろう。魔術的まじゆつてきな知識がない上条には判断がつかないが、どうも状況的に考えると準備は未完成だという方が自然に思える。
 しかし、ビアージオは笑う。
 興奮こうふん緊張きんちようを伴う、熱した息の塊を吐き出しながら、
「ハッ、『刻限のロザリオ』か。未調整では使えんよ。今ではまだ正規の『アドリア海の女王』程度しか動かせん」ぐらぐらと揺れる|瞳ひとみで、上条かみじようにらみつけ、「だが、『力』だけならすでにここにある。少しは考えなかったか。ローマ正教はこれを奪われて自分たちに向けられる事を恐れたがゆえに、照準制限や女王艦隊かんたいなど様々な手を加えたのだ。ならば実際に敵へ渡ってしまった際、最後の最後の手段として何を用意していたと思う」
 つまりは自爆、と。
 ローマ正教の司教は、自らをもみ込むその言葉を、心底楽しそうに告げる。
「ビアージオ!!」
 上条は思わず叫んだ。
 詳しい理屈などどうでも良い。
 ようは、自分の計画が失敗したからすべてを巻き添えにしようとしているのだ。
 それも、アニェーゼの心を廃人まで焼く事で。
「ッ!!」
 映画の上映直前のように、周囲の照明がゆっくりと落ちていく。ほとんど光を失った四角錐しかくすいの部屋に、ギリギリときしむような音が聞こえる。上条の真上からひびく音の正体は、壁を構成する正三角形のパネルのいくつかがゆっくりと飛び出してくる作動音だった。
 四角錐のはるか先の天井てんじようから、一筋の光が落ち。
 それは壁から飛び出した数十本の三角柱プリズムにぶつかると、反射や屈折や拡散や収束を経て空中に巨大な紋様を描き出す。
 作られたのは単なる平面ではなく、ドーム状の天蓋てんがい
 まるでプラネタリウム―――人間にとって都合良く整えられた夜空のまたたきだ。
「……、逃れられるとは思うな」
 ビアージオは、天井を仰いで嘲笑あざわらう。
「コイツはこの艦隊にいる二五〇の罪人が錬金的れんきんてきな手法で補強した大規模魔術まじゅっ装置だ。そこらの壁や床を軽く砕いた程度でとどまるなどとは思うなよ!!」
 声に答えるように、いびつな天蓋の光が増していく。
 あくまでも冷徹れいてつに、道具としての待機状態スタンバイを人間に指し示すように。
 オルソラはまゆをひそめて、
「まずいのでございますよ……。国家を吹き飛ばすほどの大規模攻撃術式が暴発すれば……魔術的効果を無視した単純な爆発力だけでも、半径一〇キロは下らないはずです」
 一〇キロ。
 もはや想像が追いつかない単位を、オルソラの言葉が補正する。
「……ここが厳密にアドリア海のどの辺りかは存じませんが、キオッジアから北上しているという事はヴェネツィア近辺であって……おそらく、巻き込んでしまいます。その他にもアドリアやパドヴァといった周辺都市も危険かもしれないのでございましょうよ……」
「それだけじゃない」
 魔術的まじゆつてきな爆発というのがどんなものかは知らない。
 が、仮にこれが半径一〇キロを焼く戦術クラスの爆弾だったとしよう。
 だとすると、被害は単純な爆風の範囲内ではとどまらない。大量の海水が一瞬いつしゆんで水蒸気となり、その高温の気体の塊はさらに広範囲にわたって一気にめ回す。数十キロにわたってき散らされた摂氏数百度の蒸気の塊は、それこそ簡単に人間をで上げる。さらには水蒸気の塊は大気の温度を変動させ、気圧に極端な大差を生む。平たく言えば、超巨大なハリケーンが誕生する。ただでさえ水蒸気の烈風に茄で上げられた街にとどめを刺すように、暴風の塊が建物をめくり上げていく事になる。
 二重、三重と連なる破壊はかい連鎖れんさ
 何が『アドリア海の女王』だと上条かみじようは心の中で吐き捨てる。そんなものを整えるまでもなく、これではすでにヴェネツィアなど簡単に破壊できるはずだ。
「あ、ぎ……ッ!!」
 アニェーゼの叫び声が聞こえる。
 星空のように冷めた光の下にいるせいか、顔色は余計に悪く見えてしまう。
 上条はのた打ち回るアニェーゼの背中を右手でさすったが、それでも効果が解ける様子はない。やはりビアージオが握る十字架をつぶさない限り、中断はできないようだ。
 ギチギチ、という音が聞こえた。
 アニェーゼからではない。船全体がきしんだ音を立てている。
 ビアージオの無茶むちやな命令に対して、船の構造の方に負荷がかかっているのだ。それが限界を迎えた時、『女王艦隊かんたい』もろともすべてが吹き飛ばされるのかもしれない。
「オルソラ、アニェーゼを連れて先に甲板へ出ろ! 確か上下艦があったろ。天草式あまくさしきの連中もそっちに引き上げさせろ! 可能ならローマ正教の方の説得もたのむ!!」
「え、ええ。でも、あなた様は?」
 ふらふらと、まだぎこちない動きで、それでもオルソラはふるえているアニェーゼの体を両手で抱える。ご丁寧ていねいにも天使のつえまで握っていた。
 上条は、オルソラから視線をビアージオに転じ、
「アイツを止めるしかねえだろ。後で必ず合流する。だから行けオルソラ!!」
「そんな……ッ!?」
 オルソラは思わず声を上げようとしたが、アニェーゼのうめき声がそれに重なる。その上、ビアージオはゆったりとした動きで首元の十字架に指を添えた。
 時間はない。
「絶対……。絶対でございますよ!」
 この場でできる事はないと考えたのか、アニェーゼに何か応急手当のようなものはできないかと思ったのか、オルソラはそれだけ言うと出口へ走る。
 巨大な四角錐しかくすいの部屋に上条かみじようとビアージオの二人だけが取り残される。
 ギシギシときしむ船内で、司教は告げる。
「……だから嫌だったんだ」
 血走った目で、彼はゆっくりと、片膝かたひざの状態から立ち上がる。鳩尾みぞおちを思い切りつぶされたダメージはまだ抜けていないはずだ。それでも、ゆがんだ気力だけでビアージオは己の体重を両足で支えていく。
 自らが作り上げたプラネタリウムの下、彼は告げる。
「くそ、あの野郎。何がローマ正教の歴史に残る大義だ。だからわたしは計画を聞いた時から早過ぎると言っていたのに。わたしはもうおしまいだ。罪人として消されるだけだ。『アドリア海の女王』はローマ正教が誇る、『使徒十字クローチエデイピエトロ』を含む『聖霊せいれい十式』の一つ……。そんなものを失うとなっては、わたしにはもう二度と復帰のチャンスなど与えられん」
「だからすべてを巻き込むのか。そんなモンで何かが変わるのか。結局テメェがやってるのは、何の得にもならねえただのなぐさめじゃねえか!!」
 そして、その慰めに大勢の人がみ込まれる。
 ビアージオの命で戦わされていたアニェーゼ部隊のシスターたちも、彼女達を殺さずに止めようとした天草式あまくさしきの少年少女も、ルチアやアンジェレネも、オルソラやアニェーゼも、建宮たてみややインデックスも、その全てが。
 この人工の天蓋てんがいの下で放たれた命令によって、
 これだけ巨大な旗艦きかんを全て使って、徹底的てつていてき破壊はかいで何もかもが砕かれてしまう。
「何を、言っている」
 ビアージオ=ブゾーニはニヤリと笑う。
 真横に裂けた、壮絶な笑顔。
「これだけの大人員と戦い、これだけの大艦隊を沈め、何よりこのビアージオ=ブゾーニという司教をほうむるだけの状況に、危機感を覚えぬ者などいるものか……。その単体戦力、及び人脈はもはやローマ正教の脅威と認定できる。だれもがわたしの選択に納得する。最期さいごに花を添えるのだよ。その敵性をはいするためならば、アドリア海沿岸などくれてやれば良いのだ!!」
 それは上条当麻とうまとは全く正反対の考えだろう。
 前へ進むためではなく、後ろを振り返るために全力を尽くす。
 守る事で満足するのではなく、奪う事で満足する。
 自分一人が傷つくのではなく、周りのすべてに傷を押し付ける。
「ビアージオ……」
 上条かみじようは、音もなく右のこぶしを握りめた。
 司教は構わず、両手を広げて告げる。
「……、その顔だ。その不屈こそが我々の脅威なのだよ。だからこそ、ここで確実につぶしておく。それがわたしがローマ正教に捧げる最期さいごの貢献だ!!」
「ビアージオォおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
 叫び、上条はビアージオに向かって全力で走る。
 ビアージオは後ろへ下がる事もせず、首から下がった無数の十字架へ両手を添える。それは祈りを捧げているような仕草に似ていたが、神聖さなど欠片かけらも見当たらなかった。ヘドロのようにこびりついた執着心しか感じられない。
 上条はビアージオのふところへ飛び込み、その脇腹わきばらへ拳をたたき込もうとしたが、
「―――十字架は悪性の拒絶を示す!!」
 司教の手の中にあった十字架が爆発的に膨張ぼうちようした。一瞬いつしゆん棺桶かんおけよりも巨大になった金属塊が盾となり、上条の拳の動きを止めてしまう。
 右手の力によって、十字架の盾が砂のように吹き飛ばされる。
 その先にいるビアージオは、胸元から五つの十字架を取り出し、上条の頭上に放った。
「―――十字架はその重きをもっておごりを正す!!」
 膨大な重力加速度を得た小さなアクセサリーは、それこそ砲弾のように真下へおそいかかる。上条は頭上を見る事もなく、
「おおおっ!!」
 ダン!! と、さらに前へとみ込んだ。
 ビアージオの懐へ、超至近距離きよりであるがゆえに安全地帯であるその場所へ。
 上条は拳を放つ。
 その右手に全ての力を込めて、ただ顔面に向けて一撃いちげきを放つ。
「!?」
 しかしビアージオは両手をクロスして顔面をかばった。硬い骨がぶつかる感触がしたが、ダメージは敵のしんから。はじかれる。
 それはとっさの防御のための動きではない。
 ビアージオには巨大な十字架を使った『盾』があるのだから。
 ならば、
「―――十字架は悪性の拒絶を示す!!」
 司教のクロスした両手の中に、それぞれ一つずつ十字架が握り込まれていた。
 それは上条の眼前で爆発膨張する。
 ボッ!! と。
 まさにカウンターのように、鉄骨サイズになった十字架の先端二つが、上条かみじようの右肩と腹に突き刺さった。上条は歯を食いしばる余裕もなく真後ろへ吹き飛ばされる。氷の床の上を二、三回バウンドしてから、さらに何度も転がった。
「ぐ……ごぼっ!!」
 呼吸の調子がおかしい。一秒で全身から汗が噴き出す。単純な痛みよりも込み上げる吐き気が優先された。起き上がろうとした体が斜めにかしいでいるような錯覚さつかくがする。
 それでも、上条は再び立つ。
 右肩の痛みは、指を動かすと一気に腕全体を駆け巡った。
 ビアージオはそれを見て笑う。表情と感情は直結しない。それを再確認させるような、どこまでも暗い陰りを帯びた笑みだった。
「よくもまぁ、立ち上がれるものだ……。内臓の位置が揺らぐほどの衝撃しようげきを浴びせてやったのに……」
 彼のダメージもゼロではない。ビアージオはなぐられた鼻先を軽くで、
「お前は何故なぜあがける? シスター・アニェーゼ単品がそれほど有意義な報酬ほうしゆうか!? あんな修道女一人、どうせ死ぬに決まっている! 二〇億人もの人間を抱え、世界二三ヶ国に広がる巨大組織を相手に立ち回れるものか……。すでに、あの女を! 迎え入れてくれる場所などどこにもないのだ!!それが何で分かんねえんだよ異教のクソ猿が!!」
「……、分かって、たまるか」
 上条は、歯を食いしばって答える。
 アニェーゼはルチアやアンジエレネたちを守るために、わざわざ自分が助かるためのチャンスを棒に振った。詳しい事情は分からないが、ビアージオの手からオルソラを守るために天使のつえを取って立ちはだかった。ちゃんと立ちはだかってくれた。
 二〇億人だの、二三ヶ国だの、巨大組織だの、そんな枝葉は心底どうでも良い。
 こんなヤツの手で、もはやローマ正教の意図すら無視した自暴自棄の一撃で、アニェーゼの心が砕かれて『女王艦隊かんたい』にやってきたみんなが爆死するなんて最悪の結末を、上条は絶対に認めたくない。
 ビアージオ=ブゾーニの言葉は、軽い。
 その程度であきらめられるのなら、最初からだれもこんな所までやっては来ない。
「くそったれが。納得なんかできねえよ……ッ!!」
 ゆえに、放ったのはそれだけだった。
 水掛け論すら展開しない。もはや上条もビアージオも、お互いに会話のリレーを継続させようという気はない。ただ一方的に投げつけて終わらせるだけだ。
 上条当麻とうまは痛む肩を無視して床につばを吐き、右のこぶしを握りめる。
 ビアージオ=ブゾーニは首に下がった無数の十字架に手を添える。
 最初の一呼吸が、合図となった。
 ドン!! と、二人は同時に距離きよりを詰めるべく、走る。
「おおおっ!!」
 三秒もかからずこぶしの射程圏内に突撃とつげきする。
 ビアージオは胸に下がった十字架の一つを取り外すと、
「―――十字架は悪性の拒絶を示す!!」
 上条かみじようの日の前にてのひらごとかざされる。
 しかも、ビアージオは空いた片手で次の十字架をなぞっている。目の前の一撃を吹き飛ばせても、このままではビアージオの連撃を止められない。一撃一撃の威力そのものは、上条の拳より十字架の方が上だ。手数で押されれば確実に押しつぶされる、
(普通のやり方じゃ詰められない)
 至近距離で、上条は握りめた己の拳を意識して、
(この一撃だけじゃねえ。コイツの作る流れ全体を止めねえと……ッ!!)
 思った所で、今から準備しても間に合わない。
 結局の所、上条はその拳一つにすべてをけるしかない。
 目の前にかざされた掌、その中にある十字架が、ぐわっ!! と膨張ぼうちようを開始する。
「ビアージオォォおおおおおッ!!」
 上条はそれに合わせて、眼前のアクセサリーに向かって拳を放つ。

 右ではなく、左の拳を。

 き手ではない一撃は、素人目しろうとめに分かるほど威力は落ちていた。彼が常に放つ右の拳に比べればやはり見劣りする速度でしかない。
 しかし、左の拳には、右と違う所が一つある。
 幻想殺しイマジンブレイカーの力がないという点だ。
「ッ!!」
 ビアージオの握っていた十字架は、上条の左拳にわずかにはじかれた。トン、と。小さな音と共に、司教の持つアクセサリーがその手の中で、わずかに向きを変えただけだ。
 しかし、
 十字架の向きがビアージオの予定から外れた状態のまま、一気に爆発膨張した。
 ゴッ!! と。
 自分の手の中にあった十字架の先端が、ビアージオのあごを下から勢い良く突き上げる。
「ぐ、ぶあァ!?」
 ビアージオの体が真上に跳ねる。
(コ、イツ―――。わたしの攻撃こうげきを利用し……ッ!!)
 心の中で思うが、声に出すほどの余裕がない。口の中全体に鈍い痛みが充満している。
 上条かみじようはその間に、さらに一歩。をみ出す。
「お―――」
 ふところの最も奥深くへ。
 今度こそ、己の武器たる右拳みぎこぶしすべての力を注ぎ込んで。
「―――おおおおおおァァああああああッ!!」
 咆哮ほうこうと共に、全力の一撃が放たれる。

 ゴギン!! という、金属の砕ける音がひびく。

 狙ったのはビアージオの顔ではなく、その下方―――胸の中心点。
 ビアージオの体が真上に跳ねていたがゆえに、ぐに放たれた上条の拳は司教の胸を貫いていたのだ。
 そこにあった四本のネックレスと、大量に下がった十字架に、彼の拳はめり込んでいた。その奥にある、ビアージオの胸板へ食い込ませるように。四本のネックレスのくさり千切ちぎれ、床の
上に落ちると、アクセサリーの塊はシャンデリアが砕けるような音と共にバラバラに砕け散る。
 ゴン!! と力を失った司教の体がぎ倒される。
 氷の床の上に転がるビアージオを見据えて、上条は息を整えながら、
「戦ってやるよ……」
 それでも、言った。
「……二〇億の信徒だろうが、二三ヶ国だろうが、知った事か。テメェらがまたアニェーゼたちを狙うってんなら、おれは何度でも歯向かってやる」
 頭上を見上げる。
 広がる視界の中で、無数の三角柱に支えられたプラネタリウムが揺らぎ、消えていく。コードを切られた家電製品のように、ただ冷たい機構の塊だけが取り残される。
 光をなくした部屋に、亀裂きれつの走る音が大きく響いた。
『女王艦隊かんたい』が崩れていく。
 核となる十字架を破壊はかいされた事で。
 全てを巻き込む大爆破を防げたと確信するのと同時に。
 四角錐しかくすいの部屋は崩れ、旗艦は砕け、少年は再びアドリア海へと落ちていく。

   

chap7

終 章 学園都市への帰還 L’inizio_Nuovo…….

 イタリアの病院というのは新鮮だ。
 旅行で海外に出かける人は数いれど、意外に病院のお世話になる観光客というのは珍しいのではないか、と上条かみじようは思った。現在彼は担架に乗せられたままガラガラと暗い通路を移動させられている訳だが、お医者さんや看護婦さんが何か話しかけてきてもサッパリ分からない。とにかく右肩や左手に包帯を巻かれ、顔にガーぜを貼られたりしているのだった。……というか、顔に消毒液をかけられたせいか、何だか目にみる。
「消毒液のせいだもん。それ以外の理由なんかないんだぞ! くっそー、ほかの連中は天草式あまくさしきのお風呂ふろ術式でお肌がピカピカになるまで回復してたのに……」
「アドリア海って意外に冷たくなかったよねー」
「何でお前はそんなにうれしそうなんだよインデックス! 俺達おれたち二人そろって船の残骸ざんがい一緒いつしよにヴェネツィア湾に沈んだのに!! ハッ、まさかお前、今回は置いてきぼりにされなかったから、それでご機嫌なんじゃ―――」
「!!」
上条が言い終わる前にインデックスが自分の足をからませて廊下で転んだ。
「べっ、別にご機嫌なんかじゃないもん!!」
「分かったけどお前大丈夫だいじようぶなのか!? ったく、これぐらいの事でそんなに慌ててんじゃねーよインデックス。ほら、看護婦のお姉さんにも迷惑かけてるじゃドブぁあああッ!!」
 新人金髪ナースさんに話を振った瞬間しゆんかんにインデックスにみ付かれた。
「とうまは担架に乗せられてもとうまなの!?」
「もう質問の意味が分かんねーよッ!!」
 担架の上で暴れていた修道女が医者に押さえられて引きり下ろされる。看護婦のお姉さんは言葉が分からないからか、首を小さくかしげていた。
「ぜぇー、はぁー。と、とうま、とうま。これをつかんでってお医者様が言ってるよ」
 インデックスの言葉を聞いた上条が医者の方を見ると、何故なぜか彼はコードレスの電話機を握っていた。病院内で良いのだろうか、と思ったが、でも冷静に考えると電話ぐらいは置いてあるのが普通なのかもしれない。
 とりあえず受け取った。
 すでにつながっているらしく、耳に当てると聞き慣れた声が届いてきた。
『君は旅先でもそんな感じなんだね?』
 カエル顔の医者だった、
 学園都市ではいつもお世話になっている医者である。無茶苦茶むちゃくちや怪我けがをしては病院ふりだしへ戻る的な生活を送っている上条かみじようとしては、実はこのカエル顔って腕は確かなんじゃないかな、と予測していたりする。
「ありゃ、何ですかいきなり。ハッ! まさか電話先で患者を診察するトンデモドクターとか!?」
『それができれば病院は携帯電話のアプリサービスを始めるべきだろうね? ま、それができない訳だから注文するんだけどさ。君、今すぐ学園都市に戻ってくるんだ』

 ……………………………………………………………………………………………、は?

『いや、冗談でなくてね。いかに学園都市協力派の施設とはいえ、やっぱり能力者の体をよその病院で調べたり整えたりするのは色々まずいと思う訳だね?』
「あの、だね? じゃなくてですね。でも、だって! もしかしてこの状態のまま飛行機に乗れってんですか、一〇時間近くも!? 言っておきますけど上条さんはケチョンケチョンなのですよ!?」
『ああ、それについては大丈夫だいじようぶ。マルコポーロ国際空港に学園都市製の超音速旅客機がまっているはずだから。あれだね、最大時速七〇〇〇キロメートルオーバーだそうだから、日本まで一時間ちょっとって感じかな?』
「大型旅客機で!? それは幻のノースアメリカンX-15研究機とかじゃねえの!? そんな並のミサイルより速い飛行機に何の訓練も積んでないおれが乗れるモンか!!」
『大丈夫大丈夫。実際に乗った僕だから言えるけど、ちょっと無重力を感じる程度だから』「それを一時間もか!? 胃袋の中身が全部逆流しちゃうと思いますけど!!」
『大丈夫大丈夫。実際に乗った僕だから言えるけど、そんな事を考えている余裕は最初の一〇分で消えるはずだから』
 何がどう大丈夫なんだよ!! と上条は全力で頭を抱える。
「お待ちになって! だっ、大体まだイタリアに来て一日しかってないんですよ? アドリア海の海水は二回……いや脱出の時も合わせて三回飲んだものの、肝心のヴェネツィアには一歩たりともみ出してませんが」
『おやおやそれだけ経験を積めば満足じゃないか。まぁ、僕から言えるのは一つだけかな。……無理なものは無理だからあきらめて帰って来い』
 冷たいし何だか投げやりなんですけど!! と上条はさらに頭を抱える。
 と、電話が続けて何か言った。
『そうそう。最近病院に来ている見舞い客の可愛かわいらしい女の子がね、僕が君に連絡を入れると言ったら是非伝えて欲しい事があるとお願いされてしまってね?』
「はあ???」
 可愛かわいいってだれの事だろう、と上条かみじようは思う。今病院にいるのは、白井黒子しらいくろこ姫神秋沙ひめがみあいさか。姫神の知り合いだとすると、吹寄制理ふきよせせいり小萌こもえ先生か、白井の方に目をやると御坂美琴みさかみこと辺りが―――。
「―――待て。御坂美琴?」
 うん、とカエル顔の医者は適当にうなずいて、

『良く分かったね。何でも、「帰ってきたら大覇星祭だいはせいさいの罰ゲームは覚悟しなさい」だってさ?』

「ぎゃああああああああああ!? すっかり忘れてたああああああああああ。ああああッ!!」
 担架の上で暴れ始めた上条当麻とうまを医者や看護婦たちが全力で取り押さえた。どうも急を要する状態だと勘違いしたらしい。
 上条当麻と御坂美琴は大覇星祭でちょっとした勝負をしていて、それに敗北した彼は美琴の言う事を聞く、という罰ゲームをいられるはずだったのだ。それをすっぽかした挙げ句、呑気のんきにイタリアへ旅行へ出かけた事が知れたとなれば……。
「待っているのは地獄のみ! より一層帰りたくない! うわ、ちょ、放して放して! そのプロの道具でおれを固定するのは本当にやめてーっ!!」
 ガラガラと担架が運ばれていく。
 嘆く上条に、電話は言う。
『まぁ、その、何だね。お帰りなさい、上条当麻君』

 日付が変わる前、深夜と呼べる時間帯。
 ロンドンのランベスにある一角には、イギリス清教徒のためのりようのようなものがあった。そこを積極的に利用するのはお金がない者……ではなく、不意の襲撃しゆうげきに民間人を巻き込みたくないと思っている人間だ。周りのすべてがプロの人間なら、戦闘せんとうに入っても被害は最小限で済む。
「そうですか、苦労様です」
 そんな寮の一室で告げたのは、神裂火織かんざきかおりだ。東洋人の顔つきで、黒い髪はポニーテールにしても腰まで届くほど長い。服装はわきで絞った半袖はんそでのTシャツに、片足を根元の所でぶったったジーンズである。本当はさらに二メートル近い大刀『七天七刀しちてんしちとう』を腰にたずさえているのだが、今は壁に立てかけてある。
 彼女が向かっているのは人ではなく電話機だ。
 古風なダイヤル式のもので、赤い陶器に金箔きんぱくで縁取りされた、完壁かんぺきにアンティークな一品だった。ちなみに電話の相手は同僚の土御門元春つちみかどもとはるである。
『にゃー。っつか、結果報告なら同じ天草式あまくさしきに尋ねろっつーの。情報探るこっちだって割と危ないのよ? そこんトコ分かってんのかにゃー』
「いっ、今の私はもう天草式の人間ではありません。れしくも語り合うなど、考えるだけで傲慢ごうまんというべきものです」
 神裂かんざきは受話器のコードを人差し指でいじりながら言う、
 さらに、
「大体、どの道あなたはヴェネツィア辺の情報を収集していたでしょう。タイミングが良すぎるんです、天草式の面子メンツが引っ越しの手伝いでキオッジアへやってきた事も、そしてあの少年が禁書目録と一緒いつしよにイタリアへ人ってきた事も。……報告では、オルソラ=アクィナスは『アドリア海の女王』を止めるために送られてきたと勘違いされてローマ正教側から襲撃しゆうげきされたとありましたが、どうだか。ローマ正教側の予測は正しかったのでは、と私は思いますけどね」
 神裂は裸足はだしの足でトントンと床をたたきつつ言った。
 内装は洋室だが、土足で部屋に入る事を神裂は禁じている。この辺りが和洋折衷わようせっちゆうといった所か。
『んー、それについちゃ、こっちも色々あって答えられないんだけどさー』
「な、何ですか」
 神裂は妙に聞延びした土御門つちみかどの声に、逆に警戒心を高める。
 そしてその予測は間違っていなかった。
『……ねーちーん、今回もカミやんに大迷惑をかけちまったにゃー?』
「ぶっ!?」
 ただし、ダメージは神裂火織かおりの許容量を振り切っていたが。
『もーどうすんのよー? ねーちん、こりゃすでにメイド服を着て一日奉仕程度じゃ収まりがつかねーぜい。あっ、それならこれでどうだにゃー。オレが持ってる頭の輪っかと白いつばさの女天使セットを貸す! メイド服+αだ、勝負に出ろよねーちん!! う、うおおっ! 何が天使だちくしょう、こんな可愛かわいげな堕天使だてんしが玄関にいたらカミやんどうなっちまうんだ!?』
「どっ、どこまでも馬鹿ばかげた事を……ッ!! 大体どうしてあなたはそんなものを所持しているのですか!?」
『あーいや、本当は舞夏まいかのために買ったんだけどにゃー。あの義妹、「メイドはコスプレじゃねえんダヨ」の一言と共にこぶしでオレの頬骨ほおぽねを打ちやがって……。いや、女の子の仕草として軍隊仕込みっぽい本気拳ってどうですにゃー?』
「……妹君いもうとぎみ年頃としごろなのですから、もう少し配慮はいりよがあってもよろしいのでは?」
 思い切り脱力しかけた神裂だったが、そこでハッとした。
 本題はそこではない。
「ちょっと待ってください。今回の件はどうせイギリス清教と学園都市のトップたちが事件を解決するために色々手を回して上条当麻かみじようとうまを巻き込んだだけでしょう。そこにどうして私がかかわってくるのですか!?」
『ああーん? じゃあねーちん、カミやんに対して何も感謝してない訳?』
「ううっ!?」
『あーあー。せっかくカミやんは天草式あまくさしきの皆さんを「女王艦隊かんたい」の大爆破から守り抜いたっていうのに、それに対して感謝ゼロどころか私は関係ありません宣言ってか。ちたねー神裂火織かんざきかおり。カミやんこれ聞いたら落胆するぜい。多分アイツは変に優しいから怒ったりもしねーんだ』
「そ、そんな……。確かにあなたの言葉には一理ありますけど、でもそうしたら私はこれ以上何をどうすれば!? 借りはふくらんでいく一方ではありませんか!!」
『だから取るべき道は誠心誠意の堕天使だてんしメイドしかねえっつってんだろ! 仮にも世界で二〇人もいない聖人だってんなら覚悟を決めろよねーちん!! ……、って、あれ? ねーちん、聞いてんのか、ちょっと待て話はまだ―――ッ!!』
 がちゃんと全力で受話器をフックに置いた。
 しばらく呆然ぽうぜんと電話機に目を落としていた神裂は、やがて顔を真っ青にすると、
「……だ、堕天使メイド……?」
 神裂はわなわなとふるえる両手に目を落とす。それから電話機の横に置いてある熱帯魚の入った四角い水槽すいそうを見る。壮大な疑問に直面した元女教皇プリエステスの顔があった。
 水槽に顔を寄せると『何だ何だ。エサくれるの?』という感じで熱帯魚が近づいてくる。彼女は水槽の横にあった小さめの絵皿を両手でつかみ、それを頭の上に添えると、
「わ、わっかというと、こんなかんじでしょうか。し、しかし、堕天使とは……どのような仕草と話し方を……悪魔あくまと同義、この場合は女性的なもので、男性を対象とするものなら可愛かわいげな小悪魔風―――」
 ミーシャ=クロイツェフとして部分的に降臨した大天使『神の力』が聞いたら即座におそいかかってきそうな感じだが、混乱の最中にいる神裂に自覚はない。
 世界で二〇人もいない荘厳そうごんたる聖人は、一瞬いつしゆんだけ沈黙ちんもくしたのち小首を慨げて、
「―――、な、なのですよー、とうま?」
 不意に、キンゴーン、とチャイムの音が鳴った。
「……ッッッ!?」
 ビクゥ!! と神裂は肩全体で驚愕きようがくし絵皿を慌てて頭の上からはなす。その様子を見た小さな熱帯魚が、ギュバーッ!! と高速で水槽の奥へ逃げ込んだ。神裂は高速で周囲を見回し、だれの人影もない事を確認すると、片手を胸に当ててそっと息を吐いてから、やがて出入り口のドアを見た。
 りようには、各部屋のほかにも玄関に来客用のベルが設置されている。それが鳴らされたという事は、何だろうか? 配達業者かもしれない。

 神裂かんざきは壁に立てかけた刀をつかみ、ドア前でブーツをいて部屋の外に出た。長い木の廊下を通って玄関に向かう。
 りようには管理人がいるのだが、どうもずさんで居眠りしている事が多い。神裂が玄関まで向かうと、すぐそばにある管理人室では、やはり今日も婦人がうつらうつらしていた。テレビがけっ放しになっているので、おそらく意識はない。元々テレビは居眠り防止のために持ち込んだはずだが、お好みの番組がないとかえって眠気を誘発ゆうはつさせるものらしい。
 仕方がないので神裂が扉を開けた。
 と、玄関の前に立っていたのはオルソラ=アクィナスだった、
「た、ただいまでございますよ」
「はぁ。お帰りなさい、オルソラ」
 神裂はキョトンとした顔で寮の同居人を出迎える。
 住人ならわざわざベルを鳴らす必要はないのだが、どうも今のオルソラは両手がふさがっていてかぎを取り出せる状態ではなかったらしい。というか、両手に旅行かばんを持って、背中にザックを背負い、さらにたすきのようにスポーツバッグの肩紐かたひもを下げている。そのまま登山に出かけられそうな重装備だった。
「オルソラ、あなたの荷物は先に送ったはずでは?」
「えへへ。途中で荷物が増えちやったのでございますよ」
「???」
いぶかしむ神裂かんざきの前でオルソラは笑いながら、道をゆずるように横にれた。
 おや、と神裂はわずかにまゆを上げる。
 オルソラの陰に隠れるように、彼女の修道服をちょこんとつかんでいる、小さなシスターが立っていた。
 名前は、アニェーゼ=サンクティスという。
「後からもっと大勢来るので、このりようにぎやかになるのでございますよ」
 事態をあんまり掴めていない神裂の前で、オルソラは割と爆弾的な一言を告げた。

 バチカン、聖ピエトロ大聖堂。
 ローマ正教の総本山たる世界最大の聖堂に、その静謐せいひつな空気を荒々しく引き裂くような足音がひびいていく。
「チッ、結局ブゾーニの馬鹿ばかが失敗したってコトよ。しかも『アドリア海の女王』の核部分まで破壊はかいされて、二度と再現はできないときたモンだ。……まったく、『刻限のロザリオ』を考案し、組み立て、実用にまでぎつけたコトはだれのおかげだと思ってんだか。こっちとしちゃ納得がいかないのよ。何より納得できないのはアイツが行方不明だってコトよ! 誰だかばってんのは! このストレスはどこに向けて発散すりゃ良いってのよ!!」
 やみに包まれた聖堂の中を歩くのは、二人の男女だ。
 ステンドグラスから差し込む月明かりはあまりに弱く、二人の細部は分からない。
 浮かぶのはシルエット。
 一人は老人らしき、腰の曲がった男のもの。
 そしてもう一人は若い女性らしき、メリハリのある人影だった。
「……しかしな、いくらお前であっても、あれは少々早急に過ぎた。イギリス清教の介入は予想外とはいえ、そうでなくとも壁はいくつにもわたって点在しておった。……正直に語る。介入がなくとも、ビショップ・ビアージオは成功しなかった。あやつに、破綻はたんに対処するだけの能力を期待するのは問違っている」
「アンタ誰にモノ言ってんのよ? 私がやれっつったコトはやんの。それが世界の法則ってモンでしょ。馬鹿馬鹿しい、このに及んでまだそんなコトも学んでないの?」
「貴様こそ、誰に口を開いているか理解は追いついているか」
 老人の気配が凄味すごみを増す。
 場の空気が、その一言で老人に支配された。それは平伏と呼ぶべき事態だった。頭を下げたいと願うのではなく、嫌でも下げさせる。声を聞いた者の頭を見えざる手で掴み、強引に下へ向けさせる。そういう種類の凄味だ。
 それでも、女性のシルエットに変化はない。

「ローマ教皇でしょ。そんなコトがどうしたの?」

 なんて事もない口調で、女性のシルエットは答える。
 支配されていたはずの場を、粉々に砕くような軽さだった。
「……、」
 教皇と呼ばれた老人は、わずかにだまる。
 やはり女性は気に留めない。
「やめてよねー。アンタも分かってるコトでしょ、ローマ正教っていうのは本当はだれが動かしているか。アンタがここで消えても別の教皇がその座に就くだけってコト。でも私が消えたら代わりはかない。理解できないコトかな? だったら試してみましょうか」
「くだらぬな」
 老人は、本当に興味がなさそうにさえぎった。
「主から十字教の行く末を直接その手で授かったのは聖ピエトロ一人のみ、のちの教皇も様々な活躍かつやくを遂げたものの、それでも彼の遺産整理や管理という役柄が強い。私は人に選ばれたのであって、主に選ばれたのではない。私にも分かっておる。だからこそ口には出すな。分かりきっている事を今一度繰り返されるのは頭にくる」
「だからアンタも欲しいんだ。選挙の票数ではなく、そういう唯一無二の選ばれたあかしが。そしてアンタはローマ正教を戻したいってコトなのね。人の多数決ではなく、一なる教えと意志で道を決めてきた、かつての十字教の形に」
「……、繰り返すなと告げたはずだ」
「悪い悪い。でも、私から見てもアンタはまだ駄目だめってコトよ。アンタはまだ足りない。だからこっちには来れない。そういえば、教皇って選挙で決まるのよね。それに選ばれるっていうコトは名誉だと思うけど、アンタはそれじゃ満足しない、理由はあっさり簡単、『神の子』やその使徒が行伝こうでんしていた時代では、むしろ十字教は多数決の少数派だったんだもん。そして少数派であってもその力が数に負けるコトはなかった。だからアンタは多数決の票数自体にあまり神聖な価値はないと思っている。その価値は、例えば多数決に全く囚われない私みたいな人間がが持ってると睨んでんのよね。

なのに自分の所には票数ばかりが集まってくる。……難儀なんぎというか、贅沢ぜいたくな悩みだと思うけどねぇ?」
「ッ!!」
 直後、老人がグルリと首を回した。
 バチン!! と不可解な破裂音がひびき渡る。
 理解のできない状況に対し、やはり女性のシルエットは動きもしない。ただ、両者の緊張きんちようと余裕の態度が、この理解不能の攻防の結果を示していた。
「良い悪意」
 女性はくつくつと笑う。
「しかし、私に悪意を向ければアンタは死ぬってコトだけど?」
 告げて、女性は舌を出した。
 じゃりり、という金属をこする音が聞こえる。
 彼女の舌にはピアスが留めてあった。そこからネックレスに使うような細いくさりつながり、腰の下まで伸びている。鎖の先端には小さな十字架が取り付けてあった。
「……、」
 老人は、女性から一歩分だけ距離きよりを取る。
 忌々いまいましさと、同時にわずかな羨望せんぼうを込めてつぶやかれるのは、
「―――『神の右席』。教皇程度ではひびかぬか」
「私が属するその『枠組み』の名を知ってるコトだけでも、アンタは割と上部にいるってコトなんだけど。やっぱりそれじゃ満足できないんだ?」
 何らかの攻撃こうげきを受けたのだろうが、女性はまるで気にした素振そぶりを見せない。
 彼女は笑ったまま、
「コイツに目を通してサインをしなさい」
「この私に命令形か。……、待て、この書類は……」
「アンタもいずれは用意するつもりだったコトでしょ。二年後か三年後かしら。それを私が縮めてあげたってだけのコト。面倒だけど、アンタのサインには力があるんだから。が昇る前にやりなさいよ。自分の名前を書くコトぐらいすぐに終わるでしょ」
「しかし……」
 老人はわずかに躊躇ちゆうちよした風に、
「……私はやはり納得がいかん。魔術まじゆつに深くかかわる者ならともかく、の者は単に主を知らぬだけだろう。異教への信仰は罪だが、知らぬだけならまだ救いの道はある。それに対して、ここまでやるとなると、私も否定的な意見を述べねば……」
「この私に否定形はない」
 女性のシルエットは一言で断じた。
「受動形、命令形、連用形、連体形、已然みぜん形、未然形、終止形、仮定形、後は何だっけ? まぁ別に何でも良いんだけど、否定だけは認めていない。私がやれっつったコトはやるの。聖ピエトロだろうが『神の子』だろうが、その法則は変わらない。だからアンタは書類にサインをする。分かった?」
 老人は書類を手にしたまま、小さくうなずいた。
 わずかに苦い色が受け取れる。
「よろしい♪」
 告げると、女性のシルエットはやみに消えた。
 本当に姿を消したのか、あるいはそういう風に見せかけたのか。老人は考えなかった。使われた術式が解析できなくても問題はない。どの道、あの女は自分の先を行く者だ。それが上なのかどうかは判断がつかないが。
 代わりに書類に目を落とした。
 明かりを落とされた大聖堂には、ステンドグラスからし込む淡い月の光だけしかない。ほとんど暗がりに紛れて見えなくなっている文字を、しかし老人は追い続ける。
(……少々早急すぎる。あやつのくせか)
 思ったが、あの女が決めた以上はそれが決定なのだ。本人が言った通り、あの女に否定形は存在しない。
 老人は忌々いまいましげに、自分の居室へ戻る事にする。
 ここにペンはない。
 そして書類にはこうあった。

『Toma Kamijo.
Potrebbe investigare urgentemente? Quando lui e pericoloso, lo uccida di sicuro.』

 その意味は、『上条当麻かみじようとうま。上記の者を速やかに調査し、主の敵と認められし場合は確実に殺害せよ』というもの。
 実質的にはローマ正教が総力を挙げ、たとえ『神の右席』を使ってでも確実に暗殺を行うための申請書類だった。
 命令は、五日も待たずに実行される。

   あとがき

 一巻ずつお買い上げいただいている貴方あなたはお久しぶり。
 一一巻もまとめてレジにお運びいただいた貴方は初めまして。
 鎌池和馬かまちかずまです。
 のんびりのんびりと言っている聞に一一冊目です。今回は、まぁ、あれですね。……まだ衣替えじゃないです。罰ゲームも引っ張ってます。海外旅行編です。神裂火織かんざきかおりではなくその他の天草式あみくさしき艦隊戦かんたいせんと言っても砲撃ほうげきではなく火船かせん応酬おうしゆうなどなど、ここぞとばかりに脇道わきみちれまくった変化球でございます。
 話の方は、ある組織のその後のストーリーといった所でしょうか。かつて一回名前が出たっきりの背の低い子とか背の高い子なども主要メンバーに仲間入りです。完壁かんぺきな意味での新キャラは極めて少ないのですが、これのおかげで割とにぎやかになったかな、と思います。
 オカルト方面の方も、今回はとある二つの組織がメインとなります。あとは十字架にまつわる伝承や、こっそりと一二使徒などにも触れています。
 火船の方は造語ではなく、実際にそういう戦術が存在します。本格的な魚雷が登場する前の話でして、イギリス海軍は本気で大型船に火薬を満載して無人で敵艦に突っ込ませたらしいです。絶対に勝たなければならない大勝負だったとはいえ、何ともスケールの大きな話ですね。

 イラストの灰村はいむらさんと編集の三木みきさんにはいつもながら感謝を。舞台がガラリと変わって資料などを探すのにも手間をかけると思います。本当にご苦労様です。それからイタリア語の翻訳ほんやくを監修していただいた吉見よしみはるなさんと福島由布子ふくしまゆうこさんにもお礼を。どうもありがとうございます。
 そして読者の皆様にもいつにも増して感謝を。毎回毎回、ページの最後までお付き合いしていただいて本当に感謝しております。

 それでは、今回はこの辺りでページを閉じていただいて、
 できれば、次回もページを開いていただける事を願いつつ、
 本日は、この辺りで筆を置かせていただきます。

 次こそ衣替えと罰ゲームです!鎌池和馬

とある魔術の禁書目録11
鎌池和馬

発 行 2006年10月25日 初版発行
著 者 鎌池和馬
発行者 久木敏行
発行所 株式会礼メディアワークス

平成十九年一月ニ十八日 入力・校正 にゃ?

小説ーとある魔法禁書目録10

とある魔術の禁書目録10

鎌池和馬

   c o n t e n t s
 
   第五章 緊張の糸の上の休憩時間 Resumption_of_Hostilities.
   第六章 追撃の再開とその終わり Accidental_Firing.
   第七章 倒すべき敵、守るべき者 Parabolic_Antenna.
   第八章 右の拳を握り締める理由 Light_of_a_Night_Sky.
   終 章 終わった後に待つもの達 Those_Who_Hold_Out_a_Hand.

とある魔術の禁書目録10

 7日間にわたって開催される「大覇星祭だいはせいさい」。
 運営委員の吹寄制理ふきよせせいりやチアリーディング姿の月詠小萌つくよみこもえ、名門お嬢様学校の御坂美琴みさかみことなど、学園都市のすべての教師と生徒が一丸となって取り組む超大規模イベントだ。
 そこに、ひとつの波紋が広がった。
使徒十字クローチェディピエトロ』。
 そう呼ばれる存在が、上条当麻かみじようとうまの大切な人たちの夢をあっけなく破壊していく……!
 上条当麻は走る。
 誰もが期待し、楽しんでいた「大覇星祭」を取り戻すために。
 科学と魔術が交差するとき、物語は始まる――!

鎌池和馬

そんなこんなで前巻に続いて運動会編です。全体を通して、いつもの学園都市とは若干雰囲気が違うという感じが出ぜればなあなどと考えながら書いていましたが、いかがでしたでしょうか。

イラスト:灰村はいむらキヨタカ

1973年生まれ。電子レンジとHDDレコーダーに続き、購入した念願の家電は「ふとん乾燥機」。生活感全開です。次はベランダ用の折りたたみ物干しが欲しいです。

chap1

第五章 緊張の糸の上の休憩時間 Resumption_of_Hostilities.

     1

『学園都市に魔術師まじゆつしが侵人した』
 イギリス清教のステイル=マグヌスはそう告げた。
『今の所、分かってるのは「追跡封じルートデイスターブ」のオリアナ=トムソンと、「告解の火曜マルデイグラ」のリドヴィア=ロレンツェッティの二人ですたい。連中はこの街ん中で大規模な霊装れいそうの取り引きがしたいらしいんだにゃー』
 魔術師・土御門元春つちみかどもとはるは続けて言った。
 高校生・上条当麻かみじようとうまは昼過ぎの学園都市を歩きながら、彼らの言葉を思い出す。学園都市全体で行われる特殊運動会『大覇星祭だいはせいさい』のおかげか、街にはたくさんの人たちあふれていた。
『今は大覇星祭が開催されてるせいで、普段ふだんは厳重過ぎる警備も、ある程度の窓口を設けなくてはならないだろう? 連中はそのすきを突いて学園都市にもぐってきた訳だ』
『あれだにゃー。学園都市の警備員アンチスキル風紀委員ジヤツジメントが魔術サイドの魔術師ヤツらを捕まえちまうと問題が生じる。かと言ってオリアナ達を追撃ついげきするために魔術師達を大量に学園都市に招くのもマズイ。魔術師の全員が学園都市の味方とは限らんからにゃー。科学サイドと魔術サイド、両方ともオリアナやリドヴィア達の動向に気づいてんだが、色んな事情があって手が出せないってトコだぜい』
 住人の八割が学生であるこの街には珍しく、今日は大人の姿も多い。子供の活躍かつやくする姿を見に来た父兄達だ。彼らは皆、風力発電のプロペラや自律制御の清掃ロボットなどを珍しそうな目で眺めている。その視線の先には、上条のような能力者も含まれていた。
『そんな訳で、現在動けるのは僕達しかいない』
『連中が行おうとしている「刺突杭剣スタブソード」の取り引きを阻止できなけりゃ、魔術世界での戦争の火種になる恐れもあるんだにゃー』
 上条はそんな雑踏ざつとううように歩いていく。
 周りには、ヘリウムの詰まった風船を持って歩く親子連れや、海外旅行の分厚いガイドブック並にふくらんだ大覇星祭のパンフレット片手に、競技のスケジュール確認を行っている老人達らがいる。
『学園都市の外で待機してる魔術組は、学園都市内部で魔力の流れを感知した瞬間しゆんかんに、それを口実にしてみ込んでくるだろう。範囲系のサーチ術式を展開しているはずだね』
流石さすがに学園都市全域をカバーできるような術式はないですたい。だから連中のサーチはインデックスの周辺、一キロから二キロぐらいに集中してんだろ。何せ、今までの魔術的まじゆつてき事件の大半はアイツの周りで起きてんだからにゃー』
『つまりあれだ、あの子を事件の渦中に近づけると、僕やオリアナたちの放つ魔力を感知されかねない。しかし逆に言えば、あの子を遠ざけておけば、サーチにかかる可能性は格段に低くなる』
『ま、適任はカミやんだろ。事件の方に協力するのはもちろん、うまーくインデックスを現場から離れるように誘導ゆうどうしてもらえると助かるにゃー』
 上条かみじようの周囲にある世界はどこまでも平和で、彼らは異常の一つも勘付いていない。
 この学園都市で行われようとしている事も。
 それを阻止するために動いている者がいる事も。
『チッ、連中の持っ霊装れいそうは「刺突杭剣スタブソード」なんかじゃない。「使徒十字クローチエデイピエトロ」だ! その効果は突き刺した空間を、物理と精神の両面から強制的にローマ正教の所有地にしてしまう支配の力。支配された土地では、何もかもがローマ正教の都合の良いように展開していくし、だれもがその変化に違和感を覚えず納得してしまう。教会世界と対立している学園都市で使われたら、何が起こるか……。「学園都市がローマ正教の傘下さんかに入る事」が最も都合が良いとなれば、それがそのまま成立してしまうぞ!』
『オリアナ達の言っていた「取り引き」ってのは霊装単品じゃなくて、「霊装に支配された学園都市」ってトコか。学園都市は科学サイドのおさ、これの制御権を得るって事は、つまり世界の半分を手に人れるようなモンだからにゃー。教会サイドの最大勢力であるローマ正教が、科学サイドの最大勢力である学園都市を手中に収めちまったら―――この世界は、ローマ正教の連中に制圧されちまうぜい』
『渡し手であるオリアナやリドヴィアの名前が明確であるのとは対照的に、彼女達の受け手が妙にぼやけていたのもそのためだ。元々、オリアナ達は「使徒十字クローチエデイピエトロ」を誰かに渡すつもりはなかったんだよ。あの取り引きは、リドヴィア達と、自分の所属するローマ正教全体との間で行われていたんだからな!』
 上条当麻とうまは学園都市を歩く。
 表では能力者同士が激突し、その裏には魔術師がひそ雑踏ざつとうの中を。

     2

 大覇星祭だいはせいさい
 東京西部を占める超能力開発機関・学園都市の中で七日間にわたってり広げられる特殊運動会も、すでに一日目の半分を過ぎていた。正午から午後二時まではずべての競技を中断するお昼休みの時間に当たる。それまで競技に参加したり応援に回ったりしていた大勢の学生たちが街にり出し、さらには学園都市外部からやってきた一般来場客までいるのだから、人口密度は並大抵のものではなかった。
「インデックスー?」
 と、そんな人混みだらけの街の中を、上条当麻かみじようとうまは歩いていた。
 一時は変装していたが、今はごくごく普通の半袖はんそで短パンの体操服という格好の少年である。とある事情によって、手足にり傷ができていたり、ほおにガーゼがってあったり、衣服に傷みや汚れもあるが、今日は能力者同士が激突する大覇星祭だいはせいさいの真っ最中なので、あまり目立つ事はない。
 そのとある事情のせいもあって、昼休みも終盤に差し掛かっているというのに、彼はまだお昼ご飯を食べていない。やや空腹感を覚えている体を動かしながら、上条は同じく空腹であろう女の子を捜し続ける。
(アイツ、この辺にいるはずなんだけどな……。わざわざ持たせてやった〇円携帯電話は電池切れで使えねーんだもんなあ。土御門つちみかどからはインデックスを事件の現場に近づけるなって言われているし、とにかく目を離さないようにしないと)
 上条は辺りをキョロキョロと見回す。
 魔術師まじゆつし・オリアナ=トムソンやローマ正教のリドヴィア=ロレンツェッティなどが暗躍あんやくしている最中に何をのんびりしているんだろう、と上条は思う。が、これもやはり、土御門やステイルから厳重注意された事で、
『オリアナ達の目的が「使徒十字クローチエデイピエトロ」の使用による学園都市の支配なら、即座に実行に移さないのは何故なぜなんだ? もしかしたら、彼女達にもすぐ使えない事情があるのかもしれない。
何しろ霊装れいそうの威力が威力だ。発動・制御・安定させるには、呪文じゆもんを唱えておしまいという程度のスケールではないはずだよ。例えば……をうだね。術者は長い時間をかけて火と聖油で身を清めなければならないとか、十字架本体が術者以外の思考を読み取って命令が混線しないように特殊な結界を張る必要があるとか……とにかく、そういった何らかの複雑な条件をクリアしなければ「使徒十字クローチエデイピエトロ」を使えない事情があるはずだ』
『その「使用条件」さえ分かっちまえば、こっちが先回りできるかもしれないにゃー。ともあれ、霊装の調査なら、これは魔術師の仕事だ。カミやんに手伝える事はないんだよ』
 という話だった。
 そんなこんなで、現在上条が最優先すべきは、一人の少女のお相手らしい。
 インデックスと呼ばれるその捜し人は―――小柄な色白の少女で、ひとみは緑。腰まである長い髪は銀色で、おまけに着ているのは紅茶のカップみたいな金刺繍きんししゆうを施された真っ白な修道服である。
 学園都市や大覇星祭の認知度が高いせいか、外国人の少女自体は珍しくもない。時折、銀髪に緑の瞳の少女ともすれ違うが、流石さすがに間違えて声をかけるという事はなかった。たとえどれだけ銀髪碧眼へきがんの女の子がたくさんいようが、あんなド派手な修道服を着ているのはインデックスだけだ。見間違うはずがない。
 ……のだが、見つからない。
 どうした事か、と上条かみじようは首をかしげる。
「とうまー……」
 と、そんな上条の耳に、聞き慣れた可愛かわいらしい声が入ってきた。
 彼はそちらを見たが、やはりいるのは人、人、人。完全に壁となっていて、一人一人の顔など確かめられるような状態ではない。視界の隅の方に銀色の髪がチラッと見えたが、目で追ってみると、その女の子は自のプリーツスカートに淡い緑色のタンクトップというチア衣装を着ていた。インデックスがあんな服を着ているはずがない。
「とうまー……」
 また聞こえた。
 上条は振り返るが、やはりあの真っ白でド派手な修道服など、どこにもない。いるのはインデックスと非常に良く似た、チア衣装を着て両手で三毛猫みけねこを抱えている銀髪碧眼の少女だけで、「とうまってば!! 何でさっきから目線を合わせてくれないの!?」
「うわあ!!」
 上条はおどろいてけ反った。いつの間にかすぐ近くまで接近していたチア少女が彼の耳元で思い切り叫び声を放ったからだ。あちらもあちらで、上条の事を捜していたらしい。
 ああ、と彼は思い出す。
 そう言えば、インデックスは午前中に小萌こもえ先生の手を借りてチア衣装に着替えていたような、いなかったような……。
「……とうま、とうま。何か今いかがわしいシーンを思い出そうとしてる? 私にはとうまがとても幸せそうな顔をしているように見えるんだけど」
「し、してないしてない。してませんの事よ?」上条は慌てて首を振って、「っつかインデックス、いつもの修道服はどうしたんだよ?」
「こもえに預かってもらってる」
 ムスッとした表情でインデックスは答えた。
 な、何をお怒りなのかしら、と上条は不安になる。三毛猫に視線を合わせても、眠たそうな欠伸あくびが返ってくるだけだ。上条は平和そうな猫の顔を見ながら、数秒考えて、
「あっ、分かった。おなかがすいてるんだなインデックス。これから父さんたちと合流してお昼ご飯にするから、あとちょっとの辛抱だぞ」
 言った瞬間しゆんかん、インデックスは小さな手でグーを握って上条の頭をポカンとたたいてきた。
「違うもん、とうまのばか!」
「痛った! じゃあ何なんだよ!?」
「私はとうまの応援をするために、わざわざ着替えてこもえに振り付けも教えてもらったのに! 一方そのころとうまはどこにいたの!?『ぱんくいきょうそう』の時も『つなひきー』の時だって、全然競技に出てなかった気がするんだよ!」
 あ、と上条かみじようは思い出す。
 彼は現在、とある事情を抱えている。そのせいで競技を抜けてクラスとは別行動を取っていた訳だが、それはインデックスに説明してはならないのだ。
「うう。せっかく、せっかく、とうまと一緒いつしよにいられると思って頑張ったのに。とうまが一人でどこかに行っちゃったら、私はどこで何をしていれば良いの……?」
 思いっきりうな垂れながら、インデックスはつぶやいた。
 彼女にしてみれば、見慣れない学園都市の大イベントは、場違いなパーティ会場に一人置いてきぽりにされているようなもので、ものすごく心細かったに違いない。上条は思わず頭をいて、
「あー、ごめんをインデックス。ほら、てっきりいつものパターンで単純におなかがすいてイライラしているだけかと思って」
「違うもん! 私はとうまを応援するために頑張ったのに、ちっとも見向きもしてくれないから怒ってるんだもん!! 大体そんな、お腹がすいてるからイライラしてるなんて、清貧を掲げたこのシスターである私には無縁の感情なんだよとうま!!」
「そうかぁ? お前って一年の四分の三ぐらいは食べ物の事しか考えてねーように見えるん……って待て違うゴメン!! これはですねつい本音がいやそうじゃなくてつまりあれであって色々ですね―――ッ!!」
 上条は弁解するが、インデックスの怒りは収まらず、小さな手で作ったグーで上条のほおや胸をパコパコとたたき続けた。可愛かわいらしい仕草ではあるものの、何か妙な違和感を覚えている上条は、
「……? あれ、インデックス。お前、いつものみ付ぎはどうした訳? いや!別に無理してやる必要は全然ないのだけども!!」
 後半部分を早口気味に追加した上条だったが、予想に反してインデックスからの返事はない。それどころか、パコパコ叩いていた小さなグーの動きが、唐突にピタリと止まった。
 上条はインデックスの顔を見る。
 そこで思わず、うっ、と声を上げそうになった。
 インデックスは思い切りうつむいていて、顔どころか耳まで真っ赤に染まっていた。肩は小刻みにぶるぶるとふるえていて、その小さな唇が何かを言おうとしてとどまっている。異常事態を察したのか、三毛猫みけねこが頭上を見上げてミニャーと鳴いたが、もはや聞こえているのかどうかも怪しいぐらいの緊張きんちようっぷりだった。
 コチコチに固まっているインデックスは、しばらくだまり込んだ後、やがてポツリと、
「……とうまのえっち」
「何を馬鹿ばかな! 今の今までみ付いてきたのはあなたの方じゃないですかインデックス! 上条かみじようさんはむしろ毎回毎回やめて離れてと連呼していたはずで、むしろエッチなのはお前の方じやゴバァああ!?」
 反論した所で口止めのグーがおそいかかってきた。
 割と本気で。

     3

 オリアナ=トムソンは可愛かわいらしい制服を着た店員さんから、二段重ねのアイスクリームを受け取っていた。
 ふわふわとした巻き髪状のふくらみを持つ金色の髪。色白の肌に青いひとみ。高い身長にメリハリのあるスタイル。いかにも日本人が想像しやすそうな西洋人の姿である。
 今の服装は、それまで着ていた作業服ではない。上は深い色のキャミソールに、下は淡い色のゆったりしたスカート。足には線の細いミュールをいている。スカートの丈は足首近くまであるが、清楚なイメージはない。スカートの布地は一〇センチごとの間隔で、縦にスリットが入っているからだ。下着を隠す意味合いもないため、水着に使うようなパレオを腰に巻いて

いるほどだ。
 彼女が一歩歩くたびに、まるですだれのようになったスカートの中から彼女の足が太股ふとももの根元近くまで飛び出て、また沈んでいく。下半身を隠すための布の中から生足が出たり入ったりする光景は、スカートという物に対する固定観念を根本的に否定しているようにも見えた。
 十字教社会において、衣服とは己の立場や権威を示すアイテムだ。大司教の法衣ほうえから囚人服まで、様々な人々に専用のものが用意されている。
 そんな中で、衣服の破壊はかい―――特に女性のスカ!トを切り取るという行為は、権威の剥奪はくだつを意味している。これを行われた人間は、守るだけの価値もない『恥ずべき者』として社会全体から侮蔑ぷぺつの視線を受ける。もちろん対象は罪人だ。
「罪人」
 オリアナは、鮮やかな色彩を見せる舌でアイスクリームをめ取りながら、
「罪人、ね。うふふ。うふふふふ」
『何を笑っているのですかと』
 別人の声が聞こえた。
 んだ女性の声だ。
 オリアナの右耳にはまるでボールペンを挟むように、単語帳の厚紙が一枚添えられている。
厚紙はブルブルとふるえて振動を作り、それが『声』を生み出しているのだ。
「なぁに。お姉さんも存外遠くまで来ちゃったもんだなーと思っただけよ。リドヴイア=ロレンツェッティ」
『本名を呼ぶなと、再三にわたって注意しているはずですが。それから、感慨かんがいにふけるのは早いかと。むしろ、これからが本番かと思われますので』
「分かってるわよん。お姉さんは自分の役目を忘れていないわ。私みたいな『罪人』でも、こういう所で点数稼ぎしておけばお堅い派閥を牽制けんせいできるかもしれないしね。貴女あなたの立場も少しは良くなるのかな」
『……、私は、別に』
「お姉さんの好意は受け取っておきなさいって」
『私よりも、今は貴女の方を優先すべきかと思われますので。そちらは休憩も取らずに大丈夫だいじようぶなのですかと。やはり多少は―――』
「休ませてくれないっていうのが面白いのよん。それよりリドヴィア、貴女の方はだれにも見つかってない? メインで派手に動くお姉さんだけでなく、サポートが主の貴女だって、動きが封じられたら作戦が失敗しちゃうんだから」
『ご安心を。こちらは貴女と違って、今の所はラウンジでじっとしていますから』
「優雅ね。お姉さんもホテルでゆったりしていたいわー。別にホテルで運動しても良いけれど」
『……、ですから卑狼ひわいな表現は控えていただきたいと』
「あら。それは深読みし過ぎよ。知ってる? 最近のホテルってプールとかジムとかすごい設備が整っているのよ。やーいリドヴィアのえっちー」
『―――。』
「あら? ちよっと、このぐらいでだぽらないでよリドヴィアちゃーん?」
 告げたオリアナは、ふと目先の街路樹の枝に風船が引っかかっているのを見た。平均的な日本人の身長では少し手が届かないかもしれないが、彼女にとっては問題にならない。軽く背伸びして風船の糸をつかむと、辺りへ視線を巡らせた。すぐ近くに、こちらの顔をじーっと見上げている小さな少年がいる。
 オリアナが腰を折って風船を差し出すと、彼は何も言わずに風船の糸を掴んで勢い良く走り去ってしまった。
『……可能な限り民間人との接触はけるようにと、指示を出していたはずですが』
「だから可能な限りは避けているじゃない。あれは回避かいひ不可能な事態なのよ」
 通信術式の向こうであきれたようなため息が聞こえた。
 オリアナは特に気にせず、舌先でアイスクリームをめる。
「それにしても……」
 飛行船の飛んでいる青空を眺めながら、
「……分かっちゃいたけど、待つっていうのも大変よねえ」

     4

「ぐあー。とうま、私はもうおなかがペコペコかも……」
「……とか言いながら、何気にお前の周りからソースやマヨネーズのにおいが漂ってくるのは何なんだろうなインデックス」
 上条当麻かみじようとうまがインデックスを引き連れてやってきたのは、こぢんまりとした喫茶店だった。
店長の趣味しゆみ丸出しなのか、お勧めメニューどころか開店と閉店の札さえ、すごく見づらい。とにかく客を招いている雰囲気ふんいきがしない店だ。
 が、そんな店でも現在は満員状態だった。理由は簡単―――今は午後二時前で、まだ大覇星祭だいはせいさいのお昼休みだからだ。二一二〇万人もの住人と、下手するとそれ以上の数を誇る『外』からの観客たちが、一斉に飲食店を目指しているのだから、こんな店にも客は集まる。
 ウェイトレスもいない店内に足をみ入れた上条は、しばらく混雑ぶりに唖然あぜんとしていたが、「おう当麻。こっちだこっちー」
「あらあら。そんな大きな声を出してはいけませんよ」
 窓際まどぎわの四入掛けテーブルに、見知った顔があった。上条の両親である、刀夜とうや詩菜しいなだ。刀夜は腕をまくったワイシャツにスラックス、詩菜はうすいカーディガンに足首まである丈の長いワンピースを着ている。夫婦と言うより、どこかの令嬢れいじようとお抱えの運転手みたいに見えた。
刀夜とうやは、上条達かみじようたちが席に着く前から話を始める。
「いや、毎年毎年思うんだが、大覇星祭だいはせいさいっていうのはすごいな。とにかく場所取りがハードだ。
こちらも子供に混じって一緒いつしよに競技しているような気分にさせられる」
 大覇星祭は、通常の運動会と違って、一回場所取りをすればそれで安心、とはならない。種目ごとに競技場が次々と変わるため、親も子供を追い駆ける形で毎回場所取りをしなくてはいけないのだ。
 それは昼食にも当てはまる。種目が終われば選手も観客も競技場からめ出されてしまうため、昼食のための場所取りも必要なのである。
 上条はそんな事をつらつらと考え、
「あー、あれだ。学食とか購買とかの大混雑を、街全体でやってるようなモンだろ」
「ふむ。まさに学園の都市だな。おっど、ちょっと詰めないと座れないか」
「あらあら。それなら『ヒレカツサンド』目がけて人混みに突撃とつげヨしてみるのも面白いかもしれないわね。明日はそうしてみましょうか。あら、お嬢ちゃんはこちらに座りなさいな」
 向かい合うように座っている刀夜と詩菜しいながそれぞれ場所を空けたので、上条は刀夜のとなりに、インデックスは詩菜の隣に座る形になった。ぐちゃー、と空腹でテーブルに突っ伏すインデックスを見てニコニコと笑っている詩菜は、ひざの上に載せていたとうのバスケットをテーブルに置

く。
 飲食店に弁当持参というのはマナー違反なのだが、大覇星祭において一番重要なのは食料品の確保よりも、座って食べられる場所である。この辺りの特殊な事情は心得ているのか単に仕事をやる気がないのか、カウンターの店長は何も言わない。そもそもインデックスは三毛猫みけねこを連れて店内に入っているのだがそれも意識する様子がない。
(ありゃ。そういや何で父さん達はインデックスを違和感なく受け入れてんだ? ああ、そうか。海の家で一度会ってたんだっけ)
 上条は首をかしげたが、残る面子メンツは気にしている素振りを見せない。もっとも、このメンバーならだれでも受け入れそうな気がしないでもないが。
「じゃーん。今日のメニューはライスサンドです。あら、少し形が崩れてしまっているわね」
 パカッとバスケットのふたを開けた詩菜がそんな事を言った。インデックスと三毛猫が食べ物の名前とにおいに対して高速に反応、勢い良く顔を上げる。それをあきれた目で見ていた上条は……ふと、己の視界に違和感を覚えた。
 店内を見回す。
 やや古びたおもむきのある内装は、チェーン店のように壁紙から椅子いす一つに至るまでカッキリと決まりきったパーツで構成されているという訳ではない。しかし、何十年も前から建っているこだわりの一店……というほど堅苦しくもなかった。『喫茶店』と言えば普通の人が難なく想像できるような感じである。基本は一人用のカウンター席と、上条達かみじようたちのいる四人掛けのテープル席の組み合わせだ。テーブル横の通路は狭く、その通路を挟んだ上条達のとなlのテーブル席には、淡い灰色のワイシャツに薄手うすでのスラックスを穿いた女子大生ぐらいの女の人と、彼女と向かい合うように陸上選手が着るようなランニングに短パン姿の女子中学生―――超能力者レベル5でもある御坂美琴みさかみことが足を組んでこちらをにらんでいた。
 上条はパチパチとまばたきして、
「まあそれはそれとして。わっ、何だこのメニューッ! お店のコーヒーって普通こんな激安じゃねーだろ!?」
「ちょっとアンタ! 何で私の事だけいっつも検索件数ゼロ状態なのよ! あと値段が安けりや何でも不味まずいだなんて思うなこの馬鹿ばか!!」
 ガタンと美琴は思わず立ち上がりそうになる。
 上条はメニューから面倒臭そうに目を離して、
「ああいや、流れ的にこんなもんかと」
「こっ、こんなもんじゃないわよ! 流れっていうならアンタの周りに自然な流れなんてあるもんか! そもそも、いつもアンタのそばにくっついてるこの子はどこに住んでるだれなのよ?」
 む? と指を差されたインデックスが顔を上げた。
「誰って、そりゃお前―――」
 上条は何気なく言いかけて、ふと口を止めた。自分の両親の目の前で、実は男子りように女の子を一人かくまってますなどと告白するのは少々ハードルが高い。
 なので、純情少年上条とま麻がどうごまかすべきか、ちょっと考えていると、
「そうだぞ当麻。言われてみればその子は誰なんだ? 泊まりがけで海へ行った時にも一緒いつしよに付いてきていたが、海の家では父さん達の質問も上手うまくはぐらかされていたし」
 ぶっ!? と上条が思わず吹き出しそうになった所で、さらに横から美琴が、
「う、海って!と、とととととと泊まりがけで海ってアンターっ!?」
 つんざくような絶叫が上条の耳へたたきつけられた。彼女の向かいの席に座っていた大学生ぐらいの女性は美琴の様子を見ると、やれやれといった感じのため息をつく。
 いや別に変な意味ではないし、そもそも何でおれは御坂に詳しい説明をしなくちゃならないんだろう、と上条が口を開こうとする前に、
「かく言う短髪だって、どこに住んでる誰なの? とうまのガールフレンドかなんか?」
 キョトンとした顔で告げた本場西洋人のインデックスは、おそらく単に友達という意味で使ったのだが、対する本場日本人の御坂美琴はビクリと肩をふるわせて、
「えっ!? い、いや、別に私はこんなのと何かある訳じゃ……」
「とうまの学校の応援にも来てたよね。確か『ぼうたおしー』の時」
「ちがっ、ちょ、だまりなさいアンタ!!」
 美琴みことはバタバタと暴れ出したが、対照的にインデックスの方はあんまり興味がないらしい。
彼女はひざの上の三毛猫みけねこを両手でころころ回しつつ、テーブルの上にある詩菜しいなのお弁当をそわそわした目で眺めながら、
「とうま、とうま。私はいい加減におなかがすいたかも。今日はとうま、お弁当作ってこなかったの?」
「あら。今日は、という事は、いつもはどうなのかしられ。当麻とうまさん」
 笑顔で首を斜めにかしげる詩菜に、上条かみじようの背中に嫌な汗が浮かぶ。
「いや、違うのよ母上! コイツは近所に住んでる子でちょっと料理ベタだから色々ある訳でですね」
「え? いやとうま、近所っていうか……」
おれが説明するからお前は静かにッ! ってか女の子として料理ベタの部分に引っかかりを覚えないってのはどうなんですか!?」
「でも、できないものはできないし」
「くそ、本気で食べる専門ですかインデックス!? 一方その頃美琴ころみことはどうなの家事とか!」
「は? ま、まあそりゃ私だって学習中の身ですから多少はね。流石さすがにペルシャ絨毯じゆうたんのほつれの直し方とか、金絵皿の傷んだはく修繕しゆうぜん方法とか完壁かんペきに覚えているって訳じゃないけど」
「美琴ちゃん……そもそも普通の日本のご家庭にペルシャ絨毯とか金絵皿は存在しないし、それは家事ではなく職人芸って言うのよ?」
 大学生ぐらいの女性がやんわりと告げると、美琴は『うっ!? だ、だって常盤台ときわだい中学の家庭科じゃ確かに……ッ!!』とかさわぎ出した。どうもお嬢様じようさま世界では、シャツのちょっとしたほつれを直す感覚で骨董品こつとうひんの命を吹き戻すらしい。
 ともあれ、よし、これで上手うまく話の軌道をらせたか、と上条が心の中だけで胸をで下ろしていると、父親の刀夜とうやがお店の壁にある時計を見ながら、
「まぁ、とりあえずご飯を食べるとしようか。当麻、そちらのお二人にはありがとうって言っておくように。わざわざ当麻が来るまで何も食べずに待っていてくれたんだぞ」
 そうなの? と上条が視線を向けると、美琴は『うっ』とひるんだように座席の背もたれに体を押し付けた。一方、美琴の真正面に座っていた、唯一上条と面識のない大学生ぐらいの女性は淡く笑うと、
「まぁまぁ。ようやく待ち人が来たんだから、さっさとご飯にしちゃいましょう。えっと、お名前は上条当麻君で良いのかな?」
「え? そうですけど。あの、そっちは御坂みさかのお姉さんか何かで?」
「ううん。私は御坂美鈴みすず。美琴の母です、よろしくね」

 ………………………………………………………………………………………………、母?

 上条かみじようサイドのテーブルに着く全員がピッタリと動きを止めた後、
「HAHAァ!?」
 みんなで仲良く絶叫した。特に刀夜とうやのうろたえっぷりは並大抵のものではなく、
「だ、だって先ほどは大学がどうのこうのと言っていたじゃないですか!?」
「ええ。ですから近頃ちかごろになって、もう一度学び直してるんですよ。このとしになって色々分からない事に遭遇できるっていうのも結構刺激的なのよねー」
 そう言われてしまうと何となく辻褄つじつまは合っているように聞こえてしまうから不思議だ。さらに上条と刀夜の親子は、同じテーブルに着いているお嬢様じようさま然とした詩菜しいなの顔を見て、
「……、いや、世の中にはそういう事例があってもおかしくはないのか? どう思う、当麻とうま
「まぁ、言われてみればウチだってそんな感じなんだし、わざわざおかしいと叫ぶほどの事でもないの……かな?」
「おかしいに決まってるんだよ! とうまの周りには『こもえ』とか『しいな』とか不自然に若い大人がたくさんいるけど、こんなの普通に考えたらありえないもん!! 何なのかな、この若さいっぱいの世界は。ここはピーターパンが案内役を務める子供たちの楽園なの!?」
 インデックスが魂のツッコミを放ったが、かく言う彼女の体型もお手頃価格なミニサイズである。このパターンに限り、チア少女の言葉には説得力が足りない。
 当然ながら、御坂みさか家にとってはどうでも良い事らしく、美鈴みすず美琴みことも全く気に留めていない。
美琴はテーブルの隅に置いてあったメニューを手に取ると、
「えーっと、メチャクチャ遅れたけど母さんは何をたのむ訳?」
「何も頼まないわよー。ほら、私だってちゃんと弁当持参してきたんだぞ。どうよ美琴、これってちょっと母親っぼくない?」
「……母親っぽいんじゃなくて、ちゃんと母親してくれないと困るのよッ! で、そっちのバッグには何が入ってるの?」
「へっへっへー。見ておどろくんじゃないわよ」
 と、美鈴はバッグをゴソゴソとあさり、クリスマスケーキサイズの巨大なチ!ズの塊や白ワインに銀色の寸胴鍋ずんどうなベ、小型ガスコンロなどを取り出すと、
「じゃーん!! 今日のメニューはチーズフォンデューッ!!」
「学園都市に危険物プロパンガスなんか持ち込んでくるんじゃないわよ!!」
 スパン! と美琴は美鈴の頭をはたいた。流石さすがにビリビリは使わないらしい。対して、御坂美鈴は演技で涙腺るいせんを操作できる大人の女性らしく、わざとらしくひとみをウルウルうるませると、
「うわぁー、娘にぶたれたー。でもあれよ。女の子ならご飯は鍋で用意するぐらいの大飯らいの方が形良く立派に育つのよ。エクササイズも大事かもしんないけど、小さなお弁当をチマチマ食べてるだけじゃ大きくならないって。それだと逆に育って欲しい所に栄養が行き渡らないかもしれないわね。もう、私が何でこんなに大量の乳製品チーズを持ち込んできたと思ってんのよ。娘のためでしょー?」
「なっ、ちょ……育つとか、大きくなるとかって、いきなり何の話を始めてんのよ」
「あらーん? 何の話かしらーん? 私は骨の健康を考えてカルシウムを取りましょうって言ってただけなんだけどー……もしかして、美琴みことちゃんてばほかにもどっか具体的に大きくなりたいトコロがあっるのっかなーん? そもそも何で大きくなりたいなんて急に考え始めちゃったのかなーん?」
「だっ、だまれバカ母ッ! ええい、アンタもキョトンとした顔でこっち見てんじゃないわよ!!」
 顔を真っ赤にした美琴は美鈴みすずに怒鳴った後、何故なぜ上条かみじようの方にみ付いてきた。美鈴はニヤニヤと、あまり上品ではない感じの笑みを浮かべた後に、
「でもまぁ乳製品が必要かどうかはさておいて、いっぱい食べたらいっぱい育つってのは、生物学的に当たり前の事よ。縦に伸びるか横に伸びるかは別問題だけどね。食ったら太るってのは単に体の管理ができてないだけ。摂取量と運動量を調節すれば、きちんと育って欲しい所が育ってくれるわ。欧米の食文化なんてすごいじゃない。あんなバケツみたいな量のご飯食べてりゃ、そりゃあ日本人より良い体格にもなるわよね。胸がデカイと人生得するわよーん?」
 言いながら、美鈴はわざとらしく両手を挙げて「うーん」と伸びをした。背中が弓のように反らされた事でふくらんでいる部分が強調される。ぐぐっ、と発展途上の美琴はわずかにひるんで、「べ、別に。いっぱい食べたら体がいっぱい育つなんて、ほとんど迷信じゃない。―――ってアンタ! 何を人の家の母に視線を奪われてんのよ!!」
 美琴に指摘された上条は、ズバァ!! と音速で視線をらした。強引に視線を移動させた先には、空腹のせいか胸の話題のせいか、やや不機嫌になっているチア衣装のインデックスの姿がある。
「……何、とうま? そんなに人の顔をジロジロと見て」
「いやぁ」上条はとても苦い笑みと共に、「いっぱい食べたらいっぱい育つ、か。かなったら良いなあって」
「!!」
 上条の言葉に、インデックスは瞬間的しゆんかんてきに反応。グワァ!! と大口を開けて上条の頭にらいつこうとするが、やはりその動きは途中でピタリと止まってしまう。どうも、人の体に口をつける事を意識し始めているらしい。一人で勝手に顔を真っ赤にすると、ゆっくりとした動きでストンと座席に座り直し、身を縮こまらせてしまう。
(うーん。やりづらい……)
 噛み付かれるのは痛いから嫌なのに、噛み付かれないと何となく居心地が悪くなるのは一体何なんだろうか、と上条は思う。
 そんな彼の周りでは、
「と、当麻とうま。まさかと思うが、その子にも何かやらかしたのか?そっちの子には罰ゲームで
何でも言う事聞かせるとか宣言しておきながら、さらにーっ?」
「あらあら。女の子が怒っているのに、それすらも会話の流れに組み込まれてしまう辺り、私は非常にデジャビュを感じてしまうのだけど」
「……、そ、そう似二人はなんかあったんだー。へえ、なるほどねえ」
「わあーっ! ウチの美琴みことちゃんときたら気になって仕方がないくせに興味がないフリなんか装っちゃって超可愛かわいい! やっぱりこういうのは無自覚気味な薄幸はつこう少女に限るわぁ」
「……とうまの、ばか」
(うう! やりづらいっ!!)
 好き勝手にそれぞれさわぎまくる面子メンツに、上条かみじようは思わず両手で頭を抱えた。

     5

(やりづらい)
 魔術師まじゆつし・ステイル=マグヌスは携帯電話に耳を傾けていた。
 彼は公園のベンチに座っていた。となりに座る人はいない。横に空いたスペースには、コンビニで買ったサンドイッチとボトルタイプのアイスティがあった、もっとも、紅茶の方は一口飲んだ時点で、もう二度。と手をつけまいと心に誓う羽目になった。曲がりなりにも、彼は紅茶大国イギリスの住人である。
 が、彼の顔が苫いのはそれが原因ではない。
 携帯電話の向こうから聞こえてくる、にぎやかな声だ。。
『一応、英国図書館の記録は調べておくけどよ。。そもそも「使徒十字クローチエデイピエトロ」ってのはローマ正教が今の今までかたくなに公開を拒んできた霊装れいそうなんでしょう。表に公開・記録されている情報にしても、正しいものとは限んねえんじゃねえのかなあ?』
 男言葉と女言葉が混じった声の主は、シェリー=クロムウェル、イギリス清教の暗号解読専門官だが、同時にインデックスの敵だ。派閥の関係で同じイギリス清教の者にすら刃を向けるくせに、英国全休にかかわる事件や問題にば迷わず協力するという、非常に複雑なポジションにいる女性だった。
 彼女は九月一日に学園都市へ攻撃こうげきを仕掛けた件について、現在『必要悪の教会ネセサリウス』で宗教審議中の身。戦闘せんとう要員であるシェリーが書類整理を行っているのも、謹慎中きんしんちゆうという意味合いが強い。
が、おそらく最大主教アークビシヨツプローラ=スチュアートは『寛大な判断』を下すだろうとステイルは予測していた。あれは英国国内の複雑な背景の元に起きた出来事だし、何よりシェリー=クロムウェルの暗号解読及び戦闘能力を簡単に手放すとは思えない。あの事件では学園都市の中で多くの負傷者を出したはずだが、それも科学サイドのおさ、アレイスターと緊張きんちようの糸を七重にも八重にも協議を行って決着をつけていると思う。
 ステイルとしては、そういった事情は抜きにして、シェリーがインデックスに手を出した件について、頃合ころあいを見計らって彼女に炎剣の一発でもぶち込んでから話し合おうとは思っている。
『何分「使徒十字クローチエデイピエトロ」と言えば、同じローマ正教徒だった私でさえ、実際に拝見した事はございません。それだけ、とっておきの隠し玉なのでございましょうね。弱点を探すとなると、これは苦労しそうでございますよ』
 もう一人、のんびりした口調で話すのはオルソラ=アクィナス。こちらもシェリーと同じく魔術まじゆつ関連の暗号解読を得意とする。魔道書まどうしよ『法の書』の暗号解読がきっかけとなり、ローマ正教からイギリス清教へ改宗する事となったシスターである。
 現在、ステイルは大英博物館から分離独立した英国図書館に眠る膨大ぽうだいな記録を当たる事で、『使徒十字クローチエデイピエトロ』の使用条件を探ろうとしている。
 そして、古今東西の情報が集まる英国図書館の管理は、その特性上、暗号に詳しい者に任される。そんな訳で、シェリーとオルソラは同じ部署にいるようだが、
『もふもふ。あら、少々お待ちください。シェリーさんシェリーさん、こちらの雑記帳にはバチカンの保管員の走り書きがございますね』
『ってテメェ! 図書館内でマフィン立ち食いするなって何度言えば分かるのよ!?』
『まぁ。こんな時間ですし、軽いお食事などはいかがでございましよう?』
『いかがじゃないわよ! だから食うなっつってんだろマフィンを頬張ほおばるんじゃねえ!!』
『しかしこちらは天草式の皆様にお作りいただいた、体力補給及び外傷治癒ちゆのための、食の儀式ぎしきを盛り込んだ特製マフィンでございます。私もまだ体調が万全ではございませんので』
『チッ、余計な所で話をつなげやが―――この馬鹿ばか! その口からポロポロこぼすのもアマクサ術式に必須って訳じゃないでしょうね!?』
 はぁ、とステイルはため息をついた。
 この二人、テンションや性格の関係上とても馬が合っていない。スピーカーの向こうでバタバタと暴れる音が聞こえたと思ったら、何かの拍子に通話が切れてしまった。
(まったく……)
 ステイルは携帯電話を折り畳んでポケットに仕舞い、
(……いつから『必要悪の教会ネセサリウス』は、こんなに角が取れてしまったんだか)
 つい最近までは、蜘蛛くもの糸の上で綱渡りをするような緊張感が常に漂っていた気がする。希望の裏に絶望をり付け、味方を一人生かすために敵を一人死なせ、涙を止めるために血を流す―――そういう集団だと思っていたのだが。
 考えられる要因としては、やはり一人の少年しかいない。
 彼と接触し、影響えいきようを受けた事で、己の生き方を再確認した魔術師は大勢いる。
 かくいうステイル自身も、その内の一人だ。
「……認めるのはしやくだがね」
 吐き捨てるように告げて、ステイルは短くなった煙草タバコを足元に落とした。地面にぶつかると同時、吸殻は欠片かけらも残さず火の粉となって消えていく。彼は新しい煙草を口にくわえると、手も触れずに、先端に淡い炎をけて、息をいた。
土御門つちみかどは学園都市のセキュリティを当たってみるとか言っていたが、あちらもあまりアテになりそうにないな。さて、次は……)
 ステイルはベンチの背もたれに身を預け、憎々しいほど青い空を眺め、まるで煙突のように真上に煙を吹いていたが、
「?」
 ふと視線を感じた。
 顔の向きを真上から正面に戻すと、目の前に身長一三五センチの女性が立っていた。
 月詠小萌つくよみこもえ、だったか。
 七月末、インデックスと呼ばれる少女が初めて学園都市にもぐり込んだ際、背中をられた彼女をアパートの自室にかくまった女性のはずだ。見た目は一二歳ぐらいにしか見えないが、これで学校の教師らしい。今日は何故なぜか淡い緑色のタンクトップに白のプリーツスカートという、チアリーダーみたいな服を着ていた。
 彼女はステイルの顔をにらんでいた。
(ふむ。この平和ボケした国にも、少しは危機管理能力を持った人がいるらしいね)
 月詠小萌は事件の核心には触れていないはずだが、それでもやはり、あの一件でステイル=マグヌスという異常な人間の片鱗へんりんぐらいは感じ取っていたのか、と彼は皮肉げに笑う。
「失礼。何か御用が?」
 ステイルは口の端で煙草を揺らしながら、ゆっくりと告げた。久しぶりに感じる拒絶と畏怖いふに、『必要悪の教会ネセサリウス』の空気を思い出しながら。
 対し、小萌先生は、ビッ! と人差し指をステイルに突きつけると、

「こらーっ! 学園都市の路上は終日全面禁煙なのですっ!!」

 ……、全く予想外の台詞せりふが飛んできた。
 ステイルは無言でパチパチとまばたきした後に、
「はぁー……」
「なっ、何で疲れた顔で目をらすのですか!? 小萌先生は真面目まじめに注意してるんですよ! 本気でお説教しているのにーっ!!」
 早くも涙目になりつつある小萌先生に、ステイルはわずかに顔をしかめた。そんな彼の様子などお構いなしに小萌こもえ先生はステイルの顔をじーっと観察すると、
「むむっ!失礼ですけど、おとしはいくつなのですかっ? 小萌先生には、どうもあなたが未成年のように見えるのですよー」
「だったらどうだと言うんですか」
しかるに決まってるのです! あ、もう、きちんと話を聞いてください! そっぽ向かないでこっちを見るのですよーっ!!」
 むがーっ! とお怒りモード全開の小萌先生は、ステイルの口から煙草タバコを奪うと、さらに彼のふところへ無造作に手を突っ込んだ。ペタペタと探りを入れる小萌先生の小さな手が、煙草の箱を引っ張り出す。
「……、」
 ステイルのほおがわずかに引きつったが、彼は基本的に魔術まじゆつ世界とは無縁の人間に攻撃こうげきを仕掛けるような主義はない(一部、特殊な右手を持つ少年などの例外はあるが)。
 小萌先生は没収した煙草の商品名を見て、まゆを立てると、
「またこんなキザったらしい名前の煙草を選ぶなんて。さてはあなた、映画俳優か何かにあこがれて喫煙を始めたクチなのですかーっ!?」
「僕の国では単純にその銘柄が一番有名なだけですが……」
「もーっ! とにかくこんなのは没収なのです! 煙草も、もう吸っちゃ駄目だめなのですよ。ニコチンやタールは子供の成長に悪い影響えいきようを及ぼすのですっ!!」
 ぐにこちらの目をのぞき込んでくる小萌先生に、ステイルは思わず視線をらした。
(……、やりづらい)
 正直に思う。
 月詠つくよみ小萌というのは、とある少女ととても良く似ているのだ。
 体格の差など気にせず、人と人の距離など無視して懐までみ込んできて、
 傍若無人ぼうじやくぶじんに見える振る舞いは、すべだれかのためであって、
 誰かが傷を負うのを止めるためなら、いくらでも根気強く人を叱り、
 ―――そして数年前は、ステイルが煙草をくわえるたびにいちいちぎゃあぎゃあさわいでくれた。
「まったく……」
「なっ、その心の底からのあされ顔は何なのですか! こ、小萌先生はですね、今日という今日は本気で怒っているんですからねーっ! あっ、まだ持っていたんですか? こんなものは没収なので―――わっ、わっ!煙草の箱でポンポンお手玉してないで早くこっちに渡してくださいなのですよーっ!!」
 大声を出す月詠小萌から視線を外すように、ステイルは顔を横に向けた。聞く耳を持たないという彼の態度に、しかし彼女は決して言葉を止めず、立ち去ろうともしなかった。
 そう、とても根気強く。

     6

 リドヴィア=ロレンツェッティはホテルのラウンジにいた。
 古臭い、それも所々がり切れて色がうすくなった修道服は、周囲の現代的な風景からとことん浮いていた。彼女の髪や肌も、修道服に合わせたように傷み、かすれ、輝きを失っている。元は美人であっただろうと推測できるような顔立ちだが、まるで彼女の頭の上から足の爪先つまさきまでが、すっかり古びてしまった映画のフィルムに映ったようになっている。
 彼女の修道服は、現在ローマ正教が採用しているものより一世代前の装束で、カラーバリエーションが複数あるのが特徴である。その中で、リドヴィアは白地に赤い十字のデザインのものを身にまとっていた。聖ジョージの象徴であり、同時にイギリス清教の象徴と同じものをまとうのはどうなのかと現役当時から波紋を招いていた修道服だが、リドヴィアはえてそれを選び続けていた。祖母の代から受け継いだ装束であるというのもあるが、それ以上に『優れた者であるならば罪人であっても手を差し伸べる』というリドヴィア自身の信念による所が大きい。
 彼女のいるホテルは世界的な格付けからすれば、それほど有名な店舗てんぱではない。歴史的にも、まだまだ『浅い』と表現されるようなホテルでしかない。イタリアにある、それこそ建物全部に骨董的こつとうてき価値があるような大型店舗に比べれば何もかも劣るのだが……その混雑状況は、世界中のどこのホテルよりも増していた。
 おそらく世界規模のスポーツの祭典である、大覇星祭だいはせいさい影響えいきょうだろう、とリドヴィアは適当に予測した。
 元々、閉鎖的へいさてきな環境にある学園都市では、学会などのVIPを招く以外に、ホテルそのものを必要としていない。となると、こういった大きな行事の際には、数の少ないホテルへ一気に客が集まる。学園都市のすべての部屋は満室状態ピなっているはずだし、おそらくあぶれた人たちで街の外のホテルもみんな大繁盛だいはんじようしている事だろう。
 人々があわただしく動き回る中、リドヴィアだけがゆったりと歩いていく。
 そこだけ時間や空間が切り抜かれているような違和感がある。
(さて)
 リドヴィア=ロレンツェッティはラウンジを抜けて、ガラスでできた大きな回転扉をくぐって外へ出る。
 炎天下の日差しが降り注ぐ。
 彼女はわずかに目を細めて、
(オリアナも頑張っていますので。私もそろそろ動かなければ)
 心の中でつぶやくリドヴィアの耳に、遠くから大覇星祭のアナウンスが届いてきた。空を見上げると、はるか向こうに飛行船が浮かんでいるのが児えた。そのおなかにくっついている大山面には天気予報が流れていて、ここしばらくは雲一つない良いお天気が続くという放送が流れている。確かに良い天気だ、とリドヴィアは降り注ぐ日差しから視線を外す。
 街はどこまでも平和で。
 リドヴィア=ロレンツェッティはその隙間すきまを通るように、人混みの。中へと消えていく。

     7

 午後二時二〇分。
 お昼休みが終わった。
 それでも、上条かみじようの学校は次の競技まで、まだ時閲が余っている。と言っても、応援席の場所取り競争は前もって行われるそうで、上条刀夜とうや詩菜しいな御坂美鈴みさかみずずの父兄組はいそいそと次の競技場へ向かってしまった、
 よって、駅前通りを歩。いているのは上条とインデックス、美琴みことの三人だ、もっとも、美。琴は学校が違うため、もうクラスの方に合流しなくてはならないらしいが。
(ま、とりあえず……)
 上条は二人の少。女に隠れて、こっそりと安堵あんどの息を吐いた。 彼女たちに、今この学園都市で起きつつある事は勘付かれていないようだ。上条としてはすでに吹寄制理ふきよせせいりを巻き込んでしまった事もあり、これ以上はだれもこの件にかかわらせたくないと考えている。インデックスや美琴が、どれほど戦力としてたのもしくてもだ。
 と、そんな上条の様子に美琴は全く気づかないまま、
「……ってか、前々から思ってたんだけど。アンタ達って何でいつも一緒いつしよにいる訳?」
 いぶかしそうに上条とインデックスを交互に眺める視線に、彼はギクリとした。
 実は、上条当麻とセま自身にも分からない事だったからだ。
 彼は記憶きおく喪失である。インデックスも、気がついたら学生りようの一室に居候いそうろうしていた、という状態でしか認識できていない。なおかつ、上条は自分が記憶喪失である事を隠していた。
 なので上条は、とっさに『どうとでも受け取れる曖昧あいまいな答え』を言うか、『強引に話題を変えてしまう』か、どちらの手で受け流すかを考えたが、
「じゃあ短髪は何でいつもとうまと一緒にいるの?」
 上条より先に、インデックスの方が質問に質問で返してしまった。
 なっ、と美琴はわずかに鼻白み、
「いつも一緒って、そんな四六時中こんなのと行動を共にしてるはずがないじゃない! ば、馬鹿馬鹿ばかばかしいったらありゃしないわ。私はそこまで暇じゃないのよ」
「……わー、こんなのと馬鹿のダブルアタックですよおれ?」
 上条かみじようはぐったりしながら言ったが、二人の少女はまるで気に留めていないようだ。
 インデックスは『うーん』と少し考える仕草を見せた後、
「それを言うなら、別に私だっていつでもとうまと一緒いつしよって訳じゃないかも」
「はぁ? そうなの???」
「うん。とうまは何かあるとすぐに私を置いてどっかに行っちゃうから。それも何やら人生においてとても重要な基点に差し掛かるたびに、いつもいつもいつも一人で先走って勝手に解決してくるお馬鹿ばかさんだから。……てっきり短髪もからんでるのかと思ったけど、違ったの?」
「し、知らないわよそんなの」
 実は美琴みこと絡みの件もいくつかあるのだが、それにしても『いつもいつもいつも』と言うほどではない。
 となると、それは一体何の事を指しているんだろう、とインデックスと美琴は同時に考え、全く同じタイミングで上条の方へ、グルン! と振り返り、
「……とうまはいっつも事後承諾しようだくで病院送りにされてるけど、裏では一体何が起こっているの?」
「……アンタ、毎回毎回そんな事してた訳? 言われてみれば、あの子達とか黒子くろこにも迷わず手を差し伸べていたわよね……」
 ううっ!? と上条はひるんで思わず後ろへ下がった。
 彼女たちの言っている事はある意味においてとても正確に真実を突いていたのだが、今この学園都市で起きつつある事を考えると、簡単に答えてしまう訳にもいかないのだ。
 なので、
「や、やだなぁ皆さん! あれですよ、アナタタチが見てきたのは上条さんの一年の中でも特に愉快な部分だけなんですってば! 別に年中あんな感じじゃないですよ。ほら、人間って年に二回か三回ぐらいは無意味に格好つけたくなる時があるじゃないですカッ!!」
 とっさに叫んでみたが、返ってくるのは『……ホントに二回なのかしら?』『三回で収まるとは思えないかも』という冷たい声のみ。
 その後も上条はガミガミガミガミ言われ続けていたが、少女達は頭の中でモヤモヤしていたものを片っ端から吐き出すと少しは気が晴れてきたのか、歩幅も元に戻っていく。
「そろそろ次の競技があるっていうのに……あーあ、結局ちゃんと休めた気がしないわね。そのくせ、無駄むだにエアコン浴びすぎて体は冷たくなってるし。筋肉も固まってないと良いんだけど」
 美琴は歩きながら、両手を伸ばしてストレッチの真似事まねごとをし始めた。となりを歩く上条はそれを眺めながら、
「……なんか妙に気合入ってんなーお前。なに、ひょっとしてお嬢様じようさま学校同士のライバル対決とかあんの?」
「……、」
 美琴みことはストレッチの動きをピタリと止めて、
「アンタ。……まさかと思うけど、罰ゲームの話ってもう忘れてる?」
「あん? 学校の順位で競って負けた方が何でも言う事聞くってヤツだろ。大丈夫だいじさつぶ大丈夫。っつか得点表見た? 今んトコ常盤台とらわだい中学にもそんなに点差離されてませんの事よ」
「な、何よその余裕。ふん、ウチの学校は例年、後半からの追い上げのすごさで知られてんのよ。だからアンタの態度だってすぐに……って、ちょっと! 人の話を聞きなさいってか何でスタスタとどっか行っちゃおうとする訳!?」
 バチーンバチーン!! と美琴は前髪から続けざまに雷撃らいげきやりを放ったが、至近距離にもかかわらず上条かみじようの右手はそのすべてを吹き飛ばした。
 彼自体は『こわーっ! 何ですかいきなり!?』とか叫びつつ半分涙目でブルブルふるえているが、学園都市でも七人しかいない超能力者レペル5の一撃を正面から受けておいてしっかり無傷である。能力者としてのプライドをズッタズタにされた挙げ句、渾身こんしんのツッコミすらも拒否された美琴は『何で一発も当たんないのよーっ!!』と絶叫しながら、ものすごい速度で走り去っていった。準備運動はちゃんとやったんだろうか、と上条はちょっと心配になる。
 と、それまで三毛猫みけねこを抱えてだまっていたインデックスは、
「……、何でも言う事聞くって?」
「いや!! 何でもと言ってももちろん限度はありますインデックス! 決してあなた様が今想像しているようなエロ方向へ話が進む事はありえませんのでご安心めされよ!!」
「わっ、私は別にそんなの考えてないもんッ!!」
 グワァ!! とインデックスは大口を開けるが、やはりその動きは途中で固まってしまう。つかみかかるか掴みかからないか、何とも中途半端ちゆうとはんぱな位置まで接近した彼女は、その場でパクパクと口を開いたり閉じたりしている。
 上条はぶるぶると震えながら、
(がーっ!!み付かれるのもヤダけど、変に意識されるのも結構キツイ! なんつーか、この宙ぶらりんの状態が息苦しい!! この状況を打破するにはどうすれば良いの!?)
 これは良い機会なので今後は徹底てつていして噛み付きをやめてもらいたい、というのも一つの手だが、かと言って下手に手を進めると、このギクシャク状態が延々と続きそうで怖い。何よこの幼馴染おさななじみに告白する一歩手前みたいなジレンマは!? と上条は愕然がくぜんとする。
 一方、インデックスもコチコチに凍ったまま、とりあえず噛み付きに対しての話題はけて通りたいらしく、
「と、とうま。私はちょっとのどが渇いたんだよ。あっちで売ってた果物ジュースが飲んでみたいかも」
「……また無理矢理な軌道修正を」
「良いからっ! 飲みたいったら飲みたいの!!」
 言いながら、インデックスは上条かみじようの手をつかんでぐいぐいと引っ張る。み付きは駄目だめでも手を掴むのは全然大丈夫だいじようぶなのか、と上条は思った。彼女の判断基準がいまいち理解できない。
「えーっと、ちょっ。と待てってインデックス。さっきお昼ご飯食べたばっかりだろ。そんなに次から次へとバクバク食べたり飲んだりしてたら太っちまうそ」
「なっ……」
 チア衣装のインデックスの腕の中からポトリと三毛猫みけねこが落ちた。猫は器用に地面に着地した後、再びネコジャンプで彼女の腕の中へと戻っていく。
 インデックスは湯気が出るほど顔を真っ赤にして、
「ふ、太らないもん! 確かに私は人よりちょっぴり多目にご飯を食べてるかもしれないけれど、私はとうまの予想なんかきっちり裏切って太らないんだから!!」
「そーかぁ? お前、体重とか体脂肪とかウェストとかさー。ちゃんときっちり測って確かめてんの? 気づいてないだけで、こっそり防御力が増してんじゃねーのか」
 上条はインデックスのおなかの辺りをジロジロと見た。
 普段ふだんの分厚い修道服とは違い、思いっきり薄手うすでのチア衣装は肌にピッタリと張り付き、少女の体のラインを完全に浮かび上がらせている。元がタンクトップなので、おへそも丸出しだった。
「そ、そんなに信じられないんだったら、私のお腹を測ってみれば良いじゃない! 私はいつでも準備できてるもん!」
「こっちの準備ができてねーよ! そんないつでもどこでもメジャーなんか持ち歩いてる訳ねーだろインデックス!!」
「そんなのいらないもん! とうまの腕を私の腰に回せば分かるんだよ!!」
 は? と上条の目が点になる。
「ほら! 早くやってよとうま!!」
 固まった少年の腕をチア少女の細い手が、ガシイ!! と掴んだ。

(くっそー……。まさか伝言忘れてるなんて。私も随分と気が動転してたみたいねー)
 上条と別れた美琴みことは、一度来た道を駆け足で戻っていた。
 学園都市発行の、大覇星祭だいはせいさいのパンフレットには、各種目のスケジュールが書かれている。が、これはあくまで『事前の』スケジュールでしかなく、当日の様々な要因で変更されていくのである。
 常盤台ときわだい中学が参加するパン食い競走は、お昼休み前の時点で時間変更が決定していた。これを母親の美鈴みすずに伝えないと、彼女は全然関係ない競技場で待ちぼうけをくらう羽目になる。
 美琴の携帯電話は『学舎まなびやその』の保管係に預けたバッグの中だし、近くに公衆電話はない。従って、たった一言二言の伝言のために彼女は街を大急ぎで走る事となった。
 美鈴みすずはすでに次の競技場へ向かっている最中で、お昼ご飯を食べた喫茶店にはいないだろう。
それでも、後を追うなら途中までは来た道を戻った方が分かりやすい。
 と、綺麗きれいなフォームで走り続ける美琴みことの横に、何者かが並走を始めた。
 スポ!ツ競技用に車輪を調整された車椅子くるまいすに乗っている包帯だらけの少女、白井黒子しらいくろこだ。
彼女は怪我人けがにんで見学者だからか、半袖はんそでのブラウスにベージュ色のサマーセーター、灰色のプリーツスカートと、常盤台とタわだい中学の夏服を着ている。リボンで結んだツインテールの茶色い髪が風に流れて後方へ向かっている。
「おねえさまーん。どこかお急ぎでしたら、わたくしの『空間移動テレポート』をご利用なさいます? 手足は怪我してても能力は使えるので、こちらは問題ありませんわよー」
「……そのさそいに乗った瞬間しゆんかん、アンタは迷わず抱き着いてきそうだからパスしとくわ」
「チッ!! 流石さすがはお姉様、こちらの思惑はすべて筒抜けですわね! せっかく入院続きで不足していたお姉様エナジーを補給しようと思っていましたのに!!」
 ぞぞっ、と美琴は背筋に寒いものを感じながら、白井とちょっと距離を取る。ニコニコニコニコと微笑ほほえみ続ける白井は、やがてハッとしたように、
「ですけどお姉様、そんなに急いでどちらへ……? ま、まさか! またあの殿方というか腐れ類人猿の元でも行って、競技の応援でもお願いするおつもりでは……ッ!?」
「し、しないわよ馬鹿ばか! むしろアイツとは現在敵対状態なのっ!!」
「そうですの? でも、現に前方にあの殿方がいるようですけれど」
 はぁ、とりあえずそこまでは戻ってこれたのか、と美琴は視界を横の白井から前へと何の気なしに移動させた。
 そこに、

 銀髪碧眼へきがんのチア少女と向かい合っていた少年が。
 その場で身をかがめ、チア少女の腰に両手を回し、ほっぺたをおなかに押し付けていた。

 なん……ッ!? と美琴は絶句してしまう。
 大覇星祭だいはせいさい期間中であるにもかかわらず、この通りは自分たち以外に人気ひとけが全くない。それを良い事に、自分より一回りも二回りも細い銀髪碧眼の少女の腰に、あの少年が白昼堂々思いっきり抱き着いていた。男の子が女の子に抱き着くだけでも非常事態なのに、わざわざ腰を屈めて少女のお腹に顔を密着させなければならない理由とは一体何なのか、と美琴は絶句する。
 と、そんな美琴のとなりでは、スポーツ車椅子に乗った白井が大袈裟おおげさな演技臭さの混じった声で、
「うわぁ。もしかして妊娠何ヶ月目って感じですの? もしかしてぇ、もうお腹をってるのが分かっちゃったりしてぇー……ですの。ぷぷっ」
 あからさまな茶化ちやかした声に、美琴みことはブルブルブルブルと小刻みに体をふるわせる。前髪から肩へ、青白い火花がバチンバチンと飛び散っていく。
 雷撃らいげきやりを放っても、あの少年の右手には通用しない。
 おそらく超電磁砲レールガンをぶちかましても無傷で耐え抜くに決まっている。
 それでも、美琴は右手で思い切りグーを握りめると、
「こんの……くたばれエロ野郎ォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
 少年の元へ突撃し、こぶしを振り上げ、割と渾身こんしんの力を込めてなぐり飛ばした。

「ごァああああああああああああッ!?」
 突発的に横合いから殴り飛ばされた上条かみじようはインデックスから引きがされ、道路の上をゴロゴロと転がっていった。打撃を受けた後頭部と、路面にこすった手足がヒリヒリと痛む。
 ほっぺたに当たる女の子のおなかの妙に柔らかい感触と、わずかな汗の湿り気、おまけに甘いにおいと温かい体温その他色々な要因が重なって頭がグラグラ揺れていた上条は、美琴の一撃を受けてようやく我に返る事ができた。ついでに、物理的にインデックスと距離を取る事にもなる。一石二鳥なのにちっともうれしーないのは何故なぜだろう、と上条は思う。
「あれ? ……、当たった?」
 ぶん殴った美琴の方がキョトンとした声を出している。
 上条は倒れたまま、ピクピクとふるえつつ、
(う、ううっ……。いや、今回はこれで良かったんだ。ついさっきまでおれとインデックスを包んでいたなぞのピンク空気は、俺だけの力じゃ脱出不可能だったんだ。でも、いや、しかし……何故この世界はもう少し優しい解決策を用意してくれなかったのかーっ!!)
 うえーん、と上条は半泣きで目元をこすった。と、慣れた手の感触ではなく、薄手うすでの布の感触が返ってきた。サテンか何かの、ツルツルした生地だ。何ですかこれは、と改めて観察してみると、それは白い布だ。ツッコミハリセンのように、何度も何度も折り畳んである。
 プリーツスカートだった。
 インデックスが穿いていたチア衣装の。
「…………………………………………………………………………………………………、」
 スカートはサイドのファスナー部分が縦に裂ける形で、ただの横長の布切れと化している。
どうも、インデックスの腰に手を回していた時に、スカートをつかんでいたらしい。そのまま殴り飛ばされたため、 一緒いつしよに引っ張ってしまったようだ。
(となると……)
 上条は、恐る恐る視線を手元から正面へと移した。
 そこには、顔を真っ赤にして固まったインデックスがいる。チア衣装はチア衣装だが、上にある淡い緑色のタンクトップだけだ。下にあるべきスカートはない。上条が握っているのだから。
 銀髪碧眼へきがんの少女は、おへそどころか、下着も太股ふとももの付け根も全部見えてしまっていた。いや、厳密に言えばテニスのアンダースコートのように、下着型の衣装という事なのだろう。サテンのテカテカした、淡い緑色の布がピッタリと肌にり付いているのが分かる。もちろん錯覚 さつかくだろうが、なんかパンツ型の布地に走るしわが色々な部分を浮かび上がらせているような気がして、まともに見ていられない(しかし上条かみじよう緻密ちみつに説明済み)。
「~~~~ッ!!」
 インデックスは両手に抱えた三毛猫みけねこを使って、必死に下腹部をおおい隠そうとしているようだが、もちろんそんなもので全部ガードできるはずがない。むしろ真っ赤な顔で必死に上条の視界から逃げようとしている姿が妙に扇情的に見える。
 目の前の光景と、そして手元にあるテカテカしたスカートを交互に眺めた上条は、
(―――、死んだ。五秒後には上条さんがインデックスの前歯どころか犬歯や奥歯で頭蓋骨ずがいこつをガリゴリやられるに決まっているから楽しみにな! ……って、待てよ。確か今のインデックスはみ付きを妙に意識しているはず! となれば今なら生き残れるかもーっ!?)
 絶望の果てに希望を見出みいだした上条は、とにかくここから逃げようと打算を働かせたが、
「……ちょっと待ちなさいよ、アンタ」
「……お久しぶりですの、殿方さん♪」

 御坂美琴みさかみこと白井黒子しらいくろこの冷たい声が同時にひびいた。
「……、」
 上条かみじようが恐る恐るそちらを見ると、前髪からバチバチと青白い火花を散らす少女は短パンのポケットからゲームセンターで使われそうなコインを取り出し、スポーツ車椅子くるまいすに座っている少女は大胆にスカートをめくって太股ふとももから物騒ぷつそうな金属矢を引き抜いている。
「ま、別にそこの女に義理立てする必要性はないんだけどさ」
「っつかお姉様の敵はわたくしの敵ですの♪」
 口ではやる気がないと言っておきながら彼女たちのボルテージは最高潮らしい。たのみの綱であるインデックスも顔を真っ赤にして、ささっと美琴の陰に隠れてしまった。
(お、終わってしまいましたかー……)
 がっくりとうなだれて、おでこに手を当てる上条は、最後に負け惜しみっぽく、
「でも! 今ここですべきはこのこわれたインデックスのスカートをどうするかであって不毛な争いをめて皆で手を取り合うのが一番だと思うのですがどうでしょうこの平和的解決案は駄目だめですか駄目ですねごめんなさい!!」
 言い訳するつもりが自己完結してしまった瞬間しゆんかん、それを遺言にするべく二人の少女がおそいかかってきた。

     8

 危うく超電磁砲レールガンと金属矢ではちの巣にされる所だった上条は、さんざん逃げ回った疲労でぐったりとベンチに座り込んでいた。
 衣服を奪われたインデックスは、とにかく破れたスカートを補修すべく、美琴と白井に連れられて、どこかへ行った(らしい。彼女を置いて逃げた上条は、追い詰められた時に美琴から、そうすると話を聞いただけだ)。また安全ピンでも使うんだろうか、と上条は思う。
(っだー……)
 携帯電話の画面に表示された時計を見ると、そろそろ三時になる。
 土御門元春つちみかどもとはるからも、ステイル=マグヌスからも、連絡はない。
 オリアナ達の目的が『学園都市の中で、霊装れいそうを別人に渡す事』ではなく『学園都市内で霊装を発動させる事』であるのを考えると、彼女達はこちらの追撃ついげきけるために、どこか一点、ホテルの一室などでじっと身をひそめている可能性もある。従って、もう取り引きをつぶしたり移動中のオリアナやリドヴィアを取り押さえるというこれまでのやり方は難しいかもしれない、とステイル達は言っていた。  彼らは現在、霊装『使徒十字クローチエデイピエトロ』の使用条件を探っているらしい。オリアナの姿を完全に見失い、追跡のヒントもなくなった今、すがる所はそこしかないのだ。
 敵であるローマ正教の目的が、『使徒十字クローチエデイピエトロ』の使用による学園都市の支配だとしたら、いちいち待っている必要はない。一刻も早く使ってしまえば良いのだ。それをやらないという事は、何らかの特別な使用条件があるのでは、というのが土御門達つちみかどたちの見解だ。
『特別な条件がそろわなければ「使徒十字クローチエデイピエトロ」は使用できない』のなら、その条件そのものをつぶせば、オリアナ達の目的を阻止する事ができる。単純な追跡が絶望的である以上、学園都市内部にひそむ彼女達と対抗するには、そこを探っていくしか道は残されていない。
 しかし……、
「……遅いな」
 上条かみじようは、思わずつぶやいていた。
 最後にオリアナと別れてから、もう何時間もつ。上条にはやるべき事がないとはいえ、こんなにのんびりしていて良いのだろうか、と思う。『使徒十字クローチエデイピエトロ』がいつどこで使用されるか分からない以上、どうしてもあせってしまうのだった。
 そして何よりも上条の心をジリジリとあぶるのは、
 彼のすぐ近くに、絶対の切り札が残されている事だ。
(インデックス……)
 彼女は一〇万三〇〇〇冊もの魔道書まどうしよを頭に記録している完全記憶きおく能力者にして、生きる魔道書図書館だ。その膨大ぽうだいな知識の中には、当然ながら『使徒十字クローチエデイピエトロ』の情報もあるだろう。
 言うまでもなく、一番手っ取り早い方法は、彼女に聞いてみる事なのだ。きっとインデックスなら、『使徒十字クローチエデイピエトロ』だろうが何だろうが、魔術まじゆつ関連の疑問なら五秒もかからず答えを導くだろう。そもそも、イギリス清教の『必要悪の|教会ネセサリウス』が禁書目録という役職を作り上げたのは、まさにそのためなのだから。
 彼女に聞けばすぐに分かる。
 しかし同時に、彼女に聞く事は許されない。
(学園都市の『外』の勢力、か)
 街の外には、大小様々な魔術勢力が控えているらしい。学園都布の中で魔術的な事件が起きたと分かれば、すぐさま突撃とつげきするような連中だ。
 しかし、その全員が学園都市に協力的とは限らない。中には、普段ふだんは入れない学園都市にみ込めるチャンスを利用して、破壊はかい工作を行おうとする者もいるようだ。
 彼らの大半は、学園都市の外から『魔力をサーチする』術式を使用中だという話だった。そしてそのサーチは、インデックスを中心に置かれている。過去、彼女の周りで多くの魔術的事件が起きているため、何かあるならそこが一番怪しい、と思われているのだ。
 従って、
(インデックスを事件の渦中に近づけると、サーチの術式が、オリアナ達の魔力を捕まえちまうかもしれない。だからインデックスは事件に巻き込めない。近づけられない。においを感じさせるだけでも危ない)
 インデックスは、魔術まじゆつに関する膨大ぼうだいな知識を持つ。そんな彼女は、ほんのわずかな魔術の匂いも逃さないだろう。そして一度ヒントを得れば、彼女の性格からして、一も二もなく事件に飛び込んでしまうに決まっている。たとえ、上条かみじようが来るなと叫んでも。
「ったく、ヒントは目の前にあって、是が非でも聞いてみたいけど、聞いた瞬間しゆんかんに話が終わっちまう。くそ、すっげージレンマだなこりゃ」
 上条は思わずため息混じりにつぶやいたが、
「何が。どういう。ジレンマなの?」
 突然真横から聞こえた声に、上条はビクッとふるえた。おどろいて振り向くと、いつの間にかベンチのとなりに体操服を着た長い黒髪の女の子、姫神秋沙ひめがみあいさが座っている。学校指定の半袖はんそで短パンの体操服姿だが、服の下に銀の十字架のネックレスをつけているはずだ。現に、今も黒髪に隠れた首の後ろから鎖骨さこつにかけて、細いくさりが流れている。その鎖は、そのまま体操服の首元から中へと侵入していた。
「ひ、姫神? お前、どうしてこんなトコに……?」
「ちょっと困った事があって。君を捜していたの」
 何だろう? と上条は首をかしげる。そもそも姫神秋沙は表情変化に乏しい女の子なので、普段ふだんから怒っているのか喜んでいるのか、いまいち判断が難しい。今も『おなか減った』と言われれば信じてしまうし『猫を飼いたい』と言われても疑問を抱かないだろう。
 なので、上条は正直に、
「困った事って?」
「うん。小萌こもえ先生が。トラブルを起こしていて。何かとても怒っているみたいなの」
「???」
 言われて、上条はとりあえず姫神の後をついていく事にした。彼女は上条の手をつかむと、『こっち。こっち』とグイグイ引っ張っていく。
 ふと、上条はつながれた手に視線を落とした。じーっと手を見ている上条に、姫神はほんの少しだけまゆをひそめて、
「どうか。したの?」
「うーん。別に大した事じゃないんだけど、姫神はあんまり気にしないんだなぁって」
「―――。」
 言った途端に、姫神はパッと手を離した。顔は相変わらずの無表情だが、ほんの少し赤くなっているようにも見える。今まで繋いでいた手を胸元へ持っていって、もう片方の手で包み始めた。どうやら表情に出ていないだけで、大いに気にしていたらしい。

 姫神秋沙ひめがみあいさに連れてこられたのは、割と大きな公園だった。
 昼休みが終わったためか、周りに人は少ない。今の主役はやはり大覇星祭だいはせいさいであり、選手・観客ともに人の多くは競技場へと向かっているからだ。街に多くの人々が行き交っているのも、基本的には競技場から競技場への移動か、あるいはお土産みやげ選びといった所だろう。特に観客は、わざわざ泊まり掛けで時間を作って、入場パスを買って学園都市へやってきているのだ。観戦に張り切る事はあっても、だらける事はないだろう。
 そんな人気ひとけの少ない公園の一角に、ベンチが置いてある。
 ベンチの前には、インデックスと同じチア衣装を着た小萌こもえ先生がプンプンと怒りまくっていた。喫煙者のマナーと未成年の喫煙問題について何やら熱く語っているらしい。
 一方で、その話を軽く聞き流しているのは、ベンチに座っている魔術師まじゆつし・ステイル=マグヌスだ。説教らってションボリしているというより、何やら疲れたようなあきれたような笑みを浮かべている。
 小萌先生はステイルの手から煙草タバコの箱を没収しようとしているようだが、ステイルがお手玉のように煙草の箱をポンポンと投げているため、小萌先生の手が追い着いていない。飛び掛ってはかわされる光景は、ちょっと離れた所から見ると、まるでゴムボールにじゃれている子犬ちゃんのように見えた。
「あそこ。あそこ。小萌先生と。前に私を助けに来てくれた人が。言い争っていて。どうして良いのか分からないの」
 姫神はそれを見て、珍しく少しオロオロしているようだった。彼女にとっては小萌先生はもちうん、錬金術師アウレオルス暗躍あんやくした『三沢塾』事件においてはステイル=マグヌスの方も命の恩人に当たる。どちらにもケンカをして欲しくない心境なのだろう。
 が、上条かみじようは香水臭い神父の顔を見るなり、心の底からうんざりした顔で、
「えー……姫神。あれは止めなくて良いや。むしろアイツは一度、小萌先生に本格的にしかられた方が人生のためだ。なんていうか、これまでの生き方全部に対して説教されるべきだよ」
 上条の言葉に、ますます姫神は弱った顔で、
「でも。煙草の人が何やら困った目で。こちらを見ているけど」
「あの馬鹿ばかは小さな女の子にからまれると死ぬほど喜ぶから、放っといても大丈夫だいじようぶだよ」
コても。小萌先生も顔を真っ赤にして。いい加減に怒り疲れているように見えるけど」
「あの先生は出来の悪い子供を見れば見るほどニコニコの笑顔になるから、放っといても大丈夫だよ」
 やれやれと首を横に振る上条に対し、こちらに気づいた小萌先生が宙を行く煙草の箱をつかもうとする手を止めずに、
「あっ、上条ちゃん!! そんな所でのんびりしてないで先生のお手伝いをしてください! この子はまったく恐るべきヘビースモーカーちゃんなのです! もうポンポン投げてるその箱を早く渡してくださいーっ!?」
 仕方がないので上条かみじよう小萌こもえ先生やステイルのいる所まで近づいていく。
 上条は小萌先生を見て、それからベンチのステイルに視線を移し、
「……、良かったな。世の中にはまだ怒ってくれる人がいてくれて」
「それについては全面的に賛同してやろうか、上条当麻とうま。しかしまあ、こちらもちょうど動かなくてはならなかった所だ。これがうるさくてね」
 ステイルは言いながら、煙草タバコの箱が宙高くにある間に、さりげなく上着のえりを合わせる仕草で隠すように胸ポケットに差した携帯電話のストラップを指差した。ドクロの形をした悪趣味あくしゆみなランプがピカピカと点滅している。着信しているのだ。彼はそれを示すと、自然な動作で宙の煙草の箱を受け止め、再び小萌先生相手にお手玉を再開する。
 この男の連絡相手となれば……やはり、イギリス清教のメンバーだろうか。『使徒十字クローチエデイピエトロ』関連の情報なら、当然小萌先生に聞かせる訳にはいかない。
「あっ! そっちに投げたのですか!」
 と、あれこれ考えていた上条は、小萌先生の言葉と共に視界の端から何かがヒュンと飛んできたのに気づく。慌てて受け取ると、それは映画などでたびたび目にする銘柄の、煙草の箱だった。
 小萌先生の言葉を無視して、ステイルは人差し指と中指を立てると、二本の指の腹を口元へ寄せた。さては気持ちの悪い投げキッスか!? と、かなり真剣に身構えた上条は、一歩遅れて煙草を吸うジェスチャーだと気づいた。
 ああ、と上条はポンと手を打って、煙草の箱を姫神ひめがみの方へ突きつけると、
「姫神、ライター持ってる?」
 え? と反応の遅れた姫神に対し、小萌先生は高速でグルン!! と振り返って、
「上条ちゃん! 何を無意味なチャレンジャー精神を発揮しようとしてますかーっ! 姫神ちゃんももっと強く引き止めなくてはダメなのです!!」
 ドダダダーッ!! とものすごい速度で小萌先生が接近してきた。それを見たステイルは、胸ポケットから携帯電話を取り出すと、耳に当てながらどこかへ歩き去っていく。
(『使徒十字クローチエデイピエトロ』の情報だと良いなー。じゃないと現在進行形で説教されてるおれの意味って何にもないし。っつか煙草なんて吸う気ゼロですけどこの誤解はどう解きましょうか!?)
 もはや単純な怒りを通り越してひとみをウルウルさせ始めた小萌先生に、上条は本格的にあせり始めたが、その時、今度は彼の携帯電話がブルブルとふるえた。
 だれからだろう? と上条は小首をかしげて短パンのポケットに手を入れようとしたが、
「上条ちゃん! お説教中は携帯電話の電源は切ってください!!」
「うわっ!!」
 小萌先生にみ付かれて、上条は思わずけ反った。うっかり手を離してしまった煙草の箱を、小萌こもえ先生は空中でキャッチする。上条かみじようはそのすきにポケットから一気に携帯電話を引き抜いた。画面を見ると、土御門元春つちみかどもとはるからだ。
(アイツからかかってくるって事は、オリアナたちになんか動きがあったのか? ……まずいな、だとするとのんびりしていられないし、小萌先生達に事件の事を聞かせる訳にもいかないし……)
 上条ちゃん!! と叫ぶ小萌先生を前に、上条は姫神秋沙ひめがみあいさの背中にササッと隠れた。突然後ろから両屑をつかまれた黒髪の少女はほんのりと顔を赤くしていたが、真後ろに隠れている彼は気づいていない。
 上条は、この状況をどう打破すべきか、と少しだけ考え、
「ええい、姫神任せた! お前のお願い通りに、一応は小萌先生とステイルの口論は止めた訳だし、後はよろしくーっ!!」
 ほとんどヤケクソ気味に叫んで、上条はその場から走り去る。小萌先生はそれを追うべく駆け出そうとしたが、
「わっ、何ですか姫神ちゃん! 唐突に先生に抱き着かないでくださいーっ!!」
 律儀りちぎに約束は守ってくれたらしく、それ以上の追跡はない。上条は、後で姫神秋沙に屋台のお好み焼きでもおごろうと心に誓いつつ、公園の外まで一気に走る。
 よほど重要な用件なのか、あれから少し時間がったのに土御門からの着信はまだ続いている。留守電サービスにつながる一歩手前で、上条は携帯電話の通話ボタンを押した。
『おうカミやん! ステイルが話し中で繋がらないんだけど、そっちにいるかにゃー!? どこにいるか知ってるなら伝言をたのみたいんだけど!』
「あん?」上条は少し考え、「……ああ。あっちもだれかから連絡があったみたいだぞ。で、お前の方はオリアナがらみか? またアイツらが何かひどい事でも始めたってんじゃねえだろうな!?」
『いや、そこまでデカイ話じゃないんだが……ああ、カミやんも知っといた方が良い。こっちは今、学園都市のセキュリティを、少々特殊な手順で調べてる。警備員アンチスキル風紀委員ジヤツジメントが利用してるヤッだにゃー。機械仕掛けはあんま魔術まじゆつに対応できないからアテにしてなかったんだけど―――ヒットした』
 その言葉に、上条の全身が総毛立った。
 続けて土御門が言う。
『およそ三分前に、第五学区―――つまりとなりの学区にある地下鉄の「西部山駅せいぶさんえき」出入り口から出てくるのを発見した。で、それっきりだ。視覚情報を遮断する術式を使ったか、単にカメラの死角にもぐったか、判断はつかない』
「三分……難しいな」
 ここから第五学区までは、最短でもざっと四キロ強。
 今から問題の地下鉄駅まで向かった所で、その間にオリアナはどれだけ移動しているだろ?
『オリアナを完全に追い詰める必要はないぜい。西部山駅せいぶさんえきまで着いたら、ステイルに探索の魔術まじゆつをかけてもらうにゃー。それで正確な位置をつかんだら一気に攻める。それで終わりだぜい』
 探索の魔術。
 名前は確か『理派四陣りはしじん』だったか。
 元は土御門つちみかどの術式だが、今はステイルが使っているものだ。使用者を中心として、およそ半径三キロ前後のサーチを可能とする。使用条件として、ターゲットの使っていた魔術アイテム『霊装れいそう』が必要となるが、こちらはオリアナの単語帳ページを押さえてある。
「敵は三キロ進めば、もう探索範囲の外に出ちまう。こっちは四キロ進んでようやく探索スタート。それで間に合うのかよ!?」
『だから急いでんだよカミやん。自律バスでも電車でも使って、とにかく一刻も早くステイルを連れて現場へ向かってくれ!!』
 通話が切れた。
使徒十字クローチエデイピエトロ』の使用条件や弱点が上手うまく見つからない以上、これが最後のチャンスになる可能性も非常に高い。むしろ、ここで捕まえられなければすべて終わりだというぐらいの気持ちで臨むべきだ。
「くそ。ステイル!!」
 上条かみじようは叫んで、姫神秋沙ひたがみあいさ小萌こもえ先生がいる辺りを迂回うかいするルートを辿たどって、公園へと戻る。
今の所、オリアナの追跡を行うための探索の魔術『理派四陣』を使えるのはステイルしかいないのだ。
 走りながら、上条は高速で頭を巡らせる。不幸中の幸いは、オリアナはこちらに発見された事に気づいていない可能性がある、という事だ。相手が全力で逃げに入ったら、おそらくは間に合わない。
 向こうは歩き。こちらは走り。
 足りない距離と時間は、速度で埋め合わせるしかない。

   行間 四

 吹寄制理ふきよせせいりは病院の待合室のベンチに腰掛けていた。
 カエルに似た顔の医者によると、必要な処置はすでにすべて終わっていて、病院の中だけなら自由に歩き回っても構わないと言われた。看護婦さんは『不幸中の幸いってヤツですよねー。
普通ならこんなものじゃ済まないだろうし』とか言いながら笑っていた。大きなお世話だと思う。
 吹寄はあてがわれたベッドから下り、自分の体調を確かめる意味も含めて、とりあえず病院内を歩いてみる事にしたのだが、
「……っつ」
 彼女はこめかみに片手を当てて、軽く首を横に振った。
 エレベーターに辿たどり着く前に、ゆるやかな目眩めまいが頭のしんからやってきた。彼女がベッドをあてがわれた―――つまり診察だけでなく、一日入院を告げられた―――理由はここにある。
 日射病の重度症状である強烈な頭痛や拒絶反応自体は医者の手によって治せても、その間に失った体力自体はゆっくりと回復させていくしかない。表向きは目立った傷や症状がなくても、吹寄の体は万全とは言いがたい状態なのだ。
 彼女は手の中にある、小さなボタンを見る。
 マッチ箱ぐらいの大きさの、小さな機械の箱だ。携帯式のナースコールらしいが、病院内で電波の使用は好ましくないため、単純に大きな音を鳴らすブザーとして機能するもののようだ。
市販されている防犯ブザーを改良したものかもしれないが、こんなものを手渡されている時点でまともな体調でないのは想像がつくだろう。
 吹寄制理は周囲に視線を巡らせる。
 煙草タバコの喫煙所も兼ね備えたスペースだ。エレベーターの近くにあるちょっとした場所で、特に壁などで区切られてはいないものの、エリア入り口の床には横一線に溝のようなものが走っていた。空気清浄機の通風孔で、エアカーテンが作られている。四角いスペースの中に一回り小さなロの字のベンチがあり、さらにその中心点に円筒形の灰皿が置かれていた。
 彼女はそれらの喫煙設備を無視して、ぼんやりした頭で壁際かぺぎわを見た。
 そこには、ジュースの自動販売機が四台ほど並んでいる。
「……体力を回復させなくちゃいけないって事は、必要なのはスポーツドリンク系かしら」
 言葉にも、いつもの覇気はきがない。座っているベンチから立ち上がっただけで、軽い頭痛がこめかみの右から左へ抜けた。これは今すぐ午後の競技に復帰するのは難しそうね、と吹寄は顔をしかめつつ、自販機の前までゆっくりと移動する。
 お財布機能を持つ携帯電話を読み取り部分にかざし、ボタンのランプを一斉にけつつ、「だとすると、理想とされるのは……糖分か、アミノ酸か、ミネラルか、あるいは……ふぁ、っくちゅん!」
 考えていた所でくしゃみが出た。
 彼女の頭が前後に揺れて、そのオデコが自販機のボタンに激突した。ガゴガゴン、という音と共に吹寄ふきよせの意思とは無関係にジュースが取り出し口から出てきてしまう。
 じくじくとした頭痛にさいなまれながら確認してみれば、そこには『練乳サイダー』と書かれた奇怪な缶が。
「……不健康の極みだわ」
 思わず缶を片手につぶやいてしまラ彼女だったが、まさか捨てる訳にもいかない。吹寄制理せいりは途方に暮れながら、元来た道を引き返し、自分の病室へ向かう事にした。
 自分が歩いてきた無機質な廊下が、シルクロードの砂漠のように見える。
 室内だけでこの有様なのだから、残暑厳しい炎天下を走り回ればどうなってしまうかなど、想像にかたくない。
(まったく。いつに、なったら……)
 身を引きずるように歩きながら、吹寄はため息をついた。
(……仕事に戻れるのかしら。あたしがいなくなって、あの馬鹿ばかはハメを外したりしないでしょうね)

   

chap2

第六章 追撃の再開とその終わり Accidental_Firing.

     1

「もう! 姫神ひめがみちゃんのせいで、すっかり上条かみじようちゃんを見失ってしまったじゃないですか!」
 小萌こもえ。先生は学生りようが並ぶ一角をテクテクと歩きながら、となりにいる少女に向かって叫ぶように言った。
 対して、担任教師と一緒いつしよに歩いている黒髪体操服の少女、姫神秋沙あいさはフルーツジュースの入った透明なカップを片手に、割とのんびりした声で、
「でも先生。次の競技の時間が。迫っているし」
「むっ! 分かっているのですよ。だからさっさとしかってさっさとクラスのみんなの所へ戻ろうとしてたのにーっ!」
 彼女たちが歩いているのは、第七学区の端に近い場所だ。先ほど上条やステイルが逃亡した公園のほか、商店街や学生寮などが、実に雑多に並んでいる。建物の高さも結構な差があり、まるで歯の欠けたくしのように見えた。
 この辺りは学校―――今で言う、競技場―――から少し距離が離れているせいか、行き交う人々の目的は、主にお土産みやげ探しらしい。街に住んでいる人間ならあんまり手に取る事はなさそうな、キーホルダーやジグソーパズルなどの露店うてんを物珍しそうな目で見ているお客さんが多い。
 小萌先生はため息をついて、
「分かったのです。上条ちゃんは競技場で待つ事にするのです。それよりほら、姫神ちゃんも急がないと駄目だめなのですよー」
「うん」
 姫神秋沙はカップの中のジュースをちびちび飲みながら答える。その声が、どこか生返事なのに気づいて、小萌先生は小さく首をかしげた。
「……姫神ちゃん? 何か悩み事でもあるのですかー。だったら先生が相談に乗るのです!」
「そういうのじゃないけど」姫神はカップから口を離し、「上条君。少し様子が変じゃなかったかなって。何か。うわの空みたいな感じに見えたんだけど」
「うーん。言われてみれば、あせってたようにも見えましたけどー。でも、単に次の競技が迫ってるからじゃないですかー?」
「……。でも。あの感じは」
 姫神はそこで一度言葉を切った。
 あの独特のピリピリした空気を、彼女は一度だけ肌身で感じた事がある。神にも等しい力を使って自分を殺そうとした錬金術師れんきんじゆつしに、一人の少年がこぶし一つで立ち向かった時のものだ。自分のためにだれかを守り、勝つために手段を選ばず、最終的には右腕が切断された事すらかてに変えて戦ってくれた、あの時の。
 が、
「やっぱり。気のせいだったのかな,」
「??? 何がですかー?」
 不思議そうな顔をする小萌こもえ先生を見下ろしながら、姫神ひめがみはモヤモヤと考え事をする。
(でも。大覇星祭だいはせいさいの競技ぐらいで。あんな風になるとは思えないし)
 ボーっとしている黒髪の女の子の顔を、逆に小萌先生は大きく見上げた。彼女は姫神の体操服の腰の辺りをグイグイと引っ張りながら、
「ようは、姫神ちゃんは上条かみじようちゃんが気になってるのですか?」
「―――。」
 姫神の動きがピタリと止まる。
 危うくその手からフルーツジュースの入ったカップが落ちそうになって、彼女にしては珍しく、慌ててつかみ直した。
「事実であるのに間違いはないけど。その言い方だと。直球すぎて色々な誤解を生むかもしれない」
「違うのですか?」
「……。では。小萌先生も上条君が気になっているの?」
 ズベン! と小萌先生は何もない所で、いきなり足をからませて転んだ。チア衣装のミニスカートがめくれそうになるが、その先はギリギリのラインで見えない。彼女は勢い良く顔を上げると、
「なっ、何を言っているのですか姫神ちゃん! 先生は担任と書いて上条ちゃんのにない方を任されている者なのですよ! き、ききき気になると言ってもそれは上条ちゃんの将来についてであって、そんな直球な言い方をされるとかえって複雑な意味に取られかねなくて」
「それと同じ」
「……」
 小萌先生はちょっとだまる。姫神秋沙あいさがカップを持っていない方の手を差し伸べると、担任教師は細い手を掴んで立ち上がる。姫神は、転んだ小萌先生がどこも怪我けがをしていない事を確かめると、安堵あんどしたように、ほんの少しだけ目を細める。
コでも。さっきみたいな言い方はけた方が。良いかもしれない。私と上条君は。それほど仲良くもないし。変な誤解をされたら。困るのは上条君の方だし」
 む? と小萌先生の顔色がわずかに変わった。
「ははぁ。姫神ひぬがみちゃんはそんな風に考えてるから、上条かみじようちゃんの前ではナイトパレードの話題をけてきたのですね。あれだけ事前に配られたパンフレットを念入りに見ていたくせにー。ナイトパレードは学生さんにとって、ある意味では昼間の競技と同じぐらい苛烈かれつな戦いかもしれませんからねー」
 大覇星祭だいはせいさい期間中は、日没の後にイルミネーションやレーザー光線による大規模なライトアップが行われるほか、競技終了後には電飾だらけのオープンカーや移動型のステージなどが学園都市全域でパレードを行う。大覇星祭はテレビ局の協賛を受けている事もあり、パレードの規模はかなりのもので、芸能人なども多数参加するのだ。
 普段ふだんは夜間の外出を取りまり、完全下校時刻を交通機関の最終便に設定するほどの学園都市統括理事会も、この日だけは夜遊びを推奨する事になる。おかげでクリスマスやバレンタインとまではいかないにしても、生徒たちの間ではかなり人気のあるイベントとなっていた。
 が、
「無理だよ」
 姫神は、一言で言った。
「私なんかが。いきなりさそってみたとしても。上条君は面食らうに決まってる。似合わないもの。だからこんなのは。言い出さない方が良いと思うの」
 ほんのわずかに細められた彼女の目は優しそうに見えたが、同時にどこか影を感じさせるものだった。
 当然ながら小萌こもえ先生としては、教え子のそんな顔を見るのが大変面白くないので、
「そんな事はないのですよ。上条ちゃんはおどろくかもしれないですけど、それはうれしいから驚くんだと思います。上条ちゃんは、姫神ちゃんが笑えば嬉しいと思うでしょうし、姫神ちゃんが泣いたらかなしむはずです。ああいう子ですからね、先生だってそれぐらいは分かるのですよ」
 自分よりも格段に背の高い教え子の顔を見上げるように一言う。
「だから、姫神ちゃんが楽しいと思う事に上条ちゃんを誘えば、きっと喜ぶと思うのです。それがナイトパレードだって言うなら、何の問題もないと思うのですよー」
 その言葉に、姫神はパチパチとまばたきした。
 普段は無表情のままの顔に、わずかな驚きの表情が加わっている。
 姫神は、フルーツジュースの入った透明なカップを軽く揺らす。それから、小萌先生に向かって、本当に少しだけ目を細めて笑みの形を作ると、
「誘わないったら。絶対に誘わない」
「むっ! せっかく先生が気弱な姫神ちゃんの背中をグイグイと押しているっていうのに、一体何を意固地になってるのですかーっ!?」
「とにかく。誘わないの」
 むーっ!! と顔を真っ赤にする小萌先生を見て、姫神秋沙あいさはこっそりと肩の力を抜いた。

    2

 上条当麻かみじようとうまとステイル=マグヌスは街を走っていた。
 そこかしこの競技場ではすでに様々な試合が始まっており、そのアナウンスがあちこちのスビーカーや大画面エキシビジヨンからひびいてくる。上条の学校も、そろそろ『全校男子・騎馬戦きばせん予選A組』が始まるが、残念ながらそちらに時間を割いている余裕はなさそうだ。
「上条当麻! 自律バスの停留所ならこちらの裏道を走った方が近いぞ!」
「いや、運行スケジュールを比べたら断然地下鉄だ! バスは停留所が多くて、途中で何度も動きがまる。地下鉄は最初にちょっと待たされるけど、一度乗っちまえばバスなんかすぐに追い抜いちまうって!!」
 二人は大声で言い合いながら細い道を曲がって、地下鉄につながる下り階段の入り口を一気に駆け下りた。コンクリートでできた狭い通路のような駅を走り抜け、行く手をはばむような自動改札に、上条は自分の携帯電話を押し付ける。今時、ID認証で支払い機能を持つ携帯電話など学園都市では珍しくもない。
 が、自動改札は学園都市製の携帯電話しか対応していないらしい。ステイルは舌打ちして、切符券売機へ向かった。この男が改札のゲートを飛び越えなかったのは、この局面で不用意なトラブルを増やすのは得策ではない、とでも考えたからだろう。小銭を出すのが億劫おつくうなのか、一〇〇〇円札を機械に滑り込ませると、切符とお釣りをわしつかみにして戻ってきた。
 ステイルがようやく自動改札を抜ける。
 ちょうど地下鉄の列車が発車する所だった。電子音で作られたベルが鳴っている。先にホームに走り込んでいた上条は列車のドアへ飛び込み、後からやってきたステイルは、ドアが閉まる寸前で腕を突っ込んだ。安全機能として再びドアが開いた所で、彼は強引に体を列車の中へとねじ入れる。駅員が何やらにらんできたが、こちらはそれどころではない。
 ガタン、とゆっくりした動きで列車が走り始める。
 上条は列車のドアに背中を預けて、
「……土御門つちみかどの言ってた西部山駅せいぶさんえきまでは、二駅ってトコか」
 上条はドア上の電光掲示板を見上げながらつぶやいた。小銭を財布に入れていたステイルは、ふと衣服の内側を探り、新しい煙草タバコの箱を取り出した。上条はあきれたように、
「お前、一体いくつ忍ばせてんだ?」
「君が気にする事か」
 ステイルは取り合う気もなく、口でくわえるように箱から一本取り出したが、
「ぎゃあ! 列車の中はマズイって。煙を感知したら緊急きんきゆう停車する事もあるし!」
 上条が慌てて止めると、ステイルは心の底から憎々しい舌打ちをした。普段ふだんなら上条の言う事など聞きそうもないが、今は一刻も早くオリアナの追跡をしなくてはならない事は分かっているのだろう。ステイルは眉間みけんしわを寄せながら、煙草タバコを箱に戻していく。
 と、思ったら今度はふところから別の箱を取り出した。サイズは同じぐらいだが、古い木でできた箱だ。ステイルはそこから何かを取り出すと、ガムのようにみ始める。
「噛み煙草だ」
「……そうまでして煙草が恋しいのかお前は」
「ニコチンとタールがない世界の名前は地獄と言う。そして僕のような善良で敬虔けいけんな子羊は、地獄に落ちるような事があってはならないんだ」
「その台詞せりふを言う前に一度、自分の人生について考えてもらえるとうれしいんだけどな」
 そうこう言い合っている内に、列車は一駅目に到着した。多少の入が乗り降りしていく。新しく乗り込んできた乗客は皆、ステイルの馬鹿ばかげた格好を見てギョッとしていた。
 ドアが閉まり、再び列車は走り始める。
 残りは一駅。

「さてさて」
 第五学区の街中で、オリアナ=トムソンは軽い調子でつぶやいた。
 道を歩く人々の目が集中しているのが分かる。大覇星祭だいはせいさい開催中は外国からの観客も多く、金髪碧眼へきがんそのものは、それほど珍しくもない。注目を浴びているのは、彼女の整った肉体と、それを強調させている衣服だろう。この国も、ここ一〇年で随分と衣服のデザインが開放的になったと言われているが、それでも美人の生足を隠しもしない縦裂きロングスカートというのはかなり珍しい部類に入る。水着でもない街中の衣装にパレオが必要なのだという時点で普通ではない。
 が、オリアナは周囲の注目をそれほど気にしていない。
 追跡される者としては、不自然なほどに。
(時間の方は……まだ少しかかりそうなのよねぇ。ま、そっちはリドヴィアちゃんに任せておくとして。この間、お姉さんはどう動いておくべきかしら。ふむふむ)
 周囲の視線を引きずり回すようにオリアナは街を歩く。
 余裕を見せて。
 その姿が、追跡者たちの目にとらえられている事にも気づかずに。

 列車が再びまった。
 二駅目。目的の西部山駅せいぶさんえきに到着したのだ。
 列車のドアが左右に開くと同時、上条とステイルはホームへ飛び出した。彼らはそのまま手近な出口へと向かう。途中のゴミ箱に口の中の噛み煙草を吐き捨てたステイルは、
「くそ、土御門つちみかどはどこにいる? アイツがいないと、探索に使う『理派四陣りはしじん』を用意できないんだけどね!!」
 言いながら、携帯電話を操作した。地下だが、アンテナ基地の近くだったのか、随分あっさりとつながった。
「土御門!!」
『にゃー。悪い。自律バスで駅。の近くまで来てるんだが……この辺りの道は、一〇キロ走のコースに指定されてるっぽい。スケジュールの変更で、時間が早まっちまったんだ。バスが立ち往生おうじようしちまってるぜい』
 ステイルは隠しもせずに舌打ちした。
「そこからここまでの距離は!?」
『降りて走るとなると、ざっと一〇分ってトコか』
 マズイ、と上条かみじようは思う。
 オリアナを発見してから三分、この駅まで来るのに五分、さらに一〇分も待って、それから探索の魔術まじゆつの準備を始めていたら、彼女がどこまで移動するか想像がつかない。確か、『理派四陣』とかいうオリアナを探すための魔術の範囲は半径三キロだったと土御門から聞いている。
もしもオリアナがこちらの様子に気づいていたら、走って逃げ切られる可能性も出てくるのだ。
 土御門もそれが分かっているのだろう。彼は苦々しい声で、
『ステイル。オレが作ってやった「理派四陣」のパターンは記憶きおくできてるか?』
「無理だ」
『オレがケータイ越しに指示を出せば描けると思うか?』
「無理だね。見よう見まねで術式を組んだ所で、理論が全く分からない。僕は東洋様式については何も知らないんだ。特に、君が用意した『理派四陣』に使われている場や空間を流れる脈のとらえ方は、西洋と東洋で方式が大きく異なる。まさかあの子じゃあるまいし、君は電話口で陰陽おんみようの思想から真髄しんずいまで一気に教えるつもりかい?」
『……ちなみにそちらの西洋術式でサーチは?』
「できたら君にたよるか。完全に専門外だよ」
『そうか……ま、当然だわにゃー』
 苦い吐息がマイクにぶつかったのか、ノイズが走る。
 土御門は一瞬いつしゆんだけ悩んだ後に、

『分かった。「理派四陣」はこっちで発動してやるよ』

 言い切った台詞せりふに、上条は思わずギョッとした。
『なぁに。徒歩一〇分の距離なら、致命的な誤差ってほどでもないぜい。わざわざ時間をかけて駅まで行くより、この場でやっちまった方が得策だ。オリアナだって地下鉄や自律バスを使って移動している可能性もあるんだからにゃー。探索は手早くやった方が良い』
 上条かみじようが何か言う前に、土御門つちみかどは一人で結論づけてしまう。
『「理派四陣りはしじん」の結果はケータイでそっちに伝えるにゃー。ステイルはカミやんと一緒いつしよにオリアナを追撃ついげき捕縛ほばくしてくれ。「使徒十字クローチエデイピエトロ」はオリアナではなく、リドヴィアが持っているかもしれない。できれば生かして捕まえて欲しいぜい』
「ま、」
 そこまで聞いて、上条は我慢できなくなった。
「待てよ土御門! お前、これ以上魔術まじゆつなんか使って大丈夫だいじよもづぷなのか!?」
 土御門元春もとはるは、魔術が使えない人間だ。
 より正確に言うなら、魔術は使えるが、使えば肉体のあちこちが爆発する。それは彼が魔術師であると同時に、能力者でもあるからだ。能力者は普通の人間とは体の仕組みが異なるため、『普通の人間のために作られた』魔術を使うと、拒絶反応が起きてしまうのだ。
 それを知らないはずがない。
 現に今日だって、一度魔術を使って血まみれになったばかりなのに。
 彼はそれでも、自分の手で『理派四陣』を行うと言っているのだ。一度ばかりか、二度も魔術を実行すれば死ぬ危険だってあるかもしれないのに。
 が、そんな上条の危惧きぐに、返事はなかった。
 土御門はもちろん、ステイルからも。
 むしろ、ステイルは上条の言葉を封じるように、携帯電話に向かって語りかけた。
「……、良いんだね?」
『わざわざ断りを入れる理由が分かんねーにゃー? オレは魔術師。魔術を使ってナンボの専門家ですよ? あとカミやん、苦情は病院のベッドで聞くからよろしく。お見舞いにはメロンとリンゴでにゃー』
 土御門! と上条が叫ぶと同時、通話が一方的に切られた。
 ステイルは携帯電話を胸ポケットに仕舞いながら、
「ふむ。次にヤツから電話がかかってくる時は、すでに『理派四陣』が発動した後だろう。ヤツの覚悟を無駄むだにしたくなければ、今は余計な事は考えるなよ、上条当麻とうま
「くそっ!!」
 言われて、上条は思わずコンクリートの壁にこぶしたたきつけていた。それが余計な事だと言うんだ、とステイルはあきれたように告げると、ふところから新しい煙草タバコを取り出す。
 果たして、一分後にステイルの携帯電話がふるえた。
 番号は土御門元春から。
 内容は人気ひとけのない所へ移動し、『理派四陣』を発動させたという事だった。
 ピクン、とオリアナの肩がふるえた。
(あンっ。―――っと、これは前に使った術式とまったく同じ構成ね。一回使った術式は二度と使わないっていう、お姉さんに対するあてつけかしら)
 第五学区の歩道の真ん中で、彼女は考え事をする。
 敵が使う探索の術式は、オリアナの単語帳のカード―――より正確には、彼女がその場限りの思いつきで書き記す、俳句にも似た世界最小の不安定な魔道書まどうしよの『原典』だ―――を使って、オリアナの居場所を逆探知しようとしている。
 基本的に魔道書の原典は人の魔力まりよくたよらず、その場の地脈や龍脈りゆうみやくかられる、わずかな力をみ取って自動魔法陣まほうじんとして発動する。
 しかし、オリアナの場合は術式の発動と停止を、『不安定な原典の発動と自己破壊はかい』によって切り替えられるように設定してある。そこにはオリアナ自身の魔力が必要で、ページの方には『オリアナの命令を感知する機能』が備わっているため、その行き先を追う形で逆探知が可能となる、という訳だ。
 となると、
(お姉さんのページ……あちらではなんと呼ばれているのかしらね。まぁ、とにかくページとお姉さんが魔力でつながっているなら、ページに細工を施された時点で、お姉さんも異変に気づいちゃうのよねえ)
 考えながら、オリアナはわずかに足を速めた。
 世の中には、距離の壁を無視した魔術まじゆつも存在する。特に暗殺方面では、世界の果てまで逃げてもけられない攻撃こうげき、というのは非常に重宝された。
 が、
(これは違うわよね)
 バスごと火ダルマにされかけた時、彼ら追跡者はオリアナと距離を離される事を極端に恐れていた気がする。もしも彼らの術式が距離を無視して全世界を探知できるようなものなら、ゆっくり歩いてきても問題ないはずだ。
(だとすると、有効な策は遠くへ歩いてみる事……なんだけど、参っちゃったわねえ。具体的に、お姉さんはここからどっちの方向に向かって、どれぐらい離れれば良いのかしら?)
 オリアナは首をかしげながらも、さらに先へ先へと進んでいく。
今まで人の波に紛れていたのが、人の波を迫い越していくように。
(さてさて、ここはどう動こうかなぁ)
彼女は飛行船の浮かぶ青い空を眺めながら、頭の中で考えた。

 上条かみじようとステイルは地下から地上への階段を一気に駆け上がり、地下鉄駅の出口から外へと飛び出した。
 第五学区は上条かみじようの暮らす第七学区と違って、大学や短大などが多い。多くのビルが建ち並び、雑然としたイメージは似通っているものの、洋服店や料理店などのセンスがほかの学区に比べて大人びているような気がする。高校生の上条から見ると、ほんの少しだけとっつきにくい雰囲気ふんいきがあった。世界的に有名だけど、個人的にはあんまり興味のないオーケストラのコンサート会場に、いきなり放り込まれたような気分にさせられるのだ。
 が、今はそんな事を気にしている余裕などない。
 シックな街の空気そのものを引き裂くように、上条たちは全力で走る。
 ステイルの手の中にある携帯電話が、彼らの行くべき場所を伝えてくれる。
 文字通り、命を削る形で。
『……オリアナは……気づいてるな。動きが急に変わった。……今は、北西に、向かってる。
距離は三〇〇から五〇〇メートル。……待ってろ、すぐに絞り込んでやるぜい……』
 声が途切れがちになっているのは電波の受信状況のせいではない。通話相手の土御門つちみかどは、おそらく全身から血を流して、激痛に耐えながら魔術まじゆつを行っているはずだ。
 ステイルはわずかに息を切らせながら、
「五〇〇か。……近そうに見えるが、走って捕まえるには少々ハードルが高そうだ。念のために聞くけど、君の『赤ノ式』の砲撃ほうげきは使えないのかい?」
『赤ノ式』とは、土御門が使う遠距離攻撃用の炎の魔術の事だ。土御門は以前、それを使って遠く離れた上条の実家を正確に吹き飛ばしていた。
『無理だにゃー……。それをやるには、「理派四陣りはしじん」を切って「赤ノ式」に専念しないといけない。が、そうすると逃げ続けるオリアナの最新座標がつかめなくなる。はっきり言って、命中精度はガクンと落ちぢまうぜい』
「それ以前に、これ以上土御門に負担はかけさせられねーだろ”己
 上条は走りながら思わず叫んだが、ステイルは鬱陶うつとうしそうな目を向けただけだった。彼は煙草タバコを口の端で揺らしながら、
「『理派四陣』の有効範囲はおよそ三キロ。あと二五〇〇メートル前後でアウトだ。ここはだれに負担をかけてでも、必ず詰めなくちゃならないラインなんだ」
「分かってるけどよぉ……ッ!!」
 ほとんど叫び合うような形て二人は大きな通りの歩道を一気に走る。細い横道に入り、曲がりくねった道から別の大通りへ飛び出て、歩道橋の階段を上がり、反対側の階段を駆け下りる。
『……反応が、出たぜい……。オリアナはカミやんの、地点から……方角は、やっぱり北西をキープ……。距離の方は三〇九メートルから、四三三メートルの間にいる……。とりあえず直線的に……追跡を、振り切ろうとしている、みたいだにゃー。……急げよ、有効範囲外まであと一七〇〇メートル前後だ……』
 上条かみじようは走りながら、風紀委員ジヤツジメントが無料で配っている大覇星祭だいはせいさいの分厚いパンフレットを、マラソン選手の給水のように勢い良くつかみ取った。急いで第五学区の地図のページを探して開く。
「北西に三〇九から四三三…。殉。っと、うわッ!」
 本に目を落としながら走っていたので、思わず歩道を走行していたドラム缶型の警備ロボットとぶつかりそうになった。上条が慌ててけると、背後から警備ロボットが、ピーッと警告クラクションを鳴らしてきた。
「もしかして、これか……? ここから八〇〇メートルぐらい先に、モノレールの発車駅がある。第五学区の中をぐるりと回る環状線だ。これに乗り込まれちまったら、三キロなんてあっさり抜けられちまうぞ!!」
 ここから八〇〇メートル、先行するオリアナにとっては五〇〇から四〇〇メートルぐらいしかない。切符を買う時間、モノレールを待つ時間を考慮こうりよしたとして、余裕は一体何分間あるか。
モノレールは大覇星祭に合わせて臨時便を多く出している以上、列車一本につき二分間待つ事もないかもしれない。
 が、携帯電話越しの土御門っちみかどが突然、妙な事を言い始めた。
『いや、待て。……オリアナが急に向きを変えた』」
 ぱらぱらと紙をめくるような音が聞こえる。自分の術式と、大覇星祭のパンフレットを交互に眺めているのだろうか。
『そのモノレール駅に、向かうルートとは……直角に曲がってる……。オリアナの行き先は、発車駅じゃないようだ―――、ッ!! なんだ、コイツ、いきなり速く……ッ!?』
 なに? と上条は走りながらまゆをひそめる。
 となりを走るステイルも、手の中の携帯電話からのやり取りに耳をましているようだ。
 周囲はガヤガヤとさわがしく、走っている自分たちが立てる足音や呼吸音も結構なものであるにもかかわらず、上条は不思議と耳の奥にシンとした静寂を感じ取った。
 電話が沈黙ちんもくする。術式を操るためなのか、指で地面をこするような音がカサカサとひびく。単調な音だけが延々と続くのは、時間の感覚をゆがませる効果を生んだ。
『野郎、どこを目指して……っ痛! くそ、こんな時に……』
 どうやら、無理に魔術まじゆつを使っている土御門の体が痛みを増しているらしい。上条が思わず声をかけようとする前に、土御門は先手を打つように、
だい……丈夫じようぶだ、カミやん。……オリアナの位置なら、すぐに特定してや―――オイ。うそだろ』 告げた声は、どこかほうけた色合いを帯びていた。
 ガサガサと、電話の向こうで土御門が慌てて何かを探る音が聞こえる。
『このルートは……くそ、そういう事か! オリアナの野郎、まさか―――ッ!!』
 土御門の叫び声と共に、いきなり携帯電話が雑音を散らした。マイク部分をおろし金で擦ったような音だった。不自然な残響ざんきようと共に、半ば強引に通話が切れる。電波というつながりを、無理矢理に引き千切ちぎられたみたいだった。
 上条かみじようあせった。土御門つちみかどからのナビがなければ、オリアナがどこへ向かっているのか、判断がつかなくなる。彼女を追っているつもりが、自ら距離を離してしまう可能性も出てくる。
「どうなってんだ? おいステイル、携帯電話のアンテナは!?」
「いきなり通話不能になどおちいるものか。止まれ、上条当麻とうま
 ステイルはいきなりとなりを走る上条の襟首えりくびつかんで急停止した。ほとんど首を絞められる形で、上条の足も強引に止められる。ステイルは、ガハゴホとき込む上条を大して気にも留めず、
「……やられたね」
「げほっ! な、何がだ馬鹿ばか
「オリアナは、逆探知の魔術まじゆつによって追撃ついげきされている事に気づいていても、具体的に『どれだけ逃げれば良いのか』が分かってない。この状況じや、どこまで走れば良いのか、戦略の立てようがない。ならばどうすれば良いのか。彼女は簡単な答えを導き出した」
「おい」
 上条は嫌な予感がした。
 不自然に途切れた通話と、土御門の叫び声が、妙に耳に残っている。
「君の想像通りだ、上条当麻。オリアナ=トムソンは逆探知を逃れるために、距離を離すのではなく縮める事にしたんだろう。……術式の中心点たる土御門を潰す事も、また勝利条件の一つだからね」
「待てよ。それじゃあまさか……ッ?」
「まさかも何も、十中八九オリアナは土御門の所へ向かっているはずだ」
「なら俺達おれたちも急がねえと! だってアイツ、今は無理矢理魔術を使って、体がボロボロなんだろ! 土御門は今どこにいるんだよ!?」
「僕に分かるはずがないだろう」
 上条の叫びに対し、ステイルは事実だけを告げた。
 それから、付け加えるように、
「だから、これから捜すんだよ」

     3

「が…ァ……ッ!?」
 土御門元春もとはるは、大理石調に整えられた通路の上を、二回、三回と跳ねるように転がった。手にしていた携帯電話が衝撃しようげきと共に手を離れ、近くの柱に激突した。
 彼がいるのは地下街と地下街を結ぶ、連絡通路だった。幅八メートルほどの通路が、一〇〇メートルにわたって続いている。現在はすぐそばに近道として別の有名地下街がつながった事によって、人の足は従業員を含めてぜロに等しい。通路の真ん中には上りと下りを区切るように大きな円柱が並んでいるため、柱の陰はカメラの死角に入る事になる。
 土御門つちみかどは、自分の乗っている自律バスが一〇キロ走のルートによって足止めをらってから、急いで人気のない場所を探し、ここで探索の魔術まじゆつ理派四陣りはしじん』を展開させたのだが……。
 ぐしゃり、という音が聞こえた。
 彼が地面に作った、『理派四陣』の地図が何者かの足につぶされ、四方八方へ飛び散った。
駄目だめよー気を抜いちゃ。あなたはお姉さんとの繋がりから、居場所を探っていたんでしょう? ならば逆に、繋がっているお姉さんからも、あなたを感じられるってコトを忘れるだなんて、ね。男の子の一人よがりな運動は相手に嫌われちゃうぞ?」
 ふざけた口調だった。
 そして同時に、冗談のような強さを秘めた相手でもある。
 オリアナ=トムソン。
 前に見た時と違って、作業服から着替えている。深い色のキャミソールに、すだれのように縦に切り裂かれた淡い色のロングスカート。スカートとしての意味がないためか、腰には水着に使うようなパレオを巻いてある。しかし、そのふわふわした金髪と美貌びぽう、砂糖の塊を口に突っ込んだような甘さをたたきつけてくるボディラインの印象は、衣服を変えた程度でごまかせるものではない。
 彼女は、細い金属リングに束ねられた単語帳を手の中でもてあそぶ。
「今まで会ってきた中では、あなたが一番頭がえてて、同時に最も危険な思考の持ち主っぽいのよね。だからお姉さん、潰しに来ちゃいました♪」
「チッ……」
 土御門は通路中央の円柱から離れるように、立ち上がる。相手の攻撃こうげき遮蔽物しやへいぶつで防げるかどうか分からない以上、壁や柱は移動のさまたげにしかならない。
「……大人しく『使徒十字クローチエデイピエトロ』をこちらに渡し、リドヴィアと一緒いつしよに仲良く両手を挙げて投降すれば済むものを。そんなに骨を潰されて軟体動物になりたいのか」
「あン、叩くのは趣味しゆみじゃないって目で言われてもね。お姉さんは多少過激な遊びもオーケーだから、腰が砕けるまで付き合ってあげるわよん」
 オリアナは愉快そうに答えるものの、的確に土御門との距離を測り始めている。彼はその位置取りの上手うまさに内心だけで奥歯をんだ。
(カミやんたちは……)
 ジワジワと、こめかみや脇腹わきばら、手足のあちこちから血のたまにじむ。オリアナの一撃によるものではない。元々、彼の体は魔術を使うと拒絶反応が起こるのだ。
(……アテにはできない、か。徒歩で一〇分ぐらいかかるとは言ったが、具体的な場所は告げてない。何より、オレ自身が人の来ない場所を選んじまったんだから)
 オリアナには悟られないように、彼は手の指を軽く握って広げる。内部破壊はかい影響えいきようか、動きはまるで糸の切れ掛かった操り人形のようにぎこちない。実戦では常に万全の力を発揮できないのは当たり前……とはいえ、気を抜くとその場に倒れそうなこの状況は非常にまずい、と彼は冷静な思考の裏側であせった感情を見せる。
 それでも、
(ここ、から……)
 口の端から垂れる血を手の甲でぬぐい、土御門つちみかどは前を見る。
(……、退けるか)
 彼は、わずかに違和感のある一〇本の指に力を込め、
(ステイルには、オリアナを追い詰めるために自ら迎撃げいげき術式をらってもらった。カミやんには、イギリス清教の事情を通すために、かかわらなくても良い事件に関わらせた)
 一気に両のこぶしを握りめ、
(だから、退けるか。彼らを戦場へさモい込んだこのオレが、無傷で済んでたまるか! たとえどれだけ不利な状況だろうが、この身が血だらけになろうが、関係ない。この裏切り者を信じて協力してくれた馬鹿ばかどもの気持ちを、無駄むだにしてたまるかというんだ!!)
 サングラス越しのひとみに、強き光を宿して彼は言う。
「……『背中刺す刃Fallere825』。―――覚えておけ、それがオレの魔法名まほうめいだ」
 声に、オリアナは口の端をゆがめて笑った。
 魔術師まじゆつしであるがゆえに、それを名乗った男の意思をみ取ったのだ。
「ふふん。ならばお姉さんも告げねば失礼よね」
 オリアナの瞳に、真剣味が浮かぶ。
 魔術師としての本性をさらすように。
「私の名は『礎を担いし者Basis104』。……宣言したからには、必ず勝たせてもらうわね。その完全性こそが、あなたの意思に対する礼儀れいぎだと思っているから」
 土御門は返事をしない。
 オリアナもそれに対して何も告げない。
 一秒でも早く戦いを始める事こそが、『敵』と認めた者に対する最大の思いやりだとでも言うように。

 二人の魔術師は、瞬時しゆんじに激突した。

 土御門元春もとはるは、一〇メートルの距離を一気にゼロまで縮める。
 オリアナ=トムソンは、その間に一度だけ単語帳のページを口でくわえ、千切ちぎる。
 虚空こくうから何本もの荒縄あらなわが現れ、彼女の手に巻きついた。ロープは互いが互いをからめ合い、彼女の腕を障害物競走で使うネットのように雑な網で包み込む。
 しかし、彼女がその網で何かする前に土御門つちみかどこぶしを振るった。
 最初の右拳でガードされる事を想定して胸部をねらい、相手の腕を固定した状態から続く左のアッパーで、まずはガードに使った腕を確実に粉砕する禁じ手を放つ。そして同時に土御門はオリアナの足の指を砕くために、思い切り靴底をたたきつける。腕と足、その両方を一息で|破壊して行動力の一切を奪う戦術だ。
 が。
 オリアナはまるで始めから理解していたように、狙われた右足を後ろに引き、土御門の拳の一撃目《はかいいちげきめ》だけを腕で受けた。拳の衝撃しようげきと、足を引いた事で失ったバランスをそのまま利用して、彼女は後ろへ倒れるように距離を取る。
 土御門の本命、腕潰うでつぶしの左が空を切る。
 背中から地面に向かいつつある彼女は、縄の網に包まれた右腕を振るった。
 風が起こる。
 縄と縄が作る無数の網目の中に、シャボン玉を作るように空気が流れる。
 ただし作られたのは石鹸水せつけんすいの泡ではなく、一本一本が岩をも吹き飛ばす爆炎の刃だ。
「!!」

 数にして二〇本近い刃が、土御門つちみかど目がけておそいかかってきた。
 散弾銃のように、扇状に広がる弾幕に対して、土御門は思い切り横へ飛び、床に伏せる事で何とか回避かいひに成功する。彼の背後では無数の柱がぎ倒され、天井てんじようの蛍光灯の何本かが吹き飛び、壁にり付けられたポスターごと建材がめくれ上がり、耕されたように大理石調の床が崩されていく。
 土御門は立ち上がらず、床に四肢を貼り付けると、そのままけもののようにオリアナへと飛び掛かった。あくまで近距離ならば、立ち上がり、走り出すモーションを短縮できるからだ。
「あはは! そういう乱暴な若さっていうのも、お姉さんは嫌いじゃないわ!!」
 背中から床に倒れているオリアナには回避できない。迎撃げいげき用に放ったりを、土御門は足首を右手で、ふくらはぎを左手でつかむ。後は足首を直角に曲げれば、まずは一本だ。
「ふっ!!」
 足首をへし折ろうと土御門が息を吸った瞬間しゆんかん、オリアナは完全にホールドされる寸前だった足首を支点にするように、勢い良く身を回した。反対側の自由な足で、土御門の顔面を横からハンマーのように蹴り飛ばす。
「が、ああ!!」
 土御門の体が左側へ勢い良く転がる。
 オリアナは起き上がりながら、さらに単語帳のページを口で千切ちぎる。
 彼女の手から解き放たれた、見えない力の壁が床を転がる土御門の体を襲う。彼の転がる勢いが変化し、一度大きく跳ねたと思ったらノーバウンドで背中から壁に激突した。体の中でゴリゴリと嫌な音が聞こえ、口の中に血の味が混じる。
(く、そ!)
 土御門は続くオリアナの光弾を、横っ飛びにける。バスケットボール大の白い球体は壁に激突すると同時に爆発し、そのあおりをらった土御門の体を、なおも床へたたきつける。
 通路に倒れた土御門は、のろのろと起き上がる。
 彼は唇にまった血を、手の甲でぬぐいながら、
(ワンテンポだが、確実に……動きが、鈍ってやがる……。普段ふだんのオレなら、ヤツの骨の一本二本、とっくに砕いてるはずだというのに……ッ!)
「んん? 極力魔術まじゆつを使わないのがあなたの流儀りゆうぎなのかしら。まぁ、他人の生き方にどうこう言うつもりはないけれど……だとすれば、あなた、死ぬわね」
 オリアナはつまらなそうに言って、柔らかそうな唇に単語帳のページの角を当てた。
 視線は、いつの間にか凍り付いていた。
「これがあなたの実力だというなら、あなたは次の一撃を避けられない。これがあなたに魔法名まほうめいを名乗らせた意思のレベルだというのなら、お姉さんは付き合ってあげるつもりもない」
 決着がつくのが早すぎる、と嘆いているようだった。
 せっかくテスト勉強を頑張ったのに、肝心の問題が易し過ぎて、逆に今まで努力してきた時問は全部無駄遣むだつかいだったと感じられるように。
「……このに及んで外部の助けを期待しているというのなら、もうお粗末がすぎるわね。お姉さんだって戦力の分散をねらう策ぐらいは練るわ。今もこの地下道は結界で守られている。だれもここへは近寄らず、それに違和感を抱かず、内部の様子は外部へ伝わらず、魔力まりよくの流れと魔術的まじゆつてき細工を隠し、第六感的偶発要素すらも鈍らせる―――プロの魔術師であっても、そうそう簡単にここへは近づけないのよ」
(……、)
 土御門つちみかどは、その言葉に顔を上げた。
 何か、今の台詞せりふに違和感を覚える。しかし、どこが気になるのかが、鈍った頭ではつかめない。
そもそも多少の矛盾があったとしても、敵の言葉なのだ。こちらへの威嚇いかくや混乱をさそうための誤情報である可能性もある。
「だからあなたはここで砕かれなさい。この程度の覚悟でお姉さんに魔法名を名乗ってしまった事を、文字通り死ぬほど後悔しながら」
 言って。
 オリアナ=トムソンは、歯でくわえた単語帳のページを一息で破った。
 まるで、手榴弾しゆりゆうだんのピンを引き抜くように。
(……、どうする?〉
 オリアナのページが、ひらひらと床へ落ちていく。
(今のダメージから考えて、オレの体じゃ次の魔術で打ち止めだ。が、『赤ノ式』を使おうにも、詠唱してる時間もない!)
 ページが床に接触すると同時に、バン! とオリアナのすぐ横の床から、勢い良く鉄柱が飛び出した。太さ一メートルほどの五角形の柱が、一気に天井てんじようへと突き刺さる。
(なら、この状況でオリアナに最も深いダメージを与えるには……ッ! ちくしょう、間に合え! 間に合ってくれ!!)
 土御門は血まみれの体操服から一枚の折り紙を取り出す。
 すでにクシャクシャにゆがんだ紙切れを、精密機械のような素早さで織り上げると、
全テヲ始メシ合図ヲ此処ニへいわボケしたクソつたれども! 眩キ光卜鋭キ音ト共二しにたくなければめをさませ!!」
「遅いわよ」
 言葉と同時、巨大な鉄柱が氷細工のように砕け散った。
 幾千幾万幾億と化した鋭い破片のあらしが、通路の幅と高さ全体を埋め尽くすようにして、土御門元春もとはるの下へと突っ込んでくる。それはまるで、土御門元春という小さな人間が、巨大な主砲の中に突っ立ったまま砲撃ほうげきされたような錯覚さつかくを生んだ。
 ドッ!! という轟音ごうおんが、遅れて耳に届く。
(間に合―――ッ!!)
 土御門つちみかどの願いが届くより先に。
 すべてを破壊はかいする鋼鉄の津波が、通路の先から奥まで一気に駆け抜けた。

     4

 通路は完全に崩壊した。
 オリアナの立ち位置から通路の終点までにある柱の全てがたたき折られていた。どうも実際に天井てんじようを支えるためでなく、飾り用のものだったようで、崩落だけは免れている状態だ。壁、天井、床、その全ての装飾がプレぜントの包装紙のごとく引きがされ、地肌き出しの建材も、土を耕すようにこわコされている。平らな所などどこにもない。床一面が砕かれ、天板をまとめて剥がされた天井はスプリンクラーの水道管が破れたのか、ドボドボと蛇口を全開にしたぐらいの量の水を流している。
「……、」
 オリアナは自らが作り上げた惨状をざっと眺める。
(防犯カメラ壊しちゃった、か。ちょっと警備がきつくなるかもしれないわね)
 敵対する魔術師まじゆつしはとっさに柱の陰に隠れ、さらには身を伏せる事でダメージを最小限に食い止めようとしたらしい。が、当然その程度で防げるはずがない。現にうつ伏せに倒れている土御門の背中には、四本の鉄片が突き刺さっている。一本一本は数センチ程度の破片だが、ナイフのようにとがったものばかりだ。挙げ句の果てに、崩された柱の破片がいくつか体にぶつかっていた。メロンほどの大。きさのある、コンクリートの塊だ。
「終わっちゃった、わね」
 一応オリアナは犠牲ぎせいを最小限に抑えるように配慮はいりよしているが、魔法名まほうめいを名乗った魔術師まじゆつしに対しては別だ。魔法名は魔術師が生きる目的そのものであり、それを受け流す事は魔術にたずさわる者にとっては最大限の侮辱ぶじよくとなる、とオリアナは考えている。受け流された方はもちろん、受け流した方も。
 ゆえに、オリアナは気に入っていなかった。
 最短時間で危険を取り除き、この場から早急に離れるべきだと分かっていても、その効率を無視した部分で、こんなにあっさり勝負が着いた事に、欲求不満すら感じていた。
(さて、と。それじゃ、この辺りに張ってる結界を解いて、さっさとこの場を離れますか。お姉さんは余韻よいんがあった方が好きなのだけどね)
 苛立いらだった思考を断ち切るように結論付けると、彼女は周囲に目を走らせた。結界を解くには、魔力を使ってある種の信号を作り、それを流す事で不安定な『原典』を自己崩壊させる必要がある。
 が、
「……、?」
 オリアナの表情が、いぶかしげなものに変わった。顔の動きとしては、まゆがほんの少。し動いただけだが、たったそれだけの変化が、内面の感情を存分に引き出していた。
 結界が解けている。
 オリアナ=トムソンは、まだ何の命令も下していないのに。
(どういう、事? 不安定とは言っても、曲がりなりにも『原典』の一種なのよ。魔術的まじゆつてヨな干渉なしに、あれがこわされるとは思えない。ならば、お仲間さんたちがやってきた……?)
 オリアナは前後の出入り口をゆるりと見る。が、何もない。結界を破壊はかいするというのは、結界の主にそれを知らせるという事だ。最初から奇襲さしゆうが使えない状況なのだから、結界の破壊と同時に電撃戦でんげきせんを仕掛けてくるのが常套じようとう手段なのに……。
 と、不審の色を強くしていくオリアナだったが、
 不意に、もう一つの可能性に思い至った。
「ま、さか……」
 ピタリと動きを止め、それから振り返る。
 その視線の先に、四本の鉄片を浴びて倒れている魔術師がいた。その姿は先程と変わりないと思っていたが、ふとオリアナはあるものを見つけた。
 倒れた彼の手元に、血まみれの折り紙で作られた鳥のようなものが一つ落ちていたのだ。
(さっき、土壇場どたんぱで何かの術式を構成していたような気がしたけど……結界を破壊するためのものだったと言うの? でも、どうして。あれだけの一撃に対して、防御もせずにそんな無駄むだな事を……?)
 結界を破壊される事が、即座にオリアナの敗北につながる訳ではない。あれは保険オマケの一つでしかないのだから。
 だとすると、彼がぬらっていたのは、
「どうやら……オレの手でも、破れる程度の術式だったようだな」
 声に、オリアナはギョッとした。
魔法名まほうめいもと、確実にほうむったはずの『敵』は、いまだ死なずそこにいた。
「見た目によらず……激しい運動もオーケーな人だったのかしら?」
 オリアナの減らず口に、敵の魔術師は倒れたまま、口の端をわずかにゆがめる。
 笑みの形に、余裕を示すように。
彼は。
 土御門元春つちみかどもとはるは、血にまみれた唇を動かして、楽しそうに告げる。
「お前が言ったんだ、オリアナ=トムソン。結界の中には、『内部の様子は外部へ伝わらず』ってな。それでは困るんだよ、こちらとしては」
「何を……」
 オリアナはふと気づいた。
 一人で敵に勝てないなら、まず最初に何を考えるか。当然ながら、味方を呼ぶだろう。
 敵の考えている事を知り、彼女は思わず肩から力が抜けた。
 そこにすがるのは、あまりにもあわれ過ぎる。
馬鹿ばかね。あなたの味方は、もしかしてお姉さんを追ってた二人組かしら? 別に、あの程度なら決定的な脅威にはならないわ。二人まとめてお相手しても、息切れだって起こさないレベルよ」
「そちらの事ではない」
 何ですって? とオリアナは思わず聞き返した。
 今の所、彼女が直接顔を見た相手は、この三人だけだ。
 が、
「馬鹿か貴様は。オレたちは国家宗教イギリス清教として動いているんだぞ。そのメンツが、たったの三人きりだなんて事が、本当にあると思っていたのか? だとすればお前の頭は平和だな。魔術ぼじゆつ業界から足を洗ってお花屋さんにでもなると良い。『必要悪の教会ネセサリウス』のメンバーがどれだけいると思っているんだ。元々隠されるべき存在だったオレ達が、こんな平和ボケした国の治安維持機関の目になど触れるものか」
 ハッタリだ、とオリアナは判断した。
 オリアナは観光のために来た訳ではないので大覇星祭だいはせいさいの細かいスケジュールなどはさておくとして、今の学園都市を中心とした科学サイドと魔術サイドの繊細せんさいなパワーバランスについては、リドヴィアと共に下調べを行ってきた。
 大覇星祭期間中の学園都市に、一組織に所属する多数の魔術師だけを招く事はできない。そんな真似まねをすれば、科学サイドと魔術サイド、双方の関係を悪化させてしまう。
 両者の均衡きんこう隙間すきまうように進められているのが、『使徒十字クローチエデイピエトロ』を使った今回の計画だ。
ゆえに、土御門つちみかどが語るようなイレギュラーは認められない。それが魔術サイドの治安を守るイギリス清教ならば、特に。
 だからこそ、オリアナは自信と共に告げる。
 彼の言葉に対して、いちいち相手をするという行為が、ほんのわずかな不安の表れであ。るという事には気づかずに。
「もし本当だったらお姉さんも困っちゃうけど、それだけは絶対にないわね。イギリス清教と学園都市が、そんな愚策を許可するはずがないもの」
「何故許可を得る必要がある?」
「……、」
「忘れたか、オレの魔法名まほうめいを。オレは覚えておけと言ったはずだがな。この裏切り者の刃は、まず始めに誰の背中を刺すと思っていたんだ。イギリス清教の事情? 学園都市の都合? 何だそれは。そんなものにこだわって勝ちを逃すほど、オレは平和な頭をしていないそ」
 オリアナは、周囲に嫌な沈黙ちんもくが下りるのを感じた。
 ゆっくりと、彼女は深く息を吸う。
「オレは勝つためなら何でもする。死角にもぐるためなら何でも使う。背中を刺すためなら、何が何でもお前の背後に回る。気づけよオリアナ=トムソン。その気になればこんな鉄片ごとき、いくらでも防御できた。だが、それでは確実な勝ちはねらえない。だからもっと有利なカードを切った。それだけの話だろう?」
「……、そんな話を、私が信じると思うかしら。もしも仲間がたくさんいるなら、あなたは何故なぜこうして単独で動いているの? さっきの探索魔術まじゆつだって、ほかに護衛や見張りは欲しい所よね。そうでなくても、せめて二人組で行動したりはしないのかしら」
「世間話がお好きなら付き合ってやっても良いが、こちらにとっては立派な時問稼ぎだぞ。結界の破壊はかいと同時に、すでに信号は送ってある。ここに来るまで、そうかからないだろう。何せアイツは本気なのだから。誰かが死のような、こういった場面を止めるために魔法名を名乗っているのだからな」
 土御門つちみかどは、地面に投げ出されていた血まみれの手を、ゆっくりとどける。
 そこには、簡素な札があった。
 色のついた折り紙を折って、神社などで売られているお守りのような形に整えられただけの札だ。その中心線には縦書きで、流れるような東洋文字が記されている。インク等を使って書いたというより、焼印のようなものが浮かび上がっている、という印象が強い。
「『付文玉章つけぷみたまずさ』―――一見、神道のお守りのように思えるだろうが、こいつは陰陽道おんみようどうの領分だ。
一兀はのろいの一品でな、標的に対して遠距離から幻覚を見せて同士討ちを狙う霊装れいそうなんだが……威力を弱めてやれば、もっと平和的に活用できる。それは」
「まさか……通信術式!?」
「ご名答。コイツは袋状になっていてな、中にはある人間の名前を書いた木札が入っている。
古風だろう?」土御門はニヤリと笑って、「さて、この状況において、一体オレはだれと通信を取っていたでしょうか7二
 彼はゆっくりと言った。
 血まみれのこの状況にもかかわらず、獲物をいたぶるように。
「運んでいる物は『刺突杭剣スタブソコド』ですって素直に主張し続けてれば良かったものを。そうでないと分かれば、こちらだって遠慮えんりよなくアイツを戦力投人させる事ができる。むしろ、『刺突杭剣スタブソロド』がないならアイツを待機させておく理由なんてないだろう。何せ、一番の弱点が消えてしまったんだから」
 知らず知らずの内に、オリアナの唇が乾く。
 聞いた事がある。
 イギリス清教の『必要悪の教会ネセサリウス』には、世界で二〇人に満たない聖人の一人がいる。絶大な力を持つ彼女は、がれも死なせたくないがゆえに刀を振るう魔術師まじゆつしであると。オリアナ=トムソンは元々英国籍えいこくせきの人間であり、主な活動地域は!! ンドンだった。だからこそ、その聖人の話は知っている。出会えばそこで即敗北。あんな怪物に勝てるのは、それこそ本物の神か天使ぐらいのものだろう、と。

「そう、神裂火織だ」

 オリアナ=トムソンの目がわずかに鋭さを増す。舌がわずかに乾いた唇をめる。
「事態のスケールを考えれば、別段おどろくべき事でもないだろう? すでにお前たちの持っているのは『刺突杭剣スタブソロド』ではなく『使徒十字クローチエデイピエトロ』であると割れている上に、神裂かんざきは一〇日ほど前にイギリス清教とローマ正教と天草式の争いの中心点にいた人物だぞ。まだ日本に残っている可能性は考えなかったのか? それに、学園都市には神裂の個人的な知り合いがいる。扱いとしちゃ特別招待客止まり、万が一バレた所で問題にはならない」
 加えて、と土御門つちみかどはさらに続ける。
「電前は知らないだろうが、オレは神裂火織かおりに個人的な貸しがある。ヤツが英国に渡ってきた時に、一体誰がその面倒を見たと思う? 
世話役なら同じ日本人が一番やりやすいだろうが。
オレにとっちゃ些細ささいな出来事の一つに過ぎんが、アイツはそうしたやり取りに執着する節がある。こうした事態を知れば即座にやって来るだろうな」
(チッ……)
 オリアナの思考が様々な計算を働かせる。
 そんな彼女の様子を、土御門は馬鹿ばかにしたような目で見て、
「おっと。今から『付文玉章つけぷみたまずさ』を破壊はかいしようなんて思うな。はっきり言って無駄むだだ。コイツは非常ボタンみたいなものだからな。一度発動して信号を送ればそれでお役御免だ」
 言いながら、それを証明するように、土御門は自分で作った通信用の護符を、倒れたままの姿勢でグシャグシャに握りつぶした。
「……、」
 オリアナはわずかに呼吸を整える。
『カンザキカオリ』が実際にこちらへ来ているのか来ていないのか、いまいち判断がつかない。
聖人が実際にこちらへ来ていると考えても、オリアナは絶対負けるとは思っていない。有効な戦術を練り、自分の手足を砕いて捨てる覚悟があれば、相打ちで聖人の一人二人は殺せると考えている。が、それでは駄目だめなのだ。オリアナ=トムソンは単純な個人戦闘せんとうの勝敗よりも、大きな事を成し遂げなければならないのだから。下手な傷は増やせない。
(ならば)
 とりあえずの選択として、探索の魔術まじゆつの使い手である土御門つちみかどを即座に殺し、一刻も早くこの場を離れるべきだと考えたが、
「ふっ!!」
 倒れたままの土御門が、最後の力を振り絞って瓦礫がれさの中から鉄筋を引き抜いた。それでポロポロになった床をなぐりつけると、あっという間に灰色の粉塵ふんじんがカーテンのように舞い上がる。
 視界がゼロになる。
「!!」
 オリアナはとっさに土御門の倒れていた場所へ、カカトでつぶすようなりを放った。
 が、返ってくるのは硬い床の感触だけ。
(死力を絞って時間を稼ぐ気!?この、悪あがきを……ッ!!)
 ここにきて、『とりあえず』の選択肢は潰された。相手がまだ戦える状態で、この粉塵の中で起死回生のチャンスをうかがっているのなら少々厄介だ。現状をかんがみればオリアナは確実に土御門をほうむれるが、それでも多少の時間はかかる。つまり、用意された道は二つだけだ。
 カンザキカオリは『来ない』とみなし、ゆっくりと確実に土御門を倒すか。
 カンザキカオリは『来る』とみなし、土御門を放ってでも迅速にここから立ち去るか。
 目の前の粉塵自体は、単語帳のカードを使えば簡単に吹き飛ばせるだろう。が、それを戦闘せんとう開始の合図と見られたら、土御門を完全に殺すまで付き合わされる羽目になる。
 どちらかを選ぶというより、
 どちらでも選べる今の状況を惜しんだオリアナは、
(とりあえず目的の探索術式はお姉さんのページごと破壊はかいしたもの。これ以上、手負いの坊やに付き合って怪我けがを負うのも馬鹿ばからしいし……)
 舌打ちを一っ残し、オリアナ=トムソンは地下道の出入り口へと走った。
 彼の話が本当なら、イギリス清教の聖人『カンザキカオリ』が参戦している事になる。もしそうなら、もっと『刺突杭剣スタプソード』の話を上手うほく活用すれば良かった、とオリアナは思う。きちんと準備をして戦略を整えたのならまだしも、アクシデント的に遭遇して無傷で倒せるような相手ではなかったからだ。
 無論。
 負けるつもりはないが。

「くそったれが……」
 破壊された地下道で一人、土御門は思わず吐き捨てた。そうしている間にも、オリアナが立ち去った時に、彼女が置き土産みやげとしてページの術式などを配置していない事を確認する。
 粉塵のカーテンが晴れる。
 土御門つちみかどは、オリアナがりを放った場所から、わずかに一人分だけ横にズレた所に転がっていた。これだけの傷では、全力を使ってもこの距離の移動が精一杯だったのだ。視界をふさぎ、オリアナのあせりをさそい、『冷静に確かめるだけの余裕』を奪った結果、からくも逃げ切れた、という訳である。
神裂火織かんざきかおりのご登場に、困った時の通信術式『付文玉章つけぷみたまずさ』があれば大丈夫だいじようぶ、か」
 土御門はぼんやりと天井てんじようを見上げる。
 自嘲じちよう気味に口の端をり上げると、
「ホントにそうだったら良かったんだけどにゃー……」
 当然ながら、増援など一人もいない。オリアナとリドヴィアを追っているのは、学園都市内部で土御門と上条かみじようとステイルの三人だけだ。
 彼は自分が握りつぶした折り紙のお守りを見る。
『付文玉章』などもってのほか、そんな名前の護符や霊装れいそうなど、陰陽道おんみようどうはおろか世界中のどこを見回しても存在するはずがない。どうせオリアナは東洋術式について詳しく知っているはずがないと思って、土御門が適当に折り紙で作っただけのものであって、当然ながら術的な意味合いはないし、神裂の名前を書いた木札なども入っていない。
(そもそも『付文』も『玉章』も、本来は『恋文』って意味だし……何がのろいの一品なんだかって感じだぜい。ま、重度の恋は呪いみてーなモンだが、にゃー)
 ステイルが『東洋術式は全く分からないので一人では使えない』などというヘタレた台詞せりふを言っていたが、それがまさかここで役立つとは思ってもいなかった。
 ようは、土御門は『オリアナが陰陽道の符の組み立てについて無知である』という可能性にけて、デタラメな漢文を並べただけの折り紙を自信満々に見せつけただけだったのだ。
しかし、
(相手がそう信じたのなら、行動を慎重にさせるぐらいの効果はあるぜい。流石さずがに計画の延期、みたいな事にまでは発展しねーだろーがにゃー。一矢ぐらいむくえたんなら良いんだが……)
 土御門は倒れたまま、ズタズタに裂かれた地下道を眺め、
魔法陣まほうじんこわれた。ページも失われた。携帯電話もぶっ壊された。さてさて、どっから復旧していくべきかにゃー……。正直 この手でもう一回『理派四陣りはしじん』を使うのは無理っぽいぜい) 起き上がろうとして、全身から激痛が走った。
 思わずのた打ち回ろうとしたが、ようやくそれだけの体力もない事に気づく。
 体が冷たく、重い。
 息を吸っても、思ったように酸素が入ってこない。
「まずは……」
 土御門は、魔術師まじゆつしではなく学園都市の一員として自分の体に宿る能力の事を思い浮かべる。
 無能力レペル0肉体再生オートリバース
 血管の千切ちぎれた部分に、うすい膜を張る程度の自己回復能力だ。
「……このボロッボロの体を、どうにかしなくちゃなんねーかにゃー……?」

     5

 土御門元春つちみかどもとはるから、ようやく連絡があった。番号が変わっていたので、最初ステイルはやや不審そうに画面を見ていた。どうも新しく用意した携帯電話からかけてきたらしい。
 ステイルの携帯電話にかかってきた話を聞くと、やはり予想通りオリアナの襲撃しゆうげきを受けたようだ。結果、携帯電話と一緒いつしよに逆探知の術式『理派四陣りはしじん』は完壁かんぺさ破壊はかいされた。今の彼の体では続けて二回使う事はできないし、何より『理派四陣』に必要なオリアナのページも破壊されてしまったという話だった。
「……、」
 土御門は『こっちは大丈夫ぜいじようぶだ』と言っていたが、そもそも本当に大丈夫ならここまで徹底的てつていてき魔法陣まほうじんを破壊されたりしないだろうし、何より土御門の弱々しい声は、聞いているだけで痛みが伝わってくるようだった。
 ステイルは口の端で煙草タバコを揺らしつつ、
「で、これからどうするつもりだい? 『理派四陣』の探索が使えなくなると、基本的に僕たちは行動の指針がなくなってしまう訳なんだけど」
『だにゃー……。けど、一個だけ分かってんのは……オリアナは今、注意を払いつつ、疑念を払おうとしつつ……それでも高い確率で「とりあ。えず」ここから距離を取ろうとしているって事。ちょっとばっかり……バッタリかせたからにゃー。となると、徒歩はない。コースの決まった自律バス、地下鉄。、電車、モノレール環状線なんかを……終点まで一気に行くと思うんだが……』
 呼吸が浅いのか、声はやや途切れ途切れだった。
「土御門は今、この地下道にいるんだったよな……」
 上条かみじよう大覇星祭だりはせいさいのパンフレットを開いた。
 第五学区の地図のページだ。土御門がいる地下道から。一番近いのは、やはり地下鉄。第五学区から、となりの第七学区へ伸びる路線だ。
「……ほかに指針がない以上、これを追うしかなさそうだね。オリアナがどの列車に乗るかがはっきりと分かれば、もっとスマートに探索を進められたはずだが……」
「それが分かんねーから苦労してんだろ。とにかく行くそステイル」
『にゃー……。オレはまた……セキュリティの方に、もぐってみる。……向こうがあせって、カメラのチェックを怠ってくれりゃ……恩の字だけどにゃー』
 三者三様に言い合って、通話は切れた。
 非常に細い糸を辿たどるように、追跡戦が再開される。

 オリアナ=トムソンは地下鉄の列車の中にいた。
(この列車を下りたら……)
 この路線は第五学区から、第七学区の入り口辺りまで進む地下鉄だ。距離自体はそれほど長くもない。距離を稼ぐなら、その後に続けて自律バスに乗り換える必要がある。
(遠くへ逃げる? 様子を見る? わなを張って反応を確かめる?)
 オリアナは頭の中でいくつかの案を練る。忌々いまいましいが、もしも本当に『カンザキカオリ』が参戦していた場合、下手な手を打てば強烈なカウンターとして返ってきそうな気がしてならない。
(対策が浮かぶまで、ゆっくりと考えられる場所と時間が欲しい所ね)
 窓越しに映る地下の代わり映えのない風景を眺めながら、オリアナはわずかに舌を打つ。そしてようやく、列車は終点の、第七学区入り口まで辿り着いた。
 自動ドアが開くと同時に駅のホームへ飛び出す。そのまま地上への階段を駆け上がり、切符を自動改札に滑り込ませ、一息で駅の外へと飛び出した。
 次の目的地は、ここから少し離れた自律バスの停留所だ。
学園都市は相変わらずの運動会ムードで、周囲には人が多い。風船を持った親子連れや孫の顔を見に来た老夫婦など、人畜無害な顔ばかりだ。が、流石さすがにそれだけで自分の安全が確認できたと思うほどオリアナは平和的ではない。
 刺客しかくの有無を確認するには、特定の手順をむ必要がある。
(ま、この程度のセオリーに引っかかるようなやからは気にしなくても良いんでしょうけど。ともあれ、面倒なのはさっさと終わらせちゃいますか)
 彼女は周囲をキョロキョロと見回しながら、大通りから少し外れた小道へと入る。背の高いビルと狭い道の組み合わせからか、空は晴れているのにちっとも日の光が人らず、やや肌寒さすら感じさせる道だ。
 オリアナがおこなっているのは、人のいない道に入る事で、刺客がどう彼女を追跡してくるのかを確かめる、といったものだ。
 当然ながら、真正直にオリアナの後を追って路地裏へ飛び込めば、刺客は自分の存在を即座にアピールしてしまう事になる。なので刺客の方も工夫をらす。例えば複数の仲間に連絡して路地の出口すぺてに張り付いたり、監視カメラ的な効果を持つ呪符じゆふを放ったり。オリアナはそういった刺客側が見せる、わずかな『動きのサイン』を探る事で、尾行の有無を確かめようとしているのである。
(ま、基本はだまし合いって所なんでしょうけど、手の内がバレてるのを承知で次の手次の手って考えていくのも面倒なのよねえ)
 オリアナと同じく刺客しかく側も意図的にダミーの『動きのサイン』を見せてくる可能性もある。標的が尾行をかわしたと思って気がゆるんだ瞬間しゆんかんぬらって身柄を拘束するためだ。魔術まじゆつ業界の運び屋として常に追いつ追われつをり返してきた彼女にとっては、馴染なじみのやり取りだった。
 ともあれ、どんなうすいものでも、何か反応が返ってくれば尾行あり。
 何の反応もなければ尾行はないという訳だ。
 ふう、と彼女は息を吐いて、
(『使徒十字クローチエデイピエトロ』の準備はまだ先だし、私はどうしようかなぁ。あン、対カンザキ用の術式の考案ってのも面白そうだわ。さてさて、この場合あの聖人に『勝つ』ってのは何を示すのかしら。確実に逃げるか、確実に隠れるか……それともストレートに、確実にほうむるか)
 考え事をしていたオリアナは、小さな事を見過ごした。
 ただでさえ小さなこの道に、さらに脇道わきみちが作られていた事。
 そしてその脇道から、いきなりだれかが飛び出してきた事。
姫神ひめがみちゃん、近道しないと次の競技に間に合わないので―――きゃっ!!」
「!!」
 ぶつかった。
 小学生ぐらいの小柄な少女はオリアナのおなかの辺りにぶつかって跳ね返ると、今度は同伴していた黒髪体操服の少女に後頭部から突っ込んだ。 オリアナはとっさに単語帳をみ破ろうと動いたが、ぎりぎりの所でとどまった。オリアナの腰の辺りにぶつかったのは、身長が一三五センチほどの、チア衣装を着た小さな女の子だ。
 黒髪の少女は、チア少女と激突した衝撃しようげきで、持っていたフルーツジュースの入ったカップを離してしまった。「わっ」という小さな叫びと共に、ばしゃ、と盛大に体操服をらしていく。彼女の胸元に当たった液体は、そのまま落下して女の子の頭にも降り注いだ。
 黒髪の少女は、無表情に自分の胸元を眺め、それからぶつかった女の子の顔を見て、
小萌こもえ先生。よくもやってくれた」
「ご、ごめんなさいなのですよ! でも先生もびしょ濡れですからおあいこなのです! あ、そっちの人は大丈夫だいじようぶなのですか?」
 びしょ濡れチア少女はオリアナの顔を見上げて、ちょっと心配そうに尋ねてきた。
(追っ手の魔術師……ではないわね)
 オリアナは少女たちの服装や仕草を見て、簡単な予測を立てた。
 にっこりと、いつでも出せる微笑ほほえみを浮かべて、
「ええ、お姉さんは平気。それより、そちらの方が心配かな? そのまま表通りを歩くには、少々刺激的な格好になっているんじゃないかしら」
「あっ! 姫神ちゃんが濡れ濡れの透け透けになってるのです!」
「小萌先生も。胸の辺りがとがっているけど」
 ババッ皿 と慌てて自分の平坦へいたんな胸を両手で隠すチア少女。その顔が真っ赤になるのを確認してから、黒髪の少女は自分の胸元をもう一度見直した。
 そこでオリアナは、気づく。
 黒髪の少女の胸元。
 フルーツジュースを浴びて、すっかり透けてしまった体操服の半袖はんそでTシャツ。その下には、ピンク地に緑色のリボンで飾り付けられた下着が着けられているのが、簡単に見て取れる。
 しかし、それとは別に。
 体操服の内側に、透けているものがもう一つあった。首から細いくさりで下げるようにした、ネックレスのようなもの。その鎖は体操服の中へともぐっていた。そして、鎖の下端に取り付けられているのは、場違いなほど大きな、銀で作られた

 ―――イギリス清教のアレンジが加わった、ケルト十字。

 オリアナは、その十字架が何のためにあるのかを、知らない。
 そしてそもそも、黒髪の少女にどんな能力が宿っているのかも、知らない。
 ただこの状況で、彼女に分かるのは、
英国側の魔術師ネセサリウス!?)
 別に学園都市の中だって、十字架を模したアクセサリーぐらいは売っているだろう。十字架に込められた意味も理解していないまま、イヤリングやネックレスとして身に着けている子供もいるだろう。それ自体なら、別に珍しくもない。
 だが。
 世界的に有名なローマ正教式ならともかく、日本には教会すらまともに存在しないイギリス清教式の十字架となれば話は別だ。わざわざそんな物を英国から輸入してきている時点で普通とは言えない状況だし、まして一種の結界として機能する霊装など、ただの一般人が持っているはずがない。極めつけとして、その結界の名は、
(イギリス清教の……『歩く教会』ですって!? あの禁書目録の防護に使われているものと同じ方式の霊装れいそうたずさえているなんて、この怪物―――ッ!!)
 即座に手が動いた。
 細い金属リングで束ねられた単語帳を、オリアナは口へ運ぶ。ページの一枚を歯でくわえ、そのまま一気に引き千切ちぎる。その表面に流れるような赤い筆記体で『Soil Symbol』と記され、不安定な魔道書まどうしよの『原典』が生み出され、そして魔力が通って魔術まじゆつが発動し、

 ドシ!!
 という、鈍い音が炸裂さくれつした。

     6

 上条かみじようとステイルは地下鉄の駅から地上へ出た。
 ガヤガヤと人の多い街並みは、一向に暑さが引く気配も見せない。上条は額の汗をぬぐいながら、素早く大覇星祭にいはせいさいのパンフレットへ目を落とす。
「……こっから一番近い乗り継ぎポイントは、北に三〇〇メートルぐらい行ったトコにある、自律バスの停留所だと思う!」
「三〇〇か……ッ」
 ステイルは新しい煙草タバコを取り出しながら、苦い口調で言った。
「でも、次のバスが来るまで一〇分ぐらいある! 今ならまだ間に合うかもしれない!」
 言い合いながら、上条たちは再び雑踏ざつとうへ飛び込むように走り出す。オリアナとの時間差はおよそ七分弱。ギリギリのラインだ。
「できればここでオリアナだけでも捕らえたい。リドヴィア=ロレンツェッティの方に至っては全くヒントがない状態だからね!」
 ステイルは風を切りながら、前を見た。
 三〇〇メートル先と言っても、目の前で大きな通りは左右に伸びていて、ちょうど雑居ビルの群れが視界を遮ってしまっている。
 横断歩道のモばにある、歩行者用信号はちょうど青が点滅していた。上条かみじようとステイルは一気に大通りを渡って反対側へ向かう。こちらの歩道は、手前よりも人が多い。
 雑居ビルの連なる区画は、それだけで一つの巨大な壁となっている。目的地であるバスの停留所へ向かうには、ビルとビルの隙間すきまうように進む路地を通らなければ大幅な回り道をいられる。
 上条たちは区画の内部へ入るための路地を探して、人の多い歩道を走る。
「ヒントがないって本当に何もないのかよ!?さっきだって公園でだれかと電話してたじゃねえか!」
 上条とステイルは、歩道の真ん中を歩いていたむばあさんを左右から追い抜いていく。
「ああ。あれはロンドンの方だよ! 英国図書館で調べ物をしてもらっているが……」
 あちこちを見回すが、なかなか路地の入り口は見つからない。直線距離に対して、実際の順路は意外に長いかもしれない。オリアナも同じように悪戦苦闘あくせんくとうしてもらえると助かるのだが。
「『使徒十字クローチエデイピエトロ』の情報収集ってヤツか!?」
 そうこうしている内に、上条は視線の先に人だかりができている事を発見する。
「まあね。だが……あまりかんばしくないよ。何より、アレは資料が少なすぎる。今もせいぜいが、『使徒十字クローチエデイピエトロ』が管理されていた時には専用の保管庫を用意していたという情報程度だ。窓はふさがれ、ドアも二重になっていて、光の侵人を極端にはばんでいた……程度しか分かっていない」
 ステイルは煙草タバコの煙を吐いた。
「それだけか?」
 上条は人だかりに向かうように走る。ステイルはそのとなりで答えた。
「僕に当たるな。後は……くそッ」
 言いかけて、ステイルはわずかにき込んだ。走っているのとは別に、日常的に煙草を吸っているせいでもあるかもしれない。
「説明するのが面倒だ。君のアドレスを言え。オルソラからの報告はメールで受けたから、文面をそのままそちらへ転送する、後で暇を見つけて読んでみろ」
 ステイルとかオルソラってメール使えるんだ……と、上条はアドレスを口で伝えながらこっそり感心した。というか、ああいうものが徹底的てつていてきに使えないインデックスの方が変なのかもしれない。
 上条は通りを走りながら、とりあえず送られてきた文面に目を通したが、
『Vi riporto qua informazioni che ha trovato nella Biblioteca Britannica……』
(わっ、分かるかこんなもん!!)
 画面に並ぶアルファベットを見ても、何となく英語以外の言葉が使われている事ぐらいしか読み取れない。後で土御門つちみかど辺りに読んでもらおう、と上条は画面を閉じる。隣を走るステイルはあきれたように、
「チッ、教科書文法を無理になぞらず一語のニュアンスだけをつかめば良いんだが……読めないなら目を通すな。どうせ読めても大した内容じゃない」
「……、良いけど別に。っつか、結局状況は八方塞はつぽうふさがりってトコか。くそ」
「そうだ。だから僕たちの手でオリアナ=トムソンを捕らえる。それで突破口を掴む。それだけの話さ。―――ん?」
 ステイルは走りながらも、わずかにまゆをひそめた。
 彼の視線は前方の人混みに向かっている。ちょうど上条かみじよう達の進路を塞ぐように、学生達を中心とした一団が固まっているのだ。彼らの視線は上条達には向いていない。大通りから外れた裏路地の入り口へと集中している。
「待望の裏路地みたいだが……嫌な感じがするね」
「はぁ?」
 いぶかしむ上条に、ステイルは煙草タバコの端を上下に揺らしながら、
「匂いだよ。これは良くないにおいだ。一定の集団が興奮こうふん状態におちいると、その感情が匂いみたいに伝播でんぱしていく。特にこいつは血の赤を見た時の匂いだ」
 物騒ぷつそうな言葉に、上条はギョッとした。
 そうこうしている内に、上条とステイルは人混みの最後尾へと到着した。そして彼は気づく。ここにいる人達は、何かに注目するように背伸びしたり、軽くジャンプしている者までいる。
(何だ……?)
 上条は眉をひそめたが、今は確かめている場合ではない。とにかく裏路地へ向かおうと、半ば強引に人の海をき分けて前へ進む。
 と、人の壁の向こうから、思いもよらない声が飛んできた。
「ど、どいてください! 皆さん、道を開けてくださいなのですよーっ! 姫神ひめがみちゃん? 大丈夫だいじようぶなのですか、姫神ちゃあん!!」
「どけ!!」
 上条は思わず人の山を突き飛ばすように前へ出た。人の塊全体が大きく揺れて、左右に割れる。文句を言いたそうな空気があちこちから発せられたが、上条は無視して最前列の先までおどり出た。
 勢いを殺さず、上条は路地の中へと飛び込む。
 その先にあったのは、

 血。

 狭い路地だった。
 背の高いビルと細い道の組み合わせのためか、真昼なのに太陽の光が全く当たらない。じめじめした道路は黒っぽい色をしていて、空気も全体的に流れがとどこおっているようなにおいがする。
 そんな暗い裏路地が、
 より一層暗い赤色によって、染め上げられている。
「か、上条かみじようちゃあん!!」
 聞き慣れた声は、小萌こもえ先生のものだった。
 ただし、その小さな両手も、柔らかそうなほっぺたも、チア衣装のタンクトップやミニスカートも、こすりつけたように赤黒い血で染まっている。その大きなひとみからボロボロに流される涙が、跳ねた血と混じり合ってあごに伝っていた。
 血は、彼女のものではない。
 小萌先生のすぐ足元に、一人の少女が倒れている。血で染められた地面に黒い髪を浸しているのは、姫神秋沙ひめがみあいさ。その血とは対照的に、顔から手足の先までが、真っ青に色が抜けてしまっている。
 体操服の上半身の部分がズタズタに破られていた。
 その上から包帯が巻きつけられている。鎖骨さこつの辺りから、おへその少し上まで……ほとんど全部だ。素人目しろうとめに見てもきちんとしばってあるように見えるのに、にじみ出る液体で包帯は真っ赤に色を変えていた。少女のなめらかなシルエットも、何だか少しデコボコしているように見える。
「……ッ!!」
 理由を知ろうとして、上条は直後に後悔した。
 血だまりの中に、ゆで卵の殻剥からむきに失敗したように、皮膚ひふの張り付いた小さな肉片が沈んでいるのを見つけてしまったからだ。
 姫神は、動かない。
 気のせいのような、浅い呼吸音が聞こえるだけだ。
 ガツン、と上条は頭をぶつけられたような衝撃しようげきを感じた。
 見た事がある。
 これはかつて、一方通行アクセラレータにやられた妹達シスターズを発見した時と。
 全く同じ、感覚だ。
「何で、そんな……姫神が? 先生、ここで何が起きたんだ! こんなの、だれが!?」
「わ、分からないんです」
 ガチガチと、ふるえる声で小萌先生はこちらを見る。
「せ、先生、ここで女の人とぶつかったんです……。それで、先生はちゃんとごめんなさいって言って、その人に笑って許してもらえたと思ってたんですけど。何か、急に怖い顔したと思ったら、いきなり……姫神ちゃんに……ッ!」

「オリアナか」
 ステイルはまだ長い煙草タバコを片手でつまむと、苛立いらだたしげに壁へ押し付けた。
「このタイミングで動いたとなれば、十中八九ヤツだろう。……、随分とまた、めた真似まねをしてくれたものだね」
「何で?」上条かみじようは訳が分からないと言った顔で、「何で、アイツが? だって、姫神ひめがみおそう理由なんかないだろ! コイツは今回の件とは何の関係もないじゃないか!!」
「あれだ」
 ステイルは吸殻で地面を指した。
 そこに、血まみれの十字架が落ちていた。『吸血殺デイープブラツドし』という力を封じるために、イギリス清教が作り上げた、アクセサリーという形の、身に着ける小さな結界。
「あれに使われている『歩く教会』という方式の霊装れいそうは、僕や土御門つちみかど神裂かんざさにだって配備されていない特殊な一品だ。それを見たオリアナが、この子を禁書目録クラスの重要な魔術師まじゆつしだと受け取ってもおかしくはない。科学を主体とする学園都市に、イギリス清教式の霊装がある事自体が妙なんだ。大方、強力な追っ手が自分の逃走ルート上に先回りしてきたとでも考えて、先手必勝をねらったって所だろうね」
 上条はそれが示す意味を悟って、思わずほおが引きつった。
「間、違えた……?」
 ひくひくと、のどが妙な動きをする。
「それだけ、なのか。ここまでやっておいて、姫神の事をこんなにして、その理由が、間違えただけ、だって? ……、あ、の、野郎。ふざけやがってエエええええええええええッ!!」
 上条は思わず手近な壁を思い切りなぐりつけた。泣き続けている小萌こもえ先生が、思わずビクリと肩をふるわせる。
 ステイルはつまらなそうに息を吐いて、修道服のふところからルーンのカードを取り出した。それをばらくと、カードは壁や地面に磁石のように張り付いていく。
「|これよりこの場は我が穏所と化す《T P I M I M S P F T」
 言葉と同時に、路地の入り口辺りにとどまっていた人たちが、栓が取れたように再び大通りへ戻っていった。
 ステイルの『人払い』だろうか。
「これだけ完壁かんぺきに応急処置はほどこしてあるんだ。当然ながら救急車も呼んでるね。なら、路地の入り口で待っていると良い。この中にいると救急隊員は君達の姿を発見できなくなる。ま、野次馬やじうまの視線にさらすよりはマシだと思うが」
 オリアナを追うために、ステイルは暗い路地の先へ向かう。彼女がこれまで通り、逃走のためにバス停を目指しているのなら、通路の先へ向かったはずなのだから。
 だからこそ、ステイルは迷わず前へ進んだ。
 血の海の中で倒れている、姫神秋沙の上をまたいで。
「待てよテメェ!!」
「何だ? 君は一体何を望んでいる。ここでとどまって絶叫を続けるか、それとも一刻も早くオリアナ=トムソンを見つけて話を終わらせるか」
俺達もれたちのせいで巻き込まれたんだぞ! このまま姫神ひめがみを放っておけるかよ!!」
 上条かみじようちゃん? と小萌こもえ先生は顔を上げてつぶやいた。
 当事者であるはずなのに、何も知らされていない彼女は、全く理解できていないはずだ。
「なら、君に何ができる?」
 ステイルは、動かない姫神を挟んで、ぐに上条の顔を見た。
 それから、指輪だらけの手を伸ばし、

「―――調子に乗るなよ、素人が」

 思い切り上条の髪をつかみ、強引に下を向かせた、そこには、血の中に沈んだまま、ひゅうひゅうと浅い息を吐く事しかできない、一人の少女がいる。
「この傷ついた少女の前で、たかが素人しろうとの君にできる事なんかあるか。プロの僕にだってないんだよ。どうする事もできないんだ! 一緒いつしよにいれば傷は治るか? 手を握ってやれば痛みは引くか? 本気でそう信じているなら今ここでやって見せろ。そうしている間にも、この冷たい現実は彼女の体力を奪っていくだけだ! 今ここで僕達にできるのはオリアナを追う事だけなんだよ! それをやりたいならこの少女をまたげ! 嫌ならここでつぶれていろ!!」
 ステイルは乱暴に上条の髪から手を離した。
 上条は後ろへ、一歩、二歩とよろめく。
「……その怒りが、君一人だけのものだなんて思うなよ、上条当麻とうま 。これだけの場面を見れば、だれだって思う事はある。ステイル=マグヌスであってもこの有様だ。わざわざ命懸いのちがけで『三沢塾』から助け出した女の子が、こんな形でい散らかされて、平静を保っていられるはずがないだろうが」
 ステイルは、ギラギラと光る指輪のついた人差し指で、真下を指差す。
「またげよ、上条当麻。またいでオリアナを追うんだ! これが僕達の世界なんだよ。残酷なものだろう。僕達にその子の傷はいやせない、それは絶対にくつがえらない。だから誰かを守るつもりがあるならこぶしを握れ。僕達にできる事なんて最初から限られているんだ。君の右手には幻想を殺す力しかない。幻想を守る力なんてどこにあるっていうんだ」
「……、くそ」
 上条は、うつむいた。前髪で目線が見えなくなる。そのすぐ下にあるあごに、奥歯を砕きかねないほどの力が加えられていく。
 そこに込められた悔しさは、オリアナに対するものか、それとも何の反論もできない自分自身に対するものか。
「くそっ……たれが……ッ!!」
 ほとんど泣き出しそうなふるえた声で、上条かみじようえた。それから、片足を上げる。ぐちゃぐちゃに震えたその足で、最初の一歩をみ出そうとする。傷ついた姫神ひめがみをどうにかするよりも、逃げたオリアナを捕まえる事を優先するために。
「―――、」
 魔術師まじゆつしステイル=マグヌスは両目を細めて儀式ぎしきを眺め、
 上条の足が、姫神秋沙あいさの体をまたこうとした、その寸前に、

 神父は、それを見た。

 血みどろになった姫神秋沙から、少し離れた所にいたはずの月詠小萌つくよみこもえ
 返り血で手も顔も衣服も真っ赤に染まっていた彼女は、ぺたりと座り込んでいた。スカートも地面も気にしない、おしりを直接つけてしまう女の子座りだ。
 が、重要なのはそこではない。
 彼女は、辺りに落ちている小石や空き缶などを、のろのろと集め始めていた。まるで積み木遊びのように、品々を並べていく。それはただ乱雑に置いているだけでなく、この裏路地のビルや、倒れている姫神秋沙などを稚拙に表現した、ミニチュアにも見える。
「待て」
 ステイルは、思わず声を出した。
 今まさに一歩を踏み出そうとしていた上条はタイミングを失って後ろへ下がる。ステイルはそれを見ずに、月詠小萌の顔をぐに見て、
「君は、何をしている?」
「あの時は……」
 一三五センチしか身長のない、その女性は、真っ赤になった目で魔術師を見返し、
「……シスターちゃんの時は、これで何とか、なったのですよ? だから、今回だって……今回だって、きっと、どうにかなるに、決まってるの、です。以前だって、シスターちゃんが、背中を斬られて、血がいっぱい出て、でも、シスターちゃんに、言われた通りに、先生、やったら……」
「ま、さか……」
 ステイル=マグヌスは思い出す。
 あの禁書目録が初めて学園都市にやってきた時。神裂かんざきが誤ってインデックスの背中を斬ってしまった際、上条当麻とうまは傷ついた彼女を背負って、月詠小萌のアパートへと逃げ込んでいた。
 しかし。
 インデックスや上条当麻かみじようとうまは、魔術まじゆつを使えない。それは知識の面ではなく、体質の問題だ。ならば、あの場で、インデックスに治癒ちゆ魔術をかけたのは―――。
「まさか、貴女が……?」
 おどろきと敬意を込めて、ステイルはつぷやく。
 小さな女性は、そんな変化にも気づいていない。
「……前は、これで上手うまくいったはずなのに。先生、ちゃんと、覚えているんですよ? シスターちゃんに、言われた、通りに、やってるのに……ッ! どうして? どうして、姫神ひめがみちゃんは治ってくれないんですか……ッ!? 姫神ちゃん、さっきまでナイトパレードの話とかしていたんですよ。上条ちゃんたち一緒いつしよに回りたいって、前の日からパンフレットをチェックしていたみたいだったのに、何で、こんな……ッ!!」
 叫び声は、だれに放たれたものでもない。
 それでも、ステイルも、上条も、ただだまってその訴えを聞いていた。
 月詠小萌つくよみこもえが組み上げているのは、一定の空間と、魔術師が作り上げた箱庭をリンクさせるタイブの魔術だ。通常では極めて繊細せんさいな調整が必要な治癒術式も、この方式なら、大雑把おおざつばにミニチュア内の人形の傷をもへすだけで、リンクされた人体を治す事ができる。
 しかし、それはあくまで一定の範囲を区切り、なおかつ『箱庭』のリンクを完全なものにしなければ何の効力も生み出せない。それは単なる物理的なものだけでなく、魔術的な記号の配置と、さらには天使の力テレズマの流し方すら考慮こうりよしなければならない。
 魔術師なら誰でもできるような難易度ではない。
 ルーンと十字教の二つの様式を組み合わせて扱うほど器用なステイルでさえ、できるのは火傷やけどの治癒だけだ。
 一口に回復魔術と言っても宗派・法則・術式は様々で、呪文じゆもんを唱えればどんな傷でも治ってくれるようなものではない。風邪薬かぜぐすりを使って骨折が治せないのと同じく、目の前の状態に対し適切な術式を組み立てなければ、怪我人けがにんに対して何の効果もないのだ。
 まして裂傷、打撲だぼく、骨折、さらには動脈や内臓にまで達する傷を一気に治療ちりようするとなれば、それだけに特化した専門の術者が必要となる。あるいは、禁書目録レベルの知識を持つ者がサポートすれば素人しろうとでも扱えるかもしれないが、それはそもそも大前提の部分が特殊過ぎる。
「……、」
 案の定、月詠小萌の術式も、全く完成していなかった。
 インデックスの指示に従って魔術を発動させていただけなのだから仕方がない。見よう見まねの『箱庭』はあまりにボロボロで、魔術的な記号など一つも含まれていなかった。当たり前だ。科学サイドにいる月詠小萌は、どういう理屈で術式が動いているのかを全く理解していないのだから。
 だけど、彼女は救急車を呼んで、
 できる限りの応急処置をほどこして、
 月詠小萌つくよみこもえは考えられるすべての方法を講じて、それでも全く効果が出なくて。最後の最後で、理論も法則も理解できていない『魔術まじゆつ』にすがってしまったのだろう。
 自分がどれだけ見当外れな事をしているかも知らずに。
 自分がどれほど稚拙な術式に全てをけているかも分からずに。

 それでも、たった一人の。
 目の前で倒れた少女を助けるために。

「くそ……」
 ステイル=マグヌスは思わず視線を外しそうになった。
 月詠小萌という女性は、ある少女と非常に良く似ている。
 背が小さくて、天真燗漫てんしんらんまんで、だれかのために怒る事ができて、誰かのために泣く事ができて、魔術について知識があるのに、自分の手で魔術を使う事はできなくて、誰かの血にまみれて、ボロボロと涙を流す、その姿が。
 ステイルはわずかに目を細める。心の底から忌々いまいましそうに。
 彼は息を吸って、手の中にあった吸殻を自分の後方へ投げ捨てた。
「―――違う、そうじゃない」
 え? と月詠小萌は顔を上げる。
 ステイルは漆黒しつこくの修道服のふところから、いくつか複雑な印の描かれたルーンのカードを取り出すと、
「海の水をバケツですくうように、まずは『箱庭』で区切る領域を設定するんだ。それから天使に対するイメージが弱い。どの方角からやってくる天使をどの座に着かせるかをイメージしろ。イメージだけで良い。実際に羽の生えた天使を呼ぶ訳でなく、ある種の力を集めるだけなのだから」
 その場にかがみ込んだ。
 包帯だらけで、浅い呼吸しかできなくなっている姫神ひめがみと向き合うように。
 自分のその足でまたいだ少女と、もう一度向かい合うように。
上条当麻かみじようとうま。君は先へ進んでオリアナを追え」
「あ?」
土御門つちみかどの新しい携帯電話の番号をそちらへ伝える。僕がいなくなっても、君とアイツが連絡を取り合えるようにしないと困るだろう」
「ちょっと待て。じゃあお前、まさか……」

「期待はするな。僕にとっても専門外なんだ」
 魔術師まじゆつしステイル=マグヌスは忌々いまいましそうに、
「僕に治せるのは火傷やけどだけ。失血や骨折に対する治癒ちゆは全く別系統の術式なんだよ。そもそも僕がみ込んだ事のない方面だし、ここまでひどい怪我けがを完全に治癒させるなど……回復系に特化した術者であってもできるかどうか……」
 それでも、と彼は続けて、
「……この人の中にはあの禁書目録の知識の一部があるみたいだね。それを借りて理論を補強する。土御門つちみかどの『理派四陣りはしじん』や『占術円陣せんじゆつえんじん』すらまともに覚えられない身では果てしなく不安だが……病院へ運ぶまでの時間稼ぎぐらいはしてやる。後は着いた先に良い医者がいる事でも祈るしかないね」
「ぇ、あ……?」
 月詠小萌つくよみこもえは、ゴシゴシと目元をこすった。
 ステイルは、その様子から思わず目をらして、
貴女あなたはこちらの指示を終えたら、路地の入り口で救急隊員を誘導ゆうどうするように。上条当麻かみじようとうま、君は先に進みオリアナをどうにかしろ。君までここに残り、その右手によってただでさえ中途半端ちゆうとはんぱな治癒の術式を徹底的てつていてき破壊はかいされても困る。こっちが終わったら僕もすぐに追う。……もう一度だけ言うそ。すベてをきちんと解決したければ、ここをまたいでいけ」
「……、分かった」
上条かみじようは、血の中に沈む姫神秋沙ひめがみあいさの顔を見た。
それから、右の五本指に力を込めて、
「やってやる。それで全部上手うまくいくなら。だからステイル、姫神をたのむ」
「期待はするな、と言ったはずだ」
 ステイルは重たい息を吐いて言う。
 本当に、億劫おつくうそうな声で、
「僕だって慣れていないんだ。こんな世界で、だれかを攻撃こうげきする以外の目的で魔術まじゆつを使ってみたいと思うなんてさ」

   行間 五

(どうして……)
 姫神秋沙ひめがみあいさは、冷たい地面に沈みながら、静かに思う。
(どうして。こんな風に。なっちゃうんだろう)
 残暑の厳しい九月下旬であ。っても、この暗い脇道わきみちだけは肌を刺すように寒い。きっと年中が当たらないからだろう。壁や地面の色彩も、全体的に湿ったような黒っぽいものばかりだ。
 体が脈打っているのが分かる。
 胸の上からおなかの下まで、一気に引き裂かれた。
 痛みの感覚はもはや飽和状態を超えていて、逆に麻痺まひし始めている。そのせいで周りを見るだけの余裕ができてしまい、辺りに飛び散る血の飛沫しぶきや、皮膚ひふの破片などを認識して思考が爆発しそうになる。
 でも。
 それよりも、もっと痛い現実が、目の前にあった。
 倒れている自分の体を挟むように、二人の少年が向かい合っている。ぼんやりとした視界の中で、彼らは何かを言い争っていた。
「―――調子に乗るなよ、素人が」
 ゾッとするほど冷たい声だった。
 それでいて、不思議と中心にしんが通っているような声だった。
「この傷ついた少女の前で、たかが素人しろうとの君にできる事なんかあるか」
 できるよ、と姫神は言おうとした。
 だが、口が干からびたように、声は出てくれなかった。
「プロの僕にだってないんだよ。どうする事もできないんだ!」
 言葉は、もう一人の少年に刺さる。
 そのたびに、彼の顔が少しずつゆがんでいくのが分かる。
一緒いつしよにいれば傷は治るか? 手を握ってやれば痛みは引くか?」
 そんなの関係ない、と言いたかった。
 傷は治らないかもしれないし、痛みは引かないかもしれない。それでも、何も起こらないなんて事はない。それだけは絶対にないと、姫神は断言できる。
「本気でそう信じているなら今ここでやって見せろ。そうしている間にも、この冷たい現実は彼女の体力を奪っていくだけだ!」
 どうして、と姫神ひめがみは思う。
 この世界は、どうして都合良くできていないんだろう。
 たった一度、否定できればそれで済む話なのに。この少年は、こんなボロボロのひとみを向ける必要もないのに。
 この唇は、ちっとも開いてくれない。
 この舌は、ちっとも動いてくれない。
 こののどは、ちっとも声を出してくれない。
 二人の少年は、何かを言い争っている。というよりも、片方がもう片方を一方的に攻撃こうげきしている。それは言葉による暴力だ。一言一言を浴びせられるたびに、少年の表情から感情が削り取られるように傷つけられていく。
 そんな顔なんて見たくなかった。
 本当の事を言うと、この少年と一緒いつしょにいたかった。別に二人きりでなくても良い。みんなで競技に参加して、みんなで友達を応援して、みんなで屋台を回って、みんなでナイトパレードをて、みんなで楽しい思い出を作って、みんなで笑って。
 望んでいたのは、たったそれだけだったのに。
「……もう一度だけ言うぞ。すべてをきちんと解決したければ、ここをまたいでいけ」
 やだ、と姫神は言おうとした。
「……、分かった」
 やだ、と言いたくても、声なんて出なかった。
「やってやる。それで全部上千うまくいくなら」
 そうして、少年は倒れている自分の体をまたいで、細い脇道わきみちの奥へと向かう事を決めたらしい。こちらの言葉は届かず、自分に背を向ける形で、どこまでも遠くへ離れていくように。
 何で、この世界は都合良く進んでくれないんだろう。
 どうして、何もかもが上手くいってくれないんだろう。
 強く願った所で何もかなわず、どれだけ力を振り絞っても声の一つも出てくれない。最初から最後まで、全ての希望を奪われた世界の中、
「ごめん、姫神」
 それでも、たった一つの言葉を聞いた。

「ナイトパレードが始まるまでに、お前の病室に帰る。だから必ず待っててくれ」

 その時、自分は、うっすらと笑ったと思う。
 ずるい、と心の中でつぶやいた。
 自分を取り巻く世界はどこまでも冷酷で、こちらが伝えたい事なんて何一つ伝わらなくて、死ぬほどの力を振り絞っても、だれも願いなんてかなえてくれないくせに―――。

 ―――この少年の言葉は、どうしてこんなに力があるんだろう?

   

chap3

第七章 倒すべき敵、守るべき者 Parabolic_Antenna.

     1

「ちくしょう……ッ!!」
 上条当麻かみじようとうまは、目の前の光景を前に、思わず叫んでいた。
 バスの停留所には、すでにだれもいなかった。
 炎天下の日差しが、ほんのわずかに弱まりつつある午後三時三〇分。大通りの歩道に面した場所に、鉄パイプの柱とトタンの屋根でできた簡単な停留所がポツンとあるだけだった。ベンチには誰も座っていないし、並んでいる人もいない。まるで取り残された迷子のような扱いで、周囲の人々は停留所を見向きもしないで素通りしていく。
「は」
 思わず力のない笑みが出てくるほどの状況だった。
 上条は、呆然ぼうぜんと突っ立っていた。
 自律バスは道路の先にも後にもない。ヒントとなるものが全くない。オリアナがどの便に乗ったかどうか以前に、本当にこの停留所を利用したかどうかさえも。
 元々、三分以内にオリアナを捕らえなければバスで逃げ切られていたのだ。
 姫神ひめがみおそわれた現場で、相当のタイムロスをした。だからまともに距離と時間の関係を計算すれば、オリアナに追い着けるはずがないのだ。
 常識的に考えれば当たり前の事だ。
 だが、
(オリアナの野郎、どこに……ッ!!)
 改めて突きつけられた現実に、上条は眩暈めまいがした。いくら誓っても、どれだけおもいがあっても、かなわないものはやっぱり叶わない。何でもかんでも都合良く進んでくれるはずがないのは分かっていても、その簡単な事実は、上条の心を上から下へとたたつぶす。
 もうオリアナを追えない。
 リドヴィアに至ってはどこにいるかも分からない。
 彼女たちの使う『使徒十字クローチエデイピエトロ』も、このままでは止められない。
(どうする?)
 上条は携帯電話を取り出す、かける番号は、土御門元春つちみかどもとはるのものだ。上条が通話ボタンを押して数秒待つと、土御門は始めから待機していたような素早さで電話に出た。上条は単刀直人に告げる。
「悪い土御門つちみかど、バス停の所でオリアナを見失った! この辺りで姫神ひめがみ魔術まじゆつ攻撃こうげきを受けてるから、近くにいるはずなんだ。どうにか調べる方法はないかー7こ
『いや……そいつは、ちょっと難しいにゃー』土御門は弱った声で、『「理派四陣りはしじん」は三キロ四方にしか届かない。オレのいる場所からじゃ……効果は発揮できないし、ステイルは一人じゃ「理派四陣」の用意ができない……。今からオレがステイルのトコまで行っても、もしもオリアナがバスを使ってるなら、……その間に効果圏内から逃げ切っちまうだろうぜい』
 じゃあどうすんだ、と上条かみじようは周囲を見回す。
 ヒントとなるようなものは、やはりどこにもない。
『……オリアナが、どこの路線を使ってそうかとか……分っかんねーかにゃー……?』
「ああ」
 上条は大覇星祭だいはせいさいのパンフレットを見ながら、
「……このバス停は第七学区の外周をぐるりと回るルートを取るらしいけど、オリアナがどこのバス停で降りるのかが分からない。これだけ時間があれば、停留所四つぐらいは進めると思う。それに、まだバスに乗ってる可能性もあるし」
『オリアナは……できるだけ、遠くへ行こうとしてるはずだぜい。……だから、今もバスに乗ってるのってのが、一番怪しいぜい……』
「でも、二番目のバス停の近くには地下鉄の駅があるし、四番目は別のバス路線が集まるターミナルだ。どこかで乗り換えたかもしんないだろ」
『……、』
 土御門元春もとはるが、だまり込んだ。
 上条の周囲には自由時間でアイスを食べながら歩いている生徒たちや、次の競技場へと急ぐ観戦客、子供にジュースをせがまれている両親など、様々な人達が歩いていた。がやがやとしたたくさんの声や足音で満たされているはずなのに……上条は、耳鳴りがするほどの静寂を感じてしまう。
 八方塞はつぼうふさがりだ。
 オリアナの動きが予測できない。
 自律バスに乗ったのか、乗っていないのか。
 どのバス停で降りるのか、何の路線を使って乗り換えるのか。
 そしてそもそも、彼女がどこを目指して移動しているのか。
「……、待てよ。土御門」
 上条は顔を上げてつぶいいた。
 口の中だけで告げるような言葉に、土御門は傷だらけの体を引きずるように答える。
『何だ……カミやん』
「なぁ。オリアナって何で街を歩いてるんだ?」
『あん? そりゃお前……オレたちがこうして……追撃ついげきしてるから、そっから逃げるために―――』
「違う、その前だ」
 上条かみじようは遮るように先を言う。
「この追撃戦が始まったのって、午前中におれ吹寄ふきよせが道を歩いてた時に、オリアナとぶつかった所からだっただろ。じゃあ、あそこを歩いてたオリアナの目的は何だ?」上条は少しずつ、考えている事を整理しながら、「オリアナ達は『使徒十字クローチエデイピエトロ』をだれかと取り引きするつもりじゃなかったって話だよな。なら、人と会うために街を歩いてたってのはナシだ。って事はアイツは何のために街をウロウロしてたんだ? どこを目指して歩いていた? 現に、こうしてトラブルに巻き込まれるリスクはあったじゃねーか」
『……、なるほどにゃー』土御門つちみかどの声の土台に、力が戻る。『少なくとも、午前中は「使徒十字クローチエデイピエトロ」を……オリアナは持ってなかった。それでも動いてたって事は……アイツが一人で動くべき理由が必要だ』
「理由って……?」
 上条が問うと、土御門は痛みをこらえるような鳴咽おえつを漏らしてから、
『さあにゃー……。そこまでは、分からん。が……「使徒十字クローチエデイピエトロ」は、まだ発動されてない。そっちの理由と……からむのかもな。オリアナのヤツは、「使徒十字クローチエデイピエトロ」を使うための……条件探しでもしてんのかもしんねーぜい……』
 条件、と土御門は言った。
 元々、彼ら魔術師まじゆつしがオリアナ探索のヒントになるかと思って調査していた項目だ。それが判明する前に、土御門が学園都市のセキュリティを使ってオリアナを見つけたから、追撃戦を優先して今まで後回しにしてきたのだが……。
「条件探し……? となると、ありゃ特別な環境じゃねーと使えないって訳なのか? オリアナがあちこちを移動してるってのも、そいつを探るために、とか」
『……何のアテもないのに、学園都市まで忍び込んで……今からいそいそ条件探しってのも、変な気はするけどにゃー……。ステイルはこの非常時に携帯電話の電源切ってて連絡がつかねーし!』
 言われて、上条はステイルがロンドンの味方と情報を交わしていたという事を思い出した。
 確か、ステイルが言っていたのは……。
「そうだ。アイツの話だと、『使徒十字クローチエのオピエトロ』の保管庫の事が少し分かったとかって言ってたけど」
『あん? カミやん、些細ささいな……事でも、良い。ちょっと詳しく話してくんねーか……にゃー』
「良いけど、ロンドンの方もあんまり上手うまくいってないみたいだったぞ。分かったのは、保管庫は窓がふさがれてドアも二重になってるとかって事だけだったはず」
『ふぅん……。ドアが二重……? 研究所の、エアロックみたいなモンか……?』
「……いや、何だっけ?」上条かみじようは首をかしげ、「ああ、そうだ。光が入るのをけるためだ」
『光ねぇ……。「使徒十字クローチエデイピエトロ」は強大な霊装れいそうだし、不用意な発動を防いでいるのかもしれないにゃー……』
 土御門つちみかどは少しだまった。
 息を上手うまく吸えていないような、浅い呼吸音だけが断続的に聞こえてくる。
 そのわずかな沈黙ちんもくは、彼が思考を巡らせている事で起きているラグだ。
 半端はんぱに押し殺したような音が残る沈黙は、上条の神経を余計にあぶっていく。ほおを伝う汗の感触に顔をしかめながら、それでも土御門につられるように上条は考えた。保管庫。専用のルール。二重のドアに窓のない部屋。光の侵人を防ぐためという事は、その光とは……。
「なぁ、その『使徒十字クローチエデイピエトロ』ってのは、太陽の光に当たっただけでヤバイのか?」
『……多分、それは違うにゃー……。もしそうなら、場所も、時間も問わない、だろ? 今だって太陽は……出てるし、それで、「使徒十字クローチエデイピエトロ」が動くなら……とっくに、やってるはずだ。そんなに使いやすいものなら、強引に街に侵人し……捕まえられる前に、強行突破気味に「使徒十字クローチエデイピエトロ」を使っちまえば……それで済むんだし。缶蹴かんけりみてーににゃー……。ただ、霊装の発動に……何らかの、光がかかわってるってのは、アリだと思う……。ざっと二〇〇〇年弱もの大昔、まだ十字教が……ローマ正教だのイギリス清教だのって分派する前は、光を取り込む形の術式も……珍しくなかった。洗礼場に、窓を三つ……用意して、そこから差し込む三種の光によって、三位一体さんみいつたいを……示したりとかにゃー』
「じゃあ、発動キーに関わってるって光は一体何なんだ……?」
 上条は頭に浮かんだ疑問を口に出したが、土御門は答えなかった。彼にも分かっていないのだろう。
『なぁ、カミやん。……そっちが持ってる……情報ってのは、本当にそれだけか?』
「それだけか、って……」
 上条は携帯電話を耳に当てながら、深く考え込んだ。元々、ステイルの魔術話きじゆつばなしは専門外の分野であるため、理解が追い着く前に次々と言葉が流れてきて、結果的に記憶きおくに残りづらい事が多い。それでも、途切れ途切れに覚えている部分をどうにか引きずり出そうとして、
「ッ! ……あった」
『なに?』
「ステイルのヤツが説明が面倒だからって、オルソラからの報告メールをそのままこっちの携帯電話に転送してきたんだ」
『……、内容の方は?』
 土御門の声の温度が下がる。
「悪い、何か外国語で書かれてて全然読めなかったんだ。今からそっちに送るけど、お前読めるか?」
『送って、もらわない事には……分からんにゃー。外国語ってのは何だ、英語じゃねーのか……』
 とりあえず土御門つちみかピの新ケータイのアドレスを教えてもらうと、上条かみじようは一度通話を切る。それからメールボックスを開いて、ステイルにもらった報告書メールを土御門の元へ送った。
 二分ぐらいかかって、再び上条の携帯電話に通話の着信が入る。
『カミやん、とりあえず……報告書は読んだぞ。こりゃ……イタリア語だな、特に魔道書的まどうしよてき……な暗号化も、行ってなかった』
「……で、肝心の中身の方はどうだったんだよ?」
『英国図書館に……あった、雑記帳の記録を……まとめたような、もんだ。何ても、「使徒十字クローチエデイピエトロ
の保管庫では……年に二回、大掃除が……行われるらしい。この記録は、大掃除の際に、一緒いつしよに入った……別の部署の監査官によるもの、らしい……にゃー』
 メールには、その大掃除にはいくつかのルールがあるという事が書かれていたようだ。
 一つ目は、決められた日付に行わなければならないという事。
 二つ目は、決められた日付の昼の内に済ませなければならないという事。
『やっぱり……大した情報じゃ、ねーかもしんねーにゃー』
「ちょっと待った。土御門、もう一回今のメール読んでくれるか」
 上条は携帯電話にしばらく耳を当てていたが、やがてポツリと言った。
「昼? 夜じゃなくてか。変だな、二重扉を用意して光の侵人を防いでるくせに。昼の方が明るいような気がするんだけど」
『それだけじゃ……ねー、みてーだぜい』
 土御門によると、さらに報告書の続きには、こんな事が書かれてあった。
 実はこの決まり事は結構曖昧あいまいらしく、監査官の文章によると、昼の内に掃除をやるのを忘れた保管員が夜も作業せずに『明日の昼にでもやりますから』と言って、さっさと帰宅してしまったという。
『この監査官の報告には、ここの……保管員の態度も、あまり良くなかったって、話もあるみたいだにゃー。何でも、勤務時間中に……ホロスコープを使って、星占いをやってる人問が……多かったらしい。くそ、やっぱり……役に立つ情報じゃねーか。大半は、監査官の愚痴だな……こりゃ』
 上条はその報告に、わずかな引っ掛かりを覚える。
「……なぁ。『使徒十字クローチエデイピエトロ』ってのは、ローマ正教にとってすごく大切な骨董品こつとうひんなんだよな?」
『そうだにゃー……。それこそ、ヤツらにとっては、涙を流して……ひざまずくぐらいの神聖さはあるはずなんだが』
「だったら普通そんないい加減なヤツらに管理を任せたりはしねーと思うんだけど」
『ふむ。オレも、ヤツらが……こんな雑な扱いを、するとは思えない。一応、「使徒十字クローチエデイピエトロ
の保管員は……各部署から、集められたエリート集団……らしいんだが……。監査官の話じゃ、あくまで、現場を離れた……人間は、こんなものかってぐらい……しか、書かれちゃいない。こりゃ一体どういう事だ?』
「……、」
『「法の書」の時は……解読に、失敗してたが、オルソラ=アクィナス……の、情報解析能力はローマ正教……全休が、危機を抱くほどのレベル……だった。ステイルは、大した事じゃないと判断したみたいだが、オルソラが、報告書として選んで提出するからには、ここに……なんかありそうなんだがにゃー……』
「なんか、ね」
 上条かみじよう土御門つちみかどの声に生返事をしつつ、これまでの事を思い返してみた。
 保管庫は窓をなくし、出入り口を二重扉にして、徹底的てつていてきに光の侵人を防いでいた。
 にもかかわらず、人の出入りの多いだろう大掃除は、夜ではなく昼に行うというルールがあった。
 さらに、昼の間に掃除するのを忘れた保管員が慌てて夜に掃除しようとしたら、上司から明日でも良いと止められた、という報告もある。
 つまり重要なのは、
「土御門。『使徒十字クローチエデイピエトロ』の発動にかかわる光ってのは、昼じゃなくて夜に現れるものなんじゃねーのか? だって、保管員の上司ってのは、ルールその一の『決められた日付』の内に仕事を終わらせる事を放棄してでも、ルールその二の『夜ではなく昼の内に』終わらせる事を優先させたんだろ」
 二つのルールの内、片方をつぶしてでももう片方を優先させたとなると、そこには何か優先させるべき理由があるのかもしれない。
『まぁ……そう言えなくもないが……にゃー』
 土御門は、歯切れの悪い声で、
『でも、その夜にある光ってのは……何だ? 月明かり、とか……じゃないな。例えば、満月など……特定の、月齢なら発動できるという……条件だったとしても、月齢周期はカレンダーの月日と……一致しない。日付だけを先に……決めても、月齢の方がズレていくから「安全な日付」。を決める事が……できない』
 月齢に関係なく『月明かり』だけですでにアウトなら、大掃除の日付を厳密に定めておく必要がない、というのが土御門の意見だった。例えば、復活祭イースター降誕祭クリスマスなども、ただ適当な日付を選んで勝手にやっている訳ではない。
 日付を定めている以上は必ずそこに宗教的な意味があり、この場合は『使徒十字クローチエデイピエトロ』の使用条件・暴発条件などが関連する可能性が高い、とまで彼は断言した。
「……夜にある光、か」
 上条かみじようは携帯電話を片手に、思考を深く沈めた。
(オリアナたちは、『使徒十字クローチエデイピエトロ』を使わないんじゃなくて使えなかったんだ)
 上条はこれまで得てきた情報を、頭の中で少しずつ整理していく。
(『使徒十字クローチエデイピエトロ』を使うには、何らかの光が必要で)
 自分の見てきたもの、ステイル経由で伝わってきた英国図書館からの情報、そして土御門つちみかどが色々立てていた仮説。それらをもう一度、慎重に吟味していく。
(それは昼間にあるものじゃなくて、夜にあるものらしい)
 上条はビルの壁を見た。そこにはたくさんのライトで作られた電光掲示板が張り付いていたが、
(いや、違う。千年以上前からあるって言うんだから、電球だの発光ダイオードだの、そういった夜景とは別の物のはずだ)
 彼は電光掲示板から目を離し、
(自然の中にある光で)
 携帯電話を片手に、さらに思考を自分の内側へと沈めていき、
(なおかつ、カレンダーと動きが連動しているような光ってなると……)
 上条当麻とうまは、ハッとして学園都市の空を見上げた。
 オルソラの報告書を読んでいた土御門は、こんな事を言っていた。
使徒十字クローチエデイピエトロ』の保管員は不真面目ふまじめで、
 仕事中にホロスコープを使って星占いをやっている者が多かった、と。
 しかし。
 実は、星占いを行う事こそが絶対に必要な仕事なのだとしたら。

「まさか ―――星座か?」

『そうかも、しんねーにゃー……』
 土御門はうなずくように、わずかに沈黙ちんもくした後、
『星座を……利用した霊装れいそうを使った魔術まじゆつってのは、それほど……珍しくもない。……占星術なんて基本中の基本だし、天使の召喚なんかも……季節の星座に合わせて行われるモンだ』
 月齢は一ヶ月単位で移り変わるのに対し、星座は一年単位で移り変わる。例えば『春の星座』が『使徒十字クローチエヂイピエトロ』暴発のかがを握るなら、『秋の星座』の季節に大掃除をする、と決めてしまうだけで、簡単に『安全な日付』をカレンダーに記す事ができる、と土御門は補足するように言った。
『だとすると、保管員は……勤務態度が、悪かったんじゃ……なくて、仕事に必要な情報を……ホロスコープで、集めていたのかも、しんねーにゃー……』
 土御門つちみかどはもう納得しているようだが、それだけでは何の話かサッパリ分からない。
 だから上条かみじようは素直に聞いた。
「『使徒十字クローチエデイピエトロ』を発動させるには星座の力が必要だって事だけどさ。そもそも星座を使うってのは、具体的にどんな感じなんだ?」
『基本は……黄道の一二、北天の二八、南天の四八を、合わせた……八八星座のどれかを利用した魔術れじゆつ。っつっても……この場合は、実際に黄道の牡羊座おひつじざ蝋座さそりざそのものが、力を持ってる訳じゃない……。星座を作る星って、並んでるように見えても……メチャクチャ距離があんだろ? あれを一まとめにしちまうのは……流石さすがに無理があるぜい』
「……、本当にそうなのか?」
 星座とか星占いなどに詳しい訳ではないが、あれは何千年も前から信じられてきたものだった気がする。そんなころに、星と星の距離を測る方法などあっただろうか。それ以前に、宇密の仕組みを正しく認識できていた人間はいたのだろうか。
 上条がその疑問を口にすると、
『だからそれを利用するんだよ、カミやん』
「は?」
『古来の宇宙……いや、単純に空って、呼んどくか……。この空ってのは……大地を囲む、おわんみたいなモンだと……思われてた。ま、天球図プラネタリウムって感じか……にゃー?』土御門は続けて、『……星座の魔術ってのは、この天球図を使う……。実際の星の力や距離は、関係ないんだ。夜空という……スクリーンに、浮かんだ……規則性のある図形を、そのまま……魔法陣まほうじんとして組み込んじまうのさ……。図形自体は単純だが、何分……スケールが超巨大なんで力がある。しかも図形そのものは複雑じゃないから、様々な術式に応用できちまう。……これほど使い勝手の良い陣は……そうそうないって訳だにゃー』
 かつて海の家で大天使『神の力』が見せた夜空一面の魔法陣というのは、この星座の魔術をさらに発展させた、『術者にとって都合の良い星空を整える』ためのものだったと土御門は告げる。上条には星座を利用した魔術というのが、魔術サイド全体の中でどれだけの規模のものなのか、明確には判断できない。が、あの天使の術式に皿部通じる所があると言われただけでも衝撃しようげきだ。
「じゃあ、オリアナのヤツは……」
『おそらく「使徒十字クローチエデイピエトロ」の発動のメカニズムは……こうだ。夜空の光を……地上で、集める必要があるんだから……あの十字架は、そのための、パラボラアンテナみたいなもの、なんだろ……。夜空の星の光。を受け止め、術式発動のための……リンクを作る。オリアナが、今も街を歩き回っているのは……アンテナを立てるために最適な場所を……探している最中なのかもにゃー』
 彼の話によると、もちろん星を使ったすべての魔術まじゆつにこの法則が当てはまる訳ではないらしい。例えば夏休み最後の日に見た、アステカの魔術師が放ったトラウィスカルパンテクウトリのやり
金星の光を利用するという彼の魔術は、昼夜関係なく、ただ『実際の金星の位置』だけを重要視していた。
 しかし、この『使徒十字クローチエデイピエトロ』にこれと同じ法則が当てはまるなら、やはりオリアナたちが機をうかがう意味がない。太陽光と同じくいつでもそこにある光を使うだけなら、さっさと『使徒十字クローチエデイピエトロを発動して学園都市を手中に収めてしまえば良いのだから。
 従って、『使徒十字クローチエデイピエトロ』は『見た目の星座』の図形を利用した霊装れいそうである可能性が高い。
 オリアナがあちらこちらへ移動しているのは、その見た目の星座を利用する魔術的ポイントを探っていたのだろう。それでも彼女がまだ街をウロウロしている理由は何なのだろうか。もしかすると、見て回ってきたポイントでは『使徒十字クローチエデイピエトロの発動に不都合があるのかもしれないし、あるいは最適な場所を吟味しているのかもしれない。
『……、だが。確かに、オリアナ達は星座の力を……利用して「使徒十字クローチエデイピエトロ」を……使おうとしているのかも、しんねーが……』
 土御門つちみかどはそう言って、自分の説明を自分で区切った。
「しんねーが、何だよ?」
『その説が……強いんだけど、いくつかの……矛盾点が、クリアできてないにゃー』
 何だそりゃ? と上条かみじようまゆをひそめる。
 その間に、土御門は次の言葉をつむいだ。
『いいかいカミやん……。「使徒十字クローチエデイピエトロ」ってのは、一二使徒の一人であり……「神の子」の死後初となる「原始教会」を……創設したペテロの死に深く……かかわるモンだ。当然、コイツの力を使って……ローマ教皇領ができる、一番初めのきっかけを生み出したのは、「ペテロが死んだ時」か、その少し後ってトコだろ』
 土御門の話によると、ペテロが処刑されたのが一世紀中頃なかごろ、コンスタンティヌス帝が十字教を公認したり、サンピエトロ大聖堂が完成したのが四世紀前半、さらにフランク国王が実際に領地を進呈したのは八世紀と、かなり時間に差があるらしい。
 それでも、最初に『ペテロのための十字架』が立てられ、『この地はペテロの遺産である』という意思を表明し、二〇億もの信徒を抱える一大宗派の中心核であるローマ教皇領創設への長い道のりが始まったのは、処刑直後だという話だった。
「まぁ、『使徒十字クローチエデイピエトロ』は元々お墓の十字架だったってんだからな。ナントカ大聖堂の完成よりも、実際に死んだ時にできたって方が自然だろうけど。それがどうかしたのかよ?」
『「使徒十字クローチエデイピエトロ」を使うのに日付と……星座が重要だって意見には、オレも賛成なんだ。ただ……ペテロが死んだのは……六月二九日なんだよ。今とは……季節が違うんだから、星空の様子だって変わっちまうぜい……。夏の星座とか冬の星座とか、それぐらいは……聞いた事があるだろ? その上、日本とバチカンの空じゃ……緯度や経度の関係で見える星座も若干ながらズレちまう。六月二九日の、バチカンと……九月、下旬の、日本の星空の違い。この問題をクリアできない限り、星座利用説は成り立たないにゃー……』
 つまり、今の季節では『使徒十字クローチエデイピエトロ』は使えない、という事だろうか?
 上条かみじようはわずかに眉をひそめ、
「じゃあ、もしも季節の星座を無視して『使徒十字クローチエデイピエトロ』を使ったらどうなっちまうんだ?」
『カミやん、直流で……動く、電動ヒゲソリに……交流を流したらどうなると思う?』
「……、」
『そこまで派手に……こわれるかは、知らんが、少なくとも……まともに動くはずがない。じゃなけりゃ、わざわざ「使用条件」なんて……大層な項目に入れておく……意味がねーから、にゃー』
「……じゃあ、オリアナたちは何で使えもしない霊装れいそうをわざわざ持ち込んできたんだ……?」
『分からんにゃー……。これを、クリアする……条件があるかもしんねーが、くそ。考えてるだけの……時問がない』
 時間。
 言われて、上条は改めてリミットを意識した。
「オリアナ達は『使徒十字クローチエデイピエトロ』を使うために夜空に星座が出てくるのを待ってるって仮定すると、やっぱりあの十字架が発動しちまうタイムリミットは日没か」
『直後って訳じゃないかもしんねーぜい。扱う星座にもよるが、一等星から三等星まで全部くっきり見えなきゃダメって可能性もあるしにゃー。今の時間は……』
 この電話が長引いているせいか、もう午後四時に差しかかろうとしている。九月下旬の日没は、おそらく午後七時前。一番星などは日没前に輝くので、場合によっては午後六時でも危ないかもしれない。
 つまりあと二時間から三時間の間に、オリアナを発見しなくてはならない。いや、『使徒十字クローチエデイピエトロ』がオリアナの手にあるとは限らない。その場合は、リドヴィア=ロレンツェッティの居場所を吐かせ、そちらを捕まえるしかない。
 時間が足りない。
 オリアナ一人でも捕まえられる保証はないのに、その上でリドヴイアまで見つけなくてはならないとなれば、余計に。
『いまいち決定打に欠ける気がするが……とにかく動こうぜい。オレはこれからオリアナがこれまで通ってきたルートを……逆になぞって、占星術的な共通点を探してみる……。上手うまく事が進めば……オリアナが次に目指している地点が、分かるかもしれない……』
「ちょ、待った! お前、そんな状態で動いても大丈夫だいじようぷなのか」
『そんな、状態? ハッ。……カミやん、このオレがどんな状態だってんだにゃー?』
 土御門つちみかどは平静を装ってそう言った。
 電話の向こうで、傷だらけのまま唇の端をゆがめている馬鹿ばかの姿が目に浮かぶ。土御門は魔術まじゆつほかに、肉体再生オートリバースの能力を持っているが、それは無能力レペル0止まりだ。ないよりはマシだろうが、消しゴムでこするまうに傷口が消えてくれるほど便利な力ではないはずだ。
 上条かみじようは何かを言おうとしたが、何を言っても無粋ぶすいにしかならないと考えを改めた。
「……、分かった。じゃあその間に、おれはどう動けば良い?」
 そうだな、と土御門が助言をくれる前に、
 上条当麻とうまの背後から、別の声が飛んできた。

「……とうま、こんな所で何してるの?」

     2

 自律バスは停留所でまっていた。
 オリアナ=トムソンは他の乗客同様に、軽く周囲を見る。
 普通の、乗り降りのための短い停車ではない。重量オーバーによってバスを操るAIが緊急きんきゆう停止しているのだ。どうも、ただでさえぎゅうぎゅうの車内に、さらに乗客が乗り込んできた事で限界を迎えたらしい。
 車内のスピーカーから女性の声が飛んでくる。あらかじめ録音されたものらしく、抑揚には感情がない。
『まことに申し訳ありません。安全性の都合により、ただいま本車両は緊急停止しております。
お客様には大変―――』
 具体的に何をどうする事で問題を解決させるのかは告げていない。どの道、だれかが降りなければ重量オーバーは解決できない。手荷物を捨てても良いという人間がいるなら別だが。
 オリアナは、素直にここで降りる事にした。
 いつ発進するか分からないバスにとどまるぐらいなら、別の交通機関を探した方が良さそうだったからだ。
 冷房の効いた車内から、炎天下のアスファルトへと降り立つ。
 そのまま街を歩く。この辺りには大きな競技場があるのか、人の数が多い。周りに並んでいる屋台なども、メガホンや団扇うちわなど応援系のグッズを売っているものばかりだ。
 オリアナは、完全に停留所が見えなくなってから、
(なぁんだ。結局、カンザキカオリは来てないみたいねぇ)
 そっと息をいた。
(何度か尾行確認はやったけど反応なかったし。チッ、せっかく対聖人用に考案したページは全くの無駄骨むだぼねみたいね。あれは普通の魔術師まじゆつしには大した効果はないし……この欲求不満なモヤモヤはどうしてくれようかしら。まあ長い人生、これから聖人とぶつかる可能性もあるかもしれないけど)
 その時、オリアナは自分が上半身を破壊はかいした黒髪の少女を思い出した。削れる肉体と共に、隠された十字架までも破壊された女子生徒を。
(……、)
 オリアナは、手の中の単語帳を見た。
 苦いものをむようにオリアナはページを口で破り、通信用の術式を発動させる。それは、頭の中でイメージしたものを互いに伝えるための術式だ。オリアナは、脳裏に浮かんだとある一場面を送信しながら、
「リドヴィア」
『言いたい事は、分かっています』
 通信相手はリドヴィア=ロレンツェッティ。
 ただし脳裏に直接聞こえるのは、いつもの言葉を途中で区切るような話し方ではなく、
貴女あなたが手をかけた少女は、ただの一般人でした』
 断定。
 ガン!! とオリアナは地面を蹴飛けとばす。
 それが周囲の風景から浮いてしまう行動だと分かっていても、ほとんど反射的に。
(一度ならず、二度も誤射をするなんて……ッ!!)
 歯噛はがみするオリアナを、冷たい言葉が貫いていく。
『先の錬金術師れんきんじゆつし事件の調査報告に、名前と写真があります。彼女は姫神秋沙ひめがみあいさ。非常に重要な力を有しているものの、特に魔術師という訳ではありません。あのケルト十字は特殊な力を封じるために、別の魔術師に与えられた霊装れいそうに過ぎないものであり、攻撃性こうげきせいも一切ありません。誤解をけるよう、イギリス清教から正式な文書による通達があります』
 カンザキカオリの情報はおそらくバッタリだ。
 その上、敵かと思っていた少女もイギリス清教とは関係なかった。
「……最低ね」
『まさしく最低です。我々は本件とは一切関係のない一般人を、きばにかけました。それも二度。
一度目は競技の途中で敵対魔術師が介入したのも一因だったと思われますが、今回は純粋にこちらの責任です』
 きっぱりとした声で、リドヴィアは告げる。
『我々は、守るべき者に手をあげました』
 それはまさしく、無知なる者に教えを広める修道女そのものの声で。
『我々が手を差し伸べるべきは、すべてに満たされた聖人君子ではなく、迷い誤り救いを求める罪人こそである。「神の子」が嫌われ者の徴税者マタイと共に食卓についた時の御言葉です。
我々はそれに反しました。何を意味しているか分かりますか』
「……、」
 オリアナはだまり込んだ。
 リドヴイアの言葉は、途中で区切るどころか、もはや疑問符すらない。最初から最後まで決まりきった聖書の言葉をただ言い放つような、介入を許さない声であり、そして何より、

『我々は、もう二度と誤ってはいけません。傷をつけられた彼女のためにも、細心の注意と共に「使徒十字クローチエデイピエトロ」を使用し学園都市を支配しなくてはならないのです』

 彼女の口調には、迷いがない。
 どれほどのマイナスを抱えても、それらすべてをプラスに変換する感覚でリドヴィア=ロレンツェッティは話を続けてしまう。
 反省はする。後悔もする。
 リドヴイアは今、間違いなくオリアナよりも胸を痛めているはずだ。
 しかし彼女は、苦さすらもかてにして前へと進む。試練という言葉の意味を知る彼女は、どれだけ痛めつけられても、その経験を生かしてさらに速度を上げていく。ゆえに、リドヴィアは立ち止まる事を知らない。生まれた直後から死ぬ直前まで、絶対に。
 オリアナは、ゾクリとした寒気を背筋に感じた。
 強い弱い以前の、もっと土台にあるものの『差』によって。
「本当に……」
 だから、オリアナは確認した。絶対に迷わない修道女に。
「……これで、何もかもが上手うまくいくんでしようね。学園都市を手中に収める事で、皆が抱えている問題の全てが」

     3

「……とうま、こんな所で何してるの?」
 上条かみじようはギクリとした。
 慌てて振り返ると、そこにはチア衣装を着たインデックスが立っていた。今の彼女は、両手にポンポンをそれぞれ持っている。ポンポンに包まれるように抱かれた三毛猫みけねこは、ビニールによるふさふさ感が苦手なのか、ちょっと暴れていた。
 彼女は首をかしげている。
 傾げながら、しかしそのまゆは、怒ったように寄せられていた。
(まずい……ッ! ウチの学校、次はこの辺の競技場で試合すんのか!?)
 学園都市の外には、多くの魔術師まじゆつしが待機している。彼らの国や組織はバラバラだ。そして、そういった魔術師たちはインデックスを中心として半径一キロ四方にわたって、魔力の流れをサーチする術式を常時展開させているらしい。
 サーチ術式が、何らかの魔力をとらえた瞬間しゆんかん、彼らは学園都市にみ込んでくる。
 その全員が、オリァナやリドヴィアが起こす事件の解決を第一に考えているとは限らない。
学園都市敵対派の人間が、これを機に様々な破壊はかい工作に手を伸ばす危険もあるらしい。
「とうま、何で『くらす』のみんなと一緒いつしよにいないの? みんなもとうまの事、捜してたよ。
今は次の『キョウギジョウ』に向かうためにゾロゾロその辺を歩いてるけど」インデックスは探るような声で、「午前中は競技に参加してた気もするけど、午後に入ってから全く参加してないよね。何で?」
 インデックスの口調は、責めるようなものであっても、いつものような明るさ、激しさがない。何か、良くない事でも起きているのでは。少女のあどけない顔からは、そんな感情がジワリと染み出している。
 それは、これまでも上条かみじようが勝手に事件へ首を突っ込んでいた、という経験があるせいか。
(オリアナのヤツは、遠くに行ったよな。近くの停留所で降りてねーだろうな?)
 上条は心の中で思考を空転させていく。追っているはずのオリアナに遠くにいて欲しい、というすさまじく皮肉的な状況に頭の奥を焦がしながら。
『……、』
 耳に当てている携帯電話の向こう、土御門つちみかど沈黙ちんもくして状況の成り行きを見守っているようだ。
上条は道の手前と奥をそれぞれ見て、自律バスの姿がない事を確認したが、
「とうまってば。あいさとかこもえもどっか行っちゃったきりなんだけど、とうまと一緒じゃなかったの?」
 その声に、上条はギクリと身を強張こわばらせた。
(そうだ。ステイルと小萌こもえ先生が、魔術を使って姫神ひめがみ治療ちりようを……ッ!?)
 動きが凍り付いた。
 あの現場から、距離は一キロ離れていたか。どうだったか。
「あ、ああ。何か運営委員の方が人手不足らしくてさ。そっちの方を手伝ってたんだ。おかしいな。クラスの連中にはメール送ってたと思ったんだけど」
「めーる?」
「うーん。圏外にいたのかな。センターまで電波が届いてなかったのか? そういやアンテナが何本立ってるか確認してなかったけど…:普通の商店街だったから中継基地ぐらいあると思ってたのにな。何でだろ? 大覇星祭だいはせいさい期間中は大勢の人達が一斉に携帯電話使うから回線が混雑する恐れがあるとかってニュースも流れてたけど、でも中央の処理能力上げて対応するって話だったはずだしなぁ」
「???」
 チア姿のインデックスは小首をかしげた。
 彼女が苦手としている科学サイドの常識や携帯電話の話題でけむに巻くつもりだったが、どうやら上手うまくいっ。たようだ。
 上条かみじようは耳元の携帯電話を小さく振って、
「こっちはちょっと、話し中だから。インデックス、すぐ戻るから先にみんなのトコに行っててくれ。あー、もしもし? そっちの外側、なんか変わった点とかあるか」
『『いやー……ないない。外側まったく変更なし。安して、良いぜい…… 声に、上条はホッとした。 ステイルの|治療ちりよう現場は、インデックスの周囲に張られているサーチ術式 インデックスは、そんな上条の様子を見て、ややユゆをひそめたが、「とうま、とうま。次は『くみたいそう』だって言ってたよ。ちゃんと来「……、」 上条は一拍置いて、「行くよ。できるだけ早く、手伝い終わらせてさ。ちゃんと行く。だからインデックス」』
 声に、上条はホッとした。
 ステイルの治療ちりよう現場は、インデックスの周囲に張られているサーチ術式の圏外にあるようだ。
 インデックスは、そんな上条の様子を見て、ややまゆをひそめたが、
「とうま、とうま。次は『くみたいそう』だって言ってたよ。ちゃんと来れる?」
「……、」
 上条は一拍置いて、
「行くよ。できるだけ早く、手伝い終わらせてさ。ちゃんと行く。だから待っててくれるか、インデックス」
 絶対にかなえられない約束を、告げた。
「うん」
 インデックスは、迷いなくうなずいた。
 ポンポンにまみれる三毛猫みけねこを抱え直し、
「分かった。とうまも早く来てね。私、とうまを応援するために、こもえに教えてもらって振り付けちゃんと覚えたんだよ。見たら絶対びっくりするんだから」
 笑顔で言って、上条に背を向けた。そのままぐ進む先は、次の競技場だろう。寄り道などせず、食べ物の屋台の横を通っても見向きもしないで、すべてを信じたまま。
 上条当麻とうまは、彼女の背中が見えなくなるまで動かなかった。完全にその姿が人混みの向こうに消えてから、彼はようやく動いた。目を伏せたのだ。まるで、深く頭を下げるように。
 携帯電話の向こうで、土御門つちみかどが言う。
『……悪いな、カミやん』
 オリアナやリドヴィアが街にやって来なければ、今頃いらレろはクラスのみんなと一緒いつしよ大覇星祭だいはせいさいを満喫していたはずだろう。土御門やステイルが協力を求めてこなければ、何も気づかずにインデックスや姫神ひめがみと一緒に街を回っていられたに違いない。彼は、ただの一般人なんだから。魔術師まじゆつしがやってきたとしても、そいつと絶対に戦わなければならない義務などないのだから。
 上条は、ほんのわずかに、そういった可能性を考えて、
「いや」
 しかし、きっぱりと言い放った。
「何も知らずに笑ってるってのも、それはそれでつらいんだよ。おれやインデックスが笑ってる陰で、お前らが血まみれで苦しんでる状況なんて考えたくもねーからな」
 そう、土御門つちみかどだって本来なら大覇星祭だいはせいさいを楽しんでいられたはずだ。ステイルだって、魔術師まじゆつしと戦うため以外の理由で、学園都市にやって来られたかもしれないのだ。
 彼らが不幸を運んできた訳じゃない。
 それに、たとえ彼らが運んできたとしても、逃げる必要なんてどこにもない。
「だから、俺は同時に思う訳だ。自分が嫌だって思ってる事を、ちゃっかりインデックスに押し付けちまってるのは何なんだろうな、って。……馬鹿ばかみたいだよな。これで、アイツを巻き込みたくないとか平気で考えて喜んでんだぜ、俺ってヤツは」
『……、』
 土御門元春もとはるは、もはや何も言わなかった。
 プロとか素人しろうととか、魔術師とか一般人とか。そういった小さなものを超えた所で、土御門元春という人間が見せた思いやりの形が、物言わぬ沈黙ちんもくという形で表れていた。
 それゆえに、上条当麻かみじようとうまは一人で語る。
 結論を出す権利を、ゆずってもらう形で。
「こんな手伝い、早く終わらせちまおうぜ。それでインデックスの所へ戻ろう。みんなで馬鹿みたいにさわいで馬鹿みたいに物食って馬鹿みたいに写真撮って―――馬鹿みたいに思い出に浸りてーよなぁ」

     4

 午後四時三〇分。
 上条当麻はオリアナを見失ったと思われるバス停を中心点に、円を描くように周辺を捜索していた。
 もちろん、十中八九かそれ以上の確率でオリアナは自律バスに乗って逃げているはずだ。それでも彼女がこちらの予測を裏切る形で、えてバスに乗らなかった可能性もある。正攻法でオリアナを追い駆けられず、『使徒十字クローチエデイピエトロ』の使用条件探索など技術不足の上条には不可能である事を考えると、今の彼にできるのは、こうしたイレギュラー的な可能性をつぶす行動のみとなる。
 本命である土御門は、これまでのオリアナの出現パターンから、『使徒十字クローチエデイピエトロ』の使用ポイントの割り出しにかかっている。この辺りの知識は完全に魔術師任せとなるため、上条はその報告を待ち続けるしかないのだ。
 上条かみじようは走りながら、午後四時三〇分の空気を肌で感じる。
 お昼から夕方へと移行しつつある街は相変わらずの炎天下であるものの、日差しが皮膚ひふを突き刺すようなものから少しだけ角が丸くなったような印象がある。
 相変わらず、お土産みやげを買ったり競技場へ向かったりする人たちあふれている街中を、上条は走る。途中、人混みの中にチラホラと金髪が見えたりするのだが、
(……ッ? いや違う、ありゃオリアナじゃねえよな)
 髪の色を抜いている学生や、外国からの観戦客などもたくさんいるため、金髪の人自体はそれほど珍しくもない。
 上条は通行する人達の邪魔じやまにならないよう、歩道の端に寄ってから足を止めると、
(オリアナが、じっと隠れてこっちが立ち去るのを待ってるって様子は、とりあえずなさそうだな。……建物の中にいなければ、の話だけど)
 思いつつ、彼は視線を歩道から少し上へ向けた。高さが不均一なコンクリートのビル群の窓ガラスが、日差しをギラリと跳ね返してきている。
流石さすがに全部見て回るのは難しそうだけど……それでも、何もしないよりかはマシか。よし!) 上条は両手で自分のほおを軽くたたいて、手近な大型電気店のビルへ足を向ける。
 その途中、
「待ってよー、ってミサカはミサカは追い駆けてみたり。良いじゃんミサカはお土産見てただけなんだから置いてかないでってば、ってミサカはミサカは必死に抗議してみるけど立ち止まる気配はなしかよ」
 子供の声が聞こえた。
 上条は何気なく振り返ってみたが、人混みの中にそれらしい姿はない。小さな子供の声っぼかったし、人の山の中に埋もれてるのかも、でもミサカって……? などと彼は考えたが、今はそれよりやるべき事がある。
(本命は、土御門つちみかどの方だからな。あっちにも頑張ってもらわないと)
 彼は自動ドアをくぐり、明るく広い店内を見回す。
 適度にエアコンが効いて、十分な照明で満たされた店内は、人が肌で感じる時間の流れを鈍らせる働きを持っていた。上条はゆっくりと店内を回り、オリアナらしき姿がないかどうかを確かめつつ、時折その視線を大型ウィンドウの外へと向ける。
 午後四時三〇分の空は、突き刺すようなまぶしさが少しずつせていっていた。まだ赤色ではないが、深い青がうすまっている気がする。あと一時間もしない内に、夕空へと変わっていくだろう。
 そして一番星が輝き始める。
 夜のとばりが完全に下りる前に、強い光を持つ星座はその顔をのぞかせるはずだ。
「……例の仮説が正しいとすると、リミットは二時間弱か」
 上条が思わずらした時、携帯電話が鳴った。
 表示に映るのは、土御門つちみかどではなかった。非通知だ。
 通話に出ると、ステイル=マグヌスだった。
『番号は土御門から聞いた。登録するつもりはないけどね』煙草タバコを吸っているのか、時折息を吹きかけたようなノイズが混じる。『女学生の手当てが終わった。そっちは今どこにいる?』 上条かみじようの呼吸が、一瞬いつしゆん止まった。
 慌てて携帯電話にみ付くように、
「!? 姫神ひめがみは、アイツはどうなったんだよ!」
『……僕に完壁かんぺきさを求められても困る。慣れない手を使って初めて行った治癒ちゆの術式だ。すべてが上手うまくいくはずがないだろう。正直、もうあんな術式は二度と使いたくないね。素人しろうとの聞きかじりの知識だけを参考に、こちらであやふやな言葉に含まれる魔術的まじゆつてき意味を慎重に探り出して、治癒術式を組み立てるなんて馬鹿ばかげた綱渡りは。いつ暴走に巻き込まれて死ぬかと冷や汗ものだった。今も生きた心地がしないぐらいだ』
 ステイルはいまいま々しそうな声で答えた。
 この自尊心の塊のような男がそこまで言うからには、相当に危険な荒業あらわざだったのだろう。
 上条の腹に、重たいものが落ちるような感覚がしたが、
『とりあえず、破れた血管を補強して失った血液を増加させ、痛覚信号をやわらげた事でショック症状からは脱したみたいだ。後は医者の仕事だが……救急隊員はやけに自信があるようだったね。何でもこの近くの病院には、こういう事態であればあるほど腕が鳴ると豪語する不思議な医者がいるようだ』
 バツが悪そうな声だった。
 悪党が、つい道端の子猫を救ってしまった所を、一般人に見られた時のように。
「お前……」
『あ? 何だその腋抜ふぬけた声は。何度も言うが僕は君と日和ひよる気もれ合うつもりもないと……ぐああっ!?』
 ドゴォ!!と電話の向こうからとんでもない音が聞こえた。
 ステイル以外の声も飛んでくる。
『ううっ! 先生はまだありがとうを言ってないのです! ぶああーッ!! もしもここにあなたがいなかったら、姫神ちゃんは、姫神ちゃんはーっ!!』
『や、やめろ! 泣き顔全開でこちらに抱き着いてくるな! 大体、まだ確実に助かるとは約束できない。失った体力を回復できなければ、結局倒れてしまうんだから……と聞いているのか?』
 携帯電話に耳を当てている上条としては、魔術師にまとわりついている(らしい)小萌こもえ先生がいつ消し炭にされないかとビビりまくりの状態なのだが、意外にもステイルは実力行使に出ないようだ。もはや小さい女の子ならだれでも警戒を解くのかもしれない。
 小萌こもえ先生の前で魔術戦まじゆつせんの詳しい話をする訳にもいかないので、上条かみじようは『また後でな』と適当に言って通話を切ろうとした。が、
土御門つちみかどに連絡しろ一
 み合いみたいな物音が聞こえる中で、ステイルはそう告げた。
『何かつかんだらしい。こちらも、この人を引きがしてからヤツの元に向かう』

     5

 土御門は第七学区の一角にいた。
 最初に上条や吹寄ふきよせがオリアナと遭遇した場所だ。
 辺りは何の変哲もない大通りだった。大型のデパートが建ち並び、風力発電のプロペラがくるくる回り、ドラム缶型の警備ロボットが歩道を移動している。体操服姿の生徒たちはいつも通りにすれ違い、私服の観戦客はロボットを見るたびにわざわざ足を止めていた。どこにでもある一角であるため、逆に迷ってしまいそうな場所でもある。
破れた体操服は新しい物に替え、その中に巻かれた包帯も服の外からは見えない。それでも血の気が抜けた事で顔色が悪くなっているのは隠せない状態だ。風も吹いていないのに時折体はふらりと揺れるし、呼吸もどこか浅く不自然だった。無能力レペル0肉体再生オートリバースはかろうじて破れた血管をつないでいる程度のものでしかない。それでも、この力がなければとっくに倒れていただろうが。
 そんな状態であっても、土御門元春もとはるは炎天下の一角に立っていた。
 理由は簡単、やるべき事があるからだ。
(こうして、実際に自分の足を使って確かめてみると……)
 土御門は、飛行船やアドバルーンの浮かぶ青空を見上げながら、
(……色々と分かってくる事もあるモンだにゃー。オリアナの野郎、リスクを冒してまで街中走り回ってた理由は、やっぱコレか?)
 彼は東洋術式の一大流派・陰陽道おんみようどうの優れた術者である。
 一口に『陰陽』と言っても修得すべき技術は数多く、風水ふうすい占術せんじゆつ練丹れんたん呪術じゆじゆつ祈薦きとう暦術れきじゆつ漏刻ろうこくなど、その目的も方向性も多種多様に広がっている。時間の計り方から国家の存亡まで、そのすべてをつかさどるのが陰陽道の真骨頂なのだ。
 土御門の専門は風水だが、しかし彼が学んだものはそれだけではない。
 空を見上げれば分かる。
 街路樹の深い緑色の枝葉に若干隠されてしまっているが、そんなものなど関係ない。
 今の日付と座標を確認すれば、ただ青いだけの空のどこにどんな星が並んでいるのか。天球儀てんきゆうぎやホロスコープなどを使わなくても、彼は自分の頭の中にたたき込んだ知識と正確に重ね合わせる事ができた。
(ま、これが禁書目録レベルになると、実際に空なんか見上げて確かめなくても、話を聞いただけで答えを当てちまうんだろうがにゃー……)
 思わずそんな感想を漏らしてから、土御門つちみかどは心の中で苦笑した。
 あの少女に対して、純粋な知識量で勝負をしようと考えるのがすでに間違いなのだ。
 ともあれ、彼は気を引きめて結論を出す。
(なるほど……にゃー。星座を利用するって……考えは、当たりっぽいぜい。こりゃどうも、秋の星座をベースにしてるっぽいにゃー……。どの地点から……眺めても、ある一定の星座を全く同じ魔術的まじゆつてき意味で、読み……取れるように工夫がされているとしか思えない……っ痛) 土御門は顔をしかめて脇腹わおばらを押さえながら、一つ一つ考えをまとめ上げていく。
 オリアナの辿たどったコースを転々としていく内に分かったのは、そういう事だ。
 どこのポイントから星空を眺めても、同じように見える。
 一見すれば当たり前のような理論だが、これが魔術的な意味を含むとなると事情は異なってくる。
 星座とは、言ってしまえば地球上から見た仮の姿に過ぎない。星が並んで見えるのは単なる遠近法の錯覚さつかくだ。極端な話、地球から眺めている星座を真横から見る事ができれば、それは全く違う形に映るはずである。
 より厳密な意味においては、一歩でも異なる地点から星空を観測すれば、それだけで星座は『ほんのわずかに』形を変えてしまう。違いと言っても肉眼では分からないレベルだが、だからこそ読み違えて暴走に巻き込まれる新米魔術師も多い。星の力を借りるギリシアやエジプトなどの術者が、より精密な天文台を求めて巨大な神殿を築いていったのにはそうした意味がある。
 星空自体は珍しくも何ともない、だれにでも利用できる資源だが、それを受け止めるための準備にえらく手間がかかる、というのが星座利用型術式の特徴だ。先ほど土御門は『星座は様々な術式に応用できる』と言ったが、それを行うためには、各術式に対応した天文台を別個に建てていかなければならないぐらいなのだ。多神教のギリシアで『軍神の神殿』や『守護神の神殿』などがそれぞれ分けて建てられたのが良い例だろう。
 ほんの少し動いただけで魔術的意味が異なってしまう天文台。
 にもかかわらず、今土御門が巡った三つ四つの天文台から全く同じ意味が浮上したという事は、(偶然、って訳がねーわにゃー。となると―――確定、か。やっぱりオリアナやリドヴィアの野郎は秋の星座を『使徒十字クローチエデイピエトロ』に組み込んで発動させようとしているのか……)
 土御門は広がる青空を見上げる。
 彼はサングラス越しにゆっくりと目を細めて、
(……だとすると、あの矛盾はどうなっちまうんだろうにゃー)

     6

『あっ、吹寄ふきよせちゃんなのですか? もうお身体からだの方は大丈夫だいじさつぶなのですかー』
 吹寄が電話をかけると、月詠小萌つくよみこもえの丸まった声は即座に返ってきた。
 彼女は現在、病院の中庭にいた。ベッドの中で休んだり病院内をウロウロしている内に少しずつ体力は回復していき、行動範囲が徐々に広がっていった結果である。
 ここは屋根のついた休憩所のような場所で、木でできたテーブルやベンチがいくつか並べてある。そして吹寄のほかにも、携帯電話を操作している患者が五、六人いた。休憩所の柱には鉄の看板で『携帯電話使用区域・精密医療いりよう機器使用中の患者様の出入りは厳禁』と書かれてあった。まるで喫煙スペースの注意文のようだ。
 暇さえあればとりあえず携帯電話を操作している人間にとっては、院内全域で使用禁止される事が相当のストレスになるらしい。ここはそういった人たちのために条件を整えた上で開放されているエリアなのだ。
 吹寄は携帯電話を耳に当てつつ、
「こっちは大丈夫です。それより大覇星祭だいはせいさいの方は問題ありませんか? 例えば、あのバカたちがとんでもない事をしでかしていたりとか!」
『あっ! あったのですあったのですよ。姫神ひめがみちゃんが大ピンチになっちやったのです!』
「……まさか、またあのバカが着替えを目撃もくげきしたとかそういう事ですか!?」
『違うのですよ! 姫神ちゃんが何者かにおそわれて病院に運ばれちゃったのです! たまたまあそこに上条かみじようちゃん達が通りかかってくれたから良かったものの、もしあそこで小萌先生一人だけだったら……だったら、大変な事になっていたかもしれなかったのです……』
 しょんぼりと沈む小萌先生の声には、しかし心の底からの絶望といったニュアンスは含まれていない。おそらくは、最悪の事態だけはけられた事で安堵あんどしている所なのだろう。
 が、吹寄にはいくつか引っかかる事があった。
(襲われた……?)
 だれに、何で、という疑問が真っ先に浮かぶ。
 あるいは、姫神秋沙あいさという転入生自体には何の理由もなかったかもしれない。学園都市そのものを嫌う思想を持った人間が、。大覇星祭を利用して何かしでかそうとしている、というのは毎年言われている事だ。だとすれば、
警備員アンチスキル風紀委員ジヤツジメントは、一体何を……?)
 競技にも参加している風紀委員ジヤツジメントはともかくとして、警備員アンチスキルの方は万全の態勢で警戒しているはずだ。大覇星祭が開放的なイメージを持っているのは、あくまで見た目だけの話なのだから。
 彼らが手を抜いていたのか。
 それとも彼らを凌駕りようがするほどの何者かが街の中にいるのか。
 それに何より、
「『上条ちゃん達がいなかったら』というのはどういう事なんですか?」
『そうなのですよ! 姫神ひめがみちゃんの傷がひどくて先生一人ではどうにもならなかったのです!でも、上条かみじようちゃんたちがテキパキとしてくれたのです! ああ、上条ちゃんと一緒いつしよにいたあの神父さんは一体どこのどなただったのでしょう? お礼を言う前に逃げるように立ち去ってしまって……あっ! 今あそこの角を曲がったのはもしや!!』
 バタバタバタ!! という大きな足音が電話の向こうから聞こえてくる。
「……、」
 確か、自分の時もそんな感じではなかったか。
 日射病で倒れた時、真っ先に反応し、この体を介抱してくれたのは一体だれだったか。
 ほかの学校の競技にわざわざもぐり込んでいたあの少年。
 冷静に状況だけ見れば、明らかに異常な事だ。
 吹寄ふきよせは考える。
(あたしの場合は日射病で、姫神さんの場合は実際にだれかにおそわれている。なら、やっぱりこの二つには関連性はない? でも、その両方に上条当麻とうまかかわっているというのは……)
 どういう事なのかしら、と吹寄制理せいりまゆをひそめた。
(……一体、この街で何が起こっているの?)

     7

 上条は、帰ってきた土御門つちみかどから話を聞いた。多少は彼の『肉体再生オートリバース』も効いてきたのか、口調にも張りが戻りつつある。と言っても、やはり青白い顔色や冷たい汗を見る限り、本来なら素直に病院へ行くべきなのだろうが。
 そんな土御門が告げたのは二点。
 オリアナ達は、秋の星座を利用して『使徒十字クローチエデイピエトロ』を使おうとしているのだという事。各ポイントの『天文台』は、すベてその星座を中心に設定されているのだという事。
 しかし土御門は、自分が上げた成果に対して懐疑的かいぎてきであるようで、
「確かにオリアナが歩き回ってたのは星座に関する事だったし、おそらくそこに『使徒十字クローチエデイピエトロ』発動のかぎがあるって考えも間違ってないんだろうが―――でも、これじゃペテロの十字架として発動できるかどうかは怪しいモンだぜい。何せ『使徒十字クローチエデイピエトロ』が歴史上使われたのは、夏の星座が主流の時だ。どう考えたって、今現在の九月末にある秋の星座で、それが代用できるとは思えない。……まだ何かあるんだ、きっと。オレ達が解いてないギミックってヤツが」
 土御門の顔色は青白く、皮膚ひふには冷たい汗がたくさん浮かんでいた。着替えたのか体操服は新品同様だったが、それに反して指のつめに、わずかに固まった血がこびりついている。
 痛々しいが、そこを追及して喜ぶような人間でないのは分かっているつもりだ。
ぞも、現にオリアナは追っ手に見つかるかもしれないリスクを負ってでも、星座に深く関係するポイントってヤツを探し回っていたんだろ、土御門つちみかど。お前オリアナがまだ行っていないポイントは分かってんだよな?」
「ああ。……でも、その『未解明のギミック』が引っかかる。そいつの内容によっちゃ、オレが見つけ出した場所以外も『天文台』として使えちまうかもしんねーからにゃー。はっきり言って、時間が時間だろ。オレたちが予測した『天文台』に意気揚々と行ってもだれもいなくて、オリアナ達が街の反対側で術式を発動させようとしてたら、どうする? もう収拾がつかなくなっちまうにゃー」
 土御門はあごの下へ流れる冷たい汗をぬぐいながらそう言った。
 上条かみじようは今の時間を確認する。
 午後五時前。
 確かに、電車やバスを使っても、街の端から端まで往復移動するとなると危険な時間帯だ。リミットが何時になるか正確な数値が分からないのが難しい所だが、下手すると一時間後にはすべてが終わっている危険性もあるのだから。
 上条は携帯電話の画面に映る時計機能に目を落としながら、
「かと言って、これ以上あれこれ考えてるだけの時間もねーだろ! こうしている今だって時間は過ぎてんだ! 気がついたらどこのポイントにも向かえなくなってしまいました、なんてオチだけはゴメンだぞ!!」
「そいつは、分かってんだけどにゃー……。くそ、こんな時にステイルのヤツはどこで何してやがんだ」
 土御門も時間の都合は分かっているのだろう。渋い声で答える。
 確証はなくてもみ込むか。
確証を得るまで踏み込まないか。
 どちらを選ぶにしても、今の彼らには背中を押す最後の一要素が足りない。思考が沈黙ちんもくを生み、沈黙が重圧を生み、上条は辺りの空気が息苦しくなってきたのを感じた所で、
 不意に、携帯電話が鳴った。
 上条の物ではない。土御門は怪認けげんそうにポケットから携帯電話を取り出したが、画面を見て顔色が変わった。
「カミやん、イギリス清教からだ!」
 そう言えば、ステイルは英国図書館にいるメンバーに情報収集をたのんでいるとか言っていたような気がする。
 何か新しい事が分かったのかもしれない。
 とにかく少しでもヒントが欲しい上条達かみじようたちとしては、どんな内容であっても構わない。いつもは冷静なはずの土御門つちみかどが少し慌てたように携帯電話を操作し、スピーカー機能をオンにしているのに上条は土御門の携帯電話に横から顔を近づけてしまう。
 果たして、携帯電話から聞こえてきた声は、
『あら。そちらはステイル=マグヌスさんで合っているのでございましようか?』
「「間違い電話かよ!!」」
 二人が同時に叫ぶと、電話の向こうの女性はしょんぼりした風に、申し訳ございませんでしたと言った。……何でも良いのだが、外国人のステイルに話しかけているつもりなのに、どうして日本語だったんだろうと上条は首をひねる。
 土御門はあほれたようにため息をついて、
「あーあー、こっちは土御門元春もとはる。ステイルの方と一緒いつしよに動いてるから、報告ならオレの方で受けとくにゃー。……で、なんか分かったのか?」
『そうなのでございますよ。英国図書館の記録を当たってみた所、『使徒十字クローチエデイピエトロ』に関する新情報を入手できましたので、そのご報告でございますね』
 のんびりとした調子の声が返ってくる。
 その声を改めて聞いて、上条は『おや?』と思った。この声、どこかで聞き覚えがある。
「ありゃ。もしかしてオルソラなのか?」
『その声は……まぁまぁ。あなた様だったのでございますね。先日はどうもありがとうございました。おかげですっかりこちらは―――』
「にゃー。話を脱線させずに、さっさと先へ進んでくんねーかにゃー?」
 土御門は疲れが混じったようなイライラした声で割って入った。
『―――イギリス清教の方々とも馴染なじむ事ができて、先日も神裂かんざきさんに美味おいしい日本料理店の場所を紹介していただいて……。ああそうでございました、天草式のお方々はロンドンの日本人街を任されているようでございまして』
「土御門の言葉は笑顔で無視かよ!? あーもうとっととつかんだ情報を教えてくれってば!!」
 上条が絶叫し、土御門が貧血気味にふらふらと首を揺らしていると、電話の向こうのオルソラがようやく『あら』と言って言葉を切った。
『そうでございますね。なら、手っ取り早く英国図書館で得た情報を言ってしまうのが良いのでございましょう。うふふ、とっておきなのでございますよ?』
「……とか言いながら、とっておきの日本料理店情報とかは禁止だぞ、オルソラ」
 上条が低い声で告げると、「もちろん分かっているのでございますよ」と彼女は弾んだ声で答え、
『実はウォータールー駅から徒歩五分の所にオスシーの美味しいお店が』
「先手打ったじゃん今! 力技で強引に突破しないで『使徒十字クローチエデイピエトロ』の情報出せ!!」
『それはまことに残念でございます……。では本題なのでございますよ。良く聞いていてください』
 オルソラのふわふわした声に、しんが通る。
 上条かみじよう土御門つちみかどは真剣な面持ちで携帯電話に意識を集中させる。
『英国図書館の散文的な記録から分かった事は、「使徒十字クローチエデイピエトロ」の使用条件についてなのでございます』
 ピクン、と上条の肩がわずかに動いた。
使徒十字クローチエデイピエトロ』の詳細な使用条件。それは今まさに彼らが一番求めている情報だ。
 息すら止めて相手の言葉を待つ二人にオルソラは、
『何でも、「使徒十字クローチエデイピエトロ」は星座の力を借りて使用される大規模霊装れいそうなのだとか。十字架を大地に立てるのも、夜空の光を正確に集めるために行うのでございますよ。角度を合わせて空からの光を的確に受け止め、それを術式に組み込んで魔術的まじゆつてき効果を発動させるといった仕掛けになっているようなのでございますね』
「つまりオレがカミやんに言った、『使徒十字クローチエデイピエトロ』はある種のパラボラアンテナみたいなモンだって話だよな。だが、まあ……」
「……、だな。正直、あんまり新鮮な話題って訳でも……」
 上条は思わずため息をついた。土御門もとなりで肩を落としている。
『あら。そのガッカリぶりはどういう事でございましょうか』
「悪い、オルソラ。頑張って探してくれたのはありがたいんだけど、俺達おれたちもそこまではもうつかんでたんだ。そこからあと一歩がみ込めなくて迷ってた所なんだけど」
『そうで、ございますか  』
 オルソラの落ち込んだ声に、しかし上条はそれ以上気を回していられない。
 英国図書館、というのがどの程度の知識量を誇っているかは知らないが、少なくとも上条や土御門がここで手に入れられる量よりは絶対に多いはずだ。そこでかんばしい結果が得られないという事は、もうこの行き詰まりを解消してくれる、都合の良いヒントは現れないと宣言されたようなものだ。
 上条も、そしてプロであるはずの土御門の表情もくもっている。
 そんな中、電話の向こうのオルソラ=アクィナスは、
『―――それでは、シェリーさんと一緒いっしょに見つけた「使徒十字クローチエデイピエトロ」の使用エリアと対応する星座についても、すでに解明された後だったのでございますね。「使徒十字クローチエデイピエトロ」が夏や秋の星座など季節の星に関係なく、八八星座すべてを使い世界全土で自由に発動できる事を掴んだ時にはやりましたと思ったのでございますが……』
 は? と上条と土御門は同時に声を出した。
「待てオルソラ。それって何の話だ? 使用エリアが限定されてるのは何となく分かってるんだけど、夏とか秋とか、星座全部で使えるとかいうのは初耳だぞ。ちょうど土御門つちみかどが今の季節じゃ『使徒十字クローチエデイピエトロ』は使えないとかって悩んでた所だし、それさえ分かれば未解決のギミックも解けるかもしれないんだ。だからきちんと説明してもらえると助かるんだけど」
『……はぁ。事態が予想以上に好転しているのを喜ぶべきだと思いますけど、頑張った分が全部役立たずだったと分かるのはやっぱりつらいのでございますよ』
「勝手に絶望してないで説明してくださいオルソラ様! あとシェリーっていうのはやっぱりあのシェリーなの!?」
 上条かみじようがさらに二度三度と叫ぶと、オルソラはようやく話の軌道を元に戻してくれた。
『ええと。聖ピエトロ……英国こちらでは聖ピーター、公用スタンダードでは聖ペテロでございますが、彼が殉教したのは六月二九日とされているのでございますよ。当然、バチカンで「使徒十字クローチエデイピエトロ」が使われたのは、その直後だったと思いますが』
 十字教が公認されたのは四世紀、実際にローマ教皇領が『領地』として進呈されたのは八世紀辺りらしいが、ペテロが死んで『使徒十字クローチエデイピエトロ』が使われたのは一世紀中盤ぐらいとの事だった。土御門も言っていた説明だ。
 オリアナはさらに、その四世紀始めにコンスタンティヌス帝が十字教の存在を公認したのも、イタリアに攻め込んだフランク国王が教皇にこの地を進呈したのも―――そうしたバチカンにおける十字教徒にとってあまりにも都合の良すぎる歴史上の事例はすべて『使徒十字クローチエデイピエトロ』の効力によるものではないか、と推測しているらしい。
「???……ごめんオリアナ。歴史の勉強はさっぱり分からん」
『ようは、バチカンという地方で使われたのが六月末から七月初めと覚えていただければオッケーなのでございますよ』
 オルソラの声はのんびりとしたものだったが、土御門が鋭く反応した。
「……バチカンという地方では、ってのは?」
『はい。歴史上「使徒十字クローチエデイピエトロ」が使用されたのはその一度きりでございますが、周知の通りの十字架はバチカン以外の地方でも使用できるように作られていたようでございます。さて、ここで問題なのでございますが―――』
 彼女は一度言葉を切ってから、先を言った。
『―――六月二九日に使えるのはバチカン地方のみ。ほかの場所で使うには、それぞれ対応した日付でなければならなかったようなのでございます』
 つまりでございます、とオルソラの声はさらに続く。
『「使徒十字クローチエデイピエトロ」を使うために、術者は使用エリアの特徴・特色・特性などを詳しく把握する必要があるのでございます。さらにその使用エリアに対して最も効果的な星座を八八の中から選択する事で、初めて発動条件が整うのでございますよ。エリアの特定と星座の選択には複雑な知識が必要である上、一地方につき年に一度きりしか使えない、という様々な制約が生まれるものの、この方法なら事実上世界全土のどこであってもローマ正教による支配化が可能となるのでございます』
 オルソラの話では、リドヴィア=ロレンツェッティは『罪人』に布教を行うために世界各地を転々としていた。その間に『使徒十字クローチエデイピエトロ』の使用条件である、各地方のエリア属性と対応する星座、実際の使用期間やポイント『天文台』の位置などを詳細にまとめていた可能性があるらしい。まだオルソラがローマ正教徒だったころ、リドヴィアが古めかしい望遠鏡を抱えて次の布教地へと向かっていく姿を何度か見た事があると言っていた。
「だとすると、リドヴィアってのは『使徒十字クローチエデイピエトロ』使用ポイントを探るために、前から学園都市に侵入してたって事なのか?」
『そこは実測方法によっても変わると思うのでございますけど……。例えば、地上から見た北極星の角度などから緯度や経度を測って地図を作る場合は、地球上すべての座標でその作業をする必要はございません。主要ポイントを押さえ、後は机上の計算で済ませてしまう部分もありますから、学園都市内部に入らなくても良かったのかもしれないのでございますね』
 そういうものなのか、と上条かみじようはオルソラの言葉をみ砕く。
 それから、疑問にぶつかった。
「待てよ。これはそもそもペテロさんが死んだ事で作られた十字架じゃなかったのか? だったら、ペテロさんが死んだ時や場所以外でも使えるようにできているのは何でなんだ」
『そこなのでございますけど……』オルソラは、少し考えるように問を空けてから、『どうも、霊装れいそうそのものはペテロ様の生前から用意してあったようで……』
「……どういう事だ?」
『実はペテロ様は当初、ご自身がどこで殉教すべきか熟考していたらしいのでございます。今日こんにち、ペテロ様の眠る地がローマ正教全体の中心地となっている事からも分かる通り、ご自身の殉教地がその後の歴史に大きくかかわると存じていたから、というのもあったはずでございますが……。従って、ご自身がバチカン以外の場所でも……ローマ正教にとってもっと相応ふさわしい場所があるなら、そこを選べるように「使徒十字クローチエデイピエトロ」の使用条件に幅を持たせておいた可能性が高いのでございますよ』
 その言葉に、上条はゴクリとのどを鳴らす。
 それから、
。「でも、場所を自由に選ぶっつっても、日付の方は変えられないんだろ? 例えば寿命が近づいてきた時にフラリと使うんじゃなくて、その日キッチリ決まった予定で使うってのは……」
『ええ。実際、ペテロ様は六月二九日に処刑されているのでございますよ。ちょうどバチカンで「使徒十字クローチエデイピエトロ」が使える日付でございますね』
「……それじゃ、わざわざその日に合わせて捕まったってのか。殺される覚悟を決めて」
「ありえない話じゃ……ないにゃー」
 土御門つちみかどは口から疲れを抜くように、そっと息を吐いて、答えた。
「ペテロは当時のローマ帝国と仲が悪く、帝国の賓客ひんかくである魔術師まじゅっしシモン=マグスと敵対関係にあったんだにゃー。そしてとうとう最後には、その手でシモンを殺しちまう。ただでさえ十字教迫害の時代にそんな真似まねをすりゃ、自分がどんな末路に向かうかぐらいは想像できるだろ」
『さらに、彼の処刑時には様々な逸話があるのでございます。例えば先ほども少しお話ししましたが「Quo Vadisクオヴアデイス」というのが有名でございますね。帝国兵に捕まった際、ペテロ様は弟子からろうの外へ助け出され、街の外へ逃げるよう懇願こんがんされ、一度はローマの出口まで辿たどり着いたのでございますが、結局は引き返し、自ら帝国兵に捕まっているのでございますよ。何でも、街の出口にて「神の子」の幻影を見て、己の殉教の時を悟ったという話でございますが』
 オルソラはさらに続けて、
『ペテロ様は処刑当日、十字架に掛けられる時にも注文を出しています。「主と同じ方法では申し訳ないので、十字架を逆さまにしてくれ」と。もちろんこれらの言動は、敬慶けいけんな十字教徒としてのものだとは思いますが、もしかするとそれ以外にも―――』
「―――もしかすると、何か細工をしたって意味合いもあったって訳か……」
 上条かみじようは思わずといった調子でつぶやいた。
 一二使徒ペテロは、どんな行動を取っても自分がいずれ処刑される事は分かっていたのかもしれない。だからこそ、自分の死を最大限に利用できる瞬間しゆんかんねらっていた可能性もある。それも、自分が死んでから何百年も後の事まで考えて、だ。
 その後に続く、ローマ教皇領建国と。
 その土地の中で、ただ静かに守られるべき人々のために。
 単なる受身の状態とは格が違う。自分が死ぬ場所、死ぬ時間、それによって与えられる効果、結果、成果。それらすべてを熟考した上で、自らの末路を自らの手で設定していく。究極の冷徹れいてつと究極の慈悲とが合わさって実行された、究極としか表現できない一つの魔術。それこそが『使徒十字クローチエデイピエトロ』を用いて行われた、ローマ正教屈指の術式とでも言うのか。
「お偉い人間が自分の墓に小細工するのは、歴史的にも珍しくない。聖徳太子しようとくたいしだって、自分が入るべき墓を風水的に『徹底的に悪く』配置させる事で、その後の子孫を意図的に根絶やしにしたぐらいだからにゃー」
 土御門は青い顔のまま、感心半分あきれ半分といった感じで言った。
 上条はそれを聞きながら、一番重要な事を聞いただす。
「で、オルソラ。今日……九月一九日に日本で『使徒十字クローチエデイピエトロ』を使うためのポイントってのも、もう分かってんのか?」
『はい』
 対して、迷わず答えは返ってきた。
『もちろんなのでございますよ』

     8

 御坂美琴みさかみこと美鈴みすずの親娘は、街中を歩いていた。
 大手デパートが建ち並ぶ一角で、地下道と地上部分、さらに歩道橋を巨大化・複合化したような二階部分の三段階の道路が入り混じる複雑な場所だ。二人が歩いているのは二階部分で、道の両サイドには手作りらしい露店ろてんがたくさん並んでいる。
 常盤台ときわだい中学の生徒が次の競技に参加するまで若干の時間的余裕があるため、美琴は美鈴の案内をしているのだ。美鈴が寄りたがるのは、主に外部観光客用に用意されたお土産屋みやげやの露店などであり、
「ちょっと! 擬似ぎじ五次元万華鏡なんていらないでしょ! そんなの買ったって三日で飽きるわよ三日で!」
「えー、美琴ちゃーん。学園都市って言ったら何か訳の分かんないテクノロジー満載なお土産って決まってるのにー」
「はぁ。本当に最先端テク使った商品なんか外部へ持ち出し許可下りるはずないでしょ。大体何よこの万華鏡。『理論上における五次元空間の、あくまで見た目だけのビジョンを光学屈折技術で再現しました』って、明らかに うそっぽいじゃない! アンタ実際に五次元空間行って正しいかどうか確かめられんの!?」
「えー、なんかこういう証明不能な訳の分かんない感が面白いのに」
「お土産って言うならもっと思い出に浸れるものにしなさいよ!」
「えー、思い出に浸るだなんて、美琴ちゃんてば乙女おとめチックー」
だまれバカ母!!」
 美琴は母親の手をつかんで露店の前から引きずるように離れる。なんだかんだでもっと良いお土産を勧めようとしている辺り、反抗期真っ最中の中学生にしては、これでも家族仲は結構良い方だろう。
 見た目にとても人の気を引く親娘は、しかし他者の視線など全く意にも介さず、
「ああ、お土産も良いけど学園都市ならではって場所にも行ってみたいわー。美琴ちゃん、どっか良い場所知らない? お母さんは超巨大宇宙空母の搬入ドックとか見てみたいわ」
「……、アンタ。学園都市をどんな場所だと思ってる訳?」
「じゃあ妥協して擬人化兵器の純潔乙女」
「ないわよそんなの!!」
 美琴は思わず叫んだが、ふとその時、視界の外から強烈な視線を感じた。街の通りを行き交う人々が向けてくるものとは違う、もっと、こう、ねっとりとした視線は、
「く、黒子くろこ?」
 振り返り、美琴みことは恐る恐る語りかける。ハの字に車輪が傾いた、スポーツ仕様の車椅子くるユいすに座っているツインテールの少女の様子が変だ。車椅子を押している、頭に花をいっぱいくっつけた小柄な少女の顔が引きつるほどの勢いで、白井黒子しらいくろこの両目がキラキラキラキラキラキラア!! と|眩ばゆ》い光を放っている。
 白井は一度、ごくりと生々しい音を立ててのどを鳴らすと、
「お、姉様のご家族……ですの? いやァああ……素晴らしい。まったくもって素晴らしすぎますわ! 何ですのよこのお姉様オーラの大インフレは!? ち、ちくしょう。こうなったらわたくしも覚悟を決めますわ。もう黒子ってば姉妹だろうが親娘だろうが何でもまとめてかかって来いですのよーッ! うふげへげヘへあははーっ!!」
 御坂みさか一族の後光を浴び過ぎて白井黒子の思考が見事に飛んだ。
 こいつには絶対に妹達シスターズの存在を知られる訳にはいかないわね、と美琴が心の中で誓ってみた所で、
「あら。美琴ちゃんの乙女おとめチックってばそういう方向性だったの?」
「どういう方向性を指してんのかしら!? 私はまともな道を進んでいるわよ!!」
「そうよねえ。美琴ちゃんはあの男の子へ一直線だもんねえ。寄り道なんてしている暇はないか」
「ぶっ!? 物理的にだまらせてやる!!」
 つかみかかろうとする美琴をキャーキャー言いながら美鈴みすずは巧みにかわしていく。と、美鈴の視界の端に見覚えのある人物の姿が映った。
(ん? あれって確か……んふふ。ウワサをすれば)
 美鈴たちは現在、地下・地上・地上二階の三段階の道路の内、二階部分にいる。見知った人物は、手すりの向こうの地上部分にいた。そのせいで、向こうはこちらに気づいていないようだった。
 短めの黒い髪を、ツンツンにとがらせた少年だ。彼のとなりには、頭一つ分も背の高い金髪にサングラスの少年が立っている。同じ体操服を着ている事から、クラスメイトか何かに見えたが、(それにしては、随分と真剣な表情で話をしているわね)
 ここからでは、会話の内容までは聞き取れない。が、少年達の表情は、会社の重要な取り引きでも滅多に見ないようなものだった。己の肩に、己と己以外の様々な命運が乗った時の人間の顔だ。一体何が、美鈴から見れば年端としはもいかない少年達にそんな顔をさせるのか。美鈴には想像もつかなかったが、
「ほら美琴ちゃん。あごがれの殿方があっちにいますのよー?」
だれがそんな手に引っか―――いや違う! そもそも憧れでも何でもないわよッ!!」
 顔を真っ赤にした美琴は、冗談かと思ったのか美鈴が指差した方へ見向きもしなかった。そうこうしている間に、少年達の姿は人混みの中へ消えてしまった。

     9

 土御門つちみかどは携帯電話の通話を切った。
「結局オリアナたちが持ってた『使徒十字クローチエデイピエトロ』ってのは、好きな時に好きな場所で使えるようなものじゃなかったって事だよな」
「ああ。おそらく、学園都市のどこに使用ポイント『天文台』があるかってのは、大体事前に調べがついていたはずだぜい。オルソラの話じゃ、リドヴィアは布教のために世界中へ渡るついでに、『天文台』の場所やら使用期間やらを調べてた可能性も高いらしいからにゃー」
 オルソラ=アクィナスの話では、リドヴィアは昔から『天文台』の位置を探し回っていたらしいが、それは一地方につき数ヶ所のみ実測して、後はすべて計算上で『天文台』を算出していただけかもしれない、との事だった。つまり、実際に自分の目で学園都市内部の『天文台』を確かめていない可能性もある。
「となると、リドヴィアやオリァナが今やってるのは、計算上のデータが実際のものと食い違っていないか、自分の足で確かめるための作業だった……って感じだったのか」
「そんなトコだろ。オリアナが今もウロウロしてんのは、思ったより魔術的まじゆつてきに良いポイントが見つからなかったか、あるいは、それ以外の地理的な要因でもあったのかもしんねーが、とにかく―――ここで決まりだ」
 オルソラが提示したポイントの内、学園都市内部にある場所は、これまでオリアナ=トムソンが見て回ったと推測される場所を除けば、もう一ヶ所しか残っていなかった。
「ここまで長かったが、ようやく事態が好転してきたって感じだにゃー。このまま上手うホのく進んでくれるとありがたいんだが」
 上条かみじようは空を見上げる。時間は午後五時二〇分。青い空はゆっくりとオレンジへと色を変えつつある。
コヶ所って……最後にオリアナ見てから、一体どんだけ時間がってんだ? もしかしたら、もうそのポイントのチエックを終えて、別の場所に行ってるかもしんねーぞ」
「いや、ほかのポイントは見て回ったが……どうも、見た目の星座を使うって観点じゃ、使い勝手は悪そうだったぜい。屋外であっても、二ヶ所はビルの陰で星座どころか太陽も見れない状態だったし、三ヶ所は街路樹の枝葉でやっぱり空一面がおおわれちまっていた。だからヤツらはこの思い切り開けた場所である、最後のポイントを使うはずだにゃー」
「開けた場所って―――おい、お前が地図に印をつけてる場所って!!」
「その通り。これ以上に空が開けた場所はなかなか見つかんねーぜい」
 土御門は言いながら、マジックで印をつけたパンフレットの地図をこちらへ突きつけた。相当ダメージが効いているのか、指先はふるえ、印もどこかたよりない。
 第二三学区。
 一学区分を、丸ごと航空・宇宙開発分野のために占有させている特殊な学区だ。外国人観戦客をターゲットに開放されている国際空港を除いたすべての部分が、地図ではただの空白で表示されている。紹介すべきではない場所、という意味での空白だ。
 ここでは民間機のほかに、学園都市の制空権を守るための戦闘機せんとうきや無人ヘリなどの開発も行われている。おそらく警備体制は大覇星祭だいはせいさい期間中でもトップクラスに入るだろう。
 土御門っちみかどがマジックで印をつけた所は、地図の空白のど真ん中だった。これだけ見た所で、一体街のどこを差して「いるかも分からない。
 上条かみじようの困惑する顔を見て、土御門はニヤリと笑い、
「『鉄身てつみ航空技術研究所付属実験空港』って、所ですたい。……専門は、都市圏における短距離滑走路開発だったかにゃー。内情知ってるオレならともかく、お初のオリアナにとっちゃ、ちょっと攻めあぐねちまう場所かも、しんねーにゃー」
「……でも、オリアナって魔術師まじゆつしなんだろ? 学園都市のセキュリティなんて当てになるのかよ。防犯カメラに引っかかるような相手には思えないんだけど」
「ところがどっこい、オリアナがこれまで回ってた天文台ポイントは、みんな警備が手薄てうすな所ばっかりだったんですたい。実際に足を運んでみりゃ分かるんだが、警備の少ないトコから順番にリスクの高いエリアへと向かってる傾向があるにゃー。オリアナやリドヴィアは、こっちが思ってる以上に学園都市って場所を警戒してんだよ。……っつか、本当の意味で警備を全く気にしないなら、そもそも人混みに紛れたりはしねーだろ。カミやん、過去に戦ってきた魔術師たちを思い出せよ。ゴーレム使いのシェリー=クロムウェルは警備員アンチスキルの動向なんか気にしたか?」
 言われてみれば、正面から突破できるなら実際に突破してしまうのが、彼ら魔術師……のような気がする。
 オリアナ達は、大覇星祭を取り巻く、今の科学と魔術の均衡きんこう状態を最大限に利用しようとしている。それを自分達の強力な術式でかき乱し、状況を極端に変動させてしまうのは良しとしていないのだろう。
 学園都市の外周には、大小無数の魔術師達が待機しているのだから、’いくら何でも彼ら全員と学園都市の警備陣、それらを同時に相手にしたいとは思わないはずだ。
「ともあれ、オリアナが警備網で上手うまく足止めらってるのを祈って、こっちもさっさと追撃ついげきかけるとしようぜい。ヤツらが向かってるのは、事実上ラストの『天文台』だ。ここで捕らえて全部終わりにするとしようぜ」
「あん? っつか、簡単に言うけどさ。オリアナが手詰まりになってんなら、こっちだって同じ分の時間を喰っちまうんじゃ……」
 上条が言いかけた所で、視界の端に赤い髪の目立っ神父姿が見えた。
 怪諺けげんな顔でそちらを向くと、ステイル=マグヌスが走ってきた所だった。
 土御門つちみかどは、随分と遅れてやってきた同僚に不審の目をやり、
「今まで何やってたんだにゃー。まさかオリァナやリドヴィアと、ぶつかってたとか、そういう話じゃないよな……」
「いや……」
 ステイルは言いづらそうだったので、上条かみじようが代わりに答えてみた。
「そうそう。こいつは人命救助して小萌こもえ先生を大感激させた挙げ句、大層なつかれて困り顔だったんだよ、きっと」
「ぶっ!? ば、馬鹿ばかげた事を言うなこの素人しろうと! 僕は君との電話の後、早々にあの人をいてきた。人払いOpilaを使っても効果範囲から出るたびに捕捉ほそくし直してきて、きちんと追跡を振り切るまでに時間がってしまったけどね」
 ステイルはいまいま々しそうに短くなった煙草タバコを吐き捨てて足でんだが、それを見る土御門の目はどこまでも冷たい。
「……にゃー。これがあれか。カミやん病か。このクソシリアスな時に、土御門さんが血まみれんなって探索魔術まじゆつ理派四陣りはしじん』とか使ってたってのに、一方そのころラブコメ空間満喫中とはどういう事なんだにゃー……。しかも相手は禁書目録じゃなくて、小萌先生になってるし。っつか変だよお前ら。そんなにフラフラフラフラフラフラフラしやがって。男ならちゃんと一本筋を通しなさいってんですたい!」
「カミやん病とか言うな。あと義妹一直線のテメェに変だの何だの言われてもちっとも実感かねーよ」
「違っ! だっ、だれが義妹一直線だって言うんだにゃーっ? この土御門元春もとはるがそのような痛たぁがッ!! ……さ、叫んだら傷口にひびいた……」
 土御門は脇腹わきばらを押さえてぷるぷるふるえている。
 上条はやれやれと首を横に振って、
舞夏まいかの事は良いから、それよりどうすんだ。第二三学区って、ものすごい警備体制なんだろ。
俺達おれたちだってもぐり込めるかどうかは分っかんねーじゃねーか」
「……ま、待ってくれカミやん。これはエリート陰陽師おんみようじ土御門元春的にあっさり流して良い局面ではないんだが……それはあれだ、オリアナにはなくて、オレだけにある今回限りの特権ってヤツを使っちまえば良いんだぜい」
「あん? 特権だと」
 上条がいぷかしげな声を出すと、土御門はニヤリと笑って携帯電話を操作し、

「ああ。学園都市統括理事長って知ってるかにゃー?」

     10

 オリアナ=トムソンは第二三学区のターミナル駅にいた。
 第二三学区は、ほかの学区と違って駅は一つしかない。学区の入り口と、出口。第一二学区につながるすべての路線をかき集めた駅は非常に巨大化していて、まるで国際空港のような広さと複雑さを見せている。
 通常の列車が八路線、地下鉄が五路線、高速モノレールが二路線、さらに正面出口にはバスターミナルが四路線。その他、一般人には開放されていない特殊貨物列車用路線、VIP用特別路線なども用意されていた。
 そんな中、
(おかしいわね……)
 オリアナはさりげない仕草で周囲を軽く見回しながら、心の中だけでつぶやく。
 警備体制が変わった。
 大きな旅行カバンを片手に行き交う多くの人々に隠れる形で、かなりの数の警備員アンチスキルが配置されていたターミナル駅だったが、彼らの配置場所が急に移動したのだ。より正確には、警備を解いた、といった感じかもしれない。一応、いきなり駅から立ち去るような事はなかったが、セキュリティ上あまり意味のない場所へと動いてしまっている。これでは警備の死角となるポイントも増えてしまうはずだ。
 白を基調とし、壁や天井てんじようの一部をガラス張りにする事で太陽光を多く取り込める作りになっている駅構内で、オリアナはさらに考える。
 第二三学区は、学園都市の中でも特別な学区だ。国際空港とターミナル駅を繋ぐ道路以外は全てが立入禁止エリア。実際、ターミナル駅までやってくるのは簡単だが、そこから先にみ込むのが極端に難しい場所だった。だからこそ、彼女はターミナル駅と国際空港の間を行ったり来たりしながら、今の今まで機をうかがっていたのだが……。
(確かにチャンスはやってきたけど、これは少しあからさま過ぎないかしら)
 リドヴィアと連絡を取りたいが、この状況で通信術式を使って、魔力まりよくのサーチなどに引っかからないだろうか。オリアナは少し考えて、単語帳を唇へ運んだ。敵側のサーチ能力は、それほど強力ではないというのが彼女の推論だ。
「リドヴィア」
 単語帳を千切ちぎって、彼女は口の中でささやいた。
「そっちも気を引きめて。そろそろ仕上げの準備よ」
 返事は、網膜に直接文字として浮かび上がった。映画の字幕のように視界の下端に映る文字列は、
『……まだ定刻までには時間があるのでは?』
「お姉さんもゆっくりしたいんだけど、向こうの若者たちが先走っちゃっているみたいなのよ。クライマックスで片方だけが遅れちゃうのはみっともないでしょ」
 オリアナは足音もなく配置を変えていく警備員アンチスキル達を視界の隅に捕捉したまま、
「警備状況が不自然に変動してる。おそらくこちらがこの近くにいる事はつかまれているはずよ。人払いなどの意識操作系の魔術まじゆつが使われている形跡もないし、これはきっと学園都市側の指示ね」
『学園都市が、均衡きんこうを破って一気に畳み掛けて来ていると?』
「逆よ。わざと撤退てつたいして試合会場を作ってるみたいなニュアンスね。警備員アンチスキルの動きにも若干の迷いがある。多分彼らは自分達が何故なぜ配置を変えなくてはならないのか、その理由が分かっていないままなんだわ」
『それがさそいなら、乗る必要はないのでは? とりあえず駅から出て、ほかの学区へ移ってしまうという手も』
「いや……」
 オリアナは、ホームにある大きな時計を眺めて、
「色々見て回ったけど、一番使えそうな場所はやっぱりここしかないわ。なら、お姉さんはここで防護を固めて待つ。……あれだけ開けた場所なら、これ以上一般人を巻き込む事もないでしょうし」
『時間を稼げるという確証は?』
「数にもよるけど、お姉さんは大人数が相手でも頑張れるわよ?」
 オリアナは電光掲示板から目を離し、ホーム出口の上り階段へと向かった。
 歩幅は大きく、早足で。
『それでは』
「ええ。そちらも準備して、リドヴィア。ここでとしてしまいましょう、学園都市を。今まで何も知らなかった光の乙女おとめを、泥の中へと突き飛ばすようにね」

     11

 地下鉄のホームに、轟音ごうおんと共に列車が滑り込んできた。
 徐々に減速していく鋼鉄の塊に、土御門元春つちみかどもとはるは目も向けない。
 彼の視線は、同じ仲間の上条かみじようとステイルの方にある。
「上のお偉いさんに掛け合って、第二三学区の警備状況をちょっぴり配置換えしてもらったぜい。っつっても、流石さすがに『第二三学区から全員離れろ』みたいな無茶むちや過ぎる要求は通せない。
せいぜい配置Aから配置Bに切り替える合間に起きる『ブレ』みたいなトコのすほを突いていくって感じなんだが……」
 土御門つちみかどの話によると、人工衛星の方も映像処理方式を変更するよう命令を下したらしい。その切り替え作業が行われている最中は、上空監視の目もおろそかになるという話だった。
 上条かみじようは先ほどまで土御門が携帯電話で会話していた相手を思い出す。
 学園都市統括理事長。
(……アレイスター、か)
 電話でのやり取りだったため、上条は相手の声を聞いていない。しかし、科学にも魔術まじゆつにも精通する土御門と対等以上の立場で応対している時点で、世界の相当深い場所に位置する人間なのだというのは何となく想像がつく。素人しろうと高校生の上条当麻とうまでは、到底のぞき込めないほどの、深い深い場所。
「夜空に浮かぶ見た目の星座の配置図を利用して使われるって事は、『使徒十字クローチエデイピエトロ』発動は日没直後が怪しいぜい。今の時間は午後五時二五分。第二三学区のターミナル駅までは一〇分ぐらいかかるだろうにゃー。明確なリミットは分からずじまいだったが、おそらく午後六時から、七時の間。最短なら……ターミナル駅に着いてから、二五分しかないって計算になる」
「土御門。配置換えの軽い混乱のすヨを突くって話だけどさ。 一〇分も間が開いちまって、その配置換えの効果ってのは持続するもんなのか?」
「カミやん。警備状況の変更は建物一つじゃないんだぜい? 一学区の警備を丸々変更するつつってんだ。一〇分ぐらいで、完了するはずがない。学校の避難ひなん訓練と同じだよ、人数が多くなると全体の動きが鈍くなるってのは、定石の中の定石だにゃー。少なくとも、オレたちが第二三学区の中にもぐる五時三五分にゃ警備体制はまだプレまくってるはずだ」
 言葉に対し、ステイルはくわえていた煙草タバコを、喫煙スペース用の灰皿へ投げ込み、
「一応確認しておくが、その体でオリアナの前に立つつもりかい?」
「ハッ。休みてーのは、山々なんだがにゃー。いくら警備がプレるっつっても、完全になくなる訳じゃない。お前らだけで突破できるほど、第二三学区は甘くねーんですたい」
 そうかい、とステイルは適当に答えた。
 理由を聞いているのではなく、意思があるのかを確かめたかったのだろう。
「午後六時から七時の間。これは僕達にとってのリミットであると同時に、オリアナやリドヴイアにとっての足枷あしかせにもなるだろうね。今からオリアナ達が他のポイントへ進路を変更した所で、辿たどり着く前にリミットが来てしまう。彼女達にしても、第二一二学区で意地でも『使徒十字クローチエデイピエトロ』を使いたい所だろう」
 上条は彼らの言葉を聞いていた。
 その上で、少年は告げる。
「追うのも追われるのも、もう終わりってトコか」
「オリアナ達も今頃いまごろ、同じ事を考えているだろう。そして僕としても異存はない。―――後は全力をもって焼き尽くすだけだ」
 ゆっくりと減速していった列車は、やがてまる。
 駅のアナウンスと同時に鋼鉄のドアは自動で左右に開き、列車の中にいた人々をホームへと吐き出していく。しかし、上条達かみじようたちは人の波を気に留めていなかった。彼ら三人をけるように人の流れが形成されていく中、
「  この列車に乗ったら、もう後戻りはできない。待っているのはオリアナやリドヴィアとの殺し合いだけだろう。覚悟は決まったか、上条とま麻」
 ステイルの声に、上条はわずかに沈黙ちんもくした。
 今日一日、いろんな事があった。血のにおいをいで、砂の味をんで、街の中を走り回って、魔術師まじゆつしなぐり合って、だまし合いに引っかかって、だれかが倒れる瞬間しゆんかんの当たりにして、隆我人けがにんを前に何もできない己を自覚して、歯を食いしばって、こぶしを握ってここまでやってきた。
「……、ああ」
 それらすぺてをみ込んで、上条当麻はうなずいた。
 一歩、開かれた列車のドアに向かって足をみ込む。
「覚悟は決めた。ここで全部終わりにするんだ。それから」
「それから、何だ?」
 怪認けげんそうな声を出すステイルに、上条は振り返らずに告げた。
「覚えておけ。おれは殺し合いで終わらせるつもりなんかねえよ」
 二人の魔術師は、わずかにだまり込んだ。
 それから、土御門はどこか子供のように、ステイルは口の端を皮肉げにゆがませて、それぞれがそれぞれの感情を込めて笑みを作った。

 三人は列車に乗り込む。
 自動でドアが閉まり、ゆっくりとした動きで発進した列車は、地下鉄のトンネルを進んでいく。
 その先にある、最後の戦いへと招待するために。

   行間 六

 オリアナ=トムソンの家族は十字教徒だった。
 日曜日になるたびに足を運んでいた教会の、年老いた優しそうな神父さんは、いつだって腰を折って、幼い彼女の目線に合わせてゆっくりと、分かりやすく、同じ事を口にしていた。
 人のためになる事をしなさい、と言われた。
 人のためになる事とは何だろう、と彼女はいつも悩んでいた。
 もちろん、オリアナだっていろんな人に親切を働いてきた。例えば、道に落ちている空き缶を拾ったり、地下鉄チユーブの路線図が描かれた看板の前で首をかしげている人に道案内をしたり、どうしても運んで欲しい物があるとたのまれた物品を、命に代えても目的地まで届けたり。
 だけど。
 その親切な行いが、必ずしも『人のため』になるとは限らない。
 もしも、オリアナが道に落ちている空き缶を拾う事で、清掃ボランティア活動によって小銭やほどこしのご飯を得ているホームレスの人々の拾う分がなくなって困っていたとしたら。
 もしも、オリアナが道案内をしたその人が、無事に到着した家の中で、家族に暴力を働いて殺してしまったとしたら。
 もしも、オリアナにどうしても運んで欲しいと頼まれた物品の正体が、箱を開けた途端に人をのろい殺すような霊装れいそうだったとしたら。
 たとえ彼女が望んでいなくても、心の底から本当にだれかの役に立ちたいと思っても、それでも悲劇は起こる。この世界には様々な人と思惑があり、それゆえにオリアナ一人の価値観の合間をこぼれ落ちるように、誰かのための行いはその誰かを傷つけていく。予想もしなかった形で、想像も追い着かなかった姿で、オリアナはその手で守りたかった人々を地獄の底まで突き落としてしまう。
 難しいのは、自分の行動が裏目に出るのか出ないのか、全く予測がつかないという所だ。あらかじめこの行動が裏目に出ると分かっていれば、それをやらなければ良い。逆にこの行動は必ず成功すると分かっていれば、迷わずそれを選べば済むだけの話だ。
 もちろん、
 オリアナの考えている事は単純なワガママで、それは彼女自身も良く理解している。この理屈は、ようは賭け事ルーレツトのようなものだ。オリアナが同じ赤を一〇〇回選んだ所で、回転盤の上を転がる玉がどの番号のポケットに入るかによって、オリアナの思惑や言動など関係なく一〇〇セットごとに毎回別の運や条件が彼女の勝ち負けを決めてしまうはずだ。赤を選べば絶対勝てるとか、一〇〇セット選び続ければ毎回決められた数のチップが手に入るとか、そんな簡単な必勝法は最初からあるはずがない。それが現実というものだ。
 が。
 もしも、その一回のゲームに人の命がかかっているとしたら。
 絶対に、何が何でも勝ってくださいと言われたら。
 どこにけるか。
 その選択を、あっさりと決められる人間などいるのだろうか。
 だれかに助けてくださいと言われた所で。
 すでに心がボロボロになった彼女は怖くて、手を差し伸べる事すらできない。そして手を差し伸べなかった所で、助けてと告げたその誰かは確実に傷ついてしまう。
 だから、基準が欲しかった。
 もう二度と迷わなくても済むような、絶対の基準点が欲しかった。
 ルーレットで言う所の必勝法―――基準点は、一つあれば良い。人の数だけ主義主張があるから、そこから齪悟そこが生まれて悲劇がこぼれ落ちる。両手ですくった水は、どんなに頑張っても少しずつ指の隙間すきまかられてしまう。それと同じように。
(皇帝でも良い)
 オリアナ=トムソンは願う。
(帝王でも教皇でも大統領でも国家主席でも総理大臣でも何でも構わない。呼び方なんて何でも良い。誰がその座に就くのかだって関係ない。私は誰のためにだって戦ってあげる。科学だって魔術まじゆつだって、そんな些事さじはどうだって良いから―――)
 歯を食いしばって、心の中だけで、
(―――お願いですから、ルールを決めてください。明確な基準点の元に、皆を幸せにして、誰もが価値観の組酷から生まれる悲劇に巻き込まれる心配がないような、そんな最高の必勝法にしばられた世界を作ってください)
 思いはすれど、声には出せない。
 理由は簡単。
 それが誰かのためと言いながら。
 結局は今回も、彼女はその誰かを傷つけてしまったのだから。

   

chap4

第八章 右の拳を握り締める理由 Light_of_a_Night_Sky.

     1

当麻とうまがいない?」
 夕暮れの競技場で、上条刀夜かみじようとうやは疑問の声を上げた。
 すでに試合は終わり、生徒たちはここから退場している。観戦客も出口へ向かい、周囲はざわざわとした無秩序な喧騒けんそうに包まれている。数人の警備員アンチスチルが両手を規則的に振って人々を誘導ゆうどうしている中、刀夜と彼の妻である詩菜しいなだけがポツンと立ち尽くしている。人の流れという川に突き刺さった木の枝のように。
 二人の前には、学園都市の教師がいた。
 身長が一三五センチしかないのだが、信じがたい事にこれでも上条当麻の担任であった。一学期の面談で顔を合わせた事はあるので、この淡い緑と白のチア衣装を着た教師に対して、保護者の二人はそれほどおどろいていない。どうもこの教師は一度着替えたらしく、チア衣装からは防虫剤らしきにおいがうっすら漂ってきていた。
 今はそれよりも、
「あら。息子が競技に参加していないとは、一体どういう事なんでしょう? 怪我けがや急病などで退出している、という訳ではないのでしょう?」
 詩菜はやや不安そうに言った。
 初めに違和感を覚えたのは彼女だった。団体競技の中で、息子の姿がないような気がする、と言い出したのだ。それでも、見つけられないのは自分達が悪いのであって、もしや親として最悪のレベルなのでは? と二人そろって落ち込んだりもした。
 が、確信へと至ったのは今の競技だ。内容は『おたま競走』で、料理に使うおたまに直径ニセンチ程度のゴムボールを乗せた状態で一〇〇メートルを走るというほのぼのとした内容で、念動能力を使ってゴムボールを固定したり発火能力を使って相手のボールを爆風で吹っ飛ばしたりと、非常にほのぼのとした様子だったのだが―――そこにもやはり、上条当麻の姿は見つからなかった。
 団体競技ならば、大勢の人間に紛れて見つからないという事はあるかもしれない。が、この手のトラック競技の場合、試合をすべて眺めていれば見過ごす事はないはずだ。少し気にかかった刀夜と詩菜は、息子の担任の元へ赴いて事情を聞いてみたという訳だ。
 チア衣装を着た月詠小萌つくよみこもえは、あわわわと顔を青くしている。
 彼女はポンポンを持ったままの両手をせわしなく動かして、
「あの、えと、その、こちらでも警備員アンチスキルに要請を出して捜してはいるのですけど……」
 教師の言葉に、詩菜しいなまゆをひそめる。
警備員アンチスキル? この街の、警察……みたいなものですよね。まさか息子は、何かに巻き込まれて競技に参加できない状態にある、という事なのかしら」
「ち、違うのですよ? お子様は神父さんと一緒いつしよに割と元気に走り回っていました。なので危機的状況下にいる事はないと思うのですが……」
「??? それはつまり、街にいる息子を見たという事なんですか?」
 要領を得ない、という感じで詩菜は首をかしげる。何気ない仕草なのだが、それに対して小萌こもえ先生はしょんぼりと肩を落とすと、
「……申し訳ありません。大切なお子様をお預かりしている身でありながら、その動向がつかめていないなんて」
「いやその……」
 ぺこりと頭を下げたまま動かなくなってしまった小萌先生を前に、刀夜とうやと詩菜の二人は顔を見合わせて困った顔をした。彼ら夫婦としては、自分の息子の性格と体質は理解しているため(納得はしていないが)、別にこの教師を責めているのではなく、単に状況の説明を求めていただけだったのだが。
「……(もはや直接この場にいなくても女性を困らせるか、当麻とうま。うん、お前のその才能は筋金入りだな)」
「あら。刀夜さん、何か言いました?」
「いや何も」
「ちなみに当麻さんのアレは刀夜さんゆずりだと思うのだけれど」
「自分で言っておきながら何で自分で怖い顔をしているのかな母さん?」
 刀夜は負の矛先を自分に向けられて、慌てたように詩菜から一歩下がった。それからいつまでも頭を下げっ放しで涙が出そうになっている小萌先生の方を振り返ると、
「ええと、一つだけ尋ねたいのですが。あ、頭は上げてください」
「え、あ、はい。何ですか?」
「当麻は自発的に行動しているんですよね。だれかに引っ張り回されているのではなく」
「は、はい。そうなのですよー」
 返事に一瞬いつしゆんよどみがあった。
 息子には会っているというむぬを言っていたし、もしかしたら何らかの事情を知っているのかもしれない。そして、そこで言い淀んだというのは、息子か、あるいはほかの生徒に深くかかわる事として刀夜には言えないと思ったのか。
 優しい先生だ、と刀夜はうなずく。
 だから彼はそれ以上の追及はしなかった。
「なら」
上条刀夜かみじようとうやは空を見上げる。
 一番星の輝き始めた夕空を眺めながら、
当麻とうまにとっては、競技以上の価値ある行いという訳だ」
 ほんのわずかに、苦いものを思い出すような声で、
「それなら、止める理由は思い浮かばない、かな」

     2

 空はすでに夕暮れの色を深く見せていた。
 アスファルトきの地面は、元々そこにあった自然というものを黒板消しでまとめてぬぐってしまったような印象があった。草木も何もない一角は風を遮るものがなく、彼女のほおにはゆったりとした空気の流れがぶつかってくる。機械の油のにおいの混じった、この国の都市部に特有のものだ。
 ゴォォ!! という爆音が頭上から聞こえた。
 振り仰げば、随分と低い空を、旅客機の巨体が舞っていた。やはり大覇星祭だいはせいさいが関係しているのか、行き交う飛行機の数は多い。
 彼女の周囲に人影はない。
 わざわざ人を招くような場所ではない、というのが一つ目の理由。そして、今は全世界規模のスポーツの祭典、大覇星祭期間中であるのが二つ目の理由か。こんな所へ来るぐらいなら、素直に競技場へ行った方が一〇〇倍は有意義な時間を過ごせるだろう。
 従って、アスファルトに張り付いているのは彼女の影だけ。
 西日によって長く長く引き伸ばされた影は、大きな十字架を肩でかついだ女性の形をしていた。
影を作る彼女は、ゆっくりとした動きで十字架を肩から下ろすと、そこに巻きつけてあった白い布に手を掛ける。
 はらり、と外れる布切れ。
 包帯をやや太くしたような布は、プレゼントのリボンを解くように、抵抗もなく十字架から離れていく。シュルシュルと衣摺きぬずれのような音を立てて、隙間すきまなく十字架を包み込んでいたガードがみるみる失われていき、その中から十字架本来の姿が見えてくる。
使徒十字クローチエデイピエトロ』。
 縦は一五〇センチ、横は七〇センチ、太さは一〇センチ強もある、真っ白な大理石の十字架だ。十字架の下端だけが、鉛筆を削ワたように粗くとがらされている。
 見ているだけでズシリとした石の重みを感じさせる一品は軽く一八〇〇年以上の時を過ごしているにもかかわらず、まるで枠に入れて作った新品同様の形を保っていた。いかに大理石製とはいえ、長い年月の中で多くの人たちの手に触れれば、それだけで内側へゆるく削れていくものである。
 この保存性は霊装れいそうの防護効果によるものではなく、歴史上全く公開されてこなかった、という単純な背景によるものだ。
 深窓の令嬢れいじようのように色が白く傷の一つもない十字架を、彼女は両手でつかみ直した。一糸まとわぬなめらかな十字架を、一度ゆっくりと持ち上げる。ずん、という石の塊特有の重みが、腕から背中へ、腰へ、足へと伝わっていく。
 それらをすべて無視して、一気に十字架を振り下ろす。
 巨大な重量と、優れた加速、とがった先端。
 それら全てを兼ね備えた『使徒十字クローチエデイピエトロ』は、アスファルトを抵抗なく貫くと、日本国首都の大地へ深々と突き立った。
「天の空を屋根に変え、この地に安住を築くために。いざ聖一二使徒のご加護を」
使徒十字クローチエデイピエトロ』を使うために固定化された呪文じゆもんは、普段ふだんの彼女の口調とは大きく異なる。
 アスファルトの地面に突き刺さったはずの十字架が、ひとりでに動いた。泥の中で傾いていくように、ゆっくりと角度が合わされていく。
 彼女は空を見上げる。
 完全な夜とは言えないものの、そこにはすでに一番星がまたたいていた。

「さてさて」
 広大な実験空港の滑走路で、魔術師まじゆつしは一人つぶやく。
 一般人立入禁止区域であるこの場所は、まるでアスファルトで固められた草原のように見える。どこまでも平坦へいたんな灰色の地面が、地平線の先まで続いている。
「こちらの準備は完了。あと数十分で世界が変わるって所かしら、ね」

     3

 第二三学区は、学園都市の人間にとっても馴染なじみのない風景だ。
(すごいな……)
 ステイル、土御門つちみかど一緒いつしよにターミナル駅を出た上条かみじようは、思わず心の中で眩いていた。
 外国の牧場のように、わずかに丸みを帯びた地平線が見える。ただし、この地平線は牧草の緑色ではなく、アスファルトとコンクリートの黒と灰色だった。巨大な敷地しきちの大半は滑走路やロケットの発射場だ。それらのどこまでも平たい敷地を、背の高いフェンスが縦横無尽に区切っている。
 管制塔や実験施設などもかなり大きく、学校の体育館の何倍もある建物ばかりだ。なのに、辺りの滑走路のサイズがあまりに違いすぎて、ポツンと置かれているようなイメージしかいてこない。根本的に縮尺が違うのだ。
 土御門つちみかどはターミナル駅正面にある、バスの停留所を見た。
「……機密事項の塊とはいえ、一般空港までのバスは走ってるぜい。こっちは運転手がいるにゃー。産業スパイが途中下車しないか、監視するためのモンだ」
 言った土御門の声を、飛行機の爆音が遮った。
 上条かみじようは思わず頭上を見上げる。セスナ機サイズの飛行機が三機ほど横に並んで、ゆっくりと空を迂回うかいしていた。
「ここの警備の基本は『空』。見張りを立たせるだけじゃ、警備範囲が広すぎるからにゃー」
 確かに、地平線の先まで全部を人間が見て回るのは難しいだろう。それに、全体的に滑走路だらけで、隠れるための物陰が少ないのだ。空からの視線を逃れるすべはないだろう。
「でも、それじゃ鉄身てつみナントカ空港まで行くのは無理なんじゃねーのか?」
「でも、現にオリアナのヤツはどうにかしているはずだ」
 ステイルは上条の言葉に重ねるように言った。
「土御門。方法があるなら早く答えてくれ。僕たちは時間が惜しい」「にゃー。アレを使うんだよ」
 土御門は言って、頭上を指差した。
 ごう!! という空気をたたきつける音が、真上からひびいてきた。
 今度はさっきのセスナとは違う、エンジンを四つも積んだ巨大な旅客機だった。爆音をき散らす機体は、一般用の国際空港の滑走路へとゆっくり降下していく。
「空中激突をけるために、ほかの飛行機がやってきた時は、監視用の機体の巡回ルートが変わる仕組みだにゃー。そして―――」
 土御門が言葉を切ると同時、
 次々とやってきた旅客機や実験用の小型飛行機などが、空を引き裂いていく。
「―――ここの空は、割と混雑してるってこった。旅客機の様子を上手うまく眺めて走れば、上空監視の死角をもぐりながら進める。問題の鉄身航空技術研究所付属実験空港はここから近いし、徒歩でも何とかなるだろうにゃー」

 そんなこんなで、上条達は灰色の平原を走っていた。
 前を走る土御門は、時折体のしんがズレたように斜めにかしぐ時がある。まるで、授業中に居眠りしそうになっているような感じだ。しかし、その状態であっても気を抜くと上条は置き去りにされそうになる。それぐらい、土御門の身体能力は高い。
 土御門つちみかどの先導に従って、無数の飛行機が飛び交う真下を走っていく。いかに監視機体の視線を逃れているとはいえ、地平線の先まで遮蔽物しやへいぶつがない場所を駆け抜けていくのは、色々な意味でスリルを感じる。
 隠れるもののない場所で、しかしオリアナの姿はない。
 おそらく、もうポイントに到着しているのだろう。
 上条かみじようは走りながら、携帯電話を取り出した。画面に表示されている時間は、午後五時四〇分。
(リミットまでは……あと二〇分から八〇分ってトコか)
使徒十字クローチエデイピエトロ』発動までの残り時間。
 それが使われたあかつきには音もなく学園都市を物理的に支配され、なおかつどれほど理不尽な圧迫を受けた所で、だれも違和感を覚えなくなる精神的な作用まで働かされるという。
 あせるが、しかし彼が焦った所で時間の進み方に変化がある訳ではない。そうこうしている内に、灰色の広大な敷地しなちを、真横に区切るフェンスの壁が見えてきた。その先にあるのが、オリアナの待つ『鉄身てつみ航空技術研究所付属実験空港』の敷地だろう。
 フェンスの元まで一気に走る。
 金網の高さはニメートルほど。土御門はフェンスに手足を引っ掛けた。そのまま一気に飛び越えようとした瞬間しゆんかん
 キラリ、と上条の視界の端で何かが光った。
 それは金網の針金と針金の間に挟まれた―――わずかな唾液に濡れた、単語帳の一ページ。
 普段ふだんは慎重な彼が見過ごしたのは、傷の痛みに意識をさいなまれていたせいか。
「つ、」
 ちみかど! と上条が思わず叫ぼうとした直前に、

 ごう!! と。
 横一列に並んだフェンス全体が、高熱でオレンジ色に変色した。

 フェンスに両手足をつけていた土御門の体が、電気を浴びたように跳ねた。慌ててフェンスから手足を離し、地面を転がるように距離を取る。ショックで彼が手放した大覇星祭だいはせいさいの分厚いパンフレットがブスブスと黒い煙を吐いたと思ったら、一気に炎に包まれた。
「がああっ!!」
 しゅう、という嫌な音が土御門の手足から聞こえる。線香のようにうっすらと煙が漂っていた。彼はサングラスの奥のひとみを固く閉じ、思い切り歯を食いしばる。
 手足を責めているのは、火傷やけどか。
格闘戦かくとうせんを主体とする土御門にとっては、武器を丸ごと折られたようなものだ。
 土御門は歯を食いしばって立ち上がろうとするが、そもそも手首や足首がガチガチに固められているように見える。泥の中でもがくように動いていたが、その意気に反して彼は起き上がる事もできなかった。
「行け、カミやん……」
 ボロボロの手で、もう片方の手を押さえつけながら、土御門つちみかどは言う。
「……ここで時間を食っても仕方がない。そこのページをさっさと破壊はかいして、二人で行け!」
「でも、お前はどうすんだよ? そうだ、ステイル! お前の魔術まじゆつで治せないのか!?」
「確かに、火傷やけど治癒ちゆだけなら可能だが―――」
 ステイルは、地面の土御門から、フェンスの向こうへ視線を移し、
「―――あちらがそれを待つものか! 右手を構えろ、上条当麻かみじようとうま!」
「!?」
 上条はバッと振り返る。
 フェンスの先。距離はおよそ五〇〇メートル強。小さな滑走路を挟んだ向かいの建物の壁に、長い金髪の女が寄りかかっている。
 オリアナ=トムソン。
 彼女の手には、金属リングで束ねた単語帳がある。
 オリアナは、それを静かに口へと持っていき、同時にステイルが叫んだ。
「上条当麻!」
「分かってる!!」
 上条はフェンスに挟んであるページをなぐり飛ばした。高熱で赤く輝いていたフェンスは、一瞬いつしゆんで冷やされて元の温度へ戻り、その光を失う。それを確認するまでもなく、彼ら二人はフェンスに手足をかけ、
(ここでオリアナに先制されたら、おそらく手足をやられた土御門はけられない……ッ!) 一気に上って、
(なら、こっちから攻めるしかない! これ以上、犠牲ぎせいを増やしてたまるか。吹寄ふきよせ姫神ひめがみみたいな人間を増やしてたまるかよ!!)
 飛び越えた。
 同時、はるか先にいるオリアナは単語帳のページを口で千切ちぎる。
 術式が発動し、オリアナの全身が青白く発光し、彼女は両手を広げ、その場でくるりと軽く回った。まるで、買ったばかりの服を自慢するように。
 直後。
 ドッ!! という壮絶な音が五〇〇メートル離れたオリアナからひびいた。彼女を中心として、円を描くようにその周囲の空気が掩絆かくはんされたのだ。目に見えない巨大なハンマーが、その遠距離を無視するようにおそいかかってきた。右回りに迂回うかいする圧力の大槌おおづちは彼女が寄りかかっていた建物をぎ倒し、アスファルトをめくりながら上条の元へと突っ込んでくる。
「!!」
 上条かみじようはとっさに右腕を振る。
 バギン!!という音と共に、高圧の壁は見えないまま吹き飛ばされていく。五〇〇メートル先で、点のように見えるオリアナが苛立いらだちをあらわに単語帳を構え直す。それでも、めくれ上がったアスファルトの勢いの方は止まらない。後を追うように石の津波が押し寄せてきた所で、
この手に炎をG A S T T Hその形は剣T F I A Sその役は断罪T R I C!」
 ルーンを刻んだカードが宙を舞う。
 同時、ステイルの右手から、赤い炎の剣が飛び出した。彼はそれを石の津波に向けて、横殴よこなぐりに振るう。となりに上条がいる事は割と無視して。
「いッ!!」
 上条が慌てて身を伏せた瞬間しゆんかん、炎剣の先と石片が激突した。直後、炎は形を崩して、一気に爆発する。指向性を持った爆炎は真下にいる上条をけ、横一直線に伸びて盛り上がるアスファルトの壁をぎ払い、吹き飛ばした。
 バランスを崩しかけた上条は、何とか転ばずに前へと走り。
 ステイルは口の中で新たな詠唱をつむぎ、新たな炎剣を右手に生み出し。
 オリアナは手の中の単語帳をもてあそび。
 三者の激突が、始まった。
 現在時刻は午後五時五〇分。タイムリミットまで、およそ一〇分から七〇分の間だった。

     4

 上条たちとオリアナが距離を詰めている場所は、実験空港だ。大覇星祭だいはせいさい期間中はプロジェクトも休みなのか、滑走路で作業をしている人の姿はないし、敷地しきち内の建物にも明かりはない。
 国際空港のように広大なものではなく、セスナなど自家用機が離着陸するために用いる、小型の滑走路のイメージである。幅三〇メートル、長さ七〇〇メートルほどの直線滑走路が三本並んで配置されている。
 建物は滑走路の左右に管制塔と、機体整備のためのカマボコ型ハンガーが並んでいた。ここは飛行機よりも滑走路の研究を行っているようで、三本の滑走路には、それぞれ巨大なファンやカタパルトなどの追加ユニットが取り付けられている。
 ただし、現在はオリアナの放った一撃いちげきで管制塔は土台から突き崩され、ハンガーは中に収めてあった実験機体ごと吹き飛ばされ、アスファルトは土を耕したように破壊はかいされていた。
 まるで爆撃にでもったような瓦礫がれきの中を、両者は走る。
 互いの距離はおよそ三〇〇メートル。
「んふ」
 その状況下、オリアナ=トムソンは小さく笑った。
 距離は治よそ二五〇。
「女同士で楽しむのも面白いと思っていたのに。あの聖人はやっぱり来ないのかしら」
 手の中にある単語帳を、口へと持っていく。
 距離はおよそ二〇〇。
「追加の警備員アンチスキルや増援の魔術師ぽじゆつしもやって来ない。うふふ、ギャラリーが多くてもそれはそれで楽しかったのに」
 ニヤニヤと、ニタニタと、彼女はうすく薄く薄く笑う。
 距離はおよそ一五〇。
「あはは! となるとやっぱりそちらの面子メンツは三人だけって事かしら! あらあら。お姉さんてばすっかり舌の上で転がされちゃったわねぇ!!」
 愉快そうに叫び、オリアナは単語帳のカードをみ破った。
 距離はちようど一〇〇。
「しかもその内の一人はすでにリタイヤ決定! 彼は一番頭がキレると思っていたんだけど……それともアレかしら。お仲間さんがわなにかからないよう自分が一番危険な位置を陣取っていたとかいう話なのかしらね! あははは!!」
 バギン!! というガラスの割れるような音が、オリアナを中心に四方八方へと飛び散った。
音の塊は、一秒という間を空けて山彦やまびこのように跳ね返ってくる。
 瞬間しゆんかん
 フッ、と。すベての音が消えた。
 空には無数の旅客機が行き来しているのに、その音が遮断されたように聞こえなくなる。まるでテレビのボリュームを切ったように。
 上条かみじようとなりを並走するステイルは、ルーンのカードを取り出しながら、
「結界か! 物理・魔術を問わず、あらゆる通信を切断するタイプのものだな!」
「!?」
 上条は周囲を見回そうとも考えたが、敵はすぐそこにいる。
 隣のステイルとも確認は取らない。二人は並んでオリアナの下へと一気に突っ込む。彼女の方も笑みを崩さず、手にした単語帳と共にさらに速度を上げてこれに応じた。
 一〇〇メートルという距離が、あっという間に縮む。
 上条とステイルは、それぞれオリアナの左右から攻撃こうげきを加えようとする。炎剣の方がリーチが長いため、同時をねらってもステイルの方が早い。
「しっ!!」
 鋭く息を吐く音と同時に、彼は炎剣を真上から一気に振り下ろす。
 対してオリアナは、
「んふ」
 単語帳のページを一枚み切った。
 彼女の右手に、バスケットボールぐらいの大きさの水球が生まれる。オリアナはそれを使ってステイルの炎剣を受け止める。
 爆発は起きなかった。
 その前に、オリアナの水球がぐにゃりと形をゆがめ、炎剣に巻きついたからだ。
「!!」
 ステイルがおどろく前に、水のツタはあっという間に剣を伝って、彼の手首をいましめた。さらに腕に巻きっき、肩から一気に全身を包み込んでいく。頭の上から、足の下まで。厚さ三センチほどの水の膜におおわれたステイルは、バランスを崩したように地面に倒れ込んだ。炎剣を握るのとは別の手で、のどを押さえつけている。
(あのままじゃ、呼吸が……)
「ステイル!!」
 上条かみじようは目の前のオリアナから方向を変えて、転がったステイルへと手を伸ばそうとしたが、
「あらまぁ。片手間で満足させられるほど、お姉さんは感じやすくはないわよ?」
 体を回すような左のりが勢い良く上条の脇腹わきばらへと突き刺さった。彼の体がガクンと止まる。
「ぐっ!!」
 体勢を取り戻そうとした所へ、オリアナは肩一点に力を込めた体当たりを上条の胸板へたたきつける。上条はとっさに両手でガードを固めたが、その上から衝撃しようげきが来た。分厚いドア板でも打ち破れそうな一撃に、上条の体が真後ろへと吹っ飛ばされる。体がギザギザに破れたアスファルトの上を転がるたびに、激痛が走り回った。
 倒れた上条に対し、オリアナは単語帳のページを口に運んでいく。
 それが噛み破られる前に、
砕けろI A B!!」
 叫びと共に、オリアナのすぐ横に倒れていたステイルが、炎剣を爆発させた。彼を取り巻いていた水の塊が、あちこちへ飛び散る。
 ステイルが新たな炎剣を右手に生んで、低い姿勢から突き上げるようにオリアナをねらう。斜めから胸板を狙う突きの先端に対し、オリアナは左足を後ろへ退いた。まるで狭い通路で道をゆずるように。
 それだけで、ステイルの突きはけられる。
 代わりに、単語帳を握ったままのオリアナの手が、すい、とステイルのあごへ向かった。軽くこぶしを握っただけの、ともすれば握手を求めるような仕草。しかしカウンターの勢いをつけたステイルは、自ら全体重をかけて拳に突撃してしまう。
 ゴン!! という轟音ごうおん
 ステイルの上半身が大きく後ろへけ反り、そのまま抵抗もなく地面へ沈んだ。手の中にあった炎剣が、ガスを失ったように消えていく。オリアナは倒れたステイルから視線を外し、ゆったりした笑みを浮かべて上条かみじようを見た。敵の注意の外に出たにもかかわらず、ステイルが奇襲きしゆうに出る様子はない。弱い風になぶられるように、その黒衣や赤い髪がふらふらと揺れるだけである。
「チッ!」
 上条は慌てて立ち上がろうとしたが、体がふらついた。
 その様子を見て、オリアナは軽く笑う。
「相変わらず、腰が砕けるのが早いわねえ。それでお姉さんと渡り合おうっていうのは、子供の背伸びも良い所じゃない?」
「うる、さい」
 上条は左右のこぶしを、それぞれ開いて握る。
 拳は握れる。足は走れる。体はまだ動く。
「お前は、ここで止める。『使徒十字クローチエデイピエトロ』も、使わせない。お前が学園都市をメチャクチャにして、大覇星祭だいけせいさいを台無しにするってんなら、それは必ずここで止めてやる」
「メチャクチャってのはひどいわね。むしろお姉さんは最高の演出だと思うのだけれど。イギリス清教から何を吹き込まれたかは知らないけど、『使徒十字クローチエデイピエトロ』は別に悪さをする物ではないわ。あらゆる宗教が望むのは人と世の幸せ。その宗教にとって『最も都合が良いように』すべてを組み替える『使徒十字クローチエデイピエトロ』は、魔術まじゆつと科学の壁を取り去り、世界中の人々を幸せに導くかもしれないわよ?」
 単語帳を片手でもてあそぶオリアナの台詞せりふに、上条は口の端をゆがめた。
 すでに破壊はかいされ尽くした滑走路を見て、彼は檸猛どうもうに笑う。
「良いな、それ。おれには科学と魔術の壁なんてモンが見えてねーから実感かねえけど、何となく良い言葉だってのは分かる。―――けどよ」
 彼はそこで区切って、倒れたステイルをわずかに見た。それから、五本の指に力を入れる。
 その拳を、さらに強く握りめ。
 ほかの事にも使える人間の手を、ただ一つの武器へと変えて。
 上条は告げる。
「そもそも俺は、科学と魔術のバランスだの世界の支配権だのなんつー枝葉はどうだって良いんだわ。俺にとって困るのは、テメェが今ここで『使徒十字クローチエデイピエトロ』を使っちまう事なんだよ。それが何を意味してんのか、ちゃんと理解してるのか?」
「んふふ、もちろん。お姉さんが今の今まで何のために頑張ってきたと思ってるの?『使徒十字クローチエデイピエトロ』によって学園都市を制圧するためよ。でも困る必要はないわ。そうね制圧っていう言葉が悪いのかしらね。だれもが幸せになって、誰もが自分が幸せになっている事に疑問も抱かない。そんな素敵すてきなぐらい都合の良い世界が待って―――」
「そんな事を聞きたいんじゃねえよ」
 声に、怒りの感情が乗った。
 それは静かに、そして確実に、彼のこぶしへと力を注いでいく。
「話の軸はそこじゃねえんだよ。困るっつってんのは大覇星祭だいはせいさいつぶれちまうからに決まってんだろうが! 分かってんのかテメェ! 科学だの魔術まじゆつだの、魔術師だのローマ正教だの、『使徒十字クローチエデイピエトロ』だの伝説の霊装れいそうだの、つまんねえ枝葉の飾りでごまかしてんじゃねえよ!! 正論吐きゃ人をなぐっても良いとでも思ってんのか!? そもそもテメェの理屈なんざ正論どころか暴論にもなってねえんだよ!!」
 犬歯をき出しにし、上条かみじようは叫ぶ。
 その視線の先にいる、己の敵に向けて。
おれの考えてる事なんざ、テメェが抱いてるご大層な寝言に比べりゃちっぽけなモンだろうさ。けどな、そんなド素人しろうとの俺にだって吐き出す意地の一つ二つぐらいある」放たれた言葉は、ぐにオリアナへ向かう。「大覇星祭はたくさんの人が準備に追われてきた。今日という一日を記念に残すために! 大覇星祭にはたくさんの人がやってきた。今日という一日を楽しむために! 大覇星祭にはたくさんの人が参加した。今日という一日に精一杯の力を振るうために! 何でそれが全部テメェらのために潰されなくっちゃなんねえんだよ!!」
 言葉の一つ一つが、ただの少年を自らふるい立たせていく。
 上条当麻とうじまは、オリアナ=トムソンに全力をもって問いかける。
「どんなにご立派な宗教で身を固めた所で、今の言葉にテメェが勝てるはずあるか! テメェが抱えるモンの価値なんざその程度だ! こんな単純で味気ない正論一つ打破できねえ三下さんしたのテメェに、ぜれかが本当に大切にしてるものを奪う権利なんかあるはずがねえだろうがよ!!」
「……小さな小さな意見をありがとう」
 オリアナの目から、笑みの光が消える。
 楽しげな感情が失われた後に、なお残る笑み。その名はおそらく皮肉だろう。  、
「でも、その程度の感情論でお姉さんが揺らぐと思う? そもそも、それぐらいで傷がつくような目的意識なら、お姉さんは最初から動いていないわよ」単語帳を、手の中で転がし、「だからお姉さんはここでは止まらない。君の願った通りには止まらないの。分かるかしら?」
「……、それだけなのか?」
 なに? とまゆをひそめるオリアナに対し、
「テメェが俺に向かって何を言おうが知った事じゃねえし、テメェが俺に向かって何をしようが、よっぽどの事じゃない限りは構わねえよ」
 けどな、と上条は一拍挟んで、

「今の台詞せりふ。テメェが傷つけた吹寄ふきよせ姫神ひめがみの前でも言えるのか?」

 オリアナ=トムソンは、ほんのわずかに沈黙ちんもくした。
 そのほおが片方、わずかに引きつる。笑み以外の表情として。
「結局、おれが言いたいのはそれだけなんだよ。だからテメェがこれ以上何もしないって言うなら、もう無理には追わねえよ。『使徒十字クローチエデイピエトロ』を持ってさっさと帰れ」
 上条かみじようは、右のこぶしを構えた。
その上で、告げる。
「だが、テメェがまだこの街で何かやるって言うなら。傷ついて動けなくなったあいつらに向かって、まだ魔術まじゆつを振るうって言うなら―――」
 その目に、光が宿る。
 意思という名の、強い光が。
「―――そんなめた幻想は、この場で欠片かけらも残さずぶち殺してやる」

     5

 空は赤く染まっていた。現在時刻は午後六時。これより一時間以内のどこかで『使徒十字クローチエデイピエトロ』が発動する。それは五分後かもしれないし、きっかり一時間後かもしれない。
 オレンジから紫へと色彩を変えつつある空には、ポツンと一番星がまたたいていた。だが、あくまで星の数は一つ。複数の光点が作り出す星座を確認できるほどではない。
 そんな、いつすべてが終わるか分からない世界の上で。
 上条当麻かみじようとうまとオリアナ=トムソンは正面から激突していた。
「!!」
 距離はおよそ三メートルほど。こぶしを握って追いすがる上条に対し、オリアナは最低限の間合いだけを離すように後ろへ下がり、同時に単語帳のページを口で破る。
 魔術まじゆつが発動する。
 上条とオリアナの間を遮るように、地面から噴き上がった不自然に青い炎が壁を作った。だが、彼はみ込む足を止めない。そのまま右拳を、炎の壁へたたき込もうとして、
 ぐにゃり、と。
 炎の壁が、上条の拳を後ろへけるように、くの字に折れ曲がった。
「!?」
 上条の拳が空を切ると同時、折れ曲がり、左右に展開された炎の壁が勢い良く彼の体を挟み込もうとする。
 体の重心はすでに前へ傾き、今から後ろへ跳び下がる事はできない。
 かと言って、このままでは右拳は届かない。
 左右どちらかの壁へ拳を向け直すだけの時間すら足りない。
 ならば。
(前へ……)
 上条は、目の前の炎の壁にすくみそうになる足に、さらに力を込めて、
(もっと前へ!!)
 矢のように正面へ突っ込み、くの字の壁の、一番奥の一点をそのままなぐり飛ばす。
 バン!! と風船の割れるような音と共に、炎の壁は粉々に砕け散った。
 オリアナ=トムソンはその先にいる。
 彼女はさらに一枚、単語帳のページをみ切った。
 すぐ足元に倒れているステイルなど見向きもせず、ただ上条にねらいを定めて。
 しかし、魔術まじゆつが発動される一瞬いつしゆん前に、上条はオリアナのふところへと飛び込んでいた。彼女が放つ予定だったアスファルトの刃は、地面から見当違いの方向へ発射される。まるで大砲の最大傾斜角の外にいる敵を無理矢理とうとしたように。
 今度こそ、上条かみじよう右拳みぎこぶしを固く握り、オリアナの顔面目がけて打ち放つ。
 が、
 拳が当たる前に、オリアナはその長い足で、上条の片足を、内側かち外側へと大きく払った。
ガクンと上条の体が大きくバランスを崩す。当たるはずだった拳が空を切る結果となる。転倒だけはけようと、上条が片膝かたひざをついた所で、
「あら良い位置に頭が♪」
 ゴッ!! と、ひざまずいた上条の顔面を、オリアナの中段りが思い切りぎ払った。『が、ぁ!?』と上条の口から思わず声が漏れる。回すように放たれた蹴りが、彼の体を真横に飛ばす。
(足り、ねぇ……)
 上条は転がる勢いを利用して起き上がると、オリアナが単語帳のページを口でみ切っている所だった。彼女の手から、ソフトボールサイズのガラスの弾丸が投げ放たれた。対する上条も、足元にあったアスファルトの残骸ざんがいつかんで、飛んでくる一撃いちげきへと投げつける。
 ガギィ!! という音と共に、ガラスの弾丸が砕けた。その破片すベてが内側へ向かい、ぶつかってきたアスファルトの残骸をズタズタに貫通し、ボトリと地面にぐ落ちる。
(これじゃ、足りねぇ)
 上条はそのすきに、オリアナの元へと走るが、
 逆にオリアナが恐るべき速度で上条のふところまで一気に突っ込んできた。
「な……ッ!!」
 回避かいひも防御も間に合わない。
 密着するような至近距離に迫るオリアナは、単語帳のページをさらに口で破る。その手で、すう、と上条の腹から胸へとで上げた。
 瞬間しゆんかん
 空気が吹き荒れるのを感じた。ボッ!! という鈍い音と共に、上条の体がくの字に曲がり、鳩尾みぞおちを中心として真上に浮いた。重たい吐き気がのど奥まで迫る。足が四〇センチほど地面から浮き、つまり体を使った移動が全くできなくなった所で、
「とうっ♪」
 馬鹿ばかみたいな掛け声と共に、オリアナはさらに上条の鳩尾へ握った拳をたたき込んだ。
「い、ぐ……ッ!!」
 ゴキゴキと嫌なひびきがするほどの勢いで突っ込まれた拳は、そのまま上条の体を後ろへ三メートルも飛ばしてしまう。
(これじゃまだ、オリアナに届かない……ッ!!)
 転がり、地面に手をつく上条は、口の中に苦い味を感じながら、歯を食いしばる。
 オリアナは体を使った近接技と、魔術まじゆつを使った遠距離技の両方にけている。上条がいかに

手足を振り回して応戦しても、相手の手数にあと一歩の所で及ばない。まるで間にうすい膜を挟んでいるように、こちらのこぶしは寸前の所で回避かいひされてしまう。
 このままでは、オリアナに攻撃こうげきは当たらない。
 どれだけ追いすがっても、喰らいついても、死にもの狂いで拳を放っても。
「んふふ! そろそろ辺りも暗くなってきたわねぇ」
 オレアナ=トムソンが、こちらへ向かってくる。
 無造作に見えてその実、全く死角のない動きで。
(くそ……)
 遅まきながら、これがオリアナの戦術だとようやく気づかされた。オリアナは、大技を使って初撃で一撃必殺をねらおうとはしない。適度に両者の力のバランスを保ち、こちらが勇み足をした所で強烈なカウンターを決めてくる。それはおそらく、『一度使った魔術まじゆつは二度と使わない』彼女が、可能な限り大技を温存しておくために身につけたものだろう。
遊ばれているのではない。
 これが、オリアナ=トムソンにとって、ベストの構図なのだ。
「子供はもうおウチに帰る時間かな? それとも、お姉さんとちょっぴり刺激的な夜を過ごしてみたい?」
 み込んでくる彼女に対し、上条かみじようも地面に転がった状態で、低い姿勢から一気に跳ね上がるようにオリアナの元へと突っ込んだ。
 両者は再び激突する。
上条は攻撃をけ、受け止め、それでもこちらの拳を当てられないまま、
(あと一つ……)
 歯を食いしばり、攻撃を死角からねじ込まれ、それでも痛みに耐えて、
(あと一つ、何かあれば……。こっちの手数を増やす、何かがあれば!!)
 拳を振るいながら、彼は強く願う。
 透明な壁にでもはばまれるように、一切当たらない攻撃をり返しながら。

     6

 ステイル=マグヌスの意識は明滅していた。
(ぐ、ぁ……)
 横倒しになった視界。にじむようなあごの痛み。ぐらぐらと揺れるバランス感覚。自分が倒されたのだ、と気づくまでに三秒間も必要だった。
 手足に力が戻っていくが、その速度はあまりにゆるやか過ぎる。
 大柄な体格とは裏腹に、彼は近接戦に使うような体力に恵まれている訳ではない。それはステイルが体をきたえていないのではなく、もっと根本的な所に原因がある。
 彼がルーンのカードを用意したり暗号化した呪文じゆもんなどを使うのは、その魔術まじゆつ莫大ばくだいな魔力を使うからだ。魔力というのは何もしないで現れるものではない。体の内側で様々な術的作業を行った上で初めて生み出されるのである。
 通常の魔術師ならそれほど苦にならない作業も、ステイルの『魔女狩イノケンテイりのウス』のような教皇クラスの術式を常に扱うとなれば話は別。単純な仕事も回を重ねれば疲れが増すのと同じく、魔力精製『作業』はステイルの体を圧迫していく。従って、スタミナの消耗も早い。言ってしまえば、彼は体の外側と内側の二つで同時に運動をこなしているようなものだからだ。
 ステイル=マグヌスは、神裂火織かんざきかおリのような選ばれた聖人ではない。
 土御門元春つちみかどもとはるのような、一つの道を完全に極めた天才魔術師でもない。
 それでも、戦うべき理由があった。
 だから彼はルーン文字を修得し、十字教文化へと組み込み、『魔女狩りの王イノケンテイウス』という教皇クラスの術式を手中に収めた。代償だいしようとして近接戦の可能性を捨て、ルーンのカードがなければ炎一つ起こせない状態になってでも。
 しかし、その決意が生み出した反動が、今こうして彼の体をむしばんでいる。
(く、そ……)
 意識が揺れる。
 そんな状況の中、こぶしを振るう音と、魔術が交差するひびきが聞こえている。あの素人しろうとは、まだ戦っているのだ。攻撃こうげきを受けても、たたき込まれても、ねじ入れられても、倒れず、あきらめず、歯を食いしばって。ただその拳を握りめて。
 自分はあの素人のようには、なれない。
 どれだけの歳月を労しても、あの立ち位置は、もう絶対に得られない。
 だけど。
世界を構築する五大元素の一つM T W O T F F T O偉大なる始まりの炎よI I G O I I O F
 一人の少女を守るために、つかみ取った様々な技術がある。
 その笑顔をみにじろうとする者と戦うために、それだけを目的に血を吐くような痛みと共に手に入れた、数々の炎の魔術が。己の背中を押す淡い感情の正体も分からぬまま、ただがむしゃらに手を伸ばした結果。
それは生命を育む恵みの光にしてI I B O L邪悪を罰する裁きの光なりA I I A O E
 ステイル=マグヌスは知っている。
 もはやこの術式には、何の価値もない事を。あの小さな少女のとなりを歩いてくれる人間がきちんと存在し、そのために、この術式はすでにすべて用済みである事も。
それは穏やかな幸福を満》たすと同時I I M H冷たき闇を罰する凍える不幸なりA I I B O D
 それでも、この術式はきっとあの子以外のだれかを守れる。
 例えば、大きなひとみに涙をめて、返り血で両手を真っ赤に染めて、全く意味のないつたない術式にすべてを願ったあの小さな女性を。
 例えば、魔術師まじゆつしでも何でもないのに、胸元の十字架一つで勘違いされ、血の海に沈んでしまった一人の少女を。
その名は炎I I N Fその役は剣I I M S
 その行為は、おそらくステイルにとっては何のなぐさめにもならない。比喩ひゆするなら、大好きな人のために作ったケーキを、全くの他人が『美味おいしい美味しい』と食べてしまうようなものだ。
どれだけめられた所で、心の隙間すなまが埋まる事はない。絶対に。
顕現せよI C R
 それでも、彼女たちを助ける事が、結果として一人の少女の笑顔を守る事になるのなら。
 学園都市を守る事が、一つの幸せにつながるというのなら。
 ステイル=マグヌスは受領する。
 全ての力を振るい、全くの別人を助けるために。
 今もまだ残る淡い感情の下、ここにいる敵を倒す事を。

我が身を喰らいて力と為せM M B G P―――『魔女狩りの王イノケンテイウス』!!」
 ドォ!! と彼の修道服の内側から、大量のカードが舞い散った。まるで紙吹雪かみふぶきのように流れる膨大ばうぜいなルーンは、彼を中心に渦を巻き、周囲の砕けたアスファルトへと張り付いていく。
 炎が吹き荒れた。
 紅蓮ぐれんの輝きを放つ炎は、外から内へと一気に集束する。その中心点に黒い重油のような人型のしんを据え、摂氏三〇〇〇度の炎の巨神が彼のとなりに立つ。
「……行くぞ、『魔女狩りの王イノケンテイウス』」
 告げながら、魔術師はゆっくりと地面から起き上がる。
 手をつき、足をつき、ふらふらとした動きで。
 それでいて、決して体と心の軸は折れずに。
 彼は天に向かって叫ぶ。
 魔法名まほうめい
 Fortis931。
 彼が己の魂に焼印し、必死で組み上げた『魔女狩りの王イノケンテイウス』に望むものは、
「―――が名が最強である理由をここに証明しろ!!」

     7

 空の色は深い紫色へと変わりつつあった。
 まるで紙の裏にインクがにじむように、ポツポツとまたたきが生まれている。今は二、三の光に過ぎないが、おそらくあと一〇分もしない内に、空は満天の星で満たされるだろう。星の光は、夜になると輝き始めるのではない。太陽の光がやわらいだ結果それまで瞬いていた光が浮かび上がる、というのが正しい。従って、一定量の時問が下るにつれて、一等星、二等星、三等星と格付けされた星々は、一気にまとめて顔を見せる事になる。
 そんな、夜天の輝きが今にもこぼれ落ちてきそうな天蓋てんがいの下。
 オリアナ=トムソンは、おおい始めた薄闇うすやみすべてをぎ払うような炎の閃光せんこうを見た。
「ステイル!」
 同じく異変に気づいた上条かみじようは、しかしオリアナと違って凄絶せいぜつな笑みと共に、振り返りもせずに魔術師まじゆつしの名を叫ぶ。まるでそれに答えるように、業火ごうかの光量が、グワッ! と増した。
「!!」
 オリアナは現在、正面から追いすがる上条に対して後ろに下がっている。そこへ、人型の巨大な炎が横から回り込んだ。ごう!! と酸素を吸い込む壮絶な音響おんきようと共に、オレンジ色に揺らぐ腕が振りかぶられる。
「お姉さんに……蝋燭ろうそく責めの趣味しゆみはないのよっ!!」
 彼女は上条のこぶしを横にけ、その動きを利用して上条の右側へと体を移動させた。
 この少年を、反対側からおそいかかる炎の巨神の盾に使えるように。
「……、」
 少し離れた所に立っていたステイルはわずかにまゆをひそめ、
一緒いつしよに死ね」
「うおおっ!!」
 上条が慌てて身をかがめた直後『魔女狩りの王イノケンテイウス』の右腕が横殴よこなぐりに振るわれた。異様に長い腕は少年の髪の端をわずかに焼き、さらにオリアナの上半身目がけて勢い良く迫り来る。
 この火力が爆発すれば、間違いなく少年をも巻き込む位置取りなのに。
「な……ッ!!」
 ギョッとしたオリアナが、後ろへ下がろうとした瞬間しゆんかん
「危ねえだろ馬鹿ばか!!」
 今度は上条が、アッパーカット気味に頭上を通る炎の巨神の右腕を殴り上げた。業火の腕は消滅しないものの、いきなり軌道を不自然にねじ曲げる。
 摂氏三〇〇〇度、かすっただけで肉が溶ける獄炎だ。
(くっ!!)
 当たらない、と分かっていても、予想外の軌道にオリアナの動きがとっさに硬直した。その間に、上条かみじようは大きー一歩、彼女のふところへともぐり込んでいる。
(しまっ……)
 オリアナがとっさに腕をクロスした瞬間しゆんかん
 そのガードの上に、全体重をかけた右拳みぎこぶしが突き刺さった。ゴン!! という激突音がひびく。衝撃しようげきを逃がす暇がない。ビリビリと、両腕に痛みと振動が伝わってくる。
「!!」
 硬直するのはまずい、とオリアナは思う。
 常に距離を取り、魔術まじゆつと物理カウンターをねらうオリアナは、単純なつかみ合いやなぐり合いは望んでいない。男女差別が嫌いだが、拳一つを主体で戦う男相手に、知力で戦う女の自分が体力スタミナ勝負を挑むのも馬鹿ばからしい。
 オリアナは直線的ではなく、上条に動きを読まれづらくするため、身をひねるように後ろへ下がろうとしたが、
灰は灰にAsh To Ash塵は塵にDust To Dast吸血殺しの紅十字Squeamish Bloody Rood!!」
 ドォ!! と新たな炎が吹き荒れた。
 上条当麻とうまの背後から、右に赤の、左に青の炎剣を掴むステイルが勢い良く走ってきた。
(まず……ッ!)
 オリアナは舌打ちする。少年の拳は一発二発もらっても致命傷にならないが、あの炎剣はおそらく別。脅威となるのは切断力よりも爆発力で、爆炎と爆風を直接浴びれば即白骨か、下手すると骨すら残らないだろう。
(先にたたくべきは、魔術師の方―――)
 オリアナの意識が、目の前の上条から奥のステイルへとシフトしたが、
「づ……ッ!?」
 ぼてっと。
 駆け出していたステイルの体が、アスファルトの破片に引っかかって転んだ。
「家に帰れヘタレ魔術師!!」
 上条が叫びながら、右拳をオリアナの顔面に放つ。
 ハッとしたオリアナは、注意を戻してとっさに顔の前ヘガードをいたが、
だまれド素人しろうと!!」
 上条の後ろで倒れていたステイルが、両の炎剣を地面に叩きつけた。ゴン!!という壮絶な爆発音と共に、壁のような爆風が前方へおそいかかる。背中を押されて前につんのめった上条のバランスが崩れ、拳の目測が外れた。
 オリアナの、ガードの隙間すきまをくぐるように。
 顔からわずか下―――胸の中心部を。
 ドン!! という床板を強くみつけるような音がひびき渡った。
「ご…ぁ……ァああッ!!」
 呼吸をつぷされたオリアナの体が、真後ろへとぎ倒される。ぜひゅごきゅ、とまともに息を吸えないまま、彼女は後ろへ転がって距離を取る。単語帳のページをみ破ろうとしたが、口がふるえてまともに動かなかった。
 攻撃こうげきが直撃した。
 理由は単純、上条かみじようとステイルの動きが読めないからだ。
 彼ら一人一人の動きなら、オリアナは確実に予測できる。そしてバランスを合わせ、カウンターを誘発ゆうはつし、無傷での勝利も余裕だっただろう。
 それは彼らがタッグを組んで、チームプレイに走っても同じ。むしろ意思疎通のためのサインが目に見えるため、こちらの方が先は読みやすい。
 だが、
魔女狩りの王イノケンテイウス!」
 ステイルが指示を飛ばし、炎の巨神がぐ突っ込んできた。オリアナが横に転がってけると同時、後ろにいたステイルが呪文じゆもんを詠唱しながら勢い良く飛び込んでくる。
炎よkenaz巨人に苦痛のPurisaz Naupiz―――」
 それは彼の主戦力である、炎の剣を生み出すために必須となる言葉。ステイルは、上条のすぐ横を通り抜けようとした所で、
邪魔じやま馬鹿ばか!」
「君がどけ!!」
 チームワークゼロで二人は激突し、お互いが勢いで斜め前方へと強引に吹っ飛ばされる。しかし、そのメチャクチャな動きの矛先はオリアナに向いていて、
(読めない……ッ!?)
 かろうじて単語帳のページを噛み切り、生み出した氷の剣で炎の剣を受け止めた。が、そのステイルの背中へ、上条がさらに体当たりをぶちかました。味方に対して一切の容赦なし。どちらかと言うとステイルに攻撃しているような動きだ。剣を押す勢いが増し、オリアナの体が後ろへ大きくけ反る。その拍子に、無理な使い方をしたステイルの炎剣が砕けて消えた。
 互いが協力しておそいかかってくるならまだしも、完壁かんぺきに足を引っ張り合っている。これでは他人のケンカに巻き込まれているようなものだ。
 だが、だからこそ、読みづらい。
 ねらいがオリアナ一点に集中せずにフラフラしているため、いつ本命の一撃が来るのか、タイミングが非常に曖昧あいまいなのだ。まるで狭い部屋の中で飛び跳ねる跳弾のように。
「おおォ……ッ!!」
 混乱の中、大きくけ反らされたオリアナが、それでも氷の剣を横薙よこなぎに振るう。
 ねらいはステイルの腰。
 しかもこれは本命ではない。仮に氷の剣がけられたとしても、その瞬間しゆんかんに氷粒子を操って剣の形そのものを組み替え、ステイルの回避かいひ軌道を追撃ついげきする準備は整っている。その場合、剣の急激な重心移動にオリアナの手首が耐えられず、文字通り骨を折る危険性もあるが、
(とにかく必ずぶち当てる! お姉さんの手管てくだで腰を抜かしてあげるわよん!!)
 恐るべき速度に達した氷の剣が、勢い良くステイルの腰へ横から突っ込む。
 その寸前。
「!!」
 彼の背中から正面へ回り込んだ上条かみじようが、その右手で氷の剣を受け止めた。バン!! と瞬間的に砕けるオリアナの武器。
普段ふだんは……いがみ合っているくせに、こういう時には助け合うの!?)
 彼女がおどろきを表現する前に、すでに上条たちは次の行動に移っている。
 上条当麻とうまが身をかがめるような姿勢で右手を構え、
 ステイル=マグヌスがそのすぐ後ろで同じくこぶしを握り、
 彼らは互いに意図せずとも、
 マイナスとマイナスが反発し合うようなコンビネーションで、
 ―――二人合わせて、同時に攻撃を放つ。

 上条とステイルの拳が、同時に飛んだ。
 オリアナ=トムソンはとっさにどちらを防ぐか思考を巡らせたが、間に合わず。
 ゴン!!という轟音こうおんと共に。
 顔と腹に打撃を受けた彼女の体が、勢い良く後方へと吹き飛ばされた。

「ひ……ぁが……ッ!!」
 勢い良く地面にたたきつけられた。のた打ち回る自分が、無様に踊らされていると自覚する。
呼吸ができず、バランス感覚は揺らぎ、足腰から力が抜けている。
 明滅する視界で、オリアナは見る。
 前方から、ぐに、彼らがやって来る。
 今の『敵』の前で構えを解けば何が待っているかなど考えるまでもない。それが分かっていても、ダメージの残るオリアナは起き上がれない。ぐらぐらと揺れる頭は、力の抜けた体へ正しく命令を伝えられない。
(負け、る……?)
 金属リングで束ねた単語帳が、目の前に落ちているのを見た。
 力の象徴であるはずの単語帳が。
(わた、し、は……もう、負ける……?)
 些細ささいな事実が、より一層彼女の手から力を抜かせていく。ボロボロになった意識は、さざ波のようにやってくる脱力感に、身を任せようとしたが、
(基、準点は、どうするの……)
 やみに滑り落ちていくようなオリアナの意識に、何かが引っかかった。
 一体、何回繰り返したかも分からない質問。
 オリアナは思い出し、吐き出しかけて、再びそれをみ込む。
 その問いかけの苦い味を、彼女はもう一度だけ確認した。
(お、姉さん、は、絶対の基準点が、欲しくて……)
 オリアナの一つの同じ行いに対して、皆が感じる事は様々で。感謝をする人もいれば、恨みながら去っていった人もいて。どうすれば良いんだろう、と悩んだ所で、答えなんて出てきてくれなかった。人の数だけ思惑があるのなら、人の数だけ自分の行いの意味が変わってしまうのなら、オリアナの中にどれだけ確固としたルールがあった所で、それを受け止める人によって、結果なんていくらでもゆがんでしまう。
 世の中に、正しい事なんて何もない。
 一人一人が異なる思惑を持って動いている限りは、絶対に。
(皇帝でも、教皇でも、大統領でも国家主席でも総理大臣でも構わない。私は、だれのためにだって戦ってあげる……)
答えを知りたい、のではない。
 答えなんてどこにもないから、答えをこの手で作ってみたいと思ったはずだ。
 もう、誰も首をかしげないような。
 すべてにおいて満足できるような。
 だからここまで頑張ってきた。それなのに、今ここでオリアナは一体何をしているのか。
(……だから、誰か明確なルールを作ってください。皆を幸せにして、もう誰も価値観の齟齬そごが生み出す悲劇になんて巻き込まれないような、そんな最高の世界を!!)
 その願いを、もう一度口の中で告げた瞬間しゆんかん
 カッ!! とオリアナの両目が見開かれた。
 頭に血液が向かう。その反動で、心臓が一つ、大きく脈を打つ。
(勝つのよ……)
 オリアナは、ふるえる手を地面に伸ばす。
 足はまだ動かない。自分の体重を支えられるほど回復していない。だからこそ、彼女はもっと簡単で、なおかつ効率の良い行動に出る。
(勝って、答えを作ってみせる! 私は、私の名は―――)
 地面にある、金属リングで束ねた単語帳。
 一度手を離れた武器を、オリアナ=トムソンはもう一度つかみ取った。
「―――礎を担いし者Basis104!!」

     8

 上条かみじようは叫び声を聞いた。
 日本語でも、単純な英語でもないだろう、どこのものかも分からない外国語。
 その名が示す意味は、上条よりもステイルの方が早く勘付いた。
「伏せろ素人しろうと!!」
 ステイルの足が、上条の背中を勢い良く蹴飛けとばした。上条が思わず地面に転がるのを見向きもせず、ステイルは待機していた『魔女狩りの王イノケンテイウス』を呼ぶ。炎の巨神が、盾のように彼の前に立ちふさがろうとした瞬間しゆんかん
 ブチッ、と。
 オリアナ=トムソンが、倒れたまま、単語帳のページを口でみ切る。
 ドッ!! と。
 鮮血が、散った。

 オリアナが放ったのは、サッカーボール大の氷の球体だった。それは彼女の手をふわりと離
れると、中心から外側へ勢い良く爆破、大量の鋭い破片の雨を、扇状にき散らした。
 刃の豪雨は、地面に倒れた上条の頭上スレスレを突き抜け、
 その後ろにいたステイル=マグヌスの体を貫いた。
 鋭利な刃物が肉に突き刺さる音は、意外に硬く、鈍いものだった。
 あるいは、骨をも砕いた結果なのか。
 ステイルは、すとん、と両膝りようひざを折って真下に崩れると、横倒しに地面に伏した。その体か
ら、じわりと血が広がっていく。『魔女狩りの王イノケンテイウス』が、苦しそうに身をくねらせた後、四方八方へと飛び散るように消滅した。
 言葉はない。
 うめき声すらも、ない。
「す」
 上条は、信じられないという顔で起き上がると、
「ステイル―――ッ!!」

「どこへ行くの?」
 彼の元へ駆け寄ろうとした上条かみじようを、止める声があった。
 上条は振り返る。七メートルほど先に、オリアナは立っていた。その手の中にある、単語帳のページを、強く握りめて。
「坊やの相手は、こちらでしょう……?」
「テ、メェ……」
 意図していないのに。
 上条の口から、言葉がれた。
 空は紫色から夜の深い青色へと変わりつつある。もう星座が浮かび上がるまで時間がない。
素人目しろうとめでは詳しい日没時間は分からないが、もう五分あるかどうか、
使徒十字クローチエデイピエトロ』が使われるかもしれない。
 この場で一番気にすべき所はそこのはずなのに。
「いい加減にしろよ、何人傷つければ気が済むんだテメェは!!」
 上条当麻とうまが最初に叫んだのは、その台詞せりふだった。
 頭で考えるよりも早く、言葉が口から飛び出していた。
 倒れたステイルは、このまま放っておけない。けれど、オリアナは応急処置の時間すらも与えてはくれない。ならば、邪魔じやまする者はここで排除しなくてはならない。
 対して、オリアナは笑う。
「お姉さんだって、傷つけたくて、傷つけているんじゃないわ」
 どこか吹っ切れたような、余分なものをすべて削り落としたような、そんな顔で。
「それが嫌だから、戦っているのよ。そっちから見れば馬鹿馬鹿ばかばかしいでしょうけどね。それでもこんな私にだって、目的があるの。さあ来なさい、坊や。あなたが学園都市を守る、最後の手駒てごま。坊やをつぶせば、それでお姉さんの役目は終わり。あとはローマ正教の『使徒十字クローチエデイピエトロ』が、お姉さんの望んでいる景色を作ってくれる……」
「何が……目的がある、だ」
 上条かみじようは一〇本の指に力を込める。
「他人任せで未来を決めてもらってる分際で、偉そうな口いてんじゃねえ。吹寄ふきよせが倒れたのも、姫神ひめがみがやられたのも、土御門つちみかどの手足が潰されたのも、ステイルが盾になったのも! 全部テメェの意思じゃなくて、ローマ正教の言いなりだっただけなのかよ!! その程度の浅い考えで、だれかの幸せを奪おうとなんかするんじゃねえよ!!」
「お姉さんは、ね……」
 オリアナは慎重に間合いを測りながら、静かに告げる。
 余裕があるのではなく、できるだけ力を温存するために。
「……誰でも良いのよ。ローマ正教だろうが、何だろうが。誰に従うかなんて、重要じゃない。政治家を選ぶのと同じ。坊やには難しい話題かな。でも、政治家って芸能人とは違うでしよう? この政治家が好きだからって選ぶんじゃなくて、お姉さんたちを幸せにしてくれる人なら、別にどこの誰が総理大臣になったって構わないでしょう?」
 血を吐くように、浅い呼吸を繰り返し。
 彼女は告げる。
 オリアナ=トムソンは個人的な目的を持っていないのではなく。
 個人的な目的を果たすためなら、誰の元にでも従ってやるのだと。
「正直な話、お姉さんは別に学園都市の味方をしたって良いの。でも、お姉さんは魔術まじゆつサイドに縁があったから、たまたまそちらに付いていただけ。……『使徒十字クローチエデイピエトロ』は、とりあえずお姉さんの目的を果たしてくれそうだから、ね」
「目的? 世界の支配権でも手に入れて、馬鹿みてえな皇帝にでもなるのがか?」
 慎重に距離を測るオリアナに対し、上条は無造作に一歩前へみ込む。
 そのスタンスの違いに、彼女はうすく笑った。
「だから、それはお姉さんの上の事情。お姉さんは別に、誰の下に従っても、不満はないの。お姉さんの日常さえ守ってくれれば、誰が支配してくれても。ねえ坊や。一体この惑星には、どれだけの数の主義主張信仰思想善悪好悪があると思う?」
「……、」
「答えはね、いっぱいよ。本当にいっぱい、数えるのが馬鹿馬鹿ばかばかしく思えるほどあるの。ベースとなるのは十字教を始めとした、様々な『信仰の枠』ね。それらはさらに人々の中で様々な解釈がなされ、結果として一人一人が極小の価値観を持つ事になる。言ってしまえば、『ローマ正教オリアナ=トムソン派』といった具合にね」
 オリアナは単語帳を、握りつぶすほどの力でつかむ。
 彼女も上条かみじように合わせ、一歩をみ出す。
「ねえ坊や。この世にはね、想像もできない展開なんて色々あるの。おばあさんにゆずってあげた二階建てバスの座席の下にテロ用の呪符じゆふが仕掛けられていたとか、迷子を保護して教会に預けたと思ったら実はその子はイギリス清教から逃げていた魔術師まじゅっしで、髪を掴まれて処刑ロンドン塔に引きずられていったって、後になってから教えられたりとか、ね。今日も、木の枝に引っかかった風船を取ってあげたけど、それだって果たして本当に『幸福』につながっていたのか。もうお姉さんには判断がつかないわ」
 放たれる言葉。
 その強さに合わせて、オリアナはさらに踏み込む。
 距離は六メートル。
「ねえ坊や、考えられる? こんな落とし穴の存在を、全部が終わった後で思い知らされた人間のおもいが。それでいて、行動しなければしないで、やっぱり目の前の人が確実に傷ついていくって事を再確認させられた時の気持ちが。動いても駄目だめ、動かなくても駄目。じゃあお姉さんは、一体何をどうすれば良いのかしらね」
 その言葉を聞き。
 上条当麻とうまも、同じように踏み込んでいく。
 距離は五メートル。
「おかしいと思わない? 隣人りんじんを愛する人々が、その実、となりに立つ人すら守れずにいるだなんて。だからお姉さんは求めるのよ。お姉さんの上に立つだれかに。顔も名前も分からない、この惑星をどこかで支配している何者かに」
 オリアナはわずかに奥歯をむ。
 そこで感じた苦味を振り切るように、さらに踏み込む。
 距離は四メートル。

「誰でも良いから、この世界に散らばる主義・王張を上手に支配したばねてくださいって」

 それが、オリアナ=トムソンの目的。
 偶然なんて言葉で、自分の親切心のすべてを裏切られた彼女が、もう二度と裏切られないようにするために。そしてその裏切りが、彼女の隣に立つ人々を傷つけないようにするために。
 でも、その目的はあまりに大きすぎて、オリアナ一人ではかなえられないから。
 だからこそ、彼女はより強く、高く、優れた人間にすべてを託そうとした。
 絶対の基準点。
 偶然が生み出す誤解や勘違い、すれ違いが、もう二度と悲劇を生まないようにするために。
「お姉さんは、守る」
 彼女はそこで立ち止まった。
 み込むべき要素を全て使い切ったとでも告げるように。
「そのために『使徒十字クローチエデイピエトロ』を使って学園都市を支配する。そうすれば、今まで散り散りだったおもいの形は、きっと上手うまくまとまってくれるはずだから」
 これ以上は踏み込めるはずがない、とオリアナは言外に語っていた。自分の『目的』は正当で、それによって多くの人々が救われるのだから、止めるための反論材料はどこにもない。無言のままにそう言い放ち、彼女は壁のように立ちふさがる。
 だが、
「お前の『目的』はそれだけなのか?」
 上条かみじようは、さらに大きく前へと踏み込んだ。
 距離は三メートル。
「だとしたら、やっぱりお前は安っぽいよ。悪党って訳じゃねーんだろうけど、正義って言うにはあまりに安い。そんな程度の『目的』のために、学園都市のみんなを差し出せなんて馬鹿ばかげた申し出は、絶対に受け入れられない」
「なん、ですって……?」
 オリアナのまゆが、崩れるように動いた。
 そのわずかな変化が、整った顔立ちを台無しにしていく。
「坊やは、見た事がないからそういう口がけるのよ。怨嵯えんさでも悲鳴でも怒号でも、救いを求める声ですらもない……ただ『悔しい』っていう一言を! 一〇歳の子供が希望も持てず、一〇〇歳の老人が絶望も持てず、ただその身に降りかかる事態に対して、呆然ぽうぜんと立ち尽くすしかないっていう、あの表情を見た事がないから―――ッ!!」
「だとしても」
 上条は遮るように言って、さらに踏み込んだ。
 距離はニメートル。
「それが、学園都市を好きに攻撃こうげきして良いなんていう理由には、ならない。だれかのために、別の誰かを踏み台にしても良いなんていう理屈には、すり替えられない。絶対にだ」
 ―――例えば、オルソラ=アクィナスという少女がいる。
彼女は未開の土地で信仰を広めるのが得意だった、と修道女アニェーゼ=サンクティスは過去に言っていた。それは、バラバラだった小さな主義主張や信仰思想に少しでもつながりを設けて、みんなが仲良く暮らしていけるように努力した結果だろう。
 ―――例えば、土御門元春つちみかどもとはるという少年がいる。
 彼はおそらく、人間がどれだけ努力してもすべての社会を完壁かんぺきにはつなげられない事を知っている。だからこそ、学園都市やイギリス清教の裏で暗躍あんやくし、多くの人々のおもいで作られた杜会と社会がぶつかった時の摩擦まさつを、少しでも軽減するために命を削っているんだろう。
 方法は違っても。
 皆、そこに住む人々を守るために。
 想いなんて、宗派だの国境だのといった大雑把おおざつぱなもので区切られている訳ではない。
 価値観や主義主張が形作るものなら、それはだれだって持っているものだ。そして、そういったものは確かにトラブルを生むかもしれないけど、逆に言えば、トラブルを起こすぐらい大切なものなのだ。
 ゆずれないものの一つや二つ、誰だって持っていても良いと思う。
 それが分かっているから、オルソラや土御門は、他者の領域へ必要以上にみ込もうとはしないのだろう。たとえ誰かの領域に踏み込んで、メチャクチャに破壊はかいして、自分の都合の良いように踏み固めてしまうのが簡単な平定方法だとしても、そんな方法は願い下げだと思っているから、彼らは彼らなりの手段で他者の価値観や主義主張と向き合っている。
 だから、上条かみじようは告げる。
 それが、傷つきながらも自ら導き出した、己の価値観であり主義と主張であるから。
「熔前が抱えてる問題なんて、みんなが感じている事なんだよ。そして解決策なんて、人それぞれで変わってくる。大きな『目的』を一つ持っているからって、お前の行動全部が無条件で許されるはずがないんだ」
 告げながら、上条はこぶしを握って前へ出た。
 距離はわずか一メートル。
おれは主義主張だの価値観の齪酷そこだのなんて知らない。小難しい事は分かんねーしな。それでも、ステイルや土御門が傷つけられるのは嫌だし、インデックスや姫神ひめがみなんかとナイトパレードをに行きたいし、青髪ピアスや小萌こもえ先生と大覇星祭だいはせいさいの競技でギャーギャーさわぎたい。それが一個の『想い』として一まとめにされるってんなら、俺はそいつを全力で守ってやる」
 もはや拳が届く距離で、
「俺だって、いつでも何でも上手うまくいくなんて事はねえよ。アニェーゼの時なんて思いっきり裏目に出たしな。だけど、そこで立ち止まっても仕方がねえだろうが! 失敗しても思い切り転んでも、転んだままで話が先に進むはずねえだろ!! 起きろよ、そしてもう一度守ってみせろよ!! どれだけ無様な結果を生んでも、自分の想いが全部裏目に出たとしても、そしたら今度はその裏目からみんなを引きずり上げるために立ち上がんのが筋だろうが!! ようは最後の最後でみんなが笑えりゃかちせってだけの話なんだろ! それなのに、他人の人生をテメェが途中で投げ出すんじゃねえよ!!」
 上条当麻かみじようとうまは最後に告げる。

「―――お前はどちらを選ぶ、オリアナ=トムソン。一回失敗したからってすべてを他人に任せておくのか。たとえ失敗しても、その失敗した人たちにもう一度手を差し伸べてみるのか!!」

 は、とオリアナは笑った。
 これまでのものとは違い、吹っ切れたような危うさのない、ごくごく普通の笑みを。
 彼女はそれから息を吸って。
「「!!」」
 一気に単語帳のページをみ破った。
 何かの魔術まじゆつが発動し、しかし上条はその正体を探る前に右拳みぎこぶしを振るった。
 両者の間で爆発が起き、幻想殺しイマジンブレイカーの力を受けて四方八方へ飛び散る。その余波で青白い閃光せんこうまたたき、上条は思わず後ろへ二歩三歩と下がる。オリアナも同じように跳び下がっていた。
 両者の距離が再び三メートルまで広がる。
 オリアナは単語帳を口へと持っていく。しかし、噛み破ったのはページ一枚ではない。無数の厚紙を束ねている、金属リングの方を外したのだ。
 数十枚ものページが一度に解放される。
 オリアナはページの束を握った右手を横合いに振り、
「これで決着をつける」
 紙吹雪かみふぶきが舞う。
 横一直線に、剣のように放たれた紙吹雪の上に、筆記体が走る。
 漆黒しつこくの色で流れるように記されたのは、『All_of_Symbol』。
が身に宿る全ての才能に告げる―――」
 呼応するように、紙吹雪は純自の爆発を起こした。その閃光の全てが、溶けたあめゆがめるように、オリアナの右腕へと吸い込まれる。その場にとどまろうとする爆光と、オリアナの強引な吸引力が拮抗きつこうし、まるで分厚いゴムの板を引っ張るような錯覚さつかくを得た。
 オリアナは右手を一度後ろに回し、
「―――その全霊ぜんれいを解放し目の前の敵を討て讐」
 遠投するような大振りのモーションで、勢い良く白い爆発が上条の元へと放たれた。

 ごう!! という音をオリアナは聞く。
 飴のように伸ばされた白い光が、その形のままに横殴よこなぐりに振り回される。明確な形も取らず、常に曖昧あいゆいに輪郭を変えながら。それに合わせて、爆光に触れた周囲の空気がすさまじい速度で荒れ狂った。光か重力か、どちらかがゆがんでいるため、景色もグニャリと形を変えつつある。
 白い閃光せんこうの正体は巨大な『吸引力』だ。
 光の帯に触れた物体を、問答無用で内部に取り込み、巨大な重圧で押しつぶす、それだけの力。
あまりの速度で押し潰された物体は圧縮された事で、見た目にはまるで空間に喰われたように見えてしまう。
 空気が削り取られた事で真空の穴を埋めるように周囲の気体が荒れ回り、元々あった光や重力すらも歪めて取り込む必殺の得物えもの
(さあ)
 オリアナはすべてのぺージを使い果たして作り上げた、最大の術式を振り回しながら、凄絶せいぜつな笑みを浮かべる。右回りに向かった閃光の塊が、真横から上条かみじようの体へ突っ込む。荒れ狂う空気の舞い上げられたアスファルトが閃光の中で潰れていくのを眺めながら、
(これで終わりよ!!)
 横殴よこなぐりの一撃いちげきに対し、少年は迷わず右手を振るった。
 「お―――ォおおおおおおおおおッ!!」
 彼の口から純粋な叫びが放たれる。
 真っ白な閃光は、その手に触れた瞬間しゆんかんにガラスが割れる音と共に砕け散った。
 飛沫しぶきのような音が聞こえた直後、

 ドッ、と。
 白い光の中で圧縮されていた物が、一気に噴き出した。

「!?」
 予想外の展開に、上条の思考に空白が生まれる。
 例えば空気。
 一点に固められていた気体は、風船の口を開いたように四方八方へと噴いた。元に戻ろうとする力は、爆風となって上条の身をたたく。
 例えばアスファルト。
 巨大な圧力で豆粒ほどのサイズになっていた石の塊が、ポップコーンのように本来のサイズへとふくらんだ。爆発的に質量を取り戻した塊が、暴風の勢いに乗って弾丸と化す。
 石のあらしが吹き荒れた。
 ゴッ、という鈍い音と共に、握りこぶしほどの大きさのアスファルトが、上条の右手をはじいた。
その痛みを感じる前に、脇腹わきばらに、胸板に、太股ふとももに、次々と石塊が直撃し―――側頭部に一撃もらった瞬間、痛覚そのものがわずかに飛んだ。
(こい、つ……幻想殺しイマジンブレイカーに、消される事を想定して……ッ!?)
「がァあああっ!!」
 血が飛沫しぷき、皮膚ひふが削れる感触と共に、上条かみじようの体がガクンと真横に倒れそうになった。視界が斜めにズレていくのは分かるが、どちらに体を動かせば修正できるのか、判断力そのものが失われつつある。ガリガリと思考が削られる中、すべての単語帳を使い切ったオリアナが、ぐこちらへ飛び込んできた。最後の一撃いちげむを放つために。魔術まじゆつではなく、岩のように握りめたこぶしで上条の骨格を粉砕するために。
 足の力が崩れていく。
 立っている事すら難しくなってくる。
 この状態では、オリアナの一撃を防ぐ事も、ける事もできない。
 一撃放たれれば、それは必ず上条の体を砕いてしまうだろう。
(ちく、しょう……)
 ―――吹寄制理ふほよせせいりは言っていた。
 大覇星祭だいはせいさいを成功させる気はないのか、と。
 ―――姫神秋沙ひ がみあいさは言っていた。
 小萌こもえ先生とステイルが言い争いをしているから止めて欲しい、と。
 ―――ステイル=マグヌスは言っていた。
 期待はするな、と。
 ―――土御門元春つちみかどもとはるは言っていた。
 ここで捕らえて全部終わりにするとしようぜ、と。
 彼らはそれぞれが別々の事を願って、そしてその全ては大覇星祭に、学園都市にやってきた人々の笑顔を思っていた。規模や程度に差こそあれ、だれもが今のこの生活を守ろうとしていたはずだろう。
 上条当麻とうまは、自分の口で言った。
 血まみれになって倒れる姫神秋沙に、ナイトパレードが始まるまでに必ず病室へ行くと。それはこの魔術師との決着が全てではなく、その先に待つ者のために戦っているのだという彼なりの覚悟のあかしだ。
 この件にかかわり、様々な思いを告げた人々に対する意思だ。
(それを―――)
 上条は、ぐらぐらに揺れる意識の中、奥歯をみ締める。
 強く。
(―――それを、こんな所で台無しにしてたまるかよォおおおおおッ!!)
「がッ……ァああああああッ!!」
 ようやく足が動いた。
 斜めから横に向かいつつあった視界が、大地に支えられる。
 目の前には、オリアナ=トムソンがいた。
 そのこぶしを振りかぶった姿勢で。
「なん……ですって!?」
 彼女の目がおどろいたように見開かれた。まさか反撃はんげきが来るとは思ってもいなかったのだろう。
攻撃に専念するオリアナの体は、逆に言えばひどく無防備にも見えた。
 上条当麻かみじようとうま朦朧もうろうとする意識の中、体に染み付いた動きで右の拳を握りめる。
 強く、固く、決して開かぬように。
 直後。

 両者の拳が交差する。
 上条の一撃が、オリアナの顔面に直撃した。
 魔術師まじゆつしの体は壮絶な勢いに乗って、真後ろへと転がっていった。

     9

 オリアナ=トムソンは倒れた。彼女はピクリとも動かない。
 それを機に、上条は彼女が張っていた結界が消えた事を知る。周囲の空を飛んでいる旅客機の轟音ごうおんが、思い出したように耳に届いてきたからだ。
 周囲は実験空港の滑走路が耕したようにえぐられ、管制塔やハンガーも引き倒されていた。
上空で警備に当たっていた小型飛行機が、ようやく慌てたように旋回してくる。遠からず、地上の警備員アンチスキルなどもやってくるだろう。
「ステイル!!」
 上条はボロボロの体を動かし、離れた所に倒れているルーンの魔術師の元へと走った。体中に氷の破片を浴びたステイルだが、今はその氷は溶けているらしい。栓が抜けたせいか、傷口から余計に血が出ているような気がする。
 ステイルは起き上がらない。
 ただ、横向きに倒れている彼の目は、ゆっくりとまばたきをしていた。
「……僕は、良い。自分で、何とかする」彼は、血でれた唇を動かし、「それよりも、『使徒十字クローチエデイピエトロ』だ。オリアナに、場所を吐かせろ……。僕らが一番に果たすべき目的は、あの霊装れいそうの発動を食い止める事なんだから……」
「でも!」
 上条が包帯の代わりになる物はないかと辺りを見回した時、

『心配する必要はないかと。もうすぐすべてが終わりますので』

 言葉が、聞こえた。
 女性のものだ。オリアナよりも、としは上のように思える声。
 上条かみじようは周囲を見回した。新たな人影はない。声は、すぐそこで倒れているオリアナのムところから聞こえてきていた。
「……通信を、妨害する結界が、途切れたせいだね……」
 ステイルがかろうじて、そう告げる。
 無線機や携帯電話の代わりとなるような術式があるのだろうか、と上条は考える。
(だとすれば、話の相手は……)
 リドヴィア=ロレンツェッティ。
 オリアナ=トムソンと共に学園都市内部で『使徒十字クローチエデイピエトロ』を発動させる計画に加担し、街の支配によって科学サイドをまとめて制圧しようと考えている人物だ。
 彼女は告げる。
『間もなくこの「使徒十字クローチエデイピエトロ」はその効果を発動し、学園都市は我々ローマ正教の都合の良いように改変されるかと。従って、貴方達あなたたちがどれほどの傷を負っていても関係ないので。どの道、その傷も含めた学園都市のすべてがじ曲がるために』
 それは、
使徒十字クローチエデイピエトロ』は、オリアナではなくリドヴイアの手であり、
 同時に、
おれ達みたいな邪魔者じやまものは、みんなここで排除するってのか!?」
 上条は思わず叫んだ。
 対して、リドヴィアは動じずに、
『何か勘違いをなさっているのでは。我々はそちらの傷をもいつくしみ、治してみせると告げているだけで。もちろん、それがローマ正教にとって最も有益だと判断できればですが』
 何だと? と上条は思わずまゆをひそめそうになるが、
「……まともに取り合うな、上条とま麻」
 ステイルが、倒れたまま小さな声で釘を刺した。
「ヤツらが『使徒十字クローチエデイピエトロ』を使おうとしている以上、この近くに必ずリドヴィアと霊装れいそう本体があるはずだ。君の右手なら、あらゆる霊装の機能を一撃いちげき破壊はかいできる。だから早く行け。リドヴイアは、この滑走路の近辺に―――」
『―――誤解なきよう告げておきますが』
 彼の言葉を封じるように、リドヴィアは告げた。

『「使徒十字クローチエデイピエトロ」は現在、学園都市にはありませんので』
「な、に?」
 上条かみじようは思わず、地面に転がって気を失っているオリアナの方を見た。
 そちらから聞こえるリドヴィアの声は、淡々と事実を告げる。
『そちらは学園都市内部の「天文台ペルヴエデーレ」を調べていたようですが、それらはすべて我々が誘導ゆうどうした結果に過ぎないので。どうやら、学園都市の外にある「天文台」にまでは手が回っていなかったようですが』
 外。
 上条とステイルは、その言葉の意味を理解するのに数秒かかった。
『「使徒十字クローチエデイピエトロ」によって作り出されたローマ教皇領は、最盛期には四万七〇〇〇平方キロメートルの領土を所有していましたので。およそ二〇〇キロ四方といった所かと。当然ながら、学園都市の外から放ったとして、余裕で街の全域をカバーできると計算され』
 くそ、とステイルは言葉を吐く。
 地面に崩れたままの彼は、それでもまともに手足を動かす事もできず、
「やら、れた。上条当麻とうま……土御門つちみかどに連絡しろ! オリアナは、最初から……意識を街の中へと集中させるための……おとりだったんだ!!」
『そう。彼女の役割は、本件にかかわる人員・迎撃戦力げいげきせんりよくの調査と、それら全貫の注目を本命とは別の方向へさそい込む事だったので。その気になれば、彼女は「人払い」や気配を断つ術式も構成できたはずですが。エサがなくては魚は釣れませんから、えて姿をさらし続けていましたので』
 修道女の声が続く。
『「使徒十字クローチエデイピエトロ」の使用には時間がかかりますし、ポイントとなる「天文台ベルヴエデーレ」も固定されていますので。一番懸念けねんすべき問題は、やはり全ての「天文台ペルヴエデーレ」を事前にそちらの迎撃要員に押さえられてしまう事で』リドヴィア=ロレンツェッティは、淡々と事実だけを告げていく。
『我々としては、いかにこれを防ぐかに焦点を当ててきましたので。そこで、オリアナが学園都市内部で意図的に動きを見せる事により、貴方達あなたたち迎撃要員の目を全て街の内部へ向けさせるという作戦を考えましたから。「使徒十字クローチエデイピエトロ」を持っていたのは私であり、私は時間が来るまで学園都市の外のホテルで待機していましたし、実際に十字架を突き立てたのも街の外でしたが、勘付かれるような事はなかったようですね』
(コイツ……ッ!!)
 上条は歯噛はがみするが、かと言って具体的な対抗策が浮かぶ訳でもない。
『オリアナには、「人払い」や「気配断ち」は、可能な限り使わないという方向で動いてもらいました。もっとも、一番最初の「表裏の騒静サイレントコイン」が破られたのは作戦行動前の下見の段階であり、その時は流石さすがあせりましたが。オリアナが予想より早く捕らえられても、こちらの目的は果たせませんので』
 その作戦とやらをすべて話してしまうのは、もはや王手が決まってしまったからか。
 呆然ぽうぜんとする上条かみじようの耳に、ただリドヴィアの声だけが届く。
『結果として彼女が撃破げきはされてしまったのは残念ですが、それすらも「使徒十字クローチエデイピエトロ」は都合の良い方向へ改変してくれるかと。結論を言えば、彼女の敗北は、いくらでも取り返す事のできる些事さじに過ぎませんので。学園都市の外から「使徒十字」によって学園都市を丸ごと支配してしまえばそれで形勢逆転、計画通りという事になります』
 リドヴィアの言葉は平淡なままで、それが余計に、上条たちが今までやってきた事全てを否定されているような気分にさせられる。
 上条は、短パンのポケットからふるえる手で携帯電話をつかんだ。そこに記録されている土御門つちみかどの番号を探そうとした所で、
無駄むだですので』
 声だけでなく、映像も流れているのか、リドヴィアはつまらなそうに言った。
『今から私の位置を特定した所で、貴方達のいる場所からではあまりに遠く。街の外に応援がいた所で、彼らが到着する前に事を終わらせる自信はありますので』
「……(長距離砲撃ほうげきの……『赤ノ式』も、駄目だめだな)」
 ステイルは、倒れたまま、ほとんど聞き取れないような声で言った。
「……(探索、さらに攻撃。今の土御門が二回も……連続で、魔術まじゆつを使うのは無理だ。死力を尽くした所で、あと一回できれば幸運だ……)」
「くそっ! じゃあどうすりゃ良いんだよ!!」
 上条は叫ぶが、その程度で決定的な反撃策が浮かぶはずもない。
 絶望的な空気が漂う中、リドヴィア=ロレンツェッティの声だけが周囲にひびく。
『貴方達は、「使徒十字クローチエデイピエトロ」による学園都市の改変をどのように受け止めているので?』
 声に、ステイルは唇を動かす。
「……ソドムとゴモラのように、壊滅かいめつさせられないだけ……マシだろうが。やっている事は……似たようなものだろう。ローマ正教にとって、気に入らない場所を……活動不能に追い込み、その力によって神の威光を示す……。末期の聖ジョージも……ローマの神殿に対し、同じ事をやっていたね」
『それこそが間違いなので』
 リドヴィアは即座に答えた。
『こちらにとって重要なのは、はびこる科学が宗教に屈する、という一点のみで。今の科学の傲慢ごうまんさは、かつてのローマの異教達と同列のもの。ならばかつてと同じように、彼らの信じるものを否定し、我々の力を示す事で主はその権威を取り戻せるかと』
 彼女のロ調が変わる。
 途中でぶつ切りにされていた台詞せりふが、完全につながっていく。
『科学的に見て、科学的に考えれば、科学的な意見を言わせてもらうと。……ここで使われる「科学」という言葉はもはやただの学問にあらず、一つの異教です。まことに残念な事に、人は「科学的に正しい」と言われると、無条件ですべての事柄を信用する節があります。それがどれほどに馬鹿馬鹿ばかばかしくても、自分の目で確かめようともせずに』
 確かに、科学という言葉は時折そういった間違った使い方をされる事がある。
科学的に正しいからと言って、何故なぜ科学的に正しい事が絶対の真実と言えるのか。そこまできちんと考えて科学という言葉は使われるべきなのである。
 科学的な常識―――などという言葉は、学問の進歩と共に日々変わっていくものだ。冥王星めいおうせいなんて一九三〇年までだれも発見しなかった。青い発光ダイオードは作れないと言われてきた時代もあった。
 たとえ科学的に正しくても、科学という枠組みそのものが完壁かんべきではない可能性もある。それをわきまえずに使う『科学的に正しい』という言葉は、『先生が言っていたから絶対に正しい』というレベルの価値しかないのだ。
『これは科学サイドが教会サイドに割り込んできた、と我々は考えています。当然ながら見過こす事はできません。人の手で主の威光をけがされた以上、その光を同じ人の手で清め直すのは当然でしょう』
 上条かみじようはもうリドヴィアの声を無視した。
 彼女とは話し合いにならない。
(時間……。時間は、あとどれぐらい残ってる!?)
 上条は携帯電話を取り出し、今の時間を確かめた。それから頭上を見上げると、空の色は完全な紫色になっていた。紙の裏にインクがにじむように、またたく星の光はそこらじゅうに散らばっている。
 最悪の状況だった。
準備完了だ。
『もっとも、我々は貴方達あなたたちも受け入れます。学園都市の破壊はかいは行いません。この大覇星祭だいはせいさいというくだらない祭典を、あくまで科学が教会に屈するための素晴らしきデモンストレーションの場にするだけ。我々は科学という異教を捨てさせたのち、貴方達を愛すべき同胞として抱きめるのです』
 ステイルはボロボロの体を動かして、ふところから血にれたルーンのカードを取り出す。リドヴィアと同じく、通信用の術式でも使うのかもしれない。
「君は、土御門つちみかどを、呼べ」ステイルは、のどの奥から声を絞り出し、「……『占術円陣せんじゆつえんじん』、だったか。オリアナの、迎撃げいげき術式を逆探知する魔術まじゆつが、あったはずだ。それをリドヴィアの通信に応用して、場所を割り出す。後は、僕の通信術式を使って、外の部隊に任せれば……」
無駄むだですので。「使徒十字クローチエデイピエトロ」によって世界が改変するまで、残り一一二秒。いや、今一〇七秒になりましたか。ここではっきり言っておきましょう。チェックメイトです』
 一〇七秒。
 それでは、リドヴィアの居場所を探った所で、だれもそこへ向かえない。それ以前に、傷だらけの土御門つちみかどをここへ呼ぶまでに時間を使い切ってしまう。
 ステイル=マグヌスが息をみ、
 リドヴィア=ロレンツェッティが通信の向こうで笑みを含み、
 上条かみじようは歯を食いしばって、星空へと変わりつつある紫色の空を眺める。
(何か、打開策は……)
 あきらめてはならない、という気持ちだけが空回りする状況の中、
(……この状況をひっくり返す、最後の最後の切り札はないのか!!)
 わらにもすがるおもいで上条は思考を働かせる。―――『使徒十字クローチエデイピエトロ』。ローマ正教最大クラスの霊装れいそう。使用すると四万七〇〇〇平方キロメートルの範囲内を完全に支配。星座を利用した一種の魔術まじゆつ。実際の星の位置ではなく。あくまで夜空に描かれる。見た目の星座だけを使った魔術。使用エリアの特徴・特色・特性を調べて。それに最も効果的な星座を八八の中から選んで。
降り注ぐ星の光を地上で集めて使うという事は。
「―――ッ!!」
 上条当麻とうまに携帯電話をつかんだ。
 掛ける番号は一つだけ。土御門元春もとはるの所だ。
「土御門! 何も言わずにだまって答えろ。学園都市の外にあって、学園都市を巻き込める『使徒十字クローチエデイピエトロ』の使用ポイントは何ヶ所ある!?」
『な……ん、だって? カミやん』
 ボロボロの声は、おそらくこちらの事情を理解していない。
 だが、上条も説明するだけの時間と心の余裕がない。彼はさらに叫ぶ。
「細かい説明は良い。今言った条件の中で、一番遠いポイントはどこだ!?」
『……外にある該当ポイントは、全部で五ヶ所。その中で……最も距離が離れているのは、学園都市外周北部、一七〇〇メートルってトコだにゃー……カミやん、それがどうしたって……』
「悪い土御門、説明している暇はないんだ!!」
 上条は謝ると、彼の問いを無視して携帯電話の通話を切った。次に通信機能を利用したアブリケーションを起動させる。それは大覇星祭だいはせいさいのパンフレットのデジタル版のようなものだ。
(距離は分かった。時間の方は……あと五五秒。いけるか!!)
『今さら何をやっても無駄むぜですので。念のために希望をつぶしておきますが、私は今の説明にあった場所になど立っていませんが』
 あざけるような声を無視して、上条かみじようは必死の形相で携帯電話を操作する。
 画面に映し出されているのは学園都市の地図だが、
(違う)
 上条は画面を閉じ、別の画面を呼び出す。
(これじゃない、これも、これじゃなくて!)
 さらに画面を閉じ、新たな画面を出す。このアプリケーションはあくまで『パンフレットを紛失した時のためのもの』でしかなく、あの分厚いパンフレットの内容すぺてを網羅もうらしている訳ではない。使い勝手もいまいち悪く、上条が求める情報は出て来ない。
 それでも上条は携帯電話を操作して、操作して、操作して。
 ようやく表示された画画を見て、思わず携帯電話を落としてしまった。
 からんからん、と。
 プラスチックの滑る軽い音だけが、日暮れの滑走路にひびき渡る。しかし、それだけだった。
上条は、携帯電話を拾おうとする。が、拾えない。ガチガチにふるえる指先はまともに動いてくれず、たった一つの簡単な動作すら満足に果たしてくれない。
 全てが終わるまで、残る時間は四〇秒。
 その最後の猶予すらも、リドヴィアの言葉によって無駄むだに消費されていく。
『いくら何でも、どんな方法を使ったとしても、今から私のいる所まで辿たどり着くのは不可能だと思われますので』
 まるで、ぺこりと頭を下げるような丁寧ていねいな言葉遣いで、
『もうおしまいです、と最後に言わせてもらい。私はあなた方を含めて、世界をより良い居場所へと作り変えますから』
 ハッ、と上条は観念したように笑った。
「確かに、もうおしまいだな」
 残りは二〇秒。
「ああ、ちくしょう。何が必ず約束を守る、だ」
 その視線の先にあるのは、今にも落ちてきそうな夜空の星々ではなく。
「そうだよな。自信満々に姫神ひめがみと約束しておきながら、結果がこのザマってんじゃ、おれは本当に心の底からおしまいだよ」
 地面に転がって光を放つ、空虚な携帯電話の画面だけで。
「なぁ、そう思うだろ。リドヴイア」
 残り五秒。
 彼は画面を見ながら、最後の言葉を放つ。

「いくらテメェの幻想をぶち殺せたっつってもよ」

 は? とリドヴィアが疑問の声を放つ前に。
 ドガッ!! と。
 強烈な光が地上から放たれ、夜のやみが一気にぬぐい去られた。
 それは学園都市の至る所に飾り付けてあった、電球、ネオンサイン、レーザーアート、スポットライト、その他ありとあらゆる電飾の光だ。
 第二三学区は大覇星祭だいはせいさいとはあまり馴染なじみはないが、それでも一般用の国際空港の辺りからはクリスマスツリーのような電飾の列がまたたきを始めている。どこか遠くから、明るい調子の音楽が流れてきた。電子音をかき集めたような曲調は、子供向けのテーマパークなどに似合いそうなものだった。
「現在時刻は午後六時三〇分ジャスト」
 上条当麻かみじようとうまは、携帯電話を拾って画面を見る。
 デジタル版の簡易パンフレットに載った、ナイトレジャー情報のらんに書かれているのは、
「知らなかったか? ナイトパレードが始まる時間だぞ」
『な……』
 光の渦が学園都市をおおい尽くす。
 気がつけば、あれほど瞬いていた夜空の星が、地上からの閃光せんこうあぶられて、どこかへ消えてしまっていた。大都会の中では、あまり多くの星が見られないように。か弱い光の数々は、より強烈な光の中へと溶け込んでしまう。
「ったく……これが始まる前に、必ず姫神ひめがみの待つ病室まで戻るって約束してたのに、結局それは守れずじまいって訳だ。くそ、本当に情けねえよな」
 上条は心の底から苦そうな舌打ちを一つ。
「そうそう。土御門つちみかどの話じゃ、学園都市の外にあり、なおかつ学園都市を有効射程圏内に収めてるポイントの中で、一番遠い場所は一七〇〇メートル先って事だったよな。そんくらいの距離なら、学園都市中をライトアップするこの莫大ばくだいな光量がありゃ、十分に星空を塗りつぶせる」
 そして、と上条は先を続ける。
「一番遠い場所が塗り潰されるんだ。お前がどこにいようが、ほかのポイントだって全部まとめて潰せるはずだろ、リドヴィア=ロレンツェッティ!!」
『―――。』
 残りの五秒はとっくに過ぎていた。
 それでも世界は何も変わっていなかった。
「思えばさ、俺達おれたちはみんなつまんねえ脇役わきやくだったんだよ」
 千年以上前から変わらぬ輝きを放つ星空を利用した、最大級の魔術まじゆつが、
 たった今この場で放たれる人工の瞬きに屈服した瞬間しゆんかんだった。
「お前を追い詰められなかったおれにデカイロがけた義理はねえけど、お前も大覇星祭を馬鹿ぽかにする権利はねえよ。現にこうして、みんなが作る光に、お前は負けちまったんだから。警備体制だの、科学と魔術まじゆつのバランスだのってのは、今日この一日にとっては枝葉の飾りに過ぎなかった。お前はまず始めに、大覇星祭の主役が誰なのかを調べておくべきだったんだ」
 それは、上条当麻かみじようとうまでも、ステイル=マグヌスでも、土御門元春つちみかどもとはるでも、オリアナ=トムソンでも、リドヴィア=ロレンツェッティでもない。
 大覇星祭だいはせいさいを成功させようとしていた吹寄制理ふきよせせいり、偶然という言葉で血の海に沈んだ姫神秋沙ひめがみあいさ、その血にまみれて泣きながら生徒を助けようとしていた月詠小萌つくよみこもえ
 そうした人々こそが集まって、この大覇星祭を守りきったのだ。
 莫大ばくだいな光によって。それを使って、皆で楽しい思い出を作ろうという心こそが。
『……、』
 上条の言葉に、返事はなかった。
 リドヴィアは今、星の消えた夜空を眺めて何を思っているのだろうか。
「どうする。これぐらいじゃ大覇星祭はちっとも揺らがなかったみたいだけど。俺は科学だの魔術だのっていう詳しいパワーバランスは知らない。お前が『使徒十字クローチエデイピエトロ』をこわして、だまって逃げて、もう学園都市にちょっかい出さないって言うならそれでも良いと思ってるけど、そっちの事情はどうなんだ?」
『……、本気で言っているので?』
 リドヴィアの声には、低い緊張きんちようが宿っていた。
 指ではじいただけで爆発しかねないほどの。
『私は敬度けいけんなるローマ正教徒の一人であり、また学園都市に対する行いに負い目を持っている訳ではないので。その申し出を受ける意味合いは低いものと思うのですが』
「そうかい」
 上条当麻は、小さな声で答えた。
 チラリと視線を移す。
 金網のフェンスをよじ登って、土御門元春がやってくる。この場で唯一、術式に使われた魔力まりよくの元を探知できる男が、ゆっくりと。
 たとえ土御門が正確にリドヴィアのいる『使徒十字クローチエデイピエトロ』使用ポイント『天文台』を今から割り出した所で、上条たちがそこに向かう前にリドヴィアは確実に『使徒十字クローチエデイピエトロ』を抱えて逃走を終えているだろう。学園都市の中だけでもあれだけタイトな追撃戦ついげきせんを行ってきたのだ。街の中と外では、かなり時間的・距離的な開きがある。
 しかし、街の外周には今回の件で集まった大小無数の魔術勢力が待機している。
 彼らの学園都市に対する思惑はどうであれ、オリアナやリドヴィアを捕まえるという大義名分は同じだろう。一点、回収された『使徒十字クローチエデイピエトロ』の行方が不安だが、その辺りはイギリス清教に協力的な組織にだけリドヴィア捕獲を手伝ってもらう形で解決できる。
 従って、
 土御門つちみかどが用意した『理派四陣りはしじん』で、ステイルがリドヴィアの通信術式から魔力元まりよくもとを探り、学園都市外周部に待機しているイギリス清教協力派の魔術まじゆつ勢力にでも連絡を入れて急行させれば、それで終わりだ。
 これ以上、上条当麻かみじようとうまにやるべき事はない。
 最後に、彼は笑ってこう告げた。

「だったら運動会らしく追いかけっこでもするんだな、リドヴィア=ロレンツェッティ」

   

chap5

終 章 終わった後に待つもの達 Those_Who_Hold_Out_a_Hand.

 日は完全に落ちて、ナイトパレードも華やかに行われている中。
 割とボロボロだった上条達かみじようたち三人は、駆けつけてきた警備員じアンチスキルに発見されるなり、とりあえず病院に運ばれる事になった。本来なら鉄格子のついた病院に搬送されてもおかしくないものだが、何故なぜか行き先はいつもの病院だ。学区が違う事などを考えると、何らかの力が加わっているのかもしれないが、今の上条にはそこまで物事を考えるだけの余裕はない。
 連絡を受けた両親の刀夜とうや詩菜しいなは、病院の待合室でが子の治療ちりようが終わるのをじっと待ち続けていたらしいが、大覇星祭だいはせいさいのハードな観戦の疲れが出たのか、手当てが終わったころにはべンチで仲良く並んで、肩を預け合うように眠っていた。上条は看護婦さんにたのんで、二人で一枚の毛布を両親に掛けてもらった所である。
「……それで、とうまは私には一言も言わずに、世界と学園都市の命運をかけた魔術戦まじゆつせんに勝手に参加した挙げ句、ボッコボコにされて病院に運ばれてきたっていう訳なんだね?」
 もはやいつもの修道服に着替え直したインデックスが、ものすごく冷めた目でこちらを見ている。ベッドの上に座り直している上条としては、
「インデックスサン。何故怪我人けがにんであるわたくしめが病室のお布団ふとんの上で土下座どげざいられているのデショウ?」
「とうま、とうま。ぶんなぐって良い?」
 ゴメンナサイ!!と上条は瞬間的しゆんかんてgに柔らかい布団の上に頭をこすり直す。可愛かわいらしく小首をかしげた仕草と、右手の本気グーの組み合わせは相当に恐ろしい。
 インデックスは不機嫌いっぱいでほおふくらませる。
 危機感を抱いた上条は、顔を上げると愛想笑あいそわらい全開で、
「で、でもほらあれだ土御門つちみかどもステイルも無事だったし。それにインデックス、違いますのよ? 今回はきちんとお前が参戦できない理由がありましたのよ!?」
「じゃあいつもは何なのかな、とうま?」
 墓穴掘りましたかー、と上条はさらに土下座再開。
 ほっぺたを膨らませてムカムカしているインデックスは、
「大体、私の周りに魔力の探査術式が展開されていたからって、本当に私は何もできなかったと思うの? ケータイデンワーとか何とか色々使えばアドバイスぐらいはできたかも!!」
「そればっかりは賛同しかねるなインデックス! 〇円携帯電話の充電の概念がいねんすら分からなかったお前に携帯電話が扱えるとは思えないし、そもそもお前はマジュツと聞いたらこっちが何も言わなくったって、事件の中心点にトテトテ歩いてくるに決まってんだ!!」
「とっ、トテトテ? とうま、それはとっても私が馬鹿ばかみたいに聞こえるんだよ!」
「ぶぷー。自分で気づいていない時点でお前は本物の……って冗談です冗談冗談ジョウダーッ!!」
 ぐォォ!! ときばき出しにしておそいかかってくる猛獣もうじゆう少女インデックスに対し、上条当麻かみじようとうまは割と本気で総毛立ち、
「待てインデックス! お前は確かもう子供みたいなみ付きは卒業して、一人の女性として羽ばたいたはずではーっ!?」
 意図的に子供だの女性だのといった言葉を使って、インデックスの意識に訴えかける策士上条。対して、今まさにベッドに身を乗り上げて上条の頭に噛みつこうとした突撃とつげきシスターインデックスは、ピタリと動きを止めると、
「……とうま。どうして私がこんなに怒ってるか、ちゃんと理解できてる?」
「はぁ。そりゃお前、単に一日中放ったらかしにされてムクれてるだけじゃ」
「イタダキそしてゴチソウサマ!!」
 ええっ! ムクれてたんじゃなかったのー……!? という上条の断末魔だんまつまみ込まれていく。苦しみと恥ずかしさを乗り越えて新たな一歩をみ出したインデックスは、さらなる力をもって上条の頭部に喰らいつく。
 上条はベッドの上でビクンビクンと跳ね回りつつ、
「死んじゃう!! 今までちょっと物足りなかったなーとか思ってた自分にごめんなさい! これはやっぱり上条さんの許容範囲外ですっ!!」
「訳の分からない事を言っていないで少しは反省すると良いかも! ひーとーがー本気でとうまを心配してたって言うのにーっ!!」
 ガジガジと正面から頭を削られている所へ、病室のドアを開けて新たなお見舞い客がやってきた。
 御坂美琴みさかみこと自井黒子しらいくろこだ。
「ま……まぁ、黒子のお見舞いのついでだし、持ってきたフルーツも余ってるから……って」
「あらあら。これはまた愉快な場面ですこと」
 ハタから見ると、ベッドの上で正面から女の子が男の子の頭にかじりつくと、まるで女の子の胸に男の子が顔を寄せているようにも映ってしまうようだ(他人事ひとごと)。
 スポーツ車椅子くるまいすに乗った白井は、片手をほっぺたに当てると、
「ああっ! もはや互いの気持ちが通じ合っていれば時も場所も問わないだなんて! この二人、とんでもない上級者ですわ! ……で、お姉様。こういう時って鉢合わせた方はどうすればよろしいんですの? わたくし実はちょっぴり小心になってますの」
 これがそんな場面に見えんのか! と上条が思わず叫ぽうとした所で、
「今マジメな所なんだから茶々入れないでよ短髪!!」
(インデックスサン!?)
「―――、」
 美琴みことの手から、フルーツの入ったバスケットがポトリと落ちた。
 彼女は一瞬いつしゆんだけ無表情になった後、
「くーろーこー……? 風紀委員ジヤツジメントの治安維持活動って、民間人が協力しても良いんだったわよねえ。不純異性間交友を未然に防ぐって大義名分がありゃ、この男を思う存分ぶっ飛ばしてもオッケーなのかしらー……?」
「えーえー。せいぜいそっちのめた殿方の性根を―――って怖ァああァっ!? お姉様、ちょっとバッチンバッチン言い過ぎですの! ここは病院ですのよ!!」
 ああそうか、と美琴はビリビリを引っ込めた。こういった場所では携帯電話等の電子機器の使用は基本的に禁止である。
 くっそー、と切り札を封じられた美琴は悔しそうにうなった後に、
「でもまぁ、言いたい事は大覇星祭だいはせいさいが終わった後にゆっくりと言ってやるわ。今日の最終結果見た? 常盤台ときわだい中学は、アンタの学校なんてかるーく追い抜いてトップに立ってんだからね。罰ゲームで何でも言う事聞くってルール、忘れんじゃないわよ」
「い、いや、罰ゲームって今さら言われても……ってかインデックス離れて離れて! 痛い!!」
 上条かみじようは両手を振って、どうにかみ付き状態のシスター少女を引きがす。
 その上で、改めて美琴の顔を眺め、
「み、見ての通り、とある事件に巻き込まれて体中がボロッボロなのですが。この状態で大覇星祭の競技に参加したっていつもの実力なんて出せる訳はないし、こういった場合、勝負は一体どうなってしまうのでせう?」
「……、うーんとね」
 美琴は腕を組み、上条の半泣きの顔を見て、わずかに息を吐いた。今まで見るからに怒っていた彼女のまゆが、ほんのわずかに下がる。それから、ゆっくりと肩の力を抜くと美琴は口元をほころばせて、小さく笑った。それを見た上条は助かった、と胸をで下ろした、が、

「死ぬ気でやれば?」

「それだけ!? いや無理だって! すでに八割方死んでる上条さんがこれ以上死ぬ気で頑張ったらホントに死んじゃいます!! 大体、吹寄ふきよせとか姫神ひめがみとか土御門つちみかどとか、おれ以外にも結構欠員いんのよ!? だから無効とまでいかなくてもせめてハンデを……って、あ、あ、あーっ! 無言で帰っちゃうのーっ!?」
 二人の少女がスタスタと病室から出て行くと、待ってましたと言わんばかりにインデックスが再び上条かみじようの頭に食いついてきた。どうも一度きりで満足しない辺り、今回は相当頭に来ているらしい。
「で、とうま。学園都市の外にいる連中はどうなったの?」
「痛い離れてホントに痛いってば!! ……あ? なんかステイルが無作為に放った通信を受け取って、みんなは今もリドヴィアを追って外周を捜索中だって。学園都市やイギリス清教の味方っていうより、貴重な『使徒十字クローチエデイピエトロ』を横取りしたいって考えてる組織が多いみたいだって土御門っちみかどは言ってたけど」
「……じゃあ何も解決してないかも」
「ああ。でも」
 上条は一拍切って、
「そっちの方は大丈夫だいじようぶだって、ズタボロのステイルがICUに入る前にやけにはっきり断言してたけど、何なんだろな?」

 一四時間後。
 リドヴィア=ロレンツェッティはフランス上空、高度八〇〇〇メートルの場所にいた。
 自家用ジェット機の中である。
 革張りの黒いソファが、壁に沿うように並んでいた。中央には大きなテーブルがボルトで床に固定されている。パーティ用の配列だ。壁際かべぎわにはランプを、天井てんじようには小型のシャンデリアを模した電灯があった。内装は、磨き上げた黒い木と豪奢こうしやじ絨毯ゆうたんをメインとした、豪華客船のようなおもむむがある。
 出口のハッチ側の座席には、ポツンとリドヴィア一人が座っている。
 そのすぐとなりに、白い布で巻いた大きな十字架が立てかけてあった。
 国際空港などにある大型旅客機に比べると随分と小柄な機体は、日本では珍しいかもしれない。一方、日本の何十倍もの国土を持つアメリカやロシアなどでは、空は長距離交通の基本だ。
例えばロシアだと、列車横断に二週間以上かかるぐらいなのだから。
 リドヴィアの活動拠点は当然ながらヨーロッパだが、こちらはEU加盟国の間を行き来するのに、やはり飛行機は重宝される。
 彼女は宗教としての科学は嫌っているが、その一方で技術としての科学は受け入れざるを得ないと感じていた。例えば、印刷技術のないころには一冊の聖書を用意するのに膨大ぽうだいな時間と労力を要したし、聖堂や宗教画の発達なども、やはり科学と切っても切れない。これは宗教家にとっては、ルネッサンスの頃からの葛藤かつとうだろう。それ以降の技術にしても、列車や飛行機の発達は体力の少ない女性や子供にも安全な聖地の巡礼を可能としたし、インターネットの普及によっていまだ主を知らぬ人々にも教えを広める機会はさらに増えた。
 使い方の問題なのだ、とリドヴィアはため息をつく。
(命なき形だけの偶像かがくを信仰するのでは、まさにしきローマ時代の異教そのもの)
 彼女は軽い仕草の後に、ふと視線を投げた。
 そちらには、コックピットへつながるドアがあった。今、そのドアは開かれている。リドヴイアの席からは、落ち着いた動作で計器をいじっているパイロットの背中が見える。
 彼はどちらを信じているだろう、とリドヴィアは思う。
 この自家用ジェット機はオリアナの個人的な所有物で、ローマ正教の息はかかっていない。が、おそらくパイロットはローマ正教徒だろう。オリアナやリドヴィアと異なり、もっと浅いレベルでの。
 日々鋼鉄の塊を操って大空を飛ぶ彼は、しかし滑走路で十字を切って旅の安全を祈る。
 不思議に見える光景かもしれないが、リドヴィアはそれを笑わない。
 道具は使うもの、神様は信じるもの。
 その使い分けは今に始まった事ではない。二〇〇〇年以上前、『神の子』が生きて行伝していたころにしても、パンを焼く道具ぐらいは使っていたはずなのだから。
 重要なのは、
(科学の道具を一切否定するのではなく、それにたより切るあまり、主の威光を忘れてはならないのだという事なので)
 思ってから、彼女はそっと息を吐いた。
 今のリドヴィアはその主の威光とやらを示せず、科学の塊に屈服された身なのだ。
 事実上、リドヴィアが行っているのは背走だ。いかに『使徒十字クローチエデイピエトロ』本体を敵の手から守りきり、機を待てば同じ攻撃こうげきり返せる状況を維持し続けたとしても、『使徒十字クローチエデイピエトロ』を使うための『天文台ペルヴエデーレ』の位置も特定されてしまった。『使徒十字クローチエデイピエトロ』は夜空が見えなければ使えない。『天文台ペルヴエデーレ』の真上に簡単な建物を建てられたら、もう学園都市の周辺で使うのも難しくなってしまうだろう。ただでさえ難易度が高くなった状況で、しかも貴重な戦力である『罪人』オリアナ=トムソンも捕らえられてしまった。
「うふふ」
 しかし、それでもなお、彼女は笑う。
可哀想かわいそう……。ああ、なんて可哀想なオリアナ=トムソン。ふ、ふふ。救わなければ、あそこに捕らえられている、迷える『罪人』をこの手で救わなければ……」
 リドヴィア=ロレンツェッティは、自身に降りかかるあらゆる不幸や逆境をねじ曲げて、己が前へと進む原動力へと変換してしまう。
「学園都市へみ込むには、二三〇万もの人員と戦うには、安全にオリアナを救い出すには、傷一つなくすべてを終えるには」
 口から出るのは、到底、無謀むぼうとも言える願いばかり。
 それ以前に、これからバチカンに帰れば、リドヴィアは間違いなく身勝手な行動とその失敗の叱責しつせきを受ける。場合によってはオリアナ救出などと言う前に、自分自身の命すらも危ぶまれるかもしれない。
 が。
 目の前の状況が、困難であれば困難であるほど。
 最終的に目指す地点が、高ければ高いほど。
 リドヴィア=ロレンツェッティはそのすべてを踏破とうはし尽くした時の事を考え、無上の喜びを見出みいだす。それはスポーツ選手が生涯のライバルと出会った時の感覚にも似ていた。
告解の火曜マルデイグラ』。
 その語源は十字教における、四旬節の直前に行われる熱狂的な祭りの名であり、リオのカーニバルやドイツのファッシングなどがこれに該当する。
 リドヴィアにその名が与えられた理由は一つ、
「ふ、ふふ。あははは!! 私は進みますので。幸運だろうが不幸だろうが、順風満帆だろうが波乱万丈だろうが、そのすべてをみ込んで! 大喰らいの祭マルデイグラりの名にふさわしく、あらゆる現実をみ砕いてかてにして差し上げますから!!」
 あめを与えてもむちを与えても同じ反応しかしない者。
 それはつまり、究極的にはどんな人間にも彼女の行いを止められないという事を意味している。何を与えても喜びしか得ない人間は、何を与えられても笑顔と共にさらに前へ進む。妨害する、という行為そのものがリドヴィアの足を進ませてしまう以上、妨害行為を働く事自体が自殺行為となってしまうのだ。
「まずはローマ正教内部での事後処理。次にオリアナ回収のための作戦立案、最後に学園都市への攻撃こうげき再開! ははっ、壁は高く!! そしてなんて甘美なのでしょう!!」
 不気味な独り言に対し、コックピットのパイロットがビクついた気配を向けるのが分かる。が、その不審そうな態度すらも、リドヴィアは焼け付くような闘争心とうそうしんに変換してしまう。
 と、その時、

『あっ、あー。アッテンショーンプリーズ?』

 突然、女性の声がひびいた。
 ギクリとリドヴィアは肩をふるわせる。この自家用ジェット機に、フライトアテンダントなど搭乗していない。開かれたコックピットからも慌てたような物音が聞こえてくるのが分かる。
パイロットも何も知らないようだ。
 しかしリドヴィアは知っている。
 この女性の声は、
『イギリス清教最大主教アークビシヨツブローラ=スチュアート。って名乗らねば分からずなんて、冷たき事は言わぬでしょうね? リドヴイアお嬢ちゃーん♪』
 楽しそうな声だった。
告解の火曜マルデイグラ』よりもはるかに重要な異名を持つ女性のものだ。現在の教会史を語るには、まず外せない人物。ウワサによれば、英国女王と同等かそれ以上の権限すら有していると言われているほどの化け物である。
 リドヴィアは息をむ。恐怖と歓喜の二重の意味で。
 強大な敵は、彼女にとってはこの上なく魅惑的みわくてきな子羊でもある。
「……何故なぜ、この自家用機が?」
『うっふっふーん。名義を変えて、イタリアからでなしに、わざわざフランスにて離着陸したるようだったけど、その程度で誤魔化ごまかしがきしとでも思いたるのかしら? ハネダにまりし機体の壁に、内の部下どもを使いて、ぺたりとらせていただきましたー♪』
「……、」
 機体の外側に何か、霊装れいそうのようなものを取り付けられた。
 だとしても、こちらから取り外す事はできない。音速を超える機体の壁にしがみついて移動するなど不可能だし、そもそもドアを開けただけで気圧差が生じて、機内の空気ごと体を大空へと投げ出されてしまう。
 しかし、イギリス清教の独力だけでこの機体を探し出せただろうか。
 もしそうなら、『使徒十字クローチエデイピエトロ』を持って日本へ行く便でアクションを起こせたはずである。
それがないという事は、日本に着いてから機体の特定ができたという訳か。
 となると、考えられるのは、
(学園都市が、協力したのでは……)
 ともあれ、状況は絶望的。
 通信用の霊装を貼り付けられたという事は、こちらの機体の位置は英国側にれている。いかに今から着陸する空港を変更した所で、相手は悠々と空港でリドヴィアを出迎える事だろう。
 にもかかわらず、
「ふ」
『……相変わらず気味の悪し事ね。追い詰められれば追い詰められたるほどにケタケタ笑いしその性格、どうにかならぬものなのかしら』
「遠泳や潜水せんすいと同じなので。距離が遠ければ遠いほどに苦しみは増しますが、それだけ達成した時の喜びも大きくなるものですから」
『この苦行で快楽を得し汚れたマゾ野郎が。いえ、難題を屈服させたる喜びと言いし場合はサドかしら。その甘い感覚を引きずりて、またもや学園都市をおそうとでも言いけるの?』
「―――。」
 ローラのあきれた声に、リドヴイアはわずかにだまる。
「学園都市には、借りがありますので」
『右のほおたたかれたら左を差し出せと言いしはだれの言葉かしら? そもそも、オリアナ=トムソンの身柄はロンドンへ移送する手はずになっとろうなのよ。貴様が今からバチカンに戻りて策を練り直したれども、そのころには学園都市にはいとしのオリアナはおらんわよ』
「いえ。学園都市を制圧する事で、オリアナを返還してもらうという行いにこそ意味がありますから。かの地の征服はローマの勝利を導くもの。そのあかつきには、イギリス清教は我々の命令一言すら破る事はできなくなるでしょうし」
 彼女の顔に張り付いているのは、笑み。
 暗く、熱く、けもののような闘争心とうそうしんに満ちた、シスターらしからぬ表情だった。
「私は許しませんので。学園都市があんなにも抵抗しなければ、今頃は皆が幸せになっていたはずですから。あの魔術師まじゆつしどもと、彼らに協力した一般人の少年。彼らがいなければ、私はオリアナと共にこの飛行機に乗っていたはずなのですから!」
 熱を帯びた声は、さらに高く大きくふくらんでいく。
 許さないと叫ぶのに対し、表情はより一層の闘争欲に満ちていく。
「だから私は、決して彼らを許しませんが。同時にうれしいのですよ、新たなる『壁』と出会えた事が! 困難は大きければ大きいほど、それを乗り越えた時の喜びは増していくのです!乗り越えるとは、つまりみにじるという事ですので!!」
 涙すら浮かべて彼女は叫ぶ。
 莫大ばくだいな闘争欲に見開かれたひとみは、もはやまばたきすらも忘れている。
「直接イギリスをねらわず、わざわざ迂回うかいして彼らを撃破げきはする事によって、オリアナを救い出すという難易度も非常に私好みにつき!! 私は主に感謝せねばなりません、このようなご馳走ちそうを用意してくださった事に! 分厚く硬い肉は、だからこそごたえがあるのですから!! 次にまみえる時が本当に楽しみなので!! あはは、うふあははは!!」
 もうあと数分もしゃべらせておけば、それこそ分厚い鉄板でも噛み破ってしまいそうな顔を浮かべるリドヴィア。
 明らかに常軌を逸した声に対し、ローラは、
『ふ。ふふ』
「……? 何か。私にとって笑むべき事実であっても、貴女あなたがそれをらす理由が分からないのですが」
『なぁに。簡単な事につき、よ。壁が高ければ高きほど、困難ならば困難なほど、それを踏みにじりし瞬間しゆんかんの喜びが大きくなりける、か』
 通信の術式は、意味ありげに沈黙ちんもくした後、

『確かにそれも一理あるなと思うただけよ、この断崖絶壁だんがいぜつべき野郎』

 は? とリドヴィアが、何を言われているのか理解しようとした直後。
 バン!! というすさまじい音が聞こえた。
 音は横から。慌てて振り返ってみれば、自家用ジエット機の出入り口であるハッチの縁が、きつちり四角く切り抜かれている。灼熱しやくねつで金属が溶かされる、オレンジ色の輝きと共に。
(この、最大主教アークビシヨツプ……まさか、ハッチに霊装れいそうり付けて……ッ!?)
 今さら気づいた所で遅い。
 切り抜かれたハッチの板が、爆風を受けたように夜空へ吹っ飛ばされた。同時、まるで風船の口を放したように、機内にある空気がすべて気圧の差で飛行機の外へと吹き出されていった。
風というより爆圧に近い力の塊が機内を流れる。ボルトで固定されているはずのソファやテーブルまでもが、容赦なく引きがされて高度八〇〇〇メートルの夜空へ舞った。
「!!」
 リドヴィアは慌てて壁の出っ張りに五本の指を食い込ませようとしたが、二秒とたない。
吐息に吹かれるほこりのように、その体が床を離れ―――一気に機外へと飛ばされた。
「ひっ」

 という声が、もう出ない。
 高度八〇〇〇メートルの空は、深夜の暗さだけをひたすらに強く表していた。雲はなく、え渡るような月と、その周囲に無数の星が散らばっている。雲の層がここより下にあるため、そもそも天体を隠すものが存在しないのだ。
(ぎゅご、が、ぁ……ッ!! 息が―――ッ!!)
 超高空の空気は吸っても吸っても酸素を取り込んでいる感覚がなく、ただ氷点下を下回る冷気だけが胸を焼く。あまりにも高度がありすぎるため、もはやリドヴィアには落ちているという感覚すらない。ただ下から吹き上げる莫大ばくだいな爆圧に持ち上げられているような錯覚さつかくだけが全身を包んでいる。
 顔に驚愕きようがくと恐怖を張り付けたリドヴィアの横へ、何かがヒュッと横切った。
 彼女の手前の空中で、落下速度を合わせてピタリと静止しているのは、一枚のカードだ。プラスチックらしいペラペラの素材に、黒いマジックで書いただけの、歴史も風格もない子供だましのような霊装れいそう。しかしそこに込められた魔法陣まほうじん繊細せんさいさは、丹念に織り上げられたペルシャ絨毯じゆうたんをも凌駕りようがしていた。
『ははっ! リドヴィア、貴様の力それ自体は非常に惜しい。ローマの教えを捨て去りてが足元をめれば救いてやりても良いのだけどね』
 そう告げるからには、ローラも手を用意しているのだろう。落下地点にはイギリス清教の大部隊が配置してあり、着地と同時に即座に回収・撤退てつたいするだけの準備があるのかもしれない。
 しかし、リドヴイアは跳ねける。
「な……に、を、たわけた事を!!」
『そうか。なればアレと一緒いつしよにクレーターでも作りていろ』
 言葉と同時、リドヴィアは見る。
 頭上に浮かぶ自家用ジェット機のシルエットが着実に小さくなっていく事だけが、この縮尺のずれた世界で唯一彼女の距離感を正してくれる存在だった。
 その自家用機の開かれた扉から、白い布に巻かれた、十字架のシルエットが飛び出してくる。
使徒十字クローチエデイピエトロ』。
 あの霊装は、魔術的まじゆつてきな効果は高いものの耐久度自体は骨董品こつとうひんと変わりない。高度八〇〇〇メートルもの高さからダイブを実行すれば、たとえ下が海面であつても粉々に砕け散る。
「……ッ!! させませんので!!」
 リドヴィアは数少ない酸素を取り込み、叫びを放つ。
 その両手を広げ、じゆつむぐと、その体が羽毛のようにふわりと速度を落とした。元々は防御用の術式で、あらゆる物体の加速を遅らせるというものだったが、重力落下に対して使えばパラシュートと同じ効果を得る。
「『使徒十字クローチエデイピエトロ』の落下コースを計算し、今の速度のまま向かえば……間に合いますから。いえ、間に合わせてみせますので! 時間はギリギリですが、だからこそ面白い!!」
 リドヴイアは闘争心とうそうしん丸出しの声を上げて落下する十字架を迎え入れる。
『機体からここまでの距離はおよそ四〇〇メートル。速度を落としたる貴様の状態では、大理石の自由落下をモロに受け止めし羽目になれども、挽肉ひきにくになりしつもりなの、リドヴイア』「それも含めて面白いと言っているので、最大主教ア クビシヨツプ!!確かに私の術式の性能では、最大限のカを駆使しても『使徒十字クローチエデイピエトロ』を受け止めるのは困難でしょうが。ですが、だからこそッ! そのギリギリの一歩先へ立ち向かう事こそを試練の喜びと呼ぶのです! ふふふはは!!」
 絶体絶命の状況すらも、両手を広げ笑みと共にみ込もうとする『告解の火曜マルデイグラ』。
 ふむ、とリドヴィアの顔の横で止まったカードは愉快げにのどを鳴らし、
『その術式を用いた所で、貴様の本体と大理石の十字架を受け止めるだけで精一杯なのよね』「それ、が……?」
『なれば、アレはいかように扱うつもりかしら?』
 声に、ハッとリドヴィアが頭上へ視線を戻した瞬間しゆんかん
 自家用ジェット機の切り抜かれた扉から、新たな人影が飛び出してきた。
 パイロット。
 手足を乱暴に振り回している彼は、パラシュートをつけているようには見えない。高度八〇〇〇メートルもの上空から何の準備もなしに飛ばされて、まだ気を失っていないだけでも気丈と言えるが、その姿はあまりにも無防備すぎる。
 月明かりに、パイロットの全身が映る。
 空気にまれるように無茶苦茶むちやくちやな軌道で落下する彼の顔は、理不尽な状況を前に、涙と恐怖でグシャグシャになっていた。
 そう。
 あたかも、リドヴイアがこれまで会ってきた、社会や世間から見放された『罪人』たちと同じように。
「!!」
『さてリドヴイア。すでに許容量の限界を迎えし貴様はどちらを選ぶ。世界最大級の霊装れいそうか、それともあわれな迷える子羊か。くっくっ、貴様が地面に手を突きて請い願うと言うならば、この私が直々じきじきに手を差し伸べても良いのだけど?』
「あ、なた……ッ! 自ら差し向けておきながら、よくもそんな口を!!」
『おしゃべりの時間はなしにつき、よ。ほら、まずは一つ目が落ちてきた』
「くっ!!」
 リドヴィアの元へ、白い布で巻かれた十字架が容赦なく落ちてくる。縦が一五〇センチ、横が七〇センチ、太さが一〇センチ強もの大きさの、大理石の塊だ。それが四〇〇メートルから落下してくるというのだから、破壊力はかいりよくはちょっとした帆船を吹き飛ばす砲弾にも匹敵するだろう。
(前面に防御を展開、厚さは許容量の限界値! わざと厚い壁を破らせる事で、少しでも速度を落とせれば―――)
 直後、大理石の塊がぐリドヴイアの元へと落ちた。
 分厚いはずのシールドは一撃いちげきで破られ、ある程度の速度を失ったとはいえ、リドヴィアの胸板へとそのまま突っ込んだ。ミシミシゴキゴキという不気味な音が体の内部から脳へとひびく。
ごぽっ、と、のどの奥から唇の先まで、鉄臭い粘液があふれ出た。
「ごっ、ぶ! おォううううううッ!!」
 歯と歯の間から血を吐きながら、それでもリドヴィアは重たい十字架を両手でつかみ取る。『使徒十字クローチエデイピエトロ』に巻きついている白い布へ、一〇本の指を思い切り食い込ませた。
『ほうら。次は二つ目よ』
 カードが心の底から楽しそうな声を上げる。
 痛みと失血と酸素不足と、様々な要因で朦朧もうろうとする意識を無理矢理に起こし、リドヴイアは頭上を見上げる。
 自家用ジェット機のパイロットが、やはり真っ直ぐリドヴィアの元へ突っ込んでくる。ポロポロのリドヴイアにとっては、城壁をこわす投石器の岩石弾にも見えた。
(こ、のままでは、受け止め、られな……)
 彼女は、手の中の十字架を握りめ、
(積載量が、オーバーして……皆がまとめて、落下してしまい、ますから……。霊装れいそうを保存するなら、パイロットを見捨てるしか……。でも、これを捨ててしまえば、貴重な人命が、救われるので……)
 リドヴイアは見る。
 間近に迫ったパイロットの、理不尽な暴力にさいなまれて涙と鼻水で汚れた顔を。
『ほう。リドヴイア。罪人を救いたると宣言すれども、貴様はただの被害者すら救えぬの?』
「よ、くも……ッ!!」
 声を出そうとしても、胸が詰まったように言葉が出ない。
 すべてを受け止めるのは不可能。
 それをねらって全員が落ちるぐらいなら、切り捨てるものを切り捨てた方が無難。
 しかし。
 目の前の状況が、困難ならば困難であるほど。
(だ、め……今は、考えては! それは、本当に、死んでしまうので……でも、しかし、ううっ、耐えなければ! その、甘い感覚は、ここでは、切り捨てないと……ッ!!)
 思えば思うほどに、リドヴィアの背筋にごうごうとした挑戦心の炎が宿る。噴き出す汗に、苦痛や緊張きんちようではなく、もっと檸猛どうもうな味を占めるものが混じり始める。
 ガチガチと歯を鳴らして何かに耐えるリドヴィアの耳に、横合いから声が入る。
 するり、と。
 乾いた大地に水が染み込むように。
 あたかも、妖艶ようえんなる悪魔あくま誘惑ゆうわくのように。
『なぁんだ。リドヴィア、私はてっきり、貴様がどちらも一緒いつしよに受け止めたるなどと馬鹿ばかげた事を言うのだと思うていたのだけどね。壁は高ければ高いほど、困難は大きければ大きいほど……それを乗り越えた時、それを作り出した私を踏みにじる喜びが大きくなるのよね?』
 ぶちっ、と。
 リドヴィアの中で、何かが切れた。
み、にじる……?)
 血の味しかしないぐらつく意識の中、彼女がただ考えるのは、
(ここ、まで……な、めた、最大主、教の、高い鼻を―――思う、存分……)
『それ』を成し遂げた後に来るだろう、あまりにも獰猛どうもうな感覚。
 実は、その高慢な口ぶりすらもローラの術中である事にも気づかずに、彼女は笑う。
「は、はは」
 唇が横に大きく裂け、血の混じったよだれがダラダラとこぼれる。受け止めてもらうはずのパイロットの方が、ひっ、と恐怖の声をあげる。それほどまでに挑戦心、闘争欲とうそうよくに染まった顔を浮かべ、彼女は十字架をつかんだまま、大きく伸び伸びと両手を広げる。
 まるで遠出していた恋人の帰りを迎えるように。
 直撃ちよくげきと同時におそいかかる壮絶な苦痛すらもうれしいのだと告げるように。
「ははは! あははうふふははははははははッ!!」
 血と汗と涙とよだれと鼻水を垂れ流し、リドヴィア=ロレンツェッティは満面の笑みを浮かべる。
 直後。
 パイロットの体が勢い良く彼女の体にぶち当たり、莫大ばくだい衝撃しようげきと共に、リドヴィアの全身をたとえようもない檸猛な感覚が貫いた。

 学園都市には、窓もドアもないビルがある。
 単純な核爆発の高熱や衝撃波程度なら吸収拡散させる特殊建材で作られた、学園都市の中でも最強クラスの要塞ようさいだ。通路も階段もエレベーターも通風孔すらも存在しないため、内外の移動には空間移動系能力者の協力が必須となる建物には、一人の『人間』が静かにたたずんでいる。
 学園都市統括理事長。
『人間』アレイスタ=クロウリー。
「ふむ」
 彼は薄暗うすぐらい一室にいた。部屋は広く、そして肌寒さを感じさせるものだった。中央には巨大なガラスの円筒器が鎮座ちんざしており、その中には真っ赤な液体が満たされている。円筒器には大小無数のケーブルやチューブ類が接続されており、それらは床一面をおおい尽くす形で、四方の壁際かべぎわを埋め尽くす計器類につながっていた。計器類の赤や緑のランプは、ろくなあかりもないこの部屋の中では、まるで夜空を埋め尽くす星々のまたたきのようにも見える。
 彼はその円筒器の中に、逆さまになって浮かんでいた。
 緑色の手術衣が液体の中で音もなく揺らぎ、長い長い、色の抜けたような銀髪がからみついている。
 男か女か、大人か子供か、聖人が囚人かも分からないような、とにかく『人間』としか表現のしようがない、その者は、
「『使徒十字クローチエデイピエトロ』の使用による、学園都市の支配化と世界の利権の確保、か」
 一人、ポツリとつぶやいた。
 当人のオリアナやリドヴィアの個人的な目的は何であれ、あれだけの事を成し遂げるには、やはりローマ正教本体の協力なしではありえないだろう。むしろ、ローマ正教が立案した計画にオリアナやリドヴィアが食いつき、自分たちの利益のために利用しようと動いた、と考えた方が流れとしては自然となる。
 オリアナ=トムソンと、リドヴィア=ロレンツェッティの背後にいるもの。
 ローマ正教。
「……随分と、大きく揺らいでしまったものだな」
 アレイスターは脅威を感じるというより、あきれたように告げた。
 以前からローマ正教にはそうした陰りのようなものはあった。時をさかのぼればガリレオ=ガリレイが生きた時代からだろう。世界全体の基盤が十字教から自然科学へと移行していくのを止められなかった時点で、全土の支配権は少しずつ、しかし確実に揺らいでいったのだ。
 ローマ正教は、見かけ上は世界最大宗派を名乗っているものの、そこにも一つの問題がある。
 現在、あくまでも魔術まじゆつ業界における十字教派閥には、ローマ、ロシア、イギリスという三本の柱がある、と言われている。この内、規模が最も大きな宗派は二〇億の信徒を抱えるローマ正教だ、というのが通例だが……逆に言えば、二〇億人も集めておきながら、総人口九〇〇〇万人の英国と釣り合いが取れてしまっている、という意味でもあるのだ。英国の全国民がイギリス清教所属という訳でもないのに。
 もしもこの先イギリス清教が台頭し、一〇億も二〇億も信徒をかき集めてしまったら、ローマ正教はどうなってしまうのか。
 前々から言われ続けてきて、しかし現実的にはそんなに大勢の人口はいないのだから、という理由だけで保留にされてきた問題は、最近になって別の切り口を見せてきた。
 一つ目は、『グレゴリオの聖歌隊』や『アニェーゼ部隊』などに代表される、ローマ正教内の主要戦力が撃破げきは、または離脱している事。
 二つ目は、『オルソラ=アクィナス』や『天草式十字凄教せいきよう』など、新たな戦力をイギリス清教が取り込み始めている事。
 これらの事態は、今までかろうじて保たれていた魔術まじゆつ世界の天秤てんびんを、大きく揺り動かそうとしている。そして世界のトップの座を意地でも守り抜きたいローマ正教は、その揺れ幅を極端に警戒しているのだ。
 今回の行動も、そうした背景があるのだろう。
 ローマ正教を治める教皇なり枢機卿すうききようなりといった面々は、今頃いまごろどんな顔色を浮かべているだろうか。
 アレイスターはかつて魔術を捨てた者として、そして対極である科学サイドを万全の態勢で集中管理している者として、侮蔑ぶべつの思いでそれらの情勢を眺めていたのだが、
「しかし、だ」
 彼はつまらなそうにつぶやいた。
 みにくくしがみつく者たちだからこそ、そのしがみつき方はなりふりを構うようなものではないだろう。今回は『使徒十字クローチエデイピエトロ』レベルの霊装れいそうを持ち出された。そして今回限りでローマ正教の攻撃が終わるとは到底思えない。今後もアレと同等の霊装が使われる可能性も捨てきれない。
使徒十字クローチエデイピエトロ』の一件は、とある少年が事を収めたものの、正直に言って、あれはあまり上手うまい手とは思えなかった。今後も同じ手が通用するという確証もない。
(となると、こちらの計画を早める必要もあるかもしれんな。まったく、元々このような些事さじのために使うような安い計画ではなかったのだが……)
 アレイスターが思うと同時、何もない虚空こくうに四角い画面が表示される。
 そこには詳細な世界地図と、九九六九ヶ所の赤い点が打たれてある。とある量産型能力者の世界的な配置図だ。彼はこれらと、学園都市に眠る虚数学区・五行機関を利用し、全世界の魔術活動を同時に停止させるという計画を遂行中すいこうちゆうなのである。
 が、
かぎとなる幻想殺しイマジンブレイカーの成長はいまだに不安定。これも果たして使えるかどうか)
 元々が、こんなに早く実用を迫られるとは思っていなかった計画である。それも無理はないか、とアレイスターは考え、
(ならば)
 心の声と同時に、量産型能力者の画面に重ねる形で、新たな画面が表示される。
 四角い画面の中に映っているのは、ガラスでできた四角いケースであり、
 その中には、ねじくれた銀のつえが浮かんでいた。

(私自身が打って出る可能性も、考えねばならないのかもしれんな。ふ。ふふ)

やみの中で、『人間』は笑う。
 果たしてそれは、世界最高の科学者によるものか。
 あるいはそれは、世界最強の魔術師まじゆつしによるものか。
 男にも女にも、大人にも子供にも、聖人にも囚人にも見えるその『人間』の胸の奥にあるものはだれにも照らし出す事はできず、ただ彼に笑みを生む。

 姫神秋沙ひめがみあいさは、朝方の病室で目を覚ました。
 彼女のいる部屋は、上条かみじようのような個室ではない。カーテンで個人スペースが仕切られた、六人一部屋の普通の病室だ。当然ながら、この部屋を使っている患者は全員女性で、としの方はバラバラだった。姫神と同年代の少女もいる。
「……。」
 姫神はぼんやりとした視線を天井てんじようへさまよわせ、それからむくりと上半身だけをベッドから起こして、
「こんな早い時間から。こんな場所で一体何をしているの?」
 平淡な声を向ける先は、ベッドの縁だ。そこには真っ白な修道服を着たシスターが床に座り込み、上半身だけをベッドの手すりに乗り上げる形で、べちゃーっとたたずんでいる。
 寝起きの姫神も眠たそうだが、このシスターもすごく眠たそうな目をしている。彼女の同居人(というより、居候いそうろうの家主に近いのだろうか)はしょっちゅう怪我けがをして病院に運ばれてくるため、この白い少女は病院で夜を明かす事に慣れてしまったようだ。個室のパイプ椅子いすや待合所のベンチなどで寝っ転がっている姿は看護婦たちの間でも、ちょっとしたウワサになっているらしい。病院に出没するミステリアスな少女はテレビとお菓子とオモチャが好き、と話が変にムくらんでいる始末だ。
 英国人のシスター、インデックスは糸のように細い目のまま、
「あふぁ……。朝になるとベンチ使っちゃ駄目だめって言われるから、あいさの所まで避難ひなんしてきた次第です。ふかふかベッドー……」
 どうも動物的な本能であったかい布団ふとんを求めているらしい。
 が、
「こらこら。布団はむ物ではなく掛ける物。あと。無意味によだれを垂らすと。白い目で見られるのは私」
「あったかー……」
 インデックスは聞く耳を持たないで布団にぐりぐりと顔を押し付けている。姫神の太股ふとももがある辺りにほっぺたが当たっているので、妙にムズムズした。もしやこの少女は春先の午後の授業中みたいに、七割八割意識が眠っている状態なのでは、と姫神ひめがみは少し考え、ベッドのかたわらにある高さ一メートル前後のミニ冷蔵庫の扉を開けると、
「冷凍庫の氷で。覚醒かくせいを促してみる。えいや」
「冷たーっ!?」
 四角い氷をおでこにぶつけた直後にシスターが絶叫したため、彼女のみならず病室にいる全員の覚醒を促してしまった。姫神は身を縮めて一度ぺこりと頭を下げると、皆の視線には耐えられないという感じでリモコンのボタンを押し、仕切りのカーテンを自動で閉じた。
 おでこにぶつかって跳ね返った氷を空中で上手うまくキャッチしたインデックスは、姫神の心境などいざ知らずといった調子で、四角い氷を口の中に含むと、
「あいさはもう大丈夫だいじようぶなの? ウチの魔術師まじゆつしが見よう見まねの危ない治癒ちゆ術式を使ったとかって報告があったんだけど」
「実際に。何かされている間は意識が落ちていて。良く分からなかったかも。ただ。カエルのお医者さんが言うには。検査の結果は良好だって。きちんと元通りになっているみたい」
 姫神は言いながら、自分のパジャマの首元を引っ張って、中をのぞき込んだ。十字架が輝いている。そのネックレスにいうどられた自分の体を、専門的な巻き方で包帯が胸元から下腹部までをおおっているが、生命維持に必要な器官は血管一本すら残さず修復されているらしい。
 曲がりなりにも一人の女の子である姫神秋沙あいさとしては、体に傷跡が残るかどうかはすごく不安だったのだが、それについてはカエル顔の医者が妙に不気味うれしそうな笑みを浮かべて『ふふ、僕をだれだと思っているのかな? これでも僕は、患者に必要なものであるならば何でも用意すると決めているんでね。ふふふふふ、患者にたよられるっていうのはたまらないね?』とか言っていたので、何だか大丈夫だいじさつぶらしい。言われてみれば、とある少年は右腕をスッパリ切断された割に、傷跡一つ残っていないのだった。
 姫神はパジャマの中の包帯を眺めつつ、
(骨まで見えるような。傷だったのに)
 あの赤い髪の神父が行ったのは、あくまでも応急的な『命をつなぎとめておくだけ』のものであったとはいえ、普通ならまず助からないような傷を、あっさりと修復した『魔術』という項目。一度は絶望と共にあきらめたはずの事柄が、再び淡いとげとなって姫神の心を刺激していく。
 だが。
 今はそれ以上に、
「今日か明日には退院できるって。カエルのお医者さんは言ってた。流石さすがにこの身体からだじゃ。競技に参加するのは無理かもしれないけど」
「??? あいさ、なんか寂しそうに見えるけど、何で?」
 インデックスはキョトンとした顔で言った。
姫神は無言で首を横に振ったが、もちろんそれだけで頭の中の考えまでが消えてくれる訳ではない。
 だから彼女は言う。一度は沈黙ちんもくを貫こうと思った事柄を。
「あの人は。やっぱり今回も無茶むちやな事やってたの?」
「うん。そうだよそうそう!」インデックスはようやく目が覚めてきたといった感じの明るい声で、「詳しい話はまだ聞いてないんだけど、なんか『だいはせーさい』とかいうのを利用して、ローマ正教の魔術師達まじゆつしたちが攻めてきたんだって! それで、とうまはまた私には何の相談もしないで一人で突っ走って一人で大暴走してきた次第とか事後報告気味に言われたんだよッ!!」
 叫んでいる間に自分でヒートアップしてきたのか、インデックスは布団ふとんの端をガジガジとみ始めた。
 が、姫神ひめがみはそれを注意しない。
 というより、そちらへ気が回っていない。
(ローマ正教の。魔術師がやってきたから)
 結局、あの少年がこぶしを握って戦っていたのは、そのためだったのだ。
 当然と言えば当然の話なのだが、上条当麻かみじようとうまが本物の魔術師と共に傷ついた姫神の元へやってきた以上、彼女が倒れる前からだれかと戦っていたはずだ。姫神秋沙あいさが倒れたのも、その姿を見て少年が怒りの声を上げたのも、それらはすべて『大きな目的』を果たす過程で、たまたま通った寄り道のようなものに過ぎなかったはずなのだ。
(―――。)
 それは錬金術師れんきんじゆつしとりでの中にいた時にも感じた事。何故なぜあの少年は自分を助けてくれたんだううかという疑問が姫神の意識に浮上する。実際問題、上条当麻と姫神秋沙の闘には命をけるほどの接点はないはずだ。つまり、
(誰でも。良かったんじゃ)
 あの少年は、姫神秋沙を助けたのではなく。
 その場にいた者なら、どんな人間でも救ったのではないか。
 姫神秋沙がその場にいなかったら。
 彼の意識の端にも、自分の存在は映らなかったのではないか。
 命を懸けて助けてもらった、という行動は、こと上条当麻に関しては何のアドバンテージにもならない。何故なら彼にとってはそれが日常的な行動であり、この数ヶ月を見ただけでも、平均一週間二週聞クラスで他人の人生を何度もなぐって直しているぐらいなのだから。
(私は)
 姫神秋沙は、上半身だけをベッドから起こした体勢で、考える。
 自分には、この布団を噛んでいる少女のように、何か人の役に立てる力や知識がある訳ではない。誰とでも分け隔てなく接し、近くにいるだけで心を安らがせるような心の持ち主でもない。
(私は。本当は)
 姫神ひめがみはわずかに顔を伏せ、膝元ひざもとに乗っている布団ふとんを両手で軽くつかむ。
 自分が、あの少年と一緒いつしよにいても良い理由が一つも思い浮かばない。
 きっと、上条当麻かみじようとうまは姫神秋沙あいさが困った時には、いつだって助けに来てくれる。けど、上条と姫神が一緒にいても良い理由がないのなら、その行動にだっておそらく意味はない。それはつまり、姫神のために彼が一つ行動を起こすだけで、上条は何の意味もない代償だいしよう無駄遣むだつかいで払ってしまうようなものだ。多くの場合は、傷という形で。
(本当は。助けてもらうべきじゃ。なかったんじゃ)
 ゾッとする言葉だと思う。
 しかし現実の話として、姫神は自分がだれかに命をけて助けてもらえるような、特別な才能や能力に恵まれているとは思っていない。身体からだに宿る力は誰かを傷つけ争わせるものでしかなかったし、その忌まわしい能力だけが彼女の個性を形作るものだった。勉強やスポーツなど、能力以外の分野でほかを圧倒するようなものを持っている訳でもないのだから。
 馬鹿ばかみたいな話だ。
(何で)
 もしも自分が助けられたのが。
(何で。助けてもらったんだろう)
 何かの間違いか、勘違いのようなものでしかなかったのなら。
(あの時だって)
 自分が血まみれになって裏路地に倒れた時に交わした言葉。
(ちゃんと。はっきり断言してくれたのに)
 結局は守られなかった、ナイトパレードまでに病室に戻るという彼の台詞せりふ
(だとしたら。私の価値は)
 その優しい一言すら、上条当麻という入間を圧迫しているのだとしたら。
(私が。ここにいる意味は)
「……。私は。みんなの迷惑にしか。なっていないのかもしれないね」
 冷めた言葉だと思って放ったのに、自分で聞いて胸の奥にひびいた。
 対して、布団をガジガジんでいた少女は、その動きをピタリと止める。
 おそらくは、誰かに助けてもらうべき特別な才能も知識も兼ね備え、そばにいるだけで他人を幸せにできる心の持ち主であるそのシスターは、

「そんな訳ないじゃん。とうまはあいさと一緒にいると楽しそうだもん」

 え? と。
 姫神秋沙ひめがみあいさ一瞬いつしゆん、言葉の意味が理解できなかった。
 が、いつでも彼に守られているはずの白い少女は、ほっぺたをふくらませて再び布団ムとんをガジガジみ始めると、
「とうまの右手。なぐり過ぎて、こぶしの部分の皮膚ひふが削れてたんだよ」
 むくれたように、姫神に向かって説明を始めた。
「基本的に面倒臭がり人間なとうまがそこまでやる理由なんて、決まっているもの。とうまは、そういうルールだからとか、世界のためだからとか、そんな理由じゃそこまで真面目まじめにならないよ。少しでも面倒だって思う事……例えば大人数のケンカになると逃げちゃうし、豆腐ハンバーグも作ってくれないし、私のお説教も聞き流しちゃうし」
 だけど、とインデックスは話をつなげる。
「とうまは、自分で決めた事だけは、絶対に守る。たとえ何百人のシスターたちを相手にたった一人で戦う事になっても、何千人もの操られた手駒てこゑひそ錬金術師れんなんじゆつしとりでへ向かう事になっても、絶対に退かない。とうまは、あいさを守るって決めてるんだよ。だからこそ、ローマ正教の魔術師まじゆつしとか、学園都市の転覆てんぷくとか、そんなつまんない事に大切なあいさが巻き込まれたのが、何よりも許せなかったんだと思う」
 姫神秋沙は、その話を聞いていた。
 ただだまって、ずっと聞いていた。
「とうまの場合、いろんな人を守るから分かりにくいかもしれないけど、それであいさを守るって気持ちがうすらぐ事だけは、絶対にない。あいさを迷惑だなんて思うはずがない。その程度の人間なら、とうまの周りにあんなに人が集まってくるはずがないもの。とうまはそういう事を口にしない人だし、みんなもだまっているから、きずなつながり方がいまいちはっきりしないんだけどね。もしも全部の絆が分かったとしたら、結構すごい広がり方をしているのかも」
 インデックスが言葉を切ると、辺りは軽い静寂に包まれた。
 姫神は、何か言葉をつむこうとして、しかし声が出ない事に気づく。あごが、口元が、ほんのわずかにふるえていた。
 その震えが、どんな感情から来るものなのかを少し考えた所で、
「っつか吹寄ふきよせさ、いきなり人の病室訪ねてきて最初にビンタを浴びせるってのはどういう事なんだっつの! そんな元気いっぱいなら病院にいる意味とかなかったんじゃねーの!?」
「だっ、黙りなさい貴様! いきなり男の裸なんて見たらだれだっておどろくわよ!」
「いや、着替えている途中にいきなり病室に入ってきたのはお前じゃ―――」
上条当麻かみじようとうま! さっさと…準備しろまだ寝ぼけ気味なのそれなら脳の活性化にはテアニンよ紅茶に多く含まれているからグィーッといきなさい!」
「熱ァああッ!? ふ、吹寄のお馬鹿ばかさん! 照れ隠しで人の喉奥のどおくに熱湯を流し込むんじゃねえよ!!」
 廊下の方から何やらさわがしい声が聞こえてきた。
 バタバタという、早朝の病院にはあまり似つかわしくない足音と共に、
「で、姫神ひめがみさんの病室はこっちで良いのかしら。というか、いきなり行っても迷惑に思われないでしょうね!」
「あん? っつか姫神は無口だけど静かなのが好きって訳じゃないぞ。良く見ると分かるんだけど、アイツはうれしい時には口元がちょっとだけほころぶんだ。隠れ世話好きな吹寄ふきよせさんならこんぐらい分かってるモンだと思ってたんだけどなー」
「世話好き? ……だれが?」
「ぶぷー。そりゃお前、姫神の病室がどこか分からなくておれんトコまで相談に来たり、売店で果物とお花を選ぶのに三〇分も悩みまくった、実は健気けなげな友達おもいの吹寄制理せいりさんの事に決まってんじゃ熱もがあ? だから紅茶は流し込むモンじゃねえっつってんだろ! 頭の活性は良いから姫神連れてさっさとクラスんトコ行こうぜ! ちゃんと医者の方から車椅子くるまいすも借りたんだし!!」
「今日は第一種目からヘビーな全校男子騎馬戦きばせん・本戦A組があるわ。怪我けがで見学している人も応援に参加して良かったと思えるような競技内容にしなさいよ!」
 インデックスは布団ふとんむのをやめて、声のする方を見る。そちらにあるのは仕切りのカーテンだけだ。姫神もインデックスと同じ方へ目をやって、カーテンを自動で開けるためのリモコンを手に取りながら、
「ねえ。あの人が。何であんな目にってまで戦ってるのか。あなたには分かる?」
「さあ。私にも分かんないかも」
 インデックスは大して考えもせずに答えた。

「前に聞いた時は、自分のためだとか言ってたけど。とうまにとっては、それが幸せなんじゃないの?」

 姫神は、リモコンの開閉ボタンを押す。
 カーテンが開く。
 その先に、姫神秋沙あいさの望んだ世界があった。

   あとがき

 一冊ずつお買い上げの貴方あなたはこんにちは。
 一〇冊まとめてお買い上げの貴方は初めまして。
 鎌池和馬かまちかずまです。
 あれこれやっている間に二けた目に突入しました。一〇巻続けて作中の時間はまだ九月ですよ。
一巻が七月末だった事を考えると、とんでもないスローペースだなーとか思います。しかも今回は本編読了後の方ならお分かりの通り、シリーズ中でも屈指と言うほど時間の流れが遅くなってしまいました。一応、一つ前の九巻に比べればまだマシなんでしようけど……。
 今回のオカルトテーマは、九巻からの流れと大して変わりがないのですが、追加で『星座』といった所でしょうか。『星座』を使った魔術まじゆつ―――基本は占星術なのですが、この学問は科学サイドの天文学が発達するたびに基本ルールが塗り替えられたり派閥が分かれたりする、という非常に興味深い歴史があります。天王星てんのうせいが見つかった時には、その惑星を占いに組み込むかいなかで派閥が割れたそうですし、天動説と地動説がひっくり返った時などは『星』そのものの常識がくつがえったのですから、相当揺らいだのでしょうね。
 科学と魔術がぶつかり合う本シリーズのカラーを考えると、これは外せないなーという訳で、今回こっそりと配置してみました。時代によって、天王星や冥王星めいおうせいを認識できたかできなかったかで占いの法則・結果ががらりと変わっていくってのもまた、量子論的だなーとか思います。

 イラストの灰村はいむらさんと編集の三木みきさんには、いつもいつもご迷惑おかけしてしまってすみません。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
 そして読者の皆様には、いつもいつも感謝しております。鎌池はこれからもこんな感じですが、どうぞよろしくお願いいたします。

 それでは、今回はこの辺りでページを閉じていただき、
 次回もページを開いていただける事を願って、
 本日は、この辺りで筆を置かせていただきます。

 ……そう言えば一〇月になったら冬服でしたっけ?鎌池和馬

とある魔術の禁書目録10
鎌池和馬

発 行 2006年5月25日 初版発行
著 者 鎌池和馬
発行者 久木敏行
発行所 株式会礼メディアワークス

平成十九年一月ニ十八日 入力・校正 にゃ?

小説ーとある魔法禁書目録09

とある魔術の禁書目録9

鎌池和馬

   c o n t e n t s
 
   序 章 第三者から見た準備時間 Parent’s_View_Point.
   第一章 炎天下の中での開始合図 Commence_Hostilities.
   第ニ章 魔術師と能力者の競技場 〝Stab_Sword.〟
   第三章 追う者と逃げる者の戦略 Worst_Counter.
   第四章 戦いの結末は勝利か否か Being_Unsettled.

とある魔術の禁書目録9

 学園都市最人級行事「大覇星祭だいはせいさい」。
 それは、超能力開発機関である学園都市に存在する全ての学校が合同で体育祭を行う、という超大規模イベントだ。
 その行事には、もちろん上条当麻かみじようとうまも参加する。しかし彼の〝不幸〟は健在で、空腹のインデックスには噛みつかれ、大覇星祭運営委員の吹寄制理ふきよせせいりには糾弾され、御坂美琴みさかみことには競技中にビリビリを喰らわされ……!?
 そんな中、謎の霊装れいそう刺突杭剣スタブソード』を巡り、とある魔術師が学園都市に侵人した。
 オリアナ=トムソン。魔術業界屈指の「運び屋」で、『追跡封じルートデイスタープ』と称される彼女の目的とは……!
 科学と魔術が交差するとき、上条当麻の物語は始まる――!

鎌池和馬

そう言えば、デビューしてからずっと四月には本を出さぜていただいているような気がします。このシリーズも、もう三度目の春を迎えている訳なのですね。
……作中の時間経過は相変わらずな感じですが。

イラスト:灰村はいむらキヨタカ

1973年生まれ。最近は「なんちゃって絵描き」らしく、コーヒー屋さんで毎日の様にアイデアを捻出する日々。
店員さんが近くに来ると、慌てて絵を隠すヘタレぶりです。

  とある魔術の禁書目録9

   

chap1

序 章 第三者から見た準備時間 Parent’s_View_Point.

 大覇星祭だいはせいさい
 九月一九日から二五日の七日間にわたって学園都市で催される行事で、簡単に言えば大規模な運動会だ。その内容は、街に存在するすべての学校が合同で体育祭を行う、というものなのだが、何しろここは東京西部を占める超能力開発機関で、総人口二三〇万人弱、その内の八割が学生だというのだから、行事のスケールは半端はんぱてはない。
 今日は開催日の一九日。
 平日の早朝であるにもかかわらず、すでに街の中は大覇星祭参加者の父兄たちあふれ返っている。学園都市の統括理事会が外部見学者対策の一環として「般車の乗り入れを禁止していなければ、街中で無意味な渋滞が何十キロと伸びていた事だろう。こういう時は歩いた方が早いし、対応策として、学園都市では列車や地下鉄などの臨時便を増やすと共に、無人で走る自律バスなども用意している。あまりの過密ダイヤに運転手の数が足りないというのだからおどろきだ。
 どこもかしこもラッシュアワーの駅のホームのような有様だが、それほど大覇星祭という一大イベントの人気は高い。
 年に数回だけ学園都市が一般公開される特別な日であり、しかも内容といえば映画に出てくるような超能力を扱う者同士がしのぎを削り合うというもの。競技種目がごく普通の体育祭とはいえ、『テレビなんかじゃ有名だけど、実際に見た事はない』という身近な不思議『超能力』に触れられるというのは、学園都市の外の人間からすれば相当の刺激と魅力みりよくを誇るようだ。
 と。
 そんな近未来な街を、二入組の男女が歩いていた。
「おおっ、母さん母さん。やはり何度来ても圧倒されるなあ、学園都市っていうのは。子供のころにクレヨンで描いた世界がそのまま広がっているような気がするよ。これでチューブの中を走る列車とか、空飛ぶスケボーなんかがあると完壁かんぺきなんだが……」
 そう言ったのは上条刀夜かみじようとうや。とある少年の父親である。地味なスラックスに、そでを肩までまくり上げたワイシャツ。贈り物らしき実用性に欠けるセンスのネクタイはゆるめてあり、つぶした革靴の底がペタンペタンと情けない音を立てている。
 その刀夜に対して、
「あらあら。私の思い描く近未来にはまだ届いていない気がするのだけど。だって巨大宇宙戦艦せんかんや人型兵器が連合とか帝国とかに分かれて戦ったり赤や青のカラフルなビームが飛んだり宇宙空聞なのにピキュンピキュン音が鳴ったりしないでしょう? あと蛍光灯みたいなサーベルも見てみたいのに」
 答えたのは、上条詩菜かみじようしいな。とある少年の母親である。刀夜とうやに比べて二回りぐらい若く見え、服装も並んで歩くには違和感を覚えさせる。絹か何か、うすなめらかな生地で繊細せんさいに作られた、足首まである長いワンピース。その上からゆるりと羽織ったカーディガン。弁当でも入っているのか、腕にはとうのバスケットの取っ手を通してある。頭に載った鍔広つばひろの帽子もあいまって、やたら上流階級なにおいを漂わせている。
 二人は夫婦というより、貴族の令嬢れいじようと雇われの運転手のように見えた。彼らは現在、自分たちの息子も参加する開会式の会場へと、のんびり足を運んでいる。
「母さん、それが「近」未来と呼ばれるのはまだまだずっと先の時代だろう。高熱源ブレードぐらいならこの街にはありそうだが……まあ、物騒ぷつそうな話はやめにしよう。こういう。雰囲気ふんいきは良いものだ。こわすのは無粋ぶすいというものだろう」
 空を見上げれば、ポンポンと白い煙だけの花火が上がっている。所々に飛んでいるヘリコプターはマスコミのものか。大覇星祭だいはせいさいは一般にも開放され、テレビ局の中継も許可されている。競技場には解説席が設けられ、街のあちこちには野外スタジオが臨時で建てられている。その視聴率はワールドカップに匹敵するほどなのだから、彼らも必。死なのだろう、と企業人の刀夜は適当に考えた。
 その時、そんな夫婦の前を、何者かが横切った。
 ドラム缶のような自律警備ロボットの上に、メイド服を着た少女がちょこんと座っている。彼女は野球場の売り子のように、おなかの所で支えたトレイを、首の後ろに回したひもで固定しながら、
「あー、あー。メイド弁当、学園都市名物メイド弁当はいらんかねー。繚乱りようらん家政女学校のメイド弁当、より正確にはメイド見習い弁当はいらんかねー」
 あまりの売り文句に唖然あぜんとしている二人の前で、メイドを乗せた自律警備ロボットはスーッと音もなく右から左へ走り去っていく。しかもメイド弁当とうたっている割には、中身は純和風の弁当をそろえてあるように見えた。
 詩菜は、あらあら、とほっぺたに片手を当てて、
「……学園都市って色々な学校があるのねぇ」
 刀夜も歩きながら、消えていくメイド(より正確には見習い)少女に目をやり、
「まあ世界中のあらゆる教育機関を凝縮ぎようしゆくさせたような場所だからね。世界各国の家政学科の技術知識だってあるんだろうさ。しかしメイドが街を歩いていても違和感のない風景ってのも恐ろしいものだな―――っと、うわっ!?」
 集中を欠いていた刀夜は、うっかりだれかと激突した。
「きゃっ! って、すみませんぶつかっちゃって」
 告げたのは、見た目大学生ぐらいの女性だった。淡い灰色のワイシャツに、薄い生地でできた漆黒しつこくの細長いパンツ。デザインはシンプルだが、一目で高級ブランドのにおいを感じさせる一品で、この格好なら社長案の椅子いすに座っていてもおかしくない印象すらある。が、衣服に反して中身に堅い雰囲気ふんいきはなく、むしろ不良少女が無理矢理着ているような印象があ。った。いつもだらけたスーツのまま社運をかけた取り引きに向かう刀夜とうやとは対照的な女性だ。
 刀夜とぶつかった彼女は、友好的な笑みを浮かべると、
「いや、これだけ広いと迷ってしまいますよね。あー、失礼ですけど、常盤台ときわだい中学ってどの辺にあるかご存知ですか?」
「はあ。……あ、ちょっと待ってください」
 刀夜はゴソゴソとパンフレットを取り出す。学園都市は広大で参加する学校の数も半端はんぱではないため、ちょっとした海外旅行用のガイドブックのような厚みがある。彼は地図で探すのをあきらめ、巻末の地名リストを目で追い駆け、
「とき、とき……ないなぁ。常盤台中学というのは、名前がリストに載っていませんね。正式なパンフレットに紹介文が全くないという事は、もしかして一般開放されていないのでは?」
「うわっ! ホントですか。じゃあ美琴みことのヤツはどこにいるのよーっ! せっかく大学に休学届け出してここまで来たっていうのに!」
 みこと、というのは妹の名前だろうか? と刀夜はガイドブックを読みながら適当に考えていたが、不意に女性がズズイと接近してきた。刀夜に肩をぶつけるように、彼の広げているぺージをのぞき込む。
「と、と、と、とき、とき、とき―――うわっ! ホントにないよギャーどうしよう!!」
 特に待ち合わせ場所を決めていなかったのか(開会式前では、携帯電話も電源を切ってある可能性が高いだろう)女性は切羽詰まった叫びを上げる。無防備な彼女のほっぺたが、刀夜の無精ぶしようヒゲの生えたほおとぶつかりそうになった。女性の柔らかい髪の毛がわずかに刀夜の耳をくすぐる。その柔らかい髪から、ほのかに甘い匂いがした。
 刀夜が慌てて顔をらすと、
「あらあら、刀夜さん。またですか?」
「か、母さん? ま、またとは何かな?」
 刀夜は慎重に聞き返すと、詩莱しいなは片手を頬に当てて、心の底からかなしそうなため息をついた。しかもその顔からやたら陰影が強調され始めているような気がする。
「もう、刀夜さんったら。道端で女性とぶつかってお知り合いになり、その後の無自覚な言動で良い雰囲気になるだなんて。これで何度目かしら。数える方が馬鹿ばからしいのかしら。あらあら、あらいやだ。そんなに私を怒らせて、刀夜さんったらマゾなのかしら?」
 詩菜の顔は干円札や五千円札に描かれた肖像画もびっくりの迫力を見せているが、刀夜のとなりにいる女性は詩菜の変化など全く気づかずに彼の腕をぐいぐい引っ張りながら『ねえ、運営委員のテントとかってどこにあるか分かります? ねえねえ』などと言っている。刀夜としては、
『母さんこわーっ! だ、だけど、だけど母さんの軽い嫉妬しつともちょっと可愛かわいらしいしここはどう動くべきか!?』と、現状を打破すべきか享受すべきか悩んでいた所で、
「あら。あれは当麻とうまさんじゃありません?」
 詩菜しいなの興味がよそにれた事を知り、刀夜とうやひそかに脱力する。『た、助かった。でも私は何でちょっとガッカリしているんだろう?』と心の中で首をひねりつつ、刀夜は詩菜の視線を目で追いかける。となりの女性はまだパンフレットを見ながら刀夜の腕を引っ張っていたが。
 視線の先には人混みがある。それを作っている大部分は、やはり体操服を着た学生たちだ。一口に体操服と言っても学校によって様々な違いがあるようだが、彼らは皆、赤か白のハチマキを頭に巻いていた。
 そんな人混みの向こうに、見知ったが子の黒いツンツン頭が見える。彼は大覇星祭だいはせいさいの参加者であるため、当然ながら半袖はんそで短パンの体操服だ。その隣には、彼とは違ってランニングに短パンの、本格的な陸上競技用ユニフォームを着た女の子がいた、ふと刀夜が広げているパンフレットから顔を上げた女性が、肩まである茶色い髪の少女を指差し、『あっ。あれがウチのミコトです。良かった良かった。大学が忙しくてろくに集合場所とか話し合ってなかったから』とか説明を始めていた。
 間に雑踏ざつとうを挟んでいるため、向こう側にいる子供達は親の姿に気づいていないようだ。
 しかし、相当の大声で話し合っているらしく、言葉だけは鮮明に届いてくる。
「ねえねえ、結局アンタって赤組と白組のどっちなの?」
「あん? 赤だけど。なに、もしかして御坂みさかも赤組か」
「そ、そうよ」
「おおっ、そっかー赤組か。ならお互い頑張らないとなー」
「じゃあ、あ、赤組のメンバーで合同の競技とかあったら―――」
「なんつってな! 実は白組でしたーっ!!」
「……ッ!?」
「見ろこの純白のハチマキを!貴様ら怨敵おんてをを一人残さずほうむってやるという覚悟のあかしですよ巨っつか共闘ほようとうなんてありえないね。チューガクセーだろうがコーコーセーだろうが知った事か! ボッコボコに点を奪ってやるから覚悟せよ!!」
「こ、この野郎巨 ふん、人を年下だと思って軽く見やがって。白組の雑魚ざこどもなんか軽く吹っ飛ばしてやるんだから!!」
「吹っ飛びまーせーんーっ! っつか、もしお前に負けるような事があったら罰ゲーム喰らっても良いし! 何でも言う事聞いてやるよ!」
「い、言ったわね。ようし乗った。……何でも、ね。ようし」
「まーァあ常盤台ときわだい中学のお姉様ったら! どうせ勝てもしないくせに希望ばかりは大きいです事! その代わり、お前も負けたらちゃんと罰ゲームだからな」

「なっ。そ、それって、つまり、な、何でも言う事を……」
「あらー? 揺らいじゃうかな御坂みさかさーん? オネーサマがたった今ここで放った大口にはそれぐらいの自信しかなかったのかなーん?」
「……良いわよ。やってやろうじゃない。後で泣き見るんじゃないわよアンタ!」
「そっかそっか。その台詞せりふが出てきた時点ですでに負け犬祭りが始まってますなぁ!!」
 何だとビリビリィ!! と雷撃らいげき混じりでぎゃあぎゃあとさわぐ二人組を、父兄たちは固まったまま見送る。どうやら彼らの思い描く子供の理想像とは少しギャップがあったらしい。
 上条詩菜かみじようしいなはほっぺたに片手を当てて、
「あらあら。……言葉を巧みに操り、年端ヒしほもいかない女の子にあんな無茶むちやな要求を通させてしまうとは、一体どこのどなたに似てしまったのかしら。あらいやだ、母さん学生時代を思い出しちゃいそう」
 上条刀夜とうやはズドーン、とショックを受けた顔で、
「そ、そんな。女子中学生に対して勝ったら罰ゲームで何でも言う事を聞かせるだなんて、一体どんなご命令を飛ばす気なんだ当麻とうまーっ!!」
 彼のとなりにいた女性は、『こいつらの影響えいきようなのか。ま、後でミコトには話を聞くとして。若いっていうか青いわねー……』という顔でため息をつくと、片手をおでこに当てた。
 そんなこんなで、七日間にわたる学園都市総合体育祭『大覇星祭だいはせいさい』が始まる。

   

chap2

第一章 炎天下の中での開始合図 Commence_Hostilities.

     1

 ロンドン、セントジョージ大聖堂。
 教会と呼ぶには少々広いが、大聖堂とまで呼ぶにはやや手狭な、ある意味で非常に目立たない建造物の中に、イギリス清教の実質的なトップ、最大主教アークビシヨツプローラロスチュアートは悠然とたたずんでいた。
 日本時間では午前九時を回る所だが、世界標準時間であ。る英国の時計はようやく午前〇時を指した所だ。一国の首都であるにもかかわらず周囲は荘厳そうごんと表現できる静けさに包まれ、柔らかいやみは涼やかな夜気と共に、 一日の終わりの幕を引いている。
 ロウソクを吹き消された大聖堂には、彼女のほかだれもいない。
 ローラは説教だんの手前に椅子いすを一つ置き、そこに腰を掛けていた。身に着けているのは純自を基調とした修道服だが、他にも、黒、赤、緑、紫、金糸、銀糸など、公式衣装として認められたすべての色彩を用いて様々なコントラストを描いている。さらにその上に高位聖職者用の飾り布をゴテゴテと取り付けていた。いわゆる余所よそ行きの正装である。
 大体どこの文化圏でも同じ事が言えるのだが、十字教の社会にとっても、衣服は身分や立場を表明するアイテムだ。そう説明するとお堅く聞こえるかもしれないが、ようはコックの帽子の高さや、学校の制服などと同じ理屈で考えれば良い。
 ごく一般のシスターとは異なり、ローラのように様々な公の場に出席する人間は、季節・時間・場所・儀式ぎしき・立場・意志などに合わせて、無数の修道服を用意しなければならない。中には相手を立てるためにえて位の低い衣装で客を迎えたり、怒りを表すためにわざと相手より位の高い装束で会議に出向いたりする場合もあり、この辺りの作法は色々と複雑で面倒臭い。
(主の前において人々は皆平等な兄弟である……か。良く言いけるものよね)
 立場や位、という言葉に、最大主教アークビシヨツプは思わず鼻で笑ってしまう。
 が、その程度の作法などは、ローラにとっては些事さじに過ぎない。彼女の華麗かれいな容姿は、たかが布切れ程度でかすんでしまうようなものではない。
 彼女の最大の特徴は、身長の二・五倍を誇る長い金髪だ。普段ふだんは銀の髪留めで結わいているが、今はそうしていない。だらりと下がった膨大ぽうだいな髪は、肩の上から前へ通すように流されている。まとめきれない部分は、床へそのまま広がっていた。
 椅子に座ったローラの膝上ひざうえには、金や銀のくしが並べてある。
 歯の長さや太さ、間隔などがそれぞれ異なるくしから、彼女は一本を選ぶ。まるで自分の長い髪をハープの弦にでも見立てるように、一房一房丁寧ていねいに櫛を通していく。身長以上の長さを誇る彼女の髪は、当然ながら手を伸ばしただけでは毛先まで届かない。従って、ゆるりとした動きでローラの髪は手繰たぐり寄せられ、櫛でいてはまた床へと戻される。それは黄金の髪で衷現された、寄せては引いていく波打ちきわの光景だ。
 すべての髪に櫛を通し終えれば、別の櫛を、それが終わればまた別の櫛を、と延々と行為は繰り返される。重ねて櫛を通す順番にすら重要な意味があるかのように。
 その長い髪に当たるのは、ステンドグラス越しの月明かりと、
 説教壇に置かれた液晶モニタの光だけだ。
 モニタと通信設備はロンドンにある、学園都市協力派の機関とやらを呼んで臨時で取り付けさせた。本来ならステイルの仕事なのだが、彼は今、英国にいない。神裂火織かんざきかおりなども携帯電話ぐらいは扱えるが、この手の最新鋭機器の接続となると、正座でマニュアルとにらめっこしたまま動きを止め、最後には捨てられた子犬の目でこちらを見返してくる羽目になるのだ。
『それは何をしているつもりなのだ?』
 モニタから耳障みみざわりな声が聞こえてくる。男か女か、子供か大人か、聖人か囚人かも分からない声。ローラはそちらを見ない。どうせ、映っているのは逆さに浮かんだあの『人間』だ。
 学園都市統括理事長『人間』アレイスター。
 ローラは、膨大ぽうだいな髪を肩から横に垂らしたまま、静かに告げる。
「分からぬの? 髪を整えたる所よ。婦人の身の手入れは、本来殿方には見せぬものなのだけどね」彼女はくすくすと笑い、コニ世紀英国の貴婦人たちの間では、や月の明かりを浴びせ髪を焼きたる事で、その色を整え最良の金髪『陽光の髪』を作りし事が最大の美徳とされていたのよ。無粋ぶすいなる染料などを用いたるより、よほど風情ふぜいがありけるでしよう?」
 ローラは得意げに答えたが、対してモニタからの返事がない。
 ? と彼女は液晶画面を見ず、しかし首をかしげ、
「何ぞ。人が問いに答えたるというにその沈黙ちんもくは」
 いぶかしげに言葉を放つが、それでもモニタは言葉を返さない。
 いよいよ不審に思えてきた所で、ようやく機械の塊が口を開いた。
『いや……これは前々から言おうと思っていたのだが』
「うむ?」
『君の日本語ははっきり言って変だ。それとも我々を小馬鹿こばかにしているのか。どちらなんだ』 ビシリ、とローラの動きが凍りついた。
 荘厳そうらんな髪の中を流れていた櫛が、ブルブルとふるえて、
「な、ななな何を言うておるのやら分からぬわね! 主の威光を信じぬ者になど礼を尽くしたる義理もなし、貴様達にかける言葉遣いなど粗雑で十分につきなのよ!!」
『そうか……。いや、その独自性あふれる口調に君なりの意図があったのならばそれで良い。ただ真剣に悩んでいるようならば日本語の講師をつけてやっても良いと思っただけだ。私は学問の街を治める身なのでな』
「ううっ! 悩んでなどおらずなのよ! 何故なにゆえにこの私が極東の一国家でしか使えぬ不便なりし言語のために頭を働かさねばなら戯というの!?」
 ザシザシ!! と高速で髪にくしを通しながらローラは大声を鵬す。モニタからは返事がなく、無人の大聖堂にはしばらく髪を整える音だけがひびいていた。
 ややあって、話題を変えるように、
『しかし、客人の前で髪をかすのはどうなんだ。それは本来、話し合いの場に立つ前に済ませておくべき事だろう』
 髪の話題が好きなのか、単に話題がれてホッとしているのか、ローラの口調や態度が少しずつ落ち着きを取り戻していく。
「時間も時間につき、ね。本来なれば夜も更けたるの時間は、婦人は寝室にて身を整えたる刻限ですもの。髪を磨きし程度は目をつぶりていただきたいわ」
『ふむ、その成果が先程君が言っていた「陽光の髪」か。月光の方は迷信だろうが、太陽の方は紫外線による脱色効果だな。大方、書物のいたみ具合などからヒントを得たのだろうが、一つだけ忠告させてもらおう。……ハゲるぞ』
「……、本当に。外交問題に発展したるほどに無粋ぷすいなる台詞せりふよね、それ」
 ローラは視線を転じる。絨毯じゆうたんのように床に垂らされた髪は、液晶モニタの光をキラキラと反射させていた。丁寧ていねいに櫛を通して金と銀の輝きを得た髪に、赤や青などの極彩色ごくさいしきが入り混じっている。
 無粋な、と彼女はもう一度、口の中でつぶやいた。
「して、かような時間に、私がそちらへ連絡を入れた意図はすでに伝わりたると思うているが、今一度の確認を行いましょう。時をら沁申し出を受けていただけたる事は感謝して諮くわ」
『時差なら気にするな。こちらはもう仕事が始まる時間だ』
「その仕事の時間を妨げたるのもまた無粋だと言いたいのよ」ロ!ラは自分の髪に反射する光を見ながら、「そちらは開会式セレモニーでしょう。トップともなりければ壇上だんじようでの挨拶あいさつの一つも必要ではないかと思うのだけど」
『……私がこの姿で人前に出るとでも思うのか』
「くっくっ。確かに。儀礼ぎれいという意味を知ら楓身なりよね」
 ローラは初めて説教壇に置かれたモニタへ目を向ける。
 透明な、円筒形の水槽すいそうには真っ赤な液体が満ちていて、そこに逆さまの人間が浮かんでいる。
着ている衣服は緑色の手術衣。どう考えても、公共の席に現れるべき身なりの者ではない。
 それに何より、彼は今後一千年以上もこの姿を保ち続ける(らしい。ローラには詳しい仕組みは理解できない)のだ。常に公の場に出席し続ければ、流石さすがに皆がおかしいと思い始める事だろう。まあ、その気になれば名や顔を変える手段などいくらでもありそうだが。
 かくいうローラ=スチュアートも見た目通りの実年齢ではない。が、彼女は他人のふりを見てがふりを直すのではなく、棚に上げて大爆笑するタイプのようだ。
「ならば遠慮えんりよなく話を進めましょう。まあ、こちらも時間がないゆえに、手短に要点をまとめねばならぬ事情がありけるのだけれどね」
 ふむ、とモニタが一息をついて、
「……学園都市内部への侵入者の話か』
 うむ、とローラはうなずいた。
「そちらが現在、一般の来場者を招きたるのは分かりているわ。そしてそのせいで、警備を甘くせざるを得ないのも」
 これはローラにも経験がある。パレードやクリスマスの大規模集会などの際、要入警護を目的として本当に完壁かんぺきなガード体制をくと、一般来場者の移動がとどこおってしまい、運営のスケジユールそのものに悪影響あくえいきようを及ぼす。流れを寸断させないためには、ある程度の『遊び』が必要となるのだ。
「その隙間すさまいて、学園都市そちら魔術師まじゆつしが手を出した。イギリス清教こ ち らの情報筋によりければ、今の所、確認せしは二名との事。ローマ正教の重役と、彼女に雇われたる運び屋ね」
「運び屋、か。確認するが、これは戦闘せんとう破壊はかいを目的とした工作員ではないという事か』
「ええ。運び屋はオリアナ=トムソン。雇い主はリドヴィア=ロレンツエッティ。彼女たちの目的たるは、とある物品の取り引きと言いたる所よ」
 ローラは説教だんの上、モニタの横に置いてあった紙の資料をつかみ、適当にカメラレンズの前で振った。文字は割と細かいが、どうせ相手は得体えたいの知れない技術を扱う学園都市。読み取れない、などとお粗末な台詞せりふは吐かないだろう。
「まずはオリアナ=トムソン。聞きし名の通り英国生まれで、今はイタリア国籍こくせきのはず。
追跡封じルートデイスタープ』の異名で知られし魔術業界屈指の運び屋ね。コソコソと逃げ回るだけにあらず、たとえ見つかりても必ず追っ手を振り切るといふ者よ」
 より正確に言うと、追跡を振り切るためなら何でもやる女、というのがオリアナだ。その上、行動の傾向が全く読めず、事前の情報から対策を練っても簡単にねらいを外されてしまう。オリアナ=トムソンとは、橋を落とし、炎の海を作り、無数のトラップ。を置き土産みやげとして設置する事で後続の追跡者の足を次々と砕いて逃げる、多種多様な手札を持つ魔術師の事。それでいて、時には人の情まで利用する美女でもある。
 オリアナの元の国籍がイギリスである所から想像がつくように、彼女がロンドンで動いていた時はイギリス清教とも幾度となく激突している。そういった際に『必要悪の教会ネセサリウス』はオリアナを追跡している途中で、魔術とは一切関係ない『自称・彼女の無二の親友』に立ちムさがれた事が何度もある。ただの戦闘狂せんヒリビようではなく、民間人という『人間の壁』をも利用し、人混みの中へ溶けてしまえる人間なのだ。
「そしてリドヴイア=ロレンツェッティ。ローマ正教の中でも変わり種で、別名は『告解の火曜マルデイグラ』。彼女はとかく社会に受け入れられぬ者たちを専門に布教活動を続ける、改俊かいしゆん乙女おヒめと言いたる所よ」
 こちらはオリアナと違い、教皇領バチカン出身という、生粋きつすいのローマ正教徒だ。それなりに高い位置にいるのだが『自分の椅子いす』を求めず、世界各地を転々と渡って教えを広めていく事に生きがいを感じていると言われている。こちらも「布教のためなら何でもやる女』であり、優れた功績に対する褒賞ほうしようという形で、教皇の手から直接たまわった絹の装束や白金プラチナつえさえ、一秒も迷わずに質に入れて旅の資金に当ててしまうほどである。
 こうしてリドヴィアに「救われ』、また「さらなる救いを広めるために」集められた人材は、今まで日の目を見られなかった不出の天オ達だ。それも凶悪犯罪者や邪教崇拝者など、人間的社会的に問題のある人物ばかりである、本来ならスカウトどころか処刑されてもおかしくないような人材を集めてくるのがリドヴィアの特徴でもある。
 彼女はスカウトとしての嗅覚さゆうかく半端はんぱではなく、なおかつトラブルメーカーだらけの人材達を統制・管理するだけの能力にもけているという訳だ。
 罪人は殺せ異教徒は燃やせのローマ正教だが、真に心を入れ替えたと正式に認められた者に対しては迂闊うかつ攻撃こうげきできない。社会不適合者を嫌う一部の上役などにとって、リドヴイアの行いは目の上のタンコブだろう。そして、イギリス清教最大主教アークビシヨツプのローラにとっても苦手な相手だ。
 あからさまに魔術師まじゆつしを育成しているのなら堂々と妨害できるが、不幸な人々に聖書と祈りを授けているとなると、妨害に回るこちらの方が悪人になってしまうのである。
『そちらの世界にとっては、二人はそうそうたるメンツ、といった所なのか。私には良く分からんが。それで、その連中と取り引きを行転うとしている相手は?』
「明言できず、よ。今の所、一番怪しきはロシア成教のニコライ=トルストイと言われたるの。
司教クラスの幹部と言いたる所ね」
 ニコライはローマ正教の「異教徒廃絶』といったような攻撃性はないが、二組織間に争いがあれば積極的に漁夫の利をねらっていく事で知られている狡知こうちの人物だ。
『では、くだんの運び屋達が運搬している物品の方は……我々に説明するには差し支えがあるか?』「名前と形ぐらいは説明せねば、そちらも追い駆けようがないでしょう」
 ローラは説教だんのモニタから視線を外すと、よっこいしょ、と声を出した。床に置いてあった『物』を、椅子に座ったまま持ち上げる。
『剣、か?』
「レプリカよ。大英博物館より拝借せしめてきたの。これは見た目のみで、魔術的な効果は何もあらずなのだけど」
 ローラが手にしているのは、大理石で作られた剣だ。長さは縦が一・五メートルほど、横……というか、剣のつばは左右それぞれ三五センチずつ、合わせて七〇センチほどだ。太さは直径一〇センチほどもあり、当然ながら、刃などついていない。剣の先端だけが、まるで鉛筆を削ったように粗くとがらせてある。
「「刺突杭剣スタブソード』と呼ばれたるわ。詳しき効果は説明できねども、『竜をも貫き地面にい止めたる剣一とまで言われたるの。魔術的まじゆつてき価値・効果は共に絶大。渡る所へ渡れば、我々は一気に窮地きゆうちに立たされんとするわ。英国全土が戦渦せんかに巻き込まれるやもしれんのよ」
 くだんの『刺突杭剣スタブソード』は、教会の宗派を語る上で重要な、ある『柱』を一撃いちげき破壊はかいできる霊装れいモうだ。
特定の宗派だけをねらってその『柱』が破壊されれば、弱休化した宗派を狙って周りの敵対勢力が一気に攻めてくる恐れもある。
『柱』とは、十字教における『聖人』の事だ。
 十字教社会においては核兵器にも等しい戦闘力せんとうりよくと価値観で知られる彼らの存在を、根本から排除してしまうのが『刺突杭剣スタブソード』なのである。
『ふむ。そちらの世界の戦術兵器といった所か』
 アレイスターはカメラ越しに、問題の剣を眺め、
『それが学園都市で使用されると、どのような危険があるかも説明できないのか? 状況によっては一般来場者の誘導ゆうどう避難ひなんも考えられる』
「心配は無用よ。これは魔術世界に限り運用できる武器。そちらの世界で用いた所で何の効果もないわ」
「そうか。もう少し詳しいメカニズムの説明があれば、こちらも対策を練られそうだがな』「ほう。科学の世界の住入に、魔術の対策など練られたるのか。まさか、内に魔術師でも匿いたる訳でもあるまいに?」
「……、』
「……、」
 両者ともに、わずかに沈黙ちんもくする。呼吸の動作一つで切れてしまいそうなほどの、細く鋭い緊張きんちようの糸が周囲一面に張り巡らされる。が、やはりどちらの顔にもあせりはない。むしろ楽しんでいる風情ふぜいすら感じさせる。
 ローラは、ピンと張った緊張の糸を指ではじくような明るい声で、
「余計なる牽制けんせいはなしにしましよう。今は時間が惜しい」
 言って、首を横に振った。絨毯じゆうたんのように広がる髪が、わずかに揺らぐ。
「最大の問題たるは、この『刺突杭剣スタブソード』の取り引きがそちらの学園都市内部で行われんとしている事ね」
『敵もそれは承知の上だろう。我々は、イギリス清教の魔術師達グループだけを例外的に敷地しさち内へ招く事などできん』
 イギリス清教だけの特例を認めれば、ほかの教会や組織も『じゃあこちらにも許可を』という話になる。彼らすぺてが協力派とは限らない。中には、これを機に学園都市内部へ侵入し、様々な破壊はかい工作を行おうとする勢力も出てくる事だろう。
 ただでさえ厄介な状況下で、さらに新たな火種を招けばどういった事態に発展するか、だれでも想像がつく。まして、今は大覇星祭だいはせいさい期間中だ。一般来場者やマスコミも多数いる中での混乱は、可能な限りけていきたい。惨事など論外だ。
 これと似た状態は、八月初めに『三沢塾』が錬金術師れんじんじゆつしに乗っ取られた際にも起きている。アウレオルスロイザードの暴走を止めるため、イギリス清教やローマ正教などを招いたが、今回は事情が違う。今は大覇星祭の期間中で、学園都市の『外』からやってきた民間人も多い。アレイスターが『自分の街の問題を誰に解決してもらうかはこちらで決める』と言い張った所で、『しかしあそこにいる観客たちは我々の国の人間だ。だから私の仲間は私が守る』と主張されてしまうと、さらに大きな混乱を生む羽目になってしまう。
 当然、組織間にも力の差はある。
科学サイドの長である学園都市と、魔術まじゆつサイドの小勢力では根本的に器の大きさが違う。ならば発言力にも格差が生まれそうなものだが、そこをごり押しする訳にもいかない。
 魔術サイドの小勢力の意見を突っぱねると、今度はそれを口実に、もっと大きな魔術サイドの組織が口を出してくる。彼らの言葉をねじ伏せても、さらに上の組織が口を出す。そうこうしている内に雪ダルマのように問題が大きくふくれ上がってしまうのだ。やがては科学と魔術の全体がいがみ合う形にまで。
 元々世界中から注目されている大覇星祭だ。
 問題の発生から発展までは、細そらく一日とかからない。
「かと言って、学園都市に所属せしめる者が、学園都市の内部で魔術師を倒したれば問題となろうなのよ」
 科学と魔術は、互いの領分を分ける事で、それぞれ利権を確保している。学園都市の治安維持機関が迂闊うかつに魔術師を捕らえてしまうと、その領分をみ越える危険性が出てくる。
『ヤツらも足りない頭をひねって良く考えたものだ。こちらとそちら、双方ともに異常を感知していながら、迂闊に侵入者どもには手を出せないという面倒な事情によって、両者の手札は封じられてしまっている。ヤツらは安心して取り引きに専念できるという訳だな』
「しかし、封じられし程度で引き下がりては始まら濾のよ」
 ローラは立ち上がる。
 彼女の長すぎる髪は、その程度では床から離れない。
 ひざの上に置いてあった金や銀のくしが落ちていくが、ローラは見向きもしない。
「今、そちらは一般米場客を招きたる最中と聞く。ならばその中に、あくまで休暇中の者が紛れ込みても歓迎されたるわよね?」
 真剣な声に、モニタがニヤリと笑う。
『ふむ。休暇中の旅行と装っても、流石さすがにイギリス清教所属メンバーのみで構成される団体様がやってくるのはまずいな。一組織内で計画実行された集団行動と見られれば、やはり「学園都市へ組織的に侵入を果たした教会勢力がいる」と受け取られかねん。が、個人と限定されるならば……それも学園都市で暮らす者と旧知の間柄であれば、ごまかしもくかもしれない』 アレイスターは楽しげにうそぶいた後、
「……となると、旅のガイドとしてあの少年を起用するしかない訳だが』
 ポツリと、付け加えた。

     2

 午前一〇時三〇分。
 ようやく開会式が終わった。
あづァああ……」
 平凡なる高校生・上条当麻かみじようとうまが立っているのは、サッカースタジアムだ。特に部活動に力を入れている体育学校付属の施設らしい。合成樹脂の人工芝も溶けてしまいそうなほどの厳しい残暑の中、様々な体操服を着た男女は行進で出ロをくぐると、後は三々五々に散っていく。
 大覇星祭だいはせいさい参加者は一八〇万人を軽く超す。スタジアムはプロ仕様だが、それでも全員を収容するのは不可能だ。そんなこんなで、開会式は三〇〇ヵ所以上で同時に行われた訳だが、それにしても、
「……この街は、校長先生の数が多すぎると思う」
 上条はぐったりしながらつぶやいた。炎天下極まる残暑の中、ただでさえ長い『校長先生の溢話』を何度も何度も聞かされればだれでも嫌気が差す。上条は諸事情あって記憶きおく喪失なのだが、うっかり式の途中で人生二度目の体験をする所だった。
 もっとも、統括理事会側も一応は厳選しているつもりなのだろう。すべての校長先生がご登場したあかつきには、それだけで大会初日をつぶしてしまうに決まっている。
 周囲を見回せば大覇星祭に参加する小中高大学などの学生たちあふれているが、大体みんな上条と似たような顔をしていた。彼らの格好の基本は半袖にんそでのシャツに短パンで、学校に応じてスパッツや、陸上競技用のランニングなど、違いが現れている。特殊な学校になると合気道などの道着、迷彩柄のカーゴパンツ、特殊素材の装甲服ボデイアーマー(非駆動式)なんてものもある。早い話が何でもアリとの事だった。
 共通点といえば、生徒達は皆、赤か自のハチマキを額に巻いている。
 大覇星祭は、基本的に学校対抗で行われ、勝敗に応じて点数が加算されていく。ここでさらに、各学校は赤組と白組に分かれていて、各組の合計勝ち数に合わせ、それぞれの学校へ点数が追加される。赤組対白組、学校対学校。それらを合わせたトータルの総合得点により、最終的な学校ごとの順位が決定されるのだ。
 上条かみじよう美琴みことが開会式前に勝ち負けを論じていたのはこのシステムによるもので、学園都市全体の内、自分の学校の順位が相手の学校を上回っていれば『勝ち』となる。彼女の弁では『みっ、見てなさいよ……ッ! 罰ゲームとして負けたら何でもするって言った事を死楓ほど後悔させてあげるから!!』との事らしい。
「……、今さらながら、何されるんだろう? ま、待てよ。まさか日が落ちるまで超電磁砲レールガンのキャッチボール(主におれが受け)とかじゃねーだろうな!? もう『受け』とか発音するのも嫌だし!!」
 思わず一人で叫ぶと、スタジアム出口近辺にいた生徒たちが不審そうな日を向けてきた。ハッと我に返った上条は、スタジアム前のバスロータリーからコソコソと離れていく。
(でもまあ、何だ)
 今まで戦標せんりつの未来予想図にガクガクとふるえていた上条だったが、ようは負けなければ良いのである。いくら名門といえど、相手は中学生でしかも女子校。挙げ句に勝負内容は、能力の使用が認められているとは言っても、基本は体育の延長線上である(はずだ)。正直上条としては、大切に育てられてきたお嬢様じようさま達では、無駄むだに男盛りな汗臭い高校生集団には勝てまいと思う。大体、たとえ上条が常盤台とおわだい中学との直接対決で負けても、まだ道はあるのだ。上条の学校がほかの学校に勝って、常盤台が別の学校に負ければ、その差を取り戻す事もできるのだから。
「とうまー」
 と、不意に横合いから女の子の声がかかった。
 そちらを見ると、体操服ばかりの雑踏ざつとうの中に、一人だけ金糸の刺繍ししゆうを施した真っ白な修道服を着た少。女が立っていた。彼女の名前はインデックス。長い銀髪に緑のひとみ、スレンダーな体型の英国少女なのだが、同時に一〇万三〇〇〇冊もの魔道書まどうしよを、その頭の中の記憶きおくに収めている完全記憶能力者でもある。正直、下手な能力者よりもトンデモな少女だ。
 インデックスは胸の辺りに小さな三毛猫みけねこを両手で抱え、ぐったりしながら、
「とうま……私はおなかがすいたかも」
「もう減ってんのかよ!? ってかまだ午前中だし二時間ぐらい前に朝ご飯食べたばかりじゃねーか!!」
「うう。でも、そこかしこから何とも言えないにおいが漂ってきてそれどころじゃないんだよ」
 インデックスの声に合わせ、三毛猫が鼻をひくひく動かしながらうれしそうな嶋き声をあげる。
 む? と上条も改めて周囲の匂いを確かめる。醤油しようゆやソース、マヨネーズなどが焼ける独特の匂いがうっすらと漂っていた。風上に目を向けると、文化祭みたいな手製の屋台が通りの左右に並んでいる区画があるのが見える。
 大規模な運動会と言っても、全生徒がすべての時間を競技に拘束される訳ではない。決まった時間に決まった競技場へ到着する事さえ守れば、後は基本的に自由だ。ほかの学校の応援に行こうが家族とお土産みやげを見て回ろうがコンビニでマンガ雑誌を立ち読みしていようが問題はない。
土御門舞夏つちみかどまいかが通うような家政や調理の学校などは、ここぞとばかりに屋台を出して臨時収入を得ようと動く。
 一学校の生徒全員が参加する競技は意外と少ない。学年や競技種目によって、常にだれかの手は空いているのが現状だ。本来なら自分の学校の応援に回るべきなのだろうが、屋台で稼いでおくと打ち上げなどが豪華になるらしい。一八〇万人強もの学生の父兄をさばくだけでも利益は余りある。
「あ、あぅぅ……。日本の料理文化は食という名の誘惑ゆうわくの塊かも」
 三毛猫みけねこを抱えたままの修道女は、思わずといった調子で口に出した。
 とりあえず目の前に食べ物があれば何でも手を出してしまうインデックスである。遠くから漂ってくる匂いだけであっても、長時間さらされればよだれが出てくるというものだ。むしろ屋台へ強襲きようしゆうしなかった事をめるべきか、と上条かみじようは真剣に評価してみる。
「あー、そうだな。お前は一日ずっと暇だろうし、こっちも後で適当に時間作ったら一緒いつしよにそこら辺を回ってみるか」
 うん、とうなずいたインデックスは、しかしピタリと動きを止めて、
「……、後で?」
「ああ。もう最初の競技始まるから行かなきゃ駄目だめなんだ。ほら、これパンフレット。ペンで印ついてるトコが、今日おれが参加する種目の競技場の応援席だから。行くぞ、インデックス」
「わ、わああ! き、今日のとうまは何だかものすごくドライかも!」
 インデックスが何か叫んでいたが、時間はすでに遅れ気味である。できれば一店、二店ぐらいは回ってあげたいが、空腹状態のインデックスを野に放てばそれで終わるはずがない。通りに面した屋台を全部回りきらなければ満足しないに決まっている。
 上条は通りかかった売り子の舞夏からメイド弁当(定価一二〇〇円。高い……)を値切って半額で買い、それをインデックスに、ぐいーっと押し付けながら競技場へ向かう。ちなみにメイド弁当なのに商品は純和風の商品がずらりと並んでいた。何だこりゃ、しかもやけに高いし、と愚痴ぐちる上条に対し、舞夏の言い分としては、
『日本は弁当大国だからなー。そもそも諸外国にはお弁当って文化はあんまりないんだぞー。
英語なんかlunchランチの一言で昼食とひとくくりにされちゃってるし。西洋文化で携帯食料っていうとビスケットとかになっちゃうから、えて和風で攻めてみたのー。あと、高い高いと言うけれど、劇場観覧客用に作られた初期の幕の内弁当なんて、うどん一食の一〇倍近い値で取り引きされてた高級品なんだぞー。大覇星祭だいはせいさい観戦用のお弁当を、一流の食材と手腕で作り上げるのは、むしろ正当な伝統にのつとっていると思うけどなー』
 との事だった。
 超適当かと思いきや、彼女たちなりの理屈があったらしい。
 そんなメイド弁当片手に向かっている競技場の場所は、上条かみじようの高校の校庭だ。本当ならインデックスをきちんと応援席まで送りたかったが、選手と応援の出入り口は別々である。上条は少女と別れて選手用の入り口へ向かう。校庭は現在準備中で、砂埃すなぽこりが舞うのを防止するためか、教員達がホースで散水していた。
 青空には自律制御のアドバルーンが飛んでいて、縦長に垂れ下がった特殊薄型うすがたスクリーンには『第七学区・高等学校部門・第一種目・棒倒し。競技開始まであと一〇分二三秒です』という文字が流れている。
(学校順位で常盤台とまわだい中学に負けたら、御坂みさかのヤツに罰ゲームで何を。要求されるか分かったもんじゃないし、ここはスタートダッシュを決めて点差をつけますか!)
 七日も続く大覇星祭だいにせいさいでは、大会全体のペース配分が最終的な順位に大きぐ関係する。この辺りは戦略次第で、最初に点差をつけて逃げ切るか、後半まで体力を温存してスタミナの切れた他学校を一気に追い抜いていくかなど、様々な選択肢が存在する。
 上条は記憶きおく喪失で、感覚的に大覇星祭は初めて経験するイベントだ。
 が、よほどのスポーツ推奨校の生徒でもない限り、冷静に戦局を見極め体力を温存し続けるのは不可能だと予測はつく。特殊な能力を持っているとはいえ、基本は学生同士の勝負だ。競技の結果が感情に引きずられる事だって十分考えられる。例えば理論上はまだ勝てる状況であっても、極端に点差をつけられ、完全に心の折れた状態から逆転をねらうのは無理ではないだろうか。
 という訳で、上条はスタートダッシュ派なのだった。
(そういや、準備中とか馬鹿騒ばかさわぎの連続だったからなー、ウチのクラス。っていうか、学校全体がそんな感じだったか。ま、あいつらが気合入っているのに間違いはないだろ。負けず嫌いの連中も多そうだし、むしろ勝つために何をやらかすかが心配なぐらいだぞ)
 上条はクラスの無駄むだな団結力に対して期待感で胸をいっぱいにしつつ、校庭の端にある選手控えエリアへ意気揚々と乗り込み、クラスメイト達の輪の中へ入る。
 そして、こういったお祭り騒ぎがいかにも好きそうな青髪ピアスがこちらへ振り返り、

「うっだー……。やる気なあーいーぃ……」

 上条は何もない地面で盛大に転がった。
 地面に突っ伏しながらよくよく辺りを見回してみると、ほかのクラスメイト達も大体そんな感じだ。つまり全員が日射病の一歩手前みたいな顔をしている。
「ちょ、ちょっと待ってください皆さん。何故なぜに一番最初の競技が始まる前からすでに最終日に訪れるであろうぐったリテンションに移行してますか?」
 上条かみじようがぶるぶるとふるえながら問いただすと、青髪ピアスがガバッと振り返り、
「あん? っつかこっちは前日の夜に大騒おおさわぎし過ぎて一睡もできんかったっつーの! しかも開会式前にも、どんな戦術で攻め込みゃほかの学校に勝てるかいうてクラス全員でモメまくって、残り少ない体力をゼロまですり減らしちまったわい!!」
「全員それが原因なの!? 結論言っちゃうけどみんなまとめて本末転倒じゃねーか! しかし姫神ひめがみはおめでとう!ちゃんとクラスに溶け込めているようで上条さんはほっと一安心です!!」
 姫神というのは、上条からちょっと離れた所に立っている姫神秋沙あいさの事である。色白で、腰まである長い黒髪の少女で、吸血殺しデイープブラツドという特殊な能力の持ち主。現在はその力を封印するため、半袖はんそでの体操服の胸の中へ隠すように、首から十字架をげている。彼女は今月の初めに上条のクラスに転入してきたばかりである。
 姫神は逆に今時珍しい純和風の黒髪を軽く揺らし、
「学生の競技なんて。所詮しよせんそんなもの。専属のトレーナーとか。コーチがいる訳でもないし」
「うっ、所詮とか言われた!」
 これは思いっきり負けそうだーっ! と上条は頭を抱える。そんな彼をねぎらうように、
「にゃー。でもカミやん、テンションダウンは致し方ない事ですたい。何せ開会式で待っていたのは一五連続校長先生のお話コンボ。さらに怒濤どとうのお喜び電報五〇連発。むしろカミやんは良く耐えたとめてやるぜーい……」
 言ったのは土御門元春つちみかどもとはる―――生徒に見せかけた、魔術まじゆつにも科学にも精通する多角経営のスパイ―――だ。短い金髪をツンツンにとがらせ、うすい色のサングラスをかけて、首元には金のアクセサリーがジャラジャラついている。半袖短パンの休操服と装飾品のバランスが果てしなく似合っていない。
「た、体力馬鹿ぱかの青髪ピアスや土御門ですらこの有様……。い、いや待て、対戦相手も同じようにグッタリしてればまだ勝機は……ッ!!」
 上条は最後の望みにすがるが、
駄目だめだにゃーカミやん。なんか相手は私立のエリートスポーツ校らしいっすよ?」
 ぎゃああ! と上条は完全に地両に突っ伏す。脳裏には御坂美琴みさかみことに敗北した後に待っているであろう地獄絵図の罰ゲームが明確に浮かんでくる。自然と全身に恐怖の鳥肌が立ってきた所へ、クラスの女子生徒の一人が遅れてやってきた。
「……な、何なの。この無気力感は!」
 ん? と上条は突っ伏したまま顔を上げる。
 他のクラスメイトと同じく半袖短パンを着た少女だ。が、彼女はさらにその上に薄手のパーカーを羽織っている。パーカーの腕の所には『大覇星祭だいはせいさい運営委員・高等部』と書かれていた。
おそらく背中にも同じ文字が書いてあるだろう。クラスの中では背は高い方で、スタイルも良い。なんというか、体操服のTシャツの上から、ぐぐっと胸が盛り上がっているのが一目で分かる。黒い髪は耳に引っ掛けるように分けられていて、おでこが大きく見えるようになっていた。
 吹寄制理ふきよせせいり
 またの名を、美人なのにちっとも色っぽくない鉄壁の女とも言う。
 彼女は呆然ぼうぜんとあちこちを見圃した後、やがて一人で倒れている上条かみじように目を合わせ、
「ハッ! まさか、上条。また貴様が無闇むやみにだらけるから、それが皆に伝染して。貴様……これはどう収拾をつける気なのよ!」
「え、いや、別にこれおれのせいじゃないし! むしろ俺だって今やって来たトコなんだって!」
「つまり貴様が遅刻したから皆のやる気がなくなったのね?」
「何があっても俺のせいにしたいのか!? っつか吹寄だって俺より遅れて来たじゃん!」
「あたしは運営委員の仕事よ馬鹿ばか!」
 割と問答無用で馬鹿扱いか俺! と上条は泣き出しそうになり、
「もう放っておいてくれ! 駄目だめなんです、不幸な不幸な現実に直面した上条さんは今ちょっと立ち上がれない状態なのです!!」
「だらしがない。それは心因性ではなく朝食を抜いた事による軽い貧血状態よ。ほら水分とミネラルがあれば問題ないわスポーツドリンクで補給しろそして立ち上がるのよ上条当麻とうま!」
 ガシャガシャ! と吹寄のパーカーのポケットから五〇〇ミリサイズの半分ほどの長さのぺットボトルが数種類も飛び出してくる。
「わーっ! 何だその健康グッズマニアが喜びそうなムチャクチャ理論は!? あとアナタには水分やミネラルではなくカルシウムが足りていないような気がするのは錯覚さつかくですか!!」
「何を言うか。すでに小魚は必要量摂取済みよ!」キッ! と吹寄は上条をにらみつけ、「あたしはね、不幸とか不運とかを理由につけて人生に手を抜くやからが大っ嫌いなの。貴様一人がだらけると周りのやる気もなくなる。だからシャキっとしなさい皆のためにも!」
 キーキーと立て続けにまくし立てる吹寄制理に、上条は思わずたじろぐ。後ろへ下がる少年に対して、運営委員はさらに距離を詰めていく。上条は後ろへ下がろうとするが、背後にあるのは花壇かだんだけだ。
 と、それを見ていたクラスメイトたちは歓喜の表情を浮かべ、
「す、すげぇ。すげぇよ吹寄! 流石さすがは対カミジョー属性完全ガードの女!」
「いつものパターンなら『か、上条君、大丈夫だいじようぶ?』とかフォローにいっちゃう所なのに!」
「そして不幸だとか何とか言いながら一番美味おいしいポジションを占有するはずなのに!!」
「我々人類の希望やね。吹寄制理を研究する事で、カミやんを克服できるかもしれへん!!」
 どんな評価を受けてんだよ俺ーっ!? と上条当麻はぐったりしながら後ずさる。
 と。
 不意に、上条の足がグニッと何かをんだ。それは散水用のゴムホースだった。土の校庭が砂埃すなばこりを起こすのをある程度防ぐため(完全ではない)、競技前に水をくためのものだ。
 遠くを見ると、校庭で作業している男性教諭が『ん?』という感じで、水の出なくなったホースの口を眺めている。
 瞬間しゆんかん
 上条かみじようの足でき止められた水が爆発した。地面に埋め込まれた、散水専用の蛇口につなげられたホースの口が勢い良く外れ、辺り一面に水道水を撒き散らす。
 蛇口から一番近くにいたのは、
「ふ、吹寄ふきよせェぇぇぇ!? おのれカミジョー属性、俺達おれたちの最後のとりでを!!」
「もう駄目だめだ”カミジョー属性の手にかかれば、あの堅物すらもれ透けの餌食えじきか」
「そして実は意外に可愛かわいらしい下着とかがバレて、いつものラブコメになっちまうんだ……」
「我々人類の絶望やね。―――っつか吹寄で駄目なら後はだれが残っとんねんボケェ!!」
 だからどんな評価受けてんだ俺! あと吹寄制理せいりさんホントにごめんね! と上条は怒ったり謝ったりを繰り返す。ちなみにびしょ濡れになった吹寄は、体操服が肌にぴったり吸い付く形となり、肌も下着も透けて見えてしまっていた。何やら彼女のイメージにはそぐわない黄色とオレンジのチェック柄の、非常に可愛らしいデザインの下着だったが、吹寄は特に顔色を変える事もなく、
「……、何か文句が?」
 ありませんですハイ!! と上条が高速で頭を下げると、吹寄は『ふん』とそっぽを向いて、パーカーの前をギュッと閉じながら、ポケットから取り出した紙パックの牛乳をチューチューと飲み始めた。怒りをしずめるためにカルシウムを摂取しているらしい。
 周りにいた男子生徒達は、散水用の蛇口に親指を乗せる事でレーザー砲のような水射撃しやげきを次々と放って、遊び始めてしまった。ただでさえ疲労困慰こんぽいの上、実はびしょ濡れの吹寄を多少意識しているようだが、あふれんばかりのジェントル精神を発揮して『気にしていませんサイン』をアピールしているらしい。見た目は無邪気に、しかし目だけは決して笑っていない男子生徒諸君の壮絶な水遊びが繰り広げられていく。
 チームワークという言葉が存在しないクラスメイト集団を前にした上条は呆然ぽうぜんと、
(だ、誰も彼も棒倒しどころじゃなくなってやがる!? もう本当に駄目かも。このクラスはいろんな意味でバラバラだし)
 ふらふらと選手入場口近くにある体育館の壁に寄りかかると、ふとどこかから男女が言い争う声が聞こえてきた。ちょうど体育館の陰に隠れる形で、誰かが話し合っているらしい。
「……そんな事は……絶対に、―――ですよーっ!」
「……馬鹿馬鹿ばかばかしい―――に決まって……ですか」
 今度は何だよ……? と上条は休育館の壁にピッタリとくっつき、端から首だけ出して様子をうかがう。
 日当たりの悪い体育館裏手にいたのは、上条かみじようのクラスの担任の月詠小萌つくよみこもえだった。身長一三五センチ、ランドセルを背負っていてもだれにもツッコまれないような容姿の先生だが、今は白の短いプリーツスカートに、淡い緑色のタンクトップといったチアリーダーみたいな衣装を着ていた。応援用のものだろうか?
 彼女と向き合っているのは、知らない男性だった。他校の先生だろうか。大覇星祭だいはせいさいの期間中は教員も市販のジャージに着替えたりするものだが、何故なぜかこの暑い中でも、ピッチリとスーツを着込んでいる。
 小萌先生と男の先生は言い争っていた。
 というより、あざける男の先生に、小萌先生が食い下がっているような構図だ。
「だから! ウチの設備や授業内容に不備があるのは認めるのです! でもそれは私たちのせいであって、生徒さん達には何の非もないのですよーっ!」
 小萌先生は両手を振り回しながらそんな事を叫んでいるが、男の先生は気に留めず、
「はん。設備の不足はお宅の生徒の質が低いせいでしょう? 結果を残せば統括理事会から追加資金が下りるはずなのですから。くっくっ。もっとも、落ちこぼればかりを輩出する学校では申請も通らないでしょうが。ああ、聞きましたよ先生。あ。なたの所は一学期の期末能力測定もひどかったそうじゃないですか。まったく、失敗作を抱え込むと色々蕾労しますねぇ」
「せ、生徒さんには成功も失敗もないのですーっ! あるのはそれぞれの個性だけなのですよ! みんなは一生懸命いつしようけんめい頑張っているっていうのに! それを……それを、自分達の都合で切り捨てるなんてーっ!!」
「それが己の力量不足を隠す言い訳ですか。はっはっはっ。なかなか夢のある意見ですが、私は現実でそれを打ちこわしてみせましょうかね? 私の担当育成したエリートクラスで、お宅の落ちこばれ達を完膚かんぷなきまでに撃破げきはして差し上げますよ。うん、ここで行う競技は『棒倒し』でしたか。いや、くれぐれも怪我人けがにんが出ないように、準備運動は入念に行っておく事を、対戦校の代表としてご忠告させていただきますよ?」
「なっ……」
「あなたには、前回の学会で恥をかかされましたからねえ。借りは返させていただきますよ? 全世界に放映される競技場でね。一応手加減はするつもりですが、そちらの愚図ぐずな失敗作どもがあまりに弱すぎた場合はどうなってしまうのかは、こちらにも分かりませんねえ」
 はっはっはー、と笑いながら立ち去っていく男の先生。
 対戦相手の学校だったのか、と上条は大雑把おおざつぼな感想を抱いた。正直、無能力レベル0な上条としては、今さら失敗だとか落ちこぼれだとか言われた所で大したダメージにはならないのだが、
「……、違いますよね」
 その時。ポツリと、小萌先生は言った。
 たった一人で。誰に言うでもなく。うつむいたまま。ぶるぶるとふるえる声で。
「みんなは、落ちこぼれなんかじゃありませんよね……?」
 ただでさえ小さな肩を、より小さくするように。
 今の罵倒ばこうは、すべて自分のせいで皆に降りかかったものだと告げるように。
 彼女はそっと空を見上げ、何かをこらえるように、じっと動きを止めていた。
「――、」
 上条かみじようはちょっとだけだまる。
 そして振り返る。
 そこには彼のクラスメイトたちが無言で立っていた。
 上条当麻とうまは、彼らに確認を取るために言う。
「はいはい皆さーん、話は聞きましたね? ついさっきまで、やる気がないだの。体力が尽きただのと、おのおの々勝手にわめいていましたが……」
 上条は片目を閉じて、

「―――もう一度だけ聞く。テメェら、本当にやる気がねえのか?」

     3

 御坂美琴みさかみことは学生用応援席にいた。
 一般来場客用応援席と違い、こちらには日差しを遮るテントのようなものはない。ただ地面に青いシートがいてあるだけで、椅子いすすらない。花見の宴会席みたいよね、と美琴はため息をつく。ここまで原始的というか野性的だと、逆に何か新鮮だ。
 実は自分が参加する競技プログラムの都合上、上条達の競技を最後までているのは割と危険なのだが、どうも気になって、美琴は気がつけばここにいた。
 周りには同じ常盤台ときわだい中学の指定体操服を着た少女などいない。
(ウチの学校に勝てるはずはないと思うんだけどねー……)
 美琴はこっそりと息を吐く。常盤台中学の生徒は超能力者レベル5二名、大能力者レペル4四七名、それ以下は全員強能力者レペル3という実力主義の超難関エリート校だ。去年の大覇星祭だいはせいさいでは屈辱の二位だったが、その時の優勝校は、やはり常盤台中学と同じ五本揃の一つ、長点上機ながてんじようき学園だ。結局、本当の意味での首位争いは、例年この『五本指』の中で行われる。それが崩される時は、『五本指』が入れ替わる時だ。
 学園都市の人間ならだれでも知っていそうな事だが、どうしてこんな無謀むぽうな勝負をけしかけてきたんだろう?と美琴みことは今でも首をひねる。ひねってから、あの馬鹿ばかなら意図なんて何もなさそうだ、と思考が続く。
(でも……、)
 番狂わせは起きるかもしれない。
 無能力レベル0だの超能力レペル5だのといった客観的評価など、何もかも無視して。
 そう、かつて学園都市最強の超能力者レベル5を、その右拳みぎこぶし一つで打ち破った時のように。
 彼女のために、何度でも歯を食いしばって立ち上がってくれた、あの姿を見せて。
(……、)
 美琴はほんの少しだけ思考を空白にした後、
(ああ、やだやだ!何を唐突に照れてんのよ私!!)
 バタバタバタバタ!! と下敷したじきの団扇うちわで真っ赤になった自分の顔に風を送る。同じ学校の生徒に今の顔を見られてなくて良かった、と彼女はそっと首を横に振ったが、
 ふと見ると。
 彼女のすぐ近くに、銀髪碧眼へきがんのシスター少女がうつ伏せで倒れていた。
「!?」
 ビクッ! と美琴の肩が動く。確か、始業式の日にあの馬鹿と一緒いつしよにいた少女だ。インデックス、とか呼ばれていたが、ニックネームだろうか? とても本名とは思えない。何でここにいるのだろう、と少し疑問を感じたが、直後に氷解した。やっぱり応援のためだろう。
 少女の右手にはおはしがグーで握られていて、その近くには空っぽになったお弁当箱が置いてある。土御門舞夏つちみかどまいかが売り子をしている学生食だった気がする。
 と、うつ伏せになったままの少女は、ゆっくりとした声で、
「……お、おなか、減った……」。
「今ここで弁当食った直後じゃないのアンタ!?」
 美琴は反射的に叫んだが、ぐったりしてるのは空腹。ではなく熱中症とかじゃないでしょうね? と思い直し、シートの上に置いておいたペットボトルのスポーツ飲料を少女に手渡す。
少女は瞬間的しゆんかんてきにガバッと身を起こし、『あ。、ありがとうごきゅ!』と叫んだ時にはもう中身を空にしていた。それからすぐに、またぐったり。とする、
「……の、飲み物でお腹を満たすのは、ちょっと荒技過ぎるかも……」
「アンタ、本当に腹が減ってるだけなのね……」
 美琴はおでこに片手を当てて息を吐く。うつ伏せになった少女のお腹と地面の隙間すきまから三毛猫みけねこがにゅるっと出てきて、『熔う治う姉ちゃん。ウチのもんが手え焼かせたな。ん? ……なんか変。な感じがするぞ?』と周囲をキョロキョロと見回している。
 美琴の能力名は超電磁砲レールガンで、超強力な電気使いだ。彼女はだまっていても微弱な磁場を周囲に漏らしてしまうため、動物などにはあまり好かれない傾向がある。
 彼女は、元気のない白いシスターを眺めつつ、
「ねえアンタ。今日アイツと会った? 何か様子とか変わってなかった?」
「ん? アイツって、とうまの事? とうまは別にいつも通りだったけど……」
 いつも一緒いつしよにいんのかよ、と美琴みことは思わずツッコミかけたが、ふと考え直す。特に意気込みが変わらないというのなら、あんまり勝ちにこだわっていないのだろうか?
(だとすると、やっぱりウチの学校が勝っちゃうけど……あれ。勝っちゃったらどうしよう?)
 美琴は少し考え、それからブンブンブンブン!! と勢い良く首を横に振った。倒れたままの少女はそんな美琴を見て『?』と首をかしげている。
「ねえ短髪」
「……、アンタ。それが飲み物分けてもらった人に対する呼び方なの?」
「ねえ太っ腹な短髪」
「それも何気に女性としてムカつく表現なんじゃないかしら=こ
 美琴はまゆを片方だけピクピクとムるわせて叫ぶ、シスターは気にした様子もなく、
「短髪はここで何してるの?」
「あん? な、何って、別に私は……」
「とうまの応援?」
「なっ、ば、いきなり何言ってんのよ。何で私があんなヤツの応援なんかしなくちゃならない

訳?」
 そうなんだ、と白い少女はそれ以上追及して来なかった。美琴みこと下敷したじ団扇うちわでバタバタバタバタ!! と自分の顔をあおぎまくる。
 と、校内放送を使ったアナウンスで、選手入場の合図が告げられる。
 最初の競技は『棒倒し』―――敵対する二組のグループが、それぞれ長さ七メートルぐらいの棒を立て、自軍の棒を守りつつ敵軍の棒を倒しに行く、といった内容らしい。競技に参加するのは高校の一学年分の生徒だという説明が、スピーカーのひび割れた声で流れる。
 テレビカメラが来ると言っても、やはり基本は学校の運動会だ。テレビ放送用のナレーションは別のスタジオで行われるため、見た目に大きな変化がある訳でもない。もっとも、『テレビに映る』という事実だけで居場所の雰囲気ふんいきや存在感が通常と大きく異なる訳だが。
 実際に一八〇万人強もの学生すべてをクローズアップする事など不可能に決まっているのだが、それでも緊張きんちようするものはする。
 学生たち馬鹿騒ばかさわぎ的な歓声は大きいのに、不思議と体の中央に、シン……とした緊張感を秘めた静けさを錯覚さつかくする。全世界公式行事、という言葉の意味を実感する一瞬いつしゆんだ。
 が、
「お、おなかが、お腹が減って……」
 うつ伏せに倒れたシスターが容赦なく張り詰めた空気をたたき割った。美琴はあまりに可哀想かわいそうなので、クッキー状のスタミナ携帯食(チョコ味)をポケットから取り出して、インデックスに差し出した。 元気のないシスターは倒れたまま顔だけ上げて、小さな口を開ける。美琴が指先でつまんだ携帯食をインデックスの口へ蒜し出すと、割合大人しくムグムグと食べ始めた。
(ま、つってもあの馬鹿は緊張とかしないんでしょうねー……。それどころか、あいつの場合は平気な顔してサボりそうだからむしろ不安だわ)
 と、美琴は校内放送のアナウンスに促されるように、何気なく校庭へ目を向けた。上条かみじよう達の対戦相手はスポーツ重視のエリート校らしく、簡単な柔軟体操にも専門的なにおいを感じさせる。
適度な緊張を運動力に変換できるような顔つきをしていて、公式試合にも慣れているようだ。
彼らは校庭の自陣側に集まり、各クラス一本ずつの棒を立てていく。
 こりゃまともにやったら大変そうねー、と美琴は首を振って、対する上条達の方へ目を向ける。パンフレットを見る限り、彼の学校は進学校でも何でもなく、本当に個性のない『極めて一般的な学校』だ、と思っていたが、

 そこに、本物の猛者もさ達がいた。

 はい……? と美琴は思わず自分の目を疑ってしまう。
 その一団は妙な威圧感を放っているくせに、野次やじや騒ぎの一つも起こしていない。
 むしろ無言のまま、上条当麻かみじようとうまを中心点にして、校庭へ横一列に並ぶ。棒倒しというか、戦国時代辺りの合戦の一歩手前といった感じだ。所々に立てられた棒倒しの棒が、兵団の持つやりか何かに見える。テレビカメラによる緊張感きんちようかんがどうのという次元ではない。もはや自軍と敵軍以外には何も目に入っていないに決まっている。
 ドゴゴガガガガガガ、と彼らの周りから妙な効果音が鳴りひびく。
 三ケタ単位の能力の余波がぶつかり合って空気をふるわせる音だ。
(い……、)
 あまりに異様なテンションを前に、美琴みことは思わず叫びかける。
(……一体何なのよあの覚悟!? アイツ、こんなトコでなんて無駄むだなカリスマ性を発揮してんの! ま、まさかマジで勝ちに行く気な訳!? アンタ私に勝って罰ゲームで何を要求する気なのよーっ!? )
 実際には小萌こもえ先生のエピソードが全軍に伝わった結果なのだが、美琴にそんな事が分かるはずもなく。
 顔色を真っ青にする美琴の前で棒倒し開始のアナウンスが入り、テンションの落差に恐れをなした敵軍の元へと、砂煙を上げて上条達ツワモノたちおそいかかっていった。

     4

 棒倒しに参加する人間は、自然と二つのグループに分けられる。
 一つは自陣の棒を立てて、それを支える役。
 そしてもう一つは、相手の棒を引きずり倒す役。
 上条が選んだのは後者。
 よって、彼は競技開始の合図と共に、真っ先に敵陣目がけて走っていく。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
 駆けつつ、上条は叫ぶ。
 たかが運動会の一競技に……と思うかもしれないが、ここは学園都市、生徒の大半は何らかの力に覚醒かくせいした能力者なのだ。火、水、土、風、雷、氷、その他色々、何を飛ばすか分からない能力者同士が、一〇〇人規模で激突するのだから、気合と緊張の度合いは並大抵のものではない。
 お互いの陣営までの距離は八〇メートル前後。
 横一線に配置された敵陣営から、キラキラとした光が連続でまたたいた。応援席のカメラのフラッシュのようにも見えるが、違う。
 能力者による遠距離攻撃こうげきだ。
 おそらく放たれているのは、火炎か爆発系の能力を使って作られた爆圧。さらに、弾丸状に加工するために圧力系の能力を使って透明な壁でおおっているはずだ。爆圧弾を作製する過程で弾殻が空気の屈折率を変えてしまうため、透明な風船に陽光が当たったように、光を照り返しているのだ。複数の能力者が協力して一種類の攻撃を形作るというのも、この大覇星祭だいはせいさいならではと言える。
 圧力系の外殻が取り外される事で、中の爆圧が解放され、周囲に衝撃波しようげきはき散らされるという仕組みだと上条かみじようは適当に予測する。
 数+発単位で放たれる攻撃に対し、走る上条を背後から追い抜く形で、自軍から放たれた無数の砂のやりが迎撃に入る。こちらは念動能力テレキネシスを主体とした攻撃だ。元々は色も形もない『力』に過ぎないが、空気中に舞う砂埃すなばこりが透明な「力』に反応したのだ。さながら、磁力線の流れに合わせて砂鉄がラインを描くように。
 爆圧の弾と念動の槍が両陣営の中間地点で激突、爆発する。
 突発的に生み出される暴風の塊に対して、応援席から絶叫マシンに乗った時のような、楽しげな悲鳴が連続で巻き起こった。
(そりゃまぁ……見ている側は楽しいかもしんねえけどさ!!)
 上条は爆発音に若干身をすくめながらも、さらに前へ走る。
 相手校はスポーツ関連のエキスパートらしいし、能力開発にもかなり力を入れているのがうかがえる。まあ、超電磁砲レールガン一方通行アクセラレータといった一撃必殺を感じさせるようなものに比べればよほどマシなんだろうが……それにしても、怖いものはやっぱり怖い。
 上条の右手には幻想殺しイマジンブレイカーという能力が備わっている。魔術まじゆつだろうが超能力だろうが、神様の奇跡であっても触れただけで無効化させる驚異きよういの力……なのだが、所詮しよせん、効果範囲は右手一本。全方向から能力の袋叩ふくろだたきにされたら防ぎ切れない。
 と、そんな事を考えつつ敵陣に向かって走る上条のとなりを、何者かが並走する。
 青髪ピアスだった。
「行きますよーカミやん。お高くとまった腐れエリート集団が放つ、あの二枚目オーラ。お笑い専門のわたくしめが見事端微塵ぱみじんに打ち砕いてみせましょう! わはははははーっ!!」
 迎撃組がち漏らした爆圧の弾丸が何発もおそってくるが、青髪ピアスは笑いながらバレリーナみたいにクルクル回転しつつ、全弾を余裕で回避かいひしていく。
 両陣営、激突までおよそ二〇メートル。もう余所見よそみができる状態ではないのだが、上条は並走する青髪ビアスへ、あきれたような声で、
「ってか、何でお前はそんなにうれしそうな訳?」
「ああん!? カミやん、愛ですよ愛! 汗と涙で躍動やくどうするスポーツ少女たちの淡い心が織り成すサディスティックなラブが全国ネットで、いや多国籍たこくせき放送で展開中なんやで! こんな手段を選ばぬほどの膨大ぽうだいな愛受け止められずしてハーレムルートなど切り開けるものかー!!」
 あはあはあはーっ!! と青髪ピアスはテンション上昇と共にさらに動作が高速になっていくが、
「あのさ……。あっちに見えるムキムキの坊主刈ぼうずがり男もラブの範疇はんちゆうに入ってる訳? さっきからお前に向かって、ほおを赤らめつつの熱烈ラブコールを送ってきてるみたいだけど」
「何を冗談ばかり言って―――って、ぎゃあああ。ああああああ!?」
 上条かみじようの冷たい指摘と共にラブコールの正体に気づいた青髪ピアスが凍りついた直後、爆圧の弾丸を受けて彼の体が真後ろへ飛んでいった。ギョッとして振り返ると、味方の念動能力テレキネシスの見えない力を浴びて、青髪ピアスが空中でキャッチされていた。
 一般来場客用応援席から湧き上がる歓声と拍手。
(あっ、当たると結構飛ぶんだな、おい。っつか、あんなアトラクション的なやられ方するなんて真っ平ですよ! しかも応援席は『大覇星祭だいはせいさいはこうでなくっちゃ」って空気だし!!)
 上条は後方に吹っ飛んで行った青髪ピアスから、前方へと視線を戻す。
 そちらに見えるのは敵陣営。
 激突まで、およそ一〇メートル。上条当麻とうまは右のこぶしひそかに握りめる。
 直後、彼は敵陣の真ん中へと突っ込んだ。

     5

 結論を言うと、上条たちは競技に勝った。
 正面からスポーツとして争えばはなっから負けるに決まっている、とんだ彼らは、両軍が激突する寸前で持てる能力スキルすべてを地面に放って土煙を上げ、敵軍の視界を奪って奇襲きしゆうを仕掛ける電撃でんげき戦に出たのだ。教員達は砂埃すなぼこりが舞うのを防ぐために競技開始前に散水していたが、地面の土を丸ごとすくい上げるような連撃までは対処しきれない。発案者の吹寄制理ふきよせせいりはパーカーの前を押さえつつ、『土煙を上げる弾幕係』『土煙に紛れて棒を倒す係』『土煙を上げる号令や、上煙の中にいる味方を撤退てったいさせるタイミングを伝える念話能力テレパシー係』と、生徒達の役割を完全に分担し、さらには全体の指揮まで執ってくれた。
 途中、土煙を上げる号令に使われた念話能力テレパシーが届かず、不幸にも先に突っ込んでいた上条が、味方の弾丸に吹っ飛ばされた挙げ句に敵軍にタコなぐりにされたりしたが、結果は結果である。
 り傷だらけの猛者もさ達は、その手で勝利をもぎ取った事も怪我けがの事も全く気に留めずに選手用出口から校庭の外に出る。と、半分涙一の小萌こもえ先生が救急箱を抱えて待っていた。
「ど、どうしてみんな、あんな無茶むちやしてまで頑張っちゃうのですかーっ! 大覇星祭はみんなが楽しく参加する事に意味があるのであって、勝ち負けなんてどうでも良いのです! せ、先生はですね、こんなボロボロになったみんなを見ても、ちっとも、ちっともうれしくなんか……ッ!!」
 何か訴えていたが、ここは多くは語らないのが美徳だとばかりに生徒たちは三々五々と散っていく。上条かみじようも選手控えエリアから出て、応援席にいるインデックスの姿を捜し始めた。
 インデックスがいるのは、学生用応援席のはずだ。
 本来なら学生以外は禁止だが、上条は一般来場客用の応援席にインデックスを送るのに気が引けたのだ。彼女は一〇万三〇〇〇冊もの魔道書まどうしよを頭の中に収める魔道書図書館だ。そしてその価値は、学園都市の中より外の方で認められている。
「インデックスー? っと、アイツどこ行ったんだ?」
 が、彼女のいるはずの学生用応援席をのぞいてみても、それらしき姿は見つからなかった。応援席と言っても土の校庭の上に青いビニールシートをいただけで、遮蔽物しやへいぶつになるようなものなど何もないが……なんと言っても、この人混みである。あちこちを行き来する生徒達が人の壁になってしまっていて、周囲を見回すだけでも苦労する。
 上条は人の波をくぐるように、応援席の端から端まで歩き、インデックスが見つからないと、また元の道を戻った。それでもやはり、彼女を発見できない。
(うーん……あれだけ目立つ真っ白な修道服着てりゃすぐに分かると思ったんだけどなー)
 と、彼はゴソゴソと体操服の短パンのポケットに手をやり、それから少し離れた所に建っている校舎へ視線を移す。
(インデックスには〇円ケータイ渡してあるし、あれで連絡取って合流するのが一番手っ取り早いんだけど、おれのケータイは教室に置いてきちまったか)
 インデックスが一度も携帯電話を使っている場面を見た事がないのがかなり不安だが、現状ではそれがベストだと上条は判断した。
 大覇星祭だいはせいきい期間中は、校舎内への立ち入りを禁止している学校も多い。能力開発の時間割カリキユラムりに関する設備もあ。るから、外部の目にさらす訳にはいかないのだ。が、上条のように、元々この学校の生徒の場合は問題ない。怪我人けがにんのために保健室には校医さんが控えているし、シャワー室なども開放されている。
 そんなこんなで、上条は昇降口に向かう。
 下駄箱げたばこの所には、黒っぽい装備に身を固めた警備員アンチスキルが二人いた。普段ふだん、黒板の前で歴史や数学を教えている先生が銃を携帯している光景は少しシュールだ。
「あー、人混みの中から迷子を見。つけたいんで教室に携帯電話取りに行っても良いですか?」
「また随分と直球な言い草だな、上条。電波状況などで連絡がつかない場合などに校内放送が必要なら、こちらに連絡しろ。話は以上だ、良い大覇星祭を」
 数学教師はやや面倒臭そうな調子で答えた。とはいえ、要点だけは的確に押さえてあ。る辺りは、流石さすが訓練を受けている身である。
 上条かみじよう警備員アンチスキルの横を通り抜けて、昇降口に入る。下駄箱げたばこ上履うわばきに履き替えて、階段へ向かう。無人の校内は結構静か―――かと思いきや、スピーカーから流れる校内放送のアナウンスがグワングワン反響はんきようして、かなりうるさい。
 彼は階段を上る。廊下を少し歩けば、もうすぐそこが上条のクラスだ。自分の教室の前まで辿たどり着き、出入り口の引き戸を開け放った上条は、
姫神ひめがみもクラスのみんなと馴染なじめてるようで、良かった良かった。さて、と。じゃあ携帯電話拾って、さっさとインデックスと連絡つけよう。姫神も暇だったら一緒いつしよに、みんなで回ってみるのも楽しそうだし―――)
 直後、その場で崩れ落ちた。

 何故なぜならば、運営委員の吹寄制理ふきよせせいりが服を脱いでいたからだ。

 戸を開けるまで分からなかったが、窓はすべてカーテンでふさがれている。そして薄暗うすぐらくなった教室の中で一人、手近な机に腰掛ける形で上条と向かい合っている吹寄制理は、下着一枚の格妊だった。本当に一枚で、ブラすらない。どうやらホースの水を浴びて生乾き状態となっていた衣服を、取り替えている最中らしい。今、彼女が身に着けているショーツも新品らしく、れた衣服一式は下着も含めて足元のビニール袋の中に放り込まれている。残りの衣服は、ビニ

ール袋のとなりに置いてあるスポーツバッグの中なのだろう。
 吹寄制理ふきよせせいりは、顔色一っ変えずに侵入者を眺めていたが、
「…………………………………………………………………………………………………、」
 やがて、無表情のまま近くにあった椅子いすに両手を伸ばした。
 ビクゥ!! と上条かみじようの肩がふるえ、
「まっ、待って吹寄さん! これは迷子と合流するために携帯電話を取ってこようとやった事で決してよこしまな思いがあった訳ではないのです豊後それから教室の椅子は取扱説明書を良く読んでから使ってみよう! っていうかそんなんでなぐられたらホントに死んじゃう!!」
 ズザァーツ!! と〇・二秒で土下座どげざを完了させる上条当麻とうま。そんな少年の姿を見て、吹寄はくだらなそうに小さく息を吐くと、椅子から手を離した。彼女は足元のスポーツバッグから、とりあえず替えのパーカーを取り出した。彼女は裸の上から、それを羽織りつつ、
「もう良いから。とにかく一度、教室から出て行きなさい」
「……、怒っていませんか?」
「迷子を捜しているっていうなら仕方がないでしょう。って、土下座は繰り返さなくて良いから顔を上げるな上条当麻!」
 パーカーを羽織ってはいても下はショーツ一枚の運営委員である。しかもあせっているのかパーカーの前を留めるファスナーをなかなか上げられずにいるが、彼女と同じぐらい動転している上条は、吹寄制理の手元の震えには気づいていない。
 ははあーっ! とお殿様を見送る家来のような土下座のまま、ずりずりと後ろ向きに教室から出て行こうと思のていた上条は、
「……、マジで怒ってません?」
「良いから出て行け!」
 吹寄が机の上に置かれていた紙箱を上条の頭に投げつけてきたので、彼は慌てて教室から飛び出した。スパンと引き戸を後ろ手に閉めると、彼は廊下に座り込んで深呼吸する。
(あーびっくりした……)
 上条は首を横に振ってから、視線を下に落とした。その時、廊下に煙草タバコのパッケージぐらいの大きさの紙箱が落ちているのに気づいた。これってさっき吹寄が投げてきた箱か? と上条は手に取って眺めてみる。
『携帯電話の下部コネクタに接続するだけで使用できる遠赤外線治療器ちりようき「あつあつシープさん」。肩こりから疲労回復まで何でも効きます!!』
 とか書かれている。
 しかも箱の表面を見ると、本体はデフォルメされた羊の形をしているらしい。美琴みことの学生かばんについているカエルのマスコットグッズと同じ系列の商品だろう。
「……わざわざ携帯電話に取り付けるようなアクセサリーか、これって。肩こりから疲労回復って、また意外に狭い範囲だし。こんなあからさまに怪しい商品に引っかかる人間が、この地球上に存在したのか……。ありゃ、これって深夜にやってる通販番組で紹介してたヤツじゃん!」
 もっとも、上条かみじようの場合はテレビのある部屋でインデックスがすこやかに眠っているため、深夜番組は携帯電話についているテレビ機能を使って眺めるしかないのだが。
 一方、教室の中の吹寄ふきよせはそんな上条の嘆きに気づいている様子もなく、
「上条、貴様の携帯電話って机の中にあるの?」
「あ、机の上にバッグ置いてないか。その中に入ってるけど」
「着替えたらそっちに持っていくから、貴様はそこで待っていなさい!」
「さんきゅー吹寄。じゃ、お前が投げた変な通販グッズと交換な。しっかし、吹寄ってこの手の通販とか利用する人間には見えなかったんだけどなあ」
 そんな上条の声に対し、教室の中から『わっ、え!?』と慌てたような声が聞こえてきた。とっさに自分が何を投げたのか、今まで気づいていなかったらしい。
 ややあって、出入り口の向こうから、吹寄制理せいりの声が飛んでくる。
「べっ、別にそんな事はどうでも良いでしょう? それとも何、あたしがメモを片手に通販番組をたり、ベッドの上でゴロゴロしながら通販雑誌をめくっているのが何か悪い訳!?」
「い、いや、良いとか悪いとかじゃなくてさ、ただ意外だなーと思っただけで……」
 吹寄は、ツッコミは得意でもツッコまれるのは苦手らしい。上条は無難な言葉を返したつもりなのだが、教室の向こうからはさらに早口言葉みたいな台詞せりふり出される。
「何よ。あたしの部屋がアイデア調理器具でいっぱいになってようが、雑誌で見た時は便利そうだったんだけど、いざ手元に来るとそんなに大した事なくて、結局二回か三回使ったまま後は放ったらかしにしていようが、貴様には何の関係もないじゃない!」
「そんな状況になってるんかい! っていうかお電話する前に一度冷静に考えてみよう吹寄!」
 クラスメイトとして親切。な忠告をしたつもりだったが、さらに教室の中から『だって底がギザギザになってるフライパンとか、すごく魅力的みりよくてきに見えるじゃない。お肉を焼くと脂分が三〇%も落ちるとかって宣伝されてるのよ。実際には底の凹凸のせいで目玉焼きも焼けなかったけど!』とか壮絶な言い草が飛んできたので、上条はそれ以上ツッコまないようにした。
 と、上条は手元にある羊型の遠赤外線アクセサリーの箱をもう一度眺め、
コ肩こりに効く……ねぇ」
「何でいぶかしげなのよ。別にこのとしで肩こりになってたって良いじゃない!」
「いや、そうじゃなくて」上条は廊下に座り込んだまま、天井てんじようを見上げて、「……肩こりってさー、やっぱ吹寄の胸が大きいからなのかなーとかって―――ハッ! しまっ……!!」
 直後。
 引き戸をぶち破って飛んできたスポーツバッグが、上条の体に直撃ちよくげきした。おまけにしっかり上条当麻かみじようとうまの携帯電話まで投げ渡してくれた、親切丁寧ていねいな運営委員の吹寄制理ふきよせせいりさんだった。

     6

「とうまー……って、あれ?――どうしてちょっと涙目なの?」
「何でもありません……」
 可愛かわいらしく小首をかしげる白い修道服の少女に、上条はふるえる声でそう答える。同時に、彼女の姿を見つけるまでに繰り広げた大冒険は語らない方が良いと考えていた。しかも挙げ句の果てに、結局インデックスの〇円携帯電話は電池切れだったため(そもそも彼女は充電どころか電源という胃葉の意味すら理解していなかった)、上条はインデックスのド派手な修道服をたよりに捜す羽目になったのだ。
 場所は再び学生用応援席に戻っている。人混みをき分けて上条の元へやってくるインデックスは、三毛猫みけねこ一緒いつしよ何故なぜか空っぽになったスポーツドリンクのペットボトルを抱えている。同じ腕に抱かれた三毛猫は割と無反応で『猫がペットボトルを怖がる? そりゃ迷信だってー』とばかりにミギャーと呑気のんきにあくびをしている。
「……そ、そんな事よりおなかが減ったよ大至急何かを食べさせてよ……とうまー」
「え、だってお前弁当は!? っつか何で精気に飢えた怨霊おんりようみたいになってんだよ!」
「さっきこの辺にいた短髪に、ドリンクとチョコクッキーももらったけど……ちっとも……」
「ちっとも!? 弁当のほかにもバクバク食べておきながらその感想か! ってか短髪ってだれだ!? 誰でも良いけどちゃんとありがとうって言ったのインデックス!?」
 上条は叫ぶがインデックスはあ。まり反応を示さない、よく女の子はお菓子は別腹だと言うが、彼女の場合は一品一品を完全分別処理できるような構造になっているのかもしれない。
 お弁当で満足しないという事は、どうあ。っても屋台に行かなければならないのだろうか、と上条は適当に考える。とりあえずインデックスに預けておいた分厚いパンフレットを見ると、次に参加する「大玉転がし』までは、少しだが時間に余裕がある。
「ま、いいか。とにかく応援席から出るぞ。さっきの屋台エリアまで行きゃ食べ物なんて山ほどあるんだし」
 それを聞いたインデックスは、グルン!! と勢い良く首を回して上条を見据え、
「山ほど!!」
「い、いや、あ。くまで山ほどあるだけで、上条さんの垢財布でそのすべてを網羅もうらできるとは言っていない! やめうそんなキラキラした目でこっちを見るな罪悪感がーっ!!」
 嘆く上条は体操服の短パンのポケットにねじ込んでおいたお財布の中身を確認する。一応いくらか入っているが、これは大覇星祭だいはせいさい期間中、七日間の全財産だ。初日で使い切れば後に待っているのは確実な悲劇である。
 上条かみじようはどうインデックスの手綱たづなを握るべきか悩みながらも、とにかく屋台エリアへと向かう事にした。となりでは、まだ見ぬ食の殿堂におもいを巡らせているインデックスが、ひとみや髪や肌などとにかく全身を輝かせている。精神活動は人休に物理的な影響えいきようを及ぼす、という心理学か何かの学説はマジだったらしい。
 と、上条とインデックスは大きな横断歩道に差し掛かった。
 信号が赤になったのを見て、上条とインデックスは立ち止まる。基本的に大覇星祭だいほせいさい期間中の学園都市は一般車両通行禁止だが、白律バスやタクシー、運搬トラックなど業務車両は運行している。あふれるほどの人がいても歩行者天国にできないのはそういった理由があるのだ。
 屋台エリアは、この表通りを渡ったその先だ。すでに道路の向こうからはソースや醤油しようゆの焼けるにおいがうっすらと漂ってきている、信号が膏に切り替わり、インデックスのキラキラ具合が本年度最高の数字をたたき出した所で、

 ガラガラガラガラ、と。
 学園都市の治安を守る警備員アンチスキルさんが、目の前に通行止めの看板を持ってきた。

「あーごめんねえ。ここ、もうすぐ吹奏楽部の複数校合同パレードが始まるじゃんよ。そろそろ人の流れをき止めておかないと整備が聞に合わないじゃん」
 その警備員アンチスキルは二週間ぐらい前に始業式でお世話になった女性のようだ。黒い髪を後ろで適当に結っているだけの、しかし恐ろしくスタイルの良い美。人の教師。いつか見た緑のジャージではなく、黒を基調とした正規装備で身を固めている。ヘルメットがないのは、一般客に悪いイメージを与えさせないための配慮はいりよだろうか? ジャージだの装甲服だのではなく、もっとまともな服を着れば良いのに、と上条は思う。
 一般客に対するイメージ、というのは、大覇星祭を開催するにあたって学園都市の上の人間が最も注意を払っているポイントらしい。というより、開催日的の半分ぐらいはイメージ戦略との事だった。
 学園都市はご覧の通りの閉鎖へいさ環境にあるが、それにも限度はある。完全に情報を非公開にされた施設の中で、得体えたいの知れない科学技術の研究を進めている、などという話になれば、周囲からの反発はけられない。そこで年に何回か、学園都市は一般に開放されるのだ。
 もっとも、能力開発を中心とした機密事項には一切触れられないように、研究エリアの警備体制は常より厳重になっている。その厳戒態勢を『一般人には感じさせない』のがプロの技らしい。
 警備員アンチスキルのお姉さんの格好も、そういったイメージ戦略の一環なのだろう。確かに、素肌が全て隠されているゴツイ完全装備で身を固めるより、美人の顔が見えていた方が好印象だとは思。フ。
 上条かみじようは通行止めの看板と、横断歩道の先を交互に見て、
「えーっと、あっちまで渡りたいんですけど、どこまで迂回うかいすりゃ良いんですか?」
「あ。りゃ。大親模パレードだから直線で前後八キロぐらいのコースは通行止めじゃんよ。パンフレットの予定表にも書いてあったと思うんだけど、うーん」警備員アンチスキルのお姉さんはパンフレットをめくり、「この辺は歩道橋もないじゃんよ……。一番近いトコで、ここじゃん? 西に三キロの地点にある地下街。ここの入り口U04から出口VO1を経由すれば、地下から横断できるけど……」
 さんきろ。……ッ!? と上条は絶句する。、
 となりを見ると、そんなには歩けん、という顔をしたインデックスが空腹に耐えかねて、今まさに無言で崩れ落ち。る所だった。

     7

 御坂美琴みさかみことは街を走っていた。
 区切られた競技場の中ではなく、本当に人のあふれる大通りだ。立ち入りの制限や道路の整備なども行われていない。
 こんな状況だが、今の美琴は競技中の身だ。チラリと横へ視線を巡らせれば、通りを挾んだ向かいの歩。道にも複数の選手が走っているのが見える。
 一般来場者の立ち入りを制限せず―――むしろ彼らの存在が必須である、唯一の競技。
 借り物競走である。
 ただし競技範囲は学園都市の第七、八、九学区全域。当然ながら自律バスや地下鉄などの交通機関の使用は禁止だ。競技場から出発し、指定の物品を探し出し、元の競技場へ戻るという流れはマラソンを複雑化させたようなニュアンスがある。また、ただのマラソンと違って決まったコースが指定されないため、いかにして最短のルートを自分で構築するか、という頭脳プレイも重要となる。それも机にしがみついて頭を悩ませるのではなく、長距離走で常にスタミナを削り続ける状況で、だ。競技範囲の広さに比例して、探す物品の難易度も高い事で有名な競技と…再われていた。
(ええいっ。こういうのは空間移動テレポートを梗える黒子くろこの得意分野でしょうが! ったく、せめて同じ学園都市の連中だけが集まってる中ならやりやすいのに!)
 彼女の能力は絶大な威力を誇るが、逆に競技と無関係な人間が集まる中では扱いにくい。学園都市統括理事会も一般者への配慮はいりよのつもりか、競技の条件に『干渉数値5以上の能力使用を禁ず」と設定している。美琴の力ならどう調節してもオーバーしてしまう数値だ。
 美琴は給水ポイントに差し掛かったが、置いてあったスポーツドリンクは無視して先へ進んだ。長距離走において、過剰な水分補給は逆に足を鈍らせるだけだ。
 彼女は手の中にある紙切れをもう一度開く。
 そこに書かれた、指定された物品の名前を確かめる。
(また面倒なものを引き当てちゃったわね。……っと”じ
 人混みをかき分けるように走り続けた彼女は、ふとその先に、目的の『物品』を発見した。
 条件にはこうある、
〝指定された物品が第三者の所有物である場合、その人物に了承を取った上で、第三者と共に競技場へ向かう事。”
(ようし!!)
 美琴みことは高反発素材の靴底で地面をり、一気に人の山をくぐり抜けていく。

 上条かみじようは通行止めの看板にすがりついて嘆くインデックスの肩に手を置いた。
「なぁインデックス。ここにいても寸止めでにおいをがされるだけだって。ほら、パンフレットに屋台の出店エリアは書いてあるんだからさ。ほかを探そうぜ他を」
「う、うう。手を伸ばせばそこにあるのに、決してつかむ事はできないだなんてーっ!」
 妙に詩的な泣き言を叫ぶインデックス。通行止めの看板を置いた警備員アンチスキルの乾姉さんはバツが悪そうな顔をしていたが、かと言って規則は規則なので通す事はできないらしい。
「と、とうま。じゃあ次に近い『やたい』ってどこにあるの?」
「あん? えーっと……これじゃねーか」上条は適当にパンフレットをめくり、「西へ三キロ。あ、これ迂回うかいルートの地下街の出入り口と全く同じ場所じゃねーか」
「……、う、うああ」
「うーん、でもここまで歩いていくと次の競技に間に合わないかもしんねーな。バスのルートは……ありゃ。ちょうどパレードの時開帯はこのルート迂回されんのか。あーあ。駄目だめだインデックス。次の大玉転がしが終わるまで我慢な」
「……(ブチッ)」
「って、え? ちょっと! 何でここでお前がおれにキレちゃう訳!? 屋台の位置も競技のプログラムもバスの運行ルートもそのすべてにおいてわたくし上条当麻とうまは一切関係していないと思うのですがーっ!!」
 聞く耳を持たないインデックスは、その可愛かわいらしい口をモンスターのように大きく開けて飛び掛かってくる。近くにいたはずの警備員アンチスキルのお姉さんすら反応できなかったほどの速度だ。しよくされますか俺!? と上条は思わず身構えたが、
 彼の姿が高速でプレる。
 がちん、とインデックスの歯が何もない所をんだ。
 あれ? という表情を浮かべる少女。これまで噛み付きの命中率及び撃墜げきつい率は共に百発百中の精度を誇っていたのだ。
 だが外した所で無理もない。
 何故なぜなら、右から高速で飛び出してきた御坂美琴みさかみことが、上条かみじようの首の後ろをつかんで勢い良く左へと消えて行ったのだから。
「おっしゃーっ! つっかまえたわよ私の勝利条件! わははははーっ!!」
「ちょ、待……苦じィ! ひ、一言ぐらい説明とかあっても……ッ!!」
 呆然ぽうぜんとするインデックスの前で、二人の姿が人混みに紛れていく。ぐったりと地面に突っ伏していくシスター少女。に、警備員アンチスキルのお姉さんは見るに見かねたのか、ビスケットに似た携帯食料を差し出してきた。

     8

 ポロ雑巾ぞうきんのようになった上条は御坂美琴と共に競技場に入り、ゴールテープを切った。
 先ほど、上条が棒倒しを行ったのとは別次元の競技場だ。スポーツ工学系の大学が所有している物らしく、オレンジ色のアスファルトの上に道路に使うような白線が舗装された、公式陸上競技場だった。客席もスタジアムのような階段式になっていて、報道用のカメラの数や警備に当たる人数も段違いだ。
 待機していた運営委員の高校生が、美琴にマラソンのゴール直後のように大きめのスポーツ

タオルを頭からかぶせた。ドリンクの手渡しや小型の酸素吸入用ボンベの使用などもテキパキしているし、それは実用本位のみならず、カメラに映る事すら考慮こうりよした動きのようにも見える。この後は表彰式と簡単なインタビューがあるはずだ。後続の選手たちが到着するまでは、別の所で待機といった感じか。
(場違いだ……。なんか運営委員はスポーツ工学極めたトレーナーみたいな動きしてるし)
 と、美琴みことの世話を終えた運営委員の高校生が、上条かみじよヨつの顔をジロジロと見てきた。何だ何だ、と上条はちょっと身構えたが、その時運営委員は小声で言った。
「……(上条当麻とうま。一応、『借り物』の指定は間違っていないみたいだけど、よっぽど女の子と縁があるようね貴様は!)」
「……(その声は……、うわっ! 吹寄ふむよせサン!?)」
 上条が改めて見直すと、それは間違いなく吹寄制理せいりだった。半袖はんモでのTシャツに短パンを穿き、上からうすいパーカーを羽織った吹寄は一瞬いつしゆん身動きを止めたが、今は仕事中だからか、声を荒げてからんでくるような事はなかった。彼らは小声で、
「……(先程は大変申し訳ありませんでしたわたくし上条当麻の不注意によってよもやアナタサマの着替えをのぞいてしまうとは)」
「……(こちらは忘れようと努めているのだから蒸し返さないで上条当麻!)」
「……(ううっ、マジですみませんでした。うーん、ところで吹寄。あの通販の羊型遠赤外線マシンってそんなに気持ち良いモンなの?)」
「……(―――欲しいの?)」
「……(べ、別にちょっと気になっただけだもん。欲しいなんて言ってないもんっ!)」
「……(だまりなさい。皆真剣にやっているのだから、とにかく選手と競技の運営にだけは邪魔じやましないでよ!)」
 吹寄は上条の言葉など聞く耳を持たず、ドリンクケースと一緒いつしよに地面に置いてあったクリップボードを拾い上げて、何か競技記録らしきものをボールペンで書き込み始めた。ちなみに上条達のすぐ近くで美琴が少しだけムッとしている事にはだれも気づいていない。
 吹寄がこれ以上上条と話す気はないらしい事を会話と雰囲気ふんいきつかんだ彼は、自分をここまで強引に引っ張ってきた美琴の方へ振り返って、
「ところで御坂みさか。上条さんは汗だくになってちょっとふくらはぎの辺りがパンパン風味になるほど走らされたんだけど、ルールには第三者の了承を得て連れてくるように、とあるようだが目の錯覚さつかくですか?」
「あーあー錯覚錯覚。っつか事後承諾しようだく駄目だめとは一言も書いてないじゃない」
「……、」
「ほら、情けないから座り込もうとしない。ったく、だらしがないわね」
 美琴は自分の体をおおっていたスポーツタオルを上条の頭に被せた。その上から両手を使ってわしゃわしゃわしゃー、と顔の汗をぬぐっていく。子供がれた髪をいてもらうような仕草に似ていて、上条かみじようはやや屈辱的だったが、結構強引な力加減なので振り払えない。バタバタと両手を振る仕草が余計に子供臭く思えてきたので、上条はもうだまって身を任せる事にした。
 それから美琴みことはストローのついたドリンクボトルを手渡そうとしたようだが、ふと飲み口を見て、彼女の手が止まる。美琴は吹寄ふきよせの顔を見て、スポーツドリンクのボトルを軽く揺らした。クリップボードに何かを書き込んでいた運営委員の吹寄制理せいリは顔を上げると、首を横に振った。一人の選手が二本以上のドリンクを要求するのは規則で禁止されているらしい。
「……………………………………………………………………………………………………、」
 美琴はしばらくそのまま固まっていたが、折悪おりあしく、何やらのどほこりが入ったようにケホケホとき込み始めた上条の様子を見て、うっ、とひるんだ。彼女は数秒、ぶるぶるとふるえると、
「ええいホントに腑抜ふぬけているわね! 仕方がないからあげるわよ! ほら!!」
「ぐあーっ!!」
 ぐいーっと上条のほっぺたにドリンクボトルの側面を押し付けた。ストローから噴水のように液体が飛び出した気がするが美琴は見ていない。顔を真っ赤にした彼女は、上条から背を向けると表彰台の方へ消えていく。クラス対抗、学年対抗の競技の場合は人数の関係で割と大雑把おおざつぱだが、個人種目の場合は三位までの選手はきちんと表彰されるのである。一位の美琴は当然表彰組だ。
 横の吹寄は無言のまま、思い切り軽蔑けいべつの舌打ちを鳴らしたが、やはり今は競技中なので、彼女も次の選手を迎えるための準備に向かって行った。
 当然ながら表彰されるのは美琴一人であり、上条の存在はパン食い競走で言うならパンでしかない。競技が終われば用済みなので、出口へ向かうだけなのだが、
(ふ、んだりったりだ……。っつか、選手よりも巻き込まれる一般客の方が大変な競技なんじゃねーのかこれ? 本来なら一般客のペースに合わせて移動する事により、選手単休の実力が発揮できないのがこの競技の味なのでは?)
 と上条はようやく疑問に突き当たるが、答える者はもういない。もらったドリンクをチューチュー吸いながら、インデックスはまだあの通行止めエリアで待っててくれているだろうか、とか考えていたが、
 ふと、風に流されて紙切れが飛んできた。
 借り物競走の指令書のようなものだろう。ダントツ一位の美琴以下の後続はまだ競技場に着いていないから、これは間違いなく彼女が持っていた物だ。吹寄もクリップボードに何か記録を書き込んだ後だし、もはや必要ないのだろうか。放っておいても清掃ロボットが処理するだろうが、何となく上条は燃えるゴミを拾ってみる。
(な……、)
 そこに書いてあったのは。
『第一種目。て競技を行った高等学生』の一言のみ。
(なんじゃ、こりゃー……。た、確かに『棒倒し』は開会式の後すぐにやったけどさ。おれ以外にも条件に合いそうな人間なんて、軽く一〇万人以上はいそうな気がするんだが……俺が走らされた、のは、一体……?)
 ずどーん、と急速に疲労がまっていく上条かみじようは、肩を落としてトボトボと出ロへ向かう。向かいながら、あれ? でも何で御坂みさかは俺が棒倒しやってた事を知ってたんだろう? と少し疑問に思った。

     9

 競技場からインデックスと別れた地点までは結構な距離があった。
 なので、上条はバスを利用する事にする。
 現在、走っているバスの七割は無人の自律走行バスである。上条がバス停の横に臨時で取り付けられたボタンを押すと、エンジン音をひびかせない、電気主力のバスが滑るようにやってきた。
 旅客機、列車、船舶などの無人操縦技術が開発中だが、中でも一番難しいのは自動車らしい。道路は陸海空の全エリアの中でも、圧倒的に複雑な制御と判断を求められる。なので現時点では大覇星祭だいはせいさい期間中のような、交通制限がある中でしか利用できないようだ。
 上条は自動で開いたドアを潜って車内に入る。一般車の来場が禁止されているため、中はかなり混雑していた。運転席は一応あるが、強化ガラスのシールドによって電話ボックスのように隔離されていた。にれもいない運転席でハンドルやアクセルペダルがなめらかに動く様子は、見ているだけで不思議な気分になる。
 ガソリンを使っていないため、極端に静かな自律バスは途中で何度か人を乗り降りさせた後、上条を目的地に運んでくれた。
 上条はバスから降りる。
 ここはまだインデックスと別れた地点ではなく、少し離れた場所である。吹奏楽のパレードで通行止めされた道路があるため、一時的にバスの運行ルートが変わってしまっているのだ。
 トコトコと道を歩いていると、雑踏ざつとうの物音に混じって、あちらこちらから競技の放送が聞こえてーる。競技場からのスピーカーは元より、デパートの壁や飛行船のおなかにくっついた大画面エキシビジヨンや、テレビ局が臨時で作った屋外中継スタジオなど、様々な媒体が利用されている。
『えー、先程の男子障害物競走の結果についてですが、判定を行った所―――』
『今後一時間以内に競技が開始される競技場は次の通りです。競技が 度始まりますと途中入場は受け付けておりませんので、くれぐれもお気をつけ―――』
「四校合同の借り物競走でしたが、やはりというか期待を裏切らないというか、常盤台ときわだい中学の圧勝でした。中でもトップ選手はぽかに比べて七分以上も差をつけた状態でのゴールという快挙を成し遂げ――』
『迷子のお知らせです。フランスのサントロペよりお越しのシャルル=ゴンクール様。お聞きでしたら最寄の警備ロボットのカメラにご本人のお顔と、学園都市発行の大覇星祭だいはせいさい入場パスをお映し願います。場所の特定が済み次第、至急そちらへお子様をお送りいたします。Veuillezl’entendre. Nous vous annoncons un enfant manquant.―――』
 あちらこちらでボリュームをガンガン上げて垂れ流される放送を耳にしつつ、上条かみじようはキョロキョロと辺りを見回す。
(さて、と。インデックスのヤツ、勝手に動いて迷子になってたりしてねーだろうな)
 携帯電話で連絡が取れれば良いのだが、生憎あいにくインデックスの〇円携帯電話は電池が切れている。一応彼女には完全記憶きおく能力があり、一度通った道路の道順ぐらいは覚えていそうなものだが、やはり心配なものは心配だ。上条は炎天下の歩道を歩きながら、
(あ、どうせなら途中で屋台でも寄って、お土産みやげの一つでも買ってやるべきだったか)
 考えたが、今から戻るのではもう遅い。上条の方も、次の競技が詰まっている。とにかくインデックスを確保して、クラスの連中が待ってる競技場に急ごう、と彼は足を速めたが、
 その足が、不意にピタリと止まった。
 見知った顔が人混みの向こうにあったからだ。
 赤く染めた長髪。耳のピアス。左右一〇本の指にはめられた銀の指輪。口の端には煙草タバコがあり、右目の下にはバーコードの刺青いれずみのある、とても神父には見えない神父。
 ステイル=マグヌス。
 イギリス清教の『必要悪の教会ネセサリウス』という部署に存在する、本物の魔術師まじゆつし
(??? 何だろう、インデックスに会いに来たのか?)
 魔術サイドの人間であるステイルが、大覇星祭というイベントに興味があるとは思えない。となると、普段ふだんはなかなか会えない。元同僚のインデックスの顔を見に来た、というのが妥当な線だろうか。
 上条としては、特に断る理由もないし、やはリインデックスの事情を知っている人間がそぼにいるのは心強い。競技中は預かっててもらおう、と彼は何気なく近づいていったが。
 彼は、だれかと話をしているらしい。
「―――……だから……そうだね。―――考えられる事だろう?」
 声が、聞こえる。
 誰と話しているのか。上条が確かめるようにさらに先へ進むと、そこに立っているのはクラスメイトの土御門元春つちみかどもとはるだった。
 学園都市にも、イギリス清教にも、双方にもぐり込むマルチスパイ。
 彼は遠目に見れば人懐ひとなつっこい顔で、しかし周囲には聞こえづらい声で何か言っている。
「ああ。そりゃ……そうだ―――。確かに……連中にとっては、今ほどの―――チャンス……ほかにない」
 嫌な予感がする。
 彼らの顔は、笑っている。それだけ見れば、大覇星祭だいはせいさいの人混みの中にも紛れてしまえそうに感じるが…-何かが決定的に欠けている。少しも楽しそうではないのだ。プラスの感情によるものではない、マイナスの感情によって作ら。れた笑み。それは、明らかに大覇星祭という大きな行事の中から浮いてしまっている。
 上条かみじようはそれらを振り払うため、さらに前へ前へと進んだ所で、
 ステイル=マグヌスは静かに告げた。

「だから、この街にもぐり込んだ魔術師まじゆつしをどうにかしないといけない訳だ。僕たちの手で」

 上条当麻とうまの、科学によって形作られた世界は。
 その一言で、魔術によっていろどられた別の世界へと切り替わった。

   行間 一

 白井黒子しらいくろこという学生がいる。
 能力開発の名門女子校・常盤台とさわだい中学の生徒で、茶色い髪をツインテールにした小柄な少女だ。
大能力レペル4に認定された「空間移動テレポート』の使い手であり、常盤台中学の中でも割と上位の力を誇る白井だが、彼女は大覇星祭だいはせいさいには参加していない。数日前に起きた、とある事件で受けた傷が完治しておらず、今も体のあちこちに包帯を巻いている状態だからだ。
 が。
 そんな絶対安静な彼女は現在、病院を抜け出して学園都市の大通りにいた、服装はいつもの常盤台中学の制服だが、車椅子くるまいずに乗っている状態だ。一般的なものとは違いスポーツ用のモデルで、車輪がF1カーのようにハの字に傾いているのが特微だ。
 スポーツ車椅子を動かしているのは白井黒子ではない、
 その後ろから取っ手を握っている、初春飾利ういはるかざりだ。彼女たちは能力者で構成された学園都市の治安維持機関『風紀委員ジヤツジメント』の同僚だったりする。
 初春は白い半袖はんそでTシャツに黒のスパッツという運動少女な格好をしていたが、どうにも頭に取り付けられた薔薇ばらやハイビスカスなどの飾りがスポーツ向きではない。遠目に見ると頭に花瓶を乗っけているように見えるほど、たくさんの造花が咲き乱れている。
 初春はニコニコと微笑ほほえみながらスポーツ車椅子をぐいぐいと押して、
「いやぁ私達が炎天下で頑張ってる最中に、エアコンの効いたお部屋の中で白井さんが一人ぼっちで休養取ってる姿を想像すると、居ても立ってもいられなくなっちゃって。白井さんにもお仕事手伝って欲しくなってしまったんですよ。てへへ」
「……、素敵すてき過ぎる友情をありがとうですわ。傷が完治したら真っ先に衣服だけを空間移動テレポートして素っ裸にして差し上げますから、心の底から楽しみにしていてくださいですの」
 白井はぐったりした調子で答えたが、実は大覇星祭という大イベントの中、一人きりでゴロゴロしている事に退屈を覚えていたため、初春の強引な申し出はうれしかったりした。ただ、それを知られるのは死んでも回避かいひしたかったが。
 当然ながら大覇星祭は初めてではないが、やはり年に一度のイベントというのは空気が違う。いつも歩いている道でも、競技のアナウンスや合図に使われる花火の音などを聞くだけで、がらりと色彩が変わって見える。道行く人々―――学園都市の住人ではなく、外から来た人々が物珍しそうな目を向けてくるのは少々しやくだが、自分の持っている力を自覚している白井としては、まあ仕方がないかと割り切る事ができた。
 白井しらいはスポーツ車椅子くるまいすに腰掛けたまま、軽く周囲を見回して、
「て、今年の大覇星祭だいはせいさいは何か問題でも起きていますの?」
「今の所は、それほど大きなトラブルは起きてません。せいぜい、焼きイカ屋台に化けた産業スパイが生徒の唾液だえきからDNAマップを盗み出そうとしていたぐらいですかね。私は風紀委員ジヤツジメントとして参加するのは今回が初めてなので実感ないんですけど、先輩たちに言わせると今年は易しい方だそうです」
「まあ、確かにAI否定論者による無人ヘリ撃墜げきつい未遂事件やら、精神文化主義者による競技場爆破未遂事件なんかに比べれば、まともな方だとは思いますわね」
 サラリと出てきた言葉に、初春ういはるの顔が思わず引きつった。それらの事件は表沙汰おもてざたにされていないため、去年は裏でそんな事が起きてたんですか!? という気分になっているのだろう。白井としては、風紀委員ジヤツジメントとして大覇星祭に参加するなら、それぐらいのトラブルに巻き込まれて当然だという覚悟ぐらいは決めてあるのだが。
 と、そんな白井の耳に、競技場のアナウンスが聞こえてきた。
 デパートの壁に取り付けられた大画面エキシビジヨンのものだ。生中継ではなく、少し前の競技のハイライトを流しているらしい。聞き取りやすい、男性の声が説明を続けている。
『四校合同の借り物競走でしたが、やはりというか期待を裏切らないというか、常盤台ときわセい中学の圧勝でした。中でもトップ選手はほかに比べて七分以上も差をつけた状態でのゴールという快挙を成し遂げ―――』
 パッと画面に映ったのは、どこかの陸上競技場だ。
 選手の顔はカメラに撮られていて、競技者の名前も公表される。中継が世界放映されるのなら、とてつもなく知名度が上がりそう……と、思われがちだが、実はそうでもない。選手総数は一八〇万人を超すし、一位と言ってもオリンピックのような歴史に名を残すような競技ではない。これはちょうど、大舞台プロリーグへのスカウトのない甲子園のようなものと考えると分かりやすいかもしれない。そんな状況では選手全員の顔と名前を完全に覚えておく事など不可能で、その場限りでさわいでその場限りで忘れていく、というのがギャラリーの定石だ。
 なので、白井黒子くろこは大して大画面エキシビジヨンに興味はなかったのだが、
『―――一位を獲得した御坂美琴みさかみこと選手はゴール後も体勢を崩す事はなく、まだまだ余力を感じさせる姿を見せてくれました』
 ガバッ!! と白井は瞬間的しゆんかんてき大画面エキシピジヨンの方へ振り返る。
 スポーツ車椅子を押していた初春が、ビクゥ!! とふるえるほどの勢いで。
「お姉様 鳴呼ああお姉様 お姉様(五七五)! やはり完全なる圧勝という形で、その躍動やぐどうする肢体を皆へ見せつけていますのね! 生はおろか録画すらできなかったこの不出来なわたくしを力許しくださいですの!!」
 キラキラキラキラキラキラキラァッ!! と白井の両目が輝きまくるが、
一緒いつしよに走ってもらった協力者さんをいたわる所も好印象でしたね。この辺りが名門常盤台とさわだい中学のたしなみと言った所でしようか』
 なんだと? と白井しらいの頭に疑問符『?』が浮かんだが、
(んな……ッ!?)
 次の瞬問しゆんかん、彼女は見た。
 御坂美琴みさかみことが男子生徒の手を握って競技場を走っているのを。
 御坂美琴が男子生徒の体を自分のスポーツタオルで丁寧ていねいぬぐってあげているのを。
 御坂美琴が男子生徒に自分が一をつけたスポーツドリンクを手渡しているのを。
(あんの若造が……ッ!! お、おねっ、お姉様に手を取ってエスコートしていただき、お姉様の世話焼きスキルで全身の汗を処理してもらい、あ、あまっ、あまつさえ、お姉様の素敵すてきドリンクにまで手を出してエええええええええええええッ!!)
 ぶるぶると小刻みにふろえる白井黒子くろこは、幸福過ぎる男子生徒の顔を見る。
 超見覚えがある。
 というか、数日前に会った少年だ。
 ガターン!! と白井黒子は渾身こんしんの力を込めてスポーツ車椅子くるまいすから勢い良く立ち上がると、「こっ、殺す! 生きて帰れると思うなですのよ!! それにしてもお姉様まで、公衆の面前であんなににおを染めてしまうだなんて! 悔しいったらありゃしませんわーっ!!」
「ちょ、待っ、白井さん!! 落ち着いてくださいっていうかどうしてそれだけの深手を負っているのに立ち上がれるんですか!! ここは少年漫画的ガッツを見せるような場面でもありませんってばーっ!!」
 怒り心頭の白井黒子と半泣き寸前の初春飾利ういはるかざりがギャアギャアとさわぐ中、大覇星祭だいはせいさいはさらに盛り上がりを見せていく。

   

chap3

第ニ章 魔術師と能力者の競技場 〝Stab_Sword.〟

     1

 次の競技は大玉転がし。
 上条当麻かみじようとうまと同学年の生徒たちは、すでに競技場の中に入場していた。アスファルト舗装の大して広くもない校庭では、騎馬戦きばせんのような形で、それぞれ両サイドに対戦学校の学生達が一列になって待機している。
 ルールは変則的で、号砲と共に左右両サイドに二五個ずつ、合計五〇個の大玉を、それぞれ敵軍の後方にあるゴールラインへと転がしていく。先に半数以上の大玉がゴールラインを割った学年が勝利する、といったものだ。
 通常の大玉転がしと異なる最大の点は、自軍と敵軍の大玉が、最低一度は必ず交差する、という事。つまり、この瞬間しゆんかんに大玉をぶつけたり、能力を飛ばしたりして相手を妨害する事も可能となる。
 上条は直径ニメートル強もの白組のボールに、ほかのクラスメイトと一緒いつしよになって手を添えている。汗のにおいに、ほこりの匂い。号砲が鳴る直前のピリピリした空気が肌に刺さり、お遊びに近い競技と分かっていても人を本気にさせるような雰囲気ふんいネが周囲に漂い始めているのが分かる。
 が、そんな状況下にいて、上条は別の事に気を取られていた。
 つい二〇分ほど前に、土御門つちみかど、そしてステイルと交わした言葉について、だ。
『今の学園都市は、一般米場客を招くために警備を甘くしているだろう?』
『そのすきを突いて、この中に魔術師まじゆつしが侵入してるって訳だぜい』
 上条のクラスが担当する大玉の数は、全部で三つ。男子、女子、混合の大玉だ。上条は男子の大玉を担当する。となりの大玉から姫神秋沙ひめがみあいさが何か言いたそうな無言の視線を投げてきていたが、考え事に没頭している彼は気づかない。
『でも、何のために? またインデックスをさらいに来たのか!? だったら!』
『慌てるな、上条当麻。今回の敵のねらいはおそらく彼女じゃない。向こうとしても、あの子に触れれば厄介な事情を増やす羽目になるかもしれないからね』
『あん? どういう意味だ?』
『そっちは後で答えるとして、カミやん。まずは主題から進めようぜ。街に入った魔術師達が何をしようとしているか、ってトコを』
 位置について、という声が校内放送のスピーカーから聞こえる。
 全員の呼吸が止まる。姿勢がわずかに下へ落ちる。上条かみじようはチラリと横を見た。サングラスをかけた土御門元春つちカかどもとはるは、ほかのクラスメイト同様に、大玉に両手を添えている。
魔術師まじゆつしたち? 一人じゃねーのか?』
『現在、確認されているだけでも二人いるよ。ローマ正教のリドヴィア=ロレンツェッティ。そしてそいつが雇ったイギリス生まれの運び屋であるオリアナ=トムソン。両方女だ。さらに、彼女達の取り引き相手である人間が最低一入はいるはずなんだけど、こちらは判然としない。ロシア成教のニコライ=トルストイが怪しいとは言われているが、確認は取れていないね』
『運び屋だって? 取り引きって、一体ここで何をやろうってんだ?』
『そのまんまさ、カミやん。ヤツらはこの街で、教会に伝わる霊装れいモうの受け渡しを行治うとしている訳ですたい』
 パン!! という号砲がひびく。
 考え事をしていた上条の意識は、 一瞬いつしゆん遅れた。
『何でこんな場所で……。だって、学園都市ってオカルトから一番縁のないトコだろ?』
『そうだにゃー。だからこそ、ってこたえておこうか。学園都市の警備員アンチスキル風紀委員ジヤツジメントは、オカルト側の魔術師を無闇むやみ迎撃げいげき捕縛ほばくしてはならない。そして同時に、オカルト側の十字軍や必要悪の教会ネセサリウスも、無闇に科学側の学園都市へみ込んではならない。ほら、どちらの勢力も手を出しにくい場所なんだぜい、ここは』
大覇星祭だいはせいさい期間中でなければ、警備体制セキユリティの関係で、リドヴィア達の行動もかなウ制限されていただろうね。しかし今だけは、半端はんぱに警備をゆるめなくてはならないから、その機に乗じて大胆に動く事もできるという話だよ』
 上条は大玉に置いてきぼりにされないよう、慌てて走る。
 たくさんの足音と、巨大なボールが転がる音が地響きのように伝わる。大玉の中身は空気なので重さはそれほど感じないが、逆に風船のように風の影響えいきようを受けやすく、うっかりしていると横に流されそうになる。
『だったら、そこにいるステイルみたいに、こっそり必要悪の教会ネセサリウスの味方をたくさんもぐり込ませて捕まえりゃ良いんじゃねーの?』
『僕は「君の知り合いだから、個人的に遊びに来た」という大義名分になっているんだ。他の魔術師達は呼べない。「イギリス清教という団体として」やってきた事になれば、それに乗じて今の事態を傍観している、それ以外の多くの魔術組織もコては我々も」と要請してくる。彼らのすべてが学園都市に友好的だと思えるかい? 破壊はかい工作に走る者が出てくるに決まっている。こんな、オカルトとは正反対の位置に属する街を守ろうなんて考えるものか』
『科学サイドの長である学園都市と、魔術サイドの名も知れぬ一組織じゃ発言力は違うにゃー。
でも、この状況で迂闊うかつに魔術サイドの意見を突っぱねれば、今度はその揚げ足を取る形でもっと大きな魔術組織が口出ししてきちまうんだ。ま、そんな感じでリドヴィアやオリアナ達の問題はデリケートなんだよ、カミやん。ただでさえ厄介な状況下で、さらに余計な連中を呼び込めば間違いなく学園都市は混乱の渦にみ込まれちまう。そういった連中・事態を抑えるためにも、あくまで事件で動けるのは「学園都市にやってきた知り合いの魔術師まじゆつし」だけと思わせておくんだよ。学園都市の人問と接点のある魔術師なんて、ほんの一握りだ。どうしても少数精鋭の攻め方になっちまうのは仕方がないぜい』
 ゴロゴロゴロゴロ、と大玉が少しずつ勢いに乗って速度を増していく。上条達かみじようたちの大玉は、自軍の中では一歩先んじていた。つまり、一番初めに敵軍の大玉と接触する危険性が高いという事だ。
『??? でも、知り合いってんなら神裂火織かんざきかおりは? あいつ、確か聖人とかっていうメチャクチャ強い人間なんじゃなかったっけ。人手は多い方が良いんじゃねーのり?』
『神裂は、使えない。今回は特にね。何しろ、取り引きされる霊装れいそうが霊装だ』
『あん? どういう事だよ』
「カミやん。その霊装の名前は「刺突杭剣スタブソード」っていうらしいんだぜい。そいつの効果はな―――』
 大玉が巨大すぎて、上条の位置からでは前方は良く見えない。もうすぐ来そうやでーっ! という青髪ピアスの言葉に、上条は意識を集中して、

『―――あらゆる聖人を、一撃で即死させるモノらしいんだよ」

 危ない! という声が後ろから聞こえた。
 彼以外のクラスメイト達が一斉に大玉から飛び散っていく。
(あれ、敵軍と接触するのって、まだもうちょっと先だよな?)
 と、上条が首をかしげた瞬間しゆんかん
 真後ろから衝撃しようげきが来た。
「ぐ、ぐわあーっ!!」
 後方から猛烈なスピードで追い上げてきたクラスメイト達(女子)の大玉が、背後から上条を呑み込んでいった。そのとなりを男女混合の大玉が追い抜いていき、吹寄制理ふきよせせいりは『何をやっているのよ土条当麻とうま!』と冷たい声を放ち、姫神秋沙ひめがみあいさは『やっぱり。君には女難の相が出ているのかも』とでも言いたそうな横目でこちらを見ていた。

     2

 聖人。
「ってのはあれですたい。十字教の『神の子』に良く似た体質の人間の事。十字教の『偶像の理論』じゃ、『神の子』の処刑に使われた十字架を模したレプリカにもある程度の力が宿る性質を持つだろう? それを『神の子』と人に置き換えると、『神の子』に似た人間には『神の子』の力が宿る事になるんだぜい。この選ばれた人間が「聖人』ってヤツですたい。コイツらは普通じゃ考えられないほどの絶大な力を持つんだにゃー。だが」
 大玉転がしが終わり(幸い、上条かみじようの学校はまた勝てた)、競技場から退場した後。運営委員の吹寄制理ふもりよせせいりが『ほらアミノ酸よアミノ酸。黒酢と大豆イソフラボンはこっち』とか言いながら勧めてきたスポーツドリンクを飲みつつ、上条と土御門つちみかどは路上で会話を進めていく。
「聖人には、欠点が一つあるんだぜい」
「そうなのか。だって神裂かんざきって、本物の天使とぶつかりあっても互角の戦いが演じられるほど強いんだろ?」
 天使、という言葉にはいまいち現実味が湧かないが、上条は実際にその目で見たのだから仕方がない。見たといっても、やはり現実味はないが。ミーシャ=クロイツェフと名乗ったあの天使は、指先一つで世界を崩壊ほうかいさせるほどの力を有していたはずだ。そんな本物の天使と戦い抜いた神裂の技量は、上条などでは到底及ばないと思う。
 が、上御門はスポーツドリンクをガブガブ飲むと、
「その強さには、クセがあるんだよ。いいかい、聖人ってのは、『神の子』に似た性質を持つ人間ですたい。与えられる力も、『神の子』による特徴とか属性みたいなものが付加されてんだぜい。って事は、だ」土御門は一呼吸おいて、「―――簡単に言えば、『神の子』の弱点そのものも受け継がれちまってるって訳なのさ」
 あ。、と上条は思わず声を出してしまった。
「『神の子』は一度死んだ。復活しようが天に昇ろうが、その事実は曲げられない。そして十字架に架けられた『神の子』は、一体どうやって殺されたか知ってるかい、カミやん」
 土御門は、そんな上条を見てニヤニヤ笑い、
「刺殺、だ。両手と足に鉄のくぎを打って十字架に固定し、最後にはやり脇腹わきばらをブスリ。槍がトドメだったのか生死を確かめるための一撃いちげきだったのかは神学者でも意見が分かれる所だが、いずれの攻撃も、皆『刺し殺す』ものである事に変わりはないにゃー」スポーツドリンクを、ぐいっと飲んで、「『刺突杭剣スタブソード』ってのは、処刑と刺殺の宗教的意味を抽出し、極限まで増幅・凝縮ぎようしゆく・集束させた『竜をも貫き大地にい止める』とまで言われる霊装れいそうですたい。普通の人間には何の効果もないが、相手が聖人なら一撃でほうむる力を誇る。距離に関係なく、切っ先を向けられただけで、な」
 言葉に、ゾッとした。
 上条の想像を補強するように、土御門はさらに言う。
「怖いだろう? 『刺突杭剣スタブソード』は一度発動したが最後、核シェルターにこもろうが、地球の裏側にいようが、冥王星めいおうせいまで逃げ延びようが、切っ先を向けただけで聖人を殺す。その凶悪さと利便性はレーザー兵器どころじゃないぜい。元々は私欲に走る聖人をほうむるために作られたものらしいんだけどにゃー」
「そんなもんを取り引きして、魔術師達まじゆつしたちは何をするつもりなんだよ……?」
「もちろん、戦争だろうさ。聖人ってのは、魔術業界じゃ核兵器に等しい意味を持つ。敵軍の聖人だけを上手うまく殺し、味方を保護するだけでも戦況は随分変わってくるぜい」
 戦争。
 現代日本に住む平凡な高校生には、あまりに実感のかない言葉。だが、上条かみじようはその片鱗へんりんに、ほんのわずかに触れた事がある。「法の書』と呼ばれる魔道書まどうしよと、その解読法を知ると言われるシスター・オルソラ=アクィナスを巡った、イギリス清教とローマ正教と天草式のどもえの戦い。戦争と言うなら、あれがもっと大きな規模で起こるという事だろうか。それこそ世界中で、関係のない人達までさんざんに巻き込んで地図の形を変。えていくような。
「けど、聖人以外の魔術師だっていっぱいいるんだろ? 例えばイギリス清教だって、神裂かんざきがいなくても戦えそうな気がするけど」
「カミやん。問題なのはそこじゃない。実際に勝てるかどうかではなく、勝てるかもしれない、と錯覚さつかくさせただけで、戦争ってのは起こっちまうのさ。力の象徴である聖人の死は、魔術社会の制度全体の破滅を想像させちまうものなんだぜい。王族が殺される事で国中に絶望が広がっていくようににゃー。これをチャンスと思ったが最後、勝てると錯覚した人間は迷わず戦いに身を投じるだろうぜい。―――その先に、自分達の惨めな敗北があるとも気づかずにな」
 土御門つちみかどの言葉には、背筋を冷たくさせるだけの威圧感がある。
 それは実際に、スパイとして活動し、世界のもろさを知る者であるがゆえのものだろうか。
「聖人を恣意的しいてきに殺され、宗教的パワーバランスを狂わされた国や組織は、内外から様々な魔術勢力の攻撃こうげきを受け、やがては崩壊ぽうかいしていくだろう。決して表舞台には出ないものの、確実に国家や世界を荒廃させていく流れだ。 一ヶ所のバランスの乱れが飛び火していけば、様々な場所で新たなバランスを築こうと画策して、戦争が起きる危険性もある。対魔術師用の国際治安維持機関であるイギリス清教第ゼロ聖堂区『必要悪の教会ネセサリウス』としては、これを見過ごす訳にはいかないって事ですにゃー」
 決意に近い台詞せりふであるにもかかわらず、土御門の終わりの台詞は極端に口調が軽い。
 この辺りがスパイとしての気楽な立場なのか、あるいはプロとして完全に感情を制御下においているだけなのか。素人しろうとの上条には判断のしようがない。
 上条はすっかりぬるくなってしまったスポーツドリ。ンクに口をつけながら、
「でも、そんなヤバイ問題ならインデックスに協力を仰いだ方が良くないか?」
 そう、この場にインデックスはいない。
 土御門やステイルから説明を受けた後、彼はインデックスに会わせてもらえず、そのままズルズルと大玉転がしの競技場へ引きずられて行ったのだ。
 魔術に関する問題なら、彼女は非常にたよりになる。というより上条の知る限り、彼女以上に魔術まじゆつについて詳しい人間はいないと思う。
 が、土御門つちみかどは一言で切り捨てた。
駄目だめだな。今回の件じゃ、あの禁書目録は使えない。事件の現場に近づけさせる事も、事件に関する情報を伝える事もやっちゃいけないぜい」
「……、何で?」
「うーん。色々複雑な事情があるんだけどにゃー。ま、一から説明してやるから良く聞くんだぜい」
 土御門は面倒臭そうに頭をきながら言う。
「さっきも言った通り、科学サイドは魔術サイドにあんまり干渉しちゃマズイんだぜい、今の学園都市の内外は様々な問題をはらんでる。……ってのは理解してるかにゃー?」
「あん?確か、警備員アンチスキル風紀委員ジヤツジメントが魔術師を直接やっつけちまうのは問題なんだよな」
 ステイルと一いつしよ錬金術師れんきんじゆつしひそむ『三沢塾』に乗り込んだ時にも、似たような事を聞いた気がする。
 科学サイドと魔術サイドは、互いの技術知識を独占する事で、二つの世界を治めている。例えばこの状況で、学園都市の治安維持機関が魔術師を捕まえてしまうと、魔術サイドの情報が科学サイドへ流れる危険が生まれるとかいう話だ。
「ニュアンスとしちゃ、墜落ついらくした味方の最新鋭戦闘機せんとうきが、敵国の人間に拾われちまったようなもんだっけ?」
「そう。それからさらに、学園都市へ大量の魔術師たちが組織的にみ込んでくるのもマズイ。従って、取り引きを行おうとしている魔術師達は、学園都市の中ではやりたい放題って事ですかにゃー。ったくきりり捨て御免じゃねーんだっつの」
 考えてみれば馬鹿馬鹿ばかばかしい構図だと上条かみじようは思う。みんなの目的は同じはずなのに、そのせいでだれもその場を動けなくなってしまっているのだ。
「だからこそ、特例でオレやカミやん、ステイルなんかが動いている訳だが」土御門はニヤリと笑って、「それを快く思っていない組織もある、って事さ。ヤツらは何かと理由をつけて学園都市へ潜入せんにゆうできないか、と網を張っているんですたい。事件を解決したい連中もいれば、そうではない連中もいるだろう、そういった連中は、学園都市の外からレーダーみたいな術式を使って、魔力の流れを感知している。少しでも動きがあれば、即踏み込めるようににゃー」
「ふうん。……そういうモンなのか?」
 としか、上条には言いようがなかった。正直、魔力の流れとか言われても、どんなものなのかイメージがいてこない。
「でも、その魔力の感知とインデックスに何の関係があるんだよ。アイツって魔力は使えないんじゃなかったっけ? そのレーダーみたいなヤツを使われたって、インデックスを遠ざけて諮く理由にはならないと思うんだけど」
 上条当麻かみじようとうま記憶ピおく喪失なので、ここら辺は知識としてあるだけだが、インデックスは一〇万三〇〇〇冊の魔道書まどうしよを管理する代わりに、少しも魔力を使えない。これは魔道書を使った独走・暴走を防ぐための策の一つだった、という話のはずだが、
 と、不思議がる上条に、土御門つちみかどは苦笑いして、
「この辺りは価値観の相違ってヤツだぜい。いいかいカミやん。この数ヶ月で、カミやんの周りでは様々な魔術的まじゆつてき事件が起きた。そしてカミやんはそれを見事解決した。でもな、魔術業界じゃ、カミやんの名前なんてあまり出回っていないんだにゃー」
「ま、まぁ、そんなに出回っても困るけど、それが何だってんだ?」
「それに比べて、禁書目録って名前はものすごくメジャーだって言いたいんだよ。魔術業界の連中の多くは、「上条当麻の周りで事件が起きた」とは思ってない。『一〇万三〇〇〇冊の管理者・禁書目録の周りで事件が起きた』と思われてるって訳だ」
 あっ、なるほど、と上条は思った。
 彼の顔色から何かを読み取ったのか、土御門は楽しげに、
「だから連中の多くは、『何か起きるなら禁書目録が中心となる』とんでるって訳ですたい。それなら、インデックスの周囲にサーチが集中するのは常識だろ? ところが、だ。実際問題、学園都市全域を常時カバーできるような大規模感知術式は存在しない。『グレゴリオの聖歌隊』みたいに組織的術式を採用したとしても、おそらく半径一キロあるなしが限界だろうにゃー。だからインデックスを事件の渦中から遠ざけておけば、外の連中はそっちに視線を注目させる事になる。となると、よそで多少の魔術戦が起きても見過ごされる可能性すら考えられるにゃー。逆に事件の核心近くに彼女を招くと、ほぼ確実にアウトだ」
「つまり、あのインデックスに魔術の事を一切合財いつさいがつさい気づかせないまま、何とかしないといけないって訳かよ?」
 それは、簡単そうに見えて結構難しい問題だ、と上条は思う。元々、インデックスはあらゆる魔術師と対抗するために、一〇万三〇〇〇冊もの魔道書を完全記憶しているのだ。彼女はほんの小さなヒントでも見逃さないだろうし、ヒントを手に入れれば自然と動いてしまう。
 だからと言って、今回の事件について前もって『動くな』と事情を説明した所で、インデックスはおそらく納得しない。彼女は、他人が魔術に関する事件に巻き込まれるのを何よりも嫌っているのだから、だれかが代わりにやる、という案はんでくれないだろう。
 上条が思案していると、土御門は空になったドリンク容器を軽く振って、
「しかしまあ、カミやんにとってはこれも一つの『不幸』なのかもにゃー。自分の手柄が全部インデックスに回ってるなんて、あんま良い気はしないだろ?」
馬鹿ばか。アイツの身が心配だよ。ったく、インデックスのヤツ。ただでさえねらわれやすい事情を山ほど抱えてるってのに……」
 上条は舌打ちし、さらに思考を内側に向けていく。そんな彼の横顔を見て、土御門はわずかに笑う。皮肉でもあざけりでもない、ほんの小さな笑みを。
「ともあれ、だにゃー。カミやんはインデックス問題も担当するって方向で! 学園都市で事件が起きてる匂いは極力隠すって感じでだにゃーっ! あれだ、適当に辺りを見て回るとか約束して、魔術戦まじゆつせんの起きそうな所からさりげなく遠ざけといてくれってトコですたい」
「あん? 何だそりゃ! お前は簡単に言うけどさあ……ッ!」
大丈夫だいじようぶだって! フラグまみれ上条当麻かみじようとうまならどうってこたないぜい!」
「何だその根拠ゼロの自信の塊は! 大体、俺達おれたちの競技はどうすんだよ。だまってサボったら吹寄ふきよせとか絶対キレるって! それこそ目も当てられない感じで!!」
「それすら含めてフラグまみれが何とかしろ! 今大事なのはインデックスの方だぜい。つっても、あんな禁書目録なんざ適当に食べ物与えてりゃどうとでも制御できそうな気はするけどにゃー。困ったらとりあえず事件の現場と逆方向にお菓子を投げるにゃーっ!」
「……お前、インデックスに聞かれたら頭蓋骨ずがいこつまでかじられるかもしれないそ。いや、アイツが俺以外の人間にみ付きやってる姿は見た事ないけど……」
 バシバシと人の肩をたた土御門つちみかどに、上条はぐったりしながら言葉を放った。

     3

 炎天下のアスファルトはとても熱い。
 それが、路上にべったりと倒れ込んでいる空腹少女インデックスの感想だ。
 パレードが終わり、道路の通行止めを解除している女性の警備員アンチスキル黄泉川愛穂よみかわあいほは、途中で見るに見かねたのか、作業を中断してインデックスをお姫様風に抱き上げた。さしたる冷却効果があるとは思えないが、とりあえず路樹の下のベンチに寝かせてみる。彼女と一緒いつしよにいた三毛猫みけねこが黄泉川の足にまとわりつくように追跡してきて、ベンチの上へ飛び乗った。
 と、事前に連絡を入れておいた同僚の女教師、月詠小萌つくよみこもえがようやくやってきた。黄泉川より年上のはずの教職員は、淡い緑色のタンクトップに白の短いプリーツスカートというチア衣装を着用している。生徒と「緒に応援するためのものだろうが、あのとしで似合ってしまうのは恐ろしい、と黄泉川は心の中でため息をつく。
「よ、黄泉川先生! 知り合いを預かったっていう連絡を受けてきたんですけどって、うわあーっ!」小萌先生はインデックスの姿を見るなり絶叫する。「し、シスターちゃん!? な、何ですかこの売れ残った野菜みたいなシンナリ具合は! あ、あ、まさか、小萌先生の到着が遅れたばっかりに熱中症にやられてーっ!!」
 大音量の絶叫に、三毛猫みけねこが嫌そうな鳴き声をあげて少し毛を逆立てた。
 まあ……と、黄泉川よみかわはベンチの上に転がっているインデックスを眺めつつ、思う。パッと見では熱中症と考えるかもしれない。何せ、この炎天下の中、かなり分厚い生地の修道服を着て倒れているのだ。暑さにやられた、と見るのは正常な判断だろう。
月詠つくよみセンセ。センセってば! ほらほら、少し落ち着くじゃんよ?」
「お、落ち着いていられないのです! シスターちゃんは確かにクラスの子じゃないですけど、でもやっぱり先生が守るべき子供の一人な訳でーっ!!」
「はいはい理想の教師論は後にして。この子はあれじゃん、熱中症じゃなくて、ただの空腹じゃんよ」
 はい? と小萌こもえ先生はわずかに小首をかしげる。
 それから、
「だっ、だからって落ち着いていられますかーっ! 栄養失調だって危険な状態に代わりはないのですよーっ!!」
「はあ。この場面で少しも脱力しない月詠センセは本当に尊敬すべき先輩教師だとは思うじゃんか。でもじゃん。この子、すでにウチの携帯食料、三食分は食い散らかしてるじゃんよ」
 黄泉川のあほれた声に、三毛猫が『そーそー。おれも分けてもらったぜー』とばかりに気持ち良さそうな鳴き声をあげる。口の周りの毛に食べかすが少し残っていた。
「……、それは空腹じゃなくて満腹で苦しんでいるのではないのですかーっ? というか、あ。なたも教師なら食事と栄養の管理ぐらい……ッ!」
「だったらこの子に直接聞いてみれば良いじゃんよ」
 ビッ、とベンチを指差す黄泉川に、小萌先生は人を指差してはダメなのです、とその指をつかんで下ろさせてから、改めてインデックスの顔を見る。
 ぐったりした白い少女は、か細い声で、
「お、おなか減った……。と、とうまはまだなの……?」
「ホントに減ってるんですか!?」
「だから言ったじゃんよ。あー、もうセンセに預けちゃって良い?」
 は、はい、お、お疲れ様ですー、と律儀りちぎに頭を下げる小萌先生に、黄泉川は背中を見せつつ片手をパタパタ振って立ち去って行く。雑な対応だが、それは小萌先生を気兼ねする必要がない相手だと思っているからだ。
 小萌先生は改めてインデックスを見る。
 ベンチでぐったりしている彼女は、ぶるぶるとふるえながら、
「そ、ソースのにおい……。これ以上いでいたら、限界がきてしまうかも……」
 小萌先生は、ようやく肩の力を抜いて(脱力ではなく、ホッと安堵あんどしているのが彼女らしいが)、それからふとインデックスの言った『ソース』というワードに反応した。鼻をふんふんと動かしてみる。
「む? 屋台ですか?」
 彼女は視線を巡らせる。黄泉川愛穂よみかわあいほが通行止めを解除した大通りを渡った先に、学生たもが作った文化祭のような手製の屋台が並んでいる一角が見える。

「シスターちゃーん。買ってきたのですよー」
 とりあえず小萌こもえ先生が適当に選んできた屋台の品々を見て、ベンチに寝転がっていたインデックスはガバッと飛び起きた。
「お、お、おおおおおおおー……」
 未開の遺跡を発見した考古学者みたいな声が出ている。彼女に抱き上げられた三毛猫みけねこも似たような感じで鳴く。
「とりあえず、焼きソバと、お好み焼きと、フランクフルトと、たこ焼きなんか買ってきましたけどー……って、あ。西洋人のシスターちゃんはタコとか大丈夫だいじようぶなのですか?」
「食べる食べる! ナットーでもクサヤでも何でも来いって感じだよ!」
 透明なプラスチックのパックに入った、学生作であんまり上手には見えない品々を見て、しかしインデックスはキラキラギラギラと食欲に満ちた視線を送る。その執着を動物的本能で悟ったのか、彼女の腕の中の三毛猫がビクッと少しふるえた。
 小萌先生は苦笑いしつつ、
「あ、あはは。それならものはついでです。この機会に割りばしもグー握りじゃなくて、きちんと使い方を覚えて……って、ああーっ!!」
 彼女が何か説明しようとする前に、インデックスはすでに標的にらいついている。ばくばくがつがつむしゃむしゃーっ!! と、あっという間に食料の山が消えていく。三毛猫も負けじと焼きソバに向かっているが、猫舌なのが致命的なハンデとなってしまっていた。
 小萌先生はがっくりと肩を落としながら、
「う、ううー。せっかく……せっかく、またとないこのチャンスに、シスターちゃんにも日本文化を理解してもらおうと思っていたのにー」
「むぐむぐ……え? こもえ、何か言った?」
 熔好み焼きの最後の一片をのどの奥へ通しつつ、インデックスはキョトンとまばたきする。あれだけあった食べ物の山は、すでに残らず平らげられていた。
 教育熱心な小萌先生には、教える揚を取り上げられるとヘコんでしまうという弱点がある訳だが、満腹で満足なインデックスは気づいていない、
 小萌先生は、小さな肩をふるふると震わせながら、
「べっ、別に何も言ってないのですーっ! 先生はちっとも悔しくなんかあ。りません! これしきの事で泣いたりなんかしませんからねーっ!」
「??? あ、お礼がまだだったね。ごちそうさまでした、どうもありがとう。え、違う? 何でこもえは泣きそうな顔してるの?」インデックスは小首をかしげ、「……それにしても、とうまはどこに行っちゃったんだろう? もうすぐお昼ご飯だっていうのに」
「……あの、ご飯って、今……?」
 小萌こもえ先生は言いかけたが、やはりインデックスは聞いていない。
「とうま、本当にどこに行っちゃったんだろう……? 私、今日はずっとこんな感じで、とうまとは離れ離れなのかな……」
 む、と小萌先生の熱血教育魂が再燃する。
 目の前のシスターはどこの学校にも所属していない(ようだ)。、それでは、大覇星祭だいはせいさい上条当麻かみじようとうま一緒いつしよに行動するのは難しいだろう。民間人参加の競技もあるにはあるが、それは所詮しよせん、『学生』と『民間人』を分けた上での事に過ぎない。一緒に参加する、という少女の目的は達成されない。
 小萌先生にはインデックスの気持ちが何となく理解できる。
 この手のイベントで一人だけ置いてきばりにされるのは、地味だがかなりのダメージを負わされる。逆に言えば、たとえどんなものであれ、何らかの形でかかわる事さえできれば、きちんと一体感や満足感を得られるものなのだ。まったく上条ちゃんは分かってませんねー、こんな子を一人ぽっちにしておくなんて、と小萌先生は不出来な生徒の有様に首を振りつつ、打開策を考えてみる。
 妥協、ではなく、打開の策だ。
大丈夫だいじようぶ、シスターちゃんにも参加できるものはあるのですっ!」
 答えは浮かぶ。こんなかなしそうな顔をした子供を助けられないようでは教師失格なのです、と思いつつ、小萌先生はくすくすと笑う。
「はえ? な、何が?」
「ですから、上条ちゃんと一緒に大覇星祭を盛り上げる方法はあるのです! シスターちゃんはもう一人ぼっちにならなくても良いのですよーっ!」
 必要以上に明るい声に、インデックスは初めキョトンとして、それから食欲も忘れてジワジワと表情をゆるめていった。三毛猫みけねこは特に気にせずのんびりとあくびをしている。
「な、なに?――私は何をすれば良いの?」
「これなのですよこれこれー」
 小萌先生は笑いながら、自分の着ているタンクトップの胸の辺りを軽く引っ張る。
 彼女が着ているのはチア衣装だ。
「え、えへへ。流石さすがに競技に参加するのは不可能ですけど、応援する側なら問題ないのです。やっぱりここはあれなのですよ。チアリーデイングとか似合いそうですよねー? 一人で恥ずかしいと思うのなら大丈夫! 小萌先生も一緒に付き合ってあげるのですよーっ!」
 ニコニコと、ニコニコニコニコとひたすら微笑ほほえみ続ける小萌こもえ先生。彼女の現場教育者エナジーが体の中から外へとあふれ出し、ビッカァ!! と顔色がとんでもなく輝き始める。その様子に、インデックスはやや警戒心を抱き、
「な、何で、こもえはそんなにうれしそうな顔。をしてるの?」
「そんなあかずきんちゃんみたいな質問しなくても大丈夫だいじようぶなのですよ。先生はですね、えへ、シスターちゃんに対して即席とはいえチア指導をする機会を得て大満足ですとか、えへへ、割りばし指導の借りを今ここで返してもらえそうですとか、えへえへへへ、そんな事は決して思ってないのですよー」
 知人の知られざる一面を見たインデックスが凍り付いているのを良い事に、小萌先生は彼女の手を引っ張って、いずこかへと連れて行く。

     4

 上条当麻かみじようとうまはつい先ほどまで通行止めが行われていた地点まで戻ってみたが、そこにはもうインデックスの姿はなかった。通行止め自体も解除されていて、警備員アンチスキルのお姉さんもいなくなっている。
 土御門つちみかどからは、
『リドヴィアやオリアナたちを捜すのも大事だが、インデックスに今この学園都市で起こりつつある事を悟られないようにするのも同じぐらい重要な事ですたい。カミやん、オレ達の方で学園都市のセキュリティをチェックしたり、魔術的まじゆつてき痕跡こんせきがないか調べるから、お前はインデックスと定期的に会ってごまかしておくように。こっちの動きを不審がられたら、おそらく禁書目録は一気に事態を看破して、事件の中心点までやってきちまうに決まってるぜい』
 とか言われていたのだが、これでは何もできない。
(インデックスの居場所について、事情を聞ける人もいなければヒントもゼロ。あいつの〇円携帯電話も電池切れでつながらないし……ありゃ、これはもしかしてマジで迷子か?)
 学園都市に慣れている上条にとっては何でもない出来事だが、インデックスが迷子になった事をステイル辺りに知れたら、『事情は分かった。君はとにかく死んでくれ』と問答無用でおそいかかられそうだ。
(うーん。インデックスの行きそうな場所となると……)
 上条はあちこちを見回し、ふと視線を前に固定させる。大通りを挟んだ向こうに、学生達が作った文化祭っぽい手製の屋台が並んでいるエリアがある。
「ま、まさか。空腹に耐えかねてお金も持たずにフラフラと突入しちまったのか? だとしたらあの一角はすでに『空腹少女の騒乱そうらん』によって壊滅かいめつしている可能性も……ッ!!」
 上条は顔を真っ青にした。彼の右手に宿る力『幻想殺しイマジンブレイカー』は、超能力だろうが魔術だろうが、神様の奇跡だって触れただけで打ち消せる特殊な能力だが、あのみ付き少女に対しては何の効力も生み出してくれない無能力レペル0なのだ。
 それでもあの少女はこの手で止めなーてはいけないんだ、と上条かみじようは覚悟を決めて屋台エリアへ向かおうとしたが、
 ふと、横合いからポンポンと肩をたたかれた。
 振り向くと、半袖はんそで短パンの姫神秋沙ひめがみあいさと、清掃ロボットの上にちょこんと座って弁当の売り子をしている土御門舞夏つちみかどまいかの二人がこちらを見ていた。基本的にお弁当を売り回っている舞夏に付き合う形で、姫神は街をうろうろしながら世間話をしているようだ。
「さっきから。何をラスボス手前の。勇者様ご一行みたいな顔をしているの?」
「なんか今にも死にそうな顔してるぞー。おなかが減ってるなら弁当食ってくかー?」
 今まさに戦場へ突撃とつげきしようと思っていた上条は、彼女たち平穏へいおんな声に決意をくじかれてしまう。
「あのね。おれね。空腹のままインデックスを放置して競技に出かけちゃってさ。戻ってきたらインデックスはいないし、食べ物のある一番近い場所って言ったらあの屋台エリアしかないし、もしかしたらあそこで空腹少女が暴れているんじゃないかって思うと……ッ!!」
 ほとんど涙混じりに告げるも、二人の少女はキョトンとして、
「あのシスターなら。あっちを歩いてたけど」
 姫神がビッと、屋台エリアとは金く違う横方向へ指を指し、
「なんか上条当麻とうまの学校の名物ミニ教師に手を引っ張られてたぞー?」
 舞夏は清掃ロボットに座ったまま、やや斜め上を見上げて思い出したように答える。
「??? 連行されてった……って訳じゃねーよな。小萌こもえ先生はインデックスの事を知ってるんだし。何だろ。学園都市の案内でもしてくれてんのかな。まあいいや。とにかくありがとな。後は自力で捜してみる」
 上条はそれだけ言うと、姫神が指差した方向へ歩いていく。後ろから土御門舞夏が『がんばってなー』と伸びた声で言い、姫神は無需だった。
(うーん……。姫神と舞夏。っていつの間に仲良くなってたんだろう? ま、夏休みの間にもあの二人はウチ。の学生りように来てたし、その時にでも知り合ったのかな?)
 そんなこんなで彼は割と大きな通りを歩いていー。道行く人々が、風力発電のプロペラなどをいち。いち感心したように眺。めているのが、こち。らとしては逆に新鮮な感じだ。
 と、不意に横合いから。ミャーと猫の鳴き声が聞こえた。
 声を耳にしただけで多。少。の特徴が分かるほど聞き慣れた―――三毛猫スフィンクスの鳴き声だ。
「インデックス?」
 上条は立ち止まり、音のした方を見る。ビルに囲まれる形で、小さな公園があった。ただ、金網のフェンスが普通より高く、それだけで人を拒絶するような威圧感を放っている。入り口からでは、葉の生い茂った木々が邪魔じやまをして、中の様子を見るのは難しい。その視認性の悪さが、さらに客足を遠ざけているようにも見える。
 無理もない、と上条かみじようは思う。
 ここは厳密には公園ではない。金網のフェンスには、『只山ただやま大学植物学部所有』という看板が針金で固定されている。植物を育てて生長データを採るための場所だ。大覇星祭だいほせいさい期間中で警備が強化されている状況でも見回りがいない所を見ると、 一応は開放されているようだが、部外者があまり入って良い場所ではないと思う。
 と、草木を分けるように、見慣れた三毛猫みけねこがヒヨョコっと顔だけ出した。上条の顔を見ると、また顔を引っ込めて奥へ奥へと走って行ってしまう。
(三毛猫、だけ……? いや、インデックスがそうそう簡単にあの猫を手放すとは思えないな。となると、やっぱアイツも中に? うーん。育ててるのがリンゴとかだったら、インデックスはふらふらと入っちまうかも)
 本人が聞いたら激怒しそうな感想を抱き、とりあえず上条は確かめてみる事にする。入り口をふさぐ木々の枝を折らないように気をつけつつ、上条は中へと足をみ込んで、
「インデックスー? いるならいるって返事してもらえるとうれしいんだけどー」
 さらに進み、視界が開けたその先に。

 インデックスがいた。
 何故なぜか着替え中の。

「………………………………………………………………………………………………、」
 上条とインデックスは、お互いに目を合わせたまま動きを止める。
 さらには、チア衣装を着込んでいる小萌こもえ先生がインデックスと向き合っていたが、彼女は上条に背を向けているため、その存在に気づいていない。
 おかしい、と彼は思う。
 上条の記憶きおくの中にあ。った最新のインデックスは、確か白地に金刺繍きんししゆうの、紅茶のカップのような修道服を着ていたはずだ。それがどういう理屈で、修道服が綺麗きれいに折り畳まれて地面に置いてあるのだろう。そして何故、修道服の上には同色のパンツが置いてあるのだろうか?
 一休どこから調達してきたのか、チアリーダーが着ていそうな、白の短いプリーツスカートに、上は淡い緑色のタンクトップ。小萌先生と同じ服装だ。
 が、タンクトップはようやく片手を突っ込んだ所だった。斜めになった衣服の端が、インデックスのほんのわずかな胸を押しているのが分かる。そして何より、小萌先生がインデックスの足にチアリーディング用の下着(テニスのアンダースコートと同じものだろうか?)を穿かせようとしている、まさにその瞬間しゆんかんだった。
 インデックスは片足の太股ふとももまで下着を上げて、もう片方の足を差し込もうとしている格好でピタリと止まっている。当然ながら、その状態でスカートが平時の役割を果たすはずがない。
まして、チアリーディング用の衣装は、元々『隠す』役割など持っていないのだ。
 繰り返すが、インデックスの修道服はきちんと畳まれて地面の上に置いてある。
 そしてその上には、同色のパンツも置いてある。
 インデックスが上げた足に下着を通そうとしている小萌こもえ先生の頭がなければ、チラッと見たでは済まされない所まで見えてしまう所だったはずだ。
「……、ぁ、あ」
 彼女の顔が驚愕きようがくによる一時停止から、徐々に『一刻も早くコイツを食い殺そう』という怒り顔に変わっていく。上条かみじようは上条で、全身から嫌な汗をダラダラと流しつつも、その場から動けない。すでにチア衣装に着替え終わっている小萌先生だけがそんな二人の様子に気づかず、全く気楽にインデックスへ話しかける。
「ごめんなさいですー。正規の更衣室はその学校の入間でないと使えないって決まりがあって。
こんな所でお着替えさせるのは心苦しいんですけどー……って、きゃあー!? 」
 インデックスは最後まで聞いていない。下着を太股ふとももに引っ掛けたまま、勢い良く飛んで上条当麻とうまおそいかかる。
「とうまーっ!! これで何度團か数えてみると良いかも!!」
「うおお! スミマセンの精神は旺盛おうせいだがしかしこれ以上われてたまるかーっ!!」
 上条は何とか身をひねり、強襲少さようしゆう女インデックスのみ付き攻撃こうげきから逃れようとする。飛び掛かったインデックスの両手は上条の後ろへ回り、しっかりとその体をホールドしたが、頭をねらっていた彼女の狙いがほんのわずかにれて、

 かぷり、と。インデックスの口が、上条当麻のほっぺたに直撃した。

「ひっ……!?」
 小さな唇の、しかし柔らかい感触が伝わってくる。上下の歯の硬い質感と、その隙間すきまから伝わる温かいモノは舌の先だろうか。上条の体温より熱い吐息がぶつかり、彼女の唾液だえきのわずかな感覚に、全身がぶるりとふるえる。
「……ぃ、な、インデックスッ!!」
「……、」
 上条は顔を真っ赤にして叫ぶが、返事はない。
 ササササ!! とインデックスは無音のままものすごい速度で上条から離れた。普段ふだんなら叫び声の一つがあってもおかしくないはずなのに、インデックスはだまったまま表情が見えなくなるほどうつむいて、耳まで真っ赤になっている。もしかすると、今まであまり意識していなかった噛み付くという行為について、何か考えているのかもしれない。気が動転しているのか、自分の

衣服があちこち脱げ掛かっている事にも意識が回っていないようだ。
 上条かみじよう小萌こもえ先生の方を見たが、彼女は。両手をほっぺたに当てて『わ、わああー……』と意味不明な事を言っているだけでちっともたよりにならない。
「い、いや、あの、インデックス、さん? 大丈夫だいじようぶですって事故。ですよ事故! こ、こんなのノーカウントなんだからそんなマジにならなくても……って、うわ! ちょっと待てインデックス、お前何でそんな恥ずかしさから一転してお怒りモードの赤面顔になってるんだ! ひょっとしておれは今何か余計にマズイ事を口走りましたかーっ!?」
 無言のままブルブルと小刻みにふるえ始めたチア少女の姿を見て、上条が思わず後ろへ二歩、三歩と下がりかけたその瞬間しゆんかん
「―――、上条」
 真後ろから冷たい女性の声が背中に突き刺さった。
 上条は予断を許さない状態のインデックスに気を配りつつ、恐る恐る背後を振り返ってみる。
 吹寄制理ふきよせせいり
 体操服の上から運営委員のうすいパーカーを羽織っている彼女は、
「運営委員の仕事で、月詠つくよみ先生を捜してて、声が聞こえたからここまでやって来てみれば……また?」
 まず初めに上条と小刻みにぶるぶる震えている半裸インデックスを見て、次に顔を真っ赤にしている小萌こもえ先生を見て、そして綺麗きれいに折り畳まれた衣服と下着を見て、最後にもう一度インデックスを―――より正確には、彼女の太股ふとももに引っかかったままの下着を見て、
「皆の応援サボってナニをやっているのよ、この学校の裏切り者が!」
 何らかの能力ではなく、まんま握りこぶし一撃いちげきを受けて上条当麻かみじようとうまぎ倒されるように吹っ飛び、そのまま地面を転がっていった。

     5

 ボロボロになった上条当麻は、一度公園(というか、植物学の試験場)から出た。というより、ご立腹の吹寄制理ふきよせせいりに引きずられて来た。手をつかまれて、ではなく、襟首えりくびを引っ張られるようにだ。向こうでは今もインデックスが小萌先生に手伝ってもらう形で着替えをしている最中だろう。
「まったく。少しは大会を成功させようという努力はできないの、貴様は? 最も努力すべきは運営委員だというのはあたしも分かるけど、ここまでやる気がない人間を見ると腹が立ってくる!」
 言いながら、吹寄はパーカーのポケットから、補充しておいたらしき紙パックの牛乳を飲み始める。やはり怒りでカルシウムが不足しているらしい。『あたしは上条当麻が嫌い』というのは照れ隠しでも何でもなく、ただの本音だというのが雰囲気ふんいきだけでビシバシと伝わってくる。
 ずるずるずるずるー、とまだまだ襟首を欄まれて引きずられていく上条は、
「ふ、吹寄さ。い、今ってウチの学校は何の競技やってるのかなー……?」
「それぐらい何で覚えてられない? 脳の栄養が足りてないのか。そうかそうか、なら今この場で最優先すべきは糖分の摂取ね!」
 そう言いながら、彼女は牛乳パックをゴミ箱に捨て、パーカーの。ボケットをごそごそとあさってコーヒーに使うシュガースティックを取り出す。
「うっ!? 何の工夫もなく本当に普通のお砂糖かよ!」
 上条がビクッと肩をふるわせて逃げようとした瞬間しゆんかん、吹寄が彼の首へ腕を回した。そのままわきの下に上条の頭を挟む形で、左腕一本でヘッドロック完了。
「とりあえず寝てる頭を起こしてみなさい。それで駄目だめなら火豆イソフラボンを試してみるか豆乳プリンで良いわよね!? 」
「ううっ! それなら最初から豆乳プリンにしていただけるとわたくし上条当麻は大変助かります! 糖分だって含まれているはずだし!」
 シュガースティックを強引に飲ませようとする吹寄に対して、上条はバタバタと手足を振って暴れ出したが、腋の下でがっちりと頭部を固定されているため、全く動く気配がない。それでも抵抗を続けていると、ふと上条は右側のほっぺたに柔らかいものが当たるのを感じた。
 吹寄制理ふきよせせいりの大きな胸だ。
(うわぁ……ッ!?)
 上条かみじようの抵抗力が三倍増しになった。吹寄は状況に気づいていないのか、シュガースティック片手にまゆを少しひそめているだけだ。
「待って待って! そんなのおなかいっぱいに食べた所で上条さんのお馬鹿ぽかは治りませんの事よ!!」
「……自分で言っててかなしくないの?」
 哀しくないもん! と上条は高速であさっての方向を向こうとする。より…層胸の弾力が伝わってきて、彼の体がガチガチに凍りついた。吹寄はいぶかしげな表情のまま、やれやれと上条をヘッドロックから解放する。
 助かったー、と上条が息を吐いた直後、再び吹寄は彼の襟首えりくびつかんでずるずるずるずるー、と引っ張りを再開させてしまった。
「今ウチの学校が参加しているのは二年女子の綱引きと三年男子選抜のトライアスロン。どっちの応援が良い? やっぱり女子か。そうよね所詮しよせんは上条だものね!」
「何だこのトゲトゲトーク! 吹寄さんてばどうしてそんなにクールなんだよ!? むしろ心のクールビズですかあなた!!」
「失敬な。あたしのガードはそんな薄手うすでじゃないわよ!」
 むしろ鉄壁のウォームビズなのですね! と上条は心の中でツッコんでみたが、どうせ笑ってくれないに決まっているので口には出さなかった。
「時に吹寄、運営委員の仕事の方って大丈夫だいじようぶなのか?」
「……、何で貴様にいちいち心配されなくちゃいけないのよ」
「取り付く島もないってのはこんな感じなんだろうな……。運営委員って仕事大変じゃねえの? いや具休的に何やってるかいまいち分かってないんだけど、おれなんかに構ってて大丈夫なのかって思ってさ」
 競技の準備や審判から、競技前・中・後の放送、迷子預かりや簡単な道案内まで、運営委員は大覇星祭だいはせいさいの様々な雑用を任されている。それでいて選手としても競伎に参加する訳だから、自由時間の少なさは普通の生徒の比ではないはずだ。
 が、吹寄はジロリと横目で上条を眺め、
「別に。月詠つくよみ先生への伝言は済ませてあるし。大。体、突発的な事態にも対処できるように、スケジュールにはある程度のゆとりを設けておいたから問題ないわ!」
「もったいねえの。俺みたいなのにかかわってないで、友。達と屋台とか回れば良いのに」
「思い出の作り方は人それぞれよ。あの子たちだってちゃんと納得してくれてるし!」
 そう言った吹寄の表情は、その時だけ入並みに角が取れていた。相変わらずズルズルと引きずられる上条はため息をついて、
「はいはいっと。……何でも良いけど、襟首掴えりくびつかむのそろそろやめないか?」
「それでは、手」
 意外にもあっさりと襟首から手を離してくれた吹寄ふらよせは、その小さな手をにゅっとこちらへ差し出してきた。ハンドクリームを塗られた柔らかそうなてのひらだ。どうせまたコエンザイムQ10とか通販番組でチョコチョコ取り上げられている流行はやりモノの健康グッズなんだろう。
「ありゃ。えーっと、じゃあ失礼して」
 彼は少し考えたが、やがて吹寄の手を取った。冷たい手だと思っていたが、予想は外れてあったかかった。たったそれだけの事なのに、上条かみじようは少し不意を突かれた感覚で胸が高鳴った。
 吹寄はちらりとこちらの顔を見て、
「歩くの遅い」
「……、」
 何を一人で高鳴ってんだうとため息をつく上条当麻とうまを、鉄壁不機嫌顔の吹寄制理せいりがずるずると引っ張っていく。

     6

 吹寄に連れられる形で上条は街を歩いていた。
 この辺りは特に人混みが激しい。どうも、地下鉄の駅や自律バスの停留所など、交通の要所が集中しているのが原因らしい。電車からバスへ、バスの路線Aから路線Bへ、といった感じに、様々な乗り換えを行うべく色んな方向に人々が行き交っている。
 インデックスと別れた辺りから、結構な距離が開いている、と思う。どうも吹寄は上条を学校の応援に向かわせたいようだが、こちらは別行動でオリアナの行方を探っている土御門つちみかどやステイルから連絡があれば即座に動かなければならない身である。困ったもんだなどうしよう、と上条が一人であれこれ悩んでいると、
「ねえ上条。大覇星祭だいはせいさいってつまんない?」
 唐突に、手をつないでいる吹寄が言ってきた。
 あん? と上条がまゆをひそめると、
「どうも貴様は浮ついているというか、別の事が気になっているような感じがする!」
 ギクリとした。
 吹嵜は、そんな上条の顔を見て、
「ま、絶対に大覇星祭に集中しなくちゃ駄目だめなんて強制はできないし、リタイヤするって言うなら止められないんだけどさ」
 どうも、吹寄は大覇星祭の裏で行われようとしている事を勘繰かんぐっているのではなく、単純に上条の集中力の方向性に疑問を抱いているだけらしい。
「やっぱり、企画を立てて今日まで頑張ってきた身としては、わがままでも皆に参。加して、楽しい思い出を共有してもらいたいと思ってしまうのね。それで皆が笑えれば言う事はないんだけど……。上条かみじようが今日つまんないと感じたのなら、やっぱり準備を進めてきたあたしが何か不足していたという訳だから、何ともね」
「……、貢任感の強いヤツだな。別につまんねえなんて思ってねーって。この手の馬鹿騒ばかさわぎは騒いでこそ華だしな」
 吹寄ふきよせがどういう理由で大覇星祭だいはせいさいの運営委員になったかは、上条は知らない。が、だれに押し付けられた訳でもなく、自分から立候補した以上は、やっぱり彼女なりに成功させたい理由があるのだろう。放課後遅くまで残ってでも、ほかの友人と一緒いつしよに自由時間を過せなくなってでも成功させたい理由が。
 しかし、彼女は知らない。
 そうしたおもいを、魔術師達まじゆつしたちが利用しようとしている事を。『刺突杭剣スタブソード』の取り引きを行うために暗躍あんやくし、学園都市の内外では様々な思惑が拮抗きつこうしている事も。
 頑張らないとな、と上条は思った。
 吹寄だけじゃない。他の運営委員だって大覇星祭を成功させようとしているだろうし、この街を歩いている生徒や外部からやってきた観客達だって、楽しい思い出を作りたいに決まっている。だからこそ、頑張らないとな、と思う。 そんな上条の顔を、吹寄はいぶかしげにのぞき込み、
「……、やはり他の事が気になって仕方がないみたいね」
「は? いや違うって! 上条さんは超やる気ですよ。何を一人で勝手にセルフイライラモードに突入してるんですか吹寄さん!!」
 不機嫌なムカムカで輝きが失われつつある吹寄に、慌てた上条は手をつないだまま彼女の前に回って、その顔を覗。き込むような体勢で答えた所で。
 ドン。、と背中を押された。
 混雑している歩道で、誰かの肩がぶつかってきたらしい。
 おっと、と上条は不意打ちに対処できず、思わず一歩前へ進んでしまった。そのため、上条は覗き込んでいた吹寄の顔との距離を一気に縮めてしまう。
 というか、元々顔と顔の距離は三〇センチぐらいしかない。
「だ……っ!!」
「え……っ!?」
 とお互いが叫ぶ間もなく、その距離がゼロに縮んでしまった。コツン、という音と共に、上条と吹寄の細でこが軽くぶつかる。ついでに鼻と鼻の先も少し触れた。唇と唇は触れなかったが、彼女のうずい吐息がこちらの唇にぶつかるのが分かった。
(なっ……)
 上条かみじようの呼吸が思わず止まったが、
「離れなさい上条当麻とうま!」
 次の瞬間しゆんかんゴッ!! と思い切り吹寄ふきょせに頭突きされた。
「あどあ!?」
 上条の上半身が思い切りけ反った。それまでつないでいた手が勢い良く離れる。自分の顔の熱が上がるのが分かる。吹寄の方はそれほど顔の色は変えていないが、じんわりとその表情をイライラに塗り替えていくと、
「……人が真面目まじめな話をしている時だって、上条当麻はやっぱり上条当麻か」
「ち、違うのにー おれだって真面目に考え事してたのにーっ門”」
「あれよね。あたしは一生、貴様と打ち解ける事はないと思うわ」
「ううっ! 吹寄さんのクールっぷりに磨きがかかった気がする!!」
 上条が思わず叫ぶと、吹寄がスパァン! とてのひらで彼の後頭部をはたいた。ツッコミにも親愛の情が足りない気がする、と上条はやや頭を下げる形で、後頭部を軽くさすった瞬間、
 ぼふっ、と。
 今度は下げた頭に、いきなり柔らかいものがぶつかってきた。
 冷静に確かめてみると、それは女性の胸だった。
「おわあ!?」

 上条かみじようが慌てて身を退く。さっきから次から次へと一体何が起こってんだ!? とビビリまくる彼に対して、ぶつかってきた女性は『おっとっと……』と、あんまり気にしていないような、適当な声を出していた。横にいた吹寄ふきよせの『……上条』という低い声の方が、よほど怨念おんねんこもっているように聞こえる。
 ぶつかってきたのは、地味な作業服を着た一八か九歳ぐらいの女性だった。神裂火織かんざきかおりと同じぐらいかもしれない。身長は上条よりもやや高い。日本人にしては高い、と評価したい所だが、色の強い金髪や青いひとみを見る限り、それは正しい意見とは言えなさそうだ。吹寄制理せいりもクラスの中ではスタイルが良い方だが、こちらの女性はそんな吹寄のスタイルがかすんで見えるほど色っぽい。単純に胸や腰などの体つきが良いのはもちろん、何か目に見えない妖艶ようえんさをまとわりつかせているような気がする。
 その女性の長い金髪は、ワックスや巻き髪用のアイロンなどで相当手を入れてあるようだ。全体的には髪を細い束ごとにアイロンでクセをつけ、小さな巻き髪を互いにからめるように三本の太い束に分けている。その他にも細かい所に様々な手が入り、一回セットするのが大変そうな髪型だ。一方、アクセサリーはない。髪そのものを加工して黄金の装飾品を作っている感じだ。
 塗装業の関係者なのか、作業服のあちこちには乾いたペンキがこびりついていて、わきには真っ白な布でおおわれた、長さ一・五メートル、幅七〇センチぐらいの看板を挟んでいる。ピンと伸ばした手の先が、かろうじて看板の下部をつかんでいた。
 が。
「うわ……」
 と、思わず声をあげたのは、上条ではなくとなりの吹寄だ。
 作業服はボタンで前を留めるタイプなのだが、大きく開いている。『第ニボタンまで開いている』とかではなく、『第二ボタン以外、一つもボタンを留めていない』だ。大きな胸の谷間もおへそも丸見えで、水着みたいな感覚なのかもしれないと⊥条は考える。
 ズボンもかなりゆるそうで、腰の辺りに引っ掛けて穿いている、といった感じだ。別にわざわざ後ろに回って確認する気はないが、もしかするとずり落ちたズボンの端からちょっとおしりが見えているかもしれない。
 そのままの格好でも露出ろしゆつが多いが、少し迂闊うかつに動いただけで全部脱げてしまいそうな、別種の危うさを兼ね備えている。自分の体について自覚的である辺りが、ジャージ姿の巨乳警備員アンチスキルさんとは少し系統が異なる気がした。
 塗装業者のお姉さんは、看板を脇に挟んでいるのとは逆の手で、適当に拝むような仕草を作ると、意外に流暢りゆうちような日本語で、
「ああーっと。ごめんねごめんね、こんな人混みはあんまり慣れてなくて。どこか痛い所とかないかしら。あ、ここ? 頭の後ろが痛いの?」
「う、うう。実は違うんだけど優しさが身に染みすぎて、このまま体を預けてしまいそう……」
 ほとんど涙混じりの上条かみじようの対応に、吹寄制理ふきよせせいりは片目を閉じて、ついさっき一いちげきを放った後頭部へ再びゲンコツを振り下ろす。その拍子に、上条の体がもう一度塗装業者のお姉さんの胸へと突っ込んでいく。お姉さんは特に悲嶋をあげる事もなく、片手でゆっくりと上条の体を引きがすと、
「よいしょっと。ほら、大丈夫だいじようぶ? あんまりケンカとかしては、ダ・メ・よ。せっかくのお祭りなんだから、楽しい思い出を残せるようにした方が賢明よね?」
 ぶわっ、と上条は顔全体を使って今にも泣き出しそうな表情になり、
「器が大きすぎる! どっかのみ付き少女やゲンコツ女とは比べ物にならないっ! 上条さんはこの優しさにおぼれてしまいそうです!!」
「あらまあ。自分のメリットばかりを見て好きだって言うのは、口説き文句としてちょっと幼すぎるかな」
 この野郎、という目で上条をにらんでいる吹寄に、塗装業者のお姉さんはうすく笑って小さく頭を下げる。
「ああっと。そっちのおじようちゃんもごめんなさいね」
 吹寄はびっくりした顔で、
「な、何であなたが謝るんですか?」
「間接的な原因は、やはりお姉さんにありそうだから、じゃダメかしら?」
 余裕があり過ぎる大人の台詞せりふに少女はたじろぐ。上条が『ホラ見ろあれが大人の女性ってヤツなんだよ見たか見習え参考にしろこの堅物女!!」とわめいた。直後に吹寄は合気道っぽい投げ技を発動して上条を路上にたたきつける。
「あー、もう大丈夫かな? それだけ元気があれば」
 地面で取り押さえられる少年と取り押さえている少女を見て、塗装業者のお姉さんが話しかけた。それから上条に、にゅっと、握手を求めるように手を伸ばしてくる。
「ぶつかってしまったおびに、ね。日本じゃ頭を下げるみたいだけど、こちらではこういうやり方の方が一般的ね」
「はあ……そういうもんなの?」
「あら。キスの方が良い?」
 ぶっ!! と上条は思わず吹き出しかけた。
 純情少年上条当麻とうまはぶるぶるとしばらくふるえた後に、
「キスの方が良いッ!!」
 叫んだ瞬間しゆんかんに吹寄制理が上条のこめかみに握りこぶしを放った。くわんくわん、と頭を揺らす彼に塗装業者のお姉さんは笑いながら、再び握手の手を差し出してくる。
 インデックスも噛み付きじゃなくて、こういう優しい文化を身につけてくれないものかしら、と上条は差し出された手を、同じく右手で握り返して、

 バギン!! と。
 何かが砕けるような、奇妙な音がひびいた。

「は?」
 という声を出したのは、上条かみじようでもお姉さんでもなく、それを見ていた吹寄制理ふきよせせいりだ。当事者の二人は、それぞれ何が起きたのかは理解しているため、そんな声は出さない。
 上条当麻とうまは自分の右手に宿る能力について思い出している最中だし、
 塗装業者のお姉さんは、何を破壊されたのかを確認している最中だ。
「っとっとっと」
 お姉さんは無理に苦笑いを浮かべようとし、それすらも失敗して、
「そろそろ、こっちもお仕事に戻らなくっちゃならないから。行っても良いかしら?」
 言うだけ言うと、上条たらの返事も待たずに立ち去ってしまう。仕草や動きに違いはないはずなのに、先ほどまであった、余裕に似たような雰囲気ふんいきがなくなっていた。
 握手の形で宙に手を伸ばしている吹寄は、首をかしげて、
「……あれ、あたしとは握手しないの? どう思う、上条当麻?」
「あん? お前とは仲良くしたくねーって事じゃねーごァああ!?」

 茶化ちやかした所で思い切り頭突きされた。

 吹寄は心底あきれたようなため息と共に、再び上条の手をつかんで連れて行こうとしたが、その時、彼女の携帯電話が着信メロディを鴫らした。どうも運営委員の連絡らしく、吹寄の口から事務的な言葉が漏れる。小声で何か言い合っているのを見る限り、何かちょっとしたトラブルでも起きたらしい。吹寄は上条の顔と時計の文字盤を交互に見る。『次はパン食い競走あるから遅れるんじゃないわよ!』と運営委員らしい台詞せりふと共に吹寄制理が携帯電話片手にどこかへ行くのを眺めつつ、上条は硬いおでこをぶつけられたほっぺたを手で押さえ、考える。
 今、自分が打ち消したのは『魔術まじゆつ』か『超能力』か。
 上条は少し考え、『超能力』の線はうすいと考えた。学園都市に所属する能力者とは、簡単に言えば学生だ。大覇星祭だいはせいさい期問中なら、普通はそちらに参加するだろう。土御門舞夏つちみかどまいかのような例外があるから断言できないが、どうも塗装業者の格好は、メーカーのロゴなどを見るに『外からやってきた業者』のものであるような気がする。テレビのCMでも時折見かける名前だから、何となく覚えていたのだ。
 当然ながら、元々学園都市の内部にいる学生がそんな衣服を手にする機会はない。
 だとすると……。
 上条当麻は携帯電話を取り出した。用囲を見回し、吹寄がいないのを確認する。今回の件は警備員アンチスキル風紀委員ジヤツジメントに動かれると困るらしいので、彼女に聞かれるのもまずいだろうと考えたのだ。それから土御門元春つちみかどもとぱるの番号にかける。
『どうもー。カミやん、インデックスの方は上手うまくごまかせてるかにゃー? こっちは今、オリアナが取り引きに使いそうな警備のうすいスポットを割り出してるんだけど、第七学区は意外にポイントが多い。だから一応は、インデックスが近づかないように気をつけてもらえると―――』
「いや、それより一つだけ確認しても良いか、土御門」
 上条かみじようの口調が早口気味になっている事に気づいたのか、土御門は声のトーンを落とすと、『……で、聞きたいのは?』
「なんだっけ? ナントカソードっていう魔術まじゆつアイテムの取り引きを止めるのが、俺達おれたちの目的なんだよな」
 上条は人混みへ目を向ける。着崩した作業服の後ろ姿は、まだ見えている。
『「刺突杭剣スタブソード」な。後はアイテムじゃなくて霊装れいそ つ。あん、何? もしかして弱気になってんのカミやん? でもオレ達以外の増援なんて絶対にやって来ないぜい』
「本当だな?」
『……どういう意味かな。カミやん』
 上条は背伸びして、その姿を見失わないように努力する。が、女は角を曲がってしまった。
「俺がある人物と握手した途端に、幻想殺しイアジンブレイカーが何かをこわしたんだ。何か、は分からない。でも、そいつは学生っぽくないっつーか、学園都市の外からやってきたっぽい格好をしてて」
『待て。カミやん。こっちも質問するぞ。そいつ、何か大きな荷物を持ってなかったか? 「刺突杭剣スタブソード」は全長一・五メートル、つぽはそれぞれ左右に三五センチずつ仲びてる。結構馬鹿ばかデカイ剣を隠せるような……何だろうな? スーツケースでも入らないような気はするし』
 上条は土御門の質問に、顔を青くした。
「持ってた」
『何が?』
「看板だ。その女、白い布でおおわれた、大きな看板みたいな物を持っていたんだけど……」
『カミやん。お前今どこにいるんだ?』
「は? いや、えーっと……一財銀行いちざいぎんこうの前だけど」
 そこで待ってろ、とだけ声が聞こえ、携帯電話がいきなり切れた。
 通話の切れた携帯電話を眺める。女の姿を追ってみるか、ここにとどまって土御門を待つか、上条は少し考え、塗装業者の女が消えて行った方へと走り出す。土御門が到着するまで待っていては、確実に見失ってしまうからだ。
 何かが始まる、と上条は予感する。
 それは、決して喜ぶような事態にはならないだろうという事も、同時に思う。

     7

 作業服を着崩した金髪の女は、わさに大きな看板を挟んだまま、人混みの中をって歩いていく。そして同時に、浮いているな、というのも自覚していた。仕草や動作に気を配っているつもりだが、やはり予測外の出来事に、感情が完壁かんぺきに対処しきれていない。
 女は作業服のズボンのポケットに空いた手を突っ込んだ。その拍子に、ほんのわずかにズボンが下がるが気にしない。中から取り出したのは、暗記に使うような単語帳だ。ただしそこには何も書かれていない。ただ白紙の厚紙が金属のリングに通してあるだけ。
「はむっ……」
 と、女は単語帳の一ページを歯でんで引っ張り、紙を千切ちぎる形でリングから取り外す。すると、まるでリトマス紙のように文字が浮かび上がった。筆記体で書かれたのは『Water Symbolウオーターシンボル』という黄色の文字。
 水の象微という意味を持つ名前が、黄色いインクによってつむがれる。
 女は単語帳をポケットに戻すと、口にくわえた一ページを貝殻のように耳へ当て、
「あー、あー。もしもし。こちらはオリアナ=トムソン。通信は届いているのかな。聞こえているのなら返事をしてもらえると助かるわん」
 独り言のような声に対し、耳に当てた単語帳の一枚が、空気の振動を介さない声で、

『本名は慎むように。貴女あなたの肉声そのものは、周囲に漏れる危険性が考慮りしうりよされるがゆえに。そこから正体を看破されると、厄介な事態を招く恐れも推測されるので』
 折り目正しい声だった。
 だからこそ、オリアナと名乗った女は苦く笑って、
「すでに少々トラブルに巻き込まれているの。お姉さんとしてはアドリブ満載の方が興奮こうふんするんだけど、そちらの好みのシチュエーションではないのよね? リドヴィア=ロレンツェッティ」
 リドヴィアと本名を呼ばれた通信相手は、一瞬いつしゆんだけ沈黙ちんもくし、
卑狼ひわいな表現は慎むように。こちらは信仰上の理由により、貴女の調子に合わせる事を固く禁じられています故に』
「そうねぇ。我慢我漫でらされるのがお好きな修道女には、言葉責めは少々つらすぎるかもしれないわね。知っている? 殉教聖人が最期さいこに見る天使の幻覚って、実は科学的な視点で考えるとマゾヒズム的なエクスタシーの可能性もあるんですって」
『……、』
「あら? もしかして科学方面のお話はお嫌いかしら。群衆心理を応用した教会の運営法とか聞くと耳をふさぎたくなっちゃう人間だったの?」
『……気にしているのは、そちらの方では……』
 通信相手はそこまで言うと、不機嫌そうにだまり込んだ。これでは通信をする意味がなくなってしまう、と今さらながらあせり始めたオリアナは、
「遊びが過ぎたかな、お嬢ちゃん。だったらごめんね」
貴女あなたの方が年下ではないかと思われるのですが』
「それでもあなたはおじようちゃんよ。いくつになってもお嬢ちゃん。だって、お嬢ちゃんのまま年老いていくのが修道女の本懐ほんかいなのよね?」
『清貧を掲げる身の上としては、お嬢様セニヨリーナ、という富豪に対する表現は不適切かと。大体、貴女も聖書を受け取った身であるはずなのに。修道女とは主の家族の一員となる際に―――』
 またいつもの説教か、とオリアナはため息をつく。
 典型的なローマ正教徒であるリドヴィア=ロレンツェッティは、主に祈るか教えを広める事で気分がハイになっていく、オリアナは適当に聞き流しながら、頃合ころあいを見計らって、
「でね。本題のトラブルというヤツなんだけど」
『―――我々修道女は皆、神の子の花嫁であり、それゆえに他者との性的なつながりは主に対する不貞の罪とみなされ……と、こちらの説教は』
「後でね」オリアナは簡単に流して、「簡単に説明すると、お姉さんが自分に使っていたあの術式が破られちゃったの」
 あの術式。
 使い捨てるようにつけた名前は『表裏の騒静サイレントコイン』。
 オリアナが用いたのは、一種の保険のようなものだ。自分を追い駆けよう、という気力を奪う術式。一緒いつしよに向き合って話している時は何の効力もないが、少しでも背中を向けると、『呼び止めるほどの事でもないよな』『また今度でも良いよな』と思わせ、二度とその背中に声をかけようとは思わなくなる、といった効果を作る。『人払い』の術式を応用し構成した魔術まじゆつだ。
 この術式が効果を発揮している間は、たとえオリアナがてのひらから炎の塊を生み出そうが何だううが、だれも『呼び止める気がしなくなる』。だからこそ、安心して『取り引き㎞の計画を済ませられる手はずだったのだが……。
 諸事情あって、オリアナは一度こわされたこの術式を、もう一度再構築する事はできない。
『あの、直接的な原因は?』
「分からないわ」
『では、これからの対応策は?』
「分からないわね」
『……、」
「ああっ、切らないで切らないで! お姉さんにはこういう痛い沈黙ちんもくを浴びて喜ぶような趣味しゆみはないんだから」
『では、これからどのような策に出るのか、代案の提出を』
 そうね、とオリアナ=トムソンはニコニコ笑って、

「……まずは、後ろにいる坊やをかないといけないわね」

     8

 上条当麻かみじようとうまの見ている先で、作業服の女―――おそらくは運び屋のオリアナ=トムソンがいきなり角を曲がった。
(……気づかれた!?)
 とにかく見失わないのが先決だ。上条はヘタクソな尾行をやめて、人との隙間すきまくぐるように走り出す。別の場所にテレビカメラが来ているのか、幸い進行ルートに人は集中していない。
 ビルの輪郭に従うように、直角の交差点を曲がる。
 思ったより遠くで、金色の髪が揺れているのが見えた。上条は風船を持った子供や手をつないでいるカップルの横を追い越しつつ速度を上げていく。競技用に休操服を着ていたのは救いかな、と思う。別に航空力学などを利用した空気抵抗を軽減させるようなハイテク素材ではないが、それでも学生服のズボンに比べれば随分動きやすいだろう、
 割と全力で走っているが、周囲からそれほど奇異の目は向けられていない。もしかすると借り物競走か何かだと勘違いされているのかもしれない。そうこうしている内にグングンと速度が上がっていく。最初に金髪の女とぶつかって、吹寄ふニよせと別れた場所から軽く一キロは離れている。ましてインデックスが着替えていた植物学試験場は、もう歩いて帰るのも面倒なくらい遠ざかっているはずだ。
 と、上条のズボンのポケットで、携帯電話の着信音が鳴った。
 走りながら話すのは疲れる。上条は相手によって出るかいなか決めよう、と考えていたが、番号は土御門元春つちみかどもとはるのものだった。
 慌てて出る。
『カミやん、今どこだ!? どうしてその場で待ってなかった!』
「悪い、あのままだったら見失っちまうかもしれないと思って!」
 言っている間にも、二〇メートルぐらい先にいる作業服の影がさらに角を曲がる。上条は一気に歩道を走って、曲がり角へ向かう。
『くそ、それで? 今どこにいるんだ?』
 角を曲がった上条は、思わずうめいた。先は細い路地で、道は三本に分かれている。彼は耳をまし、足音の聞こえてくる方へ走る。ぐの道だ。
「場所は……目印になりそうなものがない! こっちのGPSの使用コードをメールで送る。そっちでサーチしてみてくれ!!」
 GPS機能付き携帯電話には、『友人の現在地を探す』というサービスもある。ただし、これはサーチされる携帯電話の方から、専用のコードを含むメールを受け取らなければならない。
また、コードも三〇分で新しい物に更新されるようにできている。
 上条かみじようは自分の位置情報を教えるのに必要なコードを土御門つちみかどの携帯電話に送ると、通話を切った。もちろんGPS機能を生かすため、電源はつけたままにしておく。
 細い路地をしばらく走る。意外に路地は長さがあった。ビルとビルで作られた細い隙間すほまは途中でゆったりとカーブを描いていて、奥が見えない。先へ先へと進む上条は、ようやく前方から人混みの声や足音を耳でとらえる事ができた。
「っと!!」
 飛び出すと、そこは別の表通りだ。上条は周囲に視線を走らせる。オリアナは、左右に伸びる大通りの歩道を右方向へ走っていた。もうかなり遠くにいる。距離にして五〇メートルか。大きな看板(に偽装した、別の物品だろうか?)を抱えているにしては、無茶苦茶むちやくちやな速度だ、
 上条は慌ててオリアナを追い駆けた。
 幸いにして、彼女の巨大な看板は周囲から若干浮いているため、即座に人混みに溶けてしまう事はない。が、逆に少しでも目を離せば見失うかもしれないという状況が、必要以上に上条の視線をオリアナ一点に集中させてしまう。心理的に視覚をせばめられた上条は、周りを歩く人たちは溢うか、道路のちょっとした段差さえけられずにつまずきそうになる。「くそっ!」
 上条は叫び、さらに走ろうとした所で、バシッ、と背中をたたかれた。
 土御門元春もとはると、ステイル=マグヌスだ。
 随分と早い。
 彼らは後ろからではなく、横合いの小道から割り込むように来た。おそらくGPS地図を見て、上条の現在位置と進行方向から行き先を予測し、近道を通ってきたのだろう。
「どれだ、カミやん? 『刺突杭剣スタブソード』は看板に偽装してるって話だったよな」
「ぜぇ……あれだ。……あの、作業服着ている、金髪の女」
 上条が指差すと、土御門とステイルは同時に走り出す。上条を置き去りにしたのは、ここから先はプロの仕事だという意思表示だろう。だが、上条は息を整える事もなく、再びステイル達を追い駆ける。

(しつこい……ッ!)
 走りながら後ろを振り返り、オリアナはひモかに舌打ちする。距離にして五〇メートルは離れているが、逆に言えばそれだけだ。角を曲がり、迷いやすい小道を何度も通り、こちらの姿を見失わせるように努めてきたのに、全く効果が上がらない。
 看板を持った塗装業者、という今の格好は『仕事中』というイメージを人に植えつける。ホテルにしてもデパートにしてもレストランにしても、看板さえなければ『休憩中に来店してきた』と思ってもらえるだろうが、流石さすがにこの状態で客と同じ正面入り口から店内へ入れば、従業員に声をかけられるはずだ。逃走中に説明を求められても答えられるはずがないし、何度も従業員を振り切り続けるのも、それはそれで目立ってしまう。
 かと言ってスタッフを装って裏口から入るにはかぎやIDが必要となる。だからこそ、外の道路を走るしかない、というのも尾行をきづらい原因の一つになっているのだろうが、それにしてもこれだけ距離を離して正確に追尾できるのは少々異常だ。
 しかも、気がついたら追跡者の数が一人から三人に増えている。
 最初の一人は尾行のやり方からして素人しろうと臭かったが、新手の二人が来てからは仕事の精度が段違いに上がっている。おそらくプロだ。こちらの心理を読み、逃走パターンを先読みしているのだろう。
(一応、学園都市も教会諸勢力も今の街中じゃ手は出せないって話だったはずだけど、やっぱり甘くはできていないわね……っと!)
 オリァナの足が急ブレーキをかける。前方にテレビカメラが来ているのか、異様な人混みができていた。『巨大な看板』を手にしたオリアナには、あそこは通れない。看板に人の壁が引っかかって、思うように進めなくなるのだ。もちろん『看板』を捨てれば飛び込めるが、ここでそれをやっては本末転倒だ。
 彼女は周囲を見回し、
(多少苦しいけど、あそこを通るのが一番安全かしら……)
 思い、計算し、決断し、オリアナは横合いの別ルートへと飛び込んだ。

 土御門つちみかどが一番足が速く、次にステイル、最後に上条かみじようが続く。もっとも、上条は元々走っていたので体力がたなかっただけで、本来ならステイルよりも速そうだ。
 距離にして三〇メートルほど先を走っていたオリアナは、歩道の真ん中で突然立ち止まり、周囲を見回すと、横の道へと入って行った。土御門は走りながらまゆをひそめ、
「なんか、これまでと行動パターンがズレてるにゃー……。考えが変わったか?」
 言いながらも、大して呼吸を乱さずに走り続ける。うっかり力を抜くと避いていかれそうな勢いだ。上条は両足に力を込めて、土御門の背中を追う。
 オリアナが立ち止まった所まで来ると、前方にテレビカメラが来ているのに気づいた。地元の入間が聞けば見当違いとしか思えない説明を興奮こうふん気味に話しているレポーターの声がここまで届いている。その周囲には満員電車のような人混みができていた。オリアナはあれに捕まるのを恐れてルートを変更したらしい。
 オリアナの逃げた方へ、上条が視線を向けると、
「……何だこりゃ。バスターミナルか?」
 一面アスファルトの空間が広がっていた。
 周囲を完全にビルに囲まれた四角い平面。大覇星祭だいはせいきいに合わせて、不要な建物を丸ごと撤去てつきよして急遽きゆうきよ平地を作った、という感じの一角だ。
 横幅は三〇メートル前後、奥行きは数百メートルはありそうだが、少しも『広い』という印象がない。まるでタンカーに乗せるように、たくさんの大型バスが所狭しと並んでいるためだ。ここからでは奥の様子は見えないが、ざっと五〇台から七〇台はめてあるようだ。あちこちに金属の柱が立っていて、整備場全体がトタンか何かの巨大な屋根におおわれている、天井てんじようからは自動車工場で車両を組み立てるための金属製のロボットアームのようなものがたくさんぶら下がっていた。
 車両はどれも皆、無人の自律バスだ。
 おそらくここは自律ユニットを組み込まれたバスのための、臨時の整備場なのだろう。今、街中を走っている自律バスも、洗車や燃料の補給、その他のメンテナンスのためには持ち場を空けなくてならない。そういった時のために、三交代制か何かの対策を取っているはずだ。ここで整備を受けている自律バスは待機組という事になる。
 自律バスは大覇星祭期間中にしか使われず、この大きな整備場もそのためだけに作られているのだ。上条かみじようは改めて、イベントのスケールの大きさを思い知らされる。
『回送』と表示された自律バスが、ほとんど無音で上条たちの横を通って整備場へ入っていく。
土御門つちみかどはゆっくりと走る自律バスの後ろについていく形で、それこそ音もなく整備場の中へ一歩足をみ入れた瞬間しゆんかん

 ごう!! と。
 突然、青白い爆炎が天井から真下へ降り注いできた。

 不自然な色の炎は、まるで透明な筒の中でも通っているように、ぐ土御門をねらって降下する。おそらく魔術まじゆつによる攻撃こうげき―――だが、魔術の炎と言っても、もちろんステイルのものではない。となれば、だれが放ったものか。
「クソ、トラップでこっちの足を砕く方向に変更したのか! 伏せろカミやん!」
 土御門がとっさに後ろへ跳んで、上条を押し倒そうとする。が、
「何を言っているんだ。ここはこの男の出番だろう?」
 その一歩前で、ステイルが上条の首根っこをつかんで前へと放り投げた、
「はい?」
 土御門が目測を失って地面に転がり、入れ替わるように上条が青白い炎の真下へとおどり出る。
 見上げれば、そこにはギロチンのような勢いで落下する炎の柱が。
「はい!? ってか、ふざっけんなァあああ!!」
 上条かみじようは慌てて真上ヘアッパーカットを放つように右拳みざこぶしを突き出す。青白い炎の柱が四方八方へ飛び散り、周囲に。燃え移らずに消えていく。
 ステイルは、口の端にくわえた煙草タバコを上下に振って、
「いや、我ながら、なかなかのチームプレイだね。役割分担ができているというのは、分かりやすくて動きやすい」
「お、おまっ、お前……ッ!!」
 上条はぶるぶるとふるえたまま、思わず赤い髪の神父につかみかかりそうになったが、
「ほら。だから自分の役割を果たしてこい」
 げしっ、とられて再び前へと押し戻される。
 ヒュン!! と風を切る音がひびいた。前方をトロトロ走る自律バスの車体下を潜って、野球ボールぐらいの土の塊が飛んできた。ジャギッ!! とボール表面から石の刃が大量に伸びてウニのような形になると、急激にホップして上条のあごおそいかかる。
「ちょ、だから待てってェええ!!」
 上条がとっさに右手を前に出すと、石弾は氷細工のように砕けて空気に溶けた。土御門つちみかどとステイルは辺りにめてある自律バスを壁にするために、それぞれ左右へ跳んでいる。人間不信におちいりかけた上条は迷わず土御門のいる方についていった。
 バスの壁に背中を預ける土御門は、整備用通路を挟んだ向かいの車体に張り付いているステイルに向けて、
「ステイル。お前はここでルーンのカードをり付けて待機してくれにゃー。こっちは奥に進んで運び屋を押さえる」
「了解した。人払いOpilaは使った方が良いかな?」
たのむぜい。余計な魔力まりよくきたくないが、ここでさわぎが広がるのはさらにマズイ。禁書目録がこちらに向かっていない限りは問題ないだろ」
 勝手に話を進めてしまうプロ二人に、上条は疑問を抱き、
「なあ。全員で向かった方が手っ取り早くねーか?」
「カミやん。こんだけ遮蔽物しやへいぶつが多いと、行き違いになるのも考えられるんですたい。可能な限り、すべての出ロを封鎖ふうきするのが追撃戦ついげきせんの基本だぜい」
 そうか、と上条は今さらながらに思い至る。今やっているのは『倒すか倒されるか』の戦いではなー、『捕まえるか逃げられるか』の戦いだ。目的が違えば対策だって変わってくる。
 土御門は上条の顔を見て、
「で、カミやんはどうする? オレとしちゃここに残ってた方が安全だと思うが……」
 ステイルも上条の顔を見てニヤリと笑い、
「良いね。僕としても残ってもらった方が安全だと思う。君ではなく僕の安全だが」
 上条は落ちていた空き缶をステイルに投げつけ、土御門と一緒いつしよに前へ進む事にする。土御門はバスの陰から整備用通路の奥をのぞき、それから一気に飛び出して走る。上条かみじようもその後に続く。幻想殺しイマジンブレイカーがあるのだから、上条の方が盾役として前へ出るべきでは、とも思ったが、
 ゴッ!!
 という音と共に、正面から黄色い炎のやりおそってきた。一〇メートルほど先の、何もない空中からいきなり炎が生み出されたのだ。
 上条が右手を突き出そうとした所で、左右のバスとバスの隙間すきまから高圧縮の風のギロチンが襲いかかってくる。
「!?」
 上条の反応が遅れた所で、土御門つちみかどが彼の襟首えりくびつかんだ。そのまま引きずる形でさらに前へ走る事で左右のギロチンをけ、グルンと弧を描く軌道で前方の炎から逃れる。土御門は上条の。襟首から手を離すと、
「カミやん、いちいち全部相手にしようと考えるなー これは時間稼ぎのおとりだぜい。まともに対処してたら間違いなく逃げ切られちまう!!」
「んな事言われても……ッ!!」
 天井てんじようからアドバルーンほどの大きさの氷の塊が五つも降ってくる。上条はとっさに右手を使おうとする動きを必死に抑え、一気に前へ前へと駆け抜けた。背後で膨大ぼうだいな重量の氷が砕ける轟音ごうおん震動しんどうひびき、背筋に冷たいものが走る。
 自律バスが並んでいる一角を抜ける。バス用の大型洗車機が並んでいるのが見えた。二階建ての建物ぐらいの高さがあり、内側には車を洗うための機材が詰め込まれている。ガソリンスタンドにあるようなローラー状のブラシではなく、超音波の振動を利用した、巨大で平べったいスポンジのようなものだ。
 その陰に飛び込む形で、長い金髪が揺れるのがチラリと見えた。
「いた!!」
 上条が自律バスの陰から飛び出した所で、大型洗車機との間を遮るように、横一線に地面が大きく盛り上がった。高さ五メートルにも達する土の壁は、そのまま津波のように上条たちの元へと雪崩なだれ込んでくる。
 土の壁は整備場の端から端まで伸びている力避けられる状態ではないし、バスの陰に隠れても車体ごと押しつぶされてしまう。何より、天井を支える金属柱をこわされれば整備場を丸ごとプレスされる危険陸もある。
「カミやん、たのむ! ありゃエクトプラズムに似た暫定ざんてい物質だ、カミやんの手なら問題なく吹っ飛ばせるぜい!!」
 土御門が叫ぶと同時、上条は前へ飛び出した。あまりにも巨大な相手に、思わず歯がガチガチと鳴りそうになるが、泣き言を言って逃げられる状況でもない。土砂崩れの根元まで突っ込むと、その右手を迷わずたたき込む。
 バギン!! という轟音ごうおん
 ガラスが砕けるような音と共に高さ五メートルもの土の壁が粉々に砕け散る、空気に溶けるように壁が消えた後には、何もない。足元のアスファルトも元に戻っている。
 上条かみじょうが突き出した右手を手前に引くより先に、土御門つちみかどが彼の横を駆け抜け、大型洗車機の向こうへと消える。上条もその後を迫って、遮蔽物しやへいぶつの先へと一気に回り込む。
 足が止まった。
 オリアナの姿はない。
 洗車機の壁に、単語帳に使うような、板ガムサイズの厚紙が貼り付けてあるだけだった。上条はその場で立ち止まった土御門を迫い越して周囲を見回すと、洗車機の陰に隠れる形で、小さな裏口があった。しかし、少し離れた所のマンホールのふたも開いているし、左右の壁となっているビルのガラスは割れていた。簡単な話、どれが本物の逃走ルートか判別できない。
「『追跡封じルートデイスタープ』のオリアナ=トムソン、か。……ふざけやがってッ!!」
 土御門は壁にあった厚紙を乱暴にがす。その苛立いらだちが、状況の悪さを素人しろうとの上条に伝えてきた。

(さてさて。上手うまけたかしら……)
 オリアナ=トムソンはチラチラと後ろを振り返りながら、表の道を歩いていた。
 追っ手の姿が完全に見えなくなった時点で、彼女は走るのをやめていた。相手がこちらを見失ったのなら、距離を離す事より。再発見されない事の方が重要だからだ。無闇むやみやたらな全力疾走は、人混みの中ではとても目立ってしまう。
 それでもやはり気になるものは気になるので、オリアナは白い布を巻いた看板を小脇こわおに抱えながら、さらに後ろを確認する。
(……一時的に撒いたとしても、それで終わりという訳ではないし。やはり次の手を打っておいた方が良いのかしらね、っと)
 後ろばかり気にしていたオリアナは、ふと前方を歩いていた人とぶつかってしまった。き出しのおへそに伝わる感触は、人肌ではなく、金属のものだ。大覇星祭だいはせいさいの運営委員か、二人の男子生徒が横に倒した玉入れに使うポールかごを運んでいた所へ、体を突っ込ませてしまったらしい。
「っとっと。あら、ごめんなさいね」
 オリアナは軽く謝って、その場を立ち去った。男子生徒はオリアナの胸元を見てわずかに固まると、ぎこちない言葉を返してきた。若いわねえ、と彼女はクスクスと笑いながら、
(そのための仕込みも頑張った訳だし、やっぱりもう少し、痛い目を見てもらおうかしら)
 口の中だけで、小さくつぶやいた。

 それから土御門つちみかどは携帯電話を取り出して、どこかへ連絡した。どうやら相手はステイルらしい。彼らは二人とも魔術師まじゆつしだが、土御門は魔術が使えない。厳密に言えば使えるが、能力者である彼が魔術を使うと拒絶反応が起き、体の中で小爆発が発生する危険性があるのだ。
 すぐこちらへ来るように、と伝えた土御門は携帯電話をポケットに突っ込む。
 上条かみじようは土御門の手の中にある厚紙を見て、
「なあ。それって一体何なんだ?」
「あん? オリアナの使ってる霊装れいそうってヤツだにゃー」
 土御門はややイライラした声で言い、上条に厚紙を見せた。読みにくい筆記体で、『Soil Symbol』と青い文字が書かれている、英語の成績が悪い上条には何の意味なのか分からない。
「土の象徴、って意味ですたい。五大元素、RPGとかで聞き覚えないかにゃー? 火とか水とか土とか風とかっていう、あれの事だ」
「……じゃ、これは『土のお札』って感じなのか? 良く分からんが」
「いや、それだけじゃない。土の属性色は『緑』だが、コイツは『青』で書かれてるだろ?」土御門は厚紙をくるくると回し、「『青』は水の属性色だ。普通、土の魔術には使わない。土を使いたければ、相性の良い『緑』や『円盤アイテム』なんかの象徴を重ねるはずだ。ステイルが赤色のカードを使って炎を操るようにな」
「……あの女、間違えたのか?」
「まさか。わざとやってんだよ。ズレた配色を意図的に設置して、その反発力を攻撃力こうげきりよくに変換する形でな。五行で言うなら相克そうこくだ。悪い相性は悪い効果を生む、ってトコですたい」
 そうこう話し合っている内に、整備場の奥からステイルが走ってきた。
 土御門はヒラヒラと厚紙を振って言う。
「魔力の霊装コールを押さえた。オリアナが逃げながら遠隔操作で操ってたんなら、ケータイみたいに魔力の送受信が行われてた可能性が高いぜい。コイツを使って逆探の術式を組みたいんだが、手伝ってくれるかにゃー?」

     9

 土御門尤春もとはるは魔術を使えない体だ。
 厳密に言えば、使うと暴走に巻き込まれる。人間の体力はゲームのように数値化されていないため、何回耐えられるかは決まっていないとの事だ。四、五回つ事もあれば、一度で死ぬ事もあるらしい。
 言ってしまえばロシアンルーレットのようなもので、一撃で決着がつく、その確信がない限り、土御門は極力魔術を使わないようにしているらしい。戦場で行動不能におちいれば、後に何が待っているかなど決まっているからだ。
 なので、『逆探の魔術まじゆつ』は土御門つちみかどが使う訳ではない。
 土御門は地面にオリアナが残した厚紙を置き、その周りにテキパキと円を描いたり色とりどりの折り紙を配置している、だけだ。実際に術式を発動させるのは、ステイルの仕事らしい。
「術式の名前は『理派四陣りはしじん』って言うんだが―――『御使堕しエンゼルフオール』ん時もコイツが使えりゃ楽だったんだけどにゃー……。あの時は、オレは影響えいきようから逃れるために防護の魔術を一回使ってボロボロだったし、神裂かんざきねーちんは結界張るのが苦手だしでメチャクチャだったぜい。流石さすがに他宗派のロシア成教のメンツに術式教える訳にもいかなかったし……」
「口ではなく手を動かしたらどうだい。話によると探知範囲は半径三キロないんだろう?」
「おっ、言ってくれるぜい。ああ、カミやんは離れてろ。『理派四陣』の術式を右手で砕かれたらたまったもんじゃないし」
 土御門に言われて、上条かみじようはハッとしたように後ろへ下がる。土御門はあれこれ地面に印をつけた後、上条の横に並ぶように、自分も身を退いた。
 地。面には直径五〇センチぐらいの黒い円が描かれていて、その中心に、オリアナが洗車機の壁にり付けた厚紙が置かれている。三六〇度の円を四等分するように、九〇度の位置にそれぞれ胃、白、赤、黒の新品の折り紙が設置してあった。どうも東西南北に区切っているようだ。
 ステイルは、土御門が描いた円の手前で片膝かたひざをつき、両手を組む形で、祈るように目を閉じる。彼の額を、ほんの一滴の汗が伝った。
「―――風を伝いIITIAWしかし空気ではなく場に意思を伝えるHAIICTTPIOA
 告げると同時、四枚の折り紙が、風もないのに動いた。まるで見えない糸につながれたヘタクソな人形劇のように、ふらふらと折り紙が起き上がる。四枚の色紙は垂直に立つと、ピン、と動きを止める。折り紙の縁は刃物の鋭さを連想させた。
「ルーンってのは、染色と脱色の魔術だぜい」土御門は地面の円を眺めながら、「まずは意味のある文字を刻み、その溝を力で染める事で術式を発動し、脱色する事でスイッチを切る。ステイルの場合は、印刷という手段を使って『あらかじめ染めておいた』カードを使うから、術式の発動が異常に速いぜよ。カードを『燃やす』事で脱色のプロセスも一瞬いつしゆんで済ませられるしにゃー。その分、普段ふだんは『あらかじめ染めておいた』術式しか使えない訳だが……」
 四枚の折り紙が、円の上をグルグルと回る。滑り続けるそれらがラインを描くたびに、地面に折り紙と同じ色の曲線が描かれていく。ジリジリと、ジリジリと、円は少しずつ狭くなっていき、中心にあるオリアナの残した厚紙へと向かっていく。
「下地となってる『染色と脱色』の法則さえ守れば、意外とルーンの標準フサルクニ四文字から外れてもルーン魔術ってのは発動できるんだにゃー。実際、単に『ルーン文字』っつっても、時代によって数パターンにも派生してるし」
 ―――せばまる円から中心点まで、あと一五センチ。
 上条は高速で回転する四枚の折り紙を眺めながら、
「これを使うと、そんなピタリとオリアナの位置が分かるもんなのか?」
「ま、半径三キロ以内なら、ほぼ確実だにゃー。けど、そのラインから外に出られちまった場合は何にもつかめないぜい」
「……三キロ。ちょっと遠いよな。三キロギリギリの所で発見できたとして、こっちが追い駆けている間に、あっちだってどこかへ移動しちまう訳だし」
「さらにもう一点。一回『理派四陣りはしじん』を発動させると、次の準備に一五分ぐらいの空き時間タイムラグが必要になっちまうにゃー。ま、一回で成功させりゃ問題ねーがにゃー」
 土御門つちみかどはそう言うが、もしも失敗したら、
コ五分。短いように聞こえるけど、電車やバスを使われたらマズイんじゃねーの」
「別にどこまで逃げようが知った事じゃねーぜい。カミやん、忘れたかい?オレだって魔術師まじゆつしなんだぜい。一発限りになっちまうが、困った時の『赤ノ式」ってのもあるんだよ」
 ―――円から中心点まで、あと一〇センチ。
 上条かみじようは嫌そうな顔をして、
「あれって……、確か『御使堕しエンゼルフオール』を止めるために、海の家からおれの実家を砲繋ほうげきしたヤツだろ? あの長距離砲撃が使えるなら何とかなりそうだけど……。待てよ。あからさまに学園都市の中で魔術を使ってるのがバレたら、外で待機してるたくさんの魔術師たちが侵入する口実ができちまうんじゃなかったっけ?」
「いや、できないよ。カミやん。何故なぜならその口実は『街に入り込んだ悪い魔術師から民間入を守るため』というものだ、オレが一撃必殺で決めたら、『刺突杭剣スタブソード』の残骸ざんがいでも手土産てみやげにこう宣言すりゃ良い。『もう危機は去った。だからお前達は必要ない』ってにゃー」
 ―――中心まで、残り五センチ。
 土御門は、上条にニヤリと笑いかけ、
「とはいえ、オレが魔術師として事件解決の表舞台に立つと色々マズイ。だからこその『赤ノ式』なのさ。得意な水の術式『黒ノ式』じゃなくてにゃー。『だれが魔術を使った?』という質問が来たら、炎が得意なステイルが砲撃しましたって言えば済むって話なんだぜーい」
「……ま、また大胆だな。そんなに上手うまだませんのか?」
ぞきるできる。『必要悪の教会ネセサリウス」には魔道書まどうしよ一〇万三〇〇〇冊分の知識が保管されてんですよ? 十字教以外の術式を勉強してたって少しもおかしくないにゃー。ステイルのルーンだって、それ自体は十字教とは関係ない術式なんだし。ま、魔力の練り方を東洋じゃなくてちょっと西洋っぼく加工しなくちゃなんねーがにゃー」
「……、」
「何ですたい、そのあきれ顔は? とにかく、オリアナの位置さえ正確に掴めればこっちの勝ちだぜい。できれば直接捕まえて、リドヴィアともう一人の取り引き相手についても吐かせたかったトコだけど、今はとにかく『刺突杭剣スタブソード」の取り引き中止が最優先だしにゃー。そのためなら『刺突杭剣スタブソード騙を吹っ飛ばそうがオリアナの体を砕こうがお構いなしだぜい」
 ―――中心まで、残り〇センチ、
 四枚の折り紙がオリアナの残した厚紙に触れた。パン! と乾いた音と共に色紙は周囲にはじかれ、今度は物凄ものすごい速度で地面に精密な地図を描いていく。初めはピンボケしたカメラのようにぼんやりした像だったものが、徐々にフォーカスを合わせていく形で。
 道路、建物、街路樹、ベンチ、自販機、風力発電のプロペラから空き缶一つに至るまで、記号化・簡略化された地図と言うより、衛星から撮影した超高解像度写真のように。
 やがて浮かび上がってきた場所は……。

 ピクン、とオリアナ=トムソンは顔を上げた。
 白い布を巻いた看板状の物体をわきに挟み、唯一留めている第ニボタンにさらなる負荷を加えるように、大きな胸を少し反らして、頭上の空を見る。
 九月下旬の青空にはポンポンと花火の自い煙が弾けていて、残暑ながらも心地良い風が吹いている。まだらな白い雲はゆったりと同じ方向に流れ、何もかもが平穏へいおんの象徴のように見えた。
 にもかかわらず、オリアナの肌はピリピリとした緊張感セんちようかんヒらえていた。
 まるで、銀行強盗が立てもる建物の中へ突撃とつげきする前のような。
 オリアナ=トムソンは、自分の身に何が迫っているかを少し考え、
風を伝いIITIAWしかし空気ではなく場に意思を伝えるHAIICTTPIOA、ね。―――お姉さんには筒抜けよん♪」
 それから、ニヤリと笑った。
「ごっ、がァああああああああああああああ―――ッ!?」
 いきなり、ステイルがボデイブローでも浴びたように体をくの字に折り曲げた。
 バギン!! という物音と共に、地面に描かれつつあった地図のラインがすベて四方八方へ飛び散った。まるで砂で描いた絵画をくしゃみで吹き飛ばしたように。べぎべぎごきごき、と何かを砕くような音がひびく。上条かみじよう一瞬いつしゆん、ステイルの骨の音だと思って息をんだが、
魔力まワよくの暴走で空間がたわんだ音―――単なるラップ音だ! カミやん、ステイルの体をなぐれ! 多分それで止まると思う!!」
 土御門つちみかどの言葉に、上条はハッとする。とにかく『何が起きているか分からない』という状況が怖かった。上条はステイルのふところへ飛び込むと、体をくの字に曲げている彼の背中を慌ててたたく。速さ優先で、力の調節など考えていられなかった。
 バシュッ、と空気が抜けるような音が響く。
 ステイルは脱力したように、地面に倒れ込んだ。が、それで一応の異常は収まったらしく、変な音ももう聞こえない。ステイルはしばらく荒い息を吐いていたが、やがて汗でびっしよりにれた長い髪を手でかき上げると、
「なん、だ。今のは……逆探知の防止術式の一種、みたいなものか……?」
 土御門つちみかどは動かなくなった折り紙の一枚を、地面から拾い上げる。指で挟み、指をわせ、指でいくつか折り目をつけていくと、
「だったら、『理派四陣りはしじん』の魔法陣まほうじんたるこっちにも影響えいきようがありそうだが……そんな痕跡こんせきはないぜい」綺麗きれいなままの折り紙をヒラヒラと揺らすと、「おそらく、ステイルの魔力を読まれてる。その上で、ステイル個人の魔力に反応して作動するような迎撃げいげき術式が組まれてんだろうさ。オリアナの野郎、突然反撃に移ったと思ったら、ねらいはこれだったって訳だ。オレたち魔術よじゆつを使わせて、魔力を読み取り、それを送信するための魔法陣でも仕掛けやがったに違いないにゃー」
 上条かみじようは折り紙をいじり続ける土御門の言葉に首をひねりつつ、ステイルに手を差し伸べる。彼は鬱陶うつとうしそうに上条の手を振り払うと、よろよろと自分の足で立ち上がった。
 ステイルは口の中のつばを地面に吐き出し、
「僕の魔力を個人識別して封じにかかる迎撃術式か。まったく、厄介な物を組まれたものだね」
「……何だそりゃ? ようはステイル個人をピンポイント攻撃できるって事なのか?」
 上条は言っている事の半分も理解していないような顔で言った。
 土御門はため息をついて、
「確かに魔力ってのは、術者の練り方次第によって質と量は変わるモンだ。……けど、それだけで完壁かんべきな迎撃条件を整えられるとは思えないんだけどにゃー」
 土御門は短パンのポケットに手を突っ込みながら言った。話しながら取り出したのは、赤い筆ペン……のようなものだ。
 彼の話によると、魔力というのは生命力という原油を、流派や宗派という製油所を使って精製した、ガソリンみたいなものらしい。
 しかし、例えばルーン使いのステイルがアステカの流派に従って魔力を練れば、作られる魔力の質は大きく変わる。同じ原油を使って、ガソリンではなく重油や軽油を作るみたいな話だにゃー、と土御門は言った。天草式の聖人である神裂火織かんざきかおりなどは、十字教のほかに仏教や神道のエキスパートであり、状況に合わせて魔力の質と術式を自在に使い分けているとの事だった。
 オリアナからすればステイル一人を迎撃するために、彼が作り出すであろう魔力の種類をすベて把握しなければならず、整備場でステイルが精製した魔力パターン一つを封じた程度でオリアナが安心するとは思えない、というのが土御門の意見だった。オリアナはステイルの力量を把握し切ってはいないはずなので、彼の実力を問わずそれらの可能性を考慮こうりよするのが普通だろう、と。
「あの、じゃあオリアナは何をどうしてるんだよ?」
「そうだな……。多分、こういう事だと、思う」ステイルは、ふらふらとした調子で、「魔力そのものは、複数のパターンが存在する。しかし、その前段階なら違う。どういう方法で魔力を精製するかは、宗派や術式、個人の生命力によって異なってくる。後は数学の問題と同じだろう。逆算すれば答えは出る」
 例えば、二〇ポイントの魔力まりよくAと、魔力精製方法Bがあったとする。この二つを照らし合わせると、魔力精製方法Bを使って魔力Aを二〇ポイント精製するためには、こういう種類の生命力が何ポイントあれば良い、という感じで―――元の『生命力』ははじき出されてしまうらしい。
 ステイルはイライラした調子で、箱から。新しい煙草タバコを一で引き抜き、祝線を土御門つちみかどの方に投げた。土御門は手の中の折り紙に赤の筆ペンのようなもので印をつけている。この状況を打破するための陣を作ってるんだよ、と土御門は折り紙に目を落としたまま上条かみじように言った。
 ステイルは再び視線を上条の方へ戻すと、
「魔力に個性はないが、当然ながら生命力には個性がある。それをオリアナに読まれたって訳さ。くそ、迂闊うかつにルーンのカードなんか配置するんじゃなかったな。……しかし処刑ロンドン塔とかウインザー城地下とか、魔術師ホじゆつしを収容するための大規模拘束施設を利用するならまだしも、生身一つで生命力の探知・解析・逆算・応用・迎撃げいげきまですべてをやってのける術者がいるだなんて
流石さすがは『追跡封じルートデイスタープ』のオリアナ=トムソンといった所だね」
 いまいま々しげに言い、ステイルは珍しくマッチを取り出し、靴底でって火をける。魔術を使って火をおこすのを警戒。しているのだろう。今すぐ反撃に転じず、土御門の準備を待っているのもそのためだろうか。この自尊心の塊みたいな男が『警戒』しているという時点で、オリアナの底の深さが垣間見かいまみえていた、
 言われてみれば、さっきの整備場での戦闘時せんとうじに明確な「魔術』を使ったのはステイルだけだったような気がする。
「術式そのものを逆算して迎撃が入るなら、地面に『理派四陣りはしじん』とやらのサークルを描いた土御門の方にダメージが向かったはずだよ。それがないという事は、やはり僕の生命力の方に反応していると見た方が良いね」
 ステイルは続けて言った。土御門は変な作業に没頭しているため、会話は上条とステイルだけで進められていく。
「じゃあ、オリアナめヤツ、逃げながらステイルの魔力だの生命力だのってヤツを解析してたって事なのか?」
 上条は訳が分からずに首をかしげていたが、ステイルはそれを見て苛立いらだったように煙を吐いた。
ダメージのせいで余裕がないのか、あるいは魔術師にとっては当たり前の事を説明し直すのが面倒臭いからか。
「それができたら、彼女は君の右手以上に……重宝されているだろうさ」彼は煙草の煙を体いっぱいに吸い込みながら、「オリアナの迎撃術式……つまり処刑ロンドン塔施術クラスの魔術となると、魔法陣まほうじん、いや、それ以上の施設の設営は必須だろう。オリアナは術式だけでなく、設備を丸ごと作り上げたって訳だ。超高速のコンピュータを一台用意して、そちらに解析を任せているような状態なんだろうね。それならオリアナは逃げる事にだけ集中できる。しかし……」
「しかし、何だよ?」
 上条かみじようが聞くと、ステイルは苦い声で、
「……、いや、気のせいだろう。どうも、この『自動処理』という人間味のないやり口に、どこか見覚えがあるんだけど……まさかな。いくらオリアナと言っても、アレを所持しているとは思えないし……」
 ほとんど独り言に近い声だつた。
 上条は訳が分からずまゆをひそめただけだったが、ふととなり土御門つちみかどが折り紙と筆ペンを動かす手を止めて、ニヤリと笑った。
「いや、ステイル。オレも同じ事を思ってたトコだぜい」
「本気かい? ……確かに、アレなら逃げるオリアナが別に設置しておいても自動的に作動するのは理屈が通る。だがそうなると、ヤツは魔術師まじゆつしではなく魔導師まどうしという事になるぞ」
「はてさて、ホントにそうかにゃー? オレはどうもオリアナには不安定な部分があるように思える。マジで魔導師として完成してるとすりゃ、アイツにレクチャーされた魔術師が部下としてついてるはずだ。どっちかってーとそれはリドヴィアの役割だと思うけどにゃー」
 土御門は話しながら、さらに自分の折り紙に筆ペンで印をつけていく。印の上に別の印を重ねていくような感じだ。
「??? アレって?」
 二人の魔術師はそれぞれ勝手に言っていて、素人しろうとの上条にはサッパリ分からない。そんな上条の顔を見て、土御門は小さく笑った。
「そっかそっか。カミやんは、実物を見た事はないだろうにゃー。けど、知識としては分かっているはずだぜい。魔術に関する知識を詰め込まれ、それ自体が術者の意志によらず一つの魔法陣として起動するもの。術者が魔力を与えずとも、地脈や龍脈りゆうみやくから漏れるほんのわずかな『力』を増幅させてほぼ半永久的に活動し続けるものだよ」
 土御門は笑みを深くする。
 青いサングラスのレンズが、ギラギラと光を跳ね返す。
「まだ分かんないか。カミやんほどアレの近くにいる人間はいないと思うけどにゃー。何せ、お前のとなリには、アレを一〇万三〇〇〇種類も記憶きおくしている禁書目録がいるんだぜい?」
 一〇万三〇〇〇種類。
 禁書目録。
 土御門の台詞せりふ全体の意味は分からなくても、その言葉が何を指しているかは分かる。
「ま、さか」
「そうだよカミやん」
 思わずつぶやいた上条に対して、土御門は手の中の折り紙を軽く振ると、軽い調子で、

「魔道書の原典だ」

 原典。
 魔術まじゆつについてのノウハウを記した書物の事だ。それだけなら大した事はなさそうだが、まともな入間が内容に目を通せば精神が崩壊ほうかいすると言われ、また魔道書まどうしよの文章・文節・文字が一つの魔法陣まほうじんとして起動してしまうため、魔道書を破壊しようとする者へは半永久かつ半自動的に迎撃げいげきを行うらしい。
 力持つ魔道書の『原典』はだれにも破壊できず、ゆえに一時的に封印するという応急手段が取られている。頭に一〇万三〇〇〇冊もの魔道書を記憶きおくしているインデックスも、原典『法の書』の解析を行おうとしたオルソラ=アクィナスも、すぺては危険な魔道書に立ち向かうための行為との事だった。
 上条かみじようは魔術についてはほとんど素人しろうとに近い。本物の『魔道書』など見た事がない。そのくせ、彼の周りでは魔術や魔道書に関する事件が異様に多く、知識だけが外堀を埋めるように与えられていた。
 土御門つちみかどは重たい息を吐くと、筆ペンで折り紙の四隅に印を描き、
「元々、魔法陣と魔道書は似たような性質を持つからにゃー。ってか、そもそも魔道書の原典にある副次効果は魔法陣効果によるものだし」
 上条はまゆをひそめた。土御門が何を言いたいのかサッパリ理解できない。そもそも、
「魔道書と魔法陣のどこが似てるってんだ。魔道書ってのは古びた本で、魔法陣の方は良くRPGなんかに出てくる、円の中にお星様が描いてあるようなヤツだろ?」
 尋ねると、ステイルは苛々いらいらしたように目を細め、
「……また、くだらないたとえを。それはダビデの刻印だ。それが単品ではなく、円形陣の一部として使われたのは中期の魔法陣だよ」彼は土御門の手元に視線を投げつつ、「まずは『陣』の説明から始めてやるか……。最初期の魔法陣は、単なる円だった。こんな感じだ」
 言いながら、彼は地面に落ちていた石を拾うと、地面にしゃがみ込んで、アスファルトに直径五〇センチほどの円を描いた。フリーハンドにもかかわらず、恐ろしく正確な円だ。上条はおどろいたが、折り紙に筆ペンを振るう土御門は視線も向けなかった。陣なりお札なりを自分で作る魔術師には手先の器用さも大事……なのかもしれない。
「君のような素人でも思い浮かべられる五芒星ごぼうせい六芒星ろくぼうせいは、追加効果に使われているものだ。
ベースとなる円の効果を増すために、ソロモンやダビデの刻印などを重ねて描いたという訳さ」
 煙草タバコの煙を吐きながら、ステイルは続けて円の中に五芒星を付け足していく。これもやはり、五つの頂点は円を完全に五等分し、直線にも一切ゆがみがない。
 が、それが魔道書と何の関係があ。るのだろう、と上条は首をかしげる。
 そんな上条かみじようの様子を見て、ステイルはわずかに舌打ちした。彼がイライラしているのは上条に対する感情や自分の体のダメージのほかに、土御門つちみかどが考えている(らしい)現状打破のための準備に時間がかかっている事もあるのだろう。
「ここからが後期の魔法陣まほうじんだ。……何度も説明するのは面倒だ。良く見て労け」ステイルはさらに小石を動かし、「後期の魔法陳では、さらに他の物を重ねて書く。それは文字だ。多くの場合は、円の外周に力を借りたい天使の名前を書いたりする訳だが……」
 言いながら、ステイルは円に沿って何か書き始めた。おどろおどうしい魔法陣というのだから得体えたいの知れない古代文字かと思っていたが、彼が書いているのはただの英語だ。
 ガリガリと、ステイルの小石がアスファルトに文字を刻む。
「こんな風に、まずは力を借りるべき天使の名を書く。まあ、これは『火』や『風』と同じく、欲しい力の種類を指定するようなものだね。どんな質の『天使の力テレズマ』を、どの程度の量が必要なのかを明記しておく。力の質はもちろん、意外に重要なのは量だ。少なすぎれば当然術式は発動しないし、多すぎても余剰部分が暴走する。この適量というのが結構難しいものなんだ」
 あっという間に、アルファベットが円を辿たどって一周する。それでもステイルは手を止めず、もう一ライン外側に、二列目の文章を書き続ける。
「異なる界から適切な質を保った必要量の『天使の力テレズマ』を取得したら、次はその力をどう使用するかを書き記す。術者のつえに注いで特殊な効力を得たり、魔法陣の周囲に配して防御力を手に入れたり、とかね。すると 」
 二列目、三列目、四列目と、まるでロールケーキのように次々と文章が増えていく。
 それは、記号を重ねた魔法陣というよりも、
「―――本のページみたいに見えるだろう?」
 ふう、とステイルは地面の陣に煙を吹きかけた。
 実際、ステイルの言う通りだった。、文字の書き方自体は変則的だ。普通の本のように、縦書きや横書きなどの指定はない。しかし、円に沿って書かれた文字列を、普通の横書きに直したらどうだろうか。まして、『どういう質と量の力が必要で、どういうやり方で魔法陣に組み込んで、どういう結果が生まれるのか』という内容なら―――それはもう、術式のレシピのようなものではないだろうか。
 術式のレシピ。
 それはまさしく魔道書まどうしよそのものだ。
「もっとも、こういった方法の魔法陣にも弱点がある。図形を複雑にすればするほど、陣の制御が難しくなるんだ。例えばfrontという単語には、『前方』という他に『遊歩道』という意味もある。術者の頭と魔法陣の記述の間にこうした誤読が生まれると、術式は容易たやすく暴走し、術者を巻き込んでしまう。……まあ、自分で描いた魔法陣の意味を自分で読み違える、というのは相当に間抜けな術者だと言えるけどね」
 ステイルは言って、ゆっくりと立ち上がった。
 今まで握っていた小石を横に投げ捨てる。それを見ていた土御門つちみかどが口を開き、
「結局、魔法陣まほうじんってのは情報量の多さが威力に直結してるんだぜい。複雑な模様も、書き足された文字列もそのための小細工に過ぎない。さっきの『理派四陣りはしじん」に四枚の折り紙を使ったのだって、各方位に四色の情報をあしらったアクセサリーだぜい。とすると、一冊丸々魔術まじゆつの知識が詰め込まれた魔道書まどうしよってのはどれだけの情報量を誇ってると思う? ―――言っちまえば、魔道書の原典ってのは超高密度の魔法陣ってトコなんだよ。プロの魔術師でも手を焼くほどのにゃー」
 土御門は結論を言った。彼の手の中にある折り紙は、赤の筆ペンで印を描いてはその上に別の印を重ねてというのを繰り返し、もはやベタベタになっていた。
 上条かみじようは少しだまる。
 それから、考えていた事を口に出した。
「じゃあ何か。オリアナのヤツは大覇星祭だいはせいさいに合わせて、自動制御の迎撃げいげき術式を組み込むためだけに、わざわざ魔道書の原典を一冊用意したって訳か?」
 ゾッとする話だった。
 上条は『法の書』と呼ばれる一冊の魔道書を巡って、三つの魔術組織が起こした戦闘せんとうに巻き込まれている身だ。無論、魔道書にも価値やランクの違いがあるのだろうが、どう考えても普通のセンスではない。スケールが大きいというより、大き過ぎて無駄遣むだつかいしているようにすら感じられる。
 が、上条の意見にステイルは同意しなかった。
「……そんな事が、本当にできるものなのか? 錬金術師れんきんじゆつしアウレオルス=イザードも魔道書の著者として知られているが、隠秘記録官カンセラリウスの中でも最速筆で知られたヤツが不眠不休で取り掛かったとしても、一冊書くのにうすくて三日、分厚い物なら一ヶ月は必要としていたんだ。僕にはどうしても、逃亡しながら魔道書の『原典』を編むなんて事ができるとは思えない。それとも事前に『原典』を用意しておいたのか……」
「いいや。確かに「冊の本を丸々作るとなれば、それぐらいの時間は必要だろうにゃー。でも、オリアナの目的はそうじゃないだろ」土御門は気軽な調子で、「アイツにとって重要なのは、魔法陣化した魔道書の効果だけだぜい。本の体裁なんざ気にしちゃいない。他入に読めるかどうかも分からない、走り書きのメモみたいな感じなんじゃねーのかにゃー?」
 全面が赤く擁り替えられたような折り紙を片手に、土御門は言う。
「……『速記原典シヨートハンド」、といった所か。僕にはやはりできるとは思えないが……いや、良い。今はどんな可能性でも考慮こうりよしておこう」
 上条はうつむいて、彼ら魔術師の言葉を頭の中で転がす。
 やがて顔を上げて、
「原典ってのは、だれにもこわせない魔道書まどうしよなんだろ? そんな風に戦うたびにポイポイ原典を作り出していたら、世界中が原典だらけになっちまうと思うんだけど」
「そうだにゃー。『必要悪の教会ネセサリウス』の方でもそんな報告は受けちゃいない。あくまで予測だが、きっとオリアナの『速記原典シヨートハンド』は完璧かんぺさじゃないんだろ。本物の原典は、自らのページを魔法陣まほうじんに変えて半永久的に活動し続ける。でもオリアナのはハンパだから、短時間で勝手に崩壊ほうかいしちまうんだと思うぜい」
 土御門つちみかどはスラスラと答える。べちゃべちゃの折り紙の上に、さらに筆ペンを走らせながら。
表面だけでなく、どの順番でどの印を重ねていくかが重要なんだよ、と土御門は苦笑して、
「過去、そういった出来損ないの原典の執筆中に、暴走に巻き込まれて死んだ魔術師まじゆつしってのも結構いるしにゃー。あるいは、それを逆手に取ってオリアナは『速記原典シヨートハンド」を自由に破壊できるのかもしれない。そっちの方が術者としちゃ扱いやすいだろうし。原典と魔術師の混合術式―――知識や技術を後世に伝えるためではなく、今一瞬いつしゆんで破って使って捨てちまう原典……ってトコだにゃー」
 うーん、と上条かみじようは腕を組む。
「その原典だの魔法陣だのってのはいまいち埋解できなかったんだけどさ」
「……、君は本当に説明し甲斐がいのない人間だね」
 ステイルはダメージで青ざめた顔のまま、唇の端をわずかにゆがめた。
迎撃げいげきが入るって事は、ステイルはもうオリアナに向かって魔術は使えないって訳なのか?」
「いや、迎撃術式をどうにかしない限り、どんな魔術も使えないと思う。あの術式は『僕が魔術を使おうとするのを感知して迎撃する』ものだろう。「何のために使用されるか』なんて識別しちゃいないし、そんな面倒な命令文をわざわざ付け加えておく意味もないはずだ」
 ステイルは自分の弱点を告白するような言葉を告げたが、その口調にいよいま々しいひびきはあっても弱々しい感情は見当たらない。ここで終わった訳ではない、という意思表示のようだった。
「それなら結局どうするんだ? ステイルはもう魔術は使えないだろ。その、『理派四陣りはしじん」……だっけ? それでオリアナの位置を探知するのも難しいんじゃないのか。だって土御門の方は元々魔術は無理っぽいし」
「いや」
 土御門は首を横に振った。彼の手の中にある朱墨でれた折り紙は、どうしてまだ破れないのかと疑問に感じるほど、たっぷりと水分を含んでいる。
 上条とステイルは、彼の顔を見る。
「言ったろ? これは『速記原典シヨートハンド』による自動迎撃術式だ。なら、そいつを押さえれば良いぜい。上手うまくいくと対抗策としての護符も作れるかもしれないが、相手は曲がりなりにも『原典』。まずはぶっこわしてステイルの魔術を使えるようにした方が無難かもしんねーにゃー」
 上条は自分の右手にチラッと視線を落とす。確か『原典』はどんな方法を使っても壊せない
魔道害まどうしよという話だったが、彼の幻想殺しイマジンブレイカーならどうにかなるかもしれない。
 ステイルは煙を吐きながら、
「『速記原典シヨートハンド』をつぷすのは良いが、それをやっている間にオリアナが『理派四陣りはしじん』の探索範囲外へ逃げる可能性は?」
「ある。が、速攻で逃げ切る自信があるなら、わざわざ迎撃げいげき術式なんて綴まないと思わないかにゃー? あれだって、用意するのは手間がかかるだろう。ただでさえ切羽詰まった中で、わざわざ仕事量を増やすような真似まねなんて、普通はしないぜい」
 ふむ、とステイルは腕を組む。
 上条かみじようまゆをひそめた。根本的な円的はそれで良いのだろうが、
「なあ、その「速記原典シヨートハンド」ってのは、結局どこにあるんだ?」
「僕はどこかに仕掛けているんだと思っているけどね」
「オリアナが持ち歩いてんじゃなくて?」
「『速記原典シヨートハンド』の細かい使用条件が分からないから、何とも言えないけどにゃー。でも、オリアナはステイルの生命力パターンを探るために、設置型のわなをこの整備場に配置して、つかんだ生命力をオリアナの元に送る自動魔法陣まほうじんも用意して、コトを進めてる。なら一連の術式のラストも同系統の設置型で統一してる……って考えるのもアリなんじゃねーのかにゃー?」
「じゃあどこに『速記原典シヨートハンド』を仕掛けたのかって、分かってるのか?」
 彼女がどこを通って逃げているのか分からなければ、当然、どこに迎撃の魔道書を仕掛けておいたのかも判別できないはずだ。
「これからそいつを調べるんだにゃー」
 どうやって? という上条の疑問に、彼は即答しなかった。
 土御門つちみかどは、本当に小さく、一度だけ息を吐いて呼吸を整える。今まで動かしていた赤い筆ペンをポケットに戻し、べったりと染まった折り紙だけを大切そうに両手で抱える。
 それから言った。

「ステイル。何でも良いから魔術を使え。どこから妨害がやってくるのかを知りたい

 冷たい言葉だった。
 上条はギョッとして、ステイルは完全な無表情になる。
「オリアナはステイルの生命力を読み取った後に、『速記原典シヨートハンド』を使ってこちらの動きを妨害してる。その迎撃の術式にしても、魔力まりよくが使われてるはずだ。そいつに反応する、リトマス紙みたいな「占術円陣せんじゆつえんじん』をお前の周りに設置する。だれの魔力も通っていない未使用の魔法陣だ。『占術円陣』は迎撃魔術の魔力に反応する形で起動し、どこから魔力が飛んできたのか、その方角と距離を逆算してくれる」
 言いながら、土御門つちみかどは赤く染まった折り紙を持って地面にかがみ込んだ。それから、まるでテーブルに布巾ふきんを走らせるように折り紙を動かす。あっという間に、地面に直径ニメートルほどの朱色の円が描かれた。彼は作業を終えると、いかにもつまらなそうな仕草で立ち上がる。
 まるで説明書を読み上げるような感情のない声に、上条かみじようは土御門の正気を疑った。慌てて彼の両肩をつかんで、
「だって、無理だろ土御門! 迎撃げいげきが入るって、具体的に何が起こるか分かってんのか!? そんなの実行すれば、もう一度ステイルが倒れる羽目になるんだぞ!!」
「もう一度?」
 土御門は不思議そうにまゆをひそめ、
だれがそんな事を言った。一度で済むはずがないだろう? ステイルはここでリタイヤする訳じゃないぜい。最低でも、迎撃術式を破壊はかいした後にもう一回、オリアナを捜すための「理派四陣りはしじん』を使ってもらう。それ以前に、一度の「占術円陣せんじゆつえんじん』で迎撃術式の場所がつかめなければ、何度でも試してもらうしかない」
 上条の表情が変わる。
「……、テメェ。本気で言ってんのか?」
 対して、土御門も正面から向き合うように、
「カミやん。忘れているようなら一つだけ教えておく。オリアナ=トムソンが目の前にいなくても、刃や銃弾が交錯こうさくしてなくても、これはやっぱり命懸いのちがけの戦いだ。それも結果によっては国や世界が傾くほどの、な」
「でも……ッ!!」
 上条は靴底で地面をり、
「ステイルが一回傷つく代わりに、絶対勝利が掴めるってんならまだ分かる。でも、何でそこを確約しねーんだよ!? それって、コイツがどれだけダメージを負っても、何の効果も上がらない可能性だってあるって事だろ! しかも、仮に迎撃術式の発見と破壊ができたとして、そのままボロボロになったステイルを引き連れて戦うって言うのか、ふざけんな!! そんなもん納得できる訳ねえだろ!!」
 そこまで叫び、しかし上条はギリギリの所で最後の台詞せりふだけはみ込む。
 ……土御門だって、傷を負いながら戦うのが嫌だから、代わりにステイルに魔術まじゆつを使ってもらってるはずなのに……。
「分かったよ。それで行こう」
 誰がどう考えても理不尽な提案に、ステイルは答えた。
「だって、お前……ッ!!」
「気持ちが悪いから慣れ合うなよ上条当麻とうま。それで全部終わらせられるなら聞題はない」
 言って、彼は土御門をにらみつける。
「代わりに、何があっても迎撃げいげき術式の居場所を突き止めろ。そしてこの問題は、僕たちだけできちんと片付ける。これ以上大きな聞題には、絶対に発展させない。分かったか?」
 にらまれた土御門つちみかどは、視線を外す事もなく、
「オーケー。これ以上問題をこじらせる事で、インデックスに強制帰還命令が下るような結果にはさせないぜい。彼女の学園都市での生活は確実に守る。それがお前の条件だったな?」
 土御門の言葉に、上条かみじようは思わず絶句した。
 結局ステイルは、どれだけ自分が傷ついても、とある少女の幸福しか考えていない。
 たとえ、その幸福な世界に、自分の姿がなかったとしても。
 かつて自分が立っていたはずの屠場所に、上条当麻とうまが立っているとしても。
 彼は、その程度の事実では、止まらない。
 魔術師まじゆつし・ステイル=マグヌスは上条達に背中を向けて、ふところからルーンのカードを取り出す。
 占術円陣せんじゆつえんじん
 土御門元春もとはるが地面に描いた朱也の円の中へ、ステイルは迷わずみ込んだ。
「上条当麻。……僕は、君が今ここにいる事が気に食わない」
 赤い髪の神父は、揺るぎのない声で、
何故なぜ、あの子のそばにいないんだ。あの子がそれで顔をくもらせたら、全部君のせいだろうが」

 直後、ルーンの炎が炸裂さくれつし、同時に迎撃のための術式が発動した。
 絶叫がひびき、だれかの倒れる音が聞こえる。
 それが、ステイル=マグヌスという一人の人間の生き方だった。

   

chap4

第三章 追う者と逃げる者の戦略 Worst_Counter.

     1

 吹寄制理ふきよせせいり大覇星祭だいはせいさいの運営委員だ。
 警備員アンチスキル風紀委員ジヤツジメントのような特別権限は持たないものの、競技の準備や審判を担当するため、割と馬鹿ばかにできないポジションだったりする。世間にとっては大きなスポーツの祭典程度の印象しかないが、大覇星祭は各校ごとの能力開発の進み具合を簡単に評価できるため、学校の予算編成にも影響えいきようしてくるのである。
 当然ながら運営委員も競技に参加する。
 よって、彼女たちは自分のスケジュールとの都合をつけて運営委員としての仕事に従事しなければならない。言葉で言うのは簡単だが、ここは東京都の三分の一を占める学園都市。競技場の位置によっては、相当の距離が開く。まるで時刻表ミステリーのような計画性と、開始や終了のタイミングが細かく変動する競技時間をアドリブで乗り切るだけの行動力がなければ務められない。すべては時間との戦いなのだ。
(次の『玉入れ』の競技場に向かうには地下鉄よりも自律バスを使って……いや、これは駄目だめだわ。あの大通りは長距離走に使われるから、今の時間は通行禁止のはず。となると地下鉄……いっそ、同じ学区内なのだから走った方が速いか!)
 吹寄は両手にスポーツドリンクの詰まったボックスを抱えながら考える。運営委員なら地図とスケジュールぐらい頭に入れておくのは常識だ。さもないと、パンフレットに書かれていない突発事態が起きた時に対処できなくなる。
 現在、彼女は自分が審判を行う競技場へ向かっている最中だが、最短コースから外れて、かなり遠回りなルートをぐるりと迂回うかいしている。理由は単純で、人混みの多いエリアをけて進んだ方が、最終的な時間短縮になるからだ。
 そんなこんなで、わざわざ上条当麻かみじようとうまを引きずってきた道を逆戻りする形で、吹寄制理はズンズンと前へ進んでいく。
(地下鉄だと駅から競技場までやや距離があるし、ちょうど人混みのエリアを抜けなくちゃ駄目。なら、人の少ない小道を走った方が、結果として速く進めそうね。……準備運動なし。て走るのは少し怖いけど!)
 口の中でブツブツ言いながら歩いている吹寄は、しかし不意にまゆをひそめて足を止めた。
 視界の先。
 ほんの数メートル先に、チアリーディングの格好をした銀髪の女の子が、四つんいで打ちひしがれている。炎天下のアスファルトに手をつくのは熱そうよね、と吹寄ふきよせは思った。すぐ近くに植物学試験場があるのだから、木陰に入って涼めば良いのに。
「う、ううっ……せっかくお着替えして、とうまに見せてあげようと思ってたのに。私の事なんて待ってないで、勝手にどっか行っち。やったみたいだし……」
「し、シスターちゃん。そんなに落ち込まないで、きっと上条かみじようちゃんにも何か深い訳があったのですよー?」
 ぐったリチアリーダーの横で気の毒そうになぐさめているのは、さらに小柄な少女のように見えるが、吹寄のクラスの担任、月詠小萌つくよみこもえだ。彼女もまた外国人の少女と同じく、明るい色合いのチア衣装を着込んでいる。
 吹寄はまゆをひそめたまま、
「あたしが先生にお伝えした案件はどうなりました? 大体、公衆の面前で何をやっているんですか。軽い錯乱さくらんならホットミルクなど温かい飲み物でおなかを満たして沈静化を促すか、唐辛子とうがらしなどの刺激物を使って思考を外側へ向かせると良いと思います。今、手元には唐辛子しかありませんが使いますか? ほら!」
「いっ、いえ、大丈夫だけじをワぷなのですよー吹寄ちゃん。―――ホントに大丈夫なのですよ! だからシスターちゃんの鼻に唐辛子を押し込もうとしないで下さい! なんか江戸時代の女性に対して行われた奇妙な刑罰みたいですよそれーっ!!」
 そうですか、と吹寄制理せいりは七味啓辛子の入った小さなヒョウタンをポケットに戻す。
 あわわわと顔を青くしている小萌先生だが、四つん這いチアリーダーは自分の身に降りかかろうとしていた事にも気づいていないほど落ち込んでいるらしい。微妙におしりが高く上がっているため短いスカートの中が見えそうだがやっぱり見えない。
 彼女は言う。
「と、とうまは? とうまは一体どこに行ったんだろう……?」
 さあ? と吹寄は首をかしげた。
 あの少年は、どこで何をやっているのだろう?

     2

 地面に倒れたステイル=マグヌスの体は、動かない。
 秋風がゆるく整備場を流れるが、黒い装束がゆらゆらと揺れるだけで、反応がない。一応は呼吸をしているようだが、まともな体調とは思えない。
 土御門元春つちみかどもとはるは、
「反応は……出た出た。『占術円陣せんじゆつえんじん』に反応ありですたい。ここが、こう変化すると……方角は北西か?」
 倒れた同僚の方を、見ていなかった。目の前のステイルを視界にも入れず、彼の周囲に張り巡らせていた、直径ニメートルほどの真っ赤な魔法陣まほうじんに目を落としている。
「『速記原典シヨートハンド』らしき反応までの距離は……、この色の強味から考えて、三〇ニメートル。チッ、意外と近くに仕掛けてやがったのか。反応が全く動かない所を見ると、予想通り設置型って感じかにゃー。こりゃオリアナ自身も遠くに行ってない可能性があるな。無闇むやみに走るよりゆっくり歩いた方が集団に紛れやすいと踏んでるのかも。おいカミやん、地図持ってないかにゃー? ここから北西三〇ニメートル地点に何が建ってるかを知りたい」
「つち、みかど……」
 上条かみじよう呆然ぼうぜんと突っ立ったまま、ぶるぶるとふろえていたが、やはり土御門つちみかどはそれも視界に入れていない。彼は自分の声に上条がこたえない事に気づくと、顔も見ないまま、
「カミやん、地図だよ地図。大覇星祭だいはせいきいのパンフレットでも良いぜい。ああ、携帯電話のGPS地図もあったか。それならこっちでやるから」
「土御門ォォおおおおおおおおッ!!」
 気がつけば、思わず上条は土御門の体操服の胸倉をつかんでいた。ブチブチと嫌な音が聞こえ、彼の首に巻いてあった金の飾りのくさりが引き千切ちぎれる。怒りのあまり、思わず右手で地面の魔法陣をたたこわそうかと思った。それを最後で押しとどめたのは、やはり地面に倒れたまま見向きもされないステイルの姿だった。
 と、土御門は胸倉を欄まれたまま、上条の顔を静かに見据えると、
「カミやーん。ステイルなら心配はいらないぜい。コイツだってプロの魔術師まじゆつしだ。術的な攻撃こうげの耐性ぐらいはあるんだよ、大体、オリアナの張った術式はあくまで『妨害』がメインであり、『攻撃』のためのものじゃない」
 上条の怒りなど軽く受け流して、
「この迎撃術式は、平たく言えば『ステイルの魔力精製を空回りさせるように』動いてんだぜい。魔力ってのは生命力から作られるもんだ。それが空回りを続ければ、エンジンが焼け付くみたいに人間の肉体も変調を起こすにゃー。言っちまえば、それだけだよ、カミやん。ざっと見たが、こりゃ日射病みたいなモンだ。わざわざ興奮こうふんするほどの事でもない」
「ナメた口いてんじゃねえよテメェは! コイツがだれのためにわざわざ傷を負ったか分かってねえのか!? 何でそこまで冷たくなれるんだよ!!」
 上条がさらに力を加えて土御門を手前に引き寄せようとした所で、
 ピツ、と。
 土御門のこめかみが、うすく切れた。
 一歩遅れて赤い血の玉が浮かび上がるのを合図に、体操服におおわれた脇腹わむばらが、内側からじわりと赤く染まり始める。みるみる内に赤い色は広がっていき、まるで刃物で刺されたような惨状へと変わっていく。
「つ、ちみかど……?」
 上条かみじようは慌てて胸倉から手を離す。上御門つちみかどは、表情も変えない。
「飛んでくる術式の魔力まりよくに反応して、距離と方角を伝えてくれる『占術円陣せんじゆつえんじん』。そんな便利な代物しろものを、魔力を使わずに発動できるはずがないだろう、カミやん……」
 ギクリとした。
 そう、魔法陣まほうじんを描いただけで、魔力という力を使わなくても魔術まじゆつが使えるなら、インデックスにだって使えるはずだ。むしろ魔力を扱えない彼女からすれば、それは立派な切り札になると思う。しかし当然ながら、上条はインデックスがそんな物を扱っている姿も、得意げに『占術円陣』とやらについて説明している姿も見た事がない。
 土御門は、ほんのわずかに呼吸を乱しながらも、
「ステイルに、使わせた……探索の魔術に比べれば、使った魔力は、微々たるモンだが……それでも、この醜態しゆうたいだ」血にれた脇腹わきばらに、片手を当てて、「いいかい、カミやん。お前の言う通り、ステイルが倒れたのは、全部オレのせいだ。オレがもっと、まともに魔術を使えてりゃ、こんな事にはならなかった。認めてやるよ、だから好きなだけ恨め」
 告げる。
 揺らぐ両足に力を込め、崩れ落ちそうになる体を必死に支え、
「でも、オレは成功させるぞ。オリアナが張った、迎撃げいげ 術式は、必ず見つけて、破壊はかいする。そしてオリアナも捕まえて、『刺突杭剣スタブソード』の取り引きも、絶対に、この手でつぶす。それで、まずはイーブンだ。残りの利子は、全部、終わってから……ステイルに返してやるさ」
 気にしていないはずが、なかったのだ。
 それを強く自覚しているからこそ、上御門は冷酷にてつする事にしたんだろう。倒れた同僚の努力に報いるために。そして何より、一刻も早く戦闘せんとう状態を終わらせる事で、少しでもステイルの負担を軽くするために。
 呆然ぱうぜんとする上条に、土御門はうすく笑う。
 別に、ステイルを傷つけたのに代わりはないのだから態度を改めるな、とでも言うように。
「カミやん、地図だ。北西三〇二メートルの位置に何があるかを知りたい。きっとそこに、オリアナが仕掛けた迎撃術式の「速記原典シヨートハンド』があるはずだ」
「あ、ああ……」
 大覇星祭だいはせいさいのパンフレットは分厚いため、体操服のポケットに収まるようなものではない。上条は携帯電話のGPS機能を使って、上御門が指定した場所の座標を調べる。
 そして、
 目を疑った。
「な……ッ。土御門、本当に北西で良いのか? 距離は三〇二メートルで間違いないのか!?」
「正確には、北を〇度に置いた場合、時計回りで三一八度。北西で間違いないにゃー。距離の方は少し曖昧あいまいだが、大体間違いはないぜい」
「……、くそったれが」
 上条当麻かみじようとうまは指定された座標が表示された携帯電話の画面を、土御門つちみかどに見せた。
 彼の顔がおどろきで凍る。
 無理もないだろう、と上条も思った。
 そこに表示されていたのは、とある中学校の校庭の真ん中だった。秋空をゆっくりと流れていく飛行船が、次の競技の案内を放送している。あと一〇分もしない内に、その校庭では競技が始まるらしい。

     3

 上条たちは倒れたままのステイルをどうする事もできない。可能な限りさわぎを外に漏らさないためにも、だ。土御門はオリアナ探索のための『理派四陣りはしじん』の折り紙と魔法陣まほうじんを、再度ステイルのそばに描いた。迎撃げいげき術式破壊はかいと同時に携帯電話で連絡を送り、それを合図に『理派四陣』を起動させて欲しい、と土御門は言っていた。
 ステイルは地面に転がったまま、しかしわずかな動きでうなずいた。それだけでも『生きている』感じがして、上条はホッと安堵あんどする。
 土御門は自分が傷っく事は計算に入れていたのか、体操服のポケットから包帯を取り出すと、テキパキと脇腹わきばらを止血していく。が、体操服にべったりついた血の染みは隠しようがない。このまま外に出れば、確実に騒ぎになる。
 服はどうにかするから先に行け、と土御門は言った。とにかく、ここで二人とも立ち往生していても意味はない。上条だけでも、問題の中学校へ走る事になった。
 そんなこんなで、現在、上条はたった一人で秋晴れの歩道を全力疾走している。老人に手を引かれる子供や、パンフレットを手にした男女がこちらを見ていたが、いちいち気にしていられない。ゆっくり回る風力発電のプロペラの下をくぐり、さらに加速を続ける上条の手には、携帯電話があった。
 相手は土御門だ。
「ステイルの魔術まじゆつをあっさり封じたり、少人数の尾行に対する逃げ方を見せてる辺り、オリアナのヤツ、こっちの事情をある程度つかんでるっぽいにゃー。わざわざ露出ろしゆつの高い競技場に迎撃術式の拠点を設置するだなんて、完全に嫌がらせ入ってるぜい』
「しっかし、いくら競技前だからって、校庭の真ん中に小細工なんかできんのかよ? なんか透明人間になれる魔術でも使ってんのか、オリアナのヤツ」
『それが使えりゃ、オレ達が追跡してた時も使ってそうだがにゃー。にしても、カミやん。競技開始まで残り時間はどれだけだっけ?』
「七分。そこらの電光掲示板にも載ってるぞ」
 上条かみじょうはデパートの壁にり付けられた大画面エキシビジヨンに目をやりながら、直線の歩道を走る。
『だとすると、もう競技の準備は終わってるな。客もカメラも入ってるだろ。今からこっそり校庭に入ってオリアナの「速記原典シヨートハンド」をどうこうするのは難しそうだ』
 競技内容によっても違うが、一つのプログラムを終えるのに三〇分から、長いものでは一時間ぐらいかかる種目もある。『理派四陣りはしじん』の探索効果範囲が三キロ前後である事を考えると、終わるまで待っていたら、オリアナはのんびり歩いても範囲から逃げ切れる計算になる。
「じゃあどうするんだよ。校庭の迎撃げいげき術式を放って溢く訳にもいかないだろ」
『当然。カミやん、そこの学校でやる競技って何だったっけ?』
「あん? 確か―――」
 勢い良く角を曲がりつつ、上条は電光掲示板を探す。歩道をゆっくりと進んでいるドラム缶型の警備ロボットが、スピーカーを使って近隣きんりんの競技場の情報を流していた。上条はそれを聞きながら、
「―――玉入れ、みたいだぞ。中学の学校対抗で、全校生徒が参加する大規模なヤツらしい」
『そかそか。いや、こっちも今、飛行船からの案内放送で確認したぜい。「速記原典シヨートハンド」ってのがどんな形をしてるか分かんねーが、そこにあるのは間違いない。なら、やるのは一つだろ、
カミやん。……その競技に、選手として潜り込むしかない』
 上条は足がもつれて盛大に転ぶかと思った。
「本気で言ってんのか!?」
『時間内に、怪しまれずに校庭に入るならそれしかないにゃー。なに、学校対抗って事は、三けた単位の人間が入り混じるはずだ。一人二人もぐった所で何とかなるぜい』
「でも俺達おれたちはコーコーセーであって、チューガクセーの集団に混ざるのはちょっと無理があると思うんですがその辺りは何か対策が!?」
「カミやん。若さだよ。あふれる若さを取り戻せば怪しまれる事もないぜい』
 なんか色々と駄目ぜめかもーっ! と、上条はくじけそうになる。競技はテレビカメラが回るのだ。下手をするとお茶の間クラスの恥をさらす危険もある。
 と、土御門がこれまでの口調より、ワンランク低くした声で、
『いや、カミやん。ここで渋る訳にもいかないんだ。オリアナの捜索の事はもちろん、ほかにもヤバそうな理由がありそうだし』
「あん?」
 上条は走りながら携帯電話に耳を傾ける。
『あの迎撃術式は、ステイル個人だけをねらうモノじゃないかもしれないんだよ。条件さえそろっちまえば、他の人間にむばく危険性もあるって事ですにゃー。それこそ、オレ達以外の一般人でもな』
「……何言ってんだ、お前?」
 競技場が近いせいか、周囲に人が多い。公式競技なら開始一〇分前には来場受付を終了していそうなものだが、この辺りが『運動会』といった所か。入場条件が甘い分、警備の人数は増えているようだが。
『良いかカミやん、冷静に聞け。オリアナの迎撃げいげき術式は、「魔術まじゆつを行うための準備を読み取り、そこから使用者の生命力を識別して妨害する」っていうヤツだ。ここまでは分かるか?』
「あ、ああ」
 実はあんまり良く分かっていない。
 が、とりあえずオリアナが放った「速記原典シヨートハンド』が、ステイル個人を何らかの方法で区別して、彼の魔術を妨害した、というのは分かる。
「それがどうかしたのか?」
『まあにゃー。ここが問題なんだ。「魔術を行うための準備」。これ、何が当てはまると思う?』
「……は?そりゃ、まあ……変な呪文じゆもんを唱えたり、得体えたいの知れない魔法陣まほうじんを描いたり、とか?」
 準備とか言われた所で、上条かみじようには具体的に『魔術とはどういうものなのか』が理解できていないので、上手に答えられるはずがない。
 土御門つちみかどの声が、さらに渋くなる。
『しかし、それで良いなら……なあカミやん。例えば、「言霊ことだま」って術式があるんだぜい。言葉の意味による影響力えいきようりよくを利用した術式だが、これの準備は、ただ声を出すだけだぞ?』
 上条はギョッとした。
 それでも足は止めない。問題の中学校はすぐそこだ。
『あくまで可能性の話だが、もしもこれに反応するってんなら、非常に厄介だ。オリアナの「速記原典シヨートハンド」の近くで話をしただけで、その迎撃術式はターゲットの追加オーダーを入力するはずだ。そしたらステイルと同じくぶっ倒れちまう。……声を出すのに魔術師も一般人も関係あると思うか? 普通の生徒や観客だって十分危ないんだよ』
「でも、そんなのってありえるのか? ステイルが倒れた時、俺達おれたちだって普通に話をしていただろ」
 競技場に向かう観客達を追い抜いて、上条は一気に中学校の入り口へ向かう。
 学園都市に入る時点で入場料を取られるため、競技場そのものにパスは必要ない。
『そうだにゃー。言霊の並べ方には法則性があるし、使えるワードにも制限がある。短歌や俳句みたいなもんか。だから、単に声を出すぐらいじゃ反応しないかもしれないが……。なら、世界で最も簡単な魔術儀式ぎしきって、何だか知ってるか?」
「はぁ???」
 競技場入り口、つまり中学校の正門には入場待ちの列ができている。あそこを上手うまく突破しないとな、と上条かみじようは思っていたが、
『「触れる」事だよ。特に「手で触れる」事に加わる意味は強いにゃー。多くの宗教で右と左の価値が異なるのも、元は右手と左手の役割分担によるものだ。新約聖書でご活躍かつやくの「神の子」だって、右手で触れる事で病や死から人々を救ったと言われてるぜい。もしも、オリアナの「速記原典シヨートハンド」がそれに反応するとしたら?』
「ちょ……待てよ」
 上条の足が、思わず止まった。
 土御門つちみかどはさらに続きを言う。
『あるいは、本格的な魔術師まじゆつしだったら、「触れた」ぐらいじゃどうって事はないかもしれない。
「触れる」ってのは十字教のみならず、様々な宗教・流派で採用されてる魔術的動作だ。それだけじゃ術者の生命力の「解析条件」としちゃ曖昧あいまいすぎると思うしにゃー。ある程度の防壁を備えたプロの魔術師なら、「速記原典シヨートハンド」の術的侵攻をはじき返せる可能性もあるだろうぜい。―――が』
 そこで彼は言葉を一度切って、
『防壁を全く持たない素人しろうとに対してなら、ある程度条件が曖昧なままでも強引に生命力を解析し、侵攻だってできるはずだ。その上、魔術師としての防御力がない分、症状はステイルよりずっと強くなる。重い日射病や熱中症が人を死なせるのと同じで、これは相当危険な状態におちいると言って良いと思う』
「で、でも、ステイルを攻撃こうげきしたヤツってそもそも魔術を妨害する術式なんだろ? 魔術師でない一般人とか能力者に反応するもんなのか?」
 とにかく、止まった足を再び動かす。しかし、上条の動きは遅い。まるで緊張きんちようで足がもつれるのを防こうとしているように。
『厳密に言うなら、反応するのは「魔術の準備をした」人間の「生命力に対して」だから、一般人でも十分危ないぜい。魔力を練られるかどうかは関係ないし、魔術の知識技術のあるなしも、おそらく関係ないにゃー。ステイルが使った「理派四陣りはしじん」の探索魔法陣まほうじんだって、オレが描いただけの受け売りだっただろ?』
 最悪だ、と上条は思う。
 正門のすぐ先に見える、土の校庭を眺める。
 あの校庭の、どこかに地雷が埋めてあるようなものだ。実際にだれかがむと決まった訳ではないが、これからあそこで、たくさんの人間が何も知らずに競技を始めてしまう。それもリレーや一〇〇メートル走のように決まったコースだけでなく、校庭全部を使った玉入れだ。当たりを引く確率は格段に高い。
『とにかくカミやん、犠牲ぎせいが出る前に迎撃術式を片付けるぞ。カメラの前で魔術現象を起こすのはマズイし―――何より、一般人に傷をつけたくない』
 通話が切れた。
 上条かみじようは携帯電話をポケットに突っ込むと、正門から離れた。今から列に並んで入るのは、時間的に無理だ。彼は学校の敷地しきちを区切る金網のフェンスに沿って走る。フェンスの高さはニメートル前後だが、乗り越えようとすれば上空を飛んでいる無人偵察ヘリが動くはずだし、さわぎが大きくなれば別の場所から戦闘せんとうヘリが飛んでくるだろう。彼はぐるりと回る形で校舎の裏手まで駆けると、そちらには裏門があった。
 当然ながら、裏門にも警備員アンチスキルは詰めている。この中学校の体操服とIDがあれば問題ないだろうが、このままの格好で行けば、学園都市内の住人であっても引き止められるはずだ。
(さて、どうしたもんかな……)
 上条はジュースの自動販売機に寄りかかりながら、思案する。競技開始まで残り五分前後。
ほかの出口を探している余裕はないが……。
 と、裏門に動きがあった。一人の女子生徒が、スポーツドリンクのたくさん入ったクーラーボックスを抱えて裏門から、敷地内へ入って行ったのだ。半袖はんそで短パンの休操服の上から薄手うすでのパーカーを羽織っていて、すモから短パンのおしリがチラチラと見えている。
 運営委員の吹寄制理ふきよせせいりだ。
「うそっ!?」
 上条は慌てて自販機正面から、側面へ回り込んで自分の体を隠した。
「……、?」
 吹寄はクーラーボックスを抱えたまま、裏門の少し奥でピタリと止まると、こちらを振り返って、しかし首をひねりながら校庭へ消えて行った。
 見られてはいない……と、上条は思う。もし発見されていたら『何で応援もしないでこんなトコでサボっているの上条当麻とうま。頭の成長が足りてないのねそれならDHAよマグロの目玉いっぱい食え!』とか、メチャクチャ怒られそうな気がする。
 しかし、
「や、ヤバそうだ……。土御門つちみかどのヤツ、競技中にもぐるとかっつってたけど、アイツが運営委員として審判の仕事とか始めたら、一発でバレそうだぞ……。くそ、やっぱ土台んトコから計画に無理があるんじゃねーのか?」
「……なーにが無理そうなんだにゃー?」
 突然後ろから聞こえた男のささやきに、上条はビックゥ!! とふるえる。『もう追い着いたのかよ!?』と慌てて振り返ると、そこには真新しい体操服に着替えた土御門が立っていた。傷の手当ても完全らしく、ちょっと見ただけでは怪我けがをしているようには思えない。
「お、お前もやっぱり、裏門から侵入する事にしたのか?」
「まーな。正門を突破するよか簡単そうだし」
 土御門は気軽に言う。しかし、と上条は改めて裏門を見た。完全装備の警備員アンチスキルが三人、さらに上空には無人偵察ヘリ。こっそり忍び込む、なんて事ができるのだろうか?
 あれこれ考えている上条かみじよう怪誹けげんそうな顔を見て、土御門つちみかどはニコニコ笑い、
「いやいやマジで簡単よ? ほらカミやん、そこに水溜みずたまりがあるだろ。ここんトコ雨は降ってないし、おそらく運営委員が水をいてったんだと思うけど」
「ああ。で、これをどうするって?」
「こうするぜい♪」
 言って、土御門はいきなり上条の足を払った。『ぶわっ!?』と上条が叫ぶと同時、勢い良く水溜まりの中へ転がっていく。土御門は『わははは! まさかこのとしで泥遊びをするとはにゃーっ!!』と叫ぶと、倒れた上条の上ヘフライングボデイプレスをお見舞いする。
 ドゲシャア!! とコメディ映画でも聞いた事がないような効果音と共に、上条の体がさらに沈む。裏門にいた警備員達アンチスキルたちが不審そうな目でこちらを見ていた。
「ぶっ、あがが……ッ! て、テメェ、いきなり何を……ッ!?」
 土御門の下でのた打ち回る上条に対し、サングラスの男は小さな小さな声で、
「(……カミやん、体操服はしっかり泥で染めたな? パッと見でどこの学校のデザインか分からなくなるぐらいに)」
 は? と上条が疑問の声を投げる前に、泥だらけの土御門は立ち上がる。上条に手を差し伸ベる、というより強引に立たせるように腕をつかむと、今度はやや警戒気味に近づいてきた警備員アンチスキルの男性に向かって、
「うわーすみません! ウチらこれから競技なんですけどどうしましょう! やっぱ、この格好のまま出場しなくちゃ駄目でしょうか!? カメラもあるのに!」
 突然の申し出に、警備員アンチスキルは面食らったようだった。
 彼は上条達の格好を上から下まで眺めたが、泥に染められた体操服は、どこの学校のものか、細かい個性をまとめて塗りつぶしてしまっている。
「は、ハァ?い、いや、参ったな。替えの体操服は用意していないのかね?」
「あーあったあった!でも部室の中ですけど」
「で、では早くするんだ。もう競技開始まで四分ない。ああすまない、一応規則なのでIDを確かめさせてもらう。すぐ終わるから」
 上条は思わずギョッとした。
 警備員アンチスキルはボールペンサイズの細長い円筒を取り出した。円筒てっぺんのボタンを操作すると、円筒側面から、まるで巻物のようにスルスルと透明な板が出てくる。縦横共に一五センチぐらいの大きさだ。てのひらを押し当てる事で、指紋、静脈、生体電気信号パターンなどを読み取る、学園都市の簡易ID照合器だった。
(……ちょ、おい土御門! こんなのどうやって突破するんだよ……ッ!?)
 緊張きんちようで声が出そうになる上条だったが、土御門は泥だらけの掌をぐっと突き出すと、
「はい、ペタリっと……って、ああ!? なんかエラーが出た!!」
「なあっ! き、きちんと手をいてから使わんか!」
 警備員アンチスキルは慌てて照合番を操作したが、泥を吸った読み取り部分はうんともすんとも言わない。
彼は首を巡らせ、ほかの同僚たちの顔を見たが、首を左右に振った。照合器を持っているのは彼だけらしい。
「くそ、今、正門の方から替えの機材を回してもらってくるから……」
「時間がありませんって! ウチら、これから部室に向かって着替えてから入場門に向かうんですよ!?」
 切羽詰まった土御門つちみかどの声に、警備員アンチスキルは再度、同僚の方を振り返る。残りの二人の内、一人は来い来いと手招きし、もう一人は駄目だめだと顔の前で手を左右にパタパタ振っている。
 少し考え、警備員アンチスキルは小さくうなずいた、多数決は二対一で上条かみじよう達の入場を認めたらしい。
「行くなら早く! 時間になったら途中参加は認められないそ!」
「ありがとーございまーす!!」
 土御門は上条の手を引っ張って走り、裏門を正々堂々とくぐっていく。上条はうんざりした調子で、しかしやるべき事は忘れず、
「おい土御門! 替えの体操服ってどこにあると思う!? 流石さすがにこんな泥だらけの格好じゃ『紛れる』のは無理っぽいだろ!」
「なあに、こういうのは保健室にあるってのが相場なんだよカミやん! 救護用にあそこは今日も開放されてるだろうしにゃーっ! ちゃっちゃと済まして上手に紛れようぜい!!」
 上条と土御門は、話し合いながら土の校庭の端っこを走り、コンクリートの校舎へ向かう。
 競技開始まで、およそ三分弱。

     4

 次の競技は玉入れだ。
 御坂美琴みさかみことは土でできた校庭に立っていた。
 最新鋭の設備を持つ常盤台ときわぷい中学に慣れている身としては、不規則な凹凸があり、衝撃しようげきの吸収効率も場所によって異なる土の競技場というのは逆に新鮮だ。少し風が吹くだけで砂埃すなぼこりが舞う、こんな西部劇みたいな場所で、果たして精密な能力測定などできるのだろうか、とも思う。あるいは、不規則な地形を想定した実戦的な訓練場なのかもしれない。
 生徒数は二〇〇人弱と少なく、しかもその全員が生粋きつすいのお嬢様じようさまという常盤台中学の陣営は、見た目には華奢きやしやを通り越して可憐かれんにすら映る。観戦席にカメラの数が多いのも、その実力よりも、単に映して華になるという意図が強そうだ。
 しかし、それは学園都市の『外』から見た意見。
 学園都市の『中』から見た意見は、全くの逆だ。
 常盤台ときわだい中学のお嬢様じようさまが戦うというのは、つまりは最低でも強能力者レペル3が、最高では超能力者レペル5までが参戦する事を意味する。いかに数や体格に差があっても、笑顔でイージスかんを沈めかねないほどの令嬢軍団相手に楽観などできるはずもない。
 事実、土の校庭の向こう側……玉入れ用の、ポールのついたかごを挟んだ反対側にいる対戦相手の中学校は生徒総数二〇〇〇人を超えていたが、何やら悲壮な覚悟にも似た異様な雰囲気ふんいきに包まれているのが遠目にも分かる。彼らからは負けいくさにおいがしますわ、というのが常盤台中学陣営の総括であり、気位の高そうな連中は早速それを鼻にかけて、おっほっほウォッホッホッホ!! と高笑いを始めてしまっている。
 しかし、御坂美琴みさかみことは気に入らなかった。
 思わず両手を腰に当て、前髪から全身からバチバチと青白い火花を散らしてしまうほどに。
(……一体何なのよ)
 軽く一〇〇メートルは離れた対戦相手の陣営。二〇〇〇人を超す中学生たちの中に、何か居てはいけない人間が混じっているのが見える。ご丁寧ていねいにも、どこかから学校指定の体操服まで用意して。
 一度も勝負に勝てた事のない人物の姿が。
 喉一泣き顔を見せた事のある少年の姿が。
(ア・ン・タ・は、そこで何やってんのよ。ねえ……ッ!?)
 美琴の周囲では後輩の少女達が恐る恐る何かを尋ねてきているが、うつむいたまま暗い暗い笑みを浮かべてバッチンバッチン空気を鳴らしている彼女は気づいていない。

 選手入場の後、自分の陣営で対戦相手について聞いた上条当麻かみじようとうまは顔を真っ青にした。
「(……えーっ!? 戦う相手って常盤台中学なの! か、覚悟はしておけ土御門つちみかど! あそこのお嬢様は怒ると東京タワーでもへし折れそうな雷撃らいげきやりを飛ばしてくるぞ!!)」
「(……にゃー。連中の能力干渉レベルを総合すると、生身でホワイトハウスを攻略できるとかウワサされてるからな。流れ弾にはくれぐれも気をつけようぜい、カミやん)」
 本人達に聞かれたら即座にぬらちされそうな事を言い合いつつ、彼らは土壇場どたんばの作戦会議を行う。
「『速記原典シヨートハンド』ってのは、あくまで方式の名前であって、実際に分厚い本がそのまんま仕掛けてあるとは思えないにゃー、占術円陣せんじゆつえんじんの反応は確かに校庭を指してんだけど、パッと見で怪しげなモンはないだろ?」
 土御門の言葉通り、校庭には『魔術まじゆつっぽいもの』など見当たらない。
 土でできた地面の上に、玉入れに使う金属ポール状の籠が一〇本、横一列に並んでいる。その周囲に散らばっているのは、赤と白の玉だ。二〇〇〇人強の生徒達が参加するため、籠も大きいし、玉の数も膨大ぽうだいだ。
 仕掛けてあるとすれば、一体どこだろうか。
「ったく、最初っから古びた本の形をしてりゃ良いのにな」
「それが向こうのねらいなんだよ。確かにオリアナの手の内は見えちゃいないが、設置型である以上は必ず魔術的まじゆつてきな仕掛けがある。落書きや引っき傷、染みや汚れに偽装してる可能性もあるけど、このオレに見破れないとでも思うかい、カミやん。オレが修めた陰陽おんみようには、景色や建物に細工をほどこす風水技術も含まれてんだ。この手の魔術的記号の『読み取り』は、オレの十八番フイールドなんだよ」
 土御門つちみかどは小さく笑って簡単に答えた。
 上条かみじようはちょっと考えて、
「なあ土御門。ここのどこかにオリアナの「速記原典シヨートハンド』があるって話だったけどさ。それって魔道書まどうしよ……しかも、原典とかってヤツなんだろ? 読んだら人の心がこわれるって話だけど、それって玉入れに参加した人間がみんな倒れちまうって事にはなんねーだろうな?」
「いや、多分ない。『速記原典シヨートハンド』ってのは、読み手に理解させようって努力ゼロの魔道書だ、元々内容の読めないなぐり書きの魔道書なら、汚れた知識が伝わる事もない。だから、その点はおそらく心配ないぜい」
 そっか、と上条は安堵あんどした。
 しかし、土御門はわずかに表情を引きめて、
「むしろ重要なのは、オリアナがどういう形で魔道書を設置してるかってトコだにゃー。ルーンを刻んだ石板の場合は、石板そのものが魔道書とみなされる。どこまで範囲が伸びるかは知らないが、馬鹿ばかデカイ物を『速記原典シヨートハンド』にしないで欲しいモンだぜい。触れる機会が増えちまう」
 上条は選手たちの頭越しに校庭を見る。あるのは、横一列に並ぶ一〇本の玉入れ用のポール付きかごと、辺り一面にばらかれた、赤と白の玉だけだ。
「あの籠ならともかく……例えばさ、あの玉が魔道書だったりしたら厄介だよな。選手の数は双方合わせて二五〇〇人ぐらいか? だったら、玉は紅白合わせて最低でも二倍は用意してそうだし。何より、玉は触る機会が多い」
 一つ一つを調べるだけでも骨が折れるし、選手達は絶えず玉をつかんで投げてしまう。ゴチャゴチャとランダムに並べ替えられたら、どこまで調べたかも分からなくなってしまうだろう。
「違うな。玉はついさっきばら撒かれたモノらしいぜい。ステイルが迎撃げいげき術式にやられた時は、まだ倉庫の中だ。となると、倉庫の方に「占術円陣せんじゆつえんじん』の逆探知がいかないとおかしい」
「っつーと?」
 上条は土御門の顔と校庭の先を交互に見る。
「籠が怪しいにゃー。あっちは随分前から設置されてたらしいぜい。『籠の周りに玉を撒く』んだから、最初に籠の位置を決めておく必要があったんだろ。なら、籠に魔術的細工を施された可能性が高いって訳だ」
「でも、どうやって……? 準備中だって、もう観客は集まり始めてたころだろ。呑気のんきに近づいて行ったら絶対に気づかれないか」
 当然だが、校庭は遮蔽物しやへいぶつになるような物がない。それとも、今の上条達かみじまうたちのように変装でもしてきたのだろうか。
「いや、転そらくオリアナは校庭には近づいていないぜい。カミやん、さっき裏門のセキュリティ見たろ? 逃げてる最中に、わざわざ無駄むだにアレを破っても労力の無駄ですたい。……あのかご、よそからの借り物じゃねーかにゃー。敷地しきちの外を搬入している間にオリアナが「速記原典シヨートハンド』の小細工をほどこして、そのまま校庭まで運ばれて行ったと思うんだが」
「でも、触ったら被害が出るんだろ。だったら搬入係が倒れないか?」
「発動と停止のタイミングはオワアナの方で計れるんだろ。競技の経過はカメラが中継してる。そこらの電光掲示板でも見れば、準備の様子だってつかめるはずだしにゃー」
「停止……?」
 上条が疑問の声を投げると、土御門つちみかどはニヤニヤと笑い、
「オリアナだって、取り引きを安全に進めるためには極力さわぎは起こしたくないはずだぜい。おそらく競技が終わって、運営委員が片付ける段階になったら停止させる気だろ。もちろん、それまでには遠くに逃げ切ってなきゃおかしいけどにゃー」
 しかし、競技中にだれかが『速記原典シヨートハンド』に触れたらアウトだ。どんな形をしていて、どこに設置されているかも分からない魔道書まどうしよに。
「オリアナのヤツ……最初っからそこまで考えてたのか?」
「さあにゃー。案外なんにも考えてないかもしれないそ。まあ、パンフレットに競技予定は書かれてるから、それに伴う運営委員の動きを事前に調べていれば、できない事はないぜい」
 土御門が答えると同時、校内放送のスピーカーのスイッチが入る。
 位置について、という声が聞こえる。
 この場にいない敵との戦いの火蓋ひぶたが、切って落とされる。

 校庭の端の方にある、運営委員用のテントの中で、吹寄制理ふきよせせいりはマイクを握っていた。
『位置について』
 のどの声とスピーカーの声が重なる。運営委員の仕事は、負傷者の回収から競技開始・終了の合図まで多岐にわたる。実況のようなものはテレビ局の仮設スタジオなどでも行われるが、合図だけは運営委員が仕切る事になっていた。
 そのほかに面倒なのは、玉入れの籠に入った玉の数を数える仕事か。これだけの人数が戦うとなると、使用される玉の量も半端はんぱではない。玉入れに予定されている時聞も、三分の一が『カウント時間』に当たる。
『用意』
 吹寄ふきよせの合図は開始だけ。後の合図はほかの運営委員の仕事だ。彼女はこれが終わったら、玉を数える作業の方に移らなければならない。面倒だ、と思うが、それとは別に、吹寄は心の中で首をかしげる。
(あの集団の中にだれかいたような気がするんだけど。……、疲労かな? ビタミンが足りていないのかしら。頭の疲れには大豆が良いとも言われていた気がするけど。でもあの通販番組は肥満でも血液サラサラでも記憶力きおくりよくでも肌年齢でもとにかく大豆イソフラボンと言うのよね!) 疑問を解決できないまま、彼女は告げる。
『始め!!』

 ピーッ!! と笛の音と共に玉入れの競技が始まる。校内放送のスピーカーが、運動会で良く使われるような行進曲を流し始める。
 テンポの軽い音楽を完全に無視する形で、二つの学校の生徒たちが、左右から一斉に中央へ向かう。行き先は横一列に並んだ、高さ三メートルほどのポールとかごだが。
「うおおっ! カミやん、なんかいきなり伏せろおおおっ!!」
 土御門つちみかどが叫び、上条かみじようが横っ飛びに地面を転がった瞬間しゆんかん、ポール籠を挟んで数十メートル先にいた常盤台ときわだい中学陣営から、赤や青や黄色の色とりどりの閃光せんこうおそいかかってきた。それは地面に着弾すると同時、衝撃波しようげきはき散らし、一発一発が砂埃すなばこりと共に数十人の男子生徒をぎ払っていく。
「ちょ、なんか連中一〇メートルぐらい後ろに転がってますがーっ!?」
 人混みの一部分がごっそりとなくなっている。上条が少し前に参加した棒倒しでも能力による攻撃はあったが、こちらは段違いだ。土の地面が直径数メートルものサイズのクレーター状にえぐれているし、舞い上がるべき砂埃も衝撃波で薙ぎ払われてしまっている。
 上条はゾッとして背後を振り返ったが、吹き飛ばされた生徒達はふらふらとしているものの、傷はない。どうも爆破と同時に、常盤台中学の別の能力者達が『空気風船エアバツグ』や『衝撃拡散シヨツクアブソーバ』など、防護系の能力をかけているらしい。敵側の面倒まで見る世話好きのお嬢様じようさま達だ。
 しかし上条の右手の幻想殺しイマジンブレイカーはそんな心優しい防護能力など吹き消してしまうかもしれないし、土御門は薙ぎ倒された衝撃で脇腹わきばらの傷口が開くかもしれない。
「……、」
「……、」
 思わず無言で顔を見合わせる上条と土御門。
 そんな彼らへ、さらに赤や青や黄色の閃光が襲いかかり、火炎放射や雷撃のやりや真空の弾丸などが次々と飛来してくる。


「な、ナメやがって……ッ! 確かにプログラムには玉入れと書いてあったはずなのに!」
「どっちかって言うと玉っていうより砲弾が飛んでるって感じだにゃーっ!!」
 集団の部分部分が砲撃ほうげきでガツガツと欠けていく中、上条かみじよう土御門つちみかどは人混みに紛れながらも、死ぬ気で校庭の中央、横一線に並んでいるポールかごの根元まで辿たどり着く。ポール籠は人が支えるのではなく、金属製のスタンドで地面に固定されたものだ。
「……(よーしカミやん。オレはこれからポール籠を順番に調べてくる)」
「……(あん? って、おれはなんか手伝える事とかないのかよ? )」
「……(あったらとっくに押し付けてるぜい。良いから待機しててくれにゃー。「速記原典シヨートハンド』を見つけてからがカミやんの出番ですたい)」
「……(分かった。けど〉」
 その間どうしよう? と上条は思う。とりあえずカムフラージュのために地面に落ちていた白組の玉を拾うが、競技に参加してしまうと、もぐりの自分が結果を変えてしまいそうで、いまいち乗り気にならない。
 土御門は籠を支える金属製のボールの下で、わざと玉を籠に入らない軌道ヘポンポン投げつつ、その表面を下から上へと丹念に観察しているようだ。ポールの高さは三メートルにも達する。首を巡らせて一本調べるだけでも大変。そうだ。
 どうも、土御門は元々オリアナが使っていた単語帳のページの有無はもちろん、ポールの支柱に変な文字が刻まれてないか、地面の金属スタンド部分に妙なマークが描かれてないかなど、様々な角度から調べているらしい。
「(……土御門っ)」
「(……外れだカミやん、これじゃない)」
 彼は首を横に振ると、地面から白組の玉を回収しつつ、次のポールへ向かう。
 となりにある二本目、三本目のポール籠も調べていくが、結果はかんばしくないらしい。それを見ている上条は、時間だけがじりじりと経過していくような錯覚さつかくを感じる。
 残りは七本。
 上条も土御門の後に続こうとした所で、横合いから、キラッ、と白い閃光せんこうはじけた、
「うわっ!?」
 慌てて右手をかざすと同時、丸い光の砲弾がぐ飛んできた。それは上条の右手に触れると同時、バシン!! と軽い音を立てて吹き飛ばされた。少し離れた所に、常盤台ときわだい中学の少女がポカンと口を開けているのが見えたが、上条は相手にしない。下手に注目される訳にはいかないのだ。なので、隣でビビッて動けなくなっている男子生徒をひじでつついて適当にめる。コイツのおかげという事にしておく。
「(……カミやん、四本目も違う。次だ)」
 ムキになった常盤台中学の少女がその男子生徒を集中砲火しているのを尻目しりめに、土御門と上条かみじようは五本目のポールへ向かう。
 と、目の前で人の壁が揺らいだ。
 上部のかごだけを見て玉を投げていた男子生徒の一団が、後方から押されて将棋倒しを起こしたのだ。彼らは一つの塊になって、五本目のポール籠に激突した。
 ゴン! という金属音と共に、ポール籠が震動しんどうする。
 もしもオリアナが五本目のポール籠に、迎撃げいげき術式『速記原典シヨートハンド』を仕掛けていたら―――間違いなく、犠牲ぎせいが増える。
 ステイルが受けたような、重度の日射病に似た状態。
 魔術まじゆつに耐性のない人間なら、死に至る危険性もある迎撃魔術。
「クソッ!!」
 土御門つちみかどは慌てて集団に向かって走る。上条もその後を追おうとしたが、ふとその足が動きを止めた。
 ぐらり、と五本目のポール籠が大きく揺れる。
 五本回のポール籠が横に倒れていき、となりにあった六本目のポール籠に激突する。
 六本目のポール籠も揺れて、倒れていく。
 金属製のポール籠が倒れていく先に、常盤台ときわだい中学の女の子が立っていた。
 両手で赤組の玉を持ったままの少女は、ポカンとしたまま、目の前にゆっくりと向かってくる重さ三〇キロ超の鈍器を眺めていた。
 まるで、突然やってきた事態に頭が追いついていないように。
 上条はそこへ向かおうと走るが、五本日のポール籠で将棋倒しを起こした男子生徒たらが限りなく邪魔だ。
「ちっくしょう! 土御門ッ!!」
 上条は叫ぶと、五本目に向かっていた上御門の背中をんで一気に将棋倒しのエリアを飛び越える。高く跳んだ上条は、空中でバランスを崩したが、そのまま女の子のランニング状の体操服の首の後ろをつかむ。ろくに受身も取らずに地面へ激突し、しかしその勢いを使って女の子を横方向へと強引に引っ張って移動させて、倒れてくるポール籠の軌道から逃した。
 その時、少し離れた所で、能力による炎弾が爆発した。
 倒れつつあった六本目のポール籠が、爆風にあおられて上条達の方へと進路を変える。金属バットの数十倍もの重量が勢い良くおそいかかってくる。
(くそ、けた先に軌道修正してくるんじゃねえよ!!)
 地両に倒れ込んだ直後の不安定な姿勢では、続けて跳ぶ事など不可能だ。上条は落下の衝撃しようげきで痛む体を動かして、動けなくなっている女の子だけでも突き飛ばす。びっくりした顔の女の子は、最後まで自分の身に何が起きているか良く分かっていないようにも見えた。
(……ったく!!)
 上条かみじようは思わず歯を食いしばる。
 三〇キロ超の金属ポールが倒れかかってくる。
 瞬間しゆんかん
 ゴォン!! という教会のかねを鳴らすような轟音ごうおんと共に、六本目のポールかごが真横に跳ねた。オレンジ色の光線にはじかれたポール籠は真っ二つに引き干切ちぎられ、地面を何回も跳ねて、何十メートルも滑っていく。周りの生徒たちは思わず身をかがめたが、数秒も待たずに再び戦乱状態へと戻っていく。その間も、ガンゴンと音を立ててポール籠の残骸ざんがいは地面を飛び跳ね続けていた。
 超電磁砲レールガン
 音速の三倍もの速度で弾丸をち出す超能力レベル5の一つ。
 ふらふらと振り返った上条当麻とうまが見たのは、銀色のコインを親指で弾いて全身からバチバチ火花を散らしている常盤台ときわだい中学のエース、御坂美琴みさかみことの姿だった。
 目が合う。
 えへへ、と上条が力なく笑う。
「ったく……アンタってヤツは、そーこーまーでーしーてー私に罰ゲームを喰らわせたいって言うのかしらーん!?」
 と同時、美琴は迷わず雷撃らいげきやりを次々と放ってきた。
「う、うおおっ!! こ、こんな大規模なとばっちりを受ける前に逃げて逃げてそこの女の子! ここはおれが食い止めるから君はさあ早くーっ!!」
 上条はやたらめったらに右手を振って雷撃の槍を弾き飛ばす。その背後ではさっき助けた女の予が、ありがとうございましたそしてごめんなさいと叫びつつペコリと行儀ぎようぎ良く頭を下げて、物凄ものすごい速度で戦線離脱していく。あっという間にその姿が能力をぶつけ合っている選手達の中へと消えて行ってしまった。
 上条は振り返らず、そして静かな声で。
「……ふう。あれだけ元気いっぱいなら、とりあえずは大丈夫だいじようぶそうダゼ」
「アンタ。人様の競技にもぐってナニ格好つけてんのよ……?」
 喧騒けんそうの中、美琴はおでこに手を当てつつ、ぐったりと脱力する。そのまま、手近の―――七本目のポール籠に、小さな手をつけて寄りかかろうとして、
「ストップ! 待て御坂!!」
「な、何よ?」
 びくっ、と御坂はわずかに手を引く。そのまま、宙で手を止める。
 上条は美琴の顔を見ていない。そのまま、七本目のポールを観察している。御坂美琴が手をつこうとしていた高さの位置に、何かがある。
 板ガムぐらいの大きさの……長方形の厚紙だ。
 ここからでは読めないが、何か細かい文字が書いてあるような気がする。
(単語帳のページ!? まさか『速記原典シヨートハンド』の正体ってこれの事だったのか!!)
 上条かみじようの背筋に冷気が突き抜ける。
 嫌な予感が一気に体中を駆け巡り、彼の体を硬直させる。
(そういう事か……。土御門つちみかど迎撃げいげき術式に特別な「速記原典シヨートハンド」を使ったって言ってたけど、そうじゃねえ。オリアナの単語帳のぺージ、あれが一枚一枚全部『速記原典』なんじゃねーのか!?)
 まずい、と上条は思う。、
 上条と美琴みことの距離は、およそ一メートル五〇センチほど。近いと言えば近いが、手を伸ばして届く範囲てはない。
 縦にり付けられた。厚紙は、上部一ヶ所だけをセロハンテープで留めてあった。ゆるい秋風を受けるたびに、ひらひらと揺れている。
 御坂みさか美琴のてのひらから、ポールかごの支柱の位置まで、距離はおよそ三センチ。
 厚紙が強い風に吹かれただけで―――触れてしまう。
 上条は、突然ステイルが倒れた様子を思い出して、息を呑む。
 慎重に言葉を選び、ゆっくりとした声て、危機の真ん中にいる少女に語りかける。
「良いか、御坂。訳は後でちゃんと話す、だからそこから離れるんだ。大事な話だから」
「はぁ??? アンタいきなり何言ってんの?」
 案の定とでも言うべきか、美琴はまゆをひそめた。手は……そのまま、動かない。進みも戻りもせず、ピタリと三センチの距離を保っている。
 ひらり、と厚紙がわずかに揺れた。
 美琴はそれが示す意味に、気づいていない。
「あのね。今のアンタが人に何か命令できる立場な訳? アンタ、何でこんなトコにいるの? なんかポールも倒しちゃってまともに競技が進むのかも分からない状況になっちゃってるし、ちゃんと説明して欲しいんだけど―――」
 その時、ヒュン、という風切り音が聞こえた。
 音は上条の後方から。常盤台ときわぜい中学の対戦校の男子生徒が、美琴に向かってぐに土のやりを放ったのだ。能力による加速が加わっているのか、土の槍は金属矢のような速度で空気を引き裂く。直撃すれば人間の肋骨うつこつぐらいは砕くかもしれない。
 美琴はとっさの事におどろくも、前髪から紫電を散らして迎撃に移ろうとしたが、
邪魔じやますんじゃねえよ!!」
 それより早く、上条が右腕を真横に突き出した。土の槍と美琴の間に割って入った少年のこぶしが、一撃で土の槍を粉々に打ち砕く。
 砂埃すなぼこりが舞い、上条のほおも汚れていくが、彼はぬぐいもしない。
 そんな事をしている暇はないとばかりに、その視線はただ御坂美琴をとらえる。
「ばっ、」
 美琴みことは、砕かれた土のやり残骸ざんがいと、目の前の上条かみじようの顔を交互に見て、
馬鹿ばかじゃないの。味方の攻撃こうげきなんか防いじゃって。べ、別に、アンタになんか助けてもらわなくても、私の力ならどうとでもなったわよ。そもそも、大事な話って何なのよ。競技が終わってからじゃダメなの? わざわざこんなトコまでもぐり込まなくちゃいけないような話なのかしら」
「だから後で話すって。御坂みさか、今はとにかくそこから離れろ!!」
「あーもう! だから何でアンタはいっつも人の話を聞かないのよ! 大体ここから離れるのはアンタの方でしょ!!」
 怒った美琴は、八つ当たり気味にポールの支柱を手でたたこうとした。
 あせる上条は思わず、
「待て御坂! 今は何も言わずにこっちに来てくれ!! そこは危険なんだ! お前に怪我けがなんてして欲しくないんだよ!!」
 うっ、と美琴の動きが止まる。
 何故なぜかそのほっぺたがみるみる赤くなっていく。彼女は首を動かさず、しかし視線だけは上条から逃げるようにあちこちに巡らせて、
「これぐらいの競技で、そこまで心配してくれなくても。私の能力があれば、どんなヤツが攻撃してきたって、どうにでも、できるんだから……」
 何か言っていたが、上条は聞いていない。それどころではない。真剣に美琴の動き一つ一つを目で追いかける。汗がほおを伝う感覚に、右手の甲を使ってぬぐうと、ジャリっと砂の感触が返ってきた。
 一方、眼差まなざしを今まさに受けている美琴の方は、ううっ、と背筋をピンと伸ばすと、ポールかごにつけようとしていた手を、ゆるゆると自分の胸元の方へと寄せていく。ややあって、彼女はブンブンブンブン!! といきなり首を横に振った。
(とりあえず……何とか、なったか? ってか、コイツ何で顔を赤くしてんだ???)
 疑問はあるものの、ポール籠の支柱についた厚紙から、美琴の手は確実に離れている。その事に、上条が安堵あんどした瞬間しゆんかん
「ったく、急に変。な事口走っておどろかせないでよね」
 美琴は伸ばしていた背筋を丸め、
 脱力したように右手でポール籠の支柱をつかもうとした。
「ちっくしょう!!」
 上条はとっさに前へ出る。厚紙が風になぶられ、強く揺れる。美琴のてのひらに触れる。その直前で、彼は彼女の元へ突っ込んでいた。そのまま勢いを殺さず、身を低くかがめ、両手を美琴の細い腰に回すようにして、地面へ叩き付けるように一気に押し倒す。
「え? え?」
 倒れたまま、自分におおかぶさる上条を見上げている美琴は、両手を胸の前に寄せた状態のままカチコチに凍り付いている。
「わっ、わっ、な、ななななな」
 顔が爆発したみたいに真っ赤になっている美琴みことは、言葉を上手うまつむげていない。上条かみじようの顔に真剣味が増した。
だまってろ。ちょっと動くな」
 言って、彼は美琴を押し倒したまま、彼女の顔を間近からのぞき込んだ。魔術まじゆつについてうとい上条には判断がつかない。が、素人目しろうとめで観察した感じだと、彼女の顔は赤くなっており、まるで熱にうなされているようだ。
(確か、日射病の重たいヤツみたいな症状になるって言ってたな……)
 もっと間近で観察するため。上条はさらに顔を近づけていく。
「ひっ……え、えっと……」
 美琴はパチパチとまばたきをした後、真剣な顔を近づけてくる上条に何かを察すると、やがてゆっくりと両目を閉じた。

 それを見た上条かみじようは舌打ちし、慌てて右手を彼女のおでこに押し付ける。
「くっそ、そんなに苦しいのか、御坂みさか!! 体温の上昇は……ちくしょう。なんか顔が真っ赤じゃねーか!!」
 上条の叫びにハッとしたように、美琴みことは慌てて暴れ始めた。
「え、ええい! 赤くなってない赤くなってない! 別に熱なんて出てないわよ!!」
 おや、と上条は顔を遠ざける。一般人はステイルより重い症状が出るらしい事を考えると、美琴はどうもポールかごには触れていないようだ。
 しかし、オリアナが仕掛けた単語帳のページ―――迎撃げいげき術式の位置は分かった。
 上条は美琴の上から身を退きながら、周囲を見回して、
土御門つちみかど、こっちだ! 七本目のポール籠に―――ッ!!」
 叫びかけた所で、ふと彼の台詞せりふが中断される。
 見たからだ。
 七本目のポール籠の支柱にセロハンテープでり付けられた厚紙。そこには『野義のぎ中学校備品』と書かれているだけだった。
 土御門は、このポール籠はよそからの借り物ではないか、と言っていた。
 これは紛失しないようにするための、名札のようなものなのだ。
(違った!? じゃあ、本物の『速記原典シヨートハンド』はどこに!!)
 上条は慌てて周囲を見回す。
 その時、ピッ! と笛の音がひびき渡った。校内放送のスピーカーから、それまで流れていた競技用の行進曲がピタリと止まる。
 直後。
 ガシッ、と。八本目のポールを、横合いから掴む手があった。
「まったく。上条当麻とうま、貴様はここで何をしているの?」
 問いかける声。
「訳は後で聞くとして、今は大人しく向こうへ行ってなさい。競技は一度仕切り直しになるみたい。これだけ多くの籠が倒れたら公平に進めるのは不可能だし」
 運営委員の吹寄制理ふきよせせいりが、怪認けげんそうな顔でこちらを見ている。
 体操服の上からうすいパーカーを羽織っている少女。
「聞こえていない? これ以上あたしにカルシウムを食べさせる気?」
 しかし、上条は彼女の姿を見ていない。彼女の声を聞いていない。
 吹寄制理の手元。
 ポール籠の金属の支柱と、彼女の柔らかいてのひら隙問すむまに、一枚の厚紙が挟まっている。
 セロハンテープで留められた厚紙。
 上条は、七本目のポールと同じく、単なる名札のようなものだと信じたかったが。
 そこには青い文字で、何かの英文が筆記体で書かれているように見えた。

 バギン!! という異音が炸裂さくれつする。

 ぐらり、と吹寄ふきよせの体が斜めに揺らいだ。
「ふ……」
 彼女の手が、力なく支柱から離れていく。握り込んでいた位置には、青い筆記体で『Wind Symbol』とだけ記されている。
「吹寄ェぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」
 上条かみじようは思わず叫ぶが、返ってくる言葉はない。
 吹寄は、そのまま支柱から遠ざかる形で、地面に倒れた。どさり、と。あまりにも力の加わっていない倒れ方だった。横倒しになったまま、手足は投げ出され、動かない。ぐにゃりとした皮袋を連想させるような光景だ。
 バキバキミシミシと、吹寄の周囲で空気がきしむような音が聞こえる。
「な、なに?」
 美琴みこと怪謁けげんそうな声を出す。が、選手の中で異常に気づいているのは美琴だけだろう。ほかの生徒たちも多少は不審そうな顔をしているものの、まさかこれが魔術まじゆつなどという得体えたいの知れない攻撃こうげきとは考えないだろう。元々、様々な能力が入り混じる競技場なのだ。多少不思議な現象が起きた所で、それを異常だと思うはずがない。
 その時、ようやく土御門つちみかどが上条の元まで走ってきた。
「(……カミやん、吹寄をたたけ! 彼女は魔術師まじゆつしじゃない。これ以上は身がたないぞ!!)」
 声に、上条はようやく我に返る。倒れた吹寄制理せいりの元へ駆け寄り、彼女の身を起こす手伝いをするような姿勢で、右手を吹寄の背中に回す。
 バシュッ、と。空気が抜けるような、小さな音がひびく。
 それでも。
 それでも、吹寄制理の体に力が戻らない。
「くそっ……」
 理屈では分かる。ステイル=マグヌスと吹寄制理では、魔術に対抗する力に違いがある。プロであるステイルでさえ、あれだけの威力を受けたのだ。ただの素人しろうとである吹寄が、何の準備もなく攻撃を受ければ一体どういう結果を招くのか、だれにだって想像はできる。
 しかし。
 どう考えた所で、何故なぜ、と思ってしまうのは止められない。
「土御門!!」
「冷静になれカミやん。こいつは生命力の空転によって体に過負荷がかかっているだけ―――重度の日射病と同じだって言っただろう。救護室……じゃ駄目だめか。救急車でも呼べば、今ならまだ何とかなるかもしれない。少なくとも、この炎天下で寝かしておくよりはずっと良い」
 彼は落ち着いて対処法を告げる。
 けれど、その台詞せりふには断定がない。プロがプロであるがゆえに、根拠のない楽観を抱かせるような言葉は口にできないとでも告げるように。
 校庭の端に建てられたテントから、バタバタと何人もの運営委員が走ってくるのが分かる。トラブルのにむいをぎつけたのか、教員の姿もチラホラと見える。彼らの目には、突然倒れた女子生徒を、どう介抱して良いのか迷っているように映ったのだろう。運営委員や教員はあっという間に上条かみじようの手から吹寄ふさよせの体を奪い取ると、すぐにどこかへ連絡を始めた。
 一人だけ取り残された上条当麻とうまは、ゆっくりと立ち上がる。
 彼は、ただうつむいたまま、
 しかし、恐るべき速度でこぶしを真横に突き出した。ゴォン!! という金属音がひびき、支柱にり付けてあったオリアナのページがビリビリとふるえる。美琴みことおどろいた顔で上条を見るが、彼はそれにも気づかない。右手の一撃いちげきを受けたページから、浮かび上がっていた文字が溶けるように消えていく。
「上等だ、オリアナ=トムソン……」
 震える唇を、ゆっくりと動かし、
「これがテメェのやり方だって言うなら。無関係な人間をさんざん巻き込んだ挙げ句に、それを眺めて何も感じないって言うなら―――」
 伏せていた顔を上げ、正面を見据えて、
「―――テメェのふざけた幻想は、おれがこの手で跡形も残さずぶち殺してやる」
 一言で、宣言した。

   行間 二

 苦しい、と。
 吹寄制理ふきよせせいりは、朦朧もうろうとした意識の中で、そう思った。
 自分が今、担架に寝かされた状態なのは分かる。救急車から下ろされ、病院の緊急きんきゆう外来の出入りロへ向けて運ばれているのも、何となく理解できる。
 しかし、現実味がない。
 上も下も、前後左右も判断できないような状態だった。ぐらぐらと揺れているのが担架のせいなのか、意識の問題なのかも区別がつかない。周りの大人たちが吹寄の意識レベルを確かめるように何かを叫んでいるが、その内容も上手うまく聞き取れない。彼女の耳には、酔っ払いのろれつの回らない意味不明な声のようにしか、とらえられない。その中で、『日射病』という言葉だけが不思議と耳に残った。
 日射病。
 学校の体育や全校集会などでは、それほど珍しくもない症状だ。だからこそ軽視されがちだが、その原因は急速な脱水症状であり、重度になれば死の危険すらもあるのだ。
 吹寄にしても、別に日射病にかかるのは今日が初めてという訳ではない。だからこそ、今の自分が倒れた原因についても、何となくだが想像はできる。
 しかし、ここまでの状況は経験した事がない。普段ふだんは一定のラインで止まるはずの頭痛が、とどまる事なく深く深く進行していくような気がするのだ。
(……ぅ……)
 吹寄は大覇星祭だいはせいさいの運営委員として、簡単な応急処置のレクチャーを受けている。だからこそ、日射病があなどれないものである事を、普通の学生よりは多少実感できる。
 何が悪かったのか、と彼女は思う。
 水分は取っていたし、体の熱も適度に逃がしていた。疲労や寝不足、体調不良などの。要因もない。万全の準備を整えておいたのに、それを無視していきなりきた、という感じだった。
(だとすると……考えられるのは……)
 緊張、だろうか。
 そんなに肩に力が入っていたのだろうか、と吹寄は思う。
 この手の心因的な問題は、当の本人には案外実感できないものだ。言われてみれば、という感覚で吹寄は考えを巡らせる。確かに、彼女が今日の今日まで準備してきたのは、すべてこの日のためだ。ここで失敗しては何もかもが台無しになる。準備期間にほかの運営委員の生徒達と一緒に笑って努力した事も、審判の手順を一生懸命いつしようけんめい暗記したのも、帰り道に喫茶店ぞ皆と一緒いっしょに競枝スケジュールの確認を行ったのも、そのずぺてが『失敗だった』の一言で塗りつぶされてしまう。だからこそ、彼女自身が気づいていないレベルで、緊張きんちようしていたのかもしれないが。
(……馬鹿ばか、みたいだ……)
 勝手に肩肘かたひじを張って、勝手に倒れて、勝手に競技を台無しにして。こんなものは白業自得じこうじとくだと、吹寄ふきよせは思う。もう十分に迷惑をかけたんだから、これ以上迷惑を増やさないように、さっさと大覇星祭だいはせいさいから退場してしまうべきだ、とまで思う。
 全部自分が悪いのだから。
 なのに、
 どうして、

 あの少年は、あんなボロボロの顔で叫び声を放ったのだろう。

 ただの日射病に対する反応ではなかった、と思う。
 何か予想外の事が起きた、という表情だった。しかしそれは、あらかじめ想定していたトラブルの範囲を超えた、というニュアンスが含まれていた。突発的な事態に対するものというよりは、事前に防御していたのに、その抜け穴を突破された、という感覚に近い。
 彼は何を知っていたのだろう?
 彼は何を後悔していたのだろう?
 知りたい、とは思う。だが、それ以上に、
(嫌、だな……)
 吹寄制理せいりは、わずかに唇を動かす。
 いつも軽い調子で、何をやっても真面目まじめにならないような印象があった少年だが、あんな顔も浮かべられるのか、と吹寄はおどろいていた。
 そして同時に、あの少年は、残る大覇星祭の日程を、ずっとあんな表情で過ごし続けるのかもしれない、という事実に、吹寄はほんのわずかにまゆをひそめた。
(……それは、すごく……嫌だな……)
 別に上条当麻かみじようとうまの事なんて好きでも嫌いでもない。
 はっきり言えば、赤の他人だ。
 だが、吹寄制理が今まで運営委員として大覇星祭の準備に取り掛かっていたのは、皆に楽しんでもらうためだ。そこに吹寄個人の好き嫌いなんて関係ない。まして、これだけのイベントの中、たった一人だけがうつむき続けるような状況など、絶対に作りたくはない。
 自分がかかわったイベントなのだから。
 今日の今日まで、一生懸命頑張ってきたのだから。
 わがままだとは思うけど。
 やっぱり、だれにとっても大成功であって欲しい。
 ぼんやりと思う彼女を乗せた担架が、緊急きんきゆう外来の出入り口をくぐって建物の中へと入った。
そこには白衣を着た医者が待っていた。カエルにそっくりの顔をしていて、思わず笑ってしまいそうになる。
 カエルの医者は、見た目に反してものすごく素早い動きで指示を飛ばしていた。
 朦朧もうろうとする吹寄ふきよせには、その内容は聞き取れない。ズキズキと頭が痛む。思考の歯車が何個も外れてしまったように、考え事をまとめようとしてもポロポロと意識がこぼれていく。重度の日射病、という言葉だけが、グワングワンと頭蓋骨ずがいこつの内側を跳ね回っていた。急激な脱水症状によって引き起こされ、重度になれば循環器系に悪影響あくえいきようを及ぼし、体内の酸素や栄養素の配分パターンが崩れて全身の内臓が機能障害を起こし、最悪の場合は死に至る危険性がある、とも。
 日射病は、その度合いによって危険度が大きく変わる症状だ。
 そして重度に発展すると、まるでスイッチが切り替わったように、ショック症状という形で全身の各部が悲鳴をあげてしまう。
 ガチガチと歯が鳴った。
 死にたくない、と思う。
 何がそんなに怖いのか、吹寄は自分自身でも正しく理解できていなかった。おそってくる頭痛や全身の寒気が嫌なのか、これから自分がどうなってしまうか予測がつかないのが不安なのか。それらの整理すらできず、彼女の心はグチャグチャの感情にさいなまれていく。
 周囲の人々が何を言っているのか分からない。
 自分の体がどれだけ深刻な状況になっているのかも判断できない。
 だから、彼女はそれらを無視して、一言だけ問いを発した。
「……私は……助かる、の……?」
 本当に声が出ているのか、唇が動いているかどうかも自信のない声。
 対して、カエルの医者は指示出しの声を止めて、確かに吹寄の顔をのぞき込んだ。
 朦朧とした意識の中、人の声など聞き取れないような状態なのに、医者の声は不思議と吹寄の耳に届いた。
 彼はただ一言、担架に乗せられた少女にこう告げた。
 絶対の信頼しんらいを与える、完壁かんぺきなる笑みと共に。
「―――僕を誰だと思っている?」

   

chap5

第四章 戦いの結末は勝利か否か Being_Unsettled.

     1

 自律バスの整備場の地面に、ステイル=マグヌスは座り込んでいた。
 先程から定期的に、メンテ機械をメンテする技師たちが行き来しているが、ステイルの位置はちょうど死角となるらしく、だれも気づいている様子はない。いつもなら『人払いOpila』のルーンでも使えば心配するような事はないのだが、今はそれも使えない。
(少し切り札を失った程度でこのザマか。僕も成長していないな……)
 ステイルは、浅い息を吐く。
 思えば、今年の七月末に、上条当麻かみじようとうまに『魔女狩りの王イノナンテイウス』を攻略された時もそうだった。ステイルは自分の切り札を奪われると途端に弱くなる。その後、反省を生かすように努力はしてきたが、それらは蜃気楼しんきろうによる回避かいひ術式の考案や、ルーンのカードをラミネート加工するなど、基本的に『切り札を奪われないようにする』ための方策であり、もっと根本的な部分での努力は怠ってきたような気がする。
(これだけの醜態しゆうたいをさらして、僕はあの子を守れるのか……? もしも今回の敵のねらいがあの子だったら、どうするつもりだったんだ。この三下さんしたが……)
 と、彼の思考を断ち切るように、携帯電話がふるえ出した。
 ステイルは胸の所から携帯電話を取り出し、通話ボタンを押す。相手は土御門つちみかどだ。
『カミやんがオリアナの「速記原典シヨートハンド」を破壊はかいした。なんか体調に変化はあるかにゃー?』
「言われた所で、実感はないが……」
 ステイルは恐る恐る、ルーンのカードを一枚取り出す。一度深呼吸し、呼吸を止め、さらに深呼吸してから、口の中で小さく何かを唱える。
 ボツ、と。小さな音と共に、人差し指の先にオレンジ色の炎がともった。
 全身におそいかかる拒絶反応のような、例の迎撃げいげき術式の気配は……ない。
「……いける。問題はなさそうだね」
『そうか。なら、「理派四陣りはしじん」の探索術式をたのむぜい。折り紙と魔法陣まほうじんの配置は事前にオレが用意しておいたはずだけど、使い方は分かるな?』
 みくびるなよ、とステイルは答える。
 彼の足元には、土御門が描いた円と四方を固める折り紙、中心にはオリアナが残した厚紙のページがある。この陰陽おんみようを用いた配置方式そのものは理解できないが、間借りした術式の起動ぐらいなら難しくもない。
「しかし、そちらは大丈夫だいじようぶなのかい? 確か、オリアナの迎撃げいげき術式は競技場の真ん中に設置されていたと言っただろう。もぐり込んでいるとしたら、競技が終わるまでは不用意に抜け出せないんじゃないのか?」
 競技中に侵入するのも難しければ、脱出するのも困難だろう。一人二人がこそこそと校庭の外に向かえば、いやでも注目を浴びるはずだ。
 が、土御門つちみかどは気軽に言う。
『それなら問題ないにゃー。オレたちはもう競技場の外に出てるぜい』
「……、どうやって?」
『オレ達の目の前で、生徒が一人やられちまった。そいつは重度の日射病って事で病院に運び込まれてる。オレ達は意識を失ったそいつを介抱し、競技場の外へ運ぶふりをしながら退場レたって訳だ』
 声が、いつものふざけた調子ではなかった。
 魔術師まじゆつしの声だと、ステイルは思う。
 そうか、と彼は告げて、
上条当麻かみじようとうまは、荒れているか?」
『分かっているならたのむぜい。そろそろこっちも反撃に出たい。じゃねーと、倒れちまった生徒さんに申し訳が立たないにゃー』
 土御門は通話を切った。
 ふむ、とステイルは携帯電話をふところに戻しながらも、
だれだって、完壁かんぺさな訳じゃない。かつて僕を倒した上条当麻でも、やはり失敗する事はある)
 しかし、と彼は続けて、
「―――だからこそ、自分の未熟を悔いている、か」
 それは、目の前で誰かを救えなかった上条当麻自身が、一番自覚している事だろう。だからこそ、ステイルはそれ以上は何も言わない。彼はただだまって、己のすべき事をする。彼自身は自覚していないが、まるでこれ以上の負担を与えないようにしているかのごとく。
 四枚の折り紙が回転を始め、「理派四陣りはしじん』の魔法陣まほうじんが起動した。
 オリアナ=トムソンの居場所を探る術式が。

     2

 人の行き交う大通りの真ん中で、オリアナは電光掲示板を見上げていた。
 多くの人々は、画面の中で展開されている出来事に気を配ってもいない。いたとしても、急病人が出たため競技が一時中断された事に、ほんの少しの興味を抱いているだけだ。無理もない。ただ急病人が一人出た、というだけのニュースなのだから、話題性も乏しいだろう。
 あくまでも、表面上は。
「……、これは」
 白い布を巻かれた、看板のような物をわきに挟みながら、彼女は静かにつぶやく。第二ボタンしか留めていない、へそも出ている作業服姿が、緊張らんちようの感情を全身で表現する。
「予想外の展開、かな」
 言って、しかしオリアナは電光掲示板から目を離した。
 彼女は歩き出す。
 やるべき事がある、と、オリアナは脇に挟んだ物へ、手の指を食い込ませた。

 上条当麻かみじようとうま土御門元春つちみかどもとはるは、ほとんど人を突き飛ばすように歩道を走る。道行く人々が迷惑そうな目を向けてくるが、気にしている余裕などない。
 土御門の携帯電話はスピーカー機能がオンになっていて、二人は同時にステイルの声を聞きながら道を走っている。
「オリアナ=トムソンの位置を確認した。第七学区・地下鉄の二日駅ふつかえき近辺だ。もう少し時間があれば、もっと正確な場所を特定できる』
「二日駅!? 通り過ぎちまったぞ!」
 上条は慌てて靴底を滑らせるようにブレーキをかけて、今まで走っていた方向へと引き返す。途中の道を横に曲がって、細い道へと飛び込んだ。
 先程までは土御門が主導権を握っていた追撃戦ついげきせんだが、ここにきて完全に上条へ移っていた。プロであるはずの土御門の方が振り回されつつある。
『北上……そう、北方向へ動いているみたいだ。道は……三本に分かれているが、どれかはまだ分からない。すぐに特定させる……』
 声を聞き終える前に、上条と土御門は細い道を抜ける。歩道の隅に寄り添うように、地下鉄駅の下り階段入り口が見えた。彼らはそのまま北の道へと走って行く。
『三本の道は……今……今……出た。良いか………』
『一番右の道だ! 見つけた!!」」
 上条が叫ぶと同時、二〇メートルぐらい前方を歩いていた金髪の女がグルリと振り返った。それから人の山をかき分けて走る二人組の姿を確認すると、慌てて脇道へ逃げていく。
 上条と土御門もその後を追う。
 脇道は短い。すぐに別の通りに出た。ただし、こちらは表通りと違って、きらびやかな感じがしない。小規模のテナントばかりが並ぶ一角で、そもそも客を歓迎している雰囲気ふんいきすらない。通り全体に商店街のようなアーチ型のアーケードが備え付けられているが、単に日当たりを悪くしているようにしか見えなかった。
 まだ昼前なのにどの店もシャッターが下りているのは、経営側も最初からこの一角は客の入りが悪い事を自覚しているからだろう。おそらくもっと人の多い、競技場近くに仮店舗を設けているはずだ。
 通りは横一直線に、左右に伸びている。
 作業服のオリアナ=トムソンは左の道を走っていた。上条かみじよう土御門つちみかどは彼女を追い駆ける中、後ろからやってきた自律バスが彼らを追い抜いて行く。
 何気なくその行き先を目で追った上条は、そこでギョッとした。オリアナの行く先に、バス停がある。
「マズイ……ッ!!」
 オリアナは自律バスを停車させるために、バス停にある信号のボタンのような物を押している。果たして、自律バスは特に疑問も抱かずに、ゆっくりと動きを止めた。オリアナは開いた自動ドアから車内へと足をみ入れていく。
 流石さずがに走るバスを足で追い駆けるのは難しい。別のバスに乗った所で『追跡』は難しいだうう。大覇星祭だいはせいさい期間中は一般車両の乗り入れは禁止されているため、ほかの車を用意するのも困難だ。そもそも、上条には車を運転する技術もない。
 自律バスは、あくまで定められたコマンドにしか応じない。
 運転手がいるなら、バスの背後から両手を振って後を追えば、乗り遅れたのだと思って停車してくれるかもしれない。しかし、自律バスにそれを求めるのは荷が重過ぎる。
 上条は慌てて走り出したが、両者の間には二〇メートルもの距離がある。上条がバス停に辿たどり着く前に、自律バスはほとんど音も出さずに発車してしまった。
「くそっ!!」
 ようやくバス停に辿り着いた上条は、自律バスをめるためのボタンを押したが、もう遅い。走り出した車体は反応せず、ゆっくりと速度を上げつつある。
 一足遅れてやってきた土御門は、遠ざかるバスを眺めて、
「なあカミやん。こっからじゃ良く見えないんだけど、あのバスの中ってオリアナの他に乗客いたかにゃー?」
「あん? そんなのどうだって良いだろ!」
 あまりにのんびりした調子の土御門に対し、上条はイライラした声を出す。
 すると、土御門は、
「良いから。割と重要な事だし」
「……、いなかった、気がする」
「気がする?」
「いなかったよ! ああ、言われてみれば他の乗客はいなかった! 多分、昼前にこの近くでやるリレーの予選A組をるためにみんな降りたんだ。優勝候補が軒並みそろうから一日目の目玉になるとか、パンフレットにも紹介されてたしな。それがどうしたって!?」
「それなら安心だ。―――ステイル」
 上条かみじようにではなく、電話越しのステイルに話しかけ、
「前に、自律バスの整備場で、バスの壁面にルーンのカードをり付けてたな? それがまだ生きてるならオーダーをたのむ。車体番号5154457に貼り付けたカードを吹っ飛ばせ」
 反応は迅速だった。

 ゴン!! という爆発音。

 ゆっくりと速度を上げる自律バスの車体側面から、勢い良く火が噴いた。一秒遅れて車体がさらに爆発し、車体後部が横滑りした。道路に対して真横を向いた自律バスは、勢いを失わずに横転。火ダルマとなった巨大な金属の塊が、地面をゴロゴロと跳ね回った。真上に噴き上げた炎の塊が、頭上のアーケードにぶつかって横へ広がっていく。
 土御門つちみかどは、二つ折りの携帯電話をパチンと片手で畳んで、
「効果は絶大……過ぎたかにゃー?」
 困ったように苦笑した。
 上条は轟々ごうごうと燃えるバスを見て絶句する。確かにオリアナを止める、というのが上条たちの目

的だったはず。だ。が、これは単純に『止める』の範囲に当てはまるのか。
 と、上条かみじようの様子を見て、何が言いたいのか悟ったらしい土御門つちみかどは、
「いやいや。あ。れですよ? 本来はちょっと火をけて、自律バスの安全装置を作動させて車体をめようと思ってたんだぜい。ちくしょう、電気力ーと思って油断してたにゃー、ありゃ電気のほかにも天然ガスか何か使ってるハイブリッドカーだな」
 特に緊張きんちようもなく、そう告げた。
「まぁ、あれだ。店の人間はみんな出稼ぎ中っぽいし、衛星や無人ヘリの目線はアーケードが上手うまふかごいでくれてる。デカイさわぎにゃなんないぜい」
「な、何で冷静なんだ! っつか消火器とかは!? 早く助けないとアイツ本当に死ぬぞ!!」
「ふうん。そりやどうかな?」
 土御門の言葉と同時。
 ギュルン!! と、燃え盛る火柱が渦を巻いた。まるで内側で発生した竜巻に吹き飛ばされるように、膨大ぼうだいな火力が周囲に散って、跡形もなく消えてなくなる。
 炎を吹き飛ばしたのは、水分をまとった風、『きり』だ。見れば、ついさっきまで燃え盛っていた自律バスの残骸ざんがいに、うすい水の膜が張っていた。夜露よつゆで葉がれるのと同じ理屈だろう。霧の風は、その場のあらゆる物体に、うっすらと水分のコーティングをほどこしている。ただし、この水分は並の炎では蒸発しないものらしい。火種となる物をすべて奪う形で、炎の行く手をはばんで消火してしまっていた。
 そして、霧の風の中心点には、一人の女。
 自らが生み出した水分によって、髪も、顔も、作業服も、へそも、その全てをうっすら。と濡らした、オリアナ=トムソン。
 彼女は右腕で看板のような物をわきに挟み、左手に単語帳のような物を持ち、口にはその一ぺージをくわえている。青色の文字で書かれているのは『Wind Symbol』の文字。
 オリアナは。喰えた一ページを横へ吐き捨てる。とろり、と唾液だえきの糸がうっすらと引かれ、彼女はゆったりと笑う。
「うふふ。魔力まりよくを使い意思を通した炎ならともかく、ただ物理的な燃焼だけではお姉さんを熱くする事はできないわね。もっとも、少々あせって濡らしちゃったけど。見てみる? 下着までびちゃびちゃだよ」
 このに及んで、口から出てきたのは冗談だった。
 その事実に、上条当麻とうまはわずかに両目を細くした。ほんのわずかだが、確実に。
「……お前が仕掛けた術式で、全く関係のない人間が倒れたぞ。覚えてるか、お前と初めて会った時に、おれと一いつしよにいた女。お前の日には、アイツが魔術まじゆつと関係あるように見えたのかよ」
「この世に関係のない人間なんていないわ。その気になれば、人はだれとだって関係できるものよ?」
「分かっては……いるんだな。分かっていて、それでも反省する気はないんだな?」
 上条かみじようの声は平たい。
 その声を聞いて、オリアナは小さくまゆをひそめた。
「今さらどうこう言う気はないけど、あの子を傷つけるつもりがなかったのは本当だよ? お姉さんだって、一般人を傷つけるのはためらうもの。こういうのとは違って」
 言って、オリアナは単語帳の一ページを口で破った。
 カキン、とグラスとグラスの縁をぶつけたような、んだ音がひびく。
「が……ッ!!」
 という声と共に、土御門元春つちみかどもとはるの休が、くの字に折れ曲がった。脇腹わきばらを片手で押さえる彼は、ガチガチとふるえたままオリアナをにらみつけている。
「土御門!!」
 上条は慌てて駆け寄る。傷一が開いた様子はないが、土御門の顔は青白くなっている。やはり怪我けがをしたまま動いていたダメージが体にきたのかもしれない。
 それを見たオリアナはくすくすと笑い、
「あら。てっきり怪我を負っているのはあなたの方だと思ったんだけどね。使い道を誤ってしまったかしら」
 彼女の唇には、単語帳の一ページがある。そこには青い筆記体で『Fire Symbol』とあった。
 ぎちぎちと。
 ぎちぎちと、土御門の体が少しずつ地面へ崩れていく。
 オリアナはうっすらと笑って、
「多少は耐性があるようだけど……それだけでは、お姉さんの手管てくだにはかなわないわよ?」
 告げた瞬間しゆんかん、土御門の体が耐え切れなくなったように、地面に倒れ込んだ。その手足から、完全に力が失われている。
「何だ? お前、土御門に何をした!?」
「再生と回復の象徴である火属性を青の字で打ち消しただけ。音を媒介に耳の穴から体内へもぐり、一定以上の怪我を負った人間を昏倒させる術式よ。さっきの鈴の音が発動キーなんだけど……あなたはそれほどひどい傷はなかったようね」
 上条は倒れた土御門の体を右手ででたが、何の効果もない。というより、消しても消しても即座に効果が復活しているようだ。こちらの術式は先程の迎撃魔術げいげきまじゅつと異なり、大本のページをつぶさなければ効果が消えないらしい。
(一定以上の傷を持っている人間を、例外なく昏倒こんとうさせる術式……)
 となると、術式の条件の「つである『土御門の体についている傷』が完治しない限りは、何度でも昏倒の効果が発動し続けるのかもしれない。上条の幻想殺しイマジンブレイカーも、土御門の体についた傷自体は治せないのだから、この方法では彼の自由は戻らない。
 上条かみじようがオリアナをにらむと、彼女は楽しそうな顔で、昏倒こんとうの札を左手でつかんだ。そしてそれを、風に乗せるように宙へと放り投げる、あっという開に、軽い単語帳のページは風に流され、オリアナの後方へと飛び去っていく。
 上条の顔が、思わずカッと熱を持つ。
「テメェ!!」
 だが、その怒りすら心地良さそうに、オリアナは全身を。ふるわせる。ぺろりと自分の舌で自分の唇をうるおしつつ、
「彼を助けたければ、一刻も早くお姉さんを倒す事。さもなくば、お姉さんが良いと言うまで彼はずーっとお預けよ? そもそも、それまで彼は長持ちするかしら。案外短い方だったりして、ね?」
 カチカチカチカチ、と上条の歯が嶋った。
 怒りで、震えた、
「何で、だよ」
 上条当麻とうまは、ほとんど詰まらせるように言葉をつむぐ。
 土御門元春つちみかどもとはるだって、
 問題が何も起きなければ、スパイという仕事を忘れて大覇星祭だいはせいさいの方に向かっていただろう。仕事なんて入らなければ、みんなと一いつしよに楽しくさわいでいられたはずなのに。
 ステイル=マグヌスだって、
 オリアナがこんな事件を起こさなければ、戦いの準備なんてする必要もなかった。学園都市に来る事もなかっただろうし、仮に来たとしても、彼だって久しぶりにかつての同僚であるインデックスの顔を見ていたかもしれない。
 そして、吹寄制理ふきよせせいりだって、
 彼女が何を望んで大覇星祭の運営委員になったかなんて、上条は知らない。でも、だれかに押し付けられたものではなく、自分から進んで運営委員になったのなら、きっと何か目的があったはずだ。
 プロの魔術師まじゆつしにしてみれば、ほんの些細ささいなものかもしれない。
 世界を揺るがす『刺突杭剣スタブソード』に比べれば、なんて事はないのかもしれない。
「『刺突杭剣スタブソード』なんて物の価値は知らない。それがどれだけ歴史を大きく変えられるのか、世界をどういう風に動かしていけるのかなんて、きっとおれには正しく実感できてない」
 上条は、告げる。
「だけど、これだけは分かる。そんなくだらない物のために、誰かが傷つくなんて間違ってる。『刺突杭剣スタブソード』ってのが、こんなクソつまらない結果しか生まないような道具なら、俺はそいつをこの手で砕いてぶっこわしてやる!!」
 言葉に対して、オリアナ=トムソンはうっすらと笑った。聞く意味もないどころか、聞けば聞くだけ馬鹿馬鹿ばかばかしくて笑ってしまうとでも言うように。巻き込まれた人たらの価値など、その程度のものでしかないとでも断言するように。
 そうして、彼女は告げた。
「仕事だから仕方がなかった、と言うのが格好良さそうだけど、それだと依頼主いらいぬしに対して不誠実よね」
 まったくもって、重みの欠片かけらもない声で、
「仕事の目的はともかくとして、どういう経緯で達成するかはお姉さんに任されている訳だし」
 上条かみじようの体内で、ゆがんだ熱が暴走する。、
 めた奥歯が、そのまま砕けてしまいそうになる。
「人の、命で 」
 彼は、右のこぶしを硬く握り締めて、
 自分自身の『敵』を見据えて、
「―――遊んでんじゃねェえええええええええええええ!!」
 ぐに、突っ込んだ。
 オリアナ=トムソンは上条当麻とうまの姿を見て、笑い続けていた。
 やはり、楽しそうに。

     3

 上条とオリアナの距離は、わずか一〇メートルもない。
 しかし、上条の拳が彼女に届く事はなかった。
 オリアナの左手が動き、単語帳の一ページを口で唖えて破るだけの仕草。
 その一ページに記された文字は緑色の『Wind Symbol』。
 直後、オリアナと上条の問を遮るように、厚さ五〇センチもの氷の壁が道路一面に広がった。透明な氷を通して、上条とオリアナの視線が交錯こうさくする。高さ三メートルに届く大壁に、しかし上条は無視して右拳をたたき込んだ。
 バン!! というガラスの砕けるような音。
 まるで火薬を内部に仕込んでおいたように、氷の壁は一いちげきで粉砕される。
 だが、その先にオリアナの姿はない。
 砕けた氷と一緒いつしよに、その姿がバラバラと崩れていく。まるで、ステンドグラスに描かれた肖像が砕けるように。上条は息をみ、次に目の前で一体何が起こったのかを考え、
(氷の、役目は―――)
 ゾクリ、という悪寒おかんと共に、
(―――光りの、屈折か!?)
 真横から風斬かぜおり音が炸裂さくれつした。上条かみじようは振り返りざまにそちらへ右手を振り回す。おそいかかる風の刃が、圧縮から解放されて風船のようにはじけ飛ぶ。真正面から吹き付ける突風に彼がほんのわずかに両目を細めた所で、
 ザリッ、と。
 ほお皮膚ひふが、強く引っ張られて切れるような感触がした。
 ザックリと切れた頬から、痛みより先にドロリとした液体があふれてくる。
「あむ。なかなか刺激的な切れ味でしょう?」
 見れば、オリアナはさらに単語帳を口で破って術式を発動させていた。飛来した極薄ごくうすの石刃が、上条の頬を深く切っていたのだ。
「んふふ。初めて握手した時も感じたんだけど、学園都市って随分と珍しい子を集めているのね」
 女の声は、上条の右手を指して告げたものか。
 が、彼はそれに答えるどころではない。
 傷の大きさは、指で触れて確かめなくても分かるレベルのもので。
 オリアナは、

一定以上の傷があるだけで、ページが放つ音を耳にした相手を確実に昏倒させる術式を保有している!
(ま、ず……ッ!!)
 上条はゾッという悪寒おかんと共に思わず両耳を押さえた。
 対して、オリアナはさらに新しいページを口でくわえると、
「お次は影の剣。飽きさせないわよ?」
 破り、彼女が左手を振るうと同時、その手からやみの剣が出現した。伸縮自在の剣は一気に七メートルも長さを増すと、地面に伸びた上条の影に突き刺さる。瞬間しゆんかん
 ゴッ!! と、足元の影が爆発した。
 まるで地雷でもみつけたように、上条の体が勢い良く宙に投げ出される。彼は空中で竹とんぼのように回転しながらも、何とか受身の真似事まねごとをしながら地面に落ちる。
 アスファルトに削られた腕の皮膚がじくじくと痛むが、それよりも、
(何だ? 何で土御門つちみかどにやったのと同じ昏倒攻撃こんとうこうげきが来ない!?)
 助かった、というよりも、敵の意図が読めない困惑の方が大きい。確実に相手を仕留める切り札があるなら、それを見逃す意味はないはずだ。
 と、絶対優位のはずのオリアナは、さらに上条から距離を取るように後方へ跳ぶ。
 訳が分からない顔をする上条を見て、オリアナは小さく笑い、
「んふ。お姉さんは一度使った術式を何度も使う趣味しゆみはないの」告白は、つまり余裕のあかしであるかのような表情で、「五大元素なんて、近代西洋魔術まじゆつでは基本の基本よ。錬金れんきんの視点で自然を学べばだれでも取得できる、単なる前戯ぜんぎに過ぎないのよん。扱いは簡単で応用もしやすいけれど、逆に言えば攻撃こうげきを読まれやすく、防護の術式も逆算しやすいの。これだけで本番やっちゃうと、単調にならないかってちょっと不安よね? だからこそお姉さんは、飽きが来ないようにたくさんの手札を用意して、使い捨てるために作った魔道書は日めくりカレンダーみたいに破り捨てないといけないって、わ・け♪」
 上条かみじようはオリアナの言葉を無視して、一気に距離を詰めようとした。
 対して、彼女は単語帳の一ページを口で破るのみ。
 直後、上条の真後ろから突瓜が吹いた。背中を押される形で走る勢いを無理矢理に倍加され、足がもつれた上条は前のめりに倒れていく。と、そこへ逆に距離を詰めたオリアナが、右脇みぎわきに挟んだ巨大な看板を跳ね上げる事で、上条のあごへ強烈なアッパーカットをり出した。
 ゴン!! という轟音ごうおん
 前へ倒れかけた上条が、衝撃しようげきを受けて後ろヘブリッジを描き直す。さらにオリアナは看板の位潰を調節し、上条の腹のど真ん中に看板の角が当たるように、思い切り突き入れる。
 鈍い音と共に、くの字に体を折り曲げたまま、上条が後方へぎ倒された。
「ぎ……ァ……ッ!!」
 脳と呼吸の働きを同時に阻害され、上条は上下の感覚すらも分からなくなる。東西南北がグルグルと回るような感覚の下、何とか地面に手をついて起き上がろうとしたが、
「あぐ」
 と、そこでオリアナが単語帳のページを破った。
「だらしがないわね。今のは前戯だっていうのに、もう足腰がダメになってしまったの?」
 何かの力が発動し、上条の背中と地面の間で、水蒸気のようなものが爆発した。さらに宙へ飛ばされた上条は、もう受身も取れずに、ゴロゴロと路上を転がる事しかできない。
 上条はほとんど停止寸前に追い込まれた意識を総動員し、目の前で起きている事態について少。しでも思考を巡らせようとする。
「っつ」
 その思考すらも、痛みに寸断されそうになる。体のあちこちから噴出する激痛に、上条は必死。て歯を食いしばった。
「ちくしょう……どうして?」
 思考を巡らせる。浮かんできたのは疑問だった。
「……一度使った魔術まじゆつは二度と使わないってのに、何でそんなに組み合わせパターンが多いんだ……」
 四大だか五大だか知らないが、ようは色と名前の二つを掛け合わせているだけだ。この状況でバンバン魔術を使っていたら、あっという間に組み合わせパターンが尽きると思うのだが。
「うふふ。組み合わせているのはそれだけではないのよ。よおくお姉さんを見れば分かるでしように、ね?」
 オリアナは左手の単語帳を、自らの口へ持っていく。
「!」
 上条かみじようは思わず身構えたが、上手うまく力が全身に伝わらない。しかしモタモタしている少年を見て、オリアナは攻撃こうげきも加えずに、ぺろりと単語帳の厚紙を舌で湿らせた。長方形の、短い縦辺から、角、さらに長い横辺へと。
 上条はぼんやりとそれを眺めていたが、やがて、
「……角度? 厚紙を、くわえた時の、角度も関係してるってのか……?」
「むふ。それも要素の一つ、西洋占星術の基礎ね。

〇度から九度コンユンクテイオ一七一度から一八九度オポシテイオ八一度から九九度クワルトウス一一一度から一二九度トリヌス五四度から六六度セクストウス〇度から一度パラレル、その他色々な座相法則アスペクト。『星座と惑星の関係はその角度によって役割を変える』っていう理論ね。星と色と元素の関連性についても講義が必要かな?」
 オリアナはニヤニヤと笑う。
「もっとも、お姉さんの術式はべージ数の数秘的分解も取り入れているから、厳密な意味で同じ魔術まじゆつは二度も使えない。過ぎた過去をり返せないように、一度めくったページは二度とは返らないものなのだから」
 わずかに湿った単語帳のページの角で、自分の上の唇をなぞりながら、
「これが溢姉さんの限界。精 杯頑張って魔道書まどうしよを書いても『原典』は安定してくれずに暴走と自滅を繰り返し、それどころかあまりに文章が汚くて誰にも理解してもらえなかった、魔術師としても魔導師まどうしとしてもハンパな人間の実力よ」
 オリアナは、うっすらと目を細める。
「しかし、ゆえにお姉さんは常に魔道書を書く手を止めず、新たな術式を生み続けているの。お姉さんの記したハンパな原典は、一冊一冊がせいぜいって一時間、早ければ数秒で自己消滅してしまうと知っていてもね。立ち止まり、そこで妥協すれば迷わず負けると自覚しているからこそ、お姉さんは永遠に上へ進むのよん。―――初心忘るべからず、ってね」
 告げて、オリアナは湿らせていた厚紙を横にむ、
 しかし、ページを破らない。
 厚紙を舌に乗せたまま、口を大きく動かさず、くぐもったような声で、告げる。
「次に放つは赤色で描く風の象徴、角度にしてジャスト〇度のコンユンクティオ、総ページ数にして五七七枚目の使い捨て魔道書、「明色の切断斧プレードクレーター』。一応宣言しておくわね」
 彼女はそこで一度言葉を切って、

「あなた、そこから動けば死ぬわ」

 一言で、宣言した。
「そして動かなければ、次の一手であなたは必ず降参する羽目になる。子供じゃないんだから、どちらを選ぶべきかぐらいは、自分で決めてちょうだいね」
 ―――オリアナは厚紙をくわえ、横に引く。単語帳をまとめている金属のリングから切り離された一ページに、赤い筆記体で流れるように『Wind Symbol』と記されていく。
(……、)
 上条かみじようは、地面に手をついて起き上がろうとする。ふらふらとバランスを失った体はすぐには言う事を聞かず、片膝かたひざを地面につかせるのがやっとだ。周囲に人がいなくて良かった、と彼は思う。こんな所を見られたら間違いなくさわぎに発展する。
(動くな、か)
 ―――オリアナの言葉を思い出すと同時、地面に何かが走った。オリアナを中心にして半径一メートルほどの円が描かれ、さらにその円から外周へ木の枝のような文様が無数に駆け抜けていく。まるで、充血した眼球に毛細血管が浮かび上がるように。上条の立ち位置を追い抜き、路上にある自転車や置き看板、自動車などの下をくぐるように、倒れている土御門つちみかどの一歩手前まで。
(動けば死ぬ)
 ――ブゥン、と。地面に描かれた文様が、振動するような不気味な音を立て始める。
 降参してしまえ、と上条の弱い心は訴えている。次に来るオリアナの一撃いちげさが具体的にどんな攻撃なのか予測がつかない。つまり対策が練れない。そして彼女は言った。次撃は無防備に受ければ心臓を止める程度の破壊力はかいりよくは秘めている、と。
(動かなければ、次の一手が王手となる)
 二つの選択を区切るという事は、後者は『殺さずに決着をつける』という意思表示だ。おそらく土御門のように昏倒こんとうさせられるだろうが、それだけ。オリアナはまた逃げるだけだし、その後はステイル辺りが追撃するだろう。上条が倒れた所で、即座にすべての決着がつく訳ではない。素人しろうと一人が眠った所で、だれも責めない。現にプロの土御門さえも敗北するような状況なのだから、それ以上の働きをしろと言う方が間違っている。
(そんな、モンが、どうしたってんだ……)
 だけど、上条は構わず右手を握りめた。
 強く、強く、てのひらつめが食い込むほどカを込めて、手首から先を一つの塊に変えるほどの意思を込めて。すくみそうになる足に、改めて命令を送り直して地面をみ直す。
 恐怖と、それにあらがおうとする気持ちがグチャグチャに混ざった中、彼が思い浮かべるのは、(大覇星祭だいはせいさいを成功させたいという気はないのか、って。そう尋ねてきた吹寄ふきよせの言葉は、全部無視しちまって良いってのかよ、この腰抜けが―――ッ!!)
 歯を食いしばり、己の気持ちを再確認する。
(―――敵がプロの魔術師まじゆつしだろうが、重要な取り引きがあろうが、そんなモン知った事か! アイツが自分で大覇星祭だいはせいさいの運営委員になるって決めて、今日まで一生懸命いつしようけんめい準備してきて、それを今この場で台無しにされそうになってんだぞ! このまま放って置くって言うのかよ!? それで満足できる訳がねえよなぁ上条当麻かみじようとうま!!)
「お、ォォおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
 叫び、そして全身のバネを使って駆け出した。バランスを完全には取り戻せず、乱気流にまれた旅客機の中を走るような格好で、しかし確かに前へと。
 同時、オリアナ=トムソンは口にくわえた厚紙を横合いへ吐き捨て、
 直後、術式が完全に起動した。

     4

明色の切断斧プレードクレーター』。
 オリアナを中心とする地面の円から、四方八方へ、レンガきの壁面のように、充血した眼球の毛細血管のように、展開された巨大な文様に力が入る。
 直後、真空の刃が吹き荒れた。
 地面に描かれた無数の文様、その溝のすぺてから真上に向かって、真逆のギロチンのように、刃のシャッターが駆け上がったのだ。斬撃数ざんげきずうにして二〇八本。蜘蛛くもの巣の形で展開される刃の世界は、そこに置かれた全ての物体を均等に切断する。
(……ッ! この、お馬鹿ばかさん!!)
 オリアナ=トムソンはわずかに歯噛はがみする、
 一見ランダムに見えて、実は上条の立ち位置には真空刃の噴射口がけるように設定しておいたというのに、彼は無視して前に出た。
 本来、オリアナの目的は地面から伸びる真空刃のカーテンで上条を取り囲み、身動きの取れなくなった所で確実に昏倒こんとうさせる事だった。プロの魔術師である土御門つちみかどを殺さなかったのと同様に、無闇むやみに死体を作るとオリアナの『仕事』に差し支えると判断しての行動だったが。
 上条が前に出ると同時に、術式は起動した。
 地面から噴き出した真空刃のギロチンが、無人となった安全地帯を逆に隔離する。数にして二〇八本もの真空刃が、文様の直上にあった置き看板や自転車などをズタズタに切断していく。
 彼は自ら安全地帯からめ出される形で、刃の渦の中へと飛び込んだのだ。その先に待っている未来など、切断と鮮血と死滅以外にありえない。
 が、
「!!」
 上条の体は、切断されない。
 地面に無数の斬撃ざんげき噴出口が描かれ、真空刃が真上に噴き出し、二〇八のギロチンが周囲の空気を引き裂こうが―――彼には一撃も加わらない。ランダムに描かれた斬撃の、ちょうどその集中がうすれた所へ飛び込んだのだ。上条かみじようみ込まれた地点は、オリアナが用意したものとは別の安全地帯とも書える。偶然か、何らかの方法で安全地帯を読んだのか、オリアナには判断できなかったが、
(なら!!)
 オリアナは待機していた術式を使用する。彼女が用意したものであろうがなかろうが、真空ギロチンをけられる場所は、その全てが刃のシャッターに取り囲まれた隔離地帯だ。さながらはちの巣の穴から穴へ移動したようなものに過ぎない。
 彼は逃げられない。
 そう思ったオリアナの予想は、またしても裏切られる。
「おおオァ!!」
 える上条が、目の前の真空刃へ思い切り右拳みぽこぶしを突き入れた。自ら腕を輪切りにしてくれとでも言うような無謀むぽうな行為に、しかし真空刃の方が粉々に砕け散る。それも目の前だけではない、オリアナを中心に展開される刃そのすべてが、だ。
 ゴギン!! という破砕音は、一歩遅れてひびいた。
 その時には、すでに上条はさらに一歩先へ踏み込んでいる。
 残りはおよそ三歩。それで距離はゼロまで縮む。
(何が……ッ!? この右手、まさかここまで……ッ!!)
 目の前の状況を理解できないオリアナは、とにかく目の前の敵を倒す事に専念する。口に唖えた単語帳の一ページをみ取り、そこに黄色い筆記体の命令文を書き示す。
 一度限りの術式の名は『昏睡の風ドロップレスト』。見た目は圧縮された風のやりだが、直撃した者の意識を強制的に外界から内界へ向け直す効果を持っ。痛みも与えずに気絶させる攻撃といった所か。本来は真空刃に囲まれた標的を、刃の壁ごと貫いてやろうと考えていた訳だが、思わぬ展開になった。
 が、予想外であっても、オリアナは迷わず放つ。
ら―――ッ!!」
 最後まで叫ぶ前に、上条の右拳みぎこぶしが『昏睡の風ドロップレスト』の先端をなぐり飛ばす。粉々に砕けた風の槍は、意味もなく辺りへ飛び散り、空気の中へと消えて行った。
(な、んで……ッ!?〉
 驚愕きようがくが、さらに上条を一歩先へ進ませる。残りは二歩。理解不能な状況に混乱するオリアナは、目の前に敵がいてもまともに対処する方法を忘れてしまっている。
(どうして対処できるの!? たとえ特別な右手があったとして、ただの素人しろうとにここまで読まれるなんて! 何か、何か判断するための材料があるに決まっている。それは……)
 さらに一歩。残りも一歩。
 電撃的でんげきてらにオリアナの脳裏に答えが浮かぶ。
(そうか、私は、同じ魔術を二度使わない! という事は、一度攻撃を放った地点には、同じ方向から同じ攻撃がやってくる事はありえない! そこから答えを導いて……ッ!!)
 オリアナ=トムソンは、一度使った魔術まじゆつは二度と使わない。
 つまり、一度攻撃が来た所へは、同じ攻撃は絶対にやって来なくなる。
 もちろん、炎の剣で攻撃したポイントへ、氷の弾丸をたたき込む事はできる。しかし剣と弾では攻撃範囲が異なり、その違いから『穴』が生まれる。
 上条かみじようは前回自分が攻撃されたポイントをなぞるように移動している。同じ攻撃が来ない、という事は、それ以外からやってくる攻撃だけを警戒すれば良いのだから、対処は楽だ。次の攻撃は必ずフェイントが来ます、絶対どこかに『抜け道』があります、と前もって教えられているようなものなのだから。
(ハッ。死角を殺すつもりで手札をそろえ、対策を練られないように二度とは同じ術式を使わないと考えての行動だったのに……)
 オリアナは、思わず口の端をゆがめてしまう。
 それはいかなる種類の笑みなのか、彼女自身も分からないまま、しかし確実に笑った。
(……それが逆に死角を作り、対策を練るためのヒントになっていただなんて! ハハッ、素敵すてきね少年。お姉さんはそういう創意工夫が大好きよ!!)
 瞬間しゆんかん、両者が射程圏内に入る。
 単語帳など使っている暇はない。右のわきに挟んだ看板を上から下へ振り下ろす形で、オリアナは本気で上条当麻とうまの頭頂部をねらう。
 しかし。
 上条当麻は、ぐるりと身をひねった。軸足を中心に、軸線を変えないまま、ほとんど横向きに体を変える。カシュン!! とわずかに鼻の先端をかすめる音がひびくが、それだけだ。上条のすぐ横を通り過ぎた看板の角が、勢い良く路上のアスファルトに直撃する。
(……ッ!!)
 オリアナ=トムソンは絶旬したまま、眼前を見る。

 同時。ゼロ距離で、少年の右拳みぎこぶしが発射された。

「オ、―――」
 上条は叫ぶように、肺にまった空気をすべて吐き出し、
「―――、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
 肉体の重さと速さを全て拳の一点に乗せて、オリアナ=トムソンの顔面の真ん中に突き刺した。インパクトの反動が、握ったこぶしから手首、ひじ、肩へと次々と伝わっていき、
 ガゴギン!! と。
 壮絶な爆音と共に、オリアナの体が後ろへ吹っ飛んだ。
 助走を含む運動エネルギーすべてを浴びた彼女は、そのまま道路の上に落ちると、勢いを殺せずにゴロゴロと転がっていく。
 ヒュンヒュン、という風音と共に、手放された看板が上条かみじようのすぐ横へと墜落ついらくした。
 上条は右手の指がほんのわずかにしびれるのを感じながらも、
(やった……? これで、とりあえず『刺突枕剣スタブソード』とかいう魔術まじゆつアイテムの取り引きはつぶせたのか……)
 とりあえず、オリアナが抱えていた荷物はこちらにある。意識を失った土御門つちみかどや、学園都市に潜伏せんぷくしている取り引き相手の心配は残るが、一番の危機は脱する事ができた、のだろうか?
「ふ」
 と、考え事をしていた上条は、風に乗った笑い声を聞いた。
 上条は慌てて視線を戻す。
「ふふ。乱暴なんだから。ボタン取れちゃった」
 仰向けに倒れていたオリアナは、昼寝から覚めたような動きで、むくりと上半身を起こした。今まで看板を抱えていた右手で、前が開きそうになっている作業服の胸の辺りの布を押さえている。
いて……ない!? )
 愕然がくぜんとする上条だったが、対するオリアナはそれほど気に留めていないようで、
「うーん。別にお姉さんが筋肉ムキムキの格闘かくとうレディという訳ではないわよ? あなたの移動はぐではなく、わずかに軌道がズレていた。体にはダメージが蓄積していたし、バランスも崩れ気味だったからインパクトも完壁かんべきではなかった、かな。そうね、ていに言ってしまえば―――」
 一度だけ言葉を止めると、
「―――素人しろうとの握り拳にしては上出来でした、といった所かしら。ただ、攻撃こうげきを見破られ、反撃される事にも慣れているお姉さんにはまだまだ欲求不満が募るレベルだけど」
 断言して、彼女は左手の単語帳を口へ持っていく。
 上条は身構えようとしたが、全身のり傷が一斉に痛みを訴え始める。それらが集まり、体の動きを瞬闘的しゆんかんてきに止めてしまう。
「!!」
 痛みに顔をしかめる上条を見て、オリアナは愉快そうな顔で単語帳の一ぺージをみ破った。しかし、予想に反して攻撃は来ない。オリアナの周囲で風が吹いたかと思うと、次の瞬間、彼女の体が小型の竜巻に吹き上げられた。ものの一秒もたずに、オリアナはアーケードの天井てんじようと雑居ビルの間にあるわずかな隙間すきまをくぐって、建物の屋上へと辿たどり着く。
 彼女。が手放した看板は、上条かみじようの足元に落ちているのに。
刺突杭剣スタブソード』は、取り引きに使う重要な品であるはずなのに。
 オリアナは麗上の縁に立ったまま、振り返りざまに単語帳を一枚、口で破って、
「それは、一度。そちらへ預けておくわ。ただし、ここでゲームが終わっただなんて思わないように。燃えてくるのはこれからよん」
 ささやくような声は、しかし空気の伝導率でも操っているのか、鮮明に上条の耳に屑く。彼は地面にあ。る『刺突杭剣スタブソード』と、屋上にいるオリアナを交互に見て、
「……何で?」
 疑問を放った。小さな声だったが、やはりオリアナには届いているらしく、
「何で、とは?」
「『刺突杭剣スタブソード』はこっちにあるんだぞ。テメェが追い詰められてた訳でもねえのに、どうしてそんな簡単に下がるんだ……?」
 んふ、とオリアナは小さく笑って、
何故なぜかしら、ね。それを考えるのも楽しみの一つじゃないかしら」
 彼女は屋上の縁から、中央部へと跳んでいく。見上げる形になっている上条の、建物の死角へ移動するように。
 アーケードの天井てんじようと建物の壁に切り取られたわずかなスリットから、完全にオリアナの姿が消えてしまう。
「待て! 土御門つちみかどにかかってる術式は―――ッ!!」
 上条はとっさに叫ぶが、オリアナの姿はもう見えない。アーケードの天井が完全に空を隠してしまっている。彼女は建物の中に入ったのかもしれないし、別のビルへと飛び移っているのかもしれない。ただ、姿なき声だけが、
「術式の効果は二〇分。後は自動的に切れるわよ。心配性の能力者さん♪」
 それだけ答えて、すべてが消えた。
 上条は周囲を見回したが、もうオリアナの姿も声も、どこにも存在しなかった。

     5

 土御門元春もとはるは、まだしばらくの間、目を覚まさないらしい。
 上条はそのままオリアナの姿を追うかどうか迷ったが、結局この場にとどまった。倒れたままの土御門を放っておけないし、巨大な看板に偽装された『刺突杭剣スタブソード』もある。これを抱えながら走っても速度は落ちるし、オリアナからの逆襲ぎやくしゆうで奪い返されたら元も子もない。
 そこで上条は、ステイルと連絡を取る事にした。
 が、彼はステイルの携帯電話の番号を知らない。悪いと思いながらも、倒れている土御門つちみかどのポケットから、彼の携帯電話を借りる事にした。着信履歴を使って通話ボタンを押す。
 ステイルの意見は、単純明快だった。
『よし、なら「刺突杭剣スタブソード」を破壊はかいしろ。君の右手なら問題なくいけるはずだ。それで、リドヴイア=ロレンツェッティが計画していた取り引きを完全につぶせるからね。僕は学園都市の警備状況に詳しくないが、バスが一台炎上したなら、その報告が入るかもしれない。だれかが急行してくる前に、さっさと終わらせてその場を離れるんだ』
「けど、簡単にこわしちまって大丈夫だいじようぶなのか? 怒ったオリアナたちが学園都市を攻撃こうげさしたりとかしないだろうな」

『それをすれば包囲されるのは彼女達の方だ。ここは学園都市であって、魔術まじゆつ勢力からすれば敵地の真ん中だよ。冷静に取り引きを計画した人間なら、同じく冷静にその場から退くに決まっている。取り引き相手同士のいざこざも、まずは安全な場所に離れてから、というのが妥当な所だろうさ。魔術師にとって、この街はあまりにも危険すぎる』
 学園都市が危険な場所、という解釈は、実際にそこに住んでいる上条かみじようからすれば、あんまり実感がかない話だった。ともあれ、専門の人間がそう言っているのだから、上条はそちらに従う事にする。
「分かった。こっちは右手で『刺突杭剣スタブソード』にケリをつける」
『早くしろ。こちらは今後の方針を、上と掛け合ってみる』
 言って、ステイルは通話を切った。
 「たのむ、ぐらいは言えんのかアイツは」
 上条は携帯電話の通話を切って、ぐったりしている土御門のポケットへ戻した。あまりにも反応がないので少し寒気のようなものを感じるが、良く耳をましてみると寝息のような規則的な呼吸音が聞き取れる。とりあえず、命に別状はないようだ。
「さて、と」
 上条は一言告げて、地面に落ちている看板へと向き直る。
 白い布でぐるぐる巻きにされた、長方形の大きな看板だ。おそらく縦横を『刺突杭剣スタブソード』のサイズに合わせて、余った部分を別の素材で埋め合わせる形で、長方形を保っているのだろう。
いかに布で巻いた所で、剣のシルエットがき出しでは周囲の注目を浴びる羽目になるのだから。
 幻想殺しイマジンプレイカーの力を使えば、「刺突杭剣スタブソード』は破壊できる、とは思う。まず上条は、白い布は取り外す事にした。確実に破壊できたかどうかを、この目で確かめておくためだ。
 「く……ッ!何だこれ。結構……。硬いな」
 元が業者の梱包こんぽう真似まねているためか、白い布はかなり頑丈に巻いてある。結び目は何だか難しい専門的な形をしていて、どうほどけば良いのか想像もつかない。かと言ってひものような物ではないため、手で強引に千切ちぎる事もできない。上条かみじよロつは仕方なくグイグイと布地を引っ張った。しばらく続けていると、やがてきつく巻かれた布がゆるんでいくのを感じる。
 一端が緩むと、巻きつけられた白い布全体が硬さを失ったようになった。上条は巻きつけられた布地をどんどんぎ取っていく。何重にも巻かれたガードの向こうから、少しずつ少しずつ隠されていた物があらわになっていく。
(そういや、『刺突杭剣スタブソード』ってどんな形をしてるんだ? )
 上条はそんな事を思い、巻かれた布を外していく。
 その先に、『刺突杭剣スタブソード』は

 なかった。

「は?」
 上条は、思わず白い布を外していた手をピタリと止めていた。
 ミイラ男のべールが剥がれるように、白い布の中から出てきた物。それは、ただの細く長い看板だった。学生が作ったような、手製の、うすい鉄板にペンキを塗っただけの看板だ。溢そらくは大覇星祭だいはせいさい期間中だけオープンされる、学生主導の屋台を飾るためのものだろう。可愛かわいらしい丸文字で『アイスクリーム屋さん』とだけ描かれていた。
 しかし。
「何だ……こりゃ?」
 看板は、偽装のためのものではなかったのか。『刺突杭剣スタブソード』をそのまま運べば学園都市の中で目立ち過ぎる。かと言ってこのサイズになれば安易にカバンに収めておくのも難しい。だからオリアナは塗装業者に扮して、『刺突杭剣スタブソード』も看板に偽装して、上から自い布を巻いて、だれの目にも怪しまれないように工夫していたんじゃなかったのか。
 なのに、彼女が持っていたのが、本当にただの看板だったなら。
 最初の最初から、前提が崩れてしまう。
刺突杭剣スタブソード』はどこにあるのか。
 オリアナは何のために上条たちの前に現れ、そして逃げて行ったのか。
 ステイル=マグヌスや土御門元春つちみかビもとはるが言っていた大前提は、本当に正しいのか。
 そして、そもそも、

 本当に、『刺突杭剣スタブソード』の取り引きなんて行われるのか。

「どうなってる……?」
 上条当麻は、呆然ぽうぜんつぶやいた。
 答えてくれる者はいない。プロの魔術師まじゆつしである土御門元春つちみかどもとはろ昏倒こんとうしたままだし、仕掛け人であるオリアナ=トムソンもこの場にいない。
 それでも、彼はもう一度言った。
 全く同じ台詞せりふを。
「一体、何がどうなってるんだよ……ッ!?」

   行間 三

     1

 オリアナ=トムソンは街を歩いていた。
 彼女がいるのは大手デパートの近くに臨時で設営されているクロークセンターだ。大覇星祭だいはせいさい期間中は爆弾テロでも恐れているのか、無人のコインロッカーはサービスを停止している。代わりに、ホテルのクロークのような『人の手で荷物のチェックと受け渡しをする』サービスを行っているらしい。
 オリアナはプラスチックの番号札をカウンターの係員に渡した。若い女の係員は、塗装業者の人間が何故なぜクロークを利用しているのか、という顔をしたが、作業中には貴重品を預けておかないと財布がペンキまみれになる、と笑顔で言っただけで納得してくれたらしい。オリアナは手提てさげ型のバックを受け取ると、クロークセンターから離れる。
 中に詰まっているのは財布ではなく、着替えだ。
 看板がなくなった今、塗装業者というこの格好は、微妙に日立つ。元が仕事着であるため、何もしないでふらふらと街を散策していると不自然に映ってしまうのだ。その上、さっきの戦闘せんとうで作業服の第ニボタンが外れていた。今は第一と第三ボタンを留めているが、元が大きい胸であるため、裂け目のように胸の肌色が見えてしまっている。
(……いろんな術式、使っちゃったかな。まったく、温存しておきたかったヤツも結構あったのだけどね)
 豊富な術式を取りそろえている反面、一度使った魔術まじゆつは二度と使わない、という決まりにしばられているオリアナは、常に先の事を考えて、ある程度の出し惜しみをしながら戦闘を行っている。しかし、今回は戦闘で二回、逃走で二回、それぞれ予定外の『大技』を使ってしまった。効果は絶大で会心の出来だったがゆえに、人生で二度と使えないとなると、流石さすがに少し寂しさを感じる。
(それだけの敵に巡り合えた、って事なのかしらね。ま、とにもかくにも着替えてから対策を練りましょう)
 さてどこで着替えようか、とオリアナは歩きながら考える。塗装業者というこの格好は、やはり建物に入るには少々目立つ。
(まあ、別にどこでも良いか)
 適当に結論を導くと、オリアナは人の流れから外れる形で、脇道わきみちに入った。そのまま適当に路地を進んで、人の姿がなくなった所で彼女は手提てさげのバッグを地面に落とす。どうやら本当にここで着替えをするつもりらしい。
 着替える間に報告も済ませようという事で、オリアナは単語帳を口で破った。セロハンテープを貼ると、路地の壁に貼り付ける。
 薄汚うすぎたない壁に、オレンジ色の横文字が走る。
 オリアナの上司たるリドヴィア=ロレンツェッティの声を、同時翻訳ほんやくして壁に表示させているのだ。
『報告は緊急きんきゆうの? それにしても、毎回毎回異なる通信方式で連絡を入れられると、受けるこちらの苦労も増えてしまいますが』
「んふ。これはお姉さんのポリシーみたいなものだから、ちょっとゆずれはしないかな」
 オリアナの声も、あちらで文字に変換されて表示されている事だろう。
 言いながら、彼女は作業服の前を留めているボタンを外した。それだけで、バネにはじかれたように衣類が開く。元々、胸のサイズに合っていない服なのだ。
「とりあえず第一段階が終わったから、その連絡だけ。道中色々あったけど、とりあえず必要なチェックポイントは全部済ましてあるから安心してくださいな、とお姉さんは言っているのよん。観光気分であちこち歩いたし」
 オリアナは窮屈きゆうくつな服のめ付けから解放されると、ほんのわずかに安堵あんどの息を吐く。それからためらいもせず、一気に上着を脱いだ。下着はつけていないので上半身の脱衣はこれで終わりだ。
『色々というのは、どのような?』
 前の文章が消滅し、新たな文字列が左から右へと流れていく。
「んん? まぁ、あれよ。男の子に顔面ぶんなぐられたり服のボタンこわされたりおっぱい見られそうになったりかしら。いや、あれはホントに見られたかもしれないわ」
「……。清貧純潔従順を掲げる修道女にもかかわらず、そのあっけらかんとした態度は』
 さらに別の文章。言葉と思考を同時に読み取って変換ミスを防ぐこの術式は、場合によっては沈黙ちんもくも表示してしまう。
「あら何よその侮蔑ぶぺつ。旧約のアダムとイブだって素っ裸に葉っぱ一枚で世界を放浪したじゃない。あんな世界規模の蓋恥しゆうちプレイに比べれば全然大した事ではないと思うのだけど」
『……、』
 続いてズボンに手をかけようとしていたオリアナは、ふと返事がない事に気づいた。延々と壁に沈黙の表示が流れ続けていく事に、彼女のほおからわずかに汗が伝う。
「って、あら? もしもし、もしもーし? もう、何をふてくされているのよ。ほらお姉さんもう聖書を馬鹿ばかにしないから泣かなーい」
『別に、泣いてなどは。それより、ダメージの方は?』
 膨大ぽうだい沈黙ちんもく表示が消え、通常の短い文章が横書きで再開される。
「いや、それほどでも」
 オリアナは言いながら、靴を脱いで、ベルトをゆるめ、ファスナーを下ろし、元から少しおしリが見えているようなズボンの端に両手を掛けた所で、
「ない……とは、言い切れない、かな? ほっぺが腫れてるような感じはしないけど、ちょっとばかりしんを打ち抜かれてしまったかもしれないわね……」
 ふらり、と彼女の体がわずかに横に揺れた。
 オリアナは眠気を覚ますように首を振ると、両手でズボンを下ろした。流石さすがに、こちらは下着をつけている。足を片方ずつズボンから抜いていく時に、再びオリアナのバランスがわずかに揺らいだ。
『「計画の方に支障は?』
「そちらはないわね。断言してあげる。お姉さんに任せておきなさいって」
 別に姿が見えている訳ではないが、オリアナは無理に笑ってそう答えた。下着一枚の格好で立ったまま上半身を折ると、足元にあるバッグのファスナーを開けて着替えを探る。妙にしなやかな動きをしていて、ぺたりと地面にてのひらがついてしまうぐらい体が柔らかい。
「んふ。お姉さんの勝負着をここで使っちゃうわよん。上手うまく作業服のイメージから抜けられると、仕事の方もやりやすいのだけれどね」
 どれにしよっかなー、とオリアナはバッグの中をゴソゴソあさる。開いたファスナーの奥に見える布地は、どれもこれも派手な物ばかりだ。
 と、リドヴイアが不思議そうな文字列を表示してきた。
『着替えとは?』
「だからさっき言ったでしょう。ボタン取れておっぱい見られそうになったいやあれは絶対見られたって話。服がこわれたのでこのままの格好はまずいかな、というだけの事よ」
『……。だから、何故なぜそこまであっけらかんと』
 性格性格、とオリアナは取り合わず、バッグの中から候補となる衣服を何着か取り出し、「後は逃げる時に看板回収するの忘れちゃって。手ぶらのまま作業服というのも、お姉さんは不自然かなと思ったから」
『……、あの、それは』
「ああ、そうよそう。看板は向こうに回収されてしまっているから」
『……、どういう……』
「多分、もう中身についてもバレてしまっているでしょうね。お姉さんがダミーの一品を持って街中を逃げ回っていたという事も」
『――――、』
「ん、あら? あ、別に大丈夫だいじょうぶよ。『刺突杭剣スタブソード』の話がバレた所で、取り引きそのものが左右されるような事態にはなっていないのだし。減点一では失格にはならない。そして、現実の戦いは競技とは違う。減点一を上手うまく利用する事で勝利をもぎ取る事もできるものよ」
 オリアナは下着一枚のまま、両手でつまんだ上着を胸に当て、あれこれと色の組み合わせや露出ろしゆつの度合いなどを頭の中で計算しつつ、
「仕事はこなすわよ。この取り引きはだれにも邪魔じやまさせないし、誰にも邪魔はできない。この取り引きで皆が幸せになるというなら、なおさら、ね」
 最後に一言。
 彼女は空を見上げながら、そう告げた、
 学園都市の空は平和ボケ過ぎるほど青くんでいて、時折空砲のような花火がポンポンと打ち上げられていた。

     2

「やられたな」
 学園都市のトップ・アレイスターとの会話を終えた後、様々な部署に指示を飛ばしていたイギリス清教最大主教アークビシヨツプ・ローラ=スチュアートは、ため息をついた。あれからすでに数時間が経過していて、日本ではちょうど昼ぐらいの時間らしいが、あちらとロンドンではおよそ九時間もの時差がある。セントジョージ大聖堂を取り巻くのは、深夜のやみと静けさ、それから床をうような冷気だけだ。
 説教だんの前に椅子いすを置いて腰を掛け、身長の二倍以上もある長い金髪を床に垂らしていた彼女は。息を一つ吐くと両手を頭の後ろへと運んでいく。そのあまりにも長すぎる髪の根元を両手でつかむと、釣竿つりざおでもしならせるように大きく振った。蛇のように流れ、大きく波打つ髪の先端を上手く掴むと、片方の手で銀の髪留めを取り、それで髪を固定させる。あっという間に、二重に髪を折り返した、いつもの髪型に戻っていた。
 一連の動作には手慣れたものがあり、ともすれば雑に見えるかもしれないが、しかしそこにあるのは洗練された美しさだ。特に月明かりを浴びた金髪がうねる様は、一種の官能さえ与えかねないほどの光の芸術と化している。
 かつて一二使徒の一人であるヨハネは、女性の長い髪を禁じ、短く切ったり帽子の中に収める事をシスターに強要した。女性の長い髪は男を誘惑ゆうわくし堕落させる要因となるからだ、というのがその理由だ。現代となっては馬鹿馬鹿ばかぽかしく聞こえるかもしれない理屈だが……彼女の髪は、その考えを改めさせるに十分なつやと輝きを放っている。
此処ここに書かれし事は真実かしら?」
 ローラは自分のひざの上に置いていた書類を無造作に掴むと、ひらひらと振った。二〇枚ほどの用紙に書かれているのは、『刺突杭剣スタブソード』についてまとめた、大英博物館の報告書だ。
 無造作な動作だが、そこには確かな感情が込められている。
 その名は怒りであり、温度は極寒ごつかんだ。
 独り言のように聞こえるローラの声に、一呼吸遅れて返事がやってくる。
 中年男性の声だ。
「申し訳ありません。そちらから長年管理を任されてむきながら、今日の今日まで全く気づく事もできず、誤った展示を続けていたとは……」
「良い。それと怖気おじけを見せねども構わぬのよ。この感情はそちらへ向けたるものではないのだから。むしろ、かような時刻までご苦労だったと答えておくわ」
 あかりを落とされた大聖堂の奥―――出入り口付近で、恐縮するように気配が小さくなるのをローラは察知する。まるでローラと同じ月明かりを浴びる事すら恐れ多いとでも言っているような姿だ。
 彼はチャールズ=コンダー。
 考古学の権威であると同時に、大英博物館の『保管員』でもある。
 世界中を飛び回って博物品を集めてくる『調査員』とは異なり、博物館内の物品の管理と修復を任されている人間だ。軽く三〇〇〇年単位の歴史を誇る物品を、次の一〇〇〇年に語り継がせるために働くこの部署へ入るには、世界最高レベルでの『学者の頭』と『芸術家の腕』を要求される。チャールズの年齢は三〇代の後半に差し掛かっているが、それでもこの業界では『期待の新人』の域を出ていない。能力はあっても経験が認められていないレベルだ。
 彼らの取り扱う物品の中には、魔術的まじゆつてきな品も少なくない訳だが……大英博物館のスタッフ自体は、魔術とは何のゆかりもない一般人に過ぎず、それは館長であっても例外ではない。イギリス清教は神学・宗教・倫理の側面から展示物の取り扱いについて意見を求められる形で、間接的な支配を行っている。
 大英博物館自体は世界的に有名過ぎるし、同時に一般雇用もつのっている。その中に、あからさまに怪しいオカルト部署などを用意すれば、あっという間に魔術の名が世間に広まってしまうだろうから、その対策だ。
 チャールズも、イギリス清教が魔術に通じている事は知らない。自分が調査し報告書を書いた一品が魔術用品であ。る事にも気づいていない。彼がローラに尊敬を抱いているのはそんな実質的な「力』に対するおびえではなく、単にそれだけ信心深いというだけの話だ。
「して、コンダー。折り入りてそちに尋ねたき事があるの……」
 はい、とやみの向こうで返事があった。
 即答ではなく、静寂というリズムを一拍置いた上での返答。その場の空気を的確に読める人間だけが行える、絶妙のタイミングと言える。
 ふむ、とローラは満足そうに正面の暗闇を眺め、
「……コンダー。私の言葉遣いを聞きて、こっそり笑いたる事はないでしょうね?」
「は?」
「それを隠したるために、わざわざやみひそみておるのではないでしょうね?」
「い、いえ、決してそのような事は……」
「なれば声が。ふるえておるのは何故なぜかしらね、このうつけ! ええい、どいつもこいつも人の言葉遣いを愚弄ぐろうしおってなのよ! 大体、れもれもすべては間違えたる言葉遣いを教えし土御門元春つちみかどもとはるのヤツが悪いと言うに……」
最大主教アークビシヨツプ。日本語の扱いに不自由しているというウワサはかねがねお聞きしていますが」
「すでに倫敦ロンドン中の風聞うわさになりているの!?」
「お気をしずめて、今は英国語クイーンズで話しているのですよ。たとえ貴女あなた様がどのようなひどい日本国言語を用いていた所で、この場に治いては一切関係ありません」
「……、」
 こほん、とローラは咳払せむばらいした。
 チャールズ=コンダーは一世一代のフォローを入れているつもりなのだろうが、当のローラからするとほんのり渋味しぶみがあるのは何故だろう?
「えっと……本題に入ってもよいかの?」
「もちろんです」
 気を取り直して、彼女は話を先に進めようとする。
 チャールズも流れるように後に続いた。
「報告書にも書きましたが、当館が保持しているレプリカの『刺突杭剣スタブソード』。そのオリジナルは元元存在しなかったと予想されます。考古学上では時折報告される事例なのですが、いわゆる、伝承が交差した、といった所でしょうか」
「交差した、とは?」
 ローラはゆっくりと尋ねた。
 大英博物館の持っ考古学という観点は、オカルト一辺倒のイギリス清教とは異なる切り口の意見を見せてくれる、貴重なブレインだ。
「はい。報告を受けた事はありませんか。例えば……そうですね。ナスカの地上絵や、イースター島のモアイ像、本国ではストーンヘンジなどが該当しますが……歴史の中には、何故作製されたのか目的が不明な物品を発見してしまう時があります」チャールズは、闇の中で身を低く低く折り、「すると妙な話なのですが、それらが作製された理由を、後付で勝手に作ってしまう。ヘヤ拠の不足した伝承や神話だけが雪ダルマのように増殖していく訳です。聖母様マザーマリアの肖像画などが、一番分かりやすい例かと思われますが」
 ふむ、とローラは相槌あいづちを打つ。
 聖母マリアの肖像画は、(一神教の十字教の公式では一応控えるよう通達されているものの、実質的には大人気な)聖母崇拝の代表的な『奇跡のアイテム』だ。初期のころは『聖母の肖像画が涙を流す』程度の話だったのが、時がつにつれて『触れただけで傷が治る』『かざしただけで悪霊あくりようが消える』など、次々と新たな『伝承』を乱発拡大させていった逸話を持つ。ただの『偶像の理論』だけで説明できる範囲を超えており、信仰上の問題はどうあれ、史実としては受け入れがたい話だろう。
「つまりは、かような話なの? 元々、ローマには大理石によりて作られし珍妙な剣があった。しかしてローマ正教は、だれがいかなる目的で作りた物かは分からぬため、自らが手前勝手に『こうに違いない」と決め付けてウワサし合いたるのが、伝承・文献に残りてしまった、と」
「はい。しかし考古学の視点から報告しますと、これは悪意のある行いではないかと。元々、人は論理のほかに想像力を働かせて思考する生き物です。今回の『刺突杭剣スタブソード』以。外にも、世界中で同様の事例は報告されていますし、一方的にローマ側をお責めになるのは……」
 チャールズが言うのも無理はない、とローラも思う。
 そもそも十字教全体にも、それは当てはまるのだ。元々は『神の子』が自分のロで説法していた内容が、使徒の手によって書き記された事で聖書が生まれ、その聖書の解釈の仕方によって意見が分かれ、やがては国の風土や民族の事情などを汲み取り、様々な宗派へと発達していった。それが今日の十字教教会世界の笑情であり、旧教カトリツクも、新教プロテスタントも、イギリス清教も、ローマ正教も、ロシア成教も、信仰の中心核となる『聖書』そのものに違いはない。国によって使用言語が異なるものの、「イギリス清教専用に内容がアレンジされた聖書』などというものは存在しないのだ。
 それでも、これだけ多種多様の考え方が生まれ、信仰は分化していく。
 だから、こうした事態そのものは歴史的に珍しくもない訳だが、
(……あるいは、ローマ正教が意図的に『刺突杭剣スタブソード』の伝承を使いて真実を隠したるとしたら。いやいや、それこそ単なる憶測おくそくの域、か)
 ローラは首を横に振った。
 とにかく今ここで確実に断言できるのは、「刺突杭剣スタブソード』という霊装れいそうの話は人々が勝重に広めた伝承によって生まれたものに過ぎず、始めから存在しなかった、という事だけだ。
 あの大理石の剣が何のために作られた物かは彼女にも分からないが、少なくとも『切っ先を向けただけであらゆる聖人を確実に殺す』といった馬鹿ばかげた効果はないのだ。
 だとすると、学園都市で進められようとしていた取り引きの重要性も格段に落ちる。やれやれ、とローラは肩の力を抜いて、
「して、そのハタ迷惑な大理石の剣の、本来の伝承はつかめたるの?」
「はい。雪ダルマ式に伝承が交差しているため、はっきりとした確証はないのですが、おそらくこの記録が正確なものだと思われます」
 おや、とローラは首をかしげる。それは書類にはなかった情報だ。
 やはり魔術的まじゆつてきな視点だけでなく、考古学という『一般』の視点も重要だな、と彼女は適当に考えていたが、
「こちらの一品は、そもそも『剣』ではありません」
「なに?」
 ローラは不審そうによゆをひそめた。やみの先で、大英博物館の保管員が、レプリカの「刺突杭剣スタブソード』を持ち上げたのが分かる。黒い闇の中、奇妙に白く浮き上がった大理石の剣を、彼は逆さにして、

「十字架、ですね。現地では『使徒十字クローチエデイピエトロ』と呼称されていた物品のようです」

「ペ……ッ!?」
 その瞬間しゆんかん、ローラ=スチュアートは呼吸が止まるかと思った。
「ペテロの十字架だと!?」
 ピエトロは一二使徒の一人、ペテロの別名だ。十字教に詳しくない者でも、バチカンにある『サンピエトロ大聖堂』という名前ぐらいは聞いた事があるだろう。名実共に世界最大宗派ローマ正教の心臓部たる巨大教会の事だ。
 そしてペテロの十字架というのは、この聖ピエトロ大聖堂、ひいてはローマ・バチカン全域の歴史に深くかかわる、十字教全体の中でも一〇本の指に入る最大クラスの霊装れいそうの事だ。
 その危険度は『刺突杭剣スタブソード』―――距離や障害物を問わずあらゆる聖人を一撃いちげきほうむる霊装などとは比べ物にもならない。
 最大主教アークビシヨツプが出した突然の大声に、大英博物館の保管員は不思議そうな顔をしている事だろう。
無理もない、チャールズはあくまで考古学の権威であって、魔術まじゆつにはうといのだ。自分の口から出した名前がどれほどの破壊力はかいりよくを秘めているか、分からなくても仕方がない。
 しかし、ローラは違う。
 魔術の世界に、そして十字教の世界に精通しているからこそ、事態の深刻さが理解できる。彼女はもはや控えているチャールズなど意識にも置かず、己の思考に没頭していく。
(まずい。なれば、やつらの交わしたる『取り引き』の意味が根本より異なりてくる。もしも奴らが本気で『使徒十字クローチエデイピエトロ』の『取り引き』を、かの学園都市で行うと言うならば―――)
使徒十字クローチエデイピエトロ』。
 歴史的には存在していると言われているものの、今の今までローマ正教が一度たりとも公開を許さなかった、直接『神の子』が関わっていない聖遺物としては史上最高規模の、まさしく『伝説』の霊装。書物に記された通りの効果があるとすれば、
(―――『取り引き』の終了と共に、学園都市は崩壊せしめる。いや、それ以上の事が起こりけるわよ)
 口の中でつぶやいて、ローラはつぱを飲み込んだ、
 それでいて、彼女の顔には、壮絶な笑みが浮かんでいた。
 目まぐるしく回る状況の中、それをどう乗り切れば自分にとって一番の利益になるのか、それを考えながら。

     3

「『使徒十字クローチエデイピエトロ』……。こっちの言葉ではペテロの十字架、といった所か。まったく、なんて話だ」
 ステイル=マグヌスは携帯電話で報告を受けた後に、ポツリとつぶやいた。
 場所は自律バスの整備場からほんのわずかに離れたオープンカフェだ。パラソルのついたテーブルが一〇脚ほどあ。り、その一つを彼が陣取っている。ほかの席には上条当麻かみじようとうまと、ようやくオリアナの昏倒こんとう術式から回復した土御門元春つちみかどもとはるが座っていた。
 テーブルには何も載っていない。注文を待っている訳ではなく、その場の全員が何かを飲み食いするような気分ではないだけだ。
「なぁ。そのペテロの十字架ってのは何なんだ? 不思議物質ペテロで作った十字架って意味で合ってんのか?」
「ペテロは人名だ間抜け。一二使徒の一人で、主から天国のかぎを預かった者だと伝えられている。しかし、ここで重要なのはそっちの神話ではなく、別の伝承だよ」
「別の?」
 上条がさらに問いかけると、まだ少しぐったりしている土御門が答えた。
「ペテロさんってのは、あれだぜい……。教皇領バチカンの所有者なんだよ。いや、厳密にはペテロの遺産である広大な土地の上に教皇領バチカンを作った、ってトコかにゃー」
「バチカンって……あの、なんか世界で一番小さな国とかってヤツか?」
 上条が首をかしげると、ステイルは鬱陶うつとうしそうに煙草タバコの煙を吐いて、
「『バチカン市国Vatican City State』という名前は、一九二九年にラテラノ協定で決められたもので、それまでは『ローマ教皇領』と呼ばれていた領土だけどね。あと、最初から小さかった訳じゃない。サイズは時代によっても異なるが、最盛期にはローマを中心としてイタリア中部に四万七〇〇〇平方キロメートルにわたって広がっていた。イタリアは戦国時代の日本みたいに内部のいざこざがあったから、イタリア全土の統一に合わせて少しずつ削られていっただけさ」
「で、そこで問題となるのが、どうやってローマ教皇領を作ったか、ってトコ。ペテロさんの遺産である広大な土地に、ローマ正教はまず最初に何をやったのかという部分ですたい」
 は? と上条は間抜けな声を出す。
 みんなで荒地でも耕したんだろうか、とか適当な事を考えていたのだが、

「墓を建てたんだよ。ペテロの遺体を埋めて、十字架を立てて、な」

 上条かみじようはギョッとした。
 ペテロの十字架とは、ペテロさんのお墓に立てられた十字架、という意味だったのだ。
 顔色が悪くなった上条だが、土御門つちみかどは、構わず続ける。
「この地にはペテロさんが眠ってるんで、教会はその眠りを妨げないように遺産の管理ともども頑張ります、ってのがローマ正教の意見ですたい。元々はペテロさんの眠ってる真上にコンスタンティヌス帝が聖堂を贈呈・建設したのが始まりらしいが、ルネッサンスの際に愉快なインフレが起きて大改築された。それが、ミケランジェロが設計した今のサンピエトロ大聖堂―――名実ともに世界最大の教会にして、死者の上に建つ聖域さ」
 実際にペテロが死んだのは一世紀、聖ピエトロ大聖堂が完成したのは四世紀、ローマ教皇領をフランク国王から贈呈されたのは八世紀と、かなり時代に差はあるものの、やはり一番最初のきっかけはペテロの死と、その墓を作った時であるという話だった。
 が、説明された所で、上条にはいまいち事情を想像しにくい。
「うーん……それってあれか。偉い人をたてまつってる建物とか、そんな感じなのか?」
「どうかにゃー。裏を返せば『聖人の死体を利用して新しく建てる教会の権威を補強した』とも言えるんだぜい」
 それでは死者の眠りを守っているのか、遺体の収められたお墓を観光資源にしてしまっているのか、どちらとも言えないような気がする。
「なんか……少し抵抗がある話なんだけど。ローマ正教ってのは、そこまでやっちまう宗派なのか?」
「あん? この程度の事ならどこでもやってるぜい。例えばイギリスでも聖トマス=ベケットってな大司教がいたんだが、コイツは一一七〇年一二月二九日、ある教会で『王室派』に暗殺されている。この教会ってのがカンタベリー寺院―――イギリス清教総本山ってトコだ」
 土御門はそこまで告げると、一度言葉を切った。
 ニヤリと笑って、
「それまでは首都ロンドンから離れた地方の大聖堂だったんだが……お偉いさんの死と共に、一気に総本山へと格上げされたんですたい。ベケット大司教暗殺の件が逆に『王室派』への反感を募らせ、結果として『王室派」は教会の独立権を認めざるを得なくなった事から―――イギリス清教始まりの地、なんて呼び方もされてるほどだぜい。聖人の眠る場所、ってのはそれだけでデカイ効果があるんだよ、カミやん」
 上条にはあまり良く分からない話だが、どんな形であれ、偉い人がかかわった教会というのはそれだけで価値が上がるものらしい。
「……、で。オリアナが運んでたのは『刺突杭剣スタブソード』じゃなくて、そっちの『クローチェなんとか』だったんてんだろ。それってやっぱり危険な物なのか? それとも美術品みたいに、変なレア価値がついてんのか?」
「どちらも、と言いたい所だけど、僕たちが気にするべきは、もちろん前者だ」ステイルはいまいま々しそうに煙を吐き、「さっきも言っただろう? ローマ教皇領は、広大な土地―――というか、厳密には空間にだが、『使徒十字クローチエデイピエトロ』を立てた所から始まった、って。なら、逆も言えるんだ」
 逆?と上条かみじようが尋ねると、

「ああ。つまり『使徒十字クローチエデイピエトロ』を立てた場所エリアは、漏れなくローマ正教の支配下に置かれる。それがこの学園都市であっても例外はない」

 ちょ……ッ!? と上条の言葉が詰まる。
 土御門つちみかどは苦い声て、
「元々、「刺突杭剣スタブソード」には「竜をも貫き地面にい止める剣」って、いわくがあった訳だが」彼は一度呼吸を止めて、「つばさを持つ巨大な存在であり、眠れる財宝の守護から私欲の虐殺ぎやくさつまで行う『竜』とは、つまり神に仕える『天使』と身をとした『悪魔あくま』の隠語って訳だにゃー。『竜を地面につなぐ』ってのは、『この大地を天使に守護してもらえるような聖地に作り変える』って意味でもあったんだろうぜい。……くそったれが」
 上条は息をむ。
 質問すべき事はたくさんあるはずなのに、言葉が上手うまくまとまらない。
「ちょっと待った! 支配って何だよ。あいつら、ここで一体何をしようとしてるんだ!?」
「バチカンって国は、その内部全体が巨大な教会になってるようなものなんだよ、カミやん。あの内部は空間がおかしくなっててな、何をやってもローマ正教にとって都合が良くなるように、幸運や不幸のバランスが捻じ曲げられてしまうんだ」
 土御門の説明だけでは、上条には理解できない。
 続けてステイルが、
「具体的に言えば、バチカンという範囲内に、指向性のある魔力が充満しているんだ。それによって、常にローマ正教にとって都合良く話が進むようにできている。言ってしまえば、磁石を使ってカジノのルーレットでイカサマをするようなものだ。本来の玉の動きを無視して、好きな番号に入ってくれる」
 そう告げられても、上条にはやはり理解できない。
 だが、『だれかの都合の良いように進む魔術まじゆつ』というのを、彼は知っている。
「それって、あれか? あの錬金術師れんきんじゆつしみたいに、自分の思った事がすべて現実化されるとかっていう感じなのか?」
 アウレオルス=イザードという男がいる。
 彼は錬金術を極めた結果、『自分が考えた事を全て現実化させる』術式を編み出していたのだ。それゆえに、彼は自分の中にある『疑念』に押しつぶされてしまった訳だが……。
「いや、『黄金練成アルスリアグナ』ほど、人間の意志をみ取ってはくれないね。あくまで『ローマ正教全体にとって都合の良い方向へ、自動的に導いていくだけ』の術式だ。しかし、そんなものを学園都市に立てたらどうなると思う?」
「どうなるって、言われても……」
 学園都市が、ローマ正教の都合の良いように動く、という事か?
 思い浮かぶのは漠然としたイメージだけで、上条かみじようには具休的な想像が追いつかない。とりあえず、頭に浮かんだ事をそのまま言ってみる。
「えっと……ローマ正教にとって都合が良くなるんだよな。じゃあ、学園都市にローマ正教徒がやってきたら、そいつがやたら幸運になったりとか?」
「ま、そうだね。『使徒十字クローチエデイピエトロ』の効果が文献通りなら、何も悪い事ばかりが起きるという訳じゃない。この街に足をみ入れたローマ正教徒は、ギャンブルで何度大勝負に出ても何故なぜか勝ち続けるだろうし、建物が爆弾で吹き飛ばされても傷一つ作らずに済むだろう。それこそ、不自然なぐらいにね。さらに」
 ステイルは皮肉げに唇の端をゆがめて、
「『使徒十字クローチエデイピエトロ』はローマ正教徒以外の人間も救ってくれる。ローマ正教徒がギャンブルで勝ち続ければ、当然負ける人間が出るだろう? しかし、『使徒十字クローチエデイピエトロ』は負けて良かった、という状況を作ってくれる。爆弾にしても同じ。爆発によって建物が崩されても、やはりだれも致命傷は負わない、みんな無事で良かった、という幸せな状況を作ってくれる訳だ」
「???」
 上条は首をひねった、
 ステイルの言っている事が、全部正しいのなら、
「それって、みんなが幸せになるって事だろ? だったら何も問題ないじゃねーか」
「大有りだ」
 吐き捨てるように、彼は言った。
「良いかい、そもそも『使徒十字クローチエデイピエトロ』なんてものを仕掛けなければ、ギャンブルで負ける人間はいなかったし、ローマ正教徒をねらった爆弾だって設置される事はなかった。一見みんなを幸福にしているように見えるが、実は『使徒十字クローチエデイピエトロ』はしっかり周りに重荷を背負わせている。それも、目に見えない形でね」
 テーブルの上にぐったりと上半身を預けた土御門つちみかどが、先を続ける。
「実は十字教の歴史の中でも、こういう幸福のすり替えは割と頻繁ひんぱんに行われているんだにゃー。
例えば聖マルタン。イギリス清教読みでは聖マーティンか。コイツは割と愉快なエピソードを持ってる。彼が十字教布教のため、異教徒の古代神殿をぶっこわしてご神木を引っこ抜こうとした時の事だにゃー。十字教徒なんかになりたくない異教徒の農民たちは最後の抵抗として、『あなたが本当に神様に守られているのなら、今からご神木を切り倒すから受け止めてみろ。本当に神様に守られているなら死なないはずだ』と告げたんだぜい」
 普段ふだんはチャラチャラしている土御門つちみかどだが、その口からスラスラと十字教の神話が告げられる。
やはり、クラスメイトの上条かみじようにとってはあまり馴染なじめない風景だ。
「これを受けた聖マーティンは、倒れかかってくるご神木に対して、胸元で十字を切る。するとアラ不思議、ご神木は反対側に倒れていき、あわや異教徒の農民たちを押しつぶす所だった。主の奇跡は本当にあったのだ、と農民達は感動して十字教に改宗した訳だが……これっておかしくねーかにゃー? だって、不思議な力を使って農民のいる方にご神木が倒れるように方向転換させたのは聖マーティン本人だぜい。もっと安全な場所に倒せたと思うし、そもそもご神木ってあっさり倒して良いモンなのかにゃー? っつか、何で感謝されてんの……?」
「一応は、反対側に倒れたご神木は異教徒を殺さなかった。これこそ主が与えた慈悲であり、改宗のチャンスを残された農民は皆幸福である、との事だけどね。きにしろしきにしろ、彼らの歴史や伝統、精神文化などが丸ごと潰されたのは間違いないかな」
 何だそれは、と上条は思う。
 確かに幸福は与えられている。しかし、それでは『何かが起きたから幸せ』なのではなく、『たとえ何が起きても幸せだと感じるように』なっている気がする。
 土御門は、ベタッとテーブルに張り付いたまま顔だけ上げて、
「このやり口は心理学でもある程度の効果が認められてるにゃー。まず最初に、絶対に実現不可能な『要求A』を出し、そんな事はできないと懇願こんがんされた所で、本来の『要求B』を出す。すると、最初っから『要求B』を出すよりも、はるかに要求が通りやすくなるって結果が出てるんだぜい。『Aに比べればBの方がマシ。良かった良かった』ってにゃー。特定の手順をむ事でマイナスとマイナスの天秤てんびんを操り、幸福の相対価値レートを引き下げてるって訳ですたい」
 ロの端で煙草タバコを上下に揺らしながら、ステイルは続けて言う。
「『使徒十字クローチエデイピエトロ』はそれら神話上の心理効果も利用しているという事だ。何があってもローマ正教の都合の良いようにコトが進み、本来そのせいで理不尽な要求を突きつけられているはずの周りの人間も、何故かそれを納得して受け入れてしまう。……まさしく、ローマ正教にとっては極めて居心地の良い『聖地』だろう?」
 彼ら魔術師まじゆつしの言葉が、じわじわと上条の頭に入り込んでくる。
 あまりにもスケールの大きな話は、じっくりと時間をかけて、ようやく少しずつ理解できるようになってくる。
「ちょっと待てよステイル。その『使徒十字クローチエデイピエトロ』ってのを取り引きして、オリアナ達は具体的に、一体何をしようとしてるんだ?」
「世界を二つに分けると、科学サイドと魔術サイドに分かれるはずだ。今はちょうど、バランスは半々に保たれている訳だけど」
 ステイルは簡単に答えた。
「その内科学サイドの長が学園都市だね。さて、この学園都市が、全面的にローマ正教の庇護ひごに治まってしまったら、世界のバランスはどうなってしまうと思う?」
 あ、と上条かみじようは思い至った。
 ただでさえ世界の半分を占めている科学サイドが、魔術まじゆつサイドの『どこかの組織』の下についたら、「科学という世界の半分+魔術にある自分たちの組織力』で、確実に世界の五〇%以上を手中に収められるのだ。後は多数決の単純な理屈で、世界をどうとでも動かせてしまう。
 まして。
 それが、十字教の中でも最大宗派のローマ正教となれば。
「科学と魔術の両サイドから攻められれば、『どちらか片方の世界』に属しているだけの組織や機関では太刀打たちうちできないのさ。これは腹と背を同時になぐられているようなものだ。世界のパワーバランスは、完壁かんぺきにローマ正教の一極集中となってしまうだろうね」
 ローマ正教は、『具体的にどうやれば学園都市を手中に収められるか』は考えなくても良いのだ。「使徒十字クローチエデイピエトロ』を学園都市に突き刺せば、後はすべて『ローマ正教の都合の良いように』学園都市の方が動いてくれるのだから。
 具体的には、何が起きるのだろう。
 学園都市統括理事会が突如としてローマ正教の庇護に入ると決議してしまうか。
 学園都市全域が経営不振におちいり、スポンサーとしてローマ正教の支配を受けるか。
 あるいは、学園都市そのものが一度端微塵ぱみじんに吹き飛んで、その復興再建を日本政府ではなくローマ正教主導で行うという話がくるか。
 どんな形になるのかは分からないが、どんな形であってもローマ正教にとって最も『都合が良い』展開になるのは間違いない。そして同時に、学園都市のだれもがその結果に疑問を抱かず納得する。
 どんなに理不尽な要求でも、どんなに不条理な重荷を背負わされても。
 誰もが幸せしか感じられない世界ができあがる。
「じゃあ、オリアナ達の言っている取り引きっていうのは……」
「ああ。『刺突杭剣スタブソード』だの『使徒十字クローチエデイピエトロだのといった、霊装れいそう単品の取り引きじゃない。「ローマ正教の都合の良いように支配された」―――学園都市と、世界の支配権そのものだろうさ」
 ステイル=マグヌスは、大きく深呼吸した。
 口の端にある煙草タバコが、酸素を吸ってオレンジ色の光を強くする。
「運び屋のオリアナ=トムソンと、送り手側のリドヴィア=ロレンツェッティ。彼女達のほかに、もう片方の受け取り先が分からなかったのは当然さ。―――この取り引きには、他の誰もかかわっちゃいなかった。ロシア成教が怪しいなんて話もハズレさ。
ローマ正教が自分で自分に送るだけのものでしかなかったんだから」
 彼は一度だけ 言葉を切ると、最後の一言、こう告げた。

「止めるよ、この取り引き。さもなくば、世界は崩壊ほうかいよりも厳しい現実に直面する事になる」

 声に、上条当麻かみじようとうま土御門元春つちみかどもとはるうなずいた。
 たった三人で何ができるかなんて分からない。
 オリアナ=トムソンや、その背後にいるリドヴイア=ロレンツェッティに必ず勝てるなんて保証はどこにもない、
 それでも。
 彼女たちが学園都市の人間に、都合の良いようにすべてを押し付けてしまえば、自分達ローマ正教が世界の支配権を得られるなんていう幻想を抱いているのなら。

 ―――その幻想は、必ずこの手で殺さなければならない。

     4

 上条刀夜とうや詩菜しいなの二人は街を歩いていた。
 時刻は午後一時過ぎ。分厚いパンフレットに書かれている予定表ではとっくにお昼休みに入っているはずだったが、今でも競技を続けている所もあるらしい。この辺りの予定の前後が、大覇星祭だいはせいさいの運動会らしい一面でもある。オリンピックやワールドカップなどの国際競技の場合はもっとスケジュールがカッチリと固まっているはずだ。
 刀夜は腕をまくり、よれよれになったワイシャツのしわを軽く伸ばしながら、
「さて、と。母さん、少し遅くなってしまったがお昼ご飯の場所取りをしよう」
「あら。そうねぇ」
 詩菜はお嬢様じようさまっぽい鍔広つぼひろの帽子をかぶり直しつつ、
「……どうも、さっきから当麻さんの姿が見えないような気がしていたんだけど。本当にあの競技の中にいたのかしら?」
「まあ、あれだけの人数が一つの種目でぶつかり合ってしまっては、見つからない場合もあるだろうさ。その辺は当麻と合流してから武勇伝を聞かせてもらえば良い。何はともあれ、とにかく場所取りだよ場所取り」
 刀夜がお昼ご飯を食べる場所を探しているのは、何も彼が特別おなかがすいているからではない。
 大覇星祭が、普通の運動会と違う点の一つとして、『場所取り』というものがある。
 通常の運動会と違い、種目によって競技場が転々とする大覇星祭では、一度場所を取ったらそれで終わり、とはならない。自分の子供が参加する種目に合わせ、親の方も次から次へと場所取りを行わなければならないのだ。
 当然、それはお昼ご飯でも例外ではない。種日が終われば選手も観客も競技場から追い出されてしまうため、『お昼ご飯を食べるだけの席を確保』しなくてはならない。
 学園都市の住人は二三〇万人、外部からの見学者はそれ以上となる。それだけの人聞が、食料と場所を求めて一斉に動くとどうなるか……普段ふだん、学食や購買などの混雑を知る者なら想像はかたくないはずだ。
 刀夜とうやは、オールバックの頭をあちこちに振って辺りを見回し、
「しかし、本来のお昼休みは一二時スタートだからね。競技が長引いてしまったおかげですっかり出遅れてしまって、正直、場所取り合戦には出遅れた感があるなぁ」
「あら。こちらはお弁当だから、大して場所を選ぶ必要性はないと思うのだけど」
 詩菜しいなは腕に引っ掛けているとうのバスケットに目を落としながら、楽しげに言った。それを見た刀夜はまゆを寄せて、
「母さん、そんなんじゃ駄目だめだ。せっかく母さんが作ったお弁当なんだから、最も美味おいしく食べられる場所を探そう。その方が当麻とうまだって喜ぶだろうし、私は確実に喜ぶ。願わくば母さんにも喜んでもらえるとありがたいけど」
「あらあら、刀夜さんたら」
 詩菜はニコニコと微笑はほえみながら、自分のほおに片手を添えた。ネクタイを片手でゆるめ、あちこち忙しく首を回して場所を探している刀夜は、彼女の笑みと視線に気づいていない。
「……ふむ。この辺りはお店もベンチもほとんど取られてしまった後みたいだ。こちらで穴場を探すという手もあるが、それならいっそ当麻と連絡を取ってアドバイスを受けるという事も―――っと、おや?」
 長考していた刀夜は、ふと人混みの向こうから、見覚えがある人間がこちらへ歩いてくるのを発見した。
 開会式の前に出会った、大学生ぐらいの女性だ。
 今は、彼女のとなりにもう一人、中学生ぐらいの少女が並んで歩いている。陸上選手のユニフォームのように本格的なランニングと短パンを着た、茶色い髪が肩の所まで伸びている女の子だ。確か、『ミコト』と呼ばれていたような気がする。
 彼女たちは仲の良い姉妹なのか、大きな声で何やら言い合っている。
「あらー。美琴みことちゃーん、ひょっとしてパパが来れなくなってムクれちゃってる? 私だって大学に無理言って一週間分の休学届け受理してもらったんだから勘弁してよー」
「……別に。っつーか今、仕事でロンドンにいるんでしょ? 無理して青ざめた顔でやって来られた方がよっぽどつらいわよ」
「うんうん。その不機嫌そうな声を聞いたら、パパ喜ぶんじゃないかしら。でも美琴ちゃんにとってはアレよー、パパ来なくて正解だったかもしれないわよー?」
「??? 何で?」
「だって美琴みことちゃん、好きな男の子がいるんでしょ? これ聞いたらきっとパパが面白い反応見せてくれるわよー」
「ぶっ!?」
 女子中学生がいきなり噴き出した。それから顔を真っ赤にすると、頭一つ以上は背の高い女子大生の顔を思い切り見上げて、
「な、なななな何をいきなりぶっ飛んだ台詞せりふ吐いてんのよアンタ!!」
「えー? 違うのーん? あの黒くてツンツンした髪の男の子が気になって夜も眠れなくて、思わずベッドの中でまくらを抱きめちゃうんじゃないのーん?」
「ちがっ、違うわよ! どういう理屈でそんな結論に達するのかしら! って、そもそも何でアンタがあの馬鹿ばかの事を知ってんのよ!?」
「気になるなーん。『あの馬鹿』とか親しげな悪口が気になるなーん。美琴ちゃんが罰ゲームで何をお願いするのか気になるなーん。ほうら、パパ来なくて正解だったでしょ? で、結局どうなのよ美琴ちゃぁん♪」
「罰ゲームって……アンタどっから聞いてたの!? ええい、腰をクネクネさせてないでさっさと答えなさい!!」
 パチパチと前髪から肩口から青白い火花を散らしている女子中学生を見て、刀夜とうやは改めてここが学園都市なんだなあと感心した。息子の当麻とうま無能力者レベル0なのであまり意識していないのだが、ここは映画や漫画に出てくる超能力者さんの街なのだ。
「今夜、競技が終わった後にナイトパレードがあるみたいだけどどうするのよ美琴ちゃん。あっ、それともその電撃でんげき上手うまく使って二人だけのイルミネーションとか演出するつもり!?」
「ぶっ!? あ、アンタのセンスって本当に最悪よね! だ、だだだ大体、別にナイトパレードがあったって、そんなの私には、何の関係もないじゃない……」
 彼女たちにとっても『超能力』は身近にあるもので、その事自体に対していちいちおどろいたり引っかかったりはしない。この辺りの空気が、学園都市特有なんだなと刀夜は思う。
 と、ぽけーっとしていた刀夜に、女子大生と女子中学生の方も気づいたらしい。女子大生の方がパッと顔を輝かせて、
「あーっ! さっきはどうもありがとうございました。むかげでこの通り、美琴とも合流する事ができまして……」
 女子大生に対して、女子中学生の方はまゆを寄せて、
「……ちょっと、この人達ってどちら様? また仕事先の人?」
「んふーん♪ 美琴ちゃんの気になる男の子の親御さんだよー。ほら美琴ちゃん、アピールアピール!!」

「うるさいだまれだから違うって言ってんでしょ!!」
 女子中学生はみ付くように叫んだが、女子大生は全く気にせず、あっさりと受け流して、「そういえば、昼食はもうお済みですか? もしよろしければ、私たちとご一緒いつしよしません? 小さな喫茶店らしいんですけど、勝弁当の持ち込みも大丈夫だいじようぶみたいですよ。ね、美琴みことー?」
 ふむ、と刀夜とうやは女子大生の意見を吟味する。
 飲食店にお弁当を持参する……というのは、とにかく場所不足の大覇星祭がいはせいきいではとがめられるような事ではない。詩菜しいなのお弁当も、落ち着ける場所で大勢の人間と食べた方が美味おいしいに決まっている。少なくとも華奢きやしやな詩菜に、こんな炎天下のアスファルトを延々と歩かせるよりは、ずっとマシなはずだ。
 だから刀夜は言った。
「良いですね。あと、こちらは一名増える予定ですが大丈夫だいじようぶでしょうか」
「全っ然オーケーというかむしろ好都合です。だよねー美琴ちゃーん♪」
 ニコニコと笑いかける女子大生に、女子中学生は顔を斜めに傾けたまま、無言でバッチンバッチン青白い火花を散らしまくる。個性的な女の子だ、と刀夜は首を横に振って、それから詩菜の方へ振り返った。
「母さんもそういう事で良いかな―――って、母さんがまたものすごい顔になってる……」
 心の底からがっかりした顔で干円札や五千円札のような陰影を見せる詩菜の姿に、刀夜は思わず一歩後ろへ下がった。詩菜は、良く通るのに何故なぜか唇が全く動かない話し方で、
「もう、刀夜さんたらいつもこんなのばっかり。私にどうして欲しいのかしら。バスケットごとお弁当を投げつけて欲しいのかしら。あらあら。あらあらあらあら。可哀想かわいそうに、全く関係のない当麻とうまさんまでお昼抜きになっちゃうわよ?」
 何でキレてんのーっ!! と刀夜はさらに後ろへ、ズザザザザ!! と勢い良く下がる。詩菜の言葉はあながちギャグとも言い切れない。何故なら彼女は、夫婦喧嘩げんかの際はお皿だろうがDVDデッキだろうが、手元にある物はとにかく何でも投げつけてくる貴婦人だからだ。
 そんなこんなで後ろ向きに距離を取った刀夜だったが、
 それが災いしたのか、今度は背中に別のだれかがぶつかった。
「うわっと!! す、すみません!!」
 振り返り、高速で頭を下げる上条かみじよう刀夜の目にまず飛び込んできたのは、女性の大きな胸だった。近距離にいたため、頭を下げるつもりがのぞき込むような姿勢になってしまったらしい。
 胸元から鼻先までの距離、およそ四ミリ。
 刀夜はバッ!! と二倍速で顔を上げる。
「す、すみませんでした本当に申し訳ありませんでした! うあああー……一方そのころ真後ろから迫り来る母さんの視線が痛い~~……ッ!!」
 おそらくものすごい事になっているだろう背後の様子を確かめる度胸がないので、刀夜は改めて正面にいる女性と目を合わせる事になった。
「いえいえ、そちらこそお怪我けがはありませんでしたか? ごめんなさい。こういった人混みにはあまり慣れていなくて」
 それは、変則的で複雑な巻き髪状の、長い金髪の女性だった。
 それは、白い肌に青いひとみの、西洋系の顔立ちをした女性だった。
 それは、均整の取れた肉体を持ち、色気を熟知した女性だった。
 チャリン、と金属の音が鳴る。
 彼女の長い人差し指は、細い金属の輪に通してあった。直径二センチぐらいの小さな輪だ。輪には穴の空いた、板ガムを少し大きくした程度の四角い厚紙がたくさん通してある。暗記などに使う単語帳だ。
 彼女は単語帳を、まるで鍵束かぎたぱのようにもてあそびながら、
「お姉さんなら気にしていないから大丈夫だいじようぶ―――と言いたい所ですけど、年下風情ふぜいが『お姉さん』はありませんよね」
 では、と彼女は一言告げて。刀夜とうやに背を向けた。
 そのまま自然に人混みの中に紛れていき、そのまま姿が見えなくなった。あれほど際立きわぜつ容姿と、むせ返るような色気を振りまいておきながら、だれにも気づかれないように。
 刀夜は、しばらく金髪の女性が消えた方角を見ていたが、
「あらあら。あらあらあらあら。刀夜さん? これはどうやったら目を覚ますのかしら。関節技程度では弱いかしら。あらいやだ、どうしましょう。私これから刀夜さんをうっかり夜空の星に変えちゃうかもしれないわね」
「ひっ……い、いや母さん違うんだよ私は決してあの女性の顔と胸と腰と脚に見惚みとれていたとかそういう訳ではないんだよだからそのあれだつまり色々とごめんなさいでしたーっ!!」
 言い訳が途中から謝罪に切り替わっている刀夜を見て、美琴みことは最後にポツリと一言つぶやいた。
「……やっぱり親子なのね」

 彼らは気づかない。
 学園都市の内部で起こりつつある事も。
 身近にいる少年が、それを止めるために街の中を走り回っている事も。
 そして。
 危機は、刀夜の鼻先四ミリにまて迫っていた事も。
 安全な傍観者など一人もいない、常に危険をはらむ当事者たちしかいないこの街で、大覇星祭だいはせいさいはさらに盛り上がりを見せていく。
 科学オモテの意味でも、魔術ウラの意味でも。

   あとがき

 一巻ずつお付き合いしていただいている貴方あなたはお久しぶり。
 九冊もまとめてお買い上げいただいた貴方は初めまして。
 鎌池和馬かまちかずまです。
 もう毎回毎回変化球と言っているような気がしますが、やっぱり今回も変化球なのです。何がどう変化球なのかは本編を読んでのお楽しみ、という訳で。
 今回のオカルトキーワードは、かなり基本的な所を攻めています。魔道書まどうしよ魔法陣まほうじんなど、シリーズのこれまでの巻にも、さりげなく登場していたものばかりですね。
 舞台となるのは大覇星祭だいはせいさい―――いわゆる超巨大規模の運動会といった感じですが、いかがでしたでしょうか。こちらは運動会なるものをすっかり忘れている身ですので、運動会ってどんな競技あったっけ? 今と昔では行われている競技にも差があるの? などと、やや悩みながら書いてみました。無事に運動会っぽさが出ているとありがたいです。
 イラストの灰村はいむらさんと担当の三木みきさんには感謝を。この作品はお二人がいなければ確実に完成しなかったでしょう。これからもよろしくお願いいたします。
 そして読者の皆様に感謝を。この作品は貴方たちがいなければ書き始める事すらできなかったでしょう。これからもよろしくお願いいたします。
 それでは、今回はここでページを閉じる事にして、
 次回もまた、貴方の手でページが開かれる事を析りつつ、
 本日は、この辺りで筆を置かせていただきます。

 で、ヒロインはだれだったの?鎌池和馬

とある魔術の禁書目録9
鎌池和馬

発 行 2006年4月25日 初版発行
著 者 鎌池和馬
発行者 久木敏行
発行所 株式会礼メディアワークス

平成十八年十十月五日 入力・校正 にゃ?

小説ーとある魔法禁書目録08

とある魔術の禁書目録8

鎌池和馬

   c o n t e n t s
 
   序 章 五本の指の一本 A_TOKIWA-DAI’s_World.
   第一章 彼女達の放課後 After_Scool_of_Angels.
   第二章 向き合う乙女達 Space_and_Point.
   第三章 残骸が秘める光 “Remnant”
   第四章 決着をつける者 Break_or_Crash?
   終 章 それぞれの日々 One_Place,One_scene.

とある魔術の禁書目録8

 ここは、学園都市の全女子高生徒が羨望の眼差しを注ぐ名門女子校・常盤台ときわだい中学。もちろん通う生徒は全員“お嬢様”である。
 その“お嬢様”のひとり、御坂美琴おさかみことが体育の授業後に、汗をかいた身体を洗おうとシャワーを浴びていると、隣から一人の少女が声をかけてきた。
 白井黒子しろいくろこ。学園都市の治安を守る『風紀委員ジヤツジメント』であり、空間移動能力テレポートを持つ大能力者レペル4の少女。彼女は、美琴を放課後のショッピングに誘う。
 ――それが、黒子の長い長い一日の始まりになった。お姉様・御坂美琴の本当の姿を知る、長い長い一日の……。
 お姉様と“あの殿方”が交差するとき、白井黒子の物語が始まるのですの!?

鎌池和馬

八巻目です。主人公はいつもと違います。それ以外にも、たくさんのレギュラーキャラが事件解決に挑むにぎやかなお話になったなと思います。少々キャラ達の人間関係がすれ違っている感じが愉快ですが。

イラスト:灰村はいむらキヨタカ

1973年生まれ。遂にHDDレコーダーを購入しました。そして録画ジャンル比率は「映画3・特撮1・アニメ6」。これで自分も立派にオタクですかそうですか。

  とある魔術の禁書目録8

chap1

序 章 五本の指の一本  A_TOKIWA-DAI’s_World.

 常盤台ときわだい中学。
 東京の三分の一の広さを誇る超能力開発機関『学園都市』の中でも五本の指に入ると言われる名門であり、同時に世界有数のお嬢様じようさま学校だ。その入学条件は極めて厳しく、某国の王族の娘をあっさり不合格にして国際問題に発展しそうになった逸話すら存在する。
 学校の敷地しきち隣接りんせつするほかの四つのお嬢様学校と共用になっている。土地不足という訳ではなく、互いに費用を畠し合って強固なセキュリティ体制を作るためのものだ。
 並の学校の一五倍以上の敷地を持つ共用地帯、ここは『学舎まなびやその言うが広大なイメージはない。ただでさえ特殊な時間割りカリキユラムに使う実験施設の増設が多く、さらには独自技術の漏洩ろうえいを防ぐために、能力開発用機材は一切外注せずに『学舎の園』内部で生産しているので、その製造・販売施設も少なくないからだ。各施設は外観だけは洋風で統一されていて、まるで地中海に面した小さな街を丸ごと持ってきたような空間が出来上がっている。
 何しろ『学舎の園』の中では道路標識や信号機のデザインまで外とは違うぐらいなのだ。
「石畳の道路に大理石の建物……非効率の極みですわねー」
 九月一四日。残暑厳しい午後の校庭の真ん中で、陸上選手のようなランニングと短パンを着
たツインテールの少女、白井黒子しらいくろこは遠く離れた校舎を眺めつつ、暑さにまいった口調でつぶやいた。
 校庭は大英だいえい博物館前広場のような石畳だが、その表面を専門の測量士が測っても寸分の凹凸や傾きすら検出できないだろう。そして素材は単なる石ではない。肉眼では区別がつかないものの、電子顕微鏡で調べれば学園都市製の特殊建材だというのが分かるはずだ。
 ピカピカにみがかれたようなその校庭には、汚れの一つもない。
 学校の体育などで良く使う、トラックにラインを引くための白い粉末すらも。
 今は授業中で能力測定の競技中なのだが、そのためのラインは別のもので引かれていた。
 それは光の線だった。校庭には何千万本もの光ファイバーが電直に埋め込まれていて、それらが放つ光点が集まり、電光掲示板のように光のラインを自在に描くのだ。
 光線は今、白井を囲む小さな円と、その円を中心とした巨大な扇を形作っている。
 砲丸投げのものと良く似ていた。ただし、砲丸投げに比べて扇の角度が圧倒的に狭い。
 そして全く同じ形状のラインが白井の横一列にずらっと並び、やはり体操服を着た少女たちがその円の中に入っている。まるでバッティングセンターのような構図だ。
 白井の能力は『空間移動テレポート』である。簡単に言えば、手元にある物体(自分の体を含む)を、三次元的な空間を無視して一瞬いつしゆんで遠くへ飛ばす能力だ。一応、皮膚ひふ上に触れている物体でなければならない、という制限もあるが。
空間移動テレポート』のレベル認定は、三つの条件が深くかかわる。物体を飛ばす際の『大きさ(質量)』『距離』『正確さ』である。それを調べる測定方法の一つに、このような砲丸投げに近いスタイルがあるという訳だ。ただの砲丸投げとは異なり、単に遠くへ飛ばすのではなく正確なポイントへ落とすという要素も加わってくる。
 ちなみに常盤台ときわだい中学には、空間移動テレポート能力者は白井しらいしかいない。周りにいる少女たちは、白井と
は違う『飛び道具タイプ』の能力者だ。
 ぼてっ、という感じに、白井の視界のずっと先に何かが落ちている。
彼女が先ほど空間移動テレポートを使って飛ばした、砂を詰め込んだ重さ一二〇キロの布袋だ。
 ややあって、白井の足元の地面を、新たな光の文字が流れていく。
『記録・七八メートルニ三センチ・指定距離との誤差五四センチ・総合評価「5」』
 はぁ、と文字を見た少女はツインテールを左右に振って、
「あー、絶賛大不調ですの……日本語おかしくなるぐらい。大きくて重たいものを遠くに飛ばすの苦手なんですのよー。五〇メートル前後とかならミリ単位で修正できますのに」
 元々、彼女の能力の限界値は飛距離が八一・五メートル、質量が一三〇・七キログラムであるが、この能力において、飛距離と質量の間に因果関係はない。質量を小さくしてもその分、飛距離が伸びる訳ではないのだ。逆に言えばどんな物体を飛ばすにしても、飛距離の限界に近いラインをねらうと、どうしても精度が落ちる。
 加えて精神状態によって白井の能力値は激変する。最初から限界ギリギリに近い注文を、この暑さの中でこなせと言われても精度が落ちるのは当たり前だろう。
 そこで言い訳を考えるからいつまでっても超能力レペル5になれませんのよー、と白井が自嘲じちよう気味な重たいため息をついていると、ふととなりの砲丸投げ用のサークルから馬鹿ばか笑いが飛んできた。
「うっふっふ。あら白井さん、機械がはじき出した数字に一喜一憂しているようでは己の器が知れてしまってよ? もっと確固たる基準を自分の中に見出みいだせないようでは……ぷぷっ」
 白井はうんざりしたように隣を見る。
 必要以上にサラサラ過ぎるのが逆に不自然な髪。白井と同じランニングに短パンの体操服を着ているくせに、右手に扇子せんす。その豪華な扇子で口元を隠して笑っているのは、白井黒子くろこの一つ年上の(選択授業中は学年の壁は取っ払われるのである)婚后光子こんこうみつこだ。
 婚后は大能力レペル4空力使エアロハンドいで、物体に風の『噴射点』を作り、ミサイルのように飛ばす事を得意とするトンデモ発射場ガールである。
「……人の落ち込みっぷりを見て笑いが止まらない時点で貴女あなたの器の小ささが大暴露だいばくろされてま
すのよ」
 言いながら、白井はぷいっと顔をらす。
「あらまぁ、誤差五四センチさんは流石さすがに言う事が小さくって。時に白井しらいさん、最近わたくしが思うに貴女あなたの能力のたるみは……って、あら、無視かしら? 白井さん、良い風を送って差し上げますからこちらをご覧になって?」
 扇子せんすをパタパタと振ってくる婚后ごんこうに白井は嫌々視線を送る。婚后は気を良くして、甘ったるいにおいのついた扇子をばっさばっさとあおぎながら、
「話を戻しますけど、貴女の能力のたるみは、貴女自身が必要のない部分の空間把握処理までしようとする所にあるのではなくて? もっと計算式をタイトにすればよろしいのに」
「……余計なお世話ですのよ。大体、三次元と一一次元では把握法が根本的に違いますのって
ば」
「いえいえ、お世話をするのはこれから。わたくし、今度『派閥』を作ってみようかと思っていてよ。白井さんもお暇ならどうぞというか無理にでも暇を作って是非といった所ですけど、どうでして? 勉強会みたいなものだと思って参加してみなさいな。ほかの能力者の制御法を知る事で己の計算式の発想のヒントになるかもしれなくてよ?」
 はあ、と白井はまゆをひそめた。
 派閥。
 堅苦しい言葉に聞こえるが、ようは遊びのグループみたいなものだ。
 ただし、ここは常盤台ときわだい中学。『義務教育終了時までに、世界で通用する人材を育てる事』を日標に掲げるこの学校では、在学時からあらゆる方面の研究分野などで活躍かつやくし、名前を残す学生も少なくない。
 同じ目的を持つ者同士を学校内で集め、学校から設備を借りたり資金を調達したりして、果ては全国レベルで名前を残す……となると、派閥は学校の部活にも似た性質を持つかもしれない。
 大きな派閥は、人脈・金脈・独自の知識なども収めており、第一線で活躍する生徒たちの多くはそれらの力を借りて功績をあげている。
 中には『派閥』など組まなくても、個人で活躍できる学生もいるのだが、しかし施設の貸し出しや資金の調達などの面では、派閥に所属し、そこで書類を作成した方が学校に申請しやすい。人数が多く、功績を残した派閥ほど学校の中での地位や力も増す。この辺りは普通の部活と変わらないだろう。
 だからこそ大きな派閥は大きな力を持つ事になる。常盤台中学内はおろか、学校の外にまで。大きな派閥に入るだけで一種のステータスとなるのだから、その派閥の創設者ともなれば得られる名声は並のものではない。
 さらに、拳銃けんじゆうを軽く凌駕りようがする能力を持ち、各界につながりを持つお嬢様じようさま達が徒党を組むとなれば、派閥は別の意味で、もっと直接的な『力』を得る。一人一人が私事で使うだけでも危険な『力』を、いくつも束ねて組織的に使えば、周囲がこうむるダメージも馬鹿ばかにならないのだ。
 なので、
「やめておいた方が無難ですの。婚后こんごうさん、貴女あなたが『派閥』を作った所で二分で壊滅かいめつさせられますわよ」
「な……」
「分かりません? 貴女に危険な『派閥』を作るほどの力があれば、すでに貴女はほかの『派閥』からつぶされているはずですの。それが何の音沙汰おとさたもない時点で、彼我ひがの実力差に気づきなさい」
「そ、そんな事はなくってよ! こ、婚后の家柄と、わたくし単体の能力値が合わされば、たとえどんな『派閥』でも正面から打ち破ってみせて……ッ!」
 婚后光子みつこは顔を真っ赤にしていきどおったが、直後にその顔は真っ青に切り替わっていた。

 ゴドン!! と。
 校舎と言わず、体育館と言わず、校庭と言わず、敷地しきちのあらゆる物が突然の爆破震動ぼくはしんどうに、ぎしぎしみしみしと揺さぶられたからだ。

 ここからでは校舎が壁になって見えないが、その裏手にはプールがある。
 爆発音はそこから。
 間に校舎を挟んでいるはずなのに、水滴が細かいきりのように婚后の火照ほてったほおに当たる。体の熱が、急速に奪われていく。盛大な爆破によってプールの水がここまで飛んできたのだ。
「……なっ……何よ。あれ」
 婚后の顔に水滴が当たり、おどろいた彼女はまるで舌でめられたように、ぶるりとふるえた。それから頬に手をやり、空を眺め、最後に校舎へ目を向ける。
「そうですわね。貴女は二学期からの転入組ですからご存知ないかもしれませんが、あれが常盤台ときわだい中学のエースですのよ」
 その声に、婚后は思い出す。
 校舎裏のプールには、一人の少女が立っているはずだ。
 白井しらいや婚后と同じ飛び道具タイプの能力を持ちながら、そのあまりの破壊力から通常の測定方法が使えないと常盤台中学の教員たちの手を焼かせた、絶大なる能力者。
 専用の特殊時間割カリキユラムりを学校側に用意させ、プールにめた膨大ぽうだいな水を使って威力を削らなければ、測定機械ごと校舎を全壊しかねないほどの、常盤台中学でも二人しかいない超能力者レペル5の一人。
 超電磁砲レールガン御坂美琴みさかみこと
 どこの『派閥』にも属する事なく、だれとでも分け隔てなく接する者。
 白井黒子くろこは己があこがれているお姉様の姿を浮かべながら、しかしあきれたように聞く。
「婚后さん。貴女、本気であの馬鹿げた一撃を真正面から受ける覚悟はありますの?」
 無邪気な問いかけ。
 婚后光子こんこうみつこは、答えも返せずに顔を青くする。
「確かに派閥を作り、その長になれれば常盤台ときわだい中学全体に大きな影響力えいきようりよくを持てるでしょうけど。貴女あなた傍若無人ぽうじやくぶじんな振る舞いをしたいがためだけに派閥を作ろうとすれば、即座にお姉様は貴女を止めに参りますわよ?」
 声と同時に、こたえるようにもう一度爆撃音ばくげきおん炸裂さくれつした。

   

chap2

第一章 彼女達の放課後 After_Scool_of_Angels.

     1

「という事があったんですのよ、お姉様」
 常盤台ときわだい中学には三つのシャワールームが存在する。
 その内の一つ――主に放課後、学校から街へ出る前に身だしなみを整えるための校舎付属シャワールーム―――『帰様かえりさま浴院よくいん』と呼ばれるその部屋で、白い湯気とほど良い温水を浴びながら白井黒子しらいくろこは告げた。華奢きやしやな体を伝うしずくが、彼女の胸元にへばりついていた石鹸せつけんの泡をおなかの方へと押し下げていく。
「あー、水飛沫みずしぶきってそっちまで飛んでいってたんだ。っつか、あの程度でゴチャゴチャさわがれても実感かないわね。あれでも目一杯セーブしてんのよ? 私の本気の一撃いちげきの威力を、あんなプールで殺せるはずがないでしよが」
 仕切りを挟んだ向こうから美琴みことのくだらなそうな声が返ってくる。教室五つ分ほどの広さのシャワールームは、九〇個近くあるシャワーの蛇ロ一つ一つを囲むように、白い仕切りとスイングドアが取り付けられている。ただし、仕切りはともかくくもりガラス状のスイングドアは平均的身長の中学生の太股ふとももから胸上までを隠す程度の大きさしかない。極端に背が高い女の子だ
こ規格が合わず、ちょっと身をかがめて使わないとあちこちが見えてしまって大変らしい。
「大体、『止める』っつっても言葉で解決する努力はするわよ。その程度の問題ならね。私は相手を選んで攻撃方法変えるぐらいの分別はついてるつもりなんだけどなあ。どうせあんなの安心してぶっ放せる相手なんてあの馬鹿ばかしかいないし」

 その語尾がやや安堵あんどしたのを感じ取り、白井のまゆがピクリと動く。ぬるま湯に流され、お腹から太股へと流れていく白い泡の感触にややムズムズしながらも、彼女は思う。
(あの馬鹿。また、あの馬鹿の話ですの……)
ピクピクと片方の眉だけを動かす白井は、スイングドアの上部に手をやる。そこにはツインテールを束ねるための細いリボンが二本ある。
 白井はその内の一本をおもむろに床に落とす。大理石の白い床にはシャワーが作る温水の水溜みずたまりがあり、リボンはそこに落ちると、うすいお湯の膜の流れに乗って、仕切りの隙間すきまからとなりのシャワーエリアへと流れていく。
「ああっ、なんて粗相そそうを! わたくしのリボンが禁断のお姉様エリアへ!」
「ハイわざとらしく空間移動テレポートでこっちへ突撃しようとしない!」
 空間移動テレポートの寸前で美琴みことの大声と共に仕切りがバンと向こうから強くたたかれた。ほかのシャワーエリアを使っている女子生徒たちのおしゃべりが、おどろきで一瞬いつしゆんだけ止まる。
 音と衝撃しようげき完壁かんぺきにタイミングを外され、白井しらい空間移動テレポート失敗キヤンセルさせられた。彼女が能力を発動する時には、感覚として三次元的にとらえているこの世界を二次元上の埋論値に置き換え、再把握する必要がある。そのため計算が極端に面倒で、急なあせりや驚きなどで力が働かなくなる事もあるのだ。
「うふふ。打ち合わせもしてないのにこのジャスト迎撃。これはつまりわたくしとお姉様はナチュラルに呼吸が合わさるほど体の相性が良いという証明ですの。うふふ。うふふふふふ!!」
「気持ちが悪いから反応したくないんだけど、一応ほら、リボン」
 仕切りの向こうから、美琴のれた細い手がにゅっと出てきた。その指先にからまるように、お湯のみたリボンがある。白井は礼を言ってリボンを受け取ると、その細い布帯はわずかに温かかった。
 白井は自分の体に、上から下へとゆっくり指をわせ、しぶとく残った泡を落としていくと、シャワーの蛇口をひねってお湯を止めて、
「そういえばお姉様。今日の放課後って予定あります?」
 白井がとなりの仕切りへ振り返ると、鎖骨さこつから胸へ流れていたぬるま湯の水滴が散った。
「あるわよー。三六五日で昼寝が」
 美琴の答えはぞんざいだ。携帯用のお風呂ふろセットからシャンプーのミニボトルでもあきっているのか、ごそごそという音が聞こえる。
「本当にそうでしたら寝込みをおそい放題ですのに……」
「リアルに残念そうな吐息はやめてね黒子くろこ、本気で寒気がするから。で、放課後、私になんか用事あんの?」
 くしゃくしゃと泡を立てる音が聞こえてくる。シャンプーの甘いにおいが白井の鼻につく。仕切りの向こうで、湯量が増えたのか、シャワーの音がやや大きくなる。
「いえ、用事というほどじゃありませんのよ」
 白井は仕切りに背中を預け、
「ですけど、その、たまには、ですわ。たまには、お姉様と一緒いつしよにお買い物したり、ケーキ食ベたりしたいかなーって。ここ最近は風紀委員ジヤツジメントの仕事の方も忙しくて何かと二人で遊びに行く機会もなかなか取れませんでしたし、正直に言いますとわたくし黒子は最近少し寂しいかなあって。ほら、お姉様だって、先日からアクセサリーを探していると言ってましたし」
「黒子……」
 と、仕切り越しの美琴の声色がややいたわるように変わっていく。(け、健気けなげ! 今日の黒子は健気で押しますわ! そして本人は否定してるけど実は保護欲全開なお姉様の腕の中で甘えまくる所存ですの。うっふっふ、えっへっへっあっはーっ!!)
 仕切りがあって美琴みことに見えないのを良い事に山賊みたいな笑みを浮かべる白井黒子しらいくろこ。そんな様子はつゆ知らず、美琴は自分の後輩に優しく語りかける。
「アンタ、毎日毎日放課後の風紀委員ジヤツジメントの仕事の後に、スイーツショップなんかに寄ってバクバク食べてるから、どれだけダイエットで苦労してもおなかの下が引っ込まないんじゃないの?」
 直後。
 白井黒子は山賊の笑みを浮かべたまま、空間移動テレポート御坂みさか美琴の元へ突撃とつげきした。
 より正確な移動先は美琴の頭上斜め上。
 女には、負けると分かっていてもドロップキックしなくてはならない時がある。

     2

 五つのお嬢様じようさま学校が作る共用地帯『学舎まなびやその』は極めて小さな街だ。
 たとえはやや微妙だが、在日米軍基地のようなものだと白井は考えている。大きなさくは部外者を寄せ付けず、敷地しきちの中には居住区も実験施設もあり、しかも喫茶店や洋服店といった生活に必要な店舗までそろっている。
 そんな『必要なものを必要なだけ詰め込んだ街』を白井と美琴は歩いていた。
 柵で囲われた閉鎖へいさ空間のはずだが、そこには女性運転手が操るバスも走っている。雑多にあふ

れる学生たちは皆五種類の制服のどれかを身に着けていて、しかも少女しかいない。ある種、異様な光景とも言える『学舎まなびゃその』は、地中海に面した石畳と白い建物の多い古い街並みに似ている。建物は洋館に近いデザインだが、三角形の屋根を無理に平らにしたような、四角形のシルエットが多い。雨の少ない地方の造形だ。現代的な建物ビルを、えて昔の装飾にアレンジしたようにも見える。
 だが、西洋圏の街にしては足りないものが二つある。
 一つは教会。
 そしてもう一つは人間をモデルにした彫刻。
 前者は説明するまでもなく、後者も、大抵は宗教的な偉人・聖人がモデルであるからだ。
 それらを廃されたこの街は、洋風であっても洋式ではない。通常、洋式の街並みとは宗教的施設や広場を中心に発展していくものなのだから。
 ここではその代わりをになうのが、学校だ。
 空から見れば良く分かるだろう。五つの学校が細い道を束ね、蜘蛛くもの巣のように張り巡らせている。お互いの蜘蛛の巣は複雑にからみ合い、無数の交差点を築き上げる。
 ゆえに、『学舎の園』の道路幅は決して広くない。元々限られた土地に次々と実験施設を増築したおかげで、その隙間すきまって細い道が迷路のように走り回っているのだ。
 さて。
 時は放課後。場所は奇妙な街の中。二人の少女は肩を並べて歩いている。
 白井黒子しらいくろこ御坂美琴みさかみこと
 学園都市の少女達のあこがれの的、常盤台ときわだい中学のお嬢様じようさま達だが、何故なぜか美琴と白井の髪は、そ
恥それボサボサに乱れまくっている。乱闘らんとう後のちょっとした弊害だ。
 美琴はぐったりしながら、片手で髪を直しつつ、
「……アンタ、いくら何でも人様の顔を目掛けて全裸でドロップキックとかってないでしよ。あまりにも開けっ広げで逆に凍りついたわよ、マジで」
「うふふ。最初からわたくしには分かっていましたのよお姉様。最強クラスの電撃でんげき使いに正面びら挑むなど馬鹿ばからしいとはいえ、水気の多いシャワールームならば周りへの漏電に配慮はいりよして電撃攻撃は使えないって。ただ最大の誤算はお姉様が素手でもダーティな戦いが可能だったという事でしたわね!」
 最後にヤケクソっぼくめくくって白井は悔しそうに苦く笑う。とてもではないが、『義務教育期間中に世界で活躍かつやくする人材を作り上げる』という常盤台中学創設理念の下にいる人間とは思えない。
 うすっぺらなカバンをぶんぶん振り回して開き直りっぽい笑いを続ける白井に、美琴は疲れた目を向けながら、
「でもアンタ、ダイエットとかって本気で取り組んでたんだ」
「むしろ気になさらないお姉様が何故なぜそんなにも完壁かんべきなお姿なのかと。ハッ! まさか体内の電気を操って効率良く脂肪を燃焼させるお姉様独自の裏技が―――ッ!?」
「そんなもんないから壮絶なひとみでこっち見るな。だからないって言ってんでしょ! 両手で私り肩をつかんで必死に揺さぶるんじゃないわよ!気持ちは分からんでもないけど、ウチの学校ってそういうの禁じてなかったっけ?」
 無理なダイエットは成長の妨げとなり、それが能力開発にひびく危険性があるとして、そうした事を禁じている学校もある。
 白井しらいは振り回していたカバンの動きを止めると、ため息混じりで、
「確かに能力も重要ですけれど、それで女を捨てるのもどうかと思いますの。わたくし、脂肪だらけの人間ワープ装置になんかなりたくありませんので」
「でもダイエットすると始めになくなるのは胸の脂肪らしいわよ。あと、やりすぎると肌のつやを作っている油分が抜けてカサカサになったりとか、髪に栄養がいかなくなって抜けやすくなりたり」
「あーっ! 聞きたくありませんのそういうネガティブ豆知識!」
 白井は両耳に手を当てて首をぶんぶん横に振る。
 普段ふだんの学園都市の中なら奇行としてとらえられるかもしれないが、会話の内容が耳に届くほかの女子生徒にとっても他人事ひとごとではないためか奇異の目を向けたりはしない。中には指先でつまんでいたフライドポテトを引きつった笑みと共に容器に戻す少女までいた。
 美琴みことも普段の街中で体重や化粧についての話題は振らないだろうと白井は思う。なんだかんだで男の視線は気になるのだ。その点で言うと、『学舎まなびやその』は感覚的にはまだ女子校の中だ。
 二人は作られた洋風の街を歩く。
『学舎の園』にはデパートやショッピングセンターのような大型店舗は存在しない。『体操服』や『文房具』など、時間割カリキユラムりや学園生活に必要な物ができるごとに、必要な物だけを販売するための売店が増えていくため、一品一品を専門に取り扱う小店舗がぎつしりと集まるのだ。例外的に巨大な建築物は研究機関のものである。
 迷路のように入り組んだ小道がすべて商店街と化している。
 白井はその中から一枚の看板を見つけると、美琴の手を引っ張って店の中に入る。
 美琴は店の中に入ってから、ややあきれたようなため息をついて、
「用のある店って、ここの事だったのね」
「あら。生活必需品ですわよ」
 白井はごく当然のように答えた。
 ランジェリーショップである。
 こぢんまりとした店舗は骨董品こつとうひん土産物みやげものでも扱うような、暗い色合いの木材を内装のメインにしている。ウィンドウから差し込むオレンジ色の夕日と、洋灯ランプの飾りをつけた電球がそれぞれ柔らかい光を店内に満たしていて、全体的に落ち着ける空間作りに気を配っているのが良く分かる。
 しかし、飾られているのは色とりどりの女性下着であり、そのレースや何やらの明るい色彩がいまいち落ち着いた店舗とみ合っていない。逆にわざと浮かせる事で、客に商品の印象を強くたたきつけるねらいがあるのかもしれないが。
「なんつーかね、やっぱ知り合いと一緒いつしよに来るべきじゃないような気がするんだけどなあ。自分が何穿いてるか、そのセンスを見せびらかしてるようなもんだし」
「何を今さら。わたくしたちの間にそんな気遣いは無用ですわ。黒子くろこは知っていますのよ、実はお姉様はパステル調色彩の子供っぽい下着を偏愛しているのだと痛たたたっ! 唐突に耳を引っ張らないでくださいですのお姉様!」
「……空間移動テレポートってホントに厄介な能力よねー黒子? 毎日どこで私の下着をチェックしてるかとっとと吐け」
「べ、別に良いじゃありませんのお姉様。お姉様にしたって毎日わたくしの下着をご覧になっているでしょう?」
「見たくて見てる訳じゃないわよ! アンタの寝間着がすけすけネグリジェなのがいけないんでしょ! っつかアンタの場合はわざと見せびらかして喜んでる節があるし!」
「あら。お姉様にしてもパステル調色彩の子供っぽいぶかぶかパジャマを偏愛するのはいかがなものかと痛っ! 今年のお姉様のブームは女王様ですの痛たたっ!?」
 右耳を美琴みことに引っ張られる白井しらいはしかしうれしそうな笑顔。
 これだけさわいでも彼女達に周囲の視線が集中する事はない。ほかの客は他のお嬢様じようさま学校の少女達が三人ほど、カウンターには何十年も前からセットで座っているような女店主兼レース職人のおばあさんが一人。だれも彼女達の騒ぎを気にしている様子もなく、女店主に至っては英字新聞を広げている。女の子だらけの『学舎まなびやその』ではこの程度のキーキー声は騒ぎの内にも入らないようだ。
「あ、お姉様。あちらでディスプレイされてる上下セットなどお姉様に似合いそうじゃありません?」
「耳引っ張られながら冷静にオススメすな。―――って、うわ!? 何よあの表面八〇%以上が透けたレースの下着。ウケ狙いとしか思えないチョイスなんだけど」
「しかしこちらは下着専門店ですのでむしろ専門的な下着をそろえてある方が自然ではありませんの?」
「……アンタ、何の専門家なのよ黒子」
「もちろんお姉様のほお羞恥しゆうちに染めさせる事を専門に幅広く活動しており痛っ!! ……い、いけませんわ。こんな往来でわたくし何だかぞくぞくしてきますの。ふ、ふふ。白昼堂々とお姉様に体の一部をつままれてもだえるのもまた一興ですわね」
黒子くろこ? これ以上耳を引っ張らせたら千切ちぎれて大惨劇になるわよ?」
 にこにこと美琴みこと微笑ほほえみながら白井しらいの耳を伸ばしていたが、白井は見逃さなかった。先ほど美琴が自分のお勧めしたレースの上下に目をやった時に、顔を真っ赤にして慌てて視線をらしたのを。白井は差恥心しゆうちしんでいっぱいの美琴の横顔を見て大層幸せそうな笑みを浮かべていたが、ふと思い直すと美琴がいつの間にかドキッとするほど真剣な顔で別の物を見ている事に気づく。
「?」
 白井はちょっと気になって、美琴の視線を目で追いかける。
 道路に面したウィンドウの向こうにある外の世界は夕暮れに染まっていて、遠くの空をゆっくりと飛行船が飛んでいた。それは洋風の古い街並みを模したこの景色の中で、妙に浮いて見える。飛行船のおなかには大画面がくっついていて、そこに今日の学園都市ニュースが流されている。
 こちらから見える大きな見出しは米国のスペースシャトルの打ち上げが無事に成功したというものだ。様々な角度のカメラで撮られたシャトル発射のVTRが、何度も何度も繰り返して流されている。
 美琴は下着そっちのけで、真剣な顔でいつまでもニュースをていたが、となりにいる白井としては面白くないので、
「最近多いですわよね。確かフランスとロシア、スペインも先週打ち上げましたし。今月はまだ中国とパキスタンも予定に入っているんでしょう? 第三種経済の授業で、宇宙事業の損得について語ってる先生の脱線話にしょっちゅう出てきますけど」
 そんな話題を振りながら、美琴の耳たぶを指先で軽くつついてみる。
「ぶわっ! な、何よ黒子!」美琴は慌てて白井の方に向き直り、「ま、まあ、学園都市も先月末に打ち上げてるけど。っつか、また無駄むだな選択授業取ってるわねアンタ。ってだから人の耳たぶをつつくな! いや、ツツツーってわせるのはもっとムカつくから!!」
 常盤台ときわだい中学は義務教育期間中に、あらゆる分野において世界の上に立てる人材を作り上げる英才教育機関だ。従って、一般的な中学校の教科書内容とは授業の出来が違う。
「昔は、……大型の発射場を用いる多段式ロケットやスペースシャトルは、その技術と資金の向面から打ち上げ可能な国や組織が限定されていたそうでしたけど、確か今はもう違うって話てしたわよね。……レポートの期限が週末までなので、ちょうどその辺りを調べているんです
けれど……」
 白井は言いながら、さりげなく美琴に黒のレースの上下をお勧めし、
「第三種経済なんて使えないと思うんだけどなあ。まあレポートがあるってんなら一応教えとくけど。現在いまじゃ飛行機の下部に取り付けたロケットを、空中からそのまま発射する新技術の登場で随分と垣根は低くなってんの。新世紀に入って開発されたヤツだから、古い参考書には載ってないわよ。レポートの資料集めの時は気をつけときなさい」
 美琴みことは表情を変えずに黒のレースを白井しらいたたき返しつつ、ため息を一つ。それから淡い黄色
のショーツにちょっと興味を示したようだが、
「お、お姉様。流石さすがにそこまで子供っぽいと一同そろって引きますわよ」
 何だと、という目で美琴はにらんでくるが、白井としてはここだけはゆずれない。引きつった白井の顔に何かを感じ取ったのか、美琴はしぶしぶといった感じでほかの下着に目を向ける。が、そちらにしても、白井から見れば子供らしい事この上ない。
「はあ……。それにしても、参考書全体の常識が変わると資料がこっちゃになって面倒な事になりそうですわね。古い参考書の方でないと載っていない情報とかもありますから簡単に切り捨てられませんし」
「その情報の新旧正誤を見分ける力を養うのが勉強ってもんでしょうが。大体、そんなの言ってたらこれからの宇宙事業は荒れるから暗記は面倒になるわよ。民間の参入で業界が活性化したり、新しい記録がバンバン出てきて年表が書き換えられていったり―――って、ぶっ? ちよ、ちょっと黒子くろこ! それはいくら何でも……ッ!!」
 美琴は白井が手に取っている下着の、悪趣味あくしゆみなまでの防御力の低さに思わず吹き出した。
「??? お姉様、どうかしましたの?」
「い、いや、良いのよ別に。下着のセンスなんて人それぞれだし。ただし寮監りようかんとか生活指導には見つからないようにね」美琴は白井の持つ壮絶な下着から目をらしつつ、深呼吸して、
「ま、まあ、難しい所よね。元から発射場を持ってるトコは新参者に宇宙開発市場を荒らされたくない。新技術のトコは旧来のロケットやシャトルよりも安価で確実性がある事を見せつけたい。旧技術と新技術、どっちかが支持されればもう片方は落ち目になる。だから自分たちの技術の信頼度しんらいどを証明するためにバカスカ打ち上げて周りのスポンサーにアピールしてるみたいだけど」
 美琴は白井の持っ下着から視線を外したまま、しかしチラチラと時々目線をそちらへ戻す。
『それなら裸の方がまだマシなんじゃない……?』というつぶやきが耐え切れずに口から小さくこばれていた。
「??? さっきから何を不自然に目を逸らしていますの?」白井は好みの下着を数枚取ったまま、小さく首をかしげつつ、「学園都市は例外的に両方の技術を持っているから問題なさそうですし、一番のスポンサーである『日本政府』との取り引きを独占してるから気楽そうですけど……、っつ」
 言いかけた所で、白井は自分の口を押さえた。
 唇がわずかに切れた感触がする。美琴はそんな後輩の様子を眺めると、
「リップつけたら? 空調で結構乾くもんよ」
「い、いえ。それが昨日から切らしてますの」
常盤台ときわだい中学では基本的に化粧は禁じられている。しかも規則はやたら厳しく、あからさまな口紅やマスカラなどはもちろん、実用本位の薬用リップや化粧の範疇はんちゅうに当てはまるか疑問なハンドクリームすら対象に入ってしまう。
 なので、『常人には見分けが付かないほど淡くほどこす』のが彼女たちの伝統と化していた。顔を近づけてみれば分かるのだが、美琴みこと白井しらいの唇はほんのわずかにいうどりや光沢が異なる。元は必要に迫られたための妥協策だったのだが、今ではこのスタイルは『淑女の嗜みレデイライクマナー』とかいうなぞの言葉と共に常盤台ときわだい中学の内外でちょっとしたブームになりつつあるらしい。
 んー、と美琴は自分のカバンをごそごそとあさると、スティック状の薬用リップを取り出し、
「じゃ、後でコスメショップでも寄ってそっちもそろえるとして、とりあえず場つなぎ的に使っとく?」
「!?」
 ビクゥ! と白井黒子くろこは何気なく差し出された色気も何もない薬用リップを眺める。
 少女は両目を大きく見開くと、わなわなと全身をふるわせて、
(り、リップ。おね、お姉様の……。お姉様の、お姉様の、お姉様の唇に毎日接触してる素敵リップ!! あ、ああ。黒子は、ああ、黒子は、黒子はァァああああああああああ!!)
「え、なに? ちょ、何でいきなりリップの中身を最大まで伸ばして……って待て待て待ちなさいよ黒子! どうして口を大きく開けてかぶりつこうとしてんのアンタ!!」
「ハッ!! ……あ、あまりに気が動転して思わず残さずいただいてしまおうかと」
「アンタがどういう意図を持ってたか大体想像がついたけど、これ三個一パックの新品だから。
っつか、使いかけのリップなんて塗りたくないでしょ普通」
「えっ……新品? チッ。……がっくりですわ。あっ、しかし! それならわたくしが使ったリップを再びお姉様に返す事で……ッ!」
「いらないから。三個一パックの内の一個ぐらいあげるわよ。って、こら! 自分の使ったリップを強引にこっちの唇に押し付けようとすんな!」
 白井と美琴はまるでハリウッド映画の主人公と敵役が拳銃けんじゆうつかんでみ合いになるような攻防を繰り広げていたが、ふと美琴の動きがピタリと止まった。
 白井は気づく。美琴は目の前にいる自分ではなく、その延長線上にある何か別の物に目を奪われている事に。
 ? と白井は、怪誹けげんそうな顔で後ろへ振り向く。
 胸パッド、である。
 主に胸部に自信のない女性が下着の下に装着する事で誇りと体面を保つという、あの胸パットである。実際、女子しかいない―――つまり誇示する対象のいない―――『学舎まなびやその』では特に需要は高くなく、その一角だけやや売れ残りの哀愁が漂っている。
 むむ、と白井はわずかに首をひねり……思い出した。
 街を歩いている時に美琴が言った台詞せりふを。
『でもダイエットすると始めになくなるのは胸の脂肪らしいわよ』
「ははあ、気にしてたのですね。お姉様ってば、ぷぷ。バストとウェストを天秤てんびんにかけて前者を選んだという話ですわねえ?」
 なっ……、と美琴みことの表情が固まる。
「いや……、違いますわね。お姉様は胸の成長そのものに執着はないはず。となると、早く大人なボディになりたいとか子供扱いはやめて欲しいとか、もう曖味あいまいな願望に近いかもしれませんわね。ああっ、なんて健気けなげなお姉様! そこまでして振り向かせてみたい幸せな殿方とは一体だれの事でしょう? やはり意中の殿方は年上ですの? そういえば夏休み最後の日にはりよサつの前で誰かと待ち合わせをしていたようですけど、中学生って感じではありませんでしたわねぇ?」
 このタイミングで、この挑発。
 絶対にどつかれると白井しらいは思っていた。そしてどつかれた後につなげる会話もすでに頭の中に用意してあった。
 が。
 学園都市の超能力者レベル5であり、常盤台ときわだい中学のエースとすら呼ばれる御坂みさか美琴は、顔を真っ赤にするとうつむいて何も言わなくなってしまった。
「あら? お姉様? お姉様ってばー……」
 白井黒子くろこの顔が真っ青になり、
(ぎ、ギャグで済ますつもりがこのマジ反応ときましたの! まさか本当に本気で本心の……殿方が? 殿方が!? ―――、ふっ。あの類人猿がァァあああああああああああ!!)
 彼女はとある少年の顔を思い浮かべて心の中でハンカチをむ。というより、噛み千切ちぎる。脳内世界でハンカチをギッタンギッタンにしていると、ようやく時間差で気を取り直した美琴はビニール包装された胸パッドを、いかにも興味なさそうな顔を装ってチラチラと横目で見ていた。『へ、へえ。ホントにこんなの真面日まじめに使ってる人とかいるんだ……』とかブツブツ言って、表面は関心なさげに見せようと努力しているが興味津きようみしんしん々という感じだ。
「……、一口に胸パッドって言っても色々材質とか違いがあるのね。うわっ、こっちのヤツとか水風船にジェル入れてるみたい」
 美琴の夢中ぶりを見て頭にくる白井だったが、かと言っていとしのお姉様の発言はスルーできない。様々なモヤモヤを抱える白井は、そっと息を吐いて、
「はあ。豊胸手術もジェル入りのビニール袋を詰め込むらしいですわよ。大方、ゆさゆさ感でも演出するために工夫が必要なんじゃないですの?」
「ゆさゆさ……。な、なんか形状シルエツトも色んなのがそろってるようね」
「人それぞれですものね。あっ、お姉様のささやかな胸は成長するとあのタイプになるんじゃありませんの?」
「指を差すなほかのお客さんもいるんだからっ!!」
 慌てて白井しらいの指を押さえる美琴みことだったが、しかし彼女の視線は白井が指差した物品へと注目しっ放しだ。それを遠目に見た白井としては、いきなりそんな巨大な胸パッドをブラジャーの中に突っ込んだら一発でみんな気づくだろうとため息をつく。
 しばらくの間、時がつのも忘れて一心不乱に胸パッドを観察していた美琴だったが、ふとそれらの置かれた棚から一歩退くと、小首をかしげて、
「でも、これって結局服を脱いだ時には絶対ばれちゃうわよね」
「……ッ!? お、お姉様。まさかすでにそこまで視野に入れた未来設計を!?」
「は? え、あ! いや、違うわよ黒子くろこ!! 体育! 体育の着替えの話だってば!!」
 美琴は慌てて首を横に振ったが、白井は劇画っぽいおどろきの顔のままずっと固まっていた。

     3

 学園都市は夕暮れに染まっていた。
 建物の壁の基調を白にしている『学舎まなびゃその』は、空の色の変化を非常に映しやすい。学バスの最終発車時刻が迫っているせいか、五種類の制服に分かれたお嬢様達じようさまたちの流れはターミナルの方へ集中している。彼女達は美琴や白井と同じく、『学舎の園』の外に自分のりようがあるのだろう。

 バスの利用は強制ではないが、世間知らずなお嬢様じようさまの中には隔離された学園都市さえ怖がる者も多い。これが極まると、りようとバスと『学舎まなびやその』以外の場所を知らない、とか言い出す箱入り娘が出来上がるという訳だ。
 そんな慌ただしい帰宅ラッシュの街の中を、白井しらい美琴みことはのんびりと歩いていた。
 というより、疲れてぐったりして速度が出せないという感じだ。二人とも、うすっぺらなカバンを持った手が力なくふらふらと揺れている。
「だ、だから何度でも言うように、あれは体育の着替えの話に過ぎないんだってば。い、いや。き、き、気になる男がいるとか、いないとか、そ、そういうのは、全然関係なく」
「で、ですから幾度でも言うように、流石さすがに殿方の前で衣服をはだけさせる場面を考慮こうりよした未来設計はまだ早すぎですのと言ってますでしょう?」
「あーっ! ったく悪趣味あくしゆみ露出ろしゆつ全開のレースの下着を買うようなヤツは聞き分けが悪いわね!」
「あ、悪趣味ですって!? おねっ、お姉様が手に取った下着にしたって、あんな可愛かわいらしいものでは逆にぶりっ子っぽくて同じ女として気持ちが悪いですのよーだ!」
 何だと何ですの! と、美琴と白井はつかみ合いになりかけるが、さっきから延々と口論を続けているせいか体力がたないらしい。二人はため息をつくと全身から肩の力を抜く。
 元からバスを利用しない二人は最終時刻を気にしていない。白井は生徒の動きに合わせて早くも店じまいを始めている小さな店々を横目で見ながら、
「で、お姉様。事の真相は後できっちり問いただすとして、これからどうしますの? 言い争ってる内に大分時間が過ぎてしまいましたわね。当初の黒子くろこプランではお買い物の後に軽いお食事でもと思ったのですけど」
「そうね。誤解はきっちり後で解き明かすとして、今日はここらが限界じゃない? 特に『学舎の園』は店閉まるの早いから」
「むむむ。でも『学舎の園』を出ればまだまだこれからが本番だぜというお店もいっぱいありますの。そう、例えば『黒蜜堂くろみつどう』のデザートコースとか」
「あー、そこで誘惑ゆうわくに負けるから黒子は余計な所まで幸多く実り豊かなボディに、―――ひッ!?」
 美琴は好き勝手に言いかけて、そこで吹き荒れる殺気を感知した。
 となりでは、うつむいて表情が良く見えなくなった白井がブツブツと何か言っている。
「く、黒子? 今の台詞せりふは、別に食ったら運動すればいいじゃんって結論に持っていく予定だったのよ私は」
「おねーさまー。あまりそういう乙女心おとめこころを傷つけるような事をおっしゃられると白昼の往来で
お洋服だけ空間移動テレポートして差し上げますわよー?」
 両手をわきわきさせる白井はすべての少女の天敵だ。彼女はその手で触れたものならスカートでもショーツでも好きな場所へ飛ばせてしまう。全裸も半裸も自由自在だ。
 と、美琴みことが迫り来る脱衣の危機におびえていると、不意に携帯電話の着信メロディが鳴りひびいて両者の緊張きんちようの糸をゆるめた。
 美琴は自分の携帯電話のものとは違うメロディに耳をやって、
黒子くろこ。……あいっ変わらず無駄むだな機能ばっかりついた携帯電話よね。着信メロディの和音の数なんてそんな増やす必要あるの?」
「うふふ。そのくせサイズが小さすぎて、なくしやすい、ボタン押しづらい、モニタ見にくいの三拍子がそろっていますのよ、これ」
 白井しらいは力のない笑みと共に携帯電話を取り出した。
 携帯電話、と言っても一般的なイメージとは大きく異なる。形は直径一センチ、全長五センチほどの、口紅のような円筒だ。白井が上部のボタンを押すと着信メロディが止まり、まるで
巻物みたいに、側面のスリットから紙のようにうすく透明な『本体』が滑り出てくる。
「本当に、見た目SFっぽいだけで機能性のないハッタリケータイよね、それ」
「余計なお世話ですのよ。わたくしはお馬鹿ばかな未来未来が好きですの。透明なチューブの中を走る電車とかにも乗ってみたいですわ。―――っと、失礼」
 白井は美琴に背を向けて画面を眺め、それから本体を耳に当てる。
 番号は登録してあるものだった。
 画面に表示された文字は学園都市治安維持機関『風紀委員ジヤツジメント』の連絡先。
 白井はこの街の問題を解決するための、対能力者用の警察のような組織に所属している。
「はい白井ですのよー。今日はせっかくお姉様とお買い物できて結構イイ所まで進んでいましたのに邪魔じやまを入れるとは何事ですの?」
『わー。こっちは御坂嬢みさかじよう貞操ていそうを守れて一安心です』
 当然ながら電話の相手は同じ風紀委員ジヤツジメントの同僚だ。飴玉あめだまを転がすような甘ったるい少女の声に、白井は今すぐ通話を切ってやろうかと本気で思う。
『白井さん。ちょっと私みたいな新入りだけじゃ対処できない問題に当たっちって。できればベテランさんの意見を仰ぎたいかなーって』
「できれば、レベルの話で?」
『あい』
「わたくし、今、念願かなってお姉様のとなりに立っているというのに?」
『あい。まさに偶然が織り成すナイスタイミングです。私自身もびっくりです。これは私に勝利の大爆笑をしろという事でしょうか? わっはっはっは!!』
 白井は手近にあった店の壁に、携帯電話のマイクをガツンとぶつける。
『あ痛ァ!? み、耳がキーンって、受話器が変な風に……』
「もう一度めた口をきやがったらガラスをつめで引っかく音をプレぜントですわ」
『と、とにかく第一七七支部にて待ってますので三〇分以内に。割と加速度的に状況が進行してますので』
 ぶつっ、と通話が一方的に切れる。
 あー、と白井黒子しらいくろこは携帯電話を仕舞うと、申し訳なさそうに御坂美琴みさかみことの方に振り返り、
「申し訳ありませんのお姉様。その、大変申し上げにくいのですけれど、無粋な風紀委員ジヤツジメント馬鹿ばかが仕事を入れてきてしまって……」
「いいのよいいのよ。にっこにこの笑顔で送ってやるから」
「……、一切の未練がない事に本気で涙しますわよわたくし。では、お姉様もお気をつけて」
 白井は行き先を変更し、バスターミナルへ向かう。歩いて学園都市を移動するより最終便を利用した方が時間を短縮できるからだ。
 と、その途中でふと美琴が言った。
「黒子。仕事だから仕方ないのは分かるけど、今日は早めに帰れるように努力しなさい。夜になったら天気が崩れるかもしれないから」
「あら、本日は天気予報をチェックし忘れていたので気づきませんでしたわ。ありがとうございますですの。それではお姉様、また学生りようで」
 白井がぺこりと頭を下げると、美琴に背を向けてバスターミナルへ向かう。後ろで同じように立ち去っていく美琴の足音も聞こえたが、それもすぐに聞こえなくなる。
 白井は空模様を気にして、夕空を見上げる。今の所、雨は降りそうには見えないが、
(おや? ……、)
 ふと、美琴の台詞せりふに違和感を覚えた。
 夜になったら天気が崩れるかもしれないから。
 一見、何の変哲もない普通の台詞に聞こえるかもしれないが、学園都市は三基の人工衛星を打ち上げており、その内の一基『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』は完全なシミュレートマシンとして機能しているはずだ。天気予報も例外でなく、つまり『かもしれないから』などという曖昧あいまいな言葉は日常で使用しない。
(となると、お姉様は……)
 白井は美琴の台詞がちょっと気にかかったが、目先の問題を片付けるのに精一杯だった。最終便はもう一〇分もしない内に発車してしまう。うすっぺらなカバンの取っ手を握り直し、いまだ見えない目的地に向かって全力疾走していく内に、いつしか白井の中から小さな違和感は飛んでいってしまった。

   行間 一

 学園都市の第七学区。
学舎まなびやその』と同じ学区にありながら、まったくもって華やかさが足りない一角に、とある少年、上条当麻かみじようとうまの学生りようがある。
 当然ながら男子寮なのだが、この一室だけは例外がまかり通っているらしく、長い銀髪に緑のひとみ、真っ白な修道服を着た、一四、五歳の少女が居候いそうろうとしてゴロゴロしている。
 そんなゴロゴロ少女インデックスは、現在テレビの前を独占していた。
 映っているのは天気予報。巨大な日本地図をバックに、スーツを着たお姉さんがにこにこ笑顔で洗濯物せんたくもの乾き指数を告げている。ちょっと前までは紫外線情報だったので、平凡なる高校生・上条当麻としては、この辺りに小さな季節の移り変わりを感じる今日このごろだ(それでもまだまだ残暑の真っ最中だが)。
「とうま、とうま。何でこれで明日の天気が分かるの? なんか日本地図に切り株の年輪みたいなのが描いてあるだけなのに」
 シスター少女が振り返らずに聞くと、ワンルームのキッチンスペースからあきれたような上条の声が返ってくる。彼は夕飯の唐揚からあげを作るべく下味をつけた鶏肉とりにくを油の中に落としつつ、「インデックスー。テレビる時はちゃんと後ろに下がるように。あとその年輪みたいなのは等圧線って言うの。気圧の山とか谷とか見て雲ができるかどうか大雑把おおざつぱに調べてるんだよ。ま、山に雲がぶつかって雨が降ったりもするから、単に気圧だけの問題じゃないだろうけど」
「ふうん。って、あれ? 地形による天変の読み込み? ……、ハッ! 学園都市はもはや人工的な手法で風水読みを実現してしまっているんだね!!」
「楽しそうにわなわなふるえてるようだからそっとしとくけど。代わりに三毛猫みけねこの相手しよう。唐揚げを味見タイムだぞー」
 上条は揚げ物用の鉄箸てつばしで油の中からこんがりとした出来立ての唐揚げを一つつまむと、小皿に載せて床に置く。インデックスの近くで丸まっていた三毛猫は即座に反応、矢のような速さで小皿へ駆け込むと、『熱っちい! 熱ちいけど食う! 熱つーっ!』とチビチビんではバタバタと床を転がっての繰り返し。上条はさらに水を入れた小皿をもう一っ床に置く。この猫、元々野良のらではなくだれかに飼われていたのか、間近で揚げ物のジュージュー音を聞いても一向に警戒する様子がない。
 それを見たインデックスは、ガバァ! とテレビの前から勢い良く立ち上がり、
「ず、ずるい。いっつも私がつまみ食いするととうまは怒るのに、スフィンクスだけ優遇されるなんてそんなのずるい!」
「あ? お前の場合はうっかり目を離してると全部食べちゃうからダメなんだってば。……って待て待て! それはまだ完成途中っていうか下味つけただけのモノだから待ってーっ!!」
 全力でおそいかかる食欲少女から、上条かみじよう鉄箸てつばしを巧みに操り、今夜の夕食を何とか死守する。その間に油の中の唐揚からあげが二つほど黒焦げになっていく。
 唐揚げの代わりに少年の頭にかぶりついている空腹イライラ修道女インデックスは、ふと子供のように首をかしげて、
「でも、とうま。天気予報のお姉さんって時々外れた事言ったりするよね。おっちょこちょいが売りなの?」
「鉛前に言われるようじゃ天気予報のお姉さんも終わりだな……って痛あ!?」がぶり、という音と共に少年の絶叫。「あ、あれだよ。天気予報っつっても完壁かんぺきじゃねーからな。最近までは完壁だったみたいだけど、今は演算装置がこわれちまってるみたいだし」
「???」
 インデックスは頭の中にいっぱい疑問を抱えているようだが、上条は深くは答えない。
樹形図の設計者ツリーダイアグラム』。
 地球上の空気分子の動き一つ つまでも正確に予測演算できる究極のスーパーコンピュータ。学園都市が打ち上げた三基の人工衛星の内の一基は、もはやこの世に存在しない。

 上条はテレビ画面に目をやる。
 完全なる歯車を失った天気予報は終わり、学園都市の渋滞情報が始まっていた。

   

chap3

第二章 向き合う乙女達 Space_and_Point.

     1

 白井黒子しらいくろこの乗る学バスは『学舎まなびやその』の五校共用のものだ。
 お嬢様じようさま学校の財力なら各校ごとに用意する事もできるのだが、『少しでも多くの、それでいて安全は保障された社会に触れるため』えて混合にしてあるようだ。
 その大きさと内装の豪華さから『二階建てのパレードバス』と呼ばれる学バス―――学生の座席は一階に集中し、二階部分がカフェラウンジになっているほどの豪華さだ―――は、従って大きな通りを選んで五つの学生りよキつを巡回する。
 白井黒子が降りたのは、常盤台ときわだい中学の学生寮前ではない。
 全く別の学生寮前の停留所でほかの学校の少女たちに混じって伸びをした白井は、小さくため息をついた。あのバスのどこが箱入り娘化防止のための『多くの社会』だと本気で思う。常盤台中学の学生寮前には他の系列の、いわゆる普通のバスもまるが、両者の差は雲泥と言って良い。
 時刻は午後七時三〇分。
 夏休みの閲はこの時間でも夕暮れを保っていたが、九月半ばではもう暗い。
 白井はカバンの中から風紀委員ジヤツジメントの腕章を取り出して半袖はんそでの肩にくっつけると、周りの少女達
の流れとは別の方向に一人きりで歩いていく。うすっぺらなカバンは、『放課後』から『仕事中』に切り替わるとお荷物感がさらに増した。求めるものが『学校に必要な物』から『戦いに必要な物』に変わりつつあるのだ。
 学生寮のすぐ近くには、また別の学校の校舎が見える。
『学舎の園』の中とはうって変わった、ごくごく普通のコンクリートの四角い校舎に白井は入る。普段ふだん生徒が使わない職員用の玄関からスリッパを拝借して、ポツポツとあかりの残る廊下へ。リノリウムの冷たく硬い感触をみしめてしばらく進むと、『風紀委員活動第一七七支部』という長ったらしい表札のドアが見える。
 ドアの横にはガラス板がついている。指紋、静脈、指先の微振動パターンの三種を調べる厳重なロックを外すと、白井黒子はノックもせずに勢い良くドアを開け放った。
 バーン! という大きな音。
 中にいた少女が、ビクゥ! と肩をふるわせた。彼女の名前は初春飾利ういはるかざり。白井と同い年だが、低い背と丸っこい肩のラインのせいか、年下にも見える。セーラーの夏服すら似合わない中学生というのもかなり珍しい気がする。黒の髪は短めで、薔薇ばらやハイビスカスなど、花を模した飾りをたくさんつけていた。遠目に見ると派手な花瓶を頭に載っけているみたいだ。
 初春ういはるのビビり顔を見た白井しらいは、ずかずかと『第一七七支部』へと足をみ入れ、
「で、何の用ですの? 風紀委員ジヤツジメントなんて山ほどいるくせに、わざわざこのわたくしを呼ばねばならないとはどういう事かしら」
「うーん。冷静に考えると絶対に白井さんでなければならないほどではないような」
「……、わたくしがお姉様とお買い物していたのを知っていたくせに、そう思うのならもう少し違った態度を取ってもよろしいんではないですの?」
「ばんざーいッ!」
「逆です! 何で両手を挙げて大感激ですのよ!?」
白井は空間移動テレポートを使って瞬間的しゆんかんてきに初春の元へ辿たどり着くと、小さな少女のこめかみに両のこぶし
を当ててぐりぐりとひねりを加えていく。うすっぺらなカバンを持ったままなので、カバンの金
具が初春の耳にゴツゴツと当たる。
彼女たちは、共に同じ中学一年生だ。
 にもかかわらず上下関係のようなものができているのは、常盤台ときわだい中学というブランドと白井自身の大能力レベル4によるものだ。ついでに白井は風紀委員ジヤツジメントの初仕事で、まだ一般人だったころの初春を期けた事があるが、これを気にしているのは初春の方だけだ。
 第一七七支部は、学校というよりオフィスの一室のようだった。市役所にあるようなスチール製のビジネスデスクが並べられ、コンピュータが何台も置いてあった。
 初春はコンピュータの一台に向かい、人間工学を応用した、ダリの時計のようなグニャグニャした曲線デザインの『科学的に疲れにくい椅子いす』に座っている。その背後へ移動してこめかみを攻める白井は、自然とコンピュータの画面を目で追った。
 映っているのはGPS上の地図のようだ。何らかの事件が発生しているのか、赤い×印が描かれている。そのほかにも地図の何点かがポイントされ、別のウィンドウに写真やデータなどが表示されていた。
 それが何を意味しているかは、初春の説明を聞かなければ分からない。
 が、大雑把おおざつぱに眺めた白井の感想としては、
「あら。校内でのめ事ではありませんわね」
 学校の中の問題なら、GPSなど使わない。校内の見取り図を持ってくるはずだ。
 風紀委員ジヤツジメントはその名の通り、基本的には校内での治安維持を行うための組織だ。だから支部は各学校に一つずつ置いてあるし、警察の交番と違って二四時間営業ではない。最終下校時刻と共にカギも掛けて無人となる(今は例外のようだが)。
 非常事態が発生しない限り、通常『学外』の治安維持活動は警備員アンチスキル管轄かんかつだ。危険な裏路地や夜間の巡回などを生徒に任せる訳にはいかない、というのが大人の言い分だった。
 白井がこめかみのグリグリをめると、初春はややホッとした顔で、
「マニュアル通り警備員アンチスキルの方に連絡は回しましたけど、なんか状況が妙なんですよ。じきに警備員アンチスキルから情報提供を求められるのは必至な感じだったんで、私より白井しらいさんの方がテキパキ答えられそうだなーって。あ、紅茶とか掩れましょうか」
「ご遠慮えんりよしますわ。空腹のおなかにお茶だけ注ぐのは趣味しゆみじゃありませんのよ」
 白井にとって紅茶はあくまで料理やデザートなどを引き立てるためのものだと考えているため、アフタヌーンティーなどお茶の方がメインとなる催しはあまり好まない。
 と、白井のそっけない返事を聞いた初春ういはるは、ガーン! と顔を青くして、
「う、ううっ! せっかく少しでもお嬢様じようさまっぽさを演出するために一生懸命けんめい紅茶の本を読んてマイカイ油とかちょっと専門っぽい香料も用意しておいたのに! なんかさらにお嬢様っぽい余裕の台詞せりふ回避かいひされました! でも学校で紅茶ってあごがれますよね上流階級みたいで!」
 常盤台ときわだい中学、そしてそこに通うお嬢様とは学園都市中の少女たちの憧れの的だ。と同時に、実際の常盤台中学の生活を知らない者がほとんどである。その中には、たまにお嬢様学校に憧れ
るあまり変な方向へ勉強して、初春のような状態におちいる者が現れる。
「はあ。そういう形から入るのは成金だけですわ。で、結局どこで何が起きているんですの?」
「ああ、成金でも成れば金持ちじゃんと思う私はやっぱり小市民なんですね。で、問題の事件なんですけど、モノはどうって事はありません。強盗というか、ひったくりですね。でも一〇人がかりで被害者におそいかかってますから、スマートな方法とは思えませんけど」
 初春の声を、白井は頭の中で吟味する。うすっぺらなカバンを手近な椅子いすに置いて、モニタの方へ意識を集中させる。
 コンピュータの画面には第七学区の地図が描かれ、駅前大通りの一角で×印が表示されている。付近の道路に書かれた色つきの矢印は犯人の予想逃走ルートか。
 彼女は怪認けげんそうな目で、
「それこそ、わたくし達とは縁がなさそうな事件ですわよ」
「こっからなんです問題なのは。目撃者もくげきしやの話によると、盗まれたのは旅行用のキャリーケースらしいんですけど」
「キャリーケース???」
「あ、知らないんですか白井さん。あれですよ。スーツケースぐらい大きくて、底に車輪がつゼてるカバンの一種です。個人の旅行というよりは、スチュワーデスさんが使ってるってイメージがありますかね」初春はテキパキと説明し、「で、このキャリーケースに荷札がついてたって目撃情報があって」
「ようは、旅行カバンに荷札がついていたんですのよね? それが何か問題なんですの?」
「ええっと、まあ見てください。自律型警備ロボットも映像を拾ってたんで、そっちから拡大して確かめてみたんですけど」
 初春がキーをたたくと、新しいウィンドウが開く。そこには、荷札の番号らしき数字と荷主と送り先の名前が書いてある。
 白井しらいは『送り先』を読んで、わずかにまゆをひそめた。
常盤台ときわだい中学付属演算補助施設……? そんな名前、聞いた事がありませんの」
「あ、ないんですか。『学舎まなびやその』はコンタクト取りづらいんで確認が難しいんですよね。ほら、もうじき控えている大覇星祭だいはせいさいだってあそこは競技場として開放しないでしょう?」初春ういはるはそっちの方が残念だと言わんばかりの声で、「荷札の番号も照会してみましたけど、おかしいんです。確かにこの番号で登録はされているんですが、モノは並列演算機器を束ねるホストコンピュータの熱暴走を防ぐための大規模冷却装置だって。どう考えてもキャリーケースに収まりませんよね、そんなの」
「何ですって……? そもそも『学舎の園』では金属部品ならまだしも、機材そのものの搬入は聞いたことありませんわよ」
「荷札自体の映像解析を行っていますが、これだけでは本物かどうか確証は持てないんです。やっぱりデタラメな荷札をコピーして、適当にり付けているだけなんでしょうか」
「……、待ちなさい。カメラの映像とか、目撃者もくげきしやとか。それ以前に、そもそもキャリーを盗まれた当人から直接事件について話を聞いた方が早いじゃありませんの」
「当人はいないんです」
 初春のあっさりした答えに、白井はおどろいた顔で少女の顔を見返した。
 もう一度、彼女は言う。
「私たちとは別に、被害者の方も独自に追跡し始めたみたいなんです。直前の映像、見ます?強盗は一〇人以上いたのに、たった一人でだれかに連絡を取りながら追いかけて行ってますよ」
 初春がコンピュータを操作すると、ウィンドウだらけの画面にさらに一つ、新たなウィンドウが開く。鮮明なビデオ映像だった。駅前の大通りらしき場所で、高級そうなスーツを着た一人の男が周囲を見回した後に、慌てて携帯電話ではなく無線機を使ってどこかと連絡を取っている。
「ここです」
 と、初春は唐突に動画を一時停止させた。
「何か妙なものでも映っていますの?」
 白井は止まった画面を見たが、特におかしい所はない。無線機を手にしたスーツの男が、急に首を振った所で映像が止まっているため、顔もプレて良く見えない。
「白井さん。被害者のスーツがちょっとめくれて、何か見えてません2」
「はあ。まあ、言われてみれば」
 男の動きに合わせて、スーツの端がわずかにめくれている。そして脇腹わきばらの辺りに、黒っぽいサスペンダーのようなものが見えた。
「拡大すると、型番が見えるんですよ。L_Y010021。大手銃器メーカー公式のショルダーホルスターです。服の中に拳銃けんじゆうを収めておくためのヤツですよ。ほら、刑事ドラマとかでスーツのふところから拳銃けんじゆうを取り出したりするじゃないですか。あれですあれ」
 初春ういはるはホルスターのベルトを拡大しながら言う。白井しらいは小さく笑って、
「ただの飾りかもしれませんわよ?」
「ええ。ただの飾りかもしれませんね。こっちも」
 続いて、初春は何かの操作をした。スーツの男の胸の辺りが拡大され、何百本もの細かい矢印が出現した。服の細かい凹凸を検出しているのだ。砂鉄が磁石で集まるように、無数の矢印はおぼろげに拳銃らしきシルエットを形作っている。
「一応、映像はこれだけです。……もっとほかに映ってても良さそうなものなんですけどね。白井さん、どう思います?」
 この男が他のカメラをけるように移動しているのか、単にカメラを避けて逃げる強盗を追い駆けた結果、彼の姿もとらえられなくなったのか、白井は少し考えて、
「まったく。またいつも通りの物騒ぶつそうな事になりそうな予感がしますわね」
「あれ? 白井さん、予知能力フアービジヨン系にも目覚めたんですか?」
「うるさいですわよ。拳銃の方はこれだけのデータでははっきり言えませんけど、無線機の方は風紀委員ジヤツジメントの訓練で見たプロ仕様のものと似ていますの。となると……、なるほど。なかなか厄介な事情がありそうですわね。そもそも、わたくしたちに通報してこないのもおかしいですし」
 独自に動く被害者。
 常盤台ときわだい中学がからんだキャリーケース。
 不自然なまでに整っている装備品の数々。
 確かに普通の事件とはどこか違う。しかも本当に拳銃が登場するようなら、警備員アンチスキルの装備も変更される可能性もある。風紀委員ジヤツジメントの出番は少なくなるだろうが(風紀委員ジヤツジメントのメンバー全員が白井のように強力な大能力レペル4認定に達している訳ではない)、一応『学舎まなびやその』や常盤台中学に
詳しい人間がいた方が多少の助けにはなるかもしれない。
「で、白井さん。犯人と被害者、どちらの情報を重点的に追うべきでしょうか」
「本来なら両方の情報を洗えと言う所でしょうけど、やはり強奪犯の方ですわね。キャリーケースを回収すれば、被害者の方はわたくし達が追わずとも、こちらへ接触せざるを得ないでしょうし」
 白井は息をいて一歩後ろへ下がる。
 そのまま初春に命令する。
「それで、犯人の方の逃走ルートは分かってますの? と言っても、わたくしがここまで来るのに三〇分かかってますから、正確な場所など分からないでしようけど」
「それがそうでもないんです」
 初春は簡単に告げる。
「彼らはキャリーを盗んだ後、特に車などは使わずに徒歩で地下街へ入ったようです。おそらく人工衛星の目から隠れるためのものでしょうね」
「……、? わたくしたちの監視から逃れるために? ですけど、地下にしたって全くカメラがない訳じゃないですわよね。設置型のカメラのほかに自律ロボットも巡回していますし」
「ええ。でも地上よりは逃げやすいはずです。衛星による上空撮影が封じられた場合、その他のカメラは人混みを上手く使えば死角を作れますから。それに地下を走った方が速いっていうのもあるんですよ。今、信号機の配電ミスか何かのトラブルで三号線、四八号線一三一号線など現場周辺の主要道路に混雑が起きているんです。特に車を使った移動は絶望的ですよ。走るなら地下を通った方が速度と隠密性おんみつせいの両面でお得でしょうね」
 そうですの、と白井しらいは小さくうなずく。
 初春ういはるからの連絡を受けた警備員アンチスキル達も動き始めてはいるだろう。しかし、この渋滞に巻き込まれれば車両の足は止められるだろうし、この事件がどれだけの重要度を示すか分からない現状では、ヘリなども申請に時間がかかる。隊員個人の独断専行を防ぐ目的で、何重ものプロセスを用意しているためだが、組織というのは小回りがかない弊害を生むのだ。
「はあ。わたくしが手っ取り早く向かった方が良さそうですわね」
「うええ!? 白井さんがいなくなったら結局私が一人で警備員アンチスキルに受け答えしなくちゃいけないじゃないですか。面倒くさーい!」
 本気で嫌がる初春を、白井はつまらなそうに見つめて、

「心配ご無用ですわよ。今からその面倒を片付けに行くんですから」
 そのまま彼女は椅子いすの上に置いていたうすっぺらなカバンを拾い、出口に向かう。
 白井黒子しらいくろこは、振り返りもせずに告げる。
「わたくしをだれだと思ってますの。地下だろうがどこだろうが関係ありませんわよ」

     2

 白井黒子の能力は『空間移動テレポート』である。
 とはいえ、その力は万能ではない。移動させる質量は一三〇・七キログラムが限界で、最大飛距離は質量にかかわらず八一・五メートル以上は伸びないし、そもそも『手で触れた物』にしか力は作用しない。遠くにある物を手元に持ってくる、という作業は行えないのだ。
 しかし逆に言えば。
 常に力の基点である、『自分の体』を移動させるのに苦労はしない。
 ヒュン、ヒュン、という小刻みにひびく空を裂く音。
 白井黒子は八〇メートルの距離を移動するたびに、次の八〇メートルに目標地を指定して飛ぶ。周りからは点々と見えたり消えたりしているように映るだろう。当然ながら二本の足で走るよりも格段に速い。時速に換算して二八八キロに届く。
(直線の移動ではなく、点と点の移動ですので慣性の力が働かないのが救いですわよね。スカートのまま空気抵抗とか浴びてたら洒落しやれになりませんし)
 白井は心の中でつぶやきながらさらに空間を渡る。歩道、手すり、自販機の頭など、次々と足場を変えて飛び跳ねる。周囲からおどろきの声が上がるが、彼らも同じ能力者だ。さらに白井が常盤台ときわだい中学の制服を着て風紀委員ジヤツジメントの腕章をつけているせいか、特に大きなさわぎには発展しない。
 地下街を走る強奪犯たちに対し、白井は地上を飛び回っている。が、元々地下街の出入り口は数が決まっているので、出口さえ的確に押さえて熔けば見逃す事はない。むしろ、不用意に後を追い駆けると強奪犯達を精神的に追い詰め、地下街にいる一般人を巻き込むような暴挙に出る恐れもある(強奪犯が武器を所持しているかどうかは不明だが、たとえ素手でも一〇人分もの力がそろえば、民間人にとっては立派な脅威だ)。普通に考えて、地下街は出口が限定されるため、混乱が起きると一般人の避難ひなんは難しくなる。地上よりもデリケートな対処が必要なのだ。
 取り押さえるなら、可能な限り一般人のいない場所、それも地上で。
 なおかつ、短時間で確実に決着をつけられる状況を作れれば最高だ。
 と、携帯電話が鳴った。
 空間移動テレポートを止めないまま白井が手に取ると、ブツッブツッと途切れがちな声が聞こえてきた。瞬間的しゆんかんてきに空間を渡っているため、電波の受信位置が次々と移動していく弊害だ。
『しら―――い、さん。犯人達に、動き、です。……地下街『エリアセール』出口AO3、から、地上へ、出たようです。―――地下街の突き当たりから、次の地下街へ……向かっているみたいで……』
 対して、白井黒子しらいくろこの返事は一言。
「もう見えていますわ」
 携帯電話を切り、ポケットへ。
 地下鉄の出入り口のような建物の近く。まるでレンガのようにき詰められた自動車の群れの隙間すきまって走っている人影がいた。クラクションに怒鳴られながら進むスーツの男たちの一人が、白いキャリーケースの車輪を転がして引きずっているのが見えた。隠密おんみつ行動でも望んでいたらしい男達は、どこか肩身が狭そうに大きな車道を渡って路地の細い道へと入っていく。
 白井はうすっぺらなカバンをつかむ手に力を込め、
 ダン! と、一際ひときわ大きく地面をむ。
 瞬間しゆんかん、すでに彼女は裏路地にいた。一〇人近い男達の、その真ん中へ。白井はキャリーケースを手にした男と目を合わせてにっこりと微笑、彼の顔がおどろきの表情を作る前にキャリーケースの表面を指でなぞる。
 空間移動テレポート
 再び白井の姿が消え、男達の行く手を遮るように路地の先へ立ちふさがった。そのかたわらには、一緒いつしよに空間を渡った白いキャリーケースが置いてある。
 白井は片手を腰に当て、もう片方の手で地面のキャリーケースに触れ、
「失礼、風紀委員ジヤツジメントです。何故なぜ、わたくしがここへやってきたか説明する必要はおありですの?」
 聞きようによっては見下したような声だった。
 対して、男達の反応は迅速。彼らは皆、そろってスーツの胸元に手を突っ込むと、全員が同じデザインの黒い拳銃けんじゆうを取り出す。見るだけでズシリと重たそうな印象をたたきつけてくる物だ。
(チッ、やはりただのひったくりではありませんわね! どこの刑事ドラマのワンシーンですのよ!!)
 白井はキャリーケースを盾にするように身を低くかがめたが、彼らは射撃しやげきの腕に自信があるの
か『盾』からはみ出た部分をねらちするつもりらしく、引き金にかかった人差し指の動きは
少しも止まらない。白井ののどが、ほんのわずかに、しかし不自然に音を鳴らす。彼女の空間移動テレポート
は、飛んできた弾丸を一発一発的確に移動させられるほどの対応力などない。
 一〇の銃口が火を噴く。
 が、その一歩手前で白井は空間を渡っていた。狙いは最後尾の男のさらに後ろ。
 白井黒子とキャリーケースが虚空こくうへ消える。彼女の薄っぺらなカバンだけが空中に取り残され、一瞬の間を置いて地面へぐ落っこちた。
 突然標的が目の前から消失した事で男達が戸惑っている間に、白井は巨大なキャリーケースぜ両手で欄んで一番後ろの男の背中を思い切りなぐり倒す。
「がっ……!」
 という最後尾の男の悲鳴と共に、強奪犯たちは一斉に振り返ろうとする。白井しらいはその内の一人に触れ、空間移動テレポートを実行。男を即座に移動させる。しかし距離はほんの数センチだけ。そして体の向きを一八〇度変更。
 八人の男達は一斉に背後へ振り返ったが、一人の男だけ逆に仲間をにらんでいる姿勢になる。
 クロスカウンターのように味方同士で銃口を交差させる強奪犯達。
「あ」
 と、向きを逆転させられた男が慌てて銃口を上へらした所で、その背中を白井は思い切り
蹴飛けヒばす。将棋倒しのように強奪犯達は地面に倒れ込んだ。白井は思い切りキャリーケースを振り上げると、銃を握る男達の手首目掛けて次々と振り下ろした。短い悲鳴が連続する。逃れようにも糸がからまったように身動きが取れず、下手に銃を使えば折り重なる味方の体をち抜きかねない。結果として、彼らは人殺しの道具をそろえているにもかかわらず、無抵抗になぐり倒され意識を刈り取られていった。
「どうって事はありませんわね。あっさり過ぎるのが逆に気にかかりますの」
 白井は皮肉を言ったが、答える声はない。
 彼女は爪先つまさきで強奪犯達を軽く小突いて意識の有無を確かめてから、風紀委員ジヤツジメント装備の非金属製
手錠てじようで彼らを拘束する。四人目で手錠が品切れとなり、落ちていた廃棄ケーブルで代用した。彼らは手首を圧迫されても目を覚ます事はなかった。
 警備員アンチスキルに携帯電話で連絡を入れた後、白井は彼らの装備に目をやる。
 銃の名前や型番は見てもいまいち分からない。ただ、風紀委員ジヤツジメントの訓練で握ったものとは大分違う。学園都市で開発している拳銃けんじゆうは本体に金属を使っていないため、非常に軽い。対して、彼らの拳銃は鋼の塊という感じだ。側面には数字やアルファベットが刻印されている。銃の正式な型番ですの? と白井は適当に考えたが、そこまでだ。銃器メインで戦う警備員アンチスキルならともかく、能力で戦う白井はそこまで装備品について専門的な知識を持たない。
 そのほか、スーツの男達の体を調べても身分証のようなものはない。意図的に削除しているようにも見える。白井は倒れた男の顔を見て、ほんのわずかに舌打ちし、
「……、金歯?」
 口をポカンと開けて気絶している男の姿に、白井は疑問の声を放った。今の学園都市ではもっと優れた素材が数多く作られている。今時、この街で金歯など使う人間などいない。
 スラックスのポケットの中にあった、アドレス登録がゼロ件の携帯電話などを確かめても、やはり古い。とても学園都市では売り物にならないようなものばかりだ。
 学園都市の中と外では技術レベルが二、三〇年異なると言われている。電子機器はもちろん、一見テクノロジーとは無縁の小物であっても違いが見えてくる事がある。
(銃の構え方にはそこそこ訓練の跡がうかがえましたが、わたくしの能力に翻弄ほんろうされる様はまるで初めてといった感じでしたの。…-やはり彼らは能力者とは無縁の『外』のプロかしら)
「……」
 わざわざ『外』の人間が潜入せんにゆうしてまで追いかけていたキャリーケース。
 白井しらいは改めて手の中の『それ』に視線を落とす。
 大きなものだ。旅行カバンの基本に漏れず、直方体の形をしている。自分ぐらいならひざを抱えれば丸ごと入ってしまいそうだ。色は白く、表面にワックスでも塗ったような光沢を放っている特殊な素材である。
 彼女はキャリーを閉じる留め具に手をやったが、
かぎが……。まあ、当然ですわね」
 しかし、改めて観察すると、鍵がやけに精巧にできているのに気づく。アナログな鍵が二つ、電子じようが一つ、さらに組み合わせパターンが事実上無限と呼ばれる磁力錠までついている。
「ま、わたくしの力ならどうって事はありませんけど」
 彼女の力は空間移動テレポートだ。触れた物しか移動できないため、箱の中の物体を取り出す事はできない。しかし逆に、外側の箱だけを移動させる事で、中身を取り出すのは可能なのだ。
 銀行の大金庫のような大質量の『箱』なら動かせないが、キャリーぐらいなら難しくない。白井は適当にキャリーに右手をかざし、その指先で表面をなぞり、
(ん?)
 と、ふと気づいた。
 このケースには、極端に隙間すきまが少ない。まるで防水加工のように、所々にゴムのパッキンらしき物を詰めて、あらゆる隙間がシールドしてある。
(まさか……写真のフィルムのように、光に反応するものでも入ってますの? ……中身は繊細せんさいなものかしら。あら、わたくし、こいつを使ってあの男たちをどつき回していますのに)
 白井は少し考えたが、やがて適当に結論を出す。
(ま、透視系か読心系の同僚でも呼んで中身を確かめるまで、開けるのはちょっと保留にしておいた方が無難ですわね)
 キャリーをジロジロと見回し、シールドの徹底てつていぶりにあきれていた白井は、ふとキャリーのふたを封じるように、側面にガムテープのようなものがってあるのを発見した。例の荷札だった。紙幣に似た緻密ちみつな印刷がほどこしてある。おそらくほかにも、ICチップでも埋め込んであるのだろう。
 荷札に書かれた内容は、初春ういはるに見せてもらったものと同じ。
 機械を通さなければ判別できないだろうが、少なくとも見た目におかしな点は見当たらない。
(このマークは……?)
 白井黒子くろこはキャリーケースの表面を改めてなぞる。
 荷札とは別に、ケースの素材に直接刻印されたマークがある。スタンプのような丸いふちの中に、いくつか四角い図形を重ねて描いただけの、簡単なものだ。どこかで見たような気もするが、明確に思い出せない。
「……ま、分からない事は聞いてみるのが一番ですの」
 白井しらいはさっさと思考を放棄すると、スカートのポケットから携帯電話を取り出した。小さな円筒の側面から巻物みたいに超薄型ちよううすがたの本体を引き出し、カメラを使ってキャリーケ!ス全体と、荷札、マークをそれぞれ撮影し、『要調査』の一文と共に初春ういはるの元ヘメールで送る。
 果たして、一二〇秒で携帯電話に反応があった。
 着信メロディの最初の一音符で白井は通話ボタンを押す。
『白井さーん。初春です。とりあえず仕事をこなしたので報告とご褒美ほうび要求の連絡ですよ』
「報告は受けますが要求は通しませんわよ」
 白井は適当に流したが、内心では(気づかれないように)初春の調査能力に舌を巻く。いくら書庫バンクへのアクセス権限を持っているとはいえ、この応答の速さは尋常ではない。
『要求とは通らないものを通すという意味なんです! ま、とにかく先に報告です。白井さん、そのキャリーは簡単に言えば高気密性と各種宇宙線対策をほどこされた特殊ケースです。ほら、表面が妙にテカテカしてません?』
 言われてみれば、と白井はキャリーケースの表面を眺める。まるでワックスでも塗ったように、光を照り返して白井の顔を映し出していた。
『宇宙服とかシャトルの表面に使われている素材の豪華版みたいなものですね。使ってる技術を見れば一目瞭然いちもくりようぜんですが、もちろん学園都市製です』
「しかし、宇宙線対策というのは……どういう事ですの?」
『そのまんまですよ。宇宙線対策なんて地球上ではあんまり必要じゃありませんよね。最近はオゾン層破壊はかいもありますから一概いちがいに言えませんけど』
(となると……大気圏外という事は……これは、もしかして宇宙船外活動で使用するための……?)
 思わぬ展開に、白井はギョッとした。
『次に荷札です。っと、その前に……白井さん、ちょっと追加のお願いがあるんですけど。携帯電話をR.W.S.モードに切り替えてもう一回荷札を撮影してください。荷札の右端に、赤い四角がありますよね。そこを中心に』
「は? R.W.S.ですって?」
『ICチップなんかの電波情報を読み取るためのモードですっ! 風紀委員ジヤツジメントの携帯品として義務付けられてますよ。ほら、私が白井さんの携帯電話に追加拡張チップを差し込んであげたでしょう!?というかマニュアル読んでないんですか!』
「携帯電話って何となく使い方は分かっていますから、説明書の細かい所まで目を通す気は起きないんですのよね……」
『あーもう! とにかくですね、まずはメインメニューを開いて……』
 初春ういはるの声に従って白井しらいは携帯電話を操作し、見た事のない画面を表示して、もう一回荷札を撮影した。それを添付ファイルとしてメールにくっつけて初春の元へ送信する。
『おっ、きたきた来ました。えーっと、走査結果の方はっと……当たりみたいです。やはり、この荷札自体は学園都市発行の本物ですね』
 初春の声が、真面目まじめなものへと切り替わる。
「本物……という事は、やはり送り先は『学舎まなびやその』で正しいんですのね?」
『ええ』
 初春の声に、白井は思考を巡らせる。
 しかし荷札に書かれた常盤台ときわだい中学の演算補助施設という建物は、存在しない。
 元々、存在しない送り先を書いた時点で、この荷札は荷物を届ける事においては、何の役にも立たない。ならば、こういうメッセージを書いておく事で、何者かに何らかの暗号を伝える意味合いでもあるのかもしれない。
『ICチップ内の情報の解析も終わりましたよ。荷札に印刷された簡潔なコード類を補完するものですね。シャトルの機体番号と大気圏外での作業スケジュール番号です。共に学園都市のものです。第二三学区の記録と一致してますね。これはいよいよ危険な香りがしてきましたよ』
「第二三学区……。航空・宇宙開発のために一学区分を飛行場と発射場、及び関連施設で丸々独占した、一般生徒立入禁止学区の事ですわね」
『ええ。キャリーケースのマーク、ありましたよね。そうです、円の中に四角がいくつか入ってるヤツ。あれは第二三学区のエンブレムです。学校の校章みたいなものですね』
 初春の声に、白井は舌打ちした。
 どうしてもっと早く気づかなかったのかと思う反面、一般生徒に関係のない施設のエンブレムなんて記憶きおくに残らなくても当然か、とも思う。どこか見覚えがあったのは、シャトル打ち上げのニュースか何かでチラッと見た事でもあったからか。
『荷札の送り主も第二三学区になってます。あそこは機密レベルが高いんで、それ以上の細かい施設名は記さない決まりになってるみたいですね』
 白井は改めて荷札を見る。
 日付は学園都市のシャトルが地上へ帰還した日時と合致。
 そして荷主は第二三学区。一学区を航空・宇宙分野のために独占した、飛行場兼発射場。
(第二三学区は、一体どこのだれの元ヘキャリーケースを運ぶ予定でしたの……? そしてさらに、それを横から奪い取った、この連中は何者だと言うのですのよ……)
 あれこれ考え事をする白井は、とにかく初春に礼だけ言っておこうと思い、
「ありがとうですの。後はキャリーケースとこの男たちを送る道すがらにでも考えてみる事にしますわ」
『あーっ! さっきも言いましたけど、ご褒美ほうびはもらいますからね! 本物のお嬢様じようさまによるお嬢様紅茶タイムとか! いや紅茶だけでなくお嬢様の持つ空間作り雰囲気ふんいき作り込みで!!』
 初春ういはるが慌てたように言ったが白井しらいは構わず通話を切った。
 巻物をまとめるように、超薄型ちよううすがたの本体が円筒の側面に巻き取られる。白井はそれを眺め、
スカートのポケットに収めつつ、さらなる思考を巡らせていく。
 と言っても、白井は宇宙関係の専門的な知識や事情に詳しくない。
 改めて考え直してみても、ここ最近で『宇宙』に関する出来事と言えば、学園都市を始め世界各国各機関がロケットやシャトルを相次いで発射している、あれが真っ先に思い浮かぶ。
「結びつけるのは……強引でしょうけど。でも……。まったく、何はともあれ、これの中身を見てみない事には結論は出せませんのよ」
 ため息をついて、彼女はキャリーケースに腰をかける。
 スーツの男たちなぞだが、元々これを持っていた人間も謎だ。
「どちらにしても、これ以上考えるのはわたくしの仕事ではありませんわね」
 適当に結論を出して、白井は警備員アンチスキルが来るのを待った。道路状態の影響えいきようか、彼らはなかなかやって来ない。何の能力も持たない人達だから仕方がないか、と白井は不満にも思わない。
 その時、不意に白井の携帯電話がまた鳴った。
 白井は小さな画面を見ると、御坂美琴みさかみことと表示されていた。彼女は慌てて男達の方を振り返る。相変わらず気絶しているようだが、不用意に彼女との会話を聞かせてトラブルの種を作るのはけたい。しかし私事で現場を離れるのは問題だろう。白井は些細な抵抗策と自覚しながらも、口元に手を添えて内緒話ないしよぱなしをするように携帯電話の通話ボタンを押した。
『あー、黒子くろこ? ……なんか電波の状態悪そうだけど、アンタ今どこいんの?』
「え、え、えーっと。ちょっと守秘義務な感じの場所ですの」
『ん2 そっかそっか。まだ仕事中、か。ごめん、邪魔じやましちゃったみたいね』
「いえいえ。で、何か御用が?」
『いや、お仕事中なら無理にはいいや。なんか寮監りようかんが抜き打ち部屋チェックする危険性が出丸きたって後輩が言ってたから、できればアンタに私物隠しておいて欲しかったんだけど』
「??? お姉様、今学生寮にいらっしゃいませんの?」
『うん。まあそういう訳だから。ほかの子にたのんじゃうけどアンタの私物もまとめて片付けてもりっちゃってオッケーよね?』
「なっ、なん? 何ですって……ッ!! おね、お姉様が、わたくし以外の子を、たよりにして……? お待ちくださいですのお姉様! 一刻も早く寮へ向かいますゆえいい子いい子ぎゆーってしてあげましょうねの権利はわたくしにおゆずりくださいですわ!!」
『……だれもそんなぶっ飛んだめ方しないわよ。大体アンタ仕事でしょ。夜半に雨が降るかもって話だし、嫌ならとっとと自分のノルマを果たして帰ってきなさい。それじゃね』
 一方的に切られた。
 まるで置いてきぼりにされたように、白井しらいはしばらく携帯電話を眺めていた。ごーん、と重たい効果音が頭の中にひびいていたが、
 カコン、と。
 小さな足音が耳に入った。
(あー。そう言えば戦闘せんとうに夢中で、立入禁止のテープ、張ってませんでしたわね)
 白井はキャリーケースに腰を下ろしたまま、ぼんやりと考えていたが、
 直後。
 唐突に、白井の体重を支えている感触が消えた。ずるっ、と。まるで椅子いすから転げ落ちるように、一瞬いつしゆんだけ体の重さが消える。ぐるりと視界が回り、背中から汚い地面へ落っこちた。背中を軽く打つ痛みと共に、ビルとビルに区切られた四角い夜空を見上げる形になる。
(は……?)
 とりあえず起き上がろうとして、ふと違和感を覚える。白井は辺りへ手を伸ばした。が、ない。今まで彼女が腰を掛けていたキャリーケースが、どこへ手を伸ばしても触れられない。
 まるで、突然消えてしまったように。
 まるで、空間移動でもしたかのように。
(空間、移動……)
 突発的な事態に、白井の頭にはまだ空白がある。何らかの状況が進行しつつあるのは分かっていても、思考がそれに追い着いていない。彼女が漠然と、何か危機感のようなものだけをつかみ取った瞬間、

 ドン! と。
 仰向けに倒れる白井黒子くろこの右肩に、何かが食い込んだ。

「がっ……!」
 灼熱しやくねつする痛み。体の中でブチブチと何かが千切ちぎれるような感触。耳ではなく、体内を直接通って響き渡る鈍い音。
 目をやれば、半袖はんそでのブラウスの布地ごと皮膚ひふに食い込んでいたのは鋭い金属だった。太い針金のような切っ先はバネのように渦を巻き、グリップは白い陶器のような素材でできている。
(ワインの、コルク抜き!?)
 白井黒子は痛みで混乱しかけた頭を無理矢理平静にとどめ、空間移動テレポートを実行。移動距離はほんの数センチ、倒れている自分の体を九〇度垂直に移動させ、結果として一瞬で起き上がる。
 ぼとぼと、と。重たい液体のこぼれる音が地面に響く。
 それを楽しげに眺める視線が一つ。
 白井黒子しらいくろこは路地の入口を改めて見る。
 そこにいるのは一人の少女。
 白井よりもやや高い背。髪は頭の後ろで二つに束ねてまとめてある。服装は学校の制服だが、冬服だ。青い長袖ながそでのブレザーの袖に腕を通してなく、ただ肩にかけてあるだけでボタンもめていない。ブレザーの下にブラウスはない。上半身は裸で、胸の所にはうすいピンク色の、インノーのような布を包帯っぽく巻いてあるだけだ。腰にもベルトがある。スカートを留めるためりものではなく、あくまで飾りだ。革ではなく、金属板をいくつも合わせて作ったタイプのべルトにはホルダーらしき輪があり、長さ四〇センチ強、直径三センチ程度の黒い金属筒が挿さっていた。警棒にも使える軍用の懐中かいちゆう電灯だ。
 高校生だと白井は適当に予想した。見た目の年齢などあてにならないものだが、中学生にとって高校生は一つの壁だ。何となく、見えない何かで自分たちとは同類の感じがしない。
 その少女のかたわらには、白いキャリーケースがある。
 ついさっきまで、白井が腰掛けていたはずの。
「やはり空間移動テレポート!? でも」
(キャリーケースにれられてはいませんわ。それとも、彼女自身が即座にわたくしの背後に空間移動ノレポートし、キャリーケースごと元の位置に戻った? いや、それにしても……)
 ただの空間移動テレポロトにしては何かがおかしいと、白井の頭は警告している。

 思考の中に埋没しかけた白井しらいは、少女の笑い声で我に返る。
「あら、もうお気づき? 流石さすがに似た系統の能力者だと理解が早いわね。けど私は貴女あなたとは少少タイプが違うの」
 その声に、白井はまゆをひそめる。
 似たような系統。少々タイプが違う。
「私の力は『座標移動ムーブポイント』といったところかしら。不出来な貴女と違ってね、私の『移動』は、
いちいち物体を手で触れる必要なんてないんだから。どう、素晴らしいでしょう?」
 淡々とした声。
 彼女は、白井の背後で倒れているスーツの男たちをジロリと見下し、
「それにしても、使えない連中ね。使えないからキャリーケースの回収なんて雑用を任せたのに、それすらできないほど使えないだなんて予想外だったわ」
 使えない。連中。回収。雑用。任せた。
 白井はそれらの言葉から、この女がスーツの男達と関連のある人物だと推測する。
 そして相手を警告するように告げる。
「わたくしを、だれだか分かっての暴挙ですの?」
 彼女の身分を示す肩の腕章は、すでに傷口からあふれる血でどす黒く変色していた。
「ええ。分かっているから安心して仕掛けたのよ。風紀委員ジヤツジメントの白井黒子くろこさん。そうでもなければ自分の手札を軽々とさらしたりはしないわよ」
 キャリーケースの中身は不明。そもそも目の前の人物の意図もつかめない。が、彼女にも分かる。傷ついた白井を見て笑う少女が、このままだまって白井を帰すつもりなどない事を。
 敵。
 そう、眼前にいるのは少女ではなく敵なのだ。
「チッ!!」
 白井は両足を大きく広げる。反動で短いスカートが舞う。あらわになった太股ふとももには革のベルトが巻いてあり、そこには十数本の金属矢が差し込んである。さながら、西部劇のガンマンのベルトに収まっている銃弾のように。それは彼女の奥の手だ。空間移動テレポートを使って、瞬間的しゆんかんてきに標的の座標へ金属矢を送り込む事で敵を貫く必殺の矢。
 しかし、白井より先に少女の方が動いた。
 羽織っているだけのブレザーの内側にある細い手が、腰の金属ベルトに挟んである軍用懐中かいちゆう電灯を一息で引き抜いた。彼女はその軍用ライトをくるりと、バトンのように手の中で一回転させて白井の方に向けると、ほんの少しだけ、先端をひょいっと上に向ける。まるで、手招きするように。
 変化が起きる。
 白井が倒し、拘束したはずの男達が虚空こくうへ消え、少女の眼前へ転移したのだ。意識を失ったまま空中に投げ出された一〇人の男たちは、それこそ盾のように展開される。
 が、
「甘いですわよ!!」
 白井しらいは構わず太股ふとももに収めた金属矢を発射。音もなく空間を渡った無数の矢は、直線的な距離を無視して―――つまり間にいる男達を素通りして―――ダイレクトに少女の立ち位置の座標に出現する。ねらいは少女の両肩と両足。関節は狙わず丁寧ていねい攻撃こうげきを放つ。
 空間移動テレポートは直線ではなく点と点の移動だ。間に人質を取られようが問題はない。そして虚空こくうから少女の体内に出現した矢は、内側から直接その柔らかい肉を突き破る。彼女の攻撃に、物体の区別はない。空間移動テレポートは基本的に、『移動する物体』が『移動先の物体』を割り裂いて出現するようにできているからだ。
 だから、白井の攻撃は少女の体を貫かなければおかしい。
 けれども、
「あ」
 白井は思わず声をあげる。
 バラバラと、空中に投げ出された男達が重力に引かれて地面へ崩れ落ちた後。
 少女は、そこにいなかった。
 ほんの三、四歩、後ろに下がっていた。白いキャリーケースに腰を掛け、優雅に足を組んで。彼女はケースに座ったまま、車輪を滑らせるように、足で地面をったのだ。
 白井の放った無数の矢は、ただ何もない空中に浮いて、それからバラバラと下へ落ちていく。まるで、意識を失った男達と同じように。
 空間移動テレポートは点と点の移動。その座標からわずかでも標的が移動すれば攻撃は当たらない。男達は装甲としての盾ではなく、白井の目測を狂わせる目隠しとして使われたのだ。
 少女はキャリーケースの上で足を組んだまま、手にした軍用ライトを動かす。その先端で落ちた矢を指し、次に釣竿つりざおを上げるように振って。
 白井が放ち、力なく地面に落ちた矢の一本が虚空へ消え―――少女の空いた手の中に現れる。
――――ッ!!)
 身構える白井に対し、少女はサイドスローで金属の矢を放つ。空間移動テレポート(少女が言うには座標移動ムーブポイントか)を使わない、三次元的な直線の飛行ルート。ただしその矢は、ぐ正確に白井の体の真ん中を狙っている。
 狭い路地では左右には逃げられない。
 壁の向こう、ビルの中に空間移動テレポートで逃げ込むという手もあるが、内部の様子が分からないので不用意には使えない。うっかりビル内の人と重なるような座標で空間移動テレポートしたら大惨事になる。
 かと言って、真っ直ぐ進む矢に対して後ろに下がっても何の意味もない。
 なので、白井しらいは前へ空間移動テレポートした。矢を追い越して、少女の眼前へとワープする。そのままこぶしを握った。向かってくる攻撃こうげきけ、なおかつ目の前の敵をなぐり飛ばす、カウンター気味の攻撃を加えようとして、

 どすっ、と。
 白井黒子くろこ脇腹わきばらに、背後から金属の矢が突き刺さった。

「……あ……ッ!?」
 白井は体のしんからき起こるふるえのようなものを感じた。それに耐えられなくなったように、全身から力が抜けていく。両足がカクンと折れて、そのまま地面に倒れ込んだ。
 奇しくも、キャリーケースに腰をかける少女の足元に屈するように。
「言ったでしょう?」
 腰をかけたまま、足を組み直し、少女は微笑ほほえむ。
「私の座標移動ムーブポイントには、貴女あなたみたいに物体に手を触れる必要なんてないって」
 白井黒子はあざけるような声に対し、しかし顔を上げる事もできない。
 簡単な理屈だった。
 少女はまず最初に、金属の矢を自分の手で投げた。そして白井がそれを避けると同時に、今度は空中に飛んでいた矢を座標移動ムーブポイントさせたのだ。白井の背中の内側に出現するように。
 器用に一八〇度方向転換させた金属矢は飛行の勢いを殺さず、白井黒子の体内を、さらに腹
方向へと突き進んで、ようやく停止する。ゴリゴリという嫌な音が体のしんひびき渡った。
 ヒュンヒュン、と空気を裂く音が連続する。
 気がつけば、少女の空いた手には、白井が落とした金属の矢が、すぺて握られていた。
「残念ね。貴女、常盤台ときわだい中学の人間でしょう。御坂美琴みさかみことやつ、切羽詰まっているとはいえ、私事に部下や後輩を巻き込むような人間とは思えなかったんだけど。まあ、『実験阻止』にしても一人で片をつけた訳でもないし、もはやどうでも良くなっているのかしら」
 その言葉に、白井黒子の体がピクリと震えた。
 痛みで震え、感覚の消えかけた体がそれとは別の揺らぎ方を見せる。
「なん、ですって?」
 首に意識を注ぐ。顔を上げる。歯を食いしばって、全力を振り絞って、地の底から天の上を振り仰ぐように。
何故なぜ、そこで……お姉様の名前が、出てくるんですの?」
 白井の声に、少女はいちいち答えようとする。
 まるで、傷ついた白井などもはや脅威に感じる必要などないと嘲るように。悔しがる白井の姿を見て楽しむためだけに、論理的に最適な選択すら切り捨てて無駄むだな楽しみを求める。
「あら」少女は足を組んだまま、冗談みたいに口に片手を当てて、「知らなかったの。知らないまま利用されてるという線は……なさそうね。常盤台ときわだい中学の超電磁砲はそんな人格していないでしょうし」
 少女は白井しらいの問いに答えていない。
 残る力を絞りつくして放った質問に、しかし返ってくるのは自己満足のような語りだけ。
「都合が良いとは思わなかった? これを盗んだウチの使えない連中が、まるでタイミングを計ったように渋滞に巻き込まれた事とか。信号機の配電ミスって、何が原因だったか予想できなかった? まさか、あの常盤台中学のエースが、一体何をつかさどる超能力者なのかも知らないな
んて事はないわよね」
 白井黒子くろこは届かぬ頭上をにらみつける。
 正体不明のキャリーケースと、その上に君臨する敵を。
「さっき、から……」
 血でも吐きそうな声と共に、り付く唇を動かす。
 美琴みことに借りたリップが、不思議とベタベタした感触を返してくる。
「……何を、言って……」
「『レムナント』って、言っても分からないわよね。『シリコランダム』でも難しいかな」
 少女は愉快そうに、手の中の金属矢をカチャカチャ鳴らして答える。
「そうね。『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』の残骸レムナントって言ったら分かるかしら? こわれてなお、朽ちてなお、莫大ばくだいな可能性の残されたスーパーコンピュータの演算中枢シリコランダムって言えば」
 白井黒子はギョッとした。
「ば、かな。だって、あれは、今も衛星軌道上に浮かんでいるはずでしょう……?」
 馬鹿馬鹿ばかばかしくて現実味がいてこない。何故なぜなら、学園都市が誇る世界最高のシミュレートマシン『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』は人工衛星に搭載して宇宙に保管されているのだ。それをどうにかしようとした所で、地面に張り付いている限り絶対手にする事はできない。大体、あれが故障した(あるいは破壊はかいされた)となれば、大々的に報道されなければおかしいのだ。
 だが。
 少女が腰掛けているキャリーケースは、宇宙船外での使用を目的に作られたものだ。
 そしてキャリーケースの荷札は、学園都市のシャトルが帰還した日のものだ。
 現在、まるで競い合うように世界中の機関が宇宙へ進出しているのは。
 思考が揺らぐ白井に、少女はスカートのポケットから取り出した一枚の写真を指ではじいた。まるでフリスビーのように回転する写真は、白井の目の前に落ちる。
「学園都市の撃墜げきついレポートの添付資料というヤツよ。レアでしょう?」
 その写真は、真っ黒な宇宙空間に、巨大な地球が写っているものだった。ゆるいカーブを描く青い星を背に、バラバラに砕けた人工衛星の残骸ざんがいが浮かんでいる。ニュースやパンフレットなどで見た事のあるシルエットが。
「そ、んな」
 白井しらい唖然あぜんとしている前で、写真は虚空こくうに消えた。ピッ、と少女は人差し指と中指で写真を
挟んでいる。『座標移動ムーブポイント』とやらで回収したのだろう。
「『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』はとっくに破砕されているのよ。だからこそ皆は、こわれて衛星軌道上に漂っている『残骸レムナント』を欲しているの」少女は白井の顔から何かを読み取って、「御坂美琴みさかみことも大変でしょうね。何者かが『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』を破壊はかいしてくれたから悪夢は終わっていたのに、それを再び修復されそうだって言うんだから。そんな事になれば『実験』が繰り返されてしまうわね。だから、まあ、必死にあがく気持ちは分からないでもないけど」
 少女の口から再び一つの名前が出て、白井の腹筋に力が入る。
 御坂美琴。
 何故なぜそこで彼女の名前が出てくるのか、と白井は思う。思うが、思い当たる節はない。状況が何一つみ込めない中、しかし白井はより一層眼光を強くして少女をにらみつける。そもそも、こんな危険人物の口から御坂美琴の名前が出てきただけで十分に問題なのだ。
「うふふ。あらあら、すっかり蚊帳かやの外って感じね。その分だと『実験』についても何も知らないみたいね。けれど、貴女あなたはその断片をのぞいているはずよ。例えば……そうね。半月前に操車場でひどい爆発が起きたでしょう? 当時は列車が全線まって大きなさわぎになったと思うけど。あれだけの事態から、一週間足らずで列車の運行ダイヤを元に戻せた貴女たちの手腕に、私はかなり感心していたんだけど」
 少女は愉快そうに言うが、白井には答えられない。
 白井の頭をジリジリと焼くようなあせりがおそいかかる。しかし、それでもやはり少女が何を言いたいのか理解できない。
「まだ分からないの? これだけ言っても分からないのかしら。八月二一日。この特別な日に貴女の周りで何か変わった事とかはなかった?」
 そんな事を言われても、漠然と日付だけ言われた所で、白井には上手くイメージできない。そもそも、先月の二一日など、特別な祝日でも何でもないのだ。
(さっきから……何を? 会話をしようと思うだけ、無駄むだという事ですの……?)
 白井はいぶかしむが、それにしては少女の言葉にはある種の法則性があるようにも聞こえる。
「そうね。貴女がここまで辿たどり着いてこれたなら、私は貴女とお友達になってあげても良かったのだけど、ね」
 そう言って笑う少女に、しかし白井は答えを返す余裕もない。
 唇が乾き、浅く裂けて血の味がこぼれる。
 それでも、分かるのは二つ。
 目の前の少女を、今ここで止めなければならないという事。
 キャリーケースの中身を、だれかの手に渡してはならないという事。
 白井黒子しらいくろこはスカートの中、太股ふともものベルトに挟んである、わずかな本数の矢をすべて片手で引き抜く。数は二本。それを握りつぶすほどの意識でつかみ、己を鼓舞するために天に向かって意味なき言葉を叫び放つ。
 対して、少女は最後までキャリーケースから腰を上げない。優雅に足を組んだまま、手の中に余る無数の矢をカチャカチャともてあそび、警棒にも使える軍用懐中かいちゆう電灯のスイッチを入れ、バトンのようにくるくると回して光の輪を作りながら、足の下でいつくばってあがきもがく弱者を心優しく見下しあざける。
 一瞬いつしゆんの静寂。
 路地の出口の先、表通りからひびく車のエンジン音。
 それを合図に、二人の少女の姿が同時に動いた。

 勝負が決するのに一秒も必要ない。
 無数の金属矢が飛び交い、乙女おとめんだ鮮血が飛び散り、絶叫が飛び立つ。
 どす、と汚い布袋を落とすような音と共に、白井黒子は地面を転がった。
 風が吹き、追撃ついげきはなく、路地には風紀委員ジヤツジメントを残して、もう一人の少女は去って行った。
 座標移動ムーブポイントなど使わず、足音を鳴らすのを楽しむように。
 白いキャリーケースと共に。
(お、ねえ、さま……)
 悔しさに、少女は奥歯をんで心の中でびる。とてもではないが、口には出せない。
 やるべき事は分かっていたのに。
 未熟な白井黒子には、何[つそれらを達成できなかった。

   行間 二

 病院には入院患者のためのお風呂場ふろばがある。
 緑色のジャージを着た体育教師、黄泉川愛穂よみかわあいほはお風呂のドアに背を預けていた。ジャージを着ているのがもったいなく思えるほど美人でスタイルの良い大人の女性だ。特に前面に張り出した胸は単なるジャージにすら絶大な色気をまとわりつかせている。本人がその価値に全く気づいていない辺りが、逆にさらなる危うい無防備さを演出していた。
(あー、桔梗ききようの野郎め。また妙な問題を押し付けてきやがってじゃん)
 昔馴染なじみで現在入院中の女性研究者の顔を思い出して彼女はため息をつく。その研究者はまだ安心できる容態ではない。黄泉川は一度だけ面会を許された際、女性研究者から、ある子供たちの面倒を見るようにとだけたのまれた。頼むだけ頼んで依頼人いらいにんはさっさと意識を落としたのだから、黄泉川としては詳しい事情も聞けなかったし断りようがない。
 預けられたのは特殊な能力者のコンビらしい。
 その子供達の声が、ドアの向こう―――お風呂場の中から聞こえてくる。
『ばしゃばしゃばしゃばしゃーってミサカはミサカは狭いお風呂の中でバタ足してみる。小っこい体を有効利用した屋内レジャーかも、ってミサカはミサカは新たな可能性を提示してみたり』
『チィッ、お湯が顔に……ッ! オマエ風呂の中で自由自在に泳ぎ回ってンじゃねェよ!!』
『「反射」が使えないと不便だね、ってミサカはミサカは気の毒そうな視線を向けてみたり。それにしてもシャンプーが目に入って涙ぐむ最強の能力者ってどうなの、ってミサカはミサカはあきれてみる』
『別に「反射」がまったく使えねェ訳じゃねェよ。まァお前らのネットワークを利用して演算処理してっからでかい顔はできねェけどな。ただな、ここで「反射」使っちまったらお湯まで肌からはじいちまってそもそも風呂場に来る意味がねェだうがよォ。……あと涙ぐンでねェよ別に目に入ったって痛くねェよ確かにシャンプーが目に入るのはこれが初めてだけどよォ!』
『ばしゃばしゃばしゃばしゃー』
『ヨミカワァァあああああああああ!! 何でこのおれがクソガキのバタ足攻撃こうげきなンざ食らわなきゃなンねェンだよォォォ!!』
 お、会話が振られてきた、と黄泉川はまゆを上げて、
「ダメじゃーん。小さい子供の場合はお風呂でおぽれる危険もあるんだから。だれかが監督してあげないと危ないじゃんよ」
『じゃあオマエが監督すりゃ良いだろオがよォ!!』
「ダメじゃーん。そんな暴れん坊の相手してたら黄泉川よみかわさんはれ濡れの透け透けになっちゃうじゃんよ。ってか、ようやくお風呂ふろに入れるようになったんだから、ちゃんと体は洗っとけ」
『クソッたれが……ッ!! どォしておれの周りには、まともに人の話を聞こうっつー思考パターンを持った人間が一人もいねェンだっつの』
『まぁまぁまぁまぁ、ってミサカはミサカはなだめてみたり。気恥ずかしいのは分かるけどミサカはミサカはちゃんとバスタオル装備してるんだから。あんまり意識すると逆にキツイぞ、ってミサカはミサカは人生の先輩としてアドバイスを贈ってみる』
『ありがとよォ。お礼に顔面ヘダイレクトにシャワーをかけてやンよ』
『ぶわーっ!? ってミサカはミサカは突然の攻撃こうげきにひっくり返ってみたり! ひどいよ夏の終わりにはミサカのために体張って立ち上がってくれたのにってミサカはミサカは顔を真っ青にしてみたり』
『はァ? ……って、ちょっと待てコラ』
『ウィルスコードにやられかけた時はあんなに優しかったのにこの扱いは何なのもしかしてもうミサカ飽きられてる!? ってミサカはミサカは戦標せんりつの可能性にぶるぶるふるえてみたり!』
『……、あ? オマエ、今なンつった? ……ウィルスコード「漢字?』
『しまった、ってミサカはミサカはお口に片手を当ててみたり』
『しまったじゃねェよどオいう事だオイ! 何でオマエがあの日の事を覚えてンだ!?』
『えーっと、ってミサカはミサカはほっぺたを人差し指でかいてみたり』
『オマエ頭ン中のウィルスコードを修正した時に記憶きおくも全部失ってたンじゃねェのかよ!?」
『ミサカは検体番号シリアルナンバー一〇〇三二号から検体番号シリアルナンバー二〇〇〇〇号が織り成すネットワークの中で記憶を共有してるの、ってミサカはミサカは真実を告げてみる』
『……、ほォ』
『簡単に言うとミサカ単体の記憶がなくなってもバックアップがあるから問題ないかも、ってミサカはミサカは可愛かわいらしくぺろっと舌を出してみる。ミサカの記憶はないけどミサカたちからもう一度記憶を吸い出せば修復はできるし、ってミサカはミサカは様々な仕草を駆使して少しでも怒りをやわらげるべく孤軍奮闘こぐんふんとうしてみたり』
『じゃ……ナニか? オマエは俺があの日に何を叫ンだか……』
『「確かに俺は一万人もの妹達シスターズをぶっ殺した。だからってな、残り一万人を見殺しにして良いはずがねェンだ。ああ綺麗事きれいごとだってのは分かってる、今さらどの口が言うンだってのは自分でも分かってる! でも違うンだよ! たとえ俺達がどれほどのクズでも、どンな理由を並べても、それでこのガキが殺されても良い理由になンかならねェだろォがよ!」……じーん、ってミサカはミサカは思い出し泣きしてみる』
『こ、殺すー このガキぶっ殺す……ッ!!』
「ダメじゃーん。知り合いから任されてるんだから手間かけさせるなよI?」
 ばっしゃばっしゃと互いにお湯を掛け合っている音をドア越しに聞きながら、黄泉川よみかわは適当に言葉を放つ。カエルに似た顔の医者からは、気難しそうな二人だね? とか言われたが別段気にかかるような点は見当たらない。
 この分なら無理に付き添っている必要もなさそうだ。本来の仕事へ戻れる「漢字。
 黄泉川はため息をついて、ドアから背中を離した。
「お二人さんへ伝言じゃん。ちょっくらお姉さんは警備員アンチスキルの仕事へ行ってくるから仲良く待ってるように。いい子にしてたら熔土産みやげ持ってきてやろうじゃん」
『はーい、ってミサカはミサカは必殺バタ足攻撃こうげきで大量のお湯をぶちまけつつ答えてみたり』 こンのクソガキがアァああ!!という叫び声に背中を向けて、黄泉川愛穂あいほは足元に置いてあった大型のスポーツバッグのひもを肩にかけて病院を後にした。
 その目に宿る眼光は鋭く。
 バッグの中身は、警備員アンチスキルの正規装備でズシリと重い。

 黄泉川がいなくなった後、湯船のお湯という莫大ばくだいな資産を使い果たした二人は停戦協定を結んでいた。
『クソったれが。ヒザ上までしかお湯が残ってねェぞ……』
『もはやバタ足すらできないかも、ってミサカはミサカはそれでも工夫次第で何とかならないかと首をひねってみたり』
『もオバタ足やめろ。っつかオマエはおれ怪我人けがにんだっての忘れてねェか!?』
『そう言えばメチャクチャな速さで髪の毛伸びたからもう手術のあととか分かんないね、ってミサカはミサカは感心してみる。ってか体内の組織に伝える電気信号のベクトル面から再生をうながすって反則では、ってミサカはミサカは人体の神秘に目をキラキラさせてみたり』
『っつっても頭蓋骨ずがいこつ亀裂きれつまでは完全に修復できてねンだっつの!!』
『ばしゃばしゃぶくぶくり蹴りー』
『……、』
『こんなにお湯の無駄遣むだつかいした事をヨミカワに知られたら怒られるね、ってミサカはミサカはぶるぶるふるえてみる。でもヨミカワは今日はもう病院には戻ってこないかも、ってミサカはミサカはちょっと楽観してみたり』
『あァ? オマエ何か聞いてンのかよ?』
『んーとね、ヨミカワの方からじゃなくてね、ってミサカはミサカは―――』

   

chap4

第三章 残骸が秘める光 “Remnant”

     1

 常盤台ときわだい中学の学生りようは『学舎まなびやその』の中と外に、それぞれ一つずつ存在する。
 白井黒子しらいくろこ御坂美琴みさかみことの部屋は、『外』の学生寮にあった。
「か…はっ……!?」
 体を引きずるように寮の裏までやってきた白井は、そこで危うく血の塊を吐きかけた。口の中に尾を引く味を強引に飲み込んで前へ進む。一刻も早く手当てしなければならないのに、体が思うように動かない。苦痛のせいか空間移動テレポートも力の大小の揺れ幅が大きく、あまりアテにならなかった。
 右肩、左脇腹わきばら、右太股ふともも、右ふくらはぎ。
 数ヶ所に突き刺さる鋭利な金属は、衣服の布地をんで、それを強引に傷口の中にねじ込んでいる。一歩動くごとに衣服と皮膚ひふが妙に突っ張った感触を返し、それが痛みと共に奇妙な違和感を頭にたたき込んでくる。
 うすっぺらなカバンが、バーベルのように重たく感じられる。
 それだけ体力を失っているのだ、と実感し、白井の腹に冷たい戦標せんりつが落ちる。
 寮の裏まで回った白井は、ずらりと並ぶ窓を見上げ、自分の部屋のあかりが消えている事を確
認する。
(良かった……。お姉様は、まだ、帰って、らっしゃら、ない……)
 白井は薄く薄く笑みを作り、それから体の中心で力を集中する。
 このボロボロの姿で、正面から寮に入る訳にはいかない。痛みとふるえとあせりでズタズタになった計算式をかろうじてつなぎ止め、白井黒子は自分の部屋へ直接空間移動テレポートする。
 一瞬いつしゆんだけ身にまとう無重力感。
 空間から空間へ渡るその感覚は、身軽になるというより身を投げ出すような危機感に近い。絶叫マシンに乗った時のように、胃袋の辺りから重たい緊張きんちようがせり上がって来る。
「……っつ」
 無事に真っ暗な部屋に降り立った白井は、灯りもけずに部屋の中をうろついた。彼女が集めているのは応急セットに替えの制服だ。下着は夕方買ったものを使う事で作業を少しでも短縮しようと思う。カバンの留め具を外し、中からランジェリーショップの紙袋を取り出す。
 白井はそれらを抱えると、ユニットバスのドアを開けて中に入る。こちらは窓がないため、一切の光がない暗闇くらやみが広がっている。白井しらいはドアを閉めてから、手探りでスイッチを押した。パチン、という音と共に、蛍光灯の白い光が狭いバスルームを満たしていく。
「あ……ぐ……ッ」
 手の中から力が抜け、持っていた物がすべて硬い床の上に落ちる。壁に背中を預けようとして、脇腹わきばらを貫いた矢の最後部が壁を引っいた。まるで電気でも浴びたように体がふるえ、バランスを崩して床に倒れ込む。さらに様々な激痛が体内で炸裂さくれつする。
(はち、がつ。にじゅう、いち、にち)
 痛みで頭が上手く回らない。それでも白井は床に座り込んだまま、考える。あの女は言っていた。八月二一日に、何か変わった事がなかったかと。
(確か……お姉様は夜遅くまで帰って来なくて……。そして、あの殿方が突然、学生りようにやってきた日ですの……)
 一つ浮かべば、次々と情報は引きずり出されていく。
(あの殿方は、いつの間にか寮から消えていて……ああ、そうですの。お姉様のベッドの下から、くまのぬいぐるみが引っ張り出されたままで、そして街中に原因不明の暴風が吹き荒れたり、学園都市の外れの工業地帯、あそこにある操車場で何らかの爆発や、すさまじい閃光せんこう目撃もくげきされたという話も……)
 そして、その日を境にあるウワサが街中に流れ出した事をようやく思い出した。
 白井は思わず顔を上げる。
(学園都市最強の超能力者レベル5が、何者かによって倒されたっていう未確認の情報が……ッ)
 確かあの話は、学園都市統括理事会が無用な混乱を招くとして、すぐさま情報管制がかれたはずだ。そのため、具体的に『だれが』最強の超能力者レペル5を倒したのかは、白井の耳には入って来なかった。
 巨大な爆発、閃光、そしてM7クラスの強大な暴風。舞台となったと思われる操車場は、まるで爆心地のような有様だった。復旧作業は警備員アンチスキル主導で行われたが、風紀委員ジヤツジメントの白井も手伝いとして参加した。その時、皆で口をそろえて言ったものだ。
 確かに、この破壊はかい爪痕つめあとは並大抵のものではない。
 それを引き起こした超能力者レペル5は、やはり学園都市で最強の存在なのだろう。
 だが。
 これだけの大惨事の中、その超能力者レベル5に平然と立ち向かった者はどれだけの力を秘めていたのかと。
(さらに、ですの……)
 白井は、それとは別に、独自にある一つの情報を手に入れていた。
(……もしかすると、その二人の能力者の決闘けつとうの場に、お姉様が立ち会っていた可能性がある)
 白井黒子くろこは見たのだ。
 操車場はたくさんの貨物コンテナが破壊はかいされ、中身がばらかれていた。種々様々な残骸ざんがい
散らばる現場では、だれも一枚のコインなど気に留めなかったが、白井しらいだけは違う。
 拾ってみれば、良く分かった。
 それはゲームセンターで使われるような、安っぽいコインだ。
 同時に、とある少女が超電磁砲レールガンの弾丸として好んで使うコインでもある。
 そこまで考えて、白井は激痛に思考を寸断された。確かに八月二一日は、普通の日ではなかったようだ。けれどそれが、今回の件に何がどこまでかかわっているのか、彼女には取捨選択ができない。
 とにかく傷の手当てが先だ、と彼女は割り切る。
 白井は右肩に突き刺さった――一番初めに奇襲きしゆうを受けた―――コルク抜きを指で軽く触れた。渦を巻いた太い針金のような鋭い金属は、普通に引っ張って抜けばさらに筋肉を引き裂いた事だろう。だが、
「まったく。こういう時は……役に立つ能力ですわよね」
 空間移動テレポートを実行。突き刺さっていたコルク抜きが虚空こくうへ消え、代わりに白井の目の前に現れた。支える物のない刃物はぐ床に落ちて、んだ音色をひびかせる。
 肩から血があふれた。
 傷口から栓を抜いたため、新たに血が流れ出したのだ。
 今まで傷口から金属矢などを抜かなかったのは、抜いた後、早急に止血するための準備ができていなかったからだ。
「……ッ!!」
 ぐらりと揺らぐ意識を、首を振って無理に取り戻す。床に落ちた血まみれのコルク抜きを見て舌打ちした。
(シェフィールドのオープナーに、グリップにはマジョリカ陶器……。生産地も歴史も伝統も思想もこだわりもお構いなしの無国籍むこくせきっぷりですの。とんだ成金と遭遇したものですわ)
 白井は脇腹わきばらや足に刺さった金属矢も同様に空間移動テレポートで外していく。そうしながら、空いた手で携帯電話を操作した。掛ける番号は初春飾利ういはるかざりのものだ。
『どもどもー。初春です。白井さん、とりあえず注文の調べ物はしておきましたけど……って、うわ。なんか聞くからに痛々しい吐息してますね』
 実は初春にはりように帰る前に一度電話を掛けていた。そこで白井が負けた事、キャリーケースも再び奪われてしまった事、『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』についての情報を集める事、空間移動テレポート系能力者がいたので素性を調べる事、空間移動テレポート系能力者が相手だと逃走ルートの特定は難しいが可能な限り追跡する事などをたのんでいた。
 ついでに、白井が負傷した事も周りにはできるだけ伏せておくように、とも付け加えておいた。そうでもしないと、白井に対して別の所から妨害が入る可能性があるのを知っていたからだ。
 学生主体の風紀委員ジヤツジメントよりも、教員主体の警備員アンチスキルの方が重要な仕事に就く。
 子供を危険にさらす訳にはいかないというのと、子供にそれほどの危険を蹴散けちらすぐらいの巨大な力を持たせる訳にはいかないという二つの意味を持つ。
 ここまで派手に負傷すれば、学園都市側は白井しらいの活動を制限するだろう。しかし、あの空間移動テレポート能力者は常盤台ときわだい中学のエースがどうとか御坂美琴みさかみことがこうとか、気になる事を言っていた。
 従って、白井はここで簡単にリタイアする気はなかったのだ。
『本当に大丈夫だいじようぶなんですか? 女の熱血なんて流行はやりませんよ』
「余計な、お世話ですの。それで、調べはつきましたの?」
 血まみれの金属矢を床に捨て、白井は傷だらけの体を動かして衣服に手をかけた。サマーセーター、半袖はんそでのブラウス、スカートのホックを外して脱ぎ捨て、そこで舌打ち。下着もじっと
りと赤くれているのに気づいて、それらもまとめて脱いで床に放る。土足のままだったので革靴も脱ぎ、靴下も取り、金属矢のホルダーとして使っていた太股ふとももの革ベルトも外して、丸裸になると改めて傷口を確認する。
『まず空間移動テレポート能力者ですけど、書庫バンクに検索かけた結果、学園都市には白井さん含めて五八人ほどいるみたいです。流石さすがは一一次元特殊計算式応用分野、レアですよね』
「わたくしの、目撃もくげき情報と、合致する相手は?」
 白井は血に濡れた手で応急キットの四角い箱を引き寄せる。
『一度に複数の物体を移動できる能力者は一九人。やはり、白井さんも当てはまります』
 さらに、と初春ういはるは続けて、
『白井さんに教えてもらった犯人の容姿に合致しそうなのは、三人ほどって所です。ですが、
その内でアリバイがないのは一人だけですね。残りの二人は、こちらのカメラに映像が残っています』
 初春は大して慌てた様子もなく、結論を告げる。
霧ヶ丘きりがおか女学院二年、結標淡希むすじめあわき。白井さんと同じ空問移動テレポート系の使い手ですが、少し仕組みが違うようです』
「それは、そうでしょうね……。何しろ、一度に、一〇人もの男たちを移動させて、盾にしたんですのよ? 重量は、ざっと七〇〇キロ前後かしら。わたくしの、力とは、段違いですわ」
 白井は自分の弱さを否定しない。その先に活路があると信じる限りは。
 応急キットの箱を開け、中からチューブ状の物を取り出した。ふたを開け、チューブを押し、出てきたジェルを傷口に押し付ける。消毒と止血、開いた傷口を閉ざす三つの効能をまとめた非常用の対外傷キットだ。冥土帰ヘヴンキヤンセラーしとかいう異名を持つ優秀な医療いりょう研究者の手によるものらしいが、一般には出回っていない。大抵の傷はこれでふさげるが、逆に細かいイレギュラーな事態には対処できない一品でもある。このキットで効果がないようなら医者の出番だ。
『それもありますけど、根本的な部分が違います。白井さんは「自分の触れたモノを離れた所へ飛ばす、つまり自分の体という始点0にある物体を座標Aへ送る」能力者テレポ-ターですが、結標むすじめの場合は「離れた所にあるモノを別地点へ運ぶ、つまり座標Aにある物体を座標Bへ送る」能力者テレポーターなんです。結標の場合、白井しらいさんと違って「始点」が固定されていないんですね』
「それで……あの女。座標移動ムーブポイント能力者と名乗っていたんですのね……」
 白井はわずかに唇をんで考える。
 確かに結標は手で触れなくても様々な物体をあちこちへ移動させていた。しかしそれでいて、白井黒子くろこ本人の体には能力を使って干渉していない。もしもそれが可能なら、飛び道具なんて回りくどい方法よりも、白井の体を直接壁にでもめり込ませただろう。そちらの方が確実だ。
『面白い実験データがありますよ。何でも、結標の力は似た系統の能力者は空間移動テレポートさせられないそうです。AIM関連は分野そのものが未発達であるため詳細は不明ですが、どうも同系統のAIM拡散力場は結標の能力の邪魔じやまをするらしいです。―――このレポートでは、結標だけでなく、空間移動テレポート系の能力者は一般的に同系列の能力者を移動できない、と定義されてますけど。白井さん、どうなんですか?』
「知りませんわよ。わたくしだって同系列の人間とは初めて会ったんですから」
 ふん、と白井は鼻を鳴らす。
 実際に試した事はないが、大体の予想はできる。空間移動テレポート能力者は、三次元的な『見た目の位置』ではなく、一一次元上における自分の絶対位置座標を常に頭に入れて行動している。空間移動テレポート能力者が同系列の能力者の座標をずらそうとしても、その『位置座標情報』がくさびのよフな役割を持って阻害するのだろう。
『あとはつまんない実験データもあります。結標淡希あわきは二年前の時間割りカリキユラムの中で、自分の力を暴走させて大怪我おおけがを負っているみたいです』
「……、本当に、つまらないデータですわね。しかも、弱点らしきものは何一つ浮かび上がってきてませんし。まったく、あんな怪物がどうして大能力レベル4止まりなんですのよ」
 そう考える間にも、白井は破れたスカートのポケットからティッシュを取り出し、傷口の周りに付着した血をぬぐっていく。柔らかな弾力を返す己の肌は、不思議と少し冷たくなっていた。『超能力レベル5認定受けた相手にも、やり方次第では互角以上に戦えそうって思えるんですけどね。なんか欠点でもあるのかもしれません』携帯電話は気楽なものだ。『次に、「樹形図の設計者ツリーダイアグラム」の件なんですけど……』
「結標の血迷った寝言だと信じたいのですけれど、その調子だとまずい報告のようですわね」
 白井はジェルで塗り固めた傷口の上に、さらに包帯を巻いていく。布地を当ててみると再確認できるのだが、白井の肌にはうっすらと汗がにじんでいる。
『いえ。「樹形図の設計者ツリーダイアグラム」の破壊はかいに関する報告なんて、何もヒットしません。今も衛星軌道上に漂っているという事になっていますし、先月打ち上げた学園都市のシャトルの船外活動スケジュールも、そちらとは無関係のものだったという事になっています』
「どういう事ですの?」
 白井しらいまゆをひそめて、包帯を巻く手を止める。
 裏路地でボコボコにやられた時に見せられた、一枚の写真を思い出す。
 砕けた人工衛星の写真を。
 初春ういはるも、納得できないような声で、
『良い報告と言えば、良い報告なんでしょうか……? ウチの別チームがキャリーケースの盗疑被害者を捕獲しましたが、この運び屋も、第二三学区からの依頼いらいというだけで、衛星については知らなかったと言っています。読心能力者サイコメトラー記憶きおくを読ませて確認しましたが、間違いないそうです』
 運び屋。
 プロだろうか、と白井は考える。キャリーケースを盗まれた後も犯人グループへ追撃ついげきをかけている辺り、そこそこ仕事に執着心はありそうだが……。
「つまり、第二三学区はキャリーケースの中身を、学園都市の中にある別の研究機関に届けようとしていた。だから運び屋を使ってキャリーケースを輸送していた。それを何者か―――おそらく結標達むすじめたちのグループですわね―――が横取りした。横取りされた方はキャリーケースを取り返したいが、秘密裏に行動していたため声を大にはできず、自分達だけで取り戻す必要があった―――という所ですの?」
 白井は包帯を巻いた腕や足をゆっくりと動かし、血が出ないかどうか確かめる。速乾性のジエルは早くも固まり、傷口を完全にふさいでくれたようだ。
『元々第二三学区からどこの部署ヘキャリーケースが運ばれようとしていたのかというのも気になりますが、それより重要なのは、やはり強奪犯の背景でしょう。おそらく、事件の裏には学園都市に敵対する外部組織の関与の可能性があると思いますね。白井さんの目撃情報もありますし、何より同じ学園都市内部なら強奪なんて雑な方法にたよるとは思えません』
「……敵対する外部組織。そんなものとつながっているだなんて、結標は一体何者ですの?」
『結標はきりがおか女学院を頻繁ひんぱんに欠席しています。それも全部「特例公欠」扱いです。風紀委員ジヤツジメントの活動でもない限り、ありえないはずなんですが』
「わたくし達の活動に匹敵するだけの働きをしているとでも言いますの?」
 初春の声が小さく低くなる。
『未確認情報ですが、一部では、彼女は「案内人」だと。窓もドアもないビルまでの』
「……学園都市統括理事長、の本拠地ですわね」
 まるで映画のようなウワサだ。学園都市のトップは核ミサイルの衝撃波しようげきはをも吸収拡散させる特殊なビルの中で生活していると。そのビルは窓もドアも、一切の出入り口が存在しないから、利用するには空間移動テレポートを扱える『案内人』が必須となるらしい。
 だが、そのウワサが本当なら(あるいは、それ以上のものだとしたら)結標が一般人にも知らない事情に精通し、特殊な人間との接点を持っていてもおかしくはない。そして、それが外部組織から重要視されているのかもしれない。
結標むすじめ本人の事情は分かりませんけど、とにかく彼女が外部組織と接触して事件を起こしたと写えてみますわ。キャリーケースの中身……彼女は『残骸レムナント』と呼んでましたわね。それを入手したとなれば」
『あとは学園都市の外に控えている外部組織の元まで運んで、キャリーケースをバトンタッチ、といった所でしょうか』
「で、その経路は分かりますの?」
 白井しらいは替えの下着に手を伸ばそうとした所で、ふと手が血にれているのに改めて気づいた。洗面所に向かい、手を洗う。冷静になると携帯電話をほおと肩で挟み全裸で手を洗っているツインテールの女というのはかなり間抜けですの、と思いながら。
『難しいですね。空間移動テレポートが使えると道路の制約なんて関係ないですし。白井さんも分かってますよね。学園都市のセキュリティにだって死角はあるって』と、そこで初春ういはるは一度言葉を区切って、『あ、でもセキュリティに引っかからない事が逆にヒントにもなりますよ』
「どういう事ですの」
 タオルで手をき、ショーツに足を通しつつ白井は言った。両手で腰まで一気に引き上げ……すぎたので、食い込んだ部分を指で少し戻す。
『相手がセキュリティの死角を通っているなら、死角を全部調べれば良いんです。学園都市全域に比べれば、死角エリアの方が面積狭いでしょう?』
「……簡単に、言ってくれますわね。この怪我人けがにん相手に、―――っつ!」
小さめのブラジャーのホックを背中の所で留めようとした瞬間しゆんかん脇腹わきばらに痛みが走った。皮膚ひふが引っ張られたらしい。フロントホックか、いっそスリップを選ぶべきだったか、と白井は
顔をしかめて脇腹に触れる。幸い、傷口が開くような事態にはなっていない。
「……、」
 白井黒子くろこは、ほんのわずかに下着姿の自分の体を観察する。
 御坂美琴みさかみことには悪趣味あくしゆみと言われて(実はかなり深刻に)ヘコんでいる白井だが、彼女は下着のデザインそのものにあまり気を配っていない。下着は見せる物ではなく、身に着ける物だと考えているからだ。それよりも、白井としては下着の穿き心地の方を優先したいのである。子供っぽいデザインの下着は往々にして生地が分厚くて安っぽい感触がするし、動くといちいち肌をこすって気が散るのだ。そんなものを選ぶぐらいならスカートの下に何も穿かない方がマシだとさえ思っている白井だが(あるいは、白井の能力の使用には、精神集中が必要なせいもあるかもしれないが)、この辺りは美琴とは息が合わない。ガッカリな白井黒子である。
 下着の装着が終わると、白井は金属矢のホルダーとして使っていた革ベルトを太股ふとももに巻きつけた。スペアの矢はない。自分の体に刺さっていた矢を応急キットの中にあった消毒用のアル

コールでぬぐうと、それを革ベルトに差し込む。
『えっと、良いですか白井しらいさん。現場の地点から、死角と死角の間を渡って学園都市の外へ出ようとした場合、地下と地上を含めたとしても自然と何本かのルートが浮かび上がるんです。ですからしらみつぶしという訳では……』
「……、しっ!」
 白井は人の気配を感じ、慌てて携帯電話の通話を切った。直後、うすいドアの向こうで、部屋にだれかが入ってきた物音が聞こえる。
 彼女はドアに目をやり、ユニットバスの出入口にカギを掛け忘れていた事に気づいて慌てて閉めた。ガチン、という金属音がやけに不自然にひびき渡る。
「……? 黒子くろこ?」
 その声を聞き間違えるはずがない、と白井は思う。薄い板を通してわずかにくぐもっていても、たった一言だけでも、分かる。御坂美琴みさかみことのものなら、吐息一つだけで当てる自信がある。
「なに、お風呂ふろ入ってんの? アンタ帰ってきたなら部屋のあかりぐらいけなさいよ。真っ暗闇くらやみん中で何やってた訳?」
 ドアの前から放たれた声に、白井はギクリとする。今のこのボロボロの姿を美琴に見せる訳にはいかない。この姿を連想させるような素振りすら与えてはならない。御坂美琴は、彼女が目分で思っているよりはるかに他人の悩みを背負い込みやすいタイプだ。
「しょ、省エネというヤツですのよ、お姉様。地球温暖化に少しでも歯止めをかけようという黒子くろこの心優しい配慮はいりよですの」
「はぁ。でも学園都市って風力発電メインだから二酸化炭素とか関係なくない? サブも太陽光発電とか、資源を必要としないヤツばっかだし。エアコンとか使うとまた別問題だろうけど」
「あら、そうでしたっけ? てっきりわたくしはこれを口実にムーディな薄暗闇うすくらやみへお姉様をさそい込もうと思っていましたのに。―――おやまぁお姉様。『うげっ!?』とはまた淑女しゆくじよらしからぬお言葉遣いですわよ」
 白井しらいはくすくすと笑いながら、ユニットバスのドアへと背を預ける。
 薄い板を通して、振動があった。向こうも同じ仕草をしていると分かる。
 白井黒子はその振動をとらえながら、思い出す。
『都合が良いとは思わなかった? これを盗んだウチの使えない連中が、まるでタイミングを計ったように渋滞に巻き込まれた事とか。信号機の配電ミスって、何が原因だったか予想できなかった? まさか、あの常盤台ときわだい中学のエースが、一体何をつかさどる超能力者なのかも知らないなんて事はないわよね』
 ―――何かが起きつつあるのは、分かっている。
御坂美琴みさかみことも大変でしょうね。何者かが「樹形図の設計者ツリーダイアグラム」を破壊はかいしてくれたから悪夢は終わ
っていたのに』
 ―――そしてそこに、御坂美琴が深くかかわっている事も。
『それを再び修復されそうだって言うんだから。そんな事になれば「実験」が繰り返されてしまうわね。だから、まあ、必死にあがく気持ちは分からないでもないけど』
 ―――当の美琴は何らかの問題に巻き込まれているにもかかわらず、白井に対して困ったり悩んだりといった素振りを一切見せない、いや見せたくないのだという事も。
 分かっている。個々の出来事を追っていけば自然と分かっていく。美琴にだって悩みはあって、でもそれは白井には打ち明けられなくて、代わりにだれかが悩みに答えている。そして美琴は、理由はどうあれ白井にそうある事を願っている。閉じた輪の中から外へとはじくように。
 どれだけ白井が頑張っても、血を吐くほどに努力しても。
 御坂美琴は、喜ばない。自分の事情に巻き込んでしまった白井の姿を見ても、絶対に。
 それでも。
 白井は、彼女のために何かがしたいと強く思う。彼女が抱えているものを、少しでも軽くするために。白井黒子という個人が体を張って実現した事など明かされなくても良い、全然別の人間に手柄が渡ってしまっても構わない。彼女は願う。傷だらけの体で、血みどろになった自分の衣服を眺め、歯を食いしばって何かに祈る。
 白井黒子には詳しい事情なんてつかめていない。
 何一つ聞かされていないのだから判断などできるはずがない。
 だが、もう終わりにすると。
 何かを巡ってだれかが血を流すような、そんな場所から少女を必ず連れ戻すと。
 そしてすべてを終わらせた後で、もう一度今日の放課後のように気兼ねなく笑い合うと。
 白井黒子しらいくろこは一人、ただ無言で心に決める。
 そのためならば。
(たとえ貴女あなたに望まれずとも、わたくしは本気でうそをついて差し上げますわ。お姉様)
「お姉様はこれまでどちらに?」
「んー? 買いそびれたアクセサリーを集めにってトコかしら。ここ最近あちこち探し回ってんだけど、まだビシッと決まったのが見つからないのよね。今は忘れ物を取りに来たってトコ。これからまたちょっと出かけてくるわ。おっと、お土産みやげとかは期待しないようにね、黒子」
 詰めの甘い言葉だ、と白井は思う。自分がいつもの調子で一緒いつしよについていく、と言ったらどうするつもりなのだろう。
(ここ最近……という事は、お姉様はずっと一人で、何かをしていたんですのね。アクセサリーを探しに、ですって。精密機器の補助部品アクセサリー……。まったく、言ってくれますわね)
 白井はうすく笑いながら、しかし引き止めない。放つべき言葉は一つ。夕暮れに、美琴みことが告げてくれた台詞せりふ。その心中を改めて思い返し、白井は告げる。
「雨、降らないと良いですわね。近頃は天気予報も当てになりませんから」
「……、」
 美琴は一瞬いつしゆんだけ、おどろいたように息をんだようだ。それから少し沈黙ちんもくがあって、美琴の声が先ほどよりも少しだけ柔らかくなる。肩の力を抜いたように。
「そうね、心配してくれてありがとう。なるべく早くに帰るように努力はするわ」
 告げて、ドア越しの感覚が消えた。薄い板の向こうの少女はドアから背を離すと、部屋から外へと出て行ったようだ。
 バタン、と部屋の出入り口のドアが開閉する音が聞こえる。
「さて」
 白井は一息つくと、下着姿のまま替えの夏服を乱暴につかみ、それから携帯電話を掛け直した。初春ういはるには聞かなければならない事がある。
「ええ、はい。そうですの。そのクズ野郎の予想ルートをさっさと教えてくださいません?」

     2

 血まみれのバスルームをみがいて裂けた衣類を処分し、白井は再び空間移動テレポートで女子りようから裏の通りに脱出する。
 時刻は午後八時三〇分。
 美琴みことと買い物してからまだ二時間しかっていない事に、白井しらいは内心で少しおどろいていた。
 この時間帯になると、学園都市の交通機関はほとんど眠りに就いている。夜遊び防止も兼ねて、バスも電車も学校の最終下校時刻に合わせて運行表が組まれているためだ。通りを走っているのは教員か大学生の車、もしくはタクシーやトラックなど業者のものだろう。
 渋滞はすでに解消されているようだ。
 というより、元々車両の絶対数が少ないためスカスカになっているようにも見える。
 白井は空気を吸い込む。味もにおいもすでに夜のものへと変わっていた。
『えっとですね。有力情報ですよ、白井さん』携帯電話が何か言った。『どうも例の結標淡希むすじめあわきには、白井さんのように自分の体を連続移動させるすベはなさそうなんです。書庫バンクの方にその手の記録がありました。白井さん、結標が二年前に時間割りカリキユラムで暴走事故を起こしたって前に言いましたよね』
「それが、どうしたんですの?」
『その後に、結標は校内カウンセラーを頻繁ひんぱんに利用しているんです。一種のトラウマになったのではないでしょうか。「自分の体を移動させる」実験では良い結果を出せず、無理をして体調を崩した経験も少なくないようです。肉体の移動一回につき決死の覚悟って感じですよ。つまり』
「連続移動などすれば、あっという間に精神の方が消耗してしまう、といった所ですのね」
 白井はわずかに唇をみ、
「まあ、確かにあの戦闘中せんとうちゆうに、結標が自分の体を移動させた所は見ていませんけど。大体、それができるなら外部からエージェントを呼ぶより、最初から自分でキャリーケースを盗んで逃げた方が早いですわよね。壁も道路も無視して高速移動できるわたくしたちは、普通の追跡方法では捕まえられませんもの」
 白井の力にしても、その日の精神状態で大きく強さが揺らぐ。戦闘中にトラウマを掘り起こせば、結標の戦力だって激減する恐れがあるのかもしれない。
 それにしても、と白井は思う。
(あれだけの能力者が、わたくしと同じレベル止まりというのは、まさかそのトラウマのせいで……?)
 白井は苦い感想と共に空間移動テレポートを開始。八〇メートル進み、地面に足をつけるたびに、即座に次の目的地を定めて連続的に移動する。
 正直、白井の体はボロボロで、自分の足で歩くのも難しいレベルだ。こういう時は、自由自在に自分の体を連続高速移動できるこの能力がたのもしく思える。
「結標の場合、わたくしと違って『遠く離れたもの』も転移できる反面、それだけ計算式が面倒ですのね。わたくしなら『手元にあるもの』しか転移できませんけど、代わりに『移動前の座標』を計算する必要はありませんから」
『です……ね。―――その分、計算式を短縮でき……ます。それで―――結標むすじめ座標移動ムーブポイント、しない場合の……予想ルート、ですけど……』
 空間移動テレポートの弊害か、ブツブツと途切れがちになる音声に白井しらいは意識を傾けていたが、初春ういはるが告げるより早く、彼女は行動の指針を得た。

 ゴガン!! と。
 どこか遠くで、雷が落ちるような轟音ごうおんひびき渡ったからだ。

 白井黒子くろこは夜空を見る。
「まさか……」
 交通や店舗の営業時間など、基本的な時間設定が学校に合わせてある学園都市は、日が落ちると早々に表通りからあかりが消えるため、都心に比べると人工の光は少ない。満天の星々は今夜が晴天である事を伝え、つまり落雷が起きるような雲など存在しないと告げている。
 ならば、高圧電流の絶叫の元は一体どこにあるか。
『白井さん。第七学区の一地区で能力者による大規模な戦闘せんとうの情報が入りました。結標の予想逃走ルート上です!』
 初春の声の音量を、そして電波の受信を遮るように、もう一度、雷鳴の絶叫がえる。
 その音色を聞き間違えるはずがないと、白井黒子は断言できる。
「お姉様!!」
 白井は叫び、進路を変更。美琴みことの前に不用意に姿をさらすのは流儀りゆうぎに反すると思いながらも、彼女が何者かにおそわれている場面を想像すると、とどまるという選択はできなくなる。
 空間移動テレポートを使い、次々と空間を転移していく。
 その間にも凶暴とも言える火花の炸裂音さくれつおん爆撃ばぐげきのように響き渡る。
 夜の道を歩く、白井よりも年上の男女たち怪詩けげんと不審の目を向けている。
 白井はそれらすべてにかされるように先へ先へと突き進み、目標地点が近い事を知る。連続転移を使った高速移動を解除。莫大ばくだいな雷撃の音源から、ちょうど死角になるように、ビルの角へと移動する。
 白井はまるで尾行する探偵のように、ビルの角から顔だけ出して向こうをうかがう。
 そこで、彼女は見た。

     3

 戦場だ。
 そこは、たった一人の少女が作り出す戦場だった。
 場所は建設途中のビルである。確か八月三一日にも鉄骨が崩れた事故が起きている場所だ。こわれて障害物となった鉄骨を取り除き、残った部分の強度を検査して、ようやく再び組み上げ始めた所……だったように記憶きおくしている。
 そのビルの入口の前に、マイクロバスが横倒しになっていた。
 ガラスは割れ、内装は舞い飛び、しかしその中にはだれの姿もない。
 乗っていたであろう人々は皆、建設途中のビルの中へと飛び込んでいる。そこかしこに突き立つ鉄骨が、少しでも何らかの盾になる事を願って。
 大小合わせて三〇人近い男女がビルの中にはひそんでいた。銃で武装している者もいれば学園都市の能力者もいた。
(あの銃! 見覚えがありますの。わたくしがキャリーを使ってどつき回した連中が持っていたものと同じ……ッ!!)
 白井しらいはビルの陰から眺めて息をむ。銃のデザインはもちろん、構え方も似ている。対して、御坂美琴みさかみことは転がったマイクロバスの横に、ただ突っ立っていた。
(あの見覚えのある銃を持った連中と、あのバカ女からキャリーに深くかかわっていると言われたお姉様。という事は……)
 構図を見れば、これが『残骸レムナント』を外部組織へ渡そうとしている連中なのだと推測できる。学園都市の能力者が何を目的に寝返ったかは知らない。
 そこには見知った顔もあった。
 結標淡希むすじめあわきだ。
 美琴の前に遮蔽物は何もない。倒れたマイクロバスはあるのに、それを盾にしようともしない。常識的に考えれば、飛び道具を持つ数十名もの敵を前に、あまりにも無防備とも取れる姿だが、

 超電磁砲レールガンの異名は。その常識を軽々と打ち破る。


 御坂美琴みさかみことの指先から閃光せんこうが噴いた。
 音速の三倍でち出された小さなコインは、ビルの柱となる分厚い鉄骨をやすやす々と引き千切ちぎる。銃を構えた男たちはじけ飛んだわずかな破片のあおりを食らってぎ倒され、上階で美琴の頭をねらっていた能力者は足場の柱を失って真下へみ込まれて.いく。二〇本近い鉄骨をまとめて突き破った超電磁砲レールガン一撃いちげきは、別のビルの壁に亀裂きれつを走らせようやく動きを止める。
 泡を食った男達の内の何人かが奥へと下がろうとするが、美琴の雷撃はそれを許さない。前髪から放たれた青白い爆光は鉄骨の一部に直撃すると、即座に建物全体へ走り回った。鉄骨に触れている者は瞬間的しゆんかんてきに跳ね飛ばされ、また、触れていない者達も、鋼鉄のおりから内側、へ向かい、四方八方からおそいかかる電撃に貫かれて地面に転がされる。
 運良く何らかの要因が重なって雷撃のあらしけられた残り物の能力者達が、巻き返しを図ろうとする。だが遅い。そして力の差がありすぎる。風力使エアロシユ タ いの真空刃は超電磁砲レールガンがかき乱す空気の余波だけで吹き消され、念力使テレキネシスいが射出しようとした無数の木のくいは高圧電流を浴びて|爆
ばくはつし、同系統の電撃使いエレクトロマスターに至っては力を使う前に恐怖で気を失っていた。
 それは圧倒的で、
 超能力者レベル5が、超能力者レペル5と呼ばれる理由を明かすための絶望の戦いデモンストレーシヨンでしかなく、
 学園都市でも七人しかいない実力者が誇る実力差だった。
 白井しらいには、これだけの状況で死者が出ていないのが逆に冗談のようにすら思えた。自分の攻撃と人の動き、破壊はかいされた物体がどう動くのかまで考慮こうりよしなければ、この手加減は作れない。そんな片手間のような攻撃で、しかしすでに数十人もの混成部隊は壊滅していた。
 白井は、ユニットバスで怪我けがの手当てを終わらせて、部屋に戻った時に、サイドテーブルに置いてあった貯金箱のふたが開いていたのを思い出す。小さな宝箱を模した貯金箱の中には、超電磁砲レールガンの弾丸に使うゲームセンターのコインが詰まっていたはずだ。
「出てきなさい、卑怯者ひきようもの。仲間の体をクッションに利用するなんて感心できないわね」
 美琴は最初から最後まで、一歩も動いていない。ただ正面を見据え、いくさを終えた戦場に向かって侮蔑ぶべつの声を放つ。
「仲間の死は無駄むだにはしない、という美談はいかがかしら?」
 放たれた声に対し、答える返事にはまだ余裕が残されている。
 大きな白いキャリーケースを片手で引きずり、口元に笑みすら浮かべて、結標淡希むすじめあわきは鉄骨を組んだ足場の三階部分に現れた。彼女の周囲には、高圧電流を浴びて気絶した男達が転がっている。おそらく攻撃の瞬間に自分の手元へ転移し、文字通りの『盾』にしたのだろう。右手の車用ライトがゆらゆらと揺れている。
「悪党は言う事も小さいわね。まさか四〇秒逃げ切った程度で、この超電磁砲レールガンを攻略したとか付け上がってんの?」
「いいえ。貴女あなたが本気を出していたら、今の一撃でこの一帯は壊滅しているでしょう。まあ、だから何なのかって感じだけど」
 結標むすじめはキャリーケースを鉄骨の上で固定すると、そこに腰を掛けて、
「それにしても、今回は随分とあせっているのね。以前は情報戦が主流で、どれだけ力を持っていても超電磁砲という直接的な暴力を使った『実験』の妨害には入らなかったのに。そんなに
残骸レムナント』を組み直されるのが怖いのかしら。それとも、復元された『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』を世界中に量産流通化される事が? あるいはその内の何基かで『実験』再開されるのが?」
「……、言葉の汚い女は口をつぐんでなさい」
 バシッ、と美琴みことの前髪で火花が散る。
 結標はケースの上に座ったまま、招くように軍用ライトを下から上へとゆるやかに振る。
(……)
 白井しらいはビルの角から様子をうかがい、そこで美琴と対峙たいじしているのは結標だと、改めて確認する。どういう因縁いんねんがあるのかはいまだに理解できないが、やはり彼女たち戦闘せんとう状態にある。
 結標の口から出ていた言葉を、白井は思い出す。
『知らなかったの。知らないまま利用されてるという線は……なさそうね。常盤台ときわだい中学の超電磁砲はそんな人格していないでしょうし』
(赤の他人、という訳ではなさそうですわよね……)
 彼女達の会話には、お互いに初対面というにおいを感じさせなかった。おそらく二人は前からぶつかり合っていて、白井はその断片をのぞいているようなものなのだろう。
(お姉様と、ぶつかって、まだやられていない、ですって?)
 もちろん戦いとは真正面から激突するだけではない。むしろ結標の性格を考えれば(もちうん、それほど深く知っている訳ではないが)、できるだけ死角にもぐり込んでの奇襲きしゆうを選ぶような気がする。
 それでも、あの超電磁砲レールガンを相手にして、まともに立っていられるだけでも異常だろう。
 どうすればこの場で最善の策を尽くせるか、と白井は考える。闇雲やみくもに向かっても白井と結標では能力差があるし、何より白井が不用意に動く事で戦況を下手に揺るがし、結果として美琴に傷を負わせるような事態だけは絶対にけたい。
「うふふ。弱い者など放っておけば良いのに。そもそも、貴女あなたが大事にしているあれらは『実験』のために作られたんでしょう。だったら本来通りにこわしてあげれば良いのよ」
「アンタ、本気で言ってんの?」
「本気も何も。結局、貴女は自分のために戦っているんでしょう、私と同じく。自分のために、自分の力を、自分の好きなように振るって他者を傷つける。別に悪い事じゃないわ、自分の手の中にあるモノに対して自分が我慢する方がおかしいのだから。そうでしょう?」
 仲間の体を盾に使って平然と笑う女は、あざけるように言った。
 結局は、私欲のために力を振るっているのだと。
 両者は同類なのだから、そちらが一方的にいきどおるのはおかしいと。
「そうね」
 対して、御坂美琴みさかみことは小さく笑った。
 前髪に限らず、全身から断続的に青白い火花を散らしつつ、
「私はムカついてる。私は今、頭の血管がブチ切れそうなぐらいムカついてるわ。ええ、『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』の残骸ざんがいを掘り返そうとしたり、私欲のためにそれを強奪する馬鹿ばかが現れたり、やっとこさっとこみんなで治めた『実験』を再び蒸し返そうとされたり。確かにそれはムカつく。この件にかかわってる機関の中枢を情報戦でまとめてぶちこわしたいぐらいには」
 その眼光は、ぐに結標淡希むすじめあわきにらみつけ、
「けどね、私はそれ以上に頭にきてんのよ」
 美琴の役に立つような、最悪、彼女の足だけは引っ張らないように策を練っていた白井しらいは、ふと美琴の言葉に思考を止めて、
「……あの馬鹿、この私が気づかないとでも思ったのかしら。入室届も出さずに、部屋はメチャクチャで、応急キットがなくなってて。ドア越しの声聞いただけで痛みが伝わってくるような、あんなひどい状況で……」
 その声に、白井は呼吸が止まるかと思った。
 彼女が何に怒りを感じているのかを、知った。
「一番ムカついてるのはここよ。この件に私の後輩を巻き込んだ事。その馬鹿が医者にも行か
ずにテメェで下手な手当てをやった事、そこまでボロボロにされてまだあきらめがついてない事! あまつさえテメェの身を差し置いて! 私を心配するような台詞せりふを吐きやがった事!! まったくあんな馬鹿な後輩持った事に腹が立つわ!!」
 白井の、胸が、詰まる。
 美琴の台詞は結標には意味が通じないものだろう。そして常盤台ときわだい中学の超電磁砲レールガンは白井がここにいる事には気づいていない。だとすれば、その叫びはだれに向かっているものか。
 白井には内緒ないしよで。
 アクセサリーを探しているなんてバレバレの言い訳まで用意して。
 天気が崩れるかもしれないなんてにごした言葉で、けれど何度も警告を与えてくれて。
 たった一人で。
 御坂美琴は、今の今まで、そして今この場において、何のために動いているのか。
「ああ私はムカついてるわよ私利私欲で! 完壁かんぺきすぎて馬鹿馬鹿しい後輩と、それを傷つけやがった目の前のクズ女と、何よりこの最悪な状況を作り上げた自分自身に!!」
 まるで己の胸に刃を突き刺すように、美琴は叫んだ。
樹形図の設計者ツリーダイアグラム』が関わった事件、それによっていがみ合う両者を共に止めるように。
「この一件が『実験』を発端にしたものだって言うのなら、その責任は私にあるわ。馬鹿な後輩が傷ついたのも、そしてアンタが私の馬鹿な後輩を傷つけてしまったのも! それが全部、私のせいだっていうのなら、私は私の義務と権利をすべて使ってアンタを止める!!」
 白井しらいは知る。
 自分と結標むすじめが戦っていた裏で、美琴みこと何故なぜ一人で戦おうとしたのかを。
 彼女は白井の味方でも結標の敵でもない。
 御坂みさか美琴はその場の全員を止めるために、その場のだれとも一緒いつしよにならない道を選んだ。
 ただ一人で。
 自分の中にある、何らかの悪夢にすら刃を向けて。
「もう終わりにしてやるわ。アンタたちが私の『実験ぜつぼう』に引きずられなくちゃならない理由なんかどこにもないんだから」
 キャリーケースの上で足を組む結標は、くすくすと笑って、
「甘ったるいほどに優しいわね。別に貴女あなたが『演算中枢シリコランダム』を作った訳ではないのに。大人しく自分も被害者だとでも嘆いていればわざわざ戦わなくても済んだくせに」
「だけど、アンタが戦うきっかけになったのが、私達の『実験』のせいだって言うのなら。絶対能力進化実験レベル6シフトにしても、それ以前の量産能力者実験レデイオノイズにしても」
(??? レベル6シフト? レディオノイズ?)
 暗号のような言葉だけを聞いた白井には、それが何を指しているのか分からない。
 だが、結標の方には伝わったらしく、
「貴女の、ではなく、妹達シスターズと最強の能力者の『実験』、でしょう? ……やっぱり倒された『仲間』から話は聞いていたのね。私の『理由』を。ならば分かるでしょう、貴女が一人の能力者なら。―――私はここで捕まる訳にはいかない。誰を犠牲ぎせいにしてでも、どんな手を使ってでも逃げ延びさせていただくわ」
 最後の言葉だけが、ふざけた口調ではなくなった。
 白井はビルの角で身構える。結標の『最大移動距離』はどの程度のものだろうか。
 美琴の目がわずかに細くなり、
「……アンタのちっぽけな大能力レベル4で、私の雷撃らいげきから逃げ切れると思う?」
「あら。確かに光の速度の雷撃は目で見てからではけられないでしょうけど、それだけよ。前触れを読み、それに合わせて転移すれば―――」
「無理よ」
 美琴は簡単に遮った。
「アンタとぶつかるのは初めてじゃないでしょうが。自分でも気づいているでしょ。アンタの能力にはクセがある。何でもかんでも移動できる割に、アンタは自分の体を移動させない。そ
りゃそうよね。ビルの壁の中や車道の真ん中みたいに、危険な場所へ間違って自分の体を転移させたら終わりだもの。他人を犠牲にしてでも救われたいアンタとしては、万に一つでも自分が自滅する可能性は排除したいって所かしら」
「……」
「何をだまっているの? もしかして、私が今まで気づいていないとでも思ってた訳? アンタね、仲間の体や辺りの看板なんかを座標移動ムーブポイントを使って散々目晦めくらましに利用しておきながら、自分だけ走って逃げてりゃ違和感ぐらい覚えて当然でしょうが」
 美琴みことはくだらなそうに息を吐いて、
「大体、これだけ不利な状況になれば、普通なら逃げに入るでしょ。それともアンタはまだ出し惜しみしてるとでも? そんな余裕がない事ぐらいだれでも分かるわよ」
 結標淡希むすじめあわきうすく笑っている。
 だが、視力の良い者なら分かったかもしれない。彼女の両手の指先が、ほんのわずかに、しかし不自然にふるえている事に。
書庫バンクに残っていた暴走事故の件もからんでるんでしょうけど。アンタは他人や物体を飛ばすのはためらわない。でも自分の体を飛ばす時だけは話が違うんじゃない? 例えば、計算式に間違いがないか確かめるために、二、三秒のラグが出てくるとか、ね」
 そして、と美琴は告げる。
「三秒あれば、一体何発てると思う?」
「……、書庫バンクに、そこまでの情報が記録されていたかしら」
「同じ答えを言わせるな。書庫バンクに全部書かれてなくたって、アンタのツラと戦い方を見てりゃ予測はつくわよ」
 答えに、結標淡希は笑みを深く刻んだ。
 揺れていた足が鉄骨の足場につく。腰を掛けていたキャリーケースから体を離し、優雅に立ち上がる。ゆるやかに動いていた軍用ライトの先端が、ピタリと止まる。
「ですけど」
 ―――自分の体以外なら、座標移動させる事などためらわない。
 一言と共に、結標の眼前に一〇人近い人間がかき集められた。皆、美琴の攻撃こをげきを受けて気絶した者たちだ。学園都市の外部の人間も内部の能力者も、大人も子供も混じっている。
 それは入間を使った盾だ。
 だが、
「随分と―――スッカスカの盾ね!!」
 美琴は構わず前髪から火花を散らす。人間の体とは鉄板のように平たい形はしていない。寄せ集めた所で必ず穴が生まれる。そのわずかな隙聞すきまを貫こうとしているのだ。
 一〇億ボルトもの高圧電流のやり
それが美琴の前髪から放たれる寸前で、盾の向こうにいる結標が笑った。
「さて問題」
 声は場違いなほどに明るく、
「この中に、私達とは関係ない一般人は何人混じっているでしょう?」
 なっ!? と美琴みことは思わず自分の動きにブレーキをかけてしまう。
 そのためらいが、ほんの三秒のラグを埋めてしまう。
 直後、結標淡希むすめじあわきの姿が虚空こくうへ消えた。キャリーケースと共に。
 バタバタと空中から鉄骨の上へ落ちていく人間は皆、気絶している。美琴に倒された者たちばかりだ。結標は一般人など盾にしていなかった。
「チィッ!!」
 美琴は舌打ちして周囲を見回した。当然ながら、目に見えるような場所には移動していないだろう。空間移動テレポート系の能力の厄介な所は、点と点の移動であるため、線で結んだ追跡を行えないという所だ。
 白井しらい一瞬いつしゆん、美琴の顔を見た。
 向こうから見えているとは思えない。見えているとしたら、あんな今にも泣き出しそうな顔は絶対にさらさないはずだ。
 白井黒子くろこはビルの壁に背を預けて身を隠し、虚空をにらんで考える。
(さて。ここからは、わたくしの出番ですわよ。お姉様)
 同じ空間移動テレポート能力者の自分だとしたら、御坂みさか美琴の追撃ついげきを逃れるためにどこへ飛び込むか。
 そして。
 あの超電磁砲もヘレールガンから逃げ延びたと思った瞬間、どれほどのあんど堵とすきが生まれるかを。
(ごめんくださいね、お姉様。貴女あなた馬鹿ばかな後輩は、貴女の言葉を聞き、貴女がどれほどわたくしを心配してくれているのか分かっていても、なお戦い抜くという考えがまったく揺らぎませんの)
 その足跡を追いかけるには、やはり同じ能力者の力が必要だ。
 道路の流れも壁の厚さも無視して自在に移動できる力を持つ者が。
「さあ、行きますわよ白井黒子。必ず帰るために、戦場の一番奥深くへと」
 風紀委員ジヤツジメントの腕章を制服の肩に留める。
 直後。己の役目を再確認した彼女の姿が、虚空へ消えた。

   行間 三

 ―――急がなければ。
 照明を落として真っ暗になった病室で、ある少女はベッドから起き上がった。
 ―――急がなければならない、とミサカは己の中の優先順位を跳ね上げます。
 御坂美琴みさかみことに似ているが、どこか違う。彼女は美琴の遺伝子を使って作られた、検体番号シリアルナンパー一〇〇三二号、御坂妹だ。
 彼女は平たく言えば電気を操る能力者であり、そして同時に同じ波長の脳波を持つ者なら電気的な通信を行える能力者たちだ。とある事件の後は、体の治療ちりようのためにこの病院に厄介になっている。ほか妹達シスターズの多くは学園都市の外の施設を利用していた。御坂妹のように、学園都市の内部にとどまっている個体は少数派だ。
 今、御坂妹の体を内側から激しくかしているのは、世界各地の施設に送られた同型の妹達シスターズからの情報と、それらをすベて統合・管理している検体番号シワアルナンバー二〇〇〇一号『最終信号ラストオ-ダー』の出した結論によるものだ。
 これまでも各地で断片的な情報が寄せられていたのだが、それらの集積・結合が済んだ事で巨大な事態が浮かび上がったのだ。
(それでは再確認を行います、とミサカ一〇〇三二号はネットワークを介し皆の記憶きおく情報の最適化を実行します)
 御坂妹は周囲をぐるりと見回し、ベッドの近くの棚の上に置いてあった特殊ゴーグルを右手でつかみ取る。
(現状、世界八ヶ国と一九の組織が、宇宙開発の名目でシャトルの打ち上げを実行、または計画しているのは、衛星軌道上に存在するものと推測される『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』の残骸ざんがいを入手するためであるという事で間違いありませんか? とミサカ一〇〇三二号は不特定多数の個体へ質問を発します)
 もしそれが本当なら、『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』が再び組み直されようとしている。
 そのために必要な『残骸レムナント』を巡ってトラブルが発生している。
 世界最高の超高度並列演算装置の修復は、『実験』の再開を意味している。 とある少年と少女が、必死になって止めてくれた『実験』の。
(セビリアで同様の動きあり、とミサカ一〇八五四号は肯定します)
(シュレスウィヒでも打ち上げの予定を確認、とミサカ一六七七〇号も報告します)
(ノボシビルスクでは破片の一部を回収済みとの情報を入手しました、とミサカ一九九九九号だって答えます)
(同ノボシビルスクでは、復元に必要な『核』たる演算中枢シリコランダムは学園都市にあり、その他の『破片』程度を回収した所で『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』は完成しないとの調査結果が報告されています、とミサカニ〇〇〇〇号は補足の説明を行います)
 ベッドから床へ足を下ろした御坂みさか妹の頭の中に、直接、様々な声や感情や映像が雪崩なだれ込んでくる。世界各地の学園都市協力派の機関・組織に預けられ、治療ちりようを受けている同型の妹達シスターズの声だ。彼女たちは互いの脳波を使ってネットワークを構築する事で、世界九九六九ヶ所の情報を一瞬いつしゆんで入手できる。
(現状、『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』の復元が可能な『残骸レムナント』は学園都市にあるものだけだとミサカ一〇〇四四号は推測します)
(他機関に渡った『欠片かけら』、あるいは現在衛星軌道上に残された『断片』が学園都市から捨て置かれているのは、単にそこからでは何の復元もできないからでしょう、とミサカ一四〇〇二号も推測します)
(ケープケネディでは同様の情報から学園都市内部へ侵入し『残骸レムナント』の奪取を行う計画が進
行中です、とミサカ一八八二〇号は報告します)
(その組織名は『科学結社Asociacion de cieniaここではミサカニ〇〇〇一号の』っていうらしいの、ってミサカはミサカは追記してみる。あれ? ここではミサカニ〇〇〇一号の方がいいの? ってミサカはミサカは首をかしげてみたり)
 立て続けに返信される無数の意見に、御坂妹は奥歯をむ。
 どれも良くない情報ばかりだ。
 すでに得た答えを何度も確認するその作業は、冗談であって欲しいという意図が含まれている事に、彼女自身は気づいていないようだった。
「すでに外出禁止時間ですが、こうしている場合ではありません、とミサカは緊急きんきゆう用の言い訳を自分自身に駆使します」
 御坂妹は寝間着に手をかける。パジャマやネグリジェではなく、簡素な手術衣だ。前を留めているひもを外すと、下着も何もない白い肌が露出ろしゆつされる。御坂妹は、まるで恋人の目の前で着ていたバスローブを床へ落とすように、ストンと手術衣を脱ぎ捨てると、タオルを使って簡単
に全身の汗をぬぐう。タオル越しに伝わる自分の体温が、平常よりもわずかに高い。体調不良で微熱を伴っているのだ。肌の色も、全体的にほんのりと赤みが差している。
 彼女はややふらつく足でショーツに足を通し、腕を後ろへ回してブラジャーのホックを留め、白い半袖はんそでのブラウスのボタンを留め、スカートの横のファスナーを上げ、サマーセーターに頭と両手を突っ込んで、ベッドに腰掛けて靴下を片方ずつ穿いていく。
 それからゴーグルを掛けて、靴を履く。最後に床に落とした手術衣を拾って畳み、ベッドの上へ置いた。最低限の準備運動だけを最速の時聞で終わらせる。一度出口のドアの方を見たが、彼女は首を振って窓の方へ寄った。カギを開けてスライドさせる。
 下を見る。ここは二階だ。
 だが、そんな事など構わず御坂みさか妹は考える。
(とにかく、学園都市内に存在する『残骸レムナント』の対処が最優先でしょう、とミサカ一〇〇三ニ号は結論を出します。そう、『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』の復元だけはけなければ、とミサカはあの少年と少女の顔を思い出しながら決意を新たにします。彼らの顔を、くもらせたくはありません)
 御坂妹は決意するものの、無表情なひとみにどこか苦い色が宿る。
 ボロボロになった御坂妹を助けるために夜の操車場へやってきた少年。
 学園都市でも最強の超能力者など無視して御坂妹に放たれた叫び。
 御坂妹は、覚えている。その内容を、覚えている。
「……、」
 御坂妹は微熱で、ぼうっとした頭を振って、現実的な思考に戻る。
 こうしている今も、自分たちを巡る状況は進行している。彼女達は事件の中心点にはいないが、外殻を埋めていくように世界各地から情報を集めていく事で、ぼんやりとした全体の輪郭をとらえる事に成功している。
 そこまで分かっているのに。
 御坂妹、及び妹達シスターズはその先の一歩をみ込めない。
 現在、学園都市に残っている妹達シスターズは、御坂妹を含めても一〇人以下だ。
 そしてそのほとんどは、過剰な遺伝子操作と成長促進制御の副作用の治療ちりよう中であり、つまりこんな緊急きんきゆう事態に対処できるような―――まして実戦に使えるような状態ではない。
 御坂妹は、知っている。
 自分の命がおびやかされたその時に、立ち上がってくれる者の名を、知っている。
 だからこそ、彼女達は自分の命運を、再び一人の少年に託そうとしているのだ。
 夜の操車場にたった一人でやってきた、あの少年に。学園都市最強の超能力者レベル5こぶし一つで立ち向かった、あの少年に。何度倒されても、どれだけの攻撃こうげきを受けても、歯を食いしばって起き上がった、あの少年に。
 こうした時に真っ先に浮かぶのは、やはり彼の顔だ。
 たとえ何が起きても、決してあきらめなかった彼の表情だ。
 もちろん、巻き込みたくはない。
 しかし、たよれる人間はもうほかにいない。
 非力だった。
 自分の問題を自分で解決できない己の不甲斐ふがいなさに、御坂妹はわずかに唇をむ。自分で解決できないような大きな問題に、他人を巻き込んでしまうという事実も合わせて。
 それでいて、彼女は、あるいは彼女達は、気づいていない。
 今ここで感じている苦いものは、けれどついこの間までは感じる必要もなかった心の動きだという事を。そして、その苦いものは、裏を返せばだれかのためをおもう温かいものの別の一面だという事を。
 妹達シスターズは、ある学生リようの位置を知っている。御坂みさか妹が過去にジュースを運んだ事があるから情報を入手できたのだ。そして現在、学園都市内にいる全妹達シスターズの中で、御坂妹が最も学生寮に近い位置にいる。この病院には検体番号シリアルナンバー二〇〇〇一号、通称『最終信号ラストオ-ダー』もいるのだが、元元彼女は未完成な個体なので運動能力に期待はできない。
 御坂妹は開いた窓の枠に足をかけ、
(最後の確認を行います、とミサカ一〇〇三二号は告げます。学園都市内に残っている全妹達シスターズはプラン二二八に従い、各自『残骸レムナント』回収のため行動を開始する事)
(一〇〇三二号、そちらは全個体の中でも特に肉体のダメージが大きいため、今回は治療ちりように専念すべきではないですか、とミサカ一〇七七四号は懸念けねんを表します)
 その声が頭に届くと同時、御坂妹の体がわずかに揺れた。
 妹達シスターズは、元々寿命の短い体細胞クローンの体へ、さらに短期間で肉体を作るため、様々な手が加えられている。そうやって狂ってしまった体のバランスを取り戻すために、こうして治療を受けている。
 中でも御坂妹は、『実験』当時はあの一方通行アクセラレアタから執拗しつよう攻撃こうげきを受け続けたため、衰弱の度合いはほか妹達シスターズの比ではない。短時間、病院の中を歩き回る程度ならまだしも、実戦並みの本格的な運動を行う事は、あの冥土帰しヘヴンキヤンセラーですら許可を下していない。
 彼女の体は、今も微熱を帯びている。そしてほんの少しだけバランス感覚が揺らぎ、床が柔らかくなったような気がする。
 しかし、それは今だけだ。
 規定量以上の無理な運動をこなせば、途端に体内の熱は爆発するだろう。その結果、御坂妹は血を吐いて倒れてしまう危険性すらある。
(構いません、とミサカ一〇〇三二号は返答します)
 それでも、御坂妹は告げた。
 迷わずに、窓の外の暗闇くらやみを見据えて。
(この程度の負傷が何なのですか、とミサカ一〇〇三二号は逆に問いかけます。ミサカはあの少年との約束を果たすまでは絶対に立ち止まりません、とミサカ一〇〇三二号は分かりきった宣言を今一度繰り返します)
 その声に、ネットワーク上の情報の送受信が、ほんの数秒だけ停止した。
 やがて、 一度引いた波が返るように、
(了解、あなたに一任します、とミサカ一四四五八号は首を縦に振ります)
(よろしくお願いします、とミサカ一九〇〇二号も賛同します)
(ミサカもお願いするー、ってミサカはミサカはたのんでみたり。っていうかミサカも何かしたいじっとしているのは耐えられないなんかあっちの方もどこかに出かけたきり戻ってこないし、ってミサカはミサカは手足をバタバタ振ってみる)
 御坂みさか妹は、わずかにまゆをひそめた。
 それから、
(ミサカニ〇〇〇一号、プランニニ八におけるあなたの役割は、そこに待機して情報整理と中継を行う事です、とミサカ一〇〇三二号は警告します。大体それとは別に、あっちの方とは何の事ですか、と……ミサカニ〇〇〇一号? 応答しなさい、とミサカ一〇〇三二号は告げますが期待はできないようです)
 検体番号シリアルナンバー二〇〇〇一号『最終信号ラストオーダー』は言いたい事だけを勝手に言うと通信を切断してしまったらしく、御坂妹の呼びかけに答えない。困りました、と御坂妹は適当に考えた。元々、最終信号ラストオダー妹達シスターズが暴走した時などに緊急きんきゆう停止信号を送るための上位個体なので、ネットワーク上では妹達シスターズの方から最終信号ラストオ-ダーへ命令を送ったり行動を制限させる事はできないのだ。
(とにかくミサカはミサカで動きます、とミサカ一〇〇三二号は通信を切断します)
 御坂妹は、スカートも気にせずそのまま飛び降りた。常盤台ときわだい中学の夏服が夜風に舞う。着地と同時に足を畳み、瞬時しゆんじ衝撃しようげきを殺す。元々、彼女は戦闘せんとう用に対戦車ライフルの衝撃を受け流すプログラムを頭に入力されている。たかが二階分の高さの衝撃などダメージにもならない。もちろん、あらかじめ予定に入っていない行動―――例えば突発的な戦闘のダメージなどを受け流せるほどの応用高速演算はできないが。
 御坂妹はそのまま全力で病院の敷地しきちの外へ走って抜け出す。フェンスを飛び越え、歩道を駆け抜け、迷路のような裏道を使って一気に距離を短縮して走る。
 走っている間にも、御坂妹の体から汗がにじむ。もしも彼女が感情表現豊かならば、嫌な感じの汗だと思っただろう。彼女はカエルに類似した顔の医者から治療ちりようを受けている身だ。それも、一方通行アクセラレータとの戦闘によってほか妹達シスターズに比べて圧倒的に衰弱した状態で。
 だが、構わず走る。
 検体番号シリアルナンバー二〇〇〇一号『最終信号ラストオーダー』からの情報が正しければ、『残骸レムナント』は回収され、その残骸を元に『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』は復元、量産化され、結果として『実験』が再開される恐れがある。はじき出された一つの事実は、生き残った一万人近い、全『妹達シスターズ』の命の危機を指していた。
 恐れ、そして、危機。
 そう判断できるようになった自分自身に、御坂妹は全力で走りながら首をかしげる。
「ミサカには、もはや簡単には死ねない理由がある、とミサカは結論づけます。平たく言えばこんな所で死ぬのはまっぴらだとミサカは断言してみます」
 そう、あの少年と約束したのだ。
 自分には必要な治療がある。それらすべてを終えたらまた一緒いつしよに日常を歩くと。
 それは心地良い約束だ。
 そして、破られたらきっととても苦しくなる約束だ。
 御坂みさか妹は裏路地から表通りへ飛び出てまた別の裏路地へ突入する。ゴミ箱を蹴飛けとばし、俳徊はいかいしていた野良猫のらねこが慌てて逃げ、御坂妹はほんのわずかにまゆを下げたが謝っている時間はない。
 彼女は、こうした事態が発生した時にたよれる人間を一人しか知らない。
 論理ではなく経験の問題なのだ。
 ゆえに、御坂妹は自分の危機を感じて、それをとある少年に伝えようとしているのだ。
「しかし―――」
 御坂妹は虚空こくうに告げる。助けを求めれば、またもやあの少年を戦場へ送り込む事になる、と。そして同時に思う。たとえ巻き込む事をけるためにここでだまっていても、あの少年は『実験』が再開され次第、問答無用で突撃とつげきしてくるだろう、と。
 そう。御坂妹は断言できる。
 あの少年は、絶対に来る。
 もう一度『実験』が再開されれば、またもや妹達シスターズが計画通りに殺されるような事態になれば、どれだけのリスクを背負うかなど考えもせず、ただ一つのこぶしを握りめて。
「どうあっても巻き込んでしまうのなら事態が悪化する前に告げた方がダメージも少なそうです、とミサカは結論づけます。もちろん、そもそもミサカの問題にだれも巻き込まないのが一番なのでしょうが、他人任せのミサカにはそんな綺麗事きれいごとを言う権利はなさそうです、とミサカは肩を落としてしょんぼりしながら全力疾走を続けます」
 裏路地から大通りへ突き出て、靴底を削って急カーブ。御坂妹は人の波をってさらに速度を上げていく。
 瞬間しゆんかん
 バチン! という頭痛が御坂妹のこめかみをおそった。
(……ッ!)
 ぐらりと頭が揺らぎそうになる。妹達シスターズの脳波で作る電気的ネットワークにノイズが走ったのだ。滅多に起きる現象ではない。御坂妹は異常発生の警告メッセージをネットワーク内に送りつつ、原因を探るべく感覚をまし、おでこのゴーグルを顔まで引き下ろし、
(超強度の高圧電流による電波障害……。このような高出力を可能とするのは……お姉様オリジナルでしょうか、とミサカは確証のない予測を立てます。場所も半径五〇〇メートル以内と推測できますが……)
 ここまで強大な高圧電流となれば、戦闘せんとう以外に用途はないように思われる。御坂妹はそちらも気になったが、今は学生りよロつに向かう方が先だ。再びゴーグルをおでこに引き上げ、彼女はさらに走り続ける。
 直後、御坂妹は学生寮の入口に到着した。
 そのままエレベーターに飛び込み、七階のボタンを押して、ゆっくりと動く箱の中で自分が少年に告げるべき情報の整理と削除を繰り返す。とにかく時は一刻を争う。最速で正しい情報を伝え、なおかつ状況が抱えている危機感を伝えなければならない。
 こんな時間に突然押しかけて、話を聞いてくれるだろうかと御坂みさか妹は考える。正確な時刻を確認したかったが時計がない。ネットワーク上にシグナルを送ると、世界中の妹達シスターズから様々な現地時刻が瞬時しゆんじに帰ってきた。統合、再計算して今の日本標準時間を知る。
 エレベーターが電子音を鳴らせる。
 がこがこと不安定な音を立ててドアが開く。御坂妹は即座に全力疾走を再開する。一列に並ぶドアの内、何故なぜか最近新しく手すりを作り直した所のドアが目的地の入口だ。
 ドアの前で急停止すると、御坂妹は礼儀れいぎとしてインターホンを鳴らし、直後に相手の出方を無視してドアノブを回した。無用心な事にノブは抵抗なく回る。案外この家ではまだ失礼に当たる時間帯ではないのかもしれません、と御坂妹は適当に結論付け、一気にドアを開け放つ。
 上条当麻かみじようとうまがいた。
 彼と一緒いつしよにインデックスと呼ばれている少女がいた。
 二人とも寝間着姿で、何故か少女は少年の背中によじ登って頭にかじりついていた。三毛猫みけねこは食らいつく少女を見て動物的な本能が働いたのか、隅っこでぶるぶるとふるえている。彼らはドアの音におどろいたように、玄関の御坂妹に注目する。
 彼女は考える。
 この状況で、この人物に、最速で頭のスイッチを切り替えさせる台詞せりふは何か。
 論理は答えを放棄し、代わりに経験が導いた。
 御坂妹は言う。
「お願いがあります、とミサカはあなたの顔をぐ見て心中を吐露とろします」
 それを言える自分は何かが変わったのだろうか、と思いながら。

「ミサカと、ミサカの妹たちの命を助けてください、とミサカはあなたに向かって頭を下げます」

 少年は疑問を抱かなかった。
 ただ、彼女に先を促した。

   

chap5

第四章 決着をつける者 Break_or_Crash?

     1

 結標淡希むすじめあわきは、自分を捜す御坂美琴みさかみことを見下ろしていた。
 窓のそばに立つ彼女のとなりには、白いキャリーケースがある。
 ビルの中である。建物の四階に位置するのはピザの専門店だった。ただしデリバリーやインスタントといったイメージはなく、あくまで作品としての料理を出す場所だ。一番値の低い一品でも三〇〇〇円を超える所を見る限り、中高生向けの店ではないのだろう。大学生や教員を主客層として迎えているせいか、午後九時に差し掛かっても一向に閉店の兆しはない。
 まっさらなクロスの掛けられた上品なテーブルが並び、店内には静寂を取り除くものの客の会話の妨げにならない程度の控えめなフレンチポップスが、有線放送で流れている。埋まっているテーブルは全体の半分にも満たないが、入口にはすでに満席クローズドの札が掛けてある。適度な席の空き具合も店の空間作りという訳だった。
 虚空こくうから唐突に現れた座標移動ムーブポイント能力者、結標を見ても店内に混乱は訪れない。ここはそういう街だ、という認識がすでに出来ているせいか。
 結標はその心遣いに甘えて、引き続き外を見下ろす。くだんの美琴はあちこちを見回した後、どこかの細い道へと入っていくのが分かった。
(は……)
 ようやく、息を吸ったような安堵あんどを覚えた。
 あの常盤台ときわだい中学のエースを相手にしては、直線的な距離をどれだけ開けた所で何の意味もない。一定距離と共に空気摩擦まさつで消滅してしまう超電磁砲レトルガンならともかく、光の速度の雷撃らいげきは、あらゆる間合いを一瞬いつしゆんでゼロに縮めてしまう。
 ―――距離はどれだけ近くても良いから、とにかく美琴の死角へ逃げ込む事。
 ―――そして御坂美琴が自分を見失った事実を、安全な場所から確認する事。
 重要なのはその二点だ。そのために選んだのが『上』という居場所だった。とりあえずここで敵をやり過ごし、それからゆっくりと逃げる道を探していけば良い。
(うっぷ……ッ!!)
 安心した途端、それまで忘れていた猛烈な吐き気がおそいかかってきた。
 結標ののどが焼き付く胃酸の痛みを発する。それでもかろうじて喉元で腹の中身を押さえつけ、表面上は事なきを得る。軍用ライトを握る手の中に、嫌な汗がまった。
 結標淡希むすじめあわきは過去に自分の能力『座標移動ムーブポイント』の制御を誤って事故に巻き込まれている。そのせいで、彼女は自分の体を自らの能力で転移させると、体調を狂わせるほどの壮絶な緊張きんちようと恐怖におそわれるのだ。
 だから、結標は極力自分の体だけは移動させたくない。
(くそ。仕方がないとはいえ、こんな目にうだなんて)
 思えば、あの人の命令に従ってVIPを窓のないビルへ案内するのも嫌だったのだ。人間を壁の向こうに送るだけならまだしも、万に一つも失敗があってはならないとして、常に要人と一緒いつしよ座標移動ムーブポイントしなければならなかった所が、特に。その上、VI?の中には金髪にサングラスの高校生やら赤い髪の神父やら、ちっとも偉そうに見えない連中まで混じっていた。それでも引き受け続けたのは、体の変調を差し置いても従うだけの価値があったからなのだが。
 キャリーケースを横に置き、そこに腰を掛けながら、結標は額に浮いた汗をハンカチでぬぐった。内部の分からない建物の中に飛び込むのはやはり緊張する。オーブンの中に転移すれば丸焼きだし、吹き抜けの上に転移すれば直後に墜落ついらくする。普通はないと鼻で笑っても、万分の一ぐらいはありえそうだというだけで十分怖い。
 ともあれ、御坂美琴みさかみことは完全に結標を見失った。どうせ普通の人間は『道路』に従って街を捜索する。なら、ビルの屋上から屋上へ転移していけば地上からの死角になるだろう、と結標は思う。彼女の一度の最大移動距離は八〇〇メートルを越す。が、自分の体の連続移動については自信がない。四度も渡れば胃袋の中身をロからぶちまけ、精神は錯乱さくらんし、能力を使用できる状態ではなくなってしまうかもしれない。
 精神衛生を考えるなら、座標移動ムーブポイントで自分の体を飛ばすのは、一度か二度。その移動で完全に相手の追撃ついげきから逃れ、後はゆっくり地上を走って移動するしかないか、と結標はあれこれ計画を組み立てて、

 ドブッ!! と。
 結標淡希の右の肩に、高級品のコルク抜きが貫通した。

「あ……ッ!?」
 見覚えのあるコルク抜き。それはほんの数時間前に、自分が風紀委員ジヤツジメントの少女に突き刺したものだ。結標がその意味を深く考えようとした所で、聞き覚えのある声が背後から飛んできた。
「お返ししますわ。あまりにセンスがなさ過ぎるので、持っていても白い目で見られるだけですし。ついでにこちらも」
 声と同時。
 ドスドブガスッ!! という泥の詰まった布袋を突き刺すような音が連続した。脇腹わきばら太股ふともも、ふくらはぎ。心当たりのありすぎる場所に、金属の矢が次々と突き刺さる。
 灼熱しやくねつの痛みが全身で生まれ、脳に収束して炸裂さくれつする。
「は……が……」
 結標淡希むすじめあわきは、窓から店内へ振り返り、視線を移す。店内の客たちは突然の事態に、戸惑ったような、キョトンとしたような、どうして良いか分からない顔をしている。
 そんな中に一人だけ。
 上品なクロスを掛けられたテーブルに、不敵な笑みを浮かべる少女が腰を掛けている。
 店内が上品過ぎたのが災いしたか。
 結標がやってきた時と同じく、白井しらいが空間を渡ってきてもだれさわがなかったのだ。
「慌てる必要はありませんわよ。急所は外してますの……分かりやすいですわよね。自分がやられた場所をそのまま貫けば良いんですもの。ああ、そうでしたわね」
 わざとらしく白井はスカートのポケットへ手を入れた。結標は警戒したが、出てきたのは武器ではない。風紀委員ジャツジメントの応急キットのチューブ型止血剤だ。
 白井はチューブを指ではじく。止血剤は結標の足元の床にポトリと落ちる。
 にっこりと、ツインテールの少女は邪悪に笑って、

「どうぞ、ご自由にお使いなさって? 服を脱いで、下着も取って、みっともなくいつくばって傷の手当てをしてくださいな。

そこまでやって初めておあいこですのよクズ野郎」

 言葉に含まれる敵意をんだのか、あるいは罵署雑言ばりぞうごんの中に自分たちが組み込まれるのは御免だと考えたのか。それまで呆然ぽうぜんとしていた客や店員達は、その時になってようやくはじかれたように出口へ殺到した。上品な空気はかき乱されテーブルや椅子いすは倒され、バタバタという足音と共にあっという間に店内から人が消えていく。
 にらみ合うのは二人だけ。
 距離にしてむよそ一〇メートル前後。空間移動テレポート、そして座標移動ムーブポイント。どちらにとっても能力効果圏内であるため、もはや距離などという言葉は何の意味も持たない。
 店内の淡じ冷房とゆるやかなフレンチポップスの有線放送だけが、やけに白々しくひびき渡る。
 白井しらいはテーブルに腰掛けている。
 それは余裕からの仕草ではない。実は自分の体さえ満足に支えられない怪我けがの状況を暗に示していた。が、結標むすじめにしても同じ事だ。両者は全く同じ武器で同じ場所を攻撃こうげきされている。相手のダメージの深さを想像したければ自分の傷を考えれば良いだけだ。
「……やって、くれたわね。でも、こういう、子供みたいな仕返しは、嫌いじゃないわ」
 結標は窓際まどぎわで、キャリーケースに座っている。ゆったりとした仕草を無理にでも演出しようとしているのは、戦うためのバッタリかプライドの問題か。
 どちらにしても、二人ともすでに自分の足で歩くのもつらい状況だ。
 そして彼女達には、もう一つ移動するための力が存在する。
「まずいですわよね」
 ニヤニヤと、白井は笑って、
「こんなさわぎにしてしまったら、あの聡明かつ行動的なお姉様はすぐにでもここへ駆けつけて
しまいますの」
「!!」
貴女あなたの性格から考えて、勝てる人間から何もしないで逃げるような真似まねはしませんわよね? 
わたくしにやったように、無意味な傷をたくさんつけて優越感に浸りながら消えていくのが、貴女のやり口かと思っていたんですけれど」
 思えば、あの建設途中のビルでの戦いでも、結標は一度も美琴みことに攻撃を加えていなかった。防戦一方で反撃には出なかったというのは、まともに激突すれば絶対にかなわないと結標自身が認めているあかしぽかならない。
 つまり、御坂みさか美琴がここに辿たどり着いた時点で結標の負けだ。
 傷だらけの白井が、無理に戦って結標を倒す必要はない。美琴がここに来るまでの時間を稼げれば、第二の『勝ち』を手に入れられる。
 結標はその事実を突きつけられ、しかし虚勢を張るように、
「ハッ。随分と常盤台ときわだい中学のエースを心酔しているようね。でも、超電磁砲にしたって完壁かんぺきな存在という訳ではないでしょうに。例えば学園都市の第一位、あの最強の超能力者レベルらを相手にすれば必殺されてしまうように」
「でも、それにしても、わたくしたちごときに届く領域かしらね。あの超能力者レベル5の世界が」
 白井黒子しらいくろこはニヤリと笑う。
 ともすれば自分のプライドを捨てるような言葉を、しかし誇らしげに告げる。
 それこそが、御坂美琴みさかみことに心酔しているあかしだと言うように。
 結標むすじめは思わず苦い顔で舌を打ち、
(まさか、そのためにこのさわぎを……? 単に私に奇襲きしゆうを仕掛けるだけでなく、あの超電磁砲に居場所を知らせる事で己の勝利条件を一つ増やして……ッ!)
 ならば、と結標は即座に考えを巡らす。自分にとっての勝敗とは、目の前の風紀委員ジヤツジメントを倒せるかどうかで決まるのではない。超電磁砲に追い着かれるかいなか、だ。もはや白井黒子など相手にせず、一刻も早く座標移動ムーブポイントでここから逃げなければ―――。
「無理ですのよ」
 思考を遮るように、白井は告げる。
貴女あなたに逃げ切る事はできない。分かっていますわよね? わたくしと貴女は大変良く似ていますもの。この状況で、この怪我けがで、この場所で、この能力で、あのお姉様に追われて―――さてどうするか。貴女の行く先を、同系統の能力者であるわたくしが予測できないと思ってますの?」
「!? やって……くれる…わね……ッ!?」
 あせる。焦りのあまり、結標淡希あわきは二の句が継げない。そんな彼女に、白井はうすく薄く笑いかける。
「わたくしがバッタリでも使っているとお思いですの? だとしたらその楽観は即座に捨てなさい。書庫バンクからの事前情報、貴女とやいばを交わした時に得た経験、そして同系統能力者としての、似たような心理構造。わたくしは自分の直感を、すでに様々な情報で補強していますわよ」
 その時になって、ようやく結標は知る。
 白井黒子が取った行動の、そのすべての意味を。
(自分と同じ場所にコルク抜きや矢を突き刺したのは、自分と同じ状況を作るため!? 少しでも私と貴女の差を埋める事で、より 層行動パターンを読みやすくするための!)
 似たような能力を持ち、似たような傷口ハンデを持ち、似たような事を思って―――これから結標淡希がどう動くのか、白井はそれを先読みしようとしている。
 この小娘は捨て置けない、と結標は奥歯をむ。
 たとえ座標移動ムーブポイントを駆使して逃げた所で、必ず逃走先を暴かれる。それでは地球の裏側に逃げても安心できない。できるはずがない。
たった一度の移動ですら、胃袋が絞られるような苦痛がおそうのだ。
 それなのに、せっかく決死の覚悟で行った座標移動ムーブポイントを、こんな小娘に何度も無効化されるなんて耐えられない。そもそも、結標むすじめは自分の体に関しては三回、四回の連続移動が限界だ。貴重な転移は無駄むだにしたくないのだ。
 ならば、
「そう。貴女あなたの勝利条件はただ一つ。お姉様が到着する前に、このわたくしを排除する事」
 白井黒子しらいくろこは悠然と告げる。
「対してわたくしには二つ。直接貴女を倒すか、お姉様の登場を待つか。―――どちらが優位か宣言しなければなりません?」
 それこそが言外の宣言であるのに対し、結標は驚愕きようがくする。自分の中にあったはずの選択肢が、次々とせばめられていくような気がする。
 結標は戦標せんりつに体をふるわせ―――しかし、首を横に振った。
 違う。
 気づいた。
 目の前の風紀委員ジヤツジメントは、超電磁砲の介入を良しとしていない。
 巻き込むつもりなら、初めから超電磁砲を連れてここへ転移してくれば良かったのだから。
 結標は小さく笑う。
 一つの事が分かると、次々と新しい事実がき上がってくる。
 それとも、相手の考えが分かるのは意図的に条件を整えさせられた弊害か。
 意識が冷える。
 冷静さが取り戻されていく。
「まったく……素晴らしい愛縁奇縁あいえんきえんね。結局貴女は、わざわざ自らが勝つチャンスを二度も放棄したんでしょう?」
「……、」
コ度目は、超電磁砲を連れてここへ来なかった事。そして二度目は、今の奇襲きしゆう。勝ち負けの形にさえこだわらなければ、脳でも心臓でもぶち抜いて私を殺せたはずなのに。それらがすべて、あの超電磁砲の可愛かわいい寝言のためだとしたら、貴女は本当に哀れだわ」
 問いかけの途中で、白井の体がわずかに揺れた。
 結標はその意味を知っている。同じ傷を同じように受けた身ならば。
 傷のダメージは相当なものだ。
 加えて白井は、その状態で何時間も結標を追跡している。失った体力は、傷口をふさいだ程度で回復するものではない。結標以上に消耗しているのは白井の方なのだ。今ここで傷ついたばかりの結標と、傷ついたまま走り続けた白井とでは体力の残量が違う。
 だから結標は笑う。自分の優位と、相手の無謀むぽうさに。
「無様ね。素直に第二希望で妥協しておけば良かったものを、どうして無理に第一希望をねらうのかしら。そこまでして、自分の命を危険にさらす価値があるというの?」
 キャリーケースの上に座ったまま、結標淡希むすじめあわきは聞く。

「超電磁砲が、身勝手に思い描く世界を守る事が」

 声に、白井黒子しらいくろこは改めて結標淡希の顔を見る。
 白井の目に、強い意志の光が宿る。力の入らない足腰を支えるようにテーブルに腰を掛け、だらりと下がった腕をわずかに揺らし、それらの仕草が己の手札の少なさを結標に伝えてしまっている事に気づいていても。もはや虚勢など張らず、ただ己の敵を正面から見据える。
 ともすれば間抜けに見える状況で、しかし白井は迷わず答えた。
「……守りたいですわよ」
 ただでさえ残りの体力は少ないはずなのに、こんな所に注ぎ込んで。
「守りたいに、決まっていますの。当たり前でしょう? どれだけ身勝手でも、わたくしたちの事情なんてこれっぽっちも考えていなくても、お姉様はね、望んでいるんですのよ。わたくしも、貴女あなたも、こんな事などしなくても良い状況を。馬鹿ばかみたいに身勝手でしょう? お姉様はね、わたくしも、貴女も、みんな一人でぶんなぐってしかって説教して、それで終わりにしようと本気で考えているんですのよ。こんな土壇場どたんばまできておいて。わたくしはもちろん、ここまでやらかした貴女の身をも助けようなんて、本気で考えていますのよ」
 白井黒子は笑う。
 皮肉ではない、ただの笑みだ。
「争って欲しくないと、殺し合いなんかやめて欲しいと、この状況を見て真顔て言えるような人なんですのよ、お姉様は。この黒子さんの姿を想像して何も感じなかったはずはないのに、その気になれば貴女なんか五秒で粉々にできるはずなのに―――だからこそ、それをしない。どうにかできないかと。ちょっと指でコインをはじけば即座に終わるくせに、このに及んでまだ何とかならないかと願うばかりに余計な苦労を一人で背負って」
「……、」
「そんな馬鹿馬鹿しいほど稚拙な願いを、この白井黒子が蹴るとお思いですの? 不意打ちで貴女の脳天を金属矢でぶち抜いて! 死と鮮血でさっさと幕を下ろして! 自分の保身のために! 他人様が広げた風呂敷ふろしきを汚すような無粋を働くとでも思いますの!?」
 白井は叫び、腰を掛けていたテーブルからゆっくりと立ち上がる。ふるえる足で、しかし力強く。ここから先は本気の時間だと告げるように。
「これから貴女を日常へ帰して差し上げますわ。どこかでだれかが願い、このわたくしが賛同した通りに」
「ならば、それを裏切れれば私の勝ちかしらね」
 結標淡希むすじめあわきはキャリーケースに腰を掛けたまま答える。
 付き合う気はないと言わんばかりに。

     2

 結局、話は簡単だと白井しらいは思う。
 白井にしても結標にしても、傷によるダメージは深刻なものだ。傷口はふさいでも即座に体力は回復しない。おそらく一発でも先に当てれば―――そう、軽く相手を押すような一発でも当たれば、それで終わるだろう。無数の貫通傷を持つ白井たちは、床に転んだだけで傷を中から広げかねないからだ。
(本気で、力を振るって戦うとなれば……って、一〇秒が良い所ですわ)
 わざわざ攻撃こうげきを受けずとも、全力で手足を動かしただけで傷口は開く。そして、特に白井には残りの体力はわずかしかない。これ以上血を失えば即座に意識は落ちるだろう。
 結標の力は圧倒的だ。もしも『空間移動テレポート能力者は似た系統の能力者を転移させられない』という条件がなければ、即座に白井は壁や地面の中にでも突っ込まされた事だろう。
 右井と結標はにらみ合う。
 一〇メートルという距離を空けて。
 窓の外からは、雑多な音が聞こえてきた。
 美琴みことが乱撃したビルの鉄骨の一部が崩れたのか、かねを鳴らすような音が一度ひびく。

 それが、合図となった。

 白井はさっきまで座っていたテーブルにこぶしを振り下ろす。手の皮膚ひふが裂ける感覚と共に、テーブルの上にあった食器皿が勢い良く砕け散る。鋭い破片をつかみ、空間移動テレポロトの準備を開始。空間移動テレポートによって飛ばされた攻撃は、あらゆる物体を内側から引き裂く必殺の一撃と化す。点と点の移動であるため、直線上を塞ぐように壁を作っても防ぐ事はできない。
 刹那せつな、結標は座標移動ムーブポイントを実行。
 彼女の軍用ライトの動きに合わせ、銀のトレイが白井の体へ直接たたき込まれようとする。ただのトレイと言っても、座標移動ムーブポイントの直接攻撃は、人体を軽々と貫通させる。当たれば閻違いなく即死だ。
 しかし、それより先に白井は動いた。
 ほんの一歩分、その体が横へ転移する。銀のトレイのギロチンが虚空こくうに出現し、ストンと床へ落ちていく。
 結標の力は強大だが、しかしタイミングを取るためなのか、発動前に軍用ライトを動かすクセがある。相打ちをけるため、そこにカウンターをねらうのは難しいが、回避かいひそのものは大した問題ではない。
「チッ」
 結標むすじめはわずかにまゆを寄せる。軍用ライトを振り回すと、周りにあったテーブル五、六脚が虚空こくうへ消え、結標の目の前に出現する。折り重なるように積み上げられたテーブルは、巨大な盾となって結標の体をおおい隠す。
(転移ミス…-の訳がありませんの! 回避用の目隠しの盾ですわね……ッ!!)
 前にもらった手だ。座標攻撃こうげきは点と点の移動であるため、目的の座標からわずかでもズレれば攻撃は避けられる。結標は自分が移動した事を悟らせないために壁を作ったのだ。
(なら!!)
 白井しらい空間移動テレポートを実行。
 食器皿の破片を掴んだまま、自分の体ごと標的の座標へと移動する。
 テーブルの壁の向こうへと着地した白井は、さらに食器皿の破片を構え、
(目測修正、ですの!)
 目の前の壁が視界の邪魔じやまをするなら、その内側へ飛び込んでしまえば良い。そして改めて標的との座標を測り直して、食器皿の破片を転移・射出すれば結標に当てられる。
 結標淡希あわきは自分の体を即座に座標移動ムーブポイントさせる事はできない。
 決着を願い、白井は鋭い破片の狙いを定めようとして、
 ヒユツ、と。
 白井黒子くろこは、風を切る音を聞いた。
 眼前に、ほんの一歩下がった位置に、結標は立っていた。両手で重たいキャリーケースの取っ手をつかみ、腰のひねりを加えて横回転の一撃を思い切り白井の顔面へたたき込もうとしている。両手をキャリーケースでふさいだ彼女の口には軍用ライトがくわえてある。
 結標の顔は、あらかじめ予測していたというより、
(念のための保険が当たってホッとしてるって感じですわね……ッ!!)
 眼前に迫るキャリーケースの角に対し、白井は手の中の鋭い破片を空間移動テレポートで飛ばす。コの字型の取っ手を切断するような座標へ。
 キャリーケースがあらぬ方向へ吹っ飛んだ。
 取っ手だけを掴んだ結標の両手が、おどろきの表情と共に振り切られる。
(狙うなら……今!!)
 白井は傷ついた右腕に全力を注ぎ、その小さなこぶしを硬く握る。
 この距離ならいちいち能力の計算をするより拳でなぐった方が早い。
 が。
 結標が、わずかに軍用ライトを嘆えた顎を手前に引いた。
「!!」
 白井しらいは慌てたが、しかし結標むすじめの予想外の動きに、能力の発動まで思考が追いつかない。
 とっさに足で一歩後ろへ下がる白井の眼前が、単一の色彩で埋め尽くされた。白だ。キャリーケースの色だ、と気づいて彼女はゾッとした。あらぬ方向へ飛んでいったケースを、結標が白井の手前に呼び戻したのだ。吹っ飛んでいった勢いは殺さず、そのまま白井の顔に刺さるように向きを修正して。
 白井が後ろに下がらなければ、彼女の頭は虚空こくうから出現したキャリーケースに喰われていたかもしれない。
 が、それを免れた所へ、完全に出現しきった重たいケースが彼女の顔目がけて飛んでくる。
 気づいた所で遅い。
 ドフッ!! と。轟音ごうおんと共に白井の顔面に、重たい一撃いちげきが突き刺さった。衝撃しようげきで体が後ろへけ反る。倒れていく自分の体を支えられない。全身の皮膚ひふが引きつれ、肩や脇腹わきばらの傷口から熱いものが噴き出るのを感じる。握ったこぶしがそのまま宙を泳いだ。耐えようとする白井の意思に反して、彼女の両足が床から浮く。
 倒れる、と思った瞬間しゆんかん、白井は空間移動テレポートを実行。
 白井の体が虚空へ消える。倒れそうな姿勢のまま、しかし彼女は結標の背後に、後ろ向きで出現する。倒れる勢いを殺さず、彼女はそのままひじを後ろへ突き立てて結標の背中へ直撃する。結標の体は手前のテーブルの山へ突っ込んだ。白井はそれを確かめる前に床へ倒れ込む。衝撃で、今度こそ完全に全身の傷口が開いた。
(ぎっ……あ……ッ!!)
 白井は最後の力を振り絞り、決着をつけるため、床に転がったまま手近にあった物をつかむ。それは切断したキャリーケースの取っ手だった。白井の空間移動テレポート射撃に、物体の鋭さは関係ない。
(これで―――決まりですわ!!)
 白井は心の中で叫び、同時にねらいを定めて計算式を組み上げ、握った取っ手を飛ばそうとして、
(……ッ!?)
 しかし、力は使えなかった。
 手の中にある武器は、ピクリとも動かなかった。
 き上がる激痛とあせりのせいで、集中力がぎ落とされ、能力が発動しない。
「そ、んな―――ッ!?」
 その事実が白井をさらに焦らせる。相手も自分と同じく痛みで能力を阻害されていれば、と半ば楽観的な希望と共に正面を、そこにいる結標淡希あわきを見たが。
 聞こえたのは、ヒュン、という音。
 見えたのは、結標が突っ込んでいたテーブルの山が全部なくなった事。
 口にくわえていた軍用ライトを、串焼くしやきの肉でもらうように手で引き抜いていた事。
 ゾッという悪寒おかんと共に。
 白井黒子しらいくろこはとっさに転がってその場から離れようとしたが。
 そんな彼女の真上に出現した無数のテーブルが、重力に引かれて次々と降り注いだ。
「……ッ!!」
 白井はうつ伏せに倒れたまま、両手で頭の後ろをかばうように組む。鈍器の重たい攻撃こうげきが次々と降り注ぎ、肉を打ち、傷口を内側からひびかせる。のた打ち回ろうにも、のしかかる重量がそれすらも上から封じ込む。
 せばまる視界の中、白井は結標むすじめがテーブル落下に巻き込まれないように、倒れたまま床をって後ろへ下がったのを見た。手足を貫通した矢が結標の傷を広げ、彼女は絶叫する。それでも取っ手を失ったキャリーケースを座標移動ムーブポイントで手元へ回収し、結標はそれに寄りかかるようにして白井をうかがう。
 結標は近くにあった椅子いすを軍用ライトの先端でなぞる。
 ゆっくりと、ゆっくりと。
「白井さん。けなきゃ死ぬわよ」
 ニタニタと笑う結標は、椅子の背に軍用ライトをわせ、それを滑走路にしたように、先の丸まった先端を、ビッ! と白井に突きつける。
「!!」
 白井の顔が真っ青になるが、かと言って彼女はもう空間移動テレポートも使えない。
 ふるえる白井のすぐ横に、座標移動ムーブポイントによって椅子が出現した。テーブルが押しつぶされ、彼女の
上におおかぶさっている山が雪崩なだれを起こした。まるで、トランプのピラミッドが崩れるように。
しかし、テーブルの山は形を変えただけで、やはり白井の動きを封じている.
「ふうん。これだけやっても動きがない所を見ると、本当に空間移動テレポートの計算式を組み上げられないようね」
 結標の表情から緊張きんちようが取れていく。
 笑っている。
 開いた傷口から飛び散った血はほおに当たり、それでも結標淡希あわきは笑っている。
「ねえ白井さん。白井黒子さん。こんな話は知っているかしら。まったく、あの人の近くにいると様々な話が耳に入るんだけど」
 口ずさむように結標は続ける。
 結標は体中に突き刺さった金属矢やコルク抜きの位置を確かめ―――深呼吸と同時に軍用ライトを振ると、すべての異物が一斉に虚空こくうへ消え、結標の顔の前に再出現する。重力に引かれた金属矢とコルク抜きが硬い音と共に床に落ちた。
「昔々、ある所に強大な能力者と組織があったの」
 彼女は立ち上がって距離を取るより、先に激痛の発生源である体中の傷口の手当てを優先させるつもりらしい。周囲を見回し、応急処置に使える物がないか探るような視線を投げる。白井しらいが投げたチューブ型止血剤が床に転がっていたが、ある種のプライドがあるのか、結標むすじめは足でチューブを遠くへ蹴飛けとばす。
(こ、こで、治療ちりようを……? わたくしの前で無防備な姿をさらすなんて、どういうつもりですの。大体、お姉様がこちらへ向かってきている可能性だって否定できないはずですのに……)
 白井は疑問に思ったが、結標の表情にはある種の余裕がある。
 結標が自分の体に刺さった矢を抜いた事で、開いた傷口から鮮血が舞う。
 それでも、結標の顔からは笑みが消えない。それが逆に凄惨せいさんだった。
「組織はその強大な、しかし数の少ない能力者を、どうにか増やせればすごい力が手に入ると考えたのね。そして強大な能力者のクローンを作ろうとした。その結果がどんなものか、ご存知かしら?」
 白井黒子くろこは動けない。
 テーブルとテーブルの隙間すきまから何とか飛び出た手は、しかし宙を泳ぐだけでテーブルを動かす事も目の前の敵に攻撃こうげきする事もできない。
 結標はその様子に満足しながら、自分のスカートの端を手で破いて、太股ふとももの傷をふさぐようにしばり付ける。
 御坂美琴みさかみことはまだ来ない。
 これだけの戦闘せんとうを起こし、客や店員を外に追い出した以上、さわぎは必ず外まで伝わっているはずだ。それが美琴の耳まで届かなかったのか、あるいは届いていても、『残骸レムナント』に関する事ではないと判断されたのか。
 白井は美琴を現場に呼びたくないとは思っていたが、逆に来なければ来ないで心配になる。まさかと思うが、まだ結標の一派の残党のようなものがいて、美琴の足止めをしているのではないか、と。
 何より奇妙なのは、
(結標は……どうして、そんな余裕の顔を……? まさかその姿で、お姉様と戦って勝てるとても思っていますの……?)
 怪詩けげんそうな白井に対し、結標は若干の余裕を含んだ声で、
「散々だったのよ。出来上がった哀れな子羊たちは、だけど一%の力にも達しなかった。一%未満でも十分世間に通用するレベルだったけど、その強大な能力者に対しては一万でも二万でも、数を集めて束になってかかってもかなわないレベルでしかなかった」
 血まみれのまま、結標淡希あわきはさらにスカートを破いて、ふくらはぎの傷も縛る。
 もしかすると、この冗長な話は自分が何か結標のプライドをひどく傷つけたため、結標が無意識の内に『決定的な勝利』を求めているからかもしれない、と白井は適当に考える。
 結標は、ただでさえ短いスカートから下着が見えるのも構わず、淡く微笑ほほえんで、
「ねえ白井しらいさん。クローニング技術で生まれた子供は、遺伝子レベルで同じ骨格を持つのよ。脳の構造だって、オリジナルと全く同じはず。にも拘らず得られた能力に差が出たのは何故かしら」
 過剰な自信に満ちた声だった。白井はそれに吐き気を覚えたが、しかし無視し続ければ、彼女は即座に興味を失い、どこへでも逃げてしまうだろう。キャリーケースと一緒いつしよに。
「く、だらない、仮説ですわね。学園都市の学校が、どんな風にランク付けされているかも、ご存知ありませんの……?」
 同じ人材でも、育て方で才能の開花の仕方は変わってくる。だからこそ様々な能力開発理論が生まれ、学校にも優良校や名門校などのランク付けがされていくのだ。
 しかし、結標むすじめは特に感情を荒立てる事もなく、
「いいえ。作られた個体たちは、人工的にオリジナルと全く同じ才能開花を迫られた。それでもやはり結果は追い着かなかった。同じ脳を使って同じ結果が出ないなら、単純な脳の構造以外の項目が能力開発にかかわっているとは思わない? そして、その項目を見つけ出す事ができれば、人間の脳以外の演算装置だって、能力を扱えてしまうという事になってしまわないかしら」
 つまりよ、と結標淡希あわきほおに跳ねた己の血も気にせず、ふと傷の処置の手を止めて、

「能力の発現に、人の脳を使う必要なんてあるのかしらね?」

 白井は思わず息をむ。
 学園都市で開発されている能力とは、量子論的な考えを飛躍ひやくさせたものだ。『自分だけの現実パーソナルリアリテイ』という、意図的に歪めた演算機能と判断能力を使って現実の観測と分析を行う。そしてその結果に応じて極めてミクロな世界の確率を不自然に変動させる事で何らかの現象を生み出している。
「何を……言ってますの?」
 しかし、白井は思わず返答を口に出していた。
「学園都市の、時間割りカリキユラムは……脳に関する学問の集大成のはずですわよ?」
「そうよ、けれどね。物事の現象に対する演算処理……つまり対象の観測と分析。それはそもそも、人間でなければ成せないわざなのかしら」結標は愉快そうに、「例えば、植物だって光を観測できるわ。植物の中には夜間は葉や花を閉じているものだってある。そうした植物は、この世界を観測しているとは呼べないの?」
 結標は肩の傷をふさこうとしたが、スカートはほとんど破いてしまって使い物にならない。彼女は羽織っていた冬服のブレザーを脱ぎ、長いそずを肩の所で破いて包帯代わりにした。
 まずい、と白井は思う。
 結標の応急処置が終われば、彼女は次の行動に出る。しかし、この状況で少しでも彼女の行いを妨害するには、口で攻撃こうげきするしかない。
「ば、馬鹿馬鹿ばかばかしい。そんな事があるはずないでしょう? 単に光に反応するだけで良いなら、紫外線を浴びて色裾いろあせていく写真やポスターだって観測できている事になってしまいますの。その情報をどうとらえるか、能力の肝はそこですわ。ですから、学園都市はわざわざ他人とは異なる『自分だけの現実パーソナルリアリテイ』というものを開発しているのでしょう? 特殊な五感ではなく、特殊な処理能力を」
 白井しらいの言葉にも、結標むすじめはあまり感情の波を見せない。
 最後に残った脇腹わきばらの傷に対し、結標は軍用ライトを挟んでいた腰のベルトでふさこうとした。
が、金属板をつなげた分厚いベルトではそれも望めない。
 彼女は代わりに胸元をおおっていたピンク色の帯状の布地を外して腰に巻きつけた。同性とはいえ、赤の他人に胸を見せる事に彼女はためらいを覚えないらしい。せいぜい申し訳程度の感覚で、あらわになった胸を隠すように、結標はそかの破れた冬物のブレザーをかき寄せながら、
「高度な精神活動ができなければ能力は扱えない、と?」
 ええ、と答える白井は、しかし胸に不安のざわつきを感じていた。誘導ゆうどうされている、と思う。その証拠に、結標は反論されても全く動じていない。
「ならばアリはどうかしら? 群れで行動する彼らは集団心理を用いて巣の作製やえさの確保を行い、アブラムシという異生物からみつをもらいテントウムシを撃退するという簡易的な契約活動すら実現しているわ。いわば原始的な理性ね。……彼らの精神構造をいびつと呼ぶなら、貴女あなたはレベルに違いこそあれ類似する人間の思考タイプを否定する事になるわよ」
 傷口をしばる布がゆるまないか確かめながら、結標は告げる。
「そんな屁理屈へりくつを……」
「屁理屈? 彼らだって王アリ、女王アリ、働きアリといった身体的特徴による分業杜会を形成しているわ。触角や、種類によっては発光器官などを使った信号的コミュニケーション能力を有する事すら貴女には低度精神活動として切り捨てられてしまうのかしら。だとしたら、貴女にとって人間らしい高度精神活動とは何? 倫理や道徳なら昆虫だって持っているわ。親アリだって自分の卵ぐらいは守るわよ」
 結標淡希あわきうすく薄く薄く笑って、
「現象の観測なんて、アリでもできる」
 さらには、と彼女は一度区切って、
「彼らと私たち。どちらが正しく現象を捉えているかなんて、貴女に決められるものなの? そして彼らには永遠に能力スキルを使えないと、何故なぜ貴女は断言できるの?」
 白井黒子くろこの全身を、寒気がおそいかかる。
 能力者という自分自身の土台を否定されつつある、一つのふるえ。
 彼女は結標淡希が寄りかかっているモノを見る。
「人間と同等か、人間より優秀な存在なんていくらでもいると思わない? 貴女あなたがそう思えな
いとしたら、それは人間の傲慢エゴイズムというものじゃないかしら」
 結標むすめじゆるやかに微笑ほほえみながら、キャリーケースの表面を指先ででる。
 「少し視点を変えれば、『それ』は案外身近な所にあるのが分かるかもしれないわよ。そう、
とても身近な所に、ね」
 キャリーケースの表面が、照明を浴びてギラリと光を反射させる。
残骸レムナント』。
演算中枢シリコランダム』。
樹形図の設計者ツリーダイアグラム』。
 人間よりも高度で、人間よりも巨大で、人間よりも複雑で……けれど、わずかに人間よりも柔軟性に乏しい人造の頭脳。
「ねえ白井黒子しらいくろこさん。『頭脳』なんて呼ばれるものは、人間以外の存在にだってくっついているでしょう? もしも貴女が、そんな簡単な事実すら認められないほどの人間至上主義者だとしたら、私は少し失望してしまうかもしれないわね」
 アリでもできる現象の観測。
 頭脳さえあれば発現できるかもしれない超能力。
 人聞である事が絶対に必要ではないとしたら。
 ならば、ならば、ならば。
白井黒子は、結標淡希あわきが寄りかかっているキャリーケースを眺める。
「ま、さか。そのデカブツの心臓部に、わたくしたちと同じような能力が発現すると? 貴女、本気でそんな事を考えていますの? それは機械に心があると言うのと同じレベルの寝言ですわよ」
 しかし。
しかし、そもそも『現実を観測して分析する』だけの作業に『人間の心』などという高度なシステムは必要あるのだろうか、と白井は迷い始める。
 対して、結標はムキにもならず、
「ええ。この程度では無理でしょうね。機械は所詮しよせん、機械。例えばデジカメの手プレや露出光ろしゆつこうを調整するAIが物事の現象を前にした所で、演算チップにできるのは光学情報を画面上に画素配置するだけ。そもそも情報処理の方向性そのものが現象の観測とは大きく外れているもの」
 その顔に余裕すら見せて、
「さらには、確かに私達のような能力を使える動植物も発見されていない。本当にそんなものかあるかどうかも分からない。けど」
キャリーケースの表面を撫で、
「これがあれば、予測ができる。あらゆる現象を完全に再現する究極のシミュレートマシンを便えば、現在この世界でまだ発見されていない可能性も一万年後の生物の進化経過も、そのすべてを完壁かんぺきに見せてくれる。だから私は、この『残骸レムナント』を組み立て『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』を手に入れる。そして目の前にある全ての可能性に問いかけるの。人間の代わりに超能力を扱える個体は存在するか否かを」
 その目には異様な光が宿っていた。
 光の名前は妄執だ、と白井しらいは思う。
貴女あなたは、そのために……外部組織と、接触しましたの……?」
「ええ。いくら価値ある『残骸レムナント』を手に入れても、私一人では修復できないわ。だからそれを組み立てられる技術と知識、そして目的を持つ集団が必要だった」
 結標淡希むすじめあわきは笑う。
 その外部組織までが結標の思想におぽれたとは考えにくい。彼らには彼らの目的が別にあるのだろう。『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』、そのスペックを見れば欲しがる者などいくらでもいるはずだ。
「白井さん。貴女は初めてその能力を手に入れた時、どんな気分がしたかしら?」
 身動きは取れなくても、口は動く。
 白井はテーブルの下で、さも当然のように言った。
「べ、別に。周りの大人たちは結構さわいでいましたが、手に入れた当人としてはおどろくような事でもありませんでしたわ。わたくしにとっては、それが普通でしたので」
「そう。―――私は、正直恐ろしかったわ」
 結標は子供のころの思い出を語るように、
「この能力で何ができるか考え、おびえて。実際にその通りの結果が出てしまい、さらに脅えて。私はね、白井さん。この手に力がある事がこの世の何よりも怖かったの。他愛たわいない想像の通りに人すら殺せてしまうだろうこの力が」現在の少女に、過去のふるえはすでにない。「それでも仕方がないと思っていたわ。これは私達にしか持てない力で、それは自分の知らない所で研究・解析されて、そして世界のどこかで役立っていく。だから私は力を持たなければならなかった。何とかそれで我慢してきたのよ。それなのに」
 結標は笑う。
 ゆらりと、溶けたアイスクリームのように口を真横に裂いて。
「この力が私だけに宿るものではないのなら、私に宿す必要なんてなかったじゃない。仮に、ヒトでなくても良いのなら、何故なぜヒトに力を与えるの? もしも私でなくても良いのなら、何故私はこんな力を持っているの? ねえ白井さん。当然と信じて思考を止めているそこの貴女。あの大人達は別として、一緒いつしよにいた能力者の子達は私と同じ思いを持っていたのよ? 作りかけのビルであの子達を盾にしたけど、最初に進言したのはあの子達だったの。あの子達は意識が落ちる前にこう言ったわ。任せたと、ただ一言を笑みと共に」
「……、」
 頑張っても能力を持てなかった、無能力レベル0の子供たちが不良に転落する話は良く聞く。
 が、それと同じなのだ。
 たまたま強大な能力を持ってしまった者の中にも、馴染なじめない人間だっているはずだ。
 超能力なんてものは、怪獣かいじゆう映画の怪獣と同じだ。
 みんなと一緒いつしよに暮らすなら、足の爪先つまさきを立てて細心の注意を払って街を歩くしかない。自由気ままに大きく一歩をみ出したら、それだけで建物がこわれてしまう。実際、超電磁砲レールガンクラスになれば目一杯の本気で力を使う方が珍しいだろう。常に外側からの圧力で力のセーブを要求される生活。それはある意味、手枷てかせや足枷をつけて暮らしているのと変わらない。
「知りたくはない? 本当に、私達がこの力を持たなければならなかったのかいなか。理由があるにしても、ないにしても、それをきちんと確かめてみたくはない?」
 結標淡希むすじめあわきは、両手をそっと広げる。
 まるで、白井黒子しらいくろこを招くように。
貴女あなたにだって、あるんでしょう? 自分の能力を使ってだれかを傷つけてしまった事が。そして思ったでしょう? 何故なぜこんな力を宿さなくてはならなかったのかと」
 抱き寄せるように。吸い寄せるように。
 今まで白井にトドメを刺さなかったのは、この言葉を告げるためだと言うように。
「私には分かる。私と貴女は似ているもの。ひとみを閉じれば思い浮かぶわ、貴女がどんな風に人を傷つけてきたのかが。だからこそ」
 歌うように。恋人の耳にささやくように。
 そもそも結標淡希は、本気で白井黒子を殺す気はなかったのだと語りかけるように。
「私には貴女の苦しみが分かる。誰よりも、ね。そして苦しみが分かるから、それを取り除く力法も手に取るように理解できている。どう、白井さん? 共に真実を知る気があるなら、私ほ貴女を招待するわよ」
 御坂美琴みさかみことがやってくるリスクを背負ってでも長話を続けたのは、この台詞せりふのためだと宣言するような表情だった。
 結標の言葉は、能力者なら絶対に疑問に思う事かもしれない。
 この街の能力者でケンカをした者なら、一度は必ず考える事がある。
 どうすれば、自分の力を使って相手を上手く傷つけられるか。
 それは、どの程度のダメージを与えるものか。
 痛いか。苦しいか。壊せるか。止められるか。ぎ倒せるか。吹き飛ばせるか。
 そして全部終わった後で、ふと寒気におそわれるのだ。
 そもそも自分は、どうしてそんなものを持っているんだろう、と。
 だから、結標は言う。
 本当に、あの時感じた寒気は覚えなければならないものだったのか、と。
 その疑問に答えるために、外部組織と接触して『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』を組み立てないかと。
 白井しらいは歯を食いしばる。
 自分に力を与えられた理由。
 自分に力を与えられなくても良かったかもしれない理由。
 彼女は己の心の支えを作る、ある種の土台のようなものが揺らぐのを感じ、

「お断りですわ、そんなもの」

 白井はテーブルに押しつぶされたまま、しかし鋭い眼光をもって結標むすロめにらみつける。低い声で、威嚇いかくを放つように。
「これだけの事態を起こしてどんなに大層な言い草が出てくるかと思えば、所詮しよせんはその程度ですの? お姉様のおつしやる通り、悪党はやはり言う事が小さいですわね」
「なん、ですって……?」
「当たり前の事にいちいち反応しないでくださいな。そんな自分に酔っ払った台詞せりふで、この白井黒子くろこを丸め込めるとでも思っていますの? 今までの余裕は、もしかして貴女あなたに共感したわたくしが、さらにお姉様を説得するかもしれない、なんて思っていたんじゃありませんわよね?あら、もしかして貴女。わたくしに冷めた目で見られる事でゾクゾクしたかったんですの?」
 大体、と白井は付け加えて、
「動物? 進化? 可能性? ハッ、、今さらそれが何だと申しますの。小さな小さなアリっころを品種改良して超能力に目覚めさせた所で、わたくしたちに一体どんな変化があると思ってますのよ」
「どんなって。貴女、分かってないの? もしもヒト以外のモノに超能力が宿せるとしたら、私達だって空間移動テレポート系能力者なんて怪物にならずに済んだじゃない。そもそも私達は、こんな厄険な能力を持たなくても良かったはずなのに―――」
馬鹿馬鹿ばかばかしい、と切り捨ててあげますわね。たとえ今からどれほどの可能性が出てきた所で、すでにわたくし達が能力者になってしまっている事に何の変化がありますの、と申しているんてすよ、わたくしは」
「……、」
「もしも貴女が、これからの子供達のために可能性を追求しているのなら、わたくしは素直に感動の涙を流したでしょうね。けど、すでに能力者になってしまったわたくし達に、ほかの可能任を提示した所で何になりますの?」
 大体、と白井は前置きする。
 テーブルの隙間すきまから宙を泳いでいた手が、がっしりと床をっかむ。
「能力が人を傷つける、なんていう言い草がすでに負け犬してま寸わよ。わたくしならその力を使って崩れた橋の修復が済むまで、橋渡しの役割でもになってあげます。地下街に生き埋めにされた人々を地上までエスコートしてご覧にいれますわ。力を存分に振るいたければ勝手に振るえば良いんですの。振るう方向さえ間違えなければ」
 みしり、とテーブルの山がわずかに揺れた。
 白井黒子しらいくろこは、傷だらけの全身に力を込めるために奥歯をめて、
「わたくしから見れば、貴女あなたの寝言など屁理屈へりくつにもなりませんの。力が怖い? 傷をつけるから欲しくない? 口ではそう言いながら! 人にこんな怪我けがを負わせたのはどこの馬鹿ですのよ!! 自分たちの行いが正しいかいなか知りたければわたくしの傷を見なさい! これがその答えてすわ!!」
 ぐらぐらと、少女を押しつぶす無数のテーブルが揺らぐ。少女の手足が床をむ。全身の筋肉を振るい、傷口から血があふれるのも構わず全力を注ぐ。
「危険な能力を持っていれば、危険に思われると本気で信じていますの? 大切な能力を持っていれば、大切に扱ってもらえると真剣に考えていますの? 馬鹿ですの貴女は! わたくしやお姉様が、そんな楽な方法で今の場所に立っているなんて思ってんじゃないですわ!! みんな努力して、頑張って、自分の持てる力で何ができるか必死に考えて行動して! それを認めてもらってようやく居場所を作れているんですのよ!!」
 ぐらぐらと、ぐらぐらと、テーブルの山が大きくふるえる。
 白井黒子は己の上にのしかかる重圧を振り払うために、さらに力を加え、
「何なら表を走っているお姉様を見てきなさい! その気になって超電磁砲レールガンを本気で発動させれば、こんな問題なんて一分で解決できるあの人が! それでも血の惨劇で幕を閉じるのは嫌だからという理由だけで最短の解決法を自分から捨てて!! わざわざその身を危険にさらし!! 味方であるわたくしばかりか、敵である貴女まで救いたいなんて馬鹿な事を真剣に思っているからこそ、わたくしはあの人をお姉様とお呼びしているんですのよ!!」
 ぐらぐらという音が、がらがらという轟音ごうおんに変わる。
 崩れていく。
 あれだけ少女を上から押さえつけていた重しが、崩れていく。
「結局貴女の言い草は、自分が特別な才能を持っ能力者で周りは凡俗なんていう、見下し精神丸出しの汚い逃げでしかありませんわ! 今からその腐った性根をたたき直して差し上げますの。この凡俗なわたくしに倒される事で、存分に自分の凡俗ぶりを自覚しなさい! そして今からでも凡俗な貴女を凡俗な世界に帰して差し上げますわよ!!」
 白井黒予は立ち上がった。
 開いた傷口から溢れる血で服も体もベタベタに汚して。その手で無造作に背の高いフロアランプをつかんで、ぶら下げて。だらりと下がった手には、もはや空間移動テレポートの力など宿されていな
い。
 だが。
 それがどうしたと。
 宿る能力などに関係なくお前は倒すと言わんばかりの形相で。
 素晴らしい能力があるから敵を倒しているのではなく。
 力強い理由があるからこそ立ち上がっていると無言で告げて。
 白井黒子しらいくろこは、構わず進む。
 前へ。
 一歩、二歩、三歩と。
 足取りはふらふらで、自分のバランスもまともに保っていられず、フロアランプだって構える事もできずに引きずっているだけなのに。
 それでも、あまりの気迫に結標むすじめの体が後ろへ移動してしまう。
 ひ、と結標淡希あわきの口が動いた。
 白井は、強い。
 能力の有無を問わず、そんなものとは別の次元で、根本的に、強い。
 結標淡希の体が、そでの片方が破れたブレザーを胸元にかき寄せた状態で、床に腰をつけたまま後ろへ下がろうとする。その身に宿る座標移動ムーブポイントを使えばもっと効率良く動けるはずなのに、彼女はそんな事も忘れている。あせりと恐怖で計算式の組み上げができないのだ。その目はもはやほかの現実など映さず、ただゆっくりと歩いてくる白井黒子のみに固定されている。
 ―――負ける。
 結標淡希は、根拠もなしに漠然と思う。
 ―――負ける。理屈じゃない。これは、絶対負ける。
 白井黒子はすでに彼女の目の前まで歩いてきていた。床に腰をつけたまま頭上を見上げると、それこそ見下すように白井は結標をにらみつけている。
 白井の手がゆっくりと上がる。
 金属バットのようにつかまれたフロアランプが、ふらふらとツインテールの頭上へと持ち上げられる。
 それは立派な凶器だ。
 いかに結標が座標移動ムーブポイントの使い手とはいえ、その体は単なる女子高生のものなのだから。
 カラン、という小さな音。
 気がつけば、結標の手の中にあった軍用ライトが床に落ちていた。
 負ける、と結標は思う。
 結標淡希という座標移動ムーブポイント能力者では、白井黒子という空間移動テレポート能力者には絶対勝てないと。
 しかし。
 しかし。
 しかし。

 思えば、白井黒子しらいくろこは最初から一つの懸念けねんをしておくべきだったかもしれない。
 能力者だからと言って、武器は能力一つだとは限らないという事を。
 外部組織の男たちと接触していた時点で、気づくべきだったかもしれない。
 彼らと協力しているという事は、彼らの武器を預かっている可能性もあるのではないかと。

 ズドン!! という爆発音が聞こえた。
白井黒子は、両手でフロアランプを頭上へ持ち上げたまま―――つまり、ある意味で無防備に体をさらしたまま―――ゆっくりと自分の腹を見る。
 赤黒い穴が制服の腹に空いており、そこから奇妙な色の液体がこぼれている。彼女の背後、夜景を映すウィンドウが、一歩遅れて粉々に砕け散る。
 冷房の効果がうすれ、生温かい夜の外気が入り込んでくる。
 ぐらり、と白井の体が後ろへ揺れた。
 フロアランプの重さに負けたという感じで、彼女の体は大きく床へ倒れていった。
「は」
 かちかちと右手をふるわせながら、結標淡希むすじめあわきは笑った。
 その手の中にある拳銃けんじゆうからは、真っ白な煙がゆらりと上へ漂っていた。
「は、は」
 結標淡希は、向かってくる白井黒子を撃退げきたいする事ができた。
 しかし彼女は、同時に認めてしまった。
 能力など関係ないと。
 今までだれかを苦しめていたのは、こんな怪物みたいな能力があったから仕方がなかったと思っていた。しかし、座標移動ムーブポイントの力なんて関係なかった。結標淡希は能力がなくても他人を傷つけられると。結局悪いのは自分の能力ではなく、それを操っていた自分自身なのだと。
(結局。悪いのは……)
 結標の唇が乾く。舌が乾く。のどが渇く。放ったはずの声が口の外に出ない。
 だからこそ、彼女は無言の沈黙ちんもくのままに結論を出す。
 すべての元凶は。
 自分の周りで、今まで誰かが傷ついたのは。
 目の前に飛び散った、赤色の原因は。
 己の不幸を能力のせいにして安心していた、自分の弱さにあったのだと。
 結標淡希は、思い出す。
 自分と同じ志を持っていたと信じていた能力者達。怪物のような自分の力に脅え、本当にその力を持つ必要があったのか、それを求めるために戦っていた仲間たち。建設途中のビルでは、御坂美琴みさかみこと雷撃らいげきから結標むすじめを守るため、自ら盾になるとまで進言してくれた人々。
 結標は、自分が彼らと同じ人間だと信じていた。
 信じていたのに、答えは違った。
 自分は。
 彼らをだまして、彼らと同じ居場所に立っているだけに過ぎなかった。
残骸レムナント』を使って『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』を手に入れても、自分達の知らない能力の可能性について調べても、すべてが結標の思った通りに計画が進んだ所で。
 結標淡希あわきの根本的な部分は、もはや永遠に変わらない。
 彼女が人を傷つける人間であるという事は、永遠に。
「は、ァ……ァ、がっ。ガァァァああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!?」
 両手で頭を抱え、結標はけ反って絶叫する。
 つかんでいたブレザーなどかなぐり捨て。裸の上半身があらわになる事など頭の中になく。
 拳銃けんじゆうの引き金に人差し指を当てたまま、いつ暴発するかもしれないのに、そんな簡単な事にも気が回っていないかのように頭をむしる。叫び、え、顔面の筋肉を存分にゆがませて、腹の底にまった物を全て吐き出そうとするように。
 パカァン!! という轟音ごうおん炸裂さくれつした。
 座り込んだまま髪を掻き宅る結標が、勢いで引き金を引いてしまったのだ。偶然、上を向いていた銃口から火花が散り、天井てんじように鉛弾が飛ぶ。突き刺さらずに跳ね返った弾丸が床に転がっていた軍用ライトを真ん中から、くの字に折り曲げ、はじき飛ばした。しかし、結標はもうそん
な些細なものなど目に映していない。
「が、あァ!! あ、あ、あ、ああああああああああああァァああああああああああああああああああああああああああああああああァァあああ!!」
 結標はゆがんだけもののような顔で白井しらいに銃口を向ける。
 が、引き金を引いても、銃の内部スプリングが跳ね返す独特の感触はしなかった。スカン、と空気を引くような間の抜けた感覚だけが指に残る。
「ひっ、あ。あ、あ?」
 結標は首をひねる。
 右手に目をやれば、銃を握っているだけの形で、肝心の銃が手の中にない。
 コン、という軽い音が遠くで聞こえた。
 一五メートルほど横A[いの床に、府突に拳銃が落ちた。
 座標移動ムーブポイント
 もちろん、結標淡希は拳銃を転移させようと考えていなかった。そして、考えていなかったのに勝手に飛んだ。その味を、結標むすじめがほんの少しだけ思いを巡らせようとした瞬間しゆんかん

 彼女の能力が、暴発した、

 ゴッ!!という轟音ごうおん
 結標の半径五メートル内にあった椅子いすが、テーブルが、ナイフが、フォークが、観葉植物がメニュー表が紙ナプキンが食器皿がキャリーケースが、まとめて吹っ飛ばされた。結標を中心点にして、綺麗きれいに円を描くように様々な物体が空間を越えて転移される。ちょうどそのサークル上にあったテーブルや椅子は、転移してきた物体につぶされるように砕けてさらなる爆音をかなでる。空間移動テレポート能力者は同系統の能力者を転移できない。この法則がなければ白井しらいもサークル上に吹き飛ばされていたかもしれない。
「……、」
 結標は奇妙に無表情なまま、人差し指を軽く手前に引く。
 その一瞬いつしゆん拳銃けんじゆうは彼女の手元に戻ったが、銃身の真ん中をスプーンが貫通していた。どうやら拳銃が転移した後に、さらにその上にスプーンが移動したらしい。素人目しろうとめで見ても、もう使い物にならない事が分かる。
 見れば、結標を取り囲むサークル上では、今もあらしのように様々な物体が移動・転移を繰り返

している。その過程で物体と物体が重なり、突き破り、次々と破壊はかいされて、その破片がなおあらしを作り続ける。
 とにかく、使えないものは使えない。結標むすじめ苛立いらだちと共に、安全装置も掛けずに銃を横合いへ投げ捨てた。バカン! という爆発音と共に銃が内部から破裂し、破片が辺りに飛び散ったが、結標はもはやそちらを見ない。
 結標を取り囲んでいたサークル型の嵐が、ピタリとむ。
 今まで転移を繰り返していた様々な物体とその破片が、一斉に動きを止めてガシャンと床に落ちる。
「殺す……」
 低くうなるような、ゆがんだ声。
 じりじりと、炎であぶった肉から脂がみ出るように、結標の胸に汗が浮き出て伝っていく。
「絶対殺す! 貴女あなただけは、貴女だけはッ!! よくも、この私を壊してくれたわね!!| 貴女がいなければ、私はまだどうにでもなったのに!!」
 そのふざけた言い分に、白井しらいは倒れたままうすく笑う。
 首でも絞めようというのか、結標は憤怒ふんぬの形相で白井の上へおおかぶさろうとした。が、ふと彼女は顔を上げた。
「ハッ、あはは!! がっかりね、白井さん!」
 遠くからさわぎを聞きつけた警備員アンチスキルのパトカーのサイレンが聞こえてくる。
邪魔じやまが入った、とは言わないわよ。私は何があっても貴女を殺す。離れた場所にいたって、私は貴女を仕留められるのだから。不出来な貴女と違って、優秀な私なら」
 結標は舌打ちし、よろよろと立ち上がりながら、
「……一〇〇〇キログラム以上は体にさわると開発官デベロツパーから止められているけど、私の座標移動ムーブポイントの最大重量は四五二〇キログラム。逃げながらでもここへたたき込めるわ。貴女はもちろん、このビルだって巻き込んで倒壊とうかいさせられるでしょうね」結標は低い低い声で、「うふ、ぶちこわしてあげる。貴女が私を壊したのだから、私もしっかりお返ししてあげるわね、白井さん。このビ
ルごとまとめて押しつぶしたら、貴女の体はどこまで形を崩してしまうのかしらね」
 結標の声に、対する返事はない。
 それこそ死人のように天井てんじようを見上げる白井を見て、結標は床につばを吐いた。それから辺りを見回し、そでが片方破れたブレザーを拾って羽織り、続いて取っ手の壊れたキャリーケースを見
つけて、
「あら……。まだ貴女に必要だったんですの、それ?」
「!」
 声に、そちらを振り返れば、白井黒子くろこが笑っていた。
 これだけボロボロに傷つけられた状況で、それでも絶対に屈しないとばかりに、唇を皮肉の形にゆがめて。
 結標むすじめは思い切り白井しらい脇腹わきばら蹴飛けとばした。血をいて転がる少女に目もくれず、結標は血走った目でキャリーケースをつかむ。もはや目的と手段は一致しておらず、結果と未来にすら目を向けていない。
 ぐちゃぐちゃの表情のまま、結標淡希あわきはキャリーケースと共に虚空こくうへ消えた。
 対して、白井黒子くろこはもはや空間移動テレポートを使えない。
 このままここにいれば、遠からず結標の攻撃こうげきおそいかかる。
 最大重量四五二〇キログラム。
 フルでその能力を発揮すれば本人の体にも被害が出るとの事だったが、それと引き換えにこのフロアごと白井の体を圧殺できる。それどころか、この一フロアが崩壊ほうかいすれば、ダルマ落としに失敗したように、ビル全体が倒れてしまうだろう。
 逃げなければ。
 だれでも分かる判断なのに、白井は指先一本動かせない。
(お、ねえ、さま)
 少女の唇が、声なき声を虚空へ放つ。
 思いを届かせるには、あまりに距離が遠すぎた。

     3

 その料理店の中は散々だった。窓に面した巨大なウィンドウをたたき割られ、整然と並べられたテーブルを引きずり倒され、客の逃げ足にメニューをまれ、食器は割れて床に落ち、辺りには血が飛び散って、しまいには傷だらけの少女が床に転がっている。客も店員もおらず、白々しい照明と、場違いにゆるやかなフレンチポップスの有線放送だけが場を支配していた。冷房は窓を割られた事で完全に機能を果たしていない。
「……っつ」
 血まみれの白井黒子は、倒れたまま指先に力を込めた。ほんのわずかに、動く。だが、それだけだ。腕は動かない。足は動かない。立ち上がる事も歩いてここから立ち去る事もできない。腕を使ってっていく事すらできない。朦朧もうろうとする頭では空間移動テレポートも使えない。
 手詰まりだ、と彼女は思う。
 結標淡希はすでにここから逃げ出した。が、おそらく一定以上の距離を稼いではいない。座標移動ムーブポイントを使った逃亡に、直線的な距離や時問はあまり重要視されない。道路の流れや壁の厚さを無視できるという特権を使い、いかに自分の足跡を遮断しながら逃げるかが焦点となるのだ。
 その上、結標は極端に自分の体を転移させる事に恐怖を覚えるクセがある。 移動先には吟味に吟味を重ねるだろう。少しでも跳躍ちようやくの回数を減らせるように。だから今はどこか手近な所に隠れて、安全に安全に安全に逃げ切れるルートを構築しているはずだ。
 そして彼女は宣言した。
 白井黒子しらいくろこは絶対に殺す、と。最大重量四五二〇キログラムのその力を駆使して、死にかけの少女を完全に圧死させてみせる、と。
 それがいつやってくるものかは分からない。
 五秒後か、五分後か。五時間後や五日後はないと思うが。
 ともあれ、ここから逃げなければ白井は終わりだ。
(最悪、ですの……)
 血のついた髪はべたついて、ほおを伝って口の中に入る。
(無残、ですわね。敵を残し、処刑を待って、その上で愚かにも相手を活性化のみならず暴走までさせて。白井黒子は一体どれだけの方々に頭を下げれば許されるんですのよ)
 頭を下げるべき相手として、彼女は真っ先に一人の少女を思い浮かべる。
 御坂美琴みさかみこと
 別に小さいころからの幼馴染おさななじみだとか、家族ぐるみで付き合いがあるとか、そういう事情はない。彼女と知り合ったのは常盤台ときわだい中学に入ってから……つまり今年の四月からだし、そこに特別な取り決めがあった訳でもない。最初は本当にたまたま学校が同じで、たまたま同じ建物の中で顔を合わせるような関係でしかなかった。
 ただ、それだけで思い知らされたのだ。
 同じ学校で時たま顔を合わせるだけの接触点しかなくても、十分過ぎるほどに。
 教えられたのは簡単な事ばかりだ。
 礼儀れいぎとは、自分を飾るのではなく、相手にあんど堵を抱かせるためのものだと知った。
 作法とは、相手に押し付けるのではなく、自分から導いてあげるものだと知った。
 教養とは、見せびらかすためではなく、相手の悩みを聞くためのものだと知った。
 誇りとは、自分のためではなく、相手を守る時に初めて得られるものだと知った。
 別に白井はそれらを口うるさく一方的に説教された訳ではない。
 ただ、見ていれば分かる。
 そういう風に扱われれば、嫌でも自分の小ささが身にみる。一見、乱暴で雑に見える美琴の行いは、実はそうした基本事項をすべて理解した上で形を崩しているだけに過ぎない。路上のケンカにすら『決闘の流儀フラームダルグ』を代表とした、様々な戦いの作法を組んでいる節がある。上っつらだけを真似まねて土台が分かっていない自分とは大違いだ、と白井は今でも思う。
 彼女なら。
 御坂美琴なら。
 きっと、こんなヘマはしないだろう、と白井は確信している。身勝手で、図々しくて、恩着せがましい蚊帳かやの外からの意見に過ぎないけど、白井しらいは思う。あの超電磁砲レールガンなら、この程度の
危機は危険の内にも入らない。ニコニコ笑って現場へ真正面から突撃とつげきし、相手に反撃の暇も与んず一気に制圧して、そのまま無傷で現場から戻ってくるだろう。
 こんなピンチだってものともせずに。
 どれだけの状況であっても決して後ろには退かず。
 白井の下へとぐ駆けつけて。傷だらけになった彼女を背負って。なぐさめの言葉でも放っしくれながら。ギリギリのタイミングで建物から飛び出して。
 ここで倒れている、馬鹿ばかな後輩を助けてくれるかもしれない。
 白井黒子くろこ御坂美琴みさかみことの名前と顔を思い浮かべる。
 それから小さく笑って、
(ま、いくら完壁かんぺきなお姉様だからって、高望みが過ぎますわよね)
 一人よがりな自嘲じちよサつと共に、空間がミシリと音を立てた。まるでガラスの窓に圧力をかけているような音だ。来る、と白井は漠然と思った。これまでの空間移動テレポート座標移動ムーブポイントではないような現象だが、白井には何となく分かった。
 おそらくもう一〇秒もしない内に、四五二〇キログラムもの重圧が空間を越えておそいかかっしくる。
 破れた窓の外からは、車の排気音など、相変わらずの喧騒けんそうが聞こえていた。それがこの部屋を包む不気味な静寂―――場違いなフレンチポップスの有線放送は流れているが、逆に寒気を演出させるだけだ―――とのギャップに、彼女は思わず笑いそうになってしまう。
 死にたくない、と白井はぼんやりと思った。
 そして同時に、彼女は届かぬと分かっていながらも、御坂美琴に向かって強く願う。
 今もさわぎを聞きつけてこちらへ向かっているかもしれない超電磁砲レールガンへ。
(どうか……)
 白井は一人では身動きが取れない。
 だが、だれかが支えとなればここから移動する事もできる。
 このタイミングで救いが来れば。
 まさに使い古されたヒーローのように、ギリギリのタイミングで誰かが来れば。
(どうか……)
 ツインテールの少女はそれこそ祈る。
 最後の最後で、終わりの}歩手前のこの瞬間しゆんかんに。

(少しでも、ここから離れて。くれぐれも巻き込まれたりしないでくださいですの。お姉様)

 白井黒子は、切に願う。
 もう結標淡希むすじめあわきからの攻撃こうげきけられない。そしてそれは間もなく開始される。この状況でだれかが駆けつけた所で、助かる見込みは少ない。仮に美琴みことがこの場面を見たら、真っ先に倒れた白井しらいの元へ駆け寄るだろう。空間を渡る攻撃が来る事など知らず。もしも彼女の勘がえて攻撃を見切り、白井を連れて建物の外へ連れ出そうとした所で、果たして間に合うか。最悪の場合、ここで二人とも倒壊とうかいに巻き込まれて死ゐ可能性だって低くはない。
 なのに、
 それなのに、
(あ……)
 聞こえてくる。
 カンカン、と。無人となったフロアの出口から、誰かの足音が上がってく「る。エレベーターを使うのももどかしいと感じたのか、おそらくは非常階段を駆け上がっている足音が。
 いや、足音だけではない。
 バチバチと。まるで電気の火花を散らすような音も一緒いつしよひびいてくる。
(ああ……ッ!!)
 駄目だめだ、と白井は顔を真っ青にする。
 白井は足音の主を止めようにも、手足はもう動かせない。
 だからこそ、彼女は口を動かす。
「駄目、ですわ! こちらへは、来ないでくださいですの!」
 このタイミングで駆けつけてきた、その完壁かんぺきぶりに涙をこぼしそうになりながら。のどふるわせ、体に残った体力をすべて注ぎ込んで、最後の声を。
「これからここに特殊な攻撃が加わります! このフロアへ来るのは危険ですの! いえ、このビルから離れてください! きっと建物ごと崩壊してしまいますわ!!」
 白井黒子くろこは血まみれの床の上で叫ぶ。
 ミシミシギシギシと彼女の周りの空間がきしむ。結標の攻撃の予兆か、それとも単なる合図か。
「……ッ!?」
 まずい、と白井は思う。空間移動テレポートで店内へ突入したため、彼女は建物の詳しい構造や順路を把握していないが、少なくとも足音の主は、残り十数秒でこのフロアに辿たどり着けない。直線上の距離だけならともかく、階段や通路をグルリと回れば、それだけ距離と時間を消費する羽目
になるのだから、絶対に無理だ。
 結標が、具体的にどんな物体をここへ転移させてくるのかは分からない。
 が、四五二〇キログラム―――それだけの重量が一気におそいかかれば、このフロアどころか建物全体を倒壊させてしまう。内部にいる、全ての者を巻き込んで。
 それは、駄目だ。
 それだけは、絶対に駄目だ。
「逃、げ……ッ!!」
 白井しらいはほとんど泣き出しそうな顔で、最後に叫ぼうとしたが、間に合わない。間に合うはずがない。瞬間しゆんかん、グワッと、部屋中の空気がゆがんだ。まるで魚眼レンズ越しに景色を見ているような現象は、おそらく何かが空間を裂き始めた余波で、フロアの空気の圧縮率が変動し光を屈折させているからだ。
 攻撃こうげきが始まる。
「……ッ!!」
 白井は歯を食いしばる。全身に力を込める。
 しかし、それでも手足に力は入らない。指先一本動かない。能力も全く機能しない。悔しい、と白井黒子くろこは思う。心の底から思う。自分にもっと力があれば。軽々と空間移動テレポートをこなし、自分も、自分を助けに来てくれた人も、簡単にこの建物の外へ避難ひなんさせる事ができたはずなのに。それ以前に、結標淡希むすじめあわきに負けさえしなければ、そもそもこんな危機におちいる必要すらなかったはずなのに。
 思った所で、力は宿らない。
 この現実は、そんなに上手くできていない。
(お、ねえ、さま……ッ!!)
 白井黒子は、それでも弱りきった体へ、最後の力を込める。そうした所で、余計に傷口が開くぐらいの変化しか生み出せない事が分かっていても、力を抜く事だけは絶対に許さない。同時に彼女は、最後に祈る。何かの馬鹿ばかみたいな奇跡でも起こって、たった一人の、強い、しかしそれだけのただの少女が助かりますように、と。

 ゴッ!! と。
 その時、祈りが通じたように、オレンジ色の直線が、床から天井てんじようへと突き抜けた。

 それは音速の三倍でち出された金属片の一撃。
 斜めに撃ち出された針のように細いその熱線は、もはや人間の視力では速度を感じ取れない。レーザー光のように、始まりも終わりも確認できず、ただ直線としてそこに存在するだけだ。あまりの速度に残像すら空間に焼きつける。
 ハッ、と白井は一瞬それをほうけたように眺めて。
 直後、ズン!! と建物全体がひびき渡った。オレンジ色のラインを導火線にするように、破壊はかいあらしが巻き起こった。床には直径ニメートルもの風穴が開き、その直線上に存在したあらゆる物体を丸々ぎ払い、吹き飛ばし、破壊の限りを尽くしていく。床がわずかに斜めにかしいだ気がした。階下で瓦礫がれきの崩れるような音が響く。
 超電磁砲レールガン
 その能力と、それを持った一人の少女の名を思い浮かべ、白井しらいは倒れたまま頭を巡らせる。
「こんだけ風通しを良くしてやりゃあ、まだ間に合うでしょ」
 あまりにも聞き慣れた、彼女の声。
 あせりもなく、恐れもなく、迷いすらなく。
 この程度の状況など問題にもならないとでも告げるような余裕を見せて。
「悔しいけど、私の出番はここまで。後はアンタの拳で、アイツを連れ戻してきなさい!!」
 その声に、白井はハッとする。
 首を巡らせた先で、彼女は見る。
 超電磁砲レールガンが空けた風穴、コンクリートの床を引き裂くトンネルの先から一人の少年が走ってくるのを。斜めに空けた風穴をなぞるように、天井の瓦礫がれきと下フロアの机や椅子いすを磁力で集めて積み上げた階段を駆け上がるようにやってくるその姿を。
 本来の階段を使っても間に合わない。
 だからこそ、本来の階段なんて使わない。
 あまりにも無茶むちやなショートカットを実行した少年の手に、武器はない。目に見えて何かすさまじい能力を持っている訳でもない。それでも彼は走る。明らかに異常な現象が起きているこのフロアの中へと。ただその右手のこぶしを岩のように硬く握りめて。
 空間のゆがみは一秒未満で限界を迎え、内側から破裂する、
 その瞬間しゆんかん。向こうから飛び出てくるモノも見ないで少年は拳を振るった。
 目の前にある異常―――まるで幻想のような、強大でしかし現実味の欠ける結標むすじめ一撃いちげきへ。
 質量四五二〇キログラム。
 その巨重をまとめて押し返す、凶暴なハンマーのように。

 ドゴン!! と少年の拳と空間が激突する。
 歯を食いしばる少年の拳は、しかし空間を無視して先まで突き抜けた。

 奇怪な現象が起きた。
 突然、鋼鉄を打ったような轟音ごうおんひびいた。まるでたわんでいた空間そのものを、拳を使って平らにたたき直すように。光の進行を歪めていた見えざる何かを、この場所からなぐって打ち飛ばすように。
 三次元的ベクトルによる一一次元的特殊軸への直接的かつ強制的な干渉。計算式を日頃ひごろから意識している白井だからこそ、分かる。それは一方通行の道を強引に逆走するようなものだ。
 あまりの不条理に白井黒子くろこ呆然ぼうぜんとしていると、その少年は、
「あー、遅れて悪かったな。いや今回は事情が良くみ込めないまま突っ走っちまったから。途中で美琴みことと合流してなかったらどうにもならなかっただろうし―――っつか、ちょっと待て! 何でお前はそこまでボロボロになってんだ!?」
 まるで今、白井しらいの状態に気づいたように、少年は慌てて駆け寄ってくる。
貴方あなたが、何で……。わたくしのために命を張ったんですの?」
 白井は思わずつぶやいた。これがあの空間のたわみをたたいて直すなんてふざけた力技を成し遂げた者の姿とはとても思えない。
 だから白井黒子くろこは、確認のためにも聞く。
「だって、わたくしたちはただの他人でしょう? たとえ、そんな力を持っていたとしても。どれだけ強力な力が手の中にあったとしても。何で、本気になれますの。どうして、迷わず突っ込んでこられますの?」
 彼女の言葉に、少年は一瞬いつしゆんだけキョトンとした顔をする。
 それから、言った。
「何でとか、どうしてとかって言われてもな。ぶっちゃけた話、逃げるより立ち向かった方が手っ取り早いだろ。そりゃ、逃げる事でお前が助かるなら、迷わずそっちを選ぶけどさ」
「そんな、簡単な……問題じゃ、ないでしょう? 貴方、少しは怖いとか、思いませんでしたの?」
 少年は、白井の言葉を聞いても揺らがない。
 ためらいもせずに、彼は答える。
「まあ、怖いっちゃ怖いけど。ほら、それが約束だからな」
 約束? と白井が繰り返すと、少年は周囲をグルリと見回した。何をやっているのかと思いきや、どうも近くにだれもいない事を確認しているらしい。彼はやがて、内緒話ないしよぱなしをするような小さな声で、
「……そう、約束だ。御坂美琴みさかみことと彼女の周りの世界を守るってな。名前も知らない、キザでいじけ虫な野郎との約束なんだよ」
 少年は苦く笑って、
「ちょっとばっかし遅れ気味になっちまったけど、一応お前に聞いとくよ。俺は今、そいつとの約束をちゃんと守れてるか?」
 言葉に、白井は戸惑ったような顔をしたが、やがて頭を巡らせて周囲を見回した。
 そして一点で止まる。
 御坂美琴が、あの超電磁砲レールガンが、常盤台ときわだい中学のエースが、駆け寄ってくる。自分で空けた巨大な風穴をくぐって、傷だらけの後輩の下へと、今にも泣き出しそうな顔で。
 白井黒子の目線の先には、彼女が一番守りたかった少女は無事にたたずんでいる。
「……、ぇぇ、ちゃんと守れてますわ。半分ほどは」
 だから、彼女はそう答えた。
残りの半分は、現在キャリーケースを抱えて座標移動ムーブポイントで逃亡中だ。
「そうか」
 何かをつかんでいるのだろう。少年は白井しらいの言葉を深く言及せず、迷いなくうなずいた。
 そしてさらに告げる。
「それなら、今から残りの半分を果たしに行こう」

   行間 四

 結標淡希むすじめあわきは安全なルートを辿たどって学園都市の端までやって来ていた。
 全身には貫通傷があり、裸の上半身にそでが片方なくなった冬服のブレザーを着込んでいるが、ボタンはメチャクチャに掛け違えていて、しかもそんな事にすら気づけていない。無理な力の行使に全身の血管が表面に浮かび上がり、熱のある息の塊をひっきりなしに吐き出し続ける。何をどこから手をつけて良いかも分からないように視線はあちらこちらへとせわしくなく移動していて、口の中で何かをブツブツとつぶやいていた。緊張きんちようによるものか顔中が汗まみれだった。軍用ライトを失ってからか、力の制御がどうも大雑把おおざつぱになっているような気もする。使い慣れた軍用ライトを手放した血まみれの指は、取っ手のないキャリーケースに触れていた。
 彼女の脳裏に嫌な記憶きおくが浮かぶ。
 それは自分の能力で自分の体を転移させた後遺症のようなものだ。二年前の時間割カリキユラムりの暴走事故。かぎのかかった部屋の中へ自分の体を移動させる、という簡単なものだったが、結標は座標の計算を間違えた。足がちょうど壁に埋まる形で、体を転移してしまったのだ。
 痛みはなかった。
 だからこそ、結標は特に迷わず、壁に埋まった足を引っ張り、一息で壁の中から引き抜こうとした。してしまった。その直後。
 べりべりという音。
 足の皮膚ひふが、壁の建材のギザギザになった断面に削られる感触。
 激痛。
 壁から引き抜かれた、ずるりと皮膚の消えた足。
 まるで。
 まるで、オレンジの皮をいたような、ぷるぷるした水気のある柔らかい肉と、その上を網のように走る細かい血管と……。
(ぎ、ぎ、ぎぎ……ッ!!)
 結標淡希は体をくの字に折る。腹の底から吐き気がおそいかかったが、かろうじて押さえつける。びくんびくんと背中がふるえるのが分かる。ふらふらと動いていた足は、その吐き気をきっかけに、完全に止まってしまっていた。
 吐き気が収まる。
 しかし、一度止まった足は、次の一歩をみ出そうとしない。
(なに、を……)
 結標淡希むすじめあわきは、もう何度目になるかも忘れた疑問を繰り返す。
(これから、私は、何をすれば……)
 砕かれた心は、完全に目的を失っていた。そして喪失した精神は、かりそめでも良いからとにかく目的を持つ事で、心の破片をもう一度かき集めようとしていた。最初に目に留まったのは、やはりキャリーケースだ。もはやこれで何がしたかったのかは、思い出せない。とにかく外部組織にこれを渡すんだ、という手段だけが空回りしている。
(連絡……)
 結標は小型の無線機を取り出す。
(連絡、しなきゃ。連絡、連絡。必要だから、しなくちゃ。あはは、私、今、みんなに必要だと思われてる事をちゃんとやってるんだわ……)
 無線機の向こうから、聞き慣れた取引先の言葉が届いてきた。結標は子供のような笑みを浮かべながら通信を開始する。
「こちらA001よりMOOOへ。符号の確認の後、状況の報告に―――」
 結標はあらかじめ定められた通りのマニュアルに従って指示を出す。しかし、直後に激しい雑音が聞こえて結標は思わず無線機を体から遠ざけた。改めて耳をますと、無線機の向こうから聞こえるのは銃声と怒号と絶叫だ。結標はマニュアルにない返答に苛立いらだちながら、
「こちらA001よりMOOOへ。こちらA001からMOOOへ。こちら―――って聞こえているんでしょう!! 何でさっきから応答しないのよ!!」
 絶叫と共に無線機がミシミシと音を立てる。危うく無線機を握りつぶしかけた結標は、その向こうから情けない男の悲鳴を聞いた。それは外部組織の長だったはずの男の声だ。
 無線機の向こうで銃声がんだ。
 情けない男とは別に、低めの女の声が聞こえてくる。
『自分の利益のために子供たぶらかせて安全席からご見物とは良いご身分じゃん? 私は子供に武器を向けない決まりを自分に課してるけど、子供のために武器を向ける事には迷わないじゃんよ』
 ひぃ、という悲鳴と共に銃声が炸裂さくれつした。
 無線機の向こうが静かになる。
『殺すと思うか、アホ。アンタがどれだけの子供たちをどう手なずけていたか、きちんと吐いてもらわなきゃその子達を助けられないじゃんか』
 直後、無線機が荒い雑音しか吐かなくなった。何度ボタンを押しても、ダイヤルを回して微調整を繰り返しても、もう何の声も返ってこない。だれも連絡を必要としていない。
(あ、あ……。連絡、連絡しなきゃ。連絡しなきゃいけないのに! 何で、どうしよう? 目的、目的、目的がないと、私……ッ!!)
 無線機を揺すってもたたいても応答がない。沈黙ちんもくに耐えられなくなったように結標は叫び、無線機を地面にたたきつけた。細かいパーツがバラバラに散り、雑音がんだ。今度こそ本当に応答がなくなってしまい、結標淡希むすじめあわきは泣きそうな顔になる。
 結標には、学園都市に戻るという選択肢は用意されていない。学園都市統括理事長にとって、『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』の重要度はそれほど高くない。むしろ『実験』が再開されれば一万もの妹達シスターズを利用した『計画』に亀裂きれつが走る。それは学園都市内部のみならず、科学サイドのみならず、もっともっと大きなレベルでの『世界』のパワーバランスにすら影響えいきようを与える事態になりかねないようだ。結標には、その『世界』の意味は理解できなかったが。
(どうしよう。どうしよう……。とりあえず外部組織の本部に戻ろうか。……それとも、ほかの組織にコンタクトを取ってみるのも手かもしれないわ。この中身なら欲しがる組織はいくらでもあるはずだろうし。そう、そうよ。やる事、やる事、やる事がいっぱい! 目的! 目的があれば私は大丈夫だいじようぶ!)
 ゆがんだ笑みを浮かべたまま、ポロ切れのような衣服も気にせず結標はキャリーケースに手を置いて、それを押しながら再び歩き出そうとする。
 と、その歩みを止める者がいた。
 じゃり、という足音。
 結標の行く先には一本の道がある。周囲をビルに囲まれた広い道だ。学園都市の外周で夜間は交通も少ないこの道には、現在車の影は全くない。まるで滑走路のような道路に、横からだれかが渡ってきた。
 誰だ、とは思わない。
 邪魔じやまだ、と思った。それが何者であれ、邪魔をするなら叩き殺すとばかりに、結標は警戒もせずにズンズンと歩を進めていく。
 その何者かは、片側三車線もある広い道の真ん中で、まるで結標の行く先をふさぐように立ち止まり、立ち塞がる。
その人影は、
「っつーかよォ」
 狂ったように白く、歪んだように白く、よどんだように白く、
「クローンどものネットワーク経由であのガキの元にいろンな情報が流れてきて、ソイツがあのガキども全体にかかわる事だっつーから仕方なく街に出てきてみりゃあよォ、一体何だァこりゃ? せっかく人が脳に電気流してつえまでついて死にもの狂いでやってきたっつーのによォ。
大体、何が世界に二つとないチョーカー型電極だっつーの。あのクソ医者、間に合わせで試作品なンぞ渡してきやがって」
 額やこめかみ、首筋に不自然な電極をり付けて、右手にはト字トンファーのような、長い棒
から横に取っ手がついたような現代的なデザインの杖をついて、
「ンで、せっかくここまでやってきて、よォやくこのおれにこンな思いさせてる馬鹿ばかに出会えて、さァさァどンな愉快な馬鹿ばかだと思ってみりゃあよォ……何だァこの馬鹿みてェな三下さんしたは!? オマエはおれを本気でナメてンのか!? こンなモンならノコノコ出てくるンじゃなかったぜ最初っから言えよ待ってンのは三下ですってまったく迷惑なンだよオマエみたいなの!!」

 暗がりにたたずむのは学園都市最強の超能力者レペル5
 やみに浮かぶような、白く、白く、白い、本名不明の一方通行アクセラレータが、そこにいた。

「ひ……は……ッ!!」
 その姿を見ただけで。
 呼吸と心臓が、一瞬いつしゆん、確実に止まった。
(あ、アイツは―――)
 結標淡希むすじめあわきの肺が変な風に動く。息を吸っているのか吐いているのかも分からなくなる。それほどまでに頭がグチャグチャに混乱する。
(―――アイツは!! 何で、だって、駄目だめよ! ち、超電磁砲だってかなわない相手なんか、まともに相対できる訳ないでしようが……ッ!?)
 散々目的を求めて空回りしていた彼女の心は、ここにきてようやくキャリーケース以上の、それこそ彼女の命運を分けるほどの明確な目的を手に入れた。
(……、ど、どど、どどどど、どうにか! どうにかしないと……ッ!!)
 滑走路のように広い道路の真ん中に立ちふさがる者を見て、結標むすじめは心の中でもう一度うなずく。どうにかしないと。しかしそれは究極の問いとも言える。どうにかしないと。
 あの一方通行アクセラレータが、何でこの場面で結標淡希あわきなんかが出てくるのかと嘆いていたが、彼女にしてみればその台詞せりふはそっくり返してやりたい気分だった。
 場違いにもほどがある。たかがこの程度の事件で、こんなちっぽけな能力者の下に出現するなんて椀飯おうばん振る舞い過ぎる。スケールの違いで言うなら小さな子供のケンカを止めるために空爆を行って国ごと吹き飛ばすようなものだ。
 結標の思考がメチャクチャになる。
 素人しろうととプロのスポーツ選手が争う程度の差ではない。例えるなら、人間がジェット旅客機と綱引きをするようなものだ。どちらが勝つかなど論ずるまでもない。ジェット旅客機側が何もしなかった所で、人間側は一センチも動かせないだろう。
 終わりだ。
 もう終わりなのだ。
 その事実を前に結標淡希は顔をグシャグシャにゆがめたが、
 その時、
「……、知っているわ」
 歪めた顔の筋肉を、丸めた紙を広げるように少しずつ元に戻して、
「私は知っている! そうよ、今の貴方あなたに演算能力はない。かつての力なんてどこにもないわ! あるはずがないもの! 今の貴方はもはや最強の能力者でも何でもないのよ!!」
 勝ち誇ったように結標は叫んだ。
 それを見て、やみの先にいた一方通行アクセラレータあきれたように、
「哀れだなア、オマエ」
 一拍おいて、ゆるりと風が吹くのを待って、
「本気で言ってンだとしたら、抱きめたくなっちまうほど哀れだわ」
「ハハッ! 強がらなくても分かっているのよ! 私はあの人の近くにずっといた。だから学園都市の内情について少しは知識があるわ。一方通行アクセラレータ、貴方は八月三一日にその名の由来とな
るべき力を失っている。でしょう? でなければ、何故なぜ貴方はさっきからそこに突っ立ったままなの? どうしてさっさと私を攻撃しないの? やらないんじゃなくてできないんでしょう。かつての名声を盾に、バッタリで私を追い詰めようとしたのかしら?」
 あざけるような宣告に、しかし白い入影はわずかに目を細くするだけ。
 められた、と解釈した結標の目の下が、片方だけ引きつる。
「……ッ!! 何か言ったらどう! だまるな気持ちが悪いのよ!!」
 結標は叫ぶが、同時に胸の奥に妙な疑問がく。
 何か、違う。これは、資料にある超能力者レペル5の特徴と一致しない気がする。
「オマエは本当に哀れだよ。イイか、今からオマエにたった一つの答えを教えてやる」
 その人影は、暗がりの中でゆるく両手を左右に広げて、
「確かにおれはあの日、脳にダメージを負った。ツラ見りゃ分かる通り、今じゃ電極使って外部に演算任せてる身だ。あのクローンどもの電波の届かねェトコに入っちまったら演算補助もできねェし、回復した力なンざ元の半分あるか分っかンねェし、コイツのバッテリーはフル戦闘せんとうで使えば一五分もたねェよ――」
 だがな、と一方通行アクセラレータは言葉を区切って、

「―――俺が弱くなった所で、別にオマエが強くなった訳じゃねェだろォがよ。あァ?」

 ぐちゃり、とゆがんだような笑み。
 ドン!! と彼の軸足が、思い切り地面をみつけた。
 固い地盤が下から突き上げられたように震動しんどうする。一方通行アクセラレータの身が低く沈む。彼の足を中心に、アスファルトの道路に放射状の亀裂きれつが走り回る。周囲のビルがきしんだ音を立て、建物の骨格の歪みに耐え切れなくなったように大量の窓ガラスが砕け散って破片の雨をばらいた。
(ば―――か、な……ッ!?)
 彼女は頭上を見上げる。『雨』はそれこそ大通りに面したすべての建物から降り注いでいる。結標むすじめ座標移動ムーブポイントでは逃げられない。あまりにも広範囲過ぎる。建物の中へ逃げ込むのも得策ではない。建物の構造を歪ませて窓を割っているのだ、内装がそのままの形を保っているとは思えない。万が一、崩れた壁と重なるように座標移動ムーブポイントすれば生き埋めの出来上がりだ。
(だとすれば、逃げるべきは……上ッ!!)
 結標はキャリーケースをっかみ、とっさに空中へ座標移動ムーブポイントした。ガラスの雨を飛び越え、地上から数十メートルも離れた夜空へと。移動と同時にすさまじい吐き気がおそいかかり、どうにかそれを抑え込もうと努力する。落下が始まる前にどうにか別のビルの屋上へ連続移動できないかと、慣れない作業に必死で頭を働かせようとして、
 頭が空白になった。
 必死に組み上げた計算式が全部吹っ飛んだ。
「あはぎゃはっ! 無様なローアングルのサービスさらしてくれてアリガトウ!!」
 ダゴン!!という爆音。砕けたアスファルトをさらに踏みつぶし、あの一方通行アクセラレータがロケットのように夜空を突き抜けた。脚力のベクトル変化だけではない。その背には、強大な暴風の竜巻のようなものが四つも接続されている。
 結標の目には、それはしくも、天へと昇る天使に見えた。
 地の底に落ちて、どこまでも汚れきった天使が、天上の楽園へきばくような。
 一方通行アクセラレータは途中にあるガラスの雨の層を食い破り、バキゴキと壮絶な音と共にはじき飛ばし、
もろともせずに突破する。その皮膚ひふに傷の一つもつけず、ただぐに結標淡希むすじめあわきの元へと砲
弾のごとき速度で跳躍ちようやくした。
 そのこぶしはすでに握られている。
 今の今まで彼を支えていたト字のつえが、まるで多段式ロケットの切り離し作業のように握り
つぶされて宙に舞った。悪魔あくまのような拳が、全身の速度と重さを抱えて結標淡希の顔面をねらう。
「……………………………………………………………………………………ッ!!!???」
 もはやこの状況で冷静になどなれるはずがない。
 計算式の組み上げを放棄した彼女は、とっさにキャリーケースで自分の体を守ろうとする。が、ちっぽけな防御は、一方通行アクセラレータの拳が突き刺さった瞬間しゆんかんに粉々に砕けて散った。キャリーケースの外装が砕け、耐衝撃たいしようげき素材の中綿が舞い飛び、厳重に固定されていた『中身』が無数の部品と破片に変わり果て、結標の手元から桜吹雪ふぶきのように失われる。
「悪りイが、こっから先は一方通行だ」その超能力者は、口の端を思い切りゆがめ、「侵入は禁止ってなァ! 大人しく尻尾しつぽォ巻きつつ泣いて無様に元の居場所へ引き返しやがれェ!!」
 ひゅう、と結標ののどがおかしな音を立てる。
 その顔面に、キャリーケースなど無視して、硬く握りめた拳が壮絶な速度で突撃する。

 ゴギン!! という轟音ごうおん

 結標淡希の体はさらに斜め上方へと高く高く吹き上げられる。ビルの屋上の縁へ斜め下から突き上げるように激突すると、彼女の体は墜落ついらく防止用の金網のフェンスに激突し、フェンスの支柱を何本かブチブチと根元から引き抜き、まるでボールがサッカーゴールのネットに勢い良く突き刺さるようにして、ようやくその体が動きを止めた。
 その身に宿していた運動量をすペて吐き出した一方通行アクセラレータはピタリと動きを止め、重力に引かれて暗い地面へと再び落下し始めた。
 彼は地上を見ない。
 落ちながら、結標が激突した屋上をゆっくりと見上げ、口の中でつぶやく。
「確かにこのザマじゃ、学園都市最強は引退かもしンねェが」
 静かに、目を細めて。
「それでも、おれはあのガキの前じゃ最強を名乗り続ける事に決めてンだよ。くそったれが」
 だれともなしに言った台詞せりふは夜風に流され、彼は地上へと向かって行った。

   

chap6

終 章 それぞれの日々 One_Place,One_scene.

 翌日。午前中に上条当麻かみじようとうまは学校に連絡を入れて遅れる事を告げると、とある病院にやってきていた。治療ちりようのためではない。今回の彼は本当にどこも怪我けがを負っていない。つまりは白井黒子しらいくろこのお見舞いのためだ。
 と、そんな彼は、病室から少し離れた所にある自販機コーナーと喫煙所を合わせたような談話スペースに突っ立っていた。そのほっぺたには真っ赤な手形がついている。訪ねに行って病室のドアを開けたら白井が着替えていたのだ。
 病室からたたき出された上条は、おそらく女性の着替えには少し時間がかかるだろうと推測すると、横でムカムカしているインデックスを引き連れて、同じ病院にいる御坂みさか妹の方を訪ねてみようという話になった。
 御坂妹は現在、ほかの病室にいる。本来治療中であった彼女にとって、昨日の運動は結構危険なものだったらしい。御坂妹は、普通の病院ではまず見かけないような、SF的な強化ガラスのカプセルに満たされた透明な液体の中でふわふわと浮いていた。
 ちなみにカプセルの中の御坂妹は意識があるらしく、上条を見て無表情なままぺこりと頭を下げたが、そんな彼女は全裸に白いシールのような電極をり付けただけのとんでもない格好をしていて、そこではインデックスに思い切り後頭部をみ付かれた(当の御坂妹は全く気にしていなかった)。
 どれぐらいの強さで噛まれたかと言うと、病室の隅っこに置いてあったペット用のケージ(特殊な物で、動物の毛や雑菌が外に漏れない仕組みになっているらしい)の中で丸まっていた黒猫が弱肉強食の本能を呼び起こし、巨大地震じしんの前触れのように不自然なぐらいビビって暴れ出したほどである。午前中からんだりったりの一日だった。
 そんなこんなで。
 上条とインデックスは、二つの病室を訪ねてから追い返されるように、再び談話スペースに舞い戻ってきた訳である。
「……、不幸だ。ただでさえ日常的に不幸な上条さんに不幸フィーバー(確率変動)がやってきましたよ! 今なら怒濤どとうの九連不幸とかやってきてもおどろかねーぞ神様バーカ!!」
 様々な人からボコボコにされた上条は、疲れた顔で『黒蜜堂くろみつどう』の一個一四〇〇円もする(しかしサイズは大きくもない)フルーツゼリーの入った紙袋を片手にげて、となりにいるインデックスが紙袋に食いつかないだろうかイヤいくら何でもお見舞い品に食いつくほど常識知らずじゃないよなでも心配だなあ、などと考え事をしている。
 そんな彼のとなりに立っているインデックスは、実は洋菓子より自販機の当たりルーレットのランプに興味を引かれつつも、
「で、『つりーなんとか』とか『れむなんと』とかは知らないけど、結局とうまは『それなら、今から残りの半分を果たしに行こう』とか格好良さげな台詞せりふを吐いておきながらあの後何の収穫もなかったんだね……」
「うっ……。いや白井しらいに教えてもらった予測ルートは辿たどってみたさ。そしたら何か街の一角の窓ガラスが全部粉々になっててキャリーケースっぽい残骸ざんがいが散らばってて『中身』らしきものが端微塵ぱみじんになってて屋上にはボッコボコにされた女の子が引っかかってて―――どこのだれがやったか知らないけどありがとうって感じだぞ」
「とうま、とうま。普段ふだんはあんまり使わない日本語で言うね。この役立たず」
「いえーい! 言われると思ったよちくしょう!! っつかどこのどいつだ人の獲物を勝手に横取りして何にも言わずに立ち去っていくなんてよぉ! 一体どこまでお馬鹿ばかに格好つければ気が済むってんだ!!」
「……正直、とうまみたいなのは一人いれば十分だと思うかも」
 いえーい! という叫びが午前中の病院にひびき渡る。

「なンか表がうるっせェなァ。 一体どこのお祭り野郎がさわいでンだァ?」
 一方通行アクセラレータは壁越しに聞こえてくる声にまゆをひそめた。何かどこかで聞いた事があるような声なのだが気のせいだろう。個室とはいえそれほど広くない部屋の中、ポツンと置かれたベッドの上で一方通行アクセラレータ布団ふとんかぶり直す。異常に早く髪が伸びたり傷口がふさがったり夜空へ大跳躍だいちようやくしたりしているから気づきにくいが、一般人なら自分の足で立てないほどの怪我けがを負っているのだ。
 ベッドには、それを横切るようにテーブルが設置してある。ちょうど道路の上を歩道橋がまたいでいるような配置だ。ベッドの上で食事をするためのテーブルなのだが、今はその上に見た目一〇歳ぐらいの少女が寝そべって足をパタパタ振っていた。かつては裸に毛布一枚というとんでもない格好をしていた彼女だが、今は子供服ブランドが発売している空色のキャミソールを着ている。ジャージの女が持ってきた服の一着だ。
「それで結局、ヨミカワが『外』に出て『科学結社Asociacion de cienia』とかいう外部組織をぶっつぶしてきたんだって、ってミサカはミサカはミサカたちのネットワークを通じて得た情報を発表してみたり。何か前の天井亜雄あまいあおとも接触あった組織とかで、だから『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』とかにも詳しかったんだって、ってミサカはミサカは臨場感あふれるタッチでお伝えしてみる」
「あァそォ……」
「それでヨミカワは帰ってきた時に徹夜てつやっぽい疲れの色を目の下にくっきり残してた訳、ってミサカはミサカはにじみ出るお肌の年齢を思い出してしみじみしてみたり。……あれ、なんか
普段ふだんとは想像がつかないほどあなたのテンションが下がってるかも、ってミサカはミサカは首をひねってみる」
「……、朝方帰ってきて眠みインだからちょっと後にしてろ」
「あーっ! あなたに眠気は鬼門なのかもってミサカはミサカは目覚ましミサカにモードチェンジしてみたり! ほらほら朝だよあと二時間でお昼だよってミサカはミサカは足をバタバタ振り回してだだ々っ子っぼく眠気に負けつつある意識に覚醒かくせいを促してみる!!」
「……」
 コイッは過去に何かおれが眠った事で不利益でもこうむった経験でもあるんだろうか、と疑問に思いつつ一方通行アクセラレータ布団ふとんかぶって耳をふさぐ。電極を通してミサカネットワークに演算を任せればある程度の力は使えるが、普段のそれは一般的な言語・計算の能力と紫外線など最低限の必須反射項目だけにしか割り当てていない。無駄に試作品のバッテリーを消耗させる事になるからだ。
「っつか、ガキは気楽でイイよなアまったくよォ。こちとら死にかけ脳シェイク状態で病院抜け出して、後始末含めて朝方まで作業してたっつーのにそっちは冷房いた部屋ン中でベッドにもぐってグースカ寝てりゃ結果ァ出てるってンだから―――ごがっ。他方どうか教義によってそこで標的の上に俺の言語能力を取り上げないでくださいですっつってンだろ!!」
 途中から言葉が崩れたまま一方通行アクセラレータは怒鳴る。
 ミサカネットワークの方が一方通行アクセラレータの言語野の代理演算を中断したのだ。
 ちなみに本人は『人の言語能力をそっちの都合で取り上げんな』と言っているつもりである。
「ミサカはそんな罵署雑言ばりぞうごんを聞くために代理演算している訳じゃないもん、ってミサカはミサカは可愛かわいらしく反抗してみたり―――って、ぶわっ!? そんな掛け布団でミサカの体をくるんで一体どうするつもりなの、ってミサカはミサカはちょっぴり危機感を抱いてみる!!」

 一方、そのとなりの個室では。
「さ、さあ、ささささささ、さあお姉様。この白井黒子しらいくろこにウサギさんカットのリンゴを食べさせる至福の時間がやって参りましたのよ! うふふ、うふふふふ!!」

「うるさいだまれ何で昨日の今日でもうそんなに活力あふれてんのよ黒子!――――、いや溢れてない!? 溢れてないのに気力だけでベッドからい出ようとすんなアンタ本当に死ぬわよ!!」
 ニッコニコの笑顔と共にいとしのお姉様へ迫ろうとする満身創疲まんしんそういの白井黒子を、御坂美琴みさかみことはどうにかベッドに押し戻して掛け布団をかける。
「あ、ああ……。お姉様の手で乱暴にベッドに押し倒されるこの感触。や、やはり体を張って肉弾戦で取り組んだのは正解でしたの。世界が、世界が今とても輝いて見えますわ!」
「アンタ絶対安静って言葉の意味知ってんの!?」
「大人しくして欲しければウサギさんリンゴを食べさせてくださいですの。そう言えぱさつき病室に来てたあの殿方だって家庭的な女の子の方が好みではありませんの?」
「……。そ、そう、なのかな。ねえ黒子くろこ、アンタ本当にそう思う?」
「って超適当に言ってみたワードになんてウブな反応してますのお姉様は! やっぱり、やっはり先ほどわたくしの着替え中に病室に入ってきた、あの野郎がお相手でしたのね!! あの若造がァああああ!!」
 これだけの怪我けがを負って何でこんな元気にバッタンバッタン跳ね回っているんだコイツは、と美琴みこと驚異きよういの生命力を前に愕然がぐぜんとする。これでは何のために見舞いに来たのかその理由すら忘れそうになってしまう。また、怪我をして満足に動けない白井の代わりに、着替えの件でとある少年に平手打ち(適度なビリビリ入り)をぶち当てなくても良かったのではないかと彼女はちょっと後悔した。あの結標淡希むすじめあわきは母校のきりがおか女学院では留学扱いにされた事後報告など、せんなのはもうどうでも良さそうだ。
 ふと会話のリズムが途切れる。
 わずかに静寂が訪れる。
 温めていた空気の熱が冷えていく。
 閉じた口を再び開くのには、想像以上に力が必要だった。
 美琴はその原因を知っている。
 自分の後輩の体を、何ヶ所も貫いた重い傷。
 結局、彼女はまた巻き込んだのだ。
妹達シスターズに、あの少年に、そして今度はただの後輩まで。
「何となく、ですの」
 そんな美琴の思考を断ち切るように、白井しらいはベッドの上から声を掛けた。
 え? と顔を上げる美琴に、白井は笑いかけ、
「何となく、気づかされましたわ。あの夜立っていた場所が、お姉様の戦っている世界なんですのね。わたくしには、何が何だかサッパリな事ばかりでしたわ。特に最後にお姉様たちが駆けつけてきた後なんて、馬鹿馬鹿ばかばかしくて途中で何度も思考が止まりましたもの」
 小さく小さく白井は笑って、わずかに力を抜く。
「きっと今のわたくしでは、そこに立つ事もできませんの。無理についていこうとすれば、結果はこのザマですわ」
「黒子……」
 美琴はわずかに痛みを受けたような顔をする。
 しかしそれはすぐに新たな表情に隠される。彼女はそれを隠せる人間だ。だからこそもろいのだ、というのを白井は良く知っているが。
「お姉様。もしも貴女あなたが自分の力のせいでわたくしを事件に巻き込んだと思っているのなら、それは大間違いですのよ」
「え?」
「当たり前でしょう。わたくしが弱いのはわたくしのせいですのよ。そこにどうしてお姉様がかかわるんですの? 馬鹿ばかにしないでくださいな。わたくしは自分の負った責任ぐらいは自分で果たせる人間ですのよ。貴女あなたに背負ってもらっては、わたくしの誇りはズタズタですの」
 白井黒子しらいくろこはつまらなそうな声で、
「だからお姉様は笑ってくださいな。失敗してそれでも無事に帰ってこれた後輩を見て、何やってんだこのヘタクソと指を指して爆笑すれば良いんですの。わたくしはその楽しい思い出がかてとしてあれば、もう一度立ち上がろうと思えるのですから」
 それに、と白井は心の中で付け加える。
(あくまでも、『今の』わたくしには、ですわ。わたくしは、白井黒子は、こんな所で立ち止まる気など毛頭ありませんもの。ですからお姉様、しばしのむ待ちを。目的地を知った黒子は速いですわよ)
 この場所の居心地の良さを知り、だからこそ、彼女は戦場に戻る覚悟を決める。
 静かに、すぐそこにいる少女には決して知られぬように。

 こうして、白井黒子は自分の身の程を知った。
 そうして、自分の手では届かぬ世界がある事も理解した。
 しかしだからこそ、彼女はあきらめるのではなく、さらに上へと手を伸ばそうとする。
 決して、高い位置へのし上がりたいのではなく。
 ただ一つ、今ここにある場所を守りたいがゆえに。

   あとがき

 一冊ずつ順調に読み進めている貴方あなたはお久しぶり。
 八冊セットでお買い上げ頂いた貴方は初めまして。
 鎌池和馬かまちかずまです。
 さて、八巻です。テーマはそのものずばり超能力ですね。今回はある意味本当に変化球で、明確な男子キャラクターは上条当麻かみじようとうまただ一人しか登場しません。おや、と思った貴方はとりあえずその疑問は保留という方向で。あっちは一筋縄ひとすじなわではいかないのです。
 内容の中には、三巻や五巻などの一連の事件の中で解決できていなかった聞題などを一部取り上げています。 一見するとオカルトとは無縁の話に思えたかもしれませんが、今回の敵役、結標淡希むすじめあわきが抱いた疑念はオカルト的な要素を多分に含んでいたと鎌池は考えています。
 御坂美琴みさかみことと御坂妹の間では何故なぜ、発現した能力に違いが出たのか。ほかの動植物には現象の観測や分析、そこから派生する能力の使用はできないのか。そして、そもそも現象の観測・分析とは一体何なのか。話の構成や主人公の視点などの都合により、こういった問題は今回の巻では明かせませんでしたが、それらのなぞはまた別の機会に、という訳で。
 イラストの灰村はいむらさんと担当の三木みきさんには絶大の感謝を。お二人がいてくださったおかげで、本書は無事にお店の本棚に並ぶ事ができました。
 そして本書を手に取っていただいた皆様に絶対の感謝を。貴方がいてくださったおかげで、本書は無事に貴方の本棚に並ぶ事ができました。

 それでは、貴方が頭の片隅に本書の存在を覚えていただいた事に感謝して、
 できれば次巻の存在も覚えておいていただければ光栄ですと思いつつ、
 今回は、この辺りで筆を置かせていただきます。
 ……御坂美琴。今回こそいっぱい出る予定だったんですが鎌池和馬

とある魔術の禁書目録8
鎌池和馬

発 行 2006年1月25日 初版発行
著 者 鎌池和馬
発行者 久木敏行
発行所 株式会礼メディアワークス

平成十八年十月三十一日 入力・校正 にゃ?

小説ーとある魔法禁書目録07

とある魔術の禁書目録7

鎌池和馬

   c o n t e n t s
 
   序 章 行動開始 The_Page_is_Opened.
   第一章 学園都市 Science_Worship.
   第ニ章 ローマ正教 The_Roman_Catholic_Church.
   第三章 イギリス清教 Anglican_Church.
   第四章 天草式十字凄教 AMAKUSA_style_Remix_of_Church.
   第五章 行動終了 The_Page_is_Shut.

とある魔術の禁書目録7

  伝説の魔術師が記した、天使を召喚することができるという驚異の魔道書『法の書』が、解読法を知るシスターと共にさらわれた。
 学園都市でぼけ一っと日常を過ごしていた上条当麻かみじょうとうまには、それはまったく関係ない出来事――のはずだったのだが、“不幸”にも何故かその救出戦に加わることに……。
 しかもさらった犯人は『天草式十字凄教あまくさしきじゅうじせいきよう」、つまり神裂火織かんざきかおリ女教皇ブリエステスを勤めていた宗派だというのだ……!
 インデックスが所属する『イギリス清教』、今回の依頼主の『ローマ正教』、そして神裂火織がかつてトップにいた『天草式』。
 三つの魔術組織が上条当麻と交差するとき、物語は始まる――!

鎌池和馬

のんびりやっている内にもう七冊目です。このコメントの下についてる刊行リストみたいなものも、そろそろ空白の方がなくなってきているみたいですね。ちょっとしみじみな鎌池です。

イラストー灰村はいむらキヨタカ

1973年生まれ。ココ数ヶ月は「仕事絵を描く→寝る」の繰り返しです。起きてる間にやる事が一つしかないのは気楽といえば気楽ではありますが……暇が欲しい。

  とある魔術の禁書目録7

   序 章 行動開始 The_Page_is_Opened.

 セントジョージ大聖堂。
 大聖堂と名のつくものの、その正体はロンドンの中心街にある、たくさんの教会の一つにすぎない。そこそこ大きな建物なのだが、ウェストミンスター寺院、聖ポール大聖堂など世界的観光地と比べると格段に小さく見える。無論、イギリス清教始まりの場所と言われるカンタベリー寺院などとは比較にならない。
 そもそも、ロンドンには『聖ジョージ』と名のつく建物はいくらでもある。教会はもちろん、デパートやレストラン、ブティックに学校などなど。おそらく街の中だけでも数十はあるだろう。それどころか、フルネームの『聖ジョージ大聖堂』でも一〇以上あるかもしれない。『聖ジョージ』は国旗のデザインにもかかわるほど有名なワードなので無理もないのだが。
 その聖ジョージ大聖堂は、元々『必要悪の教会ネセサリウス』の本拠地だった。
 これは良い意味ではない。教会の人間のくせに汚れた魔術まじゆつを使い、イギリス国内の魔術結杜とそこに所属する魔術師の徹底的てっていてき繊滅せんめつ・処分を業務とする『必要悪の教会ネセサリウス』の面々は、イギリス清教の中では鼻つまみ者だったため、イギリス清教総本山と呼ばれるカンタベリーから左遷させんされる形で与えられたのが、この聖ジョージ大聖堂なのだ。
 しかし。
 窓際まどぎわの一部署にすぎなかった『必要悪の教会ネセサリウス』は、ひたすらもくもく々と成果を上げ続けた。
 そしてそれらの行為は英国国教という巨大な組織の中で信頼しんらいと権限を積み上げていく事となる。今でもイギリス清教の正式な心臓部はカンタベリー寺院だが、実質的な頭脳部は完全に聖ジョージ大聖堂へと明け渡すほどの事態を招いていた。
 そういう事情もあって、ロンドンの最中心部からやや外れたこの大聖堂が、国を統べる 大宗派の核となっていた。
 赤い髪の神父、ステイル=マグヌスは朝のロンドンを歩きながら困惑していた。
 街の景色自体に変化はない。築三〇〇年を軽く越す石造りのアパートが道の左右に建ち並び、その古い街並みの中を携帯電話を持った会社員たちが忙しく歩いている。伝統の二階バスがゆっくりと走る横では、同じく伝統だったはずの赤い電話ボックスが作業員によって撤去てつきよされていく。歴史の新旧が入り乱れる、いつもの光景だ。
 天候にも異常はない。ロンドンの朝は今日も突き抜けるような青空だが、この街の天気は四時間程度で切り替わるほど予測しづらいので傘を持っている人も多い。そして蒸し暑かった。きりの都とうたわれるロンドンだが、夏場は崩れやすい天気が一つの問題になる。断続的な雨が周囲の湿度を上げた所で、さらに近年目立つフェーン現象や熱波が壮絶な猛暑を演出するのだ。小奇麗こぎれいな観光名所にだって欠点はあるものである。もっとも、ステイルたちはそういう欠点も含めてこの街を選んで住んでいるのだから、それは気にならないのだが。
 問題なのは、彼のとなりを歩いている少女だ。
最大主教アークピシヨツプ
「んん。折角せつかく地味な装束をったのだから仰々ぎようぎよしき名前で呼ぶべからずなのよ」
 簡素なベージュの修道服に身を包んだ、見た目は一八歳ぐらいの少女が日本語で呑気のんきな声を出した。ちなみに本来、聖職服に使える色は白、赤、黒、緑、紫の五色と装飾用の金糸のみと決められているため、彼女はこっそり違反してたりする。
 その衣服が自分を街に溶け込ませていると思っているのは、当の本人だけだろう。光り輝くような白い肌に、透き通った青いひとみ。そのまま宝石店に売りに出せるような黄金の髪は、とてもではないが雑踏ざつとうに紛れ込む事など許さない。
 それは異様に長い髪だった。まっすぐ伸びた髪はくるぶしの辺りで一度折り返し、頭の後ろにある大きな銀の髪留めを使って固定した後に、さらにもう一度折り返して腰の辺りまで届いている。ざっと身長の二・五倍もの長さがあった。
 ロンドンの、しかも朝のランベスの混雑具合は世界的な騒々そうぞうしさを誇っているが、それでも

彼女の周囲だけは音のボリュームがグンと下がっているようだった。決して騒音そうおんを許さない、静粛令を出された聖堂の中に似た空気さえ感じ取れる。
 イギリス清教第零聖堂区『必要悪の教会ネセサリウス最大主教アークピシヨツプ
 ローラ=スチュアート。
 イギリス清教のトップは国王である。その側近のローラ……最大主教アークピシヨツプの役目とは『普段ふだんは多忙な国王に代わって、イギリス清教の指揮を執る事』だ。
 イギリス清教という組織は、年代物の弦楽器のようなものだ。
 つまり道具の『持ち主』と、その使用と手入れをする『管理人』が存在する。どんなに優れたヴァイオリンも使わなければあっという問に弦はたるみ共鳴胴は傷みかなでる音はびていく。
それを防ぐための仮初かワそめの演奏家がローラなのだった。
 しかしこれもウェストミンスター寺院とセントジョージ大聖堂の関係と同じく、現在では書類上と実質的な立場は逆転しており、その命令権は彼女の手の中にあった。
 そんな絶大な権限を持つ最大主教アークピシヨツプは、特に護衛もなく朝の街並みをトコトコと歩いている。
 ステイルたちは今、聖ジョージ大聖堂へ向かっている。そして、そもそもあらかじめこの時間に大聖堂に来いと指定してきたのは彼女のはずで、本来ローラは大聖堂で待っているはずなのだが……。
「わたしにも帰るべき家ぐらいありけるのよ。まさか年がら年中あんなふるめき聖堂の中になど取りこもらないわ」ローラは雑音を感じさせない足で道を進み、「歩みつつも語れるのだし、時のかすりといこうじゃない」
 すれ違うのは会社員が多い。ロンドンでも最大級のウォータールー駅の近くだからだろう。
シスターや神父の姿だけならそれほど珍しくもない。ローマほどではないが、ロンドンも公園ぐらいの間隔で教会が立っていたりする。
「まあ、構いませんけど。しかし、わざわざ大聖堂に呼び出すほどの用件なら、周りに聞かれたくない話なのでは?」
「気にしてるの? 小さし男なのね。むしろこのわたしと共に歩める状況を耽楽たんらくせんとはできないの? 婦入の臓悔ざんげを聞きたる神父には『遊び人』という意味もあろうけど、少しは冒険してみる気はないのかしら」
「……」
 ステイルは少しだけ難しい顔をした後に、
「一つだけ尋ねてもよろしいですか」
「硬き事ね。なに?」
貴女あなたはどうしてそこまで馬鹿ばかなしゃべり方をしてるのですか?」
「……?」
 イギリス清教の最大主教アークピシヨツプは、まるでシャツのボタンの掛け違えを指摘されたかのように、最初はキョトンとして、次にピタリと動きが止まって、最後に顔を真っ赤にすると、
「な、え、あ! お、おかしいの? 『日本語ジヤパニーズ』とはこんな感じといふものではないければかしら!?」
「あの、失礼ですがもう何を言ってるか分かりません。古語としても狂ってます」
 道行くスーツの人々には日本語は通じていないはずだが、何故なぜだか周囲の喧騒けんそうがヒソヒソ声となってローラに集中しているように感じられた。
「く、く。……文献やテレビジョンなどの参考資料を元に、色々と勉学に励みて、さらには本物の日本人にもチェックを入れてもろうたのに……」
「はぁ。本物の日本人って一体だれなんですか?」
「つ、つちみかどもとはるのヤツなのよ……」
「……、あんな義理の妹にメイド服を着せて悶絶もんぜつしているような危険人物を日本人の基準点にしないでください。アジアはそこまで奇妙な世界ではありません」
「さ、さにあったのね。しからば誤りたる口ぶりは改めねば―――って、いかん!?」
 ローラが叫ぶと、歩道で休んでいたはとの群れが一斉に飛び立った。
「? どうかしたんですか」
「く、クセになってしもうて言葉遣いを直せないのよ」
「……まさかと思いますが、今までそんな馬鹿ばかな言葉遣いで学園都市の代表と協議してきた訳じゃないですよね?」
 ビクッ、とローラの肩が動いた。『い、いや、案ずる事はないわよ。だ、大丈夫だいじようぶ大丈夫。たしけし確けし』と言っていたが、その声はふるえていたし変な汗がほおを伝っていたし目は泳ぎまくっていた。
 ステイルは煙草タバコ臭いため息をついて、
「とにかくそれについては大聖堂に到着してからゆっくり話しましょう」
 二人は、ひそかに神裂火織かんざきかおりが入り浸っている日本料理店の角を曲がって先へ進む。
「い、いや、ゆるりと話す必要はないわよ。何もおかしき所などないのだから」
「くだらない事を言っていないで『仕事』の話を進めてください。あー、日本語に自信がないなら英語に戻せば良いじゃないですか」
「く、くだらな……。じ、自信がなしとかそういう訳ではさにあらずなの。いやあれよそう今日はたまたま調子がしきだけ」挙動不審いっぱいな態度でローラは言ってから、「仕事の方は……と、まえに」
 彼女は修道服の胸元からメモ用紙のような紙を二枚と黒マジックを取り出した。ルーンのカードを使うステイルには、それを何に使うかはすぐに分かった。
「きゅっきゅーっと♪」
 ローラは口で言いながら、黒マジックで紙に何か模様のようなものを描いていく。おそらく護符や陣といった所だろう。式典などで大勢の前に立つ時には同じ人類かと疑うほど荘厳そうごんな表情を見せる最大主教アークピシヨツプだが、こうしていると授業中にノートの端にラクガキをしている女の子にしか見えない。いつでも荘厳としていて欲しいと彼は思う。
 ステイルは煙草タバコをくわえながら、わずかにまゆをひそめる。彼はあまり、このマジックの音が好きではない。
「きゅっきゅきゅっきゅきゅーきゅっきゅっきゅきゅきゅっきーきゅきゅきゅーきゅーきゅーきゅきゅきゅきゅきゅーきゅっきゅっきゅっきゅきゅきゅっきゅーきゅーきゅきゅっきゅっきゅっきゅっきゅーきゅーきゅーきゅーきゅーきゅーきゅーきゅーきゅきゅきゅ♪」
「……、あの。一応確認しますけど、何をやっているんですか?」
 ステイルは歯を食いしばり、ぶるぶると小刻みにふるえながら問いただした。
 こめかみに青筋が立つが、ここは我慢の時なのだった。
「ほんの少しき配慮はいりよなのよ。ほら」
 ローラは二枚の紙に同じ模様を描き終えると、その片方をステイルの手に押し付ける。
『あっあー。音聞きはできとろうかしらー?』
 と、ステイルの頭の中へ直接、声のようなものが聞こえてきた。彼は確認するようにローラの顔を見るが、やはり彼女の小さな口は動いていない。
「……通信用の護符、ですか?」
『声に出さねど思うだけで音聞きできようものなのよ』
 ふむ、とステイルは手の中のカードに視線を落とす。ステイルが周りに聞かれるとまずい、と進言した事にわざわざ対応してくれたらしい。
「で、何でまた心の声まで馬鹿ばか口調なんですか?』
『えっ? ま、待ていなのよステイル! わ、わたしは今、英国語クイーンズで語らいてるわよ!』
 声もなく慌てる様子に、開店前の喫茶店の前で丸まっていた猫がビクッと震える。ステイルはため息をついた。最大主教アークピシヨツプとしての威厳とか、そういう冷静さは持ってないのかと思う。
『では通信・変換時に誤訳しているんですね。まぁ気は抜けますけど意味は通じますし、このまま先に進みましよう』
『く、く……。ごほんっ!では始めたるわよ』
 何か言いかけたローラだったが、み込んで仕事の話題へと移っていった。
『ステイル。貴方あなたは「法の書」の名は知り足るわね』
魔道書まどうしよの名ですか。著者は確かエドワード=アレクサンダーだと思いましたが』
 エドワード=アレクサンダー。またの名をクロウリー。
 二〇世紀最高の魔術師まじゆつしと呼ばれ、同時に二〇世紀最低の魔術師とも呼ばれた男だ。常軌を逸した苛烈かれつで異常な言動から幾度となく様々な国から国外退去処分を受け、多くの芸術家たちの創作意欲を刺激し、そしてありとあらゆる魔術師を敵に回した伝説の男。史実では一九四七年一二月一日に没したとされている。その死と共に世界中の緊張きんちようの糸が一気にゆるんだとさえ言われるほど敵と波乱と問題に満ちていた人間だったと言える。
 強大な魔術師まじゆつしの死後も、彼の弟子や正統後継者を名乗る人間も少なくなく、そうした人間が織り成すmagick系魔術の対策のために今もクロウリー専門の調査機関がある。また、この手の伝説的人物にありがちなウワサとして、『彼はまだ生きている』といった話も良く耳に入る。
『それがどうかしましたか。確か「法の書」の原典は今、ローマ正教のバチカン図書館にあったと記憶きおくしていますが』
 禁書目録の少女が一〇万三〇〇〇冊もの魔道書まどうしよを詰め込む際に、彼は護衛として一緒いつしよに世界各地を飛び回った。有名な魔道書の一〇〇冊ぐらいなら、どこのだれが保管しているかぐらいは覚えている。もちろん内容の方はのぞいていないが。
『そうよな。クロウリーは一九二〇年から一九二三年までの間、イタリアのシチリア島にて活動しとったのよ。「法の書」はその時の落とし物という訳なの』ローラは歴史の教科書をめくるような声で、『さてステイル。それでは「法の書」の特徴は知りえるかしら』
『……』
 特徴。
『確かに、あのクロウリーの著作という事で信愚性しんびようせいの有無を問わず様々な学説がありますね。
「法の書」は彼が召喚した守護天使エイワスから伝え聞いた、人間には使えない「天使の術式」を書き記したものだとか。「法の書」が開かれた瞬間しゆんかんに十字教の時代は終わりを告げ、全く新しい次の時代がやってくるとか。……意思なき天使から話を聞き出すのは不可能にしても、後者の方は気になりますね。そして――』
 イギリス清教の予測では、それは絶大な威力を誇る魔術の使用方法が書かれた魔道書という説が濃厚だった。
 しかし、この話を聞いた者は皆、一つの疑問に突き当たる事だろう。
 何故なぜ、『予測』止まりなのか?
 禁書目録の中には、確かに『法の書』の知識も入っているはずなのに。
『誰にも解読できない、という事でしたね。元々、魔道書は様々な暗号を使って書かれるものですが、あれは別格だとか。禁書目録も解読をあきらめ、暗号解読専門官であるシェリー=クロムウェルすらサジを投げたそうですが』
 そう、『法の書』は誰にも読めない。禁書目録の少女に言わせれば、あれはもう既存の言語学で解読できるようなものではないとの事だった。よって、彼女の頭の中には未解読のままの『法の書』の暗号文章がそのまま詰め込まれている。
 ローラは愉快げに笑ってから、
『では、その何人なんぴとたりとも読めん「法の書」を解読できる人間が現れんとしたら、どうする?』
『……、何ですって?』
 ステイルはローラの顔を改めて見た。彼女が冗談を言っているようには見えない。
『その者はローマ正教の修道女で、オルソラ=アクィナスと言うさうよ。あくまで解読法を知りけるだけで、だ本文に目は通しとらんようなの』
『どういう事ですか』
くだんのオルソラは部分的な写本を参考に解読法を探さんとしたそうなの。目次と序文の数ページだけしか手元になかったのよ』
 確かに、『法の書』の原典は厳重に管理されているため、そう簡単に閲覧する事はできないだろう。それに禁書目録のような人間でもない限り、迂闊うかつに原典を手に取るのは危険だ。
『ローマ正教は……現在、勢力争いのための戦力カードが不足していますからね。となると、「法の書」でも使って巻き返しを図ろうとしているんですか。ヤツら、「法の書」を単なる新兵器の設計図ぐらいにしか見ていないのか……』
 ローマ正教は世界最大の十字教宗派と言われているが、『グレゴリオの聖歌隊』という三〇〇〇人を超す大人員で作られる最大級の戦力をとある錬金術師れんまんじゆつしによって撃破げきはされているため、現在はその力が弱まっているという情報もある。だとすれば、彼らがトップの座を守るため、『法の書』の知識を使い『グレゴリオの聖歌隊』に代わる新術式でも考案・採用して、失った戦力の巻き返しに躍起やつきになろうとしても労かしくはない。
『いや、連中が戦力増強のために「法の書」を利用する可能性はあらずのようね。少なくもただちにローマ正教が「法の書」を用いてどこそこを攻撃せしめる事はないから安心なさいな』
『?』
『ふふん。色々事情がありけるのよ、色々とな』
 ローラはやけに自信たっぷりに言うが、何か根拠があるのかとステイルはほゆをひそめる。イギリス清教とローマ正教の間で『法の書』使用禁止の条約でも結んであるのかとも考えたが、(……、ならば何故なぜローマ正教はオルソラを使って『法の書』の解読を行う必要がある?)『心配性なのね、顔に出とるわよん。大丈夫だいじようぶったら大丈夫って言ってるのに』
『しかし……』
『あーあーやかましいやかましい。ひらさらローマ正教が仮に「法の書」を使わんとたくらんでた所でとてもかくても今のままじゃ実行は不可能よ』
 どうして? とステイルが間う前に、

『「法の書」とオルソラ=アクィナス。この二つが一緒いつしよに盗まれたさうだから』

「そんな……だれに!?」
 ステイルは思わず口に出していた。突然の大声に、駅へ向かう会社員たちの目が一斉に彼の方へと集中する。
『予測はついてるから後はの始末をつけてみよというのが私があなたに伝えし今回のお仕事。
まあ大方、相手は日本の天草式十字凄教せいきよう間違まちがん事ないと思うけど』
『天草式……』
 現在はステイルの同僚である神裂火織かんざきかおリ。彼女が以前、女教皇トツプを務めていた日本の十字教勢力だ。
 が、ステイルは彼らを十字教宗派と認めていない。神道や仏教などが混ざりすぎて、十字教としての原型をとどめていないのだ。
『天草式は宗派としては、ローマ、イギリス、ロシアなど国家宗教に比べれば格段に小さしものよ。それだのにこの世界でまわし出来たのは、神裂というイレギュラーな存在がいたため
大黒柱としての神裂を失いたる彼らがその代わりとなる新たな力として「法の書」を求めても何ぞ不可思議なる事もないじゃない。何せ「法の書」は、使えば十字教のパワ!バランスを突き崩やす一冊なんだから』
 オルソラ=アクィナスと『法の書』が天草式の手に渡ったとなれば、彼らがいつそれを使ってもおかしくはない。むしろ、使わない方が不自然だ。
『しかし!』ステイルは声を荒らげ、『「法の書」はバチカン図書館の最深部に安置してあったんでしょう。今の天草式は力を欲するほど小さな組織です。その程度の宗派が、あそこへ侵入できるとは思えません。僕はあの禁書目録の護衛として実際にバチカン図書館へ足をみ入れた事があるから分かります。あそこの警備は死角も抜け道もない、まさしく壁です!』
から、「法の書」はバチカン図書館などにはなかったの』
 は? とステイルの表情が止まった。
 彼の横を、観光用らしき馬車がぱかぱかとひづめの音を鳴らしながらすれ違う。ご丁寧ていねいにも馬車の後ろにはナンバープレートがついていた。
『ローマ正教は国際展示会を開くため「法の書」を日本の博物館に移送していたのよ。「神の子」が血を流しながら上ったと言やる、ローマにありしラテラノ聖堂の「聖なる階段」が何故なぜ一般にまで公開されているか、知らざる訳じゃないでしょ?」
 歴史上や聖書上の物品を、数年に一度、教会が公開する事がある。
 理由は簡単で、多くの信徒から寄付金を集めたり、新たな信徒の募集をかけるための『客寄せ』だ。ローマ正教は三〇〇〇人を超す大人員で作られる『グレゴリオの聖歌隊』という最大級の戦力を失ったため、新術式の考案や人員の補強など、あらゆる方面から少しでも多くの力をつけようとしている。
『新たな信徒』が欲しいなら、十字教徒のいない場所で活動をした方が効果的だ。日本などはおあつらえ向きといったところだが、同時に支配力も弱まる。そこをねらわれたのだろう。
馬鹿ばかげている……。そんな危険な物を見世物にした挙げ句に横からかすめ取られるだなんて、ローマ正教はどこまで恥をさらせば気が済むんだ』
『くっく。そりゃ当人が一番自覚しておるでしょうよ。地の利ありとはいえど、極東の小宗派に其処そこまでやられたローマ正教の誇りはズタズタよ』
『はぁ。それで、ヤツらは恥も外聞もなくこちらへ協力の打診をしてきたって訳ですか』
『いいえ。小奴こやつこどもは己が手で事を収めたいみたい。自分たちだけで解決すると言うて、この情報を聞き出だすのに苦を労したんだから。そこが最後のプライドたるといった所でしょうけど、はっきり言いやれば現実見ろ馬鹿ばかって感じよね』
『? 僕達はローマ正教からの要請があって「法の書」とアクィナスの救出を手伝うのではないんですか?』
『向こうはしぶりていたわ。まあ、オルソラ=アクィナスが本当に「法の書」を解読できるなら此方こちらほふらしておけないし』
『……恩でも売っておくつもりですか? あの神職貴族どもが借りを返すような連中だと?』
 ステイルはくだらなそうに言った。
 過去に欧州を支配していた名残か、ローマ正教の―――オカルトについて何も知らない大部分の一般信徒は別として―――自尊心の高さは折り紙つきだとステイルは考えている。特に強硬派に所属する頭の固い司祭だの司教だのになると、邪魔者じやまものはおろか協力者に対してまで『協力しようとするその哀れみが気に食わない』などと書い出す者まで現れる始末だ。
『かような旧教カトリツクを腐らせたる―――というより、「旧」などと付けさせてしまった―――愚図ぐずどもにほどこしを与えてやる気なぞ毛頭ないわよ。それよりまずし事がありけるの』
『何か?』
神裂火織かんざきかおりと連絡が取れんのよ』
 ローラは最低限の言葉だけを告げ、ステイルは即座にその意味を悟った。
 神裂は元・天草式のトップだ。現在は離反しているとはいえ、彼女は今でも天草式の人間を思っている。その天草式の面々が問題を起こし、今まさに世界最大宗派、総員二〇億人を超すローマ正教と敵対すると知ったら、神裂は一体どんな行動を起こすか。
 神裂は世界でも二〇人といない『聖人』で、その存在は核兵器にも等しい意味を持つ。彼女の手綱たづなをイギリス清教が手放してしまい、あまつさえローマ正教の人間を討ってしまったらどういう事になるか……。
『あの性格なれば後先考えずに手を出したる可能性は極めて高いわ。並かそれ以下ぐらいの腕ならまだしも、神裂クラスとなりたると流石さすがに、ね』
 ローラは面白くないとばかりに大きく息を吐く。
『神裂が下手を打つ前に、かたを付けて欲しいのよ。れが最優先。方法はいずれでも構わないわ。
「法の書」とオルソラを救出するか、交渉にりて天草式を降伏させるか、あるいは神裂ごと天草式を力で排除して事を収めるか』
『あの神裂と、戦えですって?』
『場合が場合ならね』ローラは簡単に言った。『ウチからの人員は小分けして日本にいるローマ正教の捜索隊のもとへ送る手はずとなっとろうのよ。でも、貴方みなたは別働隊として、始めに学園都市と接触して頂戴ちようだいね』
 ステイルは頭の中の疑念をくように口から煙草タバコの白煙を出す。
 別働隊として動く、という部分にではない。
 元々、魔術師まじゆつしステイル=マグヌスは団体行動に向いていない。性格的な面はもちろん、使用する魔術が炎に特化しているため、下手に全力を出すと周囲の味方まで炎や煙に巻いてしまう危険性があるのだ。
 彼の扱う『魔女狩りの王イノケンテイウス』は展開するカードの枚数によって強さが極端に変動するという不安定な一面を持ってはいるものの、その名に恥じぬ実力を誇る。摂氏三〇〇〇度の炎の塊が自在に踊って、鋼鉄の壁すら軽々と溶かして敵へおそいかかるその姿は、相手から見ればまさしく死神そのものだろう。何せ、ある少年の右手という例外を除けば、いかなる手段を用いてもその進撃しんげきを止める事などできないのだから。数多あぽたの魔術結社をたった一人で焼き払ったその戦績は壮絶の一言に尽きる。
 なので、問題はそこではなく。
『これは教会諸勢力ぼくたちの問題でしょう。そこで何故なぜ科学側かれらの手がいるんです?』
『禁書目録』
 ローラは人名……というより、道具名を言った。
魔道書まどうしよの、それも「法の書」の原典がおでましとなれば、専門家の手は必要でしょ。かれこ《ら》うにはすでに話をつけたるから、|遠慮えんりよなくさらいて構わないわよ。条件の一つとして、管理人を同伴させる事になっているけどね』
『……』
『何ぞ。久々にあれと仕事ができようと言うに、あまりうれしげでないわね』
『いえ』様々なものをみ込んで、ステイルは表情を消す。『……管理人というのは、例の幻想殺しですか』
『ええ。せいさい有効に使うといいわ。あ、しいては駄目だめよ。あっちは借り物なんだから』
『学園都市所属の人間を、魔術師同士の争いに巻き込んでしまって大丈夫だいじさつぶなのですか?」
の方は色々と小細工をせば大丈夫よ。というより、先方の交換条件につき外せんわね。いちいち交渉を長引かせている時聞はないのよ』
『そう、ですか』
 学園都市のトップも、そしてとなりを歩くローラも、いまいち考えている事は分からない。何か水面下のやり取りがあるのだろうから、したのステイルが口を出すべきではないのだろうが。
『それからステイル。これを持ちておいて』
 ローラは地味な修道服のそでの中から小さな十字架のついたネックレスを取り出すと、それを無造作にステイルへと放り投げた。彼は信仰の象徴を片手で受け取りながら、
霊装れいそうの一種ですか? 見た所、それらしき加工は見られませんが』
くだんのオルソラ=アクィナスへのささやかなる贈り物という所かしら。その者に出会いし機会があらば適当に渡しといてね』
 ステイルはいまいち意図がつかめなかったが、ローラは特に詳しく説明を続けるつもりもないらしい。言外に語られる台詞せりふは『良いからだまって仕事をしろ』といった所か。
 と、二人の足がピタリと止まった。
 ロンドンでも一、二を争う巨大駅から徒歩一〇分の場所にある、大聖堂と名のつくそれほど大きくもない教会が、彼らの前にそびえ立っていた。
 セントジョージ大聖堂。
 魔女まじよ狩りと宗教裁判の暗い歴史が凝縮ぎようしゆくされた、フランスの伝説的聖女ジャンヌーーダルクをも焼き殺した暗黒の聖域。
 ステイルの一歩前へ進んだローラの手が、重たい扉のノブへそっとれられる。
「さて」
 ローラは重い両開きの扉を開けて振り返り、神父を中へと招く。
 彼女はカードを通さず、口を動かしてんだ声を出した。
「詳しき説明は、中で掛け合いましょうか」

   第一章 学園都市 Science_Worship.

     1

「だからなー、二学期というのは忙しいんだぞー。大覇星祭ぜいはせいさい一端覧祭いちはならんさい、遠足に宿泊学習に修学旅行、芸術鑑賞祭かんしようさいに社会見学祭に大掃除祭に期末試験祭に追試祭に補習祭に涙の居残り祭とお祭りづくしなのだからなー。そのための準備にみんな忙しいから仕方がないのだぞー」
 九月八日。
 午後の学生りようの通路で、土御門舞夏つちみかどまいかはのんびりした口調で言った。彼女はインデックスと同じか少し幼いぐらいの年頃としごろで、奇妙な事にメイド服を着ている。さらになぞな事に、ドラム缶型の清掃ロボットの上にちょこんと正座していた。清掃ロボットはプログラムに従って前へ進もうとしているようだが、舞夏がモップを前方の床に突き刺すようにして動きを封じているため、機械はぶるぶると小刻みにふるえているだけだった。
「でも暇だよ退屈だよつまんないんだよとうまは構ってくれないし遊んでくれないし」
 そんな土御門舞夏を前に、インデックスは口をとがらせて体を左右に揺らしながら抗議した。
銀色の長い髪と純白のフードがつられてなびき、細い両腕に抱かれた三毛猫みけねこはフードをいろどる金糸の刺繍ししゆうのキラキラが気になるのか、前脚でバタバタとパンチを繰り出している。
 インデックスにも、上条当麻かみじようとうきが最近何となく忙しそうなのは分かっていた。しかし、学園都市の中では彼女の話し相手は上条しかいないのだ。
 もちろん、上条当麻はインデックスを学生寮の一室に閉じ込めている訳ではない。部屋の合鍵あいかガはもらっていたし、現に彼女は上条が学校に行っている間、暇をつぶすためにあちこちを散歩していたりする(とはいえ、駅の自動改札や指紋・静脈・生体電気認証キーロックなど、ちょっとでも機械っぽいものがからむと何もできずに逃げ帰る日々を送っているのだが)。
 ところがこの街、学園都市は変なのだ。
 東京西部を一気に開発して作り上げた科学都市は、人口の八割が学生だ。上条が学校に行っている時間は姫神ひめがみ小萌こもえなども学校に行っているらしい。よって、インデックスが新たな話し相手探しに出かけたところで、街は不気味なほどにガラーンとしているだけだ。一応この一週間で彼女なりに街を探索してみた結果、洋服店のお姉さんは商品の入れ替えをしている時以外は割と気さくに話してもらえる事に気づいたインデックスだが、これは何か違うと思う。
 そんな中で、土御門舞夏という人物は例外申の例外だった。
 時間帯によって人の出入りが極端に変動する学園都市の中で、彼女だけは時間にしばられず、朝や昼でもたまに街でその姿を見かける事がある。コンビニ、デパート、公園、パン屋、駅ビル、学生りよう、道路に学校など、場所も問わない。
 舞夏まいかはなおも前へ進もうとする清掃ロボットをてのひらでべしべしたたきながら、
上条当かみじようとま麻にも上条当麻の事情があるんだから迷惑かけちゃ駄目だめなんだぞー。大体、あっちだって好きでほったらかしにしている訳ではないんだからなー。学校というのは色々と大変なところなのだぞー」
「むう。分かってるけど……。じゃあ、どうしてまいかはガッコーにしばられてないの?」
「ふふん、私は例外なのだよー。メイドさんの研修は実地が基本だからなー」
 土御門舞つちみかど夏の通う家政学校は、単に時代錯誤さくごなメイドを養成している不思議学校ではない。
道路のガムがしから多国間の首脳会議まで、あらゆる局頁て主人を「補佐』するためのスペシャリスト育成を目指している。そのため舞夏の『実地研修』は様々な場所で行われているのだ。もっとも、すべての生徒が舞夏のように『実地研修』に出かけている訳ではない。これは一定の試験を突破して、『見習いにしても見苦しい様は見せない程度の腕を持っている』と判断されたエリートのみが特殊ステップとして初めて進めるものなのだ。
 と、そういう汗と涙の事情を知らないインデックスは可愛かわいらしく小首をかしげて、
「メイドになればいつでもどこでも出かけて良いの? ガッコーにも縛られない? とうまのいるキョーシツに研修行っても大丈夫だいじようぶなの?」

「いや、メイドさんというのはそういうものじゃー……」
「じゃあ私もメイドになる! そしてとうまのクラスに遊びに行くかも!」
「その台詞せりふは索敵だけどメイドさんの道は厳しいのだぞー。毎日毎日男にお昼ご飯を作り置きしてもらっているような家庭的スキルゼロの女の子には難しいなー」
「じゃあとうまをメイドにする! そしてとうまに遊びに来てもらうかも!」
「その台詞は素敵すぎて涙が出てくるから上条当麻かみじようとうまには言わないのが優しさだぞー」
 むーむー、と暇人少女インデックスはほおふくらませて高速で体を左右に揺さぶっていたが、

「うん、そうだね。悪いけど、君がメイドになる時間もヤツをメイドにする時間もないんだ」

 不意に、白い少女の背後から声が聞こえた。
 は? とインデックスの思考が一瞬いつしゆん空白になる。彼女の前にいる舞夏まいかには、インデックスの背後に立つその人物の姿が見えるのだろう。おどろくというより、おびえるような色が顔に浮かぶ。
だれが……)
 白いシスターが声に出して振り返ろうとする前に。
 大きな手が、彼女の口を粘着テープのように押さえつけた。

     2

 どこにでもいる平凡な高校生、上条当麻は夕暮れの街をとぽとぽと歩いていた。
 ドラム缶型の清掃ロボットが彼の横をすれ違い、電柱代わりの風力発電のプロペラが都会カラスを追い払うようにくるくると回っている。オレンジ色の空にはアドバルーンがいっぱい浮かんでいて、その下にぶら下がっている幕は単なる布状の看板ではなく、最新鋭の超薄型ちよううすがた画画だった。『備えあればうれいなし 大覇星祭だいはせいさいの準備 がんばりましょう!――――風紀委員ジヤツジメント』とかいう表示が縦長の電光掲示板みたいに下から上へ流れている。
 大覇星祭とは言ってしまえば大運動会だ。学園都市は百万人単位の学生を抱えており、それらすべての学校が参加するとなればそのスケールも自然と大きいものとなる。おまけに彼らは皆、何らかの力に覚醒かくせいした超能力者である。さらにおまけのおまけに『能力者同士の大規模干渉のデータ採集を目的とする隠などと学園都市理事会が提唱しているため、この日限りは能力の全力使用が推奨され普段ふだんでは見られないような能力者たちの激突が見られるのだ。例えば彼らのサッカーやドッジボールは、消える魔球まきゆうに燃える魔球、凍る魔球と何でもありだ。
 期間中の一週間は学園都市が一般開放され、テレビカメラの中継も入る。普通のスポーツでは絶対にられない馬鹿ばかで派手な試合展開はかなりの視聴率を得るらしい。風紀委員ジヤツジメントが大覇星祭の準備に力を入れているのは、そういう理由からだ。学園都市の数少ない全国公開日を使って、少しでもイメージアップしておきたいというねらいもある。対テロ特別警備という名目で、能力開発関連の施設に重点的に警備員アンチスキルなどを配置して一般客に見せたくない区画の立ち入りを禁止するという念の入れようだ。
「う、うだー」
 と、言うのがこの一週間での周りの声を聞いた限りの話だった。
 上条かみじようはとある事情から記憶きおく喪失になっているため、大覇星祭だいはせいさいの事は知らない。が、どうにも話を聞く限り、相当自分にとって危険度の高いイベントであるのは予測がついた。能力の使用は原則として自由……どころか積極的に使わないと救護班のお世話になるぞ、というのが大覇星祭だ。つまり、事と次第によっては騎馬きば戦などで火の玉や雷撃らいげきや真空刃などが飛び交う恐れもあるのだ。
 上条は己の右手を見た。そこには幻想殺しイマジンプレイカーという能力が宿っている。魔術まじゆつだろうが超能力だろうが、不思議な力がからんでいるものなら触れただけで打ち消す事ができる能力だが、これ一つで何十人もの能力者が入り乱れる激戦区へ突撃したいとは思えない。
(……何でまた、自分が修羅場しゆらばになるようなイベントの準備のためにへとへとになるまで働かなくちゃならないんだ……)
 その準備にしても、校庭で見物人用のテントを組み立てた所で女体育教師から『ごっめーん♪やっぱテントいらないじゃん』と苦笑いで両手を合わせられたり、テントを片付けた所で女ミニ教師から『あーっ! 何やってるんですか上条ちゃん! テントはやっぱりいるって連絡入りませんでしたかー?』とか怒られたりした。不幸だ、の一言で片付けるには何かが釈然としない。
 上条は無駄むだ働きの連続で疲れ切った体を引きずるようにして学生りように向かっていた。
「あ。そういや冷蔵庫の中、空っぽじゃねーか」
 すぐ目の前にスーパーマーケットが見えるが、一度寮に帰らないとお金がない。また行って帰ってこないといけないのか、と上条はぐったりしながら帰路に着く。
 安いバスケットシューズは底が硬く、道路を歩くたびに足へ疲れがまっていく。
 と、学生寮の入口近くまでやってきた時に、不意に頭上から女の子の声が聞こえてきた。
「あー。かっ、かかかっかっ、上条当麻とうまだ上条当麻ー」
 ん? と上条が顔を上げると、七階通路にある金属の手すりから、土御門舞夏つちみかどまいかが上半身を乗り出して右手を振っていた。いつも通り清掃ロボットの上に正座した状態であるため、ものすごくバランスが危うく見える。左手はモップを握り、それで床を突いている。どうも、前進しようとしている清掃ロボットの動きをそれで封じているらしい。
「よ、よよ用事があったの急用があったの。というかお前は携帯電話の電源切ってるだろー」
「?」
 言われてポケットの中のGPS機能つきの携帯電話を取り出すと、確かに電源は切れている。ボタンを押して画面を確かめると、土御門舞夏つちみかどまいかからばんばんメールが送られてきていた。
 そういえば舞夏の声は間延びしたものだったが、少しその顔が青ざめているようにも見える。
 上条かみじようは首をかしげたが、とにかく急いでエレベーターに乗る。
 自分の部屋のある七階に到着すると、舞夏はモップの戒めを解放した。清掃ロボットはのろのろした動きでエレベーターへと近づいてくる。いつもインデックスと一緒いつしよにいるはずの三毛猫みけねこが、何故なぜかポツンと通路に座ってぺたりと耳を伏せている。三毛猫はしょんぼりしたままインデックスの持ち物であるはずの〇円携帯電話をくわえていた。
 清掃ロボットが上条の前に到着すると、舞夏は再びモップを前方の床へと突き入れ固定し、「緊急きんきゆう事態だ緊急事態だぞ。銀髪シスターが何者かにさらわれちゃったー」
「は?」
 上条は思わず声を出した。舞夏は白く青くなった顔で、
「だから誘拐ゆうかいだよ人さらい。通報したら人質殺すって言われたから何にもできなかったの。ごめんなー上条当麻とうま
 銀髪シスターというのはインデックスだろう。舞夏が冗談を言っているようにも見えない。そして、インデックスには誘拐される理由などいくらでもある。
 彼女は一〇万三〇〇〇冊もの魔道書まどうしよを頭に記憶きおくしている魔道書図書館だ。世界中の魔術師まじゆつしはその知識を欲しているし、現に一度、それが目的で八月三一日に誘拐さわぎが起きている。
「ちょっと待て。何がどうなったか、順番に説明してくんないか?」
 聞いてみると、舞夏はぽつりぽつりと説明を始めた。
 舞夏が学生りように『研修』でやってきたのは二時間前。そこで掃除をしていた所、七階通路で暇そうにしていたインデックスと出会って、世間話をしていたらしい。その世間話に割り込むように、突然インデックスの背後からだれかが彼女の口をふさいで、連れ去ってしまったとか。
「去りぎわに、誘拐犯が封筒を渡してきたのー。そこに色々書いてあって……」
 ダイレクトメールに使われるような、横に細長い封筒を舞夏は手渡してきた。彼女の声は、多少以上にふるえていた。単なる恐怖だけでなく、自分が何もできなかった事に対して負い目があるのだろう。
 上条は一度だけ封筒に目を落としてから、
「いや、闇雲やみくもに動いて下手に状況悪化させるよりずっとマシだよ」
 その言葉は舞夏を安心させるためのものだったが、彼女は余計に困ったような表情を浮かべた。ジリジリと肌を焼くような緊張感は、普通に学校生活を送っているだけではあまり縁がないのだから無理もない。
「そんで、その馬鹿ばか野郎はどんな感じのヤソだった?」
 舞夏はちょっと考えるように頭上を見上げてから、
「うーん。まず身長が一八〇センチを超えててなー、白人さんっぼかったぞ。でも日本語は上手だったし、見た目だけでどこの国の入かまでは分からなかった」
「ふんふん」
「それで神父さんみたいな格好でなー」
「ふん?」
「神父のくせに香水臭くて、肩まである髪が真っ赤に染まってて、両手の十本指には銀の指輪がごてごて付いてて、右目の下にバーコードの刺青タトウーが入ってて、くわえ煙草タバコで耳にはピアスが満載だったー」
「……、おい。すっごく見覚えあるぞ、その腐れイギリス神父」
 舞夏まいかは『?』と首をかしげる。上条かみじようは改めて封筒を調べた。中には一枚の便箋びんせんが入っている。
 そこには、定規を使って書いたようなシャーペンの字で、
『上条当麻とうま 彼女の命が惜しくば 今夜七時に 学園都市の外にある 廃劇場『薄明座はくめいざ』跡地まで 一人でやってこい』
 とか書かれていた。
「……。今時、定規で筆跡隠しかよ」
 今日び、定規で筆跡を隠した程度で身元が割れないと本気で考えているのだろうか。CDの表面をレーザー光で読み取る技術を応用した、個人差のある細かい『指先のふるえ』を文字の溝から調べる鑑定かんてい方法もあるし、何より学園都市には読心能力者サイコメトラーなども珍しくない。
 本人は真面目まじめにやっているつもりだろうが、ここまで来るとねらって笑いを取ってんのかと上条は少しあきれてしまう。
(ナニ考えてんだか。一足遅い夏休みでももらって遊びにきたのかあの馬鹿ばか
 舞夏の話をまとめる限り、インデックスを連れ去ったのは彼女の同僚のステイル=マグヌスだと思う。が、彼がインデックスの命をおびやかす事など絶対にないはずだ。むしろ、彼女を守るためなら敵地だろうが要塞ようさいだろうが迷わず突撃とつげきするような人間である。
 緊張感きんちようかんが一気にぎ落とされた。
 こうなってくると、本気で落ち込んでいる舞夏があまりに無残すぎる。
「あー、大丈夫だいじようぶだぞ舞夏。多分この犯人はおれやインデックスの知り合いだ。だから心配しなくても―――」
「は、犯人は知り合いだったのか!? 動機はゆがんだラブなのかー?」
「あ、え? いや、そういう意味じゃねーんだけど……。でも歪んだラブはありそうだな」
 余計に顔を真っ青にする舞夏を見ながら、上条はため息をつく。
 封筒を振ると、中からさらに折り畳まれた紙切れが出てきた。広げてみると、それは学園都市の外出許可証と関連書類だった。すでに必要事項は記入済みだ。一体どこでこんなの手に入れたんだろう、と上条は首をひねる。確かにこれがあれば堂々と正面から学園都市の外へ出られるが、入手するには一定のステップをまなければならないはずなのに……。
 上条かみじようは脅追状の馬鹿馬鹿ばかばかしさと、それに反比例して妙に手の込んだ準備にあきれ返る。
 しかし、本当にあの神父は何を考えているんだろうか?

     3

 廃劇場『薄明座はくめいざ』の跡地は学園都市からほんの一キロほど離れた場所にある。
 つぶれてから三週間もっていないからか、建物には傷んだような場所は見当たらない。内装の調度品が片付けられているためガランとしていて、掃除もしていないのでそこかしこにホコりが積もっているが、まだ『廃嘘はいきよ』という感じはしなかった。きちんと掃除をして調度品を再び持ち込めば、すぐさま活気を吹き返しそうな印象すらある。
 イメージするなら『冬眠している建物』という感じだろう。もしかすると、取りこわさないで次の買い手を探している状態なのかもしれない。
 インデックスとステイルは何もない舞台の上にいた。舞台・観客席をワンセットとした、体育館ほどの広さを持つ大ホールには窓がなく、照明器具も取り外されているため、光源は開け放たれた五つの出入り口から差し込む夕暮れの光しかない。
 薄夕闇うすゆうやみに落ちる舞台の上で、インデックスは女の子座りしていた。
 むっすー、と。彼女はほっぺたをふくらませて、
卑怯者ひきようもの
「返す言葉はないし、必要もないかな」
 ステイル=マグヌスは少女の敵意ある視線に一瞬いつしゆんだけひるみかけたが、決してそれは表に出さない。くわえ煙草タバコの先にいた火が、薄闇の中でゆっくりと上下する。白い煙は揺らいで流れ、『禁煙』と書かれた壁際かべぎわの表示板をでては消えていく。
「大体状況は分かってもらえたと思う。もう一度説明が必要か、とは問わないよ。君の記憶力きおくりよくを考えれば、二度繰り返す事に意味などないだろうからね」
「……イギリス清教の、正式な勅命ちよくめい
 インデックスはここに連れて来られてから受けた説明を、もう一度思い出す。
 だれにも解読できないはずの『法の書』を解読できる人間が現れたという事。
 その者の名はオルソラ=アクィナスという事。
『法の書』を解読すれば、十字教のパワーバランスを崩す『天使の術式』を手に入れられるかもしれない事。
 その『法の書』とオルソラが、日本へやってきた折に何者かにさらわれた事。
 犯人は天草式十字凄教せいきようらしき事。
 ローマ正教の人間が、『法の書』とオルソラの救出を目的に活動を始めている事。
 そして元・天草式トップであり現在はイギリス清教に所属している神裂火織かんざきかおりとの連絡が取れなくなり、不穏ふおんな動きが予測される事。
 イギリス清教は表向きローマ正教に協力するという形で本件にかかわるが、最優先事項は神裂火織が余計な真似まねをする前に問題を片付けるのだという事。
「その正式な『お仕事』に、一般人のとうまを巻き込む訳?」
「実は僕も何で巻き込まなくちゃいけないのか少し疑問でね。まあ、上のご指名というヤツさ」ステイルは煙草タバコの端をゆらゆら揺らし、「その上、これでも僕たちは難しい立場にいてね。
学園都市所属の上条当麻かみじようとうまヘストレートに協力を求めると『科学サイドが魔術まじゆつサイドの問題に首を突っ込んだ』とみなされかねない。あくまで学園都市内部で起きた問題なら『自衛』と言えば苦しい言い訳にはなっただろうけど、今回は違う。彼が首を突っ込むためには、それ相応の動機付けが必要となった訳だ」
 そのための、誘拐ゆうかい
 つまり、上条は『法の書』やオルソラなどは関係なく、あくまで『さらわれたインデックスを助けるために』学園都市の外に出てくる事になる。そこで『たまたま』天草式の人聞と出会ってしまい、仲間であるインデックスを助けるためにやむなく戦う羽目になった、というのが大義名分となる。
 当然ながらインデックスは魔術サイドの人間だが、現在、学園都市とイギリス清教の間でいくつかの取り決めがされていて、彼女の身柄は一時的に学園都市が預かる事になっている。学園都市に住む上条当麻が、そこに預けられたインデックスを助けてもおかしくない。
「大体話は分かったけど、やっぱり納得はできないかも」
「そうかい?」
「うん。こんな回りくどい事しなくたって、とうまは『助けて』って言ったら助けに来てくれるもん。どんなに危ない場所でも絶対来てくれるから、逆にたのみづらいんだけど」
「……、そうかい」
 ステイルは小さく笑った。
 幼い娘が好きな男の子の話をしてきた時の父親のように、小さく笑った。
「それで、これからどうするの? 『法の書』とオルソラ=アクィナスは天草式の手に落ちてるんだよね。だったら、天草式の本拠地まで行くっていうの?」
 少女の声に真剣味が宿る。それは、上条当麻が関わる以上、彼の危険を少しでも軽減させるために情報を集めておきたいという気持ちによるものだろうか。
「いや、状況は少し変わってる」ステイルは苦そうに煙を吐いて、「つい一一分前に、ローマ正教と逃走中の天草式が激突したらしい。オルソラ救出戦だね」
 インデックスは目を細める。
 通信用に使っているのは煙草の煙だろう。何度か細い煙に魔力がまとわりつくのをインデックスは見ているし、そのたびに白煙は風もないのに不自然な揺れ方をした。狼煙のろしは洋の東西を問わずあらゆる地域・時代で使われてきた遠隔通信手段であり、彼女の頭の中にも狼煙を使った古今東西の術式がいくつも収められている。
「それで成功したなら、私がここにいる必要はないはずなんだけど」
「その通りだ。が、明確に失敗した訳でもないよ。双方共に死者は出なかったが、どうも乱戦になったらしい。『法の書』の方は知らないが、オルソラはそのすきを突いて逃げ出したそうだ」
「? ローマ正教の方にも戻っていないの?」
「そういう事になるね。現在行方不明だから、再び天草式の手に落ちる危険性もある」
「……、それはまずいかも」
 人質が抵抗すれば暴力でだまらせるのが誘拐犯ゆうかいはんというものだ。まして『逃亡』した後にもう一度捕まったとなれば、反抗心をぐために何をされるか分かったものではない。
 そうなると、こんな所でじっとしている暇はない。今もローマ正教と天草式は逃げたオルソラの捜索・争奪戦を繰り広げているはずだ。
「できれば上条当麻かみじようとうきにも急いで欲しいものだが、今さら書き置きの命令内容を変更する事もできないしね。ローマ正教側からの協力者が来る前に彼とは合流したかったが……」
 ステイルが言った時、開けっ放しだった大ホールの出入りロの一つに、人影が現れた。
「……残念ながら、僕たちも彼を待たずして動き始めなきゃならないみたいだ」
 その人影は、ローマ正教側の協力者だった。

     4

「なんか最近、結構街の外に出てるよなー。……できればのんびり見物してみたいもんだけど」
 上条かみじようは学園都市の『外』―――外壁沿いの道を歩きながらつぶやいていた。外壁の高さは五メートル以上と高く、幅も三メートルと厚い。
(しかしまぁ、大覇星祭だいはせいさいの準備期間中ってやっぱ警備が甘いのかもな)
 上条は遠く離れた出入り口をチラリと振り返る。二三〇万もの人間が参加する大覇星祭はその準備のスケールも大きく、街の外からもたくさんの業者が出入りする。普段ふだんは警備の厳しい学園都市だが、今だけは甘くせざるを得ない状況なのだ。上条は外出用の書類を持っているのだが、そのチェックもいつもよりぞんざいだったような気がする。
 そんなこんなで、三毛猫みけねこ土御門舞夏つちみかどまいかに預けた上条は街の外を歩いていた。
 時計を見ると、午後六時過ぎ。約束の時刻までまだ一時間近くある。
 問題の『薄明座はくめいざ』だが、場所を特定するのに手間取った。携帯電話のGPSマップには、つぶれた建物の名前は載っていなかったのである。情報更新が早すぎるのも考えものだと上条は思った。そこでコンビニの棚で色槌いろあせていた『更新の遅い』東京の観光ガイドの本を買って調べようと思ったのだが、ポケットを探ると財布がない。どうも舞夏まいかと話したすぐ後に街の外へ出てしまったため学生りようにある財布を取り忘れたのだと気づいた上条かみじようは、店員さんが少し引いてしまうぐらい両目を見開いて立ち読みにてつする事にした。
(ええっと、あっちの道を歩いてそっちの大通りを渡って……ううっ! い、今すぐこの場で全部忘れそうだ。インデックスは一体どんな頭をしてやがんだ……〉
 ぼんやりと考えながら、上条はすぐ近くにあるバスの停留所を見た。
。待ち合わせ場所である『薄明座はくめいざ』跡地は一キロほど離れた地点にある。放課後でへとへとという事も考えれば冷房の効いたバスに乗って向かいたい所だが、生憎あいにくと持ち合わせがない。
(ちっくしょー……あー、バスで行く行かないより冷房の効いたトコに入りたい)
 停留所は小さく、ベンチが二つと雨除あめよけの屋根がついているだけだった。ただし老朽化が進んでいるのか、プラスチック製の屋根は所々がバキバキと割れていた。
 と、その停留所にだれかがいる事に気づいた。
 外国人らしい。上条と同じぐらいの身長の少女だ。彼女は時刻表のくっついた停留所の看板を、超近距離から食い入るように眺めている。そのままピタリと動きが止まっている所を見ると、読み方が分からないのかもしれない。
 服装は何を考えているのか、この猛暑の中で真っ黒な修道服だった。当然、長袖ながそで長スカートである。良く見ると、服の肩口やスカートの膝上ひざうえ二〇センチの高さで横一線するように銀色のファスナーがついていて、袖やスカートは着脱式になっているらしいが、彼女は馬鹿ばかみたいなフル装備だった。両手は白色のうすい手袋におおわれ、髪も見えなかった。インデックスがつけているようなフードのほかに、頭全体を覆い隠すようなウィンプルが完全に髪を隠していたのだ。布一枚で簡単に髪を隠せるという事は、おそらくショートカットなのだろう。
 上条は彼女の様子を横目で見ながら、
(む、シスターさんだ。……まさかインデックスの知り合いのジェノサイド修道女とかじゃあるまいな)
 世界中のシスターさんが猛抗議してきそうな偏見だが、上条はこの夏休みだけでもステイルだの土御門つちみかどだのといった面々にとんでもない目にわされている。上条としては、ヘンテコな修道服を着た女の子には警戒せよという感じなのだが、
「あのー……」
 シスターさんの方から話しかけられた。とてつもなく丁寧ていねいな日本語で語り始める。
「恐れ入りますが学園都市に向かうためには、このバスに乗ればよいのでございましようか?」
 丁寧な上にヘンテコだった。
 上条は立ち止まって、改めてシスターさんの方を振り返った。顔以外の全部の肌を隠しているシスターさんだが、逆に盛り上がった胸やくびれた腰が浮いている(というか見ようによってはわざと強調させているようにも感じる)、奇妙な人だった。
「いや、学園都市行きのバスはねえよ」
「はい?」
「だから、学園都市は『外』との交通機関を切断しちまってんの。つまりバスも電車も通ってない。乗り入れ契約してるタクシーなら入れるけど、普通に歩いていった方が安上がりだぞ」
「そうでございますか。それであなた様は徒歩で学園都市から出てきたのでございますね」
 シスターさんがすらすら言うので上条かみじようは振り返ってみたが、ここからではゲートは見えない。
改めてシスターさんの方を見ると、彼女はそでの中からごそごそと何かを取り出した。安っぽいオペラグラスだ。こちらで確認したのでございますよ、とシスターさんは笑って言う。
 と、ボロボロの停留所に合わせたようなオンボロのバスがやってきた。
 炭酸の抜けるような音と共に、バスの自動ドアが開く。
上条はバスに乗る気はないので停留所から少し離れる事にした。シスターさんの方を振り返りながら、
「とにかくバスに乗っても学園都市には行けねえから。許可証持ってるならそのまま歩いてゲートへ行けばいいよ。多分七、八分ぐらいで着くと思うけど」
「これはこれは。お忙しい中、ご助言いただき、まことにありがとうございました」
 漆黒しつこくのシスターさんはにこにこと笑いながらぺこりと頭を下げて―――
 ―――そのままバスに乗り込んでしまった。
「って、おい!バスに乗っちゃ駄目だめだっつったろ五秒前に!」
「あ、はい。そうでございましたね」
 まっているバスから長いスカートを両手でつまんでいそいそと降りてくるシスターさんに上条は、
「だからな。学園都市は『外』との交通機関を切断してるんだよ。だからバスも電車もつながってないの。街に入りたければ歩いてゲートへ行って来い。分かったか?」
「確かに。すみません、何度も何度もご迷惑をおかけしてしまって」
 苦笑いと共にシスターさんは上条にぺこりと頭を下げつつ、彼女はそのままタラップをんでバスの中へと吸い込まれていく。
「こらぁ!! テメェこっちの説明を笑顔で全部聞き流してんだろ!?」
「え? いえ、決してそのような事はございませんよ」
 再びいそいそとバスから降りてくるシスターさん。運転手は迷惑そうな顔のままバスの自動ドアを閉め、乱暴にバスを発進させていった。
 ぽけーっとバスの後ろ姿を見送っているシスターさんを見て、上条は猛烈に心配になってきた。目を離したら一〇分で迷子になりそうな気がする女の子なのだ。
 が、シスターさんはそうした上条の危惧きぐなど一切気づいていない様子で、
「おや、何かイライラしているように見えるのでございますね。飴玉あめだまなどはいかがでございましようか?」
「いや別にイライラしてねーけど。あめ? 何これ、オレンジ味?」
 なし崩し的にオレンジ色の飴玉を受け取ってしまった上条かみじようは、まさか捨てる訳にもいかないので適当に口の中に放り込んでみる。
 と、
「にっがぁ!? 何だこれ、明らかにオレンジじゃねえ!」
「はぁ。渋柿しぶがきキャンディだそうでございます。詳しい話は良く分からないのでございますが、のどが渇かなくなる効果があるとか」
「……。あー、それ唾液だえきが出やすいからな。でもこの炎天下で元々体の中に水分が少ない場合は何の意味もないから」
「まぁ。水分が足りていないのでございますか。それならそうと言っていただければ、お茶の用意はございますのに」
「何で修道服のそでの中から魔法瓶まほうびんが出てくるのかとかもう聞かなくていいや。そっちはホントにありがたいかも。中身は何なの?」
「麦茶でございますよ」
「おっ、もらうもらう」
 上条は素直に喜んだ。やっぱり真夏にはキンキンに冷えた麦茶ですなー、と適当な感想を浮かべつつシスターさんから魔法瓶のフタ兼カップを受け取って、
「――って熱う! 何で麦茶なのに沸騰ふつとうしてんだ!?」
「はぁ。確か、熱い時に熱い飲み物を用意するのがこの国のたしなみでございましよう?」
「おばーちゃん? そうか、おばーちゃんだな! さっきから何か言動が怪しいと思ってたらおばーちゃん的思考回路の持ち主なのか!?」
 上条は叫ぶが、シスターさんはにこにこと善意の笑みを浮かべるばかり。
 今さらカップに注いでもらったお茶を捨てる訳にもいかず、上条はぶるぶるふるえながらマグマのようなお茶を飲み干していく。
「……、さんきゅー。あとそれから、ちょっと質問するけどさ。シスターさんは学園都市に行きたいって言ってたよな?」
「はい、はい」
「えっと、さっきも言ったけど、街が発行してる許可証はちゃんと持ってんのか?」
「許可証、でございますか?」
 案の定、きょとんとした顔だった。学園都市のグートを通るには、街が発行する許可証がいる。理由はわざわざ説明するまでもないだろう。
 そう伝えると、シスターさんは困ったようにほおに手を当てて、
「その許可証というのは、どこでもらえばよろしいのでございましょうか?」「……、ごめん。一般の人はどんな努力をしても発行してもらえないぞ。街の生徒の肉親とか、商品・資材の搬入のための業者とかなら可能性はあるけど、それでも審査はあるし」
「はぁ。それでは、もうあきらめるしかないのでございますね」
 シスターさんはしょんぼりと肩を落とした。が、しつこく食い下がる様子がない所を見ると、別に必ず学園都市へ行かなければならないという訳でもなさそうだ。
(でもこればっかりはどうしようもないしなぁ……)
 上条かみじようはちょっと罪悪感に駆られたが、ふとシスターさんが『それでは』と言って学園都市のゲートの方に向かって歩き出している事に気づいた。
「だからァああああ!! 許可証がなきゃ街に入れないって……聞けよテメェは!!」
 言われてみれば、という感じでシスターさんは立ち止まって振り返る。
 ついさっきまでほのぼのと笑っていたくせに、シスターさんの顔がみるみるくもっていく。
 何かものすごく困ったような顔をするシスターさんに、上条は思わずひるみかける。実は許可証がなくても、魔術師まじゆつしなんかは無礼講でポンポン壁を飛び越えたりするのだが、このシスターさんにはそんなスキルはなさそうだ。
 と言っても、この場で上条からシスターさんにしてやれる事はない。学園都市へ入るには、とにもかくにもまず許可証が必要なのである。それにインデックスの件もある以上、あまりこんな所で無駄むだに時間を使っている余裕もない。指定の時間に指定の場所へ行けなくなる事態だけはけなければならないのだが。
「なぁ。お前はどうして学園都市に行きたいんだ?」
 はぁ、とシスターさんはちょっと首をかしげて、

「実は私、追われているのでございます」

 と言った。
 上条は、周りの温度が少し下がるのを感じた。
「追われ……?」
「はい。ちょっとしたいざこざがありまして、ただいま絶賛逃亡中なのでございます。学園都市は教会諸勢力の手が及ばない所だとお聞きしているので、できればそこへ逃げ込みたかったのでございますが」
「教会……。なぁ、それってもしかして魔術師がらみなのか?」
 上条が言うと、シスターさんはびっくりした顔で、
何故なぜ、魔術師の存在を認めているのでございましょう?」
「その反応は、ビンゴって事か」上条はため息をついて、「学園都市、か。本気でお前が追われてるんだとしたら、街に入った程度じゃ完壁かんペきとは言えねーぞ。っつか、それぐらいじゃ気合入ってるヤツはバンバン侵入してくるし」
 インデックスという少女を取り巻く環境を知っている上条かみじようとしては、学園都市の中に逃げ込んだ程度で魔術師まじゆつしが引き下がらないのは嫌というほど理解している。
「それでは、どうすれば―――」
 シスターさんはやや泣きそうな顔になる。上条としても魔術師と呼ばれる人々がどれだけ危険かは何となく知っているつもりなので、このまま放っておくのは気が引けるのだが、
「―――バスの路線図を読む事ができるのでしようか?」
「何個前の話題だよ! しかも路線図ってなんか新ワードが追加されてるし! 学園都市に入る入らないの話はどこ行った!?」
 上条は叫ぶ。
 キョトンとした顔の、言動が巻き戻されるシスターさんに上条は本気で頭を抱える。
 シスターさんが本当に魔術師に追われているなら、ここで無視するのはまずいと思う。とはいえ、上条の方にも悠長にしていられない事情がある。誘拐ゆうかいされた(らしい)インデックスが心配だ。どうにも胡散臭うさんくさい話ではあるが、かと言って流石さすがにそのまま無視する訳にもいかないだろう。どっちか片方を切り捨てるなんてやりたくないし、あーもうどうすれば良いんだッ!! と上条は頭をむしろうとした所で、ふと気づいた。
(あれ。……、じゃあシスターさんと一緒いつしよにインデックスの所に行けば良いんじゃ?)

 名案だと思った。
 脅迫状には一人で来いとか書かれてた気はするけど。

     5

 ステイルとインデックスは薄明座はくめいざの大ホールから出て、元はチケット売り場だったらしきロビー跡地を歩いていた。
 彼らの少し前を、漆黒しつこくの修道服を着た少女が先導していた。
としはインデックスより一、二歳幼いぐらいで、髪は赤みの強い茶髪―――いわゆる赤毛で、エンピツぐらいの太さの三つ編みがたくさんある髪型だった。着ている修道服は指先が隠れるほどの長袖ながそでなのだが、それに反してスカート部分は太股ふとももが見えるほど短い。見ると、スカートの縁にファスナーのようなものがついていた。どうも、着脱式のパーツを外した状態にあるらしい。かなり細い方に入るインデックスよりも、さらに腰が細い少女だ。
 身長はインデックスと同じ。だが、パカパカと馬みたいな足音の元を辿たどると、彼女の足には三〇センチもの高さのコルクの厚底サンダルがかれていた。一七世紀のイタリアで流行はやった、チョピンと呼ばれる代物しろものだ。
 彼女はローマ正教のシスターで、 その名を、アニェーゼ=サンクティスと紹介した。
「状況はもうメチャクチャ。情報も錯綜さくそうしちまってオルソラはどこへいったのやら、って感じですか。『法の書』の方も確保したって情報は上まで上がってきやしませんし、こっちもヤバめな感じですよ」
 この場に日本人はいないのだが、アニェーゼは流暢りゆうちような日本語で言った。
「一応、さらわれちまったオルソラを輸送してた天草式への奇襲きしゆうは成功って事になんですけどね。ウチのだれかがオルソラを救出したはいいものの、そいつが本隊に合流する前にまた天草式にかっさらわれちまったんです。それで彼女を再び取り戻すと、さらに天草式の別働隊にかっさらわれて……ってな感じの繰り返し。索敵の包囲網を広げすぎたのがあだんなりましたね。総合的な人数が多くても、一部隊一部隊の人数が少なくなっちまってたんで、そこを付け込まれました。そんなこんなで何度も何度も何度も何度も奪還・強奪を繰り返してる内に、いつの間にか追っかけてたはずのオルソラがどっかに消えちまってたって訳なのですよ」
 アニェーゼの敬語は粗雑さと丁寧ていねいさが同居していた。仕事中に実地で学んだとしたら、彼女は日本の刑事や探偵などと会話する内に言葉を覚えたのかもしれない。
 と、そんな事を考えていたステイルに、アニェーゼはくるりと振り返る。短いスカートがひらりと舞って、白い太股ふともも一際ひときわ大きくあらわになる。
「何か? ああ、すいませんね。英国語クイーンズもできるんですが、どうしてもイタリア語のなまりが残っちまうのですよ。普通ならあんま気にしないんですけど、相手がイギリス人の場合だけは例外という事でお願いいたします。言葉は地元の方にはかないませんからね」
 ステイルは特に気にした様子もなく口元の煙草タバコを揺らしながら、
「いや、別に気にしていないよ。何ならこちらがイタリア語に合わせても構わないけど」
「それはやめてください。イギリスなまりの母国語なんて聞いちまったら吹き出しちまって仕事になりません。こういうのは、共通の外国語である日本語を使うのがいんですよ。お互いに言葉遣いが変ならケンカになんないですから」
 ぱかぱか、とアニェーゼの厚底サンダルが馬の足みたいな音を出す。
 確かに一理あるのだが、彼女はこの国のジヤパニ住人ーズには何語で話しかけるつもりなんだろうか、とステイルはいらぬ心配をした。そもそも現地の人に使えないのならその国の言葉を覚える必要はどこにあるのか疑問だが。
 インデックスはさっきからだまったまま、一言も声を発しようとしない。
 むっすー、と。ご機嫌斜めにつき沈黙ちんもく中、という少女の顔をステイルはチラリと見て、それから再びアニェーゼの方へと視線を戻す。
「それで、治宅から『法の書』とオルソラ=アクィナスを拝借したっていう天草式だけど、君たちにとってそれほど脅威的な勢力なのかな」
「そりゃ言外に『ローマ正教は世界最大宗派のくせに』って言ってますね。いや実際、返す言葉はありませんよ。数や武装ならこちらが上なんですけどね、連中は地の利を生かして引っかき回しやがるのですよ。日本ここはヤツらの庭ですから。数字の上で不利なはずの相手に手傷を負わされるってのは結構頭にきちまうんですがね。悔しいですが、ヤツらは強いです」
「……、となると、簡単には屈しないって訳か」
 ステイルの声はわずかに苦い。
『武力を見せつけて言葉でねじ伏せる』というのが最速かつ平和的な解決方法だと思ったが、相手が交渉に応じない程度の戦力を持つとなれば、後は泥沼の戦いを行うしかない。
 天草式との戦闘せんとうが長引けば長引くだけ、神裂かんざきが横から首を突っ込んでくる危険性は高まる。
こうなったら半端ほんぱな容赦はすべて捨て、彼女に勘付かれる前に電撃でんげき戦で天草式を一気に撃破した方が、話はスムーズに進むかもしれない。
 ローマ正教の目的は『法の書』及びオルソラ=アクィナスの救出であって、天草式の殲滅せんめつではない。目的のものさえ戻れば、ローマ正教はそこであっさり手を引くだろう。
 後はいかにして、天草式の戦意を失わせるかだ。
「僕は日本の十字教史にはうといから良く分からないんだけど、天草式の連中はどんな術式を使うか分かるかな。それによって、探索や防御のための陣や符を用意できるかもしれない」
 ステイルは今まで元・天草式の神裂と行動を共にしていたが、彼女の術式を分析しようという気にはなれなかった。何せ相手は世界で二〇人もいない『聖人』だ。仮に解析できたところで常人である彼に利用できるものではない。どんな人間でも、長さが五〇センチしかない定規で太陽と地球の距離を測ろうとは思わないだろう。
 神父に質問されたアニェーゼも困ったように、
「実は……こっちも正確には天草式の術式は解析できちゃいないんです。ザビエルの耶蘇イエズス会が元になってんならヤツらもローマ正教の傍流という事になるんでしょうが、もはやにおいも残っちゃいません。チャイニーズやジャパニーズなど東洋系オリエンタル影響力えいきようりよくが強すぎるんです」
 それを聞いても、ステイルは特にアニェーゼを責めたりはしない。昨日の今日ぶつかっただけで仏教や神道が混ざっている事をつかめただけでも、まあ上々の分析力と言えるかもしれない。
 ステイルはアニェーゼからインデックスへ意見を求めるように、視線を移す。
 こういう場面では、軽く常人の一万倍以上もの知識量を誇る彼女の独壇場どくだんじようだ。
 純自のシスターはさも当然と言った口ぶりで、
「天草式の特徴は『隠密性おんみつせい』だよ。母体が隠れキリシタンだからね。十字教を仏教や神道によって徹底的てつていてきに隠して、儀式ぎしきと術式を挨拶あいさつや食事や仕草や作法の中に隠して、天草式なんてものは初めから存在しなかったようにすべての痕跡こんせきを隠し通すの。だから天草式はあからさまな呪文じゆもん魔法陣まほうじんを使わない。お皿やお茶碗ちやわん、おなべや包丁、お風呂ふるやお布団ふとん、鼻歌やハミング……こうした一見どこにでもある物を使って魔術まじゆつを行うんだよ。多分、プロの魔術師でさえ天草式の儀式場をのぞいた所で正体は分からないと思うよ。だって、普通の台所とかお風呂場にしか見えないはずだもん」
 ステイルは口の端の煙草タバコをゆっくり上下させ、
「となると、偶像のスペシャリストといった所かな。ふむ、近接格闘戦かくとうせんより遠距離狙撃戦そげきせんの方が得意そうだね。グレゴリオの聖歌隊のような大規模なものでない事を祈りたいけど」
「ううん。天草式は鎖国さこく時にも諸外国の文化を積極的に取り入れていて、洋の東西間わず様々な剣術を融合ゆうごうさせた独自の格闘術も身に付けているの。彼らは日本刀からトゥヴァイハンダーまで何でも振り回せると思う」
「……、文武両道か。面倒な連中だ」
 ステイルは忌々いまいましげに吐き捨てた。ちなみにいつの間にか会話の輪の外に追いやられたアニエーゼは爪先つまさきでロビーの床を軽くっていじけ虫になっている。床を蹴るたびにいちいち短いスカートがひらひらと揺れた。ぱかんぱかん、と少し間の抜けた足音がひびく。
 煙草をくわえた神父はアニェーゼの方へ振り返り、
「それで、『法の書』及びオルソラ=アクィナスの捜索範囲はどこまでなのかな。僕たちものんびりしていられないだろう。どこを捜せば良い?」
「あ、はい。捜索はこちらで行ってんで大丈夫だいじようぶです」
 話題の中心に戻ってこれて、アニェーゼは少し慌てたように姿勢を正し、
「入海戦術はウチの専売特許でね、今も二五〇人体制でやってます。今さら一人二人増えた所で何も変わりやしませんし、命令系統が違うんでかえって混乱しちまう恐れもありますんでね」
「……? それなら、どうして僕たちはここに呼び出された?」
 ステイルがわずかにまゆをひそめると、アニェーゼは口の端をり上げて笑い、
「簡単ですよ。ウチらに調べらんないトコを調べて欲しいんです」
「例えば? 日本にイギリス清教が直接管理する教会などない。僕達に断らなければ探索できない場所など、せいぜいイギリス大使館ぐらいのものかな」
「いいえ、学園都市ですよ」アニェーゼはパタパタと片手を振って、「場所柄を考えれば、ありえん話じゃないでしょ。オルソラが学園都市に逃げ込んじまえば、天草式は彼女を追えません。いや、追いづらい、ぐらいかもですね。だからあなた達には学園都市へ連絡を入れて欲しんですよ。ウチらローマ正教は学園都市とのつながりがないんで面倒ですし」
「確かに……。しかし、それなら前もって教えてもらえると助かったかな。ちょっと昔の僕に良く言って聞かせてやりたい気分だよ」
 インデックスが学園都市に預けられている事から分かる通り、学園都市とイギリス清教は細い糸で繋がっている。せいぜい国交のようなものが「ある』か『ない』かぐらいの意味しか持たないが、全く『ない』ローマ正教よりは一応『ある』イギリス清教が連絡を入れた方が波風は立たないだろう。
「……けれど、だとすれば面倒な所へ駆け込まれたもんだ」
「あくまで可能性の話なんで。我らがオルソラじように、そんぐらいの分別がつく心の余裕があんのを祈りましょう。で、連絡っつか確認にはどんぐらいの時間かかります?」
「ああ、電話一本……とはいかないか。一度、セントジョージ大聖堂の方へ連絡を入れて、そこから中継して学園都市ヘラインを繋がなくてはならないから……緊急きんきゆうと言っても七分から一〇分はかかるかもしれないね。ちなみに学園都市への侵入許可となるとさらに面倒になる。技術的に忍び込むのは可能なんだが、役所的に考えるとそれはけたい所だしね」
「とりあえず確認だけでいんで、もちっと早くしてもらえっと助かりま―――」
 言いかけた所で、不意にアニェーゼの動きが止まった。
 彼女の視線を追うと、ロビーの先には建物の出入りロがある。ガラスでできた両開きのドアが五つも並んだ、大きな入場口だ。
「何だ? 一体どうし―――」
 ステイルは問いただそうとした所で、やはり彼の動きが止まる。
「?」
 最後にインデックスが二人の視線を目で追い駆けた。
 ガラスの入場口のさらに向こうには、元は駐車場に使われていた、アスファルトの広場がある。建物の大きさに反して、極端に小さな空間だった。今では固められた地面の隙間すきまからたくましい雑草が伸びている以外は何もないはずなのだが―――何もないはずの駐車場跡地に、何かがあった。
 というより、だれかがいた。
「あ、とうまだ」
 インデックスは見慣れた少年の名前を告げて、
「お、るそら=アクィナス?」
 アニェーゼは、少年のとなりを歩いている漆黒しつこくのシスターの名前を言った。
 名を呼ばれた彼らは、まだ薄明座はくめいざの中にいる魔術師達まじゆつしたちの存在に気づいていないようだった。

     6

 少しだけ時間はさかのぽる。
 夕暮れの涼しい時間帯とはいえ、上条かみじようは夏場に三キロの徒歩という重労働を馬鹿ばかにしていた。
(れ、冷静に考えたら今日は体育とか色々あってへとへとなのでした……)
 財布をりように忘れっ放しの上条には、当然ながら移動手段など徒歩しか残されていない。
 ちなみに、彼の隣を歩いている黒いシスターお姉さんもお金を持っていなかった。一体どんな方法を使ってバスに乗る気だったのか、とても気になる上条当麻とうまである。
 そんなこんなで汗だくボロボロで上条は残暑厳しい九月の道を三キロも歩いて薄明座の前までやってきたのだが、
「あの……シスターさん? あなたはこの炎天下でそんな真っ黒な服着てるのに何でニコニコ笑顔で汗一つかいてないんですか」
「はぁ。肉の苦など心の痛みに比べればどうという事はございませんから」
「……、何だこのマゾシスター」
「あの、ところでバス停までは後どのくらい歩けばよろしいのでございましよう?」
「まだバスネタ引っ張ってたんか!? だからこれからイギリス清教の人間に合わせるっつってんだろ! ひょっとしてさっきからずっと人の話をスルーしっ放しだったのかよ!?」
「あら。失礼ですが、あなた様はかなりの汗をかいているのでございますね」
「ちっくしょう! 話題が戻ったり進んだりして会話しづらいU」
「ほらほら、今ぬぐってあげますので動かないで欲しいのでございますよ」
「え、何が? ちょ、待っ、ぶっ!?」
 シスターさんがそでの中から取り出したハンカチで上条はいきなり顔を拭われた。ただのハンカチの分際で布地は高級そうなレースだし何かほんのりあったかいし薔薇ばらみたいなにおいがする。
上条はそれから逃れようとしたが、意外に強い力で顔を押さえつけられて逃げられない。
「はいはい。終わったのでございますよ」
 にっこー、と光すら放ちそうな笑みを浮かべてシスターさんは上条の顔を見る。
「……。いや、ありがとうな」
 上条かみじようはぐったりしながら薄明座はくめいざ跡地の敷地しきちへと足をみ入れる。
 建物は遠目に見ても巨大な事が分かるのに、正面にある駐車場は職員専用かと思うほど極端に小さかった。駅の近くだし、すぐとなりに立体駐車場があるからだろう。一応、二メートル程度の高さの金属板と鉄パイプで敷地は完全に囲まれているのだが、作業員が行き来するための出入り口が強引に広げられていた(太いくさり南京錠ナンキンじようが地面に転がっている)。
 狭い駐車場には、建設用の重機などはなかった。薄明座の建物も、スプレーによる落書きやガラスの破壊はかいなどの痕跡こんせきはない。もう次の買い手が決まっていて、だれかが定期的に管理にやってきているのかもしれない、
 上条たちが近づいていくと、薄明座は体育館より一回り大きいぐらいの建物で、形はきっちり四角形だというのが分かった。どこか有名な劇場を真似まねているのかもしれないし、単に建築デザインが面倒だっただけかもしれない。
(さってと、連中は中かな。外は暑いし)
 上条は薄明座の入場口へと目を向ける。両開きのガラスのドアが五つも並んだ大きな出入り口だ。板や何かでムさいである様子もない。廃櫨はいきよというより休業中みたいな感じだ。
 と、そんな事を考えている上条の前で、五つ並んだドアの一つが手前に開いた。
「ありゃ?」
 上条は思わず声を出した。
 中から出てきた三人の男女の内、二人は見覚えがある。インデックスとステイルだ。
 最後の一人―――インデックスより幼そうな外国人の少女だけ、上条は見覚えがない。着ている服は、バス停で出会ったシスターさんと同じ黒い修道服だ、ただし、この少女はファスナーを外してスカート部分のオプションを切り取っているのか、極端なミニスカート状態になっている。足元へ視線を移すと、なんと靴底が三〇センチもある木のサンダルをいていた。
 と、インデックスは上条の顔を見るなり、
「とうま、そこのシスターさんとはどこで会ったの?」
「……、のっけからそれか。っつーかこっちも主にお前の横に突っ立ってる凶悪神父に聞きたいんだけどな、何でまたこんな手の込んだ誘拐ゆうかいごっこなんかやってんだ。そしてこの炎天下ん中三キロもぐだぐだぐだぐだと余計に歩かされた理由もぜひ問いただしたい! 是非だ是非! 是が非でもと書いてな!!」
 叫ぶ上条に、ステイルは面倒臭そうな顔で、
「ああなんだ。狂言だっていうのはバレていたんだね。君をここへ呼んだのは人捜しを手伝って欲しかったからだよ。禁書目録はそのためのおとりに使っただけだ。ちなみに現場責任者はこちら。ローマ正教のアニェーゼ=サンクティス」
 ステイルが適当に煙草タバコの端で指すと、厚底サンダルのシスター少女が『ど、どーもです』と頭を下げた。日本人はしょっちゅう頭を下げる、という事前情報は知っていたのだろうが、動きが大袈裟おおげさすぎてホテルマンみたいに見える。
 突然見ず知らずの人に矛先を変えられて、上条かみじようはわずかに鼻白はなじろんだ。現在上条当麻とうまは絶賛お怒り中だが、まさか面識ゼロの人間にそれをぶつける訳にもいかない。
 と、ペースを崩された上条ヘステイルは畳み掛けるように、
「悪いが君の世迷言よまよいごとに付き合っている時間はないんだ。さっきも言ったけど、君をここへ呼んだのは人捜しが目的だ。今も二五〇人体制で捜索しているが一向に見つからなくてね、時は一刻を争っているんだ。人の命がかかわる間題だから速やかに協力して欲しい」
「泄迷言って……。協力を求めてるくせにゲストって感じのいたわりが一切ないし! くそ、何だよもう! 人の命が関わるってどういう事だ、…からちゃんと説明しろ! っつか素人しろうとおれなんかに人捜しのスキルなんてねーぞ! そんな大事な事を高校生なんぞに任せんじゃねえよ!」
「ああ、大丈夫だいじようぶ大丈夫。君のとなりにいるシスターをこっちに引き渡してくれれば良いだけだから」
 はい?と上条は目を点にする。
 ステイルは心底つまらなそうに煙草タバコの煙を吐いてから、
「だから、君の隣にいるシスターが行方不明の捜し人だよ。名前はオルソラ=アクィナス。はいお疲れ様。いやあ良く頑張ってくれたね。上条当麻、君はもう帰って良いよ」
「……、あの。狂言誘拐ドツキリかまされて、出所の怪しい学園都市の外出許可を片手に街から出てきた挙げ句、四〇度弱の炎天下の中を三キロも歩き続けたわたくしめの立場は?」
 上条はうつむいてぶつぶつと言い出した。が、
「だからお疲れ様と言っているじゃないか。何だ、カキ氷でもおごって欲しいのかい?」
 傭いて歯軋はぎしりをする上条当麻に、インデックスがあわわわわと顔を青くする。
 ブツン、と上条のこめかみの辺りから面白い音が聞こえ、
「これまではさ。馬が合わないと知りながらも仲良くやっていこうとは思っていたんだ。本当だぞ。本当に思っていたんだぞ? ああ、今この瞬聞しゆんかんまではな!!」
「じゃれてないでさっさとオルソラをアニェーゼに引き渡せ。何だ、君はもしかして構って欲しいのか。あいにくと僕は君の寂しさを埋める事はできないし気持ちが悪いからしたくない」
 マジギレした挙げ句にそれをあっさりとスルーされた上条は、燃え尽きたようにその場で崩れ落ちてしまった。
「う、ううううううラうう。今日はもう晩ご飯を作る気力もありません。インデックス、今日のご飯はおざなりなお持ち帰りのブタ丼に決定ね」
『えっ!? とうま!!』と叫ぶ食欲少女を無視して上条は真っ黒シスターお姉さん改めオルソラ=アクィナスの方へ振り返って、
「……そういや、お前だれかに追われてるって言ってたけど、この『人捜し』と関係してたのか? ま、お仲間と合流できたんならもう大丈夫だいじさワぷだろうけど」
 上条かみじようが声をかけると、オルソラは何故なぜかビクンと体をあるわせた。それは抑えようとして失敗したような、小さな震えだった。
 彼は首をかしげる。どうも、オルソラは上条ではなくステイルたちを見ているようだ。
 と、ステイルはつまらなそうに片目を閉じつつ、
「ふむ。不安になる必要はないさ。僕達イギリス清教も仕事が終わればさっさと撤退てつたいする。ま、その程度の警戒心は持ってしかるべきだとは思うけどさ」
 部外者である上条にはみんなまとめて『教会の人』とか『魔術まじゆつ世界の住人』とひとくくりに見えてしまう。
 が、彼らは彼らでロ!マとかイギリスとか色々と細分化したり敵対視したりしているのだろうか、と上条は考えていたが、

『いやいや。そうそう簡単に引き渡されては困るよなぁ?』

 不意に、野太い男の大声が聞こえた。
 声は不自然にも、上条の真上から飛んできた。上条達が夕空を見上げると、七メートルほどの高さで、ソフトボールぐらいの大きさの紙風船がふわふわと浮いていた。
 紙風船のうすい紙がひとりでにビリビリと振動し、先程の男が声を作り出す。
「オルソラ=アクィナス。それはお前が一番良く分かっているはずよな。お前はローマ正教に戻るよりも、我らと共にあった方が有意義な暮らしを送る事ができるとよ』
 瞬間しゆんかん
 ゾフ!! という鋭い音と共に、上条とオルソラを遮るように地面から一本の剣の刀身が飛び出た。頭上に意識を誘導ゆうどうさせられていた上条達にとってはまさに死角からの不意打ちに近い。
 さらに二本、オルソラを囲むように、ゾンギン!! と地面から剣が飛び出す。
 飛び出した剣は、サメの背びれが海面を引き裂くように、地面を一直線に滑った。三本の剣がそれぞれ突っ切ると、地面はオルソラを中心とした、一辺ニメートルの正三角形に切り抜かれる。
「あ――――――ッ?」
 ずず……、と重力の消える感覚にオルソラが恐怖というより戸惑いに近い声をあげる。だが、それが明確な悲鳴になるより早く、正三角形に切り抜かれたアスファルトごと、オルソラの体が暗い地下へと落下していく。
「天草式!!」
 アニェーゼが叫んで手を伸ばそうとしたが、もう遅い。オルソラの体は暗いやみの底へとみ込まれてしまっている。上条は慌てて穴の縁へと走り、忌々いまいましそうに舌打ちする。

「下水道かよ……ッ!」
 頭上の紙風船は熱を帯びた、しかし要点を忘れない声で、
『ローマ正教の指揮官さえ追っていれば、オルソラ=アクィナスがどこへ逃げようがだれに捕まろうが、いずれはここまで連れて来られるとんでいたのよ。まったく地下を辿たどって待ち構えていた甲斐かいがあったというものよなあ!! 』
 上条かみじようには状況が全くつかめない。
 下水道にひそんでいたのは誰なのか。いきなりオルソラをさらった理由は何なのか。
 しかし、これだけは分かる。
 連中は、いきなり問答無用で刃物を使って人間を奪った。それも話を聞く限り、突発的なものではなく、事前に計画を立てて、ずっとずっとひたすらにチャンスを待ち続けて。
「くそ!!」
 上条は正三角形に切り抜かれた穴の中をのぞく。暗いので遠近感が掴みづらいが、それほど高くはないと感じられた。彼は飛び降りようと穴へ向かって、
「待って! 駄目だめだよ、とうま!!」
 インデックスが思わず叫んだ瞬間しゆんかん

 ギラリ、と。やみの中から、何十もの刃の光がひらめいた。

 夕日のわずかな光を照り返すのか、オレンジ色の光がギラギラヌラヌラと下水道の中でうごめいた。刀身の光を浴びて、地下にひそむ者たちの輪郭だけがうっすらと浮かび上がる。それは例えるならさび付いた刀やおのを構える山賊が、細い山道のわきの草むらでじっと息を殺して犠牲者ぎせいしやが通りかかるのを待っているような光景を思わせた。
 ぶわり、と熱風のような殺意の塊があふれ出し、上条かみじようの顔へ直撃ちよくげきする。
 一瞬いつしゆん、確実に動きを封じられた上条のとなりでステイルはルーンを刻んだカードを取り出した。
 四枚のカードを自分の周囲の地面へと投げて配置し、
我が手》には炎TIAFIMHその形は剣IHTSOTSその役は断罪AIHTROTC―――ッ!」
 ステイルが叫んで煙草タバコを真上へ指ではじき捨てる。煙草の軌跡を追ってオレンジ色のラインが引かれ、次の瞬間、そのラインに従うように炎の剣が彼の手から飛び出した。
 新たに生まれた強力な光源に、下水道のやみが一気にぬぐい去られる。
 ステイルは炎剣を大きく振りかぶったが……そこで動きが止まってしまった。
 炎の剣によって照らし出された下水道の中には、だれの姿もなかった。拭われた闇と一緒いつしよに、あれだけたくさんあった人の気配が消し飛ばされていた。穴の中で刃を手に待ち構えていた無数の人影も、穴の中に落ちたはずのオルソラの姿も、ほんの一瞬でいなくなってしまった。まるで、堤防に張り付いていたフナ虫の群れが一斉に逃げ出したように。
 ふわふわと頭上を浮いていた紙風船が、ゆっくりと降りてくる。
 誰もそれを手に取らず、紙風船は正三角形に切り取られた穴の中へと落ちていった。
「ちくしょうが。何がどうなってやがんだ」
 上条は吐き捨てるように言って、
「おい。テメェ一から十まで説明する気あんだろうな?」
「説明は、僕の方が求めたいぐらいだね」
 ステイル=マグヌスはみにじるように答えた。

   行間 一

 人工物に固められた海岸は、ようやくが落ちて夜を迎えていた。
 海水浴場からほんの数百メートル離れただけの、岩場のような場所だった。海岸のすぐ先は高さ一〇メートル近い絶壁になっていて、波ががけを削らないようにと、テトラポッドがうずたかく積み上げられている。
 完全に陽の沈んだ海は、深い黒色に染まっている。
 まるで夜の到来を待っていたように、その黒い海面から『手』が現れた。
 手というより、『手甲てつこう』である。銀色に光る重たい手甲の指が、テトラポッドをつかむ。さらに海面を割ってテトラポッドの上へと乗り上げたのは、まさしく西洋の全身よるいだった。頭の先から足の指まですべて鋼鉄におおわれているため、人間味すら希薄ヨはくに見える。
 最初の一人が上陸を果たすと、それを真似まねるように次々と二〇人もの『騎士きしたちが海面から姿を現し、テトラポッドの上へと身を乗り上げていく。おのおの々の鎧の腕に刻まれた文字は『連合王国United Kingdom』。それはイギリスという国家を一言で示す記号でもある。
 彼らは泳いでここまで来た。
 その意味に何の比喩ひゆもない。イギリスからアフリカの喜望峰きぽうほうを回り、インド洋を通ってはるばる日本まで潜水せんすいしてきたのだ。
 聖ブレイズの伝承を骨組みとした海流操作魔術まじゆつ―――簡単に言うと三日で地球を一周できるほどの高速潜行を可能とする術式―――は鎧に付随した霊装れいそう的な機能ではなく、あくまで騎士一人一人が肉体一つで発動したものだ。現在、騎士の装備する鎧にはそういった霊装機能は一切ない。騎士自体の運動性能があまりにも高すぎるため、霊装としての追加効果がかえって邪魔になってしまうからだ。『霊装が生み出す効果以上の豪腕で暴れ回る』騎士達は、自分のパワーで鎧を破壊はかいしてしまう危険性があ。るのである。
 彼らは、ただの騎士団と呼ばれていた。
 かつて英国内で使用されていた『鉄杖騎士団7th_Macer』や『両斧騎士団5th_Axer』といった名称は七年前に廃止されている。それは今の騎士団がとがった個性を失ったのではなく、全ての騎士が、あらゆる技術を身に付けるために団を一新したという意味を持つ。
 彼らがそこまでの力を手にしなければならないのには、イギリスという国が抱える事情と騎士団の設立目的にある。
 現在、英国はどもえの複雑な命令系統によって機能している。
 英国女王クイーンレグナント、及び掌握しようあくする議会を含めた『王室派』。
 騎士団長ナイトリーダー、及び指揮する騎士きしを含めた『騎士派』。
 最大主教アークピシヨツプ、及び利導する信徒を含めた『清教派』。
 彼らの力関係は以下の通り。
『王室派』は王家の命令インストラクシヨンとして『騎士派』を制御して、
『騎士派』は国政の道具コンピニエントツールとして『清教派』を利用して、
『清教派』は教会の助言アドバイスとして『王室派』を操作する。
 これこそ、三者の内一つでも政策に納得しないまま議題を決行しようとすれば、遠回りのルートを通ってやってくる絶大な抗議に足止めされるように設定された極限美の三角形だった。
しかし、英国が『世界で最も複雑な十字教文化』と呼ばれるのは、さらなる理由も含まれる。
『英国』とは、イングランド、北部アイルランド、スコットランド、ウェールズの四文化からなる連合王国である。その名残は今も残っていて、場所によっては独自の通貨が発行されているほどである。
 例えば同じ『清教派』でも、イングランド系とウェールズ系のメンバーでは仲が悪い事もある。また逆に『清教派』と『騎士派』でも、同じスコットランド系のメンバー間にパイプができているのも珍しくない。かつて暗号解読専門官シェリー=クロムウェルが同じイギリス清教にきばいたのには個人的な動機のほかにもこうした後ろ盾がある。
 三派閥四文化。
 互いに影響えいきようを及ぼす二重相関図こそがイギリスという国家を複雑化させるに至り、また『騎士派』に任された最大の使命とは、この複雑な連合王国を空中分解させない事にある。
 だからこそ、彼ら騎士たちかねてより納得していなかった。
 イギリス清教――――『清教派』が、『騎士派』と同じ力をつけてしまった事に。
 元々イギリス清教とは、全世界を支配下に置いたローマ正教に対抗するために作られたものだった。自分の国は自分達で動かしたい、しかしローマ正教の意に従わなければ『十字教の神の教えに反する国』として攻撃こうげタされてしまう。そこで「イギリス国内に独自の教会を置く』事で、ローマ正教の法を遵守じゆんしゆしなくても『イギリス清教=十字教の神の教えに従った行動だ幅という言い訳が立つようにしたのである。
 つまり、イギリス清教は政治のための道具として作られたのだ。
 王室とそれに仕える騎士、彼らが作る巨大な歯車に挿すオイルが教会なのだ。
 しかし現状では王室と騎士の関係の間に、イギリス清教の命令系統が食い込んでいる。
 道具として作られたものから、逆に行動を制限されるとなってはだれも納得しない。
 現に騎士達は騎士団長ナイトリーダー英国女王クイーンレグナントこそが主であるとして、イギリス清教トップの最大主教アークピシヨツプの命令には手を抜くばかりか、ひどい時は突っぱねたりもする。
 今回の勅命ちよくめいである『法の書』オルソラ=アクィナスの救出戦の援護』にしても、彼らの出した答えは単純だった。
 天草式など皆殺しにすれば良い。
 自らの認め鍛者―――最大主教アークピシヨツプの指示に命をける義理などないのだから。
 ローマ正教や天草式との宗教倫理関係など考慮こうりよに入れていない。
 天草式がいなくなった所で、イギリスの国益には何の影響えいきようもないのだから。
 殺すのは容易たやすい。騎士団むしだんの手腕―――十字軍遠征時に数多あまたの異教徒を葬った神僕騎士マーダークルセイダーから語り継がれた御業みわざの数々―――は、小さな島ぐらいなら地図から抹消できるほどの威力を持つ。
 極東の島国の一派など一日もかからず破壊はかいできるだろう。
 その過程で人質となっているかもしれないオルソラがどうなろうが知った事ではない。
 やはり、イギリス清教は『法の書』の中身になど興味はない。すでにあの禁書目録が中身は記憶きおくしているのだから任せれば良い。オルソラが生きようが死のうが、イギリスの国益に支障はない。ローマ正教がさわぐかもしれないが、それを抑える雑用は最大主教アークピシヨツプの仕事だ。
 最大主教アークピシヨツプは元・天草式のトップだった神裂火織かんざきかおりの動向に気をつけうと言っていたが、騎士たちは気にも留めなかった。天草式を皆殺しにした事で怒り狂った。神裂がおそいかかってこようが、逆に血祭りに上げてやれば良いだけの話だった。

 だった、のに。
 それらすべてはたった三秒で狂ってしまった。
 騎士達が海面を割ってテトラポッドの上へと乗り上げたというならば、
 それは、テトラポッドを下から突き破って現れた。
 ガンゴン!! と、一つ一トンを超えるテトラポッドの数々が、まるで火山の爆発のように勢い良く吹き飛ばされる。その上に乗っていた騎士達は空中へと投げ出されるも、宙で身をひねってバランスを取り戻し、着地点を探すために視線を地面へ走らせる。
 爆心地―――二一人もの騎士と膨大ぽうだいな数のテトラポッドを吹き飛ばしたその中心点には、一人の女が立っていた。
 後ろで束ねた長い黒髪、しなやかな筋肉をおおう白い肌、絞った半袖はんそでのTシャツに、片足だけを強引に断ち切ったジーンズとウェスタンブーツ、腰に巻いた革ベルトには二メートルを超える日本刀『七天七刀』が収められている。
 神裂火織。
 彼女は一言すらも発しない。宙に浮く二一人の騎士達へと無言のまま襲いかかる。
 やっている事は単純だ。宙に浮いて、足場がなく、身動きの取れなくなった騎士達へと一人ずつ攻撃こうげきを加えるだけ。しかも刀による斬撃ざんげきではなく、ご丁寧ていぬいにもさやによる打撃だった。
 だが、極端に速い。速すぎる。
 騎士達が実際に浮いている時間は、たった一秒もない。なのに、彼らにはまるで自分達が空中でピタリと固定されてしまったような錯覚さつかくを覚えた。それほどまでに、神裂かんざきの動きは速い。
まるで止まった時間の中を、唯一自在に動き回っているかのごとく。
 正常に時間を見る者がいれば、爆心地を中心とした見えざるあらしが巻き起こっているように映ったはずだ。
 さやによる一撃いちげきを受けた騎士達きしたちは、地面にたたきつけられ、絶壁の中へとめり込み、がけの上の道路へ身を乗り上げた。海へ吹き飛ばされた者は飛び石のように海水の上を滑っていった。
 都合二一人の騎士をぎ払うと、神裂は静かにテトラポッドの上へと着地する。
 湿った夜風が彼女の髪を軽く揺らした時、宙に舞い上げられた騎士がようやく地面へと落下した。ゴン、というかねのような音が夜の海岸に鳴りひびく。
「加減はしたつもりです。この程度なら死者が出る事はないでしょう。そちらが頑丈な装備で身を固めていたので、こちらとしてもやりやすくて助かります」
「き、さま……」
 静かな声を侮辱ぶじよくと受け取って、騎士は立ち上がろうとする。が、体のしんを完全に揺さぶられ、指先を動かすのが精一杯だった。
 だからこそ、騎士は唯一自由のく口を必死で動かす。
「分かって、いるのか。貴様が今、攻撃したのは一体だれなのかを。貴様が今、きほいたのは三つの約と四つの地を束ねた連合国家そのものだぞ」
「私もその一員です。ローマ正教やロシア成教など他宗派ではなく、同じイギリス清教内でのトラブルなら上の御方おかたがどうとでもしてくれる事でしょう。……、と」
 声を放った騎士が気を失っている事に気づいて、神裂は言葉を切った。
「海へ落としてしまった方もいましたが……まぁ、潜水術式はまだ解除されていなかったようですし、溺死できしの心配はないでしょう」
 神裂は一度だけ暗い海面に目をやってポツリとつぶやいたが、

「そーんな心配そうな目で言われても迫力に欠けるぜい?」

「?」
 聞き慣れた声に、神裂火織かおりは初めて動揺を浮かべて振り返った。短い金髪をツンツンにとがらせて、青いサングラスをつけた、アロハシャツにハーフパンツの少年が立っている。
 土御門元春つちみかどもとはる
 彼の立っている場所を見て神裂はおどろいた。元々彼女の鋭敏な感覚は人の気配を逃さない。……はずなのに、ほんの一〇メートル先にいる土御門を見ても、まだ気配が感じられない。
「私を止めに来ましたか」
 刀のつかへと手を伸ばす神裂に、しかしサングラスの奥のひとみは笑ったまま、
「やめよーぜい。神裂火織かんざきかおり、テメェじゃオレには勝てねえよ」
 これだけの状況を前に緊張きんちようも見せず、武器も持たず、構えすら行わない。
「テメェはどんなに強くても人を殺せない。そして能力者のオレは、テメェと戦うために魔術まじゆつを使っただけで死にかねない。さて、この勝負。勝とうが負けようがどの道オレは死んじまうんだが、カミカゼボーイ土御門つちみかどさんを殺して先へ進む覚悟はできてんのかよ? あァ?」
 神裂は奥歯をみ締める。
 彼女は人を死なせないために術式を操り戦う人間だ。勝っても負けてもだれかが死ぬ争いなど、それこそ神裂にとっては何の意味もない。どころか、想像できる限り最悪の展開だろう。
 刀のつかに触れる指が、カチカチとふるえるのが分かる。
 と、土御門は一転して子供のように邪気のない笑みに表情を切り替え、
「別ににらまんでもいいぜよ。オレはねーちん個人を止めるようには言われてない。ねーちんが問題を起こしそうな事柄に先回りして排除しろとは言われてるけど。それに、こっちにはこっちの仕事があるんだぜい」
「仕事……ですか?」
「そ。ローマ正教と天草式がドンパチやってるすきに、その横から『法の書』の原典をかすめ取って来いっつーありがたい命令ぜよ」
 神裂の目が、わずかに細くなる。
「それは、イギリス清教と学園都市、どちらの命令ですか?」
「さあってね。ま、常識で考えればすぐ分かると思うぜい。普通に考えて、魔道書まどうしよを欲しているのは魔術世界と科学世界、どっちでしょーかー? っつか、オレがどっちのスパイなのかを考えりゃすぐに分かるわな」
 土御門の言葉に、神裂はだまり込んだ。
 両者の間に流れる熱帯夜の風すら凍りつきそうな、恐るべき空気が周囲を支配する。
 空白の数秒が過ぎ、先に視線を外したのは神裂だった。
「……、私はもう行きます。上へ報告したければご自由に」
「そうかい。あー、のびてる連中は回収しとくぜい。警察に拾われても面倒だし」
「恩に着ます」
 律儀りちぎに頭を下げる神裂に向かって、土御門は一言、
「んでさ、結局ねーちんはイギリスから遠路はるばる何しに来たんだにゃー?」
 神裂は頭を下げたまま、ピタリと止まった。
 たっぷり一〇秒もかけてから、彼女はようやく顔を上げる。
「さあ―――」
 彼女は言う。怒っているような、今にも泣き出しそうな、それでいて無機質な笑みを浮かべ、
「―――本当に、何がしたいんでしょうかね。私は」

   第二章 ローマ正教 The_Roman_Catholic_Church.

     1

 は沈み、夜が訪れた。
 だが、その到来は静かなものではない。黒い修道服を着たアニェーゼは、同じ色の修道服を着たシスターたちに外国語で何かを叫んで、あちこちを指差して命令を出している。また、手の中にある小さな本に羽ペンを使い、ものすごい速度で何かを書き込んでいた。デンワみたいなものだよ、とインデックスは言った。あの本に文字を書くと、別の所にある本に同じ文字が浮き出るらしい。それは電話というよりメールだろう、と上条かみじようはこっそり思う。
 漆黒しつこくの集団―――おそらくはローマ正教の正規シスター達―――は、オルソラを連れ去った者達が切り取った正三角形の穴から下水道へと飛び降りていった。そして別の集団が地図を広げ、羽ペンに赤いインクをつけて次々とラインを引いていく。逃走ルートの特定か、検問や包囲網などの指定かは、上条には判断がつかない。
 バタバタとあわただしい夜の中で、上条とインデックスとステイルの三人は少し離れた所にポツンと固まっていた。上条は外国語が話せないため(そう、今彼女達が話しているのが何語かも分からないのだ)会話に参加できず、インデックスやステイルは余計な日を挟むと命令系統の違いからローマ正教のシスター達が混乱する危険性があるため、大人しくしているらしい。
 上条は空腹を覚え始めたおなかを少し気にしつつ、
「あのさ、そもそも何でおれやインデックスはここに呼び出されたんだ?何かやるにしても、実質、動いているのはローマ正教の人達だけじゃん。俺達は完全に手持ち無沙汰ぶさただし、それならここにいる意味ってあんまないんじゃねえの?」
「……、いや。そろそろ僕達の増援も到着してなくちゃならないころなんだけどね。何をやっているんだ、騎士団きしだんの連中は」ステイルは苦そうに煙草タバコの煙を吐いて、「それから、この件には僕達の力は必須だよ。いや、正確に言うなら彼女の力だけどね」
 彼女の、というのはインデックスの事だろう。
「こいつの?」
「そう。魔道書絡まどうしよがらみなんだよ、今回の件は。それも『法の書』の原典ときた」
 割と自己完結っぼく言うステイル(=説明する意欲ゼロ)に代わって、インデックスが簡単に話をまとめて説明した。
どうも『法の書』という、世界のだれにも解読できない暗号で書かれた魔道書があるらしい。魔道書まどうしよの内容はとても貴重なもので、解読すれば絶大な力を手にする事ができるらしい。そして、今までだれにも解読できなかったはずの魔道書について、今になって解読方法を編み出した少女が現れたとか。
 そんな折、魔道書『法の書』と、それを解読できるオルソラ=アクィナスという少女が、天草式十字凄教せいきようの手によってローマ正教からさらわれてしまった。
 上条かみじようが出会ったあの少女こそがそのオルソラであり、誘拐ゆうかいと救助を繰り返す天草式とローマ正教の戦渦のどさくさに紛れて逃げてきたようなのだった。そして『法の書』の行方は未確認状態だが、おそらく天草式の手に渡っているものと推測される。
(あまくさしき。……天草式?)
 はて、どこかで聞いたような名前だな、と上条は首をかしげる。
 ともカ《わ》|く
「誰にも解読できない、ねえ。インデックスでも無理なのか?」
「無理だよ。一応やってはみたけど、あれは普通の暗号とは違うっぽいかも」
「あのさ。その『誰にも読めない魔道書』って、そんなに価値があるもんなのか? だって、誰も読んだ事がないんだろ。実はただの落書きかもしんねーじゃねーか」
「かもしれないね」
 インデックスは簡単に認めた。が、ムキにならない所が、逆に子供をあしらう大人のような余裕を感じさせる。まるで、何も分かっていない素入しろうとがプロにロ出しした時のような。
 ステイルは短くなった煙草タバコを吐き捨て、つみし、
「『法の書』に書かれた術式はあまりに強大すぎて、それが使われれば十字教が支配する今の世界が終わりを告げるとまで言われるいわくつきの魔道書さ。真偽なんていちいち確かめたくもないね、封が守られるならそのままにしておいた方が良いに決まっている。何せ、一説には人のことわりを超えた天使の術式すら意のままに操れるとまで言われているんだし」
 その言葉に、上条は凍りついた。
「てん、し……だって?」
「うん? 宗教を信じない君には少し奇抜すぎて想像がつかないかな」
 ステイルはあざけるように言ったが、違う。
 上条は知っている。『天使』という言葉が持つ意味を。『神の力』と呼ばれる天使が何をやったのかを。夏の夜の浜辺で、一瞬いつしゆんで夜空を巨大な魔法陣まほうじんの渦でおおい尽くした、あの術式を。
言葉一つで、地球上の半分を焦土に変えてしまうほどの、あの神業を。
 あれでさえ、おそらくは天使が使った術式のほんの一部に過ぎない。
 それを、人の手で、意のままに?
「でも…-やっぱり、誰も『法の書』を解読した事がないっていうなら、本物かどうかは偏 上条がつばを飲み込んで言うと、インデックスはこくりと子供のようにうなずいて、
「うん。でも『法の書』に関してはきっとクロだよ、とうま。あれを執筆するために筆を尽くした魔術師まじゆつしっていうのがもう伝説級なの。それこそ新約聖書に登場してもおかしくないレベルのね。彼が活躍かつやくしたのはほんの七〇年ぐらい前なんだけど、その七〇年で数千年を超える魔術師の歴史は塗り替えられてしまったと言っても過言じゃない。現在いる魔術師の二割は彼の亜流だし、何らかの影響えいきようを受けている程度なら五割に届くかもしれないほどの実力者だったの」
 インデックスの言葉は真剣で、上条かみじようは下手に言葉を挟む事もできない。
「『法の書』は本物だと思う。もしくは、ウワサ以上の代物しろものであっても私はおどろかないよ」
 彼らの横を、バタバタと黒いシスターたちが走っていく。
 数秒って、ようやく上条は声を出した。
「その……『彼』ってのは?」
「エドワード=アレクサンダー。またの名をクロウリー。今はイギリスの片田舎かたいなかの墓の中で眠っている」ステイルは新しい煙草タバコに火をけて、「一言で言えば、最悪の人間だったと記録されているね。ある魔術実験では守護天使エイワスと接触する器として共に世界旅行に出かけていた妻の体を旅先で使っているし、娘のリリスが死んだ時も顔色一つ変えずにmagickの理論講築を行っていたそうだ。しかも、その実験では娘と同い年ぐらいの少女達を犠牲ぎせいにしていたらしい。……一応、それらの功績として別世界―――天界や魔界などと呼ばれる『層の異なる重なった界』の新定義を見出みいだし、それまでの魔術様式を一新したんだがね」 風向きが変わったのに併せて、ステイルは立ち位置を変えた。インデックスへ煙を向かわせたくないらしいが、そのとばっちりで思い切り上条の方へ流れてくる。上条ががはこほとき込むと、ステイルは心底邪悪な笑みを浮かべて、ぶはーっと怪獣かいじゆうみたいに煙を吐いた。
「まあ、それだけ善悪好悪大小様々な逸話が多い魔術師としても知られているのさ。『法の書』もそうだ。やつは自分の進む道に迷うと、『法の書』を使った書物占いを行い、その内容を元に道を選んでいた。つまりは世界最高の魔術師の分岐点を―――近代西洋魔術史全体のかじを取っていた魔道書まどうしよって訳だ、『法の書』には何らかのいわくがあるとんだ方が賢明だろう?」
 自分で自分の言葉に嫌気が差したのか、ステイルは舌打ちする。
 先ほど上条達の横を通り過ぎたローマ正教のシスター達が再び引き返してきた。武器として使う物なのか他に使い道があるのか、直径一メートルもある巨大な歯車を抱えて走る黒いシスターが、煙草のにおいにちょっと不快そうな顔をしていた。
「つか、そんなにヤバイ本だって分かってんなら何で処分しないんだ? 本なんて燃やしちまえば良いじゃねーか」
「魔道書は燃えない本なの。特に原典クラスになると、魔道書に記された文字、文節、文章そのものが魔術的な記号と化して、地脈や竜脈から漏れるわずかな力を動力源パワーソースにした自動制御の魔法陣まほうじんみたいになっちゃうの。だからせいぜい、封印するのが手一杯なんだよ」
 インデックスは曖昧あいまいに笑ってから、
「でも、私が自分の記憶きおく手繰たぐって原典の写本を書いてもそういう風にはならないんだけどね」
「「自動制御の魔法陣ぽほきん』を起動するには、やはり微弱でも人の魔力がいるのさ。永久機関エンジンを回すためのスターターとなる、執筆者本人の魔力がね。魔道書まどうしよを書く魔術師まじゆつしのほとんどは自分でも気づかない内に文字情報と共に魔力をページに刻み付けてしまう。それは筆記用具や画材を問わず起きてしまうので分かっててもけられないんだ。だけど、彼女はそもそも生命力を練って魔力を作る力がないから問題ないのさ。魔道書図書館の管理人としては打ってつけだろう? ……何者かの作為があるのが気に食わないけどね」
「ふうん。そうなのか、インデックス」
「え、あう? すたーたー? えんじんって何?」
 補足説明してもらったはずのインデックスが一番困った顔になっていた。
 律儀りちぎにスターターやエンジンといった言葉を(何故なぜかややうれしそうに)説明しようとするステイルを横目で見ながら、上条は心の中で苦虫をつぶす。
 最初は大した用事ではないと思っていたし、つい今さっきまでさらわれたオルソラを助ければ後はどうとでもなると考えていた。
 だが、そういう訳にもいかなくなってきた。
 上条当麻かみじようとうまは『天使』というものを知っている。ミーシャ=クロイツェフ、『神の力』が放った地球の半分を焼き尽くすほどの術式を。
 上条当麻は『魔術師一というものを知っている。これまで会ってきた魔術師たちは、手加減も出し惜しみもしない。自分の目的のためには、自分の持つ力をすべて使って取り掛かる。
 もしもそんな魔術師達が『法の書』によって天使の技を手に入れたら?
(くそ……)
 インデックスは、魔道書の原典は燃やす事はできないと言った。
 それは原典そのものが自動制御の魔法陣のようになってしまうからだと言った。
 だけど、上条の右手を使えば。
 そこに宿る幻想殺しイマジンブレイカーを使えば、もしかしたら……。
(最悪だ。途中で降りる事はできそうにねーじゃねえか!)

     2

 外国語の指示出しがようやく終わったのか、アニェーゼが短いスカートを揺らして上条達の元へと歩いてきた。パカパカと、異様に高い厚底サンダルが馬のひづめのような足音を鳴らす。
 上条はインデックスより年下のこの少女に内心でちょっとたじろいだ。どうも魔術側の人間には年功序列は通じないらしいのはイギリス清教やロシア成教の不思議シスター達を見ていれば何となく分かる(まぁ、ミーシャは外観だけだったが)。その上、相手は先ほどまで直接で何十人、通信では何百人もの人間に何やら外国語で格好良さそうに指示を飛ばしていた人物だ。
 が、彼には『偉そうな人』という所より『外国語』の部分の方が問題だった。彼の心理状況を一文で記すと『外国語ができない時の対処法=話しかけられたら魂の高速ボディランゲージしかないッ!!』である。上条かみじようは自分の顔をじっと見上げ今まさに外国語で異文化交流しようとするアニューゼを前に華麗かれいに舞うべく身構えていたが、

「あ、え、っと。こ、これから状況の説明を始めちまいたいんですのでだけどそちらの準備は整っていますですでござりますか?」

「……、」
 強烈な日本語だった。
 何だよそれは、と上条は思う。
 いくら個性と言ってもそれはないだろう。
 何やらカチコチに固まったローマ正教のシスターはふらふらとおぼつかない姿勢で、顔を真っ赤にしている。なるほど、外国人に対するファーストトークの緊張きんらようは万国共通だったのか、と上条が妙に納得して心の中でちょっとうなずいたりしていると、続けてアニェーゼは、
「ど、どうも本場の日本人の方に自分のつたない日本語を話すのは、き、緊張してしまって。あ、ほかの言語は使えますか。アバル語とかベルベル語とか、お互いの文化圏とは離れてるトコが好ましんですけど」
 超早口で言った。インデックスが『落ち着け落ち着け深呼吸しろ』みたいな内容の事を外国語で言ったようだった。ふと横を見るとステイルが暗い顔をしてうつむいていて、『いや、僕の知り合いにも奇妙な日本語を使う人がいてね』とだれも求めていない説明をした。
 アニェーゼはその平坦へいたんな胸に手を当てて何回か深呼吸する。無理に混乱を押しとどめようとしているようだった。普段ふだんき慣れているだろう高さ三〇センチの厚底サンダルを装着した足も、緊張が手伝っているせいか酔っ払いみたいにゆらゆらと揺れている。
 それでも職務をまっとうしようとする彼女は、シャッキリと背筋を伸ばして、
「いや、すいません。では改めて、こっから今の状況と、今後の我々の行動についてお話するとしまひゃあ!?」
 言葉が終わる前に、ふらつく足もお構いなしで無理に背を伸ばし続けたアニェーゼは後ろへバランスを大きく崩した。『わっ、わっ!』と宙を泳ぐ彼女の手が、ワラをもつかむ理論で上条の手をがっしりとキャッチする。
「うわっ!?」
 手を掴まれた上条も一緒いつしよになって地面に引きずり倒された。突然の事で受身も取れずにアスファルトの上に転ばされた上条は割と本気でのた打ち回ろうとしたが、ふと頭の上にひらひらした布地が乗っかっている事に気づく。
 アニェーゼのスカートだった。
 顔を上げると鼻先数センチの位置に楽園が広がっていた。
(な、ななななななななななななななななななななななななななななななななあッ!?)
 おびえる上条かみじようが慌てて首を引き抜こうとした瞬間しゆんかん、ようやく事態に気づいたアニェーゼが『きゃあ!? 』という甲高い悲鳴と共に思い切り両手でスカートを上から押さえた。もちろんそれは防御のための行動なのだろうが、逆に上条は自分の頭を押さえつけられてスカートの中から抜け出せなくなる。
 スカートと太股あとももで三六〇度の全視界を遮られた上条の耳にインデックスの叫び声が届く。
「と、ととと、とうまァ! それはちょっとイタズラとしての限度を超えてるかも!!」
「仕事中に発情するな。ほら、さっさと起きろ」
 どごん、とステイルに脇腹わきばら蹴飛けとばされて上条はようやくアニェーゼのスカートと太股の牢獄ろうごくから抜け出す事に成功した。その蹴りはステイル自身の行動というよりインデックスの叫びに仕方なく対処したような感じがする。
 腹を蹴られた上条はき込みながら首を振る。
 と、ぺたりとアスファルトの上に座り込んだアニェーゼと目が合った。ぶるぶると小刻みにふるえている彼女の顔は真っ赤になり、目尻めじりにやや涙が浮かびかけている。それを見た上条の顔

が真っ青になる。
「ず、ずみばぜん……」
「い、いえ。謝んなくてもいいです。わ、私が転んだのが原因なんですし。どうも緊張きんちようすると体のバランスがおかしくなっちまうようで…-。えっと、立てます?」
 アニェーゼは高さ三〇センチもある厚底サンダルをいた足で器用に立ち上がると、打ちひしがれる上条かみじようにゆっくりと手を差し伸べてきた。上条は黒雲が割れて一筋の光が差し込むのを見たような顔で手を伸ばす。それを見たインデックスがちょっとムッとする。
 少しずつ落ち着いてきたのか、アニェーゼの体はコチコチに固まっているが、口ぶりからは緊張の色がげていく。
「ええ、では今から『法の書』、オルソラ=アクィナス、及び天草式の動向と、我々の今後の行動について説明しちまいたいと思います」
 再び転ぶのが怖いのか、アニェーゼは緊張でふらふらしたまま思わず上条の服をつかもうとしたが、途中で手が止まった。初対面の男にすがりつくのには抵抗があるだろうし、何より上条はつい先程アニェーゼのスカートの中ヘダイブした直後である。アニェーゼはあちこち手を泳がせた後、インデックスの修道服をちょこんとつまむように握った。
「現状、『オルソラ=アクィナス』は確実に天草式の手にあります。『法の書』の方も十中八九間違いないでしょう。今回の件に出張ってる天草式の数は、推定でおよそ五〇人弱。下水道を利用して移動してるみたいなんですが、今は地上へ上がっちまってる可能性もあんですよ」
「つまり、何にも分かんないって事かな?」
 アニェーゼに寄りかかられたインデックスが、少し苦しそうに言う。
「はい。我々はそこに残存してる魔力まりよく痕跡こんせきから天草式の動向を追ってますが、これが上手くいきやしません。流石さすが隠密性おんみつせい特化型宗派・天草式十字凄教せいきようってトコですかね」
 アニェーゼはふらふらと揺れながら、正三角形に切り抜かれた地面の方を指差す。
「並行して別働隊に辺りへ包囲網をかせてますが、こっちの方が早くヒットしそうです」
「包囲網って……どれぐらいの規模なんだ?」
 と、上条は首をかしげる。アニェーゼが重たいから何とかしろ、というインデックスの視線は気にしない事にしておく。
「ここを中心として、半径一〇キロってトコです。一三二の道路と四三の下水路、その程度の規模ならまかなえるぐらいの味方はいると考えちまって構いません」アニェーゼはインデックスに抱き着くようにして、「何にせよ、『法の書』及びオルソラを本拠地へ連れ込むつもりなら包囲網のどっかに触れますよ。情報では、天草式の本拠地は九州地方にあるらしいってな所までは掴んでんです。……らしい、ってのが気に食わないんですが。もっともヤツらが包囲網を抜けず、この場でオルソラに解読法を吐かせるってんなら話は変わっちまいますが」
「それはないだろうね。当のオルソラにしても、読心系の魔術まじゆつに対抗する知識ぐらいは頭に用意してるだろう。かと言って、力ずくでやるには環境が悪い」
 と、ステイルは煙草タバコの煙を吐いて、
「腰を落ち着けるには、この場には敵が多すぎる。オルソラの拷問、解読法の入手、『法の書』の解読版の作成、これらは一日程度で終わる仕事量じゃないと思うよ。自殺を防ぎ的確に心の壁を破って情報を引き出すなら、相手に直接触れない『徒労系ロングラン』や『安眠妨害系スペシヤルスペーシー』の拷問がベストだと思う。だが、それでも一週間程度は必要だろう。一日二日の徹夜てつやじゃ拷問にもならないしね。あれは一二〇時間以上一睡もさせないで、初めて心が壊れ始める風にできてるから」
 淡々と話すステイルの言葉に、上条かみじようはゾッとした。
 魔女まじよ狩り・宗教裁判に特化した専門家の言葉もそうだが、その専門家の目から見て、オルソラを連れ去った連中はそれができると言っているのだ。それもアニェーゼの話からすれば、そんな集団が五〇人近くもまとまって活動しているらしい。
 天草式十字凄教せいきよう
 しかし、上条はどこかが引っかかる。―――そうだ、天草式という言葉は神裂火織かんざきかおり土御門元春つちみかどもとはるから聞いた事がある。そして、神裂は元々そこのトップで、大切な部下を守るために組織を抜けた事も。
 彼女がそこまでして守りたかった入たちというのは、私欲のためにこんな事件を起こしてしまうような、その程度の人間なのか?
(いや……)
 それとも、変わってしまったのだろうか。
 神裂火織がいなくなってから、彼女が守ろうとしていた人達は。
「どうしたの、とうま?」
 インデックスが小首をかしげると、まとわりついているアニェーゼの頭にコツンとぶつかった、「何でもねえよ。で、おれ達はこれから何すりゃ良いんだ? 天草式の連中は、じきに包囲網のどこかに接触するんだったよな」
「あ、は、はい」アニェーゼはまだ少し緊張きんちようしているらしく、ほとんどインデックスのほっぺたにほおずりするような格好で、「基本的には後方支援に回ってもらいます。……可能性は低いんですがね、『法の書』が使われちまう恐れもあるんで。魔道書まどうしよの専門家には、そちらへ当たってもらった方が良いかと―――」
「ああ鬱陶しいうつとうしい! ちょっと暑苦しいかも!」インデックスはバタバタと両手を振って、「でも、天草式ってそんなに簡単に捕まるのかな。ねえとうま」
「そこでこっちに話を振ってどうするよ? あれじゃねえの。そんな四〇人も五〇人も怪しい修道服着た集団が歩いてたら嫌でも目につくと思うけど」
「天草式には決まった正式装束はないんだよ、とうま。彼らは隠密性おんみつせいに特化した集団だから、普通に街を歩いている程度では見分けはつかないかも」
「……、」
「とうま、なに? その人を疑うような目は」
何でもないです、と上条かみじようは答えた。辺りを見回してみる限り、尋常な格好をしている人間が一人も見当たらないこの状況で彼女の『普通』がどこまで通用するのか疑問である。
「とにかく、天草式は『隠れる事』『逃げる事』に特化した集団なの。そんな連中が、『法の書』やオルソラ=アクィナスを強奪した後にローマ正教がどんな手を打ってくるか、予想してなくちゃおかしいと思う。そして今回の件が計画的なものなら、対抗策を練っているのが普通かも」
 インデックスへ完全に寄りかかっているアニェーゼは、ちょっと戸惑ったように、
「で、でも。実際問題、ウチの包囲網を突破しちまえる方法なんて―――」
「あるの。そういう魔術まじゆつが」
 間髪入れずに返事をされて、アニェーゼは息が詰まったような顔をした。
「日本国内限定の術式なんだけどね。簡単に書えば、日本中に特殊なポイント『渦』がいくつもあって、『渦』と『渦』の聞を自由に行き来できるような『地図の魔術』があるの」
大日本沿海輿地全図だいにほんえんかいよちぜんず。―――伊能忠敬いのうただたかか」
 ステイルは何かを思い出したのか、苦い顔をしてつぶやいた。
 上条はサッパリ意味がつかめなかったので、
「何それ? 伊能忠敬って伝説の魔術師まじゆつしか何かなの?」
 と、質問してみた結果、その場の全員からものすごく冷たい目を向けられた。
「あの、とうま。日本で初めて実測で日本地図を作った人って、表の世界の歴史年表にも載ってる事なんだけど」
「君って歴史にうとそうだしね。どうせ日本の五代前の総理大臣ももう忘れてるんだろう?」
「……その、イタリア人の私でもそんぐらい知ってたんですけど」
 四方八方からボコボコに言われて、赤点少年上条当麻とうまはちよっとふさぎ込んでしまった。
「で、とにかくこの江戸時代に作られた日本地図には特殊な仕掛けがしてあるの。『偶像の理論』みんな分かるよね? ……とうま以外は」
 一般人はオカルト用語など知らない方が普通なのだが、周りの全員はさも当然の常識のようにとらえている。上条は何となく自分が一人ぼっちになってしまったように感じた。
「そんなとうまのためにお勉強ムぞす。偶像の理論っていうのは、神様や天使の力を上手に利用するための基盤となる知識なの。それを応用すると、例えば『神の子』の処刑に使われた十字架に良く似たレプリカを教会の屋根に取り付ければ、本物の十字架が持つ聖なる力を分けてもらったりできるんだね。もっとも、レプリカに宿る力は普通、本物の〇・〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇一%未満、レプリカの中でも伝説級の『聖なる飼い葉おけ』だって数%が限界なの。まぁ、本物の一%でも一二使徒クラスに匹敵するんだけど」
 教会の上に立っているものからシスターさんの首にかかっているものまで、世界中には数え切れないほどたくさんの十字架があって、それらすべてに力を行き渡らせても全く『本物』の力は衰えないらしい。太陽と光発電の関係みたいなものだろうか、と上条かみじようは適当に考える。
「そしてこの『偶像の理論』っていうのは、逆流できるっていう仮説があるの。つまり、本物が『偶像』に影響えいきようを及ぼすだけじゃなくて、『偶像』が本物に影響を及ぼすって訳だね」
「仮説って……はっきりしてないのか?」
「いくつかの『例外』が埋められてないから、あくまで仮説。でも、聖書とかを粗末に扱うと罰が下るっていうのはそういう意味だよ。聖書の中には十字教を迫害してたギリシアの『偶像』が雷に打たれてこわれる話がいっぱいあるし、昔の日本でやってた『み絵』だって『偶像』を傷つける事で本物へ悪影響を与えてしまうという恐れを逆手に取ったって説もあるんだから」
 インデックスはやや不満そうな顔で言う。知識の宝庫を自称する身としては『らしい』とか『説がある』とか、曖昧あいまいな言葉はあまり気に入っていないのだろう。
伊能忠敬いのうただたかはこの『偶像の理論』を逆手に取ったの。本物が偶像に影響を与えるのなら逆に、本来あるはずのないモノ―――空間を瞬時しゆんじに移動するための出入り口を強引に大日本沿海輿地全図だいにほんえんかいよちぜんずへ書き込む事で、日本列島には存在しないはずの『渦』を四七ヶ所も作ってしまったの」
 上条はさも当然のように次々と飛んでくる怪情報を頭の中で必死に整理してみる。
 日本列島と、伊能忠敬さんとやらが作ったとされる精巧なミニチュアである日本地図は何らかのリンクをしている。
 その日本地図にワープポイントの落書きをすると、それに連動して日本列島に本物のワープポイントが生まれてしまう。
 つまり、日本地図に落書きした事は全部現実になる?
「おい。それってなんかメチャクチャやばくねーか!? だってその地図を消しゴムで消したら人も街も全部吹っ飛んじまうって事だろ」
「それは無理だよ。いい、偶像の条件っていうのは『ミニチュア』なの。本物との間にわずかでも魔術的まじゆつてきな狂いが生じれば、偶像として機能しなくなるんだよ。だから『偶像の理論』は決して万能じゃないの。元の『像』をゆがめてしまえば理論そのものが適用されなくなっちゃうから」
 インデックスは真剣な口調で言う。過去にはそういった『「神の子」そっくりの石像を使って天界にいる「神の子」を操ろうとした』魔術のジャンルもあったらしいが、それらは全て失敗に終わったらしい。
「逆に言えば、そこが伊能忠敬のすごい所なんだね。明らかに狂ったものを付け足しておきながら、『ミニチュア』としての黄金比を少しも歪めなかったんだもん。あんな事ができたのは、魔術史上でも彼だけだったと思う。もしも彼が彫刻家だったら、『神の子』や『天使』だって操れたかもしれないね。……もちろん、日本地図の制御だけでも十分に驚異きよういなんだけど」
「……、で。天草式はそれを自由に使えるってのか」
「うん。伊能忠敬いのうただたかは江戸幕府の時代に諸外国へ強い興味を持っていて、彼の一派は大日本沿海輿地全図だいにほんえんかいよちぜんずをシーボルトへ売り払おうとしていた経緯があるからね。当時禁止されていた十字教も蘭学らんがくを通じて知っていたはずだし、主に学術的興味から天草式との非公式な接触もあったと見るのが妥当かも」
 細かい理論はどうあれ、結論として今の天草式は日本列島の中なら好きな場所へ瞬時しゆんじに飛べる魔術まじゆつを持つという事らしい。だとしたら、包囲網の突破など訳はない。
 アニェーゼはポカンとした顔でインデックスの話を聞いていた。
上条かみじようはこれまでの話を頭の中で整理しながら、
「だとしたら、どうする? もう天草式はワープしてるかもしんないんだろ。ポイントは限定されてるって話だから、それを全部調べてみるのか?」
「それはできないよ。実は大日本沿海輿地全図から『渦』は二三ヶ所しか見つかって。ないんだもん。黒船に売り渡そうとした際の仕様書には、ちゃんと四七ヶ所あるって書かれてるのに」
 ポイントの半数以上はなぞのまま。
 それでは後を追うのも先に回るのもできるはずがない、
「しかも大日本沿海輿地全図を使った特殊移動法に加えて、天草式は本拠地が知られていない事でも有名なの。……逃走ルートが寸断されるんだから分かるはずがないんだけどね。さっきアニェーゼは九州にある『らしい』って言ったけど、これも謎だね。天草式の本拠地の情報は無数にあって、まったく特定できていない状態なの。情報が偽りなのか、すべて本拠地として機能しているのか。それすらも分からないんだよ」
 アニェーゼの顔が青ざめた。
 自分の体を支えていた両手でインデックスの肩をつかんで叫ぶ。
「じゃ、じゃあどうすんですか!? てかそんな情報があんなら何でだまってたんですか! ポイントを先回りする事もできないし本拠地へ追撃ついげきする事もできないんじゃ、飛ばれちまったらもう終わりだ! ヤツらが飛ぶ前に急いで手を打てばまだ何とかなったかもしんねえってのに、何をのんびりしてんですか!?」
「急ぐ必要はないからだよ」
 インデックスがサラリと言うと、アニェーゼは再びポカンとした顔になった。
「大日本沿海輿地全鋼は夜空の星を利用して実測された地図なの。だから、特殊移動法を使うには地図にみ付いた特性『星の動き』が大きく影響えいきようしてくるの。簡単に言えば刻限があるんだよ。決まった時間じゃないと特殊移動法は使えないんだもん」
 彼女は長い銀髪を揺らして夜空を見上げ、
「今は……星を見る限り、ざっと午後七時半って所だね。特殊移動法使用制限解除は日付変更直後だから、まだ四時間半ぐらい余裕はあるよ。加えて飛ぶためのポイント『渦』はすでに固定されてるんだもん。この包囲網の中で使える『渦』は判明している一二ヵ所内では一つしかないの。……もちろん、だ明かされないほかの『渦』がある可能性は捨てられないけどね」
 インデックスは自信満々で言い切った。
 こういう場面に幽くわすと、上条かみじようは改めて彼女が違う世界の住人なんだと思い知らされる。
「で、そのポイントってのはどこだ?」
「とうま、地図が出るピコピコ持ってなかった? 貸して貸して」
 携帯電話のGPSの事だろうか? 上条はインデックスに自分の携帯電話を手渡したが、彼女が難しそうな顔をしたので横から操作してやる事にする。彼女はもっと右とか少し下とか色々注文した後、やがてその白くて細い人差し指の先で、一点を示す。
「ここだよ」

     3

斥候レコンに先行偵察させた結果、例のポイント付近で不審者を二名ほど発見したそうです。天草式の線が濃いですが、今は泳がせています」
 インデックスの助言を聞いてアニェーゼが命令を下してから、わずか一五分足らずで結果が返ってきた。やはり人数がいると違う、と上条は思う。混乱状態にあったとはいえ、『御使堕エンゼルフオールし』の時など散々だった。
「ただ、天草式本隊や『法の書』、オルソラなどの姿は発見できなかったそうで」
「だろうな。こんな時間から何十人とぞろぞろ侵入したら嫌でも目についちまう。何せあそこはまだ営業中だろうし」
 上条は詳しい終業時間など知らないのだが、今はまだ八時前だ。
 天草式の人間が伊能忠敬いのうただたかの地図の細工を使ってここから逃げ出すつもりなら、必ず『渦』と呼ばれる移動ポイントを使わなければならない。上条たちは、この『渦』へとやってきた天草式をたたいて『法の書』とオルソラを救出するつもりだった。
「他に未知のポイントがある可能性もありますし、特殊移動法を使わねえって可能性もあります。本隊の姿を確認できなかった以上、すべての人員を指定区域へくのは難しいです。包囲網の維持と、エリア内の探索に多くの戦力を注いじまわないと、ヤツらに逃げられる危険性が増えちまいますんで。ただ、あそこが一番怪しいのは間違いないんですが」
 アニェーゼは困ったように言ったが、インデックスは気にした様子もなく、
「それで普通だと思うよ。私の言葉に確たる証拠がある訳でもないし」
「よって使える人員は私を含めて七四名となります。今、武装や霊装れいそうを再編成してますが、仮に天草式本隊と遭遇した場A一、必勝は確約できません。すいませんが、そちらの身はそちらで守ってもらう事になっちまってます」
 今まで天草式は五〇人足らずで、二五〇人ものローマ正教と対等に渡り合ってきたのだ。アニェーゼの言葉も無理はないだろう。
 ステイルは新しい煙草タバコに火をけながら、
「構わないよ。援軍を送ると約束したこちらの『騎士きし』の馬鹿ばかどもとは連絡が取れないし、その上で僕たちがお荷物となっては話にならない。で、出発する前の再編成はどの程度で整う?」
「武具、防具の選定。聖水の使用、聖書の読み上げによる個人個人の加護を含めて……」アニェーゼは少し考え、「三時間前後。……最悪でも一一時までには終わらせちまいます」
「移動時間を含めれば三〇分強で決着を着けなくてはならない訳か。まあいいさ、あまり早すぎても例のポイントへ天草式本隊がやって来ない事には待ちぼうけを食らうだけだからね」
 そんなこんなで、行動開始時間は午後=時で決定した。
 アニェーゼが、パンパン! と両手をたたいて外国語で何か指示を飛ばすと、黒い修道服を着たシスター達が一斉に動き出した。七四人を即座に二人から四人編成の行動班に分けて、それぞれが準備に走る。
 ステイルや土御門つちみかど神裂かんざタといった個人―――言い方を悪くすれば自分勝手な魔術師まじゆつしばかりを見てきた上条かみじようにとっては、一糸乱れぬ集団行動というのは少し意外だったりする。
 アニェーゼ達、『法の書』とオルソラの救出部隊は各々おのおの戦闘せんとう準備をして、それが終わった者から交代で食事と仮眠を取るように、との事だった。数時間後には戦闘という状況で一眠りなんかするのか? と上条には疑問だったが、アニェーゼの話によると長期戦の戦場ではベッドに入ってぐっすり睡眠を取る事などできず、少しでも間があれば一〇分、二〇分でも小刻みに眠って体力を回復させるのがアニェーゼ達の常識らしい。つまり、彼女達はそういった状況で戦い続けるのに慣れている集団だという事だろうか、とか上条は適当に考えてみる。
 当然ながら上条やインデックス、ステイルは元から準備の必要がないので、いち早く食事と仮眠に入る事になる。アニェーゼの、お客様ゲストに対する配慮はいはいなのかもしれない、と上条は思った。
ちなみに食事も仮眠も野営となる。何でまた日本の首都で野宿だよ? と上条は首をかしげたが、冷静に考えたら七〇人強もの人間が変な格好をして夜のファミレスやホテルに集結して戦闘準備を進める光景も、野営に負けず劣らずのシュールな光景だと思った。
(しっかし一一時から動くとなると……おれは明日の学校間に合うのか? あっ! ちょっと待て、確か夏休みの宿題のペナルティがそろそろめ切りじゃなかったっけ17じ
 上条は慌てたように学園都市の方角を振り返るが、それでどうにかなるはずがない。
 諸々の事情があって、彼は夏休みの宿題を完遂かんすいしていない。そのための『宿題の宿題』を小萌ニもえ先生から渡されていたはずなのだが(小萌先生は上条一人のためにわざわざプリントを自作してくれた)、確かその締め切りは明日だったはず……。
 ああああーっ! と上条の顔が真っ青になった。誓って言うが、絶対に終わると思っていた。努力の人・上条当麻とうまは今日の今日までインデックスの遊んで攻撃こうげき三毛猫みけねこのオヤツくれ攻撃などを必死でかいくぐり、必死で頭を悩ませてきたのだ。正直、上条一人の力ではどうにもならなかった節もあるのだが、昨日、御坂美琴みさかみことに問題を解くコツなどを教えてもらってからヘブチブチ文句を言いながら何故なぜか何時間も付き合ってくれた)は随分ペースが上がってきて、何とか今日一日で終わるかなと希望が見え始めてきていたのに。
(やばいよやばいよ怒られるよ。どうしようどうしよう、うわー。小萌ニもえ先生はもちろん手伝ってくれた美琴とか絶対怒るって。あー。久しぶりに言うそこのワード。せーの、不幸だー)
 ふるふると小刻みにふるえる上条かみじようは、そっと夜空を見上げる。まぶたからキラリとこぼれた透明なものは汗であると信じたい。
 とぽとぽと肩を落として歩く上条は、イタリア式らしいなんか名前の良く分からないスープとパンを野営場の隅っこでもらってもぐもぐ食べながら、軽く辺りを見回す。
薄明座はくめいざ』跡地の駐車場には小さなドーム状のテントがあちこちに展開されている。駐車場はどう考えても全員分をまかなえるほど広くないが、建物の中でも眠れるだろうし、それ以前に準備に追われるローマ正教の人たちの半数以上は仮眠を取る時間はないようだ。
 そうなると一人呑気のんきに眠っているのは気が引ける上条だったが、ステイルが言うには『手持ち無沙汰ぶさたな人間がフラフラしている方がよほど準備の邪魔じやまになる』らしい。
(しっかし、廃嘘はいきよで集団野宿って、警察とかに通報されないだろうな? それとも人払いの魔術まじゆつとか対策取ってあんのか?)
 野営場からテントの中へ入った上条は、毛布にくるまってそんな事を考えていた。となりにはステイルが寝転がっていたが、インデックスは隣のテントらしい。ステイルは護衛のために同じテントにしたかったようだが、その意見はかなわなかったみたいだ。同性の神裂かんざきがいれば……と彼が歯噛はがみしながら、インデックスの入るテントのあちこちにルーンのカードをり付けていたのを上条は見ている。何でも『魔女狩りの王イノケンテイウス』は使用するカードの枚数によって強さが変動するらしく、小さなテントでは貼り付けられる数にも限界があるとか嘆いていた。
 上条はしばらくテントの中でごろごろと転がっていたが、やっぱり眠れなかった。疲れがないとか戦闘せんとう前で緊張おんちようするとかいうより、明らかに外でたくさんの人が仕事をしているのに自分だけ休むというのは気が引けるのだ。そして彼女達の姿を思い浮かべると、同じ修道服を着たオルソラの顔を思い出してしまう。
「……。やっぱり、なんか手伝ってくる」
 もそもそと毛布からい出しながら上条が言うと、ステイルは鬱陶うつとうしそうに、
めはしないけど、くれぐれもその奇怪な右手で彼女達の霊装れいそう破壊はかいしないようにね。……ちなみにこわした場合、君が弁償べんしようしろ。僕達イギリス清教はノータッチだからな」
 とてつもなく嫌な助言に背中を押されて上条はテントの外に出た。
 熱帯夜なので外も蒸し暑い。そんな中を銀の燭台しよくだいをたくさん束ねて抱える少女や古い聖書を何冊も重ねて両手で運んでいるシスターさん、馬車に使うようなデカイ木の車輪をかついだお姉さんなどが忙しそうに行き来している。上条かみじようにはどう使うのか分からないものばかりだ。
(さってと。なんか手伝える事はねーかなー……って、あれ?)
 何かに気づいて上条の動きが止まった。上条が出てきたテントのすぐとなりの、カードをぺたぺたられたインデックス用のテント、その出入り口のファスナーが開いていた。中にはだれもいないようだ。
(あいつどこに行ったんだ―――って、おわっ!?)
 視線をそちらへ向けながら歩いていた上条は、ふと足元の感覚が消えた事に気づいた。知らず知らずの内に天草式が先ほど地面に空けた、正三角形の穴にみ込んでいたのだ。
(いっ、落ち―――ッ!!)
 ずっ……、と体が下水道へ落ちる前に、空中へ振り回した上条の手を黒いシスターの一人が慌ててつかんだ。引き上げられ、何か外国語で説教をされたが上条には上手く聞き取れない。
(あらいやだ、ひょっとしておれって今ものすごく足手まとい?)
 どーん、と暗いオーラをまとって落ち込む上条は、自分が落下しかけた正三角形の穴を改めて観察してみる。
 天草式は下水道を経由して、地下から地上へ直接奇襲きしゆうを仕掛けられるのだ。彼は今まで、ここはローマ正教の基地みたいな所なんだから多少うろうろしていても安全だと思っていたが、実は結構紙一重の立ち位置なのかもしれない。逃走を図っている天草式にしても、追跡者の司令塔たるこの本拠地をつぶした方が逃げやすいと考える恐れだってあるのだから。
(まあ、俺みたいな素人しろうと相手に手の込んだ奇襲をする意義は少ないと思うけど。司令部みたいな重要ポイントだと危ないのかもな)
 とはいえ、上条にはどれが重要なテントで何が重要でないテントなのか、区別がつかない。
とりあえずほかのものより一回り大きめなテントを見て、あれなんかねらわれそうだ、とか他人事ひとごとのような感想を思い浮かべていたが、

 不意に、ゴン!! という衝撃音しようげきおんがその大きなテントの中から炸裂さくれつした。
 続いて、少女のものらしい悲鳴が後を追い駆ける。

「……っ!?」
 上条ののどが干上がる。ついさっき自分で適当に考えた意見が、もう一度頭の中を飛び交う。
 天草式は、地下から地上へ直接攻撃を仕掛けられる。
 狙われるのは、おそらくアニェーゼたちにとって重要なテント。
(となると、まさか、本当に……?)
「ちっくしょう!」
 不幸中の幸いか、そのテントは上条のすぐ近くにある。彼は右拳みぎこぶしを岩のように固く握って駆け出す。周りにはたくさんのシスターたちがいたが、彼女達はとっさの事に唖然あぜんとしていた。その間にも上条かみじようは大きなテントの入口まで走り、そのファスナーを一気に引き下ろして、
「天草式!!」
 上条が叫ぶと同時に、開いた出入り口から何か重たいものが、ドン! と上条の腹の真ん中に激突した。それは重く、生温かく、水気を帯びているのかぬるりとした感触を伝えてくる。
(が……!?)
 得体えたいの知れない感覚に上条は全身を総毛立たせながらこぶしを振り下ろそうとすると、

 上条の腹に両手を回して抱き着いているのは、全裸のアニェーゼ=サンクティスだった。

「………………………………………………………………………………………、えー?」
 ごーん、と上条の頭がかねの音みたいな効果音と共に真っ白になる。
 一糸まとわぬアニェーゼの髪はお湯でれ、肌にも水気がある。柔らかそうな肌はほんのりと赤みが差し、白い湯気が立ち上っていた。ただ、抱きついてくる彼女の体は小刻みにぶるぶるとふるえていて、上条の腹に顔を押し付けたまま固く両目を閉じており、何か外国語で小さくつぶやいている所からも尋常でない様子なのはうかがえる。
 アニェーゼの言っている言葉は理解できないが、彼女が抱き着いたままどこかを指差しているので、上条はそちらを見た。
 広いテントの隅っこの方に、小さなナメクジが張り付いていた。
 アニェーゼはそのナメクジを指差したまま外国語で何か言っている。
「まっ、待てアニェーゼ。とりあえず離れて服を着ろ。あとおれは日本語以外は分かんないから!」
 上条が顔を真っ赤にして叫ぶと、彼女のぶるぶるという震えがピタリと止まった。
 アニェーゼは恐る恐るといった感じで顔を上げる。
 上条当麻とヤフぽとばっちり目が合う。
 次の瞬間しゆんかん
 ふっ……、とアニェーゼが貧血でも起こしたように真後ろへ倒れていった。
(うげっ!?)
 地面は硬いアスファルトだ。倒れそうになるアニェーゼの体を上条は慌てて抱き抱える。妙に温かい感触がシャツ越しに伝わってきて上条の全身の神経がおかしな具合に逆立った。アニエーゼの体は全体的にインデックスより細く、それゆえにやや硬い印象もあったが、それが逆に部分的に柔らかい部分を強調しているようにさえ思えてくる。
(うっ……!?)
 と、腕の中にすっぽり収まったアニェーゼに対し、思わず上方向へ視線をらした上条は別のものを見て再びビクリと震えた。
 テントの中央には大きな金だらいが置いてある。そして金だらいの真上の天井てんじようには鉄のバケツがり下げられていた。バケツの底にはジョウロの口のようなものがついていて、ジョウロには蛇ロがある。バケツにお湯を入れて蛇口をひねると、ジョウロの口からお湯が出る簡易シャワーとなるらしい。現に今もじゃばじゃばとお湯が流れている。
 そして、その金だらいエリアの中。今もお湯の恩恵を得ているテントの中央に。
「……、とうま」
 とてもひくーい声を出す銀髪碧眼へきがんのシスターさんがいた。当然ながら着ているものなど何もなく、お湯にれた髪が張り付いているうすい胸も、ほんのわずかにお湯の水滴を集めているおへそも全部見えちゃっていた。元々色素の薄い肌をしているので、体を温められた事による赤みはより強調される形となっている。
「い、いや、ちょっと待ってくださいよ上条かみじようさんはてっきり天草式でも攻めてきたかと思って心配だから駆けつけてみた訳でその辺りも加味していただけると幸いっていうか」
「うっ―――」
「??? う?」
 上条はインデックスの動き一つ一つをビクビクした目で注臼していたが、
「―――う、ひっく。うええ」
(なっ、泣いちゃってるうううううううう!?)

 ビックゥ! と予想外の展開に上条当麻かみじようとうまの全身が変な反応をする。その間にもインデックスはポロポロと大粒の涙をこぼし、それを両手でごしごしこすっている。
 ふと気づくと、周囲から上条へとやたらと冷たい視線が集中していた。
 一〇〇人以上のシスターさんたちから直々に『幼い少女を全裸のまま泣かしている男〔十かたわらに同じく全裸で気絶した上官つき)』という最悪のレッテルをペタペタり付けられた上条の顔は真っ青になり、
「ちょ、え、お、落ち着いてくださいよインデックスさん! こんなのあなたのキャラじゃないですよ! いつものあなたならこうじゃないでしょ? ほらほら、上条さんの頭はここにありますよー、思い切ってガブッとやっちゃってやっちゃって!! って、あれ? ストップストップ、なんか顔がいつになくマジっぽいんだけど! い、今のは言葉のあやであってそんな分厚い牛肉を干切ちぎるみたいなノリは待って止まってぎゃああああ!?」

「だから迷惑をかけるなと言っただろう。ん? どうした、何を頭なんか押さえて涙ぐんでいるんだい?」
 ボロボロになって自分のテントに帰還した上条を見て、寝っ転がったままのステイルは遮屈そうに言った。入口は閉まっていたので、彼はさわぎが起きたのは知っていてもそれがインデックスがらみだという所までは気づいていないようだった。もし発覚していたら上条はここで炎剣を振り回すクレイジー神父に追い回される羽目になっていたかもしれない。ただでさえアニェーゼから『……作戦の確認がありますから。ちょっとどっか行っててください』と地味に責められた後なのでこれ以上のトラブルは御免という感じだった。
 上条はまだ痛む頭をさすりながら自分の毛布にもぐり込む。魔術師まじゆつしが書うには暇があれば五分でも一〇分でも睡眠を取って体を休めるのが戦場での基本との事だが、痛みが引くまではとても眠れそうにない。
「なあステイル」
「なんだい。僕は今とてもイライラしているのだからできれば後回しにして欲しいね」
「一個聞くけど」
「大体ここの人間は危機管理能力が低すぎるよ『法の書』が何だと言うんだ。たった一冊の魔道書まどうしよで石往左往しているなら一〇万三〇〇〇冊を管理する彼女が一体どれだけの数の魔術師にねらわれているか分かるだろうが―――」
「お前の好きな子だれだよ?」
「ぶばっ!?」
 上条の問いにステイルは呼吸が詰まってわなわなとふるえ始めた。
 お泊まりにおける定番の問いだと思ったが、どうも日本文化特有のものだったらしい。
「なあステイル。一個聞くけど」
「尊敬する女性はエリザベス一世で好みのタイプは聖女マルタだ。愛と慈悲の祈りのみで悪竜を退治した逸話なんてしぴれてしまうね。なかに質問は?」
「天草式十字凄教せいきようってあれだろ。神裂かんざきが前にいた所だろ」
「……、」
 ステイルは目を細めて、少しだまった。煙草タバコを取り出そうとしたが、寝煙草は良くないと思ったらしく、その手が途中で止まる。
だれから聞いた? あの神裂が、自分の生い立ちを簡単に話すとは思えないね。土御門つちみかどか?」
「ああ。お前が海のオヤジになってる間に聞いたんだ」
『?』という顔をするステイルを上条かみじようは放っておいて、
「でも、あれだろ。天草式ってのは、神裂の仲間たちなんだろ」上条は、戸惑うようにそこで区切って、「……、それでも、やるのか? あの『三沢塾みさわじゆく』の時みたいに」
 上条とステイルは、以前一度だけ共同戦線を張った事がある。
 あの時の戦闘せんとうは、お世辞にも綺麗きれいなものではなかった。たくさんの人が傷ついて、死んでしまった者まで現れた。魔術師まじゆつし同士が、それも集団として組織として魔術師が激突するのはそういう意味を持つらしいのは、上条にも何となく分かった。甘えが許されないのがプロの世界であり、それゆえにインデックスやステイルのような専門家が生まれた事も。
 だけど。
 プロとしての厳しさを知るならば、余計にためらったりはしないのか。
「やるよ」
 しかし、ステイル=マグヌスは一秒すら迷わずに即決した。
「やるに決まってる。上の命令だろうが、あるいは上に止められてでも。僕はね、あの子を守るためなら何でもやるって決めているんだ。だから誰でも殺す。生きたままでも燃やす。死体になっても焼き尽くす。あの子の見ている前でも、あの子の知らない所でも」自分で自分を突き刺すような言葉だった。「勘違いするなよ、上条当麻とうま。僕が今こうしているのはそれがすべてあの子のためになるからだ。あの子のためにならないなら、僕は今この瞬間しゆんかんに君を骨まで灰に変えてみせる」
「……、」
 ごくり、と上条ののどが動く。
 結局は、それがステイル=マグヌスという男の行動理由の全て。
 イギリス清教に所属しているのも、魔術師として戦う力を手にしているのも、誰かの命令を聞いて『法の書』とオルソラを助けに来たのも、全部が全部。
「ずっと昔に、誓ったんだよ。『―――安心して眠ると良い、たとえ君は全てを忘れてしまうとしても、僕は何一つ忘れずに君のために生きて死ぬ』と」
 その結論は、ゾッとするほどの台詞せりふだった。
 それでいて、ステイルの声にはひどく人間味が込められていた。
 上条かみじようは、言葉を選ぶ。
 選ばなければ、相手に失礼だと思った。
「でも、だったら何でこんな事にインデックスを巻き込んだんだ?」
「計画したのは僕じゃないし、できれば僕も巻き込みたくなかったよ」
 ステイルはすらすらとした声で答える。
「しかし、僕だけで解決しては駄目だめなんだ。それではあの子が蕪価値』だと判断されてしまうから。現状のインデックスの利用価値をウチの上の人間に提示できなければ、彼女はロンドンへ送還されてしまう恐れがある。今のあの子にとって、学園都市での生活を引き裂かれるのは何にも増して耐えがたい出来事だろうからね」
 投げやりな声だった。
 イギリス清教の同僚としては、インデックスに戻って来てもらった方がうれしいはずなのに。
 ステイル=マグヌスは、投げやりな声でそう言った。
「もう寝ろ。強襲きようしゆうまで二時間もない。これ以上話しても夢見が悪くなるだけだ」
 それだけ言うと、ルーンの魔術師まじゆつしは口を閉じて目を閉じた。

 あと数時間てば殺し合いが始まるかもしれない緊張きんちよう状態で眠れるかと上条は考えたが、いざ毛布にくるまって目を閉じていると、いつの間にか眠気が全身に行き渡っていたらしい。つまり気がつけば眠っていたようだ。大覇星祭だいはせいさいの準備などで思ったより疲労がまっていたのかもしれない。
(う……あ……?)
 上条の目が覚めた理由は単純で、体の上に何か重圧を感じたからだ。のっし、という人間一人前の重さと、何かやたら盛り上がった毛布と、柔らかくて温かい人肌の感触をとらえる。
 すうすう、という小さな寝息が、毛布の中から聞こえてくる。
(おい、待て。ヤバイ、まさかまさか!? くそ、そう言えばテントにはカギがかからないんだった!)
 上条は普段ふだん、学生りようではユニットバスにカギをかけてお湯を抜いた湯船の中で眠るという生活を送っている。理由は単純、寝ぼけたインデックスが上条の布団ふとんに入ってくるのを死守するためである。足が伸ばせるお風掲ふろでホントに良かったと上条は常々思っている。
 ただでさえ布団侵入罪は健金なる青少年上条当麻とうまの精神にとんでもない影響えいきようを及ぼすのに、加えて今はとなワにあのステイルがもミているのだ(しかも就寝前に誓いとか何とかシリアス台詞ぜりふを聞いたばかり)。事と次第によっては何の比喩ひゆ表現もなく本当に成敗される恐れがある。
 と、冷や汗をダラダラ流す上条の体の上で、やや幼い少女の体がもぞもぞと動く。
 無防備に色々な部分が触れ合って上条は心臓が止まるかと思った。
「……(う、うおお!? 待て、ちょっと待てインデックス! ってかお前さ、横からならともかく真上を陣取るってのはいくらなんでもやりすぎだろ!?)」
 上条かみじようが小声で(と本人が思っているだけの大声で)慌てて抗議すると、
「むにゃ……。なぁーに、とうま……?」
 と、テントの入口から聞き慣れた声が聞こえてきた。見れば、寝ぼけて半分目の閉じたインデックスがテントのファスナーを開けて今まさに上条の毛布の中へ忍び込もうとしている。
 あれ? と上条が首をひねっていると、
「むぎやー……………………………………………………………………………ぱぱァ………………………Io non posso mangiare alcuno piu qualsiasi piu lungo.………」
 毛布から顔を出したのはアニェーゼ=サンクティスだった。
 彼女はおそらく寝ぼけて気づいていないが、両者の唇の距離はおよそ五センチ弱。
(えーっ!? こっちも寝ぼけるとお布団ふとん侵入ヘきありなのかよ! ってかついさっきシャワーんトコでちょっとどっか行っててくださいって言われたばっかじゃん!!)
 ひいいいっ!? と上条がほぼゼロ距離射撃しやげき状態の小さな唇から顔をらして慌ててアニェーゼの下からい出る。転がる上条に引きずられるように毛布が取っ払われる。
「んなっ!?」
 上条は絶句した。毛布の中から出てきたアニェーゼは白いレースのブラと、両サイドが紐状ひもじようになって蝶々ちようちよう結びしてあるパンツ以外に何も身に着けていなかった。普段ふだんからそうやって眠るくせでもあるのか、彼女の修道服はテントの隅っこで丁寧ていねいに折り畳まれている。
 インデックスは、ぽーっとしたまま上条とアニェーゼの姿を見て、
「……、ぱぱ?」
「待ってーっ! インデックス、これはおれも知らないって! 断じて幼い少女にそんな特殊ネーミングで呼ばせて悦に浸るような特殊性癖はありませんってーっ!!」
 つい先ほどもアニェーゼがらみで頭をかじられた上条は恐怖に駆られてぶるぶるとふるえながら弁明する。インデックスはそんな上条のおびえっぷりを観察しながら、
「あふぁ。これは、夢……かも」
「は?」
「うん、いくらとうまでも、そんな節操なしじゃないはずだもん。だからこれは夢。むにゃ」
「そ、そうそう! 夢ですよ夢! やだなぁあの超硬派のミスター駄フラグ立て逃げボーイ上条当麻とうまがこんな破廉恥はれんち真似まねをするはずがないじゃないですかっ!!」
 上条は催眠術師のようにねぼすけ状態のインデックスを誘導ゆうどうしていこうと考えたが、
「むにゃ。そう、夢だったら大丈夫だいじようぶ。いくらとうまにみ付いても大丈夫。だってこれは夢だから。日頃ひごろの不満を思いっきりぶつけても大丈夫。むにゃー」
「は? あ、え!?ちょ、待てインデックス!! 違う、これは紛れもないリア―――!?」
 慌てて訂正しようとした上条かみじようが止める間もなく、インデックスは思い切り彼の頭にみ付いた。健全な男子高校生の悲鳴というか絶叫に、すぐ近くにいた下着姿で寝ぼけ状態のアニェーゼがビクゥ! と飛び起きる。ちなみに同じテントで寝ていたステイル=マグヌスはうるさそうに一度だけ上条たちさわぎを眺めると、ごろんと反対側に寝返りを打って二度寝を始めた。

     4

 午後一一時。
 天草式の教皇代理の建宮斎字たてみやさいじと以下本隊四七名は特殊移動法『縮図巡礼』の特定ポイント『渦』へと集結していた。
 と言っても、そこは神秘的な森や山の中ではない。『パラレルスウィーツパーク』という看板をげた、大規模な菓子専門のテーマパークの一角だ。
 大手製菓メーカー四社が共同で建設したもので、発電所ほどの広さの敷地しきちには世界三八ヶ国、七五店舗の菓子店がある。全体的にオリンピックのマークのようにいくつものドーナツ状の水路が重なり合っていて、各サークル水路の外側には屋台のように小さな(しかし確かな腕を持った)菓子店の建物が並び、水路内側のスペースは広場や各製菓メーカーの展示館やイベントスペースになっていた。今は残暑用企画の冷菓・氷菓子のキャンペーンを行っているらしい。
 伊能忠敬いのうなだたかが設定した『渦』の位置は固定されているが、街の開発状況は日々変化している。
ここなどはまだ使える方で、中にはアパートの一室や銀行の大金庫の中など、移動手段としては完全に使えない場所に『渦一が重なってしまっている場合もあった。
 すでに『パラレルスウィーツパーク』の内部へと侵入していた天草式の面々は、早速『縮図巡礼』のための準備を始める。
『縮図巡礼』の使用条件は午前〇時からだが、その前に準備を進めておくのが定石だ。元々、使用できる時間はわずか五分間しかない。条件が解除されてから準備を始めるのでは遅いのだ。
ちなみにその準備は午前〇時ジャストに完了しなければいけないというルールはない。それより前に終わらせてから、午前〇時にスイッチを押しても発動する。
 魔術まじゆつの準備と言っても、怪しげな魔法陣まほうじんを描いたり呪文じゆもんを唱えたりはしない。
 彼らは閉園後のテーマパークに忍び込んでいるという事以外には、特におかしな挙動を取らない。四、五人の青年が固まって世間話をしたり、ハンバーガーやポテトを紙袋から取り出してかぶりついたり、園内の案内の立て看板を指差して何か議論したり、立ち止まってガイドブックをパラパラめくったりといった、ごくごく普通の動きしかしていない。
 彼らの服装にしても、インデックスやステイルなどに比べればかなり自然な方で、白いキャミソールにデニム地のハーフパンツを穿いた少女や、シャツを重ね着してぶかぶかの黒いズボンを穿いた少年、スーツの上着を脱いで腕に引っ掛けている女性などだ。気になる点と言えば、せいぜい武具の輸送係として一〇名ほどがスポーツバッグや弦楽器やサーフボードのケース、画板入れなどを手にしている所ぐらいか。
 しかし、詳しい者なら分かるだろう。
 彼らの服装や何気ない仕草には、もれなく計算された魔術的まじゆつてきな意味が含まれている。
 男女の性別、年齢の高低、衣服のカラーの組み合わせ。
 四、五人で円を組む動作、世間話の内容、『食』という宗教的儀式ぎしき、ハンバーガーの具材、色、肉を食べるという術的意味、む回数、飲み込むタイミング、男女が歩く方角、立ち止まる位置、本を読む仕草、ページ数の数字を足した数の合計。
 それらすべては『文字』や『記号』に分解され、うごめく人々の流れが一つの呪文じゆもん魔法陣まほうじんを作り出す。日常生活の中にわずかに残る宗教様式を拾い上げ、組み立て直す彼ら天草式の術式には『魔術を使った痕跡こんせき』というものが一切残らない。それは幕府の厳しい弾圧から逃げ続けなければならなかった彼らの祖先の歴史が色濃く受け継がれている。
(さて)
 建宮斎字たてみやさいじは一人離れて、己の持つ剣を横にぐ。
 光の落ちた金属製の街灯が、斜めに裂けて転がった。
(お前に見せてやろうぞ、女教皇様かんざきかおり。多角宗教融合ゆうごう型十字教術式・天草式十字凄教せいきようの今の姿を) 軽く夜空を見上げ、口の中で静かに唱えた。

     5

 暗い夜にみ込まれた遺跡だ。
 特殊移動法のポイントである『パラレルスウィーツパーク』を遠目に見た上条かみじようの感想はそれだった。二〇〇メートルほど先にある人工の遊技場はあかりを落とされ、本来なら遊園地のように華々しくいろどられているはずの建物はやみの黒に塗りつぶされている。当然ながらあの施設のデザインは全て人を楽しませるために作られたものだが、それが逆に違和感となる。じっとりとした、気味の悪い風がほおの汗をぬぐっていく。
 上条は『パラレルスウィーツパーク』から目を離す。百貨店の大きな駐車場には何十人という黒い修道服のシスターたちが集まっていた。これだけで一種異様な光景である。
 ふと彼はインデックスと目が合った。人差し指でてのひらに何か書いているのは、何らかのイメージトレーニングらしい。やはり上条を魔術師同士の激突に巻き込みたくないようだった。元々いたローマ正教の人員が大幅に削られた事で危険度が増したせいか、夕方よりイライラしているように見えた。
 一方で、ステイルはインデックスの少し後ろで、いつも通りに煙草タバコを吸っている。が、内心では彼女を守るために様々な案を練っているはずだ。
 アニェーゼが厚底サンダルをパカパカ鳴らしながら上条達かみじようたちの元へと歩いてくる。
 シャワーだの毛布の中で寝ぼけ状態だのといった時はとし相応に、どーん、と沈んでいた彼女だったが、今はもうそんな様子は見られない。仕事で私情を忘れられるタイプのようだ。初めて会った時の、緊張セんちようで足がふらつくような様子ももう見られない。
「例の『パラレルスウィーツパーク』で天草式本隊を発見しました。ですが『法の書』とオルソラは確認できやしませんでした。まさかとは思うんですがこれがすペて陽動である可能性もあります。従ってほかの部隊が辺り一帯に展開してる包囲網を解く事はせず、我々は今の人員でこのまま交戦に入っちまいます」
 すでに決定した事柄を確認するように、アニェーゼは言う。
 上条はちょっとだけ彼女の言葉を頭の中で転がして、
「『法の書』を天草式のだれが保管してるかとか、本当に園内にオルソラがいるかどうかが分からないってのが痛いよな。そんな状態で助け出せるのか? オルソラを見つけるのに手間取れば彼女を連れて逃げ出されるかもしれないし、人質にされるかもしれねーだろ」
 むしろ不利になったら人質を使うのが定贋じゃないかと上条は考えている。
 上条はオルソラの顔を思い出した。世間知らずで、人の話を聞かなくて、ちょっと目を離したらどこへ行ってしまうか分からないような少女。彼女が刃物や銃を突きつけられて凶人達の盾にされる所など見たくもない。
 が、アニェーゼは悩む暇もなく、
「『パラレルスウィーツパーク』から逃げられちまった場合は包囲網が役に立つでしょう。それから人質……てか、盾として使われちまう恐れはないと思われんですが」
「?」と上条は首をかしげる。
「天草式の第一目的は『オルソラから「法の書」の解読法を教えてもらう事』でしょ。そのオルソラを盾にして、万が一死なせちまったらヤツらの計画は失敗になっちまいます。ヤツらがここまでして『法の書』に執着してんなら、逆にオルソラは安全なんです」
 ステイルは口の端の煙草タバコを揺らし、
「おそらく天草式の農的は、神裂かんざきがいなくなった事で欠けた戦力の穴埋めとして『法の書』を使おうとしているって所だね。ここまで強硬に出たというのは、それだけ切羽詰まっているっていう訳さ。彼らは『法の書』入手に失敗すれば次はない。だからオルソラの身柄も氷細工みたいに丁重に扱ってるだろうさ」
「……、逆に言えば、天草式が破れかぶれになる前にオルソラを見つけないとな」
 天秤てんびんの傾き方は微妙な所だと上条は感じた。オルソラを見つける前に天草式を追い詰めすぎればオルソラもろとも自滅する恐れがあるし、かと言って攻撃こうげきの手をゆるめてはオルソラを捜す余裕もなくなってしまう。大体、手加減できるような戦力差がある訳でもない。
 アニェーゼもサジ加減の難しさは分かっているようで、
「そこで人員を分けちまいたいと思います。我々ローマ正教の八割の人員で構成する主力隊はオトリんなって、正面から天草式と激突します。その間に、あなたたち遊撃隊ゆうげきたいの一つとして『パラレルスウィーツパーク』内を探索して、『法の書』とオルソラの身柄を確認できたら確保しちまってください」厚底サンダルをカツンと鳴らして、「特殊移動法のタイムリミットである午前〇時五分を過ぎても見つからないって場合は『いない』ものとみなしちまいます。あなた達は『パラレルスウィーツパーク㎞内から脱出しちまってください。我々の手で天草式を無力化した後に、園内を捜索しちまいます」
 リミットまでにオルソラを見つけられず、しかも園内に『いた』場合はそれだけ彼女の身に危険が迫る羽目になる。
『パラレルスウィーツパーク』の立地条件を考えれば、人捜しに向いていない環境というのはすぐに分かる。何せアニェーゼから聞いた話では、園内に七五もの店があるらしいのだ。
 上条かみじようがごくりとつばを飲み込むと、インデックスがロを開いた。
「特殊移動法の『渦』もあるよ。あれを破壊はかいしておかないとオルソラを連れて逃げられるかも。開いた『渦』自体はとうまがいれば簡単に消せるだろうけど、それだと午前〇時に開くまで待たないといけないんだよ。午前〇時より前に止めるためには、準備のためのアイテム類をこわせば良いんだけど、天草式の場合はカムフラージュされてて捜すのに苦労するかも」
「『法の書』とオルソラの捜索にポイントの破壊。割と窮屈きゆうくつなスケジュールになりそうだ」
 ステイルが言いながら煙草タバコを吐き捨てつぶす。
 覚悟が決まったと判断したのか、アニェーゼは片手を挙げた。背後にいた七〇人強のシスター達が一様に武器をかつぎ、冷たい金属音が夜に鳴りひびく。
 彼女達の武器は統一性がなく、剣ややりといった明確な武器から、銀のつえや巨大な十字架といった武器に使えなくもないもの、背丈ほどの直径のある巨大な歯車や松明たいまつなど使い道の想像できないものまで様々だ。アニェーゼ自身も、シスターの一人から銀の杖を受け取っている。
「……許せねえですよね」
 アニェーゼ=サンクティスは銀の杖を肩に担ぎながら、憎々しげな声をやみの先へと向ける。
「十字教ってな、本来みんなを助ける目的で広めてったものなのに。それを逆手に取って、こんな事のために力を使っちまうなんて。つまらない内容のために暴力を振るっちまうから、それを止めるためにさらにつまんねえ暴力を振るわなくっちゃいけねえんだって、どうしてそんな簡単な連鎖れんさにも気づけないんでしょうかね、彼らは」
「……、」
 それは簡単な事で、一歩離れればだれもが考え付くのだろうけど、当事者達にとってはとても難しい問題だと上条は思う。もちろん、上条だってアニェーゼの意見に大賛成だが。
「まあこういう言い方は何ですけど……だから私は天草式に限らず、魔術師まじゆつしとか、ああいう人間があんまり好きじゃねえんです。特に二〇世紀初頭に登場してきやがった近代西洋魔術結社なんざ、ほとんど十字教の屍理屈へりくつや裏技的な術式を並べた連中ですから。ほら、『神の如き者ミカエル』やら『神の力ガブリエル』なんつー大天使の名前を借りた魔法陣ぽほうじんなんざ典型的じゃねえですか。二〇世紀から離れたにしても、例えば魔女狩り時代に王侯貴族と契約してた錬金術師れんきんじゆうしなんかは堂々と『これは十字教の奥義おロつごだから魔女術には当たらない。あくまで私は敬虔けいけんなる子羊の一人だ』なんて公言してましたし」
 アニェーゼはパカパカと足音を鳴らして、
「ヤツらは聖書を上から下までぴっちり読み直して、神様の言葉を一つ一つ吟味して、そこから矛盾や抜け穴を捜して甘いみつをすする。これが『対十字教黒魔術アンチゴツドブラツクアート』―――恐るべき『外敵一ならぬ、むべき『内敵』の正体です。魔術師まじゆつしってのは法の抜け道をつついて国を腐らせる政治家みてえなもんなんですよ。私たちみたいな人間がきちんとルールを守って一列に並んでパンをもらっているってのに、ヤツらは何食わぬ顔で横から列に割り込んでくる。だから変なトラブルが起きちまうんです。別にパンをもらうのをやめうとまでは言いやしませんが、大人しく列の後ろに並んでうってな感じですね」
 そこまで行くと流石さすがに十字教至上主義みたいに聞こえて上条かみじようはちょっと首をかしげてしまうが、ようはみんなが守っている(とアニェーゼが信じている)ルールを無視する天草式を彼女は許せないようだった。ちなみに本職の『魔術師』ステイル=マグヌスはニヤニヤと笑ってアニェーゼのいきどおりを軽く聞き流している。インデックスはちょっと困った顔をしていた。
(まぁ、魔術師だらけの『必要悪の教会ネセサリウス』からすりゃ参った感じだよな、そりゃ。にしても、アニェーゼのヤツ。女の子の表情って変わるモンなんだなあ。さっきまで緊張きんちようしてふらふらしてたくせに、不思議な生き物だ)
 上条は話題を変えるために、辺りをキョロキョロと見回すと、どっちを見てもローマ正教のシスターさんばっかり目に映る。
「しっかしまあ、本隊は全部こっちに割けないとか謙虚けんきよな事言ってくるくせに、一声かけただけでよくこれだけの人達が簡単に集められるよな」
 あきれたような感心したような声を出すと、アニェーゼは笑った。
「数が多いのがウチの特権なんです。世界一一〇ヶ国以上に仲間がいんですから。日本にだってたくさん教会はありますし、今もオルソラ教会って新しい神の家を建設中なんで。確かこの辺りだったと思いますよ。すぐ近くです。完成すりゃ日本国内では最大規模になるとかって触れ込みだったと思います。野球場ぐらいの大きさがあったはずですけど」
 パカパカ、とアニェーゼの靴底が柔らかい音を立てる。
「オルソラ?」
「はい。あの人は三ヶ国もの異教地で神の教えを広めたってな功績があって、自分の名前を冠する教会を建てる許可を特別にいただいたんで。上手な言葉を使う人だったでしょ?」
 言われてみればそんな気がするが、上条の周りには日本語を流暢りゆうちように使う外国人が多すぎてピンと来ない。もちろん、日本語しか使えない上条かみじようからすればありがたい事なのだが。
「教会が完成したら招待状でも送りますんで。ですがその前に、目先の問題を片付けちまいましょう。後味良くて素敵な結末を迎えられますように」
 アニェーゼは不敵に笑って重そうな銀のつえを肩にかつぐと、カンカン、と両足のカカトでそれそれ地面をたたいた。すると三〇センチ以上あった厚底が綺麗きれいに外れて、普通のサンダルになる。
どうも修道服のファスナー同様、お好みに合わせて着脱可能な作りらしい。
「……、あの。動きやすいのは分かんだけどさ。だったら日頃ひごろから外しておけば?」
「うっさいです。おしゃれなんです。自分的こだわりポイントなんです」

     6

 午後一一時二七分。
『パラレルスウィーツパーク』の職買用出入り口に近い金網フェンスの辺りまで上条、インデックス、ステイルの三人はやってきた。
 まだ戦場にも入っていないのに、上条は静電気を帯びた空気のようなものをピリピリと肌に感じていた。フェンスの向こうに広がるやみのどこからだれのぞかれているのか分からないのだ。
実際には園内の限られた場所に敵がひそんでいるだけなのだろうが、もうこの施設全部が巨大な敵の胃袋のように見えてしまう。
(こんな所に……)
 女の子オルソラが一人取り残されるのは、どれほどの苦痛だろうか。まして、自分の周りを取り囲むのが剣ややりを取りそろえた数十人もの凶人たちだとしたら。
 くそ、と上条は思う。こんな事になるなら、やはり最初から無理してでもオルソラを学園都市へ入れておけば……と上条は苦い思いに駆られる。
「おいステイル」
「何だ?」
「お前、本当に時間内に全部の仕事を片付けられると思うか? ポイントの破壊はかいと、『法の書』の探索、オルソラの救出。その全部だ」
 上条の問いにステイルは少しだまった。インデックスも緊張きんちようした顔で二人を交互に見ている、「……。正直、厳しいだろうね」ステイルはわずかに間を空けて答えた。「ただでさえ園内のどこに『法の書』やオルソラが保管されてるかも分かっていないんだ。それに、実はローマ正教には伝えていない情報が一つある」
「?」と首をかしげる上条に、
「事件発生直後にイギリス国内にいたはずの神裂火織かんざきかおりが消えた。おそらくかつての部下……いや、仲間を思っての行動だろう。天草式に決定的なダメージを与えようとすれば、あの聖人がおそってくるかもしれない」
上条かみじようおどろきと緊張きんちようのどが干からびるかと思った。
 神裂火織かんざきかおリは、『御使堕しエンゼルフオール』の一件では本物の天使を足止めできたほどの魔術師まじゆつしだ。直接戦っている姿を上条は見た訳ではないが、敵に回せばどれほど危険な相手かは想像にかたくない。
 そして、神裂がステイルの予想する行動に出そうな事は、上条にも簡単に理解できる。
「だからすべての仕事を成功させようなんて思うな。ただでさえ破綻ほたん気味の計画で、さらに危険要素が満載なんだ。最悪『法の書』が解読されるのだけは防ぐように立ち回るんだ」
「だったら……」
 上条は、ステイルとインデックスの顔を見てから言う。
「だったら、最優先はオルソラで良いか?」
「僕は別に構わないさ。解読者がいなければ『法の書』は宝の持ち腐れだ。『法の書』の知識自体はその子の頭の中に入っているんだし、原典にも興味はない。それに『法の書』の持ち主はローマ正教なんだから紛失してもイギリス清教はどこも痛まないし
「私もそれでいいと思うよ。ていうか、とうまはダメって言っても勝手に突っ走っちゃうに決まってるもん。ただでさえ人数少ないんだからみんなでまとまらないとね」
 インデックスとステイル、イギリス清教の魔術師たちは特に悩みもしないで答えた。
 おそらくプロとしての事情もあるのに、何も事情を知らない素人しろうとの意見を聞いて。
「分かった。ありがとな」
 上条がそう言うと、二人はやや面食らったような顔をした。元々表情豊かなインデックスはまだ普通だが、ステイルは見方によっては滑稽こつけいにも映る。
 チッ、とステイルは舌打ちして、
突撃とつげサ前に気をぐような気持ちの悪い真似ぽねはするな。一一時三〇分には陽動が始まるんだ。それに合わせて内部へ侵入するんだから、そろそろ―――」
「とうま、中に入ったら気をゆるめちゃダメだよ? ちゃんと私の後ろに隠れてて、私の言う通りに動かなきゃ危ないんだからね」
「はっ。何を言ってるんですかこの入は。相手が魔術師ならおれの右手は鉄壁だろ。お前こそきちんと俺の後ろに隠れてアドバイスしてりゃいーんですよ」
「「……、」」
 上条とインデックスは意見の不一致によってややだぽり込む。
「―――そろそろ侵入するんだから、気を引きめて欲しいんだけどね。本当に」
 会話の輪から外されたステイルが平淡な声で言った瞬間しゆんかん

 ドン!! と、遠く離れた一般用出入り口の方から爆発が起きた。

「……、なあ。あれってホントに陽動か?」
 轟々ごうごうと燃え上がる火柱を見て、上条かみじようはやや呆然ぽうぜんつぶやいた。
「あれぐらいのものをぶつけないと押し負けちゃうって事だよ、とうま。油断しちゃダメ」
さわぎも起きない。人払いと制り込みの魔術まじゆつを併用しているね、これは。ただ、術式にローマ正教のクセというか、なぽりみたいな特徴が感じられない。……、天草式の術式、か。これほどまでの術式を天草式が持っているってのはしやくだね」
 ともあれ、時間は来た。
 インデックスは鼻先がくっつきそうになるまで金網フェンスに近づいて、じっと何かを観察している。魔術的なトラップがない事を確認してから、三人はフェンスを乗り越えて暗い園内へと侵入した。
 園内は外灯も落とされ、都会の中なのにぽっかりと暗闇くらやみおおわれていた。ここだけ夜空の星明りが強いような錯覚さうかくすら受ける。本来の観覧コースから外れた場所から侵入した三人は、キヤンピングカーぐらいの大きさしかないジェラート専門店と杏仁豆腐あんにんどうふ専門店の間を通ってようやく観覧コースへと入る。
 巨大な円形のコースだった。真ん中には水路というか水堀りのようなものがあって、三メートルほど下に水面があり、底の深さは分からなかった。外側のコースに沿って外周には小さな店舗がたくさん並んでいた。屋台のようにカウンターしかなく、店内で飲食するようには作られていない。水路内側のスペースは広場になっていて、たくさんのテープルや椅子いすが並んでいるので、そちらへ持って行くようになっているらしい。
 アニェーゼの話では円は一つではなく、オリンピックのマークのようにいくつもの円が隣接りんせつしている作りになっているとの事だった。
「……、」
 昼間に来れば楽しい思い出の一つでも作れただろうが、今は別次元だと上条は思った。あかりがなく、無骨なシャッターに閉じられた小店舗がずらりと並ぶ光景は、それだけで園内から拒絶されているような気分にさせられる。人の顔を下から懐中かいちゆう電灯で照らしたような不気味さの感じる場所だった。本来なら一番はしやぎそうな食欲少女インデックスも、ピリピリした表情で暗闇の先を見据えているだけだ。
「とうま、とうま。時間がないんだよ。捜すなら早くオルソラを捜さないと」
「そうだね、時間は三〇分しかないんだ。『渦』の位置が分かれば待ち伏せもできるだろうが、現状ではあまり期待もできない事だし」
 夜に紛れるためか、珍しく煙草タバコを吸わずにステイルは言う。遠くから人の怒号や絶叫、何かをこわす音や爆発音などが聞こえてくる。ローマ正教と天草式が本格的に激突したようだ。
「あ、ああ。分かった」
 上条が答えた瞬間しゆんかん、ガン、という金属音が聞こえた。
 は? と彼が音のした方―――自分の頭上を何気なく見上げた瞬間しゆんかん

 そこに、ジェラート専門店の屋根から飛びかかってきた四人の少年少女が宙を舞っていた。

 彼らの手には、それぞれ西洋剣らしきものが握られている。
「っ!?」
 上条かみじようがインデックスの胸を押して突き飛ばし、ステイルが彼女の襟首えりくびつかんで手元へ引き寄せた瞬間。
 ザン!! と、照り返す月光を残像にして、刃がまっすぐ振り下ろされた。ついさっきまでインデックスがいた場所へ、雷光のように。
 少年が一人、少女が三人。全員上条と同い年ぐらいだった。服装も奇抜な修道服などではなく、普通に街を歩いているような格好だ。しかし、だからこそ逆に手に握られた西洋剣の禍々まがまがしい輝きが強烈な違和感となっている。
 ステイルは忌々いまいましげな声で、
「ハンドアンドハーフソード、バスタードソード、ボアスピアソード、ドレスソード。まったく、この国の人間は本当に西洋圏ばくたちの文化がお好きだな!」
 ファンタジー系のRPGに出てきそうな名前だと上条は思った。一メートル強から二メートル弱とサイズやデザインもまちまちで、中には何のためのデザインか分からない、先端だけが球根のようにふくらんだレイピアのような剣もある。
(く、そ。陽動の方で全員引き付けられなかったのか!?)
 四人の少年少女は、上条と、インデックス・ステイルの間に割って入るように地面へ着地している。通路の狭さを考えると、単純に迂回うかいしての合流もできない。ステイルはルーンのカードをばらき、炎剣を引き抜きながら、
「君にやる。死にたくなければ肌身離さず持っていろ!」
 ふところから取り出した何かを、上条に向かって投げつけた。彼が慌てて受け取ると、それは銀でできた十字架のネックレスだった。
「これは……」
 ……何に使うものなんだ? と聞こうと顔を上げた瞬間、上条の眼前にデッキブラシぐらいの長さの細身の両刃剣(ドレスソードと言うらしい)の切っ先が天草式の少女によって無言で、ごう!! と突き出された。
「うあ!?」
 上条は慌てて後ろへ跳んでけた。が、続く少女のみ込みに対応できない。それでも横薙よこなぎの一撃いちげきを避けられたのは、単に足がもつれて後ろへ転んだからだ。
「危ない、とうま!!」
 インデックスの叫び声が聞こえた瞬間しゆんかん、真上から少女のドレスソードがギロチンのように振り下ろされた。上条かみじようは転んだ勢いを殺さず、そのまま後ろへ転がる事で何とかこれをける。
 魔術まじゆつなど一度も使われた様子がない。
 こんな状況では右手に宿る『幻想殺しイマジンブレイカー』も何の役にも立たない。右手を振りかざしても両断されるのがオチだ。
「インデックス!」
 上条は叫ぶが、間に武器を持った四人もの刺客しかくがいるため迂闊うかつに飛び込めない。ステイルはインデックスを守るために炎剣を構えて立ちふさがるが、刺客の内の二人が、まるで体当たりするようにステイルという盾ごとインデックスの華奢きやしやな体を剣で貫き通す。
 ドンッ!! という鈍い音。
「―――……ッ!?」
 目の前の光景に上条は心臓が止まるかと思ったが、冷静に観察すると一滴の血もこぼれていなかった。それどころか、体当たりした二人の刺客が、そのままステイルの体をするりとすり抜けた。
 昼気楼しんきろう
 ステイルの幻像が、最後に皮肉げに笑ってからゆらりと虚空こくうへ消えた。それは天草式の刺客にではなく、何故なぜだかその先にいる上条の目を射貫いぬいていた。
 二人の姿はもうどこにもない。
 四人の刺客の視線が残る上条へ集中した。
(ちょ、ま……。に、逃げるなら集合場所とか合図とか決めとかねーか普通!? ってかまたおとりおれは! 以前にもこんなのあったよな。確か錬金術師れんきんじゆつしん時とかに!!)
 一人置いてきぼりにされた上条は慌てて敵に背を向けると全速力で走り出した。突然の行動で、天草式の判断は揺らいだようだ。上条が走りながら背後を見ると、刺客の内の三人があちこちへ散開するのが分かった。消えたインデックスたちを捜索するためか。
 そして残る一人。
 先ほど剣を向けた少女が一人だけ上条を追撃ついげきしてきている。速い。重たい剣をかついでいるのに鳥みたいな速度で追い駆けてくる。
(ま、ず……ッ! まっすぐ走っても逃げ切れねえ!)
 上条はあせりと共に円形の観覧コースから外れて、店と店の間にある幅七〇センチもない狭いスペースへと飛び込んだ。ここはもう裏路地としても機能しない、ただの隙問すきまだ。
 上条は細い隙間を駆け抜けようとしたが、何かにつまずいて盛大に地面へ転がった。店の外装を変える予定らしく、壁には看板が立てかけてあり、地面には工具箱が置いてあった。上条はそれに足を引っ掛けたのだ。
(っつ! ……こんなトコに置きっ放しにしとくんじゃねえよ!)
 このまま逃げ続けてもいつか少女の剣に背中をられる。上条かみじようはとっさに散らばった工具箱の中身を見回して、武器になりそうなものを捜した。が、すぐに無理だと知る。カナヅチを振り回した所で本物の剣に勝てるとは思えない。手当たり次第に物を投げた所で、襲撃者しゆうげきしやなら一っ残らず真っ二つに斬りかねない。
(……、斬りかねない? それなら!!)
 その時、ドレスソードを握った少女が、ドリフトのように靴底を滑らせて隙間すきまの入口へやってきた。
 彼は地面に散らばる様々な道具の中から歯磨き粉のチューブのようなものをつかむと、それをとっさに後ろへと投げつける。
 少女は飛んできた物の正体も見極めず、横一閃よこいつせんにチューブを切り飛ばすと剣を振り上げながら、隙間の中へと飛び込んできた。
「!!」
 上条はとっさに起き上がり、両手をクロスして頭を守る。
 少女の剣は止まらない。こう! と風すらたたき斬る一撃は真上から真下へ、上条の両腕ごとその体を真っ二つにしようとおそいかかり、

 がつっと。
 鈍い音はしたが、腕に当たった剣は上条の皮膚ひあ一枚すら斬れなかった。

 歯磨き粉のチューブのようなものの中身は機械に使うグリス。
 その粘着質の液体は刀にこびりつく血液や脂肪のように、剣の切れ味を圧倒的に鈍らせてしまう。もし少女の得物えものが日本刀のように重たい剣なら切れ味を失っても上条の腕の骨を叩き折れただろうが、細いレイピアを金銀財宝で豪奢こうしやに飾りつけた貴族用の剣ドレスソードではそれも望めない。
「!?」
 少女は慌ててドレスソードを構え直そうとしたが、
「遅っせぇ!!」
 それより先に、上条は両腕を振って剣をほじくと、少女の腰へ腕を巻きつけるようにタックルして、全体重をかけてそのまま一気に少女の背中を地面へ叩きつけた。頭を地面へぶつけないように、少女の後頭部へ手を回しているのは上条らしいお人好ひとよしな部分と言える。
 激突と同時に、ごふ、と少女の口から酸素が吐き出され、彼女はそれきり動かなくなった。受身の取れない状態で柔道の投げ技を食らったようなものなのだから無理もないだろう。
「……、ちくしょうが。痛っつ」
 一応少女が怪我けがをしていない事だけを確かめると、上条はその場にへたり込んだ。頭上を見上げると、建物の壁で四角く切り取られた夜空がある。路地裏では見慣れた景色だ。
 学園都市の路地裏のケンカは一般的な日本のそれとは常識というか、普通・平均・標準の基準点が大きく異なる。使い方によっては拳銃けんじゆうより危険な異能力を振りかざす者や、そんな能力者と渡り合うための特殊兵器を持った不良などがゴロゴロいるのだ。上条かみじようが刃物を見ても腰を抜かさずに何とか体を動かせたのには、そういう慣れの部分も含まれているはずだ。
 上条はしばらくその場で息を整えていたが、やがて少女の持っていたドレスソードをつかんでみた。細い剣だが重心の関係か、意外に重く感じる。使えるかどうかしばらく考えたが、やっばりあきらめた。剣なんて構え方も分からないから有効打を与えられるとは思えないし、仮にこんな真剣で有効打を与えたら相手がどうなるのか、想像するだけで背筋が凍る。切れ味をかなり奪ったとはいえ、無闇むやみに振り圃したくもない。
 とはいえ、ここに剣を置いておくと、この天草式の少女の目が覚めた時に厄介な展開になるだろうと思って、上条はずるずると剣を引きずってその場を離れる事にした。
(くそ、インデックスとステイルは大丈夫だいじようぶか? オルソラはどうする。まず合流するのが先か、それとも一人でオルソラを捜すべきか?)
 これは連絡手段や合流場所を決めておかなかった不備と言えた。とはいえ、まさか別行動を取る羽目になるとは考えていなかったのだから仕方がない。上条は今後どう動くか考えつつ重たい剣を引きずるようにして、店と店の隙間すきまから円形の観覧コースに戻り
 瞬間しゆんかん。いきなり真横から何者かに体当たりされた。

「!?」
 店の壁の陰からの完全な不意打ちだった。上条のバランスが崩れる。彼はとっさに剣を横へ放り捨てた。転んだ拍子に自分の体をえぐるのだけはけたかったからだ。
 まるで先ほどと立場が逆になったように、上条は地面へ押し倒された。とはいえ、受け身は取れたのであの少女ほど重いダメージは負わない。続く追撃ついげきで馬乗りにされるのを防ぐため、彼は両手のこぶしを握って、
「……、ありゃ?」
 拳を開いた。敵にしては何かおかしい。黒いフードに黒い修道服、この暑いのに手の先から足の先までぴっちりと肌の露出ろしゆつを抑えたシスターさんは、両腕を後ろへ回されて右手で左肘ひだりひじを、左手で右肘を掴んだ状態で真っ白なガムテープで腕をぐるぐる巻きにされていた。口にも同じテープがり付けてあった。良く見ると布のようなもので、しかもうっすらと崩れた漢字みたいな不気味な文字がびっしりと書き込んである。
 なんというか、だれがどう見てもオルソラ=アクィナスだった。
 ぺたん、と上条は安堵あんどのあまり、全身から力が抜けるのが分かった。
「むぐー。むがむぐむむぐむーむーむぐぐむむぐむまむむむぐーむーむーむー」
 得体えたいの知れないお札っぽいものに口をふさがれたオルソラは上条かみじようの顔を見て必死の形相で何かを伝えようとしていた。
「え? せっかく日本に来たんだから本場スモウンスラーを見てみたいって? あのな、日本人全員が相撲すもうなんてやってるはずないだろ。お前はホントにおばーちゃんだな」
「むぐーっ!!」
「あれ? ちょ、ま、冗談だっ―――ッ!?」
 上条が弁解する前にかなり本気の頭突きが彼の鳩尾みぞおちに激突した。上条とオルソラは一緒いつしよに地面に倒れ込む。最初はただむせ返っていただけの上条だったが、ふと自分の手に何か柔らかいものが当たっているのに気づいた。オルソラは気づいていないようだが、それは彼女の温かい鼓動を伝えてくる大きな胸だ。
(ぶっ! ぶがぁ!?)
 上条は顔を真っ赤にしながらオルソラの下からい出ると、彼女の口を塞ぐお札らしきものを右手の人差し指でなぞった。間接とはいえ唇を触られたオルソラはびっくりした顔になったが、直後にお札らしきものが自然にがれたのを見てその一〇倍ぐらいおどろいていた。
「あ、あの。あなた様はバス停でお会いした方でございますよね。でも、何で」
「お前を助けに来たからに決まってんだろ! ああくそ、事情は後で話すから。とりあえずここを離れないと!」
 上条はあちこちを見回し、辺りにだれもいないのを確認してから、自分で放り投げたドレスソードを拾い上げる。
 オルソラはややポカンと、上条に対してではなく、独り言のように口の中でつぶやく。
「え、え? あの、本当に……私を、助けに? 『法の書』などとは関係、なく……?」
「んな小っせえ事情なんかどうだって良いだろうがッ! っつかテメェはおれが古本一冊のためにこんなトコまでやってくるような物好きに見えんのか!?」
 上条が頭をむしって叫ぶと、オルソラはビクッと肩をふるわせた。
「は、はぁ。えと、あの、……それはそれはお世話様でございました」
「……、まぁ。刷にお礼なんかいらねえけど。っつかテメェはこんなトコで何やってんだ?ほかの天草式とかはどうしたんだよ?」
「ろ、ローマ正教と天草式がぶつかっているようなのでございますよ。私は混乱に乗じて何とか抜け出す事ができたのでございますけど。……それにしても、天草式はこういった拘束・監禁には慣れていないのでございましょうか」
 ドレスソードを拾った上条は彼女の後ろへ回って腕の封も破壊はかいする。
 オルソラは拘束されていた自分の両手をさすりながら、
「あ、ありがとうございます。でも、あら? これは、どうやって……?」
「んー? そういう能力持ってるだけなんだけど……ややこしくなるから変な説明しない方が良いかもな、お前、いきなり科学側の能力開発の話とかされても困るだろ。っつか、お前この状況でものんびりしてんなあ。もっと真剣に逃げる事考えなきゃダメだろ」
「そんな事を申されましても、彼らは出入り口の辺りで激突してましたし、フェンスを越えようにも後ろ手にしばられていてはどうする事ができるのでございましょうか? 仕方がないのでほかの出入り口を探していたのでご、ざい―――ッ?」
 オルソラが言い終わる前に、上条かみじようは彼女の腕をつかんで再び店と店の問にある狭い隙間すをユへ飛び込んだ。そこに倒れている天草式の少女を見てオルソラは悲鳴を上げかけたが、
「……静かに!」
 小声で注意を飛ばし、彼女の口を上条は右手で押さえつける。そのまま隙間を駆け抜けて、店の裏側の壁へ張り付いた。
 バタバタという複数の足音が円形の表の観覧コースからひびいてきて、通り過ぎていった。
 上条やインデックスたちを追うというより、オルソラが逃亡した事に気づいたという感じだ。得体えたいの知れない剣やおのを握り、指示を飛ばし合う彼らの姿はどこまでも不気味だった。
 足音が遠ざかるのを耳にして、上条は壁に背を預けたままズルズルと地面に腰を下ろす。オルソラもそれにならって、彼のとなりでお上品に座り込んだ。

     7

 上条達の座り込んだ場所はどうも天草式の死角に入ったようだ。店の裏手のエリアには背の低い木があちこちに植えてあって、身をかがめると遠目からは見えなくなるのである。
 が、逆に小さな安全地帯を見つけてしまった事で、上条達は身動きが取れなくなってしまった。断続的にすぐ近くの観覧コースを走る天草式の青年達の足音のせいで、ここから出れば即座に見つかると分かったからだ。
 上条はインデックスやステイルが心配だった。こうしてオルソラの身柄を確保できた以上、彼らが今も『パラレルスウィーツパーク』から逃げ出さずに園内にとどまっているならそれは無駄むだな危険に他ならない。しかし、そうと分かっていても連絡を取る手段がないし、下手にここを離れて園内を捜し回るのも危険すぎる。
「特殊移動法ってのが午前〇時から〇時五分までしか使えないって話だから、逆に時間までここで粘り続けても天草式の計画を妨害できた事にはなるんだろうけど……」
 上条は携帯電話の時計機能を見ようとしたが、暗闇くらやみに液晶画面のバックライトは目立つのでやめた。これを使って連絡が取れれば一番良いんだけど、と上条は思う。インデックスの〇円携帯電話は三毛猫みけねこくわえていたし、ステイルの番号なんて知るはずがない。
 彼が座ったまま足を伸ばすと、地面に置いてあったドレスソードのっかに当たった。その音と感触に、上条かみじようの意識が内から外へと向き直る。そしてようやく自分の息が荒くなっているのに気づいた。額を手でぬぐうと、普段ふだんより大量の汗でびっしょりとれていた。緊張きんちようのせいなのか、少し体を動かしただけでマラソンをした後のように発汗していた。
 あら? とその事に気づいたオルソラはそでの中からンースのハンカチを取り出す。上条は嫌な予感と共に座ったまま後ずさりしようとして、
「い、いや。いいですって別に気にしてませんからほらハンカチだって汚れるしってかバス停近くでもあったろこんなのむがっ!?」
 言葉が終わる前に問答無用で花の香りのするハンカチを顔に押し付けられた。
「きちんと拭わなければ夏風邪なつかぜを引いてしまうかもしれないのでございますよ。まあ。そういえばバスの停留所近くでもこんな事をやったような気がするのでございますけど」
「おんなじコメント八秒前に言ったよおれ! お前ホントにおばーちゃん的に人の話聞いてねーんだなってか苦しっ、苦しい!! お願いですから口と鼻はふさがぐうっ!?」
 やや酸欠になった上条は必死になってハンカチ攻撃こうげきから逃れようとしたが無駄むだだった。オルソラは思う存分ハンカチを動かすと、ビカァァ! と後光が見えるような笑みを浮かべる。
「あの、あなた様は確か学園都市の方でございましたよね?」
「げほっ、うえ。……ん? まぁそうだけど」
「では、その学園都市のあなた様が何故なぜこのような所にいるのでございましょう? ローマ正教の動きと無関係とは思えませんし、でも学園都市の中に教会はなかったと存じ上げてございますけど」
 不思議そうな声だった。
 対して、上条はあんまり重要視していない感じで、
「まぁ、俺はちょっと特別でね、イギリス清教に知り合いがいんの。今回は何だか知らない内に巻き込まれて、何だか知らない内にヤツらの手伝いをさせられてるだけってトコ」
 ピクリ、とオルソラの肩が動いた。
 聞き捨てならない事を聞いた、というような動き方だった。
「えっと、これって悪かったか? お前って確かローマ正教だったっけ。やっぱローマ正教とイギリス清教って仲が良くないモンなのか?」
「いえ、そうではございませんよ」
 オルソラはゆっくりと、何かを考えるような素振りを見せた後、
「確認させてもらいますけど、あなた様はイギリス清教からの協力要請があって手伝う事になったのでございましようか?」
「そうだけど」
 上条が適当にうなずくと、オルソラは『んー……』としばらく動きを止めて、
「あら? 少々汗をかいているのでございますね」
「いや汗拭あせふきはホントにもう良いから!」
「つまりあなた様はローマ正教ではなくイギリス清教の筋をお持ちでございますか」
「うっ、話が戻ったり進んだり!? い、いや、そんな大それたモンじゃないけど。あ、言っておくけどコネなんて使えねえぞ。おれは学園都市の住人なんだからな」
「そうで、ございますか」
 オルソラは何故なぜだかあんど堵したように笑った。
左様さようでございますよね。あなた様のような方は、私たちのような教会世界にかかわりを持たない方がよろしいに決まっているのでございましょう」
「……、そうなのか? ふーん、確かに俺はこんなの持っててもしょうがないけど」
 と、上条かみじようは別れぎわにステイルから投げ渡された十字架を見た。どんな効果があるのか知らないが、右手で受け取ってしまったので、すでに何の役にも立たなくなっているだろう。
「まぁ。それはイギリス清教のお知り合いからいただいたものでございましょうか?」
「分かるの?」
「一口に十字架と言いましても、ラテン十字、ケルト十字、マルタ十字、アンデレ十字、司教十字、教皇十字と様々な形、種類のものがあるのでございますよ」
「ふうん、そういうモンなのか。けど俺が持っててもしょうがねえしな、これ。本職の人間以外が持ってるのも悪い気がするし、良かったらお前が預っててくれ」
 何気なく言ったつもりだったが、オルソラは飛び上がりそうになった。
「あら、よろしいのでございますか!」
「いや別に良いけど。ステイルがどういうつもりで渡したか知らないけど、大した意味とかないだろ。だって俺が魔術まじゆつ使えないのは知ってんだし。……あいつ皮肉好きだし分かってて渡したんならやっぱり嫌がらせだったのかもな。後、この十字架はもう何の価値もなくなってると思うそ。俺は魔術の事とかサッパリだけど、何せ右手で触れちまったからな」
 オルソラに十字架のネックレスを手渡しながら上条は言った。
 と、彼女は何故か握手をするように上条の手をつかみ、さらにもう片方の手で包むようにして、うだけ、お願いがあるのでございます」
「え、な……何だよ?」
 不覚にも、予想以上に柔らかい感触に上条の声が裏返りそうになる。
「あなた様の手で私の首にかけてもらえないでございましょうか」
「は? まぁ、構わねえけど」
 上条が答えると、オルソラはネックレスをかけやすくするためか、ひとみを閉じてあごを上げた。何だかキスでも求められているような錯覚さつかくがして、上条は慌てて視線を落とす。と、目線の下では、ただでさえ大きなふくらみが顎を上げて胸が反らされた事でさらに強調されていた。
 ぶがあっ!? と上条かみじようは吹き出しそうになる。
「? どうしたのでございましょう?」
「い、いや……何でもないです! いや本当に!」
「?」
 目を閉じたまま不思議がるオルソラに、上条はあせりながらネックレスの細いくさりの連結部を外した。それからオルソラの白い布で覆われたのどに巻きつけるようにする。やってから、彼女の後ろへ回れば良かったと上条は思った。前からこれをやると両腕を回して抱き着こうとしているように見えて一気に緊張きんちようする。彼女の首の後ろに指先が当たる。カチカチと何度か手がふるえた後、ようやく鎖の連結部をつなげる事ができた。
 オルソラは何かに満足するように、胸元にある十字架を何度か指ででた。圭条が何気なく彼女の指の動きを追うと、大きなふくらみに目が吸い寄せられているのに気づいて慌ててらす。
一度意識し出すと駄目だめになりそうだった。上条は沈黙ちんもくに耐えられず、何でも良いから話題を探し回って、
「そういえば、お前って『法の書』の読み方が分かるんだっけか?」
「読み方と言いますか、暗号文の解読方法でございますけど……」
 のんびりとした後に、彼女はハッとしたように身を固くした。
「あー、違う違う。解読法を教えて欲しいってんじゃなくて、どうしてお前は『法の書』なんて調べようとしたんだろうなって思ってさ。あれって結構危ない本なんだろ?」
 オルソラはしばらく上条の顔を眺めていたが、やがてゆるゆると力を抜いて、
「力が欲しかったから、という事で間違いないのでございますが」オルソラはゆっくりとかぶりを振って、「あなた様は、魔道書まごうしよの原典というものをご存知でございましょうか。また、原典はどんな方法を使っても破壊はかいできないという話は」
「ん。ああ、人づてだけど一応な。何だっけ、魔道書の文字とか文節とか文章とかが、魔法陣まほうじんみたいになっちまってるんだっけ?」
「はい。魔道書とは、つまり設計図でございます。雷を扱う魔道書とは、同時に雷を出す発生装置になってしまうという事でございますよ。原典クラスともなれば人の魔力などなくとも、地脈や竜脈などからわずかに漂う力を増幅して、半永久的に活動を続ける自己防衛魔法陣を形成してしまうのでございます」
 オルソラはわずかに何か考える様子を見せた後、
「今の技術では、こうなった魔道書を処分するのは不可能でございましょうよ。せいぜいが封をして、だれにも読めないようにする事ぐらいしか」
 ですが、とオルソラは続けて、
「あくまで『今の技術では』なのでございます。原典が一種の魔法陣であるのなら、魔法陣を崩すように一定の配置で文字や文節を付け足す事で、レバーを操って汽車のレールを切り替えるがごとく、魔法陣まほうじんの機能そのものを逆手に取る事もできるはず―――つまり、原典を自爆させる事も可能なはずでございましよう」
 そして最後に、彼女はキッパリと言う。
魔道書まどうしよの力なんて、だれも幸せにしないのでございますよ。それを巡って争いしか生まなかったのでございますね。ですから私は、ああいった魔道書をこわすために、その仕組みを調べてみたかったのでございます」
 上条かみじようは改めてオルソラの顔を見た。
『法の書』の解読法を編み出したなどというから、『法の書』の力を手にするために躍起やつきになって頭を巡らせているものだと思っていたが、真実は全く逆だった。オルソラは『法の書』の危険な力を奪いたいがために、魔道書を調べているだけだったのだ。上条はその事に、ほんのわずかに安堵あんどして、
 ゴン!! という鈍い音を聞いた。
 店の向かい―――円形の観覧コースの方からだ、と上条は思った。が、慌てて飛び上がる前に、視界に何か映った。ヒュン、と夜空に何かが舞ったのだ。
 それは人間に見えた。
 赤い髪の、黒い服を着た神父に見えた。
「す、て……いる!?」
 上条が言い終わる前に、ステイル=マグヌスは勢い良く地面へ落下した。今まで彼らの姿を隠していた背の低い植え込みの木を押しつぶすように、背中から地面へ激突する。彼の衣服は所々が鋭い刃物で切り裂かれ、その肌から血がにじんでいた。
(店の向こうで大きな音がして、こっちまで飛んできたって事は、まさか、あそこから飛び越えてきたのかー!?)
 上条が得体えたいの知れない想像をしていると、ステイルは倒れたまま、
「く、そ。上条、当麻とうまか。何をやっている、早く逃げろ!!」
 え? と上条が思った瞬間しゆんかん、彼が背中を預けている店の、二つ横の店の壁が生き物のように大きく盛り上がった。
「!?」
 何が起きているか理解できない上条の前で、まるでシャチが海面を突き破ってジャンプするように、店の壁を端微塵ぱみじんに砕いて何者かが飛び出してきた。入影の背後で支えを失った建物が崩れていく。ガラガラと、人の腕ほどもある太さの建築木材がすぐ近くに降り注こうが、その人物は少しも動じない。あまつさえ笑みすら浮かべていた。
 体は細く長身なのに、相撲すもう取りが着ていそうなほどサイズの合わない大きなTシャツとジーンズを穿いた二〇代中盤の男だった。Tシャツの柄は白地の上に、右胸辺りを中心に赤いクロスが走っている。ジェルか何かを使って意図的に毛先をとがらせた髪型をしていて、何より特徴的なのはその髪の色か。圧倒的に黒い。わざわざ黒の髪染めで染め直したであろう髪は、クワガタみたいに妙な光沢すら放っている。足元のバスケットシューズは靴紐くワひもが異様に長く、一メートル以上もあった。あれでは間違ってみつけても、余裕がありすぎて転ぶ事はないと思う。
首には革紐のような素材のネックレスが掛けてあって、そこには直径一〇センチぐらいの小型扇風機が四つも五つもぶら下げてあった。
 何をねらっているのかいまいち良く分からないセンスだ。
 しかしもちろん、一番センスが理解できないのはその右手が握っているものだろう。
 フランベルジェ。
 全長一八〇センチ強もの長さを誇る一七世紀フランスの両手剣。刃の表面が波打っているのが特徴的で、その波型刃によって傷を広げるように作られている。
 本来は鉄か、儀礼ぎれい用ならさらにその上に金箔きんぱくが使われるものだが、刀身は真っ白だった。完成まで後一歩のプラモデルのようだった。素材は恐竜の骨でも削ったのか、それとも特殊な炭素の塊か、はたまた航空素材か。単なる高校生の上条かみじようが少し見たぐらいでは判断がつかないが、少なくとも金属とは思えない。
 どう考えても現代社会にマッチしない大剣を、その男は片手で軽々と握っていた。
「くっく。なあにをやっとんのよイギリス清教の神父様。おら、英国紳士の誇りはどこ行った? この建宮斎字たてみやさいじに見せてみろ。いかんよなぁ、そんなんじゃ女の一人も守れんぞ」

 チッ、とステイルは忌々いまいましそうに舌打ちしてルーンのカードを取り出す。
 彼は目の前の危機である大剣の男、建宮斎字たてみやさいじなど見ていない。その先―――こわれた店舗の向こうの観覧コースで身構えている、一人の白いシスターの行く末を最重要視している。
「お前、守りながら戦ってきたのか……?」
 上条かみじよう呆然ぼうぜんつぶやいた。
 ステイルの魔術まじゆつは陣取りゲームみたいなものだ。ルーンのカードをった場所でのみ、強力な魔術が使えるようになる。そんな彼にとって今回の戦いは鬼門だったのだろう。常に移動しながらの戦闘せんとうでは、彼は陣取りゲームをしている暇もなくなってしまう。ましてその状況でインデックスを守りながら戦うとなっては、文字通り体でも何でも盾にするしかない。
「余計な事は、考えるな」ステイルは血でも吐きそうな声で、「……よし、オルソラ=アクィナスは確保、できているね。相変わらず、その悪運は幸か不幸か判別しにくいものだ。……とにかく、後はすきを作って逃げるぞ。無理にあれを倒さずとも、逃げ切れれば僕たちの勝ちだ」
 ステイルはふるえる足で立ち上がろうとしたが、上手く力が入らないらしい。
 建宮斎字はそんな様子を愉快そうに眺めてから、視線をオルソラへと移した。
「それでなあ、何だってこんな所ぞお前と鉢合わせにゃならんのよ?何度も説明したはずなんだがなあ。オルソラ=アクィナス。我々は貴女あなたに危害を加えるつもりはない」
 説明している本人が、大して説得力を求めていないようなうすっぺらな声だった。
 言外に、オルソラを逃がしてしまった自分の部下に失望するような色すらある。
 オルソラは、壊れた店を、傷ついたステイルを、そして建宮のフランベルジェを見て、
「確かに、あなた様のお言葉は希望に満ちていたと存じ上げてございますが。私は武器を振り回しながら訴える平和など信じられないのでございますよ」
「無念だなあ。ローマ正教などに戻っても仕方がないだろうによ」
 建宮はまるで肩の調子を確かめるように大剣を握った右手を軽く振り回した。
「……、」
上条はオルソラをかばうように、無言で彼女の前に立つ。
 武器は持たない。慣れない物を振り回したぐらいで勝てる相手ではない。使えもせず、重たいだけの武器なら持たない方がマシかもしれない。
 建宮は最初に上条の顔を、次に彼の足元に転がっているドレスソードを見て、
「武術の構えもなければ霊装れいそうもなし。衣服に隠された魔術的記号などもなし。本当の意味で丸腰、と。ふん、素人とは剣を合わせるつもりもなかったんだが……そうもいかんようじゃねえの。お前さん、その剣は浦上うらがみから奪ったもんか?」
 ざわざわと、建宮の輪郭がゆがんでふくらむような、見えない圧力が噴き出した。
 上条にはそんな人名に覚えはなかったのだが、
「テメェの部下ならそっちで寝てんぞ。後頭部は守ってやったから死んじゃいねえけどな」
「……、死ななきゃ良いって訳じゃねえのよ。ナメてんのかテメェは」
 建宮たてみやの口調から、ふざけたような色が消える。
 上条かみじようはその様子に、建宮の人間性を見た気がした。相手はただの化け物ではなく、自分の仲問の身を思って怒れる人間なのだ。
「テメェがまだそこでだれかのために戦えるような人間なら、剣を引いてくんねえか。おれはできればテメェみたいなやつとは戦いたくない」
「そうしたいのは山々なんだがなあ、こちらにも事情があるのよ。確かに我らの主敵はローマ正教だが、そこにつながりを持っているならイギリス清教とて見逃せんよなあ。ついでに、そんな連中にオルソラを渡す訳にもいかんのよ」
 建宮は二メートル近い大剣をチアリーダーのバトンのように頭上で気軽に振り回し、
「という訳で、すでにお前さんも攻撃こうげき対象という訳よ。もっとも、今すぐこの場でひざをついて降参するというのなら余計な血を見る必要もねえんだけどよ」
 建宮は笑いながら、しかし残念そうに言った。
 自分の口で提案しておきながら、すでに相手がどう答えるか予測がついているのだろう。
 確かに、上条だって怖い。彼は『プロの魔術師まじゆつし』というものがどんな人間なのかを知っている。中でも一番厄介なのが、魔術を過信しない魔術師だ。アウレオルスの錬金術れんきんじゆつのように絶対的な力を持つ者は、ゆえに切り札を一つしか用意しない。対して、土御門元春つちみかどもとはるのように切り札へ過度な自信を持たない者は、それを補うために無数の手札をそろえておく。
 建宮斎字さいじは、明らかに後者のタイプだ。魔術など使わずとも、あのフランベルジェを一閃いつせんしただけで上条の首をり飛ばせるだろう。傷一つ負わずに(インデックスをかぽっていたのもあるだろうが)あのステイルを撃破げきはした手並みを見るだけで相手の底の深さを思い知らされる。
 まともに相対して勝てる相手ではない、と上条はムるえる。
 ちよっと足が速いだけの子供がいきなりオリンピックの陸上選手と勝負するようなものだ。
 大人しく降伏、するべき、か?
 実力でかなわなければ、それを埋められるだけの策も準備もないのだから。
 だけど、
(ステイルは、どうなる?)
 神父は身をかがめたまま、荒い息を吐いて建宮をにらみつけている。
 ステイルは、彼なりの目的があって、それがインデックスのためになると信じて、この場に立っている。それなら、彼は絶対にあきらめない。絶望的な現実も、上条の言葉も、ステイル=マグヌスという男を止めるかせにはならない。
 そして、止められなければ。
 その先に待っているものなど、誰の目から見ても明らかだ。
(インデックスは、どうなる?)
 少女は今にも走り出して、上条かみじよう建宮たてみやの間に割って入りそうな気配を発している。
 ステイルと建宮がぶつかり、皿度でも戦闘せんとうが始まってしまえば、もう降伏という言葉のカードは使えなくなる。そうなれば、きっと彼女は魔術まじゆつ素人しろうとである上条を逃がすためにどんな事でもするだろう。たとえ戦力がなくても、互いの実力差がはっきりしていても、上条自身が望んでいなくても。
 最後に、
(オルソラは、どうなる?)
 ローマ正教のシスターは上条と建宮の顔を、不安そうな目で交互に見ていた。
 建宮斎字さいじは『法の書』の持つ知識を、技穂を、力を欲している。それならオルソラはこの場で殺される事はない。むしろオルソラに流れ弾が当たらないように気を配るはずだ。
 だが、ここでオルソラを連れ去られれば彼女は天草式の本拠地へと連れ込まれる。オルソラが『法の書』の解読法の伝授を拒めば、その先に何が待っているかなど分かりきっている。そして建宮が、天草式が求めているのはオルソラ=アクィナス自身ではなく『法の書』の解読法だ。必要な情報を得た後に、彼らがオルソラをどうするかなど考えたくもない。
『読み方と言いますか、暗号文の解読方法でございますけど……』
 ―――彼女は『法の書』の力なんて求めていなかったのに。
『力が欲しかったから、という事で間違いないのでございますが』
 ―――こんな事態が起きるのを防ぐために努力してきたのに。
魔法陣まほうじんの機能そのものを逆手に取る事もできるはず―――つまり、原典を自爆させる事も可能なはずでございましよう』
 ―――その死にもの狂いの努力をあざけり、みにじって、己の私欲のために利用しようとする者が、彼の目の前で笑いながら立っている。
魔道書まどうしよの力なんて、だれも幸せにしないのでございますよ。それを巡って争いしか生まなかったのでございますね。ですから私は、ああいった魔道書をこわすために、その仕組みを調べてみたかったのでございます』
 上条は、ドレスソードを足で横へどけて、一歩前へ踏み出した。
 無様だろうが滑稽こつ いだろうが、今ここでこぶしを握って立ち向かえるのは上条だけだ。
 その握った五本の指から、力を抜く理由がどこにある?
「……なめてんじゃねえぞ、テメェは」
 上条は口の中でつぶやいた。ただでさえ固く握りめた右の拳に、さらなる力を加える。
 その光景を見ていた建宮斎字は、心の底から残念そうなため息をついて、
「なんて目ぇしやがるんだ。そんな目でにらまれちまったらかなしくなっちまうじゃねえの。いやいや本当に哀しいねえ。やるべき事は分かっちゃいるんだが、こういうぐな反応されるとそれだけでお前さんを殺したくないって気持ちが芽生えちまうのよ」
 建宮たてみやは波状の大剣・フランベルジェを軽く揺らして、

「けどまぁ、やるってんなら仕方がねえ。今日がお前さんの命日だ」

 言葉と同時。
 ゴッ!! という爆音を上条かみじようは聞いた。ただ建宮の靴底が地面をりつける音が、すでに爆発のエネルギーすら帯びている。上条の体が緊張きんちように凍る前に、相手はもう最初の一歩をみ込んでいる。刃が届くまであと一歩。
 腕力の伝わった大剣の刃の光に、上条の心が蛇ににらまれたカエルのようにしぱられそうになる。
 反射的に両手で顔を守ろうと思ってしまうが、その程度で防げるはずがない。
(ぐ、ぐ……ッ! び、びるな、動け!!)
 上条はガチガチになる体へ必死に命令を下して、ようやく最初の一歩を駆け出す。後ろでも横でもなく、前へ。わずかに斜め右方向へ突撃とつげきする上条に、建宮はむしろ怪誇けげんそうな顔をした。素手の人聞が、わざわざ自分から射程圏内へ飛び込む理由が分からなかったのだろう。
「ふっ!!」
 吐息と共に、建宮の剣が真上から真下へ、雷光のように振り下ろされる。
 ヒュガッ!! という夜気を上下に引き裂く轟音ごうおん
 弾丸のように駆け出した上条を、正面から真っ二つにしようという必殺の一撃いちげき
「……ッ!」
 今度こそ、上条は『わずかに』ではなく、全身全霊ぜんれいを込めて真横―――右方向へ直角に飛んだ。宙を舞う汗のたまを巨大な刃が両断する。それまであった慣性の力を全く無視した飛び方で、足首に重い負荷がかかる。着地に失敗しかけて上条はバランスを崩し、横手にあった店の裏壁にドスンと激突する。
「しっ!!」
 そこへ、建宮は体ごと回転するように、振り下ろした刃をそのまま跳ね上げて真横へぎ払う。そして薙ぎ払ってから彼は気づいたようだった。上条が、壁に背を預けたまま不敵に笑っている事に。
(いける、か!!)
 上条は全力で身をかがめる。
 相手が剣を振り下ろした状態で、こちらが横方向へ逃げれば、普通は剣を真横に薙いで追撃してくるだろう。わざわざ剣を振り上げ直すとなると、一動作余分が出るからだ。
 彼は思い切り身を低くしたまま、地面をめるように建宮へと突撃する。『真横へ薙ぐ攻撃』以外の手は考えなくて良い。仮に建宮が『上から振り下ろす攻撃』を繰り出そうとすれば絶対にワンタイミング遅れる。その場合は、建宮が剣を振り切る前に上条のこぶしの方が届くのだから。
 そして、建宮斎字たてみやさいじ上条かみじようの第一予想通りに剣を真横へぎ払った。
 上条はそれを頭上スレスレでやり過ごし、心臓が恐怖でわしつかみにされかけながらも、
「おっ、ォォおおおおおおお熔おおおおお!!」
叫んで、こぶしを握って、建宮の懐深ふところくへと勢い良くみ込む。
 味方であるはずのオルソラさえ、その気迫に息をむ。
 両手剣で渾身こんしんの横薙ぎを振るった直後の建宮はその拳に対処する事はできず、

 その時。フッ、と建宮斎字の姿が消えた。

 目の前にいたはずの建宮が、ほんの一メートルほど後方へ下がっている。真横に振るいきっていたはずの剣は、何故なぜかすでに真上に構えられている。
 まるで、時間を巻き戻してやり直したように。
 いや、幻覚か何かを使って、上条当麻とうまさそい出したように。
「あ……? ―――ッ!?」
 上条が悪寒おかんと共に真横へ転がった瞬間しゆんかん
 ごう!! と紙を引き裂くように、真上からの一撃いちげきが地面を真っ二つに切断した。あまりの摩擦まさつのせいか、えぐれた土がマグマのようなオレンジ色の光を放っている。
 ぽれがどう考えてもまともな物理法則に従った一撃とは思えない。
魔術まじゆつか―――ならッ!)
 上条は握った右手へ力を込める。あの剣が魔術による一品なら、右手で触れただけで破壊はかいできるかもしれない。そう思って、上条は向かってくる刃へ拳を突き出そうとしたが、
「違う……! 駄目だめだよ!とうま!!」
 インデックスの叫び声に、上条はかろうじて拳を止める事ができた。無防備な彼を守るべく、幼い少女が考えなしに走り出したのを上条は視界の端でとらえる。
(うそだろ……魔術じゃねえってのか!?)
 建宮の挙動。
 目に見えない速度で後ろへ下がったのも、地面を割った渾身こんしんの一撃も。
 あれがすべて、ただの力技なのか、と上条は戦標せんりつする。
「駄目だ、来るな! インデックス!!」
 上条は叫ぶが少女の心に届かない。建宮の刃が音すらも切断して振り下ろされようとする。右手の一撃でどうにかなると考えていた上条は、次の手を考えてもいない。今から考える暇もない。眼前に迫る刃に、上条は両目を大きく見開いたが、
原初の炎TOFFその意味は光TMIL優しき温もりを守り厳しき裁きを与える剣をPDAGGWATSTDASJTM!」
 ステイルの叫びと同時、ドン!! と酸素を吸い込んで炎が爆発する音がひびく。彼の握る炎剣が夜のやみを引き裂き、建宮たてみやの意識が一瞬いつしゆん、そちらへと強制的に誘導ゆうどうさせられた。
「くそっ!」
 上条かみじようはその間に、右を向いている建宮に対して反対へ飛ぶ事で、かろうじて距離を取る。
 いや、取ろうとした。
 走る上条に合わせるように、あらぬ方向を見る建宮が、そのまま頗るりとした動きでついてきた。彼の足は動いていない。まるで氷の上を滑っているような不自然な動作だった。
、じゅ……っ!?)
 上条の背筋が凍った瞬間。
 ぐるん!! と振り返りざまに竜巻のような剣の一撃いちげヨ横薙よこなぎにおそいかかってきた。上条はとっさに身をかがめてけようとしたが、
 ゴッ!! という重たい衝撃しようげきが、回避かいひしたはずの上条の脇腹わきばらに直撃した。
 良く見れば、透明な氷で作ったサッカーボールのようなものが体にめり込んでいた。上条がそれに気づいた途端、氷のボールは絵の具で塗りつぶすように、不自然に消えていく。上条の体は氷の一撃で強引に地面へ押し倒され、ごろごろと転がっていった。

 ―――時聞は少し戻る。上条が建宮と激突したその瞬間まで。
 その少年が切り殺されそうになった瞬間、インデックスは思わず走り出していた。
(あれが、天草式……)
 インデックスは走りながら戦深せんりつする。
 戦標しながら、感心してしまう。
 天草式の使う術式は、それだけなら何の変哲もない。少なくともステイルの『魔女狩りの王イノケンテイウス』やアウレオルスの『黄金練成アルス=マグナ』のような派手で特殊で強力な攻撃力を秘める訳でもない。
 しかし、彼らはそれを逆手に取る。
 神裂火織かんざをかおりの使う鋼糸術『七閃ななせん』が最も特徴的だが、彼ら天草式の基本戦術は一言で言えば『偽装』だ。魔術まじゆつの攻撃かと思えば実は単なる手品トリツクだったり、手品トリツクかと思えば本物の魔術による必殺の一撃が襲いかかってくる。
 インデックスは走る。
 上条と建宮、二人のいる場所が異様に遠く感じる。
 魔術とそうでないものは、当然ながら防御方法も大きく異なってくるし、読み違えれば手痛いダメージを負う羽目になる。
 インデックスには『強制詠唱スペルインターセプト』という魔術用の封じ手がある。魔術とは人が考えて実行するものだから、詠唱中に人の頭を混乱させるような台詞せりふ・行動を取れば暴走させる事ができる。例えるなら、早口言葉に挑戦している人の耳元でデタラメな言葉を吐いてわざと間違いを誘発ゆうはつさせるように。
 しかし、天草式に『強制詠唱スペルインターセプト』は通じない。
 彼らの呪文じゆもんや護符や魔法陣まほうじんはとにかく特殊で、普段ふだんの中の何気ない仕草や台詞せりふの中に秘められた、わずかな宗教様式を拾い上げて術式を組み上げるのだ。そしてあの建宮たてみやとかいう人間は、コンマ数秒の間に『魔術的をじゆつてきに意味のある仕草』をし、それを戦いの中で一〇回二〇回と重ねる事で魔術を発動させていた。
 インデックスの声や腕では、コンマ数秒の間に完了してしまう『一動作』の途中で『強制詠唱スペルインターセプト』を割り込ませられないのだ。何かをしようと思った時には、もう建宮の『一動作』は終わっているのである。建宮の魔術を妨害したければ、彼が術式の発動条件に組み込んでいる剣術の動きそのものについていく必要がある。しかし当然ながら、インデックスにはそんな達人めいた体術を駆使するすべなど持たない。
 結論からすれば、インデックスが飛び出していった所で建宮斎字さいじ退しりぞける事などできない。
その力量差―――単純な力の『量』だけでなく、圧倒的に彼女とは相性の悪い力の『質』の面も含めて、インデックスは魔術のプロだからこそ逆に良く分かってしまう。
 上条当麻かみじようとうまが、魔術の氷弾による一いちげきを受けて地面を転がった。
 建宮斎字は、まるで金槌かなづちで釘を打つように勢い良くフランベルジェを振り上げる。
 インデックスは、その攻撃を止める術を持たない。
強制詠唱スペルインターセプト』も、天草式の術式に対しては効果はうすい。
「とうま!!」
 だけど、インデックスの足は止まらない。
 もはや、先の事など考えもせずに。

 ステイル=マグヌスは無防備に飛び出していくインデックスの姿を見て心臓が止まるかと思った。彼女は戦う力を持たない人間だ。建宮に立ち向かえば一秒も待たずに両断されるだろう。
「く……っ!!」
 手の中には炎剣が一本きり。『魔女狩りの王イノケンテイウス』を発動するにはルーンのカードを再配置するだけの時間が足りない。
 今すぐ飛び出せば、インデックスより先にステイルは建宮と激突できる距離にいた。炎剣で攻撃し、相手が剣で受け止めた瞬間しゆんかんに爆破すれば目くらましぐらいはできるかもしれない。
 しかし、ステイルと建宮の間をふさぐように、上条が立っている。
 炎剣を建宮に向ければ、上条の体ごと貫いてしまう。
 炎の神父は一瞬だけ、苦いものをつぶすように顔をゆがめた。
 葛藤かつとうは数瞬。それが終えたころには、すでにひとみは決意の光を宿している。
(ずっと昔に、誓ったはずだ―――)
 ステイル=マグヌスは唇の切れた口で必死に呼吸を整え、
(―――『安心して眠ると良い、たとえ君はすべてを忘れてしまうとしても、僕は何一つ忘れずに君のために生きて死汲』と!! )
 一番大切なものを守るために、彼は少年の背中を見据えて炎剣を構えた。

 体の中の酸素を全部吐き出させられ、意識が朦朧もうろうとする上条かみじようは、眼前で大剣を振り上げる建宮たてみやを見た。砕けそうになる意識を必死に抑えつけ、今の状況をどうにかみ込もうとする。
 足はふるえ、建宮が放つ次の一撃いちげきけるのは不可能だ。
 インデックスはすでに走り出していて、数秒後に建宮と激突すれば瞬殺しゆんさつされる。
 後ろをチラリと見れば、ステイルは炎剣を構えているが、それを使うには自分が壁となって邪魔じやまをしている。
 上条当麻とうまは、一秒にも満たない時間の中で頭をフル回転させる。
 だれ一人欠ける事なく、何一つ失うものなく。
 みんなで笑って帰るには。
「……、やれ」
 彼はそのこぷしを握り、
「俺ごとやれ、ステイル!!」
 体に残った力を全て振り絞って、迷わず建宮斎字さいじへ突撃した。

 建宮斎字はその一言に混乱した。
 背後からイギリス清教のシスターが迫ってきていたが、これは簡単に両断できる。それを止めるために少年が拳を握って飛び込んできたが、この少年をたたってからでもシスターを仕留めるのに十分な時間は残されている。
 だが、その少年の背後。
 イギリス清教の神父が、炎剣を腰だめに構えたまま駆け出してきた。
「!?」
 どう考えても、神父がそのまま突撃すれば間にいる少年の体を貫通してしまう。なのに、神父のにためらいはない。刃のような鋭いひとみに、口元には猛獣もうじゆうのような笑みを浮かべ、敵を倒す事のみを計算しているかのように。
 建宮は炎剣を防ぐためにフランベルジェを構えようとする。
 が、そんな建宮の前で、少年は右腕を後ろへ回し、ハンマーのような拳を放とうとする。
「チッ……!?」
少年の拳に対応してからでは炎剣の一撃に防御が間に合わない。しかも、あの炎剣は斬撃ざんげきではなく爆破のための武器だ。対応を誤れば死の危険もある。炎剣を優先して、フランベルジェに対火炎用の術式を込めて防御しなければ、生賛いけにえの少年ごと爆炎に巻き込まれる恐れがある。
所詮しよせん素人しろうとこぶし、基本的な対衝撃しようげき術式は戦闘せんとう前から張ってあるから問題ないのよ。懸念けねんすべきはあの炎剣のみ、早急に術式を組み上げる!)
 建宮たてみやは振り上げた剣を水平に構え直す。フランベルジェの名前『炎のような形の剣』から火属性を、水平という構えから『しずめる』という記号をそれぞれ合わせて、『炎を鎮める』術式を即興で作っていく。
(よし、もらった、組み上げ完了! 不用意に炎を打ってきた所へ、思い切り反撃してやろうじゃねえのよ……ッ!!)
 建宮斎字さいじが口から太い舌を出す。べろりとうごめいて貧欲どんよくに舌なめずりする。
 少年の背中に神父が体当たりするように突撃した。その手の中の炎剣が、少年の体を貫通して建宮の腹の中心へとおそいかかる。
(勝った!!)

 ―――と、思っていた。

 建宮は、炎剣の爆破と共に襲いかかるだろう熱と火炎を耐火の術式を使って逆に吹き飛ばそうとしたが、予想に反して何も起こらなかった。
 少年の右拳はハンマーでも振り回すように、思い切り体の後ろへ回されていた。そして、神父の炎剣は、ちょうどその拳にぶつかるように突き刺さっていた。
 パン! と風船の割れるような音と共に、神父の手にある炎剣が火の粉となって消滅した。
「な……? に、が―――ッ!?」
 耐火術式の防御から反撃のタイミングだけを考えていた建宮斎字は何も分からないまま、
 ゴン!! とすさまじい轟音ごうおんと共に、少年の拳が勢い良く建宮の顔面に突き刺さった。
(が、ば……ッ!! な、あ、対衝撃用術式が、貫かれ……!?)
 建宮の体が大きく後ろへけ反る。彼が崩しかけたバランスを取り戻す前に、少年と神父は二人がかりで建宮の体へ思い切り体当たりを仕掛けた。二人分の重圧を受けた建宮斎字の体は破城つちでもぶち当たったように真横へ吹き飛ばされ、凄まじい勢いで地面へたたきつけられた。
 建宮の意識はそこで途切れたようだ。
 ガラン、と。彼の手から離れたフランベルジュが地面を滑っていった。

   第三章 イギリス清教 Anglican_Church.

     1

 争いは終わった。
 それは建宮たてみやという司令塔を失った事で天草式の統率が一気に崩れたからか、と上条かみじようは考える。
遠くから聞こえる物音がピタリとんだ所からも、ピリピリと張り詰めた気配がなくなっていく所からも、上条は何となく理解していた。アニェーゼたちと合流している訳ではないから詳しい説明はされていないが、どうもローマ正教が勝利したようだ。さもなくば、ここまで派手に暴れた上条達の元へ、天草式の増援がやってこないとおかしい。
 上条は激突したローマ正教や天草式の人達の安否が少し気になったが、ステイルは『双方ともに死者はなし、現在ローマ正教が天草式の人間を連行している』と言っていた。やけに確定的に断言すると思ったら、どうも煙草タバコの火を操って交信しているとの事だ。煙の揺れ方で意思の疎通をするらしいが、上条が見てもサッパリだった。
 建宮斎字さいじは少し離れた所に座らされていて、彼の手足、胸板、背中、額にルーンのカードがり付けてあった。今の姿勢が崩れると、即座に体が火ダルマになる凶悪な術式らしい。
 そしてステイルはオルソラを連れてアニェーゼ達の元へと行ってしまったため、今は上条とインデックスと建宮の三人しかいない。
 で、
「とうま、とうま! 大丈夫だいじようぶ怪我けがとかない?どこか痛むところとかば!?」
 現在、上条当麻とうまは顔を真っ青にしたインデックスに服を脱がされようとしていた。
「って、やめんかインデックス! いいよ別に痛む所とかないし―――ぶわっ?ば、馬鹿ぱかじゃねーのかどこに手えかけようとしてんだテメェー!?」
「じゃあちゃんと自分で確かめて! 痛い所とか熱を持ってる所とか!!」
 ほとんど涙目で叫ばれて、上条はようやくインデックスにものすごく心配をかけたのだと気づかされた。が、それについて正直なコメントをするのはとてつもなく恥ずかしいので、何も言わずインデックスの言葉に従って自分の体を確かめてみる。
「うん。脇腹わきばらがちょっと痛むけど、そんだけだぞ。別に動けない訳じゃないし」
「ほんとに? ほんとに大した事ない?」
「ああ。っつか、一応場慣れはしてるつもりだしな。能力者だらけの路地裏のケンカだって危険度で言えば結構馬鹿にできねーし、大体この夏休みに何回魔術師まじゆつしと戦ったよ?」
「そっか……良かったぁ……」
 インデックスは笑っているのか泣きそうなのか、判別の難しい顔になった。上条かみじようは猛烈に照れ臭くなって思わず顔をらしてしまったが、
「……だって、これで思う存分とうまの頭にみ付けるんだもん」
 はい? と、聞き捨てならない台詞せりふを聞いた瞬間しゆんかん猛獣もうじゆう少女インデックスが思い切り上条の頭にらいかかってきた。
「び、びゃあー!? ちょっと待てインデックス! それが人の体調を心配してた女の子の取る行動か! お前が新たな傷を作ってどうす―――ぎゃあああ!?」
「心配してたから噛み付いてるんだよ! 一体偲様のつもりなのかな、とうまは! ただでさえでっかい剣を持った、それも本物の魔術師まじゆつし相手にゲンコツ一つで立ち向かうなんて尋常じゃないよね! 足元に武器が落ちてたなら使えばいいかも! しかも素人しろうとなら降参すれば命までは取らないってわざわざ敵が言ってるのに何でますますやる気になっちゃラのかな、ウチのダメとうまは!?」
「待て待てそれ以上は本当に死んじゃいますよインデックスさん痛あ! 分かりましたこのたびは私上条当麻とうまが全面的に悪いと認めるからお願いせめてもう少し噛む力をゆるめ……ッ!?」
「大体ね、大体だよ! とうまはちゃんと最後まで考えてたの? ちゃんと天草式が耐火の防護術式を組み上げるために時間がかかるって分かってた!? あそこで術式準備の時間を読み間違えてたら、とうまはバッサリ斬られてたはずなんだけど!!」
「いや作戦も何も。こっちはホントにおれごとやってもらうつもりで特攻仕掛けたら単にステイルが気をかせてくれただけで耐火とか防護とかサッパリなんですけど―――って痛みゃあ!? ずびまぜんごめんなざいインデックスざまアああああああああああッ!?」
 シリアスな場面でも出なかったような叫び声を余す所なくお伝えする上条に、ようやくインデックスの気は晴れてきたのか、
「……ふんだ、とうまのばか。向こう見ず」
 口の中でつぶやいて、彼女は上条の髪へ小さなあごを押し付けた。
(う、わ……!?)
 怒り疲れたインデックスはだれて机の上に頭を乗せるぐらいの気持ちでやっているのだろうが、上条の心臓の鼓動は一気に二倍速になった。頭に当たる女の子の顎の感触は元より、彼女の長い銀髪が上条のほっぺたにさわさわと当たるし甘いにおいはするし、何よりインデックスとは正面で向き合っているので鼻先二センチ未満の超近距離に彼女の胸がある。普段ふだんはあまり意識しないのだが、ここまで近づくとほんのわずかなふくらみがあるのに気づかされた。
(な、なんですかこの緩急かんきゆうをつけた攻撃こうげきの数々は? あ、分かった。これで俺がインデックスの胸を見てるのに気づいて、また噛み付いてくるって寸法オチか!!)
 上条はわずかに身構えたが、予想に反してインデックスはあっさりと身を退いた。
 彼女は耳をませるように、しばらく夜空を見上げていたが、
「静かだね。あれだけ多くの人が暴れてたとは思えないかも」
「そだな」
 彼も適当にうなずいた。だが、今はこの静寂が心地良い。少なくとも、もう剣ややりを振り回したりはれかが怒号を上げたり何かがこわれる騒音そうねんを聞く心配はないのだから。
「おい」
 と、その時、不意に離れた所に座らされている建宮斎字たてみやさいじ上条かみじように声をかけてきた。妙にあせった音色を秘めていた。上条がそちらを見る前に、インデックスが両手を広げて彼の盾になるように立ちふさがる。
 建宮はそんな二人をにらみつけながら、
「くそ。お前さんよ、悪いがこいつを解いちゃくれんかな? いや、無理を言ってんのは分かってんのよ。けどな、このまま彼女を放っておけるはずもないんでな」
『はぁ。磁と上条はまゆをひそめた。建宮の言う『彼女』とは誰の事だろう……と考えて、すぐに思い当たった。オルソラ=アクィナスだ。
馬鹿ばか、ナニ言ってんだお前。一番ヤバイ人間をみすみす放すはずが―――」
「馬鹿はお前さんだ! なあオイ、一個だけ聞かせろや。お前さん、まさか本当にローマ正教へ彼女を引き渡す気か。その後彼女がどういう扱いを受けるか分かってやがんだろうな」
 あ……? と土条の声が詰まる。
駄目だめだよ、とうま」むしろ、インデックスの方が冷静な声で、「この人は今、言葉を武器に戦ってるだけなの。だから耳を貸しちゃ駄目。大体、敵がこっちに正直な話をして一体何の得になるっていうの?」
「殺されんのよ、彼女はな」
 インデックスの言葉にかぶせるように、建宮斎字は言う。
「いいか、先に結論だけを伝えとくよの。彼女をローマ正教に引き渡すな。ローマ正教の本当の目的は、彼女を殺す事なのよな」
「自分はオルソラの味方だから、その拘束を解いて逃がしてくれってか? 冗談じゃない、そんな都合の良い話があるかよ。オルソラをさらったのはお前たちだろうが! 『法の書』を盗んだのだってそうだ! そこに書かれた内容を解読するために彼女をさらって、あれだけの人間に武器を持たせて戦って、今さら自分達は悪くないだと? ふざけんのも大概たいがいにしろ!!」
 上条は怒りのあまり、のどに傷をつけるほどの大声で叫んでいた。
 しかし、建宮は全く気にせず、
「我らは『法の書』など盗んじゃいねえのよ」
 は? と上条の頭が一瞬いつしゆん白くなる。
「大体、考えてみるといいのよ。何のために我らが『法の書』を必要とする? ローマ正教は世界最大の十字教宗派で、その数合わせて二〇億人強。そんな所にわざわざケンカを売ってまで手に入れたいものか?たかが『法の書』が」
真面目まじめに受け答えしちゃ駄目だめ、とうま」インデックスは身を硬くしてキッパリした声で、「天草式は女教皇プリエステスを失って弱体化してるって話は聞いてるもん。だからあなたたちは足りない力を『法の書』に書かれた未知の大魔術だいまじゆつで補おうとした。違う?」
「だから、そもそもどうして力を手に入れる必要があんのよ?」
 建宮斎字たてみやさいじは笑う。
 汗の伝う顔が作るその表情は、迫る時間制限にあせっているようにも見える。
 上条かみじようは困惑したように、
「だって、力がなかったらほかの勢力に負けちまうじゃねーか」
「それは他勢力に攻め込まれたらの話よな。しかし思い出してみればいいのよ。我ら天草式が、昔からずっと迫害され続けてきた我らが、何の対策も練ってこなかったと思うか? 本拠地は外の連中に知られる事はなかったし、伊能忠敬いのうただたかどのご自慢の特殊移動法『縮図巡礼』は知られていないポイント『渦』がまだまだたくさんあんのよ」
 あ、と上条は不覚にも建宮の言葉に不意を突かれた感覚におそわれた。
 そう、確か特殊移動法のポイントは二三ヵ所以外は未確認状態だったはず。
「我らの身内以外に誰も場所の分からん本拠地を、一体誰が攻められんのよ?」
 そうだった、と上条は思う。
 天草式の本拠地はだれも知らないから、逃げ込まれたらオルソラを二度と助け出せなくなる。そのために、特殊移動法が発動する前に決着を着けよう、というのがあの戦闘せんとうの目的だったのだ。
 彼らの根城は、誰にも攻撃こうげきできない事になる。
 ならば、防衛のための準備など、最初から必要なかったのだ。
「じゃあ……」
 天草式は防衛以外の目的―――例えば軍事力の拡大をねらって『法の書』を求めていたんだろうか?
 それとも。
「お前さんよ。一つ確認するが……『法の書』ってのは一体どんな魔道書まどうしよなのより」
 建宮に言われたが、魔術についてど素人しろうとの上条は素直にインデックスの顔を見た。彼女は不承不承という表情で説明を始める。
「『法の書』はあまりに複雑な暗号―――というより、もはや一種の別系統言語で書かれてると言っても過言じゃないぐらい奇怪な文法の魔道書で、それを正しく解読できたのは、いまだに『法の書』を書いた本人であるエドワード=アレクサンダー、またの名をクロウリーだけだと言われてる。本入が言うには『なんじが欲する所をせ、それが汝の法とならん』というのが『法の書』の一番重要な所らしいけど、何の事かは誰にも分からないの」
 インデックスはすらすらと、
「『法の書』は彼の守護天使とも許されざる者とも語られるなぞの存在エイワスによって伝授された内容を記したもので、一説には天使が使用する術式がそのまま使えるとも評されてるんだよ。その威力は絶大なもので、『法の書』のページが開かれた瞬間しゆんかんに十字教の時代は終わりを告げ、新たな時代が始まるとすら伝えられてるの」
「そこよな」
 建宮斎字たてみやさいじは意味ありげに笑う。
「そこが一番重要なのよ。『法の書』の力は確かに絶大だ。仮に天使様の使う術式がホントにだれでも使えるようになるなら、確かに十字教の支配する時代なんてその日の内に終わりを迎えるのよ。何せ教皇以上の力をみんなが使えるようになるよの、教会が作るピラミッド型の権力図なんざ成り立たんようになるだろうし」
 けどな、と建宮は一拍置いて、
「本当に、みんながみんなそんな力を欲するとは思わんのよ」
「何でだ? おれ魔術師まじゆつしじゃねーから関係ないけど、お前たちプロの魔術師だったらより強力な魔術を使えた方が地位が上がるんじゃないのか?」
「そもそも『何故なぜ地位を上げる必要があるのか』ってな疑問があるんだが。我らはそんな力など必要としないのよ。いや、まっとうな十字教徒なら誰もが、ってな感じだがなぁ」
「でも、ローマ正教だって力が欲しいから『法の書』を管理してたんだろうが」
 上条かみじようには不思議だったが、インデックスは何が言いたいのか分かったらしく、苦虫をつぶしたような顔をしていた。
「つまりよなぁ」
 少年の無邪気な問いに答えるために、建富は静かに笑って、

「十字教最大宗派、世界のトップ、二〇億人もの信徒を抱えるローマ正教が、『十字教の時代の終わり』なんて望んでいるとは思わんよなぁ?」

 あ、と上条は気づかされた。
 今の時代、このバランスの中ですでに満足している人間は、変化なんて望むはずがない。ましてそれが、この時代のトップの座に君臨している者ならなおさらだ。
「ローマ正教は『法の書』という、そこまで強力な兵器は求めちゃいなかったのよ。ヤツらに必要なのは世界を制圧する武器であって、世界を粉々にするほどの兵器じゃなかったって訳だ」
 上条も、インデックスも、だまり込んだ。
 夜の暗さが、一気に何倍にも濃くなったような錯覚さつかくがした。
「従って、ヤツらは唯一『法の書』の力を引き出せる彼女を秘密裏に消す事にした。しかし、彼女もそれに気づいてたのよ。彼女は持てる力のすべてを使って、なるべくローマ正教の息のかかってない場所……つまりこの日本へ行けるよう、スケジュールを操作した。それが皮肉にも『法の書』の運搬と重なったようなのよ。そして現地にいる十字教宗派、我ら天草式に接触し、助けを求めてきた。結論を言っちまえば我らは彼女の逃走劇を手助けしていただけなのよ」
 建宮たてみやは重たいため息をついて、
「『法の書』が盗まれたというのはローマ正教の演技よな。我らが奪うはずねえのよ。差し詰め、彼女の失踪しつそうと『法の書』を関連づけたかったって所よな。セットならこの件は『法の書』をねらった誘拐ゆうかいだとだれでも思う。これが消えたのがもし彼女一人だけだったとしたら、別の可能性が浮上しかねんのよ。例えば『彼女はローマ正教から逃げるために亡命したのだ』とかよな」
 善と悪、攻と守、強奪と救出。
 その全てが、一瞬いつしゆんにして裏返ってしまう瞬間を、上条かみじようは見た。
「で、これでもまだローマ正教が正しいと断言できるか? ヤツらの手にオルソラ=アクィナスを帰しても大丈夫だいじようぶだと、混じりっけなく一〇〇%の確率で宣言できるか?」
「……、」
「断言できるなら根拠を言え。できないならば自分の疑念に立ち向かえ! 冷静になれば誰でも分かるだろうよ、どちらが本当の敵なのかぐらい!!」
 建宮斎字さいじの怒号に、上条は一度深呼吸する。
 目を閉じる。
 頭の中の情報を、 一度丁寧ていねいに整理してから、一つ一つ検証していく。
 考えろ。
 ローマ正教と天草式、どちらの言い分が正しい?
 どこが食い違っている?
駄目だめだ。おれはまだお前を信じきれない」
「……、何故なぜ?」
「仮にお前の言ってる事が全部本当だとしたら」上条は、ゆっくりと、「どうして、オルソラはお前たちからも逃げたんだ? 俺が初めて会った時、オルソラは一人で学園都市の近くを歩いてた。そのころ、ローマ正教と天草式は戦闘せんとう中だったってステイルから説明されてる。おそらく彼女は戦闘のすきを突いて、両陣営から逃げたんだ。でも、だとしたら、どうして?」
「……」
「輸前の言ってるのはうそかもしれない。本当だとしても、敵の敵が味方であるとは限らない。
だからお前に聞く。オルソラ=アクィナスは、どうしてお前達から逃げたんだ?」
 本当にオルソラの味方だとしたら、彼女が逃げる理由はないのに。
 言外にそう宣告する上条に、建宮は静かに笑った。
 それは人生に疲れたような、とても弱々しい笑みだった。
「同じよな」
「同じ?」
「そう。今のお前さんと同じなのよ。自分から助けを求めてきたとはいえ―――結局、彼女は最後の最後で我らを僧じきる事ができんかったのよ。きっと我らの事はこう思われたのだろうよ。『世界最大宗派であるローマ正教を敵に回してまで白分を彼らが助ける理由はない。おそらく、彼らは見返りに「法の書」の解読方法を求めてくるはずだ』とな」
 上条かみじようだまり込んだ。
 建宮なてみやはそんな彼の顔を見ているようで、もっと遠くにあるものを見つめるような視線で、「まったく、お門違かどちがいも良い所よの。何で我らが『法の書』など求めにゃならんのよ」
「? じゃあ、何のためにオルソラを助けようとしたんだよ」
 上条が慎重に問いかけると、建宮は一拍も問を空けずに、
「理由なんてねえのよ」
 そう答えた。
「そんなもんハナっからねえのよ。我らは、ずっと昔からそうやってきた。そして特に今代こんだいは格別だ。女教皇プリエステス様が、あの方が、一体どうしてあの若さで我らのトップとして認められていると思うのよ? ただ一人の幼い夢を守るために山をもみ込む悪竜の前へ立ちはだかり、死にく者の最後の願いを聞き遂げるために小さな村を万の軍勢から守り抜く。我らはずっと、その後ろ姿を見てきたのよ。時間こそ、ほんの一時だったが、我らは、ずっとだ」
 建宮斎字さいじは、遠い日の幻影を追い駆けるように告げる。
 まるで、自分の家族を誇るように。
「だからこそ、我らは道を誤らず、力の使い方を問違えず、正しい方向へと己を導き進めたのよ。言葉にすれば簡単な事を、実際に行動で示してくれた事で。人はここまで強くなれるものなのだと、ここまで優しくなれるものなのだと、それは手を伸ばせば届く所にあるのだと、その身をもって教えてくれたから」
 沈黙ちんもくが、場を支配する。
 静寂を破るように、建宮はギチリと奥歯をめて、
「……、そうやって生きてきたあの方の道を、全部我らがぶちこわしたのよ」
「なに?」
「我らの死が、我らの未熟さが、女教皇プリエステス様を苦しめた。あの方は自分だけが生き残り、自分の周りにいる人々が倒れていくのはすべて自分のせいだと思い込むようになっていったのよ。冗談ではないよな、あの方と一緒いつしよに戦場へ行きたいと願ったのも、その過程で倒れていったのも、全て我らの心と体の未熱さが原因であるはずなのに。そして結果があのザマだ。女教皇プリエステス様は何も悪くないはずなのに、自らの足で己の居場所から立ち去ってしまわれた」
 建宮たてみやは、己の顔に剣を突き刺すような声で言う。
 のどの奥からしぼり出された声に、生々しい感情が宿る。
「我らは、その未熟さをもってあの方の居場所を奪ってしまったのよ。だから我らはあの方に居場所を返して差し上げなければならない。もうだれも傷つかず、もう誰もかなしまず、誰かの笑顔のために戦い、何者かの幸せを守るために迷わず全員で総力を挙げて立ち上がれるような、そんな居場所を」
「……、」
「だから我らは助けを求めるオルソラ=アクィナスに手を差し伸べたのよ。それができる人間が当たり前に集う世界こそ、あの方の居場所に相応みさわしいと思ったから」
 結局、彼らは組織間のやり取りで想定されるような利害のために戦っていた訳ではなかった。
彼らは彼らの事情で戦っていただけでそこに利益は求めていなかった。ただ、その『事情』は内輪の色が強すぎてオルソラには理解してもらえず、誤解を生んだだけ、という話だろうか。
 もしも、建宮の言っている事が全て正しいのなら、だが。
 上条かみじようは建宮斎字さいじの言葉を信じてみたいという気にはなった。だが、やはり彼の言葉には根拠がない。信じてみたいと思えるのに、絶対に信じられるという証拠が見つからない。上条は歯みした。どちらを信じるべきか、どちらがうそをついているのか、上条の頭の中で様々な考えがぐるぐると回って、

 その時、どこか遠くで悲鳴が炸裂さくれつした。

 いや、悲鳴などという生ぬるいものではない。
 絶叫。咆哮ほうこう。号叫。敢えて例えるなら、女の叫び声だった。しかしそれが本当に人間が出したものなのか、それすらも上条には自信が持てなかった。甲高い轟音ごうもんはガラスや黒板を引っくような物理的に人間の身をすくませるものであり、それなのに大音響だいおんきようの中には人間の生々しい感情が存分に込められていた。恐怖。拒絶。絶望。苦痛。泥水を吸い込んだスポンジを手で握りつぶすように、人間にあるまじき絶音の中から人間的すぎる感情がみ出してくるのが分かる。
 インデックスは上条の顔を見る。上条はインデックスの顔を見ていない。
「お、る……そら?」
「もう一度、念のために聞きゃならんようだが……お前さん、彼女をローマ正教に預けるだなんて言ったのか? 彼女はローマ正教じゃなくてお前さんを信用してたんじゃねえのよな?」
「……、」
 その言葉に、上条は思い出す。
『確認させてもらいますけど、あなた様はイギリス清教からの協力要請があって手伝う事になったのでございましようか?』
 ―――何故なぜ、オルソラ=アクィナスはそんな事を恐る恐る尋ねてきたのだろう?
『そうだけど』
 ―――どうして、彼女はその一言に安心したような顔をしたのだろう?
『つまりあなた様はローマ正教ではなくイギリス清教の筋をお持ちでございますか』
 ―――わざわざ確認を取るように、もう一度言って、
『そんな大それたモンじゃないけど。あ、言っておくけどコネなんて使えねえぞ。おれは学園都市の住人なんだからな』
 ―――特に深くも考えずに答えた言葉にあんなにもあんど堵して、
『そうで、ございますか』
 ―――その一言には、一体どれほどの意味が込められていたのか。
 彼女はきっと、最後の最後まで信じていた。
 上条当麻かみじようとうまは、ずっとずっと身を預けていても大丈夫だいじようぶな人間だと。
「……、くそ」
 上条は奥歯をめた。勢い良く悲鳴が聞こえた方角へ振り返る。
思えば、最初に会った時に危険を冒してでも学園都市へ案内していれば良かったのだ。それだけでも、たったそれだけの事でも、彼女の身はずっと安全になったはずなのに!
「なんだそれ、ふざけんなよ。何でこんな風になっちまうんだ!?」
「慌てるな。今のは別に彼女が死んだって訳じゃねえのよ。ローマ正教にはローマ正教の事情ってもんがあるんでなあ、今ここでオルソラ=アクィナスを殺す事はできねえってなもんよ。
いや、これだけは確実な話なんだ」
「なに?」
「急げばまだ助かるって意味よ。逆にここで手を誤れば次は怪しい。この際だ、もうお前さんに我らを信じるかどうかなんざ聞きゃしねえのよ。我らの事情もあるが、それよりまず先にオルソラの安全を確保する方が重要だ。だからお前さんは我らと敵対したままでも構わんのよ!」
 一刻を争うと言外に告げるような叫び声で、
「その代わり約束しろ! 必ずオルソラ=アクィナスをローマ正教から取り戻して、ヤツらの手にも我らの乎にも届かん所まで連れて行くと!!」
 真剣な目だった。
 上条が思わずたじろいでしまうほどに。
 と。
 不意に、カツンという足音が聞こえてきた。上条は建宮たてみやから視線を外す。足音のした方を振り返ると、暗闇くらやみを割って出てくるように、二人の黒いシスターがやってきた。ローマ正教の者たちだろう。背の高いのと低いのとに分かれていて、背の高い女性はちよっとした丸テーブルほどの大きさを超す馬車に使うような木の車輪をかついでいて、背の低い少女は腰に巻いたベルトに皮の袋を四つほどぶら下げている。袋の中には硬貨でも詰まっているのか、歩くたびにジャラジャラと音が鳴る。袋の大きさはソフトボールほどで、あれにぎっしり硬貨が詰まっているとすると砲丸投げの鉄球ぐらいの重さはあるだろう。
 背の高い方のシスターはたもとから革張りの古い手帳のようなものを取り出してページをめくり、何かを確認するようにうなずいてから上条かみじようの方へ来た。写真でもってあるのかもしれない。
「外部協力者の御方おかたですね。あなたたちが捕らえた異端の首謀者の身柄を預かりに参上いたしました。神の敵は……そちらですか?」
 彼女の声と同時、背の低い方のシスターが先んじて、ルーンカードを貼り付けられ座らされている建宮斎字たてみやさいじの方へと近づいていく。腰につけた四つの硬貨袋がジャラジャラと音を立てる。
「なあ、ちょっと待てよ!」
 上条は大声で言ったが、背の低いシスターは聞いている様子はない。彼女は一瞬いつしゆん、建宮へ手を伸ばそうとして、何かに気づいたように躊躇ちゆうちよする。彼の周囲をぐるぐると回って、貼り付けられたルーンのカードをじろじろと観察しているようだった。
 代わりに、背の高いシスターが上条の顔をじろりと眺めた。
「何か?」
「アンタ達が引き上げる前に、もう一回オルソラの顔を見たいんだけど構わねぇか?」
「残念ですが、ご辞退願います。シスター・オルソラの身柄は無事に保護できたとはいえ、敵戦力の実態が明らかでない今はまだ安全とは言いがたいのが現状です。こういった場合、我々の規則に従い人員の安全を最優先させていただきます。彼女をローマ内に確保したのち、改めて招待状を送りましよう」
 完壁かんぺきな答え。
 それゆえに、上条はまゆをひそめ、
「いや、駄目だめだ。納得できない。大体、さっきの悲鳴は何だったんだ? ありゃオルソラの声じゃないのか。あいつの身柄は保護できたって、あれが保護された人間の出すものか? とにかく今、彼女の顔が見たいんだ。別に良いだろ。ちょっと顔を合わせて一言二言交わせりゃそれで満足なんだ。しばらく会えなくなるなら最後の挨拶あいさつぐらいさせてくんねーかな」
「しかし、規則では……」
「あーもう! 何でそんなに規則規則ってうるさいんだよ。アニェーゼはあっちにいるのか? もうアイツに直接聞いてきてやる!」
 上条は背の高いシスターの肩をつかんで、ぐいっ、と横へどける。
「……、」
 背の高いシスターは心配性の人間を見てあきれるように肩の力を抜いた。背に預けている巨大な車輪を、ごん、と自分の手前に盾のように置く。 と、インデックスの顔が急激に緊張きんちようを帯びて、
駄目だめだよ、とうま――ッ!?」
 彼女が叫び終える前に、

 ゴッ!! と。木製の車輪が、勢い良く爆発した。

「……ッ!?」
 一いつしゆん上条かみじようには何が起きたか分からなかった。まるで散弾銃のように、数百という鋭い破片が上条の方にだけ恐ろしい速度でおそいかかってきた。彼の頭がようやくそこまで追い着き、両腕で顔や胸をかばった直後、無数の破片が上条の手足や腹に直撃ちよくげきした。痛みを感じ始めた時には、すでに上条の足は地面から離れ、ダンゴン!! と馬鹿ばかみたいな音を立てて五、六メートル後ろまで吹き飛ばされていた。
 インデックスの短い悲鳴が耳にひびく。
 視界の隅で建宮たてみやが立ち上がろうとしたが、彼の髪を数本、ルーンの炎が焼いた所でその動きがピタリと止まる。くさりつながれた猛犬のように、建宮は犬歯をき出しにした。
背の低いシスターはややオロオロした様子で背の高いシスターを見て、
「し、シスター・ルチア。あの、えと、よ、よろしいんですかぁ、これって? 確か……シスター・アニェーゼはゲストとの不用意な接触はけるようにって……」
だまりなさい、シスター・アンジェレネ。くそ、だから異教の徒などは我らのふところなどへもぐらせずに、もっと早く追い払っておくべきだったのに、アニェーゼのヤソ。放っておけなんて楽観的な命令など聞いていたからこんな羽目に……」
 背の高いシスターは背の低いシスターをにらんで黙らせると、自分の気持ちを落ち着けるように口の中でブツブツと何かをつぶやき始める。
 その目の色が、変わっている。抽象的だが、上条はそう思った。背の高いシスターはドロドロに溶けたバターのような熱に浮かされた目で上条の顔を見ている。
 これが野営場でパンやスープをくれた修道女たちと同じ人物なのか、と上条は絶句する。
「悲鳴などいちいち変に勘繰ったりしなければこちらの仕事も増えずに済むのに……。くそ、どうして、どうして私がこんな、異教の者の、ただれた手で、肩を、肩を、肩を。シスター・アンジェレネ! 石鹸せつけんは、いえ洗剤はどこですか! ひどすぎます、最悪の気分です。この私に話しかけるなら一言申してくれませんか。泥除どうよけのエプロンでも着なければ耐えられません」
 背の高いシスターの頭に、音もなく血が上っていく。
 くらくらと揺れる顔が、口が、平べったい声を出す。
「まったく次から次へとややこしいですね、本当にもうどうしましょう。そこの天草式が抵抗し、あなた達をあやめた事にしましょうか。ああ、それが一番楽みたいです。その後に私達が天草式の口を封じれば問題にはならないでしょう」
 まるで舞台劇のこわれたシナリオをアドリブで修正していこうとするような台詞せりふ
 不穏ふおんな声が聞こえてくるが、上条かみじようには返事もできない。
 かなりの数の木片が突き刺さったが、元がきちんとした刃物でないためか、傷は浅い。
 が、直後。皮膚ひふを貫く細かい木片が、不意にぐちゃりとひとりでに上下した。
「ご……ッ、がああああああああああああー7こ
 絶叫する上条の体から、まるで大木に刺さったおのを引き抜くように、次々と木片が取り出されていく。血のついた木片は磁石で集められるように背の高いシスターの手元へ帰っていき、ジグソーパズルを組み立てるように再び元の馬車の車輪へと直っていく。
「とうま!!」
 インデックスは叫び、慌てて彼の元へと駆け寄ろうとしたみたいだったが、背の高いシスターは彼女を横目で見るだけで、
「シスター・アンジェレネ」
「は、はぁい」
 背の低いシスターは舌っ足らずに答えると、腰のベルトを引き千切ちぎって四つの硬貨袋を頭上へ投げた。途端、バサッ!! と大きな布で空気をたたくような音と共に、袋の口からそれぞれ、ツバメのように鋭いつばさが六枚ずつ飛び出した。翼は袋ごとに赤、青、黄、緑の光に輝く。
きたれViene.一二使徒のひとつUna persona dodici apostli.徴税吏にして魔術師を打ち滅ぼす卑賎なるしもべよLo schiavo basso che rovina rovina un mago mentre e quelli che raccolgono.
 背の低いシスターが夜空を迎え入れるように両手を頭上へ差し出した瞬間しゅんかん
 キュガッ!!  と銃弾のような速度で、緑の翼を持つ硬貨袋がインデックスの体をかすめ、その足元の地面へ勢い良く突き刺さった。ビキバシという細かい音と共に、木の根のように硬い地面に亀裂きれつが走り回る。
「この……、っ?」
 インデックスは慌てて飛び退こうとして、その体がガクンと落ちた。見れば、地面に突き刺さった硬貨袋の口紐くちひもほどけていて、それが彼女の足首に巻きつき、地面へしばり付けている。インデックスの視線が足元へ集中すると同時、今度はその死角へ飛び込むように残り三つの硬貨袋が天高くへ舞い上がった。
 上条の顔が真っ青になる。
(ま、ず……!? あんなモンがぶち当たったら……ッ!!)
 硬貨袋の重さは砲丸投げの鉄球に勝るだろう。足首を固定されているインデックスにはける事などできないし、もはや両手で防いでどうにかなるような攻撃こをげユでもない。
「くそ、インデックス!!」
 上条は叫んで両足に力を込めようとする。幸いにして、彼女の足を縛る硬貨袋は魔術まじゆつによる力で動いているようだ。上条の右手でなぐればその戒めを解く事などたやすい。
 そこへ、
「あなたはあなたの心配をなさい。少しでも痛みなくける心配を」
 気がつけば、巨大な車輪をかついだ背の高いシスターが、上条かみじようの頭上へ飛んでいた。立ち上がろうとする不安定な姿勢の上条の眼前に、ピタリと車輪の中心軸が銃口のように固定される。
(―――ッ!?)
 上条ののど戦標せんりつに干上がる。右手で車輪をなぐるのと、この車輪が端微塵ぱみじんに爆破されるのでは、明らかに上条の分が悪い。
「異教徒の人、『車輪伝説』というものをご存知ですか?」背の高いシスターはうっとりと微笑ほほえみ、「古来より多くの聖人は殉教―――愚かなる権力者たちの手によって処刑される事でその生涯に幕を下ろしてきましたが、そんな拷問・処刑の歴史の中に車輪が多数登場するのです」
 上条は世間話に付き合う気はないが、眼前の車輪が彼の身動きを封じている。その間にも三つの硬貨袋は何十メートルもの上空から一転、勢い良くインデックスをねらって落下してくる。
「これらは無数の釘や刃を突き刺した巨大な車輪で、聖人を八つ裂きにするために作られました。ところが車輪は聖人に触れると同時、ひとりでに爆発したという報告が多数寄せられているのです。悪竜退治の聖ジョルジュしかり、アレクサンドラ王家の聖カテリナに至っては爆発した車輪の破片で処刑場に集まった四〇〇〇人の見物人が死亡したとか。この「車輪伝説』が意味する教えは以下の通りです」
 ゆったりとした口調が余計に上条の神経をあぶる。インデックスを狙う三つの硬貨袋は、砲弾のような速度を出して彼女の頭を粉々に砕こうとする。
 背の高いシスターは、緊張きんちようの汗を噴き出す上条を車輪越しに眺め、幸せそうな笑みを浮かべ、「罪なき者に罰は当たらず、罪ある者にこそ罰は下る―――あほらめなさい、異教の人。あなたに救いはありません。同胞であり死すべき愚者でもあるシスター・オルソラなら『手続き』をむ必要がありますが、あなた方を殺すのには何の迷いも必要ないのです」
「チィ……ッ!!」
 上条はインデックスを助け出そうと、完全にその意識をしばられた白い少女の方へ向けた。そんな彼の眼前で、ビシリと車輪に亀裂きれつが走る。ゆっくりと速度を落とす時間の中で、中心軸を頂点に、ピザのように六等分された車輪が内側からふくらむのを上条は見た。
「が、アァああああああああああああ!!」
 上条は右手のこぶしを握ってえるが、遅い。間に合わない。彼が拳を突き出す前に、背の高いシスターのかざす巨大な車輪が甲高い音を立てて、

 ゴガン!! と、真横に弾かれた。

 当然ながらそれは背の高いシスターの意思でも、まして上条の拳によるものでもない。
 硬貨袋。
 インデックスの頭をねらっていたはずの赤い六翼ろくよくを持つ硬貨袋が、横合いから恐ろしい速度で処刑の車輪におそいかかったのだ。その衝撃しようげさで背の高いシスターの手から車輪はもぎ取られ、何度も地面をバウンドしながら暗闇くらやみの奥へと飛んでいった。硬貨袋の方は衝撃で袋が破れ、どこの国のものかも分からない大小様々なコインが宙を舞った。
 突然武器を失った背の高いシスターは、上条かみじようから飛び下がるように慌てて距離を取りながら背の低いシスターを横目でにらみつけ、
「シスター・アンジエレネ、貴様は―――ッ!!」
「ち、ちがいますっ……あたしじゃ」
 み殺すような怒号に、背の低いシスターは顔を真っ青にして弁解したが、その時、
残る三対を一点に集約C T R T T O P一つの塊となれA  O
 インデックスの透き通る声が割り込んだ。
 瞬間しゆんかん
 キュゴガッ!! という金属をすりつぶ轟音こうおんが鳴りひびいた。インデックスの足首をしばっていた緑の袋の口紐くちひもが外れ、彼女の頭を狙っていた青、黄の袋と一緒いつしよに、壮絶な速度で背の低いシスターの顔面目がけて飛びかかったのだ。
 三つの袋は背の低いシスターの鼻先二センチの位置でぶつかり合い、ピタリと止まっていた。あまりの圧力に何百というコインは一つの金属塊と化し、ごん、という鈍い音を立てて背の低いシスターの足元へ落ちる。
 ぺたりと。背の低いシスターは、不思議と笑うような顔で尻餅しりもちをついてしまった。
「二匹の火竜を十字と祈りのみで倒した一二使徒マタイ。その象徴エンブレムである金貨袋に天使の力テレズマを通せば確かにこんな追尾型の飛び道具を作る事もできるだろうけど」静かな静かな、インデックスの酷評。「杜撰ずさんだね。詠唱も長くて暗号化もおざなりだし。内側の術式を安定させるのに精一杯で外側に対して気が回ってないから、簡単に制御に割り込まれるんだよ」
 上条には何が起きたか分からなかった。確か、インデックスには魔術まじゆつは使えないはずである。それとも、何かほかのトリックがあるんだろうか? 背の低いシスターの魔術に横から割り込み、乗っ取るような何かが。
「……。自爆、誤爆。魔術の失敗によるペナルティを逆手に取った攻法ですか」
 背の高いシスターは周囲を一瞥いちべつしてから、舌打ちして身構える。武器を失っても戦意が衰えた様子は一切見られず、彼女はゆるやかな動作で十字を切ったが、
 その時、遠くから甲高い笛のような音が聞こえてきた。
 ヒュイイイイイ!! という鳥の悲鳴のような音色に、背の高いシスターは忌々いまいましげに黒い夜空を見上げて、
「退却命令ですか。シスター・アンジエレネ!!」
「え、あ? で、でも、まだち漏らしてますし……」
退きます。天草式の食い残しは元々イギリスのほうがすでに取り逃がしていた事にすれば良いでしょう。足並みの乱れが本隊全体へ影響えいユようを及ぽし、オルソラの護送状況にも害をなす恐れがあります。そちらの方がはるかに問題です」
 背の高いシスターがきびすを返して暗闇くらやみの向こうへと消えていくと、背の低いシスターは慌ててその後を追って行った。
「これで、分かったろうよ」
 建宮斎字たてみやさいじは夜空を見上げながら、苦虫をつぶしたような声で、
「あれが、十字教内世界最大宗派・ローマ正教の裏のやり方よ」

     2

「なるほどね。道理でアニェーゼ=サンクティスを見た途端に彼女が茫然自失ぼうぜんじしつとしていた訳だ。
たちをローマ正教の主力隊から切り離したのも、始めから見下されていたからかもしれないね。
ふん……イギリス清教がいると命令系統が乱れる、か。言ってくれるね」
 テーマパーク『パラレルスウィーツパーク』を出た所で、ステイルはのんびりと言った。彼もオルソラの悲鳴を聞いていたはずだが、それでも引き返してアニェーゼにその事を問いかけたりはしなかったらしい。事情を知らなければ、ましてそれがイギリス清教とローマ正教という二つの組織間の外交問題になるかもしれないとなれば軽率な行動に移れないのは分かるが、それでも上条かみじようとしては何かが釈然としない。
 あれから上条はアニェーゼの元へと走ったが、彼女達はすでに撤退てつたいした後でそこにはたれもいなかった。建宮を追撃ついげぽしてくる刺客しかくも現れない。彼の仲間の大多数が捕まった事で、もう天草式は壊滅かいめつしたものと判断されているのかもしれない。
 あれだけの大人数が最初から存在しなかったかのような手際てぎわの良すぎる撒退をした事に上条は寒気を感じた。イギリス清教の方へ何の事務報告あいさつもないのは、やはり最初から信頼しんらいしていなかったという事なのだろうか。ローマ正教にとってはオルソラの確保が最優先で、後の案件、つまり建宮などは余裕があれば、ぐらいのものなのかもしれない。あるいは、街中に散らばった全部隊に召集をかけてから一気に数で勝負を決めようとしているのかもしれないが。
 そんなこんなで、今は上条、インデックス、ステイル、それに建宮を加えて情報交換を行っている真っ最中だ。ちなみに上条は車輪の破片でケチョンケチ目ンにされたため、体のあちこちに包帯が巻きつけてある。
「その男の言っている事がすべて事実だったとしても、オルソラ=アクィナスはすぐには殺されないだろうね。ヤツらにはヤツらなりの事情がある。……だから上条当麻とうま、今この瞬間しゆんかんにどこかに駆け出そうとするのはやめろ。君が出張ると余計にややこしくなる」
 釘を刺された上条かみじようは口をとがらせて、
「……、事情って何だよ?」
「ローマ正教は世界最大の宗派なんだよ、とうま。その大多数はオカルトなんて知らないとはいえ、二〇億人以上の信徒を抱え、教皇と一四一人もの枢機卿すうききようが管理し、一二ヶ国に教会を持つほど肥大しちゃってるの。大きくなるのは良い事だけど、大きくなりすぎると困った問題が生まれちゃったりもするかも」
『?』と、まだ理解できない上条が首をかしげると、今度は建宮たてみやが、
「つまりはあれよな。それだけ大きな勢力ならば、当然ながら様々な派閥があるってなもんよ。
まずは教皇と枢機卿がそれぞれ治める聖堂区だけで一四二、さらに国や風土によって異なるので二〇七、おまけに老人と若者、男と女でいがみ合って二五二」
 ステイルが面倒臭そうに煙草タをコの煙を吐いて、
「これだけ多くの派閥を持つロ!マ正教は、外側よりむしろ内側の方に多くの敵を抱えているとまで言われているんだ。同胞の些細ささいな問題を寄ってたかってつつき回るという訳だ。そんな中、今回の件は非常にデリケートな側面を持っているんだろうね。『法の書』の解読は確かにローマ正教にとって脅威だが、かと言ってオルソラ=アクィナス本人には何の罪もない。無闇むやみに殺せば、世界中の同胞たちがアニェーゼの敵になるだろうさ」
「そうか? でもおれ達だって悪い事してないだろ。なのにあいつら少しも迷わずムチャクチャ攻撃こうげきしてきたぞ」
 上条はわずかに自分の腕に巻かれた包帯を指先ででた。ただでさえ暑苦しい熱帯夜なので、体に巻きつく包帯は余計に鬱陶うつとうしい。
「異教・異端の場合は言い訳ができるのさ。『神の教えに背く者は罰しても構わない』……この素敵な一言で過去にどれだけの虐殺が正当化されたと思ってるんだい?」
「さっき私達を攻撃してきたあのシスター達もそんな考えで動いていたんだろうね。でも逆に、だからこそローマ正教は迂闊うかつにオルソラに手をかけられないと思うかも。『神の教えを信じる者をあやめてはならない』からね」
「……、」
 上条はちょっと目をらし、街灯に照らされた街路樹を眺めながら考えた。
 仮にローマ正教に『同じローマ正教の者を殺してはならない隔というルールがあるのなら、天草式は何故なぜ『オルソラの暗殺をめるために』動いたのだろう、と疑問を口にすると。
 上条がその事を聞いてみると、ステイルは大して気にも留めずに、
「簡単だよ。例外があるというだけさ」
「例外だって?」
「その通りだ。『神の教えを信じる者をあやめてはならない』……このルールにのつとるなら、教会から追い出された人間は『神の教えを信じない者』として殺しても良い事になるんだ」
 建宮たてみやは巨大な剣をぶら下げたままステイルの後に続く。どうでも良いが、警察に見られたらなんて書い訳するつもりなんだろうと上条かみじようは心配になった。
「罪人、魔女まじよ、背信。これらのルール違反を犯した人々は縁を切られちまうって訳よな。そして縁を切られると同時に、そいつは『神の敵』というレッテルをり付けられんのよ一
「その方法は簡単だよ。試せば良い。そうだね、例えば焼けて真っ赤になった鉄の棒がある。
オルソラにこれを握らせる。もしも彼女が無罪なら、主が守ってくださるから火傷やけどを負わない。
逆に火傷を負えば、彼女は守るに値しない人間だと判断された、という訳だ。ふざけた方法だろう? イギリス清教じゃ、主を試す悪法として禁じられた試罪法しざいなうってヤツさ」
「そんなの……ツ!」上条は絶句する。「そんなの、火傷して当たり前じゃねえか! 逆に火傷しない方が異常だろ!」
「そうさ。だから火傷を負わなくても難癖なんくせをつけられる。悪魔の加護があるとか言ってね。どちらの結果にしても、試された者は必ずレッテルを貼られるように決まっているんだ」
 ひどすぎる、と上条は思う。
 そんな無茶苦茶むちやくちやな方法でオルソラの未来が決定されるなんて絶対に間違っている。
「ま、逆に言えばこの宗教裁判……いや神明しんめい裁判かな。とにかく、この追放準備が済むまでは、ローマ正教は不用意にオルソラの命を奪えない。正式な手順に従うなら、一度ローマに戻って、さらに準備期間として二、三日の時間が必要となるだろう。と言っても、殺さない限りは何をやっても大目に見てもらえるだろうがね」
 オルソラが何を考え、どれだけのおもいで魔道書まどうしよの原典と立ち向かおうとしていたかなんて、ローマ正教は気にしていない。邪魔だから。都合が悪いから。面倒臭いから。上手くいかないから。厄介な事になるから。彼女たちはただそれだけで、オルソラの命を奪熔うとする。
 同じだったはずなのに。
 オルソラとローマ正教は、根っこの所では意見に違いなどないはずなのに。彼らは両方とも『法の書』を危険視していて、それを何とかしたいから行動しているだけのはずなのに。魔道書を解読しようとしたのだって、人の手では絶対に破壊はかいできないと言われている原典クラスの魔道書をどうにか処分するための、突破口を探していただけなのに。
 だれかの役に立ちたかっただけなのに。
 誰よりも『法の書』が危険だと思っていたから、何とかしたかっただけなのに。
『あなた様は、魔道書の原典というものをご存知でございましょうか。また、原典はどんな方法を使っても破壊できないという話は』
 ―――たったそれだけの行為は、それほどに悪い事だったのだろうか。
『今の技術では、こうなった魔道書を処分するのは不可能でございましょうよ。せいぜいが封をして、誰にも読めないようにする事ぐらいしか』
 ―――オルソラ=アクィナスは、
『あくまで「今の技術では」なのでございます』
 ―――だれかが決めた手続きに従って、異端審問という名の手順をまされて、誰にも助けを求められないままだまって処刑されなければならないような事を、やったのか?
魔法陣ヨほうじんの機能そのものを逆手に取る事もできるはず―――つまり、原典を自爆させる事も可能なはずでございましよう』
 ―――いや。
魔道書まどうしよの力なんて、誰も幸せにしないのでございますよ。それを巡って争いしか生まなかったのでございますね。ですから私は、ああいった魔道書をこわすために、その仕組みを調べてみたかったのでございます』
 ―――いや!
「そんなもん、認められるか……」上条かみじようは、奥歯を砕きかねないほどめ、「たとえどれだけの理由があったって、どれほどの事情があったって、そんな真似まねが許されてたまるか!何だよそれ、ふざけんな! あいつら、人の命を何だと思ってんだ。人が抱えてきた大切なものを手続きに従って一つずつ没収していくだなんて、人の人生を何だと思ってやがる!!」
 上条当麻とうま記憶きおく喪失だ。
 だからこそ、彼が抱えているものなどごくわずかしかない。そもそも、抱えている記憶や思い出が夏休みの一ヶ月程度のものしかないのだから、普通に生きてきた高校生の何十分の一しか、大切なものなど存在しない。しかもそのほとんどが、自分が記憶喪失である事を偽って築き上げたボロボロの思い出でしかない。
 それでも、上条だって思う。そんなちっぽけなものしか持っていない上条だって、それを誰かの手で書類へ赤線を引くように奪っていかれたら、気が狂うほどの激情に駆られるだろう。
 確かに、ローマ正教だって自分の大切なものを守るために戦っているのかもしれない。
でも、それはいけない事だ。
 大人数で寄ってたかってついばむように、人が一人大切に抱えてきたものを、その人が見ている前で一つ一つぎ取って奪っていくだなんて、それは絶対にいけない事だ。
 何で、ほかの道を探そうとしなかった?
 どうして、『殺す』なんて目の前の安直で愚かな方法で満足できてしまった?
 上条は血が出そうなほど強く両拳りようこぶしに力を込める。深夜の暗い住宅街にぽつりぽつりと点在する街灯の光が、無機質にその姿を照らし出す。
「……。あいつらが今、どこにいるか。お前たちは分かってんのかよ?」
「大体予測はついているけどね。知ってどうする気だい?」
 ステイルに瓢々ひようひようと答えられ、上条は思わず彼の胸倉につかみかかろうとした。こいつは何でこんなに冷静でいられるんだろう、と思う。
 食い殺そうとするような上条の視線に、しかしステイルは動じた様子もなく口の端の煙草タバコを上下に揺らしている。むしろ、視界の外にいるインデックスの方がおびえているぐらいだった。
「気持ちは分かるがね」ステイルは、悠々と煙を吐き、「少しは気を静めたらどうだ。この街に集まっているだけで、彼女たちは二五〇人近くいるという話だったろう? 君のこぶしはそれらをすべぎ払えるほど便利な代物しろものなのかい?」
「……ッ!!」
 上条かみじようは自分の拳を握りめた。
 そう、分かっている。上条の腕は、所詮しよせん路地裏のケンカレベルのものでしかない。それも勝てるのは一対一まで、一対二なら危ういし、一対三なら一方的にやられる程度の、だ。不意打ちとはいえ、さっきだって車輪を持ったシスターに一方的な攻撃こうげきを受けたのだし。
 現実にある素手のケンカは映画のように、何十人もの人間をたった一人で正面から打ち破れるようなものではない。たとえどれだけ強くても、一定以上の数に囲まれたらその時点で絶対に勝ち目はないような、そういうルールが厳然として存在するのだ。
 それこそ。
 マンガやドラマに出てくるような、本物の戦闘せんとうのプロでもない限り。
 その戦闘のプロであるはずの魔術師まじゆつしは、ゆったりと笑いながら煙を吐き出し、
「大体をもって、天草式の話が全部本当だったとしたら、僕達の出る幕はもうないんだ。残念ながら、この話はもう終わってしまったんだよ」
「なん、だと?」
「考えてみると良いさ。オルソラ=アクィナスはローマ正教内のルールを破って命をねらわれた。
アニェーゼ=サンクティスはルールを破ったオルソラを罰するために彼女を追っていた。今回の件は、言ってしまえばそれだけだろう? 『法の書』の原典はバチカン図書館できちんと管理されているという話だし、彼らの事情を考えればそれが悪用されるはずはないし、天草式も『法の書』を悪用するつもりはないと言っているし、結局僕達イギリス清教が顔色を変えるような事態は何も起こっていなかったという訳さ。ま、事後の挨拶あいさつがなかったのは気に食わないが、その程度でいちいち顔を真っ赤にしても仕方がないだろう?」
 今度こそ。
 上条当麻とうまは、迷わずステイル=マグヌスの胸倉をみ上げた。インデックスは口をおおって小さな悲鳴を出し、建宮たてみやは上条の顔を見て小さく口笛を吹いた。
 それでも、ルーンの魔術師は少しも動じない。寂れた夜の住宅街に、彼の言葉だけがひびいて消える。チカチカと明滅する街灯の光が、神父の顔を不連続に照らし出す。
「これはローマ正教内で起きた事件を彼らのルールで裁いているに過ぎないんだ。外部へ何の影響えいきようもない以上、下手に僕達イギリス清教が文句を言えば、それを内政干渉と取られてイギリスとローマの間に大きな亀裂きれつが走る可能性すら考えられる。……残念だがあねらめるんだね、上条当麻。それとも君は戦争を起こしてでも彼女を助ける気かいこ
「……、それは」
「イギリス清教にしても、ローマ正教にしても、所属しているすべての人間が僕たちみたいな戦闘せんとう要員とは思わない事だね。むしろ、そのほとんどは君と同じような人間なんだ。学校へ行って、友達と過ごして、帰りにハンバーガーでも食べて、それが世界の全部だと思っている人々さ。
その陰で魔術師まじゆつし暗躍あんやくしている事も知らないし、魔術的な戦争が起きないよう様々な組織が色々な取引を行っている事にも気づいていない、まさに善良で無力な子羊達だ」
 胸倉をつかまれたまま、しかし涼しげに魔術師は問う。
 それこそ、契約を迫る悪魔のように。
「さてここで問題なんだけど、君は彼らを巻き込めるのかい? 真実を何も知らないままイギリス清教やローマ正教に所属しているだけの人々を戦争に巻き込んで、略奪して、虐殺して、そこまで奪いに奪ってでもオルソラ=アクィナス一人を守りたいと思えるのか」
「……、」
 ステイルの胸倉を掴む上条かみじようの手から、力が抜けていく。インデックスは何かを言おうとしたが、結局何を需って良いか分からず吐息が漏れるだけだった。
 これが、素人しろうととプロの違い。
 これが、個人と組織の違い。
 ステイルは退屈げに煙草タバコを吐き捨てると、それをつぶしながら建宮たてみやの方を見る。
「僕は君の行動まで止める権限は持たないよ。依頼人いらいにんであるオルソラのためでも自分の部下達のためでも好きな理由で戦えば良い。だが向かうなら一人で行け。今回の件にイギリス清教を巻き込もうものなら、この島国全土を焦土にしてでも天草式をあぶり出して皆殺しにする」
 ステイルのおどしに、しかし建宮は大して表情も変えずに、
「ま、そんぐらい分かってんのよ。あー、少年もそこまでヘコむなって。イギリス清教に戦う理由はなくてもこっちにゃ大有りなのよな。ちょっくら連中のアジトまでお邪魔して、仲間を救出するついでにオルソラじようも助けてやんよ。なあに。こちとら少数精鋭で無駄むぜにデカイ組織とぶつかるのには慣れてるよの。元々が幕府と対抗しながら発展していった宗派だからよな」
 その声に、上条は顔を上げた。
 彼のとなりにいたインデックスは建宮の顔を見て、
「今から天草式の本拠地にいるほかの伸間達に召集をかける気なの? でも、特殊移動法は一日待たないと使えないし、そんなに待ってたらローマ正教は国に帰っちゃうかも」
「だろうよ。そんな安全策を取ってたら間に合わねえのよ」
 需って、建宮はわずかに白い大剣を揺らした。ステイルはつまらなそうな声で、
「一人で行くとか言う気かい?」
「それしかねえならそれで行くしかねえってのよ。ま、幸い連行されてったウチの馬鹿ばかどももまだ処刑されてねえだろう……殺す気ならわざわざ連行せずあの場でってるべきなのよな。オルソラと一緒いつしよに裁判にかけて『天草式と結託して「法の書」を盗み出した』ってした方がりアリティあんだろうからよ。なんで、あいつらの拘束を解いて上手くき付けられりゃ、かろうじて勝機はあるかもしんねえってなもんよ」
 建宮たてみやは愉快げな顔で緊張きんちようを隠し、
ねちうとすれば、移動時よな」
 その巨大な剣の先をゆらゆらと揺らして、
「昔から追われ続けたウチら天草式としちゃ、集団の怖さともろさは熟知してるよの。大人数の最も弱い所は何と言っても移動中でな、百人単位の人間が大移動すりゃ絶対にほころびが生まれんのよ、大体、ローマ正教と捕縛ほばくされた天草式、合わせて三〇〇人以上いんだぜ? それだけの修道士がまとめて移動するなんて無理よな、真っ黒なシスターたちが何百入と集合して街をねり歩いたら、下手すりゃデモや暴動と見られてテレビ局すらやってくる危険性もある、だからこそ、ヤツらは必ず移動のために何らかの偽装を行うだろうよ、集田を少人数に小分けして車に乗せていくとかよな。そういう偽装中には本来の力を発揮しきれないってのが定石なんで、奇襲きしゆうをかけるならその時しかねえってもんよ」
 建宮の話だとローマ正教は天草式のような、移動に魔術まじゆつを使うような真似まねはしないらしい。確かに、船なり飛行機なりをチャーターするなら今は時間が遅すぎる。おそらく大移動が始まるのは夜が明けて、港や空港が開いてからになるだろう。
「……、」
 移動こそが最大のチャンス。
 だが、それは逆に言えばローマ正教が移動を始めるまでは手が出せないという事を意味している。ステイルは、ローマ正教がオルソラを抹殺するためには、宗教裁判という手続きをまなければならないと言っていた。
 しかし、それと共に殺さない限りは何をやっても大目に見てもらえるとも。
 二五〇人もの集団に取り囲まれて行われる暴力。それはある意味において、正当な手順を踏んだ刑罰よりも恐ろしいかもしれない。何せ明確に法で定められた訳ではないので、どこまでがオーケーで、どこからがいけないのか、その明確なボーダーラインが存在しないのだから。
 死ななければ、何をやられても良いのか。
 息をしてさえいれば、どんな目にっても幸運だったとでも言うつもりか。
 上条かみじようが顔をくもらせていると、建宮も彼の考えている危惧どぐに勘付いたらしく、
「……。分かれ、って言うのも酷かもしれんがよ。いくら我らでもできる事とできない事はしっかり存在すんのよ」
 建宮の言葉には苦いものが含まれていた。おそらく、プロの彼は素人しろうとの上条よりも鮮明に想像できるのだろう。ローマ正教の者が、捕らえた敵をどのように扱うのかを。
 上条当麻とうまは近くの電信柱を思い切りなぐりつけた。
 最悪の事態が想像できるのに、何も行動に移せない自分がどこまでも情けなかった。
 ろくに言葉を返す事もできない上条かみじようをステイルはつまらなそうに見て、
「話は決まったようだね。それじゃ、僕たちも適当に解散して姿を隠そう。こっちは一度上へ連絡して、次の指示でも仰ぐとしようかな。ローマ正教と天草式の問題はこれで片付いたが、僕はこれから神裂かんざきの方をどうにかしないといけない。上条当麻とうま、君はインデックスと共に学園都市へ戻れ。最重要人物オルソラを抱えた今のローマ正教が、科学サイドにケンカを仕掛けてまで部外者の君達を襲撃しゆうげきしようとは思わないだろうさ」
 彼は新たな煙草タバコに火をけて、
「まぁ、せめてイギリス清教にオルソラ=アクィナスを助けるだけの正当な理由があるなら話も変わったかもしれないが、今の僕達にはここが限界だよ」
 心の底からつまらなそうに煙を吐いて、
「ああ。それと上条当麻。一つだけ聞いておきたい事があるんだ」
「……、何だよ?」
 彼が力なく振り返ると、ステイルは皮肉げな笑みを浮かべたまま、
「前に僕が君にやった十字架。今、君は持っていないようだが、どこへやったのかな?」
「……、」上条は少し考え、思い出し、「悪い、オルソラに預けちまったままだった。おれが首に掛けてやったらメチャクチャ喜んでたけど。あれ、そんなに高価なモンだったのか?」
「いや、何の変哲もない鉄の十字架だよ。きっと土産物みやげものを作ってる町工場で大量生産されてるものだろう。イギリスじゃあ珍しくもない、国旗の一部にもなっているセントジョージの十字架さ」ステイルは何故なぜか笑みに愉快そうな色を含め、「あんな十字架に装飾や骨董こつとうとしての価値はないさ。あの一品を君が持っている事に価値があったんだが……まあ良い。どうせもう、今の君には必要ないものだろうからね」
 ステイルは訳の分からない台詞せりふを煙と一緒いつしよに吐いた。
 上条はその意味も理解できないまま、暗い道を引き返す。
 こうして、つまらない事件はつまらない結末と共に幕を下ろした。

     3

 建宮斎字たてみやさいじの姿は消えていた。
 ステイルはインデックスが無事に学園都市に入るまでは護衛をするつもりらしい。インデックスはとぼとぼと夜道を歩く上条のとなりにいたが、何を話しかけて良いか迷っているようだ。
 日本の首都と言っても、中心から外れれば夜は暗闇くらやみに包まれる。時刻を見れば午前一時を過ぎていて、街の明かりのほとんどが落ちていた。マンションは歯が欠けたようにポツポツとあかりのいた窓があるだけで、時々酔っ払いを乗せたタクシーが通り過ぎていく。街灯はチカチカとたよりない点滅を繰り返し、光に集まるたくさんの細かい羽虫を照らし出していた。
 戦いを軸に置いた非日常な一日はもう終わっていた。あと数時間もてばまた学校を中心としたいつもの日常へ戻る事になる。上条かみじようは寝不足の頭を振って学校へ向かい退屈な授業を受けて、土御門つちみかどや青髪ピアスとくだらない話をして帰り道では結局夏休みの宿題の宿題が終わらなかった事を美琴みことに責められてビリビリを飛ばされる事だろう。
「……。どうすれば、良かったんだろうな」
 ポツリと、上条は言った。
 その声にインデックスは彼の顔を見たが、上条はうつむいたままだった。
 オルソラ=アクィナスを助けたかった。
 だけど、彼には彼女を助けるための方法が何一つ思い浮かばなかった。
素人しろうと考えじゃ、何をやってもプロには勝てないのは分かってる。けどさ、素人にでもできた事はあったんじゃねえのかなって思うんだ。例えば初めてオルソラと会った時に、素直に学園都市に連れて行ってやったらどうなってたんだろう、とか。ローマ正教の手伝いさえしなけりゃ、オルソラは天草式の手を借りて特殊移動法で逃げ切れたんじゃないのか、とかさ」
「とうま……」
「もちろん分かってんだ。それは単にそっちの結果を見てないから希望に見えるだけなんだって。きっとオルソラが学園都市に逃げ込んでも、ローマ正教は彼女を追って侵入してくる。俺達おれたちが協力なんてしなくても、ローマ正教は人海戦術で包囲網内をくまなく捜して天草式の人間が集まってるポイントを発見しちまう。そういうものなんだってのは、分かってんだけどさ」
 上条とき麻は、思い出す。
 オルソラと出会った時の事を。学園都市の入り方を教えてもらおうとした時のわずかに不安の混じった声を。夜のテーマパークに隠れている時の、彼女の笑みを。ようやく信用できる相手を見つけたと思ったのか、妙に饒舌じようぜつになって話しかけてきてくれた彼女の言葉を。
 そして最後に。
 どこからか聞こえてきた、絶望の悲鳴を。
「それでも……本当に、どうすれば良かったんだろうな」
 そう思う事そのものが危機感の足りない素人の考えだというのは良く分かる。今回の件は、上条には何の関係もない。ただの高校生が、偶蟄フロの魔術まじゆつ世界の厳しさを垣間見かいまみてしまっただけで、今は元の世界へ帰る途中だというだけだ。それをとがめる者はいないだろうし、本物の魔術世界に身を置いてその恐ろしさを知る者なら一般人が無事に帰っていく姿を見てホッと胸をで下ろすかもしれない。
 ステイルはすでに語るべき事は前の説明ですペて語り終えたと考えているのか、上条の泣き言を聞いても一言も口を挟もうとしない。
 一方で、インデックスは上条の顔を下から見上げる形で、
「……とうま。これは魔術師まじゆつしの問題なんだから、とうまが無理にかかわらなくてもいいんだよ。
何にもできない私には偉そうな事なんて言えないけど、建宮斎字たてみやさいじがやると言ってるんだから、彼にたよるしかないと思うよ……」
「……、そっかな」
 上条かハじようの気の抜けた声に、インデックスは泣きそうな顔で、
「そうだよ。すべての魔術師の問題はとうまが解決しないといけない、なんてルールはないもん。
対魔術師専門の私が何もできないのは責められて当然だと思う。でも、とうまがいなくても解決する問題は解決するの。とうまは今まで多くの魔術師と関わってきたと思うよ、部外者にしては。だけど世の中にはとうまの知らない魔術師なんていっぱいいるし、その人達だって様々な問題を抱えていて、彼らはとうまの力なんて借りないで決着を着けていく。今回のもそういう事―――とうまは単に、自分が結末に関わらない事件を初めて目撃もくげきしただけなんだから」
「そうなの、かな」
 上条は機械的に返事をしながらも、内心でおどろいた。彼女もオルソラがこれから辿たどる道は想像ができているはずなのに、彼女はこれ以上オルソラの件には関わらないと断言してしまった。
 あるいは、逆に。
矛盾した発言でもしなければ、もう上条はなぐさめられない所まで来ているのかもしれない。
「うん。今までがおかしかったんだよ。目の前で起きた問題を何でも自分で解決できる人間なんていないの。とうまはだれかに頼ってもいいんだよ。とうまは誰かに結末を任せてもいいんだよ。目の前の家が火事になって、中に幼い子供が取り残されていたからって、とうまが飛び込まなきゃいけない理由はないの。そこで助けを呼ぶのは、決して恥ずかしい事じゃないんだよ」
 インデックスは言う。
「とうまはもっと人を頼るべきだと思う。私たち必要悪の教会ネセサリウス』だって、そのために作られたものなんだから。私達みたいな組織でも身動きの取りづらい問題を、とうま一人の乎で解決できなかったからって、誰もとうまの事は責められないよ」
「……、」
 たまたま自分の出番は最後まで用意されていなかった。それだけの事なのかもしれない。自分の出番が終わったからと言って、そこで事件がブッツリと唐突に断ち切れる訳ではない。ここから先は建宮斎字が主人公になって決着を着けるだけの話なのかもしれない。
 確かに目の前で通り魔事件が起きたからと言って、目撃者が事件を解決しなければならないなんてルールはない。警察が犯人を捕まえた所で、目撃者が責められる事はないだろう。
「建宮は、ちゃんとやってくれんのかな」
「ある程度の勝算はあると思うよ。あの人だって本物の魔術師だし。特に厳しい迫害の歴史を持つ天草式はその手の計算は得意だし、絶対に勝てない敵に挑もうとは考えないはずだよ」
 そっか、と上条はうなずいた。
 もう、良いと思う。自分が無理して戦わなくても事件が解決するのなら、素人しうつとがでしゃばる必要はないように思う。それが普通の考えだ。勝手も分からないただの素人が好きなように引っき回して、そのせいでさらに悪い方向に話が進んでいくかもしれないのなら、いっそ手を出さないというのも つの手だと思う。
 すべての事件の決着を着けなければならないなんてルールはない。
 むしろ大きな視点で見れば、上条かみじようかかわらずに解決された事件の方がたくさんある。
 だから、それらの一つを垣間見かいまみたぐらいで気にする必要はない。
 上条が関わらなくても、事件は誰かが勝手に幕を下ろしてくれるのだから。
 彼は夜空を見上げ、ゆっくりと両手を上げて伸びをした。体の中にまった疲れを自覚するのと同時に、ようやく学生りよう布団ふとんが恋しくなってきた。
「じゃあ、帰るか」
 上条は、口に出して言った。
 そうする事で、非日常と日常をきちんと区切るように。
「あ、そうだ。帰る前にどっかお店に寄ってきたいな。この時間だとスーパーもデパートもやってないだろうから、せいぜいコンビニ程度か。冷蔵庫の中が空っぽだからなんか買い込んどかないとって思ってたんだけど……ま、良いか。学園都市の『外』のラインナップにも興味はあるし、『中』じゃ売ってない弁当とかあるかもしんないしな」
「……、とうま。何だか急に所帯じみてきたのかも」
「悪かったな。どうせおれは最近家計簿かけいぼをつけるのが楽しく感じてきた地味な高校生ですよ」
「たまには家計簿を気にしないぱーっと豪勢なご飯も食べてみたいよね」
「嫌なら良い。ただし明日の朝食は空っぽのお皿に水だけだ。後は巧みな想像力でカバーせよ」
 とうまーっ!? とインデックスは夜中でも構わず叫ぶ。
 上条は簡単な事で真っ青になる食欲少女を見て笑いながら、
「じゃあちょっとコンビニ探して適当に明日の朝食だけでも買ってくるわ」
「あれ? 『こんびに』ならみんなで一緒いつしよに行けば良いかも」
「お前を連れてくと何でもかんでも手当たり次第にカゴに突っ込んで買い物どころじゃなくなるだろ。んじゃ、ぱぱっと行ってくるから。ステイル、先にインデックスを連れて学園都市の中まで案内してやってくれ。連れ出す事ができたんなら侵入するのもできるだろ。……いやあっさりできてもそれはそれで困るんだけどな」
「君がそうすると言うなら。この子にとって有益な申し出なら受けてやっても構わないが」
 ステイルは口の端の煙草タバコを上下に揺らしながら、
「ところで、場所は分かってるのかい?」
「……、別に。コンビニなんてその辺を走り回れば見つけられるだろ」
 結構、とステイルは皮肉げに笑うと、インデックスをエスコートして深夜のやみへと消えて行った。インデックスは上条かみじよう一緒いつしよに居たかったようだが、上条はパタパタと手を振って拒否した。
 上条当麻とうまは彼らの姿が見えなくなるまで待ってから、きびすを返した。
 来た道を真っ直ぐ戻るために、きびすを返した。
「あの野郎。バレてたかな……」
 上条は口の中で小さく舌打ちしながらつぶやいた。
(財布は学生りように置きっ放しだしな。コンビニなんか行っても仕方がねえっての)
 彼は歩きながら、ズボンのポケットから携帯電話を取り出す。白いバックライトが彼の顔を淡く照らし出した。上条はボタンをいくつか押すと、GPSサービスを使って地図の検索を始める。検索しているのはもちろん、この近くにあるコンビニではない。
 上条当麻はアニェーゼ=サンクティスの言葉を思い出す。
『数が多いのがウチの特権なんです。世界一一〇ヶ国以上に仲間がいんですから。日本にだってたくさん教会はありますし、今もオルソラ教会って新しい神の家を建設中なんで。確かこの辺りだったと思いますよ。すぐ近くです。完成すりゃ日本国内では最大規模になるとかって触れ込みだったと思います。野球場ぐらいの大きさがあったはずですけど』
 学園都市のGPS機能はとても正確で更新も早く、軍事衛星として機能してるのではとウワサされるほどの精度を誇る。そこには最新の建物はおろか、建設予定地までもが完壁かんぺきに表示されていた。対照的に、『薄明座はくめいざ』跡地のような所は、早くも地図から消されている。
 当然ながら建設予定地の建物名はGPS地図には登録されておらず、ただ漠然と『予定地』と表記されているだけだ。が、画面を見ればすぐに分かるだろう。野球場クラスの巨大な建設予定地など一つしか見当たらない。
『はい。あの人は三ヶ国もの異教地で神の教えを広めたってな功績があって、自分の名前を冠する教会を建てる許可を特別にいただいたんで。上手な言葉を使う人だったでしょ?』
 上条は携帯電話の画面を眺めながら、その足を速めた。確かに彼女の言葉通り、ローマ正教の拠点、オルソラ教会はこの街の中にある。大人数での移動が集団行動の弱点となり、それを少しでも軽減しようとするなら、最短距離にあるこのオルソラ教会を要塞化ようさいかするのが筋だろう。
建設中だろうが何だろうが、上条の知らない魔術まじゆつでも使って。
 きっとローマ正教の面々はそこにいる。
 アニェーゼ旺サンクティスも、そしてオルソラ=アクィナスも。
『教会が完成したら招待状でも送りますんで。ですがその前に、目先の問題を片付けちまいましょう。後味良くて素敵な結末を迎えられますように』
 上条はアニェーゼの冗談を思い出して小さく笑った。
「まだパーティの準備も招待状の宛名書きも終わってねえだろうが、飛び入りでお邪魔じやぼさせてもらうとしますかね」
 目的地が明確に分かった以上、立ち止まる必要はない。
 上条かみじようの足はさらに速くなり、早足から気がつけば暗い夜道を走り出していた。
 彼には戦う理由なんてない。
 彼が戦わなくてもほかだれかが勝手に決着を着けてくれるに違いない。
 目の前の家が火事になって、中に幼い子供が取り残されていたからと君って、上条が飛び込まなければいけないルールなんてない、とインデックスは言った。
 誰かに助けを求める事や、決着を任せるのは悪い事じゃないと、言ってくれた。
 しかし。
 例えば、火事の家の中に取り残された幼い子供が、ずっと上条が助けに来てくれると信じてくれているとしたら、どうだろうか。
 確かに一番賢明な選択は一刻も早く消防署に連絡を入れる事だ。
 だけど、上条は愚かでもその子供に背中を見せたくない。たとえそれが自分にとって一番楽で安全な選択だったとしても、彼はその信頼しんらいを裏切りたくない。
 オルソラ=アクィナスは今でも上条当麻とうまを信じてくれているだろうか?
 ここまで愚かな選択を続けた彼を、彼女はまだ子供のように信頼してくれているだろうか? 幸いにして、上条当麻はイギリス清教やローマ正教など、特定の組織に所属している訳ではない。元が一般の学生でしかない素人しろうとなのだから、そういったしがらみは一切ない。インデックスやステイルといったプロの人問に協力を求められないが、その代わりに素人には素人にしかできない事があるのだった。
 唯一の不安と言えば学園都市という科学サイドの一員とみなされる恐れがある事だが、おそらく本格的に危険な事態になれば学園都市という組織は自分の存在を退学・除籍じよせき処分にして組織としてのかかわりを抹消するだろう。
 それでも構わないと上条は思う。
 それでもこの道を選びたいと思える自分自身に、上条当麻は思わず笑ってしまう。

 戦う理由もないままに、少年は夜のやみを走り続ける。
 事実として、彼には戦わなければならない理由など一つもなかったが、
 だけど、戦い続けたい理由ぐらいは胸の内にあったから。

     4

 オルソラ教会と名のついているものの、それはまだ教会と呼べるような建物ではなかった。
並の学校の体育館を四つも五つも並べられるほどの大きさを持つ教会は、完成すれば日本国内では例を見ないほどの本格的な大聖堂となるだろう。学園都市のと鼻の先に拠点を置く事で科学勢力に対する牽制けんせいという意味合いすら含む。しかし、建設途中の現状ではただ広いだけの空間は寂しさしか生み出さない。
 教会はようやく外壁を築き終えた所だが、まだ周囲には鋼鉄の足場や梯子はしごなどがそのまま放置されている。内装に至っては何も用意されておらず、まるで無粋な傭兵団ようへいだんにでも略奪された後のようにすら見えた。ステンドグラスがはめ込まれる予定の窓はぽっかりと暗い穴をのぞかせ、巨大なパイプオルガンが設置される予定の場所も今は不自然な空間がわだかまっているだけだ。
大理石の床や壁は新品の輝きを放っていたが、その一方で説教壇せつきようだんの後ろの壁には、本来壁に掛けられる予定の大十字架が無造作に立てかけられていた。
 だが、それだけではここまでの不気味な空間は作り出せない。
 人工のあかりもなく、ガラスのない黒い穴から注ぐわずかな星明りしか存在しない大聖堂の中には、やみに浸したような漆黒しつこくの修道服を着たシスターたちが何百人と無言でたたずんでいた。彼女達は輪を作るように、そしてその輪を何重にも取り囲むようにしている。各々おのおのの手には剣ややりなどの見て分かる武器や、巨大な歯車や鉤爪かぎづめなどの宗教的な儀式ぎしき用具などが握られていて、それがわずかな星明りを浴びてギラギラと光を放っている。そのほかに人の姿はない。捕らえた天草式の面々は同じ敷地しきち内の別の建物の中に、一〇人ほどの見張りをつけて拘束・管理している。
 シスター達の意識は建物の外になど向いていなかった。
 彼女達のは、ただ人の輪の中央にぽっかりと空いたスペースへと集中している。
 何かをなぐる音が聞こえた。
 だれかの押し殺すような悲鳴が聞こえた。
「ったく、手間あかけさせちゃあ駄目だめでしょう? 私も含めて皆さんお忙しんですよ、残念ながら。あなたの遊びになんざ付き合ってる暇なんてないんです。分かってんなら大人しく処刑を待―――おい、聞いてんですか? 聞いてんですかーっつってんでしょうがよ! こら!!」
 どす、という重たい袋を蹴飛けとばすような音。
 それと共に、この世のものとは思えない絶叫が闇を引き裂いた。
「ハッ!! 何ですかあその悲鳴は。すっかり女捨てちゃって、みっともないとは思わないんですか?ああくそ、教会の名前も変えなくちゃなんないですね。こんなブタとかロバみたいな名前つけてちゃ笑いものにしかなんねえですから!」
 オルソラ=アクィナスは答えられない。
 彼女は今、ボロボロになるまで殴られて床の上に倒れていた。まるで馬にロープでつなげて引きずられたように衣服は破れ、ファスナーもこわれて布地が大きくめくれ上がっている。
 アニェーゼ達は何か特殊な魔術まじゆつを使ってオルソラを苦しめている訳ではない。ただ単純に彼女の手足や腹を蹴飛ばしているだけだが、それも数が重なれば壮絶な苦痛を生み出す。総数二〇〇人を超す数の暴力は、手加減した今でさえ、なおオルソラを死のふちギリギリのラインへと追い込んでいく。何せ一人一回殴っても二〇〇発だ。天井てんじようから落ちる水滴が岩に穴を空けるのにも等しい。床に投げ出されたオルソラの手足は一目で力が入れられない事をうかがわせた。
 床に投げ出されたまま動かないオルソラの足を、アニェーゼは無造作にみつける。厚い靴底が、万力まんりきのように圧迫を加えていく。
「ひっ……!?」
「まぁ、確かに逃げ出したくなんのも分かっちまいますけどね。あなたの末路を知る身としちや、あなたはここで死んどいた方が幸せかもしれません。ねえ、枢機卿達すうきなようたちが出席する宗教裁判インクジシヨンってどんなもんか知ってます?あはは、本人達は大真面目おおまじめのつもりなんでしょうけど、ひどいもんですよ。ああいうのはやっぱり本場イギリスにはかないやしませんね。実際両方を見比べた私の意見としちゃ、ウチの方はごっこ遊びみてえなもんです。ハッ、はは! あのとしになってまだオママゴトをやめられないジジイどもに付き合わされて散らされるだなんて素敵な末路じゃないですか! ねえ!?」
「―――ッ!?」
 ぎりぎりと踏みにじられる足からの激痛のせいで、オルソラはまともな返事ができない。迂闊うかつに口を開けば舌をんでしまうような気もする。
 どうしてこんな事になったんだろう? とオルソラは、ぼんやりする頭で考える。
 魔道書まどうしよ『法の書』の原典はたれにとっても邪魔で邪悪でいらないものだった。誰もがそれを焼き捨てたいと思っていた。手にした者をことごとく破滅へ導く、文字通り魔 の 道 の 書li libro di un modo pericoloso.。でも、原典は人間の手では処分できないようなもので、だから仮処分として魔道書を封印して厳重に保管しておくしかなかった。
 オルソラ=アクィナスはそれをどうにかしたかった。
 彼女もローマ正教も、悪名高い『法の書』を消したいという気持ちは同じだったはずだ。
 それなのに、何で。
 何がどう変化したら、ここまで決定的に道が分かれてしまうのだろう?
 最後の最後で、彼女は救いを見たような気がしたのに。
 どうして、あの少年は自分の身柄をアニェーゼに引き渡してしまったんだろう?
「それにしても、随分とたよれるお友達が少なかったみたいじゃないですか。まさか、たまたま現地で出会った天草式なんぞに協力を求めちまうとはね」
 アニェーゼ=サンクティスは、そんなオルソラを上から見下みくだしていた。
 それこそ怪しげな魔道書にでもせられたような表情で、がん、ごん、とオルソラのふくらはぎをり続ける。骨までひびくような痛みのあらしが、彼女の神経をズタズタに引き裂いていく。
「死のふちまで追い詰められといて、最後にすがったのは小汚い国の見知らぬ東洋人どもとはね。
あっ、ははは!駄目だめですよ、あんな聖典も読めない仔豚こぶたさん達なんかに期待しちゃ。私達のルールじゃ洗礼を受けたローマ正教徒以外の人間と結婚したら獣姦罪じゆうかんざいに問われちまうって知ってんでしょうが。同じ十字教なら何でも良いと思っちまってたんですか? 天草式だのイギリス清教だの、あんなのが十字教を名乗るのもおこがましいってなもんですよ。あいつらは人間じゃありません、ただのブタとかロバでしょ? そんなもんに大事な命を預けちまうからこんな目にっちまうんです。ったく、けものだぼすのって簡単ですよね。ちょっと手なずければ後は向こうが獲物を口にくわえて持ってきてくれんですから!」
「……、だま、された?」
 それまで痛みで朦朧もうろうとしていたオルソラの意識が、ゆっくりと外側へ向いた。
「あの、方たちは……騙、されたので、ござい、ますか……?」
 裂けた唇からあふれる粘っく血が、言葉をつむぐのを阻害する。
 それでも、オルソラは問いかける。
「あなた、達に……温力……したの、では、なく……騙され、て……?」
「そんなのどっちでも良いでしょうが。どちらにしても何にしても、あなたはこうして私達に捕まっちまってんだから。くっくっ、あはは!! あーあーそうそう愉快でしたよ愉快愉快! あいつら『しき天草式からオルソラ=アクィナスを必ず助け出してやる!』みたいな事言っちゃってさぁ!! 馬鹿ばかみたいですよねぇ!? 守るべき者をテメェがその手で敵の元へ送り返してちゃあ世話ないってなもんですよ!!」
「……、」
 そうでございますか、とオルソラの顔から、わずかに緊張きんちようが解けた。
 彼らは、決してオルソラをローマ正教に売り渡すつもりはなかった。あの笑みも、あの言葉も、一つたりとも偽りではなかった。彼らは真剣にオルソラの事を心配してくれて、彼女を助けるためだけにあんな危険な戦場までやってきてくれた。
 たとえそれが失敗に終わったとしても。
 その努力は空回りして、逆に彼女の命をおびやかしてしまったのだとしても。
 彼らは、最後の最後までオルソラ=アクィナスの味方でいてくれた。たったの一度さえ彼女を見捨てず、裏切らず、終わりの終わりまで戦ってくれた、温かく、たのもしい、味方だった。
「ナニ笑ってんですか、あなた」
「そう、ですか。私は今、笑っているのでございます、ね」オルソラはゆっくりと、優しい声で、「何となく……思い知らされたので、ございますよ。私達、ローマ正教の本質が……どういうものなのかを」
「あ?」
「彼らは……信じる事によって、行動するのでございますよ。……人を信じ、想いを信じ、その気持ちを信じて、どこまでも駆けつけ、て……くれるので、ございましょう。それに対して、私達の……なんとみにくい事、か。私……達は、騙す事でしか、行動できな……い、ので、ございます。協力者の心を騙し、私を、処刑するために……出来試合の、裁判で民衆を騙し、それが、神の定める正しい行いなのだと……自分自身さえ騙して……」
「―――」
「もっとも……私にしても、偉そうな事を言えた立場では……ございません。私が、最初から、天草式の皆さんを……信じていれば……こんな大事には発展しなかったでしょう。彼らの計画通りに私は逃がしてもらえて、天草式の方々にも……危険は、及ばなかったはずでございます……。結局、私たちのこの無様な姿こそが……ローマ正教の本質なので、ございましよう?」
 オルソラは、笑う。
 ボロボロの顔で、少しも面白くなさそうな表情で。
「……私はもう、あなたの手から逃れる事はできないので、ございましょう。そしてあなたの予定通り……私は、偽りの罪人として……裁かれ、やみに葬られましょう。けれど、私はもうそれで良いのでございますよ……。―――私は、自分自身をだませませんし…! まして、私のために……無償むしようで、力を貸してくれた人々を、騙すなど……絶対に、絶対に……不可能で、ございましょう? 私は、もう二度と、あなたの同類などと、呼ばれたくないのでございます……」
「殉教者の台詞せりふですね。もう列聖でもしたつもりなんですか、あなたは」
 ごん、と空き缶を蹴飛けとばすような気軽さで、アニェーゼの厚底によってオルソラの足がみにじられる。
「そんなに死にたいならお好きなようにしちまってください。抵抗がない方がこっちとしてもやりやすいですしね。せいぜい、自分をこんな目にわせちまったあの馬鹿ばかどもを恨みながら死にけばいんですよ」
 と言っても、アニェーゼはオルソラの抵抗などないに等しいと考えているはずだ。彼女の周囲には二〇〇人ものシスター達が待機し、さらにこの教会の周囲には強大な結界がいてあるのでまず絶対に逃走はできない。
 朦朧もうろうとする意識の中、オルソラの耳には間近にいるはずのアニェーゼの言葉さえ、途切れ途切れにしか聞こえなくなる。しかし、オルソラはほとんど動かなくなった頭を巡らせ、
「一体……何を恨めば、よいのでございましようか?」
「な……に?」
「彼らには、元々……戦う理由などなかったのでございますよ。聞けば、その中の一人はローマ正教でも……イギリス清教でもない、本当に……ただの少年だったとか。それでも、何の力も理由もなくても、彼らは見ず知らずの私のために駆けつけて……きてくれたのでございます。
ほら、これ以上に……魅力的みりよくてきな贈り物が、この世界のどこにあるというのでございましょう……。こんなにも、素晴らしい贈り物をくださった……方々に、私は一体何を恨めばよいというのでございますか?」
 そう、恨むものか。
 絶対に、恨むものか。
 彼らがオルソラを無事に助けられなかったとしても、それは決して責められるような事ではない。何故なぜなら、彼らにはオルソラを必ず助けなければならない義務などないから。『義務』があるから仕方なく戦っていたのではなく、彼らはオルソラを助けたいという『権利』を使ってわざわざしなくても良い戦いに身を投じてくれたのだから。
 戦ってくれただけでも、立ち上がってくれただけでも、存分に感謝に値するはずだ。
 だから、オルソラは彼らを決して恨まない。
 見ず知らずの自分にそこまでしてくれた人々と出会えた幸福を、彼女は心から誇らしく思う。
最後にそんな人々と接していられた幸運を、神様に感謝しようと思う。
 もう、満足だ。
 もう、十分だ。
 オルソラ=アクィナスはこれ以上の幸せなど両手で抱えきれないと考えているのに。
 それでも、彼女の幸福はまだ止まらない。

 何故ならば、次の瞬間しゆんかん
 バン!! と何かの砕ける音と共に、教会を包んでいた結界が消し飛ばされたからだ。

 アニェーゼは思わずオルソラから視線を外していた。
 外さざるを得ないような事態が進行していた。
「こわ、れた……? まさか、おい! あの扉にかけられたアエギディウスの加護の再確認! それから周囲の索敵! くそ、一体どこの組織だってんですか。あれはどう考えても個人で破れるレベルの結界じゃあない。敵の集団はどこから攻撃こうげきを仕掛けてやがるんですか……ッ!!」
 矢継ぎ早に下される命令。
 しかしその内の一つが実行されるより早く、望んだ答えはやってくる。
「あ……」
 オルソラ=アクィナスは見る。
 教会の正面入口、かしでできた大きな両開きの扉が勢い良く開け放たれる。まるで粗雑な絵本に描かれた王子様がお姫様を助けに来たシーンのように、そこには何者かが立っている。
 そこに立っていたのは、ただの少年だった。
 彼は何の変哲もない少年のはずなのに、逃げも隠れもせずにやってきた。
 それは、だれのために?
 それは、何のために?
 オルソラを取り囲んでいた二〇〇人以上ものシスターたちが、一斉に、しかし音もなく、ギョロリと眼球を動かしてその少年をにらみつける。ただでさえ何百人という人数は数の暴力となるし、まして彼女達は皆、普通の人間ではないのだ。それに恐怖を感じないはずがない。彼がごくごく普通の平凡な少年に過ぎないのなら、怖くないはずがない。
 それでも。
 それでも、少年はひるまずに、一歩。
 オルソラ=アクィナスを助け出すために、暗闇くらやみに塗りつぶされた教会へとみ込んだ。
 踏み込んで、きてくれた。
 もう大丈夫だぞと、断言するように。

     5

 上条当麻かみじようとうまは、広大な作りかけの教会の中へと踏み込んだ。
 ひどい場所だった。
 エアコンもない熱帯夜、何百人と人の集まるその場所は、広大とはいえ密室という事もあって異様な熱気に包まれていた。濃密な汗のにおいが暗闇くらやみの奥から流れてきて、まるで巨大なけものの巣穴にもぐり込んだような印象がある。
 暗闇に溶けるように何百人という黒いシスターたちが渦を巻いている。
 その中心に一人の少女が倒れているのを見て、彼の自が音もなく細まっていく。
 と、そんな上条の感情を知ったのか、あざけるような笑い声が聞こえてきた。
 上条がそちらを見ると、彼が知らないアニェーゼ=サンクティスが立っていた。
「そういやぁ、おかしいとは思ってたんですがね」くすくすと、少女は笑みをこぼし、「魔術師まじゆつしでもないただのド素人しろうとが、どうしてゲスト扱いで戦場へ駆り出されていたのか。……理屈は分かりゃしませんが、結界に対して絶対の力を持つ『何か』があると、そういう訳ですか」
「……、」
「あらまぁ、どうしちまったんですか? 忘れ物ですか、お駄賃だちんが欲しいとか? あーあー、そこに転がってるモノに未練があんなら裸にいちまっても構いやしませんよ」
 ジリジリと熱を帯びたような声。まるで悪い酒にでも浸ったような愉悦。
「一応聞くけどよ。もう、ごまかすつもりもねえんだな?」
「ごまかす? 何を!? この状況見て分かんないんですか? 一体どっちが上でどっちが下か。まさかとは思いますが、私とあなたがおんなじ舞台に立ってるだなんて思っちゃあいませんよね? さあ、この人数相手にあなたがどういう選択を取るべきか、ほかならぬあなた自身の口で言ってもらいましようか」
 確かに、たった一人で二〇〇人以上を相手にするのではあまりに分が悪い。そんな数の人間と正面から戦ったって、上条に勝てるはずがない。アニェーゼもそれが分かっているのだろう。何の警戒もせず、むしろ挑発するように上条の目の前まで無造作に歩いてきた。
 アニェーゼは絶対に、上条は自分をなぐれないと思っている。一発でも殴れば、それが勝ち目のない戦闘せんとうを始めてしまう合図となるのだから。
「ったく、本当に馬鹿ばかも馬鹿、大馬鹿ですね。どうやらイギリス清教は賢明な判断をして逃げ帰っちまったようですけど、あなたは一体何なんですか? んー、まぁ良いか。あなた一人に何ができる訳でもないし、逃げるんなら逃げちまっても構いませんよ。ほら、これが最後のチャンスです。自分が何をすべきかぐらい分かっちまってますよね?」
 アニェーゼ=サンクティスの余裕の言葉に、上条かみじようも力なく笑う。
「最後のチャンス。自分が侮をすべきかぐらい分かっちまってるか、ね」
 まるで、心のどこかで安心したような声で、
「そうだな。確かにこれが最後のチャンスだ。良く分かってるよ」

 ゴッ!! と上条当麻とうま右拳みざこぶしが空気を引き裂いた。
 とっさに両腕をクロスして顔面を守るアニェーゼの足が床から離れた。
 ガードごと体を後ろへにじかれた彼女は狂犬のような目で上条をにらみつける。

 一秒すらためらわず。
 一瞬いつしゆんすら迷いを見せずに、その少年は己の覚悟を目の前の敵へ見せつけた。
「き、サマ。何の真似まねだ、これはァ―――――――ッ!!」
 怒れるアニェーゼ=サンクティスに、上条当麻はそれ以上の怒号を突きつける。
「何をすべきか、だと? なめやがって、助けるに決まってんだろうが!!」
 両者の感情が至近距離で激突する。
 それは一言で表せば同じ『怒り』であるはずなのに、質も温度も全く異なるものだった。
 彼女はほおの筋肉を不気味にあるわせながら、口の中で何かをぶつぶつとつぶやく。それまでたたずむだけだった黒いシスターたちが、一斉に上条当麻へ向き直る。彼女達の持つ何百という武器が、行進する兵隊の足音のようにそろって無機質で不気味な音を立てる。
「おも、しろい、ですよ。あなた」
 アニェーゼは、ぶるぶると声と体を震わせて、
「二〇〇人以上を相手に、この状況で、あなた一人に何がどこまでできんのか! 見せてもらうとしましょうか! ははっ、この数の差なら六〇秒で挽肉ひきにくになっちまうと思いますがね!」
 その声を合図に、黒いシスター達は各々おのおのの武器を構える。
 対して、上条当麻はたった一人で武器も持たず、己の拳を握りめるだけ。
 そんな両者が激突する寸前で。
 唐突に、何者かの声が飛んできた。
「まったく、勝手に始めないで欲しいね。せっかく結界の穴から上手く侵入できたというのに。
せめて十分にルーンを配置する時間ぐらいは用意させておいてもらいたかったんだけど」
「は……?」
 アニェーゼがほうけたような顔で振り返った瞬間、ごう!!と炎が酸素を吸い込む音と共に、完成途中の教会を支配していた暗闇くらやみが、オレンジ色の爆発によって一気にぎ払われた。
 教会の奥、ちょうど上条かみじようとは正反対の位置。
 説教壇せつきようだんの背後にある壁には、二階ぐらいの高さの位置にステンドグラスをめる予定の窓がぽっかりと穴を空けている。おそらくは外壁工事のための足場を伝ってやって来たのだろう、その窓枠に足をかけ、炎の剣を手にしたイギリス清教の神父が立っている。
「……す、ている?」
 煙草タバコを口の端にくわえた神父の名を、上条当麻ヒうヨ呆然ぽうぜんつぶやく。
「後の始末は僕ら魔術師まじゆつしが着ける気でいたから素人しろうとには引っ込んでいてもらう予定だったんだけどね。あれだけのウソ説明ウソ説得が全部台無しだ」
 上条よりも先に、アニェーゼの方が口を開いた。
「イギ、リス清教? 馬鹿ばかな……これはローマ正教内だけの問題なんですよ! あなたがかかわるというなら、それは内政干渉とみなされちまうのが分かんないんですか!?」
「ああ、残念ながらそれは適応されない」ステイルはつまらなそうに煙を吐いて、「オルソラ=アクィナスの胸を見ろ。そこにイギリス清教の牽字架が掛けられているのが分かるな? そう、そこの素人が不用意に預けてしまった十字架さ」
 にやにやと、いたぶるようにステイルは笑って、
「それをだれかに掛けてもらう行為は、そのままイギリス清教の庇護ひごを得る―――つまり洗礼を受けて僕たちの一員になる事を意味している。その十字はウチの最大主教アークピシヨツプが直々に用意した一品さ。僕の手でオルソラの首に掛けうとの命も下っている。……僕の中では優先順位の低い指示だったから途中からは後回しにして、そっちの男に渡してしまったがね。そこの素人が君達に捕まった際、『イギリス清教という巨大な組織の下にいる人間』だと思わせておけば少しは何らかの保険になるんじゃないかなと考えた訳だが……何がどう転がったのか、今ではちゃんとオルソラの首にある。つまり、今のオルソラ=アクィナスはローマ正教ではなく、僕達イギリス清教のメンバーであるという訳さ」
「そっか。それで……」
 上条は、ぼんやりと思い出した。あの十字架を無造作にやると言った時に、オルソラがやけに大袈裟おおげさに喜んでいたのを。あれには、こんな意味が隠されていたのだ。
 アニェーゼは、顔を真っ赤にして口をぱくぱくと動かした後、
「そ、そんな説弁きぺんが通じるとでも思ってんですか?」
「思っちゃいないね、。きちんとイギリス清教の教会の中で、イギリス清教の神父の手で、イギリス清教の様式にのつとって行われたものでもないし」ステイルは煙草を揺らし、「だが、今のオルソラがとてもデリケートな位置に立っているのに間違いはないだろう? ローマ正教徒のくせにイギリス清教の十字架を受け、しかもそれをやったのは科学サイドの学園都市の人間なんだ。彼女が今、どこの勢力に所属していると判断すべきか、ここは時間をかけて審議すべきだと僕は思う。君たちローマ正教の一存のみで審問にかけるというなら、イギリス清教はこれをだまって見過ごす訳にはいかないんだよ」
 すとん、と。窓から飛んだステイルは、説教壇せつニようだんの前へと静かに着地する。
 そして炎の剣の切っ先を、遠く離れたアニェーゼの顔へ突きつけた。
「それに何より、よくもあの子に刃を向けてくれたものだ」ステイルは歯をき出しにし、
「この僕が、それを見過ごすほど甘く優しい人格をしているとでも思ったのか?」
-「チィッ! 一人が二人に増えたところで、何が……!?」
 彼女は憎々しげな声をあげたが、やはりそれも別の人間の声によって遮られてしまう。
「二人で済むとか思ってんじゃねえのよ」
「!?」
 野太い男の声にアニェーゼが振り返った瞬間しゆんかん、今度は横合いの壁が爆弾で吹き飛ばされたように砕け散った。もうもうと立ち込める砂煙の中から、大剣を握る大男が歩いてくる。
建宮たてみや……」
 上条かみじようは材質の分からない真っ白なフランベルジェを手にした大男の名を呼ぶ。
 建宮斎字さいじ
 多角宗教融合ゆうこう型十字教術式・天草式十字凄教せいきようの現・教皇代理。
 その後ろには、別の建物に監禁されていたはずの天草式の面々がそろっている。その数は五〇程度、おそらくは監禁されていた全員だ。
おれが戦わなきゃいかん理由は、わざわざ問うまでもねえよなあ?」
 上条はおどろいたように、
「お、前。だって、奇襲むしゆうをかけるのは移動中が最適だって……」
「そういう風に言っときゃ納得して帰ってくれると思ってたんだがよぉ。せっかくイギリス清教の連中と話し合って、お前さんが動く前に決着をつける手はずを整えようとしていたのに。お前さん、想像以上の馬鹿ばかだよな。ま、見ていて楽しい馬鹿は嫌いじゃねえが」
 建宮はあきれたように答えた。
 最後に、カツンと足音を鳴らして、上条の背後から聞き慣れた自い少女の声が飛んできた。
「まったく、だから決着はだれかが着けるから、とうまは気にしなくて良いよって言ったのに」
「いん、でっくす……」
 ボン、と名を呼ぶ上条の肩に、小さな、そして力強い手が置かれ、
「でも、こうなっちゃったなら仕方がないよね。―――助けよう、とうま。オルソラ=アクィナスを、私達の手で」
 ああ、と上条はうなずいた。
 そんな彼らの姿を見て、アニェーゼ聾サンクティスは爆発した。殺せ、というただ一言の命令の下、やみに染まる数百ものシスター達が跳ねるようにおそいかかってくる。


最後の戦いが始まった。
不条理なお話に決着を着けるために集まった者達の、最後の戦いが。

   行間 二

 神裂火織かんざきかおりは深夜のビルの屋上にいた。
 目の前に広がる夜景の中に、建設途中のオルソラ教会がある。その建物は教会という印象からはほど遠く、静寂など一切なく、人が暴れる音や何かがこわれる音で満たされていた。
 彼女は教会から遠く離れた場所に立っていたが、それでも鋭敏な耳は彼らの言葉を聞いていた。たった一人の少女のために立ち上がった人々の言葉を、聞いていた。
 神裂は、天草式の味方をするつもりも、彼らと敵対するローマ正教をるつもりも、最初からなかった。そんな暴力を振るうために事件直後に失踪しつそうした訳ではなかった。
 ただ、真意を見届けたかった。
 彼女が抜けても天草式はやはり天草式のまま、何も変わらずそこにあるという事を、見届けたかった。
 そして彼女は今、信じていた通りの真意を見せてもらった。
自然と、彼女はなつかしいものでも眺めるように、優しげに目を細めてしまう。
 もう帰れない場所。
 しかし、それゆえにいつまでもいつまでも大切にしておきたい場所が、そこにあった。
 そんな神裂の背後で、隠そうともしない足音が聞こえた。
「にゃっはー。感謝感激感動の極みってトコですかい神裂ねーちん。いやー良かったじゃん、かつての仲間たちが私欲で『法の書』を使うためにオルソラを誘拐ゆうかいした訳じゃないって分かって」
土御門つちみかど
 神裂は慌てて表情を消してから、振り返った。しかし土御門のニヤニヤとした笑い顔を見る限り、表情を消す事などできなかったようだ。
 彼女は照れを隠すために、えて硬い口調で、
「そちらは、終わったのですか。確かこの機に乗じて『法の書』の原典を横からかすめ取るという話でしたが」
「さあってねー。成功したのか失敗したのか」
「……、」
「冗談だぜい。そんな目で見るんじゃねーぜよ。大体、事の顛末てんまつは知ってんだろ。天草式は『法の書』なんて盗んじゃいなかった。それはローマ正教が仕組んだ冤罪えんざいだった。なら、そもそも日本に本物の『法の書』を持ち込む必要なんかねーですたい。日本に持ち込んだ『法の書』は偽書だろうよ。原典は今もバチカン図書館の奥の奥さ」
 土御門つちみかどは失敗の報告をするが、その声はやけに明るかった。仕事に対してそれほど熱意がないのか、あるいは語った内容はうそで、やはり『法の書』を奪うのに成功したのか。神裂かんざきにはいまいち、どう受け取るべきか判断がつかない。
 彼は神裂のとなりまで歩いてくる。金属でできた落下防止用の手すりに両手を置いて、神裂が見ていたものを静かに眺めてから、
「んで、満足できたのかい?」
「……、ええ。予想以上の結果です」神裂は、もう一度教会を見る。「彼らがいるなら、私がいなくても天草式は正しき道を進めるでしょう。彼らは、とても強くなりました」
「うむむ。おそらく苦戦してるだろうけど、助けに行かんでいいのかにゃー?」
「私には、彼らの前に立つ資格などありません。それに、今の彼らには私の力はもう必要ないでしょう。私は自転車の補助輪のようなものなんですよ」
 神裂火織かおりは、わずかに寂しそうに、しかし誇らしげに言った。
 彼女の返答には、一秒たりとも迷いがない。
 と、そんなシリアスな彼女を見て、土御門は笑いをこらえている。
「何ですか、土御門」
「いや、ねーちんさあ。何でも良いけど、カミやんを巻き込んじまったトコまでは予想できてなかったろ。大体、結局この前の『御使堕しエンゼルフオール』や禁書目録争奪戦についても礼を言ってないままだし。そんな状況でさらに自分の問題にまでかかわらせちまって、実は後でどうびようかビクビクしてたんじゃないのかにゃー?」
「い、いいえ。別にあなたが想像しているような事など何もありません」
 神裂は極めて真面目まじめな顔で返したが、何を思ったのか土御門はついに爆笑した。眼下のオルソラ教会にまで届くのではと心配になるほど巨大な声でひとしきり笑い続けると、土御門は笑いの涙を目元に浮かべながら、
「ところでさー、その手にある包帯はなーんなーのさー? まさか戦いが終わった後に気絶した仲間にこっそり手当てでもしてやるつもりだったとか? 手当てが終わった後に頭をそっとでて小さく微笑ほほえんで静かに立ち去ろうとか考えてんの? ぷっ、くくっ! もう、ねーちんってばベッタベタの王道なんだからっ! 良くそんな恥ずかしい事を真顔でやろうと思えるよなホントに!」
「…………ッ!?」
「ん? おお、どうしたねーちん、無表情のままコメカミを器用にピクピク動かして……って待て待て待て待て! こっちは素手ですよ、七天七刀は流石さすが洒落しやれにならんぜい! ってかヤツらより先に包帯巻かれるのはオレの方なのかにゃーっ!?」

   第四章 天草式十字凄教 AMAKUSA_style_Remix_of_Church.

     1

 オルソラ教会は七つの聖堂で構成されている。
 十字教における七つの秘儀ひぎをそれぞれの聖堂が担当する。聖堂の大きさは均一ではなく、使用頻度や重要度によって、建物のサイズや金のかけ方も変わってくる。ちなみにオルソラたちのいた場所は結婚式にまつわる『婚姻聖堂』で、一番収入が大きくなる予定なので建物も巨大だ。二番目は葬式にまつわる『終油聖堂』で、『叙品聖堂』『堅信聖堂』など、宗教的には重要であるものの上条かみじようのような『一般客』からの収入が見込めない所は建物も小さい。これらの小さな建物は彫刻や絵画、ステンドグラスなどの芸術品で飾って、半ば美術館や博物館、観光コースとして追加収入を得るつもりらしい。
 ここまでが、上条が携帯電話上のホームページで調べた情報の限界点だった。オカルト側の人間が自ら教会のホームページを開設しているというのも不思議な話だが、観光ガイドのつもりなのか完成予定図や内部見取り図まで公開されていたのは拾い物だったと言える。……もちろん、それは『客に見せる範囲』でのレベルだろうが。
「チィッ!!」
 上条は傷ついたオルソラの体を抱き上げて『婚姻聖堂』の裏ロから外へ飛び出す。草木一本ない、完全に平らな石造りの地面に足がつくと同時、裏口から次々と武装したシスター達が現れてくる。
 何十人という天草式の面々が正面からローマ正教のシスター達と激突した瞬間しゆんかんを見計らって、上条はオルソラを連れて『婚姻聖堂』から逃げ出したのだ。できればインデックス達とも離れたくなかったが、人の波に寸断されてしまってどうしようもなかった。
 上条は走りながらもオルソラの顔を見て、
「悪いな、遅れちまって。体は大丈夫だいじようぶか?」
「……ええ。こんなもの、全然、平気でございますよ」
 オルソラの衣服はボロボロにり切れ、ファスナーも金属部分が干切ちぎられたようにこわされている。わずかに体が揺れるだけでもぎゅっと身を硬くする所からも、相当のダメージを負っているのが推測できた。
 しかし、彼女の顔には疲労こそあれ、苦痛のようなものはない。
 オルソラは今にも泣き出しそうな顔をしていた。両手で抱き上げられたまま上条の顔を見上げ、迷子がようやく自分の親を見つけた時のように。
(くそ、何だよ。戦う理由なんてこんなに分かりやすいものがあったんじゃねえか)
 上条かみじようはオルソラの体を抱えながら走り続ける。
 いくら広いとはいえ、『婚姻聖堂』の中であれだけの数の人間と戦うなど自殺行為だ。強い弱い以前に、人の洪水によって押し流されてしまう。それに何より、上条はただの高校生でしかない。ケンカで勝てるのは一対一まで、一対二なら危ういし、一対三なら迷わず逃げる。その程度の腕しかない。
 しかし。
 しかし、迷わず逃げるからと言って、それが敗北を意味するとは限らない。
「ふっ……!!」
 追撃者ついげきしやの無数の手が上条の背中をつかむ前に、聖堂の屋根の上から天草式の男女が剣を手に飛び降りてきた。上条の体を貫こうとしていたローマ正教の武器が天草式の剣に切断され、続く凶悪なりが最前列の黒いシスターを吹き飛ばす。
 ざあっ! と波が引くような音と共に、ローマ正教のシスターたちの何割かが一つの生き物のように動いて天草式の男女を取り囲もうとする。
(さんきゅー……っと!)
 上条は走りながら、足元に転がっていた作業員が飲み捨てた空き缶をカカトで蹴り上げた。当然ながらそんな物を飛ばした所で、黒いシスター達をぎ払えるはずもない。
 が、視界の隅を何かが横切れば、嫌でも視線はそちらへ向く。
「!?」
 シスター達が気を取られた瞬間しゆんかんねらって、天草式の男女は包囲網を切り崩し、上条へ会釈えしやくをしながら彼らもそれぞれがひとまずの逃げの姿勢に入る。
 上条もそれを最後まで確認している暇はない。いかにシスター達が重たい武器を抱えていても、それは人の体重以上という訳ではないだろう。わずかに開いた距離を詰めるべく、再びローマ正教の刺客しかく達が上条の背中を追い駆ける。
 背後に迫るシスターが松明たいまつを振り回す。その先から飛び出るソフトボールぐらいの大きさの溶岩の塊を、上条はオルソラの身を抱き寄せるようにしてけつつ、『婚姻聖堂』の裏手にあった細長い『叙品聖堂』を取り囲む、建設工事用の鉄パイプの足場へ一気に走り抜け、斜めに掛かったハシゴを使って二階部分まで駆け上がる。不用意に後を追ってきた松明のシスターを上条は右足で蹴って地上へたたき落とし、どういう理屈か地上から二階部分へ一跳びで跳躍ちようやくした別のシスターが不安定な足場へ着地すると同時、上条はその足を払って彼女を転落させる。
「―――――――」
 地上からは、足場にいる上条達を見上げる何十人というシスター達の目が無機質に観察している。
 彼女たちもそろそろ気づき始めているはずだ。
確かに何十人もの人間が取り囲んで一斉に攻撃こうげきすれば、上条かみじよう達は逃げ道を失ってしまう。
しかし逆に言えば、常に一対一で戦うしかない場所や状況を用意してやれば活路は見出みいだせる。
 上条の立っている足場は鉄パイプでできた細長く不安定なもので、それゆえにシスター達は全方位から一斉におそいかかる事はできない。彼の後を追って細い足場を通れば、自然と彼女達はお行儀ぎようぎ良く一列に並ばざるを得なくなってしまう。どころか、あまりたくさんの人間が一斉に足場に乗れば、重さに耐えられずに足場が崩れてしまうだろう。玉砕覚悟ならともかく、自分達まで犠牲ぎせいになりかねない状況では数の戦術は使えない。
 漆黒しつこくのシスター達はその意味を無言で考え、
 一言すら言葉を交わさず意見を一致させると、地上から一斉に武器を構える。
 つえおの、十字架、聖書から時計台に使われそうな巨大な長針まで、種々様々な武器の切っ先がピタリと彼女達の頭上にいる上条当麻とうゆロへ集中する。その切っ先が、それぞれ赤や青や黄や緑や紫や茶や白や金など色とりどりの光を放ち出す。
(や、っば……!?)
 上条は事情を理解していないオルソラの体を抱き直して慌てて鉄パイプの足場の上を全力疾走すると同時、極彩色ごくさいしなの光の羽が次々とおそいかかってきた。羽ペンの切っ先にやじりを付けたような輝く武器が、一瞬いつしゆん前まで上条とオルソラの走っていた場所を続々と追い駆け、ち抜いていく。光の羽のあらしは聖堂の外壁や足場を容赦なく破壌はかいしていった。ゴドン! と一際ひときわ大きく足場が揺れたと思ったら、シスターの一入が上条ではなく足場の根元を撃ち抜いていた。
 彼女達がオルソラの身など心配している様子はない。ようは『殺してはならない』だけで、脳と心臓が動いていれば後はどうなっても構わないとでも考えているのだろう。
 上条達の走る足場そのものが、沈没していく船のように斜めにかしいでいく。
 当然ながら、地上に落ちれば何十人というシスター達のど真ん中に飛び込む羽目になる。
「う、ァァああああああああああああああああああああああああああ!?」
 意味もなく叫んでしまう。足場が斜めに傾いていくため、彼の進行方向の足場がどんどん上り坂になっていく。上条は刻一刻と垂直へ近づいていく足場を駆け抜ける。二階部分を走っていたはずの足場はいつしか三階建ての聖堂の屋根にまで届いていた。
 上条はオルソラを抱き上げる両手に力を込め、全力で跳ぶ。
 彼の足が大理石でできた聖堂の屋根に着地すると同時、鉄パイプと金具を組み合わせたおりのような足場がガラガラと崩れ落ちていった。
彼は自分がついさっきまで走っていた足場が崩れていく音に背筋を凍らせながらも、オルソラを抱えたままようやく立ち止まって大きな息を吐く。
「だっ、大丈夫だいじようぶでございますか?」
 彼女は自分は重荷だと感じているのか、上条の顔を見上げながら不安そうな声を出した。
「いや、問題ねえよ」
 上条かみじようは適当に答えながら、改めて自分が抱えるオルソラの格好を見る。度重なる暴力で黒い修道服のあちこちがり切れ、衣服のファスナーがこわれてスカート部分の布地が大きくめくれ上がっている。普通なら多少興奮こうふんしてもおかしくない光景だが、腐った果実のように太股ふとももを青黒く変色させる内出血のあとがそんな気持ちをまとめて吹き飛ばす。
(……、ちくしょう)
 彼は声に出さず、しかし歯を食いしばって心の中で叫ぶ。
(大の男が正面から立ち向かえないほどの人数で寄ってたかってオルソラをなぐり続けたってのか。アニェーゼ=サンクティス!!)
 本当なら今すぐにでも敵陣に突っ込みたい上条だったが、それよりオルソラの身が心配だ。
一刻も早く彼女を手当てして、どこかで休ませてあげないと、と上条はあせる頭で考える。
 しかし、だからと言ってこの場でじっとしている訳にもいかない。
 彼はできるだけ地上からの狙撃とげきけるために、屋根の縁から中央へと移動する。下から見上げても建物の壁が死角になるはずだ。
「となると……」
 上条が抱き上げていたオルソラを一度建設途中の屋根の上に降ろすと、近くに転がっていた工具箱を両手でつかんで、
 ダン!! と。
 次の瞬間しゆんかんすさまじい音と共に地上から三人のシスターが一気に飛び上がってきた。
 上条は体ごと振り回すような感じで重たい工具箱を投げつける。それは三人のシスターの一人に当たって、バランスを崩したシスターはそのまま地上へ落下していった。
 残った二人のシスターは音もなく屋根に着地し、それぞれの手にある大時計の長針と短針を構える。グリップのためか根元近くに包帯を巻いていた。
 跳躍ちようやく能力を持たない後続部隊が、建物内部の階段から屋根を目指している足音が上条の真下からバタバタと聞こえてくる。
 上条は不利な状況を感じながら、首を動かさずに目だけを動かして逃げ道を探そうとする。
……と、そこで見た。屋根の上から一望できる広大なオルソラ教会の敷地しきちの中を、白い修道服を着た少女が走っている事に。
 彼女の背後には、やはり上条と同じく数十人もの漆黒しつこくのシスターたちが走っている。
 しかし上から見れば絶望的に分かる。白い少女の逃げる先からは、別のシスター達の集団が近づきつつある。お互いに向こうから敵がやって来ている事にはまだ気づいていないようだが、あのまま進めば激突は避けられない。
「インデックス!!」
 上条が思わず叫ぶのを合図に、左右から大時計の針を持った二人のシスターがおそいかかる。
 彼の声は、地上を逃げる少女に届かない。

     2

『婚姻聖堂』と『洗礼聖堂』の間にある中庭で建宮斎字たてみやさいじは剣を振るっていた。『洗礼聖堂』は『婚姻聖堂』に対して斜めに配置されているため、三角形状の中庭が形成されているのである。
 彼は一番最後まで『婚姻聖堂』で剣を振るっていた。天草式の面々が最初にオルソラを逃がすために時間稼ぎをした後、今度は天草式が『婚姻聖堂』から飛び出すために、建宮が同じように時間稼ぎをしたのだ。今、数十名の仲間たちは散り散りになって戦っている事だろう。
 草木一本ない磨かれた石の庭のあちこちに、彫刻のための台座のようなものが置かれていた。
おそらく教会が完成すれば天使なり宗教上の偉人・聖人なりの彫像が整然と並ぶのだろうが、台座だけのこの状況では空虚という印象しかない。まるで異教徒から襲撃しゆうげきを受けて、宗教的な芸術品を残らず破壊はかいされた後の廃境はいきよのような感じがする。
 建宮斎字は、上条当麻かみじようとうまのように逃げながら戦いなどしない。
 それは彼が上手く敵の攻撃こうげホのタイミングを外しているからだ。決して一方的に攻め込まず、決して一方的に防戦に追い込まれず、ちょうど中間の位置を絶えず維持し続ける。
 シスター達が攻め込もうとんだ瞬間しゆんかんに建宮は一歩だけ前へ出る。
 シスター達が一度退いて態勢を整えようとした瞬間に建宮は一歩だけ後ろへ下がる。
 予測が外れて自然と拍子抜けしてしまう敵の集団は、その瞬間わずかに足並みが乱れる。そこをねらって、建宮は容赦なく剣を振るう。シスター達が慌てて防御した所で、彼の重たい剣はその守りごと敵を後方へはじき飛ばす。
 建宮はそこで追い討ちを仕掛けない。一度攻撃を繰り出したら、再び根気良く後ろへ退く。
攻めるでも守るでもなく、ひたすら両者のバランスを保ち続ける事で『膠着こうちやく状態』という本来あるはずのない、見えない壁を意図的に築き上げる。
(とはいえ、この方法だっていつまでもたよってられるもんじゃねえのよな……)
 建宮は屋根から屋根へ飛び移りながら剣を振るう自分の仲間を視界の端でとらえながら、そんな事を思う。
 彼は優勢の笑みを見せるふりをしながら、しかし内心では緊張きんちようしていた。今はシスター達が状況の分析ができるぐらい、心に余裕があるから付け入るすきができているだけだ。彼女達が本格的に玉砕を覚悟し、心のバランスを失い、同士討ちも相打ちも覚悟で一斉攻撃を仕掛けてきたら建宮のプランは一気に崩れてしまう。
 攻撃にしても防御にしても、どちらか片方にバランスが偏ればその瞬間に心理的な壁は崩れ、建宮は集団という巨大な波にみ込まれる。
 これは釣りのようなものだ、と建宮は考えながら剣を振るう。無闇むやみ竿さおを引き続けても魚は暴れて糸を引き千切ちぎって逃げ出すだけ。上手に釣りたければある程度魚の動きに逆らわず、遊ばせ、彼女たちに勝機があると思い込ませなければならない。
 と、そんな建宮たてみやの耳に、バタバタという足音が聞こえてきた。
「新手!?」
 建宮はギョッとしたが、それは彼をねらう足音ではなかった。
 彼の戦う中庭は『婚姻聖堂』と、斜めに配置された『洗礼聖堂』の間にある三角形状のものだ。そして三角形の頂点、二つの聖堂のわずかな隙間すきユの奥に、白い修道服を着たイギリス清教のシスターがいた。
 彼女はローマ正教のシスター達から逃げてきたようだが、別方向からの集団とぶつかったらしい。建宮が相対する敵の優に二倍を超す人数に取り囲まれ、身動きが取れなくなっている。
「くそ。このおれにつまらん場面を見せつけんじゃねえのよ!」
 建宮は慌てて加勢に入ろうとするが、彼を取り囲む何十人ものシスター達が、一つの生き物のように動いて人の壁を作り出した。彼女達にすれば、敵が一人倒れるたびに、そこに割かれていた人員が援護に回ってくれるのだ。攻めあぐねている相手と戦っているからこそ、ほかの所の戦闘せんとうは一刻も早く終わって欲しいのだろう。
 建宮とシスター達はにらみ合う。
 その向こうでは、インデックスが無数の人聞の渦にみ込まれ、徐々にその姿が見えなくなっていく。
「なめ、てんじゃ……ッ!!」
 建宮は大技を振るうために呼吸を整え、ゆらりと大剣を構え直した所で。
 ふと、頭上から男の叫び声が飛んできた。
「よせ! 今のあの子の元へは不用意に近づくんじゃない!!」
 建富が頭上を仰ぎ見た瞬間しゆんかん、『洗礼聖堂』の二階部分の窓が炎の爆発によって内側から砕け散った。こわれた窓から砲弾のようにローマ正教のシスターが吹き飛ばされる。彼女はかろうじて足のバネを使って着地の衝撃しようげきを殺したようだが、そこまでが限界のようだった。気を失ったその体が、ごろごろと地面を転がっていく。
 窓には炎の剣を持つステイル=マグヌスが立っている。
 彼は言う。
「状況にもよるが、今のあの子は一人の方が強い。僕達が近づいてはその強さを奪ってしまうんだ。君だってあんなものに巻き込まれたくはないだろう♪・」
 は? と建宮がいぶかしげな声をあげた瞬間、

 ゴッ!!と、インデックスのいた辺りから、爆発が起きた。

 何十人、いや下手すると二〇〇人単位の人間に三六〇度隙間すきまなく包囲されていたはずのイン。デックスの姿が、見えた。つまり、包囲の一部が崩れたのだ。Cの字のように、分厚い人の包囲網の一角だけが、見えざる力でぎ払われるように無造作に吹き飛ばされた。直撃ちよくげきしたのは一〇人前後のシスターらしいが、何十メートルと離れているはずの建宮たてみやのすぐ足元まで、吹き飛ばされたシスターの一人が転がってきた。自分の頭上を軽々と飛び越えた己の味方の姿に、建宮と向き合っているはずのシスターたちさえインデックスのいる方を振り返ってしまう。
 ドンッ!! と、再び見えない爆発が起きて、シスターの何人かが宙を舞った。
「……。何なのよ、こりゃあ」
 建宮は足元に転がったシスターを見る。その顔は絶望の一色に塗りつぶされ、体を赤ん坊のように丸めて両手で頭を押さえつけたまま硬直し、気を失ってなお悪夢におびえるようにカタカタとふるえている。見れば、シスターの足の筋肉が断裂していた。あの爆発的な跳躍ちようやくは、シスター自らの足で行ったものだったのだ。体のリミッターを外し、それでもインデックスのそばから逃げようと生存・防衛本能が暴走したかのように。
 トン、とステイルは二階の窓から建宮のすぐとなりへ着地した。
「君も十字教徒なら分かっているだろう。十字教の様式には、それぞれ弱点がある。矛盾とも言うべきかもしれないけどね。それら弱点・矛盾を直すために様々な十字教宗派が生み出され、それがさらに別の弱点・矛盾を作り上げてしまっている。いわゆる宗派の特色というヤツだ」
「……、それが何だってのよ?」
 建宮は巨大な剣の切っ先を軽く振るい、シスター達との間合いを計る。
「あそこに流れているのは全世界の叡智えいち、一〇万三〇〇〇冊のあらゆる知識を使って、十字教、その教義の信仰の『矛盾点』を徹底的てつていてきに糾弾する『魔滅の声シエオールフイア』さ。十字教というOSに従って動いている人間にとっては、その教義の矛盾点、つまりセキュリティホールを的確に貫く『魔滅の声シエオールフイア』はまさに天敵と言っても良い。あれを聞けば一時的とはいえ人格をパズルのように崩されるぞ」
 もっとも、十字教と全く関係のない人問には何の効力もないし、アウレオルスのような魔道書まどうしよの著者は自分で書いた原典に意識を冒されないように特殊な防壁プロテクトを構築している。もちろん『原典を書ける人間・書いても身を滅ぼさない人間』など世界でも極少数しかいないのだが。
「魔道書は単に読むだけのものじゃない。『強制詠唱スペルインターセプト』や『魔滅の声シエオールフイア』など、あの子は魔力がなくとも魔道書を使いこなす。魔道書図書館としてあれほど相応ふさわしい人材はほかにないだろうね」
 ほうけているシスター達が統制を取り戻す前に、ステイルと建宮は彼女達に切りかかる。炎剣を爆破し、その爆風で薙ぎ倒されるシスター達を建宮が器用に気絶させていく。その間にも、離れた場所ではインデックスの何気ない『ささやき』が、彼女を取り囲んでいる無数の少女達を吹き飛ばしていく。
 建宮たてみやは感心半分あきれ半分といった顔で、
「しっかしまあ、あんな隠し玉があんなら何で最初っから使わんかったのよ? そんなもん食らってたらこっちも洒落しやれにならんかったのに」
「あの攻撃こうげきには繊細せんさいで面倒な一面があるのさ。宗教的な洗脳は個人個入に行うより集団に向けて一気に実行した方がかかりやすい。君も知っているだろう? あの『魔滅の声シエオールフイア』は科学で言う集団心理ってヤツに働きかけて心の防壁を突破する足がかりにしているって訳だ」
 ステイルは炎剣を爆破し、にじり寄ってくるシスターたち牽制けんせいする。すきを見て飛びかかろうとしていた少女はほお灼熱しやくねつの熱波を浴びて慌てて後ろへ飛び退く。
「『魔滅の声シエオールフイア』発動の上で問題になるのが集団心理の『純度』でね。『同じ思想を持つ純粋な一集団』にはかかりやすいが、『複数の思想を持つ混線した一集団』にはかかりづらい弊害がある。また、集団にならない個人戦では全く効果が上がらない。……ちなみに君らとの戦闘せんとうでは僕や上条当麻かみじようとうまが障害となって一集団の純度が下がり『魔滅の声シエオールフイア』は上手く機能しなかったって訳だ。そういう例外があるから、僕のような護衛がいるという事さ」
 つまり今君があそこに突っ込むと『魔滅の声シエオールフイア』の使用条件が満たされなくなってしまうという訳だ、とステイルはつまらなそうに言った所で、無駄話むだぱなしが不意に途切れた。
 ザン! という新たな足音。
 仰ぎ見れば、中庭を挟む二つの聖堂の屋根にそれぞれ何十人というシスター達が立っていた。

     3

 暗闇くらやみに包まれた『婚姻聖堂』の中で、アニェーゼは大理石の柱に背中を預けていた。
 アニェーゼの周囲には護衛のために一〇人ぐらいのシスター達が控えていたが、彼女達は爆発音や激突音がひびくたびに肩をふるわせ、忙しくあちこちを見回している。対してアニェーゼは腕を組んだまま軽く目を閉じていて、どちらが守られているのか分からないような光景だ。
さわいでんじゃないですよ。馬鹿ばかみたいに見えちまいますよ。特にシスター・アンジェレネ」
「し、しかし、アニェーゼ様」
 明らかな皮肉の言葉に、シスターの一人は過敏に反応した。まるで沈みかけた船の上で救世主を見たような顔だった。おそらくだれかと話す事で緊張きんちようを紛らわしたいのだろう。
「もう戦闘せんとうが始まってから一〇分以上もっております。お、オルソラを数に入れても、あれだけの人数差、ですよ? こんなのは普通じゃありません。ほ、ほら! 今の爆発だって、どちらが放ったものなのですか? もしかしたら、ヤツらが攻勢に回っているのかも…-ッ!!」
「……、」
「わ、私達も動きましょう。少しでも人数が多い方が……」
「意味がないからやめときなさい」
 アニェーゼは心底つまらなそうに言った。
「で、ではどうするのですか? オルソラも連れ去られてしまいましたし、このまま再び逃げられては……」
「逃げられやしませんよ」
 遮るように、アニェーゼは言う。
 確信しているがゆえに、それをいちいち説明するのが億劫おつくうだという声で、
「逃げられるはずがありません。そういう風にできちまってんです、このくそったれな世界は」

 バランスの崩壊ぱうかいはいきなり起こった。
 きっかけはインデックスだった。彼女が一〇万三〇〇〇冊の魔道書ゑどうしよから十字教徒の精神に悪影響あくえいきようを及ぽす場所だけを再編成した鯛魔滅の声シエオールフイア』でローマ正教のシスターたち攻撃こうげニしている最中に、それは起きた。突然、シスターの中の一人――確かテーマパークで車輪を使って上条かみじようおそった、シスター・ルチアとかいう人物だ―――が何かを叫んだのだ。
攻撃を重視、防御を軽視Dia puiorita di cima ad un attacco.! 玉砕覚悟で我らが主の敵を繊滅せよIl nemico di Dio e ucciso comunque.!!」
 シスター達の動きがピタリと止まる。
 彼女達の表情が音もなく消えせ、まるで軍隊が敬礼するように呼吸を合わせて衣服の中から何かを取り出す。左右の手に握られたのは、高級そうな万年筆だった。
(……?)
 その時、インデックスは何らかの魔術まじゆつ攻撃による集中砲火を予想していた。
 だが、彼女の予想は大きく裏切られる。

 次の瞬間しゆんかん
 インデックスを取り囲む㎜〇〇人近いシスター達は、迷わず万年筆で己の両耳の鼓膜を突き破った。

 ぐちゅり、というブドウの粒を指でつぶすような音。
 耳の穴からだらりとあふれる真っ赤な鮮血。
 彼女達は両耳の奥まで突き刺さった二本の万年筆を一斉に投げ捨て、再び武器を構えた。
 その表情は激痛にいろどられながら、それ以上の破壊欲はかけよくによって壮絶な笑みの形を作り出している。地聞に転がる万年筆のとがった先端に、血にれた白い糸のようなものがべたりとこびりついていた。人間の鼓膜だ、
 インデックスは体の奥から、猛烈な吐き気が込み上げるのを感じ取った。
「ま、さか……『魔滅の声シエオールフイア㎞を、回避かいひするために……?」
 声が届かなければ『魔滅の声シエオールフイア』は効果を生まない。インデックスが戦懐せんりつの事実に気づくと同時、彼女の周りを取り囲んでいたシスターたちが一気におそいかかろうとした。
「くそっ……!?」
 いち早くこれに気づいたのはステイルだった。彼は慌ててインデックスを助けに行こうとあせったために、それまで建宮たてみやとの連携で上手くいっていた戦闘せんとうのリズムが一瞬いつしゆんで崩れてしまう。
 ステイルは炎剣を次々に爆破していき、その爆風でシスター達を転倒させ、爆炎によって目をくらます。が、それもインデックスの元へ辿たどり着くのが限界だった。何度も同じ攻撃こうげきを繰り返した結果、シスター達は慣れてしまい、対処法まで見つけてしまったのだ。
「こっちだ!!」
 そこへ、手近な建物『終油聖堂』の両開きの扉を開け放って、上条当麻かみじようとうまが叫んだ。彼の後ろには傷だらけのオルソラもいて、彼女は包帯を巻いた大時計の針をつえ代わりにしていた。手負いの彼女を連れて逃げながら戦うのに限界を迎え、とりあえず身を隠していたのだろう。
 インデックス、ステイル、建宮の三人はかろうじて聖堂の中へと飛び込む。上条が急いで扉を閉めると同時、厚さ五センチを超す黒樫くろかしの板が、無数の刃に次々と貫通された。
 とりあえずローマ正教のシスター達をめ出す事には成功した。
 が、あの程度の扉では、何分つかも分からない。三匹の子豚で言うなち、ワラの家に立てこもるようなものだ。
 上条はへなへなと冷たい大理石の床に座り込みながら、
「とりあえず、全員無事みたいだけど……おい。歩けるか、オルソラ」
「心配性で、ございますね。そこまでひどい怪我けがは、負っていないのでございます」
 オルソラは手も足も修道服によって完全に隠れているので一見分かりにくいが、体に相当のダメージを負っているようだ。それでも、彼女は弱々しく微笑ほほえむ。上条はズキリと胸が痛んだが、彼にできる事など何もない。仕方がないので、せめて強引に話題を切り替える。
「……で、どうするよ。これから?」
 その問いに、答えられる者はいなかった。今まで危ういバランスを保ってきた戦局は一気に傾いてしまった事に、この場のだれもが気づいていた。
 外で戦っている天草式の面々も、それぞれが奇襲きしゆうや逃走劇などを繰り返す事で、かろうじて均衡だんこうを保っている。自分の世話で手一杯の彼らに助けを求めるのは難しいだろう。
 ガスッ! ゴスッ! という木に鉄杭てつくいを打ち込むような音と共に、聖堂の扉に次々と風穴が空けられていく。インデックスは少し顔を青くしながら、
「私の『魔滅の声シエオールフイア』も、あ、あんな風に耳をっぷされちゃ効果が、でな、出ないと思うし」耳を潰す光景を思い出したのか、彼女は青い顔で、「『強制詠唱スペルインターセプト』だって一度に一人しか相手にできないよ。流石さすがに何百人もの相手が出す何百通りもの術式へ同時に割り込むのは無理かも」
「???」
 さも当然のように自分の戦闘せんとう能力について分析するインデックスだったが、上条には何が何だかサッパリ理解できない。そもそもインデックスはどういう原理で何をやったのだろう? と、今度は建宮たてみやが、
「ウチの部下も頑張っちゃいるようだが、難しそうってなもんよ。人間、自滅覚悟でおそいかかってくるのが一番怖いよな。あれだけの数が洪水みたいに襲ってきちまったら、もう技量で埋められるもんじゃねえよの。軍隊アリの大軍が猛獣もうじゆうを食い散らかすようなもんなのよな」
 苦々しい調子で言う建宮の言葉に重なって、ぎこぎこがりがりと扉に刺さった刃が引き抜かれる音が聞こえる。ズタズタに空いた穴の向こうから、無数の眼球がこちらをのぞいている。
 上条かみじようの胃袋が冷え切った。
 あの扉が破られれば、土石流のように何百人という武装シスターが雪崩なだれ込んでくる。猶予は打よそ数分。その問に打開策を見つけなければ餌食えじきとなるだけなのだが、意見を交わせば交わすほど袋小路に追い込まれていくような錯覚さつかくすら覚える。じりじりと、頭の奥があせりの感情で焼け付くのを上条は感じていたが、どうする事もできず、
「はぁ、もしも……もしも、この場に『法の書』があれば、私の解読法と合わせて活路が見出みいだせるかもしれないのでございますけど」
 ふと、オルソラ=アクィナスが言った。
 その場の全員が彼女の顔を見る。
『法の書』。
 その場のだれもが失念していた、今回の事件の発端となった一冊の魔道書きどうしよ。エドワード=アレクサンダー……世界最大の魔術師まじゆつしクロウリーによって書き記された、『天使の術式』すら自在に操れるとまで言われ、開けば十字教が支配する今の世界が終わりを告げるとまでウワサされる、絶大な力の知識を封じる究極の禁書。
 確かに『法の書』がそれだけ危険な代物しろものなら、その封を解くと宣言するだけで交渉に使えるかもしれない。
「しかし『法の書』が盗まれたってのはウチらをハメるための自作自演だったよの。となると、本物の『法の書』が日本に持ち込まれたって所からもう怪しいかもしんねえのよ。持ち込まれたのが偽書で、原典は今もバチカン図書館にあるって話なら、もう打つ手は」

「「ある!」」

 上条とインデックスは同時に言った。
 そう、『法の書』の原典はすぐそこにある。
「確か、インデックスでも『法の書』は解読できなかったんだよな。つまり、解読するために一度は目を通してみた事があったはずだ。それならお前の記憶きおくの中に『法の書』の原典がそのまま保管されてないと治かしいだろ」「うん。解読されてない暗号文のまま放ったらかしにされてるけどね」
 その言葉に、今度はステイルが顔色を変えた。
駄目だめだ! それをやればこの子が『法の書』の中身を記憶タおくしてしまう。そうなれば今以上に大勢の魔術師まじゆつしが彼女の身柄をねらっておそってくる羽目になるんだ!」
「??? 心配してくれるの?」
 インデックスが『赤の他人として』首をかしげて尋ねると、『かつての彼女を良く知る』ステイルは一瞬いつしゆんだけ不意打ちを食らったように顔を赤くしたが、即座に忌々いまいましそうに舌打ちして打ち消した。魔術師に追われるのが当然だと思っているインデックスには何を言っても止められないとステイル本人が良く理解しているのだろう。そしてこれ以外に、現状を打破する方法が思いつかないのも。
 ステイルは心底苦い顔をした後に、唐突に叫ぶ。
上条当麻かみじようとうま!!」
「な、何だよ!?」
「今以上に強くなれ! この件が尾を引いて彼女が倒れたら、灰も残さず君の体と心と魂を焼き尽くしてやるからな!!」
 くそっ、と舌打ちしてステイルは背を向けた。インデックスは相変わらずキョトンとしたまま『だから何であなたが怒ってるの?』という顔を浮かべている。建宮なてみやは複雑な表情で上条とステイルを交互に眺めていた。そんな目で見るな、と上条は思う。
 インデックスは不思議そうに首を傾げたまま、
「それで、『法の書』の解読法ってどういうものなの?」
「あ、はい。それでは、今からお伝えするのでございますよ」
 少女の問いに、オルソラはすらすらとよどみもなく話を進めてしまおうとする。
 ぶわっ、と上条の額に汗が浮かぶ。
 今まで夢物語だと思っていた事がいきなり現実として目の前に訪れて、上条は今まで大して考えてもいなかったリスクが次々と浮かんでくるのを感じ取った。
 魔術師にとってはウワサや憶測の域を出ない『天使の術式』というものがどんな代物しろものなのか(皮肉な話だが)上条だけは実際に肌身にみて理解している。かつて四大天使の一角『神の力』が放った『一掃瞼は数十億発もの光弾を使い地球の地表の半分を焼き尽くそうとしたのだ。
 確かにあれを使えれば、こんな状況など一変できるだろう。
 だが。
 あんなにも壮絶な力は、不用意に人が手を出して良いのか?
 と、オルソラはそんな上条の様子に気づいたのか、
「実際に『法の書』の力を行使するというのではございません。ようは『法の書』を私が解読し、それをいつでも使えるぞという意思表示ができればよいのでございましょう。私としても、できればこんな力は使いたくないのでございますよ」
 オルソラは真剣な声で言う。
 そう、そもそも彼女が『法の書』を調べようとしたのは、そこに書かれた知識の封印にある。
今のような展開はオルソラの望む所ではないだろうし、ひとまずここを切り抜けたとしても、今度は『法の書』の知識を求める世界中の魔術師まじゆつしに身柄をねらわれるかもしれない。
 そこまで考慮こうりよに入れての、決断。
 彼女は自分の望まぬ行動を起こし、それに伴う身の危険まで考えて、それでも上条達かみじようたちのために力を貸してくれると言っているのだ。
 今まで歴史上、だれにも解けなかった『法の書』の解読法。
 一〇万三〇〇〇冊を収めるインデックスすら読めなかった禁書がひもとかれる瞬間しゆんかん
「基本はテムラー、つまり文字置換法なのでございますが、変則ルールとして行数が深くかかわっているのでございます。まずはヘブライで使われる二二文字を二列に配し、その上で行数に着目して―――」
 上条には何を言っているのかサッパリ分からないが、インデックスにとっては重大な意味を含むのだろう。その顔色が見た事もないような真剣なものになる。
 今のインデックスの頭の中では誰にも読めない魔道書まどうしよが次々と旙かれ、それは最強の兵器の設計図として組み直されているはずだ。上条はそれが不思議に思えると同時に、何か自分が取り返しもつかない場面に出くわしているような寒気がする。
「―――つまり文字がページ内の何行目に書かれているかによって文字置換パターンが変化するためややこしく見えるだけで、現にページ数が変わっても同じ行数の文章には同じ法則で置換が行われているのがお分かりでございましょう? さらに―――」
「行数文字置換パターンを駆使して変換された文節を、今度はページ数に合わせて並べ替える。
そうする事によってようやく一つの文章ができる。タイトルは『二つの時代の終わり』。収録内容はエノク言語を用いた肉体の天使化術式」
 不意に、インデックスが遮るように言った。まるでオルソラの知識を先んじて言ってしまったかのような台詞せりふだった、。現にオルソラは目を白黒させている。
「もう良いよ。大体全部分かったから」
 自分しか知らないはずの解読法の説明を途中で断ち切られたオルソラは『は?』と固まり、
「あの、何が分かったというのでございましょうか?」
 うん、とインデックスは重たい声で、

「これ、正しい解読法じゃないの、トラップとして用意されたダミー解答だよ」

 な……っ、とオルソラの全身が一瞬で凍りついた。
 対して、インデックスは本当につらそうな顔で彼女の顔を見て、
「ごめんね。私もここまでは辿たどり着けたの。ううん、ほかにもダミー解答は山ほどある。『法の書』の怖い所はね」インデックスは息を吐いて、「解読法が、一〇〇通り以上ある事なの。しかも解読法ごとに違う文章になって、そのすべてがダミーなんだよ。『法の書』ははれにも読めないんじゃない。本当は、誰でも読めるけど、誰もが間違った

解読法に誘導ゆうどうされてしまう魔道書まどうしよなの」
「そ、」
 ……んな、とオルソラののどが干上がった声をあげる。
「間違った解読法でも一応は『文章』として読める形になるように工夫されている。だからこそ、間違った解読法を編み出しても、それが正解だと思い込んでしまう。残念だけど、あなたが気づかなかったとしても、それは仕方がないのかも。『法の書』の表紙にはタイトルと共に、ある一文が英語で記されているの。覚えていない?」
 インデックスは、過酷な真実を伝えるために苦しそうな顔になって、
「『なんじの欲する所をせ、それが汝の法とならん』―――つまり『法の書』は本人が正しいと思い込んだ解読法則によって、無数の『偽りの正解』の文書が浮かび上がってしまう恐るべき魔道書なんだよ」
 オルソラ=アクィナスの顔から、あらゆる希望が消えてしまった。
 無理もないだろう。彼女が命をけてまで解読に挑み、そこで得た知識はみんなを幸せにできると信じて、諸悪の根源である魔道書の原典を必ず処分すると誓い続けてきたのに。

 胸の中に抱えていた最大の宝物である『解読法』では、何もできなかった。
 魔道書の原典をこわす事も、この土壇場どたんぼで仲間を助ける事も、何も。

「考えようによっちゃあ、救われたのかもしんねえのよ。なあ、今からやっぱり解読法なんて分かりませんでしたっつったら、連中許してくれると思うよの?」
 建宮たてみやが尋ねると同時に、ドォン!! と聖堂の扉に衝撃しようげきが走った。
「無理、だろうね。ここまで暗部を見せてしまった以上、もう彼らも引き下がれない」
 ステイルは絶望的な状況に、かえってうすく笑いながら答えた。
 やるべき事はなくなった。
 つかむべき希望は永遠に失われた。
 逃げなければ、と上条かみじようは強烈なあせりにおそわれる。彼はインデックスやオルソラを裏一へ誘導しようとして、炎剣を構えるステイルとぶつかる。バラバラと、必殺であるはずのルーンのカードが力なく床へ落ちていく。
 バゴン!! という一際ひときわ大きな衝撃音と共に、『終油聖堂』の両開きの扉が破壊はかいされ勢い良く倒れかかってきた。上条たちが二、三の言葉を交わすと同時、葬式にまつわる儀式ぎしきを行う教会の中へ、何百という漆黒しつこくのシスターたちが宗教的な武器を構えて雪崩なだれ込んできた。

     4

 さらに一〇分が経過した。
 暗闇くらやみに包まれる『婚姻聖堂』には、司令塔たるアニェーゼ=サンクティスしかいなかった。
彼女の護衛を申し出ていたはずの一〇人のシスター達は緊張きんちように押しつぶされそうな顔をしていたので、護衛の任を解いて戦列に加わるように命令したのだ。直接戦闘せんとうに出向く方が危険は増すはずだが、彼女達はむしろ明るい顔で戦場へ向かって行った。よほど見えない恐怖というものにしばられ続けていたのだろう。
(それほど慌てる必要もないのに、どうして緊張しちまうんですかね)
 アニェーゼは小心な部下達の様子を思い出してため息をつく。今も建物の外からは爆発音や激突音が聞こえてくるが、彼女の顔に不安はない。多少場数をんでいれば、音を聞いただけで分かるのだ。先ほどまでと違い、敵が統制を崩して防戦一方になっている事実が。
(おや?)
 と、彼女の耳はふと戦闘のリズムに合わない、異質な雑音を聞き取った。
 それは一つの足音となり、足音の主は教会の両開きの扉を勢い良く開け放った。
 バン!! という大きな音。
 そこには上条当麻かみじようとうまが立っていたが、アニェーゼ!! サンクティスは顔色一つ変えなかった。
むしろ、笑みすら浮かべていた。つい先ほど、同じ構図で入って来た時とは随分と様子が違い、彼の顔は疲労にまみれ、その体は傷だらけになっていたからだ。
「どう考えたってあれだけの人数を相手にしちまいながら、自由に敷地 しきち内を移動できるとは思えないんですけどね」
 大理石の柱に悠々と背を預けるアニェーゼに、上条は荒い息を吐きながらも笑って、
「まぁ。ちよっとばっかり、作戦があるからな」
「作戦? ああ」彼女は塩目を閉じて、「なるぽどなるほど、そういう訳なんですか。なあんだ。あれだけ格好付けて登場しておきながら、あなた、仲間を囮にしちまったんですか。確かに、ウチの戦力がまんべんなくあなた達をおそっちまったら、だれもここまでたどり着けなかったでしょうけど、でも、ねえ?」
「……、」
 意味ありげな語尾上がりの声に、しかし上条は無言を貫く。
 図星を突いたと思ったのか、アニェーゼはますます愉快そうに笑って、
「くっくっ。オルソラ=アクィナスは言ってましたよ。彼らはだますのではなく信じる事で行動する、とか何とか。あはは! まったく笑っちまいますよね、結局あなたは今こうして誰かをだましておとりに使って息を吸ってるってんですから」
「いや」
 あざけりの声に、上条かみじようは正反対の悪意ない笑みを浮かべ、
おれは信じてるよ、お前と違って。あいつらにはあいつらにしかできない事があって、俺にはそれができないから、ほかの役を与えてもらった。そんだけさ」
 上条は、右のこぶしを硬く握りめ、
「できればあいつらにも信じてもらえるとうれしいけどな。何の心配もしなくても、こっちの問題はこっちで片付けられるって」
「……、司令塔たる私をつぶせば全攻撃こうげきを停止できると?良くもまあ、そんな都合の良い想像ができますね。羊飼いの手を離れた子羊の群れは暴走するって相場が決まっちまってんのに」
 アニェーゼ=サンクティスは冷たい大理石の柱から背中を離す。
 彼女は床に転がっていた銀のつえ爪先つまさきり上げ、宙を舞う武器を片手でつかみ取ると、
「まぁ、良いでしょう。こっちも暇を持て余しちまってた所です。怠惰は罪ですからね、ここは一つあなたの希望げんそうを打ち砕いて手慰てなぐさみといきましょうか!」

 上条当麻とうまは周囲の状況を確認する。
 アニェーゼとの距離はおよそ一五メートル。工事中で内装が空っぽのため、間に障害物となるような物は何もない。外ではあれだけの人間が暴れ回っているというのに、この閉鎖へいさされた空間には上条と彼女の他にだれもいなかった。
 彼女の手には銀の杖が握られていた。細い柱の上に天使がロダンの『考える人』のようにうずくまっているデザインのもので、六枚のつばさがカゴのように天使を包み込んでいる。
 かん、かん、という硬い音。
 アニェーゼ=サンクティスの厚底のパーツが左右両足とも外され後方へ飛んでいく。
万物照応Tutto il paragone>五大の素の第五Il quinto dei cinque elementi.平和と秩序の象徴『司教杖』を展開Ordina la canna che mostra pace ed ordine.
 彼女が両手で杖を抱き、祈りの言葉を発すると杖の先でかがむ天使の羽が花のように開いた。
六枚の羽は時計の文字盤のように、正確に円を六等分する形で配置されていく。
偶像の一Prima.神の子と十字架の法則に従いSegua la legge di Dio ed una croce.異なる物と異なる者を接続せよDue cose diverse sono connesse.
 言いながら、アニェーゼは軽く杖を振る。
 カツン、と杖の先が横合いにあった大理石の柱に軽くぶつかる音が鳴る。
(……?)
 上条は明らかに間合いの外で振るわれた一撃に内心でまゆをひそめていたが、

 ゴン!! と。
 次の瞬間しゆんかん、上条の視界が九〇度真横に折れ曲がった。

「が……っ! だ!?」
 何か重たい金属で頭の横をなぐられた、と気づいた時にはすでに硬い大理石の床に倒れ込んでいた。ぐらぐらする頭を必死に動かして視界を確保すれば、アニェーゼはくるくると回したつえの底で、トン、と大理石の床をたたいていた。
 ぞっとする悪寒おかんと共に上条かみじようが床を転がった瞬間しゆんかん、直前まで彼の頭があった所に見えざる衝撃しようげきおそいかかった。ゴバッ腿 という鈍い音と共に、金槌かなづちで打たれたように床にくぼみと亀裂きれつが生じる。
(座標、攻撃こうげき空間移動テレポートを応用したようなタイプの技か?)
 上条は理解もできないまま、とにかく立ち止まるのはまずいと考えた。その間にもアニェーゼはムところからナイフを取り出し、まるでギターのき鳴らすように杖の側面をメッタ切りにしていく。
ゾザザザガガギギロ という異音と共に、逃げる上条を追って空気が見えざる何かに切り裂かれていく。
「その杖……ッ!?」
「ははっ。そりゃ流石さすがに気づいちまいますか。天草式のヤツらが使ってた地図の術式に似てるってのが気に食いませんけどね。コイツを傷つけると連動してほかの物に傷がつく。こんな風にね、っと!」
 続けてナイフを走らせると見せかけ、一転、くるりと回したつえを床にたたきつける。上条かみじようは突然真上からおそってきた衝撃しようげきに対処できず、左肩が不自然に落ちかけた。ズン! という重い打撃音が、後からひびいてくる。
「……ッ?」
 アニェーゼの攻撃は幻想殺しイマジンブレイカーを使えば打ち消せるのだろうが、『どこから攻撃が来るのか』が分からない以上、攻撃に対して右手を合わせられない。
 足の止まった上条に、アニェーゼは天使の杖をくるくる回すと手近な大理石の柱へ、フルスイングで叩きつける。
(ま、ず……ッ!?)
 上条は慌てて横へ跳ぶ。不幸中の幸いで、彼女の攻撃は命令から発動まで一秒に満たない若干の余裕がある。従って、常に動き続けていれば攻撃が当たるはずはないのだが、

 パガッ!! と。
 当たらないはずの一撃が上条の左腕ごと脇腹わきばらにめり込んだ。

「ぎ……っ!!」
 横殴よこなぐりの一撃を受け、押し倒された上条の体は床を滑った。脇腹の中、体のしんのような所からギリギリとした痛みが噴き出してきた。打撃の着弾点と脇腹の間には左腕があったはずなのに、腕ごとまとめて脇腹に衝撃がぶち当たった。挟まれた左腕は関節が外れてしまったように力が入らず痛みの感覚も消えていて、ただじんわりとした熱のようなものに包まれている。
 アニェーゼは杖の先で床を叩く。
 上条はとっさに転がって移動したが、構わず衝撃が少年の胸に叩きつけられた。げほっ、と体内の酸素を強引に吐き出された彼は、それでも跳ねるように後ろへ下がろうとする。そこヘアニェーゼはすかさず杖をナイフで傷つけると、上条の背中が斜めに切り裂かれた。
 ぶちぶちと、筋肉の繊維せんいが断ち切れていく感触。
 何故なぜだか痛みが爆発するまで、落雷の光と音のように一秒の間が開いていた。
「がっ、ば……ァァああああああああああああっ!?」
 焼き付くような背中の痛みにのた打ち回る上条に対し、アニェーゼは杖を横に振った。大理石の柱に杖がぶつかると同時、彼の体が水面を走る飛び石のように床を飛ぶ。
「いつまでも単調にけられるとは思わねえ事です」アニェーゼは退周そうな顔で杖をくるくると回して、「命令と発動までにタイムラグがあんなら、そいつを計算に入れて攻撃位置を修正すりゃプラスマイナスゼロになんでしょうが。あなたの回避かいひ位置を考えた上で、先読みして回避ポイントをねらって空間に機雷こうげきを『設置』しちまえば、そっちが勝手に攻撃こうげき範囲内に飛び込んできてくれる。大したタネでもねえですよ。今までの空振りは誤差修正用のサンプルを採ってたって気づいちまわなかったんですか?」
 上条かみじようは痛みで焼け付く頭を動かし、かろうじてその言葉を聞いていた。じくじくと痛む背中を気にしながら、よろよろと立ち上がる。
 アニェーゼはすでに勝利を確信しているのか、自慢のつえほおずりしながら、
「近代西洋魔術まじゆつでは火、風、水、土、エーテルの五大元素エレメンタルにそれぞれ象徴シンボルたる武器を用意しているのはご存知ですかね。火は『杖』、風は『短剣』、水は『杯』、土は『円盤』といった具合にですね、属性武器ってもんがあるんです」アニェーゼはニタリと笑って、「ちなみに私が持つのはエーテルの象徴武器シンボリツクウエポン蓮の杖ロータスワンド』です。こいつには面白い特性がありましてね、エーテルを扱うと同時に、ほかの四大元素すベての武器としても使用できる、という特色があんですよ」
 ヒュン! とアニェーゼは杖を斜めに振り下ろす。
 床に杖が激突した瞬間しゆんかん悪寒おかんおそわれた上条は真後ろへ跳んだ。しかし、それすらも計算に入れ先読みして設置された一撃が真上から上条の頭に衝撃を叩きつける。がくん、とひざが折れかける。体のしんがぐらぐらと揺れるのが分かる。
 闇雲やみくもに右手を振るっても、それを嘲笑あざわらうように別の角度から腹の真ん中へ打撃が襲いかかる。
視界の明るさがゆっくりと明滅する。足は早くも笑い始めていた。
(き…ぎ……。ちくしょう、触れれば消せるんだ。触れる事ができれば。どうする。どうやってアニェーゼの攻撃の方向・角度を見極める? タイミングだけならつかめるんだ……)
 必死の形相を浮かべる上条に対し、アニェーゼは楽しそうに唇をゆがめて、
「五大元素は万物すべてを形作るもの。これに『偶像の理論』を当てはめちまったらどうなると思います? あの魔道書まどうしよ図書館が言ってたでしょ、伊能忠敬いのうただたかの地図と同じですよ。あれは『地図』と『地形』の関係でしかありやせんでしたけどね。何にでも当てはまる五大元素の杖は、つまり何にでもその法則を適用できるんですよ。例えば空間そのものに作用させるとか、ね!」
 アニェーゼはくいのように杖を柱にたたき込む。反応の遅れた上条の腹に鈍い衝撃しようげ はじけ、彼はそのまま後ろへ転がった。上条は起き上がろうとして、そこでだらりと口の端から血が垂れている事にようやく気づいた。
 彼は口の中の血を吐き捨てながら、
「つ…が……ッ。―――チッ。『法の書』だの魔術だの……嫌ってる割にゃ、テメェはバンバン使うんだな―――」
 だらだらと話を続ければ上条の体力が回復するかもしれないのに、アニェーゼは特に気にする様子も見せない。
「あはは。なぐられてご立腹なんですか。でも高位聖職者が持つ司教杖ってのは敵のよろいを叩きつぶすのに使ってたメイスって武器が変化しちまったものなんですよ。殴るための道具を殴るために使って何が悪いんですかね。はは、それにしても平和と秩序の象徴がはがね棍棒こんぽうってのは笑っちまいますが」
 アニェーゼはうっとりした表情で舌を出すと、つえの側面をベロリとめる。全身に伝わる異様な感触に、上条かみじようは慌てて飛び下がった。彼女はその反応を見てくすくすと笑う。
 大体、とアニェーゼは小さくつないで、
「二〇世紀に基盤の固まった近代西洋魔術まじゆつなんてな十字教の裏技的な側面を持つって前に言ったでしょ? 錬金術師れんさんじゆつし風に言うなら『あくまで十字教の語られざる深部であゑですよ鳳
 杖が振り下ろされる。
 上条はとっさにけようとするが、足の動きが意識に追い着かない。ゴッ、と重い衝撃しようげきが頭の奥ではじけ飛ぶ。
「っづ……ッ! こっちに……言われてもな。……おれは、魔術師じゃない」
「同じでしょう。神に祈らないくせに神の恵みを受けている。そんなのは許されやしないんです。当たり前でしょう? 私たちは私達のために働いてんですよ。何だって働きもしないあなた達のために私達の税金が使われなきゃなんねえんですか。英国や天草の異端どもも同じです。
ローマ以外の教えなんてな教えじゃないんですよ。あんなのは仕事の内に入りやしません。っつーか邪魔だなあ。文句を言わずにさっさと流れ作業で死んでくださいってば」
(くる……)
 上条は歯を食いしばる。
 ステイルの炎剣や建宮たてみや斬撃ざんげきのような派手さはないものの、アニェーゼの攻撃にしたって生身の体でそう何度も受け止められるほど易しくはない。がくがくにふるえる足は、すでに彼の限界が近い事を示している。
 攻撃のタイミングは分かっている。
 アニェーゼの攻撃が魔術的なものなら、右手で触れただけで打ち消せる。
 後は。
 攻撃の角度と方向さえつかめれば。
 確実に、アニェーゼの一撃に右手を合わせられれば。
(来る!!)
 アニェーゼは表情を消すと、天使の杖を棒術のパフォーマンスのように振り回した。やはり『一歩先』に先読み設置されたその攻撃は上条の足ではけられない。右手を振り回す暇もなくなぐり飛ばされ、床を転がりながら、しかしそのまま跳ねる勢いを殺さず一気に起き上がる。
 ダン! と上条は両足に力を込め、渾身こんしんのカで一歩でも前へと駆ける。
 両者の距離はおよそ七メートル。
 上条の足なら二歩か三歩でふところへ飛び込める距離だが、アニェーゼの顔にあせりはない。一直線に向かってくるなら、むしろ先読みが簡単だと判断したのだろう。彼女は両手で力強く天使の杖を握りめると、スイカ割りのように思い切り床へとたたきつける。
 ゴッ!! という重たい激突音。
 その衝撃しようげきが真上から落ちれば頭蓋骨ずがいこつの粉砕はけられないほどの一撃。
 だが、
(その攻撃を―――)
 上条かみじようは靴底を削るように急停止する。
 一歩先の場所へ先読み設置された攻撃は、一歩前へ進まなければ当たらない。
(―――待ってたんだよ!!)
 そして、上条は握りめた右のこぶしで『一歩前』の空間を思い切りなぐり飛ばす。
 バン!! という風船が割れるような轟音ごうおん。見えない巨大なシャボン玉を砕くような感触と共に、そこへおそいかかるはずだった攻撃が跡形もなく吹き飛ばされていく。
「なっ!?」
 その異常は単なる素人しろうとの上条よりもプロであるアニェーゼの方が良く分かるのだろう。
 上条は何もなくなったただの空間を、一気に弾丸のように駆け抜ける。
 アニェーゼは慌てて天使のつえを思い切り振るう。
 だが、予期せぬ状況を前に満足な力を出す事もできず、
 上条の体がアニェーゼのふところへと飛び込み、
 アニェーゼの杖が大理石の柱へとようやく直撃し、
 甲高い音と共に上条の首が真横へはじかれ、
 それでも、
 それでも、上条当麻は絶対に握った拳を開かない。

 ゴン!!  という鈍い打撃音。
 アニェーゼ=サンクティスの背中が、後ろにあった大理石の柱へたたきつけられた。

 ぐらり、とアニェーゼ=サンクティスの意識が揺らぐ。
 空白に染まりかけた彼女の心は、封じたはずの記憶きおくの断片をゆるやかに浮上させる。
(ぎ、ぁ……ま、さか)
 アニェーゼは必死にそれを封じようとしても、腹の奥からマグマのようにき出す吐き気がそれを邪魔じやましてしまう。
(戻、るのか)
 思い出されるのはミラノの裏通り。の光をすべて表の観光街へ奪い取られ、レンガの地面に人とネズミと羽虫とナメクジが一緒いつしよになってうずくまる、希望の消えた小さな集まり。
(もう一度、あそこへ)
 記憶が破裂する。断片が心に刺さる。レストランの裏手、ゴミ箱の中、捨てられた肉の残りから、 いずるナメクジを落とし、ネズミの死骸しがいの抜け毛を落とし、ゴキブリのもげた羽を落とし、ぐちゃぐちゃと、ぐちゃぐちゃと、つぶして、噛み潰して、噛み潰すだけの日々に。
(い、やだ)
 白く裏返りかけた意識が、己の言葉によって回復する。
 しびれて力の抜けた手の先から、握った武器が離れていく。それは天使のつえを傷つけるのに使っていたナイフだ。自分の戦う象徴、敵を倒す武器が手元から離れてカツンと床に激突する。
 しかし。
 しかし、ナイフは手放しても、天使の杖だけは決して手放さない。
(いや、だ! 戻って、たまる、か。絶対に……ッ!!)
 ギチリ、と。まるで銀の杖を握り潰すように、アニェーゼは己の手に力を込める。
 意識が戻る。
 彼女は戦う意志を取り戻す。

「「!!」」
 上条当麻かみじようとヒマはとアニェーゼ=サンクティスの二人はお互いの顔をにらみつける。
 二人の距離はおよそ五メートル。近距離のこおしでも遠距離の杖でも、どちらも一瞬いつしゆんで届く距離。
互いが睨み合うその姿は、さながら時代劇の居合いや西部劇の早撃はやうちの瞬間を連想させた。
 両者のほおにぬるい汗がゆっくりと伝い、
 両者の神経がジリジリと焼き付き、
 両者の呼吸がはたと止まって、
「ふん」
 と、アニェーゼはつまらなそうに息を吐くと、唐突に天使の杖の構えを解いた。あまつさえ、上条から視線を外して辺りをゆっくりと見回す。
 一応はチャンスだが、しかし上条は安易に動かない。チャンスの中にひそんでいるかもしれない危険を探っている彼に、アニェーゼはジロリと目玉だけを動かしてその顔を眺め、

「努力しようと頑張ってる最中申し訳ありませんけど、もう終わっちまったみたいですよ」

 上条は一瞬、何を言われたか理解できなかった。
 そして、遅れて気づく。
 静まり返った『婚姻聖堂』には、物音がなかった。あまりにも、完壁かんぺきに、音らしい音は つ残らず消え去っていた。まるで一人きりで閉鎖へいさされた映画館の真ん中にポツンと立ち尽くしているような―――耳が痛くなるような静寂が頭から胸へと一気に突き剃さる。
それは単に、上条とアニェーゼが動きを止めたから、だけではない。
 外。
 二五〇人ものローマ正教のシスターたちと、せいぜい五〇人強のイギリス清教と天草式の混合部隊。双方合わせて三〇〇人以上の人間がこの『婚姻聖堂』の外にいるはずなのに、周囲を取り囲む音響おんきようすべてまとめて消えていた。
 それが示す意味は。
 意味は。
「………………………………………………………………………………………………… 、」
 上条かみじようの全身の肌がビリビリと痛みを発する。
 まるでその痛みを永遠に止めるかのように、アニェーゼ=サンクティスはさらに告げる。
「どうも、彼らがおとりとなって粘っている間に、あなたが司令塔たる私を倒して話を収めるつもりだったようですけど」
あざけり、ののしり、最後に一っ哀れんで、
「あなたの描いた幻想よそうより、あっさりコトは終わっちまったようですね」
 上条は、その言葉を聞いていた。
 呼吸すら忘れて、聞き入っていた。
 握ったこぶしから力が抜ける。戦うべき理由が消失する。もはや自分がここに立っている理由すらなくなったとでも言いたげに上条はぼんやりと立ち尽くす。
 じりじりと、頭の奥からだれかの顔が浮かんでくる。
 上条はそれらをつぶすように、告げる。
「ああ、」
 上条当麻とうまは、最後に絶対の自信と共に告げる。

「その通りだ。お前の幻想は終わっちまったよ、アニェーゼ=サンクティス」
 は? と彼女はまゆをひそめた瞬間しゆんかん
 バン!! と。上条の背後で『婚姻聖堂』の両開きの扉が勢い良く開け放たれる。
 彼と向かい合っているアニェーゼ=サンクティスは、上条の肩越しに見た。
 恐る恐る、確かめた。
『婚姻聖堂』の入口から入ってくる人影を。それは見慣れた自分の部下達ではなく、イギリス清教の禁書目録とステイル=マグヌス、天草式牽字凄教せいきよう建宮斎字たてみやさいじと彼に抱き上げられたオルソラ=アクィナス、そして建宮の伸間達。
 それから、もう一つ。
 オレンジ色の炎に包まれた、人の形をした化け物がステイルの横にたたずんでいる。
 アニェーゼはその化け物の正体を知らない。
 知る者が見れば、それの名をこう呼んだはずだ。
魔女狩りの王イノケンテイウス』と。
 摂氏三〇〇〇度を超す炎の怪物。発動したが最後、爆破と再生を繰り返し、いかなる攻撃こうげきも障害物も焼き払い溶け落として敵を繊滅せんめつする、攻撃は最大の防御の理念を貫いた好戦攻撃術式。
 だが、仮にその術式を知っている者が見ても目を疑ったはずだ。
 それはもはや通常の『魔女狩りの王イノケンテイウス』ではない。炎の密度が違い、威圧感が違う。全身から放たれる熱波は周囲の空気をゆがめ、その巨大な背から透明なつばさが無数に生えているようだ。
「使用枚数は四三〇〇枚」
 赤い髪の神父は歌うように告げる。
「数の上では大した事はないが……いや、天草式ってのは馬鹿ばかにできないね。ルーンのカードの配置を使ってさらに大きな図形を描き、その図形をもって敷地しきち全景の魔術まじゆつ的意味を変質させ、このオルソラ教会そのものを一個の巨大な魔法陣まほうじんに組み替えるなんて。一応、そいつの右手ヘヘへももへに干渉されないよう、この建物だけは効果圏内から除外してあるけどね。……そこにある物をすべて利用した多重構成魔法陣―――こういった小細工は、僕には学びきれなさそうだ」
 ごうごうと、勢い良く燃え上がる炎の塊を自慢げに眺め。
「皆にはカードの配置を手伝ってもらった。ま、と言っても元々完成寸前だったジグソーパズルに残りのピースをはめ込むようなものだ。ああ、そう言えば紹介するのが遅れたね。元々、僕は次々と場所を変えて攻め込むより、一ヶ所に拠点を作って守る方が得意なんだ。とある事情でそういう魔術を欲していたからねし
 大きく開け放たれた扉の向こうに、外の景色が見えた。草木一本ない石造りの平たい庭園のあちこちから魔力の炎がくすぶり、黒い修遵服のシスターたちおおかぶさるように倒れている。
 彼女達の体が炭化したりひど火傷やけどを負っているようには見えない。
 何度も聞こえた爆発音は、おそらくあの炎の化け物が起こしたものだ。空気を押し出す衝撃波しようげおはの壁を使ってシスター達の体をまとめてぎ払ったのだ。
 倒れている者は皆気絶しているだけらしい。
 戦闘せんとう不能に追い込まれたシスター達はせいぜい全体の五分の一ぐらいのはずだ。が、それで円魔女狩りの王イノケンテイウス』の破壊力はかいりよくは証明されたのか、武器を構えたままのシスター達は距離を取って歯軋はぎしりをする。不用意に近づけば爆風・爆炎の餌食えじきになるのが目に見えて分かるのだろう。
「言ったろ。作戦があるって」上条かみじよう檸猛どうもうに笑いながら、「こいつらはおとりになるために逃げ回ってたんじゃない。単にステイルの秘密兵器を使うための準備として、カードを敷地内に配置してたってだけの話さ。……魔術師じゃねえおれにはあんまり良く分からない理屈だけどな」
 上条は右手の『幻想殺しイマジンブレイカー』があるため、ルーンのカードをばら撒くという作業は手伝えない。
そこで彼は単独でアニェーゼをねらう役割を負ったのだ。本当の狙いであるルーンをつぶされないよう、みんなを囮に使って玉砕覚悟で上条がアニェーゼを狙ってきたと勘違いさせるために。
 いちいち細かく説明しなくても、アニェーゼは大体の顛末てんまつを予測できたらしい。
 そして同時に、これから自分がすべき事も。
 アニェーゼは油断なくつえを構えたまま、『婚姻聖堂』の外にいるシスターたちに叫ぶ。
「何をやっちまってんですか! 数の上ならまだ私達の方が断然多いんです! まとめてつぶしにかかりゃあこんなヤツら、取るに足らねえ相手なんですよ!!」
 そう。
 何をどう考えた所で、ローマ正教と上条かみじよう達の人数差は絶対だ。それでも彼らが生き残っているのは、単に様々な奇策を使って逃げ回っていただけだ。逃げ道を作らないように周囲を取り囲み、一斉におそいかかれば簡単に潰せる。その過程で何十人というシスターは倒れるだろうが、その死体をみ潰して残る一〇〇人以上の仲間達が上条達をたたき潰すだろう。
 プロの魔術師まじゆつしであるはずのステイルが殺しを行っていないのも、単に虐殺を行えばシスター達がパニックを引き起こし、玉砕覚悟で突っ込んでくる危険性を生んでしまうからに過ぎない……はずだ。あれだけの術式を使えば、もはや敵を殺さない方が難しいのだから。
 なのに。
 数の上で圧倒的に有利であるはずのシスター達は、動かない。
「何を……!?」
 アニェーゼは当たり前の理屈が分からない部下を怒鳴りつけようと思ったが、彼女自身も気づいていた。
 不審。
 シスター達は、それが理論的に正しい事を理解していながら、心のどこかでそれを信じられないのだ。争うべきか逃げるべきか、彼女達の心は揺らぐ天秤てんびんをじっと眺めている。だれか一人でも動けば、集団心理が働いて一気に流れが変わるだろう。
 アニェーゼ=サンクティスはオルソラの言葉を思い出す。
 ―――彼らは、信じる事で行動する。
 ―――それに比べて、私達ローマ正教のなんとみにくい事か。
「……、面白い、じゃないですか」
 彼女はうつむいて、奥歯が砕けそうになるほどあごめた。
 天秤がギリギリの均衡きんこうを保っているなら、それを強引に傾けてしまえば良い。目の前の上条を叩きのめして、アニェーゼの優勢を見せつけてやれば良い。
 シスター達を使って上条を潰しても、それでは圧倒的な優勢を見せつけられない。しかし、それは上条も同じだ。もしも彼が仲間にすがってアニェーゼを倒したとしても、それは上条が自分のあせり、緊張きんちよう、恐怖―――劣勢を見せつける羽目になる。そうなれば膨大ばうだいな数のシスター達の心のタガは外れ、人間の雪崩なだれに巻き込まれるはずだ。
 詰まる所、一対一。
 上条当麻かみじようとうまとアニェーゼ=サンクティス。
 双方合わせて三〇〇人を超す人聞に取り囲まれながら、両者は限りなく孤独だった。
 お互いの距離は五メートル。
 当然ながら天使のつえの間合いの中。ただし、この距離はほんの一息み込めば上条のこぶしが十分届く領域でもある。二人の条件は五分。つまり、先に己の攻撃こをげきが届いた方がそのまま必殺の栄誉を得る。
(どう、―――する……)
 じりじりと間合いを計りながら、しかしアニェーゼの額には汗のたまが浮いていた。
 この一撃が、先に届くのか?
 あせるな、とアニェーゼは自分の言葉をのどの奥へみ込む。『蓮の杖ロータスワンド』の利便性は単なる握り拳の比ではない。フルスイングの一撃を、先読み設置すればあんな一般人など一撃て粉砕できる。
(どうする……、何を―――どうすれば……ッ)
 しかし、安直なフルスイング一発にすべてを任せて良いのか。もしもけられたら? 万が一先読み設置を読み間違えたら? それなら保険としてまずは小刻みに速い攻撃を何度か繰り出し、足を止めてからフルスイングしてはどうだろう。だけど、たかが小刻みな一撃で足を止める事はできず、構わず突っ込んできてしまったら?
 だが、けど、しかし、けれど、いや、なれど、それでも、されど、でも、だけど。
 次々と否定文が並んでいく。
 詰まる所、彼女はたくさんある手札のどれを切って良いのか決断できない。
(方法は―――タイミングは、武器は……踏み込みは、……何をどう選べば良い!!)
 対して。
 対して、上条当麻は切り札の使い道を迷わない。すでに自分の右手の拳に全ての力を注ぎ込み、ただ一撃に己の生命を欠片かけらも残さず預けている。
 彼は、信じている。
 どれだけ傷をつけられても、死の一歩手前まで追い詰められても、信じている。
 己の持つ武器の強さを、己の武器を作ってきた道のりの正しさを、己の武器が確実に敵を打ち負かす光景を、己の勝利の先に素晴らしい未来が待っているというその予想図を。
 上条当麻は、信じているから行動できる。
「終わりだ、アニェーゼ」迷いのない、声。「テメェももう自分で分かってんだろ。テメェの幻想じしんは、とっくの昔に殺されてんだよ」
 ステイルはロにくわえた煙草タバコを指でつまむと、無造作に横合いへ投げた。
 両者の視界の端で、そのオレンジ色の光が床へ落ちた瞬間しゆんかん火蓋ひぶたは切って落とされた、
 ダン!! という壮絶な足音。
 上条当麻は鉄岩のような拳を握り、アニェーゼのふところへ揺るぎなく突撃する。
(何を……何をすれば―――ぁ、うァァあああああああああああああああああああ!?)
 アニェーゼ=サンクティスの心の中で、何かがにじけ飛んだ。
 激突の瞬間しゆんかんは間近に迫っているのに、ぐらぐらと揺らぐ天秤てんびんはいつまでもいつまでもいつまでもいつまでも結論を出してくれない。満足な答えも出ていないのに選択を迫られたアニェーゼは、半ば泣き出しそうな顔で思い切りつえを振るう。
 己の必殺にすぺてをけきった者と、どれに賭けるかその時点で迷った者。
 彼我ひがの優劣など、わざわざ問うまでもない。

 ゴガン!! という壮絶な激突音。
 アニェーゼの体が吹き飛び、背後にあった大理石の柱をかすめて床の上を転がった。

 あまりの衝撃しようげきにアニェーゼの手から天使の杖が離れ、何メートルも床の上を跳ね転がった彼女は、体の中の酸素を全て吐き出してようやくその動きを止めた。
 アニェーゼは、そのまま気を失っていた。
 それで、インデックスやステイルたちと、彼らを取り囲むローマ正教のシスター達の問の均衡きんこうも一気に傾いた。自分達では勝てないと思ったシスターの一人が武器を足元へ落とすと、続いて一つ、また一つと音が重なり、やがて豪雨のような大音響だいおんきようになっていった。
 戦いは終わる。
 たった一人の少年のこぶしが、二〇〇人を超す敵勢の心をねじ伏せた事で。

   終 章 行動終了 The_Page_is_Shut.

 思ったより上条かみじようの体には大きなダメージがかかっていたらしい。
 途切れがちな記憶きおくはあやふやな場面と場面を強引につなげていく。
 分かったのは『婚姻聖堂』で倒れた事、インデックスが叫んで駆け寄ってきた事、救急車に乗せられた事、特別対応とかの書類上のやり取りで時間を食った事、結局進路を変えて学園都市へ運ばれた事、カエル顔がのぞき込んでくるのを機にブツリと意識が断ち切られ、気がつけばふかふかのベッドの上で寝転がされていた事。
(……いつもの病室か。うっ、部屋のにおいで分かっちまうなんて。やだなあ)
 上条が目を閉じたままぼんやりする頭で考えていると、ふと近くに人の気配があるのに気づいた。小さな吐息や衣服がわずかにれる音などが耳に届く。温かくて柔らかい手が、上条の前髪を軽くでるのが分かった。
土御門つちみかどは腹を抱えて笑っていましたが―――」
 だれかの声が聞こえる。
「―――やはり、こういうものはいい事だと思います」
 わずかに名残惜しそうな声色と共に、前髪を撫でる手の動きが音もなく止まり、上条の頭から離れた。てのひらの体温が消えていく。
 上条はやたらと重たいまぶたをゆっくりと開けて、
「ん。……神裂かんざきか?」
「お、起きてしまわれましたか。このまま立ち去るつもりだったのですが」
 神裂は上条の声に、ほんの少しだけおどろいて身を引いた。彼女は今までベッドの近くに置いてあった見舞い客用のパイプ椅子いすに座って彼の顔を覗き込んでいたようだった。
 上条は上半身をベッドから起こし、眠気を飛ばすために首をぶんぶんと振り回す。
 時聞は明け方のようだった。蛍光灯を切った暗い病室に、窓からの朝焼けの光が木漏れ日のように差し込んでいる。ベッド横のサイドテーブルには何か高級そうなお菓子と書き置きらしきメモがある。上条があちこちに視線を漂わせていると、神裂はパイプ椅子からゆっくりと立ち上がった。元々長く居るつもりはないようだ。
「……、あー」
 上条はぼーっとする頭の歯車をくるくると回す。改めて神裂の姿を見ると、彼女はいつも通り、おへそが見えるようにわきを絞った半袖はんそでのTシャツに片方だけ太股ふとももが見えるようカットされたジーンズという格好だった。絞っているためTシャツは余計に胸の大きさを強調しているし太股ふとももはかなりきわどい根元まで見えているし相変わらずエロいなーと思ったが口に出すとなぐられそうだ。上条かみゆようは意識をぽかに移し、サイドテーブルにあったメモに目をやり、
「とりあえず、書き置き……?」
 言った瞬間しゆんかん、ビュバッ!! と恐ろしい速度で神裂かんざきの手が書き置きの小さな紙切れを奪い取った。スポーツ工学的に言ってありえない新記録だった。神裂は顔を真っ赤にすると目をあちこちに揺らしつつ体中から変な汗を出してグシャグシャグシャグシャ!!と小さなメモを極限のスピードで丸めていく。
「べっ、別に何でもありません。こうして直接話す機会ができたのですからこの書き置きはもう必要ないでしょう?」
「??? でも……」
「良いでしょう、もう。こういうものは改めて目の前で読まれると知ると途端に恥ずかしくなってくるものなのです」
 神裂は丸めた書き麗きをゴミ箱へ投げようとしたが、ふと思いとどまってズボンのポケットに突っ込み直した。そこまで読まれたくないものなんだろうか、と上条は首をかしげる。神裂は豊かな胸に片手を当てて一度だけ深呼吸すると、元の表情へ戻っていく。
「お体の方は仔細しさいないでしようか?」
「なんつーか……中途半端ちゆうとはんぱに麻酔が残ってて痛むトコとか分かんねーし」

「すみません。天草式には食事による術的な回復方法もあるのですが、どうもあなたには上手く作用しないようですので」
「……何でお前が謝ってんだか。って、寿司すしとかハンバーガー食べたら傷が治るのか。すげーな天草式、RPGの回復アイテムみたいだ」
「はぁ……???」
 たとえが良く分からないのか、神裂かんざきは珍しく曖昧あいまいかつ適当な返事をする。
「ところでステイルのヤツは?」
「すでに街を出ています。何でも煙草タバコの買えない街には長居したくないとか。ここは年齢確認が厳しくてやりづらいといつも愚痴ぐちを言っていますよ」
 それが普通なんです、と上条かみじようは心の中でツッコミを入れつつ、
「でも、それならお前が買ってやれば良いんじゃねえの?」
「私も一八ですから、煙草は買えません」
 ………………………………………………………………………………………………………。
何故なぜそこで信じられない顔をするのです? その耳掃除のジェスチャーは何ですか?」
「うっそだぁ! そりゃいくら何でもサバ読みすぎだろ、お前どう考えたって結婚適齢期を過ぎちゃってるようにしか見えなひいいぃぃぃっ!?」
 言い終わる前に超高速の神裂パンチが上条の顔面のすぐ横を突き抜けた。身構える事すら追いつけずにぶるぶるとふるえる上条に、神裂はいつも通りの平静な顔のまま、
「一八です」
「一八ですよね! 女子学生なのに攻略可能なアダルティ! 神裂センパーイ!!」
 がちがちと歯を鳴らしながら必死に笑顔を作る上条に、神裂はものすごく疲れたようなため息をついてグーを引っ込める。
「……やはり書き置きで済ませておけば良かったような気がします。このままではいつまでっても話が本題に入りません」
「本題?」
「はい。事後報告というか……オルソラ=アクィナスの動向などを伝えに来たのですが、余計なお世話でしたでしょうか?」
「聞く! 是非に!!」
 上条が身を乗り出して即答すると、話題に対する食いつきの良さに神裂はほんの少しだけ肩から力を抜いて、
「オルソラ=アクィナス、及び天草式本隊はイギリス清教の傘下さんかに入る事で話を収めました。これはローマ正教の報復・暗殺を防ぐという役割が大きいようです」
 上条はアニェーゼと、その下についていたシスターたちの姿を思い出す。
「って事は何か、これからもオルソラの危険な立場は変わらないってのか?」「いえ。裏ではねらう素振りを見せるでしょうが、裏の裏では狙う意義はうすいでしよう。イギリス清教側は、オルソラの持っていたニセの『解読法』を魔術まじゆつ世界中に公開しました。それが誤訳と分かれば彼女が『法の書』がらみで追われる心配もなくなるかと思われます」
 そうなると、もしオルソラが本当に『法の書』の暗号を解いていたらまさしく全世界から狙われていた訳だ。怪我けがの功名とでも言うべきか、と上条かみじようは冷や汗をかく。
「ん?でも、天草式もイギリス清教の傘下さんかに収まるんだよな?」
「はい。いくら本拠地が隠されているとはいえ、真っ向からローマ正教と敵対してもメリットはありません。まったく、どうも彼らは心のどこかでこの展開を望んでいた節があります。例えば……覚えていますか? 建宮斎字たてみやさいじの着ていたTシャツ。白地に、ゆがんだ形で赤い十字架が描いてあったでしよう」
「……、そうだっけ? 言われてみればそんな感じもするけど」
「描いてあったんです。そして赤の十字架はセントジョージの印―――つまり、イギリス清教のシンボルです。それをまとって戦う事で、イギリス清教に属する私の元につくという意思表示でもしたかったんでしょう。私の後は追うなときつく厳命しておいたはずなんですが」
「そっか……。お前もイギリス清教の一員だもんな」
 上条が感心したように言うと、神裂かんざきはもう一度『まったく』と口の中でつぶやいた。その顔がどこか親離れのできない子供を見ている母親のような表情をしていると、彼女は気づいているだろうか。
「でも、神裂的にはそれで良いのか? 天草式だって小っちゃいけど、きちんと独立した一派だったんだろ。それが大企業に吸収合併されるみたいな形になっちまって」
「傘下と言っても天草式の聖典や教義を捨てうと言うほどのものではありません。いわば大名の下に武家がつくようなもので、『天草式』という枠組みは残りますよ。それに、元々天草式は時代時代に合わせて最も適した形に変化する事で歴史の中に隠れひそんできた宗派です。一つの形にこだわる必要はありませんから、彼らが住みやすいのであればどんな風になっても構いません」
 それでも、神裂は今まで自分がトップとして君臨していた小さな社会を、守るべき人々のために何のためらいもなく手放したのだ。こういう所を見てると、大人ってカッコイイなーと上条は思う。一応一八歳らしいけど上条にとっては一八歳も立派な大人だ。
 と、つらつらと考えている上条の前で、神裂は姿勢を正して深く頭を下げた。
『ぺこり』とか可愛かわいらしいものではない。彼女は頭を下げっ放しにしたまま、
「ええと、あの、今回は、その、すみませんでした」
「は? え、何が? 何で頭下げてんの? 何がすいませんでしたなの?」
 寝起きでいまいち頭が良く回っていない上条としては、『女の子が自分に向かって頭を下げている』という光景がとんでもなく怖い。自分がなんかすごく悪い事をやってるような気分にさせられる。
 と、神裂かんざきは珍しく歯切れの良くないような責で、
「ですから、あの、今回は、つまり、一身上の都合で、色々ご迷惑をおかけしてしまった、というか……」
 ものすごく慣れていない感じの台詞せりふだった。ぼーっとしている上条かみじようの頭は、とにかく神裂は今困っているらしい、という核のみを切り取って状況を判断すると、
「あれ、ごめん神裂。おれなんかお前に迷惑かけてる? だったら謝るけど」
「い、いえ、違うんです。ここであなたに謝られては本格的に私は立つ瀬がありません。ええと、そうではなくて、話を本題に戻すと、つまりですね―――」
 よほど言いにくい事なのか、神裂は前髪を指でいじりながら口の中だけで自分の言葉をみ込んでしまっている。
 と、神裂が意を決して何かを言おうとした瞬間しゆんかん、夜明け時だというのに病室のドアがズバーン!! とノックもなしに勢い良くたたき開けられた。
 そこにいるのはアロハシャツに青いサングラスの大男。
 土御門元春つちみかどもとはるは何か見舞い品らしき物が入ったビニール袋をぐるんぐるん振り回しながら、「ふーんふふーんふふーん!! カミやーん、遊びにきたぜい。メロン一個は高すぎるから小さなカットメロンの乗ったコンビニデザートの豪華プリンで我慢せよ」
 上条は神裂から土御門の方へと視線を移動させつつ、
「うーす。お前もうあと何時間もしない内に学校始まるけど寝なくて大丈夫だいじようぶなのか? あ、ごめん神裂。なに言おうとしてたんだっけ」
 うっ、と神裂は彼の言葉を受けてわずかにひるんだ。それから横目で土御門をチラチラと見ながら、こいつの前で言うのか、何でこのタイミングでやってくるんだというオーラを発信する。
 と、土御門は土御門でこの場の空気を敏感に感じ取ったのか、
「おおう。何だねーちん、ついにカミやんに平謝りする時が来たって感じですかい? どうせまたべッタベタの王道的にも『今までかけた迷惑の借りを返します』とか『何でも言いつけてください』とかって進言するつもりだぜい。ぷっ、だっはっはっはー!! やーい、このツルのエロ返しー」
「ちっ、違います! だれがこんな常識知らずの子供にそんな台詞を吐きますかッ!!」
「……、こんな、じょうしき、しらずー~……」
 ごーん、と上条が効果音つきでうな垂れると、神裂がビクッと肩をふるわせて、
「あ、いえ、だからそういうつもりで言ったのでは……。そうではなくて、今のは土御門の暴言を撤回てつかいさせるためだけに使った言葉ですので、恩を返すという部分は、ええと……」
「でも結局ねーちんは脱ぐんでしょ?」
「ぬ、脱ぎませんよ! 結局ってどういう意味ですか!?」
「え、じゃあおびにどんな服でも着るっていう方向で? サービス精神満点だなぁ」
「あなたはちょっとだまってなさい! そういう風にゆがんだ解釈をするからややこしくややこしくなっていくんでしようが!!」
 ぎゃあぎゃあと(上条かみじようから見ると)楽しそうに大騒おおさわぎしている二人をやや遠巻きに、上条はぽーっと眺めていたが、ふと頭の中の歯車が変な所でカチリとみ合う。

 ……、お詫びにどんな服でも?

(い、いや駄目だめですよ神裂かんざきさんはなんか真面目まじめな話をしようとしてるっぽいですよ茶化せる雰囲気ふんいきじゃないですよほらほら年上のお姉さんに夏の海でインデックスが着てたみたいなバカ水着を着せたらどうなるかとか五秒で浮かぶテキトーな妄想はとっばらってとっばらって!!)
「……、何か、そちらからもドロドロと煮詰まったオーラを感じるのですが」
「いや何でもねーです! 冷静に考えたらあんなもんを男の手でレジまで持ってくだけでわたくし上条当麻とうまの人生は崩壊ほうかいするに決まってますとかそんなのは全然考えてませんってば!!」
「???」
 神裂は意味不明なワードに対処しきれず首をかしげていたが、土御門つちみかどはニヤニヤ笑いながら、
「くっくっくっ。さあなんじの望みは何だ! 年上の膝枕ひざまくらで母性本能丸出しの耳かきか! お姉様の意外にも小さくて可愛かわいらしいお手製弁当かッ!!」
「やめてーっ! 野郎同士の馬鹿ばかトーク中ならともかく女の子の前でおれのピンポイントを暴いていかないでーっ!!」
「土御門。何だか状況は理解できませんが、怪我人けがにんを悪い方向に刺激しているだけみたいですのであなたはちよっと病室から出てってください」
「あ、二人っきりになってナニすんの? おっ、まさかーっ!」ピッカァ!! と土御門の両目が輝いて、「ここはねーちんがウサちゃんカットしたリンゴを優しく食べさせてあげるシーンか! ごめんなんか配慮はいりよが足りなくて!」
「違います! 勝手に解釈して勝手に気まずくならないでください」
「え、なに。じゃあ口移し? でもリアルでやるとあれはちょっとグロいっすよ?」
「良いからだまって消えなさいッ!!」
 建宮斎字たてみやさいじ辺りが聞いたらどんな顔をするか予測もできないような大声が飛ぶと、土御門は笑って病室から飛び出して行った。
 途端に、しーん、と静まり返る早朝の病室。
 怒りでぜーぜーと息を吐いている神裂の後ろ姿を見ながら、上条はぶるぶるふるえて思う。土御門、ああ土御門。お前はきっと場の雰囲気を少しでもなごませようと思ってそんな事を言っていたんだと思うけど、いくら何でも投げっ放しはないんじゃないか、と。
「あ、あのー、神裂かんざささーん? よ、よろしいですかー?」
「……、何ですか。何故なぜ敬語なんですか」
「ま、まさかと思いますけど、恩を返すとか貸しとか借りとか、そんなアホみたいな話は土御門つちみかどの冗談の中だけですよね?」
 土御門と同じように怒鳴られるかと思って身構えていた上条かみじようだったが、意外にも神裂はポツリポッリと歯切れの悪い声で答えた。
「ですが、ほかに、どうしろと言うのですか……。あなたは本来、私たちに守られるべき一般人であるはずなのに、こんな手傷を負わせてしまって。もう、単に頭を下げれば許される次元をとっくに過ぎている事ぐらいは私にも分かります。ですから……」
 自分の言葉が自分に刺さるのか、神裂の台詞せりふは長引いていくにつれてどんどん弱く細くなっていく。意外にもそれが困った時のくせなのか、神裂はまたしても前髪を軽く指先でいじくり回した後に、疲れたように自分の頭をぐしゃぐしゃと乱暴にでて、重たい息を吐く。ボツ作文を丸めてゴミ箱へ捨てるような動作に似ていると上条は思った。
 上条としてはこういう事後の関係はずるずると引きずらず、土御門みたいに『おつかれー。じゃっ♪』と無責任に立ち去ってくれた方がありがたかったりするのだが、神裂的道徳心ではそういう訳にもいかないらしい。
 仕方がないので、上条はため息を一つ。
 頭の中のギアを、ちょっとだけ真面目まじめなものに切り替える。
「っつか、本題ってこういう訳だったのか」
「はい。生来、私は他人様に迷惑をかけやすい性質なのですが、とかくあなたに関しては毎回毎回毎回ありえないほどの重しを背負わせてしまって、そのたびに身が縮む思いをしています。
しかも今回は私のみならず天草式全体を含む私達の問題にまで巻き込んでしまって」
「うーん。でも気にする必要もねーんじゃねーの? その俺達の問題は、とりあえず無事に済んだんだし、おれ達の申にも目立って傷を負ったヤツもいなかったんだから」
 その言葉に、神裂はおどろいた顔をする。
 彼女は両目をぱちぱちとまたたかせてから、
「俺達、って……?」
「ん? だから、俺と天草式。あー、イギリス清教もそうか。後はオルソラとインデックスとステイルと、それからお前。とりあえず、これが今回の『俺達』だろ」
「……、」
 神裂火織かおりは、呆然ぼうぜんとその言葉を聞いていた。
 まるで絶対に解けないと思っていた難解な問いを、目の前で一瞬いつしゆんで解かれたように。
「何を驚いてんだか。イギリスとかローマとか、そっちは色々大変みたいだけど素人しろうとの俺にゃ正直あんま区別できないし。馬鹿ばかで無知な子供の意見としちゃ組織なんざどうだって良いじゃんと言いたい」
 対して、上条当麻かみじようとうまはろくに考えもせずに続けた。
 まるで深く考える必要もないほど簡単な問題だとでも言うかのように。
「別におれはイギリス清教所属のインデックスの味方をしてる訳じゃねーんだよ。インデックスがイギリス清教に所属してるから、とりあえずそこの味方をしてるだけだ」
 廊下の方から、パタパタと足音が聞こえてくる。
 おそらくインデックスだろうな、と適当に考えながら上条は先を続ける。だれの味方でいて良かったか、それを今確かめるように。
「多分、今度アニェーゼが助けてって言ったら俺は助けに行くそ。今回はたまたまアイツが悪かったけど、アイツがこれからもずっと悪くあり続けなきゃいけないなんてルールはどこにもないんだからな」
 上条は笑って断言する。
 神裂かんざきは思わずおどろいたような顔をして、それから困ったように小さく笑った。
 彼の行動理由はこれ以上ないぐらい単純で、馬鹿ぼか馬鹿しく聞こえるかもしれないが。
 それゆえに、上条当麻は決して己の道を迷わない。
 絶対に。
 イギリスには雨季や乾季といったものはないが、代わりに年中通して天気がコロコロと変わりやすい。四時間程度で天気が変わるというのがこの街の常識であって、良く晴れた日にも折り畳み傘を持って歩いている人は珍しくもなかった。
 そんなこんなで現在ロンドンの街は夕方から一転した夕立の雨粒にたたかれている。とはいえ、この街の人々には雨だからお出かけは中止、という考えはない。ただでさえ狭い歩道には色とりどりの傘がぎゆうぎゅうと押し詰められている。
 うっすらと湿るきりのような雨の中を、ステイル=マグヌスとは並んで歩いていた。ステイルはコウモリのような黒い傘を、ローラは白地に金刺繍きんししゆうの紅茶のカップみたいな傘を差している。
「別にランベスの宮へ帰るだけなら運転手でも回してくれば良いでしょうが」
「雨のいとい人はこの街に住んでいられずなのよん」
 ローラは楽しそうにくるくると傘を回しているが、それは間違いなく偏見だ。現にステイルはこのきりのような雨があまり好きではない。傘を差しても体はれるし煙草タバコは湿気るし、悪い事ばかりだ。
 ステイルは火のきにくくなった煙草の先端を見つめてため息をつく。
 今は自宅へ帰宅途中のローラの後をステイルが追って、帰る道すがらに、ある一件の結果報告をしている所だった。好きな時間に大聖堂へやってきて好きな時閻に大聖堂から帰っていく自由奔放なこのイギリス清教最大主教アークピシヨツプサマは、どうも一ヶ所でじっとしているのが苦手らしく、報告なり作戦会議なりは街を歩きながら、というパターンが非常に多い。
 ステイルとしては、いちいち奇襲きしゆうや傍受を防ぐための細工をするのが面倒で仕方がない。今も二人の傘には細工がしてあって、電話ボックスのような機能がつけられていた。お互いの声は傘の布地がムるえる事でその振動を『声』に変換し、同時に傘という『枠』の外側には決して『声㎏が漏れないようになっている。
「―――以上が本件の概要となります。ローマ正教側は、この件はアニェーゼ=サンクティス以下二五〇名による武装派閥の独走、という形でケリを着けるつもりですね。あくまで彼女たちが勝手にやった事で、ローマ正教全体としてはオルソラを暗殺する気はなかったと弁明したいようです」
「内の部下の手綱たづなつかみきれねばおとがめナシとはいかないはずなんだけどね」
 ローラは苦笑しながら指先で髪をいじっていた。荘厳そうごんと呼ぶべき美しい髪は、雨滴を受けた蜘蛛くもの糸のような妖艶ようえんさをかもし出している。
 ステイルはチラリと目だけを動かしてとなりのローラの顔を見ながら、
「……、あそこまでする必要はなかったのでは?」
「んふふー。気になりたるのかい、ステイル。私がオルソラ=アクィナスと天草式十字凄教せいきようの棒組どもをイギリス清教の正式メンバーとして呼び迎えし事を」
「わざわざ僕達の手で守らなくても、向こうが正式に『やるつもりはなかった』と声明を出している以上、今後オルソラ達には不用意に手は出せないでしょう。今の状態で彼女達が不自然な死を遂げれば国際教会レベルの問題に発展すると思いますけど」
「じゃ、不自然でない死を果遂かすいせしめるのかしらね」
 ローラはニヤリと海賊みたいに野蛮な笑みを浮かべた。その顔と表情のギャップにステイルは声が詰まりかけた。
「思えば、あなたはローマ正教の真意は全て知っていたようですね。だったら何で最初からオルソラ=アクィナスをローマ正教から助けうと命を下さなかったんですか。ややこしい」
「全部ではないわ。まさかオルソラの解読法が誤っていようとまでは思ってなかったの」
でも、とローラは続けて、
「私としては、別にいずれでも良かったのよ」
 ステイルはローラの顔を見た。
 彼女は純白の傘をくるくると回しながら、
「仮に、よ。ステイル。今回の件で私達がオルソラ救出に失敗したる所で、何か事態は変化せしめたかしら? 彼女がローマ正教の元へ帰されたれば、どうせ後には処刑が待っているわ。成功しようが失敗しようが、どの道『法の書』が解読されし事はないでしょうに」
 だからどちらでも構わなかった、とローラは結論を告げる。
 オルソラが死のうが生きようが、そんな小さな問題など知った事ではないと。
 ステイルはつまらなそうに息を吐いてから、
「だったら何で最大主教自らがオルソラに十字架を渡せなんて指示を出したんですか。あれだけ差し迫った状況下で作戦数をさらに増やしてまで。なんだかんだ言って最初っから助ける気まんまんだったんじゃないですか?」
「うっ」
「増援がやけに少なかったのも気になりますね。まあ大方、日本海の洋上の辺りにでもこっそり『必要悪の教会ネセサリウス」の大部隊でも配麗していたからこちらへは人員を割けなかったんでしょう? 『十字架の一件』を口実にして、オルソラを連れてローマへ移動するアニェーゼ部隊を強襲きようしゆうするために。まったく何をこそこそ恥ずかしがっているんだか」
「ううっ! ち、違いたるわよ違いたるわよ! 私がこの件に横槍よこやりを入れたるはあくまでイギリス清教側の利益のためなのよ!!」
 頭から湯気でも出しそうな顔でローラは否定の言葉を吐くが、ステイルは特に反論もしない。一人でムキになっているのが余計に頭に血を上らせるのか、ローラの顔がぐんぐん赤みを増していく。
「で、利益というのは?」
「……、早々に受け流してくれちゃって。神裂火織かんざきかおりよ」ううう、とローラはむくれながら、「今回の件で良く見知ったでしょ。神裂は強大な力を持ち、良質な正義感を持つがゆえに、独断専行で動きかねなきものなのよ。今回の 件だとて結局何も起こらねども、実は相当危険な所までみ込んでたの。今後あれを止めたるための、新たなる足枷あしかせが必要になりけるでしょうね」
 ステイルの顔からふざけた表情が消えた。
 ローラの表情も、いつの間にか大人びたものに変わっている。
「あれは暴力によりて強引に止められずでしょ。いや、止めようと思えば止められるけど、こっち側にも相応の被害が出るのは必至。騎士団きしだん馬鹿ばかどもが海岸線でいかような目にったか、報告は受けてるでしょ」
 ステイルは別働隊からの報告書の内容を思い出す。
 完全装備の騎士一=名は独断専行で天草式のメンバーの殺害を計画したが、何者かの手により一方的に戦闘せんとう不能状態に追い込まれていた。
「そこで暴力以外の足枷が必要になりけるのよって訳。天草式という『きずな』は大いに益体する。さも、『言う事聞かねば危害を加えたる』というマイナスの足枷ではなし、『言う事聞きし内はローマ正教から守りたる』というプラスの足枷が使えるの。私たちが天草式に対してマイナスなる事を強要すれば神裂も反発せしめたでしょうけど、プラスなる事を勧めたれば反発などするはずがない。ね、かくも美味おいしい利益はないでしょう?」
 にっこりと微笑はほえむローラに、ステイルは内心でゾッとした寒気におそわれた。
 一見能天気な少女に見えるかもしれないローラ=スチュアートだが、彼女はやはりイギリス清教のトップであり、あの禁書目録の仕組みを築き上げた冷酷なる管理者なのだった。

 一年おきに記憶きおくを失わなければならないルールを作り。
 イギリス清教のメンテナンスを受けなければ生きていけない体を作り。
 しかもメンテナンスは教会の善意によるものだとだましてインデックスの裏切りを防ぎ。
 そうしなければインデックスは死んでしまうと騙してステイルたちの反発をも防いだ。

 人の感情・理牲・損益・倫理という様々な『価値観の天秤てんびん』をてのひらの上で転がすという行為にこれほど手馴てなれた人間はほかにいないだろう。ステイルは改めてこの少女に対する警戒心を高めたが、かと言って彼にできる事などたかが知れている。迂闊うかつな行動を取れば、ローラは迷わずステイルではなくインデックスへ制裁を加えるだろう。彼女はそういう人間だ。
 ドン、とステイルの肩に通行人の体がぶつかった。
 ステイルとローラの間を無理に通り過ぎようとした学生のものだった。
 おっと、とステイルの体が揺れた時には、もうローラの姿はなかった。
 傘と傘をつないでいた通信用の術式はすでに途切れている。
 慌てて辺りを見回せば、どういう方法を使ったのか、遠く離れた所にかろうじて紅茶のカップみたいな白地に金刺繍きんししゆうの傘がくるくると回っているのが見えた。それもやがて人の波の中にみ込まれ、完全に消えてしまう。
「……、」
 すっかり調子を狂わされたステイルは、ごくりとつばを飲み込んだ。
 曲者揃くせものぞろいの魔術師まじゆつし達を束ねる得体えたいの知れないトップの姿に、彼は改めて寒気を感じながら、しかし思う。
 天草式を助けたのは神裂火織かんざきかおりを上手にしばり付けるためのものだった。
 それは分かる。
 ならば、オルソラ=アクィナスを助けた理由は、結局何だったのだろう?
 それは分からない。
 オルソラが考えていた『法の書』の解読法はただの間違いだったため、無理に『保護』する必要はない。また、オルソラを助けた事で神裂のように縛られる人問はいない。確かにオルソラは布教活動で功績を挙げ、彼女の名前がついた教会を建ててもらえるほどになっていたが、かと言って神裂のような組織・集団を束ねるほどのカリスマ性を持っていたとは思えない。もしそうなら、暴動や離反を恐れて、簡単に暗殺なんてくわだてられるはずがないからだ。
「……あの女狐めぎつねめが」
 ステイル=マグヌスは憎々しげに舌打ちした。
 ここで一つでもオルソラ=アクィナスを助けた打算的な理由が思いつけば、ステイルはローラを悪人と断ずる事ができただろう。が、ここがローラの難しい所で、彼女は善人なのか悪人なのか判断するための材料がいまいち少ないのだ。というより、彼女は善と悪のどちらの行いも均等に実行するのである。さながら、天秤てんびんの釣り合いを保つように。
 当然、天秤がどちらにも傾かず、ピタリと正確に平衡へいこうを保ってしまうと善とも悪とも判別できなくなってしまう。たとえ、天秤の左右の皿にどれほどのおもりが乗っていようとも。
結果として、ステイルはどちらとも判断できないまま、ずるずるとイギリス清教の下で働いていく羽目になる。
 あるいはそれがねらいなのかもしれないな、とルーンの魔術師まじゆつしはとりあえずの予測を立てながら、霧雨きりさめの街へと消えて行った。

   あとがき

 七冊もまとめて読んでも苦にならない読書家の貴方あなたは初めまして。
 一巻からこつこつとお付き合いいただいている貴方はお久しぶり。
 鎌池和馬かまちかずゑです。
 のんびりとやっている内に気がつけば七冊目です。本編の日付は九月八日と相も変わらずのゆったりペースで進んでおります。これまで個人戦主休でお届けしてきた本シリーズですが、今回はちよっびり組織間のやり取りを含んでいたりします。
 今回のオカルトキーワードは『魔道書まどうしよ』です。というか、魔道書図書館という役目を持つヒロインが活躍かつやくする本シリーズなのでもっと早くにやっておくべきだったかなという気がしないでもないですが、とにかくいろんな場面に『魔道書』を登場させてみました。
 その他にも各組織間の特色のようなものを強く出してみました。それぞれの組織の使うトンデモ攻撃こうげきとその背景にある思想やら事情やらをもやもやと想像していただけると幸いです。
 イラストの灰村はいむらさんと編集の三木みきさんにはいつもいつもお世話になっております。いつまでも進歩のない鎌池ですが、どうぞこれからもよろしくお願いします。
 そして本書を手に取ってくださった読者のみなさん。いつまでもいつまでも進歩のない鎌池ですが、じりじりと前へ進もうとする悪あがきをこれからも温かい目で見守ってくれると助かります。

 それでは、七冊もの冊数を刊行できた幸運に感謝して、
 ここで立ち止まる事なくこれからも書き続けられる事を願って、
 本日は、この辺りで筆を置かせていただきます。

 魔術まじゆつ主体の話になると美琴みこと小萌こもえ先生も出番ナシ!鎌池和馬

とある魔術の禁書目録12

鎌池和馬

発 行 2007年1月25日 初版発行
著 者 鎌池和馬
発行者 久木敏行
発行所 株式会礼メディアワークス

平成十九年一月ニ十七日 入力・校正 にゃ?

小説ーとある魔法禁書目録06

とある魔術の禁書目録6

鎌池和馬

   c o n t e n t s
 
   序 章 舞台裏の表側
   第一章 始業式 Baby_Queen.
   第二章 放週除後 Break_Time.
   第三章 閉鎖化 Battle_Cry.
   第四章 終止符 Beast_Body,Human_Heart.
   終 章 表舞台の裏側

とある魔術の禁書目録6

 学園都市の新学期初日。
 それは、上条当麻かみじようとうまが通う学校に“謎の転校生”が現れた日で、インデックスにはじめて「ともだち」ができた日で、御坂美琴みさかみことがインデックスと初対面した日で、二人に板挟みになった上条があいかわらず不幸だった日で、その一部始終を傍観していた白井黒子しろいくろこが上条に嫉妬した日で……そして、学園都市にとある魔術師が襲来した日だった!
 “謎の転校生”、「ともだち」、とある魔術師。
 特別警戒宣言コードレッド下の学園都市で科学と魔術が交差するとき、上条当麻の物語は始まる――!

鎌池和馬

六巻目にして、当シリーズもようやく夏休みを突破、新学期スタートです。これまでは学園アクションというか夏休みアクションといった感じの当シリーズでしたが、これでやっと平日の学園っぽい描写を加える事が……できるんでしょうか……?

イラスト:灰村はいむらキヨタカ

1973年生まれ。念願の電子レンジを購入したのですが、さっそくブレーカーが落ちました。そろそろ、新しく部屋を探す時期なのかも……?

  とある魔術の禁書目録6

   

chap1

序 章 舞台裏の表側

 学園都市には窓のないビルがある。
 ドアも窓も廊下も階段もない、建物として機能しないビル。、大能力レベル4の一つである空間移動テレポートを使わない限りは出入りもできない密室の中心に、巨大なガラスの円筒器は鎮座ちんざしていた。
 直径四メートル、全長一〇メートルを超す強化ガラスの円筒の中には赤い液体が満たされている。広大な部屋の四方の壁はすべて機械類で埋め尽くされ、そこから伸びる数十万ものコードやチューブが床をい、中央の円筒に接続されていた。
 窓のないその部屋はいつもやみに包まれていた。ただし、円筒を遠巻きに取り囲む機械類のランプやモニタの光が、まるで夜空の星々のようにまたたいている。
 赤い液体に満たされた円筒の中には、緑色の手術衣を着た人間が逆さで浮かんでいた。
 学園都市統括理事長、『人間』アレイスター。
 それは男にも女にも見え、大人にも子供にも見え、聖人にも囚人にも見える。その『人間』は自分の生命活動を全て機械に預ける事で、計算上では溢よそ一七〇〇年もの寿命を手に入れていた。脳を含め全身はほぼ仮死状態に近く、思考の大半も機械によって補助している。
(……、さて。そろそろか)
 アレイスターがそう思った瞬間しゆんかん、タイミングを合わせたように円筒の正面に、唐突に二つの人影が現れた。一人は小柄な空間移動テレポート能力者の少女、そしてもう一人は彼女にエスコートされるように手をつないだ大男だ。
 空間移動能力者は一言も言葉を発しないまま会釈えしやくすると、再び虚空へ消える。
 闇の中には大男だけが取り残された。
 その大男は短い金髪をツンツンにとがらせ、青いサングラスで目線を隠した少年だった。アロハシャツにハーフパンツという、こんな場所にはそぐわない格好をしている。
 土御門元春つちみかどもとはる。イギリス清教の情報をリークする学園都市の手駒てごまだ。
「警備が甘すぎるぞ。遊んでいるのか」
 スパイである土御門は、雇い主であるアレイスターに向かって苛立いらだった口調で言った。スパイであるものの、土御門はアレイスターの従属的な部下ではないのだ。
 土御門の口調は突き放すようなひびきがあり、普段ふだんの彼を知る者ならおどろきに身をすくめていただろう。自分の不満を隠そうとしない土御門に、アレイスターは淡く淡く笑って、
「構わ濾よ。侵入者の所在はこちらでも追跡している。これを使わぬ手はない。若干ルートを変更するだけで、プランニ〇八二から二三七七までを短縮もでき―――」
「言っておくが」
 土御門つちみかどは遮るように言った。バン、と手の中のレポートをガラスの円筒へ押し付ける。クリップで留められた隠し撮りの写真には、侵入者の女の姿が写っている。
 としは二〇代も後半で、金色の髪と、別の国の血を引いた褐色の肌が特徴的な女だ。ただし髪の手入れを怠っているのか安っぽい演劇用のカツラのようにあちこちの毛が荒れて飛び跳ねている。後ろ姿を見るとライオンみたいなシルエットの女だ。服装は漆黒しつこくのドレスの端々に白いレースをあしらった、ゴシックロリータ。ただしドレスの生地はり切れ、レースもほつれてくすんだ色を見せている。飾りではなく、日常的に豪奢こうしやな衣装を身にまとっている証拠だ。。「シェリー=クロムウェル。こいつは流れの魔術師まじゅっしではなく、イギリス清教『必要悪の教会ネセサリウス』の入間だ。アウレオルスの時のようにはいかないそ」
 土御門はまるで無理な禁煙でもしているような苛立いらだった様子で、
「イギリス清教だって人の作る組織である以上は一枚岩ではない。いや、構成の特性上、十字教の中でもあれほど複雑に分岐した国教はほかにない。お前とて分かっているだろうが」
隣人りんじんを愛する者同士が互いにいがみ合うとは、随分と素敵な職場だな」。
「まったくだ」土御門は息を吐いて、「しかし、それゆえにイギリス清教にも様々な派閥と考えがある。学園都市協力派だけとは限らないそ。中には全世界を英国の殖民地にしてすべての国旗のデザインを一つに統一したいと考えるヤツまでいる始末だ。お前がウチのお姫様と結んだ『協定』にしても、どこまで役に立つかは分からん」
 イギリス清教と学園都市のトップ同士が決めた『協定』さえ疑問視する者もいる。知識の宝庫たるインデックスが学園都市内部にいる事が、すでに情報漏洩ろうえいの危険をはらむに違いないと。
もちろん、『必要悪の協会ネセサリウス』とは別枠の『騎士団きしだんたちが実際にインデックスのセキュリティが外れている事まではつかんでいないとは思うのだが。
 それにしても、今の段階でさえ『騎士団』の中でも十字軍時代の侵略精神をそのまま引き継いでいる派閥などは学園都市を危険視している。土御門が上手く情報操作しなければ学園都市討伐運動が起きかねないほどに。
「オレも教会にもぐればある程度の人心を操作する事もできる。だがな、それにも限度ってものがあるんだ。派閥や勢力が異なる所までは手を伸ばせない。伸ばしたとしても、どこかでこちらが意図的に操作した情報は歪曲わいきよくしてしまう」
 彼は一度そこで言葉を切ってから、
「大体、アウレオルスの時でさえ散々あちこちに手を回していただろうが。魔術師は同じ魔術師が裁かなければならない。この法則はオレよりもお前の方が分かっているはずだ。学園都市は『科学』を、教会は『神秘』を、それぞれの技術を独占する事でアドバンテージが生まれている。その中で学園都市の面子メンツが魔術師をつぶしてみろ。せっかく死守してきた門外不出の独占技術がそこから漏れるかもしれないと思われただけで立派な亀裂きれつの出来上がりだ」
 上条当麻かみじようとうまという少年は、この一ヶ月強で何人かの魔術師まじゆつしと戦ってきた。しかし、ステイルや神裂かんざきは教会と事前の取り引きがあったし、アウレオルスや闇咲ゃみさかなどは教会所属ではない流れの魔術師なので、それほど波風は立たなかった。
 だが今回は意味の重さが違う。学園都市に侵入してきたのは『イギリス清教独自の術式』を抱えた魔術師で、しかも取り引きもない。これが一派閥の意向なのかシェリー一人の独断かは判断できないが、仮に彼女の独断だとしても、勝手に倒すのはまずい。
 シェリー=クロムウェルは王立芸術院でも最も寓意画ぐういがの組み立てと解読に優れた人間だ。寓意画とは絵画の中に魔道書の内容を隠した暗号絵画の事で、例えば洋上に浮かぶ船の上から見た、夕暮れに水平線へ沈んでいく太陽の絵画があったとする。普通の人が見れば何気ない一枚の風景画に過ぎないが、この中の海水は『塩』を、太陽は『黄金』を意味し、これらを組み合わせると『黄金と塩を使えば、海の中を魚のように泳ぐ事ができる魔術の方法を示している』という情報を取り出せる。
 ほかにも絵の具のカラーや厚み、夕暮れという時間帯、船の上という場所……絵画の中にある些細ささいな要素のすべてが何らかの意味を持つ暗号として機能するので、何百年もってから寓意画の読解に誤りがあったと判明するパターンも多い。真の意味で寓意画のスペシャリストになるのは、それぐらい難しいのだ。
 インデックスが知識の収集・保管を担当するなら、シェリーは暗号技術によってその知識を封印・開封する専門家である。彼女が他勢力の手に落ちれば、イギリス清教が守り続けてきた複雑怪奇な暗号の解読法が丸ごと相手側に伝わってしまう事になる。
 下手にシェリーを倒せばイギリス清教と学園都市の間に亀裂きれつが走る。シェリーを送り込んだ派閥が学園都市を嫌っているのだとすれば、そこをねらって亀裂を押し広げようとするだろう。
 だが、土御門つちみかどはその先をえて言葉に出さない。、
 というよりも、出せない。その一文は口に出すのもためらわれ、胸の中に広がっていく。
 ―――最悪、科学世界と教会世界の戦争となるかもしれない。
 土御門はアレイスターをにらみながら、
「まあ、今回の件でもよほど間抜けな選択をしない限り、この火種が燃え上がる事はないだろう。、だが、火種を消すために水面下で人死にが起きるかもしれない。お前は何を考えている? 本腰を入れて警備に力を入れれば、いくらでも侵入を阻止できたくせに」舌打ちして、「とにかく、オレはシェリーを討つぞ。魔術師の手で魔術師を討てば、少しは波も小さくなる。それからスパイはこれで廃業だ。ここまで派手に動けば必ず目をつけられるからな。まったく、心理的な死角にもぐってこそのスパイだというのに、四六時中監視されて仕事が―――」
「君は手を出さなくて良い」
 遮るようなアレイスターの一言に、土御門は一瞬いつしゆん凍りついた。
 何を言っているのか、理解できなかった。
「君は手を出さなくとも良いと告げた」
「……本気で言っているのか?」
 土御門っちみかどは、相手の正気を疑うように言った。
「可能性は、決してゼロではないんだぞ。水面下での工作戦なんてビルからビルへ綱渡りするようなものだ、手を間違えれば戦争が起きるかもしれないというのに!」
 大量破壊はかい兵器の設計図が他国に漏れれば、それだけで戦争の火種として正当化される。学園都市内で教会の魔術師まじゆつしを捕獲するとは、つまりそういう意味なのだ。
 確かによほどの事がない限り、全面戦争にはならないだろう。しかし、逆に言えばよほどの事があれば戦争が起きてしまうのだ。それも国家と国家の戦争ではない、国境の壁すら越えた『科学』と『教会』、二つの世界の大戦だ。
 学園都市を代表する『科学』と教会を代表する『オカルト』の間に圧倒的な戦力差はない。
それはつまり、実際に戦争が起きれば泥沼のように長引いてしまうのだ。
「アレイスター、お前は何を考えている? 上条当麻かみじようとうまに魔術師をぶつけるのがそんなに魅力的みりよくてきか。あの右手は確かに魔術に対するジョーカーだが、それでもアレだけで教会全体の破壊などできるはずもないだろう!」
「プランニ〇八二から二三七七までを短縮できる。理由はそれだけだが?」
 アレイスターの言葉に、土御門の息が詰まる。
 プラン。『計画』というよりは『手順』といった所か。アレイスターがこの単語を口にする場合、該当するものは一つしかない。
「虚数学区・五行機関の制御法か」
 土御門はいまいま々しげにつぶやいた。虚数学区・五行機関。学園都市ができた当初の「始まりの研究所』と呼ばれているが、今ではどこにあるのか、本当にあるのかも分からないと言われる幻のような存在。ウワサでは現在の工学でも再現不可能な『架空技術』を抱え、また学園都市の裏側からその全権を掌握しているとさえ考えられている。
『外』の教会や魔術師はこのビルを指していると思っているようだが、違う。実際はそんなものではないし、本当の事を『外』に教える訳にもいかない。
 言えるはずがない。学園都市に対して絶大な影響力えいきようりよくを持つ『ソレ』が、誰にも制御できず何のためにあるのかも分からないままひそんでいるなどと。
 学園都市を治めるアレイスターとしてはあらゆるものを利用してでも五行機関のぎよし方をつかまなければならない。いや、アレイスターはおそらく御し方白体はすでに欄んでいる。ただし、それを実行するための材料が、キーが足りないのだ。
『手順』というのは一方通行アクセラレータが行った絶対能力進化レベル6シフト実験を思い浮かべると分かりやすい。あれと同じく、一定の順序で事件・問題を起こしてキーを作り上げていく。
 その『手順』の中心には一人の少年がいる。
 上条当麻かみじようとうま
 アレイスターは当初から彼をプロセスに取り込むつもりだったが、禁書目録や錬金術師れんきんじゅつしなどの魔術まじゅっ戦まで考慮こうりょしていたとは思えないと土御門つちみかどにらんでいる。アレイスターはこうしたイレギュラーが起きるたびに『計画』を組み替え、誤差を修正するどころか逆に利用して膨大ぽうだいな『手順』を少しでも短縮しようとするのだ。
 今回のシェリー=クロムウェルもそういう事か。
 ここで手を出さなくても、いずれ『手順プラン』は終わるはずなのに。
「その程度の、ために?」
「この街の軍事力や影響力えいきようりよくを考えれば、その程度などとは呼べないはずだがな。何せ世界を引き裂くほどの暴れ馬だ、手綱はできるだけ早くつかみ直した方が無難だろう」
 アレイスターは淡く笑う。そこからはいかなる感情も掴めない。喜ぶようにもあぎけるようにも哀れむようにも楽しむようにも見えてしまう。喜怒哀楽のすべてが混線している。
 なんてふざけた話だ、と土御門は舌打ちした。できるならアレイスターの命令など無視して独断でシェリーを討ちたい所だが、それもかなわない。
 そもそも、彼一人ではこのビルから出る事もできない。出ロがないのだ。ドアも窓も廊下も階段もない、生活に必要な大気すら施設内で生成しているため通気口もない。それでいてこのビルは、火力だけなら核ミサイルの爆風を受けても倒れないほどの強度を誇る。
 状況としては銀行の大金庫や核シェルターに監禁される事よりタチが悪い。絶望度で言えば宇宙服のない状態で大気圏外を飛ぶスペースシャトルに閉じ込められるのと同じぐらいか。
「外と連絡がつくはずもない、か。おいアレイスター、お前の有線で外の空間移動テレポート能力者を呼び出せ。さもないとそこらに伸びているコードを片っ端から引き抜くぞ」
「構わんよ。ストレスを解消したいのならば好きなだけやるといい」
 土御門は苦虫をつぶしたような顔をした。うすうす々勘付いてはいたが、この部屋にあるチューブやコード、機械類はダミーなのだろう。大体、この部屋だけでアレイスターの生命維持をまかなえるなら、そもそもこんな巨大なビルを用意する必要もない。この円筒器もただのバッタリで、ひょっとしたら立体映像を映すための装置なのかもしれない。
 アレイスターの浮かぶ円筒器に土御門は背を預け、念のために聞いた。
「お前、本当に戦争を未然に回避かいひする自信があるのだろうな?」
「その自信は君が持つべきだろう。舞台裏を飛び回るのは君の役割だ。なに、君の努力次第では水面下の工作戦にしても死者を出さずに済むかもしれんぞ」
 ちくしょうが、と土御門は吐き捨てる。
 詰まる所、彼はいつもそんな仕事ばかりしていた。

   

chap2

第一章 始業式 Baby_Queen.

     1

 九月一日、早朝。
 東京都の三分の一を独占する学園都市は、突き刺すような日差しにもかかわらず涼しげな空気に包まれていた。人の姿もまばらで、犬の散歩をしている中学生やジョギングをしている大学生ぐらいしかいない。そこかしこに立つ風力発電のプロペラがゆっくりと回転し、深い森の中のような冷気をかき回している。
 で。
 そんなさわやかな景色の中を、上条当麻かみじようとうまはぐったりしながら歩いていた。
「つ、疲れた……。これは絶対に平凡な高校生の一日じゃねえ……」
 その男子高校生の着るTシャツもズボンも、まるでマラソンを終えた後のように汗で湿っていた。衣服が吸い込んだ水分のおかげで、重量が二倍に増えているようにすら思える。
 元はと言えば、前日の八月三一日にすべての原因があった。
 上条はその日の夜に、闇咲逢魔やみさかおうまという男と出会っていた。さらに、彼の知り合いの女性を助けるために、学園都市の外へ出かけていたのだ。
 ちなみに『出かけていた』とは、『強行突破』と言い換えても良い。学園都市は周りをぐるりと壁で覆われ、警備隊のような者によってガードされている。許可証もなしに無断で外へ出るのは許されないのだ。実際、闇咲の協力がなければ難しかっただろう。あの魔術師、便利な事に『惑魔わくまげん』とかいう『許可証があるように思わせる』術式を使えるらしい。個人個人の精神防壁の違いによって効果が出るかどうかムラっ気があるため、駄目だめな時は強硬手段に出なければならないらしいが。
「……大体おかしいんだよ。、そんな警備網を突破するだけでも命懸いのちがけだってのに、その後は何だったよ? 本当に魔術師ってのはどいつもこいつも素人しろうと相手に手加減ナシでどつき回してきやがって。っつか、日記にまとめたら咋日のアレだけで一冊埋まるぞ、絶対」
 で、全部終えて、闇咲の援護の元に二度目の強行突破を果たして学園都市の中に戻って来たのがついさっき、という訳だ。
(……あ。やっと学生りようが見えてきた。うおー、ようやく日常空間に帰ってこれたー)
 実際には寮を出て一日もっていないのだが、上条には数ヶ月ぶりのが家のように感じられた。もっとも、彼は記憶きおく喪失で八月以前の記憶がないため、数ヶ月ぶり、というものがどんな感覚なのかを知らないのだが。
 上条かみじようは疲労と睡眠不足でふらふらになった体を引きずるように学生りようの建物に入り、狭いエレベーターを経由して自分の部屋の前まで辿たどり着いた。
(うう……ねむい)
 上条は思わずあくびをみ殺す。本音を言えばベッドに飛び込んで二、三日は眠りこけていたいのだが、今日は九月一日、始業式である。
 夏休みに記憶きおくを失った上条にとっては、一部の人間を除けばクラスメイトとはほぼ面識がない状態なのだ。ほかの生徒にとっては何気ない一日だろうが、上条にとっては今の状況は転校初日に似ている。眠いという理由で初日からサボりを決める転入生というのもどうかと思う。
(記憶をなくしてるってのは……やっぱだれにも知られたくねえからなあ。今日は授業もないだろうし、一日使って学校生活のリズムと自分の人間関係ポジシヨンを覚えとかねえと)
 割と苦労人な上条は眠気の混じったため息をつきつつ、玄関のドアを開けた。
 瞬間しゆんかん、部屋の奥から少女の甲高い叫び声が飛んでくる。
「と・う・ま~ッ!!」
 その声は怒りを含んだものだったが、それだけだった。その少女は玄関にいる上条の元へと駆け寄って来る事はない。
 上条は一瞬だけ怪誹けげんそうな顔をしたが……やがて思い出した。
 彼が眠たい頭を働かせていると、ようやく声の主の少女が部屋の奥から現れた。腰まである銀の髪と白い肌を持つ外国人の少女だ。着ている衣服は純白の布地に金糸の刺繍ししゆうをあしらった豪奢ごうしやな修道服で、何故なぜか服のい目に沿って無数の安全ピンが刺してある。
 まだ子供らしさが残る少女のお前はインデックス。
 ……なのだが、今の彼女は体中を細いロープで雁字搦がんじがらめにしばられていた。手足をまともに動かせないインデックスは、尺取虫しやくとりむしみたいな動きで部屋の奥からってきたのだ。ちなみに、彼女の頭の上には三毛猫みけねこが器用に座っていて、のんびりとあくびをしていた。感覚的には『下克上』という言葉がいやに似合う。
「うわっ、すっかり忘れてた! お前ずっとそのままだったのか!?」
「とうま! 人を置き去りにしておいて最初に出てくる台詞せりふがそれなのー!?」
 インデックスは犬歯をき出しにして叫ぶ。
 先にも説明した通り、昨夜上条は闇咲逢魔やみさかおうまという男と出会い、彼の知り合いを助けるために一戦交えている。当然ながらそんな所へか弱いインデックスを連れて行くわけにもいかなかったのだが、そう説明した瞬間に彼女がたたる噛み付くと大暴れを始めたため、やむなく縄縛術じようばくじゆつとかいう縄スキルを持つ闇咲に彼女を縛ってもらい、インデックスにはお留守番しててもらうしかなかったのだ。
「また今回も今回も今回も一人で突っ走って……。とうま、とにかくこのロープを解きなさい! 注連縄しめなわを使った小型結界でも、とうまの右手なら触っただけでこわせるはずだもん!」
 とうまの右手。
 そこには幻想殺しイマジンブレイカーという力が宿っている。それが異能の力によるものならば、魔術まじゆつだろうが超能力だろうが問答無用で無効化させるものだ。ただし、その力は右手の手首から先しか適用されない、という欠点もある訳だが。
「けど、なあ。このロープ、解いたら解いたでお前ものすごく暴れそうだし」
 インデックスは怒ると人の頭にみ付くというとんでもない悪癖あくへきがある。今の怒髪天どはつてんモードの彼女の戒めを解くというのは、言ってしまえばおなかをすかせた猛犬の首輪を外して野に放つようなものだ。上条かみじようとしては、新学期早々、体に女の子の歯型をつけて登校するなんて事はしたくないのだが……。
 と、インデックスの表情が柔らかく変化した。
 分かりやすく雪口うと、迷子になっておびえる子供に接するような感じで。
「とうま。今なら私は怒らないから、素直にロープを解いてごらん?」
「……ホントに? ホントに怒らない?」
「怒らないよ」
「ロープを解いた瞬間しゆんかんにガブガブ噛み付いてきたりしない?」
「しないしない」

 インデックスはにっこりと、聖母のような柔らかい笑みを浮かべて言う。
 上条かみじようかがみ込んで、床の上に転がっているインデックスの体をしばり付けているロープを、人差し指で軽くつついた。するとまるで手品のように、インデックスの全身を縛っていたロープの数十もの結び目が、一斉にスルリと解けた。
 次の瞬間しゆんかん、拘束から解放されたインデックスは迷わず上条へおそいかかる。
「ひい?」
 原始人が巨大な肉にかぶりつくように、彼女は上条の頭にかじりつく。
「とうまのとうまのばかばかばか!!」
「ぎゃああ!?」
 上条は叫んだがもう遅く、彼は激痛にびくんびくんと跳ね回る。あらゆる魔術まじゆつも超能力も打ち消す事ができる右手の幻想殺しイマジンブレイカーも、猛獣もうじゆう少女インデックスに対しては何の役にも立たない。
「う、うそつき! 怒らないっつったのに痛ぁ!?」
「怒るに決まってるんだよ! まったく、魔術師と戦うって分かってるのに私を置いていくなんて! どれだけ不思議な力を持っていたって、とうまは魔術の素人しろうとなんだから! 何かあったらどうするつもりだったの!?」
 見れば、間近にある彼女の顔は大層怒っていたが、その目だけは泣きそうになっていた。
 インデックスは思い出の品を抱き締めるように、上条の頭に手を回す。
「……本当に、どうするつもりだったの?」
 抱き締められた上条は、頭の上から降りかかるその声を聞いた。
 その長い銀髪から、ほのかに甘いにおいが漂ってきた。
 少女の体は、わずかにふるえてさえいた。
 きっと、彼女は上条が帰ってくるまで、一晩中心配し続けていたのだろう。
「ごめん」
 上条は、それだけ言った。
 それしか、言葉が出なかった。
 ここまで自分の身を気にかけてくれた入に、これ以上不安がらせる訳にはいかないな、と上条は考えた。素直に、本当に素直に、上条はインデックスを傷つけたくないと、心の底から願う事ができた。
 ちなみに。
 インデックスは、上条が記憶きおく喪失である事を、知らない。
 知れば、彼女は必ず傷ついてしまうだろうから、伝えていない。

     2

 上条かみじようはふわふわと眠たい頭を揺らしながら二人分の朝ご飯を作る。と言っても、トースト、ベーコンエッグ、温野菜のサラダ、牛乳という超お手軽四点セットだ。
 料理を見た途端にガラステーブルへと走るインデックス(+三毛猫みけねこ)に対し、上条はトーストをくわえたまま部屋のあちこちを歩いて、始業式に必要な物を拾ってかぽんへ放り込んでいく。
「……っと、上履きだろ、筆記用具に……宿題の提出日って、今日……だよな。やっぱり今日なんだよなぁ。くそ、結局終わんなかったしどうしよう……? ……あとは、通信簿つうしんぼ? こんなんメールで送ってくれりゃ良いのに」
 あるいはハッキング対策なのかも、とか適当に考えながら、上条は厚紙で作られた通信簿を鞄に投げ込んだ。
 と、テーブルに一人残されたインデックスは不満そうな目を上条へ向けて、
「とうま。ホントにガッコー行っちゃうの?」
「んー?」
 上条は荷物を詰め込んだ鞄を適当な場所に置くと、残りの朝食を一気に食べて、自分の食器を流し台へ持っていく。
「あーそっか。新学期始まると、お前ずっと留守番になっちまうのか」
「む。と、とうま。私は別に寂しいとか一人が嫌だとか、そういう事を言っているんじゃないんだよ?」
 むしろ彼女を一人にしておくと危なっかしいと思っていた上条だったが、余計な口出しはやめておいた。
 もちろん、インデックスに部屋から[歩も出るなとは言わない。だが、学園都市における『常識』が皆無な彼女を野放しにするのも、また危険な気がする。この街にきて一ヶ月近くつインデックスがいまだに街に順応する気配を見せない所を考えると、単に常識を口で教えれば済むという訳にもいかなそうなのだ。
 これまでの経験から考えて、一番手っ取り早い解決案はこれからも上条とインデックスがずっと一緒いっしょに行動する事なのだが、流石さすがに彼女を同じ学校に転入させるのは絶対に無理だろう。
魔術まじゆつサイド』と『科学サイド』は仲が悪い、という話は上条にも何となく分かるので、魔術側の重要人物であるインデックスを上条と同じ時間割カリキユラムりによって科学側の能力者なんぞにしたら、問題になると思う。
「その辺も考えなくっちゃなー。悪いインデックス、今日はとりあえず留守番たのむわ。食器は流しの中で水に漬けといて」
 上条は時計を見ながら、急いだ調子で言った。
 半分寝室と化しているユニットバスへ入り、顔を洗って歯を磨いて、夏服へ着替える。本当ならシャワーも浴びたかったが、時間が足りない。
 とりあえず支度を済ませた上条かみじようがユニットバスのドアを開けると、インデックスがドアの前で待っていた。彼女は何か言いたそうな目で上条の顔を見上げていた。
「とうま、早く帰ってくる?」
「そうだな、分かった。帰ったら一緒いつしよにどっか遊びに行くか」
 少年の言葉に、インデックスはとても素直な笑みを浮かべた。
 上条はその笑顔を見るのがうれしかったが、同時に複雑な気分になる。今の彼女にとって外界とのつながりは、上条に依存する所が大きい。それどころか、彼女の人間関係はすべて『上条の友達の友達』であると言っても良い。
 それは、見方を変えればとても寂しい事だと思う。
 しかし、それでいて上条では協力しづらい問題でもあった。何故なぜなら、解決するためには『上条を経由しない人間関係』をインデックスが自分で築かなければならないのだから。
「じや、行ってくる」
 結局、何もできない上条は、問題を保留にした。
「うん。行ってらっしゃい」
 そんな彼に、インデックスは笑みを浮かべてそう言った。
 上条が部屋を出て、五分でインデックスは退屈になっていた。
 今までも何度か留守番をした事はあるが、だからと言って不満を感じないという訳ではない。
普段ふだんの彼女の活発な様子を見れば、一人でじっとしているのに不向きであるのは容易に想像できるだろう。
 けっ放しのテレビに目も向けず、床に寝そべったまま三毛猫みけねこをいじか回していた彼女は、やがてその動きをピタリと止めた。
 暇だ。外に出たい。とうまの後を追い駆けたい。。
 そんな欲求に駆られるインデックスだったが、直後に首をぶんぶんと横に振った。自分の都合を相手に押し付けるのは良くない。逆の立場で考えてみれば良い。、例えばインデックスがセントジョージ大聖堂から召喚命令を受けたとして、暇だから、という理由で上条が後を追ってきたとしたら。
 それはちょっと嬉しいけど、困る。
 魔術まじゆつの専門家であるインデックスとしては、そういう仕事場での顔はあまり見られたくはない。いつもと違う姿を見知った人に見られるのは恥ずかしいものだ。
 同じようにインデックスが上条の後を追っていくと、彼は困るかもしれない。そう考えると、無邪気に彼の姿を追い求めるのも気が引けるのだ。
(とうまは帰ってきたらどこかに遊びに連れてってくれるって言ってたんだし)
 インデックスは再び三毛猫みけねこをいじくり回しながら、床の上をごろごろと転がった。退屈だけどちょっと我慢していよう、と彼女は決意を新たにしようとして、
 ピタリと。その動きが止まった。
「……、あれ? とうま、お昼ご飯は?」
 つぶやいてから、インデックスの顔がちょっと青ざめた。
 彼女に料理を作るようなスキルはない。スナック菓子のたぐいも、三毛猫が片っ端から袋を破って食い散らかしてしまうため、買い置きはもうない。、
「ど、どうしよう。未曾有みぞうの大ピンチかも」
 思わず眩いてから、彼女は玄関へと視線を投げた。
 うすいドア板の向こうには、上条当麻かみじようとうまのいる外の世界が広がっている。

     3

 一方そのころ、上条は学校へ向かうため、朝の大通りを走っていた。
 都会のいたずらカラスが線路上に小石を置いた、という本当にどうしようもない理由で電車が止まっていたのだ。
 上条の学校は料金が馬鹿ばか高いスクールバスの利用を推奨しているため、電車通学を校則で禁止している。表向きには寄り道などの非行防止と変質者によるトラブル防止のためと言っているが、実際には学校側が運営するバスに乗せた方が経営陣としてはもうかるのだろう。
 しかし実際問題、電車の二分の一のスピードで走るバスが電車の三倍も高い料金を取ると分かったらだれでも電車を使おうと思うだろう。上条も夏休みの補習で一回乗って以来、内緒ないしよで電車を使うように心がけていた。
 そういった訳の分からない校則があるため、駅で発行される遅延証明書を学校へ持って行っても遅刻は取り消されない。
(ちっくしょ……眠いのに、疲れてんのに、朝っぱらからついてねえ。いや、今回はおれだけがついてないって訳じゃないか。分かったところで、ちっともさっぱりうれしくねえけど)
 ぼんやりした頭でそんな事を考えていた上条だったが、不意に後ろから、何者かにものすごい速度で追い抜かれた。
 茶色い髪を肩の所まで伸ばした、中学生ぐらいの少女だ。半袖はんそでのブラウスにサマーセーター、灰色のプリーツスカートというその姿は名門と呼ばれる常盤台ときわだい中学のものだったが、舞い上がるスカートの端も気にせず下には短パンを穿いてますと言わんばかりの全力疾走ぶりは、完全無欠にお嬢様じようさまのイメージからかけ離れている。
「……あー、なんだ。ビリビリか」
 寝不足で回転の悪い上条かみじようの頭がようやく答えを導き出す。
 上条は走りながら、眠くてショボショボした目をまたたかせ、
「……おっすー。若者は朝っぱらから元気だなあオイ」
 彼の声を聞いたビリビリこと御坂美琴みさかみことは、不承不承という感じで走る速度を落として上条と並走すると、ただいま不機嫌ですといヶ顔を向けてきた。
 美琴はジト目でとなりの上条をにらみつつ、
「ってか、どうしてそんな気安く話しかけられんのかしら。昨日の夜は人をさんざんさんざんさんざんさんざんスルーしていったってのに! ちょっとは引け目とか感じないの?」
 上条は寝ぼけまなこをこすりながら、美琴の言葉を頭の中でぐるぐる回す。
 そういえば確か八月三一日―――というか、昨夜インデックスが闇咲やみさかにさらわれた時に美琴とも会っていたような気もしたが、場合が場合だったので放ったらかしにしていた気がする。
 彼らは結構な速さで朝の道を走りつつ、
「あれ、何だよ。ひょっとしてお前なんか用事でもあったのか?」
「べっ、別に。そういう用があった訳じゃないけど……」
「???」上条は眠たい目をぱちくりと瞬かせ、「あの、一個聞きたいんだけど。用もないのに何でおれを呼び止める必要があったんだ?」
「う、うるさいわね! 別に何でもないわよ! もういい、話題を変える! アンタ普段ふだんってこっちの道だったっけ!?」
 自分で話題を変えるとか宣言するなよ、と上条は心の中で思っていたが、口には出さなかった。
「……いいや。電車が止まっちまってるから、そのせい。ま、つっても二駅分だから走りゃあ何とかなるレベルなんだけどな」
「そう言えば、さっきから随分とテンション低いわね。アンタ朝弱いの?」
 隣を走る美琴はキョトンとした顔をしていたが、上条はうんざりした視線を向けて、
「昨日いろいろあったから疲れてんの。っつか、むしろお前は何だって疲れが綺麗きれいサッパリなくなってんだ。何だよ、これが若さの力か」
 昨日、八月三一日には美琴もちょっとしたトラブルに巻き込まれている。もっとも、被害を受けたのは、そのとばっちりを食った上条なのだが……。
「な、何よ。昨日の、こ、恋人ごっこって、そんなに疲れる仕事だった訳?」
「あん? それ一つじゃないんだけどな。ほかにも昨日は色々あったんでございますよ」
 そっか、と美琴は小さく息を吐いた。
 彼女としては、また自分が何かとんでもない迷惑を背負わせたんじゃないか、という疑念を振り払えて安堵あんどしかけていたのだが、
「ん? 他にも? ……アンタ、まさか他の子とも似たような事してた訳?」
「アホか。あんなこっ恥ずかしいコト平然とたのんでくるヤツなんてお前しかいねーよ」
「な……っ!?」
 寝不足で平淡になっている上条かみじようの声に、美琴みことの顔が瞬時しゆんじに真っ赤になる。
「へ、平然って、そんな訳ないでしょ! わ、わたっ、私だってメチャクチャ悩んでそれでもほかに打開策がなくて仕方がなくて恥を忍んでたのみ込んだって言うのに!!」
「……あーはいはい。そっすねそうだねその通りですねー」
「ちょっと、真面目まじめに聞きなさい! こら、ローテンションのままスルーしてんじゃないわよアンタ!」
 そんなこんなで、テンションの落差の激しい二人はさわぎながら学校への道を走っていく。

     4

 上条は美琴と別れてさらに走ると、目指す高校が見えてきた。
(何とか……遅刻しないで済みそうだな。あー、夏休みの補習受けといて良かった)
 学校までの道のりも、校内の大体の見取り図も、お前に補習で来ていたせいか頭の中に入っている。おかげで、地図を片手にキョロキョロ辺りを見回すような挙動不審な真似まねをしないで済んだ。
(校舎は二つ。手前が新校舎で奥が旧校舎。目指す教室は新校舎の三階、右から二つ目。下駄箱げたばこは昇降口の右手側。よし!)
 記憶きおくを失っていないという演技のための情報を上条は頭の中でまとめると、走る勢いを止めず、他の生徒たち一緒いつしよに校門をくぐり抜けた。
 都内の学校にしては珍しく、土の校庭を持つ学校だ。敷地はそれほど広くはない。校舎は手前と奥に二つあり、その中央を渡り廊下でつないでいる。上空から見れば『工』の字の形になっているのが分かるだろう。校舎の左手にはカマボコ型の体育館が、校舎の右手にはプールがある。
 二三〇万もの学生を抱えるこの街には様々な学校があり校舎の屋上がプールになっていたり、体育館の地下が大倉庫になっていたり、といった変則的な造りの施設も珍しくない。
 そんな中で、この高校はあくまでスタンダードを極めようとしているらしい。つまり、あまりに平凡すぎて個性がないのだ。上条の横を通り過ぎる生徒達も見本品みたいな特徴のない制服を着ている。
(ま、個性がありすぎても疲れるだけだろうけど。常盤台ときわだいとかすごそうだよな)
 つらつらと考え事をしながら上条は昇降口へ向かうために走る。割と時間的に差し迫っているのだが、この学校では今の時間帯に一番多くの生徒がやってくるらしい。途中で職員用の駐車場の横を通り過ぎようとした時、ふと横合いから甲高い警告音が鳴った。見ると、バックで駐車しようとしていた自動車が、その途中でまって短く何度かクラクションを鳴らしていた。
駐車場のど真ん中であくびをしていた白猫がびっくりしたように逃げていく。 明るい緑色の、丸っこいデザインの軽乗用車だ。だが、それにしても小さい。助手席がなかった。一人乗り用に設計された車なのだ。
(うお、何だあの車。スクーター級にお手軽なのに雨でもれないのか、いいなあ。乗り物か、自動車は無理でも自転車ぐらい買ってみっかなー。……いや、やめよう。お前にめたら絶対盗まれるに決まってる。おれのヤツだけピンポイントで)
 ビジョンが明確に頭に浮かぶほど不幸に慣れている上条かみじようはため息をついて、
 ふと気づいた。
 運転席で、見た目小学生の女教師、月詠小萌つくよみこもえがハンドルを握っている事に。
「―――ってオイ! ブレーキに足届くんかい!?」
「とっ、届かなくったって運転できるんですーっ!」
 小萌先生はわざわざ車のドアを開けて叫び返してきた。
 良く見ると、その小型車はハンドルの形が少し特殊で、左右にボタンがついている。レースゲーム用の専用コントローラみたいな感じだ。おそらく、ボタンを使ってアクセルとブレーキを制御する障害者用の車の技術を利用しているのだと思う。
 意外にも小萌先生は乗り慣れた感じでスムーズに車を停めると、仕事に使うものなのか、分厚いクリアファイルを片手に車から降りてくる。
「まったく、夏休み明けの第一声がそれなんですか。先生は上条ちゃんをそんな風に育てた覚えはないんですよー」
「(……いや、あの光景を見たらだれでも先生の身を案じると思いますけど……)」
 上条は目をらして口の中でつぶやいたが、
「何か言いましたか上条ちゃん!? また背後からこっそり近づいて先生の事を高い高いしようとしてますか!?」
「してねえよ! 疑心暗鬼になりすぎだアンタ!」
 上条と小萌先生は大声で言い合いながら校舎への道を歩いていく。、始業式の準備でもあるのか小萌先生はやけに小走りだったが、周りの生徒に挨拶あいさつされるたびにいちいち立ち止まって『おはようございますー』と返してしまうため、早歩きの上条に簡単に追い着かれている。
「ところでそのクリアファイルの中身の紙束って何なんですか? まさかしよぼなから抜き打ちテストとかじゃないですよね」
「上条ちゃん、先生は学生時代にやられて嫌だと思った事はやりません。ほらほら、のんびりしてないで急いで急いで」小萌先生は上条をせかすように、「これは学校のお仕事とは違うのです。大学時代の友人から論文の資料集めをお願いされてまして、そっちのお手伝いなのですよー」
「大学時代。……そっか、そうだよな。教員免許採ってるんだもんな」
「上条ちゃん?」
 ぶつぶつつぶやいている上条かみじように、小萌こもえ先生は小首をかしげる。
 上条は改めてクリアファイルに目を向けながら、
「ちなみにどんなもんなんですか、論文とかって」
「別に難しい事じゃないですよ? AIM拡散力場の話ですし、上条ちゃんにとっても馴染なじみ深いものですから」
 と言われても、すでにAIM拡散力場なんて言葉は聞いた事もない。
 小萌先生はやや時間を気にするような急ぎ足になりつつも説明好きの教師モードになって、「上条ちゃんがもう少し大人になったら勉強するんですけどねー。AIMはAn_Invountary_Movement……『無自覚』という事です。くだんのAIM拡散力場とはその名の通り、能力者が体温みたいに自然に発してしまう力のフィールドですねー」
「ふうん。例えば御坂みさかの体かち微弱な磁場が漏れてるとかって感じか……」
「はぁ、ミナカさんですか? ……、あれ。ミサカ? いや、あの、まさかですよね」小萌先生の動きが少しだけ止まる。「とにかくAIM拡散力場は、能力者の力の種類によって異なります。発火能力パイロキネシスなら熱量、念動力テレキネシスなら圧力を周囲に展開してしまうといった具合ですねー。もっとも、どれも微弱なので精密機器を使わなければ計測できないレベルのものなんですけど」
 早足の上条に追い抜かれると、小萌先生は慌てて小走りで彼のとなりにやってくる。
「へー。じゃ、もしもそのAIMナンタラを読み取る能力者がいれば、『ムッ、近くに能力者の気配がする』とかっつーマンガみたいな真似まねができるって訳ですか」
「あはは、そうですねー。さらに進歩すれば、AIM拡散力場から能力の種類や強さを測る事もできるかもしれません。『ムムッ、ヤツの戦闘力せんとうりよくは七万ポイントだ』みたいな感じで。まぁ、とにかく世の中にはそんな事に情熱を注いでる物好きさんたちもいるのです」
 そんな話をしながら、上条と小萌先生は校舎に向かって走って行ったが、すぐに別れた。職員用昇降口はほかにあるのだ。
 上条は小萌先生の姿が見えなくなると、そっと息を吐いた。
(……、よし)
 それから、意を決して昇降口へと向かう。
 記憶きおくを失った上条の、だまし合いの学園生活が始まる。

 以前に補習で学校に来た事がある上条は、自分の下駄箱げたばこの位置や教室の場所で迷わなかった、彼はごく普通の生徒のように下駄箱に靴を放り込み、上履きを履いて、階段を登って、廊下を歩いて、自分の教室お前に立つ。
 問題はここからだ。
 ちょうど御坂妹と出会ったころの話になるが、補習の時には(正確には補習の補習らしいが)上条と小萌先生の二人しかいなかったため、彼は教卓の前の席に座っていたのだが、そこは彼の座席ではない。つまり、記憶きおく喪失の上条かみじようは自分の座席がどこだか分からないのだ。
(さて、どうするか……)
 上条ば少し悩んだが、ここで立ち止まっていても怪しまれる、彼は特に解決策も見出みいだせないまま、教室のドアを開ける。
(うっわ……)
 中に入った途端、上条は心の中で舌打ちした。教室にいる生徒の数は半分にも満たず、なおかつだれも自分の席に着いていなかったのだ。
 仮に生徒全員が着席していれば、残り一つの空席が上条の座席と分かったはずだが、そういう甘い展開にはならなかったようだ。
 と、教室の入り口で呆然ぽうぜんと立っ上条を、一足先に学校に来ていたらしい青髪ピアスが発見した。身長一八〇センチに届く大男は上条の元へ歩いてきながら、
「んー? どしたんカミやん。まさかここまできて夏の宿題全部ウチに忘れてもうたー、なんて愉快に不幸な事実に気がついたとか?」
 青髪ピアスがそんな事を言うと、教室にいるすべての男女の視線が上条に集中した。
 彼らは口々に言う。
「あ、なに? 上条ひょっとして宿題忘れてんの?」
「えっと、上条君。本当に宿題忘れちゃったの?」
「うぉぉやったーっ! 俺達おれたちだけじゃねえ! 仲間はほかにもいたーっ!」
「バンザーイ! 先生の注目浴びんのはどうせ不幸な上条だけだから、これで僕らのダメージは軽減されるかも! バンザーイ!!」
 いろめき立っクラスメイト達に上条はうんざりした顔になる。
 彼の父親などは息子に対するこの扱いを真剣に悩んだりしている訳だが、あくまで上条にとってはコミカルな日常に過ぎない。
「っつか、テメェら全員宿題やってねえのか。小萌こもえ先生泣くんじゃねえのか?」
 間に合わないと知りつつ死にもの狂いで一人宿題と格闘かくとうしていた自分は一体何だったんだ、と軽くこめかみを押さえる上条に、青髪ピアスはニヤニヤ笑って、
「なに、大丈夫だいじようぶやろ。あの人は賢い生徒より手のかかる生徒の方が好きそうやし。夏の補習だってクラスの三分の二が参加したから小萌先生うれしそうやったやん」
「……、あの人。居酒屋とかでこっそり一人で泣いてたりしねーだろうな」
「あっはっは。何を言うのんカミやんは。ボクなんか小萌先生に怒られるためだけに、宿題終わってんのにえて全部忘れてきましたよ?」
「ってか絶対泣くだろあの先生!! テメェは好きな女の子にいじわるする小学生か!」
 上条は思わず叫んでいたが、この教室では特に気にする必要もない日常風景として扱われているらしい。クラスの面々は散り散りになって世間話を再開する。
 変な集団から解放された上条かみじようとしては、さっさと自分の席に着いてホームルー協が始まるまで少しでも眠っておきたかったのだが、どこが自分の席なのかが分からない。
(さて、と。馬鹿ばか正直に『おれの席ってどこ? 』なんて聞いたら一発で怪しまれるだろうし) 上条はちょっと考えてから、青髪ピアスに向かって、
「ああ悪い。ちょっと俺の机ん中からノート取ってきてくんない?」
「ありゃ? 何やのカミやん。終業式ん時に置き忘れたん?」
 青髪ピアスは上条の言葉に割と索直に従って、窓際まどぎわの後ろの方の席へと歩いていく。
(なるほど、あそこが俺の席な訳ね)
 上条は机の中をのぞき込んでいる青髪ピアスを見ながらそんな事を思った。
「なーカミやん。ノートなんてどこにもないんやけどー?」
「は? あれ、そこじゃなかったっけ?」
 首をかしげる青髪ピアスに上条は適当な言葉を返して、ようやく席に着く。
 と、青髪ピアスはとなりの席に座ると、世間話を始めた。
「でさー、ゲーム脳の次はマンガ脳ですよ、その自称識者サマが言うには。もうアホかと。マンガ読んだ程度で脳が変質するなら能力開発も楽チンやん。っつか時間割りカリキユラムの教科書がマンガになるならバンバンザイやけどな」
「あー、でも教科書に選ばれるようなマンガってきっと面白くねーぞ。なんつーか、教材色丸出しな感じで」
「馬鹿野郎!そこに隠しえがあるんやないか!子供向けのアニメや特撮に含まれる意外なまでの破壊力はかいりよく何故なぜ気がつかん? 一度ぶんなぐらんと分からんかテメェは!!」
「何でそこまでキレちゃうの? それで超能力者レベル5になっちまっても微妙だし!」
 上条はいつもの馬鹿話をしながら、自分がこの空間に溶け込んでいるのに気づいた。
 記憶きおくを失って、もう一ヶ月もつ。今ここにいる上条は、何も知らない真っ白の状態ではないのだ。まるで記憶を失う前の古い自分の上から、記憶を失った後の新しい自分を上書きしているかのように。
 上条は、もう思い出を語る事ができる。
 記憶喪失というハンデは、すでに消えつつある。

 だけど、それは上条個人の事情だ。
 きっと、あの白い少女にとっては何の解決にもならない。

 上条は、インデックスとの出会いを知らない。けれど、話を聞く限りでは何年も前からの知り合いではないらしい。つい最近知り合ったという話だから、もしかしたら記憶を失う前よりも、失った後に過ごした期間の方が長いのかもしれない。
 しかし、そんな事は関係ない。
インデックスはその短い時間で、上条かみじよう信頼しんらいするようになったのだ。おそらく彼女にとってそのわずかな間に作った思い出は、絶対に失いたくない大切なものに違いない。
 今インデックスが上条になついてくれる。しかしそれは彼女が知らないからだ。
 上条がすでに記憶きおくを失い、その大切な思い出を共有していないという真実を。
「……、」
「カミやん? おーい、カミやん」
 青髪ピアスの声で、上条はようやく我に返った。
「あ、あー。悪い、昨日眠ってなくて頭がボーっとしてんだ」
 強引に取りつくろって、彼は偽りが作る日常へと帰っていく。

     5

「はいはーい、それじゃさっさとホ!ムルーム始めますよー。始業式まで時間が押しちゃってるのでテキパキ進めちゃいますからねー」
 小萌こもえ先生が教室に入ってきたころには、生徒のほとんどは着席していた。
「ありゃ? 先生、土御門つちみかどは?」
「お休みの連絡は受けてませんー。もしかしたらお寝坊さんかもしれませんー」
 上条の問いに、小萌先生は首をかしげながら答えた。
「えー、出席を取お前にクラスのみんなにビッグニュースですー。なんと今日から転入生追加ですー」
 おや? とクラスの面々の注目が小萌先生に向く。。
「ちなみにその子は女の子ですー。おめでとう野郎どもー、残念でした子猫ちゃんたちー」
 おおおお!! とクラスの面々がいうめき立つ。
 そんな中、上条は一人、何か言い知れぬ嫌な予感におそわれていた。
 ありえない。不幸な不幸な上条の日常において、ごく普通に美少女転入生がやってくるなんて事はまずありえないー。
(……、何か。何かとんでもないオチがつくような気がする)
 小萌先生ワながりなら姫神秋沙ひめがみあいさ辺りが怪しいが、世界は広いのだ。年齢詐称した御坂美琴みさかみこと神裂火織かんざきかおり突撃とつげきしてきたり、一方通行アクセラレ タの本名が実は鈴科百合子すずしなゆりこちゃんだったり、一万弱もの妹達シスターズが押しかけてきて一気に生徒総数が一〇倍以上にふくれ上がったり、羽を隠した天使が降臨してくる場合もあるかもしれない。
「い、いけない! それはちょっと楽しそうだとか思った自分がいけない!」
「上条ちゃん? なに頭を抱えてぶつぶつ言ってるんですかI?」小萌先生はちょっと首をかしげた後、「とりあえず顔見せだけですー。詳しい自己紹介とかは始業式が終わった後にしますからねー,さあ転入生ちゃん、どーぞー」
 小萌こもえ先生がそんな事を言うと、教室の入り口の引き戸がガラガラと音を立てて開かれた。
 一体どんなヤツがやってくるんだ、と上条かみじようが視線を向けると、

 そこに、三毛猫みけねこを抱えた白いシスターが突っ立っていた。

「なぼあっ……!!」
 予想外と言えばあまりに予想外な展開に、上条の思考が真っ白になる。
 クラスの面々も困惑しているようだった。何せ、着ている服が明らかに普通の制服ではない。ありゃ一体どこのミッションスクールなんだ? という感じのヒソヒソ声があっという間に教室中に伝播でんぱしていく。
 そんな中、インデックスだけはまったくいつも通りに、
「あ、とうまだ。うん、という事はやっぱりここがとうまの通うガッコーなんだね。ここまで案内してくれたまいかには後でお礼を言っておいた方がいいかも」
。彼女の声を聞き、クラス中の皆が一斉に上条へ視線を集中させる。
 彼らの目は語る。またテメェか。
「…………………………………………………………………………………………………あ、あれ? なのですよー」
 何故なぜか転入生を紹介した小萌先生までもが、ドアお前に立つインデックスの姿を見てかっちりと凍り付いている。
「ちょ、待って。小萌先生、これは一体どういう……?」
 上条は問いただすが、どうも彼女にとっても予想外の展開らしい。上条の声を受けた小萌先生はようやく我に返ると、
「シスターちゃん! まったくどこから入ってきたんですか! 転入生はあなたじゃないでしょう!? ほら出てった出てったですーっ!」
「あ。っ、でも、私はとうまにお昼ご飯の事を……」
 インデックスは何かを訴えていたが、小萌先生は聞く耳持たずにぐいぐいと彼女の背中を押して教室から追い出そうとする。
 上条は反射的に席を立って、
「あ……。お、おいインデック――――っ!!」
「上条ちゃん! もうこれ以上お話をややこしくしないでくださいーっ!」
「うおっ!?」
 追いかけようとしたが、小萌先生に大声で言われて彼の動きが止まった。小萌先生は怒りというより、いつ泣き出すか分からない子供のような怖さをかもし出したまま、インデックスの背中を押して教室から出て行ってしまった。
 上条かみじようはやや呆然ばうぜんと突っ立ったまま、そんな彼女たちの背中を見送った。
 彼女達と入れ替わりのように、長い黒髪の少女が入ってくる。
「ちなみに。本物の転入生は私。姫神秋沙ひめがみあいさ
 見知った顔を確認して、上条は安堵あんどのあまり思わず机に突っ伏した。
「よ、良かった。地味に姫神で本当に良かった。しかも巫女みこ装束じゃなくて何のひねりもない地味な制服に身を包んでくれて心底本当に良かった……」
「君の台詞せりふには。そこはかとない悪意を感じるのだけど」
 地味地味と言われた姫神は、少しだけムッとしたようにそう答えた。

      6

 教室から追い出されたインデックスはむくれながら廊下を歩いていた。
 彼女の手には二千円札が握られていた。小萌こもえ先生に『もう何だってこんな所にいるんですかほらもう早く帰ってください知らない人についていっちゃダメなのですよほらほらタクシー呼んでくださいねー』と無理矢理渡されたものだった。
(……とうまがとんでもない顔してた)
 彼女は先ほどの光景を思い出しながら、口をへの字にする。上条と一緒いつしよにいてもう一ヶ月以上つが、顔を見た途端に苦痛に顔をゆがませるような、あからさまな『拒絶』はこれが初めてだったりする。
 彼女が胸の中にあるモヤモヤしたものをどう処理していいか迷っていると、今度はおなかが減ってきた。んだりったりだとインデックスはちょっと唇をむ。
 と、そんな彼女は食堂の横に差し掛かった。
 中から聞こえてくるジャージャーといういため物の音や漂ってくる美味おいしそうなにおいに、腕の中の三毛猫みけねこがみゃーみゃーと鳴き始めた。インデックスの足がピタリと止まる。
「……、おなかへった」
 そういえば今日は色々バタバタとしていて上条が作ってくれた朝ご飯も少しだけおざなりだったような気がする。満足度で言えば四〇%ぐらいだ。
 彼女はゾンビみたいな足取りで食堂へ入っていく。
 広い部屋だが、内装はかなりおざなりだった。丸テーブル一つパイプ椅子いす四脚をワンセットとして、一〇〇セットほどが並べてある。壁の一角がカウンターになっていて、その奥が厨房ちゆうぽうとなっているらしい。ジャージャーという音はそちらから聞こえてくる。部屋の隅には食券販売機の機械が三つほど設置されていた。
(む、あれマンガで読んだ事ある。確かお金を入れてボタンを押すと食べ物の引換券みたいなのが出てくるヤツだったはず)
 彼女は頭の中にある偏った知識に照らし合わせて、そう判断した。『金烏玉兎集きんうぎよくとくしゆう』『創造の書』『法の書』など、名だたる魔道書まどうしよを記録する禁書目録の本棚の中に、少年マンガが混じり始めている現状を知ったらステイル辺りなら卒倒しそうだが、キチンと区別して記録・保管している彼女からすると、それほど大きな問題ではないようだ。
 インデックスは食券販売機お前に立つ。
 その手の中にある、くしゃくしゃの二千円札のシワを伸ばして販売機にみ込ませる。
(ほら、私にだってちゃんとできるんだよ。とうまは私の事を時代遅れとかアンティークとか言うけど、これぐらいじゃ悩まないもん。後はボタンを押せば良いだけ)
 彼女は少しだけ胸を張ると、ボタンを押すために人差し指を機械へ伸ばそうとして、
 ピタリ、とその手が止まった。
 食券販売機には、ボタンが一つもない。
(あ、あれ? これは……え? どこを押して何を操作すればいいの?)
 販売機からは電気スタンドみたいなアームが伸びていて、その先にくっついている液晶モニタには商品の値段表が表示されているが、それだけだ。注文を行うべきボタンはどこにもない。
 実は駅の切符販売機と同じく、モニタがタッチ。パネルになっているだけなのだが、そんなものはインデックスには分からない。
(あ、え、あ、うー……そ、そうだ。とりあえずお金を取り出そう。って、え? これどうやってお釣取り出すの? ボタンは???)
 やはり液晶の端には『取り消し』ボタンがあるのだが、完全に心理的死角にもぐり込んでいる。
テレビの料理番組を見るたびに三毛猫みけねこ無駄むだに画面へ猫パンチを繰り出している姿を知っている彼女としては、『画面を触ると何かが起きる』などありえないと考えているのだ。
 インデックスは両手で販売機をつかんでぐらぐら揺らしたりお釣の取り出し口をのぞき込んだりしていたが、当然ながら何の変化もない。
「う、うううう。まるでとうまみたいな不幸っぷりかも……」
 途方に暮れた彼女は、そこでぐったりと床に崩れ落ちてしまった。甲子園の決勝で敗北した高校球児のように、地に四つんいになって悲嘆する。三毛猫だけが事情を理解しないで、いかにも暇そうにあくびをしていた。
 と、そんな彼女の背後から、カツンという足音が聞こえた。
 インデックスが何か思お前に、彼女の肩が、何者かにたたかれた。
 始業式は体育館で行う。
 移動するために各教室から出てきた生徒たちで、廊下はごった返していた。ちよっとした休日の駅前ぐらい混み合っている。
 そんな中、上条かみじようはクラスの輪から離脱していた。理由は単純、ほったらかしになっているインデックスが心配で心配でどうしようもないからだ。
「くそ……おれが言うのもなんだけど、アイツもアイツでトラブルに巻き込まれやすいタチだからなー」
 はかにも彼女は完全記憶きおく能力を持つため、能力開発の時間割カリキユラムりの仕組みなどを見られると魔術まじゆつ側に科学側の情報が漏洩ろうえいする危険もあるのだが、上条はそこまで頭が回っていない。
 とにかく早くインデックスを見つけよう、と彼は眠たい頭を無理矢理に働かせて廊下を走る。

 インデックスの肩をたたいたのは、見慣れない少女だった。
 身長はインデックスより高く、上条よりは低い程度。髪はわずかに茶色の混じった黒だが、染めているのではなく元々そんな色なのだろう。長さは太股ふとももぐらいまで伸びたストレートなのだが、それとは別に頭の横からゴムで束ねた髪が一房、伸びている。フレームの細い知的なメガネをかけているのだが、何故なぜか少しずり落ちていた。インデックスは彼女の胸の辺りを見た。夏服を内側から盛り上げるそのふくらみを見る限り、残念ながらその少女の方が一枚上手だ。
だれだろう、この人?)
 インデックスも人の事を言えた義理ではないが、その少女の格好は上条の学校の人々とは少し違った。ここの女生徒たち半袖はんそでの白いセーラー服と紺色のスカートを穿いている訳だが、その少女は半袖のブラウスに青色のスカートなのだ。男物の赤いネクタイが白と青の制服のアクセントとなっているが、それもやはりこの学校のものとは違うような気がする。
 インデックスとその少女の目が合う。
 ずり落ちたメガネの向こうから、小動物みたいなひとみのぞいてくる。
「あの……ボタンを押さなくっちゃダメなのよ」
「はえ?」
「だから、モニタのボタン……」
 ボソボソした声で言われて、少女の指が食券販売機を指している事にインデックスはようやく気づく。その指の先を視線で迫っていくと、販売機のアームに付いた液晶モニタに辿たどり着く。
 インデックスは、未知の言語を使う異国で迷予になった子供のような顔をして、
「ボタンって、だから自販機にボタンなんてついてないんだよ?」
「えっと……」少女は少し困ったように、「だから、モニタを直接指で触ればいいの……。知らなかった? あ、あの、だから、そんな泣きそうな顔しないで」
「ウソだもん。、私知ってるよ、テレビに触ったって中の人には何の変化もないもん」
「……」
 少女は無言で販売機お前に立つと、モニタの端にある『取り消し』ボタンを押す。
 うぃーむ、とモーターのうなる音が聞こえ、み込まれたはずの二千円札がにゅるっと吐き出されてきた。インデックスは思わず目を丸くする。
「な、なにそれ?」
「だから……モニタを指で触れば良いだけなんだけど……」
「す、すごい。このテレビ、中とつながってるんだね!」
「あの……これ、テレビじゃ……」
「すごいすごい! もう一回! もう一回やって!!」
 突然の大声に、三毛猫みけねこが抗議の鳴き声をあげた。何がそんなに楽しいのか、インデックスはおなかが減っている事も忘れて、吐き出された二千円札をもう一度自販機へ押し込む。それから手品師を見る子供のようなひとみで少女の顔を見た。
 少女はとても困った顔を浮かべたが、もう一度『取り消し』ボタンを押す。
 二千円札が戻ってきただけなのに、インデックスは尊敬の眼差まなざしを向け始めた。
「じゃ、じゃあこっちは? このボタン何? この『のっと検索』とかいうの」
「えっと……ここにキーワードを入力すると、それ以外の商品が表示されるの……。卵アレルギーだったら『たまご』って入力すれば、卵を使ってない商品だけが検索できるの……」
「じゃあこれは? 『でーた検索』とかいうの」
「その名の通りなんだけど……。ビタミンCとか鉄分とか、栄養素を数字で検索できるの。カロリー一五〇以下で検索すれば・…-ダイエット食品だけが表示されたり」
 どうでもいい事を「っ一つ説明していくたびに、インデックスは子供のようにはしゃいだ。
それは宇宙飛行士にあこがれる幼稚園児にスペースシャトルの中を紹介している感じに似ている。少女はすごいすごいとめられて、素直に喜んで良いのか迷っているような顔を浮かべていた。
 ひとしきり説明が終わると、インデックスはその少女へにっこりと笑みを向ける。
「ありがとう。あなた、名前は?」
「……ん。風斬氷華かざきりひようか

 インデックスと風斬は特に何も注文しないまま、食堂の席を勝手に陣取って世間話をしていた。というより、主にインデックスの愚痴ぐちを風斬が聞いていた。インデックスは会話に夢中なのか、空腹である事はすっぽりと頭から抜け落ちているらしく、
「それでね、私はとうまの名前をちゃんと呼んだのに、答えてくれないどころか目をそらしたんだよ。まったく、お昼ご飯の事忘れてたのはとうまの方なのに……」
 風斬は、インデックスと彼女が抱いている三毛猫を交互に見ながら、
「う、うーん……。でも、基本的に学校って、部外者は入ってきちゃいけないところだから……勝手に来たら困っちゃうの。あなただって、先生に見つかったら大変な事になっちゃうのよ……」
「でも、ひょうかだって入ってきてるよ?」
「私は……大丈夫だいじようぶなの。転入生だから、制服を持っていないだけだし……」
「じゃあ私も転入生になる」
「……えっと……」
 風斬氷華かざきりひようかまゆを寄せて困った顔になる。
「とにかく、私はとうまに一言もの申したい。このままだまって帰るのは嫌だし、何よりお昼ご飯がどう意ってるのか問いたださないと本格的に飢餓きがの危機だし」
「でも……その格好じゃ、あまりにも目立ちすぎちゃうよ……」
 む? とインデックスは自分の格好を見る。
 日常的に着こなしている彼女にはあまり自覚がないが、金糸の刺繍ししゆう入りの純白修道服など、ドレスを着たお姫様と同じぐらい目立ちまくる。
「あなたが捕まっちゃったら……きっとその人も困っちゃうんじゃないかな……」
「じゃあどうすればいいの?」
 ここで押しが強くツッコミに慣れている人間なら、『はよ帰れ』の一言で済ませられただろう。が、どうにも風斬氷華は心許こころもとない視線をさまよわせて、
「……あの、保健室に行けば、予備の服があるかもしれないよ……。えっと、キチンとした制服じゃなくて、おそらくフリーサイズの体操服だと思うけど……」
「たいそーふく? それ着ればバレない?」
 無邪気な問いに、風斬氷華は戸惑ったような顔になる。
 常識的に考えれば、少なくとも今のインデックスの修道服よりは目立たないと思う。が、授業もない始業式に体操服を着ているというのもやっぱり目立つような気もするし、しかもどの道学校に動物を連れてきてはいけないという基本事項があるし、しかしそれ以外に名案も浮かばないし……と、風斬はあれこれ頭の中で考えた後、
「……、うん。きっと、多分、おそらく、もしかしたら、大丈夫……かも」
 返答に困って、なんとも曖昧あいまいな言葉を返してしまった。

 インデックスと風斬はがらんとした廊下を歩いていく。
「ふうん。で、結局たいそーふくってどんな服なの?」
「えっと……、なんていうか。運動をするための服、かな。よく伸びるから着心地は悪くないと思うし、汚れが落ちやすいように、生地が、選ばれていて……」
「す、すごい。それってあれだよね、とうまが言ってた『はいてく』ってヤツだよね!」
「…………、えっと」
「すごいすごい! そうだ、ひょうかも一緒いつしよに着ようよ! なんかカッコ良さそう!!」
「………………………………、えっーと、あの」
 押しが弱い風斬は、インデックスの過剰な想像を正す事もできずに、メガネの奥にちょっと涙を浮かべかねない顔をしたまま引きずられていく。

 上条かみじよういまだにインデックスを捜していた。
 あれだけ廊下にあふれていた生徒たちはもういない。がらんとした廊下を走りながら、彼は暗いため息をついた。体育館ではもう始業式が始まっているはずだ。
(……くっそー、せっかく違和感なくクラスに溶け込んでたっつーのに。ま、始業式っつっても校長の話聞くだけだろ……校長の顔知んねーけど。まあ、今はそれよりインデックスインデックス)
 上条はあちこちを見回しながら廊下を走る。
 と、どこからか聞き慣れた声が耳に入ってきた。
(ん? この声は―――敵機捕捉、識別はバカシスターっ!!)
 彼は立ち止まり、耳をまして周囲の音を拾った。女の子の、はしゃぐような声だった。辺りに人がいないせいか、声は割と良く通る。上条は声のする方へ視線を向け、そしてまゆをひそめた。ドアプレートには『保健室』とある。
 上条の口元が引きつる。
(ち、ちくしょう。こっちが寝不足の頭を必死に動かして人捜しやってるってのに、一方そのころお前はまさかの保健室のベッドを占拠でぬくぬく状態ですか、そうですか)
 彼は保健室の入り口の引き戸に手をかけると、
「おいインデックス! お前が何で保健室にいるんだよ!! テメェが病気だとしたらあれだ、病名は万年五月病だあああ!!」
 スパーン!! と上条は勢い良く保健室の引き戸を開け放つ。
 今日という今日は本格的お説教モードですよ、と上条は勢い込んでいたのだが、

 視界の先には、マンガみたいに着替え中の少女がいた。
 しかも二人分。

 まず一人目。見慣れたシスターは何故なぜか修道服ではなく、半袖はんそで短パンの体操服に身を包んでいる。……のだが、何故か短パンは中途半端はんぽ穿きかけの状態だった。彼女は中腰の体勢で両手で短パンの両サイドをつかんだまま、動きが完全に固定されている。ただ、その口の端だけが、不気味にひくひくと引きつっている。
 次に二人目、この学校とは違う夏服を着た、見慣れない少女だった。ストレートの髪+頭の横からゴムで束ねた髪が一房飛び出している少女で、わざとなのか天然なのか、細いフレームのメガネをずり落とすように鼻に引っ掛けている。……のだが、ブラウスのボタンが全部外れていた。彼女は半袖の体操服を手にしたまま、カチコチに凍り付いている。ただし、メガネの奥の小動物みたいなひとみだけが、今にも泣きそうな危うい光を放っていた。
 彼女たちは完全に現実を認識していないのか、固まったまま上条かみじようへ視線を投げた。
 危機感の足りない三毛猫みけねこだけが、前脚で眠そうに顔を洗っている。
 上条は身の危険を感じつつ、
「………………………………………………………………えーっと、間違えましたーっ!!」
 瞬間しゅんかん、二人の少女の顔が真っ赤に染まった。
 それは照れや恥ずかしさによるものだと上条は信じたかったが、どうも違うらしい。
 一瞬の時の後、激怒の悲鳴と共に何かが破壊はかいされる轟音ごうおんひびき渡った。

     7

 上条はひどくご立腹だった。
 本来、迷惑をこうむっているのは彼なのである。道中色々あって着替えを目撃もくヂきしたのは大変申し訳ないと思うのだが、一方的にインデックスに怒られ続け、頭に歯形をつけられるのは何となく釈然としない。
 そんなこんなで、結局元の服に着替え直した二人の少女と一緒いつしよに、上条は食堂にやってきている。上条とインデックスはムスッとした顔のままで、見知らぬ少女だけがそんな二人の様子

を見てオロオロとうろたえている。三毛猫みけねこは我関せずとテーブルの上で丸くなっていた。
 上条かみじようは寝不足と不機嫌が重なった低い口調で、
「で、インデックス。そっちの子はだれ?」
 彼が言うと、何故なぜか見知らぬ少女の方がビクリと肩をふるわせた。そんな彼女とは対照的に、インデックスは撫然ぷぜんとしたまま、
「よく分かんない。でも友達」
「よく分かんないって、知らない入について行くなよ!」
「よく分かんなくてもひょうかは友達だもん!」
『ひようか』と呼ばれた少女は彼らが大声を出すたびにビクビクと小動物みたいに震えていたが、ゆっくりと深呼吸すると、『ま、まーまー……』と恐る恐る割って入った。
「わ、私は……風斬氷華かざきりひようかって、言います……。あなたは?」
「ん? ああ、上条」
 何気なく言ったつもりだったが、何故か風斬の肩がビクリと震えた。
 それを見てインデックスが、
「とうま。ひょうかを怖がらせちゃダメなんだよ。……大丈夫だいじさつぶだよ、ひょうか。とうまは血気盛んで優柔不断で目に付いた女の子に片っ端からかかわっていくような珍種だけど、いい人だから」
「……あ、あの。どこを安心すればいいの、それ……?」
 風斬の真面目まじめな問いかけに、上条の唇がわずかに引きつる。
 と、いつまでってもビクビクモードを解除しようとしない風斬の緊張きんちようをほぐそうとしているのか、インデックスが、
「ほらほら、ひょうか。私のスフィンクス貸してあげる。猫に触ると体のガチガチが取れるかも」
「あの、……スフィンクスって、もしかして……名前なの?」
 三毛猫は一切のためらいも見せずに丸テーブルの真ん中で仰向けになっておなかを見せると、むしろ紳士的な顔つきで『さあおじようさん、私の胸で存分に泣きなさい』とばかりに前脚を大きく広げてバンザイを始めた。
 風斬はしばらく困ったような顔をして宙に手を泳がせていたが、やがて三毛猫の柔らかいお腹をそっとでてみる。すると、
「あ……。あったかい」
 思わず漏れたという感じで、風斬の顔に笑みが浮かんだ。一方、三毛猫はまるで足の裏をくすぐられているように体をピクンピクンと震わせながら『だ、大丈夫。お嬢さん、私はこれぐらいで弱音を吐くような事は、おはっ!?』という具合で必死に何かから耐尾ている。ちなみに上条は話題の輪から外れてちょっとすすけていた。
「うんうん。良かったらスフィンクス抱いてみる? ちょっと抜け毛が気になるかもしれないけど、抱き締めるのも気持ち良いかも」
「う、うん……、えっと、こんな感じ、かな?」
 風斬かざきりは見よう見まねでインデックスのやっている通りに、両手で三毛猫みけねこをそっと抱き上げると胸の位置で固定する。それはインデックスが普段ふだんやっている仕草と何も変わらないのだが、 むぎゆ、と。
 三毛猫の頭が風斬の大きな胸の聞に埋まってしまった。
 今までずっとすすけていた上条かみじようし瞬間的ゆんかんてきに顔を真っ赤にして、ズバン! と無防備な風斬から体ごと目をらしてしまう。『ぐ、うおお!? お、おじようさん、流石さすがの私も窒息だけはもがあーー閥』とばかりに三毛猫は大暴れをすると、慌てる風斬の手からするりと抜け出し、丸テーブルの上に着地して首をふるふると振った。
 だがしかし、当の少女たち何故なぜ三毛猫が拒絶反応を見せたのか理解できていないらしく、「えっと……動物は、人問よりも五感が鋭いから。……私とあなたのにおいの違いが、分かるのかもしれないね……」
「ひょうか、しょんぼりしちゃダメだよ。それならこれからスフィンクスと仲良くなれば良いだけの話なんだから。……って、とうま? どうしてあっち向いてるの?」
 何でもありませぬ、と上条は答える。
 彼は共に真実を知る三毛猫と目を合わせたが、三毛猫は疲れたようにみにゃーと鳴いた。世

の中には語らざる方が幸せな事もある、と告げようとしている風に聞こえた。
 何か妙に意識してしまう上条かみじようとしては話題を変えたい所だが、ひょっとすると風斬かざきりは男性恐怖症なのかもしれないと思い、その矛先をインデックスへ変更した。
「で、お前は何で学校なんかにやってきたんだよ?」
「む。そうだよ、とうま。お昼臓、一飯お昼ご飯。とうま、なんにも用意しないで出て行っちゃったでしょう? あのままだったら私は飢え死にしてたかも」
「今日は始業式だから昼までには帰れるっつーの!」
「そ、そんなの言ってくれないと分かんないもん!」
「分かれよ! こんぐらい常識だろうに!」
「とうまの常識をこっちに押し付けないで欲しいかも! じゃあとうまは分かる? イギリス仕込みの十字架に天使の力テレズマを込める偶像作りのための儀式ぎしき上における術式を行う時の方角と術者の立ち位置の関係とか! 実際、メインの術式の余波から身を守るための防護の魔法陣まほうじんを置く場所は厳密に定められていて、そこから少しでも外れるとサブ的な防護はメインの術式に食われて上手く機能しなかったりするんだけど、とうまはそういった黄金比は分かるのかな? ほらほら、こんなの常識だよ!」
「ま……まーま!…-」
 こんな感じで、二〇秒に一度の間隔で風斬氷華ひようかが仲裁を入れながらロゲンカは続いていく。
 一方そのころ小萌こもえ先生も大層ご立腹だった。
(かーみーじょーうーちゃーん? 初日から堂々と始業式をぶっち切るとは、いーい度胸なのですよー。うふ、うふふ、うふうふうふふふふふ……)
 体育館で彼の姿が消えている事に気づいた小萌先生は、普段ふだんは決して見せないような黒い笑みを浮かべながら捜索を開始していたのだが……、
(うーん。でも、もしかしたら体調を崩していたり怪我けがしたり、やむを得ない事情があるのかもしれないのです。……上条ちゃん、大丈夫だいじようぶですよね)
 怒り心頭でサボリ生徒の捜索中にもそんな事を考えてしまう小萌先生は、なんだかんだで結局優しい先生なのだった。
 が。
 不意に、食堂の辺りから話し声がするのを、小萌先生は聞き取った。現在、全校生徒及び全教職員は体育館に集合しているはずである。
 もしや……と思い小萌先生がそちらへ向かうと、案の定上条がそこにいた。
 しかも、何やら女の子を二人も連れて。
 ロゲンカはしているけれど、それでいてどこか楽しそうに。
(あ、あは……)
 心配していた分、余計に小萌こもえ先生の怒りゲージが勢い良く振り切れた。
 彼女は肺の奥まで酸素を吸い込むと、ありったけの力を込めて絶叫する。
「かっ、かか、上条かみじようちゃーん!! アンタ一体何をやってるんですかーっ!!」

 小萌先生の叫び声に、テーブルの上で丸くなっていた三毛猫みけねこが『ふぎゃあ!』とおどろいて落っこちそうになる。
 上条たちは思わず会話を止めて振り返った。
 身長一三五センチ、見た目一二歳の女教師がズカズカと食堂に入ってくる。怒りのあまり頭に血が上っているのか、耳まで真っ赤に染まっていた。
「あ、あれ? 小萌先生、どうしたんですか? 今って始業式やってんじゃ……」
「アンタがそれ言いますか上条ちゃん! 先生はですね! 体育館に上条ちゃんの姿がないから心配して式を抜け出して捜しにきたんですよ! それなのに、それなのに一方そのころ上条ちゃんはモテモテ学園生活満喫中ですか!? まったく、そんなにイチャイチャしてると不純異性間交友でしょっぴきますよーっ!」
「いやあのイチャイチャって……先生アンタこのロゲンカがそんな風に見えたんかい」
「ロゲンカをしながらその余裕ってのがイチャイチャなのです! だ、大体ですね。なんだって上条ちゃんの周りにはこう女の子がごろごろと転がり込んでくるんですか! 上条ちゃんはそういう変なAIM拡散力場でも生み出しているんですかーっ!」
「そっ、そんなの関係ないでしょうが! ここで言及する事ですかそりゃあ?こ
 こんな感じで、上条と小萌先生は顔を突き合わせて口論を始め
 ―――五分って、話の方向性が少しずつおかしくなっていく。
土御門つちみかどちゃんは学校にこないしシスターちゃんは学校にきちゃうし、ただでさえ忙しいのにこれ以上変な問題を持ってこないでください! 先生としては女性に対してそんな軽々しい上条ちゃんの態度は放っておけないのです!」
「土御門もインデックスもおれと関係ねーじゃん!?  っつーか言ってはなんですけど上条さんは超硬派ですよ! フラグっつってもイベントは一切発生しない駄フラグばっかだし!!」
「か、上条ちゃん? アンタあれだけド派手な学園生活エンジョイしながらどの口が硬派とか言いますか、どの口が!!」
 ―――一〇分経って、話の方向性がどんどんおかしくなっていく。
「どうじて上条ちゃんは女の子がからむと途端に行動力と思考力がアップするのですか! その情熱をもっと勉強にも注いで欲しいのですよーっ!」
「ちょ、ちょっと待ってください先生! アンタの頭ん中じゃ俺は『女の子と仲良くなるためなら命をけるお祭り野郎』になってませんか!?」
「……逆に命を賭けた結果として仲良くなってる事には気づいてるのかな、とうま?」
「ちくしょう、インデックスまで……!?」
――――一五分って、話の方向性が決定的におかしくなっていく。
「と、とにかく上条かみじようちゃんは別室でお説教です!!」
「とうま、とうま。説教というより、私は餓悔ぎんげさせてみたいかも」
「あーもう! 寝不足で頭痛いんだからワケの分かんない事で甲高い声出さないでくれ! ほら、風斬かざきりもなんか言ってやってくれよ! ここでの良心はお前しかいないんだから―――って、あれ?」
 上条はきょとんとした顔をした、インデックスと小萌こらセベ先生もそちらへ視線を向ける。
 同じテーブルに着いていたはずの風斬氷華ひようかの姿が、いつの間にか消えていた。ついさっきまで彼女がいた所には、空席となったパイプ椅子いすだけがポツンと置いてあるだけだった。
「……ありゃー。あきれて帰っちまったのか」
 彼は言うが、当然ながら返事はない。

     8

 学校の敷地の外に追い出されたインデックスは、校門近くの金網のフェンスに寄りかかって上条を待つ事にした。腕の中の三毛猫みけねこは眠そうにしている。
「……あの……なんか、すごかったね。ちょっと、びっくりした」
 か細い声にインデックスが振り返ると、呆れて立ち去ったはずの風斬氷華が立っていた。
「あんなのいつもの事だよ。ひょうかも一緒いつしよにおしゃべりすれば良かったのに」
「本当? ……あの先生、怒っていたけど」
「こもえのあれは怒ってるんじゃないよ。どうしてそんなに気にしてるの、ひょうか?」
「だって、あなた……何か、かなしそうな顔してい乃から……」
 風斬が言うと、インデックスはちょっとだけだまった。
 ややあって、彼女は言う。
「……、とうま。怒ってた」
「?」
「今までだって何度もケンカした事あるけど、なんか今回は違う気がする。とうまは全然私の言葉を聞いてくれないし、ずっと怒ったままだし、ちっとも笑ってくれないし……」
 自分で放った言葉に、インデックスはわずかに顔をゆがませる。
 ロゲンカをしていた時は活発に見えた彼女も、どうやら内面では沈み込んでいたらしい。
「とうま。私の事嫌いになっちゃったのかな……」
 インデックスは視線を落とした。
(それとも……)
 台詞せりふの続きは、口に出して語るにはためらわれた。
(それとも、とうまは最初から私が嫌いで、私はやっとそれに気づいただけなのかも)
 彼女はわずかに唇をむ。
 三毛猫みけねこを抱く手に力がこもったのか、抗議の鳴き声があがる。
 そんなインデックスを見て、風斬かざきりは小さく笑った。
「……そんな事、ないよ。ケンカできる友達って……すごく仲が良いってあかしなんだから」
「どうして? ケンカすると傷つくんだよ。乱暴な言葉を言われると痛むんだよ。仲が良い人ならそんなの押し付けたりしないよ、絶対」
「ケンカができる友達っていうのはね……」風斬は静かな声で、「ケンカをしても……ちゃんと仲直りできる友達なのよ。それっきりで、終わらないの。あの人は……あなたとケンカをしても縁が切れないって信じてるから……安心してケンカできたんだと思うの」
「ホントに?」
「これは、本当。……じゃあ、ケンカしない方が良い? ケンカしたくないから……自分のやりたい事を押し殺して、したくもないのに笑顔で応じて……それでもケンカしちゃったらもうそれっきりで、仲直りもしないで……その友達を捨てて別の友人を作る。そんな薄氷はくひようみたいな関係の方が良い……?」
 その言葉を聞いて、インデックスは嫌そうな顔をした。
 その顔を見て、風斬は小さく微笑ほほえみかける。
「そんなの、やだよ。私は、とうまとずっと一緒いつしよにいたい」
 インデックスは言う。
「うん……。そう思えるなら……きっと、あなたたち大丈夫だいじようぶよ……。少なくとも、あの人はあなたのために怒ってくれるような、人だから。大丈夫」
 風斬氷華ひようかは、そんな言葉を彼女に返した。
 ただし、その後にぼそっと一言だけ、
「…………、人のハダカを見ても平気な顔で話しかけてくるけど」

 上条かみじようはようやく小萌こもえ先生の説教から解放された。
 廊下にも教室にも、すでに生徒達の姿はない。始業式もホームルームも終わり、彼らは皆帰ってしまったのだろう。部活に参加する人達の声だけが、遠くから聞こえてくる。始業式でも食堂が開いていたのは彼らのためか。
 行き違いになったのか本当に学校に来ていないのか、結局土御門つちみかどとは顔を合わせなかった。
(……う、うだー)
 疲労と寝不足があいまって、上条はしなびた野菜のようにヘコんでいた。
 すでに時間は昼過ぎらしい。そう言えば空腹も感じる、と適当に考えながら上条は無人の教室に戻ってかばんを回収、その足で昇降口へ向かい、上履きと革靴をトレードして外に出る。準備運動をしているサッカー部の横を通るようにてくてくと校庭を歩いていると、校門の辺りにインデックスと風斬氷華かざきりひようかが待っているのを発見する。
「おーい」
 と、上条かみじようは彼女たちに声をかけつつ、走って校門を出た。
「あ、とうまだ……」
「あん? っつか、お前ナニ暗い顔してんだ?」
「何って、別に、何でも」
「? まあいいか。で、どこヘメシ食いに行く? あんま高そうな場所はダメだぞ」
 上条の言葉に、インデックスはちょっと不思議そうな顔をして、
「とうま、今日はウチで食べないの?」
「だって、面倒臭いだろ。どうせメシ食ったら遊びに行くんだし」
「……、」
「何だよ。お前、朝言っただろ。もう忘れたのか?」
「わ、忘れてない……けど」
 インデックスがちょっと顔を赤くして猫を抱く手に力を込めると、三毛猫みけねこ鬱陶うつとうしそうに鳴いてバタバタと暴れ始めた。
 となりで風斬がくすくすと笑っていた。
「そうだ、ひょうかも一緒いつしよに行こう?」
「え……いいの?」
「断る理由なんかないよ。ねえ、とうまもいいよね」
「だな」
 上条が一秒すら待たずに即答すると、風斬は少しおどろいたような顔になった。
「えっと……ありが、とう」
 彼女はインデックスの顔を見て、小さな声でそう言った。
「ん。一日遊ぶんならちよっと金がいるか。悪い、ちょっとコンビニで金下ろしてくるから、ここで待ってろ」
 彼はそれだけ言うと、学校のすぐ近くにあるコンビニへ向かい、入り口のそばにあるATMを操作する。
 学園都市の生徒はもれなく奨学金制度に加入される。月に一度、まるで給料日のようにお金が振り込まれるのだ。
 一見するとかなり便利な制度に聞こえるが、実は能力開発の人体実験の契約料、と受け取る事もできる。名門であればあるほど、レベルが高ければ高いほど奨学金の額も高くなり、それだけ重要な研究にかかわっている、という訳だ。
 上条かみじようはレベルが0で平凡な学校に通っているため、大した金額も出ない。
(……ま、人体実験っつっても聞くほど物騒ぷつそうな話じゃねえけどな)
 彼は適当に考えながら、お金を財布に入れつつコンビニを出る。
 と、不意に横合いから声がかかった。
「おいおいちょっとー、そこの少年。無用心じゃんよー」
 横合いからかけられた女性の声に振り返ると、そこには緑色のジャージを着た色っぽい女の人が立っていた。長い髪を後ろでまとめているだけなのだが、その雑な感じがまた妙につやっぽい。ただ、その肩の所についている腕章を見る限り、どうも警備員アンチスキルの人間らしかった。
 それにしても、女性の警備員アンチスキルは珍しいと思う。理由は単純、たとえ日本に男女雇用機会均等法があったとしても、自衛隊の男女比が圧倒的に偏っているのと同じだ。
 彼女は上条を見て、何だかあきれたように言う。
「ATMの近くで財布を見せながら無防備に歩くんじゃないの。奪ってくださいと言っているようなものじゃん」
「え、あ? はぁ、すみません」
 何か良く分からない内に上条が謝っていると、何故なぜだかジャージの女性は満足そうに、
「うんうん。次からは気をつけるんだぞ少年」
 にこにこ笑うと、彼女は上条など置いてきぼりにしてどこかへ行ってしまった。
 上条は頭をかいた。警備員アンチスキルはプロとしての訓練を積まされるが、その本職は教師だ。公務員の副業は禁じられているのだが、彼らにそれは適用されない。例外的な処置という訳ではなく、給料をもらっていないからだ。早い話がボランティアで夜の見回りをしている活動の延長線上にあるのである。危険な仕事に対して報酬は警備員アンチスキルとしての特別権限のみとなるが、それでも結構人気があるとか。生活指導の立場からすれば色々と仕事がしやすくなるらしいし、何より正規の警備員アンチスキルになると生徒にめられなくなる。
(でも、この近くをうろついてるって事は、案外ウチの先生なのか? ……やべえな、思い切り初対面のノリで接しちまったぞ。いや、向こうも知り合いに話しかけるようなトーンじゃなかったし……)
 そこまで考えた時、上条は自分の服を何者かにチョイチョイと引っ張られた。何だ何だ、と彼が振り返ると、そこに姫神ひめがみが立っている。
「ありゃ? 何やってんだ姫神。お前まだ帰ってなかったのか?」
「……。人が転校してきたというのに。その淡白な反応は何?」
「あー……」
 そう言えば、インデックスが乱入してきたせいで有耶無耶うやむやになりつつあるが、今日は姫神の転入初日というビッグイベントがあったりしたのだ。
「そうか。私はやっぱり。影がうすい女なのね」
「いや、あの、そんなに落ち込むなって。なんかお前の周りだけ太陽の恵みが希薄きはくだぞ……」
 ごーん、と効果音つきで落ち込んでいる姫神ひめがみだったが、やがて顔を上げると、
「そんな事より」
「(そんな事って……やっぱこいつもつかみ所がねーよな……)」
「ちょっと話が耳に入ったのだけど。あのメガネの女の名前って。風斬氷華かぎきりひようかでいいの?」
「あん?」
 上条かみじようは視線を移した。
 少し離れた校門の辺りで、インデックスと風斬が立っている。ここからでは声は聞こえないが、何か楽しそうに会話している様子は分かる。
 彼は再び姫神へ視線を戻して、
「ああ、そうそう。風斬氷華で合ってるよ。ってか、お前の友達なのか?」
「……」
 姫神は上条の言葉を受けて、遠くにいる風斬の顔を見る。
 それはにらむとか観察とか、そういう種類のあまり好意的でない視線だった。
「おい、どうしたんだよお前」
「確認するけど。あの子のお前は。本当に風斬氷華なのね?」
「まあ……本人もインデックスもそう言ってるけど。身分証とか確認した訳じゃねーけど、別にそんなのする必要ねーだろ」
「風斬。氷華」
 姫神はもう一度、その名を告げる。
「君は。私お前に通っていた高校のお前は。知らないよね?」
「まあ……知らないけど」
霧ヶ丘きりがおか女学院。単純に能力開発分野だけなら常盤台ときわだいに肩を並べる名門校。常盤台が汎用性はんようせいに優れたレギュラー的な能力者の育成に特化しているのなら。霧ヶ丘は奇妙で。異常で。でも再現するのが難しいイレギュラー的な能力者の開発のエキスパート」
 ふうん、と上条は適当に相槌あいづちを打つ。
 そういえば、彼女の吸血殺しデイープブラッドも、科学方面ではあまり有用な能力とは思えない。そう考えると霧ヶ丘なら上条の右手も重宝されるのかもしれない。もっとも、上条は女子高に通うつもりなどさらさらないが。
「風斬氷華のお前は。霧ヶ丘でも見た事がある」
 お前は、の所を強調するように姫神は告げた。
「って事は、お前たちって一緒いつしよに転入してきたのか?」
「……」
 姫神は何故なぜか答えなかった。上条はちょっと奇妙に思いながらも、
霧ヶ丘きりがおかに通ってたって事は、風斬かざきりもお前みたいに珍しい能力の持ち主だって訳だよな」
 上条かみじようはそう言ったが、別におどろかなかった。彼の知り合いには最強クラスの電撃でんげき使いもいるし、何より彼自身も特殊な能力を持っているからだ。
 だが、
「分からない」
「?」
「風斬氷華ひようかの力は。だれにも分からない」姫神ひめがみは、一度言葉を切ってから、「彼女のお前は。いつでもテストの上位ランクとして学校の掲示板に張り出してはあったけど」
「ふうん。頭良かったのか、あいつ」
「ううん。頭の良さとは関係ない。霧ヶ丘は『能力の希少価値』によってランク付けされるから。単純に。風斬の力が一番珍しかっただけ。それが有用かどうかは話が違う」
 けれど、と姫神は一度言葉を切って、
「そもそも。風斬が何年何組に在籍ざいせきしていたのか。それすら誰も知らない。霧ヶ丘の人間は。
みんな風斬氷華の名前を知っていたけれど。実際に彼女の姿を見た者は。誰もいないの。いつもテストの上位ランクとして発表されているのに」
「……何だよ、それ」
「だから。何も分からないの。霧ヶ丘では、私は気になって先生に尋ねた事がある。そしたら内緒話ないしよばなしをするみたいにして教えてもらった。風斬氷華は『正体不明カウンターストツプ』と呼ばれていると」
 姫神の言葉は、そこ。て終わらない。
「でも。 一番重要なのはそこじゃない、先生が教えてくれた所で一番重要なのは。その『正体不明カウンターストツプ』ではなく。もっと別の所にある」
 彼女は告げる。

「いわく。風斬氷華は。虚数学区・五行機関の正体を知るためのかぎだと」

 上条は、まゆをひそめた。
 虚数学区・五行機関。今はどこにあるか誰も分からないとされる、学園都市最初の研究機関。そして現在の最新技術でも再現できない多くの『架空技術』を有していると言われ、ウワサでは学園都市の運営を影から掌握しているとされる、この街の深い暗部だ。
 確かにそこにあるはずなのに、誰もそれがどこにあるか分からないなぞの機関。
 それは、どこか、ある少女と似ている節がある。
「先生の話では。。風斬氷華には彼女個人の能力を調べるための研究室とくべつクラスがあるという話だった。一個入のために研究室を用意するなんて滅多にないから。実はそれは『正体不明カウンターストツプ』ではなく。、虚数学区・五行磯関の正体を探るための研究室だって」姫神は自分でも考え込むようにして、
「でも。先生もやっぱり風斬氷華かぎきワひようかの姿は見た事がないって言っていた。研究室はあって。テストの結果にも名前が載っているのに。その正体は先生の間でも一部の人しか分からないって」
「けど……そんなのって」
「うん。私もどこまでが本当かは分からないから。だからこそ。一応の忠告で済ませてるの」
 だから気をつけてね、と姫神ひめがみは言った。それから、自分のやるべき事はすべて終わったとばかりにその揚から立ち去ろうとする。
「あっ、ちょっと待てよ。俺達おれたちこれから遊びに行くんだけど、お前もどうだ?」
「―――。」
 姫神は振り返る。その無表情な顔が、ほんのわずかにびっくりしているように見える。
「……。小萌こもえの……バカ」
「は?」
「何でもない。用事をたのまれているから。私は行けない」
 彼女は平淡な声でそう言うと、上条かみじように背中を向けて歩き出した。どこかしょんぼりムードを発する姫神の後ろ姿を上条はしばらく眺めていたが、ふと何かを思い出したように姫神は立ち止まって上条の方を振り返った。
「時に。あの風斬氷華は。どうやってこの学校に入ってきたの?」
「え? 確か……インデックスの話だと、転入生だとかって」
「そう」
 姫神は一言だけ答えると、
「でもね。記録では。転入生は私一人しかいないはずなのよ」
 上条は絶句した。姫神はもう一度だけ『気をつけてね』とだけ言うと、今度こそ彼の元から立ち去った。上条は、視線を姫神から校門近くにたたずむ少女達の方へと向ける。
 インデックスと一緒いつしよに笑い合っている風斬氷華は、やっぱりただの一般人にしか見えない。
 得体えたいの知れない虚数学区なんぞにかかわっているようには、見えない。
(分っかんねーな。ただのウワサなのか、本当の事なのか……)
 上条は頭をかきながら、彼女達の元へと歩いていく。
 インデックスと風斬は、そんな彼を迎え入れるように笑顔を作る。
 三毛猫みけねこがみにゃーと鳴く。
 おかしい所など、どこにもなかった。
 少なくとも、この時点では。

   行間 一

 駅前の大通りは大勢の中高生でごった返していた。
 今日はどこの学校も始業式のため、昼過ぎの街には学生たちが一斉に解放された、とりわけ、大手デパートが集中する駅前の一角には多くの人々が殺到する。
 白井黒子しらいくろこはそんな雑踏ざつとうの中を歩く。
 平均的な女子中学生よりやや低い背で、茶色い髪をツインテールにしている。綺麗きれいというよりは可愛かわいいという言葉が似合う少女だろう。彼女は常盤台ときわだい中学の夏服を着込んでいたが、右腕に腕章をつけてあった。
 そこには『風紀委員ジヤツジメント』と記入されている。
風紀委員ジヤツジメント』は対能力者用の治安部隊の事で、言ってみれば機動隊の代わりのようなものだ「彼らは全員能力者によって構成されていて、これに対して次世代兵器を手にした教職員の手による治安部隊を『警備員アンチスキル』と呼ぶ。
 治安を守る部隊が二系統あるのは、部隊の内部腐敗を互いに監視するためだ。どこまで行っても彼らの本質は『学生』や『教職員』であり、逆に言うと己の立場を悪用する、悪徳警官のような人間が出てくる危険性も捨てきれないのである。
(……まったく。もう少し娯楽施設を分散させればよろしいのに。街の開発者は交通心理学や環境心理学に乏しいお方なのかしら)
 そんな『学生』の一人、白井は地価や集客効果をバッサリと切り捨てた愚痴ぐちをもらす。
 おそらく多くの人々も同意見だろうが、彼女は人混みが嫌いだ。残暑も厳しいこの炎天下の中、人が集まり熱気がこもる駅前まで来たのには、理由がある。
(いましたわね……)
 白井は一〇メートルほど先にいる人影を見て、それから携帯電話の画面に映る顔写真を確認した。その外国人らしき女は白井の存在に気づいていない。追われる身である事を忘れさせるほどに、堂々とした足取りで人混みの中を歩いている、
 今朝七お前に、学園都市の外壁の二ヶ所から、ほぼ同時に何者かが侵入した。
 その内の一人については『風紀委員ジヤツジメント』ではなく『警備員アンチスキル』の管轄かんかつのため白井には良く分からないが、話を聞くとどうも学園都市の書庫バンクにID登録された学生らしい。企業スパイか何かだろうか?
 彼女が追っているのはもう一人の方だ。
 携帯電話の画面に映っているのは、防犯カメラがとらえたものを拡大した写真だ。そこに映る金髪の女は、あろう事か真正面から学園都市の『門』に攻撃こうげきを仕掛け、重傷者三名を含む、一五名もの負傷者を出して強引に街の中へと入ってきたのだ。
 この時点で、対テロ用の警戒レベル『特別警戒宣言コードレツドが発令。学園都市内外の出入りが完全に封鎖ふうさされ、『風紀委員ジヤツジメント』の面々には公欠と共に侵入者の捜索・索敵の命令が下された。
 かくして、白井黒子しらいくろこは始業式にも出ず、何時間も街を歩き続けていた訳だが……。
(通常対応なら応援を呼んで、人払いも済ませてから被疑者確保といきたい所ですけれど、下手に時間をかければ機を逃しますわね)
 彼女は人混みをかき分けて進む前方の標的をにらみつけながら口の中でつぶやく。
 治安維持が二系統に分かれているとはいえ、普段ふだん最前線に立つのは『風紀委員ジヤツジメント』ではなく『警備員アンチスキル』だ。それもそのはず、『風紀委員ジャッジメント』を構成するのは学生だからである。白井に与えられた命令も犯人の捕捉までであり、後の仕事は『警備員アンチスキル』のものとなっていた。……が、
警備員アンチスキルの方には任せておけませんわね。実際、すでに門の所で何名か被害が出ている訳ですし。力のない方は素直に避難ひなんしていてくださいませ)
 白井の判断は、彼女自身が大能力者レペル4であるという自信からくるものだ。次世代兵器でガチガチに身を固めなければ前線に出てこれない教師連中など、彼女からすればひどく貧弱に見える。
 白井としては警備員アンチスキルにできもしない仕事を押し付けたくはない。彼女がバトンタッチした警備員アンチスキル怪我けがでもしたら寝覚めが悪すぎる。それなら自分が戦闘せんとうに参加した方が気が楽だった。
 彼女はスカートのポケットに手を入れる。
 取り出されたのは小型の拳銃けんじゆうのようなものだ。ただし銃身の太さが直径三センチ以上もある。信号弾などをりつつためのデバイスだった。
(これを使うと……始末書を書かされるから嫌なんですのよ、ね!)
 白井は銃口を真上へ向けると、一気に引き金を引いた。
 ポン、というある種コミカルな音と共に、口紅ぐらいの金属筒が、ゆっくりと、七メートルほど上方へと撃ち出される。
 直後、ドカッ! とまばゆいばかりの閃光せんこうが、金属筒を中心にき散らされた。突然、膨大ぽうだいな光量を浴びた周囲の面々は顔を手でおおって硬直する。
 一瞬いつしゆんの後、彼らの取った行動は迅速だった。悲鳴や怒号を上げながら、近くの建物へと逃げ込んでいく。車を運転している大学生や教員たちも、その場で愛車を乗り捨ててビルへと駆け込んでいった。
 この街の住人ならば、だれでも知っているのだ。
 これは治安部隊による避難ひなん命令。これから戦闘を始めるから流れ弾に当たらないように気をつけろ、という意味が込められている事を。
 ものの三〇秒もしない内に、活気にあふれていた駅前の大通りからは人影が消える。
 後には、白井黒子とくだんの標的の女だけが取り残された。
 光の爆心地の中、その女は逃げる事もさわぐ事もなく、ただゆらりと立っている。
 両者の距離はおよそ一〇メートル強。
 白井しらいはその女へ視線を投げる。
 見るからに異様な女だ。ゴシックロリータとでも呼ぶべきか、黒を基調とした長いドレスの端々に白いレースやリボンがあしらわれた格好をしている。金髪に青い目の少女が着ていれば、似合わない事もないだろう。
 確かにその女は金髪を長く伸ばしていたが、肌はガサガサだった。
 としは二〇代も後半で、髪も手入れを怠っているのか、所々がけもののように跳ねている。褐色の肌をしているが、あまりの光が似合いそうな感じはしない。ドレスも着古したのかり切れたのか、服の生地は傷んで白いレースもくすんだ色合いを見せていた。美人と言えば美人だが、どこかすさんだ感じがする。なんというか、ゴシックロリータの持つ小綺麗こぎれいな幻想を片っ端からぶちこわして幻滅させるような女だ。
「動かないでいただきたいですわね。わたくし、この街の治安維持を務めております白井黒子くろこと申します。自身が拘束される理由は、わざわざ述べるまでもないでしよう?」
 白井の言葉に、しかし荒れた金髪の女は大した反応を見せない、
 退廃的と言うべきか単に無感動なのか、彼女はほんのわずかに首を振って辺りへ視線を走らせる。どうも白井の存在よりも、一斉に姿を消した住人の動きの方に興味があるようだ。
 たっぷり五秒もかけてから、女はようやく白井へ目を向けると、
「探索中止。……手間かけさせやがって」
 明らかに侮蔑ぷぺつを含む声で、なおかつ相手の返事を待つものでもない。白井のまゆが動くよりも早く、女は擦り切れた黒いドレスの破れたそでへ手を差し入れ、何かを取り出そうとして

 ―――瞬間しゆんかん、すでに白井黒子は女の鼻先に立っていた。

 両者の間には一〇メートル以上の距離が開いていたはずだが、彼女はものの一瞬でそれをゼロまで縮めた。
 女の気弛けだるげな顔がほんの少しだけ怪講けげんな色を見せる。
 だが、白井は説明などするつもりはない。その大能力レベル4空間移動テレポート』を使って虚空を渡った事など、いちいち話す必要はないのだ。
 白井黒子は手を伸ばし、ほつれたレースにおおわれた女の手首をつかむ、
 直後、気がつけば褐色の女の体は地面に倒されていた。痛みもなく、衝撃しようげきもなく、そして何よりいつの間に倒されたのか、その覚えがない。実は白井の空間移動能力によって触れた瞬間に地面へ移動させただけなのだが、それを知らない女にとっては何か得体えたいの知れない武術の投げ技のように見えただろう。
 女はそれでも面倒臭そうに回避かいひ行動として、地を転がって起き上がろうとするが、
「ですから―――」
 ドカドカドカッ疑 と、電動ミシンのような音が炸裂さくれつした。
 見れば、ドレスのそでやスカートの布地の余剰部分に一二本もの金属矢が貫き、アスファルトの地面に女をい付けていた。
「―――動くな、と申し上げております。日本語、正しく伝わっていませんの?」
 白井黒子しらいくろこは静かに告げる。
 これも空間移動テレポートを応用した攻撃法こうげきほうだ。スカートの中に隠した矢を、ねらった座標へ瞬間しゆんかん移動させているのである。並の機銃クラスの威力と連射性を持つ上、空間から空間へ瞬間移動するため遮蔽物しやへいぶつで防ぐ事もできず、流れ弾で他人を傷つける事もないという、とんでもない攻撃だった。
 だが。
 それをの当たりにしてなお、女の褐色の顔に変化はない。
 ただし。
 その口元だけが。能面のような顔の中、ただその唇だけが、まるで口裂け女のように真横へ細く長く音もなく、笑っている。
「な……」
 かえって、白井黒子の方がおどろいたようにまゆをひそめ、
 不意に、彼女のすぐ後ろで、地面が勢い良く爆発した。
「……ん、です……ッ!?」
 白井は驚いたが、振り返るだけの余裕もなかった。アスファルトの隆起に巻き上げられ、その体が宙に浮く。硬い地面に背中をぶつけるように倒れた彼女は、ようやく背後に目をやる。
 巨大な腕。
 まるで水面から顔を出した首長竜のように、アスファルトの地面から二メートル以上の長さの『腕』が生えていた。その『腕』は形こそ人のものに似ていたが、材質はアスファルトや自転車やガードレールなど、辺り一面にあるものを寄せ集めて粘土のようにこね回して形を整えた感じのもので、建物を解体する時に重機に取り付ける、鋼鉄のアームのようにも見える。
 白井は慌ててその場から離れようとしたが、足首が何かに引っかかった。
 地面と『腕』の付け根の近くの地面が盛り上がっていて、砕けたアスファルトが複雑にみ合っている。彼女の足首は、ちょうどその隙間すきまに挟まってしまっていた。
(……あ、ぐっ……。まさか、外部の人間のくせに……能力者、なん……?)
 足首にじわじわと加わってくる重圧に、白井は顔をしかめる。
 視線を投げると、地面に縫い付けられた女の手に、白いチョークのようなものが握られていた。アスファルトの上に、それを使って何か記号のようなものが刻まれている。
 それは科学的な記号というより、オカルトじみた魔法まほうの文字のように見える。
 自己暗示を携帯電話の短縮メモリのように何パターンか用意して、能力を制御しているのかもしれない、と魔術を知らない白井しらいは自分の知識のみで目の前の現象を分析した、
(ま、ずい……ですわ。とにかく、体勢を、整え……ッ!)
 白井はとにかく冷静になろうと努めたが、ふと気づいてしまった。
 地面から生える『腕』の付け根にある地の盛り上がった部分に、白井の足首は挟まれていた。その隆起部分は何だか、丸く見える、人の顔のように見える。
彼女の足は、まるでアスファルトの『歯』に噛み付かれているようだった。
(ま、ず……)
 白井の能力は空間移動テレポート。三次元的な制約にとらわれず、自在に虚空を渡る事のできる力だ。
 しかし、この能力には弱点がある。単に『空間を移動する』と言葉にすれば簡単だが、その原理は三次元の枠を超えた一一次元上にある自分の座標を計測し、そこから移動ベクトルを演算しなければならない。普通の能力者のような『炎を出せ』『雷を出せ』とは、頭の中で構築すべき命令文コマンドの複雑さのケタが違うのだ。
 それゆえに、彼女は激痛・焦燥しようそう・混乱など、平時のポテンシャルを失い計算能力を奪われるとまともに力を使う事ができなくなってしまう。
 ギチギチ、と。ほんの数ミリ食い込んだだけなのに、白井の足首が激痛の悲鳴をあげた。
(あ、ぎっ……が……!?)
 空間移動テレポートを使えばすぐに逃げられるのに、緊張きんちようで頭が上手く回らない。
 見れば、地に伏す女は、うっすらと笑いながら手首のスナップだけで白いチョークのようなものを動かしている。それに操られるように、じわじわとひじの関節が折れ曲がり、『腕』の向きが変わる。地面をう虫を押しつぶすため、ゆっくりとねらいを定めるように。
 それが分かっていても、白井は行動に移せない。
 激痛と死の緊張により計算能力を乱された彼女は、空間移動テレポートという逃げ道を手の中に収めながら、それを使う事ができなかった。
 まるで、核シェルターはあるのに扉を開けるかぎをなくしてしまったように。
 女が宙へ曲線を描くように白いチョークを振るうと、『腕』の五本の指が強く握られた。同時に、足首をむ『歯』がさらに食い込んでくる。。あまりの激痛に白井は目を閉じる。
 べきべきごきごき! と。
 自ら封じた視界の中、何か不気味な音が大きくひびき渡る。
 それは、白井の足首の骨が噛み砕かれる音ではない。
 それは、無数の瓦礫がれきを丸めて作った巨大な『腕』が振り下ろされる音でもない。

 それは、何者かが『腕』を切断した音だった。

(な……、え……?)
 突然の一撃いちげきに、白井しらいはびっくりして目を開けた。
『腕』の、ちょうど手首の部分が水平に切断されていた。それを確認すお前に、白井の足首を固定していた『歯』がぎ払われる。急にかせが外れて、彼女の体は思わず後ろへ転がった。切断された部分は、その衝撃しようげきを受けた途端に結合が解け、バラバラと元の部品に戻って四方八方へ散っていた。
 ブゥゥン……ッ! と、はちの羽音を数百倍にしたような不可思議な音が耳をたたく。
 見ると、黒いむちのような、何十メートルもあるレイピアのようなものが空中を泳いでいた。音はそこから聞こえる。目をらすと、それは砂鉄だった。膨大ぽうだいな砂鉄が、磁力か何かに操られて振動しているらしい。
 いわば、超高速のチェーンソーのようなものだ。
 ビュバン!! と空を裂く音と共に、砂鉄の鞭が持ち主の元へと帰っていく。
(お待ち、なさい……。磁力で、操る? まさ、か……!!)
 白井黒子くろこは酸素を取り込もうとしてき込みながらも、視線を向ける。
 そこに。その先に。

 御坂美琴みさかみことが立っていた。

 キン、という小さな金属音。
 美琴の親指が、一枚のコインをはじいた音だった。コインはゆっくりと、ゆっくりと、彼女の頭上を舞っている。
 彼女は言う。
「何のさわぎか知らないんだけどさ―――」
 手首を切断された『腕』は、もはや地面から生えた、ゴミの山で作った塔と化していた。そしてその塔は自ら倒壊とうかいするように、白井黒子に向かって思い切りなぐりかかろうとする。
 だが、そお前に弾かれたコインが、再び美琴の親指へ乗った。
「―――私の知り合いに手ぇ出してんじゃないわよ、クソ豚が!!」
 瞬間しゆんかん
 その異名、超電磁砲レ ルガン所以ゆえんとなる一撃が、解き放たれた。音速の三倍もの速度で加速されたコインは空気摩擦まさつで赤熱し、オレンジ色のレーザーと化して『塔』に突き刺さった。あまりの衝撃に『塔』は一瞬で折れて、つながっていた『頭部』を巻き込んで粉々に吹き飛んでしまう。
 ゴガッ!! という轟音こうおんは、一瞬遅れてやってくるほどだった。
 もうもうと立ち込める粉塵ふんじんのスクリーンは、しかし直後にいだ烈風に吹き飛ばされた。超電磁砲レールガンに押し出された空気の余波だ。
(す、すごい……)
 白井しらいは引き続き辺りを警戒しながらも、心の大半は別の事柄に奪われていた。
(余波が生み出した烈風だけで、すでに並の風力使いを凌駕りようがしていますわ。一体どこまで底なしになれば気が済むんですの、お姉様ってば!)
 対して、美琴みことはすでに危機は去ったとばかりにのんびりと白井の元へと歩いてくる。
「あー、黒子くろこ。もう硬くならなくても良いわよ。あのでっかい手はおとりだったみたいだから。
超電磁砲レ ルガンの威力じゃなくて、自分から爆発したのよ。ほら、煙幕の陰に隠れてあの馬鹿女ばかおんながどっかに消えてんじゃない」
 美琴は小さく舌を出して指を指す。
 白井が見ると、金属矢にドレスをい止められていたはずの女がどこにもいなかった。黒い布地の端だけが、こびりついた汚れのように取り残されている。
「で、あれってだれなの? アンタが追ってるって事は、やっぱ風紀委員ジヤツジメントがらみ?」
「え、ええ。どうやら不法侵入者みたいでしたのですけど……お姉様ぁ……」
 白井はそこで足から力が抜けたように、美琴へ抱き着いてきた。
「ちょっと、こら、アンタ! こんな時まで変な妄想ふくらませて―――」
 美琴はワンテンポ遅れてから、胸に飛び込んできた白井をようやく引きがそうとする。が、力が出なかった。
 白井は、美琴のサマーセーターの胸の辺りを小さくつかんでいた。
 たったそれだけの接点からでも、彼女の体がふるえているのに美琴は気づかされる。
「ったく」
 美琴は軽く息を吐いてから、考える。
 こういう時、震えているのが自分自身だったら、あの少年はなんていう言葉を放つか。
「黒子。、アンタは何でも一人で解決しようとしすぎんのよ。あんなの相手にアンタが一人本気になったってバカみたいでしょ。別に一対一で戦わなきゃいけないなんてルールもないんだし」
 美琴は思う。かける言葉の内容に意味はない。言葉をかけるという行為と、それを行おうというおもいにこそ意味がある。
「もっと私をたよれ。ヤバイ事が起きてからだけじゃなくて、少しでもヤバそうならそれだけで連絡を入れなさい。私に迷惑かけたくないなんて思わないの。状況が絶望的であればあるほど、そういう場面で頼られればそれだけ私を信頼しんらいしてくれてるってあかしになるんだから。私がそれを拒絶するはずがないでしょ」
 ぽんぽん、と美琴は白井の頭を軽くでてみる。
 と、腕の中にいる後輩は小刻みに震えたまま、
「……うっふっふ。これぞまさしく千載一遇のチャンスですわ。こうして近づけばお姉様の胸の谷間へと思う存分……うっふっふ。うっふっふっふっふっふ!!」
「なっ、え、あれ? ……ちょっと! ひ、人がマジメになぐさめてたっていうのに! 黒子くろこ、アンタこのふるえは武者震いなの!?」
 美琴みことは顔を真っ赤にして絶叫したが、時すでに遅く。
 白井しらい黒子は彼女の背中にがっちりと両手を回すと、いとしのお姉様の胸元へと思い切りほおずりし始めた。

   

chap3

第二章 放週除後 Break_Time.

     1

「おー。とうま、これがウワサの地下世界なんだね」
「地下街な、地下街」
 はしゃぐインデックスに、上条かみじようは寝不足のローギアのままツッコミを入れる。
 学園都市には地下街が多い、駅を中心として、各デパートの地下をつなげ、迷路のように展開されている。駅前の大通りほどではないが、ここにも多くの学生たちが行き来していた。
 警備ロボットや風力発電システムと同じく、この地下街も学園都市の試験品だ。土地不足でなおかつ地震国じしんこくである日本では、世界最高レベルの地下建設技術が求められる。そのための実地テストの一環として、学園都市のあちこちが掘り返される羽目になったのだ。
 上条がここを遊びの場に選んだ理由は特になく、単純にインデックスが地下街というものを知らなかったため、というものでしかない。
「とりあえずメシでも食いますか。インデックス、なんか希望とかあるか? あー、高いトコと行列ができるトコは禁止な」
「そんな所行かなくても良いよ。安くて美味おいしくて量が多くてあまり人に知られていないお店がいい」
「……、それはそれで捜すのが難しそうだけどな。風斬かざきりはフ・」
 上条はそう言って風斬の方を振り返ったが、何故なぜか彼女はびくっと肩をふるわせてインデックスの陰に隠れてしまう。
「あー……」
 なんかやったのかおれは、と上条が心の中でつぶやくと、
「……あ、いえ……ごめん、なさい。怖い、とかじゃないんですけど」風斬は物陰からうかがうように、「……その、ハダカも、見られたし……」
「は?」最後の辺りが良く聞こえなかった。
「え、っと……いえ、何でも、ありま、せん。でも……見られたし……見られたのに、この、やたらとうすい反応は……えっと……」
 ほとんど口の中で眩いてるため、上条にはさっぱり聞き取れなかった。まあ、一緒いつしよに遊んでいる時点で嫌とか怖いとかはないだろうが、それにしてもこの他人行儀ぎようぎな警戒感は一体何なんだろうか?
 と、インデックスの方は風斬かざきりの言わんとしている事が分かっているのか、やや冷たい目で、「まったく、とうまは目が怖いんだよ」
「あん? どこがだよ」
「そのけもののような目が。虎視眈こしたんたん々と婦女子を付けねらうその目がっ。普段ふだんは人畜無害ですよーと主張しておきながら美味おいしい所は一片たりとものがさんともくして語るその目が怖いっ!」
「テメェがそういう事を吹き込むから無駄むだに怖がるんだろうが!」
 上条かみじようが叫ぶと風斬の肩が反応するようにピクンとふるえた。彼女はインデックスの陰に隠れたまま、恐る恐るといった感じに、
「……あ、あの……」
「ほらとうま! とうまがえるからひょうかが怖がってる!」
「あーはいはい! そうですねそうですね! じゃあいいよもう獣で! ただし獣を公認するからには本格的に獣になるぞ! バッド上条の真の姿に刮目かつもくせよッ!!」
「……あの、怖いとか……そうじゃ、なくて……お昼ご飯……」
 消え入りそうな風斬の声に、半ばヤケクソのようにさわいでいた二人はピタリとロゲンカをめる。そして同時に彼女の方へ振り返る。
 風斬氷華ひようかはどこかを指差している。
 その先を視線で追うと、一軒のレストランがあった。

     2

「がくしよくれすとらん?」
「そう、学食レストラン」
 地下街に入った時と同じく、良く分からない顔をするインデックスに上条は言葉を返す。
 上条たち三人は、ごく普通のファミレスのようなお店に入っていた。四人掛けのテーブルに、上条とインデックスが向かい合うように、風斬はインデックスのとなりに座っている。
 ちなみに、三毛猫みけねこはインデックスのひざの上だった。飲食店なのでお断りされるかと思ったが、猫は大丈夫だいじさつぶらしい。何だと思ったら普段使っているペット同伴オーケーのファミレスと同じ系列の会社だった。
「学園都市って大小無数の学校があるだろ。だから街中の学食のレシピの美味うまいトコを集めただけで一軒の店がまかなえちまうんだよ。ま、学食レストランっつっても給食も混じってるけど。
ほかの学校では何食ってんだうっていう疑問もこれで解消という訳」
「む。とうま、そもそも学食とか給食って何?」
 インデックスは挑むように、画板みたいに巨大なメニューをにらみながら、そんな事を言う。
 実は記憶きおく喪失である上条にも、義務教育中の給食に覚えはない。が、頭の中に知識だけは残っているので、大体どんなものかは分かっているつもりだ。
「平たく言っちまうと、あれだ。学校でしか食べられない料理の事だ」
「す、すごい。限定商品というヤツだね!」
「……、あー。なんかもうそれでいいや。レアだぞレアー」
「あの……説明が、面倒臭いからって……放ったらかしにするのは、どうかと……」
 寝不足でツッコミ分が不足している上条かみじように代わって、風斬かざきりが腰の引けたτ三口を付け加えるが、インデックスの耳には届いていないらしい。彼女は新聞を読む父のように馬鹿ばかでかいメニューで顔を隠すと、目線だけをその上から出して、上条の顔をうかがう。
「とうま。これ何でも選んじゃってもいいの?」
「あー、高いのは禁止な」
 上条は適当に釘を刺したが、しかし大して心配していなかった。何せこの店のメニューの元ネタは学食や給食である。そうそう高いはずがない。
 と、インデックスはメニューをテーブルの上ヘパタンと倒すと、上条にも良く分かるように料理の写真の一点を指差す。
「私はこれがいいかも」
「んー? どれどれ」
 上条はインデックスの自く細い指の先を視線で追う。するとそこには、

 常盤台ときわだい中学給食セット 四〇〇〇〇円

「……、」
 上条は無言でメニューを閉じると、その角でインデックスの頭を引っぱたいた。
「痛ったあ!? どうしていきなり人の頭をたたくの!」
「言ったはずだ、高いものは禁止だと! ってかツッコミ待ちじゃなかったのか今のは!」
 あのビリビリ、なんて食生活を送ってやがる、と上条は心の中で絶句する。恐る恐るメニューをもう一度開いてみると、フォーマルな服装でご来店くださいという感じのコース料理の写真がキラキラと光を放って写し出されている。
「……あ、あの……私はこっちがいい、です……」
 と、ぎゃあぎゃあとさわぐ上条とインデックスの横から、風斬氷華ひようかはメニューの同じページにある料理を指差した。
 そこには、妙に質素なコッペパンと牛乳に代表される、ごくごく普通の給食の写真が。
 インデックスの後だったせいもあるだろうが、不覚にも上条はちょっぴり感動した。
「ほら見なさいインデックス、これが優等生の答えというものだ」
「えー、ひょうかの好みはちょっと地味かも。私はもっと派手派手なのが食べてみたい」
 ぶーぶーと文句を垂れるインデックスに上条かみじようは重たいため息をついて、
「食べ物は見た目じゃなくて味で選ぼうな、インデックス。あと、どさくさに紛れて風斬かざきり常盤台ときわだい中学のセットをオススメしてんじゃねえバカ! 風斬も地味とか言われて本気でへこんだり考え直そうとしたりしなくても良いから!」
 上条が思わず叫ぶと、風斬はびっくりしたらしく、巨大なメニューをつかんで自分の顔を隠してしまった。どうやら好感度ゲージは地の底まで下がった模様。今からフラグを立てるのは絶望的らしい。

 しばらく待つと、三人分の料理が運ばれてきた。
 内容は紙パックの牛乳、コッペパン(オプションでマーガリン)、肉じゃが、サラダ、鶏の唐揚げ、デザートにはカップのヨーグルト。給食当番スタイルのウェイトレスさんの話によると、和洋こっちゃの無国籍むこくせきが給食の売りだとか。本来の給食より若干値段が高めなのは、レシピは同じでも食材に違いがあったり、大量生産によるコスト削減が行えないためらしい。
「さってと。そんじゃいただきますか。そういや風斬、このメニューが食いたかった理由とかってあんの? ヨーグルトが大好物とか」
 メニューが学校ごとに分類されるこの店では、食べ物の内容以外でもメニューを選ぶ理由が生まれてくる。例えば、合格できなかった志望校のメニューが食べてみたいなど。
 が、風斬は特にそういった思い入れはないらしく、首を横に振ると、
「……あ、あの、私……こういう所で、ご飯食べた事、なかったから……」
「ふうん。今まで給食のない学校ばっか通ってたのか」
「えっと……はい」
 何故なぜか申し訳なさそうな顔をする風斬を見ながら、内心上条は、
(給食に縁がないって事はいつもお昼はお弁当だったのかなとすると自炊派かそれともりようの方でお弁当のサービスでもやってるのかいいなぁ弁当いいなぁ学食の食料争奪戦を横目に優雅なお食事ですよあーウチの寮も朝何もしなくても弁当が用意されてるようなサービスやってねーかな待てよそれならウチに居候いそうろうの女の子がいるじゃんインデックスにお願いするのは……駄目だめか駄目だなああ駄目だ電子レンジの使い方も分かんない女の子に料理ができるとでも思ってんのかいおれ?)
 えっへっへっへ、と暗い笑みを浮かべる上条の周囲に負のオーラが立ち昇る。
「……あ、え、その……何か、目が……怖い、です」
「ひょうか。あれはとうまの病気みたいなものだから、優しい目で見守ってあげてね」

     3

 黒いドレスの女は街を歩いていた。
 その名をシェリー=クロムウェルという。イギリス清教の対魔術まじゆつ部隊『必要悪の教会ネセサリウス』のメンバーにして、カバラの石像の使い手でもある彼女は、口元に笑みを含みながら雑踏ざつとうを行く。
 あちこちの破れた、レース満点のドレスというその異様な格好が周囲の視線を集めるかと思いきや、学生たちの反応に目立ったものはない。むしろ、服装よりも年齢の方が気になるようだった。住人の八割が学生であるこの街にとっては、ゴシックロリータよりも二〇代後半という年齢の方が際立きわだつらしい。
「―――まずは、原初に土」
 シェリーは歩きながら、歌うように一人つぶやく。
 そのドレスの破れたそさから、白いチョークのようなものを取り出した。聖別した塩を聖油で固めて作った、魔法陣作製のためのオイルパステルだ。
「―――神は土より形を作り、命を吹き込み、これに人と名をつけた」
 歌いながら、シェリーは手近にあるジュースの自販機にオイルパステルを走らせる。まるで抜刀術のような速度で書きなぐられたものは、文字と模様の中間のように見えた。
「―――その秘法はやがて、地に落つる堕天によって人へと口伝される」
 ガードレールに、街路樹に、清掃ロボットに、風力発電のプロペラの支柱に……シェリーは進路上にあるすべてのものへと、すれ違いざまにオイルパステルを走らせる。
「―――しかしてその御業みわざは入の手に成せるものにあらず、また堕天の口で正しく説明できるものにもあらず」
 七二ほど印を刻むと、最後に彼女は宙にオイルパステルを走らせ、
「―――かくして人の手に生み出されし命は腐った泥の人形止まり、と。さて、泥臭いゴーレム=エリス。私のために、笑って使いつぶされな」
 最後にパン、と手を打った。
 瞬間しゅんかん
 ぐじゅり、といううみを潰すような音が周囲からひびいた。それも一つや二つではなく、何十もの。その音は小さかったため、雑踏を歩く学生達は自らが出す話し声や足音のせいで耳まで届いていない。
 だが、変化は確実に訪れる。
 ジュースの自販機、ガードレール、街路樹、清掃ロボット、風力発電のプロペラの支柱シェリーが刻んだ落書きの全てが、泥が泡立つように、ピンポン玉ぐらいの大きさに盛り上がる。彼女の魔術は材料を問わない。その場にあ。るあらゆるものが彼女の武器となる。
 ピンポン玉の表面に亀裂きれつが走り、横一閃よこいつせんに引き裂かれる。
 まるで皮をいたぶどうの実のように中からのぞくのは、白くにごった眼球だった。
 シェリーは葉書サイズの黒い紙を取り出す。
「自動書記。標的はこいつでいいか。……かぜ、かざ……何だこりゃ? この国の標準表記は象形文字なの?」
 白いオイルパステルが一閃し、黒い紙の上になぐり書きのような文字が走る。シェリーは漢字が良く読めなかったが、頭の中の情報を『文字』ではなく『絵画』として処理し、似顔絵を描く感覚で書き殴ってしまう。
びん、と指ではごくように、シェリーは葉書サイズの黒い紙を手放す。フリスビーのようにくるくると回転する黒い紙は、ゆっくりと地面に着地した。
 その紙には、『風斬氷華』と書かれていた。
 まるで鉛筆でノートに書いた文字をネガ反転させたような黒い紙に、何十とある泥の眼球がわっと押し寄せた。小さな紙切れを千切ちぎり、食い破り、泥の体内へと収めていく。ものの数秒もかからない内に黒い紙は跡形もなく消えていた。
 そうして細かい紙片を取り込んだ無数の眼球たちは、固まったゴキブリが逃げ出すような動きで四方八方へと散っていった。ある者は地面の上を泳ぎ、またある者はコンクリートの中へともぐっていく。ぎょろぎようと、その大きな目玉をせわしなく動かしながら。
「あまり待たせんなよ。エリス」
 シェリーは笑って、雑踏ざつとうの中へと消えていった。

     4

 食事を終えると、上条かみじよう達三人は店の外へ出た。
 インデックスは初めて食べた給食の味を思い出しながら首をひねって、
不味まずくはないけど美味おいしくもなかった。うーん、どういう事なのかな。この胸の内に残る、微妙に欲求不満気味なモヤモヤは……」
「毎日食うために作られたメニューだからな。美味うまい不味いより飽きられないように工夫してんだろうさ。豪勢なフルコースなんて毎日食ったら一週間で吐いちまうだろ」
 インデックスはあごに人差し指を当て、頭上を見上げて何か物思いにふけった後、
「フルコースなら、吐くほど食べても良いかも」
「……、まーな」
 上条は投げやりな感じで答えた。
 時刻は午後一時過ぎといった所で、地上は現在、炎天下の灼熱しやくねつ地獄と化している事だろう。
地下街は空調が効いているためほどよい室温を保っているが、こうなってくると逆にの光が
やわらぐまでは地下から出たくない気分になってしまう。
 風斬氷華かざきワひようかは、そんな二人の顔色をうかがうように、言う。
「……あ、あの……これから、どこで遊ぶの…-?」
 敬語でないという事は、インデックスに話しかけたのだろう。
「分かんない。とうま、そもそも地下街っ。て何があるの?」
 インデックスにしてみれば、地下街の通路に立っているだけで新鮮気分を満喫できるのだうう。特に不満も何もなく、主導権を上条かみじように明け渡してしまう。
「うーん。地下街だと、ゲーセンとかになっちまうのかな?」
 騒音そうおん対策を兼ねているのか、学園都市の地下にはやたらとゲームセンターが多い。
 上条はそんな事を考えながら歩いていると、ちょうど一軒のゲームセンターの横を通りかかった。
 店の中から流れてくる電子音の洪水に、インデックスは目を丸くする。
「うわっ、うわっ、何あれ?なんかテレビがいっぱい置いてある!」
「あー、テレビじゃねーんだけど……まあいいかテレビで。細かい事は気にしたら負けって方向で。てれびてれびー」
「……、あの……だから、投げっ放しは……」
 一口にゲームセンターと言っても、大きく分けて二種類ある。
『外部系』と『内部系』だ。
 外部系は学園都市の外からゲームを入荷しているお店で、内部系は学園都市の中で開発したゲームを取り扱っているお店を指す、
 学園都市は外の批界に比べて文明レベルが二、三〇年は進んでいて、それはゲーム機にも当てはまる。だが、外の世界にある一般のゲーム会社はその技術についていけないため(また、技術も外に開放されていないため)、最新型のゲーム筐体きようたいを開発しても、ソフト不足になりがちなのだ。
 上条たちが見つけたのは『内部系』の店で、ゲームセンターというよりは屋内型アミューズメントパークといった感じに近い。最新技術を投入して作られた体感用の大型筐体が並ぶ店内ば、科学ショーなどの展示コーナーのようにも見える。
 大抵、この手のゲームは採算度外視で大学の研究チームが作ったりしている。簡単に言うと、ここで人気の高かったゲームを作った研究室には多目の開発費が割り振られるシステムになっているため、妙に気合いの入った作品が多い。もっとも、気合いを入れる方向性を間違ってしまっている馬鹿ぼかゲームも多いのだが、
「す、すごい。なんかピカピカしてキラキラしてバキバキ音が鳴ってる! と、とうま。私はあそこに行ってみたい! あのピコピコを体験してみたいかも!」
 インデックスにせがまれるようにして、三人は店内に入る、ガラスの自動ドアをくぐり抜けた途端、音の洪水の威力が二、三倍にふくれ上がった。
 店内には特殊な大型ゲームがたくさん並んでいた。ハイビジョンや3Dゴーグルを使用したヴァーチャルリアリティ系のゲームはもちろん、ガンアクションのゲームは心拍数や脳波を計って『腰抜けチキン度』が表示されたりといった変則的なゲームもそろっている。
「インデックス、なんかやりたいゲームとかってあんの?」
 上条かみじようは何気なく聞いてみたが、返事がない。
 不審に思って彼がインデックスの顔をのぞき込んでみると、彼女の動きが止まっていた。その目はとてつもなく幸せそうにキラキラギラギラと光り輝いていた。
「あ、やばい……」
 上条は思わずつぶやいた。
 この異様な食いつき方は、三毛猫みけねこに初めて出会った時と良く似ている。インデックスは勢い良く上条に向かって振り返ると、
「全部! 全部やる!! とうま、とうま! まずはあれからやってみたいかも!!」
 抑えきれなくなったのか、インデックスは上条の腕をつかんでぐいぐいと進んでいく。行く先には円形フィールドの中で椅子いすに二本足がくっついたような歩行ロボットを乗り回すゴーカートゲームが待っている。
 こうなったインデックスはだれの説得にも応じない。
 上条はお財布の心配をしながら、心の底からため息をつく。ふと横を見ると、風斬氷華かざきりひようかが気の毒そうな笑みを浮かべていた。

     5

「あっはっは! うーん、上条かあ。いーな!月詠つくよみセンセのクラスは面白いガキどもに恵まれてんじゃん! ウチはつっまんねえ優等生ばっかだからやんなっちゃうじゃんよ!」
 がらんとした放課後の職員室で、黄泉川愛穂よみかわあいほは口を大きく開けて思い切り笑った。
 長い黒髪を後ろでしばった彼女は大人の色気全開で、堅苦しい灰色のスーツでも着ればあっという聞に英語担当エロ教師の出来上がり、という感じだったが、生憎あいにくと彼女は体育拒当で年中緑色のジャージを着用していた。ありとあらゆる意味を込めてもったいない女性である。
 黄泉川は両手を腰に当てると、下手すると片方が小萌こもえ先生の頭ほどもある胸を大きく張って、「いやー、それにしても部外者の女の子を校内に招き入れて秘密のお茶会ときましたか! 楽しいじゃんそれ。ウチのクラスでもそんぐらいの無茶むちやしてくれるガキはいないもんかね。そういうヤツなら先生も遠慮えんりよなく可愛かわいがってやろうじゃんってのに」
 ちなみに彼女は警備員アンチスキルの一員で、可愛がるという言葉には多少、昔気風な体育会系の暴力トーンが含まれる。たとえ暴走した相手が大能力レベル4発火能力者パイロキネシスだろうが決して生徒に武器は向けないというのが彼女の誇りらしいが、機動隊が使うような特殊素材のヘルメットやらポリカーボネイドでできた透明な盾やら(本人談・あくまで防具じゃん♪)で暴走能力者をどつき回すノリは『あれはシリアスをコミカルに始末する女だ』と呼ばれるほどである。
 と、平和主義な小萌こもえ先生はそんな暴力教師を追力のない目でにらみ付けると、
「もう! 大体ですね、部外者を校内に入れちゃった警備員アンチスキルにも問題があるのですよ! 入ってきたのがあの子たちじゃなくてもっと危険な人達だったらどうするつもりだったんですか!それから上条かみじようちゃんに手を出しちゃダメなのです! あんまり頭をたたかれたら取り返しの付か。ないおバカさんになってしまうのです!」
「あーあーはいはい冗談だって冗談じゃん。ウチだって良い馬鹿ばかと悪い馬鹿の分別ぐらいはつきますよーだ。ったくあれじゃん、センセは相変わらずクラスの生徒に入れ込むクセが直ってないようじゃん」
「なっ、い、いいいい入れ込むなんて紛らわしい表現はやめてください! せ、先生はですね、ただ、その、保護者の皆さんから大切なお子さんをお預かりしている以上はですね!」
「あー泣くな。こりゃあ卒業式ではボロボロ泣くな」
「ぐっ……ぅぅううううううう!! い、良いじゃないですか泣いたって! 毎年毎年、勝手に涙が出てしまうのですから仕方がないのですよーっ!」
 あっはっはーよしよし、と黄泉川よみかわが小萌先生の頭をでまくると、小萌先生は両手をぐるぐる振り回してその手を振り払った。
「時にセンセ。例の部外者。二人いたじゃんっていう話なんだけど……」
 黄泉川の言葉に、小萌先生はピクリと反応した。
 近頃ちかごろの学校では敷地周辺に防犯カメラなどが設置されている場合も多く、不審人物がいれば身元を調べられても文句は言えない。
 ちなみに、小萌先生はインデックスの事は詳しく調べないで良い、と職員室で報告していた。
あの白いシスターとは面識があるため部外者とは呼べないし、何やら入には言えない事情を抱えているらしき事も推測できたからだ。
「それが、どうかしたんですかー?」
「うんにゃ。一つだけ確認しときたくてね。果たして本当に二人いたのかなって」
「???」
 訳の分からない言葉に小萌先生が首をかしげた瞬間しゆんかん、規則的なノックと共に職員室の扉が開いた。黄泉川はパチリと片目を閉じて、
「ちょろっと厄介な問題かもしれんから生徒さんには内緒ないしよって事で。そんじゃ報告はまた今度。
ま、こっちもこっちで色々立て込んでるし」
「ありゃ、なんか用事とかあるのですかー?」
「あー、これも生徒さんには内緒なんだけど、まあいっか。警備員こつちのお仕事でね。これからデカイ捕り物があるじゃん。そんなこんなでちょっくら地下街までお散歩です。そんじゃーねーん♪」
 言うと、黄泉川よみかわは職員室に入ってくる女生徒とすれ違って外へ出て行く。
 小萌こもえ先生は不思議そうな顔をしたままだったが、やがて入ってきた女生徒の方へ意識を移した。
たのまれてきたものを。持ってきた」
「あー、姫神ひめがみちゃん! ご苦労様ですー」
 人の出払っている職員室で、小萌先生は椅子いすに座ったままうれしそうに手をパタパタと振る。
 今日は始業式で半日授業なので、今は部活動の生徒や顧問こもんの教師以外の人間はいない。小萌先生は例外だった。友人のレポート作成を手伝うため、学校に残って作業をしていたのだ。
(職員用『ランクB』端末って学校にしかないのですよねー。まったく、家の方でも端末登録できれば作業もはかどるのにですよ)
 学園都市のネット端末はランク付けされていて、ランクによってアクセスできる情報に差が出てくる。自宅で作業したい人間にとっては、あまり嬉しくない制度だった。
「すみませんー。ホントは学生さんに仕事を頼むのは良くないのですけど、どうしても手が離せなくてですねー」
「いい。それよりこの専門書で合っているの? 私はアパートにいっぱいあった本が全部同じように見えるから。少し不安」
「うんうん。これですこれこれ。、合ってますよー」
 小萌先生は姫神から受け取った革張りの分厚い本にほおずりしながら答える。表紙には金文字で『AIM拡散力場とその可能性』と箔押はくおしされている。
「えーあいえむ、何それ?」
「あはは、上条かみじようちゃんとおんなじ質問してますねー」小萌先生はにこにこと笑いながら、「AIM拡散力場とは、能力者が無意識の内に全方位へ放出してしまう、微弱な力の事ですよー」
「……」
 姫神は少しだまった。
 無意識の内に外へ放たれる力。姫神にとっては『吸血鬼を招き寄せる死のにおい』こそがそれに当てはまるのだろう。
 小萌先生は、沈黙ちんもくする姫神の微妙な表情の硬化に気づかないまま椅子の背もたれに体を預け、「あー、姫神ちゃん。今日はごめんなさいでした。始業式をぶっち切った上条ちゃんをお説教するためとはいえ、ホームルームほかの先生に任せちゃって。いきなり知らない人だらけの所へ放り込まれて不安じゃなかったですか?」
大丈夫だいじよヒつぶ。問題なかった。それより。上条は何をやらかしていたの?」
「そうですそうそう! 聞いてくださいよ姫神ちゃん! 小萌先生はですね、シスターちゃんを追い駆けたっていうだけならまだ許せたのですよ。なのに、あろう事か上条ちゃんってばシスターちゃんのほかにも女の子を連れて食堂でおしゃべりしていたのです!」
 他の女の子、というフレーズに姫神ひめがみの目が鋭くなる。
 校門の前で、インデックスと一緒いつしよにいた少女の姿が脳裏に浮かぶ。
「それ。どんな格好の人?」
「気になるのですかー? むふふ」
「……」
 姫神が無言で答えると、小萌こもえ先生の笑みがちょっぴり引きつった。
「う、うーんと。ずれメガネと頭の横から飛び出した髪が印象的な女の子でしたけど。あと制服がウチのとは違って半袖はんそでブラウスに赤ネクタイ、青いスカートですー。なんか、線が細いというか周りに気を遣うタイプというか、そんな感じでしたねー」
 その答えに、姫神は視線を外して一人思い出す。
 あの少女は、一体どんな名で呼ばれていたのかを。
「小萌先生」
「は、はい?」
「この学校に。風斬氷華かざきりひようかっていう生徒はいる?」

     6

 店内を大雑把おおざつぱに一周しただけで、八〇〇〇円も使ってしまった。
「ふー。あー面白かった。とうま、私はもう満足満足かも」
「……、あい。上条かみじようさんももういっぱいいっぱいですよ? ねえ三毛猫《みけねこ》。今日から俺達おれたちのご飯は三食残らず食パンの耳になるかもしんないけどオッケーかい?」
 上条はぐったりしながら問いかけたが、三毛猫は『ふぎゃあ! しゃああ!!』と蛇の威嚇いかくみたいな鳴き声をあげて断固としてこれを拒否する。
「とうま、とうま。次は何して遊ぶの?」
「……、ちょっと休ませてくだせえ」
「とうま、もう一周してみる?」
「やめてください! それやったら間違いなく破産しますから!!」
 上条は絶叫する。
 と、タイミングを見計らうように、上条の携帯電話がひび割れた着メロを流し始めた。性能が悪いのではなく乱暴に扱っているためスピーカーの調子がおかしいのだ。もっとも、彼の愉快な夏休みを知る者ならば、動いているだけでも上出来だと思う事だろう。
 上条かみじようは携帯電話の画面を見る。メールではなく通話らしい。番号は見慣れなかった。彼がインデックスたちに背を向けて携帯電話を操作し始めると、風斬かざきりは何かを察したのか、
「……ちょっと、ジュース……飲みに行かない?」
「え?だったらとうまも一緒いフしよに――」
「彼の分も、買ってくるの……」
 風斬は言いながらインデックスの手をつかんで、上条から離れるように歩き出した。上条は一度だけ空いた手で軽く謝るようなジェスチャーをしてから、もう片方の手で器用に財布の中から小銭を取り出すと、風斬に向かって投げた。彼女はややびっくりして飛んできた小銭を受け取る。
 上条は彼女達の後ろ姿を見送ってから、意識を携帯電話の方に集中した。
 が、せっかくインデックス達に席を外してもらったのに、スピーカーからの声は雑音がひどすぎてまともに聞き取れない。
『ザもしも、し……ザザ―――聞、こえ……ひ、めがみ……だけど―――』
 おまけにここはゲームセンタして、周囲は電子音の洪水にみ込まれている。
『―――……そ、こに…ザ、――風…氷、華―――ザザ…いる? ザ、ザザ……大へ…ん…な事……分かっ―――ザザザざざザざザザ!!』
 ブツン、といきなり通話が切れた。
 かろうじて少女の声らしいという事は分かったが、それだけだった。どこかで聞いた事があるような気もしたが、あんな雑音混じりでは判別できない。
「地下街、だもんなあ……」
 地下にも携帯電話用の設置アンテナはあるが、逆に言えばアンテナから少しでも離れると携帯電話は使えなくなってしまう。
「結局、何だったんだ?」
 上条は首をひねりながら、携帯電話を折り畳んでポケットへ突っ込んだ。

「とうまは怖い人じゃないんだよ?」
 ゲームセンターの奥にある、自販機コーナー兼喫煙コーナーでインデックスはそんな事を言った。風斬氷華ひようかはメガネの奥から彼女の顔を見て、
「……え?」
「だから、ひょうかはビクビクしてるけど、とうまは大丈夫だいじようぶだよ」
「あ……うん」風斬は少しだけうつむいて、「……違うん、だよ? ……怖いとか嫌だとか、そういうのじゃ、ないの……」
「???」
「……私も良く分からないの……。何か……静電気が、いっぱいまってる……セーターに触ろうとしているみたいな、感じで……」
「ふうん」
 インデックスは適当にうなずいた。そもそも彼女は『せーでんき』というものが分からない。風斬かざきりはそんな彼女に困ったような顔を見せて、
「……男の人と、話すのは……これが初めてだから、かもしれないけど……」
 少しだけ、そこで二人の会話が途切れた。
 ややあって、風斬は話題を変えるように、
「それにしても……さっきのゲーム、面白かったね。……あなた、いっぱいはしゃいでいたし……」
「ひょうかこそ楽しそうだったよ。ひょうかはこういう所に良く来るの?」
「ううん……私も初めて」
 風斬は苦笑しながら、財布を取り出して一〇〇円玉を何枚か手の上に乗せる。
「あなたは……何が飲みたい?」
「うっ。もう私は自販機なんかにたよりたくないかも。あんなの私に操作するのは無理だよ。ひようかがやって」
 口をとがらせるインデックスに、風斬は苦笑いした、どうもインデックスは、まだ学食の食券販売機で打ちのめされた事を気にしているらしい。「……私、初めてだから……、どれが美味しいか、良く分からないの……。私が押すから、あなたが選んで」
「ひようか、ジュース飲んだ事ないの?」
 インデックスは何気なく聞き返した。彼女がここで引っかかりを感じなかったのは、現代的な知識が欠如している部分があったからだろう。
 対して、風斬氷華ひようか普段ふだんどおりの口調で、もう一度言った。
「……うん。今日が初めて」

     7

 上条かみじようは携帯電話の相手について首をひねって思いを巡らせていたが、ふとその考えを断ち切った。いつまでってもインデックスたちが戻ってこない事に気づいたのだ。。
(迷子……な訳ねーよなあ)
 彼は常識的にその可能性を否定したが、冷静に考えるとインデックスも風斬も少し常識から外れているような気がする。念には念を、という訳で上条は彼女達を捜してみる。
「うおーい。インデックス、風斬?」
 上条は辺りをキョロキョロと見回しながら店の奥へと歩いていく。内部系ゲームセンターは一台が乗用車ほどもある大型サイズのゲーム筐体きようたいが並んでいるため、あちこちに死角がある。
彼はそれら大型グームの陰をのぞき込むように移動しながら、時々順番待ちをしている学生たちにらまれたりしつつもインデックス達を捜し続ける。
 そうこうしている内に、ジュースの自動販売機が三台ぐらい集中している休憩所に辿たどり着いてしまった。
(ありゃ? 風斬かざきりはジュース買いに行こうって言ってたと思ったんだけど……行き違いになっちまったか?)
 上条かみじようは少し困ったような顔をして周りを見渡したが、
 ふと、彼の横をバニースーツを着た五人ぐらいの女子高生が通り過ぎて行った。
「はあ?」
 ビクゥ!! と衝撃しようげき映像お前に上条は思わず肩をふるわせたが、当の彼女達は何食わ譲顔で店内を歩いている。やがて、やや古い感のあるプリントシールのゲ!ム筐体に集まっていくと、笑顔で写真を撮ったりしていた。
(??? な、何だありゃあ? ああいう服の貸し出しサービスでもやってんのか?))
 よくよく見てみると、バニースーツらしき格好のあちこちにリボンやら肩パーツやらがくっついている。よく分からないが、そういうキャラクター衣装なのだろう。パッと見で何をモチーフにしたかすぐ分かるデザインとあからさまな肌の露出ろしゆつを考えると、案外子供向けのアニメの女性キャラかもしれない。
 当人達は楽しんでいるらしいからそっとしておこう、と上条は視線をらす。この辺りにインデックス達がいる様子もないし、一度出入り口かカウンターにでも行ってみようか、と彼はきびすを返そうとしたが、
 ふと、耳に聞き慣れた少女達の声が届いた。
「……えっと、あの……もう一度尋ねるけど、本当に、やるの……?」
「やるってやるやる。うわすごい! 超機動少女マジカルパワードカナミンのドレススーツがある!」
「あの……それ、着るの……?」
 間違いなくインデックスと風斬氷華ひようかの声である。どこだどこだどこからだ? と上条が首を巡らしていると、どうも三台並んだ自販機の向こうかららしい。
(?)
 上条はまゆをひそめながら自販機の裏手に回ってみる。と、陰に隠されるように、カーテンで仕切られた試着室らしきものを発見した。割と粗雑な扱いを受けているのか、何かカーテンレールが斜めにかしいでいる。カーテンの布地もやや汚れた感があった。
 声はそこから聞こえてくる。
「でも、これはっちゃすぎて着られないかも。ここにある服ってみんな赤ちゃん用なのかな」
「ん。その、腰の所にある……ダイヤルを、回すの。それで、サイズが変わるはずよ」
「へ? あ、うわっ? 何これ、いきなり服が大っきくなったかも!?」
「えっと……形状記憶きおく、とは、少し違うかな。……エアを使っているんだと思う。布を作っている糸が……パイプ状になっていて、そこに空気を通して膨張ぽうちようさせて、服のサイズを貞由に変える事が、できるの。……確か、そんな理屈だったと思ラ、けど」
(あれ、待てよお前にもなかったかこんな情景)
 上条かみじようの本能が記憶を検索する。そう、確かに似ている。いなくなったインデックスを捜して、ようやく見つけて、ドアを開けたら全裸でご対面。学校の保健室でそんな事がなかったか。
 試着室の前まで上条は歩いて行き、仕切りのカーテンの前で立ち止まった。おそらく確実にあの二人だろうが、人違いだったらやだなあと思いつつ声をかけた。
「インデックス、そこか?」
 瞬間しゆんかん、『ひぁ!?』『きゃあ!!』という、いきなり服の中に氷を放り込まれたみたいな短い悲鳴が返ってきた。
「とっ、とととととうま! なに? そこにいるの!?」
「えっと、あの……今、開けてもらうと困ります。……その、すごく!」
 切羽詰まった声だった。カーテンで仕切られているものの、やはり着替え中に男から話しかけられるとあせるものらしい。特に普段ふだんの泣くような声しか出さない風斬かざきりが大声を張り上げている辺り、彼女は現在、完全無防備かそれに近い状態にあるようだ。
「オーケー、上条さんは保健室の二のてつみませんの事よ。今カーテンを開けるのはヤバイ、うっかり転んでカーテンの向こうとかに突撃とつげきするとさらにヤバイ。りょーかいりょーかい、上条さんは一度こっから撤退てつたいする」
「あ、うん。分かった、とうま。また後でね」
「……えっと、私は……着替えた姿も、見ないでいてくれた方が……」
 二人の声を聞きながら、上条はそーっと後ろ歩きで三メートルほど離れてみた。異常なし。、試着室のカーテンは鉄壁のようにインデックスたちをガードしている。良かった良かった何も起こらなくて、と上条は胸をなでおろして試着室に背を向けようとしたが、

 すとん、と。
 何の前触れもなく、いきなリカーテンが真下に落ちた。

「は……?」
 元々、乱暴な扱いを受けて斜めにかしいでいたカーテンレールが外れてしまったのだ。。まるで布でおおった豪華商晶を紹介する時のように、試着室の中が大公開フルオープンされる。
 瞬間、上条の脳内からあらゆる音が消えた。
 二人の少女は凍り付いている。
 インデックスは、前の日に再放送をていた超機動少女マジカルパワードカナミンの白を基調としたひらひらした服を着ている。ただし、スカート部分の留め具を固定する前なので、何か文章で表現していない所がいけない形で見え隠れしていた。
 さらにご愁傷様しゆうしようさまなのが風斬氷華かざきりひようかだ。彼女はカナミンに登場する悪役ヒロイン(物語中盤で主人公パーティに参加)の衣装を選んだ……というか、恐らく選ばされたのだろうが、最悪な事にそれはほとんど黒ビキニみたいな防御力ゼロのエロよろいだった(一応パレオみたいなロングスカートがついているが、前部が大きく開いた飾り用なので何の意味もない)。肌の露出ろしゆつの関係上、下着も外して装着しなければならないタイプの衣装らしいが、胸部装甲えせブラジヤーのフロントホックも外れているし、体を折って腰部装甲うそパンツの両サイドに手をかけて腰まで引き上げるか引き上げないか微妙な所で止まってしまっている。
 永劫えいこうに近い数秒の沈黙ちんもくの後、ようやく彼らの時間が動き出す。
 インデックスは犬歯をき出しにして両目に閃光せんこうを宿し、風斬は頭の先まで真っ赤に染まってぶるぶるふるえて目尻めじりに涙を浮かべ始める。
「いや、待て。待って。何か理不尽だ。よし、一度冷静に検証してみよう。おれと試着室までの距離は三メートルもある。絶対に手は届かないし、手を使わないでカーテンを落とすような能力もない。ほら、だからこれは俺の、せいじゃない、と思うん、だけど、なー……」
「とうま、じゃあカーテンが落ちた時にこっちを見ていた事は、とうまの過失にならないの?」

「あ、あっちを向いていてくれれば……こ、ここまで、ひどいダメージには……」
 涙を浮かべて本気で怒っている時さえ申し訳なさそうな顔をしている風斬かざきりが少し新鮮だなあ、と上条かみじようは現実逃避とうひしながら、
「えっと、つまり、あれですか。インデックスさん」
 うん、とインデックスはスカートの留め具をしっかりと固定してから、
「問答無用だね、とうま」

 遠く意識の彼方かなたで、女の子たちのはしゃぐ声が聞こえる。
「写真シール……。ひようか、ひようか。この写真を撮るには、どうすればいいの?」
「えっと……ここに、お金を入れて……ボタンを押して、五秒後に……」
「ふうん。ひょうか、何か困った顔してるけど、悩み事でもあるの?」
「あの、その……どうしても撮らなきゃダメ? 私は、えっと……あっ、待って!ボタンを押さないで! や、やっぱり私は……」
「ほら撮るって。ひょうか、あんまり暴れると変な顔で写っちゃうかも」
「あ、うう……人の、話を……」
 一方そのころ、楽しそうな光景の斜め後ろ三メートルの物陰では、ぼろクズのように変わり果てた上条が転がっていた。

     8

 元の服に着替えたインデックスと風斬の姿は対照的で、インデックスは出来上がった写真シールを見てはしゃいでいるのに対して風斬は、ごーん、と除夜のかねみたいな効果音つきで落ち込んでいた。ハダカ見られた+トンデモ写真というダブルショックに心が折れかかっているらしい。
「はい、ひょうか。半分こ」
 インデックスはそんな様子に気づかず、一六枚一つづりの写真シールを切り取り線に従って八枚ずつに分割して風斬に手渡した。風斬は写真の中の自分の格好が死ぬほど恥ずかしいらしいが、かと言って友人との写真は宝物にしたいらしく、かなり複雑な表情をしていた。
「なんか、一日があっという間にすぎていく感じがするね」インデックスは切り分けた片方を眺めながら、「これがガッコー生活かあ。うーん、いいなあ」
「いやいや、現実には退屑な授業とか地獄みてーなテストとかあって、それどころじゃねーけどな」
 実は記憶きおく喪失の上条にそういった経験はない。が、知ったかぶりで話を合わせて細いた。
 そんな上条に、インデックスは楽しそうな笑みを見せて、
「それを退屈だと言えるのが、きっとす。てに幸せなんだと思うよ」
「……、かもな」
 上条かみじようは少し考えてから、うなずいた。
 当然ながらインデックスは上条の住んでいる場所とは別世界の住人で、その世界には学校教育があるかどうかも分からない。少なくとも良い学校に通って良い会社に入って……などという未来予想図はないだろう。
 そんな彼女からすれば何気ない学校生活は決して手の届かない宝物に見えるのかもしれない。
争いのない平和な世界が。退屈と呼べる温かい時間が。

 ゲームセンターにいると異様な速度でお金が消費されていく、という訳で上条たちはとりあえず店の外に出る事にした。
 あれから結構な時間がったはずだが、地下街の活気が衰える事はない。ただ、道行く学生達の服装が、学生服から私服へと変化しつつあった。一度りよりつに戻った学生達が再び地下街に戻ってきたのだろう。地下街はの光が入らず蛍光灯によって常に=疋の明るさを保たれているため、こういった部分で時間の経過を実感する事になる。上条は彼らの通行の邪魔じやまにならないように、壁際かべぎわに寄ってインデックスや風斬かざきりと話をしていると、そんな彼らの横を、高校生らしき女の子が走り抜けた。腕に『風紀委員ジヤツジメント』の腕章がついている。
「……、ん?」
 上条は何気なくそれらから視線を外そうとしたが、ふと『風紀委員ジヤツジメント』の少女が立ち止まって、こちらをにらんでいる事に気づいた。上条がきょとんとしていると、その少女は何か怒ったような顔をしたままつかつかと歩いてくる。
 少女は上条の目の前で仁王立ちになると、
「こら、そこのあなた! 人がこんだけ注意しているのにどうしてのんびりしているの! 早く逃げなさい、早く!!」
 いきなり怒鳴りつけられて、上条はおろか近くにいたインデックスや風斬までおどろいた。
(いや、でも、なんか言ってたっけ、こいつ?)
 初対面の人間の第一声を受けて、上条が首をかしげる。と、『風紀委員ジヤツジメント』の少女はムッとまゆを寄せた後に、
「だから、念話能力テレパスよ、念話能力テレパス。聞こえているんでしょう、ほら!」
 少女の顔が力むように赤くなった途端、インデックスと風斬が同時に『わあ!』『ひゃあ?』と叫んだ。彼女達はきょろきょろと周囲を見回した後に、
「あ、あれ……。今、どこから、声が……?」
「む。何か頭の中から直接声が聞こえたような気がするかも」
 が、不思議がる二人をよそに、上条だけがきょとんとしたまま、
「あー、テレパスってあれか。離れた人間と会話ができる力とかいうの。っと、確か伝達系にも色んなタイプがあるんだっけか。小萌こもえ先生が補習で言ってたな、そんな話。生体電気の読み書き、可聴域かちよういき外の低周波音声、いや……こりゃ糸電話か? ほら」
 上条かみじようがインデックスの顔お前に手をかざすと、彼女はもう一度おどろいた顔をした。おそらく念話使いの力が遮断され、インデックスの頭の中にひびいてきた『声』が聞こえなくなったのだろう。
 糸電話。
 その名の通り、空気の振動の伝達率を変動する事で、見えない『糸』を作り出す念話タイプの事だ。『糸』は伝声管と同じく、空気の振動をパイプ状の『コード』の中を通し、その先の出口のみに『声』を伝える。見えないものであるため「糸』がどういう順路を辿たどっているか上条には見えないが、おそらくテレパス少女と彼をつないでいた『糸』に右手が触れてしまったため、上条だけは念話が届かなかったのだろう。
「しっかし念話能力テレパスってまだ開発研究続いてたんだな。携帯電話の普及と共にポケベルみてーに消えていったって聞いてたけど」
「……あなた、ね」風紀委員ジヤツジメントの少女はひくひくとこめかみを引きつらせていたが、「どうしてあなたには届かないのかしら、あたしの『声』が。まあいいでしょう、口頭で説明するから」
 ずい、とさらに一歩、少女は上条の元へと近づいてくる。
「は?」
「現在、この地下街にテロリストが紛れ込んでいるんです。特別警戒宣言コードレッドも発令されてますよ。今から……えっと、九〇二秒後に捕獲作戦を始めるために、隔壁を下ろして地下街は閉鎖へいさします。これから銃撃戦じゆうげきせんになるからさっさと逃げてくださいねって指示を出している所。分かりました?」
 その声に、上条はぎよつとした。
 インデックスはコードレッドの意味が分からず、風斬かざきりは分かっていても非日常に実感がかないためか、風紀委員ジヤツジメントの言葉を聞いてもきょとんとしていた。
「当のテロリストに捕獲準備の情報を知られると逃げられるかもしれないから、こうして音にたよらないあたしの念話能力リアレパスが入り用になったんです。だからあなたたちさわぎを起こさないで、できる限り自然に退避たいひしてくださいね」
「ふうん。テロリスト以外の入間限定で伝えてるって訳か。あれ? それってつまりテロリストの顔はもう分かってんのか?」
「そんな事を一般のあなたが心配する必要はありません。きちんと顔写真つきで手配書は回してもらっているので問題ないの」
 風紀委員ジヤツジメントの少女は折り畳み式の携帯電話をパカリと開く。そこの画面にだれかの顔写真が映っていた。これがテロリストなのかな? と上条が画面。をのぞこうとした所で、彼女は片手で携帯電話を折り畳む。
「ほらほら。分かったら早く逃げてください。閉鎖へいさまでもう八OO秒ありませんよ」
 それだけ言うと、風紀委員ジヤツジメントはそこから立ち去った。
 上条かみじようは改めて周囲を見渡す。彼女の『声』を聞いたのか、学生たちはわずかにどよめきながらも、指示通りにあくまでも自然な感じで出ロへと向かっていく。ただし、一歩離れた所から眺めると不出来な避難ひなん訓練のように見えなくもないのだが。
「おいおい、まずいな……。とにかくここを出るか。インデックス」
 下手なトラブルに巻き込まれる必要もない。上条はインデックスや風斬かざきり一緒いつしよに、さっさとこんな危ない場所から離れようと思った。
 しかし……。
(……あれ、ちょっと待て。なんかやばくないか?)
 出口である大手デパートの階段の手前で、上条は思わず立ち止まった。二人の少女はそんな彼に怪誹けげんそうな視線を向ける。
 出口の周りに、武装した警備員アンチスキルの男達が四、五人固まっていた。全身を黒い装甲服ポデイアーマーで固め、顔もヘルメットとゴーグルでおおっているため、ロボットのようにも見える。彼らの手には見た事もないライフルが握られていた。
 インデックスはこの街の住人ではない。だれが発行したかも分からない臨時発行ゲスト扱いのIDを持っているものの、その正体が不法滞在者である事に変わりはない。
 彼らに詳しく素性すじようを調べられれば、拘束される危険性は……ないだろうか?
 平時ならそれほど気に留める必要もないだろう。インデックスが普通に街を歩いていても問題ないとは思う。だが、今は非常事態で検問が敷かれているのだ。少しでも怪しいと感じた者はすべて調べられるだろう。結果、彼女が部外者である事が発覚してしまうかもしれない。
 実際に、オリンピックやワールドカップなどで警備が強化された時には、大会の妨害とは全く関係のない酔っ払いなどが大量に検挙されるものらしい。今の警備体制とインデックスの関係はそれに近いものがある。
 どこのテロリストが紛れ込んだか知らないが、大きな迷惑だった。迂闊うかつに出口へ近づけば警備員アンチスキルに捕まるかもしれず、かと言ってこのまま立ち止まれば銃撃戦じゆうげきせんに巻き込まれるかもしれない。
(しかしまぁ、行くしかねえか。警備員アンチスキルの検問と銃撃戦に巻き込まれるんだったら、まだ検問の方がマシだ。くそ、それにしたってマイナスとマイナスの天秤てんびんって最悪だな)
 多少の危険は伴うが、上条はとにかくここから立ち去る方を選んだ。
 だが、そんな彼の考えは強引に断ち切られる。
 日常に割り込んできた、非日常の手によって。
『―――見いつっけた』

 それは女の声だった。
 ただし、何もないはずの壁から聞こえた。
 上条かみじようは視線を向け、そして硬直する。壁の、ちょうど上条の目線の高さの辺りに、てのひらサイズの茶色い泥がへばりついていた。それは吐き捨てたガムのようにも見える。
 ただし、その泥の中央に、人間の眼球が沈んでいた。
 ギロギロと、ギョロギョロと、眼球はカメラのレンズのようにせわしなく動く。
 風斬かざきりは、その眼球を見てもキョトンとしているだけだった。あまりに現実味がなくて、ガラスで作ったレプリカに見えたのかもしれない。かくいう上条も人の事は言えない。何か、頭の後ろがしびれたようになって、上手く目の前の視覚情報を処理できない。
 ただ一人、インデックスだけがおどろきもせず冷静にその目玉を眺めている。
 泥の表面がさざ波のように細かく揺れ、その振動が『声』を作り出す。
『うふ。うふふ。うふうふうふふ。禁書目録に、幻想殺しイマジンブレイカーに、虚数学区のかぎ。どれがいいかしら。どれでもいいのかしら。くふふ、迷っちゃう。よりどりみどりで困っちゃうわぁ』
 女の声は妖艶ようえんだが、どこかび付いていた。
 煙草タバコか何かでのどつぶした歌姫を連想させる、退廃的な声は一転、

『――ま、全部ぶっ殺しちまえば手っ取り早えか』
 場末の酒場でも聞かれないような粗暴な声色へと切り替わる。
 上条かみじようは、この奇妙な闘入者ちんにゆうしやが何者か、判断しかねた。この奇妙な泥は超能力によるものか、魔術まじゆつによるものか、判別がつかない。
 しかし、インデックスは一秒も待たずに切り捨てる。
「土より出《い》でる人の虚像―――そのカバラの術式、アレンジの仕方がウチと良く似てるね。ユダヤの守護者たるゴーレムを無理矢理に英国の守護天使に置き換えている辺りなんか、特に」
 上条はインデックスの突然の変化についていけない。とにかく彼女の言っている事を自分なりに理解してみようとは思うのだが、たった一つも意味が分からない。
 なので、彼はとりあえず疑問を述べてみる。
「ゴーレムって、この目玉が?」
 上条は思わず壁にへばりついた泥と眼球を指差した。確かにそれは吐き気を催すほど不気味な存在だが、かと言って生命の危機を感じるほどの話でもない。また、彼の頭の中にある『ごーれむ』とは、ゲームに出てくる岩石でできた鈍重な巨大入形といった所である。
 しかし、インデックスは泥の眼球をにらみつけたまま、
「神は土から人をつくり出した、っていう伝承があるの。ゴーレムはそれの亜種で、この魔術師は探索・監視用に眼球部分のみを特化させた泥人形を作り上げたんだと思う。本来は一体のゴーレムを作るのが精一杯だけど、これは一体当たりのコストを下げる事で、大量の個体を手駒てごまにしてるんじゃないかな」
 インデックスが告げると、眼球は泥の表面をふるわせて妖艶ようえんな笑い声を発した。
 上条は理屈は分からなかったが、どうやらこの泥と眼球はラジコンみたいにだれかが操っているものだというのだけは何となく理解して、
「って事は……この魔術師がテロリストさんって訳か」
『うふ』と、泥は笑う。『テロリスト? テロリスト! うふふ。テロリストっていうのは、こういう真似まねをする人たちを指すのかしら?』
 ばしゃっ、と音を立てて泥と眼球ははじけ、壁の中に溶けて消えた。
 瞬間しゆんかん

 ガゴン!! と。地下街全体が大きく揺れた。

「なん……っ!?」
 まるであらしに放り出された小船のような震動しんどうに、上条は思わずよろめいた。視界の端では、転びそうになったインデックスが風斬かざきりの腕の中にすっぽりと収まっている。
 さらにもう一度、砲弾が直撃ちよくげきしたような揺れが地下街をおそう。爆心地は遠いが、その余波が一瞬いつしゆんで地下全体に広がっている感じだ。
 パラパラと、天井てんじようから粉塵ふんじんのようなものが落ちてくる。
 蛍光灯が二、三度ちらついたと思った途端、いきなりすべての照明が同時に消えた。数秒遅れて、非常灯の赤い光が薄暗うすぐらく周囲を照らし始める。
 それまでのんびりと、避難ひなん訓練のように出口へ向かっていた人の波が一気にパニックを引き起こす。まるで暴走した猛牛の群れのような足音が殺到する。
 今度は、低く、重たい音がひびき始めた。
 予定よりも早く、警備員達アンチスキルたちが隔壁を下ろし始めたのだ。洪水の際に地下の浸水を防ぐためか、あるいはシェルターとして使うつもりだったのか、やたらと分厚い鋼鉄の城門が出口を遮るように天井から落ちてくる。人混みの最後尾を千切ちぎるように、隔壁は地面にたたきつけられた。
あわや押しつぶされそうになった、そして逃げ損ねた学生達は混乱したまま分厚い鋼鉄の壁をドンドンと叩いている。出口で検問を敷いていた警備員アンチスキルに詰め寄ろうとする者まで現れる。
 閉じ込められた。
 狭い出口に人が殺到したため、彼らの混雑が壁となって上条かみじよう達は出口に近づけなかった。まさかと思うが、相手がこの展開を予測していたとなれば、敵は上条達の立ち位置から建物の構造や人の流れまで把握していた事になる。あの泥の目玉を地下街中に配置した成果だろうか?『さあ、パーティを始めましょう―――』
 ぐちゃりと潰れた泥から、女の声が聞こえた。すでに壊れた『眼球』の最後の断末魔、ひび割れたスピーカーを動かすように。
『―――土のかぶった泥臭え墓穴の中で、存分に鳴きやがれ』
 さらに一度、一際ひときわ大きな震動しんどうが地下街を揺らした。

     9

 上条は念のためにほかの出口を捜そうとしたが、結果はどれも徒労に終わった。階段やエレベーターは隔壁により封鎖ふうさされ、ダクトは元より人が通れるようなサイズではない。
 空調が切られたのか、地下の温度がぐんぐんと上がっていく。非常灯の赤い光とあいまって、オーブンの中にでも放り込まれた感じがする。ありえないとは思うが、空気がうすくなっているような錯覚さつかくすら覚える。巨大な空間に生き埋めにされたような、居心地の悪さが胸にまる。
 上条は薄暗い通路の先を見渡しながら、忌々いまいましげにつぶやく。
「……、向こうはこっちの顔を確かめてからおそってきたみたいだし、迎えつしかなさそうだ。
インデックス、風斬かざきりとどこかに隠れてろ」
 敵はこちらの位置をとらえている。この閉鎖された空間の中では、いくら広いと言っても、しらみ潰しに調べられればいつかは見つかってしまう。
 敵がこちらの命をねらい、そして逃げる事もできない以上、取る道は一つしかない。
(敵がインデックスや風斬かざきりに手を出お前に、こちらから討って出る。くそ、敵が何人いるかだけでも分かれば策を練る事もできそうだけど……)
 上条かみじようが一人で考えを巡らせていると、三毛猫みけねこを抱えるインデックスはほおふくらまして、
「とうまこそ、ひょうかと一緒いつしよに隠れてて。敵が魔術師まじゆつしなら、これは私の仕事なんだから」
「アホか、お前の細腕でケンカなんかできるかよ。そんなこぶしで人なぐってみろ、お前の手首の方が傷んじまうんじゃねーのか。いいからお前は風斬と 緒に隠れてうって」
「む。とうま、ひょっとして今までのラッキーが自分の実力だと思っていない? どれだけ不思議な力があっても、所詮しよせんとうまは魔術の素人しろうとなんだから。だから索人は素人らしく、ひょうかと一緒に隠れててって言ってるの」
「はっ、何をおつしやいますやら。この不幸の擬人化ぎじんか・ジェントル上条にラッキーなんかあるはずねーだろ。……うっ、自分で言ってて嫌になる」
 何故なぜだか自己嫌悪けんおおちいっている少年に、風斬氷華ひようかはオロオロしながら、
「……あ、あの……何だか良く分からないんだけど……私が、何かを手伝うって方向は……ない、の?」
「「ない」」
 上条とインデックスは同時に言い、風斬はしょんぼりとうな垂れた。
 と、次の瞬間しゅんかん、手近な曲がり角からカツンという足音が聞こえた。
「!?」
 上条はインデックスと風斬をかばおうとし、インデックスは上条と風斬を庇おうとした!結果、お互いの体がぶつかって、上条とインデックスはもつれて勢い良く転んでしまった。一人無傷な風斬だけが、びっくりしたように胸元へ両手を引き寄せたまま固まっている。かつこつという足音は近づいてくる。インデックスの腕に押しっぷされそうになっている三毛猫がみゃーみゃー鳴きながら前脚をバタバタと動かしていた。
 かつこつかつこつ、と古ぼけた柱時計のように足音がひびいてくる。
 曲がり角の向こうから、女の声が飛んできた。
「あら?  猫の鳴き声が聞こえますわね」
黒子くろこ。アンタ動物に興味ないんじゃなかったっけ?」
「かくいうお姉様は興味がおありでしたよね」
「べ、別に私は……」
「あらぁ。わたくし、知っていますのよ。お姉様にはりようの裏手にたむろってる猫たちにご飯をあげる日課がある事を。しかし体から発せられる微弱な電磁波のせいでいつもいつも一匹残らず逃げられて、猫缶片手に一人ポツンとたたずむ羽目になっている事も!」
「何故それを……!? ってか黒子! アンタまたストーキングして……っ!」
 曲がり角から現れた二人の少女は、床に転がっている上条かみじようとインデックスの姿を発見して足を止めた。言うまでもなく、彼女たち―――御坂美琴みさかみこと白井黒子しらいくろこは敵ではない。
 緊張きんちようして損した……とばかりにぐったりと力を抜く上条を、美琴は奇異の目で見る。
「アンタ、こんなトコで女の子に押し倒されて、何やってる訳?」
「……、あらあら。こんな時間から大胆ですこと」
 美琴は何故なぜか髪の毛の辺りからバチバチと火花を散らし、白井は微妙に冷たい声でそんな台詞せりふを言った。
 対して、インデックスは上条の上からどきもせず、
「とうま、この品のない女達は「体だれなの。知り合い? どんな関係? そっちの短髪、この前のクールビューティに似ているけど、違う人だよね」
 なっ……、と白井は声を詰まらせ、美琴は明らかにケンカ腰なインデックスへ、むしろ友好的とも取れる危険な笑みを浮かべ始めた。
(あーそっか。インデックスは御坂妹とは面識があったんだっけ)
 上条は現実逃避とうひ気味にそんな事を思い出しつつ、
(あれ? っつか、何でこの人達はこんなにギスギスした空気を放ってるんでせう?)
 ややあって、現実へと帰ってきた。
 インデックスと美琴は視線を交差させて、
「それで、あなたはやっぱりとうまの知り合いなの?」
「やっぱりって―――ちょっと待ちなさい。じゃあアンタも?」
「……-えっと。命の恩人だったりする?」
「あー……もしかして、そっちもたのんでないのに駆けつけてきてくれたクチ?」
「「……、」」
 二人はほんのわずかに沈黙ちんもくして、それから同時にため息をついた。お、なんかピリピリした気配がなくなっていくそ、と上条は呑気のんきに考えていたが、
「「とうまアンタ! 私の見てない所で何やってたか説明して欲しいかももらうわよっ!!」」
 単に矛先が変わっただけだった。
 ひいっ! と上条は開きかけた心の扉を全力で閉める。
 ニ方向からステレオでしかられている少年の姿を見て、風斬かざきりは口元に手を当てたままオロオロし始めた。上条が可哀想かわいそうだとは思っているみたいだが、かと言ってあの最前線に割って入るだけの度胸もないらしい。彼女は挙動不審気味にあちこちを見回した後、一歩距離を置いた位置に白井黒子が立っている事をようやく発見する。唯一の中立勢力たる彼女に平和活動をお願いしよう、と風斬は思っていたのだが、
「(……まったくそうですか命の愚人ときましたか大体怪しいとは思っていたのですけどやはりあの殿方がお姉様の部屋にやってきた日に何かあったんですのねそれにしてもお姉様はわたくしには一言も告げなかったくせにあのヤロウにはすべてを打ち明けたとそういう風に受け取ってよろしいのかしら、うふふ。あらおかしい、うふふふふふ)」
 あまりに平淡すぎる独り言に、風斬かざきりのメガネがずり落ちた。
 どうやらツインテールの少女は中立勢力ではなく第三勢力らしい。一人ぽつちになってしまった風斬氷華ひようかはその場で立ち往生した。彼女は思う、流石さすがにこの複雑に亀裂きれつの入った勢力図のど真ん中に割って入るのは不可能だと。

 上条かみじようは長い長いステレオ説教から解放されると、ようやくインデックスの下からい出る事ができた。それから美琴みこと白井しらいに簡単な事情の説明を行う。もちろん、魔術まじゆつうんぬんの話は信じてもらえないだろうから割愛してある。
「ふうん。なんかよく分かんないけど、結局またアンタが何かトラブルに巻き込まれてんのね。
しかし今度はテロリストときましたか。テロリスト、ねえ。黒子くろこ、やっぱさっきのキレたゴスロリとつながりがあると思う?」
 美琴はつまらなそうに白井の方を見る。
「そうですわね。殿方たちが聞いたとされる声の特徴からしても、関与していると考えるのが妥当では? しかし、学園都市の『外』から能力者が攻めてくるだなんて。それは、天然モノの能力者がいたって不思議ではないのですけれど……」
「あるいは学園都市のほかにも能力開発機関があるのかしら? でも、『外』の超能力のウワサなんて政府のUFO陰謀説と同じぐらい信愚性しんぴようせいがないのよね」
 どうも白井や美琴は魔術というものを知らないため、目の前の現象はすべて超能力という事で納得しようとしているらしい。上条が横目で見るとインデックスがムッとしているようだったが、話がこじれると面倒になるので上条は先に片手で制して鞄いた。
 白井は腕に留めた風紀委貫ジヤツジメントの腕章を揺らしながらため息をついて、
「まったく、テロリストの侵入を許すだなんて、わたくしも気を入れ直す必要があるようですわね。今朝は二組の侵入者がいたと聞きますし、片方だけでこのさわぎ。もう片方の侵入者の方も気になりますわ」
 ん? と上条は白井黒子の言葉に違和感を覚える。
「何よ、黒子。もしかしてまだトラブルの種があるの?」
「ええ。警備員アンチスキル経由の情報によれば侵入者は合わせて二人。経路や方法が異なっていた事から別口らしいとは聞きましたが、断定はできませんわね」
 んー……? と上条は白井黒子の言葉に冷や汗をダラダラと流し始める。
 と、インデックスがいち早くその事に気づいたのか、上条のシャツを両手でつかんでぐいぐいと引っ張りながら、
「とうま。何か体が小刻みにふるえてるけど、どうかしたの?」
 美琴みことはそんなインデックスに小さく笑いかけて、
「くっくっ……アンタが暑苦しくて欝陶うつとうしいんじゃない?」
 うっとうしくないもんっ!! と叫び返すインデックスにも目もくれずに上条かみじようは、
「えっと、あの、怒らないでくださいまし。多分、もう一組の侵入者って、おれだと思う」
 は? とその場の全員が上条の目を見た。
 上条は、それらの視線すべてから逃げるという器用な芸当をこなしつつ、
「えー、実は昨日の夜に闇咲やみさかっていう不器用な男と知り合いまして。そいつの知り合いを助けるために学園都市の外へ出る必要がどうしてもあった訳で、その問題を片付けてようやく帰ってきたのが今朝の事であって、それで、あの……何だよ? 御坂みさか白井しらいも何でそう『分かった分かったいつもの病気だろ』みたいな目をしてため息つくんだ?」
 何か話題を変えた方が良い、と本能的に察した上条はとっさに頭をフル回転させる。
「っつか、お前たちは何でここにいるんだ?」
「わたくしは風紀委員ジヤツジメントですので、閉じ込められた方達の脱出用にやってきた、という所ですの。
これでも一応『空間移動テレポート』の使い手ですので」
「ふうん。じゃあ美琴は?」
「え、いや、別に私は……」
「?」
「な、何よ! 別に何でも良いでしょうが、何でも!!」
 何故なぜか顔を真っ赤にして叫ぶ美琴に、上条は首をかしげる。そんな彼の姿を見ながら、白井は片目を閉じると若干ながら不機嫌そうな顔を隠しもしないで、
「……(まぁ、わたくしの仕事に付き添ったお姉様が警備室で特別警戒宣言コードレツド下の防犯カメラにあなたの姿が映っていたのを発見したから心配になって駆けつけた、とは言えませんわね。普通なら)」
 上条が白井の方を見ると、彼女はぷいと顔をらした。
 水面下で何が展開されているか分からないまま、上条は白井の空間移動テレポートについて考える。
 確かにその力を使えば、封鎖ふうさされた地下街から地上へ抜け出すのも難しくないだろう。
「わたくし、これでも風紀委員ジヤツジメントの一員ですので、そのテロリストとやらを見過ごす事はできませんけれども」白井は薄暗うぎらい通路の先を一度だけにらみ、「それ以上に、人命の方が重要ですわね。予定を切り上げて隔壁を下ろしたというのが正しいなら、もう時間はありませんわ。ここで大規模な戦闘せんとうが起きるにしても、先に避難ひなんを済ませませんと」
 今も隔壁の辺りには逃げ遅れた学生達が数十人もいる。彼らは皆、開くはずのない鋼鉄の壁をどうにかこじ開けようと無駄むだな努力を続けていた。
「分かった。白井、お前が閉じ込められた人達を脱出させてる間は、おれが時間を稼ぐから、お前はあいつらを外に出してやってくれ」
 上条かみじようが言った瞬間しゆんかん、三方から白井しらい美琴みこととインデックスの手で同時にどつかれた。しょうもない所ばかりで気が合う、とばかりに美琴とインデックスは苦い顔で視線を交わす。ただ一人、風斬かざきりだけがツッコミを入れようとしたが勇気が足りずに虚空へ手を泳がせていた。
 その場の全員を代表するように、美琴は言う。
「アンタは真っ先に逃げるの。っつかアンタたちがピンポイントでねらわれてんでしようが。一番危険な人間を戦場に残すと思ってんのかアンタは」
「……っつってもなあ」上条は頭をいて、「おれの右手はあらゆる能力を無効化させちまう。白井の力だって例外じゃねーぞ」
「そういえば……あなたが女子りよもつに来た時、一度失敗していましたわね」
 白井が何か思い出したようにつぶやくと、美琴の目が鋭くなった。上条はギクリとして後ずさる。
彼は諸事情あって、美琴の部屋に無断で侵入した事があるのだ。
「と、とにかくだな。俺は白井の力じゃ外に出られない。だからここに残ってヤツの相手をするしかねーんだよ」
 その声を聞いたインデックスは、上条の腕にしがみつきながら、
「じゃあ私も残る!」
 今度は四方から、上条と美琴と白井と風斬の手が同時にインデックスをどつき回した。引っ込み思案の風斬も勇気を振り絞ってみたらしい。ぎゅっと目をつぶったまま、しかし的確にインデックスの後頭部へ打撃だげきを加えていた。
 白井は両手を腰に当てて、
「わたくしの力にも限度がありまして……そうですわね。一度に運べるのは二人が限度でしょう。おチビちゃんが予想以上に重かったら話は別ですけどねぇ?」
「ふん! あなたにだけはチビとか言われたくないかも! 一番子供のくせに!!」
「な、何ですって、このまな板が知った口を……!?」
 激昂げつこうする白井黒子くろこを見ながら、美琴はため息をついて、
「まーまー、どうでも良いでしょそんなの。一歩離れて見てみりゃどっちも子供よ子供」
「……、」
 さらに一歩離れた高校生の視点で眺めると美琴も子供に見えるのだが、彼は曖昧あいまいな笑みを浮かべたままだまっている事にした。上条の半分は優しさでできているのだ。
 ちなみに、彼はもう一歩離れた所に立って上条達を眺めている風斬氷華ひようかが、子供達を見る保母さんのようなひとみをしているのには気づいていない。
「しかし、運べるのは二人までか……。そんじゃ、まずはインデックスと風斬をたのむ」
「とうま。それはつまりそこの短髪と一緒いつしよに残る、と言いたいんだね?」
 インデックスは微妙に平淡な声でそう言った。突撃とつげき準備完了、いつでも頭にみ付けますと言わんばかりに彼女の犬歯がキラリンと輝く。
「……、あー。じゃあ美琴みこと風斬かざきりでいいや」
「ほう。アンタ、そこのっこいのと残りたい、と。ほほう」
 今度は美琴の茶色い髪が静電気を帯びてふわふわと浮かび始めた。バチバチという青白い火花が、暗闇くらやみの中で断続してまたたく。
「ああちくしよう! じゃあインデックスと美琴で”…」
 上条かみじようが両手で頭をむしりながら叫ぶと、白井しらいはため息をついた。
「はあ。ではお姉様とチビガキを連れて行きますけれど、わたくしも一緒いつしよに飛びますわよ」
「は? お前が地上と地下を行ったり来たりしても面倒じゃねえの? 地下に残ったまま一入ずつ地上に飛ばした方が早そうな気もするけど」
「わたくしが一緒にいた方が微調整が効くんですのよ。適当に飛ばして溢いて、万が一、誤差の関係でビルの壁にでも突き刺さってごらんなさい。わたくし、径しげな人柱なんて作りたくありませんので。―――ではお二人とも」
 いがみ合うインデックスと美琴を仲裁するように、白井はそれぞれの肩に手を置く。
 瞬間しゆんかん
 プン! と羽音のような音色がひびいたと思った瞬間、インデックス、美琴、白井の三人の姿が虚空へ消えた。消える寸前、美琴が『あれ? ちょっと黒子くろこ! 私は残るってば!!』とか何とか言っていたような気がしたが、おそらく後輩の白井が一人戦場に残って作業を続けるのが心配なんだろうなあと上条は考えていた。
 上条と風斬は、自然と天井てんじようを見上げた。彼女たちは無事に地上へ辿たどり着いただろうか?
「まずは二人、か。……悪りいな。お前を残しちまって」
「……う、ううん。私は別に……最後でも良い、です。それより……あなたの方こそ……」
 言いかけた風斬の言葉は、途中で遮られた。
 ゴガン”…と、再び地下街全体が大きく揺れたからだ。
 だが、これまでと違って、今度は爆心地が近そうだった。薄暗うすぐらい通路の先から、何やら銃声らしき爆発音と、人の怒号や絶叫らしき声色まで流れてくる。
(本命のお出ましか……。っつってもちょっと早すぎるぞ!!)
 相手はすでに一度、目玉を使って地下街をスキャンしている。ならば、上条達の所まで迷わず歩を進めてきてもおかしくない。
 隔壁お前に集まっていた学生たちは、遠方から届く争いの物音に再びパニックを引き起こした。いくら特殊な力を持っているとはいえ、その正体は単なる学生なのだ。彼らは少しでも危険な場所から離れようと一斉に走り出したが、あかりの乏しい赤い非常灯の中で、何かにつまずいて将棋倒しを起こしてしまう。
 上条は通路の奥をにらみ付ける。
 のんびりと考え込んでいる時間は、ない。
 そして、数十人もの人々がいるこの場所で戦闘せんとうになれば、必ず犠牲ぎせいが出るだろう。上条かみじようの右手はあらゆる異能の力を無効化させるが、これほど多くの人々をかばい切れる自信はない。
(どの道、戦闘はけられねえって言うなら……)
 上条の決断は早かった。
「悪い、風斬かざきり。お前はここで白井しらいが来るのを待っててくれ」
「え……あなたは……?」
 風斬が言いかけた時、さらにゴン!! と地下街が大きく震動しんどうした。今度は、近い。通路の奥から空気が押し出されるように、生温かい風が吹き込んできた。
 断続的な銃声や怒号も、徐々にだが鮮明になりつつある。もう、敵との距離は遠くない。
 上条は風斬の顔を見ず、目の前のやみに視線を投げると、
おれは―――あれを止めてくる」
 それだけ言うと、上条は風斬の言葉を待たずに闇に向かって走り出す。
 敵の正体もその強さも測れないが、耳に届く戦闘の音は身震みぶるいするようなものだった。あれがここまでやってくれば、間違いなく数+名もの命が奪い去られる。その中には、風斬氷華ひようかの命も含まれる。
 それだけは、させる訳にはいかない。
 上条は闇の奥へと走りながら、その右手を硬く握り締めた。

   

chap4

第三章 閉鎖化 Battle_Cry.

     1

 シェリー=クロムウェルは銃声と硝煙の渦巻く戦場を優雅に歩いていた。
 彼女の前方には、まるで巨大な盾のように石像が立っていた。石像は地下街のタイルや看板や支柱などを無理矢理丸めて粘土のように形を整えたものだった。高さは四メートルに届いているが、あまりに背が高いせいか、石像の頭は天井てんじように押し付けられ、斜めにかしい。ていた。
彼女は白いオイルパステルをぎ払うように宙で振るう。それが命令文となり、巨大な石像が歩を進める。
 シェリーの前方には漆黒しつこくの装甲服に身を固めた警備員達アンチスキルたちがいた。彼らは近くの喫茶店にあったテーブルやソファなどを通路に集め、バリケードを作り、そこから顔を出すようにライフルをち続けている。装填そうてんすきを見せないよう、三人セットになって、一方のチームが装填している問はほかのチームが射撃しやげきを行っていた。まるで織。田信長の鉄砲隊だ。
(腕はそこそこだが、品がないわ)
 シェリーはつまらなそうな評価を下した。
 元々地下街の通路が狭いせいもあるが、石像―――ゴーレム=エリスは通路を遮る、移動型の防壁のようなものだった。その後ろにいるシェリーには一発の弾丸も飛んでこない。
 何百発と弾丸がエリスに直撃しようが、決定打にはならない。弾丸を受けた手足はえぐれるが、まるで磁石に吸い寄せられるように、エリスの近くにある壁のタイルががれ、こわれた箇所を自動的に補修してしまう。
 カチン、という金属音がひびいた。
 こうを煮やした警備員アンチスキルの一人が、手榴弾しゆりゆうだんのピンを抜いたのだ。彼は石像の盾の向こうにいるシェリーヘダメージを与えようと、石像の股下またしたをくぐるように手榴弾を投げようとして、
「エリス」
 そのお前に、シェリーはオイルパステルを空中で一閃いつせんした。
 石像が地をみ鳴らす。ゴドン!! と地下街の床が大波に揺られる小船のように大きく震動しんどうした。折りしも警備員アンチスキルが手榴弾から手を離そうとした瞬間しゆんかんの出来事だった。タイミングを奪われた彼の手から、ピンの抜けた手榴弾がポトリとおのれの足元へ落ちる。
 怒号。
 そして爆発。
 血しぶきが舞った。手榴弾しゆりゆうだんは爆風よりも破片で傷をつけるタイプのものらしく、バリケードが吹き飛ぶ事はない。仕切り一枚隔てた先から、血のにおいが漂ってくる。かろうじて鋭い破片のあらしから免れた者たちも、爆風から逃れるためにバリケードの外へ飛び出してしまっている。
 多くの警備員アンチスキル達は、爆発の衝撃しようげきでライフルを手放していた。
 ビュバン!!という抜刀術を思わせるような、空気を裂くオイルパステルの音、
 彼らの頭上に影が差す。まるで建設重機のようなエリスの腕が振りかぶられる。
 慌てて予備の拳銃けんじゆうを引き抜いても、もう遅い。
 石像を相手に足止めするには、あまりにも貧弱すぎる。

     2

 戦場だ。
 上条かみじようは地下街の通路の角を曲がった瞬間しゆんかん、思わず口元を手でおおいそうになった、
 本物の戦場だ。
 目お前に広がる光景は、人々が争うものでも、銃声や怒号がひびくものでもない。傷つき、折れ曲がり、引き裂かれた人間が柱や壁に寄りかかっていた。ここは第一線ではない。敗れた者達が一時的に後退し、傷の応急手当をするための野戦病院のような所だった。
 警備員アンチスキル
 数にして、およそ二〇人弱。
 一体どれほどの相手と立ち回ったのか、彼らの傷は尋常ではない。絆創膏ばんそうこうを張るとか包帯を巻くとかいう次元を超えている。まるで破れてしまった布袋を糸でって補修するようなイメージすらたたきつけてきた。
(っつか、どんな野郎なんだ。こんだけの警備員アンチスキル相手にここまでやる魔術師まじゆつしってのは……)
 上条は絶句する。詳しい裏事情を知らない素人しろうとの彼でも、何となく『科学勢力』と『魔術勢力』があるらしい事は分かっている。そして上条は、今までそれは一対一でキチンとバランスの取れたものだと思っていた。
 だが、ふたを開けてみればこの有り様だ。
 上条はこれまでも尋常ではない魔術師達と渡り合ってきたので、彼らの力を分かっているつもりだった。それでも、現実に上条の住む科学勢力の人間がこうも簡単にやられてしまう姿を見ると、少なからずショックを受けてしまう。
 学園都市の治安を守るべき人間が、まるで怪獣かいじゆう映画に出てくる端役はやくみたいな扱いだった。
 しかし、そこまでしてなお彼らに撤退てつたいの意思はない。
 少しでも体の動く者は近くの店から椅子いすなりテーブルなりを運び出し、バリケードのようなものを作ろうとしていた。いや、体の動く動かないは関係ない。そんなものを問う段階は、とっくの昔に終わっている。
 死ぬ気でやっているのではない。
 死んでも成し遂げるという決意しか感じ取れない。
(どうして……)
 上条かみじようは絶旬していた。
 彼らはプロとしての訓練を積んでいるものの、その正体は『教員』……つまり学校の先生で
しかない。だれかに強制されている訳ではないし、給料が特に高い訳でもない。総括すれば、彼ら
が命をけて戦う理由などどこにもないのだ。彼らは国家公務員試験を突破した正規の警察官
ではない。自分の命が惜しくなって逃げ出した所で、一体誰が非難するというのか。なのに……。
 と、曲がり角で呆然ぽうぜんとしていた少年の姿を、壁に寄りかかるように座り込んでいた警備員アンチスキル
見処みとが口めた。おどろくべき事に女性だった。彼女は傷ついた仲間の腕に巻いていた止血テープの動き
を止めて、
「そこの少年! 一体ここで何をしてんじゃん!?」
 怒号に、その場にいた十数名もの警備員達アンチスキルたちが一斉に振り返った。上条が答えられずにいると、
大声を出した女性はいかにもいらだたしい調子で舌打ちして、
「くそ、月詠つくよみ先生んトコの悪ガキじゃん。どうした、閉じ込められたの? だから隔壁の閉鎖へいさを早めるなって言ったじゃん! 少年、逃げるなら方向が逆! AO3ゲートまで行けば後続の風紀委員ジヤツジメントが詰めてるから、出られないまでもまずはそこへ退避たいひ! メットも持っていけ、ないよりはマシじゃん!」
 月詠、というのは小萌こもえ先生の名字だ。とすると、この警備員アンチスキルは小萌先生経由で上条の事を聞かされていたのかもしれない。
 警備員アンチスキルの女性は、怒鳴りながら自分の装備品を外して上条へ乱暴に放り投げた。彼はまるでバスケットボールを投げつけられたように、慌ててそれを両手で受け取る。
(……、)
 上条はもう一度周囲を見回す。
 そして、何となく知った。彼らが退かない理由を、知った。
 上条は、さらに奥へと歩を進める。
「どこへ行こうとしてんの、少年! ええい、体が動かないじゃん! 誰でも良いからそこの民間人を取り押さえて!!」
 警備員アンチスキルが叫び、手を伸ばすが、上条には届かない。
 怒号を聞いて何人もの人々が少年を止めようとするが、傷ついた彼らはそれすらもままならない。何の訓練も積んでいないはずの高校生一人すら、取り押さえる力も残されていない。
 それでも、彼らは逃げ出さない。
 彼らは正規の警察官ではない。どれだけプロとしての訓練を積もうが、その本質は『学校の先生』なのだ。言うなれば、子供たちの身に危険が迫るのを防ぐために夕暮れの通学路を巡回する行為の延長線上でしかない。
 しかし、それゆえに彼らは知っている。
 それがだれに強要された訳でもないからこそ、自分の心の弱さに負ければ簡単に折れてしまうのを。そして心が折れた結果、 一体どこの誰がその被害をこうむるのかを。
 元々、警備員アンチスキル風紀委員ジヤツジメント推薦すいせんや徴兵ではなく立候補によって成立する。
 ならば話は簡単。
 彼らは皆、誰にたのまれるまでもなく、子供達を守りたいから志願してここに集まってきただけという話。
(くそったれが……)
 上条当麻かみじようとうまは、思わず舌打ちしていた。
 少年は傷ついた警備員アンチスキル達の制止を振り切って前へ進む。やみの先には、こんな馬鹿ばかどもがまだたくさん取り残されている。それも現状を見る限り、極めて絶望的な状況で。
 彼はその右手を握り締める。
 そして前を見据えてただ走る。
 たとえ正攻法で攻めた所で勝ち目がなくても、相手が魔術師まじゆつしだというのなら、切り札たるこの右手を使えば戦局をひっくり返せるかもしれない、と考えながら。
 上条がさらに通路の奥へ向かうと、何かがおかしい事に気づいた。
(物音が……しない?)
 通路の奥では銃撃戦じゆうげきせんが繰り広げられているはずだが、それにしては静か過ぎる。銃声も、足音も、怒号も、何も聞こえない。床を揺るがせるような震動しんどうもやってこない。
 上条の胃袋の辺りに、何か嫌な予感がのしかかった。
 じわじわと。それはカビの菌糸が広がるように上条の全身をむしばんでいく。
(まさか……)
 薄暗うすぐらく、赤い照明に照らされた通路の先へ彼は走る。
 その先にあったものは―――。

「うふ。こんにちは。うふふ。うふふうふ」

 びた女の声が、薄暗い空間に反響はんきようした。
 漆黒しつこくのドレスを着た、荒れた金髪にチョコレートみたいな肌の女が通路の中央に立っている。
ドレスのスカートは長く、足首が見えないほどだった。随分と長い間引きずられていたせいか、スカートの端は汚れ、傷つき、ほころびが生まれている。
 そして彼女の盾となるように、石像が立っていた。鉄パイプ、椅子いす、タイル、土、蛍光灯、その他あらゆる物を強引に押しつぶし、練り混ぜ、形を整えたような、巨大な人形だった。
 そして、その周囲。
 バリケードらしきものの破片が、四方八方へ散らばっていた。まるで砲弾でも直撃ちよくげきしたような有り様だ。そしてその破片を浴びて、七、八人の警備員達アンチスキルたちが床に倒れている。まだ息があるのか、細かくふるえるように手足が動いていた。
「くふ。存外、衝撃しようげき吸収率の高い装備で固めているのね。まさかエリスの直撃を受けて生き延びるだなんて。―――まあ、おかげでこっちは存分に楽しめたけどよ」
 笑みの端が、残虐な色を帯びる。
 エリスの直撃、というフレーズの意味は分からなかったが、ニュアンスは伝わった。あの石像の放つ攻撃。バラバラに砕け散ったバリケードを見ればどんなものかは想像がつく。
「どうして……」
 ……そんな事ができるんだ、と上条かみじようは絶句した。
 対して、金髪の女は特に感慨かんがいも持たず、
「おや。お前は幻想殺しイマジンブレイカーか。虚数学区のかぎ一緒いつしよではないのね。あの…あの……何だったかし
ら? かぜ、いや、かざ……何とかってヤツ。くそ、ジャパニーズの名前は複雑すぎるぞ」
 女は面倒臭そうに金髪をいじりながら、
「別に何でも良いのよ、何でも。ぶち殺すのはあのガキである必要なんざねえし」
「何だと?」
 その言葉に、上条は思わず耳を疑った。
 この女がどうやら自分や風斬かざきりねらっているらしい事は、何となく察しはついていた。だが、
この投げやりな調子は何なのだろうか。
「そのまんまの意味よ。つ・ま・り。別にテメェを殺したって問題ねえワケ、だっ!!」
 女が思い切りオイルパステルを横一閃よこいつせんに振り回す。
 その動きに連動するように、石像が大きく地をみしめた。ガゴン買 という強烈な震動しんどうが走り、上条は大きくよろめいた。続けてもう一度石像が足を振ると、上条は耐え切れずに地面へ倒れ込んでしまう。
 何らかのトリックでもあるのか、女だけは平然と立っていた。まるで風景から切り離されたように、彼女だけは揺れのダメージから完全に逃れている。
「地は私の力。そもそもエリスお前にしたら、だれも地に立つ事などできはしない。ほらほら、無様にいつくばれよ。その状態で私にみ付けるかあ、負け犬?」
 勝ち誇るように暑う金髪の女を、上条は倒れたままにらみ付ける。
 だが、確かにこれは一方的な攻撃を可能とする戦法だろう。銃を持つ警備員アンチスキル達も大した攻撃はできなかったに違いない。いや、下手をすると照準を狂わされ、同士討ちを引き起こした可能性すらある。
 起き上がろうとする上条かみじよう牽制けんせいするように、さらに女はオイルパステルを一閃いつせんする。再び石像の足が振り下ろされ、地が揺れた。指先 本あの石像に触れれば幻想殺しイマジンブレイカーが異能の力を破壊はかいするだろうが、そもそも一歩も動けない。
「お、前……っ!」
「お前でなくて、シェリー=クロムウェルよ。覚えておきなさい……っと言っても無駄むだか。あなたはここで死んでしまうんだし、イギリス清教を名乗っても意味がないわね」
 なに? と上条はまゆをひそめた。
 イギリス清教と言えば、インデックスと同じ組織の人間だ。
 そんな彼に、シェリーはうすく笑いかけて、
「戦争を起こすんだよ。その火種が欲しいの。だからできるだけ多くの人間に、私がイギリス清教の手駒てごまだって事を知ってもらわないと、ね?―――エリス」
 シェリーが手首のスナップをかせてオイルパステルをくるりと回す。彼女の動きに引かれるようにエリスと呼ばれる巨大な石像が地をみしめて、その大きすぎるこぶしを振り上げる。急造とはいえ、バリケードを一撃いちげきで粉砕した拳だ。上条はけようとしたが、地面の震動しんどうが移動を許さない。結果、死に物狂いで右手を振り回して
「離れろ、少年!」
 不意に、横合いから叫び声が上がった。
 傷ついた警備員アンチスキルの一人が、倒れたままライフルをつかんでいた。
 上条が何か行動を起こお前に、小さな銃口が勢い良く火を噴いた。銃声と閃光が薄暗うすぐらい地下
街の通路を塗りつぶす。空を引き裂く弾丸は、エリスを転倒させるために、次々と石像の脚部へ
激突する。
 が、
「うわっ!?」
 ほおのすぐ横を突き抜けた烈風に、上条は思わず声を上げた。
 通路を遮るエリスの体は鉄やコンクリートの寄せ集めだ。そんなトン単位の重量を持つ壁に向かって弾を放てば、ピンボールのように跳ね返るに決まっている。
 警備員アンチスキルはエリスから上条を守ろうとし、実際にエリスの歩はそこで止まっている。脚部を集中的にねらわれているためか、地を踏み鳴らす事もない。迂闊うかつに足を動かせば、その後ろにいる
シェリーに弾が当たりかねないからだ。
 しかし、同時にエリスの体から反射する弾丸は四方八方へ無秩序にばらかれる。結果として、上条は地に伏したまま一歩も動けなくなった。警備員アンチスキルは一心不乱に銃をち続けている。
上条はいつ直撃するか分からない跳弾におびえながら、両手で頭を守るしかない。
(くそ、少しでもあのデク野郎に触れる事ができれば……ッ!!)
 上条とエリスの距離は三メートルもない。かと言って迂闊にエリスに接触する事はできない。当然ながら、エリスに近づけば近づくほど跳弾に当たる確率は高くなるからだ。
 ねらうとすれば、装填そうてん瞬間しゆんかんしかない。
警備員アンチスキルの持つライフルでは到底あの石像は倒せないだろう。あの銃の弾数は無限ではない。そう遠くない内に弾切れになる。新しい弾層マガジンを差し替える数秒間のみは、必ず弾幕は途切れる。その時を狙ってエリスのふところへ飛び込むしかない。
 上条かみじようは、いつでも飛び出せるように、全身に力を行き渡らせ、

 カツン、と。
 唐突に、上条の後方から小さな足音が聞こえた。

 連続する銃声が鼓膜をたたく中で、その弱々しい足音は何故なぜか上条の耳に残った。
 彼は跳弾をけるために倒れ込んだまま、首だけ動かして背後を見る。
 非常灯の赤い光はたよりなく、とてもではないが地下街全体を照らし出す事はできない。最低限の順路のみを示す非常灯が照らし切れないやみが、通路の奥に広がっている。
 足音は、その闇からひびいてくる。
 訓練された人間の足取りとは思えない。新たな敵であるような不敵さもない。まるでお化け屋敷の中をおっかなびっくり歩いているような、夜の学校へ忘れ物を取りに来た子供のような、そんな頼りない、ビクビクした足音だった。
 上条の胸の中に、とてつもなく嫌な予感がき上がる。
 そんな彼の不安にこたえるように、
「……あ、あの……」
 聞こえたのは、少女の声だった。
 闇の中から赤い非常灯の下へ、声の主のシルエットが浮かび上がる。上条の見慣れた少女のものだった。太股ふとももに届く長いストレートにゴムで束ねた髪が横から=房飛び出し、線の細いメガネをかけた―――風斬氷華かざきりひようかが、通路の真ん中を歩いてきた。
馬鹿ばか野郎!! 何で白井しらいを待ってなかった!?」
 銃声の渦に負けないような叫び声が地下街に響き渡る。
 上条は無防備に突っ立ったままの風斬の元へ駆け寄りたかったが、跳ね回る弾丸のせいで立ち上がる事もできない。
 対して、風斬は状況がつかめていないのか、
「……あ。だって……」
「良いから早く伏せろ!!」
「……え?」
 上条の叫び声に、風斬がキョトンとした顔をした直後、
 ゴン!! と。彼女の頭が、大きく後ろへ跳ねた。

「あ?」
 上条かみじようは、思わず間の抜けた声をあげていた。
 当然ながら、人間の目は飛び交う弾丸を追い駆けられるほど高性能ではない。だが、何がどうなったかなど、だれでも予測できる。
 エリスの体に当たって跳ね返ったライフル弾の一発が、風斬かざきりの顔面に直撃ちよくげきしたのだ。
 なにか、肌色のものが飛び散った。メガネのフレームが千切ちぎれ、吹き飛ぶ。
 だが、そうと分かっていても認識できなかった。したくなかった。上条の頭が極度の混乱のせいで真っ白に飛びかける。銃声が、いつの間にかんでいた。警備員アンチスキルが、呆然ぽうぜんとした様子でりつち抜かれた少女を見ていた。シェリーは己のターゲットが突然目お前にやってきて思わ組形で自滅した急な展開に、若干ながらまゆをひそめていた。
 そんな中で。
 風斬は大きくブリッジを描くように後方へけ反り、
 そのまま何の抵抗もなく、人形のように倒れ込んだ。
 彼女の顔を構成するパーツがこわれる音が聞こえた。
 バラバラ、と。長い髪の毛がついたままの頭の体表面らしきものが床に飛び散る。弾丸は顔の右側に直撃したみたいだが、頭蓋骨ずがいこつの形が変わったかのような破壊はかいだった。砕けたメガネのフレームが地面を転がった。フレームの端には、千切れた耳のパーツが片方、そのままくっついていた。
「か、ざ―――きりィ!!」
 上条は慌てて立ち上がると、風斬の元へと走り出した。混乱のあまり、酔っ払いのようにメチャクチャな足取りになっている。
 彼女のそばまで駆け寄った時、上条の足がビクンと止まっていた。
 彼の顔が、驚愕きようがくの一色で塗りつぶされる。
 そのあまりの惨状に、ではない。
 確かに風斬の傷はひどかった。何せ、頭の右半分が根こそぎ吹き飛ばされている。弾丸が当たったというより、体内に埋め込んだ爆薬が起爆したようなメチャクチャな傷だった。日常的な暴力の範疇はんちゆうを完全に逸脱いっだっしているせいか実感がかず、ともすれば笑いが込み上げてきそうなほどに、圧倒的な破壊だった。
 しかし、問題なのはそこではない。
 それほどの出来事が問題にならないぐらいの、巨大な問題が立ちふさがっている。

 上条は、改めて風斬の傷口を見る。
 頭の半分を吹き飛ばすほどメチャクチャな傷―――だが、その中身はただの空洞だった。
 肉も骨も脳髄のうずいも、何もない。

 風斬氷華かざきりひようかの傷口からは、一滴の血も流れていなかった。
 まるで紙で作ったハリボテのような、ポリゴンで作った3Dモデルのような、そんな感じだった。表から見ると精巧な人の皮膚ひふであるのに対し、空洞から裏を見ると、それは淡い紫色の、のっぺりとしたプラスチックのような板でしかなかった。
 空洞となった頭部の中心点に、磁石でも使っているように小さな物体が浮かんでいた。それは肌色の三角柱だった。底は一辺がニセンチ弱の正三角形で、高さは五センチ弱。その場に固定されたまま、ひとりでにくるくると回転する小さな三角柱の側面には、縦一ミリ横ニミリの長方形の物体がびっしりと収められている。超小型のキーボードのように見えた。カチャカチャと見えない指が走るように、三角柱の側面で長方形のキーがせわしなく進退している。
(なんだ、これ……)
 上条かみじようは困惑した。目の前の光景があまりに非現実的で、『痛そう』とか『苦しそう』とか、そういう一般的な思考に結びつかない。
 これも、能力の一つなのか。風斬氷華の『正体不明カウンターストツプ』とは、こういう現象を引き起こす能力なのか。
 単なる能力者と呼ぶには、風斬の姿はあまりに異様すぎる。例えば学園都市で七人しかいない超能力者レペル5超電磁砲レールガン一方通行アクセラレータにしたって、その肉体のべースが人体である事に変わりはない。それに対して、風斬はすでに根本の部分が人間からズレてしまっているように見える。
「う……」
 どうして良いか分からない上条の前で、風斬が小さなうめき声をあげた。
 意識が戻った事に反応してか、頭部中心の三角柱がくるくると回転し、側面のキーボードが高速でたたかれていく。電動ミシンのような勢いだ。
(いや……)
 上条はここにきて、ようやく現実的な寒気を覚え始めた。
(これ、逆なんじゃ……)
 風斬の動きに合わせて三角柱が反応しているのではなく、三角柱の動きに合わせて風斬の仕草や表情が作られているような気がする。
 あのシェリーですら攻撃を忘れ、その光景にギョッと肩を固まらせた。
 三角柱側面からカチャカチャガシャガシャとキーボードを叩く音が豪雨のようにひびき渡る。トラックボールのホイールを回すように三角柱が回転していく。それがどう変換されているのか、顔の欠けた少女はゆっくりと顔を上げる。
 風斬の、片方しかない目がぼんやりと上条の顔を見る。
 まるで寝起きのような仕草で、痛みを訴えているような気配はない。
 彼女はゆっくりとした動作で、上体だけ地面から起こすと、
「あ……れ? ……めがね。眼鏡は、どこ、です……か?」
 自分がメガネをかけていた辺りを指で触れようとして……何かに気づいたらしい。一度、熱湯に触れたかのように手を引っ込めると、今度は恐る恐る自分の顔に指を近づけていく。
「な、に……これ?」
 彼女の指が、その空洞の縁を、ゆっくりとなぞる。
「い、や……」
 彼女の目が、すぐそばにある喫茶店のウィンドウをとらえていた。
 そこに映る己の顔に気づいたのだろう。欠けてしまったその顔から、血の気が引いていく。残った眼球がせわしなく動き、内面のあせりや不安がそこに表出していた。
「いや……ァ! …な、に……これ!? いやぁ!!」
 抑えていたものが爆発したような感じで、風斬かざきりは髪を振り乱して思い切り叫んだ。上条の息が詰まる。風斬はまるでバランス感覚を失ってしまったかのような危うい動作で立ち上がると、ガラスに映る自分の姿から逃げるように走り出す。よほど混乱しているのか、あろう事か巨大な石像―――エリスのいる方向へと。
 彼女の動きにシェリーは我に返るとオイルパステルを横へ一閃いつせんする。

 石像のコンクリートでできた腕がうなる。
 羽虫を振り払うような裏拳うらけん気味のこぶしが、風斬かざきりの腕と脇腹わきばらを巻き込むように直撃ちよくげきした。前へ進んでいたはずの風斬の体が真横へ吹き飛ぶ。そのままノーバウンドで三メートル近く宙を舞うと、その華奢きやしやな体が勢い良く支柱へと激突した。そればかりか、風斬の体はピンボールのよ
うに跳ね飛び、柱を支点として『く』の字を描くような軌道でエリスの後方―――シェリーの足元まで転がった。
 ぽとり、という生々しい音。
 見れば、エリスの一撃を受けた風斬の左腕が、半ばからねじ切れていた。その脇腹も、まるでみつけられた菓子箱のように大きく形を変えてしまっている。
「あ……」
 それでも。
 それでも、風斬氷華ひようかの体は、もぞりとうごめいた。
「あ、あ、ア、ぁ、あああああああああああああああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああああ!!!???」
 こわれかけたその細い体からほとぼしる絶叫に、流石さすがのシェリーもおどろいたようだった。初めて風斬へ注意を向けるようにオイルパステルを構える。
 だが、風斬にはそれが見えていなかった。見るだけの余裕すらもなかった。彼女は千切ちぎれた腕の中が空虚な空洞である事を知ると、まるで体についた虫を振り払おうとするような動きで手足を振り回して、そのまま通路の奥に広がるやみの中へと逃げるように走って行く。
「エリス」
 シェリーがつぶやいてオイルパステルの表面を軽く指先でたたくと、エリスは近くの支柱をなぐりつけた。ガゴン!! と地下街全体が揺らぎ、天井てんじようがミシミシと音を立てる。
 瞬聞しゆんかん、ライフルを構える警備員アンチスキルの真上の建材が崩れ、勢い良く降り注いだ。
「ふん、面白い。行くそ、エリス。無様で滑稽こつけいきつねを狩り出しましょう」
 上条かみじょうと、生き埋めになった警備員アンチスキルには目も向けず、シェリーは手の中でオイルパステルをくるくる回しながら、エリスを操りつつ闇の奥へと引き返す。おそらくは、風斬を追うために。
(かざ、きり……)
 上条は、しばらく呆然ぽうぜんと立ち尽くしていた。
 今見た光景が、あまりにも鮮烈に焼きついていた。

     3

 白井黒子しらいくろこは戸惑っていた。
 あの小憎たらしいシスターとお姉様を地上へ運んだ後にもう一度地下街へ戻ってみれば……上条当麻かみじようとうまと、影のうすそうな少女の姿がどこにもない。
(困りましたわね……。辺りを捜しても良いのですけれど)
 幸い、今の所は戦闘せんとうらしき物音は途絶えているが、いつまた再開されるか分からない。そして、この場には民間人が数十人もいる。
 危険度で言えば、当然ながら直接ねらわれている上条たちの方が高いだろう。かと言って、流れ弾に当たるかもしれない彼らを丸っきり無視して良いはずがない。
 捜しても見つかるかどうか分からない当事者達と、とりあえず目お前にいる部外者達。
 少しだけ考えて、白井しらいは目お前にいる人達を先に避難ひなんさせる事にした。
(命の価値に大小はない、ですわね。お姉様が心配するから探しに行きたいのは山々ですけれど、かと言ってこの人達を置き去りにするのも違う気がしますわ)
 白井はため息をつきながら、閉じ込められておびえる学生達の元へと歩み寄った。

 天井から降ってきた建材は意外に軽く、生き埋めにされた警備員アンチスキルも特に大きな怪我けがはなかった。周囲に倒れている警備員アンチスキル達も負傷こそしているものの死者は出なかったらしく、傷口に包帯を巻いたり針と糸でいつけたりしている。
 上条は警備員アンチスキルの上から建材をどかすのを手伝うと、制止する彼らの声を振り切って、風斬かざきりやシェリーを追うために通路の奥へと走り出した。この辺りは多くのデパートが立ち並んでいるらしく、デパート地下同士を複雑に通路がつなげていた。先ほどまでの一本道とは違い、蜘蛛くもの巣のように入り組んだ構造をしている。
(くそ、一体何がどうなってんだ……?)
 シェリーがイギリス清教の人間だと名乗ったのも気になるが、それが吹き飛ぶぐらいに風斬氷華ひようかが気にかかる。
 彼女は自分の身に宿る異常な部分に、気づいていないようだった。
 鏡に映る己の姿を化け物のように見て、悲鳴をあげたのだ。
 上条には、彼女が今日この日のこの瞬間しゆんかんに初めてその事実を突きつけられてパニックを引き起こしたように見えた。
(……って事は、やっぱりあれは風斬の能力じゃねえのか? それとも、あいつ自身が自覚していない能力者なのか? ちくしょう、何にも分かんねえな。そもそも、あいつはあのままで大丈夫だいじようぶなのか? 治療ちりようするにしても……どうすれば良い?)
 そこまで考えて、上条は思わず立ち止まってしまう。
 風斬の、あの異様な姿が脳裏に浮かぶ。彼女を助けるにしても、どういう方法を取れば助け
た事になるのか。そこでもう疑問が生まれてくる。
(シェリーを止めるか、逃げた風斬と合流するのが先か。くそ、どうする?)
 上条かみじようは悩んだ末に、携帯電話を取り出した。
 とにかく、風斬氷華かざきりひようかには分からない問題が多すぎる。そして能力について、科学サイドの
人間で、上条よりも確実に知識を持っている人間となれば、あの人しかいない。
 月詠小萌つくよみこもえだ。
 彼女なら何か知っているかもしれない、と上条は考えたが、携帯電話は圏外だった。そういえば、ゲームセンターで電話がかかってきた時も、まともに会話ができなかった。
(まずは、地下街に設置されたアンテナの近くまで行かねーと)
 上条が周囲を見回しながら歩いていると、少し離れた所にスポーツ用品店が見えた。その壁に、アンテナらしきものが取ウ付けてある。
 彼はそのアンテナの真下まで行くと、ようやく携帯電話を操作する。
 コール音は二回で、小萌先生は電話に出た。
『あっ! 上条ちゃんですか!? やったやった、ようやくつながったですー。上条ちゃん、今までどこにいたんですかー?』
「? 先生、おれの事捜してたんですか?」
姫神ひめがみちゃんが一度そっちに電話かけたはずなんですけど、電波の調子が悪かったそうなのですよー?』
 上条は首をかしげた。そうなると、ゲームセンターでのあの通話は姫神からのものだったんだろうか。
『上条ちゃん上条ちゃん。ちょっと大事な始話があるのです。あのですね』
「先生。悪いけどこっちも立て込んでるんだ。先にこっちの話から済ませてくれませんか?」
『え? ……本当に大事なお話なのに。まあいいのです。何なのですかー?』
 あっさりと退いてくれた小萌先生に、上条は心の中で真剣に感謝する。
 上条は小萌先生に、風斬の状態についてかいつまんで説明した。もちろん風斬の名前とか銃撃戦じゆうげきせんなどと言った部分は隠して、『これこれこういう症状があるんだけど、そういう能力はあるのか?』というだけだが。
 なのに、小萌先生はほんの少しだけ考えるような間を空けると、
『……上条ちゃん。それはもしかしてカザキリヒョウカさんの事じゃないですか?』
 たった一言で、言い当ててしまった。
 上条が思わず絶句すると、小萌先生はやや緊張きんちようを解いた声で、
『んーっと。実は先生の大事なお話というのも、彼女についてなのです』
「え? 何で先生が、風斬について調べてるんですか?」
『あのですね、上条ちゃん。学校にはセキュリティというものがあるのです。能力開発用の機密情報もありますし、嫌な犯罪も増えてますからねー。転入生でもない部外者さんが勝手に校内に入ってきちゃったら、身元を調べられても文句は言えないのですよ?』
 シスターちゃんは面識あるのでチェック甘いですけどねー、と小萌こもえ先生は言う。
 ふと、上条かみじようは昼過ぎに校門の近くで姫神ひめがみから言われた言葉を思い出した。
 ―――でもね。記録では。転入生は私一人しかいないはずなのよ。
『それで、上条ちゃんの疑問に対する答えですけど……確かにそういった能力者はいます。例えば肉体変化メタモルフオーゼ。自分の体を、自分の思った通りに作り変える能力者さんですね』
「じゃあ、風斬かざきりは……」
『いいえ。肉体変化メタモルフオ ゼは大変稀少きしような能力で、学園都市でも三人しかいないんです。その中に、カザキリヒョウカなどというお前は存在しません』小萌先生の声が、わずかに硬くなる。『そもそも、ただの肉体変化メタモルフオーゼ能力者では、説明がつかないのですよ』
「何ですか、それ」
 上条は何となく嫌な予感がした。
 その予感が正しいものかどうか、丸っきり判別できないが。
『上条ちゃん。さっきも言った通り、学校にはセキュリティがあるのです。敷地の周囲に防犯カメラのたぐいがですねー』
 ですが、と小萌先生は一度言葉を切って、
くだんのカザキリヒョウカさんは、どのカメラにも映っていませんでした。警備員アンチスキル側に連絡して衛星写真を確認してもらいましたが、やはり怪しい影はありません。……あの時、上条ちゃんのそばでにこやかに会話していたカザキリヒョウカさんは、一体どこから進入してきたのでしょうか?』
「な……」
『彼女が食堂から姿を消した時、上条ちゃんはそれに気づきましたか? 先生は気づけませんでした。まるで、突然虚空へ消えてしまったように見えたのですよー』
「ちょ、ちょっと待ってください! じゃあ何ですか、風斬は肉体変化メタモルフオーゼ空間移動テレポートの両方を持った能力者だっていうんですか!?」
『上条ちゃん。多重能力者デユアルスキルは脳への負担が大きすぎるため実現不可能と断じられてますよー。もっとも、小萌先生の仮説はそれ以上に現実離れしているのですけどねー』
 何故なぜだか、先を聞くのがためらわれた。
 しかし、進まない事には始らない。、上条はごくりとのどを鳴らしたあと、
「……小萌先生は、どう考えてんですか?」
 先生の考えはですねー、と小萌先生は間延びした声を出した後に、

『AIM拡散力場。これが深くかかわってると思うのですよー』

 言われた所で、上条にはいまいちピンと来なかった。
「AIMって、あれですか? 能力者が無意識の内に放ってる力だとか、何とか」
『ですです。加えて言うなら、AIM拡散力場は機械で計測しなければ分からないほど微弱なもので、能力者によって放たれる力の種類も異なる、という所ですー』
「??? それが、風斬かざきりとどう関係あるんですか。まさか、風斬が無意識の内に放ってる力が
無茶苦茶むちやくちや代物しろものだとでも?」
 上条かみじようの問いに小萌こもえ先生は答えず、
「先生は言いましたよね、今朝。大学時代の友人の研究に付き合って、AIM拡散力場について調べていると』何か紙をめくるような音がぱらぱらと聞こえ、『入様の論文内容を漏らすのは本来ご法度はつとなんですけど、上条ちゃんの口が堅いのを信じてます。……その研究内容はあれです、複数のAIM拡散力場がぶつかった時に生まれる、余波についてですね』
 ますます何が言いたいのか分からなくなってくる。それは本当に風斬氷華ひようかと関係があるのか。ひょっとしたら妙な愚痴ぐちや世間話に巻き込まれてないか? と上条が首をひねっていると、
「上条ちゃん。人間って、機械で測ったらいろんなデータが採れますよね?』
「え?」
『熱の生成・放出・吸収。光の反射・屈折・吸収。生体電気の発生と、それに伴う磁場の形成。酸素の消費と二酸化炭素の排出。もっと基本的な所なら質量や重量。……その他、あげればキリがないと先生は思いますー。それこそ扱う機械の種類に応じて、数千数万ものデータが採れるはずですよ』
「それが、どうかしたんですか?」
 上条は周囲の暗闇くらやみに気を配りつつ、先を促す。
『あくまで推測なのですけど』小萌先生は少しだけ間を空けて、『逆に、それら人間らしいデータが全て揃ったとしたら、そこに「人間」がいる事にはなりませんかー?』
 な……、と上条の声が詰まった。
『学園都市には、様々な能力者がいます。そして、彼らは常に無意識の内に微弱な力を放出し
てしまう。一人一人は些細ささいな力でしかなくても、それがいくつも重なり合って、一つの意味をなすとしたらどうでしょうか。ほら、アルファベットってBとかPとか一文字だけじゃ何の意味もないじゃないですか。それをいくつもいくつも並べていくとSELECTとかSTARTとか意味のある言葉になりますよねー。それこそがカザキリヒョウカさんを作っている基盤だとしたらどうでしょうか、思うに、「風斬氷華」とは無数のアルファベットを並べ作った命令文コマンドが集まったプログラムコードのようなものなのですよー、、街中にいる学生さんたちがアルファベットを一文字ずつ刻み付けてしまっているんですねー。そのアルファベットが命令文コマンドを作り、それら命令文コマンドが合わさってプログラムを作り上げているのです』
 小萌先生は言った。
 風斬氷華は、まるで突然虚空に消えてしまったようだと。
 そうではなく。
 実は、初めから風斬氷華なんていう人間が存在しなかったとしたら?
 プロセスは逆で、
 人がいるから体温を感じていたのではなく、体温が計測されたからそこに人がいると思い込んでいただけだとしたら?
 発火能力者が体温を作り、念動能力者が肌の感触を作り、音波能力者が声の音を作り。
 それらの様々なAIM拡散力場が無数の数字やアルファベットを並べて命令文コマンドを作り、それを組み合わせて入力される『プログラム』のように、この世界に完壁かんぺきな人の形を作り出してしまっているとしたら。
「ちよ……待ってください! いくら何でも暴論すぎますよ! 人聞らしいデータって簡単に
言いますけどね。さっき先生が自分で言ったじゃないですか。そんなの数千数万ものデータが必要になるって!」
『ですー。けど、学園都市には二三〇万人もの能力者さんがいますよ? 例えば体温は発火能力者パイロキネシスが、生体電気は発電能力者エレクトロマスターが、それぞれ知らない間に担当してしまっているのです。それらがカザキリヒョウカさんというアプリケーションを作ってしまっているのですー』
 一秒のためらいもない確信めいた声に、上条かみじようは息を詰まらせる。
 指先から体温が消失していく。
 今立っているこの場所が、敵のひそむ戦場である事すら忘れそうになる。
 確かに念動力を使って上手に指を押し返せば、何もない所に人の肌の弾力を感じるようにな
るかもしれない。空気の振動を操れば『声』が聞こえるようになるだろうし、光の屈折を操れ
ばその姿を『見る』事もできるだろう。
姫神ひめがみちゃんの話では、不完全なカザキリヒョウカさんの目撃談もくげきだんは昔からあったそうなのです。おそらく当時のカザキリヒョウカさんは、幽霊ゆうれいみたいな曖昧あいまいな存在だったと思います。プログラムコードで言うならアルファベットの種類や数が欠けた命令文コマンドだったためまともに機能できず、視覚や嗅覚きゆうかくなど五感でとらえる事はできなかったのですねー。五感で感じ取れないのに気配などは感じ取れたのかもしれませんけど。霧ヶ丘きりがおかにあると言われるカザキリヒョウカさんの研究室というのは、元々この幽霊みたいに曖昧な存在を詳しく調べるためのものだったのではないでしょうか、あるいはAIM拡散力場の応用研究かもしれませんけどー』
 幽霊みたいに曖昧な存在。
 上条は風斬かざきりの頭部に空いた空洞を思い浮かべてゾッとしたが、同時に思い出す。
「けど、風斬自身はその事に気づいてなかったみたいなんですよ。自分はあくまで普通の人間で、だから自分の異常な正体に気づいた時はおびえて逃げ出した。本当に風斬がそんな、生まれた時からずっと人聞以外のモノだとしたら、おかしいじゃないですか」
『どこがですかー?』
「どこがって……」
『ですから、生まれた時からずっと自分が人間だと思い込んでいれば、彼女は自分の存在に何の疑問も持たないはずですよー?』
「な―――」
 ―――んだ、それは……と上条かみじよう驚愕きようがくする。
 小萌こもえ先生の話では、風斬氷華かざきりひようかとは学園都市に住む二三〇万人分のAIM拡散力場によって生み出された存在……らしい。
 つまり、そこに彼女自身の意思は関係ない。
 彼女の信じるおもいすらも、外部の手によって勝手に作り出されただけ。
『結論を言ってしまえば、カザキリヒョゥカさんは人間ではありません。AIM拡散力場が生み出した、物理現象の一つという事になりますねー』
 小萌先生の言葉に、上条の全身から血の気が引いた。
「ちくしょう……そんなのって、アリなのかよ。ひどすぎる」
『ひどい、ですか? 上条ちゃん、それは間違っているのですよ』
「……? 何ですか、それ。まさか、単なる自然現象に感情移入するのは馬鹿馬鹿ばかばかしいとか、そういう話をしたいんですか、先生」
『逆ですよ、上条ちゃん。あんまりそういう事を言ってると、先生は本格的にお説教しなくてはなりません』
 小萌先生は、何故なぜか怒っているようだった。
『よいですか上条ちゃん。仮説が正しければカザキリヒョウカさんは入間ではありません。人間に必要な要素をすべて兼ね備えていても、やはり彼女は人間とは呼べません。どれだけあがいても、どんなに努力を重ねても、彼女の本質は触れれば消えてしまうような、はかない幻想なのです』
 ですが、と小萌先生は一度言葉を切って、
『そもそも、ヒトでないといけない理由は何ですか?』
 はっきりと。迷わずに言い切った。
『先生はカザキリヒョウカさんとお話をした事がありませんから何とも言えませんけど、上条ちゃんの目から見て、どうでしたかー? カザキリヒョウカさんは、ただそこにたたずんでいるだけの命も心もない幻想にすぎませんでしたか? 』
「……、」
 違う。そんな事はない。上条は思い出す。インデックスと一緒いつしよにいた風斬は、確かに楽しそうだった。上条の言葉にいちいちおびえる仕草を見せる風斬は、確かに自分の意思で何かを考えて、自分の意見で行動していた。
『カザキリヒョウカさんは、簡単に失われて良いほど軽い存在でしたか? 人間だとかそうでないとか、本物だとか偽物にせものだとか、そんなくだらない理由だけで仲間外れにして良いような存在でしたか?』
「……、」
 違う。そんな訳があるか。上条かみじようは断言する。風斬かざきりは、苦しそうだった。自分も知らない正体を突きつけられて、その事実を受け入れられなくて、どうして良いかも分からずに、やみの中へ逃げるしか道のなかった、たった一人の少女。
 上条は奥歯をみ締める。
 彼女が見殺しにされても良い事になんか、なってたまるか。
 たとえそれが、右手で触れれば消えてしまうような幻想に過ぎなくても、
 彼女が消えても良い理由になんか、なってたまるか。
『うふふ、それでよいのです。先生はまっすぐな方向に育ってくれる子羊ちゃんは大好きなのですよー』
 小萌こもえ先生の笑い声に上条はホッとしたが、別の疑念がいてきた。
 確か、小萌先生は大学の友人の手伝いでAIM拡散力場の事を調べていたはずだ。
「先生。一個だけ尋ねたいんですけど、先生の友達っていうのは風斬の正体を調べているんですか?」
『どうなんでしょうねー。確かに複数のAIM拡散力場による影響えいきようを調べているようですけど、こんな事まで気づいているかどうかは分からないです。少なくとも先生が今まで聞いてきた話の中にはカザキリヒョウカさんにまつわる内容はなかったですねー。この仮説はあくまで友人のデータを元に、先生が自分で組み立てたものですよー』
「……、」
『あれ、どうしたんですかだまり込んじゃって。あ、大丈夫だいじようぶですよー。友人にはこの話は伏せておきます。そんな報告をしなくても別に論文の完成に影響はありませんしね』
「でも、おれには価値が分からないけど、これって研究者にとっては結構重要な発見なんじゃないですか。その友人だって、風斬の正体を知ればだまってないんじゃ……」
『あはは。確かに仮説通りだった場合、彼女の存在はAIM分野に溢いては革新的な発見です。発見者は歴史に名前が載るかもしれませんねー。その代わり、カザキリヒョウカさんは冷たい部屋に閉じ込められちゃいますけど。上条ちゃん、あなたはまさか先生がそんな展開を望んでいるとでも思っているんですか?』
「それは……」
『思っているのだとすれば、先生は少々真剣に落ち込んでしまうのです。上条ちゃんは小萌先生をだれだと思っているんですか? よいですか、小萌先生は先生なんです。馬鹿馬鹿ばかばかしいほど単純ですけど、小萌先生にとってはそれが一番強力な心の柱です。そして先生のお仕事には、自分の生徒の大事な治友達を売り渡して名声を得る事など含まれないのです』
 小萌先生は、『大事なお友達』と言ってくれた。
 そこにどれだけの意味が含まれているかを、上条かみじようはようやく知った。
『うふふ。くれぐれもカザキリヒョウカさんを泣かさないようにしてくださいねー』
 それではなのです、と彼女は言って通話が切れた。
「……、」
 上条はしばらく携帯電話に視線を落としていたが、やがてパチリと折り畳むとズボンのポケットにねじ込んだ。
 やるべき事は分かっている。
 どこへ行くべきかも理解している。
「けど……」
 上条は思わず奥歯をみ締めた。
 あの石像。とてもではないが一人では太刀打たちうちできない。同じ土俵にも立てない。ヤツが足をみ鳴らして起こす強大な震動しんどうだけで、上条は立っている事もできずに地に伏せる羽目になってしまう。
(考えろ、落ち着け。そして迅速に答えを導き出せ。くそ、おれの失敗の結果が跳ね返るのは風斬かざきりの方かもしんねーんだぞ!)
 元より容易に解決策が浮かぶはずがないのは認識している。とにかく思考を停滞させるな、とばかりに彼は思いつく限りのあらゆる可能性を頭の中に走らせていく。
 奇襲きしゆう
(ダメだ。あの踏み付けの震動はでかい石像を中心に、全方位へ放たれる。後ろへ回った所でけられるような攻撃こうげきじゃねえ!)
 武器。
(これもダメ。大体、あんなトン単位の巨重の塊を吹き飛ばす武器って何だ? ナイフや金属バットでどうにかできる相手じゃねえんだよ! 警備員アンチスキル辺りならロケットランチャーでも持ってるかもしんねえけど、そんなもんただの高校生に扱える訳ねーだろ!)
 上条はあせりのあまり両手で頭をむしった。それで何か解決策が浮かぶなら一本残らず髪の毛を引き抜いてやっても良いと思う、一秒一秒時間が経過していくごとに緊張きんちようの汗の量が増えていき、その気持ちの悪さに上条は思わずけもののようにえそうになって、 ふと、ガラスのウィンドウに映る自分の背後にだれかが立っていることに気づいた。
「!?」
 風切り音が鳴るぐらいの勢いで上条は振り返る。
 そこにいたのは、
「は、」
 上条は、思わず笑っていた。いや、肺にまっていた息を吐いたら、自然と笑い声になっていた。完全に、己の意思とは無関係に表情が動いている。
 しばらく彼は信じられないという顔をしていたが、やがて今度は自らの意思で笑みを作った。
「そうだよなあ――――」
 少年は笑う。
「―――くっだらねえ。そりゃだれだってそう思うだろうさ。なあ、上条当麻かみじようとうま?」
 少年は不敵に笑って、覚悟を決めた。
 あの巨大な石像に対する最後の切り札が、彼お前にあった。

     4

 風斬氷華かざきりひようかは、今になってようやく焼けるような痛みを感じ始めていた。
「う、ぐうう……っ!?」
 顔面の半分、左腕、左の脇腹わきばら。それぞれに灼熱しやくねつで溶けた鉄を流し込まれたような激痛がおそいかかる。風斬は走るどころか立っている事もできず、冷たい地面に倒れ込んだ。少しでも気を紛らわせるためか、彼女は両足を振り乱し、地面の上を転がり回る。
 常人ならば文字通り死んでいてもおかしくないほどの痛覚情報をたたきつけられながら、死への逃避とうひすらも許されない。生き地獄とはまさにこの事だった。
 だが、それも長くは続かない。
「あ……?」
 恐るべき変化が起きる。
 ぐじゅり、と。ぜリーが崩れるような音と共に、傷口がふさがり始めたのだ。まるでビデオの早送りのように、人間ではありえない速度で、あっという間に開いた空洞が修復されていく。
 発狂すると思うほどの激痛が、熱が冷めるように引いていく。
 明らかに致命傷のくせに。
 生きていては、おかしいはずなのに。
 肌だけではない。吹き飛ばされたはずのメガネや、破れたはずの衣服の端々が、ゆっくりとした動きでじわじわと元に戻っていく。
「あ、ああ……っ!」
 痛みが引いていくと同時に、それまで考える余裕すらなかった頭が、思い出したように思考を再開させてしまう。
 自分の体の中は、空っぽだったという事実が。
 普通だと思っていた自分の正体が、異常な存在だったという真実が。
 封じた記憶きおくふなが開くように、彼女の意識を埋め尽くす。
「あがっ……ぎっ! が、ぐ……う、うううう!! げほっ、ぐ……うえ、かっ……ぎ、ぎぎ……っ! ひひゅ、がっ、ご、ぐぐ……い、ぎっ! い、ぃ、うう……が、ぁあああ!!」
 言葉を組み立てるほどの余裕もなく、かと言って叫ばずにはいられないほどの巨大な重圧が
風斬氷華かざきりひようかの心を押しつぶす。
 と、そんな風斬の絶望に引き寄せられるように、さらなる絶望が現れる。
 ズシン!! という地下街全体を揺るがす震動しんどう
 まるで暴れ馬に振り落とされるように宙を舞う風斬は、それでも暗闇くらやみの先へ目を向ける。
 そこに、鉄とコンクリートで固めた、いびつな化け物がいた。
 その化け物の後ろには、さらに恐ろしい金髪の女が立っている。
 彼女は笑っている。
 人間の方が、よっぽどゆがんだ笑みを浮かべる事ができると言わんばかりに。
「ひ、……あ……っ!」
 風斬は、あの化け物の大木のような腕でなぐり飛ばされた激痛を思い出して、反射的に逃げ出そうとした。だが、恐怖とあせりのあまり、思うように足を動かせない。
 対して、女は何も告げない。
 無言で白いチョークのようなオイルパステルを振るうだけで、石像は風斬の背中をねらってこぶしを放つ。
 風斬はとっさに地面に伏せようとした。
 だが、一歩遅れてなびいた長い髪が石像の拳に引っかかる。まるで頭皮を丸ごと引きがすような激痛と共に、彼女の体は砲弾のように飛ばされる。
「げう……ッ!?」
 ゴンギン!! と風斬の体の中ですさまじい音が鳴りひびく。恐るべき勢いを借りて地面を滑った風斬は、まるで巨大なヤスリに全身を削られたような痛みにおそわれた。
「あ、あ、あ……ッ!」
 地面には何メートルもの長さにわたって強引に剥がされた皮膚ひふの破片や長い髪の毛などが一直線に走っていた。
 ぐずぐずと、風斬の顔から異音が聞こえた。
 彼女が己の顔を手で触れてみると、顔の表面が不気味に波打っていた。地面を引きずり回され剥がされた顔の部品が、再び元に戻ろうとしているのだ。
「何なのかしらねぇ、これ」
 金髪の女が、ようやく声を発した。目の前の光景がおかしくておかしくて仕方がないという風に笑いながら。
「虚数学区のかぎとか言われてどんなものかと思ってみれば、その正体はこんなもんかよ! あは、あはは! こんなものを後生大事に抱え込むなんざホントに科学ってのは狂ってるよなぁ!!」
 げらげらと笑い続ける女の前で、風斬の体の修復が始まる。べちゃべちゃと湿った音を立て、ものの数十秒もしない内に顔の形が整ってしまう。
「ぃ、ひっ!?」
 風斬かざきりは自分の体に恐怖と嫌悪けんおを覚え、シェリーは愉快げに言い放つ。
「くっく。しかしこれって殺すのも面倒臭そうね。ああ、それなら試してみるか。ひき肉になるまでぐちゃぐちゃにつぶしても元に戻るかどうか」
「ど、どう……して……?」
「あん?」
「どうして、何で……こんな、こんな……ひどい、事……っ!」
「んー? 別に、理由なんかないけど?」
 あまりと言えばあんまりな言葉に、風斬は言葉を失った。
「別にあなたでなければならない理由なんてないの。あなたじゃなくてもいいの。でも、あなたが一番手っ取り早そうだったから。理由はそんだけ。な、簡単だろ?」
 何だそれは、と風斬が思お前に、女はオイルパステルを振るい、石像エリスが倒れたままの風斬にこぶしを放つ。彼女は何とか横へ転がったが、エリスの拳が地面を砕き、その破片が彼女の全身に突き刺さった。風斬の体が衝撃しようげきに跳ね飛ぶ。すさまじい音がひびき、体のどこかがねじ曲がった。あまりの痛みに頭が真っ白になる。だが、それも地面をごろごろと転がっている間に、みるみる修復されていく、遠く離れた十字路の辺りまで吹き飛ばされたのに、それでも彼女は息をしている。
 また死に損なった。
 なのに、自分を殺そうとしているはずの女は、失敗しても表情を変えない。
 まるで生きようが死のうがどっちでも良いと告げているかのごとく。
 己の命をあまりにも軽々しく扱われて、屈辱のあまり風斬のひヒみから涙があふれた。悔しいと分かっていても事態を打開できない自分の弱さが、さらに腹が立った。
 そんな風斬の顔を見て、金髪の女は興ががれたような顔を浮かべて、
「おいおい。何なのようその面構つらがまえは?  えー、なに? ひょっとしてあなた、自分が死ぬのが怖いとか言っちゃう人かしら?」
「え……?」
「おいおいおいおい。ナニ当然ですっつ!顔してんだよ。いい加減に気づきなさいっての。ここまでやられてピンピンしてるテメェがまともな人間なはずねえだうが」
「……、」
「なーに顔を真っ青にしてんだよ。それで保護欲あおってるつもりか、そんなんありえないでしょう。この世界からあなたの存在が消えた所で何か損失がある訳? 例えば、ほら」
 金髪の女は、手の中にあるオイルパステルの側面を人差し指で軽くたたく。
 瞬間しゆんかん、石像が真横に拳を振るった。壁に直撃したその腕が、真ん中から千切ちぎれ飛ぶ。
「私があなたにしている事って、この程度でしょう?」
「あ……」
「化け物の手足がこわれた程度で、お涙頂戴ちよ つだいなんてありえねーっつってんの。分かってんのかお前? 何を物体に感情移入してんだよ。モノに対して擬人化ぎじんかして涙なんか浮かべっと思ってんのか気持ちりいな。私は着せ替え人形の服を脱がして興奮こうふんするような変態じゃねえんだよ」
「あ、ぅあ……っ!!」
 絶望する風斬かざきりの前で、石像の壊れた腕が再び再生していく。周囲のガラスや建材を巻き込んで元に戻っていくその姿は、奇しくも彼女と良く似ていた。
 これが、風斬氷華ひようかの本質。
 人の皮をいだ後に残る、みにくい醜い本当の姿。
「これで分かったでしょう? 今のあなたはエリスと同じ化け物。あなたに逃げる事なんてできない。そもそもどこへ逃げるの? あなたみたいな化け物を受け入れてくれる場所ってどこかしら? だから分かったろ。分かれよ。何で分からないの? テメェの居場所なんかどこにもないって事が」
 女の手の中でオイルパステルがふらふらと揺れる。石像がゆっくりと迫り来る。
 風斬氷華は吹き飛ばされたまま、十字路の真ん中で、ただそれを呆然ぼうぜんと見る。
 動けない。
 肉体的な損傷がある訳ではない。体の傷などとっくに治っている。
 精神的な恐怖という訳でもない。心は逃げうと現在も叫んでいる。
 しかし
 一体、どこへ逃げれば良いのだろう?
 風斬は思い出す。
 ―――学校へ行くのは、今日が初めてだった。
 だからこそ、彼女は自分が転入生だと思い込んでいた。
 ―――給食を食べるのも、今日が初めてだった。、
 だからこそ、彼女は学食レストランに入ってみたいと言ったのだ。
 ―――男の人と話すのも、今日が初めてだった。
 だからこそ、彼女はあの少年が何となく苦手だと信じていた。
 ―――自販機でジュースを買うのだって、今日が初めてだった。
 ジュースの買い方は知識として知っているくせに、飲んだという経験が[度もないという異常な状態を、今までどういう理属で納得していたのか。
 初めて。初めて。初めて。初めて、初めて、初めて、初めて初めて初めて。一つ残らず、全部まとめて、片っ端から、何から何まで、すべてが初めて。
 どうして、その時点で気づかなかったのか。じゃあ、自分は今まで一体何をしてきたのだという疑問に。まるで、それまでの過去が存在しないようだという事に。自分が、この存在が、たった今、きりに浮かんだだけの幻影のようなものに過ぎなかったという事実に。
 目をらしても、意味はないのに。
 傷を見ないようにした所で、痛みが消えるはずがないのに。
 何を思った所で、もう遅い。風斬かざきりには逃げ場などない。隠れる所なんてない。自分で自分の正体も分かっていないような、こんなみにくい自分を温かく迎えてくれるような、そんな楽園はこの世界に存在しない。
 スカートのポケットには、ある白い少女と皿緒いつしよに写った写真シールが入っている。
 だけど、そこで楽しそうに笑っているインデックスは、知らない。
 風斬氷華ひようかの正体がこんな化け物である事なんて、知らない。
 あの子は。
 この皮一枚下にある正体を知ったら。
 きっと、もう笑ってはくれない。それどころか、何も知らずに風斬へ笑みを向けていた事そのものを、まわしき記憶きおくのように思うかもしれない。同じく写真の中で微笑ほほえんでいる風斬氷華は、もうどこにもいないのだから。ここには人の殻を破って脱皮した、醜い化け物しかいないのだから。
 風斬のまぶたに、涙が浮かぶ。
 温かい世界にいたかった。だれかと一緒に笑っていたかった。一分でも良い、一秒でも構わない。少しでもおだやかな時間が過ごせるならば、死にもの狂いで何にでもすがりたかった。
 けれど、結局。
 彼女がすがって良いものなど、何もなかった。
「泣くなよ、化け物」
 金髪。の女が、嘲笑あざわらうように告げてオイルパステルを振り回す。
「アナタガナイテモ、キモチガワルイダケナンダシ」
 大木すらたたき折る事のできそうな石像の腕が、ゆっくりと迫る。
 ああ……、と風斬氷華は絶望の中で思う。
 確かに、自分は死にたくない。
 だけど、それ以上に、これから先誰にも必要とされないで、顔を合わせただけでみんなから石を投げつけられるような、そんな化け物として扱われるぐらいなら、ここで死んだ方がマシかもしれないと。
 彼女はぎゆっと両目を閉じる。
 これからおそい来るであろう、地獄のような激痛に身を固めていたが、

 衝撃しようげきは、来ない。

 いつまでっても、何の音も聞こえない。
 しかし不気味なはずの沈黙ちんもくは、優しく風斬氷華かざきりひようかの体を包み込んでいた。まるで暴風雨の屋外から、屋根のある温かい部屋の中へと帰ってきたかのように。
「……?」
 風斬氷華は、恐る恐るまぶたを開ける。
 すぐ近くに、見知っただれかが立っているような気がした。だが、涙が視界を遮り、ぼんやりとした像でしかとらえる事ができない。
 その人影は、少年のようであった。
 風斬は十字路の真ん中にいる。そして少年は、対峙たいじする風斬と石像を遮るように、横合いの通路から歩いてきたらしい。人影の横顔が、おぼろげに見える。
 石像の動きが、止まっていた。
 少年が何気なく差し出した右手が、石像の巨大な腕をつかんでいた。戦車でもぎ払えそうなほど強大なそのこぶしを、まるでてのひらで受け止めるように。
 ただそれだけで石像の動きは止まり―――あまつさえ、ビシリ、と音を立てて亀裂きれつが走る。
「エリス?」
どこか遠くで、女の声が聞こえる。
「エリス。反応なさい、エリス! くそ、何がどうなっているの?」
 珍しくうろたえたような女の声に、しかしその少年は見向きもしない。
 彼はただぐに、風斬氷華の顔を見ている。
「待たせちまったみたいだな」
 その声に、彼女はビクリと肩をふるわせた。涙でその姿は見えないが、その声には聞き覚えがあった。元より、彼女の知る人物の数などたかが知れている。
 その声は、力強かった。
 その声は、温かかった。
 その声は、たのもしかった。
 そして何より、
 その声は、優しかった。
 少年は、告げる。
「だけど、もう大丈夫だいじようぶだ。ったく、みっともねえな。こんなつまんねえ事でいちいち泣いてんじゃねえよ」
 風斬氷華は子供のように、ごしごしとまぶたをこする。
 涙の膜が晴れる。
 その先に、彼はいた。

 上条当麻かみじようとうまは立っていた。
 まるで、この上ない友達に向けるような笑顔を見せて。
 彼の背後にいた石像の全身に亀裂きれつが走り回り、そしてガラガラと崩れていく。
 まるで、何人なんぴとたりとも通さぬ絶望の壁が突き破られるように。

「エリス……。ほうけるな、エリスッ!!」
 怒りを内包する、ふるえた絶叫。
 金髪の女は白いオイルパステルを握りつぶしかねない勢いでつかむと、抜刀術のような速度で壁に何かを書きなぐった。同時、彼女は何事かを早口言葉のようにまくし立てる。
 コンクリートの壁が乾いた泥のように崩れ落ちた。それは見えない手で粘土をこねるように形を整えられ、ものの数秒で天井てんじように頭をこすり付ける石像が完成する。
 彼女の顔にはあせりが浮かんでいたが、まだ平静を失ってはいなかった。
 いくらこわされた所で、何度でも作り直す事ができる切り札。それこそが、金髪の女の最大の強みなのだろう。盾もおとりも特攻も自爆すらも思いのままだ。
 上条当麻は、振り返る。
 追い詰められた少女を守るように、いびつな石像お前に立ちふさがるように。
 その光景に風斬かざきりおどろき、金髪の女は笑みを引き裂く。
「くっ、はは。うふあはは!何だあこの笑い話は。おい、一体何を食べたらそんな気持ち悪い育ち方するんだよ! ははっ、喜べ化け物。この世界も捨てたものじゃないわね、こういう馬鹿ばかが一人ぐらいいるんだから!」
 そのび付いた声に、風斬は肩をふるわせた。
 そう、この少年が来てくれたのはうれしい。でも、化け物同士の戦いに彼を巻き込むなど耐えられない。風斬氷華ひようかが望んだあの温かい日常が、それを作る少年が、この場で倒れるなど。
 しかし、標然りつぜんとする風斬をよそに、少年は巨大な石像お前にしても少しも動じない。
 彼は言う。
「一人じゃねえぞ」
 は? と金髪の女が間の抜けた声を上げかけたその瞬聞しゆんかん

 ドガッ!! と、まばゆいばかりの閃光せんこうおそいかかった。

「!?」
 風斬は目をつぶすような白い光の渦に、思わず両手で自分の顔をかばった。
 彼女は十字路の中心に座り込んでいる。そして、光は金髪の女がいる通路以外の三方すべてから放たれていた。風斬は眩い光に頭痛を感じながらも、かろうじて目を細めて辺りを見回す。
 まるで車のヘッドライトのような強烈な光。
 それは、銃に取り付けられたフラッシュライトのものだった。一丁、二丁どころではない。
三〇人から四〇人にも及ぶ人々が、この場に集まっていた。
 警備員アンチスキル
 彼らは一人として、無傷な者などいない。腹や頭に包帯を巻き、腕や足を引きずっていた、病院のベッドにいてもおかしくなさそうな人たちばかりだ。
 それでも、彼らはおくさない。
 己の危険を省みず、痛みに対して泣き言の一つも告げず、死地とも呼べる場所へと何のためらいもなく駆けつけてきた。彼らはアクション映画の主人公みたいな屈強な男性ばかりでなく、中には女性まで混じっていた。透明な盾を構えるその彼女は、しかし自身の傷など気にも留めず不敵な笑みを浮かべている。もう大丈夫だいじさつぶだぞと、その目で語るように。
「……どう、して……?」
 むしろ不思議そうに、風斬氷華かざきりひようかは問いかけた。
 彼らが風斬の正体をどこまで知っているかは分からない。が、少なくとも一般人ではない事ぐらいつかんでいるはずだ。跳弾を浴びて顔がこわれたその姿を、あの石像になぐられてもむくりと起き上がったその姿を、彼らは目撃もくげきしているはずなのだから。
 だから、彼女は問いただしたのだ。
 どうして、と。
 自分の体ごとあのテロリストに弾丸の雨を浴びせてしまえば良いのに、どうして自分を守るように前へ出てきたのだろうと、風斬氷華は疑問に首をかしげて。
「ばっかばかしい。理由なんていらねえだろうが」
 対して、少年は一秒すら待たずに答えた。
 化け物であるはずの風斬から、たったの一秒すら目をらさずに。
 まるで、ゲームセンターで話しかけてもらった、あの時の表情のままに。
 光の中で、彼は言う。
 いつものように。それゆえに、一片のかげりもなく。
「別に特別な事なんざ何もしてねーよ。おれはたった一言、あいつらに言っただけだ」
 あふれんばかりの光の中で、彼は言う。

「俺の友達を、助けて欲しいって」

 風斬氷華は一瞬いつしゆん、その言葉の意味が理解できなかった。
 だって、彼女は人間ではない。化け物なのだ。体の中は空洞で、皮膚ひふ一枚の下には何にもなくて、鉄砲でたれても石像になぐり飛ばされても死なないような、医者や学者が見たらびっくりするような体なのに。
 彼らは、それをどうでも良いと一言で切り捨ててくれるのか。
 風斬かざきり自身でさえ、絶望したこの正体不明カウンターストツプの体を。
 あるいは、それはこの街だからこそなのかもしれない。住人の八割が学生で、その全員が何らかの能力に覚醒かくせいしていて、みんながみんな、自分が少し変わっている事を自覚しているから。だからこそ、人とは違う風斬氷華ひようかを受け入れられるだけなのかもしれないけれど。
 自分は、ここにいても良いのだろうか。
 彼らは、自分という存在を笑って認めてくれるのだろうか。
 呆然ぼうぜんとする風斬に、少年は言う。
「涙をぬぐって前を見ろ。胸を張って誇りに思え。ここにいる全員が、お前に死なれちゃ困ると思ってんだ」
 風斬は、顔を上げる。
 あれだけやみに包まれていたように見えた世界は、もうどこにもない。
「今からお前に見せてやる。お前の住んでるこの世界には、まだまだ救いがあるって事を!」
 彼女は知る。
 確かに、あの金髪の女は暴虐のあらしによって、この地下街を闇に閉ざした。
 けれど、彼らは光を用いて闇に立ち向かう。
 暗がりの中でおぽれる、だれかの手をつかむために。
 少年は告げる。
「そして教えてやる! お前の居場所げんそうは、これぐらいじゃ簡単にこわれはしないって事を!!」

     5

「エリス―――」
 石像の陰に隠れたシェリーは、ぶるぶると怒りにふるえた声で、
「―――ぶち殺せ、一人残らず! こいつらの肉片を集めてお前の体を作ってやる!!」
 叫ぶと同時、オイルパステルが宙を引き裂く。何重にも重ねた線が石像を操る糸と化す。
「させん!! 配置B! 民間人の保護を最優先!!」
 一人の怒号を皮切りに、すべての銃ロが一斉に火を噴く。
 警備員達アンチスキルたち透明な盾ポリカーボネイドを持つ前衛とライフルをつ後衛の二人組で動いていた。盾はエリスの攻撃こうげきではなく、跳弾を防ぐためのものだ。
 鼓膜を突き破るような銃声のあらしと共に、上条かみじようと風斬は近くにいた警備員アンチスキルの女の手で地面へ引きずり倒された。その警備員アンチスキルは上条達を守るように透明な盾をかざす。
 ギギギザザザギギ!! と目の前の盾が悲鳴をあげる。
 上条かみじようおどろいて目をいた。エリスの体にぶつかり、乱反射した弾だけでこの有様だ。一度そ
の身に跳弾を浴びているせいか、風斬かざきりは雷におびえる子供のようにふるえている。
 上条は前方にいる石像の姿を見る。
 まるで虫眼鏡めがねで太陽光を集めているがごとく集中砲火を浴びるエリスの足が、止まっていた。
暴風の中、強烈な向かい風に向かって必死に歩こうとしているように。その体が壁のように広がっているからこそ、ヨットの帆のように強い風に翻弄ほんろうされているように見える。エリスの体を構成するコンクリートやガラス片などが次々とがれ落ちていくが、周囲の床や壁、果てはたつち込まれた弾丸さえも利用して即座に修復されていく。
「チィッ!!」
 銃声のカーテンの向こうから、シェリーの怒号が聞こえる。
「『神の如き者ミカエル』『神の薬ラフアエル』『神の力ガブリエル』『神の火ウリエル』! 四界を示す四天の象徴、正しき力を正しき方向へ正しく配置し正しく導け!!」
 オイルパステルによってゆがんだ十字架が空気中に走り書きされていく。
 ぎぢっ……、と。エリスの体から、きしんだ音がひびく。
 それは悲鳴だった。
 声を発する口もない石像が、全身の関節から漏らす苦痛の声。無理矢理な命令によって、まるで布をんでしまった歯車を強引に動かそうとしているように、石像の巨大な体がぎしぎしみしみしと危うい音を立てる。
 それでも、エリスは動いた。
 ぎちぎちと不気味な音を立てながら、その体が一歩、前へと出る。
 ズン、と。重たい音色が地面をわずかにふるわせる。
 シェリーはその光景に歓喜したように、さらに激しくオイルパステルを振り乱す。
「あ……あ、そんな……」
 火薬の爆音の中、風斬は思わず声を上げるが、
「ここまでは、予想通りってトコだな。悪い予想の方ってのが気に入らねえが。ま、できれば押し返すなり拮抗きつこうしてくれるなりしてくれれば文句なしだったんだけどな」
 上条の言葉に、彼女は耳を疑った。
 さらに、今度は透明な盾を構えている女の警備員アンチスキルが、
「少年。本当にやる気なの? 怖気おじけづいたって言ってもだれとがめないじゃん?」
「やらなきゃなんねえってのが正しいけどな。アンタもさっき見たろ、おれの右手が触れただけであのゴミ人形をぶっこわした所。俺の右手にはそういう能力が備わってんだ」
「そりゃあ、確かに月詠つくよみ先生もそんな事は言っていたけど……」
 風斬は、じわじわと指先から力が抜けていくのが分かった。
 何だろう、と彼女は思う。何か自分の知らない所で、とんでもない事が決まりつつあるような気がする。
「どの道、このままじゃいつかアレはここまで歩いてくるぞ。そう。てなくても、弾は無限じゃねえんだろ? 盾持ってるアンタの手だってそう長くはたないんじゃねーのか」
「切り札は一度きりじゃん。それで失敗しても、ウチらは少年を回収できない。その時は弾幕を張るしかないじゃんか。そうなると少年ごとあの石像を つつ事になるけど」
 警備員アンチスキルの言葉に、風斬かざきり愕然がくぜんとした。
「……待って、ちょっと……待って、くだ、さい。……あ、あの……何を……」
「決まってんだろ」上条かみじようは、間を空けずに、「これから、あの化け物を止めてくる」
 ズン、という石像の重たい足音がひびいた。
 先ほどよりも、強い。シェリーとエリスは、早くもこの弾幕に慣れつつある。
「ダメ、です……そんな……っ! 危険、すぎ……!!」
「っつっても、おれの力は右手で直接触らないと効果が出ないんだ。そりゃ、どっかの超電磁砲レールガンみてーに遠距離攻撃こうげきできりゃあ俺も気が楽なんだけどな」
 ゴン! と、さらに地面が揺れる。
 じりじりと、北風にあらがう旅人のように石像は少しずつ歩を進めていく。
 その距離は、もう一〇メートルもない。
「指示を出す。最後に少年に確認するけど、構わないの?」
「……、ああ」
 何をすべきかは、ここに来お前に打ち合わせてある。
 ゆえに、彼の答えは一言で良い。余計な言葉などという未練は一切ない。
「無理しやがって、格好良すぎるぞ少年。あーあ、やっぱセンセは生徒に恵まれてんじゃん」
 小型の無線機を取り出した警備員アンチスキルは小さく笑った。
「いいよ、付き合ってやろうじゃん。代わりに何があっても成功させろ。そして生きて帰ってこい。そのための協力ならいくらでもしてやる」
 その言葉に、上条も口元にわずかな笑みを浮かべた。
 彼の体が、必死にふるえを抑えようとしている事に、ようやく風斬は気づく。
準備せよプリパレーシヨン。―――カウント3|」
 警備員アンチスキルが無線機に向かって何かの命令を下した。
 風斬はゾッとした。まさかと思うが、この少年は本当に盾から飛び出して、石像の元まで走るつもりなのか。あんなピンボールみたいに弾が跳ね返って、撃った本人すらも軌道が読めないような銃弾の暴風雨の中へ。
 一発でも当たったら死んでしまうのに。
 怖くないはずがないのに。
「―――カウント2」
 今まで床に伏せていた上条かみじようが、ほんのわずかに上体を起こした。
「待って……だめ、です! ……これじゃ、絶対、助からない……っ! そんなの……そんなの……いや、です! 私……っ!」
「止めるなよ、風斬かざきり
 ほとんど錯乱さくらんしかけている風斬に対し、一番危険なはずの上条の方が落ち着いた声を出す。
「お前がおれの事をけてた理由な、きっとこの右手にあるんだと思う。この右手は、異能の力なら豊量心を問わず、あらゆる力を打ち消しちまうから。きっと、お前の事も例外じゃない」
 だから不用意に手を伸ばして押しとどめようとするな、と上条は言う。
 風斬は、衝撃しようげきを受けたように息を詰まらせた。
「―――カウント1」
 シェリーも何か仕掛けてくる事に勘付いたのか、さらに狂ったようにオイルパステルを振り回す。銃弾の雨に押されているエリスの足が、より力強く前へみ出される。
 しかし、この瞬間しゆんかんだけは、上条はシェリーの事など視界に入れていなかった。
 彼はただ、目お前にいる少女の顔を見ていた。
 上条の右手の力を知り、自分が少年を避けていた理由を知っておどろいた風斬の顔を。
「そんなに気にすんなよ。別に触れ合う事ができなくったって、お前が友達だって事にゃ変わりないだろ? それと、簡単に死ぬなんてあきらめんな。俺は必ず帰ってくる。いいか、必ずだ」
「……あ。帰って、くる……?」
「おう。またインデックス連れて三人で、どっかに遊びに行きたいしな」
 そう言って、彼は一度だけ笑った。
 それから、彼は前方へ視線を移す。
 風斬との最後のっながりを断ち切るように、警備員アンチスキルは告げる。
「―――カウント0」

 瞬間。
 エリスに向かって銃弾をばらいていた警備員たちが―――一斉に、撃つのをやめた。

 シェリーにとっては予想外の展開だろう。
 何せ、銃弾は警備員アンチスキルの身を守る最後のとりでだ。その手を休めれば、次の瞬間にはエリスのこぶし餌食えじきとなる。普通に考えればそんな自殺行為に出るはずがない。
 しかし、確かに効果はあった。
 エリスの鈍重な体が、突お前につんのめったのである。
 強烈な北風に向かって全力を振り絞って歩いていた所で、いきなりピタリと風がやんだようなものだ。自ら生んだ余分な力のせいで、エリスは大きく前ヘバランスを崩したのだ。
 上条かみじようはハードルのように透明な盾を飛び越し、一気に走る。
 エリスとの距離はおよそ七メートル。
「くそ。やりなさい、エリス!!」
 矢のように走る上条に対し、シェリーは慌てたようにオイルパステルを振るう。
 その命令に忠実に従い、エリスはこぶしを握る。だが、どう考えてもバランスが悪い。今にも前へ倒れそうな姿勢のまま無理に拳を振るおうとすれば、それだけでエリスは転倒するだろう。そうなれば上条が手を下すまでもない。盾を失ったシェリーは銃口から逃げられない。上条は流れ弾が当たらないようにその場で伏せれば良いだけだ。
 それなのに、エリスは拳を振り上げる。
 案の定、失いかけていた体のバランスは完全に崩れ、エリスは前のめりに地面へ倒れていく。石像の身長は四メートル強。元の距離が七メートルである事を考えると、上条は絶対に巻き込まれないはずだ。
 上条は、エリスが地面に倒れた所をねらおう、と拳を握り締めて、

 ズドン!! と、エリスはなぐりつけた。
 前方へと倒れ込みながらも、上条を無視して、その地面に向かって。
「なっ……!?」
 エリスの拳を中心に、地面に半径八メートル強の蜘蛛くもの巣状の亀裂きれつが走る。トランポリンの
ように地盤が揺らぎ、上条の体は宙に投げ出された。みしみしぎしぎしと、壁や天井てんじよう、支柱
などから不気味なきしみが地下街にひびき渡る。
 そして、地面を転がる上条は見た。
 ゴーレム=エリスは、己の放った拳の反動を利用して、バネ仕掛けのように起き上がってい
るのを。
 シェリーの右手が一閃いつせんする。
 その巨大な拳が、地をう虫を押しつぶさんと再び大きく振り上げられる。
「くそ……っ!!」
 上条の背後で警備員達アンチスキルたちがライフルを構えたのか、小さな金属音が聞こえた。だが、彼らは銃をてない。ここで豪雨のように銃弾をばらまけば、間違いなく跳弾が上条をおそう。
(ちくしょう、ふざけやがって! 考えろ……っ!!)
 エリスはちょうど上条におおかぶさるような体勢で拳を振り上げている。この状態で右手を使って受け止め、エリスの拳を幻想殺しイマジンブレイカーで打ち消した所で、数トンにも及ぶ瓦礫がれきの山が雪崩なだれのように上条へ襲いかかるだろう。
 逃げるにしても、せいぜいが一歩。ただし、身長が四メートルを超すエリスは、片腕だけで二メートル強もの長さを誇る。左右へ跳ぼうが後ろへ転がろうが射程圏外へ逃れる事はできない。
(くそ、ちくしょう! 何か、何か方法は……っ!)
 全体重を込めたエリスのこぶしが、真上から上条かみじようへとおそいかかる。少なくとも、右手で受け止めるのは自殺行為だという事ぐらいは分かる。彼は足のバネに全神経を集中させると、祈るような気持ちでとっさに跳んだ。

 右でも左でも後ろでもなく、前へと。

 エリスの身長は四メートル強。
 つまりふところの死角も人間より大きく、また両足の間にはニメートル弱もの高さの空洞がある。
それでも、普通の状態ならば足の下をくぐろうとすれば即座にりで迎撃げいげきされるだろう。
 しかし、拳を放つその瞬間しゆんかん
 全体重を拳にかけた不安定なその一瞬だけは、エリスは両足を使ってん張り、その体を支えなくてはならない。実際、ケンカ慣れしている上条には分かる。例えば大振りな一撃は威力も強く見た目も派手に映るかもしれないが、反撃を受けやすいという欠点もある。それは攻撃を放っている最中は重心の関係上、回避かいひ行動を取るのは不可能だからだ。
 エリスは拳を振り終えるまでは、足を動かす事ができない。
 なまじ無理矢理に人間としてのバランスを保とうとしたのが失敗だったのだ。
 上条は身をかがめるようにして、ほとんど地面をめるような姿勢で、一気に前へ跳んだ。まるで放たれる矢のような勢いで、そのままエリスの足の間を突き抜ける!!
 直後、
 ガガガガギギギ!! と、エリスの体から火花が散った。ライフルを構えていた警備員達アンチスキルたちが銃撃を再開したのだ。
 エリスの動きが再び拘束される。
 そして皮肉にも、その背後に立つ上条に弾は当たらない。
 上条はゆっくりと立ち上がって、それからエリスの背中に右手で触れようとしたが、少し考えて、やめた。彼はエリスから目を離し、背後を振り返る。
 そこに、シェリー=クロムウェルがいた。
「え、エリス……」
 彼女はあせりと緊張きんちようの入り混じった声を出す。が、シェリー自身、分かっている事なのだろう。
エリスを下手に動かせば、警備員アンチスキルの放つ弾丸を浴びる羽目になるかもしれない。同じ理由で、シェリーはエリスの陰という狭い闘技場リングから逃れられない。
 彼女の手の中にあるオイルパステルが、不器用に宙を泳いでいた。これまでのような意思は感じられない。どういう風にエリスを操作すれば良いのか分からないのだ。
 もはやシェリーは、だれにも救いを求める事はできない。
 最強の兵器は目お前にあるのに、それを動かせないどころか敵である上条かみじようさえ銃弾から守ってしまっている。
「さって、と」
 上条は言う。
 まるで肩の調子を確かめるように、右腕を大きく回す。
「は、」
 絶望的な状況に、シェリーは思わず引きつった笑みを浮かべていた。
「はは。何だ、そりゃ。これじゃ、どこにも逃げられないじゃない」
「逃げる必要なんかねえよ」
 ひびく銃声の真ん中で、上条は片目をつぶり、

「テメェはだまって眠ってろ」
 上条は、一切の手加減なしにシェリー=クロムウェルをなぐり飛ばす。
 彼女の細い体は、風に流される紙クズのように地面を何度も転がった。

     6

 銃声はまだやまない。
 シェリーが倒れた事でエリスはその動きを止めているが、かと言ってエリスに決定打を与えた訳ではないのだ。警備員達アンチスキルたち攻撃こうげきの手を止めないのも当然だろう。上条は五メートルほど離れた所で倒れたシェリーから目を離し、エリスの方へと向き直った。
(しっかし、これを急にこわしたら……流れ弾とか飛んでこないだろうな?)
 恐る恐るという感じで、上条はエリスの背中へと右手を伸ばしていき……。
「ふ。うふふ」
 そこで、女の笑い声を聞いて、上条は勢い良くシェリーの方へ振り返る。
(浅かった? まさかコイツ、自分から後ろに跳んでたのか……っ!?)
 彼女は笑っている。倒れたまま笑っている。
 ただし、その手に白いオイルパステルを握り締めて。
ビュバン!! と、まるで抜刀術のようにオイルパステルが地面に走る。模様のような記号のような、判読不能の何かが勢い良く床へと書きなぐられる。
「な……ちくしょう! 二体目を作る気か!?」
 上条かみじようは阻止するために慌てて走ろうとしたが、
「うふふ。うふうふ。うふうふうふふ。できないわよ。ああしてエリスが存在する以上、二体同時に作って操る事などできはしない。大体、複数同時に作れるのなら始めからエリスの軍団を作っているもの。無理に二体目を作ろうとした所で、どうやっても形を維持できない。ぼろぼろどろどろ、腐った泥みてーに崩れちまう」
 けどなあ、とシェリーは檸猛どうもうに笑って、
「そいつも上手く活用すりゃあ、こういう事もできんのさ!!」
 瞬間しゆんかん、シェリーが描いた文字を中心点にして、半径ニメートルほど、彼女が倒れている地面が丸ごと崩れ落ちた。シェリーは崩落に巻き込まれ、まるで地面にみ込まれるように姿が消える。
「くそっ!!」
 上条が慌てて駆け寄ったが、そこには空洞しかなかった。穴は深く、何メートルあるかも分からない。ただし、底の方から空気の流れのようなものを感じる。
(やられた。下に地下鉄の線路が走ってやがる……)
 上条が舌打ちすると同時に、動きの止まっていたエリスが、バラバラと音を立てて崩れていった。二体同時に作れないとの事だから、古い人形をこわして新しい人形を作り直しているのかもしれない。旧エリスの崩壊ほうかいに応じて、銃声の渦もピタリと止まる。
(しかし、妙だな)
 暗い穴の底をのぞきながら、上条はふと疑問に思った。
 シェリー=クロムウェルはターゲットに対してあまりに執着心が少なすぎる。これまで会ってきた魔術師まじゆつしとは明らかにタイプが異なる。彼らならば、風斬氷華かぎきりひようか(と、上条も含まれているようだが)という目的が目お前にある状況で、そうそう簡単に逃げに入る事などないだろう。
(思い出せ。何が引っかかってるんだ?)
 上条はシェリーの放っていた言葉の切れ端を集めていく。しばらくは難しい顔をしてうつむいていたが、不意に彼は顔を上げた。
『おや。虚数学区のかぎ一緒いつしよではないのね。あの…あの……何だったかしら? かぜ、いや、かざ……何とかってヤツ。くそ、ジャパニーズのお前は複雑すぎるぞ』
 そう、思えばシェリー=クロムウェルは始めから風斬氷華に興味をそれほど持っていなかったような気がする。
『戦争を起こすんだよ。その火種が欲しいの。だからできるだけ多くの人間に、私がイギリス清教の手駒てごまだって事を知ってもらわないと、ね? ―――エリス』
 仮にシェリーにはほかに目的があって、風斬はそのための手段の一つでしかないのだとしたら。
『別に何でも良いのよ、何でも。ぶち殺すのはあのガキである必要なんざねえし」
 そして、それは風斬以外の人間でも代用できるのだとしたら。
『うふ。うふふ。うふうふうふふ。禁書目録に、幻想殺しイマジンブレイカーに、虚数学区のかぎ。どれがいいかしら。どれでもいいのかしら。くふふ、迷っちゃう。よりどりみどりで困っちゃうわあ』
 シェリー=クロムウェルは逃亡したのではなく。
 新たな標的をねらいに行っただけだとしたら。
 そして。
 彼女の標的は三人。その内、上条かみじよう風斬かざきりはここで警備員アンチスキルに守られていて。
 唯一、今ここにはおらず、警備員アンチスキルにも守られていないのは――――。
「くそ……。インデックスか!!」

   行間 二

 暗い地下鉄の構内を、足音がひびく。
 それは人間に出せるような音ではなかった。コンクリートと線路を丸めて作り上げた四メートルもの高さを誇る化け物・ゴーレム=エリスの足音だ。
 シェリー=クロムウェルはエリスの腕に抱かれながら、オイルパステルを操ってエリスの両足を交互に動かす。目的地は分かっている。二体目のエリスを作お前に再度無数の泥の眼球を放ち、標的の居場所をつかんでおいた。二体目を作る邪魔じやまになるため、現在はもう目玉もこわしてあるが。
 なぐられたほおがズキズキと痛む。本来の彼女は長いスカートで隠された足を地に着けず、ほんの数センチほど浮いている事でエリスの震動しんどうから逃れていたのだが、あの少年に殴られた衝撃しようげきを受け流したのを最期さいごに、浮遊の術式は崩壊ほうかいしてしまった。おかげで今はエリスに抱かれている。
 シェリーは周囲を見回しながら、口の中でつぶやく。
 いまいま々しい、と。
 このコンクリートの地下が忌々しい。このすえたにおいが忌々しい。この粉っぽいものを含む汚れた空気が忌々しい。こんなものを作り上げた人間が忌々しい。こんなものを作り上げるほどの力がある事が忌々しい。
 彼女はこの街が嫌いだった。
 この街の水も、この街の風も、この街の土も、この街の火も、何もかもが嫌いだった。地図から消し、歴史から消し、人の記憶きおくから消し、世界から消し去ってしまいたいと願っていた。
 超能力者の男に殴られた頬が熱を帯び始めた。
 こんな街があるからいけないんだ、とシェリーは口の中で毒づく。
「エリス」
 彼女は言う。
 エリスとは、元々このゴーレムにつけられた名前ではなかった。

 それは、二〇年も前に死んだ、一人の超能力者の名前だった。

   

chap5

第四章 終止符 Beast_Body,Human_Heart.

     1

 薄暗うすぐらい地下とは異なり、地上は真っ白に目がくらむほどの炎天下だった。
 そんな街中に、インデックスと御坂美琴みさかみことはぽつんと残されていた。白井黒子しらいくろこは今も地下に閉じ込められた学生たちを運び出している。
 上条かみじよう達が無事に出てこない以上、帰るのは薄情はくじようだし、かと言って彼女達の間に共通の話題もない。さんさんと太陽光の降り注ぐ青空の下に、何か妙な沈黙ちんもくが下りていた。
(あーもう。黒子のヤツめ……)
 美琴はここにいない後輩に心の中で恨み言を告げる。地下街の隔壁ぐらいなら超電磁砲レ ルガン破壊はかいする事も可能だが、それをするとテロリストとやらが外へ逃げる危険性もあるのでみ切れないのだ。
 暑さに耐えられないとでも言うように、インデックスの腕の中で三毛猫みけねこが暴れた。
 やがて、彼女はポツリと言った。
「……あっついね」
「そうね」美琴もうなずいた。「ていうか、アンタのその服は何なのよ? このクソ暑い中にそん
長袖ながそでなんて……。あ、ひょっとして日焼けに弱い肌してる訳? なんか色素が薄いとすぐひりひりするってテレビで言ってたような気がするけど」
「別に気にした事はないかも。この服も今ではすーすーと風通しが良いし」
「あん? ……うわっ、良く見たら布地を安全ピンで留めてるだけじゃない! 何でこんなパンクな格好になっちゃってるのよ?」
「うっ……。色々と古傷があるので、理由は深く言及しないで欲しいかも」
 インデックスがそこで流れを遮断してしまったため、またもや会話が止まってしまった。が、一度会話の味を覚えた美琴はすぐに耐えられなくなったという感じで、
「にしても遅いわね、あいつら」
「……うん。どうしよう、なんかあの魔術師まじゆつしはひょうかの事をねらってたみたいだし。術式もロンドン仕込みみたいなにおいがしていたし、本当になんにもなければ良いけど……」
「?」
 魔術師やら何やら、普段ふだんあまり聞き慣れない言葉に美琴は首をかしげる。
 インデックスは白井黒子の手で地上へ連れ出された際、感謝するどころか逆に詰め寄って何で自分を先に逃がした早くあそこに戻してくれと大騒おおさわぎしていた。確か、その時も魔術師まじゆつしやら何やら冗談みたいな事を言っていた気がする。
 ちょっと考えて、まあ良いかと美琴みことは切り捨てた。格好から察するに宗教関係者っぽいし、科学知識のない人間から超能力者を見ると魔法のように思えるのかもしれない。
「ひょうか、ってのは一緒いつしよにいた女の子の事?」
「うん。あ、今回はとうまが引っ張ってきたんじゃないんだよ。私が先に会ったんだから」
「……今回は、ね。ほほう」
 美琴は顔をらして黒い笑みを浮かべたが、無邪気なインデックスは気がついた様子もない。彼女は三毛猫みけねこを胸に抱いたまま体を左右に揺さぶりつつ、
「うう。心配かも心配かも。あんな所に女の子が置き去りにされているのも心配だけど、薄暗闇うすくらやみの中でとうまと女の子を二人きりにさせているのも心配かも」
「……、何でかしら。この一点のみアンタとは友達になれそうな気がするわ」美琴は少しだまった後、「どうでも良いけど、アイツの身の安全は心配してない訳?」
 ピタリと。ほんの一瞬いつしゆん、インデックスの動きが停止した。
「ん、とうま? とうまなら心配ないよ。とうまは何があっても、絶対に帰ってきてくれるんだから」
 彼女はそう答えたが、すでに矛盾が生じている。本当に心配していないのなら、こんな炎天下の中でじっと待ち続ける必要などないのだ。
(ま、この状況で心配するなってのが無理な話よね)
 美琴は再び会話の流れを断ち切ってしまった事を反省しつつも、一方で、
(しっかし、帰ってきてくれる、ときましたか)
 だれの元へ、などいちいち確認するまでもない。銀髪の少女は特別な含みを持たせたつもりはないのだろうが、それがかえってダメージを大きくしている。つまり彼らにとってはそれが日常で、いちいち意識するまでもないほど浸透した共通認識なのだ。
 美琴はちょっと前髪をいじった後に、
(だから、何で、そこで、私が、ショックを受けなきゃいけないのよ?)
 自分で生み出した感情に対してまゆをひそめたが、
 みぎゃあ! と甲高い鳴き声と共に、突然三毛猫がインデックスの腕の中から逃げ出した。
「あっ!」
 インデックスが思わず叫ぶ。美琴は自分の内側から外側へ意識を向け直すと、三毛猫がインデックスの腕からするりと抜けて、地面に着地した所だった。もうこれ以上暑苦しいのはうんざりだぜ、という感じで三毛猫は走り去ってしまう。
 インデックスはすぐさま小さな逃亡者を追い駆けようとして、その足が止まった。おろおろと、逃げる三毛猫と美琴の顔を交互に見る。どうも、三毛猫を追い駆けたいがこの場を離れるのも気が引けるらしい。
「いいわよ。ここには私が残ってるから、アンタはさっさとネコ捕まえて戻ってきなさい。私はネコに嫌われやすい体質だから追っても無駄むだだし」
「ごめんね。そうしてもらえるとありがたいかも。……こらーっ! スフィンクス!!」
 インデックスはぺこりと頭を下げると、コンビニ裏手の日陰ゾーンへ逃げ込んだ三毛猫みけねこを追い駆け、その姿を消した。スフィンクスって名前だったのか、と美琴みことは破滅的なネーミングセンスに絶句していたが、
 ふと、足元のマンホールがカタカタと揺れている事に気づいた。
「あれ?」
 美琴が不思議そうな声をあげると、今度は歩道わきにあるジュースの自販機の取り出し口が小刻みに揺れ始めた。街路樹の葉が、風もないのにカサカサと音を立て始める。
 地震じしん、という感じではない。まるでどこか遠くで、怪獣かいじゆうでも歩いているかのような、奇妙な震動だった。
 あの三毛猫は動物的な感覚で震動を察知して逃げたのかもしれない、と美琴は思った。

     2

 風斬氷華かざきりひようかは、薄暗うすぐらい地下街の地面にぺたりと座り込んでいた。
 目を焼くほどのライトの光の洪水も、耳を破るほどの銃声のあらしも、もうない。警備員達アンチスキルたちはシェリーが地上へ逃げるのを防ぐため、無線であちこちに指示を飛ばしている。
 ふと、彼女は離れた所でだれかが言い争いをしているのに気づいた。そちらへ目を向けると、上条かみじよう警備員アンチスキルの女性と何かを話し込んでいる。というより、上条の方はほとんどつかみかかりそうな勢いだった。
「だから! もうさっきのヤツは地下街にいないんだろ! だったら何で地下街の封鎖ふうさが解かれないんだよ!?」
「何度も言うように、地下街の管理とウチらとは管轄かんかつが異なるじゃん。こちらも連絡をつけているけど、命令系統というものもあるし。封鎖を解くにはもう少し時間がかかるじゃんよ」
「くそ!」
 そう毒づいて壁をる上条の様子に風斬はビクッと肩をふるわせたが、彼の様子が少しおかしい事に気づいた。直接的な危機であるシェリーはすでにいないのだ。上条は何を慌てているのだろうか。
 上条かみじようと話し込んでいた警備員アンチスキルの無線機に連絡が入ったらしい。彼女は少年の元を離れると専門用語というか、何かを省略した言葉を使ってこちらでも何か口論している。
 一人ポツンと残された上条の元へ風斬かざきりは吸い込まれるようにふらふらと近づいた。彼の姿は少し怖かったが、同時に今にも泣き出しそうな子供のように、放っておけない危うさが同居していた。
「……あ、あの……さっきは、ありがとう、ございました」
「ん? 別にお礼を言われるほどの事でもねーと思うけど。それよりお前、体は大丈夫だいじようぶなのか?」
「あ、はい。……平気、だと思います、けど。えっと……それ。て。何が、あったん……ですか?」
 その声に、上条は少しだまった。言うべきかいなか、迷っているようにも見えた。彼はやがてゆっくりと、言葉を選ぶというよりはめ込んでいたものを少しずつ吐き出すような感じで、
「シェリー=クロムウェル……あのすすけたゴスロリ女は逃げたんじゃない。次のターグットとして、インデックスを遺い始めただけだ」
「え……?」
「あいつはどうやらおれや風斬を殺すためにここに来たんじゃなくて、特定の条件が合えばだれでも良かったみたいなんだ。で、その一人がインデックスって訳」
 風斬は息をんだ。そう言えばあの金髪の女にもそんな台詞せりふを言われた気がする。風斬や上条は無数の警備員達アンチスキルたちに守られているが、インデックスの方は完全に無防備だろう。どちらでも良いというなら、難易度が易しい方をねらうに決まっている。
警備員アンチスキルに掛け合ってみたけど、地下街の封鎖ふうさはまだ解かれないって。ったく、あの分厚いシャッターが上がらないと外へ出られないのに!」
「……で、でも……それなら、あの人達に言えば。地上にも、警備員アンチスキルの人達はいっぱいいるんだから……保護してもらえば良いんじゃ……」
「それはできない」
 もっともらしい意見に対し、しかし上条は考えもせずに即答した。
「どう、して?」
「インデックスは、この街の住人じゃない。警備員アンチスキルに見つかれば保護どころか逮捕されるかもしれない。……あくまで、かもしれないだけどな」
 上条は声をひそめて、一応、アイツにも臨時発行ゲスト扱いのIDはあるんだけど、特別警戒宣言コードレツド下なんて非常時じゃ役に立つかどうか分からない。免許証なりクレジットカードなり、ほかの身分証を見せうって言われても不思議じゃねえんだ」そこで、彼は舌打ちして、「まずいんだよ、それだと。ぶっちゃけた話、アイツには『書類上の身分パーソナルデータ』がないんだ。カード、保険証、住民票、果ては自分の年齢、血液型、誕生日から何まで全部だぞ。インデックスなんて名前も明らかに偽名だしな。『外からやってきた怪しい人物』を捜している連申が、こんな空白だらけの人間を放っておくと思う?」
 ここにきて、ようやく風斬かざきり上条かみじようあせっている理由が分かった。風斬氷華ひようかに比べて、イン
デックスは圧倒的に味方の数が少ないのだ。街にはこんなにもたくさんの人であふれているのに。
「で、でも……私だって、実は住人じゃなかったんだし……」
「お前とインデックスは、ちょっと事情が違うんだ。確かにお前は街のID登録はしてないだろうけど、それだけだろ。確かに正体は普通じゃないかもしれないけど、お前の存在が完全に危ないって決まってる訳じゃない。けど、インデックスはちょっと違うんだ。簡単に言っちまえば学園都市とは系統が違う組織に属してる。そして、属してるだけで完全に危ないと判断されちまうかもしれない」

 そこまで言うと、上条は一人で歩き出した。風斬は慌ててその後を追う。
 彼が向かったのは、金髪の女が逃走するために床に空けた大穴の縁だった。
「やっぱ、行くならここしかねえか。くそ、すぐそこの隔壁を開けてくれりゃ簡単に先回りできるってのに、何で追走なんて後手に回らなくっちゃならないんだ!」
 風斬は大穴をのぞき込んだ。
 あかりは全くないため暗闇くらやみに包まれ、底は見えなかった。こんな何メートルあるかも分からない所へ本当に飛び降りても大丈夫だいじさつぶなんだろうか。着地・受身のタイミングすら測れないような気がする。大体、

「ま、待って……。本当に、……あなた一人で行くんですか?」
 多少のリスクを負ってでも、警備員アンチスキルに連絡するべきだと風斬は思った。彼女は知っているのだ、あの金髪の女の怖さを。何度も体をこわされたからこそ。
 断言できる。あれは高校生が考えなしに敵対して良い相手ではない。
 おそらく上条も知っている。この場を切り抜けられたのは、プロの警備員アンチスキルによる数のごり押しのおかげだ。あの石像は、一対一なら戦車と敵対したって負ける事はないだろう。あれはそういう種類の、正真正銘の『化け物』なのだ。
 それを知っていて、それでも彼は揺らがない。
『学園都市の敵』という少女をかくまっている時点で、理由など問わなーても分かるだろう。きっと上条は、何があってもその少女を守りたいのだ。
 風斬にも、その気持ちは良く分かる。彼女にとってもインデックスは初めてできた大切な友達だ。それが失われるなんて、傷つけられるかもしれないなんて思うだけで身の毛がよだつ。
 だけど、
 だからと言って、目の前の少年が傷つけられて良い理由にはならない。
 上条が絶対にインデックスを失いたくないと言うなら、風斬は彼ら二人のきずなを失わせてはいけないと強く願う。
 あの化け物からインデックスを守らなくてはならない。
 あの化け物と上条当麻かみじようとうまを戦わせてはならない。
 相反する二つの条件を満たす方法は何か。そう考えた風斬かざきりは、そこで動きを止めた。
 方法は、ある。
「……大丈夫だいじようぶ、です。あなたが、行かなくても……助ける方法は、あります」
 風斬の声に、上条はいぶかしげにまゆをひそめた。
 彼女は言う。

「化け物の、相手は……同じ、化け物がすれば良いんです」

 息が止まった上条に、風斬はそっと笑いかける。
「私は……あの化け物に、勝てるかどうかは分からないけど、少なくとも、おとりぐらいはできます……、私がなぐられている間に、あの子を逃がす事が……できます。私は、化け物だから。それぐらいしか、できないけど……」
 その言葉に、上条は絶句したようだった。
 それから、彼の表情がおどろきから怒りへと塗り替えられていく。
「お前、まだそんな事言ってんのか! 良いか、お前がはっきり口にしねえと分かんねえなら、一から一〇まで全部教えてやる。お前は化け物なんかじゃねえんだよ! 俺達おれたちが何のために、だれのためにここまで駆けつけたと思ってんだ! それぐらい分かれよ、何で分かろうとしねえんだよ!」
 上条当麻の言葉は、ぐで、一っもうそなど含まれていなかった。自虐的な三口葉にここまで怒ってくれるその様子は、見ていて胸が詰まるような気分になる。
「そんな風にされてうれしいとでも言うような人間に見えんのか、俺が! あんな化け物にお前が殴られているのを背に逃げるような人間だと思ってたのか、インデックスが! ふざけんな! たとえお前が俺達を見捨てたって、俺達はお前を見殺しにしたりはしねえんだよ! できるはずがねえだろ!!」
 だけど、彼は気づいているだろうか。
 風斬氷華ひようかを守るために上条と警備員アンチスキル達が立ち向かったモノも、やはり彼女と同じ化け物だったというヘヘに。その化け物は鉄砲でロつたれて、地面に崩れ落ちて、その破片が辺りに散らばっているという事に。
 そして、化け物の残骸ざんがいを見ても。誰も何も気にしていないという事に。
 結局、ニンゲンデハナイモノというのは、そういうもの。
「……だけど、それで良いんです。私は、化け物で良い……」
 風斬氷華は、目をらさずに正面から上条の顔を見て告げる。
「私は、化け物だったから……あの石像に何度殴られても、死にませんでした。私が……化け物だからこそ、私はあの石像に立ち向かえます……」
 だから、と彼女はそこで一度だけ言葉を区切って、

「私は……私の力で、大切な人を守ります。だから、私は……化け物で、幸せでした」

 にっこりと笑って、風斬氷華かざきりひようかはシェリー=クロムウェルの空けた大穴の縁から、飛んだ。上条かみじようは何かを叫んでとっさに手を伸ばそうとしたが、途中でその手が止まる。考える余裕がなかったためき手が反応しただけだろうが、それは右手だった。
 触れれば化け物を消し飛ばしてしまう、絶対の手。
 やはり彼も、心のどこかでは気づいていたのだ。
 風斬の体が重力に捕らえられ、大穴へと落下していく。その途中で彼女はそっと微笑ほほえんだ。
思わず手を止めてしまった己を責めている上条に、あなたが悪いんじゃないと告げるように。
 化け物はやみに落ちる。
 世界の果てで、ようやく自分の存在を認めてもらえた居場所から、さらに深い底へと。

   3

 暗い穴の底へ着地した瞬間しゆんかん、風斬氷華の足首から嫌な音がひびいた。
 そこは地下鉄の構内だった。予想以上に穴は深く、そして線路によって凹凸があるため、落下の衝撃しようげきを殺すのは容易ではない。事実、風斬が並みの人間だったなら、足首の骨が粉々に砕けてその場でのた打ち回っていた事だろう。
 そう、並みの人間ならば。
 確かに風斬の足首からは嫌な音が聞こえ、鈍痛が駆け巡った。だが、痛みは五秒もしない内に引いてしまう。彼女は試しに靴のき心地を調整するように爪先つまききでトントンと地面をたたいたが、もう何の問題もなかった。何か空回りしていた歯車がようやくみ合ったように、全身ヒ異様な力が伝導していく。今まで欠けていた歯車のお前は自分の素性か、正体か。
 彼女は暗い構内を走る。
 元より人が通るように設計されていないためか、ここは地下街よりもさらに暗く、汚かった。通路の中央に立ち並ぶコンクリートの柱の列が構内を二つに分断し、左右にそれぞれ上下線の線路が走っている。かろうじて点在する、切れかかった蛍光灯のあかりをたよりに彼女は先へ先へと進む。目的地はハッキリと分かっていた。コンクリートの地面に、雪をんだような無造作な足跡がめり込んでいる。おそらくあの超重量級の石像が走った時についたものだ。
 よどんだ空気をき切るように、彼女は駆け抜ける。
 暗闇くらやみの中にポツンポツンと点在する蛍光灯のあかりを見るたびに、風斬かざきりの脳裏に切れ切れになった記憶きおくの断片が次々とあふれ出してくる。

 彼女は、人間ではない。

 一〇年前のある日。
 風斬氷華ひようかは、気がつけば『街』の真ん中に立っていた。
『街』と言っても、それは学園都市ではない。しかし、座標的には学園都市とまったく同じ位置に存在する。学園都市に住む二三〇万人もの能力者たちが放つAIM拡散力場によって作られた、見えざる『陽炎かげろうの街』だ。
『陽炎の街』には影がなく、重さがなく、空気の流れがなく、どこまでもうすっぺらで存在感がなかった。時折風に吹かれたロウソクの火のようにビルも街路樹も人間も揺らいで、灰色のノイズを散らす。それは保護色を間違えた昆虫のようにも見えた。
 もしもAIM拡散力場を正確に見る事ができる人間がいたら、『陽炎の街』は学園都市にぴったりと重なるように存在しているのが分かるだろう。
 AIM拡散力場が作っていたのは風斬氷華一人ではなく、ビルも、道路も、街路樹も、車も、人の流れも、それら様々なものにまで及んでいた。彼女はAIM拡散力場が作り上げた街の中に住む、AIM拡散力場で作られた入間だった。

 ―――欠片かけらがれるように、少しずつ記憶が修復されていく。
 ―――それと同時に、見えざる拘束具が一つずつ外されていくのが分かる。

 彼女は何故なぜ、自分が『陽炎の街』に立っていたのか、その理由は今でも分からない。
 ある時風斬はまるで白昼夢から覚めたように、気がつけば道の真ん中に立っていた。そして自分の持ち物の中から、ようやく名前や住所や電話番号などの個人情報を見つける事ができたのである。
 そうする以外に現状を知る方法はなかった。
 彼女のすぐ近くを通り過ぎていく人々は、何も教えてくれなかった。
 そもそも彼らはどこか変なのだ。簡単に言えば、その場その場に応じて人の姿が変わるのである。コンビニの店員が窓掃除をしようとした瞬間しゆんかん、店員の姿が作業服を着た清掃員の姿にぐにゃりと変わる。そして窓拭まどふきが終わると清掃員の姿が子供の姿に変わり、アイスクリームを運んでレジへ持っていくとその姿が子供から財布を取り出す主婦の姿へ変わっていく。

 ―――自分の存在を『人間』から『化け物』へと認識を改めたせいか。
 ―――まるでリミッターが外れたように、いな、自分が本来持っていた力をフルスペックで使用できるようになったかのように、全身に力がみなぎる。

 街の人々はみんなそんな感じだった。その場その場の役割に応じて人の姿形から性格・記憶きおくまでが適した形に変化していく。実際、風斬かざきりが道行く郵便配達員に話しかけると、その瞬間しゆんかんに彼の姿は街のガイド役たる警察官へと変化する。OLも女子高生も、話しかけるとみんな同じ中年警察官になる。そしてみんな中身のない同じ言葉ばかりを言う。
『風斬氷華ひようかの疑問に答える』という役割を果たすために姿形が変わっていく人たち。それを見て風斬は怖くなった。自分の行動が、彼らの体や心を塗りつぶしているような気がしたのだ。

 ―――ズン! と。一歩進むごとに、コンクリートの地面が重く震動しんどうする。
 ―――それは人間ではありえない重量であり、同時にそれを動かせる筋力もまた、二重の意味で人間のレベルを凌駕りさつがしていた。

 何故なぜ、自分だけがそうした『変化』に巻き込まれないのか、最初風斬は良く分からなかった。が、少しずつ予想が固まっていく。この街の人々は、『役割』に晦じて姿形を変えて行動する。
つまり、だれかが『役割』を与えない限りは、誰も動かず街の機能が停止してしまう。
 風斬はゼンマイだ。例えば彼女がコンビニでジュースを買おうとすると、コンビニの店員が動き、ジュースの配送業者が動き、冷蔵室に電気を通す発電所が動き、ジュースを作る工場が動き、ペットボトルの回収業者が動く。街の住人たる『歯車』達は、風斬という『ゼンマイ』の力に少しずつ少しずつ作用され、それはやがてこの社会全体という巨大なカラクリ細工に命を吹き込んでいく。彼女はシステムの主人ではなく、あくまでゼンマイという一部品なのだ。
 風斬氷華は怖かった。
 彼らは命のない人形ではなく、れっきとした命を持つ人間なのだから。
 自分が前へ進んでも後ろへ進んでも別の誰かの人生を大きく狂わせる事を知ってしまい、風斬は一歩も動けなくなってしまった。彼女に与えられた役割は、あまりにも重すぎたのだ。

 ―――ゴドン!! と。彼女は勢い余って構内の柱に頭から激突する。
 ―――だが、彼女の肌には傷一つない。それどころか、コンクリートで作られているはずの柱の方がガラガラと音を立てて崩れていく。

 怖かったから、彼女はこんな『陽炎かげろうの街』から逃げ出したかった。
 しかし、下手に動けば彼女はほかの人々を巻き込んでしまう。だから、風斬かざきり幽霊ゆうれいのように立ち尽くして、見ている事しかできなかった。同じ座標にあるのに、決して触れ合う事のできないもう一つの街―――学園都市という『外』を。
 彼女の存在は、学園都市の人々には気づいてもらえない。学園都市の学生たちの目お前に立っても彼らの視界には映らないらしいし、手を伸ばしても体はすり抜けてしまう。どれだけ人々の笑みが近くにあった所で、風斬は決して彼らの輪に加わる事はできない。
 風斬にはそれが分かっていた。それでも、彼女はずっとずっと声をかけていた。同じ座標にある『外』―――学園都市へ逃げ込む分には、他の人々へ干渉を及ぼさずに済むと思ったからだ。たとえ無理でも何でも、その場でできる事は何でも試してみたかった。
 無視されても。気づいてもらえなくても。
 その結果が、自分の心を傷つけると分かっていても。
 だからこそ、おどろいたのだ。あの学校で、白いシスターの肩に触れられた時は。

 ―――空っぽのはずの体の中が、見えざる何かで満たされていく。
 ―――今ならばこの線路を走る列車だって追い抜けると思う。

 彼女の知らない所で何かの偶然が重なって、ようやく皆と笑い合えるようになった。
 きっとそれは、自分が化け物だという記憶きおくを封じてでも守りたかった、大切な宝物だった。
 だけど風斬氷華ひようかは今、その宝物を自ら手放す事にした。
 それ以上に大切な、決して失ってはいけないものを守るために。

「……っ!」
 風斬氷華は弾丸のような速度で構内を走る。
 おそらく人が見れば驚いて泡を飛ばすような速度で、走り続ける。
 もちろん、あんな化け物と戦うのは怖い。、彼女は理屈ではなく、体で覚えている。手足を千切ちぎられる苦痛、体を雑巾ぞうきんのように絞られる激痛。いっそ死んだ方がマシだと思うのに、死ぬ事すらできずに汚い地面をい回る屈辱感。
 だけど、それ以上に。
 こんな化け物の本性を見られて、友達のインデックスに恐れられる方が、よっぽど怖い。
(それでも……)
 その足が止まる事はない。彼女はただ前を見る。
 上条かみじようやインデックスと一緒いつしよに歩いた、最初で最後の放課後は楽しかった。涙が出るほど幸せだった。できるのなら、そんな世界にずっとずっといたかった。もう二度と彼らと共に歩く事はできないと思うだけで、指先が冷たくなりそうだった。せっかくあの『陽炎かげろうの街』から出てきた所で、それでは何の意味もないような気がした。
(……私は)
 けれど、
 失うのが怖いと思うからこそ、彼女は自分の大切なものを守りたかった。
 もう二度と、その笑顔が向けられる事はないと分かっていても。
 風斬氷華かざきりひようかは、彼らの世界を守ってみたかった。
(私、は……っ!)
 彼女は人間を捨てて、化け物としてやみの中を走り続ける。空っぽの体の中に、見えない何かが満たされていーのが分かる。
 行かなくてはならない、と風斬氷華は強く誓う。
 大切な、友達を守るために。

     4

 三毛猫みけねこが逃げる。インデックスが追う。
 コンビニ裏手の日陰に駆け込んだ三毛猫は、そこで鬼のような形相で追い駆けてくるインデックスを見て、慌てて逃げ出した。路上駐車してある車の下へもぐり込み、金網のフェンスを飛び越えて、路地裏から路地裏へと走り抜け、ついにはどこかの打ち放しのコンクリートでできた廃櫨はいきよらしき所へ飛び込もうとした所で、
「こらっ!!」
 インデックスが三毛猫の首根っこを捕まえた。
 ぜーぜーはーはーと荒い息を吐くお怒り少女に対し動物的な本能が働いたのか、三毛猫は腕の中から逃れるためにバタバタと暴れ始める。大体をもって、彼女が大声でわめきながら追い回したりしなければ三毛猫だってここまで逃げ続ける事もなかっただろう。
 暑苦しいから勘弁してくれと言わんばかりにみぎゃーと不満そうに鳴く三毛猫を胸に抱いて、インデックスは周囲を見回した。
 まさに廃嘘だった。
 背の低い雑居ビルに囲まれた裏路地に近い場所だが、周囲のビルはどれも取りこわしが決まっているものらしい。すでに看板は下ろされ、窓ガラスは外され、ドアもなく入口はぽっかりと
口を開けている。そこからのぞく屋内も内装がなくき出しのコンクリートの柱が見える。どうやら辺り一帯のビルを丸ごと壊して、何か大きな施設を作ろうとしているらしい事がうかがえた。
 三毛猫はしょうこりもなく廃嘘の中へ飛び込もうと短い足をぱたぱたと振って暴れていたが、怒ったインデックスはほっぺたをふくらませて、
「む! あんまり聞き分けない事言ってるとホントにお仕置きしちゃうかも!」
 三毛猫みけねこの耳に向かって息を吹きかけると、ネコは本格的に嫌そうな鳴き声をあげてぶるぶるとふるえ始めた。 一瞬いつしゆん、反射的にその短い前脚からにょきっとつめが伸びかけたが、最低限の優しさはあるのか、再び爪は前脚の中へと戻っていく。
「ほら、短髪と待ち合わせしてる場所に戻るよ。お返事は?」
 インデックスが言うと、三毛猫は不承不承という感じで一度だけ鳴く。
 と、その時。
 ピクン、と三毛猫は顔を上げた。それから、またインデックスの腕から逃れようとするように暴れ出した。ただし、今度は今までにないほど強く、インデックスは慌て始めた。腕に込める力が強すぎるのかも、とあれこれ試してみるが三毛猫は一向に落ち着く様子がない。
 ぱらぱら、とインデックスの頭の上に何かが落ちてきた。
「?」
 インデックスが頭の上に片手を置くと、コンクリートの粉がついていた。空を見上げると、そびえ立つ廃ビルの壁から粉末が降ってくるのが分かる。
 かたかた、と足元のマンホールが震えていた。
「……、足元が、揺れてる?」
 インデックスは首をかしげかけて、ふと気づいた。ロンドン仕込みらしき魔術師まじゆつしは地下―――つまり足元にひそんでいた、という事に。
 彼女のんでいる地面が、生き物のように一瞬うごめいたように感じた。
「!?」
 インデックスがとっさに後方へ飛んだ瞬間、彼女がついさっき立っていた場所が爆発した。爆心地からは、石を固めて作ったような化け物の腕が、伸びていた。その高さだけで二メートル近くにも及び、こぶしは首の長い恐竜が見下ろすように、彼女お前に立ちふさがっている。
 道路の破片が大量に舞い飛ぶ。
 インデックスの顔のすぐ横を、彼女の頭部より大きなアスファルトの塊が突き抜けた。彼女が慌てながら三毛猫をおなかの辺りで抱えるようにして身をかがめると、はちの大群が通り過ぎるように、彼女の頭上すれすれのラインをものすごい数の破片が通り過ぎた。
 バチバチと、彼女の背後のビルに破片の豪雨がぶつかる音が不気味にひびく。
 だが、インデックスは後ろなど振り返らない。彼女はただ前を見る。そこには、まるで墓場からい出る亡者のような動きで、ゆっくりと巨大な石像が姿を現していた。術者らしき人間はいない。遠隔操作が可能なのかもしれない。
 インデックスの目が、音もなく細まる。
 イギリス清教第零聖堂区『必要悪の教会ネセサリウス』禁書目録としての膨大ぽうだいな知識が意識の底から浮上する。一瞬すら待たない内に情報は整理され、彼女は目の前の敵の正体を浮き彫りにしてしまう。
(基礎理論はカバラ、主要用途は防衛・敵性の排除、抽出年代は一六世紀、ゲルショム=ショーレムいわく、その本質は無形と不定形)
 ゴーレムと聞くと石や土でできた頭が悪く鈍重な化け物、というイメージがあるかもしれないが、実際には違う、
 カバラでは、神様は土から人を作ったとされている。そして、その手法を人間が真似まねた不完全な代物しろものがゴーレムである。つまりゴーレムとは『出来損ないの複製人間」であり、その本質はどちらかと言うとピノキオに似ているのかもしれない。
(応用性あり、オリジナルにイギリス清教術式を混合、言語系統はヘブライから英語へ変更、入体各部を十字架に照応、人の複製というより天使の組み立てに近い)
 ただ、このゴーレムは単なるヒトガタとは異なる。
 さらに一つ上の存在―――人と良く似た天使を組み立てようとしているらしい。頭部、右手、左手、脚部をそれぞれ十字架の先端に見立て、各部に対応する四大天使の力を配して、より戦闘せんとうに特化した泥と土の天使でも作り上げるつもりだったのだろう。
 救いと言えば、元々人間の操る力には限界がある、という所か。人間の手では、完壁かんべきな天使など作れない。水の大天使が丸ごと組み立てられる、といった事はないだろう。
 だが、不完全な代物でも十二分に危険な存在である事に変わりはない。
 ズン、という地をふるわせる石像の足音。
「……ッ!」
 インデックスは三毛猫みけねこを抱えたまま、一歩後ろへ下がる。
 正攻法で立ち向かっても勝ち目はない。通常、この手のゴーレムにはシェムと言われる暴走時のための『指先で軽くぬぐっただけで全機能を停止させる』安全装置がついているのだが、敵もプロだ。そんなものをおいそれと他人が触れられる場所に設置しないだろう。おそらく核たるシェムはその石のよろいに守られた体内に刻み込まれている。
 インデックスは魔術まじゆつも使えなければ超能力も使えない。そういった不思議な力とは一切縁がないし、腕力だって人並み以下だ。膨大ぽうだいな『知識』しか持たない少女に向かって、巨大な石像は容赦なくその腕を振り上げる。
 ごう!! と、空気どころか空間すら押しつぶそうとする一撃いちげきお前に、少女は小さく息をみ、

左方へ歪曲せよTTTL

 一言、告げた。
 瞬間しゆんかん、ゴーレムがぐ放ったはずのこぶしが、突然蛇のように左へれた。何もない空間をぎ払う石像を尻目しりめに、インデックスは一歩だけ進み、ゴーレムのとなりに立つ。
 石像は振り向きざまに横殴よこなぐりの拳を振るう。

「上方へ変更せよ《CFA》」
 だが、その一撃いちげきもやはりぐにゃりと軌道を曲げて、彼女の頭上を通り過ぎる。続けて石像が
さらなるこぶしを放とうとした所で、
左脚を後ろへPIOBTLL
 バランスを無視して石像の足がいきなり後ろへ動いた。拳を振り上げた所で重心を失ったゴーレムはそのまま勢い良く後ろに倒れてしまう。
 トントン、とインデックスは二歩、三歩と後ろへ下がる。
 彼女の口から放たれる言葉はノタリコン。アルファベットの頭文字のみ発音する事で詠唱の暗号化と高速化の二つを同時にこなす発音方法だ。
 インデックスは膨大ぽうだい魔術まじゆつの知識を有するが魔力を練る事ができないため、実際に魔術を使う事はできない。しかし、この光景を目にする者がいれば、彼女の姿は本物の魔術師のように見えた事だろう。
 石像が立ち上がる。助走をつけるようにインデックスとの距離を詰め、その砲弾のような拳を放つ。少女は口の中で何かをつぶやく。それだけでゴーレムの拳が不自然に軌道を変更し、まったく関係のない空をぎ払う。
 まるでインデックスの言葉がゴーレムの動きに割り込んでいるように見えた。術者がゴーレムに放つ命令に横槍よこやリを入れて、強引に制御を乗っ取っているかのごとく。
 強制詠唱スペルインターセプト
 原理は簡単、魔術の命令とは術者の頭の中で組み立てられる。ならば術者の頭を混乱させる事ができれば、その制御の妨害も可能だ。例えば頭の中で一から順に数を数えている人のすぐ耳元でデタラメな数字をささやいてカウントをメチャクチャにしてしまうように。
 インデックスに魔術は使えない。
 しかし逆に、敵の魔術師を自爆させる事ならできる。
 この石像を操る術者はここにはいないが、インデックスは術式の構成から、この、、ゴーレムが自動制御ではなく遠隔操作によるものだという事をつかんでいた。つまり、術者はゴーレムの五感を介してインデックスの様子を逐一観察している。それなら、そこに付け入るすきがある。

右方へ変更CR両足を交差BBF首と腰を逆方向へ回転TTNATWITOD!」
 次々と繰り出される石像の拳に対し、インデックスは矢継ぎ早に叫ぶ。まるで目隠しされた酔っ払いが闇雲やみくもに手を振り回すように、ゴーレムの拳は全く関係ない所へと飛んでいく。
(さばくだけじゃ……足りない!)
 インデックスは修道服のスカート部分を留めている安全ピンをまとめて引き抜く。まるでチヤイナドレスのように大きく足が露出ろしゆつするが気にしている余裕はない。
 彼女は安全ピンを手に構えゴーレムをにらみつける。
 巨大な石像を相手にするには、あまりに貧弱な武器。
(自己修復術式を逆算、その周期はおよそ三秒ごと。逆手に取るなら……今!!)
 彼女は迷わず安全ピンをゴーレムの足元に向かって投げ放った。石の装甲どころか人肌すらも傷つけられないほどゆっくりと弧を描くそれは、一度だけゴーレムの足に当たって跳ねると、磁石に吸い寄せられるように石像の体にみ込まれた。
 瞬間しゆんかん
 ガチン、と関節にくさびを打ち込まれたように、ゴーレムの右足首の動きが阻害された。
 これも強制詠唱スペルインターセプトと仕組みは似ている。この石像は周囲にあるものを利用して、自動的に体を構成したり修復する機能を持つ。ならば逆に、体の構成に必要のないもの―――というより、阻害するものを投げてしまえば自浄・修復機能を逆手に取る事もできる。ちょうど骨折した腕を固定もせずに放置しておくと、変な形で固まってしまうように。
 彼女の身の内に眠る一〇万三〇〇〇冊もの魔道書まどうしよ
 しかしそれは単に知識を蓄えているだけでは意味がない。重要なのは、最適な答えを最速の時間で導き出す応用力にこそある。

 いけるかも、とインデックスは少しずつ後退しながら考えた。まったく未知の術式である錬金術師れんきんじゆつし黄金錬成アルス=マグナや、詠唱よりも道具を重視する闇咲逢魔やみさかおうま梓弓あずさゆみなど、彼女の強制詠唱スペルインターセプトには一部通用しない例外があるが、このゴーレムには特にそういった問題はない。確実に石像の制御に割り込みをかけているし、安全ピンを上手く使ってダメージを与えてもいる。このまま上手く妨害を続ければ、術式の構成を破綻はたんさせてゴーレムを崩す事もできるかもしれないとインデックスは計算を働かせて、

 ドン!! と、ゴーレムがその場で地面をみつけた。

「きゃあ……!?」
 その巨大な震動しんどうに、インデックスは足を引っ掛けられたように転んでしまう。彼女は舌打ちした,いかに相手の攻撃こうげきに割り込みをかけようが、地面全体を揺さぶられてはけようがない、 地に伏せるインデックスの正面に、石像は右脚を引きずりながらゆらりと歩み寄る。
「つ! 右方へ―――」
 彼女は叫ぼうとするが、それより先にゴーレムは己の二つのこぶしを強く打ちつけた。
 ゴドン!! という衝撃波しようげきはがインデックスの耳をたたく。組み立てかけた声は、強制的に打ち切られてしまう。彼女の胸の中の三毛猫みけねこが、あまりの轟音ごうおんに悲鳴をあげた。
 石像は改めて、天上へと拳を振り上げる。
 インデックスは三毛猫を抱えたまま地面を転がり、少しでも距離を取ろうとしながら、
両足を平行に配置し重心を崩せMBFPADCOG!」
 彼女は叫んだが、ゴーレムは一度だけ頭を揺さぶると、パチン、とスイッチが切り替わったかのようにインデックスの命令を受け付けなくなった。
(ま、ずい……かも! 遠隔操作から自動制御に変更され―――ッ!!)
 インデックスの強制詠唱スペルインターセプトは術者がいなければ効果は発揮できない。彼女の言葉がだますのは人間であって、心のない無機物を騙す事はできないのだ。
 ゴーレムのこぶしが空をぎ払う。
 インデックスの手ではもはやその攻撃こうげきを止める事はできず、

 ぐしやり、と。
 生肉をコンクリートにたたきつけるような、鈍い音が辺りにひびき渡った。

     5

 上条かみじようはようやく大穴から地下鉄の構内へと降りていた。
 ロープの代わりになるものを探し、それを結びつける場所を見つけるのに随分と時間がかかってしまった。彼は縄の代わりに使った太い消火ホースから手を離すと、暗い道を走り始める。
(くそっ! どいつもこいつもあっちこっちで好き勝手にトラブル起こしやがって。ただでさえ厄介な事態になってんだからテメェからハードル増やしてんじゃねえよ!)
 コンクリ…トの地面に点々とエリスの足跡がめり込んでいる。暗い構内の先を見ても、風斬氷華かざきりひようかの姿はもうなかった。足音らしきものも聞こえない。
 上条は、最後に見せた彼女の笑みを思い出して、右手を強く握り締めた。
 必殺の手。
 触れればこわれてしまう、はかない幻想の少女。
(終わらせてたまるか。こんなつまんねえ結末で、終わらせてたまるかf・)
 風斬は、自分は化け物で良いと言っていたが、そんなはずはない。彼女は確かに人間ではないが、化け物なんて呼ばれるような存在ではない。
 風斬氷華は人間じゃないから、助けてと声を出す事も許されないのか。
 彼女は涙を流す事も禁じられ、ただだまって耐え続けなければならないのか。
(そんなはずが……あってたまるか!!)
 彼は歯を食いしばって前へ進む。
 地下鉄の構内の中央には等間隔で四角いコンクリートの柱があり、上り線と下り線を隔てている。どこまで走っても一向に変わらない風景に上条の神経はすり減らされていったが、
 不意に、すぐそばの柱が崩れた。
 まるで見えない巨大な手で積み木を崩すような、明らかに不自然な現象だった。
「ちっ……!?」
 自分に向かって倒れてくる柱に、上条かみじようは慌てて横合いへと跳んでける。ズン、という恐ろしい音と共に、コンクリートの粉塵ふんごんが舞い上がる。
流石さすがに、簡単にはつぶれないわね……」
 やみの先から声がかかる。上条はき込みながら視線を向けると、薄汚うすよごれたドレスを引きずるようにして、シェリー=クロムウェルが立っていた。
 彼我ひがの距離はおよそ一〇メートル強。
 彼はまゆをひそめる。暴虐の象徴たる、エリスの姿がない、、
「ふ。うふふ。うふふうふ。エリスなら先に追わせているわよ。今頃いまころもう標的の元に辿たどり着いているかしら。それとももう肉塊に変えちまってるかもなぁ」
「テ、メェ……っ!!」
 上条は低く腰を落としてこぶしを握る。オイルパステルを使わなくてもエリスを操る方法はあったのだ。二元同時中継のように、頭の中の処理は大変になるだろうが。
 と、そんな様子を眺めながら、シェリーは満足げに笑って、
「それでいい。ええ、それでいいわ。あなたは私の相手をしていなさい。エリスの元には、決して通してあげない」
 そこまで言われて、彼はようやくシェリーの意図を知った。唯一エリスを一撃いちげき破壊はかいできる上条だけは、何としてもここで足止めするつもりなのだろう。
 風斬氷華かざきりひようかもここを通ったはずだが、姿が見えない。
 おそらくシェリーはわざと見逃した。本来のターゲットの一人であるはずの風斬を、何の未練もなく。すでに彼女の目的は完全にインデックスへ向けられてしまっている。
 そして。
 自分の相手は上条一人だと言わんばかりに。余計なものなど相手にしている余裕はないとでも告げるように、魔術師まじゆつしは風斬を切り捨てた。
 上条は以前シェリーが告げていた言葉を思い出す。
「戦争を起こすんだよ。その火種が欲しいの。だからできるだけ多くの人間に、私がイギリス清教の手駒てごまだって事を知ってもらわないと、ね?――――エリス』
 シェリーが学園都市で騒動そうどうを起こしている以上、イギリス清教がどこと戦争を起こそうとしているかなど問いただす必要もない。
 しかし、それは本当にイギリス清教全体の考えなのだろうか?
 少なくともステイルや神裂かんざき土御門つちみかどがそんな風に考えているようには見えないのだが。
「……一体何を考えてんだよテメェ。おれには裏方がどうなってんのかなんて分かんねえけどよ、今はまだ科学も魔術もバランスが取れてんだろ。なのに何でわざわざそれを引っき回そうとするんだ! なんか意味があんのかそれは!?」
 上条の問いに、しかしシェリーは口元に含んだ笑みを浮かべるのみ。
 にやにやと笑ったまま、彼女は告げる。
「超能力者が魔術まじゆつを使うと、肉体が破壊はかいされてしまう。聞いた事はないかしら」
「なに?」
 全然質問と違う答えに、上条かみじようまゆをひそめるが、
「おかしいとは思わなかつたの? 一体どうしてそんな事が分かってるかって」
 シェリーの言葉は、上条の胸へと少しずつ突き刺さっていく。
「試したんだよ、今からざっと二〇年ぐらお前に。イギリス清教と学園都市が、魔術と科学が手をつなこうって動きがウチの一部署で生まれてな。私たちはお互いの技術や知識を一つの施設に持ち寄って、能力と魔術を組み合わぜた新たな術者を生み出そうとした。その結果が……」
 彼女の言葉を最後まで聞かなくても、上条には結末が読めた。
 能力者が魔術を使えば体が破裂する。それは『三沢塾』の学生達や土御門元春つちみかどもとはるの例を挙げれば分かるだろう。
「その、施設ってのは……」
つぶれたというか潰されたというか。科学側と接触していた事が知れたその部署は、同じイギリス清教の者によって狩り出されたわ。互いの技術・知識が流れるのはそれだけで攻め込まれる口実にもなりかねねえからな」
 上条は押しだまった。
 科学者と魔術師が手を結ぼうとしたのも、それを止めようとしたのも、別にだれかを傷つけようと思ったものではない。
「エリスは私の友達だった」
 シェリーはポツリと言う。
「エリスはその時、学園都市の一派に連れてこられた超能力者の一入だった」
 上条は眉をひそめた。エリス、というのはあのゴーレムにもつけられていた名前だ。だとすると、シェリーはどんなおもいを込めてその名を呼んでいたのだろうと上条は思う。思った所で、本人以外の人間に理解できるはずもないと分かっていながら。
「私が教えた術式のせいで、エリスは血まみれになった。施設を潰そうとやってきた『騎上きし』達の手から私を逃がしてくれるために、エリスは棍棒メイスで打たれて死んだの」
 暗い地下鉄の構内に、教会のような静寂が張り詰める。
 シェリーはゆっくりとした口調で、
「私達は住み分けするべきなのよ。互いにいがみ合うばかりでなく、時には分かり合おうというおもいすらきばく。魔術師は魔術師の、科学者は科学者の、それぞれを領分を定めておかなければ何度でも同じ事が繰り返されちまう」
 そのための、戦争。
「クソ、なんか話がみ合わねーな。お互いを守るためなら戦争を起こしてどーすんだよ。いや、実際に起こす気はねえよな。テメェの目的を果たすためなら、わざわざ戦争まで発展しなくても、『戦争が起きそうになった』「危険は目の前まで迫っていた』ってだけで十分だからな」
「買いかぶってんじゃないわよクソガキ。ナニ哀れみの目で人を見てやガンだ」
 シェリーはそう言うが、上条かみじようは自分の意見に間違いはないと確信している。魔術師まじゆつしと科学者の決定的な激突を回避かいひしたい、という彼女の矛盾する要求は、お互いがお互いを遠ざけ、相手を理解しようという考えを浮かばせない事でも満たせるのだ。
 少なくとも、完全に接点のない相手には好意も憎しみも生まれないのだから。
 対立するばかりでなく。
 協力しようとした結果、生まれてしまう摩擦まさつを防ぐために。
「……、」
『魔術師と科学者は距離を置いて住み分けるべきだ』―――確かにシェリーの書葉には一理あるかもしれない。それに対する上条の反論材料なんて、本当に個人的で身勝手に聞こえるかもしれない。だけど、上条にはどうしてもシェリーの意見に納得できない理由があった。
 インデックスと離れ離れになるかもしれない。
 いや、『火種』として使われるなら、彼女は殺されてしまうかもしれない。 馬鹿馬鹿ばかばかしいほど個人的な理由。
 だけど、上条にはどうしてもそれを否定させる気にはなれなかった。
 絶対に。
 シェリー=クロムウェルはすさんだドレスのそでから白いオイルパステルを取り出す。上条はその指先の動きに警戒しながらも、内心で首をかしげていた。シェリーの話がすべて真実ならば、彼女は二体同時にゴーレムを作る事はできないはずである。そしてエリスを封じられた一対一では難なくなぐり飛ばせた所を見ると、エリス以上の切り札を持っている訳でもないらしい。
 と、シェリーは乱雑な金髪を揺らすように笑いながら、
「くふ。存外、気がつかないものなのね、辺りが暗いのも一役買ってんだろうけどな」
「なに?」
 上条は聞き返した。シェリーの手の中のオイルパステルはゆっくりと揺れている。ゴーレムを作れない今の彼女は、床や壁に文字を書いても瓦礫がれきを崩す事しかできないはずだ。
「おやおや、違和感は覚えなかったの? 私が何故なぜ、わざわざこうして焙闇くらやみから姿を現してべラベラしゃべってたのか、とか。普通なら闇に紛れ、テメェが通り過ぎようとした所を攻撃こうげきした方がよっぽど効果的じゃねえか」
 上条はいぶかしむ。今のシェリーにできる事は手近な壁を崩す事のみ。一〇メートルも距離が開いているこの状況下では大した事はできないはずだ。
「そう、そしてこの場所。私がここを選んだ理由は? 一本道なのだから待ち。伏せしなくても行き違いになる事はないのに、どうしてわざわざこの一点でじっと待っていたのだと思う?」
 だが、そうだとすれば。
 今さっき、上条かみじようのすぐ近くの柱が崩れたのは何だったのか。
「つ・ま・り・は、こういう理屈よ! 目ぇきやがれ!!」
 ヒュン、とシェリーは空を引き裂くようにオイルパステルを横に振るう。
 瞬問しゆんかん、地下鉄の構内全体が淡く輝き始めた。
(これは……!?)
 上条は驚愕きようがくした。壁や天井てんじようのあらゆる場所がオイルパステルで描いたとされる紋様でびっしりと埋め尽くされている。上条の後方も、シェリーのその先も、見渡す限りそのすべてが、だ。流石さすがに地下鉄全線とまではいかないだろうが、少なくとも前後一〇〇メートル以上は落書きで
塗りつぶされている。
 床には、まるで天井から水滴がしたたり落ちるように魔法陣まほうじんが点々と描かれている。
(ま、ず……この魔法陣、もしかしたらエリスの……ッ!?)
 上条は戦傑せんりつする。良く見れば構内を埋め尽くす魔法陣は、全く同じ模様でタイルのように積み重ねて作られていた。
 シェリーが言うには、彼女は二体同時にゴーレムを作れないらしい。その話が本当なら、ここで新たなエリスが登場する事はないだろう。
 が、シェリーは地下街からこの構内へ逃げ出す時に、一体何をやった?
 ゴーレムの魔法陣は失敗すると、床をボロボロに崩してしまうらしい。その魔法陣が構内中に刻み付けてあるという事は、つまり……。
(くそ……まさかトンネル丸ごと潰す気か?)
 ビルの爆破工事では、一っの巨大な爆弾を使う訳ではなくビル全体に細かい爆弾をたくさん設置して爆破するらしい。この魔法陣もそういう意味が込められているのだろう。
 魔法陣の数はどれだけのものか。一つ直径一メートルの円だったとして、一列に並べただけで一〇〇、さらにそれが壁や天井まで埋め尽くすとなれば何倍になるか。もし仮に、これが一つ一つバラバラの魔術だとすれば、一回二回手で触れた所で全ての魔法陣を消す事はできない。
 シェリーがこの場にとどまっていたのは、この準備のためだったのだ。お前に用意だけ整えておけば、わざわざ上条に近づかなくても命令一つで辺り一帯をまとめて押し潰せる。
「地は私の味方。しからば地に囲われしやみの底はが領域」
 歌うように、シェリー=クロムウェルは告げる。
 彼女の周囲にも魔法陣は描かれており、このままでは彼女も巻き込まれてしまうはずだが、当然ながらシェリーは何らかの逃げ道を用意しているのだろう。彼女の周りだけは瓦礫がれきれ、ドーム状の空間ができるようになっているとか、崩れ方を計算して、地上への出口となる穴ができるようにしてあるとか。
「チィ……ッ!!」

 上条かみじようは舌打ちした。今からシェリーの元へ走ろうが後ろへ逃げようが間に合わないだろう。
元より敵が作ったわなだ、退路など用意されているはずがない。
 シェリーはそんな上条のあせりすらも計算に入れていると言わんばかりの余裕の表情を浮かべて、
すべて崩れろ! 泥の人形のように!!」
 絶叫に呼応するように、周囲はより一層の輝きを増した。まるで構内全体が巨大な蛇の腹の中にでもなったかのように、低く不気味に蠕動ぜんどうする。
(くそ、どうする……ッ!?)
 闇雲やみくもに走った所でどうにかなる状況ではない。構内を埋め尽くすほどの数の魔法陣まほうじんは右手一つで消し去る事もできない。大体、天井てんじようの高さを考えれば手が届かないのは明白だ。壁や床の魔法陣を消した所で、一番厄介な天井からの崩落を防げなければ生き埋めにされてしまう。
 と、そこまで考えた上条は、ふと自分の体の動きを止めた。
 床の魔法陣?
「愚者をみ込め! 泥の中へと練り混ぜろ! 私はそれでテメェの体を肉付けしてやる!」
 最後のスイッチを入れるように、シェリーは叫ぶ。
 壁や天井に亀裂きれっが走り、まるで風船のように内側からふくらんだ。いや、耐久度を失った天井が、大量の土砂の重みに負けているのだ。
「く――――ッ!?」
 破裂寸前のシャボン玉のような天井てんじようの下を、上条かみじようはじかれたように駆け抜ける。ねらいは一つ、ただ前方へと。術者であるシェリーの立ち位置は、おそらく瓦礫がれきに埋もれない唯一の安全地帯なのだろう。しかし、上条の足ではどう考えても崩お前に彼女の元まで向かうのは不可能だ。
(だから、そこじゃねえ)
 上条はその右手を握り、走りながら腰を低くした。地をめるように駆ける彼の狙いはただ一点。シェリー=クロムウェルではなく、もっと手前の床に描かれた魔法陣まほうじんだ。
 学校の食堂でインデックスがわめいていた事を上条は思い出す。
『じゃあとうまは分かる? イギリス仕込みの十字架に天使テレズを込める偶像作りのための聖堂内における術式を行う時の方角と術者の立ち位置の関係とか! 実際、メインの術式の余波から身を守るための防護の魔法陣を置く場所は厳密に定められていて、そこから少しでも外れるとサブ的な防護はメインの術式に食われて上手く機能しなかったりするんだけど、とうまはそういった黄金比は分かるのかな? ほらほら、こんなの常識だよ!』
(その魔法陣だけが、意味がねえんだ)
 そう、壁や天井へ描かれた魔法陣は、この構内を崩して上条を生き埋めにするためのものだろう。それは分かる。だが、それなら床に魔法陣を描く必要はない。床を崩した所で上条は生き埋めになどならないのだから。
(だとすれば、その魔法陣だけは別の意味がある!!)
 上条の行く先に気づいたシェリー=クロムウェルの顔がおどろきに染まる。慌ててオイルパステルを振るい、周囲の壁や柱に命令を下すが、もう遅い。上条は崩れ落ちる壁をけて倒れてくる柱の下をくぐり抜け、床に描かれた魔法陣へと右手を振りかざす。
 そして迷わず振り下ろす。
 魔法陣は、まるでった水溜みずたまりを砕くように消えて散った。
 シェリーにとって、この場で必要なもう一つの術式。
 それは、彼女自身が崩落から身を守るための安全地帯を作るためのものだとしたら。
 安全地帯を失った以上、彼女は迂闊うかつに崩落を起こす事はできなくなる。
「チィッ!!」
 シェリーは慌てたようにオイルパステルを宙で振り回した。今にもせきを切って崩れ落ちようとしていた天井がギシギシときしんだ音を立てて再び固定されていく。
 バン!! という壮絶な足音。
 シェリーが驚いて視線を天井から前方へと戻すと、まるで飛び石のように床を跳ねる上条が、すでに彼女の懐深ふところくへともぐり込んでいた。
 シェリーはとっさにオイルパステルを振るおうとするが、
 それを軽々と追い抜いて、上条のこぶしがシェリーの顔面へと突き刺さった。
 髪もドレスも振り乱して、シェリーの体が地下鉄の構内を勢い良く転がっていく。彼女は何メートルも吹き飛ばされてからようやく動きを止めた。これだけ大掛かりな準備をした攻撃こうげき回避かりひされたせいか、その顔には強烈なあせりと緊張きんちようの表情が刻み付けられている。
「……くそ、ちくしょう」
 シェリーは一歩、二歩とよろめくように後ろへ下がりながら、いまいま々しげにつぶやいた。その手に購えるオイルパステルも小刻みにふるえ、ともすれば指の圧力で半ばから折れてしまいそうにも見えた。
「戦争を、『火種』を起こさなくっちゃならねえんだよ。止めるな!今のこの状況が一番危険なんだって事にどうして気づかないの!? 学園都市はどうもガードがゆるくなっている。イギリス清教だってあの禁書目録を他所よそに預けるだなんて甘えを見せている。まるでエリスの時の状況と同じなのよ。私たちの時でさえ、あれだけの悲劇が起きた。これが学園都市とイギリス清教全体なんて規模になったら! 不用意に互いの領域にみ込めば、何が起きるかなんて考えるまでもないのに!」
 シェリーの声は暗い地下を何度も反響はんきようし、上条かみじようの耳を多角的に揺るがしていく。
 彼女の行動原理には、一人の友達の死がある。
 そしてシェリーは科学者と魔術師まじゆつしが不用意に距離を縮める事は悲劇を生むと考えている。それはいがみ合うだけでなく、時には仲良くなろうというおもいすらも裏目に出ると。彼女からすれば科学側と魔術師が争いを起こさないようにするためには、もうお互いの領域をきっちりと決めて住み分けをして、双方のエリアから一人残らず他勢力の入問を締め出すしかないと思っている。
 そのための手段として、シェリーは戦争の火種を作ろうとした。
 相手を分かろうという気持ちが生まれないようにするために。その大切なはずの気持ちが裏目に出てしまって悲劇を生む事を知ってしまったから。
 実際に戦争を起こす気はない。『火種を作った』という事実ができれば目的は達成される。
 そこまで考えて、上条はつまらなそうに息を吐いた。
「くっだらねえ。そんな言い分で正当化できると思うな! 風斬かざきりが何をした? インデックスがお前に何かやったのか!? 争いたくないなんてご大層な演説してる割に、お前は一体だれを殺そうとしてんだよ!!」
 上条は、胸の内にあるものを吐き出すように叫ぶ。
 納得できない事があるからこそ、彼は叫ぶ。
「怒るのは良い、かなしむのだって止めはしない。けどな、向ける矛先が間違ってんだろうが!そもそもだれに向けるもんでもねえんだよ、その矛先は! もちろんそれはつらいに決まってる。おれなんかに理解できるはずもねえってのは分かってる! それでもテメェがその矛先を誰かに向けちまったら、それこそテメェが嫌う争いが起きちまうだろうが!!」
 エリスが死んでしまったのは、一部の科学者や魔術師まじゆつしが手を取ろうとしたり、それを危険視したイギリス清教の人間のせいだったらしい。
 それを知った瞬間しゆんかん、果たしてシェリーは何を考えただろうか?
 自分の大切な友達を殺した人間に対する復讐ふくしゆうか。
 それとも、もう二度とこんな悲劇を繰り返させないという誓いか。
「……分かんねえよ」
 ギリ、とシェリー=クロムウェルは奥歯をみ締める。
「ちくしょう、確かに憎いんだよ! エリスを殺した人間なんてみんな死んでしまえば良いと思ってるわよ! 魔術師も科学者もみんな八つ当たりでぶっ殺したくもなるわよ! だけどそれだけじゃねえんだよ! 本当に魔術師と超能力者を争わせたくないとも思ってんのよ! 頭の中なんて始めっからぐちゃぐちゃなんだよ!」
 相反する矛盾した絶叫が、暗い構内にひびき渡る。
 彼女自身もそれに気づいているのか、余計に自身を引き裂くような声で、
「信念なんか一つじゃねえよ! いろんな考えが納得できるから苦しんでいるのよ! たった一つのルールで生きてんじゃねえよ! ぜんまい仕掛けの人形みたいな生き方なんてできないわよ! 笑いたければ笑い飛ばせ。どうせ私の信念なんか星の数ほどあるんだ! 一つ二つ消えた所で胸も痛まないわよ!!」
 対して、上条当麻かみじようとうまは一言で、
「何で気づかねえんだよ、お前」
「……何ですって?」
「確かにお前の言葉は無茶苦茶むちやくちやだ。お前の主張はお前の中でも正反対だし、それはみんなの意見が分かるからだろうし、だからこそ自分の信念なんて簡単に揺らいでしまう……とか何とか思い込んでるみてえだけどさ、そんなの違うだろうが。結局テメェの中にある信念なんて、最初から最後まで一つきりしかねえんだよ」
 彼は言う。
 彼女自身すら気づいていない、ただ一つの答えを。

「結局、お前は大切な友達を失いたくなかっただけなんじゃねえのか?」

 そう。
 シェリー=クロムウェルの中にどれだけの数の『信念』があって、それがまったく正反対の矛盾した内容であっても、一番最初の根っこは変わらない。すべての信念は、彼女の友達の一件から始まり、そこから分岐・派生した形にすぎない。
 例えば彼女の信念が星の数ほどあったとしても、
 その友達に対するおもいだけは、ずっと変わっていなかった。
「そこをまえて考えろ。もう一度でも何度でも考えろ! テメェは泥の『目』を使って俺達おれたちを監視してたよな。テメェの目にはあれがどう映った? 俺とインデックスは、互いの領域を決めて住み分けしなくちゃ争いを起こすような人間に見えたのか!」
 上条当麻かみじようとうまは叫ぶ。
「その星の数ほどある信念の共通部分で考えろよ! 俺やインデックスがお前に何かしたのか!? テメェの目には俺が嫌々インデックスに付き合わされているように見えたのかよ。そんなはずねえだろうが! 住み分けなんかしなくても良いんだよ! そんな風にしなくたって俺達はずっと一緒いつしよにやっていけるんだ!!」
 上条とインデックスの関係が、本来シェリーが願っていた姿のはずじゃないのか、とは言わない。ならばこの理想の姿をこわすんじゃないなどと、言えるはずがない。シェリーが望んでいた、そしてもう二度とかなうはずのない願いはたった一つのはずだ。それはほかのもので代えられるはずがない。上条だって他のだれかを代わりにしろと何者かに言われたら、迷わずそいつの顔をなぐり飛ばすに決まっている。
 だからそんな事は言わない。
 上条当麻が告げるのは、たった一つ。

「お前の手なんか借りたくない! だから、俺から大切な人を奪わないでくれ!」

 シェリー=クロムウェルの肩がビクリとふるえた。
 彼女の願いはもうかなわなくても、それがどれだけ大事な望みだったかは覚えているはずだ。彼女はそれを奪われたからこそ、その痛みがどれほどのものかを知っているはずだ。
 シェリーの顔は、苦痛に耐えるようにゆがんでいた。
 上条の言葉は、単純すぎるゆえに理解するのは難しくない。それがどれだけ幼稚な台詞せりふであっても、シェリーに届かないはずがない。何故なぜなら、それはかつて彼女自身が放った事があったはずの叫びだからだ。
「―――我が身の全ては亡き友のために!!Intimus115
 しかし、彼女は拒絶するように絶叫した。
 放たれるのは魔法名まほうめい
 彼女は、上条の気持ちが痛いほどに良く分かっているのだろう。
 その一方で。
 シェリー=クロムウェルの信念は一つではない。それが分からない気持ちも理解できるのだろう、いや、上条の気持ちが納得できるからこそ、かもしれない。今はもう自分にないものを持っている人間を、自分の手でどん底まで突き落としたい。無数にある信念の中には、そんなものがあってもおかしくはない。
 ビュバン!! と、彼女の手の中にあるオイルパステルがひらめく。
 シェリーのすぐ横の壁に紋様が走った瞬間しゆんかん、それは紙粘土のように崩れ落ちた。巻き上げられる大量の粉塵ふんじんがあっという間に二人の視界を遮断してしまう。
 うごめきりのような灰色のカーテンが迫り来るのを見て、上条かみじようは思わず後ろへ下がろうとする。
 と、その瞬間、眼前まで迫った粉塵を突き破るようにシェリーが飛びかかってきた。オイルパステルを手に、弾丸のような勢いで上条のふところへとみ込む。
 上条はぎょっとした。あのオイルパステルに落書きされたものは、鉄だろうがコンクリートだろうが何でもエリスの材料にしてしまう。何でも、というなら、人の肉だって例外ではないかもしれない。
「死んでしまえ、超能力者!!」
 鬼のような罵声ばせいを放つ彼女の顔は、しかし泣き出す寸前の子供のようにも見えた。
(ああ、そうか)
 上条は反射的に右のこぶしを握り締めながら、ふと思った。
 これはおそらく、彼女の切り札ではない。この方法で確実に上条を仕留められるなら、最初から使っていれば良いはずなのだ。警備員アンチスキルにエリスを足止めされたからといって簡単になぐられるはずがないし、こうして地下鉄構内でわなを張る事もない。
 シェリー=クロムウェルの信念は星の数ほどあるという。
 無数の考えが納得できるからこそ苦しいんだ、と彼女は叫んでいた。
 ならば、
「自分を止めて欲しいって気持ちも、理解できる訳か」

 ゴン!! と、上条の拳が柔らかいオイルパステルを粉々に砕く。
 勢い余った拳はわずかに軌道をじ曲げ、シェリー=クロムウェルの顔面を殴り飛ばした。
 ガンゴン!! というすさまじい音を立てて彼女の体は構内の地面を跳ね回った。
 柱に寄りかかるようにして倒れているシェリーに、上条はゆっくりと近づいていく。どうやら彼女は気を失っているらしい。
(エリスの方は……これで、止まったのか?)
 上条はいまいち確信が持てなかった。シェリーをたたき起こして問いただしても良いが、彼女が正直に答えるとも限らない。答えがイエスだろうがノーだろうが、どちらにしても上条の中の不安が消える事はないだろう。
(ちくしょう。これなら自分の目で確かめた方が早そうだ!)
 念のために上条は落ちていた廃棄コードを拾って、それでシェリーの手足をしばる事にした。後ろ手に彼女の手首を拘束すると、上条かみじようは再び構内の奥へと走っていく。
 構内を走るにつれて、暗闇くらやみの奥から、少しずつ、重く低い震動しんどうが地をって米る。
 エリスの居場所など、聞き出すまでもない。

「……、」
 シェリー=クロムウェルはその一〇秒後に、うっすらと両目を開けた。
 意識など、最初からあった。
 何故なぜさっさと殺さなかったのだろう、と彼女は思う。殺されても文句は言えない、という気持ちも理解できたからこそ、シェリーは無謀むぽうとも言える特攻を仕掛けたのに。
 今は殊勝な事を考えているが、彼女の中には無数の信念があり、この後どれが浮上するか分からない。このしばりを解き、再び彼らを殺しに出向きたくなるかもしれない。
 なまじ少年の言葉が理解できた以上、彼らを傷つけたくないという感情も芽生えている。しかしその一方で、やはり彼女はまったく正反対の事も考えていた。
 シェリーは後ろ手に縛られたまま、体を揺すって衣服の中からオイルパステルを取り出す。
(エ、リス、は……)
 地面に転がったオイルパステルを後ろ手で取った所で、ふとシェリーは気づく、エリスは彼女の命令を離れ、自動制御で動いている。それはつまり『こわれろ』という一番簡単な指示すら聞かない状態と言っても良い。後は安全装置たるシェムを破壊はかいするか、エリスの肉体の九〇%以上を二秒以内に吹き飛ばす以外に止める方法はない。
 シェリーは階々しげに、手の中に残る最後のオイル。パステルを握りつぶした。
 彼女はエリスを二体同時に作り上げるのは不可能だ、現状のエリスが破壊されない限り、シェリーは新たなゴーレムを生み出せず、それはつまり後ろ手に縛られて地面に転がされている、この状態を打破できない事を意味していた。
(エリス)
 身動きを封じられたシェリー=クロムウェルは、届かぬ命をエリスへ送る。
 果たしてそれは標的の破壊か、それともその中止命令か。
 彼女には、その両方の気持ちが理解できる。

     6

 ゴーレムの頭がパチンと揺れた。
 インデックスの『強制詠唱スペルインターセプト』が通じなくなる。
 巨大な石像は大きくこオしを振りかぶって、
 肉をつぶす不気味な音が、廃嘘はいきよだらけのビルの谷間にひびき渡った。
 しかし、それはインデックスの体がつぶれる音ではない。三毛猫みけねこだって傷一つない。かと言って、ゴーレムから発せられる音でもない。そもそも、石でできた化け物からあんな音が聞こえるはずがない。
 風斬氷華かざきりひようか
 インデックスの背後からその頭上を跳び越した少女が、石像の腹に飛びりをらわせていた。並大抵の速度・威力ではない。まるで陽石いんせきち直撃よくげきしたかのような一撃だった。
 ゴドン!! という轟音ごうおん
 勢いをつけた鉄球を止まっている鉄球にぶつけたように、ゴーレムの巨体は吹き飛ばされ、空中で縦に三回転もしてからうつ伏せに倒れた。その一撃で、あの巨体が七メートル近くも飛んだ。それと対照的に、風斬の体はすべての運動エネルギーを石像に伝導させて、ふわりと宙で制止していた。
 ふわりと羽のように、風斬氷華は地に舞い降りる。
 ドッ!! という重たい震動しんどう
 蹴りを放ったのとは逆の足が地に着いた瞬間しゆんかん、巨大なハンマーを打ちつけたように彼女の足を中心に半径ニメートルほどの地面に亀裂きれつが走った。まるで風斬だけが一〇倍の重力の中で生きているかのような錯覚さつかくすら感じさせる光景だった。
「ひょう、か……?」
 インデックスはその後ろ姿に声をかけようとして、息が詰まった。
 飛び蹴りを放った風斬の右脚が、ひざの上から端微塵ぱみじんに吹き飛んでいた。先ほどの一撃―――重量数トンを誇る巨体をぎ倒すほどの威力だ、そんな攻撃を放てば生身の肉体では反動に耐えられない。
 と、そう思っていた。
 だが、風斬の足の切断面の奥はただの空洞でしかなかった。傷口も、まるで透明な柱に塗ったペンキががれるような、不自然なものでしかなかった。
(……な、なんだろう。あれ)
 三毛猫を胸に抱いたまま、インデックスは考える。
 跳戸術ちようしじゅつ死霊術ネクロマンシー栄光の手ハンドオブゲロウリー、ヴェータラ呪術じゆじゆつ、エリクシルなど、彼女の頭の中には死者をも扱う魔術まじゆつの技術・知識が山ほど詰め込まれている。中にはおぞましくも死人の体に何らかの加工を施して自在に操る術さえも存在する。
 しかし。
 そんな彼女をもってしても、目の前の光景を説明する事はできない、
 人間とは、あそこまで変質してしまってよいものなのだろうか?
 ズバン!! と、大きなシーツで空気をたたくような音が聞こえた瞬聞、風斬氷華のこわれた足が、痕跡こんせき残らず元に戻った。まるで強力なスプリングの力で切断面から新たな足が飛び出したかのようなすさまじい速度だった。
「逃げて」
 風斬氷華かざきりひようかは振り返らない。
 ただ、彼女の背中は告げる。
「あなたは、早く逃げて。……ここは、まだ……危ないから」
 その声はインデックスの良く知る少女のもので、それゆえに彼女は声をかける事がためらわれた。警戒を解くべきか解かざるべきか、この少女が本物の『風斬氷華』なのか良く似た偽物にせものなのか、判断に迷ったのである。
 その時、うつ伏せに倒れていた石像がギチリときしんだ音を立てた。
 ゴーレムは起き上がろうとしているらしいが、風斬の一撃いちげきが石でできた体に構造単位のダメージを与えたのだろう。人間でいうと腰の辺りに何かが引っかかったように、ギチギチと不気味な音を立てて関節をふるわせて……。
 ボギン、と骨の折れるような音がひびいた。
 無理に体を動かした結果、作り物の肉休の内側が破壊はかいされた音だった。
 ギギギギガガガガガ!! と石の化け物が悲鳴をあげた。いや、あのゴーレムには発声器官などない。全身の関節が強引に動かされた事による不協和音だ。石像は立ち上がる事もできず、四つんいになりながら天に向かってえるように頭上を仰ぎ見る。
 ごう!! と風が渦を巻いた。
 絶叫するゴーレムを中心として、竜巻のような烈風が吹きすさぶ。この廃ビル区画を丸ごとみ込むほど巨大な風の塊だ。それは、そこにあるものすべてを舞い上げ、四方八方へ吹き飛ばすたぐいの風の暴力ではない。むしろ性質としては近づく船を引き寄せ海底へ沈める渦巻きの方に近い。
 風は外側ではなく、内側へ向かって炸裂さくれつする。
 小石が、空き缶が、捨て置かれ允自転車が、ガラスのない窓枠が、片っ端からゴーレムの元へと寄せ集められ、グシャグシャと見えない力で押しつぶされてその体の一部とされていく。
(ま、ず……。さっきの一撃で、ゴーレムの再生機能が暴走しているのかも……ッ!)
 ともすれば腕の中から離されそうになる三毛猫みけねこを必死に抱きながら、インデックスは戦懐せんりつした、『風斬氷華』の一撃は、おそらく石像に致命的なダメージを与えたのだ。その体内に隠された『核』たる安全装置、シェムに至るまで。そしてもう治らない傷を無理矢理に治そうとした結果、ゴーレムは手当たり次第に何でも集めて自分の体を再構成しようと命令を送り続ける事になった。
 何をやっても、決して治るはずのない傷。
 ゆえに『傷が治るまで体の修復作業を続ける』という命令は永遠に永遠に永遠に繰り返される。石像は本来の目的部位を治せないまま、余計な部品を次々と取り込んで雪だるまのようにその体をふくらませていく。元より四メートル近くあった体が、ものの三〇秒もたない内に縦横ともに二倍近く増大していた。四つんいの体勢で、すでにインデックスたちおおかぶさる屋根のように見える。
 周囲のビルがギシギシと音を立て始める。
 まるで暴風に揺れる木々のように不気味な音色を放つ巨大建築物に、インデックスの顔は真っ青になった。このままでは彼女達の周りにある建物も崩される。その崩落に巻き込まれればまず助からないだろう。それお前に、竜巻の威力が建物をこわすほどになれば、インデックスがどれだけ歯を食いしばって耐えようとした所で足は地を離れ、石像の体にみ込まれてしまう。
 逃げなければ、と彼女は思う。
 術者いらずの自動制御である以上、あのゴーレムに強制詠唱スペルインターセプトは通じない。再生機能の誤作動と自己崩壊ほうかいを承知で動いている以上、安全ピン程度で動きを封じられる相手でもない。悔しいが、本当に悔しいが、魔力まりよくを精製する力を持たない彼女にはいくら膨大ぼうだいな知識があっても今は何もできない。
 インデックスにはあのゴーレムを押さえつけられない。彼女の知る限り、この事態を収拾できるのは唯一絶対の右手を持つあの少年だけだ。
「ひようか、早く逃げよう!」
 彼女は叫ぶ。インデックスには目の前の『風斬氷華かざきりひようか』が本当に放課後一緒いつしよに遊んだあの少女と同一人物なのかどうか、今一つ確信が持てなかったのだが。
 その時、廃ビルの外壁がうす剥離はくりした。
 竜巻に巻き込まれ、巨神の握るハンマーのような石塊が空を舞う。インデックスは三毛猫みけねこを抱えながら慌てて地面にかがみ込んだ。彼女の頭上を通り過ぎたコンクリートの塊がアスファルトに直撃ちよくげきし、ばらかれた地面の破片もやはり風に乗ってゴーレムへと吸い寄せられる。
 逃げるどころか、迂闊うかつに顔を上げるだけで宙を舞う瓦礫がれきに激突しかねない。
 そんな絶望的な状況の中、風斬氷華は何もしないでその場に突っ立っていた。
 その顔のすぐ横を、彼女の体より巨大な瓦礫が突き抜けるのに、首をすくめる事すらしない。彼女の姿は、まるであらしの海を眺める老入のように少しも動じない。
 風斬氷華は振り返らずに、ただ静かに語る。
「あなたは……早く逃げて」
「あなたはって、ひょうかはどうするの!?」
 風に飛ばされそうになる三毛猫を押さえつけながら、インデックスは問いただすと、
「私は……」少女は、少しだけ考えた後に、「あの化け物を……止めないと」
 風斬氷華が告げた瞬間しゆんかん、その声に応じるように、四つん這いだった石像がその右腕を振り上げた。体の重量が増したためか、その動きはゆっくりだった。だが、それは決壊けつかい寸前のダムのように、蓄えた力を全解放する瞬間を待っているようにも見える。
 一度ひとたびそのこぶしが放たれれば、暴虐の一撃いちげきは辺りのビルすら巻き込んで彼女たちの体を粉々に吹き飛ばすに違いない。どう防御しようが、そもそも人体の限界強度を超えている。
「無理だよ。ひょうか、逃げなきゃダメだよ! あれは人問が真っ向から相手にしちゃいけない敵だし、倒すにしても策を練って裏に回らないとダメなんだから! ひょうかが無理して戦わなきゃいけない理由なんてどこにもないんだよ」
 インデックスの言葉に、しかし風斬かざきりは振り返りもしない。
 石像の拳が、ピタリと止まる。まるで正確にねらいを定めるように。
「ひょうか、あれは人間じゃないんだから! あんな化け物なんかと戦うなんて思っちゃダメだよ! そんな事したら、ひょうかは絶対に助からないよ!」
 彼女の叫びに、風斬氷華ひようかはようやく、ゆっくりと振り返った。
 砲弾のような拳ににらまれているにもかかわらず、それを視界にも収めずに、振り返った。
「……大丈夫だいじようぶ
 風斬は言う。
 彼女の顔は、泣き出しそうな表情のまま、笑っている。

「私も、人間じゃないから」

 インデックスは、思わず息をんだ。
 そんな少女を見てボロボロの笑みを浮かべながら、風斬氷華は最後に告げる。
「ごめんね。今までずっとだましてて」
 彼女の背後で、石像の拳が発射された。
 ごう!! と空気が押しつぶされる。ほとんど限石いんせき墜落ついらくに近い一撃がおそいかかる。インデックスは思わず身を縮め、風斬の名前を叫ぶ。
 風斬氷華は、もう答えない。
 彼女は後ろのゴーレムへと体ごと振り返る。風斬はその華奢きやしやな両手を左右へ広げ、インデックスを守るための壁になるかのように立ちはだかる。
 風斬のお前に石像の拳が迫る。
 その巨大な一撃は、銃弾や砲弾というより、壁と呼ぶに相応ふさわしい。風斬とゴーレムの力関係は、全く均衡きんこうしていない。まるで細い小枝を土石流が押し潰すようにも見えて、

 ゴガン!! と。
 風斬氷華の細い両手が、ゴーレム=エリスの拳を正面から受け止めた。

 手が、足が、胸が、腹が、背が、首が。膨大ぽうだい衝撃しようげきを受け、体中のつなぎ目が外れてしまつたような激痛がおそいかかる。腕の長さが五センチも縮んだ。腕が圧縮された事によって、少女らしいみずみず々しい張りを持つ風斬かざきりの肌に不気味な凹凸が生まれていた。それは皮膚ひふに浮き出る肋骨ろつこつのような生々しい質感を伴っていた。
「あ……あ……?」
 風斬氷華ひようかの背後から、呆然ぱうぜんとしたような少女の声が聞こえてきた。
 大丈夫だいじようぶだよ、と風斬は振り返って笑いかける事もできない。
 そのたった一言、一動作さえも許されない。
 ぎこぎこがりがりと、まるで歯の表面を鉄のヤスリで削り取っているような激痛が両腕全体を内側からめ回すように走り回る。
 こぶしを受け止める、などという感覚はない。
 地滑りを起こした山の斜面を押さえつけているかのような、絶望的な力がギリギリと加わってくる。ガラクタを寄せ集めたゴーレムの鉄拳てつけんを押さえつける指先が切れる。地に着けた足が、地面のアスファルトごとジリジリと後ろへ押されていく。重圧に耐え切れないふくらはぎが、めきめきという不気味な音を交えて雪の重みに負けた木の枝のようにたわんでいく。風斬の体内で激痛が爆発した。スネに思い切り金槌かなづちを振り下ろされたような感覚だった。
 石像は力押しで小さな抵抗をたたつぶす気になったのか、さらに万力まんりきを締めるように拳の力を増していく。

「あ、ァああああっ!!」
 風斬かざきりが叫んで全身に力を込めると、彼女の手足が勢い良く膨張ぽうちようした。筋肉に力が入ったのではない。まるで風船に空気を吹き込むように、力によって押しつぶされた手足がふくらみ、強引に元の形を取り戻したのだ。
 ふさがりかけた傷口を無理矢理開けたような痛みに、風斬の視界が明滅した。
 石の化け物のこぶしの重圧がさらに増す。
 外側から潰そうとする力と内側から戻ろうとする力の間に挟まれた少女の体から、ぎしぎしみしみしと古い床板をむような不気味な音がひびき渡る。
 風斬は激痛に奥歯をみ締めながらも、それでもゴーレムの拳から手を離さない。
 絶対に、離せるはずがない。
 彼女の後ろには、守るべき一人の少女がいる。その白い少女は風斬のような化け物ではない。こんな巨大な拳を受け止められるほどの力はない。
 化け物の相手は。
 同じ化け物がしなくてはならない。
(だから……)
 しかし、どうあがいた所で風斬氷華ひようかに救いはない。
 仮にインデックスを救ったとしても、その代償だいしように彼女はゴーレムに倒される。体がどこまでつかなんて試した事はないし、柱や自転車のように風斬の肉体自体がゴーレムの部品にされてしまった場合、カザキリヒョウカはどうなってしまうのか、想像もつかない。また、万が一それを逃れ、何かの奇跡のように全員無事に生還したとしても、インデックスはもう風斬が人間でない事を知ってしまっている。
(だからって……)
 あの学校の食堂で出会ったような時間は、
 あの放課後の地下街で過ごしたような日々は、
 もう二度と、帰ってこない。
(だからって、見捨てられるはずがない……ッ!!)
 風斬氷華は全身全霊ぜんれいを振り絞って、両足に力を込める。彼女の手は、足は、腰は、背は、何度も何度も外側から押し潰されては内側からの膨張を繰り返す。体の中身をかき乱す不気味な音は、黒板をつめで引っかくように周囲へ響き渡る。
「ひっ…ぁ……!?」
 彼女の背後で、白い少女が息をむ音が聞こえた。
「ふぎゃあ! しゃァァあああ!!」
 彼女の背後で、三毛猫みけねこ威嚇いかくの鳴き声をあげるのが分かった。
 その白い少女たちには、カザキリヒョウカはどういう風に映っているのだろうか、と風斬は奥歯をみ締める。ほんの一時前まで何気なくとなりを歩いていた彼女は、どんな風に。
 だけど、風斬かざきりはさらに傷口をえぐり出すように、全身に力を込める。
 友達だから。
 おそらくこんな姿を見た白い少女はもうそんな風には思ってくれないだろうけど、少なくても、風斬氷華ひようか最期さいごの最期まで、彼女の友達でいたかったから!!
 ぎちつ、と。
 ゴーレムの体が、きしんだ音を立てる。
 体を内側から引き裂かれるような痛みの洪水の中、風斬氷華は見た。こうを煮やしたゴーレムが、もう片方の腕を振り上げているのを。
 風斬の両手は、すでにゴーレムの右拳みぎこぶしを押さえる事でふさがれてしまっている。
(ぐう……ッ!!)
 風斬は歯を食いしばる。だったらこの体を盾にしてでも、あの少女が逃げるだけの時間は稼いでみせる、と彼女は最期の決意を固める。
 ゴーレムの腕が、ねらいを定めるように中空の一点でピタリと静止する。
 一秒後に確実におそいかかる破滅お前に、風斬は思わず目を閉じようとして、

「か、ざ――――風斬ィィイイいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」
 聞き慣れた、少年の声が耳に届いた。
 その声は彼女の後方から。絶叫に似た声と共に聞こえるのは全力疾走の足音。風斬はこの状況で後ろを振り返るほどの余裕もないが、分かる。見えなくても、分かる。その少年がどんな表情をしているのか、何を思っているのか、どれほど急いでここまで駆けつけてきたのかを。
 彼は。
 その少年は、こんな怪物の変わり果てた姿を見ても、まだ風斬と呼んでくれた、
 化け物ではなく、風斬と。
 呆然ぽうぜんとする彼女のすぐ横を、その黒い影は一いつしゆんで投げやりのように追い抜いた。
 同時、ゴーレムのもう一つの拳が発射された。
 少年はためらわない。戸惑わない。そしておくしない。それがただ一つの切り札であるかのごとく、彼は右の拳を岩のように固く握り締めると、

 ゴドン!! と。二つの拳が激突した。

 少年の拳から、真っ赤な血が噴き出す。
 しかしそれはゴーレムの力によるものではない。単にギザギザの岩肌を思い切りなぐったようなものだ。その砲弾のような一撃いちげきは、少年のこぶしに触れた瞬問しゆんかんすべての威力を失っていた。いや
正確には、ゴーレムの拳の周りを見えない膜のようにおおう、磁力のようなフィールドに触れた瞬間から、だろうか。
 天井てんじようのように風斬かざきりの体を押しつぶそうとしていた圧力が、ふわりと消える。
 それと同時に肥大化したゴーレムの全身に亀裂きれつが走り、そしてガラガラと崩れ去った。いつか地下街で見た時よりも大きく、派手に、灰色の粉塵ふんじんが舞い上がり、皆の視界を奪っていく。
(終わった……)
 風斬氷華ひようかは、灰色のカーテンで仕切られた視界の中、一人孤独に笑った。
(これでもう……優しい幻想はおしまい、なんだ……)
 たわんだプラスチックが元に戻るような音と共に、重圧に押し潰されていた手足がふくらみ、元へと戻っていく。
 心の底から寂しそうに笑ってから、粉塵が晴れお前にここを立ち去ろう、と彼女は決めた。
 危機は去った。
 ならばもう、風斬に居場所はない。戦争が終わった後の兵器と同じく、こんな力を持った彼女は平和な世界にいるだけで怖がられてしまう。そして風斬が守りたかった白い少女には、そんな顔は似合わない。
 視界が遮られていて良かったと、彼女は思った。
 今後ろにいるインデックスがどんな顔を浮かべているか、風斬には確かめる度胸もなかったから。

     7

 上条かみじよう廃嵯はいきよだらけの一角に、ポツンと一人立っていた。
 灰色の粉塵が晴れると、そこには風斬氷華の姿はなかった。ただ、雨も降っていないのにパタパタと二、三滴の水滴が地面に落ちているだけだった。
 さわぎを聞きつけた美琴みこと白井しらいはすぐにやってきた。遠からず警備員アンチスキル風紀委員ジヤツジメントも駆けつけてくるから厄介な事になお前に逃けよう、というのが彼女たちの弁だった。
 そして美琴と白井は上条と共にここに残ろうとするインデックスを引っ張って、空間移動テレポートによってこの場から立ち去った。白井の能力には移動距離に限界があるらしいので、おそらく一〇〇メートルぐらいの間隔でピョンピョンと移動を繰り返しているのだろう。上条だけは例によってカを打ち消してしまうため、自力で逃げるしかなかったのである。
 シェリーの方は警備員アンチスキルが何とかしているだろうが、これまでの件を考えると新聞にシェリーの名前が載るような事にはならないと思う。
「あー……色々と面倒臭せえなあ」
 上条かみじようはため息をついた。警備員アンチスキルなり風紀委員ジヤツジメントなりがやってくお前に、済ませておくべき事が
まだ残っている。彼は一度だけ頸上を見上げると、何かを確認してからいくつもある廃ビルの一つへと入っていく。
 ビルはすでに窓も内装も取り払われ、灰色のコンクリートがき出しにされていた。取りこわす手順でもあるのか、赤いチョークのようなもので壁や床に専門用語による指示みたいな文字が書き込まれている。ガラスのない窓から赤い夕日がし込み、ホコリだらけの空気をレーザーみたいに引き裂いていた。
 上条は手すりを取り外された階段を上る。
 上って、上って、上って、上って、上って、上って、上って、最上階の先まで上り切る。
 屋上につながるドアはすでに取り外されていた。
 朱色に染まる屋上へと彼は足をみ入れた。そこは元々、空中庭園として使っていた場所らしい。花壇かだんに敷き詰められた土はすっかり乾いてひび割れ、何かの花らしき植物の残骸ぎんがいが茶色く枯れ果てて風に揺られていた。
 そんな楽園の墓場の、さらに隅の隅。
 風斬氷華かざきりひようかは、金属てできた落下防止用の手すりに背中を預けるようにして座り込んでいた。その顔はうつむいているため、表情は読めない。
 すでに押しつぶされた手足は元にふくらみ、目立った傷もなさそうに見える。
 それでも、彼女はたった一言の喜びの声もあげずに、顔を伏せていた。
 上条はわずかに目を細める。
 風斬氷華が姿を消したのがインデックスから―――もっと広い意味では『人間』から逃げるためだとしたら、彼女はこうするしかなかったのだ。とにかくインデックスの元から離れたくて、かと言ってどこにも逃げ場がないのなら、廃嘘はいきよの中にとどまるしかない。
 一人ぼっちの少女は、上条が屋上にやってきても何の言葉も交わさない。
 ぽたぽた、と。水滴が落ちるような音が聞こえた。
 傭いた風斬は、両手で写真シールを握っている。そこに、透明なしずくが落ちていた。
「うっ、うれしいから……ですよ」
 上条の視線に気づいた風斬は、やがてゆっくりと顔を上げると、小さく笑った。
「だって……私は、私の持てる力を全部使って……私の大切な友達を、守る事ができたんですよ。ほかだれでもない、私の手で……守り抜いたんです。だ、だから、私は……うれしいんです。嬉しいから、泣いているに……決まっているじゃ、ないですか……」
「……、」
「ど、どうして……そんな顔、するんですか? ……笑って、くださいよ。めてくださいよ……それでちょっと、嫉妬しつとしてくれれば、スパイスとしては最高です……。。わたっ、私は……あなたがやるべきナイトの役目を、横から奪っちゃったんですから……。あはは、何を言ってるんでしょうね、私」
 風斬氷華かざきりひようかは笑っていたが、上条当麻かみじようとうまは笑わなかった。
 笑えなかった。
 こんなにもボロボロの笑みを浮かべる少女を見て、笑みなど作れるはずがなかった。
「うっく……」
 風斬が唇をむと、その笑顔は音もなく消えてしまう。
「初めから……分かっては、いたんですよ」
 風斬は、ポツリと言った。
「……だって、当たり前じゃないですか。だれでも……分かるじゃないですか。こんな、化け物が自分の正体を明かせば……どうなるかっていう事ぐらい……。まだ隠していれば……何とかなったかもしれないのに、馬鹿ばかみたいに……自分から明かしちゃったら何が待っているかぐらい、分かるじゃないですか。嫌でしたよ、私だって……。誰も好き好んで、あんな姿を……見せたいだなんて思いませんよ」
 そこで、風斬の言葉が詰まった。
 ひっく、と少女ののど鳴咽おえつを漏らした。
「……だけど、仕方がないじゃないですか」
 ぶるぶると。ふるえる唇を動かして、懸命けんめいに。
「友達って、生まれて初めて友達って言ってくれた人を……助けたかったんだから、仕方がないじゃないですか……」
 おそらく、彼女は始めから覚悟していた。
 化け物としての正体をさらしてしまう事で、大切な何かを失ってしまう結末を。そして最悪の光景がありありと浮かぶからこそ、風斬は心のどこかで願っていた。
 その予測が、外れるのを。
 それがどれだけ低い確率かなんて考えもせず、ただ神様の奇跡にすがるように。
 そして、その結果は―――。
「何で……失わなくちゃ、いけないんですか?」
 彼女はゆっくりと、手すりに預けていた背を離し、よろよろと立ち上がると、
「どうして……怖がられなくちゃ、いけないんですか!?」
 涙をこぼしながら、上条の胸へと顔を押し付けた。
 笑顔の裏に隠されていた働契どうこくが、ゼロ距離で炸裂さくれつする。
「わっ、私は……私はっ! ただ大切な友達が……傷つけられるのが耐え切れなかったから、だから立ち上がっただけなのに! ……私の手には、私の大事な人を守るだけのカがあったから……放っておけなかっただけ、なのに! たったそれだけだったのに!」
 少女の細く華奢きやしやな手が、上条の胸板をたたく。
 押し付けられた顔から、くぐもった声がひびく。
「つらい、です! 悔しい、です! 痛いんです……ッ! 何で、何でこんな気持ちに……ならなくっちゃ、いけないんですか! 私が何か、悪い事でも……したんですか! 私がだれかを守りたいと思うのは、それだけで悪いんですか……!?」
 引き裂かれた心の悲鳴が、上条かみじようの耳にたたき付けられる。
 叫んだところで何が変わる訳でもない事を知りながらも、彼女は叫ばずにいられない。
「ずっと、一緒いつしよにいたかった! もっと友達で……いたかった! きっと仲良くなれるって、思ってた! なのに、これって……何なんですか!? 命をけても……守りたいと思える人に、息をまれた時の気持ちって理解できますか!? ……私は今でも理解できませんよ、自分の気持ちなんて!!」
 少女は、自分の心すら整理できないまま叫び続ける。
 いや、だまっているのが耐えられないほどに、彼女は追い詰められている。
「ばけっ、化け物は、誰かを守っちゃいけないんですか! 私が人間だったら、こんな事には……ならなかったんですか! ……でも、無理に決まっているじゃないですか!怖がられても、嫌われても、見殺しになんて、できるはずがないでしよう……!!」
「……、」
 上条は、その言葉をじっと聞いていた。
 すぐそばで少女はふるえて泣いているのに、彼はその頭をなコでる事すらできない。
 その幻想はあまりにはかなくて、触れればこわれてしまうから。
 幻想殺しイマジンブレイカー
 そう呼ばれる少年は、風斬氷華かざきりひようかを抱き留める事もできずに。
 だからこそ、彼は告げる。
「苦しいのか?」
「……、ぅ」
かなしいのか?」
「うう……ッ!」
 風斬は上条の胸を叩くのをやめて、子供のように彼のシャツをつかんだ。み殺そうとして失敗した鳴咽おえつが、引き結んだ唇の隙間すきまからこぼれるように、漏れていく。
「そう思えるなら、お前は化け物なんかじゃねえよ。月並みでベッタベタのセリフかもしんねえけどさ、お前は人間だよ。おれが保証してやる」
 それからな、と上条は一度そこで言葉を切ってから、
「お前のお話は、まだ終わっちゃいねぇぞ」
 え? と風斬氷華は良く分からない表情を浮かべて顔を上げた。
 カツン、という足音が上条の背後から聞こえてくる。
 そろそろ来るころだと思っていた、と彼は笑う。
 御坂美琴みさかみことは言っていた。警備員アンチスキルなり風紀委員ジヤツジメントなりに捕まるのは厄介だから、とりあえずある少女を現場から引き離す、と。そしてある少女は最後までここを離れようとせず、上条かみじよう一緒いつしよに残ろうとしていた事も、彼は知っている。
 もしも、少女が最初から風斬氷華かざきりひようかの居場所を予測していて、
 美琴たちの手で強引に現場から離されたためにすぐ駆けつけられなかっただけで、
 そして最後に、その少女はずっと風斬の身を心配していたというのなら、

 インデックスは、必ずここへやってくる。

「あ、れ?」
 上条の胸に顔をうずめていた風斬氷華は、しかし彼の背後に現れた人物を見て、戸惑ったような声をあげた。
 彼はゆっくりと振り返る。
 遠く離れた、ドアの取り外された屋上の出入り口に、真っ白な修道服を着た少女は立っていた。スカート部分の安全ピンが取り外されてチャイナドレスのようになっている。彼女の息は荒く、全身は汗だらけで、ここまで少しも休まずに走ってきた様子がうかがえた。
 その少女は、インデックスは、
 視線の先に風斬の姿がある事を認めると、何の迷いもなく走ってきた。恐怖もなく、嫌悪けんおもなく、まるで遊園地で迷子になった子供を見つけた母親のような顔で。
 風斬氷華は、まばたきすら忘れてその光景を眺めていた。
「何で、ですか。おかしいじゃ……ないですか」
 彼女の体は、寒さにふるえるように小刻みに揺らいでいた。
「だって、変ですよ。わたっ、私は、人間じゃ……ないんですよ。化け物だって、いうのに、あの顔は何なんですか? どうして、あの子は、私を見て……あんな友達に向けるような顔が、浮かべられるんですか?」
 対して、上条はいかにもつまらなそうにため息をついて、
「確かに、お前は人とはちょっと体の作りが違うかもしれないし、ほかの人にはできない事ができるのかもしんねえけどさ」
 当たり前の事を聞くなと言わんばかりの声で、

「それでも、お前があいつの友達だってのに変わりはないだろ」

 その言葉に、風斬氷華は涙をこぼしてヒザから崩れ落ちる。
 インデックスはそんな彼女の胸へ飛び込み、勢いに負けて少女たちは屋上に倒れ込む。
 風斬かざきりは、恐る恐るインデックスの背中に手を回して、彼女の体を抱き締めた。
 そんな彼女達の姿を見て、上条当麻かみじようこうまは小さく笑った。

   

chap6

終 章 表舞台の裏側

「ほら見てくださいよ。今回俺って入院とかしてないじゃないですか。うわすげーな俺、これって一つの成長進化ですよね? そうですよね?」
 病院の診察室で上条かみじようがカエル顔の医者に向かってはしゃいだ声をあげると、両サイドから月詠小萌つくよみこもえ姫神秋沙ひめがみあいさが同時に彼の頭を引っぱたいた。
「上条ちゃん! あなたという人は本当に本当に本当に人様に迷惑をかけたのはノー眼中なのですか!? まったく警備員アンチスキルさんのお世話になるだなんて……ぶつぶつ。もう! 後できっちりお話聞かせてもらってお説教ですからねーっ!」
「だから『風斬氷華かざきりひようか』には警戒せよと。あれほど注意しておいたのに。女と知ると見境がなくなるその人格は。一度徹底的てつていてき矯正きようせいした方が良いのかもしれない」
「……、あの。なんか後ろの二人が怖いのでやっぱり入院とかダメですか? もう絶対安静面会謝絶とかで、とにかくこの凸凹コンビの温度が下がるまでのシェルターが欲しいのですが」
 上条がカエル顔の医者に要望を出すと、彼女たちは高速で彼の頭をたたき始める。
 今はもう日も暮れて、診察時問もとっくに終わっていた。見た目はピンピンしているものの、一応上条は救急患者である。銃撃戦じゅうげきせんに巻き込まれたり地下の崩落におそわれかけたりすれば、傷がなくても精密検査をしていけという意見はそれほどおかしなものではない。
 ちなみにインデックスと風斬は待合室に、白井黒子しらいくろこは何やら事件の後始末に追われて今日は眠れないらしい。
 カエル顔の医者は時間外労働に辟易へきえきした表情を浮かべつつ、
「しかしこの状況下で笑ってられる気持ちは私には理解できないね? それとも君はあまりの疲労にランナーズハイ状態になっているのかな。とにかく私に言えるのはだね、一歩間違えれば君のこぶしは複雑骨折していたかもしれないという可能性があったぐらいかな?」
「……、はい?」
「目が点になっているね? でもこれは決して不自然な事ではないよ。人間の拳は精密な動きを可能とする分、関節も多くつまり衝撃しようげきに弱いんだね? 単なる打撃なら額を佼った頭突きの方がまだマシという訳さ」
 そういえばなんか右手がズキズキ痛むと思っていた上条は、その一言にゾッとした。医者の言う事は破壊力はかいりよくが違う。
 カエル顔の医者は微妙に患者をおどして大人しくした後に、手っ取り早く上条の手を包帯でぐるぐる巻きにしていく。
 上条かみじようだまると、小萌こもえ先生や姫神ひめがみの態度も沈静化していく。
 小萌先生は包帯だらけの上条の右手を見ながら、やがてポツリポツリと言葉を発した。
「分からない事がいくつかあるのです」
「分からない事?」
「はいー。分からない事は考えても分からないので口に出す必要はないはずなんですけど、やっぱり胸に抱えたままでは気分が悪いので言ってしまいますねー」
 小萌先生は曖味あいまいに笑いながら、人差し指を立て、
「まず一つ目。くだんのカザキリヒョウカさんは、どうして上条ちゃんの近くに『出現』したのでしょうか? AIM拡散力場は学園都市中に満たされているはずですのでー、街の中ならどこに「出現』してもおかしくないはずなのです。にもかかわらず、何故なぜ『上条ちゃんの近く』に現れ続けたのでしょうか? まあ、偶然と言われてしまえば反論できない部分ではありますけどねー」
 続いて、中指も立てて、
「次に二つ目。姫神ちゃんの言う『カザキリヒョウカは虚数学区・五行機関のかぎを握る』というのは結局どういう意味だったのでしょうか? これもあくまできりがおかの先生の話であって、それが根も葉もないデマだったと言われるとそれまでなんですけどねー」
 さらに、薬指を立てて、
「最後に三つ目。何故テロリストさんは今日『出現』したばかりのカザキリヒョウカさんを正確にねらってこれたのでしょうか。その存在は同じ学園都市にいる私たちでも気づけなかったはずなので、情報源は学園都市内のかなり深い所にいると思いますー。と言っても、やはりこれも因果のない偶然と断じられれば議論は終わってしまうのですけど」
 言って、小萌先生は五本の指すべてを開いて、パン、と顔の前で手を合わせると、
「しかして実際、こんなにも偶然が重なるってあるんですかねー、というのが一番不自然な所なんですよね」
 診察室に沈黙ちんもくが下りる。
 答えを求めるためには、判断するための材料が少なすぎる。
 ふと、カエル顔の医者は彼らから視線を外し、窓の外を見た。
 ここからでは見えないが、その方角には、窓のないビルが建っている。

「これで満足か?」
 ドアも窓も廊下も階段もエレベーターも通風孔すら存在しないビルの=至で、土御門元春つちみかどもとはるは空中に浮かぶ映像から目を離して吐き捨てるようにつぶやいた。
 巨大なガラスの円筒の中で逆さに浮かぶアレイスターは、うっすらと笑っている。
 返事はない、その嫌な静寂に、かえって土御門はせっつかれるように言葉を絞り出す。
「かくして人間はこまのように操られ、また一つ虚数学区・五行機関を掌握するためのかぎの完成に近づいた、という訳だ。正直、オレにはお前が化け物に見えるぞ」
 虚数学区・五行機関。
「まさかその正体がAIM拡散力場そのものだなんてへもミへいこしも思わぬだろう。学園都市に住む二三〇万人もの学生の周囲に自然に発生する力が虚数学区を作っているなどと」
 AIM拡散力場によって作られる五行機関は、街に能力者がいる限り必ず作られてしまうものだ。
 五行機関は有害か無害か、それすらも分かっていない。
 それは原子力のような巨大な力の塊ではない。そんなものが街にあふれていれば、誰だって異常に気がつくだろう。五行機関の正体はあくまでAIM拡散力場であり、機械を使って計測しなければ分からない程度のものなのだ。
 ただし、五行機関は減圧下に諮ける〇度の水のように不安定な存在でもある。
 減圧下、つまり気圧の低い状態では、凝固点が下がるため水は〇度になっても凍らない。しかし、その水を棒や何かでかき回すと、減圧下の水は途端に凍り付いてしまう。
 五行機関も同じ。普段ふだんは機械で計測しないと分からない程度の力だが、一定の衝撃しようげきを加える事でその力は爆発的に増してしまう。今回の風斬氷華かざきりひようかが最後に見せたあの力も、ゴーレムによる攻撃か、あるいは別の要因による『衝撃』が示した力の片鱗へんりんだろう。
 そこで問題なのは、その『一定の衝撃』がどの程度のものなのかが分からないという点だ。迂闊うかつに指で突いただけで大爆発を起こすかもしれないし、案外気にするほどのものでもないのかもしれない、
 また、『爆発的にカが増してしまう』とは言っているものの、それもあくまで『予想』にすぎない。どういう種類でいかなる規模のものかも分からないのだ、学園都市が地図から消えるかもしれないし、実はおびえるほどのものでもないのかもしれない。
 どこまでみ込んで良いのかも判別できず、何が起こるかも分からない。従って、学園都市は不用意に五行機関をたたく事もできないのだ。
 ならばこそ、滅ぼさずに制御するという方法が考えられた。
 そのための、鍵こそが―――。
「風斬氷華、という訳か。まったく、あくまで虚数学区の一部分とはいえ、あんなものへ人為的に自我を植えつけて実体化の手助けをするなど、正気の沙汰さだとは思えない」
 幻想殺しイマジンブレイカー、という右手を持つ少年がいる。
 その存在は、虚数学区にとって唯一の脅威とも言える。
 そして、その脅威は自我を生む。
 食欲や睡眠欲のように、生命体の本能が生み出す欲求は『生きるための』『死を遠ざけるための』シグナルとして生み出される。つまり、生死を知らない者には最初から本能や自我といったものは芽生えない。
 ならば、逆に。
 幻想殺しイマジンブレイカーという死を教え込めば、心を持たの幻想は自我を持つようになる。
 と、それまでだまっていたアレイスターの口が開いた。
「これも虚数学区をぎよするための方策だ。『何をするか分からない』無自我状態よりも、えて思考能力を与えた方が行動を予測できるし、上手く立ち回れば交渉や脅迫なども行える」
「生み出される心がお前の予測範囲内の善人ならば問題ないがな。それがとんでもない悪人になったらどうするつもりだったんだ」
「善人よりも悪人の方が御しやすい。両者の間にある違いなど、取り引きに使うカードの種類が異なる程度のものだろう」
 くそったれが、と土御門つちみかどはロの中で毒づいた。そもそも、アレイスターの人間に関する取り扱いは常人のそれとは大きく異なる。
「そこまでして、虚数学区を掌握する事に意味があるのか」土御門は、やがて問いただした。
「確かに虚数学区は学園都市の脅威だ。だが、脅威とは内側だけにあるものではないそ。今回、お前が黙認した一件によって、世界はゆるやかに狂い始めた。理由はどうあれ、イギリス清教の正規メンバーを警備員アンチスキルの手を借りて撃退げきたいしたのだ。セントジョージ大聖堂の面々はこれを黙って見過ごすとは思えない。まさか、お前はこの街一つで世界中の魔術師達まじゆつしたちに勝てるなどとは思っていないだろうな」
 土御門の脅迫めいた声に、しかしアレイスターは笑みを崩さない。
「魔術師どもなど、あれさえ掌握できれば取るに足らん相手だよ」
「あれ、だと?」
 アレイスターの言葉に、土御門はまゆをひそめる。
 虚数学区・五行機関は確かに学園都市の中ではどこが安全で何が危険かも分からないほどの不気味な存在だ。だが、それは逆に言えば学園都市内部限定という事だ。AIM拡散力場は、能力者の周囲にしか展開できないのだから。
 そこまで考えて、ふと土御門は背筋に嫌な感覚が走り抜けた。
(待て、よ……)
 もう一度、彼はAIM拡散力場の集合体、虚数学区・五行機関について考える。
 それは赤外線や高周波のように、そこにいるのに見る事も聞く事もできず、
 人間とは別位相に存在する、ある種の力の集合体によって構成される生命体。
 土御門元春もとはるは知っている。
 その存在を、魔術用語で述べるとどんな言葉になるのかを。
(まさか、天使)
 いや、虚数学区の住人―――例えば風斬氷華かざきりひようかが『天使』と表現されるなら、彼女達が住んでいるとされる『街』とは、つまり……。
「アレイスター……お前はまさか、人工的に天界を作り上げるつもりか!?」
「さてね」
 対して、アレイスターはつまらなそうに=言答えるのみ。
 人工的に天界を作り上げる……いや、あくまで科学的な力のみで作られるなら、それは天界や魔界まかいなどいう既存の言葉では呼べない。カバラにも仏教にも十字教にも神道にもヒンドゥーにも表記されていない、まったく新しい『界』を生み出す事となる。
 そして『界』の完成は、あらゆる魔術の破滅を意味している。
 例えば地球上の浮力や揚力の基準値が大きく変化したとする。
 この状態で幼稚園児しろうとが画用紙に描いた設計図通りに飛行機を作ったとしても、それは最初から飛ばないだろう。が、キチンとした專門家まじゆつしが描いた設計図に従って飛行機を作っても、それはやはり飛ばない。しかも、なまじ滑走路の上は走ってしまうから、いざ離陸しようとした所で姿勢を崩して爆破してしまう。
 新たな『界』の出現による魔術環境の激変は、それを意味している。魔術師が魔術を使おうとすれば体が爆発し、魔術によって支えられている神殿や聖堂などは柱を失って自ら崩れていくだろう。
 これはどんな宗教にも当てはまる。
 考えてみれば良い。あらゆる宗教・魔術は一定のルールに従って実行される。もちろん、ルールは一つではない。仏教には仏教のルールが、十字教には十字教のルールがある。世界はたくさんの色彩ルールが重なり合って描かれる巨大なキャンバスのようなものなのだ。
 あ。らゆる宗教は何らかのルールに従っている事だけは変わりない。
 そこへ、すでにルールが固まっている所へ、新たに『界』を突っ込んだらどうなるか。これまで安定していたルールはかき乱され、何をやっても魔術師は自分の暴発に巻き込まれる。
 どんなに素晴らしいヴァイオリンの演奏家でも、楽器そのものの調律がメチャクチャならまともな演奏など。てきっこない。ルールをかき乱すとは、そういう意味だ。
 今の所は虚数学区のかぎは未完成のようだが、それが完成すればあらゆる魔術師は学園都市の中で魔術を使う事ができなくなるだろう。
 学園都市は世界の縮図。
 能力開発を世界規模に発展させ、あらゆる人々が能力に目覚めた時、世界はAIM拡散力場でおおわれる。街の中限定で展開されていた虚数学区は、そのまま全世界を埋め尽くす。
 いや。
 準備は、とうの昔に完成している。
 上条かみじようの手によって救われた一万弱もの人工能力者たち妹達シスターズ』は、治療ちりよう日的で世界中に点在
する学園都市の協力機関に送られている。何故なぜわざわざ『外』で体の調整を行う必要性があったのか土御門つちみかどには疑問だったが、その答えはここにあったのだ。
 一方通行アクセラレータを使ったあの馬鹿ばかげた『実験」の真意は、絶対能力進化レベル6シフト計画などではない。世界中
に配置すべき人造能力者の量産にこそあったのだ。いかにも自然に街の『外』へ送るために、えて一度量産能力者レデイオノイズ計画をつぶし、さらには隠れみのであるはずの絶対能力進化レペル6シフト計画を潰して二重の偽装を得て妹達シスターズは全世界へ蔓延した。
 その目論見もくろみは成功と見て良いだろう。現にイギリス清教を始めとする教会諸勢力は妹達シスターズが『外』へ配布された事に気づいていない。いや、気づいていたとしてもその重大性までには至っていない。せいぜいが、学園都市の内輪の問題の後始末ぐらいにしか考えていないはずだ。
 世界全土を囲うように、虚数学区のアンテナたる能力者は配備された。
 あとは未完成の虚数学区を完全に制御し、新たな『界』として起動すれば。
『界』の出現によって、すべての魔術師まじゆつしは己の力の暴走によって自滅し、
 そして能力者にとっては、AIM拡散力場は何の妨害にもならない。
 そうなれば、科学世界と魔術世界の戦争の結果など目に見えている。いや、それはそもそも戦争にもならない。両手を挙げた敵たちの頭を一人ずつ順番にち抜いていくようなものだ。
(いや……)
 土御門はそこまで考えて、首を横に振った。
 本当にこれが、アレイスターの最終的な目的なのか? そうかもしれないし、そうではないのかもしれない。この人間ならこの程度はほんの下準備だと笑うような気もするし、存外何も考えていないという可能性もある。
 分からない。
 男にも女にも、大入にも子供にも、聖人にも囚人にも見えるアレイスターは、人間としてのあらゆる可能性を内包している。それゆえに、アレイスターの考えなど予測もつかない。人類が考えうる限り全ての意見を持っていると言っても過言ではなさそうだ。
 土御門は戦標せんりつしながらも、なかば負け犬がえるように吐き捨てる。
「ふん。これがイギリス清教に知れれば即座に開戦だな。今にして少し思う、オレはシェリー=クロムウェルに同情すると。お前の言動を吟味する限り、ヤツのポジションは単なる悪役ではない。れっきとした、自分の世界を守るために立ち上がったもう一人の主役だろうさ」
「馬鹿馬鹿しい妄想をふくらませるな。私は別に教会世界を敵に回すつもりは毛頭ない。そもそも君の考えにある人造天界を作るには、まずオリジナルの天国を知らねばならない。それはオカルトの領分だろう。科学にいる私には専門外だ」
「ぬかせ。お前以上に詳しい人間がこの星にいるか。そうだろう?」
 土御門は、唇の端をゆがめて、

「魔術師・アレイスター=クロウリー」

 かつて、二〇世紀には歴史上最大の魔術師まじゆつしが存在した。
 彼は世界で最も優秀な魔術師であると同時、世界で最も魔術を侮辱ぷじよくした魔術師であるとも呼ばれていた。
 その彼が、長い歴史の中でどの魔術師も行わなかった魔術に対する世界最大の侮蔑ぷべつとは、
 極めた魔術をすべて捨てて、 一から科学を極めようとした事だった。
 魔術師として頂点に立っていたアレイスターが、何を思って全てを捨てたのかはぜれにも分からない。だがそれは魔術世界にとって最大の屈辱だった。名実共に世界一の魔術師が、魔術を捨てて科学にたよろうとしたのだ。それはつまり、勝手にアレイスターが魔術文化代表を名乗って誰の許可も取らずに科学文化へ白旗を挙げてしまったようなものだ。
 ゆえに、アレイスター=クロウリーは全世界の魔術師を敵に回した。それは魔女狩り専門のイギリス清教のみならず、少しでも魔術を知った者なら例外なく、という意味だ。
 ステイルがアレイスターと顔を合わせていてもその正体を看破できなかったのには訳がある。
イギリス清教は長年かけて集めてきた『アレイスター=クロウリー』の情報を元に追跡を続けている訳だが、この情報は全てアレイスターが意図的につかませた誤情報なのである。元の情報が狂っている以上、それと照らし合わせてアレイスターを魔術的、あるいは科学的に調べた所で一致する点などあるはずもない。結果として彼は同姓同名の別人もしくは偽名という事になっていた。
 そこまでやる技量と度胸に土御門つちみかどは舌を巻く。土御門ならたとえ可能であってもそんな危険な橋を渡ろうとは思えないだろう。それが端的に両者の力量差を示していると言っても良い。
「丸っきり負け惜しみになるがな、お前に一つだけ忠告してやる。アレイスター」
「ふむ。聞こうか」
「お前はハードラックという言葉の意味を知っているか」
「『不幸』だろう?」
「『地獄のような不幸に何度遭遇しても、それを常に乗り越えていく強運』という裏返しの意味も持つ」土御門は、わずかに笑って、「オレにはお前が考えている事など分からないし、おそらく説明を受けても理解できないだろう。だが、あの幻想殺しを利用するというなら覚悟しろ。生半可な信念ぐらいで立ち向かえば、あの右手はお前の世界げんそうを食い殺すぞ」
 彼が告げると、ちょうどタイミングを計ったように空間移動能力者が部屋に入ってきた。
 三〇センチ以上も背の低い少女にエスコートされ、土御門はビルから出て行く。
 誰もいなくなった部屋の中、逆さに浮かぶ男は一人つぶやいた。
「ふむ。私の信じる世界など、とうの昔にこわれているさ」

 インデックスと風斬氷華かざきりひようかは病院の待合室のソファに並んで座っていた。
 病院は基本的に動物の持ち込みは禁止されているため、三毛猫みけねこは現在学生寮でお留守番だ。いつも三毛猫と一緒いつしよにいるためか、白いシスターは何となく座りが悪い感じで両手をぶらぶらと動かしていた。
 そんなインデックスに、風斬かざきりは引っ込み思案な声で、
「あ、あの……。そのスカート、直さないの?」
 うん? とインデックスは自分の足の辺りを見た。ゴーレムとの戦闘せんとうで安全ピンを引き抜い
たせいで、スカート部分がチャイナドレスのように大きく開いていた。
「それ……す、すごく大胆っていうか、何か無防備だよ。危うい感じがするよ……」
「でも色々ゴタゴタしていたし、後回しでも良いかなって思ってるんだけど。ひょうか、この格好ってそんなに変かな?」
「へ、変かも。……すごく変かも。ただでさえ、怪しいのに……さらに怪しいかも」
「ただでさえ?」
 インデックスは半目になる。何となく、この少女が自分に抱いていた感想を知る。
 と、不意におかしな事が起こった。
 曖昧あいまいな顔で苦笑している風斬氷華ひようかの輪郭が、まるで風できりが揺らぐようにプレたのだ。気を抜くと彼女の体が霧散むさんして空気の中へと溶け込んでしまうような錯覚さつかくすら感じる。
 びっくりしたインデックスの前で、風斬の輪郭の揺れは大きくなったり小さくなったりした。ただし、その揺れが収まる事は一秒さえ存在しなかった。
「ひょ、ひょうか。それ……」
「う、ん。ちょっと、色々あったから……」風斬は、笑っている。「私の体は、言ってしまえば……超能力の塊みたいなもの、だから。……どうやった所で、自分が不安定な存在である事には、変わりはないの。私の存在だって、決して永遠ではないから……」
 風斬はそう告げたが、インデックスは別の可能性を考えていた。
 幻想殺しイマジンブレイカー
 それは力の善悪を問わず、あらゆる異能の力を打ち消してしまう、必殺の手。
「ううん。それは、違うよ」風斬は、インデックスの顔色から何かを察したように、「あの人の力を、私は受けていない……。もし仮に、受けていたとしたら……私はその瞬間しゆんかんに跡形もなく消えているはずだもの。だから、彼は悪くないの……」
 風斬氷華は優しく告げたが、その声色は高低に揺らぐ。
「……大丈夫だいじようぶ、消滅と言ってもそんなに早くは、起きないから。私の体は……二三〇万人分の力で、できているんだよ。……寿命と言っても、あなたたちの何十倍も後の話なんだから……」
 風斬氷華は笑っている。
 彼女の言葉と、自分の知識を統合すれば大丈夫だと思うはずなのに。
 何故なぜだか、インデックスの胸には重たい不安がのしかかってきた。
 全く音を立てず、風斬かざきりの輪郭が不自然に揺らぎ続ける。心なしか、少しずつ揺れ幅が大きくなっていくような気がした。まるで、濃いきりが少しずつうすらいでいくように。
「ああ、……そうそう。……これは、あなたにとって……重要な事か、どうかは分からないんだけど……」
「なに?」
「あの人の、力について。……私も、詳しくは……分からないんだけどね」
 風斬氷華ひようかは、そこで一拍置いてから、告げる。

 上条当麻かみじようとうまの右手は、超能力では説明できないという事を。

 え? とインデックスの動きがピタリと止まった。
「待って。ちょっと待って、ひょうか。そんなのないよ。だって、だって魔術まじゆつにはあんな右手は存在しないもん! 私の頭の中には一〇万三〇〇〇冊分の知識があるけど、あそこまでデタラメな力の事なんて知らない! だったらあれは超能力じゃないと、説明がつかない!」
「ま、じゅつ? ……それが何なのか、分からないけど」風斬は小さく笑って、「少なくても、能力スキル、じゃないよ……。大体、私の体は学園都市に住む……すべての能力者の力で成り立っている。もし、あの人が能力者ならば……その微弱な力が私の中に侵入して、私の体は一瞬いつしゆんで分解されているはずだもの……」
 そう言えば、とインデックスは思い出す。あの少年の力は学園都市で作られたものではないらしい、という事を。それは人工物ではなく、生まれた時から備わっていた天然物なのだと。
 だとしたら、だとしたらあの力は何なのだろう、とインデックスは思う。
 魔術でもなければ能力でもない、まったく別次元の力。
「さて、と。私はもう、帰らないと……」
 言って、風斬はソファから立ち上がった。
 インデックスは頭の中に巡らせていた考えを吹き飛ばし、はじかれたように顔を上げた。急に不安になった。帰るとは、どこに帰るという意味なのだろう? 普通に考えれば時間も遅くなったから家に帰るという意味だろうが、インデックスは根拠もないのに何気ない一言に含みがあるような気がしてならなかった。
 まるで置いてきぼりにされた子供のようなインデックスに、風斬は優しく笑いかけて、
「心配、しなくても……大丈夫だいじようぶ。仮に私の体が消えたって、私が死ぬ訳、じゃないの。ただ、姿が見えなくなるだけ……。触れられなくなるだけ。たとえ……あなたには分からなくても、私はずっとあなたのそばにいるから……」
 何で、こんなタイミングでそんな事を言うんだろう、とインデックスは思う。
 それではまるで、もう二度と会えないような気がする。
 何の根拠もないのに。
風斬氷華かざきりひようかは明確な別れなど、一言も告げていないのに。
「ひょうか!!」
 立ち去ろうとする風斬の後ろ姿に向かって、インデックスは思わず叫んでいた。
 風斬はゆっくりと振り返ると、
「なに?」
「明日も……明日も、一緒いつしよに遊んでくれるよね?」
 インデックスはほとんど泣き出しそうな顔で言う。
 風斬氷華は笑う。
 笑って答える。
「もちろん」

   あとがき

 一気に六冊って我ながら冒険したなあという貴方あなたは初めまして。
 一冊ずつ購入していただいている貴方はこんにちは。
 鎌池和馬かまちかずまです。
 さて、六巻です。主人公、ヒロイン、敵キャラ、結末、舞台裏など、今回は色々な部分をこれまでのシリーズとは微妙にずらして描写しています。どこがどういう風に変化球なのかは、本文を読んでのお楽しみ、という訳で。
 今回のオカルトキーワードはゴーレムです。
 スライムなどと共にゲームの中では割とポピュラー、それゆえにラスボスの器ではないイメージがありますが、何か実際にあった(とされる)ゴーレムというのはとんでもない代物しろものっぽいです。何でも神様が人間を作った時の秘法を元にした魔術まじゆつで、それを使えるのはカバラを完全に極めた者のみだとか。
 言ってしまえば錬金術れんきんじゆつにおける賢者の石と同じく、『これが作れたらナンバーワン』という証明書みたいなものらしいです。こうして作られたゴーレムにはキチンと安全装置がつけられていて、こわしたくなったら簡単操作で土の塊に戻す事もできるとか。巨大ロボットにありがちな自爆ボタンのルーツここに見たり、という感じですね。

 イラストの灰村はいむらさんと担当の三木みきさんには多大な感謝を。お二方とも、超多忙な中に鎌池の作品を見捨てず付き合っていただきありがとうございました。
 そして本書を手に取っていただいた読者の皆様、本当にありがとうございます。鎌池が白いご飯を食べられるのは間違いなく貴方たちのおかげです。

 それでは、本書が皆様の手に届いた事に感謝しつつ、
 本書が皆様の手から離れない事をこっそり願って、
 本日は、この辺りで筆を置かせていただきます。

 ―――結局、幻想殺しは少女の幻想を守れたのか鎌池和馬

とある魔術の禁書目録6
鎌池和馬

発 行 2005年7月25日 初版発行
著 者 鎌池和馬
発行者 久木敏行
発行所 株式会礼メディアワークス

平成十九年一月三日 入力・校正 にゃ?